FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

彫刻家Hさん 

2019/03/08
Fri. 21:46

3月3日の桃の節句は前日からの雨がまだ残っていて、ロフトの天窓から入り込む朝の日差しはいつもよりずいぶんと弱々しかった。

最近ほぼ毎晩のように私の近くで寝ているクロが、まだ夜の明けきらない早朝から起き出して「メシくれよぉ〜!」と催促鳴きを繰り返しながら周囲をぐるぐる回り始める。
ご飯係はワイフの仕事になっているし、ダイニングテーブルの脇にあるネコチャンズのお食事コーナーはワイフの寝室が近いから「メシくれよぉ〜!」の催促は彼女の方へ回ってもらいたいのだが、何故かわざわざロフトで寝ているボクを起こしに来る。
しばらくは無視して寝ているが結局根負けしてゴソゴソと起き出して、まだおぼつかない足元を気にしながらゆっくりと階段を降りて土間にある踏み板をまたいでリビングの隅にあるお食事コーナーへたどり着いて一握りのご飯をネコ茶碗へ放り込んでからトイレに入って焦点の定まらないままブックスタンドの文庫本の文字を追いかけながらオシッコを済ませる。
いつもなら、そうこうするうちにワイフが起きてきてお互いに軽く朝の挨拶を交わして、私はまたロフトの布団へ潜り込んで二度寝を決め込む・・・という恒例のパターンが繰り返されるのだが、今年の桃の節句は特別なスケジュールが決まっているので、ベッドメーキングを済ませると、少し無理をしてそのまま起きておくことにした。

わがままで身勝手な彫刻家吉田正純の何処がいいのか、もうずいぶんと長い間上京のたびに面倒がらずに付き合ってくれている彫刻仲間のHさんが、わざわざ吉田正純鉄の彫刻展を見に来てくれる。
彼は埼玉に在住で、具象彫刻の作家。素材は主に粘土や石。だから普通なら主に鉄ばかり使ってどちらかといえば抽象彫刻の吉田と表現上の接点があるわけでもないのだが、なにかしらどこかしら気持ちの通ずるものがあるようで、大勢の彫刻家の中では、裏表のない一歩踏み込んだ会話が成立する唯一の彫刻家であり友人であると私は思っている。
さて、彼の方は吉田のことをどういうふうに思って付き合ってくれているのかわからないが、彫刻界での友人知人の少ない吉田からすると、Hさんのブレのない造形観や表現上の技工に流されない彫刻に対する真摯な姿勢がとても素敵にみえる。それに、だいたいが自己主張の強い協調性の欠けた彫刻家どもの組織にあって、とりまとめの政治力や事務能力の優秀さには頭が下がる。
まぁ、結局なんだかんだ云っても彼は優秀な彫刻家であるということだ。その彼が年度末の忙しい中、わざわざ島根まで来てくれるということが実に嬉しいことなのだ。

「おはようございますぅ〜〜とうふやですぅ〜〜」
朝のうちにデスクワークを少しでも先に進めようとデスクトップをつついていたら、玄関の引き戸が開いて聞き覚えのある声がした。まさか彼がこんなに早く石見銀山入りするとは思ってもいなかったから少々焦った。すぐに土間へ降りて久しぶりの再会となった。
町並みや田んぼにある吉田の彫刻を案内して、一緒に昼食をとって、それからそれぞれに別れた。時間にするとせいぜい3時間程度のこと。それでもとても濃密なひとときになった。

IMG_0986 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

動静両忘 

2019/03/07
Thu. 10:05

気づけばすでに3月に入って1週間!
毎日がアッという間に過ぎてしまっている今日このごろ・・・
このところ、春めいて穏やかな日が続いていましたが、本日は朝から冷たい雨が降っています・・・
デスクワークに使っている吉田家ロフトのマイルームにある炬燵の中ではシロがマッタリと丸まっていて、ときどき足がぶつかると挨拶がわりにザラザラの舌でペロリとボクの足の裏を舐めてくる。

このブログも、約1ヶ月の間休みが続いている。
ネタがないわけでもなく、むしろ次々と想定外の出来事が押し寄せて、それらのことがうまく回らないまま山積してオーバーフロー気味の状態になっている。
昨年に愛用のラップトップが壊れてから、急にワープロ仕事が停滞しはじめた。
最初の頃は面倒臭いと思いつつ吉田家と万善寺にあるデスクトップをこまめに使いわけていたが、それだと、とにかく何をするにも1日の一定時間はその前で過ごさなければいけなくて非常に非効率で時間のムダも出て使い勝手が悪い。
日々溜まり続けるネタの数々は、そのうち宗門手帳の味気ない箇条書きの覚書メモに変わってきて、最近はそういう時代に逆行したアナログ環境に慣れてきた。
やはり使い勝手や仕事の回転率を総合するとラップトップを使い倒している方が良い。アナログ環境ではいくら脳みそをフル回転させても忘却の彼方に過ぎ去った漢字を引き戻すこともできないし、簡単な足し算ひとつとっても脳みその回転がすこぶる悪くてドタバタとiPhoneを引っ張り出して電卓を起動したりと、自分の思考力の退化に憮然と落ち込む。
そういえば、初代のiBookから数えるとすでに30年近くAppleラップトップのお世話になっているわけで、知らぬ間に自分の道具の一つであり相棒のような存在になっていた。
ちょうど1年前の今頃、もうひとりの相棒だった結界くんが前代未聞の異常大寒波でダウンして、想定外の出費にお先真っ暗で息も絶え絶えだったところを、旧知のカーディーラー同級生くんが奔走してくれて今の銀くんへ更新したばかり。それだけでほぼ1年分の収入が消えて酸欠状態だったところへ半年後にラップトップのクラッシュが追い打ちをかけた。とにかく、先立つものがなくてどうしょうもないからこのままなんとかこの難局を乗り切るしかないのだが、人生が一巡して間もない今の頃になかなかの試練だ。

個展の彫刻展もあと数週間で終了となる。期間としては長かったが、自分ではとても短く感じた。たぶん、会期中にもコツコツ絶え間なく制作を続け、彫刻のことを考え続けていたからだと思う。昔のように、ギラギラとした好戦的我欲がずいぶんと消沈した。日々更新する造形表現で、そういう我欲の消沈が良いのかどうかわからないが、一方で、表現の淘汰が進んで迷いの無駄が減ったような気がしないでもない。
最終章のお知らせ代わりに簡単なDMを造った。
やはり、それなりにクリエイティブな作業はデスクトップに限る。
菜根譚では、「動静両忘」の前に「人我一視」の四文字がある。「両忘」は禅語でよく使われる。
今の自分の彫刻表現の目標でもある。

動静両忘 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

順番が狂った 

2019/02/11
Mon. 23:08

「ねぇ〜、今日は帰ってくるの?」
通勤坊主で出かけようとしていたら、珍しくワイフが聞いてきた。
「何もなければ、明るいうちに帰れると思うけど・・・」
「ねぇ〜、今日は帰ってきてよ・・」
寺の用事は予定がたてにくくて、急に電話がかかったり呼び出されたりすることがあるから、そういう時は状況に応じてそのまま寺泊になることもある。普通は「どぉ〜ぞ、わざわざ帰らなくていいわよ!また予定が変わったら連絡してね」程度のクールな肯定的反応が返ってくるばかりだが、今朝はいつもと様子が違う。
特に何かの記念日でもないと思うし、なっちゃんの誕生日もまだだし、何かの予定も無かったはずだし、どうもシックリと当てはまる素材が見当たらない。
「えっ?今夜何かあったっけ??」
「べつになにもないけど、できたら帰ってきてよ・・」
「わかった、とにかく、確実に帰ることにするから・・・それで、何で??」
「のどぐろ、そろそろ食べないと限界だから・・」
・・・なぁぁ〜〜んだ・・・
のどぐろには失礼だが、のどぐろの「賞味期限が迫っているから・・」という理由があったようだ。確かに、このところ連日何かしら何処かから貰い物が続いていて、昨日も急きょカキフライにありつくことになったし、ワイフの手料理の予定がどんどん狂ってそのたびにのどぐろが後に後に回されていたのだろう。私がいなくても一人で平らげれば済むことなのに、ワイフはわざわざ「ボクを待っていてくれたんだなぁ〜〜・・」と思わずニヤケた。
彼女と知り合って40年が過ぎた今でも、基本的に二人それなりに仲良く暮らすことができている。その日暮らしの貧乏一家だが、まぁ、それなりに幸せなことだ。
もう、若い頃のように好きだ嫌いだなどと何かにつけて男女の仲で心ときめくようなこともなくなったかわりに、どこかしら吉田家オリジナルの生活共同体的連帯感のようなものが出来上がって、お互いが適度な距離を保ちながらそれぞれの個人を尊重しつつ過不足なく支えあっているふうな具合だ。

「もしもし、万善寺さんですかいねぇ〜、息子が死んだんですがぁ〜・・・まだ家へ帰るのは先のようでハッキリしとりませんで、それで一応お知らせだけでもしておこう思いまして・・・」
「えっ??息子さんですか??」
それは、突然の電話だった・・・
お檀家さんのお父さんからで、電話の声は落ち着いているように聞こえたが、やはりどこかしら平常でない様子がうかがえる。何度か確認を取り付けたことを総合すると、どうやら死因がはっきりしなくて、その検死がされるらしい。坊主がジタバタしても始まらない。親子の順番が狂ったが、コレばかりはどうしようもないことだ。

夕食はのどぐろが煮付けになっていた。刺激的な1日になったが、のどぐろの美味さは十二分に堪能できた。
結局坊主は葬式請負人の役を全うするしかないことなのだろう。それで喪主家の気持ちが少しでも安らぐなら、それはソレで何かしらの意味があるのだろう。

IMG_3760.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

山盛りカキフライ 

2019/02/10
Sun. 23:59

三回忌の法事は孫まで揃ってとても賑やかだった。
関東暮らしのお子様家族は冬の悪天候で飛行機が飛ぶかどうか危ぶまれたが、山陰は思ったほど寒波が厳しくなくて、無事に帰省できたということだ。
亡くなったご主人は私と同じ歳だった。
残された奥さんとは職場で知り合って結婚された。
奥さんのご親族も参集されてお孫さんまで入れると総勢20人は越えていたと思う。
息子さんを先に亡くされたおばあさんにとってはひ孫さんまで法事に駆けつけてもらえて、さぞかし嬉しかったことだろうが、一方で息子さんに先立たれた悲しみも思い出されて複雑な気持ちの法事になったことだろう。
お墓参りを済ませてお斎が終わったのは午後の2時近かった。
いつもならとっくに万善寺へ帰ってのんびりしている頃だが、ご親族の年齢も比較的若くて華やいだご法事になったものだから、知らず知らず長居をしてしまった。

最近は、一周忌の法事でも遠方の親族は「仕事が休めないもので・・・」などと理由があって不参加が普通になりはじめている。
核家族が当たり前の時代で、施主家の家族だけの法事となると、関係者1人か2人だけ参列!・・・なんてのもあったりする。確か「お孫さんも同居のはずだけど?・・・」と思って伺うと「あいつは今日はちょっと用事で・・・」などと言われて、そういうお宅では、もう仏教とか宗教とかのたぐいは日常の暮らしから完全に縁が切れて、祥月命日のコトなど、年中行事の数にも入らなくなってしまっているようだ。
ホボホボお葬式と法事の儀式だけで生活している在家職業坊主のボクなど、お布施収入も減少する一方でこの先どうやって暮せばいいのかお先真っ暗状態だ。

賑やかな法事のあと、いつもと変わらない万善寺の静かな日常へ引き戻されたからか、いつになく気持ちが沈んだ。
そういえば、しばらくワイフとまともな会話もしていないし、施主家から法事の引き物も頂いたから、かるくお供えをしたあと、それを抱えてまだ陽があるうちに石見銀山へ帰った。
駐車場へ銀くんを停めたところで、個展会場のオーナーさんと出会って声をかけられた。
「正チャンには身体に障るかも知れないけど、たくさん頂いたから少し手伝ってくれない?」
手渡されたのはビニール袋にタップリと入ったむき身の牡蠣!
「こんなに頂いて良いんですか?うち二人しかいませんし・・・」
「いいのよ〜ぉ、うちだって町内別居で家族みんなバラバラなんだから・・こんなにたくさん、とても一人で食べきれないから、どぉ〜ぞどぉ〜ぞ」
「すみませんねぇ〜、それじゃぁ〜有り難く・・」
玄関先で立ち話をしていたら土間の奥でクロが鳴いた。珍しくお出迎えをしてくれたようだ。
結局、今の吉田家も子どもたちは独り立ちしてワイフと二人暮らしの核家族状態。
夕食は贅沢に山盛りのカキフライ!・・・美味すぎて痛風を刺激してしまいそうだ・・・

IMG_3758_20190228170025674.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

クラフトの行く先 

2019/02/09
Sat. 23:08

今から10年ほど前に吉田家の一部屋をDIYしてギャラリーにしたことがある。
石見銀山の町並みはシーズンになるとそれなりに観光客で賑わうから、ちょっとした旅行記念のおみやげになるくらいの鉄の小物を造ってその一部屋へ並べた。
部屋の隅へ作業机を用意していくつかのパーツを造ったり、少し飽きると、あの頃はまだ元気にしていた犬のシェパくんを相手にのんびり暇つぶしをしたりしながら店番をしていた。
そういうことが1年半ほど続いたが、冬シーズンは開店休業状態になるから、実質は1年弱くらいしかギャラリーをオープンできなかった。
少しずつ春めいてお彼岸が過ぎたら本格的にギャラリーを再開しようと思っていたところへ父親が体調を崩して病院通いが本格的になった。その時は介護というほど大げさなことでもなかったが、そのうち通院が頻繁になったり手術して入院したりして、そういうことのお世話が避けられなくなってギャラリーオープンのスケジュールを調整することが難しくなった。結局冬のシーズンにクローズした状態のまま雨戸を開けることも無くなって、それから見る見る暮らしの荷物が増えてギャラリーが物置に変わった。
父親が永眠して一周忌が過ぎた頃に、再オープンを目指して荷物を撤去して心機一転床を張り替えた。
それで、今度はクラフト小物の路線を封印して純粋に彫刻展示をメインのギャラリーにするつもりで準備を進めていたら、今度は母親が弱ってきて、デイサービスの手続きとか通院の付き添いが必要になってきた。そうこうしているうちに、同宗寺院のご住職や内室が相次いで他界されるなどしてどんどん万善寺業務が増えてきて、せっかくきれいにした元ギャラリーの床には、また少しずつ色々な荷物が増えはじめ、雨戸を開ける機会が遠のいた。
しばらくして母親も他界して一周忌が過ぎた頃に、またまた思い切って建具屋さんへ頼んで障子をプラスチックの丈夫なものに張り替えてもらった。せめて元ギャラリーの雨戸だけでも毎朝開けるようにすれば、このまま物置部屋になることが避けられるかも知れないし、今の個展で造った新作の彫刻をそのまま展示してギャラリーを再開できるかも知れないと思ったからだ。

最初にギャラリーをオープンした時の売れ残ったクラフト小物は、そのまま捨てるのももったいないから吉田家や万善寺の各所で有効に使うようにしている。トイレ読書用の壁面ブックスタンドもそれぞれの場所へ取り付けてみたら意外なほどしっくりとその場の空間に馴染んだ。
私の好きな安西水丸さんはその場所ですでに何回転もしていて、最近また吉田家のブックスタンドへ返り咲いた。3月には安西水丸さんの命日が巡ってくる。早いものでそろそろ七回忌が近いはずだ。
先日、なっちゃんからSNSが届いた。おなかの子供が9ヶ月に入ったそうで、いまのところ経過は順調なようだ。私にとっては初孫の誕生が近い。
この10年は眼前の事実に粛々と向き合いながら過ぎた。気がつけば体力も減退して昔ほどの無理も効かなくなっている。なっちゃんが無事に子供を生んでくれたら、ボクのオリジナルブックスタンドと安西水丸さんの絵本をプレゼントしようと決めている。
ついでに、保育士をしているキーポンへも送ってやろうかな・・・

IMG_3792.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

残骸 

2019/02/08
Fri. 23:52

気になっていた寒気団は、それほどオオゴトにならないまま過ぎていくようだが、それでも丁度一番厳しさが増す頃にあわせて3回忌の法事が入っているので、その法事が過ぎるまでは万善寺を離れないようにしておくことにした。
節分立春が過ぎるまでの冬の万善寺はそれなりに慌ただしくもあって、今は少し落ち着いたところだがその流れの諸々の用事もないわけではない。
庫裏の各部屋は特に使うこともなくて汚れることもないから毎日こまめに掃除をすることもない。それでも、強風の後は天井裏の積年のホコリが舞い降りて気がつくと畳がざらついていたりする。
彫刻の展示台を部屋のコーナーへ設置して、時々入れ替えながら展示しているから、掃除のついでにその模様替えをすることにした。1月末に終わった小品彫刻展の作品はすでにそれぞれの作家へ返却したが、吉田正純とか吉田満壽美とか他にも数点預かっている彫刻もあるので、それらを定期的に入れ替えれば気持ちも更新してしばらくは新鮮でいられる。

庫裏の6畳ひと部屋は、寺で一人暮らしの私がのんびりとくつろげるように、炬燵やソファーや按摩機を配置して、100インチのスクリーンを壁一面に張って何時でも映画を見ることができるようにしてある。
その部屋は、冬の来客の客間にも使っているのでそれなりにこまめに掃除をしている。
普段は炬燵を撤去して敷物の下まで掃除をすることもないのだが、せっかくのことなのでたまには徹底的に掃除をしておくことにした。
炬燵板をとって、こたつ布団を縁側の物干しへ掛けて、炬燵櫓を片付けたら、炬燵敷きの中程あたりへ木の実の食べかけが転がっていた。上手に外皮を剥がして、中の実だけ食べている。
秋が終わった頃から、本堂と言わず庫裏と言わず、なにかを移動したりすると万善寺の彼方此方から木の実が転がり出てくる。どうせ野ネズミの仕業だろうが、今までその木の実を捨てないで集めておいたら、飯茶碗1杯位たまった。彼らの越冬中の食料になっているのだろうか?・・その様子がどこかしら健気に見えていじらしくなる。
寺に吉田家のネコチャンズでもいたら、彼らは毎日嬉々としてネズミたちを追いかけて大騒動するだろう。
「三毛猫はようネズミをつかまえてくれますけぇ〜ねぇ〜」
今はもう亡くなった隣のおばあさんは家で猫を飼っていた。
「雌猫は家について遠くへ行きませんけぇ〜・・よぉ〜働いてくれますがぁ〜・・」
お茶飲み話によくネコの話題が出ていた。その家では、おじいさんが元気な頃は和牛を2〜3頭飼っていたからネズミも多かったのだろうが、まんざらネズミ退治だけでネコを飼っていただけでも無かったと思う。おばあさんの猫好きはネンキが入っていた。

炬燵敷きの木の実の残骸は掃除機で吸い込んでキレイにして、それから縁側へ炬燵敷きを広げて、天日干しにしておくことにしたのだが、さて、いつになったら冬型の気圧配置が緩んで縁側へ日差しが戻ってくるのだろうか・・・しばらくのあいだ炬燵のない暮らしが続きそうだ。

IMG_3756.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

オヤジ三昧 

2019/02/07
Thu. 23:42

冬の間の寺の食料は、基本的に「餅!」
ヒドい時(餅さんゴメンナサイ!)は、朝昼晩三度のメシを餅で済ませることもある。
そんな食生活を続けていると、3月の桃の節句が近づく頃にはだいたい3kgは太ってしまう。
身体に良いことではないと思いつつ、一方でお正月のために暮れから準備した大量の餅を消費しないでそのままにしてしまうと、3月の終わり頃には寺の一人暮らしのくせに業務用の冷凍庫を準備しないといけないほどになってしまう。
実は今も、一昨年に冷凍しておいた餅と格闘しているところだ・・・
それで、主食の方は余り余るほど充足しているのだが、オカズのほうが無くなってしまって、冷蔵庫を開けても何も残っていない。
久しぶりに本格的な冬型の気圧配置が戻ってくるようだし、寺暮らしの行動が難しくなる前に近所のスーパーで日持ちのする野菜などを仕入れておくことにした。
万善寺を起点に南北へ少し走るとJAのスーパーがある。若干高いが一人分の食料程度のことだからあまり気にならない。
豆乳やトマトジュースは日持ちするから欠かせない。
きのこ類はすぐに使うぶんだけ残して、あとは適当に刻んで小分けして冷凍庫行き。
ネギとワケギも使うぶんだけ残して、刻んでから冷凍庫行き。
冷凍の枝豆やカット野菜も仕入れておいた。
まぁ、こんな感じで吉田家だとワイフに任せてノラリクラリと逃げを打っている台所仕事をこまめに繰り返している次第です。
それで、晩飯はきのこタップリの中華風スープを造った。もちろん、主食は餅!

昨年末から始まっている吉田正純鉄の彫刻展もあと2ヶ月ばかりで終了する。
予定としては2月のうちに数点の彫刻を加えて、3月のうちに一気に10点くらい追加展示するつもりだ。
例年だと石見銀山では桃の節句あたりにシーズン最後の寒波がやってきて、開花した梅に雪が積もったりする。その春の淡雪が溶けた頃から少しずつ寒さが緩んで一気に春めいてくる。ソレに合わせて入り込みの観光客が増えて町並みが賑わい始める。私の個展も、3月最後のそういう時期にあわせて展示替えの移動をしていこうという計画だ。
冬の間は、主に本当にマニアックに彫刻を見ている同業の作家とか、オヤジの吉田と個人的知り合いだったりする少数の友人が訪ねてきてくれる。季節が春めいて地球上の生物へ活気が戻ってくるあたりからは、不特定多数の見学者が増えてくる。
だいたいが一般大衆によくわからない抽象のかたちばかり造っているから、個展に関しては若干わかりやすくて想像が広がるような楽しみの要素を少しほど加えたりしているつもりだが、それを理解してもらっているかどうかはわからない。
吉田の個展は、とにかくワガママ放題でやりたいことをやりたいようにやらせていただいている。
ワイフには「アンタ、少しくらいは暮らしの足しになるような売れる彫刻も造ってもらわないと困るわよ!」と渋い顔をされる。重々承知のことなのだが、どうしても気持ちの方向がソレとは真反対へ向いてしまう。だって、その方が造っていて面白いんだもの・・・

IMG_3750_20190225134249bbb.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2月のみぞれ 

2019/02/06
Wed. 23:46

体調もすぐれないし薬も残り少なくなってきたしするので、病院を回って寺へ行くことにした。
このところ、島根県はインフルエンザが流行していて、学校では学級閉鎖もあったりしているからあまり病院へ行きたくないのだが仕方がない。日頃から人付き合いの殆ど無い暮らしをしているから、よっぽどのことがないと出先で感染することはないと思うが、何時何処で何があるかわからないからコレばかりは運を天に任せて観音様にすがるしかないことだ。

いつものかかりつけの開業医へ行くと、思ったより患者さんが少なくて助かった。
病院の方は死活問題でもあろうが、私の方は混雑の少ないヒマな病院は大好きだ。
いつもの優しいドクターと世間話をしながらひととおりの診察を受けていつものように2ヶ月分の薬を出してもらうことにして薬局を回って寺へ向かった。

今年に入ってかなり強い寒気団が南下しているようだ。それでも、昨年のことを思えば楽なもので万善寺も屋根からの雪吊りの山を避ければ、なんとか境内まで銀くんを乗り上げることが出来ている。曇り空ではあるが、今の所大きく天候が崩れることも無さそうだ。
玄関を開けて荷物を搬入して、勝手口の方へ外から回ってスズメたちへ古古米を補充してからひとけのない冷え切った庫裏へ入った。
台所のダイニングテーブルが寺の寺務机になっているから、まずは部屋を温めるのにガスストーブを点火し、エアコンをONして、灯油ストーブをつけた。そのくらいしないとすぐに部屋が温まらない。湯沸かしポットへ井戸水を満タンにして、コーヒーを入れる準備をしてから、デスクトップを起動させた。
以前は四六時中パソコンを何かしらのことでつついていたが、最近はそれも激減した。日常の情報はiPadで収集できるし、メールのやりとりも簡単なことはショートメールで済ませてしまう。展覧会の報告事務が無くなっただけでもずいぶん楽になった。不便というと、ブログの更新が停滞してしまうことくらいか・・・

お湯が湧いたのでネルドリップを用意した。
寺でひとりの時は、なっちゃんがボクの誕生日プレゼントで買ってくれたネルドリップを使うことが多い。1日3回位はソレを使い、あとはクノールのカップスープだったりお供えで頂いた煎茶のお下がりだったり、とにかく温かい飲み物を欠かさないようにしながらデスクワークをしている。
台所のトタン屋根が急にうるさくなった。みぞれ混じりの雨が降っている。
保賀の谷に散らばっていた寒雀の集団が、ドッと古古米に集まってきたのが台所の窓越しによく見える。冬の羽毛のせいか、それとも古古米の支給のせいか、まるまると太って実に美味そうだ。
昔、焼鳥屋でバイトしている時に中国産の冷凍雀をさばいて串に刺していたことを思い出した。くちばしと両足を切り落として腹割した雀を串に刺す。夕方に店が開く頃には解凍されていて、塩焼きにすると少し苦みばしって実に美味かった・・・スズメと目があって一気に飛び立っていった。
彼らには私の顔が悪魔に見えたのかも知れない・・・南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏・・・

IMG_3755.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

説教とは・・ 

2019/02/05
Tue. 23:47

なんとなく寝るタイミングを逸してしまって、ウエブ配信のドラマや映画を見る気にもならないし、しばらくYouTubeで音楽のビデオを見ていたが、ソレも今ひとつ身に入らないし、垂れ流しのBGMに切り替えて、ウエブニュースを上から順番にチェックしていたら、そのうち、いくつかの読みかけの文庫本があったことを思い出した。
一つは葉室麟さんの長編。一つは三浦しをんさん、一つは安西水丸さんのキネマ旬報へ連載されていた映画エッセイ(これは読みかけとは言えないな・・・)、一つは夢枕獏さんの仏陀の荒唐無稽長編冒険譚、一つは村上春樹さんの対談・・・などなど、夜中にその気になって探し始めたら自分の周囲の彼方此方から読みかけの文庫本が湧き出るように見つかった。
こんなに、際限もなくアレコレの本をつまみ食いのようにつまみ読みしていると、その1冊の読みかけのところまでがどんな内容だったかほとんど覚えていなかったりする。
こんなことだと、「読書」という領域から逸脱していて、どこかしら自分の近くに何かしらの本が転がっているだけでなんとなく気持ちが落ち着くといった、精神安定剤のような役割にしかなっていないように思ったりする。
それでも、それらの1冊1冊には、記憶に残るというか脳みその何処かに張り付いて離れないというか、そんな感じで前後の雰囲気をいつまでもソコソコ覚えているようなこともあったりして、それはソレで「何もないわけじゃないからネ・・・」と勝手に自分でそういう状況を肯定的に納得しているようなところもある。
さて、それじゃぁ~ひとまず「どれから読み続けようか?」と決め始めたら、それがなかなか決まらない。夜中のことだから、すぐに眠くなる本にするのも良いかも知れないし、軽めの感じで無理なくスラスラ読み続けるのも良いかも知れないし、せっかくだから、少し丁寧に行間を追いかけるのも有りの気もする・・・

ボンヤリと、そんなことを思っていたら、いつも鞄に忍ばせて持ち歩いている菜根譚を思い出した。
洪自誠さんの菜根譚は、私のバイブルのようなもので、日常の何かにつけて暇があればパラパラとページを捲って、止まったところから2つ3つ読み進めたりしている。特に暗記をしようと思ってもいないが、気になるフレーズはしばらくのあいだ覚えていられるし、その時時の状況によって微妙に解釈が変わって感じられたりして飽きることがない。
こういう状態の菜根譚と私の関係はどこかしら師弟関係に通じるような気もしていて、日頃だらしなく暮らしている自分には大事なことのように思う。
洪自誠さんの時代・・というより、孔子さんや老子さんなど中国哲学では「小人(しょうじん)」と「君子(くんし)」を並べて論じる傾向にあるようだ。小人は「人徳がなく度量の小さい人」で、君子は「学識や人格が優れた徳の高い人」を象徴して定義づけられていて、だいたいその2者を対比させながら善悪善し悪しが示される。洪自誠さんの菜根譚もザックリとそういう形態に属しているから、云っていることが結構厳しくて断言的ではあるが、私にはどこかしらボンヤリとした柔らかさも感じられて、それが好きなのだろう。時々「法事の後のナンチャッテ説教で使えないかな?」と思ったりもするが、なかなか自分の言葉に置き換えるまでの技量がなくて諦める。
「説教とは、教訓を垂れること!」とあって、「教訓とは教え諭すこと」とあった。
どうも意味不明でボクにはよくわからない・・・?

IMG_3744.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

立春の朝 

2019/02/04
Mon. 23:54

吉田家の豆まきがあるので、日が暮れるまでに石見銀山へ帰った。
駐車場へ銀くんを停めた時は、いつもと変わりなく町並みは静まりかえって、ほの暗い外灯の灯りだけが夜露に滲んで瞬いていた。
この時期は寒の戻りの節分寒波の影響でだいたい雪が降ったり積もったりするのだが、今年は雪の欠片もなく晴れ渡っている。
こういう状態だと、空が高くなって放射冷却が激しい。少し雪が降って雲が下がっているくらいがかえって夜の冷え込みもゆるくてすごしやすかったりする。

ワイフが風呂を用意してくれていた。
ゆっくりと温まってから、恒例の豆撒きをした。
子供がいる時は、吉田家の内外まんべんなく大量の豆を撒き散らしていたが、今は夫婦とネコチャンズだけなので、あとの掃除のことも考えてひとつまみずつパラパラとまく程度に自粛している。それでも、どこかしらケチくさい感じにならないように声だけは威勢よく張り上げて豆の少なさをごまかしておいた。
ワイフが其処此処の障子や戸口や窓を開けて、私が豆撒きの係。
クロがすきを狙って脱走しようとしばらく豆撒きについて歩いていたが、途中で諦めて何処かへ消えていった。
夕食には、ワイフ手造りの太巻きが出た。
久しぶりだったからとても美味しかった。
「この程度で良かったら、お正月の年始もこんな感じでつくってもいいわねぇ〜」
いつもは、寺の近くの三日市にある仕出し屋さんへお檀家さんの年始会用に太巻きを注文している。ワイフはおでんをつくって振舞っているのだが、それに太巻きが加わると正月早々仕事が増えるし、それに仕出し屋さんとのお付き合いも大事だから「そこまで無理はしなくていいよ」とさりげなくことわっておいた。

茅場町の会社勤めをするようになったノッチが、最近はお弁当を手作りしている。
日曜日に1週間分の料理をまとめて作り置きして、ソレを朝昼晩上手に消費しながら自炊生活をしている。いつまで続くかわからないが、今の所三日坊主で終わることにはなっていないようだ。ワイフの手料理はどこに出してもおかしくないと自慢できる。ノッチもお母さんの娘だから「ヤレバデキル!」素質がある。けっこう不摂生もしているようだが、それなりに健康志向でもあるみたいだし、シッカリした大人になってくれた。

万善寺のことも少し落ち着いたし、これからしばらくは石見銀山の吉田家を拠点にして、時々必要に応じて通勤坊主をしながら彫刻の制作へ気持ちを切り替えようと思っている。
これからさき、雪がひどく降らないまま少しずつ春になってくれると良いのだが、島根の方は2月が本格的な雪のシーズンでもあるから予断は許されない。もうしばらくは気持ちが緩まないように気を使いながら生活しよう。
「お隣さんも豆まきしたみたいよ。道で豆がいっぱい潰れてるぅ〜〜」
新聞を取りに行ったワイフが、玄関先で教えてくれた。隣はまだ子供も小さいし、誰かが鬼になったのかなぁ〜?・・・さて、立春大吉のおふだ張り出さなきゃぁ〜・・・

IMG_0977_20190218115505e5d.jpg
IMG_0979.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

気持の拠り所 

2019/02/03
Sun. 23:51

寺で暮らしている時は、時間をみつけて祈祷太鼓をたたいている。
先代は、塔婆の書はもちろん、音感がよくてお経も御詠歌も和讃も太鼓も上手だった。
現住職のボクは、自他ともに認めるナンチャッテ坊主だから、先代とは比べ物にならないほど坊主業全てにおいて下手糞だ。それでも、万善寺の住職はボクしかいなくて住職業の何をするにも避けて通れないこともいっぱいあるから、様々な場面でたくさんの恥をかきながらどうにかこうにか乗り切っている。

3日は節分だから、一人本堂で祈祷のお経を読んだ。祈祷のお経は太鼓を叩くことが多いから、下手糞なりにバチを振った。
正月になって、三ヶ日が終わって、節分までのできるだけ早い時期に、自分なりに今年1年の自戒をいくつか用意する。
偉い和尚さんは、毎年のはじめに遺偈(遺言のようなもの)を残される。
私は偉くもなんともないから、偉そうに遺偈を残すなど恐れ多い。それで、そういうことはしない代わりに、自戒を用意するわけだ。そうしておくと、何かにつけてそのコトが思い出されて、だらしなく緩みきった自分の気持が若干矯正できる。
塔婆を書く時は、裏書きにその言葉を使うこともある。
展覧会や季節のお知らせとか、ときには何かのデザインのキャッチコピーに使うこともある。
そうやって、日常に都合よく利用していると、知らない間にその言葉が少しずつ自分の気持の中へ入り込んで、やがて現実的で具体的な事象と結びつくことがある。だいたい1年が過ぎる頃には最初は曖昧でどうとでも解釈される抽象的な文言がそれなりに煮詰まって記憶の何処かへ張り付いてくれることもある。
名僧高僧さまをはじめ先人諸氏の名言は、はじめのうちは自分の現実と全然関係ないところで浮遊していて、頭ではなんとなくわかってもソレを自分の実感として自分の所作に置き換えるまでには程遠い。せめて1年位は心にあたためて時々思い出しながらそういうコトを繰り返しているうちに少しずつ現実の具体と関連するコトがあってソレに気付いてドキッとする自分がいる・・・ということを何度となく実感している間に、気がつけばそれなりの信念や確信を持ってその文言に自分の気持の拠り所を意識できていたりする。
もっとも、用意した自戒の全てが自分の気持を動かすことも珍しくて、実際、1年も過ぎれば知らない間に年始めの自戒などコロッと忘れて忘却の彼方に消え去ってしまっていることも多い・・・というより、ほとんどソレばかりだったりする。
それでも、そういうことの繰り返しのなかで、とにかく色々な場面で思い出されることもあるし、絶対に忘れることのないまま生き様であったり信念であったりそういうものに変わる自戒もないわけではない。
そういう文言のいくつかは、確実に自分の救いになっているし力になっている。
信心の気持ちというものは、そもそもそういうことの終わりのない積み重ねであるような気がする。

今年は、「動静両忘」「風逐自然清」「静聴鐘声」の3つを書いておいた。
私が好きな洪自誠さんの言葉の一節です。文字を並べるとシンプルで簡単なことだが、その奥深さに感じるものがある。「静聴鐘声」は個展の案内で早速使わせてもらった。

IMG_6681 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2月の新年会 

2019/02/02
Sat. 23:25

そろそろ1月もあと僅かのある日、節分から立春へ向けて準備をしていたら着信があった。
名前を見ると中学校の同級生で元野球部、少し前まで郵便局の局長からだった。
彼からの電話はだいたい内容がわかる。
「2日新年会するけど、来れる?・・・夕方6時半で会費4000円・・・」
「寺は節分あるけど、そっちは大丈夫?前日だよ?」
「節分3日でしょぉ〜、大丈夫大丈夫、そんな遅くまでヤラないから・・・みんな昔みたいに飲めなくなってるし」
「チョット遅れると思うけど、行くよ・・・予定変わったらすぐに誰かへ連絡しておく」
「だいたい、いつものメンバーだから誰でも良いよ、都合変わったら知らせといて・・」

それで、2日は明るいうちに本堂を片付けたりお経を一つ読んだりしておいたのだが、結局なにかしらアレコレ用事を片付けていたら時間がどんどん過ぎていた。
膝と腰の具合が思わしくないし、夜になったら歩道が凍みるだろう。
銀くんに常備のステッキを引き出して、ソレを支えに参道を下って町道から国道へ出て三日市の町まで歩いた。
寺を出るときはまだ明るかった。
もう少し時間がかかるだろうと思ったら、道がズゥ〜っと下りだからだろう、15分で三日市に1軒の居酒屋へ着いた。
店に入るとメガネが一気に曇った。
「早いじゃない。もっとおそくなるかとおもったわぁ〜」
「吉田のぶんチャンと残してあるゾォ〜」
「お前の席、コッチコッチ!」
「ハイ!改めてカンパイィ〜〜!」
「おつかれぇ〜」
「ハイ、今年もヨロシクゥ〜!!」

地元同級生が10人位集まった。
みんな、もう現役は退職の年齢だが、まだ何人かは嘱託か何かで引き続き仕事をしている。他に自営業もいて、身体が動くうちは現役続行が決まっている。万善寺住職もその一人。
いつもラム肉を分けてくれる獣医も来ていた。
銀くんを世話してくれたカーディーラーの社長は酒が飲めない。
カープのファンクラブ会員で元役場職員もいた。
パチンコ好きなプラント役員もいた。
元教頭は去年ハチに刺されて救急車で運ばれた。
棟梁は相変わらずクールに飲んでいた。
ビールが酒に変わってワイワイやっていたが、気がつくといつのまにか奥さんが迎えに来て一人二人と消えていった。
帰り道は20分かかった。上り坂ばかりだからだろう。案の定、歩道はもう凍みていた。

IMG_3740.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

今時物流事情 

2019/02/01
Fri. 23:03

朝から空模様が怪しくていつ雨が降り始めてもおかしくない感じだったが昼前にはなんとか持ち直してそれなりの天気になった。
小品彫刻展でお世話になったショップが社員の男手を揃えてくれたので、搬出は半日もあれば終わりそうだ。
彫刻の発送は、窓口での伝票記入に時間がかかりそうなので、展示台の移動をショップの関係者へお願いして任せた。

小品彫刻だと持ち込みのゆうパックが便利で、発送業務の80%は会場の近所の郵便局で済ますことができる。
取扱業者によって寸法や重量の規格が若干違うようだが、だいたい同じ条件なので、ヤマト便がゆうパックに変わってもそれほど大きな混乱はない。島根のような田舎だけのことかも知れないが、ヤマト便や佐川急便などの大手宅配業者さんは、取扱店の基地が少なくて持ち込み発送がとても不便だ。ソレに比べてゆうパックの方は、田舎の小さな町でもかならず何処かに郵便局があって宅配便の取扱をしてくれるからとても助かる。
それでも便利なゆうパックも含めて、時々業者の都合で知らない間に取扱条件が変更になっていたりすることもあって、今回もソレに引っかかった。
お客の事情というより営業上の事情が優先された条件変更の不条理にはどうも素直に納得できない。
鬱陶しいほど反乱しているどうでもいいようなCM告知ばかりに精出す暇も予算もあるのなら、こういう突然の利用条件変更に関する事前告知のコマーシャルを優先してほしい。
今まで普通にOKだった取扱が、急に受付窓口で「見直し変更になりまして・・」といわれても、結局当方は梱包のし直しで持ち帰ってまた出直すことになるわけで、私のように、何から何まで自分の都合で事業を切り盛りしている極小零細事業主にとっては、とても厳しい仕打ちなのです・・・プンプン!!ブツブツ・・・
彫刻家が悪いわけでも何でも無いのだが、世の中の物流システムの中で自分の彫刻をその基準にあわせながら制作をするというのもなにかおかしなことだ。結局は作家の都合ばかりで筋を通すことも出来ないから「そんなもんだ・・」と世間の事情を飲み込んで対応するしかない。
それで、具体的にどういうことかというと、作家が展覧会の主催宛に作品を発送する場合は普通に今までどおり梱包して業者持ち込みをすればいい。ちなみにゆうパックの場合は、送り先が同じなら以前の伝票の控えを持参すれば若干値引きしてもらえるはずだ。問題は、主催側から作家個人宛に彫刻を返送する場合。業者さんの話によると、送り先が個人宛の場合は重量や大きさの制限があるようで、その制限を超えた場合は荷物が営業所止めになって、受取人はその営業所へ引き取りに行くことになるらしい。要するに、ドライバーが一人で運搬できない場合は「自分でひきとりにきてちょうだいネ!」ということで、ソレで良ければ「発送させてもらいますヨ!」ということ。業者さんの立場から言うと何の問題もない当然の理由があることになる。
もう半世紀近く親しくしている運送業者は、営業所の所長が変わるたびに「吉田絡みの荷物はチョット厄介だからよろしく・・」と、申し送りされているようだ。今回も、ほとんど無理だろうと諦め気味に持ち込んだAさんの彫刻だったが、顔見知りの職員さんが「チョット料金かかりますけど・・」と念押ししつつ、渋々引き受けてくれた。アリガタヤ!

IMG_5491_20190214150507e5f.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

あのころ 

2019/01/31
Thu. 23:32

彫刻の梱包は結局1日で終わらなかった。
「手伝いましょうか?梱包・・」
ショップのスタッフが気を利かせてくれたが、ありがたく断わった。
信用していないわけではないが、やはり彫刻梱包のことはアマチュアにはまかせられない。時間はかかっても、いずれいつかは必ず終わる作業だとわかっているから、特にイライラもしないし、それになによりボクはとってもヒマで時間だけはタップリあるのだ!
「今日はお昼すぎで仕事終わるから、それから会場へ顔だすね♡!」
ワイフが、出勤前にそう言っていたから少しだけ彼女を期待しているところだ。

最近の小品彫刻展は、年々抽象の彫刻が減っている。
絵画の方は、かなり前から純粋抽象をほとんど見ることが無くなっている。日本の美術界全体が絵画彫刻問わず具象へ傾いて、知らず知らず作家の目はそういう流行を追いかけているのだろう。
具象抽象平面立体各種素材表現技法なんでもひと通りそれなりの研究表現が出来て、それをベースに取捨選択して個人のオリジナルな表現を絞って追求するところに美術家の個性とか作品の斬新が醸し出されて、それが面白い!・・・と思うのだが・・・

雪が降らないといっても、飯南高原はそれなりに彼方此方で消え残った雪の残骸を見かける。万善寺もまだ境内に屋根からずり落ちて固まった雪が山になっている。
年末から年始にかけて少しずつ溜まった各種のゴミを処分したいのだが、銀くんはやっと境内まで乗り入れることができるくらいで、簡単にゴミの積み込みをするにはまだ雪が多すぎる。
時期が来たら一気に片付けようと物置代わりに使っている離れへ集めてあるゴミの山を整理していたら、学生の頃に描きためたクロッキー帳を見つけた。
1冊100枚綴りの片面しか使わないで描き続けたクロッキーは1000枚を軽く超える。
毎週1回の予備校主催クロッキー会でタイムキーパーのアルバイトをしていた約1年半で描き続けたものだ。タバコ一箱程度の時給は安いものだったが、お金をもらってクロッキーができるわけだから、なかなか美味しいアルバイトだった。
懐かしくてパラパラとめくってみると、今の自分よりずいぶんと描写力がシッカリしている。それぞれのクロッキーに、描画の主題を決めているところが伝わってくる。純粋に素直にモデルさんと向かい合っていた。きっと、絵を描くという行為が楽しくてしょうがなかったのだろう。絵を描くということくらいしか表現の選択肢が無かったのだろう。まだ立体の実在に出会いその魅力に引き込まれてしまう前の頃だ。

具象彫刻を梱包していて、あのクロッキー帳のことをなんとなく思い出していた。
立体にのめり込んで、鉄と出会って、たくさんの技法を知って、未知の表現に悩み、数え切れないほどの失敗を繰り返して、気がつけばもう身体も思うように動かないジジイになって、指先の感覚もなくなってドローイングの線もフラフラでヨレヨレ・・・まぁ、それでもそれなりに未だに彫刻の造形が枯渇していないのも、あの頃形態の具体に正面から向き合ってセッセと脳みそを回転させていたからだという気がしないでもない。

IMG_6562.jpg
IMG_3753_20190213213348270.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ラップのおかげ 

2019/01/30
Wed. 23:42

小品彫刻展の会場で使わせてもらっていたショップが2日間休業日になるので、その間に彫刻の梱包を終わらせてしまうことにした。
例年だとそろそろ節分寒波がやって来る頃なので、天候の悪化が気になったが今年の暖冬は異常の部類に入っているから、いまのところ搬出作業に大きな支障は無さそうだ。
それでもやはり、小品の彫刻展とはいえ冬のこの時期に山陰地方でほぼ全国規模といっていい彫刻の展覧会を企画することはそれなりのリスクを避けられないところもある。
幸い、ショップ関係者の手伝いが期待できるので人手の確保は保証されるが、彫刻家から預かっている大事な作品を壊す訳にいかないから、小心者のチキンオヤジは胃がキリキリ痛む。

梱包の基本は搬入で彫刻が送られてきた状態を復元することだと思っている。
展覧会出品に協力を頂いている彫刻家の殆どは作家歴の長いプロフェッショナルであるから、やはり梱包の一つ一つが手慣れていて無駄がない。まがりなりに自分も彫刻家の端くれだから、梱包の状況で作家の力量が見える気もして、とても勉強になる。
もうずいぶん前のことになるが、有限会社の瓦工場で11tのトラックへパレットに積み上げた瓦の束を積み込む作業を目撃したことがある。その瓦の束は巨大なサランラップのような梱包材でパレットごとキリキリと巻きしめられてパレットサイズの立方体になっていた。知り合いの総務部さんへお願いして梱包の現場を見せてもらうと、パレットに乗せられた瓦の束がベルトコンベアーからそのまま巨大な回転台の上に移動してきて、その後高さが1mくらいのラップの円柱が軽く上下に動きながらくるくる回る回転台の瓦へ巻き付いていた。あの頃はまだエアサスペンションのトラックが珍しかったから、現場へ瓦が到着するまでに板バネでポンポン跳ねて割れてしまうことも頻繁だったそうだ。そういう、欠損のロスも含めてトラックへは受注枚数より多めに積み込んでおくのだと言っていた。
「瓦ラップのような便利な梱包材があると良いなぁ~」となんとなくあの時のことを忘れられないままでいたら、ある日、吉田家の土間でワイフがラップを使って古新聞を縛っている。
「ソレ何処にあるの?」と聞くと「100円ショップ!」と、普通に即答された。さて、かれこれ5年位は前のことだっただろうか・・・
もう10年以上も前から「あんなラップがあるといいなぁ~」と悶々としながら梱包を続けていたのに、その現物が100円ショップで手に入るという・・・
それからしばらくして、その気になって近所のホームセンターを巡ってみたら、梱包材コーナーのエアキャップの円柱の隣へ梱包用ラップがビッシリ並んでいた。

梱包用ラップだけのことでもなく、一般家庭の日常の暮らしがどんどん便利になってくる。彫刻の運送運搬も公募展へ出品をはじめた頃からすると、ずいぶん楽になった。
造形の工夫も、少し前までは安全な作品移動のことも含めて分解や組み立ての工法も当然のように造形の一部として組み込まれていて、そういう工夫はそのまま制作時間に上乗せされていたのだが、今はラップだけでもない接着剤や塗料など造形の展開で無理が効くようになった。
それでもボクの場合は、結局、便利に頼り切った彫刻はそれなりのモノにしかならないけどね・・・

IMG_3736.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

石見銀山彫刻小品展終了! 

2019/01/29
Tue. 23:55

約2ヶ月間続いた小品彫刻展が終了する。
2〜3日前から撤収搬出の準備をしながら過ごして、最終日会期終了後、それらを会場へ搬入した。
梱包材の補充や、ドライバドリルの充電や、発送伝票の記入など、それなりに細々としたことがあって、1日過ぎるのが早い。
今年は、幸い雪がないから準備が楽で助かった。

島根県は特に雪国というわけでもないが、普通に雪も積もるし冬型の気圧配置が避けられない地域だから、そういうところで冬のシーズンに展覧会を開催するということはそれなりのリスクを伴う。そういうこともあって今まで小品彫刻展を冬に開催することを避けて過ぎていたが、この度は石見銀山の衣料雑貨店が全面的にバックアップをしてくれるということでもあるし、開催するしないは、自分一人で決めてしまえば済むことなので一度は展覧会を「試してみてもいいかな?」と気持ちが動いた。
全国の作家から約半年間預かっている彫刻の管理が遺漏なくできていれば、あとは実動の殆どを自己責任で済ませることだけに集中する。
ショップ2階の一角を改修して造られた彫刻展示スペースはそれほど広くはないが、それでも照明や空調の施設は整備できているし、過去10年間の開催場所を振り返ると、いちばん画廊ギャラリーとして常識的に機能しているといっていい。
昨年11月に会場の設営をした時にも感じたことだが、展示した彫刻にどこかしら「品」のような雰囲気が醸し出されて心地よい空間になった。
期間中は、出品作家をはじめ、展覧会の関係者や友人知人の来場の他に、ショップや喫茶のお客様も含めたくさんの方に彫刻を見ていただくことが出来た。
石見銀山の地域全体が冬のこの時期には入り込みの観光客が激減する。単純に集客のことだけを考えるとリスクの大きいシーズンであるわけだが、工夫すると、それでも彫刻の展覧会が行われるという情報が流れることで彫刻目当ての入り込みが若干は稼げるということでもあるわけで、何もしないで会場を「遊ばせておくよりはマシ!」というふうに考えることもできる。
過去には、4〜5年の周期でこの時期に同じ会場で「吉田正純鉄の彫刻展」を開催してきたが、やはり、吉田が自分の個展だけでは集客に限界があると感じていた。ショップの関係者を頼ってたくさんの協力をいただきながら出来上がっている個展であるから、求心力の欠けた作家の力量の無さをどこかしら申し訳なく感じていた。
ちょうど個展開催の周期がまた巡ってきたし、これからあと何回自分の彫刻展ができるか先が読めない年齢にもなったし、吉田とその周辺の色々な事情の中で小品彫刻展の企画を個展へ合体させてみても良いかも知れないと思いついてショップの代表へ提案をした。
初の試みだったので、成果の反応はこれから少しずつ収集するしか無いことだが、自分としては、今回の小品彫刻展開催が出品協力を頂いた作家諸氏にとってプラスであれマイナスであれゼロでなかったことだけは確かなことだと考えている。
次回があるとすれば、会場スペースの限界もあるし、展示される彫刻の点数に工夫が必要であるような気もする。これから、機会を作ってオーナーの考えを聞き取りながら企画の精選を前向きに考えてみよう・・・
天候次第だが、1月中には作品撤収や梱包発送会場復元などを済ませようと思っている。

IMG_3734.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

チーン! 

2019/01/28
Mon. 23:43

門前の小僧習わぬ経を読む・・・

保賀の谷のあるお檀家さんでは、ここ数年の間におばあちゃんが亡くなり闘病中の奥さんが亡くなり、それからしばらくしておじいちゃんが亡くなり、昨年はお父さんが亡くなって、今はお孫さんご夫婦が3人のお子さんとお墓やお仏壇を御守りされながら暮らしていらっしゃる。
一般の常識で考えると「ご不幸が続いてさぞかし大変なことだろう・・・」と思われがちだろうが、長く坊主をやっているとそういうお宅はそれほど珍しいわけでもなく、その時々の巡り合わせでたまたま偶然にそれぞれの寿命が近いところで重なったということで、ご親族としてはそういう現状を納得して比較的冷静に受け止めていらっしゃることが多かったりする。
3人のお子さんはまだ小学生に通うほどの年齢だが、成長にあわせるように葬儀や法事が続いて、そのたびに何度となくお邪魔して同じお経を繰り返し読んでいるうちに、いつのまにか3人それぞれに2つ3つのお経を聞き取りで覚えてしまった。
この頃では、私がお邪魔するのを見計らって、鐘の合図や木魚のテンポにあわせて私と一緒に大きな声でお経を読んでもらっている。

万善寺の宗派は基本的に世襲ではないから、親子の関係がそのまま師弟関係である必要もないのだが、昭和の頃は長男が家の跡取りになることは当然の風習として認識されていたから、私の場合もその路線にピッタリとはめられたまま少年時代を過ごした。
それで、門前どころか身内家内の小僧としては毎朝毎晩同じお経をリピートすることが当たり前で、パブロフの犬の如く「チーン!」と鐘の音が聞こえただけで、その時何をしていても普通にお経モードにスイッチが切り替わっていた。
だいたい10歳前後で得度式をすることが多いのも、まだ子供が反抗期を迎えて親の言うことを聞かなくなる前にサッサと弟子にしておいたほうが都合良いという親の一方的判断によるものがほとんどだ。私の場合も、気が付かない間にマンマと親の常套手段に乗っていたわけで、結果、現在のナンチャッテ坊主に至ったという次第。

自分が望んで自らの信念で仏教へ向学心を持ったわけでもないから、ひとりの宗教家としては何から何まで適当で場当たり的な無学な坊主になってしまって坊主的プライドなど微塵もない。それでもやはり生まれ育った環境もあって、自分の成長の節目節目でそれなりの影響を受けていることも多々ある。
私の場合、日本的アニミズム思考は彫刻制作における造形の原点であり抽象的発想のよりどころとなっている。
自分の造形観は、有機無機問わず森羅万象万物に宿る気質気息の曖昧さに強くひかれる。
そもそもの仏陀に起因する仏教には偶像崇拝の要素がなかった。私はそのことにとても強く興味を惹かれるし、魅力を感じる。実態の説明や解説を期待しないことが素敵だと思いつつ、一方で何かしら具体的実態を求めているようなところもある。自分の彫刻は常にそういう矛盾を内在している。「チーン!」でお経モードにスイッチの入る不可思議さとどこかしら共通する気がしないでもない・・・

IMG_3613_201902091044195b1.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

哀愁の一輪車操業 

2019/01/27
Sun. 23:07

ワイフが休みだというので「温泉にでも行くか?」と誘ってみたら、パクリと食いついた。

ワイフの1月から3月は1年の中でも比較的暇な期間で、どうでもいいような(本人が知ったらめちゃくちゃ叱られるだろう・・)宛て職の年度末会議が頻繁になるくらいのことだ・・・ということは、収入につながる仕事がないということで家計がとても苦しくなる。そのうえ、年度末であったり申告の時期であったりして、膨れ上がった借金をチャラにしておかないといけないこともあるから、一輪車操業のボクとしては首が思うように回らなくなって心身ともにとても疲れるのだ。
だからというわけでもないだろうが、最近頚椎の圧迫が原因なのだろう肩から腕への痛みや指先のシビレがひどくて、鉄の仕事でクランプを握る握力が無くなったり、膝の関節から急に力が抜けたりして一気に老化が加速している。

たまには温泉にでもゆっくり浸かって身体の内から全身を温めてみれば現状が少しは改善するかも知れないとささやかな期待を胸に、午前中から少し遠くの温泉へ出かけた。
昼過ぎというより夕方近くになって帰宅すると、なんとなく1日の疲れがどっと出て何をする気にもなれない。ひょっとしたら温泉の湯あたり症状が原因かも知れない。ワイフも似たようなもので、二人で思い思いにゴロリと横になったらそれから夕方暗くなるまで眠りこけてしまった。
ネコチャンズのドタバタで目が覚めた。
ワイフはまだ寝ている・・・
1日中仕事らしいことを何もしないでいたのに、夕食が恋しくなる。
特に空腹を感じるわけでもないが何か食べないわけにはいかないから台所をのぞいてみると、シンクが洗い物で溢れていた。

それなりに一人暮らしが長かったから、家事のアレコレは特に苦痛を感じることもないのだが、その一人暮らしのせいで、自分の家事の癖のようなものが身に染み付いてしまっていて、たとえば食器の洗い物のこともそのひとつ。
男の生活の知恵で、アルバイトはとにかく「メシを食わなければいけない!」とマカナイに困らない飲食業や水商売をメインに渡り歩いていた。そのおかげもあって、食器洗いの工夫をその道のプロフェッショナルから厳しく教わった。その時は、食器を洗うくらいのことでそこまでシステマティックに神経質にならなくてもいいだろうと思っていたが、アルバイト先が喫茶店とかスナックからはじまってバーやクラブや焼き鳥屋まで何処へ行ってどの仕事をしても、なぜかだいたい似たり寄ったりの洗い物ルールのようなものがあって、言われたようにコツコツとその流れを押さえ続けていたら「お前なかなかできるな!」などとボスにおだてられたりして時給が若干上がったりした。
なにごとも、それなりの効率のコツというものがあるということだ。
それで、ポイントは、ザックリいうと最小限の使用食器を回転させるということ。流しに食器が溜まるとそれだけ洗い物が増えて時間も労力も光熱水費の必要経費も無駄が増える。一輪車操業はこぐのをヤメたらコケるしか無いのだ!ブツブツ・・・

IMG_3722.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

絵を描く 

2019/01/26
Sat. 23:36

油彩画はどうも馴染めなくて、学生の基礎科目で100号を描いたのが最後で、その後しばらく本格的に完成された絵を描くことがなかった。

島根へUターンを決めた時は家業(万善寺のことです)を手伝うことが主たる目的で生活の手段は何でも良かった。
学生の頃は職種を選ばなければすぐにアルバイトが見つかっていたから、島根に帰っても何処か寺の近所で適当な仕事があるだろうと簡単に考えていたのに、お盆仕事の手伝いで帰省したついでに職探しをしてみると、自分の希望に沿った労働条件など皆無。
結局島根の田舎では給料をもらいながら片手間に坊主を手伝うなどと都合の良い仕事が無いものだから、一念発起して本気になって半年ほど採用試験の勉強をした。
改めて「自分にできることは何なのだろう?」と考えてみると、絵を描くことくらいしか思いつかない。試験に必要だから久しぶりにデッサンや着彩の基礎を再開してみると、昔のようにチャンとした完成度には至らないものの、それなりに大事なポイントはソコソコ抑えられる程度までにカンを取り戻すことが出来た。

島根の社会環境の現実に直面した時は、もう造形の世界から縁を切るしか無いとほとんど制作を諦めていたが、何のこともない、就職が決まって5月の連休が終わる頃には1日中与えられた仕事ばかりしてボォーっと過ごすことに飽きてしまって、引っ越しの荷物の中から学生の頃に使っていた道具を探し出していた。それでもすぐに本格的な立体造形を制作できることにはならなかったが、平面造形で絵を描いたり限りなく平面にシフトしたレリーフを造るくらいのことはできるということに気がついた。
なにか頭を使ったり手を動かしたりしているだけで1日の色々な対人関係のストレスが軽減できるしずいぶんと精神的苦痛から開放される。造形上のコンセプトがどうとかテーマがどうとか、そういう面倒臭いことより、まずは何かしらの制作に没頭できるということが楽しみでもあった。私の様子を近くで見ているワイフの方も、なにやら材料を取り寄せて小物やクラフトを造るようになって、吉田家の家庭環境がしだいに工夫されて本格的な制作に取り掛かる地盤が少しずつ出来上がった。
特に本気になって制作環境を整備したわけでもないが、何かしら造りたいものを造れるための工夫を繰り返していたらそのうち最小限の道具や制作場所も揃ってきて、まぁ、それからいろいろあって今に至っている。

年が明けたからもう3年前のことになるが、縁があって1ヶ月に2日程度の割合で高校生の美術活動へ付き合うようになった。
そろそろ3年目が終わりに近づいていて、卒業生はあと2回位しか授業がない。最後の作品制作で数人が小さな油絵を描き続けている。描きたいものが決まっている生徒は脇目も振らず絵にのめり込んで悪戦苦闘している。描きたいものがなかなか見つからない生徒は美術小屋の天井を向いて焦点の定まらない目を泳がせて、これもまた別の意味で悪戦苦闘している。
みんなそれぞれだが、日頃のしがらみをしばし忘れてなにかに没頭できるひとときがあるということはとても大事なことだと思う。

IMG_3713.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

~のようなもの~ 

2019/01/25
Fri. 23:10

夕方に待ち合わせをして「新年会!・・・のようなもの・・・」をした。
調整は周藤さん。
美術公募団体二紀会のメンバー有志(~ということになっている)。
吉田の方は、石見銀山を起点に、近所のノリちゃんなどへ声をかけた。

島根県内で展覧会絡みの企画を運営してそろそろ10年になるし、自分のモチベーションや年齢のことも考えるとそれなりの潮時もみえてきたので、1年くらい前から仕事の規模を縮小して無理しないで乗り切れる程度に気持ちを切り替えた。
何かと便利に使っていたSNSの利用も減って、最近は大きな動きが無くなってきた。SNSも頻繁に各種諸連絡を回しているうちは経費や時間や事務など色々と都合が良いが、そういう事務連絡の必要もなくなると、知らなくても良い情報やどうでも良い広告ばかりが頻繁に続いてだんだんと鬱陶しくなってくる。
このところ冬とは思えないほどよい天気が続いて、どこかしら外仕事をしない冬の1日がもったいなく思えてしまうものだから、工場へ行けば行ったで青空工房の整備や鉄の廃材を仕分けたりでなかなか制作が本気になれないし、寺は寺で冬のこの時期に境内へ雪が無いことなど自分の人生で初めてのことだから、おもわず草刈り機のエンジンをかけたりしてしまう。

新年会(~のようなもの~)は、出席メンバーの都合で出雲市へ集合することになった。
そうすると、当然飲んだ後は銀くんで車中泊になるから、ソレ用のベッドが必要になる。
午前中はいつものように工場で過ごして、午後から寺へ移動して銀くんの寸法を測りながら現物合わせでスノコ状のベッドを造った。
作品梱包用の毛布などはだいたい常備してあるから、それらを使って隙間を埋めて、助手席のシートをフルフラットに倒して、その上にスノコを敷く。シュラフを用意して枕を積み込んで、寒さ対策にカシミアの毛布も追加した。あとは、飲み屋の近くのワンコインパーキングの然るべき場所へ駐車して、飲み終わったら朝まで寝てしまえば無駄がない。
準備万端整えて出雲市へ向かうころから冬らしい天気になって、飲んでいる間に雪になりそうな様子だ。
1番に会場へ着いた。それからタケちゃんが来て周藤さんが来てノリちゃんが来て、都合4人の新年会になった。
今年は春季展開催の年だから、制作の原案を持ち寄って検討会からスタート。久しぶりの冬型悪天候で風も激しくなったから、居酒屋の客もまばらでひそひそ話には好都合。
絵画のタケちゃんはかなり沢山のメモを用意していた。具体的な素材とか制作方法を変える必要は無いが、テーマの精選はすべきだと思う。まだまだ整理淘汰の余地が残されているように感じた。彫刻のノリちゃんは、彫刻表現の方向性を再考する時期だと思う。いずれはフォルムとしての彫刻造形上の堅牢さを追求することも必要になる。センスと技術は持っているのだから、それに流されすぎないようにしないといけない。周藤さんは自分で造形のことをよく考えているから、適当なところで満足しないように気をつけつつ、しばらくはこのまま乗り切ればいいと思う。ワイフには、飯を食べながらアレコレ話したし、あとはボクが自分のコトで妥協しないようにしないとね・・・コレが一番ヤバイ・・

IMG_2354_201902062110469f9.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

タンスの木の実 

2019/01/24
Thu. 23:43

通勤坊主の暮らしが普通になってきたから、それにあわせて彫刻の「棲み分けを考えても良いなぁ〜」と思うようになった。
どういうことかというと、道具や電動工具や彫刻材料とかその周辺のさまざまに関係する消耗品や備品を仕分けて、制作の基地を分散するということ。
鉄の彫刻とソレに関連する道具関係は今までの工場をベースに整備する。
木彫や石彫関係のモノは寺の方へ移動しておく。
梱包材や彫刻の展示台は工場の倉庫と寺の土蔵へ分割して管理する。
・・・そんな感じで、ザックリと仕分け内容を決めてからそろそろ1年になる。
通勤坊主の往復を利用して少しずつ関連の品々を運搬しつつ、制作のスケジュールが具体的に決まると、仕事がおおよそ形になるまでそれぞれの場所へ居続ける。時間のロスや光熱費などの必要経費も若干削減できて無駄な出費が軽減できたように思う。

ワイフはもう長い間吉田家の一番良い部屋を制作工房に占領していて動こうとしない。それで、ギリギリのスケジュールを組み立てても制作のシステムにブレが少ないからだいたい予測どおりに仕事がはかどって無駄が無い。
私も理想を言えば、やはりワイフのように制作工房は一箇所に絞っておきたい。そのほうが制作に対するモチベーションも安定して集中がいい。それはわかっているのだが、現実に坊主家業と彫刻家を使い分けながら暮らしているうちはそうもいかない。だいたいがヒマに暮らしてはいても、それなりにさり気なくささやかな悩みもあるわけです。

2月の下旬に個展の模様替えを考えていて、その時に新作を10点ばかり増やしつつ、今の彫刻配置を移動しようと決めている。その新作に七宝のパーツを組み込むことにしていて、試作も兼ねて制作した彫刻が3点ほど出来た。おおよそ当初のイメージ通りに出来上がったので、工法も含めて全体の迷いが消えた。
七宝は、関連の道具や材料などをすべて寺の方へ移動してあったから、パーツが完成するまで寺に居続けた。庫裏の一部を即席の制作工房にした程度のことだから、どこかしらやりにくいところもあって制作のストレスが解消できているわけではないが、それでも朝から晩まで一つ事に集中することが出来て疲労感も心地良い。

寺ではだいたいシャワーで済ませることが多いのだが、たまにはゆっくりと風呂へ入るのもいいだろうと、その準備をしながら着替えやバスタオルなど庫裏のアチコチに分散しているタンスや衣料ケースの物色をしていたら、冬用衣類の間から木の実がコロリと転がり落ちた。それほどたくさんの衣装持ちでもないし、いつもセッセと洗濯を繰り返しながら同じものを着続けているからタンスにしまいこんだ冬物は洗濯のローテーションにない。たまたま洗濯の回転が若干狂ったので着替えを物色したわけだが、ソレをしなければ、たぶん木の実は「次の冬シーズンまでそのままかもしれない・・」と思ったものの「さて、あの木の実を冬物の隙間へ持ち込んだのは何者だ?!」と気がついた。私が留守の間に万善寺へ居着いたヤツがいる。冬の間の食料で確保していたのだろう。どうせ近所の野ネズミの仕業だろうが、どこかしら微笑ましくもある。せっかくなので見つかった木の実は1箇所に拾い集めておいた。

IMG_3728_20190129204501d5b.jpg

追記:11月12日「周藤さんの彫刻
   彫刻家周藤豊治のファン微増!
   吉田正純の彫刻・・・「アレ、何ですか?」
             「アレはボクが造った彫刻です!周藤豊治の彫刻ではありません・・・トホホ・・」

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

珈琲の緑茶割り 

2019/01/23
Wed. 23:05

珈琲の緑茶割りが身体に良いと、何かの本(多分雑誌)で見た気がする。
記憶をたぐると「読んだ!」という気がしないから、広告か見出しか何かをチラリと見かけたくらいのことだと思う。
どうしてそれを覚えているかというと、珈琲が好きであるということ。それに寺の茶箪笥へ緑茶の詰め合わせが消費されないまま山積みに溜まっているということ。その2つの現実が、「珈琲の緑茶割り」で見事に頭の中で合体したことによる。

一般の概念というか大衆の常識というか、とにかく禅寺とお茶はとても親密で切っても切れない関係であると思われているようなところがある。それで曹洞宗の末寺万善寺も毎年のお中元やお歳暮でアチコチからその年の新茶が届くというわけ。
まずは仏様へお供えさせてもらって、そのお下がりをいただくわけだが、オヤジの一人暮らしではとても1年でその年1年分のお茶を消費することが出来ないまま、残った新茶が少しずつ古くなって溜まっていく一方になる。とても有り難い悩みであるわけだが、残念ながら住職である私自身が緑茶をあまり好まないこともあって、新茶が古茶に変わって、時々フライパンに移して煎り上げて即席のほうじ茶もどきにしたりするものの、やはりすべてを消費できなくて古茶が古古茶になってしまう。そういう寺の日常のこともあって「珈琲の緑茶割り」のフレーズを忘れないでいた次第。
珈琲は好きで毎日欠かさず飲み続けているから、それにひと手間加えて緑茶で割って、そういう飲み物がとりあえず我儘坊主の口に合えば、無駄なく緑茶の消費につながるし都合が良い。まだ余裕がなくて実践に至っていないが、近い内にブレンドの具合などを色々試してみようと思っている。

「喫茶去」は、もともと中国の禅僧のお言葉が始まりらしい。その禅的解釈を臨済宗開祖の栄西大和尚様が日本で広められた。そういうことから、禅宗というと「どうかお茶でも召し上がれ!」というノリの所作を想起されるようになったのだと思う。
昔は、お茶も漢方の一種で珍重されていたようだ。インゲン豆も隠元大和尚様に由来するらしいし、タクアン漬けも沢庵大和尚様が語源らしい。昔の方丈さまは、今でいうところの漢方医とか薬剤師的存在でもあったのだろう。
そういえば、書画仏画仏像彫刻、作詞作文など、坊主の表現観はなかなかレベルが高い。どの坊主もみんながみんな同じようにセンスや才能があるわけでも無かったろうが、宗教的修行だけで坊主の人格が形成されていたわけでも無い気がする。
もともと、仏教の根本は限りなく解釈の広がった抽象的で雲を掴むような混沌としたものであったりするから、昔々の偉い方丈様方はそれをいかに具体的な実践に置き換えるかということを真剣に考え試行錯誤していたのだと思う。
仏事様式を正確に伝承することも大事な修行であるだろうが、もう少しアバウトに振り幅を広げて坊主個々人の仏教観を模索してもよい気がする。近年は、坊主カフェとか坊主バーとか坊主ミュージシャンとか坊主フェスとか色々と営業を展開されている様子を見聞する。ある意味で、そういうことも布教活動としては大事な実践であるのだろうが、シャイで人見知りのナンチャッテチキン坊主のボクなど、コツコツと彫刻を造り続けることくらいしかできそうにない。それじゃぁ、とても積極的布教活動になってないね・・・

IMG_3649.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ドッチがいい? 

2019/01/22
Tue. 23:51

1月は行って、2月は逃げて、3月は去って・・・アッという間に4月になる。
3月には上野で展覧会もあるから、その準備もそろそろ具体的に進める時期になった。

年度末の申告があるから書類の整理がてら寺にこもった。
1年分のコトを1日で片付けることも難しいから、まだまだ何日もこういう事務的なコトを続けなければいけない。ワイフはほとんど源泉徴収票で申告を乗り切る事ができるから私のような二重生活の自由業からするとずいぶん楽に申告が終わる。これも、毎年のことだからある程度の慣れも出てくるが、昨年は予期しない出費が重なったのでどんな集計結果が出るか心配だ。
まぁ、今更どうなることでもないけどね・・・それなりに、その日暮らしで飯が食えていたわけだから、それはそれでなんとかなっていたということで、有り難いことです。

このところ冬とは思えないほどうららかで過ごしやすい日が続いている。
こんな刺激やストレスのない天候が毎日続くと、もともと自堕落に怠け者のボクとしては精神の緊張感が退化してとろけそうになってしまう。それで、天気もいいし気持ちの切り替えも兼ねて、何年も前から気になっている畑の荒れ地を刈り込むことにした。
もともとは、田んぼの耕作をヤメて畑に切り替えたとき、その頃はまだ若くてバリバリ元気に農作業で働いていた母親が、その勢いを借りて大根を育てるようなウネを作ってセッセとサツキやらツバキやらアジサイやら色々な鑑賞木の苗木や挿し木を整然と植えたことからはじまる。とにかく、植物というものはしゃべらないし動かないし静かなものだが、それでそのままほったらかしにすると気が付かない間にどんどん成長して際限なく繁茂してしまう。だから、毎年維持管理を欠かさず継続しないと収集がつかないことになって、鑑賞に耐えられなくなる。母親は、そういう先々のことにまで責任を持たなければいけないということを予測できないまま目先の夢と理想を追いかけてしまったわけで、その結果が今の荒れ地になったわけだ。
ツルヤカズラの巻き付いた木の枝を払うだけでもかなりの重労働で、2時間も続けるとぐったり疲れる。1m四方を刈り込んだ枝木やツルやカズラを積み上げると、たったソレだけで自分の背の高さくらいまでになった。その山を見て力尽きた。

コーヒーを啜っていると、寒雀の集団がドッと古古米にやってきて賑やかになった。
そういえば、吉田家のクロが毎日飽きもせず裏庭を眺めている定位置のすぐ先にも石見銀山の雀たちがよく遊びに来ている。脱走を成功させたときに、何度か雀をくわえて帰ってきたことがあった。そのたびにワイフは狂ったように奇声を発して大騒ぎをしながら私へ救いを求める。クロとしてはワイフへのお土産のつもりなのだと思うが、それを彼女は素直に喜んで受け入れることができない。そのクロもそろそろ人間でいうと40歳位になって、メタボが気になるようになった。ボクとしては、たまには運動がてら脱走を黙認してやっても良い気もするのだが、ワイフがそれを絶対に許さない。

さて、植物と動物・・・上手に育てて上手に付き合うには、ドッチがいいのだろう??
結局ドッチもほったらかしにできないから似たようなモノなのだろうが、ボクはどちらかといえば動物が良いな。植物の物言わない不気味さがどうも苦手だ・・・

IMG_3701.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

クロとBazzi 

2019/01/21
Mon. 23:50

突然クロがものすごい勢いで飛び跳ねた。
それからしばらくのあいだ頭を小刻みに振ってあたりをキョロキョロ見ていた。
私はクロの隣で寝ていたのだが、それで目が覚めた。
正確に言うと、私が寝ていると吉田家の夜回りを終わったクロが隣にやってきて丸くなるということ。
だから、彼は私が気づかないままいつの間にか隣で寝ているわけ。
クロが突然飛び跳ねた時はものすごい衝撃だった。しばらく、自分の心臓のドキドキがおさまらなかった。
背中を擦ってやっていたら、ペロペロと身繕いをはじめた。気持を落ち着かせようとしているのかも知れない。
いったい、何があったのだろう?
電気をつけて部屋の様子を見たが、特に気になることもない。
「ネコって、夢見るのかなぁ〜・・」

最近になって、気づいたことがある。
昔は、夢を見ても朝になって目覚めた時は内容を全く覚えていないことばかりだった。
夢の中でなにかしていたりとか、なにかとても大事ななにかを見ていたりとか話していたりとか、そういうことまでは思い出すのだが、具体的に「なにか」がナニであったのかを思い出すことが出来ないまま、知らない間に夢を見ていたということそのものを忘れてしまっている・・・ということばかりだった。
それが、いつのまにか目覚めてしばらく経ってからでも夢の内容をかなり鮮明に覚えているということが増えてきた。
内容はその時々で色々。自分が若かったときのこととか、自分が見たこともない知らない場所にいたりとか、時にはわけのわからない彫刻を造っていたりすることもある。

ちょうど1年前は自分の人生で記憶に無いほどの大寒波がやってきて、飯南高原の万善寺は陸の孤島状態でえらいことになっていた。
とにかく、朝夕の参道の雪かきがたいへんで、たぶんそのときの労働が元になってしまったのかも知れない指先のシビレが直らないまま、今に至っている。夜に寝ていても、ふとした拍子に指先のシビレた感覚が気になってそれからしばらくのあいだ眠れない状態が続く。そういう、浅い眠りが増えたことで、夢の内容を記憶できるようになってきたのかも知れない。いずれにしても、確実に1年1年自分の老化が進んでいるということなのだろう。これから先は、自分の身体をできるだけいたわりながら無理をしないように暮らすようになっていくのだろう。

そんなわけで、夜中に起きていることが増えた。
目が冴えて眠れなくなってしまった時は、音楽を聴くようにしている。
かすかに何処かから音楽が聞こえてくるぐらいにボリュームを絞って聞き流している。
最近良く聞いているのはBazzi。アルバム1枚が40分ぐらいだから最後まで聴かない間にいつのまにか眠っている。

IMG_3726 (2)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

家業本業 

2019/01/20
Sun. 23:32

朝から法事のお手伝いがあるので、前日から万善寺入りした。
珍しいほどの暖冬で、銀くんを境内まで入れることができるから、灯油をポリ容器5つ分ほど仕入れて寺まで運んだ。暖かいといっても、雪が降らないというだけで飯南高原の冬はそれなりに朝晩の冷え込みはいつもと変わらないで氷点下になるから暖房は欠かせない。

菩提寺の方丈さんは、いつもは松江の寺で暮らしていらっしゃる。
法事などの仏事のあるときだけ飯南高原へ帰っておつとめされる。お経のシステムが万善寺と違っているので、こうしてたまのお手伝いが入ると結構緊張する。
万善寺の場合は法事の数も多くないし、基本的に坊主家業が暇だから、法事が入ると途中で休憩をはさみながらお昼すぎまでのんびりとお経を読んで、お墓参りが終わって斎膳も1時間位は世間話をしながらゆっくりと過ごす。そうすると結局半日というよりむしろ1日仕事に近くなる。
今回のお手伝い法事はお昼すぎに全て終わった。寺へ帰ってからあとの時間に余裕ができて積み残しの作務がはかどった。それでも気がつけば夕方になっていてあたりが薄暗くなりかけていた。急いで斎膳の折弁当や法事のお下がりなどをまとめて石見銀山へ帰った。少しずつ日が長くなって来ているが、それでもまだ冬のことだから1日がアッという間に過ぎる。

2月になると節分があって立春がある。
例年だとちょうど節分寒波の時期なので今年の彫刻制作にむけてザックリとしたスケジュールを決め始めている。2月末には個展の彫刻へ小品を10点ほど追加しようと思っていて、そのためのパーツはすでに揃えてある。
3月に入ると、初午祭やお彼岸や母親の三回忌があるから、彫刻制作の日程を寺の仏事と調整することになる。予定では、個展の打ち止めに高さで2mチョットの大作を造ろうと思っていて、これもラフなかたちがだいたい決まっている。月末は上野の美術館で春季の展覧会が始まるから、その出品彫刻を考えているところだ。基本のコンセプトは継続しているから大体のことは大きく変わらないが、細かいことで幾つかやりたいこともあって、今はそのことで少々悩んでいる。悩みといっても、造るかたちが枯渇しているわけではないから贅沢なことであるが、それでも最終的に1点へ絞ることになってそれがつらい。個展のように、造りたいものを造りたいだけ造って片端から展示してしまって、その展示効果の中から反省を引き出すほうが気楽でいられる。
大きな団体展の場合、展示スペースの関係で基本的に作家はひとり彫刻1点出品が暗黙に決まっているようなところもあって、それを守っていると例えば大作が1年1点、小品も1年1点ということになって、そのための試作などを含めても、彫刻大小せいぜい1年5〜6点の新作が造れるかどうかになる。10年間出品を続けても50点くらいしか彫刻を制作していないことになって、その程度ではテーマとか表現の推敲が断続的に継続されているだけで、モチベーションの維持管理が難しい。私のような飽きっぽい性格だと、彫刻の深みは期待できないし、サラリと技術や技法に流されてしまう。そういうことを避ける意味もあって、定期的な個展を大事にしているところだがさてあと何回できるかな?

IMG_3712.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

あの頃のボク 

2019/01/19
Sat. 23:46

駅の北口へ出ると正面に映画館があってそのすぐ右から北へ向かって商店街が続いている。
少しほど下り坂になっている商店街の道はインターロッキングになっていて次の四つ角まで続いてそこで終わる。
家並みの隙間から差し込む西日に照らされた塵が絶え間なく舞っている。
四つ角を右に回ると背中に西日が当たってなんとなく暖かい。環状線の大通りへ突き当たったら通り沿いに左へ曲がってバス停を2つ歩いた少し先から斜め左の路地へ曲がる。
その路地の先はT字になっていて、突き当りに酒屋がある。
8畳くらいの狭い酒屋は向かって右側の壁に沿って業務用の冷蔵庫が据えてあって、中にはビールとか冷酒と一緒にジュースやコーラなどが冷やしてある。冷蔵庫の左隣には冷凍庫があってアイスクリームとか氷の袋が入っている。通りに面したガラスのショーケースはがラス板で上下二段に仕切られていて、上の段にはおつまみの袋が種類ごとにまとめて並べてあるが下の段はほとんど何もなくて右の端へダンボールの小箱が寄せてある。おおよそ真ん中あたりに奥まで続く通路のようなスペースがあって、左側にあるスチールの骨組みと薄い合板を組み合わせた移動式の棚には、ワンカップの瓶や缶詰やソーセージや菓子パンなどがビッシリと並べてある。
スチール棚の奥の壁沿いには作り付けの棚があって、洋酒や日本酒が並べてある。
通路になっているスペースの突き当りの左側に小さなカウンターがあって、レジスターが載せてある。
カウンターの後ろは狭い廊下でその向こうに座敷がある。
カウンターの右側の板壁にはアサヒビールとかキリンビールなどのポスターが張ってある。どれもかなり古くなって煤けて黒ずんでいる。
その前には細長い木製のテーブル。椅子はない。テーブルの長辺は通路スペースと冷蔵庫に冷凍庫、短辺に板壁とガラスケース。テーブルを中心に人が一人周囲をグルリと回ることができるほどのスペースがある。テーブルの上に孟宗竹の節一つを底に使って輪切りにした箸立てがあって袋入りの割り箸がビッシリ詰まっている。テーブルの下には四角のポリ容器が2つほど置いてある。
そのテーブルに向かって3人の男が立呑をしている。一人はワンカップの酒。あとの二人は缶ビール。テーブルにはつまみの袋が2つ3つ空いていて、ワンカップの男はなにかの缶詰を割り箸でつついている。缶ビールの二人は知り合いのようで、テーブルを挟んで向かい合ってなにか小声で話しているが、ワンカップの男は一人で飲みながら時々店のおかみさんと話している。
酒屋の右側に細い路地があって、少し先にペンキで黒く塗った鉄製の階段が見える。
何気なく酒屋を覗いたらカウンターのおかみさんと目があったので軽く会釈した。それから路地に入って階段を上がると真正面から家並みの隙間をすり抜けた西日がもろに目に入って周囲が黄色く光った。子供の声がして小学校のチャイムが鳴った・・・
耳元で「ニャァ〜!」と猫が鳴いた。鳴き声に聞き覚えがある・・・クロの声だ。西日が眩しくて目が開けられない。「チリン!」今度は鈴の音がした。「アレッ??なんでクロがいるんだ??」・・無理して目を開けると天窓から朝日が差し込んでいる。眩しい・・・クロがまたニャァ〜と隣で鳴いた。
夢だった。とても懐かしい夢だった。酒屋は大家さんであの頃のボクは長髪で髭面だった。

IMG_3715.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

パシリ坊主 

2019/01/18
Fri. 23:27

庫裏玄関の脇にあるブリキの安っぽいポストがぐにゃっと平行四辺形にねじれ曲がるくらい無理やり紙の手提げ袋が詰め込んであった。
それをまた無理やり引っ張り出すと、ポストが微妙に傾いたのでそれを元に直そうと無理やりねじったがどうも直らない。
たぶん裏の止め金具かネジのようなものがズレたまま何処かに引っかかってしまっているのだろう、そのままでもポストの機能に大きな障害があるわけでもないから、ひとまずそのままにしておくことにした。

紙袋は、町内上組分の回覧板だった。
1ヶ月に1回ほど、行政や各種団体の定期通信がまとまって配布されてくる。
「上組班長」という役職の使いっパシリをしていて、またその用事が回ってきた。
1年で隣へ1軒ずつ役職が交代しながらエンドレスで回ってくるから、上組の場合順当に行けば5年後に次の班長が巡ってくることになる・・・が、万善寺住職の吉田は、すでに3回目の班長を務めていて、ソレにプラス公民館長1年、会計1年を務めている・・・ということは、毎年何かの役が回って来ていることになる。
その、役員交代を兼ねた常会が3月下旬に保賀の集会所で開催される。ちょうど、その時期に毎年東京で彫刻のグループ展が重なるから、基本的に常会は欠席することになる。結局は誰かがナニカの役職を引き受けないと町内の自治が回らないから、よっぽどのことでもないと「NO!」と言えない。それで、はじめのうちは欠席裁判のようにコトが決まって「万善寺さんは○○職が回ってくる番でしたけぇ〜・・」などと、常会の決議事項を後日知らされて、それで次年度の1年が回り始める。
「これって、ちょっときついなぁ〜・・・」と無い知恵をし絞って、「上組の皆さんの同意がいただければ、しばらく班長を固定していただいて構わないんですが・・・そうしていただくと、こちらとしても助かることもあったりして・・・」
役員交代と事業報告の常会の時に提案してみると、若干アレコレあったが比較的すんなりと「まぁ、そういうことでしたら・・」よろしくということになった。

少年時代は、保賀の谷で全戸30軒の世帯があって、家族を数えると人口はかるく大型バス1台分をはるかに超えて、年の節目の行楽事業や神事催事は子供大人ジジババまでみんな集まって大賑わいだった。
今の常会の当て職は、その頃から延々と引き継がれた決まり事がベースになっていて、誰もそれに異論や対案を示さない。昨年に絶縁の家が1軒増えたから、今年度は戸数が20軒を切った。高齢者の独居も4軒ほどある。それに常時空き家もあるから常会も欠席世帯が増えていてこういう状態で当て職を回転させるとなると、もう自治会の円滑な運営に支障をきたすことが目に見えているから、さり気なく何気なく目立たないように上組班長の輪番を解体した次第。
このまま、もうしばらく同じように回覧板や集金のパシリを務めたら、そのうちソレが普通になって、誰も気にしないまま時が過ぎ、気づけば上組どころか町内全戸の「パシリ坊主」に昇格する日が近いかも知れない。
たった20軒くらいのことだから、保賀の役職の統廃合で分担を軽減することが今の密かな企みであるわけです・・・

1

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

百千万劫難遭遇 

2019/01/17
Thu. 23:34

見事に雪が降らない。
雪を当てにしてわざわざ冬シーズンの個展を決めたのに、完全に予測が外れてしまった。

彫刻制作はライフワークのようなものだから、何をするにもだいたい四六時中なにかしら彫刻のことを考えたり思ったりしている。1年を均すと自分の頭の中に全く彫刻のことを思わない日はほとんどない。
今の個展で造った彫刻も、そうやって何年も前からコツコツと考え続け、造形のシミュレーションが少しずつ次々変化を繰り返した結果のかたちになっている。
前回の個展から数年経って、見た目のかたちは前回と全く関連性のないように見えるかも知れないが、自分の中では切れ目なく連動してブレのないテーマのコンセプトを維持出来ていて、今の彫刻は確実にその延長線上に位置している。
いずれにしても、自分の造形観は俗にいうところの抽象彫刻に分類され、そういうタイプのかたちを造り続けているから、一般の価値観とか概念では「よくわからん!」とか「理解できない!」領域に属しているはずだ。

面倒臭いことを云うと、自分の彫刻は基本的に「造形による表現」であるから、彫刻の説明を文字や言葉など別の表現手段に頼ることは無意味に思っている。
それでも、一個人の表現者として限りなく意固地に自分だけの世界へ閉じこもってばかりいるということも大人げない気もするから、なにかの機会に自分の造形とか表現の根拠を問い掛けられたりすると、相手の認識領域を探りながら出来るだけその路線に沿ったふうに言葉や文字など造形以外の表現手段を工夫しながら自分の造形コンセプトを伝えようと努力はしているつもりだ・・・とかいっても、現実は毎日の日常でそういうコトを気遣ったり具体的に伝えたりするような機会は皆無に近い。
わざわざ吉田の彫刻個展を目指して見に来てくれるみなさんにとっては、実に不親切な彫刻展であると自覚は出来ているつもりだから、何か意味不明のこと(・・ばかりだろうけど)は遠慮しないで問い合せていただいて一向にかまわない。
自分的(自分の主観)に云うと、「抽象」の概念は「個々の具象の集積と精査の延長にあるもの」としてとらえている。だから、抽象の造形は表現者一人ひとりの興味関心や価値観の認識の相違分だけ存在するということになる。
一つ一つの具象要因や具象素材を収集追求し、その先にある関連した要因を抽出し、系統建て分類し、そういうコトの取捨選択を繰り返した先にもうソレ以上精査できない最終の要素がボンヤリと浮かび上がる。
自分の造形表現はそういうことの繰り返しの行為の証明として存在するにすぎない。願わくばその造形に少しでも美的要素が内在できれば有り難い。

宗門のお経にある「開経偈」の一節に、「百千万劫難遭遇」とある。「百千万劫」は、数の単位と略していいだろう。ボク的にザックリいうと永遠に続く「無限大の時間軸」のようなことである。「難遭遇」は、遭遇は難しいことだ!ということで、まぁ、仏様の法はそれほど奥深くて有り難いものなのだ!!となる。
自分の造形は、ボンヤリとした自分の宗教的形而上抽象をジタバタとかたちに置き換えているだけだ。抽象も仏様の法の如く奥深いものだと今更ながら痛感している次第です・・

IMG_6667.jpg


[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

コリコリオヤジ 

2019/01/16
Wed. 23:38

しばらく前まで冬にしては暖かい日が続いていた。
2〜3日前は3月中旬の陽気になったりして、少し動き回ると汗ばむほどだった。
暖かいことは良いことなのだが、着るものや寝具の調整がうまくいかなくて「ちょっと寒いなぁ〜」と夜中に目覚めると布団がゴッソリはねのけられて身体中が冷え切っていたりする。昨夜は、ワイフが一晩中コツコツと咳をしていた。今はネコも人間も男同士女同士で別々に寝ていて家庭内別居状態でいるから、睡眠中も自分のコトは自分で責任を持ってもらわないと困る。先週の土曜日は、坊主家業ではない新年最初の出稼ぎ仕事がインフルエンザの流行でキャンセルになった。人混みへ出ればインフルエンザ感染のリスクも増すし、こういう場合は自宅と寺の往復ぐらいに用事を絞っておきたい。

年始の慌ただしさは落ち着いたものの、毎日何かしらの用事があってゆっくりと休養することのないまま半月が過ぎた。
「明日は決まった用事もないから1日休むことにするから・・」
夕食の時にワイフへそう宣言して寝る準備をしていたら保賀の役員さんから電話が入った。年末に回覧した書類に間違いがあったのでその修正版を再度回覧し直してほしいということだった。電話でのことでよくわからないが、文言や期日の間違い程度のことなら電話の言い次伝言で済むことだろうにと思ったが、一応「上組班長!」の肩書があるものの実態は「ただの使い走り」としては「イヤだ!」と断るわけにもいかず、せっかく楽しみにしていた「ボクの休日」が見事に消えて無くなった。
石見銀山の朝は、久しぶりの雪がハラリと舞い落ちていたから飯南高原は本格的な雪になっているだろうと、覚悟しながら通勤坊主で移動した。
確かに雪は降っていたが難なく銀くんを境内まで上げることが出来た。
用事はすぐに終わって、ついでに洗い物の家事を済ませてから、もみ屋さんへ予約の電話をしてみると「ハイ、その時間でしたら大丈夫ですよ。空いてます!」ということだったので、即予約した。昨年末から何度も予約してフラレてばかりだったから半日の予定が決まって気持ちが少し華やいだ。
雪の舞う国道を出雲へ向けて走らせていると、神戸川の支流から本流へ合流したあたりから道が乾いていた。車で1時間も移動していないのにここまで天候に差がある。不便な山里の冬に比べると雪のない日常は何かにつけて過ごしやすいことだろう・・・

「身体全体硬いですねぇ〜」
1時間の全身マッサージが終わって肩をモミながらそう言われた。「また、近い内に来てください。お待ちしてます!・・お水タップリ飲んでおいてくださいね!」
あれだけ身体が硬直していたら、もみほぐしはあまり日を空けないでしばらく集中して続けたほうが良いということだった。まぁ、営業もかなりタップリ入っているだろうが、それでも1時間ジックリ揉んでもらうだけで身体が少しは軽くなる。
支払いを済ませて外に出ると出雲の上空はすっかり晴れて良い天気だった。飯南高原の方角を見ると、厚い雲が中国山地の稜線を隠している。きっと万善寺は雪だろう・・・
島根県中央部をぐるっと一周して帰宅すると、ワイフは夜の会議で出かけるところだった。買い置きのパンと牛乳で簡単に夕食を済ませつつ、デスクトップをつついて1年前の写真を見ると、今日の万善寺とは全く様子が違っていた。
どう考えても今年は暖冬だ!

IMG_2626.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

とまり木 

2019/01/15
Tue. 23:12

少し風はあるが、それほど寒くもないから庫裏の空気を入れ替えようと、アチコチの窓を開けた。
飯南高原の冬は、だいたい雪が積もるからそれなりに湿度もある。そのうえ、締め切った家内で暮らしていると朝晩煮炊きもするからよけいに湿気がこもる。内も外も湿気だらけでどうしようもないが、それでも窓を開けて風を通すと澱んだ部屋の空気が入れ替わってスッキリする。
性格もあるのだろうが、どうも建具を締め切って薄暗い部屋に閉じこもるより内も外もなくフルオープンに開放感のある方が好きだから、こうして冬の寒い時期でも庫裏から本堂の入り口が見えるくらい素通しの状態で過ごしている。
結局はオヤジの一人暮らしで誰も文句を言うヤツもいないからこういう暮らしが出来ているわけだが、これで四六時中隣にワイフでもいたりするとこういうわけにはいかないだろう。いずれにしても、ソコソコ身体の動くうちは若干不自由なことはあっても気兼ねのない毎日を過ごすほうがストレスもたまらなくて調子がいい。

洗面所の窓を開けると、すぐ目の前にオノレバエで大きくなった柿の木と雑木の枝が茂っている。今は葉を落として向こうの景色が素通しだからそれほど気にならないが、春になって若葉が芽吹き始めると見る見る見通しが悪くなって鬱陶しくなる。それで、その時は枝を切り払おうと思うし根本から切り倒してしまおうと思うのだが、そのうちだんだんと葉の茂った景色に目が慣れてしまって「どうせなら、秋になって葉が落ちてから切り払ったほうが始末も楽だから・・」と気が変わってひと夏すぎるまでやり過ごしてしまう。そして、秋になる頃には枝木の刈払いのことなどすっかり忘れていて、そのうち葉が落ちて向こうの景色が素通しになると、特に鬱陶しく思うこともなくなってそのまま次の春になってしまう。こういうコトが繰り返されてもう何年にもなる。
今は、その柿と雑木の枝が寒雀の休憩所になっている。
捨てるのももったいないからと、虫の入った古々米の処分を雀たちに任せているところで、ちょうどその餌場近くに都合よく柿と雑木が枝を広げているものだから、彼らの食事時が重なると保賀の谷から集まった雀たちが鈴なりになって枝がしなる程になる。そういう光景を洗面所の窓からのぞき見ていると「特に急いで切り倒さなくてもいいか・・」と云う気になる。

万善寺も、この数年で裏山が境内まで迫ってきた。このまま見過ごせばそのうち座の下から筍が伸びるかも知れない。
もう何年も前のこと、万善寺営繕のことでツイツイ近所のおじいさんへソレを愚痴った。
「雑木は無理して刈り倒さんでもええですけぇ〜ねぇ〜」
そのおじいさんは、若い頃山仕事で暮らしていたから、山事情に詳しい。
「植林の枝打ちと間伐が先ですがぁ〜。雑木はどうせ4〜5年のうちに生え変わりますけぇ〜」なのだそうだ。根が浅いから夏の暑さでヤラれ、冬の雪でヤラれ、大きく育つ前に生存競争で淘汰されて長生きできないのだそうだ。それで腐った枝木や落ち葉が堆積して腐葉土になって山が肥えて都合が良いのだそうだ。
今はそのおじいさんも他界されて山の話を聞く手段も絶えた。

IMG_3694.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2019-03