工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

橋本脚本 

2018/07/19
Thu. 23:35

橋本忍さんの訃報を知った。
かなりのご高齢だとは思っていたが100歳だったらしい。
今続いている猛暑のせいではないだろう、大往生と云っていいだろう・・・
今年に入って、私の気になる存在の人々が相次いで亡くなっている。
こういうことが続く時もあるのだろうと、受け止めるしか無い・・・

橋本さんと云えば、やはり黒澤明さんとの沢山の共同脚本が思い出される。
はじめて「羅生門」を観た時は、まだ小学生の3〜4年くらいだったと思う。万善寺に白黒のナショナルテレビが来てから何年か後の年末か年始に深夜放送で観た記憶がある。
寒い冬に炭炬燵へ潜り込んで眠い目をこすりながら最後まで観た。映画は次々と汗が滴り落ちる暑い暑い場面と、スコールのような激しい土砂降りの場面と、それに京マチ子さんのエロチックな唇や肌がとにかく強烈に鮮明に目の奥へ焼き付いて、観終わった後、眠たいのに眠ることが出来ない興奮を朝まで引きずったことを覚えている。
「砂の器」は確か新宿松竹の封切りで観たはずだ。
先日亡くなった加藤剛さんが音楽家だった。原作は現代クラシックだったと思うが、映画の方はアカデミックなクラシックの交響楽になっていて後半の盛り上がりにいい具合にシンクロして、不覚にもボロボロ泣いて鼻水をズルズルすすった。
上京して2〜3年経った頃で、あの頃は完全に映画芸術にのめり込んでいた。
貧乏学生だったから、まずは映画関連の雑誌やシナリオの専門誌を立ち読みしたり古本を探したりして基本データを収集して、それから封切りにするか2番館3番館にするか決めて主に新宿を起点にして池袋とか銀座とかを巡りながら見漁っていた。
砂の器の時に脚本家橋本忍さんをはじめて本気で意識して、それからさかのぼって羅生門が橋本さんの最初の脚本だったことを知った。
そのあと、しばらく橋本脚本を追っかけるように日本映画を見漁った時期があった。

橋本さんの監督した「私は貝になりたい」も最初に観たのは万善寺の白黒テレビで、小学校6年か中学校に入ってすぐの頃だったと思う。
フランキー堺さん主役と新聞のテレビ欄にあったので、最初はコメディーだろうと勝手に思い込んでいたのだが、映画の方は全く違って、落ち込むばかりのなんともやるせない夢も希望も無い重たい話だった。自分の知っていたフランキー堺さんとのギャップが激しすぎて、それが衝撃的だった。
今から10年くらい前に島根県の隠岐の島や奥出雲がロケ地になって中居くん主役の映画になった時は、結局周辺の事情で観る機会を逸した。橋本さんは、そのときに自分の脚本へ初めて自分で加筆したらしい。どこがどう変わったのか見比べてみたいと思っているが、今の所それが出来ないままでいる。

最近の数年間は、久しぶりに日本の映画やドラマが面白くなってきて、楽しみが増えた。
追悼というほど大げさなことでもないが、もう一度橋本脚本を観直して見ようと思う。
「七人の侍」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」「張り込み」「ゼロの焦点」・・・・合掌・・・

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ケンタッキーノッチ 

2018/07/18
Wed. 23:17

ノッチが久しぶりに大量の画像や動画をSNSに載せていた。

彼女は高校生の時に1年間ケンタッキーのルイビルで暮らしていた。
ホストファミリーがとても優しかったそうで、帰国してから今までだいたい10年の間連絡を絶やさないで過ぎてきたようだ。
オヤジに似ているところがあって、何かにつけてすぐにめんどくさがったり飽きたりするノッチが、いまだに付き合いを継続しているというだけでも、ルイビルでの1年間で良い思い出をいっぱいつくることが出来たのだろう。
親としては、多感で面倒臭い時期のノッチを上手に育ててくれたことだと、とてもありがたく思っている。
フロリダでの暮らしもそろそろあと僅かとなって、帰国する前に休みをとってルイビルのホストファミリーを訪ねたり、高校の時の友達と逢ったりして楽しく過ごしたようだ。

石見銀山は、西日本大被害の大雨が去った後、連日猛暑が続いて吉田家のエアコンや扇風機がフル稼働している。
ロフトのような荷物置き場も兼ねた二階の部屋は、昔、子供たちの部屋で使っていた。
ワイフと二人暮らしになってから、夜になると音楽や映画でうるさくするので「2階が空いてるんだからあなたはキーポンのベッドで寝なさい!」と1階から追い出されて家庭内別居を続けていたのだが、さすがにエアコンも無い蒸し風呂のような熱帯夜が延々と続くと、それに耐えられなくて今はリビングの片隅にあるワイフの憩いの場になっていたソファーベッドを使わせてもらっている。
エアコンは、そのリビングから続きのキッチンへ向かって1機と、ワイフが寝室にしている昔ボクの工房むうあ事務所を兼ねた書斎だった四畳半に1機ある。
万善寺の世代交代の引き継ぎからあとは、書斎のデスクワークも少しずつ寺の方へ移動させて四畳半を寝室に使うようになった。それでしばらくはワイフと仲良く四畳半で寝ていたのだが、キーポンが時々帰省すると無理やり夫婦の寝室へ侵入して川の字で寝たりするものだから、オヤジはしだいに寝づらくなって、その頃から少しずつ吉田家のボクの居場所が狭まって今に至っている。

かれこれ3週間位前のことになるだろうか・・・暑くなる前に2機のエアコンを一度丁寧にクリーニングしておいたほうが良いだろうと、電気屋さんに依頼した。
そのクリーニングの日が決まったので朝の草刈りを早めに切り上げてシャワーで汗を流して業者さんを待った。
お昼少し前にクリーニング道具を一式抱えて業者さんが来た。興味津々で人間を恐れないクロが作業の間中オジサンの足元でウロウロして困らせたが、だいたい1時間少々で作業が終了した。
「フィルターに結構ホコリが溜まっていましたが、他は特に故障の原因になるようなことはありませんでしたので・・」と報告を受けた。まだ、四畳半が事務所でフル稼働していた頃から寝室に変わった今までフィルターの掃除などしたこともなかった。
今はワイフとネコチャンズの寝室だが、これで少しは快適に夏を過ごせるだろう・・・

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執着 

2018/07/17
Tue. 23:21

吉田家裏庭の清掃作業が本格的にスタートした・・・とはいっても、連日の猛暑でお昼前には30℃を超えているし、夕方になっても涼しくなる気配がないから、せいぜい実働時間は3〜4時間位にしかならない。

通勤坊主に切り替えて銀山街道を登っていたら、途中にある九日市の集落にある温度計が37℃になっていた。
丁度その日は、午前中の用事を済ませて昼の一番暑くなる頃にその温度計の下を通過したから、たぶん一日の最高温度くらいだっただろうが、それにしても中国山地の山間部にはめったにないほどのことだ。

猛暑と云うと、今から10年位近く前の、まだ石見銀山が世界遺産登録になって間もない頃に一度あったと思う。あの時は、7月の夏休みが始まる直前から現代彫刻小品展を石見銀山の町内でスタートさせた直後で、昔農協の倉庫に使っていた広いスペースを借りて彫刻の小品だけを集めた展覧会をした。
開催資金は彫刻出品者からの出品料と、自分の彫刻材料代で備蓄していたお金を当てた。
何をもって成功とするか失敗とするか・・・そういう基準もハッキリと定まっていたわけでもなく、とにかく、今のうちにナニカしなければ彫刻家としての自分の立ち位置を見失ってしまいそうだ・・・という、曖昧な状態でいた時期だったことは確かで、その「ナニカ」が小品の彫刻展だったというわけだ。
今にして思えば、一つ一つの事務的な作業が後から後から増えてきて、いつになっても落ち着く先が見えないままいつの間にか展覧会が始まって終わっていた・・という感じだった。出品作家も何人か会期中訪ねてきてくれて、中には展覧会の展示を手伝ってくれる作家もいた。
とにかく、「暑さ!」というと、気温だけのことでなくて、自分の気持の方も結構熱く燃えた夏だった。
万善寺の維持管理は、まだ元気だった前住職夫婦にすべて丸投げ状態で任せっきりにしていた。ずいぶんと薄情で非常識な副住職だったと思うが、彼らもまだまだ現役でやる気満々だったから、無理して「手出し口出しするのもどうか・・・」という気もあって、昔ながらの万善寺運営に粛々と従っていたところもある。

私の場合、彫刻にしても寺にしても、自分のヤルことは自分で決めないと気がすまないようなところがあるようで、自分の行為に何かしらの問題意識を持ち続けることがモチベーションの持続になっているような気がする。
吉田家裏庭の草刈り清掃は、一方でワイフの常識や意志との協調も大事だから、自分としてはとてもやりにくいところがある。日常のさりげない会話の中に、少しずつ彼女にとって大事な裏庭の条件を聞き出しながら取捨選択をして自分が受け持つ仕事を決めているわけだが、そういう意思疎通が少しばかり乱れたりすると後のイザコザの元になって収集がつかなくなる。少なくても裏庭のアレコレに関しての主導権はワイフにあって、私はその手先の立場を守るしか無い。
俗な執着は、仏教的に云うと修行の妨げになると云われている。どうせなら、ワイフの場合、執着は裏庭に向けるより、もっと彫刻に向けてもらいたい気もするのだけどね・・・

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今日は海の日? 

2018/07/16
Mon. 23:45

三連休だということはなんとなく知っていたが、さて、何の祝日かと云うとよくわからない。
その連休最終日になってやっと「海の日かもしれない?」と思い当たったが、それが正しいかどうかはわからない。
とにかく休みであるわけだし、平日はワイフも仕事で出かけるから、世間のサラリーマンの皆さんと似たような休日を過ごすのもいいだろうと、彼女を誘って出雲へ出かけた。
特にコレと云った目的を決めることもなく、国道を東へ向けて走りながら、少しずつ目標を固めて出雲へ着く頃にはだいたいのスケジュールが決まった。

最近になって、ワイフが美味しいパスタ屋さんを見つけて、一度試しに入ったら、スープスパゲティがなかなか美味しかったので、ソコに予約を入れた。
自宅にいても暑いばかりで仕事にもならないし、結局ゴロゴロするばかりだから、どうせなら冷房のきいた商業施設をハシゴしながら1日涼んでいたほうが良い。
夜になって吉田家へ帰宅すると、それでも少しは過ごしやすくなっていた。ネコチャンズはそれぞれスキなところで伸び切っていたけど・・・

7月に入って半月が過ぎて、やっと万善寺の仏事が少し落ち着いた。
このところまともに石見銀山で1日を過ごすことが無かったから、これからしばらくは通勤坊主を休むことに決めた・・・まぁ、とりあえずのことだけどね・・・
当面の用事は吉田家裏庭の整備!
しばらく続いていた長雨の御蔭で、裏庭が銀山川の岸までジャングルのようになっている。まずは、歩くところだけでも草刈りをして、ソコから少しずつ伸び広がった木の枝を刈り込んだりしていこうと計画している。当分は暑い日が続いて雨も降ることがなさそうだし、切り倒した木の枝を乾燥させながらストーブの焚付になるまで刻めば、結構な量の薪が確保できそうだ。

寝る前にSNSを一巡していたら、ノッチが珍しくF.Bを使っていた。アメリカでの彼女は、F.Bをメインに活用しているようだ。
日本と12時間位時差があるらしいから、向こうはまだお昼くらいになるのだろうか??
とにかく、あと2ヶ月あまりで帰国するし、その前に昔お世話になっていたホストファミリーを尋ねることにしたらしい。
彼女は吉田家家族でいちばんアクティブに過ごしている。
どちらかと云えば、オヤジの私も若い頃はひとつところへジッとしていることが出来ない方だったから、ノッチはオヤジの性格を引き継いでしまったのかもしれない。

F.Bというと、最近はほとんど自分から利用することをしなくなった。直近の書き込みは、確か3月のグループ展の告知だったはずだから、ずいぶんご無沙汰している。F.Bを始めてからもう何年にもなるが、どうも、あの回転の速さというか、書き込み更新のスピード感についていけなくなってしまった。それで、少しずつ記事の書き込みや更新にストレスを感じるようになったので、今は一歩下がって距離を置くことにしている。

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縁が切れた 

2018/07/15
Sun. 23:19

唐突に「明日お寺へお伺いしますので・・だいたい、お昼すぎの2時か3時くらいになると思います・・」と、寺参りの電話が入った。

坊主家業の90%は受動的にスケジュールが決まっていくから、そういう突然の電話にも出来る限り誠意を持って対応しているつもりだが、それにしても、『今日の明日』というのは、あまりにも突然で・・・というわけで、せっかくの3連休はジワジワ潰れていく。

朝から日差しが容赦なく強い。
寺参りの内容もよくわからないまま、とにかく掃除機だけでも掛けておこうと本堂の窓を開けたら、外から一気に熱気が侵入した。
厚手のカーテンを閉めて暗くしてある本堂は、想像以上に涼しいものだ。
いつもは、何もしないでジッとしておくことが諸々の仏具や荘厳が長持ちして都合が良い。朝のお供え線香の香りが1日中本堂に漂って、それが毎日のように続いて少しずつ柱や壁や天井や畳や座板などに染み込んでいくことが、五感に伝わる聖域の最低条件のようなものだ。
私は、自分の性格なのだろうか、常に締め切ったままの鬱陶しさが性に合わないから、寺暮らしの時はだいたいその日の天気と相談しながら窓を全開にして外の風を通してしまう。
前住職の憲正さんはそれを極度に嫌がって、まだ身体の動くうちは「仏様の功徳が逃げる・・」と云って私が全開にしていたアチコチの窓や引き戸などを片端から締めて回っていた。燭台の灯明は『仏様の智慧』。お供えの花は『仏様の慈悲』。そして香のかおりは『仏様の功徳』だと、三具足の意味を特に大事にしていた。
気持ちはわかるが、崖っぷち在家坊主のボクとしては、どうしても信心の気持ちが自分の暮らしの楽な方へ傾いてしまう。

本堂の荘厳を調整して、お参りの施主家の位牌を整えて、番茶を沸かしてお供えして、着物に着替えて帯を締めて・・・いろいろ滞りなくお参りの準備を整えて一休みしていたら、庫裏の玄関先で訪問の声が聞こえた。
急いで出てみると、電話があったお宅の娘さんが玄関先に立っておられた。
「お母さんがヨロシクとのことでしたので・・それじゃぁ~、先がありますので、これで・・・」
取り付く島もないまま、玄関先で立ったままお供えらしきものを受け取ってそれで終わった。
本堂の準備がすべて意味のないことになった。

もう、その施主家とは「縁が切れたことになったのだろう・・・」と、ボンヤリ確信できた気がする。
こちらから強く引き止める気もない。信心は自発的能動的行為の先にある。
本堂を元に復元して、戸締まりを確認して、万善寺をあとにした。
あの、やたらに暑い吉田家とワイフの小言と無視を決込むネコチャンズが恋しくなった。

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オールヌードの夜 

2018/07/14
Sat. 23:54

1週間続いた万善寺の仏事でフラフラになりながら石見銀山の吉田家へ帰宅すると、ネコチャンズもワイフもそれぞれの場所でゴロリと横になっていた。飯南高原でアレだけの猛暑が続いていたから、海抜100mは低い石見銀山の暑さはそれ以上で、さぞかし辛かったことだろう。
「アラ!おかえり・・」
ファンや扇風機が吉田家のアチコチで可動していて、思ったより過ごしやすい。
ワイフはしばらく昼寝をしていたのだろう・・・なんとなく、寝ぼけ気味に起き出してきて、それにシロがついてきた。

やはり、暑いとは云え吉田家へ帰ると気が休まる。
私の顔を確かめるとワイフはすぐに台所仕事へとりかかった。
お互いに1週間の出来事をポツリポツリと伝えながら、それぞれ情報交換をして記憶の空白を埋め合わせした。

午前中は江津の用事があった。
コレが済めば9月までしばらく間が空く。
自宅を10時前に出発することになるので、朝の時間を持て余して困った。最近は、早朝に目覚めることが癖になってしまって、寺暮らしだとそのあと本堂のことや庫裏の風通しのことやスズメたちに古々米の朝ごはんを振る舞ったりしてからメールやSNSを確認しながらコーヒーをドリップしたりしていると、すぐに1〜2時間が過ぎる。
吉田家の朝は変にウロウロ動き始めると、とたんにワイフが機嫌を損ねて小言が増える。
目は覚めているのに、そのまま何もしないでしばらくゴロゴロしていると、それはそれでワイフの気に障るようで、それなりの小言が飛んでくる。共同生活の難しさと云うか、絶妙なバランスを維持するためのさじ加減がなかなか難しくて、気付かない間に結構緊張していたりする。

江津の用事を済ませて昼食時に帰宅した。
「コストコフェアで、ピザゲットしたわよ!」
1ヶ月に数回ほど、コストコが近所のスーパーへ出張してくる。地元ではソコソコ人気があって、時間が少し遅れるとほとんど完売になってしまう。コストコのピザは特に人気があるようで、なかなか吉田家の口に入らないから久しぶりに美味かった。

夕方から弘法大師さんのお大師講があるので、ピザを完食して少し休んでから石見銀山を出発した。
20枚ほど書いておいた弘法大師尊前の先祖供養塔婆で西国巡礼和讃を唱えた。
夜の飯南高原でも、さすがに大衣でいると暑くて我慢できない。寺へ帰ると早速着物の洗濯をしながらシャワーで汗を流した。夜のことで誰もいないし、寝るまでオールヌードのまま洗濯物を干したり、簡単なツマミをつくったりして例のごとくプシュ!っとやった。
網戸を整備した御蔭で蚊にも刺されないし、適度な夜風で汗が引く。
吉田家の連中は熱帯夜で寝苦しくしていることだろう・・・

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ヨレヨレ坊主 

2018/07/13
Fri. 23:52

万善寺の隣のおじいさんのお葬式は、ご自宅の庭先へ朝から自治会のテントが張られた。
雨も降りそうにないのに葬儀会場へ日除けでテントが張られることなどとても珍しい。
大雨がやんだ数日前から暑い日が続いていて、今朝も保賀の谷の空は雲ひとつ無い晴天で気温がどんどん上昇した。

当年90歳のご導師は、副導師万善寺住職(ボクのことです・・)の法衣と比べ物にならないくらい豪華絢爛でかなりの重量もある。それに、一人では袈裟を掛ける事もできない複雑な仕組みになっていて、それもあるからだいたい浄土真宗のご院家さまはお付きの役僧さんを従えて行動されることが多い。
浄土真宗ご導師さまの法衣着付けをお手伝いするときは「曹洞宗は簡素で楽チンで良かったなぁ〜〜」と、いつもそう思ってしまう。それにしても、このご高齢でこの暑さはさぞかし身体に応えていらっしゃることだろうと思うが、そういう素振りは微塵も感じられない。さすが、ナンチャッテ坊主とは年季の入り様が違う。

事前の打ち合わせをして、鳴り物の打ち出しなどをおさらいして、葬儀本番に臨んだ。
曹洞宗の鳴り物もまともに出来ないでいるのに、他宗のこととなると様子が違って導師さまとしてはやりにくかったことだろうに「おかげさまで、色々お世話様になりまして、ありがとうございます・・」などと、葬儀が終わって控室に帰ったところで深々と頭を下げられて、恐縮した。
墓参の後、安居と初七日のお経をおつとめして斎膳になって、お昼を少し回ったところで葬儀すべて滞りなく終了した。
喪主挨拶にもあったが、これから隣の家は空き家になって1年の節目節目に喪主の長男さんが帰省されることになる。日常の維持管理は自治会の心安いお宅へ委託されるようだ。

今年に入って3月の雪が消えた頃から隣家の周辺へしきりに重機が入って整備が続いていた。それに、この近年草刈りもほとんどされないで荒れ放題だった場所へ何度も草刈りが入って万善寺の境内地がみすぼらしく感じるほどキレイになった。訃報が届く前日には最後まで残っていた地すべり箇所の修繕も終わって重機が搬出されて、いらない家財の搬出が夕方遅くまで続いていた。今にして思えば、春先を境に隣のおじいさんの容態へ変化が生じていたのかもしれない。

万善寺の法事が終わって、その夜の仮通夜から葬儀が終わるまで3日間連続して法衣を着続けたことになる。夏のお盆の時期に改良衣で過ごすことはあっても毎日法衣を着続けるまでのことはない。明日は夕方から夜にかけて弘法大師さんの大師講で塔婆回向があるから、またそこで法衣に着替える。
今週は1週間毎日着物の洗濯をして過ごした。暑くて洗濯物がすぐ乾くからそれでずいぶん助かっている。単身赴任坊主も、食事や洗濯掃除まで一人でこなして、その上お経ライブが1日2ステージばかり続くと、もうそれだけでかなりの重労働で疲労困憊・・・
ナンチャッテ坊主は、連日の猛暑も加わってフラフラのヨレヨレ坊主に変身しつつあります・・・

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プシュッ! 

2018/07/12
Thu. 23:33

保賀地区内にいいつぎ連絡網が回ったのは、法事へ出かける前の夜だった。
早めの夕食を終わって、塔婆を書く準備をしている時に入った訃報だった。
これで今年に入って半年の間に保賀の谷で3人が亡くなった。

万善寺の上隣のお宅は、1年半ほど前におばあさんが亡くなられた。
それから暫くの間、残されたおじいさんが訪問介護などの助けを借りながら一人暮らしをされていたが、すでに高齢でもあるし、ひと冬を乗り切った頃、関西に暮らす息子さんが高齢者施設への入所手続きをされた。それから隣が空き家になった。
もうひと冬施設暮らしのあと、梅雨が過ぎて猛暑の中、おじいさんが永眠された。
お隣さんご夫婦は、万善寺の前住職憲正さんと同級生で、生前はお互い頻繁に行き来をしていた仲だったが、同級生が一人ずつ順番に亡くなって最後の一人だった。
最初に死んだのが憲正さんで、葬儀の時は、保賀の谷に暮らす同級生みんなで最後のお別れのお参りをしていただいた。

法事へ出かける準備をしていたら、朝の早い時間に喪主の息子さんから直接連絡を頂いた。
菩提寺は浄土真宗だが、隣同士の長い付き合いでもあったし、副導師としてお葬式をお願いしたいとのお話だった。
先に亡くなったおばあさんの時もお葬式の声をかけていただいていたので、「喜んでお手伝いをさせていただきます!」とこたえておいた。

2✕4新築住宅のお宅で法事をして墓参や斎膳を終わって寺へ帰ったら、もう全身汗びっしょりだった。
お仏壇の部屋にはエアコンがなくて、ご親族の皆さんと一緒に大汗をかきながら、なかなか過酷で鍛えられる3回忌法事になった。立て付けが良すぎるというのも良し悪しで、前の古い日本家屋の涼しさが今更ながら懐かしく思い出された。

夕方には仮通夜が始まるので、法事で汗を吸った着物を洗濯機へ放り込んでから浄土真宗の経本を探し出して、久しぶりの正信偈や仏説阿弥陀経など、通夜から葬儀の流れをひと通りおさらいした。
導師の御院家さんは、憲正さんより1歳年下だからすでに90歳になられているはずだ。
そのご高齢でまだ自家用車を運転されていらっしゃる。私にはとても出来そうにないほどお元気で頭も良い。夕方まだ明るいうちに車で喪主家の駐車場へ到着され、仮通夜が滞りなく終了した。

2回目の洗濯とシャワーを浴びて、簡単なツマミを準備してプシュッ!と一缶空けて、少し落ち着いてからSNSを一巡した。
キーポンがトマトのその後を報告している。小さな花の蕾ができていた。トマトは暑さに強いから少々の水不足もなんとか凌げるだろうが、関東の方でも今年の暑さは異常なようだ。ひとごとながら彼女の初菜園の成功を祈りつつ二缶目をプシュッ!!と開けた。

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猛暑の1日 

2018/07/11
Wed. 23:18

朝、ワイフが出かける頃までは比較的涼しくて過ごしやすかった。

吉田家の裏庭がジャンルになっているので、前夜「明日は午前中だけでも草刈りをしよう!」と決めて寝た。
クズやヤマフジなどの蔦がはびこって、アチコチへ巻き付いている。
草刈り機を振り回すとその蔦がすぐに巻き付いて厄介だから、まずは、蔦を切り剥がすところから始めたら、もうそれだけで身体中がカッ!と熱くなって汗が吹き出した。
涼しかったのは早朝の一瞬で、それから一気に日差しが強くなって夜の湿気をたっぷり含んだ裏庭全体がミストサウナ状態になった。
庭の様子が半分ほど見えるまで刈り込んだところで、ついに力尽きた。
このまま続ければ確実に熱中症になるだろうし、ちょうど燃料オイルも切れて仕事のキリが良いから無理はしないことにした。

まだぬくもりが残っていた前夜の風呂を使って行水をした。
身体の熱は普通に下がったが、顔から頭全体が火照ってなかなか治まらない。
洗面所でクロが鳴いた。

もうお昼近かったが食欲もないので、そのまま移動の支度をして銀くんのドアを開けると
車内から熱気が湧き出してきた。
これから盛夏に向かってどうなることか、気が重くなる・・・

万善寺の庫裏玄関を開けると、昼過ぎの一番熱い頃なのに中から冷気が流れ出た。
さすがに谷底の石見銀山と違って飯南高原は暑さが爽やかだ。
アチコチの窓を開けながらいつものように本堂を一巡してそれぞれの場所へ線香をお供えした。
翌日は朝からお檀家さん宅で3回忌の法事がある。
そのお檀家さんは、数年前に古い家を解体して2✕4オール電化住宅に新築された。
古い家には庭先に土蔵があって、裏山の崖際まで奥に伸びた趣のあるつくりの母屋だった。夏のお盆の棚経でお邪魔しても風がよく通って扇風機もいらないほど涼しい家だった。

少し前にスーパーで蕎麦の乾麺切り落とし徳用袋を見つけた。
万善寺で一人飯をつくるに都合が良いと思って買っておいたのだが、あれから法事やお大師法要が続いて赤飯や鏡餅やお供えの御下がりとか、日持ちのしないいただきものが続いて、その消費がやっと一段落したので、遅めの昼食に切り落としのそばを茹でた。
麺類は、大中小3種類の土鍋を使い分けて茹でている。
土鍋はお湯が沸騰してから後の茹で加減が楽で、タイマーの時間を短めに設定しておけば、あとは予熱で茹で上がってしまう。
久しぶりの蕎麦が美味かった。
明日の法事もまた御下がりを頂くだろうから、蕎麦はまたしばらくお預けになる・・・

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夫婦水入らず 

2018/07/10
Tue. 23:54

とにかく、朝から晩まで一日中暑くてかなわない・・・
働かなければいけないことが山ほど溜まっているのに、身体が動かない・・・というより、気持ちが萎えて吉田という人間が使い物にならない・・・

しばらく続いた万善寺の一人暮らしに、少しほど区切りをつけて石見銀山の吉田家を基地に通勤坊主の暮らしへ切り替えたばかりなのだが、とにかく、何をするにもヤル気が起きない。まだ7月になったばかりなのに、もう夏バテが始まっているのかもしれない。

毎朝几帳面にテレビを見ながら朝食をはじめたワイフへ「今日の予定は?」と聞いたら、「今日は一日特になにもない」ということだった。
そういえば今年度から月曜日に休めることが増えたようなことを云っていた。私ほどあなた任せの受動的スケジュールで動くほどではないが、時間講師のワイフも1週間がかなり不規則なスケジュールで過ぎることが多い。
キーポンが一人暮らしを始めてから夫婦の時間がもっと増えるだろうと漠然と思っていたら、そういうことはまったくなくて、むしろお互いに時間の拘束が微妙にズレることが多くなって、一日中二人でゴロゴロしている日が激減してしまった。子供の手が離れて、リタイヤの年齢にもなって、今更忙しくなりすぎてしまうのもおかしなことだ。本当ならもう少しノンビリとゆったりと一日が過ぎていても良いような気がするのに、なかなか思うように上手く日常が回らない。
私の石見銀山滞在時間もこの2〜3年でどんどん少なくなっている。完全なる別居というわけでもないが、1年を均すと3〜4ヶ月は別居で暮らしている気がする。

「映画観に行かない?」
「何観るの?」
「モリのいる場所」
「あぁ〜、あなたが観たいって云ってたやつ・・・、良いわよ、私も観たいと思ってたから・・それで、何時のにする?」
「早い時間がいいな・・・どこかで昼ごはん食べれるくらいの・・・」

監督の沖田修一さんは、確か日大芸術学部の出身だったと思う。間違ってたらゴメンナサイ・・・
まだ若い人だが、とても丁寧にコツコツと積み重ねられた映像になんとも言えない暖かくて包容力のある「間」が感じられて、最近の若い監督さんの中ではボク的に気に入っている。
「モリ」とは、熊谷守一さんのこと。
映画は、晩年の熊谷さんの暮らしの1ページを切り取ったようなシンプルな構成になっていて、熊谷さんの日常が淡々と紡がれていく。
嘘か真か・・・守一さん役の山崎努さんが、監督に「ボクは熊谷守一さんが大好きなんです・・」というようなことをなにかのついでの話題にしたそうで「それならそれを映画にしましょう!」ということになって映画が一本出来上がったらしい・・良いなぁ〜〜・・・
絵を描くシーンが無かった。それがとても良かった・・・

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キーポンのトマト 

2018/07/09
Mon. 23:07

キーポンが育てているトマトが水不足で瀕死の状態だったらしい。

島根県やその近所のことしかわからないが、こんどの大雨は中国地方各所に大きな被害をもたらした。
万善寺のある保賀の谷もそうだが、大雑把にいうと、中国山地一帯は地球の日本の歴史の中では古い土地で風化が進んでいる。
そういうところだから、一方で良質の産業資源がアチコチで産出されて、少なくても日本の歴史の初期から一大工業地帯であったし、それに付随して農業や林業も発達した。

岡山では川の氾濫で被害を受け、広島では玉石を抱いた真砂土の山崩れで大きな被害を受けた。
最近のように前代未聞の大雨が降ることも珍しかった一時代前までの人々は、そういう中国山地一帯の自然環境をおおよそ理解しながらその時々をやりくりして上手に付き合って暮らせていただろうが、今に暮らす人々は急激にすすむ地球の気候変化についていけなくなっているということにそろそろ気づき実感しはじめているはずだ。
過去の長い歴史のなかで、人々は語り尽くせないほど多くの恵みを大地から頂いて過ごしてきたのだということを謙虚に受け止めることも大事だと感じる。

石彫の彫刻家諸氏は当然の常識として石のこととか地形のこととかの知識と知恵を駆使して彫刻の制作に向き合っていらっしゃることだろう。
私のような根性のない軟弱彫刻家は、地球の素材に正面から向き合って彫刻を造ることに最初から逃げているようなところがあって、人工の工業製品を彫刻の素材にしておいたほうが気楽で良かったりするから、よけいに人工の非力を棚に上げてこんどの災害を自然のせいにばかり出来ないように思えて気持ちが萎える。

山ひとつがすべて青御影の玉石で出来ているという石山が寺の近くにあった。高度経済成長の活気の中で、その山ひとつが無くなったこともある。当時は用途がそれだけ多岐にわたって消費されていたわけだ。万善寺の境内地は真砂土の山を切って平地にして出来上がっているし、保賀川をはさんだ向かい側の山からは良質の真砂土が採れて採土の採算がとれなくなるまで掘り尽くされた。玉石も真砂土も、長い年月人々の暮らしを支え続けている大事な資源のひとつでもある。それが一方で人々の暮らしを破壊する凶器にもなる。

人は地球の自然に対してゴマ粒芥子粒ほどのものか、それ以下のものだと思う。
キーポンのトマトは、小さな植木鉢の一握りの土の微量の栄養と適度な水を糧に育って実をつけることになるのだろう。
小さな植木鉢・・一握りの土・・微量の栄養・・適度な水・・そういうそれぞれの役目がバランスよく整って実をつけることができて、収穫につながってキーポンの口に入ってキーポンの栄養になって生かさせてもらっている・・という連鎖を忘れないでいてほしい。
平和な日常は無限に続くことでは無いと、そういう覚悟を持って毎日を穏やかに暮らしていたいものだ。

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映画を見ながら・・・ 

2018/07/08
Sun. 23:54

半夏の夜は、斎膳の残りをパックに詰めてもらって、それをつまみに映画を見ながらひとり酒。

長い間、前住職夫婦が居間に使っていた六畳をフローリングに改修して、立て付けが狂って動かなくなった4枚の襖をそのままハメ殺しにして巨大なスクリーンをカンバス張りの要領で画鋲で貼り付けて、40年前のDIATONEと、中古の小さなKENWOODのスピーカーをDENONのアンプからチェーン配線してつくった即席のオーディオルームへ安い中華プロジェクターを導入してチャチなシアタールームを造ってからそろそろ1年が経つ。
寺で宿泊の少し余裕がある時は、夕食でチビチビやりながらHuluやアマゾンプライムビデオを観たりする。

どうなることかと予測不能の豪雨が去って少し落ち着いたと思ったら、朝から一気に蒸し暑くなって、それで寝苦しくて目が覚めた。
7月に入った頃の宗門手帳には法事が1つ入っているだけで、あとは手間替え随喜を務めるだけの真っ白な状態だったのだが、この1週間でみるみる予定が埋まってスケジュールの調整が難しくなった。
8月の盆に向けて今のうちから万善寺の境内地を整備し始めるつもりでいたのだが、長雨で1週間が身動きできないまま過ぎて、雨がやんだと思ったら今度は宗門手帳が仏事の書き込みで埋まってしまって、とにかく、自分の都合がどんどん後回しになってしまう。

カンヌ常連の是枝監督がエライことになって、日本映画界が一気に活気づいてきた。
私が上京してすぐの頃は、日本映画のピークが完全に過ぎていて、かろうじてソコソコの活気を維持していたのは松竹の寅さんと日活ロマンポルノくらいだった。高校生の時は、さすがに土曜のオールナイト上映へ潜り込むのも難しくてかなりの変装テクニックを要したものだったが、上京してから後は、普通に平然とチケットを購入して、堂々と新宿東映横の階段を登って神代辰巳さんや宮下順子さんの世界に浸っていた。それから直後に仁義なき戦いが大ヒットして、ATG映画が活気づいてきた。
物心ついた頃は娯楽といえば映画くらいしか無かった時代だった。小学校の芸術鑑賞の特別授業は町の映画館へ全校で移動して松竹の二本立て映画を鑑賞するような時代だった。
個人的にはそういう映画館の雰囲気がとてもスキで、毎日でも入り浸っていたかったがそれも出来ないし、万善寺へ白黒のテレビが来てから後は、テレビのロードショーを欠かさず観続けていた。
「ところで、おたくの趣味は??」と聞かれると「ハイ!映画鑑賞です!!」などと、いまだにつまらない回答を真面目に返してしまうが、正真正銘筋金入りの映画好きなのだ。

それで、是枝さんだが、カンヌのこともあるので幾つかの映画を見直しているところだ。
ボク的には、今の映画監督で云うと、佐々部清さんや沖田修一さんあたりがスキだったりする。是枝さんの映画もとても素敵で良いとは思うが、観終わった後に頭の両耳の後ろあたりへ湿気の塊のようなものがジワリと残り続けてしまって、今のボクは少し気が重くなる。とにかく、久しぶりに日本映画が活気づいていることは喜ばしいことだ・・・

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半夏(はんげ) 

2018/07/07
Sat. 23:21

全国の常識としては7月7日は七夕の日になっているようで、各地でお祭りが行われて今頃は行楽でさぞ賑やかなことだろう。

宿命というやつで寺の子として生まれた時から仏事中心の生活がボクの常識になってしまったから、コレばかりはとにかく深く何も考えないで「そんなもんだ!」とゴクリ飲み込むしかない。だから、この七夕まつりもそうだが、各地で行われる様々なメジャーイベントの殆どが寺の仏事と重なって過ぎるから、どうしても寺を優先することになって、一生涯各地の有名なお祭りとは全く縁がないままだ。

飯南高原では、昔から七夕まつりの少し前7月2日に「半夏祭り」があってその時は町並みの通りが夕方から夜更けまで車両通行止めになって屋台が並んで賑わっていた。
私が地元を離れて学生生活を送っている間に、半夏祭りのシステムが変わって、今では、7月の一週目土曜日の夜に曜日固定されて、天気が良ければ花火が打ち上げられる。たしか、昔は二日間続いていたと思うが、今は夕方から始まってその日の夜で終わる。
万善寺では、ちょうど半夏祭りの日に大般若会の手間替え随喜があった。まだ少年だった頃は夕方になって父親が帰宅すると、それから早めの夕食を済ませて半夏祭りへ連れ出してくれていて、中学生になると仲の良い友人と待ち合わせして自転車で出かけるようになった。
半夏祭りは自分にとって心置き無く楽しめる娯楽の一つだった。
そういう過去の思い出のこともあって、吉田家の子供たちは小さいときから何度となく半夏祭りへ連れて出かけた。昔に比べると規模も縮小されて寂しくなったものの、それでもそれなりに屋台も出て賑わいもあってみんなそれなりに楽しんでくれていた気がする。

今年は、ちょうど半夏祭りが七夕まつりと重なった。
前日まで大雨が降り続いていて、直前まで開催が危ぶまれていたが、七日の朝からは雨もやんで、曇り空ではあったが風もないし花火の打ち上げは予定通り行われることになった。
万善寺の方は、お檀家さんの法事が重なった。
午前中は別の用事が入っていたので、法事を午後に回してもらった。
斎膳が終わる頃は花火打ち上げの直前になった。改良衣で花火・・・というのもどうかと思うし、今年は自粛ということで夜はそのまま万善寺でおとなしくひとり酒にした。

半夏(はんげ)とは、仏事の習わしが語源になっている・・・と、前住職から教わった。お釈迦さまの時代、ちょうど雨季の頃で、布教活動の旅を続けると、小さな虫の命を踏み潰したりして無駄な殺生をすることになるし、それを避ける意味でも皆で旅の宿坊へ集まって合宿しながら修行に励むための期間にしようと決め、その修行期間を夏安居(げあんご)と云い90日間続き、調度45日の中間に当たる日を「半夏」と云った・・・という仏事的にはそういう言い伝えだが、他にも半夏という毒草が芽吹く時とも云われていて、世間に毒が満ちる危険な時期は無闇な外出を避けて修行に励もう・・と云う意味合いもあるとか諸説色々あるようだが、ボク的には前住職さまの教えを口伝しようと思っている。

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飯南高原大雨事情 

2018/07/06
Fri. 23:40

予定では吉田家裏庭整備の1日に当てていたのだが、前夜から猛烈な雨になっていた。
それで、無理はやめて休養日にしようと気持ちを切り替えた。
ワイフの方は、午前中から時間講師で出かけて、午後はもう一つの仕事に回って夕方遅くに帰宅することになっている。

目が覚めても朝の雨がかなり激しくてやみそうもないし、自宅でゴロゴロしていてもどこかしら落ち着かないまま6時になり7時になって、そのうち寺の様子が気になり始めたら、もうジッとしていられなくなって8時前には休養日を返上することに決めた。

ワイフの通勤ルートが万善寺までの銀山街道へ半分くらい重なっているから、少し早めに石見銀山を出発して道の様子を確認しておくことにした。
今は太陽光発電のプレートがビッシリ並んでいる元瓦粘土の採土場を過ぎて江の川の支流にかかる橋を渡ってからアップダウンがしばらく続く山道へさしかかると、側溝のアチコチに溜まった枝木や落ち葉などが雨水をせき止めて道全体が川になっている。
対向車が過ぎると水しぶきが銀くんへドバッ!とかかって一瞬前方の視界がゼロになる。ワイフの車は銀くんより若干車高が低いからもっと大変なことになるだろうと、難所を過ぎて少し運転が楽になったところでワイフへ現状を連絡しておいた。

銀山街道と付かず離れず並行して流れる川が恐ろしいほどの濁流になっている。その濁流の水源が飯南高原の端にあたるから、あちらの方はもっと大変なことになっているかもしれない。そういえば、九州から広島にかけて大雨になっているらしいし、万善寺が余計心配になって先を急いだ。
「無理しちゃダメよ!何かあってもあなた一人じゃどうにもならないことなんだから・・」
銀くんを運転しながら、いつもはのんびり者のワイフが珍しくボクのことを気遣ってくれていたのを思い出した。
様子を見て寺に一泊しするかもしれないと言いおいてあったが、寺の周辺には大きな変化もなく保賀川の水量も増水はしているがまだ余裕があるし、それに濁りも少ないから少し安心した。せっかくだし、様子だけ見て何もしないで引き返すのももったいない気がして、勝手口から台所にかけて片付けておくことにした。

まだ大雨が降る前日に、建具屋さんが頼んでおいた台所の出窓サッシに取り付ける網戸を持ってきてくれた。その時「余って廃棄するしか無い網戸があって、それが勝手口に使えるかもしれないから・・上手く寸法があったらレール代だけであげますわぁ~」と云ってくれたので、「使えるものだったら、是非ください!」とお願いしておいた。
それがなんとかなるだろうと云うことになって、それじゃぁこの機会に「少しでもキレイにしておこう!」という気になった。
ついでに、今まで窮屈に使っていた流し台から食器乾燥ケースを撤去したらずいぶんスッキリした。タオルを上手に使い回せば、流し台が有効に広く使えることを、バイトの経験で知っていたから、洗濯物がすぐ乾く夏の間だけでも思い切ってそうすることにした。

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吉田家限定特別助成金 

2018/07/05
Thu. 23:56

キーポンが東京暮らしを始めてから早いもので1年半になろうとしている。
今住んでいる社宅の入居が決まって、慌ただしく準備して引っ越しして仕事に慣れて日常の暮らしが落ち着いた頃から、「ピアノ買ってぇ〜〜♡!」とか「ピアノ欲しい〜ぃ♡!」とか、何かの機会を見つけてはオヤジへせがむようになった。
こうなると、あとは父娘どちらが根負けするか勝負しているようなもので、日常の慌ただしさに紛れて記憶の彼方へ忘れ去っていると、彼女の誕生日が近づいて、プレゼントをネタに「買ってぇ~♡!」が始まる。
なんとかノラリクラリ話題をそらしていると、クリスマスが近づいて、またプレゼントをネタに「買ってぇ~♡!」が始まる。
仏教の坊主にキリストさん事情は混同できないと宗教的条件を持ち出そうにも、自分自身が少年時代から万善寺の場合は世界の宗教が都合よく混在して特に気にすることもないで大きく育った経緯もあって、なかなかノー!と言えないところもあるから、またまたノラリクラリ話題をそらすことになる。
そうこうしているうちに年が変わって1年が過ぎてまた誕生日が近づいてくる・・・

いつまでも父娘でこういうことを繰り返していてもキリがないから、どこかで「一区切りつけないとなぁ〜・・」とぼんやり思っていたら、突然じゅん君が中古車の更新費用を補助してくれと泣きついてきた。
こちらの方も、前々からさりげなく車の更新話を漏れ聞いていて知らないふりして逃げ続けていたのに、気づかない間にボクのバリアの外堀から少しずつ崩されていたようなところがあって、仕方ないからコツコツ貯めてきた500円貯金などをかき集めてじゅん君へ送金した。

その500円貯金は本当ならノッチがシンガポールにいた頃に「私がいる間にコッチへ遊びに来ない♡」と優しく誘ってくれたことがあって、それの旅行費用に当てようと貯め始めたものだった。
それが結局、ジジババの葬式などでキャンセルになったまま、今度はフロリダに行ってまた「私がいる間にコッチへ遊びに来ない♡」と優しくノッチが誘ってくれたから、それで気を取り直して本気になって500円貯金を再開しつつワイフと日程調整をしたが、それも上手くいかなくなってつい1ヶ月ほど前に最終的に断念したところだった。

そんな、オヤジの涙ぐましい地道な貯金活動は、幸か不幸か、ソコソコそれなりの成果があって、眼前の事実に向き合ってみると、土壇場でかろうじて機能してしまったりするものだから、「アレは最初から無かったことだとあきらめて忘れたらそれですむし・・・」と、大した未練もなくその時々の事情に合わせて有効利用し続けている。
そして、じゅん君の必要経費に当てた残りが都合よくキーポンのピアノ購入補助金に化けた。なっちゃんの結婚式でご祝儀に切り崩してから1年の間にソコソコ溜まっていたわけでなかなかあなどれない。
この500円貯金もイザというときの助けになっているということが証明されたような気もしていて、最近は500円を貯めることに何かしら喜びを感じるまでになった。

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梅雨本番 

2018/07/04
Wed. 23:53

飯南高原とその周辺に点在する禅宗寺院の大般若会法要が一巡して一段落。

昨年までは、万善寺だけがポツンと離れて8月にあった。
そもそもの大般若会法要の意味合いから、地域の事情を考慮した春から初夏へかけての時期に法要を集めたほうが妥当だとして、住職を引き継いでから何年もその気持を温めていた。それが今年になってやっと具体的に実践できたことになる。

島根の飯南高原あたりは毛利元就さん以降寺院の改宗などで浄土真宗が殆どになった。
その中で禅宗は臨済宗2ヵ寺、曹洞宗3ヵ寺が現役で機能していて、他宗も含めて他の幾つかの寺院は廃寺か空き寺か兼務寺になる。
大般若会法要を厳修するのは現役で機能する禅寺だけで、それぞれ手間替え随喜する。

大般若会は、原則として600巻の大般若波羅蜜多経典を転読する佛法興隆国家平安身体安全祈祷としてとても重要な法要になる。各寺院の住職が導師を勤め、大般若理趣分経を読み通し、同時に随喜の方丈さまが大般若波羅蜜多経を転読される。
住職の理趣分経作法は寺ごとに口伝されたものでそれぞれ違うが、住職の世代交代もほぼ落ち着いた最近は、特におたがい申し合わせるわけでもなく、なんとなく随喜の方丈さまに負担のかからないような工夫が各寺院でされるようになってきた。
ざっくりいうと、割愛も出来ない大事なポイントを抽出して法要を簡易的簡潔にまとめるということ。
正式な法式に沿って法要を勧めたら相当長いことになって、お参りの檀信徒さんもグッタリ疲れて祈祷どころではなくなって本末転倒と化す。
時代の流れに流されてばかりもよろしくないが、世間の目が向く先を無視もできない。
大事なのは、それぞれの方丈さまが経典の根本をしっかり自覚して粛々と念を込めて一つの法要に向き合うということだと思う。
もっとも、万善寺住職のナンチャッテ坊主は、なかなかキッチリと念の入った理趣分経読み込みが出来ないで恥ずかしい始末だが・・・

とにかく、6月に万善寺が終わって、7月に入って昨日厳修された臨済禅寺の大般若会で今年の各寺院が一巡した。なんとなく気持ちもスッキリして清々しい・・・といったところだが、天気の方は思わしくなく、法要が終了するのを待っていたように、曇天が増して雨になった。梅雨だから仕方ないことだが、それにしても最近の島根全域はいつも以上に水含量が増して、このまま雨が続くと災害を避けられないところまできている。
寺のことはもちろんだが、石見銀山も気になるし、断続的な豪雨の続く銀山街道を北上して夕方少し早めに吉田家へ帰着した。
珍しくクロが愛想よく出迎えてくれた。シロもどこかから現れて甘え鳴きしながら抱っこをせがんできた。ネコチャンズも豪雨の天候不順で落ち着かないのかもしれない。
ワイフに帰宅を伝えて荷物をおいてシロを抱きしめてやった・・・のだが、それが気に入らなかったのか?突然腕の中でもがき始めておもいっきり引掻かれた・・・汗をかきながら大般若波羅蜜多経を転読したのに、ボク自身へのご利益は付いてこなかったようだ・・

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突然一瞬多忙万善寺 

2018/07/03
Tue. 23:58

先月の終わり頃になって法事が立て込んだ。
「基本年中暇万善寺」が「突然一瞬多忙万善寺」になって、住職の暮らしが一時期大きく変わった。

些細なことも含めて一つずつ上げればキリがないが、強いて「コレだ!」と云えば、食生活に炭水化物が激増したこと。
年齢のせいもあるのだろうか、最近は食欲をあまり強く感じることが薄らいで、日頃から朝食と昼食を併せてお昼前後の1食と、あとは吉田家でワイフの手料理を夕食に堪能させてもらって、その時にちょいと1杯やれば、それで1日が満足して終わる・・・という日常に慣れていた。
その日常が法事の連続で乱れた。

法事の度に頂く斎膳弁当、お餅と赤飯、法事まんじゅう、和菓子・・・どれも、あまり日持ちのしないものばかり・・・
法事が終わって斎の席をしばらく過ごし、「坊主は中座が習わしとなっておりますので・・」と断って少し早めに席を辞して寺へ帰ると、まずはお布施以下、法事の一式をお供えして、それから御下がりを一つずつ確認して、日持ちのするもの、夜の留守番諸氏の好物、ナマモノなどなど仕分けする。
お布施は頭の黒い夜の輩にとっては好物だろうが、いつも留守番しているネズミ達にとってはそれほど興味が無いものなので、そのままご本尊様へしばらくお供えする。
海苔とか麺類などの乾物やクッキーなどの洋菓子とか調味料詰め合わせなど日持ちのするものは三方へ懐紙を広げてこれもしばらくご本尊様とか両祖様とか位牌堂とか、それに豊川様へ分配してお供えする。
一考を要するのは、夜の留守番諸氏の好物を仕分けすることと、日持ちのしないナマモノのお供え管理・・・これは、原則として夕方の本堂巡回にあわせて御下がりとして庫裏へ持ち帰ることにしている。
最後に、斎膳弁当・・・これは、さすがに仏様へお供えするわけにいかないので、大体はワイフへのお土産にする。

そして・・・贅沢にも有難く坊主頭を抱えてしまうのは、生菓子やお餅赤飯。
これは、吉田家へ持ち帰っても冷蔵庫でパリパリに固まって眠り続けることになるか、テーブルの端に放置されてカビの温床になるか・・・だいたい先行き粗末なことになってしまうので、万善寺の冷凍庫でしばらく保管することになる。
お供え餅は、包丁が入るほどの硬さを見計らって切り餅にした後冷凍庫行きとなる。
この、万善寺冷凍庫がこの度連続した法事でオーバーフローした。
その冷凍庫から溢れた幾つかは冷蔵庫で保管するがそれも限りがある。

結局この1週間あまり、毎日寺の一人飯は冷蔵庫から溢れた麺類と餅と赤飯を順繰りに回転させながら、和風洋風手を変え品を変え味を変え食べ続けている。
それで今夜は3巡目のパスタ・・・これでやっとあと一束茹でればパスタ完食となる!

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台風接近 

2018/07/02
Mon. 23:06

台風が近づいている。このままだと日本海へ抜けるようだ。
島根県は台風の通過経路になることが多い割には太平洋側のように大きな被害が少ない。
万善寺はというと、北側に山を背負っていて、東には海抜1000m級の琴弾山があって、南から西に向けて保賀の谷が開けている関係で、台風が日本海側へ来ると風当たりが強い。

もう数十年は前のことになるが、台風通過の影響で局地的な突風が保賀の谷を通過した時、土蔵のトタン屋根がソックリ吹き飛ばされて上空で一回転して寺の畑へ舞い落ちたことがある。その時は隣の家の車庫も被害にあったが、保賀の谷のそれ以外の家も場所も全く被害を受けなかった。その時の私はまだ通勤族で島根の各所を移動していて寺で落ち着いて暮らす前だったから詳しい状況は寺ぐらしの老住職夫婦から聞き取るしか無かった。彼らの話を総合すると、たぶん小規模な竜巻が保賀の谷の西から東へ通過したのだと想像できた。
屋根が吹き飛ばされた時に慌てた両親がすぐに連絡をよこして大騒ぎして落ち着く様子が無かったから、とにかく急いで寺まで帰ってみると、トタン屋根の形がそのまま壊れないでひっくり返って寺の一段低い境内地の畑へフワリとかぶさっていた。
すぐに大工さんを呼んでブルーシートで土蔵の応急処置をしてから、数日かけて屋根を分解解体した。
その時の屋根の廃材は、地道に本堂の床下まで移動して、それから後、少しずつストーブの焚付に裁断していまだに使い続けている。

今どきトタン屋根の土蔵は珍しい。
私が少年時代の昔は、檜皮葺きの屋根だった。その檜皮葺きの頃も、大風が吹くと檜皮のパーツが何枚かパラパラめくれ飛んで、その度に屋根葺きの職人さんへ修理を依頼していた。それが毎年台風シーズンになると頻繁に続くので、トタンに張り替えることにした。
本当は土蔵の管理上瓦葺きが屋根の重しにもなってベストなのだが、当時から万善寺の財政は厳しかったからそれも叶わなかった。

この近年は、年々気象状況が悪化して一昔前ではありえないほどの大きな被害が多発するようになった。梅雨から秋の台風被害に冬の雪害や、先頃の島根県中央部地震被害と、寺の管理者としてはほぼ1年中気の休まらないことが増えてきた。
庫裏の南側にある檀家さん寄進の昔ながらのガラス戸も、土蔵がある御蔭で大風の影響を直接受けないですんでいるが、これで土蔵を解体することになったりすると、台風の風がダイレクトに庫裏のガラス戸を直撃することになる。

朝から少しずつ風当たりが強くなっている。
石見銀山のことも心配でワイフに問い合わせたら、向こうは特に気になる程でもないようで、それより見慣れない野良猫が彷徨いてクロが興奮してそれが気になっているらしい。
ボクによく似た性格の内弁慶で小心者のクロのことも心配ではあるが、ひとまず吉田家のことはワイフに託して、万善寺管理者は台風の様子見で一晩寺へ泊まることにした。

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石見銀山史跡一斉清掃 

2018/07/01
Sun. 23:26

石見銀山の自治会単位で行われる史跡一斉清掃は、世界遺産登録の話が芽生える遥か昔から続けられている年中行事のひとつである。

吉田家は、長男のじゅん君が小学校1年生になる年に石見銀山の町へ移住した。
その時移り住んだ借家は銀山自治会にあった。それから数年して今の駒の足自治会へあった古民家を改修してそちらへ引っ越した。駒の足自治会の史跡清掃受け持ち場所は銀山地区にあった廃寺龍昌寺跡とその周辺。

吉田家が石見銀山で暮らしはじめた頃は、観光客の姿も見かけない閑散としたゴーストタウンに近い状態で、人口は500人を超えていたが、殆どが高齢者でじゅん君が通いはじめた大森小学校はかろうじて複式学級を免れる極小規模状態だった。自治会活動も人口減少で縮小傾向にあって、秋の町民体育大会も自治会単位での参加人数確保が難しく、小学校と幼稚園の運動会を抱き合わせて合同総合体育大会として開催されるほどだった。
そういうこともあって、史跡一斉清掃は人数確保も難しいので当時から一家に一人体制を解体して大人の全員参加が基本になっていた。それでも結局は高齢者世帯や独居老人の参加は期待できないから一人あたりはかなりの重労働だった。

そこまでして絶えることなく継続してきた勤労奉仕活動だったが、2007年の世界遺産登録以降、状況が一変した。
石見銀山に関係のある一般企業を中心にしたボランティア清掃や、行政指導で募集されるボランティア清掃など、1年を通して何度となくアチコチの史跡清掃が行われるようになって地域の整備も本格的に継続されるようになった。
世界遺産効果で、若者のIターンやじゅん君世代も含め地元出身のUターンも定着して、結婚と出産子育ても増えて、今は全体として人口減少は続いているものの、住民の平均年齢は少しずつ下がってきた。

前日まで大雨が続いていたから、史跡清掃が出来るかどうか心配していたが、朝になったら雨も上がっていて、銀山川の水位もいつもと変わらないくらいまで落ち着いていた。
駒の足自治会はベビーラッシュで人口が倍増するまでになった。草刈り機も10台近くすぐに集まるし、小一時間もあればすぐにキレイになる。
私などもう隠居しても良いくらいになった。

龍昌寺は、万善寺と同宗の禅寺だった。
境内に残された墓石を確かめると昭和初期の頃までは現在地にあったようだ。
詳しくは知らないが、災害か火災かで伽藍が消失したあと、同じ場所での再建が断念されて、当時の住職が隣町の適当な平地へ規模を縮小して移築されたということだ。確かに、今のような車社会に於いては日常の暮らしがとても不便な立地条件に変わりはない。
今は、伽藍のあった境内の平地全体へ杉が植林されてある。もうかなり大きく立派に育っているが、伐採搬出も難しそうだ。
清掃終了に合わせたように杉の木立の先に御来光が美しい。
姿勢を正して手を合わせた。

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週末は石見銀山 

2018/06/30
Sat. 23:29

6月の仏事イベントが全て終了して、緊張が少し緩んだ。
単身赴任坊主が増えていたところだが、週末は石見銀山で過ごすことができそうだ。

浄土寺前住職の一周忌が終わって昼過ぎに万善寺へ帰ると、大衣を衣紋掛けに移して白衣襦袢などを洗った。
7月に入ったら、臨済宗寺院の大般若会があるので、大衣はギリギリまで吊るして風を通しておこうと思う。これから秋になるまでは汗もたくさんかくし衣の管理が難しくなる。
手頃な和箪笥が老朽化したので引き出しを抜いて台所へ茶箪笥におろしてからあと、まともに大衣や袈裟など坊主衣装を仕舞う場所が手薄になっている。
いまだに手付かずの前住職夫婦の遺品がアチコチへたくさん残っていて、なかなか整理できないまま2年が過ぎた。来年には母親の三回忌があって、それで寺の法事はまず一段落するから、その後の身辺整理をそろそろ計画しておこうと思う。
とにかく、昔と違って今の暮らしはモノを捨てることがとても難しくなった。いらないものは出来るだけ早く始末しておかないと日常の暮らしが不自由になってキリが無くなる。

超豪華な斎膳の折弁当を持ち帰って、少し落ち着いてからゆっくりと昼食にしようと思っていたのに、寺のアレコレをしているうちにその機会を逃してしまった。気がつくと午後のティータイム時が迫っているし、その頃になって折弁当を開くのも億劫になったので、井戸水を湯にして濃いめのコーヒーをマグカップにたっぷりと入れた。寺のデスクトップを立ち上げてメールを確認したら、ものすごい量のメールが溜まっていた。ウエブニュースを確認すると、今度の大雨は飯南高原のあたりだけでなくて、沖縄の方では台風も近づいているようだし、梅雨が開けた地域もあるようで、自分が気づかいない間に日本各地でいろんなコトがあっていた。

日曜日には恒例の石見銀山史跡一斉清掃があるから草刈り機を運びたかったのだが、銀くんのリヤデッキに積むには雨が心配なのでそれは次に回すことにした。
石見銀山の様子も気になるし、急いで帰り支度をして夕方早くに万善寺を出発した。街道から左折して銀山の町へ入ると、羅漢寺川が泥水に変わっていて銀山川へ合流するところで濁流になっていた。雨の方はひとまず止んでいる。
吉田家の玄関先へツバメのフンが溜まっている。見上げると留守にしている間にヒナが大きくなっていて窮屈そうに並んで巣の端へ顎を乗せていた。

夜はまたすごい雨になった。大粒の雨が大屋根を叩いて、それがうるさくてほとんど眠れなかった。朝も時折強烈な雨が降ったが、しばらく会話のないままでいたし情報交換も兼ねてワイフと買い物に出かけた。浜田の魚を目指して西へ向かっている途中もバケツの水をうつしたような土砂降りが何度かあったが、昼を過ぎには止んだ。
自宅にいても二人の会話がなかなか成立しないし、少し距離が開いたと感じたら買い物を餌にワイフを連れ出すに限る。ドライブの時間が上手く機能して都合が良い。

夜はノドグロのアラ煮・・・アラにしては少し高かったけど、ワイフの腕を堪能した!

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豪雨の小祥忌 

2018/06/29
Fri. 23:30

最近・・というか、近年の雨の降り様は尋常でない。
昨日から本格的な雨になったが、これが突然物凄い豪雨がドッと降り出して境内がアッという間に池になってしまうほどのゲリラ豪雨。これほど激しい雨が一瞬で降ると、いつもの排水の傾斜や大屋根からの雨樋などまったく役に立たないでアチコチでオーバーフローを起こす。
一昔前はこういうタイプの雨など降らなかった。
それに、しばらく続いた猛暑も6月のうちに気温が30℃を超えることなど記憶の限り経験がない。

前日から深夜にかけて、飯南高原は大荒れに荒れた。
浄土寺前住職の一周忌法要の朝も大雨で明けた。
司会原稿はすでに届いていて、それを元にお参りのお檀家さん用レジュメ解説も45部印刷しておいた。万善寺住職の事前準備はすでに終わっていて、あとはそれらを忘れないように大衣用の頭陀袋へ仕舞えば良い。
玄関前に横付けしておいた銀くんの屋根で大屋根からあふれた雨が大きく跳ねて窓ガラスを流れ落ちている。銀くんへ乗り込むのも一苦労で、雨のタイミングを読み誤ると改良衣が一瞬でずぶ濡れになりそうだ。他に荷物もあるし、一周忌法要は朝からえらいことになった・・・

なんとか、大雨の間隙を縫って銀くんへ飛び乗って、国道へ合流して右折した。
朝のこの時間帯は対向車線を通勤の車列が広島方面へ流れている。飯南高原の町役場や小中高の学校もそっち方面になるから、それが影響しているかもしれない。
国道54号線は、数年前に松江から広島尾道を結ぶ松江尾道道が全線開通した。一部区間を除いてほとんど無料通行区間になっているので、長距離の物流や商用車はほとんどそちらへ迂回するようになった。
それ以来、国道の交通量が激減して、日頃は近隣地域の生活車専用道となった。国土交通省の出先機関がすぐ近くにあって頻繁に巡回している様子なのに、なぜか国道の補修工事が殆ど無い。自動車道が開通する前は一年中どこかで補修工事をしていて、片側交互通行でイライラの連続だったが、最近はそういうことも稀になった。
今度の猛烈な豪雨が補修のない国道のくぼんだ轍を頼りに流れ下って一瞬で川に変わった。轍を避けられないまま銀くんを走らせていると洗車マシーンを潜っているようにすっぽりと雨水に浸かってしまった。
いつもはたった5分の距離がやたら遠く感じた・・・

そんな悪天候の中、法要は粛々と進み、斎膳の頃にはそれまでの雨が嘘のように上がった。
プリントの部数がかなり余った。この雨でお参りを躊躇されたお檀家さんも多かったのだろう。自然を相手にどうなるものでもないから無理はしないことだ。
司会解説をしながら先ごろ書いた塔婆の裏書きを思い出していた。さすがにこの豪雨では「坐看雲起時」の境地に浸る余裕など、ナンチャッテ坊主には無理なことです・・・

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浄土寺一周忌解説

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曇天の朝 

2018/06/28
Thu. 23:51

朝から雲行きが怪しくなって、風も強くなるし、梅雨らしくなったといえばそれまでだが、今まで真夏のような天気が続いていたから、気持ちのほうが上手く順応できないでいる。

万善寺の庫裏へ銀くんを横付けして玄関の鍵を開けて荷物を運んだりしてポストを確認したら、今度の1周忌法要で配役を受けた司会原稿が入っていた。
昨日の夕方は、書類の提出などがあっていつもより早く寺を出たから、それから後に方丈さんが訪ねられたのだろう。留守をして悪いことをした・・・
すでに届いていた差定案内を見ておおよそのレジュメは用意してあったから、内容を確認しながら原稿の過不足を調整すればなんとかなるはずだ。

それにしても、風が強くて時折遠雷も聞こえてくる。
万善寺の境内が気になってなかなか原稿に集中できないから、ひとまず会場のお寺まで出かけてみることにした。隣町のことだから5分もあれば寺へ着く。
その間にも雲がどんどん下がっていつ雨になってもおかしくない状況だ。
参道を上ったら、駐車場へ数台の車があってお檀家さん方が忙しく準備作業をしていらっしゃる。
ご住職の車がなかったからお留守だとわかった。それでも、そのまま引き返すのも失礼だから庫裏玄関を訪ねて経緯を伝えておいた。

その寺のご本尊様は阿弥陀如来さんのはずだ。
山号を養加山というから、それだけでもご本尊様がだいたい想像できるが、寺名の浄土寺と併せてみると、阿弥陀さんの功徳がそのまま寺の名前につながってとてもわかり易い。
一周忌の先代住職は22世で、偶然にも万善寺の先代住職憲正さんも同じ22世だった。
そういうこともあって、私個人としては憲正さんが現役引退してから後は何かにつけて頼りにしていたし、色々お世話にもなった。
だからだろうか・・・憲正さんのことを思い出すたびに何かしらそれに連動してその方丈さんのことも偲ばれて親近感があった。
法式差定のことや寺院宛案内の様式のことなどで相談に伺うと、ご在宅の時はだいたい本堂脇に併設された檀信徒会館の窓際で新聞を読まれたりしてくつろいでいらした。
チロだったかコロだったか?・・そういう名前の柴犬が飼われていて、鳩や雀が方丈さまを恐れないですぐ近くまで寄っていた。適度に俗っぽいところもあって砕けた会話も普通に出来たが、一方で所作の決まり事には厳しいところもあって、私が住職交代をしてから後は、万善寺の法要になると、どの方丈さまより早く到着されてさりげなく荘厳や配置の確認がてら本堂のご本尊様へお参りされた。
万善寺は親族身内だけで仏事を仕切るから、法要の当日はお寺さまのおもてなしが行き届かなくてずいぶん失礼なことばかりした。
今更どうすることにもならないが、明日の法要は自分なりに精一杯おつとめさせていただこうと思っている。
お檀家さんの身施の御蔭もあって、本堂荘厳もスキなく準備万端整えられてあった。

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真夜中のラムちゃん 

2018/06/27
Wed. 23:10

まだ6月とは思えないほど暑くて、昼食が終わっても、すぐには外仕事をする気になれなくて昼休みがどんどん長くなってしまう。
近年になく暑さが身体にこたえて何もする気になれない。
今年は、今まで経験がない冬の極寒で苦労したし、少し前までは連日の草刈りで体力を奪われていたから、そういうことの積み重ねと密かに忍び寄る老化が重なって、身体が悲鳴を上げているのだろうと思っていたのだが、たまに夕方早く帰宅してみると、吉田家の連中も一緒のように昼間からアチコチでグッタリとゴロゴロしてまったくやる気がない。
自分の体力減退が原因でいつもより暑さが厳しく感じているのだろうと思っていたが、それだけでもなさそうだ。

ワイフが家に居ると常にテレビがつきっぱなしになっている。
何気なく地方版のニュースを見ていたら、各地で記録的な暑さを観測したと云っている。
少し前には島根県の川本町で全国一の暑さを記録した日があったらしい。
川本町というと、東西に長い島根県のほぼ中央に位置していて、広島県の方から日本海へ向けて流れている江の川の中流にある山間の町だ。
私は、まだ30代の頃4年間ほどその町へ毎日通勤していたことがある。江の川沿岸の申し訳程度の平地を頼って形成された小さな町で、そういう地形をよく知っているから、とても全国一暑くなるようなところではないと、すぐにはその情報を信じることが出来なかった。
「まんざら、体力減退のせいだけでもなさそうだな・・」と、今の暑さのほうが正常でないことをわかった気がする。そうしてみると、クロが吉田家で一番涼しそうな場所を見つけてだらしなく転がっている様子も納得できる。

とにかく、この数日は我慢出来ないほどの暑さが続いていて、寝不足が慢性化して1日中身体が重たくてダルい。それで特にこれといって何をするわけでもなくだらしなく過ごしているのに、なぜかいつの間にか腹が減っていてなにか食べたくなって、結局冷蔵庫や冷凍庫をあさって簡単に食べられそうなものを探し出したりしてしまう。寺の用事のこともあって一泊したときもそういうメシのことになると身体が普通に動いて台所でセッセとありあわせの何かをつくっていたりする。
「こういう時は栄養をとって体力温存しないと・・」などと適当な理由をでっち上げて、冷凍庫で眠っていたラム肉の残りと、冷蔵庫の奥の方で忘れられていたスパゲッティの使いかけを探し出して夕食にした。それに、アルコールの力を借りれば蒸し暑さに負けないで「ぐっすり眠れるはずだ!」と都合の良い理由も添えたのだが、その効果もなく夜中に寝苦しくて目が覚めて、そのまま寝られなくなってしまった。まだ、自分の身体のほうが蒸し暑さに慣れていなくて、何をする気にもなれない。読みかけの本もあるし、連続のアメリカドラマもあるし、暇つぶしは幾らでもできるはずなのだがそれも面倒臭い。
・・・そして、思いつくことといえば、飲むことくらいしかなくて、また真夜中の台所のアチコチを物色し始める。それで、ラム酒の残りを見つけてトマトジュースで割ってグビッと一口やったら、少し元気が出た。
こんなことばかりやってるから、また最近になって太りはじめた・・・

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差定配役 

2018/06/26
Tue. 23:18

今週末には同宗寺院の先住忌法要がある。
早いもので、現職のまま遷化されて1年が経つ。
その大和尚さまは、遷化の半月前に万善寺の憲正さん三回忌の法事で導師をしていただいた。
あの時は、まさかそれから1ヶ月も経たないで亡くなられるとは思ってもいなかった。焼香にも立たれ、香語も用意され、お経もいつもどおりおつとめになられた。斎膳でもお酒を飲まれ、終始にこやかに過ごしておられた。
1年後の今にして思うと、すでにその頃は病気も進んで体調不良が続いていたのだろう。それを周囲に悟らせないまま平然とされる姿を思い出すと、そこまでの精神力の強さや覚悟に驚くばかりだ。

一周忌の法要では、司会の配役を指名された。
私の膝が曲がらなくなってしまったので、正座や三拝などの所作が難しいだろうと配慮を頂いたことになる。
膝のことは、もう10年は前に「アレッ?なにかへんだぞ??」と思い当たることがあって、それをかばいながらそれまでと同じ日常を過ごしていたら、今から4年くらい前のことだっただろうか??・・・彫刻の制作中に些細なことで怪我をしてしまって、その怪我が膝の症状悪化を誘発してしまったことが、現在の状況の原因になってしまった。
10年前というと、ちょうど、それまでの彫刻のテーマを次につなげようと悩んでいた頃で、何度めかの個展も思いついていて、それで一気に制作の展開を決めてしまおうと、そのことばかり思いながら1年近く彫刻を引きずっている時期だった。
膝の不具合を無視して、数十kgの鉄材をほぼ人力で動かし続けていたことも、膝にとっては大きな負担になっていたのだろう。

いずれにしても、曹洞宗の方丈さま方の差定配役所作は、素晴らしくキリリと締まった振る舞いに終始するから、私のように正座もできない坊主は法要全体の流れを乱す不届き者であって、無理して表舞台へしゃしゃり出るような真似は慎むべきことである。何もしないわけにいかないし、あてがわれた配役を謹んで承って、現ご住職のお考えに即した。
いずれ、期日が近づいたら原稿をいただけるだろうから、それまでに自分で出来ることを少しずつまとめているところだ。司会と云っても、結婚式披露宴のようにベラベラと賑やかに場の盛り上がるようなおしゃべりを続けるわけにもいかないし、宗門には、司会専門といえるほどの立派でプロフェッショナルな方丈さまもたくさんいらっしゃるから、わたしにできることは、ほとんどなにもないに等しい。そこで、思いついたのが、レジュメのような解説をプリントしてお参りの皆様へ配布すること。こうしておけば、法要までの暇つぶしにもなるし、法要中に場の読めないおしゃべりを続けることも減るし、それに、メモ程度のことでも文字に置き換えておけば、檀信徒の皆さんもあとになってよくわからない仏教用語の確認ができるかもしれないし、なにもないよりは少しはなにかの役に立つこともあるだろうと、無い知恵を絞って原稿を作り始めた。
カットの一つくらいは「あってもいいかな?」と、久しぶりに筆でメモしてみた。お仏壇の重要な三具足(みつぐそく)の配置ですが、みなさん、なんの絵かわかりますか??

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不義理 

2018/06/25
Mon. 23:41

寺籍調査でいろいろな項目へ数字などを記入していたら、この10年間で絶縁や連絡先不明が5軒あって、万善寺の名簿から削除することになった。
絶縁は、ひとまず親族の連絡先も確認できていて、過去帳の移行処置とか離檀の手続きとか送付するのだが、回答の返事を待っても無反応にスルーされて返ってくることはない。
連絡先不明に関しては、こちらでどうすることも出来ないから、万善寺の位牌堂へ安座されている先祖代々の位牌を撤去しておくしか方法がない。
家庭の事情も色々あるのだろうが、自分の親のことでも死んでしまえば仏事一切放り出して菩提寺との付き合いを絶ってしまうような不義理が普通に行われるようになったのは残念なことだ。

一方で、自分のことはと云うと、彫刻家吉田正純は平然と周辺同業への不義理を続けていて、自分で言うのもどうかと思うが実に失礼なことだ。
これで立場が違えば、口も聞きたくない顔も見たくないほどの我儘者でしかない。
そういうことを十分にわかっていても、それでも自分ではどうしようもなく体制に迎合できなかったりするところもあって、それだからやはり自分の方から少し距離をおいたほうが都合良かったりするわけだ。
組織というのはある程度個人の都合や考えを犠牲にして付き合うことをしておかないと、円滑な運営は望めないところもある。しかし、それが彫刻家のような作家集団となると、ある程度作家性の相違を許容して付き合わないと組織運営はうまくいかなくなる。そういう常識はおおよそ理解できているとは思うのだが、どうしても彫刻家吉田正純個人の気持ちとか立ち位置を優先すると、組織的活動が負担になって自分の制作意欲とか方向性が矮小化してしまう。
彫刻家であってもそれなりに人の付き合いも大事なことだとはわかるが、いつの間にかそれが優先して制作が惰性になってしまったりすると、自分の本来あるべき姿を見失って制作の意欲まで希薄なものになることも無いわけではなく、そうなってしまう自分が怖い。
2010年から続けている島根県内での小品彫刻展は、実に緩やかな拘束のもとで運営している。それぞれの作家が出来ることをそれぞれの作家に託しておく程度でなんとか最低限の運営が出来ていればそれで十分だと思う。やはり大事なのは運営業務の負担が彫刻の制作意欲を阻害しないことにある。一人ひとりの彫刻家がその時々で最高の彫刻を制作して発表できる環境を確保することが大事なことだ。

菩提寺への不義理も、彫刻組織への不義理も、見た目はそれほど差はないことだとは思うが、その真意の清浄には大きな差があると思う。菩提寺の経営や住職の思想に抵抗しての離反であれば、まだお互いに会話もできて歩み寄れる余地も残されているかもしれない。彫刻組織についてもボクの気持ちの元はだいたい似たようなものだと思っているから、なにかしら会話の機会でもあれば停滞した現状を再構築できる妙案が浮かぶかもしれない。

寺泊が続くとキーポンが送ってくれたハーブエキスの瓶から、ビールに数滴継ぎ足して時々のカクテルもどきを楽しんでいる。見た目が同じでも味がかなり変わる。新鮮な味覚に誘われてついつい飲みすぎてしまうところは少々ヤバイが、たまにはそれも良い。

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縁日 

2018/06/24
Sun. 23:15

毎年弘法大師さまのご縁日前後に御大師講があって、地域の集会所におじゃまして、安座されたお大師さま尊前の守護祭事とお参り各家先祖供養の塔婆回向を厳修する。

そもそも、お大師さまは真言宗の開祖様なので曹洞宗の万善寺が宗派を超えて大事な法要を厳修して良いものなのかどうか・・・現住職としては判断に苦しむところではある。
そういう、一抹の疑念を感じながらも、代々地域に根づいた民衆の宗教行事もそれはそれで大事なことだし、仏教の場合は此岸の高僧が入滅後の彼岸の国ではすべて立派な仏様となられてこの世に暮らす我々俗人の救済活動に日夜専念されていると言われていることでもあるから、ボクのようなナンチャッテ坊主でも「少しはお大師さま代行の役に立っているのかもしれない・・?」と思うようにして、前住職から引き継いだことを心をこめておつとめさせていただいている次第。
それで、だいたい春の田植えが落ち着いて、梅雨に入って田の水の心配も落ち着いた今頃から、お盆を挟んで秋分の日に至る時期で適当な日を決めて法要の依頼が入ってくる。
お大師さまは毎月21日がご縁日となる。縁日の定義は主役の神仏によって色々だが、お大師さまの場合は入滅の日が縁日になったようで、それが現在まで引き継がれている。
私が御大師講へ前住職のお供でお参りするようになってからそろそろ20年位なるかもしれない。前住職の身体が動くうちは送迎要因でお付き合いし、そのついでに鳴り物の担当などをしていた。その後、仏事の全てを任されるようになって塔婆回向の和讃も私がするようになった。

縁日の場合、最近の年回法事と違って施主家の都合で日程調整されることは、基本的にあまりよろしくない。その日その当日の法要厳修がご利益につながる訳だから当然のことだ。だから、縁日の法要は昼の仕事が一段落した夕方から深夜にかけて厳修される。昔々は神仏がそれぞれの役割を果たしてバランスよく共存していたから、毎月の縁日になるとお参りのあとさきに夜店が出て娯楽の役を果たしていた。今でも日本の各地でその名残が続けられていて、規模は極小であるものの、万善寺の場合も縁日法要は全て夕方日が暮れて夜になってから始まる。周辺の寺院がその時々の事情で縁日法要を取りやめたり割愛したりするようになってからあとも、万善寺の前住職はそれをしなかったし、むしろ頑固に守り続けようとしていた。理由を詳しく聞き取ったわけではないが、基本的には仏宝興隆の重大さを祈念してのことだったと思う。
こうして、今現在縁日法要を引き継いでみると、その重大さが少しはわかるようになってきた気がする。
神仏の役割は現代文明や科学経済社会では証明の実態がない嘘言で済まされているようなところもあるが、そうはいっても、ひとの存在全てを客観的に必然的に証明できる社会構造が確立されているわけでもない。ひとの考えはひとそれぞれで、世間の常識が全ての人類に機能しているわけではない。今の世の中、殆どの人類はファジーなカオスに支配された迷宮で蠢いているばかりだ。そうであれば、能動的に何かを信じて何かにすがることで自分を楽にして浄化する具体的な手段が少しは現代社会に存在しても良いと思う。「おかげさまで・・・」生かさせてもらっている自分を客観的に見つめることも大事なことだ。
お大師さまの御下がりをいただいて、万善寺へ帰宅したのは夜9時を過ぎた頃だった。

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隠居が消えた 

2018/06/23
Sat. 23:48

10時始まりの法事なので、その準備をしていたらどうも体の節々が重たくて動きがポンコツロボットのようになってしまう。
いつもだったらしばらく我慢して動き続けていたら夜の間に硬直していた筋肉が少しずつ緩んで楽になる・・・そう思ってコーヒーを入れて白衣を着たりして、足袋を履こうと思ったら腰が曲がらないし膝も上がらない。
「どうもいつもと様子が違うなぁ〜・・・」と、しだいに気になり始めて、最近の数日間を振り返ってみたら、思い当たることが一つあった。
「本堂の荘厳の片付けだな・・・」

1年に2〜3回は本堂の荘厳をする。
まだ副住職だった頃は、年間のスケジュールを住職が取り仕切っていて、荘厳の日程も副住職(ボクのこと)の都合関係なく、寺の都合ですべてが決まっていた。どうしても私が荘厳を手伝えないことも時々あって、そういう時は内室の母親がブツブツ言いながら住職を手伝っていて、その時の様子をあとになって逐一漏らさず副住職の私へ報告というより小言の矛先を向けてきた。
そこまでして手伝ってもらわないでもいいだろうにとその頃は思っていたが、今になると荘厳作務の厳しさが身にしみてよくわかってきた。小事を聞きながらでもそれを我慢して手伝ってもらうほうがまだマシで助かる・・・のだ!
荘厳の片付け復元は、準備ほどではないがそれでも結構体力が必要になる。
踏み台の上り下りや長梯子の上り下りを20〜30回は繰り返しているだろう。これは、日頃自堕落に過ごしているナンチャッテ住職としてはかなりのハードワークといえる。
1週間の間に荘厳の上げ下げ2回を一人でこなしているわけだから、老体の節々が重たくなるのも当然のことだ。

「今朝は、身体が動かなくて足袋を履くのも一苦労で・・・まったく、体力も弱ってつまらんよぉ〜になりましたわぁ〜・・・」
お仏壇の前で法事朝課のお経を一通り終わった中休みのお茶をいただきながら世間話のつもりで万善寺の事情を話していたら、隣で聞いていた施主の親父さんが申し訳無さそうな神妙な顔で頷いていらっしゃる。
その様子に「シマッタ!」と気付いた。
飯南高原に点在する寺院は80%以上が浄土真宗さん。
だから、門徒さん方は毎月のように報恩感謝の勤労奉仕を習慣にしていらっしゃるし、寺の報恩講などの仏事法要には門徒さん参集で荘厳作務に汗を流される。
地域の付き合いの中でそういう実態は周知のことだから、万善寺のお檀家さんが寺の法要仏事にどれほど楽をしているかをよくご存知で、それの実態に目をつぶってヤブを突かないようにと、かえってその苦労があるかもしれない。
今は核家族が進んで、昔のように各家に「隠居」が消えた。寺とはだいたい施主家を代表して隠居さんが責任を持ってお付き合いされていたから、寺のことに堂々と手も口も出せていたところもある。
現住職の方も、ヤブを突きすぎないようにそれなりに気を使っているところであります。

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なっちゃんのおかげ 

2018/06/22
Fri. 23:57

島根沖アジのタタキと骨せんべいと南蛮漬け。
タイのアラ煮や鶏皮ポン酢あえなどなど・・・
本社出張で帰省中のなっちゃんのリクエストに答えて、ワイフが腕をふるった。
ボクはなっちゃんのおかげでとても豪華な夕食にありつくことが出来た幸せ者だ。

大般若会が終わって少し落ち着いたはずなのに、10年に一度調査が入る寺関係の書類を整えなければいけなくて、役場とか市役所とか関係諸庁舎をせわしなく行き来している。
前回は住職交代の前のことで前住職の憲正さんがすべての書類を作成していた。
あの頃は加齢によるもの忘れも進んでいて、すでに事務能力がかなり衰えていたから役場の行き来など大変な思いをしていたことだろう。
彼は、住職在職60年のベテランだったから、10年毎の寺籍調査も過去データの保管場所さえ忘れないでおけば変更箇所の修正でなんとか書類作成が出来ていたと思うが、さて、それが出来ていたかどうか・・・今になっては不明だ。

私の場合は、在職中にあと1回はこういう書類作成が巡ってくるだろうが、その次の2回めがあるかどうかは微妙なところだ。
こうして、自分の昔を振り返ると、一番長く続いている彫刻家でもまだ35年程度のことだから、憲正さんの辛抱は並大抵のことでないということをあらためて痛感する。
現住職のどうしようもなくだらしない人生が証明されたようで恥ずかしい限りだ。

週末から日曜日にかけて、法事などの仏事が重なる。
書類作成の合間を縫って、墨をすって塔婆を2枚書いた。
しばらくぶりの年回法事のことで、裏書きを何にしようか少し悩んだが、今の落ち着かない自分の状況を客観的に落ち着かせることも大事なことだと思って、「坐看雲起時」と書かせてもらった。
いつもより梅雨の入りが早かったわりに、その後、雨降りも長続きしなくて晴れて暑くなることもたくさんあって、そういう時はセッセと草刈りしたり庭掃きしたりサツキを刈り込んだり・・・毎日地べたばかり見て過ごしていた気がする。今度の二つの年回法事では、せめて15分位は坊主らしいお話をすることになるし、そのネタも考えておかなければいけない。坊主家業に熱心な近所の方丈さん方は説教師の資格なども持っておられて、1時間以上は普通に平気で説教講話をされる。私にできる話は彫刻の溶接作業や材料ネタのことくらいしか無いし、日頃の世間話でお茶を濁すわけにもいかないし、気が重い。

豪華な夕食をいただいて、満腹になって、いつもより早く寝た。
塔婆書きや寺務の役所巡りと、気遣いの多い一日だったから疲れが溜まったのかもしれない。横になると身体の節々が重たくて、それが気になって深夜に目が覚めた。部屋のどこかでクロが短く鳴いた。私の目覚めを気付いたのだろう。日頃はだいたいクールに適度な距離をおいてベタベタ甘えることもないが、さり気なく近くでオヤジを気遣ってくれているようなところもある。
明日は2時間のソロライブとMCがあって、夕方から御大師講の塔婆回向独演会と続く。

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絶滅の鍵 

2018/06/21
Thu. 23:59

いつもより少し遅れて吉田家を出発した。
梅雨らしくない爽やかな朝で、空気も澄んでいて気持ちが良い。

石見銀山の町並みから銀山街道へ合流してしばらく走ると、数年前まで瓦粘土を採土していた丘陵へ出る。まだ採土すれば粘土の埋蔵量が十分あるはずだが、神戸の大震災以来、瓦の重量が原因で家屋倒壊の被害が広がったというような風評被害が全国に広がって、島根県の瓦産業が一気に衰退した。
石見銀山で銀の採掘をしなくなってから後、周辺に広がる良質の粘土を原料とした瓦産業が発展した。島根県の山間部を東西に伸びる中国山地は、風化の進んだ古い土地で、様々な工業製品の原材料が豊富に点在している。そういう良質の材料を求めて職人集団が集まって、やがて工業地帯が広がって職を求めて労働者が集まって町が出来る。江戸時代の銀山街道は、そういう小規模な集落が広島県の瀬戸内まで続いていて、今では想像できないほどの賑わいだったはずだ。
平成時代の今は、古くからの植林も荒れて、人手の入らないまま原生林に戻って手の入れようも出来ないまでになっている。
人の入らなくなった山ではサルとかシカとかイノシシとかツキノワグマなどの動物が繁殖して、今は人間の暮らしを脅かす獣害として駆除の対象にまでなっている。

曹洞宗には十重禁戒の教えがあって、その第一に不殺生戎を挙げてある。
ダイレクトに意味を解くと「殺生はダメ!」と受け取られがちだが、その真意はもっと深いところにあって、〜人が生きるためには殺生を避けることが出来ない〜という前提が定まる。つまり、「自分は、たくさんの大切な命を頂くことによって生かさせていただいているのだ!」という認識が大事なことであり、そのための殺生であるわけだから無駄なくありがたく感謝して大切に食することが大事なのだというわけだ。
駆除の対象は単なる殺戮の残酷でしかないわけで、人間の自己中心的な傲慢でしかないことであると解釈できる。

イスラエルの学者、ハラリ氏の著書『サピエンス全史』では「人類は発展の過程で、数え切れないほどの動植物を絶滅させてきた」とある。気になってKindleのお試しダウンロードで読み始めたら、あまりに重たい内容で今の自分にはそれを読み切るだけの心の余裕がないと、途中でやめてしまった。彼は1万年に及ぶ人類の歴史を研究して著書にまとめているわけだからスケールがデカイ。お釈迦様の「不殺生戎」という教えは今から約2600年前からのこと。地球滅亡のカギはホモサピエンスが握っているといっていいだろう。

今は太陽光発電のプレートが広がる元採土場跡を過ぎて、銀くんの窓を開けて爽やかな風を受けながら銀山街道を走っていると、牧草地を抜けたなんでもないところで、フッと針葉樹の香りが銀くんを包み込んだ。その先のトンネルに入るとその香りが一気に強まった。それからトンネルへ入るたびに針葉樹の残り香が車内へ入り込んで、マイナスイオンに包み込まれた感じだ。飯南高原の赤名城跡が見えてそこから出雲街道へ合流するところで、伐採の枝木を山積みしたトラックが広島方面へ右折するのが見えた。香りの元はアレだった。

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ダメなオヤジ 

2018/06/20
Wed. 23:22

埼玉に暮らして東京へ通勤しているなっちゃんの会社の本社は島根にある。
現在の彼女は東京ベースで営業の仕事をしているようだが、業務内容までは詳しく知らない。
彼女は年に何回か島根の本社へ出張で帰省してくる。
私が法事などで飯南高原の万善寺でほぼ缶詰に近い状態の時に、出張で帰ってくることになったらしい。
ワイフとはしばらく前から帰省の情報交換をしていたようで、○○日は夕食がいらないとか△△日の夕食は自宅に帰るとか、アレが食べたいコレが欲しいなどと、年甲斐もなくお母さんへ甘えきっている様子だ。

四十九日の当日、早朝の保賀は谷全体が雲海に沈んで、山裾の万善寺も朝靄にすっぽりと包まれていた。施主家へ出かける時は霧雨に変わって梅雨らしい一日が始まった。
塗り位牌さんを点眼してお仏壇へ安座の法要を済ませた。それまで仏壇とは別にお祀りしてあった祭壇の片付けをして施主家を出ると、小雨が止んで空が少し明るくなっていた。
お地蔵さんから参道を登ると、駐車場脇へ伐採して山積みのサツキが茶色く乾き始めていた。そのままにしておくわけにもいかないから、いずれは焼却しようと考えているが、風が強かったり雨になったり法事が重なったりと、なかなか好機がつかめないままでいる。なっちゃんの帰省のこともあるから石見銀山の吉田家へ帰ろうと思っているから、今度もまた先送りになりそうだ。

アメリカ国内を旅行中のノッチが吉田家LINEに写真を送ってくれた。
カリフォルニアのディズニーランドへも行っていたようだ。お父さんへのお土産を自分で試着したようだが、仕方がない。いまだに気にかけてくれているだけでありがたい。
キーポンからも時々連絡が入るし、子供たちの元気な様子が確認できるだけで安心だ。

まぁ、そんな感じで娘たちとはソコソコ連絡がついているところへ、珍しくじゅん君の方から電話が入った。
彼の方から連絡してくるのはだいたい何かしら用事のあることばかりだ。今度もどうせそのようなことだろうと思っていたら、図星だった。
かなり前からチラチラと話を聞いていたが、ついに今乗っている車がダメになって買い換えることに決めたらしい。私も4月に変えたばかりだからオヤジの財政難はわかっているはずなのに、最後に頼ってくるのはオヤジしかいないということなのだろう。
おじいちゃんおばあちゃんが元気だった時は、オヤジの私のわからないところでジジババに泣きついていたらしいが、今はソレも出来ないし、まずはワイフへ相談していたようだがそれも失敗に終わって、結局頼る先はボクしかいないということだ!
「しかたないなぁ〜〜・・・、それでどれくらい必要なの?・・・」
良い歳した男が不甲斐ないことだと思いつつ、それでもまだ親に頼ってくる可愛いところもある。本人は必ず返すと云っているから信じてやろう!
これから本気に金策を考えないといけなくて現実は厳しいことだが、長男に頼ってこられる嬉しさも無いわけでもなく・・・まったく、ダメなオヤジだなぁ〜〜〜・・・

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2018-07