工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

オヤジ彫刻家その3 

2018/04/06
Fri. 23:41

万善寺の豊川稲荷は、愛知県豊川にある「円福山 豊川閣 妙厳寺」境内に祀られ安座される吒枳尼尊天(だきにそんてん)様に由来する。
この妙厳寺は、もともと真言宗であったらしいが、開祖さまが曹洞宗で修行をされた関係で、寺院再建にともない、曹洞宗寺院として妙厳寺を建立されたようだ。
万善寺先代住職の憲正さんは、常日頃から仏教のことはあまり多くを語らなかった人で、寺の由来も、町史編纂の時に町内に残る幾つかの資料と、万善寺で代々口伝されてきた内容を総合してまとめられたようだ。そもそも、曹洞宗は世襲寺院ではないので、代々の住職は師弟関係で引き継がれてきた。近年になって、社会の情勢に習って師弟関係をそのまま養子縁組に抱き合わせて、表面上は親子の世襲として住職を引き継ぐ形に変わった。憲正さんもそれに習って生まれて間もなく養子縁組で万善寺の先代に引き取られている。そういうこともあって寺歴に関して、寺に残る文書などは歴代の住職交代があるたびに飛散した可能性が高く、あまり引き継ぎ口伝されてこなかったのではないかと思っている。
いずれにしても、妙厳寺の御本尊様は千手観音菩薩様で、万善寺の千手千眼観世音菩薩に通じるものもあるし、万善寺の前身は天台宗と思われるし、密教から曹洞宗への改宗となる経緯など、重なる部分も多い。その関係もあって万善寺の境内に豊川稲荷さまが祀られることになったと解釈してもおかしくはない。明治以前の昔から日本宗教は神仏混合で推移しているから、豊川稲荷のように民衆の間では宗教の区別とか垣根を越えて信仰の対象になっていたのだと思う。
ちなみに、吒枳尼尊天(だきにそんてん)様は、元々ヒンドゥー教の女神様が仏教の神として祀られたようである。

鎌田さんは徳島在住の具象彫刻家で、島根の小品彫刻展へも毎年出品していただいている。静かな佇まいの一見温厚そうなひとに見えるが、どうなのだろう?彫刻は構造やムーブマンをシッカリ固めた堅牢な作風だと思う。六本木で毎年顔を見るが、彫刻の展示場所が違うのでお話できる機会は多くない。
太田さんも出品歴が長いはずだ。実は、もうかなり前から彼のことを滋賀県の作家だと勝手に思い続けていた。どうしてそうなったのかどこかに原因があるのだろうがまったく思い出せなくて心当たりがない。とにかく、関西弁のひとであるから近いと云えばそうなのだろうが、私は関西に詳しくないので、神戸も大阪も奈良も京都のひともみんな同じように聞こえてしまう・・・そいんなわけで、実は京都在住でした。ゴメンナサイ!
片瀬さんは神奈川在住の木彫作家で、彼も見た感じ、とても温厚そうだ。だいたい、具象彫刻の作家は皆さん温厚な方が多いのかもしれない。私のような抽象彫刻を作っている人間は、どこかしら世間を斜めに見ているようなところがある・・・気がする。同じ彫刻でも、具象の彫刻家とは思考構造が何処かで違っているのかもしれない。

今回の会員有志のグループ展は、極端に参加者が少なかった。
会場費用など、展覧会を運営するための必要経費は毎回ほぼ同じだから、それを出品者の頭数で割った金額が個人負担の出品料になる。私のような田舎者は、隔年で開催される東京銀座のギャラリーへ彫刻を展示できるだけでも安いと思って500円貯金をしながら展覧会費を貯めているが、まぁ、その個人負担をどう意識して彫刻を造るかは作家次第だね。

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オヤジ彫刻家その2 

2018/04/05
Thu. 23:25

午前中かけて万善寺の法要お知らせチラシを配った。
朝も、あまり早くからお邪魔するのもどうかと思ったが、飯南高原の方は殆ど全戸が農家のようなものだから朝の早いのも大丈夫だろうと自分勝手に解釈して、いつも通りに石見銀山の吉田家を出発した。
あいかわらずネコチャンズは冷たいもので、出かけるボクを「いってらっしゃぁ〜い、きをつけてねぇ〜〜」と、ワイフのように優しく見送ってくれる気配もない。

このところ、雨続きの寒い日が続いていて、うっかりするとチラシが軒先からの雨だれで濡れてしまったりして苦労した。前日に少しほど配っておいたから、それだけでもいつもより楽になって助かった。
天気が悪くて境内の外回りを掃除できなくてこまる。庫裏から本堂まではとりあえず掃き掃除もしてあとは本堂で法要の準備をすることと、庫裏にお茶会の場所を用意することぐらいだ。動いているとそうでもないが、休憩したりデスクワークになると肌寒い。それでも、春は春だから邪魔な建具を片付けたりして彫刻展示の模様替えをした。とくに大きな法要もないうちは、庫裏の一部をギャラリー風に使うことにしてそろそろ1年が経つ。今後、平面を展示できる壁スペースを確保したいとも思っている。

二紀会の会員有志が集まった銀座のグループ展では、たぶん長谷川さんが最年長だと思うが、間違っていたらゴメンナサイ!それだけ、出品歴の長いベテランだともいえる。彼は富山県の欄間彫刻で有名な井波在住で、ときどき、ゆっくりと会話できるときなど、井波の今を話してくれる。私がまだ学生だった時、彫刻や工芸を見ながら北陸の各地を回ったことがあって、懐かしい。彼は、近年福井大学の方へ出講していると聞いたが今も続いているのかは知らない。
栃木の木彫作家森戸さんは、展覧会の事務局をしていて、DMの手配や展示台の集計など細々とした事務を引き受けてくれている。こういう仕事は、展覧会の会期を越えてほぼ1年中何かしら動かなければいけない仕事があって気が抜けない。私などは基本的に年中ヒマにしているから島根の彫刻展もなんとか出来ているが、飯を食うための仕事をしていてその合間の事務仕事となると結構大変なことだと思う。彼はその上に彫刻も造っているわけだからなかなかの働き者だ。
石彫の飯村さんも栃木の人で、少し前まで美術館の学芸員で出向していたらしいが、本業は学校の先生だということで、今は学校の現場へ復帰しているらしい。彼の石彫は、かなり前から彼なりのテーマに沿って制作されていてブレがない。おおよその方向性はシンプルで少なくても私には彼が何をしたいのかよく理解できる。造形の緊張感とかボリュームやバランスは作家のセンスで決まるようなところもあるから、私がとやかくいうこともないが、彼の場合、一つ一つの彫刻にもう少し強い関連性のような基本的な形状が見えてくると連作彫刻の強さが増してもっと面白くなると思うのだが、まぁ、それはボクの勝手な欲目ですから気にしないでください。
それにしても、彫刻家はみんな学校の先生が多いなぁ・・・たまたま、会員のメンバーに先生が多いだけなのかもしれないけど、そういう中では、坊主の彫刻家は珍しく見えるのかもしれないが、坊主の中には結構絵描きや彫刻家もいたりするんですよ、実は!

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オヤジ彫刻家その1 

2018/04/04
Wed. 23:25

お釈迦様の誕生日と豊川稲荷二の午祭が近づいてきた。
飯南高原に点在するお檀家さんと万善寺がお世話になっている保賀地区の各家に簡単なお知らせのチラシを配布して歩いた。
ぐるりと一周すると2時間ほどかかる。

保賀地区が終わりかけたところで電話が入って、そちらの用事を優先することにした。
そのまま54号を北上して三刀屋で用事を済ませて斐伊川土手を出雲へ向かった。
このところ、雨降りの絶えないぐずついた天気が続いている。
島根の各地は桜が満開で何処へいっても街道筋や河川敷の桜並木が綺麗だ。
ほんとうなら、もう少し気持ちも華やいで浮かれても良いはずなのだが、どうもそういう気になれない。島根に帰ってから体調不良が続いていて、遂に健康のバロメーターになっていた飲酒を休むまでになった。食欲もないので1日の食事もまともに出来ていない。こういうことは久しぶりだ。そろそろ、身体の何処かで体質の大きな改変が進行しているのかもしれない。それでもと思って、スーパーで買い置き用の食材をいくつか買ったが、ひょっとしたらそれも冷蔵庫で眠ったままダメにしてしまうかもしれない。
気持ちは坊主も彫刻も前向きでいられているはずだが、自分の身体のほうが無理を拒否している気もする。

銀座の彫刻展のオヤジ彫刻家たちは、圧倒的に具象系の作家が増えた。
もう、数年前からそれとなく気付いていたのだが、最近の二紀会は抽象の作品が減ってきたように思う。
もう、30年以上も前は、色々なタイプの色々な切り口の抽象彫刻がたくさんあって、駆け出し彫刻家の吉田は大いに勉強できたし、たくさんの刺激を受けた。あの時期があったから今の吉田があると思っている。
まだ学生で勉強していた頃、研究室の先生が「一流の師匠のビリ弟子でも、二流の師匠の1番弟子より上だ!」と言っていたことを今でも時々思い出す。吉田自身がビリ弟子だったからさりげない慰めの言葉だったかもしれないが、なんとなくわかるような気もして、その一言が自分の心にスッと入って納得できた気がする。あの先生は一流だった。

周藤さんは、私が島根に帰って30代の頃に出会った。
最初は、石膏に置き換えた具象の塑像彫刻を見せてもらったが、それは、彫刻というよりお人形さんのような造形力の弱いものだった。機会を見つけては彫刻の話をするうちに金属の勉強がしたいと云い始めたので吉田家に招待して自分の溶接機などの道具を貸してあげることにした。
早いもので、それからすでに30年近く経った。
今では、立派な金属彫刻の作家に成長して、具象抽象の枠を超えた見ごたえのある面白い彫刻を精力的に造っている。幾つかの大賞展にも積極的に出品しているし、波に乗っている。
島根在住の彫刻家に金属彫刻の作家が少ない中で、周藤さんは島根彫刻界の将来を開拓してくれる作家の一人だと思っている。

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オヤジの朝 

2018/04/03
Tue. 23:13

前年度事業で最後になっていた報告書をやっと発送することができた。
年度末の貴重な1週間を銀座のギャラリーで過ごしてしまったから、その間の事務が停滞した。島根を出発する前に全て終わらせたつもりでいたところへ、発送ミスの連絡が入って、結局は自分の責任で年度をまたいでしまったわけで、関係の皆さんに迷惑をかけることになってしまった。

ワイフが留守にしている間は、万善寺に加えて吉田家の家事も自分ですることになって、朝の数時間がアッという間に過ぎる。
最近、年齢のせいか少しずつ朝が早くなっていて、特に苦労することなく普通に目が覚めるようになった。おかげさまで通勤坊主の時間までにおおよそひと通りのことを済ませて自宅を出る時に玄関先へゴミ袋を出しておくくらいは無理なく出来ている。ネコチャンズのご飯やトイレの世話も出来ているし、グッピーたちのご飯も欠かさずあげているし、時々植物の鉢に水を足すことも出来ている・・・が、自分にできることはせいぜいそのあたりまでで、掃除とか洗濯をするまでの時間を造ることはなかなか出来ないでいる。
最近は、石見銀山で暮らす時間が激減した。日のあるうちは殆ど万善寺の外や内で何かしらの用事を済ませている。留守がちな吉田家を見渡すと、冬のシーズンにワイフでは処理しきれないダンボールや紙類がアチコチで山積みなって溜まっていた。ストーブを使っている間は焚きはじめの火付け役に重宝するが、シーズンが過ぎるとそれらがそっくりゴミに変わる。このまま見て見ぬふりで過ごすことも出来ないし、自分の周囲の紙類を集めて一気に処理することにした。まぁ、だいたいが日常の暮らしは時間の都合がつきやすいヒマにしている誰かが世話をして乗り切るしか無いから、寺の法事も無くて彫刻の制作も一段落している私が適任ということになっている。

今度の彫刻展で受付をしながら出品作家の皆さんと世間話をしていたら、女子美出身でワイフの後輩が多いことがわかった。たまたまのめぐり合わせなのかもしれないが、二紀会の彫刻部に在籍する女性彫刻家には女子美出身がかなり在籍して彫刻を出品しているようだ。その中でも、吉田満寿美はすでにベテランの域に達した存在になる。最近、作風も安定しているし、あとは構造上の丈夫さと野外での耐久性の問題をクリアーすれば、造形がもっとレベルアップするはずだ。
石彫の山手さんは群馬の方で産出される貴重な石を使っていた。木材もそうだが、近年は日本の各地で閉山する石山が増えた。島根の福光石もその一つで、江戸時代の採石場跡が今は石見銀山と絡めて地域の観光地に変わりはじめている。
青い彫刻の照沼さんは、一時期乾漆の勉強をしていたように聴いたが、私の勘違いかもしれない。彼女も女子美でワイフの後輩にあたる。
徳島の上月さんは、具象彫刻をメインにして、時々抽象を造ったりしている。基本的には可塑性のある素材の特徴を活かした独特の造形感を持っていて、一般の具象からは一線を画しているように感じる。今のテーマというか作風はずいぶん長く続いているから、そろそろ次の展開を期待しているところだ。
ワイフもそうだが、自然の持つ生命観を造形に昇華する方向性の彫刻は、私のような無骨オヤジではとても造れそうにない。

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梅と桜 

2018/04/02
Mon. 23:21

ワイフがしばらく留守にするので、出雲まで送っていった。
その足で松江の用事を一つ済ませて、それから寺へ回ることになる。
4月に入ったばかりなのに、暑すぎる。こういう天候の急激な変化が身体にこたえるようになってきた。ほぼ半日の間ずっと運転していたから、万善寺の境内へ上がった時は脱力感でしばらく動けなかった。

彫刻展の作品が吉田家へ届いていたので、それを寺へ移動した。
吉田正純の彫刻はアチコチへばらまかれているから寺にも少ししか残っていないが、吉田満寿美の彫刻は少しずつ寺へ集まって一箇所へ並ぶと彫刻の時間軸に連作の流れができて面白い。
確か2007年に彼女の個展を企画してから、気がつくともう10年も本格的な個展から遠ざかっている。
制作は絶え間なく続けているし、そろそろ次の展開を確かめる良い時期である気がするし、年末には自分の個展が具体的に決まりそうだし、良い機会だから石見銀山の何処かで同時開催を計画するのも良いかもしれない。

とにかく、このところ女流彫刻家の元気がいい。
福岡に住む井形さんは会員展の出品歴は浅いが、この近年確実に彫刻のテーマが安定してきた。島根県でも昨年11月に大田市の富山町で小学校の廃校を使った教室個展をしてくれた。あのときに集まった彫刻群の造形と会場の構成力は目をみはるものがあった。彼女とはかれこれ20年以上の付き合いになるような気がする。島根の小品彫刻展にも毎年欠かさず出品してくれていて頼りになる。
東京に暮らす醍醐さんは木彫彩色でネコのレリーフを展示していた。自分はどちらかといえば抽象の彫刻家だから、彼女のような日常の何気ない様子の一コマを切り取った具象的観察眼は鈍い方だと思っている。そもそも、展覧会へ出品する作品でそういう具象彫刻を造ろうという気にならない。二紀会彫刻部の面白いところは、そのあたりの表現の多様性とか自由度の幅が広いところだ。
今回の彫刻グループ展のボスというか仕切人というか代表というか事務局長というか・・・とにかく、ワガママ者の集団である彫刻家を束ねて展覧会を成功させたのはシノブさんの人望によるところが大きい。昔から彼女とは受賞年が重なることが多かった気がする。彼女は基本的に木彫の作家だから、野外作家の吉田とは特にこれといった接点があるわけでもないのだが、それでもいくつかの機会に宴席で同席することもあって知らない仲でもないし会話が無いわけでもない。たまたま前回の会員展で会場受付の重なることが多くて付き合いの距離が縮んで、それ以来、わざわざ出品料のかかる小品彫刻展へ出品してくれるようになった。秋の本展で見る大作も良いが、こうして、銀座のギャラリーとか島根の小品彫刻展で見る小さな彫刻も女性らしいオシャレでセンスの良い彫刻に仕上がっていて好きだ。

万善寺の梅の枯木がそろそろ花も終わりになってきた。今年は、桜が一気に開花して遠くからだと梅と桜の見分けがつかないほど花が重なった。こういう年も珍しい。

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ワイフの彫刻 

2018/04/01
Sun. 23:07

新宿バスタでキーポンと待ち合わせをしていたのだが、結局仕事が長引いて彼女は高速バスの出発時間へ間に合わなかった。
東京は2日ほど前から気温が下がって肌寒くなった。それまでが3月にしては暖かい日が続いていたから、普通に平年並みの気候へ戻っただけなのだろうが、新陳代謝の鈍ったオヤジジイは肉体の反応が目まぐるしく変わる周辺の環境に取り残されてしまう。

キーポンに「来なくていいからね!」とメールを送って、バスは定刻に出発した。
MacMusicのウエブラジオからピアノのクラシックを選んで聴き始めた。
バスは、島根の出雲市駅前へ到着するまで、途中5回ほどトイレ休憩をする。最初の休憩で何か夜食でも買おうと思っていたのに、いつの間にか寝てしまっていた。気がつくと、深夜の2時過ぎだった。ピアノ曲はまだ続いていて、しばらく聴いていたがそのうちまた寝た。次に目が覚めたらバスはもう高速道から国道へ降りていた。
やはり、1週間の東京滞在はいつも以上の疲労が溜まっていたようだ。

ワイフへは到着時間を教えておいたのだが、少し遅れるとLINEで知らせてきた。バスの方も30分程度遅れていたから丁度良いタイミングになった。出雲市駅の待合室へ移動していたら彼女の車が見えた。運転していたのはじゅん君だった。彼はこれから隠岐の海士町へ帰るようだ。新年度も職場の移動がなかったから今年で海士町へ4年間住むことになる。3人で朝食をとって、その店からじゅん君が別れた。
運転を変わって出雲市から飯南高原の万善寺へ直行した。お昼過ぎに寺の用事が一つ入っていて、それでワイフは寺経由で石見銀山へ帰ることになった。彼女はアチコチにある道の駅へ立ち寄るのが好きで、その土地土地の旬の食材をチェックしている。出雲市から万善寺を経由して石見銀山までの島根中央部グルッとひとまわりコースで立派な椎茸や野菜などをゲットしたようだ。

銀座の彫刻展会期中に、山陰二紀が主催の地域密着型美術研究会展が松江の美術館であったので、ボクが1点制作する間にワイフは都合3点の新作小品彫刻を造った。
島根もそうだが、この近年は、全国的に女性彫刻家の活躍が目立つ。
銀座の二紀会彫刻部有志グループ展も、出品者17名の内女性彫刻家が8名と、ほぼ半数に迫った。現代社会の現状では、彫刻制作に集中して没頭できるようクールに時間調整することが男には難しくなっているのかもしれない。会場で受付をしていても、来場者は女性作家の友人知人が圧倒的に多い。女性のコミュニケーション能力レベルが高いのかもしれないが、やはり、こうしてわざわざ会場へ足を運んで自分の苦心した彫刻作品を観ていただいたという具体的刺激は、何にも代えがたい制作の特効薬になっているはずだ。
ワイフの彫刻を観続けていて、「こういう造形の発想は俺にはないな・・」と、いつもそう思う。とにかく、彼女の造るかたちの方向性とかムーブマンは、彫刻家吉田正純の発想からは出てこない。今回の彫刻も、日本海の石の海岸で波に洗われて丸くなった凝灰岩を拾ってきて、もう何年も「なんとか面白い彫刻にならないか・・」と自分の近くで手を加えられないまま眺めていたのに、「ねぇ〜、あの石、使わないならチョウダイ♡!」ということになって、アッという間に彫刻を一つ造ってしまった。女流彫刻家怖し!!

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銀座の彫刻展終了! 

2018/03/31
Sat. 23:20

展覧会の1週間がアッという間に過ぎた。
自分としては、近年まれにみる濃厚な日々となった。
当分の間、何かにつけてこの数日の出来事を思い出すことになりそうだ。

島根に帰って落ち着いてからだいたい35年ほどになる。
その間に4人の子供が生まれて、それぞれそれなりに育って、久しぶりにワイフとの二人暮らしがはじまったと思ったら、私の両親が相次いで他界した。
万善寺のことも、誰に気兼ねすることもなく自分の思うようにコトを進めることが出来るようになったはずなのだが、いまだに先代夫婦の後始末で毎日が過ぎている。
それに加えて今度の強烈寒波のダメージがのしかかって、またその上に今回の彫刻展が迫って、結局修繕半ばで1週間ほど寺を留守にすることになった。

彫刻の方は自分の好きで始めて、それから今まで続けていることだから、少々の無理も苦労も気にならないで乗り切っている。
今年に入って最初の制作になった彫刻も、計画では立春が過ぎたら工場へ通うつもりにしていた。ところが、次々と押し寄せる寒波のおかげで寺を離れることが難しくなって、その計画が大幅に狂った。それでも最後の辻褄をあわせるところまではなんとか持ち直して展覧会のメンバーへ大きな迷惑をかけることは回避できた気がする。
いずれにしても、幾つかの彫刻展は毎年恒例のことになっているし、長期的な計画を練っておけば直前のドタバタで大騒ぎすることもないのだが、やはり生来の怠け者にはそれがナカナカ出来なくて難しい。

午後になって、関東各地から出品の作家が少しずつ集まってきた。
遠方の作家は、奈良からiさんが搬出に上京された以外は、会場へ集まったメンバーで梱包を手分けして発送するまでを代行することになる。会員も年数を重ねたベテランになると、すべて遺漏なく手配できているが、出品歴の少ない作家は展覧会全体の流れに不慣れなところもあって、なかなかトンチンカンで微笑ましいミスがあったりする。30分足らずの間に全ての彫刻を梱包してクロネコさんへ託すわけだから、よほどに手早く作業を進めないとみんなが迷惑する。まぁ、こういう展覧会の前フリ後フリの諸々の作業は、自分の流した汗の量で身体に覚えさせるしか無いことだと思う。そうしてみると、彫刻家吉田正純は、まだ自分の彫刻を造る以前からワイフの制作や搬入出を手伝ったりしながら少しずつ大事なことを覚えて今に至っているわけだから、相当量の汗を流したことになる。

島根の彫刻展も、こういう過去からの彫刻絡みのアレコレが蓄積されているから、自分の動きやすいようにスケジュールを組み立てて楽にすることが出来ている。
助成金で運営していた企画が、昨年度で一区切り着いた。
2010年に思い立って企画がスタートして、当初の2年間は実績を積み上げることを目標に自己資金で運営した。そういう原点に帰って、今年度の島根県各地巡回の彫刻展は自己資金をメインにして協賛金を獲得しながら乗り切ってみようと思っている。コレが上手くいったら、助成金母体への報告書作成の義務が無くなってボクとしてはとても気楽になれる。そろそろ、こういう少々堅苦しい文化事業も後進につなぐ時期だとも思っている。

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銀座の彫刻展 

2018/03/25
Sun. 23:59

結界君を同級生のカーディーラー君に預けて、ワイフの車に乗り換えて出雲へ向かった。
スズキの代理店へダイハツを預けることになって、「ダイハツなんだけど・・・?」と聞いたら、「ぜぇ〜んぜん大丈夫よぉ〜!!」と云ってくれた。
田舎の自動車屋さんは、メーカーがドォーのコォーの云っていたら商売にならないし、周囲は高齢者がほとんどだから、とにかく、相手の希望をそのまま飲みこんで最善を尽くす商売をすることが「生き残りには大事なことになるのだろう・・・」と、勝手に一人納得して、結界君を託した次第。

出雲市の駅前を夕方に出発して、新宿バスタへは翌日の朝に到着する高速バスへ乗り込んだ。すでに彫刻は島根から一緒に出品する彫刻家に預けていて、自分は肩掛けのバッグひとつの軽装。「あなた、荷物それだけ?スペイン行ったときのトランクドォ〜したのよ?」などと、ワイフが頓珍漢なことを急に云い始めた。チョット1週間ほど展覧会の受付で出かけるだけで、海外旅行並の大げさな荷物もいらないだろうに・・・
東京では、キーポンの部屋へ居候する。
新宿バスタへ着いてから彼女に連絡したら、まだもうしばらく部屋にいると云うから、「それじゃぁ、荷物少し軽くさせて・・」と彼女の承諾を得て急いでJRへ乗った。

少し身軽になって、銀座の画廊へ着いたのはオープンの少し前だった。すでに、何人か出品の彫刻家が集まっていて、展示台の微調整をしてくれていた。
私は、自分の彫刻の最終仕上げに取り掛かった。
今回出品した彫刻は、植物を植え込むことにした。
1週間の展覧会受付を引き受けているのも、出品者のみんなへ吉田が恩を売ろうとしているわけでもなんでもなくて、ようするに、自分の彫刻の生物のメンテナンスが大事だからそれのためなのです。

植栽の植物は、彫刻を制作するよりずっと長く考えて、それなりに悩んだ。
簡単な彫刻のメモに、色々なタイプの植物を描き加えてみたが、イメージが一回りすると、だいたい同じようなところへ落ち着くので、そのイメージに近いかたち(植物)を探して花屋さんをあるいて回ったりし始めたのは、ちょうど1月に入って2度めの強力寒波が島根上空へ降りてきた頃だった。
万善寺の周囲は一面見渡す限り雪だらけだから、境内の端っこの雑草の中からそれらしき植物をヒョイと簡単に採取できるわけでもないし、色々情報を収集してペットショップの猫草へたどり着いたのが2月の節分の頃。「立春大吉」の御札を配ったり発送したりするついでに猫草の種を仕入れて栽培を始めた。芽が出てノビてそれなりの全貌が整って、ピークを過ぎて黄色く枯れ倒れるまでの一連の経過を確認し、それを2回ほど繰り返してデータのベースにして、それから彫刻の本体を造った。植栽の構造を見えないところで工夫して、出品の梱包ギリギリまでその猫草で全体のフォルムを確認しながら、万善寺の雪解けを待って、お彼岸法要が終わって母親の一周忌が終わって梱包の準備を整えて、それから雪が溶けて下草が覗き始めた境内の端っこからリュウノヒゲを掘り起こした。
今、銀座で展示してある彫刻は約2ヶ月かけて、練りに練った渾身の力作である!

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彫刻制作開始 

2018/03/07
Wed. 23:44

島根県は週末から天気が崩れるらしいが、今のとこと春が来たような暖かい日が続いている。
大雨と雪解けで水浸しだった寺の境内も、もと通りになってやっと結界君が動きやすくなった。
冬シーズン中の不具合が解消されていないところも残っているが、とにかく、少し落ち着いて通勤坊主が楽になった。

大雪と凍結の御陰で予定していた彫刻制作が出来ないでスケジュールがかなり乱れて遅れた。
朝起きると石見銀山はとても良い天気で制作日和だから、通勤坊主のスイッチを彫刻家へ切り替えた。
思えば、工場のカギを開けるのも今年になってはじめての気がする。
外は陽が当たってポカポカと暖かくて錆の加減を見ながら平置きしている鉄板がとてもいい感じに温もっていた。
3ヶ月ほど寝かしているからもう少し錆の定着がすすんでいるはずなのだが、まだ粉っぽくて軽い感じだ。自然が相手でほとんどあなた任せにほったらかしの状態が続いていたから、これからは様子を見ながらもう少し錆が丈夫になるように工夫する必要を感じた。
近年は、錆鉄板のストックを使い切ってしまって、大きな彫刻を造る時は、納品されてすぐの黒皮板をそのまま切り刻むしかなかった。財力が充実しているわけでもないので、無駄にストックを増やすわけにもいかないが、まったくないのも困りものだし、財布と相談しながらチビチビと小分けして買い込んでは錆の仕込みをしているところだ。

今度の展覧会は、銀座の画廊でグループ展になる。
小品の彫刻を展示することになるので、工場の壁に立てかけてある錆付きの鉄板から手頃なものを2枚ほど引き出した。1枚は比較的錆が進んで少し味が出たもの。もう1枚はまだ黒皮が残った無機質な工業製品のままのもの。主にこの2種類の鉄板を使い分けながら彫刻を造ることにした。
午前中はおおよそのスケールを決めて鉄板に直接ドローイングしながらパーツを裁断した。久しぶりに鉄が溶ける匂いと茶褐色の溶断煙が狭い工場へ充満して、彫刻家の勘が戻ってきた。
30歳までチェーンスモーカーだったが、ワイフのお腹にじゅん君が出来たことがわかってから止めた。自分の体にタバコが悪いという意識はあまりしなかったが、生まれてくる子供には良くないだろうと感じて、それで止めた。そのくらいの動機だから、こうして工場でタバコ以上の有害なガスにつつまれることにそれほど健康の危機感を持っているわけでもなく喜々として彫刻を造っている。これからも、身体が動くうちは少々無理をしてでも彫刻を造り続けようと思っているが、その前に脳みそが思うように機能しなくなることもあるし、先のことはわからない・・・と、鉄板を溶断して刻みながらそんなことを考えていた。
それから午後になってパーツの準備が一段落したところで、工場から結界くんで5分の日本海のいつもの海岸へ回った。
この数ヶ月、ひたすら雪と山ばかり見て過ごしていた。

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氷塊の時 

2018/02/20
Tue. 23:41

5つ目の寒波が去って、時折思い出したようにパラリと雪が落ちてくるものの、曇り空から日差しが見え隠れする時間も増えて、少しずつ気温が上昇してきた。
それでも普通なら、これで一気に雪が溶けて参道は川のように雪解け水が流れるのだが、今はそれもなくて雪の溶ける気配がない。
まだ、それだけいつもより気温が低いということなのだろう。
井戸水がいまだに凍結したままで緩めた蛇口から1滴も出なくなってもう10日近くになる。「やはり汲み上げのポンプが壊れてしまったのかもしれない」と気にしていたら、お昼を過ぎた1日で一番気温が上昇する頃、突然「ボボッ、ジュボッ、バババッ!!」と蛇口から大きな音がして、それからしばらくしてドバッ!と勢い良くキレイで透明な水が出始めた。
ちょうど、昼食を済ませて食卓を片付けて仕事の書類を広げているところだったから、一瞬何事かとびっくりしたが、井戸水復活とわかって思わず一人で拍手してしまった!これで、ペットボトルの水を使わないで済む。

境内の端に設置した彫刻が、冬の積雪量の定規代わりになっている。
自分で造ったものだから、地上○○cmのあたりにあのかたちがあって、○○cmの場所があの辺で・・・と、だいたいわかっているから、今年の積雪がそれ程でもないということは客観的に推測された。今は、50cmくらいにまで雪も溶けて少しずつ地面の起伏形状が把握できるまでになっている。
石見銀山の田んぼで農閑期のシーズンに個展をしてからあと、2年ほど前までの数年間は、極端に背が低くて地面に張り付いたような形状の彫刻を造り続けていた。
それはそれで、時代に問いかける自分の造形感を具体的に証明するための重要なテーマであって形状であったのだが、その限りなく背の低い彫刻も、制作を続けていくうちに少しずつ先の展開が予測できるようになってきたので、ひとまず、一区切りつけて再考の時を用意するのも良いと考えるようになった。
それが、制作の変化の直接の要因でもあるが、もうひとつに、万善寺の立地環境のことも外せない大事な条件に加わっている。
先代住職の内室であった母親が死んで、名実ともに現住職である自分に世代交代した今、生活の本拠地こそ石見銀山に置いているものの、実質的公的日常の拠点は飯南高原の万善寺へ移ったことになった。そうなると、彫刻も常時自分の身近で存在の条件を具体的に確認することになるから、それまでの、制作テーマを引きずった背の低いばかりの彫刻のままではオールシーズンの鑑賞に耐えられなくなってしまう。自分の造形感の長い流れの中で連続する形状の変化が、今になって少しずつ上へ伸び上がりはじめたというわけだ。
この、少しずつ背が高くなり始めた彫刻にも実は2つの方向性があって、それを自分なりに造り別けながらこれから先の造形のことをじっくりと丁寧にしばらく時間をかけて見つめてみようと思っている。
たぶん、これから造り続けていく幾つかの形状の先には、自分の生涯の最終の着地点が用意されることになるだろう。別段大げさに考えているわけでもないが、それでもそれなりに、今の時代に対する自己表現を彫刻の制作という形状表現をかりて問いかけるくらいのことはしておいても良いかなと思っている。

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デッサン力 

2018/01/25
Thu. 22:08

安西水丸さんが死んだのは、確か4〜5年前だったはずだと思って調べたら、2014年だとわかった。もうすぐ7回忌を迎える。水丸さん死ぬのが早すぎ!・・・と残念でならないから、毎年この時期になると思い出してしまう。
あの人を最初に知ったのはキネマ旬報だった。
キネマ旬報は1ヶ月に2回刊行されていて、読むこところがいっぱいあったから、10日間がアッという間に過ぎて、その本が1冊あれば退屈しなかった。新刊が出ると、最初に水丸さんの記事を読むことにしていて、それが楽しみでしょうがなかった。
なんとも味わい深い絵で、誰にも真似することが出来ないはずだと今でも思う。

自分のことを云えば、あまりにも長くデッサンとか絵を描くことの勉強をしすぎてしまったと思っている。
自分で自分のことは言いにくいが、先も見えて死ぬ時も近くなるばかりだからもうそろそろいいかなと思って言わせてもらうと、「ボクはどちらかといえばデッサンが上手だ」と思っている。あまり何も考えないで、見たものをコツコツと紙に置き換える作業になると、どこかしら無心になれていたりして、普通に癖のない破綻のないデッサンになる。決してかっこいいデッサンではないが、下手なデッサンでもない。彫刻家のデッサンはソレのほうが良いと思う。
誰が見てもかっこいいデッサンを描くとか、味のある癖っぽいデッサンを描くとか、そういう人は絵描きになったり、水丸さんのようにイラストレーターになったり、平面系の方が向いている。自分にはモノの構造や全体の構成を確かめたりするためのデッサンになることのほうが大事なことで、彫刻の手がかりにその手間を一つはさむことで彫刻の制作に迷いが無くなる。デッサンの役割はそのくらいで十分だと思っている。

吉田という存在を知っているくらいの狭い世間で彫刻の話題になると、自分の彫刻について、便宜上「どちらかといえば、抽象彫刻ですかねぇ〜」と答えるようにしている。
自分では、特に具象とか抽象とかを区別して彫刻を造り分けている気もないが、周囲が無理をして理解しようとその場の空気が重くなってしまうのもどうかと思うし、いちいち具象抽象の定義のようなものを解説するのも煩わしいし、一般的に私の周辺で造形の概念を深く掘り下げて話題を振ってくる人もほとんどいないから、俗に云う「わけの分からないモノ」とか「理解できないモノ」は「抽象です!」ということで済ませておいたほうが楽だったりする。これから造ろうと準備している彫刻は、自分の持っている幾つかのテーマの中ではとてもわかり易い彫刻だと自分では思っている。具象であるとハッキリ明言は出来ないけど、どちらかというとわかり易い部類の彫刻の形態や構造は、観る人の知識経験の何かに当てはめて観られることが多いから、自分の持っている感覚を信じて迷いのない彫刻に仕上げておかないと、どこかしら自信のない中途半端な彫刻になって、観る人に不安を感じさせてしまう居心地の悪い彫刻になってしまう。そうならないようにするには、やはり、自分が納得できるまでシッカリ本気のデッサンをしてブレのない造形のムーブマンを定めておかないといけない。
水丸さんのイラストを観ていると、具象性の中に極限まで精査された抽象性を感じてしまう。彼は絶対にデッサンが上手だと思うな・・・吉田なんて足元にも及ばない・・・

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雪原の彫刻 

2018/01/15
Mon. 18:49

今度の寒波は日本海側を中心に記録的な大雪になったりして、いたるところへ大きな被害を与えたようだ。
そういう状況にあって、不謹慎なことかもしれないが、私個人としては、冬や雪が日本の四季の中で比較的好きな・・というより、一番好きな季節なのかもしれない・・と、思っていたりする。

毎年のように悩まされている参道の道開けは、かなりの重労働でいつも大変な思いをしているが、むしろ気持ちの何処かでは傷一つ無い新雪をかき分けてひたすら1本道をつくり続ける単調な繰り返しがキライではないし、道開けの1時間から2時間の間に保賀の谷でおこるさまざまな現象が、自然のつくりだすたくらみのない純粋な造形に思えて、それに包み込まれている自分の非力が眼前の事実として証明されてしまっていることをスッキリといさぎよく受け入れることができて、それが気持ちよかったりする。
観なくても良い、観たくもない、そういう自分の周囲の日頃の色々な気になる環境すべてが降り続ける新雪に少しずつ隠されて微妙な立体の曲線の稜線で一つにつながって行く様子を観ていると、自分がアレコレ悩みながら造り続けている彫刻の虚弱さがバレてがっかりしつつ、一方で、そういうたくらみのない造形の美しさに憧れるし、それが制作のテーマや目標になったりすることもある。

私の父親であり師匠でもあった憲正さんは、私の造形活動に理解があって、それで万善寺の運営に少々支障があっても、なんとなく見て見ぬふりでいてくれていた。それだけでも私にとっては大きな後ろ盾に思えて随分助けられてきた。
内室で母親の俊江さんの方は、私の造形が生活の糧につながらないことをことごとく嫌って、自分の周囲の目に見えるところにある私のものは片端から人の目に触れないように隠して、そういう話題に触れることを生涯拒み続けたひとだった。

昨年のお彼岸明けに母親が永眠してから、少しずつ万善寺の環境へ私やワイフや、その他にも関係の深いいろいろな造形を持ち込んでいる。
もう少し早くから・・・というより、島根へUターンした時からすぐに万善寺の環境をそういう風に作り変えたかったことだったのだが、今になってやっとそれが実現しはじめたわけだ。自分の造形はこの30年で随分と遅れを取ってしまったように思うが、それはそれとして過ぎたことはもとに戻すことにもならないから、今がスタートということで前を見て乗り切るしかない。
母親が大好きだった畑をそのまま耕作放棄して荒れ地にした後、昨年の暮になってユキちゃんに手伝ってもらって、やっと私の鉄の彫刻を置くことができた。
彫刻にとっては、はじめての冬シーズンを万善寺の近所で過ごすことになったわけだ。
今まで、石見銀山を中心に、飯南高原のアチコチで積雪と彫刻の関係を確認してきてはいても、こうして日常の暮らしのさまざまな場面で、その時々の変化をつぶさに確認できて記録できる環境が出来たということは、彫刻家としての自分にとって制作の方向性を模索するとても重要な条件がひとつ加わったことになる。そして、制作の楽しみがひとつ増えた。これからあと、どれだけ彫刻に置き換えることが出来るかわからないけどね・・・

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夕焼けの彫刻 

2017/12/27
Wed. 20:33

2017年最後の回覧板を保賀上組へ配った。
上組といっても、現在は万善寺というか吉田家というか・・・とにかく、それも含めて5軒だけのことだから、チョットした散歩程度で用が足りる事だ。
万善寺は、昨年に引き続いて2年間同じように回覧板を配り各種集金をして回っている。本来は1年毎に一軒ずつズレながらグルグルと役が回っているのだが、高齢化も進んでいるし、万善寺は留守がちで迷惑もかけるし、それにたいした仕事量でもないから、自分の都合で自由に動くにはかえって役付きでいたほうが都合良かったりするのだ。

12月に入って駆け込み法事が続いていたが、ひとまず本日を持って一段落した。流石にこれから後はそういう部類の連絡も控えられるだろうし、お檀家さんの方でも我が家の年末事情を優先する時期に入っている。
坊主の方も、約1時間半のソロライブをしているようなもので、MCや休憩を入れたら2時間以上続く緊張は結構身体にこたえる。1流ミュージシャンのように、ライブスケジュールで1年が埋まっているほどの坊主なら、それなりにモチベーションも維持できるだろうし、気持ちが抜けることもないだろうから、ある意味で迷いもないし自分の行動に責任も出て良い仕事につながるだろうが、私のような3流以下の坊主は、1ヶ月に数回しか無いたった2時間程度の法事をひとつ済ませるだけで息切れしてドッと体力を消耗してしまう。まぁ、暇な坊主の悪循環が一年中続いているということだ。

珍しく今のところ雪が少ないから、荒れ地の端に設置した彫刻までチョクチョク近づくことが出来ている。
この彫刻のシリーズをキチンとその気になって組み立てたのは、今から3年ほど前のことだ。それまで、時々思いつくたびにそれなりの試作を続けていたのだが、それが次第に固まって、造形の先もおおよそ自信を持って読めるようになってきたし、制作の工法の工夫も責任が持てるようになってきたから、今後はそれらをベースにした造形の展開を組み立てる段階に入ったことになる。
今までは、大作と小品を完全に分けて、気持ちや視点を切り替えてそれぞれ別の角度から取り組んで別の彫刻に仕立てていた。それはそれで、自分のボキャブラリーを深めることになって研究の実践として重要な区別であったのだが、それらの蓄積が長い年月で少しずつ混ざりあって溶け合って、最近は一つの造形に再構成されつつある気がしている。
30代前半の頃にも、今に似たようなことがあったが、その時は一つの造形的視点がもう一つの造形に吸収統合されたかたちで消滅した。今思うと、当時は彫刻の迷いがそのままテーマの揺れになってふらついていたものが、吸収統合と一方の消滅によって、結果的に次の表現価値のベースに繋がってくれた分岐点であったと思う。
今回の造形の方向は、彫刻の大小の造り分けをより具体的に正確に見極めていくことが大事だと思っている。大は小を兼ねるとか、小は大のマケット習作だとか、そういう安直なレベルの彫刻にならないようにしなければいけない。彫刻の大小にはそれぞれに具体的にそれでなければいけない、もしくは、その大きさそのものに意味のある代用の効かない緊張感を有することを目指す必要がある。夕日に照らされた荒れ地の彫刻の側に立って、そういう思いを再確認している。

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ラップ 

2017/12/12
Tue. 20:01

「吉田さんの梱包は無駄がない❗ラップぐるぐるで腕が痛くなったのもうなずけます。時間も労力もかかったことでしょう。おちびたち全員の帰宅を確認しました・・・」

少し前に、大牟田の井形さんへ旧富山小学校2階の教室などを使った個展の彫刻を返しに行った。
ダンボールが5つくらいと、あとはエアキャップとラップで梱包したものをワンボックスに積んで陸送した。
大きな方の彫刻本体はFRP製なので、軽くて丈夫だから取扱も楽だったし、小さな彫刻は素焼き程度で焼き上げた無垢のテラコッタで、こちらも少々のことでは壊れないくらいのものだったので、無造作にダンボール箱へ詰め込んだ。
「表面塗料が劣化するかもしれないから、梱包は早めに解いておいたほうが良いかも・・」と、帰りがけに伝えておいたから、その返事が来た。
とにかく壊れないで無事だったことがうかがえて少し安心した。
今年は、井形さんも含め彫刻の梱包や返却で1週間位かかった。1点ずつ数えると100以上の彫刻が集まったから、まぁ、それなりに責任を持って返却するまでのアレコレをするとなると、そのくらいの期間は必要だっただろう。

私がはじめてラップ梱包を見たのは、石見銀山の隣町にある瓦工場の作業場だった。
製品になった瓦がパレットに積み上げられて、それをひたすらグルグルと何重にもラップで巻き続ける専用の機械があって、ベルトコンベアの流れ作業の最終段階のあたりでそれが絶え間なく回転していた。今から20年以上は前のことだったと思う。
次に見たのは2010年の梅雨に入る頃だった。
現代彫刻小品展を企画して、島根県内外の彫刻家へ開催要項を発送して、出品の有無を待たないまま、ボスターやチラシを持って広報を兼ねた協賛金獲得に回った先でそのラップを見た。工場の広報担当はPTAの関係で昔から知り合いだったから、彫刻展のことよりラップのことに話がそれて、結局、賛助金の獲得までに至らないままだったが、そういう、工業用のラップは随分前から実用化されていたのだということを知って、なんとなく納得した。
そのラップは、今ではホームセンターや100円ショップにあるほど家庭の日常品になっている。彫刻だけでなくて、キーポンの引っ越しでも大活躍した。

瓦工場では、瓦の乗ったパレットを載せた回転台とラップのロールを上下させながら巻きつける2つの回転動作が1つに連動して動いていた。
彫刻の梱包は、凸凹もいっぱいあるから単純な動きでは対応ができないだろう。やはり、少々面倒でも人力で巻きつけるのが一番安心できる。今のところ、そういう作業の殆どを一人でまかなっているが、出来たらあともう一人が一緒になってラップを巻きつけることが出来たらずいぶん楽になるだろう。
来年は、そういう作業を手伝ってくれるような若い彫刻家が吉田の近くで育ってくれるといいなぁと思う。
いまだに右手の肘から肩にかけて痛みが続いている。ジジイになったものだ。

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荒れ地の彫刻 

2017/12/09
Sat. 21:39

「石見銀山は晴れてるよ!」
SNSでモーニングメールを送っておいたら、しばらくしてワイフから返信がきた。
万善寺は前日の夕方から一晩の間に10cmほど積もっていた。

雪が降ると、夜の周囲の音を吸い込んで無音が続くから、それで状況が推測できる。
時々屋根の雪吊りや裏山の木々の枝から落ちる雪の音がするときは、「重たい雪だな・・」と想像できる。
12月のこの時期に重たい雪が一気に大量に積もると、雪害が広がる。随分前のことになるが、万善寺の大屋根の垂木が雪の重さで折れて大事になったことがある。最近は、雪質も変わって水分をタップリ含んだ水っぽいドカ雪が降ることが増えた。そういう心配もあるから出来るだけ寺を離れないようにしようと思うが、小さな山寺でも坊主の一人暮らしでは手にあまることも多くて十分なことも出来ないでいる。
少し前に、「しめ縄とお供えの鏡餅は用意できたからね」と、ワイフがさり気なく気を配ってくれた。なかなかそういうところまですぐに気づかなかったりするから随分助かる。

お昼近くなって雪が少し緩んできたので、畑だった荒れ地の端に置いた彫刻の近くまで行った。
鉄さびの微細な凹凸が雪を引っ掛けて予想を超えたコントラストを造ってくれるから、それを確かめることが楽しみだ。条件が良ければ、頻繁にそれをチェックして次の彫刻のデータにしたいといつも思うのだが、なかなかタイミングがうまくあわなくて機会を逸することのほうが多い。ヒョットしたら彫刻の近くまで行けるのもこれが最後になるかもしれない。
島根県日本海沿岸一帯は、積雪量もそれほど多くない。石見銀山のあたりが積雪量の変化する境界といっていい。富山は標高の割に雪が少ない。三瓶山はそれなりに良く降るが日当たりの関係ですぐに溶けて消える。飯南高原は、島根県有数の豪雪地帯だから、雪が消える間もなく次の寒波がやってきて降り積もる。
私は野外彫刻を造り続けていて、これまで幾つかのテーマを設定して環境との共存を追いかけてきた。そろそろ本格的に飯南高原の環境条件に沿った彫刻造形を工夫する時期が来たように思う。これから先、どれだけの野外彫刻を制作できるかわからないが、それでもだいたい生涯の制作点数が予測できるほどの年齢になった。鉄の彫刻が周囲の状況を取り込み溶け込むような造形が出来たら良いと思っている。1mを越える夏草や積雪を予測しながらスケールを設定して彫刻のかたちに置き換える制作は、そういう彫刻が出来上がったときからそれぞれの環境に育てられて成長できると良いと思っている。

〜結果自然成〜
1年もそろそろ終わりに近づいてくると、好きな禅語を思い出す。
ふりかえると、今年も色々あった・・と云うより、今年はそれまでにも益してとにかく色々あった。
宗門の2018年手帳が届いたので、それをもとにして万善寺のカレンダーを造る。
これから先、少しずつ自分の身辺を整理して、シンプルな暮らしになれると良いと思う。

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島根県彫刻振興委員会 

2017/12/08
Fri. 21:50

寺の用事があったのだが、施主さんの都合とか色々あって、結局ギリギリになってキャンセルになった。
万善寺としては、特別どうこうもないことだが、それぞれの家の事情もそれぞれで、だからといってそれぞれの事情にいちいち合わせていたら仏事の芯がズレて収拾つかなくなるから、キッチリと坊主の立場を示して崩さないようにしているつもりだ。
万善寺の近所の田舎事情であれば、ザックリとした地域の風習のようなものがあるから相談を受けても答えやすいが、都会や街場の暮らしが長いと、とことんあちら感覚でモノが進んで、仏事のすり合わせが難しくて、こちらでアタリマエのこともなかなかすんなり通じることが無くて苦労する。

なんとなくモヤモヤと気持ちが定まらないまま、火鉢を抱え込んでコーヒーをチビチビやっているうちに、とっくにお昼を過ぎて午後のティータイムが近くなっていた。
シーチキンを混ぜ込んだ卵焼きをつくって、パンを一枚食べて昼食にした。
その頃から雪の降り方が本格的になって、境内が一気に白くなった。
このまま夜のうちも降り続いてつもりそうな雰囲気なので、急いで結界君をお地蔵様脇の町道までおろした。雪はその間も絶え間なく降り続いてタイヤの跡がみるみる消えていく。
石見銀山へ帰ってもいいかなと思っていたが、この様子だと寺で居るほうが良いと判断してワイフにSNSを送っておいた。ワイフは、三瓶山の麓の方で仕事があると云っていたが、「雪無いよ!みぞれかな?」と気楽な返事が帰ってきた。

とみ山彫刻フィールドアートワークの報告を作成する関係で、その資料を整理しながら開催期間を振り返っている。項目ごとに整理したフォルダが少しずつ増えていて、バラバラに錯綜していたモノが少しずつまとまりつつある。
せっかくだから、しばらく遠ざかっていたF.Bの書き込みを再開した。
資料の彫刻や教室個展の写真を観ていると、島根県立美術館の県展を思い出した。
今更ながら、あの県展の彫刻部門はヒドかった。
出品の彫刻関係者に限らず、絵画やデザインなどの部門にも知り合いが居ないわけでもないのに、DMが一枚も届かない。たまたま松江に用事があってその先で情報が入ったので寄ってみたのだが、とにかく、アレが島根県を代表する総合美術展の彫刻部門であるというわけだから、どうにもやるせない。
今まで、そういう実情を知らないまま周藤さんやワイフなど周辺の彫刻家へ出品を勧めていた自分の無責任さを痛感した。
今回、県展の展覧会事情がハッキリとわかったので、これからは方針を切り替えて今以上に積極的に県展とは違った立場を明確にして、彫刻造形の魅力を提案しようと気持ちが固まってきた。
奥出雲町へ用事ができたので、雪の様子を見ながら出かける準備をしていたら、名刺が無くなっていることを思い出した。早速印刷データを引き出したら、少し手を加えたほうが良いところに気付いた。ついでと云っては軽くなるが名刺だけでも2010年に発足した「島根県現代彫刻振興委員会」から、「現代」を取ってしまうことにした。

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woodcarving art work 

2017/12/04
Mon. 19:09

大牟田往復の疲れが今ひとつ取れないまま、石見銀山を出発して万善寺へ向かった。
自宅を出る時、少し寒いと思ったが、万善寺の方は一面真っ白に霜が降りてもっと寒い。
年中ほとんど裸足で過ごしているから少々の寒さは気にならないが、流石に今朝の万善寺の板の間はいつもより冷たく感じた。足指の感覚が無くなって歩くのもぎこちない。
奈良の方へ依頼していた塔婆の製材が終わって、50枚ほど届いた。万善寺くらいの規模だと、1年の法事が50枚の塔婆でだいたい足りる。田舎価格のお布施に、1枚約1500円の塔婆代金込みの法事が年収の大部分になるわけだから、ボクとボクの家族の暮らしがどれだけ厳しいものか想像していただけることだろう。

とみ山彫刻フィールドアートワークの肉体労働実務がだいたい落ち着いて、これからしばらく書類整理などのデスクワークが続く。
今年は、20代の若い彫刻グループが教室の展覧会に参加してくれた。確か、最年長が25歳だったはずだ。地元大田市からは、まだ大学に在学中の学生さんが卒業制作の合間に参加してくれた。島大の教育学部には木彫が専門の先生が研究室の1つを任されていて、そのせいか、学生さんの彫刻は木彫が多い。今回の4人グループも木彫を出品してくれた。

絵画と違って彫刻はそれなりの規模の制作工房が必要になるから、社会人になってから制作を継続するにはよほどの覚悟と最低限必要な材料や資金の確保が必要になる。あとは、昼間の労働の疲れが気にならないほどの強靭な精神力と体力がないと彫刻制作へのモチベーションが続かない。テーマの落とし所とか確かな技術技法の裏付けとか、そういうことも大切なことだが、若いうちは、それにも増して制作への意欲とかコダワリとかにすがりながら、ひたすら手を動かし、身体を酷使して汗を流し続けることが大事だと思う。
とにかく辛抱してそういうことをコツコツ続けていれば、そのうち何かがひらめいて自分の方向性が見えて来はじめて、制作の背景に確信が持てるようになる。
Tさんは、一見とてもおとなしくて純粋で真面目なひとに見えるが、どこかしら頑固で芯の強いところもあるように感じる。彫刻の方は、まさにそういう彼女の為人がそのまま立体の形になったように思えて、その素直な表現に好感が持てたし、そういう制作の方向性に今後の造形の展開へ向けての新鮮な発見が期待できて楽しみなひとだ。
Kくんは、大学の4年生で、今卒業制作の真っ最中だ。島大で絵画の研究室を持つ新井教授と話す機会があって、彼のことが少しほど話題になった。卒業制作では、それまで取り組んでいた造形のテーマや表現に一区切り付けて、次の展開を模索しはじめたところだという。そういうことを聞くと、卒業制作展を観ないわけにはいかなくなる。
Eくんは、島大附属中学で講師をしながら自宅の納屋で木彫の制作をしているらしい。彼は、すでに自分の造形に関する強い研究のテーマを持っていて、彫刻の方向性がブレていない。あとは、いかにして形態の緊張感とか必然性を引き出して魅力のあるムーブマンに置き換えられるかがこれからの目標であり試練になるだろう。表現の完成度は経験の質量に比例するところもあるから、とにかく焦らないでクールに素材と付き合って欲しい。
そしてもう一人はユキちゃん!・・・彼女はこの半年間、かなり親密に制作の現場で付き合ってきた。造形の密度も増した。表現の一つ一つを大事にして息の長い彫刻家になって欲しいと思うが、まぁ、彼女の根性だったらキチンと自覚して乗り切ってくれるだろう。

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氷点下の朝 

2017/11/17
Fri. 23:16

約1ヶ月ほど続いた徳島中央公園での野外彫刻展が終わって、その彫刻搬出をした。
六本木の展覧会は搬入や搬出が大雨や台風にぶつかってなかなか厳しい思いをしたが、徳島は比較的穏やかな気候に巡り合って楽に作業をさせてもらった。
それでも、会期中は2回ほど大きな台風が四国を通り過ぎた。
主催代表の松永勉さんは野外彫刻展の会場管理に大変な苦労をされたことだろう。

この徳島野外彫刻展は、今回で55回を迎える長寿野外彫刻展だ。
スタートしてから半世紀以上になる55年の歳月は、とてつもなく凄いエネルギーを継続していると思う。
松永勉さんの野外彫刻は日本全国に散らばっていて、比較的シンプルで一貫性のある作風だからその気になって探すと、「あれは、松永さんの彫刻だな!」とすぐに分かる。
中国地方だと広島の呉にあるそうで、浜田市で現代彫刻小品展を開催していた時に会場を訪れた呉市からのお客さんが教えてくれた。
松永さんが野外彫刻で良い仕事を続けていられるのも、毎年台風が通過する徳島の過酷な野外環境に彫刻を設置し続けてきた実績があるからだと思う。
いずれは富山の棚田を借景にして松永さんのステンレス彫刻が観られるといいなぁと思っているが、こればかりは予算の現実もあるし、私のような非力な民間人ではどうにもならないことである。もしそういうことが実現するとなると、それは島根県大田市の富山町が野外彫刻のフィールドミュージアムとして世間に認知されたという証明であるともいえる。まぁ、自分が生きているうちは難しいだろうが、島根に根付く次の彫刻世代が盛り上がってくれれば実現の可能性が無いわけでもないと、一人で勝手にそう思って期待したりしている。

昨年から島根県を代表する女流彫刻家吉田満寿美の彫刻も徳島の野外彫刻展に出品させていただいている。いまのところ、彼女の彫刻は島根の野外環境に年間通して絶えられるだけの耐候性を有しているわけではないが、制作の工夫の努力もあって少しずつ丈夫な彫刻に仕上がりつつある。今年の徳島も、2度の台風に耐えて40日間の会期を乗り切ることが出来た。ワンボックスの箱バンに積み込んだ彫刻は、その日の夕方には万善寺へ持って帰って、しかるべく場所へ設置をすませた。
今年の春先まで元気だった母親が死んでからは、少しずつ万善寺の環境が自分の思うように変わってきていて、境内へ野外彫刻の設置も自分の自由に思うように出来るようになった。
私の鉄の彫刻は、昨年まで母親がアレコレ耕していた畑の一角へ置いた。
ワイフの彫刻は、保賀の谷を一望できて、冬の雪害を避けた境内地の南の端に設置した。さて、来年の春先まで彫刻が耐えられるか微妙な感じだが、研究実験のひとつだと思って経過観察を続けようと思っている。

石見銀山を出発すると、銀山街道にある温度計が1℃だった。飯南高原から出雲街道へ合流した辺りは−1℃だった。このシーズンで一番冷え込んだ朝は、ワイフの彫刻へビッシリと霜が張り付いていた。

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富山の秋 

2017/11/15
Wed. 02:08

11月3日の文化の日に併せて「とみ山彫刻フィールドアートワーク」なる美術イベントをはじめて3年目を向かえた。
期間中は、富山町内の皆様をはじめ周辺地域から少しずつ来場が増えて、ちょっと賑やかになった感じだ。
目玉は、石の彫刻体験ワークショップ。
島根県安来に在住の石彫仏師坪内さんを講師に迎えて、高さ30cmほどの小さな彫刻を手彫する体験講座を繰り返していて、毎年参加の皆さんは、今回で3体目の石彫に挑戦することになる。

坪内さんとは、もう5年以上の付き合いになる。
彼のルーツは大阪の石工さんで、江戸の初期に石見銀山の銀採掘に関係した守護や鎮魂をはじめとして各種石材構造物の制作などを工人として支えるために石見福光に産する凝灰岩の採石を任され、500体の羅漢像制作や五輪塔作成を一手に賄っていた棟梁であった。
そういう、彼の歴史もあってか、関西の大学を卒業したあと島根県東部で活躍していた石彫仏師に師事して彫刻を勉強し、その後独立して今に至っている。
何かとガサツにすぎる吉田と違って、物静かで場をわきまえて慎ましく佇む様子は、ワークショップに参加される皆さんの信頼をしっかりと掴んでいる。
最近は、事前の打ち合わせもしないまま「よろしく!」の電話一本で日程を知らせるほどで全て飲みこんで的確に動いてくれるようになっていて、頼りになる。

今年は文化の日から3連休だったから、近所の人は秋の観光で遠出することも考えられるし、富山の集客が期待できないだろうと考えていたが、石彫の参加者は今までになく賑やかに若返った。
万善寺に寄宿中のユキちゃんも木彫のノミを石彫のタガネに持ち替えて制作を続け、島根県展彫刻部に出品した。
あんまり難しいことを考えたり云ったりしないでも、結局はモノを造ることが楽しいとか流す汗が気持ちいいとか、そういうところから少しずつ彫刻の深いところに食い込んでくれることが大事だと思う。

富山町を見下ろす要害山は「重蔵山」が本当の名前で、石見銀山争奪戦の激戦地であった。標高がだいたい300mくらいだからそれほど高いわけでもないが、頂上から見下ろす富山の棚田風景や北のやまなみの向こうに広がる日本海は絶景だ。
県道の脇に設置してある野外彫刻も、この3年間で周辺の景観と自然に馴染んできた。
秋も深まって富山の銀杏も少しずつ色づいてきた。
富山の一日が終わると、幾つかの峠のアップダウンを繰り返しながら約45分かけて三瓶山を迂回して飯南高原の万善寺へ移動する。
飯南高原は、標高約450mのあたりに位置していて、約1000m級の中国山地に周囲を囲まれている。
万善寺へ帰ると駐車場の脇ですでに色づいた銀杏が夕日の逆光を受けて黄色く輝いている。富山の銀杏が見頃になるのはもう少し先になりそうだ。

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ゆれる彫刻 

2017/10/30
Mon. 18:36

2週間ぶりに自分の彫刻と再開した。
たしか、台風は熱帯低気圧か何かになって通り過ぎたはずなのに、六本木のビル風はまともに立っていられないほど強かった。

野外彫刻展示会場の自分の彫刻の前に立っていると、重心のバランスが少しヤバイなと思っていたパーツの方が時折の突風にあおられるたびに微妙にフラリと揺れていた。
何もかもが自分の責任のことだが、かたちの甘さが分かっているのに都合の良い言い訳をつくって制作のスケジュールを優先してしまっていることがこういう時にバレてしまう。

遅れて発送しておいた招待状が届いたらしく、たった半日の間彫刻の周辺をうろついているあいだに、知り合いが2人やってきて、1人電話を入れてくれた。
チーボォーは、ワイフが大学時代の部活友達だった。年齢はワイフより幾つか若いはずだ。そのせいか、久しぶりに逢ったはずなのに学生時代の面影がしっかり残っていて、すぐに気がついた。突風にあおられながらしばらく立ち話をしたが、お互いに体の芯まで冷え切ってきたし、話題の区切りを見計らって別れた。
ユーコちゃん(といっても、もうしっかりとしたオバサンだが)は私より20歳位は若いと思う。武蔵美の油絵を出ていて、いまだにコツコツと制作を続けている。しばらく前にも個展のDMが届いていたので、二人して突風に揺れながらその話題になった。
DMにあった彼女の描いた絵を見ていると、変わらないテーマの題材に少し表現の変化があった風に思っていたが、そのあたりのことをセッセと話してくれた。だいたい2年位ほど密かにあたため続けていたらしい。日常の時間軸が随分スローペースに思えて、少し羨ましかった。自分も周辺の事情からみるとかなりスローにシフトして日常を過ごしていると思っているのだが、彼女のスパンとは違った暮らしぶりだということを自覚した。
シューメーは、律儀に電話してくれた。
「最終日って終了早いね!4時位だと思ってたよ・・」
会社では重職でバリバリと、まぁ、とても忙しいくしていて、ナンチャッテ住職の吉田とはラベルの違う人だから、電話をくれただけでも鼻水が出る。

色々なことがあって、今年は展覧会が始まって半分くらいすぎた頃にDMを送ってしまったから、何時も吉田夫婦の愚作を観てくれる常連さんにとっては失礼なことをしてしまった。
毎年、年賀状の隅っこに手書きで「展覧会見たよ!」と書いてあったりすると坊主家業の慌ただしく荒んだ正月が少しほど潤って気持ちが暖かくなる。そういうこともあって、親族の不幸があっても喪中はがきを出すことをしない。少しほど時期をずらして「さり気なく寒中見舞いらしきメールを返しておくくらいで良いかな?」と、勝手に思っている。

展覧会の展示作業が終わって改めて自分の彫刻を見ながら、気持ちの方は次の制作に切り替わっている。だいたいの感じが固まっているが、こうして搬出で2週間ぶりに改めて自分の彫刻の前に立つと、また違った風なかたちが見えてきたりする。これから先、300日位は日常のアレコレをしながら彫刻のことをアレコレ迷いながら暮らすことになる。

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2018-04