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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

予測不能 

2018/09/12
Wed. 23:25

彫刻展に毎年来てくれている奥出雲の地元のオジサンが今年も来てくれた。
とても熱心な人で、彫刻を1点ずつタップリ時間をかけて丁寧に観てくれる。
ワークショップがあると、それにも積極的に参加して、道具や材料も少しずつ自分で揃えて冬の農閑期に彫刻制作を楽しんでいらっしゃる。

今は奥出雲が展覧会の会場になっているが、石見銀山も富山町も浜田市のときも、展覧会の先々で必ず一人くらいは彫刻に惹かれて鑑賞や制作を楽しまれる方が現れる。
そういう、行く先々で彫刻を触媒とした出会いがあるということが、展覧会の企画を組み立てるエネルギーになっている。

朝のオープンを待っていたように、会場へ来てくれたオジサンと1年ぶりの再開の挨拶を交わして、今年の彫刻を一つずつ解説していたら電話の着信が来た。
話の途中でもあるし、そのままスルーしてしまおうとしていたのだが、なかなか諦める様子もなくしつこくブルブル鳴り続けるからオジサンとの会話を区切って会場の外へ出た。
発信を見ると、役場に勤務している保賀の自治会のオヤジさんだった。
週初めに防災の集まりがあった直後だったし、何か行政絡みの用事かも知れないと思ったが違った。
「萬善寺さんですか?お忙しいところすみませんねぇ〜」
「そんなに忙しくもないですが・・ところで、何か?・・」
「あぁ〜、それがですねぇ〜・・、実は○○さんが亡くなられまして・・」
「はぁ〜〜??○○さんですかぁ〜??・・」
その名前のヌシは私より3〜4歳年上のまだ死ぬほどの歳でもないオヤジさん。
「亡くなったのは、昨日の朝らしくて・・・今朝息子さんが気付かれてすぐに救急車呼ばれたそうですが、もう搬送も無くて・・」
「えぇ〜??昨日ですかぁ??・・」
展覧会の接客もあるから、かいつまんでザックリと様子を聞き取ったところで、
「今チョット手が離せないことがありますんで、少し後にこちらから改めて連絡させてもらいますから・・」と、自分の都合を伝えて、ひとまず電話を切った。
それからあとの接客の彫刻話は、なんとなく気持ちが上手く入らなくて話題がスベってきたから「先程は、お檀家さんの訃報の電話だったんだすよぉ〜」と、思い切って打ち明けた。
その彫刻好きのオジサンとは数年前からの顔見知りになっていて、私が山寺の住職をしていることはすでにご存知だから、正直に伝えたら「あぁ〜〜そぉ〜かぁ〜〜・・」と瞬時に納得された。

とにかく、今年の彫刻展はボクにとって外せない用事が次々に湧いてきてスケジュールがガタガタに崩れてしまう。
選挙戦や大雨のあとは、萬善寺の葬儀がぶつかってきた。
「お前もそろそろ彫刻を考え直して住職業に専念する時じゃないの?」と、須弥壇に安座される千手千眼観世音菩薩さまのお言葉が聞こえてきた気がするが、錯覚だったかなぁ〜・・

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観音様の御陰 

2018/09/11
Tue. 23:58

台風が通過してから秋雨前線が刺激されたのか、今ひとつパッとしない天気が続いていて、なかなかスッキリとした秋空になってくれない。
彫刻展の会場をオープンする時間から逆算して飯南高原を出発した。
前夜は、例の防災マップ作成に関する調査開始の説明などがあった。
飯南高原を大きく3~4ほどに分けてそれぞれのグループから自治会の責任者が集まってきた。50人以上は居たと思う。
議題へ入る前に15分ほどのDVDを見せられて、私はたった15分の間に寝てしまっていた。隣りに座っていたのは、夏に棚経でお邪魔するお宅のご主人だった。ひょっとしてイビキをかいてしまったかもしれないと若干不安だったが、済んだことは仕方がない。
年齢のこともあって、私の同級生たちの顔が結構たくさん集まっていた。
顔ぶれを見ると、それなりのご意見番で活躍していそうな連中だったから、そういうことは極力避けて生きている私としては、とにかく面倒臭いことにならないように、集会が終わるとすぐ彼等と目を合わせないように工夫しながら早々に退散した。

保賀の谷は、全体が真砂土でその上に腐葉土が被っている。
萬善寺の裏山も、私が記憶しているだけで2回は大きな土砂崩れがあって、その度に腐葉土がずり落ちて真砂土がむき出しになった。
観音様の御陰もあって、本堂の真裏で崩れた土砂は2回とも庫裏の裏を斜めに横切って西側の畑に向かってずり落ちた。
1回目の土砂崩れで裏庭の面積が半分になって、その痕跡を隠すように母親がセッセとサツキやツツジの挿し木をした。
2回目の土砂崩れは庫裏の隣りにある別棟の客殿の角をかすめて、長方形の家全体が平行四辺形になったうえに、土砂の一部が家の中に入り込んで壁や柱や建具を壊して畳の一部がダメになった。家のすぐ横の畑はその時の土砂で完全に埋まった。流石にその時は保賀の町内の男衆が総出で家屋内の復旧を手伝ってくれた。それからあとも、萬善寺は何度も自然災害に遭遇してアチコチに数え切れないほどのダメージを受けているが、すべて観音様の御陰によってその都度なんとか復旧して今に至っている。

国や県の防災計画によると、自分の住居が幾つかある災害防災パターンのどれかに該当する場合は、立ち退きを迫られるか、国の基準に則った防御壁を建造をするかしないといけないことになるらしい。
さて、萬善寺は調査の結果どういう対応を迫られることになるのだろう・・・
開祖さん以来、400年以上の歴史ある萬善寺が今の場所に移築再建されたのは江戸の中期になる。
戦国の頃は毛利と尼子の最前線で激戦地だった。そういうところに山の一部を削って平地をつくってアチコチから古寺の部材をかき集めて観音堂のような本堂が造られた。
それから250年くらいは過ぎて、いまの萬善寺は、地面から垂直に建っている柱は一本もない。同じ場所へ改築する気にもなれないし、まぁ、ボクの住職代に何かあれば萬善寺と運命を共にするしか無いだろう。
観音様の庇護も命運尽きて、災害で潰れてしまえば後腐れなくてそれも良い。

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行雲流水〜コーヒータイム 

2018/09/10
Mon. 23:12

さぁ!これから1週間、奥出雲の小品彫刻展が続く・・・

初日は、選挙と大雨で開店休業状態だったが、これからはそういうわけにもいかないからのんびりもしていられない。
移動の途中で、行政窓口が開く時間帯を狙って文化協会へ電話を入れた。町内へ告知放送をしてもらうためだ。
なかなか繋がらなかったが、やっといつもの担当さんと会話ができたのは、もう会場の鍵を開けたあとだった。
坊主や彫刻とフリーで毎日を過ごしていると、曜日の感覚が無くなって、土日祝日に休みになってしまう関係諸機関との調整がなかなかうまくいかない。これは、相手の問題というより自分の責任で生じた不具合だから、そういう失敗は「ごめんなさい・・」と謝るしか無い。

オープンの準備を済ませて、例のごとくコンビニコーヒーでくつろいでいたら、島根から出品の作家が出張のついでに訪ねてきてくれた。
彫刻の梱包材代わりに同封してくれてあったクッキーを開けて、寺から持参した澤井珈琲の豆をミルで挽いた。その間に、彼は丁寧に時間をかけて会場の彫刻を見てくれた。

10年近く同じコンセプトの展覧会を続けていると、主催者は毎回過去の失敗を修正しながらそれなりに新鮮な気持ちで展覧会を運営しているつもりでも、何処かに慣れのようなものが絡みついて大事なポイントを気付かないままスルーしてしまったりする。今年は展覧会の主催事務としてそういうことが頻繁にあって、出品作家諸氏には迷惑をかけた。
一方、出品作家もこの10年で制作活動に変化が生じた諸氏が散見された。
彫刻の向上や力量の好転は大歓迎だが、反対に制作の惰性が見えたり意欲がしぼんだりする作家もあって、主催として展覧会の質をキープする難しさを感じた。
奥出雲の会場は、この10年で一番狭い。
落ち着いた作りで雰囲気もあるし、照明も派手派手しくなくて適度な自然光も入って彫刻の量感がバランスよく伝わる。具象抽象の表現の違いはあるが、どちらもそれなりに作家のテーマとか素材の表情が彫刻の魅力になって目に優しい。
残念なのは、会場が少し狭いこと。
展示台の箱を50個も並べたらそれだけで会場がものすごく窮屈に見えて、展示された彫刻が落ち着かない。それで、今年は10個ほど展示台を減らしてみたのだが、結局展示効果はそれほど変わらなかった。

コーヒーを飲みながら彫刻の話をしていたら、時間がすぐに過ぎてお昼近くなった。
彫刻を制作していると云っても、ほとんどみんな他に生活を支える仕事を持っていて日常はそちらで忙しいから、少し無理をしてでも何かの機会をつくって色々なタイプの彫刻家と会話をするようにしていかないと自分の彫刻が前に進まない。
この展覧会も、彫刻出品で参加するのであれば制作の領域を少しでも広げてもらえるような情報交換の場になるといいと思う。

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行雲流水ーヒトゴトジンジ 

2018/09/09
Sun. 23:15

日頃の行いがそれほど悪いとは思っていないのだが・・・
どうも、奥出雲の彫刻展は何かしら色々あって年々ハードルが高くなっている。
昨年は初日オープニングを狙ったように台風襲来!
今年は奥出雲の町長選挙が初日に重なって、広報活動で事前にアチコチ訪問すると、チラシをバシッと受け取って、あとは知らんぷりの取り付く島もない。
役場や教育委員会は選挙準備で職員もほとんど居ないし、椅子を温めているのは課長係長クラスの偉い方々ばかりで受付カウンターまでの距離がやたら遠い。
おまけに展覧会初日は前線の影響を受けて1日中大雨!・・・
展覧会の事務もまだ残っていてそちらも気になるから、会場の受付を周藤さんへ任せて午後の早いところで早退させてもらった。
あとになって、周藤さんが1日の様子を電話で報告してくれた。
「おつかれさんですぅ〜・・・会場ゼロでした!」
やっぱり・・・まぁ、あぁいう状態だとボクでも「大雨の日にワザワザ出かけないだろうな・・」と確信を持って思ってしまう。
会場から帰りがけに少し遠回りして奥出雲の町内をトロトロと銀くんと流してみたが、選挙があるはずなのにダレも歩いていなくて役場のあるメイン通りでも人影を見ることがなかった。さて、投票率はどうだったのだろう??
・・・やっぱり、ボクの行いのせいなのかなぁ〜〜・・・

展示台搬入の時はかなり増水していた斐伊川の水位も普通になっていた。
ソコソコ安定している吉田家のWi-Fiを頼って、停滞しているデスクワークを少し片付けるつもりで石見銀山へ急いだ。
「防災調査の説明会が改善センターであるようで、その出席の知らせなんですが・・・」
保賀の自治会長さんから出席してくれとの連絡が入った。班長だし、春の役員会は勝手に無視して欠席していたから、その埋め合わせも兼ねて出席すると伝えておいた。
内容はよくわからないが、防災のことは1年ほど前から石見銀山の自治会で大騒ぎをしていたし、今年になって地震もあったりしたから飯南高原でもハザードマップ作成の事前調査に本腰を入れたのかもしれない。
とにかく、「会議」と称した招集がかかっても、その殆どは一方通行の説明会で、レジュメの下の方のその他の議題のところに「質疑応答」と書いてある程度のことだから、行政の「ヤッタゴト」対策というやつで済まされるようなことだろうとだいたい予測できる。
こういうことは、あまり本気になって頻繁に説明会を重ねて地域住民が身動きできないほどギュウギュウに締め上げられるのも窮屈でしょうがないことだから、少々こぼれて抜け落ちたくらいのゆるい条例くらいで済ませておいてもらいたいものだ。
イザという時は、やはり自分の身は自己責任で守ることを住民みんなが自覚すれば、それなりの覚悟も固まって個人がシャンとする。
どうも、ボク個人は行政とか組織とか仏教界も含めて大勢に流されることに馴染めない。世間の常識的な付き合いでは我儘も限界があるからそれなりに「ゴクリ!」と飲み込んでいるが、「他人事人事(ヒトゴトジンジ)」のサジ加減には敏感でいられるよう心掛けている。

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行雲流水ーサイズに関する一考察 

2018/09/08
Sat. 23:48

行雲流水が始まって、気がつけばもう週末・・・
銀くんの走行距離は1000km近くになって、石見銀山から東京のワイフの実家へ到着するくらいは走った。
毎日朝夕の往復が続くから、最近は無理してすっ飛ばすことをやめた。
何をどうしても絶対に1時間は過ぎるし、それでも1時間半ほどあればだいたい会場か自宅か寺かどこかへ到着している。
運転中は聞き逃して数年間に溜まってしまったPodcastのラヂヲを一つずつ再生して過去の様子を振り返りながら自分の記憶を取り戻している。

寺と奥出雲の移動は、docomoも圏外になるほどの山の中や谷の底に続くアップダウンのワインディング・ロードばかりで、コンビニは奥出雲に入ってからファミリーマートとポプラがあるだけ。
セブンイレブンやローソンは今の所進出していない。
移動中はバックミュージックとドリンク(主にコーヒー)が欠かせないボクとしては、この山道ルートが結構ストレスになってしまう。そこで、思いついたのが奥出雲のファミマでLサイズのコーヒーを道中の往復分で2つ買ってしまうこと。そうすれば、次の朝に冷めたコーヒーをチビチビやりながら過酷な山道をほとんどストレス無く走破できる。
まぁ、そんな感じで彫刻展の会場までアレコレ工夫しながら移動している。

コンビニコーヒーでは、ファミマが一番好きだ。理由はLサイズで180円と若干お得であるということと、濃くて苦めのコーヒーであるということ。
セブンイレブンはだいたい濃い目でボク好みであることは良いのだが、店によって味のばらつきが気になるし、一杯の量が少ないからチョットもったいない気がする。
ローソンは癖のない飲みやすい味で「店員さんがカウンターから手渡ししてくれるところがいいわ♡」とワイフはローソン派!
「カップ手渡しされると、どうも検尿思い出してイヤなの!」
セブンイレブンやファミマでコーヒーを注文する度にワイフはブツブツ小言を言っている。その気持もわからないわけでもないが、ブルーカラープロレタリアートのボクはまったく気にならない。

コンビニコーヒーで、ここまで語ってしまう自分もどうかと思いつつ、一方でコンビニコーヒー愛を愛おしく思ったりしている今日このごろ・・ファミマのコーヒー販売路線改革の情報が舞い込んだ。コーヒーメーカーの刷新を図って、現在の販売システムを変更することが決まったようだ。それで最大の痛手はLサイズが消えるらしい!・・ということ。
iPhoneもこの秋からの新製品はより大きくなるという言う噂だし、スマートフォン世間ではビッグサイズ化が加速しているのにコンビニコーヒーはその逆で縮小化つつある。
そろそろ10年近くになる小品彫刻展は、「小さい彫刻」の良さを引き出すための展覧会になりつつある。大きな彫刻とは違った小さいなりの彫刻表現密度も、現代の彫刻家にとってとても大事な造形技量の一つでもある。

ちなみに、ボク的にはコーヒーはLサイズ派、iPhoneはSサイズ派であります!!

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住職家業 

2018/09/07
Fri. 23:00

9月に入って、はじめての年回法事があった。
施主さんの先代夫婦の年回を一つにまとめてしてくれということで、事前に自作の杉板塔婆を2枚託されていたから、それに戒名など書いて持参した。

昔は、法事の度に施主家の裁量で塔婆をつくって菩提寺を迎えた。
坊主は、法事当日に30分ほど早く施主家へ出向いて、その場でサラサラと塔婆を書く。
萬善寺の先代住職も現役時代はだいたいそうやって乗り切っていた。
身体が動きにくくなった晩年から副住職の私が法事を引き継ぐことも増えて、同時に施主家の方も代替わりが増えて、法事当日のプロローグパフォーマンスでもある塔婆書きショーがうまく機能しなくなってきた。
「えぇ〜〜、本日は13回忌のご法事ということでお参りさせていただきました・・・、なにかとご心配のことでしょうが・・・ひとつよろしくおねがいします。ところで、塔婆のご準備はどのようで??・・・」
「・・・・・??、トォーバといいますと??」
「ご当家でご準備されてあると思いますが・・・」
「・・・?・・・エッ???ソォーなんですか??」
てなかんじで、お経の前からドタバタの大騒ぎになったりすることもシバシバ・・・

飯南高原に萬善寺のお檀家さんは少なくて、ほとんどが塔婆のいらない浄土真宗さんのご門徒さんばかりの土地柄もあって、施主家での申し送りが曖昧に済まされていたりすると、仏事の常識がほとんど欠落したまま法事を坊主の方が仕切ることになったりする。
萬善寺周辺でも葬祭業の浸透で仏事の不案内な施主家が一式丸投げの葬式仏教が増えた。
坊主の布教活動が怠慢であることも一因なのかもしれないが、まぁ、ボク的にはそういうややこしい仏事の決まりごとをクドクド説教しても、結局は聞く側の仏教信心の主体的な受け取り方の問題だから「ソォーいうことはあまり興味ないので」とか「難しいことはわからないので」とか「仕事が忙しくて」とか、なにかと都合の良いように言い訳されておしまいだったりする。
それで数年前から、自分で奈良県の間伐製材屋さんへ直接塔婆制作を依頼することにした。そうしておけば、法事の話が入った時に「それで、塔婆はどうされますか?」と一言事務的に問い合わせするだけで事前のドタバタが解消できる。

世間話をはさみながら家族だけのささやかな法事を済ませ、寺で着物を着替えて洗濯を済ませてから、斎膳の折弁当とお供えに頂いたピオーネの粒落ちパックを持って吉田家へ急いだ。
ブドウはなっちゃんへ土産にして、弁当はワイフへ土産にした。
最近は斎膳のほとんどが弁当になった。贅沢な話だが・・・法事の度に似たような詰合せの弁当を頂いていると、そういう、見た目重視の小洒落た料理より、ワイフの手作り家庭料理のほうがずっと美味しく感じる。それでも、彼女の方は「美味しい♡!」とか、「珍しい♡!」とかいって、結構喜んでくれえるので、粗末になることはない。残りは自分でありがたく完食させていただく。

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お駄賃は豆腐と野菜 

2018/09/06
Thu. 23:50

「洗濯物干すから少し待ってて」
出掛けにそう云っていたから展示台を詰め込んだ2tを銀山川脇の駐車場へ止めてワイフを待った。
台風は夜の間に日本海へ抜けた。
関西を中心にかなり甚大な被害だったようだ。
吉田家も雷が直撃してチューナーからの変換器が壊れた。
隣の家はブレーカーが落ちた。
ワイフが朝になってウォーキング散歩をしながら幾つかの情報を収集したようで、結局、雷の被害はGPSで狙ったように2軒だけだったようだ。

国道を東進して出雲から斐伊川土手へ右折して、あとはひたすら南下すると奥出雲。
出雲から大きく東へ向けて流れを変える斐伊川は宍道湖に開けていて、出雲地方から奥出雲一帯が八岐の大蛇伝説の発祥地になる。
台風絡みの大雨で斐伊川がかなり増水している。
島根へ帰ったすぐの頃はまだ新婚間もなくて、毎日のようにワイフと斐伊川土手を往復していたから懐かしい。

展覧会の会場へ着いたら地元で手伝ってくれているOさんが合流してくれて、とても助かった。
一人の作業だと夕方までかかるだろうと覚悟していたが、手伝いが二人増えただけでずいぶん助かった。
「ねぇ〜、あの美味しいお豆腐と、途中の道の駅で野菜ね♡!」
ワイフは彫刻展の手伝いを兼ねて帰りに買い物の計画を決めていたようで、お駄賃をせがまれた。
奥出雲のこだわり豆腐は普通の2倍ほど高いが、確かに美味い。
地物の野菜類は新鮮で安い。
いずれ、自分の腹におさまる食材でもあるから、彼女の手間賃としては妥当だろう・・

本社出張で帰省中のなっちゃんは、仕事が終わってからミーティングを兼ねた夕食会で夜が遅くなるそうだ。
2tを返して銀くんに乗り換えて業務用スーパー経由で食材の補充をして吉田家へ帰宅したのはもう夕方だった。
気がつくと、ずいぶん日が短くなっている。
いつも繰り返している慣れた作業だが、それでもどこかしら緊張しているようで、ネコチャンズを見ると、忘れていた疲れがドッと出て身体が一気に重くなった。
夕食の途中から眠くなって、早々と寝た。明日はお檀家さんの法事で朝が早い。
ワイフはなっちゃんの帰宅を待っていたようだが、テレビが見えないから退屈だっただろう。
夜中にのどが渇いて目が覚めた。水を飲もうか迷っていたらクロがうるさく鳴きながら夜間徘徊をはじめた。リビングの電気をつけたらなっちゃんが簡易ベッドで寝ていた。

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ピカッ!ドカン!! 

2018/09/05
Wed. 23:45

借りた2tを倉庫のプラットフォームへ寄せて「今のうちに展示台を少しでも積み込んだら、明日が楽だけどなぁ・・」と、一瞬そう思ったが、台風絡みの雨が激しくてどうもその気になれないままワイフに連絡をして迎えに来てもらった。
風はそうでもないが、とにかく雨がすごい。
8月は、あれだけ連日猛暑続きで「夕立の一滴も降らないまま過ぎていったのに・・・」
暗くなった雨降りの空を見上げながら地球を相手に無駄な恨み節がフッと浮かんだところへワイフのヘッドライトが近づいてきた。

シャワーを浴びて、一杯やりながら台所のワイフと台風のことなど話していたら、突然「ピカッ!ドカン!!」と吉田家の真上で強烈な雷が光って鳴った。
同時にテレビのモニターがパチッと消えた。
地デジチューナーから音声だけが何事もなかったように流れてくる。
照明や他の電化製品は普通に動いているようだし、アレコレいじってみたがモニターは消えたままNO SIGNALの文字が一瞬点灯してすぐに暗くなる。
ワイフのiPhoneが鳴った。
「はぁ〜、はぁ〜・・・、それでまだ暗いままですか?・・・うちは電気ついてますが・・・そぉ〜、そぉ〜・・・そぉ〜です。テレビおかしくなってしまったようで・・・お宅は何もつかない??・・・冷蔵庫も・・、あぁ〜〜、ウチのが帰ってるから・・・そぉ〜そぉ〜〜、これから行かせますから・・・イエイエ、ハイハイ、マァマァ・・・ハイハイ・・・すぐに・・・すぐですから・・・ほんとにねぇ〜・・・うちの真上でしたよ、きっと・・・そぉ〜そぉ〜〜、とにかく、行かせますから・・・」
電話の会話でなんとなく察しがついたモノの・・・
「ボク・・もう一杯やってパンツのままくつろいでるんだけど・・・うちのテレビもそのままにできないでしょぉ〜・・ブツブツ・・」
そうこうしていると、なっちゃんが帰ってきた。
「今の雷すごかったねぇ〜・・ウチ大丈夫??」
「正チャン早く行ってあげてよ、隣・・・」
「明日は展示台搬入なのにぃ~・・ブツブツ・・・」
「だから、隣困ってるんだから・・」
雷の「ドカン!」ひとつで、何か大騒ぎになった・・・

お隣さんは、ブレーカーのメインスイッチ復旧で一件落着!
吉田家のモニターは再起動するも画像が戻ることはなかった。
テレビ依存症のワイフは、声だけ聴きながらなっちゃんと夕食をはじめた。
ボクは・・・音声端子や映像端子を抜き差ししたりして大汗をかきながら復旧に務めたが、結局徒労に終わって、気まずい夕食になった。
雷は、あの時の1回だけで終わった。
2度めのシャワーをどうしようか迷ったが、めんどくさくなってそのまま寝た。
「明日、予定空いたから、奥出雲付き合うよ♡!」
ワイフのひと言で少し気が楽になった・・・

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行雲流水ー台風接近 

2018/09/04
Tue. 23:53

石見銀山ー萬善寺が約50km弱
萬善寺ー奥出雲が約50km
奥出雲ー石見銀山が約80km
アップダウントライアングルは、だいたい3分の1がdocomo圏外
Wi-Fi環境脆弱の極み・・・
吉田家へ帰宅したらドッと疲れて、飯くってシャワー浴びてバタンキュー
萬善寺へ帰宅してもドッと疲れて、飯つくってくってシャワー浴びてバタンキュー
奥出雲はパスワードのかかったひ弱なWi-Fiスポットがわずかに1個でボクのiPhone5sが唯一の通信手段
・・・島根県のこんな状況で彫刻展を開催しようとしているワタシは「いったい何を考えて何を目指しているのでしょう?」

台風直前の朝を石見銀山で迎えた。
奥出雲の会場と彫刻業者搬入受け取りは、奥出雲土地っ子O氏に一括してお願いした。
彼は、音楽好きでジャズからクラシックまでライブの企画を奥出雲の各所で廻している文化人だから、彫刻展のことでも我が事のように親身になって手助けしてくれる。
展示台をしまってある場所から、1階のプラットフォームまで一人で3往復した。
倉庫には約2畳の昇降機があって、それがずいぶん役に立つ。
2010年から彫刻展をスタートさせて、もうかなりの回数展示台の上げ下ろしをしている。
多い時は4〜5人くらいのお手伝いが集まったこともあったが、だいたいほとんど一人で移動の作業をしている。
適度な運動をしているつもりで、マイペースに慎重にゆっくりと動いている。
台風接近のこともあるので、プラットフォームの隣りにある1階の部屋へ約60個の展示台を積み上げた。
あとは、2tへ翌朝積み込んで奥出雲へ向かう。会場ではO氏が手伝ってくれて展示台を下ろすことになっている。

お昼ごろから厚い雲が少しずつ下がってきて雨が強くなってきた。
台風が接近しているのだろうが風はそれほどでもない。
近くのコンビニで昼食を買って、夏は海水浴場になる日本海の海岸へ移動した。
昔は、テトラポットが300m沖合に並んでいるだけのなんの変哲も無い海岸だったが、それからしばらくして護岸工事が始まって、海の波打ち際近くまでインターロッキングを敷き詰めて、日除けの東屋も出来て、おしゃれな海水浴場に変わった。
その工事の真っ最中の夏のある日、まだ小学生のキーポンと一緒に石見銀山から里山を抜けて日本海までサイクリングをしたことがある。
その時にワイフのつくってくれたお昼の弁当を開いて食べたのがその東屋だった。
もう、あれから10年は過ぎた。
そんなことを思い出しながらコンビニおにぎりを食べている間に土砂降りになった。
2tを受け取りにレンタカーショップへ向かった時は、雨が小降りに変わっていた。

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行雲流水の暮らし 

2018/09/03
Mon. 23:50

彫刻の業者搬入が始まった。
週末までにどれだけの彫刻が集まるだろう?・・・
1週間集まった彫刻を1日で展示して日曜日から展覧会スタート!
そして、これから行雲流水の暮らし・・・

生来の怠け者で軟弱なボクは、何事にも確固とした信念があるわけでもなく、めさきのことごとくに流されてばかりの毎日を送っているから、特にことさら踏ん張って彫刻展の準備に取り掛かることもなく、時期が来ればそれなりにやらなければいけないことも出来てきて「まぁ、仕方がないからそろそろ動くことにするか・・・」的ノリでフラフラと一つずつ優先順位に沿って用事を片付けることになる。
それで、まずは奥出雲の会場へ出かけて常設の椅子やテーブルを移送する。
奥出雲の観光商業関連施設は月曜日の休館が多くて、彫刻展の会場になる旧ガラス工芸館の隣りにあるたたらと刀剣館もそのひとつ。
会場の鍵の管理をその施設へお願いしてあるから、まずは鍵の受け渡しを具体的に相談しておくことになる。
過去の展覧会実績を元に休館中の事務所でサクッとコトを進めて、善後策を調整した。

こんなゆるい感じで、彫刻展がスタートした。

昨年もそうだったが、台風が近づいている。
なっちゃんが本社出張でその台風と前後して帰ってくる。
押さえておいた2tのアルミレンタカーが台風とぶつかるかも知れないと気をもんだが、夜のうちに日本列島を通過して日本海へ出てしまうらしいので影響も殆ど無いだろうと少し安心・・・
夕方までに展示台の移動も終わらせて台風通過を待つことにした。
吉田家へ帰宅すると、
「なっちゃん明日の飛行機だって・・」
ワイフが夕食の準備をしながら台所から教えてくれた。
関西地域は早々と公共交通機関の運休を告知したが、東京出雲間の飛行機はいつもどおり飛ぶらしい。

帰国したノッチは、時差ボケに苦しみながら就活を進めて、居住地を日本へ戻したり、口座の移動をしたりと、面倒な事務処理をはじめた。
本籍の戸籍証明などの書類を私へ云ってきた。なっちゃんが出張中にそれらを揃えて彼女へ託すことになる。
彫刻展の準備業務の合間を縫って、役場窓口へ出かけることになった。

飯南高原と石見銀山と奥出雲の3箇所を右回りだったり左回りだったりの移動がしばらく続くタイミングを狙ったように台風は来るは燃料は上がるは・・・萬善寺ファンドの乏しい資金で切り盛りしている展覧会へ早々から打撃を受けた。

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石が消えた 

2018/09/02
Sun. 23:52

七日務めがまた巡ってきた。
1週間過ぎるのがとても早く感じる。
この時間のスピード感は、そのまま自分の人生の終末を突っ走っているということでもあって、なにか、ずいぶん慌ただしく落ち着かないまま「死に向かっているのだなぁ・・」と思ってしまう。
一度しかない人生なのだから「もっとゆっくりとのんびりと毎日を過ごしていきたいなぁ〜」・・・そう、思ってはいても現実はなかなかうまくいかないで眼前の慌ただしさに流されてばかりいる。

おばあさんが亡くなって、残された一人息子は足が動かなくて、広い大きな家の一部屋へこもって寝たきりの生活を続けていらっしゃる。1週間に数日ほどデイサービスでお風呂に入れる日があって、あとは弁当の配達を頼んで毎日を過ごしているようだ。
元々歴史ある旧家で、先代は校長先生まで勤め上げた立派な方だった。それが、一人息子を最後に絶縁となって絶えるまでになった。
万善寺は、その息子さんの最後を看取って、あとは先祖代々すべて一括永代供養で引き継ぐことになる。
おばあさんと最後にお話ができたのは随分前のことになる。
息子さんことを心配されながら、ご先祖さまの行末もそれ以上に心配されていらした。
いずれこうなることは、もうずいぶん前からわかっていたことだろうと思うのだが、一方で考えたくもないし思いたくもない現実から逃避することの楽な選択肢も用意されていたのかもしれない。
息子さんのこれからあとは、行政の福祉事業に委ねるしかないことで、それに万善寺がどう関わっていくのかと、それを思うとやはり気が重くなる。
私の人生のめぐり合わせがそのように出来てしまっているわけだから、今更どうあがいてもしょうがないことだとわかっていても、やはり自らの身銭を切って絶縁からその後永代へのお付き合いまですることへの不条理を素直に受け入れることが出来ないでいる。
七日のお経を読んで息子さんのかわりに塔婆を持ってお墓へ参って当家を後にした。
その間、息子さんは奥の一部屋で横になってテレビを見たまま動くこともなく、お母さんの遺影や位牌へ手を合わせることもなかった。
世間では行政や斎場と契約した葬式坊主で楽に暮らしている営業の上手な坊さんも多いらしい。万善寺はそういう仏教界とは縁がないから、今までどおり、自分に出来ることを出来る限り粛々と続けていくしか無いことだ。
とりあえず今は「いちばんつらい思いをしているのは残された息子さんだ・・」と思うようにして四十九日を目指しているところだ。

気晴らし・・・というわけでもないが、工場のこともあるし、着物を作業着に着替えて、寺から石見銀山を素通りして工場へ直行した。
奥出雲の展覧会が近い。倉庫へ回って彫刻の展示台を確認して2tレンタカーの予約を入れたりして、それなりに汗をいかいた。
休憩がてら久しぶりの日本海を見た。いつもの石浜から見事に石が消えていた・・・

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晩夏 

2018/09/01
Sat. 23:07

猛暑続きの8月が終わった。
庭木1本が枯れて、鉢植えは水やりが追いつかなくて全滅した。
飯南高原の街道別れの近くにあった桜の木も枯れた。
境内の草刈りはしないことにした。
稲の刈入れが早まって、スズメたちが古古米をつつきに来なくなった。
何から何まで自分の人生(・・って、たかが知れてるけどね・・)で経験のないほどの猛暑だった。

冬は記憶に無いほどの極寒で、夏は未経験の猛暑・・・
地球の異常のせいだけでもないだろうが、この最近、人間社会でやたらと〇〇ハラスメントが賑わっている。
私の好きなウディ・アレンさんも、映画業界のハラスメント加害者だと告発が続いて、今は出演辞退の役者多発で映画製作が出来ないまま監督引退状態になっているそうだ。
この、ハラスメントというやつは、人間社会だけでなくて世の中の生き物全ての生態社会に存在していて、永遠にゼロと消えて無くなることは無い問題だと思っている。
力関係の強弱とか上下とか大小とか・・色々な場面で、同等対峙のバランスが崩れた瞬間にコトが生じ、やがて時間の経過の中で認識や解釈の相違が深まって発酵した先にハラスメント的定義付けが何処からともなく湧き出してくるもののように思う。
人間以外の動物や植物は嘘の無いコミュニティーであるから、同等対峙のバランスが崩れた時点ですでに関係機能の修復は不可能とお互いが悟る。そういう残酷な潔さが環境の循環を支えているのだと思う。
人間は、とにかく数え切れないほど複雑で様々な思考回路を持っていて、その多様性の絡み合いの中で様々に生き残りを工夫して共存しているから、頭では分かっていても、心情的であったり主観的であったりすることの振り幅や客観的認識の相違とか、時間軸の誤差の許容認識の相違とかでハラスメントの質量も違ってしまって色々とややこしいことになってしまう気もする。

とにかく、人間界におけるハラスメントの認識許容解釈は1000年100年前や50年前の常識も、10年5年前や昨日今日の常識だって一瞬先は通用しない現実がある。そういう、常に変化変態し対峙の中道が揺れ動いている事象に対して今の人間はあまりにも即物的で短絡的でありすぎる。一つ一つの事象においては、その現実と真摯に向き合って自戒を受け入れることが、人間として一大事なことで、その人の持つ技量とか才能とか特異性とか、そういう努力して培われ磨かれる能力にまで踏み込んで包括してハラスメントの網をかけてしまうことはあまりにも早計すぎる。ハラスメント事案と当事者の実績や経験値の深浅を軽々しくイコールにして混同した社会的制裁は慎むべきことだと、私は思う。

改めて冷静に自分自身の過去を振り返ると、この歳になるまで数限りないほどのパワーとかセクシャルとかモラルとか様々なハラスメントの加害者であり被害者であり続けてきたし、これからもそういう事案にゼロであり続ける自信など全く無い。とにかく、今の自分にできそうなことというと、まずは自ら対峙の耐性を鍛えることくらいだろうか・・

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ノッチ帰国 

2018/08/31
Fri. 23:09

ニール・サイモンさんの訃報が入った。91歳だったらしい。
そんなに高齢だったとは思っていなかった。
記憶の糸を手繰ってみると、確かにグッバイガールを映画館で観たのは学生の頃だったから、もうあれから半世紀近く過ぎたわけで、そうすると死んだ両親と同じくらいの年齢であったのも頷ける。私も歳をとったものだ・・・
ニール・サイモンさんが脚本を書いたグッバイガールは売れない役者が出てくる。
なにかしらの夢もあるし、自分の理想も持っているのだが、現実は厳しくて何をやってもうまくいかない・・・まぁ、簡単にいうとその役者がそういう状態で悶々と足掻きまくるようなストーリーだった。
その映画の当時は、自分もまさに何をやってもうまくいかない、自分の目指す先は何なのか想像もできないし予測もつかない・・・と、実に曖昧な毎日を送っていた頃だったから、その映画を観た時は、彼のうまくいかなさ加減のドタバタが手放しで笑えなくて辛く感じることの方が多かった。

数年前から断捨離を強く自覚するようになって、まずは自分の身辺から次々とあらゆるものを手放している。
そのひとつが映画関係の収集品。
数え切れないほどのビデオテープとキネマ旬報などの映画雑誌は、資源ごみに出したり紙類の回収業者へ持ち込んだりして、自分の周囲で見える範囲のものはおおよそ片付いた。それでも、まだ押し入れや物置を片付ければアチコチにしまい込まれたモノがたくさん出てくるだろう。
DVDは、まず再生のデッキを各種オーディオ機器から取り外して倉庫へしまった。
そうすることで、新しくDVDソフトを買ったりレンタルしたりすることが防げる。
そうしておいて、あとはひたすらダンボールの空き箱に買い集めた映画ソフトを詰め込んで近所の宿泊関連施設へ全て差し上げた。眼の前から、積み重ねられたハードケースの背表紙が消えたことで自分の気持の整理も踏ん切りがついてスッキリした。
CDも目に見える範囲のほとんどすべてを音楽好きな人にゆずったりしてサッパリした。

目の前から自分の好きなものが消えてなくなると、それから暫くの間はなにかと思い出すこともあって少し寂しかったりもするが、そのうち現実の暮らしに紛れて気にならなくなってくる。心の何処かでは、まだ忘れられてはいないのだろうけど、だから禁断症状が出て暴れまわることも無いし、どこかしら記憶の片隅に思い出のひとつとして張り付いたふうに残っていればそれでいいと思えるまでになった。
親子の関係も、彫刻も寺のことも、具体的に何か「かたち」で残っているモノは、あまりにも鮮明にリアルな現実でありすぎる。歴史の検証とか資料的価値として大事なモノもたくさんあるのだろうが、今のところ、自分を将来に残すべき価値のあるモノなどひとつもないから、もうしばらくは節目ごとの断捨離を続けていこうと思っている。

ノッチが遂に帰国する。彼女の年齢の自分はモットモットいい加減で曖昧にだらしなく見栄を張ってばかり生きていた・・・

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仕合せ 

2018/08/30
Thu. 23:02

ロサンゼルス滞在中のノッチは、太平洋の遥か彼方「ニッポン!」に思いを馳せながらサンタモニカ散策中・・・のようであります・・・と、吉田家SNSストーカーオヤジは、テレビも新聞も見ないでセッセとWebメディアから世界の情報を収集している。

単身赴任坊主から通勤坊主に切り替えて、これから彫刻家の毎日を送ることになる。
このところ、年ごとに体調や気持ちの切り替えに時間を要するようになって、そのための時間の無駄を少しでも埋めようとアレコレ考えた結果、まずは寺暮らしで落ち着かないまま遠ざかっていた読書や映画や音楽の趣味を修復することにした。
彫刻を造っていると「それは、趣味ですか?」とか「いい趣味お持ちですなぁ~」とか「趣味で売れるんですか?」とか、ボクの周辺事情ではだいたい「彫刻」を「趣味の一つ」として認識されてしまうことが多い。
そういうことに、一々具体的な反論をぶち上げても途端に白けて場の空気が淀んで濁ってしまいそうだから、だいたいがニコニコと若干引きつって目は笑わない微笑を返して乗り切ることにしている。
その彫刻のことも、1ヶ月以上工場や制作から遠ざかっていると、気付かない間に彫刻用の思考回路が無駄に複雑に絡まって、シンプルな純粋さが損なわれてしまっている。
それでドタバタと身体ばかり動かしていても、結局材料も感覚も技術も時間も、それに乏しい体力も精神力も持続力も集中力も・・・彫刻制作に欠かせない大事なものをいっぱい無駄にするばかり・・・だから、とにかくひとまずは自分にとって気になる情報やデータをコツコツと収集することと身辺整理を徹底して周辺の垢や埃や汚れをできるだけ排除することに努力する。

吉田家で暮らしていると、ワイフの世界観が生活のアチコチに満ちあふれていて、これは、ボクなりの世界観とはかなりズレているところがある。
堅っ苦しく云うと生活信条の相違と云うやつだ。
そもそも、暮らしも環境も違った人生を20年以上それぞれに過ごした二人がある日出逢って結婚して同居を始めたわけだから、それ以降はお互いにそれぞれ不可触領域をわきまえて踏み込みすぎないように遠慮を工夫しながら共同生活を維持することが重要だ。
そういう現状をわきまえて身辺整理をするとなると、自分にとっては必要のないものでも彼女にとってはとても大事なものであったりすることも多々存在するわけだ。
実際、吉田家のアチコチでそういうものがゴロゴロ転がっていても、個人の判断で簡単に取扱うことは出来ないし、なかなか難しいものだ。

夏休み中だったワイフが仕事に復帰した。出勤前の朝の1時間位は彼女のペースで色々なことが過ぎていく。私はできるだけそれを邪魔しないように「おはよう!」とか「いってらっしゃ~い!」とか、必要最小限の会話を挟んで極力気配を消して過ごす。
子供たちが独立して、出逢った頃の二人暮らしが戻った今だから、お互いの価値観の相違を自覚しつつ、且つ尊重しながら暮らすことが「仕合せ」なことだ。
仕合せは、あくまで「仕え(Service)」合うことであって、「幸福(Happiness)」のことじゃないのだ!・・・と思えば、何も苦にならないな・・ボクは!

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まっちゃんデー 

2018/08/29
Wed. 23:35

昼食は出雲のパスタ屋さんでスープスパゲティ・・・
最近、何かの節目によく出かけるようになった。なかなか美味しいと思うが、お店の正式名称は未だに知らないままだ。そのお店を見つけたのはワイフで「なにか、いつも同じお店ばかりでつまらないね・・」と、あるときワイフが云い始めて、「それじゃぁ〜適当なお店見つけてよ」・・・と車を運転しながら助手席のワイフに話しをフッたら、しばらくiPhoneをつついて探し出したのがそのパスタ屋さんだった。
あらかじめ予約を入れて、結構探し回ってたどり着いたお店は、新建材多用だが見た目はそれなりにおしゃれ風のお店で、スタッフも若いしお客も若くて、吉田夫婦が年齢層を引き上げている感じだった。
幾つかコースが有って迷ったが、おすすめコースでスパゲッティはスープスパゲティにしてみたところ、それがなかなか美味しかった。
それ以来、ワイフと外食を決めた時は「そば?すし?とんかつ?ちゅうか?・・・それともパスタ?」と選択肢が一つ増えた。

ワイフの誕生日には、毎年バラの花束を渡していたのだが、今年はやめた。
そのかわり、幾つかネタを用意して1日ワイフへ付き合うことに決めた。
満腹になってお店を出てからニトリへ向かった。
彼女は前からほしいと決めていたものがあったようで、それを探す目的だった。ボクとしてはデザインも今一つだし、どうもピンとこないところもあったが、今日の主役は彼女だし、強く逆らわないことにした。

それから映画館へ入ってオーシャンズ8を観た。
ドルビーサラウンド7.1の大迫力は映画館でしか味わえない。私は、事前に映画データのチェックをかなりマメにしておくほうなので、どちらかと云えばけっこうクールに細部までこだわって見逃さないようにしている。若い頃からの「折角高い入場料を払っているのだから・・・」なんとかして元を取ろうというあざとい根性が抜けないでいる。そういうこともあって、事前にだいたいのストーリを把握しているから、整合性の不具合も含めて許容の範囲で楽しめている。オーシャンズ8も、かなり強引で粗っぽい感じだったが、それなりに面白く楽しめた。
「ねえねえ・・・あの場面は一体ドォ〜いうことだったの??」とか、「もっとアクションいっぱいあるのかと思ったわよぉ〜・・」とか、帰りの助手席から、質問攻めにあった。
個人的には、インターネット配信を待ってホームシアターでも良いくらいだったが、ワイフの誕生日には妥当なチョイスだったと思っている。

帰宅すると、ネコチャンズがワイフを迎えてくれた。もちろん、ボクの方は完全無視・・
SNSノッチは1年の仕事を終わってオーランドからロサンゼルスへ移動したらしい。
しばらく西海岸のアチコチ巡って、9月1日には帰国する予定のようだ。
時差の関係だろう・・・真夜中になってワイフ宛に「誕生日おめでとぉー!!」LINEが届いていた。

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ボクのスイッチ 

2018/08/28
Tue. 23:06

通勤坊主があたりまえになって、石見銀山と飯南高原を毎日のように往復していると、銀くんと一緒にいる時間が、ある意味瞑想タイムになっているようなところもあって、それはそれでボクのスイッチを切り替える貴重な時間に思えるようになった。

丁度、お盆が一段落して鉄板の搬入も終わったし、坊主から彫刻へ気持ちを切り替える良い頃合いと思っていたら、アチコチから法事の電話が入りはじめて、スケジュールの調整が難しくなりはじめた。
基本的に、私のようなお檀家さんも少ない田舎の小さな山寺の住職は昔ながらの檀家優先システムを継承するアナタ次第の受動的職業であるから、今日の明日で「父親の〇〇回忌よろしくおねがいしますけぇ〜〜」なんて電話が前触れもなくかかってきたりすると、もうその時点で予定の彫刻スケジュールがボロボロに崩れ去ってしまう。
先日の万善寺役員会でも、結局は先代住職時代から継承された万善寺システムがそのまま繰り返されることになって、新規事業や運営改革の話題を挟む隙間もなかった。
「方丈はそう云われますが、それで誰が誰にどうする云われても、ダレも『じゃぁそぉ〜しましょぉ〜!』と引き受けるようなものはおりませんでぇ〜」・・・で、話が〆切られて、あとはさり気なく世間話で流されてしまう。
そんな役員会も、忘れられないうちに時々集まっておいてもらわないといけなかったりして、会議嫌いの自分としては余計に気持ちが滅入ってしまう。

彫刻の方も、銀くんとの通勤道中で脳内ドローイングが繰り返されて、煮詰まりすぎて焦げてしまうほどになってしまった。
幾つかのテーマをそれぞれ別々に気持ちを切り替えながら組み立てていたものが、知らない間にくっついたりはなれたりを繰り返して収集がつかなくなった。元々が、かたちのシンプルを極める方向でつくることを意識していることが多いから、幾つかの「シンプル」が混ざり合ってしまうと、自分の造形のコンセプトがとんでもない方向へソレてしまう。
坊主家業にしても、彫刻の制作にしても、もっと基本を見直して、自分に出来ることをコツコツと積み重ねることが大事なことだと、今更ながらに思う。誰にでも出来ることなら誰かに任せれば良いことだし、今の自分の環境で出来ることもあれば出来ないこともあるから、それを精査することも大事なことだ。
気が付かないあいだに、自分の気持が曖昧に揺らいでしまっていた気がする。

バンデッドQ(原題はTime Bandits)という映画があった。今までに4回ほどは観た記憶がある。全体の映像が暗いから、明るい部屋ではナニが何やら細かいところがよくわからなくて、それこそ「白けてしまう」ような癖っぽい映画なのだが、ボク的にはとても面白いと今でも思っている。バンデットとは盗人という意味らしい。映画はまさにそういう連中のお話だが邦題の「Q」にどういう意味があるのかは未だにわからないままだ。
イギリスグループclean banditが久しぶりに聴きたくなってプレイリストをつくった。
10曲も連続して聴くと「あとは1週間聴かなくてもいいかな?」と思ったりするが、キャッチーでシンプルな奥深さがあって、たまにのめり込んでしまう。
明日はワイフの誕生日!・・・気持ちを切り替えるには丁度良い1日になりそうだ・・・

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気ぜわしい1日 

2018/08/27
Mon. 23:53

東京へ帰省中のワイフからSNSで写真が届いていた。
関東で暮らしている娘たちが、おばあちゃん家(ワイフの実家)へ集合したようだ。
写真は、少し早めのバースデーケーキ!
娘たちが相談して気を利かせてくれたのだと思う。
子供たちが独り立ちしてからあと、1年に1度巡ってくる誕生日でケーキを用意することも絶えていたから、きっとワイフは嬉しかったことだろう・・・

早いもので、そのワイフがもう島根へ帰ってくる。
広島まで新幹線で、あとはバスに乗り換える。最寄りのバス停までは私が迎えに行く。
そういう予定で朝からワイフとSNSのやり取りをしていたところへ「○○商会ですけどぉ〜、鉄板入りましたがぁ〜、ドォ〜しましょぉ〜・・」と、いつものお兄さんから電話が入った。
鉄板はお盆前に注文してあって、夏の間は寺暮らしが続くから、入荷の予定日がわかったところであらかじめ知らせておいてくれと頼んでおいたのだが、お兄さんはそれをすっかり忘れてしまっていたらしく、しきりに電話口で謝っていた。
「それは急ですねぇ〜・・・今日の午前中なら工場へ行けますがどうでしょぉ〜?」
「あっ!それじゃぁ〜チョット積み込み調整してみますんで・・・またハッキリしたら改めて電話しますぅ〜」
そんな慌ただしいやり取りがあって、昼前に二回目の電話が入って、工場で待ち合わせすることになった。2tでやってきたのは、私より年配な感じのオジサン二人だった。
「△△くんは、チョット他の方へ配達がありまして・・・」と、そのオジサン二人が急きょ代行で駆り出されたらしい。なにか、変に急がせてしまったようで悪いことをした。それでも、ヒマはヒマなりに月末の気ぜわしさもあったのでこちらとしては助かった。

鉄板を狭い工場の壁際へ納品してもらって、その足で工場から寺まで直接移動した。
通勤坊主で時間のロスが増えた間に、テンが3畳の天井裏へ住み着いてしまったようだ。
お盆で万善寺へ常駐していた頃に、何度かテンと目があったことがある。
朝方早くに裏山から紅葉の枝木を伝って屋根へ乗り移って、そこから大屋根の軒下へ回り込んで、昔使っていた雨戸の戸袋の5cmにも満たない出っ張りを足掛かりに使って器用に庫裏の天井裏へ潜り込んで夕方まで寝る。大きさは吉田シロちゃんを細長くした感じで、頭から尻尾の先まではシロより少し大きく見える。けっこうデカイ!胴体は細身で、体型はイタチを一回り大きくした感じだ。山からダニやノミを天井裏へ運んでいるだろうから、最近は1日中セッセと寝床の真下あたりで蚊取り線香をくゆらせている。

ポストに留守の間の郵便物や自治会の回覧板があふれていた。
回覧板を配布するのは班長のボクの仕事。その仕分けをして、郵便物の中から寺の護持会事務局宛の書類を確認して、近所をひと廻りして、ワイフを迎えにバス停へ急いだ。
国道を40kmでノロノロ走る高齢ドライバーに捕まって追い越すことも出来ないまま延々と長蛇の列ができて、いつもなら楽勝で間に合うところを結局3分ほど遅刻してバス停到着!ワイフが先に気づいて荷物をたくさん抱えながら向こうから歩いてきた・・・

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只今帰省中 

2018/08/26
Sun. 23:08

詳しくはわからないが、じゅん君が研修か何かで隠岐の海士町から本土へ帰省中だ。
私の方は、ワイフが夏休みで実家へ帰省中の留守をあずかって、ネコチャンズやグッピーズの世話に吉田家へ帰って通勤坊主に切り替えながら暮らしている。

じゅん君とは、彼が高校を卒業してから今までの10年チョットをだいたい殆ど離れて暮らしているが、その途中、2年位ほど石見銀山に帰ってきて、色々なアルバイトをしながら吉田家で家族と一緒に暮らしていた。あの頃は、まだキーポンもいたし、老犬のシェパ爺もまだ生きていたと思う。
シェパ爺が冬に大往生して、それから数カ月後にじゅん君が手のひらに乗るくらい小さな猫を保護して連れて帰った。その猫がふてぶてしくデブ猫に育った今のクロだ。

例のごとく早朝からメシの催促でそのクロがうるさく鳴きはじめた。
もう少しゆっくりと寝ていたかったが、隣の部屋で寝ているじゅん君は起きる気配もなく、かすかにイビキも聞こえているし、結局、騒がしく鳴き続けるクロに根負けした。
空っぽの猫皿へご飯をよそって、水を足して、そのまま洗い物などをしていたら、あっという間に時間が過ぎて通勤坊主の出勤時間になった。

万善寺へ到着すると、朝の空気がヒンヤリしている。縁側の柱へぶら下がっている温度計は25℃。途中の銀山街道は朝の8時過ぎで温度計がすでに31℃だったから、ずいぶん涼しく感じる。今から半世紀ほど前は、夏の25℃でも暑く感じる方だった。今は連日30℃を越えることが当たり前になった。これでまたあと半世紀ほどすると、地球はいったいどうなっているのだろうと、ひとごとながら心配になって可愛そうになる。
吉田家も、あと20年前後で世代交代を迎える。
ネコチャンズやボクとワイフは、すでにこの世からおさらばしていると思う。グッピーズは、次の世代がうまく養ってくれていれば、水槽の中で限りなく世代交代しながら生き延びているかも知れない。
三人の娘たちはもう石見銀山へ帰ることもないだろう。島根大好き人間のじゅん君が石見銀山の吉田家を拠点に、このままナニカの職業に就いていれば、現在のガタピシ吉田家も、もっと老朽してガタピシになりつつ、それでもなんとか倒れないで維持されているかもしれない。
だいたい今の吉田家の状況だと、将来の予測はまぁこんな感じであるだろう。

吉田家近未来を希望的に展望してみると、何かの仕事が大当たりして、貯蓄も増えて吉田家も改築されてオール電化の暮らしを手に入れたじゅん君が、キレイなよく気の利く嫁さんと、可愛くて頭脳明晰な娘と、かっこよくて優しい息子の4人家族が巨大な水槽で暮らす世代交代して生きながらえているグッピーズと、石見銀山の間歩近くで保護したオスの黒猫と代官所前で保護したメスの白猫と、銀山口公園で捕獲された柴犬系雑種の野良犬を引き取って飼いはじめ、たまに石見銀山観光を兼ねて帰省する3人の妹たち家族を優しく迎えて、裏庭のオリーブの樹の下で仲良くバーベキューを楽しんでいる・・だったりして・・・そういう、絵に描いたような幸せで豊かな暮らしだと安心だけどなぁ・・

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ありがたやありがたや 

2018/08/25
Sat. 23:02

夜明け前のまだ暗いときから、土砂降りになった。
裏山の木々の枝が風で大きく揺れてぶつかり合う音が雨音にかぶさって、それに竹の葉の擦れ合う音が重なる。賑やかなことだ。
台風は過ぎたはずなのに、今頃になって台風並みの風雨が戻ってきた。

1日かけて、古墓と観音様とお地蔵様とお大師様の供養で4軒廻る。
1軒は万善寺のお檀家さんだが、あとは浄土真宗の門徒さん。
飯南高原では昔から、宗派を超えてご利益の重いお経を読んでもらおうと状況に応じて近くのふさわしいお寺へ供養をお願いされるお宅が多かった。
世代交代の過渡期をむかえた最近は、少しずつそういう供養の依頼も減ってきたが、それでもまだ数軒は毎年のようにお経の依頼が入ってくる。
古墓をお守りのお宅は、信心もあつくて、いつ行ってもキレイに墓掃除が行届いている。
個人でお祀りの観音様やお地蔵様などの諸仏は、だいたい庭の奥まったところへ小さなお堂を建立されていて、これも三具足がきちんと揃って信心の深さが伝わってくる。
お堂の無いお宅でも、お仏壇の近くへ別に祭壇を用意されていてお供え物も整って丁寧にお守りされている。

信心は、その家その人の気持ちの問題だから、気にしなければほったらかしに投げっぱなしでも特にナニがどうこうなるものでもない。
それでも、ナニカの拍子にナニカがおこったりすると「観音様を粗末にしてたから・・」とか「最近古墓のお参りを怠けていたから・・」とか、そういうコトが気になるのか、唐突な供養依頼があったりすることもある。万善寺へ「お経をひとつお願いできませんか?」などと連絡が入る時は、だいたいナニかネガティブに気になることがあってのことのようだ。まぁ、お経をひとつ読むことで気持ちが楽になるのならそれも坊主の大事な人助けの務めだと思って、できるだけ丁寧にお付き合いさせていただいている。

「この1年で寺の様子も変わって、今は、だいたい単身赴任の一人暮らしで乗り切ってますわぁ〜・・・」
「そりゃぁ〜、不自由なことで・・・ご飯はどうされてるんですかぁ?」
「今は、夏野菜のお供え物ももらって、それも粗末にできませんから・・・そぉ〜ですねぇ〜〜ほとんど自分で何か作ってますねぇ〜」
「はぁ〜〜、そりゃぁ〜、そりゃぁ〜・・・」
お経を終わってお茶飲み話で、また気がつけば愚痴にも間違えられそうなことを口走ってしまっていた。
「別居暮らしも気楽で良いもんですよ!三度の飯もスキな時にスキなものをチャチャッとつくって、特に苦にもなりませんしねぇ〜・・」
失言を少しばかりフォローしたつもりでいたら、帰りがけに「ちょっと待っててくださいや!お供えを言付けさせてもらいますけぇ〜」と、有難く頂いたのが赤飯だった。
流石に農家の自家製素材でつくった赤飯は一味違って美味い。
頂き物の野菜とワイフが持たせてくれた卵とサバ缶でチャチャッと遅めの昼ごはんにした。

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台風一過 

2018/08/24
Fri. 23:21

このところ、変な台風が変なふうにやってきて、何か落ち着かなくて面倒臭い。

前回の台風は、防災放送があったりして大騒ぎしたわりに、見事になにもないまま過ぎていった。
今度の台風は、夜になって徳島へ上陸したらしいから、ひょっとしたら島根の方も風雨がすごいことになるかも知れないと寝る時は少し緊張したが、朝方になってドッと大風が出て境内の色々なものが音を立ててアチコチへ飛んでいったものの、雨が降るまでにはならなかった。
外の洗面所へ置いてある二層式の古い洗濯機が、台風崩れの突風にあおられて庭側へ倒れた。反対の石垣側へ倒れたら3mほど下の菖蒲の茂みへ落ちて壊れてしまっていただろう。重し代わりにしていたブロックが倒れた拍子に2つに割れて転がっていた。電源を入れて動作確認まではしていないが、モーターが動かなくても洗濯槽を水槽代わりに使うことも出来るし、あとは、土蔵の前のアルミ製脚立が吹っ飛んで倒れていたくらいで最小限の被害で済んだ。今度も万善寺のご本尊様が守ってくださったのだろう。

台風というと、少年の頃「台風一過」を「台風一家」と、かなり長い間勘違いして覚えていた。
遠い昔の記憶で定かではないが、今から半世紀くらい前の島根県は今より台風の直撃回数が多かったように思う。
庫裏から本堂から東西南北周囲の雨戸を閉め切って、家族が家の中の一番安全なところへ集まって台風が過ぎるまでじっと絶えていた。杉板を張り合わせた板戸が物凄い勢いでガタピシ揺れて、家中がミシミシと嫌な音をたて始めるほどの強烈な暴風雨になると、板戸の隙間からシャワーのように雨が吹き込んで座敷側の建具の障子が濡れて破れたりした。とにかく、そういう様子が台風の通過に合わせて南から東へ回って北からの吹き返しが西側へ回り込んで落ち着くまで家族が思い思い何かしつつもだいたい一処へ寄り添って無言でやり過ごしていた。とにかく、こういう家族が一箇所に集って台風が過ぎるのをジッと待っている状態がボク的には「台風一家」であると思っていたわけだ。

東京ぐらしを切り上げてワイフと結婚して島根へ帰ってすぐの頃だったと思う・・「台風クラブ」という相米慎二監督の映画があった。
勤務先の住宅でまだ新婚気分が抜けない二人暮らしの夜更けに、レンタルの新作ビデオで観た。あの頃の島根は老舗の映画館が積年の老朽化もあって軒並み閉館している斜陽の時期でもあったから、自分が観たいと思う少し変わった映画はビデオでチェックするしか方法がなかった。台風で学校へ閉じ込められた中学生たちの教室での一晩や増水して水浸しのグラウンドでの狂気の様子が重たい凝りになって記憶に残っている。鬱々として理屈っぽくて湿っぽいボクの高校生活時代を思い出して親近感を覚えた不思議な映画だった。

台風一過とはよく云ったもので、今度も台風が雲を飛ばして風が消えるとすぐに青空が飯南高原いっぱいに広がった。
丁度、ノッチがフロリダの仕事終了をLINEで知らせてくれて、少し気も晴れた。
一年間のディズニーリゾート日本館スタッフお疲れ様でした・・・

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朝の銀山街道 

2018/08/23
Thu. 23:16

ワイフのいない吉田家の朝は、クロのしつこい「メシくれニャァ〜〜」コールで起こされた。
まったく、クロは人間に対して遠慮というものがない・・・
とにかく、フギャフギャうるさいからご飯を出してやったら、何処からかシロがさり気なく合流して一緒に並んでガツガツと朝飯を食べ始めた。

銀山川に面した吉田家の裏庭はおおよそ東向きだから、天気が良いと朝の日差しがリビングの方まで差し込んでくる。
一度目覚めると二度寝する気もなくなった。
それで早朝から特に何かしようという気もないし、いつも吉田家のことはワイフに投げっぱなしだったから、あまりアチコチつつきすぎるとまた叱られてしまうし、テレビを見る気にもならないし・・・いろいろと思案していたら、いつもワイフが寝ている四畳半からじゅん君のイビキが聞こえてきた。あれだけクロがギャァギャァ大騒ぎをしていたのに、彼はそれも気にならないで爆睡している。

「そういえば、コーヒーがなかったなぁ〜・・」
最近は、水出しコーヒーをつくり続けていて、もうそれが冷蔵庫でなくなっていたことを思い出した。
水出しコーヒーは、抽出の目安をだいたいひと晩にしている。時間で云うと常識的な睡眠時間と同じ8時間程度。
寺の一人暮らしは自分以外にダレもコーヒーを作り置きしてくれる人がいないから、夜寝る前の適当な時間にガリガリとミルを回して水出ししておくと、朝起きたときには冷蔵庫の中でシッカリ冷えたアイスコーヒーが出来上がっている。
基本的に、こういうライフスタイルを大きく狂わさないように気をつけておけば、毎日ほしい時にほしいだけ、ストレス無くコーヒーが飲めるというわけだが・・・吉田家ではワイフへ任せっきりになってしまっていたから、いつもと勝手が違ってしまった。
「今つくり始めても、タイミングがあわないしなぁ〜〜」と、一瞬迷ったが、じゅん君もいるし、なんとかなるだろうと、とりあえず作り置きしておくことにした。

それなりにアレコレと朝の用事を済ませていたら8時を過ぎたくらいになって通勤坊主の出発時間になった。
昼はあれだけ猛暑なのに、朝の銀山街道は夜の冷えた空気がまだ残っていて気持ちが良い。銀くんの窓を開けて走っていたら稲穂の香りが入り込んできた。
今年は、猛暑が続いていたからだろう、稲刈りがずいぶん早い。街道沿いの田んぼも、点々と稲刈りが終わっていて秋の風景に変わってきた。
つくりかけのパッチワークのように、ところどころ歯抜けになった稲穂の絨毯スレスレに精霊トンボが群れて泳ぐように飛び交っている。幾つかの群れが銀山街道を横切ってボクの銀くんめがけて飛んでくる。車の乱気流に煽られてトンボの編隊が一瞬うずを巻いて乱れる。
まだ、猛暑が続いて残暑には程遠い状態だが、自然の様子はすでにお盆が過ぎて秋に向かっているようだ。

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ワイフの夏休み 

2018/08/22
Wed. 23:39

万善寺の法要が一段落して、ワイフは久しぶりの夏休みで実家へ帰省した。
高速バスで広島へ出て新幹線で東京までのルートを自分で決めていた。
バス停までは、石見銀山から車で1時間位かかるので、私が彼女を送ることにして、約1ヶ月ぶりに帰宅した。
じゅん君も研修が2日間ほどあるとかで帰省していて、家族3人の夕食になった。
ネコチャンズやグッピーたちに逢ったのも久しぶりだ。
翌朝・・・
県境を越えた先にあるバス停までの道程は、もう1年以上走ることがなかったはずだ。
その間に、大雨も降ったし地震もあったから、途中の道路事情を心配しながら走った。
幸い、特に大きな障害もなく予定の通り1時間足らずで高速バスの停留所へ到着した。
ワイフを見送って吉田家へ帰宅するとお昼だった。

長い間自宅を留守にしていたから、何かしらどうも勝手が違ったふうに感じて落ち着かない。それに、やたらと暑い。
万善寺の暮らしも、連日の猛暑でグッタリ疲れ切っていたが、石見銀山の現状を我が身に感じると、やはり飯南高原は暑いけど一方でサッパリとしていた。夕方が過ぎて夜になっても吉田家中がミストサウナのように蒸し蒸しして我慢できない。あれほど逢いたかったネコチャンズがスネのあたりへすり寄ってきただけでムッとした体温が伝わって不快だ。ワイフは、こんな吉田家の劣悪な環境で良く毎日コマゴマとした家事を続けていたと感心する。

ナニもする気にならないままグダグダと半日過ごした。
それでもなんとなく普通に夕食時になったら空腹を感じて冷蔵庫を漁った。
すぐに食べられそうなおかずの残りを見つけてレンジに入れた。
その頃になって、クロがメシの催促でうるさく鳴きはじめた。この蒸し暑さでも何処かへ潜り込んで延々と寝呆けているのに「腹だけは当たり前にへるのだなぁ〜・・」と思っていたら、シロも何処かからさり気なく湧き出てきて、珍しく私の足元へすり寄ってきた。
人間の自分だって半日何もしないでゴロゴロしていたのに腹だけはちゃんと減っている。
猫は人間と比べ物にならないほど正直だから、まぁ、そうやって空腹を訴えてくるくらい元気であるということなのだろう。そう云えば、「猫はねぇ〜、元々砂漠の暑いところで暮らしてたから、そのDNAが残っていて暑さには強いんだって!」などと、ワイフがもっともらしいことを云っていたっけ・・・それも、まんざら嘘でもなさそうだ。

寺の一人飯は特に何も思わないで過ぎるのに、吉田家の一人飯はどこかしら味気ないまま過ぎた。
気づくと知らない間にLINEの着信があった。ワイフはすでに東京へ着いていて、キーポンと焼き肉を食べていた。今夜はキーポン宅で母娘仲良く一緒に寝るらしい。
「きーちゃんがねぇ〜、焼き肉おごってくれたのぉ〜♡!」
電話をしたらワイフは幸せいっぱいそうだった。オヤジとは待遇が真逆に違う・・・
しばらくしてキーポンがトマトの現状をLINEしてきた。緑の実がチラリと見えた。

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大往生 

2018/08/21
Tue. 23:29

珍しくワイフの方から電話が入った。
朝もまだ早いときで、目は覚めていたがダラダラとしていた。

本堂の荘厳はまだ片付かないでいる。
庫裏のゴザ座布団もひとまず用済みだから日干しをして片付けることになる。
夏の大衣も洗濯できるものはひと夏に染み込んだ汗を流してウコンに包んで片付けはじめた。
そんなことをしながら、三度の食事をつくって食べて使った食器などを洗ってシンクを掃除して・・・などと、施食会が終わってから連日似たような暮らしをしながら、供養法要へ出かけたりしている。
そういうボクの住職スケジュールをだいたい心得ているはずのワイフが珍しく早朝に電話をしてきたということは、あまり良い知らせではないだろうと直感したが、やはりそれが当たっていた。
石見銀山で20年ほど生活衣料雑貨会社の営繕担当に従事していた職人の親父さんが死んだそうだ。

享年78歳の親父さんは、大工左官仕事から、指物修理、庭つくりまで何でも一人でこなす便利職人の鏡のようなひとだった。
私も、彫刻のことや個展の展覧会のことなどでずいぶんお世話になったし、時には一緒に仕事をしたこともある。
センスが良いというより、素材をよく知っていることと、感の良さでダレがドコにナニを求めているかを絶妙のサジ加減でくみとってかたちに置き換える技は、他に真似のできる者がいなかった。
基本的に一匹狼の自分の腕だけを頼りに自己完結型の職人さんだったから、だいたいのことは一人で飲み込んで手際よく段取りを組み立ててコツコツと仕事に仕立てていた。
私も、彼と似たようなところがあって、なんでもだいたい一人でコトを済ます方だから彼の才能をもったいないと思っていて、一緒に仕事をしている時「いつまでも若いわけじゃないから、そろそろ下を育てることも考えて良いんじゃない?」と、でしゃばったことを云ったことがある。
なんとなくわかったふうな顔つきで頷いてはいたが、たぶん、そのつもりはないだろうとわかる気もして、それ以来、そういうふうな話題を封印した。

生粋の職人さんだったと改めて思う。
数多くの彼のコピーをそれらしく再現することは出来るだろうが、彼のようにゼロから工夫して造り出すことはなかなか出来るものでもない。
今年に入って一気に病気が進行して改善が望めないまま最後は病院での治療を切り上げて自宅療養に切り替えたそうだ。今の時代、我が家の畳の上で死ねるなどなかなかありそうで無いことだ。
私個人の気持ちはいろいろ複雑ではあるが、彼は幸せな人生を全うし、それなりに最後まで頑固に元気でかっこよく逝った大往生だったと、坊主的にはそう思う。

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トネさんの樒 

2018/08/20
Mon. 23:20

詳しくはないが、新潟県というか、石川とか福井や富山も一緒に北陸地方は日本でも有数の職人密集地帯であったらしい。
職人集団は、良質の原材料が豊富に集まる場所を探し当ててソコに住み着いて自らの腕を頼りに生活へ密着した機能を創意工夫しながら生産性を高め工業や産業に昇華させる。
美術学生ではあっても、まだ右も左も何もわからないまま、脳みそだけは根拠のないプライドや我欲に支配されていた陳腐極まりない頃、その、北陸地帯を旅したことがある。
1度は学生仲間と一緒の研修旅行で、もう1度は仲の良い連中と一緒の青春無計画行き当たりばったり珍道中。
それから、あっという間に20年が過ぎた頃、僧籍の資格取得でお世話になったのが新潟の永平寺系列僧堂。それからまた10年ほどしてから特注で造った鉄のテーブルを搬入したのが新潟の魚沼。
自分の人生の節目に、何故か新潟とか北陸が絡んでくる。

年に数回の荘厳の頃になると、仏花のお供えで樒を用意する。
樒は、シキビとかシキミと読まれている。
この樒を「しょうじゅんさんは、和尚さんでもあるから、樒があるといいでしょぉ〜。こんど、もう少し株が大きくなったら送ってあげるよ・・・」と約束してくれた木彫の彫刻家がいて、その約束を忘れないで今から20年チョット前に石見銀山の吉田家宛に苗が届いた。
早速、裏庭の適当なところへ地植えしてそれから枯れないように気をつけながら丁寧に育てていたものが、やっと、私の住職交代で万善寺を前住職から引き継いだ頃になって仏様のお供花に使うことが出来るようになった。
樒は日本のほぼ全国で自生しているようだから、地域の事情によっていろいろと仏前木の伝承解釈も違っているだろうが、とにかく、石見銀山の樒は丁度今頃に可愛らしい乳白色の花を咲かせて香りがひときわ際立ってくる。
基本的に仏事に合った香木として機能しているようだから、その苗木をくれた木彫の作家にはとても感謝していて、剪定する度に思い出すし、彼のことは忘れることがない。

お酒の好きな人で、木彫を制作しながら、実は宮大工の棟梁でもあった。出身は新潟県で、確か出雲崎のあたりだと聞いたような気がするが定かではない。
その彼は、もう10年程は前になるだろうか?持病が悪化して体調を崩したまま木彫の制作をあきらめた。元々が職人気質の強い人だったから、病気を言い訳にして適当に流すような彫刻になってしまうことが我慢ならなかったのかも知れない。これで、病気の束縛がなければ、今はトップクラスの木彫作家になっていたと思う。
「アトリエの庭にいっぱい樒が己生えしているのよ・・」と云っていた。
今頃あのアトリエはどうなったのだろう?
ひと頃は、展覧会で上京する度にアトリエを定宿代わりに使わせてもらっていた。
まだ死んではいないで生きているだろうけど、完全に音信が絶えた。

次の朝、本堂へ入ると樒の香りが狭い本堂いっぱいに充満して清々しい。

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過剰摂取 

2018/08/19
Sun. 23:45

施食会が終わって、お供えを下げたり洗い物をしたりと、荘厳だけを残しておおよそ片付いたのは夕方陽が落ちはじめた頃だった。ワイフは吉田家のネコチャンズが腹をすかせて待っているから、少し休憩してから帰っていった。私は翌日に飯南高原のほぼ中央にある七面さんや馬頭さんお不動さんお地蔵さんなどの諸仏をお祀りしてあるお堂の祈祷供養があるので、そのまま寺へ残った。

万善寺の法要が終わると、当分の間お供えの御下がりを有難く頂きながら暮らすことになる。お盆の時期は、特に野菜などの生鮮食品が長持ちしないので三度の飯を工夫してひたすら残さず消費することにつとめる。

本格的な一人暮らしをはじめてから、最近になって万善寺の家事や台所仕事が苦にならなくなってきた。
まだまだ充分でないところも沢山残っているが、この1~2年で少しずつ自分の使い勝手を工夫して、それがしだいに機能し始めてきたからだと思う。
長年、庫裏の隅々まで都合よく仕切っていたおかみさんのスタイルを、とにかくとことん解体整理してボクのライフスタイルへ切り替える作業は、思っていた以上に難航して時間を要した。いまだに、庫裏全体の3分の1にも満たないほどしか整理できていないが、それでも母親から寺を引き継いだ頃からするとずいぶんコンパクトにまとまってきていると思う。

お供えのアレコレも、規模を縮小させてもらった。
須弥壇周りの湯茶やお菓子野菜などのお供えや佛飯やお膳も必要最小量で都合をつけた。
その必要最小量のお供えにしても、法要が終わって御下がりを集めるとかなりの量になる。たとえば、お団子にしても一皿1個ずつにしても必要最小量で40皿くらいになるし、それがお盆の3日間続くと膨大な量の団子を一人で消費しなければいけなくなる。素麺を茹でても、40皿分となると一束ですまなくなるし、赤飯にしても1合程度では足らない。その上にお供えの夏野菜が大量に御下がりへ変わるし、お檀家さんからお供えにと頂いた生菓子一箱の消費期限も迫ってくるし、炭水化物と糖類の消費だけで目眩がする。

施食会用の餓鬼飯1合分は、出汁を加えて土鍋でおじやにした。
施食会用の夏野菜を混ぜ込んだ洗米は水を多めに炊き直しておかゆにした。
5つ組の膳は全て一つに混ぜてめんつゆを垂らして一気に鍋風に煮込んだ。
朝昼晩とこんな感じの食事が続いて、完全に炭水化物の過剰摂取になって、おまけに、お堂の祈祷供養で御下がりを頂いたりして、胃薬が欠かせなくなってしまった。

市井の俗人なら自分の好き嫌いで簡単に残飯で捨てることもするだろうが、曲がりなりにも在家坊主で御本尊をお守りする住職が、お盆の月の頂き物を粗末にあつかうことも出来ない。
いずれにしても、モノの価値や有難さに身をもって気付かされる毎日が続いている。
捨てる勇気も必要だが、捨てられないことの工夫を努力することも大事だと感じる。

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粗品はてぬぐい 

2018/08/18
Sat. 23:39

この数年のうちに相次いで先代住職夫婦が死んで、おまけに昨年は隣町の現職住職も遷化されて、その本葬が8月17日で万善寺盆法要の前日。
とにかく、何から何まで崖っぷち坊主の綱渡りが続いた。
今年は、やっと少し楽なお盆になるだろうと思っていたら、連日の猛暑とお盆直前にお檀家のおばあさんが亡くなって家族葬モドキ。
今まで長い間副住職でだらしなく気の無い坊主職を続けていたことのツケが回っているのかも知れない。

まぁ、そんな感じで慌ただしく落ち着かないまま施食会法要当日をむかえた。
昔ながらの建築方法で基礎から組み上げて屋根をのせただけの本堂は、東西南北上下左右あらゆるところから隙間風が吹き込んで、風通しが良い。
実は、そういうこともあって、チョット強めの風が吹くと、屋根裏に吹き込んだ風が天井裏へ溜まった積年の埃を吹き飛ばして、天井板の隙間から大小の埃がパラパラと落ちてくる。時には、つがいの山鳩が屋根裏の隙間から入り込んで何泊か住処にしていたり、何かの加減で迷い込んだセキレイが延々とバタバタ本堂のガラス戸めがけて飛び付いていたり、見た目よりずいぶんと賑やかで埃っぽい。本堂東側の枯木が朽ち倒れるまでは、何年も天井裏へムササビが住み着いていて、いまだにその頃の溜め糞が山になって残っている場所もある。ムササビは高い木が無いと滑空できないから、境内の木が倒れると本堂から屋移りしていなくなったのだが、気がつくと、それからあと最近になってテンが侵入ルートを見つけたようで、またドタバタとうるさくなった。テンはムササビより一回り大きいから、あいつが天井裏で騒ぐとアチコチで埃がパラパラと落ちてくる。

それで、あまり早くから荘厳を準備してしまうと、掃除が難しくなるので、ギリギリまで何もしないでおいて、最終調整は当日の早朝から一気に仏具や供え物の配置を決める。
そういう作務をしていたらワイフが到着。
随喜のお寺さんの接待をメインに、庫裏での一切をすべてワイフに任せてある。十分なことは出来ないが、彼女の気持ちが何かのかたちで伝わればそれで十分だと思っているから、私の方は本堂の一切を取り仕切って、お参りの皆さんへ集中する。
今年の粗品は手染めの手ぬぐいにした。
おおよそ人数を予測して、事付のお返しも含めて30枚ほど染めた。
仏事で使ったロウソクを廃棄しないで1年分集めたものを湯煎で溶かしながら用意した白地の手ぬぐいへ文字や絵を描く。
一人暮らしになって、小さな中古の全自動洗濯機へ替えた時、それまで使っていた2層式の洗濯機を廃棄するか残しておくか少し迷ったのだが、染色の時の洗濯くらいには使えるかも知れないと外の洗し脇へ移して置いたのが1年ぶりに役立った。あの厳しい極寒と猛暑を乗り越えて動いてくれた時は、少し感動した。夏が過ぎたらもっと丁寧に囲って大事に管理してあげようと思う。

施食会は30分で終了し、少しお話をはさんで塔婆回向も30分で終わって、夕方には法要全てが無事に終わった。粗品の手ぬぐいは3枚染め付け失敗し、8枚余った。

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施食会前夜 

2018/08/17
Fri. 23:10

先代住職の憲正さんは、時々突発的な思いつきで物事を決めてしまったり、その時の勢いでなんの脈絡もなく説明のつけようがない行動に走ったりすることがあった。
家族身内がそれで振り回されるのは仕方ないとしても、お檀家さんや近所の町内会の皆さんにまでそういうことがおよぶと、周囲の関係者は立場上「NO!!」と云いにくいことが多くて、ドタバタと大忙しになってしまったりしてずいぶん迷惑をかけてしまった。
他人の口は利口にその場を取り繕うから、ずいぶんあとになって憲正さんの無茶振りが風の便りで耳に入ったりして、よく冷や汗をかいたものだ。

住職交代で東堂さんになってからも、しばらくは現役の癖が身についたまま新住職(ボクのことです・・・)へ特に相談もなく勝手に日程調整をして約束したりしてしまうから、何度と無く慌てた。
もう、時効になったような昔の出来事までほじくり出されて詰め寄られたりすることもたまにあるし、何かと言うと「憲正さんが云い始めたことだから・・」と、現住職の私の頭上で話が交差して、それがしばらく続くうちにいつのまにか適当なところで話が決着してシャンシャンと住職抜きの手打になったりすることも再々ある。

それで、夜の薬師供養も私が学生で留守にしている間に、いつのまにかお盆の万善寺法要仏事の前日、つまり17日に決まっていた。
私が少年時代の昔、今の薬師供養は確か8月のもっと遅くだったはずで、秋風が吹き鈴虫が鳴く頃だったと記憶している。どういうことで、万善寺の法要前日の夜に薬師供養を移動したのかよくわからないが、ひょっとしたら、昔々の万善寺では17日夜に観音供養をしていたから、憲正さんがふとその頃のことを懐かしく思い出したのかも知れない。
いずれにしても、関係者も承知の上で坊主の方から日程移動を切り出したわけだから、それをまた坊主の都合で変更することも難しいし、かなりの重たい根拠があって提案するとしても、今のボクのようなナンチャッテチキン坊主には、説得できるまでの勇気も根性もない。
結局は、「おかしぃなぁ〜〜??なんでかなぁ〜〜??」と、思いつつ、いずれ関係者の代替わりがくるまでは今の日程で今後も乗り切っていくしか無いことだと思っている。

夜の7時半スタートを目指して薬師堂へ向かった。
お堂はすでにお供えなどの準備が整っていて、あとは近所からのお参りが集まったらお経を始めれば良い。それまでは、袈裟を掛けながら世話人の旦那方と世間話をしたりして過ごした。定時にお経をはじめて、お薬師様の御真言をとなえながら焼香を回して法要を済ませた後、参列施主7軒分の塔婆回向を和讃で読み上げて、だいたい45分位で薬師堂での法要が終わった。それから、世話人旦那のお宅へ移動して、お供えの御下がりをいただきながら、あれこれとりとめのない話がしばらく続いて、切りの良い頃合いを見計らって中座した。

明日の施食会の準備は終わらせてあるが、どうも落ち着かなくてなかなか寝付けなかった。ワイフは当日早朝には万善寺入してくれることになっている。

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崖っぷち万善寺 

2018/08/16
Thu. 23:45

万善寺の施食会がすぐそこまで近づいた。

私の人生をたぐると、昔は9日が施食会だった。
17日は大般若経転読会の前夜祭で本堂では観音供養の法要があって塔婆回向が夜遅くまで続いた。境内は出店屋台が2〜3店舗出ていて、塔婆回向の終わったお参りの皆さんが輪になって盆踊りをされたりして、とにかく賑やかな夜だった。
回向仏事が終わると説教が1時間位あって、それが終わると本堂西側の白壁をスクリーン代わりにして幻燈の上映会があった。子供たちは、それが楽しみで夜遅くまで眠い目をこすりながらとにかくしぶとく起きていたが、だいたいほとんどは上映会の終了をまたないで寝落ち撃沈して、敷布団代わりの座布団が本堂のアチコチに敷き乱れていた。
庫裏の方丈の間では、説教老師を囲んで、こころやすい方丈さまが何人か残って酒盛りが始まる。深夜になってお開き解散になると、老師から順番にお風呂で行水をして、それから就寝。

翌18日は大般若経転読会があるから、万善寺の身内は早くから起きて本堂の荘厳を整え、盆踊りなどで乱れきった境内を掃き清める。そのうち、保賀の近所のお檀家さんや台所のまかないでお願いしているおばさん方が集まって、法要の膳の支度や前夜から宿泊の方丈さまの接待などをしながら、お寺参りの皆さん用に斎膳の準備が始まる。
大般若経転読会は午後から始まって、法要が終わると夕方ほの暗くなるまで方丈さまやお檀家の役員さんが残ってまたまた酒盛りが始まる。酒の肴などおおよその支度が片付いたところでまかないのおばさん方や帳場や境内の整備などの表向きのお手伝いを頂いた男衆が酒席に合流して、またまたまたまた盛大に盛り上がる。
前住職の憲正さんは、そういう昔ながらの晴れ晴れしいお盆行事を取り仕切る事ができた最後の住職となった。

私が万善寺を離れて一人暮らしが続いている間に、夏の恒例仏事が大幅に縮小していた。
いつのまにか9日の施食会が18日の大般若経転読会当日へ移動統合されていて、17日の観音供養塔婆回向は廃止されて無くなっていた。
お寺参りが激減して、まかないのおばさん方も用が無くなって、そのおばさん方と入れ替わるようにワイフが内室でボクの母親の指令を受けて働くようになった。
それから昨年の春に母親が死んで、今はワイフと二人で手分けしながら万善寺の仏事を細々と伝えている。
盆月の仏事行事がコレ以上の縮小となると、万善寺の廃寺か統合兼務寺になるしかない。
現住職はそういう崖っぷちで綱渡りをしながら細々と坊主業を営んでいる次第。

一昔前の古き良き昭和の時代には、16日に万善寺から20分位車で走った先のお寺で施食会があって、20日は車で15分位走った寺で施食会があった。
今はその二ヵ寺とも、無住の寺で施食会が廃止された。
そういうわけで、16日は万善寺の施食会法要厳修に向けて最後の荘厳準備として重要な1日となっている。

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棚経最終日 

2018/08/15
Wed. 23:13

棚経最終日の朝は、猛暑の連日が別の世界の出来事だったかのようにスッキリと爽やかに明けた。
ひとまず、今日1日を乗り切れば棚経の90%は終了する。これからは、古墓の供養とか、各種菩薩様の供養とか、自治会でお祀りのお堂供養などがお盆の月に入っていて、それらを一巡して今年の盂蘭盆会供養すべてが終わる。

午前中で20軒近くを済ませようと予定していたが、世間話やお茶飲み話が長引いて、寺へ帰ったのは午後2時近かった。
寺を空けている間にワイフが手伝いに来てくれていた。
お経の間に、保賀のお檀家さんのオジサンから留守電メッセージが入っていた。
私の帰宅を待っていたように夕立のような雨が降ってきた。

久しぶりに、遅めの昼食を食べた。ワイフもしばらく待っていたようだが、帰宅時間も分からないからと、すでに昼食を済ませていた。
「方丈さぁ〜ん、ザッとお墓の掃除しておきましたけぇ〜ねぇ〜・・・お墓参りしてあげてくださいねぇ〜・・・」と、留守電メッセージだった。そう云えば、前日の棚経でお邪魔した時、お葬式が入って、寺のお墓掃除が出来なかったことを問わず語りに愚痴っていた。シマッタと思ったが時すでに遅し!そのオジサンには4シーズン1年中通して何から何までお世話になりっぱなしだ。信心の気持ちがかたちになって、信念のある行動に迷いがない。口ばかり上手に動いて、身体はピクリとも動かない連中が殆どの中で、オジサンは完全に別格だ。

それでもと思って、掃除用具一式をかかえてお墓へ登ってみると、いつもの自分の墓掃除が恥ずかしく思えるほどキレイになっていた。
ワイフが用意してくれたお団子を供え、墓地にある椿の青葉を剪定しながら供え、ロウソクをつけて線香に火を移し、1本ずつ供えて、お経を読んだ。
今年の春に、念願の永代供養墓を建立して、はじめてのお盆参りになった。
次は、これからつくる彫刻をお墓へ持って上がって、ロウソクと線香をお供えできるようにしようと思っている。冬は雪深いから、溶ける雪に押されて倒れないように、かたちを工夫するつもりで、もうだいたいのスケールは決めてある。あとは、材料が届き次第、工場で制作開始となる。

このブログも、気がつけば更新の期日がどんどん遅れてきた。
1日の出来事を、ヒマを見つけてはラップトップへメモしているのだが、それをA41ページ相当へまとめることが出来ないまま2日3日と貯まる一方になっている。本気になって文字をつつき始めたら30分もあれば1日分くらいまとまるのだが、毎日のドタバタでそれが出来ないまま、気づけば寝落ちしている。
特になにもない1日があれば、その日を休んでもいいと思って溜まったメモを見直すと、どんな些細な出来事でも簡単にスルーできない気になって、忘却の彼方へ捨ててしまうことができなくなってしまう。なにか、変な癖というか習慣が身についてしまったものだ。

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ポテトサラダ 

2018/08/14
Tue. 23:28

オヤジの単身赴任一人暮らしが続いている。
中国山地の海抜450mくらいのところに寺があって、すぐ裏には1000m級の琴引山が鎮座している。
どちらかと云えば高原地帯で、いつもなら夏も暑いなりに比較的爽やかで過ごしやすい。
Web環境や携帯電話の電波事情など、現代市街地のように一般的な便利生活が充足して保証されているわけでもないが、それなりにそんなもんだと割り切って、それに慣れてしまえば、それほど不便を感じること無く過ごすことができるようになった。

それにしても、今年の夏は例年と状況が違って、何もかもが今までに経験がないほどのきびしい猛暑が続いて、棚経が本格的になる前から日頃のたるみきった体力を完全に使い果たしてしまった。
これから万善寺のメインイベント施食会に向けて準備作業が本格化する。
毎年のことで夏の事情がわかっているじゅん君に7月のうちから調整をお願いして、2・3日だけ寺の整備作業をお願いしておいたのだが、結局直前のドタキャンで期待の半分程度しかオヤジに付き合ってくれなかった。
いつもなら、そういうこともあるだろうと、おおよそ予測して当てにしているのだが、今年に関しては彼への期待が少し過ぎてしまって、ドタキャンの精神的ダメージからなかなか立ち直ることができなかった。

そういうわけで、施食会準備がピクリとも動かないまま、棚経をして通夜を仕切って、あっという間に一日が過ぎた。
いろいろと考え事が脳みそをグルグルと駆け回って、身体は疲れているのになかなか寝付けないまま一夜が過ぎて寝不足のままむかえた朝は、久しぶりに涼しくなったというより、寒く感じるほど気温が下がっていた。お陰様で午前中の棚経は楽に過ぎたが、午後からの葬儀に向けて寺の仏具を準備したりしている間にどんどん気温が上昇していつもと変わらない猛暑に戻った。
このたびの葬儀は、葬祭業者の無い家族葬のようものになっているから、会場へ葬儀の祭壇があるだけで、それ以外に必要な仏具の殆どは寺で準備するしか無い。昼食抜きで改良衣のまま大汗をかいて銀くんへ必要なものを積み込んで葬儀会場へ走った。
ボク一人で導師から鐘つき坊主や司会進行までして引導を渡して参列の焼香がすべて終わると、急いで納骨の準備へとりかかって喪主家のお墓へ移動して墓前のお経を読んだ。あとは自宅の祭壇を整えて初七日のお経と簡単なお話を添えて、使った仏具をまた銀くんへ積んで寺へ帰ったのは夕方だった。
これだけの仕事量だと、世間の一般的な葬祭業で「どの位の請求がくるのだろう?・・」と、一瞬俗な打算が脳みそを走ったが、結局は島根の田舎坊主の相場で全てが決着することも分かっているので、すぐに夕食の現実に思考スイッチを入れ替えた。

このところ、お布施で頂いた各種夏野菜をセッセと消費している。
料理というほどのことでもないが、たまには少し手間のかかることでもしてみようと、ポテトサラダと野菜スープをつくった。今度の夕食で冷凍のパンが無くなる。

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2018-09