工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

作家の言葉 

2017/02/21
Tue. 18:34

今更改まって云う程のことでもないが、実は、彫刻家としての吉田正純は何かしら造形作品のようなものを造り始めた20代の頃から今まで1年も休むこと無く何処かの展覧会へ発表を続けている。
「あれだけ飽きっぽい性格でナマケモノなのに」よくこの歳まで地道に長々と長続きしているものだ・・・と感心しつつ、ふと、自分で自分のことを褒めてあげたくなってしまうときがあったりする。

制作を始めた初期の10年間位は、毎年アチコチの展覧会の出品規定や要項をチェックしながら、そして時には、実際にその展覧会の会場へ出かけて出品作家たちの作品を観たりしてから、幾つかの作品を造って出品したりしていた。落選するときもあるし、入選するときもあるし、まぁ色々だったが、何かしら形が完成して搬入までのなんとも例えようのない虚脱し且つマッタリとしたひとときが無性に気持ちよかった。制作中の抑圧された全ての欲望が一気に開放された感じだと云って良いかも知れない。
その時々によるが、ある時は映画館を目指したり、ある時は行きつけの飲み屋へ直行したり、ある時は神保町で古本を買い漁ったり、天気が良いと新宿御苑でメシも食べないでごろ寝していたり・・・とにかく、だいたい一人で過ごしていた。

20代後半にワイフの彫刻搬入搬出を手伝うようになって、それがとても刺激になった。
彫刻制作の裏側がリアルに伝わってきて、いい勉強になった。その搬入会場へ参集する彫刻家たちの様子が自分の感覚にあっていたというか、ゆるやかに包容されるような空気感が心地よかった。ワイフの彫刻出品を手伝いながら依然として特定の会派を決めることもなくのらりくらりと気ままに制作を続けていたが、いつまでも搬入出の手伝いばかりしていてもしょうがないし、少しずつ本気になって結局彼女の会派へ合流することにした。
それが二紀会で、気がつけばあれからすでに30年以上出品を続けている。
出品歴はワイフが長いから、たぶん、彼女が彫刻を造り続けていることで飽きっぽい性格のボクもここまで継続してこれたのだろうと、今更ながらにそう思う。

たぶん、昨年の年末くらいだったのだろう、二紀会事務局から70周年記念誌の原稿依頼が届いていたらしい。
寺のことでドタバタしていた頃だから、自分でそのことを確認できていたかどうかも覚えがないまま過ぎていたら、先日、彫刻部のH氏から督促の電話が入った。その前にも別件で二紀会本部からFAXが届いていたようだし、なんともだらしない組織員で、会の運営に何かと迷惑をかけっぱなしでいる。
あわてて、原稿を書いてH氏にメール送信した。Hさんゴメンナサイ・・反省してます!

〜〜〜〜〜〜〜作家の言葉〜〜〜〜〜〜〜
近年の彫刻は、一貫したテーマを主軸に制作を続けている。この彫刻もその一つで、まぁ、読み切り連作小説の一編のようなものと思って観ていただければありがたい。そこにある彫刻とそれを観る鑑賞者のあいだに発生するさまざまなシンパシーが自分の彫刻の成長につながるといいし、それを楽しんでいる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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雪男の旅ーその3 

2017/02/20
Mon. 21:19

強行軍の彫刻搬入から帰って一段落したら、いっきに気持ちの緊張が抜けて、それまでだましつつ働かせていた身体のアチコチが鈍く痛みはじめて身動きできないほどになった。
2ヶ月あまりの万善寺暮らしの間に、自分の身体から筋肉がとろけてなくなってしまったようだ。

岡山の児島一帯をフィールドにした芸術祭へ彫刻出品を誘われたのが昨年のこと。
その時の誘い主は学生時代の同級生のiさん。
現在のiさんは、七宝の作家で作品制作と展示発表を繰り返しつつ、日本各地や欧米の都市部を中心に七宝教室の講師をしたりして技法の伝授を積極的に展開している。
長い間、東京を基地にして暮らしながらそういう制作活動を続けていたのだが、故郷で暮らすお母さんの高齢に伴い、Uターンを決めたのが今から数年前のこと。
その後、何度か「正純の近くへ帰ったよ!」と連絡をくれたり、共通の友人から情報が流れてきたりしていたが、2年前の暮になって、今回の「岡山での文化イベントに参加しない??」かと誘ってくれた。
私は年中ヒマにマイペースな暮らしぶりだから、こういう時の誘いに乗っておかないと、いつも忙しくしている彼女と逢う機会もなかなか巡ってこないだろうと思って、参加を決めた。
「久しぶりにiさんと逢えるかも?」という動機からして、主催者の高尚な文化事業をどこかしら無視してしまうような超個人的なレベルで彫刻出品を決めたようなところもあって、昨年の初出品はとにかく吉田のワガママワールドが炸裂した感じで終始した。

その後いろいろあって、なんとなく岡山との縁が絶えないまま1年が過ぎる間に、少しずつ岡山の主催メンバーとも緩やかなつながりが出来てきて、今年はiさん抜きで2回めの参加をすることが決まった。
それで、先週末に搬入日程を組み込んで、2tのレンタルをしたりして行動を開始した。
ちょうど移動の最中に天候が崩れて降雪の予報になっていたから、直前までスケジュールの組み立てがなかなか決まらなくて、チキンオヤジの神経がとにかく消耗した。
いつもの雨男が今年になって雪男状態になったまま、雪深い中国山地を越えることになってしまった。
だいたいに岡山の瀬戸内沿岸は年中温暖な気候で過ごしやすいところだが、児島での搬入作業のあいだ中、絶え間なく小雨が降り続いて肌寒い1日になった。それでも、お昼過ぎには一通りの搬入と展示の作業を終了することが出来た。これも、岡山倉敷森山珈琲君が甲斐甲斐しく献身的に手伝ってくれた御蔭だ。ありがとうございました!

同日にキーポンの引っ越しをスケジュールに入れていたから、昼飯抜きで一気に倉吉へ移動した。荷物を積み込む最中はみぞれになったりした。まったくもって、ことごとく悪天候に悩まされた1日1晩になった。
打ち止めは・・・やっとの思いで石見銀山の我が家近くまで帰ってきて、あと少しで町並みの自宅前というところで、2tのアルミの角を民家の雨樋へぶつけてしまった。
真っ暗な中で平身低頭家長に謝ったり善後策を決めたりして身も心も冷え切って凍った。

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気持ちの切り替え 

2017/02/17
Fri. 18:42

ボーズには特に関係も影響もないことだけど・・・まぁ、ひとまずのくぎりということで気持ちの切り替えも必要だし・・・
2月14日バレンタインデーをご縁日に、万善寺暮らしから石見銀山の吉田家暮らしに移動した。
約2ヶ月半の間に少しずつ増えた荷物運搬で参道の一本道をヨレヨレになりながら結界くんまで何往復したことか・・・
3回目の寒波は、完全に山雪寒波だったようで、石見銀山は申し訳程度に薄っすらと雪が降り積もった程度のことだった。
飯南高原から約40分ほどの間に、風景がまったく変わってしまう。

2月15日・・・島根大学教育学部の卒業制作展が県立美術館ではじまった。
若い学生さんの4年間の勉強の成果発表だから、できるだけ毎年の展覧会を外さないようにしている。
今年は、週末から倉敷児島の芸術祭イベントで彫刻搬入があるから、珍しく青空も見えて天気もいいし、初日に出かけることにしてワイフを誘った。
裏日本の山陰で暮らしているから仕方がないことだが、やはりアチコチアクティブに行動しようとすると雪はそれなりの障害になって動きも鈍くなってしまう。

ワイフとしばらくぶりの情報交換をしながら松江の県立美術館へ移動している最中に、iPhoneが鳴った。
お檀家さんからの着信だったのでふと嫌な予感がした。
ハンズフリーにしたら、「主人が亡くなりまして・・」・・・予感が的中してしまった。
「いま移動中でして・・・夜の8時位にはお邪魔できると思いますので、それでお願いします。急なことでしたね・・・」
葬儀日程の事務的な話も必要だが、まずは少しでも早く枕経を読んであげなければいけない。

卒業制作展も、そんなことでなんとなく落ち着かないままになってしまったが、作品の内容は力作ぞろいで好感が持てた。
前年に工芸の教授が定年退官された関係で、金属工芸の作品が絶えた。
退官の彼は私の大学時代の先輩で、内地留学の2年間は隣の研究室でよく見かけていた。
私が島根へUターンした頃の彼はまだ独身生活をしていたから、時々吉田家を訪問してワイフの手料理をぱくついたりしたこともあったが、そのうちどちらからともなく疎遠になった。それでも、同じ県内に暮らす、同じような金属素材の造形作家つながりもあるから、時々風の便りに彼の情勢を耳にすることもあった。出身は兵庫だが奥さんの実家が松江なので、自宅を新築して松江の人になったようだ。ちなみに、奥さんはワイフの後輩になるが、こちらも特にワイフとの付き合いはなさそうだ。

枕経を済ませて、石見銀山へ帰宅したのは夜の10時近かった。
亡くなったご主人は私と同じ年生まれの同級生だった。

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2月14日 

2017/02/15
Wed. 22:23

久しぶりに朝から晴れた。
前夜の降雪も夕方の足跡が確認できるくらい少しだった。
役場や市役所や幾つかの金融機関を回ったり、書類作成を完了して発送したりなどの用事を済まそうと、大荷物を抱えて参道を下って結界君へ乗り込んで暖機運転をして出発したら、走りがぎこちなくてお尻を降り続ける。
「パンクかもしれない??」
国道の広いところへ出てからタイヤ確認をしたら、やはり、後輪がペチャンコ。
そのまま2kmほどハザードを付けながらゆっくり走って同級生経営の自動車工場へ駆け込んだ。
奥さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら修理を待っていると、バーストしていてもう使い物にならないことがわかった。
ひとまず代替えのタイヤを履いて当面乗り切ることにして、そのまま役所へ向かった。
この時期にタイヤ1本と修理代の出費はキツイ。

七日務めが当分続くから、雪の飯南高原を移動することが多いし、万善寺の参道もいつになったら結界君で登れるか予測できない状態だ。
収入の途絶えた状態がまだ当分続きそうだし、厳しい冬になってしまった。

14日は世間のアチコチがバレンタイン仕様になっていた。
就職の決まったキーポンが最後の学業へ帰る日でもあったので、家族3人が私の結界君へ乗り込んで出雲まで出かけた。
列車の時間もあるし、私が寺へ帰る時間もあるから、落ち着いて買い物をするほどの余裕はなかったが、それぞれがそれなりに必要な買い物をすることは出来た。
私が寺の食料を買い込んでいる間にワイフがチョコとワインを買ってキーポンがマックをくれた♡!

3回目の寒波はドカ雪に近い降りようだったので、万善寺は断続的な停電に苦労した。
特に、母親の大騒ぎがひどくてそれに付き合うだけでかなり疲れた。
ひと昔前なら、停電ぐらいで大騒ぎすることもなかったのに、この半世紀の間にそれだけ電気需要が拡大して、それに依存した日常の暮らしに慣れてしまったのだろう。
万善寺でこういう停電非常時に困ることは・・・
井戸水供給のストップ→ポンプの給電が絶える。
水洗トイレ→水の補充が絶える。
暖房→電気炬燵に電気ストーブに電気敷毛布にエアコンが使えなくなる。
インターネット環境→充電も出来なくなって、私にはこれが一番の苦労になった。
だいたい思いつくとこんな具合だ。

ガスはあるし、上水道もあるし、寺には大きなロウソクもあるから、それだけで非常時に十分絶えられるほどの余裕がある。
近年急激に拡大したオール電化住宅はかなり大変だったろう。
屋根の上で見かける太陽光発電システムは、こういう時どのように機能するのだろう?

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スキッパ 

2017/02/13
Mon. 20:40

今朝はかろうじて参道の道あけをしないですんだ。
初午祭の最中に、いつものお檀家さんがユンボで道あけをしてくれたおかげだ。

3回目の寒波がやって来る前に予約をしておいた歯医者さんの通院日だったので、9時前に万善寺を出発した。雪が少なかった分、放射冷却がひどくて結界君がお地蔵さんの横でガチガチに固まっていた。そういえば、万善寺のボクの寝室にもなっている三畳でペットボトルのお茶も凍って飲めなかったことを思い出した。

歯医者というと、小さい頃はさんざん虫歯で悩まされて、小学校時代の乳歯が永久歯に変わる大事な時は、ほとんど1年中小学校近くの歯医者さんへ通っていた。
低学年の頃の遅刻は、すべて歯医者さんの通院だった。
高学年になってやっと落ち着いて一段落したものの、今にして思うと、虫歯の原因は両親の子育て教育の失敗だった気がする。死んだ父親は40歳代で総入れ歯だったし、母親に至っては30歳代後半にはすでに総入れ歯になっていた。私の姥のごとく可愛がって育ててくれた父方のおばあちゃんも気がつけば総入れ歯だったし、吉田家には虫歯予防の知識がまったくなかったと云っていいだろう。
「これでやっと虫歯で悩まされることも無くなったわぁ〜、あぁ〜楽々・・」
「だけぇ〜、我慢せんではよぉ〜入れ歯にせぇ〜言うたろぉ〜がぁ〜・・」
そういう両親の会話をボンヤリ覚えている。

私の場合、運が良かったのは、永久歯に変わる時に歯並びがガチャガチャでスキッパになったことと、早くから一人暮らしをスタートさせたことだ。
年頃の青少年の多感な時期は、スキッパがイヤで恥ずかしくて結構悩んだもので、一人暮らしを始めた頃は、周囲の女の子の視線が気になってしょうがなかった。
スキッパは自分で矯正することは不可能だろうし諦めるしか無いが、せめて虫歯で悩むことだけは絶対に嫌だと、その頃からセッセと歯を磨き始めた。
やはり、歯磨きは虫歯予防の効果があったようで、その後、歯医者さんのお世話になったのは、大学時代に小学校の頃に直した銀の被せがチビて取れたときくらいのものだった。
今、通っている歯医者さんは、30代の頃になって昔修繕した2本の虫歯の寿命が尽きて周辺の神経を刺激し始めたのでその治療をしたことが始まりで、それから私の歯の主治医のごとく全てをその歯医者さんへ任せている。

しばらく前から、右の下の歯が痛くなって、それをかばっていたら、今度は左の上の歯が痛くなった。右も左も痛くて収集がつかなくなったからいつもの歯医者さんのお世話になった。
「見たところ虫歯は無いですから歯茎かもしれませんね・・念のためレントゲンをとってみましょう」ということで、色々丁寧に見てもらって歯石も取ってもらったら、その2日後にはウソのように痛みがとれた。ドクターの見解によると、磨き残しの場所に歯石が溜まって、それが歯茎を刺激して悪さしたんだろうということだった。
助手の美しいお姉さんが、歯磨きの方法をとても丁寧に教えてくれた♡!

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初午祭 

2017/02/12
Sun. 19:29

今年の初午祭当日を狙ったように万善寺は寒波第3団に襲われた。
今回は、ひと晩で50〜60cmは降っただろうか・・
前日の積雪と合わせて1mは軽く越えていた。

初午祭の朝は、参道の1本道作成から始まった。
長靴が埋まらない程度までアルミスコップで雪かきをして、その後雪踏みをする。
本堂の雪ズリを避けつつ、それをひたすら続けて寺の境内から参道を下っていく。
ここでのポイントは、あまり雪を深く掘り下げないこと。
踏み固めた雪道はできるだけ高くしておいたほうが、次の雪が降り積もった時にスコップの雪かきがしやすくなる。積もった雪の上に積もった雪をかきあげるわけだから、雪の壁は低いほうが楽だというわけだ。
少年の頃からこの歳になるまで、毎年雪国で冬を暮らしているから、そのくらいの知恵は自然についてくる。
それにしても、この近年は自分の体力の衰えを身にしみて感じる。雪かきの夜は身体が痛くて眠れない。
色々工夫してできるだけ楽に過ぎようと思うのだがやはり限界がある。
今回はまだ明るいうちからスパジャズを流しながら風呂にゆっくり浸かってみた。昨夜は、比較的寝付きが良かった気はしたが、夜中にキーポンのLINE攻撃にあって起こされてからあと、腰から下が延々と疼き続けて寝る機会を逸してしまった。読書でもしよとしたが、眼がショボショボでうまく焦点をあわせることが出来ないのでhuluをチェックしたら、銭形警部とタラレバ娘と左江内氏の新着があったから見ることにした。
そのうち眠くなるだろうと思っていたら、身体の痛みが勝って、気がつくと朝の5時を回っていた。

ウツラウツラしていたら、母親がドタドタやってきて停電の報告をはじめた。そのくらい、ひとつ屋根の下で寝ているのだからとっくに気づいているのに、ほんとに面倒臭い。
このところ絶不調が続いているが、母親の頑強な呪縛に絡まって自分の心身が日に日に蝕まれているからだと思っている。
今年の1年が、自分の体力の限界になるかもしれない。
そろそろ先が見えてきたきもするし、後々悔いの残らないように自分の仕事にケリをつけることも必要になる。諸々、断捨離を急いだほうが良さそうだし、まだまだやらなければいけないことが山のようにある。
そんなこんなで、気持ちはけっこう焦っているが、一方で、この眼の前の雪が一段落して先が見えるくらいまではどうしようもないし、腹をくくってジッと耐えるしか無い。

そんなことを考えながら、半日の間に参道の1本道を鼻水垂らしながら2往復した。
初午祭の法要が始まる直前に、その1本道を近所のご婦人が3人ほどお参りに登ってこられた。
今年は一人で法要を済ませることになるだろうと思っていたが、ありがたいことだ。
法要の最中にユンボが境内まで上がってきた。いつもいつも、本当にありがたいことだ。

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雪男の旅ーその2 

2017/02/12
Sun. 03:10

3回目の寒波は、西日本の鳥取島根に大きな雪害を与えつつある。
その寒波の最中に倉敷児島から岡山経由で山越えして倉吉でキーポンと彼女の荷物をピックアップして石見銀山へ帰った。
結界君は、この悪天候に健気に絶えながら走り続けてくれているが、このところ、バッテリーが弱ってきたり、エンジンのオイル漏れがひどくなったり、少しずつ弱り始めている。
もう、18万キロ近く走っているし、春になったらスタッドレスからノーマルタイヤへ履き替えて、そのついでにメンテナンスをしてもらおうと思っている。

今年の岡山は、児島を中心に神仏混合が今に残る霊山由加山と塩田業の豪商旧野崎家住宅で彫刻を展示させてもらうことになった。
昨年は由加山近くの日本第一熊野神社境内とその周辺へ彫刻を置いた。
そちらも昔ながらの神仏混合の保存状態も良くて、岡山県児島の土地が、奈良平安の頃から聖地であった様子がよく残っている。
その2つの聖地境内に私の彫刻を設置していただけることになったのも、何かの縁なのかもしれない。

今回の由加山下見では、今に残るいくつかある参詣街道の中で、比較的古い街道沿いにある民家に宿泊させていただいた。
自分としては、下見程度のことだから結界君のモテル宿泊で十分だったのだが、主催のはからいで手厚いもてなしを受けることになっていささか恐縮しつつ、それに甘えた。
相手をしてくれたのは、昨年からお付き合いが始まった倉敷の森山珈琲氏。
その宿泊した民家で、週末だけの珈琲屋オープンを計画しているとのこと。
私のような、珈琲通ともいえないいい加減なタダの珈琲好き程度には敷居が高いかもしれないが、由加山参詣街道沿いでこのようなコダワリの珈琲屋ができると、けっこう口コミで話題になるような気がしないでもない。

この今に残る参詣街道は、軽自動車だと楽に走れるが、普通車だとかなりのテクニックが必要になって、2tだと、土地っ子のプロでないと難しいくらいの急勾配でカーブの多い難所である。
昔の人は、瀬戸内海を船で移動して、由加山下の幾つかの港へ上陸して、そこから聖域を目指して約1里と少々の距離をひたすら登り続けてお参りをしたわけだ。
巨岩の積み重なった渓谷を縫うように続く坂道のわずかな平地へしがみつくように幾つかの民家がある。
その殆どは、生活の不便さに絶えられなくて空き家になっているが、それでも、その渓谷と参詣街道の魅力に惹かれて、養蜂家とか木工家が残された民家と周辺の環境を支えていらっしゃるということだ。
ひょっとしたら、近い将来それに珈琲屋が加わることになるかもしれない。

一泊した次の朝、早朝の散歩を楽しんだあとの一杯の珈琲は最高に旨くて身に染みた。

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雪男の旅ーその1 

2017/02/11
Sat. 11:14

昨年から出品させていただいている岡山県児島周辺のフィールド芸術祭へ今年も参加させていただくことになった。
吉田の場合は、比較的彫刻に特化した展覧会やワークショップを中心に島根県の田舎を巡業するような企画にとどまっているが、岡山の場合は、コーディネーターの広瀬氏を中心に、備前あたりから倉敷、水島、児島あたりに暮らす地元のアーチストやその周辺の有志の皆様が集まって、絵画・彫刻・工芸などの美術に音楽や演劇なども取り込んだ総合芸術祭を練り上げ、だいたい2ヶ月をメイン期間として企画開催されていて、確か今年で5〜6回目になるはずだ。
その芸術祭には、日本を始め世界各国からアーチストが参集するから、ある意味国々の文化交流的要素も加わって、たとえば寄せ鍋のような旨味のある文化事業である印象も受ける。
私としては寺の維持管理を含めた生活上の制約もあるから、全面的に岡山の芸術祭へ乗り切るわけにもいかないが、山陰の田舎で地道に制作や発表の活動をしている若い美術家たちの制作の場を広げて欲しい気もしていて、吉田が触媒にでもなれれば良いなとも思っていたりする。

1泊2日の岡山の旅は、その芸術祭での彫刻設置の下見を兼ねたものだった。
それに、徳島と鳥取の用事も抱き合わせして、石見銀山で準備をしているところへ今回の3回目の寒波襲来となった。
自他ともに認める雨男の吉田は、この冬シーズンでは見事「雪男」になってしまった。
雪道の移動を含めた雪対策は、それなりに遺漏無いようまとめているつもりだが、なにせ、世間には雪になれない集団諸氏も大勢いらっしゃるので、そういう不特定多数の中を移動することはかなりのストレスになってしまう。

初日は、徳島の用事を済ませて児島の由加山を目指した。
お昼の3時位に由加山神社へ到着する予定でスケジュールを決めたのだが、例の寒波の影響で、夕方近くの到着になった。
境内の様子は特に問題がなさそうに思えたが作品の搬入経路が厳しくて苦労しそうな気もする。
そのことが事前にわかっただけでも心の準備ができるし、やはり下見をしてよかった。
一晩由加山近くで1泊して、2日目は児島にある芸術祭メイン会場へ移動した。
そちらは昨年にチェックしてあるから、搬入動線の確認程度で終わった。
その後、下津井の港町で別件用事を済ませ、そちらから一気に中国山地を山越えして倉吉へ急いだ。高速道の各所で冬タイヤの確認をされたが、無事に鳥取県へ入ることが出来た。一山越えたあたりの街道で、11tが道から滑り落ちていた。これでトラックが車道を塞いでいたら、たぶんその日は車中泊になっていただろう。不幸中の幸い・・・
ほぼ予定していた定刻に、倉吉のキーポン宿舎前へ到着して、彼女の引っ越し荷物を結界くんへ積み込んだ。
それからは、山陰道を順調に西走して石見銀山へ着いた頃に、また雪が降り始めた。
ワイフが気を利かせて風呂を用意してくれていた。

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岡山倉敷児島にて 

2017/02/09
Thu. 23:56

3回目の寒波がやってきたようだが石見銀山は一晩中雨が降っていた。

岡山へ行くには中国山地を越えないといけないので、そのあたりは雪になっているから、出発する時間を見極めるのが難しい。
色々迷ったが安全策で出発を2時間遅らせることにした。
8時に自宅前の町並みへ出ると、雨だった。
いつもの銀山街道を10分ほど走ったら、雨が雪に変わった。
面白いものでこの時期の銀山街道は、飯南高原へ登るまでに二箇所ほど天候事情が大きく変わるところかあって、雨になっても雪になっても、それに晴れても曇ってもだいたいその場所が境界になっている。
石見銀山から出発した場合、一箇所は雨が雪に変わるところで、もう一箇所は降る雪の量が一気に増えるところ。
地元の人はみんなそういうところを心得ているから、車の運転もそのあたりは慎重になるが、その道になれない車は、頻繁に脱輪したり法面に突っ込んだりして立ち往生している。それがトラックだと完全に交通渋滞の元になって、数時間も身動きできないままジッと救助を待つしか無い。今回は、そのうちの一箇所で見事に乗用車がカーブを曲がりきれないで側溝に突っ込んでいた。

島根県の方は、寒波の影響でそんな感じだったが、広島県に入ったら雪の量が激減した。
松江と尾道を結ぶ自動車道のやまなみ街道は、交通規制もなく渋滞もなく快調に走ることが出来た。
瀬戸中央道へ入ってから四国のMさんに電話したら元気な声が返ってきたので、そのまま瀬戸内海を渡って四国へ入った。
お昼を少し過ぎたくらいに徳島へ到着した。
彼は、あと1週間したらオーストラリアへ出発するそうだ。
船便で送った彫刻より自分の往復の飛行機代が安かったそうだ。
同じ彫刻仲間でも、山寺に張り付いている私とは住む世界が違う。
そういえば、岡山の彫刻家Kさんは、現在北海道の方で雪像彫刻を制作中だ。

自分の立場で自分の彫刻を造っていることだから、色々なタイプの彫刻家が色々な制作の活動を続けることは当然のことで、彫刻のネットワークも広がってとてもいいことだと思う。
私のように行動半径が極端に狭い彫刻家にとってはそういう同業の人たちの様々な制作活動の実践を聞くだけで十分刺激になる。
そういう楽しみもあるから、アチコチの色々なタイプの彫刻家との付き合いを大事にしているようなところもある。
まぁ、それが坊主の付き合いと全く違って常に新鮮でいられるからありがたいことだ。
とはいえ、全国共通何処へ行ってもだいたい似たり寄ったり同じスタイル同じ作法で同じお経が通用するということも坊主として大事なことで捨てがたいほどの魅力も感じる。
それはそれで、貴重な体験というか経験になっているのだ。

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第3次寒波襲来前夜 

2017/02/08
Wed. 23:24

初七日は、奥さんがお一人で待っていらっしゃった。
一応、万善寺のお檀家さんなのだが、そのお宅では私のことを「ご院家さん」と読んでいただいている。

宗門では、一丈四方の部屋で「起きて半畳寝て一畳」をもっぱらとした慎ましい修行暮らしを身上にしていて、そういうことから万善寺の住職(とりあえずボクのこと)はだいたい「方丈さん」と呼ばれることが多い。
今の万善寺寺務所で寝起きしている私など、3畳の部屋にテーブルやら衣装ケースやらパソコンにその周辺機器やらがすし詰めになって、せいぜい1辺180cmの正方形(2畳ともいう)くらいしか融通が効かないような暮らしぶりだから、どちらかというと「半丈さん」と呼ばれるくらいが正確かもしれない。
まぁ、「方丈さん」と呼ばれるほど偉くもないし、半端者の坊主は「半丈さん」と呼んでもらっても一向に差し支えない。
そういう程度の私が、「ご院家さん」で通ってしまったりするところに、田舎仏教の境界の曖昧さが漂っていて、むしろそのあたりの一般在家の認識の緩やかさの御陰で気楽にいられたりもする。

さて、ひとまず奥さん相手にお経の後の仏教の話など少々してから、急いで万善寺へ帰って明日からの彫刻絡みの準備に入った。
何か見えない糸で結ばれているかのように、連絡しようと思っていた彫刻家の方から電話が入った。
「もらった電話にこちらの用事を返してすみませんが・・・」と、岡山行に併せてついでに四国まで足を伸ばそうと思っている旨を伝えたら、「そのあたりの時間だったら大丈夫そうだから・・」私の到着を待っていてくれることになった。
今夜辺りから西日本の日本海側を中心に大荒れするとのことだ。
雪道の走行はそれなりに慣れているから大丈夫と思うが、表日本のドライバーと一緒に結界君を走らせることが不安だ。
交通事情は、自分一人の注意ではどうにもならないことばかりだから、運を天に任せるしかしょうがない。
早朝に石見銀山の自宅を出発しようと思っていたが、天候のこともあるし、少しゆっくり目に出かけることにする。
飯南高原を走る国道は、かなりの圧雪になっているだろうし、自動車道の通行も規制が入っているかもしれない。
岡山で一泊して次の日は、そこから直接倉吉を目指す。
この2日間は、なかなか過酷な移動になりそうだ。

石見銀山の吉田家は、しばらく・・・といっても、ほぼ2ヶ月近く留守にしている間に、どこかしら埃っぽく荒れた感じがした。
グッピー一家が暮らす2つの水槽は、水が干上がっていた。
何時もと変わらないのは、ネコチャンズくらいかな?

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どちらが幸せ 

2017/02/07
Tue. 21:17

万善寺では、ボクとマイママ(ボクの母親)の二人暮らし。
石見銀山では、ワイフとネコチャンズとグッピーたちの共同生活。

・・・さて、現在吉田家の夫婦は約2ヶ月近くほぼ別居状態の暮らしが続いているわけだが、そうしたねじれた夫婦生活にあって、どちらが「幸せ!!!!!」であるのだろう?

ワタシ的立場から云うと、確実にワイフのほうが幸せでしょう!
これは、誰が何を言っても絶対に紛れもない事実以外の何物でもないほどの確信を持ってそう言い切れる!
気がつくと、数週間前から胃薬を呑む回数が増えた。
数年ぶりに不眠症の症状が自覚できるほどになって、ほとんど眠れない状態も続いている。
酒の量が増えて、食後のデザートも増えて、今年になって1週間で1kgずつメタボが増量している。
このままの状態が改善できなければ、たぶん、憲正さんの3回忌の頃には成人病が悪化して寝込んでいるかもしれない。

・・・そんなことを、他人事のようにクールに想像しながら銀山街道を石見銀山の吉田家へ急いだ。
到着すると、例のごとくワイフは留守で、クロはカウチで爆睡中で、シロは何処かに潜り込んで顔も見せない。グッピー一家は、水槽から私の存在を発見して、意地汚くピチャピチャ跳ねながらご飯の請求を始めた。
そういう、状況を横目で確認しながら、ボクの数週間分の洗濯物を洗濯かごへ移動してから吉田家の各所へ散らばっていた灯油の空缶を回収した。
ストーブの煙突も気になっている。
土間に積み上げた薪の量も心配だ。
吉田家の郵便ポストをチェックしたら、クレジット会社から銀行口座の残高不足通知が届いていた。

まぁ、現在の吉田家はこんな状況なもんで、なかなか緊張感のある毎日を送っているわけであります。気になる全てのことに過不足なく対応するには本日の半日では難しい。
優先順位を決めて、幾つかの作業をこなしている間中、吉田家のネコチャンズには完全無視された。
冬のシーズンに入ってから、一度も煙突掃除をしていないから、そろそろ溜まったススにストーブの火種が引火して火災が発生するかもしれない。煙突掃除は1年ぶりくらいのことだから、それなりに緊張しながら固定パーツなどを外していたら庭先の電線へスズメが1列に止まって私のへっぴり腰の鑑賞会を開いていた。
買い物袋一杯ほど溜まった煙突掃除の残骸を土間に置いておいたところにワイフが気づいたのだろう・・・ネコチャンズのマッタリシーンを送ってくれて、電話で慰めてくれた。
ボクの力作ネコチャンズ椅子が使ってもらえているようで、少し幸せになれた。

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ブックカバーの1冊 

2017/02/06
Mon. 14:47

写真のブックカバーは、私の愛する娘達(もちろん、長男もワイフもそれにネコチャンズも愛してますよ!)からの誕生日プレゼントである。
文庫本仕様だから単行本は今までのように何かの包装紙を裁断してカバーを作っている。

私の場合、読書時間の90%はゴロリと寝転んで片手の親指と小指でページを広げて、ほかの指で角度を調整しながら、肘を支えにして手首の調節で文字を追いかけている。
最近は、単行本が次第に重く感じるようになった。
特にハードカバー仕様はその重さと頑丈さが障害になって近年遠ざかっている。
それに、何年も前から新刊本を本屋さんで買うことも無くなった。
年に数回ほど古本屋さんで買いあさり、チェックを入れ、Amazonで検索して中古本が1円になることをひたすら待ち続ける。
読んだ中古本は、適度に溜まったところで下取り放出をする。
本によっては1円にもならないものもあるが、本棚の肥やしにしておいてもしょうがないから、そのまま処分してもらう。
まれに、何年か時が経ったあとで、昔読んだ同じ本を無性にもう一度読みたくなる時があるが、そういう時は、迷わずAmazonで1円の中古本を検索する。
時々そんなことを繰り返していたら、気がつくと吉田家の数カ所の本置き場へ同じ本が別々に並んでた・・ということもあったりする。
それでも、せいぜい合計500円にもならないから、「新刊本を1冊買うよりは安いのだ!」と、自分のミスを正当化してしまったりする。
読書好きだったり、文学に傾倒される諸氏にとっては、私のような読書システムなどもってのほかで憤懣おさまらないとこであろう。

そんなふうな、だらしない読書をしていても、一向に値段が下がらなかったり、むしろ中古本になって値が上がったりするような本もあったりする。
あれは、今から1年くらい前のことだったろうか?まだ2年までは過ぎていなと思うが・・私のスキな安西水丸氏絡みの本が新刊文庫本仕様になったことがある。タイトルが「雑文集」で村上春樹さんの本だ。確か、単行本が出た時は、まだ安西水丸さんはお元気だったと思うが、思い間違いかもしれない。
その「雑文集」なる本の文庫本化を心待ちにしていて今に至ったわけだ。
だいたい、文庫本など、発売されてブームが過ぎれば市場がこなれて1円価格で安定供給に入ったりすることが多いので、その雑文集もそれをひたすら待ち続けていたのになかなか1円にならない。そろそろ、安西水丸さんの4〜5回目の命日も近いし、出来たらそれまでに「あの本を読んでおきたいなぁ〜」という気持ちが次第に強くなって、その気持を抑えることができなくなってしまった。
そこで、遂に思い切って、今年に入って数十年ぶりに、栞もあるし帯もある新品の文庫本を買った。確か、800円はしたような気がする。
今、それにブックカバーしてチビチビ読んでいるが、なかなか勉強になっていたりする。
村上春樹さんのことは何処が良いのかどうもわからないこともあるが、安西水丸さんの引合せで村上春樹さんの知られざる奥深い一面に触れている気もする。

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肝っ玉ワイフ 

2017/02/05
Sun. 23:42

石見銀山の町並みへ出ると、小雨が降っていた。
雪のカケラもない風景を見るのは久しぶりのことだ。

午前中の用事が終わったらワイフと二人で出雲まで出かけようと、昨夜寝る前に予定を決めておいた。
特に大事な用事があるわけでもないが、たまには意思の疎通も大事なことだ。
年が変わってから石見銀山やワイフの周辺の現状や、吉田家家族でオヤジ抜きの会話もそれなりにあっただろうし、まぁ、色々な出来事の情報交換も大事なことだと思ってのことだ。
出雲までの往復で車の中での会話が出来るというより、そのくらいのことしかやることもないし、後はどちらかが運転でどちらかが助手席で寝てしまうくらいのものだ。

ワイフは東京生まれの東京育ちで、その上、学生の頃にはほぼ私と結婚することも決まっていたから、正式な社会人として就職を経験することもないお嬢様のまま島根県で暮らすようになった。
私がUターンで、彼女はIターンということで、それが今から約35年ほどまえのことになる。
帰省した当時は仕事の関係で転勤族だったから、それから5回の引っ越しをして今に至っている。
私の信条として、仕事をさせてもらっている場所で住み暮らすことで、その地域の公私を含めたさまざまな付き合いも深まるし、良し悪し含めて地域の事情も見えてくるし、そのうえ自分たちの暮らしぶりや人柄も知れ渡るし、そういう、もろもろ悲喜交交の付き合いを共有しながら仕事をさせてもらうことはとても大事なことだと思っていた。
引っ越しが多かったのも、そういう理由があったわけだが、一方で、私と一緒に島根のアチコチを移動しながら、引っ越しのたびに一人ずつ子供を産んで都合4人の子供を育ててきたワイフの方は、それこそ生活の全てで必要に迫られて地域の付き合いが深まって、気がつけば私など足元にも及ばないほど島根県にどっぷりと浸かった島根県人として堂々と生きるまでになっていた。

私の留守の間にワイフワールドになった吉田家のテーブルで、ワイフへの委嘱状を見つけた。なんと、今では地域の民生委員や児童委員を仰せつかっていた。それに、まちづくりセンターの運営委員長とか、保育園の役員とか、やたらとたくさんの役職を抱えながら、その上石見銀山周辺の中学校3校をかけもちでの美術時間講師まで引き受けている。
携帯電話を持っているのに、何時電話しても出てこない不携帯状態だったり、たまに帰る吉田家が何時も留守状態だったりして、なかなか連絡が取れないことがやたらと多いのもわかる気がする。
そんな忙しい時間の間隙を縫って彫刻も制作しているわけだから大したものだ。

出雲の往復は濃厚な会話の時間になった。それに夕食の砂肝アヒージョも絶品だった。
改めてワイフの偉大さを確認した1日になった。

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奥出雲のマニアなメンバー 

2017/02/04
Sat. 23:59

何か色々あったけど、葬儀が終わった。
坊主家業を続けていると、1年に数回は反応の場が読めない仏事があって、自分の坊主経験の浅さに落ち込んでしまう事がある。
今回も、2月に入って間もないのにそういう状況が巡ってしまったようだ。
こういうことをいつまでも悶々と引きずっても事態が好転するわけでもないので、気持ちを入れ替えて万善寺を留守にすることにした。
そんなわけで、久しぶりの完全フリー無住職を過ごしている。

告別式のようなお葬式が終わって、お斎の膳も終わって坊主解散して、万善寺に帰ってから、セッセとフリー無住職坊主に向けての準備をした。
次の目指す先は、昨年お世話になった島根県奥出雲町を基地にして活動する音響プロオヤジの事務所兼倉庫兼スタジオ兼たまり場兼ボクの仮の宿。

例の、倉敷森山オリジナル焙煎珈琲と、その周辺の道具一式を結界君へ積み込んで万善寺を出発した時は、すでに午後の1時を過ぎていた。途中。幾つかの用事を済ませて事務所前の駐車場へ結界君を乗り入れたら、音響オヤジがタイミングよく出迎えてくれた。
早速、彼の自慢の薪ストーブの、概ねボクの定位置へ落ち着いて、森山珈琲の深煎り焙煎をミルにかけた。若干怪しげな珈琲を飲みながら、しばらく音響さんとマッタリマニアックなオヤジ談義をしていたら、奥出雲の土地っ子怪しげなオヤジがもう一人加わった。
そこで、3人のオヤジ談義で盛り上がっている間に、いつの間にか時は過ぎ、ボクのささやかな造形絡みの用事で連絡をしていた本人が近所まで来ているということで迎えに行って、それで都合4人となった。
この4人目の本人は、私の長男とドッコイの年齢で、美術家である。
幾つかの事情がダブリあって、作品展の出品仲間になったから、そのための出品作品の事前打ち合わせで都合つけた次第。
森山珈琲のマッタリとした香りに包まれながら、世間のことや趣味のことや、もちろん珈琲のことなどの会話に、造形の工夫や、方向性や、表現力のことなどアレコレ私なりの考えをけっこう真面目に話したりしていたら、奥出雲のコダワリ蕎麦屋のお兄さんが彼女とやってきてこれで6人になった。

土曜日の夕方にここまでマニアなメンバーが集まったら、普通だとアルコールに流れてしまいそうなところだが、一方では結構真面目な造形のアレコレの話になっているし、一方ではマニアックな音響絡みの話題で盛り上がっているし、そこに蕎麦屋のお兄さんの熱い熱い地域活性の会話が絡んだりしてくると、もうそれらの流れに身をゆだねるすべは一杯の美味い珈琲とその香りしかないだろうというわけで、それから後は、それぞれの限りなく身勝手な音の話題や香りの話題や造形の話題や文化活性の話題が絡み合って際限がなくなってしまった。
そんなわけで、石見銀山の吉田家へ到着したのは夜の9時少し前。
ワイフは、お風呂に入っていて、猫のシロは土間へ締め出されて寒さに震えつつフニャフニャ泣いていて、クロはストーブのぬくもりに包まれながらマッタリしていた。

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雪駄がない 

2017/02/03
Fri. 22:54

通夜の夜は、万善寺頭上の星や月が今にも落ちてきそうなくらいすぐ近くで瞬いていた。
珍しく風もない2月の冷えた空気が冬空いっぱいに広がって、山陰の島根県の飯南高原は快晴だ。

坊主の必需品の雪駄が無くなってしまって苦労している。
気がついたのは1月の寒波がやってきた頃だった。
冬の間は長靴に改良衣という、なんとも奇妙なボウズスタイルで過ごすことが多いから、特に気にもとめないまま時が過ぎていたのだが、葬儀となるとそれなりの坊主らしい最低限統一性のあるファッションをキープしておかないと軟弱坊主がより軟弱に見えてしまうので、本気になってセッセとあちこち雪駄をさがし始めた。
寺に無いし結界くんにも見当たらない。
「ひょっとして、石見銀山の吉田家かも知れない・・・」
ふと、そんな気がしたので、荼毘のお経が終わって火葬場から改良衣に長靴スタイルのまま石見銀山へ直行した。

銀山街道から石見銀山の町並みへかけて、もう春がきたのかと錯覚するほど周囲の色彩が春めいて見えた。
吉田家の木戸を開けて土間へ入っても肌寒く感じない。
飯南高原の万善寺とここまで差がつくものかと、ワイフとネコチャンズの暮らしがうらやましくなった。
こうなったら、一日でも早くに万善寺の庫裏にしがみついている母親を見捨てて吉田家へ帰らなければいけない・・・というより、「帰りたい!」

テーブルいっぱいにワイフの世界があふれていて、私の痕跡は、かろうじて「吉田正純」宛の郵便物くらいしかない。
少し前の電話でワイフが、
「そうそう、コーヒーが届いてたよ。なんか袋に色々書いてあったけど・・」
そんなことを話していたのを思い出して、ワイフワールドを物色して、やっと深煎り焙煎のコロンビアとエチオピアを見つけた。
袋を持っただけで湧き上がってくる香ばしい香りが心地よい。
思わず雪駄のことを忘れてしまいそうになったが、気を取り直して当初の目的を物色するも、ついに見つけ出すことができなかった。
ある意味、雪駄のために片道40分の距離を往復したことは燃料の無駄以外の何物でもない結果となったが、一方、美味そうな倉敷森山珈琲を見つけ出すことが出来たわけで、その希少価値を加味すると、徒労や無駄は相殺できた気がしないでもない。
今まさに、通夜のあとの一杯の珈琲を入れてその香りに浸っているところだ。
明日はほぼ告別式といってもよいほどの略式葬儀がある。
喪主さんはじめ地域の事情もあるから仕方がないと割り切って粛々と乗り切るしか無い。
どうやら、今日の天気は明日まで続いてくれるようだ。
それだけでもありがたい・・・のだが・・・雪駄がない・・・どうしよう・・・

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予定変更 

2017/02/02
Thu. 23:36

先日、出雲へ出た時に衝動買いしたベルギー産のチョコを、初午祭まで待てなくて味見してしまった。
ようするに、軟弱坊主は食欲の誘惑に負けて甘いものに手を出してしまって、その原因は倉敷の森山珈琲深焙煎を飲んでしまったことによる!・・・などと、また他人のせいにして我が身を守ったりしている・・・という、このいやらしいオヤジだったりする。
万善寺の3畳寺務所で珈琲飲んでマッタリしていたら、知らない間にそういう状況にハマってしまったりしてしまう訳だ。

このところのブログネタは、延々と万善寺のことや雪のことばかりで、自分のひらめきとか発見とかワクワク感とかがまったく無い。
「立春が過ぎたら、彫刻家の吉田に変身するぞ!」
しばらく前からそういうふうに自分の気持を切り替え始めていて、やっと、モヤッとしていたスケジュールが具体的になり始めたところだった。
その区切りの一つに、母親の通院日程を組み込んで、雪の状況とか参道の具合をチェックしながら、一方で最近やたらとしぶとく超元気な我儘自己虫母親を牽制しながら適度に負荷を与えつつ過ごしていた。
その通院が本日で、昨夜から雪がぱらつき、夜半から明け方は星が降るほどの晴天になり、もう最悪の雪が積もってガチガチに凍った放射冷却の朝になってしまったのだ!
仕方がないから、鉄の先が尖ったスコップを持ち出して参道の氷をカキ砕いて結界くんを無理やり境内まで上げたら、彼の軟弱なFRPバンパーがグニャリと曲がったりして、なかなかイラつく通院になった。

母親を病院へ預けて自分の用事を済ませていたら、電話が鳴った。
いつもは1年に1度も会話がないほどのお檀家さんからで、とてもイヤな予感がした。
やはり、的中で、大正13年生まれのお母さんが亡くなったとのこと。
時間の調整をして枕経を読んでから葬儀日程を打ち合わせした。
節分から立春が面白いほどピタリと見事に重なった。
実は友引が重なったりしていたから内心ビクビクしていたが、自治会の世話人さんは見事にスルーしてくれて助かった。
気がつけば、密かに温めていたボクの彫刻計画があっけなく崩れ去ってしまった。
自分にとっては坊主も外せない仕事のうちだから、仕方がないことなのだが、それにしても、日頃の付き合いが全くないお檀家さんで、それも亡くなったお母さんの方は、年に1度の棚経でもお話をしたことがなかったりして、坊主は坊主なりに複雑な心境の枕経になった。

夕方から、仮通夜で出直して、1時間ばかりしっかりとお経を読んで、日頃お寺参りの皆さんに少しずつ積み重ねてお話している仏教のアレコレから幾つかをまとめて、少し長めの説教とも言えない「今さら聞けないお経の話」なる講釈を垂れておいた。
週末から3日間はすでに予定を決めて連絡しあっていたことが幾つかあったのだが、それのキャンセルやら日程変更やら、夕食後は慌ただしい夜になって、今になった。

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2月の坊主 

2017/02/01
Wed. 20:56

もう2月になってしまった・・・
万善寺のことばかりで1月が終わってしまった。
まぁ、世間的には住職坊主だからそれもアタリマエのことでしかたがない。

2月というと、節分があって立春になってそれからしばらくあとに初午祭があって、だいたいその頃までは雪が続く。
絵に描いた梅雨のように毎日降り続くわけでもないが、1日のうちに一気に天候が変わって青空が見えていたと思ったら、横殴りの雪になったりすることもそれほど珍しいことではない・・・といっても島根県では飯南高原を含む一部の山間部だけのことだろうけど。

午前中は、地域の檀信徒さんへ万善寺の法要ご案内と立春大吉札を配布するための事務処理で終わった。
昔からの習慣を死守している母親が、鮮度のない一昨年の古米を炊き続けていて、昼食だけでもそれを食べないと延々しつこく「食え食え」が続くから、米を食べざるを得ない。
誰がどう考えても、普通に「ご飯」として食べられるしろものでないから、万善寺暮らしでお昼ごはんが一番苦痛だ。
あのお釈迦様は、布教中のある村で、誰が見ても歴然と腐ったご飯の施しを受けて、それを断ることもなくありがたく食されたそうだ。それがもとで体調不良に陥って、そのうち歩くこともできなくなって臥せったまま数日後に入滅されたそうだ。
お釈迦様くらいになると、自分の命をかけてでも施しをありがたく頂戴されたわけだが、修行も中途半端な限りなく俗人のナンチャッテ坊主はとてもそこまでの根性も度胸もない。
とにかく、炊飯器の中で黄色く炊き上がった米をコンソメとハーブと塩味で徹底的にごまかしたおかゆに改変して、それに卵まで落としてひたすら胃に流し込んだ。

昼食が終わって、飯南高原から、広島との県境を越えたあたりまで檀信徒各家をぐるりと巡回した。保賀自治会も含めて62軒総距離約100kmを約2時間かけて一周りしていると、途中で何回か吹雪に遭遇した。おまけに下腹がシクシク痛くなり始めてトイレに行きたくなったりして、気を紛らわせるのに苦労した。
思い出したくなかったが、やはりあの昼食のせいかもしれない。

日陰に残った雪にタイヤをとられてスピンしそうになりながら健気に走り続ける結界くんがとても頼りになった。
地蔵さんの近所へ帰った時はすでに夕方だったが、最近は日が長くなって参道も凍るまでにはまだ間があって助かった。
防水スピーカーでスパ・ジャズを垂れ流しながら、身体がふやけるまで入浴したら少し落ち着いた。
夕食はお昼の残りがまだあって、気持ちが滅入ったが仕方がないし、それなりに頑張って食べたものの、完食までには至らなかった。
3畳に落ち着いて、深煎りの珈琲を挽いた。部屋中に香ばしい香りが広がった。

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珈琲と中古本 

2017/01/31
Tue. 21:52

珈琲のない生活が我慢できなくて、ほぼそれだけの理由で出雲まで出かけた。
せっかく燃料を使うのだからできるだけ無駄にしないようにと、幾つかの思いつく用事を抱き合わせにした。

まずは、コメダ珈琲で一杯やりながらメール確認をしたり万善寺春の法要のご案内原稿を作成したりした。
ここだけの話・・・
コメダ珈琲の珈琲は、それほど美味いとも思わないが、不味いわけでもない。
Wi-Fiも使えるし、長居しても嫌な顔されないし、どちらかといえば店員さんも場を読んでそっとしておいてくれる。
二人がけの席が多くて人の目も気にならないままソコソコ集中できるからそれも良い。
これで、もう少しシートの座り心地が良ければ云うこと無いが、あの珈琲の値段でそこまで求めたら贅沢が過ぎるというものだ。
気がつくと2時間が過ぎるほど長居をしていた。

出雲の目的は珈琲の豆を買うことだったから、いつもの輸入雑貨の店へ向かった。
深煎り焙煎の中から2種類を選んで、豆のまま200gずつ買った。
そろそろバレンタインデーが近いこともあってか、店頭の目につく場所は色々な輸入チョコが山積みされていて、思わず衝動買いしてしまった。
今度の初午祭は12日だから、その時お参りの皆さんのお茶口にしてもいい。
そのお店と同じフロアーにスーパーがあるから、そこで1週間分の食料を仕入れてもいいかなと思って見渡したら、どのレジも長蛇の列で時間がかかりそうだったので、もっと暇そうな別のスーパーへ回ることにした。

途中に古本屋さんがあったので寄った。
今年に入って初めてだし、これだけ間があいていれば本の入れ替えもされているだろう。
案の定、(新入荷の中古本??)だらけで、どれもこれも欲しくなってその衝動を抑えきれないまま手当たり次第に本棚から引き出していた。
350円以上の本はAmazonの1円プラス送料の中古本が安いから、タイトルをチェックしてグッと我慢して、かろうじて合計1000円以下で踏み留めた。

人の入りが少ないとは云え、さすがに出雲のスーパーだけあって品揃えも豊富で、万善寺の近所では買えないものがたくさんあった。
輸入品の1kgスパゲッティや、幾つかの香辛料を買った。
自他ともに認めるチキンオヤジにチキンは欠かせないから、親鳥バラ肉切り落としと砂肝スライスをゲット。
400円以下の輸入ワインもあったし、豆腐やたまごもバカ安。

万善寺を出発する時に財布へ忍ばせた1万円がヒラリと何処かへ飛んで消えたけど、まぁ、それなりにアレコレ仕入れられたから、燃料の無駄遣いにはならなかっただろう。

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石見銀山農閑期限定田んぼ野外彫刻 

2017/01/30
Mon. 20:03

飯南高原は、夕方から雪になった。
最近のスポット天気予報は比較的よく当たるから、心の準備がしやすくて助かっている。
今日も、そんな感じで万善寺3畳の寺務所兼用書斎が急に冷え込んできたから、「降り始めたかな・・」と感じて確認したら、結構小粒のパウダースノーに近い雪が絶え間なく降っていて、辺り一面がグレーに染まっていた。

そろそろ、万善寺のコーヒーも残りわずかとなった。
不本意だが、お湯の量をカップ2杯分くらい多めに抽出してしのいでいる。
吉田的には物足らないが、世間的にはそれなりに我慢できるくらいの濃さのコーヒーにはなっている気がする。
ようするに、いつもはそれだけ贅沢な一杯の珈琲を飲んでいるというわけだ。

「そろそろ節分で立春だから、いつまでも万善寺の常駐も出来ないからね・・」
先日、江津の仕事へ出かける前に母親へそう伝えておいたら、急に図々しい気弱が出てき始めて、このところ食事の度に湿っぽく絡んでくる。
「墓のことを考え始めて夜も眠れない」とか、
「自分の身体が思うように動かないから一人になるのは嫌だ」とか、
「いろいろ考えていることがあるから相談しよう」とか、
・・・まぁ、上げればきりがないが、現代社会の常識からすると半世紀も前の時代を引きずって、それでなんとか出来ると確信しているような言い回しが繰り返され続けると、あっという間に胃潰瘍になってしまうくらいストレスが消化されないまま身体に蓄積されていく。
自分の都合で1日に何度も3畳へやってきて私のデスクワークの流れをせき止める。
気持ちも集中も萎えてなかなかもとに戻らないから、それで余計イライラが増す。

・・・以上、現在の吉田オヤジの愚痴をたれてしまったわけでありますが、基本的には目先の面倒なことへ気楽に乗り切る方が多いほどのどうしょうもない人間なので、ある意味本能的にいろいろな手段を使ってストレスの解消をしているようなところもあって、それはそれなりに若干の良心の呵責を感じたりもして、実に面倒臭いボクでもあったりするわけです。

今年2回めの寒波が島根県へやってきた時に、「この機会を逃したら、後がないかもしれない」と直感して、若干のストレス解消も兼ねつつ、石見銀山の農閑期限定田んぼ野外彫刻の記録写真撮影へ出かけた。
前回の撮影は概ね失敗の方へシフトしてしまったので、今回はできるだけ好条件の記録を残しておきたい(・・・ようするに、天候相手の坊主の神頼みというやつ・・で)と強く願った!結果、納得しているわけでもないがそこそこ妥協できる程度の記録は残すことが出来た。
最近の石見銀山は、雪の量が減った気がする。この、雪の積もった野外彫刻についての一考察は、そのうち、少しじっくりとまとめておこうと思っている。

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男の体臭 

2017/01/29
Sun. 20:35

万善寺の3畳暮らしも1ヶ月が過ぎると、自分で自分の男臭さにむせて吐きそうになってくる。
いつも怠惰に暮らしているのに、最近いやにコマメに狭い3畳を片付けたり、ゴミの仕分けをしたりし始めている自分がいる。
毎日1回は深煎りの珈琲を入れたりして気持ちをリニューアルしている自分がいじらしく思えるようになってきた今日此頃である。

(一杯のコーヒーにはやはり適度にスイーツが必要なんだよね!♡)などと、勝手に納得して、母親と二人暮らしの食料買い出しの度に、コンビニを経由してドーナツを2つ3つ買い込んだりしていたら、年が明けてから1ヶ月の間にみるみる太ってきた。
(ドーナツはメタボの天敵だ!)ということが、身をもって実践的に体験できた正月であった・・・といいつつ、今夜も食後のデザートでファミマドーナツをペロリといっちゃったけど・・・

土曜日は江津で仕事をしたあと、久しぶりに石見銀山で一泊した。
やっぱり、薪ストーブの柔らかい暖かさは絶品で、せめてひと晩くらいはその包み込まれれうようなヌクモリの優しさを自分のものにしたくて、結局カウチにごろりと寝転んだまま日曜の朝になってしまった。
珍しくダンナのボクが石見銀山の吉田家にいるというのに、ワイフは朝飯を食べたら「午前中はアノ用事があって、お昼からはコノ用事もあって・・・」などと、慌ただしく出ていった。
例のごとく、ネコチャンズはさりげなくオヤジを無視して、それでもストーブのヌクモリが捨てがたいようで、しばらくのあいだその周辺をうろついていたが、そのうちそれぞれくつろぎの定位置をみつけて落ち着いた。
ワイフも帰ってこないし、いつまで家にいても無駄に薪の消費をするだけだから、荷物をまとめて吉田家を出た。
石見銀山の町並みは小雨が降り始めていた。
食料の買い出しもあったから、思いついて憲正さんが長い間通院していた神戸川沿いのルートを走ってみることにした。
万善寺はその上流に流れ込む支流の近くになるから、憲正さんの病院へお供している時は寺を出発するときに「今日はどの道を行こうか?」と彼のリクエストを聞いて出雲の総合病院へ走ったものだ。

食料を買い込んで、ついでにファミマのLサイズコーヒーとドーナツも仕入れて神戸川沿いを万善寺へ向かった。途中から雨が雪に変わるかなと思ったが、それはなかった。
1泊2日ぶりの3畳を開けたら、オヤジの男臭い体臭で淀んだ空気が流れ出た。
天気が良ければシュラフを日干しした方が良いと思うが、このまま春を待つしかないだろう。
早速コーヒーを入れて、これから暖かくなるまでしばらくのあいだ、その出がらしを3畳の脱臭剤にすることにして、ペーパータオルに移した。

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寒雀 

2017/01/28
Sat. 16:33

毎朝のように日の出を待ってにぎやかに騒いでいた保賀の谷のつがいのカラスが、冬になってから忽然と消えた。
そのことに気づいたのはもうそろそろ1ヶ月は前のことになるから、彼らも渡り鳥のように冬前から何処か温かいところへでも移動したのかと思っていた。

今回の寒波が収束して一気に暖かくなった昨日の朝、聞き覚えのあるカラスの鳴き声を一瞬聞いた・・・ような気がした。
それで、渡り廊下の3畳のガラス窓を開けて空気を入れ替えながらしばらく周囲の音に集中していたが、その後、山鳥や雀は鳴きながら何度か目の前を飛び交っていたのに、カラスの鳴き声を聞くことはなかった。
「きっと保賀の谷のカラスではなかったのだろう」と日が暮れるまでにはほとんど忘れかけていて、回覧板を配ったり食料の買い出しをしたりして夕方の冷え込みが深まる中、大荷物を抱えながら参道を登っていたら、カラスが鳴いた。
今度はシッカリとそれを聞いた。
温かい頃とだいたい同じような場所で2羽が鳴き合っていた。

つがいのカラスが鳴き合っている時は、まだもう少し寝ていたいと思いつつそれで目が覚めたりしてそのノイズを迷惑がったりもしたのに、聞こえなくなったことに気がつくと、「あいつらいったいどうしたんだろう?」と気がかりになってしまったりする。
都合のいいことだが、ようするに、そういう些細な事が気になってしまうほど寺暮らしが暇なのだということなのだろう。

1月最後の江津行きの日だったので、8時過ぎに万善寺の3畳を出た。
昨日は溶けた雪が参道を川のように流れ下っていたから、今朝はそれが凍ってかなり危険な状態だった。
こういうこともあるからと用意しておいたトレッキングステッキを駆使して、溶け残った雪の上を選んで慎重に下った。
雪の結晶が朝日に反射してキラキラ光っている。
結界君は放射冷却にさらされて、凍り固まっていた。
ドアゴムが張り付いて運転席へ乗り込むのも一苦労だった。
暖機運転でガラスの霜が溶けるまでの間、保賀の谷を歩いた。
万善寺の隣と前の家は、2年前までは、その家の玄関先まで道が空いていたのに、今年は空き家になったまま雪の中へ埋まっている。
1軒は出雲市でご親族が暮らし、1軒は息子さんが神戸へ家を建ててしまった。
隣の家の老夫婦がまだ元気だった頃、棚経でお邪魔するたびに息子さんの自慢話をされていたことを思い出す。
「校長を退職して楽になると思っとったら、今度は幼稚園の園長も引き受けたようなことを言っとりまして、まだまだ、こっちへ帰れそぉになさそうですけぇ〜」
(もう、そこまでいったら、老後に田舎へ帰ることなど無いだろうに)・・・
まるまると冬ぶとりした寒雀の群れが頭上でやかましく鳴きながら飛び交っていた。

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3畳暮らし 

2017/01/27
Fri. 21:59

万善寺の3畳暮らしも、1ヶ月が過ぎた。
似たような毎日が過ぎているから、ブログネタも尽きるような気がしないでもないが、そのわりには夕食が終わって3畳に引き上げてマッタリとしたひとときを過ごしていると、その日1日の出来事も含めてそれなりに何かと思い巡らすようなこともあって、結局はそれが備忘録になってブログネタになってしまっている。

夜のうちに屋根からの雪ずりが続いていたから、それほど寒くないんだろうなぁと思っていたが、朝目覚めるとシトシト雨が降っていて、保賀の谷が一面霞に覆われていた。
こういう時は、降り積もった雪が一気に溶けて水っぽくなる。
この雪解けの水がその年1年の農作物の水源になるのだから、それはそれでありがたいことだし、万善寺の井戸水やボクのコーヒーの水源にもなっている。
雪深い寺に閉じこもって世間とそれなりの距離を置いて暮らすことに慣れてくると、それはそれで気楽に1日が過ぎて自堕落で怠け者の私にとっては捨てがたい日々になっている。
それでも、いくつか無視できないメールが入ってきたり、一ヶ月の自治会の事務が巡ってきたりして、完全な現実逃避までには至らないところが厄介なことであったりする。

万善寺の寺歴をまとめなければいけないことがあって、それを1月のうちに済まそうとしていて、この数日はそれにかかりっきりになっている・・・といっても、過去の資料が全く充実していなから、断片的に記録されている重要と思われる年代やその時の出来事や人物の姓名を拾い出して、それを手がかりに手繰り寄せる程度のことしか出来ていない。
歴史に詳しかったり、そういうことに趣味や興味があったりすれば、それなりに楽しくて張り合いのある仕事にもなるのだろうが、私の場合、どうもそこまでの気持ちの高ぶりもないから、集中が続かなくて困ってしまう。
それでも、闇雲に過去の資料をかき集めているわけでもないから、ここにきて幾つかの記録の断片が少しずつ繋がり始めてきたようにも思える。

万善寺は、今から約450年くらい前の開山であるらしく、飯南高原で記録に残っている寺社仏閣の中では、どちらかと言えば古くからの山号寺名が残っているほうのようだ。
宗派で言うと曹洞宗の禅宗だが、もともとはどうやら臨済宗から始まっているようでもあり、また、万善寺の口伝を信じるとやたらに加持祈祷絡みの法要が盛んであったらしいから、場合によっては天台宗あたりの密教からスタートしているかもしれない。
今の境内は3回目の移転であることが大体解っていて、もともとは保賀の谷の真ん中を流れる保賀川の水源にもなっている山の頂上にある神仏混合の聖域で開山されたようなので、そのことからしても、どこかしらなにかしら、密教系との繋がりがあったことだけは間違いないだろう。
調べていくうちに、毛利やら尼子やら、清和源氏が出てきたり、まぁとにかく際限がない。それに、一番厄介なのは、記述の漢字に当て字が多いこと。「音」を頼って手繰っていくしか無かったりして、面倒この上ないし、正しいのか間違いなのかもわからない。
どう考えても、ボクには彫刻を造っている方が向いていると再確認の毎日である。

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雪はそのうち消える 

2017/01/26
Thu. 19:28

「ぼっちゃん」・・・ほんの半世紀ほど前は、保賀の谷の人たちからそう呼ばれていた。
寺参りのお檀家さん方からも、だいたいそう呼ばれていた。

今は4軒に減ったが、当時は保賀の谷に7軒程お檀家さんがあった。
そのうちの一軒のご主人は、50歳で山仕事を辞めたあと、身体が動くあいだじゅう万善寺の寺男のように働いていただき、寺領だった昔からの寺の山に入って、境界を確認したり炭を作ったりと、マメにメンテナンスをしてくださった。
冬は山猟師が入ってくるので危険だからと、山へ入る代わりに寺の外回りの営繕をされていた。
とても器用な人で、ハンドル付きのソリを作ってくれたりもした。
そのおじさんが色々な工具や道具の使い方からメンタナンスのことまで教えてくれたことで、自然とモノ作りが好きになってきたのだろうと思っている。

さて、そのおじさんが今度のような雪がたくさん降ったあと、参道の道あけをしながら寺へ上がって、ついでに庫裏でお茶飲み話をしているときに、まだ小さかった私へ雪の世話の話をしてくれたことを覚えている。
それは、昭和38年の豪雪より前のことだった。
「雪はそのうち消えるけぇ〜、何にもせんでええんよ。人が通る1本道が空いてりゃぁ、なんとか暮らせるけぇ〜ねぇ〜」

何もしないでも、春になればそのうち消えてしまうことがわかっているのに、無理に雪かきなどして疲れるだけ無駄だ・・というわけだ!・・・ということを、最近になって痛感する。
日常の暮らしをあらためて意識すると、冬の雪のことだけでもないくらいいろいろな場面で無駄に無理しているようなことが結構あったりする。

昨日までの寒気が去ったその日の夕方に、いつものお檀家さんがユンボを動かして参道の1本道を広げてくれた。
はじめから彼のユンボを当てにしているわけでもないが、ある意味絶妙なタイミングで意思の疎通が機能していると思う。
彼の勤労奉仕は万善寺との関係だけで成立しているわけでもない。
保賀の谷のいろいろな事情に、我が身の出来事のごとく普通に粛々と奉仕されている。
少なくても、私は彼の奉仕に打算を感じることがない。

ユンボの彼は少し前まで長い間、私を「若さん!」と呼んでいたが、最近になって気がつくと、いつの間にか「方丈さん」と呼んでくれるようになっていた。
母親とワイフには「しょうちゃん!」と呼ばれている。
その「正ちゃん」と呼び続けている90歳を過ぎた母親が、昼前から雪の降り積もった境内に出て、スコップを振り回してユンボのデカイ道を迂回して1本道あけをしていた。
まぁ〜、なんと言いましょぉ〜か、お元気なことで・・・母親は永遠にボクを「方丈さん」と呼ばないだろうね・・

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冬の結界くん 

2017/01/25
Wed. 20:38

ボクの超個人的な備忘録ブログに飽きもせず時々立ち寄ってくださっている皆様のことですから、すでに重々ご承知のことと存じますが・・・「結界くん」という、ボクにとっては切っても切れない大事な相棒がいるのです!
彼は、マニュアル5段切り替え4WDデッキバン貨物車仕様で、現在はヨコハマのスタッドレスタイヤを履いて何処までもひたすら健気に走ってくれています。

冬シーズンは、出先のどこで何があるかわからないから、昨年末に結界くんを少しほど重装備して今に至っている。
幸い運良く、それらの装備のお世話になるところまでに至らないまま、厳しい寒気を2つばかり乗り越えることが出来た。
その、重装備とは(べつにたいしたことではないのだが)・・・
後部座席をフラットにした上に、若干改造した助手席をフルフラットにして、45cm✕180cmのパネルをはめ込んで作った簡易ベット。
チャチで薄っぺらな、それでも見た目は羽毛布団(これは、結構コンパクトになってそれなりに温かいから便利!)と、何時ものシュラフにバスタオル、歯磨とお泊りセット。
パジャマ代わりのジャージ上下と、パンツにシャツ数枚。
履き替え用の雪駄、サンダル、長靴、それに子供からの誕生日プレゼントカジュアル革靴と、傘、もしもの時の坊主の必需品一式に改良衣などの法衣一式。
そうそう、最近トレッキング用の杖を2本積んだ。
そして、欠かせないのはカセットコンロと、それ用ボンベなど。
他にも、大工道具や鉄工道具とそれに関連する必要最小限の電動工具も常備してある。
それで、iPhoneとその充電器があれば少々の渋滞でも普通に気楽に乗り切ることが出来る。

今回の2回めの寒波は、島根の隣鳥取県で交通網が分断されて大変だったようだ。
島根の方は、今のところ昨年並みかそれ以下の積雪で、万善寺のある飯南高原も吉田家のある石見銀山も、比較的楽な毎日を送っている。
このままいけば、「モテル結界くん」のお世話にならないで春を迎えられそうな気もする。

昨日の保賀の谷は、ひと晩で50cmは積もったと思う。
その前日から同じくらい降り続けていたから、1本道を歩く時は腰のあたりまで降り積もった雪だまりをスコップでかき分けながら結界くんまで歩いた。
そして、今朝は薄く降り積もった今季最高のパウダースノーを舞い上げながら慎重に1本道を探りつつ参道を下った。
こういう朝は、放射冷却が特に厳しいから、結界くんの暖気運転がいつもの3倍位必要だった。
それでもワイパーにこびりついた雪というより氷の塊が溶けるまでにはかなりの時間を要した。
過酷な飯南高原の冬に、文句一つ言わないで耐え続ける結界くんが愛おしくなる♡!

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雪見舞 

2017/01/24
Tue. 21:06

万善寺暮らしには、「サカムケア」が欠かせない。
食事の支度や洗い物と、雪の世話(参道の一本道)が続くからだ。

お檀家さんの大練忌の日だったので、参道の雪かきをしながら結界くんまで急いだ。
夜通し降った雪が大量で150mの1本道を道開けしながら下って、やっとの思いで結界くんへたどり着いたらすでに1時間経っていた。
本当は白衣に改良衣の坊主スタイルで決めなければいけないところを、こんな状態だからとても不可能なことなので、長靴に少し気を利かせて黒のリーバイスとパイロットジャケットという、坊主とは程遠い完全防備で雪に埋まった結界くんへ乗り込んだ。
エンジンをかけてしばらく暖機運転しながら窓の雪を溶かすのだが、雪の中で排気ガスが溜まって一酸化炭素中毒で坊主がお陀仏というのも情けないことだから、それなりに緊張しながら結界くんの脱出を試みた。

幸い、朝のうちは雪も小康状態で青空もちらほらのぞいていた。
大練忌の後、お位牌の点眼遷座を済ませて、その足で国道54号を北上して斐伊川の近くで用事を済ませて、出雲経由で富山へ向かった。
今朝の飯南高原でだいたい1m弱の積雪量だったから、富山もそれなりに積もっているだろうし、野外彫刻の雪風景を撮影出来るだろうと予測したわけだ。
富山の雪は思っていたほど積もっていなかったが、とりあえず記録に残すことは出来た。
万善寺から富山までは、雪がないときでも1時間近くはかかるから、冬の雪の時期は特に「チョイとそこまで・・」という気楽なノリで移動はできない。
撮影中に電話が入ったので出てみると、栃木在住彫刻家の重鎮H氏からだった。
「鳥取がすごいらしいから島根のしょうじゅんちゃんはどうかと思って・・雪、大丈夫??」
珍しく雪見舞の電話だった。
例年は今よりもう少し雪が多く積もるから、自分的には普通に冬を乗り切っているつもりなのだが、メディアがいつになく大騒ぎしていると、太平洋側に暮らす方々には何かと気にかけて心配していただく。
思ってもいない雪見舞は、それだけでボクの冷え切った心と身体が暖かくなった。

富山から直接万善寺へ向かおうとも思ったが、せっかくだし、石見銀山を経由して、ボクの田んぼ彫刻も記録しておくことにした。
撮影をしていたら雪が舞い始めて条件が悪くなったので適当なところで切り上げた。
富山も石見銀山も、今回の彫刻の雪景色は納得できる1枚を残すことができなかった。

途中で万善寺暮らし数日分の食材を買い込んで、お地蔵さんの下へ結界くんを駐車した頃には、雪が吹雪に変わっていた。
朝の一本道は、微かに痕跡が残っているくらいまで雪が積もっていた。
本堂前の境内には、屋根からの雪ずりの山が出来ていた。すでに、その山を切り通すまでの体力は残っていなかったので胸までの雪をかき分けながらその山をよじ登って越えた。

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雪が降る 

2017/01/23
Mon. 18:27

さすがに今朝の3畳は寒かった・・・
昼間に少しほど空が明るくなったので、お地蔵さんの近くに駐車中の結界君を見に行った。
今年の雪は、ドッサリ積もるというほどでもないが、ダラダラと絶え間なく降り続いている感じだ。
雨でいうと、シトシト降り続く梅雨の長雨のように、降っては止み、またしばらくすると降り始める。

結界君は、吹きさらしの保賀の谷で雪に埋もれていた。雪をかぶっている方がかえって降り始めの状態を維持できて無駄に凍りついたりしないから、そのまま手をかけないでソッとしておくことにしたが、翌朝は今夜一晩の雪にスッポリ埋まっているだろう。

こういう状態で雪に埋もれた万善寺では、極力何もしないでジッと寒気が去るのを待つ。
やらなければいけない仕事があるのだが、どうもその気になれない。
母親と暮らしていると、仕事の集中が分断されて、全くやる気が起きない。
だからサッサと諦めて読書をしたり映画を見たりして過ごす。
モヤァ〜〜っとした頭で過去を振り返ってみると、小学校や中学校の頃から島根へUターンして社会人になった後も、そして、我が子もそれぞれ社会人になって親の手が離れた今になってまでも、母親の無意味な過剰介入で気力をなくす場面が頻繁にあったことを思い出す。母親の激しいほどの母性愛なのだろうが、現在は、それが一方的に私一人に向かって集中攻撃をしているような状態だ。

そもそも、保賀の谷の現在地に万善寺が再建されたのは文久年間にさかのぼる。
過去の寺歴をみるとそれ以前もそれ以降も、延々と坊主ばかりの男社会で寺が運営されていて、万善寺へはじめて住職の妻として女性が迎え入れられたのは大正時代になってから後のことで、私の母親は約450年続く万善寺の歴史の中で3人目のおかみさんということになる。
もともとは、浄土真宗さんを菩提寺にもつ一般在家の次女に生まれた。生家はどちらかといえばお宮さんに縁が深くて、親族には宮司さんやその奥さんが多い。そのなかで、母親だけが禅宗寺院に嫁いできたわけだから、それはそれなりに周囲の事情がわからないことばかりで苦労も多かったことだろう。
それでも、息子であり現住職の私から見れば、随分と楽な若奥様でなにかと持ち上げられながら万善寺の切り盛りをしていた気がする。記憶を手繰ると、万善寺の年間諸行事のほぼ全てで賄い手伝いの女性方が周辺地域から10人近く集まって、庫裏の台所は終日賑やかに黄色い声が飛び交っていた。

今はどうかというと、ワイフがたった一人で母親の小言を聞きながら終日台所を切り盛りしている。母親の時代は、万善寺の一つの仏事にほぼ1週間くらかけて準備をしていたが、万善寺歴代4人目のおかみさんであるワイフは大体の仏事を一日一晩でこなしてしまう。
そろそろ、節分立春が近いしそのあとは初午祭で、ワイフの出番が控えている。

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島根寒気団事情 

2017/01/22
Sun. 21:36

万善寺を出発する時は、水をタップリ含んだ雪が舞っていた。
さて・・・一晩で30cmは積もっただろうか??
今年に入って2回めの寒気が島根の上空まで南下しているようだ。

小さな山寺とはいえ、それなりに寺らしい寺だから(??)本堂と庫裏を含めるとそこそこの部屋数がある。
例えば、仏間(方丈の間)、奥の間(万善寺は観音様が安座していらっしゃる)、前の間、居間、韋駄天様の間、それに板の間に台所、庫裏玄関とその真上のロフト(ボクの寝室兼書斎)、そして、本堂と庫裏を結ぶ3畳の廊下部屋が現在の寺務所兼用書斎兼寝室。
90歳を過ぎて益々元気な母親は、庫裏のど真ん中の部屋で1日を過ごし、台所で食事をし、板の間の簡易ベットで眠る。
一応、世間的には万善寺の現在住職である智光(道号)正純は、立場上、方丈の間を拠点として、先住職とその親族が安座される吉田家仏壇をお守りしながら寺務に働くことがノーマルな坊主の日常であるはずなのだが、現在は、庫裏のほぼ90%を前住職の妻であり万善寺のおかみさんであり現住職の母である、ボクの母親が占拠死守している。
その、ボクの母親は、もうここまで来ると超スーパーリアリズムの絵に描いたような◯◯の一つ覚えで、それ以外のことはほとんど全て自分のオリジナル常識の圏外になったまま年齢を重ねたような人だ。
日常の大体を、ノリと勢いと感で生きているような私からすると、究極の真反対で思考し施行しているような人だ。
私は、15歳までしか母親の影響下で暮らしていないから、母親からみる正純は、いつまでたっても15歳の正純のまま成長しないでいる。まぁ、俗にいうところの「子離れに失敗した母親」である訳だ。
身内のハジをさらすようだが、本日現在のほんの数分前に、本年一二を争うほどの母息子バトルを行った次第。
坊主の端くれとしては、言い訳もできない実に不本意で生臭く我欲の強い自分を恥じるしか無いわけである。

そんな、万善寺の母息子共同生活も、そろそろ一区切りの時期が迫ってきた。
正月もあと残すところ1週間あまり。
雪に埋もれた寺務所で残るデスクワークを一気にまとめ上げたら、彫刻の制作工場へ気持ちを切り替えることになる。
石見銀山の吉田家を拠点に、工場へ通勤し、終日制作三昧に入る。
2月の中旬には、幾つかの彫刻を岡山倉敷の児島周辺へ搬入して設置する。
3月には別に造る彫刻の新作を東京の上野へ搬入する。

南下した寒気団は、南北に短く東西に長い島根県上空で様々な表情を見せてくれた。
北からの強風で日本海はうねりも激しく白波が絶え間なく打ち寄せていた。
ボクの心は万善寺を包む雪のごとく冷えかたまり、母親は山陰の海岸へ激しく打ち寄せる日本海の荒波のように揺れ乱れていた。

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オヤジの立場 

2017/01/21
Sat. 21:18

万善寺から約2kmのところへ出雲街道沿いに地元では古くから「三日市」と言っている小さな町がある。
たぶん、グーグルにも公的な地図にもその町の名前は記載してないと思う。
飯南高原のだいたい中央といっていいが、行政の中央ではない。
地形的には、高原であるものの、その中では緩やかな盆地といって良いかもしれない。
この時期の雪の量も、両隣の町に比べると10cmくらいは少ないかもしれない。
そういう、変哲もない過疎の田舎町だが、そこには島根県の県立高校がある。
私も、順当に行けば中学からその高校へ進学するはずだったが、いろいろな事情でそうはならなかった。
その頃から数十年の間にその高校もかなり変わった。
今では、過疎の町の小規模の高校から京大、早稲田など、かなりのハイレベルな大学へ進学する子も出て、島根県下ではさりげなく注目されるまでになった。

今日の法事の施主は、その町の自動車販売ディーラー経営者で、私の中学校までの同級生のお宅。
その家の当主の彼は、信心深いのか、宗教に無関心なのかよくわからないところがある。
万善寺のお檀家さんではあるが、万善寺の年間の諸行事にお参りすることがない。だからといって、仏事の付き合いを無視しているふうでもなく、思いついて個人で勝手に本山参りをしたりしているようでもある。
仏事以外のところでは、それなりに飲み友達だったりして、これといって険悪な仲でもないから、ようするに彼から見ると、少年時代から顔見知りの同級生の坊主が「どうも今ひとつ胡散臭くて信用ならない・・」のだろう。
坊主の吉田としては、寺参りもしないこの同級生オヤジに、この際だから徹底的に長々と説法を垂れてやろうと心に決めて法事にのぞんだ。それでも、結局は15分程度で息切れし始めて、脳みそを絞り上げたシナリオのカケラを披露したところで力尽きた。
終わってみると、いつもの同窓会の延長のような緊張感のない法事になってしまったという次第。

目が合わなくて・・・というのではなく、この数年の間にメガネの度があわなくなって疲れ目が激しくなったのでしばらく前にメガネ屋へ出かけて、いろいろ視力検査をしてもらったら、案の定、メガネと自分の視力にかなりのズレが生じていた。
検査をしてみると、乱視がひどくなっていた。
選択肢は2つあって、フレームはそのままでレンズ交換をするか、メガネそのものを買い換えるか・・・迷ったものの、フレームはまだ十分しっかりしているし、レンズ交換の方が新品のメガネより約3000円ばかり安いし、フレームにもそこそこ愛着もあるから、新しく調整し直したレンズを作ってもらうことにした。そのレンズが届いたという連絡が入ったので、法事が終わってからメガネ屋へ走った。
新しいレンズは、焦点も合ってとても見やすくなった。
せっかくだから石見銀山の吉田家へ寄ったら、ネコチャンズどころか、ワイフまで布団に潜り込んで爆睡していた。オヤジの居場所が完全に消滅していた。

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寒波第2弾 

2017/01/20
Fri. 21:32

前回の寒波から1週間目に、次の寒波がやってきた。
一晩中雨の音が聞こえていたが、朝、寺を出るときにはそれが雪に変わっていた。

万善寺の前を流れる保賀川は飯南高原の広島県の県境近くに源流を発する神戸川の支流で、その神戸川は、日本海へ注ぐまでに保賀川をはじめとして幾つかの支流が集まって川筋の地域や出雲平野の米を育てている。
少し東にはヤマタノオロチ伝説の斐伊川があって、西には江の川がある。
広島方面から続く街道が、飯南高原の真ん中で出雲大社へ向かう参詣の道出雲街道と、石見銀山へ向かう銀を陸路で運搬した銀山街道に別れる。
その、分岐のあたりに小さな祠があって、立派な御神木がある。
その祠は、かなり古くからの由緒謂れあるものらしいが、地域の人々にはあまり関心も無いようで、どちらかと言えば歴史の流れに流されて忘れ去られてしまったような存在に思える。
私は、万善寺と石見銀山を出雲街道と銀山街道をそれぞれ経由して移動しているから、祠の存在がとても大事なものになっていて、いつも気にしながらその近くを通過している。
今日も、朝のうちはほぼ消えかかった雪が祠周辺に残っているだけだったが、夕方に寺へ移動する頃は吹雪に包まれていた。

昼のうちは、江の川の支流から江の川へ出て、川岸の道を結界くんで移動していた。大体に、島根県は雪の降るところだが、川岸の地域にはそれほど雪が降らない。川そのものが標高の低い所を選んで流れているから当然当たり前のことなのだろうが、土地土地を結ぶ主要な街道は、こうして大きな川に沿っているから、島根の彼方此方を広範囲に移動することが多い私にとっては、年間通してその時々の過酷な気候へそこそこ楽に付き合えて助かっている。
少し前に完成した、山陰山陽を結ぶ松江尾道道は、中国山地の山の頂上付近を縫うように走っているから、冬のシーズンは頻繁に通行止めになって物流の停滞が続く。今建設中の島根を東西に走る山陰道も日本海岸沿いに沿った山々の斜面を縫うように走ることになる。

自然を相手に人々の工作はあまりにも虚弱だ。
昔の人は、自然の怖さを知り恐れながら自然と過不足なく付き合っていたように思う。
人の便利をあまりに優先しすぎると、自然の何処かに皺寄せや無理がたまる。
自分の立ち位置を分相応に心得て意識することが大事だと思うが、それを常にわきまえるということもなかなか難しいことでもある。

寺へ帰ってから墨を摺って大練忌塔婆を1枚書いた。
裏文は、例の「春色無高下 花枝自短長」とした。
自然から学ぶことが山ほどある。自分の指針として肝に命じておこうと考えている。
今年になって、すでに数回ほど塔婆の裏へこの禅語を書いた。
忘れない程度に間を置いて思い出すことで時々の自分を整理できるといいと思っている。

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趣味は読書!?? 

2017/01/19
Thu. 20:52

万善寺のウエブ環境の特に下りの方が良くないのは今に始まったことでもないが、最近になって上りもあまり思わしくなく、大事な事務連絡は、メールか場合によっては直接電話するかしないと安心できないほどになっている気がする。
少々神経質が過ぎるかもしれないが、用心に越したことはないし、少しばかりひと手間加わるくらいのことだから、だいたい暇にしている私にとってはそれほど気にすることでもない。
むしろ、インターネット回線の脆弱さのほうがずっと気になってイライラする。

お昼前になってようやく今日の1日分の仕事の準備ができたので、母親にその旨伝えて出かけようとしたら、またもや相変わらずのわがままが出て収集がつかないまま逃げるように寺を出た。
まったく、自分が住職をしているはずなのに、どこかしら遠慮しながら寺に住み暮らしているようなところがあってどうも釈然としない。

昨年末の金策がつまづいて遅れていた業者さんへの支払いをやっと済ますことが出来た。
それに合わせて幾つかの金融機関を巡回して、月末の残高をチェックしたが、新年早々、結構ヤバイ状態で、気が滅入った。
全て自分の見通しの甘さと営業の力不足なのだが、それにプラスして、万善寺の家計補助が余分に事業費を圧迫している。
もっと自由にノビノビと活動できれば、今の状態が少しばかり改善できる気もするが、高齢の母親を無視できないし、難しいところだ。

そんなこんなで、気がついたらもう午後のティータイムくらいの頃合いになっていた。今更これからお昼ごはんというのも気が乗らないまま、雪で孤立状態だった寺の食料補給をすることにした。
スーパーを回って、結界くんへ燃料も補給して、いろいろ動き回って、石見銀山の吉田家に寄った。
もちろんワイフは仕事で留守。ネコチャンズはいつものようにオヤジを無視。
テーブルの上はワイフの様々なグッズであふれていて、その中に紛れていた私宛の手紙などを探し出して整理していたら、1週間ほど前にAmazonへ注文していた中古本が2冊出てきた。
送料込み1冊258円也!
普通に買えば1冊1500円也!
2冊とも、新品と変わらないほどキレイ!
そろそろ10年ほど前の本になるから、自分で自分の我慢強さというかシブトサを褒めてあげたくなる。
最近、年々読む本が減ってきた気がする。小学生の頃からこの歳になるまで、絶えることなく本を読み続けているが、振り返ると、高校生から予備校生の頃がいちばん激しく読書していた。
昨年1年で、あの頃の1週間分も読まなかった気がする。
寿命もそろそろ先が見えてきたし、もうあの頃のような読書三昧は出来ないのだろうか?

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2017-02