工房むうあと鉄の手仕事
鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。
沈む太陽
2012/05/22
Tue. 06:59
どちらかというと、正しい姿勢でイスに座ったり正座したりすることを避けて、坊主としてあるまじき姿勢を好む吉田としては、関係諸氏の長話や一見熱心と思われる議事進行などはどうでも良かったりして、出来たらゴロリと横になってしまいたくなります。
というより、吉田ごときがあれこれ口出ししても会議が踊るどころか停滞してしまうことにもなりかねないので、ひたすらじっと無口を通して、なおかつ眉間にしわを寄せながら爆睡しないように体勢を維持しつつ真剣に考えているフリをし続けることに集中する・・といった涙ぐましい努力をしたりしています。
何時何処でどのように仕入れたネタか、全く思い出すことが出来ないのですが・・嘘か真か真意はさておいて・・
あの武田信玄は、領地の支配や戦の戦略など、会議を招集しなければいけないときは、先ず、必要数の膳を用意して、旬のものと酒を揃え、若干の世間話と適度にアルコールが一巡した後、ゴロリとみんなで横になって、肘杖やほう杖などくつろいだ姿勢になって本題に入ったという事です。
上座下座の区別なく、同じ目線でリラックスしながらそれぞれの思いつきを出し合うことで、名案も出て遺漏のない煮詰まった話し合いになっていく・・のだそうです。
残念ながら、吉田は未だにそのような状況に遭遇した事もないし、これからも期待できないと思いますが、会議を避けて通る事の出来ない関係諸氏は、一度試してみる価値がありそうな気もします。
いずれにしても、夢のような話はさておき、こちらは現実世界の総会、それも宗門の会。
東堂老師から引き継いで私がこのような会に出席するようになって2年目になりますが、未だに慣れないまま出席の諸先輩方の失笑をかったりしているところです。
始めの頃は、万善寺の仏事なども含めて逐一報告やら相談やらしながら宗門や檀信徒の皆さんとお付き合いしていたのですが、それらの一つ一つに我が身が行動するがのごとく微に入り細に入りの心配がおかみさんと一緒になって続くので、最近はむしろ何も知らせないで、自分の胸一つに収めようと考えるようになりました。
彼らの心配の種類は2通りあって、東堂さんのほうは、自分の記憶がワープすることを認識しての心配。
おかみさんのほうは、東堂さんを気づかって自分がしっかりと采配しないと私が困ってしまうだろうとの取り越し苦労。
年度変わりの何かと横のつながり強化を求められるこの時期、万善寺事務処理の停滞が彼方此方の皆様方にご迷惑をおかけしている事もあって、気が重くなる事もしばしばです。
さて、そんなことばかりもいっていられないので、これから気持ちを入れ替えて、改良衣に着替えて石見銀山を出発。
・・・・・そして・・・・
総会のほうは、さすがに日ごろのお経とお説教で慣れた渋い声に含蓄ある語りがひとしきり続いて時間通りに終了。
帰りの西の空には、金環食で大忙しだった太陽も、世紀の大イベントの大役を終わって、静かにゆっくりと沈みはじめていました。朝からどれだけ写真を撮られたのでしょうか?
まさか、夕日になって日本海に沈むところまで撮られてしまうとは思ってもいなかったんじゃないですか?おつかれさん。
海辺のほうは、やっとしろかきが終わってこれから田植えが始まります。
水がそろそろ引き込まれた水田がオレンジ色に染まって、それはそれでなかなか美しい風景でした。

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石見銀山現代彫刻小品展ポスター完成
2012/05/21
Mon. 09:20
「なまけもの」のごとく毎日のらりくらりと過ごす長男じゅんくんが、何と朝の6時半にドタバタと家を飛び出したりしたので何事かと思ったら、ワイフが、
「金環食見るんだって」だって・・
彼の場合、どう考えてもそんな趣味は持ち合わせていないから、どうせ親よりも大切にしている友達の誰かの趣味に合わせて金環食に付き合っているのでしょう。
私の場合、金環食というと、天体ショーより先に思い出すのが、石川達三さんの原作と、山本薩夫さんの映画ですね。
あの頃は、高校を卒業して宙ぶらりんの浪人を過ごし、受験のウエーブに乗っかって運良く大学に合格した・・吉田にとっては人生の運のほとんどを使い切った時代でした。
日本の運命は、あんな強欲人共に握られているのかと、一波乗り切った勢いもあって社会不振も倍増していました。
どちらかといえば、浪人時代とシンクロした深作欣二さんの「仁義なき戦い」の連中の方がずっと正直で純粋だと思ったりもしていました。
それから約40年近くたって本物(?)の「金環食」を見て世間が盛り上がっているということを、ジジイに近いオヤジがまたまた斜めの方から見てしまっていたりして、なんだかんだ言って、未だに日本はどうもうさんくさい奴らに仕切られっぱなしだなあと思ったりしているところです。
結局私には、国民の血税を食いつぶして肥え太っている連中が同じ穴で蠢いているようにしかみえないのです。
どうせ徒党を組むのなら、もっと前後左右や上下の関係など越えて純粋に表現の自由を追求し続けることで寄り集まるほうが良いと思うのですが、それも、なかなか周辺のいろいろな事情が邪魔して難しいのでしょうね。
だいたいが世間のグレーゾーンで曖昧に暮らしている吉田には、あまり複雑に込み入っているおつき合いの中で白黒はっきり使い分けながらお付き合いすることは苦手なほうなので、ひとまず自分で出来ることを一つずつ片づけていこうと思って暮らしている次第です。
そのようなノリで完成した今回の石見銀山での現代彫刻小品展ポスター兼用チラシでございます。
隅から隅まで良〜く目を凝らしてごらんください。
全国から、40名以上の彫刻家に80点近くの小品彫刻を出品参加いただくことが出来ました。
島根の片田舎にこれだけの作家と彫刻が集まった無料で見ることの出来る彫刻展は、前代未聞でしょう。そうめったにないことです。
だまされたと思って、まずはいらっしゃいませ。

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ネコ事情
2012/05/20
Sun. 01:34
その間、猫はどんどん食欲を増し、モリモリ食べ、当初の弱体は何処へやら、今ではブクブク(まるまるかな?)太って、うんこも日増しに太くなっています。
顔の造作は相変わらず鼻を中心にもろもろのパーツが真ん中へ集まって、耳だけが変に離れて頭の側面へくっついています。
毛並みは中途半端に長いのと短いのと曖昧に入り乱れて相変わらずボサボサ。
シッポは私の小指ほどもなく短くて、途中で若干折れ曲がっています。
手足も太くて短くて、走るとガニ股(もしくはO脚)になります。
そうそう、何時もお世話になっている保険のお姉さんが犬猫に詳しくて、この間、ワークショップ期間中傷害保険の打ち合わせをした時に新参者の猫がオスだと判明しました。
それが分かってから、しおらしく育ててもしょうがないと、一転ハードに鍛えることに切り替えました。
数日前から猫キックと猫パンチ強化に向けてトレーニングを始めました。
我が家のあちこちでまき散らしていたソソウも、1日に1・2回程度まで改善し、トイレのしつけもあと一歩といったところです。
何れにしても、永眠した老犬の「血統書付き石見銀山犬」同様、新参者の猫も「血統書付き石見銀山猫」であることは間違いなく、そこそこガサツに飼っても文句無いだろう位の気楽さが私好みではあります。
この度やってきた猫は、私の猫歴3.3回目。
0.3は、最初のタマちゃんが生んだ3匹の子猫。
初代のタマちゃんはとてもチャーミングでしおらしくて色気があって利口な猫でした。
もともと野良猫だったのが、あるときフラリと私の6畳へ入り込んでそのまま居着いてしまったのでした。
食事の時はこれもまたフラリと出かけて、寝る時やくつろぐ時や、私に甘える時だけ6畳へ帰ってきました。
だから、彼女へ食事を出したことは一度もないし、彼女が6畳でソソウをしたこともないという、とてもクールな付き合いでした。
そんなタマちゃんのお腹がだんだん膨らんで妊ったことが分かった時は正直複雑でしたが、その相手が誰か分からない子の出産は、6畳唯一の暖房器具電気ごたつの中でした。
猫は、お産を人に見られると自分の生んだ子を食べてしまうと聞いていたので、産気づいたことに気がついて、あわてて外へ追い出したりしたのですが、何度もすぐに帰ってきてこたつに潜り込もうとするので、仕方がないから結局運を天に任せてお産に立ち会うことにしました。
初産でお産に慣れていないタマちゃんのすがるような目を見返しながら前足をしっかり握ってやって、結局3匹生まれるまで2時間半かかりました。
その後しばらくして、大家さんが自宅の改築に併せて6畳を取り壊すことになって、それを察知したのか、結局タマは子供を連れて私より一足先に何処かへ引っ越して帰ってこなくなりました。
2回目は、島根に帰ってから飼い始めたオス猫のtama Jr. special two。
生まれた子猫を持て余していた知り合いから仏心でもらった猫でした。
このオス猫とは一緒に3回引っ越しをするほど長い付き合いでしたが、1度喧嘩に負けて太ももを負傷したりしてから、少しずつ喧嘩の場数を増やして次第に強くなり、引っ越すたびにその界隈のボス猫に君臨するまで成長した強猫でした。
シャンプーが嫌いで、結局フラリと飛び出してから帰らなくなって、そのままになりました。
その後何年もして、近所のツー・バイ・フォー2階建ての窓際でひなたぼっこしている黒猫がやたらtamaに似ているので、「タマ〜〜!」と読んでみましたが、ちらりとこちらを見ただけで、あとは無反応。
その猫が、その後のtamaだったかどうかは、いまだに真相は謎です。
そして、現在の新参者になる訳です。
ちなみに名前はまだ「ネコ」のままです。
ワイフは「ネコちゃん」といっています。「はやくネコちゃんに名前をつけなさい!」と、キーポンをせかしています。
私としては、もう「ネコ」でも「タマ」でもいいような気もしますが、今のところ却下されています。

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石見銀山ワークショップお知らせ第1弾
2012/05/19
Sat. 11:59
「ん?」
「だから、前の軽ぬかして!」
「はっ?」
印刷屋のおにいさん(すでに子持ちだけど・・)が、わざわざ遠路今回のワークショップと彫刻小品展の刷り上がったチラシを持ってきてくれて、ひとまず昨夜は、そのうち100枚ばかりをセッセと二つ折りにしたり、それをまた、3長型封筒用に三つ折りにしたりして、気がつくと午前2時。
少し冷え込んだので、爆睡中のキーポンを抱きつき枕代わりにしてヌクヌクと就寝。
あいもかわらず似たような何時もの朝を迎え、吉田家の姫を送って何時ものノリで高校まで行ってきました。
だからあと10分早く起きたらすむことなのに、これが出来ません。
本日は、終日部活動。あと少ししたら合宿が始まります。
学校の先生も休みなしで他人の子と付き合って、自分の子供の子育ては大丈夫なんでしょうかねぇ・・
他人事ながら心配になってしまいます。
本日のワイフの方は、家族を養うためにアルバイトへ出かけてくれています。
現代彫刻小品展絡みのワークショップ広報活動も、あと1週間でひとまず区切りをつけてクラフトの制作に入って、高熱水費を捻出しないと家族に追い出されてしまいそうです。
私は、大判コピーのB1が刷り上がったとの連絡が入って受け取りに出発。
何時もお世話になっている写真屋さんで美味しい1杯のコーヒーをいただきながら大話をこいて小休憩後、これも何時も面倒がらずにお付き合いしていただいている看板屋さんでラミネートをお願いして、お昼前にわが家の書斎へ滑り込みセーフ・・といった感じで半日が過ぎたところです。
さて、その完成したチラシは、いろいろ工夫した結果、両A面(この言い回し・・まだ使われているのだろうか?)の「二個一」チラシとしました。
メールアドレスをお持ちの現代彫刻小品展出品彫刻家の皆様には、その旨をメールでお知らせしてありますが、経費削減のためそれ以外の作家の皆様へはでき上がったチラシを含めあれこれのお知らせを同封して、来週にはお手元へ郵送させていただこうと思っています。
ワークショップの方は、世界遺産石見銀山のすぐ近所にある福光石採石場を取材させていただいて、撮り溜めた100枚以上の写真の中から適当な1枚をメインに使わせてもらいました。
その採石場は、古くは室町の頃から採掘が続いていて、江戸期の手掘りのノミ跡をチラシに使ってみました。
現在でも稼働していて石見銀山遺跡の保存修復には欠かせない石材になっています。
今回のワークショップは、その福光石を彫刻の素材として見つめてみようというのが隠された狙いです。
現代彫刻小品展のチラシの方は、これも石見銀山地内の銀山地区にある、今は無住になった空き寺の裏にくり貫かれた石窟を使わせてもらいました。
石見銀山でのこのような世界遺産がらみの取材や資料の使用は何かと規制があって、今回のチラシのように広く世間に知れ渡るような印刷物などを作るときは、結構あちこちに手配したりお伺いをたてたりしてなかなか厄介です。
・・・といっても、あとになってア~ダコ~ダいわれても、あとのまつりで「ごめんなさい」とあやまるしか方法がないわけですが、メディアの皆さんのお世話で広報活動などをしようと企んでいるところもあるので、そのあたりは出来るだけ摩擦が起きないように慎重に動くことも大切です。
そんなこんなででき上がったのが今回のチラシです。
そのうち、ひょっとしたら皆さんのお手元へ届くかも知れません。
もっとも、このブログをどなたが見ていらっしゃるかは当方で知る由もないわけですが・・
まずは、第1弾としてワークショップの方から貼り付けておきます。

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水田風景
2012/05/18
Fri. 10:10
気になる数値はやはり薬をやめると上昇していて、主治医さんは複雑な表情ですが、本人は薬を飲まない気楽さで体調もよろしいようです。
今後、服用を再開するとしたら今より効果があるが副作用も強くなるという薬の服用を検討してみましょうということで診察終了。
最近の東堂さんは、私と主治医さんの判断に我が身をゆだねているようなところがあって、それはそれで、こちらとしても意思決定の難しさに気が重くなったりして、そのあたりを客観的にクールに乗り切っているドクターの皆さんの心労も並大抵でないと思いつつ、一方でそのくらいの心臓の強さを維持しておかないと、医者の重職も勤まらないのだろうと思ったりもする1日でありした。
東堂さんを寺まで送り届けていると、一天にわかにかき曇って、雷も鳴り始め、大粒の雨も落ち始めたりして来ます。
注文していた鉄材が届く日でもあるし、雨に当てると後が厄介になるので、あわてて石見銀山へ帰路を急ぐことになりました。
結局、途中大きな天候の崩れもなく、無事に鉄材の始末をすることが出来たのですが、ちょっと前まで寒い日が続いていたかと思うと、夏の夕立のような天気になったりして、今年の島根県はどこかおかしい感じです。
寺の周辺は、それでも田植えが終わって春の農繁期は峠を越えた様子。
あぜ道を水当てしながら歩いているお百姓さんを見かけると、また今年も1年かけて稲の成長と付き合っていくのだろうと、人事ながら気の抜けない農業の大変さに頭の下がる思いです。
この間も、冬の雪深いときに年回法要を済ませた後、塔婆の墓参は雪が解けてからにしようと後伸ばしになっていた施主さんから連絡が入って、しろかきが終わって田植え前のある日、墓参勤めに行ってきました。
もろもろおつとめも終わって、あぜ道を通って墓参が終わって、お茶の一息。
「去年から今年は田の水がありませんでねぇ〜」
「そうですかぁ〜。雪も多かったし、水で困ることないでしょう?」
「それが違うんですがぁ〜・・栄農(組合)さんがつくっとられる田んぼは稲やら豆やら連作せんように使い分けられますけぇね〜。豆の年が間に入ると田んぼが透いて水が抜けていくんですがのぉ〜」
「そういやぁ、栄農さんが増えましたねぇ」
「まぁ、わしらもじねんに年とりますけぇねぇ〜、昔のように家族で田んぼしよう思うても若いもんは勤めがありますけぇねぇ〜。休みん時に仕事手伝ってもらうぐらいしか、しょうがありませんがぁ〜。そがぁ〜なことばっかりで、自分の田んぼを栄農さんに任せることが増えましたがね。栄農さんは谷水のようすがどがぁ流れとるか関係ないですけぇねぇ・・。うちの田んぼなんか、この谷の一番下ですがぁ〜。いつまで待っとっても水が透いて溜まらんで困りますがぁ〜。ほかの田んぼでつくった米と混ざったようなものを後から分けてもろうても田んぼつくった気になりませんがねぇ。やっぱり念入りに育てた米は、味が違いますけぇね〜」
ようするに、農家の皆さんも高齢化が進んで、農協絡みの外郭団体とでも言いましょうか、そういう耕作代行会社の方へ自分の田んぼ作りを預けられる方が増えたということです。
日本の農業も昔に比べるとずいぶん機械化が進み、棚田のように機械の入らない所は猛スピードで荒れ地に変わって行きます。
一度草を伸ばしてしまった田んぼは3年かけないと元の水田に戻して使うことが出来ないのだそうです。
吉田の彫刻のように、構想3年制作3週間など、日本の稲作に比べたら屁の突っ張りにもならないカスみたいなモノです。

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吉田家事情
2012/05/17
Thu. 06:54
というのも、このところの彼女は13連続勤務。
何かと会社の事情があるにしても、そのような雇用形態を見て見ぬふりしている上司がいるとすると、現代社会ではちょっとヤバイくらいの問題になるかも知れません。
雇うほうも雇われるほうもなかなか厳しい世の中になったものです。
私のように、何をするにも右を見ても左を見ても上も下も斜めの方もだぁ〜れもいない単独行動の一人仕事で乗り切っていると、雇用関係の煩わしさなど全く存在しない気楽さもあったりします。
自分で仕事や用事を増やしているようなところもありますが、文句も言えませんし、言う人もいません。土日祭日関係なしにひたすら一つずつ用事を片づけるしかないような暮らしも、結局は自分の自由でやりくり出来るので、何かことが起きてもおおむね自己責任でやり過ごすことがほとんどです。
そのような暮らしぶりのオヤジの娘ですから、彼女が組織の一部で働くことが出来るほどの社会性を身に付けているだけでも、感心してしまいます。とてもよく勤めあげていると思います。
届いた写真メールは13連勤開けの夜の姉妹のささやかな飲み会風景。
次女のノッチの方は大学新卒就職決定率93%の中にあって、残りの7%に食い込んでいる強者であります。
オヤジの頃は、新卒就職決定率100%以上(?)の売り手市場の時代でしたから、それから30年経って、おおむね日本社会の景気が上向きに好転してきたのかなと思ったりもしています。
もっとも、オヤジの方も在籍高校進学率を下げて高卒浪人数%の仲間入りをしていた時期もあるので、偉そうに人のことをあれこれいえるほどの立場でもないのですが・・
ひとまず、なにはともあれ、久々のお休みを堪能してください。
ノッチも、いい年して友達の少ないお姉さんにつきあってくれてありがとう。
もっと近ければ、いくらでもオヤジが付き合ってやれるのですが、島根と東京では若干距離が遠すぎます。残念。
オヤジの方は、これから東堂さんの通院に付き合ってきます。
キーポンは中間試験最終日で、部活復活。
じゅん君は家にいるのかいないのか不明。
ワイフは朝早くから早起きの猫の「ネコ」に癒されて好機嫌。
仕付け中のネコは、朝からウンコやシッコをあちこちまき散らしています。
そして、石見銀山の空は雨模様。
昨日のうちに裏庭の草刈りしておいて良かったぁ〜・・
そんな1日が始まりました。

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黒い物体
2012/05/16
Wed. 10:12
私もまたまた在宅。
朝からメール確認をしたり、ワークショップの事務処理をしたりしていたらまたまた午前のティータイムがやってきました。
昨年秋にお世話になった兵庫県の三原谷のお祭り仕掛人のオネエサンから電話が入って、今年のアート部門打ち合わせの話しが若干進みました。
・・といっても、事務的な打ち合わせのスタートといったところですが、今年はデザイナーの黒田征太郎さんがこのイベントに参加するかもしれないというとこで、彼のスケジュールに併せて打ち合わせの日程が決まったようです。
たまたま、その日はお手伝いの仏事と重なっていて、さてさて、これからどのように日程調整しようか悩みどころです。
せっかくお声をかけて頂いていることですし、何とか都合をつけて兵庫まで行けたら良いと思っています。
ところで、ほぼ1週間前になりますが先週の今日、我が家に乳離れするかしないか微妙なあたりの捨て猫(もしくは迷い猫)が長男のルートを伝ってやってきました。
あまりにも小さいので、この先うまく育つかどうか微妙だったりして、家族(特にワイフ)の相性もあるし、あまり手間がかかるようならこのまま置いておくわけにはいかないと思いつつしばらく静観していたところです。
猫用離乳食やトップバリューの猫缶などもそこそこ食いつきが良く、この1週間の間に吉田家のそこここでシッコやウンコも平気で堂々とするようになって、我々の行く先々へチョロチョロついてくるし、ゴロゴロ喉をならしてくつろぐことも増えて来ました。
ひとまずもうしばらくは様子を見ながら我が家へおいておくことにしようと思っているところです。
もう何年も前になりますが、次女のノッチがまだ小学生だった頃、乳離れ前後のウサギがやって来たことがあって、このときは、飼育のかいもなく可愛い盛りの小さな命を守ってやることが出来ませんでした。
そんなこともあるので、私としてはあまり早いうちから情をかけることをしないようにしているのです。
長男のじゅん君は、「おとうさんだったらなんとかするだろう」と、その猫を連れて帰って来た後、早々と100円ショップで猫じゃらしなど買って来たりしています。
末娘のキーポンは、今のところマメにシッコやウンコや食べ物の始末などもしていて、すでに吉田家のペット感覚でかいがいしくお世話したりしています。
猫嫌いを言い続けていたワイフは、当初飼うのはダメダ!ダメダ!と言い続けていたわりには、インターネットショッピングで猫用ゲージを注文したりして、1週間足らずで既に猫にメロメロです。仕事から帰宅すると、「癒されたいのぉ〜」と、私の周辺で眠りをむさぼっている猫を抱えて自分の定位置へ連れて行ってしまいます。
結局はこれからアレコレ仕付けをしなければいけなくて、手放しでかわいがっているわけにはいかないのですが、ひとまず、19年の長寿を全うして永眠したジジイ犬に変わって今度は猫が同居し始めることになりそうです。
ちなみに、今のところその猫は「ネコ」とか「ネコちゃん」とか呼ばれています。
「吾輩は猫である、性別はまだ不明・・」ってかんじです。

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噂の湯治場
2012/05/15
Tue. 10:06
そんな時に限ってワイフ宛のメールが舞い込んでいたりして、まめにメールチェックをしない彼女に変わって内容の確認などして、取捨選択した中から急を要するものを伝えるなどして、指示をあおいだりして・・・と、少しでも忙しい彼女の助けになればと気を使ったりしても、今日ばかりはいつも以上に彼女の気持ちが高ぶっている感じだったので、ひとまず静観することにして彼女が出かけるのを待つことにしました。
私の方は、いつもの印刷屋さんまでワークショップや展覧会のいい加減な印刷原稿の送信をすませて仕事の狭間になったので、ワイフの朝の家事を引き継ぎました。
それも何とか片付けてやっと一息ついたところで気がつくと既に10時。世間では午前の休憩時間です。
PTA総会の代休日でそれこそ朝からゴロゴロしているキーポンがお昼過ぎから試験勉強に出かけるというので、それまでは散らかったデスクトップのファイル整理でもして、次の作業に備えておこうと昼までの用事を決めて、コーヒーをすすりながらキーボードをプチプチ叩いているところです。
そうそう、ワイフのメール確認をしている時に、彫刻仲間の周藤さんからメールが届いていたことを思い出して見直してみたら・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
吉田さんへ
今日 千原温泉に行きました。
こんな温泉が島根に有ったんだと感動しました。
本物ですね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そぉ〜〜なんです。
知る人ぞ知る、知らない人や興味の無い人にはカスリもしない天下の名湯「千原温泉」
人間の体温より若干低めのぬる〜〜い温泉なので、毎日がぬる〜く生きている吉田にはピッタリの温泉で、1時間くらいは平気で浸かりっぱなしが出来るのです。
何時行っても、県外ナンバーが駐車場に並んでいて、片道30分程度の近場の私など、何故か肩身の狭い感じがしたりしてしまうのです。
この間も、久々に湯入りにいったら、
「ワシんとこからじゃと、片道2時間かけて1時間ゆ〜浸かって、また2時間かけて帰るんじゃケェ〜ネェ〜。まぁ年に何回も来れませんがねぇ〜。そがぁでも昔に比べりゃぁ道がようなったけぇ、チィトは、はようなりましたがのぉ〜」
などと話していた湯治さんもあったりして、そんな会話を漏れ聞いたりすると余計肩身が狭くなった感じになって気が引けてしまったりするのです。
何故なんでしょうかねぇ。
そう思って過去を振り返ってみると、改良衣やツナギの作業着で湯入りに来ているのは、私くらいのものかもしれません。
先代から代替りして、今の温泉を切り盛りしているオネエサンは、時々海外旅行されたりしてとても行動的な方です。ホームページもきちんと作っていらっしゃるので、お暇な方は検索でもしてたどり着いてみて下さい。

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母の日は・・
2012/05/14
Mon. 09:51
その隙間風だらけの吉田家のさらに昼なお暗い四畳半が私のデスクワーク書斎になっているのですが、この間から高校生活初の試験週間に入ったキーポンが、チョロチョロ出入りして私のささやかで慎ましいデスクワークスペースを次第に占領しつつあります。
昨夜も結局夜中の2時前までグダグダゴロゴロしながら試験勉強らしきことをしていたのに、気がつくと勉強道具を周囲にまき散らしたままコタツに潜ってそのまま爆睡していました。
やはり、高校での勉強は中学校の頃のような分けにはいかないと、そのあたりまではオヤジとしても自覚して厳しくしつける必要を感じている一方で、私の書斎を明け渡すことになってしまうかもしれないと一抹の不安も感じている今日この頃です。
この時期恒例の学校行事というとやはり「PTA総会」
当日は丁度「母の日」でもあるし(ワイフは私の「母」であるわけでもないのですが)、少しでも母孝行になればと思って、半日ほど高校のPTA事業にお付き合いしてきました。
中学校は小規模校だったので、出席率がほぼ100%近くの好成績?でしたが、やはり高校ともなると3分の1以下に激減してしまうようです。
総会後のクラス懇談会では何とオヤジは私一人。
40人近い学級生徒がいるはずなのに、出席総勢10人に満たない保護者と担任の先生との懇談会は、若干名の筋金入り教育ママさんの爆走で30分がアッという間に過ぎてしまいました。
1年生に入学して2ヶ月も立たないのに、既に大学の受験勉強の話題になるとは世間知らずのオヤジの想定外でした。
久々に、厳しい世間の社会事情を実感させてもらいました。
展覧会やワークショップの印刷物原稿作成の合間を縫って出席した久々の会議でしたが、先行き不透明でなかなか予測不能な現在の日本社会で、入学したばかりの高校生とその親共々、将来の目標を見定めた着実で確実な進路保証を獲得するまでの熾烈なる戦いは、果たしてそこまでするだけの意義があるのだろうかと疑問を感じたのは私だけなのでしょうか?
私など、気がつけばあれも出来ないこれも出来ない、残るは絵を描くことのみ・・というところまで追い込まれてやっと進路が決まったりしたようなものです。
もっとも、あれだけ連日連夜、何十本もの画用鉛筆をすり減らして絵ばかり描いていると、それもそのうち飽きて来て結局はそのつまらなさから逃避する手段を探すようになって彫刻を造ったりしているわけですから、何をするにも、経過と結果はやはり幾分かのズレが生じてしまうようです。
一度しかない人生ですから、過去を振り返って後悔しないで歳をとっていきたいとねがいつつ、現在を生き続けているのが吉田の実態です。

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本多氏のワークショップ
2012/05/13
Sun. 08:47
連休が終わった後のポカポカ陽気につられて、何の気なしに冬物を一気にしまい込んで夏物と入れ替えてしまったので、少し肌寒い時に着る服が無くなって鼻水を流しています。
冷静に考えると、衣替えの時期はまだ先のことだし、若干先走りをしてしまいました。
彫刻展やワークショップの印刷原稿作成でキーポンに侵略されそうな書斎にこもって2日目になります。
色々考えた結果、今回の印刷物は今までのシステムと若干変えたものにしてみました。
印刷屋さんには何時もケチな仕事ばかりで申し訳ないのですが、経費削減もしないといけないし、助成金の使途は限定されているので、なかなか思い切ったことができなくて頭の痛いことです。
そんな中、先日終了した浜田での第1期現代彫刻小品展の記録写真がこども美術館のスタッフさんから届きました。
展覧会場の受付があって覗くことが出来なかったワークショップでの本多さんの様子などがはじめて分かりました。
本多さんとは長い付き合いのはずなのに、真面目な表情の彼を見た記憶があまり無かったので、届いた写真はとても新鮮でした。
今更ながらに彫刻家とはまた違った彼の実態を垣間見て、実力の幅広さを見直したところです。
第2期にあたる石見銀山での現代彫刻小品展は、島根県内在住の作家さんの出品が数点追加されることになりました。
滑り込みセーフで決まったところまではポスターやチラシの印刷に追加変更が間に合いそうです。
何れにしても、吉田のちっぽけなネットワークの輪が少しずつ広がっているようで目出たいことだと、勝手に一人で喜んでいます。
追加のお一人は坪内さん。
あの、福光石の五百羅漢さんを造った坪内平七さんと縁続きの方です。通信欄には、
「福光石で作ります!」とありました。

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ランクイン
2012/05/12
Sat. 10:41
ドラキュラのような暮らしを続けていると、次第にお肌も透き通るように白くなって来て、体力も衰えてくるし、良いことはありません。
紫外線や赤外線の効能を身をもって感じているところです。
この間、そのデスクワークを効率化しようと、キーポンの受験以来、明け渡していた書斎に帰り着くことも出来ないまま続けていた家庭内ジプシーを切り上げて、数ヶ月ぶりに定位置へ帰り着きました。
「さて、これで少し落ち着いて仕事がはかどるぞ!」と思ったのもつかの間、高校へ入学が決まって部活もひとまず慣れて来て、新しい友達も順調に広がり、念願の携帯電話も手に入って、良いこと続きのキーポンが、またも私の書斎へ侵入し、アッという間に自分の持ち物を散らかし始め、気がつくと、しだいにオヤジの定位置が侵略され始めています。
そんな悪条件の書斎ですが、キーポンが学校へ行っている間と、家族が寝静まった深夜はそれなりに仕事もはかどるので、やっぱり放浪の旅に出ているよりは落ち着きます。
文書作成の合間にインターネットをつついていたら面白い記事を見つけました。
「一度も訪問したことが無い都道府県ランキング」
何処の誰がどのような基準で決めたランキングなのか眉唾物の記事ですが、気持ちを切り替える程度の面白いネタではあります。
1位から10位までの中で、もちろん島根県は堂々4位にランクインしています。
その10位までの中で何と私が未だに訪問していない県は東北地方の2県しかありませんでした。
ということは、日本全国のほとんどの皆さんが訪問する機会の無い場所へ、吉田の場合はかなりの確率で訪問していることになります。
実に面白い結果が出てしまったものです。
その上、この度の現代彫刻小品展へ出品作家の出身県を重ねるなどして、限りなくマニアックな吉田基準で選出してみると、何と全てに引っかからなかったのは「秋田県」のみ。
目出たく?8位にランクインした宮崎県からは2名の彫刻家に出品して頂いています。
そのうちのお一人は、この度石見銀山の彫刻展でワークショップをして頂くことになった鬼塚さん。
彼は、小さな彫刻から巨大な野外彫刻まで、様々な彫刻素材を駆使しながらとても幅広く制作活動を精力的に続けていらっしゃいます。
せっかく遠路はるばる島根の片田舎まで来て頂くのですから、少しでも有意義なワークショップにしたいと思っています。
鬼塚良昭 「壁掛けの面」 2012年作
ちなみにランキングが気になる方はネットサーフィン(古い言葉じゃ!)でもしてたどり着いて下さい。

[edit]
福光石
2012/05/11
Fri. 11:24
片道15kmを朝夕2往復することになります。
都合良くワイフの出勤や帰宅時間と重なったりすることばかりではないので、だいたい半分ぐらいは私が送ったり迎えにいったりしています。
今日は、私がキーポンを送ってそのついでに市役所が開くまで駐車場でラップトップをつつきながら展覧会の事務処理などして、9時と同時に受付窓口で書類申請などしたら、それがなかなか思ったようにすんなり行かなくて、結局アテにしていた書類交付も却下。
その旨を高校担当窓口で伝えて善後策を相談していたら、今度はキーポン携帯から電話。
あいつは携帯使用を禁止されている学校から電話をかけています。
「検尿の容器家に忘れたから持って来てぇ〜」だって。
仕方ないから、そのまま自宅まで引き返して検尿探すも見つからず、狭い吉田家の彼女の立ち回りそうな場所をアチコチ探しまわってやっと発見。
不備だった書類申請のやり直しで市役所を回ってから高校事務へたどり着いたのが既にお昼前。
「子供が忘れた検尿を持って来たんですけど・・」と事務の窓口に伝えると、
「ちょっと待って下さい、今保健の先生に伝えますから」としばらく待たされて、結局、既に検尿の集配が終了した後だと分かって、この度の検尿は破棄。
いつもだったら朝メシ前に終了する用事が、気がつけば朝メシ抜きですでに昼メシ前。
失われてしまったオヤジの時間を取り戻すには、家族が寝静まってから深夜営業するしかありません。
そんなこんなで閑話休題。
石見銀山での現代彫刻小品展に併せてのプレイベントは、「福光石を使って彫刻(らしきもの)を造ってみよう」というワークショップをすることになりました。
福光石(ふくみついし)は火山灰が堆積して固まってできた凝灰岩で、島根県では似たような地層で採れる来待石(きまちいし)などと一緒に、昔から広く人々の暮らしに密着して多用途に重宝しています。
「福光」は、世界遺産の指定地域からすぐ近くにあって、そこでは今でも採石が続いていますが、時代の流れの中で少しずつ新しい素材にとって代わり、最盛期に比べると生産量は激減しています。
柔らかくて加工しやすいので、あらゆるものがそれで造られていて、今でもその名残が石見銀山の各所で見られたり、実際に使われたりしています。
ワイフも、一時期はその福光石を使って彫刻の小品など造ったりしていました。
私は、彼女の制作のかけらをもらって、クラッシャーで粉砕して、ポットミルで1週間くらいガラガラかき混ぜてパウダー状にしたものを陶芸の釉薬に調合して、器を造ったりしていました。
柔らかい石なので、磨いても光沢が出ることはありませんが、周りを映し込まない分だけ淡い色合いのわりに形がしっかりと見える感じなので、ワイフがよく造るような緩やかな三次曲面をメインの抽象彫刻にはぴったりの素材だと思います。
石見銀山には、その福光石を使った五百羅漢の彩色が残った石像があります。
江戸の頃は、石見銀山の幾つかの谷間に密集した住居と隣り合わせるように200もの寺院が点在していたと云われていて、羅漢像はその一つの羅漢寺前の岩をくりぬいた石窟に、当時の名工坪内平七とその一門が数年に渡って制作し、一体一体奉納喜捨したと云うことです。
今回のワークショップでは、福光石の持つ色々な魅力を知って頂きたいと思っています。
いろいろあってワークショップがらみの原稿制作に当てていた半日を取り返すべく、これから昼寝もしないで夜なべまでしてデスクトップとにらめっこです。
おっと、その前に朝昼兼用のメシを食べなくっちゃ・・・

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それから・それから・・
2012/05/10
Thu. 11:11
用事というものは重なるときは重なるもので、誰に頼むにも当てがあるわけでもないので、結局一つずつマメに片付けていくしかありません。
現代彫刻小品展のささやかなプレイベントとしてワークショップやフィールドワークを練っていたのですが、連休前からお願いしていた講師関係の手配がやっと現実味を帯びて来て、関係者の寝込みを襲うことも出来ないまま、苦肉の策の出勤直後朝礼間際の間隙を狙って仕掛けた電話攻勢がつい先ほど一段落したところです。
今日はこれから、例の?保険のオネエサンとコーヒーでも飲みながら傷害保険のうちあわせ・・・といっても、決して悪い企みをしているわけではありません。
ワークショップに参加の皆さんが、安全に楽しく彫刻制作に取り組んで頂きたいと切なる願いを込めて、このような地道な打ち合わせを繰り返しているわけです。
それが終わった頃に、印刷屋のお兄さんとまたまたコーヒーでも飲みながらチラシなど関係書類の安上がり印刷交渉・・・といっても、印刷代の値引き分は吉田のとろけた脳みそと、くたびれた身体の側面支援でお返ししたつもりになって、おんぶばかりしているわけです。
それが終わったらチラシ用のデータ収集でデジカメもって福光石の採石工場まで移動。
なかなかガードの固い堅牢な社長さんと福光石の石材提供のお話をさせて頂いたりしようと計画しています。
それが終わったら・・・などとスケジュールだけはどんどん埋まっていくのですが、なかなか予定通りに事が進まなくて・・・と、自分の事務能力の無さを吐露してもしようがないわけですが・・・
この度のワークショップのメイン講師として彫刻家の日原公大氏に相談を持ち込んだら、何と自分が引き受けてあげましょうと快諾を頂き、吉田がモタモタしているわりには、もろもろの周辺事情は比較的スムーズに進んでいたりします。
もちろん日原さんには今回の現代彫刻小品展へも作品提供して頂いています。
日原公大 2010年制作「雲を掴むような話より~息をしないで生きる方法の研究者あるいは?~」
やたらと長いタイトルには、作家の彫刻制作における熱き思いと永遠のテーマがたっぷりと詰め込まれているのです。

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年の差
2012/05/09
Wed. 08:53
彫刻展の準備でお世話が忙しい時なので、なかなかそのような状態の東堂さんを連れ出してやることも出来ないで気になっているところです。
寺へ嫁に来てから、脇目もふらないで寺一筋にアレコレを守り続けるおかみさんへは、「彫刻展で忙しいから・・」どうのこうのという本当の話しを漏らしてしまうと大騒ぎになってしまいます。
だからおかみさんの場合は、未だに私達夫婦が毎年ちょこちょこ彫刻を造って1年に何回もアチコチで展覧会をしているなどという実態は、ほとんど知らされていないまま今に至っています。
このような変則的な暮らしは今にはじまったわけではなくて、もうかれこれ30年以上は続いているでしょう。
別に私としては「嘘も方便」で嘘をついているわけでもなく、「黙して百を語らず」で、黙りを決め込んでいるわけでもないのですが、「彫刻」というものの存在意義を理解しようとしないおかみさん相手に、いくら事細かにその筋の世界を話しても結局は聞く耳を持たない状況が変わることもないようなので、「当たらず触らず」を通しておいた方が平和でいられるわけです。
現代彫刻小品展へは、それこそ80歳を過ぎた東堂老師夫婦よりもっとご高齢で、既に90歳になろうとしている、もしくはなっているほどの彫刻家が近年の力作を出品してくれています。
若い頃は学校の先生をしていらしたようで、多くの教え子を彫刻家として育てられたというような話しを漏れ聞いたことがあります。
その程度の情報しか知らないのですが、私は彼の木彫が昔から結構好きで、展覧会に出品すると彼の彫刻を間近で見ることも出来たりするので、それが楽しみの一つであったりします。
その彫刻家小島氏は、結構な大御所らしいのですが、彫刻展を企画した時に思い切って何の前触れも無く本人宛に開催要項を郵送してみたら、すぐに出品OKの返事が返って来たので、正直、若干ビビりました。
何処かしら、現代彫刻小品展が気に入って頂いているようで、初回の展覧会から連続で出品して頂いています。
一つの展覧会で出品者の年齢に70歳程の開きがあるというのもなかなか面白いことで、作風の違いやテーマの違いなど、とても幅広い彫刻が集まったように思います。
小島弘 2009年作 木彫 「母子愛」

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あの頃は・・その3
2012/05/08
Tue. 06:26
私の気持ちの問題なのでしょうか、この近年、どう云うわけか行動の方向が西へ偏って来ているようで、四国やら九州やら、もちろん中国地方やら、どうもそのあたりの地域をグルグル回っていたりすることが多くなりました。
島根県の片田舎で万善寺や檀家さん達のお相手をしながら暮らしつつ、彫刻の制作などしていると、まだ世間のしがらみにそれほどガチガチに縛られていなかった頃をフッと思い出したりすることが増えてきました。
ダラダラと続くいろんな用事に区切りをつけてフトンに潜り込んで眠りの淵をたぐったりしていると、何故か1年に数回は出かけていたあの頃の九州や四国の町や風景が、その時の出来事と一緒に思い出されます。
島根に帰ってから床屋へは一回も行ったことがないまま今に至っています。
2・3年前まではワイフにお願いして頭をあたってもらっていたのですが、彼女も暇なわけではないし、どうせ坊主頭のことですから自分でバリカンぐらい使えるだろうと、最近では益々床屋へ縁が無くなってきました。
そんな状態の私が、まだ40歳になる前に一回だけ四国は高知県赤岡の床屋さんへ入ったことがあります。
その床屋さんは、滝田ゆうの絵に出てきそうな何とも味わいのある外見で、入り口らしきガラス戸には、確か「裏の畑にいます」とかいったようなのどかな張り紙がしてあって、そのような風情にひかれて入ると、アルミダイキャストの電気バリカンがぶら下がっていたり、ガラス鏡の縁の銀張りが経年変化で剥がれていたり、小さな磁器製のタイル張りの流しがあったりとなかなかの店内風景。
その床屋さんをわざわざ教えてくれたのが、高知在住のデザイナー梅原真さん。
彼も、そのような風情の床屋さんが好きで、長年通い詰めているのだとか・・
もっとも彼曰く、「商売っけがなくて、昔何やってたか分からないような怪しい・・」オヤジの方が気に入っている様子でした。
九州へは、長崎だけは何故か縁がなくて足を踏み入れていないのですが、それ以外は、結構何回も出かけていて、阿蘇の辺りは東西南北何処からでもたどり着けるほど、道路事情も覚えたりしていました。
宮崎は野外彫刻の関係で数年間通いました。
鹿児島は、知覧の町並みが何とも整然としていて、20年ほど前の、世界遺産など話題のかけらも無い頃の石見銀山の猥雑でホコリっぽい雰囲気とはえらい違いだと、感動したこともありました。
などなど・・・そんなことをフトンの中で一つずつ思い出したりしていると、結局寝付けなくなってしまうのです。
井形さんの住む大牟田は、有明海に面して平野が続いているせいか、空が限りなく広がっていて、これも石見銀山とはかけ離れた開放感があったりするので好きな町です。
夜の居酒屋も、ちょっと大きめの田舎町らしい、どことなく中途半端な感じの雰囲気が吉田の飲み助心をくすぐったりします。
柳川へはまだ行ったことが無いのですが、一度は訪問したいと思っています。
他にも、有田や伊万里などなど、九州は飽きることがありません。
そのような下心もあったりして、九州の土地っ子彫刻家の皆さんとは親しくおつき合いをしたかったりするのです。
それにやっぱり、性格なのでしょうかねぇ・・何か気軽にお付き合い出来るんですよ。九州の彫刻家の皆さんとは・・
井形亮子 2012年作 「The Annunciation」 素材:FRP

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あの頃は・・パート2
2012/05/07
Mon. 09:38
この数年間は、5月の連休に法要が入ることも少なくなっています。
毎年の年回を繰り出すと、檀家数は少ないなりに、それでも幾つかの年回があるのですが、この近年、施主さんのご住所が分からなくなってしまったり、ご案内の通知にお返事が返ってこなかったりで、そういうことが繰り返されたり積み重なったりして、結局、少しずつ年回法要が減ってきているわけです。
永代供養というと、世間では色々な解釈があるようですが、万善寺の場合は、それこそ読んで字の如く、「子孫代々までご先祖様の供養をしていきましょうね」というふうに解釈していて、「祥月命日にはご本尊のお釈迦様といっしょにご命日のご先祖さんにもお膳や季節の旬をお供えしてお参りしましょう」と、それとなくお話をしているのですが、なかなか真意が伝わらないで流されてしまうことが多くなります。
これもひとえに坊主の力不足に起因するものと反省しています。
もっとも、我が身の日常の自堕落を振り返ると、説得力のなさは歴然として当然であるわけですが・・
それでも、若干の救いはこの度の永代法要。
その施主さんは他宗の方ですが、この度永代法要の仏さんの家系が絶えたあと、まんざら知らないわけでもないし色々お世話にもなった方だからと、50回忌が過ぎるまでは自分でお守りしようと心に決めていらっしゃったようです。
色々複雑な事情でそのようになったらしいのですが、自分の年齢も併せて考えると、とてもあと50年も生きられるわけでもないし、結局は100回忌の法要がくるまで自分の家系が続いているかも保証できないと、そんな状況の中での決断であったようです。
十二分にお気持ちの感じられる永代供養料の喜捨をありがたく受け取らせて頂きました。
非力ではありますが、これからは万善寺の位牌堂へお祀りして祥月ごとのおつとめをさせて頂きます。
そんな仏事の1日があったので、早朝のメールチェックでそのままになっていたなっちゃんからの写真メールの事情を本人に確認したら、何と夜遅くに仕事が終わってから、職場の仲間と一緒に江ノ島までドライブして、その時の写真だと云うことが判明。
メールが届いたのが朝の5時過ぎでしたから、ほとんど夜も寝ないで遊んでいたことになります。
思い返すと、私もなっちゃんと同じ年頃にはそんな風な暮らしぶりでしたから、まだまだ彼女も若いエネルギーが残っているようです。がしかし、私の場合はその頃、仕事も定職に就かないでそれこそ遊びほうけていましたから、既に社会人の彼女とはそこが大きく違うところです。
それでもオヤジだってそれなりに、悩み多き青春時代を悶々とすごしていたりした訳です。
社会人暮らしの悲哀を感じながら悶々と暮らす彼女にとっては、当然の如く時々の息抜きやガス抜きも必要です。
いっぱいいっぱいで頑張りすぎないで、現状を静観することもたまには必要ですよ。
↓
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
サザンビーチ行ったぜ!

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現代彫刻小品石見銀山展始動
2012/05/06
Sun. 06:28
その1日は、万善寺での年回法要があるので、これから準備をして石見銀山を出発です。
展覧会も、第1期を終了して連休前から大田市の関係各所に後援依頼などしながら事務処理を進めてまいりましたが、昨日、4月から待ち続けていた世界遺産がらみの助成確定の通知が届いてホッと一安心。
これで石見銀山で開催の現代彫刻小品展に経費上では何とかなりそうな目処がたったところです。
ひとまず吉田の夜逃げは回避できましたが、準備金を何処から捻出するか、次の問題が出てきてなかなか気の休まることがありません。
そんなわけで、アレコレモタモタしつつも、おおよそ次回展覧会のポスター原案がまとまってきました。
石見銀山地内にある今は無住になった「極楽寺」の石窟を背景に使わせてもらいました。
町民でもなかなかその場所を知ることがないマニアックなポイントです。
ひとまず、中間の状況報告としてご確認ください。
皆さんのお友達で、石見銀山の彫刻展に自分の力作を出品してみたいと思っていらっしゃるような方でもありましたら、どうぞご遠慮無くお誘いください。
ただいま、若干(5台くらい)ではありますが展示台に余裕があります。
この展覧会は、あくまでも島根県における彫刻文化振興が隠されたテーマであり、目標にもなっております。
作家の新旧や上下左右はいっさい問わない、お気楽な展覧会となっております。
いくらでも気軽にお問い合わせください。
それじゃぁ、これから改良衣に着替えていってきまぁ〜す。

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吉田家軒先の出来事
2012/05/05
Sat. 10:12
吉田はというと、1日だけお休みをいただいて、久々にワイフと水入らずの長距離ドライブを楽しんできました。
ポンコツ君もことのほか調子が良かったようで、何時になく走行距離が伸びて、チョット得した気分です。
この間から、次回に石見銀山である彫刻展の印刷原稿を作り始めていて、ポスターやチラシに使うデータを撮り溜めているところです。
しばらく曇りや雨が続いていたので、どうもシャキッとした写真にならなくて困っていたところ、連休も終盤になった本日、やっとそれなりの日差しが戻ってきたので、朝から飯も食わないで石見銀山町内を極楽寺まで自転車で往復して先ほど帰ってきたところです。
家を出た時は観光さんの人影もまばらだったのに、小1時間の取材が終わる頃には、自転車で町内をまともに走れないほどの混雑。
シャトルバスが到着するたびに、ドッと人の流れが押し寄せてきます。
ヨレヨレのハンドルワークでやっと玄関先へたどり着いて土間に自転車を引き入れて、パソコンへカメラのデータを移そうとしていたら、玄関口で「こんにちわぁ〜、すみませぇ〜ん・・」と誰かが呼びかけてくるので土間の方へ出てみると、玄関障子からのぞいている顔が逆光で真っ黒。
ご近所さんだったら何のためらいもなく、歩いて20歩ほどの細長い土間を居間の入り口までズカズカ入り込んで用事をすませたりするのですが、その人影はそれもしないまま、玄関口で「すみませぇ~ん」ばかり。
しかたないのでこちらから出かけてみると、
「あの〜、あそこにあるあれは何に使うもんですかぁ〜」と、私が造った彫刻を指差して質問。こういう観光シーズンには、そういう質問がしょっちゅう飛び交います。
「あれは、私が造っている彫刻です」と答えると、
「ちょうこくぅ〜・・・使うような物じゃないんですかぁ〜」
それから別の彫刻をベタベタ触って、ズリッと動かしたりして
「これはなんですかぁ〜」
「それも私が造った彫刻です」
「はぁ〜そうですかぁ〜・・特に意味はないんですねぇ・・」
「ちゃんと意味はありますヨ!」
「だから何するもんでもないんでしょ?」
「だから彫刻です。」
「はぁ〜、別にたいした意味がないんですねぇ・・」
「むむっ!・・・・」
「あんたの知ったことか!さっさと消えろ!ワシャ忙しいんじゃ!お前と付き合ってる暇など無いんじゃ!」・・・と云いたかったけど、ぐっと我慢して(ニコッと笑うまではいかなかったけど)玄関障子を閉めたのでした。
今まで、家の軒先へ置いていた彫刻が2つ無くなりました。
少し前までそこに置いてあった彫刻の底跡が消えないで残っていたりして、それで何となく気がつくのです。
「このやろう!」と気がついた時はムッときますが、
「別にたいした意味がないんですねぇ・・」と云われるよりずっとマシだと思います。
だって、持っていっても別に何に使えるわけでもない「彫刻」を、出来心でも持っていってしまうと云うことは、それなりに何かしら何処かしら気に入った何かがあったからでしょう。
誰が持っていったか知りませんが、末永く大切にしてやって下さいませ。
くれぐれも廃品回収や燃えないゴミで捨てないでね。

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日帰り萩紀行
2012/05/04
Fri. 06:23
そこでは、5月の連休に併せて「萩往還まつり」という地元手づくりの祭りを開催していて、今年がすでに9回目。
その祭りの仕掛人が生まれも育ちも明木(あきらぎ)の作陶家内村幹雄氏。
明木をこよなく愛する内村さんが、町民の皆さんに根気よく声かけを続け、今ではお祭りの期間中、山口県内はもとより、私のように島根県や中国地方など、全国各地からお祭り目当てのお客さんが駆けつけてくるようになったそうです。
その内村さんからお祭りのダイレクトメールが届いていて、
「初日で忙しくしているだろうなぁ・・」と思いながら、連休中でも部活動のキーポンを学校まで送り届け、その足で萩まで直行しました。
人ごみのなかで内村さんと出会うと、「これから市長さんの案内」とか、「明日は県知事さん」とか、大忙しの様子。
手づくりで始めた小さな町のお祭りが、数年間で山口県の注目を集めるまでに成長しているようです。
久しぶりに内村さんの器でも買おうと出かけたのですが、彼の方は自分の陶器を売るどころか、お祭りのお世話でそれこそ狭い町内を東奔西走、一時もジッとしていられないほどの忙しさでした。
一方、私とワイフはのんびり小一時間ほど町内をぶらついて、広島の呉で作陶暮らしの作家さんの小鉢や、下関でクラフト活動を続ける作家さんの小物などを買わせてもらいました。
帰りはワイフの「道の駅ショッピング」に付き合いつつ、のんびりとポンコツ君を走らせていたら、キーポンからお迎え催促の電話が入って、一気に現実の日常へ引き戻され、久々の夫婦水入らずの休日が終了しました。

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出会った人
2012/05/03
Thu. 04:26
そんな状況ですから、このたびの現代彫刻小品展へ島根県内から10名近い出品者が集うようなことは当初期待していなかっただけに、嬉しい誤算といっていいでしょう。
これも、ひとえに県内出品者のくちこみネットワークのたまものだと思っています。
今回はじめて出品してくれた松田さんも、そのくちこみで出品を決めてくれた一人です。
展覧会がはじまるまでメールの文字でお話をしていたのが、搬入と展示の時に始めて松田さんの方から声をかけてもらって、やっと文字と人物が合致した状態です。
当然彼の過去など知るわけも無く、もちろん彫刻を見るのもはじめてという無謀なノリで事務処理を進めていたのですが、結局は、彼を知っている作家が吉田を知っているというつながりがお互いの信頼の綱になったりしているわけです。
島根のような田舎で暮らしていると、このような出会いの機会はそうめったに巡ってくるわけでもないので、とても新鮮に感じたりして何かウキウキしてしまいます。
その松田さん当人は、礼儀正しくて、気配りも出来て、フットワークも軽く展示作業を手伝って頂いて、とても助かりました。
今回の出会いが、これからどのように変わっていくのか予測不能ですが、出来たら今後とも末永くおつき合いで来たら良いと思っています。
一人の人間が、社会の様々な環境や場面で働き暮らすことは、人それぞれ様々な生き方を強いられることにもなりますから、日々の暮らしの中でなかなか自分の思うように好きなことばかり続けていくわけにはいきません。
ある意味で、彫刻の制作はそのような日常の暮らしのひとつ外側に位置している「自分の仕事」というにはなかなか説明のしにくい曖昧な存在ともいえるでしょう。
松田さんにとって、自分の暮らしの中で少しでも「彫刻を造る」ということの優先順位が上がってくることを期待したいと思っています。
「〇〇の仕事をしている松田さんって、彫刻も造ってるんだって」ではなくて、「彫刻家の松田さんって、〇〇の仕事もしてるんだって」という感じになってもらうと松田さんの世界が広がると思うんだけど・・・余計なお世話か・・
もっとも吉田など、
「あの吉田さん坊さんなんだってぇ〜」
「へぇ〜、そぉ〜なの〜。でも、なんか彫刻も造ってるらしいよぉ〜」
「あぁ〜そぉ〜・・・それで、何してたべてるの?」
「さぁ〜、知らなぁ〜い」
といった状況ですから、偉そうなことを言える資格を持っておりません。
松田淳 2012年作「まいまい」 素材:楠

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彫刻の里帰り
2012/05/02
Wed. 09:09
鈴木さんとは、もうかれこれ20年以上になると思いますが、上野の都立美術館にお互い彫刻を出していた時に、少しだけお話をしました。
その後野外彫刻展にたまたま同じように出品していたりして、その時もほんの少し挨拶程度のお話をしました。
その程度のおつき合いですから、このたびの彫刻展もメールのやりとりだけで快く手持ちの彫刻を出品してもらったときは本当にありがたく感じたものです。
とにかく、図々しいというのか、世間知らずというのか、お気楽というのか、誰彼見境無く「これは!」と思った彫刻家や作家の皆さんへ、何の前触れも無く展覧会への出品依頼を送りつけるものだから、さぞかし不快な思いをしていらっしゃる方も多いと思います。
そんな状況で鈴木さんなど、ほんの世間話程度の会話しかしないで目の前を通り過ぎてしまっている何処かの胡散臭い田舎オヤジのお願いをよく聞いて頂いているものだと思っています。
私が見るのは本屋で立ち読みの狭い世界の美術雑誌程度ですが、その記事で時々見かける鈴木さんの彫刻を見ると、私などと違って、ひたすら彫刻一筋で活躍されている様子がよく伝わって感心します。
シンプルな形に凝縮された確かな表現力は、人の心を引きつける強さを持っています。
この度出品の鈴木さんの彫刻は、どちらかというと石の持つ硬質なイメージを感じさせないで、やさしく緩やかな春のそよ風を感じさせるような、情感あふれる石彫になっていると思いました。
鈴木典生 2012年作 タイトル:GLOBE 材料:黒御影石

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あの頃は・・
2012/05/01
Tue. 09:28
10年間の東京暮らしを切り上げて、中古の赤いシビックに何年も大切に育てていた観葉植物の鉢を他の荷物の間へ何とか無理矢理詰め込んで、当時、結構上等だった6畳のカーペットを戦車の大砲のように屋根へ直接縛り付けて、とにかく二人分のシートだけ確保して、東京から島根までワイフ(その時はまだ結婚前だったけど)を連れて帰ってきました。
10年間の東京暮らしのなかで最後の2年間くらいを、かなり濃厚に付き合っていたのが今回、現代彫刻小品展へ彫刻を出品してくれたてっちゃん。
あの頃の私は、中野区の南台に住んでいて、ワイフが田無の近くに住んでいて、てっちゃんの自宅が上石神井にあって、そんな位置関係だったので、何かにつけてワイフと鉄ちゃん家を訪問しては、とりとめの無い話しをしながら時間をつぶしていたものです。
3人とも、それなりにアルバイトや制作などの用事が無いわけではなかったのですが、それぞれが時間の都合をやりくりして、何となくつるんでいた感じです。
てっちゃんはあまり酒が強くなかったので、夜中までグダグダ飲み続けたりすると、彼のカローラを私が運転して甲州街道や青梅街道などを、上石神井までフラフラ酔っぱらいの蛇行運転したりしていたこともありました。
今そんなことをしていたら一発でお陀仏です。
島根に帰ってから当然のように疎遠になって、1年に1度の年賀状のやり取りくらいのおつき合いが続いていましたが、3年前に今回の彫刻展を思いついいて、彫刻やら絵画やら関係なしに知り合いの作家へ、「彫刻」の作品を出品してほしいと要項の手紙を送ったら、てっちゃんから「出品します」の返事が返って、それこそ30年ぶりくらいに何となく遠ざかっていた距離が若干縮んだように感じました。
そんなわけで、彼も私もワイフもみんなで50歳を軽く越えて磨きのかかった中年になっているわけですが、今回、てっちゃんは何とも可愛い彫刻を造って送ってくれました。
小さくて軽い彫刻ですが、とてもバランス良く立っています。どうもありがとう!
展覧会場へやってきた子供たちが、知らない間に持って帰ったりしないかとハラハラ緊張しながら受付をさせてもらいました。
おかげさまで、第1期は無事に乗り切って、五体満足に箱に収まって保管させて頂いています。
山村徹也 2012年作 タイトル:サンタとかわいいアニマル達 素材:木

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雨の石見銀山
2012/04/30
Mon. 09:41
私の方は、そんな混雑を尻目に朝早くから万善寺の方へ移動して、檀家さんの年回法要と東堂老師夫婦のお相手などしながら1日を過ごし、人々の波が通り過ぎた頃合いに石見銀山へ帰宅する・・といった日々を過ごしています。
連休3日目の今日は朝から雨模様で、町並みの人通りもまばら・・・というより皆無。
同じ観光地でも、巣鴨や浅草とはえらい違いです。
世間の情報からは一歩引いた状態で暮らしている私ですが、何やら宗教法人に課税すると消費税の増税をしなくてすむようなことを何処かの政治家さんがをおっしゃっているようです。
まんざら他人事ではないだけに、チョットだけ気になったりしたものですが、万善寺住職としては、公的な立場で云えることでもないのでここだけの話し・・・・
「大賛成だぁぁぁぁ〜〜!」
片田舎の、仏事収入だけで暮らしている在家坊主の暮らしは、総本山の修行三昧の生活とは比べ物にならないほどの厳しさがあって、その上、毎年檀家数で査定される上納金など課されては、低所得者から税金を取っているのと同じ状態になったりしているわけです。
彫刻家の吉田君は、毎年しっかりと申告書を作成して税務署の申告・納税システム(e-Tax)など使って申告をしています。
宗教家(らしい)の吉田君は、島根県知事様に宗教法人の資産や役員などの必要書類を作成して、これも毎年怠らず提出させて頂いています。
はっきりいって、そんな細かい書類作成をするほどでもない慎ましい暮らしは、一定期間中にその筋の関係者がローラー作戦でもしながら家庭訪問して小1時間くらいアレコレ必要事項の質問でもしたらすむようなことでしょう。
私は、自分で云うのもなんですが、金の使い方も儲け方も鐘のつき方も木魚の叩き方もなんもかんも下手でどうしようもない人間ですが、それでもまだ、金の儲け方が上手で使い方が下手な関係諸氏よりは全うな暮らしをしていると思っています。
万善寺にも、ちゃんと六地蔵さんや、十一面千手千眼観世音菩薩さんもいらっしゃるわけですが、1000年経っても巣鴨のお地蔵さんや浅草の観音さんほどのお賽銭は期待出来ないでしょう。
一応、島根県では観光地の一つらしい、雨の日曜日の石見銀山の閑散とした町並みも然り。
最初から周知の事実のこの格差が、どうも見て見ぬ振りされているような気がして釈然としないなぁ。
もっとも、そういう静かな暮らしが好きだから、田舎暮らしの毎日を不満に思ったことも無いわけです。
やっぱり、課税の情報など知らなきゃ良かった。
変に知っちゃったものだから、考えないでもいいようなことまで考え始めて、修行の足らないナンチャッテ坊主は、妄想の世界にハマってしまったじゃないですか。

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吉田家のかぜ
2012/04/29
Sun. 04:56
ワイフは花粉症を持っているので、それでなくてもしょっちゅう鼻をズリズリやっていて、普通に毎日を暮らしていると花粉症なのかかぜなのかなかなか判別が難しかったりしますが、今回は何時ものズリズリにコツコツが加わっているので、明らかにじゅんくんの咳をもらってかぜをひいてしまったことが分かります。
ワイフがかぜをもらった数日前には、キーポンが鼻水をたらしてティッシュを鼻に突っ込んだままウロウロしていましたから、これもかぜが入った証拠。
そして私も、ついに感染してしまいました。
私が風邪をひくなど滅多にないことで、数年に1度あるかないか位のことですが、今回は咳がひどくてかなり辛い思いをしています。
ちょうど、連休に入って万善寺の年回法事が集中する頃と重なってしまったので、お経が読みにくくて苦労します。
木魚を叩きながらコツコツ。鐘を叩いてコツコツ。お経のブレスでコツコツ。回向の最中にもコツコツ・・・
咳をこらえながらお経を読んだりしているので、何ともおかしな節回しになってしまって無惨な年回法要の醜態。
施主さんも気を利かせて、おつとめの最中に横合いからお茶のお盆をスーッと差し出してくれたりします。
そんなわけで、吉田家の連休は蔓延した風邪に苦しみながらはじまりました。
さて一方、現代彫刻小品展の方は、これもコツコツ咳きしながらキーボードを叩いていると、指がアチコチ定まらなくてやたら時間の無駄使いをしつつ後援申請書したためたりしているところです。
何とか連休までに大田市の後援申請を受理してもらおうと、市役所担当窓口まで持っていった申請書が、書式不備ということで差し戻しになってしまいました。
今まで、何回か同じように申請手続きをしているのに、おかしな話しです。
結局、連休の狭間に再提出をすることになって、事務が停滞して、そのまま印刷物の原稿作成も遅れ始め、当初の予定が次第に狂いつつあります。
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竹田氏は、お互い子供が小さかった頃のキャンプ仲間で、あの頃は1年に数回は近場のアチコチで家族ぐるみのキャンプを楽しんでいました。
そのうち、子供たちも大きくなるし、当然親離れもはじまるし、大人の方もお互い世間の公私にわたる仕事が増えたりして、なかなか日程の調整が難しくなって、結局、何時の頃からかキャンプの習慣も無くなって今に至っています。
制作の方はスケジュールのやりくりで何とかしながら続けていて、私は彫刻、彼は絵画とそれぞれ自分のテーマを追いかけて地道に継続しています。
今回の展覧会には、竹田さんの方から出品したいと云ってくれました。
昔は、私も絵を描いて展覧会に出品したり、彼も彫刻を造ったりしていた時期もあるので、二人共あまりジャンルにこだわらないでやりたいことを楽しんでいたものですから、今回の彫刻展出品の話しをもらった時は、このところしばらく疎遠になっていた付き合いが久々に若干復活したように感じて、何かとても嬉しく思いました。
竹田 茂 2012年作 「Landscape 1」 素材:陶
久しぶりに彼らしい面白い立体を観させてもらいました。

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現代彫刻小品展報告会
2012/04/28
Sat. 02:33
集合場所は何時もの「梅の店」
出品作家でもあるのりちゃんの旦那が切り盛りしている、石見銀山の町並み入り口にあるお食事どころを夕方から借り切って、ビール片手に一杯やりながらの反省報告会となりました。
詳しい内容は、またそのうち文字に置き換えて出品作家の手元へお届けしますが、ザックリとつまんで、ひとまずまとめておきましょう。
天候が不順だった関係で、入場数は800人に充たない状態でしたが、彫刻を観てもらった後の感想はおおむね好意的でありました。
会場の入り口から動線の各所にさわる事のできる彫刻を点在することで、日頃なじみの少ない彫刻作品との境界を縮めることが出来て、来場者の会場内での滞在時間が伸びたように思います。
展示作業を手伝って頂いた作家の皆さんには、それぞれいろいろ彫刻配置の工夫をしていただいて、バランスの良い展示になりました。
そして何より、会場が彫刻でいっぱいになったこと。
見方を変えると、作家ごとにそれぞれ違う作風の彫刻がバラバラに配置されて全く統一感のない展示風景にも見えますが、それがこの現代彫刻小品展の見所の一つにもなっているので、私個人としては会場の条件とうまい具合に反応しあっていたように感じました。
今回の浜田世界こども美術館の会場は、展示された彫刻が引き立つ、良い会場だと思います。
現代彫刻小品展を、3回目にしてはじめて本格的な美術館で開催出来るまでになりましたが、今後このような彫刻展を続けるなら、この美術館を当分の間メイン会場として利用出来ると良いなぁと思ったりしたところです。
美術館での展示作業の裏番組で、作家の交流会や慰労会や宿舎の手配などを同時進行してくれたワイフのまっちゃんやのりちゃん、それにストウさんの御陰で、展示作業終了後の作家の移動もストレス無く行うことが出来ました。
ワークショップは、美術館スタッフにも良い刺激になったようです。
やはり、アマチュアの企画力と彫刻のプロの発想とでは素材や題材の深みが違うように思います。
報告になっているかどうか分かりませんが、この度の報告会の参加メンバーには、好印象の展覧会であったようです。
吉田としては、まず一安心・・・
展覧会を支えてくれたメンバーの一人のりちゃんは、高校を卒業するまで油絵を描いていて、美術の勉強をすると話しを聞いたときも、てっきりそのまま絵を描き続けるんだと思っていたら、なんと陶芸の勉強を始めて、それから色々あったようですが、現在は自宅の土間へ電気釜を設置して、何とも云えない面白い形を焼いたりしています。・・・が、お皿とかお茶碗とか・・俗にいう「正にこれが陶芸!」という物体を観たことがありません。
内田紀子 2012年作 「ムスビコブ」 素材:陶

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