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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

コロナ渦 

2020/05/28
Thu. 17:06

何時頃何処からやってきたのか、境内の西側へ回り込んだ石垣沿いに根付いたムラサキツユクサが次々と花を咲かせ始めた。
飯南高原では6月を待たないで田植えがほぼ終わった。次は減反の田んぼへ大豆や蕎麦が植えられることになるのだが、それにプラスして耕作放棄地も増えてきたようだ。飯南高原の農耕地帯ではコロナ渦より高齢過疎化の影響のほうが大きいように感じる。
この頃は、雨と晴れが周期的に交互に巡ってくるので、寺と吉田家の整備作務のスケジュールが決めやすくなった。
それで、吉田家裏庭の方はおおよそ一巡して片付いて、あとは朝夕のひと時ほど枯れ草や枯れ木のクヨシをすればいつかそのうち片付くはずだ。
寺の方は、境内の東西南北をグルグル回りながら作務を続けているが、6月の万善寺大般若経転読会までに一巡して片付くことは難しいだろう。

3日ほど吉田家裏庭にかかりっきりだったから、その間に万善寺のポストが郵便物でいっぱいになっていた。
殆どは仏具屋さんからのダイレクトメールだったが、業者さんもコロナ対策絡みでなかなか商魂たくましい。
飯南高原一帯ではすでに行政からの第二弾マスク配布もあって、都合7枚ほど寺のポストへ投函されていた。ソレに加えて仏具屋さんからは白衣生地で造ったマスクが3枚送られてきたり、作務衣とおそろいマスクの注文表が届いていたりと、これから先、坊主業界でも当分の間各種マスクが大流行しそうだ。
SNSでもマスクデザインは賑わっているし、すでにワイフは吉田家家族のマスクを何枚も手づくりしているし、ポジティブなコロナ予防は小さなコミュニティーを越えて世界中に洗練されたマスクファッションが流行すると、それはそれでなかなか面白くなりそうだ。
ちなみに、あの「アベノマスク」は未だに島根の吉田家へは届いていない。今更届いてもまず使うことはないだろうと思いつつ、かといって廃棄するのもどうかと思うし、取り扱いに悩む面倒が残っていたのだが、なっちゃんが「捨てる神あればナントカ・・」という面白い情報を教えてくれた。

今年秋の展覧会に向けて本部事務局からアンケートが届いた。彫刻の制作出品展示作業は、人の濃密接触や長距離移動は避けられないから回答に窮した。
作家それぞれに制作発表の形態が違っているから、アンケート結果をもとにして展覧会の方向性を統一することは不可能だろうと思う。
個人的主観になるが、展覧会の本展開催が決定された場合は今までと変わりなく彫刻展示や搬入出に六本木まで往復しようと考えている。私の場合、彫刻展示は他人に任せることが出来ないからだ。それでも、例えば彫刻移動でお世話になっている業者さんに東京往復のチャータートラックを拒否されたり、共同搬入の作家が出品辞退をしたりすれば、彫刻の制作は出来ても展示発表が出来なくなる可能性もあるわけで、結局は体制の決定に我が身を委ねるしか選択肢は無いことになる。
コロナ渦は一人の彫刻作家のモチベーションにまで大きな影響を及ぼしている。
不要不急の外出自粛は、今までの生活様式を変えるほどのビッグウエーブになってきた。

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おがむこと 

2020/05/24
Sun. 17:23

自然の再生や成長のスピードに万善寺境内の整備作務が追いつかない。
人力の手間にエンジンの草刈機やチェンソーくらいでは太刀打ちできない。
あれもこれも理想や完成度ばかり追いかけていても、現実の実態に許容量が伴っていなければどうしょうもない。今の自分にできることをコツコツと続けていくしかないことだ。

「いつもお世話になります!長谷の○○ですが・・・今年のお大師さんのことなんですけど・・・」
万善寺の大般若経転読会まですでに1ヶ月を切って、弘法大師さんの月縁日もチョット前に過ぎたところだから、そろそろ問い合わせがあるかもしれないと思っていた。
万善寺から出雲街道を北上して出雲大社参詣道の一つへ合流してしばらく行った先にある集落が長谷になる。名前でわかるように保賀の集落とは比べ物にならないほど端から端までが長い。小学校までかなりの距離があって子供の足で通学が難しいということで昔は長谷分校があった。今の長谷お大師講メンバーの半分はその分校卒業生で残りの半分くらいは分校が廃校になった後の本校卒業生で私より若い。
長谷お大師講は集会所に改修した分校へ各家にお祀りのお大師様を集めて供養法要と先祖代々や古墳一切の塔婆回向がされる。電話はそのお伺いだった。

この近年はどの地域も代替わりが進んで、お大師講をはじめ、昔ながらの観音講とか薬師講などの民間信仰が廃れてきた。住職坊主の方も同じように代替わりが続いて、それを契機にお寺の方から御講の廃止を勧められたりされてジワジワと衰退が進んでいる。
万善寺はお寺の開基が天台宗絡みの曹洞宗だったりした関係からか、代々の住職口伝で祈祷法要が大事にされてきた。私も副住職のころから先代の侍者で各地域の御講法要へ出かけていたから、毎年の慣習として先代を引き継いで絶えること無く今に至っている。
電話は、コロナ渦の影響で世話人さんが開催の有無を悩みつつの相談だった。
「万善寺の法要はお参りの自粛があってもお寺での法要中止はありませんが、それでコロナを軽く考えているわけではありません。外出や三密集合の自粛もそろそろ2ヶ月になりますし、それだけの間に皆さんの自覚の気持ちも身についていらっしゃるでしょうから、それぞれのお考えで行動されても良いようにも思いますけど・・・お寺としては、むしろこういう状況の時であるから、余計にみんなでシッカリとコロナ終息への念を込めておがむことも大事なことと思っていますので・・・」
「お寺さんの方からそう云っていただくとこちらも少し気が楽になります。実は自分も中止する必要はないだろうと考えていたものですから。今度集まりがありますので、お寺さんのお考えもお話ししてどうするか決めさせていただこうと思いますので・・」改めてどうなったか連絡していただくことになった。話し合いが上手くまとまるといいけど・・

人の気持や考えは頭の数だけ人それぞれだから、ことの善し悪しとか正解不正解とか成功失敗とか、それぞれ条件とか環境によって判断が変わるだろう。これほど世間にコロナ渦が周知されると、個々人の軽率な行動はその人の責任に委ねるということも、人それぞれの人間力を高める方策に思う。お互いの自覚の深さや重さがコロナ渦終息に向けての支えになると、私個人はそう思っている。

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思いの場所 

2020/05/23
Sat. 19:09

飯南高原の朝はまだ9時前だというのに23℃まで気温が上昇していた。
昨日から一気に10℃も暖かくなった。そのせいでもないだろうが、ネズミが寺のアチコチへ出没するようになった。ピンクの毒エサを置いても、彼らはソレを別の所へ運んで隠しためてしまうから手に負えない。せっかく大衣や改良衣や袷の着物など洗濯して和箪笥に仕舞っておいても、奴らは箪笥にまで毒エサを持ち込んで着物の間へ溜め込んだりするからアイツラの活動が一段落するまでは衣替えを終わらせることが出来ない。
境内では猫が消えて帰ってきたスズメたちが朝も早くからやかましいほどに大騒ぎしている。草刈り機を使っていても気にする様子もない。彼らも水田の多い農村地帯で暮らしていると色々な農耕機のエンジン音に慣れているのだろう。

まだ雨の降る前、連休が始まる頃に、保賀のお檀家さんが寺の耕作放棄地へユンボを持ち込んで荒れ放題の低木や雑草や蔓かずらを根こそぎ引き抜いてくれた。
先代の憲正さんは何度かの手術をして無理ができなくなってから外の仕事は一切しなくなって、内室の母親が一人で畑を耕したり草刈りをしたりしていた。元気で身体の動くうちはツツジやサツキなどの低木を挿し木したり紫陽花の苗木をたくさん注文して畑の周辺に植栽したりして楽しんでいたのだが、そのうち身体も思うように動かなくなって毎年の剪定ができなくなった頃から、それらの木々や葛が自由に伸び放題に伸びて手がつけられなくなってしまった。
それからだいたい20年近く経って、ユンボが2日ほど動いてやっと昔の様子が蘇った。毎年のようにチマチマと切ったり刈ったりしていたのが、ほんの2日で更地に戻った。
数十年ぶりに全貌が蘇った石垣のあまりの荒れ様に心が痛んだ。昔、あの石垣にはオランダイチゴが根付いていて、シーズンになると赤く色づいた甘酸っぱいイチゴを石垣に張り付いて飽きること無く食べ続けていた・・・そんなことを思い出しながらノコとカマと剪定バサミを持ち替えながら荒れた石垣を掃除した。あの頃からすると、石積みの隙間が広がって全体が膨らんで張り出しているように思えた。

その石垣が庫裏の勝手口側へ回り込んだ先の土蔵脇へLandscapeシリーズで造っている彫刻を設置した。
その彫刻は、いずれは万善寺の境内地へ置くことを念頭に徳島の野外彫刻展用に造ったもので、制作してから約3年の間アチコチ彫刻の旅をしてやっと今年の春になって思いの場所へ落ち着いた。
徳島に向けて造る彫刻は、徳島市民の誰もが気軽に集う中央公園の環境を考慮して、大きなシリーズのククリの中でも比較的具象よりでわかり易いかたちを用意するようにしている。野外設置の彫刻であるから、全天候型で様々な気象条件に耐えられるだけの丈夫な彫刻であることが何より大事なことだから構造上の工夫は慎重に丁寧に造り込んでいる。それと「万善寺には雪が降る!」という環境を忘れてはいけない。雪が降ることを魅力に変えるほどの造形上の付加価値の可能性を確かめるという密かな狙いも含まれている。
国道から保賀の谷へ入ると、田んぼの向こうに見える四季折々の万善寺の様子にLandscapeシリーズの彫刻がさりげなく寄り添ってチラチラと見え隠れするくらいに溶け込んでくれるといいなぁと思っている。

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最後の蕗 

2020/05/22
Fri. 18:27

寒くて目が覚めた。
町並みの川下から車が近づいて吉田家の隣あたりで止まった。しばらくして木製のポストが「カタン」と鳴った。新聞を投げ込んだのだろう。
「最近、彼女新聞読んでるのかなぁ?」
もう新聞を読まなくなって随分経った。だから吉田家で新聞を読むのはワイフしかいない。昔は夕食が終わって寝る前のひと時ほど、洗い物の食器を片付けたテーブルへ新聞を広げていた。子どもたちが一人暮らしを始めて家を出てからのワイフは、夕食のあとテレビを見ている時間のほうが増えたような気がする。新聞もテレビ欄くらいしか見ないのだったら購読をやめてもよさそうな気がするのだが、新聞屋さんとの付き合いに義理立てでもしているのだろうか?彼女の考えていることはよくわからない。
この寒さはもう一週間くらい続いている気がする。
陽が落ちて真夜中になると一気に気温が3〜4℃くらいまで下がる。寒くて早くに目が覚めてオシッコをしてから二度寝しようと思ったがやめた。午前中に三十五日小練忌の七日努めがある。一度寝たら寺までの通勤坊主を遅刻してしまいそうだ。
しばらく続いていた梅雨のような雨降りがやっと終わって、石見銀山の町並みから東の空を見ると久しぶりに青空が広がっていた。

しばらく雨が降り続いていたから蕗を採りそこねている間に春の草が一気に伸びて蕗の葉が埋もれてしまった。
七日努めから帰って着物を脱いでコーヒーを飲んで少し休憩していつものつなぎ作業着に着替えた。
本堂の東側から庫裏の西側の端まで草刈りをしながらついでに蕗を採る。
草刈り機には笹刈り用の刃がついたままになっているが取り替えるのも面倒なのでその刃をそのまま使い続けることにしてグラインダーの方へダイヤモンド砥石を付け替えて目立てをした。
今年の蕗もこれが最後になる。
昨年は入院中で蕗の収穫が出来なかった。若い頃は蕗の美味しさもまったくわからなくて箸をつけることも殆どなかったのに、この歳になると味覚や好みが変わったのだろうか、あの蕗独特の青臭さが美味しいと思うようになった。
「もう、時期が過ぎとりましょぉ〜が?これからは虫が付きますけぇ〜・・・蕗ならコッチよりアッチの田の畦にマゲなのがまだありましょう・・・」
己バエのマーガレットを避けて草刈りをしながらアチコチに己バエの蕗を採りあつめていたら、いつも万善寺の営繕奉仕をしてもらっている保賀のお檀家さんが田仕事の手を休めて心配の声をかけてくれた。
「ありがとうございます。気になってたんですが雨が続いて採り損ねて今になってしまって・・・よさそうなものだけでも選んでみようと思って・・・」
さすが、年季の入った百姓のプロは保賀の自然を熟知していらっしゃる。
小一時間くらいほど草刈機を回しながら蕗を収穫した。これだけあったら伽羅蕗にしたものを関東で不自由に自粛している娘たちへもお裾分けできるだろう。
知らない間に随分と陽が長くなった。寺の境内から猫が消えてから戻ってきたスズメたちがやたらとうるさく鳴いていた。何処かで蛇でも出たのだろうか・・・

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Stuck with U  

2020/05/21
Thu. 18:55

吉田家の玄関を出ると昨日から降っていた雨はあがっていたが石見銀山の町並みはまだしっとりと濡れたままだった。毎日のようにシトシト降ったりやんだり雨が続くといつの間にか「梅雨になってしまったのかもしれない?」と思ってしまう。
銀山街道の道端にはアザミが咲き始めた。
渓流沿いの斜面ではアチコチでやま藤が紫の花を咲かせている。
国道から町道へ右折して保賀の谷へ入ると、正面に見えるはずの琴引山は濃い霧に包まれてまったく見えない。田植えが終わった水田では水面から覗いた苗稲が寒そうだ。
庫裏玄関の柱の水銀温度計が12℃だったし寒くて耐えられないから火鉢が復活した。
温暖化が進む近年のこの時期に、これだけ寒い日は珍しい。少し前に冬物の洗濯をだいたい済ませて、あとは夏物と入れ替えるばかりになっていたのに、またゴソゴソと引き出して重ね着をした。

万善寺の床下に住み着いていた黒猫が10日ほど前からいなくなった。
その少し前に天井裏でネズミが騒ぎ始めていて、ピンクの毒エサが和箪笥の改良衣の下とか香炉の灰の上とか洗濯して畳んであったバスタオルの中とか、セッセと運んで溜め込んでいたりしていた。野良猫は寺の周囲で動くものを何でも捕まえて食べていたから、ネズミと一緒に毒エサも食べてしまったのかもしれない。
猫を見かけなくなってしばらくしたらスズメの集団が境内へ帰ってきてうるさく鳴き始めるようになった。そのうちツバメも巣作りの場所を探して開け放していた庫裏玄関へ飛び込むようになって、それまで静かだった寺暮らしが急ににぎやかになった。
たった一匹の猫がいるといないとで寺の周囲の生き物たちの生態系が変わったようだ。
これから夏に向かって縁側のガラス窓を開けることも増えるし、寺中の建具を開け放して風を通すことも増えるから、野良猫が床の上下関係なく自由に入り込んだらどうしようと心配をしていたところだったから少し安心したが、一方、この数カ月間、どこかしらオヤジの一人暮らしにさりげなく寄り添ってくれていた気もして、今まで頻繁に見かけていた猫がいないとなるとチョットだけ淋しくもある。

裏の斜面の足元の悪いところで木を切っていたノコ刃がソレて指の関節を怪我した。チョットした気持ちの緩みだった。工場で彫刻を造るときも同じだが、一人でなにかする時はとにかく気持ちが集中していないと小さなミスが大きな怪我につながる。誰も助けてくれないから慎重に行動するしかない。日頃から一人でいることに慣れているから大きな支障があるわけでもないのだが、一人でいると小さな怪我でも心細くなるものだ。
AppleMusicから新譜や更新のお知らせが届いていたのでひと通り回覧した。
世界のミュージシャンもコロナウイルスで在宅が続いているようだ。
吉田のような在家坊主の彫刻家は年がら年中一人で在宅しているようなものだから特に日常の不便は感じていないが、コミュニティーの規模が桁違いに大きな彼らにとっては何かと不自由な暮らしでストレスも溜まっているだろう。
久しぶりのアリアナちゃんが、ジャスティンくんとコラボしてタイムリーで素敵なシングル(Stuck with U )が出来ていた。最近の通勤坊主で耳のお供に欠かせない。欧米の人達は日頃からスキンシップが濃密だから随分と苦労しているのだろうなぁ〜・・

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お粗末住職 

2020/05/20
Wed. 17:10

島根県は不要不急の外出自粛要請が緩和されて、一見すると以前の日常の暮らしが戻ってきたように感じるが、2ヶ月近く続いた自粛生活に慣れてしまったのか、人の集まりやすい関係各所が自主的に自主規制を延長しているのか、金融機関やスーパー・コンビニなど何処へ行っても窓口に透明のビニールスクリーンがぶら下がっていたり、床に距離をおいた足跡マークやラインテープが貼り付けてあったり、それになにより公衆の場で行き交う人々のマスク姿はほぼ100%に近い。

寺の年間宗教行事は今のところすべて中止の状態が続いている。
何もなくて今まで通りの日常だと、5月中旬までに教区の新年度役員総会があったり、お大師講や大般若経転読会が開催されて、本年度の活動がスタートしている時期だ。
そうした、殆どすべての事業が中止されて宗教活動が完全に停止している中、教区のお寺さん方が事務局寺院へ集合して新年度最初の研修会と総会が行われた。
このところ雨の降り癖が続いていて、毎日のように降ってくる雨で境内周りの作務がすぐに中断してしまうものだから、雨のやみ間を見つけて10分でも20分でもチョコチョコと外に出て庭木を剪定したり裏山の熊笹を刈り込んだりしていて、研修総会の日も午前中はデスクワークをしながら外の様子を見ながら、庫裏を出たり入ったりと慌ただしく過ぎた。そういうことを言い訳にするわけではないが、総会に持参する大切な書類や印鑑などが入った手提げの籠を丸ごと忘れてしまったことに気づいたのは、車で20分くらい走った先にある会場寺院へ到着した後だった。ソレがないと総会が先に進まないほど大切なものだったから事務局にことわって万善寺へ取りに帰ることにした。そうして2往復している間に総会の定刻が過ぎてしまって、会場ではすでに研修会が始まっていた。内容は障害者差別の根絶に関する事例研究だった。その後総会で会計報告などすべての議題が終わってからマスク着用でお集まりのお寺さん方へ遅参の失礼を謝した。
教区のお寺さん方と今年度はじめて顔をあわせることになった日に遅参の失敗をするという「なんともお粗末な万善寺の住職となってしまったなぁ〜〜・・・」と1日を振り返りつつ運転しながら「去年の総会はどんなだったっけ??」と思い出そうとしたが、まったく思い出せないまま、そのうち万善寺へ到着してしまった。
昨日今日の出来事を忘れてしまうと、そろそろ痴呆を疑ったほうがよさそうであるらしいが、1年前のことを思い出せないくらいだと、それも痴呆のうちに入るのだろうか?憲正さんはどうだったかなぁ〜?
・・・とにかく、頭の思考回路が停滞して忘れることの多い1日が終わった。

午後からは台風並みの物凄い強風で帰りの銀くんが何度もふらついてかなり緊張した。
「この風だと今年の梅や李は全滅かもしれない・・・去年は良い梅がたくさん採れたのになぁ〜・・・」
右腕の痺れが残ったまま退院してまだ間がなくて、身体の無理も利かなくて庭の草刈りも出来なくて荒れ放題だったけど、梅や李の周辺はなんとかして下草だけは刈った。
「手術は成功ですがもう頚椎の中の神経が損傷してますから痺れはこれからも残るでしょぉ〜」と退院時にドクターから宣告された・・・アッ!そうだ!!去年の総会はまだ入院中だった!
陽が沈む少し前に出雲街道から右折して銀山街道へ入る頃にはすでに強風はおさまっていて、また雨が降りはじめた。

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裏庭の彫刻 

2020/05/19
Tue. 18:45

前日までにだいたいざっくりとは終わっていた吉田家裏庭の草刈りをキレイに掃除し終わったところで雨がパラパラと落ちてきた。
これから先、庭木の花や果実がひと通り落ち着いてから春の剪定をすれば夏の盛りが過ぎるまでの適当な時期に夏草を刈って、晩秋から初冬にかけて落葉が終わった頃に冬の剪定をして裏庭整備の1年が終わる。
吉田家の裏庭くらいの広さだと毎年の環境整備を怠けないでいればなんとか荒れ地のジャングルにならないで済ませることができるが、それも過去に何回か失敗して手のつけられないほど荒らしたことがある。これから先は自分の体力次第というところだ・・・
一方、万善寺の境内整備は毎年少しずつ悩みのタネが増えている。
年々裏庭へ進出し続けている裏山は、この近年一気に孟宗竹が茂って竹林に変わりつつあるし、少しの日差しを求めて熊笹が庫裏のすぐ裏まで伸び広がってきた。
イノシシは毎年のように山から降りて境内のアチコチを掘り返して歩いているし、春になって少し暖かくなるとアナグマが本堂のすぐ横で昼寝していたりする。
寺の裏山は尾根に沿ってクマの道も出来ていて、それが墓地の裏を通ってその先から保賀の谷を渡って山越えの獣道へ続いている。年に節目の参道や墓掃除はそれこそクマとの接近遭遇を避けてビクビクしながら続けている。今はまだだが、寺の周囲へ猿が出没するようになったら、万善寺の環境整備もお手上げだ。

20年ほど前に石見銀山の町内を会場にして個展をして、その時の彫刻を一つほど吉田家の裏庭へ移動した。
あの頃はまだ庭木を植栽する前で、以前の畑の名残が一面に広がっていた。それから数年の間にワイフがセッセと各種庭木を植え続けてその木々が鬱蒼と茂った。彫刻は同じ場所でピクリとも動いていないのに年々その場所は日当たりが悪くなって日陰が増えて今に至っている。
あの彫刻を造った頃の自分は、かなりいきがった自信家で変なプライドの塊ばかりだった気がする。
鉄の素材も加工技術も身勝手なこだわりがあったし、細かいところまでチマチマと造り込んで、無くても良い付属品をワザワザ造り足したりして、とにかく自己主張の強い独り善がりな彫刻を飽きもしないで次々と繰り返し造り続けていた気がする。
20年の経年変化を見ると、無駄に造ったかたちのアチコチへ野生が住み着いて成長して彫刻を侵食している。彫刻の人工の存在感が次第に自然の経年秩序へ飲み込まれつつある。見方や意識を切り替えると、それはそれでそういう彫刻があっても良いかとも思うが、一方で、彫刻制作の当時に近未来の存在条件とか存在価値とかをまったく予測できていなかった自分に落胆する。
裏庭の整備で草刈りのたびに彫刻を取り巻く周辺環境の現状を後付で受け入れざるを得ない自分の未熟を思い知らされて息苦しくなる。

その彫刻の無駄なひと手間へ数年前に南天が根付いて、それからしばらく後にリュウノヒゲの仲間も根付き始めた。それでも、まだまだ数十年先まで、いつか私がいなくなっても、その彫刻は裏庭のその場所でしぶとく周辺の自然に抵抗しながら居続けるだろう。

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Tさんのシキビ 

2020/05/18
Mon. 16:05

コロナウイルスのおかげで今までの我が人生で経験したことのない毎日を送っている。
それでも、都市部や市街地に暮らす人々よりは随分と楽に過ごしていると思う。
幸いなことに生まれも育ちも島根県の山間部の小さな集落が集まってできた小さな行政区であったし、成人して結婚して30歳前にUターンで帰省してからも少年の頃の暮らしと大差ない生活に戻ったくらいのことだったから、自分としては特に不自由を感じることもなく子育ても済ませて今に至った。
このままコロナがなければ、彫刻制作や在家坊主の家業もそれなりに惰性で乗り切って歳をとって行くばかりのことだっただろう。
日頃から人付き合いにマメな方でもないし、マイペースに毎日を過ごすことのほうが性に合っているし、人恋しくてしょうがないというわけでもないから、個人的にはコロナの影響もほとんど無いといえばそうなのだが、やはり、いくら末寺の山寺でも法要の中止とか法事の延期とかがこの1ヶ月に集中して重なってくると、たった数千円とか数万円のことでも収入が有ると無いでは営業維持管理に気持ちのゆとりがくなってしまう。それでも、食べることに関しては何かと手間がかかるものの季節の旬へ上手に寄り添って付き合って贅沢を考えなければ1年中食材の絶えることもなく、ありがたいことだと思う。

万善寺の諸仏様へお供えの仏花はシキビにしている。
先代の住職は色物が好きで、季節の花をお供えしていたが、特に夏場になると花入れの水がすぐに溝臭くなって線香の香りに混ざってしまうことが気になって、私はソレが嫌だった。それで、先代住職の足腰が弱って本堂の諸々と縁が遠くなった頃合いをみてさり気なく何気なく少しずつシキビの出番を増やした。
もう、かれこれ30年近く前になるだろうか?そのシキビの自生苗木を彫刻仲間の木彫作家Tさんが送ってくれた。
Tさんは、新潟の確か出雲崎あたりの出身だったかと思ったが、思い違いかもしれない。
彼は埼玉の方で宮大工の棟梁だった。職人さんを抱えてお寺を新築するくらいの立派な経営者でもあった彼は、一方で木彫の抽象彫刻作家でもあった。展覧会のデビューが私と前後して近かったし、アルプやブランクーシや、それに酒が好きだとか、坊主つながりで良寛さんのこととか共通の話題が豊富で、とても親しくお付き合いをしてもらっていた。
展覧会場が上野から六本木へ移動した頃から展覧会の不出品が増えて彫刻制作や出品から少しずつ縁遠くなった。若い頃から持病があってソレが悪化したとか、宮大工の工務店経営が思わしくないとか、そのあたりの「だろう話」くらいしか耳に入らなかったし、直接本人と話のできる機会もないまま少しずつ疎遠になって今に至っている。

彼から頂いたシキビの苗は、その後吉田家の裏庭でスクスクと育って、今は万善寺の仏花で欠かすことの出来ない大切な存在になっている。春に花が咲いてちょうど今時分、陽の光を通すほどの瑞々しい若葉が芽吹いて少しずつちぢれ枯れた古い葉が落ちて交代する。
昨年末に活けた寺の花入れのシキビも花が咲いて散って、それから少しずつ落葉が進んで若葉に変わり始めた。この調子だと6月の大般若経転読法要まで保つだろう。

こうして、Tさんのシキビは半年ごとに活けかえながら万善寺の仏花で生き続けている。

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伽羅蕗 

2020/05/17
Sun. 14:33

週末になると雨がふるというので、それまでに裏庭の草刈りを終わらせてしまおうと、2日ほど通勤坊主を休んだ。
このところ毎週のように週末になると雨になる。こういう状態が暫く続くと本格的な梅雨がきて草木の若芽の成長が一気に勢いをましてグングン大きく長く伸びる。

桜が散るころに梅の実が出来て少しずつ膨らみながらひと風ごとに弱い実を振り落として自力淘汰を続け、梅雨にはいる頃になると成長の早い実から熟して色づき始める。
頃合いを見計らって2〜3日続けて枝をゆすりながら落ちた実を収穫して、若い実は酒や酢に漬け込む。熟しが進んだ実はそのままガリッと食べると美味いし、煮込んでジャムにしたり日干しして梅干しにしたりする。
連休になる頃から筍が本格的にアチコチで伸び始める。1日も見逃してしまうとアッという間に長く伸びて、食べて消費する量が増える。雨が降ったりするともっと成長が勢いついて収集つかなくなる。5月中旬までの2週間ほどは伸びる筍との戦いが続く。
先週あたりから一雨ごとに蕗の葉が大きくなり始めたので、草刈りのついでに裏庭の蕗の収穫もした。蕗は地下茎で繋がって広がる。刈り取るばかりだと広がり続けて始末に負えなくなるから適当なところで抜き取ってしまったほうが良い。2日に分けて収穫したら結構な量になったので早速ワイフが伽羅蕗をつくってくれた。酒のあてにもなるしこれだけでご飯が何杯も進む。
戦後の貧しい時代を経験している母親は、筍・蕗・蕨・山椒などなんでも収穫した旬のものを塩漬けにしたり冷凍したりして保存食に変えていたから、なにかの時になにかの煮物になって食卓へのっていたが、さすがに今はそこまでして1年中食べ続けようとは思わないし、旬の加工へかける手間も時間も暇もない。

裏庭の草刈りは春になって2回目になる。
梅雨へ入るまでにこうして2回ほど下草を刈っておくと、夏草の草刈りが随分楽になる。
1回目の草刈り目安はピーピー豆の伸び具合で決める。
2回目は菜の花や水仙の花が終わる頃合いで決める。
土地それぞれ人それぞれで色々と草刈りの目安が変わるだろうが、私の場合はおおよそそのあたりの様子を見当にしている。
吉田家の裏庭は銀山川まで細長く続いていて、古民家の改修工事が終わって引っ越したすぐの頃は、土地のほぼ真ん中へかなり弱った桃の枯木があるだけであとは全体が一面野菜の畑になっていた。その桃も畑に日陰ができて野菜が上手く育たないからと徹底的に枝が刈り込まれていてそのまま枯れるのを待つだけの状態だったのを、ワイフが可愛そうだというのでなんとか新芽を生かして比較的勢いの良さそうな枝を残しながら剪定を繰り返しているあいだにそのうち小さな実をつけるまで持ち直したが、その実が食べられるところまでには上手に育てられないままだ。
ワイフは生まれも育ちも江戸っ子で、子供の頃から土の地面をいじることがなかったから野菜や花を育てたりすることに慣れなくて枯らしてばかりで、そのうち気持ちが果木の方へ移った。桃の木が生きかえったあたりから本気になって色々な果木を裏庭のあちこちへ植え始めたが草刈りまではしない。
茱萸・枇杷・李・蜜柑・檸檬・・・何もしないと裏庭がすぐジャングルになる・・・

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雨後の筍 

2020/05/11
Mon. 23:26

銀山街道はいつもの交通量が戻った。
この1ヶ月は日に日に行き交う車も減って、毎日の通勤坊主が楽になって、あれほど静かな連休は今まで経験のないことだった。
いつのまにかそういう毎日に慣れてしまっていたようで、後ろからあおってくる車もいないし渓流に沿って続く銀山街道の春の移ろいを愛でながらのんびりと銀くんを走らせていた。
週が開けても同じようにのびりとハンドルを握っていたら、気がつくとバックミラーに通勤の乗用車が何台もつながって見えて、ソレが自分のせいだとわかって焦ってアクセルを踏み込んだ。
飯南高原に入って出雲街道と合流するまで数台の乗用車が後ろをついてきて、そこから広島方面へ曲がって左右に別れた。出雲街道は広島と松江を結ぶ主要国道で今朝はもう県外ナンバーも走っていた。
コロナ自粛はまだ続いているはずだが、飯南高原だけ見るといつもの日常が戻っているふうに感じる。

万善寺の参道を登って玄関前に銀くんを横付けしてエンジンを切って運転席から降りたと同時に電話がなった。
タイミングがあまりに良すぎて焦ってしまって、電話をコンクリートのたたきへおもいっきり落としてしまった。急いでひろいあげると強化ガラスの保護シートに割れが走って本体のガラスも角が欠けてかなりひどい損傷だ。それでも、電話の機能は動いていてちゃんと普通に話もできたから少し安心した。
万善寺から保賀川を渡って向こう岸のU家からだった。どうやら銀君が寺の参道を登ったところを見ていたようだ。もう一呼吸ずらして電話してくれれば「取り落とすこともなかっただろうに・・・」と、いやらしくも自分のミスをUさんのご主人のせいにしてしまいそうになった。

緑の羽根と赤い羽根基金の集金が合わせて900円。
マスクの各家配布2回目は5枚(ちなみに1回目は7枚だった)。
それから「ふるさと応援宅配助成制度について」という、気持ちはわかるが運用方法がよく理解できない書類。
以上の用事で今から寺へ来るというから「イヤイヤこちらから伺いますから」と電話を切ってそのまま支払いやら受け取りやらした。

飯南高原は朝から暑い。
これから気温がグングン上昇しそうだ。
庫裏玄関の式台へ荷物を入れて、そのまま境内を一巡した。西側の軒先まであと1mくらいのところで筍が数本伸びているのを見つけた。このままだと近い将来座の下で伸びた筍が畳を押し上げてしまうだろう。今のうちになんとかしないといけないと思うが、自然を相手に住職一人の作務では限界を感じる。
さっそく飯南町の宅配助成制度を利用して掘った筍でもおくってやろうかなぁ〜・・

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網籠と花束 

2020/05/10
Sun. 23:06

母の日の朝、保賀の谷は濃い霧に包まれた。
境内から参道へ下るとすぐ其処にあるはずの六地蔵様のお堂が濃霧に隠れて見えない。
南に向いた庫裏玄関の柱に掛かる水銀温度計は13℃だった。
最近は毎日寒暖の差が激しい。その上、毎週末になると雨になって週明けまで続く変な天候の習慣ができてしまった。そのせいでもないだろうが、連休前にしろかきまで終わった保賀の水田は田植えを前にして農耕機の動きが止まったままになっている。
霧の向こうでうぐいすが鳴いている。
祈祷法要の準備で灯した蝋燭の芯が時々「ジジッ!」と鳴る。
いつになく静かな朝だ・・・

予定では、昨年の秋六本木の展覧会へ向けて造った六基の彫刻を石見銀山の町並みへ移動するように計画していた。
それが、前日には雨が降るとわかってしまったので直ぐに手伝いを頼んでいたT君へ連絡して取りやめにした。T君は、今年に入ってすぐ徳島へ彫刻移動をする時に手伝ってくれた。車の運転から彫刻の積み込みや搬入出まで随分とお世話になった。一方、1泊2日の二人旅で自分の体力が減退したことを具体に実感した。
秋に六基の彫刻を制作した時もなんとなく身体の限界を自覚したような気もしたが、そのときはそれほど強く実感したわけでもなかったから、それから約半年を過ぎて年が変わった頃になって「無理の限界も自覚しないと!」いけないふうにわかって自分を戒めた。それで、今回も無理に自分だけで無理をしないではじめからT君を頼ってしまうことにしたところだ。

かれこれ20〜30年くらい前は、彫刻の仲間も随分たくさんいたし、それに何より自分の体力もまだ十分に余裕があって、彫刻の制作から展覧会発表までなんの苦労も疲労も感じることがなかった。それから今に至る間に、彫刻仲間も一人二人と去って消えて、その上、自分の体力も限界が見えてきた。一方でしぶとく彫刻にしがみついて残ってきた仲間はそれぞれ自分の彫刻制作や発表に正面から向き合ってグングン伸びている真っ最中だ。
今、あらためて自分自身と自分周辺の彫刻事情を均して見るに、なかなか良い具合に作家性も彫刻の方向性も遺漏なく的確に成熟していると感じる。
20代から30代にかけて彫刻に目覚め彫刻にしがみついて没頭していた黎明期。
30代後半からの10年間は思いつく限りのテーマと一つずつ納得するまで正面から向き合った草創期。
それからは造形の想像と現実の整合性を確認するために実践創造期の10年間が過ぎ、少し前からは、かたちの無駄を自覚しじっくりと納得できるまで自分に向き合って取捨を選択する俯瞰期に入っている気がする。
これから先、体力減退を理由にして自分の意思で彫刻と縁を切るということは無いと思うが、一方で、今まで無意識に遥か遠くばかりをみつづけた彫刻になっていた気がしないでもないし、これからはもっと素直に丁寧に自分の足元を気遣うことも大事なのかと思う。

夕方、いつもの花屋へ駆け込んで、じゅん君の代わりに小さな花束を造ってもらった。
ワイフへは既に関東に住む娘たちから素敵な手さげの網カゴが届いていた・・・

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祈る毎日 

2020/05/09
Sat. 23:51

「31日に法事したいんですが空いてますか?」
「丁度その日は大般若法要の手間替え随喜が入ってまして・・・この時期のことなので中止になるかもしれないし・・ご案内のはがきがそろそろ届くと思うんですが・・」
「そぉ〜ですかぁ〜、こういう時なので法事も近い親戚だけにして自宅の方で一切済ませようと云うことで話してるところなんですけど、それでもそろそろ予定を決めて案内しておかないと・・・」
「そぉ〜ですねぇ〜、なにかとご心配のことです・・・それじゃぁ〜、先方の方丈さまへ聞いてみますので、なにかわかったらこちらから改めて連絡させていただきますので・・」
・・・とにかく、この度のコロナ騒動は先々の展開が曖昧で見通しがつかないで困る。
生命が一大事ということは承知だが、具体的に実態が見えてこない驚異に対してはどうしても気持ちが緩んで、みんなが頭の数だけ考えも違ってなかなか一つ事にまとまらない。
在家坊主の末寺住職ごときであっても、自分の都合を優先で仏事を押し通すわけにもいかないくて、末寺住職だから余計に「あなたの都合」へ寄り添ってあなた次第を優先しながら毎日を過ごしている。

大般若法要開催の有無を問い合わせたらご住職は仕事で留守だからと老僧が応対された。「ハイハイ、こういう時期のことですから、住職も中止の方向で考えているようで、ご案内が遅れていまして・・・どうぞどうぞ、オタクの都合を優先してくださいませ・・」
「そうですか、それじゃぁ法事を受けさせていただきますので、何かのときはお知らせくださいませ。ご住職へ宜しくお伝えください」
と、一応の了解をとりつけて電話を切った。
ご住職本人は、確か小学校だか中学校だかの校長先生をされているはずだ。奥さんも学校の先生で、老僧夫婦も昔は先生だった。子供は何処かの大学の医学部で勉強中のようだし、お寺全体が先生で集まっている。
万善寺はというと、年中行事の法要が一つなくなると現金の布施収入が途絶えて、一気に生活が厳しくなって月々の光熱水費もまともに支出できなくなってしまう。何が何でも法要を中止するという選択肢は無い。万善寺23世現住職は想定外の苦労を背負ってなかなか平静でいられない。

5月に入って直ぐに本堂の仏具を須弥壇の御本尊様へ向かって正面に配置換えした。
先代住職は、祈祷法要の続くようなことがあると時々そういうふうに経机を配置換えしていたのだが、ナンチャッテ坊主の現住職はそこまでして祈祷できるほどの技量もないし、在職以来今まで祈祷で御本尊様へ向き合うことなど恐れ多いと避けてきた。
世界へ蔓延したコロナウイルスは500万人近く感染しているとされる。第二次世界大戦で民間軍人あわせて5000万人の被害者とは桁が一つ違うものの、現代地球世界の発展を思うと、自然の具体に対して人々はあまりに傲慢に驕りに過ぎ無知で無力だと感じる。
森羅万象のうつろいに寄り添って分相応の自分を静かに見つめることも今を生きる人にとって大事なことのように思いつつ、下手な祈祷太鼓に託して国家昌平万邦和楽福寿長久、それに山門康寧を祈る毎日である。

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美味しいお布施 

2020/05/08
Fri. 23:36

街道沿いの様々な萌黄色に染まった山並みの所々で遅咲きの桜が満開になっている。
桜の淡いピンクとヤマツツジの濃いピンクが一面エメラルドグリーンやライトグリーンをした山並みをバックにして引き込まれるようにキレイに映えて見惚れる。
連休中は不要不急の外出自粛で銀山街道もすれ違う車もまばらでのんびりとしたドライブを楽しむことができた。
平日に戻った日は七日努めの日だったから朝少し早めに石見銀山の自宅を出発した。
島根県は外出の自粛要請が月末まで延長されたが、農家の田植えを始めとして在宅勤務が難しい仕事もそれなりにあるようで、朝の通勤時間帯で行き交う車が一気に増えた。いつもなら、特に気になる量でもないが、いつの間にか連休中の閑散とした世間に慣れてしまっていたようで、曲がりくねった狭い道をすれ違う緊張が倍増した感じだ。

七日努めのお宅は、最近ではとても珍しくなった三世代家族が同居されている。
そのおじいちゃんが4月の終わりに亡くなった。
おじいちゃんのお父さんは若くして亡くなっていたし、まだ戦争中でもあったから自分より年下の兄弟姉妹を親代わりになって育てたと聞いた。
本人はとにかく無口で物静かな方だったから、お寺にお参りの時や棚経でお邪魔した時もこちらから話題のネタを用意しないと自分から口を開くことはまず無かった。
七日努めも早いものでもう三・七日が来た。
初七日の時はおばあちゃんと亡くなったおじいちゃんの親戚親族の他に同居の息子夫婦やお孫さんも在宅でにぎやかだった。
二・七日からはおばあちゃんが一人になって寂しくなったが、お経が終わるとお茶口代わりの煮物になったいろいろな旬の山菜が並べられてティータイムが始まる。
おばあちゃんの方はとても話し好きで、昔のことやおじいちゃんのこと、庭木の剪定や畑に田んぼのこと、息子さんや嫁さんのこと、それに、親戚付き合いのことまで絶え間なく話題が尽きない。
今はコロナウイルスの関係で学校が休みになっている。息子さん夫婦は連休中は田んぼの田植えが忙しいし、平日になるとそれぞれ仕事があるしで忙しくしていらっしゃるが、おばあちゃんのおかげでお孫さんの在宅に心配がない。そのお孫さんはおかあさんといっしょに山へ入って筍とかわらびなどの山菜や旬のものをたくさん採ってきてくれるそうだ。
収穫されたものはおばあちゃんが農家ならではの昔ながらの方法でアク抜きなどをして煮物にするのだそうで、そのお惣菜をこうしてお茶口代わりに私が美味しくいただいていると云うわけ。
おばあちゃんの家庭料理は先代住職の憲正さんも大好きだった。まだ副住職の頃から法事の時に先代住職と二人でおばあちゃんの手料理を「美味しい美味しい」とよく食べていた。帰りには引き物とは別に持ち帰りの折り詰めにしてもらった。お茶飲み話でそんな昔のことが話題になったからだろう、「チョット待っとってくださいや。今ちょうど筍の茹でたのがありますけぇ〜」と持たせてくれた。
「柔らかく茹でてあって美味しそうよ!なかなかこうはならないのよね・・」ワイフが喜んでいた。きっと美味しい煮物に仕上がるだろう。
お金には変えられない美味しいお布施を頂いた。

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鯛とリーバイス 

2020/05/07
Thu. 23:44

飯南高原は春先まで休止していた水田で大小の農耕機が動きだして田起こしが始まった。
連休にはいる頃から一気に活気づいて用水路から水が引き込まれてしろかきが始まって、早いところは田植えも始まった。
昔、まだ土日の2連休もなくて春の連休に飛び石が残っていた頃は、義務教育で学校へ通う子どもたちも飛び石の本来出校日を「田植え休み」と称する臨時休校にして家族や地域総出で田植えをしていた。
今は田んぼの農地整理も進んで大きな農耕機が楽に動かせるようになって農作業に人海戦術の人手を頼ることもなくなって、連休が終わる頃には水田一面すっかり田植えが終わっている。農作業も機械化の導入が進んで随分と楽になった。

全国的に蔓延したコロナウイルスの拡散抑制のために連休中は不要不急の外出自粛が徹底された。
飯南高原は中国山地を越えれば広島県のすぐ近くまでコロナウイルスが迫っていて日常の生活に気が抜けない。それでも春の田植えは時期を選ぶから自宅にこもってジッとしている訳にもいかない。農家のお年寄りの一人暮らしでは都会で暮らす家族の帰省自粛もあって田仕事が停滞してしまった。学校の休校延長で仕事も休めないまま子供を自宅に残した保護者の心配も深刻だ。
地域に点在する寺院僧侶の皆さんは宗派を超えてほとんどが地方公務員と兼業だから特に日常の暮らしで大きな影響もなさそうだが、私のように彫刻を造りながらの専業坊主に近い暮らしが1ヶ月以上続くとさすがに少々つらい。時間講師で家計を助けてくれているワイフも新学期が始まってから仕事の休みが続いて収入が絶えたままだ。

いろいろな立場の違いで心配の事情も様々に違うことだろうが、いずれにしてもなんとか無事に過ごしていられるだけでありがたいことだと思う。
4月の終わりに誕生日を迎えてまた一つ歳をとった。
自分では今更この歳になって自分の誕生日をあらためて祝うようなこともなくていたって平常に過ぎたが、それでも家族のそれぞれはそれなりにオヤジの誕生日を気にかけてくれていて、時節柄そういう思いやりが何時にも増して心にしみた。
誕生日当日もいつもと変わりなく通勤坊主で1日中寺暮らしが続いて夕方に帰宅すると、珍しく風呂が沸いていて、夕食には尾頭付きの鯛が出た。同じ尾頭付きでもいつもの吉田家では頭を縦割りした「あら煮」が定番だから、さて?本物の尾頭付きは何年ぶりになるか?いや、何十年ぶりか?まったく思い出せないほど縁がない。とにかく久しぶりの焼きたてのホクホクの塩焼きは絶品だった。こうしてあらためて味わうと、やはり鯛は美味だ。
子どもたちからは、リーバイスの501が届いた。いつもはメキシコかエジプト産のノンウォッシュを買って、しばらくダブダブのまま履いてから洗濯しているのだが、今回プレゼントで届いたのはアメリカ産のノンウォッシュだった。今までの人生で本場アメリカ産は履いたことがない。サイズも変わりなくて洗濯すればピッタリと縮んで腰回りも股下も丁度良くなるはずなのだが、何故か股下は予想以上に余っていて腰回りがピッタリと窮屈だ。ひょっとしたら、一度洗濯すると腰が入らなくなるかもしれない。ドキドキ・・・

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不殺生戒の憂鬱 

2020/05/06
Wed. 23:17

連休最終日の朝はすでに9時前から気温が20℃を超えて夏のように暑くなった。
少し前は雨が降り続いていてトレーナーだけでは肌寒いから、もう洗濯して仕舞ってあった冬物をまた引っ張り出して重ね着などしていたのに、急激な気温の上下に自分の身体がついていかなくて苦労する。

朝のうちに境内の掃除をできるだけ先へ進めていこうと思って本堂の東側へ回ったら、猫や豆柴より少し大きいくらいのアナグマがのんびりと散歩していた。
夕方に裏庭をうろついているのは見かけるが、朝のうちに境内で遭遇することは今までになかったことだ。時々ゴロリと寝転んでリラックスしているし無理に追い払うのも可愛そうな気がして、ひとまずその場を退散してやり過ごすことにした。見た目は可愛いがすごい爪を持っていて結構凶暴だったりするからあまり刺激をしないほうが無難だ。結局、その日はそれから他のことをしていたら屋外の作務に手が回らなくなってそのまま過ぎた。

境内の東側には豊川稲荷の祠がある。
狭い境内だから冬になると本堂の屋根からずり落ちた雪に押されて今まで何度も横倒しに倒れている。
見かねたお檀家さんが「基礎石にアンカーでも打って止めてしまったほうがいいじゃぁ〜ないですか?なんならワシがやってあげますで、そのくらいのこと・・」と親切に言ってくれるのだが、そうして無理に固定してしまったらかえって祠がバラバラに壊れてしまうおそれもあるので、気持ちだけ有難くいただいて申し出を断ることにしている。
倒れた時は、雪が消えて初午祭までに近所の男手を3人ばかりお願いすればなんとか元通りに安座できる。そのかわり、ご本尊の荼枳尼天さまやあれこれの仏具がそのままだと祠の中でひっくり返って粗末になるからそれらのものは本堂の拝殿へ遷座してそちらの方で手厚くお祀りして拝ませてもらっている。
そういう、なんとも扱いにくい豊川稲荷さまであるが、たまに地域のお年寄りがお参りされることもあるので荒れ放題にほったらかすわけにいかないから季節の節目には少し念入りに整備している。
昨年の春は入院で留守にして、その間に祠の周辺に山が一気に迫って様変わりした。
アナグマがいなくなった頃合いを見て様子を見てみると、昨年まで見ることのなかった小さな黄色い花が満開に咲いていた。最初はタンポポくらいに思っていたのだが、まったく違った種類の花だった。いつの間にこれほど密集して根付いたのだろう。
その黄色い花のせいでもあるのだろう祠の周辺がどこかしら華やいだ感じだから刈払うのも可愛そうというかもったいない気がして、ひとまずその花が終わるまで境内作務を待つことにした。

軟弱な情に流されて後になっておおごとになることがよくある。
随分昔から寺の境内のアチコチへ己生えのマーガレットが根付いていて、ソレがそろそろ白い花を咲かせ始める。そうなると、今度はまたその花が咲き終わるまで刈払うのも躊躇することになってキリがない。
なかなか殺生に踏ん切りがつかない。生き物に優しすぎるというのも厄介なことだ。

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万善寺の旬 

2020/05/05
Tue. 17:41

雨後の筍とはよく云ったもので、寺の朝の用事が一段落して少し落ち着いてから境内をひと周りしてみると、イノシシの掘った穴の周辺を中心に二番目三番目の筍が一気に伸びていた。
次の雨が降るまでこのままにしておくと、筍が本格的に伸びてそのまま竹になってしまうから今のうちに掘り起こしておかないといけない。
イノシシは実に贅沢な奴で、これでもかというほど深い穴を掘って刺し身で食べられるほど柔らかくてアクのないまだ地面から頭を覗かせる前の一番目の筍を狙ったあと、二番目以降の筍は見向きもしないでほったらかしにしてしまう。人間はイノシシのお下がりをいただいているようなものだ。

筍の場所を確認してから昼食前の草刈りをした。
最近は、夜になると雨が降ってきてそれが朝まで続く。
昼のうちはそれなりに晴れてくれるから外仕事もそれほど停滞することもなくて助かってはいるが、一方で境内の周辺にはびこる熊笹や春の雑草が一雨ごとにぐんぐん伸びてしまってキリがない。
一年前は手術から退院まで春の5週間ほど万善寺のことがほったらかしになってしまった上に、退院後の仕事制限まで加わって営繕作務もままならないまま夏が過ぎ秋も深まる頃には見るも無残な荒れ寺になってしまった。一度そういう状態になってしまうと、なかなか以前のような見た目に戻すことも難しくなってジタバタしているうちに冬になって年が変わってまた春になって1年が過ぎた。
今年は暖冬で雪もなかったからお彼岸前には境内の作務に取り掛かって今に至っている。

腕や手指の痺れを騙し騙し作務を続けて庫裏の裏庭を掃除した。
これから本堂の裏庭へ掃除を進めて、東側から前庭に移って参道脇の草を刈りながら駐車場のぐるりへ移動する。其処から境内の石垣を巡って庫裏の西側まで草刈りが終わる頃にはそろそろ梅雨が間近に迫っていて、梅雨の長雨に蘇った裏庭の雑草が瑞々しく成長を再開して今度は本格的に丈夫な夏草になる・・・結局、いつまでたっても終わりのない草刈りをしながら寺の周辺をグルグル回っているわけだが、さて、こういうことがあと何年続けられるのだろうか・・・そのうち境内にはびこる雑草の成長に追いつかなくなって年々荒れ寺化が進んでいくことになるのだろう。
まだ副住職の頃に聞いた隣町の浄土真宗のご院家さんのお話を思い出した。
「○○町の✕✕寺さんが空き寺になりましてねぇ〜、この歳ですけぇ〜門徒さんの法事くらいしか引き受けられませんけぇ〜ねぇ〜」と条件付きで兼務していたら、ある年のお盆前にその寺へ行ってみると、なんと本堂の座の下で竹が伸びて座板や畳を押し上げて御本尊の阿弥陀さんのすぐ前で天井を突き破っていたそうだ。
浄土真宗さんはそれこそ世襲でお寺を守っていらっしゃるから、寺の維持管理をするにも目に見えないところでご苦労も多いことだろう。

万善寺も昨年1年で一気に竹林が境内の直ぐ側まで迫ってきた。イノシシの筍掘りもあてにならないし、床下で筍が芽を出す日も近いかもしれない・・・

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誕生日 

2020/05/04
Mon. 17:03

孫も出来て名実とも「おじいちゃん」になったのが今からちょうど1年前。
頚椎の手術で入院している最中に自分の誕生日を迎えそれから2日後に孫が生まれた。
「時が過ぎるのは実に早い・・・」

その日の朝、足元のクロがゴソゴソしはじめて、なんとなくボンヤリと目が覚めた。
4月も半分ほど終わったくらいから急に寺の仏事が立て込んで毎日が慌ただしく過ぎる。
お葬式が一つ出来た。
そのお葬式が昔ながらの町内葬で世話人さんが仕切ることになったものだから、菩提寺の住職へ葬儀事務を兼ねた葬儀社のような役がついてきてコロナ肺炎のこともあるし何かとおおごとになって、導師の引導が終わる頃にはどっと疲れが出てフラフラになった。
手術から1年、首から右半身の肩から手指の先にかけて残った痺れを騙し騙し上手に付き合いながら暮らしていたが、さすがにここまでいろいろなことが絶え間なく続くと身体の負担に限界がきて、慢性の痺れがいつも以上に辛い。巡ってきた初七日の朝目が覚めると、夜のうちに両足が痛くなっていていつものように起き上がって普通に歩けるようになるか微妙な状態だった。いつの間にか何かと無理が効かなくなって弱くなった。
人生の三分の二が過ぎてそろそろ四分の三が巡ってくるわけだから、身体のあちこちガタが来るのも当たり前でだいたい普通ににこんなものだろうと思う。

連休に入る頃から少しずつ暖かくなってきたものの、次の日の朝には冷え込んで冷たい雨が降っていたりして、ボォ〜っとして暮らしているとすぐに風邪を引いたりしてしまいそうだ。毎日をそれなりに緊張して暮らしていないと四方から迫ってくるコロナウイルスの絶好の餌になってしまいそうだ。
気温の寒暖はカメムシとヤモリと、それに吉田家のクロの様子を見ていればだいたい予測できる。
朝のうち、ちょっと肌寒いと思ってトレーナーを余分に着込んで湯を沸かしてコーヒーを入れてから本堂をウロウロしていたら、南側のサッシの隙間やカーテンレールの内側から越冬したヤモリが2・3匹ほどポトリと落ちてきた。まだ身体が十分に温まっていないようで、不器用にモタモタと這って敷居の隙間へ入り込んでいった。彼らも南向きで暖かい場所をそれなりに認識できているようだ。
出来たてのコーヒーを飲もうと思ってカップを持ち上げたら、カメムシが入れたてのコーヒーへ飛び込んで泳ぐでもなくうごめいていた。さすがにカメムシのエキスが溶け込んだコーヒーは飲む気になれない。そういえば、洗濯物を取り込んでいたらカメムシがポロポロと落ちてきた。越冬して生き残ったアイツラもそろそろ活動を開始したようだ。
吉田家のクロも、最近は一晩を居間のソファーで過ごすことが増えてきた。チョットした気温の変化を敏感に感じ取って寝る場所を調整している。冬の間は足元で邪魔をしていたから、やっとこれからあいつに遠慮しないでゆっくりと休めるようになる。

石見銀山は30年前の昔に戻ったように閑散として人影もない。
銀山街道や出雲街道は交通量が激減した。
飯南高原は連休前から田んぼのしろかきが本格的になって早いところは田植えが始まっている。

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消耗の時代 

2020/04/16
Thu. 23:04

吉田家裏庭の草刈りがおおよそ片付いて、あとは草焼きが楽になるまで刈払った草が少し乾燥するのを待つことにした。
しばらく万善寺のことがほったらかしになっていたので気になって朝から寺へ移動していたら材料屋のお兄さんから着信が入った。
折り返すと「工場のわかるところへ置かせてもらいました」ということだった。いつものように勝手知った様子でアングルを搬入しておいてくれた。
寺の用事を少し早めに切り上げてパーツの裁断だけでもしておくことにした。
小学校の草取り機は思った以上に消耗がひどくて、どうせならそのまま廃棄して造り直した方が早い気もするが、一応修理するということで引き受けたことだから材料も修理に必要なだけしか頼んでいなかった。夕方まだ明るいうちにパーツの裁断が終わったので、補修溶接はあと半日もあれば終わるはずだ。

1月に永眠された檀家のおばあさんが百ヵ日を迎える。
百ヵ日は別に卒哭忌ともいって、まだ喪中ではあるが「そろそろ残されたご親族の皆さんも日常の暮らしに戻ることにしてください・・」という、気持ちの切り替えに向けた法事になる。
昔のように三世代が普通に同居暮らしをしているような時代でもなくなったから、最近の百ヵ日は風習の形骸化が進んで法事と云っても散らばった親族が一同に集まることもないまま留守番の誰かと二人で寂しくお仏壇へむかってお経をあげる程度の簡単なものになったが、それでも一周忌までの大事な節目の一つでもあるから万善寺は施主さんの都合に添いながらきちんと法事のお勤めをするようにしている。
コロナ肺炎が蔓延する一方のこういう時期でもあるし、このたびの法事はお茶もいただかないで極めて小規模に絞ってお経を済ませお墓参りをしてそのまま終わらせた。
お墓の脇にある二本の桜が見事な満開で、寂しい法事もそれなりに華やいで気持ちが少し救われた。
今年は4月に入ってから雪が降ったりして気温の上昇がゆっくりになったから、桜の花も満開が長続きしている。

法事を済ませてお昼前に寺へ帰ることが出来たから、すぐに着替えて直接工場へ移動した。
草取り機の消耗して使えなくなったパーツを取り外して補修の溶接をした。
全体の形は似たような感じに完成したが、やはり精度はかなり下がった。まぁ、材料代だけで引き受けた修繕だからこの程度で納得してもらうしかない。所詮草を取るための便利な道具だけのことだが、もう少し丁寧に使えばもう少しは長持ちしただろうに・・
納品は少しでも早いほうがいいだろうと、そのまますぐに銀くんのリヤデッキへ積み込んで小学校へ行ったら、職員の皆さんはまだ授業中だったから校庭の隅にあった櫛パーツの隣へ下ろしておいた。誰かが気づけばなんとか云ってくるだろう。
小学校もコロナ肺炎の対策で何時臨時休校になるかわからない。島根県は今の所感染者が16人で止まっているが全国規模では感染が日に日に増加している。

目に見えない微細な病原菌に対して、人々の抵抗知力はあまりにも脆弱だ。現代社会の経済依存に特化傾倒した人間の慢心おごりへの警鐘がこういう形で現れたのかもしれない。

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3月24日ー展覧会3日目:蕎麦と焼き鳥追加しました!

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春先の裏庭 

2020/04/15
Wed. 23:24

しばらく晴れの日が続いていたので吉田家裏庭の整備をした。

もうかれこれ30年前に石見銀山の今の吉田家へ引っ越したのだが、その時は裏庭に枯れかかった桃の木と、芯が腐れ落ちてウロになってかろうじて外皮だけを頼りに生き残っていた梅の枯木が2本だけ残っていて、あとは畑になっていた。
吉田家の勝手口を出ると、すぐにそういう畑地が銀山川まで広がって川向うの田んぼから杉や檜の植林までなんの障害もなくスッキリと見渡せていた。
その畑地は、昔々はいくつかの小さな民家が建っていた痕跡が残っていて、キレイに方形に石組みされた基礎石が隣り合っていて、脇には井戸まであった。
畑は、その方形の基礎石を境界代わりにしてそれぞれの借り主がそれぞれ思い思いに各種野菜を育てていた。
銀山川には適当な間隔をおいて畑地から石の階段が出来ていて、川まで降りられた。
その階段もすでに幾つかは銀山川へ崩れ落ちて川の流れをアチコチで堰き止めていて、吉田家裏庭の2つだけがかろうじて使用に耐えられる状態だった。

今の吉田家を家族が日常不自由なく暮らせるまでに増改築した時に、家屋の下の土地だけは一括して吉田家へ繰り入れることが出来たのだが、裏の畑地の方は所有者が複雑すぎて書類の手続きが厄介だったのでそのまま手を付けないことにした。その後、過去からの所有経緯が少しずつ分かってきたのだが、結局譲渡の手続きやハンコのことなどがヤヤコシイままになったので、隣近所の暗黙の了解で土地の面倒を棚上げしたまま維持管理だけは吉田家が続けている。
それで、年に数回の裏庭整備が続いているわけだが、ワイフの好きが高じて30年前から年々各種果木と花木の庭木が増え続け、数年のあいだにアッという間に畑が消えて鬱蒼と木々が茂って森になった。実の成る木は収穫しながら剪定もできるが、花木は少し邪魔だからと気軽に好意で剪定すると、それに気づいたワイフからしこたま叱られたりしてどうも釈然としないものだから、わざわざセッセと汗を流して「叱られるのもバカラシイな!」と数年間手付かずにほったらかしていたのがいけなかった。
春先のピーピー豆から始まって、菜の花が繁茂してクローバーがはびこり、葛のツタが庭木に巻き付いて締め上げるようになると、もう手がつけられないほどの荒れ地ジャングル状態になってしまった。
このままにしておくと、どんどん整備がしにくくなることは分かっているので、彼女の顔色を伺いながら草刈りだけは徹底的に3日ほどかけた。おかげでチョットした里山風の趣が感じられるまでに回復したが、刈払った草の山が2つほど出来た。ソレと草に隠れた石段の崩壊具合がハッキリした。
数年前の水害で銀山川が増水した時、崩れて1つは完全に使えなくなっていた。残った1つも、階段脇の石垣の淵が川の方へ崩れ落ちて石段の半分が土に埋まっていた。それで、この際だからと工場の彫刻制作を早めに切り上げて階段を埋めていた土砂を少しずつ取り払ってなんとか前のように使えるまでにした。
裏庭は少しキレイになって気持ちが少し晴れた・・・が、右半身の痺れが増した。
なかなかすべてうまくはいかないものだ・・・ 

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アングルが来た 

2020/04/14
Tue. 17:43

飯南高原は昼間でも6℃までしか気温が上がらないまま、冷たい雨が終日降り続いた。
本堂の北側へ夜のうちに積もった雪は雨に変わっても消えないでそのまま残った。
昭和の昔は5月の連休に入っても境内の裏庭で消え残った雪吊りの山が少年のボクの遊び場になっていたからこの時期の雪も大騒ぎするほど珍しいわけでもないのだが、そろそろ近年の暖冬に慣れてきた老体のほうがこの2〜3日の寒さについていけなくて悲鳴を上げている。
何もする気になれなくて炬燵へ潜り込んでiPadをつついていたらいつもの材料屋の担当さんから電話に着信が入った。
「吉田さんの携帯でよろしいですか?あのぉ〜ご注文のアングルが入ったんですが・・いつお持ちすればいいかと思いましてぇ〜・・」

銀座のグループ展の搬出を終わって次の日に島根へ帰ってすぐに石見銀山にある小学校から連絡が来た。
もう随分前「今の保護者で一番暇なのはお前だから」と、都合の良い動機で一方的に振られたPTA会長をしている時、その流れで気軽に引き受けて造った校庭の草取り機が使えなくなったから「どうにかならないか?」という教頭さんから修繕の依頼だった。
その草取り機は、数年前にも同じ依頼で修繕したことがあるので、今回で2回目になる。
雑草の伸びた校庭を軽トラとか軽自動車で牽引してグルグル何周も回っているうちに雑草がその草取り機に絡みついて引き抜かれてキレイになるという、吉田考案の草取り機を最初に造ってあげたのが石見銀山の小学校だった。
それから、転勤族の学校の先生たちのクチコミネットワークでその草取り機のことが小学校を中心にアチコチ広まって、今までに4機ほど造ってきた。
それに使うのが炭素の入った鋼材とアングルバーになる。
炭素鋼材で造った櫛を使って校庭の雑草を引き抜き、アングルバーのフレームで平らに均すというシンプルな構造なのだが、アングルバーの方は炭素の入らない普通の生鉄だから長石や珪石の多い校庭の土の硬さに負けてグルグル引き回しているうちにすり減ってチビて使えなくなってしまうわけだ。結局は消耗品だから使用の頻度に応じて修繕の回数も増えるということになるが、それにしても消耗が早すぎる。
「たしか何年か前に修繕したはずですが?」
「あぁ〜、そうなんですかぁ〜・・困ってるんですけど無理ですか?修繕??・・今度陸上大会があって、その練習ができると良いんですけど・・」
「そんなにすぐ草が伸びるんですか?」
「いやぁ〜、実は中学校へも貸し出したりしてまして・・・」
「あれ?確か中学校はもっと立派で頑丈なのがあったはずですけど??」
「それが、大きいばかりでどうも上手く草が取れないみたいで・・ソレに、軽自動車で引くにはチョット厳しいようで・・」
つまり、小学校の草取り機は中学校まで何度も出張していたと分かった。消耗が早いはずだ・・・今までの経緯もあって材料代で引き受けるしか無い。
「どうせなら、中学校も別に工房むうあへ制作依頼してほしいな!」と、一瞬そう思ったのだが、そういえばその中学校はもうすぐ廃校が決まっていたっけ・・トホホ・・

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映画と薪ストーブ 

2020/04/13
Mon. 16:13

しばらく晴れの日が続いていて桜もそろそろ最後かなと思っていたら、週末から急に寒くなって気温が一気に10℃も下がった。

通勤坊主で往復している銀山街道は街道沿いの桜並木もきれいだが遠くの山並みや渓流に点在する山桜がとてもきれいだ。その山桜が散り始めるころになると周囲の山々へ様々な色合いの萌黄が一気に広がる。それからしばらくしてヤマツツジがあちこちで咲き始め、自生のシャクナゲが咲く。渓流脇の桂の枯木には緑の若葉が湧き上がって瑞々しく蘇る。

近年は彼岸明け前後から街道沿いに「桜まつり」の桃太郎旗が林立して列をつくる。
はためく桃太郎旗がやたらと視界に飛び込んで、満開の桜並木を愛でるという風流からは程遠くなった。
地域有志の皆さんの地元活性に向けた前向きな取り組みの一環であるのだろうが、私個人としては、一昔前のように桜並木の蕾が何気なく満開になってやがて時期が来てさくらふぶきに変わって散った花びらが街道を淡いピンクに染める移り変わりをさり気なく感じていられる方が好きだった。

銀座のグループ展の会期が始まった頃からコロナ肺炎の流行が急速に加速した。
会場受付で往復の公共交通機関も日に日に利用客が減少した。
10代後半から20代の殆どを東京で暮らした私でも、記憶にないほど閑散とした光景が毎日続いていた。
潜伏期間を考慮して2週間は外出を自粛して人混みでの接触を避けて過ごしている。
幸い、万善寺の法事仏事も無く好天も続いているから、何年ぶりかで本格的に万善寺石垣と吉田家裏庭の整備を始めた。
毎日通勤坊主を繰り返しながら石垣に根付いた低木を切り倒し裏庭の草刈りに3日ほどかけて、週末に一段落ついたところで雨になった。夕方から雨脚が強まって風も出てきた。
これで風がなければ桜の花ももう少し長持ちしたかもしれないが、石見銀山はソレも期待できないほどの強風が吹き荒れた。
飯南高原の方が気になっていつもの天気アプリを確認したら雪マークになっていた。
暖冬のままシーズンが終わったばかりだったのに、桜が散る頃になって冬が戻ってきた。
冬の枯葉が雨で流されて雨樋のどこかに集まって溜まってしまったのかもしれない、滝のようになって溢れた雨水がすごい勢いでアルミサッシの窓をたたき続けている。
寺のことが心配ではあるが、無理にジタバタしてもしょぉ〜がないから、雨の降る間はおとなしく休養することに決めた。

荒れ地に変わった裏庭の草に埋もれて半分腐りかけていた建材の柱を刻んで薪に替えた。
やはりエアコンのフル稼働より薪ストーブはずっと暖かい。
久しぶりに温もったリビングで久しぶりにワイフと二人で「蜂蜜と遠雷」を見た。
「小説とは随分違ったね。いっぱいカットされてた・・・あの馬何だったのかしら??」
2時間の映画で小説の再現には少々無理があるということだけは確かなことだ。同じ「表現」領域でも「映画と小説は別物だと思ったほうが良い・・・」と、私は思う。

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展覧会3日目:蕎麦と焼き鳥 

2020/03/24
Tue. 23:42

東京暮らしを切り上げて島根へUターンしてからそろそろ40年近くなる。
年に何回かは上京するから東京の公共交通機関は概ね迷わないで利用できているが、それでも今になるまで毎年のように新しい地下鉄が開通しているし、相互乗り入れも増えたし、彫刻と一緒に車で移動する時も鉄道の高架線化が進んで踏切の待ち時間が短くなって楽になった。相変わらず首都高は高速道路とは名ばかりの混雑ぶりだが、それでも東北や関越には楽に乗り入れられるようになったし東京湾沿いの高速道も整備が進んで、あとは関東の西の端が南北に整備されればもっと楽に東西を移動しやすくなると思う。

車で上京したのは5年ぶりくらいになるだろうか?たしか前回は今の銀くんの前の結界くんと一緒だったはずだ。もう新名神は開通していたが新東名はたしか名古屋の東の三ヶ日あたりがまだ工事中で東名へ合流するのにやたらとグルグル回ってばかりいたような気がするが、思い違いかもしれない。
何時だったか、東京からの帰りに高速道での事故が多発したことがあった。チョットした時間の都合で次々と事故に遭遇してしまった感じで、あと1時間早ければ難なく通貨できていたはずだとか、出発時間を少しずらしていたらもっと楽に事故を回避できていたはずだとか、めぐりあわせの不運が度重なっただけのことなのに自分の運の悪さを納得できないで随分とイライラした事もあった。

最近は高速バスでの移動がメインになった。
慣れてしまえばなかなか快適で、何より前日はギリギリまで仕事ができるし当日は余裕を持って仕事に取りかかれて時間のムダがない。
殆どが仕事優先のとんぼ返りになってしまうが、日程に余裕があれば1日1晩自由時間をつくって関東在住の娘たちに逢うこともできる。キーポンと映画を見たり、ノッチと待ち合わせて一杯やったり、なっちゃん家族と食事したりと、上京の楽しみになっている。

銀座のギャラリーで受付に入る前にコンビニを経由してコーヒーをテークアウトした。
其処からギャラリーまで熱いコーヒをこぼさないようにゆっくりソロソロと移動していたらお蕎麦屋さんを見つけた。いつもは有楽町から違うルートを使ってギャラリーまで移動しているから、そのお蕎麦屋さんの前を通ることがない。
まだ学生だった頃は、駅の立ち食いそばも含めてとにかく東京のアチコチのお蕎麦屋さんには数え切れないほど通ってお世話になった。
せっかくだから、お昼は受付を変わってもらってそのお蕎麦屋さんへ行って、釜揚げそばともりそばを堪能した。島根のザラッと歯ごたえのある香り高い田舎そばも良いが、やはり、江戸前のキリッと締まってツルリとしてコシの強い上品な蕎麦もすてがたい。

夕方になって仕事帰りのノッチが彫刻展の会場へ来てくれた。マスクで顔が隠れていてしばらくノッチと気づかなかった。時期が時期だけに来場は期待していなかったが、ノッチのお陰でかろうじて10人二桁をキープ出来た!
彼女は仕事の関係で在宅勤務が難しいらしい。クローズまで受付に付き合ってくれて、それからキーポンも合流して一杯飲むことにした。

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展覧会2日目:来場30人突破! 

2020/03/23
Mon. 23:46

一日ゆっくり休んだら足が随分良くなって、いつもの杖を使えばなんとか普通に歩けるようになった。
ギャラリーのオープンがラッシュを過ぎて少し落ち着いた11時なので都内の移動も楽だと思っていたら、そういえばコロナ肺炎で不要不急の外出を控える事になったから「人出が少ないのもそのせいだ!」と気がついた。もっとも、それでも島根の暮らしと比較すれば人口密度が比べ物にならないくらい違っているから、自分としては都内の人混みに慣れなくてやっぱり何かと疲れる。

昼食は途中マクドナルドに寄ってポテトとコーヒーを買った。
ジャンクフード大好きなボクにとって、マクドナルドは久しぶりのことだ。
ギャラリーへ着くと既に作家仲間のDさんが受付をしていた。
カウンターの記帳を見ると昨日は初日なのに来場10人だった。
時期が時期だし二桁をキープできただけでもありがたいことだ。

関東在住の友人知人にはSNSで展覧会の告知をしておいたから、時間と気持ちに余裕があれば誰か来てくれるだろうくらいであまり過度に期待をしないでいたら、チョットした知り合いから返信があって、数回やり取りをするうちに「今日の夕方だったら会場へ行けるかもしれない・・」と云うことになった。
「無理をしないでいいからね!彫刻はだいたいいつもにたりよったりだし、気持ちだけで十分だから・・・」と伝えておいたら、しばらくして「6時半くらいには銀座へ到着すると思います!」と返信があった。
K君はちょうど1年前に高校を卒業して、今は大学に通っているはずだと思っていたら「色々思うところがあって退学しました」と云ってきた。SNSの短いやり取りのことだし、あまり詳しく聞くこともはばかられてこちらからその話題を避けていたらK君の方から「やっぱり写真が忘れられなくてソッチの勉強一つに絞ったんです!」と教えてくれた。
高校時代は、それこそ高校生らしい瑞々しい写真をたくさん活写していて、いくつかのコンペで受賞したりもしていた。あれこれの写真雑誌などを頼りに、ほとんど独学で写真を撮り続けていて、学園祭などの学校行事等にもカメラマンで積極的に参加していた。

夕方になって、K君がお父さんと二人で会場へ来てくれた。
今の時期とてもありがたい貴重な来客なので早速記帳をしてもらって、受付カウンターの内と外で立ち話になった。
気がつけばアッという間にクローズの時間になっていた。
急いで会場の彫刻を観てもらって、自分とワイフの彫刻は少しほど作品解説をした。
彼が高校生時代は、1ヶ月2日しか無い貴重な美術講座の時間に、美術とは関係のないどうでも良い趣味の話や写真や音楽のことなど他愛ない会話ばかりで終始していたから、展覧会場で観る彫刻家吉田夫婦の実態をほんの少しほど実感してくれたようだ。

会期2日目は有難くも彼ら父子を含めて入場者が30人を突破した!

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展覧会1日目:13歳からのアート思考 

2020/03/22
Sun. 23:53

ほぼ徹夜で島根から東京まで移動して、テーブルを組み立て、ギャラリーで彫刻の展示をするという強行スケジュールをこなすと流石に全身へ疲れが溜まって、いつもどおり目は覚めているのに身体が思うように動かない。
一晩のうちに溜まったオシッコが漏れそうなのでなんとかして起き上がろうと腹筋に力を入れたらよけいにチビリそうになって少々焦った。

搬入展示を手伝ってくれたキーポンと夕食をとったあと、そのまま彼女の家で一晩お世話になった。腰は痛いし、足もまだ痛いし、無理をした時に、確実に自分の老化が進んで体力が減退していることを実感する。
「あと何回こういうことを続けられるだろうか?・・・」
放尿の開放感に浸りながらなんとなく他人事のようにボンヤリ思った。

グループ展事務局からのSNSであらかじめ送信された会場の当番表を確認すると、初日の受付は人手が足りているようなので無理をしないで1日休養することに決めた。
キーポンの部屋でゴロゴロしながらウエブニュースを見ると、いよいよコロナ肺炎流行が首都圏蔓延を避けられない状況になったようだ。
こういう時期の展覧会はみんな外出自粛で集客も期待できないだろうと島根を出発する時予測して、会場当番の暇つぶしをいくつか準備しておいた。
1週間分の暇つぶしとなると、文庫本が2〜3冊は必要だろうから彫刻の梱包と一緒に銀くんへ積み込んでおいた。それから公共交通機関で移動中用に耳のお供をAppleMusicをチェックしてiPhoneへダウンロードしておいたし、ついでにKindleの無料購読を検索して面白そうなモノをいくつか追加しておいた。
長期間家を留守にして吉田家のWi-Fi環境を離れると、出先でダウンロードも自由にならないから、その程度の準備は夜寝る前のひと手間で事前に済ますようにしている。

今回のグループ展は、例年のように関東圏を中心にDMの一斉発送を躊躇してどうするか直前まで迷った。
コロナ肺炎の蔓延状況は島根の田舎で暮らしていると首都圏の現状が遥か彼方の遠い世界の出来事のようにボンヤリと曖昧で、どうも現実的に具体的に我が事のように受け止めることが出来ない。はじめはDMに簡単なお知らせの手紙を添えて封書にしようと決めて草案を考えてもみたが、そのような封書が届いた先でかえって余計に気を使われてしまったりするかもしれないと思ったりもして、結局DMを1枚も発送しないままになった。
1日の休養を無駄に過ごすのももったいない気がして、その未発送のDMをJPGに置き換えてSNSで繋がっている友人知人だけには送信しておくことにした。相手が受信に気がつけば、その時の相手の事情で何かしら返信をしてくれるだろうと思ったし、その程度のことならこういう状況でそれほど気持ちの負担にもならないだろうと思ったからだ。あとは、自分ができるだけ連日会場で受付をしておけば、作家不在の失礼もしなくてすむし、そういうふうに決めてすべてSNSに委ねた。キーポン宅のWi-Fi環境が随分と役に立った。
お昼はセブンイレブンの中華丼をレンジでチンした。最近のコンビニレトルトはあなどれない。
それからKindleを開いた。読み始めたら面白くて止まらなくなった。

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銀座の彫刻展 

2020/03/21
Sat. 10:39

東京は昨年秋の展覧会以来だからおおよそ半年ぶりになる。
メディアは連日コロナ肺炎の話題が絶えないが、彫刻搬入で都内を移動していると特にいつもと変わらない賑わいが続いているように思える。
ノッチが近所のカフェでラップトップの仕事をしていたらいつもより営業時間が短縮になって追い出されてしまったと家族のSNSに載せていた。
人が集中する場所では、すでにコロナ肺炎の対策で営業の見直しを迫られているようだし何かと不安なことだろう。

銀座のギャラリーは、彫刻のグループ展へ約20人の彫刻家が出品した。
遠方からの出品者はコロナ肺炎の流行を心配して殆どが業者搬入に切り替えていた。
ワイフと私の彫刻搬入は丁度仕事が休日だったキーポンが手伝ってくれた。
彫刻からテーブルまで制作してお彼岸の準備と連続で酷使を続けていた足が悲鳴を上げて銀くんを運転するのもやっとだったから、都内の移動や彫刻の展示にはキーポンが私の足代わりになってくれて本当に助かった。
私は原則として展覧会の展示は自分ですることにしている。まだ学生だった頃からの自分で自分自身へ科したルールのようなものだ。会期中に自分の彫刻が安全であるかどうかを自分の目で確かめておくことは自分の責任でもあるからやはり展示が終わるまではなかなか人任せにして済ますことが出来ない。小心者のチキンだからソレも仕方がないことだ。
おおよそギャラリーの展示が落ち着いたところで、作家は三々五々解散した。コロナ肺炎のことがなければ、何人かが集まって慰労会くらいはしただろう・・・
ワイフはなっちゃんのところでお世話になることになったので、地下鉄のホームまで一緒に行ったあと、右と左に別れた。
私は、展示を手伝ってくれたキーポンへお礼の夕食をご馳走することになった。

なっちゃん夫婦の新居用に造ったテーブルは、サイドテーブルを回転させて引き出せるようになっている。
最初から2つに分けて造れば済むことだが、部屋を無駄なく有効利用するには2つを1つに合体させておいたほうが収納の手間や場所の確保も省けるし都合が良いだろうと、無い知恵を絞ってその構造を考えた。それに、パーツの部品を増やせば業者搬入で済ますこともできるが、ボルトで組み立てるような構造では永年使用には華奢すぎて弱いものになる。やはり、頑丈な造りにするには構造の大事なところは溶接しておいたほうが丈夫だ。そういう事もあって自分で直接搬入をして最終に現場で組み立てる方法を選んだ。サイズはなっちゃんの要望を元にして、銀くんのリヤデッキに収まるように決めた。自力で積み込みをできるように使用する鉄材の重量などを優先したのだが、実際に新居で組み立てていると、やはり人手を頼んでも材料に妥協しないほうが良かったと反省した。
テーブルや椅子などの家具を中心として間仕切りなどオリジナルデザインのインテリア関係のモノは、昔から時々依頼を受けて制作している。
バブルの頃は造ればすぐに売れていて、今思うと随分贅沢に暮らしていた。今はそう上手くはいかないが、たまには彫刻から離れて暮らしに密着した実用の工夫をすることも自分の造形感を新鮮に維持するために大事なことだと思っている。

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お彼岸の夜 

2020/03/20
Fri. 23:24

春彼岸は穏やかな朝を迎えた。
本堂を中心に簡単な荘厳とお参りの湯茶を準備するのに早朝から典座寮をかねた台所と本堂を数え切れないほど往復した。
庫裏の西の端にある台所と境内の東の端にある本堂は対角線の端と端を結んだような状態に位置していていくつかの部屋を横切って渡り廊下の階段を上り下りする。
万善寺の法要があるたびに思うことだが、そこで生活しながら維持管理をする住職としてはとにかく使い勝手がすこぶる悪い。
飯南高原に点在する仏教寺院は宗派を越えてだいたい何処も似たりよったりの構造だから、過去の時代のいつの頃からか本堂を中心にした聖域の結界を構成する宗教的建造の常識としてこのような伽藍配置が極小規模の末寺にまで浸透していたのかもしれない。
昔のように、民衆の信心が旺盛な頃は地域の宗教行事として身施の勤労奉仕が盛んであっただろうが、今の時代はソレも廃れて檀信徒の仏事のお参りも形骸化が進んでいる。だいたい皆さんお客様感覚でお参りされるようなところもあって、湯茶のセルフサービスもまずは住職の方からお願いするところから始まる。

午後からの法要が始まる頃になって、左足の足首あたりがチクチクと痛み始めた。短時間で一気に休み無く動き回ったから痛風の発作が生じたのかもしれない。
夕方から東京へ向けて出発するのに嫌な成り行きになってきた。
何食わぬ顔をして、法要から塔婆回向とお茶会まで済ませ、お参りが引いて湯茶の配膳を全て片付けて洗い物をワイフへ任せてから彫刻の荷造りと銀くんへ積み込みをした。
洗い物を済ませたワイフが途中から合流して手伝ってくれて、万善寺の境内を出発したのは夕方の6時を少し過ぎた頃だった。

いくつかのルートを検索して、途中燃料を満タンにして松江から米子経由で中国自動車道へ回ることにした。
夕食はお茶会の残り物を食べた。
夜食もそのまた残り物で済ませた。
ワイフは、中国自動車道へ入った頃から助手席で爆睡モードに入って、そのまま深夜を過ぎても目覚める気配がなかった。
新東名の静岡に近づいた頃から睡魔がやってきて我慢できなくなったからパーキングエリアに寄って仮眠した。
夜が明けて周辺が少し明るくなり始めてワイフが目覚めた。
「富士山見えるかしら?」などと、のんきなことを云っていたが、夜通しの運転で疲れている上に左の足首が本格的に疼き出したボクとしては、夜明けの富士山を愛でるほどの余裕はない。ワイフの方は「わぁ〜、キレイ!やっぱり富士山は良いわね・・・」などと旅行気分を満喫していた。

東名から首都高へ回ってなっちゃんの新居を目指した。
テーブルを搬入して組み立てが終わったのはお昼前だった。
それから彫刻をコロコロキャリーに載せ替えて銀座を目指した。

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吉田満寿美小品彫刻完成 

2020/03/19
Thu. 23:30

ワイフの彫刻が完成した。
春彼岸の法要が終わり次第、万善寺でグループ展の彫刻やテーブルなどを梱包して銀くんへ積み込んで東京へ向かう。 

コロナウイルス関連のニュースが絶え間なく聞こえてくる。
東京や大阪など、大都会を中心に患者が日に日に増えている。
島根県から東京までは銀くんで移動になるから人の接触は極力避けることができるが、東京へ到着して搬入陳列から会場の受付まで考えると、公共交通機関を使う回数も増えるし、感染のリスクが高まる。
チキンオヤジは、今のうちから少々ビビっております・・・

今回のグループ展へ出品のワイフの彫刻は、大作のためのマケット的位置づけで制作をしているようだ。
島根県での小品彫刻展や、地元山陰での展覧会へ出品する彫刻は、工法や素材はほぼ同じなのだが形の方向性に少しタイプが違っていて、どちらかといえば具象的色彩の強い彫刻になることが多い。
昔のように、制作の一つ一つでお互いの意見交換をすることもなくなったから、彼女の目指す先に何があるのかよくわからないが、とにかく、私から見ると最近は微妙に細かなところでかたちのまとめ具合に具象を意識していることが増えてきたような気がする。
彼女は、日頃の付き合いの中で時々イラストやポスター原稿を頼まれることがある。そういう時は、とても私には恥ずかしくて描けそうにないほどの可愛らしい絵に仕上げている。知り合ったときから彫刻のことしか観ていなかったから、元々からそういう造形のセンスのようなものを持っていたのかもしれないが、いまだに私には彼女の造形の本質をつかめないでいる。
一見、女性らしい優しくて柔らかい感じの彫刻が多いから小品展の会場では一般の反応が良くて旦那のボクより人気もある。ある意味でキャッチーな彫刻であるとも云え、それはそれで彫刻の大事な要素であるから良いことなのだが、一方で、彫刻のあまりにもの優しさが彫刻の存在の強さを邪魔しているようにも感じてしまう。
自分がそう思うだけのことかもしれないが、やはり彼女にとってはそろそろ少し落ち着いて今までの制作を再度系統立てて客観的に振り返ってみる機会があって良いのかなぁとも思う。もうかれこれ20年くらいは続いている彫刻素材の見直しをしてみるのも良いかもしれない。
彼女は、学生の頃から彫刻を造りはじめてそろそろ40年を過ぎ半世紀近くになろうとしている。彫刻家としての作家歴は私より長いベテランである。
これから、体力は減退に向かい、身体も思うように動かなくなってやがて制作の気力も萎える時が来る。集中力も持続力も続かなくなるかもしれない。
私にも云えることだが、やはり今の時期にもうひと踏ん張り彫刻の造形表現の基本に踏み込んで現状を冷静に把握しておく必要を感じる。年齢相応に知的で思慮深く、奥深い思考の淵を見定め、一人の人が生きた証として、自らの彫刻表現を通して時代や社会に対しての提言になりうるほどの重たい志向の彫刻を準備することも大事なことのように思う。

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安西水丸さんのこと 

2020/03/18
Wed. 23:29

Amazonへ頼んでおいたユーシン君の絵本が届いた。
ハードカバーの折り目を気にしながらページの隙間を開けて覗き込むように試し見した。
安西水丸さんの表現解釈はボクが受けてきた日本の美術教育や受験の実技勉強の世界とはかなり違ったベースから始まっているのではないかと、改めて感じた。

安西水丸さんのことはそんなに詳しく知っているわけではない。
彼をはじめて知ったのはまだ美術の受験勉強を続けていた頃から購読していたキネマ旬報で、映画の一場面などの簡単なイラストと短いエッセイ風の文章が1ページになっている「シネマストリート」というコーナーだった。
確か、それまで読んでいた和田誠さんの「お楽しみはこれからだ」(だったかなぁ〜・・間違っているかも知れない・・)が終わって、それを安西水丸さんが引き継いだかたちで始まったのがシネマストリートだったと思う。
その頃の私は、西洋の透視図法を駆使しながらギリシャ彫刻の石膏モデルを必死になって木炭紙サイズへ写し取っていて「美術の基礎はこれしかないのだ!」とか「このデッサンをマスターしなければ自分の美術表現を認めてもらえないのだ!」とか「受験美術にとって東洋的空間表現は意味を成さないのだ!」とか、そんなふうな今思えばある種盲目的な思い込みと信念を頼りに、狭い世界から抜け出せないまま偉そうなことばかり云って悶々とした毎日を過ごしていた。

和田誠さんのイラストは洗練されていて、簡潔に整理された一本の線に必然性があって単なる似顔絵の領域を越えた素晴らしく完成度の高いもので、受験デッサンの勉強中だった頃の私にとってとても参考になった。エッセイ風の文章も面白くて、キネマ旬報購読の楽しみの一つだった。
ソレがある日気づくと安西水丸さんのコーナーに変わっていた。正直、はじめは拒否反応に近いものがあって全く馴染めなくて、しばらくの間なかなかそのページを受け入れることが出来なかった。それでも、なんとか文章を読んでいるうちに彼独特の極度に主観的な鑑賞感になんとなく親近感を感じるようになって、そうして文章に添えて描かれた速記のようなイラストを見ると、不思議にその映画のその場面の記憶が現実性をましてくる。そして、無性にすぐにでもまたその映画を見直してみたくなってしまう衝動に駆られる・・・気づくと、いつの間にか水丸ワールドの虜になっていた。

自分にはとても安西水丸的感性とか表現は出来ないと思う。ソレだからこそかも知れないが彼の表現感性に一種憧れのようなものを持っている。彼の絵を見ていると「絵を描く」という技法とか手法に頼り流されること無く、現実の具体的な事物が極端に主観的解釈で整理されて簡潔に無駄なくまとめられている・・・と、そういう具合に私は感じる。これは、ある意味で極めて具象的な表現だと思う。その具象表現の裏にデッサン力の誇示とかおごりを全く気づかせないところが凄いと思う。私も、自分の彫刻に彼のような一見気負いのないシンプルな表現が出来たら良いと思うがなかなか難しい。

春彼岸の前日の3月19日は、安西水丸さんの祥月命日になる。

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彼岸間近 

2020/03/17
Tue. 23:20

工場のすぐ前を流れる潮川周辺は菜の花が満開に咲いて黄色の絨毯を敷き詰めたようにきれいだ。
なんとなく、いつもより満開が早い気もして過去の記憶を手繰って思い出そうとしたが、無理だった・・・

銀座のグループ展へ出品予定の彫刻制作も先が見えたし、なっちゃんの新居用に制作中のテーブルも完成の見通しがついたから、気持ちを万善寺の春彼岸へ切り替えた。
今年は初午祭と日程が近かったからお参りがどれだけあるか予測が難しい。
それでも、一応例年と同じように準備はしておこうと思っているのだが、いつもはこの時期まだ寺の境内にたっぷりと雪が残っていて庭掃どころか車も玄関先へ横付けできないほどだから、境内へ雪のかけらもない今年はどうもいつもと勝手が違って準備の都合の整理がつかない。
ワイフへは法要後のお茶会用に20人前ほど何か見繕っておいてもらうようお願いした。

庫裏の観音様の八畳部屋に冬の間ほどドームテントを広げている。
寒い夜は、このテントに潜り込んでiPadのKindleを開いて読書しながら過ごす。
数年前の強力寒波襲来の時に、あまりに寺が寒かったものだから思いついてテントを使ったのがなかなか快適で、それ以来、万善寺の冬は観音様の部屋へテントを常備するようになった。
今年のシーズンは、寺の夜が極端に冷え込むこともなかったのでテントに潜り込むことが殆ど無いままになった。
お彼岸にはお檀家さんがお参りされて、檀信徒会館代わりに使ったり、お茶会の準備で何往復もしたりするところへテントがそのままになっているのもいかがなものかと、これを機会に撤収することにした。
敷布団代わりのクッションマットや毛布をテントから引き出したら、カメムシがポロポロとこぼれ落ちた。殆ど未使用だったシーズン中、カメムシたちの越冬場所になっていたようだ。
久しぶりにしばらく締め切ったままになっていた縁側のガラス戸を開けて外の空気を入れた。それからテントを外に出してひっくり返したりしていたら、本堂の座の下からあのふてぶてしい目つきの黒い野良猫が覗いてこちらの様子を見ていた。

夜は万善寺へ泊まることにした。
なっちゃんの新居へテーブルを搬送することになったので、幾つかのナビアプリでルートを確認した。休憩なしの直行だと約9時間半で到着するようだが、さすがにそれは無理だろう。だいたい16時間位を予定して給油とか仮眠とかの場所をおおよそ決めておいた。
それから思い出してAmazonで安西水丸さんの絵本を3冊ほど注文した。孫のユーシンくんもそろそろ1歳になるし、おじいちゃんからの誕生日プレゼントということで丁度良い機会だ。
それに、安西水丸さんの祥月命日が近い。もうそろそろ七回忌がくる頃のはずだ。あの人のセンスはすごいと思う。

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直感のレリーフ 

2020/03/16
Mon. 23:24

4月からの展覧会のことで何度かメールのやりとりがあった。
話が少しずつ大きくなってワイフの彫刻も一緒に展示することになった。

お互い、40年近く彫刻制作を続けて、世間では「職業は彫刻家!」であると云ってもおかしくないほどに認知されていると思うが、一方で吉田家の夫婦でもあって家族もあるから二人が同時に彫刻制作をして一定期間同時に発表をするとなると、それなりに家庭内のスケジュールを調整して、どちらかが彫刻の表向きの対応に従事して、どちらかが家庭内の家事全般に従事して、それぞれの過不足を調整して役割分担をしながらなんとか別々に「彫刻家」を乗り切って今に至った。
日常の暮らしを工夫しながらこういう状況を続けていると、なかなか夫婦で二人展をするという気になれない。

私の方は、この近年そろそろ制作や発表も少しずつ絞って「量より質!」に切り替えてもいいかな・・・と思い始めたところだったのだが、その気持を周囲に伝える間もないまま何故か毎年のように個展の依頼が舞い込んできて、今年もソレを受ければ三年連続で新作の制作が続くことになる。
ワイフが半分ほど付き合ってくれて二人展になると展覧会全般の業務も少しは「楽になるかも知れない・・」と一瞬思ったが、今までの経験を思い返して落ち着いて熟考してみると、それはとっても甘い考えだと気づき始めた。
それでイベントの企画を担当しているTくんへ「人手は確保できるの?」と聞いてみると、展示とか会場設営に限っては手配できるから「大丈夫です!」と約束してくれたが会期中の作品管理とか接客受付までは予算に入っていないと言われた。
すでに企画が進んで印刷原稿には吉田家の二人の名前も入っていて、今更辞退できる状態にはないから、このままなんとか乗り切るしかない・・・

工場の方は、彫刻もほぼ出来上がっているし、テーブルは一晩で塗装も乾いて少し先が見えてきた。
搬送の梱包材などを揃えて、あとはドック入りしている銀くんが帰ってくればリヤデッキに積み込むだけにしてから、レリーフの制作に入った。
レリーフは、制作の端材が溜まってくると思いついて一気にかたちへ置き換える。
あらたまって一般にお見せするようなモノでもないのだが、それでもある時は壁の間接照明になったりある時は即席の棚代わりになったりある時は壁専用の本立になったりある時はハンガーフックの用を足してみたりと、気楽に壁の彫刻を楽しんでいる。
今回は、銀座でのグループ展出品を狙っているからチャンとした彫刻としての体裁を整えようと決めて、端材の山から自分の勘が反応したものを幾つか引き出した。
ギャラリーの壁のことを考えて、レリーフの重量を支えるために即席の壁も自作した。
制作は、あくまで自分の直感を信じて、金属の材質やテクスチャを活かして、それに構成の緊張感を抜かないようにしながら仕事の痕跡を残しつつギリギリまで制作の力と手数をを抜いて一気に仕上げた。
ここだけの話だが、かたちは20分くらいで出来上がった。

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2020-05