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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

保賀のとんど祭 

2020/01/13
Mon. 23:08

とんど祭の朝は雪になった。
昨晩は久しぶりに冷え込みがキツかった。
生温い冬に慣れていた身体が深夜の冷え込みに耐えられなくなって目が覚めたら、それから眠れなくなった。

すでに前日には万善寺の各所からしめ縄を降ろして一年分溜まった御札や祈祷や回向の塔婆などを集めてある。お焚き上げには歳徳大善神さま以下、八将神さまや地鎮や家内諸々の神仏さまを一つにまとめて墨書きしたものを一緒に添えて天と地にお返しする。その半紙もすでに焼香用の角香炉と一緒に用意してテーブルへ置いてある。
眠れないままもう一度それらを確認して、それから火鉢の炭をつついて豆炭を補充して布団へ潜り込んだ。

とんど祭当日が新年になって初めての雪かもしれない。
襦袢にホッカイロを貼り付けて白衣や大衣を着て保賀の集会所脇に設置したとんど祭の祭事場へ出かけると、すでに自治会のみなさんがほとんど全員集合して万善寺の到着を待っていた。祈祷のお経を終わって回向を済ませてから一人ひとりの皆さんへ大般若の風を当て身体安全怨敵退散を祈ってとんど祭仏事が終わった。
保賀の谷では、仏式のとんど祭が前住職から引き継いで毎年恒例の行事になっている。

「○○さん、チョットお聞きしますが、お宅の方で黒い猫を見かけることはありませんか?」
「あぁ、そう言われると何度か見たことありますなぁ~」
「△△さん、お宅の近所に猫がウロウロしていませんか?」
「あぁ~、黒いのが歩いてるのを見ましたねぇ~」
「そういえば去年の冬になってからうちの座の下で鳴いてましたねぇ~、ありゃァ~サカリのついた声だったなぁ~」
半年ほど前から、寺の境内地で黒猫を見かけるようになったから、とんど祭が終わってから始まった保賀の新年会の席で近所のご主人へ猫の目撃情報を聞いてみた。幾つか集まった情報を総合すると、その黒猫はかなり広範囲を移動していることがわかった。
保賀の地内には、万善寺を始めとして山王神社の祠とか空き家が適度な距離をおいて点在している。どうやら、その黒猫には都合の良い徘徊の基地が出来ているらしい。
「何処かの飼い猫じゃないの?」とワイフは云うが、この数ヶ月のうちに何度も目撃していて、その時時に「ネコチャン!」とか「おはよ!」とか声をかけて目も合っているのに「一度も鳴き声を聞いたことがないから、アレはやっぱり野良猫だよ。飼い猫の経験はないナ!」と、自分は思う。
まだ秋が始まったばかりで残暑が残っていた頃、玄関や縁側を開け放していたら、黒猫が座敷へ上がってきたことがある。そのまま悪い癖がつくと始末が悪いから、それでとにかくその猫を見るとこちらから声をかけるようにしている。
新年会の帰り、庫裏玄関脇を黒猫がサッと横切った。
「アイツは、人間に懐くことは無いな!」と思う。適度な距離をおいて、自分から決して目をそらさない仕草が筋金入りの野良猫だ。私としては悪さをしなければソレでいい。

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冷たい雨 

2020/01/08
Wed. 23:12

年末にじゅん君が風邪をつれて吉田家へ帰省した。
それから大晦日で除夜の鐘を撞きに万善寺へ来て正月3日の早朝まだ暗いうちに吉田家へ帰って週明けの仕事始めまで過ごした。

彼が一人暮らしを始めてからそろそろ15年くらいにはなる。
その間に、元々じゅん君の部屋を妹たちが代わる代わる模様替えしながら使いまわして、その後少しの間ワイフの部屋にもなっていたが、やがて家中のいらないものを詰め込んで物置になった。
長女のなっちゃんが子供を連れて帰省することが決まってから、彼女と子供の寝起きする部屋が必要になったので、しばらくぶりに日常使用ができるように物置を片付けてみるとロフトに1つとワイフの彫刻制作部屋の隣に1つの2つほど昔のようにひとの暮らしが出来るほどの部屋に戻すことができた。
少しずつ寺暮らしのほうが増えてくると、長い間使い続けていた吉田家四畳半のボクの事務所部屋が機能しなくなって、いつの間にかワイフとシロちゃんの寝室に変わった。それで居場所を失ったボクは、夏は涼しいところ冬は少しでも暖かいところを探しながら吉田家の各所を点々と移動しながらジプシー暮らしをしていたのだが、物置を片付けてからやっとオヤジの寝室兼用事務所部屋が吉田家ロフトへ復活した。

その復活したロフト部屋は元々じゅん君の部屋で、彼が高校を卒業するまでの青春期のさまざまな反抗の痕跡がそのまま残っている。年末年始を彼は数年ぶりに大量の風邪の菌をばらまきながらその部屋で過ごした。
それが原因かどうか分からないが、だいたい風邪をひくことがないボクが10年ぶり位に大風邪をひいてしまった。久しぶりの風邪はそれはそれはヒドイもので、ノドは痛いしハナは詰まるし、熱が出なかったのがせめてもの救いだった。
ちょうど、風邪で一番つらかった時に葬儀が重なってしまった。
とにかく、なんとしてでもキャンセルできないことだから、フラフラしながら納骨までつとめて一段落して「コレで少しは休めるぞ・・」と一瞬思ったのだが、まだ昨年末からの七日務めが引き続いていることを思い出した。

寺の用事の合間を縫って風邪薬をもらいに病院へ走った。「それじゃぁ、総合感冒薬を出しておきますから・・コレ、眠くなりますから車の運転は控えてくださいよ」と、念押しされて1週間分の薬をもらったのだが、吉田家からの通勤坊主や寺の用事で銀くんを運転しないわけにいかないから、結局まともに薬をのむこともできないまま1日を過ごし続けて今に至った。
まともに夜も眠れないまま、この数日過ごした。年始のカレンダーも発送作業が頓挫したまま三連休に入って、最終日は保賀のとんど祭で朝からお経を読んで、午後からは年始会が始まる。
今年は雪もなくて春めいた暖かい過ごしやすい日が続いていたのに、とんど祭を前にしてもう冷たい雨が降りはじめた。風邪薬で少しほど持ち直した体力がこのまま年始会が終わるまで保ってくれるかどうか少々心配だ。次の日はまた7日務めが巡ってくる・・・

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背中が熱い 

2020/01/07
Tue. 23:20

「夕べ7℃でしたよぉ〜。あたたかいですがぁ〜・・」
お通夜のはじまる前にお茶を用意してくれたお手伝いの奥さんがそう言っていた。
確かに、この2・3日は雨は降っているがあたたかい・・・というより、雨が降っているからあたたかいといったほうが良いのか??・・・とにかく、なにか、とてもおかしな冬だ。
「わたし、嫁に来てから雪のない正月はじめてですぅ〜・・」
お手伝いの奥さんよりどう見ても年上だろうボクでも覚えがないことだから当然のことだ。
「昭和38年の豪雪の時は、うちの方でも2階から出入りしてましたけぇ〜ねぇ〜」
「そぉ〜そぉ〜、寺も本堂の屋根から参道まで雪がつながってスコップをソリにして遊んでましたもの」
「もう、あれくらい降ること無いでしょうねぇ〜・・、ありますかねぇ〜・・」
「さぁ〜・・どうでしょぉ〜かねぇ〜・・だいたいに最近はずいぶんとあたたかくなりましたからねぇ〜」
「大万木山がまだ白くないですけぇ〜・・」
この時期のお通夜で雪がまったくないことは副住職時代も含めて経験がない。
夜は冷え込むかもしれないと思って白衣の裏へホッカイロを3個も貼り付けておいたのだが、全く効果がなくてむしろお経を読んでいる間背中が熱いくらいだった・・・

節分の前後にやってくる節分寒波があるから、それなりに雪の覚悟はしておかなければいけないことだが、それにしても楽な冬の葬儀になった。お手伝いの自治会の皆さんも助かっていることだろう。
亡くなったおばあさんのご主人は、電工さんだった。
私がまだ小学生だった頃はまだご主人もお元気で、万善寺のお年始会へお参りもされていた。それこそ、昭和38年の豪雪前後のことだから、毎年のようにものすごい量の雪が降っていた時代だ。
子供ながらによく覚えているご主人のお話がある。
たまたまのめぐり合わせなのだろうが、それからずいぶん経って私が学校の先生を早期退職する少し前に、別の電工さんから同じ話を聞いた。
「若いヤツはとにかくヤルことがザツだから危なくて見てられない。一つ間違えば自分の命が無くなるような危ない仕事をしているという自覚が薄いから、よく怪我もするし、すぐにバテてアゴを出す!」・・・というような内容のお話。
電工さんといっても色々な現場の仕事があるだろうが、いずれにしても高所での作業もあるに違いない。万善寺は山寺だから、昔は周辺に山仕事の林業従事者も多くて、植林の間伐材の下敷きになったり枝打ち作業中に転落したりと、仕事中の事故で亡くなる方も多かった。年回の法事を繰り出すときも何人か事故死があって、みなさん若死にだ。ちょっとした気の緩みがあったのかもしれない。
このたびのおばあさんは、30年も前にご主人を亡くされていたが、そのご主人は病死だった。それからまだ小さかったお子さんを女手一つで立派に育てられた。荼毘のお別れのすすり泣きにつられて、不覚にもお経の声が少し震えた。

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不戯論 

2020/01/06
Mon. 23:19

冬の雨は、冷たいと云うより暖かく感じてしまう。
いつもなら雪になってもおかしくない今の時期に、夜中暴風雨が吹き荒れて眠れなかった。
万善寺の南側は昔ながらのガラス戸が雨戸代わりに建てられている。それが強風にあおられてものすごい音で、耳について耐えられない。
結局、一晩ほとんど眠れないまま夜が明けた。
ワイフが留守番している吉田家のことも心配なので電話してみると、石見銀山も一晩中強風が吹き荒れて、雨もかなり降ったらしい。飯南高原で雨だから石見銀山も雨なのはわかったことで、どちらかといえば風の方が心配だった。
「少し前から目は覚めてるんだけど、シロも一緒にまだ布団から出てないの。ゆうべはあめかぜがものすごくて寝れなかったわよ」
どうやら、石見銀山も似たようなものだったらしい。それにしてもワイフが眠れなかったと云っているくらいだから、かなりの暴風雨だったのだろう。

いつもの朝の用事を片付けていたら、電話が鳴った。
「お母さんが今朝亡くなりました・・」
年が変わって最初のお葬式ができた。
先日、年始回りをした時に、正月早々珍しく庭先に車も無くてひと気がなかったから「子供さんのところにでも行ってお正月をすごされているのだろうか?」とチラッと思ったが、認知症が入って目の離せないおばあさんも一緒に出かけることもないだろうと、その考えは一瞬で消えた。年末に寺の配りもので巡回した時、おばあさんの容態が思わしくないということを聞いていたから、病院の付添で留守なのかもしれないと勝手に理由を決めて納得していたのだが、それが今訃報の知らせを受けて本当のことになった。食事が喉を通らなくて、年越しも病院の点滴が命綱になっていたようだ。
死生観の事は法事の度に繰り返しお話しているからそれなりの覚悟はできていたと思う。
今の施主さんはご主人を先に亡くされ、その後は、おばあさんの介護も目が話せなくて嫁の立場でかなりの苦労だったようだ。
おばあさん自身もご主人を早くに亡くされていて、少年の私が夏の棚経で訪問する頃にはすでにご主人はお位牌さんになっていた。親子二代、男子が短命だったことになる。
雨の中、枕経を読みに出かけた。
お葬式から四十九日までこれからしばらくの間、坊主家業が絶え間なく続くことになって、春の彫刻展に向けた制作の日程計画を少し修正しないといけなくなった。

不戯論~ふけろん~
人の命は必ず限りのあるもの
我身はなによりかわいいもの
自分の利益が他人の不利益になったり・・
自分の行為や言葉が他人を傷つけたり・・
自分の我欲で他人に押し売りしたり・・
精一杯正しく思いやり限りある命を全うしたいものです

10~12月印刷原稿2020

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火鉢 

2020/01/05
Sun. 23:27

万善寺住職の単身赴任が昨年末から続いて10日目になる。
気楽なオヤジの一人暮らしで特に不便や不具合は感じないが、市街地のようにちょっと歩けばスーパーやコンビニがあるというような生活の便利さはないから、食料品の買い物はちょっとだけ計画的に頭を使っている。
お正月前後は夏のお盆の時期より周辺が寒いから生鮮食品の保存が効いてそれで少し助かる。もっとも、今年のような暖冬だと参道の雪の心配もなくていまのところいつもと変わりない日常生活ができて、知らないうちにそれに慣れていたりするのが怖い。
これから2月の節分や立春を迎える。
島根県の飯南高原はちょうどその頃に強い寒気が南下して一気に寒くなって大量の雪が降る。それを乗り越えれば、3月の桃の節句あたりに水分をたっぷり含んだ重たいぼたん雪が降って、その後次第に春めいてきてお彼岸前後のなごり雪が降って消えると、それから一気に春が来る。

1年に2回、半年ごとに香炉の掃除をして灰をふるいにかけて入れ替える。
冬は年末にそれをして大晦日の法要からきれいになった香炉へ線香を立てた。
香炉掃除の時、ついでに火鉢の灰をチェックしたらしばらく使っていない間に湿気を吸ってシットリと固まっていた。
この近年は、厳しい寒波が続いていたので火鉢を使うことがなかった。
強い寒波が来ると灯油やガスや電気ストーブにエアコンや電気コタツと万善寺にありったけの暖房器具をフル稼働させて隙間の多いガタピシ庫裏へ篭って暮らす。
今年のような暖かい冬は電気コタツ1つで昼間を乗り切り、朝夕に灯油ストーブを使うくらいで済むが、一日中コタツに潜ってジッとしているわけにもいかないから、部屋全体をほんのり温めるために火鉢を使う。
暖房効果はそれほど期待できないが、それでも火鉢に炭があると何かと都合が良い。
ヤカンをかけておくとコーヒーやお茶などで直ぐにお湯が使えるし、お餅を焼いたりおでんの鍋を温めたり夕食の寄せ鍋とか湯豆腐とか、そういうちょっとした鍋料理もできる。

「アンタ、火鉢使って一酸化炭素中毒にでもなったらおしまいよ・・大丈夫?」
火鉢など江戸っ子のワイフにとって縁の無いモノだっただろうからその心配もわかるけど、確かに、マレーシア産のバーベキュー炭は使っている木のせいか、それとも炭の焼き具合が悪いのか、庫裏の玄関先までなんとも言えない煙臭さが充満してしまうが、かえって部屋中にそのくらいの炭臭い煙が漂っている方が虫退治にもなって都合も良い。
万善寺は今時の2✕4住宅のように建て付けが良いわけでもないから普通に自然換気で乗り切れているし、昔ながらの日常生活が今に続いて残っているだけのことだから自分はそれほど気にもしていない。
典座寮配膳室には床下に囲炉裏がつくってあって、昔は仏事行事のたびにその囲炉裏を使って煮物などをつくっていた。
今は囲炉裏へ火を入れることは無くて豆炭や炭の収納庫にしている。
これから飯南高原で温暖化が進むと、そのうち冬の暖房を兼ねて床下の囲炉裏が再稼働するかもしれない。

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おばあさんの正月 

2020/01/04
Sat. 23:02

飯南高原は正月4日の夕方になって令和2年の初雨が降った。
前日に引き続いて年始参りに欠席されたお檀家さんを巡ってお年始のカレンダーと年回のお知らせを配っていたら、そろそろ日が暮れる頃になって銀くんの窓ガラスにポツリポツリと雨が落ちてきた。
この時期に雪ではなくて初雨になることはとても珍しい・・というより、自分の記憶にはなかったと思う。
国道に撒かれた融雪剤は、雨や雪も降らないまま通り過ぎる車の轍に粉砕されてパウダーになって風に舞っている。国道沿いに暮らす人達は外に洗濯物も干せなくて大変だろう。いつものように雪でも降れば今度はシャーベット状に溶けて跳ね散った雪をかぶることになるし、いずれにしても過酷な冬の暮らしぶりにそれほど大差はないようだ。
すっかり暗くなって寺へ帰った頃には雨が本格的になって風も少し出てきた。

東京暮らしの吉田家三姉妹が、ワイフの実家でいつもは一人暮らしのおばあちゃん家へ集まってくれた。
あとになって家族LINEで送ってくれた写真は曾孫も一人増えてずいぶんとにぎやかで楽しそうな様子だ。私の親族でおばあちゃんだけが曾孫をダッコできた。
夕方のお経を終わって、庫裏や本堂の仏様へお供えをしていたお餅を下げたあと、固くなっていたお餅をゆで直して夕食にお下がりを頂いた。ワイフがつくってくれたお正月料理がまだたくさん冷蔵庫で眠っている。贅沢なことだが、オヤジの一人暮らしではなかなかすぐに消費できなくてそろそろ胃がもたれてきた。
自分は一人暮らしを特に寂しいとも思わないで気楽に過ごしているが、東京のおばあちゃんはどうなのだろう。高齢になって一人でいると家事のなにごとも面倒になって次第に生活が荒んでしまうことが多いらしい。保賀の谷でもこの近年で独居ぐらしが4軒に増えた。年末年始やお盆などのその家にとって特別な日の一人暮らしはどうなのだろう?・・・前住職の憲正さんが死んでから2年ほど万善寺で母親が一人暮らしを続けていた。今にして思えば、現在の自分の暮らしのようにあの頃から通勤坊主をはじめて、もう少し頻繁に寺との距離を縮めておけばよかった。

ブログを始めたのは確か2010年の1月だったはずだ。
早いもので気がつけばあれから10年が過ぎた。
10年前のあの頃は万善寺のネタが登場することなど1年で数えるほどしかなかった。
今はどうだろう・・・この4日間ほとんどすべてが寺絡みのこと。変われば変わるモノだ・・・昨年は、かなりの数の書くことと写真を捨てた。そもそもが毎日の備忘録になればいいと思って続けているようなところもあるから、日常のどうでもいい些細なことも含めて書き留めておいたほうが良いこともたくさんあったはずなのに、それを残すことができなかった。このブログもなにかコレといった目標があるわけでもないが、それでも、たとえば彫刻を造っているときとか銀くんで移動しているときとか寺の作務のときとか、もちろんワイフや家族やネコチャンズやグッピーたちや保賀のカラスやスズメや狸や境内の石垣で暮らすマムシとか、周囲を見渡せば気になることが尽きない。
表現の工夫は書くことも描くことも、そして彫刻を造ることも同じだと思う。

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2020年賀状写真 (1)

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修智慧 

2020/01/03
Fri. 22:03

正月3日で新年の祝献朝課法要がひとまず終了した。
流石にほぼ徹夜状態が3日も続くと身体に応える。毎年変わらないことだからとにかく体調を整えて寿命の続く限り乗り切るしか無い。

2日の檀信徒新年会は例年並みで15名のお参り出席だった。檀家総数も実質50軒を切って、万善寺の運営もいよいよ風前の灯となってきた。この調子で行くと、お参りがひと桁になる日もそう遠くはなさそうだ。
もともと自分の性格は営業向きではないから、今になって万善寺の運営を立て直そうなどと夢や理想を持っているわけもなく、まぁ「人生なるようにしかならない・・・」くらいの気持ちでジタバタすることもない。贅沢をしなければ、万善寺の運営も自分の年金と彫刻の売り上げを切り崩していけばなんとか1年を乗り越えるくらいはできているが、それもいつまで続くかわからない。新年早々、気分の滅入る現実を心配してもどうなるものでもないから、そういう悲観は考えないように決めている。

それにしても、良い天気が続いている。もう3日も連続で雨雪がない。
保賀地内の年始回りも、いつもだったら早朝に寺を出かけて雪をかき分けて戸別訪問して一巡してやっとお昼前くらいに寺の参道を登るくらいになる。今年もそのつもりで9時前に寺を出たら、何の苦労もしないで簡単に呆気無く1時間位で年始回りが終了した。地球全体はどうかわからないが島根の飯南高原では確実に温暖化が進んでいる。
年始回りの世間話でも雪のことが話題になった。冬の今の時期に、春から夏にかけての農繁期で田んぼの水が心配なのだ。自然の天気を相手にして水の心配をしてもどうなるものでもないことはわかっているはずなのに、それでも心配をしない訳にはいかない農業の現実が目の前にぶら下がっている。
坊主のお寺参りの心配と農業の水の心配では要因の接点もなんにもなくて比べようもないことに思えるが、実はまんざらそうでもないことでもある。地球の環境変動を前にして人の知恵や行動など取るに足らない「些細な抵抗くらいのことだ!」ということが、おおよそなんとなくわかっているから諦めもついて踏ん張りも効く。物欲のダメージはそれはそれでそれなりに辛いが精神のダメージより回復が早い。
人は我が身の非力を自覚した時、それまでの自分から少しだけ強くなれる・・・そういうことを、日常の暮らしの現実を通して少しずつ学習しているのだ・・・ということ。
日常で四苦八苦と対峙しているのは坊主の修行だけではない。この世の人全てが四苦八苦と向き合って生きているはずなのだ。

修智慧~しゅうちえ~
知識は教え教わることの積み重ね
知恵は考え工夫し身につけること
知識が増えれば知恵も深まり
知恵が深まれば心が豊かになる
心が豊かになればものの道理がみえる
物事を正しく判断し見極められるようにありたいものです

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7~9月印刷原稿2020

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修禅定 

2020/01/02
Thu. 23:26

新年2日目の祝献朝課法要が終わったのは深夜の3時だった。
大衣を脱いでいつものヨレヨレトレーナーに着替えて、寺のシアタールームになっている6畳リビングの火鉢の炭をつついて豆炭を補充したり、現在の寺務所になっている3畳で年始会にお参りの皆さんへ配る万善寺オリジナルカレンダーへ手製ののし紙を巻いたり・・・色々な目先の用事や細々とした積み残しの事を片付けていたら、あっという間に1時間が過ぎた。
ワイフが寺で泊まるときには、いつもボクが使っているベッドを提供している。
今の時期、寝る少し前に電気敷毛布のスイッチをONしておくと、ベッドへ潜り込んだときに包まれるほのかな暖かさが気持ちよくて一瞬で睡魔がやってくる。底冷えする寺の冷え切った夜に、こういうなんとも例えようのない温々さ加減が寒い時期の醍醐味だ。
そういうオヤジの一人暮らしで数少ない至福のひと時をワイフへ提供しているわけで、どれだけ彼女を大事に思っているかがわかってもらえるはずなのだが・・・普通は・・・その彼女が、早朝に近い夜の私のドタバタで不機嫌そうに目を覚ました。
一区切りついたら仮眠くらいはとろうと思っていたところだったのに、自分の都合で彼女を起こしてしまった手前、入れ違いに寝ることもできにくくなって、そのまま用事の続きをしていたら長い夜が明けた。
庫裏玄関の鍵を開けたついでに境内へ出てみると、朝日が薄く広がった空の雲をほんのりとグレーに近いコーラルレッドに透かしている。
今年の万善寺年始会は近年になく雪一つ無い過ごしやすい1日になりそうだ。

本堂での檀信徒正月法要と新年会に向けて巨大な業務用灯油ヒーターを点火した。こうして、朝のうちから温めておくとお昼に新年会が始まる頃には適度にちょうどいい加減で本堂の冷え込みがやわらぐ。
それから現在ボクの寝室になっているドームテントへ潜り込んで1時間ばかり仮眠した。

住職の新年挨拶は、今年のカレンダーにした八大人覚のことにした。
万善寺のような極小規模の山寺でも、宗教法人を運営経営する組織の決められた寺務を一通りこなさねければいけない。昨年は会社でいうと定款規約のような寺務の運営規程に即して数年に一度巡ってくる書類の更新や報告業務で苦労した。ナンチャッテ住職でも一応建前上代表責任役員であるから、大規模寺院だと役僧がするような寺務も全て一人でこなしてアチコチ関係者に頭を下げて実印をもらって歩いた。
国の定めた法人業務を遵守して遺漏なくコトを進めるのも大変だ。

修禅定~しゅぜんじょう~
種々の情報が氾濫するこの世の中
気がつけば知らないでも良いことまで知ってしまう
ねじれてゆがんでなかなか住みにくい世間
せめてほんのひと時だけでも
浮世の塵や埃や垢にまみれた我身を洗って
静かに心穏やかに過ごしたいものです

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4~6月印刷原稿2020

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年々好日々好 

2020/01/01
Wed. 12:16

謹賀新年!
佛紀2586年、令和2年元日の万善寺は穏やかな朝となりました。

12月31日は朝から雪の1日となって、やっといつもの冬が戻ってきた感じだったが、上空の薄い雲から保賀の谷へ舞い落ちる雪は結局夕方から夜になっても本格的に積もることはなかった。
年が変わる少し前から本堂や庫裏の其処此処へお蕎麦や湯茶のお供えをし、太鼓を叩いて令和元年最後の祝献祈祷のお経を唱えた。
それから割れた銅鑼の音梵鐘を三分の一ほど数えながらついてワイフとじゅん君に引き継いで任せたあと、新年のお水取りをして湯茶に沸かし本尊様へお供えした。
大衣に着替えて、本堂から庫裏のお仏壇等を巡って最後に典座寮を守ってくださる韋駄天さまへお参りをして約二時間続いた元日の朝課祈念法要が一段落したのは、朝の3時過ぎだった。
特に冷え込むこともなく、在家住職業就任以来1・2を争うほど楽な祝献法要になった。
この早朝(・・といっても真夜中だけど・・)の法要は正月3日まで続く。

日頃は万善寺で気楽なオヤジの一人暮らしでいるのだが、お寺のお正月とお盆の数日はワイフが手伝いで泊まってくれる。それに、じゅん君も年越しから正月にかけて寺へ泊まって除夜の鐘とお檀家さん年始会を手伝ってくれる。
まだ先代住職夫婦が元気で吉田家の子供たちも小さかった頃は、寺の寺務作務法要等をしながら在家と変わらない賑やかなお正月だったが、子供たちが成人してからは現在のような何時もと変わらない住職業務中心の粛々とした日々が過ぎる。
別段忙しいわけでもないが、大晦日と元日は年が一つ変わるという改まった節目でもあるから、何時もの日常の連続とは違って見た目も気持ちも目先の現実と向き合ってとても具体的に切り替える必要もあって、それが少々あわただしい。

「忙しい忙しい・・って言いながらコーヒー飲んでる隙があるんだから、まぁその程度のもんサ。本当に仕事のできる奴は(忙しい!)なんて口に出さないもんヨ・・」
上京した18歳の秋、まかない飯目当てに始めたお昼の1時間だけのバイト先のマスターがカウンターの換気扇下でタバコを吸いながら皿洗いのボクに向かって独り言のように耳打ちしたことをよく覚えている。
お昼のランチもある珈琲屋に近い喫茶店は、丸ノ内線新宿三丁目と新宿御苑のほぼ中間にあった。中小の企業が同居する雑居ビルがたくさんあって、甲州街道が靖国通りと合流するあたりには世界堂新宿店があった。要町には末広亭があって、近くの厚生年金会館ではジャンル問わず何かしらのライブコンサートがあった。近くは新宿二丁目で、途中にストリップ劇場もあった。サラリーマン諸氏から夜の仕事が終わった二丁目のお姉さん方や、時々ストリップの妖艶な踊り子さんたちもコーヒーを飲みに来店していた、そういう喫茶店だった。
マスターが入れるコーヒーで、はじめて珈琲の旨さを知った。それと「~忙しい!~は云わないようにしよう!」と決めた。でも気付かないまま口が滑ってしまってるけどネ・・

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アッチもコッチも 

2019/12/30
Mon. 10:43

24日のクリスマスイブは小品彫刻展の最終日だった。
吉田はお檀家さんの二・七日以芳忌で朝から通勤坊主。
展覧会の方は、12月に入ってクローズが1時間早まって夕方5時になったから、その時間に間に合うように寺を出発することが難しい状態のまま日が過ぎた。とにかく、最終日だけでも受付をしながら会場の様子を見ようと急いだのだが、石見銀山へ到着したのは結局クローズぎりぎりになってしまった。記帳を確認したら広島在住で絵画の作家F氏のサインがあった。あとになってショップスタッフが「家族で観光だったみたいで、展覧会のポスターを町内で見られたそうで・・」と彼の名刺を手渡してくれた。
クローズのあと、1時間位かかって展示台から彫刻を降ろし、送られた梱包材を広げてたところでその日はひとまず作業を終わらせた。夜になってF氏にお礼の電話を入れると、良い目の保養をさせてもらったと嘘か真か有り難いねぎらいのお言葉を頂いた。

25日は朝から彫刻の梱包にとりかかった。
年末のことで県内からの出品作家もそれぞれに自分のことで忙しいだろうと、最初から手間の助けは期待していなかったが、作業中に作家の一人から「明日にはお手伝いしますので・・・」と電話が入って、それでまたヤル気が出た。「今日中に全部終わらせるから大丈夫!」と気持ちだけありがたく受け取って作業をしていたら午後になってショップ関係者の男性社員が集合して、展示台や梱包済みの彫刻の運搬を手伝ってくれた。手間数が一気に増えて一瞬で搬出作業が終わった。
夜になって雨になった。

26日は丁度小品彫刻展がスタートした日に亡くなったおばあさんの四十九日大練忌と重なったので早朝に石見銀山を出発した。前夜の雨を心配したが朝にはやんでいた。万善寺から急げばその日のうちに彫刻の発送ができる。吉田家へ帰ると直ぐに銀くんへ梱包した彫刻を積み込んで近くの郵便局へ走った。すでに集配が終わった後だったようなのに局長さんがさり気なく集配中の局員へ電話をしてくれた。あまり大きな声では言えないが、こういう時に多少の融通が効くのも顔見知りの田舎の小さな郵便局のいいところだ。
それから1~2日のうちに、SNSで五月雨にアチコチの作家から彫刻受け取り完了の知らせが入った。

あれからまた1週間が過ぎて、明日は大晦日で令和元年が終わり、そして、万善寺のナンチャッテ住職は小品彫刻展交流会前日に葬儀のあったおばあさんの三・七日洒水忌。
今年の小品彫刻展は、ことごとく万善寺の葬儀仏事と重なって少々苦労した。
長い人生、こういうこともたまにはあるものだと実に具体的に実体験した。
まだ年末のアレコレやらなければいけないことも残っているが、出来ることを一つずつ片付けてそれで何かが残れば、それはそれで仕方がないことだ。
1年をふるいにかけて均せばそんなに大騒ぎするほど忙しいわけでもないのだが、こうして一人しかいない吉田の周辺で同じ時に別のことが重なるとアッチもコッチもいつもと同じようにはいかないから、結局アッチにもコッチにも迷惑をかけてしまう。
坊主も彫刻家も自営で自由業なはずなのに兼業となるとなかなか難しいものだ・・・

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不妄念~ふもうねん~ 

2019/12/23
Mon. 23:33

元号が平成から令和に変わろうとする前後の万善寺オリジナルカレンダーは、以前からのデザインを踏襲しつつ、何かしら時代の節目としての痕跡を残しておきたいとも考え始めたら、それで気持ちが乱れてまとまりようがなくなって、ちょうど昨年の今頃は昼となく夜となくジタバタと悩み続けていた。
結果、落ち着いたのが「八大人覚(はちだいにんがく)」だった。

宗門では修行の根本とされているから、ソレを知らない坊主がいたら偽坊主ということになって大騒ぎになるくらいとても大事なことだ。
仏紀2585年はまだ「令和」元号がわからないでいたから、仏紀と西暦だけ記載し、八大人覚の前半4つを4シーズンに分けてカレンダーにした。
周知の如きナンチャッテ坊主は僧堂の修行も適当にヌルイまま済ませてしまったから、こうして改めてお釈迦様や道元様のお言葉に向き合うと、言葉一つの重さや深さにたじろいでしまって、2019年カレンダーはなかなか原稿を完成させることが出来なかった。
今年は、昨年の悩み苦労を回避しつつ後半の4つをまとめて今までより少しほど日程に余裕を持って印刷原稿をつくった。
印刷屋さんも、年末は何時にも増して忙しいだろうに快く引き受けてくれて、クリスマス前後には納品してもらえそうだ。

一つ悩んだのは「不忘念」にするか「不妄念」にするかということ。
勉強中からつい最近までズゥ〜ッと「忘」の字を当てていたのだが、2020年カレンダーを作るにあたって改めておさらいしてみると「妄」の字を当てるという解釈もアリに思えてきはじめた。
筆で書くには「忘」の字がサマになるような気がして、しばらくはそれで練習メモを続けて、最終原稿までもっていった。それから一晩寝て再度見直してみると、やはり「妄」の字のほうが今の自分の心境を言い当てているような気がして、急遽文字を入れ替えることにした。正しいとか間違いとかそういうことではなくて、どちらもそれなりに大事なポイントをもっていることだと自分を納得させて、あとはその時の自分の現状を「妄」の一文字に託したような感じだ。
それで「不妄念」だが、その3文字を借りて今の自分の生きざまを素直に表してみた。
数年前から「Landscape trace 或る日の痕跡」を彫刻のタイトルにしている。
過ぎた失敗は取り返しがつかないから、せめて同じ失敗を繰り返さないようにするしかない。自分への戒めも込めて一つ一つの彫刻を造り残すことが制作の目標になっている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
不妄念~ふもうねん~
だいたいに人の心は弱いもの
やたらと見栄を張ってみたり・・
根拠のない妄想に取り憑かれたり・・
欲に目がくらんで理性をなくしたり・・
些細なプライドを捨てられなかったり・・
なかなか厄介ないきものなのです

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1~3月印刷原稿2020

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交流会の朝 

2019/12/22
Sun. 20:27

小品彫刻展交流会の朝は空に月が残っていた。早いものでそれから1週間が過ぎた。
年末の慌ただしい時期に日程の都合を決めてしまったから、参加も少ないだろうと勝手に5人も集まればいいだろう位に予測していたら、結果、その2倍以上の参加になった。
4~5人程度だったらいつもの「まっちゃん食堂」でなんとかすればいいと事前にワイフへ相談やらお願いやらしていたのだが、彼女も昼となく夜となく用事が詰まっていてなかなか良い返事がもらえないまま日が過ぎた。
そうこうしている間に、ある日の早朝、万善寺のお檀家さんから着信が入った。
ちょうど運悪く直ぐに電話へ出られない事情が重なっていたので、少し落ち着いてから返信をすると「今朝早くにお母さんが亡くなりまして・・」と、またも訃報が入った。
お母さんといっても、すでに90歳にはなるだろうご高齢のおばあさんで「春くらいから急に弱ってきて・・」とか「起き上がることもやっとのようで・・」とか周辺からチラホラと漏れ聞こえる話は、あまり良いことでないものが増えていた。とにかく、まずは枕経を急ぐことになって交流会のことを後回しにするしか無いことになってしまった。
飯南高原の行政区では、この1年で死亡による人口の自然減がすでに200を超えたらしい。一方、出生の方は20人以下で「今後人口増加に好転することはまず無いだろう・・」と、保賀の山王さんの秋祭りで話題になったばかりだった。
万善寺では、結局この1年でお檀家さんのお葬式が6つになって、檀家軒数の1割を超えた。寺の維持管理も日頃は別段忙しいわけでもないのだが、だからといって余裕があるわけでもなく、実に曖昧でその場しのぎのいい加減ゆるいスケジュールでやりくりしてなんとか1年間の辻褄を合わせているのだが、今年ばかりはそうもいかなくて流石に疲労の回復が間に合わなくて弱った。

交流会は、徳島の松永さん、三木さん、武田さんが沢山の徳島名産持参で参加してくれた。島根県の作家は私も含めて4人。あとは彫刻の展示会場を提供してくれたショップのスタッフ有志。それに、埼玉の本多さんや高橋さんは参加できないからと差し入れして気遣ってくれた。他にもなにかの縁でもあったのかグッド・タイミングで其処此処からの差し入れも重なって贅沢な交流会になった。
今年の小品彫刻展は、久しぶりに抽象彫刻が増えた。
この近年というか、かれこれ20年位は前からのことになるのだろうか、時代の流行もあるのだろう、少しずつ彫刻表現が具象に偏ってきて抽象彫刻が減り続けている。若い作家の嗜好にそういう流れができあがっているのかもしれない。
抽象彫刻というと、ある日突然にフッとひらめいて湧いて出てくるようなものでもないし、それなりにデッサン力の裏付けも大事だし、造形の理屈も心得る必要がある。それに何より制作上の客観的なコンセプトがしっかりとしていないと、彫刻としての構造物へ昇華還元するまでにならない。
たまたまだったのだろうが、この度の交流会は作家歴は違うものの、みんなそれぞれが自分の抽象を追いかけ続けている彫刻家が集まった。飲み食いで忙しかったから抽象の突っ込んだ話をするまでには至らなかったが、それでもお互いに次の制作へ向けてそれなりに刺激を受け合うことはできた気がする。みんな春には次の展覧会が決まっている。小品彫刻展が少しでも次のステップアップに繋がってくれるといいのだが・・・

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猫も一役 

2019/12/21
Sat. 16:10

12月に入ってしばらくした頃、雀たちが万善寺へ帰ってきた。
保賀の谷の田んぼで稲の穂が出て少しずつ実が膨らむ頃までは、毎朝夕古古古米へ稗や粟や向日葵などをブレンドした万善寺オリジナルの雀ご飯を先を争ってパクツイていたのに、そろそろお盆になろうかとする暑い盛りに稲穂が頭を下げ始めたら途端に糠臭い古古古米など見向きもしないで新鮮な新米の甘くて柔らかい若穂目当てに保賀の谷へ広がる田んぼのあちこちへ飛び去ってしまった。

本堂の座の下を散歩の通り道にして猫が徘徊するようになったと気づいたのは、まだ雀が万善寺へ帰ってくる前だった。
衣替えで、夏の着物を洗濯して和箪笥へ仕舞いながら冬シーズンの袷や襦袢と一緒に大衣を取り出していると、畳んだ衣の間からネズミ駆除用のピンクの毒エサが次々と転がり落ちた。あの頃はまだ万善寺のアチコチへネズミが出没してお供えのお菓子や乾物をカジッたりして悪さをしていたが、猫が何処かからやってくるようになった途端にネズミがいなくなった。

数年前には狸が座の下へ住み着いていたこともあるし、本堂の天井裏にはイタチの寝床もあった。ちょうど1年前には朝帰りのテンが繁茂した裏山の雑木を伝って庫裏の屋根伝いに天井裏へ入り込んで昼寝をむさぼっていたがそのうちいなくなって、それから1年テンを見ることも絶えた。
寺の日常の暮らしが困ってしまうほど特に迷惑をかける訳でもないし、狸やイタチやテンもネズミの駆除に役立ってくれるといいと思って見て見ぬふりで過ごしていたのだが、その頃はネズミ出没の絶えることがなかった。そのかわりムカデやベンジョコウロギが絶えた。彼らの食性はどうやらそちらの方を好んでいたようだ。

猫は寺へ住み着いているわけでもないし、時々の散歩コースに本堂の床下が入っているだけなのだろうが、それでも寺の管理者である住職のボクとしては、一匹の猫のおかげであれほど悪さをしていたネズミがいなくなったという事実は見過ごせないものがある。それで、ささやかなお礼も兼ねてホームセンターにある一番安い猫飯を一袋買った。毎日万善寺へ通勤しているわけでもないが、年の瀬に向かって日中は寺で過ごすことも増えたし、早朝に出勤すると本堂の座の下脇へ猫飯を一皿用意しておくことにした。そうすると、だいたい次の朝には食べ残しの残骸も全く落ちていないほど皿がきれいに空っぽになっている。

吉田家のネコチャンズは日がな一日ゴロゴロと寝てばかりいる。
寒くなって吉田家ロフトのマイルームへコタツを出したら、それからシロが入り浸るようになった。クロは図々しくも昼と云わず夜と云わず、ほぼ1日中マイベッドのど真ん中を占領している。
彼等が吉田家に同居をはじめた7年前から、吉田家からネズミが消えた。あれだけ雑然と散らかり放題なのにゴキブリやムカデと出くわすことなど1年で5回と無い。
猫たちもそれなりにさり気なく一役働いてくれて立派な生活共同体になっている。

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眠れない夜 

2019/12/09
Mon. 23:40

右手の痺れは、これ以上ひどくならないように気をつけながら死ぬまで上手に付き合うしかないことになった。特にネガティブに思うこともないが、痺れが我慢できなくて深夜に目が覚めてしまうとそれから後が目が冴えて眠れなくなって、ソレが少々つらい。
小品彫刻展がスタートした頃は痺れもいつもどおりでそれほど気にならなかったのに、受付で長い間ジッと椅子に座っているといつの間にか身体の節々が凝り固まって動きがぎこちなくなっていたりする。そういうことが何回か続いているうちにこうして眠れなくなる夜が増えてきたところだ。
「素人診断はダメよ!きついんだったらちゃんと病院へ行きなさい!!」
食事の何気ない会話でポロリと愚痴らしきことをこぼしてしまうと、だいたい何時もそうやってワイフに厳しく叱られる。
自分としては「今日は何時もよりチョットだけ辛いな・・」くらいの軽い世間話のつもりなのだが、途端に食卓の空気が重く沈んでせっかくのメシが急に味気なくなってしまう。
こうして、自分はこれから先少しずつ歳をとって身体が不自由になっていくのだろう・・

眠れない夜は趣味の音楽にドップリと浸かってそれなりに充実した時間を過ごしている。
昔はFMのエアチェック専門で、ジェットストリームが終わってからのアスペクト・イン・ジャズを楽しみにしていて、油井正一さんのプロフェショナルな解説が良かった。録音しておいたカセットテープを聴き直してLPを探したりするのも楽しみの一つだった。
オスカー・ピーターソンの「ナイト・トレイン」を探しだした時は、ジャケットの写真がメチャクチャカッコよく感じた。ニュー・アルバムではなかったが中古品でもなくて、当時の貧乏学生にはなかなか手を出せないまま何度も購入を断念したものの、やはりどうしても欲しくてその月の25日に手渡しでもらったアルバイト代をリーバイスのお尻ポケットに入れて新宿三越の裏にあるレコード店へ直行したことを覚えている。肝心の楽曲の方は、オスカー・ピーターソンらしいラウンジジャズのような癖のないテクニカルな演奏で、それこそ眠れない夜のお供に最適だった。

LPレコードの時代は、カッコいいジャケットのデザインを探し出すのも楽しみの一つだったし、何より美術の基礎を勉強していた自分には趣味と実益が一つになってとても都合の良いデータベースにもなっていた。特に本気になって分析をしていたわけでもないが、中でもジャズは中身の楽曲がボンヤリとイメージできて好きなものが多かった気がする。
ニューシネマが全盛の頃はまだ高校生だったが、いちご白書の主題歌にもなったジョニー・ミッチェルのサークルゲームを松江のレコード店で探した時は、アルバムジャケットのイラストがやたらとオシャレでカッコよくて、レコードプレーヤーも持っていないのに思わずそのレコードを衝動買してしまったこともあった。ナント!、そのイラストはジョニー・ミッチェル自身が描いたものだった。彼女の透明感のある歌声がそのままイラストになった感じで「ボクにはとてもあぁ云う絵が描けるセンスはないな!」と、それでデザイン科を受験することをやめた。
今は、トルド・グスタフセンのアルバムデザインが好きだ。ノルウエーだったかスウェーデンだったか、彼は何処か北欧のジャズマンだったと思う。勿論中身の楽曲もボク好みで良い!最近、夜に眠れない時はよく聴くようになった。

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冬の簾 

2019/12/08
Sun. 23:52

皆さんご存知のように、私は本業彫刻家で家業住職坊主で実態はヒトギライな引きこもりニートオヤジ・・・といったところですが、一方、毎日刻々と日が短くなって冬至やクリスマスが近づく、まさにちょうど今の時期がとっても好きでウキウキしてしまうのです。
ようするに、微々たる一日の用事をアレコレと言い訳を用意しながら先送りしつつ、昼間からダラダラ自堕落にニート暮らしを続けているオヤジにとって、昼間が短く夜が長いという1日はかけがえのない至福の1日であるというわけなのです・・・

積雪にもならない雪がパラリと降ってすぐ消えたあと、今の時期にしては珍しいほど晴れの日が長く続いている。
晴れの少ない冬の日本海側で外仕事には絶好の良い天気がここまで長引くと、日頃怠け者のボクでも流石に何もしないで毎日ゴロゴロしているわけにいかなくて、朝から夕方まで境内をグルグル回りながら庭木を刈り込んだり雪囲いをしたりして過ごしている。
もう、かれこれ10年くらい前からシーズンになるとしぶとく使い続けていた簾が、今年の夏の終りになってついに編糸がバラバラにほつれ始めた。それでも風化の具合がそのまま捨てるには忍びないほど渋いものだから、なにか他のことで使えるかも知れないと丸めて土蔵へしまっておいたのをフッと思い出して、黒竹の雪囲いで使うことにした。

昨年までは、土蔵の雪がずり落ちる丁度真下に自生する黒竹が気にはなりつつ、これといって何をすることもなく自然の再生に委ねてばかりだったのだが、流石にほったらかしのままだと年々勢いが無くなってこのままだとそのうち絶えて自然消滅するのがみえはじめてきた。
丁度運良く春の筍の時期に入院して寺を長期間留守にしていたのが幸いして、住職の手が入らないままアチコチから芽を出した黒竹の筍がのびのびと成長した。大きくなって葉を広げた若竹を見ると、それなりに殺伐な境内の風景に少しばかり風情が感じられたりしたものだから、これからしばらくは「チョット手厚く育ててやっても良いなぁ〜・・」と思うようになって、今度が彼らにとって初めての試練の冬になる。
若竹も1年を無事に乗り越えれば2年目から少しずつ繊維も丈夫になって特有の黒光りも艶が増してくる。
廃棄処分同然の簾がどれほど雪囲いの役に立ってくれるかわからないが、無いよりはマシだろうと、朝課のお経が終わってから庭へ出た。

12月になって小品彫刻展の会場はCloseが17:00となった。
陽が短くなって島根の田舎では観光の足も早くから途絶えるし、営業の経費削減も考えなければいけない。それで、彫刻会場の受付も17:00少し前には電源を落として入場を止める。このところ、通勤坊主で寺からの出発が遅れて会場のCloseに間に合わないことが続いていて、ショップのスタッフさんに迷惑をかけてばかりで恐縮する。
今度15日の夕方から石見銀山の近所から出品の彫刻家が集まって慰労や情報交換を兼ねた忘年会のような集会を持つことにした。作家の皆さんへ告知したところ、暮れの忙しい時期なのに四国の松永さんが駆けつけてくれることになった。宿泊の手配も出来たし、当日まであと1週間足らずになった。今から楽しみだ。地酒の新酒でも探してみよう・・・

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銀くんの屋根 

2019/12/07
Sat. 23:12

イチョウがすべて落葉してから、少し前まで万善寺駐車場が黄色の絨毯を敷き詰めたようにキレイだったのが、最近の冷え込みで連日霜が降りるようになると葉の水分が無残に凍って一気に干からびた赤茶色へ薄汚く変色した。
12月に入って雪も降り始めたし、このまま冬になっていくのだろうと思っていたら、予想に反して快晴が続いて、雲ひとつ無い秋の空が戻ってきたようだ。

元号が令和に変わって初めての冬は、頚椎の手術をした私にとっても術後初めての冬になる。
10日ほど前から右手の指先にかけての痺れが急にキツくなって、今まで効いていた薬の効果が薄れてきた。
処方の薬もあと僅かになったし、年内に内科と外科を回っておくことにした。
内科はそれほど気にならないが外科の方は待ち時間が長くなることがわかっているからそのつもりで暇つぶしを確保しておいた。それでも年末のせいもあってか、いっこうに呼び出しもかからなくて流石に暇をつぶすネタも尽きた。
iPad miniをなんとなく回覧していたらAmazonでルーフキャリアを見つけた。
今の銀くんへ変えた時、2m位の長いものを積むためにほしいと思ってカーショップを回ったこともあったが、その時はダイハツのモデル変更直後で規格に合う凡庸性のキャリアがまだ市販されていなかった。
それから日常の慌ただしさに紛れて失念したまま過ぎていたのをAmazonのせいで今頃になって思い出してしまった。そろそろ1回目の車検も迫っているし、ひょっとしたら今の銀くんに合う規格のものが出来ているかも知れないと気になって規格表示サイズを元に探してみたら、ROCKYのSGRシリーズでどうもSGR10がボクの銀くんの屋根に載せられそうだとわかった。Amazonだから買い物かごをポチッとやれば一瞬で購入手続きが完了するのだが、そんなに安い買い物でもないし、とりあえず自宅へ帰って再度細かくチェックしながら一晩くらいは落ち着いて考えてみることにした。
次の朝になって、結局ポチッとやってしまったルーフキャリアが、その後1週間位は過ぎただろう頃に帰宅してみると届いていた。
ちょうど天気も良いし、万善寺でゆっくりと組み立てることにして箱のまま銀くんへ積み込んだ。
いつものように寺の朝のアレコレを片付けて、コーヒーをいつもよりたっぷりと用意した。
バックミュージックはシェリル・クロウのアルバムにしてキャリアを箱から取り出した。アルバム1枚が1時間チョットなのでソレを目安に説明書を見ながら組み立てた。
少し華奢な感じで重量物だとグラツキそうな気がしないでもないが、しばらく様子を見て気になるところは補強を考えてみても良い。
ひとまず、念願だったキャリアを取り付けられたのだが、年末のどちらかといえば寺のこともいつもより忙しかったりするのに、大事な時間を自分の私的なことで使ってしまった。
チョット後ろめたい気もして、チキン坊主の心がチクリと傷んだ。
夕方のお経は、線香も長いものをお供えしていつもより念入りに丁寧に時間をかけた。

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初月忌 

2019/12/06
Fri. 23:24

雪は境内に少しほど残してあとはすっかり消えた。
ひとまずシーズン最初の寒波が去ったようだ。
万善寺の庫裏はアチコチ隙間だらけで、立て付けの悪いガラス戸1枚で仕切られただけの外の気温と殆ど変わらなくて寒い。
潜り込んでいた布団のぬくもりが恋しくてなかなか起き上がれないままグズグズしていたら知らない間に二度寝をしてしまって、9時過ぎには初月忌のお経を読みに出かけようと思っていたのに寝過ごして遅刻してしまいそうになった。
寒いなどと言っていられないから、急いでハンガーに掛けてある冷え切った襦袢や袷の着物を着た。

早いもので、おばあさんの訃報を聞いて枕経を読んでからもう1ヶ月が過ぎた。
初月忌は、祥月命日の次の月に巡ってくる、初めての月命日を云う。地域や寺の事情によっては初月忌のお経を割愛するお寺もあるようだが、万善寺の場合は施主家の要望があれば伺うようにしている。それでも、前住職から私に代替わりした頃にはすでにその習わしもほとんど消えかけていて「初月忌はどうされますか?」と聞くと「ソレなんですか??」と聞き返されたりすることが殆どになっていた。意味の説明をしていると、話の途中で「ソレいいですわぁ〜、どうせすぐに七日が回ってきますから・・」と辞退される。四十九日までの七日ごとのお参りと、初月忌のお参りはその趣旨とか意味がぜんぜん違っているのだが、日常の我が身の生活に手一杯で「そういう仏事の一つ一つへ律儀に付き合うだけの余裕が無いので・・・」という面倒臭そうな様子がモロに表情へ出ていたりすると、その程度の信心へいちいち付き合うことも面倒になって「あぁ〜そぉ〜ですか。じゃぁ〜オタクでお供えしてもらって、舎利礼文くらいは読んであげておいてください・・・」と、サラリと流してしまう。
万善寺くらいの規模の寺で、葬式坊主とか法事坊主を決め込んでセッセと坊主営業を勤め上げても、ソレだけで我が身の日常生活が普通にできるわけでもないから、せめて寺に居る時くらいはできるだけ本来坊主の大事な勤めである修行三昧とガタピシ山寺の維持管理の作務に励むことを大切にしようと心がけている。

それで、滑り込みセーフで初月忌のお経を読むことが出来たあと、世間話をしながら帰り支度をしていたら「ちょっとまってくださいね、お膳のスパゲティーたくさん作りすぎたんで方丈さんのお昼代わりにしてもらおうと思って・・・今持ってきますから・・・」と、あらかじめ準備してあった様子のラップで包んだお弁当を頂いた。丁寧に割り箸まで添えてあって、ラップ越しにサラダや香の物も見える。
「おばあさん、食べることが本当に好きだったから・・・味付けが薄いと思いますから・・・濃い味のものがあんまり好きじゃなかったものですから・・・」
むすめさんはこうして節目のお膳を料理しながら生前のおばあさんの好みをなぞっていらっしゃるのかも知れない。まさに、おばあさんのお膳のおさがりを頂いたふうで、むすめさんの信心の気持ちが手にとるように伝わってくる。
四十九日まで続く仏事で、これほど坊主の気持ちが和むことはめったに無い。
お昼は、自然と背筋が伸びて手作りのお弁当に手を合わせて合掌した。

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今日の仏膳 

2019/12/05
Thu. 23:35

飯南高原は雪になった。
広島県との県境には海抜1000mを越える琴引山と大万木山がある。
その山頂が見えなくなるほどの雪が断続的に降り続いたが、国道や万善寺のあたりはうっすらと白くなった程度ですぐに消えて積雪までにはならなかった。それでも、万善寺の境内には屋根からの雪吊りで雪山が出来た。
今年は秋が暖かかったから、紅葉の見頃が無いまま冬になった。
いつもだと今頃にはだいたいほとんどの広葉樹は葉が枯れ落ちて枝木だけになっているのだが、未だに枯れ葉がしぶとく枝にくっついていて山の地姿が全く見えてこない。このままドカ雪が降ったりすると、落ち葉にならないまま枯れ残った葉に雪が張り付いて、その重さに耐えられない枝木が折れて電線を切るなどの冬の災害が増える。
数年前もちょうど今のような感じで12月が始まって年越しが迫った頃にドカ雪が来た。アチコチの電線が倒木の被害にあってしばらく停電が続いたせいで、今流行りの電化住宅は大変なことだったと聞いた。
万善寺はまだ母親が元気で生きていて、朝夕は目の色を変えて狂ったように参道の雪をかき分けていた事を思い出す。どこかしらあの年と似たような冬になりそうな気もして、チキン坊主は少々ビビっている。

「今朝は久しぶりに冷え込みまして足元も悪いのにご足労いただいてすみませんねぇ〜」
七日務めで朝のうちにお参りしたら、亡くなったおばあさんの娘さん(といっても、私とドッコイのおばさんだけど・・)が申し訳無さそうな顔で出迎えてくれた。
「いえいえ、雪も降らないと冬になりませんからねぇ〜これからもっと冷え込むでしょうし・・」などと、世間話をしながらろうそくや線香の準備をして、湯茶と仏膳を香へ潜らせた。早いもので、もう七日務めも四七日になる。
宗門では仏事があると仏前へ5つ組のお膳を用意してお供えする。
そのお宅はいつも丁寧に仏膳を作ってお供えされてあって、とても美味しそうだ。
お経を読んでいても、修行の未熟なナンチャッテ坊主はお膳に釣られて口に唾が溜まって途中で何度もゴクリと唾を飲み込んでお経の流れがだらしなく途切れる。
説教にもならない小話が終わると「いつもいつも美味しそうなお膳で・・おばあさんも喜んでいらっしゃいますよ、きっと!」とお世辞でもない正直な気持ちを伝えると「できるだけおばあさんが好きだったものを作ってあげようと思いましてねぇ〜」と嬉しそうだ。
「あのぉ〜・・・チョット聞くんですけど・・・麻婆豆腐好きだったんですけど挽き肉入ってるし・・・やっぱりおそなえの膳にはダメなんでしょぉ〜ねぇ〜・・・それに、鮭のおにぎりとか、そういうのもよく自分で作ってたんですけど・・・それからつぼ椀に肉じゃがもダメですよねぇ〜・・・」
きっと、亡くなったおばあさんが仏膳のことを事細かに言い伝えされていたのだろう。
「いいじゃぁ〜ないですか!あまり気にされなくてかまいませんよ。万善寺も前住職は何かとうるさいことを言ってましたが、いいですよ好きなものを作ってあげてください!」
今日の仏膳には飯碗へ美味しそうな炊き込みご飯が盛ってあった。
帰り際に「これ、お昼代わりにどうぞ!お膳と同じものですけど、たくさん作ったんで」と弁当にしたものを頂いた・・・帰って開けてみると、炊き込みご飯がノリを巻いて俵むすびになっていた・・・

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定休日 

2019/12/04
Wed. 23:05

この数日で一気に冬らしくなってきた。
隙間だらけの吉田家は朝晩の底冷えが厳しくなってきたせいか、ネコチャンズの活動も鈍って一日中ゴロゴロと寝てばかりいる。
小品彫刻展の会場は毎週水曜日が定休日だし、寺の用事も少し落ち着いたところだし、それに最近右腕から指先の痺れがひどいしするから、たまにはネコチャンズに見習って??一日ゴロゴロと過ごしてみることにした。

半年ほど前から吉田家ホームシアターの要であるプロジェクターが起動するたびにギャァギャァとものすごいノイズを発するようになってズゥ〜ッと気になっていたのだが、なかなかその原因に付き合うほどのまとまった時間が作れないまま今になってしまった。
朝のうちしばらくはネコチャンズとマッタリ戯れながらのんびりしていたのだが、ワイフが仕事にでかけた頃からどうもジッとしていられなくなってソワソワ落ち着かなくなってきた。それで仕方がないから、気になっていたプロジェクターへ付き合うとこに決めた。
その三菱製プロジェクターを使い始めてもう20年近くにはなると思う。
当時はけっこう高い買い物だったが、映画好きのボクとしてはそれなりに納得のいく商品だったから最後まで購入に抵抗していたテレビ好きのワイフを振り切って他の家族を説得して買ったものだ。それから約20年、子どもたちも独立して二人暮らしになってからは、彼女も機嫌の良い時やたまたま時間と気持ちに余裕がある時はボクのホームシアターライフに付き合ってくれるようになった。
彼女のお気に入りは「深夜食堂」と「時効警察」・・・何時だったか、お気に入りの訳を聞いたら、オダギリジョーが好きなのだそうだ。そういえば、どちらのドラマにも彼が出演しているし、もう結婚生活40年近くにもなって初めて彼女の好みがわかった。

取扱説明書が何処かにあるはずだと、吉田家の心当たりの場所をアチコチ探してみたが結局見つけられなかったので、ウエブ検索をしてPDFのページを探り当てた。
プロジェクターは度々動かすこともないし、故障だとすると配線コネクタの接触不良かファンの汚れだろうと素人診断してメンテナンスをしてみたのだが、変な異常音は治らないし、今度は画像までブツブツ途切れるようになって収拾がつかなくなってしまった。
どうしたものかと、だんだん焦ってくるし、そうこうするうちにゴロゴロと寝ていたネコチャンズが目を覚ましてご飯を催促して大騒ぎを始めるし、完全に集中の糸が切れてしまった。とにかくひとまず落ち着こうと、関係のAV機器を全てリセットしてみることにした。
ネコチャンズにご飯をあげて水を補充して、それからカップに残って冷めきっていたコーヒーを飲んだら少し落ち着いた。
再度、それぞれの機器へ電源を入れなおして起動を待っていたら、少しずつ明るくなったスクリーンへ「ランプを交換してください」と荒いドットの文字が浮かんできた。
「そぉ〜かぁ〜・・・さすがに20年も使っていたら、ランプ交換の時期も来るわなぁ〜・・」ということで、不具合の原因がわかって一安心!

それからしばらくしてワイフが帰ってきた。なんか、休息どころかグッタリ疲れたなぁ〜

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吉田ネコチャンズ 

2019/12/03
Tue. 23:55

あまり行儀の良いことでないとわかっているが、やはり会場の受付をしているとお客さんが絶える時間帯もあって退屈になるものだから、そういう時はiPadのKindleへダウンロードしておいた本をチビチビ読み流している。

「村上さんのところ」は、暇があると繰り返し読んでいてもう何度目かになる。
小説でもないし、エッセイでもないし・・・ああいうQ&Aの集合体的本はなんと言って良いのだろう??・・とにかく、何処から読み始めても何処で終わっても全然気にならないし、何より、既に何回か同じ場所を読んでいるはずなのに「全く内容を覚えていない・・」というところが飽きなくて都合が良い。
そんなわけで、たまたま今回開いたページからは猫のネタが幾つか連続で続いていた。
村上さんのことはそれほど詳しいわけでもないが、幾つかの村上本を読んでいると、どうやら彼は比較的猫好きの人であるらしい。だからといって、たとえば夏目漱石さんとか竹下夢二さんとか群ようこさんとか、彫刻では木内克さんとか・・世の中に猫ネタで思い当たる有名人はいっぱいいるし、村上さんが特別という気もしない。

実は、吉田もどちらかといえば猫好きな方で、現在同居している猫を含めて7匹の猫が今までの自分の人生の節目のどこかに絡んでいた。犬の方は小さい頃に寺で飼っていたポチと2012年の2月に19歳10ヶ月の長寿で大往生したシェパ君の2匹だから、やはり犬よりは猫のほうが縁深いのだろう。
今同居しているのは2匹で、名前はクロとシロ。
クロの方は迷い猫か捨て猫だったのをじゅん君が拾ってきた。石見銀山の間歩へ行く途中の側溝へ落ちて這い上がれないまま弱々しく鳴いていたらしい。まだ乳離もしていないし自力でウンコやシッコもできないほど小さかったから、運が良ければ生き残れるだろうくらいの気持ちで世話を始めて特に猫用の飼育グッズを用意することもしないまま、だいたいを吉田家のそのあたりにある代用品で済ませたのだが、しぶとく生き続けてそれなりにスクスクと育った。少しずつ性格が固まってきた頃にオシッコの出が悪くなったのでドクターに診てもらったら尿道が詰まっていた。腎臓障害の傾向があるようだと診断されて、それから何度か医者にかかったりご飯を高級品に変えたりしたらその後極端に体調を崩すこともなくなって、わがまま放題に脱走を繰り返しつつ気がつけばもう7歳になる。
クロが同居を初めて2ヶ月ほど経った頃、シロが吉田家にやってきた。
シロは、子猫ながらもすでに立派な野良猫になっていて、いつの間にか知人が飼っていた二匹の猫に混ざってご飯を盗み食いしていたところを捕獲された。その知人が「さすがにウチの財政で三匹は無理!」とSNSで告知していたのに気がついて、吉田家は家を留守にすることも多いし、性格が合えば留守番をするクロの気休めになるかも知れないと1日位ほどさり気なく見合いをさせたら、そのうち自然と仲良くなったのでそのまま預かることにして今に至った。元々野良猫で暮らしていたから人間のすきを狙ってつまみ食いをする癖が染み付いていて、今でもソレは治らないままだが、この7年で人間に対しての警戒心は随分と薄らいで、甘えん坊に変わった。
半年くらい前からお乳のところに大きなデキモノが出来て少しずつ大きくなっている。悪性の腫瘍かもしれないがソレもシロの寿命と手術は考えなで最後まで付き合うことにして、ドクターにはそう伝えてある。

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道標の彫刻 

2019/12/02
Mon. 23:24

12月では珍しい南風が一晩中吹き荒れた。それがやっとやんだと思ったら、今度は強烈な土砂降りになって、わずかに残っていた寺のイチョウの葉と銀杏が見事に散り落ちた。
少し前には申し訳程度に雪も降ったし、そろそろ本格的に冬がやってくるかなと思っていた。別に冬を期待しているわけでもないが、それにしても今頃になって生温い南風が吹き荒れたりスコールのような土砂降りになったりすると、冬に向かっての覚悟も揺らいでどうも気持ちがスッキリしない。

まだ、イチョウの葉に少しずつ紅葉が始まった頃に、六本木から搬出をした今年の彫刻を寺の駐車場脇まで運んだ。
石見銀山での小品彫刻展が始まってから徳島で展示中の野外彫刻を搬出して、それも駐車場周辺へ設置するつもりでいた。
こうして、万善寺の境内地へ彫刻を少しずつ置くことが長年の夢でもあった。
これから毎年秋の紅葉に併せて彫刻が少しずつ増えていくと、アチコチくたびれて老朽化の進む山寺の景観も少しは変化していくはずだ。
計画としては、寺の墓地までの参道へも彫刻を点在させて墓地の永代供養墓までの道標にできると良いと思っている。
前住職夫婦が健在だった頃は、ソレができなかった。
特に、内室の母親は「境内にわけのわからんものを置かれて仏さんのバチが当たるけぇ、イケンイケン!・・そんなもん、他へ持って行きんさい!」と、機嫌が悪くなってボクの彫刻を受け入れる余地など微塵もない抵抗を生涯に渡って続けた。
それでも母親のスキを見て、さり気なくワイフの彫刻を庫裏玄関のディスプレイのつもりで置かせてもらったりもしたが、ソレも知らない間に別の場所へ撤去されていたりした。老体でよく彫刻が動かせるほどの体力があるものだと感心したが、なんのこともない、母親の支持を受けた憲正さんが手先になって動かしていただけのことだった。
その憲正さんの方は、ボクたち彫刻家夫婦にそれなりの理解を示してくれていて、時々見せてあげていた抽象彫刻の写真に、よくわからない様子ながら目を細めて喜んでいた。

俗に云う「抽象」の彫刻に絞って本格的に造り始めたのは35年位前のことになる。
初期は、とにかく「抽象」というものの概念とはどういうものなのか・・・その根本を探り続けて過ぎた。おおよそ、誰の眼にもつまらない、なんの変哲もない形態ばかりセッセと造り続け、それから自分なりに納得できる最小限の構造の可能性を求めて鉄という素材を絞り込んでいった。
制作とか造形とか、そういうものがおおよそ一つにまとまったコンセプトのようなものが決まったわけでもなかったが、それでも何かしら彫刻の方向性に一つの区切りをつけて、ある程度は自分で納得して責任を持てるほどの技量をベースに自分なりの抽象的概念を何かしらの立体造形に置き換えようとした時、アニミズム的な抽象概念がなんの抵抗もなく自分の中に入り込んできた。要するに、自分が物心ついた頃から既にそういう思考を受け入れやすい環境にいたということだ・・・と、今更ながらに思う。
これから先、自分の持つ抽象概念が突然大きく変化することもないだろうが、さて、ソレはソレとして今まで見えなかったものが少しほど見え始めた気もするし、先行き制作の楽しみが見えた気もする。

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風動幡動 

2019/12/01
Sun. 23:56

関東の方は2年続けて木枯らし一号の吹かないまま11月が終わったらしい。
だいたい標高450mあたりに位置する山寺の万善寺は、12月を待たないで11月も終わろうとしているある日の朝、初雪というほどでもないくらいの雪の粉が舞い落ちた。

飯南高原は毎年決まったように11月の最終週の頃に初雪が降る。
今年は晩秋になっても暖かい日が続いていたからもう降らないだろうと気楽に考えていたから、スタッドレスタイヤに履き替えてもいなくてチキン坊主のボクは少々焦った。同級生のモーターズへ電話したら「15分もあれば交換できるからいつでも良いよ!」といってくれたので「それじゃぁ、法事の間に交換しておいてくれる?」ということになった。保育園の頃からの付き合いだから半世紀以上の腐れ縁になるが、こういう、地元の同級生がそれぞれ異業種で散らばってくれていると、人付き合いが苦手なボクとしてはとても助かる。

12月1日は、朝から33回忌の年回法事が決まっていた。
丁度故人の祥月命日で日曜日だから親族も集まりやすかったのだろう、もう3ヶ月くらい前に法事の予約が入っていた。
いつも塔婆書きに使っている硯は、吉田家の子供達が義務教育時代に中学卒業まで使いまわしていたものだ。プラスチックの硯箱にセットで入っていた教材用の墨はもうとっくに使い切って、今は3本目がそろそろ無くなろうとしている。
墨汁では雨に流れて使い物にならないから、こうして塔婆に書く墨は、毎回せっせと硯で墨を摺る。今どきの日常に硯で墨を摺るようなことはその筋の書道家を別にして寺社関係の職業宗教家くらいしかいないだろうと思う。
在家坊主の住職は長方形に練り固めた墨の棒を先端が鋭角に尖るまで斜めに斜めに傾けて摺り続ける。摺り落とす面が少しでも広いほうが塔婆書きの時間短縮につながるからだ。
私は、どうもそのスタイルが気に入らなくて、律儀に墨を硯へ直角に立ててきちんと3本の指で摘んでゆっくりと前後に動かすように摺り続ける。今は、墨が短くなって指で持てなくなってペンチを使って摘んでいる。今どきケチくさい話だが、なんとなく塔婆書きへ入るまでの準備運動というか手慣らしというか、そういう一つのものに集中できるまでの時間が大事だとも思う。
それで、そうやって墨をすりながら塔婆の裏書きを考えて、「風動幡動(ふうどうばんどう)」と書いた。有名な禅語だから興味があればググってみれば出てくるだろう。
グレッグ・ローリーの18年ぶりになるニューアルバムを聴きながら塔婆を書かいた。
彼は、あのジャーニーでスティーブ・ペリーの前にキーボードとボーカルを担当していた人だ。少し前にスティーブ・ペリーも久しぶりにソロアルバムを出しているから、それに影響されたわけでもないだろうが、とにかく元気に現役でいられて良かった。

吉田にとっての1970年前後は自分の人生の大きな転換期であった。周辺の環境が一気に変わって、わけもわからないまま時代の激流に流されてアッという間に飲み込まれていった。そんな状況で自分を見失わないでいられたのは、リアル・タイムでアメリカのウッドストックやフォーク・ロックや一連のニューシネマがあったからのような気がする。

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鉄の抽象彫刻 

2019/11/26
Tue. 16:57

石見銀山で小品彫刻展が始まる時、岡山の小林さんが個人搬入で万成石の彫刻を持ってきてくれた。
彼はしばらくの間島根の奥出雲町へ仕事に来ていて、その頃は比較的頻繁に会っていたのだが、その後仕事が一区切りついて岡山へ引き上げてからは疎遠が続いていた。
奥出雲町には「鉄の彫刻美術館」があって、彼はその美術館の館長をしていたこともある。その縁で昨年まで小品彫刻展を奥出雲町で開催していたのだが、今年の開催は会場の都合が上手く調整できなくて奥出雲を休むことになったから、余計に彼と会う機会が減っていたところだった。
鉄の彫刻美術館でメインの彫刻は、生前アメリカで活躍をしていた下田さんの鉄の彫刻で、だいたい50点くらいは収蔵されていると思う。
私も公的には「鉄の彫刻家」などと大口を叩いているが、下田さんの彫刻のように鉄という素材へ正面から向き合った骨太のモニュメンタルな幾何彫刻とは比べ物にならないほどチャチで軽々しい鉄彫刻ばかり造っていて、恥ずかしいことだ・・・

久しぶりに小林さんの元気そうな顔を見たことで、下田さんの彫刻のことを思い出したし、下田さんの鉄の彫刻からこれまた久しぶりにアンソニー・カロを思い出した。
カロは、ボクの大好きな彫刻家ヘンリー・ムーアの弟子と言って良いかも知れないし、それで、ほとんど忘却の彼方に消え去って雲散霧消だった35年位のボクの彫刻家人生のカケラが少しずつ寄せ集まって一気に造形の刺激が鮮明に蘇った。
勝手で個人的な解釈になるが、彫刻界でのカロはモダニズム活動の先駆者であると言って良いのではないかと思っている。彼の造形表現の根幹は師匠であるヘンリー・ムーアが展開した環境彫刻をよりミニマルな造形へ昇華したものだと思う。
もう、25年位は前のことになるはずだが、東京の現代美術館でカロの彫刻を間近に見た時は造形に対しての的確な構成力とスケールの前に自分の稚拙な表現形態が一気に崩れ引き込まれたことをよく覚えている。そして、上野公園や東京都立美術館で見たヘンリー・ムーアの彫刻以上に抽象性の強い無機的な彼の彫刻が周辺のあらゆる環境に対して冷徹で挑戦的であるように感じた。

今年の小品彫刻展は、徳島を拠点にして鉄を素材に彫刻の制作や発表を続けている武田さんの個展を同時開催した。
吉田の鉄彫刻とは造形上のコンセプトが全く違っていて、一見どちらかといえば、あのカロに近いところに位置する抽象彫刻であるように感じるが、実のところ今までに一度も彫刻表現の根拠についての会話がないから、彼女が何を考えてどのような表現を展開しようとしているのか全く知らないままでいる。鉄という同じ素材と向き合っていても、人それぞれ自分の思うところは同じであることが無いから、それで様々な表現になって様々な造形が出来上がっているわけで、そのことがあるから観ていて楽しめるし、自分への刺激にもなっている・・・ソレはソレで良いのだが、表現の完成度や制作工法のことになると、どうしても造形に対する追求の甘さが目についてしまう。まぁ、それも今後の伸び代が期待できるわけで救いがある。
そこがそろそろ先も見えて老体を鞭打って彫刻と向き合っている吉田と違うところだ・・・

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秋の祭日 

2019/11/24
Sun. 11:59

保賀の山王さんの神事が無事に終わった。
毎年、秋の11月23日が祭日に決まっていて、三年に一回当番が上組へ回ってくる。1週間ほど前から寄り合って交換用のしめ縄を作ったりして準備の用事が続いていた。
万善寺は上組に属しているから、本来なら当然集落のお手伝いをすることになるが、今まで「お寺さんが神事に関わるのはいかがなものか??」という、地域の古老のお考えと「寺は神事に手出し口出しをするべきではない!」という、歴代住職の考えが一つになって、少なくても私が子供の頃から記憶にある限り、地域の氏神様のお祭に万善寺が参加したことはなかった。
寺の住職交代があってから後も、先代夫婦が健在なうちは過去からの伝承を引き継いでいたが、もう大祥忌の法要も過ぎたことだし、そろそろ当代住職の考えで地域とお付き合いしても良いだろうと気持ちを切り替えた。
毎年、神事の時期は小品彫刻展と重なるので会場受付を優先するから当日は欠席することになる。それで、今回は都合をみて山王神社境内の草刈りを引き受けた。
お祭りは、保賀の集落から家族の殆どがにぎやかに参集して宮司さんにお祓いをしてもらう。山王神社での神事が終わったら地域の集会所へ移動して宮司さんを囲ってささやかな酒宴が始まるのだが、私がその酒宴へ合流できたのは今年の当番だった上組の連中だけが残って、あとはみんな解散したあとだった。

もう、100年以上前から山王神社の神事と縁が切れたままになっていた万善寺の立場を自分の代で切り替えたことになる。
堅苦しく思うと現代仏教の宗教家として常識を若干逸脱したことになるかも知れないが、元々の日本仏教は神仏習合に起源するから、自分としては民衆信仰の本来の様式に立ち還っただけの事だと思っている。

そろそろ日が暮れる頃になるまで上組の連中と他愛ない話題を肴に酒宴が続いた。
それほど深酒にもならないで程よく気持ちよくなったところで適当に切り上げた。
途中、お地蔵さんの前でご真言をお唱えして、参道を登っていると尻尾の長い黒猫と出くわした。一瞬お互いの視線が合って、それから猫は勝手知った様子でなんのためらいもなく本堂の階段脇から座の下へ入っていった。その黒猫とはこれで3回ほど接近遭遇している。今のところ寺の本堂や庫裏が黒猫の巡回コースの一部になっているようだ。そのせいだろうか?最近ネズミがいなくなったし庭先で野鳥の姿も見られなくなった。
もう、随分前のことになるが、一時期、本堂の座の下で狸の母子が暮らしていたことがあった。その頃は、毎日決まったように寺の周囲の決まった場所へ3cmほどの小さなウンコが転がっていた。ソレが母狸の縄張りだったのだろう。その狸は子育てが終わると何処かへ去っていって、帰ってくることはなかった。
さて、黒猫の巡回はいつまで続くのだろう・・・

夕暮れの日差しに照らされた満天星が真っ赤に色づいて燃えているようだ。
昔はマメに剪定をしていたが、何年もほったらかしているうちに幹も見事に太って野生になっていた。裏山が年々万善寺へ迫っている。

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ボクの想定外 

2019/11/20
Wed. 10:51

寺の用事に少し間ができたので撮りためておいた彫刻小品展の会場写真から手配りを兼ねた三つ折りのチラシをつくった。
だいたいの校正が終わったところで試しに印刷をした。
プリンターが動いている間に通勤坊主の帰り支度をしていたら、西向きの勝手口がオレンジに染まっていた。
まだそんなに遅い時間だと思っていなかったから、夕暮れの状況に慣れるまで少し時間がかかった。
気づかない間に、随分と日が短くなっていた。

石見銀山で小品彫刻の展覧会が始まって1周間が過ぎた。
会場は、北から東にかけて昔ながらの窓ガラスが建てられている。
昼のうちは逆光が少し強くなるが、夕方、陽が沈む頃になると一気に会場の雰囲気が変わって、ほんの20~30分だけのその頃合いがとても好きだ。
それから間もなく周囲が暗くなって、窓ガラスの外は夜の闇になる。ソレもまた昼間とは違って独特の雰囲気が漂う。
展示が終わって展覧会が始まって以来、なかなか会場に常駐することができなくて気になっていたから、少し早めに寺の用事を片付けて彫刻の様子をみておこうと思っていたのだが、夕方の丁度良い頃合いには間に合いそうにない。

65歳の誕生日は病院のベッドで迎えた。
まぁ、ソレも自分の人生としては記念すべき節目になったと思っている。
それにしても、5週間の日常の現実との乖離が、その後の自分の暮らしにここまで大きく影響してくるとは思っていなかった。
自分の彫刻の制作の方は、年間を通じて長期的スケジュールにほぼ大きな変更もなく毎年繰り返されているから、だいたい今の所それほど苦労することもないままいつもと変わらないでいられている。
万善寺の方は、そもそも自分の都合でスケジュールが組み立てられないから、これは一つ一つの現実と具体的に向き合って粛々と乗り切るしかない。
日頃はそれほど大騒ぎするまでもない程度の仏事が五月雨に過ぎていくばかりのことなのだが、なんのめぐり合わせなのだろうか、今年の場合は今までの万善寺がまったく通用しないまでに目まぐるしく様々な出来事が次々と絶え間なくやってくる。

展覧会が始まってすぐの夜更けに、お檀家さんの訃報が入った。
50軒足らずのお檀家さんのことで、今年は既に5軒の葬儀で5つの引導を渡した。こういう事態は、副住職時代を含め自分の坊主家業で経験のない想定外のことで、寺の過去帳を手繰っても、前住職の憲正さん在職の60年でもなかったことだ。元号が平成から令和に変わったという事実と合わせて、これからも鮮明に自分の記憶に残ることだろう。

夕方の万善寺上空は一面いわし雲が広がっていた。明日は雨になるかも知れない。
山王さんの秋の大祭が近い。今年の万善寺住職は山王神社境内の草刈りが当番になった。

2019石見銀山彫刻小品展チラシ
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混同か合体か 

2019/10/28
Mon. 10:39

久しぶりに一日中まとまった雨になった。
吉田家のトタン屋根を激しく叩きつづける雨の音で夜のうちに目が覚めた。
最近は処方してもらった薬のおかげもあって、夜中に目覚めることも随分減った。
その薬もそろそろ飲みきってしまうので、幸いに雨で外仕事もできないし、近所の整形外科へ通院することに決めた。
「病院行くんだったらお昼前が少しすいてるわよ・・・」
仕事へ出かける前にワイフが教えてくれたから、いろいろと準備をして丁度良い頃合いを待って出かけた。雨は時折土砂降りに変わって強く振り続けている。病院までの間、雨の降る中、作業員がずぶ濡れになって道路の補修工事をしていた。自分の都合で休むことのできない彼らが可愛そうになる。

今月末には六本木の展覧会の会期が終わって彫刻の搬出作業がある。
春の手術入院のこともあるし、今年の彫刻制作はあまり無理をしないように気をつけたつもりだが、普通に何もしないで過ごしているわけでもないから、結局はそれなりの無理が続いた。制作の工程を見直して、できるだけシンプルで右手の負担を軽減できることを考えた。それで彫刻の造形が崩れてダメになるくらいならいっそのこと制作を中止するくらいの気持ちで始めた。
こういうときは知らない間に自分をかばって適当なところで妥協してしまったりする。
彫刻を初めて2〜3年だっただろうか・・・会期中の彫刻講評会のときに「昼の仕事が忙しくて制作時間がうまくとれなかったものですから・・」などと、形の破綻を弁解がましく取り繕ったら、講評の委員から「そんなの関係ないでしょ!あなただけじゃなくてみんな似たような環境で他に仕事しながら制作してるんだから・・ようは、その彫刻が良いか悪いか、ソレだけでしょ」と、ピシャリ言われたことがある。
その時は「クソ、コノヤロウ・・」と、自分の甘さを棚に上げてムッときたが、あとになって帰りの夜行寝台でチビチビやりながら思い直してみると、確かに言われたことももっともなことで、自分の彫刻制作に対しての認識の薄さに気づいた。

とにかくどんな事があっても他の事情と彫刻のことを区別して混同しないようにしようと肝に銘じてから、カレコレ35年が過ぎた。毎年何かしらの出来事が彫刻制作に絡んできて、なかなかしんどい時もあるが、なんとか今まで良いも悪いも含めてそれなりに自分で納得しながら彫刻を造ってきた。上野から六本木に展覧会場が変わった時、自分の彫刻は六本木の美術館にそぐわない気がして下見に行ったことがある。それでこれをキリに公募展を辞めようかと思ってもみたが、結局ナンダカンダいっても公募団体展へ出品する彫刻は1年に1作しか制作しないわけだし、10年続けてもたかだか10作の彫刻しか残らない。自分のテーマを追求して苦悩して悶々と掘り下げているとしても「たった10作の彫刻で何が語れてどんな方向が見えるのか知れたものだ・・・」そうも思えるところもあって、何かしら撤退というより敗退という気もして「ソレもイヤだな・・」と今まで続いた。
最近は坊主メインの彫刻制作になりつつあるが、ソレも宿命だし、きちんと区別して言い訳がましい彫刻にならないようにしたいものだ・・・といって、どうもこのところ坊主と彫刻は混同というより合体という感じになってきた気もするなぁ??・・・

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柿の色づく頃 

2019/10/23
Wed. 17:17

秋のスズメバチがしきりにミツバチの巣を襲撃している。
巣を追い立てられたミツバチたちの羽音が境内まで響いて聞こえる。
なんとかしてやりたいと思うが、コレばかりはどうすることもできない。
境内の石垣から土蔵の床下あたりにかけてミツバチが巣を作ったようで、石垣下の用水路脇を草刈りをしていると、何年か前からそのあたりでしきりにミツバチが飛び交っていた。
今年はその巣もついにスズメバチに見つかってしまった。

六本木の展覧会で陳列作業をすませて島根へ帰ってから、それまで台風や彫刻制作で途絶えていた寺の作務を再開した。
作務といってもほぼ全てが秋の草刈りの野良仕事。
元々寺の田圃だったところを畑に切り替えたあと、母親の俊江さんが元気だった頃は毎年耕し続けて季節の野菜を育てて収穫をしていた。
それから何年かのうちに俊江さんは腰が曲がって身体が思うように動かなくなり始めると、畑の半分を使って花の木を植え始めた。
最初の頃は毎年時期になると自分で剪定をして、それなりに見事な花を咲かせていたが、それも永遠に続くわけもなくて、身体が動かなくなって畑へ降りることができなくなると一気に蔦がはびこって人手の入り込む隙間も無くなった。
一度、俊江さんが畑の野菜も少しずつ自分で面倒を見ることができなくなって来た頃に、少しでも助けになればと草刈り機を振り回したことがあった。そうしたら「大事に育てている花木も一緒に刈り倒されたら嫌だ!」から「いらない手出しをするな!」と小言を言われた。
親切のつもりで始めたことに小言を返されるのも良い気がしないし、それ以来、何年も見て見ぬふりで母親の世界へ踏み込まないでいたツケが、この近年重く自分の肩と腰にのしかかっている。

春に俊江さんの三回忌を終わったら「さすがにもうそろそろ自分の思うようにしてもいいだろう」とあれこれ思案を巡らせていたら、なんのこともない、5週間の入院騒ぎで出鼻をくじかれた。
もう、こうなると自分の意地のようなものもあって、とにかく年内に少しでも俊江さんの花木を根絶やししようと励んでいるところだ。
もう5リットル入りの油缶へ2回ほど給油したが、未だに先が見えなくて遠い。
そろそろ展覧会も終わるし、今度は搬出でしばらく留守にするし、ソレが終わると石見銀山で小品彫刻展がはじまって、徳島の野外彫刻展の搬出もある。

だいたいが年中ヒマにラクにマイペースで過ごしているところなのに、さすがに今年は少々忙しい。
長い人生、たまにはこういうこともあるのだろう。
一汗流した後の麦とホップを楽しみにすれば、ナンダカンダいっても酒が旨い!と思って飲めているだけでもありがたいこと・・・ではある!

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共同搬入 

2019/10/15
Tue. 23:16

台風19号が東日本一帯へ大きな被害の爪痕を残して去っていった。
島根県はおおむね台風被害の少ないところで、災害と云うと梅雨に絡んだ豪雨とか冬の大寒波豪雪の方が多くて怖い。
この度の19号も直接の被害は受けなかったが、それでも強風がかなり吹き荒れて山陰道の通行を躊躇するくらいだったし、主要街道から少し脇道へそれると、倒木があったり土砂が側溝を塞いでいたりしていたから、今回の台風は日本列島をすっぽり覆うくらいの超大型だったということを我が身で実感した。

その台風が関東へ上陸すると予報されていた10月12日は、埼玉暮らしのなっちゃんが長男のユーシンくんと一緒に帰省中のだいたい半分くらい過ぎたあたりで、旦那が飛行機移動で吉田家へ合流することになっていた。
私の方は、朝から超大型台風の暴風の中を銀くんで移動している最中で「これじゃぁ〜飛行機は飛ばないな・・・」と、普通に確信した。
前日までは、台風情報をチェックしながら万善寺の境内地を中心にいつ終わるか予測不能の秋の草刈りに汗を流していた。その頃からそろそろ風が強くなっていて、時々吹く突風に刈った草が舞い上がっていたりしていたから、シャワーを使ったあと、寺の周囲で風で飛んでいってしまいそうなものの養生をすませてはおいたのだが、まさか関東を通過する台風の勢力が島根県の万善寺の方まで及ぶこともないだろうと軽く考えていたものだから、日本海から吹き付ける北風に煽られてフラフラしながら山陰道を走っていると、寺のことが心配になってどうも落ち着かないまま半日過ぎた。
午前中の用事を済ませて吉田家へ帰宅すると、なっちゃんは強風の吹く中、久しぶりに旧友へ逢うといって何処かへ出かけていた。
遅めの昼食をとりながら寺のことが心配だとワイフへ話したら「今更どうしょうもないじゃない。なるようにしかならないわよ」と、軽く冷静にあしらわれた。
無理して外へ出て何かあってもバカらしいし、ワイフの云うこともモットモだし、そのまま土曜日の午後を休息にした。
案の定、羽田や成田がらみの飛行機はほぼ全便欠航したようだし、地上の交通機関も運休を決めたようだった。

10月に入ってすぐ、六本木で開催される秋の展覧会へ向けて彫刻の搬入をすませた。
島根在住の彫刻家を中心に、吉田家の二人分も含めて5人分の彫刻を共同搬入した。
もう25年位は一緒に制作して搬入出を続けている周藤さんは今年も力作を持ってきた。
子育てが落ち着いて制作活動を再開したノリちゃんも、この2・3年前から制作に欲が出て来たようで、年々彫刻が面白くなってきた。
いろいろな事情で個人出品の苦労をしていた四国の作家も今年は共同搬入へ合流した。
吉田家は、ワイフもボクも相変わらず幾つかのドタバタを乗り越えて、まぁ、それなりの彫刻に仕立てて共同搬入の頭数に加わった。
毎年ダレカがナニカのコトで一波乱ある共同搬入も今年は何時になく穏やかに過ぎた。
台風の直後には六本木の陳列展示作業がある。コチラも穏やかに何もなければいいけど・・・その前に、台風直後で島根から無事に上京できるか、それが心配だ。

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ブログ再開 

2019/10/14
Mon. 11:11

飯南高原の朝は気温13℃・・・
つい先日は、10月になったばかりで30℃を越えた日もあったのに一気に秋が深まった。

ブログから遠ざかってもう1ヶ月になる。
その間、ネタの写真が溜まりすぎてラップトップのディスプレイが収集つかないほどに散らかってしまった。
そんなわけで、ちょっと本気になって写真の整理も兼ねてブログ再開を決めた。

実は、皆さんご存知のように、現在身体の右側を中心に首筋から肩を通って指先までの痺れが続いている。
ボク自身の不摂生と不養生でこの10年近くの間にジワジワと頚椎の不具合が進み、やがて神経を圧迫するようになって、彫刻の制作中にある日突然右手の握力がスッと消えて無くなってスプリングクランプを握ることができなくなった。
さすがにそのまま放置してしまうと彫刻が造れなくなってしまうことになるから病院嫌いを断念して近所の整形外科へ駆け込んだのが昨年の年の瀬のこと。
ドクターの問診に症状を説明したら、なぜか首と腰のレントゲンを撮ることになった。
具合がわるいのは右の腕から指先までのことなのに「どぉ〜して首と腰なのかなぁ〜〜?」とよくわからないままレントゲン撮影をしてしばらく待っていると、二回目に診察室へ呼び出された時には、現像を終わった首と腰の骨がバックライトに照らされていた。
「このままだと、そのうち立てなくなりますよ・・・腰はもう少し持ちそうだけど、首はもう限界を越えてますね。手術するしかないでしょう!ここでは無理だから、手術のできる病院へ紹介状を書きますね。それでいいですか?出来るだけ早くそちらへ行って検査してもらってください・・・よく、こんなになるまで我慢できましたね・・」
「そぉ〜ですかぁ〜〜・・・今はチョット忙しくて・・・」
「検査だけでも急いだほうが良いですよ。年内が無理なら年が明けたらすぐに詳しく見てもらったほうが良いですよ。いずれにしても、手術は避けられないでしょう・・・」
「それじゃぁ〜、正月が落ち着いたら行ってみます・・・」
・・・とまぁ、そんなヤリトリがあって、春に入院して平成から令和に元号が変わるのを病院で過ごした。

手術しても痺れはとれないと言われていたから、ソレはそれとして気持ちの中ではゴクリと飲み込んでいるが、なかなか身体のほうが上手く慣れなくて、夜中になると首筋からの痛みが気になって眠れなくなるものだから、何回目かの通院の時にソレを言ったら「じゃぁ〜この薬を出しておきますね。飲み終わって無くなってもまだ痛くて眠れないようなら近所の病院で処方してもらってください」と60日分もらって帰った。
ソレがそろそろ無くなりかけているのだが、その薬を飲み始めたら、夕食が終わって夜の早いうちからすぐに眠くなって、調子の良い時は朝の4時位までグッスリと眠れるようになった。
ようするに、このブログを書く時間を削って爆睡しているわけであります・・・

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スポーツばぁちゃんと自堕落親父 

2019/09/17
Tue. 11:31

怜子さんはワイフのお母さんである。
ワイフのお父さんで怜子さんのご主人の清さんは、何年も前に病気で亡くなっているから、今は自宅で一人暮らしをしている。
毎日のように午後から近所のスポーツクラブへ出かけて、夕方暗くなるまでジムで汗を流し、シャワーをつかって帰る。
だから、80歳を過ぎた今でも十分に体力もあるし、とても元気だ。

三連休の最終日は敬老の日だったから、関東で暮らす孫の(吉田家)3姉妹が怜子さん宅へ集合しておばあちゃんの敬老を祝ってくれた。
長女のなっちゃんが今年の4月に長男を生んだから怜子さんは曾孫を見ることが出来た。
日頃は一人暮らしで気楽にしていられるから、こうしてたまに孫たちが訪ねてくるとそれなりに気を使うようで数日前からワイフと色々何をしようか電話で相談していたようだ。
ワイフの助言もあって、自分の敬老をしてもらうのだから、孫たちに一切を任せておけばいいだろうと云うことで決着が着いたようだ。

私は毎年秋には東京で展覧会があるから、作品展示の作業などで上京する。
それに合わせてスポーツクラブで忙しい怜子さんの都合を問い合わせながら自宅を訪問しているのだが、やはり無骨な男が訪ねることが怜子さんの負担になっているようにも感じて、コチラの方も少し遠慮気味になる。
一人暮らしのマイペースな気楽さに慣れてしまうとそういうものなのかもしれない。

ノッチも最近ジムの会員になったと言っていたし、母親である怜子さんを見習ってか、先日からワイフまで自宅から車で30分は走った先にあるプールとジムを併設したスポーツランドへ「一週間に一回は通おうと思ってるの!」と言って通うようになった。
プールの中をウォーキングしているようだが、今の処、特に痩せてきたとか、身体が引き締まってきたとか、そういう変化も見た目ではわからない。見た目のことよりも健康でいられることを重視しているのかもしれない。

私は、だいたいに運動とか汗を流すとかが嫌いな方だから、行きつけの病院でドクターから運動を命令されたとしても、ノラリクラリと適当な言い訳などしながら誤魔化して、結局運動で汗を流すようなことはしないような気がする。
あんまり神経質になっているわけでもないが、強いて言えば炭水化物の過剰摂取だけは慎もうと注意している。
それでなくても坊主家業を続けていると、年間通してお餅が耐えることなく冷凍庫で眠っているし、お供えの素麺はもう夏が過ぎて秋になってもまだ一昨年のお盆でお供えした三輪素麺が手付かずでネズミのつまむ気配もないまま台所の冷暗所で眠っている。お米は古々米を小分けした袋がまだ3つ分ほど米びつ代わりの冷蔵庫でピクリとも動かないまま鎮座して、そろそろ古古古米になろうろしている。
もともと、そばとかスパゲッティとかピザとかパン類とか、そのあたりの炭水化物は好きな方だから、それを我慢することだけでも自分では上出来だと思っている。

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2020-01