工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその4 

2017/10/06
Fri. 22:43

10月3日の朝は、雨が少し残っていたがボクの彫刻を動かす時とは比べものにならないほど楽ないい天気になっていた。

石見銀山の吉田家を早朝に出発して万善寺へ到着すると、すでにユキちゃんが土蔵の軒下で制作をしていた。
「おはようございます!」の挨拶には相変わらず悲壮感が漂っている。
電動工具の使い方をチェックすると、操作ミスの傷がアチコチに残っている。
技術の方は、こうしてみんな少しずつ上手になっていくものだから、見た目には予測の範囲で彫刻になるにはなっている。
あまり早いうちから、技術とかテクニックとか、そちら方面にコダワリすぎると、かえって彫刻の大事な本質が見えなくなって、手先の思い込みだけの浅い彫刻になってしまう。
少々荒くて雑に見えても、制作者の目指す先のかたちがシンプルにダイレクトに伝わっている方が良いと、自分ではそう思っている。
この半年間、ユキちゃんの木彫を見ていると、あと一歩のところで造形のツッコミが足らないままに終わっている気がしている。
これからもうしばらく彫刻での付き合いが続けられるのなら、そのあたりの弱い部分を越えられるまではなんとかしてやりたいな・・・

そろそろ搬入積み込みの時間が迫っているから、結界君をバックさせてリヤデッキへ載せる準備に切り替えた。
チェーンブロックと足場板を使えば一人で積み込むことぐらいは出来るのだが、こういう一連の動きは、体で覚えることも大事なことなのでユキちゃんと手分けして声を掛け合いながらお互いの役割を分業した。

「とにかく、シャワーを浴びてらっしゃい!!」
これから彼女はいつもの仕事に出かける。彫刻を積み終わった後は、それまでの焦燥感が安心感に変わって「ボォ〜〜〜」っとしているから、声が少し荒っぽくなってしまった。
(ボクが代わりにプラットフォームまで搬入することになるんだけど・・・)
少々おせっかいが過ぎて甘やかしている気もするが、誰かが助けてやらないとどうにも出来ないことだってある。

ワイフは、昼過ぎまでいつもの仕事に出かけているから、彼女には「搬入来なくてもいいよ」と云っておいた。まぁ、これは「おせっかい」というより「生活共同体の愛情」と云うべきだろう。今年は、穴蔵のようないつもの彼女の制作部屋から、完成前の彫刻をギャラリー部屋へ移してあげた。
少しは広々と環境の良いところで彫刻の全体を見渡しながら完成させたほうが気も晴れるだろうと思ったからだ。
搬入前に写真を写してみると、なかなか雰囲気のある面白い彫刻に見えていた。
彼女の彫刻は会場の状況によって色々なふうに変化して見える。以前からそう思っていたのだが、今回は特にそれがハッキリ伝わった。体調不良のままよく頑張った!

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ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその2 

2017/10/05
Thu. 20:36

月の変わり目は徳島で過ごした。
徳島の野外彫刻展が、今年で55回を迎える。
この55回という数字は、地方の彫刻文化にとって、とてもとても重たい数字だと思う。

日本の美術界は、各種公募団体展が大きな勢力をもっていて、そのほとんどが東京の美術館で展覧会開催される。
私のように、何処かの公募団体に属して制作を続ける田舎の彫刻家は、そういう展覧会を目指して制作した彫刻の殆どを東京へ搬入し、東京で発表する。
私に彫刻の物心がついた頃にはすでにそういうルートが完成して、ほぼ一方通行に近い地方と東京を結ぶ文化のレールのようなものが存在していた。
島根に帰った始めの頃は、特に大きな疑問もなく、展覧会の出品とか発表はだいたいがそういうふうなものなのだろうと思っていて、ワイフが東京にいるときから出品を続けていた二紀会のことは前々から付き合いもあって知っていたことでもあるし、ワイフの彫刻制作や発表の助けをしながら自分もその流れに乗って自分の彫刻を出品するようになった。

さて、今から20年ほども前だっただろうか?・・・徳島で開催される西日本全体を見渡した彫刻文化振興のシンポジウムイベントに参加の声がかかった。
その頃は、自分のみる先に東京の美術館で作品発表をすることしか考えつかないほど周辺の身近な彫刻環境を知らなかったから、指示された幾つかの資料を用意して観光旅行程度の気楽な気持ちで徳島へ出かけてみた。
結果、想像もつかないほどの多数の彫刻家が参集し、手厚いおもてなしを受け、夢のような交流会となり、「超」が付くほどの真面目で真剣なシンポジウムイベントが開催された。
それが、私と徳島彫刻集団の最初の出会いだった。
たしか、その頃イベントの事務局で精力的に働いていたのが、今の会長の松永勉さんだったと思う。
その松永さんを知ってから、少しずつ自分の見る先が東京からそれるようになって、やがて九州の野外彫刻展へ出品したり、島根の石見銀山で個展をしたり、当時経営がどん底状態だった一畑電鉄のホームで個展をしたりと、自分の足元を見ながらそこに根付くことの出来るような彫刻を造ることに目覚めた気がする。

彫刻造形の完成度とか芸術レベルの高さとか、そういう研究表現の研鑽も制作者として大事な使命であると思うが、一方で彫刻を通した社会へのアンチテーゼ表現であったり、土着文化の啓蒙や発信であったり、そういうことを継続するということも、とても重要な表現活動であるということを教えられたのが、徳島彫刻集団の野外彫刻展であった。
だいたい20年ほど前の出会いから時が流れ、3年ほど前にはじめて展覧会へ賛助出品のお誘いを頂いて、昨年からはワイフにも出品の機会を頂いた。
9月から11月にかけての彫刻制作と発表のスケジュールが少し立て込むことになったが、少しも苦にならない。むしろ、今の自分に次の楽しみが一つ増えた気もして、片道5時間の距離が全く苦にならないまま搬入搬出が出来ている。

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3.5日の彫刻 

2017/09/29
Fri. 23:33

午前11時30分、今年の秋の展覧会出品彫刻が完成しました♡!
あとは、島根搬入までコツコツと鉄さびを整えるだけとなりました。

制作開始が26日で終了が29日という、突貫制作だったが、途中の迷いもほとんど無く、無心で制作に没頭できたように思う。
この数年間は、どこかしら仕上げのこととか配置構成のこととか搬入搬出の段取りのこととか、とにかくあまりに細かいことまで気を回しすぎて制作が慎重になりすぎたり、周辺の事情へ気を使いすぎたりしていた気がする。
彫刻のかたちが年々複雑になって主題が曖昧にかすんでしまった気がする。
夏の万善寺暮らしから気持ちを切り替えて、彫刻の制作へとりかかることが1年間のスケジュールに組み込まれて、知らない間にそうすることが当たり前になって、比較的ゆったりと制作時間を確保しながらノンビリと制作を楽しんでいた。
ある意味で、自分にとってはこういう気持ちの安らぐ豊かな時間が必要だと思う一方で、その時間に甘えすぎていた気がしないでもない。
自分を追い込んで、ギリギリのところで造形を精査していかないと、かたちのいちばん大事なポイントが曖昧になって茫洋となる。
おおよその方向性が大きくずれているわけではないはずなのだが、制作の途中でいつの間にか自分の主題を見失ってしまって、かたちのつながりのことだけに気持ちが片寄った造り込みが過ぎるふうになっていた。

とにかく、造形の気持ちの切り替えをするには丁度良い機会で、まぁ、そういう潮時であったのかもしれない。
一つ一つの彫刻が一つ一つ完結するのではなく、お互いの関連がゆるやかに継続されて増殖していくようなイメージを持つなら、それぞれの造形が特異に突出しないほうが良いこともある。
3日間と半日の制作の間にそういうふうに考えるようになった。
たとえば、東京の美術館で彫刻展示することは1年に一回のことだが、自分の周辺の然るべく環境を念頭に制作を続けることのほうが大事だと決めると、まずはそれを目標に大きな時の流れの中に我が身を委ねて全体のムーブマンを気遣いながら1年1年の制作や造形に落とし込むことが出来る。
1年360日くらいを造形の思考と創造の瞑想に費やし、残りの5日くらいで具体に置き換える・・・そういう制作スタイルが安定すると、それに付随して幾つかのスピンオフが見えてくる可能性も無いわけではない。
そろそろ自分の先も見えてきはじめているし、これからあと幾つくらいの彫刻が造れるかと思うと、その数も予測できるまでになっている。

ユキちゃんの制作も佳境に入った。
秋の日がどんどん短くなって、野外での制作時間も減ってくる。
午後からホームセンターへ回って投光機を買って、その足で万善寺へ向かった。
「ボクは、なんて優しいヒトなんだろう・・・」自分で自分の行為に呆れてしまう。

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只今制作中 

2017/09/27
Wed. 23:58

朝から雨が降り始め、工場で彫刻の制作をしている間に本降りになって1日中降り続いた。
結界くんのリヤデッキに現代彫刻小品展の搬出で積み替えたブルーシートや台車などがそのままだったが、一日の雨でずぶ濡れになっているし、降ろしても濡れたものを濡れたまま保管するところもないし、今度良い天気になるまでそのままにしておくことにした。

今年の彫刻は気持ちを入れ替えるというか、初心に帰るというか、とにかくシンプルに造形の根本を大事にしようと決めたところだ。それでも、会場へ訪れる多くの鑑賞者の目を楽しませることも大事なことだから、そのあたりの兼ね合いも含めて制作の最終の落とし所を決め兼ねている。
溶断と溶接と切削研磨の単純作業を繰り返しながら頭の中では次の工程を積み重ねておおよその作業時間を割り出す。夕方に一山越えて、もう一山越えようか迷い始めたのでひとまず小休憩を兼ねて結界くんへ給油することにした。
秋分の日が過ぎてからいっきに日が短くなった気もするが、それは多分雨のせいでもあるだろう。自分としてはもうひと山乗り越えるだけの体力は残っているが、これから延々と1時間ほどグラインダーを回し続けるのも周辺の民家に迷惑で気の毒だし、溶接が一巡したところで本日の制作を終了することにした。

石見銀山の町並みはスッカリ暮れて真っ暗になっていた。
吉田家のポストが郵便物であふれていた。「ワイフがいるはずなのに・・」珍しいことだ。土間へ入ると、「おかえりなさぁ~い」の声が返ってきたが元気がない。ワイフはこのところ、体調が思わしくなくて夕方にはゴロリと横になっていることが増えた。
郵便物の中に彫刻部からの手紙が入っていた。
六本木の美術館に彫刻を置くようになってから野外展示を続けている。
会場の仕切壁が中途半端な高さで、少し背の高い彫刻を造ると、その壁の水平線が邪魔してかたちの緊張感が上下で分断されてしまう。しばらくは我慢して上に伸びる彫刻を造っていたが、どうも納得がいかないまま出品のストレスがたまるようになったので、気持ちの切り替えも兼ねてテーマ設定を変えることにした。それ以来次第に背の高さが低くなって地べたに張り付くような彫刻に変わった。自分では、それはそれで面白い展開になっているのだが、この数年、彫刻部の方から美術館の意向が伝達されるようになって展示の拘束が強まった。
時代の流れというか、一般の風潮というか、私のような土着の彫刻家の土臭い彫刻が美術館から排除されつつある。彫刻が造りにくくなって制作や発表の意欲をそがれることが増えた。東京の美術館への出品も魅力を感じなくなってきた所へ追い打ちの手紙が届いたのが、一日の制作を終わって帰宅した時・・という、なんとも絶妙のタイミング。
世間の彫刻家の90%くらいは、美術館の意向と常識の範囲で制作が出来ているのだろうが、彫刻家吉田正純にはどうもそのあたりのすり合わせが難しい気もしている。

ノッチがニューヨークへ一人旅をした。SNSでその時の写真をいっぱい送ってくれた。
沈んだ気持ちが少しほど楽になった。

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工場の一日 

2017/09/26
Tue. 23:10

なんとなく、いつもの今まで通りの生活が戻りつつある。
寺のことも当分は法事もないし、石見銀山の暮らしがしばらくは続けられそうだ。
工場で彫刻制作がはじまった。
搬入の〆切が近いからノンビリもしていられないが、徳島野外彫刻展の出品作を制作しているときよりは少し落ち着いていられる気がする。

今度の彫刻を造るにあたって、過去の彫刻を振り返ってみた。
現在の彫刻に到るシリーズやテーマを継続してそろそろ10年になっていた。
スタートの頃は、今に比べるとずっとシンプルで自分の伝えたいことが小細工もなしにダイレクトにかたちになっていた。
同じテーマで制作を長く続けているうちに、いつの間にかかたちが複雑に錯綜して、本来のベーシックな要素が薄まってしまっていることに気付いた。
そういえば、最近の数年間はやたらと制作に時間をかけていた。
素材と丁寧に付き合って、工法も慎重にタップリと時間をかけて、自分が納得できるほどの完成度を求め、そういうことに終始していたことで、本来もっとも大事にしなければいけない造形の根本を何処かに置き忘れてしまっていた気がする。

彫刻を造り続けているうちに、無駄な欲が積もり溜まってしまうことはよくあることで、今までにもそういうことが何度かあって、それに気付いた時はできるだけ早く気持ちを切り替えてテーマや制作スタイルの更新をしてきた。
そろそろそういう時期が来ていたのかもしれない。
今のテーマである「Landscape situation」にはもう少し考えが残っていて、これをすぐに切り替えることは今のところまだ考えていない。
むしろ、今までの複雑に錯綜してしまっていた無駄な要素をもう一度整理し直して、大事なものを抽出した上で次の展開を考えていこうと思う。
「あの時消化不良で出来なかったから、今回は絶対にそれをかたちにしてみせるぞ!」と、毎回どこかしらなにかしらそういうふうに踏ん張って思うことがあって、それを次に次に引きずってその時々のかたちに置き換えていると結局やらなくてもいい無駄なことをセッセと繰り返して積み重ねていたりするから始末が悪い。
今日も、なんとなくヤバイヤバイと自覚しながら材料取りをしていたのだが、夕方の2時間位ほど自分を見失ってしまっていて、やらなくてもいいことでセッセと続けていた。
どうも自分の様子が違って「無駄に焦っていたりするなぁ〜」と気がついた時は、鉄板がフニャフニャになってまったく緊張感のないかたちが出来上がっていた。
結局、2時間ほどを無駄にしてしまったわけだが、それに気付いたショックで完全に集中力が切れた。
そういう状態で、仕事を続けてもどこかで些細なミスを犯してしまうことがよくあるし、本当はあと4〜5時間ほど制作を続けたかったのだが、思い切ってヤメにした。
さて、この判断が正しかったかどうか・・・結果はあと2〜3日で決まる。
吉田家に帰るとすぐに、ドロドロに汚れた作業着と自分の体をキレイにしてスイッチを入れ替えた。

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ヨレヨレオヤジの日常 

2017/09/10
Sun. 23:11

工場での彫刻制作も2日目が終わって、それなりに集中力も維持できている。
2日といっても実質10時間くらいしか制作時間の確保ができていない。
1日は半日ほど奥出雲でつぶれ、1日は現代彫刻小品展の事務が思ったより長引いてしまった。
それでも、大きなパーツの1つは仮溶接で立体が見えてきた。

今回の彫刻は、幾つかある手持ちのテーマの中では、比較的具象に近い分かり易いものになっている。
設置場所が大きな公園の敷地内に決まっていて、不特定多数の鑑賞者が対象であると思われるからだ。
こういう場所へ、個人の主観的造形の緊張を押し売りしても迷惑なことだろうと思っていて、そういう彫刻は、むしろきちんとした美術館の閉鎖された空間で先端的刺激を共有する方が面白いと考えているからだ。

彫刻のスケールは、自分にとってとても重要な要素になっている。
それぞれのテーマが違えば、それに最適のサイズがおおよそ見えてくるし、設置空間の条件によっても最適な空間の共有を得るためのスケールが決まる。
小さいサイズであるから緊張感の増す彫刻になることもあるし、そのかたちをそのままスケールアップしてもただ茫洋とした掴みどころのない彫刻にしかならないこともある。逆に彫刻のスケールが大きいから空間の広がりに説得力が加わって楽しめることもある。
私の場合は、どうも自分の眼で確かめて自分で汗を流さないと気がすまないようなところがあって、時々そういう融通のきかない自分の性格が自分の首を絞めて彫刻の広がりを捨てているような気がすることもあるが、今更無理してそれをどうこうする気にもなれないし、まぁ、まともに納得できる制作の継続もあと10年位だろうと予測していたりもして、自分に残された制作時間を有意義に楽しめればソレでいいと思っている。
とにかく、彫刻の大小関係なく、それが彫刻でなくてクラフトであっても、何か手を動かして少しずつかたちになって、制作の痕跡が納得できていれば、それが一番いい。誰のためでもない自分のために良い汗を流せればそれで十分なのだ。

先日万善寺の境内で鉄にディスクグラインダーを使っていたのだが、改めてその場所を見るとホワイトグレーの真砂土が一面茶色く変色していた。
庫裏の軒先の踏み石に腰掛けて、ほんの20〜30分鉄を削っていただけのことだが、仕事の痕跡が正直に残っている。
土蔵の軒先ではユキちゃんがエンジンチェンソーをふるっていて、クスノキのチップが散乱している。
禅寺末寺万善寺も、今年の春から少しずつ彫刻の要素が加わりはじめて、近所の目や耳を刺激し始めた。
石見銀山の吉田家では、ワイフの一手間で町並みに面した軒先が秋仕様に模様替えされて観光客の目をなごませている。
こういう造形表現のさりげない変化や継続がヨレヨレオヤジの日常の励みになっている。

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クスノキ 

2017/08/28
Mon. 23:52

飯南高原に比べると石見銀山は残暑が厳しくて暑い。
夜も寝苦しくて、なかなか寝付けないし夜中に何度も目が覚める。
・・・というわけで、とっても久しぶりに石見銀山吉田家に帰宅した。

前日の夕方にユキちゃんが万善寺へやってきた。
夏休みの間は、彫刻の制作も小休止で、各地のイベントやワークショップへ参加して過ごしているようだ。
話を聞くと、クリエイティブなことが本当にスキなのだなぁと思ってしまう。
私もどちらかといえばそちらの方面へシフトしている気もするが、彼女ほどアクティブにその系統の情報を収集してアチコチ出かけるほどマメでもない。それだけ、彼女が心身ともに健康で若くて私がジジイだということなのだろう。
そういえば、彼女との出会いも現代彫刻小品展のワークショップ会場だった。その時の世間話がきっかけで今につながってくるのだから、なかなか面白い縁があったのだなぁと他人事のように思ってしまう。
最近、こういう何かに向かって脇目をフル余裕もないくらい突き進むタイプの若者を見かけなくなった。
どこかしら自分の限界を楽なあたりに用意して、そこらへんで満足して、すぐ目先の近い将来を比較的常識的な路線に落とし込んで、大きな夢を持つこともなく、つつましく毎日を過ごす若者が私の周囲には多い気がする。もっとも、過疎の進む万善寺周辺の若者事情に限ったことのことだから、他の土地ではもっと若者の活性が充満しているのかもしれないけど・・・

せっかくだから、ユキちゃんを誘って親しくしている製材所へ出かけた。
以前から、「クスノキの丸太があるけど見てみないか?」と聞いていて、それが木彫のユキちゃんにどうかと思っていたところだったから、材料代のことは後回しにして、ひとまず現物をこの目で確認しておこうと思っていたところだった。
1.5mと5mの丸太があって、どちらも数年前の大水害で水没したものだった。幸い、水が引くと濁流に流されることもなく、資材置き場で土泥に埋まったまま見つかったのだが、そういう悪条件に遭遇した材料は建材として売り物になりにくいらしい。
私は鉄の彫刻を造っているから、どちらかといえば木材は縁遠いが、ユキちゃんのような木彫をメインに考えている作家には都合の良い材料であるかもしれない。
外側の白太部分は腐っているが、芯の方はシッカリしていて彫刻に出来るものだ。

ユキちゃんにとっては、大学の卒業制作以来の大作になりそうな気もして、ひとまず「短い方だけでも自腹でなんとかしてみろ」と購入を勧めた。残りの5mの方は私の懐事情を考えると少々厳しい金額だったが、せっかくのことだし、それも何かの縁だろうと思って引き取ることにした。万善寺の駐車場まで運んでもらって、そこで少しずつ刻みながら使おうと考えている。
このまま彼女が本気になって彫刻制作にハマることにでもなれば、その丸太を小売して原価のもとを取ることが出来るかも・・と、俗な打算が脳味噌を駆け巡ったりする。

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無限に単純 

2017/07/14
Fri. 23:26

飯南高原にある薬膳レストランのアプローチへ私の野外彫刻を置かせてもらってから、もう5年位は経っただろうか?
今の彫刻のテーマに到るきっかけとなる、自分にとっては重要な位置づけの連作彫刻でLandscape connectionのタイトルで制作を続けていた頃のものが5〜6点ある。
そのアプローチをレストランに向かって進むと洋風の門柱があって、それから先は前庭が広がってレストラン入り口へ続く。
その前庭へは現在の連作彫刻Landscape situationシリーズの初期彫刻を3点ほど設置させてもらっている。

飯南高原は、広島県との県境まで続く島根県東部の豪雪地帯で、暖冬といわれる冬季でも総積雪量は普通に2mくらいまでになる。
さすがにそのレストランも、真冬の時期は客足も途絶えて営業にならないから、だいたい2ヶ月位を休業にして、その間に新メニューの開発をしたり、出張の料理講習会を開いたりして春を待つ。
私の野外彫刻は、積雪を避けて移転することも出来ないので、ひたすら極寒の飯南高原でジッと雪に埋もれたまま春を待つ。

この5〜6年の間にドカ雪が2回位巡ってきた。
彫刻は背の高さで云うと、低いものは50〜60cmくらいで、背の高いもので3m近くある。
島根で暮らし続ける限り、降雪を避けるとか無視するとかして彫刻制作を続けることは出来ない。むしろ、降る雪も含め島根の四季とどのように関わってどのような彫刻にしていくかを考え、共生や協調を目指したほうが彫刻の造形に深みが増す。
彫刻のタイトルに「Landscape」を当てているのも、そのような島根の田舎暮らし事情がベースにあったりするわけだ。

・・・青山元不動 白雲自去来・・・
・・・雲去山嶺露・・・
・・・坐看雲起時・・・
・・・雲流無心亦無心・・・
・・・山是山 水是水・・・
・・・雲在嶺頭 水流澗下・・・
・・・山光我心澄・・・

などなど・・・あげればキリがないほど禅の僧侶は自然の景勝に自らの境地を託す。
字面の意味は乏しい知識を絞って捻るまでもないほどシンプルで、視覚的にスルリと心に入るが、その境地を探るとなると、なかなか奥深いものがあって計り知れない無限の解釈に迷う。
これから先、自分の造形がどこまで「無限に単純である」境地を目指せるかわからないが、自分の彫刻にはそういう目標が託されている。

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石のお地蔵さん 

2017/06/22
Thu. 23:29

ワイフを誘って松江の美術館へ出かけた。
万善寺の庭先で石の地蔵さんを彫っていた彫刻家のタマゴが、その美術館で開催されるお地蔵さんを集めた展覧会へ出品したので、その展示効果をみるのも目的の一つだった。

島根県は梅雨に入っているが、幸いにも雨が降り続くこと無く今に至っていて、外での仕事が遅々として進んでいないナンチャッテ住職にとっては、とても都合が良い。
午前中は、傷んだ庫裏の床を張り替えるための打ち合わせや荷物の移動をして、湯沸かし器の配管改修や墓参や花替え用に使う野外水洗い場の工事打ち合わせをしたり、保賀地内への回覧板や配り物をしたり・・・何かと慌ただしく過ぎた。
せっかくやる気満々で作業着に着替えていたが、結局外仕事にならないまま、いつものカジュアルなスタイルに着替えてワイフの待つ石見銀山へ向かった。

玄関を開けると、脱走に失敗したクロが土間の暗闇に潜んでいた。
「おかえりぃ〜〜」
珍しくワイフの声が♯がかって機嫌良さそうだった。
「私が出かける準備している間に琵琶採っておいてくれない?・・オ・ネ・ガ・イ♡」
・・・そうか、そういうことだったのか・・・あの♯の意味がわかった。
結婚生活も長くなると、お互いに遠慮というものがなくなって嘘がつけなくなる。ある意味、それも正直に付き合えているわけで良いことなのだろうが・・・だいたいにチキンで小心者の私の方はこうみえても結構ワイフに気を使いながら暮らしていると思ってるんだけど・・ブツブツ・・・
このところ、寺暮らしが常習化してきた感があって、その間に石見銀山で暮らすワイフも気楽な一人暮らしに慣れつつあるようで、私と連動しない彼女なりのスケジュールが出来上がっているようだ。

お地蔵さんの展覧会は、島根県の各所に散らばっている地域の文化教室やサークル活動の講師さんや生徒さんの作品を集めたもののようだった。
島根県現代彫刻振興委員会が主催で開催しているワークショップで講師をお願いしている石彫仏師の坪内正史さんが今回の展覧会を主催しているので、石のお地蔵さんもたくさん出品されてあった。
こういうタイプの展覧会に、造形がどうこうとか、具象とか抽象とか、素材や技法がどうのこうのいい始めたら厄介なことになる。とにかく、造ることを楽しむとか、同好の士が集まって有意義なひと時を共有するとか、そういうことのほうが大事なことで、造形の常識を柔軟に調整して、できるだけ振り幅を広くしておくことも大事なことだ。

出品点数にして、大小合わせ約600体くらいのお地蔵さんが集まっていただろうか・・・
万善寺の庭先でコツコツ刻んでいた石のお地蔵さんは、その中でもなかなかの完成度であったように思う。まぁ、チョット贔屓目かもしれないけど・・・
彫刻見習いと言ってもいいかもしれない彼女は、4月から6月にかけて木彫1点と石彫1点を制作して発表した。
まずは、コツコツと地道な仕事の継続が大事だと思っている。

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行間を読む 

2017/05/24
Wed. 23:15

今の吉田は坊主80%、彫刻家20%くらいの生活をしている・・・と感じている。
坊主といっても、ほとんど、毎日万善寺の境内地内外をアレコレつついているだけのことだけどね。

今から30年以上前の吉田は彫刻家80%くらいで暮らしていたことがあった。
ワイフと結婚して島根に帰った頃で、学生時代の満ち足りた制作環境から、手持ちの電動工具も何もない社会へ放り出されたような状況で途方に暮れつつも、制作への執着捨てがたく、色々模索していた時期であった。
制作の方向性は、まだ全然固まっていない状態だったから、「何を表現したいか」というより、「何が表現できるか」をセッセと考えていた。
結局、自分の身近にある色々な素材をかき集めて、必要最小限の道具で出来る「なにか」を造ることからはじめた。
その「なにか」は、ある時は平面であったりある時は立体であったり色々だったが、そうしてみると、島根で「なにか」を造る環境は、圧倒的に平面へ偏っていると気付いた。油彩にしても日本画にしても、絵の具から筆から各種道具まで、「平面のなにか」を表現するには何の問題もなくすぐに始められる環境があった。
一方、立体の方はなかなかそういうわけにいかなくて、かなり苦労した。

いろいろあって、ひとまず抽象の立体へ落ち着きつつあったが、まだ本格的に「これが抽象彫刻である!」と明言するほどの自信がない。
そこでまずは、「そもそも、抽象とはナンゾや??」から始まって、その後約10年間、ひたすら地味にコツコツと地味な抽象らしき造形を造り続けた。
あんなつまらない観念的な彫刻(のようなもの)を造り続けていた私を見捨てないで、しぶとく拾い続けてくれていたものだと、二紀会彫刻部に感謝している。
・・・とそんなわけで、この春先から万善寺の庭先で杉の丸太を彫り始めた娘をみて、当時の自分を思い出したりして、それなりの感傷に浸りつつ草刈り機を振り回している今日此頃なのです。

それで、思い出したことがある。
昔のことで正確ではないが、アメリカの文化人類学者でE.T.ホールという人が、「日本人は、抽象的な言葉で表現することが出来る」ようなことをいっていると雑誌か何かで読んだ覚えがある。その時に、これは、「行間を読む」というヤツだな・・と解釈して、なんとなく一人で解った気になって、「抽象とはソレなんだ!」と思うことにしたら、気が楽になった。
石見銀山で初めて個展をすることにしたのも、きっかけは抽象の表現に対する自分の気持が少し整理出来たからだ。

永代供養墓の文字で「雲従龍」「両忘」「風従虎」の3つを用意しようと決めた。
それぞれに、自分なりの意味があるが、3基の自然石の構成も合わせて行間を読んでもらいたい。

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裏庭の彫刻 

2017/05/15
Mon. 23:27

最近、時々万善寺の法事がある程度で収入に繋がる仕事がほとんど回ってこない。
その万善寺も、春の大型連休は法事ゼロという状態で、近年ではすこぶる珍しい。
飯南高原とその周辺は、正月に今年の年回法事繰り出し表を宅配して回っているのに、その効果もない。
檀家さんも世代交代で、年回法事でご先祖様の供養するより家族サービスに忙しくしていらっしゃるのだろう。

いっぽう、収入に繋がらない仕事の方は終りが見えないほど山のように溜まっている。
連休をずらして帰省していたノッチが仕事に帰っていったから、私の方も気持ちを切り替えて吉田家営繕作業を再開した。
この数年、荒れ放題のまま放置されていた裏庭の整備が少し進んだ。
銀山川へ降りる石段も、3分の2ほど姿を表した。残り3分の1は土砂で埋まったままだから、スコップとか鍬とか、なにかそういうもので石の階段を掘り出すしか無い状態だ。
5〜6年前の強烈な暴風雪で庭木の幾つかが倒木した。
その後、手付かずのまま放置したままだったから、今回の整備でストーブの薪にしようと考えている。
ワイフが植えたつるバラの株は、ほとんど野生化して庭木を締め上げながら伸び放題に伸びている。
ハートカズラも鉢から地植えに下ろしたら一気にはびこって吉田家の勝手口から物干し場へ這い上がって、今はトタンの屋根まで広がった。
花の咲かない藤蔓は梅の枯木を這い上がってパラボラアンテナへ巻きついて、大屋根へ這い上がる勢いだ。

とにかく、春から梅雨に入るこの時期は、草木が一気に伸びてくるから、気楽にボォ〜っとしているわけにいかない。
とても、何かの片手間で片付ける程度の仕事量ではないから、今年は本気で営繕へ集中することにした。
二股に別れて横に広がっていた桃の木の一本が根本から折れて私の鉄の彫刻へのしかかったままになっている。
この彫刻は、1999年から2000年・・つまり、20世紀最後の記念として自分史の記録を残しておこうと思いついた個展の第一回展で制作したものだ。
2年にわたった4つのシーズンへ当てて4つのテーマの個展にした。
そのスタートとして、昭和の記憶をカタチに変えようと密かにあたためていた「ラヂオ」を彫刻にした連作の一つであり、加えて、現在地べたに張り付くような連作の彫刻を造っている、その原型として位置づくとても重要な記念的彫刻でもある。
この彫刻だけは自分の暮らしのすぐ近くに置いておこうと決めて、現在の場所へ設置していた。その全形が、久しぶりに桃の木の下から現れた。
改めて見ると、造形的にまだ消化不良の、気持ちだけが先走った軽っぽいカタチであることに気づく。
それでも、それなりに自分では気に入っていて愛らしく捨てがたい彫刻でもある。

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彫刻撤収 

2017/04/19
Wed. 04:06

鷲羽山レストハウスから更に登った展望台から彫刻を撤収した。
昨年からほぼ1年間、私の鉄の彫刻を置かせてもらっていた。
瀬戸中央道の大橋が展望できる絶景の場所で、ヤマツツジの濃いピンクと桜の淡いピンクが春の瀬戸内海の日差しを反射してとてもキレイだった。
「桜とツツジが一緒に咲いているのを始めてみました・・ボク」
岡山の赤礬市に暮らす陶芸家が彫刻移動を手伝ってくれながらそう云っていた。
私より少し若いくらいの年齢だと思うから、今年の春の瀬戸内の気候は、まぁ、とても珍しいといえるのかもしれない。
まだ、2回しか春の鷲羽山を見たことのない私の方は、そういう異常な気候のことなど時に気にもしないまま「キレイなことだ!」と単純に納得してしまっていたが、岡山の瀬戸内一帯は、どうやら異常な春であるらしい。

自分の彫刻が、潮風にさらされながら1年間でどのように変化してきたか、それを確認するのも、今回の搬出では重要な狙いであった。トラックに積み込みながらサビの色や粗さをさりげなくチェックしたが、山陰の彫刻より若干黃観がかっているくらいに感じた。
化学者ではないから、成分の化学的変化をどうこうと研究することもないが、それでも自然の環境の変化に自分の彫刻がどのように反応しているのか、そのあたりのことは興味があるし、彫刻素材の経年変化も自分の彫刻の味にしているようなところもあるから、こういう実践的実験が長期に渡って出来る展覧会とかイベントは大歓迎なのだ。

鷲羽山からほど近い児島にある塩田で財を成した旧家の前にも彫刻を置かせてもらったが、こちらは約1ヶ月間だったので、特に大きな変化もなくなかなかいい感じの色合いに落ち着いていた。彫刻を造る時、幾つかのテーマを使い分けている。この彫刻はそのうちの一つで、鷲羽山の彫刻とは制作のコンセプトが違っている。
別に、自分だけのことだからワザワザそういう事情を語る必要も無いことだが、誰かの何かの参考にでもなれば良いかもしれない。

私の造る彫刻のほぼ80%は野外設置を前提としたものだ。
一口に野外と云っても、私の暮らす島根県のような雪が降り積もるところもあれば、このたびの瀬戸内のように雪とは縁がないところもある。潮風のこともあるし、夏の日差しの違いのこともある。雨が多かったり、風当たりが強かったり、とにかく、自然の様々に違う環境にあって、自分の彫刻が周囲の環境と共生しながら美しい造形として存在してくれるということが制作者のつとめであり責任である。
かたっ苦しいことでもあるが、自分にとっては大事なことと思っていて、常々そういうふうに自分の彫刻と付き合うようにしている。
そこで、鷲羽山の彫刻のように移動が難しいものばかりを造っていると、さまざまな環境で実践的実験にストレスがかかりすぎるから、比較的楽に何処へでも移動できるシンプルな造りで持ち運びのし易い「移動式野外彫刻」なるものを用意しておくと都合がいい。
何かそれにふさわしいテーマはないかと考えて、この数年それらしき都合のいい彫刻も造るようにしている。

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彫刻の抽斗 

2017/03/06
Mon. 09:25

構想350日の彫刻をそろそろ造り始めようと、完成予定日の15日くらい前から準備し始めていたら、万善寺の用事が次々に入り込んで、見事に出鼻をくじかれてしまった。

自分の今までの彫刻家人生で唯一、展覧会出品をドタキャンしたことがある。
あれは、島根県へUターンしてまだ5年と経っていなかった頃だったと思う。
先代住職の憲正さんは、50歳を過ぎた頃に大病を患ってそれ以降の生涯は、常に何かしらの病気と付き合いながら通院と入退院を繰り返しながら無理をしない程度に住職を続け、結局90歳近くまで長生きをした。
私は、その憲正さんの初期の大病を契機に東京暮らしを切り上げた。
島根の仕事に落ち着いて、「さぁ、そろそろ制作を再開しようか!」と準備をはじめて何年かアレコレと造形に取り組んでいるうちに気持ちが彫刻に傾きはじめて、それこそ、今回のように構想◯◯日を過ぎて材料の準備も整って、あとは実材にとりかかろうという頃合いを見計らったように憲正さんが手術することになって、そのドタバタでどうにもこうにもいかなくなって、ワイフと二人して制作を断念した。
当時の展覧会事務局などで忙しくしていた新進気鋭の彫刻家へ、その旨を伝えたら、「そういうことも想定して、幾つかの彫刻を造りタメておくくらいでないとダメだね!」と軽く一括された。
どんなに工夫しても都合の付かない事情はいつどんな時にどういう形でやってくるか予測不能だ。そういう事態に備えて、あらかじめ幾つかの善後策を用意しておくくらいの余裕が大事だと、痛感した。
同じ間違いは二度としないように気配りをするようになってから現在まで、幸いにも自分の個人的な事情で展覧会のドタキャンをしたことは無い。

私に付かず離れず寄り添って彫刻を造り続けているワイフも、最近は彼女なりのペースを組み立てて制作に取り組んでいる。
搬入の日時が迫ってくると、吉田家の二人の彫刻家はそれぞれがそれぞれの事情で日常をやりくりして制作を続けることになるわけだが、さすがに今回の私は、次々に予期せぬ出来事が巡ってきて思わず挫折しそうになった。
それでも過去のドタキャンの時の一括があった御蔭で、何かの時の彫刻を幾つか造り貯めているから、ずいぶんと気楽でいられる。

今回の新作彫刻は、急きょ当初の制作予定を変更して、メインテーマにつづいて用意してある幾つかの系統から一つを選んで直感的に形を造り上げた。
知人の彫刻家から、「吉田さんは幾つかの抽斗を持ってるね。それも必要なことだよね!」と指摘されたことがあるが、まさにその通りで、まぁ、次の個展でもする時のテーマにでもいなればいいなと密かに溜め込んでいるへそくりのようなものが入った抽斗の一つを開けさせてもらった次第。
構想350日の彫刻は、ひとまずその系統の抽斗の方へしまっておくことにした。
時々中を覗いたり引っ張り出したりしながら、次の制作の機会を待つことにする。
今日中にワイフの彫刻が完成するはずだ。明日は搬入に向けて島根を出発する。

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作家の言葉 

2017/02/21
Tue. 18:34

今更改まって云う程のことでもないが、実は、彫刻家としての吉田正純は何かしら造形作品のようなものを造り始めた20代の頃から今まで1年も休むこと無く何処かの展覧会へ発表を続けている。
「あれだけ飽きっぽい性格でナマケモノなのに」よくこの歳まで地道に長々と長続きしているものだ・・・と感心しつつ、ふと、自分で自分のことを褒めてあげたくなってしまうときがあったりする。

制作を始めた初期の10年間位は、毎年アチコチの展覧会の出品規定や要項をチェックしながら、そして時には、実際にその展覧会の会場へ出かけて出品作家たちの作品を観たりしてから、幾つかの作品を造って出品したりしていた。落選するときもあるし、入選するときもあるし、まぁ色々だったが、何かしら形が完成して搬入までのなんとも例えようのない虚脱し且つマッタリとしたひとときが無性に気持ちよかった。制作中の抑圧された全ての欲望が一気に開放された感じだと云って良いかも知れない。
その時々によるが、ある時は映画館を目指したり、ある時は行きつけの飲み屋へ直行したり、ある時は神保町で古本を買い漁ったり、天気が良いと新宿御苑でメシも食べないでごろ寝していたり・・・とにかく、だいたい一人で過ごしていた。

20代後半にワイフの彫刻搬入搬出を手伝うようになって、それがとても刺激になった。
彫刻制作の裏側がリアルに伝わってきて、いい勉強になった。その搬入会場へ参集する彫刻家たちの様子が自分の感覚にあっていたというか、ゆるやかに包容されるような空気感が心地よかった。ワイフの彫刻出品を手伝いながら依然として特定の会派を決めることもなくのらりくらりと気ままに制作を続けていたが、いつまでも搬入出の手伝いばかりしていてもしょうがないし、少しずつ本気になって結局彼女の会派へ合流することにした。
それが二紀会で、気がつけばあれからすでに30年以上出品を続けている。
出品歴はワイフが長いから、たぶん、彼女が彫刻を造り続けていることで飽きっぽい性格のボクもここまで継続してこれたのだろうと、今更ながらにそう思う。

たぶん、昨年の年末くらいだったのだろう、二紀会事務局から70周年記念誌の原稿依頼が届いていたらしい。
寺のことでドタバタしていた頃だから、自分でそのことを確認できていたかどうかも覚えがないまま過ぎていたら、先日、彫刻部のH氏から督促の電話が入った。その前にも別件で二紀会本部からFAXが届いていたようだし、なんともだらしない組織員で、会の運営に何かと迷惑をかけっぱなしでいる。
あわてて、原稿を書いてH氏にメール送信した。Hさんゴメンナサイ・・反省してます!

〜〜〜〜〜〜〜作家の言葉〜〜〜〜〜〜〜
近年の彫刻は、一貫したテーマを主軸に制作を続けている。この彫刻もその一つで、まぁ、読み切り連作小説の一編のようなものと思って観ていただければありがたい。そこにある彫刻とそれを観る鑑賞者のあいだに発生するさまざまなシンパシーが自分の彫刻の成長につながるといいし、それを楽しんでいる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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雪男の旅ーその3 

2017/02/20
Mon. 21:19

強行軍の彫刻搬入から帰って一段落したら、いっきに気持ちの緊張が抜けて、それまでだましつつ働かせていた身体のアチコチが鈍く痛みはじめて身動きできないほどになった。
2ヶ月あまりの万善寺暮らしの間に、自分の身体から筋肉がとろけてなくなってしまったようだ。

岡山の児島一帯をフィールドにした芸術祭へ彫刻出品を誘われたのが昨年のこと。
その時の誘い主は学生時代の同級生のiさん。
現在のiさんは、七宝の作家で作品制作と展示発表を繰り返しつつ、日本各地や欧米の都市部を中心に七宝教室の講師をしたりして技法の伝授を積極的に展開している。
長い間、東京を基地にして暮らしながらそういう制作活動を続けていたのだが、故郷で暮らすお母さんの高齢に伴い、Uターンを決めたのが今から数年前のこと。
その後、何度か「正純の近くへ帰ったよ!」と連絡をくれたり、共通の友人から情報が流れてきたりしていたが、2年前の暮になって、今回の「岡山での文化イベントに参加しない??」かと誘ってくれた。
私は年中ヒマにマイペースな暮らしぶりだから、こういう時の誘いに乗っておかないと、いつも忙しくしている彼女と逢う機会もなかなか巡ってこないだろうと思って、参加を決めた。
「久しぶりにiさんと逢えるかも?」という動機からして、主催者の高尚な文化事業をどこかしら無視してしまうような超個人的なレベルで彫刻出品を決めたようなところもあって、昨年の初出品はとにかく吉田のワガママワールドが炸裂した感じで終始した。

その後いろいろあって、なんとなく岡山との縁が絶えないまま1年が過ぎる間に、少しずつ岡山の主催メンバーとも緩やかなつながりが出来てきて、今年はiさん抜きで2回めの参加をすることが決まった。
それで、先週末に搬入日程を組み込んで、2tのレンタルをしたりして行動を開始した。
ちょうど移動の最中に天候が崩れて降雪の予報になっていたから、直前までスケジュールの組み立てがなかなか決まらなくて、チキンオヤジの神経がとにかく消耗した。
いつもの雨男が今年になって雪男状態になったまま、雪深い中国山地を越えることになってしまった。
だいたいに岡山の瀬戸内沿岸は年中温暖な気候で過ごしやすいところだが、児島での搬入作業のあいだ中、絶え間なく小雨が降り続いて肌寒い1日になった。それでも、お昼過ぎには一通りの搬入と展示の作業を終了することが出来た。これも、岡山倉敷森山珈琲君が甲斐甲斐しく献身的に手伝ってくれた御蔭だ。ありがとうございました!

同日にキーポンの引っ越しをスケジュールに入れていたから、昼飯抜きで一気に倉吉へ移動した。荷物を積み込む最中はみぞれになったりした。まったくもって、ことごとく悪天候に悩まされた1日1晩になった。
打ち止めは・・・やっとの思いで石見銀山の我が家近くまで帰ってきて、あと少しで町並みの自宅前というところで、2tのアルミの角を民家の雨樋へぶつけてしまった。
真っ暗な中で平身低頭家長に謝ったり善後策を決めたりして身も心も冷え切って凍った。

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石見銀山農閑期限定田んぼ野外彫刻 

2017/01/30
Mon. 20:03

飯南高原は、夕方から雪になった。
最近のスポット天気予報は比較的よく当たるから、心の準備がしやすくて助かっている。
今日も、そんな感じで万善寺3畳の寺務所兼用書斎が急に冷え込んできたから、「降り始めたかな・・」と感じて確認したら、結構小粒のパウダースノーに近い雪が絶え間なく降っていて、辺り一面がグレーに染まっていた。

そろそろ、万善寺のコーヒーも残りわずかとなった。
不本意だが、お湯の量をカップ2杯分くらい多めに抽出してしのいでいる。
吉田的には物足らないが、世間的にはそれなりに我慢できるくらいの濃さのコーヒーにはなっている気がする。
ようするに、いつもはそれだけ贅沢な一杯の珈琲を飲んでいるというわけだ。

「そろそろ節分で立春だから、いつまでも万善寺の常駐も出来ないからね・・」
先日、江津の仕事へ出かける前に母親へそう伝えておいたら、急に図々しい気弱が出てき始めて、このところ食事の度に湿っぽく絡んでくる。
「墓のことを考え始めて夜も眠れない」とか、
「自分の身体が思うように動かないから一人になるのは嫌だ」とか、
「いろいろ考えていることがあるから相談しよう」とか、
・・・まぁ、上げればきりがないが、現代社会の常識からすると半世紀も前の時代を引きずって、それでなんとか出来ると確信しているような言い回しが繰り返され続けると、あっという間に胃潰瘍になってしまうくらいストレスが消化されないまま身体に蓄積されていく。
自分の都合で1日に何度も3畳へやってきて私のデスクワークの流れをせき止める。
気持ちも集中も萎えてなかなかもとに戻らないから、それで余計イライラが増す。

・・・以上、現在の吉田オヤジの愚痴をたれてしまったわけでありますが、基本的には目先の面倒なことへ気楽に乗り切る方が多いほどのどうしょうもない人間なので、ある意味本能的にいろいろな手段を使ってストレスの解消をしているようなところもあって、それはそれなりに若干の良心の呵責を感じたりもして、実に面倒臭いボクでもあったりするわけです。

今年2回めの寒波が島根県へやってきた時に、「この機会を逃したら、後がないかもしれない」と直感して、若干のストレス解消も兼ねつつ、石見銀山の農閑期限定田んぼ野外彫刻の記録写真撮影へ出かけた。
前回の撮影は概ね失敗の方へシフトしてしまったので、今回はできるだけ好条件の記録を残しておきたい(・・・ようするに、天候相手の坊主の神頼みというやつ・・で)と強く願った!結果、納得しているわけでもないがそこそこ妥協できる程度の記録は残すことが出来た。
最近の石見銀山は、雪の量が減った気がする。この、雪の積もった野外彫刻についての一考察は、そのうち、少しじっくりとまとめておこうと思っている。

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檜林の彫刻 

2016/12/05
Mon. 15:12

初七日が終わった。
もう、あれから1週間ですよ・・・何か、早かったような気もするけどよくわからんなぁ〜・・

私が住職になってから島根県の県境を越えたお葬式はこれで2回目になる。
所変われば葬式システムも地域事情で変わるのは普通のことだが、それに加えて、広島は毛利元就さんの関係で浄土真宗さんがとても多い。そういうところへ曹洞宗の山寺の田舎坊主がノコノコと出かけていることからして、なんとなく居心地が悪かったりする。だいたいが軟弱なチキンボーズは、この一週間緊張でビビリっぱなしだったのです。
これから、年末年始と続く七日務めから四十九日や百ヶ日の法要も、冬の雪と上手に付き合いながら遺漏の無いように務めなければいけない。

石見銀山の谷にある田んぼへ、今年も野外彫刻を置かせてもらった。
この近年は年中行事のようになっていて、だいたい翌年のお彼岸前後までの農閑期は路線バスの回転場からその彫刻を見ることが出来る。本当は、もう一つ野外彫刻を設置しようと準備までは出来ているのだが、例の1週間続いたお葬式で中断してしまった。
私が本格的に石見銀山へ野外彫刻を設置し始めたのは1999年から2000年にかけてのあたりからだったとおもう。野外彫刻そのものはもっと前からその気になって制作していたのだが、その頃からは、あるコンセプトを意識して石見銀山の谷へ置くようにしている。
石見銀山が今から10年ほど前に世界遺産へ登録されてからは、野外彫刻の設置条件がかなり厳しくなったので、それからは常設設置をあきらめた。それでも、石見銀山は吉田家が住み暮らす町でもあるし、彫刻家としての吉田の立ち位置を地域の皆さんの目に触れるかたちで表現し続けることも大事だと思っている。

日中はほとんど外出が続いていて、陽のあるうちに石見銀山の町並みを歩くことが稀になっていたが、先日ちょっとした用事もあって久しぶりに吉田家の裏庭から銀山川を渡って田んぼの野外彫刻を横目で見ながら石見銀山生活文化研究所の正面玄関まで出かけた。
会社の玄関前には広島の上下町(?)から移築した茅葺屋根の古民家があって、小川の向こうの敷地のアチコチに私の野外彫刻が点在している。その彫刻群も2000年を少し過ぎた頃におおよその場所を決めて設置したはずだ。自分で言うのも気恥ずかしいことだが、彫刻の一つ一つに思い出があっていまだにその制作の背景を生々しく覚えていたりする。
檜の林に設置した彫刻は個展のために造った一番大きくて展覧会の主役を務めたものだ。小川ぎりぎりまで移動した3tのユニックのアームを最長に伸ばして今の場所へ設置した時はまだ檜の間隔も空いていたが、今改めて見るとその後約20年で成長した檜に埋もれてなかなかいい感じになってきた。毎年春になるとアイビー系の蔦が萌黄に芽吹き、次第に緑が増して夏には彫刻の半分近くほどビッシリと蔦の葉で埋もれる。秋になるとその葉も紅葉が進みやがて晩秋前に葉が落ちて冬を迎える。昨年は雪が少なくて、檜林の彫刻にまでは雪が積もることもなかった。
いずれにしても湿気の多い石見銀山のことだから、彫刻の表面が薄っすらと苔むしてきたりしてこれから先の経年変化が楽しみなことだ。

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徳島の松永勉さんのこと 

2016/11/18
Fri. 17:21

徳島の松永勉さんは金属彫刻のベテランである。
特別興味もないので年齢を知らないままだが、私より少なくても5歳は年上だと思う。
まだ日本のバブルがハジケル前から彫刻を造っていて、公共彫刻が全盛の頃は日本全国からの発注に大忙しだったようだ。その関係もあって、彫刻素材はほとんどステンレスばかり。
今は、当時のあわただしさも落ち着いて、徳島の彫刻家集団を束ねることで忙しくなっているようだ。

私が松永さんとはじめてすれ違ったのはかれこれ20年以上は前のことになるだろう。
その頃すでに徳島の野外彫刻展は立派に地域に根づいた文化活動として認知されていた。島根の当時の実情を事例発表したり、情報交換したりするような彫刻シンポジウムの参加メンバーの一人で徳島へ出向いたときがはじめての出会いになる。
徳島とは、まだ島根の彫刻文化の稚拙さが恥ずかしいと気が付かないほど大きな差があった。

彼の彫刻は出会いの前から知っていたものの、その頃は松永さんの彫刻と松永さん本人がシッカリと繋がらないままで過ぎていた。
たぶん金属彫刻の縁なのだろう、その後も何かしら細く長く彫刻絡みで繋がっていたが、島根県の現代彫刻小品展へ誘うと快く乗ってくれて、それ以来、年々縁が深まっている。
昨年からは、苦節◯◯年!めでたく徳島野外彫刻展へ出品も叶って、今年で2年目になる。これから先、何時出品をクビになるかわからないから、今のうちにセッセと四国通いをしようと心に決めて、先日もワンボックスレンタカーをすっ飛ばしたところだ。

昨年は、彼の制作工房を見せてもらった。
今年は彼のアトリエを見せてもらった。
吉田の鉄工場とはレベルもラベルも全く違って、「彫刻家の制作とはこうあるべきだ!」というお手本のような素敵な空間だ。
仕事場を見ると、その人の性格までわかってしまうようなところがあって、自分への戒めにもなるし、良い勉強になる。

いずれにしても、数十年前に徳島の彫刻家集団に接したことは、当時の自分にとって大きな刺激になったし目標になった。
田舎でコツコツと制作を続ける彫刻家は、周囲からの刺激が乏しいだけに、気が付かないまま自分の嗜好の殻に閉じこもってしまって、造形の基本とか方向性とかそういうものが常に流動する現代社会から取り残されるというより疎外されることになっていたりする。現在の造形や彫刻の流行に迎合したりそれを追いかけたりする必要もないが、一方で、造形の現状を俯瞰出来るくらいの余裕も必要だと思う。自分の制作の立ち位置がおおよそわかっているだけでも、自分にとって必要とか不必要の精査も出来る。
自分の彫刻を楽なポイントに留めておくことは何時でも幾らでも簡単にできる。それよりむしろ、自分の表現の可能性を信じて失敗を恐れないでいられることが難しいことだ。

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とみやま彫刻フィールドアートワーク第1期終了 

2016/11/08
Tue. 12:20

久しぶりの更新ですなぁ〜〜
11月の2日から6日まで、大田市の東の端にある棚田の里山が広がる富山町で大人の合宿をしていた。
宿舎でお世話になった曹洞宗の松林寺さんからは、富山の谷の向こうにある要害山の近くから朝日が昇って、ご来光の絶景が望めた。
会期中好天が続いたのは、雨男の私にとって奇跡的なことだった。

とみやま彫刻フィールドアートワークは、文化の日をスタートに4日間のメイン日程を無事に終了することが出来た。
今年で2年目を迎えるこのイベントは、人口約400人の町富山のほぼ中心にある小学校の廃校をメイン会場にして、彫刻に特化した美術文化事業になっている。
核になる事業は、まだ十分に新しくて立派な小学校の有効利用をメインにしたワークショップによる「ものつくり学校」で、他にも、教室を使った作家歴の若い美術家の個展や全国から出品を募った小品彫刻のグループ展を開催し、同時に野外彫刻を町内各所に設置することで、比較的整備された棚田が残る富山の里山風景の美しさを町内外の皆さんに再認識してもらいたいという、ささやかな願いも込められている。

吉田が自分から積極的に動くことで、彫刻のネットワークが活性し、彫刻というキーワードが地域の活性につながればいいと思っている。
今年の目玉イベントを富山の竹を使った野外オブジェの公開制作にした。
倉敷在住の草月流師範西本秋翆氏とその周辺のコアなメンバーが富山へ入り込んで、地元有志の皆さんと一緒になって泊まり込みの公開制作を展開する。
前フリで富山の竹を切り出すところからはじめて、その後西本さんの富山現地視察をはさんで、文化の日を迎えた。
地元のみなさんがどれだけ彫刻イベントの活動を理解して協力してくれるか、その時になってみないとわからないという状態のまま当日を迎えたが、私の心配を他所に、早朝から準備万端で屈強のおじいちゃんが集まってくれた。現役時代は左官などの職人さんでもあったから、西本さんや倉敷メンバーのスタッフとの呼吸もピッタリで、概ねストレスなく制作が進んだ。やはり、どの世界も女性が中心になって何かを仕切るとなると、毎日を暇に暮らすリタイヤオヤジは喜々として元気に働いて若返る感じだ。
私の方は、時々制作中の様子を見ながら静観していたが、なかなかのチームワークが出来上がっているふうに感じた。

西本さんとお手伝いの皆さんは、都合3日間で3箇所の野外オブジェを完成させて、4日めのお昼過ぎに富山をあとにした。
設置の終わった野外オブジェは、これから1年間その場所で富山の四季に耐えることになる。会場の草刈りメンテナンスは私が出かけて草刈り機を振り回すことになるが、昨年からこの1年の間に、地元有志のみなさんが何度か草刈り勤労奉仕をしてくれたし、和牛農家のオヤジさんも牛の餌にもらうといって親切に刈ってくれている。
野外彫刻が少しずつ棚田の里山に根付いている気がする。

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二紀展終了! 

2016/10/25
Tue. 11:50

心優しき二紀会彫刻部野外メンバーのご協力をいただき、無事に(だと思うけど・・・)搬出作業を終了しました!
本当にメチャメチャ久しぶりに一人で搬出することになって、朝からどうも落ち着かない1日だった。
チャータートラックの運転手さんからお昼に電話が入った。
彫刻の撤収作業は14:30以降になるから、いやに早い到着で、それで余計に緊張が増した。
野外の彫刻展示会場には、いつもの見慣れた彫刻家たちもちらほら確認できる。
東京を中心にした関東圏の作家は、今日の搬出撤収作業要因で大勢出かけてくれている。
彼らのおかげがあるから、島根の出品者メンバーも手分けして代表が一人くらい立ち会うだけでなんとか撤収や搬出が出来ているわけで、やはり、こういう大事な一日は出品作家一人ひとり自分の目で確認して自分も一緒になって汗を流す経験もした方がいいと強く感じた。

落ち着かないままベンチへ座っていると、埼玉の本多さんが隣へ座ってくれた。
彼とはもう随分長い付き合いになる。
今年が70回の記念展だったから、私の出品歴もそろそろ30年を過ぎたくらいのはずだ。彼は、その頃から多分一緒に出品していたような気がする。
最初はワイフのお供で搬入や搬出の手伝いをしていたのだが、結婚して島根に帰ってからはワイフが造った彫刻を小荷物に梱包したりして手伝ってけっこう大変な思いをしていた。どうせ苦労するなら自分もワイフと一緒に彫刻を造ってみようかと思うようになって、その後吉田家の二人が一緒になってそれぞれ自分の彫刻制作をして搬入して陳列して搬出することをした。
当時は、島根県から二紀会へ彫刻を出品していたのは、吉田家の二人だけだった。
今では、年によって流動的ではあるが、それでも10人近くのメンバーが共同で搬入出をするまでになった。
毎年同じようにやってくる秋のこの時期の展覧会は1年間のスケジュールに組み込まれているから、気持ちの切り替えや体調の管理などをしながらそれぞれの作家がそれぞれに制作を続けている。それでも、結局は1年に1点の彫刻を造ることがやっとだったりして忙しくしている人もいるし、彫刻も継続するにはなかなか厳しい世界である。

まだ上野の都立美術館へ彫刻を陳列していた初期の頃の私は、どうも指定の安定した場所が定まらないで、毎年のようにアチコチ展示場所を移動していたから、なかなか親しく会話できる作家が見つからなかった。今にして思えば、それもいい勉強になっていた。自分の彫刻の力量が不安定だから、展示の場所も決まらないでいるようなことだったのかもしれない。
それまで世間話程度だった本多さんと親しく話せるようになったのは、野外の展示会場で彫刻が安定し始めた頃からだったような気がする。
田舎者の、一年に1・2回しか展覧会の仕事もしないナマケモノの吉田へ親しく声をかけてくれるだけで気持ちが楽になる。

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2017-10