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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

吉田家の象徴! 

2022/12/06
Tue. 15:15

吉田家のストーブが使い始めてそろそろ30年になる。
子供も成長してそれぞれ独立したし、父親(ボクのこと)は寺暮らしが年々増えて留守がちだし、ストーブの用がだんだん無くなって来た。薪の方は貰い物もあって不自由がないのに、ワイフの一人暮らしだとストーブを焚くまでのことが億劫に思えるようで、つい先日まで夏仕様のディスプレイになったままだった。
小品彫刻展が始まったから以前のような吉田家メインの暮らしが戻ってきた。
ストーブの周囲も冬仕様に片付け直して土間の薪を使い始めたら、それまでワイフのぬくもりが残った布団へ潜り込んでいたネコチャンズがストーブの近くへ移動してきた。
面白いもので薪のストーブを使うだけでぬくもりに柔らかさが出て来る。それほど温度も高いわけでもないのに部屋の中ではTシャツやトレーナーだけで普通に過ごせてしまう。

自分の身体が動いて薪の支度ができる間はストーブを使い続けようと決めている。
ワイフが一人になったら今のストーブが粗大ゴミの邪魔者になってしまうだろう。
「吉田家の象徴!」とまではいかないが、どの家にもあるモノでないし、使わなくなくなってもそれなりに見た目くらいは薪ストーブ仕様のディスプレイとして「残しておきたいものだ・・・」と、この何年か次第に老朽化したストーブを使い続けながら空き時間を見つけては少しばかりオシャレめにデザインしたストーブをチビチビと造り続けていた。
薪ストーブは別口で近所の古民家を改修したお食事処の開店にあわせてクッキングストーブの注文が入っていたからそれと同時進行で制作すれば無駄がないし、発注をかけていた足らない材料も届いたし、梅雨が開けてお盆で忙しくなるまでにはなんとか出来上がるだろうとスケジュールを調整した。

彫刻を造り始めて最初の頃はまずはマケットから始めて原寸サイズの模型を作ったり、その模型を修正しながら平面や立面の図面を描いたりしてから実材に取り掛かっていた。時間のかかることだがそのようにしないと頭の中で立体のかたちがイメージできなかった。
地道にそういうことを繰り返していたら、そのうちだんだん慣れてきて、マケットを作らなくなり、図面もひかなくなり、やがてチョークで直に鉄板へドローイングするだけになった。そうなると何をするにも現物合わせが普通になって、簡単なメモ描き1・2枚から実材に取り掛かるようになった。
彫刻はそれでいいが、寸法のある家具や什器になるとそういうわけにもいかない。クッキングストーブもおおよそ縦・横・高さの規格を決めて最低限それを守りながらざっくりとしたデザインを想像しながらパーツを組み立てていたら、途中でどうもかたちが気に入らなくなって制作が躓いてしまった。仕様性能の方は問題ないから妥協すれば普通にそのまま制作を続けることもできたが、気持ちが萎えて無理だった。

結局、今シーズンから使う予定だった吉田家のストーブがお食事処へ出張することになった。煙突が取り付いたら、オーナーさんには営業しながら今シーズンの試し炊きで薪ストーブに慣れてもらうことにした。
来年の春にはクッキングストーブを搬入して、吉田家のストーブを入れ替え更新しようと思っている。

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晩秋 

2022/12/05
Mon. 20:38

この近年、恒例になりつつある石見銀山での小品彫刻展が始まってすぐに風邪をひいた。

大事な時期だからすぐに病院へ駆け込んで薬をもらうことも考えたが、コロナのこともあるし時期が時期だけに面倒なことになってしまうような気もして、結局吉田家や寺のアチコチを引っ掻き回して年代物の風邪薬をかき集めて、それでなんとか乗り切ってみることにした。

前回風邪で寝込んだのは何時頃だったか、全く記憶に残っていないほど昔のことだ。たいして規則正しい毎日を過ごしているわけでもないし、薬の常用が避けられない持病もあるし、歳相応に入院もしたり手術もしたりなどして、自分の身体をだまし騙し都合よく付き合って何時風邪をひいてもおかしくないような自堕落でいるわりに、風邪にだけは縁のない暮らしぶりが続いていた。
長い人生「たまにはこういうこともあるだろう・・」と、展覧会開始早々、何かと気になることも無いではなかったが、とにかくひたすら寺の布団にくるまって三日三晩。やっとなんとか自分で食べるものを作れるまでに回復してすぐ次の日は上げ法事。「この時期だから私だけでお参りさせていただきますので・・」と幸いお一人。万善寺ブレンドの紫蘇茶とサツマイモのスイーツに梅昆布茶をまぶした揚げ餅を骨折っておもてなしに用意した。まだ鼻は詰まったままだし、喉にタンは絡まるしでまともにお経がよめるか心配したが、なんとか焼香まで乗り切った。

まだ紅葉も始まらない頃に予定を入れていたパーテーション彫刻の搬入日が決まっていたから、上げ法事の片付けを済ませてから銀くんのリヤデッキへ彫刻を積み込んだ。
寺の境内は紅葉を過ぎた落ち葉が強い季節風に巻き上げられて吹き溜まりを作っている。寺参りがあるからと掃き掃除をして少しはキレイにしておいたつもりだったが、なんの意味もなかった。
搬入の当日は七ヵ日と重なったので、早朝に本堂の位牌堂を荘厳してお経と焼香を済ませた。
道中、思ったより道が空いていて予定した時間より早くに搬入先の施主家へついた。
パーテーション彫刻は庭木を避けて設置できるように寸法を調整して造ったモノだったが、庭木の隙間が上手く埋まるか設置するまで心配でしょうがなかった。
最初は庭木をかわして裏を通せばいいと考えて造り始めていたものを、どう考えてもそれが無理に思えて分割設置に切り替えて良かった。ひとまずスッポリと上手くハマってくれたので後は残りの半分を年内に完成させて搬入すれば全体のかたちが繋がってくれるはずだ。

もう何年も前から気にしていたかたちの工夫があって、それがなかなか制作までのいいタイミングを掴めないでいた。
こんどのパーテーションでやっと実材に置き換えることができた。平面と曲面の繋がりにもうひと工夫ほしい気もする。そうすることでかたちのムダが増える気もする。どのあたりへ落とし込むか、悩む時間をもう少し増やしたほうが良さそうだ・・・IMG_0728.jpeg
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秋の彫刻紀行譚ーその3 

2022/11/06
Sun. 19:51

大窪寺は四国八十八ヶ所巡りで結願寺になる八十八番札所だ。
もう何年も前から毎年四国へ出かけているが、だいたいが彫刻とセット旅で観光とか行楽には縁遠い。たまにはワイフも一緒に観光でもしながらゆっくり四国の旅でもしようと考えているものの、彼女のスケジュールがなかなか上手く調整できない・・というより、調整する気がない・・・ので、実現できないでいる。

夏前にこれも彫刻絡みで上京したとき、なにかの折に四国のことを話していたら、ノッチの提案で今度徳島へ野外彫刻の用事で出かけた時に現地集合してプチ観光しようということになった。ワイフも誘ったが、仕事があるからとまたもクールにキャンセルされた。仕事といえばボクだって大事な仕事で四国まで出かけるわけで、決して物見遊山の観光旅行をしているわけでは無いのだが、そのあたりの解釈に若干の温度差を感じてしまうのはボクだけなのだろうか?・・・
いずれにしても、四国で現地集合した吉田家の三人は、AppleMAPやYAHOOナビなどの観光名所案内を参考に徳島から香川に向かって移動しながらアチコチの美術館や記念館、それに道の駅をめぐりながら四国の旅を楽しんだ。

吉田家の子供たちがまだ小さくて親の都合で自由に行動できていた頃は、彫刻の用事に合わせて色々なところへ出かけた。
子供たちも今ではそれぞれ社会人になって自分の生活があるから、家族が一処へ集合するとか一緒になにかするとか、そういうことは一切なくなったものの、昔に比べてSNSなどで情報交換が楽にできるようなって、疎遠が過ぎることも無くて、それなりに適度な距離を維持しながら極端な介入の面倒を上手に避けてまぁまぁ平和な付き合いを維持している。
それでも、たまにはお互い間近に生身の付き合いも無いよりはあったほうが良いと思う。
四国の現地集合は慌ただしい日常をしばし忘れることができて、発案とコーディネートのノッチのフットワークの軽さに感謝しか無い。さすがに、旅程すべてオヤジドラーバーは少々バテたけど・・・良い思い出ができた。

大窪寺は結願寺でもあるからだろう、バス団体のお遍路集団が絶えなかった。
寺のお参りは山号や院号をあわせてみると、だいたいその寺の御本尊が想像できる。
今は彼岸暮らしの人になった学生時代の同級生Iちゃんは石手寺の近所に暮らしていた。七宝の作家で、欧米へ出かけては七宝の講師をしたり展覧会や展示会をして、とても精力的にアクティブに生活していた。お母さんの介護があるからと、四国へ落ち着いてから吉田との交流が再開した。徳島から愛媛を経由してIちゃん家で一宿一飯一杯やって、それから島根へ向かうというコースができつつある矢先に介護のお母さんと前後して死んでしまった。ボクは一応坊主でもあるから、それなりに坊主らしきことをしたほうが良いのかもしれないと思ったが、本人は死んでしまってもういないし、今更ドォーコォーしてもしょうがないだろうと、ヤメて結局何もしなかった。
石手寺は熊野山虚空蔵院石手寺という。大窪寺は医王山遍照光院大窪寺という。どちらも薬師如来がご本尊になる。弘法大師さんと真言宗が色濃く根付いた格式ある寺だ。

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秋の彫刻紀行譚ーその2 

2022/11/05
Sat. 10:59

長い長い彫刻の旅が終わって、やっと寺へ落ち着いた。
相棒の銀くんと寝食を共にしながら片道900kmを往復して高速道から一般道へ降りたのは、夜が白み始めて空が明るくなりかけた頃だった。そろそろヘッドライトも必要ないだろうと思いながらしばらく走ると一面に広がる朝靄に目の前の視界が奪われた。対向する早出の通勤車がほとんどライトを点灯している。この状態が暫く続くだろうとそのままライトを点けて江の川支流に沿って島根まで続く国道を寺に向けて走った。

広島県北部の三次東I.Cまでは寺から中国山地を越えて40分の距離にある。すり鉢状の盆地の底に三次の街が広がっていて、シーズンになると雲海が街全体を包む。雲海スポットからの眺めは絶景のようだが、写真でしか見たことはない。今頃が丁度見頃なのだろう。
途中から霧が晴れて視界がひらけた。標高で云うと400mくらい登っただろうか、国道の両脇のアチコチに穂の開いたススキと黄色の花の咲いたセイタカアワダチソウが競い合っている。寺の急な参道を登って境内へ到着すると、目の前に山茶花が花を咲かせていた。
島根を出発する頃、境内の百日紅が名残惜しそうにまだ夏の花を咲かせていた。旅の間にすっかり季節は秋から冬へ変わっていた。

石見銀山の吉田家へ帰る余裕がないまま、竹田さん主催のおったち現代美術展に搬入展示を済ませ会期が始まった。会場の旧乙立小学校のグランドにある大きなイチョウの根本は黄色の絨毯を敷き詰めたように銀杏が落ち積もっている。絵画と彫刻展示の部屋が3つにインスタレーションの部屋が3つあって、なかなか良い展覧会になった。
約20点集まった彫刻の方は、石見銀山の小品彫刻展へ巡回する。
おったち現代美術展は今年が正式開催の第1回展になる。
竹田さんが、それまで2〜3年ほど試行錯誤を繰り返して地元周辺の作家や作品を集めて、集客もそれなりに見込めるとわかった。
小品彫刻展開催はおったち現代美術展の少し後になるので出品者への告知をおったちへ前フリして出品協力をお願いした。今年は、そういう若干変則的な開催になったので彫刻展の常連作家諸氏を少々混乱させてしまった。たまにはこういう失敗もあるだろうと云うことにして、来年への反省と課題にすることにした。

徳島の野外彫刻展をスタートに、六本木の展覧会で搬入と陳列展示に各種の事務などでほぼ1ヶ月ほど旅の空が続いて島根を離れていたことになる。
そろそろ古希も近いのに、今頃になってこれほど沢山の用事が集中すると、さすがにオーバーワークになってあちこちガタのきた身体が悲鳴を上げているものの、おかげさまで、連続する緊張のせいか、頭の方は比較的シャンとして細分化されたスケジュールをおおよそ正確に覚えていて忘れることもなく、まわりに迷惑をかけることもなかった・・・と、自分では思っている。
いずれにしても、いちおう、今のところそれほどボケてもいないようだし、自分のモチベーションが維持できているうちは島根県内での美術活動をなんとかして継続しようと思っている。生来の怠け者には、むしろこのくらいの忙しさでジタバタしていたほうが良いのかも知れない・・・

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秋の彫刻紀行譚 

2022/10/11
Tue. 20:11

七日努めの合間を縫って彫刻の旅が始まった。
住職業の無い気楽な坊主ぐらしだとパスポートを使ったりしてもっと自由にアチコチ出かけることもできるのだが、流石に〜住職〜の紐付きで暮らしているとそういうわけにもいかなくて、旅の移動もせいぜいお檀家さんからの連絡ですぐに行動できる範囲に留めておくくらいの配慮が必要だ。
道元さんの昔は自分の修行優先で、今に比べて随分フットワークの軽い宗教活動であったことが伺える。今の世の中、木喰円空的遊行僧は消滅した感がある。
ボクの遊行など修行にもならないチャチなものだが、それでもそれなりに得るものもあるし発見もあるし、無意味でないことだけは確かだ。だいたい秋のシーズンに集中する彫刻の旅もしなくなるとかできなくなるとかなると、そろそろ彫刻制作も先が見えてきたと思うようにしている。何事も引き際が肝心で、読み誤ると周りが迷惑する。自分で気づかないまま老害を撒き散らしてしまわないように気をつけなければいけない。

今年は9月いっぱいは彫刻の制作に費やして、10月に入ると同時に動き出した。例年より1週間ばかり後ろにずれた感じだ。
徳島の野外彫刻展がちょうど都合よく土日に絡んでくれたので関東に暮らす娘たちと高松空港で待ち合わせした。ボクの銀くんは軽の商用車で4ナンバーなのだが、後ろに小さな荷物置きのデッキがある。軽バンのように4人乗車が可能な上、後席をたためばそのスペースを荷物置き場にできてとても使い勝手がいい。いつもはたたみっぱなしの後席を起こして娘たちを乗せるスペースを作って寺を出発した。途中の道路事情で成田からの飛行機到着に少し遅れるかもしれないと思ったが、運良く間に合って無事にピックアップすることができた。
ノッチがツアーコンダクターになって、香川県内を中心に観光コースを決めた。四国でうどんは外せないだろうと昼食の店は既に彼女が決めていた。小麦粉のブレンドと練り具合が絶妙でなかなか美味かった。イサムノグチ庭園美術館を目指して移動する途中、順路の都合でジョージナカシマ記念館へ寄った。ボクとしてはそれなりに面倒臭い部類の感想めいたものを思ったが、えらく感動し熱心に鑑賞している娘たちを見て何も言わないことに決めた。夕方に徳島の野外彫刻展会場になっている中央公園駐車場へ着いて、展覧会オープニング前の最終メンテナンスをした。公園でたまたま同業の女流作家に出会ってしばらく立ち話をして彼女の旦那さんが経営するレストランで娘たちの夕食をお願いすることができた。
夕方から始まった彫刻家の懇親会は60周年の記念展でもあって大いに盛り上がった。
日本の一地方の野外彫刻展で、既に半世紀以上の歴史を刻んでいる唯一の展覧会へ参加できることの喜びと重みを強く感じた。娘たちのこともあって中座したのが少し残念だった。後で聞くと予定の時間が1時間以上も延長になったそうだ。

リモートワークがほぼ正常に戻って出社が増えたノッチはスキルアップ転職を計画しているようだが日本企業では給料の頭打ちが常態化していて理想と現実の差が埋まらないまま転職できないでいる。
赤ちゃん好きのキーポンは今の保育園ではもう中堅なのだそうだ。オヤジにはいつまでたっても末娘の甘えん坊だと見えていたが、保護者の信頼も得てなかなか堅実に働いているようだ。
初めての親娘3人旅は1日目が楽しく無事に過ぎた。

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恒例行事 

2022/10/04
Tue. 07:57

立て続けに2つの大きな台風が島根県の近くを通過する中、間隙を縫って早稲の稲刈りが急ピッチに進んだ。
そういう様子を横目に見ながら、遅れに遅れていたボクの彫刻制作も急ピッチで進めた。
毎年のことでこの時期の慌ただしさが尋常でないことは分かっているはずなのに、結局1年過ぎる間に緩みきった日常に流されてすっかり1年前のドタバタを忘れてしまっている。

田の畦でカーマインレッドの彼岸花が目に眩しい。
吉田家へ用事があって制作の合間に街道を往復したら、すでに石見銀山の辺りは花の盛りが過ぎていた。いつのまにか9月が終わって10月に入っている。
秋彼岸と兼ねたひと月遅れの地蔵盆の数珠繰り法要をご縁日に厳修した。
万善寺の夜法要で昔から残っているのは地蔵盆だけになってしまった。お参りの皆さんも年々歳を重ね、夜になってから参道の急な坂を登り降りすることが辛くなっている。そういうことは分かっていて、それでも先代から引き継いだことだからと執着している。世間の情勢に流されて仏事を変更したり割愛したりすることは何時でも出来るが、一度ソレをしてしまうとなかなかもとへ戻すことが難しいということもまた分かっている。そもそもの大事な根拠があっての夜法要なのであるから、自分の都合で操作することは良くないふうに思っている。
そんなわけで、彫刻制作の隙間を縫って・・・というより、地蔵盆の日程をメインに彫刻制作のスケジュールを組み立てて、例年と変わりなく夜の7時半スタートで無事に法要をすることが出来た。そもそもは、法要のおつとめが大事であってお参りの有る無しはどうでも良いことだが、それでもいつものメンバーが変わりなく揃ったり新顔が加わったりするあたりの様子が絶えることなく繰り返されていることは自分にとっての励みになるし心地良い。後半戦のお茶会も大いに盛り上がった。
「次回は、もう少し余裕を持って準備しなければ・・・」
お参りの皆さんを本堂の急な男階段から見送りつつ何時も思うことだが、結局毎年似たようなドタバタになってしまう。「結果良ければ全て良し!」ということで流してしまう自堕落さが良くない・・のだが、自堕落の壁が高すぎてなかなか乗り越えることが出来ないでいる。

この近年は、その地蔵盆を基準にして前後で2つの彫刻を造りわけることが常態になりつつある。どちらの彫刻も年間を通して制作する中では2m前後の大作に属する。彫刻の使い回しで楽をしようと思えば出来ることだが、ソレはしたくない。主題の先をそれぞれ別に同時に用意することで「自分の思考の先を確かめることが出来る」・・そう思うのだ。
一つは、徳島の中央公園に開催期間中設置の野外彫刻。もう一つは六本木の野外会場。場所も人も動線も違う2つの環境へそれぞれどのような表現を当てはめればよいか・・?そういう工夫も彫刻に内在する追求の主題を確かめるために大事なことだと自分では思っている。
今年から、徳島の方へだけ残して六本木の彫刻に封印したモノが有る。
自分の制作に地蔵盆のリセットが心地よく機能している。最近そう感じるようになった。

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秋台風 

2022/09/20
Tue. 18:06

毎年それなりの数の台風がやってきて通り過ぎるが、今年は立て続けに2回も巨大台風が日本海へ抜けるコースをとった。
万善寺は南向きだから風向きの関係で東南の風が吹くと被害が増える。
彫刻の制作が本格的になる前にわざわざ時間を作って工場の下屋を広げたところだから、なんとしてでも下屋の屋根だけは吹き飛んでほしくない。台風がまだ沖縄のあたりにある頃から台風情報を気にしていたら、気象庁の予想コースが島根県の万善寺上空あたりに当たっていて、どんなに大きくソレたとしても何がしかの影響は避けられないだろうと制作途中の彫刻を寝かせて下屋をロープで固定させたりと出来る限りの工夫をした。

夕方になって作業の区切りをつけてシャワーを使おうとしていたら電話が鳴った。
非通知の電話番号だったのでドキドキしながら電話に出ると、お檀家さんの奥さんからだった。
「先程、主人が息を引き取りまして・・・」
かろうじてそれだけ話されたあと、なかなか次の言葉が出ない・・・あまりに突然の訃報でビックリした。奥さんの焦燥を思うとこちらも返す言葉がない。しばらく電話口の息づかいを気にかけて、少し落ち着いたあたりに最小限の情報を聞き取った。
まだ、亡くなったばかりで病院の処置が終わっていないことが分かった。秋の日暮れは早い。すぐに枕経でご自宅へ伺うのが難しいと判断して「突然のことでご家族の皆様もまだまだ落ち着かれないことでしょうから、翌朝一番に枕経のお参りをさせていただきます」と伝えて電話を切った。行年63才とは、あまりにも早すぎる死だ。
枕経のあと授戒して仮通夜をして荼毘に付し本通夜をして、刻々と島根に向かってくる台風を気にしながら葬儀告別をしてそのまま墓参納骨を済ませご自宅の床へ仮位牌さんを安座したあと野辺帰りと初七日のお経を読んで、三日間の葬儀次第がひとまず落ち着いた。
寺へ帰って葬儀に使った仏具を片付けて法衣などの着物を洗濯機へ投げ込んだらドッと疲れが出た。横になって彫刻のことを気にしながら少しだけ休んでいたらそのうち寝てしまった。業者に頼らない昔ながらの地域の手間だけでの葬儀は久しぶりだった。坊主の用事も倍増するが、それでも日頃からお付き合いの深かった近所皆で心を込めたぬくもりのある御見送りは良い。故人も喜ばれたことだろう。

次の日はすでに決まっていた年回の法事だった。台風の風がしだいに強まる中、予定の法事へ出かけた。彫刻の制作が停滞したままだが、夕方から風雨が本格的に強まって制作どころではない。夜になって屋根を叩く強い雨音に混ざって暴風に舞う裏山の葉音が強くなってきた。台風のノイズが凄くて慢性の耳鳴りが気にならない。境内の様子も気になるし、何度も目が覚めた。早朝に防災放送が警報を知らせた。デスクトップで天気情報のアプリを見ていたら停電になった。寺のブレーカーが落ちて家電製品全てが使えなくなった。夜が明けて外が少し明るくなり始めたとき境内で鈍く大きな音が聞こえた。縁側から外を覗くと本堂の濡れ縁脇へ積んでいた薪用の材木が荷崩れして境内へ散乱していた。お昼になってもまだ停電が続いている。デザリングで台風情報を確認すると台風の目が寺から40kmあたりにあった。吉田家はもっと台風に近い。石見銀山は深い谷底だから風より雨のほうが心配だ。
制作が完全に1週間ズレた。夜なべしてでも完成させるしか無い・・・

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台風とチキン坊主 

2022/09/18
Sun. 18:09

自他共に認めるところのチキン坊主は強力台風の接近にビビリながら小祥忌の法事を済ませた。
片道1時間半をかけて下道を走り、お仏壇に向かって2時間ほどソロライブをして少しだけお話をしたあとお墓参りをしてから現地解散で、また1時間半かけてつい先程お寺まで帰ってきた。
時折の突風に銀くんがフラリと揺れてハンドルをとられる・・・往復の道中でそういうことが何度もあった。自動車道へ乗れば1時間ぐらい時間を稼げると分かっていたが、チキンのボクにそんな無謀は出来ない。強風にあおられるのが怖い。
朝は降っていなかった雨が、夕方寺の駐車場へ着いたのを待っていたように降り始めた。
それにやたらと蒸し暑い。お彼岸も近い今頃になって台風のせいもあるだろうが、残暑とは名ばかりでいまだに真夏が続いているようだ。着物を脱ぎながら水銀計を見たら34℃だった。昔のことを思い出すと、夏休みの期間で30℃を越える日など3日あるかどうかだった。今は30℃に届かない日が3日くらいしか無い。飯南高原は半世紀の間に確実に地球温暖化の影響を受けている。

法事の施主家は、もともと保賀川をはさんで万善寺の真向かいの高台に立派な長屋門を持った保賀の谷一番の大家(たいけ)だった。子供の頃のことでよく覚えていないが、母屋を中心にして使用人の暮らす長屋や大きな土蔵や立派過ぎる納屋もあったように記憶している。
家長の仕事の関係でその立派な家をあっさりと捨てて街へ引っ越してからあと、空き家のまま放置されてアッという間に廃屋と化した。危険だからと次々解体され、しばらく土蔵だけが残っていたが、それも取り壊されて今は広々と平地が広がり、近所の人が隅の方で細やかな畑を作っている。小祥忌の居士さんはその家で生まれ育った人だったから、法事の度に昔の保賀のことを懐かしくお話されていた。
お経を読んでいると、お仏壇の隣に貼ってある御札が目に入った。あとになってよく見ると随分昔の万善寺の御札だった。先代が配っていた御札とは違っているし、私が復活した明治の版木でもないから、昭和初期に在任だったご住職が配布されていたものだと思う。

じゅん君の誕生日が少し前に過ぎた。30歳をとっくに過ぎて彼女もいるのにまだ一人暮らしをしている。娘たちはいい大人になってもいまだに「お父さん、○○がほしい♡!」とか「△△買って♡!」とか誕生日プレゼントをせがんでくる。じゅん君は吉田家から1時間位のところにいるのに1年に5回と帰らないくらいだから、プレゼントの催促をすることもない。親としては可愛い子供になにかしてあげたい気持ちもあるし、悩み多きじゅん君が少しでも楽になれたら良いとSNSで「お父さんの愛読書プレゼントするよ!」とボロボロの中古本の写真を送っておいたら珍しくソレに食いついて「その本で十分です!ボクが読んだら学級文庫にして子どもたちに読ませます!」と返してきた。それじゃぁ、中古は可愛そうだから、結局Amazonで新しいのを買うことになってしまった。文庫本だけでも味気ないから、子供用にやさしく噛み砕いた菜根譚を添えた。

秋になって稲刈りも終わったりして仏事が続いている。ワイフが持たせてくれた手料理も無くなって、台風で外にも出れないし、冷蔵庫と冷凍庫の整理を始めた。

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有払心之事 

2022/09/12
Mon. 19:23

万善寺は先日の台風で小規模ながら被害を受けた。
ひまわりの種を収穫して来年の種まきを楽しみにしていたのに、まだ花が終わらないまま強烈な暴風雨に根こそぎ根本から折れ倒れてしまった。生活に直結するお百姓さんの田んぼの被害に比べたらひまわりの種の収穫など取るに足らない些細な痛手だが、それでも種まきを手伝ってくれたワイフやノッチのことを思うと残念なことだ。
お盆が一区切りついてから大きめな彫刻の制作が少しだけ楽になるように工場の下屋を拡張した。
台風が日本海へ抜けそうなのがわかってから柱の補強をしたりして風対策をしておいたのに、昨シーズンの雪対策で補修してあった南側の板壁が風に煽られて剥がれ飛んでしまった。下屋の屋根の方ばかり気にしていて全くノーマークだった。結構頑丈にビス止めをしてあったのが、ビズごとねじれ剥がれていて、強風の凄さをあなどっていた。
そのままにしておくと彫刻の制作で必要な電動工具や作業台などに雨が吹き込んでくる。制作開始が遅れてしまうが修繕を優先することにした。どうせ制作が遅れるなら「このまま下屋を拡張してもいいな・・」と気持ちを切り替えてホームセンターへ走った。
修繕だけなら1日で済むことを、結局3日かけて下屋の増築をして波トタンを張った。
脳みそは彫刻のかたちのことでフル回転させながら大工仕事(のようなもの・・)をしていたから3日の遅れをほぼ1日で取り返すことができた。

残暑が厳しくて、日中の制作には体力が続かない。麦茶をがぶ飲みして梅干しを頬張ってフラフラになりながら制作を続けているとトタン屋根がうるさく鳴り出した。突然夕立が来て、焦って銀くんの窓を締めに走った。
全長や全高が2m前後になる大きめの彫刻はもう長い間青空工房で空と相談しながら制作を続けていた。昨年も溶接機や工具などを優先に雨対策をして彫刻の方は青空工房で造って完成させた。屋根を打つ雨音と雨だれの音を聞きながら溶接ができるなんて最高の贅沢だ。これから先、秋の彫刻が落ち着いて冬対策で板壁を増設したら雪を見ながら少し大な彫刻を造ることができるかもしれない。
坊主家業も年々暇になっているし、長年溜め込んだ彫刻のメモ描きもたっぷりあるし、そろそろ体力と相談しながら彫刻制作に没頭しても良い気がする。

菜根譚が好きで何かに付けてよく読み返している。
最初に知ったのは20代のいつ頃だっただろう?・・・よく思い出せない。彫刻の用事でしばらく島根を留守にするとき荷物に文庫本を忍ばせていたのが、Kindleで読めるようになってからはiPadが重宝している。短文が300以上あって1年365日毎日1項目チエックするのに良い・・・といっても、律儀にソレをノルマにしてしまうのも面倒臭いからそんなこともしないでその時の気分で適当に項目を選んで、そこから2つ3つ読んで終わる。何年も何度もそういうことを繰り返しているとだいたい始めから終わりまで一巡しているはずだが、暗記まではしていないから読むたびに読む箇所が新鮮に思える。
工場の大工もどきの休憩で梅干しを頬張りながらiPadをつついていたら前集の五つめが気になった。「思い通りにならないことを抱えているくらいが自分の向上になる」という。野外彫刻には青空工房くらいのストレスがちょうどよかったのかもしれない・・・

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単身赴任坊主復活 

2022/09/07
Wed. 18:49

台風11号の暴風雨は6日の夕方になってやっとおさまった。
通勤坊主に切り替えてからしばらくはそれなりに平穏な日々が続いていたのに、台風が沖縄の方でV字ターンして北上を始めてからは寺の境内や鉄の工場のことが気になってきて、急に慌ただしく落ち着かなくなってきた。

保賀の谷は琴引山を水源にした保賀川の両側へ伸びる2つの小さな尾根に挟まれている。保賀川は流れ下った先で神戸川へ合流する。その神戸川は幾つかの支流を集めて出雲大社へ続く稲佐の浜の近所で日本海へ注ぐ。万善寺は保賀の谷の北側にある小高い尾根へ張り付くようにして南向きに建っていて、本堂の正面から六地蔵のお堂まで下る参道の少し先を保賀川が流れている。
台風が寺の南を通るか北になるかで事前の防災対策が大きく変わってくる。境内へ下屋を伸ばした程度の鉄の工場はあまりにも華奢な掘っ建てのようなものだから、台風の強風にあおられたらひとたまりもなく吹き飛んでしまいそうだ。
念の為に台風が過ぎるまで寺の単身赴任が復活した。
お盆のお供えで沢山頂いた夏野菜が残りわずかになった。台風が過ぎるまでの食料備蓄がチョット心配だったから、ほぼ一ヶ月ぶりに近くの農協スーパーへ行って豆腐や豚バラなどを買っておいた。

台風が九州の西を北上して日本海へ抜けることがほぼ確定してから、少しでも下屋の被害を食い止めようと1日かけて思いつく限りの事前対策をしたが、どこまで絶えられるか予測出来ない。どうやら今度の台風は巨大な風台風のようらしい。それが日本海へ抜けるコースをたどると、南向きの寺へモロに東南の風がブチ当たる・・・人間の工夫など知れたものだし気にしても心配しても天災を相手にして都合よくご本尊様をあてにしても観音様にとっては迷惑なことだろう・・・

それほど強く意識したわけでもないまま、還暦を過ぎた頃から朝食を抜くことが習慣になって、それから少しして単身赴任が増えて気がつくと昼食を抜くことも増えてきて、この近年は夕食だけが普通になった。坊主的に云うとプチ断食をしているようなものだ。
吉田家でワイフの手料理が続くと、どうしてもそれに甘えて楽をしてしまう。美味いからついつい食べ過ぎて食も飲みも進みすぎる。ナンチャッテ坊主はなかなか俗欲が捨てられない。せめて寺暮らしの時くらいプチ断食で乗り切るのも良いかも知れない。
1日の用事を夕方少し早めに切り上げて、まずはシャワーで汗を流して、夕食の支度にとりかかる。作りも見た目も雑ではあるが、不味いとは思わない。
夏の間、大事に食いつないできたお供えの夏野菜が最後になった。冷凍庫で眠っていたミックスベジタブルをカサ増しに補充して、日替わりでドレッシングを作った。学生の頃にバイト先でマスターから盗み見て教わったケチャップ入のドレッシングが久しぶりで懐かしかった。マヨネーズにひと手間加えたシーザードレッシングもサッパリして良い。
子供の頃の記憶は何歳になっても忘れないと云うが、10代の頃に覚えたこともちゃんと忘れないでいられて、今頃になって重宝する。そういえば、ご飯は炊飯器より鍋のほうが早く炊けると教えてくれたのはバイト先の先輩だった。まだコンビニも無い頃のことだ。

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一黙 

2022/09/03
Sat. 11:28

そろそろ百日紅の盛りが過ぎて、葛や萩がそれに変わり始めた。
台風の影響なのか、このところ雨が降り続いていて、時々強烈な突風やスコールがやってくる。
拡張工事で斜面の土留で移植された萩は茂りすぎて道幅を狭くしているし、枝葉を伸ばした雑木に絡みついた葛からはアチコチで伸びすぎて行き場を失ったツルが垂れ下がり雨と風で落ちた花びらが路面をピンクに染めている。銀くんのような商用車は少々屋根や横腹を擦っても気にならないが、トヨタや日産の高級車や11tクラスの大型トラックはそれを嫌って容赦なく道のド真ん中を走ってくる。チビの銀くんなど巻き込まれたらひとたまりもないから、通勤坊主もなかなか気苦労が続いて、寺へ到着しただけで一仕事終わった気になってしまう。
秋の七草などと聞こえは良いが、日常の生活には厄介が多くて風流を愛でる気など微塵も思わない。

井戸神社の手水舎更新改築で数十年ぶりに石の仕事をした手水鉢が境内へ落ち着いて配管などの基礎工事が終わったと知らせが来た。寄進発起人の大吉っつぁんは電話口で随分喜んでいて、珍しく饒舌だった。町並みですれ違ったワイフを呼び止めて彼女へ喜々として経過報告をしたとあとで聞いた。
お盆のひと山が過ぎて少し楽になってから現場の様子を確認した。事前に職人さんたちへ伝えておいたことは、まぁそれなりに出来ていたが肝心の造形の構成が狂ってしまっていた。水の流れのことも考えて決めた造形感とか自分の作家性とか面倒臭いことで我を通してクレームにするのも、しようと思えば出来ることだが、ソレはソレでまた面倒臭いし、あとになってフォルムの出来不出来で不具合が解消されないことになった時に考えれば良いということにして捨て置いた。
良いことなのか悪いことなのかは自分ではわからない。職人さんたちの達成感とか、大吉氏の満足度を思うと、自分の造形のことは自分の心の中に納めておくのも選択肢の一つと思う。

例年と変わりなく、今年も施食会の手拭を染めた。毎年お参りの皆さんはすでに10枚くらいは溜まっているはずで「そろそろ違ったものが良いんじゃない?」とか「また万善寺って書くの?」とか「今どき使いみちあるの?」とか、年々厳しくなるワイフの助言??・・を聞き流して、棚経をしながら考えた「一黙」の字を湯煎の蝋で書いた。
いい歳をして云わなくて良いことをついつい口走ってしまって、あとになってソレに気づいて落ち込んでしまうようなことが続いていた。自分への戒めのつもりもあって書いたのだが、終わってしまえば染めた手拭がギリギリ全部行き渡って手元に一枚も残らなかった。このところお参りも減少傾向にあるからと染の手間も楽にして予想した下方修正の必要枚数が的中したわけだ。自分への戒めが消えて無くなってしまう結果になった。

一黙の出典は「維摩一黙」とか「不言不語」とか業界用語の意訳だが、在家坊主にしても彫刻家にしても日常の付き合いになると、心に納めたり聞き流したり、なかなか達観も難しくて実践には程遠い。

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ゲルハルト・リヒター展 

2022/09/01
Thu. 17:30

約1ヶ月ぶりに万善寺の単身赴任から通勤坊主へ切り替えた。
寺の1日を切り上げて飯南高原から銀山街道を下っていると、目に入る夕日があまりに眩しくて一瞬渓流に沿って走る車道のカーブを見失ってしまう。太陽が随分と低くなった。
お盆を過ぎた頃から日暮れが早くなったと気づいてはいたが、こうして銀くんのハンドルを握っているとそのことを具体に実感する。
しばらくワイフの手料理から遠ざかっていたから、久しぶりに美味い夕食にありつけると思うと一日の疲労も吹っ飛ぶ。

「彫刻でなければ絵を描くとか、とにかく、何でも良いから何かしら造ることを日課にしようと思っているんだ・・」
もう、かれこれ20年以上は前のことだったと思う。私より年が上の彫刻家がそう云っていた。その時はたいして気にもとめていなかったが、今になってもなにかフッとした拍子にそのことを思い出して自分の日常を考えていたりする。
私もそろそろ古希が近づいてきたから、彼はもう80歳近くになっているはずだ。あの頃話していたように今でも彫刻の日課が続いているかはわからないが、自分には彼のような根性も集中力も無いから、似たようなことをしようと思うこともないまま今になった。

上京したついで・・とは正確でなくて、ほとんどそれが目的で上京したと云っても良いリヒター展を関東に暮らす娘たちと一緒に観た。想像以上に良くて感動した。
90歳になっても制作が日課で、近作に至っては年月日が作品タイトルになっていたりして、絶え間なく制作が続いている。
古い話で記憶も曖昧になっているが、高校の入学試験か入学式かの時に校門の外でヘルメットにタオルスタイルの学生がビラを配っていた。熱も冷め続けていたとはいえまだ十分に学生運動が活発だった。そういう時代に通っていた高校ではじめてシケイロスの壁画を見た(といっても、新聞に掲載された小さな白黒の写真でだけど・・・)。政治色の強いダイナミックでエネルギッシュな構図の虜になって、松江で一番大きな書店や県立図書館を巡って画集を探して、やっと白黒と同じ絵のはがきより小さいカラー写真を見つけた。その写真は雑誌か何かに掲載されてあって、それでメキシコルネッサンス運動やリベラやオロスコのことも知った。美術というと日展の巡回展くらいしか観る機会のなかった無知なボクは屋外の全天候に耐える巨大壁画の存在に圧倒されたことをよく覚えている。
リヒターさんも若い頃は壁画家だったようだ。前から気になっていた現存の美術家だったし、この機会を逃すとリアルタイムで制作の現物作品を観ることはできないだろうと思って出かけたが、本当に良かった。
あれから1ヶ月が経った。寺のお盆が慌ただしく過ぎていく中、常にリヒターさんの絵画作品が脳みその片隅に張り付いて忘れることがなかった。お盆を過ぎて五月雨に続いていた諸仏さまの供養法要や施主家の年回法事も盆月のうちにおおよそ片付いて一息ついた。やっと今頃になってリヒター熱が少し冷めて客観視出来はじめた気がする。それで色々と整理するに、自分としては彼のドローイングがとても良いと思う。大作が長編小説なら、ドローイングはエッセイ集のような位置づけに思えた。
最近重くなりかけていた自分の彫刻が、ひと息ついて少し軽く意識できるようになった。

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夏の恒例イベント 

2022/08/23
Tue. 11:48

8月18日 万善寺夏の恒例イベント大施食会法要を厳修し、お盆行事が一区切りついた。
これから盆月が過ぎるまで散発で諸仏さまの法要や法事、古墓、永代などの供養法要が続く。
自分の人生の殆どをお盆行事に付き合って今に至っている。
先代が病気で体調を崩してからは本堂の導師以外の作務や仏事はほとんどすべて副住職(ボクのことです)が代行していた。当然の成り行きで住職に昇格(??)して10年を過ぎるが、そろそろ身体の疲れがとれないまま貯まる一方になって、昔と同じようなワケにいかなくなってきた。

コロナの流行が加速して収束の予測もつかないまま今に至っている。
お陰様で・・・というと、こういうご時世 実に不謹慎極まりないことだが、あえてソレをゴクンと飲み込んで云わせてもらえば、県外檀家離れやお参り減少で、寺の仏事が少し楽になって気楽になれたこと。
手間替えの方丈様方のお陰もあって本堂での仏事に変化はないが、お参りが減ったことで準備や復元の手間が少なくなったことはありがたい。回向塔婆の和讃読み上げも枚数が減って楽になった。ひと昔前は300近くあった棚経の軒数も最終集計は100を切っていて楽になった。諸仏様の供養法要も高齢化と代替わりで信者離れが進んで先祖供養の塔婆書きが随分と減って楽になった。
在家坊主としては日常の生活に影響を受けて不安に思うこともあるかもしれないが、終身雇用生涯現役の坊主業で特に極端な贅沢でもしなければ老後の蓄えに悩むこともない。布教活動に積極的なボォーさんにとっては信心離れの心痛が絶えないだろうが、これといって対外的に目立った布教もしていないボクの日常には特に目立った影響もなく、自分の信心が新鮮に維持できていれば良い。分相応に毎日を大過なく過ごすというだけでも結構難しいことで、ソレを今後の目標にしても良いくらいに思っている。

6月、約1週間をかけて寺の荒れ地を耕運機で耕した。久しぶりに帰省したノッチもおかあさんといっしょにひまわりの種蒔きを手伝ってくれた。寺の大施食会法要に満開を予定していたのだが、その後の天候も影響したのか、今頃になって次々と花が咲き始めた。
ひまわり畑を思いついたのは寺の近所のお檀家さんだった。その時は、コロナ収束の祈念に良いと大賛成で畑仕事の一切をお任せした。
世情の不安が解消しないままそれから3年、今度はウクライナが大変なことになった。
世界的な情勢不安が加速して行末の予測もできない状態が普通になった今、宗教家の末席にぶら下がっている程度の自分に出来ることといえば、下手な祈祷太鼓で心経をおつとめすることぐらいしかないと漠然と抽象的に思っていたところだったから、お檀家さんのひまわり畑は実に具体的な信心身施喜捨の発想で素敵なことに思えた。
今の自分に出来ることは、耕運機を借りて畑に耕して何かしらの信心祈念を誰にでもわかりやすい具体的なかたちに置き換えることのような気がする。秋になったらアブラナの種を蒔こうと決めた。春になって花が終わったアブラナは、畑の肥やしに鋤き込んでひまわり畑に変える。上手くいけば、寺の周辺の荒れ地に花畑を広げてみるのも良いかもしれない。無理をしないで出来ることを出来るように続けられたら良いと思うなぁ〜・・・

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日本橋 

2022/08/12
Fri. 12:47

日本橋三越の展覧会へ吉田二人の彫刻を展示させてもらってから1ヶ月が経つ。
こういう巡り合わせは滅多にあることではないだろうと、前後のスケジュールを調整して作品搬出を兼ねて展示の様子を見に行った。

ワイフは東京生まれだから、吉田の姓に変わって島根県民となるまでに日本橋を渡る機会が何度か巡っていただろうが、私の方は、東京で10年暮らした間に一度も日本橋を渡ることがなかった。それどころか浅草のすぐ近くをうろついていたのに浅草寺の境内地へ入ったことがないし、東京タワーへ行ったこともない。
こうして、島根県中央の山海地帯をうろつく日々が半世紀近くも続いてしまうと、今更ながら自分の東京暮らしは何をしていたのだろうともったいない気もする。

せっかく日本橋三越まで行くのなら東京名所日本橋と麒麟を見ないわけにはいかない。
ノッチの職場が茅場町で日本橋界隈は詳しいから、彼女の案内にすがった。
なっちゃん一家は仕事の関係もあって別の日に展覧会の会場で待ち合わせしてみんなで銀座まで移動して其処から解散したが、展覧会最終日にはノッチと待ち合わせてキーポンも合流して搬出の梱包などを手伝ってくれた。
東京の感覚だと、地下鉄の駅一つ分くらいは平気で歩いてしまう。三人でとりとめのない話をしながら歩いたら、アッという間に麒麟の真下へ到着した。
日本橋のすぐ上は首都高で、見上げる麒麟が窮屈に感じた。今の物流は完全に首都高へ移っているようだ。日本の交通網の起点で、此処から日本近代文明が発展していったのだと思うと感慨深かった。せっかくだから、絵に描いたような田舎者の上京観光ふうに記念写真を撮った。

三越の展覧会へ出品要項に「BOX」寸法が指定されてあったのが、会場の展示を見てはじめて理解できた。
BOXというと、ゲタ箱展のことしかイメージできていなかったから、やはり現場の展示状況を自分の目で確認することが大事だと改めて感じた。自分の彫刻観に空間を切り取ると云うか、規格制限された空間展示の感覚がなかったから、三越のBOX展示は発見であったし、自分の観察眼が気づかない間に鈍っていたことを自覚も出来た。
BOXの様子を見ると、過去の彫刻展の幾つかの場面で、同様の展示風景を見知っていたことを思い出した。何度か見る機会のあったBOX展示だったのだが、そもそも野外彫刻をメインに制作を続けている自分の制作スタイルからは最も遠いところに位置する展示スタイルだっから、今回の小品彫刻は全くノーマークのまま制作してしまった。自分の勉強不足というか、いつのまにか身勝手な思い込みの概念に縛られてしまっていたようだ。大いに反省しなければいけない。
BOXに収まった彫刻で、I氏の石彫が良いなと思った。抽象の丁寧で高密度のかたちは、BOXの規格サイズと上手く共生して引き込まれていくような質量の重い空間になっていた。いずれにしても、BOX展示の効果を思うと、やはり具象彫刻が妥当で無難に感じた。具象の彫刻であれば、BOXでの展示効果を色々と工夫できる気がした。
今回の日本橋三越は、滅多に無い貴重な経験をさせていただいた。

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夏野菜 

2022/08/07
Sun. 10:49

早いもので、万善寺のお盆仏事が始まって1週間が過ぎた。
盂蘭盆会の手間替え仏事や棚経をメインに、盆月を通して飯南高原へ点在するお堂やお地蔵様などの諸仏供養や施主家の古墓永代供養に、単発で墓仕舞いとか墓地墓石御霊抜きの撥遣法要などの依頼が入る。
コロナの流行する前は夜法要も残っていて、地域の公民館へ地区のみなさんが集まって塔婆回向もしていた。法要が終わると持ち寄ったお供え物のお下がりをみんなでいただきながら一杯出たりしてそれなりに盛り上がっていたが、この2〜3年はソレも中止や規模縮小が続いている。
坊主の方も年々体力が萎えるし、夜遅くまで仏事の付き合いが続くより法要の大事なところだけ抜き出して割愛の略式で早めに切り上げてもらうほうが助かる。
世間の宗教観も随分と変化して様変わりして、昔ながらの熱心な布教活動は時代に沿わなくなって押し売りの強制に思えるような気もするし、最近は受動的立場に徹することを優先に住職業務を維持している。

棚経で旬の野菜などをお布施代わりやお供え物でたくさん喜捨頂く。
まだ中学校の昔は、自転車で朝早く寺を出発して、夕方近くまで棚経が続いていた。
今のようにビニールのレジ袋が珍しい頃で、自転車の荷台にゴム紐で縛り付けた段ボール箱に、行く先々で頂いた野菜を山盛りに詰め込んで重たくなった自転車をこいでクタクタになって帰った。お地蔵さんからの地獄のような参道の上り坂が一日最後の試練だった。
高校を卒業するまで続いた自転車棚経からバイク棚経に変わって少し楽になったが、お米とかスイカやカボチャをお供えで頂いたりすると50ccバイクが参道の坂を登りきれなくなって苦労した。ありがたく頂いたものだから粗末にできないことはわかっていても、当時は寺でもおかみさんがセッセと畑仕事をして沢山の野菜を自家栽培していたし、連日三度の食事に出てくる山のような夏野菜にはさすがに閉口した。

この歳になって、夏の間、畑の自家菜園も無いまま寺で一人暮らしの身にとっては一本のキュウリやナスがとてもありがたい。
日頃はご飯を炊くことなどほとんどしないで、酒のつまみメインの料理とも言えないようなモノばかりで腹を満たしているが、お盆のうちは夏バテで体力を消耗しないように気を配って「腹が減ってはナントヤラ・・・」と、炭水化物の摂取量が増える。
棚経が始まってからは夕方早めに夕食の支度に取り掛かっている。今のマイブームは、とても一人では食べ切れないほどの野菜の中から、好きなトマトをたくさん使って土鍋のトマト炊き込みご飯やマリネサラダなどなど・・和風にしたり洋風にしたり、日によって味変しながらトマトの大量消費をしている。キュウリは塩もみをして水出しすれば何本でも食べられる。ナスやピーマンは縦に串刺ししてまるごと焼くとびっくりするほど美味い。夏野菜は特に手の混んだことをしなくても、簡単にチャチャッと済ますことが出来るところが良い。
先日、今年の初物で頂いたスイカを御本尊様のお供えにさせてもらおうと思っていたのに棚経の途中で粗相して割ってしまった。仕方がないから食後のデザートにさせてもらったのだが、美味くてペロリと完食した。ヘルスメーターへ乗るのが怖い・・・

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親切於法 

2022/08/04
Thu. 16:23

月が変わって棚経や手間替えのお盆つとめが始まった。

例年と変わりなく万善寺のお盆行事をお知らせにして配って回ったら、今年の夏は珍しく電話が数件続いた。だいたいが「用事で留守にするから・・」どうすればよいか問い合わせだったが、中には、もう「棚経でよってもらわなくても良いから」と断りもあって、施主家各家々の世代交代でお盆行事の認識に変化が生じた様子がよく分かる。
コロナのこともあって、2・3年前から以前と同じような仏事行事ができにくくなっていたところだったから、どこかしらコロナ便乗の縁切り的発想がチラホラと見え隠れした。
手間替え仏事でほぼ1年ぶりに顔を揃えた方丈様方も、様変わりの進む自坊の事情がお茶飲み話で話題になったりして、坊主事情の変化は何処もだいたい似たようなもののようだ。もっとも、街場の寺と山間僻地の寺では寺事情が正反対に近いほど違ってきていて、悩みごとの絶えないことに違いはないが内容の方が全く違っているから、素直に「ウンウンソーダソーダ!」とうなずけないところがある。自分自身は、既にかなり以前から在家坊主の行末をシミュレーションしてスッキリ割り切っているから、今になってジタバタすることも無い。住職引退に向けて着々と身辺整理を進めているところだ。

その日も棚経を済ませて汗を吸い込んだ着物からパンツまで一式洗濯機へ投げ込んで、裸になった自分の方はそのままシャワーで汗を流した。
濡れた身体を拭いてもすぐにあとから汗が止めどなく吹き出してどうもサッパリとした気になれなくて始末が悪い。どうせ寺はオヤジの一人暮らしで誰に気兼ねすることもないしオールヌードのまま扇風機を抱え込んで汗を吹き飛ばしていたら電話が鳴った。
「今日はどちらですか?お寺でございますか?・・」
いつも野菜のおすそ分けを頂くおばあさんだった。棚経が終わってお寺に帰ったところだと伝えたらミニトマトが採れ過ぎて始末に困っているからもらってくれ・・・と、実にありがたい。早速着るものを着て銀くんをすっ飛ばした。玄関の式台へ置かれた段ボール箱は入りきれないほどの各種野菜で溢れていた。
その夜は、野菜づくしで満腹になって、夕食の最中からウツラウツラと眠くなって、食器を片付けて水を潜らせるとそのままバタンキューで爆睡した。
次の朝は、さすがに目覚めが早かった。
琴引山の向こうが白み始めるのを待っていたように蜩が鳴き始めた。少し早いと思ったが目の覚めたついでにそのまま朝の用事をひと通り済ませて昨夜の生ゴミを捨てに外へ出た。境内へ伸びた草にはまだ夜露が残っていて雪駄履きの素足が濡れた。井戸水を引いた水場で生ゴミの容器を洗っていたら、すぐ近くで黒い野良猫がこちらを見ていた。もう随分長くその猫を見ていなかった。夏毛に変わったからだろうか?シュッとして痩せて見えた。目が飯を催促しているようなので、メシ皿へドライフードを山盛りにしてやった。
ついでにスズメたちへもクズ米を山盛りしてやって、境内から参道や駐車場と草の伸び具合など様子見がてらぐるりと一巡した。
8月を待っていたように駐車場脇の百日紅が一気に咲き始めた。今年の花はピンクがいつもより濃く感じる。羽音がうるさいほど沢山のニホンミツバチが百日紅の花に群がってセッセと蜜を集めている。まだ暑くなる前の朝の涼しさが心地良い。

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因果一如 

2022/08/01
Mon. 12:41

月が変わったので朝シャワーを使って頭にバリカンを当て髭を剃って顔を洗って歯を磨いたりしてさっぱりしてから本堂へ上がった。
台所の洗い物をして前日までの食器を片付けて、洗濯物は一日が終わる頃に洗濯機を回そうと思う。

朝の用事をひと通り済ませてコーヒーをいれた。
確か、豆を煎ったのは7月の中旬だったはずだと、しまってある茶缶の付箋を確認したら7/12とあった。まだほとんど手つかずのまま茶缶にいっぱい詰まった豆からは油がにじみ出てテラテラ光っていた。
適当に自分で煎ったナンチャッテコーヒーでもいれたては美味しいと感じる。最近は、専門店の豆を買う機会も無いし、出先で立ち寄るコーヒー店はコメダ珈琲(コメダガダメダというわけではありません)くらいだから、自分の味に慣れてしまった感がある。

7月末にデスクトップを使うことがあってメインスイッチをONしたら、起動画面にアップデートの通知がどっさり届いていた。メールの未読数もすごいことになっていて開く気になれない。まずは仕事優先と2022年版「万善寺お盆のお知らせ」を作った。郵便局の業務内容が変わって郵送のストレスが増した。滑り込みセーフで遠方の檀家さんへの発送を済ませ、その足で飯南高原へ点在する檀信徒各家を回った。最後に県境を超えて広島の一軒を済ませてから、かかりつけ医へ直行した。「調子はどうですか?変わったことありませんか?」・・・と聞かれても答えようがない。たぶん、肉体の疲れが結構溜まっているはずだが、かろうじて気持ちの緊張を維持しているお陰か、あまり疲れを感じない。薬をもらうことが目的なので、ドクターの問診に適当に相槌を打ったりしてその場を流してしまった。

無性に本が読みたくてしょぉ〜がない。
だいたいが、寝るまでの少しの時間、ゴロリと横になってiPadのKindleをひらくのだが、いつのまにか睡魔に負けて痺れた親指からiPadが滑って顔面を直撃して気がつく・・・といった状態が続いて、全く先に読み進めない。司馬遼太郎の長編を読み始めたのは確か満天星が満開の頃だったと記憶している。あの頃はまだ時間も気持ちも余裕があって普通に暇しながら仏事作務や小品制作をこなしていた。
その直後に例の井戸神社の手水鉢の話があって、つい先日、2tユニックで三瓶山周遊道を経由して神社境内へ搬入を終わった。
そろそろ、ジタバタと生きることを切り上げて世間の俗欲から距離を置いてわずかばかり残っている我欲やプライドと見苦しくないように上手に付き合って静かにさり気なく逝こうと思い始めたときだったのに予定が少しずつ狂い始めて今に至ったわけだが、ソレはソレで、世間の事情が我が身の怠け心を叱咤したことであろうと良いように解釈して納得することにした。

8月1日の臨済宗施餓鬼法要随喜からお盆仏事が始まった。鉄の制作からしばらく遠ざかっていたから、夕方少し過ごしやすくなったら次の彫刻へ取り掛かるつもりだ。
銀山街道から飯南高原は、合歓の花が散って百日紅のピンクに置き換わりつつある。

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手水鉢 

2022/07/15
Fri. 16:03

梅雨が明けてから良い天気が続いていたせいか、今年は随分と長持ちしていた満開のねむの花が2・3日前からの雨で一気に散った。いつもだと、この時期は雨が降り続いたり台風並みの強風があったりしてすぐに散ってしまった気がする。

最近はほとんど合うこともなくなって、世間話程度の会話もないし、電話もメールも疎遠のままが普通になっていた大吉さんから珍しく電話が入った。
井戸神社の改修にとりかかったという話を風の便りに聞いていたが、そのことだった。
大吉氏はいくつになっても飽くことのない仕事人間で俗な世間の波を泳ぎ続けている品行方正を疑うほどのひとだが、妙に信心深かったり信仰心が厚かったりするところもあって、なかなか実態を把握しにくい複雑怪奇な人物である。
もう長い付き合いになるから、彼が何を考えて吉田を名指しに連絡してきたのかおおよそ見当はつく。けっこう大掛かりなことになりそうなのを電話で片付ける気でいるようなので「こういうことは、電話でチャチャッと済ますわけにもいかないでしょうぉ〜」と、長くなりそうな話をこちらから切って、ひとまずお互いの都合を調整することにした。

井戸神社は、日本史好きなら周知の井戸平左衛門さまをお祭りした神社である。裏山からの湧き水が豊富で、地下には水の道が幾つもあって、本殿に上がる階段の脇に昔は生活用水でも使っていて今でも水が絶えることがない井戸があるから「井戸神社」と云う・・・のとは、ラベルが違う立派な由緒を持つ神社だ。
それを大吉氏が社務所へIターンを住まわせたり春秋の例大祭にいろんな企画をぶつけたり節目ごとに社員総出で除草整備の大勤労奉仕を率先したりなどなど、何年も前からアレコレと思いついてテコ入れをして、ついに元号が令和に変わったのを機に、まずは鳥居の更新からスタートして本格的な改修を具体にしてしまった。
すでに朽ち倒れそうになっていた鳥居は立派な白木のソレに変わっていて、吉田への電話は手水舎の更新のことだった。
「正チャン久しぶり・・・お清めの手水鉢を鉄で造ったら面白いと思うんだけど・・全部任せるからやってみてよ♡!」

「鉄の手水鉢」というのも、由緒ある神社にはそぐわない気もしてどうもピンとこないまましばらく悶々としながら小さな彫刻やノッチのデスクワークテーブルを造りながら考えた結果、やはり石を使うのが良いだろうと決めた。
それから気にいる石を探すのに寺でお世話になっている石材店へ手伝ってもらった。御影石ほど上等ではないが、思っていたようなメークイン型の玉石を出雲空港の近くで見つけてくれて、それを使うことにした。
石材店の工場へ移動して刻んでみると、なかなかきれいなブルーだった。表面を見ると鉄分の多い石のようで長い間に酸化してしまうだろうが、常に水が循環していたら酸化が遅れてくれるかもしれない。

「なかなかいいじゃない!面白いよ。あの噴火口のようなところへ浄水の穴をあけるんでしょ?」
送っておいた数枚の写真を大吉氏は気に入ってくれたようだ。
それで終わりではないのです。完成はもうちょっと考えがあって,それからのこと!・・・

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M氏への手紙 

2022/07/03
Sun. 12:30

過日は、春の展覧会へ来ていただきありがとうございました。

とっても久しぶりに、変わりのない元気なお声を聞くことが出来て、それからしばらくの間、ほとんど忘れかけていた昔のアレコレを懐かしく思い出していました。

早いもので、島根へ帰ってから40年が過ぎました。
ひょっとしたら、先生のお声を聞くのも40年ぶりの事になったかも知れません。
先生のことは、多方面から風のたよりに時々の様子を絶え間なく聞いていたので、1000km近い距離をそれほど遠く感じることもありませんでしたが、やはり生声は又聞きの「〜だげな」話とは鮮度が全く違っていました。
よくわかりませんが・・・長い間続いた多忙の日々は、吉田の想像を遥かに超えるほどのことだったと思います。ご苦労さまでした。

すでに学生の頃から彫刻を造っていた満寿美の手伝いをしているうちに、自分も搬入出を協同したほうが諸々都合良いと思うようになって二紀展へ出品し始めたのが30歳近かったですから、だいたい満寿美と同じかもっと若いピチピチの作家に揉まれながら楽しく彫刻を造り続けているうちに今になった感じです。
小さいながらも戦国の頃から続く山号を引き継ぐことを宿命と、粛々と坊主を続けているうちに節目ごとに副住職になり50歳を過ぎて住職を継ぎました。
暇なりに窮屈な暮らしでも、彫刻の制作が適度な息抜きになって、また美術界の新鮮な刺激を受けることも出来て、暇も窮屈もソレはソレで有り難く感じたりしています。
どの業界も似たようなものかも知れませんが、二紀会彫刻部の居心地が良いまま気楽がすぎてうっかりしている間に「下がつかえて困るから・・」と節目ごとに玉突きされて引き際を逸した気がしないでもありません。
彫刻もそろそろ個展をするくらいに絞って「さり気なく消えてしまってもいいかな・・」と思っていたのに、なかなかうまくいかないものです。それどころか今年は当たり年のようで、アチコチから展覧会の出品要項が届いたりして、彫刻を造る合間に坊主業をはめ込んでいる始末です。
そんなわけで、まさかこの歳になって思ってもいなかった日本橋三越の展覧会へ満寿美も一緒に出品することになりました。絵画彫刻そうそうたるメンバーに混ざって55人分の2人ですから滅多に無い確率で選抜されたものです。

会期中には竹橋の近代美術館でゲルハルト・リヒター展も開催中ですし、今を逃がすと最新作の現物を見る機会が無い気もします。お盆間近で仏事もたてこみ始めていますが、なんとか日程の都合をつけて上京しようと考えています。残念ながら満寿美の方は地域の付き合いと吉田家の猫ちゃんを優先して残留となります。

島根は珍しく6月のうちに梅雨明けとなり、日中は暑すぎて外作務にならない毎日が続いています。関東の方も既に猛暑続きと聞いています。短い会期ですが、スケジュールの都合がつくようでしたらご高覧くださいますよう、ご案内いたします。

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菩提樹 

2022/06/29
Wed. 20:44

雨でも降れば、ソレを理由に外の作務を休むことも出来るが、降っても夕立にもならない申し訳程度のことですぐにやんでしまう・・・そういう毎日が続いている。

境内東西南北グルグルと下を向いてエンドレスの草刈りばかりしているうちに、いつの間にか菩提樹の花が満開になっていた。
刈り倒したオノレバエのミョウガやフキの匂いに混ざってほのかに甘くやわらかい香りが上の方から漂ってくる。気づいて見上げたら菩提樹の葉陰に可愛らしい花が鈴なりに咲いていた。日中は軽く30℃を超えてしまうほど暑いものだから、まだ6月の内だということを忘れていた。
寺の菩提樹は中国菩提樹という種類のもので毎年今頃花をつける。いつの間にか随分と大きく育っていて、2年前には一番低い枝が伸びて地面へくっつきそうになっていたのを切り落とした。
伝承によると栄西大和尚様が中国から帰国する時に苗木を持ち帰ったのが日本全国へ広まったということのようだが、本当かどうかわからない。秋になると花の数だけ実がつく。仏具屋さんには菩提樹の実に糸紐を通して数珠にしたものが売られていてなかなかの高級品だ。それが本当の中国菩提樹の実かどうかわからない。実がついても直ぐに落ちて下草に埋もれててしまうから拾い集めようと思ったことがない。あれだけ沢山の実を集めたら「幾つ数珠が出来るんだろう・・・?」と、俗な打算が脳みそを横切ることも無いわけではなかったが、拾うのが面倒で実践したことはない。

作務は心身の清浄美化が託される大事な修行でもある。
曹洞宗は座禅が有名だから僧堂の修行僧たちは座禅ばかりしているように思われるかも知れないが、1日を均すと作務に従事する時間の方が断然に多い。どのようなことも我がこととして向き合うことがとても重要で人任せにすることは無い。座禅をするも作務をするも同じ修行仏事であって、自分の身体の動くうちは目の前の仏事に粛々と向き合うことを忘れてはいけない・・・などと、難しげなことだが、そんなもんだと慣れてしまえば日常の一部になって特に難しくも辛くもない。強いて「辛い!」と言えば、今の自分のように身体の痺れが取れなくなってからは同じ作務もやたらと時間がかかるようになってしまったこと。それで、昔のようにチャチャッと済ますことが難しくなって作務の積み残しが山積みになって、見た目の清浄美化の精度が随分と下がってしまったこと。結局は誰のせいでもない我が身のことであるから受け入れるしか無いことだ。

寺の作務は尽きることがないから月替りを目処にして彫刻制作を再開することにした。
彫刻も自分にとっては修行仏事のようなものだ。とにかく、今の自分に甘えないように気持ちを整理して実材と向き合うようにしている。彫刻の制作や発表はある種布教のようなものだと思うことがある。世情に敏感であり、自分に正直であり、主題の軸がブレないように気を配る。
これから先、どう考えても確実に自分より自分の作る彫刻のほうが長生きする。粗大ゴミなって始末に困って八方迷惑をかけるような彫刻にしてはいけない・・・と、最近はとにかくそういうことを忘れないように制作をしている。

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也風流 

2022/06/28
Tue. 15:22

どうやら、7月を待たないで梅雨が終わるらしい。
それにしても、今年の梅雨は雨が少なかった。春から続く水不足で水田をあきらめて大豆などに転作をする農家もあるそうだ。

通勤坊主の街道沿いでは、ちょっと前まで栗の花がアチコチで満開に垂れ下がってあの独特な何とも言えない生臭いようなニオイが生ぬるい湿気を含んだ風に乗って漂っていた。田植えが終わったあとの田の畦メンテナンスで「草刈りの青臭いニオイのほうがまだマシだ・・・」などと、ボンヤリ思いながら銀くんを運転していたのに、気がつけばいつの間にか栗の花が過ぎてネムノキが咲き始めている。
ピンクのグラデーションが可愛らしい花を見ると夏が来る。

全国的にコロナが少し落ち着いて旅行や県外移動が活性した頃、ワイフの高校時代の同級生が二人、石見銀山を訪ねてくれた。
ちょうど万善寺の大般若転読会法要に向けて寺の境内地整備に忙しい時と重なっていたが、ワイフを通して昔から知っていたから2日間の滞在中、できるだけ彼女達と行動を一緒に付き合った。
寺から2km程のところに「一福」という田舎蕎麦の本店がある。自家栽培の蕎麦を自家工場でそば粉に製粉し、つけダレの調合も自家製で、なかなか味わい深い蕎麦はもちろん手打ち。日に何回か蕎麦を手打ちして継ぎ足して打ち立ての蕎麦を食べさせてくれる。同級生は二人とも江戸っ子で高校は深大寺の近くだったから二八蕎麦に慣れているだろうし田舎蕎麦が口に合うか心配したが、二人とも美味しく食べてくれた。それからあとはワイフに任せて、蕎麦屋を出ると右と左に別れた。
あとで二人の様子を聞いてみると、ワイフ曰く「とっても喜んでたわよ♡!」ということだった。

庫裏の奥座敷は法要でお世話になる組寺院方丈様方の控室で使う。
寺へ帰って、作業着に着替えるのも面倒なので庫裏の掃除がてら奥座敷の模様替えをした。
奥座敷には一応床の間と床脇に分けられた書院があって、お寺なりの様式が出来ている。昔は床脇に仏具や袈裟などを入れる箪笥が置いてあったのを、自分が住職になった時に本来の様式に近づくよう整理して片付けた。
畳は100年以上前からの古いもので、ブクブクに傷んでいる。更新の目処も立たないまま仕方なくコンパネを敷いて応急処置の目隠しにして、彫刻で季節ごとに少しずつ様子を変えながら見た目の体裁を取り繕っている。世襲の代替わりでない禅寺のことで、高価な貴重品は住職交代のたびに飛散して今は粗末なものしか残っていないから、残り物を見苦しくない程度に取り替えながらアレンジしている。
今回は、小品彫刻展でゲットした木彫作家H氏の彫刻を自分の彫刻へ組み合わせた。質素で簡素ながら木彫のおかげで空間が濃密に引き締まったと自分では思う。
万善寺では初のお披露目になるが、方丈様方には特に興味も関心も無いふうで軽くスルーされた。

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剪定もどき 

2022/06/27
Mon. 16:35

やっと松の剪定(もどき・・)が終わった。
それにしても「ながかったぁぁぁ〜〜〜・・」

ノッチが3〜4年ぶりくらいに帰省して、ついでにお寺まで来てくれてワイフと一緒にひまわりの種を蒔いてくれたのは6月になったばかりのことだった。
それから約2週間は梅雨だと云うのに雨が殆ど降らなくて芽が出るかどうか心配していたが、昼夜の寒暖の差のおかげで夜露が水分補給のいい役をして中旬を過ぎた頃から見事に芽吹いた。このまま上手く成長して花が咲いてくれたら、今年のひまわりは「ノッチのひまわり」と命名しようと思っているが、今後どうなることか予測できない。
その、ひまわりが芽吹く様子を見下ろしながら松の手入れを始めた。

万善寺の松とは長い付き合いになる。
もちろん私の誕生前から同じ場所にあるからアタリマエのことだが、それにしても自分が覚えているだけでもその松は幾度となく瀕死の苦難を乗り切った苦労松で、今まで枯れないで生き残っているだけですごいことだと思う。
昭和38年の豪雪ではほぼ3ヶ月の間雪に埋もれたままだった。松の頭が積もっていた雪から覗いたのは3月のひな祭りの頃だった。それからゆっくりと雪が消え始め、一番下の枝が見えたのはお彼岸の前だった。その枝は、当時石垣に沿って2mくらい横に一本だけ伸びるように剪定を工夫してあった。豪雪を耐えて春になって少しずつ元気を取り戻した松が新芽を伸ばし始めたが、残念ながら横に伸びていた枝だけは生き返ることがなかった。当時は、近所に住んでいた隠居のおじいさんが「お寺の松はワシの松のようなものだけぇ〜、大事に剪定させてもらいますけぇ〜ねぇ〜」と、定期的に時期を見て他の庭木と一緒に剪定してくれていた。横に伸びた枝も幹のねじれや枝の曲がり具合を考えながら針金で矯正している様子を見ると「おじいちゃんが松をいじめている!」と少年のボクは松が可愛そうで心配したものだ。そのおじいさんは信徒さんで寺の檀家ではなかったが、身体が思うように動かなくなるまで身施布施を欠かさなかった。
松の剪定が出来る人がなかなか見つからなくて「いい人はいないか?」と先代が檀家さんへ問い合わせていたようだがなかなか引き受ける人が見つからなくてずいぶん長いこと手つかずのまま荒れる一方だったのを母親の弟が引き継いでくれた。ちょうどその頃は西日本から中国山地一帯へマツクイムシが広がっていたときで、寺の裏山の赤松もほぼ全滅した。境内の松は、種類が違っていたからなのだろうか、その時はかろうじてマツクイムシの被害を免れて生き残った。住職交代の頃に猛暑の日照りが続いたときは夏の間に境内にある3本の松の葉が一気に茶色く枯れた。その時は、どうやって松を切り倒そうか森林組合に見積もりをとってもらったりしていたのだが、結局枯れることもなく生き返った。
まぁ、色々と苦労の多いことだが、この10年近くは私が剪定もどきを引き継いでいる。アチコチで聞くと春と秋の2回は剪定したほうが良いようなことを言われるが、なかなかそこまでの時間が造れない。この数年は春の新芽摘みに合わせて古い松葉をむしり取る程度のことしかしていなかったので、見苦しいままが続いていた。
今度の剪定もどきは新芽だけを残して一気に古い松葉をむしり取った。
夏のうちに枯れるかも知れない。それもボクの責任だからしょうがない。さて、ひと夏ふんばってくれるかなぁ〜・・

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ノッチのテーブル 

2022/06/18
Sat. 12:19

コロナの規制が少しほど緩和されるのを待ってノッチが帰ってきた。
彼女は、日本で暮らしているときだとだいたい1年に1〜2回は帰っていた。それが、一度はコロナの蔓延で帰省の機会を逸し、二度目はコロナ規制の厳戒態勢とボクの入院手術が重なって断念した。どちらも航空機のチケットを予約購入していたから、キャンセル料が派生してノッチには無駄金を使わせてしまった。オヤジより高給取りだから「気にしないでいいよ!」と云ってはくれたが、親としては不甲斐ないことで複雑な気持ちだ。三度目の正直で帰省が実現したわけだから、ノッチの満足いくように歓待するしかないと、なにか欲しい物があるか聞いたら「魚が食べたい!」と云うので、出雲空港で彼女をピックアップするとそのまま境港まで走った。
大量の新鮮な朝取れ鮮魚を仕入れて、ワイフが手際よくさばいて、その夜は家族三人大いに盛り上がった。

ノッチの誕生日は6月。
展覧会で上京したとき、彼女の部屋でシャワーを借りたりしてお世話になった。
これからコロナが落ち着いて勤務形態がどうなるかわからないが、その時はまだ収束の見通しも予測できないまま週の半分はリモートワークで在宅していた。
「誕生日にはテーブルでも造ってやろうか?」
チープな座机の上で会社から支給された使いにくそうなラップトップを使っていたから何気なしに云ったことが本当になった。
「6月にチケットが取れたから帰るね♡!」と連絡が入ってから約束していたテーブルのことを思い出して、寺の法要準備と並行して材料を見繕った。ひとまずは、試作を一つ造りながら工法や寸法のことなどをおおよそ決めて、ノッチが直接確認できるようにしておけば間違いない。
最近は昔のように材料の在庫を抱えることが減ったので、乏しい中からそれなりに使えそうなものを集めるしかない。運搬などの使い勝手を考えてテーブルの足を可動式にしようと決めたのだが適当な蝶番が揃わなかったから、急遽台所のパーテーションにしていたパネルを分解して蝶番を確保した。
試作のテーブルを見たノッチは、オヤジへ気遣いのお世辞もあるだろうが大いに満足してくれた。

天板サイズなどいくつかの変更希望も聞き取って、彼女の誕生日に届くよう荷造り梱包して発送した。それまで彼女が使っていたチープなテーブルよりは少しはマシなモノになったとは思うが、使い勝手のことになるとどうかわからない。
まだ学生でバブル全盛だった昔はインテリア関係の家具や小物など造れば売れていたから「こうして家具を造りながら住職を引き継いで坊主になってるんだろうなぁ〜・・」と、漠然と自分の将来を予想していたこともあった。あの頃は今のような経済社会は想像できていなかったし、クラフト作家を目指していた自分が彫刻にのめり込むことなど思ってもいなかった。
坊主家業では暮らせないから生活の糧にオーダーメードの彫刻やクラフトを造っている。クラフトは人の暮らしと密着するから制作は彫刻と違った緊張感がある。試作のテーブルは寺の縁側でいい感じに収まっている。

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万善寺大般若経転読会厳修 

2022/06/17
Fri. 17:17

万善寺大般若経転読会の日から天気が好転し、梅雨が一気に過ぎて夏を思わせるほどになった。
連日鉛色の空を見ながら大般若会を準備していた。前日には台風並みの暴風が吹き荒れたりしてなかなか過酷に過ぎた。

今年になって各種法要行事のご案内をしなくなったから、お参りが一桁に減った。今どきの信心がだいたいどのようなものか、おおよそ想像できる。
数えだとあと1年もすれば古希だし、いよいよ死ぬために生きる歳になった。いつまでも鬱陶しく俗にしがみついていたくないし、そろそろ自分の社会的役割を清算して身軽になっていいと思う。
彫刻業も住職業も公務から少しばかり距離をおいてみたら俗な強欲の塵や埃が邪魔して見えなかった何かが少しははっきりしてくるかも知れない・・・などと希望的観測を期待してみたりもする。それはそれで、結局は自分の身勝手な業(ごう)だから道元様やお釈迦様の思想哲学とは程遠いことだ。いっぽうで、なにもしないことの難しさもあるし、ジワジワと時間を掛けて焦らずゆっくりと自分の行末を慣らしていくしか無い。古希までの残された日時は我が身の内面的心情と向かい合う・・そのように使いたい。

法要厳修の準備をしていたら彫刻家の大先輩H氏から電話が入った。「スカルプター22号」の執筆依頼だった。確か1年に一回発行される二紀会彫刻部の研究紀要のようなもので、毎回、楽しみに読ませてもらっている。彫刻表現の作家は文章表現も実に達者で読み応えもあって勉強になる。自分の彫刻など、粗品のメモ帳へ筆ペンで線描きした絵とも言えないような落描きがもとになって出来上がっているようなものだから、それをそのまま文章に置き換えることにもならないし、事前に届いていたメールを読みながら無理だと断るつもりでいたのが先手を打たれてしまった。
だいたいが暇な坊主業を出汁にしてNOともいえないし、常日頃、できるできないは別にして、何事もまずは「YES!」というようにしているし・・とはいっても、身体は一つしか無いから、同時にアッチモコッチモできるわけでもないので優先順位があってのYESなのだが・・・文章は彫刻のように「構想300日制作1週間!」というわけにはならないところが悩みどころだ。変に真面目な文章を気取ると宗教がかってくる気がするし、彫刻絡みのことになると古希を目指してさり気なく消えていくのが難しくなりそうだ。

梅雨空を見上げながら、痺れた右半身を騙し騙し作務を続けていたら、慢性が増幅して耐えられなくなった。湿布は汗と混ざって赤くかぶれ腫れてくるから消炎鎮痛剤の塗り薬でごまかしたり屯服の服用でしのいたりしていたら、そういうことが続いているうちに、痺れのほうの抵抗力が強くなって薬用効果が薄らいできた。
昔、副住職だった頃はせいぜい2時間もあれば荘厳を済ませていたし、境内地の東西南北草刈りも2日ほどあればなんとかなった。今は、休み休みで荘厳2日草刈り2週間はかかる。彫刻の方は長年の慣れと経験で制作の失敗も殆どないし昔より短時間で完成することができているから具体的な実働で体力を奪われることがあまり無い。
坊主であることを辞めようとは思わないが、住職業はそろそろ引退が見えてきた・・・

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一切衆生 

2022/06/04
Sat. 13:19

時々寺へフラリとやってくる黒い野良猫は、今まで鳴き声を聞いたことがない。
その猫を初めて見たのは、5年以上も前のことだったと思う。
まだ、先代の夫婦が健在で寺の庫裏を彼らの思うように使っていた頃、東堂の憲正さんが「猫が勝手に障子破って悪さしていけんがの!」と小言をいって、おかみさんの俊江さんが「まぁ〜ずまぁ〜ず・・・」と、ぼやきながら破れ穴にあわせて障子紙を切って貼って修繕していた。
猫はだいたい10年は生きると聞くし、昨年に憲正さんの七回忌を済ませたから、その頃の野良猫が今まで生きていてもおかしくはない。

本堂や庫裏は、少しずつ改修したりいらないものを処分したりしながら今になっている。現住職のボクは、本とシアタールームだけあれば、あとはとにかく必要最低限のモノだけにして、なんにもないだだっ広い空間があって、ソコへ彫刻を入れ替えながら常設するふうな模様替えが好きだ。
寺務所も数年掛けて狭い庫裏のあちこちを移動しながら、やっと韋駄天さんの安座される三畳間に落ち着いたところだ。その、寺務所がまだ本堂との渡り廊下にある元々物置部屋だった3畳にあった頃、床板の下を通路に使って境内の表裏を行き来していた黒猫を見たことがある。
「お寺で猫飼っとられますかぁ〜?」
電気のメーター検針のオジサンが携帯の印刷機でプリントアウトした検針票を渡しながらそう云っていたのがだいたい5年くらい前だった。先代夫婦や検診のオジサンが見ている猫も自分の目で確認したことがないままだったから、話に聞く野良猫がその黒猫と同一であるかは今でもよくわからない。とにかく、黒猫の行動パターンと通勤坊主のスケジュールが合致したときに接近遭遇の確率が高くなっていることは間違いない。

万善寺の住職を引き継いだ頃は、保賀の谷に住むつがいのカラスがお地蔵さんの什物や活けた花などのお供えを悪さして苦労した。黒猫が庫裏の座敷へ上がっていたこともあった。イタチやテンも天井裏で巣作りをしていた形跡がある。追い払うのにどうしようか悩んだ末、彼らを懐柔して自分の味方にしておくことが良いと決めた。さすがにネズミだけは人間の食べ物や大事なモノを横取りしてかじるし悪さばかりするから駆除するしかないと気持ちを切り替えた。
カラスは、姿を見るとこちらから「おーい!」とか「元気かぁー!」とか「おはよぉー!」とか、とにかくしつこいほど声掛けしていたら、悪さをしなくなった。イタチやテンは、早朝に山から帰ってくる頃を見計らって寝床のすぐ真下へ蚊取り線香を置き続けたらそのうち帰ってこなくなった。たぬきは、何時も同じ場所にウンコを残すからとにかく見つけ次第すぐに撤去して別の場所を決めてソコへ集めておいたら、そのうちウンコを置かなくなった。寺の周りにウジャウジャいる蛇はネズミや害虫を捕ってくれるから見て見ぬ振りで自由にさせている。
そして、例の黒猫は、姿を見かけるとこちらから何かしら声掛けをしてホームセンターで買った徳用の安い猫飯を決まった場所へ置いてやる。最初は強烈な警戒心で飯も食べようとしなかったが、根気よく続けているうちに食べ始めるようになって、今は通勤坊主の到着を待っている日もある。

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信心身施 

2022/06/03
Fri. 18:46

吉田家の大切な暖房燃料である薪を無償提供してくれるKさんは、若い頃は専門職の転勤族で奥さんと一緒にアチコチ移動しながら暮らしていたから、土地土地のマニアックなピンポイントの土地っ子事情に詳しい。
先日、東北の地酒が手に入ったからささやかながらお礼と思って薪の引き取りがてら持っていったら、ご主人より先に奥さんのほうが「あら懐かしい!こっちには無いから!!」と、嬉々と反応していらした。まさか、その地酒の地元で暮らしていたことがあるなど知るわけもないから、びっくりした。
Kさんは、子供が学校へ行く年齢になった時、親の都合で子供を「転校ばかりさせるのも可愛そうだから」と転職して実家に帰ったのだそうだ。その実家は、万善寺と同宗派の今は無住のお寺のすぐ近くにある。菩提寺でもあって檀家総代も長い。寺の行事は兼務住職さんと一緒に準備や周辺境内地の営繕をされて、万善寺の荒れ寺具合が恥ずかしくなるほど何時もきれいに整備されている。頂いた薪のひと山はその菩提寺境内にあったもので、今は万善寺の本堂前で乾燥させているところだ。2年後くらいには薪に使えて吉田家を温めてくれることになる。

万善寺のお檀家Hさんは80歳を過ぎて男の一人暮らし。
奥さんとご母堂さんは今年で17回忌をむかえられる。同じ年にご親族を相次いで二人亡くされて気落ちされた。お子さんは皆さん他所で一家を構えて帰省されることも殆どない。昔は役場職員だったが、お父さんの介護と農業が忙しくなって辞職された。万善寺のことも年間通して住職の先へ回って信心身施の絶えることが無い。昔で云えば寺男的役割を引き受けていただいている。
手つかずのままだったおかみさんの畑を誰に言われるでもなく自ら率先して整備された。
「ひまわりでも植えちゃろぉー思うて・・・どがぁーですか?いけんですか?」
3年前の3月にユンボで荒れ地の整備がおおよそ片付いてお茶飲み話のことだった。
3.11のこともあるし、供養の気持ちも込めて良いことだと思った。
だいたいは、気にはなっても手はつけないのが普通のことで、口は出すけど手は出さない世間にあって、Hさんは口も出すけど言ったことは自分でなんとかしてしまうタイプの、それこそ生きた地蔵菩薩さんのような人だ。なかなか誰にでも出来ることではない。

今年もひまわり畑にする時期が来たので畑の草刈りを済ませておいた。何時もならそろそろ耕運機の音がしても良さそうなのにその気配が無いのでだんだん心配になりかけていたら、「草刈りしておいてもろぉーて、すまんことでしたなぁー・・・」と、Hさんから電話が入った。それからしばらくして耕運機の音がしたので出てみると、首にコルセットを巻き付けたHさんが不自由そうにレバーを操作しながら耕運機を動かしていた。聞くと、階段から落ちて首の骨を折ったのだそうだ。
「長いこと寝てばっかりおったら、それこそ寝たきりになってしまいますけぇー、退院させてもらいました・・」
手術は成功したが全治5ヶ月と言われたのだそうだ。不自由な身体で働いてもらうわけにいかない。
あのチェルノブイリのウクライナの供養にもなるひまわり畑はナンチャッテ住職が引き受けます!

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孝順心 

2022/06/01
Wed. 18:44

仏事が連続したので万善寺で2泊した。夜中に寒くて目が覚めた。オシッコのついでに温度計を確認したら9℃だった。もう6月だというのに家の中で気温が一桁まで下がるのは珍しい。外はもっと寒いと思う。

衣替えの前日まで着ていた法衣や改良衣など、冬物一式洗濯した。本当は洗い張りに出してプロに任せるほうが衣も長持ちすることは分かっているものの、なにせ貧乏寺のことでそこまでの余裕がない。
先代は、衣替えの時期になると天日干しをしてしっかり乾燥したものから丁寧にたたんでウコン風呂敷で包んでショウノウと一緒に納戸部屋の和ダンスへ仕舞っていた。
住職を引き継ぐ前の副住職時代は殆ど黒衣木蘭で通していたが、住職交代の後もそれで通すわけにいかなくてお下がりの色衣を着るようになった。長い間洗濯をしないで日干しで済ませていた色衣は襟のあたりに汗染みができていてショウノウの匂いも染み付いていて、なかなか慣れることができなかった。
6月に入って衣替えの時、試しに程度の悪い着古した法衣を洗濯機で洗ってみたら、若干シワが気になるものの遠目にはわからないくらいだったし、汗染みもソコソコ気にならない程度になったし、それに何より着るたびに鼻についたショウノウの匂いが消えたのが良かった。それからは、夏衣もシーズンが終わる頃に洗濯してからたたむようにしている。
丁度、衣替えの二日間が雨になったので、白衣から襦袢白足袋まで坊主の冬物正装着物一式を一気に洗濯した。寺中の物干しをかき集めて、本堂の窓際から庫裏の縁側まで干せるところを全部使った。乾いたところでほころびをチェックして縫い直してからたたんで和ダンスへしまいながら夏物と入れ替える。
一人暮らしが長かったこともあって、完成度のレベルを期待しなければ家事の一切がだいたい適度にこなせる。針仕事は拡大鏡が必需品になったが、とりあえず針の穴へ糸を通すことが出来るうちはワイフを頼ることも必要ない。

寺の年中行事が近づいて作務が本格的になるから、彫刻の方はしばらく制作を中断する。ひまわり畑の整備が終わって、あとは雨の都合を待って種まきをすれば一段落する。
耕運機を使いながら、おかみさんが挿し木をして収集がつかなくなるほど茂って手に負えなくなった皐月のことを思い出していた。
まだ副住職だった頃、荒れ放題になっていた皐月の剪定をしていたら、枝を刈り込むと花が咲かなくなるから「いらんことはせんでいい!」とすごい剣幕で叱られたことがある。皐月などの庭木は花芽の付く前に剪定をすることが良いと聞いていたからそうしたのだが、おかみさんはそれを知らなかったらしい。
人は、歳をとるといよいよ頑固になって手がつけられなくなるタイプと、温厚になって丸く丸く物分りのよくなるタイプと両極に向かい始めるようで、商売柄何度もそういう高齢者の性格の変容を見てきた。自分の身内も絵に描いたような歳の取りようで、東堂老師の方は、見事に上手にカッコ良く丸くなったが、おかみさんはなんとも残念に歳をとって、見事に偏屈頑固に変わった。
着物を干した縁側の部屋には「孝順心」掛かっている。確か、先代が額装した新しいものだったように記憶している。白衣を干しながら目連尊者と母親の業の話を思い出した。

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喫茶去 

2022/05/31
Tue. 12:42

雨の音で目が覚めた。
そろそろ梅雨に入ってもおかしくない時期だから雨降りも当然の流れで平常に受け入れられる。この時期には珍しくしばらく晴天が続いて水不足を心配していた農家の皆さんはホッとしたことだろう。

雨になる前に少しでも外仕事を進めておこうと思っていたが、気持ちだけのことで身体のほうがなかなかついていけないままになった。ひまわり畑も半分弱ほど土起こしが終わったところで雨になった。無理をしても畑仕事が最後まで終わるわけでもないし、適当なところで止めた。

シャワーを使って汗を流して、頭にバリカンを当て髭を剃った。
午後からは、教区の坊主会議がある。新年度の総会のようなもので、予算決算の会計報告や運営報告などをして、研修会がそれに加わる。
万善寺は会計監査の役になっているから少し早めに会場寺院へ向かった。
それぞれの坊さんがそれぞれの役を真面目に丁寧に粛々と務めることの真面目さに頭が下がる。お互いの暴走を抑制する役も含まれているのだろうが、如何にも硬っ苦しいことで、自堕落なナンチャッテ坊主はどうも前向きになれない。そういう面倒臭い様子がバレているからなのだろう、何かに付けて万善寺へ役を回したり流したりされているような気がして、こうして坊主が集まるたびに心がざわめく。何事も腹八分目くらいで収めておいたほうが心身健康でいられると思うのだが、ボクの周辺はワイフも含めてあまりにも真面目人間が多すぎる。そういうこともあるからなのだろう、どんどん人付合いが面倒臭くなってくる。「コミュ障じゃないの?コミュ障だよ!」などと、ちょっと気が抜けて口が滑ってしまうとワイフに厳しく叱られる。この年齢になるまでさんざん踏ん張ってアチコチお付き合いを絶やさないできたのだから、そろそろ世間のしがらみから開放されて周りの迷惑にならない程度に場をわきまえつつ適度に我儘になってもいいと思うんだけど・・・いわゆる世間で理解されているところのコミュ障とは若干解釈事情が違うとボクは思うんだけど・・・それでも良いや!コミュ障大歓迎!

かれこれ半年くらい前になるかなぁ〜・・・「ピーターの法則」という本をKindleで読んだ。かなり前に途中まで読んで止めていた本だ。どうして中断したのかよく覚えていないが、あの時はその本の本意をまだ十分に汲み取って咀嚼できていなかったのだろう。年齢を重ねるということは、良いことであると思う。今度は難なくスラリと読み終わった。沢山の事例が列記されている程度のことで、そういう事例と同じような環境にあることも珍しいことだろうから、自分のためになるとかバイブルになったとか、そんなことはないが、世間の仕組みを斜めに見ているようなところが自分と似ていたりして面白かった。ボクの心の傷はこうやって自力でペロペロなめて直していたりするのです。

坊主仕事が2日続く。午後からは手間替えの大般若経転読会。その寺はコロナで中止が続いていた。雨の日は本堂の用事をすれば良いのだが、どうもその気になれないまま思いついてナンチャッテ珈琲を煎った。隙間だらけの庫裏中へ香ばしい珈琲の香りが充満した。

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雨の朝 

2022/05/30
Mon. 11:01

通勤坊主の朝、保賀近くに設置してある道路公団の温度計が18℃だった。雲が低く降りて雨もぱらついている。このところ連日晴れて暑い日が続いていたから、肌寒くて長袖が欲しくなる。

6月には万善寺の法要がある。彫刻のことが落ち着いてからは、それに向けて寺の営繕作務が絶えない。雨の日は本堂を中心に荘厳をしたりする。晴れの日は境内地や周辺の草刈りなどをする。参道の整備は法要の日から逆算してギリギリのところまで待って始める。見た目が全てでもないが、それでもお参りのみなさんが気持ちよく参道を上がってもらえるよう気配りのつもりだ。
寺のことは自分の仕事だと決めていて、できるだけワイフや周りの手間を頼らないようにしようと思うのだが、やはりどこかでだれかを頼らないといけないこともある。ワイフへは、当日お参りの皆さんへ気持ちばかりの品を見繕って準備をしてもらう。この近年は年々お参りが減って今年に入ってからは一桁まで落ち込んできたが、それでもなにかの都合で数が足らないことになってしまうといけないのでだいたい2ダース分は用意するようにしている。一年を均すと暇に暮らしている住職も、法事などの仏事が重なるとそれなりに慌ただしい。
コロナの関係でしばらく中止が続いていた手間替え仏事が少しずつもとに戻りつつある。法要厳修の有無は各寺院の見解で決まるから、お手伝いの手間替えもあったりなかったりで不規則になっていたが、5月に入ってからやっと昔のようなローテーションが戻りつつある。寺の作務はそういう仏事の合間を縫って続いている。通勤坊主の連日は、寺へ到着して銀くんから荷物を降ろしたら、そのまま作業着に着替えてほぼ1日中外のアチコチをウロウロしている。暑い日が続くと体力の消耗も早くて、一日に3回もシャワーを使って汗を流してさっぱりして一杯の珈琲をゆっくり時間を掛けてドリップしたり熱い煎茶や蕎麦茶でリラックスしたりしながら心身をリセットしている。

近所のお檀家さんが耕運機を貸してくれるので、ひまわり畑の整備を始めた。
もともと田んぼだったのを昭和の農地改革で水田から半分を畑に変えて、半分にツツジやサツキを挿し木した。その直後に先代の憲正さんが病気になって日常の重労働が出来なくなったから、副住職が彼の代わりを務めることになった。かれこれ40年は似たような毎年が続いている。先代夫婦が彼岸暮らしになってから、やっと自分の思い通りにコトが進められるようになった。ユンボを頼んで荒れ放題に茂った低木の花木を根こそぎ始末して野菜が絶えて雑草に変わった畑を刈り込んで、耕してひまわり畑に変えてからそろそろ3年目になる。自分には野菜を育てて収穫する趣味はないから誰かそういう趣味人へ土地を貸してもいいくらいに思うが、周辺が農家ばかりの使いにくい土地だからそれも難しい。日当たりもいいし、手間を面倒がらなければ、少しは1年の節目で生かされるような何かにならないかと考えて思いついたのがひまわり畑だった。耕運機を貸してくれたり荒れ地の整備を助けてくれたお檀家さんのおかげもあって今年も畑作りが始まった。

晴耕雨読の連日で、久しぶりの雨の朝、デスクトップをONした。最近はほどんどiPad miniで乗り切っていてキーボードに触るのは何日ぶりだろう・・・デスクワークの足元が冷えて寒い。

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看看臘月尽 

2022/05/23
Mon. 18:10

思わぬ人から立て続けに電話が入った。
一人はご主人を亡くしてからはご自宅でお仏壇のご先祖様をお守りしながら一人暮らしのおばあさん。
一人は定年で退職されてからは地域の地区長などされながら毎日のように田畑の世話を続けている限り無くおじいさんに近いオジサン。
お二人共すこぶる健康に頑丈で、ヨレヨレオヤジのボクなど彼らの元気を分けてもらいたいくらいだ。

おばあさんからは、畑の野菜が少しほどあるからいらないか?という電話だった。
いらないはずはないから、有難く頂きに行くと段ボール箱いっぱいにあふれるほどの野菜が入っていた。一見するととても一人では食べ切れない量に見えるが「茹でてしまえばなんぼもないですけぇ〜ねぇ〜。ほんの少しのことでご足労いただいて・・・」とかえって恐縮されてしまった。丁度次の日は寺で一泊することにしていたから夕食の心配がなくなって助かった。
元気オジサンは「もう何年も前から使っていない稲ハデがあるんだけど・・・」いらないか?という電話。
吉田家が薪ストーブを使っていることを思い出して、焚付になるかも知れないと電話してくれた。燃えるものなら何でもストーブへ投げ込んでしまう方だからもらえるものなら有難くいただく。早速、前後の予定をやりくりして2日かけて軽トラで運んだ。オジサンは本格的になってきた田仕事の手間を割いて積み込みを手伝ってくれた。一昔前なら、稲ハデはお百姓さんの貴重な備品財産のようなものだ。お百姓さんたちは自分の田の畦の一等地へ掘っ建ての屋根付きハデ小屋を造って大事に風雨から稲ハデを守って管理していた。だいたいがトタン葺きだったが、中には瓦葺きの立派なハデ小屋もあった。
「この柱は、出雲の方で貰ったやつで、ヒノキの間伐ですわぁ〜・・長いヤツを積むに荷台へクラ造って、日が暮れて夜になってから運んでねぇ〜・・警察に見つかったら捕まりますけぇ〜・・こりゃぁ〜、コンバインにしたから使わんようになったゆうて知り合いから貰ったやつで、スギですが太いし長いし真っ直ぐだし・・なかなかここまで上等なヤツないですけぇ〜・・」
長さで云うと4m位はあっただろう稲ハデの縦柱が軽トラへ積みやすい長さに切りそろえられていた。何年もの長い間、田仕事でお世話になっていたハデ木には沢山の思い出が詰まっているのだろう、昔の話が尽きなかった。
寺の作務を休むことにした。1日では薪に刻むことができないほどの量をもらった。
せっかく乾いているハデ木を雨で濡らすのもモッタイナイ気がして、朝からセッセと丸鋸を使った。

日頃から付き合いの面倒を避けていることのほうが多いのに、ちょっとした事で気にかけてもらっていて有難いことだ。
刻んで薪にしたハデ木を軽トラへ積み直して一日の仕事を切り上げて汗を流してさっぱりして吉田家へ帰る途中、牧草地の真ん中を走る銀山街道の正面に絵に描いたような真っ赤な夕日が浮かんでいた。随分と陽が長くなった・・・

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