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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

テーマの本質 

2019/01/05
Sat. 17:49

正月の年始会が終わって、おおよそ後片付けの目処が付いたところでワイフとじゅん君は石見銀山の吉田家へ帰っていった。
今年はじゅん君が参道の道開けをしてくれたおかげで、万善寺の駐車場まで車を上げることが出来てとても助かった。
年始会の余り物やおせちを寺用と吉田家用に小分けしてくれたから、当分の間はそれでオヤジのひとり飯がまかなえる。

まだ、後片付けが終わらないでいる時に石見銀山で親しくしている友人が新年のお寺参りに来てくれた。
大雪でなければだいたい正月三ヶ日のいずれかに万善寺を訪ねてくれる。
たまたままだ改良衣のままだったから、般若心経などのお経で彼の家内安全や商売繁盛の祈念をした。
彼が夫婦で築き上げた今の商売が昨年で30周年を迎えた。
石見銀山の古民家を買い取ってお店に改装した直後に私がその店内外全体を使って個展をさせてもらったことが縁の始まりで、その後家族ぐるみで親しく付き合うようになった。
昨年からの個展は、その店の30周年記念事業の一環にもなっている。

近年は4〜5年を目処に継続している「吉田正純鉄の彫刻展」も今後何回まで続けられるかそろそろ先が見えてきた。
この個展のテーマの本質は30年前から一貫して変えていない。
自分としてはこのテーマの本質をできる限り抽象性の高いところでキープしておくことを心がけている。抽象性の高さレベルがその時時の個展テーマに昇華還元された核になって、それぞれ個展ごとに統一された彫刻の形態に具現化する仕組みを用意している。
自分の思考の根本は、物心ついた頃から普通に形而上の宗教的な概念世界に浮遊しているようなところがあって、造形表現はその一般的に掴みどころのない形而上的思考を形而下の実在世界へ具体的に落とし込むことの手段の一つと考えている。
形而上的抽象性は、幅広く点在する個々の具象を包括してよりシンプルで普遍的な造形へ方向付ける指標として、自分の造形感の重要な要素になっている。
いずれにしてもこういう面倒臭いことは自分だけが気にして思いつめていればいいだけのことで、個展の一つ一つの彫刻はそれなりの関連があって制作して出来上がっているという、まぁ、それだけのことだ。脳みそと身体が動いている限りは、そういうテーマの本質を退化させること無く追求し続けたいと願っているしだいです。

「全然気づかなかったんだけど、ネコチャンズが脱走してたのよ!」
何時もはワイフの方から電話してくることが殆ど無いのに、珍しく向こうから電話がかかってきた。
最初に気づいたのはシロが勝手口の外で鳴いていたからだという。それからクロもいないことに気づいて探したが見つからないまま時が過ぎて心配していたら、しばらく経って裏口の方で中へ入れろと鳴いたそうだ。彼らは2019年早々から初散歩を楽しんだようだ。
ネコチャンズにもあいたいし、一度寺暮らしを切り上げて石見銀山へ帰ろうかなぁ・・・

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田んぼ彫刻 

2018/12/09
Sun. 04:36

「今年は観音様の供養がまだなんだけど、法事の時に一緒というのはダメ??」
少し前に獣医の同級生が電話をしてきた。
最近は・・というより、住職が私の代になってからそういうことは他でもよくあることだから「ソレでも良いよ」と返事をしておいたら、日を改めて「9日でどぉ〜〜?」と電話が入って「あぁ〜〜良いよ!」と答えておいたのだが、それからしばらくしてまた電話が入って1週間ずらしてくれということになって9日がフッと空いた。
彼も私と同じ年だから、すでに公務員の獣医は退職をしているのだが、現職に人員が足らなくて、宿直とか休日勤務の補助要員で駆り出されることがあって、なかなか農業1本に絞れないまま忙しい毎日を送っている。

萬善寺への通勤坊主をしなくて良いことになったから、彫刻家に気持ちを切り替えた。
11月の29日に個展がスタートして10日が過ぎた。
個展といっても、自分の場合は石見銀山の谷の吉田家の近所にある稲刈りが終わって来年春まで使うことのない田んぼの適当な場所へ野外彫刻を置くだけのことだから、入場するもしないも24時間オールフリーの展覧会になっている。
石見銀山の町並みに本店のある衣料雑貨の店が吉田の個展を主催してくれていて、その店からのダイレクトメールに第1段の展覧会案内が同封された。
作家としては、作家個人からのダイレクトメールを発送するタイミングを測りかねていて少し悩んだが、一応は展覧会の主催が他にあることなので、作家からの展覧会開催案内は少し遅れて発送することにした。
こういうタイプの展覧会は、以前にもしたことがあって、その時は、約3ヶ月の展示期間中に3回の作品入れ替えをした。
その都度案内状を発送してみたのだが、島根県の冬は雪も降るし表日本からの移動が難しかったりするから、労多くして効無し的展覧会になってしまった。
その反省も含めて、今回は3ヶ月の長期展示を同一テーマで引っ張り続けることにした。それで定期的に彫刻を移動したり加えたり減らしたりしながら展示の変化とか効果を記録していこうと決めた。

今は、この10日の間に少しずつ彫刻を増やしている段階だ。
前回の展覧会の経験で、遠方からの来場がそれほど期待できないとわかっているから、ターゲットを石見銀山に生活する様々な人々の目に絞った。
そうすることで、主催会社の従業員やそのお店のお客さんや、大森小学校へ通う子供たち、保育園に通う親子連れ、住民のおじいちゃんおばあちゃん、町内の各種事業関係者、路線バスの乗客やドライバーなど、身近な人々が彫刻の変化に気づいてくれること。それに若干プラスして田んぼの彫刻が観光流入の人々の目に入るくらいで良いふうな予測をした。
寺のことがなければ、ほぼ毎日工場へ通う日々が普通になって身体の疲労は貯まるが気持ちの方は良い意味で充実している。彫刻のカタチも、制作時間が充足されたおかげで軽々しい表現の変化を抑えることが出来てきた。
個展はこれが最後になるかも知れない。踏ん張ってカタチを掘り下げていこうと思う。

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連作彫刻 

2018/12/06
Thu. 04:28

しばらく彫刻から遠ざかっていたことは、かなりのストレスになっていたようだ。
11月の富山町のことが一段落してから、ほぼ毎日のように工場へ通っている。
その間に、身体が忘れていた彫刻の感のようなものを少しずつ取り戻して、気持ちの向く方向へ自然と身体が動くようになって、制作作業のムダが整理されてきた。

それでわかってきたことは、自分の肉体の老化。
つま先に鉄板の入った安全長靴の重さが、気づかないくらいのところで負担になっているようで、床のアチコチへ乱雑に散らばった仕事の痕跡によくつまづくようになった。
はじめの頃は、大きな怪我になる寸前の危険な状態になって肝を冷やしたことが1日になんどもあった。そういうことが連続すると云うことはやはり自分が老域に入ったのだろうと自覚することでもある。一度「そうに違いない!」と現在の状況を認めて受け入れると、それから先、無理をしないような動きを工夫するようになって、今はそれが普通になってきて、4✕8の鉄板を制作台へ乗せるのも、いろいろと工夫して前と変わらないくらいに出来るようになった。

1m以下の小振りの箱彫刻を10個連作しているが、それをすべて溶接し終わるのに2日かかった。
夕方になると集中力が切れて溶接の精度も落ちて1日の作業の限界を感じる。今までは、小休止して気持ちを切り替えて作業を再開していたが、そういう無理をすることが翌日に影響すると余計に作業効率が落ちて完成の目処がつかなくなるから、身体の動きが鈍くなったと思ったら、そこで1日の仕事を打ち切ることにした。
いくら彫刻三昧の1日を過ごしていても他に用事がないわけでもないから、夕方からあとは工場から寺へ移動したり、貯まっていた業者さんへの支払いをしたりして用事の停滞を解消している。

今制作中の彫刻は、今回の個展のサブテーマである「彷蔵」の系列に位置しているものだ。
「彷蔵」は、自分の造語で「ほうぞう」と云う。
その言葉に隠されている自分なりの想いはあるが、それはそのうち語る機会もあるだろう。とにかく、今は10個の箱彫刻の次の工程を造形上の工夫に置き換えることを優先する段階だ。
野外彫刻の個展というものは、展示期間も含めて自分の中で空間の境界をある程度決めておかないと、何事もすべてが曖昧に始まって終わってしまうから、あらかじめ事前におおよそ展覧会のシナリオを造るようにしている。このことも、何かの機会で文字に置き換えておくくらいのことはしておく必要を感じてはいるが、まだ制作の最中だし、そういう段階で自分の彫刻を別の表現手段で語るということは避けておきたい。

今年は、例年になく12月に入ってまだ初雪が降らない。冬シーズン限定で開催している野外彫刻の個展としては、自分の思惑通りにいかないところもあって少々苦戦しているがそれも仕方がない。なにせ地球の環境が相手のことだから・・・

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坊主彫刻家的嗜好 

2018/11/11
Sun. 23:41

徳島の野外彫刻展へ出品していた彫刻が帰ってきた。
少し余裕を持って自分で搬出をして、その足で「愛媛に住んでいる友人を訪ねてもいいなぁ・・」と計画していたのだが、直前になってみると万善寺のことや富山町の野外彫刻のことや、11月末から始まる個展のことなどが重なって徳島行きの都合がどんどん窮屈になってどうしようか悩んでいたところへ・・・
「徳島の彫刻一緒に搬出しておきますよ!」
周藤さんがどうせ自分も搬出に行かなければいけないからと、吉田の代行を引き受けてくれた。
彼の軽トラへ二人分の彫刻が乗るのだろうか?少し心配になったが、駄目なら駄目でそのときは次の方法を考えれば良いだろうと、彼の好意へ甘えることにした。
それで、10日から11日にかけての2日間のスケジュールが少し楽になったものだから、日曜日は朝から工場へこもって彫刻の制作をすることにした。

今度の個展は野外彫刻を中心にして、3月末までの会期中は時々場所移動をしながら配置の変化を工夫してみようと思っている。
いつものように、石見銀山の吉田家周辺が個展会場になるから、借景と絡んだ彫刻の現状を自分の目で確認できて安心だし楽しみでもある。島根のような日本海側の冬のシーズンは、気候条件が目まぐるしく変化することも当たり前だし、そういうある意味予測不能の環境との対峙も期待したい。

六本木や徳島の彫刻は、個展用に制作したものの一部になっている。
いくつかの独立したパーツを造って、それを設置場所の条件を見ながら組み合わせようと考えていて、ベースは、六地蔵とか十王さんのような野仏とか庚申さまや道祖神道標のような感じをイメージしている。
島根県内を始めとして、もう何十年もの間西日本を中心に彫刻と一緒の旅を続けている。
最近は四国が多いが、他にも九州や兵庫県北部、近畿地方、少し遠くなって新潟や栃木あたりまで出かけてきた。行く先々でよく見かける石像はだいたいが宗教がらみの物が多いが、中には営農振興の記念碑とか、集落の境界碑もあちこちで見かける。
彫刻を造っているが坊主でもあるから、土地土地の石仏を見ると、なんとなくその辺り一帯の信仰の具合が見えるような気もして、ある意味一つの目標に向かったブレのない精神性が造形の存在感を強く示しているように感じる。一つ一つの造形物は小さいものだと一人で持ち上げられるくらいのものから大きいものでも1m前後だから、決してモニュメンタルで大仰なものでないところに親近感を感じる。だいたいが民衆主体の信仰から始まった造形が多いようで、時時の時代の状況を背景にした信仰の対象を具現化したものでもあるから、具象的であるよりはむしろ限りなくデフォルメされて記号化された抽象形に近づいているふうに感じる。
私が暮らす島根県の特に東部の方は、むき出しで野ざらしの信仰的造形物が少ない。そういうものの殆どは簡単な掘っ建てから本格的な寺社造りまで様々な形状の祠としてお祀りされているから、よけいに旅先で見かけるランダムな造形の連鎖に自分の気持がひかれているのかもしれない。

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フィールドアートワーク 

2018/11/01
Thu. 23:50

六本木の彫刻が島根へ帰ってきた。
事前に2tのユニックをレンタルしておいたので、朝から運搬しようと計画していたのだが、午前中に別の用事が入ってしまった。
あせってそちらを片付けても、結局彫刻移動の方は限りなくお昼近くなってしまった。

島根の彫刻搬入出は、出品者が共同搬入出するようになってから日の丸西濃さんへ一括依頼してチャーター便を手配してもらっている。
貧乏彫刻家の集団だから、西濃さんもそのあたりを承知してくれていて、毎回適当な下請けの運送業者さんを手配してくれる。最近は、浜田を拠点にした業者さんが少しずつ定着してきたが、その時時の都合で大田市の運送業者さんに変わることもあったりする。いずれにしても、この数十年は毎年同じ時期に同じ内容の依頼をしているから、トラックのドライバーさんも少しずつ顔見知りになって、色々と面倒なハプニングがあってもそれなりに難なく乗り切ってくれて助かっている。
それでも出品の彫刻家が年々減少していて、作家の個人負担が倍増している。吉田の場合は夫婦で彫刻を造っているから運送料の出費も当然2倍になってなかなか厳しい。そういう必要経費が無くなることは無いから最近ではセッセと500円貯金を続けてなんとか出費の負担を軽減させている。吉田家や萬善寺のいたるところにガラス瓶やアルミの空き缶などを貯金箱代わりに置いておくとその500円貯金もなかなかあなどれないところがあって、1年もすると結構貯まっていて二人分の彫刻出品諸経費がまかなえたりする。

搬出する彫刻は、そのまま富山町のフィールドアートワーク会場へ移動して野外彫刻の展示にする。その美術イベントも今年で4年目になって、富山町内の各所に設置した彫刻は10点を超えるまでになった。設置場所に借りている耕作放棄地などの草刈りが大変だったりするが、借用料を労働の汗で払っていると思えばそれほど苦にならないし、草刈りの様子が住民の目に触れるだけでも親近感を持ってもらえたりするし、そういう勤労奉仕も継続していればそのうち良いこともあるだろうと長い目で気楽に考えている。今年もひとまずはおおよそ自分で草刈りが出来た。

プラットフォームで遅れた彫刻積み込みをしていたら、「これからそちらへ向かうところです」とストウさんから電話が入った。自分一人で彫刻移動をするものだと思っていたからとても助かって感動した。
2tユニックの2往復目でストウさんが合流してそのまま富山町へ向かった。
昨年から徳島のタケダさんが制作している鉄の彫刻を預かって展示している。彼女の彫刻は純粋に抽象で、厚い鉄板をベースに、切る・折る・曲げる・溶接する工程を繰り返した構成彫刻になっている。どのように制作構想をねっているのか知らないが、とにかく、ああいうタイプの彫刻はマケットの段階でしっかりとバランスや強度を確認して、リアルサイズでの仕事に不安を残さないようにしておかないといけない。
彼女の彫刻を毎年見て思うことだが、造形の必然とは関係ない補強のパーツが数箇所に見えてしまっていて、それが造形力を弱めてしまっている。当面の課題であると思うし、それが解消されると一気に彫刻がレベルアップするはずだ。

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搬出の日 

2018/10/31
Wed. 23:46

搬出の日、少し時間の余裕を持って六本木の美術館へ行った。絵画も含めて、彫刻の会場をあらためてもう一巡しておこうと思ったからだ。
彫刻の搬入出は島根県から共同搬送していて、最近はストウさんが一人で搬入作業を引き受けてくれている。陳列展示は自分の彫刻のことで余裕がなくてじっくりと作品鑑賞が出来ないままだし、会期初日は知り合いの彫刻家もたくさんいるし、展覧会を見に来てくれる知人もいて1日がアッという間に過ぎて帰りの高速バスに飛び乗る。
結局搬出作業をする前の数時間しか落ち着いて会場を巡ることが出来ない。

前々からなんとなく気づいて思っていたことだが、この近年具象作品が増えて抽象が減った。
美術造形の世界では、そういう流行があるのかも知れない。
私が展覧会へ出品をはじめた頃は抽象彫刻がたくさんあったし、絵画も抽象の現代美術が集まった展示室が独立してあって楽しめた。
具象が嫌だとは思ってもいないが、やはり自分としては抽象が好きだ。
想像というかイメージというか構成とかバランスとか素材とか、とにかく作家それぞれの表現に気持ちが揺れる要素がたくさんあって見ていて飽きない。
自分はそういう嗜好が強いから彫刻を造っていても、具象的傾向へ偏っていくとどこかしら説明的要素がチラついて落ち着かないし、ひどい時は制作の途中で仕事に飽きてしまって気持ちが全く入らなくなっていたりする。
こうして何十年も似たような彫刻を造っているわけだから、自分で気づかない間に自分のスタイルが出来上がっているのかも知れないが、一方で、まだ自分にとっての未開の造形領域が山のように存在しているふうにも思えて、ナニカの端っこがチラリと見えたりすると、もう鳥肌モノで震え上がるような感動に包まれることがある。そういうことが繰り返されて、その感動のいくつかがジワジワと時間をかけて何かしらのカタチにかわっていくようになるプロセスが楽しい。

六本木の野外彫刻展示会場は、比較的抽象系の彫刻が多く集まる。それでも、最近は作家の定着が進んで風通しが悪くなってしまった。そう感じるのは自分だけのことかも知れないが、どこかしら展示の無風状態が感動の停滞につながって新鮮な活性が感じられなくなった。自分の彫刻を棚に上げて偉そうなことだと思ってしまうが、こればかりはどうも仕方がない。
今年は久しぶりの個展が控えていて、その準備がすでに始まっている。ちょうどうそういう時期だから余計に自分の造形感が敏感になっているのかも知れない。
このところ、半年ぶりくらいに工場通いが続いていて、自分の一日のスケジュールが彫刻の制作を中心に動くようになってきた。久しぶりのことだ。
さすがに年齢のこともあって昔のように無理が効かなくなってはいるが、一方で、過去の彫刻テーマを再考しながらそれをもっと掘り下げて見つめ直す良い機会でもあるし、目が覚めている時は、メシの時もトイレや風呂の時も、四六時中彫刻のことが頭から離れないで考えられている。
子供の自立や両親の他界を経て、どこかしら身軽になったからかもしれない。

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彫刻の先 

2018/10/20
Sat. 23:09

このところ、自分の周辺が今までにないほど目まぐるしく複雑に過ぎて、吉田家へ帰ったらドッと疲れて夕食を終わらせると宵の口からキーポンが使っていたベッドにバタリと倒れ込んですぐに寝てしまう。
「どうしてこういう状態になったのか?」・・・眠りの世界へ移動する前の少しだけ覚醒しているあいだにそのあたりのことを考えようとするのだが、どうもそれらしき要因が決まらないままいつの間にか寝落ちしている。

2月から3月にかけて小さな彫刻を一つ造ってから、工場へ通う機会を逸したまま約半年がアッという間に過ぎた。
彫刻の制作が無いわけではないのに、どうしてもそういうことにまとまった時間を造ることができなくて、暮らしの色々な場面で気持ちばかりがスベって、素材へ触れることのないまま頭の中では大小の彫刻が出来上がっては消えていく連続だった。

坊主家業の商売柄、日常のいろいろな場面で中道を心がけるようにしているが、彫刻のことや制作のことや、またそういう俗に云う文化事業的なことになると、全部が全部、何から何まで中道に片付けてしまうことができなくなって、どうしても自分の信念や我欲の方へ惹きつけられるように偏って、俄然勢いづいて頑固な主観を押し売りしてしまっていたりする。あとになって気がついて反省もするのだが、済んでしまったことは取り返しもできないので、自分の胸に仕舞い込んで、出来るだけ早く忘れるようにするしか無い。

自分の彫刻は、どちらかと云うと抽象の部類に入ると思っている。
約10年間の研究期間を過ぎた後、そろそろ自分の彫刻を制作するための目印としていくつかのテーマを用意した。
今までは、そのいくつかのテーマを少しずつダブらせながら感覚の新鮮なうちに彫刻のかたちへ置き換えることを続けてきた。自分の性格上、ひとつ事にじっくりと取り組んでそれをひたすら脇目も振らず継続するということができないタイプだから、彫刻の造形の工夫に飽きて面倒臭くなってしまったら、しばらくはそういう系統のテーマから遠ざかるようにしている。そうして、他のいくつかのテーマに気持ちを切り替えてそれに没頭すると、今度はそのことがまた楽しくなって当分の間は、また違った感じの彫刻を造ることができるし、またソコに新しい発見があったりして次の展開が楽しみになる・・・だいたいそんな感じでこの30年間は過ぎてきた。

今度、しばらくぶりに彫刻個展の話を頂いて、改めて過去の自分を系統立てて整理してみると、やはり彫刻の世界でも自分の立ち位置が「中道であることの重要性を意識していたのだなぁ・・・」と、再確認した気がする。
自分の彫刻に対する思考の根本はやはり形而上的方向性を観ているということ。思い返せば、最初の個展をスタートさせた時からそれがすでに決められていた気がする。それまでの研究期間は常に形而下での自分の立ち位置を確認し続けて造形の客観性を観続けていた。造形上の緊張関係を自分なりに説明できる手段のひとつが抽象表現であり、それは、あくまでもアニミズムの世界へ自分を引き込むための手段であったと云うことだ。

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六本木スタイル 

2018/10/16
Tue. 23:08

高速バスが1時間半遅れて新宿バスタへ着いた。
寝ていたからどうして遅れたのかよくわからないが、途中の事故と朝の通勤ラッシュに捕まったらしい。
荷物は、肩掛けバックと頭陀袋だけだが、彫刻の陳列に必要なものは少ない。
定刻に到着していたらキーポンの部屋へ寄っていらない物を置いて身軽になってから六本木へ向かおうと決めていたのだが、それをすると陳列作業に遅刻してしまいそうなので諦めた。
特に腹も減っていなかったが、時間調整も兼ねて近くのマクドナルドへ入った。
島根のマクドナルドはいつも閑散としているが、流石に新宿はお客も多くてほぼ満席だった。空いた席を見つけて、コーヒーを飲んで少し落ち着いてから久しぶりにラップトップを開いた。

9月に入ってから、外泊や寺泊を繰り返しながら、時々石見銀山に帰って寝るという、なんとも落ち着かない毎日が続いて、まさに今もその延長にあるから、以前に比べるとラップトップをつつく時間も半減した。
自宅に帰ればデスクトップもあるが、夜になって起動するのも面倒臭いし、結局何もしないでそのまま寝てしまう。
ひと頃のように、毎日毎晩パソコンをつつくようなことが珍しくなった。
今年にはいって急に忙しくなってきたというふうに思うこともないのだが、やはりどこかしら暮らしの慌ただしさがキーボードとの距離を遠ざけていることになるのだろう・・・
その気になってキーボードをつつき始めたら、コーヒーを一杯飲む間にA4の1ページくらいは普通に埋まる。
そのコーヒーも、このところコーヒーカップを使って落ち着いて飲むことが減った。自宅の時は、ワイフが入れてくれたモノを蓋付きのマグカップへ入れ替えて出かけるし、寺泊の時は朝目覚めると自分で豆を挽いて直接マグカップへ落として蓋をする。出先ではコンビニコーヒーを買ってそれをマグカップへ移し替える・・・ようするに、このところコーヒーを飲むというと、ほとんどが銀くんを運転しながらチビチビやっているということ。そういえば、コメダ珈琲もしばらく行っていない。

なんとなく、マクドナルドのコーヒーを飲みながら、こうしてプチプチやっているだけで、もうほとんどA4が1ページ分埋まりかけている。まぁ、時間調整の暇つぶしには丁度好加減だ・・・

六本木の陳列作業は、特に大きな障害もなく無事に終わった。展示の組み合わせはザックリと頭の中でシミュレーションしておいた。最近は展示位置が固定されているので、こういう時に助かる。美術館の野外展示室で、外壁との距離感や全体の色調などのバランスがおおよそ頭に入っているから、それを念頭に彫刻のスケールを決めている。野外だけでもだいたい20点前後の彫刻が集まるから、他の作家へ迷惑のかからない範囲で比較的自由に配置を構成させてもらっている。
今年も沢山お手伝いを頂いた。自分の彫刻はそうやって六本木スタイルが完成している。

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要害山を望む 

2018/10/14
Sun. 23:18

六本木の陳列展示が近づいているから、萬善寺の仏事を繰り上げて日程調整をしておいた。
その中で、七日法要が一つ残っていて、コレばかりはあまり大きく日程をずらすこともできないから、移動日の方を調整してギリギリのスケジュールを組み立てた。
それで、朝の9時にはもうお経を読み始めるようなことになって、施主家には迷惑をかけた・・・と思っていたら「お陰様で早くに来てもらって助かりました。今日は子供の試合がある日でして・・・」と逆に感謝されてしまった。

過疎化の進む飯南高原で、男二人女一人の子どもたちは、今どきの若い家族にとって貴重な子沢山になる。その長男さんが地域の少年野球チームに入っている。
隣の行政区では、9人の野球チームを確保することができなくて苦労しているし、結局最終的には個人競技中心のスポーツ少年団に切り替えたところもある。
親の考えも様々だから、ことの良し悪しは地域事情で決まるようなところもあって、若い世代の人口流出を食い止めるための行政対策がなかなか難しい。
最近では、第一子から無料保育無料給食を保証する行政区も出てきた。
吉田家の4人の子どもたちが育った頃はそういう行政からの保証などなかったから、親のボクは子どもたちの教育費を稼ぐことで必死だった。
「自分が楽に暮らすには子供をつくらなければいいだろう・・・」と、吉田家が子育てをはじめた頃はそういう気持ちも周囲には色濃く漂っていた。
今は子育ても終わって気楽な夫婦の二人暮らしが戻ってきたから、まだ若かったあの頃の子育ての苦労も良い思い出に変わっている。

寺のことでいろいろと積み残しの用事が残ってはいるが、ひとまず彫刻の用事を優先にしてお昼前には石見銀山へ向かった。
数年前までは、コロコロトランクへ数日間の着替えなどを詰め込んで、結構大掛かりな旅行準備になっていたが、最近はいつもの肩掛けバックと陳列作業用の一式を頭陀袋へ詰め込んだものと2つくらいの荷物にまとめて身軽に済ますようになった。
キーポンが東京暮らしをはじめたからそういうことも可能になったわけで「ボクの子育てもなかなか上手くいった」と、内心そう思っていてずいぶん助かっている。
9月に帰国したノッチも住むところが決まって少し落ち着いたし、1日くらいは彼女も一緒に夕食ができると良い気もしているが、本人の都合もあるだろうし、もちろん私の彫刻展示の仕事もあるから、まぁ、運良く時間の都合が合えばその時にどうするか決めるくらいでいい。

簡単に荷物の準備をして、あとは富山町のフィールドアートワーク関係の事務に切り替えた。
チラシをつくる都合もあるし、いくつかのデータを整理していたら、周藤さんが届けてくれた野外彫刻の写真があったので、今回はそれを原稿にすることにした。
富山町と出雲地方の境界にある要害山を背景に霜を被った彫刻がキレイだ。
その要害山は石見銀山の銀を目当てに戦国武将たちの攻防戦で激戦地だった。

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彫刻事情 

2018/10/08
Mon. 23:48

曇で風が少し強いように感じるが、台風の影響ではない気がする。
時々お昼の休憩に使っている海岸は、工場から5分位のところで、1年の数カ月は石の海岸になる。9月に来た時は砂浜海岸になっていたが、今はほんの少し申し訳程度に小石が戻っていた。

六本木の彫刻絡みのことで友人のHさんからメールが入っていた。
今年は島根から4人の出品があったが、難なく審査を通過したようだ。昔一緒に彫刻出品をしていた仲間も結婚で東京へ行ってから、久しぶりにテラコッタの胸像彫刻を出品してくれたらしく、「なかなか品のある良い彫刻を造っていた」とメールにあった。
Hさんは、出品歴が私とほぼ同じで、もう35年位は続いていると思う。委員に推挙されてからでも10年にはなるはずだ。彼は基本的に具象彫刻の作家で、石彫や限りなく本焼きに近いテラコッタ彫刻を制作している。野外会場へ彫刻を展示しはじめた時期が私とだいたい同じで、それ以来、どの作家よりも親しくお付き合いすることが増えた。私の方は、島根の田舎で鉄を使ってどちらかといえば抽象がかった彫刻ばかりを造っているから作風も感性も全く違って、特にコレと云った造形の共通点もないし方向性も違うのだが、なぜか気の合うようなところがあるようだ。自由気ままでわがままな会員の吉田とは、あまり親密にならないほうが彼の今後の為だと思ったりもするが、まぁ、性格も頭も良くて事務仕事もできるし、それにもちろんテーマのしっかりと見える良い彫刻をコンスタントに発表している実力者だから、今後、組織の上を見るような時期になればそれはそれで付き合い方も変わってくる時が来るだとうと思っている。
メールには「全般に彫刻が小さくなって出品点数も減った・・・」とあった。
世間の景気は上向いているようだが、美術界や文化事業の方は未だに冷え込みが続いているようだ。

この近年、自分の周辺の彫刻事情が落ち込んで、昔のように見惚れるような刺激的な造形をたくさん見る機会が無くなってきた。まずは、自分の目が曇って感性も鈍って自分自身が劣化してしまってきたのかも知れないと思ってみたりするが、それでも、一方で今の造形力の低下は自分だけのことではない気がする。各種大賞展と違って公募団体展は出品作家の固定や継続が組織の力量や特色につながる。それぞれの組織で造形の方向性が微妙に違うことも審査の方向性と連動する結果だと思う。審査員の力量は組織を構成する作家一人ひとりの造形力に反映されるから、審査員だからといっていいかげんで適当な制作に走ってしまわないよう、終始徹底的に自己管理を厳格にし、常に最高の造形表現を目指すことが大事なことだ。出品者はそういう審査員の背中を見ながら制作の力量や彫刻の魅力に刺激を受けて自らの彫刻制作に還元することを目指しているはずだ。
私が公募団体展へ彫刻を出品し始めた頃は、作家歴の浅いアマチュアの若造と彫刻界の重鎮とも云えるような凄い彫刻を制作する審査員との距離がずいぶん近かった気がする。今はお互い世間のコンプライアンスとかハラスメントとか、そういう面倒臭いことに縛られてずいぶんと人間付き合いも難しくなっている。表現者の集団は本来もっと過激であるから新しい発見もあって感動もあって、そういう刺激が制作や作品に反映されているということ・・それが正常と云えるような気もするのだけど・・・ボクは・・・

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Landscape trace〜或る日の痕跡〜 

2018/10/04
Thu. 23:05

今開催中の徳島野外彫刻展に出品させてもらっている彫刻の現場写真がメールで届いた。
主催代表の松永さんが気を利かせて天気の条件を見て撮影して送ってくれた。
搬入設置も慌ただしかったし、オープニングは「少しゆっくりできるかな?」と思っていたら台風の通過が重なってその日も結局搬入以上に落ち着かない日程になってしまった。
そういうこともあって、まともに彫刻の設置状況を記録できないままになっていたのだが、彼の気配りの御陰でかろうじて2018年制作彫刻の現場をおさえることができた。

前回の個展から4年位は経っただろうか?・・・久しぶりに年末から石見銀山で個展をすることになった。
メインタイトルは前回の個展を原則引き継ぐことにした。形態のコンセプトはあの時におおよそ一つの方向性も決まって、次の展開も迷いがなくなっていたから、自分としてはひと通りやり尽くした満足感もあった。
それからあとの彫刻はまだ十分に煮詰まっていなくて迷いの残ったままあたためていて、鉄をメインにした実材へ置き換えることを優先に考えながら数年過ぎて、その間に出来上がった数点の彫刻制作は自分の思考の痕跡を系統立てて見つめ直すのにはとても都合の良い期間であったし、良い意味で気持ちの切り替えもできて良かった。

私の彫刻個展は、私小説のような立ち位置で続いているところもある。
だから、主催や鑑賞者には申し訳ないが、限りなくわがままに造りたいものを造りたいように造って、展示設置も自分の好きなように好きな場所を決めてわがままを通させてもらっている。
会期もだいたいがウインターシーズンの雪深い時期でアクセスのストレスもかなりあるから、それを承知でわざわざ冬の石見銀山を目指すような物好きもそう滅多いない。
彫刻はほとんどが野外彫刻で雪の降り積もった全貌の確認しにくい劣悪な状況に耐えてひと冬過ごすことになるし、またそれに耐えられるだけの工法の裏付けも大事なことで手が抜けないし、そういう普通は避けて通るような面倒臭いコトをわざわざ個展条件に決めて彫刻を造っている自分をクールに見つめ直すと、自分で自分をいじめて喜んでいるようなところもあって「オレはひょっとしてドMかも??」などと思ってみたりする。

彫刻そのものは、そんなに難解で理解に苦しむような形態でもないと自分では思っているが、それも結局は吉田正純という人間をどこまでクールに認識して作者と作品の相互反応を許容できて寛容できているかどうか?・・・その容量の大小深浅で「難解」の距離も変わるだろう。
自分の中では、どちらかといえば具象と云うより抽象にシフトしている彫刻を造っているのだろうと思っている。そもそもの、制作テーマそのものが具体的に目の前に存在するナニカでは無いわけだから抽象性が強まることは当然だとは思うが、抽象表現すべてが理解不能で難解であるというわけでもないし、精神の開放であったり普遍性であることの超然的な包容力もあると思っている。
「なんとかして理解しなければならない!!」などと、小難しく考えながら観て頂く必要など全く無くて、自分の好きなように勝手な主観で観てもらえばそれでいい。

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彫刻搬入 

2018/10/02
Tue. 23:32

展覧会の島根搬入がはじまった。
最近、何度と無くお世話になっているレンタカー屋さんでハイゼットの軽トラを借りた。
5時間で4000円弱。
前は、大工の棟梁の愛車軽トラを借りていたが、最近になって世間の景気が上向いているのか?何時行っても作業場が留守でなかなか会う機会が無い。
珍しく日のあるうちに吉田家へ帰宅して石見銀山の町並みを歩いていたら、その棟梁の軽トラが川下の方から上がってきた。
急いで手を降って棟梁を止めたら、となりの助手席で猫が丸くなっていた。
「それどぉ〜したの??」
「猫いらない??」
「いやいや、うちもう2匹いるし・・・無理無理!」
「こいつ、誰かが作業場へ捨てていったのよ。それから住み着いて・・・人馴れしててすぐにトラック乗ってくるし・・・」
まぁ、そんな世間話でひとしきり盛り上がって、
「最近仕事何処ですか?」と本題を切り出したら「アチコチ・・・今日はこれから水上行くところ・・」
「あぁ〜そぉ〜〜、忙しくて何よりじゃないですかぁ〜・・・オレ、相変わらずヒマだけど・・・」
大体の状況が解って、後ろから町並みを乗用車が上がってきたりしたので「それじゃぁ〜また・・」と別れた。
忙しいことは何よりだし、棟梁はヒトが良いから「軽トラ借して?」と云うとだいたい「良いよ!」となってしまうので、それもチョット甘えにくい。
それからすぐにいつものレンタカー屋さんへ電話したら、もう、私の声を聞いただけで察しが付くまでに親しくなった事務のおねえさんが「チョット待っててくださいね。今調べてみますから・・」と電話口でなにやらガサゴソしばらく音がしたあとに「大丈夫です。それでご利用はいつからですか?」と話が次に進んだ。
棟梁の軽トラを借りても、お礼にコーヒー缶を1ケース添えたり燃料を満タンにしたりしてレンタカー料金くらいの出費になるから似たようなものだ。

徹夜で完成させたワイフの彫刻は、まだ完全に乾燥していなくてチョット湿っていたから、まずは私の彫刻を搬入することにして工場へ急いだ。
5時間以内にすべての搬入を片付けて返却しなければいけない。
結局、ワイフの彫刻をギリギリまで乾かして、彼女が時間講師で出かける時に併せて搬入を済ませた。
それから軽トラを返して、事務のおねえさんと少しほど世間話をして、いつもの運送会社のプラットフォームへ引き返したら、島根から共同搬入のメンバーが揃っていた。
ひと頃からすると、出品作家が半減して今年は4人ほどになった。そのうち2人は吉田家の夫婦。
彫刻一つ造るにも、材料費や光熱費の他に、搬入出の経費や団体への会費など、1年でかなりの出費になる。今年もセッセとためた500円貯金が役に立つことになった・・

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かたちが見えた 

2018/09/28
Fri. 23:53

工場から帰ると家は真っ暗だった。
いつものように、ネコチャンズはボクを無視している・・・
ワイフが帰ると車の音を聞いただけでクロは土間の格子戸めがけてすっ飛んでいくし、シロはフギャフギャ甘え泣きしながら何処かから湧き出てきてソワソワと落ち着かない。
アイツラは人間のように嘘もつかないし裏表もないことは解っているから腹も立たないしガッカリもしないが、少し寂しい・・・
仕事の汚れをシャワーで流して、麦とホップをプシュッとやったところで、ネコチャンズがドタバタとうるさくなった。どうやら、ワイフが帰宅したようだ。
「ノッチ帰っていったわよぉ〜」
「今朝、出掛けにそんなこと言ってたから・・・ヤッパリ帰ったんだ・・」
ノッチの帰省はなんとなく慌ただしくてにぎやかで、これからやってくる台風のようだった。

しばらく前に、島根県の彫刻仲間で学校の先生をしている木彫の作家からメールが来た。
奥出雲の小品展の案内を送ってあったからそのことかと思ったら違った。
もう何年も一緒に東京へ彫刻を出品していた彫刻仲間だったのだが、最近は制作から遠ざかって出品もしていなかった。
公募の美術団体はどこも会費を納めて搬入出や美術活動の情報提供の便宜を受けたりしながら制作活動を続けることになる。それが、彫刻も造らないし出品もしないしで会費を納入しているだけでは、なんとなくお金の無駄に思えるものだから、何時だったか、直接本人にそのコトを云ったことがある。
その時は、制作の時間がないとか、またそのうち制作を再開するつもりだとか、そのような話だったが、私には、なんとなく彫刻制作に対する意欲が薄らいで、彫刻表現の方向性を見失っているように思えた。
いずれにしても、こういうことは本人の気持ち次第で決まることだからまわりがえらそぉ〜にドウコウ言えるものでもない。それでその後とくに何も接触のないまま過ぎていたのだが、小品彫刻展のように島根で彫刻関連の何かをする時は一応情報提供だけは続けていた。

メールは、公募の団体を退会する旨の内容だった。これから先、また彫刻制作の条件が整ったら制作を再開するとあった。
本人の事情は本人でしかわからないことだが、私としては少々残念ではある。彼が初出品をしたり初入選をしたりした時から長い間同じ展覧会へ搬入出の寝食を共に苦労してきたわけで、そういうことがふと思い出されて寂しさもある。
一方、こうした避けることの出来ない淘汰の世界は表現者の一人として強く自覚しておかなければいけないことだと思う。自分の表現の枯渇は自分の日頃の精進の蓄積で回避できることだ。表現の手段は彫刻だけではないし、他に彫刻以上の魅力ある表現手段が見つかればそれでいい。
「ひとまずはそういう期待を忘れないでいよう・・・」
溶接をしながらそんなことを思っていた。彫刻制作は今の処だいたい順調に進んでいる。

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雲水彫刻家 

2018/09/21
Fri. 23:03

倉敷の児島と水島の間くらいのところに美味しいコーヒーを飲ませてくれる友人がいる。
自宅は倉敷の方だが、由加山の参拝古道脇にあるコーヒー屋と養蜂業でミツバチの世話をするために1週間で3日位は通って店を開いている。
いつ行っても開いているわけではないから、今回のように四国へ用事があるときなどは、あらかじめ彼に連絡を入れて様子を確認することにしている。

徳島へ彫刻の搬入を終わらせて、四国から瀬戸中央自動車道へ乗ったのはお昼を少し過ぎたくらいだった。
児島のインターチェンジを降りて、鷲羽山方面へ回って瀬戸内海を展望したりして、それから由加山へ向かった。
明日中に寺へ到着していればいい。
私が由加山へ廻ることが連絡網で回って、陶芸家と草月流の二人もコーヒー屋へ合流することになった。
陶芸家の芝さんと草月流の西本さんは富山町の彫刻イベントで個展などをしてもらってお世話になった。コーヒー屋の森山さんは養蜂業もしていて書道家でもあるなかなか風流な文化人で、彼も富山のイベントに参加してくれた。

由加山への古い参詣道は普通車がやっと通れるほどの渓流沿いの狭い道で、渓谷の風景に趣がある。
コーヒー屋はその狭い参詣道と巨岩の重なる渓流の間にある小さなスペースを目一杯使って建っている。
基本的に駐車場はない。参詣道の少し幅広の場所を探してソコに銀くんを駐車した。
森山さんはコーヒーを自家焙煎しているから、私の好みに合わせて絶妙の焙煎でコーヒーを入れてくれる。
あんなにフルーティーで美味いモカを飲んだのは何年ぶりだろう?口の中に何時までもコーヒーの香りが残って、それだけで旅の疲れを忘れる。
渓流に住む山雀がしきりにテーブルにある餌場に舞い降りてひまわりの種をくわえて飛び去っていく。
山雀はくじ引きの鳥でお宮には縁が深い。昔々は、由加山でもくじ引き芸を仕込まれていたのかもしれない。今に住む山雀もその末裔か何かでおみくじ芸のDNAを引き継いでいるのだろうか?とにかく人懐っこい。

夕方になって山雀が巣に帰って、それから少しして芝さんがやってきて、チョチョイッといちじくの生ハム巻きをつくってくれた。
それが良いおつまみになって響がより一層旨くなった。
コーヒーがウイスキーに変わって、島根から持参の地酒が加わった頃におつまみの家庭料理を持って西本さんが来た。
それから焼酎も出て、打ち止めがビールだった。
贅沢な彫刻搬入旅行になった。
たまに、こういうことがあるから、行雲流水がやめられない・・・

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銀くんデビュー 

2018/09/20
Thu. 23:01

1日工場へこもって野外彫刻のパーツを完成させたら、少し仮眠して徳島へ出発する。
銀くんの彫刻搬入本格デビューになる。
先代の結界くんよりシートが華奢になったぶんだけ、荷台スペースがずいぶん広くなった。
今度の野外彫刻も、高さが2mチョットでスケールはおおよそ予想通りに仕上がりそうだ。このパーツは、溶接の総延長距離10mくらいで、補強のパーツなどを若干溶接すれば終わりだから、ゆっくり時間をかけても夕方にはすべて作業が終わる。

夏が猛暑だったせいか、今になってヤブ蚊が盛んに飛びはじめて、溶接をしていると無防備な首から後頭部にかけてコレでもかと云うほど群がって刺してくる。溶接中はじっと動かないように身体を固定していなければいけないから、ひたすら痒みを我慢するしか無い。なかなか作業に集中できなくて無駄に体力を消耗してしまった。
彫刻を造っていると、けっこうハードに身体を動かしているように思うかもしれないが、実は坊主でお経を読んでいるときと殆ど変わらないほど身体を固定していることが多い。
溶接や溶断などの作業に集中していると、フッと思考が消滅して座禅の瞑想に近い状態になる時がある。
身体の揺れが止まって、工場の床に自分の足の裏が張り付いた感じになって、重心が少しずつ臍のあたりまで下がってくるふうに感じる。そういう時は、あとでグラインダーを使うと、彫刻の溶接面がきれいに仕上がって無駄がない。
彫刻を一つ造る間に、雑念が抜ける瞑想状態になることはそれほど多くない。今回はヤブ蚊に邪魔されてかなり制作が乱れてしまった。

搬入の準備を整えて、吉田家経由で萬善寺へ移動した。
彫刻の重心を下げるために寺で保管してある玉石の土嚢袋を積み込んだ。
瀬戸中央自動車道を経由して徳島の彫刻展示会場へ午前10時位到着を目指して出発した。
長距離を走る時は、体力の消耗を避けるために地道で60km、自動車道で80〜90kmの定地走行をする。
最近あおり運転の被害が多発しているらしいが、そういうことは今に始まったことでも無くて、昔から普通にあったように思う。気がつけば、自分のほうがあおり運転らしきことをしていたりすることも時々あって、ワイフが助手席に乗っていたりすると「あんた、そんなに急ぐことないでしょ!もっと車間距離とらないと・・」などと、うるさく注意される。
運転の癖のようなものは誰にでもあることだから、少々タイミングのズレがあってもすぐにイライラしないように気持ちの平静を維持することが大事だ。
徳島駅の裏側にある、公園のゲートへ着いてから彫刻展主催の松永さんへ電話を入れた。
公園のいつもの場所へ銀くんを乗り入れて、だいたい20分ほどでセッティングが終わった。
移動時間4時間半は、自分としては全く気にならない日帰りコースだが、せっかくだから帰りは、少し余裕を持って倉敷の友人を訪ねてみようと思う。

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チャチャッと彫刻 

2018/09/19
Wed. 23:21

数年前から出品をさせて頂いている徳島中央公園の野外彫刻展は、だいたい9月のお彼岸が終わったくらいからスタートして11月のはじめまで会期が続く。

今年も彫刻制作を計画しつつ奥出雲の小品彫刻展や寺のことをしていて、もう、これ以上制作の取り掛かりが遅れると彫刻にならないくらいまでのタイムリミットギリギリまでかたちの考えを引きずっていた。
こういう制作スタイルは、もうずいぶん前から決まってしまっていたようなところがあって、何かの拍子で何かに躓いたりすると、もうそれでその時の彫刻は完成しないまま終わって、関係各所に多大な迷惑をかけることになるのだが、一方、自分では気持ちの何処かに「そうなったら、それはそれでイイや・・・」と、自分の彫刻をクールに投げ出してしまっているようなところがある。
「なんか、正ちゃん、彫刻造るの早いから、ありがたみに欠けるわよね!」
近所の衣料雑貨会社オーナーのトミさんには、私がいつもチャチャッと彫刻を造っているふうに見えているようで、いつもそう言われる。
「構想はエンドレスで1年中続いているから、彫刻はそれでズッシリと重たくなってるんですよ!」
さりげなく軽く返しているが、内心まさにそのとおりで、今度の徳島などは1年どころかもう何年も前からいろいろ工夫して試作したりしながらギリギリのところで踏ん切りをつけた彫刻になるはずなのだ。
他人には気づかないところで、見えない工夫をしているから、制作上の工程は前後や裏表の失敗は許されないことで、そういう場面で些細なミスを一つ犯すと、それだけで完成の予定がかなり狂ってしまうほど繊細であったるもする。

随分前のこと・・・まだ、東京の展覧会場が上野公園の都立美術館だった頃、何時になくたっぷりと時間をかけて、その上見習いの助手志願の娘に制作の一部を手伝わせて、そのときに造りたいかたちをひたすら徹底的に造り込んでコテコテの彫刻に仕上げたことがあった。
それまでやりたくても出来なかったことが出来て十分に満足できるほどの彫刻になって晴れ晴れと最高の気分で搬入して陳列展示してその夜は打ち上げの美酒に酔いしれた。
次の朝、会期の始まった会場へ出かけて自分の彫刻の前に立つと、どうもいつもと違った違和感のようなものを感じて、前日の高揚が一気に消沈した。
記録の写真を撮るなどして島根へ帰って現像に出したフィルムを見直してみると、面倒臭いほどデコデコといらないものばかりがアチコチへベタベタ張り付いて最低の彫刻になっていた。それが、結局は会場で感じた違和感の元だと気づいたときはすでに遅し・・・
未だにあのときの失敗を時々思い出すとゾッとして寒気がする。
時間も手間もあればあるだけ良いというものではない。
時間があるなら、ギリギリタイムリミット直前までかたちの推考を繰り返すことに使ったほうが良い。手間があっても結局は限界まで自力で乗り切る覚悟がないと、自分の責任の着地点が狂ってしまう。
年齢相応の表現を常に客観的に正視できる自分であり続けたいと思っている。

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行雲流水ー通夜の朝 

2018/09/14
Fri. 23:54

埼玉の千代子さんがカルチャースクールの生徒さんと奥出雲の会場を訪ねてくれた。
旅行の計画を展覧会の会期中に併せてくれたようだ。

通夜は夜だけど朝から本堂を葬儀用に荘厳しなければいけないから、それらのことは葬儀社さんと世話役さんへお願いして会場へ急いだ。
途中千代子さんから電話が入ってタクシーを頼んで向かっているとのこと・・・なんと気の早いことだ・・・
千代子さんは具象彫刻の作家で、二紀会彫刻部の委員で活躍していらっしゃる。
堅実で妥協のないシッカリとした彫刻は、日常のさりげない情景の一瞬を切り取ったような題材が多い。
今回の小品彫刻は模刻の習作に思えるテラコッタの可愛い3匹のウサギを送ってくれた。

具象の彫刻は完成までに結構時間がかかるから、飽きっぽくて短気なボクにはとても造れそうにない・・というか、造る気がしない。
彫刻家はその作家の性格や好き嫌いもあるから、それが彫刻の多様性になって面白い。
一方、変に頑固に自分の作風に執着する彫刻家もいて、コレがあまり意固地になると始末が悪い。
そもそも、「作風」というものは、おおよそ巧まずじて醸し出される「味わい」のようなもので、その領域に達すると本物で唯一無二の彫刻であり彫刻家と言える。
今の世間の殆どの彫刻家は、結局誰かの息や影が掛かっていたりして、その線を手繰っていけばだいたい心当たりの誰かにたどり着く。
彫刻家吉田正純も、まさにその一人で、私の造る彫刻はある日突然空から舞い降りたり降って湧いたりしたものでもない。

自分の周辺を断捨離している時、山本兼文氏のことが掲載された新聞記事が見つかった。
自分で切り抜いてスクラップしていたらだいたい覚えているから、たぶん新聞好きのワイフが記事に気づいて切り抜いておいたものだろう。
その山本兼文さんは、鳥取県の岩美町生まれで、学校の美術の先生から校長まで務めた立派な彫刻家であり教育者だった。
私が島根にUターンしてから後、彫刻のことでさんざんお世話になった。
田舎の地元で展覧会をすることの大事な意味を教わったことが、今の小品彫刻展に繋がっている。
都市部や中央彫刻界にばかり目を向けていては、田舎に埋もれた才能を引き出すことは出来ないと、具体に実践されたひとだった。

千代子さん御一行は、台風のごとく展覧会場へやってきて去っていった。
奥出雲から石見銀山へ移動してワイフとの会話もあったようだ。
一応住職のボクは、彫刻のこともだが、今はお通夜のことで失敗しないようにすることが大事。
通夜の夜は、お経の声も聞こえないほどの雨だった。ほんとにボクは雨男だなぁ〜・・・

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台風と彫刻 

2018/07/26
Thu. 23:15

台風が嫌な感じで日本へ近づいている。
いつもだったら秋の台風のようで、関東を直撃するコースだが、今年はそれが7月の今の時期になっている。

秋の台風には過去に何度か彫刻展で苦労させられた。
私が彫刻を野外会場へ展示するようになったのは、まだ展覧会が上野公園内の東京都立美術館で開催されていた頃だ。
美術館の東側入口から建物の壁に沿って右側へ進んだところに大きな銀杏の木があって、その木をぐるりと囲むように小さくて狭い野外彫刻展示室があった。
野外展示室の西側に展覧会の搬入口がある。野外彫刻は審査があって会期が始まるまでその搬入口前の駐車スペースへ仮置きすることになっていた。
島根から彫刻を運搬して搬入を済ませてその日のうちにまた島根へトンボ返りするという強行スケジュールを何年も続けていたから、上野の美術館の滞在時間は早朝からお昼すぎまでの数時間しかなかった。そういう時に台風が重なったりすると、もう嫌になるくらい大変な作業が半日ほど続いて、グッタリと疲れたまま島根に向かって東京を出発することになる。そういうことが、2~3回はあった気がする。
展示中に台風が通過することもあって、関東に在住する彫刻家の友人へ電話して善後策を工夫するなどして気をもんだことも数回あった。
会場が上野から六本木へ変わった最近でも、会期中に台風通過が何回かあって、予測不能な六本木のビル風にはいまだに気をもんでいる。
そんなわけで台風というと、島根のことより東京とか彫刻のことが真っ先に結びつく。

振り返ると、もう30年以上も島根で彫刻を造り続けていて、それを毎年最低1回は東京へ運んでいる。
私もワイフも、20代の頃から何かしら展覧会の出品発表を続けていた。
彫刻の制作で苦労することはたくさんあったが、島根へ帰ってからあとの搬入搬出の彫刻出品に付随する諸事情に関しては彫刻制作とはまた違った全く別の苦労が多々あって、それらの事情をすべてゴクリと飲み込んで「こんなものだ!」と片付けてしまわないと、今まで毎年続けて彫刻を造ることは出来ていなかったと思う。
30年というと、ずいぶん歳をとった。
その間に、島根の彫刻仲間も少し増えたし、ワイフと二人だけで彫刻を続けているよりは賑やかになって励みにもなったが、結局みんなで一緒に1年ずつ毎年確実に歳をとっているわけで、そうなると、みんなで一緒に制作の肉体的精神的負担も増してくる。吉田家の場合は経済的な負担も加わるし、そろそろ年齢の先も見えて、どう考えてもこれから先の彫刻発展は望めそうにない状態だ。
ワイフのことはどうかわからないが、私の場合いまのところ彫刻造形の枯渇はなくて、それが唯一の救いといえるものの、制作の体力減退が実感できるようになった。あとは、経済も含めて総合的具体的に現状を判断しながら彫刻に向き合うしか無いと思っている。
いずれにしても、自分の彫刻で出来ることを出来る範囲でコツコツと楽しみながら続けるようにしていくつもりだ。
今度の個展からはボクの彫刻制作が後編に入った感がある。

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変な癖 

2018/07/21
Sat. 23:31

また訃報が入った。
今度は流政之さん・・もうかなりのご高齢だったと思うから、きっと大往生だったろう。

私がまだ美術方面の基礎的な勉強をしている時、油絵とか日本画とか、「絵を描く方面の選択肢は無いだろうな・・・」と漠然と決め始めていた頃、神保町の古本屋さんで流政之さんの作品集を見つけて、それから暫くの間、頭の片隅に流さんの彫刻の映像が張り付いて離れなくなって困ったことがある。
受験用の課題でイメージ構成の立体造形をつくると、どこかしら「流っぽい」造形になって、流さんの彫刻の真似をしているような気持ちになって、自分ではそれが嫌で、少しの期間チョットしたスランプ状態になったことがあった。ちょうど自分は「具象か抽象かどちら・・・」に向いているのかよくわかっていなかった頃でもあった。
今はどうかわからないが、当時は美術方面の受験勉強と云うと、いちばん大事なポイントがデッサン力であって、平面でも立体でもまずは客観的で正確な観察眼と具象的表現力が重視されていたように思う。それに対して、自分の主観的感性とか造形性は評価の対象として「変な癖」と看做されるようなところがあって、「お前は、そういう癖があるから、それ以上伸びないんだよ!」などと指導教官によく云われていた。
流さんの彫刻を観ていると、どこかしら具象抽象の傾向が感じられて、抽象のベースには具体的な素材とかテーマとかがあって、それがとてもわかり易くシンプルな造形に昇華されていて、あの頃の自分に素直に入り込んだ。
その後・・・まぁ、自分ではそれなりの苦悩の日々が続いたものの、いつの頃からか「まずは受験の壁を乗り越えるしか無いことだ!」と割り切ることが出来るようになって気持ちの整理がついた。それで、変なデフォルマシオンを捨てて、観えたものを観えるように素直に写し取ることに専念していたら、平面も立体も、自分では面白くもなんともないつまらないモノしかできなくなって、そのあまりにも特徴のない地味な普通さが功を奏して、特に上手でもなく、かといって下手でもなく、良いところも無いが大きな破綻も無く、総じて欠点も波もない無難な仕上がりの受験課題作品ができあがるようになった。
それからしばらくして、流政之さんの回顧展のような大きな企画個展が何処かであった。
竹橋の近代美術館だったかもしれないが、確か其処ではイサム・ノグチさんの個展があったはずだし、石彫の彫刻が混ざり合って場所を思い出すことが出来ない。
制作年代やテーマごとにパネルで仕切られた展示室には、かなりたくさんの流彫刻があって、そのムーブマンを一つ一つゆっくり時間をかけて間近で観ることが出来た。図録の写真からでは伝わらない造形のコンセプトが観えた気がした。

まだ勉強中のことで色々ふらついていたが、少なくても流政之さんの彫刻に接したことで自分の造形が抽象の方向へ傾いていったことだけは確かだと思う。当時は前後して沢山の造形作家や造形作品をチェックした。それらを精査して整理すると具象にはない抽象の奥深さや広がりのようなものに気持ちが引かれる自分がいることに気付いた。
別に、頑固に深く具象や抽象の境界を気にすることもなく、好き嫌いで造りたいものを造っているだけだが、やはり性格なのだろう「自分は抽象がスキなのだろうなぁ〜」と流さんの彫刻が教えてくれた気がする。結局それが自分の「癖の元」なのかもしれない・・・

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オヤジ彫刻家その3 

2018/04/06
Fri. 23:41

万善寺の豊川稲荷は、愛知県豊川にある「円福山 豊川閣 妙厳寺」境内に祀られ安座される吒枳尼尊天(だきにそんてん)様に由来する。
この妙厳寺は、もともと真言宗であったらしいが、開祖さまが曹洞宗で修行をされた関係で、寺院再建にともない、曹洞宗寺院として妙厳寺を建立されたようだ。
万善寺先代住職の憲正さんは、常日頃から仏教のことはあまり多くを語らなかった人で、寺の由来も、町史編纂の時に町内に残る幾つかの資料と、万善寺で代々口伝されてきた内容を総合してまとめられたようだ。そもそも、曹洞宗は世襲寺院ではないので、代々の住職は師弟関係で引き継がれてきた。近年になって、社会の情勢に習って師弟関係をそのまま養子縁組に抱き合わせて、表面上は親子の世襲として住職を引き継ぐ形に変わった。憲正さんもそれに習って生まれて間もなく養子縁組で万善寺の先代に引き取られている。そういうこともあって寺歴に関して、寺に残る文書などは歴代の住職交代があるたびに飛散した可能性が高く、あまり引き継ぎ口伝されてこなかったのではないかと思っている。
いずれにしても、妙厳寺の御本尊様は千手観音菩薩様で、万善寺の千手千眼観世音菩薩に通じるものもあるし、万善寺の前身は天台宗と思われるし、密教から曹洞宗への改宗となる経緯など、重なる部分も多い。その関係もあって万善寺の境内に豊川稲荷さまが祀られることになったと解釈してもおかしくはない。明治以前の昔から日本宗教は神仏混合で推移しているから、豊川稲荷のように民衆の間では宗教の区別とか垣根を越えて信仰の対象になっていたのだと思う。
ちなみに、吒枳尼尊天(だきにそんてん)様は、元々ヒンドゥー教の女神様が仏教の神として祀られたようである。

鎌田さんは徳島在住の具象彫刻家で、島根の小品彫刻展へも毎年出品していただいている。静かな佇まいの一見温厚そうなひとに見えるが、どうなのだろう?彫刻は構造やムーブマンをシッカリ固めた堅牢な作風だと思う。六本木で毎年顔を見るが、彫刻の展示場所が違うのでお話できる機会は多くない。
太田さんも出品歴が長いはずだ。実は、もうかなり前から彼のことを滋賀県の作家だと勝手に思い続けていた。どうしてそうなったのかどこかに原因があるのだろうがまったく思い出せなくて心当たりがない。とにかく、関西弁のひとであるから近いと云えばそうなのだろうが、私は関西に詳しくないので、神戸も大阪も奈良も京都のひともみんな同じように聞こえてしまう・・・そいんなわけで、実は京都在住でした。ゴメンナサイ!
片瀬さんは神奈川在住の木彫作家で、彼も見た感じ、とても温厚そうだ。だいたい、具象彫刻の作家は皆さん温厚な方が多いのかもしれない。私のような抽象彫刻を作っている人間は、どこかしら世間を斜めに見ているようなところがある・・・気がする。同じ彫刻でも、具象の彫刻家とは思考構造が何処かで違っているのかもしれない。

今回の会員有志のグループ展は、極端に参加者が少なかった。
会場費用など、展覧会を運営するための必要経費は毎回ほぼ同じだから、それを出品者の頭数で割った金額が個人負担の出品料になる。私のような田舎者は、隔年で開催される東京銀座のギャラリーへ彫刻を展示できるだけでも安いと思って500円貯金をしながら展覧会費を貯めているが、まぁ、その個人負担をどう意識して彫刻を造るかは作家次第だね。

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2019-01