工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

氷塊の時 

2018/02/20
Tue. 23:41

5つ目の寒波が去って、時折思い出したようにパラリと雪が落ちてくるものの、曇り空から日差しが見え隠れする時間も増えて、少しずつ気温が上昇してきた。
それでも普通なら、これで一気に雪が溶けて参道は川のように雪解け水が流れるのだが、今はそれもなくて雪の溶ける気配がない。
まだ、それだけいつもより気温が低いということなのだろう。
井戸水がいまだに凍結したままで緩めた蛇口から1滴も出なくなってもう10日近くになる。「やはり汲み上げのポンプが壊れてしまったのかもしれない」と気にしていたら、お昼を過ぎた1日で一番気温が上昇する頃、突然「ボボッ、ジュボッ、バババッ!!」と蛇口から大きな音がして、それからしばらくしてドバッ!と勢い良くキレイで透明な水が出始めた。
ちょうど、昼食を済ませて食卓を片付けて仕事の書類を広げているところだったから、一瞬何事かとびっくりしたが、井戸水復活とわかって思わず一人で拍手してしまった!これで、ペットボトルの水を使わないで済む。

境内の端に設置した彫刻が、冬の積雪量の定規代わりになっている。
自分で造ったものだから、地上○○cmのあたりにあのかたちがあって、○○cmの場所があの辺で・・・と、だいたいわかっているから、今年の積雪がそれ程でもないということは客観的に推測された。今は、50cmくらいにまで雪も溶けて少しずつ地面の起伏形状が把握できるまでになっている。
石見銀山の田んぼで農閑期のシーズンに個展をしてからあと、2年ほど前までの数年間は、極端に背が低くて地面に張り付いたような形状の彫刻を造り続けていた。
それはそれで、時代に問いかける自分の造形感を具体的に証明するための重要なテーマであって形状であったのだが、その限りなく背の低い彫刻も、制作を続けていくうちに少しずつ先の展開が予測できるようになってきたので、ひとまず、一区切りつけて再考の時を用意するのも良いと考えるようになった。
それが、制作の変化の直接の要因でもあるが、もうひとつに、万善寺の立地環境のことも外せない大事な条件に加わっている。
先代住職の内室であった母親が死んで、名実ともに現住職である自分に世代交代した今、生活の本拠地こそ石見銀山に置いているものの、実質的公的日常の拠点は飯南高原の万善寺へ移ったことになった。そうなると、彫刻も常時自分の身近で存在の条件を具体的に確認することになるから、それまでの、制作テーマを引きずった背の低いばかりの彫刻のままではオールシーズンの鑑賞に耐えられなくなってしまう。自分の造形感の長い流れの中で連続する形状の変化が、今になって少しずつ上へ伸び上がりはじめたというわけだ。
この、少しずつ背が高くなり始めた彫刻にも実は2つの方向性があって、それを自分なりに造り別けながらこれから先の造形のことをじっくりと丁寧にしばらく時間をかけて見つめてみようと思っている。
たぶん、これから造り続けていく幾つかの形状の先には、自分の生涯の最終の着地点が用意されることになるだろう。別段大げさに考えているわけでもないが、それでもそれなりに、今の時代に対する自己表現を彫刻の制作という形状表現をかりて問いかけるくらいのことはしておいても良いかなと思っている。

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デッサン力 

2018/01/25
Thu. 22:08

安西水丸さんが死んだのは、確か4〜5年前だったはずだと思って調べたら、2014年だとわかった。もうすぐ7回忌を迎える。水丸さん死ぬのが早すぎ!・・・と残念でならないから、毎年この時期になると思い出してしまう。
あの人を最初に知ったのはキネマ旬報だった。
キネマ旬報は1ヶ月に2回刊行されていて、読むこところがいっぱいあったから、10日間がアッという間に過ぎて、その本が1冊あれば退屈しなかった。新刊が出ると、最初に水丸さんの記事を読むことにしていて、それが楽しみでしょうがなかった。
なんとも味わい深い絵で、誰にも真似することが出来ないはずだと今でも思う。

自分のことを云えば、あまりにも長くデッサンとか絵を描くことの勉強をしすぎてしまったと思っている。
自分で自分のことは言いにくいが、先も見えて死ぬ時も近くなるばかりだからもうそろそろいいかなと思って言わせてもらうと、「ボクはどちらかといえばデッサンが上手だ」と思っている。あまり何も考えないで、見たものをコツコツと紙に置き換える作業になると、どこかしら無心になれていたりして、普通に癖のない破綻のないデッサンになる。決してかっこいいデッサンではないが、下手なデッサンでもない。彫刻家のデッサンはソレのほうが良いと思う。
誰が見てもかっこいいデッサンを描くとか、味のある癖っぽいデッサンを描くとか、そういう人は絵描きになったり、水丸さんのようにイラストレーターになったり、平面系の方が向いている。自分にはモノの構造や全体の構成を確かめたりするためのデッサンになることのほうが大事なことで、彫刻の手がかりにその手間を一つはさむことで彫刻の制作に迷いが無くなる。デッサンの役割はそのくらいで十分だと思っている。

吉田という存在を知っているくらいの狭い世間で彫刻の話題になると、自分の彫刻について、便宜上「どちらかといえば、抽象彫刻ですかねぇ〜」と答えるようにしている。
自分では、特に具象とか抽象とかを区別して彫刻を造り分けている気もないが、周囲が無理をして理解しようとその場の空気が重くなってしまうのもどうかと思うし、いちいち具象抽象の定義のようなものを解説するのも煩わしいし、一般的に私の周辺で造形の概念を深く掘り下げて話題を振ってくる人もほとんどいないから、俗に云う「わけの分からないモノ」とか「理解できないモノ」は「抽象です!」ということで済ませておいたほうが楽だったりする。これから造ろうと準備している彫刻は、自分の持っている幾つかのテーマの中ではとてもわかり易い彫刻だと自分では思っている。具象であるとハッキリ明言は出来ないけど、どちらかというとわかり易い部類の彫刻の形態や構造は、観る人の知識経験の何かに当てはめて観られることが多いから、自分の持っている感覚を信じて迷いのない彫刻に仕上げておかないと、どこかしら自信のない中途半端な彫刻になって、観る人に不安を感じさせてしまう居心地の悪い彫刻になってしまう。そうならないようにするには、やはり、自分が納得できるまでシッカリ本気のデッサンをしてブレのない造形のムーブマンを定めておかないといけない。
水丸さんのイラストを観ていると、具象性の中に極限まで精査された抽象性を感じてしまう。彼は絶対にデッサンが上手だと思うな・・・吉田なんて足元にも及ばない・・・

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雪原の彫刻 

2018/01/15
Mon. 18:49

今度の寒波は日本海側を中心に記録的な大雪になったりして、いたるところへ大きな被害を与えたようだ。
そういう状況にあって、不謹慎なことかもしれないが、私個人としては、冬や雪が日本の四季の中で比較的好きな・・というより、一番好きな季節なのかもしれない・・と、思っていたりする。

毎年のように悩まされている参道の道開けは、かなりの重労働でいつも大変な思いをしているが、むしろ気持ちの何処かでは傷一つ無い新雪をかき分けてひたすら1本道をつくり続ける単調な繰り返しがキライではないし、道開けの1時間から2時間の間に保賀の谷でおこるさまざまな現象が、自然のつくりだすたくらみのない純粋な造形に思えて、それに包み込まれている自分の非力が眼前の事実として証明されてしまっていることをスッキリといさぎよく受け入れることができて、それが気持ちよかったりする。
観なくても良い、観たくもない、そういう自分の周囲の日頃の色々な気になる環境すべてが降り続ける新雪に少しずつ隠されて微妙な立体の曲線の稜線で一つにつながって行く様子を観ていると、自分がアレコレ悩みながら造り続けている彫刻の虚弱さがバレてがっかりしつつ、一方で、そういうたくらみのない造形の美しさに憧れるし、それが制作のテーマや目標になったりすることもある。

私の父親であり師匠でもあった憲正さんは、私の造形活動に理解があって、それで万善寺の運営に少々支障があっても、なんとなく見て見ぬふりでいてくれていた。それだけでも私にとっては大きな後ろ盾に思えて随分助けられてきた。
内室で母親の俊江さんの方は、私の造形が生活の糧につながらないことをことごとく嫌って、自分の周囲の目に見えるところにある私のものは片端から人の目に触れないように隠して、そういう話題に触れることを生涯拒み続けたひとだった。

昨年のお彼岸明けに母親が永眠してから、少しずつ万善寺の環境へ私やワイフや、その他にも関係の深いいろいろな造形を持ち込んでいる。
もう少し早くから・・・というより、島根へUターンした時からすぐに万善寺の環境をそういう風に作り変えたかったことだったのだが、今になってやっとそれが実現しはじめたわけだ。自分の造形はこの30年で随分と遅れを取ってしまったように思うが、それはそれとして過ぎたことはもとに戻すことにもならないから、今がスタートということで前を見て乗り切るしかない。
母親が大好きだった畑をそのまま耕作放棄して荒れ地にした後、昨年の暮になってユキちゃんに手伝ってもらって、やっと私の鉄の彫刻を置くことができた。
彫刻にとっては、はじめての冬シーズンを万善寺の近所で過ごすことになったわけだ。
今まで、石見銀山を中心に、飯南高原のアチコチで積雪と彫刻の関係を確認してきてはいても、こうして日常の暮らしのさまざまな場面で、その時々の変化をつぶさに確認できて記録できる環境が出来たということは、彫刻家としての自分にとって制作の方向性を模索するとても重要な条件がひとつ加わったことになる。そして、制作の楽しみがひとつ増えた。これからあと、どれだけ彫刻に置き換えることが出来るかわからないけどね・・・

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夕焼けの彫刻 

2017/12/27
Wed. 20:33

2017年最後の回覧板を保賀上組へ配った。
上組といっても、現在は万善寺というか吉田家というか・・・とにかく、それも含めて5軒だけのことだから、チョットした散歩程度で用が足りる事だ。
万善寺は、昨年に引き続いて2年間同じように回覧板を配り各種集金をして回っている。本来は1年毎に一軒ずつズレながらグルグルと役が回っているのだが、高齢化も進んでいるし、万善寺は留守がちで迷惑もかけるし、それにたいした仕事量でもないから、自分の都合で自由に動くにはかえって役付きでいたほうが都合良かったりするのだ。

12月に入って駆け込み法事が続いていたが、ひとまず本日を持って一段落した。流石にこれから後はそういう部類の連絡も控えられるだろうし、お檀家さんの方でも我が家の年末事情を優先する時期に入っている。
坊主の方も、約1時間半のソロライブをしているようなもので、MCや休憩を入れたら2時間以上続く緊張は結構身体にこたえる。1流ミュージシャンのように、ライブスケジュールで1年が埋まっているほどの坊主なら、それなりにモチベーションも維持できるだろうし、気持ちが抜けることもないだろうから、ある意味で迷いもないし自分の行動に責任も出て良い仕事につながるだろうが、私のような3流以下の坊主は、1ヶ月に数回しか無いたった2時間程度の法事をひとつ済ませるだけで息切れしてドッと体力を消耗してしまう。まぁ、暇な坊主の悪循環が一年中続いているということだ。

珍しく今のところ雪が少ないから、荒れ地の端に設置した彫刻までチョクチョク近づくことが出来ている。
この彫刻のシリーズをキチンとその気になって組み立てたのは、今から3年ほど前のことだ。それまで、時々思いつくたびにそれなりの試作を続けていたのだが、それが次第に固まって、造形の先もおおよそ自信を持って読めるようになってきたし、制作の工法の工夫も責任が持てるようになってきたから、今後はそれらをベースにした造形の展開を組み立てる段階に入ったことになる。
今までは、大作と小品を完全に分けて、気持ちや視点を切り替えてそれぞれ別の角度から取り組んで別の彫刻に仕立てていた。それはそれで、自分のボキャブラリーを深めることになって研究の実践として重要な区別であったのだが、それらの蓄積が長い年月で少しずつ混ざりあって溶け合って、最近は一つの造形に再構成されつつある気がしている。
30代前半の頃にも、今に似たようなことがあったが、その時は一つの造形的視点がもう一つの造形に吸収統合されたかたちで消滅した。今思うと、当時は彫刻の迷いがそのままテーマの揺れになってふらついていたものが、吸収統合と一方の消滅によって、結果的に次の表現価値のベースに繋がってくれた分岐点であったと思う。
今回の造形の方向は、彫刻の大小の造り分けをより具体的に正確に見極めていくことが大事だと思っている。大は小を兼ねるとか、小は大のマケット習作だとか、そういう安直なレベルの彫刻にならないようにしなければいけない。彫刻の大小にはそれぞれに具体的にそれでなければいけない、もしくは、その大きさそのものに意味のある代用の効かない緊張感を有することを目指す必要がある。夕日に照らされた荒れ地の彫刻の側に立って、そういう思いを再確認している。

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ラップ 

2017/12/12
Tue. 20:01

「吉田さんの梱包は無駄がない❗ラップぐるぐるで腕が痛くなったのもうなずけます。時間も労力もかかったことでしょう。おちびたち全員の帰宅を確認しました・・・」

少し前に、大牟田の井形さんへ旧富山小学校2階の教室などを使った個展の彫刻を返しに行った。
ダンボールが5つくらいと、あとはエアキャップとラップで梱包したものをワンボックスに積んで陸送した。
大きな方の彫刻本体はFRP製なので、軽くて丈夫だから取扱も楽だったし、小さな彫刻は素焼き程度で焼き上げた無垢のテラコッタで、こちらも少々のことでは壊れないくらいのものだったので、無造作にダンボール箱へ詰め込んだ。
「表面塗料が劣化するかもしれないから、梱包は早めに解いておいたほうが良いかも・・」と、帰りがけに伝えておいたから、その返事が来た。
とにかく壊れないで無事だったことがうかがえて少し安心した。
今年は、井形さんも含め彫刻の梱包や返却で1週間位かかった。1点ずつ数えると100以上の彫刻が集まったから、まぁ、それなりに責任を持って返却するまでのアレコレをするとなると、そのくらいの期間は必要だっただろう。

私がはじめてラップ梱包を見たのは、石見銀山の隣町にある瓦工場の作業場だった。
製品になった瓦がパレットに積み上げられて、それをひたすらグルグルと何重にもラップで巻き続ける専用の機械があって、ベルトコンベアの流れ作業の最終段階のあたりでそれが絶え間なく回転していた。今から20年以上は前のことだったと思う。
次に見たのは2010年の梅雨に入る頃だった。
現代彫刻小品展を企画して、島根県内外の彫刻家へ開催要項を発送して、出品の有無を待たないまま、ボスターやチラシを持って広報を兼ねた協賛金獲得に回った先でそのラップを見た。工場の広報担当はPTAの関係で昔から知り合いだったから、彫刻展のことよりラップのことに話がそれて、結局、賛助金の獲得までに至らないままだったが、そういう、工業用のラップは随分前から実用化されていたのだということを知って、なんとなく納得した。
そのラップは、今ではホームセンターや100円ショップにあるほど家庭の日常品になっている。彫刻だけでなくて、キーポンの引っ越しでも大活躍した。

瓦工場では、瓦の乗ったパレットを載せた回転台とラップのロールを上下させながら巻きつける2つの回転動作が1つに連動して動いていた。
彫刻の梱包は、凸凹もいっぱいあるから単純な動きでは対応ができないだろう。やはり、少々面倒でも人力で巻きつけるのが一番安心できる。今のところ、そういう作業の殆どを一人でまかなっているが、出来たらあともう一人が一緒になってラップを巻きつけることが出来たらずいぶん楽になるだろう。
来年は、そういう作業を手伝ってくれるような若い彫刻家が吉田の近くで育ってくれるといいなぁと思う。
いまだに右手の肘から肩にかけて痛みが続いている。ジジイになったものだ。

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荒れ地の彫刻 

2017/12/09
Sat. 21:39

「石見銀山は晴れてるよ!」
SNSでモーニングメールを送っておいたら、しばらくしてワイフから返信がきた。
万善寺は前日の夕方から一晩の間に10cmほど積もっていた。

雪が降ると、夜の周囲の音を吸い込んで無音が続くから、それで状況が推測できる。
時々屋根の雪吊りや裏山の木々の枝から落ちる雪の音がするときは、「重たい雪だな・・」と想像できる。
12月のこの時期に重たい雪が一気に大量に積もると、雪害が広がる。随分前のことになるが、万善寺の大屋根の垂木が雪の重さで折れて大事になったことがある。最近は、雪質も変わって水分をタップリ含んだ水っぽいドカ雪が降ることが増えた。そういう心配もあるから出来るだけ寺を離れないようにしようと思うが、小さな山寺でも坊主の一人暮らしでは手にあまることも多くて十分なことも出来ないでいる。
少し前に、「しめ縄とお供えの鏡餅は用意できたからね」と、ワイフがさり気なく気を配ってくれた。なかなかそういうところまですぐに気づかなかったりするから随分助かる。

お昼近くなって雪が少し緩んできたので、畑だった荒れ地の端に置いた彫刻の近くまで行った。
鉄さびの微細な凹凸が雪を引っ掛けて予想を超えたコントラストを造ってくれるから、それを確かめることが楽しみだ。条件が良ければ、頻繁にそれをチェックして次の彫刻のデータにしたいといつも思うのだが、なかなかタイミングがうまくあわなくて機会を逸することのほうが多い。ヒョットしたら彫刻の近くまで行けるのもこれが最後になるかもしれない。
島根県日本海沿岸一帯は、積雪量もそれほど多くない。石見銀山のあたりが積雪量の変化する境界といっていい。富山は標高の割に雪が少ない。三瓶山はそれなりに良く降るが日当たりの関係ですぐに溶けて消える。飯南高原は、島根県有数の豪雪地帯だから、雪が消える間もなく次の寒波がやってきて降り積もる。
私は野外彫刻を造り続けていて、これまで幾つかのテーマを設定して環境との共存を追いかけてきた。そろそろ本格的に飯南高原の環境条件に沿った彫刻造形を工夫する時期が来たように思う。これから先、どれだけの野外彫刻を制作できるかわからないが、それでもだいたい生涯の制作点数が予測できるほどの年齢になった。鉄の彫刻が周囲の状況を取り込み溶け込むような造形が出来たら良いと思っている。1mを越える夏草や積雪を予測しながらスケールを設定して彫刻のかたちに置き換える制作は、そういう彫刻が出来上がったときからそれぞれの環境に育てられて成長できると良いと思っている。

〜結果自然成〜
1年もそろそろ終わりに近づいてくると、好きな禅語を思い出す。
ふりかえると、今年も色々あった・・と云うより、今年はそれまでにも益してとにかく色々あった。
宗門の2018年手帳が届いたので、それをもとにして万善寺のカレンダーを造る。
これから先、少しずつ自分の身辺を整理して、シンプルな暮らしになれると良いと思う。

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島根県彫刻振興委員会 

2017/12/08
Fri. 21:50

寺の用事があったのだが、施主さんの都合とか色々あって、結局ギリギリになってキャンセルになった。
万善寺としては、特別どうこうもないことだが、それぞれの家の事情もそれぞれで、だからといってそれぞれの事情にいちいち合わせていたら仏事の芯がズレて収拾つかなくなるから、キッチリと坊主の立場を示して崩さないようにしているつもりだ。
万善寺の近所の田舎事情であれば、ザックリとした地域の風習のようなものがあるから相談を受けても答えやすいが、都会や街場の暮らしが長いと、とことんあちら感覚でモノが進んで、仏事のすり合わせが難しくて、こちらでアタリマエのこともなかなかすんなり通じることが無くて苦労する。

なんとなくモヤモヤと気持ちが定まらないまま、火鉢を抱え込んでコーヒーをチビチビやっているうちに、とっくにお昼を過ぎて午後のティータイムが近くなっていた。
シーチキンを混ぜ込んだ卵焼きをつくって、パンを一枚食べて昼食にした。
その頃から雪の降り方が本格的になって、境内が一気に白くなった。
このまま夜のうちも降り続いてつもりそうな雰囲気なので、急いで結界君をお地蔵様脇の町道までおろした。雪はその間も絶え間なく降り続いてタイヤの跡がみるみる消えていく。
石見銀山へ帰ってもいいかなと思っていたが、この様子だと寺で居るほうが良いと判断してワイフにSNSを送っておいた。ワイフは、三瓶山の麓の方で仕事があると云っていたが、「雪無いよ!みぞれかな?」と気楽な返事が帰ってきた。

とみ山彫刻フィールドアートワークの報告を作成する関係で、その資料を整理しながら開催期間を振り返っている。項目ごとに整理したフォルダが少しずつ増えていて、バラバラに錯綜していたモノが少しずつまとまりつつある。
せっかくだから、しばらく遠ざかっていたF.Bの書き込みを再開した。
資料の彫刻や教室個展の写真を観ていると、島根県立美術館の県展を思い出した。
今更ながら、あの県展の彫刻部門はヒドかった。
出品の彫刻関係者に限らず、絵画やデザインなどの部門にも知り合いが居ないわけでもないのに、DMが一枚も届かない。たまたま松江に用事があってその先で情報が入ったので寄ってみたのだが、とにかく、アレが島根県を代表する総合美術展の彫刻部門であるというわけだから、どうにもやるせない。
今まで、そういう実情を知らないまま周藤さんやワイフなど周辺の彫刻家へ出品を勧めていた自分の無責任さを痛感した。
今回、県展の展覧会事情がハッキリとわかったので、これからは方針を切り替えて今以上に積極的に県展とは違った立場を明確にして、彫刻造形の魅力を提案しようと気持ちが固まってきた。
奥出雲町へ用事ができたので、雪の様子を見ながら出かける準備をしていたら、名刺が無くなっていることを思い出した。早速印刷データを引き出したら、少し手を加えたほうが良いところに気付いた。ついでと云っては軽くなるが名刺だけでも2010年に発足した「島根県現代彫刻振興委員会」から、「現代」を取ってしまうことにした。

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woodcarving art work 

2017/12/04
Mon. 19:09

大牟田往復の疲れが今ひとつ取れないまま、石見銀山を出発して万善寺へ向かった。
自宅を出る時、少し寒いと思ったが、万善寺の方は一面真っ白に霜が降りてもっと寒い。
年中ほとんど裸足で過ごしているから少々の寒さは気にならないが、流石に今朝の万善寺の板の間はいつもより冷たく感じた。足指の感覚が無くなって歩くのもぎこちない。
奈良の方へ依頼していた塔婆の製材が終わって、50枚ほど届いた。万善寺くらいの規模だと、1年の法事が50枚の塔婆でだいたい足りる。田舎価格のお布施に、1枚約1500円の塔婆代金込みの法事が年収の大部分になるわけだから、ボクとボクの家族の暮らしがどれだけ厳しいものか想像していただけることだろう。

とみ山彫刻フィールドアートワークの肉体労働実務がだいたい落ち着いて、これからしばらく書類整理などのデスクワークが続く。
今年は、20代の若い彫刻グループが教室の展覧会に参加してくれた。確か、最年長が25歳だったはずだ。地元大田市からは、まだ大学に在学中の学生さんが卒業制作の合間に参加してくれた。島大の教育学部には木彫が専門の先生が研究室の1つを任されていて、そのせいか、学生さんの彫刻は木彫が多い。今回の4人グループも木彫を出品してくれた。

絵画と違って彫刻はそれなりの規模の制作工房が必要になるから、社会人になってから制作を継続するにはよほどの覚悟と最低限必要な材料や資金の確保が必要になる。あとは、昼間の労働の疲れが気にならないほどの強靭な精神力と体力がないと彫刻制作へのモチベーションが続かない。テーマの落とし所とか確かな技術技法の裏付けとか、そういうことも大切なことだが、若いうちは、それにも増して制作への意欲とかコダワリとかにすがりながら、ひたすら手を動かし、身体を酷使して汗を流し続けることが大事だと思う。
とにかく辛抱してそういうことをコツコツ続けていれば、そのうち何かがひらめいて自分の方向性が見えて来はじめて、制作の背景に確信が持てるようになる。
Tさんは、一見とてもおとなしくて純粋で真面目なひとに見えるが、どこかしら頑固で芯の強いところもあるように感じる。彫刻の方は、まさにそういう彼女の為人がそのまま立体の形になったように思えて、その素直な表現に好感が持てたし、そういう制作の方向性に今後の造形の展開へ向けての新鮮な発見が期待できて楽しみなひとだ。
Kくんは、大学の4年生で、今卒業制作の真っ最中だ。島大で絵画の研究室を持つ新井教授と話す機会があって、彼のことが少しほど話題になった。卒業制作では、それまで取り組んでいた造形のテーマや表現に一区切り付けて、次の展開を模索しはじめたところだという。そういうことを聞くと、卒業制作展を観ないわけにはいかなくなる。
Eくんは、島大附属中学で講師をしながら自宅の納屋で木彫の制作をしているらしい。彼は、すでに自分の造形に関する強い研究のテーマを持っていて、彫刻の方向性がブレていない。あとは、いかにして形態の緊張感とか必然性を引き出して魅力のあるムーブマンに置き換えられるかがこれからの目標であり試練になるだろう。表現の完成度は経験の質量に比例するところもあるから、とにかく焦らないでクールに素材と付き合って欲しい。
そしてもう一人はユキちゃん!・・・彼女はこの半年間、かなり親密に制作の現場で付き合ってきた。造形の密度も増した。表現の一つ一つを大事にして息の長い彫刻家になって欲しいと思うが、まぁ、彼女の根性だったらキチンと自覚して乗り切ってくれるだろう。

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氷点下の朝 

2017/11/17
Fri. 23:16

約1ヶ月ほど続いた徳島中央公園での野外彫刻展が終わって、その彫刻搬出をした。
六本木の展覧会は搬入や搬出が大雨や台風にぶつかってなかなか厳しい思いをしたが、徳島は比較的穏やかな気候に巡り合って楽に作業をさせてもらった。
それでも、会期中は2回ほど大きな台風が四国を通り過ぎた。
主催代表の松永勉さんは野外彫刻展の会場管理に大変な苦労をされたことだろう。

この徳島野外彫刻展は、今回で55回を迎える長寿野外彫刻展だ。
スタートしてから半世紀以上になる55年の歳月は、とてつもなく凄いエネルギーを継続していると思う。
松永勉さんの野外彫刻は日本全国に散らばっていて、比較的シンプルで一貫性のある作風だからその気になって探すと、「あれは、松永さんの彫刻だな!」とすぐに分かる。
中国地方だと広島の呉にあるそうで、浜田市で現代彫刻小品展を開催していた時に会場を訪れた呉市からのお客さんが教えてくれた。
松永さんが野外彫刻で良い仕事を続けていられるのも、毎年台風が通過する徳島の過酷な野外環境に彫刻を設置し続けてきた実績があるからだと思う。
いずれは富山の棚田を借景にして松永さんのステンレス彫刻が観られるといいなぁと思っているが、こればかりは予算の現実もあるし、私のような非力な民間人ではどうにもならないことである。もしそういうことが実現するとなると、それは島根県大田市の富山町が野外彫刻のフィールドミュージアムとして世間に認知されたという証明であるともいえる。まぁ、自分が生きているうちは難しいだろうが、島根に根付く次の彫刻世代が盛り上がってくれれば実現の可能性が無いわけでもないと、一人で勝手にそう思って期待したりしている。

昨年から島根県を代表する女流彫刻家吉田満寿美の彫刻も徳島の野外彫刻展に出品させていただいている。いまのところ、彼女の彫刻は島根の野外環境に年間通して絶えられるだけの耐候性を有しているわけではないが、制作の工夫の努力もあって少しずつ丈夫な彫刻に仕上がりつつある。今年の徳島も、2度の台風に耐えて40日間の会期を乗り切ることが出来た。ワンボックスの箱バンに積み込んだ彫刻は、その日の夕方には万善寺へ持って帰って、しかるべく場所へ設置をすませた。
今年の春先まで元気だった母親が死んでからは、少しずつ万善寺の環境が自分の思うように変わってきていて、境内へ野外彫刻の設置も自分の自由に思うように出来るようになった。
私の鉄の彫刻は、昨年まで母親がアレコレ耕していた畑の一角へ置いた。
ワイフの彫刻は、保賀の谷を一望できて、冬の雪害を避けた境内地の南の端に設置した。さて、来年の春先まで彫刻が耐えられるか微妙な感じだが、研究実験のひとつだと思って経過観察を続けようと思っている。

石見銀山を出発すると、銀山街道にある温度計が1℃だった。飯南高原から出雲街道へ合流した辺りは−1℃だった。このシーズンで一番冷え込んだ朝は、ワイフの彫刻へビッシリと霜が張り付いていた。

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富山の秋 

2017/11/15
Wed. 02:08

11月3日の文化の日に併せて「とみ山彫刻フィールドアートワーク」なる美術イベントをはじめて3年目を向かえた。
期間中は、富山町内の皆様をはじめ周辺地域から少しずつ来場が増えて、ちょっと賑やかになった感じだ。
目玉は、石の彫刻体験ワークショップ。
島根県安来に在住の石彫仏師坪内さんを講師に迎えて、高さ30cmほどの小さな彫刻を手彫する体験講座を繰り返していて、毎年参加の皆さんは、今回で3体目の石彫に挑戦することになる。

坪内さんとは、もう5年以上の付き合いになる。
彼のルーツは大阪の石工さんで、江戸の初期に石見銀山の銀採掘に関係した守護や鎮魂をはじめとして各種石材構造物の制作などを工人として支えるために石見福光に産する凝灰岩の採石を任され、500体の羅漢像制作や五輪塔作成を一手に賄っていた棟梁であった。
そういう、彼の歴史もあってか、関西の大学を卒業したあと島根県東部で活躍していた石彫仏師に師事して彫刻を勉強し、その後独立して今に至っている。
何かとガサツにすぎる吉田と違って、物静かで場をわきまえて慎ましく佇む様子は、ワークショップに参加される皆さんの信頼をしっかりと掴んでいる。
最近は、事前の打ち合わせもしないまま「よろしく!」の電話一本で日程を知らせるほどで全て飲みこんで的確に動いてくれるようになっていて、頼りになる。

今年は文化の日から3連休だったから、近所の人は秋の観光で遠出することも考えられるし、富山の集客が期待できないだろうと考えていたが、石彫の参加者は今までになく賑やかに若返った。
万善寺に寄宿中のユキちゃんも木彫のノミを石彫のタガネに持ち替えて制作を続け、島根県展彫刻部に出品した。
あんまり難しいことを考えたり云ったりしないでも、結局はモノを造ることが楽しいとか流す汗が気持ちいいとか、そういうところから少しずつ彫刻の深いところに食い込んでくれることが大事だと思う。

富山町を見下ろす要害山は「重蔵山」が本当の名前で、石見銀山争奪戦の激戦地であった。標高がだいたい300mくらいだからそれほど高いわけでもないが、頂上から見下ろす富山の棚田風景や北のやまなみの向こうに広がる日本海は絶景だ。
県道の脇に設置してある野外彫刻も、この3年間で周辺の景観と自然に馴染んできた。
秋も深まって富山の銀杏も少しずつ色づいてきた。
富山の一日が終わると、幾つかの峠のアップダウンを繰り返しながら約45分かけて三瓶山を迂回して飯南高原の万善寺へ移動する。
飯南高原は、標高約450mのあたりに位置していて、約1000m級の中国山地に周囲を囲まれている。
万善寺へ帰ると駐車場の脇ですでに色づいた銀杏が夕日の逆光を受けて黄色く輝いている。富山の銀杏が見頃になるのはもう少し先になりそうだ。

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ゆれる彫刻 

2017/10/30
Mon. 18:36

2週間ぶりに自分の彫刻と再開した。
たしか、台風は熱帯低気圧か何かになって通り過ぎたはずなのに、六本木のビル風はまともに立っていられないほど強かった。

野外彫刻展示会場の自分の彫刻の前に立っていると、重心のバランスが少しヤバイなと思っていたパーツの方が時折の突風にあおられるたびに微妙にフラリと揺れていた。
何もかもが自分の責任のことだが、かたちの甘さが分かっているのに都合の良い言い訳をつくって制作のスケジュールを優先してしまっていることがこういう時にバレてしまう。

遅れて発送しておいた招待状が届いたらしく、たった半日の間彫刻の周辺をうろついているあいだに、知り合いが2人やってきて、1人電話を入れてくれた。
チーボォーは、ワイフが大学時代の部活友達だった。年齢はワイフより幾つか若いはずだ。そのせいか、久しぶりに逢ったはずなのに学生時代の面影がしっかり残っていて、すぐに気がついた。突風にあおられながらしばらく立ち話をしたが、お互いに体の芯まで冷え切ってきたし、話題の区切りを見計らって別れた。
ユーコちゃん(といっても、もうしっかりとしたオバサンだが)は私より20歳位は若いと思う。武蔵美の油絵を出ていて、いまだにコツコツと制作を続けている。しばらく前にも個展のDMが届いていたので、二人して突風に揺れながらその話題になった。
DMにあった彼女の描いた絵を見ていると、変わらないテーマの題材に少し表現の変化があった風に思っていたが、そのあたりのことをセッセと話してくれた。だいたい2年位ほど密かにあたため続けていたらしい。日常の時間軸が随分スローペースに思えて、少し羨ましかった。自分も周辺の事情からみるとかなりスローにシフトして日常を過ごしていると思っているのだが、彼女のスパンとは違った暮らしぶりだということを自覚した。
シューメーは、律儀に電話してくれた。
「最終日って終了早いね!4時位だと思ってたよ・・」
会社では重職でバリバリと、まぁ、とても忙しいくしていて、ナンチャッテ住職の吉田とはラベルの違う人だから、電話をくれただけでも鼻水が出る。

色々なことがあって、今年は展覧会が始まって半分くらいすぎた頃にDMを送ってしまったから、何時も吉田夫婦の愚作を観てくれる常連さんにとっては失礼なことをしてしまった。
毎年、年賀状の隅っこに手書きで「展覧会見たよ!」と書いてあったりすると坊主家業の慌ただしく荒んだ正月が少しほど潤って気持ちが暖かくなる。そういうこともあって、親族の不幸があっても喪中はがきを出すことをしない。少しほど時期をずらして「さり気なく寒中見舞いらしきメールを返しておくくらいで良いかな?」と、勝手に思っている。

展覧会の展示作業が終わって改めて自分の彫刻を見ながら、気持ちの方は次の制作に切り替わっている。だいたいの感じが固まっているが、こうして搬出で2週間ぶりに改めて自分の彫刻の前に立つと、また違った風なかたちが見えてきたりする。これから先、300日位は日常のアレコレをしながら彫刻のことをアレコレ迷いながら暮らすことになる。

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ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその4 

2017/10/06
Fri. 22:43

10月3日の朝は、雨が少し残っていたがボクの彫刻を動かす時とは比べものにならないほど楽ないい天気になっていた。

石見銀山の吉田家を早朝に出発して万善寺へ到着すると、すでにユキちゃんが土蔵の軒下で制作をしていた。
「おはようございます!」の挨拶には相変わらず悲壮感が漂っている。
電動工具の使い方をチェックすると、操作ミスの傷がアチコチに残っている。
技術の方は、こうしてみんな少しずつ上手になっていくものだから、見た目には予測の範囲で彫刻になるにはなっている。
あまり早いうちから、技術とかテクニックとか、そちら方面にコダワリすぎると、かえって彫刻の大事な本質が見えなくなって、手先の思い込みだけの浅い彫刻になってしまう。
少々荒くて雑に見えても、制作者の目指す先のかたちがシンプルにダイレクトに伝わっている方が良いと、自分ではそう思っている。
この半年間、ユキちゃんの木彫を見ていると、あと一歩のところで造形のツッコミが足らないままに終わっている気がしている。
これからもうしばらく彫刻での付き合いが続けられるのなら、そのあたりの弱い部分を越えられるまではなんとかしてやりたいな・・・

そろそろ搬入積み込みの時間が迫っているから、結界君をバックさせてリヤデッキへ載せる準備に切り替えた。
チェーンブロックと足場板を使えば一人で積み込むことぐらいは出来るのだが、こういう一連の動きは、体で覚えることも大事なことなのでユキちゃんと手分けして声を掛け合いながらお互いの役割を分業した。

「とにかく、シャワーを浴びてらっしゃい!!」
これから彼女はいつもの仕事に出かける。彫刻を積み終わった後は、それまでの焦燥感が安心感に変わって「ボォ〜〜〜」っとしているから、声が少し荒っぽくなってしまった。
(ボクが代わりにプラットフォームまで搬入することになるんだけど・・・)
少々おせっかいが過ぎて甘やかしている気もするが、誰かが助けてやらないとどうにも出来ないことだってある。

ワイフは、昼過ぎまでいつもの仕事に出かけているから、彼女には「搬入来なくてもいいよ」と云っておいた。まぁ、これは「おせっかい」というより「生活共同体の愛情」と云うべきだろう。今年は、穴蔵のようないつもの彼女の制作部屋から、完成前の彫刻をギャラリー部屋へ移してあげた。
少しは広々と環境の良いところで彫刻の全体を見渡しながら完成させたほうが気も晴れるだろうと思ったからだ。
搬入前に写真を写してみると、なかなか雰囲気のある面白い彫刻に見えていた。
彼女の彫刻は会場の状況によって色々なふうに変化して見える。以前からそう思っていたのだが、今回は特にそれがハッキリ伝わった。体調不良のままよく頑張った!

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ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその2 

2017/10/05
Thu. 20:36

月の変わり目は徳島で過ごした。
徳島の野外彫刻展が、今年で55回を迎える。
この55回という数字は、地方の彫刻文化にとって、とてもとても重たい数字だと思う。

日本の美術界は、各種公募団体展が大きな勢力をもっていて、そのほとんどが東京の美術館で展覧会開催される。
私のように、何処かの公募団体に属して制作を続ける田舎の彫刻家は、そういう展覧会を目指して制作した彫刻の殆どを東京へ搬入し、東京で発表する。
私に彫刻の物心がついた頃にはすでにそういうルートが完成して、ほぼ一方通行に近い地方と東京を結ぶ文化のレールのようなものが存在していた。
島根に帰った始めの頃は、特に大きな疑問もなく、展覧会の出品とか発表はだいたいがそういうふうなものなのだろうと思っていて、ワイフが東京にいるときから出品を続けていた二紀会のことは前々から付き合いもあって知っていたことでもあるし、ワイフの彫刻制作や発表の助けをしながら自分もその流れに乗って自分の彫刻を出品するようになった。

さて、今から20年ほども前だっただろうか?・・・徳島で開催される西日本全体を見渡した彫刻文化振興のシンポジウムイベントに参加の声がかかった。
その頃は、自分のみる先に東京の美術館で作品発表をすることしか考えつかないほど周辺の身近な彫刻環境を知らなかったから、指示された幾つかの資料を用意して観光旅行程度の気楽な気持ちで徳島へ出かけてみた。
結果、想像もつかないほどの多数の彫刻家が参集し、手厚いおもてなしを受け、夢のような交流会となり、「超」が付くほどの真面目で真剣なシンポジウムイベントが開催された。
それが、私と徳島彫刻集団の最初の出会いだった。
たしか、その頃イベントの事務局で精力的に働いていたのが、今の会長の松永勉さんだったと思う。
その松永さんを知ってから、少しずつ自分の見る先が東京からそれるようになって、やがて九州の野外彫刻展へ出品したり、島根の石見銀山で個展をしたり、当時経営がどん底状態だった一畑電鉄のホームで個展をしたりと、自分の足元を見ながらそこに根付くことの出来るような彫刻を造ることに目覚めた気がする。

彫刻造形の完成度とか芸術レベルの高さとか、そういう研究表現の研鑽も制作者として大事な使命であると思うが、一方で彫刻を通した社会へのアンチテーゼ表現であったり、土着文化の啓蒙や発信であったり、そういうことを継続するということも、とても重要な表現活動であるということを教えられたのが、徳島彫刻集団の野外彫刻展であった。
だいたい20年ほど前の出会いから時が流れ、3年ほど前にはじめて展覧会へ賛助出品のお誘いを頂いて、昨年からはワイフにも出品の機会を頂いた。
9月から11月にかけての彫刻制作と発表のスケジュールが少し立て込むことになったが、少しも苦にならない。むしろ、今の自分に次の楽しみが一つ増えた気もして、片道5時間の距離が全く苦にならないまま搬入搬出が出来ている。

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3.5日の彫刻 

2017/09/29
Fri. 23:33

午前11時30分、今年の秋の展覧会出品彫刻が完成しました♡!
あとは、島根搬入までコツコツと鉄さびを整えるだけとなりました。

制作開始が26日で終了が29日という、突貫制作だったが、途中の迷いもほとんど無く、無心で制作に没頭できたように思う。
この数年間は、どこかしら仕上げのこととか配置構成のこととか搬入搬出の段取りのこととか、とにかくあまりに細かいことまで気を回しすぎて制作が慎重になりすぎたり、周辺の事情へ気を使いすぎたりしていた気がする。
彫刻のかたちが年々複雑になって主題が曖昧にかすんでしまった気がする。
夏の万善寺暮らしから気持ちを切り替えて、彫刻の制作へとりかかることが1年間のスケジュールに組み込まれて、知らない間にそうすることが当たり前になって、比較的ゆったりと制作時間を確保しながらノンビリと制作を楽しんでいた。
ある意味で、自分にとってはこういう気持ちの安らぐ豊かな時間が必要だと思う一方で、その時間に甘えすぎていた気がしないでもない。
自分を追い込んで、ギリギリのところで造形を精査していかないと、かたちのいちばん大事なポイントが曖昧になって茫洋となる。
おおよその方向性が大きくずれているわけではないはずなのだが、制作の途中でいつの間にか自分の主題を見失ってしまって、かたちのつながりのことだけに気持ちが片寄った造り込みが過ぎるふうになっていた。

とにかく、造形の気持ちの切り替えをするには丁度良い機会で、まぁ、そういう潮時であったのかもしれない。
一つ一つの彫刻が一つ一つ完結するのではなく、お互いの関連がゆるやかに継続されて増殖していくようなイメージを持つなら、それぞれの造形が特異に突出しないほうが良いこともある。
3日間と半日の制作の間にそういうふうに考えるようになった。
たとえば、東京の美術館で彫刻展示することは1年に一回のことだが、自分の周辺の然るべく環境を念頭に制作を続けることのほうが大事だと決めると、まずはそれを目標に大きな時の流れの中に我が身を委ねて全体のムーブマンを気遣いながら1年1年の制作や造形に落とし込むことが出来る。
1年360日くらいを造形の思考と創造の瞑想に費やし、残りの5日くらいで具体に置き換える・・・そういう制作スタイルが安定すると、それに付随して幾つかのスピンオフが見えてくる可能性も無いわけではない。
そろそろ自分の先も見えてきはじめているし、これからあと幾つくらいの彫刻が造れるかと思うと、その数も予測できるまでになっている。

ユキちゃんの制作も佳境に入った。
秋の日がどんどん短くなって、野外での制作時間も減ってくる。
午後からホームセンターへ回って投光機を買って、その足で万善寺へ向かった。
「ボクは、なんて優しいヒトなんだろう・・・」自分で自分の行為に呆れてしまう。

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只今制作中 

2017/09/27
Wed. 23:58

朝から雨が降り始め、工場で彫刻の制作をしている間に本降りになって1日中降り続いた。
結界くんのリヤデッキに現代彫刻小品展の搬出で積み替えたブルーシートや台車などがそのままだったが、一日の雨でずぶ濡れになっているし、降ろしても濡れたものを濡れたまま保管するところもないし、今度良い天気になるまでそのままにしておくことにした。

今年の彫刻は気持ちを入れ替えるというか、初心に帰るというか、とにかくシンプルに造形の根本を大事にしようと決めたところだ。それでも、会場へ訪れる多くの鑑賞者の目を楽しませることも大事なことだから、そのあたりの兼ね合いも含めて制作の最終の落とし所を決め兼ねている。
溶断と溶接と切削研磨の単純作業を繰り返しながら頭の中では次の工程を積み重ねておおよその作業時間を割り出す。夕方に一山越えて、もう一山越えようか迷い始めたのでひとまず小休憩を兼ねて結界くんへ給油することにした。
秋分の日が過ぎてからいっきに日が短くなった気もするが、それは多分雨のせいでもあるだろう。自分としてはもうひと山乗り越えるだけの体力は残っているが、これから延々と1時間ほどグラインダーを回し続けるのも周辺の民家に迷惑で気の毒だし、溶接が一巡したところで本日の制作を終了することにした。

石見銀山の町並みはスッカリ暮れて真っ暗になっていた。
吉田家のポストが郵便物であふれていた。「ワイフがいるはずなのに・・」珍しいことだ。土間へ入ると、「おかえりなさぁ~い」の声が返ってきたが元気がない。ワイフはこのところ、体調が思わしくなくて夕方にはゴロリと横になっていることが増えた。
郵便物の中に彫刻部からの手紙が入っていた。
六本木の美術館に彫刻を置くようになってから野外展示を続けている。
会場の仕切壁が中途半端な高さで、少し背の高い彫刻を造ると、その壁の水平線が邪魔してかたちの緊張感が上下で分断されてしまう。しばらくは我慢して上に伸びる彫刻を造っていたが、どうも納得がいかないまま出品のストレスがたまるようになったので、気持ちの切り替えも兼ねてテーマ設定を変えることにした。それ以来次第に背の高さが低くなって地べたに張り付くような彫刻に変わった。自分では、それはそれで面白い展開になっているのだが、この数年、彫刻部の方から美術館の意向が伝達されるようになって展示の拘束が強まった。
時代の流れというか、一般の風潮というか、私のような土着の彫刻家の土臭い彫刻が美術館から排除されつつある。彫刻が造りにくくなって制作や発表の意欲をそがれることが増えた。東京の美術館への出品も魅力を感じなくなってきた所へ追い打ちの手紙が届いたのが、一日の制作を終わって帰宅した時・・という、なんとも絶妙のタイミング。
世間の彫刻家の90%くらいは、美術館の意向と常識の範囲で制作が出来ているのだろうが、彫刻家吉田正純にはどうもそのあたりのすり合わせが難しい気もしている。

ノッチがニューヨークへ一人旅をした。SNSでその時の写真をいっぱい送ってくれた。
沈んだ気持ちが少しほど楽になった。

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工場の一日 

2017/09/26
Tue. 23:10

なんとなく、いつもの今まで通りの生活が戻りつつある。
寺のことも当分は法事もないし、石見銀山の暮らしがしばらくは続けられそうだ。
工場で彫刻制作がはじまった。
搬入の〆切が近いからノンビリもしていられないが、徳島野外彫刻展の出品作を制作しているときよりは少し落ち着いていられる気がする。

今度の彫刻を造るにあたって、過去の彫刻を振り返ってみた。
現在の彫刻に到るシリーズやテーマを継続してそろそろ10年になっていた。
スタートの頃は、今に比べるとずっとシンプルで自分の伝えたいことが小細工もなしにダイレクトにかたちになっていた。
同じテーマで制作を長く続けているうちに、いつの間にかかたちが複雑に錯綜して、本来のベーシックな要素が薄まってしまっていることに気付いた。
そういえば、最近の数年間はやたらと制作に時間をかけていた。
素材と丁寧に付き合って、工法も慎重にタップリと時間をかけて、自分が納得できるほどの完成度を求め、そういうことに終始していたことで、本来もっとも大事にしなければいけない造形の根本を何処かに置き忘れてしまっていた気がする。

彫刻を造り続けているうちに、無駄な欲が積もり溜まってしまうことはよくあることで、今までにもそういうことが何度かあって、それに気付いた時はできるだけ早く気持ちを切り替えてテーマや制作スタイルの更新をしてきた。
そろそろそういう時期が来ていたのかもしれない。
今のテーマである「Landscape situation」にはもう少し考えが残っていて、これをすぐに切り替えることは今のところまだ考えていない。
むしろ、今までの複雑に錯綜してしまっていた無駄な要素をもう一度整理し直して、大事なものを抽出した上で次の展開を考えていこうと思う。
「あの時消化不良で出来なかったから、今回は絶対にそれをかたちにしてみせるぞ!」と、毎回どこかしらなにかしらそういうふうに踏ん張って思うことがあって、それを次に次に引きずってその時々のかたちに置き換えていると結局やらなくてもいい無駄なことをセッセと繰り返して積み重ねていたりするから始末が悪い。
今日も、なんとなくヤバイヤバイと自覚しながら材料取りをしていたのだが、夕方の2時間位ほど自分を見失ってしまっていて、やらなくてもいいことでセッセと続けていた。
どうも自分の様子が違って「無駄に焦っていたりするなぁ〜」と気がついた時は、鉄板がフニャフニャになってまったく緊張感のないかたちが出来上がっていた。
結局、2時間ほどを無駄にしてしまったわけだが、それに気付いたショックで完全に集中力が切れた。
そういう状態で、仕事を続けてもどこかで些細なミスを犯してしまうことがよくあるし、本当はあと4〜5時間ほど制作を続けたかったのだが、思い切ってヤメにした。
さて、この判断が正しかったかどうか・・・結果はあと2〜3日で決まる。
吉田家に帰るとすぐに、ドロドロに汚れた作業着と自分の体をキレイにしてスイッチを入れ替えた。

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ヨレヨレオヤジの日常 

2017/09/10
Sun. 23:11

工場での彫刻制作も2日目が終わって、それなりに集中力も維持できている。
2日といっても実質10時間くらいしか制作時間の確保ができていない。
1日は半日ほど奥出雲でつぶれ、1日は現代彫刻小品展の事務が思ったより長引いてしまった。
それでも、大きなパーツの1つは仮溶接で立体が見えてきた。

今回の彫刻は、幾つかある手持ちのテーマの中では、比較的具象に近い分かり易いものになっている。
設置場所が大きな公園の敷地内に決まっていて、不特定多数の鑑賞者が対象であると思われるからだ。
こういう場所へ、個人の主観的造形の緊張を押し売りしても迷惑なことだろうと思っていて、そういう彫刻は、むしろきちんとした美術館の閉鎖された空間で先端的刺激を共有する方が面白いと考えているからだ。

彫刻のスケールは、自分にとってとても重要な要素になっている。
それぞれのテーマが違えば、それに最適のサイズがおおよそ見えてくるし、設置空間の条件によっても最適な空間の共有を得るためのスケールが決まる。
小さいサイズであるから緊張感の増す彫刻になることもあるし、そのかたちをそのままスケールアップしてもただ茫洋とした掴みどころのない彫刻にしかならないこともある。逆に彫刻のスケールが大きいから空間の広がりに説得力が加わって楽しめることもある。
私の場合は、どうも自分の眼で確かめて自分で汗を流さないと気がすまないようなところがあって、時々そういう融通のきかない自分の性格が自分の首を絞めて彫刻の広がりを捨てているような気がすることもあるが、今更無理してそれをどうこうする気にもなれないし、まぁ、まともに納得できる制作の継続もあと10年位だろうと予測していたりもして、自分に残された制作時間を有意義に楽しめればソレでいいと思っている。
とにかく、彫刻の大小関係なく、それが彫刻でなくてクラフトであっても、何か手を動かして少しずつかたちになって、制作の痕跡が納得できていれば、それが一番いい。誰のためでもない自分のために良い汗を流せればそれで十分なのだ。

先日万善寺の境内で鉄にディスクグラインダーを使っていたのだが、改めてその場所を見るとホワイトグレーの真砂土が一面茶色く変色していた。
庫裏の軒先の踏み石に腰掛けて、ほんの20〜30分鉄を削っていただけのことだが、仕事の痕跡が正直に残っている。
土蔵の軒先ではユキちゃんがエンジンチェンソーをふるっていて、クスノキのチップが散乱している。
禅寺末寺万善寺も、今年の春から少しずつ彫刻の要素が加わりはじめて、近所の目や耳を刺激し始めた。
石見銀山の吉田家では、ワイフの一手間で町並みに面した軒先が秋仕様に模様替えされて観光客の目をなごませている。
こういう造形表現のさりげない変化や継続がヨレヨレオヤジの日常の励みになっている。

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クスノキ 

2017/08/28
Mon. 23:52

飯南高原に比べると石見銀山は残暑が厳しくて暑い。
夜も寝苦しくて、なかなか寝付けないし夜中に何度も目が覚める。
・・・というわけで、とっても久しぶりに石見銀山吉田家に帰宅した。

前日の夕方にユキちゃんが万善寺へやってきた。
夏休みの間は、彫刻の制作も小休止で、各地のイベントやワークショップへ参加して過ごしているようだ。
話を聞くと、クリエイティブなことが本当にスキなのだなぁと思ってしまう。
私もどちらかといえばそちらの方面へシフトしている気もするが、彼女ほどアクティブにその系統の情報を収集してアチコチ出かけるほどマメでもない。それだけ、彼女が心身ともに健康で若くて私がジジイだということなのだろう。
そういえば、彼女との出会いも現代彫刻小品展のワークショップ会場だった。その時の世間話がきっかけで今につながってくるのだから、なかなか面白い縁があったのだなぁと他人事のように思ってしまう。
最近、こういう何かに向かって脇目をフル余裕もないくらい突き進むタイプの若者を見かけなくなった。
どこかしら自分の限界を楽なあたりに用意して、そこらへんで満足して、すぐ目先の近い将来を比較的常識的な路線に落とし込んで、大きな夢を持つこともなく、つつましく毎日を過ごす若者が私の周囲には多い気がする。もっとも、過疎の進む万善寺周辺の若者事情に限ったことのことだから、他の土地ではもっと若者の活性が充満しているのかもしれないけど・・・

せっかくだから、ユキちゃんを誘って親しくしている製材所へ出かけた。
以前から、「クスノキの丸太があるけど見てみないか?」と聞いていて、それが木彫のユキちゃんにどうかと思っていたところだったから、材料代のことは後回しにして、ひとまず現物をこの目で確認しておこうと思っていたところだった。
1.5mと5mの丸太があって、どちらも数年前の大水害で水没したものだった。幸い、水が引くと濁流に流されることもなく、資材置き場で土泥に埋まったまま見つかったのだが、そういう悪条件に遭遇した材料は建材として売り物になりにくいらしい。
私は鉄の彫刻を造っているから、どちらかといえば木材は縁遠いが、ユキちゃんのような木彫をメインに考えている作家には都合の良い材料であるかもしれない。
外側の白太部分は腐っているが、芯の方はシッカリしていて彫刻に出来るものだ。

ユキちゃんにとっては、大学の卒業制作以来の大作になりそうな気もして、ひとまず「短い方だけでも自腹でなんとかしてみろ」と購入を勧めた。残りの5mの方は私の懐事情を考えると少々厳しい金額だったが、せっかくのことだし、それも何かの縁だろうと思って引き取ることにした。万善寺の駐車場まで運んでもらって、そこで少しずつ刻みながら使おうと考えている。
このまま彼女が本気になって彫刻制作にハマることにでもなれば、その丸太を小売して原価のもとを取ることが出来るかも・・と、俗な打算が脳味噌を駆け巡ったりする。

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無限に単純 

2017/07/14
Fri. 23:26

飯南高原にある薬膳レストランのアプローチへ私の野外彫刻を置かせてもらってから、もう5年位は経っただろうか?
今の彫刻のテーマに到るきっかけとなる、自分にとっては重要な位置づけの連作彫刻でLandscape connectionのタイトルで制作を続けていた頃のものが5〜6点ある。
そのアプローチをレストランに向かって進むと洋風の門柱があって、それから先は前庭が広がってレストラン入り口へ続く。
その前庭へは現在の連作彫刻Landscape situationシリーズの初期彫刻を3点ほど設置させてもらっている。

飯南高原は、広島県との県境まで続く島根県東部の豪雪地帯で、暖冬といわれる冬季でも総積雪量は普通に2mくらいまでになる。
さすがにそのレストランも、真冬の時期は客足も途絶えて営業にならないから、だいたい2ヶ月位を休業にして、その間に新メニューの開発をしたり、出張の料理講習会を開いたりして春を待つ。
私の野外彫刻は、積雪を避けて移転することも出来ないので、ひたすら極寒の飯南高原でジッと雪に埋もれたまま春を待つ。

この5〜6年の間にドカ雪が2回位巡ってきた。
彫刻は背の高さで云うと、低いものは50〜60cmくらいで、背の高いもので3m近くある。
島根で暮らし続ける限り、降雪を避けるとか無視するとかして彫刻制作を続けることは出来ない。むしろ、降る雪も含め島根の四季とどのように関わってどのような彫刻にしていくかを考え、共生や協調を目指したほうが彫刻の造形に深みが増す。
彫刻のタイトルに「Landscape」を当てているのも、そのような島根の田舎暮らし事情がベースにあったりするわけだ。

・・・青山元不動 白雲自去来・・・
・・・雲去山嶺露・・・
・・・坐看雲起時・・・
・・・雲流無心亦無心・・・
・・・山是山 水是水・・・
・・・雲在嶺頭 水流澗下・・・
・・・山光我心澄・・・

などなど・・・あげればキリがないほど禅の僧侶は自然の景勝に自らの境地を託す。
字面の意味は乏しい知識を絞って捻るまでもないほどシンプルで、視覚的にスルリと心に入るが、その境地を探るとなると、なかなか奥深いものがあって計り知れない無限の解釈に迷う。
これから先、自分の造形がどこまで「無限に単純である」境地を目指せるかわからないが、自分の彫刻にはそういう目標が託されている。

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石のお地蔵さん 

2017/06/22
Thu. 23:29

ワイフを誘って松江の美術館へ出かけた。
万善寺の庭先で石の地蔵さんを彫っていた彫刻家のタマゴが、その美術館で開催されるお地蔵さんを集めた展覧会へ出品したので、その展示効果をみるのも目的の一つだった。

島根県は梅雨に入っているが、幸いにも雨が降り続くこと無く今に至っていて、外での仕事が遅々として進んでいないナンチャッテ住職にとっては、とても都合が良い。
午前中は、傷んだ庫裏の床を張り替えるための打ち合わせや荷物の移動をして、湯沸かし器の配管改修や墓参や花替え用に使う野外水洗い場の工事打ち合わせをしたり、保賀地内への回覧板や配り物をしたり・・・何かと慌ただしく過ぎた。
せっかくやる気満々で作業着に着替えていたが、結局外仕事にならないまま、いつものカジュアルなスタイルに着替えてワイフの待つ石見銀山へ向かった。

玄関を開けると、脱走に失敗したクロが土間の暗闇に潜んでいた。
「おかえりぃ〜〜」
珍しくワイフの声が♯がかって機嫌良さそうだった。
「私が出かける準備している間に琵琶採っておいてくれない?・・オ・ネ・ガ・イ♡」
・・・そうか、そういうことだったのか・・・あの♯の意味がわかった。
結婚生活も長くなると、お互いに遠慮というものがなくなって嘘がつけなくなる。ある意味、それも正直に付き合えているわけで良いことなのだろうが・・・だいたいにチキンで小心者の私の方はこうみえても結構ワイフに気を使いながら暮らしていると思ってるんだけど・・ブツブツ・・・
このところ、寺暮らしが常習化してきた感があって、その間に石見銀山で暮らすワイフも気楽な一人暮らしに慣れつつあるようで、私と連動しない彼女なりのスケジュールが出来上がっているようだ。

お地蔵さんの展覧会は、島根県の各所に散らばっている地域の文化教室やサークル活動の講師さんや生徒さんの作品を集めたもののようだった。
島根県現代彫刻振興委員会が主催で開催しているワークショップで講師をお願いしている石彫仏師の坪内正史さんが今回の展覧会を主催しているので、石のお地蔵さんもたくさん出品されてあった。
こういうタイプの展覧会に、造形がどうこうとか、具象とか抽象とか、素材や技法がどうのこうのいい始めたら厄介なことになる。とにかく、造ることを楽しむとか、同好の士が集まって有意義なひと時を共有するとか、そういうことのほうが大事なことで、造形の常識を柔軟に調整して、できるだけ振り幅を広くしておくことも大事なことだ。

出品点数にして、大小合わせ約600体くらいのお地蔵さんが集まっていただろうか・・・
万善寺の庭先でコツコツ刻んでいた石のお地蔵さんは、その中でもなかなかの完成度であったように思う。まぁ、チョット贔屓目かもしれないけど・・・
彫刻見習いと言ってもいいかもしれない彼女は、4月から6月にかけて木彫1点と石彫1点を制作して発表した。
まずは、コツコツと地道な仕事の継続が大事だと思っている。

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2018-02