工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

大夜仏事 

2017/08/16
Wed. 23:17

なんとか辻褄を合わせて棚経を調整して、大夜仏事に随喜した。

大夜とは、俗に云う通夜のようなもので、曹洞宗の住職が遷化されると、まずは密葬をして、仕切り直しで本葬に入るが、その前日の夜を「大夜」(言い方は他にもあるし、漢字もいろいろ違うこともあるのであしからず・・・)といって、幾つかの大夜仏事を厳修して本葬を迎えるというスケジュールになる。
ややこしいことだが、これはようするに葬儀に関係する方丈さま方のスケジュール調整期間を用意しているのだと思っていただくとわかりやすいだろう。
一般のように2〜3日のうちに住職の葬儀をしようと思うと、そのためにお手伝いも含めて約30人ほどの方丈さんが短期間で遺漏なく都合をつけることなど無理な話だから、はじめからそれぞれの方丈さんの都合を合わせやすいように49日までの適当な日を本葬のために用意しておけば、諸々随喜で自分のスケジュールを調整しやすくなると云うわけだ。
それでも結局は、直前に我が寺の葬式が入ったり、すでに当日が我が寺の仏事でふさがっていたりと、全て100%上手く調整できるわけでもないから、あとは、坊主が自分で自分のスケジュールを都合の良いように修正するしかないことになる。
私の場合も、変更や修正の難しい仏事が重なっていないわけでもなく、なかなか厳しい状況の中でこの度の当て職を受けている。

集合時間の少し前に葬儀会場になる寺院へ到着した。
その後、続々と若い方丈さんたちが参集して、会場の微調整に入った。
私は、立場上現場監督のような采配をふるうことになっているが、そういう器でもないし、たかが隣町のナンチャッテ坊主ごときはあまり出しゃばらないほうが八方丸く収まる。
時々、それとなく写真撮影をしたりして、大夜仏事のスタートを待った。
昨日まで断続的なスコールで落ち着かない毎日が続いていたが、ここにきてやっと半日ほど天気が持ちなおすようなことを云っていたし、少しくらいは坊主が運を天に任せるのも良いかなと思った。
予報はソコソコ的中して、お経の途中あたりになって雨が本降りになりはじめた。

亡くなった大方丈様が可愛がっていた犬がいない。
血統書付きの柴犬だそうだが、けっこう歳をとっていて、雨も降るし少し心配しつつ、何時もつながれているあたりを気にしたが、今日一日は犬の周辺のものも片付けられて、そこに犬がつながれていたという痕跡も消えていた。
どういう経緯で亡くなった方丈さまが犬を飼い始めたかわからないが、私がさり気なく犬の話題を持ち出すと、嬉しそうに柴犬との暮らしぶりを語られて、そういうところに、方丈さまの心根の優しさがにじみ出たりして微笑ましく思ったものだ。

方丈さまのいつもの定位置も、今はすっかり片付けられてどこかしら寒々しい。
本葬が終わってしばらくあとには、無住の空き寺になるようだ。

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豪雨のあと 

2017/08/15
Tue. 23:54

棚経最終日の前夜は強烈な豪雨だった。
梅雨の雨以来、今年になって飯南高原最大の雨がひと晩降り続いた。
本堂の寄棟屋根から四方に向かって流れ落ちる雨水が境内や庫裏の壁を一晩中叩き続けて眠れないまま夜が明けた。

往時は広島方面から出雲大社への参詣街道でもあった出雲街道が神戸川の上流に沿って付かず離れず続く。
街道沿いに幾つかの集落が点在していて、小規模の城下町や市場町や宿場町が形成され、その面影が現在に残る。
万善寺は代々の檀家総代宅がある市場町とその周辺をぐるりと回って、棚経の90%が終わる。
ひと晩続いた豪雨のあと、のこり雨が降る中、裸足に雪駄履きで万善寺を出発した。
2〜3軒回るうちに雨も上がったので、足袋をはいた。
「この前の台風の雨より昨夜がすごかったですけぇ〜。川の増水も今年一番で、丸太がうちの下の護岸に衝突したりして眠れませんでしたがぁ〜・・」
側溝の排水も許容を越えていたし、いたるところでめくら打ちの排水管から真横に雨水が吹き出していた。

いずれにしても、これから2日間は、本葬仏事の主喪充て職で朝から夜まで葬儀会場の寺院へ張り付くことになる。
その次の日が万善寺の今年一番の大イベントである施食会と大般若会と塔婆回向がある。
先代住職が当初バラバラの3つの仏事を、内室の助言に折れて一つにまとめてしまったのは、私が寺を出て一人暮らしをしていた頃のことだった。理由は簡単で、年々減少する仏事へのお参りの数が、「一つにまとめたら昔のように増えて賑やかになるはずだ!」という、いかにも打算的で俗物的な内室の浅知恵に乗ってしまったことによる。
仏事に限らず、それぞれそれなりに意味も訳もある行事を一つにまとめて統廃合してしまうと、次にそれをもとに戻すことは至難の業でかなりの説得力とエネルギーが必要になる。大きな行事にはそれなりの経費もかかって収入も増えるが支出も増える。結局、万善寺運営も、その後数年の間にどんどん厳しい経営状態になり、ほぼ、時を同じくして先代住職の病気発病となり、万善寺がいっきに消沈した。

厳しい現実を粛々と乗り切っているヨレヨレ住職だが、今年のお盆仏事は今までにないほどの厳しさで毎日が過ぎた。
唯一の救いは、豪雨の後に半日ほど草刈りが出来て、かたちばかりのことだが、お盆のお墓参りも出来たこと。
万善寺ご本尊の千手千眼観世音菩薩さまは、ボクを見放さないでくれたようだ。
母親の俊江さんの真新しい墓石には、前日に墓参りをしてくれたじゅん君が少し多めに線香をお供えしてくれていた。古道の面影を残す参道は豪雨の渠が刻まれ、墓地の土には大粒の雨痕が一面に広がって残っていた。
お参りの粗品を毎年手造りしていたが、今はその気力も体力も無い・・・

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お先真っ暗坊主 

2017/08/14
Mon. 23:24

飯南高原は、島根県東部の南端にあって広島県の県境に接し、出雲大社近くの日本海へ流れ出る神戸川の上流に位置する。
万善寺は飯南高原の歴史ある名山琴弾山の麓にあって、神戸川の支流保賀川の流れる谷に沿って集落を形成する約20戸のひとつである。
毎年お盆の14日にこの保賀の集落を棚経で回ることにしていて、その風習から、保賀の地域では世間の常識と少しずれて14日からお盆がスタートする。
前住職の頃は、そうめんをゆでたりお団子をつくったりして本堂や仏壇やお墓へお供えしていたが、今年になって母親が死んで私一人になってからは、それら全ての盆行事を何時もより上等の高級線香をお供えして縮小割愛した。
気持ちの問題のひとことで済ますことも出来ない現実の事情には逆らえない。
ようするに、坊主1人で盆行事を切り盛りすることが物理的に不可能だということだ。
そのうえ、今年は台風の通過以降、毎日のように雨が降り続いて境内地の整備や草刈りが出来ないまま盆を向かえたことと、隣町の現職住職の遷化で本葬仏事が加わったことで、万善寺の長い歴史の中で過去に例を見ないほど多忙な8月になっている。

私が住職を引き継いでからそろそろ10年になる。
その間に保賀の集落から転出や絶縁などで7戸の家が空き家になった。
昔は、憲正さんと手分けして棚経をつとめてもお昼は過ぎていたが、今は一人で集落を回っても午前中に棚経が済んでしまう。
この2日間ほど、石見銀山で暮らす吉田家の家族二人が万善寺へ通いながら棚経の留守に盆の手伝いをしてくれている。
手伝いといっても、寺の盆のことであるから一般在家の延長でもなくて、なかなかに普通でないところがあって、簡単に済ますことも出来ない独特の習慣のようなものがある。
そもそも、寺の一つ仏事は1年に一度しか巡ってこないから、その一度のことを1年間覚えておけというのも非常識なことだ。
結局、一つ一つ口伝えに教えて一つ一つ聞いて覚えて、それを延々と何年も続ける間になんとなく頭に入って身体が覚えて、そのうちそれぞれの役目を分業しながら粛々と仏事のひと山を乗り切るという、長い年月の蓄積が大事なことになる。
吉田家からのお手伝い二人も、気持ちはわかるが動きがチグハグで、どうにも自分のペースが乱れて心が騒ぐ。
ヒマで余裕があれば、コツコツと丁寧に目先の事物へ対応できるのだろうが、そういう余裕もないし、どうしても自分の心のざわめきが態度や顔に出てしまう。
私の場合は、少年時代からの長い経験が蓄積されているから、毎日朝にはその日の様子を見てスケジュールの修正をしながらなんとか最低限の作務だけはこなして次に繋がるように仕向けていたりする。
会話の相手が他人であれば、お互いの遠慮もあって、お互いの立場を気遣いながらやりくりできるところもあるから、檀家との連携が出来ているお寺は、檀家から奥さんが寺内の用事をし、ご主人が寺外の用事を手伝い、いい感じで切り盛りが出来ていたりする。
万善寺はそういう習慣が絶えて久しいから今更どうにかするのも難しい。仏事の手伝いをアルバイト募集するくらいが都合良かったりするが・・お先真っ暗坊主のボクなのです。

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盆が来た 

2017/08/13
Sun. 23:04

久しぶりに雨の降らない1日だった。
久しぶりに・・・本当に久しぶりに・・・ワイフとじゅん君が万善寺へ来てくれた。

棚経と雨のおかげで境内地や参道などの外仕事が停滞して、その間に草が伸びる一方で、万善寺が里山の自然に飲み込まれつつあった。
施食会当日まで自分に残されている作務の日はあと2日しかない。
それで全てを済ませるのは「まず、不可能だろうなぁ〜・・・」と、ボンヤリ思いながら、一人暮らしの夜を過ごしていた。
一番つらいのが、隣町の現職住職の本葬・・・
これが万善寺施食会の前日で、大夜がその前日。この2日間は朝から拘束されるから万善寺の作務はまったく出来ないことになる。あれはあれでこれはこれでそれはそれだから、あれやこれやをまとめてひとつに済ませることは不可能なこと。寺院の付き合いには時々こういうことがあるからとにかく始末が悪い。
今は、ナニを残してドレを割愛するか、そういうことを考え始めている。
お参りのお檀家さんの目があるから、見た目の外面だけでも体裁を整えておかないといけない。申し訳ないことだが、今年のお盆のお墓参りは1週間ほど遅延させてもらおうと密かに考えていたところだ。
・・・そこへ、ワイフとじゅん君が来てくれたというわけ。

私が棚経をしている間に、じゅん君がお墓の掃除をしてくれたようだ。
これでもう1日万善寺を手伝ってくれたら、ひとまず、私の代行でお墓参りをしておいてもらおうと思う。
ワイフの方は、施食会に向けてマイペースに台所や庫裏の片付けをしてくれていた。
食器を始めとして、色々なものが彼女の都合でアチコチ移動していたから、当分の間自分の行動形態が狂って少し苦労するだろうが、彼女なりに自分の良いように工夫した結果であろうから、そのことでアレコレ気をもむのはやめることにする・・と云うよりむしろ、そのような余裕が今の私にはない。
夫婦とか親子とか、そういう家族の中のことであっても、ひとそれぞれに自分の考えがあって、その連携で緩やかな拘束が機能しているから、過不足のない中道の暮らしが出来ているのだ。そういう力関係の引き合いのバランスが良くないと、どこかしら重心のポイントが偏って、家族形態に歪みができて暮らしにくくなる。

万善寺の一人暮らしが続く中で、自分本位で自分に都合のいい暮らしが少し長く続きすぎていたようだ。たまにこうして家族が集ることで暮らしのズレを修復したり、修正したり出来ることが大事なことだと気付いた。
ほぼ1ヶ月の間に草が伸び放題で荒れ地寸前までになっていた境内が、少しきれいになってお寺らしい佇まいが再現されつつある。
母親がセッセと散布していた枯葉剤で瀕死状態だった百日紅に今年も花が咲いた。枯れる寸前にまでなっていた老木だから、花を咲かせることも想像を絶するほどのエネルギーを使っていることだろう。曇り空を背景に咲くピンクの花に少し元気をもらった気がする。

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仮称:ギャラリーまんぜんじ 

2017/08/12
Sat. 23:01

台風の大風が吹いて以来、雨の降り癖がついてしまったようで、一気に伸びた草を刈ることも出来ないまま毎日がアッという間に過ぎる。
ワイフに電話をすると、石見銀山も似たようなもので、雨がよく降っているそうだ。

棚経ばかりで他に何もしないでいるわけにいかないから、本堂の荘厳をおおよそ済ませた。
いつもはガランとして畳ばかりの本堂だが、荘厳の配置をしたり仏具を移動したりしてみると、どこかしら雑然として狭苦しく俗っぽくなってしまう。
少し強い風が吹くたびに天井裏の積年の埃ゴミが舞い落ちて配置を終わった仏具に降りかかる。お盆のお寺参りも時々あるし、本当なら施食会法要の直前まで何もしないでおきたかったのだが、夢と理想と現実を調整してみるに、このひと夏の万善寺のほとんど80%以上を一人で乗り切ることを思うと背に腹は代えられない。

庫裏の方は、今まで老人の二人暮らしが半世紀以上続いて、その間の色々なものがあふれかえって空気の淀みが室内のいたるところに出来ていたのを解消することに終始している。
北側の全面は、家屋の内外含めて朽ち落ちる寸前まで劣化して手のつけようがない。
ひとまずは、捨てられないまま無駄に室内各所へ詰め込まれたモノを1箇所へ集めて、冬になってから落ち着いて整理することにした。
狭いながらに、いちおう寺院の機能が足りるくらいの部屋はなんとか確保しなければいけないし、それを思うと、大げさでもなく、頭が冴えて眠れない日が続いている。
先のことを悶々と考え続けても室内のモノが動くわけでもないから、棚経を終わると雨の様子を見ながらセッセと庫裏の整備に集中した。

1年の万善寺行事をザックリ洗いだすと、庫裏の公的使用はせいぜい10日程度のものだ。それ以外のほとんど毎日を締め切ってしまうのは、どう考えても回転率が悪すぎる。
先々うまくいくかどうか分からないが、自分にできることはなにかと考えてみるに、美術造形絡みの活用くらいしか思いつかない。
この10年間で展示開催していた現代彫刻小品展のノウハウをもとに、畳の床をフローリングに張り替えたり壁面を仮設したりして、なんとなく美術展示が出来るくらいのスペースをつくってみた。若い作家の個展とかグループ展ができれば良いかなと思っていて、今後、期間中の宿泊も可能なくらいまでに改修してみようと思う。

ユキちゃんの参加したグループ展が一段落して、そのかわりのように、鳥取からアヤノちゃんが大作の試作模型を持って伺いにやってきた。鳥取からだとかなりの距離だし、ワザワザ島根の山奥で一人暮らしの吉田をアテにすることもないだろうと思わないでもないが、今までの幾つかの企画絡みで表現の伸びも感じるし、彼女次第だけど、作家路線が安定して少し先が見通せるくらいまでは付き合っておいたほうが良いようにも思っている。
昼は棚経の裏番組で寺の留守番しながら試作を座敷に広げ、寄宿暮らしのユキちゃんに提供した部屋で一晩寝て帰っていった。

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自分の都合 

2017/08/11
Fri. 23:20

このところ雨が降りやすくなって草刈りが出来ないでいる。
棚経の方も傘が手放せない状態で、もたついている間に世間は盆休にに入ってしまった。
彫刻の方もそろそろ具体的に計画をたてないといけないから、まずは材料の注文をしておいた。
庫裏の修繕は、ひとまず1日かけてなんとか体裁を取り繕うまでに出来た。
留守の間に建具屋さんが網戸の修繕も終わらせてくれていたし、近所のお檀家さんは夏野菜をたくさん届けてくれた。
ワイフは夏風邪でもひいたらしく、微熱が出て1日ほどふせっていたらしい。
じゅん君は今年も自分の都合で夏休みのスケジュールが決まって、寺の手伝いも期待できなくなった。
結婚式も終わって少し落ち着いたらしいなっちゃんが伸ばしていた髪をバッサリ切った。
フロリダで暮らしはじめたノッチは早速友達ができてその様子をLINEに載せていた。アメリカのミッキーたちは、なんとなくデカイ気がする。
キーポンは、保育士の仕事にも慣れて系列の保育園へヘルプを頼まれるまでになったようだ。
彫刻見習いのユキちゃんは松江の美術館でグループ展のあと、来年からの職探しをスタートさせるようだ。
ユキちゃんつながりで最近知り合ったヒョロリテツヤ君は学校講師の仕事と彫刻を両立させて精力的に制作を続けているようだ。
鳥取で制作を続けているアヤノちゃんは、公募展出品をめざして大作にとりかかる準備をはじめたようだ。
吉田家のネコチャンズは、人間のスキをねらってマンマと脱走して石見銀山の町並みを彷徨いていたらしい。

・・・「〜らしい」とか、「〜ようだ」とか、なんとも曖昧な情報しか入ってこないままの日々が続くと、どうも気持ちがもやもやしてスッキリしない。
やはり、自分にはこういう受動的で曖昧な暮らしが性に合わないようで、確実に少しずつストレスが蓄積されている。
気晴らしになるかもしれないとG15をぶらさげて早朝の散歩に出た。
参道から境内に入るところでマムシをみた。このところ雨が続いているからどこかに潜んでいるか気にかけていたが、案の定いつもの場所をぎこちなくニョロニョロ動いていた。
山鳩の夫婦も境内で羽根を休めることが日課になりつつあるようだ。まだ人間に慣れるところまででもなく私を見かけると慌てて飛び立っていく。
相変わらず朝一番に蜩が鳴き始め、日暮れ時になるとまた蜩がうるさく鳴き始める。

春先に母親が死んだから、この歳になって自分の人生ではじめて正真正銘の一人暮らしが続いている。何をするにも自分しかいないからふとした拍子にもやもやとして悶々としている自分自身のことがクールに見渡せていたりする。
良いも悪いも、誰のせいでもない結局は自分の都合で決まってしまうものだとわかる。
「自返照看」とは、こういう状態であることを云っているのかもしれない。

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単身赴任住職 

2017/08/10
Thu. 23:42

万善寺単身赴任住職の一人暮らしが続いている。
この頃になって、日本の・・いや、世界中の一人暮らしオヤジのわびしさがなんとなくわかり始めたようなきがする。
15歳で一人暮らしをはじめて28歳で結婚するまで、特に寂しいともわびしいとも思わないし、どちらかといえば毎日がマイペースに気楽に過ぎて周辺へのわずらわしさもないし、都合よく暮らしていたことを思い出す。
やはり、嫁さんが出来て子供も出来て家族が増えてくると、若い頃の気楽な暮らしとは全然違って、「家族」とか「家庭」とかいう、オリジナル極小コミュニティーが成立して、それなりのゆるやかな拘束感や帰属意識を自覚するようになって、そうなってから後の単身赴任的暮らしが続くと、やはり、どこかしら気持ちの支えとかより処が某獏と曖昧になって、そういうことがオヤジのわびしさの種になっているのかもしれない。

お決まりの施食会随喜のあと、お決まりの棚経の続きで県境を越えた。
島根県のほぼ中央を南から北の日本海へ流れる江の川の上流近くにある盆地の町へ向けて結界君を走らせていると、にわかに空が暗転して強烈なスコールになった。まるで水中を走っているような(・・といっても、ボクはハンマーだから想像するだけのことだけど・・)感じでワイパーが全く機能しない。前を走るダンプの車幅をたよりに国道を走り続け、江の川を渡った。
帰りにはスコールが嘘のように雲の切れ間から青空も覗いていた。
早朝に万善寺を出て、夕方6時近くに帰着して庫裏玄関を開けると一日分の不快な湿気が充満している。こういう状況に遭遇すると、一人暮らしのわびしさが目覚める。

体内時計が正常に働いていないようで腹が減っているのかどうなのか判断に苦しむ。
今日1日は、結局固形物を口に入れないで過ぎてしまった。
シャワーで汗を流して、パンツ一丁で朝食のような夕食をつくった。
棚経の布施代わりやお中元代わりのお供え物に頂いた夏野菜を刻んだ。
夏野菜だけは、お供えもして、その上一人では食べきれないほど大量に溜まっている。
キュウリを塩もみしても、1食で1本食べれば十分で、消費に悩むのもこの時期の贅沢だ。なんとかしてあと1週間鮮度をもたせれば施食会のお供えに使える。
収穫時期を過ぎて出荷できないアスパラも大量にもらった。もう筋張って硬いからお供えにもならないし、炒めるとか茹でるとかして消費しようと思う。

これからお盆になって棚経もいっきに佳境に入る。
吉田家でワイフが一時期ガスコンロ用の土鍋式炊飯器にハマって使っていたことを思い出して、それを探し出して寺まで持ってきた。
夕食の後で、母親が食べ残した古い米をセッセとといで炊いた。
独身の一人暮らしでは片手鍋を使って炊飯していたし、そのほうが短時間ですぐ炊ける。
古いなりに、米も立っておこげも少々出来て見た目は旨そうだが、味は期待できないだろう。キーポン流に茶碗一杯ずつラップにくるんで冷凍庫へ放り込んでおいた。これで、漬物かふりかけでもあれば2〜3日はなんとかなる。

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島根のスコールとフロリダの月 

2017/08/09
Wed. 23:45

導師代行の葬儀が終わってから、松江の美術館へ結界君をすっ飛ばした。空にはとても嫌な感じの雲が広がって、何時スコールがくるかわからない。久しぶりに結界君のエアコンをフル稼働して島根上空に漂う湿気と戦いながら、国道を北上した。

会場にユキちゃんはいなかったが、万善寺庫裏の玄関でほぼ徹夜して制作した彫刻が静かに展示してあった。その後ろには、ヒョロリテツヤの彫刻もいい感じの距離感で寄り添うように設置してあった。
そもそも、その展覧会がどういう趣旨でどういう対象で開催されているのか、私には全くわかっていない。プレゼンのファイルブックのようなものもあったし、キャプション脇に解説文もあったが、どうもじっくり読むきになれないままスルーしてしまった。リーフレットにはアンケート用紙も挟んであって、展覧会参加メンバーのヤル気が伝わってくる。

私は、島根の県境に近い飯南高原の山寺で住職をしながら彫刻を造っているが、こういう松江くらいの近所の展覧会情報が入ると、できるだけ都合をつけて出かけるようにしている。住職坊主も、職業柄狭い地域で行動するばかりで、気がつくと社会の大きな流れに取り残されて世間知らずになっていたりするし、彫刻というと、ひたすら完成を目指して工場に閉じこもって制作ばかりの毎日だから、周辺との会話も絶えて新鮮な情報に取り残されていたりする。
面倒な付き合いもなくて気楽な日常が過ぎるばかりで私のようなナマケモノには都合のいい暮らしなのかもしれないが、一方で造形のビビットな先端からはどんどん縁遠くなってもいる。石見銀山の吉田家を基地にして行動している時は、インターネット環境を泳ぎながらSNSを利用してマメに情報を収集したり発信したりしていたが、万善寺の劣悪なWeb環境ではそれをするのも面倒になってしまう。それもヤバイと思うから、たとえば今回のように、乏しい情報を手繰って足で稼いでアナログの暮らしなりに工夫しているわけだ。

松江からの帰りは、スコールへつかまってしまった。あまりに激しい雨で給油する気にもなれないまま、南下して万善寺を目指した。途中、少し雨足が弱くなって空も明るくなってきた。このままだと結界君の燃料が寺までもたないから給油のついでに少し大きなスーパーへ寄ってお盆までの食料を買い込んだ。
例のごとく、夕方から深夜にかけてはインターネットがまともに使えないので、最近は夕食が落ち着いたらとりあえずひと眠りすることにしている。ウツラウツラしていたらフロリダのノッチからLINE電話が入った。
久々に聞く懐かしい声は、いつもと変わりなく元気そうだった。テキサスを経由してほぼ1日くらいかけてフロリダへ着いたらしい。空港の税関のオジサンがノッチを癒やしてくれたようだ。彼女は実にオヤジ好きだ。5人部屋があてがわれて、同室の娘とすぐに仲良く打ち解けることが出来たらしい。私に似てシャイで人見知のノッチとしては上出来だ。
島根とフロリダは半日くらいの時差があるのだろうか?
これから1年間の仕事に向けて、まずは説明会があるのだそうだ。
なんとなく曖昧なタイミングで目が覚めて頭がうまく回転しない。展覧会のリーフレットで作家と作品を思い出そうとしたが、ユキちゃんはじめ4人が限界だった。

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ノッチの出国 

2017/08/08
Tue. 23:13

8月に入って、通勤坊主からワイフと別居の単身赴任坊主になって、一人暮らしを続けながら棚経を続けている。
吉田家の家族からはなんとなく疎外された感じもあって、どこかしらわびしい。

そんな中、次女のノッチがアメリカのフロリダへ旅立った。
1年間の期限付きで、オーランドのディズニーリゾート日本館で働く。
詳しくは知らないが、3〜4回の面接試験を通過して採用が決まったらしい。
本人は軽いノリで求人募集に引っかかったらしいから、何人か交代した面接の試験官とも常に軽いノリで世間話していたふうだが、アメリカというお国柄か、そういう比較的ラフでカジュアルなスタンスがかえって功を奏したのかもしれない。採用の母体がアメリカ企業だから、大使館のビザ申請もアッという間にパスしてこのたびの渡米になった。
いわゆる、自分のスキルアップ目的の研修プログラム就労的扱いのようだから、給料も少ないし、宿舎もシェアハウスというより合宿所か学生寮のような感じらしく、5人の日本人部屋があてがわれたようだ。

ノッチは、坊主で云うと雲水を続けながらひとつ場所に留まること無く自分の足でアチコチ旅して先々の恩にスガリながら修行する禅僧のようなかんじだ。まさに、行雲流水の如く、物事に深く執着することなく、その時々の世間の流れに身を任せ、ガチガチに固まる自分を避けるようにナチュラルに徹し、無欲無心に社会を泳いでいるふうに見える。
こうして都合よくオヤジの愛情で定義づけると、「あの娘はなんて立派で素敵なヒトなんだ!」と錯覚するかもしれないが、ようするに、本当はチキンでワガママで場の読めない無学の独善ガールであって、それがかえって殺伐とした世間の荒波に揉まれて喘いでいる常識的な大人たちにとっての清涼癒やし的存在として可愛がられているのかもしれない。
本人はそれなりに歳もとって、そろそろアラサー世代に踏み込もうとしているが、至って気楽にワガママを通しながら浮遊しているようなところもある。

吉田家にとってのチョットした日常のゆらぎを感じつつ、万善寺一人暮らしのオヤジ坊主は、粛々と眼前の事実に向き合って毎日の現実を乗り切っている。
連続して依頼された代行葬儀の入棺出棺から荼毘までお付き合いして万善寺へ帰着したら、たしか、午後から松江の美術館へ「搬入展示のはずなのに・・・?」ユキちゃんの愛車がまだ境内に残っていた。
庫裏玄関へ入ると、まだせっせと杉材の彫刻を制作している顔に悲壮感が漂っている。
今回も、結局制作スケジュールの調整ミスで自滅寸前状態だ。
それでも、まぁそれなりに仕事もソコソコ丁寧だし、本人の完成予想からは大きくソレたかもしれないが、立体のムーブマンにそこはかとない色気もあるし、彫刻の通過点としては評価に値する。作家歴も浅くて、将来への展望が見えないまま悶々と彫刻へしがみついている状態と言って良いかもしれない。
今のユキちゃんは、耳掻きひとすくいでもノッチのエキスを注入してやれたら、きっと随分楽になるだろうに・・・
まだ飯抜きだと云うから、遅すぎるオヤジのナンチャッテ昼食をふるまった。

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だろう??? 

2017/08/07
Mon. 23:00

今年の夏は、やたらに鍛えられる。
お檀家さんの高齢化や代替わりの宗教離れに絶縁が進む万善寺の運営であえぐガケップチ坊主は、3ケタ以上のお檀家さんをかかえる専業住職様方の遺漏無い手配や配慮に適宜返礼することもままならないまま振り回されている。

つい先日、同宗寺院から代行依頼された葬式導師が終わったばかりなのに、また別口の葬式代行を依頼されて、万善寺の棚経スケジュールが狂ってきた。
こういうことなど、自分の坊主人生で一度あるかないかの珍しいことだ。
古い話になるが、先代住職の憲正さんが病気で臥せっている時に2〜3回代行導師をお願いしたことがあった。あの頃は、私も融通がきかない公務員だったりして、急な葬儀に即時対応することが出来なかったという事情があった。そういう過去の恩を忘れていないから、この度も黙って代行導師を引き受けている。それにしても、お盆の月に専業住職の忙しさもわかるが、田舎の末寺山寺住職の閑職が慢性化する我が身にとっては、心の奥底の方で専業住職の多忙をうらやんだりしていて、わきあがる煩悩の業欲に負けそうになってしまう。

万善寺のお盆は18日の施食会と大般若経転読会と塔婆供養回向でピークがくる。
それに向けて、本堂の荘厳を整え、境内地や参道とその周辺の草刈り掃除などの整備をしてお檀家さんのお参りをお迎えする。今年はそれに加えて庫裏の修繕も継続中で、なんとか人の目にふれるところだけでも体裁を整えておかなければいけない。
そのながれで、座敷へ彫刻の展示台を持ち込んで私やワイフや見習いユキちゃんの彫刻を展示した。お檀家さんの目に触れることは殆どないが、法要へ手間替え随喜の方丈さま方の目にはふれることになる。
若い頃の自分の絵が残っているし、これから夜なべ仕事に壁面を増設して平面作品も展示したいと思っている。
平面というと、鳥取でがんばっている(だろう?)アヤノちゃんはその後どうしているだろう??
7月末の展覧会では、自分の表現がそれなりに面白い方向へ繋がっていくふうに感じた。特に親しいわけでないから本人のことはあまり良くわからないが、それなりに頑固で意地も根性もあるふうに見えた。絵描きだろうが彫刻家だろうが、男だろうが女だろうが、まずは制作に執着する(坊主に禁物の)我欲が無いと話にならない。見た目ほどキレイな仕事でもないし制作に没頭するときは、身も心もドロドロに汚れまくっていたりするものだ。身体から染み出し漂う体臭を感じたりすると、それだけでだらしなく心乱れてヨロメイてしまったりする。そういう制作のひたむきさに惚れてしまう。
もう、かれこれ30年前からの付き合いになるストウさんも、ノリちゃんも、今は結婚して東京暮らしのグッチャンも、そうやって制作の付き合いが続いている。ユキちゃんが連れてきたヒョロリテツヤくんもなかなか面白い青年だった。これで筋肉がついて力持ちになったら一気に彫刻が伸びるだろう。それに、気がつけばアヤノちゃん推薦の旨い日本酒も飲まれてしまったし、そういう図々しさも良い。
・・・そのアヤノちゃんのあの絵はどんな感じで展開しているのだろう???

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行水のあと 

2017/08/06
Sun. 23:34

台風の影響だと思うが、やたら蒸し暑くてたまらない。
少しでも過ごしやすいうちに棚経を終わらせようと、8時半を待って万善寺を出発した。
日曜日ということもあって、例年留守で施錠されてある家も、久しぶりにお仏壇の前でお経を読むことが出来た。
年々、身体が弱って体力が衰えてお盆月の棚経がつらくなる。代わりを頼んだりすることも出来ないし・・さて、この状態をあと何年続けることが出来るのやら・・・

膝の具合が良くないままダマシダマシ動いていたら、8月に入ってますます調子が悪くなって、自分でもおかしくなるほど不格好にユラユラ揺れながら歩いている。
島根県の飯南高原に点在するお寺さんの棚経は、宗派を越えてお仏壇の前へ最短距離で上がってお経を始める習わしがあるようで、高い縁側をヨイショと上がり下りするところからすでに体力を消耗する。昔は、棚経というと若い修行僧やそれ専用の役僧や弟子が住職の代行をして済ませていた。憲正さんも、棚経の殆どを弟子で副住職の私へ丸投げして、自分は檀家総代さんや役員の皆さんのお宅を数軒歩いて回る程度だった。私には適当な弟子もいないから、全て自分一人でお盆の行事をまかなうことになる。

昼過ぎの一番暑い頃に万善寺へ帰着したら、境内の日陰でユキちゃんが彫刻を制作していた。
行水で汗を流してから形をみて、少し感想を伝えた。
今の私は、彫刻歴も40年近くなるし、それなりの場数も踏んで、テーマや形の蓄積もあるから、制作の途中で仕事の手が止まることもない。それでも、彫刻歴が若かった頃は、実材へとりかかるギリギリのところまでメモをまとめたりマケットを何個もつくったり壊したりしていたし、時には原寸大の型板を作ってスケールを確かめたりしていた。高価な材料を贅沢に刻んで納得するかたちを作り出すわけだから、失敗のムダは許されない。作品移動の経費も馬鹿にならないし、貧乏人は無駄にお金を捨てるわけにいかない・・・そんな思いで、彫刻の一つ一つを制作していた。
ユキちゃんは、会話の端々に彫刻をつくることへのヒタムキさがにじみ出ている気がする。こういう気持ちで彫刻に向き合っていられるうちは、確実に技量や感性が磨かれて伸びる。一方、その制作に対して気合が入りすぎるのもあまり良いことではない。冷静にかたちへ向き合うことをしないままひたすら手を動かし続けてしまうと、気が付かない間にかたちの緊張のポイントを見逃してしまったりする。
制作を続けるという先に発表の場が用意されているのなら、やはり、それを目指して様々に錯綜するスケジュールをキチンと整理して、予期せぬ事体に備えて少し余裕を持って制作に取り組むことが大事だ。
自分の夢や理想と、目の前の現実とが、あまり大きく開きすぎていると、完成の着地点を見失ってしまう。
自分の現状を一歩引いて俯瞰するくらいクールであってほしい。

台風の影響なのか、時折強い風が保賀の谷を吹き抜けていく。
羽根を休めていた白鷺の群れが、強風に舞って上昇気流を探していた。

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オヤジの出来事 

2017/08/05
Sat. 23:09

代行導師の葬儀が終わった。
結界君で5分程度走ったら隣町へ到着する。そのくらいの距離なのに、トコロが変われば葬儀システムも少しずつ違っていて、けっこう気疲れする。
納骨を済ませて、野辺帰り安位のお経を読んで、それに初七日と35日も併せてお経を読んで、それらがワンセットになってお葬式の次第になっているようだ。こういう、坊主の代行業務も滅多にあることでないから、何かに記録しておかないとそのうち忘れてしまって、次に似たような事態が生じた時には、またまた気疲れ心労で苦労することになるかもしれないし、念のためこうしてその時々の出来事を備忘録へ記しているところだ。

午後からは、同じ隣町の臨済宗のお寺で施餓鬼法要がある。
飯南高原とその周辺は、曹洞宗寺院が3ヵ寺と臨済宗寺院が2ヵ寺ある。施餓鬼とか施食会とか大般若会とか御大師供養とか、そういうそれぞれの寺院で法要の手間替え随喜をしながら坊主の頭数を揃えて法要にあたる。
今回、曹洞宗の現役住職が遷化されたことで、貴重な坊主の頭数が1人減った。
順当に順番が狂わなければ、そのうち近い将来、万善寺住職の私も死ぬだろうし、そうなると、いよいよ寺院の法要仏事や周辺地域の葬祭が回らなくなる厳しい現実がやってくる。先のことに思い巡らして今のうちから悶々と悩むこともないのだろうが・・・ナンチャッテ坊主もなかなか難しいめぐり合わせになってしまったものだ。

それやこれやで、棚経をすべて終わらせて万善寺へ帰着したのが夕方の5時前だった。
パンツから改良衣にまで汗が染み渡って不快極まりない。
早速風呂に温めのお湯を張って行水をした。
さりげなくヒーリング・ミュージックを垂れ流して、1時間位のんびり出来ただろうか?徳島の彫刻家から野外彫刻展絡みの事務連絡が入った。それから少しして、地元の同級生オヤジからAppleWatch絡みの問い合わせ電話が入った。湯船に浸かりながらそれぞれにそれなりの対応をした。
新作の野外彫刻と一緒に、秋に徳島へ行くことになった。最短1泊2日の旅になる。
先日の焼肉飲み会でボクの左手首のAppleWatchを目ざとく見つけた同級生オヤジは、その後、それが欲しくて欲しくてたまらくなって、遂に我慢できなくなって購入に踏み切ったようだ。さりげなく自分に都合よくソコソコの理由を電話口で連打していた。これでAppleWatch仲間が一人増えた。

庫裏で寄宿している彫刻見習いのユキちゃんが、後輩を連れてきた。
痩せてヒョロリと背の高い青年で、どれほどの腕力があるのか怪しげなふうで、ユキちゃんの方がずっとたくましくて力持ちにみえる。
彼は木彫を幾つか持参していて制作のテーマとか方向性のことなど熱心に話してくれた。
彫刻を造ってはいるが、特にその世界で目立った作家でもないし、住職であっても彫刻の重職に就いているわけでもないし、そういう無役のオヤジを彫刻持参で訪問してくれただけでも有難くて嬉しい。思わず「まぁ〜、飲んでヨ!飲んでヨ!」と、残り酒を進めていたら、大事にしていた鳥取のアヤノちゃん推薦の旨い酒がなくなってしまった・・トホホ

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8月の坊主 

2017/08/04
Fri. 23:17

「これからさき、こういうことが度々あるんでしょうかねぇ〜」
「さぁ〜、わからんけど・・・できるだけ都合つけて帰ってきてほしいものですなぁ〜」

隣町の方丈さんが現役住職のまま遷化されたのが7月に入ってすぐの頃だった。
自分の近所でこういうことがあると、寺の付き合いとか宗派の付き合いとか、世間在家とは違ったところで不具合が生じて、それが元で少しずつ自分の日常の暮らしを侵食して、なんとなしに何処かの歯車が噛み合わなくなって、ぎこちなくアタフタと落ち着かない。

8月に入って棚経がはじまった。
万善寺は、飯南高原の端から端まで昔からの付き合いを中心に最盛期で200軒以上の棚経を続けてきた。
前住職の憲正さんの若い頃は、松江にある師匠寺の棚経も手伝って、お盆が終わるまでのひと夏で1年の生活費を稼いでなんとかしのいでいた。
私は小学校へ上がる頃から憲正さんに付き合ってアチコチ引き回されて、高学年では、飯南高原の町内のお宅をだいたい覚えるまでになっていた。中学生になって自転車通学がはじまってからは、自分の行動範囲も随分広がって、その頃からほぼ自分一人で棚経全般をこなすくらいになった。
私が住職を引き継いだ後、この10年の間にいっきに軒数が減って今年は遂に50年前の半分以下に落ち込んで、かろうじて3桁をキープできるほどになった。

例年と同じようにこの棚経をスタートさせた日に、遷化された方丈さんの代行でお葬式の導師を務めることになった。
葬式はあらかじめの予定が立たないから、自分の都合を優先することができない。
棚経をキャンセルするわけにもいかないし、無い知恵を絞って見た目は平静を装いながら絡み合ったスケジュールをほぐしていくしかない。
そのお寺には、お弟子さんで副住職の息子さんがいらっしゃるのだが、彼は一方で松江のお寺の住職でもあって、もう数十年も前からそちらのほうが優先の暮らしが続いている。
この度も、枕経と戒名を決められた後、万善寺へそれ以降の葬式仏事全てを託して松江の寺へ帰っていかれた。

授戒から入棺、出棺、荼毘と続き、副導師の依頼までを2日に渡って務めて、通夜が終わってからあとの坊主控室で愚痴にもならないつぶやきへ先のひと言が返ってきたわけだ。
「ほんに、この町もこういう状態ですからねぇ〜」
昔は町家がビッシリと軒を連ねて、バスの走る本通りから通りひとつ横に入るのも町並みが切れる枝道まで大きく迂回しなければいけないし、棚経も自転車でないと庭先まで入れないほどだった。今は、本通りから裏通りが普通に見渡せるほど空き地が増えて、町並みが歯抜けになっている。
過疎の進む町のそのお寺は現役住職遷化の後はそのまま無住になるようなことを聞いた。
檀家さんへ維持管理を任せて、必要に応じて葬祭会館で使用されることになるらしい。
随喜坊主の頭数も狂ってしまいそうだし、頭痛のネタが増えた。

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不具合の連鎖 

2017/08/03
Thu. 22:37

もう何年もの間、サッシの網戸が破れたままガムテープやセロテープや絶縁テープまで持ち出して修理にもならない修理を続けながら放置されていた。
気にはなっていたが変に口や手を出して毒を吐かれるより、見て見ぬふりで知らん顔をしていたほうが無駄な摩擦も起きないし、平和主義者の私としては都合がいい。

お檀家さんに建具屋さんがある。
その建具屋さんは、先代住職夫婦との付き合いが無いままだった。先代夫婦は寺の修繕全般を大工さんへ任せていて、何か不都合があるとすぐにその大工さんへ電話をすることにしていた。だから、何処かの調子が悪くなっても大工さんへ連絡すれば、都合よくアチコチへ手配してそれなりに修繕が終わるようになっていた。長い付き合いでそういうことも出来たのだろうが、どうも修繕の内容に身が入らないというか、その場しのぎの付け焼刃的修繕で終わっていて、後々の使い勝手が悪くて困ってしまう。

とにかく、庫裏から本堂へかけて、北側のアチコチが思った以上に傷んでいて手のつけようがない。始めの頃は、「お盆までにはなんとかなるだろう・・・}くらいにノンビリと構えていたが、1箇所の不具合が気になり始めると、次々にダメなところが見つかって、呆然となる。

モタモタしている間に、気がつけばお盆がすぐそこまで近づいていた。
石見銀山と飯南高原の二重生活をしているから、自分の道具をアッチとコッチで使い回ししていて、たとえば草刈機などは草が伸びるたびに結界くんのリヤデッキへ積み込んだり降ろしたりがしばらく続くことになる。
本格的に万善寺の修繕を始めたから、それの関係でジグソーやベルトサンダーやドライバドリルやボール盤やディスクグラインダや丸鋸や電動カンナなどなど、工場の道具が少しずつ万善寺の物置へ移動してきた。
なっちゃんの結婚式で必要になったフレームを工場で造り始めてから、使いたい道具が万善寺へ移動していたことに気がついた。ワザワザ取りに行くのも時間の無駄だし、「これも意識して仕組んだ味わいというヤツなのサ!」と、気持ちを切り替えて、その道具無しで制作できるように急きょ路線を変更した。道具というものは、無ければ無いなりに工夫をしてなんとか乗り切ることも出来てしまうが、やはり何かと無駄も多い。
修繕の事というと、不具合が少しばかり気になりはじめた時にすぐそれなりの工夫をしておけば重大な老朽を回避できることなどいくらでも出来ることだ。

「もう、このタイプのサッシは製造されてませんけぇ〜ねぇ〜・・・」
建具屋さんは、しばらくアレコレ対策を考え込んでいたが、「とりあえず、なんとかしてみますけぇ〜。ちゃんと出来るようにしますけぇ〜」
そう云って、寸法を測って修繕のパーツを軽トラへ積み込んで帰っていった。
網戸の修繕など、ソレ用の材料や道具があればなんとか出来るものだと思うが、そういえば、結界君の前のポンコツ君も、部品パーツの在庫切れが元で手放すことになったのだ。
一日の労働が虚しく感じる。行水で汗を流しているうちに西の空へ陽が沈んだ。

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旅の途中 

2017/08/02
Wed. 07:04

島根の石見銀山から東京まではおおよそ900kmほどある。
車で移動する場合のルートがいくつかあって、その時々の季節や自分の体調や交通の道路事情(たとえば集中工事とか・・)を考慮してアバウトに決めてから自宅を出発する。
移動のポイントは、経費削減か、時間優先か、そして、自分の体力温存か、それらのどれを優先するか、だいたい3つのパターンから選ぶことにしている。

なっちゃんの結婚式と披露宴が7月の最終日曜日に決まってから、彫刻や展覧会のことや万善寺のことを調整して、7月の25日くらいから比較的楽に動けるように日程調整をして島根に暮らす家族のスケジュールが決まるのを待った。
住職坊主の暮らしは基本的に受動的なものだから、自分の都合で行動をガチガチに固めてしまうことが出来ない。なんとなく緩やかにおおよその行動計画を用意して、あとは周辺の事情へ我が身を委ねて流れに身を任せるくらいがちょうどいい。
8月の1日からお盆の仏事が入るので、東京から島根までの移動は式が終わってから1日しか余裕がなくて、これだけは何があっても外すことが出来ない。随喜法要のためにそれなりの体力を温存しておくことも大事なことだし、ワイフとじゅん君にはそのことだけは事前にキッチリと伝えておいた。

次女のノッチがあと1週間ほどでアメリカへ出発する。
それまでに東京の部屋を引き払うことになるから、引越しの手伝いも兼ねてワイフの赤い普通車で移動することにした。式場での衣装のことやノッチの引越荷物のことを考えると、公共の交通機関を利用することが難しいと判断した。
私は彫刻の搬入出で毎年日本のアチコチを移動しているし、ノッチは仕事を兼ねて気楽で自由で能動的にアチコチ移住しているし、規模や距離の大小長短はあるが、二人ともそれなりにアクティブに活動しているところもあって、モノの整理のこととか移動手段のこととか、そういうノウハウが自然と身体に染み付いているようだ。
「特に必要を感じないの・・」と、運転免許も持たないノッチの潔さはなかなかマネの出来ないところもあって、密かに憧れているし見習いたいと思ったりもする。

東京での2泊は、ノッチのベッドを移動するところから始まってキーポンのお世話になった。
吉田家では掃除も洗濯も料理も、家事らしいことは何もしないでゴロゴロと暮らしていたのに、社会人になって一人暮らしが始まってからは、見違えるほど几帳面でキレイ好きになっていた。彼女の部屋を見ると、ちゃんと親離れも出来て自立してくれたことがよく分かる。
移動の多いノッチの部屋は、必要最小限のものしか無くて暮らしのうるおいを感じるようなこともなく、そっけなくて味気ないものだった。だいたい1〜2年で転職しながら自由に暮らしていると、最初から何も無いことの不便を感じないでいられるのかもしれない。
SNSで公開した紙幣を見ると、彼女の旅の痕跡が凄い。
私なら記憶の証拠として保管するだろうが、彼女はサッサと換金してトランクに変えたようだ。その潔さもまた凄い。

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なっちゃんの結婚式 

2017/08/01
Tue. 07:50

万善寺の本堂前のいつものところで、今年はじめてのマムシを見た。
上手に渦巻きのとぐろを巻いて早朝のひと時をノンビリとくつろいでいた。
私に気付くとそそくさととぐろを解いて茂みに滑り込んでいった。
そのマムシは、丸々と太ってなかなかの大物だった。

本堂の東側に、山鳩のつがいが舞い降りるようになった。
時々鳴き声を聞いていたが、最近暑くなって夜が寝苦しかったりすることも増えてウツラウツラしていると、どこか近所の方で夜鳴きしていることに気付いた。
万善寺墓地への参道を整備する時、道の拡幅で枯木を切り倒した。それで境内の東側の見晴らしが良くなったので、裏山の鳥たちの飛行ルートが少し違ってきたのかもしれない。
かれらもしだいに図々しくなってこの頃は庫裏の庭先の方まで歩いてくるようになった。

土蔵の腰板裏には蛇が住み着いていて、ネズミ退治をしてくれている。
彼らは時々境内へ出て這い回っていて、それを発見したスズメたちが一定の距離を保ちながら蛇を取り囲んで一斉に警戒の大騒ぎを始める。

7月の29日からしばらく島根県を離れて留守にしていた。
昨夜午前0時少し前の、まだ7月31日のうちにひとまず石見銀山の吉田家へ帰宅した。
ナッチャンの人前結婚式と披露宴が30日に東京の青山であって、家族揃って出席した。
吉田家の家族で島根県在住は私達夫婦と長男のじゅん君だけだから、7月に入って三人揃って上京のスケジュールを調整していたのだが、直前になってから島根組の日程調整が複雑になって、結局は3人バラバラの現地集合になった。
たぶん、ジジイに近いオヤジの私が一番体力を消耗したと思う。
そのあたりのことは、道中記の方でまとめることにする。

深夜に帰宅してから留守中に溜まっていた郵便物の整理などしていたら結局8月1日になっていた。
少し仮眠して、クロに叩き起こされて、眠い目をこすりながら荷物をまとめて結界くんへ乗り込んだのが今朝の6時半。
銀山街道で猿に出会った。
道路工事が随分進んでいて、見た目の風景が変わっていて驚いた。
3日ほど締め切って留守にしていた万善寺は、空気がドンヨリとして生暖かい。
そこら中の窓を開けて空気を入れ替えて、旅の間に溜まった洗濯物を洗濯機へ放り込んでから、デスクトップを起動した。

東京でのボクの宿舎は4月から一人暮らしを始めたキーポンの部屋で、ワイフとじゅん君はワイフの実家のおばあちゃん家。
この3日間は、ラップトップを使うこともなく、iPadを覗くこともなく、iPhoneのメールとLINEと電話だけで乗り切った。
キーボードを叩かない日が3日も続くなんてことは、とても珍しいことだ。

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蒸し暑い一日 

2017/07/27
Thu. 23:01

万善寺台所に壁を作って一つの部屋を二つにしようと計画したのが、5月の連休明けくらいの頃だった。
ひとまず、憲正さんの3回忌と俊江さんの49日が終わらないと改修作業を始められないだろうと思って、まずは法事までに6畳と3畳をフローリングへ改修することを優先した。結果、棟梁の都合で大工工事が先延ばしになって、そのまま玉突きされて台所の改修も遅れて、その間に予期せぬ仏事が加わったり今回の展覧会ではワイフの代行をしたりして、やっと本気で大工仕事に取り掛かることが出来たのが本日であった。
素人だから、とても表向きの大事な場所をイジることは出来ないが、私の一人暮らしでしか使わないところとか、台所のようにたまに家族の誰かが使ったり、1年の数回の万善寺年中行事でワイフの世話になったりする程度で使用するくらいのところは、素人のなんちゃってリフォームで十分だ。
例のごとく石見銀山から通勤坊主の途中で、ホームセンターへ寄って必要な資材を仕入れて、コンビニで熱中症用のスポーツドリンクを買って万善寺へ着いたのが9時前だった。
この半世紀で床がブクブクに弱って、場所によってはよほど気をつけないと踏み抜いてしまうまで傷んでいた。だいたい12畳くらいの広さへコンパネを隙間なく敷き詰めて、その後壁を造った。冷蔵庫の場所が動かせなかったり、作り付けの食器棚の場所が悪かったりして、シンプルな四角い部屋を作ることができなかったが、色々工夫して夜の9時過ぎにやっとひと通りの大工仕事が終わった。

松江の美術館で開催中の展覧会に、私が初めて見る絵画の新人作家(だと思うけど・・)が2人出品していた。
1人は、父親がその展覧会のベテラン出品者で、影響を受けた息子も絵を描きはじめ、目出度く父親と同じ会場へ自作を展示することになった二世作家になる。
初めて見る絵画だから新鮮に観ることが出来た。年齢がわからないので何とも言えないが、抽象の硬い構図と色彩の組み立てに「苦悩する若者」がイメージされた。これからその絵がどのような展開をみせるのか楽しみである。作風の正直さに現代美術の曖昧な境界が必然性を持って加味されてくるともっと面白くなっていく気がする。構図や色彩が直接的であることに対して、筆触の不規則性がズレすぎているふうに見えて、素直に絵のフレームへ入り込むことができにくかった。きっと、トテモとても真面目すぎるくらい真面目なヒトなのだろう。
もうひとりは、たぶんまだ20代後半か、もしくは30代前半くらいだろう女性作家。
出品者の会話を聞くともなしに聞きながら想像するに、何処かの高校の美術の先生らしい。アカデミックで素直な作風の静物画は、室内の一角を切り取って構図を決めた癖のない伸びやかで爽やかな具象の絵に仕上がっていた。題材や作風は今回の展覧会出品絵画の中ではとても分かり易く万民受けすると思う。其処にあるものをそのまま丁寧にうつしとることには、それなりのデッサン力が大事であって、その力量の有る無しが絵画に深みとか説得力とか、絵の裏に隠された作家のテーマの重さに還元される。絵画に限らず、具象の表現の難しいところはテーマの設定と、その目指す先をどのように咀嚼して鑑賞者へ正確に伝えることが出来るかということのように思う。
ただ、上手に描くとか上手に描けたとか、そのあたりで思考や方向が止まらないように自分の絵へグイと踏み込んで欲しい。

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坊主も作家も 

2017/07/26
Wed. 23:52

前日の雨が上がって、琴引山の木々からは雨水が気化して空に戻っていく。
この1日で島根県内アチコチを300km以上走った。結界くんのエンジンオイルは、交換時期を過ぎているが、カーショップへ行く時間がなかなか作れない。

先月遷化された方丈さんの本葬に向けて、事前の準備でお手伝いの方丈さま方が参集されるので、主喪(しゅそう)役の私も朝から隣町のお寺へ向かった。
主喪は、一般で云うと喪主のような立場の配役になる。これは、表向きの建前当て職のようなもので、内実は副住職のご長男が喪主になっている。宗門僧侶の立場では、この副住職は、遷化されたご住職のお弟子さんに当っている。それを遺弟(ゆいてい)と称し、本葬では遺弟としての立場で諸々の役割を果たすことになるから、別に表向きの喪主的役割を受け持つ係が必要になるわけで、それが万善寺方丈の私に当たったわけだ。
なかなか、一般では理解不能で面倒な習わしが宗門の葬儀の決まりごととして今に継承されている。
それぞれ、寺の内情や方丈さまの功績やお檀家衆護持会のお考えや、それに当日配役寺院の事情などを総合して、多少のオプションが加わったり、逆に次第の変更や割愛があったりするので、あらかじめの予習や予行練習をしておく必要もあるし、この度のように葬儀会場となる本堂を中心とした模様替えなどの準備もしておくことになるわけだ。

松江の美術館で山陰二記展がはじまって初日でもあるし、今年はワイフが留守にしているし、他にも彫刻のベテラン出品作家が揃って留守にしているから、誰かが搬出のことも含めて遺漏の無いように手配しておかないと絵画の皆さんへ迷惑をかけることになる。
こういうことは前々から分かっていることだから、出品者でありグループのメンバーでもある彫刻の仲間には誰かが事前に申し送りをして事態の収集調整をしておくべきことだと思う。その「誰か」が立場としてはワイフであるわけなのだけど・・・
部外者である私がしゃしゃり出るのもどうかと思いつつ、ワイフとのやりとりで事前調整が出来ていなさそうな雰囲気を感じたので、今回はさり気なく搬入搬出へ絡んでおくことにした。

僧侶と作家は、職業の接点があるわけでもないが、モノの考えや立場が比較的近いと思っている。規模の大小はあってもひとつ寺の住職としての立場は、ある意味腕一本で表現し個人オリジナルな独創的思考を身上とするアーチストと似たようなところで考えたり行動したりしていたりする。
私自身がそういう立場で日常の暮らしを使い分けたりしているからそう思うだけのことかもしれないが、とにかく、それで良いこともあればどうかと思うこともある。
個人のプライドであったり、テーマや主張の好き嫌いであったり、頭の数ほど口の数もあって考えることも言うことも違うし、行動パターンも違う。
坊主集団の良いところは、みんながそれをわきまえて自分の立ち位置をキープしながら、一方で組織的な集団行動も出来る配役を粛々とこなせることだ。
坊主も作家もお互い一人の人間だし・・・それなりに過不足なく付き合うのも面倒なことでけっこう疲れますなぁ〜・・・

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雨の美術館 

2017/07/25
Tue. 23:47

猛烈な豪雨の山陰道を結界くんはフラフラしながら健気に走り続けて、ほぼ予定の時間通りに松江へ着いた。まだ午前中だと云うのに、空は厚い雲に覆われてどんよりと暗い。国道は渋滞していていつもと様子が違う。対向車はほとんどがライトを付けて走っていた。

山陰二記の展覧会があって、その搬入で松江の美術館までワイフとワイフの彫刻を乗せて移動した。ワイフはそのまま松江から東京へ移動する。7月の押し迫った最後の日曜日になっちゃんの結婚式があるので、先発隊を務めることになった。
島根と東京の距離で、電話やLINEやSNSなどを駆使して色々連絡をとりあいながら準備を進めていたが、関係者のみんながそれぞれ自分の仕事をしながらその合間に思いついたり思い出したりする断片的なスケジュールや用件を伝えあうくらいのことしか出来ていないから、具体的な全体像が実に曖昧なまま当日を迎えることになるだろう。
いずれにしても、終わりよければ全て良し!・・・といったあたりに物事が収束してくれれば良いことなので、今は、時々の流れに我が身を委ねている状態だ。

展覧会へ向けて杉の丸太から掘り出していたユキちゃん(彫刻見習い)の半抽象の彫刻が、搬入当日の朝になってやっと最後の仕上げに入った。
ユキちゃんは同じ猛烈な豪雨の中を搬入時間から少し遅れて美術館へやってきた。飯南高原の方もかなり強烈に降ったようで、移動の道中が大変だったようだ。
いずれにしても、無事に彫刻の搬入も出来たし、ひとまず安心。
私としては、まだまだ完成度のレベルアップが可能な気もしていて、制作過程の造形の組み立てに工夫の余地が残されていると思うが、本人は、かなりしつこく時間をかけてかたちに寄り添っているようにも見えたし、まぁ、彫刻の大小は抜きにしてユキちゃんの粘り強さと集中力と持続力と執着心と直向きさが十二分に内包された立派な木彫に仕上がったと感じる。
なんでもかんでも、大きければ良いというものでもないし、作家の許容の範囲で表現の段階を確実に抑えながら次に繋げることが制作の継続にもなるし、作家歴の積み重ねには、そのことがとても大事なことでもある。
ひらめきや思いつきやセンスにすがったり頼ったりして出来上がる作品は、結局鑑賞の持続につながらないし、一瞬の感動に頼りすぎる危険性もある。
見れば見るほど味わいが伝わってくるような造形の奥深いところを目指して欲しい。

美術館の会場に山陰彫刻界の重鎮古市義二さんの顔を見た。倉吉在住で、昨年の鳥取県中部地震では制作工房が倒壊する被害を受けたそうだ。それでも、めげずに工房の復興を目指し、瓦礫の中からめぼしい材料を引き出して彫刻に置き換えるエネルギーには頭が下がる。90歳を越えてなお、益々やる気満々のご尊顔に接し、気持ちが高揚した。
江津市出身の絵画の重鎮佐々木信平さんは、残念なことに先頃他界された。静岡の制作アトリエで最後まで制作に没頭されていたようだ。
すぐ近くで、こういう立派な造形作家の後ろ姿を見ながら、自分の彫刻の励みにしていられることはとてもありがたいことだし、幸せ者だ。
古市氏の益々のご多幸と、佐々木氏のご冥福を祈りつつ美術館をあとにした。

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狩人ネコチャンズ 

2017/07/24
Mon. 23:28

琴引山のてっぺんあたりへ、一日中厚い雲がかかっていた。
いつもだったら、だいたいシトシトと雨が降り続いているはずなのに、何故か今日は降りそうで降らない。湿った空気が飯南高原高原をスッポリ包んでいて、とにかく蒸し暑くてしょうがない。
何もしないでいても汗が滲み出てくるような不快な状況で、こういう時はパンツ一丁でフローリングへベタリと寝転んで一日中ダラダラ過ごしたいとツイツイ思ってしまう。
朝からそういう状態で、仕事をする気にもなれない。

仏様は時々薄情で意地悪で冷たく無視される。
「今日のような不快な日は、きっと、仏様もやる気も失せてしまうのだろう・・」
そう思うことにして、白衣と改良衣で坊主の制服を着込んだ。
月曜日から法事をすることなど、1年で一度あるかどうかと云うほど珍しいことだが、たまたまご親族の仕事に月曜休日が多かったということで、それにあわせて法事の日程を決められたのだそうだ。
工場の制作も片付けたし、これから7月のうちに万善寺庫裏の台所を修繕する作業に入ろうと思っているくらいで、おおむねヒマにしている私の方はこの不快な天気が気になるくらいで、特に不都合はない。
大祥忌の法要を済ませ、斎膳をいただいて、午後の早いところで万善寺へ帰って、すぐに白衣などを洗濯機へ放り込みつつ、シャワーで汗を流してスッキリした。

田の字の庫裏は、美術の制作工房代わりに提供していて、グループ展搬入を前に新人の作家たちが最後の追い込みへ入っている。
まだ若い人には、今日のように不快な蒸し暑さなど気にもならないようで、黙々と制作を続けていた。
たぶん、今夜はほぼ徹夜になるのだろう。「それも、試練で良い経験だ・・・」などと、偉そぉ〜に上から目線を被せながら麦とホップをグビリと喉に流し込んて、すぐに寝た。
きっと、ワイフも石見銀山の吉田家で、食卓を作業台に使いながら「制作に励んでいるのだろう」と思いつつLINEしようと思っていたら、本人から電話が入った。
「気持ちが通じてるねぇ〜♡!」
「何云ってるのよ!アンタ出掛けに後ろのドア閉めなかったでしょ!」
ネコチャンズが開いたドアから悠々と脱走して、屋外散歩を楽しんだらしい。
「ストーブの前にスズメが死んで転がってたわよ!外で何してるか分からないんだから!」
外出中に狩りもして獲物をゲットしたようだ。さて、シロかクロか?どちらの仕業だろう??
スズメにはかわいそうなことをしてしまったが、「彼らもナカナカ猫らしいところもあるじゃないか・・」と、ワイフのプンプン声を聞きながらニヤついてしまった。

急に暑くなりはじめてからの吉田家は、必然的に窓やドアを開放する機会も増えて、ネコチャンズにとっては脱走の確率も増してウキウキなシーズンになっているようだ・・・
その夜、ワイフは自分の寝場所からシロを追い出したらしい。それも可哀想だな・・・

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 似たもの母娘 

2017/07/23
Sun. 23:40

熱中症で倒れるかもしれないと思いつつ制作を続けていたら、昼を過ぎて14:00くらいに塗装まで終わって、とりあえずなんとか完成させることが出来た。
いつも造っている彫刻の仕事ではないが、鉄の材料を使ったクラフトを造ることになったのはなっちゃんからの依頼があったからだ。

吉田家長女のなっちゃんは、7月の終わりに東京で結婚式と披露宴をする。
もう2年くらい前に入籍を済ませて旦那の家族が暮らす埼玉県へ引っ越しているから、「いまさらワザワザあらたまって大金使って披露宴をすることもないだろうに・・・」と、私は今でもそう思っているが、本人は、「このまま結婚式もしないでダラダラと夫婦の生活を続けていても、旦那の旦那としての自覚がない曖昧な結婚生活が続くばかりだから、キチンと自覚してもらわないと困るの!」と、結婚生活は独身時代の気楽な同棲暮らしとは違うんだということを態度で示すことが大事だと主張をしている。
「考えようによってはソレも大事なことかもしれない」・・・と思わないでもないが、私としてはやはり「いまさらなぁ〜〜」って感じが頭の隅の方へ残っていて、どうも素直に付き合えないところがある。
まぁ、一般の常識では目出度いことだからしつこくとやかく言うことでもないから、「フンフン・・」と、いわれたように乗り切っていたら、或る日、「お父さん、ちょっとお願いがあるんだけど、出来なかったらソレはソレで良いからね・・」と、なんとなく奥歯にモノの挟まったような煮え切らない言い回しの電話がなっちゃんから入った。
彼女は電話口でアレコレこまめに説明をしていたが、私も世間の結婚式事情を詳しく心得ているわけでもないし、内容がよく飲み込めないまま「なっちゃんの頼みだったら断れないだろう」と、その場のノリで披露宴用の小道具になるらしいモノを造ることになった。

だいたい2週間位は、色々と形とか用途とかを総合してナニを造ろうか考え通していた。
「昔は、無い知恵を絞って山のようにメモを描きつづけていたなぁ〜」と、若い頃の制作の背景を思い出したりしているうちに、少しずつ全体の形が決まってきたのが、さて、3日位前だっただろうか・・・
それから、工法を考えなだら必要な部品や材料を揃えて本格的に制作へ入ったのが今朝のこと。
「それじゃぁ、工場へ行ってくるから・・」
ワイフへ声をかけて自宅を出ようとしたら、
「あっ、チョット待って、この石のココの所へ2mmの穴をを空けてくれない?それから、こんな感じで台に固定したいんだけど、どぉ〜かなぁ〜・・」
こんどのグループ展用の小さな彫刻を、やっと本気に造るようになったようで、パーツ制作の打診をしてきた。
コトのついでと言ってしまえば、まぁ、そんなもんだが、「こちらのスケジュールのことも無い訳ではないし・・・ブツブツ、仏仏、ぶつぶつ・・・」
ワイフもなっちゃんも、やはり母娘のことだから、どこかしらオヤジの使い方に似たようなノリを感じる。
「頼ってもらえているだけでも、ありがたいことサ!!」・・・そう思うことにした。

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何時もの海岸 

2017/07/22
Sat. 23:27

仕事の合間に日本海へ出た。
工場は強烈な暑さで、粉塵の換気代わりに回している古い扇風機が何の役にも立たないまま、熱い空気をかき混ぜているだけだ。
ツナギは汗を吸って重たいし、鉄板入りの安全長靴の足が気持ち悪いほどジクジクしている。
こういう劣悪な環境ではなかなか集中力も続かないし、チョットした気の緩みで大怪我をしてしまったりする。
自分一人で工場へいる時に、一番注意しなければいけないのは怪我だ。
大怪我をしても誰も助けてくれないし、すべて一人で世話しなければいけない。
常々、仕事の進捗より自分の身体を気遣うことを優先するようにしている。
今日も、集中の限界を感じて、あと少しでキリの良いところまで進む仕事を切り上げた。
身体の方は悲鳴を上げているのに、気持ちだけが熱く盛り上がっているという状態が一番危険だ。

コンビニでスポーツドリンクとお茶のペットボトルを買って、何時もの海岸へ結界君を走らせた。
狭い駐車場へ乗用車が1台止まっていた。
日本海へ直角に止めて海岸を見渡すと・・・砂浜になっている・・・

私が彫刻の素材で使う日本海の石は、だいたいその海岸で採集する。
島根県の海岸はほとんど砂浜と岩場ばかりで、石浜を探すことが難しい。
たいしてこだわっているわけでもないが、川の玉石は、角の取れ具合というか丸まり具合にまだ完成されていないところがあるように感じる。こういう石は自分の主張というか個性というか、そういうものが宿っていて全体がひとつにまとまりにくいところがある。
日本海の石浜の方は、徹底的に海の波で転がされて、稜線が微かにかろうじて残りつつ、一方で個性が程よく消えるまで丸まってくれている。
この、川の石と海の石の違いで自分の彫刻の主張の落とし所が狂ってしまう。

毎年少しずつ採取して補充しながら使い続けていた石浜の石が、見事に跡形もなく消えている。こういうことが数年前にもあった。
仕方がないからホームセンターで20kg入りの玉石を買う羽目になった。巨大なポットミルで挽いて作成した玉石は、見るからに味気ない。少しほどストックしてあった海の石を全てかき集めて、その玉石もどきと組み合わせてなんとか展覧会を乗り切った。
あの時の記憶が蘇って、防波堤に立ち尽くしてしまった。

砂浜になってしまっている海岸で、500ml2本分の水分補給をして工場へ帰ってプラズマ切断を準備したが、どうも仕事が手に付かない。
飯南高原の山暮らしが長く続きすぎたツケが回ってきた気がする。
この前この浜に来たのは、俊江さんが死んですぐの頃だったはずだ。
あの頃は、冬の名残の冷たい北風に白波が立って、海岸の石が波打ち際で濡れていた。

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ヤモリのシーズン 

2017/07/21
Fri. 23:46

またヤモリのシーズンになった・・・といっても、ヤモリは1年中いると思うんだけど、とにかく、暖かくなると少しずつアチコチで見かけることが増えて、梅雨が終わる頃からいっきに活動が活発になって、だから目撃の回数も増えて、「ヤモリのシーズンになったなぁ・・」と錯覚してしまうのだろう。

ヤモリというと、高校生になってすぐの1年半ほど下宿をしていた家の窓へ夜になると何処からともなく現れて張り付いていた。
高校生の頃は、午前0時前に寝ることなど無いほど常習的に夜更かしをしていたから、窓からもれる灯を目指して集まってくる虫達も多いし、ヤモリの捕食には都合の良い環境を提供していたわけだ。
夜更かしといっても、ひたすら勉強ばかりしていたわけでもなくて、ひと通り予習などが終わったら、あとは深夜のラジオを聴きながら小説を読んだりしてダラダラ過ごすという悪循環が続くといった具合だった。

その下宿は、自室の施錠ができない造りになっていて、個室の環境があまり良くなかった。
1年が終わる頃には少し慣れるだろうと思いつつ我慢して暮していたが、そのうち、自分が留守のあいだに誰かが部屋へ入ってアチコチ物色した形跡が感じられるようになって、それがしだいに具体的な物証に変わってきたから、このまま見逃すともっとヤバいことになりそうだったので、2年生の夏休みをはさんで下宿を変ることにした。
時期的に云うと、丁度今頃のことだったが、荷物を整理して段ボールの山に埋もれながら夏休みを待ちつつ夜更かししていたら、文庫本の開いたページを目掛けたようになにかが上から落ちてきた。
だいたい、日常の暮しの中で、こういうシチュエーションに遭遇することなど滅多に無いことだし、夜中のことでもあるし、その上ねっからのチキンボーイだから驚いたの何の・・・!
最初何が降ってきたのか見分けもつかなくて、また確認の余裕もないまま本をバサリと閉じて放り出してしまった。
段ボールの方まで飛んだ文庫本がピクピク動くのが見えて、余計にビビったが、そういう状況をそのままにしておくわけにもいかないし、近づいて確認すると、その本の中からヤモリがクネクネ這い出てきた。勢い良く本を閉じたことで、ヤモリも若干のダメージを受けたのだろう、動きがヨタヨタしてぎこちない。
意を決して摘み上げたら、「キーキー」と鳴いた。
「ヤモリって鳴くんだぁ〜」
その時はじめて知った事実に驚きつつも、「可愛いヤツだなぁ〜〜」とも思って、いっきにヤモリとの距離が縮んだ気になった。手の平のヤモリはヒンヤリと冷たいまま動かない。
本に潰されたあとだから、「このまま死んでしまうのかなぁ〜」と心配になって、しばらくジッと眺めていたら、少しずつシッポや手足を動かすようになって、それから手の平で身体をクネクネ動かして指のあいだへ頭を突っ込んできた。その力が自分の手に伝わってきて「これは、生返ったな」とわかって、すこし気楽になった。
そのヤモリは、ガラス瓶の中で小さな蛾を食べながら引っ越しの日まで一緒に暮した。

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夏野菜が旨い 

2017/07/20
Thu. 23:34

お盆までに万善寺庫裏の改修を終わらせておこうと、結界くんへパネルを積み込んだ。
それから幾つか用事をして吉田家前の駐車場へ帰ると、どうも空模様があやしい。
AppleWatchで天気を確認すると、雲に雷マークがついている。
工場の方は、青空も見えて雨が降る気配などなかったから、一晩おいて翌朝に寺まで移動すればいいと思っていたのだが、計画を変更して今日中に運んでおいたほうが安心できる。
「雨が降りそうだから、チョット寺まで行ってくる」
ワイフにそう言い置いて銀山街道へ出た。
石見銀山はジッとしていても汗がにじみ出るほど蒸し暑かったが、飯南高原は爽やかさが違う。万善寺の庫裏へ入ると、空気がヒンヤリしていて、一気に汗がひいた。

板の間とフローリングへ改修した6畳間にパネルを立てて壁を自作する。
基本的に万善寺はとてもヒマな寺だから、1年に数回の仏事行事で使う以外は、空き部屋のまま遊んでいる状態だ。
昔の日本家屋だから、柱と建具で田の字に仕切られたシンプルな作りなのだが、その田の字の部屋に先代夫婦は色々なモノを持ち込んで狭く狭く使っていた。
私はどちらかというとなんにもないスッキリした空間へ憧れているようなところがある。やっと自分の自由に暮らせるようになった庫裏を、必要最小限の家具を置くだけにして、彫刻の展示台を並べてギャラリーにしようと考えている。
女流彫刻家吉田満寿美と鉄の彫刻家吉田正純の彫刻を季節ごとに入れ替えながら常設して、時々知り合いの彫刻家へお願いして個展をしてもらったり出来ると庫裏の空間が活かせる気がする。
考えているようにうまくいくかどうかわからないが、何もしないでお寺参りを待つだけよりはマシだ。8月の盆月が落ち着いたら、倉庫で眠っている彫刻を移動して秋にはオープンしようと思う。

ワイフが、例のごとく食卓を彫刻の作業台に使いはじめた。
今年は松江の県立美術館がグループ展の会場になる。
会期中になっちゃんの結婚式が重なって吉田家の7月は一気に忙しくなる。
ワイフは、彫刻の搬入をしてそのまま島根を離れる。
私は少し遅れてじゅん君と待ち合わせをして別便で移動する。
ボンヤリと決めていたスケジュールが少しずつ具体的に固まりはじめた。

寺から吉田家へ帰宅したら、作業台になっていたテーブルが夕食の食卓に戻っていた。
ボクのスキな料理が並んでいた。チーズの焦げた香ばしい匂いがしていた。
トマト、ナス、キュウリ・・・夏野菜が美味しい。
クロが珍しく擦り寄ってきた。シロは何処かへ潜り込んで出てこない。
「雨どうだった?」
「それほどでもなかったよ」
やっぱり、石見銀山は雨が少し降ったようだ。

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ミョウガの始末 

2017/07/19
Wed. 23:11

しばらく吉田家を留守にしている間に、裏庭の草が伸びて茂っていた。
春のうちに2回ほど集中して徹底的に刈り込んでおいたから、昨年までに比べるとこの時期の草刈りもかなり楽になった。
それでも、問題がいくつかあって、その一つが葛。この葛がはびこって根付いてしまうと、草刈り機の回転にツルが巻き付いて厄介だ。それに、裏庭の果木へ巻きついて幹を締め上げると、木の成長の体力を奪う。この数年の間に、ほとんどの梅の木が葛にやられて絶えた。自然の植生の力関係は、容赦がない。
吉田家の裏庭程度でも、人の手が入らないと、たった数年で人間が踏み込めないほどのジャングルになってしまう。
この葛を筆頭に、蔓や蔦系の植物がはびこると、成長力の弱い植物は一気に絶えてしまう。人の暮らしに余裕がなくなったり、暮らしが絶えて環境が放置されたりすると、一軒家は2・3年にうちに蔓蔦に飲み込まれてしまう。

今年の春に母親の俊江さんが永眠するまでの、だいたい10年位は石見銀山の吉田家のことがほったらかしにされていた。
私の体力と生活力の弱体が原因と云えなくもないが、結局は石見銀山の吉田家をワイフへ任せっきりにして、万善寺とその周辺の維持管理を優先し続けたからのことだ。
最近になって少しずつだが、吉田家の裏庭をワイフが諦めるようになった気がする。
一時期は、何かに取り憑かれたように裏庭のアチコチの空いたところを見つけては色々な種類の木や花を植え続けた。やがて花が満開になったり、果実がたわわに実ったりすると、それをすごく喜んで愛でた。私が仕事の合間に草刈り機を振り回して大事な草木の幾つかを薙ぎ払ったりするものだから、それが気に入らなくて自分で草刈り機を使ったりしていた時期もあったが、それもいつの間にかしなくなって、人の手が入らなくなった裏庭が荒れはじめた。
寺の俊江さんの方も、ワイフと似たり寄ったりで、万善寺の境内やその周辺に草木を植えたり挿し木をしたりした。こちらの方はまだ彼女が若くて元気だった頃からのことだからその後30年位の間にしだいに株が大きくなって見晴らしが悪くなっていった。
たまたま、私の近くの二人の女性が似たような趣味を持っていたのかもしれないが、そのおかげで、私自身がけっこう苦労している。

植物は、モノも言わないし文句も言わないし只々静かにさり気なく成長するだけのことで、人手もかからないように見えるかもしれないが、実はそれが一番厄介だったりする。
同じ生き物でも、私は断然動物のほうが良い。
植物に比べたら、動物のほうがずっとずっと慎ましく健気に正直に生きて死んでくれる。

7月の終わりには保賀の谷で一斉清掃がある。それまでに万善寺周辺の草刈りも終わらせなければいけないし、今のうちに吉田家の草刈りを済ませておくことになる。
オノレバエのミョウガの時期で、それが密集している。さて、刈り込むべきかどうか?
万善寺のミョウガは、とっくに刈り込んでしまったけどね・・
久しぶりの石見銀山吉田家暮らしは、裏庭の草刈りからはじまっている。

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大森小学校のワークショップ 

2017/07/18
Tue. 23:02

万善寺にいると、昼間から庭先でプラプラしていても、G15を首からぶら下げてお地蔵さん下の町道をブラブラしていても、特に周囲を気にすることもなく普通だったりする。
保賀の谷の住民も、「今日の方丈さんは、坊主仕事もなくて暇してるんだな」くらいに思いつつ、自分はセッセと田んぼの世話や田の畦の草刈りしながら普通に軽く会釈して挨拶を交わす。
そもそも、飯南高原全体の住民も高齢化率が高いから、スーパーへ出かけても郵便局へ入っても、行く先々で出逢うのは現役をリタイヤしたくらいの年格好のおじさんおばさんや、杖や手押し車や買い物カートの助けを借りてフラフラと歩いていらっしゃる高齢者の皆様がほとんどだ。

久しぶりに白昼の石見銀山を歩いていると、観光客の多さに驚く。
「何処からこれほどたくさんに人間が湧き出てくるんだろう・・・」などと、そういうことの方へ関心が向いたりする。
「わざわざ人の集まる混雑へ我が身を投じなくてもいいだろうに・・・」
日常の暮らしの周辺環境が違うだけで、自分でも気が付かない間に暮らしの常識も少しずつズレて思考の基準が変化していたりする。

大森小学校の子供たちは、現在全校で11人まで減っていた。
ワークショップの材料や道具を結界くんへ積み込んで観光客の人波を縫うように町並みを抜けて小学校へ急いだ。
図書館(図書室かな?)は、ランチルーム兼ときどき今回のような特別授業の会場になったりする。
今回準備した題材は、「ガラス瓶へリューターで絵や模様を描こう!」と言った感じ。
夏らしくて良いかな?と思ったし、ガラス瓶は、家に持って帰って何にでも使うことが出来るし、壊れなければ何時までも目に見える思い出として自分の近くに置いてくれるだろうというささやかな期待も込めてみた。
授業2コマ分をいただいて校長先生や教頭先生のお話から始まって、最後は子供たち一人ひとりの感想発表があって、私の〆のお話で終了。
リューターは、島根県現代彫刻振興委員会の備品として揃えてあるもので、ビットなどの消耗品を買い足しながら色々なワークショップで使い続けている。
大人から子供まで簡単に使えて危険も少なくて都合の良い道具になっている。
大森小学校の子供たちは、私の取扱説明が終わると、一気にリューターを使いはじめて、図書館にモーター音が充満した。
途中から担任の先生方も加わって、なかなか面白い力作がたくさん出来上がった。

小学校では、お昼の給食や学校菜園の夏野菜までいただいて、石見銀山の町並みに面した吉田家前の駐車場へ結界君を止めた時の印象が前記のそれだった。
これから1週間、石見銀山を拠点に暮らすつもりだ。
その間に鉄のクラフトを幾つか造るつもりにしている。

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しおらしいメール 

2017/07/17
Mon. 23:27

7月の熱い連休が終わった。
かろうじて、連休最終日に石見銀山の吉田家へ帰宅することが出来た。

週初めに大森小学校のワークショップがある。
島根県現代彫刻振興委員会が毎年この時期に講師派遣をさせてもらっていて、今年でもう5年は過ぎたと思う。
吉田家の子供たちが全員お世話になって卒業させてもらった小学校だから、何かのかたちで美術造形を通した恩返しができないかと思っていたのだが、2010年からスタートした現代彫刻小品展でワークショップと講師を招聘するようになって、せっかく、プロの彫刻家が島根県へ来てくれるのだから、小学校の子供たちと美術交流をしてもらうのも良いことだと思いついて、それ以来日程の調整が可能な限り、この夏休み直前に時期に大森小学校へお邪魔する機会をつくるようになった。

幾つかの事情が重なっためぐり合わせで、とっても久しぶりに彫刻家吉田正純が今年の講師を引き受けることになった。
ワークショップ材料を万善寺へ移動して、寺の作務の都合をみては材料や道具などの準備をしたりしてきて、連休最終日になって最後の調整が終わるようにスケジュールを組み立てた。
・・・と、其処まではおおよそ予定通りに進んでいたところ、鳥取で学校の先生をしながらコツコツ制作に取り組んでいる絵画の新人から、「吉田さんのおじゃまにならないようにさり気なくチラリとお目にかかれたら・・・」などと、いやに低姿勢のしおらしいメールが入ってきた。
7月の終わりにある展覧会へはワイフも出品するから、まんざら無視もできないし、特に作家歴の短い新人は海千山千魑魅魍魎の蠢く美術界の実情を知らないまま、マンマと「飛んで火にいるナントヤラ」状態になって、純粋で清らかな造形精神が錯乱炎上でもしたら大変なことになるから、ここはひとつ、吉田のたるみきったひと肌でも脱いでやってもいいかと、珍しく坊主の仏心が目覚めて「どうすればいいの?時間調整しようか?」って感じのメールを返しておいたら、描きかけの絵や幾つかのパーツを持って万善寺までやってきた。
彼女は、倉敷の児島旧家でのインスタレーションがいい感じだったので、何かしらその路線で次の展開に繋がってくれると良いなと思っている。
今は、未消化の曖昧な状態が続いているが、かえってそういう制作上の朦朧としたカオス的世界観が制作者の「リアルな今」を伝えているふうにも感じて、それがモヤモヤと漂う空気感として画面に切り取られるのも面白いかも知れない。
ベースになる絵はまだ下描きの段階で、題材もどちらかといえば直接的すぎて商業的素材に見えなくもなかったが、まぁ、それもボキャブラリーの積み重ねの過程でそのうち自分で気付くことでもあるだろうし、彫刻家吉田正純としては、「今はまだ静観の時期かな!」などと、偉そうに勝手に納得したりしつつ、幾つか思いついた吉田流の参考素材を提供しておいた。
たとえば、「赤ひげ」とか、「第三の男」とか、「麦秋」とか・・わかるかなぁ〜?・・

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里山の端 

2017/07/16
Sun. 23:26

早朝の第一声が蜩に変わったのは・・・さて、そろそろ1週間も前くらいからだろうか・・・
それまでは、まだ暗いうちから山鳥が鳴きはじめて、世間が明るくなってから保賀のカラスが情報交換をはじめて、それから一斉に万善寺周辺が賑やかになるという、なんとなく決まった順番があった。
それに、たとえば雨の日のカエルが加わったり、子育てツバメが加わったりとそのその時々で若干変化しながら夜が明ける。
最近、夜鳩が頻繁に鳴くようになって、それにつられて木菟も聞こえたりして、それでなくても寝苦しい夜が賑やかになってきたものだから、少々睡眠不足気味である。

今朝も蜩で目が覚めて、まだそのまま起きるには早いから二度寝を貪ろうとしていたら、つがいのカラスが境内に舞い降りて鳴き始めたものだから、うるさいのなんの!・・・もう完全に目が覚めてしまった。
少し前に気がついたのだが、いつものつがいのカラスに3羽目のカラスが加わって一緒に行動するようになっている。電線に3羽並んで止まっていたり、保賀の谷の上空を飛び回ったりしている。子供なのか友達なのか新参者なのかよくわからないが、このまま住み着いてくれるのも少々厄介だなと思ってしまう。

夕方からお大師様の供養と塔婆回向へ出かけた。
保賀の自治会から少し離れた自治会でお祀りしてあるお大師様で、土地のみなさんも起源や謂れはわからないらしい。いつもは、名ばかりの御大師堂の祠へ安座されていて、1年に1回ほど供養のために自治会館へ遷座される。
私が前住職から引き継いだ頃は、各家ご夫婦や先代ご夫婦まで自治会へ参集されて、20人を越えるほどの賑やかな仏事であった。それから10年の間に、どんどん参拝が減って、今夜は遂に男性3人女性5人という、寂しい仏事になった。塔婆回向の枚数も20枚は書いていったが、「もう、この施主さんは死んどりますけぇ」ということで、差し戻されたりして、なかなか複雑な心境のままお供えのおさがりで斎をいただいた。 
さて、この地域のお大師講もこれから先何時まで継続することやら・・・

お通夜のような斎の席になってしまったので、こういう時は坊主の方から話題を提供して会話の道筋をつくることも大事なことだ。
「このあたりはクマは出ますか?」と振ってみたら、一気に話題が広まって会話が動きはじめた。
イノシシ出没は当たり前。田んぼに残った足跡ですぐにクマと分かる。数年前からシカも増えてきた。まだ大きな被害になってないが、これから増えると植林の木や果木の被害が増えそうだ・・・などなど。いまのところ、万善寺の夜はせいぜいタヌキやイタチくらいで、時々イノシシが境内で悪さをするくらいに収まっているが、今朝のようにうるさい朝が常識化してしまうと、もう、寺の境内というより里山の端といえるほどの状態になってしまうかもしれない。
田舎の過疎地の限界集落が山に飲み込まれようとしている実態を見聞した。

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梅雨明け?? 

2017/07/15
Sat. 23:24

蒸し暑い1日だった。
庫裏の縁側にある温度計は西陽を受けて30℃を越えていた。

3つの年回を2つの法事でつとめた。
ありがたいことであるが、この蒸し暑さに大衣と袈裟でお経を読むのは軟弱坊主にとってかなりつらい。
午前中の法事は、7回忌と13回忌を1つの法事にまとめてくれということで、施主さんのご両親の年回法事でもあるし、「まぁ、良いでしょう・・」と引き受けた。
その施主家では、50回忌のご先祖さんが年回法事をスルーされていらっしゃるが、最近はそういうことも普通に増えてきたし、忘れたふりで見逃すことにした。坊主からしてこういう態度だから日本人の宗教観も希薄なものになって仏教離れが進むことになってしまうのだ・・と、若干反省しつつ、それでも、「まだ自分はまともな方だ!」と我が身をなぐさめて正当化しようともがいていたりする。

二枚の塔婆には、ボクのスキな禅語の一つ「結果自然成」を含む達磨さんの伝法とされる偈文を別けて書いた。
〜一花開五葉 結果自然成〜
達磨さんが禅を中国に伝え広めたことで、中国禅の祖師とされていることは禅宗では一般常識で誰でも知っていることだ。
「一花開五葉」とは、「自分が中国にやってきて伝えた禅の思想は、やがて中国全土に広まり大きく花開くだろう!」とでも訳して良いのだろうか??無学なナンチャッテ坊主には達磨さんの真意まで分かるはずもなく、「なんとなく、そんな感じなんじゃないかな?」と思うようにしているくらいのものだ。
「結果自然成」が、ボクのスキな禅語で、これについては、何度かこのブログでも引用させてもらっているから、気に成る方は検索でもしてみてください。
午後からのもう一つの法事でもまた別の禅語を塔婆へ書かせてもらって同じようにお経を読んでお墓参りも済ませて、ヨレヨレになって万善寺の庫裏へたどり着いたら、もう夕方の4時を過ぎていた。

そろそろ梅雨明けと言って良いかもしれない。
保賀の谷に降り続いた雨が地面へ沁み込んで、水分を含んだ土からミネラルたっぷりの水を吸い上げて稲やマメや雑草までもがスクスクと伸びて地上の表面積が一気に広がった。夏を思わせる日差しがそれら全ての植物をジリジリと焙り、気化した水分の強烈な湿気があたり一帯に停滞し、そういう環境の中で白衣から衣から袈裟までつけた坊さんは、サウナにでも入っているくらいの酷暑に絶えつつ木魚を叩きながらお経を読む。
1日で2時間半のソロライブ2回公演をこなしたようなものだから、なかなかのハードワークだ。
湯船にぬるめのお湯をためて行水しながら白衣やパンツなど洗濯した。斎膳を2箇所でいただいていて腹も減らない。麦とホップをプシュっと開けて、その後のことはよく覚えていない。気がついたら座敷に広げて干していた敷布団でそのまま寝ていた。

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無限に単純 

2017/07/14
Fri. 23:26

飯南高原にある薬膳レストランのアプローチへ私の野外彫刻を置かせてもらってから、もう5年位は経っただろうか?
今の彫刻のテーマに到るきっかけとなる、自分にとっては重要な位置づけの連作彫刻でLandscape connectionのタイトルで制作を続けていた頃のものが5〜6点ある。
そのアプローチをレストランに向かって進むと洋風の門柱があって、それから先は前庭が広がってレストラン入り口へ続く。
その前庭へは現在の連作彫刻Landscape situationシリーズの初期彫刻を3点ほど設置させてもらっている。

飯南高原は、広島県との県境まで続く島根県東部の豪雪地帯で、暖冬といわれる冬季でも総積雪量は普通に2mくらいまでになる。
さすがにそのレストランも、真冬の時期は客足も途絶えて営業にならないから、だいたい2ヶ月位を休業にして、その間に新メニューの開発をしたり、出張の料理講習会を開いたりして春を待つ。
私の野外彫刻は、積雪を避けて移転することも出来ないので、ひたすら極寒の飯南高原でジッと雪に埋もれたまま春を待つ。

この5〜6年の間にドカ雪が2回位巡ってきた。
彫刻は背の高さで云うと、低いものは50〜60cmくらいで、背の高いもので3m近くある。
島根で暮らし続ける限り、降雪を避けるとか無視するとかして彫刻制作を続けることは出来ない。むしろ、降る雪も含め島根の四季とどのように関わってどのような彫刻にしていくかを考え、共生や協調を目指したほうが彫刻の造形に深みが増す。
彫刻のタイトルに「Landscape」を当てているのも、そのような島根の田舎暮らし事情がベースにあったりするわけだ。

・・・青山元不動 白雲自去来・・・
・・・雲去山嶺露・・・
・・・坐看雲起時・・・
・・・雲流無心亦無心・・・
・・・山是山 水是水・・・
・・・雲在嶺頭 水流澗下・・・
・・・山光我心澄・・・

などなど・・・あげればキリがないほど禅の僧侶は自然の景勝に自らの境地を託す。
字面の意味は乏しい知識を絞って捻るまでもないほどシンプルで、視覚的にスルリと心に入るが、その境地を探るとなると、なかなか奥深いものがあって計り知れない無限の解釈に迷う。
これから先、自分の造形がどこまで「無限に単純である」境地を目指せるかわからないが、自分の彫刻にはそういう目標が託されている。

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2017-08