工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

親のNGーWord 

2017/01/17
Tue. 18:10

「正月ってのはね、いつまでか知ってる?」
「・・・・」
「正月ってのは、1月の1ヶ月を言うんだよ!だから、1月の31日までが(正月!)なんだよ!」
「・・・ムムム・・・??!!」
てな感じで、すでに、1月も半月が過ぎた今頃になって、やっと年賀状の整理をしたり、年賀状もどきの年始の粗品を発送したりして、本日、ひとまずおおむね完了したのであります!
いやぁ~、ながかったなぁ〜〜・・

これでも、結構絶え間なくセッセと眼前の用事を済ませていたはずなのに、とにかく1日が終わるのが早すぎてしょうがない。
このところ、平均の睡眠時間が4時間位だったりして自分でもビックリしている。

飯南高原の萬善寺周辺は、昨日まで続いていた強烈寒気の影響もやっと峠を越して、終日良い天気だった・・が、・・・萬善寺の方は、島根県の飯南町の保賀地内でほぼ孤立状態になったままでいる。
命の綱は、参道の一本の道のみ。
ボクの相棒の結界くんは、参道下のお地蔵さんの近所が仮の駐車場になっている。
大きくて重たい荷物は、その場所から一輪車に載せ替えて、約150mほどの参道の坂を引き上げている。
3畳の寺務所前についた頃には、口から心臓が飛び出しそうになっている。「このまま雪の中にバタリと倒れてお陀仏になるのではないか」と、それこそドキドキもするが、一方で「それでも良いかな?」と思ったりもしてしまう。
後期高齢者であるのにやたらと元気な母親は、とにかく自分の都合のことでモノを考えたり行動したりすることしかしなくなってしまった。
せめて、盆正月の坊主の忙しい時期だけでも母親の影響のない穏やかな暮らしを維持したいと思うのだが・・・正月のこの調子だと、今年も厳しいお盆になりそうだ。

萬善寺の暮らしが長引くと、ボクのレジリアンスは途端に衰弱して一気にストレスが増殖する。
親子関係における「親のNGーWord」なる記事を見つけた。
↓(以下転記)
〜〜〜〜〜〜〜〜
「危ないからやめなさい」
「あなたには無理だからやめておきなさい」
「どうせ長続きしないでしょ」
「そんなのできっこないわよ」
「あなたには無理よ」
〜〜〜〜〜〜〜〜
あぁ〜〜〜、思えば、ボクの少年時代はだいたい母親から似たようなことを言われ続けながら育ったなぁ〜
もうしばらく、母親と二人の寺暮らしが続く・・・

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一本道 

2017/01/16
Mon. 21:30

さて・・・そろそろ1mくらいは積もったかなぁ〜
萬善寺の周辺では、そのくらいの雪は毎年普通に降っていて、この近年は積雪量も減ってきている。数年に1度、ドカッと大量の雪が降って、家屋への重大な被害が及ぶ。
私が少年の頃は、毎年普通に今の2倍は降り積もっていたから、この半世紀の間に地球の気温が上昇しているということは確かだ。

物心ついてからの人の一生は、今頃の高齢者でだいたい70〜80年くらいだろう。
島根県の飯南高原くらいのことしかわからないが、こうして短期的に雪の積もり具合を見てみると、毎年同じように降り積もってまた溶けて、また降り積もってそれが溶けることの繰り返しが続いていて、50年前と少しも変わらないように見えるだろうが、実はその雪の質とか、降る時期のこととか、微妙な変化が続いていて、長期的スパンの変化はかなりなものだと感じている。

1月もすでに中盤を迎え、萬善寺的にも彫刻家的にも急に動きが激しくなってき始めた。
先週末から、1泊2日ほど寺を留守にしている間に、今回の大寒波がやってきて雪になったから、寺の庫裏で寒々と暮らす母親が寂しがって収集のつかないまでに平常心を失ってしまった。外泊の2日めの朝から私の携帯電話がなり始め、それが夕方に寺へ帰るまで続いた。私が、外で遊んでいるわけでも無いことはわかっているはずなのに、息子の都合は全くお構い無しだ。やっとの思いで、国道から町道へそれて、寺の参道下のお地蔵さんの脇へ結界くんを止めて、それから駐車スペースをスコップでかき分けて、一輪車に荷物を積み込んで、息も絶え絶えに雪中行軍をしながら参道を3往復している間も、電話が鳴り続けていた。2回めの往復の時は、吹雪の中、縁側の窓ガラスを開け放して何やら支離滅裂なことを吹雪に向かって叫んでいた。その後も、私がいなかった2日分の寂しさを取り戻すように何度も3畳の寺務所兼用書斎を覗きに来て、落ち着く暇もない。
まぁ、現在の母親はそれほど肉体は元気だということだ。精神の方は結構危ういけどね。

母親がまだ若かった頃(70〜80年前)は、毎日朝夕にカンジキを使って参道の雪を踏み固めて1本道を作っていた。あの頃は、自家用車なるものも無かったから、1本道が出来ていればそれで十分に日常の用が足りた。どれだけ大量に雪が降り積もっても、ただひたすらに雪を踏み固めるだけの1本道がそれぞれの家々から続いて、それがあちこちで合流して少しずつ幅広になって国道まで届いていた。
今は、萬善寺の隣の家が留守になり、前の家が空き家になり、上と下の家は一人暮らしになった。自家用車は、一家に1台以上になって、場合によっては一人2台あったりする家もある。除雪車が保賀の谷の一番端の家まで到着するのはだいたい夕方に近くなる。多少の不具合はあっても、昔に比べたら随分便利になっているはずなのに、一方で人口減少と高齢化が進む保賀の谷の冬は、どこかしら一年ごとに住みにくくなっているような気がする。
これから2回位雪が降って積もって消えて、3回目あたりが最後になるだろう。それまで、参道の1本道が萬善寺の暮らしの命の綱になるわけだ。
何か、半世紀過去にタイムスリップしたみたいだな・・ 

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大寒波襲来がどうした! 

2017/01/15
Sun. 22:17

世間的にいうと、島根県の東部を中心にそれなりの強烈な寒気団にスッポリと包まれているようであります!
吉田的にいうと、まぁ、毎年何回か遭遇する厄介な降雪の1回分に遭遇した・・と、そんな感じの1日を過ごしたわけであります。

万善寺の早朝は、絶え間なく降り続く雪から始まった。
保賀の谷のとんど祭りの日で、前夜には御焚きあげ用の御札を書いて守護印をペタペタ押して準備完了して、夜の冷え込みが結構厳しかったから、「これは、夜のうちに降り積もるな!」と雪の心配をしながら2枚重ねのシュラフに潜り込んだ。
やっぱり冷え込みが何時もより厳しかったようで、早朝の尿意を我慢できなくてオシッコに起きたら、だいたい一晩で30cmは雪が積もっていた。

島根県の飯南高原でその程度の積雪は普通に常識の範囲だから、特に気にすることもなくとんど祭りの仕度をしていたら、保賀の自治会長さんから電話が入った。
「おはよぉ〜〜〜ございますぅ〜〜、それで、お清めは何時ぐらいがいいでしょぉ〜かぁ〜〜〜?」
さて、そんなに早くても、この雪で参道を下りるまでに20分はかかるだろう・・と、判断して、
「そぉ〜ですねぇ〜・・・それじゃぁ、9時ということで・・・」
チョット見栄を張ってそぉ答えたものの、寒い朝をそれなりに自堕落に過ごしていたナンチャッテ坊主は、それはそれなりに焦ったのでありました。

絶え間なく降り続く雪の中で、とんど祭りのお焚きあげ法要を済ませ、その足で広島県との県境を越えた。
保賀地内にあれだけ降っていた雪が、県境を越えると「なにこれ??」という感じで雪風景が軟弱になった。

法事は結局、この度の大雪(でもなかったけど・・)報道でビビッたご親族の欠席が続いて、当初予定の半分以下の参列になった。人の頭数でお経の長短が決まるわけでもないから、それなりにいつも通りのゆったりとした法事を済ますことが出来た。
斎場の仕切りオヤジが、「とても勉強になりました!なかなかこういうご法事は無いものですから・・・」などと、話題を振ってきた。
「それで、何かどうかしたということで??・・・」などと、話題を繋げていたら、「このあたりでは、法事はだいたい20分というところでしょうか・・・」
「広島県の仏事の実態はこれなんだ!」と、唖然とした。
「まずはティータイム!」から始まる法事の法式が、島根の万善寺と広島でここまで違うのかと、もう、むちゃくちゃビックリ!!
普通の法事で、短くて1時間半から始まる万善寺の法式は、果たして正しいのだろうか・・??だれがどう考えても、法事一つを20分で片付けるのは無理でしょぉ〜〜〜?

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寒すぎて話がスベった 

2017/01/14
Sat. 22:42

大寒波襲来で、島根県は強烈な風と雪で冷凍庫の中にいるようだ・・といっても、そこまでの経験はないけど・・・
久しぶりに一夜を過ごした石見銀山の吉田家から朝の町並みに出ると、結界くんの窓ガラスに昨夜の雪が凍りついてびくともしない。こういう時は、しばらくエアコンフルパワーの暖気運転をして運転席前の視界が開けるのを待つ。
山陰道へ入って江津方面へ走ると、横からの北風に結界くんがあおられてハンドルをとられそうになる。フラフラしながら走り続けてやっとの思いで今日の仕事先キリスト教系列の高校へ着いた。
昨年の後半で建て替えが続いていた美術小屋が立派に蘇って、ログハウス風のオシャレな小屋になった。
美術関係の授業らしきことをしなければいけないのだが、どうもその気になれないまま正月気分を引きずって、年末年始の寺暮らしと坊主の実態に、今考えていることと、吉田の今年の目標のことなど無駄話ばかりを延々と続けてしまった。
授業とも言えないほどのつまらない時間が過ぎてから、学校のみんなで餅つきが始まった。もち米を石臼で潰すあたりまで手伝った。北風が強くて、鼻水がとめどなく流れた。

近隣のお檀家さんへは、先日までにお年始の御札などを配り終えて、その後、県内外の遠くのお檀家さんなどへの発送作業が続く。下世話なことだが、ゆうパックの発送でも1通180円かかるし、カレンダーの印刷代も加えると、結構な合計額になってしまう。正月早々から布教活動もなかなか厳しくて辛い。
毎年、明治時代制作の版木を使った手摺り木版で守護札を摺る。

〜〜〜〜〜〜〜〜
おふだのおとりあつかいについて・・・
「大般若経六百巻祈祷守護札」は、皆様のご自宅の玄関内側上部へ貼りだしていただくことで、ご家族をはじめ、毎日御札の真下を通過されるすべての皆様の家内安全、無病息災、身体安全等をお守りすることとなります。
「五穀豊穣」は、地球人全てが幸せに暮す事のできる根本であります。どんな職業であれどんな国家であれどんな社会であれ、食の根本が絶たれると生きることも危ぶまれます。
大般若経六百巻の転読祈祷法要には、そのような、大きな願いが祈り込められています。
・・・・・云々・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こんな感じの添え文を用意するのだが、それでも皆さんなかなか読んでもらえなくて、夏の棚経でお経を読むと、お仏壇のお位牌さんの裏辺りにペロンと立てかけてあったりしてがっかりすることもシバシバだ。
この世で暮らす我が身のための守護札を、お仏壇の仏様やお先祖様と一緒にお祭りしておいてもなんの効果もないのだが・・・今時の宗教観というものはせいぜいその程度のものなのだろう。
高校生を相手に、そんな悲哀の仏教坊主の話をしてしまったわけだ。
こんなことが校長に知れると、この3月いっぱいでクビだろうね・・・

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あわただしい1日 

2017/01/13
Fri. 23:31

今年に入ってはじめて寺以外の仕事らしい仕事が入ったのだが、一方でこの週末は強烈に強い寒気団が南下してくるという状況になってしまったので、ひとまず前日から石見銀山の吉田家で待機しておくことにした。
朝になって、万善寺が雪で埋もれてしまったりしていたら、それこそ移動も厳しくなって遅刻してしまいそうだし、仕事始めでそれだけは避けなければいけない。

切りの良いところまで三畳の寺務所でデスクワークをして、残りの仕事をまとめて結界君に積んで参道を下っていたら、足元の方からゴムの焼けるような匂いが湧き上がってきた。その匂いがやたらと強烈で、自分のお尻の下の方で何かが燃えて焦げているような感じだったから、一度結界君を止めてぐるりと見回った。それでも結局素人には何処の何が原因なのかわからないので、直ぐにいつもお世話になっている車屋の営業さんへ電話した。色々症状を言ったら、見てみないとわからないから、そのまま工場の方まで来てくれということになったので、慎重に運転してそちらへ急いだ。
こういう時にチキンオヤジは意気地がない。ヒョットして走っている途中で結界君が燃え始めるんじゃないかと、嫌なことばかり想像してしまって、銀山街道の道中ビビリっぱなしだったが、とにかく何事もなく無事に工場へたどり着いた。
メカニックのおじさんに診てもらうと、匂いの原因はエンジンから漏れたオイルがマフラーの熱で暖められて焼けたことだとわかった。オイルも油の一種だし、素人はそのオイルが燃え上がってしまうのではないかと、余計にビビってしまったが、「このまま走っても火が出て燃えることは絶対に無いから大丈夫!」とおじさんがキッチリ言ってくれたので、やっと安心できた。

この週末は強烈な寒波の中を島根県内から中国山地を越えて広島県の方までアチコチ移動しなければいけないことになっている。結界君のドック入りは来週になって都合の良い日にすることに決めて、それからやっと石見銀山の吉田家へ帰り着いた。
ワイフがお風呂を用意してくれていて、早速ゆっくりと風呂に浸かって温まって落ち着いた。前回帰宅した時、「あなた、臭い!」とワイフに散々言われていたが、風呂の前にアチコチクンクン嗅がれて、その原因は私の坊主頭であることが分かった。冬になってジジイに近くなったオヤジの肌は乾燥でカサカサになってきたから、風呂上がりに頭も含めて全身へセッセとニベアを塗りたくっていて、どうやらそれがいけなかったらしい。

ワイフの作ってくれた夕食が美味かった。
それから、ストーブに薪を継ぎ足してプロジェクターをONした。
今夜は、Xファイルの新シリーズを見た。
クロもシロも抱っこして頬ずりもした。
クロはやたらと嫌がってしまいには「シャー!!」と鳴いた。
シロはやたらとビビって膝の上でカギしっぽをパタパタさせながらのけぞった。
なにかと色々あってあわただしい1日だったが、やはり自宅は落ち着く。
私の誕生日プレゼント革製ブックカバーを、未読の文庫本へ付け替えた。
今夜は、寝るまでのひとときを読書でもしようと決めた。

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萬善寺の夜 

2017/01/12
Thu. 21:35

昼の間、石見銀山を中心にアレコレと用事を済ませて、夕方になってから萬善寺へ着いた。
荷物を下ろしていたら、雨が振り始めて、それからあとはみぞれになったり雪になったりしながら、それでも絶え間なく降り続いて、暗くなってからはほぼ雪に変わって、アッという間に境内が白くなった。
本堂の屋根は勾配が急なので、水っぽい雪が積もる間もなくずり落ちている。

三畳の寺務所兼書斎へ落ち着いて、まずはコーヒーを入れた。
寺暮らしが長くなったので、年が変わるころには豆も残りわずかになっていた。
だましだまし量を稼いでいたが、どうしても薄くなって水っぽくなって俗に言うアメリカンにもならないほどになったから、しばらくはコンビニコーヒで急場をしのいでいた。
それで、今日になってやっと大田市の少し大きな業務用スーパーへ寄り道をして、それなりの豆を仕入れてきた。
飲んでみたらどぉってことない普通の味だったが、それでも薄まったコーヒーよりは随分とマシになった。

さすがに飯南高原は石見銀山に比べて随分冷え込みが厳しい。
私は、厚着とか重ね着が嫌いな方で、冬の寺暮らしでも、せいぜい下着と厚手のシャツとトレーナーの3枚位で過ごしている。それに、よほどのことでもない限り年中裸足でいるから、島根県くらいの冷え込みにはもう身体のほうが慣れてしまった感じだし、暖房といえば小さな灯油ストーブが一つあるだけの質素な暮らしをしていて、薪ストーブなどあるわけもなく、だいたいが寒々とした毎日をすごしている。
それで冬の寺暮らしの楽しみというと、まだ明るいうちから温めの風呂に入って1時間位のんびりすることくらいしかない。

萬善寺の風呂は、憲正さんが元気だった頃、老夫婦が二人で考えて決めて、物置だった場所を改造してシステムバスをはめ込んだ。
全体がステンレス製の直方体の箱に、浴槽やシャワーや蛇口や鏡などの必要なものがすべてワンセットで組み込まれているタイプのものだ。風呂掃除とかお湯の取扱など、毎日の生活には使い勝手も良いし特に不満があるわけでもないが、とにかくなんとも味気ない。ゆっくりと風呂に入って一日の疲れを癒やすなどという雰囲気は皆無だ。
だからというわけでもないが、「よし!今日はたっぷりと時間をかけて湯に浸かるぞ!」と心に決めたときは、防水のBluetoothSpeakerを持ち込んで、約1時間位のアルバム1枚分をきっちり聴くことにしている。
幸か不幸か、ステンレス製の箱がなかなか良い感じで働いてくれて、低音の振動が風呂の壁や浴槽にまで伝わって、結構な迫力に変わってくれる。
iTunesから、ブルーノートのいい感じのを見つけ出して、半身浴をしながらそれを流していたら、いつの間にかウツラウツラと寝てしまったようで、体重を支えていたバランスの力が抜けて溺れそうになった。
とにかく泳げないボクが、寺の風呂で溺れそうになった。

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キーポンプチお引っ越し 

2017/01/11
Wed. 23:22

久しぶりの石見銀山吉田家夕食でワイフの手料理を堪能して気持ちよく寝ていたら、冬休み最終日のキーポンが例のごとく私のダブルシュラフに潜り込んできた。
つい先日、成人式で振り袖の撮影をして立派に大人になったはずなのに、全く甘え癖が治っていない。
深夜になって寝苦しくて気がつくと、キーポンがシュラフの中で斜めになってオヤジの腹へ2本の足が乗っていた。
若い娘の恥じらいなど、微塵も感じられない我が末娘が、あと数ヶ月で社会人になるなんてとても想像できないほど親離れの出来ないガキにしか見えないんだけど・・・

そんなキーポンが学業に帰っていった。
就職先も内定をもらってほぼ確定したし、学生生活もあと2ヶ月足らずで終了するし、次の引っ越しのこともあるしするから、今の部屋の荷物を整理して少しでも身軽にしておいたほうが良いだろうということになった。
それでは、誰がどうするかということになって、ワイフは終日仕事で空きがないし、夜には地域の会議が入っているしするから、結局、私が彼女を送りがてら荷物を搬出することになった。

今年になって、はじめて石見銀山の吉田家に帰ったのだが、少しも落ち着けないまま1日がアッという間に過ぎて、途中で夕食用のお惣菜などを買い込んで帰宅したのは夜の7時を過ぎていた。
「お疲れさま、お風呂わいてるから入ってください」
テーブルに、裏紙を使ったメモが置いてあった。
強い北風の中で終日結界君を運転していたから、身体が固まって動きがぎこちない。
ストーブに薪を補充してゆっくりと風呂に入った。ほのかに入浴剤の香りが漂っていた。

石見銀山二日目の夜は、キーポンもいないし、ワイフも会議でいなし、ネコチャンズはオヤジを避けて何処かへ潜り込んで姿を見せないし、スーパーのお惣菜も味気ないしで、寂しい夕食になった。
幾つかの仕事を段ボールに入れて持ち帰っているが、それに手を付ける気にもなれないまま、麦とホップをちびちびやっていたが、ふと思いついて、Huluチェックをしてみた。
「かもめ食堂」が新作に加わっていた。
ちょうど群さんの文庫本を一冊読み上げたあとだったし、いいタイミングだと思って、ブロジェクターのスイッチをONした。
2時間弱の映画は、比較的原作に忠実にストーリーが進んでいて、それなりにいい感じの雰囲気も漂っていて、気持ちが和んだ。それでもやっぱり、原作の小説は自分のイメージを映像に置き換えながら読み進んでいくワクワク感のようなものが楽しめて、物語の深みもあって良かったかな・・・と、そういう印象もあった。
映画が終わるタイミングを図ったようにワイフがグッタリ疲れて帰宅した。
それから食べ残しておいたお惣菜を二人で分けて完食した。
明日は、夕方につけてまた万善寺へ移動する。寒波の影響が心配だ。

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鴨山窯経由石見銀山 

2017/01/10
Tue. 23:54

昨年末から続いていた寺暮らしをひとまず切り替えることにした。

正月からの寺務がうまい具合に区切れなくてこらからもしばらく続きそうなので、彫刻がらみの用事もあるし、そちらの方の事務処理も停滞したままだし、やはり、昨年の仕事量は今の私にとってオーバーワークだということが良くわかった。
自分の許容を超えて無理をすると、結局一つ一つのことにミスも増えるし精度も下るし好いことは一つもない。

今の地球社会は、自分の暮しを保証するためにはある程度自分で都合をつけて自分でやり繰りしなければいけないことも多いから、それに見合うほどの収入は確保しておかないといけないというか、収入を確保するための仕事をしなければいけないことになっているからややこしい。
そもそも、働くということとお金を稼ぐということがイコールでつながって正比例しなければ収入に繋がらないというシステムそのものが本当に正しいのかどうなのか、凡人の私には理解不能だ。
生臭いことになるが、たとえば、「般若心経のお経は、一回くり返したら1000円で3回くり返したら3000円で、だから当然5回くり返したら5000円だけど、まぁ、その場合は500円おまけして、4500円でいいですわぁ〜」みたいな感じで、お布施の額を坊主から示しはじめたら、もう、その時点で「仏の教え」なるものの心柱は根元からボキリと折れてしまって、気がついたら、「戒名代が○○円、院号代が○○円、お葬式は、3コースの中から選べて、オプションも豊富に揃っておりますが・・」なんて、商売が出来上がって、商売上手な坊主がやたらと営業しまくって、ついに総合宗教会社になっちゃった・・・てことになったら、もうおしまいだね。そういう坊主が自叙伝なんか書いたりして、仏教のうんちく並べたハウツー本か何か出版したら、もうそれこそ御陀仏だ。

とにかく、いくら自他共に認めるナンチャッテ坊主でも、お金如きでコロッとコロブような職業坊主にだけはなりたくないね・・・などと、勝手にカッカしながら荷造りをして結界君へ積み込んで、万善寺を出発して石見銀山へ向かった。
飯南高原は、しばらく続いていた雨もあがって冬にしてはほのあたたかい穏やかな1日になった。
これから、本格的な寒気団が南下してくるようで、冬の青空もしばらく見れなくなるだろう。2〜3日したら、また万善寺暮しに戻る予定だが、その時は飯南高原も一面雪景色になっているはずだ。

銀山街道の途中にある知人の陶芸家を訪問した。
毎年、正月のこの頃に、石見銀山への移動を途中で寄り道して、新年の挨拶をかねて自家製大般若六百巻祈祷札と自家製カレンダーを年始がわりに手渡す。もう、何年も前から続いていて、その時にはせっかくだからその年の新作を幾つかチョイスしている。
今年は、やっぱりコーヒーカップになってしまった。
さっそく、夕食の後に一杯のコーヒーでそれを使った。

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春色無高下 花枝自短長 

2017/01/09
Mon. 21:02

今年最初の3連休最終日は、仏事が立て込んで3畳の寺務所兼用の書斎へ落ち着いたのは午後の4時近かった。

かすかな雨音で目覚めた時は朝の4時過ぎだった。
雪でなければいいやと二度寝に入ろうとしたら、庫裏の玄関先で木の板がひっくり返るような物音がして、それで気になって眠れなくなった。風もそれほど強くなさそうだし、きっとタヌキか何かの仕業だろうということにしてウツラウツラしていたら、今度は本堂の裏の座の下辺りで獣の格闘のドタバタが聞こえてきた。
野生の動物は朝が早い。結局二度寝のタイミングを逃して、読みかけの文庫本を鞄から取り出した。

改良衣に着替えて、裏書きに「春色無高下 花枝自短長」と書いた塔婆を結界君に積み込んで万善寺を出発する頃は、雨が本格的に降り始めた。片方だけになった雪駄は、一晩でもう片方も消えていた。あの格闘は雪駄の取り合いだったかもしれない。
島根県境を越えて片道40分位先にあるお宅まで結界君を走らせて、30分ほど七日のお経を読んで、お茶をいただきながら世間話をして、広島県から県境を越えて島根県の次の法事のお宅へ回った。
法事が終わった時はお昼を回っていて、すでに準備してあった豪華な斎膳をいただくことになった。一昔ならお酒も出るところだが、今時はそれはない。帰りに膳のおすそ分けを頂き、それにビールも忍ばせてあった。

今日の雨は結構冷たい雨で、このままいけば雪に変わりそうな雰囲気だ。
寺へ帰って、それでも雪駄が見つかるかもしれないからと雨の中を濡れながら探したが見つからなかった。それから、本堂の荘厳を片付ける前に、「お経さんだけ上げておいて」と頼まれていた年回法要をした。こうして施主家のお参りのない法事の時は、「妙法蓮華経如来寿量品」を読み上げることにしている。そのお経は、偈文の前段が結構長くて、ゆっくりと最後まで読み上げた場合の総時間は30分を軽く超える。それにもう2つばかり別のお経を添えて1時間少々で年回法要の一式が完了する。お参りがない坊主一人の法事は味気ない気もするが、どちらかというと私はそれも結構好きで、時間を気にしないでゆっくりと思うままにお経が読める良さもある。この年回法要の様子は、記録の写真をとって後ほどお檀家さんまで塔婆と一緒に届けることになる。近隣にお住まいのお檀家さんは直接持参して報告をする。遠方のお檀家さんは塔婆も小さな経木塔婆で済ませて郵送する。
最近の仏教はどうも商売的要素が濃厚になってきて、個人的には気に入らないところもあるが、施主さんの事情もあるし、複雑だ。

荘厳と松竹梅としめ縄がなくなった本堂は、いつもの質素な須弥壇に戻った。
私は、この飾り気のない観音堂のような質素な本堂がスキだ。
昨年末に松竹梅と一緒にお供えしておいたシキビが年を超えて花を咲かせていた。
裏書きの一節は私のスキな禅語である。確か、圓悟禅師さまのお言葉だったような・・?
違うかもしれない・・興味のある方はググッてみてください・・・

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雪駄が消えた 

2017/01/08
Sun. 20:58

万善寺年始会を欠席された近隣のお檀家さんへ年始の粗品と年回のお知らせを配って歩かないといけないので、前日前夜からセッセと準備してやっと必要部数が整ったのが深夜の2時を過ぎていた。
少し前から、廊下部屋のトタン屋根を本堂からの雨垂れが勢い良く叩き始めた。
新年になってはじめての雨になった。
年中だらしなく都合よく身勝手にスケジュールを決めて一見忙しそうにしているおおむねヒマな私が、それでも本気になって何か動こうと計画を立てたりすると、それに反応したようにさり気なく天候が崩れて雨になったりする。
どちらかといえば、年中無住職状態で出歩いていることのほうが多いから、そのスケジュールの流れにたまたま雨天がぶつかっているだけのことなのだろうが、それにしてもとにかく、私が何かしようとすると雨になることが多いということは確かだ。

日曜日だからあまり早くにお檀家さんを訪問するのもはばかられるので、万善寺の出発を10時位に設定して出かけることにした。
へいぜい私が万善寺常駐の時は、直接寺務所から出入りの用が出来るように、式台を用意して雪駄を履くのもそこで済ませている。大きなお寺だと、この場所が随喜寺院方の玄関になるところだが、万善寺はそこまで様式や形式が整った寺ではない。
さて、即席玄関もどきから年始回りに出かけようとしたら、そこに脱いであった雪駄が片方何処かに無くなっている。よく見ると、そのすぐ近くに私の小指より少し小さめのウンコが2つほど転がっている。
・・・たぶん、雪駄がなくなったのはタヌキか何かの獣の仕業だ。以前にも同じようなことがあった。雨の中、万善寺境内をぐるりとひと回りしたが近くで見つけることはできなかった。前回持って行かれた雪駄はまだ比較的新しいもので形もそう大きく崩れていなかった。今回のは、もう1年近くだましだまし履き続けているヨレヨレ雪駄だったから、無くなったままでもまだあきらめが付く。こんな事もあろうかと結界君に常備している新しい雪駄を持ち出して履いた。
雨で境内の真砂土が膨れ上がって容赦なく雪駄の縁を越えて足の裏まで侵入してくる。
雨ごときで長靴を履くのも軟弱だし、年中素足状態で雨の冷たさも全く気にならないからそのまま出かけることにした。

この雨が数日したら雪に変わるだろう。
正月からの好天気で暖められた地面や木々から雨水が絶え間なく空中に気化している。今のところ空一面に垂れ下がった雲のお陰で冷え込みが弱い。
万善寺のジジババ(ジジはボクでババは母親)二人暮らしでたいしてたくさんパクパク食べているわけでもないのに、正月の食材がそろそろ尽きてきた。年始回りのついでに少し大きめのスーパーへ寄って、3日分は保つくらいの買い物をした。母親が楽しみにしているコンビニ巡回車でのおおよそ決まった買い物もあるし、そのあたりの事情も考慮しておいたのだが、どうも私の買い物が母親には気に入らないようで、夕食の間中ブツブツと私へ聞こえるように毒を吐いていた。
それにしても、あの片方の雪駄はどこまで持って行かれたのだろう?・・

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おくればせながら・・・ 

2017/01/07
Sat. 22:20

みなさま・・・おくればせながら・・・
明けましておめでとうございます!
本年も変わりませず、どうかよろしくお願いいたします!

昨年末から苦戦していた年賀状が宛名書きも終わってやっと完成いたしました。
これから、ワイフにバトンタッチで、最終チェックをいただき、来週早々に発送させていただきます。

年頭の挨拶程度のことだが、やはり1年の区切りでもあり、気持ちの切り替えにもなるし、惰性になってはいけないと思っている。今後も、体力と精神力の続く限り年賀状は作成し続けるつもりだ。
この近年は、喪中はがきが増えてきた。私の年齢のこともあるだろう。自分の親の世代が高齢になって、死期が近づいてきたということも考えられる。実際、私の父であり師匠でもあった憲正さんも2年前に老衰で遷化した。憲正さんと同い年の隣の家のおばあさんも昨年末に老衰で亡くなられた。万善寺のお檀家さんも2軒ほど亡くなられたが、これも概ね老衰の大往生であった。
お葬式のご家族も、招待を受ける菩提寺も、人生を全うされて往生された方のお葬式は、どこかしら気持ちがおだやかでいられる。あの一休宗純大和尚さまの名言に「親死に、子死に、孫死に」がある。一休さん的にはこれこそ何よりも目出度いことなのだと云うわけだ。確かにそのように思う。年寄りから順番にこの世からおさらばして消えてなくなることが一番ノーマルな自然の循環である。これが何処かで逆転したりすると、気持ちの整理がつかなくていつまでもどこかしら心のしこりになって悔やまれる。年末にかけて届いた喪中はがきを読み返しながらそんなことを思っていた。
吉田家もひとまず末娘が成人してくれたし、あとは、なんとかして上手に彼らより先に死ななければいけないことになって、これから先の自分の目標が一つ増えた。

万善寺の寺務所にしている庫裏と本堂をつなぐ3畳の廊下部屋は、私が小学校の頃、高校生のお姉さんの下宿部屋になっていた。
当時は、自家用車も稀な時代で、国道はまだ改良工事前の砂利道だったから、唯一の公共交通機関である国鉄の定期バスも学生の通学に合わせて運行することもなかった。だから、遠方の高校生は寮に入るか町内の何処かに下宿するかどちらかしか選択肢がなかった。憲正さんが長い間民生委員をしていたこともあったのだろう、時々下宿を頼まれることがあった。当時の3畳は今よりももっと立て付けが悪くて、雨戸は板戸で隙間だらけだった。そういう部屋で彼女は寒い冬をコタツ一つで3年間よく辛抱したと思う。

寺務所のデスクワークが毎日のように深夜まで続くから、今はそのままそこにシュラフの2枚重ねで寝ている。
今朝は、寒くて目が覚めた。
かなり冷え込んでいるから、夜のうちに雪でも降ったかと外を見たら、保賀の谷一面が霜で覆われている。雪ではなくて放射冷却で冷え込んだようだ。明日から雨になってそれから雪に変わるようだ。今までの好天のツケが回ってドカ雪になりそうで怖い。

2017年賀状 (1)
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年越しのススキ 

2017/01/06
Fri. 23:45

気がつけばもうお昼のティータイムを過ぎている。
冬の斜めの日差しが、夕日に変わりかけている。
新年を迎えて、もう1週間になろうとしているのに連日好天気が続いている。
ここまで良い天気が続くことなど、記憶にないほど珍しいうえに、万善寺の境内へ最後まで残っていた昨年の雪も全て消えた。
これから一気に冬らしくなってドカッと雪が降ったら、万善寺は飯南町の孤立寺になってしまいそうだ。

ワイフからチクチクと催促されていた年賀状にやっと手を付けることが出来た。
決してサボったり怠慢していたわけではないのだが、眼前の仕事を優先順位の高い方から片付けていくと、どうしても年賀状が後回しになってしまった。
2016年は前住職の憲正さんが前年に遷化したから喪中のお知らせをどうしようか迷ったが、結局そういう世間の習わしに即した事務処理はしないことにした。憲正さん自身は民衆の習わしに敏感に厳しく反応するタイプだったが、私はそこまで頑なにこだわる方でもなかったし、1年に一度しか無い近況のお知らせが喪中のお知らせで途絶えることも味気ないと思ったからだ。それでも、現実は喪中の期間でもあるし、おめでたいことは自粛することも大事なことだから、正月の三ヶ日が明けて少し落ち着いたところで、憲正さん遷化のお知らせを兼ねて挨拶状を作った。それが、1月6日のこと。
備忘録を紐解けばちょうど1年前の6日から7日あたりに礼状のような挨拶状の原稿を作成して印刷を始めている。自分の・・というか、自分流の仕事のスケジュールを調整すると、結局毎年それほど大きな誤差もなく一つ一つの決まり事を順番に片付けていることがわかる。

このところ延々とデスクワークが続いていて、腰から膝の筋がガチガチに固まってしまった。このまま運動もしないであとは風呂に入って夕食を済ませてまた寝るまでデスクワークが続くとなると、それこそ身体の関節が動かなくなってしまいそうなので、ひとまず夕方の散歩へ出かけることにした。
「こういう時にシェパ君でもいれば喜んで付き合ってくれていたのに・・・」
もう4年(開けたから5年か・・)も前のことをふと思い出した。
あの時の正月は、年老いたシェパ爺を寺へ連れて帰るのもかわいそうで、石見銀山の自宅に居させようかどうしようか随分迷ったことを覚えている。そのくらい老衰していたシェパ爺が息を引き取ったのは、2月10日のことだった。
そんなことを思い出しながら、G15を首にぶら下げて境内から参道を下りると、万善寺周辺の田んぼがこの数年で随分荒れてしまっていることに気がついた。たぶん、毎年少しずつ人の手が入らなくなって、耕作地が少しずつ縮小されて、田の畦道も道が絶えてきたのだろう。

毎年のように季節ごとの変化を自分の目で見ているはずなのに、少しずつの変化に気が付かないで見過ごしてしまっていた。
新年になって、いまだに万善寺の参道脇でススキが残っている風景をはじめて見た。

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「お正月」とは 

2017/01/05
Thu. 20:09

早いもので2017年正月も、5日が過ぎた。
万善寺では、少し早いと思ったが、お供えしておいた鏡餅を下げた。
このタイミングがなかなか難しいもので、その年の正月の天候事情を考慮して、お餅にカビが生える一歩前で保存の工程を用意しておかないと、せっかくのお供えのお下がりをムダにすることになってしまう・・と同時に、仏様や先祖代々様に失礼をしてしまう。

世間では、あまり良く知られていないことだと思うが、実は、「お正月」とは、1月の1ヶ月のことだという。
万善寺では、すでに前住職の頃からその習わしで、しめ縄も1月を過ぎて節分祭までそのままにして立春を待って降ろしたりしていた。
さすがに、前住職が弱ってベットの暮らしが長くなってから後は、私の都合や独断でサッサとしめ縄やそれこそ生モノの松竹梅や鏡餅など、お供え物まで降ろし下げてしまうようになった。いまだに「おかみさん」を引きずっている母親はそれがとにかく気に入らなくて、現住職を名指しで小言にしてはかなり過激な毒を吐く。虫の居所が悪かったりすると、ワイフや孫にまでその矛先が向いて収集がつかない。

5日は、そういう母親の定期通院日が予定に入っていて、前日からソワソワして神経が何時もより過敏になっていた。今年はじめてのデイサービスも、診療所と同じ敷地にあるし、曜日も重なるし、色々職員さんの手間も省けて都合がいいから、昨年末の通院の時に「診療が終わったらそのままデイサービスでお世話しましょうね♡」とわざわざ職員さんの方から提案があって、母親もその時は渋々ながらそれを認めていたのだが、今日の診療所では、「そんな話は聞いていない。今日は薬をもらって家に帰る!」とわがままをいい始めた。私はもう慣れているから、看護師さんに「まぁ、そんなわけで本人は納得してないようですし・・・」などと、クールに流していたら、なんと職員さんが薬局まで迎えに来てくれた。それでも、なにかと意味のない理由をつけて帰ろうとしていた母親だったが、結局私に無視されて渋々職員さんの言うことを聞くことになった。

とにかく年末から溜まっている仕事が正月になってもなかなかはかどらない。
キーポンの成人式で1日潰れ、母親の通院で1日潰れ、吉田のクローンが2人くらい欲しい。「〜〜のに・・」ってやつは、考えたくも言いたくもないことだし、まがりなりにも坊主の端くれとしては思ってしまうことも修行が浅いダメ坊主であって、今の私はまさにそういう状態で悶々とした日々が過ぎている。

3畳の寺務所にあるレーザープリンタが結露続きで動かなくなってしまった。もう踏んだり蹴ったり状態だ。
冬の万善寺は、ドコもカシコも隙間だらけで、殆ど野外に居ると変わらない。この度のようにいい天気が続くと寒暖の差が激しくなって余計に家の中に露が溜まって湿っぽくなる。本堂などいまだに年始会の酒宴の香りが漂って、線香の香りが負けるほどだ。
そうそう、万善寺的には1年を「喪中」と認識して、1周忌が「喪明け」と心得ていたりします。知ってましたか?かすかな名残は「喪中につき・・・」ってやつですよ。

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キーポンの成人式 

2017/01/04
Wed. 19:51

1月3日の朝の祈念法要を全て終わったら、韋駄天さまへお供えしておいたお神酒の御下りをその日の朝食で雑煮などと一緒に頂き、坊主の寝正月へ突入する!
・・・といったお正月の決まったスケジュールが続いていたのは、憲正さんが遷化した年の正月までだった。
思えば、憲正さんもおおむね幸せな坊主暮しを続けていた気がする。正月の行事がだいたい自分の思うように過ぎて、2月には入院することになって、一時退院できたものの、それからすぐにその年2回目の入院が決まって、そのまま存命中に寺の庫裏へ帰ることがなかった。
残された母親は、前住職存命中の諸行事をかたくなに守り続けようともがいている。
そういう気持ちは分からないでもないが、誰がどう客観的に見ても90歳を過ぎた老婆と、かぎりなくジジイに近いヨレヨレオヤジ坊主の二人で昔ながらの正月仏事を乗り切ることは不可能なのだ。
結局は、年末から年始にかけての万善寺オリジナルスケジュールを調整して割愛できる幾つかのポイントを抜きだして削除しながらシンプルに乗り切っていくしかないことなのだ。そういうわけで、坊主の寝正月はもう何年も前から削除されて無くなった。

4日は世間の仕事始めもあって、地域の年始会もあって、とにかくめまぐるしい1日であるが、今年の吉田家は、それにキーポンの成人式が加わった。
吉田家の三姉妹は、お母さん(ボクのワイフ)から引き継いだ晴れ着で成人式を迎える。
その晴れ姿の撮影係がオヤジのボクなのです。
それで、早朝に万善寺を出発して石見銀山の吉田家へ向かった。
今年は雪もなくて、とても楽な新年になって、移動も楽で、銀山街道の途中からは朝霧もはれて絶好の撮影日よりになった。

早朝の石見銀山は、人影もなく静まりかえっていた。
自分にとっては、年が改まってはじめての石見銀山で吉田家になった。
例の如く、吉田家玄関へ入ってもネコチャンズのお出迎えは無し。正月休みで帰省中のじゅん君はまだ就寝中。グッピー家族の水槽は水が蒸発して可哀想なほど窮屈に暮している。
母娘が着付けから帰ってくるまでの間、ストーブに薪を補充したり、水槽の水を補充してフィルターの掃除をしたり、撮影用のG12を動作確認したりしていたら二人が帰ってきた。
久しぶりに見るキーポンは、それなりに年頃の娘らしい大人びた姿になっていた。

じゅん君からはじまって4人の子供たちが無事に成人してくれた。
じゅん君は、最初の子供でどう育てたら好いのかわからないまま時が過ぎて、知らない間に大きくなっていた。
なっちゃんは、逞しく活発に育ってくれた。泣きながら自転車練習をしたことをよく覚えている。
小さい頃のノッチは風呂嫌いで、彼女のシャンプーにはかなり苦労させられた。
キーポンの口癖は「お父さん大嫌い!」で、小学校に入るくらいまで散々そのフレーズを聞きながらだっこしていた・・が、いまだにお父さんのダブルシュラフに潜り込んでくる。

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お正月のウンコ 

2017/01/03
Tue. 23:38

お正月三が日の朝課法要がやっと終わった。
日が変わってから洗顔をして身を清め、井戸から引いた初水を湯茶に沸かし、本堂や庫裏の仏様へお供えするところから始める。
お湯が湧くまでの間に大衣に着替え、万善寺の各所へ蝋燭と線香をお供えする。
その日の初湯を仏様へお供えして回る。
火の付いた香炭を香炉の香灰へ沈めて香を焚べる。

だいたい、そのあたりまでは寺暮らしをしている時の朝の日課になっているが、お正月の3日間は、午前0時を過ぎたところからそれをはじめて、何時もよりたくさんのお経を読んで、そのたびにそれぞれの回向をしたり三拝をしたりしてかなりの重労働である。
本堂の須弥壇から始めた朝のおつとめは、庫裏の方へ移動して、最後は韋駄天様の前でお経を読んで終了する。これが、万善寺の前住職から引き継いだ正月の仏事になっていて、だいたい1時間半から2時間ほどかかる。
これと似たようなことを宗門の本山以下、全国の各寺院が法式として行っているはずだが、それぞれの寺院ごとにそれぞれの山風があるから、どれが正しくて間違いかなどと詮索する必要もなく、各寺院オリジナルのお正月祝法要を行っているはずだ。

憲正さんの頃は、布団の中から小言やら寝言やらわからないほどの発言を繰り返していた母親が、住職の代替わりが終わった頃から万善寺の朝の法要へやたらとまめにしゃしゃり出るようになった。私のお経の最中に「それはせんでいい」とか、「何時まで何しとるんだ」とか、本堂の方まででしゃばって監督がうるさい。
どうして今更そういう風になってしまうのか?もしくは、何を言おうとして何が大事なのか?そのあたりを伺うまでもなく、誰がどう見ても私の法要の邪魔になっている。もしくはどう見ても邪魔をしている風にしか思えないように振る舞ってくれる。そういう公私の入り混じった母親の行為は仏様や仏事に対してとても失礼なことになるので、事あるごとに厳しくしかりつけても、一向に改善の意思を持とうとしない。
そういうことが頻繁の、なんともだらしない朝課法要が続いたが今朝で一区切り付いた。

この数日は、天気が良すぎて放射冷却がすごい。今朝も保賀の谷は霜で覆われ、それなりに冷え込んだ。それでも、空に広がる雲が先頃より若干厚くなって来たふうにも感じる。
母親が見ている大音量の箱根駅伝を背中に聞いて、七日のおつとめと、保賀の谷の年始回りの準備をしていたら、本堂の濡れ階段下の式台へポトリと小さなウンコを見つけた。よく見ると木の実の果肉だけが消化されて、消化までには至らなかった何かの種がウンコになって転がっていた。
ウソかマコトか・・獣が食べて排出したコーヒーの種を焙煎すると、なんとも芳しく美味しいコーヒーが出来上がるのだそうだ。
そのウンコをみると、その状況が感じられてわかるような気になった。
たぶん、タヌキか何かのウンコだろうが、何かの実の種は少しも汚いと感じなかった。
90歳を過ぎて頑固に暮らす老婆の方がズッと汚いと見えてしまう。
心の汚さや気持ちの醜さがそのまま見た目の姿や行為に現れている気がする。

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ナンチャッテ坊主の年頭挨拶 

2017/01/02
Mon. 20:43

万善寺新年の恒例行事は・・・
正月2日の年始会。
新年初午の豊川稲荷初午祭。
それに3月の春彼岸。
・・・以上の3つが大きな(そうでもないか・・)仏事になっていて、その時にお檀家さんや地域の信者さんがお参りくださる。

この年始会も時代の流れに乗ってお参りが減少し、この近年はだいたい多くて20名ほどの参拝に落ち着いている。
今年は、年末から続く好天気で雪も無かったから、寺の参道を本堂下の駐車場まで車で上ることも出来るし、家族の送迎も楽だしするから年始法要の後の新年会も出席が多いだろうと期待していたのだが、結局例年と変わることがなかった・・というより、天気が良すぎて正月早々家族揃って遠出でもされたのか、むしろ何時もよりお参りが少なくなった気もする。それでも、お参りの皆さんはワイフのつくった正月料理の数々をパクツキながらそれなりに賑やかに盛り上がって、一升瓶がいつも以上に早く大量に空になった。

万善寺の正月イベントに向けて、私とワイフの二人は、それぞれに自分の業務分担を受け持ちながら粛々と準備が進む。
ワイフがおかみさんから台所を引き継いでから後も、いまだに現役気分のおかみさんがアレコレ無駄口をはさみ続けるので、今年ははじめて年末ギリギリまで石見銀山の吉田家台所で正月料理に取り組んでいた。そのかいあってか、恒例のメイン料理「万善寺おでん」がいつになく絶品で、特にダシ汁をタップリ吸い込んだ大根は最高に美味しかった。その大根は富山でお世話になっているお百姓さんからいただいた立派なもので、素材そのものも格段に良かったからかもしれない。

お参りの皆さんを前に、その年の年頭挨拶をさせてもらっているが、今年は、約2500年前にお釈迦様ご自身がお弟子の修行僧相手にお話されたらしいことを、自分流に意訳して「ニートだって立派に社会へ貢献している大事な存在なのだ!仏教の修行僧なら究極のニートになるくらいの覚悟が必要なのだ!」というようなお話を伝えさせてもらった。若干意訳たとえが過ぎるかもしれないとも思ったが、どうせナンチャッテ坊主の新年の話など、新年会の一杯の酒で忘れてくれるだろうと勝手に都合よく判断したわけだ。
今の世の中、使う方も使われる方も、やたらと生産性や利潤の向上を目標に仕事をしすぎているから、少しだけ小心者で気の弱い、たとえばボクのような人はそういう世間に潰されてどんどんそういう世間から弾き飛ばされる。世間や会社や組織など、自分一人でやりくりできる社会などあるわけもなく、知らない間にどこかしらお互い様で過不足なく助け合って暮らしているはずだ。何もしないとか、何も出来ないとかそういう人が自分のすぐ近くにいてくれることで、自分自身が色々な場面でどれだけたくさんアレコレ助けてもらっているか・・・それをもっと自覚しねければいけないんじゃないですか?
・・・とまぁ、そんなことがいいたかったわけで、ものの本によると2500年も前にお釈迦様が自ら似たようなことをおっしゃっているらしいのです。仏教は深いでしょ!

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自我偈(じがげ) 

2017/01/01
Sun. 04:25

みなさま・・・あけましておめでとうございます!
吉田は、新年の朝課法要を終わらせたところです。
今年の除夜の鐘は、ほとんどじゅん君が撞いてくれて、ワイフもなにやら願い事をしながら少し撞いて、90歳を過ぎてますます元気いっぱい我がままいっぱいの母親も撞いて、それに、何年ぶりかで保賀の谷の一番外れからお参りしていただいたお檀家さんの若主人も撞いてくれた。
私は彼らに梵鐘を託して、朝課法要の準備をしながら年越しを過ごした。

特にこれといった大きな変化もない一日一晩のことで、一年が入れ替わってしまうという人々の心の切り替えの共有が成立してしまうというあたりに、計り知れないほどの精神の高揚を感じつつ、一方でどこかしら普通に覚めている自分がいたりすることの不条理を意識してしまったりして、どうも素直になれないまま毎年新年の数日を過ごしている。

昨日のことでもあるが、昨年のことでもあるほんの数時間前に、1年最後の法要で三拝を繰り返した。
そのとき思うところがあって、寿量品を全部読み切った。
私の好きなお経に「妙法蓮華経如来寿量品偈」がある。族にいう「自我偈」というお経なのだが、それは、寿量品の後半部分にある韻文偈文のこと。
ものすごくザックリと云ってしまえば、お経はお釈迦様が主役の色々な出来事を連作読み切り小説のような面白いお話にまとめたようなものだと思っている。こんなことを云ったら、宗門の偉い大和尚さま方に叱られてしまうだろうが、少年の頃から門前の小僧あがりの成り行き小坊主がまともにキチンとその筋の勉強をすることもなく普通の坊主になったくらいのナンチャッテ坊主でしょうがないとことでもあるから、ゴメンナサイと謝るしか無いことなのだ。とにかく、そういうふうに、そんなもんだと思ってお経を読んでいると、なにやら難しげなこともそれなりに解ったような気になってお経を楽しむことが出来たりしてしまうのだ。
私の場合、1年を通して般若心経とドッコイくらい自我偈を読んでいる。それに、塔婆の一節に書く経文も自我偈からいただくことが多い。

その自我偈の中に、お医者さんの薬のたとえ話が出てくる。
昨年のことになるが、憲正さんを亡くしたおかみさん(ボクの母親)が、息子の云うことも素直に聞かなくなって、とにかく何かにつけて平常でなくなった時期があった。
なんとか説き伏せて大学病院へ受診してみたりもしたが、自分の正常を確信している母親にとっては、周りの連中が寄って集って自分を病気に仕立てようとしているくらいに思い込んでしまったようで、結局ドクター処方の薬をのむことをしないまま月日が流れ、一年が過ぎた。医学的には、どうやら認知症に属する特異な病気であると云ってもいいようなのだが、母親自身が素直に検査を受けようとしないから「たぶんそうだろう??」くらいの診断しか出てこないまま時が過ぎた。息子としては、そんなもんだと今の環境に慣れるしかないのだが、自分で自分の心が病んでしまいそうになる。

自我偈は、挫けそうになるボクの心を踏ん張らせてくれるありがたいお経なのです。

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万善寺の年越し 

2016/12/31
Sat. 22:00

松江の忘年会の後、ボクの結界君を運転して石見銀山まで連れて帰ってくれたじゅん君が、ワイフと一緒に万善寺へ来てくれた。
2016年最後の一日は、4人で万善寺の年末を迎えることになって、独居老人の母親は見違えるほどウキウキしている。

もう随分前から万善寺の梵鐘には割れが入っていて、荘厳な鐘の音と言うより、やたらとうるさいドラの音と言った感じで一打ちの鐘に新年を迎える風情など微塵もない。
近所の人は、破れ鐘と知ってか知らずか、毎日の斎の鐘をついていた頃は、「あの鐘の音で一日が終わるような気がして助けになりますワァ〜」などと、上手を言ってくる。
私の場合、「住職」というよりは、「無住職」で通すことが圧倒的に多い。
それも、生きる手段で当然の行為なのだが・・・毎日の斎の鐘を撞くためだけに万善寺の暮らしを続けていたらとっくの昔に栄養失調で干上がって即身成仏のミイラになっているだろう。
それはそれで、「あぁ〜、あの人は有難く偉いお坊さんだった!・・・」などと後々まで伝説を残すくらいになれたら即身成仏も良いかなと思うが、見方を変えると、自ら断食をチョイスして生きる術から絶縁してしまうあたりなど、体のいい自死のようなものと大差がないことにもなって、そのあたりの曖昧な宗教的解釈が釈然としない。

とにかく、石見銀山の吉田家の留守を預かり新年を迎えるのは、ネコチャンズとグッピー一家、それに少々のゴキブリたちと屋根裏のムカデとか・・そういった連中だけだということになった。

久しぶりのじゅん君だが、やはり以前と変わりなくオヤジとの会話は殆ど無い。
多少の変化といえば、男ながらに編み物ができるようになっていた。
他でもない、私自身も昔々の少年時代には母親と一緒に編み物をしていた時期もあったから、吉田家的には特に珍しいとも思わなかったが、それでもやはりいい歳をした男子がモタモタとそしてノンビリと編み物に興じている様子にはそれなりの発見と刺激があった。
会話の少ない親子ではあるが、どこかしらお互いにお互いの事情を認識できているようにも思うし、男同士の付き合いはその程度で良いような気もする。

除夜の鐘には後もう少し時間があるし、遅れていた年回の繰り出しも一通り出来たし、それでも結局年賀状へ手を付けるまでには至らなかったが、今更焦っても年内にどうこうできるわけでもないから、まるごと新年の仕事へまわすことにして、コーヒーを抽出することにした。
私の場合、「コーヒーを飲んだから眠れなくなった!」ということとはほとんど縁がないし、むしろ、寝る前の一杯のコーヒーで気持ちが落ち着いて熟睡できる。
これから除夜の鐘を撞き終わったら、引き続いて約2時間ほどの新年朝課法要もあるし、その前に少しノンビリと落ち着くことも大事なことだし、まぁ、色々と都合の良い言い訳を用意して2016年を乗り切ろうとしているわけであります。

この数日は気持ち悪いほど天気が良い。元旦は放射冷却でぐっと冷え込みそうだ。

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万善寺の年末 

2016/12/30
Fri. 23:47

毎年のことだが、この近年は特に万善寺の年越しが忙しい。
分かっていることだからもっと早くに準備を始めたら良いことなのだが、どうもそういうわけにいかないところもあって苦労している。
それでも、天は私に味方してくれているようで、年末の数日を好天にしてくれた。
ほぼ1日かけて本堂の掃除や荘厳を済ませて、年始会の法要準備も出来た。
お参りの檀家さんはだいたい20名くらいだが、参列の席を用意したりすると狭い本堂がより狭くなって窮屈に感じる。

前住職の憲正さんが病気で寝込むようになってから、庫裏のひと部屋にベットを入れて病室代わりにした。それが今からかれこれ30年ほど前で昨年に遷化するまで続いたから、それまで盆正月の法要で檀信徒会館代わりに使っていた万善寺の田の字の庫裏はいっきに使い勝手が悪くなって今に至っている。
今は母親がその部屋に陣取っていて私の動静をチェックしている。

成人した吉田家の子供達は、そういう状態の万善寺の庫裏で寝る場所を探すのも厳しくなったので、オヤジとしては無理に寺で正月を過ごさなくても良いように、それとなく振る舞って彼らに伝えている。
住職の立場としては正月には正月なりの寺の法要もあって、一般在家のように寝正月を決め込むようなことは出来ないし、むしろこういう時期のほうが忙しくしていたりして落ち着かないこともあるから、身内のゴタゴタで気遣いをすることがなくて助かっているところでもある。
憲正さんが元気だった頃は、お檀家さんもたくさんお参りがあって、年始会で日が暮れるまで大酒を飲んで、庫裏のアチコチで囲碁将棋や花札まで始まっていた。台所ではまかないお手伝いの近所の奥さん方が料理や雑煮を作ったりしながら酒のカンをしたりして賑やかなことだった。
少年の私はそういう時の居場所がなくて、唯一の避難場所は仏壇の隣りにある押し入れだった。小さな山寺に生まれた子供の宿命のようなものだと諦めるしかない。
そんなわけで、ボクにとってのお正月は、非常に憂鬱なのであります。

昔は万善寺の裏山に赤松が密集していて、松竹梅の若松を採取することは容易だった。それが、松くい虫の被害にあって全滅したものだから、その後の若松探しに苦労している。
今年は梅の若芽を探すのにも苦労することになった。こちらの方はイノシシが原因。万善寺の周囲はイノシシの餌場と遊び場になっていて、夕方になると何処からか獣の匂いが漂ってくる。
簡単にとれるのは竹。これはむしろ山が荒れて竹林が広がってしまったといったほうが良いだろう。
松竹梅は、あまり早くに準備すると正月のうちに枯れ萎れて無苦しくなる。
松は石見銀山近くの粘土山からいただき、梅はイノシシの遊び場からいただき、竹はその辺の1本を切り倒した。
今日の好天はとても助かった。

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こころをくばる 

2016/12/29
Thu. 23:51

「ありがとう」
「ゴメンナサイ」
「おねがいネ」
身内の恥になるが、ボクのお母様は90歳を過ぎて魔界の人になってしまったようだ。
普通の常識で正直に暮らしていれば、その時々に色々な不具合や様々な迷惑があってあたりまえのことだし、高齢になって身体も思うように動かなくなれば、そういう場面も増える一方で減ることは無いはず。
朝から晩まで目が覚めている時は、そのあいだじゅう自分の正当性を息子に押し付けてくる。息子でもある私は、一方で万善寺の経営者であるという公的な立場で寺暮らしをしているわけでもあり、そのあたりの事情を少しでも良いからわかってもらわないと寺の行事がうまく回らないのですよ。

まぁ、こんな感じで、今年も殺伐とした年末になっているわけであります。

吉田家の家族は、私とワイフの世帯に4人の子供がいてそのうち一人は5月5日に入籍をして結婚した。それに万善寺で一人暮らしをしている母親がいる。
この母親は、前住職の憲正さんが遷化するまで寺の二人暮らしを切り盛りしていたつもりでいて、住職が代替わりしても、いまだに昔ながらの寺内のしきたりをかたくなに維持しようともがいている。彼女に「引退」とか「隠居」とかいう気持ちは無いと云っていいだろう。それが母親にとって幸せな生き方であるなら、死ぬまで現役のおかみさんを演出しておこうと決めてなんとか昔からの状態と変わらない寺暮らしを続けてもらおうとしているのだが現実は結構厳しいものだ。

10月から12月のカレンダーには「心配(こころをくばる)」と書いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
心配は相手があってのこと。
相手構わず広く浅く心配するのは無駄。
無駄に気にかけて世話がすぎるとかえって迷惑。
ふかく、こまやかに、こころをくばる。
つよく、きびしく、こころをくばる。
やさしく、ゆるやかに、こころをくばる。
なかなか難しいものです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本当に、「こころをくばる」ことが難しいと思うのですよ・・・

私と母親の間には、意思の疎通というものに障害ができてしまっているようだ。
べつに、身内でもあるし、母親でもあることだから、他人行儀に堅苦しく緊張して付き合うことも無いのだが、せめて息子のささやかな気配りや心配や親切心くらいは素直に受け止めてもらっても良いと思うのだ。
・・・それは、私の一方的なワガママだけのことなのだろうか?

10-12月

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いきおい、つかいつくすべからず 

2016/12/28
Wed. 23:45

この数年、周藤さんが松江で忘年会を企画してくれる。
だいたい多くて5人程度の小規模なものだが、私にとっては仕事のしがらみとか遠慮とかそういうものが無くて、勝手に手放しで盛り上がってしまう。
それで今度もシッカリと羽目をはずして島根の地酒に酔いしれた。

隠岐の海士町で暮らしているじゅん君が帰省のために本土へ帰っていて、ちょうど松江の友達のところでしばらく滞在していたから、帰りは彼にボクの結界君を託した。

昼過ぎに石見銀山の自宅を出発して銀山街道を登っていくと、飯南高原は一面雪景色。
松江で飲んでいる間中雨が降っていたが、その頃には万善寺周辺は雪に変わっていたようだ。
年末から年始にかけて寺暮らしに必要な荷物を降ろした。さすがに冷え込んで寒い。
しばらく留守にする吉田家の営繕で薪を運び込んだりしていたときの筋肉痛が今頃になって身体中へ広がって節々が痛い。
母親と二人の夕食は、ワイフが託してくれたブリ大根や白菜の漬物ですませた。
90歳を過ぎて一人暮らしに慣れてきた母親は、ますます頑固になって私の言うことを全く聞いてくれなくなった。自分も年をとるとああなっていくのだろうと思うと切なくなってくるが、まぁ、せいぜいあと20年も生きたら御の字だろうから、まだ、若干聞き分けが残っているうちにこの世とおさらばできるだろう。

いつもの印刷屋さんから来年のカレンダーが出来上がったという知らせが入ったので、雨の松江へ行く途中にそちらへ回った。原稿の作成中に寺の仏事が入ったりして入稿が遅れて迷惑をかけてしまった。
このカレンダーは、私絡みの年間の行事が決まって動かない日が抜き出してある。これを関係各所に配っておけば、おおよそ吉田の動きがわかってもらえるのではないかと勝手に思っているのだが、役に立っているのかどうかはわからない。それでも、ワイフは自宅の目につくところでそれにメモを書き込んだりしてソコソコ活用してくれているから無駄にはなっていないようではある。

1月から3月には「勢不可使尽(いきおい、つかいつくすべからず)」と書いた。
〜〜〜〜〜〜
調子よく物事がうまくいっているときこそ、自分の立ち位置をシッカリ確かめて盤石なものにしていくことが大事。
だいたいにおいて、人の暮らしは順風満帆であるばかりではない。
いいときもあれば、どうしようもなくうまくいかないときもある。
ムリヤリ無理を通して無理しすぎると、そのうち力尽きておしまい。
〜〜〜〜〜〜
自分を振り返ると、昔の頃のように時間や心の余裕がなくなっている気がする。
結構意識して周辺の仕事を整理して彫刻と寺務の大事なところへ気を使うようにしてきたつもりなのに・・・それでもまだまだ無駄に無理が過ぎているのかもしれない。

1-3月

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ラップトップ君の1週間 

2016/12/27
Tue. 16:15

しばらくぶりにラップトップ(古い方の・・)を開いたら、しばらく経っても画面が黒いまま!
2016年の年が明けてしばらくして調子が悪くなってから、だましだまし使っていて、そうこうするうちになんとなくいい感じに動きはじめて、「こいつ、なかなか頑張ってくれるじゃないか!」と見直したりして、いい気になって使っていると、またある日突然虹のグルグルがとめどなく回りはじめて機嫌が悪くなる。悪さしているアプリとか、重たそうな書類とかを探って消去や削除を繰り返していると、そのうちなんとなくもとに戻って・・・・といった状態が秋になるまでくりかえし続いていた。
それからあとは、ソコソコいい感じで動いていたから、まだ元気が良かったときのように結界君に積み込んでアチコチ連れ回して酷使していたから、またあの頃の症状が再発してしまったのかと、一瞬焦って、少し諦めて、それでも未練がましく再起動をしてみたりしたのだがピクリとも動かない・・・それが、だいたい1週間くらい前のことで、その後、目先の用事に忙殺されて、鞄に入れたままでほとんど彼の存在を忘れかけていた。
そして彫刻の報告で必要な書類をその鞄へ入れていたので今日になって久しぶりにラップトップ君と再会した次第。どうも諦めきれないし、少し時間があったから、ダメ元で再起動を試してみたがやはり無反応。「やっぱりダメか・・」と諦めて鞄へ入れ直したら、ほの暗い中に微かな明かりが・・・「アレッ??」気のせいかと思って外に出してみると、やっぱり何の変化もない。「もう一度充電をしてみよう!」と決めて、充電器を接続したら、ランプが緑からオレンジに変わった。
それから約30分、コーヒーを飲みながらPTXのクリスマス・アルバムを聴いて過ごしてから、ダメ元で再起動。
「ジャラァ〜〜〜ン!!」見事に動きました、ラップトップ(古い方の・・)君!
「ヒョットして、単純に充電切れだったかも・・・」
なんとなく、そのような気がしないでもないが、ひとまず今のところほぼ前と変わりなく動き始めた。こういうことが頻繁になってから、外付けのハードディスクがセットものになっていて少々不便ではあるが、データが無くなって途方に暮れることは避けられている。もうかれこれ5年位は使っているが、それなりに踏ん張って動いてくれている。

最近の電化製品(パソコンもその部類なのかわからないが・・)は、昔のものに比べると随分虚弱になったと思う。
寺の台所へ設置した30年前のエアコンも、夏前はまだ普通に動いていたが、どう考えても電気効率が悪くて1ヶ月の電気代が馬鹿にならないので、思い切って買い替えた。
30年間、夏も冬もそのエアコンの下で過ごしていた母親のために取り替えたのに、それから後、あのひとは、エアコンの下に居住しなくなった。
どうしてかと聞いてみたら、「リモコンの使い方がわからない」ということと、「夏は涼しくない」ということと、「冬は暖かくない」という理由らしい。
壊れてもいない新品のエアコンも、高齢の母親にとっては不具合の多いダメ電化製品になってしまったようだ。おかげさまで電気代は激減したけどね・・・
石見銀山の吉田家のエアコンは、この20年の間に2機種ほど壊れて入れ替えた。
べつに、あのラップトップ君のように無理やり酷使しているつもりもないんだけど・・・

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「とみやま」に来て思う 

2016/12/23
Fri. 23:19

富山の報告書のことで、島大の新井先生へ依頼していた原稿が届いた。
当然のことであるが、さすがに大学教授となると内容もしっかりしていて読み応えがある。
報告書がシッカリ完成するのはもう少し先のことになるが、ひとまず、頂いた原稿だけでも先に読んでおいてもらうと嬉しいな・・って、友達の少ない吉田のブログだから限界もあるけど、まぁ、何もしないよりは少しはマシだろうということで・・

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「とみやま」に来て思う

国道9号線、大田市から山側に20分ほど上がったところ、「富山(とみやま)」には美しい棚田が広がっている。ここ富山の廃校になった旧富山小学校とその周辺で、地元の芸術家を中心に美術作品の展示とワークショップが行われているというので行ってみた。
日本の原風景のような里山の道を、休耕田のところどころに置かれた鉄や大理石、竹などの大型野外彫刻を見ながら登って行くと、旧富山小学校に着く。小学校の庭では作家が竹のオブジェをその場で公開制作し、玄関口では地元のお母さんや子供たちが、石を彫って頭像を作っている。校舎に入ると、やはり地元の皆さんが竹を細工して何やらオブジェを作っている。そこを過ぎ、たくさんの抽象彫刻や絵画作品を見ながら校内を進むと、教室では、それぞれのアーティストが一部屋ずつ丸ごと使って自由に創作した世界を繰り広げている。
美しい風景に溶け込む野外彫刻、いくつかのワークショップ、公開制作、教室を使ったインスタレーション(インスタレーションとは空間全体が一つの作品となっていて、鑑賞者がその中を巡って体験する現代美術の形式)などの作品鑑賞と制作体験ができる「とみやま彫刻-ものつくり学校」は、実に多彩で美術の面白さを堪能できる楽しいイベントだった。
この山間地域で行われているアートイベントが、伝統芸能などではなくて、現代美術を通して地元の住民との交流を作り上げていることは驚きだ。
しかしここに展示されている作品は、単に住民との交流の道具に使われている訳でもなく、また啓蒙的な目的で置かれている訳でもない。よくわからないと言われている現代美術を、余計な説明を加えず訪れる人に直接対峙させることで、その時鑑賞者の中に生まれる化学変化、それは多少の戸惑いとともに何か新しい世界を見た驚きだ-を生み出している。またそこでワークショップ等の体験型イベントも同時に行われていることから、訪れる人が楽しく交流し、また不思議な体験をしているうちに、自然に美術に親しんでしまうのだ。こんな双方向の提示ができるのは、今を生きる美術の楽しさと可能性を信じている人間だけだ。
またこのイベントは県内外のアーティストやその卵たちに自由な発表の場を与えることによって、若いアーティストを育てていることも忘れてはならないだろう。
一見のんびりと楽しげに繰り広げられているように見えるこれらのイベントは、実は多様な芸術性と緻密な企画力に基づいており、主催者である吉田正純氏とそのお仲間たちの美術に対する深い理解と知見、また人間に対する愛情によって初めて可能となるものである。
「とみやま」にこのイベントが続き、根を下ろすことを、そして来年もまたこの風景に会えることを楽しみにしている。

新井 知生
島根大学教育学部教授・画家
個展(銀座スルガ台画廊, Cast Iron Gallery, 島根県立美術館など)
グループ展(現代日本美術展, 安井賞展, DOMANI明日展 など) 
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暴風の夜 

2016/12/22
Thu. 20:20

一晩中大風が吹いていて、なかなか寝付けなかった。
それでなくても立て付けが悪い万善寺の、本堂と庫裏の谷間のような廊下部屋を寺務所にしているが、その部屋が大風で何処かへ吹き飛んでしまわないか心配になるほどだ。
朝になって、明るくなり始める頃から少しずつその風が止んで雨に変わった。
母親は、月に2回のデイサービスの日で、前の日から行きたくないふうで渋ついていたが、私が完全無視を決め込んでいたので、夜が明ける頃には覚悟を決めて長々と時間をかけて外出の準備に取り掛かっていた。
お盆前に切り取ったシキビを庭先の水槽へ投げ込んでいて、それが昨夜の大風で庭まで飛び出していた。
今時の風雨は、肌を突き刺すように冷たいものなのに、今日は気持ちが悪いほどぬる温かい。少しばかりモノを動かすほどで汗ばむ。長袖のシャツを肘まで巻き上げて、雨に濡れながら素足に雪駄履きでウロウロする姿はどこか異常だ。
昼過ぎから土砂降りになって夕方まで収まる気配がない。そのさなかにデイサービスから母親が帰ってきた。
いつもは、一人暮らしの真っ暗な庫裏の玄関でイジイジと時間をかけて履物を脱いだりしているのだろう。あと少ししたら、夕食の仕度をしようと思っているが、日頃の一人暮らしの様子を大きく変えてしまうのも厄介だし、どの程度手をかけるか、そのあたりのさじ加減が難しい。

・・・Don't think twice, it's all right
あの、ボブ・ディランの曲ですね・・・
毎年のように世間が村上春樹さんで盛り上がっているらしいノーベル賞をとっちゃいましたね。ボブ・ディランというと、物心付いた・・というか、反抗期に突入したあたりに、良く聴いていた気がする。島根の田舎の山寺育ちの小坊主に英語なるものは全く無縁だったから、彼の歌う英語の歌詞はまともに聴きとることも出来ないまま、繰り返されるシンプルなメロディーラインが耳について、それだけのことでよく聴いていた時期があった。
それから後は、周囲の影響もあってビートルズとかクイーンとかそのあたりを経由して、ハービー・ハンコックの処女航海あたりから、もうどうでも良くなった感じで手当たり次第に際限なくアレコレ聴き漁る方向へ傾いてしまった。
気に入った曲は、当時の音楽雑誌などから歌詞を探してきて、英語の辞書片手に一晩かかって訳そうと努力したりもしたが、英語の文章というものはそれなりの前後関係でなんとか雰囲気くらいは見えてくるが、英語の詞というものはそういうわけにもいかなくて、簡単なのか難しいのか正しいのか間違いなのかよくわからないまま「とにかく、まぁ、こんな感じなんだろうな」くらいのところで納得していた。
ボブ・ディランは、「Don't think twice, it's all right」のところだけはなんとなく聞き取れた。他にも、ブルース・スプリングスティーンとかギルバート・オサリバンも訳したことがあるし、最近は、チャーリー・プースも少し訳してみた。

冬のはずなのにやたらと生暖かい暴風の万善寺の夜を、ボブ・ディランを聴きながら村上春樹ならぬ群ようこさんを読んで過ごしたのでありました・・・そんな暇無いのにね。

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SEMIKUJIRA 

2016/12/22
Thu. 09:49

実は、フェイスブックもやってるんだけど(って、周知の事実でしょうが・・)寝ている間に「いいね」ポチットが50件も溜まっていた。
先行き不透明な日本の現状から逃避して深く静かに潜航しているカナヅチオヤジとしては、脅威のアクセス数になっていてビックリ!
「坂田明さん効果はすごいことだ!」
まぁ、超メジャーな御仁だけに、当然といえばアタリマエのことだろう。

年末になって、年内の雪がない間に大事な法事を済ませてしまおうと、飯南高原に点在しているお檀家さんから問い合わせが続いている。
そんな中、浄土真宗さんから四十九日の法事へ招待があって出かけた。
最近の若い浄土真宗のご院家さんは、だいたい1冊の教本を決まり通りに順番におつとめされるので、それほど不自由することもなくついていけるくらいに慣れているが、万善寺先代の憲正さんクラスの現役老僧さんだと、なかなかそういうわけにいかなくて、法事の当日になってはじめて見る経本を手渡されて、「今日はこれでおつとめさせていただきますので、よろしく・・」などと軽く振られるものだから、それから後は施主さんやご親族さんとドッコイ付け焼き刃のにわか坊主を通すしかなくなってしまう。
それでこのたびは、仏説無量寿経全巻と仏説阿弥陀経の西本願寺和訳本をメインに浄土真宗流の節付きでおつとめした。
漢文のお経は経験しているが、和訳のお経ははじめてのことだった。
「こちらの(和訳の)お経の方が、どなたさんでも(良く)意味がわかりますけぇ〜ねぇ〜。おつとめしていると、お浄土の風景が目の前に見えてきますけぇ〜」
・・・ということで、その老僧は好んでそういうお経で法事のおつとめをしているのだ・・と、解説されていた。

はじめてのお経だったので、なんともいいにくいところではあるが・・・
率直にいえば、やはり漢字に託されたくどいほどの仏の教えはかなり薄まってしまってるなぁと、そういう感じがした。
曹洞宗のお経も、メジャークラスの幾つかは和訳がしてあるから、頭陀袋に忍ばせた分厚い経本を引き出して暇な時にそれを流し読みしていたりするが、味気ないほどだいたいの直訳になっていて、結局、漢文も読み下しもたいしてかわらない。
ザックリいうと、浄土真宗さんの和訳は意訳に近いのかもしれない。
そのあたりの意訳と直訳の落とし所が、仏教の目指す先の方法論になって現れているのかもしれない。ナンチャッテ坊主的に云うと、直訳はクラシックの室内楽で、意訳はモダンジャズのアドリブたっぷりで、モーツァルトを演奏しているようなモノに近いような感じかなあ・・・個人的にはアドリブ大好きだけどネ。そういえば、憲正さんもかなりアドリブの多い方丈さんだった。

あれから、坂田さんのアルバムを全曲聴いた。
やっぱり「ひまわり」も良かったが、「SEMIKUJIRA」も坂田ワールド炸裂で良かった。
風景が見えた。お浄土は見えなかったけどね・・・

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〆は「ひまわり」 

2016/12/20
Tue. 23:36

30人位でいっぱいになってしまうような小さな店で、坂田明さんのソロライブがあった。
ちょうど、彫刻のことが事務を残すだけになって一段落したところだったし、寺のこともなんとか都合がついたので、ライブ前から坂田さんのマネージャー要因を務めた。
ボクの可愛い結界君に即席のステージを積み込んだりして会場へ向かったが、なにせいつもは宅飲みばかりのことだし、大田市の飲み屋とは全く縁がないから、その店を探し出すのに一苦労した。
助手席の坂田さんがGoogleMapを駆使して人間ナビゲーターを務めてくれてやっとたどり着いたその店はあまりにも狭くて、結局、積み込んだ即席ステージの出番がないままそのまま結界君の荷台で寂しく一晩雨に濡れることになってしまった。

開宴の時間前には40人ほどがすし詰め状態になって超満員。
前回は確か2年くらい前に松江で聴いたように記憶いているが・・・
曲は、最近の坂田節炸裂で心が震えた。
いつものMCも、これまた坂田節絶好調で名言だらけ・・・
アッという間に2時間が過ぎて、最後の〆は「ひまわり」だった。

彼のアルバムのほとんどはiTunesに入れて結構聴いていて、「ひまわり」は吉田の好きな楽曲トップテンに入っている。
今のところ色々なミュージシャンのひまわりの中で、坂田さんが一番好きだ。
ライブの次の朝、七日努めでお邪魔した先で坂田さんの話になって「ひまわり」の話題で盛り上がった。
マルチェロ・マストロヤンニやソフィア・ローレンのことや、あのチェルノブイリのことや、もちろん咲き乱れるひまわりのこと・・・
いつも思うことがだ、坂田さんのライブの裏には、とても大きくて重たいメッセージが隠されている。

はじめてナマ坂田明を観たのは新宿のピットインだったはずだ。
山下洋輔トリオの頃で、あのころ私は20歳位だったかなぁ〜・・・
まだ、日本の多くの若者が真面目に本気になって活発に政治活動を展開していた。
音楽・美術・演劇・映画・文学・・・思いつく全ての文化が時代へのメッセージをタップリと含んでいた。
だいたい10年位前だったろうか?チョットした縁で坂田明さんと再開して、それからあとは時折々に付かず離れずお付き合いが続いて今に至っている。
彼の熱いメッセージは出会った頃と変わりなく常に新鮮で強烈な鮮度を保っている。

石見銀山の定宿に落ち着いてから後は、ライブの余韻も手伝ってほぼエンドレス打ち上げ状態になった。
2016年もあと少しになった。吉田のこの1年は、結構あわただしかったが、坂田明ライブも堪能して、それなりに充実していたなぁ〜・・・

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富山彫刻イベント納会 

2016/12/19
Mon. 15:15

無事に(たぶん??)納会も終わって、今年も残すところあと僅かとなりました・・
書類の提出が2つほどあって、それをまとめるのに2日ほどほぼ徹夜が続いて、そのあとに富山の納会があってそれも朝まで徹夜して、次の昼過ぎまで仕事をして石見銀山へ帰宅したら、もう自分のパワーも充電切れで、それから「チョット寝ます・・」とワイフに断ってボクのダブルシュラフに潜り込んでバタンキュー!
それから、何時だったかオシッコに一回ほど起きて、また爆睡で、気がついたと言うか、「もういい加減に起きなさい!」とワイフに叱られて目覚めたのが16時間後だった。
徹夜分の睡眠の元をとったことになるが、一気に睡眠を溜め込んでしまったものだから、目が覚めても、どうも身体がいつもの調子に戻らなくて苦労した。

それにしても、よく食べよく飲んだ。
周藤さんが手際よく紅ズワイガニをさばいてくれて、とても食べやすくて助かった。
竹ちゃんがシャンパンを持ってきてくれてスパーリングワインも一緒に乾杯の封を切った。その竹ちゃんの奥さんが自家製のハムを差し入れしてくれた。
ワイン好きの松本さんもボトルを差し入れしてくれた。
ワイフはアヒージョを作ってくれていて、いい感じで〆の一品になった。
ノリちゃんも仕事先から駆けつけてくれたし、個展作家の本池女史も鳥取から県境を越えて駆けつけてくれた。

倉敷チームは、今年初の積雪に突っ込む形で中国山地を越えて参加してくれた。
草月流の西本さんが美味しくてオシャレな洋風料理(名前がよく覚えられなかった・・)を差し入れしてくれた。田舎者オヤジにはお初の味で、なかなか美味かった。
森山珈琲は、例のごとくボク好みの深焙煎のコーヒーを入れてくれた。これが上手くてちょうどいい中休みになって、それからまた酒がはかどってしまった。
今回、運転手に徹した広瀬氏は早々と来年のイベントチラシをアレコレ持ってきて盛んに宣伝をしていた。

富山の地元チームもたくさん参加してくれた。
公開制作でお世話になった地元の大御所。
奥さん手造り猪鍋持参のセンター長さんに、地域おこし協力隊の竹内さん。
ワークショップの常連親子。
何かと汗を流してくれる富山の突撃隊長幸村さんは自ら燻製を作って持ってきてくれた。これが絶妙に美味い。

だいたい半年くらいかけて富山の美術イベントを回してきたが、年末の慌ただしいこの時期にこうして関係のみんなが集まってくれるだけで感動してしまう。ジジイになって地球の重力に耐えられないままたるんだ顔面の肉がだらしなく垂れ下がってしまった自分の目尻が潤む。
色々不具合もあって八方迷惑をかけっぱなしではあるが、こういう時にキッチリと手伝ってもらえることのありがたさを噛み締めている。

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納行脚 

2016/12/15
Thu. 23:48

昨日に続いて、今年の納行脚に出かけた。
こういう時に、自分の自由さが痛感される。
こうして、今でも夜中になってもネコと戯れながらコーヒーをすすりながらゴソゴソと昨日のことや明日のことでデスクワークなどしているが、自分としてはとても真面目に「ボクの仕事」をこなしているつもりなのだ。ところが、世間はちゃんと業務時間なるものがあって、朝は○○時から夕方は○○時までの間に1日の仕事を片付けなければいけないことになっていて、諸官庁になると特にそれがキッチリと守られていて、場所によっては窓に灯りがついて人影があるのに入口が閉まっていたりする。昨日は、そういうところをお昼のど真ん中で訪問するようにスケジュールを調整していたが、それはそれで面会の相手がお昼休みで連絡できなかったりする不都合もあって、とにかく行く先々で都合をあわせることがなかなか難しい。年末の忙しさは何処も似たようなものだから仕方がないことだということにして、比較的自由に動き回っている吉田の方は、大事な用事の合間に私用を適当に混ぜ合わせて不測の事態にさり気なく対応しているようなところもある。

富山へ納会の道具などを搬入して、青空と富山の棚田風景などを写真に記録した。それからあらかじめ予定を打ち合わせしておいた奥出雲の方へ確認の電話を入れたら、「何時でもどうぞ!」と云ってくれたので、富山から直行することにした。時間が短縮できる山道のルートにするか、時間はかかるが気楽に運転できる斐伊川土手を回るか少し迷ったが、ちょうどお昼時だし、その時間は外したほうが良いだろうと決めて斐伊川の中流から上流へノンビリと結界くんを走らせた。斐伊川は数日前からの雨で水かさが増していたし、日陰やトンネルの中など路面が濡れていて少し走りにくかった。奥出雲に近づくと結界くんの空調が肌寒く感じてきた。予報では雪マークもあったから、外気がけっこう冷え込んでいるのだろうと思っていたら、目の前に雪をかぶった船通山が見えてきた。

奥出雲での彫刻展でお世話になった各所へ、お礼代わりに私の彫刻を配って回った。
どちらかといえば、欲しくもないものを貰わなければいけない面倒の方が多いかもしれないが、見た目はそういう本音を見せるわけにもいかないし、一応は建前の笑顔で対応していただいた。それでも、自分としてはおおよそのねらいどおりにいい感じでいい場所へ収まったと思っている。

奥出雲を出発して、斐伊川と付かず離れず結界くんを走らせていると、燃料がなくなっていることに気付いた。このところ、2日に1回位のハイペースで給油している。安いセルフスタンドには車の列が続いていた。年末の燃料の高騰はなかな厳しい。
国道を走っていたら検問にぶつかった。この慌ただしい時期に、わざわざ渋滞の元をつくらないでもいいだろうと思いつつノロノロ走っていたら、2台前の2tアルミがそのまま検問をスルーした。1台前の軽トラダンプもスルーした。結界くんのスピードを緩めたら警察官がそのまま行けと合図している。バックミラーに映るすぐ後ろの軽の乗用車は検問に引き込まれて、その後ろのユニックはまたスルーした。どうも、商用車と自家用車を選別して検問しているようだ。
そうか・・・ボクの結界くんは商用車だったのだ!

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結界君大活躍! 

2016/12/14
Wed. 23:33

ワイフが久しぶりに仕事休みだと云うので、二人してボクの愛車結界君で出かけた。
彼女にとっては、アレコレとショッピングの計画もあったのだろうが、結局は私の幾つかの用事に付き合わせることになってしまって申し訳ないことをした・・・と思っているが、夕食の時にさり気なく聞いてみると、まぁまぁそれなりに1日を楽しんでくれていた様子なので、ひとまず安心した。

これから本格的な冬に入って結界君も忙しくなるから、1年の慰労も兼ねてオイルは、1ランク上のモノに交換し、フィルターもメッシュ付きの上等品にして、エンジンの掃除や水抜きなどもしてもらった。外見は薄汚れたポンコツ車であるが、中身にはそれなりにお金をケチらないで大事に労ってあげているつもりだ。
その効果もあってか、エンジンの音も軽やかに走行距離も思った以上に伸びてくれて、なかなかいい感じのドライブになった。

石見銀山の自宅を出発して、まずは半年分の溜まった支払いを済ませるために何時もお世話になっている印刷屋さんへ向かった。
2ヶ月ほど前に、営業のお兄さんが一身上の都合で退社したからか、見積書をもらってからあとの納品と請求が届かないまま年を越えてしまいそうになっている。
会社のアプローチへ曲がると、玄関がなんとなく暗くて閑散としている。「平日なのにこの暗さはどういうことだ?」と少し心配になって玄関口を覗くと、奥の方で奥さんが一人忙しくしている様子が見えたので少しホッとした。
今までだったら、営業のお兄さんやおじさんやお姉さんが忙しそうに事務処理をしたりして事務机には書類も山積みされていたのに、きれいに片付けられている。一瞬、島根の印刷業界もなかなか厳しいのだろうと、余計な(?)心配が脳みそにチラツイてしまったが、オペレーターのご主人も忙しそうにしていらっしゃったし、近所のお客さんの訪問もあったりと、それなりの活気も感じられて安心した。

それから、宍道湖の北側を東進して松江に入って県庁の用事を済ませて、そこからまた東進して途中の道の駅へ寄ったりしながら中海の北側から境港へ向かって、お歳暮の品を物色したり吉田家用の新鮮な魚介類をゲットしたりした。それでワイフのショッピングも、ソコソコ満足してもらったようだ。
同じルートを松江まで帰って、ワイフを駅前に降ろしてから島大の新井研究室を訪問した。少し前からSNSなどでお願いしていた原稿資料を届けたり、若干の事務連絡をしたりして別れた。
松江駅の南口でワイフをピックアップして、出雲まで帰ってから業務用のスーパーへ寄った。

もう、ここまで至れり尽くせりだと、ワイフのショッピングも十分に満足してくれたはずだと思っていたが、夕食には境港の紅ズワイガニと輸入雑貨店でゲットしたワインと砂肝と椎茸のアヒージョが出た。
一日中、私の年末の用事へ付き合わせた感じのワイフだったが、これだけの夕食が堪能できたことだし、ボクは幸せ者サ!!
明日は富山から奥出雲へお礼まわりに出かける予定だが、雪が降りそうだしなぁ〜・・・

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節目の納会 

2016/12/13
Tue. 19:06

今の吉田にとって、1.5日の休息はとても良い心の疲労回復になった。

面白いものだ。
ほんの10年前は土日の休日があたりまえで、たまに、その休日返上で万善寺の法事が入ったりすると、メチャクチャ損をしたふうに感じて、だいたいがふてくされ気味に憲正さんのお付坊主を務めていた。土日休日の決まっている仕事を辞してからも、その癖が身体にも心にも染み付いていて、「他人が休んでいるのになんで自分だけ働かなきゃいけないんだ・・」と、不満タラタラに仕事をすることばかりだった。そういう気持ちの動きは、どこかしら態度になって現れるから、はじめからほとんど持ち合わせることもない信用もアッという間に崩れ去ってしまって、目先の仕事もどんどん減って、1年毎に収入も減収が加速して、年収が辞職前の4分の1くらいに落ち込んでしまっていたのを2010年の申告時期になって気付いた。それからしばらくはドタバタと慌ててワンオーナーのギャラリーを立ち上げたりしたが、それもしばらくして憲正さんの病気悪化で頓挫した。

いい歳をしたオヤジがこれといった人生の目標もなく定職にもつかないままフラフラと坊主家業を引き継いでしまっているわけだから、普通だったらとっくに家族に見放されてしまっていておかしくないくらいなのに、その頃のワイフはこれといって過激な愚痴をこぼす訳でもなく粛々とアルバイトやパートや時間講師などを引き受けながら家事を支えてくれていた。私の方はそれでも彫刻だけは真面目に本気に制作を続けていて、ワイフの個展を企画したりして暇を乗り切っているうちに、「やっぱり自分にはこれしかないな・・」と、改めて正面から自分の彫刻に向き合うことを決めた。それで始めたのが、「現代彫刻小品展」というわけで、貯金も家計も底をついて、借金だけはタップリ溜まっているという金欠状態なのに、そういう吉田家の経済状態を全く無視して、とにかくありったけの金をかき集めてスタートさせた。

現代彫刻小品展は、石見銀山で5回、浜田世界こども美術館で5回と、今年奥出雲町で1回ほど開催するまでになった。
石見銀山の5回の内、最初の2年間2回分は出品作家の出品料と自己資金でまかなった。今思うと、よく2年間も自腹で乗り切ってきたものだと恐ろしくなる。しかし、その2年間の蓄積というか実績というか、そういうものがないと現在のように各所からの助成金を獲得することはできなかったと思う。助成金のおかげでプロの彫刻家も講師依頼できて、展覧会やワークショップの質も保てたわけだ。

気がつけば、あれから10年近く経った。今は1日の休日もなかなか確保できない。
これから先、確実に歳をとって心身の老化が進む。いつまでも、現状にしがみついているわけにもいかないし、そろそろ、それなりの潮時が近づいているような気もする。なかなかすんなりと次に引き継ぐことも難しい・・・というより、まず限りなく不可能に近いことかもしれない。
今週に入って、今年最後の再稼働を始めた。
今週末は、空に近い町とみやまの旧富山小学校で今年最後の納会を盛大に開催する。

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2017-01