工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

石のお地蔵さん 

2017/06/22
Thu. 23:29

ワイフを誘って松江の美術館へ出かけた。
万善寺の庭先で石の地蔵さんを彫っていた彫刻家のタマゴが、その美術館で開催されるお地蔵さんを集めた展覧会へ出品したので、その展示効果をみるのも目的の一つだった。

島根県は梅雨に入っているが、幸いにも雨が降り続くこと無く今に至っていて、外での仕事が遅々として進んでいないナンチャッテ住職にとっては、とても都合が良い。
午前中は、傷んだ庫裏の床を張り替えるための打ち合わせや荷物の移動をして、湯沸かし器の配管改修や墓参や花替え用に使う野外水洗い場の工事打ち合わせをしたり、保賀地内への回覧板や配り物をしたり・・・何かと慌ただしく過ぎた。
せっかくやる気満々で作業着に着替えていたが、結局外仕事にならないまま、いつものカジュアルなスタイルに着替えてワイフの待つ石見銀山へ向かった。

玄関を開けると、脱走に失敗したクロが土間の暗闇に潜んでいた。
「おかえりぃ〜〜」
珍しくワイフの声が♯がかって機嫌良さそうだった。
「私が出かける準備している間に琵琶採っておいてくれない?・・オ・ネ・ガ・イ♡」
・・・そうか、そういうことだったのか・・・あの♯の意味がわかった。
結婚生活も長くなると、お互いに遠慮というものがなくなって嘘がつけなくなる。ある意味、それも正直に付き合えているわけで良いことなのだろうが・・・だいたいにチキンで小心者の私の方はこうみえても結構ワイフに気を使いながら暮らしていると思ってるんだけど・・ブツブツ・・・
このところ、寺暮らしが常習化してきた感があって、その間に石見銀山で暮らすワイフも気楽な一人暮らしに慣れつつあるようで、私と連動しない彼女なりのスケジュールが出来上がっているようだ。

お地蔵さんの展覧会は、島根県の各所に散らばっている地域の文化教室やサークル活動の講師さんや生徒さんの作品を集めたもののようだった。
島根県現代彫刻振興委員会が主催で開催しているワークショップで講師をお願いしている石彫仏師の坪内正史さんが今回の展覧会を主催しているので、石のお地蔵さんもたくさん出品されてあった。
こういうタイプの展覧会に、造形がどうこうとか、具象とか抽象とか、素材や技法がどうのこうのいい始めたら厄介なことになる。とにかく、造ることを楽しむとか、同好の士が集まって有意義なひと時を共有するとか、そういうことのほうが大事なことで、造形の常識を柔軟に調整して、できるだけ振り幅を広くしておくことも大事なことだ。

出品点数にして、大小合わせ約600体くらいのお地蔵さんが集まっていただろうか・・・
万善寺の庭先でコツコツ刻んでいた石のお地蔵さんは、その中でもなかなかの完成度であったように思う。まぁ、チョット贔屓目かもしれないけど・・・
彫刻見習いと言ってもいいかもしれない彼女は、4月から6月にかけて木彫1点と石彫1点を制作して発表した。
まずは、コツコツと地道な仕事の継続が大事だと思っている。

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行間を読む 

2017/05/24
Wed. 23:15

今の吉田は坊主80%、彫刻家20%くらいの生活をしている・・・と感じている。
坊主といっても、ほとんど、毎日万善寺の境内地内外をアレコレつついているだけのことだけどね。

今から30年以上前の吉田は彫刻家80%くらいで暮らしていたことがあった。
ワイフと結婚して島根に帰った頃で、学生時代の満ち足りた制作環境から、手持ちの電動工具も何もない社会へ放り出されたような状況で途方に暮れつつも、制作への執着捨てがたく、色々模索していた時期であった。
制作の方向性は、まだ全然固まっていない状態だったから、「何を表現したいか」というより、「何が表現できるか」をセッセと考えていた。
結局、自分の身近にある色々な素材をかき集めて、必要最小限の道具で出来る「なにか」を造ることからはじめた。
その「なにか」は、ある時は平面であったりある時は立体であったり色々だったが、そうしてみると、島根で「なにか」を造る環境は、圧倒的に平面へ偏っていると気付いた。油彩にしても日本画にしても、絵の具から筆から各種道具まで、「平面のなにか」を表現するには何の問題もなくすぐに始められる環境があった。
一方、立体の方はなかなかそういうわけにいかなくて、かなり苦労した。

いろいろあって、ひとまず抽象の立体へ落ち着きつつあったが、まだ本格的に「これが抽象彫刻である!」と明言するほどの自信がない。
そこでまずは、「そもそも、抽象とはナンゾや??」から始まって、その後約10年間、ひたすら地味にコツコツと地味な抽象らしき造形を造り続けた。
あんなつまらない観念的な彫刻(のようなもの)を造り続けていた私を見捨てないで、しぶとく拾い続けてくれていたものだと、二紀会彫刻部に感謝している。
・・・とそんなわけで、この春先から万善寺の庭先で杉の丸太を彫り始めた娘をみて、当時の自分を思い出したりして、それなりの感傷に浸りつつ草刈り機を振り回している今日此頃なのです。

それで、思い出したことがある。
昔のことで正確ではないが、アメリカの文化人類学者でE.T.ホールという人が、「日本人は、抽象的な言葉で表現することが出来る」ようなことをいっていると雑誌か何かで読んだ覚えがある。その時に、これは、「行間を読む」というヤツだな・・と解釈して、なんとなく一人で解った気になって、「抽象とはソレなんだ!」と思うことにしたら、気が楽になった。
石見銀山で初めて個展をすることにしたのも、きっかけは抽象の表現に対する自分の気持が少し整理出来たからだ。

永代供養墓の文字で「雲従龍」「両忘」「風従虎」の3つを用意しようと決めた。
それぞれに、自分なりの意味があるが、3基の自然石の構成も合わせて行間を読んでもらいたい。

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裏庭の彫刻 

2017/05/15
Mon. 23:27

最近、時々万善寺の法事がある程度で収入に繋がる仕事がほとんど回ってこない。
その万善寺も、春の大型連休は法事ゼロという状態で、近年ではすこぶる珍しい。
飯南高原とその周辺は、正月に今年の年回法事繰り出し表を宅配して回っているのに、その効果もない。
檀家さんも世代交代で、年回法事でご先祖様の供養するより家族サービスに忙しくしていらっしゃるのだろう。

いっぽう、収入に繋がらない仕事の方は終りが見えないほど山のように溜まっている。
連休をずらして帰省していたノッチが仕事に帰っていったから、私の方も気持ちを切り替えて吉田家営繕作業を再開した。
この数年、荒れ放題のまま放置されていた裏庭の整備が少し進んだ。
銀山川へ降りる石段も、3分の2ほど姿を表した。残り3分の1は土砂で埋まったままだから、スコップとか鍬とか、なにかそういうもので石の階段を掘り出すしか無い状態だ。
5〜6年前の強烈な暴風雪で庭木の幾つかが倒木した。
その後、手付かずのまま放置したままだったから、今回の整備でストーブの薪にしようと考えている。
ワイフが植えたつるバラの株は、ほとんど野生化して庭木を締め上げながら伸び放題に伸びている。
ハートカズラも鉢から地植えに下ろしたら一気にはびこって吉田家の勝手口から物干し場へ這い上がって、今はトタンの屋根まで広がった。
花の咲かない藤蔓は梅の枯木を這い上がってパラボラアンテナへ巻きついて、大屋根へ這い上がる勢いだ。

とにかく、春から梅雨に入るこの時期は、草木が一気に伸びてくるから、気楽にボォ〜っとしているわけにいかない。
とても、何かの片手間で片付ける程度の仕事量ではないから、今年は本気で営繕へ集中することにした。
二股に別れて横に広がっていた桃の木の一本が根本から折れて私の鉄の彫刻へのしかかったままになっている。
この彫刻は、1999年から2000年・・つまり、20世紀最後の記念として自分史の記録を残しておこうと思いついた個展の第一回展で制作したものだ。
2年にわたった4つのシーズンへ当てて4つのテーマの個展にした。
そのスタートとして、昭和の記憶をカタチに変えようと密かにあたためていた「ラヂオ」を彫刻にした連作の一つであり、加えて、現在地べたに張り付くような連作の彫刻を造っている、その原型として位置づくとても重要な記念的彫刻でもある。
この彫刻だけは自分の暮らしのすぐ近くに置いておこうと決めて、現在の場所へ設置していた。その全形が、久しぶりに桃の木の下から現れた。
改めて見ると、造形的にまだ消化不良の、気持ちだけが先走った軽っぽいカタチであることに気づく。
それでも、それなりに自分では気に入っていて愛らしく捨てがたい彫刻でもある。

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彫刻撤収 

2017/04/19
Wed. 04:06

鷲羽山レストハウスから更に登った展望台から彫刻を撤収した。
昨年からほぼ1年間、私の鉄の彫刻を置かせてもらっていた。
瀬戸中央道の大橋が展望できる絶景の場所で、ヤマツツジの濃いピンクと桜の淡いピンクが春の瀬戸内海の日差しを反射してとてもキレイだった。
「桜とツツジが一緒に咲いているのを始めてみました・・ボク」
岡山の赤礬市に暮らす陶芸家が彫刻移動を手伝ってくれながらそう云っていた。
私より少し若いくらいの年齢だと思うから、今年の春の瀬戸内の気候は、まぁ、とても珍しいといえるのかもしれない。
まだ、2回しか春の鷲羽山を見たことのない私の方は、そういう異常な気候のことなど時に気にもしないまま「キレイなことだ!」と単純に納得してしまっていたが、岡山の瀬戸内一帯は、どうやら異常な春であるらしい。

自分の彫刻が、潮風にさらされながら1年間でどのように変化してきたか、それを確認するのも、今回の搬出では重要な狙いであった。トラックに積み込みながらサビの色や粗さをさりげなくチェックしたが、山陰の彫刻より若干黃観がかっているくらいに感じた。
化学者ではないから、成分の化学的変化をどうこうと研究することもないが、それでも自然の環境の変化に自分の彫刻がどのように反応しているのか、そのあたりのことは興味があるし、彫刻素材の経年変化も自分の彫刻の味にしているようなところもあるから、こういう実践的実験が長期に渡って出来る展覧会とかイベントは大歓迎なのだ。

鷲羽山からほど近い児島にある塩田で財を成した旧家の前にも彫刻を置かせてもらったが、こちらは約1ヶ月間だったので、特に大きな変化もなくなかなかいい感じの色合いに落ち着いていた。彫刻を造る時、幾つかのテーマを使い分けている。この彫刻はそのうちの一つで、鷲羽山の彫刻とは制作のコンセプトが違っている。
別に、自分だけのことだからワザワザそういう事情を語る必要も無いことだが、誰かの何かの参考にでもなれば良いかもしれない。

私の造る彫刻のほぼ80%は野外設置を前提としたものだ。
一口に野外と云っても、私の暮らす島根県のような雪が降り積もるところもあれば、このたびの瀬戸内のように雪とは縁がないところもある。潮風のこともあるし、夏の日差しの違いのこともある。雨が多かったり、風当たりが強かったり、とにかく、自然の様々に違う環境にあって、自分の彫刻が周囲の環境と共生しながら美しい造形として存在してくれるということが制作者のつとめであり責任である。
かたっ苦しいことでもあるが、自分にとっては大事なことと思っていて、常々そういうふうに自分の彫刻と付き合うようにしている。
そこで、鷲羽山の彫刻のように移動が難しいものばかりを造っていると、さまざまな環境で実践的実験にストレスがかかりすぎるから、比較的楽に何処へでも移動できるシンプルな造りで持ち運びのし易い「移動式野外彫刻」なるものを用意しておくと都合がいい。
何かそれにふさわしいテーマはないかと考えて、この数年それらしき都合のいい彫刻も造るようにしている。

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彫刻の抽斗 

2017/03/06
Mon. 09:25

構想350日の彫刻をそろそろ造り始めようと、完成予定日の15日くらい前から準備し始めていたら、万善寺の用事が次々に入り込んで、見事に出鼻をくじかれてしまった。

自分の今までの彫刻家人生で唯一、展覧会出品をドタキャンしたことがある。
あれは、島根県へUターンしてまだ5年と経っていなかった頃だったと思う。
先代住職の憲正さんは、50歳を過ぎた頃に大病を患ってそれ以降の生涯は、常に何かしらの病気と付き合いながら通院と入退院を繰り返しながら無理をしない程度に住職を続け、結局90歳近くまで長生きをした。
私は、その憲正さんの初期の大病を契機に東京暮らしを切り上げた。
島根の仕事に落ち着いて、「さぁ、そろそろ制作を再開しようか!」と準備をはじめて何年かアレコレと造形に取り組んでいるうちに気持ちが彫刻に傾きはじめて、それこそ、今回のように構想◯◯日を過ぎて材料の準備も整って、あとは実材にとりかかろうという頃合いを見計らったように憲正さんが手術することになって、そのドタバタでどうにもこうにもいかなくなって、ワイフと二人して制作を断念した。
当時の展覧会事務局などで忙しくしていた新進気鋭の彫刻家へ、その旨を伝えたら、「そういうことも想定して、幾つかの彫刻を造りタメておくくらいでないとダメだね!」と軽く一括された。
どんなに工夫しても都合の付かない事情はいつどんな時にどういう形でやってくるか予測不能だ。そういう事態に備えて、あらかじめ幾つかの善後策を用意しておくくらいの余裕が大事だと、痛感した。
同じ間違いは二度としないように気配りをするようになってから現在まで、幸いにも自分の個人的な事情で展覧会のドタキャンをしたことは無い。

私に付かず離れず寄り添って彫刻を造り続けているワイフも、最近は彼女なりのペースを組み立てて制作に取り組んでいる。
搬入の日時が迫ってくると、吉田家の二人の彫刻家はそれぞれがそれぞれの事情で日常をやりくりして制作を続けることになるわけだが、さすがに今回の私は、次々に予期せぬ出来事が巡ってきて思わず挫折しそうになった。
それでも過去のドタキャンの時の一括があった御蔭で、何かの時の彫刻を幾つか造り貯めているから、ずいぶんと気楽でいられる。

今回の新作彫刻は、急きょ当初の制作予定を変更して、メインテーマにつづいて用意してある幾つかの系統から一つを選んで直感的に形を造り上げた。
知人の彫刻家から、「吉田さんは幾つかの抽斗を持ってるね。それも必要なことだよね!」と指摘されたことがあるが、まさにその通りで、まぁ、次の個展でもする時のテーマにでもいなればいいなと密かに溜め込んでいるへそくりのようなものが入った抽斗の一つを開けさせてもらった次第。
構想350日の彫刻は、ひとまずその系統の抽斗の方へしまっておくことにした。
時々中を覗いたり引っ張り出したりしながら、次の制作の機会を待つことにする。
今日中にワイフの彫刻が完成するはずだ。明日は搬入に向けて島根を出発する。

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作家の言葉 

2017/02/21
Tue. 18:34

今更改まって云う程のことでもないが、実は、彫刻家としての吉田正純は何かしら造形作品のようなものを造り始めた20代の頃から今まで1年も休むこと無く何処かの展覧会へ発表を続けている。
「あれだけ飽きっぽい性格でナマケモノなのに」よくこの歳まで地道に長々と長続きしているものだ・・・と感心しつつ、ふと、自分で自分のことを褒めてあげたくなってしまうときがあったりする。

制作を始めた初期の10年間位は、毎年アチコチの展覧会の出品規定や要項をチェックしながら、そして時には、実際にその展覧会の会場へ出かけて出品作家たちの作品を観たりしてから、幾つかの作品を造って出品したりしていた。落選するときもあるし、入選するときもあるし、まぁ色々だったが、何かしら形が完成して搬入までのなんとも例えようのない虚脱し且つマッタリとしたひとときが無性に気持ちよかった。制作中の抑圧された全ての欲望が一気に開放された感じだと云って良いかも知れない。
その時々によるが、ある時は映画館を目指したり、ある時は行きつけの飲み屋へ直行したり、ある時は神保町で古本を買い漁ったり、天気が良いと新宿御苑でメシも食べないでごろ寝していたり・・・とにかく、だいたい一人で過ごしていた。

20代後半にワイフの彫刻搬入搬出を手伝うようになって、それがとても刺激になった。
彫刻制作の裏側がリアルに伝わってきて、いい勉強になった。その搬入会場へ参集する彫刻家たちの様子が自分の感覚にあっていたというか、ゆるやかに包容されるような空気感が心地よかった。ワイフの彫刻出品を手伝いながら依然として特定の会派を決めることもなくのらりくらりと気ままに制作を続けていたが、いつまでも搬入出の手伝いばかりしていてもしょうがないし、少しずつ本気になって結局彼女の会派へ合流することにした。
それが二紀会で、気がつけばあれからすでに30年以上出品を続けている。
出品歴はワイフが長いから、たぶん、彼女が彫刻を造り続けていることで飽きっぽい性格のボクもここまで継続してこれたのだろうと、今更ながらにそう思う。

たぶん、昨年の年末くらいだったのだろう、二紀会事務局から70周年記念誌の原稿依頼が届いていたらしい。
寺のことでドタバタしていた頃だから、自分でそのことを確認できていたかどうかも覚えがないまま過ぎていたら、先日、彫刻部のH氏から督促の電話が入った。その前にも別件で二紀会本部からFAXが届いていたようだし、なんともだらしない組織員で、会の運営に何かと迷惑をかけっぱなしでいる。
あわてて、原稿を書いてH氏にメール送信した。Hさんゴメンナサイ・・反省してます!

〜〜〜〜〜〜〜作家の言葉〜〜〜〜〜〜〜
近年の彫刻は、一貫したテーマを主軸に制作を続けている。この彫刻もその一つで、まぁ、読み切り連作小説の一編のようなものと思って観ていただければありがたい。そこにある彫刻とそれを観る鑑賞者のあいだに発生するさまざまなシンパシーが自分の彫刻の成長につながるといいし、それを楽しんでいる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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雪男の旅ーその3 

2017/02/20
Mon. 21:19

強行軍の彫刻搬入から帰って一段落したら、いっきに気持ちの緊張が抜けて、それまでだましつつ働かせていた身体のアチコチが鈍く痛みはじめて身動きできないほどになった。
2ヶ月あまりの万善寺暮らしの間に、自分の身体から筋肉がとろけてなくなってしまったようだ。

岡山の児島一帯をフィールドにした芸術祭へ彫刻出品を誘われたのが昨年のこと。
その時の誘い主は学生時代の同級生のiさん。
現在のiさんは、七宝の作家で作品制作と展示発表を繰り返しつつ、日本各地や欧米の都市部を中心に七宝教室の講師をしたりして技法の伝授を積極的に展開している。
長い間、東京を基地にして暮らしながらそういう制作活動を続けていたのだが、故郷で暮らすお母さんの高齢に伴い、Uターンを決めたのが今から数年前のこと。
その後、何度か「正純の近くへ帰ったよ!」と連絡をくれたり、共通の友人から情報が流れてきたりしていたが、2年前の暮になって、今回の「岡山での文化イベントに参加しない??」かと誘ってくれた。
私は年中ヒマにマイペースな暮らしぶりだから、こういう時の誘いに乗っておかないと、いつも忙しくしている彼女と逢う機会もなかなか巡ってこないだろうと思って、参加を決めた。
「久しぶりにiさんと逢えるかも?」という動機からして、主催者の高尚な文化事業をどこかしら無視してしまうような超個人的なレベルで彫刻出品を決めたようなところもあって、昨年の初出品はとにかく吉田のワガママワールドが炸裂した感じで終始した。

その後いろいろあって、なんとなく岡山との縁が絶えないまま1年が過ぎる間に、少しずつ岡山の主催メンバーとも緩やかなつながりが出来てきて、今年はiさん抜きで2回めの参加をすることが決まった。
それで、先週末に搬入日程を組み込んで、2tのレンタルをしたりして行動を開始した。
ちょうど移動の最中に天候が崩れて降雪の予報になっていたから、直前までスケジュールの組み立てがなかなか決まらなくて、チキンオヤジの神経がとにかく消耗した。
いつもの雨男が今年になって雪男状態になったまま、雪深い中国山地を越えることになってしまった。
だいたいに岡山の瀬戸内沿岸は年中温暖な気候で過ごしやすいところだが、児島での搬入作業のあいだ中、絶え間なく小雨が降り続いて肌寒い1日になった。それでも、お昼過ぎには一通りの搬入と展示の作業を終了することが出来た。これも、岡山倉敷森山珈琲君が甲斐甲斐しく献身的に手伝ってくれた御蔭だ。ありがとうございました!

同日にキーポンの引っ越しをスケジュールに入れていたから、昼飯抜きで一気に倉吉へ移動した。荷物を積み込む最中はみぞれになったりした。まったくもって、ことごとく悪天候に悩まされた1日1晩になった。
打ち止めは・・・やっとの思いで石見銀山の我が家近くまで帰ってきて、あと少しで町並みの自宅前というところで、2tのアルミの角を民家の雨樋へぶつけてしまった。
真っ暗な中で平身低頭家長に謝ったり善後策を決めたりして身も心も冷え切って凍った。

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石見銀山農閑期限定田んぼ野外彫刻 

2017/01/30
Mon. 20:03

飯南高原は、夕方から雪になった。
最近のスポット天気予報は比較的よく当たるから、心の準備がしやすくて助かっている。
今日も、そんな感じで万善寺3畳の寺務所兼用書斎が急に冷え込んできたから、「降り始めたかな・・」と感じて確認したら、結構小粒のパウダースノーに近い雪が絶え間なく降っていて、辺り一面がグレーに染まっていた。

そろそろ、万善寺のコーヒーも残りわずかとなった。
不本意だが、お湯の量をカップ2杯分くらい多めに抽出してしのいでいる。
吉田的には物足らないが、世間的にはそれなりに我慢できるくらいの濃さのコーヒーにはなっている気がする。
ようするに、いつもはそれだけ贅沢な一杯の珈琲を飲んでいるというわけだ。

「そろそろ節分で立春だから、いつまでも万善寺の常駐も出来ないからね・・」
先日、江津の仕事へ出かける前に母親へそう伝えておいたら、急に図々しい気弱が出てき始めて、このところ食事の度に湿っぽく絡んでくる。
「墓のことを考え始めて夜も眠れない」とか、
「自分の身体が思うように動かないから一人になるのは嫌だ」とか、
「いろいろ考えていることがあるから相談しよう」とか、
・・・まぁ、上げればきりがないが、現代社会の常識からすると半世紀も前の時代を引きずって、それでなんとか出来ると確信しているような言い回しが繰り返され続けると、あっという間に胃潰瘍になってしまうくらいストレスが消化されないまま身体に蓄積されていく。
自分の都合で1日に何度も3畳へやってきて私のデスクワークの流れをせき止める。
気持ちも集中も萎えてなかなかもとに戻らないから、それで余計イライラが増す。

・・・以上、現在の吉田オヤジの愚痴をたれてしまったわけでありますが、基本的には目先の面倒なことへ気楽に乗り切る方が多いほどのどうしょうもない人間なので、ある意味本能的にいろいろな手段を使ってストレスの解消をしているようなところもあって、それはそれなりに若干の良心の呵責を感じたりもして、実に面倒臭いボクでもあったりするわけです。

今年2回めの寒波が島根県へやってきた時に、「この機会を逃したら、後がないかもしれない」と直感して、若干のストレス解消も兼ねつつ、石見銀山の農閑期限定田んぼ野外彫刻の記録写真撮影へ出かけた。
前回の撮影は概ね失敗の方へシフトしてしまったので、今回はできるだけ好条件の記録を残しておきたい(・・・ようするに、天候相手の坊主の神頼みというやつ・・で)と強く願った!結果、納得しているわけでもないがそこそこ妥協できる程度の記録は残すことが出来た。
最近の石見銀山は、雪の量が減った気がする。この、雪の積もった野外彫刻についての一考察は、そのうち、少しじっくりとまとめておこうと思っている。

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檜林の彫刻 

2016/12/05
Mon. 15:12

初七日が終わった。
もう、あれから1週間ですよ・・・何か、早かったような気もするけどよくわからんなぁ〜・・

私が住職になってから島根県の県境を越えたお葬式はこれで2回目になる。
所変われば葬式システムも地域事情で変わるのは普通のことだが、それに加えて、広島は毛利元就さんの関係で浄土真宗さんがとても多い。そういうところへ曹洞宗の山寺の田舎坊主がノコノコと出かけていることからして、なんとなく居心地が悪かったりする。だいたいが軟弱なチキンボーズは、この一週間緊張でビビリっぱなしだったのです。
これから、年末年始と続く七日務めから四十九日や百ヶ日の法要も、冬の雪と上手に付き合いながら遺漏の無いように務めなければいけない。

石見銀山の谷にある田んぼへ、今年も野外彫刻を置かせてもらった。
この近年は年中行事のようになっていて、だいたい翌年のお彼岸前後までの農閑期は路線バスの回転場からその彫刻を見ることが出来る。本当は、もう一つ野外彫刻を設置しようと準備までは出来ているのだが、例の1週間続いたお葬式で中断してしまった。
私が本格的に石見銀山へ野外彫刻を設置し始めたのは1999年から2000年にかけてのあたりからだったとおもう。野外彫刻そのものはもっと前からその気になって制作していたのだが、その頃からは、あるコンセプトを意識して石見銀山の谷へ置くようにしている。
石見銀山が今から10年ほど前に世界遺産へ登録されてからは、野外彫刻の設置条件がかなり厳しくなったので、それからは常設設置をあきらめた。それでも、石見銀山は吉田家が住み暮らす町でもあるし、彫刻家としての吉田の立ち位置を地域の皆さんの目に触れるかたちで表現し続けることも大事だと思っている。

日中はほとんど外出が続いていて、陽のあるうちに石見銀山の町並みを歩くことが稀になっていたが、先日ちょっとした用事もあって久しぶりに吉田家の裏庭から銀山川を渡って田んぼの野外彫刻を横目で見ながら石見銀山生活文化研究所の正面玄関まで出かけた。
会社の玄関前には広島の上下町(?)から移築した茅葺屋根の古民家があって、小川の向こうの敷地のアチコチに私の野外彫刻が点在している。その彫刻群も2000年を少し過ぎた頃におおよその場所を決めて設置したはずだ。自分で言うのも気恥ずかしいことだが、彫刻の一つ一つに思い出があっていまだにその制作の背景を生々しく覚えていたりする。
檜の林に設置した彫刻は個展のために造った一番大きくて展覧会の主役を務めたものだ。小川ぎりぎりまで移動した3tのユニックのアームを最長に伸ばして今の場所へ設置した時はまだ檜の間隔も空いていたが、今改めて見るとその後約20年で成長した檜に埋もれてなかなかいい感じになってきた。毎年春になるとアイビー系の蔦が萌黄に芽吹き、次第に緑が増して夏には彫刻の半分近くほどビッシリと蔦の葉で埋もれる。秋になるとその葉も紅葉が進みやがて晩秋前に葉が落ちて冬を迎える。昨年は雪が少なくて、檜林の彫刻にまでは雪が積もることもなかった。
いずれにしても湿気の多い石見銀山のことだから、彫刻の表面が薄っすらと苔むしてきたりしてこれから先の経年変化が楽しみなことだ。

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徳島の松永勉さんのこと 

2016/11/18
Fri. 17:21

徳島の松永勉さんは金属彫刻のベテランである。
特別興味もないので年齢を知らないままだが、私より少なくても5歳は年上だと思う。
まだ日本のバブルがハジケル前から彫刻を造っていて、公共彫刻が全盛の頃は日本全国からの発注に大忙しだったようだ。その関係もあって、彫刻素材はほとんどステンレスばかり。
今は、当時のあわただしさも落ち着いて、徳島の彫刻家集団を束ねることで忙しくなっているようだ。

私が松永さんとはじめてすれ違ったのはかれこれ20年以上は前のことになるだろう。
その頃すでに徳島の野外彫刻展は立派に地域に根づいた文化活動として認知されていた。島根の当時の実情を事例発表したり、情報交換したりするような彫刻シンポジウムの参加メンバーの一人で徳島へ出向いたときがはじめての出会いになる。
徳島とは、まだ島根の彫刻文化の稚拙さが恥ずかしいと気が付かないほど大きな差があった。

彼の彫刻は出会いの前から知っていたものの、その頃は松永さんの彫刻と松永さん本人がシッカリと繋がらないままで過ぎていた。
たぶん金属彫刻の縁なのだろう、その後も何かしら細く長く彫刻絡みで繋がっていたが、島根県の現代彫刻小品展へ誘うと快く乗ってくれて、それ以来、年々縁が深まっている。
昨年からは、苦節◯◯年!めでたく徳島野外彫刻展へ出品も叶って、今年で2年目になる。これから先、何時出品をクビになるかわからないから、今のうちにセッセと四国通いをしようと心に決めて、先日もワンボックスレンタカーをすっ飛ばしたところだ。

昨年は、彼の制作工房を見せてもらった。
今年は彼のアトリエを見せてもらった。
吉田の鉄工場とはレベルもラベルも全く違って、「彫刻家の制作とはこうあるべきだ!」というお手本のような素敵な空間だ。
仕事場を見ると、その人の性格までわかってしまうようなところがあって、自分への戒めにもなるし、良い勉強になる。

いずれにしても、数十年前に徳島の彫刻家集団に接したことは、当時の自分にとって大きな刺激になったし目標になった。
田舎でコツコツと制作を続ける彫刻家は、周囲からの刺激が乏しいだけに、気が付かないまま自分の嗜好の殻に閉じこもってしまって、造形の基本とか方向性とかそういうものが常に流動する現代社会から取り残されるというより疎外されることになっていたりする。現在の造形や彫刻の流行に迎合したりそれを追いかけたりする必要もないが、一方で、造形の現状を俯瞰出来るくらいの余裕も必要だと思う。自分の制作の立ち位置がおおよそわかっているだけでも、自分にとって必要とか不必要の精査も出来る。
自分の彫刻を楽なポイントに留めておくことは何時でも幾らでも簡単にできる。それよりむしろ、自分の表現の可能性を信じて失敗を恐れないでいられることが難しいことだ。

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とみやま彫刻フィールドアートワーク第1期終了 

2016/11/08
Tue. 12:20

久しぶりの更新ですなぁ〜〜
11月の2日から6日まで、大田市の東の端にある棚田の里山が広がる富山町で大人の合宿をしていた。
宿舎でお世話になった曹洞宗の松林寺さんからは、富山の谷の向こうにある要害山の近くから朝日が昇って、ご来光の絶景が望めた。
会期中好天が続いたのは、雨男の私にとって奇跡的なことだった。

とみやま彫刻フィールドアートワークは、文化の日をスタートに4日間のメイン日程を無事に終了することが出来た。
今年で2年目を迎えるこのイベントは、人口約400人の町富山のほぼ中心にある小学校の廃校をメイン会場にして、彫刻に特化した美術文化事業になっている。
核になる事業は、まだ十分に新しくて立派な小学校の有効利用をメインにしたワークショップによる「ものつくり学校」で、他にも、教室を使った作家歴の若い美術家の個展や全国から出品を募った小品彫刻のグループ展を開催し、同時に野外彫刻を町内各所に設置することで、比較的整備された棚田が残る富山の里山風景の美しさを町内外の皆さんに再認識してもらいたいという、ささやかな願いも込められている。

吉田が自分から積極的に動くことで、彫刻のネットワークが活性し、彫刻というキーワードが地域の活性につながればいいと思っている。
今年の目玉イベントを富山の竹を使った野外オブジェの公開制作にした。
倉敷在住の草月流師範西本秋翆氏とその周辺のコアなメンバーが富山へ入り込んで、地元有志の皆さんと一緒になって泊まり込みの公開制作を展開する。
前フリで富山の竹を切り出すところからはじめて、その後西本さんの富山現地視察をはさんで、文化の日を迎えた。
地元のみなさんがどれだけ彫刻イベントの活動を理解して協力してくれるか、その時になってみないとわからないという状態のまま当日を迎えたが、私の心配を他所に、早朝から準備万端で屈強のおじいちゃんが集まってくれた。現役時代は左官などの職人さんでもあったから、西本さんや倉敷メンバーのスタッフとの呼吸もピッタリで、概ねストレスなく制作が進んだ。やはり、どの世界も女性が中心になって何かを仕切るとなると、毎日を暇に暮らすリタイヤオヤジは喜々として元気に働いて若返る感じだ。
私の方は、時々制作中の様子を見ながら静観していたが、なかなかのチームワークが出来上がっているふうに感じた。

西本さんとお手伝いの皆さんは、都合3日間で3箇所の野外オブジェを完成させて、4日めのお昼過ぎに富山をあとにした。
設置の終わった野外オブジェは、これから1年間その場所で富山の四季に耐えることになる。会場の草刈りメンテナンスは私が出かけて草刈り機を振り回すことになるが、昨年からこの1年の間に、地元有志のみなさんが何度か草刈り勤労奉仕をしてくれたし、和牛農家のオヤジさんも牛の餌にもらうといって親切に刈ってくれている。
野外彫刻が少しずつ棚田の里山に根付いている気がする。

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二紀展終了! 

2016/10/25
Tue. 11:50

心優しき二紀会彫刻部野外メンバーのご協力をいただき、無事に(だと思うけど・・・)搬出作業を終了しました!
本当にメチャメチャ久しぶりに一人で搬出することになって、朝からどうも落ち着かない1日だった。
チャータートラックの運転手さんからお昼に電話が入った。
彫刻の撤収作業は14:30以降になるから、いやに早い到着で、それで余計に緊張が増した。
野外の彫刻展示会場には、いつもの見慣れた彫刻家たちもちらほら確認できる。
東京を中心にした関東圏の作家は、今日の搬出撤収作業要因で大勢出かけてくれている。
彼らのおかげがあるから、島根の出品者メンバーも手分けして代表が一人くらい立ち会うだけでなんとか撤収や搬出が出来ているわけで、やはり、こういう大事な一日は出品作家一人ひとり自分の目で確認して自分も一緒になって汗を流す経験もした方がいいと強く感じた。

落ち着かないままベンチへ座っていると、埼玉の本多さんが隣へ座ってくれた。
彼とはもう随分長い付き合いになる。
今年が70回の記念展だったから、私の出品歴もそろそろ30年を過ぎたくらいのはずだ。彼は、その頃から多分一緒に出品していたような気がする。
最初はワイフのお供で搬入や搬出の手伝いをしていたのだが、結婚して島根に帰ってからはワイフが造った彫刻を小荷物に梱包したりして手伝ってけっこう大変な思いをしていた。どうせ苦労するなら自分もワイフと一緒に彫刻を造ってみようかと思うようになって、その後吉田家の二人が一緒になってそれぞれ自分の彫刻制作をして搬入して陳列して搬出することをした。
当時は、島根県から二紀会へ彫刻を出品していたのは、吉田家の二人だけだった。
今では、年によって流動的ではあるが、それでも10人近くのメンバーが共同で搬入出をするまでになった。
毎年同じようにやってくる秋のこの時期の展覧会は1年間のスケジュールに組み込まれているから、気持ちの切り替えや体調の管理などをしながらそれぞれの作家がそれぞれに制作を続けている。それでも、結局は1年に1点の彫刻を造ることがやっとだったりして忙しくしている人もいるし、彫刻も継続するにはなかなか厳しい世界である。

まだ上野の都立美術館へ彫刻を陳列していた初期の頃の私は、どうも指定の安定した場所が定まらないで、毎年のようにアチコチ展示場所を移動していたから、なかなか親しく会話できる作家が見つからなかった。今にして思えば、それもいい勉強になっていた。自分の彫刻の力量が不安定だから、展示の場所も決まらないでいるようなことだったのかもしれない。
それまで世間話程度だった本多さんと親しく話せるようになったのは、野外の展示会場で彫刻が安定し始めた頃からだったような気がする。
田舎者の、一年に1・2回しか展覧会の仕事もしないナマケモノの吉田へ親しく声をかけてくれるだけで気持ちが楽になる。

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旅の空・・その5 

2016/10/18
Tue. 04:57

10月の9日早朝に石見銀山を出発してから、約1週間で走行距離がかるく2000キロを超えた。
昼となく夜となく、ひたすら車を走らせては何処かで小休止し、また走らせては何処かで仮眠し、起きている間は彫刻がらみの用事を済ませたり、飲み食いが続いたり・・・というなんとも不規則な暮らしが続いていた。
昨日から、やっとしばらくぶりに自宅で寝るようになったが、夜中の2時とか3時とかに目が覚めて、身体は疲れているのに神経が高ぶって眠れなくなってしまう。
万善寺の用事も時々入って、それで予定がずれたりしてとにかく何かしら落ち着かない。

東京から一度帰宅して、それからすぐに徳島へ出かけた。
私は昨年に続いて2年目の野外彫刻展へ出品させてもらったが、ワイフは初出品となる。
彼女は作家歴は長いが野外彫刻に慣れていないところもあって、彫刻の制作方法がまだ安定していない。
徳島の野外彫刻展は、搬入展示から搬出までの会期が約1ヶ月ほどあるから、その間に彫刻の時間変化がどのようになっているか確認も兼ねてワイフを連れ出した。
今年は、会期が始まって以来、今までに2つの大きな台風が通り過ぎた。
私の彫刻は、竜巻でもやってこない限りピクリとも動かないようにきっちり固定しておいたから心配することもないが、ワイフの方は、彫刻の素材も含めてそれほど頑強なものでもないから、台風の暴風雨にどれだけ耐えられたか心配だった。
それに、彫刻展へ出品の作家作品も現場で見ておきたかった。

会場の徳島中央公園は、天守閣の無い平城だったところをそのまま公園にしたものだそうで、昔は周囲に大規模なお堀が巡っていたが、今のJRの前身の国鉄の頃、そのお堀の一部を埋め立てて鉄道を敷いて徳島駅が出来たのだそうだ。公園は、その徳島駅のすぐとなりに開けていて、市民の憩いの場にもなっている。やはり、昔から続く土地の魅力もあるのか、庶民に対して敷居の低い開放感が感じられる。それに、様々な古木が茂り、マメに手入れされ、花壇などの植栽が充実して、なにより敷地に垣根がなくて境界がないところが開放的でいい。

私の昨年の彫刻は、現在徳島の個人宅に移動して置かれてある。
当主はすでに90歳を超えるご高齢だが、腰も伸びてかくしゃくとしていらっしゃる。ネパールとの友好親善の用もしていらっしゃるようで、年に何回かは諸外国へ出かけて用を済ましていらっしゃる。書家でもあるらしい奥様もお元気で、夫婦がとても仲睦まじい。吉田家夫婦も、こんな感じで歳を重ねられると良いなと思ったが、さて、ワイフはどう感じたのだろう。
帰りは、富山の公開制作でお世話になる草月のお姉様に合った。ちょうど倉敷駅の北側に広がる公園へ野外展示の作品設置が終わったところだったので、短時間だったが打ち合わせもできて助かった。
徳島といい、倉敷といい、野外の公共施設が文化事業にとても有効活用されている。
島根ではどこまでひろく野外施設が文化活動に開放できているのだろう・・・

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旅の空・・その2 

2016/10/13
Thu. 10:48

彫刻の陳列作業が無事に終わって、二紀展が始まった。
今年は、70回の節目を迎える記念展であったから、出品者はみんなはりきって、どの彫刻も力作揃いだった。

彫刻家吉田正純の鉄の彫刻は、制作中の幾つかの障害を乗り越えて見た目にはそういう痕跡も残さず見事にサビて野外会場の定位置へさり気なく落ち着いた。
自分の贔屓目かもしれなが、このところ年々いい感じになっていて、今のテーマにして数年前にスタートさせた連作のシリーズもなかなか面白い展開を見せるようになってきた。
自分の彫刻については、それをかたちに制作することでその時々の色々な思いを表現しているから、それをわざわざ別の表現手段にかえて伝えるのもどうかと思うので、よっぽどしつこく問いかけられない限り、制作の背景を自分の方からペラペラ語ることはしない。今までもそのノリで過ぎているから、これからも当分の間それほど多くを語ることもないだろう。

この近年は、自分でも気がついて自覚できるほど体力が落ちた。
だから彫刻はそれなりに出来ることを出来るように工夫していかないと、一定の安定した造形感を維持することは難しい。
島根のような田舎で細々と制作している周辺の彫刻家も、私と一緒になって必ず1年毎に歳を重ねているわけで、彫刻に対する心身の調整が少しでも狂ってしまうと、とたんに制作の意欲が失せたり組織(たとえば二紀会とか・・)への帰属意識が希薄になったりして彫刻の完成度が下がったり、時には、彫刻の制作そのものをリタイヤすることにもなってしまう。
一人の彫刻家の離脱は、周囲の彫刻家にとって色々な場面で大きな打撃になる。
制作そのものは個人の造形の追求であり表現であるから、お互いにそれぞれの彫刻感を尊重することは当然のことだが、やはり、造形上の完成度や表現の方向性や制作の技法技術の追求といった基礎基本は向上心や向学心の継続がされないと、制作者はタダの自己満足の世界にハマってしまってそれで固まって、それからあとは取り付く島も無くなって、そういう状態になると、結局は付かず離れず一定の距離をおいた作家付き合いしかできないことになる。

だいたいに、彫刻の制作などというものは、始めから終わりまで個人の出来事であって、そういう個人が組織だって何かしようとなると、それだけでなかなかに意思の疎通が難しくて、そういうことでドタバタとなってグッタリ疲れ切ってしまう。
私など、今までさんざん自由気ままに自分の思うようにしてきた。それでも、田舎暮らしの一人の彫刻家としては、ある程度の組織だった動きも個々人の制作の継続には大事なことだと思っている。
島根からの共同搬入出も、組織的に行動できていることでそれに参加するそれぞれの彫刻家は随分助かっていることもあるはずだ。今年は、個人の事情が幾つか同時に重なって、共同搬入出に3名が欠席となった。心身の安定と融通の効くスケジュール管理は彫刻の制作に欠かせない大事な要素の一つだと思っている。

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吉田満壽美の彫刻 

2016/10/01
Sat. 22:35

島根県女流彫刻家ではブッチギリの吉田満壽美が、久しぶりに野外彫刻へ挑戦した。
制作時間も最近では珍しいほどタップリと用意して、ジックリと彫刻に向き合っていた。

常々、彼女の彫刻に耐久性とか耐候性が加わると、一気に彼女の世界が大きく広がると思っているから、もう何年も前からことあるごとに呪文のごとく「野外に出そうよ・・」とささやいていた。
色々と条件が整って、今年になってから野外彫刻へ彼女の関心が向いた。
そして、一気に2点の彫刻を制作して、その一つはすでに徳島中央公園へ設置を終わった。
そちらの彫刻は、完全なパブリックスペースだから、期間中に何が起こるかわからない。
たとえば、落書きをされたり傷つけられたりパーツが無くなったり・・・際限なくネガティブなイメージが湧き出してくる。
野外彫刻というと、やはりそのあたりのフンギリというかオトシドコロがしっかりとして腹を据えて取り掛からないと気持ちが萎える。
これまで、あれほどしつこく野外を推薦しても聞き流していたのは、彼女なりの思い切った決断が出来ないでいたからかもしれない。

野外彫刻の素材というと、石とか鉄とかステンレスとかブロンズとか強化プラスチックとか・・・耐候性の強い素材がほとんどだが、吉田満壽美の場合は、いまのところウレタンに紙がほとんど。
今回の野外彫刻も、この素材感を壊さないように制作をしていた。
ある意味で無謀とも思われるほどの素材へのコダワリだと感心する。
彼女なりに、その素材に対して誰からも踏み込んでほしくない彫刻表現の可能性を強く意識しているのかもしれないし、他人に頼らないで自分で納得のいくまで素材と向き合って造形に仕上げていく制作スタイルを崩したくないところがあるのかもしれない。
ひとまずは今回の制作と野外展示でそれなりの結果が間違いなく見えてくることだろう。
そろそろ彫刻家としての作家年齢も半世紀近くなった今、ここで過去から続く一連の作風を守るか、もしくはそれを打ち壊すか、そういう岐路にいるような気がする。

一つ屋根の下でお互いの制作スタイルを横目で見ながらそれぞれのスケジュールで制作を続けていると、知らない間にお互いの造形に慣れてしまって新鮮な感動が薄れてしまっていたりする。
島根県のような文化の辺境の地で彫刻制作に踏ん張り続けることは普通に苦労するし感覚も鈍る。知らない間に自分の彫刻に満足して納得してしまっていたりして、造形への厳しい感覚が何処かに捨てられていたりする。
彫刻制作を続けるという行為が惰性で流れてしまわないようにしなければ、彫刻制作を続けているという意味が無くなってしまう。
いずれ近い将来、色々な障害がやってきて彫刻制作を断念しなければいけなくなる時が必ずやってくる。そのときになって、過去を懐かしんでニヤリと笑っていたいものだ。
吉田満壽美の踏ん張りは吉田正純の彫刻制作のエネルギーになっている。
そのエネルギーのおかげで自分の彫刻を造り続けていられる。

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鉄の彫刻 

2016/09/28
Wed. 19:09

関西の美術系大学の学生さんと話すことがあった。
「○○先生に教わってます。知ってますか?」
「さぁ〜、知らないなぁ・・・」
「ほら、あの、(・・・)を使って(&$#&*)造ってる人ですけど・・」
「あぁ〜、そういえば作品は何処かで見たような??」
「じゃぁ、△△先生知ってますか?、最近(+*=&<#%)してる人ですけど・・」
「さぁ〜、知らないなぁ・・・」
なんとなく申し訳ない気もしたが、本当に名前も聞いたことが無い美術家なので、返答のしようもなかった。
若い美術家の世界では、外すことの出来ないほど大事な大先生であり大先輩なのだろう。
でも、私には全く縁がなくて知らない人たちだった。

美術界は地球社会レベルでみるとスギ花粉くらいもあるかどうかのちっぽけな世界だと思うが、その中でも現代美術になるともっと細分化されてしまっていて、私のような日本の辺境の地で細々と且つ鉄と砥石の粉塵にまみれて金属彫刻を造り続けている田舎彫刻家などとは住む世界が違っているようで、どうもそういう尖端の美術家とは接点がない。
今更、自分の彫刻を路線変更する気もないし、また、それを試みようとしても、思考回路が錆固まって脳みそのネジ山がねじ切れてしまって身動き出来なくなってしまいそうだ。

ちょうど、今年の大きな彫刻を造っている途中の頃だったから、ある意味でその学生さんの会話が刺激になった。こういう機会でもないと、世代の離れた同好からの情報など入ることもない。狭い世界で上下の繋がりに固執している諸氏は、世代が違うだけで考えたり思ったり見ている先が大なり小なり一緒だったりすることがほとんどだからたいした刺激にもならない。私もそんな感じでそろそろ半世紀近く古いタイプの美術界で制作を続けているが、その学生さんと話してからあと、工場に閉じこもって制作を続けた1.5日は、鉄板と向き合いながら久々に色々なことを考えた。

素材ー技術ー造形感ー彫刻表現・・・それらの要素が過不足なく溶け合って具体的なカタチになる。素材を知らないとそれに必要な技術が定まらないし、技術が身につかないと自分の造りたいものの質が下がって説得力が弱くなる。そういう彫刻はどこかしら存在感も希薄なって表現の核も萎縮する。まずは「表現ありき」なのか、それとも「技術ありき」なのか、実際、そのあたりの割合を工夫しながら制作している状況をクールに見渡すことが出来た気がする。
手間の労力を惜しまないで、時間の許す限界を意識しながらコツコツと次のひと手間に向けて今の作業を続ける。頭のなかでは「これでいいのか?」という疑問と「これしかない」という断定と「これでいいのだ」という肯定が常に繰り返されながら制作が続き、カタチが少しずつ組み上がっていく。妥協をギリギリまで踏みとどまって、しかし、どこかしら適当な妥協もあったりして、世間にはから元気で踏ん張りつつ自分の弱体を嘆く・・・
まぁ、そういうドタバタ彫刻があるから吉田が迷わず吉田でいられるのかもしれない。
センスや観念で消えてしまうような彫刻は生涯造れないだろうなぁ・・・

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秋の彫刻島根搬入終了 

2016/09/27
Tue. 23:12

今年も六本木の展覧会が迫って、吉田家の2人の彫刻家はこの2日間彫刻のラストスパートでヨレヨレ状態だった。
昨日は工場を出たのが夜の10時を過ぎた。
本日はトラックの積込みを終わって帰宅すると、すでにあたりは真っ暗だった。
肉体もかなり老化して体力が落ちた。
スーパーの半額品を買い漁った夕食を済ませると一気に眠気がやってきて気づかない間にバタンキュ~で寝てしまっている。
ずいぶんいっぱい寝たなと思って目を覚ますと、まだ日が変わっていない。どこかしら神経が敏感になっているようだ。

それにしてもこの2日間はやたらと暑かった。まるで夏が戻ってきたようだ。
制作の合間に日本海へ出て今年の彫刻の一部になる海の波に洗われた小石を拾った。その場所は地元の人ぐらいしか出入りをしないところで、夏のシーズンもほとんど誰も寄り付かない。それでも、漂着物は定期的に掃除されて見苦しいほど汚れることもない。もう少しなんとかすれば家族連れもそれなりに楽しめるだろうにと思うが、すぐ近くに行政や自治体指定の砂浜の海水浴場が整備されているからそちらで全てがまかなえているのだろう。
もう何年も前のことだが、ある年に海岸の玉石が一気に消滅したことがあった。
それまではなんの苦もなく見栄えの良い手頃な石を拾い集めることが出来ていたのに、その時は海岸一帯が変哲も無い普通の砂浜に変わっていた。地球の活動の不思議を体感した気がした。
そういうこともあるから、最近は暇を見つけては買い物袋をぶら下げてその海岸へ出かけることにしている。何ヶ月もかけて地道に通い続けると彫刻に必要なソコソコの量が集まる。彫刻の展示に石を使い始めて随分経った。私の彫刻は構想350日で残りを制作時間に使っているが、この石拾いも結構時間を使っていることになる。

周藤さんが昨年の力作で見事会員に推挙されたから、今年は彼の会員1年目の記念すべき制作になった。彼はすでに大学を卒業して社会人でスタートした頃、まだ吉田家が今の家へ引っ越す前の工場へ来てアーク溶接を覚えながら彫刻を造りはじめた。電源の容量もあるから、さり気なく彼の仕事の工程をチェックして自分の彫刻を造ったりしていた。
その頃のワイフはまだ子育ての真っ最中だったから、子供が寝てからコツコツと木を彫ったりしていた。
搬入や搬出も自分で2tのアルミを借りて東京まで2往復していた。当時からの仲間は、全員揃って毎年1歳ずつ歳をとっている。アタリマエのことだが今までよく続いていると思う。
数年前から子育てが一段落したノリちゃんが彫刻の仲間に加わってくれた。学生の頃は陶芸の勉強をしていて、島根へ帰ってからもしばらくは自宅に設置した電気窯で作陶していたが、何時の頃からか彫刻らしきものを造るようになって今に至っている。彼女は高校生の頃から知っていて、器用になんでも出来る子だった。中でも面白いデザインや絵画のセンスがあって、てっきりそちら方面へ流れるのかと思っていたら、なんと今では彫刻家になりつつある。私に憧れてのことか、ワイフに刺激されたのかさてどうなのだろう。

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鉄板の悩み 

2016/09/24
Sat. 07:09

ひと頃は、だいたい最低でも2〜3年は普通に寝かせておいた鉄板を使って彫刻を造っていたが、それが数年前から1年くらいしか寝かすことが出来なくなって、それを騙し騙し小出しにして使っていた。
最近はそれもなくなってストックの錆びた鉄板で大きな彫刻を造ることが出来なくなった。
それは何故かと言うと・・・鉄板を買い溜めるお金が無くなってしまったからなのです。
まぁ、当然といえば当たり前のことで、収入に繋がるような仕事らしい仕事をしないまま展覧会のことでドタバタしたり、万善寺のことで延々と草刈りしたりなど、そんなことばかりを一年中繰り返しつつ、合間を見て彫刻を造っている始末だからしょうがない。
夢とか理想とかを思えば不甲斐ないことだが、それでも細々と制作を続けているし、秋になれば最低でも1点くらいは大きな彫刻を造ったりして自分の体力の限界へ挑戦している。

今年も「なんとかしなければ!」と思っているうちに春が過ぎ梅雨になり気がつけば暑い夏が来て今はシュラフが必要なほど朝夕が寒くなった。
こういう不本意な状態を何とか解消しようと、意を決して4✕8の鉄板などをいっぱい買った。
そのうちいくつかは今年も開催する展覧会事業に使うためのものだが、ほとんどは彫刻の材料になる予定だ。
このくらい鉄板を一気に集めておけば、また数年の間にきれいに錆びた鉄板を使える時が来るはずだと予測していたが、結局今になってみれば徳島に造った彫刻ですでに鉄板3枚を使い切ってしまって、六本木用の鉄板へ手を出さないように自粛するのがやっとだった。
頭に描いたラフスケッチを、工場の壁に立てかけてある鉄板へチョークで移しながら溶断していると、たった1日でストックされるはずの鉄板が見事に切り刻まれてしまった。
気がつけば、どの端材も帯に短し襷に長しでまるまるそのままでは使えないものばかりが残っていた。自宅の書斎でデスクトップに拡大した鉄板の写真を見ながら悩み考えていると、「お父さんナニそんなに難しい顔してるの?」
集中会議から帰宅したなっちゃんがオヤジの悩みを無視して脳みそのカオスワールドをこれでもかとかき混ぜて去っていった。一度集中の糸が切れるとなかなか立ち直れなくなってしまって、思わずそのまま麦とホップに流れてしまった。
それがつい先日の連休が終わった頃。
それから昨夜まで工場へ通って溶断した鉄板を組み立てている。
今までに無いほどツギハギでケチリまくった彫刻になりそうだ。
それに、当初の予定より随分と小ぶりになった。
鉄板のストックが無いのだから仕方ないけど、この歳まで彫刻を造り続けてこの始末だから、やはりこの世界には何処かで魔物が待機しているようなところもある。

彫刻は大きいだけが良いわけでもないけど、やはり自分の中では身体に染み付いた「お決まりのスケール感」のようなものがあって、それが狂ってくるとどうも気持ちのゆらぎが彫刻のカタチに見苦しく伝わってしまう。
こういう時はしばらく工場から離れてみることも大事だと自分をなぐさめつつ、本日は万善寺のお地蔵さんの法要で汗を流させていただきます・・・

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次の彫刻 

2016/09/20
Tue. 21:27

ひと月後れの地蔵盆の法要が24日にあるから、その案内を配って歩いた。
台風の雲が島根県上空にもかかって、広島県との県境に近い飯南高原は結構激しい雨が降り続いた。

夜の法要なのでお参りは近所の皆さんだけになるが、最近の高齢化のせいで私の代になってから半減した。
おかみさんが一気に老け込んで気弱になってきたから、お参りのみなさんの顔を見るのも今年が最後になるかもしれない。そういう気もして、久しぶりに法要が終わってからのお茶会を庫裡で準備しようと思っていたのだが、夏が過ぎて庫裡の建具を〆切りにすることが増えたせいか、老人特有の加齢臭が室内に停滞して空気が悪い。若い頃の昔から身に染み付いた行動形態はある日突然変えられるわけもないことだから、仕方なしに見て見ぬふりをしながら庫裏から本堂までの私の行動ルートだけは出来るだけアチコチの建具を開け放していると、いつの間にかそこもきっちりしまっていたりする。
この1年の間に、母親のピック病所見が少しずつ増えている。
高齢でもあるから今更丁寧に検査をして病名をはっきりさせることも本人の体力消耗になったりしてあまり良いことでもないだろうと勝手に判断して、ドクターとは暗黙の了解を交わしているようなところもある。
本人は頑固に頭は正常だと言い張っているから、なかなか息子の言うことを聞いてくれないし、自分のやりたいように行動しようとするから、介護のしようがなくて苦労する。いずれ近いうちに石見銀山の方へ連れてきてそちらで面倒を見ることにするのが、今のところ一番良い手段なのだろう。

徳島に彫刻を設置してあるから台風の進路が何時にも増して気になった。
責任者の松永さんへ電話してみると状況がハッキリわかるのだろうが、それでどうこうなるわけでもないし、かえって迷惑になることも考えられるから、移動中にiPhoneのウエブチェックを繰り返しながら過ごした。
石見銀山の自宅へ帰って濡れた服を着替えたりしていたら電話が鳴った。松永さんからだった。風雨が収まってから彫刻の様子を見てくれたそうだ。全く問題ないということだった。流石だ。心配が行き届いている。
主催者が彫刻の作家であるから、こういうときの遺漏がない。やはりその道のプロだから出来る気配りだと感心して恐縮した。

明日から気持ちを入れ替えて次の彫刻制作に入る。
今回は、母親の具合のこともあってどうも気持ちが定まらないまま時間が過ぎていった。
これから一気に3日間くらいかけて大まかな形にしようと思う。
自分は彫刻のことだけで毎日暮らすことが出来ないところがある。だから、彫刻のテーマとかタイプを幾つか別々に用意している。そうしておくと、前に造った彫刻を比較的楽に切り離して新鮮な気持ちで次の彫刻に向かえる。
今年のように自分の暮らしのいろいろな場面で躓くようなことが増えると、こういうスタイルで制作できていられることで随分助かっている。

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徳島野外彫刻展搬入 

2016/09/19
Mon. 23:23

朝4時に石見銀山の自宅を出発して、徳島中央公園へ向かった。
10月2日から始まる徳島野外彫刻展へ彫刻を展示させてもらうことになったからである。
昨年の今頃は私が一人で搬入したが、今年はワイフと二人で搬入することになった。
つまり、島根からの出品者が2人に増えたわけだ。

以前から、ワイフの彫刻はどちらかと言うと野外にあったほうが良いと思っていて、毎年のように彫刻制作の時期になると彼女の耳元で呪文のようにそう言い続けていた。
過去に、何回か野外展示をしたことがある。
ある時は、東京の六本木。
ある時は、兵庫県の小さな山間の町。
ある時は、石見銀山の定期バス回転場近くの田んぼ。
私なりに、それはそれで面白い展示になっていると思ったのだが、島根県を代表する女流彫刻家のワイフとしては、今ひとつどこかしら納得がいかないまま悶々としていたらしい。

ワイフは若干23歳の頃から彫刻を造り続けていて、制作は今に至るまで1年も休んだことがない。だからもうそろそろ、作家年齢40歳にはなろうとしている。
つまり、毎年最低1点の大作を制作し続けるとして、少なくても40点の彫刻を制作してきたことになる。
その他にも、だいたい定期的に個展をしたり、グループ展へ出品したり、10年近く前からは例の島根県各地で展覧会をはじめた現代彫刻小品展へも数点の小品彫刻を出品したりしているから、大小合わせるとかるく100点以上の彫刻を造っていることになる。
そういうベテランの彫刻家が、野外展示の彫刻になると、まだほんのヒトケタくらいしか制作展示したことがないということはとても残念なことだと私は思っている。
それでまぁ、呪文というか念仏というか、日々の暮らしのそこここで野外展示の誘いをし続けている。

私は、常々一人の100回の声かけより、100人の1回の声かけが重たい一言になる・・・と思っていて、機会ある度に色々な場面でそう言い続けている。
ワイフには、なかなかそういう機会を作れないまま、オヤジの「面倒臭い同じ話」にしかなっていなかったのだが、昨年になって、戦略を少し変えて彫刻制作で親しくさせてもらっている友人の彫刻家へお願いして、彼の口からも野外展示のことをささやいてもらうようにして、同時にその制作方法とか素材の工夫とか、そのような情報を提供してもらったりした。その上、気の利く彼が高価な制作材料をプレゼントしてくれたりしたものだから、もうそうなると、ワイフもなんとかしないといけないことになってしまって、このたび目出度く本気で野外展示を考えて実行してくれたわけだ。

ひとまずは、徳島野外彫刻展でその成果を実践してみようということになって、吉田家2人揃って搬入となった。台風の影響もあって風雨が心配だったが、徳島彫刻界の大御所である松永勉氏のご尽力によって、どうにか公園の指定場所へ設置することが出来た。
これから約1ヶ月の間ワイフの彫刻が野外展示に絶えられるか・・検証がはじまった。

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2017-06