工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

道楽を極める者 

2017/10/14
Sat. 23:06

「そろそろ、道楽もたいがいにしてお寺のことで頑張ってもらわないといけませんがねぇ〜」
今に始まったことでもないが、何かにつけて前々からそのようなことを檀家さんに言われながら、結局は住職交代もして、「寺を守らにゃぁいけんけぇ〜」が口癖の母親が死んでからは万善寺を1週間と連続して留守にしたことがない。
それこそ、名実ともに「住職」を務めていることが増えたが、だからといって母親のように寺の庫裏の一部屋へ根が生えたように引きこもっているわけでもなく、昼の間は坊主家業で留守がちの「無住職」だし、夜は彫刻家の吉田に変身して石見銀山を拠点にすることも多いから、どちらかといえば「通勤坊主」の暮らしが常態といっていい。
たぶん、私のそのような居所の定まらない暮らしぶりを見るか聞くかして、自分の意に沿わない不満が「道楽」のひと言に集約されているのだろう。

そもそも、「道楽」とは、仏教に語源があって、今で言う世間的な意味合いとは解釈も違ってなかなか高尚で有難く、仏門にある私などはそれを目指すべきこととして大事に思わないといけない生涯の目標とか指針のようなものであったりする。
いちいち理屈をこねてそのようなことを反論しても、正しいとか正しくないとか、対立のもとになって、これも私としてはよろしくないところに結論が落ち着きそうだったりして都合が悪い。
まぁだいたいが、モゴモゴと口の中の曖昧な言葉をツバと一緒に飲み込みつつ、ニコニコと笑顔で首を縦でもなく横でもなく微妙に曖昧に振って切り抜けることにしている。

ついでだが、「極道」も仏教用語で時代時々の高僧は「極道者」と賞賛され崇められたりされるときにもちいられたという、ありがたいお言葉であったのだ。
世の中が変わって、時代の流行や風習の変化にともなって、本来の大事な意味を持ついろいろな物事がねじれ曲がってしまうと、なかなか元に戻れなくなってしまうということは、とても悲しいことだと思う。
現在の私など、「道楽を極める者」と言われているようなもので、身に余るほどの光栄なお言葉をいただいて、ナンチャッテ坊主のヨレヨレオヤジは幸せ者であるのだ!

秋らしく爽やかに澄みきった雨後の半日ほど夕暮れまでそのような都合の良いことを思い巡らしながら、今年最後(・・にしたい)の万善寺草刈りを続けた。
オヤジの一人飯で湯豆腐と残り物のアレコレをツマミに一杯やったあと、インターネットラジで見つけたアラブ音楽を聞きながら「とみ山彫刻 field art work」の回覧チラシをまとめた。アラブ音楽はけっこうマイナー・コードが多くてどこかしら意外だった。やはりシルクロードは東の果ての日本まで続いているのだ。
チラシの草案は余裕をもって完成していたのだが、その後、出品するとかしないとかの作家とのやりとりが手こずって、島根の若い木彫作家グループが最後まで揺れた。
若い作家には、こういう造形とか制作とか発表とかの活動に優柔不断なほどの曖昧さがあることは大事なことだと思う。あまり早うちから自分の世界が固まってしまうのもつまらない。

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文化とは・・・ 

2017/10/13
Fri. 12:50

11月3日は国民の祝日「文化の日」で、手持ちの辞書で定義を検索したら「自由と平和を愛し,文化をすすめることを趣旨とする」とあった。
それじゃぁ、そもそも「文化」とは何かと検索をしたら、限りないほどたくさんの「文化〜」とか「〜文化」とか項目が際限なくなって、めんどくさくなって検索をヤメた。

「とみ山彫刻 field art work」のメインタイトルで企画を練り上げて具体的に開催できたのは2015年だった。
この企画を考えて事業計画を起案して予算を落とし込んで助成金の申請をするまでには、2〜3年かかっていて、まだ石見銀山で現代彫刻小品展を開催できていた頃だった。

大田市で暮らし始めてから30年ほどになって、石見銀山の暮らしも20年は過ぎた。
生まれ育った万善寺の暮らしは15歳で一人暮らしを始めるまでだから、いつの間にかその2倍ほどを大田市の行政区で過ごしていることになる。
自分が住み暮らす地域に根付く文化活動をしようと自覚と責任を持って決めたのは大田市へ引っ越してすぐの頃だった。
自治会名は大田市天神町といって、天神さんのお祭りの時は、境内に屋台が並んで特設の大きなスクリーンには子供相手の映画が映し出されて、まだじゅん君やなっちゃんも小さくて生まれて間もないころのノッチも一緒に家族でひと時を楽しんだ。
その後、仕事の関係で引っ越しをすることになって、石見銀山へ家族の生活の拠点を移した。それから今までの間に4人の子供たちは地域の小学校と中学校を卒業してそれぞれの高校へ進学し、バラバラの大学を経て仕事について今に至っている。

そもそも、「地域に根付く文化活動」とはどういうことなのかと改めて思うに、自分にできることというと彫刻を中心にした美術造形に絡むイベントくらいしか思いつかない。
現在主にお世話になっている助成金母体はしまね文化ファンドさんだが、その事務局担当さんは、美術関連部門の助成金申請が少ないのでその掘り起こしに苦労していらっしゃる様子。結局は、島根県の場合は祭りや神楽や音楽関連の文化活動への助成に偏りすぎているとの誤解もチラホラあるようだ。
そういえば、吉田家の4人の子供たちは全員吹奏楽を経験し、ワイフのお粗末なピアノと、私の吹くホラ?!を併せて家族セッションが出来るまでに音楽漬けの学生生活を送っていた。近所の小さな子が地域の子供神楽団に属していたり、ある意味でその類の文化活動が島根の長い歴史の中で自然に育まれ受け入れられやすい風習を築いてきたのだろう。

彫刻絡みの文化活動といっても、スタートは個人の個展だったり同好の士が集まったグループ展だったりするところがせいぜいで、現代彫刻小品展でやっと10年続いたくらいのことだ。後援依頼や、会場使用申請や広報活動の回覧手続きで教育委員会を中心に市役所へ日参しているが、そこでの指摘というか論点というか、そもそもそのあたりで文化活動の振興啓蒙とは程遠い事務的な内容に揉めることもシバシバだ。
行政マン諸氏にとっては、事業の内容より、書類の不備や費用計算のほうが大事なことであって、文化活動の趣旨とか事業効果とか実績とかには興味が無いようだ。

2017とみやまチラシ

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雨に救われたヨレヨレオヤジ 

2017/10/12
Thu. 23:18

面白いもので、秋になって日が短くなって夜明けも遅くなってくると、ソレに合わせて保賀のカラスも朝寝坊をするようになってきた。
最近では、カラスより私のほうが早起きだったりすることが増えている。

3連休が終わった週初めから富山へ通い続けて、野外彫刻の周辺を草刈りしている。
今年は、春から夏にかけて何時になく万善寺の用事が連続したから、富山へ行く機会を見つけられないまま秋になった。
本当は、田植えが終わった頃と、梅雨がはじまった頃と、お盆前の頃に草刈りをしておくと、耕作放棄地でも比較的楽に整備し続けることが出来て都合が良いのだが、今年はそのうち、春と盆前の2回ほどそれが出来ないで伸び放題の雑草を放置することになった。
結果、葛とセイタカアワダチソウが我が物顔にはびこってしまった。
葛はすぐに草刈り機の回転に巻き付いてしまうし、セイタカアワダチソウは茎が杉の枝木ほどに固くなってチップの刃がすぐに摩耗する。
自分の都合で伸びる雑草を放置してしまったわけだから責任は自分にあることだし、この3日間は粛々と草刈りに励んでいたのだが、夏に戻ったような暑い日が続いて体力がみるみる消耗して午後の3時を過ぎた頃には足元がふらついて腰に力が入らなくなって、いっきに集中力が切れる。
そんな状態を続けてどうにか全体の半分ほど終わらせたところで、昨日から助けの雨が降り始めた。このまま、太陽の日差しに炙られながらもう1日ほど草刈りをしていたら、たぶんひとまずは彫刻周辺の整備もおおよその終了が予測できたが、それをしたら、今度は自分の体力が消耗しきって回復に時間がかかってしまうことになる。
こんどの秋雨復活になって、やはり、ねっからの雨男はその雨に救われたかたちになって、寝込む寸前のところでかろうじて蘇ることが出来た。

草刈りの間、久しぶりに石見銀山の吉田家暮らしが続いた。
昼のうちは私もワイフも留守になるから、ネコチャンズが留守番をしているくらいで、暮らしに特別刺激があるわけでもないが、早朝の短時間と夕方から夕食が終わって寝るまでの数時間は他愛ない夫婦の会話があって、そのくらいのことで昼の疲れも和らぐし、身体のアチコチの痛みも忘れることができる。それでも結局疲労の痛みが消えているわけでもなく、いざ寝ようと思うと逆に神経が敏感になってスヤスヤ眠っているワイフを気遣いながら寝苦しい夜を過ごすことになる。
結局は自分のことで自分が痛い目にあっているわけだから誰の仕業でもないのだが、そう解っていても「もっとあぁ〜だったら、ちょっとこぉ〜だったら・・」などと、自分を棚に上げて周囲の事情を無視して都合のいいように我身を正当化して愚痴っぽく考えていたりする。
「自浄其意」という、仏教ではソコソコ周知の偈文の一節がある。
頭の中で知識としてわかっていても、日常の暮らしのアレコレに紛れてだいたいが気にしないまま過ごしているばかりだ。
まぁ、ヨレヨレオヤジのモチベーションが揺らいでいる時に、ふと思い出したりしてスイッチをこまめに切り替えたりしてときどきを乗り切っているところであります・・

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富山の秋 

2017/10/10
Tue. 23:14

大田市役所を経由して富山町へ回った。
まちづくりセンターで打ち合わせをしてから旧富山小学校へ移動した。
教室の状況を確認しながら1階から2階へ展示台を少し運んだ。
奥出雲から展示台と彫刻を移動して以来、誰も何も使われていなかったようで、校舎の中には埃っぽい空気が淀んでいた。
修理をする気もないのだろう、水道の蛇口から水が規則的に滴り落ちている。

学校が廃校になってからもう何年も過ぎているが、いまだに市の教育委員会が管理窓口になっていて、校舎の敷地の端で肩身の狭い思いをしながら窮屈に機能している富山町のまちづくりセンターが哀れに思える。
こういう使いみちの定まらないまま器だけが放置に近い状態で取り残されているようなところを探し回っては彫刻の展覧会やイベントを続けている。
管理責任者が見放した施設は、その気になって探せば何処にでもあるが、その全てが自由に使えるわけでもないし、行政区や自治区の状況で使用規定もマチマチだったりするし、ほとんどは交渉の段階で管理母体の壁にぶつかって企画を断念することが多い。
胡散臭い民間人が営業利益とは無縁の企画を持ち込むことからして信用されないところもあるし、それに文化イベントのメインが「彫刻」だったりすることが窓口担当者の知識や概念の外にはみ出てしまって、良く実態の掴めない曖昧な企画に思われてしまうと、そこから先は取り付く島もないほど事務的な対応に変わって「お話の内容はひとまず聞き取らせていただきましたので・・」あとは、「関係各所と協議して」・・・何ていう感じで逃げを打たれたりしてしまう。

富山町での彫刻イベント「とみやま彫刻フィールドアートワーク」は助成金の補助をいただきながら開催して3年目を迎える。
そのあいだに、少しずつ町内の皆様に顔も覚えられるようになった。彫刻絡みの話題も聞かれるようになって、まちづくりセンターの職員さんからは、町内企画のイベントへ参加依頼をしてもらえるようになってきた。
自分の周囲にほんの数人で良いからスタッフが加わってくれれば、もっとフットワークも軽くなって内容の充実も増すだろうが、吉田にはそこまでの財力も人望もないから、自分で出来ることを自分でやりくりしながら迷惑にならないように動くことが精一杯だ。

富山町の1日目は、野外彫刻の設置で借りている場所の草刈りをした。全部で4箇所に点在している彫刻の周辺を、11月のイベント開催までに見苦しくないくらいには整備しておく必要がある。
野外の温度計が24℃だった。この時期としてはナカナカ厳しく暑い。
ユキちゃんが勤務先から直行して訪ねてきてくれた。校舎の教室を案内したあと、別れ際にスポーツドリンクを差し入れしてくれた。
「ほんにねぇ〜〜、草刈りしてあげられるといいんだけどねぇ〜〜」
知り合いになった地元のおばちゃんが優しく声をかけてくれた。その気持だけでありがたい。「富山の芸術の秋は、草刈りからスタートです!」・・・そう返したら笑っていた。

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終わらない草刈り 

2017/10/09
Mon. 23:58

草刈りをしている間に3連休が過ぎた。
その少し前は、雨に悩まされながら彫刻の搬入作業をしていたのだが、幸いにもその後草刈りを始めるとほぼ晴れの日が続いてくれたので、雨男の吉田としては大いに助かった。
きっと、万善寺の御本尊様がヘナチョコ住職の愚態を哀れんで少しばかり助けの手を差し伸べてくれたのだろう。
一日の仕事が終わって夜になると、身体のアチコチに鈍痛が生じて寝てから後もその刺激が神経のアチコチを絶え間なく刺激してくるものだから、なかなか熟睡できないまま一晩が過ぎる。連休最後の日は、天気が良すぎて気温もグングン上昇して、夏を思わせるほど暑くなって、わずかに残っていた体力がアッという間に吸い取られてしまった。ちょうど、境内下の用水路を保全するために業者さんが入って仕事をしていて、その辺り一帯は草刈りも出来ないし、次の土日が晴れることを確信して、ひとまず万善寺を引き上げることにした。

週初めには、富山の彫刻イベントを事務処理からスタートさせる。
早起きをして、幾つかの書類を整えて関係の部署を一巡しながら富山へ向かうつもりだ。
富山では野外彫刻の環境整備でまた草刈りをする。
この数年間で少しずつ知り合いになって話しやすくなった近所の町民の皆さんを表敬訪問しながら1日かければ、彫刻の周辺もなんとか見苦しくないまでにはなるだろう。

教室の展覧会も個展作家がおおよそ決まった。
昨年から引き続いて島根の竹田茂氏と鳥取の本池文乃氏に加え、新しく島大教育学部彫刻専攻の流れをくむ若い彫刻家がグループ展をしてくれることになって、少しずつ地元地域の美術活動が活性してきた。あとは、岡山赤礬から陶芸作家の芝さんと九州大牟田から女流彫刻家の井形さんが参加してくれることになった。昨年公開制作をしてくれた草月流華道家の西本さんにはワークショップでお世話になろうと思っている。

昨年までの過去2年間の資料を再確認していたら、本池さんの作品資料に目が止まった。山陰のグループ展ではじめて彼女の油絵を見た時に、面白い視点を持っていると思ったので声をかけてみたのがきっかけで教室個展に繋がった。教室個展は平面造形というよりも空間を構成演出するインスタレーション作品になっていた。シンプルな展示だったが、かえって制作の方向性がストレートに伝わってきて好感が持てたし、それ以降の展開が楽しみになった。その後、縁あって倉敷の芸術イベントでも一緒に展示することになって、彼女との距離が少し縮んだし、そこでの展示は確実に造形の方向性が面白くなっていた。
いつもは学校の先生をしているひとだから、その仕事の合間を使って制作するのはなかなか大変なことだろうが、良く踏ん張っていると思う。
今年に入っていつ頃だったろう??久しぶりに制作のことで縁が復活して、その後時々彼女の造形を見ていると、なにやらとんでもなく面白いことを考えていて、次の展開にとてつもない広がりを感じるようになった。彼女の師匠は島大の新井さんだが、彼の指導が良かったのか、彼女の潜在の資質を上手く引き出して育てていたのかもしれない。
さて、今度の富山ではどんな個展をしてくれるのか・・楽しみにしている。

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雑草の山 

2017/10/08
Sun. 23:21

自分の背丈ほどに伸びた雑草を刈り倒して畑の稜線が確認できるまでになったのは、草刈りをはじめて3日目のことだった。
彫刻の制作で使う筋肉や身体の動きと、草刈りで使うソレとは違っているようで、とにかく腰を中心にして身体中が痛くてかなわない。
夜寝ていても、ジッとしていられなくて寝返りばかり繰り返している。
連休の最終日もこの調子で寺の参道から東側まで草刈りが続くことになる。

富山の彫刻イベント参加者が大体出揃ったので、週明けの平日にまちづくりセンターを訪問して直前の打ち合わせをしたあと、急いで広報活動にとりかかる。
まずは、後援依頼から初めて印刷物の原稿作りをすることになるが、今年は全てのことに少しずつ遅れが出ていて最終の辻褄を合わせることが出来るのか不安だ。

寺で寄宿中のユキちゃんが固まった粘土を砕いて水簸を始めた。
次の制作目標は島根県展。
福光石のブロックが2〜3個本堂の脇に転がっていて、それを何か彫刻に出来ないかと考え始めた。石彫はまだ経験が浅いから、はじめのうちは石彫仏師の坪内さんにだいたいのことを教えてもらうことになった。

ホームセンターで買い物をしていたら、隣町で働いているIターンのおねえさんが声をかけてきた。
彼女とはもう3年ほど前に知り合っていて、私が彫刻を造ったり美術イベントを企画したりしていることを知っているから自分の美術活動の悩み事を聞いてもらいたいらしくて、買い物の支払いが終わって駐車場へ出たところでしばらく立ち話が続いた。
帰る方向が寺と一緒だから、「時間があったらこのまま寺に来ませんか?」と誘ったら喜んでついてきた。美術の専門的な勉強を経験しないまま、好きで始めた創作活動がそろそろ行き詰まって悩み始めたところだったようだ。特に差し迫った用事も無いということだったので、ユキちゃんと3人で夕食を食べながら創作の話をすることになった。

ユキちゃんもそうだが、自分の表現のネタというか、駒数というか、玉数というか、そういうものが圧倒的に足りない。たとえば100のアイデアから1つを抽出するのと、10のアイデアから1つを抽出するのでは、その深みとか広がりとか説得力とかの質量が違って表現の重みが全く違ってくる。はじめのうちはとにかく質より量を追求していくくらいのほうが伸び率が良いし成長も早い。そのうち精査抽出できるまでの質量が充実したところで、少しずつ造形力の質を高める工夫をすればいい。

大して広くもない畑だが、伸びた雑草を刈り込んで一処へ集めると、ほぼ自分の背丈ほどにもなって、まるでモネの積みわらのような雑草の山が出来た。何種類もの様々な形態の雑草が一つに集まると、それなりのボリュームになってナカナカの存在感となった。
その山もやがて数年間風雨にさらされている間に熟成とか発酵とか色々な反応が繰り返されて堆肥に変わってカブトムシの幼虫の巣に変わるかも知れない。

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ナントカ暇無し 

2017/10/07
Sat. 23:06

「羊雲が広がってるから雨だろうなぁ〜」
「えっ??どうして?夕焼け出てるじゃない?」
「あの雲かうろこ雲だとだいたい雨降るよ」

彫刻の制作や搬入が終わって、休みたい気持ちを抑えつつ次の用事に気持ちを切り替えた。
出雲へ出かけるワイフを途中で降ろしてそのまま奥出雲まで走った。
斐伊川に沿って続く街道をひたすら中国山地の船通山方面目指して南下していくと、途中にダムが二つあってその先が奥出雲になる。帰りは下りが続いて楽な道だが、行きはひたすら上り坂が続くからボクの結界君が息切れして苦しそうだ。
現代彫刻小品展の会期中は、毎日その道を昇り降りしていた。
先日、万善寺の境内で結界くんをバックさせていたら、本堂の前で「ガツン!」と大きな金属音がした。基礎石に結界くんの何処かをぶつけたのかと思ったがそうでもないし、エンジンも変わりなく軽快に回転しているし、ハンドルやブレーキも問題ないようで特に変わった様子もないまま、とにかくその衝撃音だけが大きく聞こえた。さすがに20万km以上走行していると、どこかしら気づかないところでガタが来ている。

彫刻搬入の最中に降り続いていた雨があがってから、残暑が戻ったように蒸し暑くなった。
結界君のACスイッチをONしてしばらく走っていても、どうも涼しくならない。
つまみをあれこれガチャガチャ動かしてみても、一向に涼しくならない。
気がつくとエアコンのモーター音が聞こえてこないし、アクセルに負荷も感じない。
「あの衝撃音は、エアコンだったか・・・」
今年に入ってエアコンを使い始めてから、時々モーターの不具合があって調子が悪いままになっていた。
ひと夏はなんとか乗り切って、奥出雲の往復にも絶えて、つい先日は徳島の往復にもなんとか絶えて機能していたエアコンが万善寺の境内でついに力尽きてしまったようだ。

奥出雲の用事を済ませ、帰りにワイフを出雲でピックアップした。
「これから涼しくなって寒くなるし、壊れたままでも何とかなるんじゃない」
ワイフが助手席でひとごとのように無責任なことをいった。
「そりゃそぉ〜だけど・・・窓ガラスくもり始めたらやっかいだなぁ〜・・」
他愛ない会話に思えるが、ボクとしてはかわいい結界くんのダメージに心が傷ついて気持ちが沈んでいる。

空一面に広がる雲は羊雲のようにも思えるが、専門家でもないし確証がない。
確かにワイフの言うように夕焼けでもあるし、明日も良い天気になるかもしれない。
島根の田園は、稲刈りも終盤を迎え、しばらく続いていた雨に濡れた枯れ草の匂いがエアコンが壊れて全開の窓から流れ込んで息苦しいほどだ。
これから万善寺と吉田家と富山の彫刻周りの草刈りをして、それから薪割りが続く。

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ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその4 

2017/10/06
Fri. 22:43

10月3日の朝は、雨が少し残っていたがボクの彫刻を動かす時とは比べものにならないほど楽ないい天気になっていた。

石見銀山の吉田家を早朝に出発して万善寺へ到着すると、すでにユキちゃんが土蔵の軒下で制作をしていた。
「おはようございます!」の挨拶には相変わらず悲壮感が漂っている。
電動工具の使い方をチェックすると、操作ミスの傷がアチコチに残っている。
技術の方は、こうしてみんな少しずつ上手になっていくものだから、見た目には予測の範囲で彫刻になるにはなっている。
あまり早いうちから、技術とかテクニックとか、そちら方面にコダワリすぎると、かえって彫刻の大事な本質が見えなくなって、手先の思い込みだけの浅い彫刻になってしまう。
少々荒くて雑に見えても、制作者の目指す先のかたちがシンプルにダイレクトに伝わっている方が良いと、自分ではそう思っている。
この半年間、ユキちゃんの木彫を見ていると、あと一歩のところで造形のツッコミが足らないままに終わっている気がしている。
これからもうしばらく彫刻での付き合いが続けられるのなら、そのあたりの弱い部分を越えられるまではなんとかしてやりたいな・・・

そろそろ搬入積み込みの時間が迫っているから、結界君をバックさせてリヤデッキへ載せる準備に切り替えた。
チェーンブロックと足場板を使えば一人で積み込むことぐらいは出来るのだが、こういう一連の動きは、体で覚えることも大事なことなのでユキちゃんと手分けして声を掛け合いながらお互いの役割を分業した。

「とにかく、シャワーを浴びてらっしゃい!!」
これから彼女はいつもの仕事に出かける。彫刻を積み終わった後は、それまでの焦燥感が安心感に変わって「ボォ〜〜〜」っとしているから、声が少し荒っぽくなってしまった。
(ボクが代わりにプラットフォームまで搬入することになるんだけど・・・)
少々おせっかいが過ぎて甘やかしている気もするが、誰かが助けてやらないとどうにも出来ないことだってある。

ワイフは、昼過ぎまでいつもの仕事に出かけているから、彼女には「搬入来なくてもいいよ」と云っておいた。まぁ、これは「おせっかい」というより「生活共同体の愛情」と云うべきだろう。今年は、穴蔵のようないつもの彼女の制作部屋から、完成前の彫刻をギャラリー部屋へ移してあげた。
少しは広々と環境の良いところで彫刻の全体を見渡しながら完成させたほうが気も晴れるだろうと思ったからだ。
搬入前に写真を写してみると、なかなか雰囲気のある面白い彫刻に見えていた。
彼女の彫刻は会場の状況によって色々なふうに変化して見える。以前からそう思っていたのだが、今回は特にそれがハッキリ伝わった。体調不良のままよく頑張った!

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ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその3 

2017/10/06
Fri. 08:29

徳島から帰ってから彫刻の島根搬入が終わるまで、島根県は比較的強い雨が降り続いた。
万善寺土蔵の軒先で制作を続けていたユキちゃんは、最後の追い込みで大事な時に雨に降られることになってなかなかの試練になった。

早朝5時起きで万善寺から石見銀山へ移動して、ワイフの彫刻の進み具合を確認すると、さすがに作家歴40年近くのベテランだけあって、とりあえず完成は見えている状態であった。
「ユニック借りるから、乗せていってくれない?」
「どこまで??・・・あぁ、資源ゴミ屋さんの近くの・・・」
最近は、あまり体調が良くない制作途中のワイフへ用事を頼むのは気が引けるが、彼女の助けがないと島根搬入も上手く動かないし、遠慮しながらお願いした。
借りたユニックを工場に横付けして、慎重に自分の彫刻を積み込んでからカッパを着たままボクの結界くんへ乗り換えて急いで万善寺へ走った。
雨男ヨレヨレオヤジは、雨の中大活躍だ!

「職場へお願いして、お昼から早退させてもらいました・・・」
万善寺へ到着すると、確か夕方まで仕事だったはずのユキちゃんが、悲壮感の漂う引きつった笑顔でそう報告してきた。
とにかく、少しでもたくさんの制作時間を確保してやりたいから、ユキちゃんが帰ってくるまでに土蔵の下屋先へ即席の雨よけを造っておこうと思っていたのだ。
彫刻を雨で濡らしながら制作していたので、急いでブルーシートを張った。
長年の彫刻家人生の殆どを青空工房で乗り切っているベテラン雨男彫刻家は、こういう時の応急対応能力レベルがかなり高いのだ!

制作の助けになればと思って、バイブレーションサンダーとディスクグラインダー用の研磨ペーパーディスクを近所のホームセンターで仕入れてユキちゃんへ託しておいた。これで少しは制作もはかどるだろうが、使い方がアマチュアなのでむしろかたちの緊張感が崩れてボロボロになるかもしれない・・・

午後の3時にワイフの彫刻を積み込む予定にしているから、急いで工場へ引き返してユニックを石見銀山の自宅前へ移動した。
今年のワイフは室内展示用の制作をしていたから、彫刻を雨に濡らすわけにいかない。
ラップでぐるぐる巻きに梱包してユニックの荷台へ積み込むと、いつもお世話になっている運送業者さんのプラットフォームへ急いだ。
その後、周藤さんの自宅までユニックを届け、帰りは彼の愛車を借りた。
石見銀山の吉田家に到着した時は、夜の8時を回っていた。

・・・以上、10月2日の一日の出来事でありました!
シャワーで汗を流して夕食が終わったら、一気に一日の疲れが吹き出した。
とろけた脳味噌で一日のスケジュールを調整しながらよくここまで行動できたものだ・・

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ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその2 

2017/10/05
Thu. 20:36

月の変わり目は徳島で過ごした。
徳島の野外彫刻展が、今年で55回を迎える。
この55回という数字は、地方の彫刻文化にとって、とてもとても重たい数字だと思う。

日本の美術界は、各種公募団体展が大きな勢力をもっていて、そのほとんどが東京の美術館で展覧会開催される。
私のように、何処かの公募団体に属して制作を続ける田舎の彫刻家は、そういう展覧会を目指して制作した彫刻の殆どを東京へ搬入し、東京で発表する。
私に彫刻の物心がついた頃にはすでにそういうルートが完成して、ほぼ一方通行に近い地方と東京を結ぶ文化のレールのようなものが存在していた。
島根に帰った始めの頃は、特に大きな疑問もなく、展覧会の出品とか発表はだいたいがそういうふうなものなのだろうと思っていて、ワイフが東京にいるときから出品を続けていた二紀会のことは前々から付き合いもあって知っていたことでもあるし、ワイフの彫刻制作や発表の助けをしながら自分もその流れに乗って自分の彫刻を出品するようになった。

さて、今から20年ほども前だっただろうか?・・・徳島で開催される西日本全体を見渡した彫刻文化振興のシンポジウムイベントに参加の声がかかった。
その頃は、自分のみる先に東京の美術館で作品発表をすることしか考えつかないほど周辺の身近な彫刻環境を知らなかったから、指示された幾つかの資料を用意して観光旅行程度の気楽な気持ちで徳島へ出かけてみた。
結果、想像もつかないほどの多数の彫刻家が参集し、手厚いおもてなしを受け、夢のような交流会となり、「超」が付くほどの真面目で真剣なシンポジウムイベントが開催された。
それが、私と徳島彫刻集団の最初の出会いだった。
たしか、その頃イベントの事務局で精力的に働いていたのが、今の会長の松永勉さんだったと思う。
その松永さんを知ってから、少しずつ自分の見る先が東京からそれるようになって、やがて九州の野外彫刻展へ出品したり、島根の石見銀山で個展をしたり、当時経営がどん底状態だった一畑電鉄のホームで個展をしたりと、自分の足元を見ながらそこに根付くことの出来るような彫刻を造ることに目覚めた気がする。

彫刻造形の完成度とか芸術レベルの高さとか、そういう研究表現の研鑽も制作者として大事な使命であると思うが、一方で彫刻を通した社会へのアンチテーゼ表現であったり、土着文化の啓蒙や発信であったり、そういうことを継続するということも、とても重要な表現活動であるということを教えられたのが、徳島彫刻集団の野外彫刻展であった。
だいたい20年ほど前の出会いから時が流れ、3年ほど前にはじめて展覧会へ賛助出品のお誘いを頂いて、昨年からはワイフにも出品の機会を頂いた。
9月から11月にかけての彫刻制作と発表のスケジュールが少し立て込むことになったが、少しも苦にならない。むしろ、今の自分に次の楽しみが一つ増えた気もして、片道5時間の距離が全く苦にならないまま搬入搬出が出来ている。

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ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその1 

2017/10/05
Thu. 03:09

気がつけば、9月が終わり10月が始まっていた。
石見銀山の夜はぐっと冷え込んですっかり秋らしくなっていた。
「こんばんわ!今日は満月らしいですけど、なんかチョット欠けてるような??・・お月さまに虹がかかってキレイですよ♡!」
吉田家前の駐車場へ結界君を駐めてエンジンを切ったら、隣の若奥さんが、これも少し前に隣へ駐車した車から降りているところで、スライドドアの中から荷物を引き出しながらそう教えてくれた。
「あぁ、こんばんわ・・そうですか、満月ですか・・・」
見上げると、石見銀山の要害山へ続く山のアウトラインが黒く沈んで夜の町並みがボンヤリと浮かび上がり、吉田家の大屋根の瓦が月の光に反射してまぶしいくらいだった。
確かに、空に浮かぶ秋の月には真丸の虹がかかり、上層には出来損ないのうろこ雲が小さな島をつくって満月の横を南から北の方へゆっくり移動していた。

今朝・・・といっても、お昼の12時半頃に目が覚めた。
ワイフには、朝から通勤坊主で寺に行くことを伝えて寝たはずなのに、12時間以上の間、何度か微妙に覚醒しながら切れ切れに幾つかの夢を見ながら眠り続けていたようだ。
ハッキリと目が覚めたのは、ワイフがなっちゃんと会話している様子が耳に入ったからだ。
最初は、少し意識が混乱していて、また何かの用事でなっちゃんが帰省したのかと思ったりしていたのだが、ワイフの声だけが聞こえてくる現実の状況が次第に理解できるようになって、それで、電話での会話だということがわかってきた。
そういえば、食料などを買い込んで送るようなことを云っていた。
2日間レンタルしていた2tユニックを返してワイフに拾ってもらってから近くのスーパーで大量に買い物をしたことを思い出した。

今年も、六本木の美術館で始まる展覧会に向けて島根搬入が始まって終わった。
気持ちも身体も緊張が続いて微妙にシッカリと正気でいられているが、実態はかなり疲労が蓄積していたようで、東京までのチャーター便へ全ての彫刻を積み込んで解散してから、その様子を記録しておくことを忘れたことに気付いた。
昨年までは、搬入経費を抑えようと、集配所のプラットホームと工場や吉田家などを軽トラックで2〜3往復したりしていたが、今年は、今後の体力温存を気遣って2tユニックを手配しておいた。
それほど大きくも重くもない彫刻だから普通に軽トラックで1日かけて回数を稼げばなんとかなるくらいのことだったが、その往復の連続に自分の集中力と持続力が絶えられる自信が無かった。
まぁ、ようするに自分もこの1年の間にそれだけ老け込んでジジイになったということなのだろう。
年季の入った折り紙つきの底無し貧乏人だから、2tユニックのレンタル料くらい、500円貯金を少しほど切り崩せばなんとかなるだろうし、次には六本木での陳列作業も控えているし、この度は、少しほど贅沢をさせてもらった次第です!

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3.5日の彫刻 

2017/09/29
Fri. 23:33

午前11時30分、今年の秋の展覧会出品彫刻が完成しました♡!
あとは、島根搬入までコツコツと鉄さびを整えるだけとなりました。

制作開始が26日で終了が29日という、突貫制作だったが、途中の迷いもほとんど無く、無心で制作に没頭できたように思う。
この数年間は、どこかしら仕上げのこととか配置構成のこととか搬入搬出の段取りのこととか、とにかくあまりに細かいことまで気を回しすぎて制作が慎重になりすぎたり、周辺の事情へ気を使いすぎたりしていた気がする。
彫刻のかたちが年々複雑になって主題が曖昧にかすんでしまった気がする。
夏の万善寺暮らしから気持ちを切り替えて、彫刻の制作へとりかかることが1年間のスケジュールに組み込まれて、知らない間にそうすることが当たり前になって、比較的ゆったりと制作時間を確保しながらノンビリと制作を楽しんでいた。
ある意味で、自分にとってはこういう気持ちの安らぐ豊かな時間が必要だと思う一方で、その時間に甘えすぎていた気がしないでもない。
自分を追い込んで、ギリギリのところで造形を精査していかないと、かたちのいちばん大事なポイントが曖昧になって茫洋となる。
おおよその方向性が大きくずれているわけではないはずなのだが、制作の途中でいつの間にか自分の主題を見失ってしまって、かたちのつながりのことだけに気持ちが片寄った造り込みが過ぎるふうになっていた。

とにかく、造形の気持ちの切り替えをするには丁度良い機会で、まぁ、そういう潮時であったのかもしれない。
一つ一つの彫刻が一つ一つ完結するのではなく、お互いの関連がゆるやかに継続されて増殖していくようなイメージを持つなら、それぞれの造形が特異に突出しないほうが良いこともある。
3日間と半日の制作の間にそういうふうに考えるようになった。
たとえば、東京の美術館で彫刻展示することは1年に一回のことだが、自分の周辺の然るべく環境を念頭に制作を続けることのほうが大事だと決めると、まずはそれを目標に大きな時の流れの中に我が身を委ねて全体のムーブマンを気遣いながら1年1年の制作や造形に落とし込むことが出来る。
1年360日くらいを造形の思考と創造の瞑想に費やし、残りの5日くらいで具体に置き換える・・・そういう制作スタイルが安定すると、それに付随して幾つかのスピンオフが見えてくる可能性も無いわけではない。
そろそろ自分の先も見えてきはじめているし、これからあと幾つくらいの彫刻が造れるかと思うと、その数も予測できるまでになっている。

ユキちゃんの制作も佳境に入った。
秋の日がどんどん短くなって、野外での制作時間も減ってくる。
午後からホームセンターへ回って投光機を買って、その足で万善寺へ向かった。
「ボクは、なんて優しいヒトなんだろう・・・」自分で自分の行為に呆れてしまう。

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只今制作中 

2017/09/27
Wed. 23:58

朝から雨が降り始め、工場で彫刻の制作をしている間に本降りになって1日中降り続いた。
結界くんのリヤデッキに現代彫刻小品展の搬出で積み替えたブルーシートや台車などがそのままだったが、一日の雨でずぶ濡れになっているし、降ろしても濡れたものを濡れたまま保管するところもないし、今度良い天気になるまでそのままにしておくことにした。

今年の彫刻は気持ちを入れ替えるというか、初心に帰るというか、とにかくシンプルに造形の根本を大事にしようと決めたところだ。それでも、会場へ訪れる多くの鑑賞者の目を楽しませることも大事なことだから、そのあたりの兼ね合いも含めて制作の最終の落とし所を決め兼ねている。
溶断と溶接と切削研磨の単純作業を繰り返しながら頭の中では次の工程を積み重ねておおよその作業時間を割り出す。夕方に一山越えて、もう一山越えようか迷い始めたのでひとまず小休憩を兼ねて結界くんへ給油することにした。
秋分の日が過ぎてからいっきに日が短くなった気もするが、それは多分雨のせいでもあるだろう。自分としてはもうひと山乗り越えるだけの体力は残っているが、これから延々と1時間ほどグラインダーを回し続けるのも周辺の民家に迷惑で気の毒だし、溶接が一巡したところで本日の制作を終了することにした。

石見銀山の町並みはスッカリ暮れて真っ暗になっていた。
吉田家のポストが郵便物であふれていた。「ワイフがいるはずなのに・・」珍しいことだ。土間へ入ると、「おかえりなさぁ~い」の声が返ってきたが元気がない。ワイフはこのところ、体調が思わしくなくて夕方にはゴロリと横になっていることが増えた。
郵便物の中に彫刻部からの手紙が入っていた。
六本木の美術館に彫刻を置くようになってから野外展示を続けている。
会場の仕切壁が中途半端な高さで、少し背の高い彫刻を造ると、その壁の水平線が邪魔してかたちの緊張感が上下で分断されてしまう。しばらくは我慢して上に伸びる彫刻を造っていたが、どうも納得がいかないまま出品のストレスがたまるようになったので、気持ちの切り替えも兼ねてテーマ設定を変えることにした。それ以来次第に背の高さが低くなって地べたに張り付くような彫刻に変わった。自分では、それはそれで面白い展開になっているのだが、この数年、彫刻部の方から美術館の意向が伝達されるようになって展示の拘束が強まった。
時代の流れというか、一般の風潮というか、私のような土着の彫刻家の土臭い彫刻が美術館から排除されつつある。彫刻が造りにくくなって制作や発表の意欲をそがれることが増えた。東京の美術館への出品も魅力を感じなくなってきた所へ追い打ちの手紙が届いたのが、一日の制作を終わって帰宅した時・・という、なんとも絶妙のタイミング。
世間の彫刻家の90%くらいは、美術館の意向と常識の範囲で制作が出来ているのだろうが、彫刻家吉田正純にはどうもそのあたりのすり合わせが難しい気もしている。

ノッチがニューヨークへ一人旅をした。SNSでその時の写真をいっぱい送ってくれた。
沈んだ気持ちが少しほど楽になった。

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工場の一日 

2017/09/26
Tue. 23:10

なんとなく、いつもの今まで通りの生活が戻りつつある。
寺のことも当分は法事もないし、石見銀山の暮らしがしばらくは続けられそうだ。
工場で彫刻制作がはじまった。
搬入の〆切が近いからノンビリもしていられないが、徳島野外彫刻展の出品作を制作しているときよりは少し落ち着いていられる気がする。

今度の彫刻を造るにあたって、過去の彫刻を振り返ってみた。
現在の彫刻に到るシリーズやテーマを継続してそろそろ10年になっていた。
スタートの頃は、今に比べるとずっとシンプルで自分の伝えたいことが小細工もなしにダイレクトにかたちになっていた。
同じテーマで制作を長く続けているうちに、いつの間にかかたちが複雑に錯綜して、本来のベーシックな要素が薄まってしまっていることに気付いた。
そういえば、最近の数年間はやたらと制作に時間をかけていた。
素材と丁寧に付き合って、工法も慎重にタップリと時間をかけて、自分が納得できるほどの完成度を求め、そういうことに終始していたことで、本来もっとも大事にしなければいけない造形の根本を何処かに置き忘れてしまっていた気がする。

彫刻を造り続けているうちに、無駄な欲が積もり溜まってしまうことはよくあることで、今までにもそういうことが何度かあって、それに気付いた時はできるだけ早く気持ちを切り替えてテーマや制作スタイルの更新をしてきた。
そろそろそういう時期が来ていたのかもしれない。
今のテーマである「Landscape situation」にはもう少し考えが残っていて、これをすぐに切り替えることは今のところまだ考えていない。
むしろ、今までの複雑に錯綜してしまっていた無駄な要素をもう一度整理し直して、大事なものを抽出した上で次の展開を考えていこうと思う。
「あの時消化不良で出来なかったから、今回は絶対にそれをかたちにしてみせるぞ!」と、毎回どこかしらなにかしらそういうふうに踏ん張って思うことがあって、それを次に次に引きずってその時々のかたちに置き換えていると結局やらなくてもいい無駄なことをセッセと繰り返して積み重ねていたりするから始末が悪い。
今日も、なんとなくヤバイヤバイと自覚しながら材料取りをしていたのだが、夕方の2時間位ほど自分を見失ってしまっていて、やらなくてもいいことでセッセと続けていた。
どうも自分の様子が違って「無駄に焦っていたりするなぁ〜」と気がついた時は、鉄板がフニャフニャになってまったく緊張感のないかたちが出来上がっていた。
結局、2時間ほどを無駄にしてしまったわけだが、それに気付いたショックで完全に集中力が切れた。
そういう状態で、仕事を続けてもどこかで些細なミスを犯してしまうことがよくあるし、本当はあと4〜5時間ほど制作を続けたかったのだが、思い切ってヤメにした。
さて、この判断が正しかったかどうか・・・結果はあと2〜3日で決まる。
吉田家に帰るとすぐに、ドロドロに汚れた作業着と自分の体をキレイにしてスイッチを入れ替えた。

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現代彫刻小品展終了前後 

2017/09/26
Tue. 06:15

お地蔵さんのご縁日は24日で1年に12回巡ってくるが、お盆月の24日を「地蔵盆」といってお地蔵さんの供養祈祷法要を厳修するお寺が多い。
発祥のいわれは色々あるから、興味があれば自分で検索してみてください・・
とにかく、万善寺ではその地蔵盆の法要を毎年9月24日に行っている。
これは、8月18日の万善寺施食会が終わって日が近いから、寺の都合で1ヶ月遅れにしたことと、23日が秋彼岸であることとあわせて、23日〜24日の2日間に渡って仏事が続くことで「秋の節目になるといいなぁ〜」と万善寺住職のささやかな期待を込めてのことだ。

今年の秋彼岸と地蔵供養は、運良くというか運悪くと言うか、土日にまたがった。
お地蔵様法要の主役はどちらかといえば地域の子供達になるのだが、その子供たちの子供会活動やスポーツ少年団活動が丸々そっくりと重なってしまって、主役が不在になってしまった。
それでも、例年この日を目当てにお参りをいただく常連のご婦人方は、ほとんど欠けること無くお参りくださって元気なお姿を拝見することが出来た。
それに今年は、彫刻制作で寄宿中のユキちゃんもお茶会の仲間に加わって、いつもにもまして新鮮な話題に花が咲いた。
やはり、オヤジばかりの通夜のような重たい空気の集まりより、ご婦人方の話題の絶えない賑やかな集まりのほうが楽しい。
たった2時間ほどのことだが、万善寺本堂が華やいだ。

寝る前に翌朝4時にアラームを設定しておいた。
25日は現代彫刻小品展の搬出日で2tアルミのロングをレンタル予約してある。
万善寺からだと、出雲街道から銀山街道を経由して1時間少々移動した先でトラックが待機している。お手伝いを立候補してくれたのりちゃんと店舗駐車場で6時に合流して、奥出雲に向かった。
斐伊川土手を走りながら約2時間ほど南下して彫刻展が終了した開場前に到着した。
早朝の空気は朝露をタップリ含んでヒンヤリと清々しい。
こういう時の秋の山の天気は晴れ渡ることが普通だから、きっとお昼頃には気温も上昇して暑くなるはずだ。

会期を通してお世話になった奥出雲のアクティブオヤジもお手伝いしてくれて、お昼前に彫刻梱包や展示台積み込みや会場復元などの作業が全て終了して、次の会場大田市富山町へ向かった。
11月から「とみやま彫刻フィールドアートワーク」が始まる。
その会場へ現代彫刻小品展を巡回することになる。
トラックを会場の廃校になった小学校生徒昇降口へ横付けして搬入作業が終了したのは午後の3時少し前。ほぼ予定通りに1日の行動予定が完了(結局昼食抜きになったけど・・)して、のりちゃんと別れて石見銀山へ着いたのは夕方だった。
ワイフと少しお茶を飲みながら会話して、ネコのシロと戯れ、メールチェックをして、ゴロリと横になって、先程目が覚めた。
なんと夕食も食べないで10時間眠り続けていた。

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ありがたいこと 

2017/09/24
Sun. 13:25

現代彫刻小品展の最終日で、お地蔵さんご縁日の数珠繰り法要の日が開けた。
お盆以来の万善寺仏事になるので、寺で寝た。
このところ体調不良が続いているワイフが無理してお茶会用の茶口つまみを用意してくれたので、有難く受け取って万善寺の冷蔵庫へ移動した。

ひとつひとつのことはそれほどたいした用事でもないのだが、それらが同時に重なるとやりくりが難しくなって身動きできなくなる。
ある時は万善寺の住職方丈さん、ある時は鉄の彫刻家、ある時は美術イベントの事務屋、ある時はキリスト教系列学校のナンチャッテ先生、そしてある時は吉田家の軟弱パパ、またある時はワイフの優しい旦那であったりするふうな具合を程よく調整してつつましく暮らしているはずなのだが、これらの用事の幾つかが同時に重なったりすることも再々あって、たぶん、そういう状況が巡りくると世間で云うところの「あぁ〜〜、忙しい忙しい!!」って感じになっているのだろう。
それでも、1つずつ分解して小分けしてみると、それぞれの用事はそれほど大げさに「忙しい忙しい!!」と云うほどでもなくて、普通に楽に乗り切れることのほうがほとんどだから、自分としては「間が悪かったなぁ〜」とか、「運悪く重なっちゃったなぁ〜」とか、その程度のことにしか実感できないでいたりする。
そうは云っても、すぐ近くでオヤジの行動をクールに見つめるワイフに言わせると「ナニよ、そんなに(プンプン!!)イライラして!」ということになっているようで、ポーカーフェイスで乗り切っていると思っているのは自分ばかりで、周囲には余裕の無さがバレバレだったりしているようだ。

「今カレーつくってるのぉ〜」
キーポンから久しぶりに電話が入ったのは、そんなドタバタの時だった。オヤジの荒れ具合を見抜かれているような気もしたが、嬉しかった。いい感じで気持ちの切り替えも出来てヤル気もでる。

「やだー!かえりたーい!切実にー!」
フロリダのノッチがSNSで叫んでいる。ホームシックになっているのかもしれないが、一方で楽しそうな日常の一コマを送ってくれたりもする。こうしてゆるやかに家族とつながってくれていると、お互い色々なことがあっても安心するし少し気楽になれる。

石見銀山の吉田家で寝ることが随分減ってきた。それでも、ひと晩寝ている間に何度もクロが起こしに来る。迷惑で鬱陶しいが、やはり可愛いところもあるし甘やかして許してしまう。いつもワイフにベッタリのシロが甘え鳴きしながらダッコをせがんできたり、とにかく吉田家へ帰宅すればネコチャンズに逢えると思うと、少しの無理も気にならない。

先日、元同僚が展覧会場をたずねてくれた。ありがたいことです・・・
開口一番「忙しくて・・これからまた行く先があって・・」などと、慌ただしく去っていった。
そんなに忙しいのなら、義理や人情で彫刻を観てもらわなくても良いのだけど・・給料貰って仕事させていただいて保証もあって、それで十分ありがたいことだとボクは思うな。

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ヒョロリくんの彫刻ー「かたち2」 

2017/09/23
Sat. 21:00

最近の島根県は・・・というより、石見銀山とか飯南高原とか奥出雲とか、私がウロウロと行動しているあたりは、雲の多い日が続いている。
今朝も、うろこ雲の向こうに朝日が出ていた。
うろこ雲が広がると近いうちに雨になると云う。少年時代の自由研究で夏休みの1ヶ月間ほど雲の観測をした時も、かなりの確率で次の日が雨になった。
万善寺の営繕でお世話になっていた近所のおじさんは、若い頃山に入って林業に従事していて、山の天気のことをとても良く知っていた。そのおじさんが、ある時うろこ雲と雨の関係を話してくれたことがあって、それを聞いた時は「ほんとうかなぁ〜〜?」と、どうも眉唾っぽくて子供ながらにすぐには信じがたかったから、それで逆に忘れないでよく覚えていた・・・そんなことを思い出しながら結界君を運転して早朝の万善寺へ着いた。

土蔵の前のユキちゃんの彫刻は、昨日とほとんど変化していなかった。
少し心配になったが、時には作業の手が止まることもたまにはあるし、ひとまずは見て見ぬふりですませておくことにした。
ユキちゃんが卒業した島根大学の教育学部には彫刻の研究室があって、木彫が専門の藤田英樹氏が学生の指導にあたっている。
彼は国展の審査もしているから、彫刻に興味を持って制作を続ける学生は卒業すると国展へ彫刻を出品して若いうちから受賞したりしている。田舎から大きな彫刻を公募団体展の本展へ出品するとなると、搬入搬出など、様々に経費がかかって出費も増える。よほどの財力とヤル気がないと毎年制作を継続して展覧会へ出品を続けることができない。まぁ、かなりの覚悟が必要だ。あらかじめ藤田さんのようなルートが出来上がっていると、そういう制作に付随する幾つかの実務や経費が削減できるから、若い作家には都合がいい。

ユキちゃんと仲の良いヒョロリテツヤは島大附属中学校で美術の先生をしているらしい。
彼も藤田さんを慕って国展へ彫刻を出品しているようだ。こういう若い彫刻家が元気の良い彫刻を制作してくれると展覧会も華やいで賑わいが増す。
現代彫刻小品展も大作を制作するための手がかりとして有効に利用してもらえたら良い。
今のヒョロリテツヤは、ねじれるかたちに興味があるようなことを云っていた。
制作の目標がなにも無くて定まらないままでは彫刻としてかたちにすることが出来ない。
まずは何かの手がかりを用意しなければいけないわけだが、彼のように気になる形とか現象を追いかけるところから彫刻に結びついていくのもいい。
研究室が木彫だから、卒業の若い作家はみんな木彫の制作になっているが、もう少し緩やかに広い目で彫刻を見ることが出来るようになれば、素材の枠を超えていろいろ自由な彫刻がつくられるようになるはずだ。自分の好きな形とか目指すテーマとか形態が、もっとも素直に表現できる素材に出会うことが出来たら制作の楽しみも膨らんでくると思うし、あまり若いうちから変に強いコダワリを持たないでおいたほうが良いと思っている。
私など、初期の彫刻は自分の身の回りにあるいろんな材料を手当たり次第使いまわしていた。そうすることで、そのうち素材の好き嫌いや向き不向きが解ってきて、少しずつ自分の彫刻と素材の関係が親密になってきて、今は鉄が大好きだから鉄の彫刻ばかりつくるようになった。まぁ、それも、ナントカの一つ覚えで発展性のないことだけどね・・・

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ヨレヨレオヤジの1週間ーその4 

2017/09/22
Fri. 20:46

奥出雲の会場で受付をしていると・・・というより、ノンビリと文庫本読みながら暇つぶしをしていると、「時の過ぎるのが早いなぁ〜」と感じる。
なかなか、珍しいことだ。
特にナニをするでもなくボンヤリ過ごしているだけなのに、アッという間にお昼になって気がつけばティータイムの時間が過ぎて、そろそろ会場クローズが近づく。
石見銀山や浜田が会場の時はそういうこともなく、むしろ時の経つのがゆっくりに思えて苦痛だった。
それで、「なぜなのだろう??」と疑問を持って分析するかというと、そこまでの根性も意欲もないし、あまり深く考え込んで悩みはじめても厄介だから、普通にヒマを楽しみながら冷めたコンビニコーヒーをすすっている。

あれは、台風が通り過ぎた次の日だった。
徳島野外彫刻展に出品の彫刻をワンボックスに載せて島根の石見銀山を出発したのは午後2時を過ぎた頃だった。
銀山街道を南下して島根県の県境を越えるまでは、特に台風の影響が残るふうでもなくいつもと変わらない風景が続いた。強いて言えば、江の川の支流が増水して濁流になっていたくらいだ。広島県に入ると、国道のアチコチへ折れた枝木が散乱していたりして運転に神経を使った。時折突風のような強い風がワンボックスの横腹へぶつかってハンドルをとられる。太平洋側の地域は想像以上に風雨が激しかったのだろう。

このところ、睡眠時間が平均して3時間程度しかとれていない。そういうことが数日続くうちに、そのうち身体が慣れてきて昼寝もしないまま普通に一日を乗り切ることが出来るようになった。それでも、夜になって夕食も終わってチョット気持ちが緩むと、途端に睡魔が襲ってきて何かしていても知らない間に意識が遠のいて爆睡している。
運転中にそういう状態にでもなったら大事になるので、瀬戸大橋を渡って四国に入ると、いつも以上に緊張してアクセルペダルを踏み続けた。
少し前には夜の7時というとまだ空に明るさが残っていたのに、もうスッカリ暗くなっている。秋分の日も近いから当然のことだが、いつの間にか秋になっていた。

徳島中央公園の彫刻搬入口に到着してから松永さんへ連絡した。それから、今年の設置場所へ案内してもらって、約1時間かけて彫刻のセッティングを終わらせた。
ワンボックスの返却もあるので、そのまますぐ出発しようとしたのだが、夕食に誘われたし、朝から飲まず食わずで搬入作業をしていて流石に腹も減っていたから、松永さんの親切へ甘えることにした。夜の9時過ぎに徳島を出発して島根へ向かったのだが、瀬戸中央道へ入る前に睡魔でダウンした。山陽道へ入ってからもそういうことが周期的に続いて、結局、石見銀山へ帰る気力をなくして万善寺で仮眠することにして、ユキちゃんへその旨伝えた。
夜と云うより、早朝の4時前に万善寺境内へ到着した。
お風呂にはお湯。台所のテーブルにはユキちゃんからのおすそ分け。
ユキちゃんの気配りに泣けた!・・・良い嫁さんになるゼッ!きっと!

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ノリちゃんの彫刻ー「ノビルーざわざわ」 

2017/09/22
Fri. 11:17

いつもより30分ほど早く展覧会場へ着いた。
いつものようにコンビニで買物をした。
街道脇に設置された温度計は16℃だった。
だいたいこんなもんなのだろうが、いつもより肌寒く感じる。
数日前から交通安全の桃太郎旗が林立するようになった。
今までにあちこちでそれなりの寄付をしてきたから、そろそろ信号機の1基くらい更新できたかもしれないし、もう十分だろうと思っていて、結界君と相談しながらできるだけ法定速度を守るようにしている。

会場受付の準備をして、本日の内職の店をひろげ、バックミュージックにビル・エバンスを流した。
「朝からビル・エバンスねぇ〜・・」
なんとなく場違いな感じもしたが、「ビル・エバンスは夜でなければいけない!」という決まり事があるわけでもないし、ウイスキーのオン・ザ・ロックでも、コンビニコーヒーでも、それなりに心地よい時が過ぎればそれでいい。

彫刻の写真撮影もおおよそ終わって、残りわずかになった頃、ノリちゃんが会場へ来てくれた。
特にスケジュールを伝えておいたわけでもないが、自主的に自分の時間をやりくりして気にかけてくれる。
搬入の時は、お葬式の坊主家業と重なってスケジュールの修正をしたりいつもの棟梁へ泣きついたりして苦労したが、個人搬入のノリちゃんがそのまま展示台の移動も手伝ってくれて、随分助かった。
そもそも、坊主という職業は予定があってないようなもので、相手の都合に合わせることが出来て当然だったりするから、スケジュールを事前にガチガチに固めすぎてしまうと、かえって周りが迷惑することにもなりかねないし、自分で出来ることは出来るだけ自分の都合で乗り切るようにしている。
写真も、このままのペースだとあと1日くらいかかるだろうと覚悟していたが、ノリちゃんのおかげてずいぶん早く終わらせることが出来た。

ノリちゃんは、現代彫刻小品展が始まったときから、欠かさず作品を制作して出品してくれている。
秋の彫刻展は子育てなどでしばらく不出品を続けていたが、この小品展へ出品するようになってからまた大作を制作するようになって、最近はコンスタントに毎年連続出品できるまでになっている。彼女はまだ10代の頃から知っていて、もともとセンスのある娘だった。その時々のひらめきや思いつきが楽にかたちになってくれるようなところがあるのは良いが、今の彼女の彫刻に、もう少し頑強な造形力の裏付けが備わると、もっともっと伸びていく程の素質を持っているはずだ。だいたいなんでも出来て器用貧乏なところもあるから、それで忙しくしすぎて彫刻制作が甘くなることもあって少々残念だ。
もう少し制作時間をタップリとって完成度をより高めて欲しい。

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グッチャンの彫刻「life」 

2017/09/21
Thu. 15:20

様子が見えてうれしいですが、更新しすぎです(笑汗)気休めですが無理なさらぬように…。
・・・・・東京のグッチャンからブログ宛のメールが届いた。

結界君の燃料が見る見る減っていくのを確認しながら山越えの近道を毎日奥出雲まで移動して、途中のコンビニで朝食と昼食とコーヒーを調達して現代彫刻小品展の展覧会場へ向かう。
会場受付をしながら彫刻の写真撮影をしたりしている。
今年から助成金がカットになったので支出を控えなければいけないし、自分でできることはできるだけ他人(ひと)に頼らないようにしている。
奥出雲での展覧会は、町内に回覧配布する800枚のチラシと、告知放送と、地元ケーブルテレビの情報で広報宣伝している。もっと大々的に宣伝すればそれなりの効果も期待できるのだろうが、今の吉田に出来ることは限界があるから、地域の皆様の「くちこみネットワーク」に期待することにしている。会場を訪れた皆さんには、口々に「来てよかった!」とか、「面白かった!」とか、好意的な感想を残していただいているので、展覧会の企画内容そのものは決して質の悪いものでないと思っている。あとは、展覧会の認知度を上げることに工夫をする必要があるということだが、やはり一人で広報活動のすべてをまかなうことに限界があるからそれなりの協力とそのための経費計上が大事になる。小品彫刻の方は県内の巡回をすることにしているし、それらの結果を総合して集計すると、それなりの成果が期待できると予測している。
とにかく、展覧会の継続がいちばん大事な島根県の彫刻振興につながると思っていて、実際、少しずつだが確実に県内から若い作家の彫刻出品も増えている。

まぁ、そんな感じで全国から集った彫刻に囲まれて、あまり無理をしないようにノンビリと会場事務を続けている。
だから、自分としては展覧会業務に脇目も振らずガツガツと汗を流してばかりいるわけでもない。
延々と彫刻の撮影を続けていても疲れるばかりで集中力も切れて、作家の大事な彫刻を壊してしまったりするとそれこそおおごとだから、時々休憩して文庫本を流し読みしたり、音楽を聴いたり、居眠りをしたり、こうしてブログを書いて暇つぶしをしたりしているわけで、無理をしているわけでもなんでもないのですよ・・グッチャン・・・
むしろ、ダラダラとだらしなく文字を並べている程度のブログを飽きもしないで丁寧に読み続けている方が大変なことなのではないかと、こちらの方が恐縮して気を使ってしまうほどなのです・・

そのグッチャンの今年の彫刻は、これまでのアカデミックな具象と違って今の興味や感動が正直にシンプルに伝わってくるようなところがあっていいと思った。
彫刻は大きければ良いというものでもないし、素材や形態へ真摯に向き合ってコツコツと丁寧にその時の感動をかたちに置き換え続けることが大事なことだと思う。
君の気遣い・・・とっても嬉しかったよ!

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ユキちゃんの彫刻「剪定」 

2017/09/21
Thu. 11:36

「風呂は夜派?朝派?」
「私は夜ですね。家族はほとんど朝かなぁ〜・・夕方に熱いお湯入れても結局その夜にだれも入らなかったりして、次の朝にシャワーですませたりして・・・そういうの無駄だと思うんですけど・・・」
「オレも夜派だなぁ・・それも、外から帰ってすぐ!夕食の前に風呂に入って一日の汚れた身体をキレイにしてそれから落ち着いて一杯!ってやつが最高だなぁ〜」

最近、万善寺で寄宿暮らしのユキちゃんと共同生活が続いている。
春の連休の頃からすると、奇妙な二人暮らしも随分こなれてきた。
やはり、どこかしら緊張している様子がうかがえるし、彫刻見習いの立場とはいえ、異性のことだから自分もそれなりに気を使う。
まぁ、最初の出会いなどだいたいそういうものなのだろうが、あれからユキちゃんも数ヶ月の間に3つの展覧会へ彫刻を造って出品しているうちに、少しずつお互いの壁が低くなって来たように思う。
そもそも、「彫刻」が媒体になってお互いの価値観がその1点に集約されていることが揺るがないわけだから、惰性の馴れ合いで共同生活を送っているわけではない。
お互いにお互いを気遣って思いやりながら持ちつ持たれつのゆるやかな関係が続けられたら、少々の性格の違いや価値観の相違など大した問題ではない。

前々からなんとなく思っていたことだが、ユキちゃんは自分の家族のことになると饒舌になる。
私もこうしてブログの中で、かなりの確率で家族ネタを垂れ流す。
他人のことや、よくわからない社会情勢や、もちろん彫刻家諸氏の丹精込めた彫刻の批評など偉そうに語る柄でもないし、ソコソコ自己責任で語れるコトというとそれほどたくさんのネタがあるわけでもなく、毎日の備忘録的扱いを崩さない限り、やはり身近な日々時々のコトを正直に伝えるほうがストレスもない。
そこで最近は、現代彫刻小品展のコトが中心になって毎日が過ぎているから、必然的に万善寺暮らしが増えるし、展覧会絡みでユキちゃんに甘えることも増えて、公私共に親密度が増すことになって、結局気がつくとユキちゃんが吉田家家族の延長的存在になりつつあったりして、そうなると、このブログの登場回数も増えてくるということになるわけだ。

このところ、奥出雲の帰りが遅くなるものだから、頃合いを見計らって風呂を用意してくれている。ユキちゃんの気配りに感謝しつつ先程の風呂の話題になった。
その風呂のコトが呼び水になって彼女自ら家族の話題がタップリ詰まった抽斗を開けた。
プライベートのことなので内容は一括割愛するが、とにかくその話っぷりが実に上手い!
いつもは寡黙で♭がかってモゾモゾとした聴き取りにくい小声の彼女が、家族ネタになるといっきに声のトーンも♯がかって起承転結表情豊かに語り始めるものだから、もう完全に笑いのツボにはまって、そのうち後頭部から側頭部の耳の後ろあたりがズキズキと痛み始めたりして耐えられなくなってきた。
彼女にはそういう一面も隠されている。

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ヨレヨレオヤジの1週間ーその3 

2017/09/20
Wed. 17:53

何年も前からお世話になっていたレンタルトラックの取扱業者が撤退してしまって、それ以来、彫刻関係の移動に苦労している。
徳島野外彫刻展に彫刻を搬入するのに都合の良い業務用のワンボックスがナカナカ手配できないでいた。現代彫刻小品展の準備の合間を見てなんとか借りる手段を見つけるところまでは良かったが、鍵の受け渡しや彫刻の積み込み移動などで無駄に結界くんを走らせることが増えて、もうソレだけでヨレヨレオヤジの体力が消耗した。

奥出雲と万善寺の往復で結界くんを走らせる。
展覧会場を出ると谷川沿いの県道をしばらく北上して、途中から左へソレて西へ向かう。そこから先は幾つもの山越えをして幾つものトンネルを潜って、途中のスーパーで買い物をして万善寺へ帰る。
もうかれこれ10日間くらいはこんな毎日を続けている。
その間に、稲刈りが始まって終わる。
ススキが穂を出し、そばが白い花を咲かせる。
台風もやってきたが、中国山地がガードしてくれた。
北朝鮮のミサイルは島根に大きな影響もなく過ぎたようだ。
広島カープが2年連続でセリーグを制したが、その歓喜を共有することは出来なかった。
先月末から続いていた七日務めの代行坊主が終わってやっとお役御免になった。
烏蒭沙摩明王様の一時遷座は、改修工事が終わって新トイレに安座される日も決まったので、彫刻制作中の工場から駆けつけてお経を読んだ。
まぁ、とにかく、毎日が昼も夜も関係なく目まぐるしく過ぎた。

現代彫刻小品展のキャプションと出品目録を造っていたら、出品者の彫刻が2点遅れて加わった。
その原稿差し替えや印刷を予定していた日に鳥取のアヤノちゃんが大作の試作を持ってやってきた。
昼の間は工場にこもって鉄の粉塵をかぶりながら彫刻の制作を続けていたから、もう、寺の玄関に入ったときは倒れそうだったが、すでに到着していたアヤノちゃんの弾けるほどの元気な笑顔に押し戻されてかろうじて踏みとどまった。
制作も佳境に入って、もう少し深刻に悩んで目が三角になっていても良い時期のはずなのにイヤにハイなのがかえって心配になる。
今更吉田ごときにお伺いをたててもそれほど作品レベルが向上するわけでもないと思うが、それなりになんとなく頼ってこられると、こちらもとろけた脳味噌を駆使してなんとか付き合っていこうという気になる。
こういう、制作の店を広げるのに建具を取り払った14畳ほどの寺の庫裏は都合が良い。
知恵を出し合いながら構成を煮詰めているうちに、いつの間にか夢の世界へトリップしていたようで、気がつくとすでに早朝!
アヤノちゃんは、ほぼ徹夜で試作と格闘していた。ナカナカの根性と体力だ。
それからヨレヨレオヤジはセッセと目録を手直しして印刷を続けた。
彫刻展の初日がこうしてスタートした。

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ヨレヨレオヤジのの1週間ーその2 

2017/09/20
Wed. 11:26

万善寺から奥出雲の現代彫刻小品展会場までは、近道だと1時間もかからないが、国道から主要県道を経由した平易な道だと1時間半ほどかかる。
この2つの選択肢を毎朝毎夕の往復で悩む。

このところ、本気になって寝たことがない。
眠くなると自分の近所にあるシュラフへ潜り込んだり、気がつけばデスクワークのリクライニング椅子で仮眠していたり、小さなソファーへ丸まって寝ていたり、とても不健康な睡眠をとっていて、朝起きると、節々が固まって悲鳴を上げてナカナカ思うように動かない。
大作の彫刻を造っているユキちゃんが寄宿してくれているから、いつの間にか眠ってしまった私へ知らない間に夏布団を掛けてくれていたりして、かろうじて風邪をひかないですんでいる。

小品彫刻展のスタートは台風とぶつかった。
吉田はかなりの確率で雨男だし、自然を相手にどうこうできるわけでもないから、なるようにしかならないと、その時々の状況に身を委ねている。
今回は、オープニングで四国在住の彫刻家松永さんを呼んでいたのだが、台風の直撃進路に当っていてそういうところから移動するのも難しいだろうと予測していたら、当日早朝に電話が入って、「まだ、風とかたいしたことないんだけど、JRが運休決めて移動手段が無いのよ・・」と、弱りきっていたから、「こういう時のことなので無理されないでください」と伝えて、すぐに宿泊予約のキャンセルをしたりして、少しざわついた。
結局、オープニングトークとワークショップは台風の影響で割愛となったが、ささやかなオープニングパーティーは奥出雲からの参加もチラホラあるし、若い20代の出品者も遠方から駆けつけてくれて、打ち止めは周藤さんも加わって大いに盛り上がった・・・と思う。主催の吉田としてはなかなか楽しかったし、満足したが、さて、参加してくれた皆さんはどうだったのだろう?

その夜は、展覧会場の床に梱包材の毛布などを敷いて一人用のテントを張ってシュラフで寝た。
ユキちゃんとヒョロリテツヤはそれぞれテーブルをベット代わりにしてそれぞれのシュラフへ潜り込んで寝たようだ。
最近の若い皆さんは、「シャワーがないとダメ!」だとか、「枕が変わると眠れないの!」とか、いろいろ堅苦しくて難しい日常を過ごしているようだが、吉田はそういうことで気にすることもないし、浜田の彫刻展のように車中泊をしないですむし、奥出雲の展覧会会場は素晴らしい環境だと思っている。

寝ている間に台風は東へ去って船通山のあたりへ雲を残しつつも、展覧会2日目は朝から青空が広がった。ユキちゃんが1日会場の受付をしてくれるし、奥出雲のアクティブオヤジが会場当番をしてくれることになってとても助かった。
ボクは、安心して徳島野外彫刻展の作品搬入へ出発できます!

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ヨレヨレオヤジの1週間ーその1 

2017/09/19
Tue. 14:03

「万善寺さんの携帯でしょうか?・・○○ですが、昨夜父が亡くなりまして・・・」
それは、突然の電話だった。

ちょうど、工場にこもって徳島野外彫刻展用の彫刻を造っている最中で、プラズマ切断の電源ノイズとトーチの先からコンプレッサーの圧縮空気が勢い良く吹き出ているなんともうるさいときで電話の内容がうまく聞き取れなかったものだから何度も聞き返した。
たしかに、身内が亡くなった状況の中で「大きな声で元気よく!!」会話が出来るわけもなく・・・とても失礼なことをしてしまった。
奥出雲の現代彫刻小品展が始まる直前で、これから展示台を運んだり彫刻の展示をしたりキャプションや出品目録などを印刷したりでいっきに忙しくなるから、少しでも彫刻制作を先に進めておこうと、がむしゃらに鉄板と格闘している時だったから、だいたい目標にしていたその日のスケジュールが崩れてしまって、一瞬頭が真っ白になった。
「それはそれは、お寂しいことでしょう・・・なんともご愁傷様でございます・・ところで、亡くなられたのは○○さんでしょうか?」
「はい、父の○○です。それで、お葬式をお願いできないかと・・」
そのお宅は、万善寺のお檀家さんではなくて浄土真宗の門徒さんだから、詳しく家の事情を知らないし、時期が時期だけに普通ならまずお断りする方向で話を聞き取っていたのだが、先代住職からの付き合いもあるし、お父さんご夫婦が健在の頃は夏の棚経に毎年お邪魔して親しくさせていただいていたし、なかなかうまく次の会話に繋げられないまま、結局葬儀日程などの具体的な話になって、「ひとまず、今の用事が落ち着いたところで枕経のおつとめにお邪魔しますので、詳しくはその時に聞かせていただきますから・・」となって、浄土真宗さんのお手伝いをすることに決まった。

それから自分の周辺が慌ただしくなって、とても一人で展覧会業務をまかなうことが不可能になった。
すでに、アルミ2tのレンタルもしてあるし、展示台の搬入をしないと展覧会を始めようがない。急遽、いつもの棟梁へ連絡してスケジュールの修正をした。
ここまで幾つかの違った事情がひとつに集まることなどなかなか無いことだ。
仏事の事情に彫刻の事情をかぶせても正当な言い訳にならないし、彫刻のスケジュールを仏事の事情で変更もならないし、アレはアレでコレはコレで別々の事情に一人の親父が絡んでいるだけのことだから、結局は誰の迷惑にもならないように自分の事情を工夫してやりくりするしかないことだ。
ナニが出来るかというと、世間が寝静まった夜の間に幾つかのスケジュールをはめ込んでしまうということ。
それ以来、ほぼ1週間・・・だいたい睡眠時間3時間程度で乗り切っている。
寝る前とか目覚めのひと時を使ってプチプチとキーボードを叩いて垂れ流していたオヤジのブログも、完全にその時間を奪われた。
さりげなく私のブログへ付き合ってくれているのは、吉田家オヤジと一・二を争うほどヒマを上手につくっているノッチくらい。
そのノッチがボクのことを心配してくれた!・・・嬉しいよね・・・ヤル気が出るよ!

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夜の奥出雲 

2017/09/13
Wed. 23:25

現代彫刻小品展の開催に向けて着々と準備が進んでいる・・・と言いたいが・・・
なにかとってもヤバそうな状況に突入しつつある・・・

彫刻の方は、大した混乱もなく展覧会場の奥出雲町へ続々と届いてきた。
朝から慎重に彫刻の破損などを確かめながら受取当番をしながら荷物を解いていると、中から手紙とか梱包材代わりの差し入れの品とか色々出てきて、思わずにやけてしまう。
毎年のように、こういう彫刻家の心のこもった気配りに接した時、「あぁ〜、やっててよかったなぁ〜〜」と心底そう思う。
今年から補助金の対象から外れたし、いろいろな公的事情で開催期間がナカナカ決まらなかった上、私の私的事情や坊主絡みの年中行事の大幅な変更があったりと、いろんな条件が複雑に絡み合ってしまって、一時は展覧会開催が不可能のように感じた時もあった。
それでも、こうしてなんとか会場の調整もできて彫刻やありがたい梱包材も集まってくると、やはりやめないでよかったと実感している。

気がつくと日にちが変わって深夜の2時を回っていた。
奥出雲は、飯南高原ほどではないが、夜になるとやはりいっきに冷え込む。
例のごとく結界くんには必要最小限のアウトドアグッズと梱包材代わりの古毛布などを常備しているからだいたいのことは安心できるが、今年は、「多分こんな感じで外泊も増えるだろうなぁ」と予想できていたので、先週になって一人用のテントを新調しておいた。
シュラフとテントがあれば日本国中何処に居ても大体のことはしのげる。それに、展覧会場そのものは、シャワーとガス施設がないだけでソレ以外のものはすべて揃っているから自宅の延長のようなものだ。

疲れたら何時でもシュラフに潜り込んで寝ることが出来るように準備してから、会場に残ってデスクワークをしていたら、鳥取で制作をしているアヤノちゃんから着信が入った。
もうかなり遅い時間だったから、制作のことで行き詰まったのかと心配になって電話したら、まだ学校で仕事中だという・・・もう、ビックリ!!
そういえば、展覧会場になるガラス工芸館の隣りにある中学校も夜の10時を過ぎてまだ光光と明かりがついて、駐車場にはファミリー仕様の車がビッシリ並んでいる。
島根県といい鳥取県といい、山陰の教育界は公然とブラックを黙認している。
「まだ、がっこうなんですぅ〜・・、チョット相談したいことがあるんですけど、これから出かけても、ものすごく遅くなるしぃ〜・・、どうしようかと思ってぇ〜・・」
ボクへのその相談というのは、「学校教育について・・」なんて全く関係なくて、展覧会に向けての大作の制作のこと。
だいたいに、公僕時代のボクなど、ひどい時はお昼のティータイムを過ぎた頃から勤務先の敷地内で堂々と制作の店を広げ、平気で職場の電源を使い騒音ノイズなどお構いなしてディスクグラインダーをガンガン使っていたりしたから、公私混同も甚だしいほどの5時からオヤジ・・と云うより3時から彫刻家を乗り切っていた。
夜の10時を過ぎて制作に気持ちを切り替えることなど無理でしょう!・・それでもなんとか制作にしがみつこうとしている様子が愛おしく思える。若い作家が育つはずがない!

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スケールが違う 

2017/09/12
Tue. 23:28

午前中から昼過ぎにかけてははそうでもなかったが、その後雨脚が次第に強くなって、日が暮れる頃には暴風雨に変わった。
奥出雲の展覧会準備で、会場まで備品を運んだりしてアレコレするうちに暗くなったので施錠してその日の作業を終わらせた。
奥出雲からだと万善寺経由で石見銀山まで2時間弱かかる。
吉田家へ着いたのは夜の九時を過ぎた頃だった。
途中、雷がすごくて、一瞬真昼のように明るくなる。
撥水剤のおかげで視界はかろうじて確保できているが、それにしても凄い暴風雨で結界くんも時折フラリとふらつきながら必死で態勢をキープしている。

やっとの思いで吉田家にたどり着いたら、ワイフがテレビを見ながらまだ寝ないで起きていた。
いつもだったらもう布団へ潜り込んでいる頃だから、きっと私の帰りを待ってくれていたのだと思う。
遅めの夕食の間も屋根を叩く雨音がすごくて、テレビの音声が聴き取りにくい。
夜も遅いし、こういう時は心配をめぐらしてもどうなるものでもないから、サッサと寝てしまうに限る。

島根県の暴風雨位で結構ビビッて大変な思いをしているわけだから、フロリダ上陸のハリケーンはとてつもなくデカくて、私ごときの想像の域を遥かに越えているのだろう。
ノッチのことも心配ではあるが、あまりにも距離が離れすぎていてドウコウするにもすべてが気持ちの空回りで過ぎてしまってオヤジの現実からは程遠い。
本当に世界は広いんだなぁと実感する。

「今日はじゅん君の誕生日だったはずだ・・・」
ふと気がついて、「忘れないうちにSNS送っておかないと!」と、なにか大事な義務感のようなものに気付いて「おめでとう!」と送っておいたら、「ナニが??ヒョットしてボクの誕生日のことだったら、それ、明日だよ!」と返信があった。
そうなのだ!そういえば今日はじゅん君の誕生日の一日前の日だった。
「しまった!」と一瞬思った。
それでも忘れて過ぎてしまうよりはまだマシだ。

その、じゅん君の誕生日の前日が、彫刻の業者搬入日であった。
会場で彫刻の梱包を解きながら1日がすぎる間に新しく4点の彫刻が届いた。
昨日と合わせて合計32点となって、最終的には40点位の彫刻が集まりそうだ。
昨年は点数が多すぎて窮屈な展覧会になったから、今年くらいの点数が奥出雲の会場にとっては丁度良い。それに、島根県在住の若い彫刻家の出品が増えたことも喜ばしい。
一仕事終わって休憩しながら家族のSNSをチェックしたらフロリダのノッチがハリケーン通過の状況を載せていた。宿舎前の樹木が裂け折れるほどだからかなりの威力だったと想像できる。嵐の後の虹が絵に描いたようだ。ナンもカンもアメリカはスケールが違う。

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生業と家業 

2017/09/11
Mon. 23:39

現代彫刻小品展の業者搬入がはじまった。
昨年から会場が奥出雲町へ変わった。
この展覧会は、2010年から始まったので今年で8年目になるが、1年で2回から3回巡回することもあるので、回数はすでに10回を越えている。
よくここまで続いていると他人ごとのように思ってしまうが、だいたいがナマケモノの部類に属している自覚もあって、ノンビリ彫刻やクラフトばかりしていると、そのうちそれも面倒になって制作から遠ざかってしまいそうな気がするものだから、常に自分を適度に追い込んで忙しそうにしておかないとダメになりそうだとビビッてスタートしたようなところがある。

絵を描くこともキライではないが、どちらかというと工作のようにモノをつくることの方がスキだったから、結局そういう方面の勉強をはじめて、そうなると物好きの趣味程度では済まされなくなって、しだいに造形の世界へ本気に踏み込むようになった。
もう昔から坊主になることが決められていたから、別に好きで坊主になるわけでもないし、そういう気持ちで死ぬまで好きでもない仕事を続けることも嫌なことだから、自然と制作表現の方へ力が入るようになって、ソコソコ自信もついて納得できるところまでいくと、それなりの欲も芽生えるし、同業諸氏との付き合いも楽しいし、制作中の苦しさが快感に変わったりしはじめると、もうあとに引けなくなってそれが生業になった。
坊主は家業のようなものだから、それはそれで吉田家の継承的重要度も承知している。
いつの頃からか、生業と家業が少しずつ適度に混ざりあって、造形のコンセプトを形成するようになっていた。

現代彫刻小品展も、一年中ソレばかり思い詰めてアクセク働いているわけでもないが、いつの間にか少しずつ規模が大きくなって好意的意見を聞くようになったりすると、そろそろ自分の手に余るふうに感じるようになって来た。
今年は、春先から坊主家業の方と吉田家の私事の慶弔事が絶え間なく続いて、彫刻絡みの幾つかが著しく調整不能になって息切れし始めた。
このままだと、いずれどこかで何かにつまづいておおごとになりそうな気もしてきたから、まずは自分個人の事情をやりくりして精査整理することにした。
そういうめぐり合わせでもあるのだろうし、過去の自分を振り返る良い機会でもあった。

いまのところ、造形の枯渇を感じたことはないが、肉体の衰えによる制作上の不具合が先行して、造形の変更を迫られることは増えた。当初、この造形の変更がかなりのストレスになって制作の苦痛に耐えられないこともあったが、その時期を踏ん張ると、意外な発見があったりしてソレはソレで面白いと思えるようになった。そうなると、本当に難なく次の展開が具体的に見えるようになって、最近では昔々の自分のようにチョコチョコとメモをとっていたりするようになって、それはとにかくとても久しぶりのことだ。
これから先、あとどれだけ制作できるかわからない。メモは増えるかもしれないが実材の彫刻の方はそろそろ指折り数えられるくらい予測できるようになってきた。
彫刻も仕切り直しで再スタートを考えても良い頃なのかもしれない。

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ヨレヨレオヤジの日常 

2017/09/10
Sun. 23:11

工場での彫刻制作も2日目が終わって、それなりに集中力も維持できている。
2日といっても実質10時間くらいしか制作時間の確保ができていない。
1日は半日ほど奥出雲でつぶれ、1日は現代彫刻小品展の事務が思ったより長引いてしまった。
それでも、大きなパーツの1つは仮溶接で立体が見えてきた。

今回の彫刻は、幾つかある手持ちのテーマの中では、比較的具象に近い分かり易いものになっている。
設置場所が大きな公園の敷地内に決まっていて、不特定多数の鑑賞者が対象であると思われるからだ。
こういう場所へ、個人の主観的造形の緊張を押し売りしても迷惑なことだろうと思っていて、そういう彫刻は、むしろきちんとした美術館の閉鎖された空間で先端的刺激を共有する方が面白いと考えているからだ。

彫刻のスケールは、自分にとってとても重要な要素になっている。
それぞれのテーマが違えば、それに最適のサイズがおおよそ見えてくるし、設置空間の条件によっても最適な空間の共有を得るためのスケールが決まる。
小さいサイズであるから緊張感の増す彫刻になることもあるし、そのかたちをそのままスケールアップしてもただ茫洋とした掴みどころのない彫刻にしかならないこともある。逆に彫刻のスケールが大きいから空間の広がりに説得力が加わって楽しめることもある。
私の場合は、どうも自分の眼で確かめて自分で汗を流さないと気がすまないようなところがあって、時々そういう融通のきかない自分の性格が自分の首を絞めて彫刻の広がりを捨てているような気がすることもあるが、今更無理してそれをどうこうする気にもなれないし、まぁ、まともに納得できる制作の継続もあと10年位だろうと予測していたりもして、自分に残された制作時間を有意義に楽しめればソレでいいと思っている。
とにかく、彫刻の大小関係なく、それが彫刻でなくてクラフトであっても、何か手を動かして少しずつかたちになって、制作の痕跡が納得できていれば、それが一番いい。誰のためでもない自分のために良い汗を流せればそれで十分なのだ。

先日万善寺の境内で鉄にディスクグラインダーを使っていたのだが、改めてその場所を見るとホワイトグレーの真砂土が一面茶色く変色していた。
庫裏の軒先の踏み石に腰掛けて、ほんの20〜30分鉄を削っていただけのことだが、仕事の痕跡が正直に残っている。
土蔵の軒先ではユキちゃんがエンジンチェンソーをふるっていて、クスノキのチップが散乱している。
禅寺末寺万善寺も、今年の春から少しずつ彫刻の要素が加わりはじめて、近所の目や耳を刺激し始めた。
石見銀山の吉田家では、ワイフの一手間で町並みに面した軒先が秋仕様に模様替えされて観光客の目をなごませている。
こういう造形表現のさりげない変化や継続がヨレヨレオヤジの日常の励みになっている。

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気持ちのもんだい 

2017/09/09
Sat. 23:36

やっぱり、整頓された工場は気持ちがいい。
このまま何時までも綺麗なままだったら良いと思うが、そうなるともう彫刻を造ることもなくなるだろうし・・・まぁ、適度に乱雑な方がヤル気になれるような気もする。

坊主の修行では、毎日欠かすこと無く掃除をする。
修行の僧堂が違えばシステムも少しずつ違うと思う。私が修行させていただいた僧堂では幾つかの係を振り分けられて、それなりのスケジュールも決まっていて、毎日掃除ばかりをしていたわけでもなかったが、修行僧全体を均すと、誰かが何処かの掃除をしているということに変わりはなかった。
面白いもので、万善寺の暮らしを続けていると、1日のかなりの時間を掃除に使っていることに気付く。
草刈りやチョットした改修作業も含めると、寺にいる時で、お経を読んだり食事をしたり寺務のデスクワークをしたりする以外は殆どなにかしらどこかしらの掃除や営繕作業をしていたりする。
長い目で見ると、結局毎日だいたいそういう似たり寄ったりの生活をしていたら、極端に酷く汚れることも荒れることもない。やはり、修行暮らしの基本として掃除は重要で大事な作務のひとつだということだ。
そう考えると、日常的に自分一人で維持管理できる限界点が見えてきて、山寺万善寺は狭いながら少々手に余る程の規模になる。6畳チョットの工場と物置倉庫くらいがちょうどいい大きさといえる。
その工場で午前中かけて鉄板の裁断を8割方終わらせた。
あとは溶接をしながら細かい微調整をしつつ組み立てていくことになる。
頭の中ではおおよその図面も出来ていて、現物を見ながら具体的なかたちを造り込むことになる。
久しぶりにまとまった制作になって、心配していた集中力も比較的長持ちして、身体の動きもソコソコで体力も極度に衰えたふうでもなかった。
これから制作が長期化するし、自分の身体の様子を見ながら無理をしすぎない程度に工場通いを続けようと思っている。

午後から奥出雲の展覧会に向けて結界くんへ積めるだけの資材や備品を運んだ。
久しぶりの会場は未使用の期間が続いたせいか埃っぽい空気が停滞して、展覧会にはいらない什器がたくさんあって、それらを整理するだけで1日はかかりそうだ。
今回からは人手に頼ることも難しくなったから、会場整備の時間や体力も確保しておかなければいけない。
彫刻から遠ざかった坊主暮らしで鈍り切った身体や精神を鍛え直さないといけない。

家族のSNSに吉田家三姉妹が情報を流していた。キーポンは友達とJUMPのコンサート。なっちゃんの結婚式で造った掲示板がやっと使えてもらえたようだし、ハリケーンが心配なノッチは同僚と助け合ってたくましく暮らしているようだ。
こういう家族情報は私の鈍り切った気持ちを奮い立たせてくれて励みになる。

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残暑の1日 

2017/09/08
Fri. 23:19

早朝の銀山街道は濃い霧に包まれていた。
予報ではこれから晴れて残暑も厳しくなるようだ。

あまり体調の優れないワイフが夜中に咳をするようになった。
これから六本木の彫刻の制作もあるし、現代彫刻小品展もあるし、徳島の野外彫刻展もあるし、とみやまでは3年目を迎える彫刻アートワークもあるし、年末まで彫刻漬けの制作が続くから、身体には十分に気を使ってほしい。
石見銀山と万善寺の二重生活をしている間に、自分の身の回りのものが二箇所へ分散してしまった。その時々の都合のいいようにモノをアッチとコッチへ持ち運んでいたら、コッチで必要なモノがアッチにいっていたり、アッチで必要なものがコッチにあったり・・そんな暮らしが暫く続くと、最近衰えが加速する脳ミノのハードディスク系統がパニックを起こしてしまってクラッシュ寸前状態になっている。
ワイフに必要な風邪薬も、記憶の断片を手繰っていったら万善寺の寺務所にあったことを思い出して、朝飯前に早朝の銀山街道を走ることになった次第。

ワイフにはとにかく休息して風邪を早く直せと言い置いて、彫刻制作の工場へ出かけた。
前回その工場で彫刻を造ったのは、今年に入ってまだ母親が生きていた頃だった。
その後、彼岸明けに母親が死んでからあとは万善寺のことで手一杯になって彫刻制作の時間が消滅したままアッという間に半年が過ぎた。
鉄粉とガーネットが混ざった粉塵が工場の床一面に積もっている。
何時もなら制作が終わって彫刻を搬入して展覧会の用事が落ち着くとすぐに一斉清掃をして次の制作に向けて環境を整えておくのだが、今年はソレも出来ないまま春から秋になってしまった。
大作用に造り付けた鉄板の野外デッキには、早々と落ち葉が積もり始めている。

工場の2階は彫刻の展示台を保管する倉庫になっている。
自分のスケジュールをザックリと調整してみると、今のうちに小品展の展覧会用に展示台をプラットホームの近くまで移動しておいたほうが良いと判断して、掃除が終わってからその作業をはじめた。
今までは、何かにつけて作家仲間が作業を手伝ってくれていたが、今年から現代彫刻小品展の方は助成金が切れたからそれも頼みにくくなった。それでも作業を割愛することも出来ないから、気持ちを切り替えて約80個の展示台をすべて1階へ降ろした。
こういう作業は、時間があれば十分一人で出来ることでもあるし、はじめから誰かを頼ってしまうとそれだけで自分の気持ちが無駄に荒れる。調子の悪い膝をかばいながらだいたい1時間ほど1階と2階を往復した。

夕食はアジの刺身が出来ていた。アジはボクの大好物で、ワイフの気遣いが伝わって、疲れもいっきにとれて麦とホップが2カン空いた。
ノッチから巨大ハリケーンの情報が入った。
水の確保もなんとかできたらしい。少し安心した。

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2017-10