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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

雨月物語 

2019/05/15
Wed. 09:15

「雨月物語」は2日かかって読み終わった。
いつものようにBook Offの100円コーナーで文庫本を物色していたら現代語略があったのですぐに仕入れておいたものだ。
それからしばらくはカバンへ忍ばせて持ち歩いていたのだが、なかなかまとまった暇が出来ないのでひとまず寺の本棚へ仕舞っておいた。今度の入院が決まったときにちょうどいい機会だから読み切ってしまおうと決めて病室へ持ち込んだ。

原作は江戸時代に書かれたもので、今で云うところの短編が9篇ほど集まっている。現代的に解釈するとSFホラー・サスペンス的ジャンルと云えるかも知れないが、ラブストーリーでもあったりして読む人の解釈はさまざまだ。
その、9篇の2番めにある「菊花の約」は現在の兵庫県加古川あたりが主な舞台になっている。吉田的にはニール・ジョーダン監督の「クライング・ゲーム」とかウイリアム・ハートがアカデミーの主演賞をとった「蜘蛛女のキス」あたりに通じる男どおしの友情を超えた情愛や敬愛を丁寧に描いて、そういう男のラブストーリーがけっこう好きだったりして、「菊花の約」もその系列に属したお話になっている。それに、もう一つの舞台が万善寺のある飯南高原から出雲にかけて一帯で、江戸の地名がそのまま現在に残っているから親近感もある。
「雨月物語」は、溝口さんの映画でも有名で、あの妖艶な京マチ子さんも出演されているから、上京してすぐの頃に池袋だったか新宿だったか飯田橋だったか、まぁ、そのあたりの名画座の3本立て溝口健二映画特集で観た。子供の頃に年末だったか月曜ロードショーだったかで白黒テレビで見たとき、京マチ子さんの妖しく潤んだ瞳と襟口から覗く吸い付くようなうなじにボクの粗チンがモゾモゾするのをはじめて意識したコトをかすかに覚えている。結局、大きくなって改めて観ると「菊花の約」の1編は映画のストーリーからそっくり削除されていることがわかって少しガッカリしたが、それでもやはり京マチ子さんはボク好みでキレイだった。
「羅生門」も「鍵」も色気ダダ漏れで、ほとんどソレが目的で今までに何度も観返している。

少年の頃の記憶が新鮮だったのか、いまだに昭和の女優さんが好きだ。特に、京マチ子さんは美しいと云うよりむしろエロスを強く感じる。山本富士子さんとか原節子さんあたりは素敵な女優さんだとは思うけど、どうもこぼれる程の色気を感じないのは、タダのボクの趣味の問題だけのことなのだろうか?・・・
上京してからしばらく谷ナオミさんにハマっていたことがある。団鬼六さん原作のSM映画は絶品だった。ふくよかな肉体にギリギリと食い込む縄との対比がとても美しかった。谷さんの芸名は谷崎さんから一文字頂いたそうだ。谷崎さんというと「鍵」の原作がそうだし、やはり一流の文学は映像になっても引き込まれてしまう。こうして過去を思い出していると、基本的にボクはポッチャリ系の女性が好きなのだろう・・・最近だとセクシー女優の白石さんはいいと思う。あのなんともだらしなく崩れた肉体は捨てがたい。

雨月物語を読み終わって1日経った夕方に、京マチ子さんの訃報を知った。

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口乃心之門 

2019/05/14
Tue. 17:11

三食昼寝付きに土日祭日無くリハビリ療法士さんが身体のアチコチをほぐしてくれる。
ボクの生涯でこんな贅沢な毎日を過ごすことなど二度と巡ってこないだろうと、しみじみそんなことを思いつつ、まだ陽の高いうちから風呂につかっている。

しばらく続いていたシャワー生活から「明日から首の装具をはずしてお風呂に入られていいですよ!くれぐれも足元とを気をつけてくださいね♡!」と、看護師さんから入浴許可を頂いたのはだいたい1週間ほど前のこと。ベッドにゴロンと横になってこわばった身体の関節や筋肉をほぐしながら文庫本を読むのが暇つぶしのようなものだから、もう、かれこれ10冊近くの小説や実用書などを読み終わった。周囲のざわめきが気になるときは、ウエブラジオをヘッドフォンから小さく垂れ流しておくと、もう、完全に自分の世界へ入り込んでしまう。

この数週間の入院で気づいたことがある。患者さんの独り言が絶えないということ。
バイクの交通事故で入院中の青年まで、とにかく世代を超えてまんべんなく独り言が出る。
そういえば、万善寺暮らしの憲正さんや俊江さんも独り言が多かった。だいたい老人はそういうものなのだろうと、その頃は特に気にすることもなかったが、こうして一つ病室で集団生活をしていると自分以外のみんながそれぞれ何かしらブツブツとつぶやいていて、ソレがアチコチから聞こえてくる。一度気になると、自分の耳が敏感に反応して聞くともなしに聞いてしまうようなことになって厄介なことだ。
少し意識して自分の1日を緊張しながらチェックしていると、何故か自分には独り言が出ていない。そんなものなのだろうか?自分で気づかないだけなのかも知れない・・・
「口乃心之門(くちすなわちこころのもんなり)」と、菜根譚にある。
まぁ、口は慎みなさいよ・・とでもいうことなのだろうが、改めて自覚すると自分の思っていることを知らない間に口走っているようなことも、けっこうあったりする。
場合によっては、些細な一言で相手を大きく傷つけてしまったり、取り返しのつかない誤解を生じたりなどなど、良いことは一つもない。

結局うまくスケジュールが合わなくて映画を見逃してしまった「散り椿」を読んだ。
葉室麟さんは藤沢周平さんが亡くなってからアレコレと系列の糸を手繰ってたどり着いた。「蜩ノ記」も良かったし「冬姫」も面白かったし・・・と、今までソコソコ読んできたが、この入院中に読んだ「蛍草」は、思わず嗚咽の声が漏れるほど泣いた。葉室麟さんはどちらかというと説教めいた堅苦しくて無骨な感じの時代小説が多いと思っているが、この蛍草は彼の作風には珍しく周五郎さんとか周平さんに近い娯楽色の強い読み物になっていて、楽しめた。
自分の身勝手な想像だが、葉室麟さんは中国の儒教道教や仏教キリスト教などの宗教をかなり読み込んでいらっしゃった気がする。儒教の建前と道教の本音を適度にミックスしながらブレのない禅の死生観が主軸に構成されている。
今から400年ほどは前だろうか?戦国から江戸にかけての日本は、東洋哲学や宗教が今よりもっと身近な学問のバイブルとして日々の暮らしに活用されていたのかもしれない。

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母の日 

2019/05/13
Mon. 11:33

特に何もしてないのに爪や髪は普通に伸びる。
むしろ、何もしていないからいつもより早く伸びるのかも知れない。
髪の毛は、久しぶりにココまで長く伸びた。記憶をたぐるとそろそろ数十年ぶりくらいかもしれない。
数年前に、まだ結界くんが元気だったときだと思うが、バリカンのタイミングを逃してかなり長く伸びた時があった。春の田植えか秋の稲刈りの頃だったと思う。窓を全開にして走っていたら頭がムズムズして気になるものだから窓からなにかゴミでも舞い込んで頭に引っかかったかと側頭部を探ってみると、自分の髪が風になびいてざわめいていただけのことだった。今はあのときよりもっと長く伸びてしまった。たぶん、この状態で病院の外へ出たら、きっと初夏のそよ風に吹かれて髪の端が耳の端をくすぐるかも知れない。白髪が増えてもっとごま塩状態になっているかと思ったら、想像以上に黒くてビックリした。口ひげも鼻毛も白髪が増えているのに頭の方は特に抜け毛が気になるわけでもない。だいたいが年中2mm程度までにしか伸びていないから、栄養が一本一本の毛髪の先まで十分にいき届いているのだろう。

もう半年は過ぎただろうか・・・
ワイフが思い切って白髪染めをヤメた。それと同時に気分一新のショートヘアーにした。
最初に知り合ったのは、まだ彼女が20歳頃だったと思う。
大学バスケット部の4番を背負って華々しく活躍していて、髪もショートヘアーだった。部活を引退してから彼女の髪が少しずつ長くなって、最長がセミロングくらいまでにはなっただろうか・・・それから、少し伸びては切り伸びては切りしていたが、そのうち白髪が出てき始めて染めるようになった。節目節目にはちゃんと美容院へ行っていたが、合間は自宅のお風呂や洗面所を使っていた。
男と女は見た目の気に仕方がずいぶん違っていると漠然に思っていたら、髪の毛に関しては、男もそれなりというかむしろ女以上に抜け毛や白髪を気にするようなところがあるということを知ったのは、自分が50歳を過ぎて、口ひげや顎ひげに白髪が混ざるようになってからだった。
「あなた、髭剃ったら・・・白髪混ざってジジ臭いわヨ!」
その頃になってワイフが幾度となく指摘してくるものだから、面倒になって顎ひげだけ剃り落とした。気づくと、数本しかない胸毛に白髪が混ざっていた。すね毛にも白髪を発見した。風呂に入って何気なく身体を洗っていたらチン毛にいっぱい白髪が混ざっていた。脇毛はどうかと確認したがよく見えなくてわからなかった。
だいたい、坊主は坊主頭が常識だから頭の髪の毛などはじめから生えていないほうが不便がなくて都合がいい。それに、まともにバーバーへ通っていたりすると年間の必要経費が床屋代だけで相当な額になる。
入院のときに、それこそ数十年ぶりで病院併設の床屋へ行った。〆て4000円也!

なっちゃんからマッチャンお婆さんの写真が届いた。
少し緊張気味なのだろうか?・・グレーのショートヘアーがよく似合っていて、上品なセレブおばあちゃんにみえる。イヤリングはキーポンから母の日プレゼントらしい。
ボクは病院の朝食が終わってから、入院後3回目の爪切りをした。

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5回目の日曜日 

2019/05/12
Sun. 16:57

手術が終わって5回目の日曜日が来た。
まぁ、長くも感じ短くも感じ・・・いずれにしても「入院」そのものが初体験だからそれなりに発見の毎日が繰り返されて、1日がアッという間に過ぎる。
今日までに病室を3回変わった。今の病棟は、脊髄に関する手術が終わってリハビリ治療を続けている患者が集まっていて、基本みんなほぼ元気だから、なかなかに騒々しい。
他の病棟は人工関節や膝だったりと、症状に応じて患者さんが振り分けられている。

私は、今までに2回ほど血液検査があって、2回ほどリハビリ治療の経過検査があって、それらが、もう1回終わったあたりで退院日が決まりそうな様子だ。症状としては、手術後すぐに麻痺が現れた左肩の神経はほぼ日常生活ができるまでに回復した。今回の手術に直接絡んでいた右手指のシビレは、入院前とほぼ同等で今後の改善は難しそうな様子だ。
外来の診察ですでにそのコトが予測されていたから、現状維持を当面の目標にして、今後はソレに慣れながら付き合っていくように気持ちを切り替えつつある。こういう状態も、せいぜいあと20年付き合っていけばソレだけのことだから自分としてはあまり深刻になることもない。それでも、リハビリ療法士さんは身体の改善が少しでも進むように丁寧な治療を続けてくれていて、自分の身体の不具合を客観的に指摘してもらったりすると、過去の悪行でどれだけ長い間我が身を身勝手に酷使していたか、その要因が思い出されたりすることも多々あって、今更ながらに慎ましく反省の入院生活を続けている。それも、退院してしまえば、また目先の現実に向き合って以前と似たり寄ったり同じように毎日を過ごしてしまいそうな気もするが、ひとまず、今のところは自分の身体をいたわりながら無理のないようにおとなしく1日を過ごしている。

「ねじまき鳥クロニクル」を読み終わって少ししてから、ウエブニュースサイトに村上さんの対談記事を見つけた。彼のお父さんはお寺の次男坊だそうだ。戦争に徴兵されて過酷な中国戦線に従軍したときの日本兵の残虐な行為をリアルタイムで体験されたそうで、村上さんがまだ少年だった頃1度だけその時の様子を克明に話してくれたそうだ。ねじまき鳥クロニクルでの生々しく残酷な話は、僧侶でもある父から聞いたときの戦争追体験がベースにあったのではないかと、勝手にそう解釈した。
前回読んだときは、スプラッターホラーの要素が強すぎてほとんど飛ばし読みしていたのだが、どうせ今はベッド生活で時間も暇もたっぷりあったから、シッカリと隅から隅まで読んだ。戦争に徴兵されて従軍した人は、万善寺檀家さんでもたくさんあった。今はすべて彼岸ぐらしをされているが、まだ健在の頃はお酒がまわると喜々として講釈師のように戦争体験を少年のボク相手に話されていたおじいちゃんを思い出す。
吉田家の場合、先代の憲正さんは、山口のお寺で修行中に終戦を迎え、母親の俊江さんは親戚を広島の原爆で亡くし、本人は島根の実家で南から押し寄せる原爆の地鳴りを体験している。親戚が集まると繰り返しそのことを話していた。
今の地球社会が平和であるとは全く思ってもいない。
人間の残酷なエゴイズムはこれから先も薄まること無く続いていくだろうが、せめて心をこめた謝罪の気持ちを伝えることくらいはできるような気もするのだが、今の利己的な自由社会では過去の事実に向き合って謝罪の一線を超えるという勇気もわかないのだろう。

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吉田家記念日 

2019/04/29
Mon. 23:51

吉田家長女のなっちゃんが長男を出産した。
なっちゃんは昭和生まれでその子は平成生まれになった。
生む直前まで平成だとか令和だとか騒いでいたが、実際、母子ともに健康であればそういうことは大きな問題ではない。
いずれにしても、吉田家にとって今の状況は普通に頻繁に遭遇することでないことだけは確かだ。
オヤジは急な手術になって入院中。
ワイフは長女の出産で留守中。
長女のなっちゃんは人生初めての出産。
長男のじゅんくんは4月から転勤で連休関係なく毎日深夜まで仕事らしい。
ノッチはパーフェクトな10連休で毎日が行楽。
キーポンはシフトの関係で半分程度出勤らしい。
そして、吉田家のネコチャンズとグッピーたちは、10日間連続で留守番。
みんな見事にバラバラで元号をまたぐことになって、吉田家の歴史上、ある意味記念すべき数日を迎えることになった。

病室の窓からは全体がグレーに染まった空と宍道湖と島根半島が見える。そのうち、間違いなく雨が落ちてくるだろう。
理学療法と作業療法の担当者さんは、連休シフトで毎日頻繁に人が入れ替わる。担当固定もそれなりにリハビリ効果があるとは思うが、自分としてはどちらかというと時々人の入れ替わりがあったほうが新しい発見もあって良い。
今入院中の病院は、整形外科で手術を受けた人ばかりだから、手術が終わればあとは傷が治るのを待つばかりなので、基本的に8割の患者さんは元気だ。残りの2割が、手術前で苦痛と格闘している人だったり、手術後すぐでまだベッドから起き上がれない人だったり、ボクのように手術絡みの麻痺が身体のどこかに残っていたりする連中になる。
連休に入ってからは、毎日朝から夕方を過ぎて夜の消灯時間ギリギリまで家族や友人知人の面会が絶え間なく続いている。見舞いも患者も基本元気だから病室や院内のフロアーに会話や笑いが充満して、とても病院とは思えない状況だ。看護師さんやリハビリ療法士さんもそういうノイズには実に寛容で、場合によっては職務を忘れて一緒に仲良く盛り上がっていたりする。はじめのうちは、院内の雑踏雑音が少々気になるので、小説に集中できないでいたが、そのうち、新宿駅のホームのベンチに座って読みかけの本を読んでいるようなものだと気持ちが切り替わった。iPhoneにダウンロードして溜め込んだ世界の音楽をヘッドフォンで聞きながら静かに自分の世界へ浸っていると、時間がアッという間に過ぎて次のリハビリ療法が迫っていたりしてあわてる。
今入院中の病院ではリハビリ治療だけは1年中無休で続くのだそうで、担当さんに聞いたら、そういう病院は「ボクは島根県で他に1箇所しか知らない・・」ということで、全国でもそう多くないということだった。
総合病院だと、普通外科が完治したらその時点で退院になるらしいが、さて、ボクの退院は何時になるのだろう??
ちなみに、なっちゃんは5月3日が退院予定らしい。まぁ、妊婦は病気じゃないからね。

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毎日が大型連休 

2019/04/28
Sun. 23:21

なっちゃんの出産後しばらくのあいだ身の回りの世話をすることになったワイフが、ボクの見舞いも兼ねて大量のコーヒーや文庫本などを差し入れしてくれた。これだけあれば、大型連休は何不自由なく過ごせそうだ・・・といっても、入院中の身にとっては毎日が大型連休のようなもので、どちらかといえばむしろ「暇つぶしに苦労することになるかもしれない・・」と、そちらの心配をしていたのだが、生活共同体の慈愛に満ちた以心伝心は実にタイムリーに効力を発揮することになった。

今は「ねじまき鳥クロニクル」を数年ぶりで読み返している。
文庫本になっても3冊に分かれるほどの超大作で、最初に読んだときはそろそろ今から10年以上は前だったと記憶している。ちょうど、月々の給料がもらえてボーナスまで保証された安定職を早期退職したばかりの頃だった。
先代住職の憲正さんへ少しずつ前後の記憶に空白が出始めるようになって、定期通院がおぼつかなくなったり薬の飲み忘れが頻繁になったりなどして、家族の支援が必要になりはじめていた。それでもまだ、本格的に介護が必要だというほどでもなくて、まぁ、昔の感覚でいうと「憲正さんも、そろそろいい歳になってだんだんとボケが出始めたらしいでぇ〜〜」くらいのことだったが、母親も身体が思うように動かないし、結局はさしあたって家族の誰かの助けが必要なわけで、今まで自由勝手にやりたい放題を続けてきたことでもあるし、そろそろ両親のことで少しくらいは親身に付き合う時期になってきたのだろうと、自分の甘えた気持ちに一区切りつけてしまおうと決めた次第だ。仕事の方もだんだんと込み入って面倒なことが増え始めてはいたが、自分がやめて組織の歯車が一つくらい無くなってもソレですぐに体制に影響が出るわけでもない。職にしがみついて自分の暮らしが楽であっても、高齢の両親が暮らしにくくなってしまってはどうしょうもない。

島根のブラック公務員から開放されてすぐの頃に、憲正さんのお供をしながら時間つぶしにBook Offで仕入れたのがねじまき鳥クロニクルで、運良く3部作が特価で揃っていた。
完全なる健康体というわけでもないが、特にコレと云った病気があるわけでもないボクにとって、総合病院の付添の待ち時間はとにかく長くて苦痛だ。バロックの室内楽を中心にアレコレとかき集めてiPodにためたものをヘッドホンから垂れ流しながら文庫本の文字を追いかけていると、そのうちお尻から太ももの裏筋にかけてシビレが広がっていく。自分でそんな感じだから、体調の思わしくない憲正さんはよくじっと我慢して硬い待合室の椅子に座っていられるものだと、彼の修行の深さをすぐ隣で実感して感心したものだ。

それで、ねじまき鳥クロニクル三部作だが、とにかく、圧倒的に文字数の多い本だった。それに、解釈の難しい展開で、同じ場所を数回繰り返して読み直すことも多々あった。それでも、ちょうど公務員を辞めて、特に毎日を改まった目的もなく曖昧に過ごしていた時期だったし、小説の中に出てくる新宿や小田急線周辺の街の様子が学生時代の自分の生活圏とダブって引き込まれるものがあった。
あの頃は気づかなかったことだが、久しぶりに読み返してみると、村上さんのくどいほどの長文に託した社会や時代へ対して何かしらの抵抗が発信されているようで、今、その旨味のようなものをぼんやりと噛み締めている。

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骨休め 

2019/04/27
Sat. 10:05

三日間降り続いた雨が上がった。
病室の窓から見える欅は、雨の潤いのおかげか一気に芽吹いて外来駐車場までの車道へ日陰を作った。
宍道湖の対岸も、緑の彩度が燃え上がるほどに瑞々しく輝いて見える。

世間では、10連休がスタートした。
時々確認するウエブニュースは新旧の元号のことでジワジワと盛り上がりを見せ始めている。
学生時代も含めて、名実ともにこれだけまとまって「骨休め」をすることなどなかったことだから、周辺の知人友人の心配を有り難く感じつつも、内心ではかなりウキウキとして手放しの開放感にドップリと浸りきっている。
上げ膳据え膳三度の飯に湯茶のサービスや、休日祭日関係無しで連日の掃除ゴミ捨てから定期的なベッドメイキングまでとにかく至れり尽くせりのうえ、お昼前にはシャワーまで使わせてもらえる。
はじめのうちは、日常の暮らしの激変に戸惑うこともあったが、こういう殿様ぐらしが連日当たり前のように続いていると、退院のときの請求額がとんでもないことになっていたりして、そろそろ今のうちからそういう心配が気になり始めてきた。結局は、入院中の収入がゼロであるという現実は避けることができないわけだ。
まぁ、そんなことでネガティブに悶々としていても現状の変化があるわけでもないから、とにかく、今は生涯に何度と巡ることもないだろう至福の日々を堪能しつくすことにしようと思っている。

長女のなっちゃんは、妊娠中の子が3000を超えていつ生まれてもおかしくない状態になった。なっちゃんにとっては初めての出産になるから、4人の子供を生んで育てたベテランのワイフが出産前後の身の回りの世話をすることになって、連休前の1日を移動日に使った。これから、10日間はなっちゃんにつきっきりで世話をして、連休が終わると同時に島根の日常の生活に戻ることになる。
なっちゃん本人は平成だとか令和だとか、出産元号のことを気にしているようだが、家族兄弟姉妹みんなの都合も含めて実にタイミングよく親孝行なことだ。

なっちゃんというと、学生時代は染織を専攻して卒業制作は糸を染めてタピスリーを織った。卒業と同時に兵庫県の公立のミュージアムで仕事が決まっときに引っ越しを手伝って、就職祝いを兼ねた「菜根譚」の単行本をプレゼントした。ハードカバーの装丁でけっこう高かったが、なっちゃんの名前を命名するときに菜根譚から「菜」の字を頂いた縁もあってのことだった。しばらくして「読んでるか?」と聞くと「昼寝用の枕に使っている」といっていた。オヤジの自己満足のようなものだから読んでも読まなくてもどうでもいいことだが、はじめて私がその本に出会ったのは確か35歳位の頃だったと記憶していて、ちょうど吉田家ではなっちゃんが生まれて間もない頃だった。そういうこともあって、自分で勝手になっちゃんと縁深い本だと決めている。
手術が終わって身体が少し楽になってからその菜根譚をまた読み返している。

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愛のかたち 

2019/04/26
Fri. 15:59

4月に入って早々に降った雪が消えてからしばらくは、春めいた良い天気が続いていた。
そろそろ大型連休が始まろうとする今頃になって雨が降り始めて、今日で3日目になる。
菜種梅雨というには少々時期がずれてしまったが、心地よい程度の適度な肌寒さと湿気はかぎりなくジジイに近いオヤジの干乾びたお肌に適度な潤いを補充してくれる。

手術後2週間が過ぎた。
3日ほど前から首のガードを取り外して全身シャワーがOKになった。
2週間目の当日には、手術の傷口を止めていたテープがとれて、歩行補助器使用が解除された。
久しぶりに自分のペースで歩き、一般トイレの出入りが解禁され、エレベーターを使った病院内の縦移動も許可された。
理学療法と作業療法のリハビリ治療も、自分のベッド上からリハビリステーションへ移動して行われることになった。
普通に日常の暮らしへ戻ると、生活のそこここで想定外のストレスに遭遇することもあるだろうが、病院内での恵まれた環境ではそれほど大きな不便を感じることのないまま、特に改まって意識することなく少しずつそれぞれの場面への適応力が身についていて、そういう状態をクールに認識しながら現状を受け入れている自分がいる。

手術が終わって覚醒してから3日目の朝、目が覚めると左の肩に神経の麻痺が出ていた。
腕を上げることができないし、全く筋肉が動かなくて力も抜けたままだった。
指先のシビレは、右手のほうがひどかったが、右肩は以前と変わりなくストレス無くだいたい普通に動いていた。
首の骨の関節の隙間から出ている神経の束が手術の影響で圧迫されて「麻痺が出るということは稀にあることだ」と事前に説明を受けていたから、自分では「左肩へアレが出たな・・」くらいに担当の看護師さんへ症状の報告をしておいたのだが、それからしばらくして、深刻な顔をした主治医のドクターが回診してくれた。
「こういう症状が出ることは稀なことなんですけどねぇ〜・・・」と、左腕の稼働状況を確認したあと、「現状確認と記録を兼ねて・・」ということで術後の管が全て取れたところで断層写真を残しておくことになった。
いずれにしても、自分にはそのときどきの状況をそのままダイレクトに受け入れることしかできないわけだから、アレコレと深刻にジタバタしてどうなるものでもない。

ワイフは、仕事の合間を縫ってマメに見舞いをしてくれている。そのたびに、ポット満タンのコーヒーを持ってきてくれる。アルコールは特に苦労すること無く禁酒できているが、コーヒーはなかなかそういうわけにいかない。コーヒー絶ちの方が今の自分にとって辛いことになっている気がする。
ワイフとは結婚してそろそろ40年近くになって新婚当時の甘ったるい恋愛関係など雲散霧消と化した今、気がつけば、ソレとは全く違った生活共同体としての信頼関係が強化されていたという発見があったように思う。
ソレもまた愛のかたちのひとつなのかも知れない。

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想定外の毎日 

2019/04/21
Sun. 10:35

手術が終わって2回目の日曜日は朝から快晴。
病室の窓から見える宍道湖の湖面は波ひとつなく、対岸の島根半島を鏡のようにくっきりと逆さに写している。

4月に入って間もなく入院手術が決まって、その後、細かな検査とか日程の調整を図りながら、すでに決まっていた万善寺の法事予定をやりくりしたりして数日間が慌ただしく過ぎた。もともとお檀家さんの少ない寺だから、だいたい1ヶ月ちょっとになるだろう入院期間中に重なっていた法事も2つだけだった。少々問題なのは、毎年春の新年度が始まってから続くいくつかの総会とそれにからんだ監査などの事務的な用事を調整すること。それに関連した諸連絡はだいたい郵送でのアナログなやり取りになるから、ベッドの上でウツラウツラしながら電話のSNSで簡単に済ませるわけにもいかないし、結局はワイフの好意にすがるしかないことになって、ソレで少し気が重い。
他にもコマゴマとしたことで気になることがないわけでもないが、アレコレ悶々としてもどうなることでもないし、時の流れに身を任せるつもりにして今に至っている。

もう、かれこれ10年以上前から足腰や肩背中の調子が思わしくなくてだましだまし暮らしていたのだが、いよいよ昨年の秋風が吹く頃から本格的に痛みが慢性化してきて我慢が難しくなっていた。それでも、だいたいいつもと変わりなく彫刻の制作や展覧会のことなどを一通りこなして、少し落ち着いた年末ギリギリになって「客観的現状把握の検査だけでもしておくか・・」と思いついた。
それこそ10年以上ご無沙汰していた人間ドックも受けることになって、正月のひと山が過ぎたところであちこち検査通院が始まった。内科的には、生活習慣病といえる幾つかの数値で厳しい指摘を受けて専門医に回されたりしつつ経過観察を続けることになったが、外科的には直接近所の開業医へ現状を訴えるしかないということになった。その頃になっても「なんとか難を逃れることができないものか・・・」と渋々ノラリクラリと言い訳を続けていたら、ついにあの温厚なワイフの逆鱗に触れることになった。

近所の外科へ通院の朝は冷たい小雨になって、そのせいもあってか、いつもより指先のシビレが気になった。読みかけの文庫本を読みながら順番を待って問診を受けた後レントゲン撮影になった。
「症状の軽いところからいいますとね・・・」膝とか腰とかは「良くはないけど、まぁいまのところすぐにどぉこぉすることもないでしょう・・・」
一呼吸おいて「どうやら、シビレのもとは頚椎のようですね・・ここでは、コレ以上の検査もできないし、紹介状を書きますのでそちらへ回ってください・・・それで、何時が良いですか?明日でもいいですけど・・・担当のドクターは火曜日が良いですね・・・来週にしますか?再来週??」・・・というわけで、ボクの選択肢は限りなくゼロに近い状態で、サクッと次の病院が決まったのだが、まさか、その時点で本人(ボクのこと)はまだ手術になるとは思ってもいなかった。それから自分の人生で初めてづくしの想定外の毎日が続いている・・・けど、一応それなりに元気で生きているし、こうしてソコソコ指も動いてプチプチとリニューアルラップトップをつつける事はできている。

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追記:雪が降る(4月1日)
   新元号発表の日、ボクは一日中春の雪と格闘していた。たぶん、ボケるまでその日のことは忘れないだろう・・・
玉造病院(4月2日)
   病室からは宍道湖が一望できます
首の問題(4月3日)
   ソレでなくても首が回らないのに・・・
レンゲの咲く頃(4月4日)
   石見銀山の谷は桜が終わって菜の花やレンゲが咲き始めました

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レンゲの咲く頃 

2019/04/04
Thu. 23:11

3月いっぱいで吉田正純鉄の彫刻展が終わった。
会場提供でもお世話になっている主催の担当さんから、その後の彫刻撤収や移動のことで連絡が入るだろうと待っていたのだが、その気配がない。
手術が決まって入院の日程もハッキリしたから、彫刻移動はそれまでに済ませておかないとアチコチに迷惑をかけてしまう。今の吉田はいつもの吉田のようにだいたい暇に過ごしている状態でなくなっているから、主催者の都合を「のんびりと待ち続けるわけにもいかないだろう」と、会社の朝礼が終わった頃を見計らって遠慮がちに連絡を入れてみた。
担当さんとは、まだ、3月のうちに立ち話程度のザックリとした話はできていたから、ソレをベースに少しは具体的なことになっているだろうと思っていたら、当の担当さんが別の用事で出張中だったりと、どうもそうでもない様子。
吉田正純鉄の彫刻展撤収計画は何の進展もないまま停滞状態であることがわかった。

「このままだと、ドタバタの面倒なことになりそうだな・・」と、思い切って奥の手を使うことにした。
正式な役職はよく知らないが、まだ現役を引退したという話を聞かないからたぶん現在も会社役員会長職にあるのだろう、創業者本人とはもう30年以上の飲み友達。おたがい、この歳になるまでよく肝臓が保っているものだ。昔は当時流行していた「田舎町の活性化」を酒の肴にして、それこそ毎晩のように飲み明かしていた。そのうち、それぞれの目指す先で時間の融通がつきにくくなって、しだいに疎遠になったが、それでも1年に2~3回は一緒に飲む機会もあって、それなりお互い年齢相応に丸くなってきてはいるものの、そこそこハードなネタを酒の肴で振りあっている。そういう関係だから、まずは彼に話を通すとだいたい一両日中にコトが進展して目先の問題がいっきに解決する。
吉田としては、最終兵器の彼を持ち出すまでに現場の事情に沿って穏便にコトを進めたい気持ちでいるものの、なかなか現実に具体的な事情をやりくりするには理想論だけで済まされないところもある・・・と、いうわけで「どうしようか??手術もきまったし・・」と、相談を持ちかけてから30分もしないで会社の総務部長自ら連絡が入った。

彫刻移動の日時が決まって、朝から準備を進めて、待ち合わせの場所へ行ってみると、会社の若手が4人も集まって準備万端。アッという間にあらかじめ打ち合わせの通り予定していた撤収と移動作業すべてが終了した。これから先の予定としては、一連の大きな彫刻は、レンゲが満開になって田起こしが始まるギリギリまでそのままにしておいて、春の観光さんたちに楽しんでもらうことにした。10点のこぶりな彫刻は、石見銀山の町並みに面した古民家オープンスペースへ展示替えをして、しばらくのあいだ常設展示に切り替えることになった。他は吉田家前などアチコチへ移動して、その後の調整は、退院できて身体がソコソコ動いていたら、その時の状況に応じて考えようということになっている。

だいたいが一人でやりくりしていると、さりげなく力関係や利害関係が絡む状況下で、ひとが動くというかひとを動かすというか、そういうコトがとても気重に感じる。やっぱり、なにごとも終始ひとりでコトに当たるほうが気楽でいられる。
さて、手術からあとは自分の身体状況がどのように変化しているのだろう?
もっともっと今以上に色々なひとの手助けに頼ることになるのだろうなぁ~~きっと・・

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首の問題 

2019/04/03
Wed. 23:57

最近の病院は凄い!
午前中いっぱい内科も含めて色々な検査をした結果が、診察室のドクターのデスクトップへすべて反映されていた。幾つかの断層写真は、マウスのツマミをコロコロと転がすだけで動画のようにスムーズに動いている。血液の数値も適正範囲がひと目で見渡せるようになっていたり、マウスを使った手書きの書き込みも簡単にできてしまう。
ドクターは、しばらくのあいだデスクトップを観ながらそういう操作を繰り返していた。

検査の結果がわかって今後の予定がおおよそ決まるということで「次の来院はご家族の方も同席をお願いしますね・・」とあらかじめ伝えられていたから、ワイフと並んでドクターの説明を聞くことになった。
「そぉ〜ですねぇ〜〜・・、お話が楽なところからはじめましょぉ〜か・・・ソレでいいですね」
そんな感じで検査の結果説明が始まった。
「まずは、膝ですが・・・これは、骨の様子を見る限りまだ今の所隙間も確保できていますから、関節の動きを改善する工夫が必要ですね」
・・・ということで、ひとまず、膝はパス!
「腰ですけど、骨のみだれは見えますから良くはないですが、今すぐどうこうするほどの状態ではないですから、まぁ、しばらく様子を見てみましょう」
・・・ということで、これもひとまずクリアー!
「それで、問題は頚椎です!これは、いけませんねぇ〜。このままだと手足が動かなくなりますよ。ほら、ココのところ白くなってるでしょ・・骨の中に神経が走ってるんですが、ソレが圧迫されて機能しなくなってるんですよ。丸いホースが前後から潰れて楕円になっているような感じですね。これは、かなりの重症ですよ。指がそれだけ動いているということが不思議なほどですよ。この状態だと手術は避けられませんね。何処で観てもらっても同じこと言われるでしょうね・・・」
・・・本人(ボクのこと)の自覚は、そこまでヒドイものだとは思っていなかったから、そういう説明があっても、特に緊張感もなく、動揺することもなかった。
「それで、手術はどうされますか?この状態は、まぁ、交通事故にあって緊急の手術が必要だというような・・そのくらい急を要することですから・・・ね。他の病院でも心当たりがアレばそれでも良いですが・・・どうされますか??」

わざわざ、近所のドクターから玉造病院名指しで紹介状を書いてもらったことだし、それに、今までの検査とほぼ同じようなことをまた繰り返すのも気が滅入る。
「避けられないことなら、こちらでそのまま手術していただけると良いと思うのですが・・」
あとで聞くとワイフの方は、入院中の見舞い移動のこともあるし、もう少し近いところの病院が良いと考えていたようだった。
それから、入院日程などの事務的な説明などがあって、途中、アチコチで買い物をしながら吉田家へ帰宅したのは夕方だった。
平成元号最後の4月がこんな感じではじまった・・・

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玉造病院 

2019/04/02
Tue. 23:52

山陰本線の踏切を渡って上り坂の途中から右折すると、正面に患者用の駐車場へ誘導する看板があった。
車道脇の植え込みには立派なイチョウとカエデの木が並んでいる。
新芽がかろうじて確認できるほどに伸び始めているが、全体の様子は秋から冬にかけて枯れ葉を落としたそのままに成長が止まって見える。

「玉造病院」という名前だけは昔から知っていた。
高齢者の間では病院長が整形外科の名医で有名だと噂で、若い人にも、ヘルニアの手術が信頼できると情報が広がっていた。
まさか自分の人生で、そういう整形外科に特化した病院のお世話になるとは予想もしていなかったから世間のうわさ話も他人事で「自分とは関係がないことだ」と、普通に無関心でいた・・・その病院へ紹介状が回った。
イチョウやカエデの成長具合から、そこそこ古い歴史のある病院だとわかる。外壁のタイルも昭和のデザインが残っていてどこかしら昔懐かしい。少々くたびれた雰囲気はそれなりに風格を感じるが、銀座の煉瓦亭やライオンほどの歴史の重みはない。

1階の外来待合はゆったりと広い。そこから受付の手続きをして整形外科へまわって順番を待っていると「よしださぁ〜ん、どぉ〜したんですか??」と、中学生くらいの女の子を連れたおかあさんが声をかけてきた。
「おひさしぶりですぅ〜・・どうしたんですかぁ〜・・どこかわるいんですかぁ〜??」
・・・そのおねえさん・・いや、おかあさんは、昔まだ高校で美術の先生をしていた頃の美術部員で、それと野球部のマネージャーを掛け持ちもしていた。確か、ヘルニアを患っていて、学生時代は苦労していたようだが社会人になったかどうかのところで思い切っって手術に踏み切ったという話を聞いたか、年賀状で知ったか、どちらかだったと思う。
その日は、骨折をした娘さんの治療通院だった。
奇遇といえばそれまでだが、縁のあることだ。
旦那さんとは入院中に仲良くなって結婚に至ったらしい。そのご主人が先程ボクの首をレントゲン撮影してくれた。
「アレが旦那ですぅ〜」と奥さんが教えてくれた。旦那の視線は別のところにあったから、たぶん彼は気づかなかっただろう。
とにかく、大きな娘さんもいて幸せそうだと思っていたら「今は違うけど、あの頃、旦那の実家まだ五右衛門風呂だったんですぅ〜・・・親と同居だったしぃ〜・・・」
短時間だったが、久しぶりの会話からはなかなか過酷な新婚生活が想像された。まぁ、それでも結局子供も恵まれて暮らしも安定しているようだし、なによりなにより・・・
それからしばらくして次の検査で呼び出されて、会話はそこで途切れたままになった。

主治医に決まったドクターからの詳しい話が聞けたのは、午後の2時を過ぎた頃だった。
昼食抜きになったが特に空腹は感じなかった。たぶん、ドクターの方も昼食はまだだっただろう・・・真面目というか熱心というか・・だいたいが自堕落な自分とは比べられないなと、変なところで感心しながら症状の現状を聞いていた。結構重症のようらしい・・・

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雪が降る 

2019/04/01
Mon. 23:07

新元号発表の日でエイプリールフールの4月1日・・・万善寺は朝から雪になった。
飯南高原で4月に入って雪が降ることはそれほど珍しいことでもないが、この年齢になるまで経験したことのないほどの暖冬だった今年で4月の雪となるとかなり焦った。
3月のお彼岸を過ぎた適当な日に、同級生の経営するカーディーラーへ銀くんをピット・インして夏タイヤに履き替えたばかりだった。とにかく、この1〜2年の飯南高原は過去の常識が裏切られるばかりで天候の予測がつかない。

神戸川上流の河岸脇に1軒だけ離れて建つお檀家さんでは、四十九日と納骨と位牌点眼を一つにまとめておつとめをすることになっていた。
「寺の方は雪の具合どうですかいねぇ?」
「境内は真っ白ですが、車はお地蔵さん脇にあるのでなんとか走れるとは思うんですけど・・・」
「ははぁ〜〜・・・こっちの方は道も真っ白になっとりますけぇ〜ねぇ〜・・・スタッドレスだと大丈夫でしょうが・・・」
「まぁ、伺うのはお昼過ぎてからですから、その頃にはなんとか・・・」
「まぁまぁ・・やれんようだったら電話くださいや、迎えに行きますけぇ〜・・・」
「はいはい、それじゃぁ〜そぉ〜いぅ〜ことで・・・」

念のために前日には万善寺入をして塔婆を書いて点眼の準備をしたし、雪のことがなければ特に心配することもないのに、どうもどこかしら気になって前夜一晩は熟睡できないまま朝になった。補充しておいた古古米目当てのスズメたちが早くから騒いでいたし、どうせ春の雪だからそのうちにはやむだろうという気はしていたが、地元に詳しいお檀家さんの方からわざわざ心配の電話が入ったりすると、チキンオヤジはさすがに少々ビビる。食欲のないまま昼食を抜いて、慎重に雪の積もった参道をお地蔵さん脇まで降りてみると、車道は雪もなくて凍っている様子もないから夏タイヤでそのまま移動することにした。
施主家へ着くと雪はやんでいて、そのかわりやたらと冷たい雨が絶え間なく降っていた。納骨が若干苦労するだろうが、雪よりはマシだろう。
おおよそ1時間位ですべてのおつとめがおわって、それから、自家製の手作り煮しめなどが出た。雪のせいもあって、ご親族のお参りは少なかったが何処かから取り寄せの斎膳弁当よりはずっとマシだ。見た目や味の善し悪しや好き嫌いよりも、おもてなしの気持ちが伝わってきて、そのほうが好きだ。アレコレと世間話に花が咲いて思わず長居をしている間に、気がつけば雨がまた雪に変わっていた。翌日は通院で少し詳しめの検査が決まっているので、ひとまず石見銀山の自宅へ帰っておかなければいけない。雪は海抜400mのあたりまで降り続いていて、それから先は雨に変わった。銀くんの4WDとミッションの切り替えを駆使して、夏タイヤを騙し騙し慎重に走った。

やっとの思いでたどり着いた吉田家は雪の痕跡も無く、実に平和なものだった。
新元号が「令和だって」・・・夕食の支度をしながらワイフが教えてくれた。珍しくネコチャンズがベッタリと仲良く寝ていた。
「塔婆や過去帳・・チョット書き難いかも・・・」チラリとそう思った。

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平成最後の・・・ 

2019/03/24
Sun. 23:23

毎年変わる万善寺初午の日が今年はちょうど3月10日の日曜日に重なった。
約10日後には春分の日が巡ってきて春彼岸の法要になる。
こういう、日が近い休日や祭日と法要が重なってしまうと、万善寺の場合はお参りが確実に半減する。
「たまの休みにはゆっくりとしていたい」
「休みに合わせて家族の予定が入っている」
「10日も経たない間に2回もお参りするのは少々面倒だ」
「日が近いからお参りはどちらか一つで済ませてしまおう」
「雨でも降ったら出かけるのも面倒だからお参りはやめよう」
「せっかくの休日でいい天気だったりするとお寺参りで1日潰すのももったいない」
「家族がみんな出かけてお寺参りの足がないからお休みしよう」
・・・などなど、さまざまな事情でお寺参りの行事が次々と後に回って、やがてそのうち「まぁ、今年もいろいろとあるから寺参りはやめよう!」ということになって、万善寺としては在家坊主の生活の糧であるところの布施収入が目減りして年々暮らしが厳しくなっていくという悪循環が繰り返されているという実態が浮き彫りになる。

だいたいの予測は大きく外れることもなく当たる確率だけが虚しく引き上げられている今日このごろであるが、特にだからといって恒例の年中行事で現在まで継続している万善寺の春の法要を「お参りが少ないから」という理由だけで廃止しようとは考えていない。
そもそも、法要厳修の意味とお参りの数とはまったく目的の違うことであって連動の接点を無理強いして行事廃止を正当化しようとすることもおかしなことだ。それはソレでこれはコレと気持ちを分けて乗り切らなければ「ボクの坊主としてのプライドが許さない!!」・・・のだ!・・・などと、一見かっこよさげに思ってはみるものの、こういうささやかな年中行事をとりおこなうにあたっては、どうしてもワイフの助けなしでは乗り切れないところもあって、むしろそちらの方が弱小運営の山寺末寺としては気がかりなことで申し訳ない気持ちにもなって素直に晴れ晴れとなれないところでもある。

10日の初午祭は、お寺の近所の保賀集落を中心にお参りがあった。1年に1回だけの法要だが、毎年お参りされるメンバーはだいたい決まっているから、お茶席のお茶口も毎年同じものというわけにいかなくてワイフが悩む。定番をいくつか用意して、あとはその時々の旬のものをからめる。今まではこの数年りんごのケーキが定番になっていたが、今年はそれがさつまいものケーキに変わった。吉田家では数日前から何度か試作が繰り返されてその都度味見が待っていた。糖尿病予備群としては、酒を飲みながら甘いものを食べるというのも若干罪の意識を感じるし、ドキドキしながらワイフの努力に付き合った。
まぁ、そんなふうな様子が春彼岸の法要まで続いた。
2つ続いた法要は、当初の予想通りお参りが減った。

昼過ぎに東京のぐっちゃんから写真付きのSNSが入った。上野都美術館で春季展の展示が終わったところだ。直前まで自分も陳列に行くことになっていたのだが、急きょ予定が変わった。それで、平成最後の上野の花見はできなくなった。

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法事の日 

2019/03/23
Sat. 23:21

俊光禅尼大祥忌(前住職内室俊江さん三回忌)の朝は雪になった。

法要の準備のこともあって前の日から万善寺暮らしをしていたのだが、いつもより朝晩の冷え込みが厳しくてこの時期としては肌寒く感じていた。
自分ひとりだとエアコンと灯油ストーブで乗り切るくらいのことだが、標高が200mは低い平野からお参りの親戚方は万善寺の寒さに耐えられそうもない。
春彼岸も過ぎたし、庫裏の障子や襖の建具を取り払ってサマーシーズン用に模様替えをしたばかりなのに、また電気コタツを引っ張り出すことになった。

春の雪が降る中、お参りの準備を整えていたらワイフが到着した。
石見銀山もいつもより寒い朝になったようだが、雪が降るまでにはならなかったらしい。
それからしばらくして、親戚のみなさんが揃い、法要のお手伝いにお願いした隣町の方丈さんが到着された。
お昼前には法事を済ませてお墓参りの後お斎の食事会になる。

はやいもので、前住職の憲正さんが遷化してから5年がすぎる。その間に、内室の俊江さんも相次いで亡くなってその後の年回法事が毎年のように続いた。
人の生死は予め予測できないから、自分の都合でどうこうできるものでもない。
それは十分にわかっていることなのだが、実際我が身の暮らしとなると、毎日がそういう予測不能の事態に備えて過ごしているわけでもないから、結局何かコトが起こるとそのコトでジタバタと焦って慌てて予定していたスケジュールがもろく崩れる。
避けて通れない通過点のようなものだからイザというときのために心の準備をしておくしかないことなのだということを改めて具体に感じた気がする。

法要の間に雪が雨に変わってお墓参りの頃にはそれもやんだ。
親族が集まるのもこれでしばらく間が空く。そのあいだにそれぞれが同じように歳をとって今よりは身体も動かなくなって老化が進んでいることだろう。こうしてみんなが元気な顔を揃えられるのも年々難しくなっていくかもしれない。
万善寺のお檀家さんだけのことかもしれないが、この近年、年回法事の依頼が減っていて、もう何年も音沙汰なくて途絶えた施主家もある。1年の間に盆正月と家族親族が集まる機会はあるのだろう、それで年回の先祖供養を兼ねているのかもしれない。
宗教の信心も形骸化した今、葬式請負人と化した坊主がどれだけ多いことか・・・
かく言う私自身もその一人なのだが、だからといっていまの世間で坊主の宗教観を切切と語るという機会も場所もなかなかみつからないし、それなりの説得力ある語りもできない。まぁ、現状を受け入れて自分でできることをできるように慎ましくコツコツと積み重ねていくしかないことなのだろう。

法事の日、ご参集の親族の皆様はどのような思いだったのだろう・・・
クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を久しぶりに観た。以前に観たときとはまったく印象が違って思えた。家族の周辺の事情があの頃とは違ったからかもしれない。

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彫刻家Hさん 

2019/03/08
Fri. 21:46

3月3日の桃の節句は前日からの雨がまだ残っていて、ロフトの天窓から入り込む朝の日差しはいつもよりずいぶんと弱々しかった。

最近ほぼ毎晩のように私の近くで寝ているクロが、まだ夜の明けきらない早朝から起き出して「メシくれよぉ〜!」と催促鳴きを繰り返しながら周囲をぐるぐる回り始める。
ご飯係はワイフの仕事になっているし、ダイニングテーブルの脇にあるネコチャンズのお食事コーナーはワイフの寝室が近いから「メシくれよぉ〜!」の催促は彼女の方へ回ってもらいたいのだが、何故かわざわざロフトで寝ているボクを起こしに来る。
しばらくは無視して寝ているが結局根負けしてゴソゴソと起き出して、まだおぼつかない足元を気にしながらゆっくりと階段を降りて土間にある踏み板をまたいでリビングの隅にあるお食事コーナーへたどり着いて一握りのご飯をネコ茶碗へ放り込んでからトイレに入って焦点の定まらないままブックスタンドの文庫本の文字を追いかけながらオシッコを済ませる。
いつもなら、そうこうするうちにワイフが起きてきてお互いに軽く朝の挨拶を交わして、私はまたロフトの布団へ潜り込んで二度寝を決め込む・・・という恒例のパターンが繰り返されるのだが、今年の桃の節句は特別なスケジュールが決まっているので、ベッドメーキングを済ませると、少し無理をしてそのまま起きておくことにした。

わがままで身勝手な彫刻家吉田正純の何処がいいのか、もうずいぶんと長い間上京のたびに面倒がらずに付き合ってくれている彫刻仲間のHさんが、わざわざ吉田正純鉄の彫刻展を見に来てくれる。
彼は埼玉に在住で、具象彫刻の作家。素材は主に粘土や石。だから普通なら主に鉄ばかり使ってどちらかといえば抽象彫刻の吉田と表現上の接点があるわけでもないのだが、なにかしらどこかしら気持ちの通ずるものがあるようで、大勢の彫刻家の中では、裏表のない一歩踏み込んだ会話が成立する唯一の彫刻家であり友人であると私は思っている。
さて、彼の方は吉田のことをどういうふうに思って付き合ってくれているのかわからないが、彫刻界での友人知人の少ない吉田からすると、Hさんのブレのない造形観や表現上の技工に流されない彫刻に対する真摯な姿勢がとても素敵にみえる。それに、だいたいが自己主張の強い協調性の欠けた彫刻家どもの組織にあって、とりまとめの政治力や事務能力の優秀さには頭が下がる。
まぁ、結局なんだかんだ云っても彼は優秀な彫刻家であるということだ。その彼が年度末の忙しい中、わざわざ島根まで来てくれるということが実に嬉しいことなのだ。

「おはようございますぅ〜〜とうふやですぅ〜〜」
朝のうちにデスクワークを少しでも先に進めようとデスクトップをつついていたら、玄関の引き戸が開いて聞き覚えのある声がした。まさか彼がこんなに早く石見銀山入りするとは思ってもいなかったから少々焦った。すぐに土間へ降りて久しぶりの再会となった。
町並みや田んぼにある吉田の彫刻を案内して、一緒に昼食をとって、それからそれぞれに別れた。時間にするとせいぜい3時間程度のこと。それでもとても濃密なひとときになった。

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動静両忘 

2019/03/07
Thu. 10:05

気づけばすでに3月に入って1週間!
毎日がアッという間に過ぎてしまっている今日このごろ・・・
このところ、春めいて穏やかな日が続いていましたが、本日は朝から冷たい雨が降っています・・・
デスクワークに使っている吉田家ロフトのマイルームにある炬燵の中ではシロがマッタリと丸まっていて、ときどき足がぶつかると挨拶がわりにザラザラの舌でペロリとボクの足の裏を舐めてくる。

このブログも、約1ヶ月の間休みが続いている。
ネタがないわけでもなく、むしろ次々と想定外の出来事が押し寄せて、それらのことがうまく回らないまま山積してオーバーフロー気味の状態になっている。
昨年に愛用のラップトップが壊れてから、急にワープロ仕事が停滞しはじめた。
最初の頃は面倒臭いと思いつつ吉田家と万善寺にあるデスクトップをこまめに使いわけていたが、それだと、とにかく何をするにも1日の一定時間はその前で過ごさなければいけなくて非常に非効率で時間のムダも出て使い勝手が悪い。
日々溜まり続けるネタの数々は、そのうち宗門手帳の味気ない箇条書きの覚書メモに変わってきて、最近はそういう時代に逆行したアナログ環境に慣れてきた。
やはり使い勝手や仕事の回転率を総合するとラップトップを使い倒している方が良い。アナログ環境ではいくら脳みそをフル回転させても忘却の彼方に過ぎ去った漢字を引き戻すこともできないし、簡単な足し算ひとつとっても脳みその回転がすこぶる悪くてドタバタとiPhoneを引っ張り出して電卓を起動したりと、自分の思考力の退化に憮然と落ち込む。
そういえば、初代のiBookから数えるとすでに30年近くAppleラップトップのお世話になっているわけで、知らぬ間に自分の道具の一つであり相棒のような存在になっていた。
ちょうど1年前の今頃、もうひとりの相棒だった結界くんが前代未聞の異常大寒波でダウンして、想定外の出費にお先真っ暗で息も絶え絶えだったところを、旧知のカーディーラー同級生くんが奔走してくれて今の銀くんへ更新したばかり。それだけでほぼ1年分の収入が消えて酸欠状態だったところへ半年後にラップトップのクラッシュが追い打ちをかけた。とにかく、先立つものがなくてどうしょうもないからこのままなんとかこの難局を乗り切るしかないのだが、人生が一巡して間もない今の頃になかなかの試練だ。

個展の彫刻展もあと数週間で終了となる。期間としては長かったが、自分ではとても短く感じた。たぶん、会期中にもコツコツ絶え間なく制作を続け、彫刻のことを考え続けていたからだと思う。昔のように、ギラギラとした好戦的我欲がずいぶんと消沈した。日々更新する造形表現で、そういう我欲の消沈が良いのかどうかわからないが、一方で、表現の淘汰が進んで迷いの無駄が減ったような気がしないでもない。
最終章のお知らせ代わりに簡単なDMを造った。
やはり、それなりにクリエイティブな作業はデスクトップに限る。
菜根譚では、「動静両忘」の前に「人我一視」の四文字がある。「両忘」は禅語でよく使われる。
今の自分の彫刻表現の目標でもある。

動静両忘 (1)

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順番が狂った 

2019/02/11
Mon. 23:08

「ねぇ〜、今日は帰ってくるの?」
通勤坊主で出かけようとしていたら、珍しくワイフが聞いてきた。
「何もなければ、明るいうちに帰れると思うけど・・・」
「ねぇ〜、今日は帰ってきてよ・・」
寺の用事は予定がたてにくくて、急に電話がかかったり呼び出されたりすることがあるから、そういう時は状況に応じてそのまま寺泊になることもある。普通は「どぉ〜ぞ、わざわざ帰らなくていいわよ!また予定が変わったら連絡してね」程度のクールな肯定的反応が返ってくるばかりだが、今朝はいつもと様子が違う。
特に何かの記念日でもないと思うし、なっちゃんの誕生日もまだだし、何かの予定も無かったはずだし、どうもシックリと当てはまる素材が見当たらない。
「えっ?今夜何かあったっけ??」
「べつになにもないけど、できたら帰ってきてよ・・」
「わかった、とにかく、確実に帰ることにするから・・・それで、何で??」
「のどぐろ、そろそろ食べないと限界だから・・」
・・・なぁぁ〜〜んだ・・・
のどぐろには失礼だが、のどぐろの「賞味期限が迫っているから・・」という理由があったようだ。確かに、このところ連日何かしら何処かから貰い物が続いていて、昨日も急きょカキフライにありつくことになったし、ワイフの手料理の予定がどんどん狂ってそのたびにのどぐろが後に後に回されていたのだろう。私がいなくても一人で平らげれば済むことなのに、ワイフはわざわざ「ボクを待っていてくれたんだなぁ〜〜・・」と思わずニヤケた。
彼女と知り合って40年が過ぎた今でも、基本的に二人それなりに仲良く暮らすことができている。その日暮らしの貧乏一家だが、まぁ、それなりに幸せなことだ。
もう、若い頃のように好きだ嫌いだなどと何かにつけて男女の仲で心ときめくようなこともなくなったかわりに、どこかしら吉田家オリジナルの生活共同体的連帯感のようなものが出来上がって、お互いが適度な距離を保ちながらそれぞれの個人を尊重しつつ過不足なく支えあっているふうな具合だ。

「もしもし、万善寺さんですかいねぇ〜、息子が死んだんですがぁ〜・・・まだ家へ帰るのは先のようでハッキリしとりませんで、それで一応お知らせだけでもしておこう思いまして・・・」
「えっ??息子さんですか??」
それは、突然の電話だった・・・
お檀家さんのお父さんからで、電話の声は落ち着いているように聞こえたが、やはりどこかしら平常でない様子がうかがえる。何度か確認を取り付けたことを総合すると、どうやら死因がはっきりしなくて、その検死がされるらしい。坊主がジタバタしても始まらない。親子の順番が狂ったが、コレばかりはどうしようもないことだ。

夕食はのどぐろが煮付けになっていた。刺激的な1日になったが、のどぐろの美味さは十二分に堪能できた。
結局坊主は葬式請負人の役を全うするしかないことなのだろう。それで喪主家の気持ちが少しでも安らぐなら、それはソレで何かしらの意味があるのだろう。

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山盛りカキフライ 

2019/02/10
Sun. 23:59

三回忌の法事は孫まで揃ってとても賑やかだった。
関東暮らしのお子様家族は冬の悪天候で飛行機が飛ぶかどうか危ぶまれたが、山陰は思ったほど寒波が厳しくなくて、無事に帰省できたということだ。
亡くなったご主人は私と同じ歳だった。
残された奥さんとは職場で知り合って結婚された。
奥さんのご親族も参集されてお孫さんまで入れると総勢20人は越えていたと思う。
息子さんを先に亡くされたおばあさんにとってはひ孫さんまで法事に駆けつけてもらえて、さぞかし嬉しかったことだろうが、一方で息子さんに先立たれた悲しみも思い出されて複雑な気持ちの法事になったことだろう。
お墓参りを済ませてお斎が終わったのは午後の2時近かった。
いつもならとっくに万善寺へ帰ってのんびりしている頃だが、ご親族の年齢も比較的若くて華やいだご法事になったものだから、知らず知らず長居をしてしまった。

最近は、一周忌の法事でも遠方の親族は「仕事が休めないもので・・・」などと理由があって不参加が普通になりはじめている。
核家族が当たり前の時代で、施主家の家族だけの法事となると、関係者1人か2人だけ参列!・・・なんてのもあったりする。確か「お孫さんも同居のはずだけど?・・・」と思って伺うと「あいつは今日はちょっと用事で・・・」などと言われて、そういうお宅では、もう仏教とか宗教とかのたぐいは日常の暮らしから完全に縁が切れて、祥月命日のコトなど、年中行事の数にも入らなくなってしまっているようだ。
ホボホボお葬式と法事の儀式だけで生活している在家職業坊主のボクなど、お布施収入も減少する一方でこの先どうやって暮せばいいのかお先真っ暗状態だ。

賑やかな法事のあと、いつもと変わらない万善寺の静かな日常へ引き戻されたからか、いつになく気持ちが沈んだ。
そういえば、しばらくワイフとまともな会話もしていないし、施主家から法事の引き物も頂いたから、かるくお供えをしたあと、それを抱えてまだ陽があるうちに石見銀山へ帰った。
駐車場へ銀くんを停めたところで、個展会場のオーナーさんと出会って声をかけられた。
「正チャンには身体に障るかも知れないけど、たくさん頂いたから少し手伝ってくれない?」
手渡されたのはビニール袋にタップリと入ったむき身の牡蠣!
「こんなに頂いて良いんですか?うち二人しかいませんし・・・」
「いいのよ〜ぉ、うちだって町内別居で家族みんなバラバラなんだから・・こんなにたくさん、とても一人で食べきれないから、どぉ〜ぞどぉ〜ぞ」
「すみませんねぇ〜、それじゃぁ〜有り難く・・」
玄関先で立ち話をしていたら土間の奥でクロが鳴いた。珍しくお出迎えをしてくれたようだ。
結局、今の吉田家も子どもたちは独り立ちしてワイフと二人暮らしの核家族状態。
夕食は贅沢に山盛りのカキフライ!・・・美味すぎて痛風を刺激してしまいそうだ・・・

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クラフトの行く先 

2019/02/09
Sat. 23:08

今から10年ほど前に吉田家の一部屋をDIYしてギャラリーにしたことがある。
石見銀山の町並みはシーズンになるとそれなりに観光客で賑わうから、ちょっとした旅行記念のおみやげになるくらいの鉄の小物を造ってその一部屋へ並べた。
部屋の隅へ作業机を用意していくつかのパーツを造ったり、少し飽きると、あの頃はまだ元気にしていた犬のシェパくんを相手にのんびり暇つぶしをしたりしながら店番をしていた。
そういうことが1年半ほど続いたが、冬シーズンは開店休業状態になるから、実質は1年弱くらいしかギャラリーをオープンできなかった。
少しずつ春めいてお彼岸が過ぎたら本格的にギャラリーを再開しようと思っていたところへ父親が体調を崩して病院通いが本格的になった。その時は介護というほど大げさなことでもなかったが、そのうち通院が頻繁になったり手術して入院したりして、そういうことのお世話が避けられなくなってギャラリーオープンのスケジュールを調整することが難しくなった。結局冬のシーズンにクローズした状態のまま雨戸を開けることも無くなって、それから見る見る暮らしの荷物が増えてギャラリーが物置に変わった。
父親が永眠して一周忌が過ぎた頃に、再オープンを目指して荷物を撤去して心機一転床を張り替えた。
それで、今度はクラフト小物の路線を封印して純粋に彫刻展示をメインのギャラリーにするつもりで準備を進めていたら、今度は母親が弱ってきて、デイサービスの手続きとか通院の付き添いが必要になってきた。そうこうしているうちに、同宗寺院のご住職や内室が相次いで他界されるなどしてどんどん万善寺業務が増えてきて、せっかくきれいにした元ギャラリーの床には、また少しずつ色々な荷物が増えはじめ、雨戸を開ける機会が遠のいた。
しばらくして母親も他界して一周忌が過ぎた頃に、またまた思い切って建具屋さんへ頼んで障子をプラスチックの丈夫なものに張り替えてもらった。せめて元ギャラリーの雨戸だけでも毎朝開けるようにすれば、このまま物置部屋になることが避けられるかも知れないし、今の個展で造った新作の彫刻をそのまま展示してギャラリーを再開できるかも知れないと思ったからだ。

最初にギャラリーをオープンした時の売れ残ったクラフト小物は、そのまま捨てるのももったいないから吉田家や万善寺の各所で有効に使うようにしている。トイレ読書用の壁面ブックスタンドもそれぞれの場所へ取り付けてみたら意外なほどしっくりとその場の空間に馴染んだ。
私の好きな安西水丸さんはその場所ですでに何回転もしていて、最近また吉田家のブックスタンドへ返り咲いた。3月には安西水丸さんの命日が巡ってくる。早いものでそろそろ七回忌が近いはずだ。
先日、なっちゃんからSNSが届いた。おなかの子供が9ヶ月に入ったそうで、いまのところ経過は順調なようだ。私にとっては初孫の誕生が近い。
この10年は眼前の事実に粛々と向き合いながら過ぎた。気がつけば体力も減退して昔ほどの無理も効かなくなっている。なっちゃんが無事に子供を生んでくれたら、ボクのオリジナルブックスタンドと安西水丸さんの絵本をプレゼントしようと決めている。
ついでに、保育士をしているキーポンへも送ってやろうかな・・・

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残骸 

2019/02/08
Fri. 23:52

気になっていた寒気団は、それほどオオゴトにならないまま過ぎていくようだが、それでも丁度一番厳しさが増す頃にあわせて3回忌の法事が入っているので、その法事が過ぎるまでは万善寺を離れないようにしておくことにした。
節分立春が過ぎるまでの冬の万善寺はそれなりに慌ただしくもあって、今は少し落ち着いたところだがその流れの諸々の用事もないわけではない。
庫裏の各部屋は特に使うこともなくて汚れることもないから毎日こまめに掃除をすることもない。それでも、強風の後は天井裏の積年のホコリが舞い降りて気がつくと畳がざらついていたりする。
彫刻の展示台を部屋のコーナーへ設置して、時々入れ替えながら展示しているから、掃除のついでにその模様替えをすることにした。1月末に終わった小品彫刻展の作品はすでにそれぞれの作家へ返却したが、吉田正純とか吉田満壽美とか他にも数点預かっている彫刻もあるので、それらを定期的に入れ替えれば気持ちも更新してしばらくは新鮮でいられる。

庫裏の6畳ひと部屋は、寺で一人暮らしの私がのんびりとくつろげるように、炬燵やソファーや按摩機を配置して、100インチのスクリーンを壁一面に張って何時でも映画を見ることができるようにしてある。
その部屋は、冬の来客の客間にも使っているのでそれなりにこまめに掃除をしている。
普段は炬燵を撤去して敷物の下まで掃除をすることもないのだが、せっかくのことなのでたまには徹底的に掃除をしておくことにした。
炬燵板をとって、こたつ布団を縁側の物干しへ掛けて、炬燵櫓を片付けたら、炬燵敷きの中程あたりへ木の実の食べかけが転がっていた。上手に外皮を剥がして、中の実だけ食べている。
秋が終わった頃から、本堂と言わず庫裏と言わず、なにかを移動したりすると万善寺の彼方此方から木の実が転がり出てくる。どうせ野ネズミの仕業だろうが、今までその木の実を捨てないで集めておいたら、飯茶碗1杯位たまった。彼らの越冬中の食料になっているのだろうか?・・その様子がどこかしら健気に見えていじらしくなる。
寺に吉田家のネコチャンズでもいたら、彼らは毎日嬉々としてネズミたちを追いかけて大騒動するだろう。
「三毛猫はようネズミをつかまえてくれますけぇ〜ねぇ〜」
今はもう亡くなった隣のおばあさんは家で猫を飼っていた。
「雌猫は家について遠くへ行きませんけぇ〜・・よぉ〜働いてくれますがぁ〜・・」
お茶飲み話によくネコの話題が出ていた。その家では、おじいさんが元気な頃は和牛を2〜3頭飼っていたからネズミも多かったのだろうが、まんざらネズミ退治だけでネコを飼っていただけでも無かったと思う。おばあさんの猫好きはネンキが入っていた。

炬燵敷きの木の実の残骸は掃除機で吸い込んでキレイにして、それから縁側へ炬燵敷きを広げて、天日干しにしておくことにしたのだが、さて、いつになったら冬型の気圧配置が緩んで縁側へ日差しが戻ってくるのだろうか・・・しばらくのあいだ炬燵のない暮らしが続きそうだ。

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オヤジ三昧 

2019/02/07
Thu. 23:42

冬の間の寺の食料は、基本的に「餅!」
ヒドい時(餅さんゴメンナサイ!)は、朝昼晩三度のメシを餅で済ませることもある。
そんな食生活を続けていると、3月の桃の節句が近づく頃にはだいたい3kgは太ってしまう。
身体に良いことではないと思いつつ、一方でお正月のために暮れから準備した大量の餅を消費しないでそのままにしてしまうと、3月の終わり頃には寺の一人暮らしのくせに業務用の冷凍庫を準備しないといけないほどになってしまう。
実は今も、一昨年に冷凍しておいた餅と格闘しているところだ・・・
それで、主食の方は余り余るほど充足しているのだが、オカズのほうが無くなってしまって、冷蔵庫を開けても何も残っていない。
久しぶりに本格的な冬型の気圧配置が戻ってくるようだし、寺暮らしの行動が難しくなる前に近所のスーパーで日持ちのする野菜などを仕入れておくことにした。
万善寺を起点に南北へ少し走るとJAのスーパーがある。若干高いが一人分の食料程度のことだからあまり気にならない。
豆乳やトマトジュースは日持ちするから欠かせない。
きのこ類はすぐに使うぶんだけ残して、あとは適当に刻んで小分けして冷凍庫行き。
ネギとワケギも使うぶんだけ残して、刻んでから冷凍庫行き。
冷凍の枝豆やカット野菜も仕入れておいた。
まぁ、こんな感じで吉田家だとワイフに任せてノラリクラリと逃げを打っている台所仕事をこまめに繰り返している次第です。
それで、晩飯はきのこタップリの中華風スープを造った。もちろん、主食は餅!

昨年末から始まっている吉田正純鉄の彫刻展もあと2ヶ月ばかりで終了する。
予定としては2月のうちに数点の彫刻を加えて、3月のうちに一気に10点くらい追加展示するつもりだ。
例年だと石見銀山では桃の節句あたりにシーズン最後の寒波がやってきて、開花した梅に雪が積もったりする。その春の淡雪が溶けた頃から少しずつ寒さが緩んで一気に春めいてくる。ソレに合わせて入り込みの観光客が増えて町並みが賑わい始める。私の個展も、3月最後のそういう時期にあわせて展示替えの移動をしていこうという計画だ。
冬の間は、主に本当にマニアックに彫刻を見ている同業の作家とか、オヤジの吉田と個人的知り合いだったりする少数の友人が訪ねてきてくれる。季節が春めいて地球上の生物へ活気が戻ってくるあたりからは、不特定多数の見学者が増えてくる。
だいたいが一般大衆によくわからない抽象のかたちばかり造っているから、個展に関しては若干わかりやすくて想像が広がるような楽しみの要素を少しほど加えたりしているつもりだが、それを理解してもらっているかどうかはわからない。
吉田の個展は、とにかくワガママ放題でやりたいことをやりたいようにやらせていただいている。
ワイフには「アンタ、少しくらいは暮らしの足しになるような売れる彫刻も造ってもらわないと困るわよ!」と渋い顔をされる。重々承知のことなのだが、どうしても気持ちの方向がソレとは真反対へ向いてしまう。だって、その方が造っていて面白いんだもの・・・

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2月のみぞれ 

2019/02/06
Wed. 23:46

体調もすぐれないし薬も残り少なくなってきたしするので、病院を回って寺へ行くことにした。
このところ、島根県はインフルエンザが流行していて、学校では学級閉鎖もあったりしているからあまり病院へ行きたくないのだが仕方がない。日頃から人付き合いの殆ど無い暮らしをしているから、よっぽどのことがないと出先で感染することはないと思うが、何時何処で何があるかわからないからコレばかりは運を天に任せて観音様にすがるしかないことだ。

いつものかかりつけの開業医へ行くと、思ったより患者さんが少なくて助かった。
病院の方は死活問題でもあろうが、私の方は混雑の少ないヒマな病院は大好きだ。
いつもの優しいドクターと世間話をしながらひととおりの診察を受けていつものように2ヶ月分の薬を出してもらうことにして薬局を回って寺へ向かった。

今年に入ってかなり強い寒気団が南下しているようだ。それでも、昨年のことを思えば楽なもので万善寺も屋根からの雪吊りの山を避ければ、なんとか境内まで銀くんを乗り上げることが出来ている。曇り空ではあるが、今の所大きく天候が崩れることも無さそうだ。
玄関を開けて荷物を搬入して、勝手口の方へ外から回ってスズメたちへ古古米を補充してからひとけのない冷え切った庫裏へ入った。
台所のダイニングテーブルが寺の寺務机になっているから、まずは部屋を温めるのにガスストーブを点火し、エアコンをONして、灯油ストーブをつけた。そのくらいしないとすぐに部屋が温まらない。湯沸かしポットへ井戸水を満タンにして、コーヒーを入れる準備をしてから、デスクトップを起動させた。
以前は四六時中パソコンを何かしらのことでつついていたが、最近はそれも激減した。日常の情報はiPadで収集できるし、メールのやりとりも簡単なことはショートメールで済ませてしまう。展覧会の報告事務が無くなっただけでもずいぶん楽になった。不便というと、ブログの更新が停滞してしまうことくらいか・・・

お湯が湧いたのでネルドリップを用意した。
寺でひとりの時は、なっちゃんがボクの誕生日プレゼントで買ってくれたネルドリップを使うことが多い。1日3回位はソレを使い、あとはクノールのカップスープだったりお供えで頂いた煎茶のお下がりだったり、とにかく温かい飲み物を欠かさないようにしながらデスクワークをしている。
台所のトタン屋根が急にうるさくなった。みぞれ混じりの雨が降っている。
保賀の谷に散らばっていた寒雀の集団が、ドッと古古米に集まってきたのが台所の窓越しによく見える。冬の羽毛のせいか、それとも古古米の支給のせいか、まるまると太って実に美味そうだ。
昔、焼鳥屋でバイトしている時に中国産の冷凍雀をさばいて串に刺していたことを思い出した。くちばしと両足を切り落として腹割した雀を串に刺す。夕方に店が開く頃には解凍されていて、塩焼きにすると少し苦みばしって実に美味かった・・・スズメと目があって一気に飛び立っていった。
彼らには私の顔が悪魔に見えたのかも知れない・・・南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏・・・

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説教とは・・ 

2019/02/05
Tue. 23:47

なんとなく寝るタイミングを逸してしまって、ウエブ配信のドラマや映画を見る気にもならないし、しばらくYouTubeで音楽のビデオを見ていたが、ソレも今ひとつ身に入らないし、垂れ流しのBGMに切り替えて、ウエブニュースを上から順番にチェックしていたら、そのうち、いくつかの読みかけの文庫本があったことを思い出した。
一つは葉室麟さんの長編。一つは三浦しをんさん、一つは安西水丸さんのキネマ旬報へ連載されていた映画エッセイ(これは読みかけとは言えないな・・・)、一つは夢枕獏さんの仏陀の荒唐無稽長編冒険譚、一つは村上春樹さんの対談・・・などなど、夜中にその気になって探し始めたら自分の周囲の彼方此方から読みかけの文庫本が湧き出るように見つかった。
こんなに、際限もなくアレコレの本をつまみ食いのようにつまみ読みしていると、その1冊の読みかけのところまでがどんな内容だったかほとんど覚えていなかったりする。
こんなことだと、「読書」という領域から逸脱していて、どこかしら自分の近くに何かしらの本が転がっているだけでなんとなく気持ちが落ち着くといった、精神安定剤のような役割にしかなっていないように思ったりする。
それでも、それらの1冊1冊には、記憶に残るというか脳みその何処かに張り付いて離れないというか、そんな感じで前後の雰囲気をいつまでもソコソコ覚えているようなこともあったりして、それはソレで「何もないわけじゃないからネ・・・」と勝手に自分でそういう状況を肯定的に納得しているようなところもある。
さて、それじゃぁ~ひとまず「どれから読み続けようか?」と決め始めたら、それがなかなか決まらない。夜中のことだから、すぐに眠くなる本にするのも良いかも知れないし、軽めの感じで無理なくスラスラ読み続けるのも良いかも知れないし、せっかくだから、少し丁寧に行間を追いかけるのも有りの気もする・・・

ボンヤリと、そんなことを思っていたら、いつも鞄に忍ばせて持ち歩いている菜根譚を思い出した。
洪自誠さんの菜根譚は、私のバイブルのようなもので、日常の何かにつけて暇があればパラパラとページを捲って、止まったところから2つ3つ読み進めたりしている。特に暗記をしようと思ってもいないが、気になるフレーズはしばらくのあいだ覚えていられるし、その時時の状況によって微妙に解釈が変わって感じられたりして飽きることがない。
こういう状態の菜根譚と私の関係はどこかしら師弟関係に通じるような気もしていて、日頃だらしなく暮らしている自分には大事なことのように思う。
洪自誠さんの時代・・というより、孔子さんや老子さんなど中国哲学では「小人(しょうじん)」と「君子(くんし)」を並べて論じる傾向にあるようだ。小人は「人徳がなく度量の小さい人」で、君子は「学識や人格が優れた徳の高い人」を象徴して定義づけられていて、だいたいその2者を対比させながら善悪善し悪しが示される。洪自誠さんの菜根譚もザックリとそういう形態に属しているから、云っていることが結構厳しくて断言的ではあるが、私にはどこかしらボンヤリとした柔らかさも感じられて、それが好きなのだろう。時々「法事の後のナンチャッテ説教で使えないかな?」と思ったりもするが、なかなか自分の言葉に置き換えるまでの技量がなくて諦める。
「説教とは、教訓を垂れること!」とあって、「教訓とは教え諭すこと」とあった。
どうも意味不明でボクにはよくわからない・・・?

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立春の朝 

2019/02/04
Mon. 23:54

吉田家の豆まきがあるので、日が暮れるまでに石見銀山へ帰った。
駐車場へ銀くんを停めた時は、いつもと変わりなく町並みは静まりかえって、ほの暗い外灯の灯りだけが夜露に滲んで瞬いていた。
この時期は寒の戻りの節分寒波の影響でだいたい雪が降ったり積もったりするのだが、今年は雪の欠片もなく晴れ渡っている。
こういう状態だと、空が高くなって放射冷却が激しい。少し雪が降って雲が下がっているくらいがかえって夜の冷え込みもゆるくてすごしやすかったりする。

ワイフが風呂を用意してくれていた。
ゆっくりと温まってから、恒例の豆撒きをした。
子供がいる時は、吉田家の内外まんべんなく大量の豆を撒き散らしていたが、今は夫婦とネコチャンズだけなので、あとの掃除のことも考えてひとつまみずつパラパラとまく程度に自粛している。それでも、どこかしらケチくさい感じにならないように声だけは威勢よく張り上げて豆の少なさをごまかしておいた。
ワイフが其処此処の障子や戸口や窓を開けて、私が豆撒きの係。
クロがすきを狙って脱走しようとしばらく豆撒きについて歩いていたが、途中で諦めて何処かへ消えていった。
夕食には、ワイフ手造りの太巻きが出た。
久しぶりだったからとても美味しかった。
「この程度で良かったら、お正月の年始もこんな感じでつくってもいいわねぇ〜」
いつもは、寺の近くの三日市にある仕出し屋さんへお檀家さんの年始会用に太巻きを注文している。ワイフはおでんをつくって振舞っているのだが、それに太巻きが加わると正月早々仕事が増えるし、それに仕出し屋さんとのお付き合いも大事だから「そこまで無理はしなくていいよ」とさりげなくことわっておいた。

茅場町の会社勤めをするようになったノッチが、最近はお弁当を手作りしている。
日曜日に1週間分の料理をまとめて作り置きして、ソレを朝昼晩上手に消費しながら自炊生活をしている。いつまで続くかわからないが、今の所三日坊主で終わることにはなっていないようだ。ワイフの手料理はどこに出してもおかしくないと自慢できる。ノッチもお母さんの娘だから「ヤレバデキル!」素質がある。けっこう不摂生もしているようだが、それなりに健康志向でもあるみたいだし、シッカリした大人になってくれた。

万善寺のことも少し落ち着いたし、これからしばらくは石見銀山の吉田家を拠点にして、時々必要に応じて通勤坊主をしながら彫刻の制作へ気持ちを切り替えようと思っている。
これからさき、雪がひどく降らないまま少しずつ春になってくれると良いのだが、島根の方は2月が本格的な雪のシーズンでもあるから予断は許されない。もうしばらくは気持ちが緩まないように気を使いながら生活しよう。
「お隣さんも豆まきしたみたいよ。道で豆がいっぱい潰れてるぅ〜〜」
新聞を取りに行ったワイフが、玄関先で教えてくれた。隣はまだ子供も小さいし、誰かが鬼になったのかなぁ〜?・・・さて、立春大吉のおふだ張り出さなきゃぁ〜・・・

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気持の拠り所 

2019/02/03
Sun. 23:51

寺で暮らしている時は、時間をみつけて祈祷太鼓をたたいている。
先代は、塔婆の書はもちろん、音感がよくてお経も御詠歌も和讃も太鼓も上手だった。
現住職のボクは、自他ともに認めるナンチャッテ坊主だから、先代とは比べ物にならないほど坊主業全てにおいて下手糞だ。それでも、万善寺の住職はボクしかいなくて住職業の何をするにも避けて通れないこともいっぱいあるから、様々な場面でたくさんの恥をかきながらどうにかこうにか乗り切っている。

3日は節分だから、一人本堂で祈祷のお経を読んだ。祈祷のお経は太鼓を叩くことが多いから、下手糞なりにバチを振った。
正月になって、三ヶ日が終わって、節分までのできるだけ早い時期に、自分なりに今年1年の自戒をいくつか用意する。
偉い和尚さんは、毎年のはじめに遺偈(遺言のようなもの)を残される。
私は偉くもなんともないから、偉そうに遺偈を残すなど恐れ多い。それで、そういうことはしない代わりに、自戒を用意するわけだ。そうしておくと、何かにつけてそのコトが思い出されて、だらしなく緩みきった自分の気持が若干矯正できる。
塔婆を書く時は、裏書きにその言葉を使うこともある。
展覧会や季節のお知らせとか、ときには何かのデザインのキャッチコピーに使うこともある。
そうやって、日常に都合よく利用していると、知らない間にその言葉が少しずつ自分の気持の中へ入り込んで、やがて現実的で具体的な事象と結びつくことがある。だいたい1年が過ぎる頃には最初は曖昧でどうとでも解釈される抽象的な文言がそれなりに煮詰まって記憶の何処かへ張り付いてくれることもある。
名僧高僧さまをはじめ先人諸氏の名言は、はじめのうちは自分の現実と全然関係ないところで浮遊していて、頭ではなんとなくわかってもソレを自分の実感として自分の所作に置き換えるまでには程遠い。せめて1年位は心にあたためて時々思い出しながらそういうコトを繰り返しているうちに少しずつ現実の具体と関連するコトがあってソレに気付いてドキッとする自分がいる・・・ということを何度となく実感している間に、気がつけばそれなりの信念や確信を持ってその文言に自分の気持の拠り所を意識できていたりする。
もっとも、用意した自戒の全てが自分の気持を動かすことも珍しくて、実際、1年も過ぎれば知らない間に年始めの自戒などコロッと忘れて忘却の彼方に消え去ってしまっていることも多い・・・というより、ほとんどソレばかりだったりする。
それでも、そういうことの繰り返しのなかで、とにかく色々な場面で思い出されることもあるし、絶対に忘れることのないまま生き様であったり信念であったりそういうものに変わる自戒もないわけではない。
そういう文言のいくつかは、確実に自分の救いになっているし力になっている。
信心の気持ちというものは、そもそもそういうことの終わりのない積み重ねであるような気がする。

今年は、「動静両忘」「風逐自然清」「静聴鐘声」の3つを書いておいた。
私が好きな洪自誠さんの言葉の一節です。文字を並べるとシンプルで簡単なことだが、その奥深さに感じるものがある。「静聴鐘声」は個展の案内で早速使わせてもらった。

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2月の新年会 

2019/02/02
Sat. 23:25

そろそろ1月もあと僅かのある日、節分から立春へ向けて準備をしていたら着信があった。
名前を見ると中学校の同級生で元野球部、少し前まで郵便局の局長からだった。
彼からの電話はだいたい内容がわかる。
「2日新年会するけど、来れる?・・・夕方6時半で会費4000円・・・」
「寺は節分あるけど、そっちは大丈夫?前日だよ?」
「節分3日でしょぉ〜、大丈夫大丈夫、そんな遅くまでヤラないから・・・みんな昔みたいに飲めなくなってるし」
「チョット遅れると思うけど、行くよ・・・予定変わったらすぐに誰かへ連絡しておく」
「だいたい、いつものメンバーだから誰でも良いよ、都合変わったら知らせといて・・」

それで、2日は明るいうちに本堂を片付けたりお経を一つ読んだりしておいたのだが、結局なにかしらアレコレ用事を片付けていたら時間がどんどん過ぎていた。
膝と腰の具合が思わしくないし、夜になったら歩道が凍みるだろう。
銀くんに常備のステッキを引き出して、ソレを支えに参道を下って町道から国道へ出て三日市の町まで歩いた。
寺を出るときはまだ明るかった。
もう少し時間がかかるだろうと思ったら、道がズゥ〜っと下りだからだろう、15分で三日市に1軒の居酒屋へ着いた。
店に入るとメガネが一気に曇った。
「早いじゃない。もっとおそくなるかとおもったわぁ〜」
「吉田のぶんチャンと残してあるゾォ〜」
「お前の席、コッチコッチ!」
「ハイ!改めてカンパイィ〜〜!」
「おつかれぇ〜」
「ハイ、今年もヨロシクゥ〜!!」

地元同級生が10人位集まった。
みんな、もう現役は退職の年齢だが、まだ何人かは嘱託か何かで引き続き仕事をしている。他に自営業もいて、身体が動くうちは現役続行が決まっている。万善寺住職もその一人。
いつもラム肉を分けてくれる獣医も来ていた。
銀くんを世話してくれたカーディーラーの社長は酒が飲めない。
カープのファンクラブ会員で元役場職員もいた。
パチンコ好きなプラント役員もいた。
元教頭は去年ハチに刺されて救急車で運ばれた。
棟梁は相変わらずクールに飲んでいた。
ビールが酒に変わってワイワイやっていたが、気がつくといつのまにか奥さんが迎えに来て一人二人と消えていった。
帰り道は20分かかった。上り坂ばかりだからだろう。案の定、歩道はもう凍みていた。

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今時物流事情 

2019/02/01
Fri. 23:03

朝から空模様が怪しくていつ雨が降り始めてもおかしくない感じだったが昼前にはなんとか持ち直してそれなりの天気になった。
小品彫刻展でお世話になったショップが社員の男手を揃えてくれたので、搬出は半日もあれば終わりそうだ。
彫刻の発送は、窓口での伝票記入に時間がかかりそうなので、展示台の移動をショップの関係者へお願いして任せた。

小品彫刻だと持ち込みのゆうパックが便利で、発送業務の80%は会場の近所の郵便局で済ますことができる。
取扱業者によって寸法や重量の規格が若干違うようだが、だいたい同じ条件なので、ヤマト便がゆうパックに変わってもそれほど大きな混乱はない。島根のような田舎だけのことかも知れないが、ヤマト便や佐川急便などの大手宅配業者さんは、取扱店の基地が少なくて持ち込み発送がとても不便だ。ソレに比べてゆうパックの方は、田舎の小さな町でもかならず何処かに郵便局があって宅配便の取扱をしてくれるからとても助かる。
それでも便利なゆうパックも含めて、時々業者の都合で知らない間に取扱条件が変更になっていたりすることもあって、今回もソレに引っかかった。
お客の事情というより営業上の事情が優先された条件変更の不条理にはどうも素直に納得できない。
鬱陶しいほど反乱しているどうでもいいようなCM告知ばかりに精出す暇も予算もあるのなら、こういう突然の利用条件変更に関する事前告知のコマーシャルを優先してほしい。
今まで普通にOKだった取扱が、急に受付窓口で「見直し変更になりまして・・」といわれても、結局当方は梱包のし直しで持ち帰ってまた出直すことになるわけで、私のように、何から何まで自分の都合で事業を切り盛りしている極小零細事業主にとっては、とても厳しい仕打ちなのです・・・プンプン!!ブツブツ・・・
彫刻家が悪いわけでも何でも無いのだが、世の中の物流システムの中で自分の彫刻をその基準にあわせながら制作をするというのもなにかおかしなことだ。結局は作家の都合ばかりで筋を通すことも出来ないから「そんなもんだ・・」と世間の事情を飲み込んで対応するしかない。
それで、具体的にどういうことかというと、作家が展覧会の主催宛に作品を発送する場合は普通に今までどおり梱包して業者持ち込みをすればいい。ちなみにゆうパックの場合は、送り先が同じなら以前の伝票の控えを持参すれば若干値引きしてもらえるはずだ。問題は、主催側から作家個人宛に彫刻を返送する場合。業者さんの話によると、送り先が個人宛の場合は重量や大きさの制限があるようで、その制限を超えた場合は荷物が営業所止めになって、受取人はその営業所へ引き取りに行くことになるらしい。要するに、ドライバーが一人で運搬できない場合は「自分でひきとりにきてちょうだいネ!」ということで、ソレで良ければ「発送させてもらいますヨ!」ということ。業者さんの立場から言うと何の問題もない当然の理由があることになる。
もう半世紀近く親しくしている運送業者は、営業所の所長が変わるたびに「吉田絡みの荷物はチョット厄介だからよろしく・・」と、申し送りされているようだ。今回も、ほとんど無理だろうと諦め気味に持ち込んだAさんの彫刻だったが、顔見知りの職員さんが「チョット料金かかりますけど・・」と念押ししつつ、渋々引き受けてくれた。アリガタヤ!

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あのころ 

2019/01/31
Thu. 23:32

彫刻の梱包は結局1日で終わらなかった。
「手伝いましょうか?梱包・・」
ショップのスタッフが気を利かせてくれたが、ありがたく断わった。
信用していないわけではないが、やはり彫刻梱包のことはアマチュアにはまかせられない。時間はかかっても、いずれいつかは必ず終わる作業だとわかっているから、特にイライラもしないし、それになによりボクはとってもヒマで時間だけはタップリあるのだ!
「今日はお昼すぎで仕事終わるから、それから会場へ顔だすね♡!」
ワイフが、出勤前にそう言っていたから少しだけ彼女を期待しているところだ。

最近の小品彫刻展は、年々抽象の彫刻が減っている。
絵画の方は、かなり前から純粋抽象をほとんど見ることが無くなっている。日本の美術界全体が絵画彫刻問わず具象へ傾いて、知らず知らず作家の目はそういう流行を追いかけているのだろう。
具象抽象平面立体各種素材表現技法なんでもひと通りそれなりの研究表現が出来て、それをベースに取捨選択して個人のオリジナルな表現を絞って追求するところに美術家の個性とか作品の斬新が醸し出されて、それが面白い!・・・と思うのだが・・・

雪が降らないといっても、飯南高原はそれなりに彼方此方で消え残った雪の残骸を見かける。万善寺もまだ境内に屋根からずり落ちて固まった雪が山になっている。
年末から年始にかけて少しずつ溜まった各種のゴミを処分したいのだが、銀くんはやっと境内まで乗り入れることができるくらいで、簡単にゴミの積み込みをするにはまだ雪が多すぎる。
時期が来たら一気に片付けようと物置代わりに使っている離れへ集めてあるゴミの山を整理していたら、学生の頃に描きためたクロッキー帳を見つけた。
1冊100枚綴りの片面しか使わないで描き続けたクロッキーは1000枚を軽く超える。
毎週1回の予備校主催クロッキー会でタイムキーパーのアルバイトをしていた約1年半で描き続けたものだ。タバコ一箱程度の時給は安いものだったが、お金をもらってクロッキーができるわけだから、なかなか美味しいアルバイトだった。
懐かしくてパラパラとめくってみると、今の自分よりずいぶんと描写力がシッカリしている。それぞれのクロッキーに、描画の主題を決めているところが伝わってくる。純粋に素直にモデルさんと向かい合っていた。きっと、絵を描くという行為が楽しくてしょうがなかったのだろう。絵を描くということくらいしか表現の選択肢が無かったのだろう。まだ立体の実在に出会いその魅力に引き込まれてしまう前の頃だ。

具象彫刻を梱包していて、あのクロッキー帳のことをなんとなく思い出していた。
立体にのめり込んで、鉄と出会って、たくさんの技法を知って、未知の表現に悩み、数え切れないほどの失敗を繰り返して、気がつけばもう身体も思うように動かないジジイになって、指先の感覚もなくなってドローイングの線もフラフラでヨレヨレ・・・まぁ、それでもそれなりに未だに彫刻の造形が枯渇していないのも、あの頃形態の具体に正面から向き合ってセッセと脳みそを回転させていたからだという気がしないでもない。

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ラップのおかげ 

2019/01/30
Wed. 23:42

小品彫刻展の会場で使わせてもらっていたショップが2日間休業日になるので、その間に彫刻の梱包を終わらせてしまうことにした。
例年だとそろそろ節分寒波がやって来る頃なので、天候の悪化が気になったが今年の暖冬は異常の部類に入っているから、いまのところ搬出作業に大きな支障は無さそうだ。
それでもやはり、小品の彫刻展とはいえ冬のこの時期に山陰地方でほぼ全国規模といっていい彫刻の展覧会を企画することはそれなりのリスクを避けられないところもある。
幸い、ショップ関係者の手伝いが期待できるので人手の確保は保証されるが、彫刻家から預かっている大事な作品を壊す訳にいかないから、小心者のチキンオヤジは胃がキリキリ痛む。

梱包の基本は搬入で彫刻が送られてきた状態を復元することだと思っている。
展覧会出品に協力を頂いている彫刻家の殆どは作家歴の長いプロフェッショナルであるから、やはり梱包の一つ一つが手慣れていて無駄がない。まがりなりに自分も彫刻家の端くれだから、梱包の状況で作家の力量が見える気もして、とても勉強になる。
もうずいぶん前のことになるが、有限会社の瓦工場で11tのトラックへパレットに積み上げた瓦の束を積み込む作業を目撃したことがある。その瓦の束は巨大なサランラップのような梱包材でパレットごとキリキリと巻きしめられてパレットサイズの立方体になっていた。知り合いの総務部さんへお願いして梱包の現場を見せてもらうと、パレットに乗せられた瓦の束がベルトコンベアーからそのまま巨大な回転台の上に移動してきて、その後高さが1mくらいのラップの円柱が軽く上下に動きながらくるくる回る回転台の瓦へ巻き付いていた。あの頃はまだエアサスペンションのトラックが珍しかったから、現場へ瓦が到着するまでに板バネでポンポン跳ねて割れてしまうことも頻繁だったそうだ。そういう、欠損のロスも含めてトラックへは受注枚数より多めに積み込んでおくのだと言っていた。
「瓦ラップのような便利な梱包材があると良いなぁ~」となんとなくあの時のことを忘れられないままでいたら、ある日、吉田家の土間でワイフがラップを使って古新聞を縛っている。
「ソレ何処にあるの?」と聞くと「100円ショップ!」と、普通に即答された。さて、かれこれ5年位は前のことだっただろうか・・・
もう10年以上も前から「あんなラップがあるといいなぁ~」と悶々としながら梱包を続けていたのに、その現物が100円ショップで手に入るという・・・
それからしばらくして、その気になって近所のホームセンターを巡ってみたら、梱包材コーナーのエアキャップの円柱の隣へ梱包用ラップがビッシリ並んでいた。

梱包用ラップだけのことでもなく、一般家庭の日常の暮らしがどんどん便利になってくる。彫刻の運送運搬も公募展へ出品をはじめた頃からすると、ずいぶん楽になった。
造形の工夫も、少し前までは安全な作品移動のことも含めて分解や組み立ての工法も当然のように造形の一部として組み込まれていて、そういう工夫はそのまま制作時間に上乗せされていたのだが、今はラップだけでもない接着剤や塗料など造形の展開で無理が効くようになった。
それでもボクの場合は、結局、便利に頼り切った彫刻はそれなりのモノにしかならないけどね・・・

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2019-05