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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

雨あがり 

2021/09/15
Wed. 13:32

一日中降り続いていた雨が夜のうちにやんでいた。

お盆前からの雨は結局9月に入るまで梅雨が逆戻りしたようにシトシトと降り続いた。
そんな中、盆月を締めくくる最後の先祖代々古墓供養にお邪魔したブドウ農家で夏の萬善寺恒例仏事がひとまず終了した。
単身赴任から通勤坊主へ切り替えてしばらくの間残っていた雨がやっと上がって境内が乾き始めてきたので、随分前から計画して材料を揃えておいた下屋のDIYへ取り掛かった。
下屋は土蔵の入り口にあるものを利用してそれへ座板を伸ばして張り出し屋根を増設する計画にしていた。
雪のことがあるので、吉田家の裏庭へ増設したテラスのように華奢な作りにできない。
色々と工夫して、結局3日の突貫工事で8割方作り上げた。あとは、彫刻の制作が落ち着いてから雪が降るまでに残ったところを作り足して冬に備えようと思っている。

彫刻の制作工場を寺の境内へ移そうと決めたのは、もう随分前のことだ。
先代の夫婦が健在だった頃は工場の移転など夢のまた夢のことだったから、不便を承知で寺と吉田家と工場の歪な三角形を無駄に行き来していた。それでも、それはそれで気持ちのリセットになるし運転しながら脳みそをフル回転させて彫刻の制作工程を徹底的にシミュレーションできるほどの時間的余裕もあったりして無駄に過ぎた気はしない。
先代夫婦が他界して完全に代替わりをして「さぁ、これからだぞ!」と意気込んでいた矢先に自分自身の具合がいけないことになってしまって、またまた時期を逸してしまった状態だったのを、やっと軌道修正できて当初の計画を実行できたわけだが、それがたったの3日間で実にあっけなく片付いたわけだ。まぁ、そんなわけで、下屋が出来たことの喜びに手放しで浸り切る間もないまま彫刻制作が始まった。

自他共に認める雨男であるから、自分がなにか思いついて行動しようとするとだいたいそれを察したように雨になる。今回も、彫刻の鉄板型起こしを始めたところで雨になった。予報では、しばらく降り続くようだったので、とにかく点付けだけでも急いでおいたら、あとは雨よけの下屋で溶接が出来るだろうと痺れに絶えながら無理をした。雨になると痺れが一層ひどくなって耐えるしかないことになるが、それを我慢してとにかく溶接に気を使った。
「どうですかぁ〜、げんきでやってますかぁ〜・・」
出品先の主催から様子伺いの電話が入った。
いつも野外彫刻のオープニングに合わせてささやかな交流会やギャラリートークが企画されているのだが、今年は長引く新型ウイルスのことがあって規模を縮小したテープカットをするに留めることになったそうだ。何事も無理はしないほうが良いし展覧会が開催できるだけで十分大事で重要な文化活動の継続になる。こういう時期に声をかけてもらって参加させていただけるだけで有難い。
「・・・それで、展示場所が今年はいつもの場所から別のところへ移ったんで・・」
まだ造り始めたばかりだったし、今までの場所で彫刻を考えていたから急遽かたちを変えることに決めて、しばし雨の中で悩んでいたらボロボロのつなぎがグッショリ濡れてブルッと寒気が来た。
季節はすっかり秋になった。

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丁度良い加減 

2021/09/03
Fri. 18:11

痺れが我慢できなくて5尺塔婆を三枚ほど書き上げたところで力尽きた。
筆の力加減も思うようにいかないが、ひたすら黙々と墨を擦り続けることが何より辛い。
神経のダメージが回復しないまま右の首筋から肩を通って親指と人差指まで痺れが慢性化している。最近の秋の長雨で余計にソレがひどくて作務や彫刻で腕を使いすぎると中指の方まで痺れが広がる。何か有効な治療や投薬も無いわけではないだろうが、田舎に引きこもっていると何をするにも面倒臭くなって、調子の不具合を騙し騙しダラダラと気長に付き合っていたほうが気楽でいられる。まぁ、そんなわけで何事も遅々として進展しないまま9月に入ってもう週末になった。
デスクワークをしながら雨のやみ間を見計らって外仕事をしようと準備をしているとタイミングよく・・イヤ、わるく電話が鳴って法事のことや供養の相談で長話をしている間にまた雨が降り始めている。仕方がないから、湿っぽい夏ふとんを八畳へ広げて除湿機や扇風機を動かしたりしていたらいつの間にか雨が止んでいた。急いで支度して外へ出たら、待っていたように雨がパラパラと落ちてくる・・今年の飯南高原は天候不順が甚だしい。

昼前から雨が本降りになってきた。
アレコレと工夫しながら食いつないできた棚経布施の夏野菜がついに底をついた。
最後まで残していた玉ねぎと人参に大玉トマトが限界を迎えてきたので、大きめのみじん切りにして冷凍の野菜ミックスとセロリでカサ増しして野菜ペーストを作った。
何度か冷ましながら煮詰めて、粗熱が取れたところで小分けにして冷凍しようと思っていたのだが、一日雨がやみそうにもないので計画変更!
合挽き肉をコネコネした巨大ハンバーグのもうひと手間を加えて野菜ミックスへ投入してミートソースにしてから小分け冷凍にしようとJAのスーパーまで走った。
なんだかんだとゴチャゴチャやっていたら、お昼はとっくに過ぎていて、昼食を食べそこねた。
お盆のひと山越えてから不精に過ぎていて坊主頭がいがぐり頭になって髭も一緒に伸びて見苦しくなっていた。久しぶりの法事へこのまま出かけるのもどうかと思うから、ミートソースの煮込みを冷ます間にバリカンをあててシャワーを使うことにした。このまま様子を見ながらあと2〜3回煮込みを繰り返したらミートソースベースが出来るはずだ・・・

寺の単身赴任から通勤坊主に切り替えてそろそろ1週間になる。
本音は、やっぱり吉田家暮らしが良い。ワイフがいて他愛無い会話もあって美味いメシにありつけるし一杯の酒も味が違う。ネコチャンズもさり気なくオヤジにすり寄ってくれて癒やされる。何事も作務の手間と思えばそれほど苦になるわけでもないが、寺の一人暮らしはどこかしら味気ない。それにしても、一人でいれば掃除洗濯台所とソレはソレで何でもソコソコ出来ていると思ってしまう。別に楽しくてウキウキと家事をしているわけではないが、作務の延長と思えば苦になることはない。街場の便利なところであればもっとだらしなく都合のいいように怠けているだろう。寺暮らしにそれほど不自由もないが、それでも何でも欲しい物がすごそこにあるわけでもない。無ければ無いなりにいろいろと工夫もするし我慢もしながら日常をやりくりしている。
怠け者のボクには適度なストレスも丁度良い加減のことなのだろう・・・

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盆月ーその4 

2021/08/31
Tue. 15:56

そろそろ70歳もすぐそこへ見えてきたし、今のうちに自分の身辺整理を本気になろうと、少しずつ具体的に動き始めている。とにかく、世間の付き合いから無駄を省いてできるだけシンプルにしておけば、周囲に迷惑をかけることも少しは減るはずだ。
基本は彫刻のことと坊主家業の2つに絞って、その整理をどうするか考えている。
彫刻の方はワイフも彫刻家で制作を続けている。それぞれ自分のコトが何より優先するから彫刻家吉田正純の方は比較的楽に片付くはずだが、彫刻家吉田満寿美の方はなかなか手強そうで簡単にはいかないだろう。
坊主家業の方は宗教法人の組織であるし護持会のことも絡んでややこしいから、少し落ち着いたら思い当ての寺へ吟醸の一本でも持参して今後の行く末を託してみようと思っている。自分のようないい加減で頼りないナンチャッテ坊主がいつまでも住職業にしがみついてソレでなくても大雨の地盤沈下で傾いている本堂と共倒れになるよりはマシだ。

身体が思うように動かなくなったことと夏の猛暑とお盆前からの長雨で8月がアッという間に終わった。今年の夏はいつも以上に短く感じた。
最近は1日中雨の降らない日が無くて朝に捨てた除湿機の水が夕方にはもういっぱいになっていたりする。こんなことならもっと水槽の大きい高価なモノにしておけばよかった。
縫い目が解けていた絡子をチクチクと修理したり棚経でお世話になった坊主グッズをまとめて洗濯したりしていたら貴重な晴れの日が半日過ぎた。
春先に古い洗濯機のモーターがおかしくなって修理をしようと電気屋へ相談したら、型番の記録も残っていないほど古いということがわかった。「たぶんPanasonicに変わったばかりの頃のものだと思いますね・・・電気代けっこう無駄になってますよ、きっと・・」最近はインバーターとか云うやつで水も電気も随分節約できるようになっているのだそうで、結局、その時の店頭処分品を買って更新した洗濯機が大活躍している。

棚経でお布施にいただいた各種野菜はお供えの役を務めた後、ひと夏の貴重な食料として次々と住職の胃袋に収まった。
最後まで残していたジャガイモの芽が伸びてき始めていたので、残り僅かになっていた玉ねぎやキュウリも一緒に数日分の惣菜を作った。
定番のポテトサラダはベーシックなモノを作って小分けに冷凍しておけばソレに日を変えて卵やハムやトマトやマカロニなどなど、いろいろなものをトッピングしていくらでもかさ増ししながら食べ続けていられる。
潰し具合をザックリと調整したジャガイモは、キノコや玉ねぎをダイソーでみじん切りにしてコロッケとスペイン風オムレツを作り置きした。オムレツは月末2泊分の主食にして、コロッケは油で揚げて食べられる状態にしたものを冷凍しておいた。

毎年、ピオーネの生産農家へ古墓の供養でお邪魔する。お供えに美味しい完熟梨を送ってくれる友人へ飯南高原のピオーネができた頃にお返しをしているのだが、今年は天候不順が続いて虫が付いたり玉が裂け割れたりして収穫販売が出来ないほど散々だそうだ。
寺の荒れ地を再生した向日葵畑もお盆が過ぎた今頃になってやっと花が咲き揃ってきた。
自分で出来るうちは出来るだけ自力で乗り切ろうと思っているが、さて何時まで続くことか?・・・

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盆月ーその3 

2021/08/30
Mon. 20:39

このところ正純和尚は彫刻そっちのけで万善寺のことばかりにかかりっきり状態である。
数年前には、まさかこんなことになるとは想像もしていなかった。
「見通しが甘かった・・」と反省する余裕もないまま、毎日が万善寺ごとで過ぎている。

春に先代憲正さんの七回忌を済ませた。
その憲正さんは、50歳を少し過ぎた頃に大病を患って、それから約40年を不健康に闘病生活を続けながら大小10回以上の手術に耐えてしぶとく生き抜いた。
40年前というとまだ学生の最中だったから、手術をすることが決まるたびに短期間の帰省をして住職代行や看病をしていたが、そういうことが頻繁に続くものだからUターンを決めて、同時にワイフと結婚をした。その頃は、彫刻の奥深さが少しずつわかってきはじめた頃で、できることよりできないことのほうが圧倒的に多かったから、田舎へ帰ってそのまま制作を辞める気など全く無かった。
先代の方は、外科の手術が終わって、傷が治ると退院して、無理のない程度に内科療法を続けながら何事もなかったように日常の住職暮らしへ戻っていたから、もっぱら副住職の仕事は定期的な草刈りや、年中法要の荘厳作務くらいのことだった。そのうち子供もできて自分の家族も増えて生活費も稼がないといけないから、平日の昼間は公務員に専念し、夕方から夜にかけて彫刻の仕事に切り替えることを続けていると、また憲正さんに次の病気が見つかって入院だの手術だのの慌ただしい日々が暫く続く・・・平成の時代はそいうことが繰り返されて終わった。
憲正さんに続いて内室の俊江さんも永眠して、やっと万善寺暮らしが自分の思うように仕切れると思っていたら今度は自分が手術をすることになって、元号が平成から令和に変わる時を病院のベッドで過ごした。

そんなわけで、ボクの令和は手術からスタートした。
彫刻の制作もそうだが、寺の仏事や作務もソレまでの三倍以上時間がかかる。
気持ちの持続に肉体の許容が耐えられなくて、とにかく総合的集中力が続かなくなった。
まぁ、結局は順当に年齢相応に体力が弱ってきただけのことでもあるのだろうが、三年前の元号の変わり目とシンクロするようにソレがある日突然やってきたわけだ。
盆月は何時にも増して忙しく余裕のない毎日になることがわかっているから、その前に手術後の定期通院をしておいた。主治医になるドクターは外科が専門だから「もう、手術の方は完治してるし、これ以上診断の必要はありません!」ということになった。今後は対症療法に切り替えて、近所のかかりつけ医で薬をもらいながら自分の身体を騙し騙し彫刻の制作を続け、万善寺の住職業を務める。

今年の万善寺お盆手拭いは本堂で短くなった蝋燭を溶かして「正念」と染め抜いてお参りの皆様へお配りした。ワイフは「毎年毎年お盆の忙しいときにわざわざこんな面倒しないでカタログの団扇か何かで良いじゃない」と愚痴りながら、それでもアイロンを掛けきれいに畳んで袋詰してくれた。
でも、「正念」は今の自分に大事なことだと思う。寺の作務や彫刻の時は、コレを頭に巻いて仕事をする。戒めになるし雑念も消える気がするのだ。

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盆月ーその2 

2021/08/27
Fri. 20:56

島根・・というより飯南高原は天候不順が回復しないまま8月が始まり終わろうとしている。
万善寺の方は、棚経から始まり、各組寺院の施食会法要の手間替えも一巡し、18日の万善寺施食会をもって盂蘭盆会の法要が全て完了した。
飯南高原のお盆は14日から16日まで続く。
少し範囲を広げると13日からお盆スタートの地域もあるし、12日にスタートするところもあるから、お盆というと、迎え盆から送り盆までざっくり12日から18日の1週間だと思っておけば外しがなくて間違えがない。

17日は万善寺ご本尊千手千眼観世音菩薩さまのご縁日に当たり、翌18日は聖観音菩薩をはじめ七面菩薩さまなど大方の観世音菩薩さま方のご縁日と続き、19日は馬頭観音さまのご縁日となる。ご縁日は1年12回巡りまわってくるが、中でも、盂蘭盆会の月は1月の初縁日、12月の納縁日に匹敵する特別なご縁日として先祖供養と祈念守護の合体した法要が厳修される。
飯南高原は霊山琴引山の裾野に広がる。
昔々、琴引山は神仏をお祀りした特別な聖域として強力な信仰の象徴であった。その山頂にあった正式な寺名も無い掘っ建ての観音堂が万善寺の前身であると伝えられている。
その頃の御本尊様が何であったか定かでないが、現本堂の須弥壇へは脇仏で有名な日光月光のどちらか一体の菩薩さまが安座されてあるので、当初の御本尊さまは薬師如来であったのかも知れない。今は曹洞宗の寺院であるが、元々は天台宗あたりの密教寺院であった可能性もある。歴代の住職は師弟関係で引き継がれるから一本筋の通った寺歴が今に引き継がれることもないので実に曖昧な推測になるが、寺に現存の過去帳を見るに、初代住職にあたる大和尚様結願で臨済宗から曹洞宗へ改宗して開基殿の由来により万善寺の寺名が決まったふうに思われる。ちなみに山号は後の2世3世あたりで龍雲山と付いたようだ。
いずれにしても昔のことだから、宗派の境界は信仰の軽重や薄厚に応じて振り幅も広く、時代の時々の現状に即して随分と自由に越境することができていたと思われる。
万善寺はそういう時代の変遷を地域に根づいた信仰の拠点として今に存続してきたことになる。一時は庄屋寺として繁栄を誇り、修行僧や役僧の他、米蔵には蔵番の番屋まで併設されていて、寺が番小屋の家族を扶養する時代もあったと記録に残る。廃仏棄釈や農地開放で寺の持久力が衰退してからは一気に弱体化が進んだが、それでも戦後昭和20年代までは地元地域の旦那衆の強い信心もあって先代二十二世の晋山式も宗派を超えた地域の寄進を得て華々しく盛大な様子であった。
現住職二十三世(ボクのことです)は、晋山式の話題も無いまま人知れずスルーし、関係各所へ必要書類を提出し、自ら島根県の法務局へ住職交代の申請を行い、記念の法衣や什物の新調も無くひっそりと住職交代をした。まぁ、派手なことを避けてばかりの自分としては面倒な気苦労もなくて事務的なことを粛々と進めていればいいだけのことだったから、正直とても楽に過ぎた。

これから月末まで施主家個人宅の観音様やお地蔵様や有縁無縁古墓一切の供養が続く。ソレが一段落したら彫刻制作が始まる。今朝、彫刻用の鉄板を注文した。

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棚経 

2021/08/07
Sat. 11:45

島根県大田市の気温が39℃を超えて観測史上最高を更新した。
人間の体温どころか、猫の体温より高いわけだから、さすがに身にしみてこたえる。
7月末から始まっていた棚経が8月に入って本格的に動き出した。
豪雨が過ぎたあと、一滴も雨がふらない猛暑となって、着物に改良衣の棚経スタイルが辛い。
代替えの坊主ユニホームがあるわけでもないので、ひたすら耐えるしかない。
お釈迦様発案で始まった夏安居の修行は誠に理にかなった素晴らしいシステムだと、改めてブッダの偉大さを痛感する。

2500年以上の時代変遷に変革を続けながら今に至った仏教の根本は様々な社会情勢の都合に翻弄されて甲殻類のように外側の殻だけがガチガチに凝り固まって背骨のない肉の塊になってしまった気がする。食べれば美味しいかもしれないが、つるりと口に入って肉肉しい噛みごたえが無くて味気ない。ゆっくりと時間をかけて咀嚼し素材それぞれの味わいを十分に堪能してゴクンと飲み込み血となり肉となって心身の成長を助ける・・・修行とはそういうものなのかも知れない・・・暑すぎてエアコンも効かない熱気の充満した銀くんを運転しながら、朦朧とする意識の中でそんなことを思っていた。

棚経とか盂蘭盆会とか夏の仏事のことは、毎年その時期になると思いつくままにボツボツと書き留めているから、今更似たようなことを繰り返してもしょうのないことだ。
まぁ、その起源はそれなりに大事な意味のあることだと云うことで、令和の今に至るまで絶えないまま年中仏事として残っているのだろう。
振り返ると、棚経は小学生の頃から今に至るまで半世紀以上の間毎年夏の仕事として続けているわけで、自分の人生の歴史であると言ってもいい。
50年前は先代と手分けしながら300弱の棚経を努めていた。先代が病気に倒れてから棚経一切を副住職で務めるようになった頃は約200ほどに減っていた。住職に昇格?した頃は、それでも100を超えていたが、元号が令和に変わるのを待っていたように離檀や絶縁が続いて100を切った。毎年前年を更新して気温上昇が続いている状況で50年前のように連日朝から日が暮れるまで棚経を続けることなど不可能だ。世の移り変わりは実にちょうど都合が良い。
田舎の末寺はお盆の布施収入で半年を暮らし正月の年始収入で半年を暮らすとは先代の申し送りであったからなんとか踏ん張ってできるだけそのような住職ぶりを維持しようとは思うものの、一年中エアコンも使うし灯油やガス水道も使うから現実はなかなか厳しい。
暮らしの贅沢はきりが無いから他と比べるようなことはしない。

今は、布施の夏野菜が何にも変え難く有難い。その上メロンやお酒の布施も頂いたりして一日の棚経が終わると銀くんの荷室がいっぱいになる。お中元のお供えに素麺やビールの箱も届いたりするし、時々洗剤や食用油のセットも頂く事がある。
世の中、お金が全てではありませんよ。
年金暮らしの坊主は、贅沢に毎日を不自由なく暮らしている。そろそろ先が見えて後がなくなってきた。頭と身体が適度に過不足なく動いているうちはなんとかなるだろう・・・

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盆月 

2021/08/02
Mon. 20:15

街道沿いで満開のネムノキを見ながら通勤坊主の毎日を送っていたら、つい1週間ほど前から駐車場脇に置いた彫刻の隣で百日紅が咲き始めた。万善寺のあたりで7月のうちから百日紅が咲くなど今までに覚えがない。
「クールビズの衣があればいいのに・・Tシャツに袈裟の絵をプリントしたようなヤツ!」
長い間仏教系の大学で重職にあった偉いボーさんがそんなことを言っていた。大学で彼は本山の御紋入のポロシャツを造って着ていたそうだ。はじめのうちは色々と批判めいた厳しい目で見られていたそうだが、そのうちそのスタイルが改良衣に変わって当たり前になったのだそうだ。なかなか「アクティブな改革派坊主だ・・」と感心してその話を聞いた。
最近は職場のエアコンは当たり前になって、本堂にエアコンを導入するお寺も年々増えているそうだ。万善寺程度の極小末寺ではエアコン設置など夢のまた夢のことだが・・・
「ワシが雲水で修行中の若い頃は、ひと夏で30℃を超えることなど3日となかった」偉いボーさんの青年時代からすると、近年は夏のうちに30℃を下回ることが3日くらいしか無いのではないかと思ってしまうほど梅雨が開けてから連日猛暑が続いている。

8月に入って、お盆の恒例仏事がスタートした。
坊主業界も代替わりが活性して、寺院のお盆行事も変わってきた。
時代に即した変革だろうからソレはソレで何も変わらないより良い事なのかも知れない。
万善寺の場合は、先代の在職期間が60年も続いたから、今更アレコレつつき回してヤブの蛇を起こすようなことはしないと決めている。まぁ、できるだけ何も変わらないようにしようとは思っていても、世間の方が先に変わり続けているから、そのスピードに取り残されないような微調整の努力は避けて通れなくなっていることもあるけど・・
飯南高原のお盆は8月が最盛だが、地域によっては7月のお盆が定着しているところもある。ワイフの故郷でもある関東の方は7月のお盆が主流のようだから、ソレに習って吉田家リビングの一角にお仏壇めいた御本尊様の安座がない祭壇を造ってお花や果物などをお供えしている。彼女の気持ちの問題だから特に気にかけることもしないで静観しているけど、仏教徒の自分としてはどうもお釈迦様の無い祭壇へ手を合わせる気にはならない。8月の盂蘭盆会の施食会で吉田家親族の先祖も一括して供養することになる。

まだ7月のうちに、知人の彫刻家から個展の案内が届いていた。
時節柄のこともあるし、会場が東関東の方で遠いから気軽に出かける事もできないまま過ぎた。
展覧会で受賞した彼の野外彫刻が島根県の富山町に置いてある。
今年は、草刈りのタイミングが思うように行かないまま梅雨に入って夏になったから、きっと「あの彫刻は夏草に埋もれてしまってるだろうなぁ〜」と気になっていたところへ、富山町のまちづくりセンターから「草が伸びて見苦しいのでなんとかしましょうやぁ〜」と連絡が入った。それから色々ドタバタがあって、やっと先日からお盆の合間を縫って野外彫刻の環境整備を始めることになった。
彼の彫刻は富山町の四季に耐えてかれこれ10年ちかくになるだろうか?・・・良い感じの風格が漂い始めてきた。

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遠い記憶 

2021/07/17
Sat. 15:58

島根県の集中豪雨で予定されていた坊主会議が10日間ほど日延された。
萬善寺は松江にある会館から結構遠いから午前中の会議だと早朝から慌ただしく忙しい。
それで、前日から寺で一泊することにした。

夏になると、オヤジの一人飯も冬のように大量に作り置きできないから何を作ろうか悩んでしまう。
草刈りの体力を使い切ってしまったので、汗まみれのつなぎのまま近所のスーパーまで買い出しにでかけた。
値下げされたものを中心に麻婆豆腐もどきに使う材料を揃えて、それに3本100円のキュウリを買った。ナスはけっこう高かったから買わなかった。
山間部の農村地域にあるスーパーは野菜の品数が少なくて高い。わざわざスーパーで野菜を買わなくても自家栽培の畑から朝どれの新鮮野菜を適当に収穫すれば用が足りる訳だ。
昔は寺でも家庭菜園で食べきれないほどの野菜を作っていたし、その上、年中旬のものを近所の農家からお参りのお供え物で頂いた。キュウリやトマトやナスやピーマンなどなど、本堂や庫裏の仏様へお供えしきれないほど大量の野菜が集まって、その殆どが漬物になった。台所が土間だったから、四六時中七輪に炭が熾きていて、ナスやピーマンなどは、丸ごと網焼きにしていた。最近はバーベキューで炭熾しをするくらいしか無いが、昭和の昔は、夏冬関係なくほぼ1年中家のどこかで炭が使われていて炭火の耐えることがなかった。焼き茄子にしても焼きピーマンにしても、やはり、炭火の遠赤外線に勝る旨さは無い。子供の頃からあの旨い味を覚えてしまっているから、カセットコンロやホットプレートの焼き物が実に味気ない。

夕方、まだ外は十分に明るかったが、シャワーを使って草刈り仕事の汗を流し、坊主会議用にバリカンで頭を整えてから夕食の準備に入った。それでなくてもオヤジメシは酒のつまみばかりになってしまうから夜はできるだけ炭水化物を摂らないようにしている。
安い食材でも、ダシと酒で味を調整してトロミをつければそれなりに食べられる。
キュウリを3本全部使って梅昆布茶をたっぷりふりかけて水気を抜く間に麦とホップをプシュッとやった。
それから、ホームシアターをセットして、海外ドラマの続きを見ながらチビチビやって、途中からバカルディに切り替えた・・・お寺の夜はだいたいいつもこんな感じだ。

「大雨の後は濁り水を見るのと草刈りをするのが大事ですけぇ~ね~・・」
山仕事を退職してから萬善寺の寺男のように寺仕事の勤労奉仕をしてくれていたおじさんが、まだ子供だった私へそう教えてくれたことがあった。あれは、小学校の4・5年生くらいの頃だったと思う。梅雨の長雨が続いていたときに、庫裏の裏山が地崩れを起こして離れ家が平行四辺形に捻れたときのことだった。集落の男衆が手伝ってくれて裏庭に流れ込んだ土砂を掻き出しながら復旧作業をしていたときのお茶飲み話でのことだった。
山の下には地面に流れ出さない地下水の道がたくさんあって、大雨が降るとその出口が大きくえぐられて間歩のような洞窟が出来ることがよくあるのだそうだ。小さな地崩れは伸びた草に隠れて見えないから穴に足を取られて怪我をしない予防策で草刈りが大事なのだそうだ。
山男の知恵ですね・・少年の自分にとっては特に重要でもないことが、それでも、なんとなく「忘れてはいけないことなんだ!」とは思って覚えていたのだろう・・・この歳になってやっと役に立ったような気がした。

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ワクチン接種 

2021/07/14
Wed. 12:26

ポッカリと一日が空いた。

せっかくワクチン接種したからいつものように夕食前の一杯!・・で麦とホップをプチッとやって「ワクチン効果がアルコールで薄まるのももったいないな・・」と、チョー久しぶりの休肝日にした。
いつものように夕食が終わって、マイルームへ移動して、海外ドラマの続きを見て、吉田家の家族LINEを確認して「さて、そろそろ寝よう!」と消灯したのだが、珍しくなかなか寝付けない・・・
しばらくイジイジと寝返りをうったりしていたのだが、それでも眠くなる気配がないので再度プロジェクターをONして、海外ドラマの「続きから見る」をポチッとした。
最近はBBCやTFIのヨーロッパ製海外ドラマをよく見ている。なんというか・・アメリカ製のドラマより濃厚というか重厚というか、湿度の高い湿り気のある空気感とヨーロッパの風景やオシャレな町並みがとてもいい感じで、ドラマの世界を旅行しているような気にもなって時間が過ぎるのを忘れてしまう。
ドラマを見ながら、眠くならないのは休肝日で身体からアルコールが抜けきっているからだと気づいた。

次の朝は、早くから七日のおつとめがあるので「少しでも寝ておかないと身体が持たない・・」と思えば思うほど目が冴えて寝付けなくなって苦労していたら、寝返りするたびに注射をした左肩が鈍く痛む。今度はその痛みが気になってまたまた目が冴えてくるし、散々な一夜を過ごした。朝も、6時にはもう目が覚めた。二度寝すると七日つとめの用事に支障が出そうだし、そのまま起きて朝の支度をして吉田家を出発した。
銀くんを運転しているとハンドルを持つ左腕が肩からズシリと重い。寺に到着して改良衣に着替えるときも鈍い痛みが続いて肩が上がりにくいので、かかりつけ医の開く時間を待ってどうしたものか電話してみたら「2〜3日熱が出る人もいるようですし、無理をしないで今日一日休んで様子を見られたほうがいいですよ・・」と言われた。
梅雨明けしたがそれほど暑くもないし「絶好の草刈り日和!」と通勤坊主の道中で1日の計画をシミュレーションしていたのに・・いつもの看護師さんがそういうので、ひとまず肩の痛みが和らぐまで無理をしないことに決めた。

何もしないでボォーッとするのもどこかしら落ち着かない。根っからの貧乏性はなかなかジッとしていられない・・・食べそこねて萎びたジャガイモを、それでもと思って春先に庭先へ埋めておいたら、己生えのように芽が出て伸びて葉が黄色くなっていた。梅雨が終わって土も乾いてきたので掘り起こして芋を収穫した。
コーヒーを入れてHomePodへ今日の天気を聞いた。午後からにわか雨が降るようだ。
本棚から村上春樹さんの短編を選んだ。カンヌ映画祭で上映された「ドライブ・マイ・カー」がソコソコ好評だったらしい。あの短編が3時間の長編になるとは意外だった。村上さんは何本か映画されているが、ボクは「トニー滝谷」が一番好きだ。
「Hey Siri(ヘイ シリ)!ラムゼイ・ルイス聴かせて!」
それから文庫本を開いた。ドライブ・マイ・カーは3時間もなくて読み終わるだろう・・

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梅雨の仏事 

2021/07/13
Tue. 14:25

一昼夜降り続いた豪雨で島根県各所では警戒レベル5が発令された。
万善寺のある飯南高原のほぼ中央を南北に走る国道54号は、いたるところで発生した法面の地崩れや神戸川上流に注ぐ支流や斐伊川支流に注ぐ用水路などのオーバーフローによる冠水でズタズタに寸断され、飯南高原に広がる自治体も、一時は交通網の寸断により孤立状態になった。
石見銀山でも行政から警戒レベル4の避難勧告が発令され、町民は一時避難所へ移動したりお互いの所在確認を取り合ったりして1日が慌ただしく過ぎた。
吉田家は土間の一部へ裏庭の雨水が逆流して侵入したが、幸い水たまりは大きく広がること無く数時間で地中に吸い込まれていった。こういう時はニガリで締め固めた昔ながらの土間工法であることが都合良い。
寺の自治会からは朝のうちに安否確認の連絡網が回ったし、吉田家や個人電話には友人知人からの見舞い電話がさみだれに入った。
となり近所は助け合いもシッカリと機能して、遠方からのSNSや子どもたちからの心配LINEも気持ちの励みになった。
いずれにしても、たった一昼夜だけの期間にあれほど大量の雨が降るなど、半世紀を超える自分の人生で経験の無いことだった。
この大雨で、今年の梅雨は終わるだろう。
いつもより梅雨入りが早かった分、夏の始まりも半月ほど早まりそうな様子だ。

本格的な梅雨に入る前に、寺の境内へ移動した鉄の工場へ掘っ建ての屋根を作ろうと思っていたのだが、時期を逸してしまった。
収束の見通しがつかないコロナの影響で年回法事がキャンセルになったりリモートもどきになったりして、慌ただしく落ち着かないまま6月が終わって7月に入った。近隣寺院の年中法要も本格化して随喜に忙しくなった。
万善寺でも例年と変わりなく大般若経転読会を厳修したが、お参りの施主家はコロナ便乗でもされたのだろうか?一気に激減した。住職交代があってから約10年間はかろうじて二桁のお参りをキープしていたのだが、今後、年中法要に以前の賑わいが復活することは難しいだろう。
本堂の荘厳も頚椎の手術以降一人でこなすのが辛くなってきた。昨年はジュン君に手伝ってもらったが今年はワイフが都合をつけて手伝ってくれた。元々が規模の小さい寺だから他の寺院に比べたら荘厳の手間も比較的簡素に済んでいるが、それでも金糸銀糸で刺繍の柱巻きなどを持ってハシゴの上り下りはなかなかの重労働だ。
荘厳の前後にはリモートもどきの上げ法事が2つほど入った。どちらも島根県内のお檀家さんだから県内移動は問題ないはずだが、やはりコロナのことが気になるのだろう、移動自粛をされることになった。お参りのない法事だから何かしら法要の証拠を残しておかないといけなくなるし、お供えの仏膳や灯明仏花など、法事の設えも一切住職の手で仕切ることになる。法要の記録はDVDメディアに編集し、経木塔婆を添えて報告の資料を作成したりして、普通の法事なら半日で済むところを前後3日はまるまる上げ法事の仏事で忙殺された。

大雨が嘘のように朝から暑い。
これからコロナの一回目ワクチン接種でかかりつけ医へ行ってくる。

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集中豪雨 

2021/07/12
Mon. 16:37

島根は夜半から猛烈な雨が降り続いている。

週が変わって日曜日はとても良い天気・・と云うより、朝から暑すぎるくらいの日差しが終日続いた。
庫裏の南向きに面した縁側の柱に掛けた温度計を見ると27℃だった。
近年のこの時期としては普通の常識的な気温だが、まだ自分の身体が夏の暑さに慣れていなくて、午前中の2時間ほど外仕事をしただけでめまいがするほどグッタリと疲れた。
汗に濡れた作業着からパンツまで洗濯機へ投げ込んで、そのままシャワーを浴びた。
梅雨の長雨が続く中、貴重な晴れ間になったから草刈りを始めたのだが、結局半日も続けることができなかった。数年前は草刈り機の燃料を4回連続で給油してもまだ若干の余力が残っていたのに、今は2回の給油を使い切るまでに集中力が切れて、労働に危険を感じるほどだ。

チョット休憩のつもりで本堂の濡れ階段へ草刈り機を寝かしたままにしておいたのを、そのまま忘れて石見銀山の自宅へ帰ってきたその夜から猛烈な雨になった。
トタン屋根に穴が空くのではないかと思うほど激しく雨が屋根を叩いている。
うるさくて眠れないままイヤフォンを使って海外ドラマを見ていたら部屋中がピカッと光ってスクリーンの画面が真っ白になって何も見えなくなって、それからすぐに家が震えるほどの大音響で雷がドカンと鳴った。
いっこうに雷雨が収まる気配の無いまま、むしろ状況が悪くなっていく様子だからYouTubeを開いてウェザーニュースに切り替えた。

数日前は島根県東部から鳥取県にかけて豪雨が続いた。
その時は、寺の仕事の都合で土砂降りの続く万善寺で一泊した。
寺は私が子供の時から記憶に残るほどの地崩れを2回ほど経験している。その2回は、今のような短時間の土砂降りと違って連日止むことのない梅雨の長雨がしばらく続いたときのことだったから雨の降りようが全く違う。
今回のように一晩中止み間無く続く豪雨は、いつ何が起こるのか予想がつかなくてチキン親父はかなりビビった。ほぼ徹夜に近い状態で一睡もできないまま次の朝を迎えて、寺のすぐ下を流れる用水路を確認すると、流石に水量は多いもののそれほど濁っていなかったので少し安心できた。

あれから1週間と経っていない今度の集中豪雨はソレ以上の土砂降りになった。
何度目かのウェザーニュースで寺の周辺や飯南高原がレベル5になったと知った。石見銀山は自治会の判断で一次避難になった。ワイフは「ネコチャンズがいるから・・・」と避難を渋っていたが、彼女のマイカーも買ってからまだ車検も受けていない十分に新車だし、ボクの銀くんだってもっとタップリ働いてもらわないといけないから「とにかく、安全なところまで車を移動してしばらく様子を見よう!」と説得した。
少し高台にある市役所の駐車場へ車を止めて、今、痺れた指で久しぶりにラップトップをつついている。

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珈琲とかき餅 

2021/06/14
Mon. 11:23

朝の恒例をひと通り済ませて「さて、コーヒーでも飲もうか・・・」と冷蔵庫の野菜室を引き出したら、ペットボトルのコーヒー豆が殆ど無い。
5月の終わりに500mlのペットボトル2本分を作り置きしておいたのが、半月でほぼ無くなっていた。

珈琲の生豆を煎るようになってから、そろそろ半年になる。
ちゃんとした珈琲店で飲むような美味しいコーヒーにはならないが、苦み走ったそれなりに飲むに耐える程度の味にはなっているから、不満はない。それに何より原価が安いことが自分にとって最大の魅力になっている。1日で飲む量はコメダ珈琲だと最低でも1100円になるから、ソレを基準にすると破格の安さだ。寺の周辺にはコンビニも無いし、100円コーヒーだとカップ一杯がアッという間に無くなって、わざわざ燃料代を使って買いに出かけるのもバカらしい。インスタントは飲みすぎると胸焼けがして自分には合わないから、結局少々面倒でも豆を手挽きしたほうが何かと都合がいい。

半年ほど前の頃は、今よりももっといい加減でぐい呑をメジャーカップ代わりに生豆の量を決めていた。冬シーズンは煎り終わった豆を室内に置きっぱなしにしていてもそれほど劣化して酸っぱくなるようなことも無かったが、3月になって春めいた暖かい日が続くようになってからは豆の保管には気を配るようになった。ソレでなくても素人のナンチャッテ仕事で出来上がった豆だから元々精度が良くない。色々考えて1回に炭酸水のペットボトル2本分ほど豆を煎って冷蔵保管することにした。最近になって100円ショップで小さなアナログの計量計を見つけてからぐい呑計量をやめた。コーヒー豆を煎る鍋も100円ショップで見つけた300円のアルミ製鍋だし、豆煎りグッズの全てを100円ショップで揃えた。
昔は、コーヒーがなくなるとカルディーまで買いに行ったりしていたのだが、1回で200gからしか量り売りしてくれなくて、その量を飲み切る頃には味が変わったり飲み飽きたりしてどうもシックリこなかったのだが、今は。味はともかくそういう不満もかなり軽減された。ポップコーンとかポン菓子とかかき餅を自分で作っているのと一緒だと思えば面倒臭い手間も気にならない。

先代住職憲正大和尚の祥月命日が近い。三回忌が過ぎた時に大般若経転読会法要をその祥月命日に当てた。
早いもので、それからもう七回忌を迎える。
お参りの皆さんに憲正大和尚の命日を記憶していらっしゃる方がどれほどあるだろう・・
今年は憲正さんの年回があたっているし、貧乏寺では1個何百円もする高級和菓子を箱買いしてお供えするほどの財力も無いし、お餅が大好きだったから大般若守護札と併せて正月と彼岸でお供えしたお餅を干したものでかき餅を揚げてお供えしようと思っている。
おせんべいが好物のワイフへ醤油味と塩味のかき餅を作ってあげたことがある。それがなかなか好評だった。
相対的にオヤジの寺暮らしは暇である。珈琲とかかき餅とか、それに彫刻とか・・とにかくあれこれ思案して何か造っていれば幸せでいられるのだ。

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山海の旬 

2021/06/09
Wed. 13:02

誕生日にあわせて関東に暮らす三姉妹からシングルモルトとウイスキーグラスのセットが届いた。

娘というものは親の記念日を忘れないで何かに付けてマメにお祝いをしてくれる。吉田家だけのことなのだろうか?それとも女性特有のDNAのせいなのだろうか?私など生まれ育った環境のせいもあるのだろうが、何かの記念日というと親の祥月命日の方を大事にしているようなところがある。
いずれにしても、慶弔事に敏感であるということは悪いことではないし、それを大事に思ってくれるということはありがたいことだと素直に感動し、感謝している。
誕生日のシングルモルトは、それ以降何かしらのもっともらしい理由を付けて大事にチビチビ飲み続けています!

膝が腫れてウンウン唸っている時、日本海のクロマグロが境港へ初水揚げされたという報道を見た。マグロはワイフの大好物でマグロ目当てに時々一人でお寿司屋さんへ行くほどだ。境港まで走ればそれほど好きなマグロの切り身がお手頃価格で手に入るかもしれないと、彼女の休日を選んでドライブした。
卸売市場にはマグロの他にも目の玉が黒光りしている新鮮な魚が豊富に並んでいるものだから、二人暮らしの現実を忘れてアレもコレも思わず買いすぎてしまった。
美味そうなマグロの巨大なカマが左右2つに切り分けられてあって、それに何よりゼロが一つ少ないほど安いから片方だけ買った。カマだけとはいえ流石に自宅で丸ごと焼くには大きすぎるから片方をまた2つに切り分けてもらった。
一日目は中トロや中落ちにカニの足。二日目はカマ焼き・・・吉田家の夕食は贅沢にも二日間マグロが続いた。

最近はBBQブームが再熱しているようだ。
吉田家も、まだ子供が小さかった頃にはキャンプとBBQを楽しんだ。その頃の子どもたちが今は大人になって、こういう時節柄でもあるし、BBQもレジャーの一つで流行ったのかと思ったが、ノッチはすでに随分前から気の合う友達と頻繁にBBQをしていたようだから、それだけでも無いようだ。
いつの世も若い連中は色々と工夫して楽しい遊びを思いつく・・・ボンヤリとそんなことを考えながら吉田家土間で小さなコールマンに炭を熾した。
カマも油がよく乗っていてソレが炭に落ちてすぐに燃え上がって、土間中が煙っておおごとになった。田舎の一軒家だからできることだ。
元々が新鮮だから少々レアでも問題なく美味かった。なかなかワイルドな夕食になった。

中国山地一帯では、春の山菜から始まって葉ワサビが山積みになり、これからしばらくはアスパラガスが最盛期を迎える。
日本海では、そろそろ鯵が油が乗って美味くなる。
山陰両県も未だに移動制限継続中で収束の見通しがつかないままだ。それでも山海の第一次産業はいつもと変わりなくそれぞれの旬が巡って活性している。

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イメージの詩 

2021/06/08
Tue. 14:30

ノラ・ジョーンズのアルバムを聞きながら吉田拓郎のイメージの詩の歌詞を読んでいる。

このところ、梅雨の晴れ間が続いていて、外仕事には絶好だ。
庫裏の押し入れにしまい込んだままの前住職夫婦の私物を調子に乗って根こそぎ軽トラへ積み込んでリサイクルセンターへ持ち込んだり、昨年からひまわり畑に模様替えした母親の畑に伸び始めた雑草を刈り込んだり、先代の七回忌法要も終わって墓参りがてら参道から墓地の掃除をしたり、それに土蔵の前へ移動中の鉄の工場を片付けたりなどなど・・・朝から日が暮れるまで外仕事や力仕事を続けていたら、肉体労働が過ぎたようで、或る夜気づくと膝の関節がぷっくりと膨らんで膝を曲げると激痛が全身を駆け巡って吉田家二階のロフト部屋で身動きできなくなった。オシッコもしたくなるし、喉も乾いてくるし、そのまま寝続けることも出来なくて、イジイジと階段を這い降り、土間を渡り、水を飲みオシッコをした。それから、またひと苦労して二階まで這い上がってベットへ潜り込んだのだが、その頃には完全に覚醒しまった。しばらくは寝つけそうにない。iPadを開いてAppleMusicをチエックしていたら吉田拓郎のアルバムが目に入った。

私は高校生になった時から一人暮らしをはじめた。
引越をした日、手伝ってくれた先代(ボクのパパです)と下宿の部屋で一緒にひと晩寝て翌日にとりあえずの生活必需品を揃えに出かけた。商店街の電気屋で「お父さんからの入学祝いだ!」と、FM放送も受信できるラジオを買ってくれて、それから先代はそのままバスに乗って寺へ帰っていった。
その夜からスタートした一人暮らしは、親元を離れた寂しさなど微塵も感じることなく、むしろ「やっと親離れできた!」という喜びとか期待感のほうが大きかった。中国山地の山の中にある寺暮らしではラジオのチューニングをいじってもNHKと朝鮮半島から届く電波くらいしかキャッチできなくて「音楽」は娯楽の選択肢から欠落していたから、FMから流れるノイズの無いクリアーな昭和歌謡に感動した。AMも数え切れないほどの番組が編成されていて一日中飽きることなく聞き続けることが出来た。オールナイトニッポンを聞き始めたのもその頃だった。洋楽も豊富に流れていて、自分にとっては全てが耳に新しかった。
未だに何をするにも音楽付きのながら暮らしを続けているのは、きっとあの高校1年生の春があったからだったと思う。

映画のスタートが黄金狂時代だとすると音楽のスタートは吉田拓郎のイメージの詩のような気がする。あの頃は、70年安保が自分の背景にあって、どちらかといえばノンポリに属していたとはいえ、それでも周囲の全てが刺激的だった。
SNSが反乱する現代に、吉田拓郎はオールナイトニッポンで今の自分を定期的に配信している。昔のようにリアルタイムでエアチェックをすることはないが、今はYouTubeで楽しんでいる。彼は、今度のアルバムを最後にしてライブ活動を休止するらしい。シェリル・クロウもライブツアーはもうしないと言っているようだし、どこかしら寂しくもあるがわかる気もする。自分もそういう歳になったということだろう。
いつまでもジタバタ我欲にしがみついていないで、上手に終活してさり気なく消えたい。

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松1本 

2021/06/06
Sun. 03:38

「庭に松が3本あると身代潰れるいいますけぇ~ねぇ~」

今年は何時もより一ヶ月近く早くから境内地にある庭木の松が春芽を伸ばし始めて、そのまま放置しておくといよいよ芽摘みの剪定が面倒臭くなりそうなので草刈りの合間を縫って剪定に取り掛かった。
もともとは西堂を兼ねた寺院方の客殿として建てられた離れ家が境内の西の端にあって、萬善寺の年中仏事で随喜をいただく方丈様方の控室で使われていた。
現住職の正純和尚はその客殿の6畳間で産声を上げたので、自分にとってはそれなりに縁深い建物ではある。
先代夫婦が高齢になると色々なモノをその客殿へ運び入れるようになって、気がつけば、いつのまにか足の踏み場もないほどの事になってしまって完全に物置倉庫となっていた。
なにせ、境内の西の端の不便な所に建っているから荷物の移動には猫車を頼るしか方法がない。それで見て見ぬ振りで放置している間に先代夫婦が他界して、結局もとの客殿に復元できないまま今に至っている。

その今は物置と化した客殿の前に剪定が必要な松が一本ある。
子供の頃は、林業を退職した手先が器用で何でもできる近所の檀家のご隠居がこまめに剪定をしてくれていて、それこそ絵に描いたような枝ぶりの松に仕上がっていたのだが、そのご隠居が亡くなったあと、次第に剪定の間隔が空いてアッという間に見苦しく荒れた。
それからしばらくは、まだ元気に畑仕事をしていた母親がへっぴり腰で脚立に乗って春の新芽を摘むことだけはしていたが、それも歳をとって体が不自由になってできなくなって、ある年、知り合いの伝手を頼って業者さんに剪定してもらった事がある。
その業者さんはそれこそそれでメシを食べているプロだから「ここまで荒れると、見栄えがするまでに3〜4年はかかりますなぁ〜・・」と、厳しくて容赦ないプロらしい剪定でグイグイと枝葉を切り詰めた。それが、朝夕のお茶時に客殿の縁側でお茶の支度をしながら剪定へお付き合いをしていた母親にとっては気に入らなかった。業者さんの剪定は3日も続いただろうか?・・その間、ベットの父親と手伝いの副住職(ボクのことです)へ状況報告にもならない愚痴と小言が続き、夕食のたびにソレをオカズのように聞かされた。
結局、業者さんの剪定はその1回で終わって、それからは年々腰の曲がりが激しくなった母親が春が来るたびに手の届く範囲だけ松の芽摘みをして剪定らしきことを死ぬまで続けた。
その母親が死んで数え5年になる。成行きで5年前から母親の剪定を現住職が引き継ぐことになった訳で今年の剪定らしきことがやっと落ち着いた。ナンチャッテ坊主のにわか仕事だから適当極まりない剪定だが、それも流石に5年続くと遠目には「それなりに見苦しくない程度に仕上がったのではないか!」と、自画自賛気味にワイフへ報告すると「そんな面倒なことで時間取られるなら切ってしまえばいいじゃない」と、バッサリ容赦ない返事で一刀両断された。
なんのこともない・・・母親の愚痴や小言がこの5年かけてそのままソックリ息子の自分に引き継がれただけのことだった。
萬善寺は松1本で身代が潰れそうだ・・・

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節目の彫刻 

2021/06/04
Fri. 02:59

気がつけば既に一ヶ月以上も更新が止まったままだった。
これだけ長く休止していたのは、頚椎の手術で入院していたとき以来だと思う。

一日がアッという間に過ぎる。
アレコレ考えるに、精神の熱量と肉体の許容量に出来た誤差が縮まらないまま日常の暮らしへそのしわ寄せが山積みに堆積してソレを均してもともとの更地に戻すことができなくなったままになってしまっているからのように思う。
そんな毎日が過ぎている間に、誕生日が巡ってきてまた一つ年齢を重ね、次の免許の更新からは事前講習が必要になるまでになった。身体の自由も衰えて運転の後方確認をドアミラーへ頼るばかりになって、その死角のせいでヒヤリとすることも増えてきたし、知らない間に交通法規が改正になっていることもたくさんあったし、年齢のことも含めて講習の機会が増えて更新のハードルが上がることも大事なことだと思うようになった。

3月が暖かかったせいか、田植えが早かった。
稲床の苗が田植えが出来るまでに育った頃遅霜が降りた。飯南高原は標高が400m以上になるからアチコチで稲の苗が霜にヤラれて全滅したと聞いた。そういえば、寺の山椒や早咲きのツツジも新芽が霜にやられて縮れた。
「彫刻家は良いですねぇ〜・・毎年自分の都合で思うように似たような彫刻を幾つも造ることが出来て・・・百姓はそういうわけにはいきません」
まだ、30代の頃だったと思う。やっとひとまずは自分なりに彫刻の方向性が見えてきて、しばらくはその勢いが萎えないように気を配りながら制作を継続すればなんとかなるかもしれないと思っていた頃、そのお百姓さんからそう言われた。自分には何の事かよく理解できなかったので「えっ??」と問い返すと「百姓は自然が相手ですから、米も野菜も1年に一回しかつくれません。毎年イチからスタートして一年が過ぎてソレで終わり・・」ということ。そう言われると確かにそのとおりで返す言葉が見つからないまま「彫刻」の話題があとに続かないで終わった。この歳になっても未だにあのお百姓さんのお話を鮮明に覚えている。世間では「彫刻家」というとそれなりの「芸術家」のように認識されていることだろうが、地球の大地と正面から向き合って相手の様子を探りながら1年1作を繰り返す強靭な心身力を維持することがどれほど難しくて大変なことか・・・

幾つか仏事が続いて寺暮らしだったのを通勤坊主に切り替えて吉田家へ帰ってみると展覧会のDMが届いていた。こういうご時世だから、何かの展覧会を目標に制作するまでのモチベーションを維持することが難しいところへ展覧会出品のお誘いを頂いたので、小さな彫刻を造った。久しぶりの鉄仕事がとても気持ちよかった。
もうかれこれ10年近く前から脳みその隅でねかしていたモノがあって、彫刻は手仕事の跡が残る無骨な仕上がりになった。かたちにすることはいつでも出来たのだが、自分の癖というか性格というか、なにかしらいやらしげなワザのようなモノが邪魔してそのまま造り出すと工業的に過ぎる気がしてソレが面白くないというか納得できなくて実材の制作に踏み切れなかったところがあったから、それなりの節目になった。
作務の休憩に篆刻石をコリコリやっていたモノも添えて5月末に梱包して発送した。

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鼠と猫 

2021/04/26
Mon. 17:02

天気は良くて外仕事日和だけど、久しぶりの休日にした。
このところ、連日の肉体労働で疲労が溜まっているし、お寺の庭先に移動中の彫刻工場も屋根をつくる直前まで準備が進んだし、月末からはまた仏事が続くし、5月からは高校で週末の美術活動で子守が始まるし、そろそろ蕗も大きく育って収穫できる頃になったし・・・まぁ、色々とあって一区切りには丁度都合が良い。

保賀の谷では田起こしから代掻きが本格的になって、それまで田んぼや畑や耕作放棄地で食いつないでいた野ネズミが生き場所を失って寺の中へ入り込んできた。
ある日の朝そのことに気づいたのだが、ソレ以来、寺の一人暮らしで備蓄の大事な食料が次々と食べ荒らされて困ってしまう。そのネズミ(ひょっとしたらネズミ達かもしれない?)はなかなか頭のいいヤツで、急遽ホームセンターで買ってきた毒エサには見向きもしないで人間の食べるものばかり狙ってくる。先日は台所の床に保存食の梅干しが2個ほど転がっていて、ソレを知らないで踵で踏み潰してしまった。その梅干しはちゃんとプラスチック容器に入っていたのにヤツは器用に蓋を開けていた。発泡スチロールの容器で保存していたそうめんやスパゲッティの束も、袋ごとカジっているし、お供えで頂いた赤飯の袋もカジッていた。そのまま調理して食べてもどぉってこと無いと思うが、今まで泥にまみれて暮らしていた野良ネズミのカジリかけだと思うと、しばらくはどうも調理する気になれなくていた。それでもやはり捨てきれないままもったいない根性に負けてしまった。せめてもの気休めに麦とホップとかバカルディとか吉田酒造月山とかで身体の中をアルコール消毒しておいたお陰もあってか、今の所特に体調に異常を感じることはない。

まだ冬の寒さが残っている頃、寺の北側斜面にはびこったクマザサを伐採しながら庭掃除をしていたら、モヤッとして模様のはっきりとしない三毛の猫がうろついていた。よく見ると首輪をしていて小さな鈴もついている。どこか近くの家で飼われている様子だが、保賀の上組にそういう家は無い。結構遠くから徘徊して来ているのか、迷い猫かよくわからない。暖かくなってからも時々見かけるから「ネコチャン!」と声がけしてみると「ニャッ!」と小さく鳴いて返事してくる。根っからの野良猫は返事をするなど稀だから、比較的人間に慣れているのだろうが、向こうから近寄ることもなく警戒を解く様子はない。もう少し愛想が良ければ、夜の間だけでも留守番してネズミ退治をしてほしいくらいだが、あの様子ではどうも無理そうだ。いくら猫でも家の中にいるネズミを家の外から眺めているだけでは「手も足も出せないなぁ~・・」などと、他愛無い妄想をしながら、ひたすら裏庭の整備を続けているうちに、いつの間にかその猫はいなくなっていた。

母親の俊江さんが元気な頃に、裏庭の斜面へツツジやサツキの挿し木をした。ソレが根付いて年々大きくなって毎年花が終わるとすぐに剪定をしないといけないことになって、「寺の管理をすることも大事な仕事だから・・」とかなんとかもっともらしい理由を付けて剪定作業が息子で副住職だった自分の仕事に回ってきた。
俊江さんが永眠してから5年になる。半世紀近く斜面や石垣にはびこっていた庭木をやっと伐採してさっぱりとした・・・と思ってはいるが、果たしてそれで良かったのかどうなのか?・・・彼岸に暮らす俊江さんはブツブツと小言を言っているに違いない。

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まだ俊江さんが健在の頃の裏庭

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俊江さんが3月に永眠した年の5月には本格的に裏庭の手入れスタート

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その年の秋には満天星が紅葉してきれいだが、落ち葉の片付けがつらい・・

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次の年も春になるとまだまだ山が迫ってくる

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整備をはじめて苦節5年・・やっと裏山の斜面が見えてきはじめた

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3年目の春 

2021/04/25
Sun. 12:20

飯南高原は、4月に入ってから週末になると水田では代掻きが急ピッチで進み、満開になって今が見頃の遅咲きの桜が新緑の萌黄やヤマツツジと淡いコントラストを作って、それこそ絵に描いたような春の風景が出来上がっている。
旬の山菜もボツボツと出始めていて、吉田家の食卓が賑わっている。

大都市や周辺地域では新型ウイルスの蔓延に歯止めが効かなくなっている。
関西圏には知り合いがあまり沢山はいないのだが、それでも彫刻家や美術家を中心に交流もあるので気になる。数人にSNSで様子見舞いを送信したりしてみたら、皆さん生活が窮屈ではあるようだが元気に過ごしているとのことだった。自分もそうだが、だいたいに作家は個人事業主で制作三昧の日常であるから、かえってこういう時だからいつもより制作に集中できているのかもしれない。徳島のMさんは画廊企画の個展に向けて連日アトリエにこもりっきりだということだった。
美術館などの会場閉館もあって、組織立って大きな美術展などは昨年に引き続いて中止を決める方向で動き始めているようだ。一極集中が常態化していた芸術文化活動もそろそろ見直しが必要な時期が来ているような気がする。

この春の島根は、例年になく好天が長く続いている。
万善寺と吉田家の両方を維持管理しなければいけないから、好都合ではある・・・ものの、流石に連日の肉体労働はそれなりに辛い。
頚椎の手術から3年目の春を迎えた。丁度、入院中に元号が平成から令和へ変わったので、数字に弱い頭でも忘れることがない。
それで、先日1年ぶりの検診へ出かけた。
レントゲン撮影と主治医の問診があったが、経過はあまり良くないことがわかった。骨のパイプの内側関節のあたりに突起があって、ソレが右半身の痺れの元になっているらしい。手術をすると3ヶ月間の入院安静が必要だということで、夏にもう一度受診してその結果で検査をするかどうか決まるようだ。前回の入院でもその後の日常生活に不具合がついて回って未だにその影響が残っているところへ、今度は3ヶ月間身動きできないとなると、現在の生活様式が一変することになる。今の自分に「そこまでして手術に踏み切る価値があるのだろうか?・・」と我が身を値踏みしてみるに、そんなにたいした人間でもないからこのまま痺れと上手に付き合ってダラダラとだらしなく生き続けていたほうが良いと思う。「痛い」とか「痺れる」とか感じていられるということは「生きている」ということの証明でもあるから、毎日ソレを受け入れながら暮らすのも「自分の宿命であるのだ!」と、納得することにした。ドクターの思いに逆らうことになるかもしれないけどね。まぁ、そんなわけで、ひとまずはこれから次の検診まで「痛い」と「痺れる」の単語を封印することにした。

関東圏で暮らす吉田家の三姉妹もそれなりに窮屈で緊張の暮らしを続けているだろうからと、旬のモノをメインにして境港の紅ズワイやノドグロやセセリなど、彼女たちのリクエストにワイフが腕によりをかけた差し入れの陣中見舞いを送った。
発送の手間のご褒美におこぼれを堪能した。酒が進みすぎてワイフに叱られた・・

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穀雨の頃 

2021/04/21
Wed. 09:58

毎月21日は弘法大師さんのご縁日になる。
萬善寺は曹洞宗だから弘法さんのご縁日と直接深い関係にはないのだが、先代住職の頃には春や秋の農繁期前後に集中して個人集落自治会問わず供養法要の声がかかっていた。
「弘法さんは宗派が違うけぇ~、断っても良いもんだがのぉ~」
先代はどこかしら面倒臭そうな顔をしてブツブツ言いながら、それでもあわただしく改良衣に着替えて50ccカブにまたがって参道を下っていた。

先代の頃も、1年を均すと極めて暇な寺であることに変わりなかったが、それでも様々な仏事でお経を読むことが今よりはかなり多かった。
弘法大師さんのように、一ヶ月に一回ご縁日がやってくるような仏事は、その日と決めて供養依頼をする施主さんもあって、シーズンはそれなりにまぁまぁ忙しかった。
昔の仏教は民衆や土地の風習と密接に結びついた宗教であったから、神仏問わず、宗派問わず、何かに付けて信心の強さが様々な具体の様式になって日常の暮らしに溶け込んでいた。弘法さんの信心も、長い歴史の流れの中で信仰流行の一つになってきたのだろう。

それで、4月21日は車で10分ほどの所にある臨済宗寺院の御大師講と決まっていて、その法要の塔婆回向が萬善寺の配役に決まっていた。
先代が元気な頃はその距離をカブで移動していたが、その後体力が衰えてからは路線バスを使ったりして一年に一回のご縁日には苦労しながら欠かさず通っていた。晩年は副住職が送迎をしたり、いよいよ体力が無くなってからは侍者で塔婆回向のお供もした。
そのうち、いつの間にか塔婆回向の配役を引き継いで、今は下手糞な和讃を唸っている。その御大師講法要が新型ウイルスの流行で昨年から中止になった。萬善寺としては貴重な年収の一つが無くなってしまった程度のことだが、当該寺院としては、長年継続の仏事行事が絶える事になった。高齢化の加速する今の御時世、一度絶えた仏事を再開するほどのエネルギーが御大師講メンバーに残っているだろうか?・・・その代わりというわけでもないが、飯南高原に点在する弘法大師さんの祠の一つへお参りしてお経を一つ読むことになった。その祠はもう何十年も改まった供養がされてなかった。施主さんも高齢になって仏心が疼きがじめたのか?これを機会に毎年の恒例になってほしいものだが、なかなかそう上手くはいかないだろう・・

最近は、雨になると強風が吹き荒れて大騒動になるが、それが過ぎると晴れの日が比較的長く続く。
気候も良くなったし、先日の夕方、少し空き時間ができたし、庫裏のすぐ横で掘り起こした筍を土産代わりに野外彫刻を頼まれている個人宅へ庭の現状を見に行った。その庭にフェンスを造ったのはもう20年近く前だったと思う。それから定期的に様子を見に行っている間に、彫刻制作の依頼が入って幾つか造った。今度の彫刻はご主人の退職祝いで記念に残るものが欲しいということだった。
小品のまた小品のような小さな彫刻を造ろうと思っていて、それがうまくいけば今まで続けているテーマへもう一つ新しいモノが加わることになるだろう、大事な節目の彫刻を考えていたときだった。たぶん、このテーマが自分の彫刻制作で脳みそが暴走を始める前の最後の足掻きになるだろう。過去を引きづらないでいつまでも斬新でありたい。
今年の穀雨はもう過ぎたのだろうか?・・・たしか、弘法さんの縁日と近かったはずだ・・・

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新玉の季節 

2021/04/12
Mon. 12:04

飯南高原の田園地帯は、あちこちで一斉に田起こしが始まった。
3月が暖かだったから何時もより早いように思う。
8日はお釈迦様の降誕会だったからその法要をした。檀信徒のお参りはない。
昔は、地域の仏教会が宗派を超えて持ち回りの花祭りをして稚児行列などして盛大にお祭りをしていたのだが、高度経済成長時代を迎え、季節動労で男手が流出したり核家族化が進んで世代交代がうまくいかなくなったりしているうちに、気がつけばそれも絶えて経済優先の生活様式に変わって檀信徒各家では水面下で急速に宗教離れが進行していた。
何時もは温厚な先代住職の憲正さんも、そういう昭和の時代の変化を乗り切ることができなくて、晩年はお参りも激減した仏事法要のたびにこぼす愚痴が増えて機嫌が悪くなって、それをなだめるのに往生した。ひと頃は、法要の度に本堂から外の濡れ縁までお参りの老若男女であふれるほどの賑わいがあったし、法要が終わった後のお斎を兼ねた慰労会も建具を取り払った田の字の庫裏に随喜の方丈様方や檀信徒の男衆が蜜にひしめいて夜更けまで大賑わいだった。憲正さんは古き良きあの頃の思い出が忘れられないでいたのだろう。そういうときの少年の私は眠くなっても寝場所がなくて、押し入れの布団の上で寝ていたことを鮮明に憶えている。自分にはあまり良い思い出でもないね・・・

いまだに先の見通しが立たない状況下で、今年も幾つかの仏事が中止になり、法事の順延もあったりして、珍しく5月の連休がすぎるまでまとまった時間が取れそうなので、曖昧になっていた彫刻のスケジュールを具体的に組み立ててみた。
こういう時期だから以前のようにザックリと見積もりして少し余るくらい多めに材料注文するような無駄遣いもできないし、小品から大きめの彫刻まで順を追って簡単な図面に起こすことにした。
鉄板は当分の間3✕6板を使うことにする。本当は、4.5から6mmくらいの厚い板を使いたいのだが、それも無理そうなので制作の工夫で乗り切るしかない。
元来、モノを考えて造ることが好きな方だから、同じ数字の絡むデスクワークでも収支計算などよりずっと楽しいし、時間が直ぐに過ぎる。それで、無い知恵を絞って工夫らしきことをしてみたら、ひとまず今ある材料を上手に使えば夏までに決まっている彫刻制作はなんとかなりそうだ。万年青空工房だから雨が降ったりすると制作の予定がズレてしまうが、今の所今年の春は天気の崩れも少ないし、雨が続くようなときは屋根下でできる小品の制作に切り替えればいい。

お昼すぎまで彫刻絡みのデスクワークをして、少し遅めの昼食は、余っていた冷や飯をたこ焼きプレートで焼き飯にして新玉の浸け置きを添えて食べた。
吉田家の家族が自立してワイフと二人暮らしになってから使うこともなくなってホコリを被っていた万能ホットプレートが最近はお寺で頻繁に活躍している。後片付けが少々面倒だけど、これから暖かくなる一方で冬の間のように作り置きができなくなるから、オヤジのひとり飯はなんでもかんでも焼いてすぐに食べてしまうに限る。
今頃になって自炊暮らしが再開するとは思ってもいないことだった。若い頃に水商売のアルバイトを続けていたことが随分と役に立っている。何より面倒臭い食後の食器洗いが苦にならないだけでも助かっている。

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晴外雨内 

2021/04/09
Fri. 00:20

一向に収束の見通しがつかないまま、飯南高原や石見銀山の方へも新型ウイルスの驚異がジワジワと押し寄せている。
そんな中、坊主彫刻家はひたすら晴耕雨読ならぬ晴外雨内の暮らしが続いている。
今年の3月は今までに経験のないほど良い天気が続いたから、例年よりまるまる1ヶ月ほど早くに春の恒例外仕事へ取り掛かることができた。晴れた日は昼食の支度で家内へ入る以外、朝から陽が沈むまで一日中境内の東西南北を動き回り、雨が降る日は本堂から庫裏台所と積年の積み残しを少しずつ片付けて断捨離整理に励み、夜になれば夕食が終わってバタンキューで目が覚めると次の朝・・・の毎日。それに恒例仏事があって宗門大和尚の本葬儀まで加わって、年中暇な山寺のナンチャッテ住職に馴れ切って自堕落に暮らしていた坊主彫刻家は、フル稼働のツケが飽和状態になって、そろそろ3月が終わろうとする頃、酒を飲む気にもなれないまま3日3晩寝込んでしまった。

3月はボクの好きな安西水丸さんの祥月になる。
もう命日は過ぎていたが、ひどい頭痛にうなされつつ水丸さんのことを思い出していた。
本棚からシネマ・ストリートを引き出して布団へ潜り込んでパラパラとめくってペン描きのイラストを観ながら偲んだ。
購読していたキネマ旬報で和田誠さんの「お楽しみはこれからだ」(だったかなぁ~・・)から引き継いだ「シネマ・ストリート」で観て読んだ水丸さんの独特のイラストと文章にハマった。あの連載が始まったのは島根へUターンしてしばらく経った頃だったと思う。学生の頃に漁っていた二番館や三番館やテレビの映画劇場で観た映画の数々が思い出されて、とにかく懐かしくてワクワクして1ヶ月に2回のキネマ旬報が楽しみでしょうがなかった。
2021年4月24日から世田谷文学館の企画展で「安西水丸展」が始まるようだ。
不要不急の外出自粛の渦中だから期間中に上京することはできないだろう。どう考えても島根での巡回は期待できないし、残念なことだ。せめて、関東圏に暮らす娘たちへ情報だけでも流しておこうと思う。娘たちの前で何かに付けて水丸さんのことをしゃべっているから彼女たちも彼の名前くらいは覚えているはずだ。その気があれば、誰かが変わりに会場へでかけて水丸グッズのひとつでもプレゼントしてくれるかもしれない・・・などと、ささやかな期待を夢見たりしている。

数年前から大般若経転読法要までにお参りの老若男女さん用に萬善寺オリジナルお守りポプリを数量限定で手造りしている。
お参りの男衆はあまり興味を示されないが、女衆にはウケが良いようで、1年後の今でも大事にマイバッグへ忍ばせているご婦人もいると聞いた。萬善寺の場合、恒例の仏事行事には檀信徒各家の家長がその家を代表してお参りされることがほとんどなので、お守りのことがご婦人方へ周知されているかよくわからない。信心は一家の代表が一手に引き受けて済ますようなものでもない、個々人一人ひとりの心の拠り所があって機能するものだから、それこそお寺参りも老若男女問わずだれでも我が身のこととしてお参り願いたいのだが、令和の現代に至ってなかなかそのような主体の行動を期待することは難しい。
彫刻の方はもっとシンプルに個人の好き嫌いでお付き合いが出来ているのにネ・・・

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吉田家の夜 

2021/04/06
Tue. 16:22

初午祭を待っていたように当日の朝から風が出て雨が降り始めた。
あいにくの空模様になったからお参りもないだろうと思いつつ、それでも準備だけは何時もと変わりなく済ませておいた。
朝は6時前に起きた。ワイフのようにオシャレな美味しい口取りなどつくりようもないが、オヤジの寺暮らしでつくり続けていた酒のつまみから幾つかを茶口用にアレンジしてとりあえずお接待の体裁を取り繕った。
お昼を過ぎて法要の予定時刻が近づいたところで雨の降る中参道を3台の軽自動車が上がってきた。保賀の谷の御婦人方が誘い合って、それにお檀家さんの奥さんも含めて総勢6人お参り頂いた。
茶話会は、ワイフの手作りケーキが好評で、やはり時節柄だろう新型ウイルスの話題で賑わった。世間の社会情勢で仕方のないことだが、少しは夢と希望のあるネタで盛り上がるような話題でもないかと密かに思い巡らしてはみたものの、結局何も思いつかなかった。
夕方、まだ陽のあるうちに雨がやんだ。お彼岸を過ぎて日毎に昼が長くなる。

3月から断続的に続いていた寺暮らしを切り上げて吉田家へ帰ってきた。これからしばらくは通勤坊主に切り替えて、その合間に彫刻を挟んで、あまり無理をしないでゆっくりと4月いっぱいつかって彫刻のことが回転するように調整するつもりだ。
久しぶりにワイフ手作りの夕食を味わいながら旨い酒を飲んだ。体調不良でしばらく酒から遠ざかっていたから何時も以上に気持ちよく酔った。
ワイフやネコチャンズが寝静まってから吉田家の80インチで「THE OLD MAN & THE GUN」を観た。邦題は「さらば愛しきアウトロー」という。何気なしに吉田家のデスクトップをつついていたら、アマゾンプライムに降りていた。有料のウエブ配信をチェックしたのが2019年の頃だったと思うから、それから約2年ほど粛々と無料配信を待ち続けていたことになる。我ながら気の長いことだ。
私の映画好きは物心がついた頃に観た「黄金狂時代」と「街の灯」からスタートしているから、筋金入りの映画狂と云って良い。高校生時代は年齢をごまかして土曜日のオールナイトに入り浸っていたし、上京してからは週末になるとアルバイトが終わってから二番館三番館のオールナイトをハシゴした。Uターンすると近くの映画館がすでに閉館していたからソニーのβHi-Fiを中古で買って自宅の29型テレビでナイトシアターを楽しんだ。
それから今に至るまで、まぁ色々とあったが、今では、映画が疲れた時の栄養ドリンクのようなものになっている。
それで「さらば愛しきアウトロー」のこと。邦題の命名も映画好きには気持ちが通じて悪くはないが、原題の方がシックリと馴染んでそれなりの含みも感じて良いと思う。
記念すべきロバート・レッドフォードの俳優業引退作。彼がこのシナリオを自分の最後の主演映画に決めた気持ちがグイグイ伝わって、ジジイの色気たっぷりで実にカッコ良い。それに、おばぁちゃんになったシシー・スペイセクがめちゃくちゃキュートで可愛い。
脇を固める役者さんたちも良くて、特にケイシー・アフレックが最高で、あのアルトがかったかすれ声が映画の雰囲気にピッタリだった。彼はどんな役でもこなす職人のような役者さんだと思う。器用すぎて損をしているかもしれない。
1時間半のこぢんまりした映画は、ロバート・レッドフォードの自伝エッセイに思えた。

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万善寺初午祭 

2021/04/04
Sun. 19:22

万善寺春法要の一つ「初午祭」準備でバタバタしていたら彫刻家のMさんから着信が入った。急いで掃除機のスイッチを切ってグローブを取ってタッチ画面を操作した。
こういう時は何時も「物理スイッチのほうがずっと便利だったなぁ〜」と昔を思い出す。
昔といってもそれほど大昔でもないのに・・・
最初に携帯電話を使い始めてからもう20年以上は過ぎている。そう思うと「自分も随分歳をとったものだ・・・」と改めて実感する。20年前は多少の無理など何でも無かったことが、今は30分も根を詰めて何かにとりかかっているとすぐに身体がバテて気持ちのやる気に追いつけなくなっている。ある日突然にそうなったわけでもなく、次第に体力が減退していっただけのことだが、それに気づくまでは何でも無いことですぐにイライラして周囲へ随分と迷惑をかけていた・・・
電話の内容は展覧会のことだった。
そういえば、出品の申込期限が過ぎていたような気がする。目先のことで忙殺されて、うっかりと忘れきってしまっていた。Mさんゴメンナサイ!

3月がアッという間に過ぎていた。
節分寒波が過ぎたあと、桃の節句までに数回ほど雪が降って積もって消えて、本堂の北側境内へ最後まで残っていた雪が消えたのはお彼岸を過ぎた頃だった。
今年は、早春の1ヶ月くらいが今までに無いほど暖かだった。寺の墓地もお彼岸前にはすっかり雪が消えていたので、2日ほどかけてお墓掃除をしてシキビをお墓の仏花にお供えした。春彼岸前に墓地の雪が消えるなど無いことだから先代の憲正さんや内室の俊江さんが騒がしい墓地掃除にビックリしていたことだろう。境内では冬の間に何度か降っては消える雪と北風に舞って落ちる松葉がバームクーヘンのような層を作っていたのが、最後の雪が消えたあと、絨毯のように敷き詰められた松葉だけが残った。

年末に相次いで遷化された二人の大和尚様の本葬が一ヶ月半の間に2つ続いてあった。
弔事は予定がたてられないから、宗門の決まりをもとにして2つの寺院それぞれで葬儀仏事の関連行事をお勤めすることになる。決まった日程に向けて、お手伝いや法類方丈さま方の配役が決まり、事前の荘厳をし、ご親族や檀信徒の皆さんと打ち合わせを重ね、一切遺漏の無いように段取りを付けて当夜当日を迎える。副住職の長かった私は住職経験もわずかで何の役にも立たない新参者だから、各寺の方丈さま方の邪魔や迷惑にならないようにお付き合いをしている程度のことなのだが、それはそれで気疲れもあって、3月末に2つ目の本葬が終わった日に頭痛が始まって熱が出てそれから3日ほど寝込んでしまった。

比較的好天の穏やかな日々が続いて、体調不良を別にすれば、お彼岸から初午祭までの万善寺作務が楽に過ぎた。
本葬仏事で日延になっていた初午祭当日は朝から土砂降りになったし、少し前にお彼岸もあったからお参りも少ないだろうと、朝課の代わりにあらかじめ豊川さんで初午祭のお勤めをしておいた。あとは、予定の時刻にお参りがあれば改めてお経を読んでお供えの御下がりを配ってささやかな茶話会をして万善寺の春仏事が落ち着いて、これで雨が止めば彫刻に気持ちを切り替える。
本堂はサマーシーズンに向けて少し早い模様替えをした。境内はすでに桜は散って今は椿が花を落とし始めている。

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老眼と乱視 

2021/03/08
Mon. 16:32

それほど急いであわてていたわけでもないのに、吉田家へ携帯電話を忘れてしまった。
日常の些細なことでついつい物忘れをすることはよくあるが、営業に直結している電話の無いまま一日を過ごすということは今までに殆どないことだ。そろそろ、脳細胞の幾つかが本格的に壊れ始めてきたのかもしれない。
気がついたのは、お寺に到着していつもの朝の用事をひと通り済ませ、雪で裂け折れた庭木の片付けなどをして、そろそろお昼の準備で電話付属のタイマーを使おうとした時だった。日頃は携帯電話へ強く依存しているふうに感じていなかったが、知らない間に付属機能のアレコレ含めて結構都合よく便利に使っていたようだ。

確か、2月もそろそろ終わろうとしていた頃だったと思う。
ウエブニュースを流し読みしていたら「#頑張れ島根県知事」がSNSのトレンド入りしたとあった。時期が時期だけにタイムリーな話題として各種メディアが取り上げていたようだし、そういうこともあって、アッという間に聖火リレーのことが日本中の注目を集めたことになる。
細かな事情とか当事者の真意はそれなりに様々であろう。失礼ながら、オリンピックも含めて世間の情勢に特に興味も無いから、島根在住の島根県民として改まった感想とか意見はない。強いて言えば、何がどうなってもジタバタドタバタしないでできる限りいつもと変わりなく粛々と日常の暮らしを維持し自分の務めに責任を持ち続けていられるよう心がけようとは思っている。
もともと、公私共に積極的な付き合いをしないほうだから、この1年の間に自分の周辺環境が著しく変化したとは思えない。それでも今までと同じような毎日が過ぎてきたとも思えない。それは、彫刻家としてもそうだし、坊主家業の宗教家としてもそうであった。
自分にとって、この2つの公的業務は家族親族の幸福度と連動していると思うから責任を感じるし怠けられない。年度末の今になって、申告の事務をしながら振り返ると、自分の働き具合が客観的な数字になって見えてきた。弁解をするわけではないが、結構厳しい世間事情で赤字は増えたものの、自分なりにソコソコの努力はしていたようである。惰性や甘えの無駄を修正できていたし、分相応の前向きな活動もできた気がする。次年度の活動目標になりそうで楽しみだし、鬱陶しい我欲もほんの少しだけ捨てられて気軽になれた気もする。まぁ、単なる気の所為だけのことかもしれないけど、ポジティブにアクティブにいられるだけで体調の不調を忘れていられるだけで有難い・・・とはいっても、さすがに延々とテンキーをつつきながら数字とにらめっこしていると、老眼と乱視がひどくなって吐きそうになる。

彼岸が近づいて昼が長くなった。夕方、外はまだ少し明るさが残っていたが、バリカンとシャワーを使ってさっぱりと気持ちをリセットした。
ホームシアターで2006年封切りのイギリス映画「キンキー・ブーツ」を観た。あの頃はDVDデッキがフル稼働していた。早期退職した時、書斎の一面を占領していた映画のライブラリーをデッキも一緒に知人に譲って一気に断舎離したから久しぶりに見直したことになる。ヨーロッパの映画やドラマは、独特の世界観があって好きだ。ほぼ10年ぶりに観たけどやっぱり良かった。老眼や乱視など吹っ飛んで、いっぱい元気をもらった!

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マイ・バック・ページ 

2021/03/05
Fri. 17:41

2月に入って何度か寒気団が島根上空へ南下して雪を降らし、上水道の凍結防止対策で寝不足の夜が続き、少しの晴れ間を使って寺の雪害に応急修繕をしたり、そういうことを繰り返しているうちに境内の南側では雪が徐々に消えて、やっと駐車場の銀くんを庫裏の玄関先へ横付けできるまでになった。それでも、夜の冷え込みが厳しかったりすると次の朝には保賀の谷一面が雪で真っ白になっていた。
本堂の東と北側は3月に入ってもまだ雪が残っている。
今年の雪は、とにかく粘りが強くて重たくて、節分寒波で降り積もった雪は寒気が緩んで雪が雨に変わるまで雪吊りしないで屋根に張り付いたままだった。少し暖かくなってすごしやすくなってから境内を一巡すると、雪囲いをしていた庭木も、重たい雪に耐えられなくてアチコチで無残に裂け割れていた。
私が寺のことで気の抜けない毎日が続いている間、石見銀山の吉田家は、ワイフが愚痴もこぼさないで一人で踏ん張ってくれて随分と助かった。新調した灯油ストーブがネコチャンズの憩いの場にもなって大活躍だったようだ。
今年の冬も色々あったが、ひとまず3月のひな祭り寒気も峠を超えて少し気楽になった。

まだ冷え込んでいた頃の夜、お寺のシアタールーム(田の字の庫裏の6畳間を数年かけて改修したボクの労作!)で「マイ・バック・ページ」を観た。
一連の学生の安保闘争を元朝日新聞の記者が本にしたノンフィクションを映画化したものだ。70年安保はちょうど中学から高校にかけての、まぁ、それなりに多感な時期だったし、受験の渦中でもあって他人事に思えないところもあったが、大都会の大学生達の学生運動は、思想とか理念とか田舎者暮らしの自分にはあまりに現実からかけ離れた難しいことだったから、理解も共感もないままその時代を過ぎた。
上京して東京での暮らしが始まった時、四畳半一部屋の学生寮のようなアパートには日大商学部や明大文学部や国士舘といった私立の先輩学生さんが生活していた。彼らは、時々誰かの部屋へ集合して酒盛りをしながら徹夜で議論したりもしていて、若輩の私へも時々誘いがかかった。話題は、哲学から文学や教育まで目まぐるしく変わって、それらをザックリくくるとノンポリ族であったようだ。学生運動から一線を引いて、それなりにクールで客観的な会話が多かった気がするが、かといって、全くシラケているわけでもなく、若く熱い議論が延々と続いていた。
私へ一番良くしてくれたのは山梨出身のOさんだった。彼は詩人であって、自費で作った詩集を新宿の地下道で売っていた。何冊目かの詩集を作る時にカットイラストを頼まれた。詩は、とても抽象的で前衛の表現主義的であったり構成主義的であったりして、単語や熟語の組み立てが幼稚極まりないボクにはあまりにも難解過ぎて、絵を描く時は随分と悩んだ。出来上がった詩集を一冊サインしてプレゼントで貰ったが、その後、何度かの引っ越しに紛れていつの間にか無くなってしまった。

映画は2011年に公開された。現代の若者たちにどれほど受け入れられたかわからないが、事実の良し悪しは別にして私は引き込まれた。映画のタイトルになったあのボブ・ディランの「マイ・バック・ページ」は、難解だが好きな歌だ。「ファイブ・イージー・ピーセス」のくだりもあってニューシネマに多大な影響を受けた頃を思い出して泣けた。奥田民生と真心ブラザースの意訳のような日本語版も良かった。

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リターン・トゥ・フォーエヴァー 

2021/02/19
Fri. 16:24

好きなミュージシャンの一人、チック・コリアさんの訃報が入った。
享年79歳だったそうだ。公式のSNSが公開されていたので、転記させてもらった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
I want to thank all of those along my journey who have helped keep the music fires burning bright. It is my hope that those who have an inkling to play, write, perform or otherwise, do so. If not for yourself then for the rest of us. It’s not only that the world needs more artists, it’s also just a lot of fun.
And to my amazing musician friends who have been like family to me as long as I’ve known you: It has been a blessing and an honor learning from and playing with all of you. My mission has always been to bring the joy of creating anywhere I could, and to have done so with all the artists that I admire so dearly―this has been the richness of my life.

私の旅路において、音楽の火を明るく燃やし続けてくれた全ての人に感謝します。演奏したい、作曲したい、パフォーマンスしたいと思っている人は、そうしてほしいと願っています。自分のためではなくとも、他の人々のために。世界はより多くのアーティストを必要としているだけではなく、それは単にとても楽しいことなのだから。
そして、知っている限りの、私にとって家族のような存在だった素晴らしいミュージシャンの友人たちへ。皆さんから学び、皆さんと一緒に演奏できたことは幸せであり、名誉なことでした。私の使命は、どこにでも創作の喜びをもたらすこと、そして私が心から尊敬するアーティストたちと一緒にそれを実現すること、これが私の人生の豊かさでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あれは、上京してすぐの頃だったと思う。
5月から始めた時給250円のアルバイトで貯めたお金を元手に新宿の丸井で買ったTEACのドルビーシステム搭載のカセットデッキに録音したエアチェックのアスペクト・イン・ジャズで油井正一さんの解説を聴いていたときに、はじめて「リターン・トゥ・フォーエヴァー」を知った。
それまでは、JAZZと言うとほとんどがアコースティック系ばかり聴いていたから、リターン・トゥ・フォーエヴァーの多彩な電気JAZZがとても新鮮で衝撃だった。「フュージョン」という音楽用語も油井正一さんの解説で覚えた。
「かっこいいなぁ~~」と思っていたエクソシストやスパイ大作戦などのラロ・シフリンやシャフトのアイザック・ヘイズあたりのエレクトリックサウンドがリターン・トゥ・フォーエヴァーの「Spain」を聴いてからどこかしら軽く思えてしまう(アレはアレでとっても好きだけど・・)ようになったことを憶えている。

チック・コリアさんの命日になった2月9日は、79歳で遷化された萬善寺の法類(親戚寺)で現住職大和尚の大夜仏事があった。翌10日の本葬・大練忌仏事と続いてナンチャッテ坊主としては寒波南下と併せて右半身の疼きも加わって心身共に緊張が連続していた頃だった。
その後、一気に気温が上昇して雪も雨に変わり春めいた温かい日が数日続いて、境内の雪も消えた。夜になると痺れ疼きで眠れないし、それから毎晩彼のアルバムを聴いている。

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適度な距離感 

2021/02/07
Sun. 15:57

記念すべき日曜日になった!
ボクの銀くんが新年初めて萬善寺の狭い境内へ乗り入れました!
これで、これから先の積雪がひどくなければお寺の日常が随分と楽になって活性します!

来週から全油種の価格が上がるとの連絡が入ったので、せめて灯油だけでも買い込んでおこうと思って、朝早くから最寄りのホームセンターへでかけた。これで、春までの燃料は確保できたはずだ。
灯油は1年前のシーズンのほぼ2倍消費した。例年と変わらなかったのはLPガス位で、電気代は3倍、豆炭3倍と、萬善寺や吉田家の光熱水費が激増した。
軟弱オヤジには生活費をケチって不自由に我慢し続けるほどの忍耐力はない。それでなくても新型ウイルスの自粛でストレスも溜まる一方だから、せめて日常の暮らしくらい少しは潤いがほしい。

節分寒波の峠を越えてから通勤坊主をしている。
夜になるとワイフの美味しい夕食付きで、その上ロフトのマイルームで映画三昧音楽漬けの暮らしが戻ってきた。彼女の存在の有難さを実感する。
吉田家を留守にしていたときは、ネコチャンズもワイフの部屋で一緒に寄り添って留守番をしながら寒い夜をしのいでいたようだが、いつもの夫婦の暮らしが戻ってきたら人間の家庭内別居に付き合って早速クロがロフトへ戻ってきた。
ワイフとの仲が悪くて家庭内別居をしているわけでは無い。
子供たちも自立してそれぞれの生活が出来上がっているし、ワイフとの夫婦暮らしも40年というと、そろそろ半世紀近くも付かず離れず共同生活を続けている同士仲間のような関係であるともいえる。それなりに信頼関係で繋がっているとはいえ、お互い人格も性格も哲学も主張も違ってそれぞれに自分のペースもあるし、年月を経て趣味やライフスタイルにオリジナルが確立されると、お互いの干渉を軽減してできるだけストレス無く暮らしたほうが良い事もある。1日のうちに、ほんの少しの時間を共有し、お互いの情報交換を絶やさないでいればそれで十分な気がする。

ワイフが普通車のラクティスから軽のタフトに乗り換えてそろそろ半年になる。車体の色は赤。本人曰く「大きな駐車場で遠くからもすぐに場所が見分けられるから・・」という理由。車の車種を決める条件も、性能とか操作性とかより見た目のデザインを重視した。メーカーカタログでは「アースカラー」と云うらしいが、ワイフはそれらの色彩に見向きもしなかった。色彩においては珍しく考えが一致した。
私には各種メーカーの用意している「アースカラー」は昭和の軍色にしか見えなくて、時代が平和の概念に逆行しているようにしか見えない。単なるボディカラーだけのことだが、趣味の根拠はワイフとズレていても具体の現実で納得できればそれでいい。
シロとクロのネコチャンズを見ていると、さり気なく適度な距離感をキープしていて、上手に摩擦を回避している。ワイフがどう思っているかはわからないが、今の自分は吉田家の様々な場面でネコチャンズの様子を横目で見ながら何気に自分の立ち位置を目算していたりする。
日常の暮らしに摩擦回避の緩やかな客観性は生涯持ち続けたいと思っている。

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木内克の猫 

2021/02/05
Fri. 20:40

山陰の冬にしては珍しく、朝から日差しも強くて放射冷却がすごかった。
寺の駐車場まではスリップもしないでたどり着くことが出来たが、ソコから参道を登って境内から庫裏玄関までの間がカチカチに凍みていて長靴を履いていてもツルツルとよく滑った。
本堂の座の下から覗いている野良猫と目があった。冬の間に万善寺のナンチャッテ住職を覚えてくれたようで「ネコちゃん!」と声をかけると、ゆっくりとした瞬きを返してくれるようになった。国道から保賀の谷へ入ると、町道の法面や空き家の車庫だったところでいろんな野良猫を見ることがある。黒猫はその集団に見かけないから単独行動をしているようだ。たぶん、同じ一匹のネコなんだろうと、最近はそういう気がしてきた。
昔、寺の下隣の家に三毛猫がいた。
その家にはナツメの老木があって、オバサンにことわって木から直接ナツメをもぎ取って食べていた。まだ実が熟す前の青い頃のシャリシャリとした食感が好きだった。気がつくと、三毛猫がナツメを食べている子供のボクを縁側で日向ぼっこをしながらジーッと見ていた。近づくと適当な距離を測ってサッと逃げてしまって、触らせてくれた記憶がない。それで、猫は犬のように尻尾を振って人間になつくようなことが無いのだろうと思っていた。
中学校へ入った時に、英語と美術を受け持つ背の高い男の先生が転入して来た。
小学校の教頭先生から事前に「吉田くんは図工が得意だから美術部に誘ってみると良い」・・・という引き継ぎのようなことがあったらしく、一本釣りのような感じで部活勧誘されて、深い考えもなく美術部員になった。
その美術の先生が持ってきた「これがアグリッパと云って・・・こっちがメジチと云って・・・云々云々・・」と石膏像の解説をして、他にも幾つかの幾何形体の石膏も一緒に技術室兼用の美術部室へ並べてデッサンを教えてくれた。中学校1年生を相手に本格的なデッサンを教え始めたわけだが、当時は美術の「部活動はこんなものなのだろう・・」くらいにしか思っていなかった。
中学生が石膏のデッサンをしている横で、先生は自分で描いた数枚のデッサンを並べて、それを見ながら粘土で猫を造っていた。そういう光景を間近で見ることもはじめてで珍しいから、休憩のたびに先生の制作を見ていたら、部活にも先生にも慣れてきた頃に彫刻の画集を見せてくれた。その中の幾つかを「これが木内克という彫刻家の猫だ・・・猫は動くことが少ないからいい勉強になる」と教えてくれた。写真の猫は子供の粘土遊びのようなフニャフニャした感じで何処が良いのかよくわからなかったことを覚えている。「石膏像は動かないからデッサンしやすいが、硬いからいけない」・・・というようなことを言われて「今にも動き出しそうな柔らかい感じを粘土でつくるのが難しい」というようなことを教えてもらった。
先生は、粘土の具象彫刻を造っていた。
宿直の時は、学校の焼却炉を使ってテラコッタを焼いていたし、美術の授業中に裏山へ入って粘土採取をしたりした。焼成に失敗して割れた彫刻を砕いて砂と粘土と混ぜて煉瓦をつくって焼却炉を修理(改造?)したりもしていた。中学校を卒業する時にその先生がわざわざ進路相談で家庭訪問をしてくれたこともあった。きっと、中学校であの美術の先生と出逢ったから今の吉田が彫刻を造るようになったのだと思う。
進路を美術に決めて上京して何回か引っ越しをして明大前の6畳の離れで暮らし始めた時、メスの野良猫がフラリと部屋へ入り込んで居着いた。タマと呼び始めて、それからその離れが取り壊されることになるまで3年弱共同生活をした。

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This train, bells of freedom ringing 

2021/02/04
Thu. 14:32

夜が明けた頃に、「ドカン!」と強烈に大きな雷がひとつ鳴って目が覚めた。
通勤坊主で石見銀山の町並みに出てみると、夜に降った雨で少し濡れていた。
「あの雷は、雪起こしだったかもしれない・・・」
島根の飯南高原から万善寺の辺りは、だいたい節分の頃に寒波が来ることが多くて恒例のようになっているから、きっと今朝の街道は「雪道になっているはずだ・・・」から、慎重に運転しないとスリップの可能性がある。
小学生たちの集団登校が終わった頃合いを見計らって吉田家を出発した。

・・・まだ、ドカ雪で孤立していた万善寺がやっと外界と繋がった頃だったと思う、アメリカ大統領選が決着して、新大統領の就任式があったのをウエブニュースで知った。遠い世界のことで、万善寺の孤立オヤジには特に何の影響も関係もないことだが、オンラインコンサートでブルース・スプリングスティーンがソロアコースティックで「Land of Hope and Dreams」を歌っていた。確か20〜30年くらい前の曲だったかなぁ〜?興味があったらタイトルをポチッてみてください。
・・それにしても、実にタイムリーで他所の国のことなのに感動した。アメリカという国はやっぱりショーやアート文化がビジネスとして国家と対峙するほど力強く社会に根付いているんだなぁ〜と気付かされた気がする。政権が変わったからと云って、何もかもが大きく快方に変化していくわけでも無いとは思うが、それでもなんとなくの期待感は増す。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・・・・・
Yes, this train carries saints and sinners
This train carries losers and winners
This train carries whores and gamblers
This train carries lost souls

I said, this train carries broken-hearted
This train, thieves and sweet souls departed
This train carries fools and kings thrown
This train, all aboard

I said, now this train, dreams will not be thwarted
This train, faith will be rewarded
This train, the steel wheels singing
This train, bells of freedom ringing
・・・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
寺へ移動した工場の方は雪に埋まって未だに使えないままだ。
寺務でデスクワークが無いわけでもないから、寺の1日も暇に過ごしているわけではない。それに、昼食夕食やティータイムもあったりすると、ナンダカンダで1日があっという間に過ぎてしまう。

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略式 

2021/02/03
Wed. 14:29

お参りのない年回法事を済ませた。
「痛いのをズゥ〜っと我慢しとったんですが、いよいよイケンようになりまして、年末に、とうとう入院してしまいまして・・・正月もあるし、家のことも心配ですけぇ〜、外出許可もらったんですが・・・年回のお知らせが届いとりましたのを、失礼してしまいまして・・・」
祥月命日の少し前に申し訳無さそうな電話が入った。
だいたいいつもお参りだったのに、今年は正月のお参りが無かったから心配していたところだ。腰が悪いということだった。
参道の雪が切れて銀くんを町道まで下ろすことが出来た時に、雪で遅れていた町内の年始回りを済ませた。その時は、確かお子さんが在宅で訪いの声をかけたら奥の方から返事が返って来ていたから、お参りがなかったのは「雪のせいだ・・・」くらいにか思っていなかったのだが、施主さんはその時もう入院していて留守だったのだろう。
「コロナのこともありますし、遠くの親戚も気にはなっとるようですが、なかなか帰ってくるのも難しいし、どうすりゃぁ〜良いか思いまして・・・」
「こういう時期でもありますし、無理なことは考えられませんようにしてくださいね。大事なのは気持ちの問題ですから、できることをされれば良いと思いますよ」
坊主の立場からは適切な回答とも適当な提案とも言えないような曖昧な返事しか出来ない。それから電話口でアレコレ世間話を交えながら施主さんの意向をそれとなく聞き取って「それじゃぁ〜、祥月命日にお寺の先祖位牌さんと経木塔婆へ戒名と年回忌を書いてお経を読んでおきましょう!」と、それで年回法事に替えることにした。
檀信徒位牌堂の前で妙法蓮華経の寿量品を読んで、先祖供養を添えておいた。
まだ新型ウイルスの終息も予測不能だし、これから先、このような略式の法事が増えて、そのうち略式からそれが当たり前の本式に変わっていくことになるのかもしれない。

冬期の寺暮らし用に1kgの焙煎豆を買って、その日の分だけミルを挽きながら飲み続けていたら、目に見えて豆が減っていって正月になる前に1kgが無くなるかもしれないと気になっていた。いつも同じ味で飽きてくるから、ペーパーフィルターやステンレスメッシュや豆のドブ漬けや、色々と手を変え品を変え目先を変えて済ませていたのに、やはり同じ豆を飲み続けるとだんだん同じ似たような味に慣れてしまった。別の種類で安い豆はないかと通販サイトを検索していたら、1kg1000円以下という激安の豆を見つけた。その値段にパクリと食いついて買い物かごに入れて、必要事項を記入していたら、ペイペイ支払いとか代引きとか振込用紙とか何か面倒臭い設定が続いて、結局、途中で購入手続きをキャンセルした。「客を一人逃したな・・・」と自分の短気を棚に上げて、それでもその安さが諦めきれなくてイジイジとページを見直していたら「生豆」と書いてあることに気づいた。生豆とは、要するに未焙煎の豆だと分かって「焙煎の無い分だけ安いのかもしれない・・」ことに気づいた。「生豆」で検索したら普通にAmazonにあったのだが、残念というかヤッパリというか、少々高い。それでも「1kg1000円程度だったら良いか・・」と思い直してポチった。
片手鍋で焙る程度の焙煎とも言えないような適当なことで通ぶったコダワリなど皆無だからたいして美味しいと云うわけでもないが、飲めないことはない。それに何より安のが良い!オヤジの寺暮らしでチョットした気晴らしになっている。

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2021-09