工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

島根県奥出雲町の今 

2016/08/28
Sun. 18:52

この2日間、自分の現状がうまく把握できないまま、眼前の事実だけが風のように通り過ぎて行った。

現代彫刻小品展の巡回というか、第2期展が昨日の土曜日から始まった。
作品搬入から展示まで、最小の人数で動き回った数日間だったが、オープニングには徳島から松永さん、埼玉から本多さんが駆けつけてくれて、島根在住の出品者もワイフをはじめとして、たくさん集合してくれた。
現代彫刻小品展も、気がつけば10回の開催が終わった。
今回の奥出雲での開催は11回目となって、一つの節目を迎えたと思っている。

奥出雲町は、地理的には石見銀山から2時間、万善寺から1時間という、決して近い距離の地域ではないが、島根の歴史にはとても大事で私にとっても興味深い地域でもある。
世間に流れる様々な情報を整理するだけで、おおよそどういうところであるか解るとは思うが、私が島根にUターンしたもう30年以上も前から密かに興味深く意識していたこともあって、今年になって、やっと何かの形でこの土地と関わりを持つことができたわけでもある。
このあたりは、たたら製鉄の産地でもあって、あの「もののけ姫」の舞台でもあるが、こうしてこの数日間その真ん中にいると、町の様子にはたたら製鉄の賑わいが残り伝わることもなく、静かに静かに時が過ぎているふうにしか感じない。

中国地方の真ん中を東西に横切る中国山地一帯は、かなり古い昔から、人々が入植し、盛んに山の仕事へ従事した一大工業地帯でもあった。現在に残っている植林の植生は、たたら製鉄を核にしたその周辺産業の名残と言ってもいい。
砂鉄の採取や溶鉱炉に投じる炭の原木植樹など、山肌の隅々まで人の暮らしが入り込んで賑わっていた時代もあったわけだ。
集落の作り出す形状は、すべてが製鉄業関連の経年経過の中で必然的に作られた人工の産物でもある。
中国山地の至る所にたたらの神様でもある金屋子さんが祀られ、採掘や製錬業の繁栄や安全が祈念されていた。私が暮らす石見銀山にも、金屋子に所縁のある立派な神社が銀山坑道のすぐ近くに鎮座されてある。万善寺からわずかのところにも金屋子神社が祀られてあり、毎年の大祭は今でも絶えることなく引き継がれている。

まだ、自分が何をするかも曖昧なままフラフラと遊んでばかりいた頃には、今のようにここまで鉄と関わる自分がいようとは思ってもいなかった。
自分の生まれ育った環境や、自然と周辺の土地に惹きつけられる心情を思うと、どこかしら自分の意思とは関係のないところで得体の知れない大きな何かに引き寄せられているような気がする。
金属の工芸から始まった自分の造形表現が、そのうち金属の彫刻に変わって、島根各地の産地素材に惹きつけられている今がある。
残りわずかな自分の人生が今後どのように動かされていくのだろうか?楽しみでもある。

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年々好 

2016/08/26
Fri. 18:06

お昼前に8月最後の棚経へ出かけた。
3軒の御宅は、いずれも浄土真宗の門徒さん。
普通は、禅宗の万善寺が関わることもないのだが、その3軒は昔からの事情で毎年だいたい8月の終わりに棚経へ出かけている。
1軒は御宅の敷地内にお地蔵さんと観音様の祠があって安坐されている。その2体の仏さんは、その御宅が現在地へ転居される前の家にあったもの。仏さんだけをそのまま置き去りにもできないからと転居と一緒に遷座された。
2軒目はすでに90歳にはなるだろうおばあさんが守っていらっしゃる御宅の古墓供養。今年は、はじめておばあさんの御在宅がなかった。いつもは近所のご親族の御宅で暮らしていらっしゃるのだが、私が棚経へ伺う時は必ずその家を開けて待っていらっしゃった。そろそろ高齢で、少し前には近所の病院の待合室で見かけたりもしたから、体調も次第に弱っていらっしゃるのかもしれない。小学校低学年くらいの男の子を連れたお孫さんが代わりにお墓まいりの対応をしてくれた。上手に次の代まで引継ぎができている。こういう御宅は最近珍しくなった。
3軒目は元の家がダムの底に沈むことになって、先祖代々のお墓と一緒に転居された御宅。墓地墓石の移転遷座の時に万善寺の前住職へお世話になって、その関係が今の代(つまり私)まで続いている。お仏壇の前で棚経のおつとめをしてからお墓まいりをする。もう何年も続いているが、その間に、墓地の隣にある他家の墓石が野ざらしになったままで捨てられた状態だったのを、それはあまりにも可哀想だからと、その家とは縁もゆかりもないご主人が万善寺へ供養の相談をされた。まだ憲正さんが元気だった時のことだったが、そのお墓まで登るのが難しいからと副住職の私へ代行が回ってきた。それからご主人と相談して、このまま供養を続けるのも大変なことだし、結局は縁のないお墓なのだから、いっその事撥遣の法要にして御霊抜きをしたほうが良いのでは・・と提案して、熟慮の末、そうすることになった。それから後は、墓が藪に覆われて少しずつ山に戻っているが、それでもこうして年に1度の盆つとめのときには、洗い米を撒いてあげたりしてさりげなく気にかけて供養していらっしゃる。
浄土真宗さんでは仏事の認識が少しほど違っているようで、こういう古墓とか野仏さんとかの供養や祈祷のおつとめとは縁が切れているようだ。そういうこともあって、万善寺のような禅宗の寺へこういう話が舞い込んできたのだろうが、それもやっぱり施主さんの信心の心根によるから、気にしなければそれで打ち捨てられて終わりになってしまう仏事でもある。私の代になってからも、代替わりした後に観音堂の供養がなくなったりすることもかなりある。そういう施主さんは、これから先代々観音供養もないまま、お堂が朽ち果てるに任せて土になって消えてしまうのだろう。

久しぶりにSNSでノッチを見かけた。少々酔っ払って珍しく自撮りをしてしまったようだ。只今○○歳のノッチとしては、なかなか可愛らしく見える。帰国してこの数ヶ月の間、彼女なりにいろいろあったようだが、それでもそれなりにたくましく生きてしぶとく暮らしているようだ。一昔前なら、「便りがないのは元気の印!」などと親としては音信不通を意気がっていたものだが、現在ではこうしてさりげなくその時々の様子を確認できるから安心していられる。

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ボクは方丈さん 

2016/08/26
Fri. 10:30

8月26日は記念すべき一日になりそうだ・・・などというと、何事かと思われるかもしれないが、別に大したことでもない。
久しぶりに、本当に久しぶりに午前中の2時間ほどがフッと空いたというだけのこと。

だいたいが、毎日自分で都合のいいように自由なスケジュールを調整して、さも「ボクはこんなに忙しくドタバタと働いているのだよ!」的に自己満足している程度のことなのだが、それはそれなりに、一般社会人には計り知れないほどの吉田独特の綿密なオリジナルスケジュールなるものが存在している。
先日、現代彫刻小品展の準備で会場になるガラス工芸館のことで訪問した先で、
「方丈さんはお檀家さん多いんですか?」とさり気なく聞かれて、返事に窮した。
「実態は50軒を切ってますね。だからこうして彫刻展の仕事もやりくりできるとこでもあるんですけどね」
「以前に、知り合いの方丈さんと旅行した時は、四六時中寺へ電話してましたよ。おばあさんはどうだとか、何か変わりはないかとか、大事な電話が入らなかったかとか・・・お檀家さんが多いと、それなりに忙しくて落ち着いて旅行も出来ないそうですわぁ〜」
「ハイ、そうでしょうね。万善寺は全くノープロブレムです。お檀家さんからは1ヶ月に1回も電話がかかることないですし・・」
そう答えたら、その人返事に困ってそそくさと自分の仕事に取り掛かられました。
確かに、そういう私のような坊主の暮らしが良いのか悪いのか判断に苦しむところだろうが、自分の許容量のことも思うとこの程度が妥当かなと今ではそれなりに納得している。
布施収入も高額であればソレにこしたこともないが、あればあったでもっと贅沢に気持ちが傾くし、無ければ無いなりに都合をつけてやりたいことを計画したり実行したりもできているから、ソレはソレで後腐れがなくてスッキリしている。

奥出雲町は、昔々尼子氏と縁が深かった関係か、私が坊主だと知るとだいたいすぐに「方丈さん!」と声をかけてくれる。毛利さんの勢力が強かった飯南高原や石見銀山だと、ほぼ普通に「ご院家さん」と呼ばれる。
要するに尼子さんは禅宗と縁が深く、毛利さんは浄土真宗と縁があったというだけのこと。
万善寺も、奥出雲町あたりにあったら、もっと楽に坊主家業が経営できていたかもしれない。展覧会の準備をしながら、そんな風に思った。

このところ、日暮れが日に日に早くなっている。
奥出雲町を起点に、万善寺や石見銀山を行ったり来たりしているから、道中山あり海ありところところの空が実に綺麗だ。
地元の地図が頭に無いと、全く風景が想像できないだろうが、展覧会の会場になる横田から三成を過ぎて大東方面へ抜ける街道を広報して回って、途中から木次方面へ抜けて出雲を目指した。その抜け道がなんともワイルドで思わずジィ〜〜ンとなってしまった。こういうところにも人の営みが絶え間なく続いているということに感動した。
その抜け道とつかず離れず、JR木次線が走っていて、横田まで続き、その先は日本でも珍しいスイッチバックの駅へ続く。

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工場は暑い! 

2016/08/25
Thu. 23:03

どういう経緯かよくわからないまま椅子を作ることになって、久しぶりに朝から工場で過ごした。
今まで世間が暑い暑いというわりにはそれほどつらくもなかったが、さすがにつなぎの作業着で工場にいると異常なほどの熱気に包み込まれて思考能力がみるみる減退する。

頭のなかには、おおよその完成図が見えているから、鉄の端材をかき集めて貼りあわせながらその場の雰囲気で仕事を進めればいい。
今回の椅子のコンセプトはそのあたりのところを如何にわざとらしくとらえていくか・・・というところだ。要するに、いい加減に力を抜いてラフな感じを残しつつ、椅子の機能をさり気なく演出し、且つ空間の広がりに彫刻的造形の要素を提案する感じ。

そもそもクラフトや家具の領域は、どこかしら機能を重視した使い心地の良さを工業的にデザインしてコストをセーブしたものから、造形性の強いクラフト作家の一品モノまで、幅広く市場に出回っている。
そんな現状にあって、鉄の彫刻家の造る椅子は、さてどのようなものになるのか・・・
①極端な機能美を追求することはヤメる
これは、すでにその道のプロたちが数百年もの長い年月散々知恵をひねり出して今に至っているわけで、それに首を突っ込むとそれこそ自分の首を絞めることになるから、最初からそういうのは無視。
②とっておきの材料は使わない
私は鉄の彫刻家であると自覚しているので、彫刻を造るために必要な材料を椅子のために使うなど勿体無くてしょうがない。だから、四角い鉄板を曲線で切って残った端材をかき集めて繋いで造る。まぁ、この方がずっと無駄に制作時間がかかるんだけどね。
③自分のテーマを外さない
制作するものが椅子であっても、今まで脇目もふらず求め続けている制作や形態や造形のテーマを無視することは出来ない。一脚の椅子が一連の彫刻の中にあっても、全体を包括するテーマ性の中で破綻なく存在するということが重要だ。
④仕事を楽しむ
このところ、現代彫刻小品展にかかりっきりになっているから、自分の彫刻制作の時間がほとんど無くなってしまっている。この際、せめて2日位は後先考えないでひたすら鉄を楽しみたいと思う・・・が、すでに寺の事があったりして挫折しそうだ。
⑤その他あれやこれや・・・と、工場でセッセと溶接しながら考えたり造ったりしていたら、寺から電話が入った。
おかみさんの仕業だ。別に大変な用事があるわけでもないが、何か思い立つと直ぐに行動へ移してしまうことばかりでこらえ性が欠落してしまっている。他人の都合などどうでもいいのだ。
それで、集中力が切れたので、本日の制作は椅子の足4本を溶接して終わった。1本1時間で都合4時間ほど働いた。石見銀山でシャワーを浴びて、結界君を走らせていたら現代彫刻小品展のB1ポスターが刷り上がっているかもしれないと思い出した。
最近の吉田は現代彫刻小品展にどっぷりと漬かって溺れそうになっている。

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現代彫刻小品展 in 奥出雲 in wife 

2016/08/24
Wed. 21:32

現代彫刻小品展 in 奥出雲が三日後に始まる。
この2日間はベッタリと奥出雲にはりついた。
昨日は、ワイフが石見銀山から駆けつけてくれて、大いに助かった。
やはり、彼女の助っ人は実に心強い。
島根の彫刻家もけっこう居るが、ほとんど全てが他で仕事をしながら細々と彫刻を造っている。そういう人たちに、彫刻がらみの用事を振り当てても、なかなか簡単に仕事を休むわけにもいかないことが分かっているだけに吉田としては気軽に頼みにくい。
それでやはり、どうしてもワイフを頼ってしまうわけだ。

チラシ集配の作業が終わってから、彫刻展の会場をワイフに見てもらった。
彼女の彫刻家としての目で見てもらって、その率直な感想を聞くことが、私の仕事の客観的な判断材料になる。
奥出雲の会場へ今回初めて展示してみたが、自分としては浜田会場と違ってこぢんまりとまとまって比較的落ち着いた雰囲気になったように思う。その様子を、ワイフの目がどのように感じてくれるか・・・実はひそかにドキドキものだった。
結果、「あら素敵!いい会場になったじゃない♡」というわけで、けっこう素直に気に入ってくれたようだ。
「今まで外からしか見たことなかったけど、なかなか立派な会場なのね。大きさも丁度いいじゃない!」
ワイフのお墨付きをもらったようで、それまでの疲労が吹き飛んだ。

石見銀山から奥出雲までは、普通に走って2時間の距離。
ワイフは往復4時間を一人で運転してよく来てくれた。
そのお礼もあるし、私の自分への細やかな慰労も兼ねて外食を奮発することにした。
お目当は、久しぶりの焼き肉屋さんだったが、なんと「本日定休日」・・・というわけで、その斜め前にある八剣伝へ落ち着いた。
焼き肉が焼き鳥に変わったが、まぁ、この程度の妥協は仕方がない。
ジム・ビームというと、ノッチを思い出すというと、ケンタッキーのバーボンだからだ。
そのあたりのことは、話せば長くなることもあるから割愛するが、要するに、そのジム・ビームのボトルを「鉄人」でキープしてあって、それがあるから、八剣伝へ行っただけのことだ。
バーボンがメチャクチャ旨かった。せいぜい3ヶ月に一度行くかどうかなのに、店長は私の好みを覚えていて、無表情に「氷だけでよかったですよね?」と念押しをする。キーポンとワイフと私の3人でいつものカウンターの端っこの、炭焼きの焼き加減が見える場所を陣取って飲み食いする。
久しぶりに気持ちよく酔っ払った。
帰宅するとワイフにアレコレ小言を言われることはわかっているのだが、それを承知で「よし!今夜は酔っ払うぜ!」と心に決めているから少々の小言など普通にスルーする。
ある時は島根を代表する女流彫刻家。ある時は小うるさい古女房。とにかくダメ親父は何かにつけてそういうワイフに毎度毎度救われているのです。

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現代彫刻小品展 in 奥出雲 彫刻展示ほぼ終了! 

2016/08/22
Mon. 23:37

例のごとく、身体の痛みで真夜中に目が覚めてしばらく眠れなかった後、4時過ぎてから二度寝をして少し寝坊してしまった。奥出雲の作業があるから、急いで出かけようと思うのだが、なかなか思うように身体が動かない。

30分ほど遅れてファミリーマートへ着いた。例のごとく、Lサイズのコーヒーを2杯分頼んで、熱中症対策のドリンクも買って、ついでに二割引のサンドイッチも買った。
昨夜に降った雨のせいか、奥出雲町は少しばかり過ごしやすい。
彫刻展会場のガラス工芸館へ、積み残しの彫刻2点と個別配布用のチラシなどの荷物を搬入した。

お昼前に彫刻展示が終わった。
あとは、2〜3日のうちにキャプションなどを整えて会場の掃除整頓などをすれば、現代彫刻小品展のスタートだ。
サンドイッチの昼食を終わらせて、個別配布用のチラシを仕分けした。
4500枚ほど印刷しておいたが、結局約250枚くらいしか残らなかった。大田市よりは人口が少ないものの、飯南町よりは多い。島根の山間部としては結構な数の人々が暮らしているということがよくわかった。
奥出雲町は旧仁多町と旧横田町が統合してできた新しい行政区で、未だに旧行政区の役場庁舎が現役で使われている。聞くところによると、旧仁多の元役場がかなり古いから、新しく建設される新庁舎はそちらに統合されるらしい。
だいたいどこも似たようなものだが、隣接する行政区はどちらかというと長い歳月お互いに牽制しあって腹の探り合いをしているようなところもあるから、どちらかというとあまり仲良く付き合っているわけでもない。現代彫刻小品展のことで、あっちとこっちの庁舎を行ったり来たりしていると、「あの建物の周辺のことはあまりよくわかりませんので・・・」などと、役場の行政職員が済まなそうに言い訳をしたりしている。時間の無駄もハンパないが、まぁ、この際そのくらいのことはあまり掘り下げて突っ込まないでスルーしておいたほうがよさそうな雰囲気だ。

個別配布用のチラシを仕分けして自治会名を確認したりしていると、奥出雲町は、まだまだ古き良き時代の地域事情が比較的よく残っていると感じた。
「美女原(びじょばら)」なんて、思わず其処で暮らしてみたくなる。
「湯の原」「梅木原」「米原」「福原」・・・なんとなく、風景が見えてきそうだ。
「琴枕」・・渋い!「八幡」・・正に!「鋳物屋」・・ダイレクト過ぎる!「大曲」・・わかる気がする!
「蔵屋」「稲田」「馬場」「五反田」、それに、「大市」「古市」「四日市」「六日市」・・・往時の町並みの賑わいが見えてくるようだ。

午前中は万善寺のお檀家さんの年回法事。午後からが奥出雲町の個別配布集配作業。
次々に次の用事がやってきてとめどない。それでも、自分で決めたことだから苦にならない。一つ一つの地道な作業の積み重ねが、そのうち何かの支えになってくれるはずだ。

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ベタベタ 

2016/08/21
Sun. 22:21

日曜日のほうが都合がいいからということで、少し早めの49日大練忌の法事があった。
万善寺のお檀家さんだから当然導師は私になるのだが、何せ常日頃チャランポランなナンチャッテ坊主であったりもするから、どうも菩提寺としての風格に欠ける。
両班で随喜いただいた方丈さんの一人は、私が中学校時代の国語の先生。もう一人は、私より10歳以上も若くしてすでに住職を勤めていらっしゃる。とにかく、誰がどう見ても、役不足のヘナチョコ導師を勤めなければいけなくなった。それでも、結局はみんなで一緒に同じお経を読むのだから、お経の上手下手も3分の1に薄まるし、どうにかなるものだと気楽に考えることにした。

万善寺を出発する時に、何時になくモヤっとした蒸し暑さを感じた。お盆も過ぎた飯南高原は、そろそろ爽やかな秋の空気が漂い始める頃のはずなのに、ベトリと改良衣が肌に張り付いて不快だ。
ひょっとしたら、一雨くるかもしれない・・・と、空を見上げると、確かに雲がいつもより厚く感じる。それでも、すぐにどうこうないだろうと、結界君のリヤデッキに積んである2本の草刈機はそのままにして施主家まで走った。坊主が、業務用の貨物車に草刈機を2本も積み込んで走っている光景は、そう滅多に見られるものでもない。施主家の駐車場へ着いたら、ご親族のオヤジさんたちが結界君の周囲に集まってきて、リアデッキを覗き込んだりして、ひとしきり賑わった。
それでなくても、坊主らしい品格に欠けているところへ、改良衣に雪駄履きでウロウロと塔婆などの荷物を下ろしたりしているものだから、皆さんにとっては滅多に見られないくらいの珍しい光景に見えたのだろう。

いろいろあったが、ひとまず無事に滞りなく法事が終わった。
そのまま銀山街道を石見銀山の吉田家まで走った。まだ夏休みだからというわけでもないだろうに、 日曜日でもあるからだろう、石見銀山の町並みは観光客で賑わっていた。
何日ぶりかでクロを見た。クロの方は面倒くさそうに私をジロリと見てまたすぐに寝た。
猫はどちらかというとあまりベタベタと媚びを売ることも無くポーカーフェイスを決め込むことが多いと分かっているものの、やはりここまで普通に冷たくあしらわれると、少し寂しい。何処からかシロが鳴きながら現れたが、これも私を普通に無視した。
久しぶりだからと、犬並みにベタベタされるのをこういう時は少しほど期待してしまったが、考えが甘かった。やはり猫は猫だ。

彫刻展用の彫刻を積み込んで万善寺へ着いたら、おかみさんが曇り空の隙間から西日が差し込む縁側に腰掛けて私の帰りを待っていた。90歳を過ぎた母親が、いい加減ジジイになってしまった息子の帰りを待っている姿は、今日の湿気のようにベタベタと不快に私の心へ絡みつく。
この夏中、ほとんど万善寺暮らしが続いていたが、そろそろ潮時かもしれない。
私のような素人があれほどクセの強い老人の介護はなかなか思うようにいかない。
母親の子でもあるから、いずれ自分もそうなるかもしれないとふと思った。怖い怖い・・
空の湿気が耐えられなくなって、ついに雨に変わった。

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斐伊川土手の向こうに陽が沈む 

2016/08/20
Sat. 23:27

残暑が厳しい1日だった。朝、万善事を出発する時は、すでに結界君の夜露が乾いていた。
8月に入ってから始めてだと思うほど久しぶりに、現代彫刻小品展のことで終日仕事をしようと心に決めた。
最近絶え間なく寺のことでいろいろあったから、自分の自覚がないまま、疲れが溜まっているのだろう。真夜中に身体中の筋肉が強張った気になって目がさめると、あとは朝までなかなか眠れないまま映画を見たり本を読んだりして過ごしてしまう。二度寝から目覚めたのがまだ早朝4時くらいだった。いつものことを思うとよく寝た方だ。
奥出雲町へ出かける準備はすでに終わっているから、朝の身支度を済ませて一気に結界君をすっ飛ばした。今度彫刻展の会場でお世話になるガラス工芸館に到着して結界君から出たら、まるでサウナに入っているように一気に汗が噴き出した。

一人で約60点の彫刻を展示しなければいけないから、梱包してある彫刻を取り出したり展示台のレイアウトをしたりして、それだけで結構時間がかかった。
奥出雲町内には2カ所にファミリーマートがある。コンビニの中ではそこのコーヒーが一番好きだ。マイポットを持ち込んで、Lサイズ2杯分を頼んだら、店員のお姉さんが不思議な顔をしていた。別にコーヒー好きのオヤジがいても良いだろうに、その店ではあまりコーヒーが出ないのかもしれない。これからしばらく奥出雲へ日参することになるから、次回はもう一軒のファミリーマートへ行ってみようと思う。

昼食らしきものはサンドイッチで済ませ、ペットボトル2本で水分補給をした。
おおよそ彫刻の配置が決まって、それからが悩みどころになる。
昨日まではワイフも手伝ってくれるように頼んであったが、結局、石見銀山の吉田家からの距離が長くて車の運転を渋ってしまった。だから彼女の車に積み込んである2人の作家の彫刻がまだ無い。午後になって島根大学の教育学部で彫刻を勉強していた女の子が、制作途中の木彫を持ってきた。朴木だというが、なかなか渋い味わいでいい色をしている。私はその色が気に入ったのだが彼女の方は今ひとつのようだ。職場が益田にあって、休日を利用して松江の大学の研究室に出かけて、其処を借りて制作しているらしい。確かに、いろいろな道具も揃っているし、学生の頃から慣れている場所だから落ち着いて制作できるのだろう。それにしても、長い長い島根県のほぼ両端にある街から街へ通って制作をしている姿を想像すると、どう考えても時間のロスがもったいないと思ってしまう。私も、島根に帰って10年くらいは、片道1時間半の距離を仕事が終わってから往復して彫刻を造っていたから他人のことは言えないが、まぁ、若いうちはそれも勉強だと思って乗り切るしかない。そうやって、苦労しながらでも、工夫しながら制作を続けていくことに大きな意味がある。途中で息切れして挫折してしまうと、それから後、後悔ばかりの自分の人生が始まってしまう。私にできることなど特にこれといって何かあるわけでもないが、こうして自分の彫刻を持ってきてお伺いを立ててもらえる間はできる限りのお手伝いをさせてもらおうと思っている。
展示作業は時間切れで途中になった。斐伊川土手の先に夕日が沈む。いつの間にか、ずいぶん日が短くなっていた。

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月に吠える! 

2016/08/20
Sat. 04:42

3日前に徹夜!
2日前が終日万善寺夏の大イベント!
1日前が奥出雲町の町長さんや観光推進課長さんへ現代彫刻小品展の広報!
そして、ついでに山陰中央新報の雲南支局へ寄って若い新聞記者へ「ちょぉ〜〜こくとわぁ〜〜〜・・・」と説教を垂れ・・・

昨日の打ち止めは、七面さんの供養法要。
光明ご真言以下、お地蔵さんや馬頭さんや観音さんやお不動さんや・・・とにかく、知っているご真言陀羅尼を飯南高原の月夜へ向かってひたすら読み上げ、お供えのお下がりを地域の皆さんといただいて、しばし歓談。
万善寺の庫裡へたどり着いたのは夜の10時近かった。
それから、白衣や足袋やシャツやパンツなど2層式の洗濯機へ放り込んで、洗濯しながらシャワーで汗を流して、台所のテーブルへ座った時はすでに深夜。

関東に暮らす吉田家の二人の娘達は、きっとほぼ毎日が、今のオヤジのような生活をしているのだろうなぁ〜と、思いながら、冷蔵庫にしまってあった残り物をツマミに麦とホップを飲んだ。
それから3畳の寺務所でラップトップを開いた。
焦点が上手く定まらないままメールの確認などしていたのだが、すでにジジイの領域に踏み込んでいるオヤジの体力は限界に近い。
這うようにしてロフトへ上がってバタンキュー!

万善寺の仏事はこれからもしばらく続くが、それに加えて奥出雲町の現代彫刻小品展の方も本格的に動き始めた。
奥出雲町は、現代彫刻小品展を開催してから11回目の節目の展覧会になる。
石見銀山からスタートした彫刻展を浜田市へ移動させて10回ほど開催した。
その中で、栃木から日原公大氏、埼玉から本多正直氏と白石泰明氏。京都から伊勢信子氏。徳島から松永勉氏と三木賢司氏と居上真人氏。岡山から小林照尚氏。山口から竹村愛氏。福岡から難波章人氏と井形亮子氏。宮崎から鬼塚良昭氏と山田忠範氏。鳥取から藤田英樹氏などなど、ほぼ全国からたくさんの彫刻家が島根県の彫刻展会場を訪ねてくれた。
こうしてささやかながら、島根の地元でこのような全国規模の彫刻展を開催することで、それを口実に訪ねてくれる彫刻家がいてくれるということが、展覧会主催の吉田としてはとてもありがたいし嬉しいことだ。
準備に汗を流した量ほど、色々な出会いが待っている・・・というわけだ。

奥出雲町で初となる彫刻展は、初日の夕方から地元の諸氏と交流会なるものを開いて彫刻の魅力を伝えたいと思っている。
たぶん、昨日の会談の雰囲気では町長さん以下、町の有志の皆さんも10人近くは集まってくれる様子だ。
この奥出雲町での現代彫刻小品展は、吉田のこれからが決まる大切な展覧会になりそうだ。

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奥出雲町戸別配布チラシ完成 

2016/08/18
Thu. 23:30

万善寺夏の大イベントがひとまず終了した!
その万善寺700年の歴史の中で、ギネスブック登録級の記念すべき記録が本日達成されました!
なんと、①施食会②大般若経転読会③観音供養塔婆回向の3つの法要を1日で済ますという、普通ではあり得ないことを、万善寺の吉田家族ボクとワイフの二人だけで仕切って乗り切ったのです!
ハッキリいって、やはりいつでもどこでもすぐにぶっ倒れそうなほどきつかった。
あとで聞くところによると、ワイフは軽い熱中症になりかけたそうだ。

随喜の方丈さんは、手間替えで5人。
一昨年までは万善寺前住職憲正さんが最長老だったのが、彼が遷化するのを待っていたかのように、隣町の住職さんが85歳で引退して東堂ぐらし。
その3つ下の反対側の隣町の住職さんが、精密検査で引っかかって即入院。
そのまた下の臨済宗ご住職が草刈り中の事故で足の骨折。
その少し先の山間部には珍しく大きなお寺の若いご住職さんがドクターヘリで救急搬送。
そして、私は春先から継続中でほぼ慢性化した古傷の痛みがひどくなって棚経の間中半座でお経を唱える始末。
上げればきりがないほどアチコチの坊主が体調を崩して何かとよろめいている。
どうせよろめくなら近所の後家さんのほうがまだマシだと思いつつ、夏の日々を粛々と暮らしている。

これからも、8月いっぱいはこんな状況がしばらく続く。
明日は先日のお薬師さんに続いて夕方から七面さんの供養。
その後も、お地蔵さんの供養や古墳の供養や法事の依頼などが入って宗門の手帳が真っ黒になりつつある。
それに、今年は奥出雲町で現代彫刻小品展を開催することになって、そちらの宣伝もしなければいけない。
ひとまずやることをやって出来ることをしておく!・・・それが一番大事なことだ。
法要が始まる直前に、奥出雲町の役場から電話が入った。
先日アポを取っておいた町長会談が流れそうだと云うことだった。
法要の前のめちゃくちゃ忙しい時の電話だったが大事な話なのでしばし長電話をしてしまった。
そのまた少し後に、彫刻家の周藤豊治氏がマケットで相談を持ちかけてきて、また長電話になりそうだったから、すぐにこちらから折り返しの電話をするから勘弁!と言いつつ、
それでも結局長話になって法要が20分ほど遅れた。
世間はすでに日常の暮らしをしているから、いくらお盆の月だといっても、相手が「あぁ〜そぉ〜ですか・・」と素直に引き下がってくれることが珍しい。
「後日改めて・・・」などと曖昧な態度でいると、営業所氏はこれでもかと思われるほど強引に突っ込んでくる。

奥出雲の皆さんのみに戸別配布するポスターが完成した!もちろん現代彫刻小品展の!

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奥出雲町A4チラシ

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日々好 

2016/08/17
Wed. 22:47

毎年恒例のお薬師さん供養法要から先ほど帰宅。
お盆の時期は夜の法要があったりして万善寺もそれなりに慌ただしい毎日を過ごしている。
18日の万善寺では、施食会と大般若経転読会と観音供養塔婆回向の3つを一気に終わらせてしまう。
そのために、休む間もなく直前まで草刈りをしたり塔婆を書いたりしたが、結局いまだにたくさんの積み残しを抱えている。
それに、お参りのお檀家さんに配る粗品がまだ出来ていない。
たぶん、今夜は徹夜になるだろう・・・と覚悟して、何か面白いドラマでも無いかなと古いデスクトップをつついている。
どんなに焦っても慌てても、それで一気に用事が片付くわけでもないから、こういう時は気持ちを落ち着けてじっくりと構えることにしている。結局は、それなりの時間があればいずれはすべて終了する時が来るのだから、それで良いことだ。

今夜の月はやたらと綺麗だった。
写真でも撮ろうかと思ったが、蚊に刺されるのも嫌だからやめた。
昨日、久しぶりに降った雨のせいなのか、空が秋のように高い。
あれほど毎日が暑かったのに、一気に過ごしやすくなった。

粗品の瓶には「日々好」とリューターで刻むことにした。
「日々是好日」と意味は同じようなものだ。
この、「日々是好日」なる禅語は、中国の禅僧の言葉として超有名だ。
万善寺の前の間の鴨居にも古ぼけた額が掛けてある。ものごころついた時から毎日のようにその額を見て過ごした。意味がだいたい理解できてきたのはワイフと結婚して長男も生まれて長女も生まれた頃だったろうか。
意味といっても、その禅語の裏に隠されている意味のことで、その境地に至るまでにはなかなか厳しいものがある。今では、だいたいに何か躓いたりした時は「そうだよなぁ〜」と思うようにしているが、なかなか境地を極めるまでには至らない。
「日々好」の方は、その前に「年々好」がくる、これも禅語。
それを書いた軸が床の間にぶら下がっていた。何処だったか全く思い出せないでいるが、とにかく、たぶん、どうせ、どこかの寺だったのだろうと思う。意味は似たようなものだろうし、文字がシンプルで覚えやすかったのだろう、時々ふとした時にそのフレーズが頭を巡る。
それで、今夜の月だ。薬師堂へ行くまで結界君を運転しながら見た月だ。
お経が終わって、7枚ほど塔婆回向もして、おさがりのお団子などいただきながら、お参りの皆さんの世間話を聞いていたのだが、終始、今年の夏の暑さの話題が絶えなかった。イナゴが大量発生しているそうだ。蜂がいつになく少ないそうだ。盆トンボが早くから飛んでいたそうだ。そして、雨が降らなくて、暑さが激しすぎて困ったそうだ。
やはり、現実は厳しい。禅僧の名言も地球の現実が相手だと、素直に「なるほどもっとも!」とうなづけないところもある。「日々好」も、結局「机上の理論」のようなものなのかなぁ・・・過酷な現実に向き合って耐えてるお百姓さんの強さを感じた。

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恨むべき日月なり 

2016/08/16
Tue. 21:07

西暦2016年、仏暦2582年の棚経もあと数軒を残すまでになって、ひとまず大きなひと山を終了した!結果、寺の事情か坊主の事情か施主家の事情か、そのあたりの境界が微妙なまま。約10軒が割愛の対象となりました・・・
悲喜交交何かと思うところもあるだろうが、坊主的な立場で総括すると、寺の収入は減るものの、坊主の体力は少し楽になり、おまけに個人の自由時間も若干増えた!・・ということで、とりあえず相殺という結論に達した次第であります。

そこで、万善寺の周辺事情によるお盆の最終日は、現代彫刻小品展次回開催地の奥出雲町へ出かけた。午前中は、幾つかの書類をまとめて必要部数印刷して・・という事務をして、目処が付いたのが昼前だったので、そのままいつものように昼飯抜きで奥出雲町へ出発した。相変わらずおかみさんの罵声を浴びながらの出発になってしまったが、これも加齢による病気の症状とスルーして結界くんを走らせた。
世間というか、巷というか、現状はとにかくおかみさんの生き続けている90年の世界とは全く違う世界で動いていて説明のしようもないし理解してもらえるものでもないから、母息子の無遠慮で硬直した現状をキープしつつ眼前の現実を具体に認識して過ぎるしか無い。見た目よりズゥ〜〜~ッとナイーブなクリスタルの心臓を持つ私としては、奥出雲町までの道中は、結構な試練だった!・・・と思っているが、実は7月以来何十日ぶりかの強烈なスコールで、川になってしまった国道の路面をヨタヨタと走る結界君のハンドル操作にビビっていた小心者だったというだけの事だったのかもしれない。

半日の殆どが行政担当との名刺交換になったが、それはそれなりに収穫もあった。町長秘書室まで案内してもらって、後日指定日時に短時間のアポを入れることも出来た。
奥出雲町は、統合する前の二つの役場をそれぞれ都合のいいように使い続けていて、その庁舎の距離は結界君で20分ほど離れたところにある。この20分ほどの時間ロスはそんなもんだと慣れるしか無い。それで、なんだかんだで半日のうちに軽く2往復してしまった。

宗門オリジナルの創作お経に「修証義(しゅしょうぎ)」がある。これのベースは道元さまの「正法眼蔵」にあるが、その一節に「〜〜徒(いたづ)らに百歳生けらんは恨むべき日月なり悲しむべき形骸なり〜〜」とある。自分も含めて人の命は尊いものだということを自覚して、自分を愛し自分を敬うという気持ちが大事なのだよ!と教えてくれている。変なエゴやプライドに固まってしまうと、なかなかその鎧を捨てることが出来なくなってしまう。ことの善悪なんて、所詮は立場が違えば解釈も違ってくるから、結局は自分の都合のいいように周辺の事情を操作しようとしてしまう。そういうところに無意味な反発や拒否まで加わってしまうと、もうあとはお互いの引っ込みがつかなくなって溝が深くなって摩擦も増してくる。
私が法事で読むお経の総時間数はせいぜい1時間半位のものだ。万善寺の営繕作務で草刈りを始めたら一度で軽く3時間近くになってもまだ終わらない。坊主の実働時間なんてたかがその程度のものだ。それでお布施の中身が多いだの少ないだの愚痴を垂れてるようじゃ誰も信用して信頼してくれないよ。
自分にといっては展覧会の告知に汗を流している方がズット正直でいられるな。

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万善寺荘厳作務 

2016/08/15
Mon. 20:53

万善寺はお盆真っ最中!
皆様はいかがお過ごしでしょうか?
1日の坊主仕事が終わって、相棒のラップトップをつついてみたら、なんと、ブログの訪問者が現在3名!
さすがに、吉田の超マニアックなブロクを鑑賞の皆様も、それなりにお盆で忙しいようであります。

吉田少年の頃から、お盆とお正月はいい思い出など一つもありません・・・といったら、お檀家のご意見番さんに大目玉を食らいそうですが、まぁ、そのあたりのお付き合いはどっちもどっちで、お互い叩けばホコリの出るお付き合いですから、あまり核心に触れないようなお互い様で乗り切った方が仏教的平和を維持できるので、この際だから少々過激な坊主的発言をしてもいいかなと思いつつ、こうしてキーボードをプチプチと叩いているところです。

数日前に棚経で歩いたお留守のお宅の前には、歩道から車道へあふれるほどの帰省のご親族車両でごった返していた。今更仕切り直しの棚経も面倒なので、そういう光景を横目で確認しながら結界くんを走らせた。
朝のうちは今年の夏で1・2を争うほどの蒸し暑い飯南高原だったが、やはり、お昼前からポツポツ雨が落ち始めた。いつものようにスコールのような夕立でもくるかと思っていたら、坊主頭の地肌が少しむず痒くなる位の雨にしかならなかった。

お盆の帰省にあわせて法事の依頼が続いている。この近年特にそれが増えた。ここまでくると祥月命日の感覚など過去の思い出と化している。「そぉ〜いえば、おじいちゃんの命日○○日だったね」くらいのものだ。まぁ、それでも、法事をしないよりはマシだからと思って万善寺の作務を後回しにしてまで引き受けたりするのだが、棚経もあって午後から始める法事の限られた時間でいつもと同じようにノンビリとしていられないから、割愛出来るところは徹底的にブチ切ってしまう。その一つが斎膳の席。これを削除するだけで最低1時間の短縮になる。次に、お経を盂蘭盆会仕様に切り替える。盂蘭盆会の時にしか読まないお経を読んで、だいたい20分ほど法事を短縮できる。都合、1時間20分の短縮を万善寺の荘厳やお墓参りに使ったりしながらお盆を乗り切っているわけだ。そういう訳で今の吉田は一般在家では想像もつかない過酷なお盆を過ごしている。
ちなみに、本日のマイママとの万善寺夕食は、カニカマの塩味で味付けしたスクランブルエッグと、2割引きで売っていたジュクジュクのトマトの輪切りと、おかみさん用に買っておいて3日前に賞味期限の切れた豆腐を半分ずつ湯豆腐にして、以上それだけ。おかみさんは炊飯器で冷えて黄色くなったご飯を食べ、私は春のお彼岸で頂いていたスーパードライを2缶空けた。たぶん、自分の生涯で最も質素なお盆の夕食になったと思う。

本堂の荘厳も、結局お盆真っ最中に夜なべすることになった。自分としては、飾り気のない普通の本堂が結構好きだったりするのだが・・さて、あと何年、一人で荘厳作務が出来るのだろう?

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ありがたやお供え物 

2016/08/14
Sun. 21:17

本日で棚経80軒終了しました!・・・といっても、その中で留守があったり代替わりでお断りがあったりして、実質70軒くらいに減ってますが・・・とにかく、明日で棚経最後のピークを迎えて100軒くらいまではいくことになるでしょう。
私が一人でおつとめするには、このくらいの軒数が妥当かなと思いつつ、さすがにこの3日間は疲れもピークで絶不調であります。
棚経中に3回ほど脂汗と冷や汗が続いて動悸も激しくなって、「これでオレもお陀仏かも知れない・・・」とホントに観念したが、それでもなんとか持ち直して万善寺へ帰ることが出来た。血圧を測ったらいつになく上も下も高くて、その上脈拍も何時もの倍ほどあって、我ながら少々焦った。たぶん、いわゆる熱中症というやつに近い症状だったと思う。

短時間本堂の窓際で横になっていたら、ワイフがじゅん君をつれて万善寺を訪ねてくれた。
彼女の前ではこの絶不調の状態を見せたくないので、彼女たちが車のあたりでもたもたしている間に、急いで墨を擦って塔婆を書いた。
じゅん君は、完全にオヤジを無視で会話もゼロだった。彼なりに、オヤジには色々思うところもあるのだろう。
棚経の行く先々でじゅん君のことをよく聞かれる。憲正さんが元気な時は、私と棚経を手分けしていたから、じゅん君は憲正さんにくっついてアチコチのお檀家さんを訪問している。大きくなってからもしばらくのあいだお小遣い稼ぎに私と手分けしてお務めをしていたこともあったが、高校へ進学してからあとは自然消滅して今に至っている。
こうして過去のひと頃を思い出すと、憲正さんは私が手伝うようになってから後は結構楽にお盆を過ごしていたことがよくわかる。今でこそ100軒程度の棚経で済んでいるが、憲正さんの頃は200軒位は戸別訪問でお経を読んでいた。一人でそれだけの軒数を回ろうと思ったら至難の業だ。お盆の一仕事が終わって機嫌のいい時は、晩酌をしながら昔々の若いころの苦労話をよく聞かされた。憲正さんも若い時があって、元気いっぱいに喜々として棚経を務めていた時代があったわけだ。

棚経につきものなのは、お供え物を託けられること。中でも、飯南高原産のピオーネやメロンが多い。日持ちのするものは須弥壇や位牌堂でお供え物にできるが、日持ちのしないナマモノはなかなか手強いお供え物になる。
昔々、おかみさんもまだしっかりと頭が回転していた頃は、隣近所の子供達へ上手に配分されるようにおすそ分けなどして粗末にならないように工夫していたが、何時の頃からかそれも無くなってやたらとけち臭くもったいながるようになった。結局は、本堂で半分以上腐って匂い立つような状態になってからお下がりをいただくことが増えてきて、お盆の時期は私にも「食べろ」と無理強いが激しくなる。そういうことが毎年のように続くと、それだけでメロンやぶどうが嫌いになってしまう。贅沢な食生活になって、結局夏太りメタボ街道まっしぐらになってしまう。
先日来、母親がぶどうを食べろとやたらにシツコイ。ついに、冷蔵庫から取り出してヨチヨチと私のところまで持参するまでになる。
どうしようもないから夕食後のデザートということでありがたくいただくことにした。
酸っぱくなる直前でかろうじて瑞々しい甘さが残っていた。

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飯南高原のお盆 

2016/08/13
Sat. 21:09

世間は本格的なお盆に入って、棚経の行く先々で県外ナンバーの車がひしめいている。
棚経はほとんどの家で縁側から直接上がってお仏壇の前に座る。
だいたいその縁側は、帰省の皆さんの布団が山積みされていたり、たくさんの荷物でうめつくされている。
私が棚経を始めたのは小学校の頃からだったが、あの頃はこういう光景は皆無だった。
縁側には雨戸が開けてあって、坊主のための一畳ほどの御座が敷かれてあった。
時代が変わって経済も発展して暮らしも楽に豊かになってきたのだろうが、そのことで大事な何かが消えてなくなってしまったこともある気がする。
お仏壇の前に座ると、そのお宅のご先祖さまがどの程度大事にされているかがだいたい分かる。と同時に、御本尊様の安座されている意味がどれほど理解されているかが解る。
さすがに、お年寄りが健在のお宅はおおむねキチンとしている。共稼ぎで昼間が留守のお宅や、婚期を逃したオヤジの独居だと悲惨なものだ。それに、年に1回、お盆の2・3日だけ家を開けて風を通す程度の、ほぼ空き家状態のお宅のお仏壇は目も当てられない。わりと小奇麗にお仏壇が整頓されて、昔の写真が並べられて故人の好物がお供えしてあったりしてどことなく生活感が漂っていたりするのは後家さんの一人暮らしだったりする。
坊主というのは見なくて良いようなその家の暮らしぶりをどこかしら覗き見しているようなところもある。中には、そういう他人の内情を喜々としておしゃべりするような坊主もいたりして、聞くに堪えないこともある。どちらかというと、私はそういうことが嫌いな方だからかなりなストレスになってしまう。万善寺の庫裡をネグラにしているマイママもそういう野次馬的会話が大好きで、私が棚経から帰ると、やたらに根掘り葉掘りしつこく聞いてくる。そういうことがほぼ1ヶ月近く毎日のように続くから耐えられない。

憲正さんがいなくなってから2年目の夏を迎えている。今年は、1周忌の法事の前に墓石を建立した。万善寺の墓地は、雑木林が茂る里山の一角にあって、これだけ暑い夏でもひんやりとして気持ちがいい。
棚経が終わって、少し休憩して、墓掃除に出かけた。
まだ日が高いうちは、山の獣も昼寝をしている頃だからクマやイノシシに襲われることも無いだろうが、この近年はやたらとアチコチでクマの出没情報が飛び交っているし、寺の裏山は昔から彼らの通り道になっているところもあるから、安心はできない。
だから今年は、全く美人じゃないけど歌が上手くてそれなりにキュートなKellie Pickierおねえさまのカントリー・ロックをBluetoothSpeakerへ飛ばしてガンガン鳴らした。万善寺歴代住職の大和尚さんや、たくさんの役僧亡僧さんもさぞかしうるさかっただろう。
墓掃除をしていつも思うことだが、寺の墓地は雑草がはびこることも殆どないし、とても綺麗だ。きっと仏様の功徳が墓地全体に行き渡っているのだろう。

憲正さんの墓石が安座された時に、本堂横にある斑入り青葉の枝木を摘みとって基礎石の脇へ挿し木にしておいた。毎日墓参りも出来ないから、運が良ければ根付いてくれるかもしれないとその程度のことだったが、今年の暑さで花入れの青葉はほぼ全滅していたが憲正さんの青葉だけはかろうじて枯れないでいた。
根付いたかどうかは分からないが、憲正さんのパワーを感じた。

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女流彫刻家の日常 

2016/08/12
Fri. 21:52

吉田家で2泊した次の朝、7時過ぎに石見銀山を出発して飯南高原の棚経をスタートさせた。
調子が悪い足が7月が終わろうとする頃になって一旦快方へ向かったものの、棚経が始まってから数日の間に少しずつ悪化し始め、最近は腰から尾てい骨を経て膝の筋まで痛くなり始めた。無理はしないほうが良いと思うから、できるだけ楽に楽にしようとするのだが、なかなかうまくいかないまま今日もお昼すぎまでかかって15軒ばかり回った。内2軒は留守だったり施錠されたりしていた。来年からはもうその2軒は最初から棚経を外すことにして日程表へその旨を記帳しておいた。

この2日間はさすがに暑さが応えて、腹具合も思わしくなく、夏バテ気味の気がする。
改良衣の下に白衣を着て、足袋まで履いて坊主の正装をしたうえに、炎天下でエアコンも効かない結界君に乗り込んで移動しているわけだからそれだけで体調不良になるのも当たり前のことだ。それに、それぞれのお宅でお経が終わったらお茶の一杯もいただくし、インスタントコーヒーが出たり、糖分タップリの甘いアイスコーヒーが出たり、他にも色々な飲み物がコップに波々と注がれていたりすると、飲み残しも出来ないからそれを見ただけでクラリとしてしまう。毎日こういう状態が続いて健康でいられるはずがない。夏バテで夏痩せするどころか、朝も早くから暴飲暴食で夏太りする。
出されたものを美味しくいただくのも坊主の大事な仕事の一つになっているのだ!

昨夜は、作家歴の若い彫刻家や絵描きが吉田家に集合して焼き肉パーティーをした。
みんなが揃ったのは夜の7時を過ぎたくらいになった。それぞれに彫刻のスケッチやマケットなどを持ってきていたから、一つ一つ真面目に善後対策を話したりして、久しぶりに彫刻家の吉田になった。
自分ではそれほどたいしたことを言っているつもりもなかったが、若い作家の卵諸君はそれなりに真剣に聞いてくれていたふうに感じた。
最近は、ワイフと彫刻絡みの会話をすることも殆ど無くなってしまった。ワイフの方は、中学校の時間講師をしていて、子供達を相手に毎日のように何かしら美術のことや造形のことなどを喋っているのだろうから、何か適切なアドバイスでもしてくれるかと思っていたが、手料理のほうが忙しかったようで、我々の会話に合流することもなかった。

この近年、ワイフが小品を造る時は、私が寝てから後や、寺暮らしが続いて自宅に居ない時に食卓へ材料を広げてテレビを見ながら制作している。彼女くらいのベテラン彫刻家になると家事との両立をそつ無くこなして、手際が良い。せいぜい一週間もあれば小さな彫刻が二つ三つできている。
彼女が彫刻を出品する展覧会も年間を通すと、それなりの数になって、造る彫刻も年々増えて溜まってくる。「この彫刻、前の展覧会に出しちゃったかしら?」今回の現代彫刻小品展へ搬入の時も、直前になってそんなことを言い始めた。「2点でも3点でも良いわよ♡タイトルもいつもと一緒でいいからネ♡」などと、余裕をぶっこいていた。
彼女なりに毎日アレコレ忙しい中で制作していて、その時間を捻出しているわけだから、それはそれで頭がさがる。

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暑い!暑い!暑い! 

2016/08/11
Thu. 14:10

最近、行く先々で「暑い」「暑い」「暑い」・・・と、それが挨拶代わりになっている。
さて、自分はそれほど暑いと思わない。
早朝は寒くて目が覚めて、いつもは敷布団代わりに使っているファスナーを全開にした封筒型の夏仕様シュラフを身体に巻きつけたりする。
飯南高原が特に涼しいというわけでもない。だって、その飯南高原を棚経で回っていてその地域の人達から「暑い」と云われているのだからね。

早い時は、朝の8時位からお檀家さんの仏壇の前でお経を読んでいる。
それくらいから動き始めて、琴引山の麓の古墳地帯をぐるりと回って、毛利と尼子の古戦場一帯へ移動して、そのまま昼飯抜きで島根から県境を越えて銀山街道とつかず離れず広島県の三次まで結界君を走らせた。
今では誰がどう見ても島根のトップクラスの高齢者がひしめく田舎であるが、古来を紐解くと、時代の折々に神話や逸話や昔話のネタが尽きないほどの賑やかな地域でもあった。

そういう栄枯盛衰のど真ん中を一日ウロウロして、そのまま銀山街道を引き返して、何日ぶりかで石見銀山の吉田家へ帰った。
私が留守の間にワイフとキーポンの女の園になっていた。それでもやはり自分の四畳半は落ち着くし、自作の鉄のテーブルや古いヨレヨレのソファーがあるだけで気が休まる。
私が生まれ育っているはずの万善寺は、やはり今のところ自分の自由にならないことのほうが多いから、余計にそう思うのかもしれない。

奥出雲町関連のデスクワークもしなければいけないのだが、富山町の彫刻イベントの方もそろそろ動き出したから、自分の身体があと2つくらい欲しいと思うようになった。
いつ決まったのか知らない間に今日は山の日の休日だそうだ。その休日を利用して富山小学校の教室個展の作家が制作を始めることになった。だいたい例年、11日はお盆の営繕作務用に当てていたが、今年は富山小学校の教室を片付けるこになった。
ほぼ1年中未使用で使うことのない教室には、近所の小学校の備品や什器が投げ込んであった。まだまだ立派に現役で使用できる学校の校舎が物置状態に使われている。

夕方から彫刻の内見会で集まることになった言い出しっぺの周藤さんが富山に合流してくれることになった。彼の野外彫刻を富山町内の2箇所に置かせてもらっているし、栃木と神奈川の彫刻家の石彫も2点ほど置かせてもらっているから、その周辺の草刈りをしてお盆の帰省客の皆さんに見苦しくないように整備しておこうと思う。
抽象の彫刻から始まった周藤さんが、最近になって少しずつ具象に目覚め始めている。まだ彼が学生の時は具象の彫刻を造っていたから特に変わったことでもないが、東京の展覧会からあとの彼の彫刻しか知らない人は、さて、どのように意識して彼の現在を見ているのだろう。世間へ迎合したような彫刻を無理に造る必要もないし、その時々で自分が造りたい彫刻を造ればそれでいいと思う。そろそろ20年以上のキャリアまである人だから、テーマや作風が変化するのも当然のことで、吉田としては彼のそういう変化が結構刺激になって面白い。今夜は、彼の新作マケットも観ることが出来るだろう。楽しみだ。

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もうすぐお盆 

2016/08/10
Wed. 19:39

「あなたの近所では、何時からお盆が始まるのですか??」
時々、そういう質問をしてみる。
別にいじわるをしているつもりもないが、だいたい40代以下の皆さんはひとみを泳がせながらシバシ物思いにふけって、「12日か・・・13日かなぁ〜」位の返事が帰ってくる。
これが10代20代だとどんな回答になるのだろうと、ちょっと興味があるものの、残念ながら棚経中の私の周辺でその年代の人に会うことは100%無い!(10代の小学生には時々遭遇するけどね)
さて、お盆は何時から始まって何時に終わるのでしょう??・・・なんて、ハッキリいってそれぞれの地域事情でいい加減なのですよ。要するに、「それぞれの地域事情でちょうど好い加減な頃合い」を基準にして都合よく決めていたりするわけなのです。
それで、万善寺とその周辺は・・・と言うと、14日がスタートで16日までの3日間に決っている。その経緯は分からないが、昔々聞いた話によると、万善寺の観音さんの供養法要が17日の夜にあったので、それが基準になったということらしい。そのあたりのことを掘り下げるとけっこう面倒臭い事になって1000字くらいでは足らなくなりそうだから止めるけど、まぁ、そういうことのようだ。

お盆の時期は島根に帰省する人も多いから、田舎の実家に暮らす人々はそれぞれの家庭事情で大忙しの数日を過ごす。私の周辺でもそろそろ慌ただしくなってきて、「いやぁ~ごめんごめん、明日あいてる?例の同窓会の件で集まるんだけど・・」なんて電話が突然入ってくる。かれこれ10日ばかり前だったか、彫刻関係で秋の大作制作前の内見会を開こうと誘いが入っていたから同窓会の方を断った。このお盆の時期は、古い知り合いが帰省して連絡してきたりして、友達の少ない吉田でも結構アチコチからの誘いが増える。
その、彫刻の集まりを企画したのは島根彫刻界のホープ!(といっても、すでにキッチリとオジサンですが)周藤さん。彼の企画は断るわけにもいかないので、久しぶりに彫刻話に花を咲かせて飲みまくろうと云うことになった。
今年の現代彫刻小品展へ初出品してくれた高橋さんを誘ってそういうことになったらしい。忙しい周藤さんに変わって幹事もどきをして、ノリちゃんに吉田家2人の彫刻家に高橋さんの後輩も誘って、ついでに絵画の新人さんにも声をかけた。総勢10人弱の作家たちが集まることになったから、お盆前の今の時期としてはそんなもんだろう。
高橋さんは木彫の作家で、師匠は国展の藤田英樹氏だが、高橋さんはどちらかと言うと抽象の彫刻を造っている。ノミの彫り跡の具合や、全体のフォルムの決め方など、やはり直接本人との会話があったほうが良いかなと思っていたところだから、吉田としては楽しみなところである。
埼玉の白石さんも木彫の作家だが、彼は結構なベテランで、さすがに仕事も落ち着いているし、造形もブレがない。自分の伝えたい事が正直なカタチになって伝わってくるから、観ていて迷うことがない。高橋さんのような若い作家は、白石さんのような彫刻を勉強すると良い。抽象といっても、その発想の元というか、ブレないテーマの根幹を持っていることが彫刻の強さになるし魅力になる。少々破綻があったりミスがあったりしても、自分の言いたいことがシンプルに伝わっていたらそれで良いと思う。作家歴が若いうちは特にソレが大事だ。変に技巧に流されないほうが良い。

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筋金入り 

2016/08/09
Tue. 20:31

お盆の棚経をやりくりして、現代彫刻小品展のことと、とみやまの彫刻イベントのことと、それにおかみさんの通院のことで毎日のスケジュールを調整している。
それで、本日は終日おかみさんの通院に付き合った。
合間を縫ってメールをアチコチへ送信し、LINEで家族と会話し、今は寺のロフトでひとやすみしている。

それにしてもおかみさん(ボクのママ)は、この1年の間にどんどん変な具合に曲がってしまって手がつけられないし、口も出せなくなってきた。
今日も、この春から主治医になってくれているお姉さんドクターと診察中に何度となく視線を絡め合わせながらおかみさんのエンドレス話を聞き続けたところだ。
どうせ見つめ合うのなら、病院の診察室より夕日の見えるホテルのラウンジあたりが良いなぁ〜などと妄想が脳みそを駆け巡った。

万善寺の玄関を出て庭の端にある掘っ建てのトイレはお檀家さんとか来客用に使っているが、何時もはソコが落ち着いてダレに気兼ねすることもなく用を足せるので、万善寺暮らしの私には数少ない憩いの場の一つになっていて、夜には近所で暮らすヤモリたちのお食事処にもなっている。
ボクと同い年の縁で、最近群ようこさんの本をよく読んでいるが、その中から1冊をその憩いの場へ持ち込んでチビチビと読み進めている。ちょうど今、更年期障害ネタを一同に集めたエッセイ集??のような一冊を読んでいて、ある時はワイフに当てはめたり、ある時は近所のダレソレに当てはめたりして、「ソーダソーダ!」と納得しながら読んでいるうちに、ふとボクのママの現状をダブらせた事があった。それで、少し気持ちの切り替えができて「なぁ〜んだ、ソレソレ!」で片付けるようにしようと決めたら、少しほど気楽になれた気がする。つまり、ボクのママの婆さんは「更年期障害」ならぬ「老年期障害というヤツだ!」と思うことにした。婆さんなりに筋の通った頑固さには太刀打ち出来ない。

島根を代表する!・・・というより、今では世界に名の知れた根付彫刻家になりつつある江津の田中さんが、今年の現代彫刻小品展は帽子に乗ったカエルを出品してくれた。
田中さんはよくカエルを造っている。私など、同じモチーフはせいぜい3つも造ればすぐに飽きてしまうが、田中さんはそのあたりが一味違ってひたすら延々とカエルを造り続けているところがすごいと思う。本物の筋金入りの根付彫刻家だ。
そういう立派な彼が、私のような胡散臭い彫刻家のくわだてた現代彫刻小品展なるものに賛同して出品してくれているだけでもありがたいことだ。
とにかく、吉田のような好き嫌いで彫刻を造っている連中(って、オレしかいないかも・・)には、彼のようなコツコツと丁寧な仕事を続けている姿は参考にもなるし、勉強にもなる。なんでもかんでも面倒臭いことを避けて通るような人間はやはりそれだけのものだ!ボクみたいにね♡
もっとも、ナニをもって彫刻とするか・・・さまざまな境界線をどのように越えるのか又は死守するのか、そのあたりの自分の落とし所を間違えないようにしないといけない。
認めるべきところは素直に許容しあうくらいの広く深い心を持つことが大事だと思う。

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絵画的彫刻 

2016/08/08
Mon. 22:35

たった8軒の棚経で3時間以上もかかってしまった。
まだ副住職で働いていた頃は、1時間もかからなくてチャッチャと済ませていた。それが、最近、年々1軒の滞在時間が増えてきて、お経の時間よりお茶飲み話の方がずっと長くなっている。
まだ、憲正さんが元気だった頃は、なんであんなに一軒で時間がかかるんだろうと不思議に思っていたが、今になって自分も憲正さんとドッコイくらいモタモタと棚経を務めていることに少々驚いている。今日おじゃました家の奥さん(〜というよりおばあさん)が、「おとうさんはあまりお話されない人だったから・・」などと云われたものだから、いささか驚いた。どちらかと言うと、憲正さんより私のほうがお喋りらしい。

午後から奥出雲の予定が入っていたので急いで着替えて寺を出発した。
何時もだったら比較的平坦で楽な道を選んで国道から県道へ抜けて奥出雲へ向かうのだが、時間の余裕もないし、最短の山道ルートを突っ走った。久々に結界君が悲鳴を上げている。燃料もみるみる減っていった。まずは役場の教育委員会のお姉さまとあって、3つばかり問い合わせて別れた。早速駐車場で電話をしてその一つへ問い合わせたら、2年ぶりかで懐かしい声が聞こえてきた。あと2時間位で帰ってくるらしいからそれまでにもう一人メールで問い合わせていたオヤジさんを訪問することにした。色々打ち合わせをしていたら、先ほどの電話の主から「何時でも良いよ!」とOKが出て、しばらく世間話をしていたら、何と、目の前で打ち合わせをしているオヤジさんが彼のお兄さんだとわかった。さすがに田舎の世間は狭い。そこで一気に話が簡単に進んで、ことが急速に進展した。こういう予期せぬネットワークが出来上がるのもなかなか刺激的で面白い。

それから山道のアップダウンを繰り返して松江まで出た。
島根県立美術館で、島根大学教育学部の絵画を専攻した卒業生たちが恒例のグループ展をやっていて、今日がその最終日だった。今までで一番充実した良い展覧会になっていた。
久しぶりにまとまって若い絵画を見た気がする。世間の公募団体で見かけるまったりとした堅苦しくて重たい絵とは全く違って表現の若さが実に新鮮で清々しい。こういうタイプの絵なら、自宅の壁の一面を占領していても気にならないだろうなと思った。何処かしら受賞を狙う血走った絵になっていない所が良い。

山口県の岩国市に現代彫刻小品展へ出品してくれる具象の女流彫刻家が暮らしている。まだ小さな子供を育てながら毎年コツコツと地道に制作を続けている。
ワイフもそういう過程を経験して今に至っているから、私としてはどうしても彼女のことが気になるし、見捨てることが出来ないままでいる。
私の勝手な思い込みだけかもしれないが、具象の人は絵画的発想に近い所で彫刻を制作しているような気がしてならない。造形の緊張感も大事な要素だが、彼女の具象を見ていると、それよりむしろ、表現上のテーマというかスタイルというかストーリーというか、そういう情感のあたりを強く意識して、そういう曖昧で感覚的な要素を具象の造形に置き換えようとしている。広くはそれもアリとなるのだろうが、私としてはもっと厳しい客観性をカタチに変えていくことのほうが具象彫刻の使命だと思うのだが、さてどうなのだろう。

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日々好 

2016/08/07
Sun. 19:21

坊主の外交から帰ってひと休みしていたらおかみさんがうるさく付きまとってきたので、つなぎに着替えて草刈りにでかけた。1時間半くらいしか出来なかったが、それでも何もしないよりはマシだ。何時もより幾分暑かったのか、それとも出先でガブガブお茶を飲みすぎたのか、つなぎの上半身が汗でビショビショになっていた。この近年、万善寺の周辺は空き家がどんどん増えて、農地がしだいに荒れて境内に迫ってくる。

人付き合いはホントに難しくて面倒臭いといつも思う。かと言って、独りで孤独に生きることなど出来ないから、何処かしらお互い様で見て見ぬふりをしたり、それが無理だったら助けあったり、それが無理だったら、謙虚に礼を尽くす。
自分が坊主でなかったら、何処かの血管や神経がプツンと切れてとっくに犯罪者になっているか、昇天しているか、そのようなところだ。さて、坊主で良かったのかどうか、判断に苦しむところであるが、それなりに一般人よりは坊主の格言や名言に救われて自制心が鍛えられていなくもない。

世間は広いのか狭いのか分からないところがある。
この超個人的なブログを読んでいるのか見ているのか、とにかくそういう人が現れて、「理屈っぽいところもあるけど、時々見てるよ。よく続くね」と云われた。別の或る日に或る所でなんとなくチラチラ私への視線を感じていたら「ブログ見てますよ」と、目があった年齢不詳のオジサンに小声で云われたこともある。
その時々の自分と自分の周辺のグレーな事情を限りなく透明に近い状態で垂れ流しているだけのことだから、ダレにナニを云われても、それで特にビクつくこともないが、ワイフが見ていないということくらいは分かっているので、それでかなり気楽にいられることだけは確かだ。

たとえば、こうして草刈りが終わってシャワーを浴びようとしたら母親にイジられて機会を逸した時とか、寝る前のボォ〜っとしたひと時とか、寝起きの覚醒までの間とか、コーヒーをすすっている時とか、まぁ、そういうヒマが出来た時にチビチビとテキストアプリに書き溜めたアレコレをまとめて整理してウエブアップしているだけのことだ。

本多氏の具象彫刻は、私の好きな彫刻の一つだ。
造形の力量がどぉ〜のこぉ〜のと云う以前に、彫刻に優しさがある。
重たいテーマを引きずっているわけでもなく、オシャレで色っぽいわけでもなく、技巧に溺れるわけでもなく、強烈な押し出しがあるわけでもなく、何処かしら自然で目に優しい彫刻だと、私は思う。こういうタイプの彫刻は、長く観ていて飽きないし、その時々の自分の精神の振り幅にさりげなく絡んでくる。要するに、結局は鑑賞者の一人として普通にこういう彫刻が好きだということ。
ただ、欲を言えば、「日々好、年々好」の域まで昇華した具象彫刻になるともっと良いと思う。
私は、自分のことを基本的に個人の嗜好で彫刻に付き合ったり造ったりするタイプの人だと思っている。だから、世間とか評論家とか芸術家とかそういう人たちが絶賛する彫刻でも、つまらないと思えば、全く良いともなんとも感じない。

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塑像の具象作家 

2016/08/06
Sat. 18:55

久しぶりに油蝉の鳴き声を聞いた。
昔は、真昼の暑い盛りにこれでもかというくらい鳴き続けてとにかくうるさかった。
近年、そういうことも気にならないほど油蝉の鳴き声を聞かなくなった。かわりに、早朝の夜明けと同時に蜩が裏山で鳴き始める。
墓地までの参道で草刈りをしていたら、山側の斜面に立派な獣道が出来ていた。この春までは無かったものだ。草刈り機のエンジンを止めて、少し本気に集中して周囲の音に耳を傾け、匂いを嗅いだ。獣道のあたりから、とにかく強烈な獣の匂いが漂ってきた。何かはわからない。タヌキは道の分岐点や都合のいい目印の場所などに山盛りになるまでのタメグソをするから、たぶんタヌキではないだろう。
近道の林道を走っていたら雉がノンビリと道を横切っていて、思わず轢きそうになった。

飯南高原は盛夏というより晩夏に近い気候になっている。
昼はそれなりに暑いが、朝夕は一気に気温が下がって、夜は夏布団でも掛けないと肌寒く感じるほどだ。こういうことも珍しい。今朝、棚経へ出かけようと結界君に乗り込んだら、まだお盆前なのに窓ガラスに夜露が降りていた。

遠雷が聞こえてきた。
雷のあたりでは夕立になっているのだろうとボンヤリ思いながらお経を読んでいたら、突然土砂降りになった。とにかくすごい雨だ。親族の皆さんのざわついて落ち着かない様子を背中で感じる。棚経も始まったばかりだし、このまま夕立の振りグセがつくのも厄介だ。
夕方になって万善寺の参道を登り切ったら、境内下の大豆畑一面にものすごい数のトンボが群れ飛んでいた。世間ではもうしばらく猛暑が続くと言っているようだが、島根県の私の周辺は何処へ行っても何処かしら秋の気配を感じる。

徳島の具象彫刻家鎌田さんは、現代彫刻小品展が始まった時から律儀に毎回出品してくれている。物静かで寡黙で実直そうな人柄が幸いしてか、徳島の方の二紀会系彫刻家グループの代表か事務局か会長か、何かそのような肩書で働いていらっしゃるようだ。
私は、例の如く野外彫刻ばかり造っているから、徳島へ自分の彫刻を持って行っても塑像專門の彼とは全く接点がない。それに、東京での展覧会会場で会うことも稀だし、もちろん会話も殆ど無い。数年前に、何か彫刻の搬入だか展示だかが終わったあとの慰労会で隣同士になって、その時に、直接ご本人へ現代彫刻小品展出品のお礼をすることが出来た。
私の周辺のことだけかもしれないが、塑像の具象作家は比較的寡黙な方が多い気がする。何日も何ヶ月も、コツコツと粘土を付け足し削り取ることを続けている様子が見えてくるようだ。
彫刻を志す者にとって、塑像は避けて通ることの出来ない大事な研究対象だと思う。私の場合、結果的には自分の性格や好き嫌いの事もあって鉄の抽象彫刻へ落ち着いて今に至っているし、具象で何か思いつくと石とか木の方へ引きこまれてしまう。それも自分の性分なのだろうから仕方がない。

現代彫刻小品展のいいところは、さまざまな彫刻素材や彫刻表現を日常の暮らしの間近で観ることが出来ることだ。自分にとってはそれが良い勉強になるし刺激になっている。

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ブッタの足 

2016/08/05
Fri. 22:09

本日棚経7軒、内、檀家さん6軒、プラス臨済宗禅寺施餓鬼会手間替え随喜。以上!
檀家外のお宅も憲正さんの頃から引き続いて棚経の務めでおじゃましているが、今日は1軒ほど割愛した。理由は、昨年におじゃました時、家が施錠されて入れなかったこと。たぶん、代替わりがあって引き継ぎの無いまま万善寺が忘れられてしまったのだと思う。
まぁ、見方を変えると、今の時代お盆の坊主の棚経も若い人にとっては頼みもしないのに勝手に縁側からズカズカと奥の間に上がり込んでお経を読み始める押し売り坊主のようにしか見えていないだろう・・・という気がしないでもない。そこまでして、先代の義理を通す必要もないかな?・・と勝手に思った次第。

1軒は、その先民家もない道もないあるのは山だけ・・という万善寺檀家さんで1・2を争う僻地の中の僻地。その家のおばあさんは膝の手術をして正座が出来なくなったものの、口も頭も達者で、それなりに元気に暮らしていらっしゃる。ネコと犬がいて、一人暮らしながら結構賑やかだ。ここで、おばあさん手製のアイスコーヒーを飲みながらだいたい30分ほど世間話。
1軒は、その家のある集落の向こうは山越えの峠しか無くて行政区域の境界に近い。ここもおばあさんの一人暮らし。少し離れたところに暮らす息子さんから法事のことで色々知りたい事を頼まれたらしく、結局、ここでもお経が終わってから30分。
1軒は、お昼ごはんの最中で、息子さんが帰っていた。ここでも、またまた今年の法事の質問。結局、お盆の施食会の時に、施餓鬼棚へお位牌をお供えして塔婆供養をすることで法事の決着がついた。
そして、1軒は・・・などと続けるとキリがないからこの辺で万善寺ネタは終了。

今年の棚経は、春先から調子が狂った私の下半身の不具合が完治しないまま、痛み止めで散らしながら務めている。それでもひと頃に比べると随分良くなって、今のところ縁先からの上がり下りも何とかそつなくこなせるようになっている。
元はといえば、左の足首関節の古傷の炎症から始まった。それが下半身を巡って腰痛を誘発してしまった。それでも無理をして現代彫刻小品展でドタバタしていたら、かれこれ30年近く前にケガをした古傷中の古傷へ炎症が巡っていった。その場所が、右足の親指とそれに繋がる足の甲の関節。
当時の整形外科ドクター曰く、「場所が場所だけにねぇ〜」・・・何かと聞くと、痛風の発症が丁度その辺りらしい。ソコを2ヶ月位固定することになって、案の定ドクターの予想通りその間に尿酸値が増えて痛風になった。
今でも、浮腫がとれて比較的健康な状態の時は、ワイフも羨むほど細い足首から引き締まったふくらはぎがなかなか魅力的なのだが、絶不調の時は見る影もないほど関節が腫れて土踏まずもなくなって、雪駄もまともに履けないほどいびつな足になっていた。

現代日本の彫刻界を牽引する実力彫刻家の一人である日原公大氏の出品票には「ブッタの足」とタイトルがあった。
どうせ、また例の如くサカリのついた雄豚のトンソクでも造ったのだろうと思っていたら、梱包から出てきたのはヨシダの不幸を見ぬいてあざ笑うかの如き欅を彫った立派な左足!あまりにもタイムリーな彼の洞察力には完敗である。
オレの足だって、健康な時は欅の足に負けないくらいカッコイイのだ!・・とイキガッたって、誰がどう考えてもヘナチョコ坊主の足などお釈迦様の足元にも及びません。

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彫刻的表現って? 

2016/08/04
Thu. 19:40

棚経2日目が終わった。
檀家6軒、檀家外1軒が、憲正さんの代より脈々と続く本日の棚経日程になっている。
昨年に内1軒が松江へ転出したので、手紙でお知らせは送っておいたが、やはり帰省されないで留守のままだった。もう1軒は10年近く前にその家のおばあさんが亡くなって、その後、娘が嫁いだ先のご主人がお盆の間だけ家を開けてお仏壇を掃除して、私の棚経を迎えてくださっている。もう1軒は、檀家外の家なのだが、昔、その家と関係のあるおばあさん宅が万善寺の檀家さんで、おばあさんが亡くなって家が絶えた後、その家のお位牌をいまだに預かってお守りしていらっしゃるお宅なのだが、ついに、その家のお年寄りも高齢者施設へ入所されて留守宅となってしまった。
まぁ、島根県の山奥の田舎はこんな様子で、お檀家さんあってなんぼのもんの山寺の住職も、地域の高齢化や離散の波に揉まれて溺れそうになっているところです。

それぞれのお仏壇へお参りするのも年に1回のことだが、だいたいその家が毎日どのようにお仏壇と付き合っているかが想像できる。法事でおじゃまする時は、さすがにどの家のお仏壇も綺麗に掃除してそれなりにお供え物もあるし生花も活けられているし、一通りの身だしなみは整っているが、棚経の時までは手が回らなくて荒れ放題のお宅も多々ある。
最近は特に汚れた仏壇が目につくようになった。お経を読みながら、お位牌や花生けや燭台香炉などの仏具を整頓したりしてひとまずは体裁を整えてあげたりもするが、また1年もすると元の荒れた状態に戻っていたりする。現代の日本人の信心はだいたいそんなもんなんだろうともザックリ思ってしまう。

島根県益田在住の作家松田さんは、数年前から現代彫刻小品展に彫刻を出品してくれるようになった。作家歴はまだ若いほうだからこれから彼の彫刻がどういう方向へ向かうのか先の読めないところもあるが、彼が大学で師事していた先生をよく知っていたので、なんとなく彼の将来が見えるような気がしないでもない。
「現代アート」なる呼び名をよく見聞きするが、私は何が何をもって「現代アート」なるものなのか、どうも今ひとつ真意をつかみにくいところがあって上手く理解できないでいる。デュシャンとかボイスとかそのあたりに何かしらの起源というか関係があるのかもしれないが、彼らの作品が彫刻的であるかというとそうでもないし、現代アートというか現代美術というか、私のとろけた脳みそでは判断できない奥深さがあるのだろう。
松田さんの作品は、そういうあたりから発信された現代アートであると私は解釈している。本人はどういうコンセプトでこのような一連の作品を制作し続けているのか知らないが、ひとまず、一本の木からアレコレの道具を駆使して自分の目指すカタチを掘り出して組み立てて造られているから「彫刻」といえばそうなのだろう。ところが、世間の主だった彫刻作家は、正に誰がどう見ても彫刻以外の何物でもない彫刻的技法を駆使して表現していて、そういう方向性にどっぷりと漬かった彫刻家たちの指向性から見ると松田さんの彫刻的表現がどの程度肯定的に受け入れられるのか微妙なところもある気がする。
とにかく、彼には彼なりの目指すべき造形表現を持っていると思うから、それがどんどん伸びていけばそれでいい。
現代彫刻小品展がその支えになっていると思ってもらえればそれで十分だ。

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ノリちゃんワールド 

2016/08/03
Wed. 23:11

棚経がスタートした。
これから20日過ぎまで、ほぼ毎日飯南高原のアチコチに改良衣姿の怪しげな坊主が出没することになる。
毎年だいたい同じ日の同じ時間に棚経を決めているから、飯南高原へ散らばっている幾つかの他宗派同職(つまり、坊主やご院家)と同じ施主家で鉢合わせすることが数回ある。
今日の施主家も数少ない鉢合わせの1軒で、玄関へ入ったら仏壇の方から「なぁ〜もあぁ〜みだぁぁ〜〜んぶぅぅ〜〜〜」が聞こえてきた。
浄土真宗のご院家さんは小学校から中学校までの同級生である。
あの頃は、学力もダントツでもう一人の女の子Hさんと常に首位を争っていた秀才であった。高校へ進学するときも、当時島根県トップの松江にある普通高校へ合格した。高校から別れたからその後彼がどのような道を進んだか知らないが、私がUターンで島根に帰った時には、地元の役場の職員で働いていた。同級生の仲間内では人望もあって人当たりもよく、おまけに頭も良くて策士でもあるから、いずれは「飯南町を引っ張る町長にでもなってくれ!」などと持ち上げられていた。年齢的にいってもこれから一念発起して次期町長選に立候補しても全く遜色ないほどの人だが、さて、本人はどう思っているのだろう。
彼と比較するのもどうかと思うが、私の方は地域や同級生の人望もない偏人扱いをされっぱなしだから、彼のことを思うと随分気楽に我儘に暮らしやすいところもある。
さて、お経はというと、これは宗派が違うからなんとも比較しにくいが、二人共親譲りのよく似た声をしていて、今日のお経も先日亡くなった彼のお父さんそっくりだった。私も行先で時々そのようなことを云われるが、私の場合はだいたいその後に「お父さんのお経声は良かったがぁ〜〜♡」と比較される。聞く身にとってはなかなか複雑なもので、嬉しくもあり悲しくもあり、悲喜交交坊主にあるまじく心が乱れてお経声も裏返ってしまったりするのである。

万善寺の3畳寺務所へ帰ってきたら今日に何処かで待ち合わせしようと約束していた何時もの印刷屋さんから電話があった。棚経も、「こんちもさいなら」でチャッチャと済ますわけにもいかないところがあって、随分と迷惑をかけてしまったが、その失礼の詫びも込めて、近所の待ち合わせ場所でアイスコーヒーをごちそうしておいた。
それからその足で奥出雲町の関係各所を回っていたらおかみさんから怒りの電話が入った。
坊主が行き先も告げないで何処をほっつき歩いているんだ!とまぁ、何時ものノリだ。
ノリというと・・・ノリちゃんには毎年現代彫刻小品展のことで大変お世話になっている。
私のどちらかの腕か足といったところだ。彼女がいてくれなかったら展覧会も上手く回らないだろう。奥出雲町は彼女の自宅からかなり離れているし、さて何処まで手伝ってもらえるやら・・・今からそれを心配している。
そのノリちゃんが福光石を叩いて展覧会へ出品してきた。こういう、手頃な大きさの小さい彫刻だと、色々素材の工夫や開拓が出来るようなところもあるから、それがまた面白い。現在のノリちゃんの彫刻テーマも、何処かしらこの展覧会へ出品を続ける間に固まってきたような気がしている。「そろそろ、いい頃合いかもしれないな・・」と思って、個展の誘いをしてみたら、パクリと食いついてくれた。今年の秋には、ノリちゃんワールドが観られそうだ。楽しみにしている。

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山陰二紀展へ行ってきた 

2016/08/02
Tue. 23:36

現代彫刻小品展で寺を留守にしている間に、春からの営繕で刈り込んでいた草が1m位まで再成長して丈夫な夏草に変わっている。
万善寺の営繕作務も色々あるが、年間を通してこの草刈りが一番手こずる。

おかみさんの老化とともに、数十年かけて築き上げた彼女の痕跡がどんどんはびこって原野から荒山に帰りつつある。それに、あれほど除草剤は使うなと厳しく言っておいたのに、私が寺を留守にしている間に境内のアチコチが茶色く枯れていた。
腰が曲がって手押し車で前に倒れそうな身体を支えて地面ばかり見てヨチヨチと歩いているおかみさんにとっては、庭の雑草が誰よりも気になって見えているのだろう。
鎌を杖代わりに移動してそのまま地面へペタリとお尻から座って目の前に伸びた草をめがけてその鎌を振り回す。刈り倒した草は自分の目の前に溜まらないように境内から石垣のすぐ下の用水路めがけて払い落とす。
狭い視界と浅い思考で行動するおかみさんのことごとくが寺の荒廃に繋がっているということに気づいてくれないところに悩まされる。

ワイフをはじめとして、島根県と鳥取県在住の公募団体二紀会組織員の絵画と彫刻の作家が集まったグループ展が米子市立美術館で開催されていて、今日が最終日の搬出日だった。この展覧会は隔年で島根と鳥取の会場を移動しながら30年位続いている。
彫刻はあまり会派にこだわることのない緩やかな拘束で出品を続けているが、絵画の方は秋の二紀展本展出品で入選入賞を目指す研究会の意味合いを強く含んでいて、委員を招待して講評会や批評会をしてなかなか熱心な勉強会になっている。

この山陰両県の二紀会メンバーのグループ展へ吉田家の二人が出品を始めた頃は、島根県の彫刻関係者はそれこそ吉田家の私とワイフしかいなかった。その頃は、1年に1回ほど二人の彫刻を車に積み込んで小さな子供を連れて鳥取市や倉吉市や米子市を訪問していた。
搬入陳列の作業が終わってから出品者が集まって慰労会をするのだが、あの頃は吉田家周辺に彫刻の作家が皆無だったから、その席での造形論や美術論がとても刺激的で楽しくてしょうがなかった。
その後、さまざまな都合で展覧会が夏の8月初旬の今の時期に移動した。8月というと、私の方は寺のお盆の寺務や業務がビッシリと詰まってしまうから、その山陰両県のグループ展から身を引いた。だいたい10年近く前だったと思うが、私の我儘な行為が若干の物議を醸すことになってしまったものの、彫刻の方はかえってサビ固まった蓋のネジが緩んで風通しが良くなって、今では他県や一般の出品者も増えて賑わいが増した風に感じる。

二紀会は、社団法人改定があったりして本部と支部の関係が明確化されてピラミッド型の頑強な組織に改変されたから、山陰のグループ展も今では二紀会山陰支部展として地域に周知されている。一つの組織の筋の通った方向がシンプルに明確になったわけで、それはそれとして良いことだと思う。反面、作品の方向性や組織業務の上下関係などの拘束も強まって支部の執行部や役員の皆さんは業務繁多で出費もかさんで大変だと思う。
まぁ、善し悪し色々あると思うが、昨今の疲弊した公募展美術団体にあって山陰グループの今後の発展に期待したい。

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山田さんの雲 

2016/08/01
Mon. 22:58

8月の朝は薄雲が広がってこの時期としては肌寒く感じるほど爽やかだった。
本堂は冷気が澄んでほのかに昨日の香の残り香が漂っている。
珍しく、うぐいすがしきりに鳴いている。春に比べたら節回しに随分余裕がある。
突然間近でカラスがガァーと鳴いてびっくりした。
保賀の谷の鳥達も、爽やかな8月の朝を楽しんでいるようだ。

お盆の案内を宛名書きを終わった封筒に詰めて飯南高原へ出かけた。
その頃には何時もの夏らしい日差しが容赦なく結界君に照りつけていた。
万善寺の檀家は飯南高原の広範囲に広がっていて、移動の時間がかなりかかる。50軒にも満たないお檀家さんの中で、4軒ほどがそれぞれの集落のどん詰まりにあって、そこから先は道も耐えて結界君でも入り込む余地もないようなところにある。
江戸以前の戦国時代の頃は、毛利と尼子の領土争いでお互いに最前線に位置したようなところだから、その関係もあって敗戦の民がひと目を避けるように暮らし始めた名残なのかもしれない。そもそも、万善寺の開祖さんも武将が出家して勧進した宿坊から始まっているから、何処かしらその伝手のような繋がりが今に至るまで残っているのかもしれない。

昼からは臨済宗の施餓鬼会があって、手間替え随喜で出かけてきた。同じ禅宗だし、山の中の集落に点在する寺同士だから臨済も曹洞も仲良くお付き合いをさせてもらっている。
お経の節回しに少し独特の癖があって、慣れるまでに時間が必要だったが、一度覚えたら比較的シンプルな所作が多いので、曹洞宗より楽な法要になっているような気もする。まぁ、それも好みの問題で、私が一人で勝手にそう思っているだけなのかもしれない。臨済宗もそれなりに厳しい修行がたくさんあるのだろう。

万善寺へ帰って本堂の隅で大衣をたたみ直したりしていたら、下から見上げる構造材で現代彫刻小品展に出品してくれている宮崎の木彫作家山田さんの彫刻「昨日の雲」を思い出した。
小ぶりの本堂の殆どの柱は欅で作られていて、他の寺のように檜が使われているところがない。構造上の丈夫なシナリを優先したからだろう、梁の部分は松材が多い。要するに高価な建材より、実用性や機能性を重視してギリギリの安普請で造られているということだ。縦柱にはアチコチにほぞ穴があって、その部分をハメ木してあったりする。たぶん、移築の時にアチコチからかき集めて再利用されたのだろう。
とにかく、部材のどうのこうのより、宗教的建築様式に裏付けされた本堂の荘厳な感じに山田さんの一木造の木彫が近い感じがして、ふと思い出したわけだ。
小品彫刻ではあるが、スケールの広がりをシミュレーションすると、それなりにシンボリックな彫刻にも見えて面白い。縦や横の比例とかバランスが色々工夫されて連作になったりすると結構面白い個展になりそうな気がする。
表面処理に多少工芸的な雰囲気が見え隠れしていて、それが少し残念なところだ。
決して工芸を否定しているわけではなくて、むしろ工芸の領域を尊重してるくらいで、だから変に中途半端な工芸らしさが現れてしまうところに彫刻としての表現の甘さを感じてしまうわけだ。やはり、工芸の作品の内底に引きこまれていくような素材密度はかなりのモノだ。彫刻にはむしろ外に向けて茫洋と広がる開放感を求めるべきだと私は思う。

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金属抽象彫刻 

2016/07/31
Sun. 23:55

心のなかで密かに、「そろそろこのMacBook Proも引退の潮時かな・・」などと考えなから万善寺の棚経データをまとめたりお盆のご案内をプチプチとしたためたりしていたら、何かしら今までに無くそれなりにサクサク動いてくれていて、ひと頃の調子を取り戻しているように感じる。
ひょっとして、このラップトップくんはご主人様の考えていることを機械の何処かに忍ばせたアンテナか何かで敏感に察知しているのかもしれない?・・・って、そんなこともないだろうけど、現代彫刻小品展で使い倒していた仕事が一段落して、万善寺の寺務に切り替えた頃から調子が戻ってきたような気がする。いろいろと前後の事情を整理してみるに、やはり画像の処理とかデザインの構成ばかりが度重なることがオーバーワークになっていたのかもしれない。・・・まぁ、とにかくなにわともあれ、今のところほぼ予定の通り寺務もはかどっているし、ひとまずは「これで良し!」と云うことにしておこう。

夕方になって若干涼しくなったから作業着に着替えて久しぶりの草刈りをした。
夏の草は暑さや乾燥に耐えようと必死になって地面の水分を吸い上げようとしてやたらと丈夫に固く育ってくる。草刈機が跳ね返されてしまうこともシバシバだ。
駐車場の周辺の巨大化したヨモギを刈っていたら、小石が跳ね飛んでボクの大事な左のゴールドボールを直撃した。その痛さたるや筆舌に尽くし難いほどのモノで、外の袋が破れてしまったかもしれないと心配になるほどだった。エンジンを止めて駐車場の隅でツナギのファスナーを降ろしてパンツから袋を取り出してしげしげと見たが、とりあえず破れるほどの傷はなかったものの、ハッキリと直撃箇所がわかるくらいに赤くなった箇所があった。やっと調子が戻ってきた足のことも心配だし、一気に営繕作業の意欲が沈滞したが、それでもせっかく始めた草刈りをたった10分で終わらせるのも万善寺住職として示しが付かないし、グッと踏ん張って再度草刈りをはじめて少し経った頃、今度はなんとボクの息子のキトウ君へ小石が直撃した。さすがにこの痛さにはまいった。過去に数えきれないほど草刈りをしていてこういうことなど全く無かったのに、大当たりの一日になってしまった。

鉄の彫刻家の端くれとして、やはり島根県奥出雲町に常設の下田治氏の彫刻が気にかかる。彼の制作年代は俗にいう高度経済成長期から完全にバブル期をかすめている。彫刻の素材として鉄が使われ、工業製品の持つ人工的でダイナミックで且つクールな素材感があの時期には産業や人類の繁栄の象徴としてパブリックに機能したのだろう。
つい先頃・・・確か2〜3年ほど前に他界したアンソニー・カロの彫刻に通ずるような気もするし、日本でいえば鉄素材ではないが徳島在住の河崎良行氏の造形も何処かしら近い路線に位置しているように感じる。もっと抽象彫刻の世界に広げればキリがなくなるが、とにかく金属抽象彫刻の持つ特性を十分に活かし、他の素材にはない造形に昇華されていると思う。

私の造る鉄の彫刻は、彼の方向性とは全く別のモノで、「Landscape situation~或る日の情景~」のシリーズの一作。
同じ素材でもここまで表現の方向性が違うのも面白い・・・と自分ではそう思っている。

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飯南高原に積乱雲を見た 

2016/07/30
Sat. 21:25

ボクのいとしの結界くんが綺麗になって帰ってきた。
つい3日ほど前までは、全身緑の苔で汚れ、雨の水垢にまみれ、ソコソコ綺麗なのはフロントの窓ガラスと左右のサイドミラーくらいのものだった。
梅雨に入ってからは、緑の苔汚れの痕に一筋二筋と白い毛糸を貼り付けたようなイジイジした線が伸び始めた。はじめは何かの作業中に何かで引っ掻いたのか?くらいにしか思っていなかったが、吉田家前の駐車場でピクリとも動かない一日の後にもそういう線が伸びていたりする。「ははぁ〜・・さては、アイツだな!」・・・そう目星をつけてさり気なく気にしていたら、案の定可愛いカタツムリがセッセと線を描いていたのですよ♡!
それにしても、その白い線はあるところで唐突に始まってあるところでプツリと終わっている。その線上をノタリと這っているカタツムリを見ると、なんの目的もなくアッチからコッチへ移動しているふうにも見えなくて、多少左右に頭を振って真っ直ぐなルートからそれたりしてしている様子は、どう考えても、その汚く汚れついた緑の苔を食べているふうにしか見えない。このまま、見て見ぬふりでアイツに任せておいたら、梅雨が終わる頃には薄汚れた結界くんも彼らのマメな掃除捕食のお陰で結構綺麗になっているかもしれない・・などと、ニヤついていたら、今回のドック入りになってしまった。
見違えるほど綺麗になって帰ってきた結界くんには、かなりの出資をするはめになってしまったが、石見銀山から銀山街道を通って中国山地をひたすら登り続ける結界君のいつになく軽やかなエンジン音を聞くと、やはりこの数年間はかなり無理して酷使してきたのだなぁと思い当たって少しほど反省したところだ。このままこの調子でいけば、そろそろ2回目のタイミングベルト交換になる。バッテリーもかなり弱ってこのひと夏を乗り切るのがやっとだろう。
こうして何かと話題のネタにしていると、結界くんをかわいがって気にしているように思えるかもしれないが、正直なところ、主に彫刻の仕事で使い倒すにはとても都合よく出来た車であると思っているその程度のことで、他にもっと条件のいい便利な車が現れたら即乗り換えしますな!本心は、そんなところでメカニックの工場長としゃべっていたら、「ところで、お子さんはもう大きくなられたんでしょうねぇ〜」などと唐突にフラレて「もうジジババの二人暮らしになりましたよ」と吉田家の実情を話したら、「次はトラックしかないですね!1tかせめて750キロくらいの・・・」と、ニヤリとされた。確かに、トラックが一番だとは思うが、それでスーパーの買い物に出かけることを思うとめんどくさくて気が滅入る。なかなか自分にピッタリとハマってしっくりくる車種に巡り会えないままこの歳になってしまった。
ワイフが車検の切り替えを潮時にして真っ赤な車に乗り換えた。もちろん走行距離が7000キロ位の中古車で諸経費を入れたら車検代の3倍位になるが、彼女の口ぶりから察して買い換えることにした。その赤い車の名前はまだ知らない・・というか、覚えられない。車社会は日進月歩で、ボクの結界くんのような鍵が初めから無い。もちろん、鍵穴も何処にもない。ボタンを押してエンジンが掛かり、エンジンが切れるという仕組みになっている。サイドブレーキなるものがなくてフットブレーキを左足で踏む。右足で踏むフットブレーキは前から機能が変わっていないようだ。もう、ブレーキだけをとっても、ワケがわからない。自動車というより家庭電化製品が動いて走っているようだ。主婦にはそれも良いかもしれない・・などと思いつつ、飯南高原の夕焼けに染まる積乱雲を眺めた。

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オヤジの暑い夏 

2016/07/29
Fri. 23:00

島根県仁多郡奥出雲町には「鉄の彫刻美術館」があって下田治氏の彫刻がある。
野外彫刻と室内の彫刻にドローイングや絵画を併せるとかなりの点数が収蔵されている。
普通一般的に見ると、下田氏個人の私設美術館といっても良い気がするが、それがどういう経緯で「鉄の彫刻美術館」と命名されたのかはわからない。
とにかく、私のような主に鉄を使った抽象彫刻の作家は、一度じっくりと落ち着いて下田氏の彫刻を研究することも大事なことだと思う。

現代彫刻小品展を奥出雲町の横田で開催しようと思ったのは、その辺り一帯がたたら製鉄の一大工業地帯だったからで、私のような鉄の彫刻作家にとっては生涯に一度くらいは制作や発表の通過点として設定しておきたかった場所だったからだ。
実は、もうカレコレ30年位前に一度本気に具体的にそのあたりの何処かで自分の個展を開こうと計画を立て始めたことがあった。
結果としては残念ながら転勤移動の方向が真逆になってその機会を逸してしまった。
それからしばらくしてたどり着いたのが現在吉田家が暮らしている石見銀山だったということだ。
横田のあたりで計画していた個展を石見銀山で開くことになったわけだが、それも何かの縁というわけで、それはそれで良かったことだと思っている。
自分では特にシツコイ人間でもないと思っているが、こうして30年の時を経てやっと当初の願いに一歩近づけたふうにも思えて、なんとなく年甲斐もなく感傷に浸っている自分がいたりして面白い。

自分で言うのもどうかと思うが、私はどちらかと言うと人見知りの方で、初対面の人となかなかすぐに素直に仲良くなれないようなところがある。それでも、さすがにこの歳までダラダラと海千山千で生き延びていると、それなりに世間のベーシックなレベルの付き合いくらいはそれほど踏ん張らなくても比較的楽にできるようになってきた・・・と自分では思っている。
まず、大切なのはその人がどれだけ他人のために自分の汗を流してくれるかということの見極めに尽きる。これを見誤るとひどい時は修復不能になるまでのダメージを受けてしまう。
過去にそういう失敗を何度も繰り返してきたから、フリーターオヤジになってからあとは概ね無難に過ぎて今に至っている。
とにかく、まず大事なのは自分でできることは全て自分でしようと思うこと。無理はしないということ。極力他人に迷惑をかけないということ。それに尽きる。その辺りをキチンと抑えておくと、自分一人でできないことがとても良く見えてくる。そこで、自分でできないことをダレに変わってもらうかが大事な人選になってきて、そのあたりがまずはお互いの信頼関係に重要な定義域の要素となる。
これから、棚経の合間を縫って奥出雲町へ通う機械が増すだろう。
現代彫刻小品展のチラシやポスターの配布をしながら、地域の皆さんと世間話を繰り返しながらさり気なく信用の拡散と情報の収集にとりかかる。
当分の間、吉田の暑い夏が続きそうだ。

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2016-08