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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

お盆の月 

2020/08/06
Thu. 23:01

毎年恒例の棚経が始まった。
「棚経」と書いて「たなぎょう」と読む。
ナンチャッテ坊主のボクとしては「棚経」を文字にする時は「棚行」と書くことが多い。
気持ちの問題だが、要するに棚にお祭りのご先祖様へ向けて「お経を読む」というより施主家各家のご先祖様へお経をお供えして「修行をさせていただいている」という気持ちを大事にしておきたいからだ。いずれにしても、棚経で訪問する檀信徒各家の施主さんからすると「そんなことはどぉ〜でも良いことだ・・」という気持ちのほうが大勢だと思うけどネ・・・
その「棚経」であるが、島根の飯南高原とその周辺では8月が「お盆の月」となって盂蘭盆会の先祖供養に棚経をする。いっぽう、市街地や首都圏あたりでは7月を盆月にすることが多いようで棚経も7月にして先祖供養にかえる。
1月に急逝したワイフのお母さんが初盆になるから、施主である弟に宛てて高級な線香を送っておいたらしい。ワイフ達は江戸っ子であるから7月のお盆に慣れている。吉田家に限らず、近年は家族の遠距離離散が当たり前になってきて、地域の風習も全国的に拡散して常識の根拠がよく理解されないまま曖昧に入り乱れて収集がつかなくなってきた。
昔からの行事仕来りの伝承を大事にする仏教活動も、結局は現代の社会情勢に迎合することで生き残りをかけているようなところもあるような気がして、私のような山寺のナンチャッテ住職としては釈然としないまま、恒例の夏シーズンを迎えたところだ。

「長雨で野菜が全然ダメですがぁ〜」
「雨のせいで蜂が飛ばなくて授粉が無いですけぇ〜」
「日照時間が少ないけぇ〜大きくなりませんがぁ〜」
「カボチャにスイカはほぼ全滅!」
棚経のお布施に毎年頂いている夏野菜も、今年は随分と出来が悪いようだ。行く先々で申し訳無さそうに一言添えてレジ袋いっぱいの野菜をいただく。
私からすると「茄子がチョット小振りかな?」とか「今年の胡瓜はいつもより捻れてるかも?」とか「今年はトマトが無かったなぁ・・」とか、そのくらいのことしか気が付かないまま、とってもありがたく頂いている。お陰様で、夏のシーズンはスーパーへ行っても野菜コーナは見向きもしないで無縁に過ぎる。つい先日は、野菜の出来が悪いからと、浅漬や酢漬けなどに加工した数種類のパック容器をお布施代わりに頂いた。ワイフの手料理とはまた違って、夏らしく爽やかな夏野菜の逸品は酒のアテに絶品で感動した。棚経の疲れも少しやわらぐ。同じお布施でもお金の熨斗封筒とはまた違ったありがたさがある。

日中は寺暮らしが続くから石見銀山の二人展も全く様子がつかめないでいる。
夕方になって吉田家へ帰るついでに時々会場へ寄って記帳簿を確認するくらいしかできないので、ワイフへお願いして何でも自由にメモできる「ひとこと帳」を用意してもらった。夏休みの観光シーズンに入って石見銀山の町並みも賑わっているのだろうが、記帳簿やメモ帳からはそれを読み取ることが難しい。
時節柄、日常の自粛がいまだに引き続いているのかもしれない。今までのような人の動きと連動した経済の活性は見直しの時期が来ているのかもしれない。

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できること 

2020/08/01
Sat. 17:18

「今まで何年も続けてきたことだけぇ〜、勝手にこっちの都合で日にちをずらしちゃぁ〜いけんけぇ〜・・」
まだ副住職だった頃、盆前になると毎年のように先代から叱られ続けてきた・・・

吉田家の家計と彫刻の制作費を捻出するために島根県の公僕に働いていた頃のことだ。
主たる生計を公僕で賄っている身としては、寺の都合で有給をフルに使ってチョコチョコ休むわけにもいかないし、毎度毎度同じ時期になると同じ棚経のことで先代とバトルが繰り返されていた。
坊主は月々のスケジュールを数字日程優先で決めていくし、公僕は曜日優先で決めていくから、前年と同じスケジュールが通用しないわけだ。
そもそもは、合理的でシンプルに繰り返される坊主日程の方が八方都合良いはずなのだが、世俗の常識は曜日日程をもとにして社会生活を送っているから、平成から令和に至る現代社会では昔ながらの縁日などとっくに崩壊して日常のご縁から遥かに遠ざかってしまった。

公僕を早期にリタイヤして坊主家業と彫刻家業を適度に調整しながら自営業というか自由業というか、とにかくどうとでも融通の効く暮らしに切り替えてそれに慣れてしまうと、その便利さに自分自身が随分と助けられているということに気付かされる。
寺の年中行事はそれぞれ縁日で決まっているから新春正月のうちにその年のカレンダーへ1年分の書き込みができるし、彫刻絡みの展覧会スケジュールも若干の誤差を考慮して少し余裕をもった日程を書き込んでおけばいい・・・そういうことが毎年繰り返されるうちに万善寺のオリジナルカレンダー制作を思いついて、そろそろ10年になる。
1年の万善寺行事を印刷したカレンダーを年始会へお参りのお檀家さんへ配っておけば寺の寺務が随分と割愛できて助かる。さすがに寺のカレンダーへ彫刻の行事予定も一緒に印刷しておくわけにいかないから、彫刻関係は後で自分用のカレンダーへ手書きしておく。

昨年のうちに印刷した今年のカレンダーは、年中行事が2月まで狂わないで過ぎたものの、それから後、コロナのおかげで狂いに狂ったまま気がつけはお盆を迎える頃になった。万善寺の行事は全くブレないで今に至っているが、手間替え随喜の組寺さんを始め、彫刻の展覧会に至るまですべて中止や日程変更無期延期と続いて、今後の予測不能に陥った。各種イベントや神事・催事・集会など世間の行事が軒並み様変わりになって自粛が当たり前になってきた。
時節柄、みんなそれぞれ慎重になることは当然大事で必要なことと思う。一方、仏事と直接関係する坊主家業の立場からすると、こういう時節であるからこそ余計に神仏に信心することで気持ちの平常を維持できる可能性も無いわけではないとも思う。信心はあくまで個人の自由であり特権であるから、大勢が一つ所に集まって何かをしなければいけないということもない。
それぞれのプロが分相応にそれぞれの立場でそれぞれに必要な業務に粛々と従事する環境が保全できると良いと思う。さしずめ、ボクにできることはセッセと太鼓を叩きながら人類の身体安全を祈念することかな・・・

2020暮らす彫刻奇譚のコピー

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ストレス発散 

2020/07/27
Mon. 10:33

本堂で常用の線香と香炉の灰へ湿気が入ってすぐに消える。
庫裏では、気がつくと蚊取り線香まで途中で立ち消えていたり、座布団や寝具もなんとなく湿っぽい。
押入れの襖や和箪笥の引き出しを開けるとカビの匂いが巻き上がる。
何処かで殆ど動かすことのないまま置きっぱなしの何かを持ち上げて動かしたりすると一面カビだらけだったりしているような気がして、そういう映像がリアルに思い浮かんでドキドキとする。
コマメにサッシやガラス戸を開けて換気をするのだが、かえって湿気をタップリ含んだ外気が家内に入り込んで部屋中がよけいに湿っぽくなってしまうような気もして悩む。

ワイフとの二人展を準備し始めてから工場と会場を何度となく往復した。
その間も雨がよく降り続いて、時々強烈な豪雨に変わったりして、さすがに疲れた。
それでも、搬入や展示がおおよそ終わってコロナで遅れていた会期がスタートしたからというわけでも無いだろうが、ひとまず雨が上がった。

首筋から右の指先まで絶え間なく残る痺れは、さすがに慣れた。
雨が降り続いて気圧が下がったりしている時はいつもより辛くて、箸を持つことが億劫になる。こういう状態が慢性になってこれから身体のアチコチに不具合が広がって日常の暮らしの其処此処で自分の動きが確実に少しずつ鈍くなっていくのだろう・・・と、ひとごとのように思いながら毎日が過ぎている。

県立美術館では建畠覚造さんと清水九兵衞さんの抽象彫刻が美術館の企画展で始まったようだ。二人とも、県立美術館の建設時に野外彫刻が買い上げ設置されたはずだから県民美術愛好家諸氏にとっては澄川喜一さんと併せて馴染み深い抽象彫刻家なのだろう。
「抽象」という言葉の概念はなかなか具体的に解説しにくいものだから、おおよそ殆どの鑑賞者は「何なのかよくわからない??」表現のモノであれば立体も平面もすべてひっくるめて「アレは抽象だ!」とか「アレが前衛だ!」とか思うことで表現されたモノの意図を納得するようにしているように思う。それはそれでいいと思う。
抽象表現領域の境界というか結界のようなものの内側からモノを見るか外側からモノを見るかの違いであると、自分で勝手に定義づけているようなところもあるから、私の造る彫刻を「アレは何ですか?」とか「何に使うんですか?」とかいう質問には「私が造っている彫刻です・・」と、簡単に回答するようにしている。そうすると、だいたい殆どの人は「あぁ〜そぉ〜ですか・・」と納得??されて、次の会話まで進むことはない。
時々「何で造ってあるんですか?」と質問をされることもあって、そういう時はチョット困る。「何で」という言葉の主旨がハッキリ伝わらなくて「どういう意図を持って」ということなのか「どういう素材で」ということなのか曖昧に伝わってしまうこともあるからだ。「意図」を回答するにはそれこそ1時間半くらいの説教をするようなことになってしまうから、だいたい「素材は鉄で造ってます!」と回答する。そうすれば一瞬で済むから、まずは、そうやってさり気なくかわしてその場を乗り切っている。
自分では抽象へ逃避しているようなところもあって、諸々のストレスを発散している。

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無邪く庵の彫刻 

2020/07/17
Fri. 13:55

梅雨の長雨もやっと峠を越えたようで、久しぶりに早朝から日差しが戻った。
雨の中を搬入したワイフとの二人展開場を少しずつ整えながら彫刻展示の工夫を続けている。
会場は自然光だけで照明が無い。
美術展示の常識だと照明のない展示会場など考えられないことだろうが、私の場合、日頃から彫刻の80%以上を野外彫刻に決めて制作しているから朝になれば夜が明けて明るくなって、日が暮れて夜になれば彫刻の存在もせいぜい月の明かりを頼りに暗闇に溶けてほのかにアウトラインがシルエットで見える程度のことになって、それが普通になる。
ワイフの彫刻は基本的に室内展示だから、やはり少しばかりの明るさは欲しくなるし許されるなら照明があれば良いと思うが、残念ながら石見銀山大森町並みの無邪く庵は電気どころかガスも水道も無い明治以前の古民家を復元改築した建物だから、現代社会の贅沢な日常の常識は適用されない。
そういう現状で二人展をどのようにレイアウトするか、この企画が持ち込まれた時からかれこれ3ヶ月以上は考え続けていた。

二人展はそろそろ半世紀になろうとする二人の彫刻家にとってはじめてのことになる。
二人とも毎年のように秋の公募団展二紀会の彫刻部門で六本木へ出品している。他にもグループ展で一緒に彫刻を制作出品したりしているから特に改まって二人展をするまでのこともない。それになにより「同じ一つの家計を二人で彫刻に切り崩すのも厳しいなぁ〜・・」という切実で深刻な打算が優先して、毎年変わらずすぐとなりでそれぞれが自分の彫刻を造り続けているのに、気がつけばもう40年以上二人展を避けてきた感があった。
思うに、お互いこれから先彫刻の制作もせいぜい10年続けられるかどうか怪しいくらいの歳になった。まだ頭も身体もソコソコ動いている「今のうちに作家歴の記録へ残るほどのことはしておいたほうが良いだろう・・・」と、主催者の依頼を受けることにした。

今年は例のコロナ絡みで殆どの彫刻展が開催中止となった。秋の本展も中止になって、出品をはじめてからはじめて大作と呼べるほどの彫刻を制作する機会が一つ減った。
私は一年を均すとだいたい普通にヒマにしているから、展覧会が有る無しに関係なく大作も毎年最低一つ二つは造り続けていて彫刻のメモもたくさん溜まっているし、あとは制作の材料代が貯ればいつでもすぐに鉄を取り寄せて制作に取り掛かることができる。
ワイフの方は、毎日のように昼となく夜となく時間講師や各種会合の会議などで出かけることが多いから、毎年決まった締切のある秋の展覧会のように大作を制作するための条件が整っていないと彫刻制作のモチベーションを維持することが難しくなってしまう。展覧会中止が決まった今年は何かしら別の条件を用意しないと、そのまま気持ちが消沈して彫刻制作の継続が厳しくなるかもしれない。
ワイフに限らず、島根県やその周辺にも、1年に1作程度しか大作を制作する機会のない彫刻家がたくさんいると思う。
例年冬シーズンに開催している小品彫刻展は今年も変わりなく開催期間が決まった。それから年末にかけて万善寺を会場の展覧会企画も少しずつ動き始めた。
この際だから作家それぞれが造形の方向性を見つめ直す良い機会と考えて制作の根本に向き合ってほしい。

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暮らす彫刻奇譚 

2020/07/14
Tue. 18:48

昼過ぎから雨脚がしだいに強くなって、それから深夜まで降り続いた。
夕方には猿の集団が吉田家の大屋根を通り道にしてしばらくの間うるさく暴れていた。
石見銀山の町並みの側溝を激しく流れる水音が耳についてなかなか眠れないまま一夜が明けた。

ワイフと二人展で展示する彫刻をしばらく前に駐車場へ移動しておいたのを、この度の主催者から若いスタッフの人力を借りて町並みにある展示場の古民家まで移動した。
鉄の彫刻は雨にぬれても特に問題は無いが、倉庫から自宅の板の間へ持ち帰っていたワイフの彫刻は雨に弱いので移動に気を使った。天気の回復を待って後日配置を完成させる。
搬入作業は1時間もなくて終わったが、その間降り続いていた雨で全身ずぶ濡れになった。帰宅すると「お風呂追い焚きしてあるわよ!」と珍しくワイフが気配りしてくれた。
湯に浸かるのは随分と久しぶりのことだ。「・・・ヤブ蚊が入り込んでくるかもしれない・・・」と思わないでもなかったが、風呂の窓を全開にしてゆっくりと昼間の風呂を堪能した。窓の向こうには大きく枝葉を広げた楓が茂って雨に打たれている。梅雨に入ったばかりの頃は、二枚の羽をつけた種がまだ少しばかり枝先に残っていた。それからあの種はどうなっただろう?・・・

実は彫刻家吉田満寿美であるワイフは学生の頃から本格的に彫刻を制作していて、社会人になってから本気に彫刻の勉強を始めた吉田正純より作家歴の長いベテランである。
彼女の初期は、抽象でも幾何的要素の強い彫刻を造っていた。研究室の教授が金属の抽象彫刻をメインにして制作を続けていたから、講座の演習制作も金属を素材にしたものが多かったようだ。ワイフの先輩で私の同級生のお姉さん(今はおばさんだけど・・・いや、おばあちゃんかな?)も、当時から同じように金属彫刻を勉強していて、今はジュエリーの教室まで経営する実業彫刻家になっている。
ワイフと知り合った頃の私はまだまだ具象色の強い造形制作を続けていたのだが、どこかしら自分の気持がそういう造形に没頭できない違和感もあって、それなりに人並みに悩み多き学生であった。座学の講座や神保町の古本や美術館の企画展とか画廊ギャラリーなどから抽象のアレコレを知識として収集してはいたものの、やはり造形表現の実践で制作をしないままに机上の理論ばかりでは限界がある。抽象表現の混沌としたラビリンスに迷い込んでしまって抜け出せないままやがて脳みそがパニックを起こして悶々と消沈して終わる・・・と、そういうようなことを繰り返しながら20代を過ごしてUターンした。

随分とこなれてこぶしの効いた小気味良く美しい節回しで鶯がひと声大きく鳴いた。
驚くほどすぐ近い。
ウツラウツラしながら適度にぬるい昼間の風呂で昔の思い出に浸っていたのが、一瞬で現実に引き戻された。猿軍団の侵略に憤慨した鶯が自分の縄張りを強く主張したのかもしれない。
風呂の入口で影が揺れて、それからいつにない大声を張り上げてクロが鳴いた。あいつも裏庭の様子が気になるのかもしれない。
今更ながらワイフとの初二人展は、リーフレットに「暮らす彫刻奇譚」とした。

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痕跡 

2020/07/12
Sun. 12:58

まだお昼を少し過ぎた頃だと云うのに西の空がみるみる暗くなって、中国山地の山並みが厚い雲に隠れた。
梅雨らしいといえばそうだが、今年は毎日のようにシトシトと雨が降り続き、時折スコールのような土砂降りに変わって、そうこうするうちに厚い雲が切れて晴れ間が広がり、雨水をタップリ含んだ保賀の谷のあちこちから水蒸気が立ち上って一気に蒸し暑くなる。少し動いただけでジットリと汗ばんで坊主頭から汗が流れ落ちる。
21日の弘法大師ご縁日が近づいて来たので、そろそろ弘法大師尊前の供養塔婆を書き始めたところだった。雨降りの低気圧のせいだろうか、いつも以上に右腕の痺れが酷くてなかなか塔婆書きがはかどらない。

いくつかSNSが届いた。
万善寺アドレスへはお墓のことの問い合わせ。
家族LINEへはユーシン君の元気な様子が動画で送られてあった。
コロナで仕切り直しになっていた石見銀山でのアートイベントがまた動きはじめて、その日程や作品搬入展示などの事務連絡。
それに、九州豪雨災害で心配の電話をした具象の作家から写真付きの近況報告が届いていた。ガレージを彫刻の倉庫代わりに使っていたところへ、この度の集中豪雨の増水で木彫の大作が浮かんで横倒しになってしまったとか、樹脂の彫刻内部へ雨水が入り込んでピチャピチャと音をたてているとか、なにかと後片付けに苦労する様子が伺えた。

書き物などのデスクワークが続くと腕の痺れが気になって集中が続かないし、外は雨が降ったりやんだりで外仕事も落ち着かないしするから、気持ちを切り替えようと倉庫の片付けをすることにした。
倉庫と云っても、昔は万善寺の法要で随喜をお願いする方丈さん方をお迎えする客殿だった。ちゃんと床の間もあるし大小のトイレも付属する別棟の建物になっていて、私が産婆さんにとりあげられてオギャーと生まれたところでもある。その別棟は、昭和38年の豪雪と前後してあった集中豪雨で裏山の土砂崩れへ巻き込まれて建物全体が縦横高さどこもかしこも平行四辺形にずれて大きくねじれた。災害保険の適応などでなんとかその場しのぎで使えるまでに修繕して乗り切ったが、建具の建て付けは狂ったまま気がつくとすでに半世紀が過ぎていた。私にとっては沢山の思い出が詰まった建物だが、今更修繕して客殿に戻すのも現実的でない。畳を上げてみると畳も床板も老朽が進み、すでに使用の限界を超えていた。以前直した台所のようにコンパネを敷いて乗り切るしかなさそうだ。
いくつかの段ボール箱を整理していたら彫刻に転向したすぐの頃に描きためていたメモがアルミ缶にビッシリと詰まって見つかった。彫刻を造りはじめて35年を過ぎた今になって改めて昔何を考えていたか思い出す。造形の形態や制作工法は随分と変わってきたが、制作上のテーマとかコンセプトの基本はほとんど大きくブレることもなく今に引き継がれている。それが確認できただけでも倉庫の片付けをして良かった。
かたちのことだけ観ると、昔はどうでも良い無駄なかたちをベタベタ貼り付けていた。一方それはそれでどこかしら愛嬌もあって微笑ましくも感じる。
あの頃出来なかったこともあるし、また再度工夫してみるのも面白いかもしれない・・・

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ナンチャッテ人生 

2020/07/08
Wed. 20:55

万善寺の大般若経転読会を境にして五月雨に仏事の問い合わせの連絡が増えはじめ、6月のはじめには5つと無かった7月の1ヶ月メモが月末には7月どころか8月9月までスケジュールが入ってきて、ウカウカしていると棚経と日程が重なったりして「身動きできないことになったらどうしよう・・・」と、だんだん焦って不安になってきた。
ほんの1ヶ月ほど前のメモ帳は7月がほぼ真っ白だったから、パーツまで造って溜め込んでいた彫刻をやっと落ち着いて組み立てられると2週間ばかり矢印線で囲って「工場!」と書き込んでおいたのに、今はその線も点線や破線になって切れ切れになってしまった。その上梅雨前線の集中豪雨でお墓の撥遣仏事がずれ込んだりして、施主さんや墓石屋さんとの調整も難しくなって気苦労が増えるし、なかなか思うようにいかないものだ。

強風がやっとおさまって周囲が静かになったと思っていたら深夜から大雨に変わった。それでなくてもガタピシ隙間だらけの万善寺庫裏で寝ていると、東西南北四方八方があまりにうるさくて目が冴えてまともに寝ることが出来ないまま朝になってしまった。
最近は陽が長くなって夜明けが早い。ウツラウツラしているとスズメやカラスが鳴き始めた。どうやら数日降り続いていた雨がやっと峠を越えた感じだ。朝寝しようとしていたらオシッコが出たくなってトイレに立った。「歳はとりたくないものだ・・・」こういう状況になると我が身の現実に直面して気が滅入る。
トイレのついでに玄関の鍵を開け、くたびれてリタイヤした坊主雪駄をつっかけて境内をぐるりと一回り様子を確かめた。巣立って間もないのだろう春の子スズメが人間との距離を測りながら境内を飛び回って大騒ぎをしている。

集中豪雨の止み間を狙って撥遣をした。
撥遣の墓地は施主家裏山の斜面を平らに削り取って整地してあって、たぶん明治の時代に造成されたものだろう。
ヤブ蚊と格闘しながら「こういう時の殺生は自粛しなければ・・・」と肝に銘じて口伝の咒を唱え続けた。
「古武士さんのお墓はどのようにすれば・・・」と心配されるものだから、「三界萬霊で供養されてお祀りされるとよろしいのでは・・」と伝えておいた。
「三界萬霊」は先代曰く「この世に生きるものすべての精霊である!」から有縁無縁古墳一切は三界萬霊として供養すれば間違いがないということだった。
そもそもナンチャッテ坊主の始まりは門前でなく門内の小僧からスタートしているから、一応は僧堂で修行をかじってはいるものの、いわば我流修行で坊主になったようなものだ。彫刻の基礎も殆ど我流で乗り切ってきたから、今の坊主家業と似たようなものだ。結局、ボクの人生はナンチャッテ人生で始まって終わるように決められているのかもしれない。

サツキの花と前後して咲き始めた境内のギボウシもそろそろシーズンの終わりが近づいてきた。ギボウシは食べられると聞いたことがある。が、本当なのか知らない。
小スズメが一斉に境内脇にある中国菩提樹の葉陰へ隠れ込んだ。その菩提樹の花も時期が過ぎて、万善寺の境内はこれからしばらくすると百日紅が咲き始める。

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今を生きる 

2020/07/02
Thu. 23:59

万善寺の大般若経転読会法要は、先代住職憲正さんの三回忌が終わってから祥月命日の追善供養を兼ねて6月16日を縁日にして移動した。
連日通勤坊主をしながら荘厳などの準備を続け、前日になって仏花を活けかえ少しでも瑞々しく鮮度のある状態で法要に望んだ。

荘厳の心得として「仏花はお釈迦様の慈悲、灯明はお釈迦様の智慧、香はお釈迦様の功徳だから、どんなに忙しくても暇がなくても、この3つのコトだけは絶対に遺漏の無いようにしなければいけない!」と、小さい頃から法要行事が近づくとそれこそ耳にタコができるくらい毎度毎度憲正さんから言われ続けていた。
当時はその言われ方が指令とか命令とかくらいにしか思えなくてイライラとめんどくさいばかりに感じていた。慈悲だとか智慧だとか功徳だとか、なんとも曖昧で実態のない抽象的な言い回しのモノが何を意味しているのか生涯理解などできるものでないと思っていたのだが、今は、花はやがて枯れ腐り、蝋燭は溶けて流れて燃え尽き、線香は煙と灰になってかたちが消える・・・という、実体が消滅する様子を具体的に五感で感じとることで生死の実体を平静に受け入れられるように工夫された死生観の教えであるのだろうと思うようにしている。

死生観は一方で「如何に生きるべきか!」という人生観であるといえる。
地球上のあらゆる生き物はすべて生から死へ向かって一度しか無い一方通行の生涯を通して今を生き続けている。
過去のことは思い返すことはできても修正はきかない。
未来のことは理想を夢見ても現実にどうなるかはわからない。
結局、今を大切にして自分に正直に生きていくしかない。

衣替えに合わせて、シキビをメインに流儀も流派もないナンチャッテ活花で庫裏の装いを変えた。
ドクダミの花はそろそろシーズンのひと山を越えたようだが、それでもしぶとく咲き続けている。
ユキノシタも随分前から花を咲かせていて切り花にしても結構長持ちしてくれる。
ムラサキツユクサは水の吸い上げが早いから、それを気づかってやれば切り花の後も次々に花を咲かせてくれる。
ちょっとしたことだが、冬の間シキビで済ませていたところへ庭の花を切り花にして活け添えただけでどこかしら庫裏が華やいで感じる。

「私はあなたの娘じゃなくて妻なんだけどネ!」
ワイフが父の日にわかりきって言わなくてもいい一言を添えて携帯の扇風機をくれた。
なにか「組み立てキットのおもちゃみたいだなぁ〜」と思いつつUSBで充電を済ませて首にかけてみると、なかなかどうして思った以上に快適で意外だった。さすがに改良衣で首へ掛けてお盆の棚経に回るわけにはいかないものの、寺の荘厳や整備作務には十分に活躍してくれそうだ。

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シキビのポプリ 

2020/07/01
Wed. 18:06

ツツジの花が終わって菖蒲に変わった頃から剪定が追いつかなくて手つかずのままになっていたサツキが満開になった。
大般若経転読法要の厳修を目指して梅雨の雨と相談しながら境内の整備を進めていたのだが、結局今年も中途半端にその日を迎えてしまった。

飯南高原を中心に手間替え随喜でお付き合いをさせてもらっている寺院では、すでに二カ寺がコロナウイルス蔓延を受けて法要中止を決めた。
例年だと4月から始まっている弘法大師さんの供養法要も二つのお大師講が法要取りやめとなった。
いずれにしても法要の主催母体が判断して決めたことで、決定に従うことも大事な義務だと分かってはいるものの、一方で宗教信仰の根本となにかしらのズレが生じているようにも思えてしまうのは自分だけのことなのだろうか?
現代社会の世間常識がコロナに向けて世界規模である一定の方向へ舵を切っているような状況だから、一個人の宗教的思想などどうでもいいようなことなのだろうが、私個人としては現在の日本寺院は「まず檀信徒お参り在りき!」というところから各種宗教行事がスタートしているというのも何処かおかしな気がするのだけど・・・
それぞれの寺院でお祀りの御本尊様はじめ各種仏様の功徳に感謝し檀信徒お一人お一人の身体安全を祈念し、各家先祖代々を追善供養し、それに何より人類の平和や国家の安寧を祈念するというような宗教信心は、檀信徒のお参りが有ろうが無かろうが日々粛々とおつとめを続けていくということこそ宗教家の本来あるべき姿であるように思う。
私のように「チョット彫刻制作があって・・」とか「1週間ほど展覧会があるもんで・・」とか言いつつ住職が平気で無住職になってしまうような超いい加減なナンチャッテ坊主は、毎日同じように日々のおつとめを続けることなど出来ているわけもなく、だからこそせめて寺の年中行事で厳修される法要くらいは体力の続く限り休まないで続けていくことくらいしか出来ないと思っている。

法要厳修に向けて境内の整備作業しながらいつものようにお寺からの法要案内のお知らせを配布して回った。お参りもゼロでは無いだろうと思っていたら法要の当日は15人ものお参りがあった。例年でもお参りはせいぜい20人足らずのことだから、飯南高原の皆さんは日頃から十二分なコロナ対策が出来ていて「感染の恐れなし!」と自信を持っていらっしゃるのだろうと感心した。各種メディアで連日のように具体的な予防対策が流れているからすでに皆さん周知のことで、皆さんそれぞれそれを実践されながらのお参りとなったのだろう。
今年は接待を自粛してペットボトルのお持ち帰りを用意した。それに、少しでもお役に立てばと思って、いつもの大般若経守護札に加え、乾燥させたシキビをポプリにして携行用守護札を造った。当日午前中に別途祈念して香に勲じたものをお参りの皆さんへ持ち帰っていただいた。日頃気忙しい暮らしの毎日に、シキビのほのかな香りを身近に意識することで万善寺の大般若経転読会の祈念守護を思い浮かべていただければ良い。

アチコチで栗の花が終わり、今は合歓木が花を咲かせている。

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2020大般若案内

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それぞれの1週間 

2020/06/05
Fri. 23:52

本堂や庫裏で仏花に使っているシキビが次々と落葉をはじめて花器の水を吸い上げた透明感のある美しいライトグリーンの若芽がしだいに大きくなり始めた。
昔、まだ絵を描いている頃は、このライトグリーンの透明感を表現することが難しくて随分苦労したものだ。花器の水を替えながらボンヤリとそんなことを思い出していた。
もうすぐ季節は梅雨を迎える。
半年の間、仏様やご先祖様の御慈悲を目に見えるかたちに置き換えて世俗の欲に浸りきった在家坊主を見守っていただいたことへの感謝を込めて、梅雨の雨をタップリ吸い込んだ境内の土へ下ろして挿し木にさせてもらおうと考えている。彼らのどれだけが根付いて仏花に成長してくれるかわからないが、随分と丈夫な木だから何本かは根を出して生き延びてくれるだろう。
今度の大般若経転読会は、世間ではコロナ自粛が続いてまだ従来の日常生活を取り戻すことが出来ていない中で法要を厳修することになってしまった。いつもと同じような法要にはならないだろうと思っていて、なにか記憶に残る大般若経転読会になれば良いと考えて、以前から捨てないで貯めていた落葉のシキビをシッカリ乾燥させて砕いてポプリに替えてみることにした。うまくいくかどうかわからないが、その砕いたシキビの葉に添えて携行できるほどの小さな大般若守護札を造って祈念してお参りの皆さんへお持ち帰り頂けると良い。これから1周間はそのための祈念と作務が続きそうだ。

今年の万善寺環境整備作務はかなり苦戦している。
自業自得と云ってしまえばソレまでだが、昨年の春先から5週間の手術入院とその後の自主療養とで、春の境内整備がまるまる手付かずのまま終わったことが原因だ。
一度でも人の手が入った植物は、手入れをサボると一気にだらしなくはびこったり病気が入ったりで収集つかなくなる。特に、各種庭木の剪定と土の下で繁茂して広がる蔦や笹や竹などの根茎が厄介だ。
銀座の彫刻グループ展を無事に閉会してひと晩かけて島根に帰ってきた。春彼岸の法要を済ませてその日の夕方寺を出発してからほぼ1週間ぶりの万善寺になった。
用水路脇の斜面では天狗巣病から蘇った桜が満開だった。まだ病気は完全に根絶できていないが、それでも数年かけてここまで回復してくれれば良いほうだと思う。
昨年の吉田正純鉄の彫刻展で造ったLandscape traceシリーズの彫刻の鉄サビが半年の間に少しほど落ち着いてくれた。これから赤サビへ変わらないように気をつけながら養生していけば年々バーントアンバーが深まって良いサビに変わってくれるだろう。こうして、彫刻のサビが概ね安定するまではできるだけ自分の生活圏の近くに置いて様子を見ながら何かあればすぐに養生できるようにしておく。おおよそ安定して責任が持てるようになってから最終の設置場所へ移動する。この箱型彫刻は自分の歴代彫刻群の中で、どちらかといえば好きな方の彫刻である。自分ではいつまで観ていても飽きない。手放すことができそうにないようにも思っている。彫刻ばかりか平面立体問わず3日も観れば飽きてきて、1週間もすれば観るのも嫌になるような、作品とも言えないようなモノをどれだけ乱作してきたことか・・・身体もしだいに重くなってきたし、集中の持続も前のように長くは続かなくなってきたし、これからは制作の基本をおさえてジックリと丁寧に造形の緊張を大事にしていこうと思う。

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彫刻展最終日:美しいということ 

2020/06/04
Thu. 23:51

6月に入ってコロナの自粛意識が少し和らいだのか、年回法事の問い合わせがチラホラと増えてきた。
俗なことになるが、在家坊主の住職業としては、4〜5月の2ヶ月間はほぼ無収入状態が続いていたので、この調子で法事が2つくらい入ると今月は寺の光熱水費が「なんとかまかなえるかもしれない・・」と、少し気持ちが楽になった。
幾つかの寺務が重なったので久しぶりに寺で泊まった。
昼のうちはあいも変わらず境内地の整備作務が続いているからデスクワークは夜になる。
寺務書類がある寺のデスクトップを起動してデータの書類を開いているあいだに世間のニュース動画を一巡した。最近は地上波のニュースに限らず世界各地の種々の出来事がいつでも回覧できるから世の中の情報に取り残されないですむ。便利になったものだ。
東京の方は自粛解除があってからまたコロナ患者が増えている。そろそろ平常業務に戻りつつあった関東で暮らす娘たちのこともまだ心配が続く。
何気なく動画を見ていたらテロップに「コロナ禍」とあった。「禍」とはどう発音するのだろう?・・・「コロナワザワイ??」「コロナカ??」・・そんな言い回しがあったのをはじめて知った。たまにはテレビとか週刊誌とか新聞とか見たほうが良いのかなぁ??
自分ではこのたびのコロナウイルス世界蔓延を地球全体規模の異常気象や自然災害に類するようなものだと思っている。人々の傲慢な驕りや自然の正常な営みを人間の都合で強引に捻じ曲げた経済活動の行き過ぎへ地球が抵抗を具体的に行使し始めたように思える。
「なんて美しい星なのだろう!熾烈なる生命の戦いが極めて少ない!」・・・宇宙の遥か彼方から地球の砂漠へ降り立った宇宙人がそう感嘆した・・・ように地球の美しさを表現した半村良さんの小説を思い出した。また半村さんは「青々と自然豊かな山海に満ち溢れた生命が生き残りをかけて殺し合い淘汰しあう悍ましく醜い世界!」と宇宙人目線で言わせている。
なんて小説だったかなぁ〜?・・「産霊山秘録」「太陽の世界」「妖星伝」・・何だったかなぁ〜?・・随分昔に読んだから、細かいことまでは思い出せないが、とにかく「そういう見方もある気がするなぁ〜」と、印象深かったことはよく覚えている。あれから数十年の間に地球はどんどん温暖化が進行し、地球規模で砂漠化が進んで、半村さんの小説の世界が現実になりつつある。ある意味で、地球が本来の美しい星を取り戻しつつあるのかもしれない。

展覧会最終日は、彫刻の搬出があるから関東圏から出品者が来るだろうし、搬出時間ギリギリに会場へ居ればいいだろう。搬出作業はキーポンが手伝ってくれることになった。
会場へ到着すると「吉田さんのレリーフお買い上げです!」と実行委員長が教えてくれた。最終日に見に来てくれた彫刻仲間のKさんが買ってくれた。コロナのことで集客も厳しいだろうしまさか売れるとは思っていなかった。石見銀山のアートイベントで古民家へ展示しようと思っていたから若干予定変更になってしまったが、同業の彫刻家からそれなりの評価を頂いたことは嬉しかったし、自分の表現に間違いがないことを客観的に証明してもらえたように感じた。
彫刻の梱包をしていたら、ギリギリになって飛び込みの一般客さんが周藤さんの彫刻を買って行った。
周藤さんは数年前から現代彫刻の作家や作品を丁寧に研究している。その成果が少しずつ彼の彫刻へ現れているように思う。

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彫刻展6日目:複雑な心境 

2020/06/03
Wed. 19:05

銀山街道を沢谷から酒谷をぬけて飯南高原へ登りきった辺りから正面に瀬戸山城跡が見える。城跡は尼子に組みして毛利と戦った赤穴氏の山城で、年に何回か地元の保存会有志のみなさんが登山口から下草を刈りながら登山道を登って城跡の石垣や堀郭跡などが遠望できるまでキレイに整備される。
昔は瀬戸山城全体がスッキリと雄大に見渡せていたが、植林の檜や杉が成長して伸びて年々見晴らしが悪くなって、その上5年くらい前に銀山街道の古道近くへJA農協の巨大なプラントが出来ていよいよ見通しが悪くなった。地元の様子を知った住民でないと車で走りながらほんの一瞬くらいしか見えなくなった山城跡を確認することは難しいと思う。
銀山街道はもう何年もの間拡張工事が続いているが、いまだに中央ラインを引くことが出来ないほど道幅の狭い急カーブの連続する場所が数kmほど残っている。最近はほぼ毎日往復して、もう走り慣れてカーブの様子が頭に入っているから、特に緊張するでもなく銀くんの窓を開けて四季折々の自然の変化を五感で楽しんでいる。

ワイフが定期検診の通院日だったから出雲の病院まで送った。幾つかの検査があるのでお昼は過ぎるだろうと思ってコメダ珈琲でのんびりとコーヒーでも飲みながらワイフを待つことにした。コロナで外出自粛が続いていたから出雲もコメダ珈琲も随分久しぶりだ。
いつも山ばかり見ているから久しぶりに見る日本海に感動した。
彫刻制作で工場へ通っている時は時々お昼休みに海を見ながら休憩することもあるのだが、今は寺の営繕作務が終わらないから海も2ヶ月以上ご無沙汰になっていた。
日本海と云うと、運良く刺し身でも大丈夫という立派な島根沖産真鯛をゲットした。たまには、スーパーのハシゴをするのも良い。

展覧会6日目は会場がオープンしてすぐに、飛び込みのお客さんがあった。
美術鑑賞が趣味であるようで、コロナの蔓延で「上野も休館、六本木も休み、銀座を歩いてもギャラリーほとんど開いてなくて・・・」やっと見つけたのが彫刻のグループ展だったと、一つ一つ一点一点とても丁寧にじっくり見てもらえた。受付のカウンター越しに美術絡みの話が盛り上がっていつまでも続いて終わらなくなって、結局お昼ごはんはギャラリーの近くで見つけたお蕎麦屋さんを楽しみにしていたのに食べそこねてしまった。
帰り際に「あなた、とても話題が豊富ですねぇ〜、なにかお話のお仕事でもされると良いんじゃないですか?とっても楽しかったなぁ〜」と褒めて??頂いた。ボクの彫刻も褒めてほしかったけど・・・なにか、複雑な心境でドッと疲れた。
それからしばらくして知り合いのOさんが来てくれた。
彼女は、生活するための仕事をしながらスケジュールを調整してテラコッタの具象彫刻を造っている。もう何年も前に結婚して東京暮らしが始まった当時は気持ちも暮らしの余裕もなくてなかなか彫刻制作をすることが出来ないでいたが、それでも毎年島根の小品彫刻展だけは休まないで出品を続けてくれていた。今思うとそれが良かったのかもしれない、小さな彫刻を造り続けていたことで制作へのモチベーションが途切れないでいられたのかもしれない。彼女の最近の彫刻を見ると少しずつ自分なりのテーマを掴みかけてきた気がする。
色々あった1日だったが、こういうこともあるから受付業務も大事なことだと思う。

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周期的に晴れと雨が繰り返されて、ひと雨降るごとに暑くなっていく。
万善寺はやっと孟宗の筍が落ち着いて真竹に変わりつつある。
6月に入っていつ青梅を収穫しようか悩みながら毎朝梅の枯木を見上げている。

石見銀山の吉田家では、2~3日連続で朝早くから大屋根を猿の群れが移動して目が覚めた。裏庭へ出てみると銀山川脇にある夏みかんを食べ散らかして皮が散乱していた。
飯南高原では、1日に何回と無くクマの目撃情報が防災放送で流れる。寺の裏山はクマの通り道になっているから外仕事も気をつけなければいけない。
万善寺では、野良猫が消えて半月の間にネズミが出没をし始め、スズメの群れが境内へ戻り、山鳩が寺の裏山から蔵の屋根裏へ移動してきて1日中ホーホーと鳴いて耳につく。保賀の谷で暮らすつがいのカラスは野良猫がいようがいまいが関係なしに寺の上空を飛び回っている。そうそう・・ナント!先日は田植えが終わったばかりの水田で二羽のカモメを見た。島根半島にはうみねこの生息地もあるが、あれは間違いなくカモメだった。中国山地の県境まで北の日本海か南の瀬戸内海かどっちからやってきたのだろう?
巨大台風並みに発達したコロナウイルスの大渦巻にすっぽりと包み込まれてしまった日本列島は、日常的に続く人々の自粛生活と反対にこれから夏に向かって益々自然の動植物の活動が活性していきそうだ。

3月にあった彫刻のグループ展は、5日目も受付で銀座へ出かけた。
まだコロナ対策の政治判断が模索中であったから、人々の不安は高まる一方で、飲食業を中心に営業自粛や休業が日に日に増えていった。
SNSで展覧会情報を送付しておいた友人知人から少しずつ返信が届いている。
早くに「○○日に仕事終わったら会場へ行きますね。時間がおおよそハッキリしたらまた連絡します!」と返信のあったKさんから、「会社が自宅待機に変わったので、残念ですが・・・」この度は家でおとなしくしているとSNSの着信があった。懸命な判断だと思うし「お気遣いなく!気にしないでください」と返しておいた。
会期中は部屋代替わりの夕食をおごりながらキーポン宅でお世話になっている。
彼女は保育士をしているから、不要不急の自粛要請であっても在宅勤務になることもなくて、今のところシフトの変更もなく「早番だ」とか「遅番だ」とか言いながら毎日変わりなく出勤を続けている。
私の方は会場のオープンが11時だから、あまり早くから出かけてもしょぉ〜がないし、できるだけ三密は避けたほうがいいしするので、電車の空いた時間帯を工夫して最寄り駅から銀座まで移動している。
最寄り駅までの途中、歩行者専用の路地が何本かあって、道の両側に居酒屋などの小さな店が隣り合って長屋のように続く飲食店街がある。その一角に荼枳尼天さまをお祭りされた小さな祠がある。赤い鳥居が結界になっていて阿吽のお狐様のむこうのお堂にはしめ縄に半鐘ほどの大きさの鐘がぶら下がってお賽銭箱と昔ながらの神仏習合が残っている。
荼枳尼天さまは五穀豊穣商売繁盛のご利益が強力なので、このたびのコロナウイルス大渦巻終息身体安全祈願からは少しずれるかもしれないが、巡り巡った先で商売繁盛と縁がないわけでもないし、鳥居の前では一歩の足を止めてしばし手を合わせている。

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展覧会4日目:世田谷のSさん 

2020/06/01
Mon. 16:41

展覧会4日目・・・とは、3月のグループ展のこと。
6月になった今頃になって3月のことを云うのもどうかと思うが、最近は常飲している薬のこともあって夜がすぐに眠くなる。
そろそろ頭の方もボケることが多くなって、前の日の夕食に何を食べたか直ぐに思い出せなかったり、銀くんへ乗っていても「アレッ?今何処へ行ってるんだったっけ??」などと用事を忘れていたり、必要なものがあってホームセンターへ出かけても何が必要だったのか思い出せなくて結局ドォーでもいいものを無駄に買って帰ってしまったり、なんとなく脳みその何処かのネジが緩んだかして緊張感の無い毎日を過ごしている。
だからというわけでもないが、その日の出来事を忘れる前にMacBookやiPadにメモで残しておくようになった。時々使っているボイスメモも文字変換の精度が向上して前に比べたら随分便利になったが、昔から使い慣れているキーボードの方が性に合っているようでストレスが無くていい。そうやって、毎日というわけでもないが何かに付けてメモに変えていたら、気がつくと昨年のメモまで山のように溜まっていて収集がつかなくなっていた。今になって昨年のお盆の○○日の「予定変更電話あり10:00→9:30」なんてメモを読み返しても、なんの予定かなんて今更覚えているわけもなくてチンプンカンプンどうしょうもないまま、気づけば「きっと大事なことだったんだろうなぁ〜」と悶々と考え込んでしまっていたりする。

大げさに断捨離というほどでもないが、ちょっと休憩のコーヒータイムなどに一括選択してdeleteボタンをポンポン押し続けていたらメモがかなり見やすくなった。
それで、3月のグループ展のことだが、メモを見ると3月25日からブログ記事になっていなかったので今更ながらその様子を書き起こしておくことにした。
小品の彫刻であっても出品は全国規模だが、会場の当番はやはりどうしても関東在住の作家にお願いすることになってしまう。私のような万年会員は隔年開催のグループ展も初期から参加していておおよそ業務負担の偏りに気づいてしまっているから、作品出品が可能な場合は、せめて会期中の会場受付当番くらいは出来るようにと数ヶ月前から寺のことの日程調整をして会期の1週間位を空けるようにしておく。
すでにコロナのことで世間が大騒ぎになっていたが、だから当番不在で乗り切れるわけでもなく自分のことは自分で責任がもてるように注意しながら会期を乗り切ることにした。
4日目のお昼過ぎに世田谷のSさんが来てくれた。
まだ学生の頃お世話になっていたアパートの大家さんの息子さんの嫁さん(ややこしいけど・・)で、大家のおばあちゃんにはいつも何かに付けて叱られてばかりだったが、その嫁さんはそんなダメ学生のボクにとっても優しく接してくれた。旦那さんとは小さい頃から同級生で、長い付き合いのまま結婚するに至ったらしい。とても多趣味な文化人でもあって何処かのご令嬢がそのままお嫁に行って子供を生んで育てて孫もできていつの間にかおばあちゃんになっていた万年お嬢様のような人だ。
今回の展覧会のご案内はSNSでさり気なく済ませておいたのだが、コロナで出かけにくいところを律儀にもお土産持参で会場を訪ねてくれた。湯茶の接待もできないままずいぶん長い時間立ち話になってしまって恐縮だから、後日改めて展示作品と同じテーマで造った彫刻をプレゼントすることにした。夏のお中元代わりに届けようと思う。

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それぞれの自粛 

2020/05/31
Sun. 18:17

コロナの自粛が解除されてはじめての日曜日。
四十九日大練忌の法事で早朝いつもより早く吉田家を出発した。
コロナがなければ日曜日の朝は県外ナンバーが銀山街道を石見銀山へ向けてたくさん走っているのに、今朝は約45分の通勤時間で地元の軽トラを含めて4台ほどすれ違っただけだった。
石見銀山は観光収入に頼っているところもあるから、世間が動き始める3月から今までの間に町内の飲食業2軒が廃業した。2軒とも知らない仲では無かったし、同じ町内住人としては複雑な気持ちだ。
吉田家もこの数ヶ月はとても厳しい生活を強いられているが、ワイフもボクも何年も前から一人一人ほぼ単気筒1馬力??の共同生活が続いているから、お互いにお互いの足らない分をチマチマと補填しながら暮らすことに慣れているので、今のところナントカそれなりに工夫しながら自粛の毎日を過ごしている。

中国地方全県が平常の暮らしに戻ってから、ワイフを誘って道の駅ツアーに出かけた。
例年だと春の地産の旬を目当てに毎週のようにアチコチの道の駅を巡っていたのだが、今年はソレが出来なくてワイフはかなりイライラしていた。
本人は気づいていない様子だったが、すぐ近くに居ると彼女のササクレた様子が伝わってきて言動の一つ一つにもかなり気を遣っていつも以上に気疲れする。
彼女の気持ちが少しでも楽になれば良いと思って、万善寺の帰りには毎日のように孟宗の筍をたくさん掘って土産にしたし、いつもは草刈りで刈り倒して放置する蕗もたくさん収穫した。筍と蕗くらいでしか彼女の気を引くことが出来なかったが、それでも収穫のたびに色々工夫して美味しい手料理を造ってくれて、少しは気が紛れたようではある。
その手料理は関東で自粛ぐらしの娘たちへの差し入れにもなった。
彼女たちも仕事の殆どが在宅勤務になった関係で自炊が増えたようだ。少し歩けばコンビニもスーパーも飲食店もすぐ近くにいくらでもあって楽に楽に暮らすこに慣れてしまうと、なかなか自炊することに気持ちが向かないこともあっただろうが、家族LINEの情報交換で自炊の手料理が飛び交ううちにそれぞれ手料理の腕を上げてきつつある。これからコロナが収束しても今の習慣はこのまま残って続いていけばいいなとオヤジは勝手に思っているが、さてどうなることだろう・・・
ワイフはアレコレコマメに料理したものを荷造りして娘たちにセッセと送っている。
キーポンは大量のカレーをつくって保存食にかえたりしているようだし、ノッチは魚を焼いたり餃子を手作りし始めた。本当なら育児休暇が終わって5月から出勤を再開するはずだったなっちゃんは在宅が続いてユーシンくんの保育園が延期されている間に離乳食が始まった。島根で先生のじゅん君は久しぶりに先週から学校がはじまった。昼食は給食でなんとかまかなえているはずだ。

万善寺では6月に入ると毎年恒例大般若経転読会の祈祷法要がある。
住職として法要中止は考えていない。これから檀信徒の皆様へ法要ご案内のプリントを配布して回る。
お参りの可否はそれぞれ皆さんのお気持ちに委ねることになる。

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冷凍みかんと水出しコーヒー 

2020/05/29
Fri. 17:28

満タンにした草刈り機の油がなくなる頃には額から汗が流れ落ちるまでに暖かくなった。
通勤坊主で寺へ到着すると、午前中の作務をひと仕事済ませてコーヒーを入れる。
少し前まではステンレスメッシュを使っていたが、今は水出しコーヒーに変えた。
お昼ごはんを終わった昼休みに、ハンドミルを回して豆を挽いて前日に沸騰させて一晩冷ましておいた井戸水を使う。一回の水出しで1リットルほどつくって冷蔵庫で冷やしておけば、それで次の日に飲むぶんのコーヒーが足りる。
季節が初夏から初秋までの暑い間のティータイムは冬に造った自作の冷凍みかんと水出しコーヒーで済ませている。

今年は教区も彫刻も春の総会が中止になった。
寺院の方は一応住職でもあるから欠席できないが、彫刻の方は全国から東京の総会会場へ集合することになるので、もう何年も前から委任状で済ませて欠席させてもらっている。
その展覧会の会報が届いたので目を通していると、長年彫刻部の委員で組織運営にご尽力を頂いていたHさんの功労退会が記載されてあった。
Hさんよりもご高齢の作家も参与などでまだ在籍していらっしゃるし、退会されるにはなにかそれなりに特別の事情でもあるのかと心配していたら、後日、ご本人から健康上の都合だとする丁寧な退会のお知らせハガキが届いた。
具象の彫刻家であるHさんは、この近年仏教絡みの宗教的なテーマを追いかけて彫刻を制作されていた。そのテーマには、何かしらご本人の意図するものがあるのだろうと毎年会場で彫刻の前に立ってそのことを読み取ろうとしてみたが、結局彫刻を見るだけでは制作の背景を感じとるまでに至らなかった。
いずれ、何かの機会に彫刻の宗教的背景を聞いてみたいと思っていたから、ソレが出来ないままご本人との接点が切れてしまった。

自分では彫刻を造っていると同時に、まがりなりにも住職まで勤めているナンチャッテ坊主でもあるから、具象の彫刻家が宗教的題材の彫刻を制作するということは、かなりの勇気が必要だと思っている。
知人である奈良に在住の寺院の壁画を描くほどのフレスコ画家は、下描きを始める前に剃髪し心身を清めて仏教の三千大千世界に帰依される。画家であると同時に仏教の一宗教家として制作に向かわれる。そういう姿を見聞していると、彫刻家としての自分の立ち位置は「宗教家からは程遠いところにいるなぁ〜・・・」と感じる。

職業と云うと、自分のことを「彫刻家」とは色々な場面でよく使いよく言う。しかし、自分を坊主とは云っても自分から「宗教家」と言うことは無い。
気持ちの問題と云ってしまえばその程度のことだが、仏教とか宗門とか、そういうことの知識も適当でいいかげんなボクが、偉そうに宗教を語ることなどできるわけもない。そうであるから余計に、彫刻家としての自分が自分の責任で仏教的背景に起因する彫刻を制作することなど有り得ないことなのだ。

最近は、万善寺の須弥壇に安座される御本尊様正面へ経机を移動して下手な自己流太鼓をたたきながら地球の安寧を願って祈祷法要を続けている。

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コロナ渦 

2020/05/28
Thu. 17:06

何時頃何処からやってきたのか、境内の西側へ回り込んだ石垣沿いに根付いたムラサキツユクサが次々と花を咲かせ始めた。
飯南高原では6月を待たないで田植えがほぼ終わった。次は減反の田んぼへ大豆や蕎麦が植えられることになるのだが、それにプラスして耕作放棄地も増えてきたようだ。飯南高原の農耕地帯ではコロナ渦より高齢過疎化の影響のほうが大きいように感じる。
この頃は、雨と晴れが周期的に交互に巡ってくるので、寺と吉田家の整備作務のスケジュールが決めやすくなった。
それで、吉田家裏庭の方はおおよそ一巡して片付いて、あとは朝夕のひと時ほど枯れ草や枯れ木のクヨシをすればいつかそのうち片付くはずだ。
寺の方は、境内の東西南北をグルグル回りながら作務を続けているが、6月の万善寺大般若経転読会までに一巡して片付くことは難しいだろう。

3日ほど吉田家裏庭にかかりっきりだったから、その間に万善寺のポストが郵便物でいっぱいになっていた。
殆どは仏具屋さんからのダイレクトメールだったが、業者さんもコロナ対策絡みでなかなか商魂たくましい。
飯南高原一帯ではすでに行政からの第二弾マスク配布もあって、都合7枚ほど寺のポストへ投函されていた。ソレに加えて仏具屋さんからは白衣生地で造ったマスクが3枚送られてきたり、作務衣とおそろいマスクの注文表が届いていたりと、これから先、坊主業界でも当分の間各種マスクが大流行しそうだ。
SNSでもマスクデザインは賑わっているし、すでにワイフは吉田家家族のマスクを何枚も手づくりしているし、ポジティブなコロナ予防は小さなコミュニティーを越えて世界中に洗練されたマスクファッションが流行すると、それはそれでなかなか面白くなりそうだ。
ちなみに、あの「アベノマスク」は未だに島根の吉田家へは届いていない。今更届いてもまず使うことはないだろうと思いつつ、かといって廃棄するのもどうかと思うし、取り扱いに悩む面倒が残っていたのだが、なっちゃんが「捨てる神あればナントカ・・」という面白い情報を教えてくれた。

今年秋の展覧会に向けて本部事務局からアンケートが届いた。彫刻の制作出品展示作業は、人の濃密接触や長距離移動は避けられないから回答に窮した。
作家それぞれに制作発表の形態が違っているから、アンケート結果をもとにして展覧会の方向性を統一することは不可能だろうと思う。
個人的主観になるが、展覧会の本展開催が決定された場合は今までと変わりなく彫刻展示や搬入出に六本木まで往復しようと考えている。私の場合、彫刻展示は他人に任せることが出来ないからだ。それでも、例えば彫刻移動でお世話になっている業者さんに東京往復のチャータートラックを拒否されたり、共同搬入の作家が出品辞退をしたりすれば、彫刻の制作は出来ても展示発表が出来なくなる可能性もあるわけで、結局は体制の決定に我が身を委ねるしか選択肢は無いことになる。
コロナ渦は一人の彫刻作家のモチベーションにまで大きな影響を及ぼしている。
不要不急の外出自粛は、今までの生活様式を変えるほどのビッグウエーブになってきた。

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おがむこと 

2020/05/24
Sun. 17:23

自然の再生や成長のスピードに万善寺境内の整備作務が追いつかない。
人力の手間にエンジンの草刈機やチェンソーくらいでは太刀打ちできない。
あれもこれも理想や完成度ばかり追いかけていても、現実の実態に許容量が伴っていなければどうしょうもない。今の自分にできることをコツコツと続けていくしかないことだ。

「いつもお世話になります!長谷の○○ですが・・・今年のお大師さんのことなんですけど・・・」
万善寺の大般若経転読会まですでに1ヶ月を切って、弘法大師さんの月縁日もチョット前に過ぎたところだから、そろそろ問い合わせがあるかもしれないと思っていた。
万善寺から出雲街道を北上して出雲大社参詣道の一つへ合流してしばらく行った先にある集落が長谷になる。名前でわかるように保賀の集落とは比べ物にならないほど端から端までが長い。小学校までかなりの距離があって子供の足で通学が難しいということで昔は長谷分校があった。今の長谷お大師講メンバーの半分はその分校卒業生で残りの半分くらいは分校が廃校になった後の本校卒業生で私より若い。
長谷お大師講は集会所に改修した分校へ各家にお祀りのお大師様を集めて供養法要と先祖代々や古墳一切の塔婆回向がされる。電話はそのお伺いだった。

この近年はどの地域も代替わりが進んで、お大師講をはじめ、昔ながらの観音講とか薬師講などの民間信仰が廃れてきた。住職坊主の方も同じように代替わりが続いて、それを契機にお寺の方から御講の廃止を勧められたりされてジワジワと衰退が進んでいる。
万善寺はお寺の開基が天台宗絡みの曹洞宗だったりした関係からか、代々の住職口伝で祈祷法要が大事にされてきた。私も副住職のころから先代の侍者で各地域の御講法要へ出かけていたから、毎年の慣習として先代を引き継いで絶えること無く今に至っている。
電話は、コロナ渦の影響で世話人さんが開催の有無を悩みつつの相談だった。
「万善寺の法要はお参りの自粛があってもお寺での法要中止はありませんが、それでコロナを軽く考えているわけではありません。外出や三密集合の自粛もそろそろ2ヶ月になりますし、それだけの間に皆さんの自覚の気持ちも身についていらっしゃるでしょうから、それぞれのお考えで行動されても良いようにも思いますけど・・・お寺としては、むしろこういう状況の時であるから、余計にみんなでシッカリとコロナ終息への念を込めておがむことも大事なことと思っていますので・・・」
「お寺さんの方からそう云っていただくとこちらも少し気が楽になります。実は自分も中止する必要はないだろうと考えていたものですから。今度集まりがありますので、お寺さんのお考えもお話ししてどうするか決めさせていただこうと思いますので・・」改めてどうなったか連絡していただくことになった。話し合いが上手くまとまるといいけど・・

人の気持や考えは頭の数だけ人それぞれだから、ことの善し悪しとか正解不正解とか成功失敗とか、それぞれ条件とか環境によって判断が変わるだろう。これほど世間にコロナ渦が周知されると、個々人の軽率な行動はその人の責任に委ねるということも、人それぞれの人間力を高める方策に思う。お互いの自覚の深さや重さがコロナ渦終息に向けての支えになると、私個人はそう思っている。

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思いの場所 

2020/05/23
Sat. 19:09

飯南高原の朝はまだ9時前だというのに23℃まで気温が上昇していた。
昨日から一気に10℃も暖かくなった。そのせいでもないだろうが、ネズミが寺のアチコチへ出没するようになった。ピンクの毒エサを置いても、彼らはソレを別の所へ運んで隠しためてしまうから手に負えない。せっかく大衣や改良衣や袷の着物など洗濯して和箪笥に仕舞っておいても、奴らは箪笥にまで毒エサを持ち込んで着物の間へ溜め込んだりするからアイツラの活動が一段落するまでは衣替えを終わらせることが出来ない。
境内では猫が消えて帰ってきたスズメたちが朝も早くからやかましいほどに大騒ぎしている。草刈り機を使っていても気にする様子もない。彼らも水田の多い農村地帯で暮らしていると色々な農耕機のエンジン音に慣れているのだろう。

まだ雨の降る前、連休が始まる頃に、保賀のお檀家さんが寺の耕作放棄地へユンボを持ち込んで荒れ放題の低木や雑草や蔓かずらを根こそぎ引き抜いてくれた。
先代の憲正さんは何度かの手術をして無理ができなくなってから外の仕事は一切しなくなって、内室の母親が一人で畑を耕したり草刈りをしたりしていた。元気で身体の動くうちはツツジやサツキなどの低木を挿し木したり紫陽花の苗木をたくさん注文して畑の周辺に植栽したりして楽しんでいたのだが、そのうち身体も思うように動かなくなって毎年の剪定ができなくなった頃から、それらの木々や葛が自由に伸び放題に伸びて手がつけられなくなってしまった。
それからだいたい20年近く経って、ユンボが2日ほど動いてやっと昔の様子が蘇った。毎年のようにチマチマと切ったり刈ったりしていたのが、ほんの2日で更地に戻った。
数十年ぶりに全貌が蘇った石垣のあまりの荒れ様に心が痛んだ。昔、あの石垣にはオランダイチゴが根付いていて、シーズンになると赤く色づいた甘酸っぱいイチゴを石垣に張り付いて飽きること無く食べ続けていた・・・そんなことを思い出しながらノコとカマと剪定バサミを持ち替えながら荒れた石垣を掃除した。あの頃からすると、石積みの隙間が広がって全体が膨らんで張り出しているように思えた。

その石垣が庫裏の勝手口側へ回り込んだ先の土蔵脇へLandscapeシリーズで造っている彫刻を設置した。
その彫刻は、いずれは万善寺の境内地へ置くことを念頭に徳島の野外彫刻展用に造ったもので、制作してから約3年の間アチコチ彫刻の旅をしてやっと今年の春になって思いの場所へ落ち着いた。
徳島に向けて造る彫刻は、徳島市民の誰もが気軽に集う中央公園の環境を考慮して、大きなシリーズのククリの中でも比較的具象よりでわかり易いかたちを用意するようにしている。野外設置の彫刻であるから、全天候型で様々な気象条件に耐えられるだけの丈夫な彫刻であることが何より大事なことだから構造上の工夫は慎重に丁寧に造り込んでいる。それと「万善寺には雪が降る!」という環境を忘れてはいけない。雪が降ることを魅力に変えるほどの造形上の付加価値の可能性を確かめるという密かな狙いも含まれている。
国道から保賀の谷へ入ると、田んぼの向こうに見える四季折々の万善寺の様子にLandscapeシリーズの彫刻がさりげなく寄り添ってチラチラと見え隠れするくらいに溶け込んでくれるといいなぁと思っている。

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最後の蕗 

2020/05/22
Fri. 18:27

寒くて目が覚めた。
町並みの川下から車が近づいて吉田家の隣あたりで止まった。しばらくして木製のポストが「カタン」と鳴った。新聞を投げ込んだのだろう。
「最近、彼女新聞読んでるのかなぁ?」
もう新聞を読まなくなって随分経った。だから吉田家で新聞を読むのはワイフしかいない。昔は夕食が終わって寝る前のひと時ほど、洗い物の食器を片付けたテーブルへ新聞を広げていた。子どもたちが一人暮らしを始めて家を出てからのワイフは、夕食のあとテレビを見ている時間のほうが増えたような気がする。新聞もテレビ欄くらいしか見ないのだったら購読をやめてもよさそうな気がするのだが、新聞屋さんとの付き合いに義理立てでもしているのだろうか?彼女の考えていることはよくわからない。
この寒さはもう一週間くらい続いている気がする。
陽が落ちて真夜中になると一気に気温が3〜4℃くらいまで下がる。寒くて早くに目が覚めてオシッコをしてから二度寝しようと思ったがやめた。午前中に三十五日小練忌の七日努めがある。一度寝たら寺までの通勤坊主を遅刻してしまいそうだ。
しばらく続いていた梅雨のような雨降りがやっと終わって、石見銀山の町並みから東の空を見ると久しぶりに青空が広がっていた。

しばらく雨が降り続いていたから蕗を採りそこねている間に春の草が一気に伸びて蕗の葉が埋もれてしまった。
七日努めから帰って着物を脱いでコーヒーを飲んで少し休憩していつものつなぎ作業着に着替えた。
本堂の東側から庫裏の西側の端まで草刈りをしながらついでに蕗を採る。
草刈り機には笹刈り用の刃がついたままになっているが取り替えるのも面倒なのでその刃をそのまま使い続けることにしてグラインダーの方へダイヤモンド砥石を付け替えて目立てをした。
今年の蕗もこれが最後になる。
昨年は入院中で蕗の収穫が出来なかった。若い頃は蕗の美味しさもまったくわからなくて箸をつけることも殆どなかったのに、この歳になると味覚や好みが変わったのだろうか、あの蕗独特の青臭さが美味しいと思うようになった。
「もう、時期が過ぎとりましょぉ〜が?これからは虫が付きますけぇ〜・・・蕗ならコッチよりアッチの田の畦にマゲなのがまだありましょう・・・」
己バエのマーガレットを避けて草刈りをしながらアチコチに己バエの蕗を採りあつめていたら、いつも万善寺の営繕奉仕をしてもらっている保賀のお檀家さんが田仕事の手を休めて心配の声をかけてくれた。
「ありがとうございます。気になってたんですが雨が続いて採り損ねて今になってしまって・・・よさそうなものだけでも選んでみようと思って・・・」
さすが、年季の入った百姓のプロは保賀の自然を熟知していらっしゃる。
小一時間くらいほど草刈機を回しながら蕗を収穫した。これだけあったら伽羅蕗にしたものを関東で不自由に自粛している娘たちへもお裾分けできるだろう。
知らない間に随分と陽が長くなった。寺の境内から猫が消えてから戻ってきたスズメたちがやたらとうるさく鳴いていた。何処かで蛇でも出たのだろうか・・・

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Stuck with U  

2020/05/21
Thu. 18:55

吉田家の玄関を出ると昨日から降っていた雨はあがっていたが石見銀山の町並みはまだしっとりと濡れたままだった。毎日のようにシトシト降ったりやんだり雨が続くといつの間にか「梅雨になってしまったのかもしれない?」と思ってしまう。
銀山街道の道端にはアザミが咲き始めた。
渓流沿いの斜面ではアチコチでやま藤が紫の花を咲かせている。
国道から町道へ右折して保賀の谷へ入ると、正面に見えるはずの琴引山は濃い霧に包まれてまったく見えない。田植えが終わった水田では水面から覗いた苗稲が寒そうだ。
庫裏玄関の柱の水銀温度計が12℃だったし寒くて耐えられないから火鉢が復活した。
温暖化が進む近年のこの時期に、これだけ寒い日は珍しい。少し前に冬物の洗濯をだいたい済ませて、あとは夏物と入れ替えるばかりになっていたのに、またゴソゴソと引き出して重ね着をした。

万善寺の床下に住み着いていた黒猫が10日ほど前からいなくなった。
その少し前に天井裏でネズミが騒ぎ始めていて、ピンクの毒エサが和箪笥の改良衣の下とか香炉の灰の上とか洗濯して畳んであったバスタオルの中とか、セッセと運んで溜め込んでいたりしていた。野良猫は寺の周囲で動くものを何でも捕まえて食べていたから、ネズミと一緒に毒エサも食べてしまったのかもしれない。
猫を見かけなくなってしばらくしたらスズメの集団が境内へ帰ってきてうるさく鳴き始めるようになった。そのうちツバメも巣作りの場所を探して開け放していた庫裏玄関へ飛び込むようになって、それまで静かだった寺暮らしが急ににぎやかになった。
たった一匹の猫がいるといないとで寺の周囲の生き物たちの生態系が変わったようだ。
これから夏に向かって縁側のガラス窓を開けることも増えるし、寺中の建具を開け放して風を通すことも増えるから、野良猫が床の上下関係なく自由に入り込んだらどうしようと心配をしていたところだったから少し安心したが、一方、この数カ月間、どこかしらオヤジの一人暮らしにさりげなく寄り添ってくれていた気もして、今まで頻繁に見かけていた猫がいないとなるとチョットだけ淋しくもある。

裏の斜面の足元の悪いところで木を切っていたノコ刃がソレて指の関節を怪我した。チョットした気持ちの緩みだった。工場で彫刻を造るときも同じだが、一人でなにかする時はとにかく気持ちが集中していないと小さなミスが大きな怪我につながる。誰も助けてくれないから慎重に行動するしかない。日頃から一人でいることに慣れているから大きな支障があるわけでもないのだが、一人でいると小さな怪我でも心細くなるものだ。
AppleMusicから新譜や更新のお知らせが届いていたのでひと通り回覧した。
世界のミュージシャンもコロナウイルスで在宅が続いているようだ。
吉田のような在家坊主の彫刻家は年がら年中一人で在宅しているようなものだから特に日常の不便は感じていないが、コミュニティーの規模が桁違いに大きな彼らにとっては何かと不自由な暮らしでストレスも溜まっているだろう。
久しぶりのアリアナちゃんが、ジャスティンくんとコラボしてタイムリーで素敵なシングル(Stuck with U )が出来ていた。最近の通勤坊主で耳のお供に欠かせない。欧米の人達は日頃からスキンシップが濃密だから随分と苦労しているのだろうなぁ〜・・

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お粗末住職 

2020/05/20
Wed. 17:10

島根県は不要不急の外出自粛要請が緩和されて、一見すると以前の日常の暮らしが戻ってきたように感じるが、2ヶ月近く続いた自粛生活に慣れてしまったのか、人の集まりやすい関係各所が自主的に自主規制を延長しているのか、金融機関やスーパー・コンビニなど何処へ行っても窓口に透明のビニールスクリーンがぶら下がっていたり、床に距離をおいた足跡マークやラインテープが貼り付けてあったり、それになにより公衆の場で行き交う人々のマスク姿はほぼ100%に近い。

寺の年間宗教行事は今のところすべて中止の状態が続いている。
何もなくて今まで通りの日常だと、5月中旬までに教区の新年度役員総会があったり、お大師講や大般若経転読会が開催されて、本年度の活動がスタートしている時期だ。
そうした、殆どすべての事業が中止されて宗教活動が完全に停止している中、教区のお寺さん方が事務局寺院へ集合して新年度最初の研修会と総会が行われた。
このところ雨の降り癖が続いていて、毎日のように降ってくる雨で境内周りの作務がすぐに中断してしまうものだから、雨のやみ間を見つけて10分でも20分でもチョコチョコと外に出て庭木を剪定したり裏山の熊笹を刈り込んだりしていて、研修総会の日も午前中はデスクワークをしながら外の様子を見ながら、庫裏を出たり入ったりと慌ただしく過ぎた。そういうことを言い訳にするわけではないが、総会に持参する大切な書類や印鑑などが入った手提げの籠を丸ごと忘れてしまったことに気づいたのは、車で20分くらい走った先にある会場寺院へ到着した後だった。ソレがないと総会が先に進まないほど大切なものだったから事務局にことわって万善寺へ取りに帰ることにした。そうして2往復している間に総会の定刻が過ぎてしまって、会場ではすでに研修会が始まっていた。内容は障害者差別の根絶に関する事例研究だった。その後総会で会計報告などすべての議題が終わってからマスク着用でお集まりのお寺さん方へ遅参の失礼を謝した。
教区のお寺さん方と今年度はじめて顔をあわせることになった日に遅参の失敗をするという「なんともお粗末な万善寺の住職となってしまったなぁ〜〜・・・」と1日を振り返りつつ運転しながら「去年の総会はどんなだったっけ??」と思い出そうとしたが、まったく思い出せないまま、そのうち万善寺へ到着してしまった。
昨日今日の出来事を忘れてしまうと、そろそろ痴呆を疑ったほうがよさそうであるらしいが、1年前のことを思い出せないくらいだと、それも痴呆のうちに入るのだろうか?憲正さんはどうだったかなぁ〜?
・・・とにかく、頭の思考回路が停滞して忘れることの多い1日が終わった。

午後からは台風並みの物凄い強風で帰りの銀くんが何度もふらついてかなり緊張した。
「この風だと今年の梅や李は全滅かもしれない・・・去年は良い梅がたくさん採れたのになぁ〜・・・」
右腕の痺れが残ったまま退院してまだ間がなくて、身体の無理も利かなくて庭の草刈りも出来なくて荒れ放題だったけど、梅や李の周辺はなんとかして下草だけは刈った。
「手術は成功ですがもう頚椎の中の神経が損傷してますから痺れはこれからも残るでしょぉ〜」と退院時にドクターから宣告された・・・アッ!そうだ!!去年の総会はまだ入院中だった!
陽が沈む少し前に出雲街道から右折して銀山街道へ入る頃にはすでに強風はおさまっていて、また雨が降りはじめた。

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裏庭の彫刻 

2020/05/19
Tue. 18:45

前日までにだいたいざっくりとは終わっていた吉田家裏庭の草刈りをキレイに掃除し終わったところで雨がパラパラと落ちてきた。
これから先、庭木の花や果実がひと通り落ち着いてから春の剪定をすれば夏の盛りが過ぎるまでの適当な時期に夏草を刈って、晩秋から初冬にかけて落葉が終わった頃に冬の剪定をして裏庭整備の1年が終わる。
吉田家の裏庭くらいの広さだと毎年の環境整備を怠けないでいればなんとか荒れ地のジャングルにならないで済ませることができるが、それも過去に何回か失敗して手のつけられないほど荒らしたことがある。これから先は自分の体力次第というところだ・・・
一方、万善寺の境内整備は毎年少しずつ悩みのタネが増えている。
年々裏庭へ進出し続けている裏山は、この近年一気に孟宗竹が茂って竹林に変わりつつあるし、少しの日差しを求めて熊笹が庫裏のすぐ裏まで伸び広がってきた。
イノシシは毎年のように山から降りて境内のアチコチを掘り返して歩いているし、春になって少し暖かくなるとアナグマが本堂のすぐ横で昼寝していたりする。
寺の裏山は尾根に沿ってクマの道も出来ていて、それが墓地の裏を通ってその先から保賀の谷を渡って山越えの獣道へ続いている。年に節目の参道や墓掃除はそれこそクマとの接近遭遇を避けてビクビクしながら続けている。今はまだだが、寺の周囲へ猿が出没するようになったら、万善寺の環境整備もお手上げだ。

20年ほど前に石見銀山の町内を会場にして個展をして、その時の彫刻を一つほど吉田家の裏庭へ移動した。
あの頃はまだ庭木を植栽する前で、以前の畑の名残が一面に広がっていた。それから数年の間にワイフがセッセと各種庭木を植え続けてその木々が鬱蒼と茂った。彫刻は同じ場所でピクリとも動いていないのに年々その場所は日当たりが悪くなって日陰が増えて今に至っている。
あの彫刻を造った頃の自分は、かなりいきがった自信家で変なプライドの塊ばかりだった気がする。
鉄の素材も加工技術も身勝手なこだわりがあったし、細かいところまでチマチマと造り込んで、無くても良い付属品をワザワザ造り足したりして、とにかく自己主張の強い独り善がりな彫刻を飽きもしないで次々と繰り返し造り続けていた気がする。
20年の経年変化を見ると、無駄に造ったかたちのアチコチへ野生が住み着いて成長して彫刻を侵食している。彫刻の人工の存在感が次第に自然の経年秩序へ飲み込まれつつある。見方や意識を切り替えると、それはそれでそういう彫刻があっても良いかとも思うが、一方で、彫刻制作の当時に近未来の存在条件とか存在価値とかをまったく予測できていなかった自分に落胆する。
裏庭の整備で草刈りのたびに彫刻を取り巻く周辺環境の現状を後付で受け入れざるを得ない自分の未熟を思い知らされて息苦しくなる。

その彫刻の無駄なひと手間へ数年前に南天が根付いて、それからしばらく後にリュウノヒゲの仲間も根付き始めた。それでも、まだまだ数十年先まで、いつか私がいなくなっても、その彫刻は裏庭のその場所でしぶとく周辺の自然に抵抗しながら居続けるだろう。

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Tさんのシキビ 

2020/05/18
Mon. 16:05

コロナウイルスのおかげで今までの我が人生で経験したことのない毎日を送っている。
それでも、都市部や市街地に暮らす人々よりは随分と楽に過ごしていると思う。
幸いなことに生まれも育ちも島根県の山間部の小さな集落が集まってできた小さな行政区であったし、成人して結婚して30歳前にUターンで帰省してからも少年の頃の暮らしと大差ない生活に戻ったくらいのことだったから、自分としては特に不自由を感じることもなく子育ても済ませて今に至った。
このままコロナがなければ、彫刻制作や在家坊主の家業もそれなりに惰性で乗り切って歳をとって行くばかりのことだっただろう。
日頃から人付き合いにマメな方でもないし、マイペースに毎日を過ごすことのほうが性に合っているし、人恋しくてしょうがないというわけでもないから、個人的にはコロナの影響もほとんど無いといえばそうなのだが、やはり、いくら末寺の山寺でも法要の中止とか法事の延期とかがこの1ヶ月に集中して重なってくると、たった数千円とか数万円のことでも収入が有ると無いでは営業維持管理に気持ちのゆとりがくなってしまう。それでも、食べることに関しては何かと手間がかかるものの季節の旬へ上手に寄り添って付き合って贅沢を考えなければ1年中食材の絶えることもなく、ありがたいことだと思う。

万善寺の諸仏様へお供えの仏花はシキビにしている。
先代の住職は色物が好きで、季節の花をお供えしていたが、特に夏場になると花入れの水がすぐに溝臭くなって線香の香りに混ざってしまうことが気になって、私はソレが嫌だった。それで、先代住職の足腰が弱って本堂の諸々と縁が遠くなった頃合いをみてさり気なく何気なく少しずつシキビの出番を増やした。
もう、かれこれ30年近く前になるだろうか?そのシキビの自生苗木を彫刻仲間の木彫作家Tさんが送ってくれた。
Tさんは、新潟の確か出雲崎あたりの出身だったかと思ったが、思い違いかもしれない。
彼は埼玉の方で宮大工の棟梁だった。職人さんを抱えてお寺を新築するくらいの立派な経営者でもあった彼は、一方で木彫の抽象彫刻作家でもあった。展覧会のデビューが私と前後して近かったし、アルプやブランクーシや、それに酒が好きだとか、坊主つながりで良寛さんのこととか共通の話題が豊富で、とても親しくお付き合いをしてもらっていた。
展覧会場が上野から六本木へ移動した頃から展覧会の不出品が増えて彫刻制作や出品から少しずつ縁遠くなった。若い頃から持病があってソレが悪化したとか、宮大工の工務店経営が思わしくないとか、そのあたりの「だろう話」くらいしか耳に入らなかったし、直接本人と話のできる機会もないまま少しずつ疎遠になって今に至っている。

彼から頂いたシキビの苗は、その後吉田家の裏庭でスクスクと育って、今は万善寺の仏花で欠かすことの出来ない大切な存在になっている。春に花が咲いてちょうど今時分、陽の光を通すほどの瑞々しい若葉が芽吹いて少しずつちぢれ枯れた古い葉が落ちて交代する。
昨年末に活けた寺の花入れのシキビも花が咲いて散って、それから少しずつ落葉が進んで若葉に変わり始めた。この調子だと6月の大般若経転読法要まで保つだろう。

こうして、Tさんのシキビは半年ごとに活けかえながら万善寺の仏花で生き続けている。

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伽羅蕗 

2020/05/17
Sun. 14:33

週末になると雨がふるというので、それまでに裏庭の草刈りを終わらせてしまおうと、2日ほど通勤坊主を休んだ。
このところ毎週のように週末になると雨になる。こういう状態が暫く続くと本格的な梅雨がきて草木の若芽の成長が一気に勢いをましてグングン大きく長く伸びる。

桜が散るころに梅の実が出来て少しずつ膨らみながらひと風ごとに弱い実を振り落として自力淘汰を続け、梅雨にはいる頃になると成長の早い実から熟して色づき始める。
頃合いを見計らって2〜3日続けて枝をゆすりながら落ちた実を収穫して、若い実は酒や酢に漬け込む。熟しが進んだ実はそのままガリッと食べると美味いし、煮込んでジャムにしたり日干しして梅干しにしたりする。
連休になる頃から筍が本格的にアチコチで伸び始める。1日も見逃してしまうとアッという間に長く伸びて、食べて消費する量が増える。雨が降ったりするともっと成長が勢いついて収集つかなくなる。5月中旬までの2週間ほどは伸びる筍との戦いが続く。
先週あたりから一雨ごとに蕗の葉が大きくなり始めたので、草刈りのついでに裏庭の蕗の収穫もした。蕗は地下茎で繋がって広がる。刈り取るばかりだと広がり続けて始末に負えなくなるから適当なところで抜き取ってしまったほうが良い。2日に分けて収穫したら結構な量になったので早速ワイフが伽羅蕗をつくってくれた。酒のあてにもなるしこれだけでご飯が何杯も進む。
戦後の貧しい時代を経験している母親は、筍・蕗・蕨・山椒などなんでも収穫した旬のものを塩漬けにしたり冷凍したりして保存食に変えていたから、なにかの時になにかの煮物になって食卓へのっていたが、さすがに今はそこまでして1年中食べ続けようとは思わないし、旬の加工へかける手間も時間も暇もない。

裏庭の草刈りは春になって2回目になる。
梅雨へ入るまでにこうして2回ほど下草を刈っておくと、夏草の草刈りが随分楽になる。
1回目の草刈り目安はピーピー豆の伸び具合で決める。
2回目は菜の花や水仙の花が終わる頃合いで決める。
土地それぞれ人それぞれで色々と草刈りの目安が変わるだろうが、私の場合はおおよそそのあたりの様子を見当にしている。
吉田家の裏庭は銀山川まで細長く続いていて、古民家の改修工事が終わって引っ越したすぐの頃は、土地のほぼ真ん中へかなり弱った桃の枯木があるだけであとは全体が一面野菜の畑になっていた。その桃も畑に日陰ができて野菜が上手く育たないからと徹底的に枝が刈り込まれていてそのまま枯れるのを待つだけの状態だったのを、ワイフが可愛そうだというのでなんとか新芽を生かして比較的勢いの良さそうな枝を残しながら剪定を繰り返しているあいだにそのうち小さな実をつけるまで持ち直したが、その実が食べられるところまでには上手に育てられないままだ。
ワイフは生まれも育ちも江戸っ子で、子供の頃から土の地面をいじることがなかったから野菜や花を育てたりすることに慣れなくて枯らしてばかりで、そのうち気持ちが果木の方へ移った。桃の木が生きかえったあたりから本気になって色々な果木を裏庭のあちこちへ植え始めたが草刈りまではしない。
茱萸・枇杷・李・蜜柑・檸檬・・・何もしないと裏庭がすぐジャングルになる・・・

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雨後の筍 

2020/05/11
Mon. 23:26

銀山街道はいつもの交通量が戻った。
この1ヶ月は日に日に行き交う車も減って、毎日の通勤坊主が楽になって、あれほど静かな連休は今まで経験のないことだった。
いつのまにかそういう毎日に慣れてしまっていたようで、後ろからあおってくる車もいないし渓流に沿って続く銀山街道の春の移ろいを愛でながらのんびりと銀くんを走らせていた。
週が開けても同じようにのびりとハンドルを握っていたら、気がつくとバックミラーに通勤の乗用車が何台もつながって見えて、ソレが自分のせいだとわかって焦ってアクセルを踏み込んだ。
飯南高原に入って出雲街道と合流するまで数台の乗用車が後ろをついてきて、そこから広島方面へ曲がって左右に別れた。出雲街道は広島と松江を結ぶ主要国道で今朝はもう県外ナンバーも走っていた。
コロナ自粛はまだ続いているはずだが、飯南高原だけ見るといつもの日常が戻っているふうに感じる。

万善寺の参道を登って玄関前に銀くんを横付けしてエンジンを切って運転席から降りたと同時に電話がなった。
タイミングがあまりに良すぎて焦ってしまって、電話をコンクリートのたたきへおもいっきり落としてしまった。急いでひろいあげると強化ガラスの保護シートに割れが走って本体のガラスも角が欠けてかなりひどい損傷だ。それでも、電話の機能は動いていてちゃんと普通に話もできたから少し安心した。
万善寺から保賀川を渡って向こう岸のU家からだった。どうやら銀君が寺の参道を登ったところを見ていたようだ。もう一呼吸ずらして電話してくれれば「取り落とすこともなかっただろうに・・・」と、いやらしくも自分のミスをUさんのご主人のせいにしてしまいそうになった。

緑の羽根と赤い羽根基金の集金が合わせて900円。
マスクの各家配布2回目は5枚(ちなみに1回目は7枚だった)。
それから「ふるさと応援宅配助成制度について」という、気持ちはわかるが運用方法がよく理解できない書類。
以上の用事で今から寺へ来るというから「イヤイヤこちらから伺いますから」と電話を切ってそのまま支払いやら受け取りやらした。

飯南高原は朝から暑い。
これから気温がグングン上昇しそうだ。
庫裏玄関の式台へ荷物を入れて、そのまま境内を一巡した。西側の軒先まであと1mくらいのところで筍が数本伸びているのを見つけた。このままだと近い将来座の下で伸びた筍が畳を押し上げてしまうだろう。今のうちになんとかしないといけないと思うが、自然を相手に住職一人の作務では限界を感じる。
さっそく飯南町の宅配助成制度を利用して掘った筍でもおくってやろうかなぁ〜・・

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網籠と花束 

2020/05/10
Sun. 23:06

母の日の朝、保賀の谷は濃い霧に包まれた。
境内から参道へ下るとすぐ其処にあるはずの六地蔵様のお堂が濃霧に隠れて見えない。
南に向いた庫裏玄関の柱に掛かる水銀温度計は13℃だった。
最近は毎日寒暖の差が激しい。その上、毎週末になると雨になって週明けまで続く変な天候の習慣ができてしまった。そのせいでもないだろうが、連休前にしろかきまで終わった保賀の水田は田植えを前にして農耕機の動きが止まったままになっている。
霧の向こうでうぐいすが鳴いている。
祈祷法要の準備で灯した蝋燭の芯が時々「ジジッ!」と鳴る。
いつになく静かな朝だ・・・

予定では、昨年の秋六本木の展覧会へ向けて造った六基の彫刻を石見銀山の町並みへ移動するように計画していた。
それが、前日には雨が降るとわかってしまったので直ぐに手伝いを頼んでいたT君へ連絡して取りやめにした。T君は、今年に入ってすぐ徳島へ彫刻移動をする時に手伝ってくれた。車の運転から彫刻の積み込みや搬入出まで随分とお世話になった。一方、1泊2日の二人旅で自分の体力が減退したことを具体に実感した。
秋に六基の彫刻を制作した時もなんとなく身体の限界を自覚したような気もしたが、そのときはそれほど強く実感したわけでもなかったから、それから約半年を過ぎて年が変わった頃になって「無理の限界も自覚しないと!」いけないふうにわかって自分を戒めた。それで、今回も無理に自分だけで無理をしないではじめからT君を頼ってしまうことにしたところだ。

かれこれ20〜30年くらい前は、彫刻の仲間も随分たくさんいたし、それに何より自分の体力もまだ十分に余裕があって、彫刻の制作から展覧会発表までなんの苦労も疲労も感じることがなかった。それから今に至る間に、彫刻仲間も一人二人と去って消えて、その上、自分の体力も限界が見えてきた。一方でしぶとく彫刻にしがみついて残ってきた仲間はそれぞれ自分の彫刻制作や発表に正面から向き合ってグングン伸びている真っ最中だ。
今、あらためて自分自身と自分周辺の彫刻事情を均して見るに、なかなか良い具合に作家性も彫刻の方向性も遺漏なく的確に成熟していると感じる。
20代から30代にかけて彫刻に目覚め彫刻にしがみついて没頭していた黎明期。
30代後半からの10年間は思いつく限りのテーマと一つずつ納得するまで正面から向き合った草創期。
それからは造形の想像と現実の整合性を確認するために実践創造期の10年間が過ぎ、少し前からは、かたちの無駄を自覚しじっくりと納得できるまで自分に向き合って取捨を選択する俯瞰期に入っている気がする。
これから先、体力減退を理由にして自分の意思で彫刻と縁を切るということは無いと思うが、一方で、今まで無意識に遥か遠くばかりをみつづけた彫刻になっていた気がしないでもないし、これからはもっと素直に丁寧に自分の足元を気遣うことも大事なのかと思う。

夕方、いつもの花屋へ駆け込んで、じゅん君の代わりに小さな花束を造ってもらった。
ワイフへは既に関東に住む娘たちから素敵な手さげの網カゴが届いていた・・・

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祈る毎日 

2020/05/09
Sat. 23:51

「31日に法事したいんですが空いてますか?」
「丁度その日は大般若法要の手間替え随喜が入ってまして・・・この時期のことなので中止になるかもしれないし・・ご案内のはがきがそろそろ届くと思うんですが・・」
「そぉ〜ですかぁ〜、こういう時なので法事も近い親戚だけにして自宅の方で一切済ませようと云うことで話してるところなんですけど、それでもそろそろ予定を決めて案内しておかないと・・・」
「そぉ〜ですねぇ〜、なにかとご心配のことです・・・それじゃぁ〜、先方の方丈さまへ聞いてみますので、なにかわかったらこちらから改めて連絡させていただきますので・・」
・・・とにかく、この度のコロナ騒動は先々の展開が曖昧で見通しがつかないで困る。
生命が一大事ということは承知だが、具体的に実態が見えてこない驚異に対してはどうしても気持ちが緩んで、みんなが頭の数だけ考えも違ってなかなか一つ事にまとまらない。
在家坊主の末寺住職ごときであっても、自分の都合を優先で仏事を押し通すわけにもいかないくて、末寺住職だから余計に「あなたの都合」へ寄り添ってあなた次第を優先しながら毎日を過ごしている。

大般若法要開催の有無を問い合わせたらご住職は仕事で留守だからと老僧が応対された。「ハイハイ、こういう時期のことですから、住職も中止の方向で考えているようで、ご案内が遅れていまして・・・どうぞどうぞ、オタクの都合を優先してくださいませ・・」
「そうですか、それじゃぁ法事を受けさせていただきますので、何かのときはお知らせくださいませ。ご住職へ宜しくお伝えください」
と、一応の了解をとりつけて電話を切った。
ご住職本人は、確か小学校だか中学校だかの校長先生をされているはずだ。奥さんも学校の先生で、老僧夫婦も昔は先生だった。子供は何処かの大学の医学部で勉強中のようだし、お寺全体が先生で集まっている。
万善寺はというと、年中行事の法要が一つなくなると現金の布施収入が途絶えて、一気に生活が厳しくなって月々の光熱水費もまともに支出できなくなってしまう。何が何でも法要を中止するという選択肢は無い。万善寺23世現住職は想定外の苦労を背負ってなかなか平静でいられない。

5月に入って直ぐに本堂の仏具を須弥壇の御本尊様へ向かって正面に配置換えした。
先代住職は、祈祷法要の続くようなことがあると時々そういうふうに経机を配置換えしていたのだが、ナンチャッテ坊主の現住職はそこまでして祈祷できるほどの技量もないし、在職以来今まで祈祷で御本尊様へ向き合うことなど恐れ多いと避けてきた。
世界へ蔓延したコロナウイルスは500万人近く感染しているとされる。第二次世界大戦で民間軍人あわせて5000万人の被害者とは桁が一つ違うものの、現代地球世界の発展を思うと、自然の具体に対して人々はあまりに傲慢に驕りに過ぎ無知で無力だと感じる。
森羅万象のうつろいに寄り添って分相応の自分を静かに見つめることも今を生きる人にとって大事なことのように思いつつ、下手な祈祷太鼓に託して国家昌平万邦和楽福寿長久、それに山門康寧を祈る毎日である。

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美味しいお布施 

2020/05/08
Fri. 23:36

街道沿いの様々な萌黄色に染まった山並みの所々で遅咲きの桜が満開になっている。
桜の淡いピンクとヤマツツジの濃いピンクが一面エメラルドグリーンやライトグリーンをした山並みをバックにして引き込まれるようにキレイに映えて見惚れる。
連休中は不要不急の外出自粛で銀山街道もすれ違う車もまばらでのんびりとしたドライブを楽しむことができた。
平日に戻った日は七日努めの日だったから朝少し早めに石見銀山の自宅を出発した。
島根県は外出の自粛要請が月末まで延長されたが、農家の田植えを始めとして在宅勤務が難しい仕事もそれなりにあるようで、朝の通勤時間帯で行き交う車が一気に増えた。いつもなら、特に気になる量でもないが、いつの間にか連休中の閑散とした世間に慣れてしまっていたようで、曲がりくねった狭い道をすれ違う緊張が倍増した感じだ。

七日努めのお宅は、最近ではとても珍しくなった三世代家族が同居されている。
そのおじいちゃんが4月の終わりに亡くなった。
おじいちゃんのお父さんは若くして亡くなっていたし、まだ戦争中でもあったから自分より年下の兄弟姉妹を親代わりになって育てたと聞いた。
本人はとにかく無口で物静かな方だったから、お寺にお参りの時や棚経でお邪魔した時もこちらから話題のネタを用意しないと自分から口を開くことはまず無かった。
七日努めも早いものでもう三・七日が来た。
初七日の時はおばあちゃんと亡くなったおじいちゃんの親戚親族の他に同居の息子夫婦やお孫さんも在宅でにぎやかだった。
二・七日からはおばあちゃんが一人になって寂しくなったが、お経が終わるとお茶口代わりの煮物になったいろいろな旬の山菜が並べられてティータイムが始まる。
おばあちゃんの方はとても話し好きで、昔のことやおじいちゃんのこと、庭木の剪定や畑に田んぼのこと、息子さんや嫁さんのこと、それに、親戚付き合いのことまで絶え間なく話題が尽きない。
今はコロナウイルスの関係で学校が休みになっている。息子さん夫婦は連休中は田んぼの田植えが忙しいし、平日になるとそれぞれ仕事があるしで忙しくしていらっしゃるが、おばあちゃんのおかげでお孫さんの在宅に心配がない。そのお孫さんはおかあさんといっしょに山へ入って筍とかわらびなどの山菜や旬のものをたくさん採ってきてくれるそうだ。
収穫されたものはおばあちゃんが農家ならではの昔ながらの方法でアク抜きなどをして煮物にするのだそうで、そのお惣菜をこうしてお茶口代わりに私が美味しくいただいていると云うわけ。
おばあちゃんの家庭料理は先代住職の憲正さんも大好きだった。まだ副住職の頃から法事の時に先代住職と二人でおばあちゃんの手料理を「美味しい美味しい」とよく食べていた。帰りには引き物とは別に持ち帰りの折り詰めにしてもらった。お茶飲み話でそんな昔のことが話題になったからだろう、「チョット待っとってくださいや。今ちょうど筍の茹でたのがありますけぇ〜」と持たせてくれた。
「柔らかく茹でてあって美味しそうよ!なかなかこうはならないのよね・・」ワイフが喜んでいた。きっと美味しい煮物に仕上がるだろう。
お金には変えられない美味しいお布施を頂いた。

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鯛とリーバイス 

2020/05/07
Thu. 23:44

飯南高原は春先まで休止していた水田で大小の農耕機が動きだして田起こしが始まった。
連休にはいる頃から一気に活気づいて用水路から水が引き込まれてしろかきが始まって、早いところは田植えも始まった。
昔、まだ土日の2連休もなくて春の連休に飛び石が残っていた頃は、義務教育で学校へ通う子どもたちも飛び石の本来出校日を「田植え休み」と称する臨時休校にして家族や地域総出で田植えをしていた。
今は田んぼの農地整理も進んで大きな農耕機が楽に動かせるようになって農作業に人海戦術の人手を頼ることもなくなって、連休が終わる頃には水田一面すっかり田植えが終わっている。農作業も機械化の導入が進んで随分と楽になった。

全国的に蔓延したコロナウイルスの拡散抑制のために連休中は不要不急の外出自粛が徹底された。
飯南高原は中国山地を越えれば広島県のすぐ近くまでコロナウイルスが迫っていて日常の生活に気が抜けない。それでも春の田植えは時期を選ぶから自宅にこもってジッとしている訳にもいかない。農家のお年寄りの一人暮らしでは都会で暮らす家族の帰省自粛もあって田仕事が停滞してしまった。学校の休校延長で仕事も休めないまま子供を自宅に残した保護者の心配も深刻だ。
地域に点在する寺院僧侶の皆さんは宗派を超えてほとんどが地方公務員と兼業だから特に日常の暮らしで大きな影響もなさそうだが、私のように彫刻を造りながらの専業坊主に近い暮らしが1ヶ月以上続くとさすがに少々つらい。時間講師で家計を助けてくれているワイフも新学期が始まってから仕事の休みが続いて収入が絶えたままだ。

いろいろな立場の違いで心配の事情も様々に違うことだろうが、いずれにしてもなんとか無事に過ごしていられるだけでありがたいことだと思う。
4月の終わりに誕生日を迎えてまた一つ歳をとった。
自分では今更この歳になって自分の誕生日をあらためて祝うようなこともなくていたって平常に過ぎたが、それでも家族のそれぞれはそれなりにオヤジの誕生日を気にかけてくれていて、時節柄そういう思いやりが何時にも増して心にしみた。
誕生日当日もいつもと変わりなく通勤坊主で1日中寺暮らしが続いて夕方に帰宅すると、珍しく風呂が沸いていて、夕食には尾頭付きの鯛が出た。同じ尾頭付きでもいつもの吉田家では頭を縦割りした「あら煮」が定番だから、さて?本物の尾頭付きは何年ぶりになるか?いや、何十年ぶりか?まったく思い出せないほど縁がない。とにかく久しぶりの焼きたてのホクホクの塩焼きは絶品だった。こうしてあらためて味わうと、やはり鯛は美味だ。
子どもたちからは、リーバイスの501が届いた。いつもはメキシコかエジプト産のノンウォッシュを買って、しばらくダブダブのまま履いてから洗濯しているのだが、今回プレゼントで届いたのはアメリカ産のノンウォッシュだった。今までの人生で本場アメリカ産は履いたことがない。サイズも変わりなくて洗濯すればピッタリと縮んで腰回りも股下も丁度良くなるはずなのだが、何故か股下は予想以上に余っていて腰回りがピッタリと窮屈だ。ひょっとしたら、一度洗濯すると腰が入らなくなるかもしれない。ドキドキ・・・

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2020-08