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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ボクの想定外 

2019/11/20
Wed. 10:51

寺の用事に少し間ができたので撮りためておいた彫刻小品展の会場写真から手配りを兼ねた三つ折りのチラシをつくった。
だいたいの校正が終わったところで試しに印刷をした。
プリンターが動いている間に通勤坊主の帰り支度をしていたら、西向きの勝手口がオレンジに染まっていた。
まだそんなに遅い時間だと思っていなかったから、夕暮れの状況に慣れるまで少し時間がかかった。
気づかない間に、随分と日が短くなっていた。

石見銀山で小品彫刻の展覧会が始まって1周間が過ぎた。
会場は、北から東にかけて昔ながらの窓ガラスが建てられている。
昼のうちは逆光が少し強くなるが、夕方、陽が沈む頃になると一気に会場の雰囲気が変わって、ほんの20~30分だけのその頃合いがとても好きだ。
それから間もなく周囲が暗くなって、窓ガラスの外は夜の闇になる。ソレもまた昼間とは違って独特の雰囲気が漂う。
展示が終わって展覧会が始まって以来、なかなか会場に常駐することができなくて気になっていたから、少し早めに寺の用事を片付けて彫刻の様子をみておこうと思っていたのだが、夕方の丁度良い頃合いには間に合いそうにない。

65歳の誕生日は病院のベッドで迎えた。
まぁ、ソレも自分の人生としては記念すべき節目になったと思っている。
それにしても、5週間の日常の現実との乖離が、その後の自分の暮らしにここまで大きく影響してくるとは思っていなかった。
自分の彫刻の制作の方は、年間を通じて長期的スケジュールにほぼ大きな変更もなく毎年繰り返されているから、だいたい今の所それほど苦労することもないままいつもと変わらないでいられている。
万善寺の方は、そもそも自分の都合でスケジュールが組み立てられないから、これは一つ一つの現実と具体的に向き合って粛々と乗り切るしかない。
日頃はそれほど大騒ぎするまでもない程度の仏事が五月雨に過ぎていくばかりのことなのだが、なんのめぐり合わせなのだろうか、今年の場合は今までの万善寺がまったく通用しないまでに目まぐるしく様々な出来事が次々と絶え間なくやってくる。

展覧会が始まってすぐの夜更けに、お檀家さんの訃報が入った。
50軒足らずのお檀家さんのことで、今年は既に5軒の葬儀で5つの引導を渡した。こういう事態は、副住職時代を含め自分の坊主家業で経験のない想定外のことで、寺の過去帳を手繰っても、前住職の憲正さん在職の60年でもなかったことだ。元号が平成から令和に変わったという事実と合わせて、これからも鮮明に自分の記憶に残ることだろう。

夕方の万善寺上空は一面いわし雲が広がっていた。明日は雨になるかも知れない。
山王さんの秋の大祭が近い。今年の万善寺住職は山王神社境内の草刈りが当番になった。

2019石見銀山彫刻小品展チラシ
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混同か合体か 

2019/10/28
Mon. 10:39

久しぶりに一日中まとまった雨になった。
吉田家のトタン屋根を激しく叩きつづける雨の音で夜のうちに目が覚めた。
最近は処方してもらった薬のおかげもあって、夜中に目覚めることも随分減った。
その薬もそろそろ飲みきってしまうので、幸いに雨で外仕事もできないし、近所の整形外科へ通院することに決めた。
「病院行くんだったらお昼前が少しすいてるわよ・・・」
仕事へ出かける前にワイフが教えてくれたから、いろいろと準備をして丁度良い頃合いを待って出かけた。雨は時折土砂降りに変わって強く振り続けている。病院までの間、雨の降る中、作業員がずぶ濡れになって道路の補修工事をしていた。自分の都合で休むことのできない彼らが可愛そうになる。

今月末には六本木の展覧会の会期が終わって彫刻の搬出作業がある。
春の手術入院のこともあるし、今年の彫刻制作はあまり無理をしないように気をつけたつもりだが、普通に何もしないで過ごしているわけでもないから、結局はそれなりの無理が続いた。制作の工程を見直して、できるだけシンプルで右手の負担を軽減できることを考えた。それで彫刻の造形が崩れてダメになるくらいならいっそのこと制作を中止するくらいの気持ちで始めた。
こういうときは知らない間に自分をかばって適当なところで妥協してしまったりする。
彫刻を初めて2〜3年だっただろうか・・・会期中の彫刻講評会のときに「昼の仕事が忙しくて制作時間がうまくとれなかったものですから・・」などと、形の破綻を弁解がましく取り繕ったら、講評の委員から「そんなの関係ないでしょ!あなただけじゃなくてみんな似たような環境で他に仕事しながら制作してるんだから・・ようは、その彫刻が良いか悪いか、ソレだけでしょ」と、ピシャリ言われたことがある。
その時は「クソ、コノヤロウ・・」と、自分の甘さを棚に上げてムッときたが、あとになって帰りの夜行寝台でチビチビやりながら思い直してみると、確かに言われたことももっともなことで、自分の彫刻制作に対しての認識の薄さに気づいた。

とにかくどんな事があっても他の事情と彫刻のことを区別して混同しないようにしようと肝に銘じてから、カレコレ35年が過ぎた。毎年何かしらの出来事が彫刻制作に絡んできて、なかなかしんどい時もあるが、なんとか今まで良いも悪いも含めてそれなりに自分で納得しながら彫刻を造ってきた。上野から六本木に展覧会場が変わった時、自分の彫刻は六本木の美術館にそぐわない気がして下見に行ったことがある。それでこれをキリに公募展を辞めようかと思ってもみたが、結局ナンダカンダいっても公募団体展へ出品する彫刻は1年に1作しか制作しないわけだし、10年続けてもたかだか10作の彫刻しか残らない。自分のテーマを追求して苦悩して悶々と掘り下げているとしても「たった10作の彫刻で何が語れてどんな方向が見えるのか知れたものだ・・・」そうも思えるところもあって、何かしら撤退というより敗退という気もして「ソレもイヤだな・・」と今まで続いた。
最近は坊主メインの彫刻制作になりつつあるが、ソレも宿命だし、きちんと区別して言い訳がましい彫刻にならないようにしたいものだ・・・といって、どうもこのところ坊主と彫刻は混同というより合体という感じになってきた気もするなぁ??・・・

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柿の色づく頃 

2019/10/23
Wed. 17:17

秋のスズメバチがしきりにミツバチの巣を襲撃している。
巣を追い立てられたミツバチたちの羽音が境内まで響いて聞こえる。
なんとかしてやりたいと思うが、コレばかりはどうすることもできない。
境内の石垣から土蔵の床下あたりにかけてミツバチが巣を作ったようで、石垣下の用水路脇を草刈りをしていると、何年か前からそのあたりでしきりにミツバチが飛び交っていた。
今年はその巣もついにスズメバチに見つかってしまった。

六本木の展覧会で陳列作業をすませて島根へ帰ってから、それまで台風や彫刻制作で途絶えていた寺の作務を再開した。
作務といってもほぼ全てが秋の草刈りの野良仕事。
元々寺の田圃だったところを畑に切り替えたあと、母親の俊江さんが元気だった頃は毎年耕し続けて季節の野菜を育てて収穫をしていた。
それから何年かのうちに俊江さんは腰が曲がって身体が思うように動かなくなり始めると、畑の半分を使って花の木を植え始めた。
最初の頃は毎年時期になると自分で剪定をして、それなりに見事な花を咲かせていたが、それも永遠に続くわけもなくて、身体が動かなくなって畑へ降りることができなくなると一気に蔦がはびこって人手の入り込む隙間も無くなった。
一度、俊江さんが畑の野菜も少しずつ自分で面倒を見ることができなくなって来た頃に、少しでも助けになればと草刈り機を振り回したことがあった。そうしたら「大事に育てている花木も一緒に刈り倒されたら嫌だ!」から「いらない手出しをするな!」と小言を言われた。
親切のつもりで始めたことに小言を返されるのも良い気がしないし、それ以来、何年も見て見ぬふりで母親の世界へ踏み込まないでいたツケが、この近年重く自分の肩と腰にのしかかっている。

春に俊江さんの三回忌を終わったら「さすがにもうそろそろ自分の思うようにしてもいいだろう」とあれこれ思案を巡らせていたら、なんのこともない、5週間の入院騒ぎで出鼻をくじかれた。
もう、こうなると自分の意地のようなものもあって、とにかく年内に少しでも俊江さんの花木を根絶やししようと励んでいるところだ。
もう5リットル入りの油缶へ2回ほど給油したが、未だに先が見えなくて遠い。
そろそろ展覧会も終わるし、今度は搬出でしばらく留守にするし、ソレが終わると石見銀山で小品彫刻展がはじまって、徳島の野外彫刻展の搬出もある。

だいたいが年中ヒマにラクにマイペースで過ごしているところなのに、さすがに今年は少々忙しい。
長い人生、たまにはこういうこともあるのだろう。
一汗流した後の麦とホップを楽しみにすれば、ナンダカンダいっても酒が旨い!と思って飲めているだけでもありがたいこと・・・ではある!

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共同搬入 

2019/10/15
Tue. 23:16

台風19号が東日本一帯へ大きな被害の爪痕を残して去っていった。
島根県はおおむね台風被害の少ないところで、災害と云うと梅雨に絡んだ豪雨とか冬の大寒波豪雪の方が多くて怖い。
この度の19号も直接の被害は受けなかったが、それでも強風がかなり吹き荒れて山陰道の通行を躊躇するくらいだったし、主要街道から少し脇道へそれると、倒木があったり土砂が側溝を塞いでいたりしていたから、今回の台風は日本列島をすっぽり覆うくらいの超大型だったということを我が身で実感した。

その台風が関東へ上陸すると予報されていた10月12日は、埼玉暮らしのなっちゃんが長男のユーシンくんと一緒に帰省中のだいたい半分くらい過ぎたあたりで、旦那が飛行機移動で吉田家へ合流することになっていた。
私の方は、朝から超大型台風の暴風の中を銀くんで移動している最中で「これじゃぁ〜飛行機は飛ばないな・・・」と、普通に確信した。
前日までは、台風情報をチェックしながら万善寺の境内地を中心にいつ終わるか予測不能の秋の草刈りに汗を流していた。その頃からそろそろ風が強くなっていて、時々吹く突風に刈った草が舞い上がっていたりしていたから、シャワーを使ったあと、寺の周囲で風で飛んでいってしまいそうなものの養生をすませてはおいたのだが、まさか関東を通過する台風の勢力が島根県の万善寺の方まで及ぶこともないだろうと軽く考えていたものだから、日本海から吹き付ける北風に煽られてフラフラしながら山陰道を走っていると、寺のことが心配になってどうも落ち着かないまま半日過ぎた。
午前中の用事を済ませて吉田家へ帰宅すると、なっちゃんは強風の吹く中、久しぶりに旧友へ逢うといって何処かへ出かけていた。
遅めの昼食をとりながら寺のことが心配だとワイフへ話したら「今更どうしょうもないじゃない。なるようにしかならないわよ」と、軽く冷静にあしらわれた。
無理して外へ出て何かあってもバカらしいし、ワイフの云うこともモットモだし、そのまま土曜日の午後を休息にした。
案の定、羽田や成田がらみの飛行機はほぼ全便欠航したようだし、地上の交通機関も運休を決めたようだった。

10月に入ってすぐ、六本木で開催される秋の展覧会へ向けて彫刻の搬入をすませた。
島根在住の彫刻家を中心に、吉田家の二人分も含めて5人分の彫刻を共同搬入した。
もう25年位は一緒に制作して搬入出を続けている周藤さんは今年も力作を持ってきた。
子育てが落ち着いて制作活動を再開したノリちゃんも、この2・3年前から制作に欲が出て来たようで、年々彫刻が面白くなってきた。
いろいろな事情で個人出品の苦労をしていた四国の作家も今年は共同搬入へ合流した。
吉田家は、ワイフもボクも相変わらず幾つかのドタバタを乗り越えて、まぁ、それなりの彫刻に仕立てて共同搬入の頭数に加わった。
毎年ダレカがナニカのコトで一波乱ある共同搬入も今年は何時になく穏やかに過ぎた。
台風の直後には六本木の陳列展示作業がある。コチラも穏やかに何もなければいいけど・・・その前に、台風直後で島根から無事に上京できるか、それが心配だ。

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ブログ再開 

2019/10/14
Mon. 11:11

飯南高原の朝は気温13℃・・・
つい先日は、10月になったばかりで30℃を越えた日もあったのに一気に秋が深まった。

ブログから遠ざかってもう1ヶ月になる。
その間、ネタの写真が溜まりすぎてラップトップのディスプレイが収集つかないほどに散らかってしまった。
そんなわけで、ちょっと本気になって写真の整理も兼ねてブログ再開を決めた。

実は、皆さんご存知のように、現在身体の右側を中心に首筋から肩を通って指先までの痺れが続いている。
ボク自身の不摂生と不養生でこの10年近くの間にジワジワと頚椎の不具合が進み、やがて神経を圧迫するようになって、彫刻の制作中にある日突然右手の握力がスッと消えて無くなってスプリングクランプを握ることができなくなった。
さすがにそのまま放置してしまうと彫刻が造れなくなってしまうことになるから病院嫌いを断念して近所の整形外科へ駆け込んだのが昨年の年の瀬のこと。
ドクターの問診に症状を説明したら、なぜか首と腰のレントゲンを撮ることになった。
具合がわるいのは右の腕から指先までのことなのに「どぉ〜して首と腰なのかなぁ〜〜?」とよくわからないままレントゲン撮影をしてしばらく待っていると、二回目に診察室へ呼び出された時には、現像を終わった首と腰の骨がバックライトに照らされていた。
「このままだと、そのうち立てなくなりますよ・・・腰はもう少し持ちそうだけど、首はもう限界を越えてますね。手術するしかないでしょう!ここでは無理だから、手術のできる病院へ紹介状を書きますね。それでいいですか?出来るだけ早くそちらへ行って検査してもらってください・・・よく、こんなになるまで我慢できましたね・・」
「そぉ〜ですかぁ〜〜・・・今はチョット忙しくて・・・」
「検査だけでも急いだほうが良いですよ。年内が無理なら年が明けたらすぐに詳しく見てもらったほうが良いですよ。いずれにしても、手術は避けられないでしょう・・・」
「それじゃぁ〜、正月が落ち着いたら行ってみます・・・」
・・・とまぁ、そんなヤリトリがあって、春に入院して平成から令和に元号が変わるのを病院で過ごした。

手術しても痺れはとれないと言われていたから、ソレはそれとして気持ちの中ではゴクリと飲み込んでいるが、なかなか身体のほうが上手く慣れなくて、夜中になると首筋からの痛みが気になって眠れなくなるものだから、何回目かの通院の時にソレを言ったら「じゃぁ〜この薬を出しておきますね。飲み終わって無くなってもまだ痛くて眠れないようなら近所の病院で処方してもらってください」と60日分もらって帰った。
ソレがそろそろ無くなりかけているのだが、その薬を飲み始めたら、夕食が終わって夜の早いうちからすぐに眠くなって、調子の良い時は朝の4時位までグッスリと眠れるようになった。
ようするに、このブログを書く時間を削って爆睡しているわけであります・・・

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スポーツばぁちゃんと自堕落親父 

2019/09/17
Tue. 11:31

怜子さんはワイフのお母さんである。
ワイフのお父さんで怜子さんのご主人の清さんは、何年も前に病気で亡くなっているから、今は自宅で一人暮らしをしている。
毎日のように午後から近所のスポーツクラブへ出かけて、夕方暗くなるまでジムで汗を流し、シャワーをつかって帰る。
だから、80歳を過ぎた今でも十分に体力もあるし、とても元気だ。

三連休の最終日は敬老の日だったから、関東で暮らす孫の(吉田家)3姉妹が怜子さん宅へ集合しておばあちゃんの敬老を祝ってくれた。
長女のなっちゃんが今年の4月に長男を生んだから怜子さんは曾孫を見ることが出来た。
日頃は一人暮らしで気楽にしていられるから、こうしてたまに孫たちが訪ねてくるとそれなりに気を使うようで数日前からワイフと色々何をしようか電話で相談していたようだ。
ワイフの助言もあって、自分の敬老をしてもらうのだから、孫たちに一切を任せておけばいいだろうと云うことで決着が着いたようだ。

私は毎年秋には東京で展覧会があるから、作品展示の作業などで上京する。
それに合わせてスポーツクラブで忙しい怜子さんの都合を問い合わせながら自宅を訪問しているのだが、やはり無骨な男が訪ねることが怜子さんの負担になっているようにも感じて、コチラの方も少し遠慮気味になる。
一人暮らしのマイペースな気楽さに慣れてしまうとそういうものなのかもしれない。

ノッチも最近ジムの会員になったと言っていたし、母親である怜子さんを見習ってか、先日からワイフまで自宅から車で30分は走った先にあるプールとジムを併設したスポーツランドへ「一週間に一回は通おうと思ってるの!」と言って通うようになった。
プールの中をウォーキングしているようだが、今の処、特に痩せてきたとか、身体が引き締まってきたとか、そういう変化も見た目ではわからない。見た目のことよりも健康でいられることを重視しているのかもしれない。

私は、だいたいに運動とか汗を流すとかが嫌いな方だから、行きつけの病院でドクターから運動を命令されたとしても、ノラリクラリと適当な言い訳などしながら誤魔化して、結局運動で汗を流すようなことはしないような気がする。
あんまり神経質になっているわけでもないが、強いて言えば炭水化物の過剰摂取だけは慎もうと注意している。
それでなくても坊主家業を続けていると、年間通してお餅が耐えることなく冷凍庫で眠っているし、お供えの素麺はもう夏が過ぎて秋になってもまだ一昨年のお盆でお供えした三輪素麺が手付かずでネズミのつまむ気配もないまま台所の冷暗所で眠っている。お米は古々米を小分けした袋がまだ3つ分ほど米びつ代わりの冷蔵庫でピクリとも動かないまま鎮座して、そろそろ古古古米になろうろしている。
もともと、そばとかスパゲッティとかピザとかパン類とか、そのあたりの炭水化物は好きな方だから、それを我慢することだけでも自分では上出来だと思っている。

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休日 

2019/09/15
Sun. 09:13

「謎の4連休なの!」
保育士をしているキーポンが電話でそう言っていた。
シフトのある仕事をしている人達はみんなそうやって休日が用意されているのだろうけど、そういう仕事に縁のないボクは世間で云うところの「休日」という感覚が具体的にイメージできない。

ノッチは週休2日の会社へ勤務するようになってあと少しで1年になる。
彼女のSNSを時々チェックすると、休日に併せてアチコチ国内旅行をしているようで、ある時は沖縄の海にいたり、ある時は横須賀の港へいたり、つい先頃は大坂にいた。
休日を有効に使って、なかなかアクティブに暮らしているようだ。

只今育児休暇中のなっちゃんは、ほぼ連日のようにワイフや私を目指して「ヒマデン」をしてユーシンくんの成長を報告してくれていて、少し前には寝返りが出来るようになったユーシンくんを動画で知らせてくれた。
彼女にとって育児ノイローゼとは無縁の育児休暇を満喫して毎日忙しくしている。

先日はじゅん君の誕生日だった。
昨年は1日前にフライングをしてしまって「ボクの誕生日明日だよ!」と、まだ海士町で暮らしていた彼から珍しくダメ出しの電話が来たから、今年はそういう失敗をしないようにドキドキしながら誕生日当日の朝を待っていた。
午前0時を少し過ぎるまでアメリカドラマを見ながら過ごして、日が変わったところで「お誕生日おめでとう!」とSNSを送っておいた。朝になってLINE電話もしてみたが相変わらず無反応のままで1日が過ぎた。
受話器マークを数えたら軽く10個以上返信のないまま溜まっていて、オヤジからの電話には全く出てくれていない。何か着信拒否されているようでちょっと寂しいと思っていたら、夜になって「調子は相変わらず良くないです・・・まぁこんなもんだと思ってがんばります・・」と文字の返信が届いた。
自分の誕生日で浮かれている余裕など無い様子だ。数年ぶりに本土へ帰ってきた地方公務員の彼にとって、休日らしい休日とは無縁の暮らしが続いているようだ。
言いたかないけど、島根の学校教育はブラック極まりない。こういうベーシックなところから教育システムを見直していかないと日本の教育はそのうちとんでもない方向へネジ曲がってしまいそうで不安になってしまう。

9月も2週目に入ったところで、少しずつ生活の拠点を万善寺から吉田家へ移した。それで少しはワイフとの会話も増えるかと思っていたが、彼女の方は前にも増して土日祭日関係なく朝早くから忙しくしていて、日中はほとんど自宅を留守にしている。昨日も昼は敬老会のお世話をし、夕方からフリースクールのお手伝いで出かけて夜遅くに帰ってきた。

まぁ、そうやって吉田家を見渡してみると、一見「休日」とは無関係に暮らしているボクが一番ヒマにたくさん休日を消化し続けているようだ。

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丑三時のJAZZ 

2019/09/14
Sat. 18:20

例のごとく、右の首から肩へかけての痛みと腕から指先にかけてのシビレが疼いて真夜中に目覚めた。
オシッコをしてからしばらくイジイジと寝返りを続けていたが逆に目が冴えるばかりになったからAppleMusicの回覧をしながら注目の新譜をチェックしていたらその流れでjazzの挾間美帆さんを見つけた。
2018年のアルバムが2枚あったので1時間位聴いていたらそのうち眠れるだろうと思っていたのに、1枚目は結構マニアックな楽曲が多くてさり気なく聴き流すことができなくなって、結局それから1時間本気になって聴き入ってしまった。なかなか良かった。
やはりこういうタイプのjazzは深夜の丑三時に聴くのが一番だ。
もう1枚の方はビッグバンドのライブアルバムで、コチラは普通に心地よく楽しめた。多分、コチラの1枚を先に聴いていたら知らない間に気持ちよく眠れていたかもしれない。

昔は結構好きでよく聴いていたビッグバンドから、もう長い間遠ざかっていた。
ビッグバンドはひとそれぞれ好き嫌いがあると思うけど、私は秋吉敏子とルータバキンが好きでよく聴いていた。もうカレコレ40年は前のことになると思う。
あの頃東京FMでアスペクト・イン・ジャズという深夜放送があって、受験勉強やデッサンをしながらよく聴いていた。
ある夜、油井正一さんが解説の後ジャズ・ガラ・ビッグバンド・オーケストラが流れた。
メンバー紹介を兼ねた最初の曲がなんともカッコよくて鳥肌が立った。
それから次の日、新宿に出て中央口から東口の新宿通りにあるレコード店をしらみつぶしに探してやっと見つけたアルバムのタイトルが「jazz gala concert/ Jazz Gala Big Band by Peter Herbolzheimer」
東京暮らしの間でレコードの溝が擦り切れるまで数え切れないほど聴いた。
島根に帰ることが決まって、そのレコードも大事に梱包して引っ越しの荷物にまとめて持って帰った。
5年くらい前に、踏ん切りをつけてレコードもDVDもCDも、それにカセットデッキやレコードプレーヤーなど一式すべて手放した。
自分にとってはある意味青春の歴史といっていいほどの宝物ではあるが、吉田家の家族にとっては後々始末に困るゴミにしかならないようなものだから、自分で責任を持って処分しておこうと決めた。
それで、音楽関係一式は知り合いの音響さんへすべてを託した。
彼なら、ソフトもハードも他の人よりは大事に取り扱ってくれるだろうと思ったからだ。

今は、こうして好きな音楽はすべてクラウドに保管してあるから、何時でも好きな時に好きな場所で好きなだけ聴くことが出来る。良い時代になったと思う一方で、アルバムのジャケットなどアナログの現物が手に取れない寂しさもある。
Powerbeatsを使うようになってそろそろ2週間が過ぎた。
音域の組み立てが自分によく合っていて長時間聴き続けても聴き疲れがない。
レコードの時代はパイオニアのヘッドフォンで、iPodからiPhoneはビクターJVCのイヤフォンを愛用していた。これからはPowerbeatsを大事に使い続けようと思う。

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木の香 

2019/09/13
Fri. 17:05

銀山街道をしばらく走った先の合流でチップを満載にした11tのすぐ後ろへ付いた。
まだ、早朝の空気は冷やりとして爽やかだ。
やっとエアコン無しで窓を全開にして開放感を味わえる季節になった。
銀山街道から出雲街道へ入るのに左へ曲がるところまで前を走る11tがまき散らすチップの香りに包まれながらのんびりと気持ちよく朝のドライブを満喫した。

ふと「木彫の彫刻家は制作が続く間、毎日木の香りに包まれながら過ごしているのだろうなぁ〜〜」と羨ましくなった。
鉄の彫刻家の私はと云うと、血なまぐさい鉄のイオン臭とグラインダーの砥石がまき散らす粉塵に包まれて鼻の穴を真っ黒にしながら制作を続けている。
素材に対する愛おしさなど微塵も湧いてこないまま、コレでもかと云うほどガンガンと鉄板を叩きまくり削りまくって、実にガサツ極まりない。
こういう制作からは、造形の美しさがドウノとか、素材の魅力がコウノとか、そういう形而上の美的状況を想起できる要素など湧くこともない・・・ナ!

・・と、ぼんやりそんなことを思いながら出雲街道を少し北上して万善寺へ着いた。
8月もそろそろ終わろうとしている頃から参道と駐車場の舗装の僅かな隙間へ根付いた百日紅の蕾が緩み始めて、それから1週間の間に次々とピンクの花を咲かせた。
この百日紅は、境内にある百日紅の枯木から種子が風に乗って根付いたもののようだ。
枯木の根本から出た幼木とだいたい同じような時期に蕾から花になる。
親木である枯木の方はそれからまた1週間ほど遅くに花を咲かせるが、秋になって親も子も同じ時期に花が終わる。
枯木は、根本の低いところから二股に分かれていて一方はすでに枯れ絶えたから、何年も前に私がチェンソーで切った。切り口を見るとすでに底が見えないくらいの虚が出来ていたから、ほんとうはブリキか何かでフタをしておくと雨が入らなくていいと思うのだが、なかなか実行に移せないまま今に至っている。
片方だけ残った幹も、もう生きる気力をなくして何時枯れ死んでもおかしくないほどに弱っていた。原因はわかっていて、ボクの母親で先代住職の内室おかみさんがセッセと何年も百日紅の周囲へ除草剤を撒き続けていたからだ。
ソレに気づいたのは、先代の通院が頻繁になって送迎のお供をするようになった頃だった。あれだけ見事に次々と絶え間なく小さなピンクの花を盛り上がるほど咲かせていた木が、花が咲かないまま秋を待たないで枯れ葉が散り落ちるようになった。
すでに、腰が大きく曲がって上を見上げることもないままの母親には、庭にはびこる雑草ばかりが目について気になって仕方がなかったのだろう。梅雨の頃から夏が終わるまでひと雨降ってそれが止む度に杖を片手にヨチヨチと除草剤入りのジョウロを持って境内の周囲をぐるりと歩いていた。その母親も体力が衰えて庭に出ることもなくなってから、少しずつ百日紅の枯木が生を取り戻し始めた。その頃に根本から幼木が伸び始め、同時に舗装の隙間からも百日紅の若木が成長をはじめて今に至った。

今、満開の百日紅には秋のミツバチが朝早くから絶え間なく次々と蜜を吸いに来ている。

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錻力店の鎚音は・・ 

2019/09/11
Wed. 12:05

ひところに比べると随分陽が短くなった。
吉田家前の駐車場へ着いた頃はもう銀くんのヘッドライトが無いと辺りの状況が見えないほど暗くなっていた。

ワイフとお隣さんの車が出船状態でならんで駐車してあれば、その隣の空きスペースに銀くんを横付けするのだが、どうもいつもと様子が違う。
吉田家前の駐車場へ黒塗りの大きなセダンが窮屈そうに停めてあるし、すぐ隣の駐車スペースにも見慣れないワンボックスやハッチバックや軽バンが窮屈に停めてあって、町並みの暗がりを数人の男女が慌ただしく行き来している。

吉田家から2軒ほど川下にある家は、古から錻力店だった。
石見銀山が閉山になって町並みの活気が絶えてゴーストタウンへ変わる頃に、ご主人が営業を大田市の駅前通りに移転してそちらへ生活の本拠地が変わってから後、石見銀山の錻力店はずいぶん長い間空き家のままだった。
吉田家が石見銀山へ転居した頃も空き家のままだったのだが、その後世界遺産登録の話が本格的になる頃に駅前通りで営業していた雨樋やトタン板金の錻力店を店仕舞して石見銀山の元の家へご主人夫婦が帰ってきた。
錻力店の町並みに面した二部屋から土間にかけての改修が終わると、ご主人が石見銀山の間歩(坑道)で使われていたカンテラを造りながら観光客相手の土産物店を始めた。
カンテラは、まだ銀の採掘が継続していた近世になってから間歩で使用される唯一の明かりとして製造されていたもので、間歩の奥深くで作業をする手元を照らすための明かりとして使われたのだが、同時に坑道の奥まで酸素がいきわたっているかを確認する命綱として重要な役割の一つになっていた。酸素が薄いとカンテラの火が消えるから、それが目安になって間歩の事故を未然に察知していたわけだ。

錻力店のご主人は、今どき珍しいほど昔ながらの職人気質の人で、ことの良し悪しの尺度がことごとく自分の常識で決まっていた。だいたい世間でいうところの定年退職に相当する歳になったから潔く駅前通りの錻力店を閉店して石見銀山の実家へ引き上げた。まだまだ十分元気で自治会の新年会などでは好きな酒もよく飲みよく語っていた。
お父さんから伝授されたカンテラ作りを再現したご主人は、世界遺産の登録とシンクロして観光客に大受けした。マスコミの取材も絶え間なく続き、独特の大田弁と毒舌でアッという間に石見銀山を代表する有名人になった。遠くから錻力店のカンテラを目的に訪ねてくるファンも制作注文も増えて、とにかく毎日ブリキの板を叩く鎚音が朝から夕方まで絶えなかった。
その忙しさが良くなかったのかある日軽い脳梗塞で倒れた。
リハビリの後、退院して錻力店を再開したが、鎚音は激減した。
その後少しずつ体力が弱り、数年前には店へ出ることも無くなって奥さんが土産物の店番をしながら夫婦で静かに暮す日々が続いていた。そしていよいよご主人の身体が動かなくなってから本格的な入院介護へ入って、ご主人の顔を見ることもなくなっていた。

久しぶりに自宅へ帰られた行年82才のご主人はとても穏やかなお顔だった・・合掌

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無事是貴人 

2019/09/10
Tue. 11:35

みなさまよくご存知のように、わたくしはチキンオヤジでありますから、色々な場面で遭遇するイザコザとかイサカイとかバトウとかドウカツとかボウリョクとか、そういうことがたまらなく嫌なので、とにかく事あるごとに避けて通っているわけでありますが、それでもソコソコいい歳を迎えてくると、どうしても避けられない事情というものが幾つかはあるわけで、なかなか厄介なことであります。

どちらかと云えば人嫌いな方の私の狭い付き合いでも、あまり親しくお付き合いしたくない人や、できるだけかかわらないでいたい人も、その気になって思い返すと結構何人か該当者がいたりして、幾つかの出来事を思い出したりするととたんに気持ちが滅入ってしまったりする。

広い世間のメジャーな情報社会でも日韓のことやあおり運転のことや子ども虐待や町内の迷惑オジサンや迷惑オバサンなどが、大衆の野次馬根性をくすぐって賑わっている。
そういう、自分にとっては比較的遠い世界の出来事は、情報の入り込みを上手に制限してカットすればなんとかなるが、寺の付き合いにしても自治会の付き合いにしても、避けて通れない身近な付き合いの中で気持ちのザワツクことが生じてしまうと辛い。
坊主をしていると、法事ででかけた先で何かの拍子にアチラの話題が出て、そのうち聞くに耐えない悪口で盛り上がり始めたりすると、もう何か適当な理由をつけてすぐに中座してしまいたくなる。別の日のコチラの法事でも似たようなかんじで聞きたくもないアチラの悪口が出始めると、もう自分の居場所が無くなって溶けて消えてしまいたくなる。

人間に限らず、犬や猫を見ていても、歳とともに温厚でおとなしくなるモノもいれば逆に怒りっぽくなって過激に走るモノもいる。
先日お地蔵さんの供養でお邪魔した家では、老夫婦が健在で息子夫婦が昼間仕事で留守の家をシッカリと守っていらっしゃる。もう随分長い付き合いで昔から1年に1回はお経を読みに出かけている。さすがにこの近年はお二人とも確実に毎年体力が落ちて老化が進んでいると分かる。自分の将来を見ているようで参考になっているのだが、その老夫婦のおばあさんの方が1年前からすると予測不能なほど口汚く怒りっぽくなっていた。おじいさんの方はそういうことが毎日繰り返されているだろう慣れのようなものがあって「またはじまったぞ・・」と苦笑いしながら一歩引いた当たり障りのない返事をしている。「なるほど、コレが夫婦円満のコツか!」と感心しつつも、明日は我が身のことと他人事で済まされないように思った。
実は、ボクのパパとママの二人暮らしはもっと厳しくて聞くに耐えないどころか見るに耐えないことも頻繁だった。よく憲正さんは耐え抜いたと頭が下がる。若い頃からの仏教の教えや修行が身に染み付いていたからニコニコとして耐えられたのだろうと私は本気で感心している。
今年の吉田家は、仲良し別居が倍増した。たまたま、そういうめぐり合わせなのだろうと自分を納得させていたが、その別居暮らしが増えたせいでワイフとの間に何かしら気持ちのズレが生じたようで、些細なことですれ違いが増えた。チキンオヤジとしては円満に物事が進むことを希望しているのだが、ヤブをツツイて自滅することが増えた・・ヤレヤレ・・・

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暑い秋 

2019/09/09
Mon. 16:51

歳のせいかもしれないが・・・今の時期になって気温30℃越えはキツイ・・
またも、寺の用事ができて早朝に吉田家を出発した。
途中、銀山街道の九日市にある温度計は午前八時前なのに、すでに32℃の2の字が1の字と交互にピコピコ点滅していた。

寺関係の書類を提出して一心地ついたので、いつもの材料屋さんのいつもの担当のOくんへダイレクト電話をしてみたら「9時位には工場へ行けますがどうですか?」と返事が帰った。そういえば、先週末の話では、金曜日に材料が入ったら「夕方にはお持ちできますが・・」というようなことになっていた。結局その日は件の寺の書類と格闘していて材料を受け取ることが出来ない旨の電話を入れておいたのをOくんは覚えていて気にしてくれていたようだ。土日の2日間が無駄になって週が変わってすぐのことだから、仕切り直しになった材料の納入を急がせてしまったふうになって少々心が傷んだが、また寺のことで無理を言うことになってしまった。
「10時にはなんとか工場へ行けそうなんだけど・・」
「ハイ、良いですよ、じゃぁその頃に待ってます!」
これでひとまずこれで鉄板も揃ったし、まだ頭の中でモヤモヤしているかたちを整理して早く制作にとりかかれるようにしなければいけない。

今年は制作のペースがかなり落ちている。
春先からの入院などがあったから仕方のないことだが、こういう時に気をつけなければいけないのは、無駄にかたちをこねくり回しすぎてしまうことだ。
実材に取り掛かる前の時間が長すぎると考えなくても良い余計なことを考えすぎてしまって、結局本当に大事なかたちの骨格が曖昧に崩れてしまうからだ。
今まで、何度もソレで失敗した。
私の場合、幾つかの仕事や用事が重なって少々気ぜわしく制作の余裕が無いくらいのほうが造形のシンプルを集中して追求できているような気がする。
もっとも、そういうことも自分で勝手に「ソレが良いのだ!」と思い込んでいるだけかもしれなくて、吉田彫刻に対しての周囲の評価判断はまた全然別のところにあったりするものだから、世間の客観的な評価基準とはかなり距離が離れているのかもしれない。
まぁ、それでも失敗成功含めて「自分が納得していられればそれで良いや・・・」と、そういうふうに割り切ってしまえる歳になった。

待ち合わせの時間を少し遅刻して工場へ到着したら、すでに材料を載せたトラックが工場前で待機していた。恐縮しながら鉄板を下ろして、それからすぐに制作へとりかかれるよう、道具を動かすなどして工場を整頓しておいた。
整形外科の薬が無くなったので工場から病院へ直行して診察を受けて寺へ引き返したら、九日市の温度計が37℃まで上昇していた。
台風が関東を直撃してアチコチに大きな被害が出た。首都圏の災害は想像以上に人々の混乱を誘発している。秋の六本木の展覧会はよく会期中に台風が通過する。強風で野外設置の彫刻が倒れたりしないような工夫をすることも制作上の大事なポイントだ。

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Powerbeats Proのおかげ 

2019/09/08
Sun. 10:48

寺関係の書類を作成して教区の事務局へ届けてから、そのまま石見銀山へ向かった。
西陽が目に入って眩しくてしょうがないから、銀くんへ常備してある年代物のレイバンをとりだした。手元の方はボケて見えないが遠くはよく見えて眩しさも気にならくて走りやすい。随分と日が短くなって、西陽の影が長くなってきた。

3日ほど前から残暑が厳しい。
秋の虫も賑やかになって、しばらく初秋の涼しさが続いていたから、身体のほうがソレに慣れてしまっていたところへ真夏のような暑さが戻って体調がすぐれない。
加えて、右半身を中心に首筋から肩を通って指先までのシビレがひどくてなかなか寝付けない。手術の時に神経の圧迫を軽減するだけで完治の期待は難しいと言われているから体調の改善へ特に大きな期待を持っているわけでもないが、それでも夜になって昼間のツケが首筋へ集まって一度気になり始めると寝不足が続くし、しだいに慢性化し始めてさすがに少々つらい。次の通院も近いし、ドクターへ相談してみようと思う。

オヤジの一人飯も気楽ではあるが、そのうち飽きてきてあまり長くはもたない。
ワイフ手作りの夕食が美味くて少々食べ過ぎた。
夕食が終わってからしばらくネコチャンズと無理矢理勝手に戯れた。
クロもシロも久しぶりに逢ったというのに、極めて素っ気ない。迷惑そうに尻尾を小刻みにパタパタと振っていたが、それでも「まぁ、久しぶりにオヤジのワガママへ付き合ってやるか」くらいには思ってくれていたのかもしれない・・・ソコソコ我慢しておとなしくボクのねちっこいスキンシップに耐えてくれた。

吉田家ではPowerbeats Proが重宝する。
ワイフは自宅で音楽を聴くことがない。テレビは垂れ流しで1日中つけっぱなしだったりするのに音楽の趣味は無い。そういうこともあって、スピーカーからボク好みの洋楽が流れていたりすると、台所の方から「チョット静かにして!」と文句が飛んでくる。
吉田家でPowerbeats Proを使うようになってから、そういうイザコザが減っただけでも良かったと思う半面、我が家で肩身の狭い窮屈な思いでいるのもどこかしら釈然としないところもあるし、なかなか複雑だ。
とにかく、いずれにしてもつまらないいさかいが絶えないで殺伐としているよりは平和な方が良いから、あまり深く考えないで耳からのダイレクトな刺激を堪能しつつ、シビレの不具合をしばし忘れることが出来ている。
そろそろ20年ぶりくらいになるだろう、あの頃よく聴いていたシェリル・クロウが新譜を出していた。これからはライブ活動を中心にしてアルバムの制作はコレで最後にするということらしい。Apple Musicで新譜の「THREADS」を検索すると彼女のアルバムに託した思いがなんとなく見えた気がしてそれからYouTubeに切り替えて3時間近く新旧取り混ぜてホームシアターライブを楽しんだ。Powerbeats Proはこういう時に都合が良い。
それにしても彼女の声はなんと可愛くてセクシーなんだろう・・・そろそろ60歳くらいだと思うけど全然変わらなくてカッコよくて可愛い・・・見事に素敵に歳をとったと思う。
もっとも、歌声以外はボクの好みのタイプではないけどね・・・

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風が強い 

2019/09/07
Sat. 09:59

風が強いのは台風のせいかもしれない・・

万善寺の庫裏は昔ながらの木枠製ガラス窓がそのまま雨戸兼用で使われている。それで、少し強い風が吹くと、それはそれは騒々しく彼方此方が賑やかになって、ソレになれないと夜も気になって寝不足になってしまう。
小さい頃は特に気にもしないでいたが、半世紀の間で密閉度の高い丈夫で静かなアルミサッシへ慣れてしまうと、昼のうちはなんとか過ぎてしまうが夜になると周囲のノイズが耳についてなかなか寝られない。
昨夜も夜中にオシッコで目が覚めてから、風の音(というよりガラス戸の音・・)が耳について眠れなくなったものだから、iPad miniのKindleを開いて「村上さんのところ」の続きを読みはじめた。しばらくするとそのうち眠くなるだろうと思っていたが、Kindleを閉じるとまた風の音が耳について目が冴えてくるし、結局眠れたのかどうなのかよくわからないうちに夜が明けた。

寺で暮らすときはだいたい似たような朝の用事を繰り返している。
本堂では太鼓をたたきながら般若心経などのお経を読む。
夏の猛暑が落ち着いた頃から秋雨前線や台風の影響で、湿度の高い日が続いていた。
そういう時は太鼓の革が伸び切ってポコポコと頼りなくたるんだ音になる。
明治後期の十九世代に万善寺什器として新調と記帳されているから、だいたい100年以上打ち続けていて、その長い歴史の間に数え切れないほどの伸び縮を繰り返しながら酷使されていることになる。
つい昨日までなんともだらしなくブヨブヨとして破れ太鼓のような音が続いていたし、お参りもなくてだれも太鼓を聞くこともないから少し加減して打ち続けていた。
今朝もその流れて一打ち叩いてみると、それまでのくたびれた音が見違えるように締まって、歯切れが良い。
先代住職の憲正さんは在職60年の間、コレでもかと云うほど力任せにガンガン叩き続けていたから、場所によっては何時破れてもおかしくないほど薄く消耗していることだろうし、少なくとも自分が在職中は大事にしなければいけない万善寺の歴史でもある。
久しぶりに太鼓らしい太鼓の音がして、気持ちよくお経が読めた。

朝の用事を一通りすませて、朝食代わりでにコップ一杯の野菜ジュースに、今朝は冷やしたそば茶。それに熱々のスープを飲みながらコーヒーを入れた。なっちゃんからのプレゼントで重宝しているネルドリップがくたびれてきた。深煎りのマメはアブラが多いからすぐにネルが目詰まりする。少々寝不足ではあるが、まぁまぁ、平和だ・・・

寺関係の提出書類作成や、継続中の七日つとめに、月が変わって初月忌も巡ってきたものだから、9月に入って1週間ほど寺暮らしが続いている。
お盆月も過ぎて、夏野菜などのお供えも耐えたから、近所のスーパーで広告の品を目当てに缶詰など日持ちのするものを中心に買い出しをした。あとしばらくは法事で頂いた冷凍庫のお餅や赤飯とか本堂から御下がりの素麺で食いつなぐ。

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気持ちの問題 

2019/09/03
Tue. 23:18

そろそろ彫刻の制作もあるし、寺をベース基地にして時々通勤坊主をはさみながら暮らしていた生活から、基地を吉田家にして工場と自宅の通勤彫刻家へ切り替えようと、寺暮らしで散らかっていた身の回りのモノを簡単に見苦しくない程度まで片付けたり、本堂や庫裏の掃除をしたりしていたら、隣町の寺の兼務住職さんから「3日のお葬式をお願いしたいんですが・・・10時始まりということで・・・」と電話が入った。
すでに何か予定が入っていたように思いつつ「大丈夫だと思うんですが、手帳が手元になくてすぐ確認できないものですから・・」と、ひとまず後ほどあらためてこちらから連絡し直すということにして電話を切った。
一段落して9月のスケジュールを確認したら、やはり七日つとめと日時が重なっていた。それでも、お葬式となるとはじめから予定を立てられるわけでもないし、菩提寺のご住職も「なにかとご心配のことだろう・・」から、なんとかしてお手伝いをさせてもらうことにした。
それが9月1日の日曜日のこと・・・
月曜日には工場の鉄板やグラインダーの砥石など、彫刻制作に絡む在庫を確認して足らない分を注文しようと思っていたが、お手伝いをするだけだといっても通夜から葬儀にかけて細々とした準備が無いわけでもないし、もうしばらくは仏事をメインに乗り切るしか無いことになった。

寺暮らしがもうしばらく続くことになったので、その前に一度吉田家へ帰宅しておこうと夕方には寺を出発した。
ワイフとは電話やSNSで情報交換程度の会話は成立しているから、だいたいの様子はわかっているつもりでいたが、彼女の方も日常の用事に忙殺されて、結構大事なコトを忘れていたりして幾つかの不具合が溜まっていた。
やはり、知らない間にお互いどこかしら相手をアテにして頼り切っているようなところもあって、しばらくぶりの会話の中でふと大事なコトを思い出してお願いしたりされたりすると、とたんに気持ちがザワツイて落ち着かなくなって、そして消沈した。

夕食が終わると早々と吉田家のロフトへ避難してラップトップを開いた。
最近は、SNSやWEBニュースもiPhoneやiPad miniで済ますことが増えて、ラップトップを起動することが減った。久しぶりの大きめの画面は、やはり色々と使い勝手が良い。AmazonのPrimeReadingあたりをメインにアレコレとチェックしていたら、珍しくKindleで「村上さんのところ」がコンプリート版になって見つかった。
少し前に「1Q84」の文庫を全巻セットで買ったばかりだったからか、AIが勝手に機能して「あなたへのおすすめ」なる項目が村上さん関連で賑わっていた。「村上さんのところ」はたしかボクの好きな安西水丸さんが急逝された頃に本になっていたはずだと思うが記憶が定かではない。
1Q84は、随分前に古本で安くなっていた単行本をとりあえず2冊ほど買って読み始めたのだが、本の大きさと重さに耐えられなくて途中で読書を挫折していた。
文庫本の1Q84は、デカくて重い単行本とは比べられないほど軽くて読みやすい。
Kindleの村上さんのところはiPad miniで何時でも何処でもお手軽に読める。
9月は彫刻制作と村上さんの本で終わりそうだ。

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Powerbeats Pro 

2019/09/02
Mon. 16:40

9月から11月にかけて旅へ出ることが増える。
その殆どは彫刻絡みの展覧会で搬入搬出や展示作業に出かける小旅行だが、寺関係の研修旅行などもあって結構長期に渡って吉田家を留守にする。

あれは確か今年の春先あたりだったと思うが、AppleからPowerbeats Proが出るというニュースが入った。
Powerbeatsはずいぶん前にノッチが何かのプレゼントでもらったと自慢げに話していて「いいなぁ〜〜〜・・・」と羨ましかったことを覚えている。それから、キーポンの就職が決まってボーナスらしきものが出た時に彼女が自分へのご褒美だと買った最新のBluetoothイヤホンもPowerbeatsだった。
キーポンが聞かせてくれたPowerbeatsは、ソレまで勝手に「どうせ派手な音造りだろう」と想像していたのが見事に裏切られて、とても爽やかで軽やかに透き通った感じの聴き疲れしなさそうな良い音に仕上がっていた。
食べ物の好みもそうだが、音の好き嫌いや自動車の乗り心地にしても人それぞれで受け取り方が違って、業界紙に大絶賛されているモノがそのまま自分の好みに合っているとは限らない。
スピーカーはまさにそういう音の好き嫌いが良く分かるから、購入についてはとても慎重に時間をタップリとかけてデーターを収集して十分に納得してからでないと手を出さないことにしている。
他人にはどうでも良いようなこだわりとしか思えないかもしれないが、自分にとってはそれなりに納得できるものであるから大事に長く使い続けることも出来るわけで、それだから買う時は少々高価なものであっても使用年数の減価償却が1円どころか0円になってもまだ飽きないで使い続けるくらいの愛着も湧けば、ソレはソレである種の個人的財産として付加価値も加わるというものだ。

それでそのPowerbeats Proだが、発売が当初の予定からどんどんずれ込んで、結局自分で決めていた「ネイビー」がAppleStoreで購入できるようになったのはお盆を過ぎて8月も終わろうとしている頃だった。
早速購入手続きを済ませて到着を待つこと1週間!
やっと先日Powerbeats Proの現物が吉田家へ届いた。
丁度その日は夕方からの法要がある日で、いつもならそのまま万善寺で一杯飲んで寝てしまうところだが、Powerbeatsの誘惑を無視するわけにいかないし、急いで寺の用事を済ませて吉田家へ帰った。

ハヤる心をジッと抑えて充電をしながら遅めの夕食をとった。
それからAppleMusicのライブラリから各種ジャンルの楽曲を選んで1つずつ音質を確認した。ボーカルも男女聴き分けたがなかなかボク好みでいい。アコースティック系統もいい感じだし、ボクくらいのジジイが好むような楽曲でも聴き飽きないで十分に違和感なく乗り切れる気がする。耳掛けがメガネのツルと重なってジャマになるかと思ったが、自然に装着できて一安心。これから2ヶ月余り・・良い旅のお供が1つ増えた。

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薔薇とネルドリップ 

2019/09/01
Sun. 11:52

ワイフが○○回目の誕生日を迎えた。
早いもので結婚してから35年になる。
今まで色々あったが、それなりに付かず離れず適度な距離感を維持しながらだいたい平和に暮らしていると自分では思っている。
趣味や主張や性格や嗜好など、一つ一つ細かに具体的にチェックし始めたら共通点など殆どなくなってしまうくらい別の世界を生きているのだが、それでも今までさり気なく見て見ぬふりをしながら夫婦を続けられていられるということは、お互いに自分では気のつかない何かしらの心地よさを共同生活に感じられているからかもしれない。

とにかく、彼女の誕生日であるということは吉田家にとって無視の出来ない重要な御縁日の一つでもあるから、毎年ほぼ変わりなく似たようなプレゼントを準備させてもらっている。
前記のように、お互い共通するモノが限りなく少ないから、自分の好き嫌いでプレゼントを決めたりすると、丸く収まるものもそうならなくなって後々の面倒臭いトラブルのタネになってしまう恐れもあるので、とにかくあまり大げさでなく無難で当たり障りなく「君の誕生日はちゃんと覚えていますよ!おめでとう!」的気持ちが伝わる程度のさり気なさをプレゼントに託すことにしている。

例年だと、そのワイフの誕生日あたりを区切りに万善寺のお盆の諸行事が一段落するのだが、今年は夏の期間にお檀家さんのお葬式が2つほど続いて、その流れの四十九日までの七日つとめが1週間に2日ほど巡ってくるものだから、仏事のスケジュールが微妙にずれ込んだりしてどうも落ち着かない。
七日つとめのお経は30分もあれば始まって終わるのだが、準備や往復もあるから結局半日はアッという間に過ぎてしまう。そういうコトをいちいち気にして坊主を続けていても仕方がないから「まぁ、そんなもんだ・・・」と割り切ってあまり深く考えないようにしている。
それで、その七日つとめがワイフの誕生日と重なった。
早朝に吉田家を出発して8時過ぎには寺へ到着した。
寺の朝の用事を一通りすませて少し落ち着いて七日つとめの準備を済ませたら、寺を出発するまでに少し余裕ができた。
いつものように朝のコーヒータイムには少し早いが、丁度新しいコーヒーが届いたところだし、久しぶりにネルドリップを試してみることにした。
コーヒーは好きな方だと思うが、あまり詳しい方でもないしたいしたこだわりがあるわけでもない。強いて言えば深煎りの「少々苦い方が好きかなぁ・・・」くらいのことだ。
袋の封を切ると、部屋中にコーヒーの香りが広がって癒やされる。
「お前、コーヒーにうるさいから、コレが良いかなと思って・・・」
同級生の親父さんが亡くなって1周忌の法事の引き物でケトルをもらった。
べつに彼が思っているほどうるさいわけでもないが、それからそのケトルがずいぶん重宝している。なによりお湯の温度が分かるところが良くて気に入っている。
ネルは85℃くらいまで温度を下げてからマメを蒸すと苦味にマロミが加わって良い。

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キーポンの夏休み 

2019/08/30
Fri. 13:54

夕方から観音様とお地蔵様とソレをお祀りのお宅の先祖供養と、もう一軒古墓一切の供養で出かける。
もうずいぶん前に先代住職が書いてそのままになっている守護塔婆をそろそろ更新したほうが良いだろうと、それぞれに経木塔婆を書き直して新調した。
本当は、毎年更新したほうが良いことなのだが、施主家は浄土真宗の門徒さんでもあるし、あまりしつこく曹洞宗の様式を押し売りするのもどうかと思って、そのあたりの実情を深く掘り下げないようにしている。
ちょうど元号も変わったことだし、タイミングとしては良い頃合いだと思う。

1週間ほど前にキーポンがお盆休みをずらして帰省して、昨日の最終便で東京へ帰っていった。今頃は、職場の保育園でセッセと働いているはずだ。
吉田家の場合、盆正月は寺の仏事がいつも以上に立て込んで、在家のような「お盆休み」とか「正月休み」のような習慣がない。だからキーポンに限らず、子供皆には「どうせ帰ってもお互いに落ち着かないし、無理に国民の大移動へあわせる必要もないから・・」と云い続けている。

春は春でお彼岸の仏事があるし、結局世間の長期休暇の時期へ何かしら1年の節目の仏事が重なっている。
まだ少年だった頃は、そういう寺暮らしの不条理をなかなか素直に受け入れることが出来なくて、何かと反抗を繰り返していた。
高校生になってから後も、学校が休みになる度に寺の仕事が入ってソレに付き合うことになって夏や冬のメジャーな遊びに集中することも出来なかったし、休業を使って本格的な長期旅行や観光をすることもなかったから、そのことについても毎年常にかなり根強く陰鬱な不満を持ち続けていた。
結婚して子供が生まれると、余計に寺の公的環境と吉田家の私的環境を区別することが難しくなって、子供たちを前にして公私混同を避けることが出来ないまま今に至った。
昔、自分自身が環境の現状に馴染めないまま悶々として過ごしていたから、我が子やワイフにはそういうストレスばかりの面倒臭い生活はしてほしくないと、できるだけ私一人で出来ることは家族の誰も当てにしないで済まそうと心がけている。
それでキーポンが帰省を決めた時も、お盆の行事が重ならない時期を調整してこの時期になった。
もっとも、キーポン自身は帰省の主たる目的が吉田家の日常とは別のところにあって、仕事のストレスからしばし開放されて、久しぶりに地元の友人と逢うことであったり、ネコチャンズと戯れて癒やされることであったり、島根の美味いものを堪能することであったりして、パパ・ママはひたすら自分のスケジュールを調整して彼女の専属ドライバーやお抱え調理師に徹したのでありました。

ズゥ〜ッと県内のアチコチを転々としているじゅん君は別にして、関東で暮らしている三姉妹は島根への帰省をそれなりに喜んでくれている様子が伺える。私と違って、里帰りが苦痛になっていないだけでも、少しは公私を切り替えることが出来たのかなぁと思う。

キーポンとの昼食は寺の近所の奥出雲そば
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ネコチャンズは1年半ぶりのキーポンを覚えていたのでしょうか??
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昼食は家族3人でオシャレなレストラン
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レストランの前庭やアプローチには彫刻家吉田正純の鉄の彫刻
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気持ちの向く先 

2019/08/29
Thu. 13:18

銀山街道や出雲街道脇の田圃でコンバインが動き始めた。
年々稲刈りが早くなってるように思っていたが、今年は8月のうちから稲刈りが始まっている。早稲の品種や飼料米のこともあるのだろうが、それにしても早い。
週が変わって義務教育の子供たちの通学風景が戻ってきた。
こちらも、8月のうちから二学期が始まったようだ。
自分が歳をとったせいなのか、周囲の色々なもののスピードがどんどん速くなっているように感じていたが、そういえば、まだ8月に入ったばかりで棚経が始まった頃、やっと実り始めたばかりの稲穂スレスレに盆トンボの大群が風に乗ってホバリングをしていた。風向きが変わると一斉に銀くん目がけて向きを変えてくるものだから、チョット焦って思わずハンドルを握る手に力が入った。
梅雨が開けて連日暑い日が続いていた。

諸仏の夜法要がひとまず落ち着いた。
これから8月末までに幾つかの古墓一切追善法要が少し残っているだけなので、気持ちが日に日に彫刻の方へ向き始めている。
今年は5週間の入院生活のおかげで、かなり大量のメモが溜まった。
その中から幾つか目星をつけておおよそ制作の方向を決めておいたものを仏事の合間に眺めて再考していると、また次の欲が湧きはじめてきた。
夜、オシッコで目が覚めてなかなか寝付けなくなってしまった時にメモの幾つかを思い出したりすると、またまた無駄に浅ましく欲深いコトを考え始めてしまったりして収集がつかなくなる。
結局は、今の自分の体力や体調と相談しながら無理のないように出来ることを精査することが肝心なのだが、どうもすんなりと割り切れないで気持ちがジタバタと落ち着かない。
今まで造ってきた彫刻は、必ず形の何処かへどうでも良い蛇足がひと手間加わってしまうことばかりだった。ソレはソレで「ソレが吉田の彫刻らしさダ!」と云えなくもないが、やはり造り終わってみると無駄な蛇足が無駄に目について造形の緊張感が崩れていたりする。
結局は考えすぎているからだろうし、やれば出来てしまうくらいの邪魔な技術が我が身に染み付いてしまっていて、それで身体が勝手に動いてしまうのだろう。
この頃は、彫刻であると言えるかどうかもわからないような、なんの変哲もない彫刻が造れると良いと思う。

1日中晴れて良い天気だと思っていたら夜になって土砂降りになったりして、銀くんのリヤデッキに積んであった彫刻梱包用の古毛布などが濡れてしまった。
稲刈りが終わって11月から農閑期の数ヶ月ほど次の彫刻を展示させてもらうから、今のうちに前に造った彫刻を引き取ってもらう施主家まで移動する。
秋雨前線の様子をみて2tのユニック車を予約しておいた。
全部で4点の彫刻を早朝から積み込んでお昼前にそのうち3点ほどを施主家の庭先へ仮置きした。それから寺へ移動して残りの1点を境内の端へ設置して夕方に2tを返却した。
今の体調で少々無理をしすぎたように思うが、とにかくこれから彫刻制作がはじまる・・・

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2019年の501 

2019/08/27
Tue. 14:16

特に深刻に本気になっているわけでもないが、身体が思うように動かなくなってから、今まで以上に自分の周囲をできるだけ丁寧に慎重に意識するように心がけるようになった。
断捨離を兼ねた身辺整理のようなものだ。

車の運転は、今後身体の状態が急変しないで大過なく過ごすことができたとしても、せいぜい15年位が潮時のような気がする。銀くんを大事に乗り回して20万kmは乗り続けようと思っているが、1年半で走行距離が4万kmに達しようとしているし、これからは無駄に乗り回さないようにしなければ、土壇場のところで辻褄が合わなくなってしまいそうだ。

彫刻家を自覚してそろそろ40年近くになって、このままいけば自分の半世紀を彫刻家として過ごすまでになる。制作を継続している彫刻にしても、これからは完成後の彫刻の身の振り方を含めて一括制作計画へ取り込んでおかないと、結局気づかない間に粗大ゴミと化して家族や後輩諸氏へ大変な迷惑をかけてしまいそうだ。坊主家業の方は住職を引き継いでからまだ10年程度のことだから、あと10年ほど大きな波風をたてないように慎重に目立たないように過ごせば、さりげなく周囲の知らない間に世代交代を進められるかもしれない。自分の周囲の痕跡とクールに付き合いながら少しずつ抹消していくことがこれからのライフワークになる。

衣食住を日常の生活の基盤とすると、一存では融通がきかなくて一番やっかいなのが「住」だ。コレばかりは家族のこともあるから、とにかく自分に関係するモノだけでも後の厄介にならないように地道に始末し続けるしかない。
「食」は、最近とくに意識して無駄食いとか無駄買いをしないように努めている。お寺のことだから年間を通して色々なお供えを有難く頂いているが、戦後の時代を乗り切った前住職夫婦はとにかくなんでも大事にしすぎるようなところがあって、お供えしてあった御下がりの1年も前のもみじ饅頭が冷蔵庫で眠っていたことなど普通だった。いくらありがたいお供えであっても、自分や家族で御下がりの消費が難しいと判断したら「お供えの御下がりなので少々線香臭いとは思いますが・・・」などと注釈しながら賞味期限が切れないうちに近所の彼方此方へすぐにおすそ分けすることにしている。シーズンの旬のものはとにかく何かに調理しているから無駄にゴミで捨てることもない。自分の嗜好を優先しなければ、冷凍庫で眠っている一昨年の餅や米だって美味しくいただくことが出来る。
「衣」は、そもそも基本的にユニホームを更新し続けているだけだから、自分で劣化の時期をおおよそ判断して買い替えている。大衣や袈裟は数十万もするから私の代は更新しないことに決めている。改良衣や白衣は5年ほど前に更新したから、あと5年位はなんとかして繕いながらもたせるつもりだ。彫刻の作業着はこれから彫刻家を廃業するまでくらいは更新しないで済みそうだ。日常のカジュアルな普段着はワイフが時々親切に衝動買いしてくれるから自分ではリーバイスの501を更新するだけでいい。前回は2013年と2014年の11月にメキシコ製を買った。時間差で更新しておくと最低5年は保つ。それで、2013年が6年目でついにダメージジーンズになった。注文したら先日エジプト製が届いたので早速洗濯機へ放り込んだところだ。今後あと1回位は更新で注文することになるだろう。
ボクの場合、着るものに流行がないところが大いに助かっている・・・

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夏の坊主 

2019/08/24
Sat. 11:16

飯南高原は朝晩が寒くなって過ごしやすくなった。
日の出日の入りも一ヶ月前からすると目に見えて変わってきた。
境内へ舞い降りていたスズメの集団は、保賀の谷に広がる稲の穂へ飛散して姿を見なくなった。
ツクツクボウシが裏山の彼方此方で鳴き始めた。
ミンミンゼミの鳴き声もわずかに聞こえる。
気温の上昇が激しすぎるからか、近年はセミの鳴き声をあまり聞かなくなった。
昔は境内の庭木へセミの抜け殻がたくさん張り付いていたものだが、最近はシーズンに2〜3個しか見かけることが無い。
少し落ち着いて自分の周辺を見渡すと、確実に自然環境が変化していることを実感する。

朝の用事を一巡しても、汗をかかなくなった。
ポットに湯を沸かしてコーヒーの準備をしながらインスタントのオニオンスープを一杯すすった。
5月末に退院してから後、寺にいる時はだいたい朝のスタイルがこんな感じで落ち着いている。
ご飯1合だと3日で完食する。
お供えに頂いた素麺だと1日に一束茹でる。
御下がりのお餅だと食べやすい大きさに切り分けて冷凍しておいたものを2個ほどレンジでチンする。
主食はそのようにして昼食と夕食の時に食べ分けながら毎日が過ぎている。
夏の間は、棚経の先でお布施代わりに夏野菜をいただく。
きゅうり一本やなす二本やピーマン三個に、時々トマト一個くらいを「今日の朝収穫したものですけぇ〜」と新聞紙に包んでおすそ分けをいただく。
一軒一軒はわずかなものだが、その日一日棚経を一巡すると、自分一人で食べきれないほどのひと夏分の食い扶持が集まる。
棚経帰りに、この夏になってはじめて近所の農協スーパーへ寄っておすそ分けでカバーできないタンパク質を補充した。
2割引や半額を探すのだが、鳥や豚や豆腐や練り物など、十分すぎるほどの食材をゲットできた。夏の約1ヶ月半はせいぜい食費が5000円もあれば十分で、かなり助かる。
それに、市街地でお住まいのお檀家さんからはチラホラとビールの詰め合わせがお供えで届いたりして、毎晩の晩酌も不自由がない。
必要経費の出費と云えば、棚経移動の燃料代にお知らせ案内の郵券代、それに生活費の光熱水費がいつもより増えるが、それは節約も限界があるし、仕方のないことだ。

夏の坊主は、なかなか厳しいハードワークが連続する。
しかし、一方で特に贅沢をしなければ生活のゆとりも出来て気持ちが豊かでいられる。
世間の在家のようにお盆休みで帰省の家族親族でごった返す慌ただしさもない。
一日が終って文庫本片手にいただきものをつまみにしてチビチビやりながらノンビリ過ごすオヤジの一人飯もなかなか良いものだ。

朝の用事が終わるとコーヒーでひとやすみ
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頂いた夏野菜が大活躍!
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豚肉は半額、朝どれきゅうりが美味い
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冷蔵庫で眠っていたベーコンを発見!
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塩麹浸けの鳥はチョット油断して揚げすぎてしまった・・・
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シーチキンとあえたいんげんやスープにしたトマトはお供えの御下がり
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飯南高原の夜 

2019/08/23
Fri. 09:04

万善寺の施食会が終わると、飯南高原に点在する諸仏や古墓の供養法要が続く。
どの法要もほとんどが夕方から夜にかけてはじまる夜法要になる。
夜の法要は、それなりにそれなりの意味があってのことなのだが、そのあたりのことをくどくどと語り始めても興味のない人には面倒臭いだけのことだろうからやめるが、昔々は夜の仏事もけっこう多かったということだ。万善寺も、現住職が小僧時代は夜の法要後に盆踊りがあって、狭い境内には屋台も出て、ソレはソレは賑わったものだ・・・

さて、その夏の夜法要のスタートは、薬師堂に安座されるお薬師様の供養法要。
薬師堂のすぐ裏にある小高い山には山城があった。
そのお城を中心にした一帯にはお寺の跡も確認できていて、そのお薬師堂も昔は地域全体で大事にお祀りされていたのだろう、先代住職の頃までには夜法要に周辺から多くのお参りがあって賑わっていたと聞いた。
昭和から平成に元号が変わる頃から周辺願主の世代交代や高齢化が進み、地域の常会を経て供養法要が解体された。結果、お堂再建に積極的に関わった当時の有志のみなさんが残って、小規模なお薬師講として今に存続することになった。
私はそういう地域の事情が落ち着いてからあとになって、彫刻制作で毎日プラプラしていたところへ「せめて夜くらいは坊主の仕事が出来るだろう・・」と先代住職に押し切られて、副住職の業務ということで夜法要へ出かけることになった。まぁ、それまでも副住職という職名のもとで先代の侍者送迎担当を続けていたから、鐘つき坊主が導師に昇格した程度のことだったけど、塔婆回向も引き継いだりしてそれなりに荷が重くなって「気楽ではいられなくなった・・」という、経緯がある。

次はお薬師堂から2kmと離れていないところで、七面大菩薩を中心にお祀りされてある馬頭観音様や地蔵菩薩様など諸仏の供養法要がある。
琴引山を遠望できる緩やかな丘陵にお堂があって、昔からその地域各所へ点在していた野仏さまや個人願主の祈念で建立された仏様や掛け絵仏の観音さまなどが集められて安座されてある。先代住職の頃までは、その諸仏も地域全戸で法要の当夜を持ち回りされながらお祀りされてあったのだが、私が住職を引き継いですぐに、これも地域の常会で法要の継続不能と決着がついて、諸仏に縁深い有志の皆さまが七面さまを中心にした御講を組織されて今に至っている。
こちらの方は、一度法要が解体された機会をもって塔婆回向だけ自然消滅した。そのぶん法要の時間も短縮できて年々棚経の疲れもたまる一方だった私もずいぶん助かった。

法要後の御下がりをいただきながらささやかな酒宴が始まると、誰からともなく自分が小さかった頃からの仏様にまつわる思い出話が始まる。特に計画建てて気にしているわけでも無いと思うが、昔話に花を咲かせながらさりげなく次の世代へ申し送りをされているふうにも思える。とかく親の云うことは「面倒臭い!」が先になって上手く引き継ぎできないことが多い。隣のオヤジにナニカ云われて肝が据わる。
仏教の根本がどうこう難しいことはヌキにして、とにかく、かたちばかりのコトが長く続くうちにだんだんと仏様を身近に感じるようになれれば良いと思う。

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万善寺夏の大イベント 

2019/08/19
Mon. 13:46

万善寺夏の大イベント施食会法要が盛況??のうちに終わった。

午後の2時から施食会がスタートして、終了後塔婆回向をして、約1時間半で法要のすべてが終わる。
ワイフは珍しく前日の夕方に万善寺入りしてくれた。
私の方は、右の首筋から指先まで重くズシリとシビレていて、塔婆を書くのが実に辛かった。
荘厳などの準備は、ジュンくんが半日ほど手伝ってくれて、保賀の檀家さんから紀ちゃんが手伝ってくれた。
棚経の方は15日で前半が無事に終了したのだが、そのあいだの疲労が少しずつ蓄積して庫裏の整頓と本堂の荘厳準備は身体が思うように動かなくてどうなることかと悲壮感も漂い始めていた状態だったから、二人のお手伝いは何よりありがたいことだった。
8月後半になってこれからしばらくは、地域や個人の施主家へでかけて色々な仏様や古墓の供養法要が続く。
荘厳の片付けは、その合間を縫って少しずつ無理のないようにゆっくりと時間をかけて終わらせるつもりだ。

とにかく、年金暮らしが本格的になるのを待っていたように体力がガクリと減退した。
昨年もそれなりに厳しいお盆ではあったが、まだそれなりに一切合切一人で切り盛りできていた。
今年はとても昨年までのようにいきそうもなくて、法要の直前まで途方に暮れた。それでも本番当日をむかえてしまうと、まぁ、それなりになんとかなってしまった。
今までのコトを思うと、寺の彼方此方で見苦しい様子がさらされてしまってはいるが、それはそれで、自分が今できることを精一杯やり遂げた結果だから、それなりに納得は出来ているつもりだ。

ワイフは、法要が終わって後片付けが一段落したところで石見銀山の吉田家へ帰った。
手間替え随喜の方丈さまがたの湯茶などの接待を、ワイフが一人で相手してくれている。
私の方は本堂のアレコレを一人で切り盛りして、その間に法要の導師をつとめている。
方丈さまがたは総勢5人。今年お参りの檀信徒のみなさまは16人で、ことづけが7軒。
なにかと気を使うことばかりだが、総勢20人を相手なら、ワイフと二人で半日くらいはなんとか乗り切ることは出来る。
今更ながらにソコソコよくやっている方だと自分では思っているし、ワイフの働きには頭が下がる。

梅雨が終わってから連日猛暑が続き、先日は島根県を縦断するように大型台風が来た。
田んぼのコメはいつもよりずいぶん早く花が咲いて穂が出て、今はそろそろ穂先が垂れ始めている。万善寺の古古米を食べに来ていたスズメたちが台風に合わせたようにパッタリと来なくなった。アイツラもコメの穂が実り始めたことをよく知っている。不味い古々米より瑞々しく実りはじめの新米が美味いに決まっている。

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台風がきた 

2019/08/16
Fri. 10:11

やっと棚経が終わった!

最終日は大型台風が西日本を通過するということで、前日から行政の防災放送が何度も流されていた。
北に小高い山を背負った南向きの万善寺は、中国山地の南(広島県側)を西から東へかけて台風が通過すると、強風に注意しなければいけない。
保賀の谷を琴引山から強風が吹き下ろしたり、逆に琴引山へ向かって吹き上げたりする風の道になっていて、あまりにも風が強烈だったり、気圧が一気に変わったりするとつむじ風に変わったりすることもある。

まだ、島根県へUターンしてすぐの頃、土蔵のトタン屋根が畑のど真ん中まで吹き飛んでV字にひっくり返った。健在だった前住職夫婦が大騒ぎをして大変な思いをしたが、人力でもとに戻すことも出来ないし、ひとまず雨よけのブルーシートを掛けて当面はソレでなんとか凌ぐしか無いことになった。
そもそも、土蔵の屋根がトタンぶきだというところから本来の土蔵の意味をなしていないような気もするのだが、現住職の私が小学校へ上がる前後の頃までは薄っぺらいソギぶきだったから、ソレよりは少しはマシになったといえるのかもしれない。

さて、棚経最終日の台風は、結局傘を一度も使うことなく午後2時前にすべて終了した。
お盆に入ってからはお檀家さんを中心に棚経をおつとめするが、この近年は高齢者の一人暮らしが増えたり、市街地に家を建てたお子さんがそちらへ引き取られたりなどして、昔から継続している棚経の暗黙のルールのようなものがしだいに乱れ始めてきた。
お経を読んでいる最中に何度も着信が入ったりしてどうも落ち着かない。
移動中に返信をすると「台風で飛行機が飛ばなくなったものですから・・」とか「おばあさんの具合が良くなくて入院することになったものですから・・」とか、そういう連絡だったりして、結局、施主さんの都合にあわせて出直すことになったり棚経のキャンセルになったりする。
それでも、ソレはまだ良い方で、お知らせの棚経案内を郵送しておいても、返信もなく音信不通で家の鍵もかかってどうすることも出来ないという施主家もチラホラと増え始めているし、山寺末寺の住職としてはなかなか厳しい現実にジワジワと締め上げられている。お経が終わってお茶飲み話のついでに、気がつけばお檀家さんを相手に暮らしの愚痴が出ていたりしてドキッとすることが何度かあった・・・坊主にあるまじきことだ・・・反省!

まぁ、そんなこんなでひとまずシビレた身体をダマシダマシ8月の前半をなんとか凌ぐことが出来た。
これから、万善寺の夏本番を迎え施食会法要がある。
身体が思うように動かないから、近所のお檀家さんに荘厳のお手伝いを頼んだ。それから、お墓や参道の掃除も近所の心安いお檀家さんが汗を流してくれた。
これからは、自分で出来ることが少しずつ減っていくのだろうな、きっと・・

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真夜中の懐柔 

2019/08/07
Wed. 11:41

8月に入ってもう1週間が過ぎた。
大往生のおばあさんの二七日が来た。
お盆の棚経も1日から始まって15日まで続く。
ワイフが10日前から留守をしているから、毎日通勤坊主を続けている。
しばらく前から燃料が上がった。
台風8号の影響がまだ少し残っていて風が強い。
早朝の銀山街道を飯南高原へ向かっていると、途中の九日市にある温度計はまだ7時過ぎで既に29℃になっていた。
棚経で木魚を叩き続けているせいか、右腕のシビレがひどくなって夜に眠れない。
・・・まぁ、もう半世紀も前からお盆の月はこんなもんで、そう大きな変化もないからその時時の流れに我が身をゆだねるしかしょうがないことだ。

毎日がそれほどドラマチックに過ぎているわけでもないが、そうかといってなにもないこともないし1日として同じことがデジャビュのように繰り返されているわけでもないからブログネタに窮することもない。
寺の1日の用事を片付けて吉田家へ帰って夕食で一杯やってしまうと腕のシビレも忘れて夜の早いうちから眠くなってしまう。
だいたい深夜の午前0時前後に目覚めてオシッコをすると、それからしばらくは眠れなくなってしまうものだからWEBニュースを回覧したりして次の睡魔がやってくるのを待つ。
幾つか気になる記事があるとソレをメモしたりURLを記録したりして、思いついたことをブログの何処かで書き残しておこうと思うのだが、最近は、落ち着いてA4の1枚分(原稿用紙だと3枚分くらいかな?)を書き起こす時間が無くなっている。
チョット空いた時間があるとラップトップを開いてブログのページへ移動するのだが、途中まで書きかけたモノを改めて読み直していると、どこかしら気持ちが滑って軽々しく思えてしまってガラにもなく真夜中に真剣に物思いにふけったりしはじめて始末が悪い。
結局、それでかえって目が冴えていよいよ眠れなくなってしまったりする。
大事なことは備忘録としてその日のうちにiPad mini5へメモしてあるし、頭がシッカリと回転している間は、しばらく時が過ぎてもそういうメモを手がかりに大事なことは思い出すことも出来るだろうと無理をしないで気楽にいるようにしようと決めた。

たとえば、ブレードランナー2019年のことがきっかけで気になり始めた過去・現在・未来のこと・・・現在の最先端テクノロジーが50年後にはどのように機能しているのか?いないのか?・・・なんてことを真剣に思ってみたりしているのです。
そうすると、毎晩のように真夜中に巡回している幾つかのWEBニュースにしても、気がつけば知らない間に吉田正純の思考や嗜好や指向や志向に特化した記事が集まっていたりして「これは絶対にAI機能で操られているな!」と懐疑的心理が活性しはじめて「アブナイアブナイ!ヤツに懐柔されてはイケナイ!」などと、AI相手にジタバタとどうでも良い芸能や政治や経済や・・とにかくいろいろな記事や流行のYouTubeなどをわざわざ検索して対抗しているつもりになったりしているわけです。

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告別式の朝 

2019/07/29
Mon. 23:17

万善寺では、お葬式ができると大量の書物をする。

数年前まで葬儀旗は、最低8枚書いていたが、JA葬祭が葬儀を仕切ることが増えてから、本部の地域事情を踏襲して少しずつ枚数が減り、やがて「葬儀旗はあまり必要とされないところがほとんどなものですから・・・どうしても無いと困るということでしたら別に作って用意させていただきますがいかがでしょう??」などと事前に担当さんから喪主さんへ伝えられていたりして「JAさんがそのようにおっしゃるものですから、略式でお願いできれば助かるのですが・・」と、喪主さんの方から言ってこられると「ハイ、それではそういうことで・・・」とお返事するしか無いことになって、結局最近は暗黙のうちに割愛されることがほとんどになってしまって、この度もそうなった。

七本塔婆は、お葬式の開蓮忌塔婆とは別に初七日から始まって四十九日の7日間分を書くのだが、万善寺の場合は最後の四十九日大練忌塔婆と開蓮忌塔婆の2枚は5尺か6尺塔婆を使うことにしているから、厳密には六本の塔婆を書いている。

六道さんは、俗にいう六地蔵のことで、昔は六枚の板が用意されていたがその後簡略されて今では一枚の板にノコ刃のような6つの山形を切り出したものに変わった。

白木のお位牌さんは、喪主家によって2基書く場合と1基で済ませる場合がある。細かく云えばそれぞれに意味があるが、葬祭告別式の様式上で何時の頃からかそういう習わしが定着してきたもので、坊主的には1基あれば用が足りるから、私の場合はだいたい1基書いて済ますことにしている。

他にも、如来十号とか剃髪偈とかとにかく枕経から通夜葬儀とリミットのある書物ばかりが続く。
大小の塔婆にしてもお位牌にしても、一つ一つすべてがお金だから書き損じが許されない。慎重に気遣いながら短時間で書き上げると、普通の健康体でもドッと疲労がたまる。
頚椎のこともあって右半身へシビレが続いているから、長い間筆先に集中することが難しくなった。それに塔婆は野外で野ざらしになるから墨汁だと雨に流れて字がなくなる。
そんな感じで、しばらくぶりのお葬式が出来てシビレをダマシダマシ墨をすって筆を使ったせいか、夜になって引導を考えるようになってからは、首筋から肩にかけて重たい砂袋が乗っているみたいになって、身体が思うように動かなくて頭の思考力も鈍ってきた。

引導香語の良し悪しで葬儀告別式で参列の皆さんの緊張感が変わる。
通夜は思ったより夜の虫も少なくて涼しかったし衣が苦にならなかった。
葬儀告別式の朝、8時前には温度計が27度まで上がっていた。襦袢へ白衣を重ね着しているだけで汗がにじみ出てくる。過酷な告別式になりそうな気もするが、唯一の救いは葬祭開場に使用されることになった自治会館は標高が高くて涼しい場所にあること。
100才に迫るほど長生きされて大往生のおばあさんを遺漏なくお見送りしなければいけない。めったにない久しぶりのお葬式でチキン坊主は少々緊張しております・・・

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寒山拾得 

2019/07/28
Sun. 23:25

飯南高原は朝から30度近くまで気温が上昇して猛烈に暑くなった。
今年はひと頃のような梅雨らしい梅雨で長雨が続いたから、高原では珍しいほどの蒸し暑さだ。

朝の用事が一通り終わったのを予測したように洗濯機のブザーがなった。
洗濯物を干し終わってから何もする気になれなくてコーヒーをチビチビやりながらブログネタのメモを流し見していたら、玄関の訪問チャイムが鳴った。近所の人はチャイムを鳴らすことなど無いから、少し緊張して、急いでリーバイスを履いた。

この時期の寺ぐらしは、いつも朝のひと仕事が終わるとシャツにパンツ一丁でいて、隣近所の付き合いはだいたいソレで乗り切っている。
先代夫婦やワイフがいたりするとモッテノホカのだらしない事と絶対に出来ないことだが「見た目ばかり気にしても中身がなければしょぉ〜がない」という、身勝手な持論を駆使してここ数年を乗り切っていたら、一部決まった常連訪問者の間では特に気にされる様子も見えなくなってきたところだ。もっとも、あとになって誰かが何処かでどんなコトを言いふらしているかまではわからないけどね・・・
昔の文献をチェックすると、寒山拾得羅漢尊者などなど、今の時代よりずいぶん涼しくて過ごしやすかっただろう百年千年昔で、無精極まりないスタイルの絵画彫刻の逸品をよく見かけるし、堂々と正直に「暑い時は暑いなりの過ごしようもあるのだ!」と、私のような偏屈のだらしない坊主が一人くらいいてもいいだろうと判断して実践しているわけであります。

閑話休題・・・

訪問者は、大万木山の麓にあるお檀家さんだった。
「おばあさんが、亡くなりまして・・・」
病院から直接寺へ寄った様子だった。
「ソレはご愁傷さまのことです・・・何か、ご心配でもありましたらお聞きしましょうか・・」
おばあさんは行年98才の大往生であった。眠るように亡くなったという。
「ご遺体がご自宅へお帰りになりましたら連絡してください。枕経をおつとめにお伺いしますので」
それから、必要なものをアレコレ準備して待機していると、夕方になって連絡がきた。
そのお檀家さんの先は大万木山へ続く林道になっていて、その林道を少し登るとレストランを兼ねた研修施設がある。其処を過ぎてしばらく行くとブナ林がはじまる。ブナの木はある程度の高山でないと生息しないから、標高450mあたりの万善寺周辺にブナ林はない。それだけこのたびのお檀家さんのご住居が標高の高いところにあるわけで、枕経を読んでいる間も、ヒンヤリと爽やかで涼しい風が心地よかった。
「これだけ涼しいとエアコンはいらないな・・・」
おばあさんは、とてもおだやかな寝顔でやすらかにお休みされていた。

辻晋堂 作 寒山拾得
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家族の距離 

2019/07/27
Sat. 23:36

娘たちから相次いで近況報告があった。
最近は、離散した家族のコミュニケーション手段もずいぶんとハードルが下がって、すぐ隣近所に住み暮らしているような気になってしまう。
ボクを中心にして距離の近い順から云うと・・・←なっちゃん←キーポン←ワイフ←ノッチ←←←じゅん君・・・という感じだろうか・・・

なっちゃんは、4月に長男が生まれて子育て真っ最中!
息子の毎日の成長の変化が楽しくてしょうがないようで、育児ノイローゼとは無縁の日々をマメに家族LINEへ更新し続けている。
ユーシン君も最近は寝返りをするようになって、だんだん上手にできるようになってきたから、動画を公開することが増えてきた。

キーポンは、保育園の担任をしていて、今のクラスや昨年のクラスの子供達の様子をマメに報告してくれる。
毎日預かっている子供たちのご飯やお昼寝にお散歩やウンコシッコの世話までしていると、何かと大変ではあるだろうがその分「情」が移って可愛くて仕方がないようだ。
その日に面白いことや楽しいネタがあると、1日の仕事が終わって最寄り駅で下車してから帰宅する10分間を使ってお父さんへLINE電話してくれる。

現在石見銀山で二人暮らしのワイフとは、通勤坊主で帰宅する度にそれなりに当たり障りのない会話をしているつもりだが、それでも1日のうちに彼女と同じ時間を過ごしているのは夕食前後のせいぜい2〜3時間程度のことだと思う。
万善寺の経営維持管理を私一人でするようになってからは、石見銀山のことすべてをワイフへ任せてしまっている。彼女は特に表面上嫌がりもせずにそれらを引き受けてくれていて、地域の信頼も厚く、名刺にすると片面だけでは足らないほどのいろいろな役職を一人でこなしている。東京出身の彼女がここまで島根に根付いているということはすごいことだと思う。

マイペースに暮らしているノッチは、それなりにお父さんとの距離も離れている。だからといって疎遠であるわけでもなく、適度に情報を流してくれているし、ある意味で絶妙な距離感が維持できている。
さいきんは、80歳を越えて一人暮らしの怜子おばあちゃんに付き合ってくれていて、一緒にジム通いもしているようだ。
彼女の人生で4年位は国外で暮らしているし、私など足元にも及ばないほど社会の事情をわきまえてクールに乗り切っている。これで、男運が良くなれば幸せな人生を送れるだろうけど、そればかりは本人のめぐり合わせでもあるからオヤジは静観するしかない。

長かった隠岐の暮らしが終わって、この春から本土に帰ったじゅん君は、距離から云うと吉田家の一番近くで暮らしている。それでも、会話というか意思の疎通というか、そのあたりのことになるとオヤジとの距離は遠い。まぁ、ボクも昔はそうだったけどね・・・

ユーシン君の足
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キーポンとユーシン君
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ノッチは沖縄を満喫
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怜子さんとジム帰りにお祭り見物
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レプリカント 

2019/07/26
Fri. 23:58

なんとなく夜眠れないのでイジイジしていたら、私の気配を察したのかクロがでかい声で鳴き始めた。しばらくしてロフトへの階段を登る足音が聞こえてきて、それからすぐ耳元で「ニャァー!」と鳴いた。
わざと足音をたてて階段を登って来るような時は、だいたいメシの催促だ。
メシのことなら1階のリビングのすぐ隣で寝ているワイフのほうがずっと近くて都合が良いだろうに、クロは夜中のことになるとなぜか私を名指しで起こしに来る。
仕方なく起き上がると、クルリともと来た階段へ向き直って私が来るのを待っている。自分から先にたってスタスタと空っぽになった器の前まで行って猫座りすると、無表情な視線を合わせてくる。まったく、真夜中に人間をアゴで使っているふうでムッとくる。そのまま素直にクロの言うことを聞くのもシャクなので、先にオシッコをしてフェイントをかけてやる。トイレから出ると、ちゃっかりシロがクロと並んで待っている。こういうネコチャンズの行動をみていると、ワイフとボクの夫婦関係が何気にリサーチされて、夫婦の力関係をコピーされているように思えて益々シャクにさわる。
結局、今夜もワイフは寝たままで起きてこなかった・・・

完全に覚醒してしまった時は、無理に寝ようと思わないで映画を観ることにしている。面白ければ最後まで観終わるし、退屈すると途中で知らない間に寝てしまっているし、どちらにしても真夜中の2時間程度はすぐに過ぎてしまう。
AmazonPrimeでブレードランナーファイナルカットを観た。
ブレードランナーは確かバージョンが3つあったはずだ。
東京から島根にUターンして2年目くらいだったかに当時の劇場公開版がビデオになった。
あの頃はまだキネマ旬報を購読していたから、監督はあのエイリアンのリドリー・スコットだし、主演はハリソン・フォードだし、ブレードランナーのデータを読み漁って期待と妄想で脳みそがとろけそうになっていた。
今でこそ島根もTジョイシネマが増えて話題の映画はだいたい封切りで回ってくるが、35年前のあの頃の島根は老朽化した昭和の映画館が次々と廃業していて、ちょっとマイナーな封切りを観るには米子か広島へ出かけるしかなかったから、ブレードランナーを観るのも、ビデオのレンタルを待つしかなかった。
それで、劇場公開版だが、あとになってディレクターズカット版やファイナルカット版を見比べてみると、リドリー・スコットさんのブレードランナーに対する形而上的熱量の高さがストーリーの抽象性に昇華して、映像を通した視覚的芸術表現のレベルがより高くなっているふうに思えた。劇場公開版は大衆娯楽映画的位置づけが強かったから、それではリドリー・スコットさんの目指そうとしていた映画芸術としての着地点は望めなかっただろう。いずれにしても、観る人の価値観の問題だから商業映画としての良し悪しの判断は大衆社会へゆだねるしか無いことだろう。
2019年秋のロサンゼルスが映画の舞台になっている。現実では今年の秋のこと・・・改めて、いろいろと考えさせられる映画だった。
目が冴えて寝不足のまま目が覚めた朝、レプリカントのリーダー役で強烈に印象深かったルトガー・ハウアーさんの訃報を知った。偶然とは思えないことだ。
ボクにとっては今まで以上に、より一層忘れられない映画の一つになった・・・

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言い次 

2019/07/25
Thu. 23:15

島根県の梅雨明けはまだのはずなのに、琴引山から雲が切れて青空がチラチラと覗き始めたら、一気に蒸し暑くなった。
飯南高原は「もう梅雨明けと云ってもいいだろう」と勝手に自分でそう決めた。

いつものように寺の朝の用事を一通りすませてコーヒーを入れていたら保賀の班長さんから電話が入った。
「うっかりしとりましたが、今度の日曜日は草刈りの日になっとりますけぇ〜。都合がつくようならでてくださいやぁ〜・・・朝の7時半に会館へ集合ということですけぇ〜」
そういえば、2・3日前に班長さんからの着信があった。丁度その時はすぐに電話へ出られなかったから後でかけ直したのだが、今度は班長さんの方が電話へ出なくてそれっきりになっていた。急ぎの用事なら返信があるだろうとそのままにしておいたのだが、きっと草刈りの言い次だったのだろう。

電話帳へ載っている万善寺の電話番号は、もう10年近く前からFAX専用にして電話回線から電話機を取り外してしまった。
理由は2つあって、まだ健在だった両親の電話番に少しずつ不具合が生じてきたことと、迷惑電話や詐欺電話が激増したこと。
当初、両親とも自分ではまだ昔のようにシッカリと電話番の寺務が出来ていると確信しているふうだったが、住職業を引き継いだ自分としては寺務に限らず自治会の付き合いの細かなことまでコトの整合性をいちいち確認しながら二度手間を繰り返すことが増えてきて、これではそのうち必ず「アチコチへ迷惑をかける事になるから」と事あるごとに「電話に出なくてもいいからね・・」とヤンワリ云い続けていたのだが、なかなかすぐに納得してもらえないまま時が過ぎ・・・その間に幾つかの失敗もあり、しかし両親ともソレが自分のせいであることを認めること無く、何かしらアレコレ言い訳をしてくるし、やがてソレが頻繁になり、電話の相手も何気なく「アレッ?チョットオカシイぞ??」と気づき始め、そのうちダイレクトに私宛に連絡が来るようになり「ヤレヤレ少し楽になった・・」と思っていたら、今度はサプリメントだとか羽毛布団だとか健康食品だとか、そういうタグイの迷惑電話がかかってきて、延々とその悪質業者の話を聞いてそのうち質問やらしはじめて会話が終わらなくなって、気がつくと私のことやワイフの話まで始まったりしてマンマと業者の術中へハマって個人情報を垂れ流していたりするものだから「コレはもう限界だ!」と途中から会話好きの母親の手から電話をもぎ取って悪質業者の「住所と電話番号を教えてもらえますか?チョット母親と相談して改めてこちらから電話させてもらいますから・・」などと切り返すと、途端に電話口の態度が急変して向こうからプツンと電話を切る・・・というようなことも数回あって、それにもっと明らかに「怪しいぞ!」と分かる悪質詐欺電話も増えてきたから、それでFAX専用にした。

世の中が便利になることは、ソレはソレで良いこともたくさんあるだろうが、世間の進化のスピードについていけないでよく実態を把握できないままなんとなくその場のノリでわかったつもりでいたりするようなことが度重なると、そのうち自分の許容を超えて収集がつかなくなる。ボクもそろそろ時代の先進に取り残され始めているかもしれないなぁ〜

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