工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

携帯電話 

2016/09/25
Sun. 21:32

工場で仕事をしていると作業着のポケットで携帯電話がブルブル動いている。
急いで革手袋を外して着信を見てみると寺からだった。

携帯電話なる便利なものが出来てしばらくしてから、自分の周囲へ一気にブームが広がって、何処へ行っても誰もが便利そうに使っているものだから、私もついついその気になってドコモケータイを購入した。
第1号は確か富士通だか何かだったと思う。まだアンテナが着いていてそれを伸ばして会話していた。
吉田家ではじめて私が携帯電話を使い始めてから随分あとにワイフも使うようになった。
そうこうするうちにじゅん君が中学校を卒業して高校生になった時、彼に携帯電話を持たせることになって、それがキッカケでなっちゃんやノッチも携帯電話を持つようになった。
今はもちろんキーポンも使っていて、吉田家全員がLINEで会話するようになって、電話会社の戦略にマンマと引っかかってしまっている。

携帯電話も在ればあったで便利に使っているが、一方で自分の日常の様々な場面で、その携帯電話が邪魔に感じたりすることも多い。
失礼なことだと思うが・・・そのひとつが母親からの電話。
彼女は携帯電話を触ろうともしないからいまだに昔ながらの据え置き電話から私やワイフの携帯電話へ電話してくる。高齢者の一人暮らしなのに1ヶ月の電話料金がやたらと高い。

電話をする時は、普通に一般常識として相手に失礼でないように気を使いながらタイミングを見るのが最低のマナーだと思っているが、それも、はじめから何かしらのルールがあって使い始めたことでもないし、日本、いや、世界へ普及する過程の中で少しずつさまざまな場面に対応した使用ルールのようなものが固まってきて、それなりの年月をかけて今のような状態に定着し始めたことだと思っている。
ようするに、それぞれの人々が、自分の生活環境や社会性の中で効率的で有効的な使用を心がけながら、次々に登場するさまざまなSNSなどのメディアを導入し、そういうネットワークが構築されて更新されながら今に至っているわけだ。

母親の場合は、世間の常識的な社会性とは全く関係のないところで自分の都合で電話をかけてくるから厄介だ。憲正さんが健在で老人の二人暮らしの時は、まだそれでもそれなりの理性や一般常識を持っていたが、この1年の間に、それは見事に狂ってしまって修正のしようがない状態になっている。最近は、ワイフの携帯電話へも着信が頻繁になった。少し前はじゅん君へもよく電話をしていたようだ。今のところ他の孫達はそういう状況に遭遇していないようだが、激しい時は一日10回以上も着信が続く。こうなるとすでに迷惑電話の部類に属している気もする。私もワイフも、一本の電話で集中の糸が切れっぱなして、遅々として制作が進まない日々を過ごしている。

こういうことは、私の母親だけのことでもないと思うし、現代社会の現状においては普通に存在するメディアのヒズミとかシコリのようなモノになっているのかもしれない。

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お地蔵さんのご縁日 

2016/09/24
Sat. 22:12

オン カカカ ビサンマエイ ソワカ(Aum ha ha ha vismaye svaahaa)
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ(Aum ha ha ha vismaye svaahaa)
オン カカカ ビサンマエイ ソワカ(Aum ha ha ha vismaye svaahaa)

注:wikipediaより、勝手にコピペしてしまいました。ごめんなさい

万善寺的に訛ったご真言だと
オン カァカァ カビサンマァエイ ソワカ
オン カァカァ カビサンマァエイ ソワカ
オン カァカァ カビサンマァエイ ソワカ・・・・・
と、こうなる。

工場の彫刻制作を午前中で切り上げて万善寺へ・・・
お地蔵さん周辺の草刈りをして、しきび(しきみともいうらしいが・・・・)をお供えして、駐車場の草刈りもして、本堂の掃除をしてナドナド・・・・
とにかく、いろいろとありまして3畳の何時もの書斎へ落ち着いたのが16:30!
それから、お地蔵さんの吉祥塔婆に守護印を押したりしていたら早速昼のうちのお参りがあってできたてホヤホヤを4枚ほどことづけた。

そうこうしているうちにワイフが万善寺へ到着。
お茶口に、カボチャとレンコンとオクラとナシを一皿ずつ用意してくれて、まだ陽の明るさが残っているうちに早々と退散。

シャツとパンツでウロウロから着物を着て地蔵法要の本番を待っていたら、三々五々お参りが続いて、10人チョット。
昼のうちは30℃近い残暑になって、夕方からはいい感じの秋空が広がっていたから、それでいつもよりお参りが多かったのかもしれない。
例の如く、場の読めない・・・というより、場を読まないおかみさんが、何かにつけて暴走して住職の仏事を掻き混ぜられたが、かろうじて理性を駆使して踏みとどまって法要を終了した。
終わってから後のお茶会は、何時になく方丈さん(私の事!)の博識ぶりが発揮されて、お参りの皆さん、「はぁ〜〜」とか、「ほぉ〜〜」とか、「へぇ〜〜」とか、自分的にはなかなかいい感じで、そのうえ、ワイフの手料理も絶好調で、大好評で、おかみさんの憤懣も最高潮に達した頃、おひらきとなった。

約2時間の夜の法要が終わって、3畳に落ち着いて一杯やっていたら、電話の着信に気付いた。
300字の原稿の催促だった。彫刻制作と、お地蔵さんの法要でコロッと忘れていた。
最近、急に物忘れがひどくなった気がする。歳のせいか、慌ただしすぎるのか、又は例のヤマイの前触れかもしれない・・

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鉄板の悩み 

2016/09/24
Sat. 07:09

ひと頃は、だいたい最低でも2〜3年は普通に寝かせておいた鉄板を使って彫刻を造っていたが、それが数年前から1年くらいしか寝かすことが出来なくなって、それを騙し騙し小出しにして使っていた。
最近はそれもなくなってストックの錆びた鉄板で大きな彫刻を造ることが出来なくなった。
それは何故かと言うと・・・鉄板を買い溜めるお金が無くなってしまったからなのです。
まぁ、当然といえば当たり前のことで、収入に繋がるような仕事らしい仕事をしないまま展覧会のことでドタバタしたり、万善寺のことで延々と草刈りしたりなど、そんなことばかりを一年中繰り返しつつ、合間を見て彫刻を造っている始末だからしょうがない。
夢とか理想とかを思えば不甲斐ないことだが、それでも細々と制作を続けているし、秋になれば最低でも1点くらいは大きな彫刻を造ったりして自分の体力の限界へ挑戦している。

今年も「なんとかしなければ!」と思っているうちに春が過ぎ梅雨になり気がつけば暑い夏が来て今はシュラフが必要なほど朝夕が寒くなった。
こういう不本意な状態を何とか解消しようと、意を決して4✕8の鉄板などをいっぱい買った。
そのうちいくつかは今年も開催する展覧会事業に使うためのものだが、ほとんどは彫刻の材料になる予定だ。
このくらい鉄板を一気に集めておけば、また数年の間にきれいに錆びた鉄板を使える時が来るはずだと予測していたが、結局今になってみれば徳島に造った彫刻ですでに鉄板3枚を使い切ってしまって、六本木用の鉄板へ手を出さないように自粛するのがやっとだった。
頭に描いたラフスケッチを、工場の壁に立てかけてある鉄板へチョークで移しながら溶断していると、たった1日でストックされるはずの鉄板が見事に切り刻まれてしまった。
気がつけば、どの端材も帯に短し襷に長しでまるまるそのままでは使えないものばかりが残っていた。自宅の書斎でデスクトップに拡大した鉄板の写真を見ながら悩み考えていると、「お父さんナニそんなに難しい顔してるの?」
集中会議から帰宅したなっちゃんがオヤジの悩みを無視して脳みそのカオスワールドをこれでもかとかき混ぜて去っていった。一度集中の糸が切れるとなかなか立ち直れなくなってしまって、思わずそのまま麦とホップに流れてしまった。
それがつい先日の連休が終わった頃。
それから昨夜まで工場へ通って溶断した鉄板を組み立てている。
今までに無いほどツギハギでケチリまくった彫刻になりそうだ。
それに、当初の予定より随分と小ぶりになった。
鉄板のストックが無いのだから仕方ないけど、この歳まで彫刻を造り続けてこの始末だから、やはりこの世界には何処かで魔物が待機しているようなところもある。

彫刻は大きいだけが良いわけでもないけど、やはり自分の中では身体に染み付いた「お決まりのスケール感」のようなものがあって、それが狂ってくるとどうも気持ちのゆらぎが彫刻のカタチに見苦しく伝わってしまう。
こういう時はしばらく工場から離れてみることも大事だと自分をなぐさめつつ、本日は万善寺のお地蔵さんの法要で汗を流させていただきます・・・

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身心快楽 

2016/09/22
Thu. 23:31

会議出張で帰省しているなっちゃんがしばらく見ない間にやたらと太っていた。
私はどちらかと言うと痩せている娘より少々小太りくらいのほうが好みなのだが、今のなっちゃんは小太りのレベルをはるかに越えている。
私もワイフも油断するとすぐに太ってしまう方だから、その子のなっちゃんが太ってしまうのも仕方がないことかもしれない。
それにしても、吉田家の他の子供達は今のところそれほど太っているわけでもなくノーマル体型だから、なっちゃんの生活習慣にどこかしら問題があるのかもしれない。

最近の私は、工場での彫刻制作が続いているからたるみきった贅肉が少しずつ筋肉に変わりつつある。
体重は殆ど変わらないので一日中立ち仕事をしていると足腰がつらい。もうかれこれ10年位前になるだろうか、あの頃は今より5〜6キロは痩せていた。常勤の仕事をやめてフリーになってすぐの3年間くらいは、ほとんど毎日デスクワークが続いた。その関係で足や膝周辺の筋肉が退化して、腹回りに贅肉がついてみるみる太った。その後副住職から住職に昇格??し、正座の回数と時間が一気に増えて膝と腰に負担がかかった。それでも数年間は騙し騙し無理をして過ぎていたが、昨年の憲正さん遷化を境に、万善寺での仏事が増えて春先から休みなく境内の営繕を続けていたら、足首の古傷が疼き始めた。病院で診てもらったら、関節とその周辺に炎症が広がっているから、ひとまず安静にして患部を動かさないようにしておかないとシッカリ治らないと云われた。完治したら、リハビリというわけでもないが適度の運動で負荷を与えながら筋肉をつけていかないとどんどん悪くなってしまうとも云われた。
確かにドクターの診断は正論ではある。しかし、そのドクターの言うとおりに足を休ませていると、目先の仕事がことごとく停滞する。後ろを振り返っても、私の後についてくるものは誰もいないし、結局自分でコツコツと凌ぐしか無い。
足首を痛めた時に病院で手配したコルセットタイプのサポーターを引っ張り出して固定しておくと少しは楽になったが、四六時中それを装着しておくわけにもいかないし、営繕の草刈りで長靴を履く時はサポーターが邪魔になるから外してしまうしで、結局その足首の不具合が元で、膝から腰にかけて具合が悪くなって、今は尾骶骨のあたりまで激痛が走るようになってきた。

24日は、ひと月遅れの地蔵盆の法要がある。
工場の彫刻制作を早めに切り上げて、お地蔵さんの守護塔婆を書いた。
私が少年の頃は、近所の奥さん方が小さな子供を連れていっぱいお参りされて賑やかに数珠繰りをしていた。丸く広げると8畳が一杯になるほどの大きな数珠の輪ができる。
お地蔵さんのご真言を唱えながら時計回りで数珠繰りをして自分の患部へ数珠玉を当てて病気平癒を願う。肩が痛い人、膝が痛い人、頭痛持ちの人、胃腸の調子が悪い人・・・皆さんそれぞれに数珠玉で悪いところを擦って次に回す。
結局は気持ちの問題なのだろうが、それが大事なことだと思う。なにか行動することで自分の気持が少しでも楽になればソレにコシたことがない。
私も、今年は自分の膝を数珠玉で擦ってみようと思っている。

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ジワッと感動 

2016/09/21
Wed. 23:36

キーポンが学業へ帰っていった。
近くのJRの駅まで遅れというので結界くんへ荷物を積み込んだ。
大きなコロコロ鞄の他にやたらと重たい手荷物が3つ。いったいナニを詰め込んでいるんだろうと不思議なほどの大荷物だ。

なっちゃんが会議出張で小ぶりのコロコロ鞄一つ持って帰ってきた。
キーポンと1日だけ吉田家で重なった。
長い間部屋中の至ることろへ散乱していたキーポンの私物がなくなったと思ったら、今度はなっちゃんの小物が散らかり始めた。
着替えの服とか、化粧道具とか、女の娘はナニかと大変だなと思う。

私も、コロコロ鞄を常に結界くんへ積み込んでいる。
中には、急な仏事に備えて坊主衣装や坊主道具が入っている。
彫刻の用事で遠出する時は、中身を入れ替えて使う。
特別ナニを入れるわけでもなく、折りたたみの傘と、作業着の着替えと、旅行グッズと、薬ケースくらいのものだが、旅のお供は欠かさない。
その、旅のお供は文庫本と音楽とラップトップ。
ラップトップは、調子が不安定な例の2011年購入MacBookPro。昔は3日位だったら充電器も持たなくて普通に使えていたが、最近は1日に2回位充電しないといけないほどバッテリーの消耗が早くなった。
音楽は、少し前までiPodに入れて持ち歩いていたが、NOKIAがクラッシュしてからはiPhoneになったので、今はそれが一つあれば十分だ。それにbluetoothのHeadphone。
文庫本は、読みかけの本と、読みたい本と、睡眠薬代わりの文庫本サイズ一般教養書。

なっちゃんが三姉妹を代表して、お父さんとお母さんにプレゼントを持って帰ってくれた。
東京で3人が会った時に、ワイフと私の誕生日と、母の日父の日と、その他諸々を兼ねて3人で相談して買ってくれたらしい。
私は、革製のブックカバーをプレゼントでもらった。
文庫本サイズというところがいい。
娘達は、親の暮らしを見ていないようでよくチェックしていると、チョット感心して、ジワッと感動した。

実は、文庫本は工場へ行くときもだいたい持ち物の一つで何処かに忍ばせている。
仕事の合間の休憩中とか、制作が迷って停滞してしまった時の気持ちの切り替えとか、色々な場面で手放せない。
展覧会で東京へ出かけた時に伊東屋とかハンズとかLoftとかユザワヤとか、そういう店に寄ってさり気なくチェックをしつつ、結局毎回購入までに至らないまま踏みとどまっていたブックカバーだった。
まさか、今になって思いがけなく娘達からプレゼントしてもらえるとは思ってもいなかった。大事に使わせてもらおう。

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次の彫刻 

2016/09/20
Tue. 21:27

ひと月後れの地蔵盆の法要が24日にあるから、その案内を配って歩いた。
台風の雲が島根県上空にもかかって、広島県との県境に近い飯南高原は結構激しい雨が降り続いた。

夜の法要なのでお参りは近所の皆さんだけになるが、最近の高齢化のせいで私の代になってから半減した。
おかみさんが一気に老け込んで気弱になってきたから、お参りのみなさんの顔を見るのも今年が最後になるかもしれない。そういう気もして、久しぶりに法要が終わってからのお茶会を庫裡で準備しようと思っていたのだが、夏が過ぎて庫裡の建具を〆切りにすることが増えたせいか、老人特有の加齢臭が室内に停滞して空気が悪い。若い頃の昔から身に染み付いた行動形態はある日突然変えられるわけもないことだから、仕方なしに見て見ぬふりをしながら庫裏から本堂までの私の行動ルートだけは出来るだけアチコチの建具を開け放していると、いつの間にかそこもきっちりしまっていたりする。
この1年の間に、母親のピック病所見が少しずつ増えている。
高齢でもあるから今更丁寧に検査をして病名をはっきりさせることも本人の体力消耗になったりしてあまり良いことでもないだろうと勝手に判断して、ドクターとは暗黙の了解を交わしているようなところもある。
本人は頑固に頭は正常だと言い張っているから、なかなか息子の言うことを聞いてくれないし、自分のやりたいように行動しようとするから、介護のしようがなくて苦労する。いずれ近いうちに石見銀山の方へ連れてきてそちらで面倒を見ることにするのが、今のところ一番良い手段なのだろう。

徳島に彫刻を設置してあるから台風の進路が何時にも増して気になった。
責任者の松永さんへ電話してみると状況がハッキリわかるのだろうが、それでどうこうなるわけでもないし、かえって迷惑になることも考えられるから、移動中にiPhoneのウエブチェックを繰り返しながら過ごした。
石見銀山の自宅へ帰って濡れた服を着替えたりしていたら電話が鳴った。松永さんからだった。風雨が収まってから彫刻の様子を見てくれたそうだ。全く問題ないということだった。流石だ。心配が行き届いている。
主催者が彫刻の作家であるから、こういうときの遺漏がない。やはりその道のプロだから出来る気配りだと感心して恐縮した。

明日から気持ちを入れ替えて次の彫刻制作に入る。
今回は、母親の具合のこともあってどうも気持ちが定まらないまま時間が過ぎていった。
これから一気に3日間くらいかけて大まかな形にしようと思う。
自分は彫刻のことだけで毎日暮らすことが出来ないところがある。だから、彫刻のテーマとかタイプを幾つか別々に用意している。そうしておくと、前に造った彫刻を比較的楽に切り離して新鮮な気持ちで次の彫刻に向かえる。
今年のように自分の暮らしのいろいろな場面で躓くようなことが増えると、こういうスタイルで制作できていられることで随分助かっている。

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徳島野外彫刻展搬入 

2016/09/19
Mon. 23:23

朝4時に石見銀山の自宅を出発して、徳島中央公園へ向かった。
10月2日から始まる徳島野外彫刻展へ彫刻を展示させてもらうことになったからである。
昨年の今頃は私が一人で搬入したが、今年はワイフと二人で搬入することになった。
つまり、島根からの出品者が2人に増えたわけだ。

以前から、ワイフの彫刻はどちらかと言うと野外にあったほうが良いと思っていて、毎年のように彫刻制作の時期になると彼女の耳元で呪文のようにそう言い続けていた。
過去に、何回か野外展示をしたことがある。
ある時は、東京の六本木。
ある時は、兵庫県の小さな山間の町。
ある時は、石見銀山の定期バス回転場近くの田んぼ。
私なりに、それはそれで面白い展示になっていると思ったのだが、島根県を代表する女流彫刻家のワイフとしては、今ひとつどこかしら納得がいかないまま悶々としていたらしい。

ワイフは若干23歳の頃から彫刻を造り続けていて、制作は今に至るまで1年も休んだことがない。だからもうそろそろ、作家年齢40歳にはなろうとしている。
つまり、毎年最低1点の大作を制作し続けるとして、少なくても40点の彫刻を制作してきたことになる。
その他にも、だいたい定期的に個展をしたり、グループ展へ出品したり、10年近く前からは例の島根県各地で展覧会をはじめた現代彫刻小品展へも数点の小品彫刻を出品したりしているから、大小合わせるとかるく100点以上の彫刻を造っていることになる。
そういうベテランの彫刻家が、野外展示の彫刻になると、まだほんのヒトケタくらいしか制作展示したことがないということはとても残念なことだと私は思っている。
それでまぁ、呪文というか念仏というか、日々の暮らしのそこここで野外展示の誘いをし続けている。

私は、常々一人の100回の声かけより、100人の1回の声かけが重たい一言になる・・・と思っていて、機会ある度に色々な場面でそう言い続けている。
ワイフには、なかなかそういう機会を作れないまま、オヤジの「面倒臭い同じ話」にしかなっていなかったのだが、昨年になって、戦略を少し変えて彫刻制作で親しくさせてもらっている友人の彫刻家へお願いして、彼の口からも野外展示のことをささやいてもらうようにして、同時にその制作方法とか素材の工夫とか、そのような情報を提供してもらったりした。その上、気の利く彼が高価な制作材料をプレゼントしてくれたりしたものだから、もうそうなると、ワイフもなんとかしないといけないことになってしまって、このたび目出度く本気で野外展示を考えて実行してくれたわけだ。

ひとまずは、徳島野外彫刻展でその成果を実践してみようということになって、吉田家2人揃って搬入となった。台風の影響もあって風雨が心配だったが、徳島彫刻界の大御所である松永勉氏のご尽力によって、どうにか公園の指定場所へ設置することが出来た。
これから約1ヶ月の間ワイフの彫刻が野外展示に絶えられるか・・検証がはじまった。

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13時間の力作! 

2016/09/18
Sun. 22:28

午前中は年回の法事があったので、万善寺で過ごした。
90歳を越えたおかみさん(といっても、今は寺の内向きのことも任されないほどの普通に高齢者だけど・・)は、自分ひとりで頑張って寺を守っていると決めて暮らしている。
夏のお盆の時期にベッタリと万善寺に張り付いて暮らしていたら、おかみさんはそれが普通のことと都合よく思うようになって、私が彫刻家の顔に戻って石見銀山で暮らすようになったら一気に精神の変調を訴えるようになった。
おかみさんは自分の母親でもあるから、無下にあしらうこともはばかられてなんとかしなければいけないと思うのだが、やはり現実に目先へぶら下がっている何かを優先することになって、母親への対応は後回しになってしまう。
母親は、一見頭がシャンとしてシッカリしているように見えるが、実はもうかれこれ10年以上前から続いている脳障害がこのひと夏のうちに一気に進行した。
神経内科のドクターに症状の検査をお願いしたのだが、当の本人が「私の頭はシッカリしている!」と言い張って私の言うことを全く聞いてくれない。それどころか「若いもの(私のこと)が私をキチガイにしようとしている」などと周辺に言い始めて、息子の言うことなどまったく聞きもしない。
まぁ、私も年相応に親の介護や子供の学費などでフットワークの鈍った毎日を過ごしているわけであります。

制作中の彫刻がやっと完成した。
一昔前は、原寸の型紙を作ったり、工法の手順を書き出したり、アレコレ考えてスケッチやドローイングでタップリ時間を使っていた。それが、最近では鉄板にチョークで溶断の線を決めて描くだけ。
作家歴の若いうちは律儀に寸法の倍率を統一したりして、それで仕事をしたつもりになっていた。
今は、正に行き当たりばったり。
目の前に裁断を終わって産業廃棄物になるかどうかの鉄板が数枚溜まってくると、それをそれぞれ都合よく溶接してカタチにしていく。
溶接の順番を間違えると、制作の工程が一気に2倍3倍遅延してしまう。そのあたりのことは、彫刻家の客観性を駆使してタップリ時間をかけて納得できるまでに身体に叩き込む。
歳とともにこういう客観的で具体的な制作の取捨をすることが難しくなってきた。
ようは、集中力と持続力の問題だ。
ひと頃は、2時間3時間どころかほぼ一日中飯も食わないで溶断と溶接と切削研磨を繰り返してもそれなりに集中が続いていた。それだけでも十分に製作時間の短縮となる。
今回の制作は、溶接機械の不具合と台風の影響でなかなか厳しい制作になった。
夕方、まだ世間が明るいうちに完成させた彫刻は、総時間13時間の力作になった!・・って、自分で勝手にそう言ってるだけだけどね。
台風の影響なのだろう、時おり強い雨が降ったり強風がふいたりしてきた。
今度の設置場所は絶景だが台風がやってきたりすると、シッカリ倒れどめの養生をしておいたほうが良さそうだ。
翌朝は午前4時に石見銀山を出発する予定だが台風の影響も心配になる。

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叱られた 

2016/09/17
Sat. 23:12

午前中は講師の用事があったから、お墓の点眼を8時からにしてもらった。
工場の彫刻制作があるので生活の拠点を石見銀山に移しているから、お墓の施主家までは40分の距離を移動することになる。その往復があって、その後講師で移動して、それから彫刻制作になるから、久しぶりに分刻みの午前中になった。
お経が終わってすぐに「こんちもさいなら」というわけにもいかないから、30分ばかりコーヒーを飲みながら施主さんと世間話をした。その施主さんは万善寺のお檀家さんではなくて隣町にある浄土真宗の菩提寺が決っている。それでも先祖供養と使い分けて毎年万善寺に古墓供養の依頼があって親しくお付き合いをさせてもらっている。帰りに自宅で作られた採れたてのシャインマスカットを布施代わりのおみやげに貰った。坊主のこういう付き合いは田舎ならでわのことで、千円札一枚の焼香料よりズットありがたい。

人の付き合いはこういう気持ちのこもった義理人情が良い。
先日、同業で1年に数日間ほどお世話になっている方丈さんにこっぴどく叱られた。
この歳になって、「他人!」に叱られることなど久しく無かったから、正直驚いた。
本人には失礼なことだが、ほぼ1年近くも前のでき事でそこまで常識を振りかざして小言を云うほどのことでもないだろうにと、何かにつけて非常識な私は素直にそう思った。
こういう人もいるから世間の付き合いは難しい。
そう感じた一方で、やはり常識の基準というものは決まった落とし所が人それぞれでズレて違っているようで、なかなか厄介なものだということを身をもって感じた。
とにかくこの度の一件は、私と方丈さんの常識の軸がズレていたことで、その方丈さんにとって許せない何かが悶々と沸々と消化出来ないまま不満になって発酵熟成されてしまったのだろう。まったく気が付かないまま自分の都合のいいようにやり過ごしてしまっていたことは、たしかに私自身に非がある。そう感じて素直にあやまった。その方丈さんに私の素直な気持ちが伝わったかどうかはわからないけどね。

人の付き合いはとにかく厄介なものだ。
親子身内の付き合いも変わらない。
ワイフと喧嘩すこともよくある。だいたいが叱られたことで我慢できなくなって言い返してそのまま喧嘩に発展する。自分の人生で1度だけとにかく我慢が出来なくなって自宅を飛び出したことがある。そのままボクの愛車(当時はポンコツ君だった)に乗って島根県の中央付近をグルグルとアテもなく一晩中さまよった。
師匠でもあった憲正さんにこっぴどく叱られたこともある。ちょうど仏事の最中のことでお参りのお檀家さんや随喜の方丈さん方の目の前でのことだった。日頃はだいたいが温厚な人だったから、その後しばらくのあいだ心に受けたダメージが回復しなかった。
母親でもあるおかみさんは、どちらかと言うと自分の都合で常識を決めているところがあるから、かなりチンプンカンプンなことで勝手に盛り上がってこれでもかと言うほど延々とプンプン怒っている・・・ということは、私が彼女の都合でひたすら叱られているということ。
自分が叱るのはせいぜいネコチャンズくらいのものだが、叱っても叱られても、デリケートな心の私としてはそれなりに長い間トラウマになってしまっているのです。

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ヒューズでツマヅイた 

2016/09/17
Sat. 00:42

いまのところ比較的順調に制作が進んでいるなと思っていた彫刻が、昼前になって大きく躓いてしまった。こういうことがあるから、スケジュールにある程度の余裕を持たせておかなければいけない・・・と反省しつつ、昼飯も抜きで大田市の街をヒューズ1本のためにうろついたが、徒労に終わった。
この約1時間の制作ロスが、オヤジの体力を見事に消耗させた。

日が短くなって夕方が早い。
「そういえば、昨年か一昨年は、この時期の空の月がやたらと綺麗だったな」
そんなことを思い出しながら空を見上げると、雲が一面に広がっている。今年は、今まで夜空を見上げる余裕もないまま仕事をしていた。
無駄になった1時間を取り返していたら、スッカリ暗くなった頃に一区切りがついた。このまま次の工程に進むかどうか、一瞬迷ったがやめた。どうせこれから2日間は無理をしなければいけないことがわかっているし、他にもやらなければいけないこともある。
工場を片付けて帰ったら、ちょうど自宅でワイフの帰宅とぶつかった。
彼女も、生活のために遅くまで働いてくれている。
私など、自分の彫刻制作で音を上げているわけだから、それだけで幸せなことだ。

アルバイト中のキーポンが、柿ピーやポテトチップスなどをテーブルいっぱいに広げてパクついていた。
「暇なのもつかれるんだよね。あぁ〜〜〜疲れた・・」
今日の吉田家は全員でバテ気味のようだ。
夕食が終わって、最近の事務場所になっているキーポンの部屋へ落ち着いたら、ドット疲れが出てそのままベットへ倒れ込んだ。
「お父さん、ピアノ始まったよ!」
いつの間にか寝てしまっていたら、わざわざキーポンが階段を上がって呼びに来てくれた。
今夜は、芸能人のピアノバトルの番組があるということで、久しぶりに二人でテレビでも見ようかと約束していた。
彼ら彼女らのピアノ演奏は、5回ミスすると失格になるという厳しいもの。その上、ミスが少なくて、またその上、演奏の上手さを問われて、それが得点につながる。あんなひとが、こんなひとが、とにかく意外なひとが、見事にピアノを引いている。私など、年中暇にして、その上で自分の首を自分で締めているようなものだから、誰がどう見ても甘ったるい生活をしているわけだ。毎日分刻み秒刻みで仕事をしているだろう芸能人の皆さんは、そういう中からピアノの練習時間を捻出しているだろうし、その結果に、たった5回のミスで退場というつらい現実がある。
フジコ・ヘミングは、タッチミスごときで楽曲の音楽性を左右されることはバカらしいことで、それよりむしろ大事なのは、その楽曲から自分の音楽性をどう引き出しどう演奏しどう感動させるかということだと確信して、演奏を続けているということらしい。
技術か感性か・・・「一つ一つの音に色をつけるように弾いている」
解釈判断の別れるところでもあろうが、私ごときでも彼女の名言の重さが伝わってくる。
切羽詰まった崖っぷちで自分を見失ってしまうとダメだね。

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吉田家改造進行中 

2016/09/15
Thu. 23:46

吉田家ギャラリーの本格的リニューアルに向けて、ひたすら断捨離の真っ最中。
昼間は工場で彫刻制作で、夕方から夜にかけて数年前まで機能していたギャラリーを片付けている。現在は物置き状態の部屋でゴソゴソと事務用品や工具や書類などの断捨離をしていると、クロが興味津々で活発にうろつきまわっている。

このギャラリーは最初にOPENする前に、ほとんど自力で数ヶ月かかって展示棚や壁面の塗装をしてそれらしく整えたことを思い出す。
コンパネをジグソーで裁断して棚にして、ホワイトのペンキを塗ったり、ジェッソにシェルマチエールを混ぜて凝った質感を演出したり、ペラペラのラワンベニヤはオイルステンで渋く仕上げたり、それなりにワクワクと楽しみながら作業をしていた。
あの頃は、キーポンもまだ小学生か中学生になったばかりだったと思う。私の作業が楽しそうに見えたのかもしれないが、けっこう真面目に手伝ってくれた。こうして、しばらくぶりに片付けをしていると、時々部屋の進捗状況を覗きに来る。私が忘れているようなことでも、彼女はとても良く覚えているから感心する。たぶん、この調子だとキーポンが学業に戻って吉田家からいなくなったくらいに業者さんが入ってくることになるだろう。

今床に敷いているカーペットは、私が東京で一人暮らしをしている時に買ったもので、長い間ダラダラと付き合っていたワイフと結婚して島根へUターンして帰る時に、それをシビックの天井へくくりつけて持って帰ったものだ。
上京して4年ほどは北向き角部屋共同トイレすぐ横の四畳半という、絵に描いたような貧乏学生の暮らしをしていた。確か、部屋代が1ヶ月7500円で、光熱水費が2000円だった。その部屋は、2月から暮らし始めて、5月の連休前にはアルバイトをはじめて、寺からの仕送り2万円とそのバイト料で画材などの教材費と銭湯その他の生活費を捻出しながら慎ましく暮らしていた。アパート契約が2年更新だったから、思い切って6畳の部屋に引っ越した時に駅前の商店街で買ったのが今のカーペットだ。つまり、だいたい40年間使い続けていることになって、感傷的に云うと、「ボクの青春がタップリ詰まった思い出いっぱいのカーペットなのだ!」という訳。それを今回のリニューアルで思い切って処分しようとしている。使えば特に問題なく使い続けることも出来るだろうから、ヒョットしてこれから気持ちが変わってどこか別の部屋とか別のところへ持っていって私が死ぬまで使い続けるかもしれないが、今は捨てる方向で決めている。

キーポンの就職が内定した。来年の2月くらいには、18歳の私が一人暮らしをはじめたように20歳のキーポンの一人暮らしが始まる。
私が留守の間から吉田家四畳半を占領されているから、最近はキーポンの部屋へ避難している時間が増えた。この部屋はじゅん君から引き継いだもので、彼の大暴れした壁の穴はミニーちゃんのタピスリーで塞がれて女の子らしい部屋に変わっている。勉強机もお兄ちゃんから受け継いだものだが、結局使うことの無いまま物置きになっていた。

その時々のことを思い出してしまうととたんに断捨離を躊躇してしまう。それでも、1年以上同じ場所でピクリと動かないものは今の自分にとって必要のないものなんだよね。

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とみやまものづくり教室始動! 

2016/09/14
Wed. 23:54

今度の連休は台風の影響がでそうだ。万善寺では法事があるし、彫刻を徳島まで搬入しようと思っていたし、なかなか厳しい連休になりそうなきがする。

このところ雨が降り続いていたから、吉田の青空工房が開店休業状態だった。
大きな鉄板から彫刻のパーツを裁断してしまえば、あとは工場の変形6畳へ持ち込んで溶接をしたり出来るのだが、雨のおかげで制作の最初の工程がなかなか進まなかった。
それでもこの2日間は比較的順調に仕事がはかどった。長い間の坊主家業で鈍っていた筋肉が少しずつ動き始めて彫刻家の身体に戻りつつある。

奥出雲の現代彫刻小品展が終わってしばらくして、いつものように工場へ出かける時に吉田家のポストを覗いてみたら、今年のとみやまでの「ものづくり教室」の企画を申請していた助成金の通知が届いていた。
封を切るまでは採択されているかどうかもわからないから、久しぶりに心が騒いだ。
玄関先で無理矢理指を使って封筒を破りちぎって中身を確認したら、減額されたものの事業の採択がされて助成金を使うことが可能になった。これで本格的に事業が動き始める。
本当はなんとかして自己資金でこういう企画を運営していけたら良いのだが、そこまでの裁量が私にあるわけもなく、いつもいつも助成金に頼って自転車操業ばかりしているが、とにかく、もう10年近くこうして島根県内で彫刻絡みの企画を実践させてもらっているだけでもありがたいことだと思っている。

最近、日暮れが早くなった。
雨が降って雲が広がっている日が多かったからそれでだろうと思っていたが、この2・3日の夕日を見ると、世間は確実に秋にかわっている。
夕方、いつもより早めに仕事を切り上げて助成金の報告も兼ねて工場から富山へ向かった。
まちづくりセンターの職員さんと事務連絡をすませて旧富山小学校の昇降口へまわると、広場のインターロッキングは夏の間に伸びた雑草がはびこって廃墟のごとくみすぼらしく見える。これから暇を作って校舎周辺の営繕作業をしなければいけないかもしれない。
教室個展の作家へは、すでに見切り発車で会場使用を許可しているから、夏の間に少しずつ作品搬入を済ませている教室もある。すでに彫刻の展示台などの什器搬入は済ませてあって、これから時期を見て会場設営を続けることになる。
学校の業況を確認してから、昨年設置した野外彫刻の周辺を草刈りした。
草刈りは、これで今年になって3回目になる。
万善寺の斜面ばかりの境内地と比べると、楽に草刈りが出来る。それに、地元の地権者の方や、彫刻を設置してある近所の方がマメにサイサイ草刈りをしてくれているからとても助かっている。聞くところによると、彫刻を置かせてもらったことで、そのあたりの住民の皆さんの地域環境への意識が少し変わってきたとゆうことだ。休耕田や耕作放棄地の有効活用とか、景観保全の活動も町の経費として予算立てする方向で決まったような話だ。
誰かが何かしなければいけないということはわかっていても、それを実行に移すとなると障害も多くて身体も重くなって動きも鈍る。
ささやかな彫刻イベントが少しでも富山の活気につながればいいと思う。

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坊主ギャラリーのこと 

2016/09/14
Wed. 00:40

キーポンが四畳半へ転がり込んでから寝苦しくてしょうがない。
ちょうど夏から秋に変わりそうなこの時期は、暑いのか涼しくなったのかよくわからないまま寝ていると、夜中になって暑くて目がさめたり寒くて目がさめたりして、体調の管理が難しい。
私愛用の抱きつき枕を占領して布団の真ん中で寝ているキーポンは、まだ小学生か中学生くらいにか見えなくてとても20歳前の娘と思えない。
その隣にはワイフがいて、その隣ではシロがワイフの腕枕で寝ている。
なんとも窮屈な四畳半だが、それはそれなりに家族円満であると言えるのかもしれない。
そろそろ保育実習も終わって、近所で頼まれているアルバイトも終わると、やっと後期の授業が始まって学業へ帰って行くから、それまでの辛抱だと思っていたら、長女のなっちゃんからワイフ宛のSNSが届いて、9月のお彼岸前後に仕事の出張も兼ねて帰省するらしい。
だいたい、この9月から10月にかけての時期は私もワイフも彫刻の制作で一番忙しくしているはずなのだ。こういう時に限って絶え間なく次々と家庭事情が色々変化していくことになって、まともに〆切りまでに彫刻が完成するのかそろそろ心配になってきた。

万善寺や奥出雲の暮らしから本格的に石見銀山の暮らしへ戻ってきて、そろそろ一週間が過ぎた。
現在の吉田家は、四畳半の隣の町並みに面したひと部屋が空き部屋の物置状態になっていてほとんど機能していない。
以前は、この部屋が彫刻やクラフト等のギャラリーになっていて、雨戸や障子をフルオープンして観光客相手の店にしていた。あの頃は、石見銀山の約800mの町並みに銀製品を扱ったクラフトや雑貨の店が10軒近く営業していた。その他にも土産物の店や飲食店もあって、世界遺産の観光地としてそれなりに賑わっていた。
吉田家も若干ながらその恩恵にあずかって、その日の食事代はまかなえるくらいにギャラリーが回転していたのだが、両親の介護が本格化して、やがて副住職の気楽な坊主家業から住職交代を経て本格的に万善寺住職を勤め始めると、ギャラリーのOPENも少しずつ不定期になり始めて、それまでのリピートのお客さんから苦情が出るようになってしまった。せっかくわざわざ吉田のギャラリーを目当てに訪ねてきたらcloseしていたというようなことが度重なると、「オマエ本気で商売する気があるのか!」と叱られてしまうのも当然のことだ。自分の都合でお客様に迷惑をかけることになってしまうから・・・ということで、結局その後しばらくしてから雨戸を〆切りにして今に至っている。
今もおばあさんの介護が続いているが、どう考えてもこれから先いつまでも彫刻の制作が出来るわけでもないし、やはりそれでもまだ身体が動く今のうちだったら、もう一度自分が造った彫刻やクラフトを展示できるように工夫できるのではないかと思うようになった。
今の世の中、とても自分の年金と田舎の山寺ごときだけで生活できるわけもないことだから、石見銀山の町並みに坊主が店番をするギャラリーがひとつくらいあってもいい気がするし、それで自分の暮らしに張り合いが出るかもしれない。
ワイフと二人でつつましくものつくりをしながら老後を楽しむことができるかもしれない。
そんなささやかな夢を描きながら、今日もヒマをみてコツコツと部屋掃除をしている。

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キーポン一人旅 

2016/09/12
Mon. 21:24

東京へ一人旅していたキーポンが高速バスで早朝に帰ってくるという。
自宅に居る時はいまだに四畳半を四六時中占領して私にベタベタしている一人娘状態の甘えん坊が、随分としっかりしたものだ。

そういえば、何時からキーポンがいなかったのだろう?いつに出かけたのかまったく記憶がない。たぶん、奥出雲の彫刻展のことやおばあさんの通院のことや寺の仏事のことや、それにハンモックのことなどでキーポンから気持ちがそれていたのだろう。

少し前に、東京暮らしの二人の娘と待ち合わせをして食事をした時の写真を送ってくれた。こうして3姉妹が揃って楽しそうにしている光景を随分前から心待ちに期待していた。
長男のじゅん君が生まれた時は、なにかはじめて自分が父親になるということでとてつもないほどの責任感を自覚したことをよく覚えている。子供が出来て嬉しいという感じよりこの子を立派に育てることが自分にできるだろうかという不安のほうが強かった。
そのじゅん君が明日で○○歳の誕生日を迎える。
今・・・というより、もう随分前からほとんど会話がなくなっている。ナニを考えてドウ暮らしているかよくわからない。時々お母さんとの会話があるようで、そういう情報を収集すると、それなりに元気で暮らしているようだ。それに、なっちゃんとは歳が近いからなのか、時々SNSで盛り上がっているようだ。自分も両親とは疎遠のまま過ごしてきたし、男というものは、そういうものなのかもしれない。

ワイフは朝から用事があるということで、私が出雲までキーポンを迎えに行った。
9号線は朝の通勤時間と一緒になったから、いつもより混んでいた。それに、雨が降り続いていた。高速バスの到着時間にギリギリ間に合ったが、結局バズのほうが遅延した。
しばらくぶりにキーポンを見たはずなのに、その感覚がまったく無くて、普通に会話した。朝が早くて少し腹も減っていたから、帰りにコメダ珈琲へ寄った。
「結局服は買わなかったの♡!この靴買ったの♡!おばあちゃん元気だったよ。メガネ掛けないでテレビの字が読めるんだよ。すごいよ。吉祥寺行って、渋谷行って、原宿行って、いっぱい歩いたの♡!」
二人のお姉ちゃんとは、六本木に行ってから新宿へ回って、そこで食事をしたらしい。とても楽しかったようだ。

石見銀山へ到着した時は雨も小降りになっていたから、工場へ出かけて集めておいたゴミを処分場へ運んだ。そのまま雨がひどくならないようだったら彫刻のパーツを裁断しようと計画していたが、本降りになり始めたので断念した。
大きな彫刻を造る時は制作の殆どを青空工房でまかなう。雨の中で溶断するとゴム長靴で絶縁していても時々ビリっと感電することがある。無理はしないことにして帰宅すると、キーポンが私の四畳半で爆睡していた。高速バスで疲れているだろうし、そのまま寝かして、静かに静かに自宅の片付けをすすめた。
秋になって、紅葉が綺麗になる頃を目指して町並みに面した一部屋がリニューアルされてギャラリーになる予定だ。

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悶々の日曜日 

2016/09/11
Sun. 23:42

施主さんの気持ちはその場の微妙な雰囲気からそれとなく伝わってくるもので、知りたくもないその家の家庭状況が薄々見えてきたりして何かしら気まずい。
最近こういうことが頻繁になった気がするのは、私の感が敏感になったのか、坊主経験が鍛えられたのか、それとも世間事情がそういう方向に流れているのか、とにかく、そういう法事は気持ちが乗らないまま終始してしまう。
法事というのはだいたいが供養法要だから、塔婆の主のご先祖さまにはなんの落ち度も無いのに申し訳ないことだと、坊主的立場ではそう思っているものの、結局は、その家の家族身内の法事に対する見識や品位の問題だと云う気もする。
今年のお盆の真っ最中にもそういうなんとも味気ない法事を幾つか片付けたところだが、9月の入ってまたそういうたぐいの仏事に付き合う羽目になった。だいたい、こういうことはお布施の中身の問題などではない、もっと次元の違うところで悶々としてしまうのでありますよ。もらったお布施は手を付けたくもないし、そのまま舎利殿の施主家の先祖位牌に立てかけておいた。どうせ、これから先死ぬまで本人はお参りもしないだろう。
もっとも万善寺というか吉田家というか、そういう自分の身内の母と息子の関係もギクシャクしたままで推移しているから、他人のことでとやかく言えるわけでもないのだけどね。

まぁ、日曜日はそんなどんよりとした気持ちの晴れないまま飯南高原を半日ほどうろついていた。
石見銀山への銀山街道へ入ってから、無理に意識して彫刻の仕事に気持ちを切り替えた。
吉田家に帰宅して土間へ入ったら、何処からとも無くボクの好きなジャンクフードの匂いが漂ってきた。ワイフの車も駐車場にあるし、ひょっとして吉田家の匂いではないのかもしれないと思いつつ雪駄を脱いでリビングへ上がったら、テーブルにケンタッキーの包がデンと鎮座していた。
まさか、ワイフが午前中の落ち込んだ坊主姿を見ていたわけでもないだろうに、気の利いた粋なはからいに、思わず鼻水が出そうになった、が、実のところヨダレが湧き出ていたのかもしれない。
昼食代わりのケンタッキーをパクツキながら、昼間から麦とホップをプシュッと開けて、いつになく饒舌に日曜日の午前中の一連の毒を吐いたらスッキリしたが、ワイフは迷惑なことだっただろう。

それから、短時間二人仲良く昼寝をして二人仲良く工場へ移動した。
ワイフは、すでに徳島の野外彫刻をカタチにしつつある。
私は、いまだにハンモックのアームで苦戦している。
ひと晩寝ながら工法について再考をしてみたが、やはり今の形態がいちばんシンプルで理にかなっているように思える。ワイフに相談してみたら、「カッコイイじゃない。これで良いわよ。とにかく、もう一度取り付けてみようよ!」と励ましてくれたので、シブシブと前日の失敗を披露した。「やっぱり、良いじゃない。これで良いわよ。十分よこれで」いつになく、確信のあるワイフの言い回しに助けられて、ひとまず、結界君の屋根へ載せて搬入することにした。自分では今ひとつ納得できないでいるが、それはそれとして、少しばかり様子を見てみることにした。

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誤算 

2016/09/10
Sat. 23:54

石見銀山で暮らす毎日が続いているが、自分ではどうも石見銀山に居るという実感が薄い。
たぶん、朝から夕方まで工場にいたり万善寺の寺務や仏事で出かけたりばかりしているし、先日までは彫刻展もあって奥出雲だったし、それでだと思う。
このところ日に日に夕暮れが早くなって、今日も黒のアクリル塗料の塗装を始めたらすでに周囲が暗くて判別不能だったから途中であきらめた。

彫刻を造る前の手慣らし程度で考えていた鉄の手仕事が予想に反して躓いて苦戦している。
ナニをするにも、初心を忘れてはいけないと慢心の自分を戒めながら仕事をしている。
それにしても、こういう失敗は久しぶりのことだ。
どう考えても、構造としてのフレームに大きな問題はないと思っているのだが、ハンモックのパーツを装着すると全く用を成さなくなってしまう。
狭い工場で、できるだけコンパクトに収まることをコンセプトに造っていたフレームの設計ミスとわかった時の落胆は、ヨレヨレの老体にけっこうなダメージを与えた。
気持ちを入れ替えて再考することにしてハンモックを測りなおしたら、寸法的にはやはり問題なく私考案の鉄のフレームで用が足りるハズになる。どうも構造の様子が上手く把握できないから、編み上げてある紐をほどいてみると、その紐の素材がやたらと伸びることがわかった。これだと、平ボディーに荷物を積んでアメリカ縛りで縛り上げても、伸びに伸びてなかなかシャンとロープの役割を果たしてくれそうにない・・ということがわかった。結局、そのハンモックの構造をメインにフレームの工法や構造を練り直すと、なんと全長6mにも及ぶ巨大フレームが必要だと結論に至った。
その頃にはすでに夕暮れが迫っていて、仕事を進めることも難しいと判断して、心身ともに疲れきって帰宅した。

ワイフは、夜の会議があるからと私と入れ違いに出かけた。
すでに作りおきの夕食がテーブルに置いてあった。
こういう時は、麦とホップも不味いだろうと思ってひとくちススッたら、これがいつもと一緒で美味い。
ツマミはポテトサラダとナスの煮物。
これがさり気なくボクの好物だったりして、食も飲みも進んでワイフが帰宅した頃には3つ目の缶が空になってつまみは完食だった。

早朝に石見銀山を出発して、万善寺の3畳の寺務所で塔婆を2枚書いて施主家へ移動。
だいたい普通だと午後の1時位には法事も終わるだろう。
それから急いで石見銀山経由で工場へ向かうと、だいたい2時半から3時位。
それから塗装の続きに入って、ひとまず結界君の屋根へ巨大なフレームを積んで途中で警察に見つかったらヤバイから裏道を走って納品先へ移動。
現場の研修室へ搬入して様子を見て善後策を検討。
徳島の野外彫刻があるし、この土日でおおよその材料取りを済ませようと計画していたが、見事にズレこんだ。
ナンチャッテオヤジの人生、だいたいいつもこんなもんさ!

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石見銀山群言堂辺り 

2016/09/09
Fri. 22:20

島根は・・というか、石見銀山や飯南高原は残暑が結構厳しい。
ワイフの時間講師が日程変更で休みになったから、温泉にでも出かけて疲れを癒やそうと相談していたら、万善寺絡みの電話が立て続けに2箇所からかかってきて、計画は露と消えた。
こういう突然の仏事依頼も、弱小末寺としてはありがたいことだし特に断る理由もないから、時間の前後を調整して改良衣に着替えて結界くんへ乗り込んだ。
街道沿いの川が水かさを増して濁流になっている。夜のうちに降り続いていた雨は結構な量だったようだ。

少しの修繕でお墓をイジることになったから、お先祖様に叱られても大変だし、お経を一つ読んでおいてもらえば気持ちも楽になるからと依頼のあった施主さんは、ピオーネを作っている農家でもある。電話がかかってきた時は、てっきりその葡萄のことかと勘違いしてしまった。
飯南高原では毎年今頃になると葡萄の収穫が最盛期を迎える。今年は雨も少なくて暑い日が続いたから葡萄にとっては良かったという話を聞いていたので、お墓のおつとめが終わって、お茶をいただきながらそんな話をしながら「ところで、今日は葡萄の出荷は終わったんですか?」と聞いてみたら、昨日のうちに道の駅まで持って行ったから今朝は残り物しか無いとのことだった。在庫があったら幾つか買って帰ろうと期待していたのにそういうことで落胆していたら、あまり良いものでもないがそれで良ければ少しあるということで、それにパクリと食いついて2パックほど格安でもらった。

もう一軒は観音さんの供養。
もう随分長い間なにもしないでほったらかしにされてあった。家の事情も色いろあるだろが、私が代替わりしてから後すでに10年近くは経っているし、その間何も観音さんのことなど聞くこともなかった。その年月の埋め合わせにもならないだろうが、とにかく、小雨の降るなか、道端の観音堂の前で傘をさしながら携帯用の木魚を叩き続けた。

お昼を少し過ぎてから石見銀山へ帰宅したら、ワイフが昼食を作ってくれていた。
久しぶりに石見銀山の自宅に落ち着いて2日目になる。
ワイフも休みで、せっかくだから近所のお店でお茶でも飲もうと決めた。昼間からのんびりと町並みへ出かけるのも今年になってはじめてのことかも知れない。
ついでに、その店の2階で始まっている「モッタイナイス展」も観ておくことにした。会場には、展覧会初日の早朝になってお店の入り口へ搬入しておいた私の椅子がワイフの椅子と並んで展示してあった。出品者の半分くらいは前から知っている。
いつも彫刻展の企画でお世話になっている棟梁が作った椅子もあった。昔少しほど付き合いのあった木工の家具職人さんも手の込んだ力作を出品していた。ディスプレイ作家のお姉さんやエスニック料理店の店長さんも造っていた。
売る気満々の出店者もあって、展覧会コンセプトがいかにも雑貨屋企画というところが面白いといえばそう言えるのかもしれない。
自分で言うのも嫌らしいことだが、吉田夫婦の椅子は会場で異彩を放っていた。

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モッタイナイス展 

2016/09/08
Thu. 18:20

彫刻の展覧会であわただしく過ごしている間に、幾つかの制作の仕事もすることになって、ワイフと時間のやりくりをしながら工場へ通ったりしていたらいつの間にか9月になっていた。
8月末が〆切だったらしい椅子の制作も、展覧会の趣旨が今ひとつよくわからないまま結局9月になってから始めて17時間使って完成させて終わった。
このまま、だらしなく次の彫刻制作へ雪崩れ込むのも緊張感に欠けた惰性の制作になりそうなので、とにかく、せめて1日はキッチリ休日を作ろうと心に決めて寝たのだが、自分の身体のほうが上手く言うことを聞いてくれなくて、次の朝も4時前後には目覚めてしまったりしてどうも上手く休息することが出来ない。

ワイフは時間講師があるからと一人で朝食を掻き込んであわただしく出かけていった。
朝寝も出来そうにないし、かといって報告事務の仕事も気が乗らないし、もう何ヶ月も前から気になっていたグッピーの水槽を掃除することにした。
可哀想なくらい水槽の環境が劣悪になっていて、何から手を付けようか途方に暮れた。
とにかく、水を汲み出すことから始めたのだが、こういう時に限ってグッピーの子供がわざわざ汲み出しカップに入ってくる。ポンプを使うと早く楽に水槽を空にできるが、そうするとまだ小さな子供が一緒に吸い込まれてしまって面倒なことになる。
そうこうしていたら午前中の2時間がアッという間に過ぎてしまっていた。
綺麗な水を入れて用意しておいた少し小さめの水槽へ引っ越しをすませてから、汚れきった水槽の掃除をしたりして、グッピーたちの分家引っ越しをすませた時はもうお昼を過ぎていて、貴重な休日の半日が消えてしまった。思うようにいかないものだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
作品タイトル:
Landscape situation ~Seventeen hours~「或る日の情景~あのときの椅子」

素材:鉄

解説:
もう随分前の事になるが、私が造ったある店のカウンターテーブルやディスプレーが廃棄されることになった。
それも勿体無いことだし次の何かに使えるだけのいい部材でもあったので無理をお願いして引き取らせてもらった。
あれから何年かのあいだにその部材も別のかたちに変わって今は残り僅かになった。

ものつくりをしていると、すでにあるものを別の何かに使い回すとか造り直すということは、結構なストレスと労力を要する。
真っ更な材料からモノを制作することのほうがよっぽど楽だ。
それがわかっていても、ふとあの時のあの部材を使ってみたくなることがあって、そうするとそれで無駄にジタバタとしてしまったりするのだが、結局出来上がってみると何かしら自分の記憶の証明にもなっていたりして愛着も湧く。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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奥出雲彫刻搬出顛末記その2 

2016/09/07
Wed. 19:04

奥出雲暮らしが続いて、久しぶりに石見銀山の我が家へ帰った。

石見銀山で暮らしているときは、光ケーブルもないしケーブルテレビの通信回線がモタツクこともあって、ちょっとした不具合でもあるとすぐにケーブルさんの工事のお兄さんを一杯のコーヒーで釣って名指しで呼び出して文句を垂れながらインターネットのスピードチェックなどを診断してもらっていたが、こうして、奥出雲に通い始めて展覧会の会場やその周辺の現場に居続けると、飯南高原とドッコイくらい情報メディアの脆弱なことにかなり悩まされた。
たとえば、一日の会場受付でしばらくの休憩タイムなどにYouTubeやHuluやAmazonの配信動画を見ようとすると、我慢できないくらい幾度と無く画面が止まって見るに耐えない。iPhoneの回線を使って娯楽にハマってもデータ通信の縛りが不安で落ち着かないし、ほとんどテレビを見ない自分にとって、心身の疲れを癒やしてくれる娯楽手段が思うように機能してくれないことになかなか慣れることの出来ないまま現代彫刻小品展業務が過ぎた気がする。
面白いもので、特にストレスもなくほぼ毎日更新していたブログも、暇な時にテキストデータに書き込んでおけばそれでどうにか更新が続けられることなのに、こうしてYouTubeレベルで動きがギクシャクしてしまうと、とたんにインターネット環境を操作するのが面倒になってしまう。
「毎日毎日、よくも飽きないで似たようなつまらん日常を垂れ流して何が楽しいの?」
生来の怠け者の性格がボクの心に囁きかけるのだ。
別にたいして楽しいと思っているわけもなく、なんとなく惰性でラップトップのキーボードを叩いている程度のことだから、こうした、チョットした障害にすぐに反応して楽に過ぎてしまう自分がいるのだ。

そんなわけでしばらくタイムラグを生じた現代彫刻小品展搬出顛末記。

奥出雲で2tのアルミへ積み込んだ彫刻などはそのまま富山町の旧小学校へ搬入した。
現代彫刻小品展をそのまま移動するわけでもないのだが、彫刻の展示台やその他の什器などは使い回しができるから十分に経費削減の対象になる。
こういうある意味イベント事業と言っても良い企画は、とにかく人件費と行動実費に多額の費用を支出してしまう。
主催者である吉田は結界君で何往復しようが出先で何泊しようが全く経費計上できないから全て自腹で乗り切っているわけだ。たとえば、今回の棟梁や助手君などへはキチンと実費や委託料支払いの義務が生じているわけだから、こういう支出の予算立てもいい加減アバウト感覚では乗りきれないところもある。
この歳になって、チマチマとした計算ごともチャンと筋を通して遺漏の無いようにしておかないと吉田の信用が崩れてしまう。ナンチャッテ坊主にとっては結構な試練なのだ。
搬出移動の前半で周藤さんがキッチリ働いてくれた。ノリちゃんは二人の子供を助っ人で連れて来てくれた。それにもちろん私の愛妻であり女流彫刻家のマッチャンがとても良く働いてくれた。その夜は慰労で本場インドカレー屋さんへ行った。ナンが旨かった。

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奥出雲彫刻搬出顛末記その1 

2016/09/07
Wed. 14:56

現代彫刻小品展が終了して、会場撤収搬出移動などの作業を残すばかりになったら、また台風がやってきてどうなることかと心配したものの、見事に途中から熱帯低気圧になって島根県の奥出雲から大田市にかけては特に悪天候で悩まされることもなく過ぎた。
棟梁が気を利かせて助手君を連れて来てくれたから思った以上に早くことが片付いた。

会期が終わって、会場をcloseしようとしたら、駆け込みのお姉さまが二人ばかり来てくれたので、照明もそのままにして作品解説などもして付き合った。
ひとりのお姉さんは、昔々の島大の彫刻研修室の先生に少しばかり彫刻を教わっていたらしく、そのことで話題が弾んだ。
もう一人のお姉さんは高校の美術部で教わっていた先生が彫刻を作っていて、そのことを思い出してとても懐かしかったなどと、これも話が弾んだ。
私はその彫刻家というか美術の先生というか、とにかく二人の人物をよく知っていたものだから、知らず知らず立ち話が盛り上がってしまって、気が付くとすでに軽く一時間は経っていた。
あたりが少し暗くなり始めてから二人のお姉さんを見送って、作品移動や展示台の搬出などを始めていたら、今度は奥出雲で知り合った木工所の跡取り息子が仕事の帰りにトラックで駆けつけてくれた。うまく話題を振ったら手伝ってくれそうな雰囲気だったが、まだ付き合いも浅いし、グッと我慢してその場を凌いだ。
展示台を全て会場外のテラスへ搬出して、彫刻の梱包材を収納庫から引き出したところですでに夜の8時を回っていた。そろそろ、体力も限界だし近所のコンビニで夜食を仕込んで奥出雲の宿舎へ引き上げることにした。

20年近く前から知っていた音響のOさんの自宅が奥出雲だということは知っていたが、事務所兼スタジオ兼倉庫兼麻雀部屋兼助手の仮眠場所などで使っているWAREHOUSEの例のロフトへ落ち着いてシャワーで汗を流していたら、ヌシのOさんが助手君と一緒に仕事から帰ってきた。
彼らはこの3日間松江の地方テレビ局移転のイベントで働いていたそうだ。新しいテレビ局は大橋川の側になったらしい。以前の場所は駐車場もなかなか無くて面倒なところだったからこれからは今回のような展覧会の営業で出かける時も少し楽になるかもしれない。
結局、助手のたくちゃんと三人で夜食兼用の飲み会が始まった・・・といっても、彼ら二人は自宅へ帰らなけれればいけないから、私一人で飲み続けたわけだけど・・・

奥出雲では、このOさんのロフトのおかげでとても助かった。
少し落ち着いたら、何かお礼の品を持って行こうと思っている。
奥出雲は万善寺のある飯南高原とドッコイくらい雪深いところだから、簡単な薪ストーブでも作ってあげようかと思っている。それも、実はずい分前にあった時にそんな会話があって、こっちはいいかげん酔っ払って気持ちが大きくなっていたこともあったりした安請け合いだったのだが、酒を飲まない彼はシッカリ覚えていて、それが未だに機能していたわけだ。男の約束だし吉田の信用にも関わるから、これから冬になる前にひと踏ん張りしなければいけない。それに、またそのロフトでお世話になることだし♡!

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展覧会事情 

2016/09/04
Sun. 20:00

展覧会最終日の朝はあわただしく始まった。
会場当番へ出かける前に、昨夜クリヤ塗装を終わらせた鉄の椅子を工場まで取りに行った。
夜のうちに降った雨がそろそろ乾き始めている。どうりで昨夜は蒸し暑くて寝苦しかった訳だ。
搬入先のショップの玄関先へ高さ2m位の椅子を依頼の文字原稿と一緒にデンッ!と置いて奥出雲町へ向かった。

台風の情報は全く入っていないからよく分からないが、むせかえるような蒸し暑さと、会場前の桜の葉がソヨとも動かないほど風の絶えた状態が不気味だ。
OPENの準備をしていたら、近所の蕎麦屋さんが最終日だからといって生どらをドッサリ差し入れしてくれた。しばらくして8人の来場がお昼前まで五月雨に続いて、それから、朝の無風状態の如く客足がピタリと止まった。
多分、このままcloseすることになるだろうと予測して、会期中セッセと飲んでいたファミリーマートのLサイズコーヒーの空きコップへ麦とホップを入れ替えてチビチビ飲んでいたら、会場入口のテラスの手摺で一羽の鳥が羽を休めているところを発見した。
今回の彫刻展では、人間の他に可愛い犬が一匹鑑賞してくれた。打ち止めは一羽の(地味なたぶんカワガラスだと思うが)鳥になってしまう気がする。

現代彫刻小品展が始まってすぐ、その出品者の一人で九州在住の彫刻家からメールが入った。
こうして、日本国の辺境島根の山峡奥出雲で初の彫刻展開催の同時期に、九州の私設美術館が閉館となったらしい。
石橋美術館は、私が島根にUターンして間もない頃、九州の幾つかの美術館を巡ったことがあってその一つだった。石橋美術館というと、あの東京のブリヂストン美術館の石橋さんと縁が深い・・というより、むしろ九州のほうが石橋さんに近い美術館であると認識していた。そもそもブリヂストンの命名が「石橋」の「Bridge Stone」にちなんでいるというあたり、洒落た命名だとノリの軽い私としてはそれなりの親近感を感じていたのだが、その美術館のお陰をいただいて多感な幼少期を過ごした九州在住の一彫刻家の悲痛な思いがそのメールに託されていた。

島根の田舎に暮らしていると、ほんの数年で山峡の集落ひとつが限界集落になって、それからまた数年の間にゴースト集落になってしまうという現実と日々向き合っている。
この近年、墓地墓石の相談や絶縁で空き家になったお仏壇や位牌、朽ち果てつつある集落のお堂の相談が急激に増えている。
石橋美術館にしても、見方を変えれば石橋家の長い歴史の中で繰り返された世代交代のあいだに、少しずつふるさととか先祖の守り伝えてきた色々なものへの執着が希薄になって帰属意識が失せてきたのだろう。自分の暮らしに具体に何かしらの影響を受けるとすると、やはり生まれ育った環境に頼るだろうし、それに執着することになるだろう。今の日本の経済状態を背景に現実の打算もどこかしら影響しているかもしれない。個人の感傷に心が動かされることとなるとなかなか厳しいところでもあろう。

現代彫刻小品展のような展覧会は、私の生活や暮らしの本拠地を中心に、聞こえは悪いかもしれないが、文化の未開の地に近い島根の山峡をドサ回りすることで、彫刻のさまざまな表現を身近に見てもらいたいという願いが込められている。
一方で、美術館の閉館という現実があり、また一方では、生涯何処かの美術館に立ち寄ることもなく、本物の彫刻に触れる機会のないままこの世からオサラバする老若男女がいる。
私がこうしてまがりなりにも彫刻を造り続けられているのは、憲正さんが数年に一度松江まで巡回してくる日展へ少年の私を連れて行ってくれたからだ。まだ殆どが砂利道だった国道54号を3時間近くかけて松江まで出かけて夕方日が暮れてから寺へ帰った。当時は、運が良ければ、日展鑑賞の遠足もあった。
美術館のない町で生まれ育った私にとって、展覧会の会場は別世界だった。

特にメールの主の承諾を得ているわけでもないが、そんなわけで、原文から少々抜粋させていただいた。

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こんにちは.誰かに聞いてほしくてメールしています.
有明海と同じ筑後の宝;久留米の石橋美術館が今日でお終いです.
地下足袋からブリヂストンを起こした石橋正二郎氏が地元の為に久留米に美術館を作って60年.坂本繁二郎が早逝の友;青木繁の作品の散逸を心配し,かつて高等小学校での教え子の石橋さんに相談したのがきっかけと聞いています.石橋さんは竹橋の近代美術館も国に寄贈していますよね.市民に文化の贈り物をするなんて偉いと思います.

わたしの初美術館は小学4年生,ここで見たパウル・クレー展でした.その夢のような色彩とユーモア感覚,抽象形のおもしろさにハマってしまいました.
青木繁の「海の幸」はいつ観ても懐かしさと,わくわく感を覚えます.大好きなのは「わだつみのいろこの宮」.縦長の画面にすらりと立つ女性の美しさ,水中にある泉という設定,あぶくのゆらぎ.エメラルドグリーンの空間.あの静謐な画面はすてきです.
他に坂本,古賀春江,黒田清輝,岡田三郎助,百武ケンコウ とすばらしい作品があります.
石橋財団はそれら主だった作品を東京のブリヂストン美術館に引き上げてしまいます.大人の事情なのでしょう.東京のほうが鑑賞する人ははるかに多いでしょう.
しかし,仏像はもとのお寺のお堂で拝観したいし,青木は地元久留米に置いておきたいのです.
いつもそこに「海の幸」(千葉の海を描いていますが)があるという安心感がありました.
なのにあなたまで東京に行ってしまうの?そんなに都会がいいの?
一昨日,絵に涙で別れを告げてきました.  行かないでの署名運動を懸命にやったけれども,3万人超はひねりつぶされました.
選挙も署名もじつは何の力もないものと失望します.
あと1時間半で石橋美術館の看板が下ろされます.
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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あのときの椅子 

2016/09/04
Sun. 03:48

暑い夏の間中、何度も通って実現した奥出雲町での現代彫刻小品展も、早いものであと1日が終わればそのまま後片付けに入って撤収搬出になる。
今回の彫刻展は、どちらかといえば会場の雰囲気とか地域の事情とか事務の内容とか開催時期のこととか、そういう展覧会開催に絡む全てのことで様子を見るということと、島根県初の東部地区開催による各種条件のリサーチを兼ねたものだった。
まだ結果は出ていないものの、会期スタートから例の東北北海道を襲った台風の影響による天候の悪化が始まって、途中持ち直したものの、結局週末から最終日にかけて今度は九州上陸のおそれがあるという台風の影響をモロに受けることになった。
台風ばかりは何時何処でどうなるか全く予想の付かないことだから逆らうことなど出来ないしどうなるものでもない。
長い人生、こういうこともあるさ!・・・ということで、あまり正確なデータを残すことが出来なかったが、それでも何かしら地域の刺激にはなったと思うし、「彫刻」に特化した文化活動の存在も少しは地域に知ってもらえた気がする。それに何より、奥出雲町を中心にしたたくさんの人達と知り合いになれたことが自分への収穫になった。

終盤の2日間はワイフが頑張って家事もほったらかして受付をしてくれた。
吉田家がアレコレ乱れてしまうのもしかたがないことだし、こういう人手が必要な時は何かが犠牲になってのことだし、そういうことも十分に認識しているつもりだから、ワイフの存在が実にありがたいことだと思う。
キーポンとの付き合いで若干時間のロスがあったものの、予定していた工場の制作はほぼ終了し、あとは早朝の作品移動を済ませるだけのところまで片付けた。
問題といえば、指定の用紙に指定の内容に従ってそれなりにそれらしいことを作文しなければいけないということ。

だいたいに、何かのアンケートとか作品解説とか、そういうたぐいのことがいちばんめんどくさくて気に入らない。そもそも、自分の造った表現の何かについて、それに上乗せするように自分から進んでくどくどと解説する必要があるのかが疑問なところだ。アンケートにしても、結局はそれに答えることで何かしらどちらかの方向へコトを仕向けているような様子がチラチラと見え隠れするしそういうことに自分が加担しているようで嫌になる。
「表現」というものはもっとシンプルであるべきだと思う。自分が造った彫刻は、それは彫刻を制作するという行為そのものが自分の表現の全てであるから、それをわざわざ文章にしたり作品解説をしたりと、別の表現媒体に置き換える必要も無いと思うのだ。
まぁ、表現の壁を少しでも低くして乗り越えやすくすることをしておけば、それはそれなりに次の展開への動線になっているのかもしれないが、そのあたりのことはそのあたりのことにストレスを感じないというよりむしろ喜々としてそのあたりのことにハマるタイプの方々をチョイスしておいたほうが八方丸く収まるような気もする。
社会生活の営みの中ではこういう少しめんどくさいたぐいの付き合いも大事なことだと自分に言い聞かせつつこれからその原稿に手を付けようと思っている。
という訳で、Landscape situation ~Seventeen hours~「或る日の情景~あのときの椅子」について、これから指定の様式にしたがって作文させていただきます・・・

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工場の一日 

2016/09/03
Sat. 06:25

保育実習中のキーポンを隣町の保育園まで送ってから工場へ向かった。
7月から8月にかけて工場で仕事をすることが出来なかったから久しぶりのことだ。

4〜5年前までは、1年のほとんどを毎日のように工場へ通っていた。
自分の周囲が多く激変したわけでもないのに、最近工場へ行くことが難しくなったのはどういう訳か探ってみると、やはり両親の介護が増えたからだと思う。
昨年は父であり師匠であった憲正さんが遷化した。
その後の1年間で、残された母でありおかみさんの介護が迷走している。
工場へ行く時間が激減したのも、単純に物理的な時間の捻出の問題というより、私の心の余裕の問題が解決しないまま慢性化してしまったといったほうがいい。
頭のなかでは、次々と新作が浮かんで完成しているのだが、それが具体的に実現しないまま、自分の中で過去の制作になって消えていく。

密かに温めている制作のことがあって、今年は絶対に現実に引き出してやろうと思っている。今までに何度もそういう機会があったのに、結局時間切れの消化不良で大幅な妥協をすることになってしまった。
現代彫刻小品展の会場受付をやりくりして、今まで2回ほど制作をすることが出来た。時間で云うと約12時間くらいにはなっただろうか?まだ半日程度のことだが、おおよそ全体の形が見えてきた。
あと12時間あれば楽に完成することがわかっているのに、なかなかそれが難しい。
今回も、〆切りのことを優先して、一番やりたかったかたちの工夫を諦めることにした。
次は徳島の野外彫刻があるから、その彫刻へ出来なかったことを引き継ぐことにした。

そういうことで貴重な工場の一日になったわけだが、展覧会の方は、ノリちゃんとワイフが受付を引き受けてくれた。それでなかったら、工場の仕事も出来なかったわけだ。
ワイフが、奥出雲からの帰りに出雲のスーパーでラムを買ってきてくれた。
久しぶりに家族3人で焼き肉夕食になった。
真っ黒に汚れた手や顔をシャワーで洗い落としてサッパリしてから、麦とホップを空けた。
身体はグッタリと疲れているはずなのに、気持ちに疲れがない。
ラムをむさぼり、セセリをつまみ、焼き野菜をぱくつき・・・気がつけば麦とホップが3缶空いていた。
テレビがどんな番組だったか、夕食後にナニをしたか、何時くらいに四畳半へ引き上げたか、今思い出そうとするのだが全く無理。
「あなたご注文の(生どら)買ってきたわよ。この間の店長のひと昨日は見なかったわ」
「珈琲味がいいな?」
「じゃぁ、半分頂戴♡!あとは冷蔵庫へ入れとくわよ」
そういう会話があったことは覚えていて、目覚めたら枕元に生どらの空き袋が落ちていた。

工場の脇にあるねむの木がまた一回り大きくなって枝を広げていた。
そういえば、今年はねむの木の花を見ることがなかった。

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堪能!奥出雲 

2016/09/01
Thu. 16:22

経験上・・(といっても、大した実績があるわけでもないが、とにかく)今までいろいろな条件でいろいろな展覧会を経験してみると、だいたい本日のような木曜日と、それに週初めの火曜日はひとの動きが鈍る日といっていいと思う。
奥出雲も、だいたいそのような感じで時間が過ぎている。

それでも、他の地域と違うことが少しずつわかってきた。
お客様の会場の滞在時間がやたらにとにかく長い。
彫刻を一つ一つ、とても丁寧に鑑賞してくださる。
そういう光景を見ると、ただ漫然と受付をして椅子に座ってくつろいでいるわけにもいかなくなって、さり気なく声をかけてしまう。そうすると、それを待っていたようにとつとつと幾つかの質問が返って来る。「ミクストメディアってなんですか?」「テラコッタってなんですか?」「この彫刻なんで出来てるんですか?」「ポリエステルって、服の素材じゃないんですか?」「このかたち、何をあらわしてるんですか?」「このタイトルってどういう意味があるんですか?」などなど・・・それらに答えていると、それだけで数十分がアッという間に過ぎてしまう。
何かしらそれなりに答えていると、それが次の話題になってその話題が次のネタにつながって止めどがなくなってしまう。
昼の数時間と夕方から夜にかけて営業する飲食店のご夫婦もそんな感じで長逗留だった。とても熱心な感じだったので、お昼ごはんはその店を探して暖簾を潜った。
そば処の奥出雲町ではじめて塩ラーメンを食べた。
さりげなく上品で、使うネギも2種類がそれぞれの役割を果たしていて、なかなかのものだった。

明日から2日間は別の用事が入っていて奥出雲へ来ることができなくなった。だから蕎麦屋巡りもそろそろあとわずかとなった。
出雲横田駅前のあさひ亭の蕎麦は、少しゆで時間が長くて蕎麦のコシも緩くて、江戸前の二八そばに慣れているひとはアレッと思うかもしれないが、そういう緩めの蕎麦にさりげなくダシが絡まって優しい味わいになっている。
亀嵩駅の駅舎と一体になっている亀嵩蕎麦はシンプルでコシがあって噛みごたえのある蕎麦だった。時間帯にもよるだろうが、濃厚な蕎麦湯がしっかりと蕎麦に絡まって数滴のダシを絡めるだけで蕎麦の香りが引き立ってくる釜揚げ蕎麦は、はっきりいって旨い。
稲田神社の社務所がそのまま蕎麦屋さんになっているゆかり庵の蕎麦は、自家栽培で石臼自家製粉の十文字蕎麦が売りになっているこだわりの蕎麦。自分の記憶では鹿児島知覧町の蕎麦屋で食べた十文字蕎麦がそのまま忘れられないでいたが、ここにきて奥出雲の本格十文字蕎麦に出逢うことができてとても幸せだ。太めの麺も歯ごたえがあって旨い。それに、宮司さん命名の「神社エール」が濃厚で刺激があって旨いし、命名が抜群にオシャレだ。神社エールの向こうを張って、万善寺で何か営業できないかいろいろ考えたが私のとろけた脳みそでは限界を感じた。今のところ、せいぜい「寺ハウス」とか「カフェ寺巣」くらいしか思い浮かばない。
まぁ、そんな感じで木曜日の1日が淡々と過ぎたのであります。

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現代彫刻小品展in奥出雲の会場当番 

2016/09/01
Thu. 12:20

石見銀山から奥出雲の横田にある現代彫刻小品展会場までMapをググってみると、だいたいどのルートも車で約2時間はかかることになっている。
比較的平坦でアップダウンやカーブの少ないルートは、土地土地の市街地を通過する関係で信号が数えきれないほど多い。きちんと数えているわけでもないが、50〜100くらいはありそうだ。だから、通勤時間帯だったり信号運が悪いと2時間を若干オーバーすることもある。
山越えのルートは、とにかくアップダウンとカーブの連続になる。そのかわり、大きな街を通過することが全く無いから、信号が10くらいあるかどうかで、朝の通勤ラッシュも関係ないし、数ある交差点も信号を設置する必要が無いほど交通量も少ない。だから、途中でコンビニへ寄ってコーヒーを抽出したりお昼のサンドイッチなどをのんびりと物色しても、楽に2時間以内で会場まで到着する。

この3日間、ワイフが出張していて私が石見銀山へ帰らないと吉田家がネコチャンズとキーポンだけになるから、往復4時間かけてセッセと展覧会場へ通勤した。
通勤時間がこれだけ長いと、自宅に帰ってもシャワーを浴びて一杯飲んで寝て起きるだけで、気が付くともう次の朝になっている。
世間のサラリーマン諸氏のほとんどは、毎日こういう暮らしを続けていらっしゃるのかと思うと、心の底から感心し頭がさがる。たまの休日にはのんびりと我が家でゴロゴロしていたくなる気持ちもわかる気がする。
私など、1年を平らに均してみると、まるまる1日のんびりと休日を楽しむことなど10日もないだろう。それほど毎日何かしらせわしなく何かをして過ごしていることになるが、それでも、自分の自由になる時間はそれなりに充実していると思う。
正に、今現在もそういう時で、こうして展覧会場の受付をしながらのんびりとコーヒーをすすり爽やかな初秋の風を感じつつ、プチプチとラップトップをつついて、ぼんやり思っていることをとりとめのないままテキストデータに置き換えている。
まぁ、会場当番という仕事が無いわけでもないが、ひと頃のなっちゃんや先月までのノッチのような絶え間ない接客で心身が疲労喪失するようなこともない。

ところで、この会場受付だが、私としては、展覧会の開催事業の数ある仕事の中で一二を争うほどの重要な仕事だと思っている。
今回の現代彫刻小品展にしても、50名の彫刻出品者の60点の彫刻作品を預かっているわけで、それだけでも十分に責任ある業務をしていることになる。接客にしても、ほとんどが地域に住み暮らす住民の皆様を相手に、それなりの日常会話ができるまでには事前のリサーチをしておくことも大事なことだ。彫刻の質問や問いかけにも制作者に代わってできるだけ適切に対応をするために、作家の作風や制作技法など、最低限の知識もチェックしておかなければいけない。まぁ、それもこれも結局は自分の勉強だと思えば苦になることもないし、かえって自分の彫刻に影響してレベルアップに繋がる可能性もある。
一日をどのように使うかひとそれぞれだが、寝る間も惜しんでガツガツと仕事に食い下がるのもどうかと思う。メシを食べても腹八分目が良いというし、適度な余裕や余力は残しておきたいと思う。結局は何をしても自分に返って来ることだからね。

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奥出雲のこと 

2016/08/31
Wed. 21:25

吉田オヤジは少々疲れ気味です。
まぁ、片道2時間の距離がけっこうこたえているだけだと思うんですけどね・・・

奥出雲は、島根県東部の山間部に広がる2つの町が集まって行政区が形成されている。
坊主的に言うと、圧倒的に地域全体へ禅宗が広まっていて、中でも曹洞宗が多い。
寺院の規模も、普通に万善寺の3倍位あって、立派な山門もあって、中には回廊がある寺もあって、それはそれはたいしたものだ。
往時の地域統治者の勢力がどれだけ大きかったかということを実感する。

商業的に言うと、はっきり言ってよくわからない・・・が、とにかく、蕎麦屋さんが多い。これまでにほとんどの蕎麦屋さんを回って、残すところあと2〜3軒までになった。
夏の間中、いろいろあって食が細ったが、ここにきて一気に胃袋が元のように大きく伸びてしまった。この、蕎麦屋さんについては、そのうち特別増刊号か何かでひとまとめにしてみようと思う。そのくらいそれなりにみなさんこだわっていらっしゃるということだ。
私としては、特に食通というわけでもないし、食道楽というわけでもないが、そばが好きだということだけは確かなことだ。自分の好みもあるが相対的に、奥出雲のそばは旨いと思う。
他にも、食事がらみのお店がそこそこあって、町に暮らすオヤジたちにとっては、適度に楽しく食べて飲めてなかなか住みやすくできているのではないかと、勝手に思っている。

産業は、やはり全国的に知名度のある仁多米につきるだろう。今の時期は、今年の新米が出まわる少し前で、1年で一番条件の悪い頃だが、それでもシャンと出処の知れている米はびっくりするほど旨い。それはやはり、中国山地から湧き出るミネラルたっぷりの水と、山から吹き下ろす冷気で冷やされた空気に地域全体が包まれる絶妙の環境によるものだろう。昼と夜の寒暖の差は高原の気候そのもので、そういう地域でひと夏を暮らすことの贅沢は何にも代えがたい気がする。飯南高原もなかなか絶品だと思うが、夏の気候はとても太刀打ち出来ない。こういうところで丹精込めて作られた米は不味いわけがない。

現状はそういう環境だが、昔々は砂鉄を使った精錬業が盛んであった。
今回、古い歴史も残るこの場所で現代彫刻小品展を開催している。
今まで、いろいろなところで同等の展覧会や個展をしたが、この奥出雲でのような会場の雰囲気は経験したことがない。
8割は奥出雲町内からの来場だが、新聞や口コミのおかげで広島や鳥取からも来てもらっている。それに、なんといっても、会場での滞在時間が圧倒的に長い。家族連れで1時間以上もかけて丁寧に見てもらったりもした。彫刻の小品60点でこれだけ丁寧に見てもらえると、恐縮してしまうと同時に、下手に彫刻の手抜きができないと痛感する。作家の力量が試されているようで、結構な緊張感だ。
ギャラリートークも熱心だったし、ワークショップも参加者は真剣に楽しんでいらっしゃったし、交流会もビックリするほど楽しく盛り上がった。
自分にとっては、久しぶりに新鮮な感動を頂いている。

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晩夏の吉田家 

2016/08/30
Tue. 10:48

ワイフのいない石見銀山の我が家へ帰った。
すでにキーポンは保育実習を終わって、約2キロの距離を歩いて帰宅していた。
ネコチャンズは、チラリと顔を見せたが、あとは何処かに紛れて姿を見せない。

現代彫刻小品展が始まってから雨がよく降るようになって、急に朝夕が冷え込むようになった。
暑い時の癖が治らないままパンツ一丁で寝ていたら、足の指先が冷えて夜中に目が覚めた。
隣では、娘ざかりのキーポンが爆睡している。
もうそろそろ、決まった彼氏が現れてもいいくらいの年頃だろうに、オヤジの隣でものすごい寝相で寝ているキーポンを見ると、なかなか複雑な思いだ。
夏になってほとんど毎日のように石見銀山の自宅を留守にしていたから、自宅のそこここがなんとなく微妙に荒れている気がする。
男手のない暮らしであったり、家族が一人減って少なくなった毎日が続くと、三度の食事や掃除洗濯の日常の家事に何処かしら手が回らなくなったりして荒んでくるのかもしれない。
朝から晩まで留守にして、1日のほとんどが家を閉めたままの毎日が続くと、それだけでなんとなく家の生気が失せてしまうような気もする。
ほんの20年ほど前は、家族6人がこの吉田家にひしめいていて、風呂やトイレの奪い合いをしていた。
今の吉田家の状態よりモノがあふれ散乱して、それわそれわずいぶん乱れ汚れていたはずなのに、それでも家の勢いもあって何処かしら賑わって華やかに感じられたりもした。
最小のコミュニティの荒廃はこうして始まって蔓延していくものなのだろう。

夕暮れから夜になろうとしている頃になって石見銀山の町並みへ結界君を乗り入れたら、町並みのちょっとした空き地へテントが雨に濡れながら残っていた。
石見銀山は前日の1日が「天領さん」のお祭りだった。
吉田家が石見銀山へ住み暮らし始めた頃は、7月の終わりから8月の初めにかけて大田市の各地で同時に開催されていた比較的大規模な地域振興の祭りになっていた。
当時はまだ元気のあった石州瓦の産地でもあったので、その瓦を使ったドミノ倒しがあったり、市内の企業や自治会の有志が集まって天領踊りを練り歩いたりしたし、海岸の町では盛大な花火大会で賑わった。石見銀山の町並みでは、本格的な時代衣装で装った大名行列が練り歩いて、町並みへ面した吉田家の一部屋を解放して「謎の似顔絵師」なる怪しいオヤジになりきったりしたこともあった。
雨に濡れながらすでに暗くなり始めた町並みへ奥出雲からの荷物を降ろしていると、あの頃の賑やかさが思い出される。

ノッチがSNSで浴衣を送ってくれと言ってきたから何か企んでいるなと思ったら、秋田の花火を見に行ったのだそうだ。彼女は、小さい時から花火が好きな娘だったが、どうやら今でも変わっていないようだ。

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現代彫刻小品展in奥出雲の三日目は雨だった 

2016/08/29
Mon. 20:59

展覧会が始まって最初の平日は雨で始まった。
これから1週間、比較的暇な毎日になるだろう。自分の予想では、1日10人くらいのお客さんが来てくれればいい方だと思っている。
浜田のこども美術館でも、夏休みに入ってすぐの時期で好天に恵まれているのに、平日は二桁にもいかない日があった。
こうして終日会場で受付をしていると、島根県の美術愛好家というか、彫刻に興味のある方々はせいぜいその程度だということがよくわかる。

・・・というわけで、8月29日の今日が始まった。
そして、その今日は、島根県を代表する女流彫刻家であり、ボクのワイフであり、じゅん君やなっちゃんやノッチやキーポンのお母さんであり、限りなくネコチャンズに愛されている吉田満寿美さまの誕生日なのであります!
その本人は、現在、神戸の方へ出張で留守にしている。
いつもだったら、いつもの花屋さんでいつものようにバラの花を買って届けているのに、今年はそれが出来ないままで終わってしまった。
長い人生、たまにはそういうこともあるだろうとは思うが、今年は、この1ヶ月あまりほとんど石見銀山の吉田家を留守にしていて、昨夜も現代彫刻小品展開催地の近所の友人のウエアハウス事務所のロフトで寝たところだ。万善寺といい、ウエアハウスといい、どうも私にはロフトが似合っているようだ。
とにかく、ワイフの誕生日はキーポンとネコチャンズと私の味気ない夜になった。

キーポンは、今週末まで保育実習があって、それが終わると学校の寮生活に戻る。吉田家メンバーは夏休みも無いほど慌ただしく過ぎた。
2時間かけて奥出雲から石見銀山へ移動する間中、断続的な激しい雨に降られた。
帰宅してラップトップを開くと、今回の展覧会に埼玉から車で駆けつけてくれた本多さんからメールが入っていた。たいしたおもてなしも出来なかったのに、丁寧なお礼だった。
もう、何十年も前から本多さんにはお世話になりっぱなしで、そのお返しをしようにも、島根と埼玉の距離を思うと、普通の日常の隣近所の付き合いのようなわけにもいかないし、なんとかならないものかといつも思っていたのだが、やっと少しばかりはなんとかなったかなと勝手に思っているところだ。

遠路はるばる島根まで訪ねてくれたのに、落ち着いて話すことも出来ないまま別れてしまった気もするが、かえってそのくらいの乾いた親しさでいた方がいつまでも気楽でいられる気もする。それに、何より嬉しかったのは、島根の石見銀山や奥出雲の魅力を少しばかりは感じてもらえたような気がしたこと。
彫刻家もいろいろな立場で暮らしていて、別段特別にそこらへんの世間と変わった世間があるわけでもないが、少なくても吉田の場合は、島根の土地に根付いて生きるしかない宿命のようなものを背負っているところもある。
本多さんにも彼なりに背負っている何かが必ずあるはずだし、その辺りの事情は飲み込んで出来る人が出来る時に出来ることをすればそれで十分だと思っている。

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島根県奥出雲町の今 

2016/08/28
Sun. 18:52

この2日間、自分の現状がうまく把握できないまま、眼前の事実だけが風のように通り過ぎて行った。

現代彫刻小品展の巡回というか、第2期展が昨日の土曜日から始まった。
作品搬入から展示まで、最小の人数で動き回った数日間だったが、オープニングには徳島から松永さん、埼玉から本多さんが駆けつけてくれて、島根在住の出品者もワイフをはじめとして、たくさん集合してくれた。
現代彫刻小品展も、気がつけば10回の開催が終わった。
今回の奥出雲での開催は11回目となって、一つの節目を迎えたと思っている。

奥出雲町は、地理的には石見銀山から2時間、万善寺から1時間という、決して近い距離の地域ではないが、島根の歴史にはとても大事で私にとっても興味深い地域でもある。
世間に流れる様々な情報を整理するだけで、おおよそどういうところであるか解るとは思うが、私が島根にUターンしたもう30年以上も前から密かに興味深く意識していたこともあって、今年になって、やっと何かの形でこの土地と関わりを持つことができたわけでもある。
このあたりは、たたら製鉄の産地でもあって、あの「もののけ姫」の舞台でもあるが、こうしてこの数日間その真ん中にいると、町の様子にはたたら製鉄の賑わいが残り伝わることもなく、静かに静かに時が過ぎているふうにしか感じない。

中国地方の真ん中を東西に横切る中国山地一帯は、かなり古い昔から、人々が入植し、盛んに山の仕事へ従事した一大工業地帯でもあった。現在に残っている植林の植生は、たたら製鉄を核にしたその周辺産業の名残と言ってもいい。
砂鉄の採取や溶鉱炉に投じる炭の原木植樹など、山肌の隅々まで人の暮らしが入り込んで賑わっていた時代もあったわけだ。
集落の作り出す形状は、すべてが製鉄業関連の経年経過の中で必然的に作られた人工の産物でもある。
中国山地の至る所にたたらの神様でもある金屋子さんが祀られ、採掘や製錬業の繁栄や安全が祈念されていた。私が暮らす石見銀山にも、金屋子に所縁のある立派な神社が銀山坑道のすぐ近くに鎮座されてある。万善寺からわずかのところにも金屋子神社が祀られてあり、毎年の大祭は今でも絶えることなく引き継がれている。

まだ、自分が何をするかも曖昧なままフラフラと遊んでばかりいた頃には、今のようにここまで鉄と関わる自分がいようとは思ってもいなかった。
自分の生まれ育った環境や、自然と周辺の土地に惹きつけられる心情を思うと、どこかしら自分の意思とは関係のないところで得体の知れない大きな何かに引き寄せられているような気がする。
金属の工芸から始まった自分の造形表現が、そのうち金属の彫刻に変わって、島根各地の産地素材に惹きつけられている今がある。
残りわずかな自分の人生が今後どのように動かされていくのだろうか?楽しみでもある。

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年々好 

2016/08/26
Fri. 18:06

お昼前に8月最後の棚経へ出かけた。
3軒の御宅は、いずれも浄土真宗の門徒さん。
普通は、禅宗の万善寺が関わることもないのだが、その3軒は昔からの事情で毎年だいたい8月の終わりに棚経へ出かけている。
1軒は御宅の敷地内にお地蔵さんと観音様の祠があって安坐されている。その2体の仏さんは、その御宅が現在地へ転居される前の家にあったもの。仏さんだけをそのまま置き去りにもできないからと転居と一緒に遷座された。
2軒目はすでに90歳にはなるだろうおばあさんが守っていらっしゃる御宅の古墓供養。今年は、はじめておばあさんの御在宅がなかった。いつもは近所のご親族の御宅で暮らしていらっしゃるのだが、私が棚経へ伺う時は必ずその家を開けて待っていらっしゃった。そろそろ高齢で、少し前には近所の病院の待合室で見かけたりもしたから、体調も次第に弱っていらっしゃるのかもしれない。小学校低学年くらいの男の子を連れたお孫さんが代わりにお墓まいりの対応をしてくれた。上手に次の代まで引継ぎができている。こういう御宅は最近珍しくなった。
3軒目は元の家がダムの底に沈むことになって、先祖代々のお墓と一緒に転居された御宅。墓地墓石の移転遷座の時に万善寺の前住職へお世話になって、その関係が今の代(つまり私)まで続いている。お仏壇の前で棚経のおつとめをしてからお墓まいりをする。もう何年も続いているが、その間に、墓地の隣にある他家の墓石が野ざらしになったままで捨てられた状態だったのを、それはあまりにも可哀想だからと、その家とは縁もゆかりもないご主人が万善寺へ供養の相談をされた。まだ憲正さんが元気だった時のことだったが、そのお墓まで登るのが難しいからと副住職の私へ代行が回ってきた。それからご主人と相談して、このまま供養を続けるのも大変なことだし、結局は縁のないお墓なのだから、いっその事撥遣の法要にして御霊抜きをしたほうが良いのでは・・と提案して、熟慮の末、そうすることになった。それから後は、墓が藪に覆われて少しずつ山に戻っているが、それでもこうして年に1度の盆つとめのときには、洗い米を撒いてあげたりしてさりげなく気にかけて供養していらっしゃる。
浄土真宗さんでは仏事の認識が少しほど違っているようで、こういう古墓とか野仏さんとかの供養や祈祷のおつとめとは縁が切れているようだ。そういうこともあって、万善寺のような禅宗の寺へこういう話が舞い込んできたのだろうが、それもやっぱり施主さんの信心の心根によるから、気にしなければそれで打ち捨てられて終わりになってしまう仏事でもある。私の代になってからも、代替わりした後に観音堂の供養がなくなったりすることもかなりある。そういう施主さんは、これから先代々観音供養もないまま、お堂が朽ち果てるに任せて土になって消えてしまうのだろう。

久しぶりにSNSでノッチを見かけた。少々酔っ払って珍しく自撮りをしてしまったようだ。只今○○歳のノッチとしては、なかなか可愛らしく見える。帰国してこの数ヶ月の間、彼女なりにいろいろあったようだが、それでもそれなりにたくましく生きてしぶとく暮らしているようだ。一昔前なら、「便りがないのは元気の印!」などと親としては音信不通を意気がっていたものだが、現在ではこうしてさりげなくその時々の様子を確認できるから安心していられる。

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2016-09