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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ラップのおかげ 

2019/01/30
Wed. 23:42

小品彫刻展の会場で使わせてもらっていたショップが2日間休業日になるので、その間に彫刻の梱包を終わらせてしまうことにした。
例年だとそろそろ節分寒波がやって来る頃なので、天候の悪化が気になったが今年の暖冬は異常の部類に入っているから、いまのところ搬出作業に大きな支障は無さそうだ。
それでもやはり、小品の彫刻展とはいえ冬のこの時期に山陰地方でほぼ全国規模といっていい彫刻の展覧会を企画することはそれなりのリスクを避けられないところもある。
幸い、ショップ関係者の手伝いが期待できるので人手の確保は保証されるが、彫刻家から預かっている大事な作品を壊す訳にいかないから、小心者のチキンオヤジは胃がキリキリ痛む。

梱包の基本は搬入で彫刻が送られてきた状態を復元することだと思っている。
展覧会出品に協力を頂いている彫刻家の殆どは作家歴の長いプロフェッショナルであるから、やはり梱包の一つ一つが手慣れていて無駄がない。まがりなりに自分も彫刻家の端くれだから、梱包の状況で作家の力量が見える気もして、とても勉強になる。
もうずいぶん前のことになるが、有限会社の瓦工場で11tのトラックへパレットに積み上げた瓦の束を積み込む作業を目撃したことがある。その瓦の束は巨大なサランラップのような梱包材でパレットごとキリキリと巻きしめられてパレットサイズの立方体になっていた。知り合いの総務部さんへお願いして梱包の現場を見せてもらうと、パレットに乗せられた瓦の束がベルトコンベアーからそのまま巨大な回転台の上に移動してきて、その後高さが1mくらいのラップの円柱が軽く上下に動きながらくるくる回る回転台の瓦へ巻き付いていた。あの頃はまだエアサスペンションのトラックが珍しかったから、現場へ瓦が到着するまでに板バネでポンポン跳ねて割れてしまうことも頻繁だったそうだ。そういう、欠損のロスも含めてトラックへは受注枚数より多めに積み込んでおくのだと言っていた。
「瓦ラップのような便利な梱包材があると良いなぁ~」となんとなくあの時のことを忘れられないままでいたら、ある日、吉田家の土間でワイフがラップを使って古新聞を縛っている。
「ソレ何処にあるの?」と聞くと「100円ショップ!」と、普通に即答された。さて、かれこれ5年位は前のことだっただろうか・・・
もう10年以上も前から「あんなラップがあるといいなぁ~」と悶々としながら梱包を続けていたのに、その現物が100円ショップで手に入るという・・・
それからしばらくして、その気になって近所のホームセンターを巡ってみたら、梱包材コーナーのエアキャップの円柱の隣へ梱包用ラップがビッシリ並んでいた。

梱包用ラップだけのことでもなく、一般家庭の日常の暮らしがどんどん便利になってくる。彫刻の運送運搬も公募展へ出品をはじめた頃からすると、ずいぶん楽になった。
造形の工夫も、少し前までは安全な作品移動のことも含めて分解や組み立ての工法も当然のように造形の一部として組み込まれていて、そういう工夫はそのまま制作時間に上乗せされていたのだが、今はラップだけでもない接着剤や塗料など造形の展開で無理が効くようになった。
それでもボクの場合は、結局、便利に頼り切った彫刻はそれなりのモノにしかならないけどね・・・

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石見銀山彫刻小品展終了! 

2019/01/29
Tue. 23:55

約2ヶ月間続いた小品彫刻展が終了する。
2〜3日前から撤収搬出の準備をしながら過ごして、最終日会期終了後、それらを会場へ搬入した。
梱包材の補充や、ドライバドリルの充電や、発送伝票の記入など、それなりに細々としたことがあって、1日過ぎるのが早い。
今年は、幸い雪がないから準備が楽で助かった。

島根県は特に雪国というわけでもないが、普通に雪も積もるし冬型の気圧配置が避けられない地域だから、そういうところで冬のシーズンに展覧会を開催するということはそれなりのリスクを伴う。そういうこともあって今まで小品彫刻展を冬に開催することを避けて過ぎていたが、この度は石見銀山の衣料雑貨店が全面的にバックアップをしてくれるということでもあるし、開催するしないは、自分一人で決めてしまえば済むことなので一度は展覧会を「試してみてもいいかな?」と気持ちが動いた。
全国の作家から約半年間預かっている彫刻の管理が遺漏なくできていれば、あとは実動の殆どを自己責任で済ませることだけに集中する。
ショップ2階の一角を改修して造られた彫刻展示スペースはそれほど広くはないが、それでも照明や空調の施設は整備できているし、過去10年間の開催場所を振り返ると、いちばん画廊ギャラリーとして常識的に機能しているといっていい。
昨年11月に会場の設営をした時にも感じたことだが、展示した彫刻にどこかしら「品」のような雰囲気が醸し出されて心地よい空間になった。
期間中は、出品作家をはじめ、展覧会の関係者や友人知人の来場の他に、ショップや喫茶のお客様も含めたくさんの方に彫刻を見ていただくことが出来た。
石見銀山の地域全体が冬のこの時期には入り込みの観光客が激減する。単純に集客のことだけを考えるとリスクの大きいシーズンであるわけだが、工夫すると、それでも彫刻の展覧会が行われるという情報が流れることで彫刻目当ての入り込みが若干は稼げるということでもあるわけで、何もしないで会場を「遊ばせておくよりはマシ!」というふうに考えることもできる。
過去には、4〜5年の周期でこの時期に同じ会場で「吉田正純鉄の彫刻展」を開催してきたが、やはり、吉田が自分の個展だけでは集客に限界があると感じていた。ショップの関係者を頼ってたくさんの協力をいただきながら出来上がっている個展であるから、求心力の欠けた作家の力量の無さをどこかしら申し訳なく感じていた。
ちょうど個展開催の周期がまた巡ってきたし、これからあと何回自分の彫刻展ができるか先が読めない年齢にもなったし、吉田とその周辺の色々な事情の中で小品彫刻展の企画を個展へ合体させてみても良いかも知れないと思いついてショップの代表へ提案をした。
初の試みだったので、成果の反応はこれから少しずつ収集するしか無いことだが、自分としては、今回の小品彫刻展開催が出品協力を頂いた作家諸氏にとってプラスであれマイナスであれゼロでなかったことだけは確かなことだと考えている。
次回があるとすれば、会場スペースの限界もあるし、展示される彫刻の点数に工夫が必要であるような気もする。これから、機会を作ってオーナーの考えを聞き取りながら企画の精選を前向きに考えてみよう・・・
天候次第だが、1月中には作品撤収や梱包発送会場復元などを済ませようと思っている。

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チーン! 

2019/01/28
Mon. 23:43

門前の小僧習わぬ経を読む・・・

保賀の谷のあるお檀家さんでは、ここ数年の間におばあちゃんが亡くなり闘病中の奥さんが亡くなり、それからしばらくしておじいちゃんが亡くなり、昨年はお父さんが亡くなって、今はお孫さんご夫婦が3人のお子さんとお墓やお仏壇を御守りされながら暮らしていらっしゃる。
一般の常識で考えると「ご不幸が続いてさぞかし大変なことだろう・・・」と思われがちだろうが、長く坊主をやっているとそういうお宅はそれほど珍しいわけでもなく、その時々の巡り合わせでたまたま偶然にそれぞれの寿命が近いところで重なったということで、ご親族としてはそういう現状を納得して比較的冷静に受け止めていらっしゃることが多かったりする。
3人のお子さんはまだ小学生に通うほどの年齢だが、成長にあわせるように葬儀や法事が続いて、そのたびに何度となくお邪魔して同じお経を繰り返し読んでいるうちに、いつのまにか3人それぞれに2つ3つのお経を聞き取りで覚えてしまった。
この頃では、私がお邪魔するのを見計らって、鐘の合図や木魚のテンポにあわせて私と一緒に大きな声でお経を読んでもらっている。

万善寺の宗派は基本的に世襲ではないから、親子の関係がそのまま師弟関係である必要もないのだが、昭和の頃は長男が家の跡取りになることは当然の風習として認識されていたから、私の場合もその路線にピッタリとはめられたまま少年時代を過ごした。
それで、門前どころか身内家内の小僧としては毎朝毎晩同じお経をリピートすることが当たり前で、パブロフの犬の如く「チーン!」と鐘の音が聞こえただけで、その時何をしていても普通にお経モードにスイッチが切り替わっていた。
だいたい10歳前後で得度式をすることが多いのも、まだ子供が反抗期を迎えて親の言うことを聞かなくなる前にサッサと弟子にしておいたほうが都合良いという親の一方的判断によるものがほとんどだ。私の場合も、気が付かない間にマンマと親の常套手段に乗っていたわけで、結果、現在のナンチャッテ坊主に至ったという次第。

自分が望んで自らの信念で仏教へ向学心を持ったわけでもないから、ひとりの宗教家としては何から何まで適当で場当たり的な無学な坊主になってしまって坊主的プライドなど微塵もない。それでもやはり生まれ育った環境もあって、自分の成長の節目節目でそれなりの影響を受けていることも多々ある。
私の場合、日本的アニミズム思考は彫刻制作における造形の原点であり抽象的発想のよりどころとなっている。
自分の造形観は、有機無機問わず森羅万象万物に宿る気質気息の曖昧さに強くひかれる。
そもそもの仏陀に起因する仏教には偶像崇拝の要素がなかった。私はそのことにとても強く興味を惹かれるし、魅力を感じる。実態の説明や解説を期待しないことが素敵だと思いつつ、一方で何かしら具体的実態を求めているようなところもある。自分の彫刻は常にそういう矛盾を内在している。「チーン!」でお経モードにスイッチの入る不可思議さとどこかしら共通する気がしないでもない・・・

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百千万劫難遭遇 

2019/01/17
Thu. 23:34

見事に雪が降らない。
雪を当てにしてわざわざ冬シーズンの個展を決めたのに、完全に予測が外れてしまった。

彫刻制作はライフワークのようなものだから、何をするにもだいたい四六時中なにかしら彫刻のことを考えたり思ったりしている。1年を均すと自分の頭の中に全く彫刻のことを思わない日はほとんどない。
今の個展で造った彫刻も、そうやって何年も前からコツコツと考え続け、造形のシミュレーションが少しずつ次々変化を繰り返した結果のかたちになっている。
前回の個展から数年経って、見た目のかたちは前回と全く関連性のないように見えるかも知れないが、自分の中では切れ目なく連動してブレのないテーマのコンセプトを維持出来ていて、今の彫刻は確実にその延長線上に位置している。
いずれにしても、自分の造形観は俗にいうところの抽象彫刻に分類され、そういうタイプのかたちを造り続けているから、一般の価値観とか概念では「よくわからん!」とか「理解できない!」領域に属しているはずだ。

面倒臭いことを云うと、自分の彫刻は基本的に「造形による表現」であるから、彫刻の説明を文字や言葉など別の表現手段に頼ることは無意味に思っている。
それでも、一個人の表現者として限りなく意固地に自分だけの世界へ閉じこもってばかりいるということも大人げない気もするから、なにかの機会に自分の造形とか表現の根拠を問い掛けられたりすると、相手の認識領域を探りながら出来るだけその路線に沿ったふうに言葉や文字など造形以外の表現手段を工夫しながら自分の造形コンセプトを伝えようと努力はしているつもりだ・・・とかいっても、現実は毎日の日常でそういうコトを気遣ったり具体的に伝えたりするような機会は皆無に近い。
わざわざ吉田の彫刻個展を目指して見に来てくれるみなさんにとっては、実に不親切な彫刻展であると自覚は出来ているつもりだから、何か意味不明のこと(・・ばかりだろうけど)は遠慮しないで問い合せていただいて一向にかまわない。
自分的(自分の主観)に云うと、「抽象」の概念は「個々の具象の集積と精査の延長にあるもの」としてとらえている。だから、抽象の造形は表現者一人ひとりの興味関心や価値観の認識の相違分だけ存在するということになる。
一つ一つの具象要因や具象素材を収集追求し、その先にある関連した要因を抽出し、系統建て分類し、そういうコトの取捨選択を繰り返した先にもうソレ以上精査できない最終の要素がボンヤリと浮かび上がる。
自分の造形表現はそういうことの繰り返しの行為の証明として存在するにすぎない。願わくばその造形に少しでも美的要素が内在できれば有り難い。

宗門のお経にある「開経偈」の一節に、「百千万劫難遭遇」とある。「百千万劫」は、数の単位と略していいだろう。ボク的にザックリいうと永遠に続く「無限大の時間軸」のようなことである。「難遭遇」は、遭遇は難しいことだ!ということで、まぁ、仏様の法はそれほど奥深くて有り難いものなのだ!!となる。
自分の造形は、ボンヤリとした自分の宗教的形而上抽象をジタバタとかたちに置き換えているだけだ。抽象も仏様の法の如く奥深いものだと今更ながら痛感している次第です・・

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テーマの本質 

2019/01/05
Sat. 17:49

正月の年始会が終わって、おおよそ後片付けの目処が付いたところでワイフとじゅん君は石見銀山の吉田家へ帰っていった。
今年はじゅん君が参道の道開けをしてくれたおかげで、万善寺の駐車場まで車を上げることが出来てとても助かった。
年始会の余り物やおせちを寺用と吉田家用に小分けしてくれたから、当分の間はそれでオヤジのひとり飯がまかなえる。

まだ、後片付けが終わらないでいる時に石見銀山で親しくしている友人が新年のお寺参りに来てくれた。
大雪でなければだいたい正月三ヶ日のいずれかに万善寺を訪ねてくれる。
たまたままだ改良衣のままだったから、般若心経などのお経で彼の家内安全や商売繁盛の祈念をした。
彼が夫婦で築き上げた今の商売が昨年で30周年を迎えた。
石見銀山の古民家を買い取ってお店に改装した直後に私がその店内外全体を使って個展をさせてもらったことが縁の始まりで、その後家族ぐるみで親しく付き合うようになった。
昨年からの個展は、その店の30周年記念事業の一環にもなっている。

近年は4〜5年を目処に継続している「吉田正純鉄の彫刻展」も今後何回まで続けられるかそろそろ先が見えてきた。
この個展のテーマの本質は30年前から一貫して変えていない。
自分としてはこのテーマの本質をできる限り抽象性の高いところでキープしておくことを心がけている。抽象性の高さレベルがその時時の個展テーマに昇華還元された核になって、それぞれ個展ごとに統一された彫刻の形態に具現化する仕組みを用意している。
自分の思考の根本は、物心ついた頃から普通に形而上の宗教的な概念世界に浮遊しているようなところがあって、造形表現はその一般的に掴みどころのない形而上的思考を形而下の実在世界へ具体的に落とし込むことの手段の一つと考えている。
形而上的抽象性は、幅広く点在する個々の具象を包括してよりシンプルで普遍的な造形へ方向付ける指標として、自分の造形感の重要な要素になっている。
いずれにしてもこういう面倒臭いことは自分だけが気にして思いつめていればいいだけのことで、個展の一つ一つの彫刻はそれなりの関連があって制作して出来上がっているという、まぁ、それだけのことだ。脳みそと身体が動いている限りは、そういうテーマの本質を退化させること無く追求し続けたいと願っているしだいです。

「全然気づかなかったんだけど、ネコチャンズが脱走してたのよ!」
何時もはワイフの方から電話してくることが殆ど無いのに、珍しく向こうから電話がかかってきた。
最初に気づいたのはシロが勝手口の外で鳴いていたからだという。それからクロもいないことに気づいて探したが見つからないまま時が過ぎて心配していたら、しばらく経って裏口の方で中へ入れろと鳴いたそうだ。彼らは2019年早々から初散歩を楽しんだようだ。
ネコチャンズにもあいたいし、一度寺暮らしを切り上げて石見銀山へ帰ろうかなぁ・・・

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田んぼ彫刻 

2018/12/09
Sun. 04:36

「今年は観音様の供養がまだなんだけど、法事の時に一緒というのはダメ??」
少し前に獣医の同級生が電話をしてきた。
最近は・・というより、住職が私の代になってからそういうことは他でもよくあることだから「ソレでも良いよ」と返事をしておいたら、日を改めて「9日でどぉ〜〜?」と電話が入って「あぁ〜〜良いよ!」と答えておいたのだが、それからしばらくしてまた電話が入って1週間ずらしてくれということになって9日がフッと空いた。
彼も私と同じ年だから、すでに公務員の獣医は退職をしているのだが、現職に人員が足らなくて、宿直とか休日勤務の補助要員で駆り出されることがあって、なかなか農業1本に絞れないまま忙しい毎日を送っている。

萬善寺への通勤坊主をしなくて良いことになったから、彫刻家に気持ちを切り替えた。
11月の29日に個展がスタートして10日が過ぎた。
個展といっても、自分の場合は石見銀山の谷の吉田家の近所にある稲刈りが終わって来年春まで使うことのない田んぼの適当な場所へ野外彫刻を置くだけのことだから、入場するもしないも24時間オールフリーの展覧会になっている。
石見銀山の町並みに本店のある衣料雑貨の店が吉田の個展を主催してくれていて、その店からのダイレクトメールに第1段の展覧会案内が同封された。
作家としては、作家個人からのダイレクトメールを発送するタイミングを測りかねていて少し悩んだが、一応は展覧会の主催が他にあることなので、作家からの展覧会開催案内は少し遅れて発送することにした。
こういうタイプの展覧会は、以前にもしたことがあって、その時は、約3ヶ月の展示期間中に3回の作品入れ替えをした。
その都度案内状を発送してみたのだが、島根県の冬は雪も降るし表日本からの移動が難しかったりするから、労多くして効無し的展覧会になってしまった。
その反省も含めて、今回は3ヶ月の長期展示を同一テーマで引っ張り続けることにした。それで定期的に彫刻を移動したり加えたり減らしたりしながら展示の変化とか効果を記録していこうと決めた。

今は、この10日の間に少しずつ彫刻を増やしている段階だ。
前回の展覧会の経験で、遠方からの来場がそれほど期待できないとわかっているから、ターゲットを石見銀山に生活する様々な人々の目に絞った。
そうすることで、主催会社の従業員やそのお店のお客さんや、大森小学校へ通う子供たち、保育園に通う親子連れ、住民のおじいちゃんおばあちゃん、町内の各種事業関係者、路線バスの乗客やドライバーなど、身近な人々が彫刻の変化に気づいてくれること。それに若干プラスして田んぼの彫刻が観光流入の人々の目に入るくらいで良いふうな予測をした。
寺のことがなければ、ほぼ毎日工場へ通う日々が普通になって身体の疲労は貯まるが気持ちの方は良い意味で充実している。彫刻のカタチも、制作時間が充足されたおかげで軽々しい表現の変化を抑えることが出来てきた。
個展はこれが最後になるかも知れない。踏ん張ってカタチを掘り下げていこうと思う。

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連作彫刻 

2018/12/06
Thu. 04:28

しばらく彫刻から遠ざかっていたことは、かなりのストレスになっていたようだ。
11月の富山町のことが一段落してから、ほぼ毎日のように工場へ通っている。
その間に、身体が忘れていた彫刻の感のようなものを少しずつ取り戻して、気持ちの向く方向へ自然と身体が動くようになって、制作作業のムダが整理されてきた。

それでわかってきたことは、自分の肉体の老化。
つま先に鉄板の入った安全長靴の重さが、気づかないくらいのところで負担になっているようで、床のアチコチへ乱雑に散らばった仕事の痕跡によくつまづくようになった。
はじめの頃は、大きな怪我になる寸前の危険な状態になって肝を冷やしたことが1日になんどもあった。そういうことが連続すると云うことはやはり自分が老域に入ったのだろうと自覚することでもある。一度「そうに違いない!」と現在の状況を認めて受け入れると、それから先、無理をしないような動きを工夫するようになって、今はそれが普通になってきて、4✕8の鉄板を制作台へ乗せるのも、いろいろと工夫して前と変わらないくらいに出来るようになった。

1m以下の小振りの箱彫刻を10個連作しているが、それをすべて溶接し終わるのに2日かかった。
夕方になると集中力が切れて溶接の精度も落ちて1日の作業の限界を感じる。今までは、小休止して気持ちを切り替えて作業を再開していたが、そういう無理をすることが翌日に影響すると余計に作業効率が落ちて完成の目処がつかなくなるから、身体の動きが鈍くなったと思ったら、そこで1日の仕事を打ち切ることにした。
いくら彫刻三昧の1日を過ごしていても他に用事がないわけでもないから、夕方からあとは工場から寺へ移動したり、貯まっていた業者さんへの支払いをしたりして用事の停滞を解消している。

今制作中の彫刻は、今回の個展のサブテーマである「彷蔵」の系列に位置しているものだ。
「彷蔵」は、自分の造語で「ほうぞう」と云う。
その言葉に隠されている自分なりの想いはあるが、それはそのうち語る機会もあるだろう。とにかく、今は10個の箱彫刻の次の工程を造形上の工夫に置き換えることを優先する段階だ。
野外彫刻の個展というものは、展示期間も含めて自分の中で空間の境界をある程度決めておかないと、何事もすべてが曖昧に始まって終わってしまうから、あらかじめ事前におおよそ展覧会のシナリオを造るようにしている。このことも、何かの機会で文字に置き換えておくくらいのことはしておく必要を感じてはいるが、まだ制作の最中だし、そういう段階で自分の彫刻を別の表現手段で語るということは避けておきたい。

今年は、例年になく12月に入ってまだ初雪が降らない。冬シーズン限定で開催している野外彫刻の個展としては、自分の思惑通りにいかないところもあって少々苦戦しているがそれも仕方がない。なにせ地球の環境が相手のことだから・・・

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周藤さんの彫刻 

2018/11/12
Mon. 23:39

周藤さんの彫刻が徳島から帰ってきた。
彼が軽トラックで搬出に行くと決まってから、吉田の彫刻も一緒に搬出してくれるというので甘えることにした。
富山町の周藤彫刻の定位置へ設置することになっていたので、事前に草刈りもしておいたし、あとは彼からの連絡を待って現地集合すればいい。
それまでは個展用の彫刻を制作しながら工場で過ごすことにした。

「今から工場へ行きますから」と彼から電話が入ったので「彫刻の設置手伝うよ」といったら、もう終わったという。ひょっとして、私の手伝いを遠慮したのかも知れない。
彫刻のことはおたがいさまで、持ちつ持たれつ協力し合いながら助かっているわけだから、遠慮することも無いだろうと思っている。そのうち自分も歳をとって手伝おうにも身体が思うように動かなくなるだろうし、そうなると、何かと周藤さんに手伝ってもらうことのほうが増える。できたらもう少し長い目で見て負担のない気楽な付き合いが続くと良いと、私は思っているのだけど・・・

彼は数年前から彫刻の方向性が安定してきたように感じる。
「彫刻の方向性」といっても掴みどころのない曖昧な言い回しだが、長い付き合いの中で彼の彫刻を吉田的に勝手に整理して見ているようなところがあって、そういう目で見たときの彫刻の成長の印象のようなものだ。
思うに、彼の彫刻表現のテーマは、いまのところまだひとつに定まらないまま揺れているようなところがあって、短期的な刺激がそのまま彫刻の造形へダイレクトに置き換えられている気がする。現代社会の象徴的な事象に刺激を受けたナニカを彫刻テーマの軸にした抽象彫刻として表現されている。
最近ではひと頃の現代美術に多く見られたメッセージ性の強い彫刻を見る機会が少なくなった。造形上の素材とか技法とか工法とか形態をある程度統一することも大事なことかも知れないが、そういうことに縛られすぎて彫刻のテーマやメッセージの広がりが無くなって制作が萎縮しないでほしい。今のような方向性の彫刻が、そのうち彼のオリジナルになって個性になっていくと良いと思う。
それでも野外彫刻としての耐候性のことがひとつ気になる。
野外彫刻は公共性も強くなるし、設置環境を配慮して安全でできるだけ長持ちすることが望ましい。制作上のミスが残ったままになってしまうと、ソレが元で彫刻の劣化が進む。天災人災、何が起きるかわからないから、あらかじめそういうことも予測しながら制作をすることが大事だ。これからも続く長い作家歴の中で、少なくても野外彫刻に関してはなによりも堅牢であることを目指して欲しい。

「通勤の行き帰りであの彫刻見てるんですよ。知らない間に前のが無くなってて・・・アレ何処へいったんですか?」
「アレはですね、今、岡山の方へ行って喫茶店の横に置いてありますよ」
「あぁ〜、そうなんですか・・・あの彫刻好きだったのに・・・」
富山町では少しずつ周藤彫刻のファンが増えている。

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坊主彫刻家的嗜好 

2018/11/11
Sun. 23:41

徳島の野外彫刻展へ出品していた彫刻が帰ってきた。
少し余裕を持って自分で搬出をして、その足で「愛媛に住んでいる友人を訪ねてもいいなぁ・・」と計画していたのだが、直前になってみると万善寺のことや富山町の野外彫刻のことや、11月末から始まる個展のことなどが重なって徳島行きの都合がどんどん窮屈になってどうしようか悩んでいたところへ・・・
「徳島の彫刻一緒に搬出しておきますよ!」
周藤さんがどうせ自分も搬出に行かなければいけないからと、吉田の代行を引き受けてくれた。
彼の軽トラへ二人分の彫刻が乗るのだろうか?少し心配になったが、駄目なら駄目でそのときは次の方法を考えれば良いだろうと、彼の好意へ甘えることにした。
それで、10日から11日にかけての2日間のスケジュールが少し楽になったものだから、日曜日は朝から工場へこもって彫刻の制作をすることにした。

今度の個展は野外彫刻を中心にして、3月末までの会期中は時々場所移動をしながら配置の変化を工夫してみようと思っている。
いつものように、石見銀山の吉田家周辺が個展会場になるから、借景と絡んだ彫刻の現状を自分の目で確認できて安心だし楽しみでもある。島根のような日本海側の冬のシーズンは、気候条件が目まぐるしく変化することも当たり前だし、そういうある意味予測不能の環境との対峙も期待したい。

六本木や徳島の彫刻は、個展用に制作したものの一部になっている。
いくつかの独立したパーツを造って、それを設置場所の条件を見ながら組み合わせようと考えていて、ベースは、六地蔵とか十王さんのような野仏とか庚申さまや道祖神道標のような感じをイメージしている。
島根県内を始めとして、もう何十年もの間西日本を中心に彫刻と一緒の旅を続けている。
最近は四国が多いが、他にも九州や兵庫県北部、近畿地方、少し遠くなって新潟や栃木あたりまで出かけてきた。行く先々でよく見かける石像はだいたいが宗教がらみの物が多いが、中には営農振興の記念碑とか、集落の境界碑もあちこちで見かける。
彫刻を造っているが坊主でもあるから、土地土地の石仏を見ると、なんとなくその辺り一帯の信仰の具合が見えるような気もして、ある意味一つの目標に向かったブレのない精神性が造形の存在感を強く示しているように感じる。一つ一つの造形物は小さいものだと一人で持ち上げられるくらいのものから大きいものでも1m前後だから、決してモニュメンタルで大仰なものでないところに親近感を感じる。だいたいが民衆主体の信仰から始まった造形が多いようで、時時の時代の状況を背景にした信仰の対象を具現化したものでもあるから、具象的であるよりはむしろ限りなくデフォルメされて記号化された抽象形に近づいているふうに感じる。
私が暮らす島根県の特に東部の方は、むき出しで野ざらしの信仰的造形物が少ない。そういうものの殆どは簡単な掘っ建てから本格的な寺社造りまで様々な形状の祠としてお祀りされているから、よけいに旅先で見かけるランダムな造形の連鎖に自分の気持がひかれているのかもしれない。

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フィールドアートワーク 

2018/11/01
Thu. 23:50

六本木の彫刻が島根へ帰ってきた。
事前に2tのユニックをレンタルしておいたので、朝から運搬しようと計画していたのだが、午前中に別の用事が入ってしまった。
あせってそちらを片付けても、結局彫刻移動の方は限りなくお昼近くなってしまった。

島根の彫刻搬入出は、出品者が共同搬入出するようになってから日の丸西濃さんへ一括依頼してチャーター便を手配してもらっている。
貧乏彫刻家の集団だから、西濃さんもそのあたりを承知してくれていて、毎回適当な下請けの運送業者さんを手配してくれる。最近は、浜田を拠点にした業者さんが少しずつ定着してきたが、その時時の都合で大田市の運送業者さんに変わることもあったりする。いずれにしても、この数十年は毎年同じ時期に同じ内容の依頼をしているから、トラックのドライバーさんも少しずつ顔見知りになって、色々と面倒なハプニングがあってもそれなりに難なく乗り切ってくれて助かっている。
それでも出品の彫刻家が年々減少していて、作家の個人負担が倍増している。吉田の場合は夫婦で彫刻を造っているから運送料の出費も当然2倍になってなかなか厳しい。そういう必要経費が無くなることは無いから最近ではセッセと500円貯金を続けてなんとか出費の負担を軽減させている。吉田家や萬善寺のいたるところにガラス瓶やアルミの空き缶などを貯金箱代わりに置いておくとその500円貯金もなかなかあなどれないところがあって、1年もすると結構貯まっていて二人分の彫刻出品諸経費がまかなえたりする。

搬出する彫刻は、そのまま富山町のフィールドアートワーク会場へ移動して野外彫刻の展示にする。その美術イベントも今年で4年目になって、富山町内の各所に設置した彫刻は10点を超えるまでになった。設置場所に借りている耕作放棄地などの草刈りが大変だったりするが、借用料を労働の汗で払っていると思えばそれほど苦にならないし、草刈りの様子が住民の目に触れるだけでも親近感を持ってもらえたりするし、そういう勤労奉仕も継続していればそのうち良いこともあるだろうと長い目で気楽に考えている。今年もひとまずはおおよそ自分で草刈りが出来た。

プラットフォームで遅れた彫刻積み込みをしていたら、「これからそちらへ向かうところです」とストウさんから電話が入った。自分一人で彫刻移動をするものだと思っていたからとても助かって感動した。
2tユニックの2往復目でストウさんが合流してそのまま富山町へ向かった。
昨年から徳島のタケダさんが制作している鉄の彫刻を預かって展示している。彼女の彫刻は純粋に抽象で、厚い鉄板をベースに、切る・折る・曲げる・溶接する工程を繰り返した構成彫刻になっている。どのように制作構想をねっているのか知らないが、とにかく、ああいうタイプの彫刻はマケットの段階でしっかりとバランスや強度を確認して、リアルサイズでの仕事に不安を残さないようにしておかないといけない。
彼女の彫刻を毎年見て思うことだが、造形の必然とは関係ない補強のパーツが数箇所に見えてしまっていて、それが造形力を弱めてしまっている。当面の課題であると思うし、それが解消されると一気に彫刻がレベルアップするはずだ。

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搬出の日 

2018/10/31
Wed. 23:46

搬出の日、少し時間の余裕を持って六本木の美術館へ行った。絵画も含めて、彫刻の会場をあらためてもう一巡しておこうと思ったからだ。
彫刻の搬入出は島根県から共同搬送していて、最近はストウさんが一人で搬入作業を引き受けてくれている。陳列展示は自分の彫刻のことで余裕がなくてじっくりと作品鑑賞が出来ないままだし、会期初日は知り合いの彫刻家もたくさんいるし、展覧会を見に来てくれる知人もいて1日がアッという間に過ぎて帰りの高速バスに飛び乗る。
結局搬出作業をする前の数時間しか落ち着いて会場を巡ることが出来ない。

前々からなんとなく気づいて思っていたことだが、この近年具象作品が増えて抽象が減った。
美術造形の世界では、そういう流行があるのかも知れない。
私が展覧会へ出品をはじめた頃は抽象彫刻がたくさんあったし、絵画も抽象の現代美術が集まった展示室が独立してあって楽しめた。
具象が嫌だとは思ってもいないが、やはり自分としては抽象が好きだ。
想像というかイメージというか構成とかバランスとか素材とか、とにかく作家それぞれの表現に気持ちが揺れる要素がたくさんあって見ていて飽きない。
自分はそういう嗜好が強いから彫刻を造っていても、具象的傾向へ偏っていくとどこかしら説明的要素がチラついて落ち着かないし、ひどい時は制作の途中で仕事に飽きてしまって気持ちが全く入らなくなっていたりする。
こうして何十年も似たような彫刻を造っているわけだから、自分で気づかない間に自分のスタイルが出来上がっているのかも知れないが、一方で、まだ自分にとっての未開の造形領域が山のように存在しているふうにも思えて、ナニカの端っこがチラリと見えたりすると、もう鳥肌モノで震え上がるような感動に包まれることがある。そういうことが繰り返されて、その感動のいくつかがジワジワと時間をかけて何かしらのカタチにかわっていくようになるプロセスが楽しい。

六本木の野外彫刻展示会場は、比較的抽象系の彫刻が多く集まる。それでも、最近は作家の定着が進んで風通しが悪くなってしまった。そう感じるのは自分だけのことかも知れないが、どこかしら展示の無風状態が感動の停滞につながって新鮮な活性が感じられなくなった。自分の彫刻を棚に上げて偉そうなことだと思ってしまうが、こればかりはどうも仕方がない。
今年は久しぶりの個展が控えていて、その準備がすでに始まっている。ちょうどうそういう時期だから余計に自分の造形感が敏感になっているのかも知れない。
このところ、半年ぶりくらいに工場通いが続いていて、自分の一日のスケジュールが彫刻の制作を中心に動くようになってきた。久しぶりのことだ。
さすがに年齢のこともあって昔のように無理が効かなくなってはいるが、一方で、過去の彫刻テーマを再考しながらそれをもっと掘り下げて見つめ直す良い機会でもあるし、目が覚めている時は、メシの時もトイレや風呂の時も、四六時中彫刻のことが頭から離れないで考えられている。
子供の自立や両親の他界を経て、どこかしら身軽になったからかもしれない。

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彫刻の先 

2018/10/20
Sat. 23:09

このところ、自分の周辺が今までにないほど目まぐるしく複雑に過ぎて、吉田家へ帰ったらドッと疲れて夕食を終わらせると宵の口からキーポンが使っていたベッドにバタリと倒れ込んですぐに寝てしまう。
「どうしてこういう状態になったのか?」・・・眠りの世界へ移動する前の少しだけ覚醒しているあいだにそのあたりのことを考えようとするのだが、どうもそれらしき要因が決まらないままいつの間にか寝落ちしている。

2月から3月にかけて小さな彫刻を一つ造ってから、工場へ通う機会を逸したまま約半年がアッという間に過ぎた。
彫刻の制作が無いわけではないのに、どうしてもそういうことにまとまった時間を造ることができなくて、暮らしの色々な場面で気持ちばかりがスベって、素材へ触れることのないまま頭の中では大小の彫刻が出来上がっては消えていく連続だった。

坊主家業の商売柄、日常のいろいろな場面で中道を心がけるようにしているが、彫刻のことや制作のことや、またそういう俗に云う文化事業的なことになると、全部が全部、何から何まで中道に片付けてしまうことができなくなって、どうしても自分の信念や我欲の方へ惹きつけられるように偏って、俄然勢いづいて頑固な主観を押し売りしてしまっていたりする。あとになって気がついて反省もするのだが、済んでしまったことは取り返しもできないので、自分の胸に仕舞い込んで、出来るだけ早く忘れるようにするしか無い。

自分の彫刻は、どちらかと云うと抽象の部類に入ると思っている。
約10年間の研究期間を過ぎた後、そろそろ自分の彫刻を制作するための目印としていくつかのテーマを用意した。
今までは、そのいくつかのテーマを少しずつダブらせながら感覚の新鮮なうちに彫刻のかたちへ置き換えることを続けてきた。自分の性格上、ひとつ事にじっくりと取り組んでそれをひたすら脇目も振らず継続するということができないタイプだから、彫刻の造形の工夫に飽きて面倒臭くなってしまったら、しばらくはそういう系統のテーマから遠ざかるようにしている。そうして、他のいくつかのテーマに気持ちを切り替えてそれに没頭すると、今度はそのことがまた楽しくなって当分の間は、また違った感じの彫刻を造ることができるし、またソコに新しい発見があったりして次の展開が楽しみになる・・・だいたいそんな感じでこの30年間は過ぎてきた。

今度、しばらくぶりに彫刻個展の話を頂いて、改めて過去の自分を系統立てて整理してみると、やはり彫刻の世界でも自分の立ち位置が「中道であることの重要性を意識していたのだなぁ・・・」と、再確認した気がする。
自分の彫刻に対する思考の根本はやはり形而上的方向性を観ているということ。思い返せば、最初の個展をスタートさせた時からそれがすでに決められていた気がする。それまでの研究期間は常に形而下での自分の立ち位置を確認し続けて造形の客観性を観続けていた。造形上の緊張関係を自分なりに説明できる手段のひとつが抽象表現であり、それは、あくまでもアニミズムの世界へ自分を引き込むための手段であったと云うことだ。

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六本木スタイル 

2018/10/16
Tue. 23:08

高速バスが1時間半遅れて新宿バスタへ着いた。
寝ていたからどうして遅れたのかよくわからないが、途中の事故と朝の通勤ラッシュに捕まったらしい。
荷物は、肩掛けバックと頭陀袋だけだが、彫刻の陳列に必要なものは少ない。
定刻に到着していたらキーポンの部屋へ寄っていらない物を置いて身軽になってから六本木へ向かおうと決めていたのだが、それをすると陳列作業に遅刻してしまいそうなので諦めた。
特に腹も減っていなかったが、時間調整も兼ねて近くのマクドナルドへ入った。
島根のマクドナルドはいつも閑散としているが、流石に新宿はお客も多くてほぼ満席だった。空いた席を見つけて、コーヒーを飲んで少し落ち着いてから久しぶりにラップトップを開いた。

9月に入ってから、外泊や寺泊を繰り返しながら、時々石見銀山に帰って寝るという、なんとも落ち着かない毎日が続いて、まさに今もその延長にあるから、以前に比べるとラップトップをつつく時間も半減した。
自宅に帰ればデスクトップもあるが、夜になって起動するのも面倒臭いし、結局何もしないでそのまま寝てしまう。
ひと頃のように、毎日毎晩パソコンをつつくようなことが珍しくなった。
今年にはいって急に忙しくなってきたというふうに思うこともないのだが、やはりどこかしら暮らしの慌ただしさがキーボードとの距離を遠ざけていることになるのだろう・・・
その気になってキーボードをつつき始めたら、コーヒーを一杯飲む間にA4の1ページくらいは普通に埋まる。
そのコーヒーも、このところコーヒーカップを使って落ち着いて飲むことが減った。自宅の時は、ワイフが入れてくれたモノを蓋付きのマグカップへ入れ替えて出かけるし、寺泊の時は朝目覚めると自分で豆を挽いて直接マグカップへ落として蓋をする。出先ではコンビニコーヒーを買ってそれをマグカップへ移し替える・・・ようするに、このところコーヒーを飲むというと、ほとんどが銀くんを運転しながらチビチビやっているということ。そういえば、コメダ珈琲もしばらく行っていない。

なんとなく、マクドナルドのコーヒーを飲みながら、こうしてプチプチやっているだけで、もうほとんどA4が1ページ分埋まりかけている。まぁ、時間調整の暇つぶしには丁度好加減だ・・・

六本木の陳列作業は、特に大きな障害もなく無事に終わった。展示の組み合わせはザックリと頭の中でシミュレーションしておいた。最近は展示位置が固定されているので、こういう時に助かる。美術館の野外展示室で、外壁との距離感や全体の色調などのバランスがおおよそ頭に入っているから、それを念頭に彫刻のスケールを決めている。野外だけでもだいたい20点前後の彫刻が集まるから、他の作家へ迷惑のかからない範囲で比較的自由に配置を構成させてもらっている。
今年も沢山お手伝いを頂いた。自分の彫刻はそうやって六本木スタイルが完成している。

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要害山を望む 

2018/10/14
Sun. 23:18

六本木の陳列展示が近づいているから、萬善寺の仏事を繰り上げて日程調整をしておいた。
その中で、七日法要が一つ残っていて、コレばかりはあまり大きく日程をずらすこともできないから、移動日の方を調整してギリギリのスケジュールを組み立てた。
それで、朝の9時にはもうお経を読み始めるようなことになって、施主家には迷惑をかけた・・・と思っていたら「お陰様で早くに来てもらって助かりました。今日は子供の試合がある日でして・・・」と逆に感謝されてしまった。

過疎化の進む飯南高原で、男二人女一人の子どもたちは、今どきの若い家族にとって貴重な子沢山になる。その長男さんが地域の少年野球チームに入っている。
隣の行政区では、9人の野球チームを確保することができなくて苦労しているし、結局最終的には個人競技中心のスポーツ少年団に切り替えたところもある。
親の考えも様々だから、ことの良し悪しは地域事情で決まるようなところもあって、若い世代の人口流出を食い止めるための行政対策がなかなか難しい。
最近では、第一子から無料保育無料給食を保証する行政区も出てきた。
吉田家の4人の子どもたちが育った頃はそういう行政からの保証などなかったから、親のボクは子どもたちの教育費を稼ぐことで必死だった。
「自分が楽に暮らすには子供をつくらなければいいだろう・・・」と、吉田家が子育てをはじめた頃はそういう気持ちも周囲には色濃く漂っていた。
今は子育ても終わって気楽な夫婦の二人暮らしが戻ってきたから、まだ若かったあの頃の子育ての苦労も良い思い出に変わっている。

寺のことでいろいろと積み残しの用事が残ってはいるが、ひとまず彫刻の用事を優先にしてお昼前には石見銀山へ向かった。
数年前までは、コロコロトランクへ数日間の着替えなどを詰め込んで、結構大掛かりな旅行準備になっていたが、最近はいつもの肩掛けバックと陳列作業用の一式を頭陀袋へ詰め込んだものと2つくらいの荷物にまとめて身軽に済ますようになった。
キーポンが東京暮らしをはじめたからそういうことも可能になったわけで「ボクの子育てもなかなか上手くいった」と、内心そう思っていてずいぶん助かっている。
9月に帰国したノッチも住むところが決まって少し落ち着いたし、1日くらいは彼女も一緒に夕食ができると良い気もしているが、本人の都合もあるだろうし、もちろん私の彫刻展示の仕事もあるから、まぁ、運良く時間の都合が合えばその時にどうするか決めるくらいでいい。

簡単に荷物の準備をして、あとは富山町のフィールドアートワーク関係の事務に切り替えた。
チラシをつくる都合もあるし、いくつかのデータを整理していたら、周藤さんが届けてくれた野外彫刻の写真があったので、今回はそれを原稿にすることにした。
富山町と出雲地方の境界にある要害山を背景に霜を被った彫刻がキレイだ。
その要害山は石見銀山の銀を目当てに戦国武将たちの攻防戦で激戦地だった。

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彫刻事情 

2018/10/08
Mon. 23:48

曇で風が少し強いように感じるが、台風の影響ではない気がする。
時々お昼の休憩に使っている海岸は、工場から5分位のところで、1年の数カ月は石の海岸になる。9月に来た時は砂浜海岸になっていたが、今はほんの少し申し訳程度に小石が戻っていた。

六本木の彫刻絡みのことで友人のHさんからメールが入っていた。
今年は島根から4人の出品があったが、難なく審査を通過したようだ。昔一緒に彫刻出品をしていた仲間も結婚で東京へ行ってから、久しぶりにテラコッタの胸像彫刻を出品してくれたらしく、「なかなか品のある良い彫刻を造っていた」とメールにあった。
Hさんは、出品歴が私とほぼ同じで、もう35年位は続いていると思う。委員に推挙されてからでも10年にはなるはずだ。彼は基本的に具象彫刻の作家で、石彫や限りなく本焼きに近いテラコッタ彫刻を制作している。野外会場へ彫刻を展示しはじめた時期が私とだいたい同じで、それ以来、どの作家よりも親しくお付き合いすることが増えた。私の方は、島根の田舎で鉄を使ってどちらかといえば抽象がかった彫刻ばかりを造っているから作風も感性も全く違って、特にコレと云った造形の共通点もないし方向性も違うのだが、なぜか気の合うようなところがあるようだ。自由気ままでわがままな会員の吉田とは、あまり親密にならないほうが彼の今後の為だと思ったりもするが、まぁ、性格も頭も良くて事務仕事もできるし、それにもちろんテーマのしっかりと見える良い彫刻をコンスタントに発表している実力者だから、今後、組織の上を見るような時期になればそれはそれで付き合い方も変わってくる時が来るだとうと思っている。
メールには「全般に彫刻が小さくなって出品点数も減った・・・」とあった。
世間の景気は上向いているようだが、美術界や文化事業の方は未だに冷え込みが続いているようだ。

この近年、自分の周辺の彫刻事情が落ち込んで、昔のように見惚れるような刺激的な造形をたくさん見る機会が無くなってきた。まずは、自分の目が曇って感性も鈍って自分自身が劣化してしまってきたのかも知れないと思ってみたりするが、それでも、一方で今の造形力の低下は自分だけのことではない気がする。各種大賞展と違って公募団体展は出品作家の固定や継続が組織の力量や特色につながる。それぞれの組織で造形の方向性が微妙に違うことも審査の方向性と連動する結果だと思う。審査員の力量は組織を構成する作家一人ひとりの造形力に反映されるから、審査員だからといっていいかげんで適当な制作に走ってしまわないよう、終始徹底的に自己管理を厳格にし、常に最高の造形表現を目指すことが大事なことだ。出品者はそういう審査員の背中を見ながら制作の力量や彫刻の魅力に刺激を受けて自らの彫刻制作に還元することを目指しているはずだ。
私が公募団体展へ彫刻を出品し始めた頃は、作家歴の浅いアマチュアの若造と彫刻界の重鎮とも云えるような凄い彫刻を制作する審査員との距離がずいぶん近かった気がする。今はお互い世間のコンプライアンスとかハラスメントとか、そういう面倒臭いことに縛られてずいぶんと人間付き合いも難しくなっている。表現者の集団は本来もっと過激であるから新しい発見もあって感動もあって、そういう刺激が制作や作品に反映されているということ・・それが正常と云えるような気もするのだけど・・・ボクは・・・

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Landscape trace〜或る日の痕跡〜 

2018/10/04
Thu. 23:05

今開催中の徳島野外彫刻展に出品させてもらっている彫刻の現場写真がメールで届いた。
主催代表の松永さんが気を利かせて天気の条件を見て撮影して送ってくれた。
搬入設置も慌ただしかったし、オープニングは「少しゆっくりできるかな?」と思っていたら台風の通過が重なってその日も結局搬入以上に落ち着かない日程になってしまった。
そういうこともあって、まともに彫刻の設置状況を記録できないままになっていたのだが、彼の気配りの御陰でかろうじて2018年制作彫刻の現場をおさえることができた。

前回の個展から4年位は経っただろうか?・・・久しぶりに年末から石見銀山で個展をすることになった。
メインタイトルは前回の個展を原則引き継ぐことにした。形態のコンセプトはあの時におおよそ一つの方向性も決まって、次の展開も迷いがなくなっていたから、自分としてはひと通りやり尽くした満足感もあった。
それからあとの彫刻はまだ十分に煮詰まっていなくて迷いの残ったままあたためていて、鉄をメインにした実材へ置き換えることを優先に考えながら数年過ぎて、その間に出来上がった数点の彫刻制作は自分の思考の痕跡を系統立てて見つめ直すのにはとても都合の良い期間であったし、良い意味で気持ちの切り替えもできて良かった。

私の彫刻個展は、私小説のような立ち位置で続いているところもある。
だから、主催や鑑賞者には申し訳ないが、限りなくわがままに造りたいものを造りたいように造って、展示設置も自分の好きなように好きな場所を決めてわがままを通させてもらっている。
会期もだいたいがウインターシーズンの雪深い時期でアクセスのストレスもかなりあるから、それを承知でわざわざ冬の石見銀山を目指すような物好きもそう滅多いない。
彫刻はほとんどが野外彫刻で雪の降り積もった全貌の確認しにくい劣悪な状況に耐えてひと冬過ごすことになるし、またそれに耐えられるだけの工法の裏付けも大事なことで手が抜けないし、そういう普通は避けて通るような面倒臭いコトをわざわざ個展条件に決めて彫刻を造っている自分をクールに見つめ直すと、自分で自分をいじめて喜んでいるようなところもあって「オレはひょっとしてドMかも??」などと思ってみたりする。

彫刻そのものは、そんなに難解で理解に苦しむような形態でもないと自分では思っているが、それも結局は吉田正純という人間をどこまでクールに認識して作者と作品の相互反応を許容できて寛容できているかどうか?・・・その容量の大小深浅で「難解」の距離も変わるだろう。
自分の中では、どちらかといえば具象と云うより抽象にシフトしている彫刻を造っているのだろうと思っている。そもそもの、制作テーマそのものが具体的に目の前に存在するナニカでは無いわけだから抽象性が強まることは当然だとは思うが、抽象表現すべてが理解不能で難解であるというわけでもないし、精神の開放であったり普遍性であることの超然的な包容力もあると思っている。
「なんとかして理解しなければならない!!」などと、小難しく考えながら観て頂く必要など全く無くて、自分の好きなように勝手な主観で観てもらえばそれでいい。

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彫刻搬入 

2018/10/02
Tue. 23:32

展覧会の島根搬入がはじまった。
最近、何度と無くお世話になっているレンタカー屋さんでハイゼットの軽トラを借りた。
5時間で4000円弱。
前は、大工の棟梁の愛車軽トラを借りていたが、最近になって世間の景気が上向いているのか?何時行っても作業場が留守でなかなか会う機会が無い。
珍しく日のあるうちに吉田家へ帰宅して石見銀山の町並みを歩いていたら、その棟梁の軽トラが川下の方から上がってきた。
急いで手を降って棟梁を止めたら、となりの助手席で猫が丸くなっていた。
「それどぉ〜したの??」
「猫いらない??」
「いやいや、うちもう2匹いるし・・・無理無理!」
「こいつ、誰かが作業場へ捨てていったのよ。それから住み着いて・・・人馴れしててすぐにトラック乗ってくるし・・・」
まぁ、そんな世間話でひとしきり盛り上がって、
「最近仕事何処ですか?」と本題を切り出したら「アチコチ・・・今日はこれから水上行くところ・・」
「あぁ〜そぉ〜〜、忙しくて何よりじゃないですかぁ〜・・・オレ、相変わらずヒマだけど・・・」
大体の状況が解って、後ろから町並みを乗用車が上がってきたりしたので「それじゃぁ〜また・・」と別れた。
忙しいことは何よりだし、棟梁はヒトが良いから「軽トラ借して?」と云うとだいたい「良いよ!」となってしまうので、それもチョット甘えにくい。
それからすぐにいつものレンタカー屋さんへ電話したら、もう、私の声を聞いただけで察しが付くまでに親しくなった事務のおねえさんが「チョット待っててくださいね。今調べてみますから・・」と電話口でなにやらガサゴソしばらく音がしたあとに「大丈夫です。それでご利用はいつからですか?」と話が次に進んだ。
棟梁の軽トラを借りても、お礼にコーヒー缶を1ケース添えたり燃料を満タンにしたりしてレンタカー料金くらいの出費になるから似たようなものだ。

徹夜で完成させたワイフの彫刻は、まだ完全に乾燥していなくてチョット湿っていたから、まずは私の彫刻を搬入することにして工場へ急いだ。
5時間以内にすべての搬入を片付けて返却しなければいけない。
結局、ワイフの彫刻をギリギリまで乾かして、彼女が時間講師で出かける時に併せて搬入を済ませた。
それから軽トラを返して、事務のおねえさんと少しほど世間話をして、いつもの運送会社のプラットフォームへ引き返したら、島根から共同搬入のメンバーが揃っていた。
ひと頃からすると、出品作家が半減して今年は4人ほどになった。そのうち2人は吉田家の夫婦。
彫刻一つ造るにも、材料費や光熱費の他に、搬入出の経費や団体への会費など、1年でかなりの出費になる。今年もセッセとためた500円貯金が役に立つことになった・・

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かたちが見えた 

2018/09/28
Fri. 23:53

工場から帰ると家は真っ暗だった。
いつものように、ネコチャンズはボクを無視している・・・
ワイフが帰ると車の音を聞いただけでクロは土間の格子戸めがけてすっ飛んでいくし、シロはフギャフギャ甘え泣きしながら何処かから湧き出てきてソワソワと落ち着かない。
アイツラは人間のように嘘もつかないし裏表もないことは解っているから腹も立たないしガッカリもしないが、少し寂しい・・・
仕事の汚れをシャワーで流して、麦とホップをプシュッとやったところで、ネコチャンズがドタバタとうるさくなった。どうやら、ワイフが帰宅したようだ。
「ノッチ帰っていったわよぉ〜」
「今朝、出掛けにそんなこと言ってたから・・・ヤッパリ帰ったんだ・・」
ノッチの帰省はなんとなく慌ただしくてにぎやかで、これからやってくる台風のようだった。

しばらく前に、島根県の彫刻仲間で学校の先生をしている木彫の作家からメールが来た。
奥出雲の小品展の案内を送ってあったからそのことかと思ったら違った。
もう何年も一緒に東京へ彫刻を出品していた彫刻仲間だったのだが、最近は制作から遠ざかって出品もしていなかった。
公募の美術団体はどこも会費を納めて搬入出や美術活動の情報提供の便宜を受けたりしながら制作活動を続けることになる。それが、彫刻も造らないし出品もしないしで会費を納入しているだけでは、なんとなくお金の無駄に思えるものだから、何時だったか、直接本人にそのコトを云ったことがある。
その時は、制作の時間がないとか、またそのうち制作を再開するつもりだとか、そのような話だったが、私には、なんとなく彫刻制作に対する意欲が薄らいで、彫刻表現の方向性を見失っているように思えた。
いずれにしても、こういうことは本人の気持ち次第で決まることだからまわりがえらそぉ〜にドウコウ言えるものでもない。それでその後とくに何も接触のないまま過ぎていたのだが、小品彫刻展のように島根で彫刻関連の何かをする時は一応情報提供だけは続けていた。

メールは、公募の団体を退会する旨の内容だった。これから先、また彫刻制作の条件が整ったら制作を再開するとあった。
本人の事情は本人でしかわからないことだが、私としては少々残念ではある。彼が初出品をしたり初入選をしたりした時から長い間同じ展覧会へ搬入出の寝食を共に苦労してきたわけで、そういうことがふと思い出されて寂しさもある。
一方、こうした避けることの出来ない淘汰の世界は表現者の一人として強く自覚しておかなければいけないことだと思う。自分の表現の枯渇は自分の日頃の精進の蓄積で回避できることだ。表現の手段は彫刻だけではないし、他に彫刻以上の魅力ある表現手段が見つかればそれでいい。
「ひとまずはそういう期待を忘れないでいよう・・・」
溶接をしながらそんなことを思っていた。彫刻制作は今の処だいたい順調に進んでいる。

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雲水彫刻家 

2018/09/21
Fri. 23:03

倉敷の児島と水島の間くらいのところに美味しいコーヒーを飲ませてくれる友人がいる。
自宅は倉敷の方だが、由加山の参拝古道脇にあるコーヒー屋と養蜂業でミツバチの世話をするために1週間で3日位は通って店を開いている。
いつ行っても開いているわけではないから、今回のように四国へ用事があるときなどは、あらかじめ彼に連絡を入れて様子を確認することにしている。

徳島へ彫刻の搬入を終わらせて、四国から瀬戸中央自動車道へ乗ったのはお昼を少し過ぎたくらいだった。
児島のインターチェンジを降りて、鷲羽山方面へ回って瀬戸内海を展望したりして、それから由加山へ向かった。
明日中に寺へ到着していればいい。
私が由加山へ廻ることが連絡網で回って、陶芸家と草月流の二人もコーヒー屋へ合流することになった。
陶芸家の芝さんと草月流の西本さんは富山町の彫刻イベントで個展などをしてもらってお世話になった。コーヒー屋の森山さんは養蜂業もしていて書道家でもあるなかなか風流な文化人で、彼も富山のイベントに参加してくれた。

由加山への古い参詣道は普通車がやっと通れるほどの渓流沿いの狭い道で、渓谷の風景に趣がある。
コーヒー屋はその狭い参詣道と巨岩の重なる渓流の間にある小さなスペースを目一杯使って建っている。
基本的に駐車場はない。参詣道の少し幅広の場所を探してソコに銀くんを駐車した。
森山さんはコーヒーを自家焙煎しているから、私の好みに合わせて絶妙の焙煎でコーヒーを入れてくれる。
あんなにフルーティーで美味いモカを飲んだのは何年ぶりだろう?口の中に何時までもコーヒーの香りが残って、それだけで旅の疲れを忘れる。
渓流に住む山雀がしきりにテーブルにある餌場に舞い降りてひまわりの種をくわえて飛び去っていく。
山雀はくじ引きの鳥でお宮には縁が深い。昔々は、由加山でもくじ引き芸を仕込まれていたのかもしれない。今に住む山雀もその末裔か何かでおみくじ芸のDNAを引き継いでいるのだろうか?とにかく人懐っこい。

夕方になって山雀が巣に帰って、それから少しして芝さんがやってきて、チョチョイッといちじくの生ハム巻きをつくってくれた。
それが良いおつまみになって響がより一層旨くなった。
コーヒーがウイスキーに変わって、島根から持参の地酒が加わった頃におつまみの家庭料理を持って西本さんが来た。
それから焼酎も出て、打ち止めがビールだった。
贅沢な彫刻搬入旅行になった。
たまに、こういうことがあるから、行雲流水がやめられない・・・

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銀くんデビュー 

2018/09/20
Thu. 23:01

1日工場へこもって野外彫刻のパーツを完成させたら、少し仮眠して徳島へ出発する。
銀くんの彫刻搬入本格デビューになる。
先代の結界くんよりシートが華奢になったぶんだけ、荷台スペースがずいぶん広くなった。
今度の野外彫刻も、高さが2mチョットでスケールはおおよそ予想通りに仕上がりそうだ。このパーツは、溶接の総延長距離10mくらいで、補強のパーツなどを若干溶接すれば終わりだから、ゆっくり時間をかけても夕方にはすべて作業が終わる。

夏が猛暑だったせいか、今になってヤブ蚊が盛んに飛びはじめて、溶接をしていると無防備な首から後頭部にかけてコレでもかと云うほど群がって刺してくる。溶接中はじっと動かないように身体を固定していなければいけないから、ひたすら痒みを我慢するしか無い。なかなか作業に集中できなくて無駄に体力を消耗してしまった。
彫刻を造っていると、けっこうハードに身体を動かしているように思うかもしれないが、実は坊主でお経を読んでいるときと殆ど変わらないほど身体を固定していることが多い。
溶接や溶断などの作業に集中していると、フッと思考が消滅して座禅の瞑想に近い状態になる時がある。
身体の揺れが止まって、工場の床に自分の足の裏が張り付いた感じになって、重心が少しずつ臍のあたりまで下がってくるふうに感じる。そういう時は、あとでグラインダーを使うと、彫刻の溶接面がきれいに仕上がって無駄がない。
彫刻を一つ造る間に、雑念が抜ける瞑想状態になることはそれほど多くない。今回はヤブ蚊に邪魔されてかなり制作が乱れてしまった。

搬入の準備を整えて、吉田家経由で萬善寺へ移動した。
彫刻の重心を下げるために寺で保管してある玉石の土嚢袋を積み込んだ。
瀬戸中央自動車道を経由して徳島の彫刻展示会場へ午前10時位到着を目指して出発した。
長距離を走る時は、体力の消耗を避けるために地道で60km、自動車道で80〜90kmの定地走行をする。
最近あおり運転の被害が多発しているらしいが、そういうことは今に始まったことでも無くて、昔から普通にあったように思う。気がつけば、自分のほうがあおり運転らしきことをしていたりすることも時々あって、ワイフが助手席に乗っていたりすると「あんた、そんなに急ぐことないでしょ!もっと車間距離とらないと・・」などと、うるさく注意される。
運転の癖のようなものは誰にでもあることだから、少々タイミングのズレがあってもすぐにイライラしないように気持ちの平静を維持することが大事だ。
徳島駅の裏側にある、公園のゲートへ着いてから彫刻展主催の松永さんへ電話を入れた。
公園のいつもの場所へ銀くんを乗り入れて、だいたい20分ほどでセッティングが終わった。
移動時間4時間半は、自分としては全く気にならない日帰りコースだが、せっかくだから帰りは、少し余裕を持って倉敷の友人を訪ねてみようと思う。

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2019-03