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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

思いの場所 

2020/05/23
Sat. 19:09

飯南高原の朝はまだ9時前だというのに23℃まで気温が上昇していた。
昨日から一気に10℃も暖かくなった。そのせいでもないだろうが、ネズミが寺のアチコチへ出没するようになった。ピンクの毒エサを置いても、彼らはソレを別の所へ運んで隠しためてしまうから手に負えない。せっかく大衣や改良衣や袷の着物など洗濯して和箪笥に仕舞っておいても、奴らは箪笥にまで毒エサを持ち込んで着物の間へ溜め込んだりするからアイツラの活動が一段落するまでは衣替えを終わらせることが出来ない。
境内では猫が消えて帰ってきたスズメたちが朝も早くからやかましいほどに大騒ぎしている。草刈り機を使っていても気にする様子もない。彼らも水田の多い農村地帯で暮らしていると色々な農耕機のエンジン音に慣れているのだろう。

まだ雨の降る前、連休が始まる頃に、保賀のお檀家さんが寺の耕作放棄地へユンボを持ち込んで荒れ放題の低木や雑草や蔓かずらを根こそぎ引き抜いてくれた。
先代の憲正さんは何度かの手術をして無理ができなくなってから外の仕事は一切しなくなって、内室の母親が一人で畑を耕したり草刈りをしたりしていた。元気で身体の動くうちはツツジやサツキなどの低木を挿し木したり紫陽花の苗木をたくさん注文して畑の周辺に植栽したりして楽しんでいたのだが、そのうち身体も思うように動かなくなって毎年の剪定ができなくなった頃から、それらの木々や葛が自由に伸び放題に伸びて手がつけられなくなってしまった。
それからだいたい20年近く経って、ユンボが2日ほど動いてやっと昔の様子が蘇った。毎年のようにチマチマと切ったり刈ったりしていたのが、ほんの2日で更地に戻った。
数十年ぶりに全貌が蘇った石垣のあまりの荒れ様に心が痛んだ。昔、あの石垣にはオランダイチゴが根付いていて、シーズンになると赤く色づいた甘酸っぱいイチゴを石垣に張り付いて飽きること無く食べ続けていた・・・そんなことを思い出しながらノコとカマと剪定バサミを持ち替えながら荒れた石垣を掃除した。あの頃からすると、石積みの隙間が広がって全体が膨らんで張り出しているように思えた。

その石垣が庫裏の勝手口側へ回り込んだ先の土蔵脇へLandscapeシリーズで造っている彫刻を設置した。
その彫刻は、いずれは万善寺の境内地へ置くことを念頭に徳島の野外彫刻展用に造ったもので、制作してから約3年の間アチコチ彫刻の旅をしてやっと今年の春になって思いの場所へ落ち着いた。
徳島に向けて造る彫刻は、徳島市民の誰もが気軽に集う中央公園の環境を考慮して、大きなシリーズのククリの中でも比較的具象よりでわかり易いかたちを用意するようにしている。野外設置の彫刻であるから、全天候型で様々な気象条件に耐えられるだけの丈夫な彫刻であることが何より大事なことだから構造上の工夫は慎重に丁寧に造り込んでいる。それと「万善寺には雪が降る!」という環境を忘れてはいけない。雪が降ることを魅力に変えるほどの造形上の付加価値の可能性を確かめるという密かな狙いも含まれている。
国道から保賀の谷へ入ると、田んぼの向こうに見える四季折々の万善寺の様子にLandscapeシリーズの彫刻がさりげなく寄り添ってチラチラと見え隠れするくらいに溶け込んでくれるといいなぁと思っている。

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裏庭の彫刻 

2020/05/19
Tue. 18:45

前日までにだいたいざっくりとは終わっていた吉田家裏庭の草刈りをキレイに掃除し終わったところで雨がパラパラと落ちてきた。
これから先、庭木の花や果実がひと通り落ち着いてから春の剪定をすれば夏の盛りが過ぎるまでの適当な時期に夏草を刈って、晩秋から初冬にかけて落葉が終わった頃に冬の剪定をして裏庭整備の1年が終わる。
吉田家の裏庭くらいの広さだと毎年の環境整備を怠けないでいればなんとか荒れ地のジャングルにならないで済ませることができるが、それも過去に何回か失敗して手のつけられないほど荒らしたことがある。これから先は自分の体力次第というところだ・・・
一方、万善寺の境内整備は毎年少しずつ悩みのタネが増えている。
年々裏庭へ進出し続けている裏山は、この近年一気に孟宗竹が茂って竹林に変わりつつあるし、少しの日差しを求めて熊笹が庫裏のすぐ裏まで伸び広がってきた。
イノシシは毎年のように山から降りて境内のアチコチを掘り返して歩いているし、春になって少し暖かくなるとアナグマが本堂のすぐ横で昼寝していたりする。
寺の裏山は尾根に沿ってクマの道も出来ていて、それが墓地の裏を通ってその先から保賀の谷を渡って山越えの獣道へ続いている。年に節目の参道や墓掃除はそれこそクマとの接近遭遇を避けてビクビクしながら続けている。今はまだだが、寺の周囲へ猿が出没するようになったら、万善寺の環境整備もお手上げだ。

20年ほど前に石見銀山の町内を会場にして個展をして、その時の彫刻を一つほど吉田家の裏庭へ移動した。
あの頃はまだ庭木を植栽する前で、以前の畑の名残が一面に広がっていた。それから数年の間にワイフがセッセと各種庭木を植え続けてその木々が鬱蒼と茂った。彫刻は同じ場所でピクリとも動いていないのに年々その場所は日当たりが悪くなって日陰が増えて今に至っている。
あの彫刻を造った頃の自分は、かなりいきがった自信家で変なプライドの塊ばかりだった気がする。
鉄の素材も加工技術も身勝手なこだわりがあったし、細かいところまでチマチマと造り込んで、無くても良い付属品をワザワザ造り足したりして、とにかく自己主張の強い独り善がりな彫刻を飽きもしないで次々と繰り返し造り続けていた気がする。
20年の経年変化を見ると、無駄に造ったかたちのアチコチへ野生が住み着いて成長して彫刻を侵食している。彫刻の人工の存在感が次第に自然の経年秩序へ飲み込まれつつある。見方や意識を切り替えると、それはそれでそういう彫刻があっても良いかとも思うが、一方で、彫刻制作の当時に近未来の存在条件とか存在価値とかをまったく予測できていなかった自分に落胆する。
裏庭の整備で草刈りのたびに彫刻を取り巻く周辺環境の現状を後付で受け入れざるを得ない自分の未熟を思い知らされて息苦しくなる。

その彫刻の無駄なひと手間へ数年前に南天が根付いて、それからしばらく後にリュウノヒゲの仲間も根付き始めた。それでも、まだまだ数十年先まで、いつか私がいなくなっても、その彫刻は裏庭のその場所でしぶとく周辺の自然に抵抗しながら居続けるだろう。

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展覧会2日目:来場30人突破! 

2020/03/23
Mon. 23:46

一日ゆっくり休んだら足が随分良くなって、いつもの杖を使えばなんとか普通に歩けるようになった。
ギャラリーのオープンがラッシュを過ぎて少し落ち着いた11時なので都内の移動も楽だと思っていたら、そういえばコロナ肺炎で不要不急の外出を控える事になったから「人出が少ないのもそのせいだ!」と気がついた。もっとも、それでも島根の暮らしと比較すれば人口密度が比べ物にならないくらい違っているから、自分としては都内の人混みに慣れなくてやっぱり何かと疲れる。

昼食は途中マクドナルドに寄ってポテトとコーヒーを買った。
ジャンクフード大好きなボクにとって、マクドナルドは久しぶりのことだ。
ギャラリーへ着くと既に作家仲間のDさんが受付をしていた。
カウンターの記帳を見ると昨日は初日なのに来場10人だった。
時期が時期だし二桁をキープできただけでもありがたいことだ。

関東在住の友人知人にはSNSで展覧会の告知をしておいたから、時間と気持ちに余裕があれば誰か来てくれるだろうくらいであまり過度に期待をしないでいたら、チョットした知り合いから返信があって、数回やり取りをするうちに「今日の夕方だったら会場へ行けるかもしれない・・」と云うことになった。
「無理をしないでいいからね!彫刻はだいたいいつもにたりよったりだし、気持ちだけで十分だから・・・」と伝えておいたら、しばらくして「6時半くらいには銀座へ到着すると思います!」と返信があった。
K君はちょうど1年前に高校を卒業して、今は大学に通っているはずだと思っていたら「色々思うところがあって退学しました」と云ってきた。SNSの短いやり取りのことだし、あまり詳しく聞くこともはばかられてこちらからその話題を避けていたらK君の方から「やっぱり写真が忘れられなくてソッチの勉強一つに絞ったんです!」と教えてくれた。
高校時代は、それこそ高校生らしい瑞々しい写真をたくさん活写していて、いくつかのコンペで受賞したりもしていた。あれこれの写真雑誌などを頼りに、ほとんど独学で写真を撮り続けていて、学園祭などの学校行事等にもカメラマンで積極的に参加していた。

夕方になって、K君がお父さんと二人で会場へ来てくれた。
今の時期とてもありがたい貴重な来客なので早速記帳をしてもらって、受付カウンターの内と外で立ち話になった。
気がつけばアッという間にクローズの時間になっていた。
急いで会場の彫刻を観てもらって、自分とワイフの彫刻は少しほど作品解説をした。
彼が高校生時代は、1ヶ月2日しか無い貴重な美術講座の時間に、美術とは関係のないどうでも良い趣味の話や写真や音楽のことなど他愛ない会話ばかりで終始していたから、展覧会場で観る彫刻家吉田夫婦の実態をほんの少しほど実感してくれたようだ。

会期2日目は有難くも彼ら父子を含めて入場者が30人を突破した!

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吉田満寿美小品彫刻完成 

2020/03/19
Thu. 23:30

ワイフの彫刻が完成した。
春彼岸の法要が終わり次第、万善寺でグループ展の彫刻やテーブルなどを梱包して銀くんへ積み込んで東京へ向かう。 

コロナウイルス関連のニュースが絶え間なく聞こえてくる。
東京や大阪など、大都会を中心に患者が日に日に増えている。
島根県から東京までは銀くんで移動になるから人の接触は極力避けることができるが、東京へ到着して搬入陳列から会場の受付まで考えると、公共交通機関を使う回数も増えるし、感染のリスクが高まる。
チキンオヤジは、今のうちから少々ビビっております・・・

今回のグループ展へ出品のワイフの彫刻は、大作のためのマケット的位置づけで制作をしているようだ。
島根県での小品彫刻展や、地元山陰での展覧会へ出品する彫刻は、工法や素材はほぼ同じなのだが形の方向性に少しタイプが違っていて、どちらかといえば具象的色彩の強い彫刻になることが多い。
昔のように、制作の一つ一つでお互いの意見交換をすることもなくなったから、彼女の目指す先に何があるのかよくわからないが、とにかく、私から見ると最近は微妙に細かなところでかたちのまとめ具合に具象を意識していることが増えてきたような気がする。
彼女は、日頃の付き合いの中で時々イラストやポスター原稿を頼まれることがある。そういう時は、とても私には恥ずかしくて描けそうにないほどの可愛らしい絵に仕上げている。知り合ったときから彫刻のことしか観ていなかったから、元々からそういう造形のセンスのようなものを持っていたのかもしれないが、いまだに私には彼女の造形の本質をつかめないでいる。
一見、女性らしい優しくて柔らかい感じの彫刻が多いから小品展の会場では一般の反応が良くて旦那のボクより人気もある。ある意味でキャッチーな彫刻であるとも云え、それはそれで彫刻の大事な要素であるから良いことなのだが、一方で、彫刻のあまりにもの優しさが彫刻の存在の強さを邪魔しているようにも感じてしまう。
自分がそう思うだけのことかもしれないが、やはり彼女にとってはそろそろ少し落ち着いて今までの制作を再度系統立てて客観的に振り返ってみる機会があって良いのかなぁとも思う。もうかれこれ20年くらいは続いている彫刻素材の見直しをしてみるのも良いかもしれない。
彼女は、学生の頃から彫刻を造りはじめてそろそろ40年を過ぎ半世紀近くになろうとしている。彫刻家としての作家歴は私より長いベテランである。
これから、体力は減退に向かい、身体も思うように動かなくなってやがて制作の気力も萎える時が来る。集中力も持続力も続かなくなるかもしれない。
私にも云えることだが、やはり今の時期にもうひと踏ん張り彫刻の造形表現の基本に踏み込んで現状を冷静に把握しておく必要を感じる。年齢相応に知的で思慮深く、奥深い思考の淵を見定め、一人の人が生きた証として、自らの彫刻表現を通して時代や社会に対しての提言になりうるほどの重たい志向の彫刻を準備することも大事なことのように思う。

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直感のレリーフ 

2020/03/16
Mon. 23:24

4月からの展覧会のことで何度かメールのやりとりがあった。
話が少しずつ大きくなってワイフの彫刻も一緒に展示することになった。

お互い、40年近く彫刻制作を続けて、世間では「職業は彫刻家!」であると云ってもおかしくないほどに認知されていると思うが、一方で吉田家の夫婦でもあって家族もあるから二人が同時に彫刻制作をして一定期間同時に発表をするとなると、それなりに家庭内のスケジュールを調整して、どちらかが彫刻の表向きの対応に従事して、どちらかが家庭内の家事全般に従事して、それぞれの過不足を調整して役割分担をしながらなんとか別々に「彫刻家」を乗り切って今に至った。
日常の暮らしを工夫しながらこういう状況を続けていると、なかなか夫婦で二人展をするという気になれない。

私の方は、この近年そろそろ制作や発表も少しずつ絞って「量より質!」に切り替えてもいいかな・・・と思い始めたところだったのだが、その気持を周囲に伝える間もないまま何故か毎年のように個展の依頼が舞い込んできて、今年もソレを受ければ三年連続で新作の制作が続くことになる。
ワイフが半分ほど付き合ってくれて二人展になると展覧会全般の業務も少しは「楽になるかも知れない・・」と一瞬思ったが、今までの経験を思い返して落ち着いて熟考してみると、それはとっても甘い考えだと気づき始めた。
それでイベントの企画を担当しているTくんへ「人手は確保できるの?」と聞いてみると、展示とか会場設営に限っては手配できるから「大丈夫です!」と約束してくれたが会期中の作品管理とか接客受付までは予算に入っていないと言われた。
すでに企画が進んで印刷原稿には吉田家の二人の名前も入っていて、今更辞退できる状態にはないから、このままなんとか乗り切るしかない・・・

工場の方は、彫刻もほぼ出来上がっているし、テーブルは一晩で塗装も乾いて少し先が見えてきた。
搬送の梱包材などを揃えて、あとはドック入りしている銀くんが帰ってくればリヤデッキに積み込むだけにしてから、レリーフの制作に入った。
レリーフは、制作の端材が溜まってくると思いついて一気にかたちへ置き換える。
あらたまって一般にお見せするようなモノでもないのだが、それでもある時は壁の間接照明になったりある時は即席の棚代わりになったりある時は壁専用の本立になったりある時はハンガーフックの用を足してみたりと、気楽に壁の彫刻を楽しんでいる。
今回は、銀座でのグループ展出品を狙っているからチャンとした彫刻としての体裁を整えようと決めて、端材の山から自分の勘が反応したものを幾つか引き出した。
ギャラリーの壁のことを考えて、レリーフの重量を支えるために即席の壁も自作した。
制作は、あくまで自分の直感を信じて、金属の材質やテクスチャを活かして、それに構成の緊張感を抜かないようにしながら仕事の痕跡を残しつつギリギリまで制作の力と手数をを抜いて一気に仕上げた。
ここだけの話だが、かたちは20分くらいで出来上がった。

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鉄の匂い 

2020/03/13
Fri. 23:09

五月雨に続いていた仏事が少し落ち着いて、春彼岸までまだ間があるので、鉄の工場へ集中することにした。

数年前から温めていた彫刻をかたちにするのも良いと考えているところなのだが、実は、前回の個展から引き継いだテーマでもう少し彫刻の連作を残しておこうと、約10点ばかりほどパーツまで切り出しておいたものが残っていて、まずはソレを彫刻に置き換えて吐き出してしまわないと工場の片隅でいつまでたっても鉄板のままでホコリを被ってしまうことになるから、お彼岸までの一週間は溶接と組み立てに専念することにした。
延々と同じ工程を繰り返しながら続けていればそのうちかたちになって、要所要所を少し集中して丁寧に仕上げていけば、やがて小品の連作が出来上がる。そういう、ある意味惰性に近いような制作を続けることに手慣れていくと、彫刻制作の工夫が自分の身体の動きに染み込んで、段取りに無駄がなくなってくる。
あまり頭で考えすぎないようにしておかないと、一つ一つの工夫につまづいて、いつまでたっても完成が見えないままになってしまうから、このたびのような短期間での制作は効率重視を優先しておくと完成度が下がらないで良い。これは、あくまで自分に限ったことだから一般にこういう考えが通用するかどうか責任持てないことだけど・・・

夕方まで工場にいて銀くんに乗ると、ファンの風に乗ってつなぎの作業着からほのかに血なまぐさい鉄サビの匂いが漂ってくる。換気の悪い埃っぽい工場にこもってだいたい1日中溶接と研磨を繰り返して、ディスクグラインダの砥石を3枚位使い潰しているから仕方のないことだけど、こういう、特に鉄の匂いが体に染み付くような仕事が続くと自宅までのたった5分の移動時間が臭くて絶えられない。最近は少しずつ陽が長くなって雨も降らなければ、車の外でパンツ一つになって用意しておいたジャージへ着替えたりするようにしているが、それでもやはり鉄の匂いが鼻について気になる。

帰るとすぐにシャワーを浴びてさっぱりしてやっと落ち着いた頃を見計らったように近所の知人が吉田家へ来た。
「もう、ご存知かもしれませんが・・・こんど4月から石見銀山町内の端から端までを使ってウォーキングミュージアムのようなイベントを企画しまして・・・そこで、吉田さんにも彫刻で参加してもらえないかと云うことになって・・・・」などと始まった。立ち話も何だから、ちょうど夕食時だし「よかったら上がらない?」と誘ってみると「それじゃぁ、チョット・・・」と、レジュメを取り出して打ち合わせが始まった。
その後、結局ワイフの手料理をつまみに彼も一緒にいつもの麦とホップをシュポッと開けて一杯が始まった。打ち合わせになったのかどうかよくわからないままダラダラと夕食が過ぎて「それじゃぁ、よろしくおねがいします!正式な販促はもう少し煮詰まったところでまたお持ちしますので・・・・」と言いおいて帰っていった。
この企画は、学生時代の同級生で今はデザイン事務所を持っている卓ちゃんが吉田を指名してきたようだ。
そろそろ、身の回りのシガラミを少しずつ整理して身軽になろうと思い始めていたところだったのに、まだもうしばらくは厄介なことが続きそうな様子だ。

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ゴロゴロシンキング 

2020/03/08
Sun. 23:56

鉄の工場にいると時間がすぐに過ぎる。

長い間の経験上、午前中の制作工程がその日の進捗状況を大きく左右させるので、早朝に目覚めるとそのまま布団の中でゴロゴロしながらその日の制作のシミュレーションを頭の中でアレコレと工夫する。
まずは、完成までの制作のスピード優先で無駄な付け足し要素を一切省いたかたちをおおよそ想像してみる。そうすることで例えば鉄板の使用枚数とかサイズが見える。彫刻の完成予想サイズを鉄板の工業規格から割り出すわけだ。

今回は小品だから4✕8サイズの鉄板が1枚あれば彫刻1つを造って余るくらいになるはずだが、その鉄板がまだ真新しい黒皮鉄のままだと小品としての密度が鉄材の表情を造り込むには希薄になって味気ない。それで、過去の制作端材を溜め込んだ中から適度に味わいの出た鉄サビの鉄板を探し出して、それらの表裏を見比べて組み合わせながら平面図や立面図などに当てて正面とか背面の表情を決めていく。その平面図などが今はボクのとろけた脳みその中にしまい込まれていて、鉄板の現物に併せて頭の中で自由に伸び縮を繰り返す・・・その工程が、布団の中のヨシダオリジナルゴロゴロシンキングタイム。
このゴロゴロシンキングがすんなりと決まれば、すぐにチョークのドローイングに置き換わって、工場の午前中が実に無駄なく有効活用されて制作が手際よくはかどる。

溶断したパーツが全てそろうと、昼飯のパンでもかじりながらしばし鉄板のパーツと向き合って無言の会話が始まる。
この切り出した鉄板の表情を観ながら続く無言の会話でだいたいの完成予想図が見えてくるから、ひとまず工場の何処かへチョークでメモ(他人が見たら落描きのようなものだけど・・)して残しておく。
あとはひたすら無駄なく手際よく溶接を繰り返していくわけだが、ここで最も大事な彫刻のテーマを慎重に引き出して1点の彫刻へ託しておかないと、造形の方向が堅苦しい無機的人工の建築的構造物のようなつまらないモノになってしまうから、ソレは避けなければいけない。
私の場合は、自分の造形におけるテーマの重みがさり気なく造形物としての彫刻に映っていないといけないから、そのひと手間が私の鉄の彫刻にとても重要な役割となっている。

午後からは、切り出した鉄板パーツの1枚1枚を金槌でひたすらたたき続ける。
なんの表情もない錆びた薄汚い鉄板に、この「金槌で叩く」という工程を加えることで有機的な柔らかさが生まれる。
それは彫刻造形の張りになって量感を増す手段でもあるが、野外彫刻を基本とする私の場合は、自分の彫刻がある程度の一定期間は島根の四季の天候環境に溶け込んで存在し続けるための重要な条件ともなっている。
今制作中の小品彫刻は、屋内設置を前提としているから野外彫刻としては欠陥するところがある。しかし、一方で屋内彫刻だから可能になる造形上の工夫もあって、それはそれで自分としては十分に納得しているし制作を楽しませてもらっている。

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リーダーの魅力 

2020/01/23
Thu. 11:23

寺暮らしが続いている間に、石見銀山の吉田家へ会報が届いていた。

昨年1年間で委員3人が逝かれて彫刻部の組織も入れ替わりがあった。
その3人の委員諸氏にはまだ彫刻部へ一般出品していた頃から随分とお世話になったし、彫刻のことで厳しくも優しくたくさんのことを教えてもらった。
今までもなんとなくボンヤリと思っていたことだが、この頃になって改めて「ヒトにモノを教えたり伝えることは難しいことだ!」と強く思う。
答えが決まっていることであれば、その答えに到達するまでの過程を一つ一つ丁寧に解説すればなんとか理解してもらえるかもしれないが、彫刻のように解釈や技工切り口やテーマや嗜好や、とにかくいろいろなものがそれぞれに違ってまとまった一つの答えを用意することが難しいモノは、その壁というか敷居というかバリアというか、それをこちらから軽く越えるということが難くて躊躇して、結局さり気なく曖昧に抽象的な言い回しなどして核心をボカシたりしてしまう。

委員のY氏は塑像の具象彫刻家で、表現の隅々まで気遣いの行き届いた破綻のない力強く且つたっぷりとした量感のある造形が人の心を引きつける包容力のある彫刻になっていた。出会ったのは35年以上前のことで、彫刻を始めたばかりの私にとっては雲の上の存在だった。まだ上野の都立美術館で展覧会があった頃、展示陳列作業が終わった後の懇親会の席がたまたまY氏の近くになって、その時になぜか私が島根の出身だということがわかっていたようで「ボクは尾道の出身です」・・・的、感じのことを話していただいて、その一言で一気に親近感をもった。あの頃は抽象の事ばかり考えてソレの工夫しかしていなかったから彫刻上の接点は殆どなかったが、毎年Y氏の彫刻を拝見する機会を得られるということが自分にとっての彫刻制作と公募展出品や入選の励みになった。

O氏のアクリル彫刻は、当時から異彩を放っていて彫刻のジャンルを無理矢理定義付けることが馬鹿らしいほどに思える唯一無二の彫刻だった。若造の吉田相手に懇親会の2次会まで誘っていただいてとても気さくに接していただいた。自分には彫刻のことよりむしろその「彫刻」という表現領域を世間社会へ広く浸透周知されるための営業力も大事な表現活動であるということを教わった気がする。とにかくグローバルで視野の広い彫刻家であった。私が小品彫刻展をコツコツと続けていることの意義というか根拠というか、そこには少なからずO氏の影響があるのかもしれない。まぁ、ボクのしていることは桁外れのスッポンだけどね。

若造の吉田にとってK氏はとにかく恐ろしくて怖くて近寄り難いオーラを発散される彫刻家であった。そういうこともあってか、結局彫刻のことで踏み込んだ話を聞く機会を逸したままに過ぎたが、彼の木彫は大小ことごとくノミ跡が冴えて力強く魅力的であった。ダメ元で小品彫刻展の出品要項を送付したらあっけなく快諾を頂いて、以来、高齢で制作を休止されるまで連続出品していただいた。今にして思えば、島根の田舎のささやかな彫刻展の活動に付き合っていただいたことは、生涯に渡って彫刻の啓蒙に実践に具体にご尽力された証であった。親子ほども年齢も作家歴も違う吉田の我儘へ付き合っていただいたことに感謝しか無い。

さて・・・吉田という彫刻家はこれから先なにか伝えられるものができるのだろうか?どうなのだろう?・・・

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道標の彫刻 

2019/12/02
Mon. 23:24

12月では珍しい南風が一晩中吹き荒れた。それがやっとやんだと思ったら、今度は強烈な土砂降りになって、わずかに残っていた寺のイチョウの葉と銀杏が見事に散り落ちた。
少し前には申し訳程度に雪も降ったし、そろそろ本格的に冬がやってくるかなと思っていた。別に冬を期待しているわけでもないが、それにしても今頃になって生温い南風が吹き荒れたりスコールのような土砂降りになったりすると、冬に向かっての覚悟も揺らいでどうも気持ちがスッキリしない。

まだ、イチョウの葉に少しずつ紅葉が始まった頃に、六本木から搬出をした今年の彫刻を寺の駐車場脇まで運んだ。
石見銀山での小品彫刻展が始まってから徳島で展示中の野外彫刻を搬出して、それも駐車場周辺へ設置するつもりでいた。
こうして、万善寺の境内地へ彫刻を少しずつ置くことが長年の夢でもあった。
これから毎年秋の紅葉に併せて彫刻が少しずつ増えていくと、アチコチくたびれて老朽化の進む山寺の景観も少しは変化していくはずだ。
計画としては、寺の墓地までの参道へも彫刻を点在させて墓地の永代供養墓までの道標にできると良いと思っている。
前住職夫婦が健在だった頃は、ソレができなかった。
特に、内室の母親は「境内にわけのわからんものを置かれて仏さんのバチが当たるけぇ、イケンイケン!・・そんなもん、他へ持って行きんさい!」と、機嫌が悪くなってボクの彫刻を受け入れる余地など微塵もない抵抗を生涯に渡って続けた。
それでも母親のスキを見て、さり気なくワイフの彫刻を庫裏玄関のディスプレイのつもりで置かせてもらったりもしたが、ソレも知らない間に別の場所へ撤去されていたりした。老体でよく彫刻が動かせるほどの体力があるものだと感心したが、なんのこともない、母親の支持を受けた憲正さんが手先になって動かしていただけのことだった。
その憲正さんの方は、ボクたち彫刻家夫婦にそれなりの理解を示してくれていて、時々見せてあげていた抽象彫刻の写真に、よくわからない様子ながら目を細めて喜んでいた。

俗に云う「抽象」の彫刻に絞って本格的に造り始めたのは35年位前のことになる。
初期は、とにかく「抽象」というものの概念とはどういうものなのか・・・その根本を探り続けて過ぎた。おおよそ、誰の眼にもつまらない、なんの変哲もない形態ばかりセッセと造り続け、それから自分なりに納得できる最小限の構造の可能性を求めて鉄という素材を絞り込んでいった。
制作とか造形とか、そういうものがおおよそ一つにまとまったコンセプトのようなものが決まったわけでもなかったが、それでも何かしら彫刻の方向性に一つの区切りをつけて、ある程度は自分で納得して責任を持てるほどの技量をベースに自分なりの抽象的概念を何かしらの立体造形に置き換えようとした時、アニミズム的な抽象概念がなんの抵抗もなく自分の中に入り込んできた。要するに、自分が物心ついた頃から既にそういう思考を受け入れやすい環境にいたということだ・・・と、今更ながらに思う。
これから先、自分の持つ抽象概念が突然大きく変化することもないだろうが、さて、ソレはソレとして今まで見えなかったものが少しほど見え始めた気もするし、先行き制作の楽しみが見えた気もする。

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鉄の抽象彫刻 

2019/11/26
Tue. 16:57

石見銀山で小品彫刻展が始まる時、岡山の小林さんが個人搬入で万成石の彫刻を持ってきてくれた。
彼はしばらくの間島根の奥出雲町へ仕事に来ていて、その頃は比較的頻繁に会っていたのだが、その後仕事が一区切りついて岡山へ引き上げてからは疎遠が続いていた。
奥出雲町には「鉄の彫刻美術館」があって、彼はその美術館の館長をしていたこともある。その縁で昨年まで小品彫刻展を奥出雲町で開催していたのだが、今年の開催は会場の都合が上手く調整できなくて奥出雲を休むことになったから、余計に彼と会う機会が減っていたところだった。
鉄の彫刻美術館でメインの彫刻は、生前アメリカで活躍をしていた下田さんの鉄の彫刻で、だいたい50点くらいは収蔵されていると思う。
私も公的には「鉄の彫刻家」などと大口を叩いているが、下田さんの彫刻のように鉄という素材へ正面から向き合った骨太のモニュメンタルな幾何彫刻とは比べ物にならないほどチャチで軽々しい鉄彫刻ばかり造っていて、恥ずかしいことだ・・・

久しぶりに小林さんの元気そうな顔を見たことで、下田さんの彫刻のことを思い出したし、下田さんの鉄の彫刻からこれまた久しぶりにアンソニー・カロを思い出した。
カロは、ボクの大好きな彫刻家ヘンリー・ムーアの弟子と言って良いかも知れないし、それで、ほとんど忘却の彼方に消え去って雲散霧消だった35年位のボクの彫刻家人生のカケラが少しずつ寄せ集まって一気に造形の刺激が鮮明に蘇った。
勝手で個人的な解釈になるが、彫刻界でのカロはモダニズム活動の先駆者であると言って良いのではないかと思っている。彼の造形表現の根幹は師匠であるヘンリー・ムーアが展開した環境彫刻をよりミニマルな造形へ昇華したものだと思う。
もう、25年位は前のことになるはずだが、東京の現代美術館でカロの彫刻を間近に見た時は造形に対しての的確な構成力とスケールの前に自分の稚拙な表現形態が一気に崩れ引き込まれたことをよく覚えている。そして、上野公園や東京都立美術館で見たヘンリー・ムーアの彫刻以上に抽象性の強い無機的な彼の彫刻が周辺のあらゆる環境に対して冷徹で挑戦的であるように感じた。

今年の小品彫刻展は、徳島を拠点にして鉄を素材に彫刻の制作や発表を続けている武田さんの個展を同時開催した。
吉田の鉄彫刻とは造形上のコンセプトが全く違っていて、一見どちらかといえば、あのカロに近いところに位置する抽象彫刻であるように感じるが、実のところ今までに一度も彫刻表現の根拠についての会話がないから、彼女が何を考えてどのような表現を展開しようとしているのか全く知らないままでいる。鉄という同じ素材と向き合っていても、人それぞれ自分の思うところは同じであることが無いから、それで様々な表現になって様々な造形が出来上がっているわけで、そのことがあるから観ていて楽しめるし、自分への刺激にもなっている・・・ソレはソレで良いのだが、表現の完成度や制作工法のことになると、どうしても造形に対する追求の甘さが目についてしまう。まぁ、それも今後の伸び代が期待できるわけで救いがある。
そこがそろそろ先も見えて老体を鞭打って彫刻と向き合っている吉田と違うところだ・・・

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共同搬入 

2019/10/15
Tue. 23:16

台風19号が東日本一帯へ大きな被害の爪痕を残して去っていった。
島根県はおおむね台風被害の少ないところで、災害と云うと梅雨に絡んだ豪雨とか冬の大寒波豪雪の方が多くて怖い。
この度の19号も直接の被害は受けなかったが、それでも強風がかなり吹き荒れて山陰道の通行を躊躇するくらいだったし、主要街道から少し脇道へそれると、倒木があったり土砂が側溝を塞いでいたりしていたから、今回の台風は日本列島をすっぽり覆うくらいの超大型だったということを我が身で実感した。

その台風が関東へ上陸すると予報されていた10月12日は、埼玉暮らしのなっちゃんが長男のユーシンくんと一緒に帰省中のだいたい半分くらい過ぎたあたりで、旦那が飛行機移動で吉田家へ合流することになっていた。
私の方は、朝から超大型台風の暴風の中を銀くんで移動している最中で「これじゃぁ〜飛行機は飛ばないな・・・」と、普通に確信した。
前日までは、台風情報をチェックしながら万善寺の境内地を中心にいつ終わるか予測不能の秋の草刈りに汗を流していた。その頃からそろそろ風が強くなっていて、時々吹く突風に刈った草が舞い上がっていたりしていたから、シャワーを使ったあと、寺の周囲で風で飛んでいってしまいそうなものの養生をすませてはおいたのだが、まさか関東を通過する台風の勢力が島根県の万善寺の方まで及ぶこともないだろうと軽く考えていたものだから、日本海から吹き付ける北風に煽られてフラフラしながら山陰道を走っていると、寺のことが心配になってどうも落ち着かないまま半日過ぎた。
午前中の用事を済ませて吉田家へ帰宅すると、なっちゃんは強風の吹く中、久しぶりに旧友へ逢うといって何処かへ出かけていた。
遅めの昼食をとりながら寺のことが心配だとワイフへ話したら「今更どうしょうもないじゃない。なるようにしかならないわよ」と、軽く冷静にあしらわれた。
無理して外へ出て何かあってもバカらしいし、ワイフの云うこともモットモだし、そのまま土曜日の午後を休息にした。
案の定、羽田や成田がらみの飛行機はほぼ全便欠航したようだし、地上の交通機関も運休を決めたようだった。

10月に入ってすぐ、六本木で開催される秋の展覧会へ向けて彫刻の搬入をすませた。
島根在住の彫刻家を中心に、吉田家の二人分も含めて5人分の彫刻を共同搬入した。
もう25年位は一緒に制作して搬入出を続けている周藤さんは今年も力作を持ってきた。
子育てが落ち着いて制作活動を再開したノリちゃんも、この2・3年前から制作に欲が出て来たようで、年々彫刻が面白くなってきた。
いろいろな事情で個人出品の苦労をしていた四国の作家も今年は共同搬入へ合流した。
吉田家は、ワイフもボクも相変わらず幾つかのドタバタを乗り越えて、まぁ、それなりの彫刻に仕立てて共同搬入の頭数に加わった。
毎年ダレカがナニカのコトで一波乱ある共同搬入も今年は何時になく穏やかに過ぎた。
台風の直後には六本木の陳列展示作業がある。コチラも穏やかに何もなければいいけど・・・その前に、台風直後で島根から無事に上京できるか、それが心配だ。

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彫刻今昔 

2019/07/13
Sat. 23:58

軽めの室内楽を流しながらコーヒーを飲んでいたら宅急便さんが来た。
県外にお住まいのお檀家さんからお中元を兼ねたお供え物だった。
毎年同じものがこの時期に届く。
返礼は大般若祈念の御札と、万善寺オリジナル手ぬぐいの粗品と、今年は図々しくもボクの彫刻個展の絵葉書を添えることにした。

数日前に打ち合わせをしておいたお仏壇遷座の日が来た。
同級生のディーラーが修理工場と自宅兼用の一部を改築して、客間も兼ねた仏間を造ることが決まってからもう2年ほど過ぎた。
彼が依頼していた建築士や工務店が、広島を襲った豪雨災害の復旧で一気に忙しくなって、被害のなかった島根県の工事スケジュールが軒並み順延になった。改築工事の足場を組み上げたところで、それ以降の工事が完全にストップしたまま1年が過ぎ6月が過ぎるとそろそろ2年目になりそうだったところを、しびれを切らした彼の猛催促でやっと工事が再開し先頃引き渡しが終了した。

こじんまりと落ち着いた感じの玄関も出来ていて、案内された仏間と次の間の二部屋は、元々修理工場の一角にあった板金塗装や溶接修理のスペースだったところ。
そろそろ30歳になろうとしていた私が、結婚してUターンをすることに決めて島根に帰ってきた直後にはまだそのスペースが機能していて、アセチレンボンベや電気溶接の機械が並んで、ソレを同級生のおじいちゃんが使用管理していた。

帰省と同時に一時中断していた彫刻の制作を翌年の春から再開し、その年の秋には公募展へ出品した。
制作再開の1年目は大工さんへお願いして工務店経由で材料を取り寄せてもらって、ソレをベースにUターンの荷物へ紛れていた彫刻材料を工夫しながら構成してミクストメディアの彫刻にした。
2年目は島根の仕事も生活も少しずつ慣れて落ち着いてきたので、中期的な仕事のスケジュールを調整して、かなり計画的に彫刻制作を進めた。
使う素材ごとに工法を決めて数枚の図面を書き起こし、1枚は近所の棟梁へ材料ごとパーツ制作を依頼し、1枚は鉄工所のご主人へ図面を見てもらって材料の発注を代行してもらった。
幾つかのパーツを、それぞれ別々に依頼して、それらが集まったところで自分で溶接などして組み立てるという、今にして思うと、なんともめんどくさい工程を積み重ねて彫刻の連作を制作して、それを秋の公募展へ出品した。
たぶんその時の彫刻も、自分にとっては作品制作を再開した2作目の記念すべき作品であるし、自分で捨てたり処分した記憶がないから本気になって寺の何処かを探せば出てくると思う。その彫刻パーツを溶接して造った場所が、丁度今の玄関から仏間へ上がるあたりだった。あの頃の面影はもう消えて無くなったが、どこかしら懐かしくもある。遷座供養のお経を読みながら、昔の記憶を手繰っていた。
これからは法事の度に、あの頃制作した彫刻のことを思い出すことになりそうだ。

令心思理1のコピー (1)

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コチョウランとレンゲ 

2019/07/09
Tue. 23:46

この数日は梅雨も小康状態だが、所によっては局地的に激しいスコールが降っていてホコリまみれの銀くんを都合よく洗車してくれる。
ガソリンスタンドへついた頃には、スコールのおかげでソコソコキレイになっていたから、燃料を満タンにしてからスタンドに置いてあるセルフのタオル雑巾で窓ガラスだけ念入りに拭いておいた。

吉田家前の駐車場には、既にワイフの車が停めてあった。
玄関を開けてもクロは出迎えてくれない。
ワイフが先に帰った時は彼女のお出迎えで満足するらしく、だいたいオヤジの帰宅は無視される。彼女は毎日猫たちのご飯やトイレの世話をしているからあつい信頼関係で意思の疎通が出来ているのだろう。吉田家のネコチャンズは実に正直者だ。

右手のシビレがひどいから夕食ができるまでの間、ロフトに上がって少し休むことにした。iPad miniを開いたら大量のLINE着信があった。ほとんどがなっちゃん絡みでユーシン君の写真が可愛い。もう2ヶ月を過ぎた。自分の子供達のことは記憶も薄れて成長の様子がなかなか思い出せない。首が座るとダッコが楽になると思うが、そうすると寝返りを始めたりいろいろ動きはじめて目が離せなくなる・・・そろそろそういう時期になっているのかもしれない。

東京在住の彫刻家Oさんから、日本橋三越で個展をしている本多さんの会場風景が届いていた。
照明が絞られて落ち着きのある会場へ展示された本多さんのテラコッタが素敵だ。
現代の具象彫刻家の王道を行く作風はさすがだ。
近年の彼の一連の作品群は表現のテーマが一貫している。見た目の優しさとかフォルムの美しさとか、そういう表面的な造形美に流されない、表現の品と芯の強さを感じる。
同じ彫刻家として40年近く制作を続けていると、プロフェショナルの彫刻家の力量は小品を見ればだいたいわかるような気がする。彼の彫刻には日本橋三越の画廊ギャラリーやコチョウランがよく似合う。

「ごはんよぉ〜〜」
夕食の支度が出来たらしい。ワイフの声で本多さんの世界から現実に帰った。
コンニャクとモツの煮込みが美味い。
アスパラの豚バラ巻き炒めには麦とホップがよく合う。
日本橋三越に吉田の彫刻は200%そぐわないナ!
吉田の個展にコチョウランはありえないナ!
まぁ、自分の彫刻と制作の立場をあぁいう世界と比べるということそのものが無意味なことだけど、コンニャク食べながらそんな妄想をしていることがなんとなく面白くてニヤケてしまった。
「あんた、そんなにコンニャク好きだったの?JAのモツが上等だったからじゃない?」
ボクの彫刻にはピーピー豆やレンゲが妥当だな・・・莫妄想!

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レンゲの咲く頃 

2019/04/04
Thu. 23:11

3月いっぱいで吉田正純鉄の彫刻展が終わった。
会場提供でもお世話になっている主催の担当さんから、その後の彫刻撤収や移動のことで連絡が入るだろうと待っていたのだが、その気配がない。
手術が決まって入院の日程もハッキリしたから、彫刻移動はそれまでに済ませておかないとアチコチに迷惑をかけてしまう。今の吉田はいつもの吉田のようにだいたい暇に過ごしている状態でなくなっているから、主催者の都合を「のんびりと待ち続けるわけにもいかないだろう」と、会社の朝礼が終わった頃を見計らって遠慮がちに連絡を入れてみた。
担当さんとは、まだ、3月のうちに立ち話程度のザックリとした話はできていたから、ソレをベースに少しは具体的なことになっているだろうと思っていたら、当の担当さんが別の用事で出張中だったりと、どうもそうでもない様子。
吉田正純鉄の彫刻展撤収計画は何の進展もないまま停滞状態であることがわかった。

「このままだと、ドタバタの面倒なことになりそうだな・・」と、思い切って奥の手を使うことにした。
正式な役職はよく知らないが、まだ現役を引退したという話を聞かないからたぶん現在も会社役員会長職にあるのだろう、創業者本人とはもう30年以上の飲み友達。おたがい、この歳になるまでよく肝臓が保っているものだ。昔は当時流行していた「田舎町の活性化」を酒の肴にして、それこそ毎晩のように飲み明かしていた。そのうち、それぞれの目指す先で時間の融通がつきにくくなって、しだいに疎遠になったが、それでも1年に2~3回は一緒に飲む機会もあって、それなりお互い年齢相応に丸くなってきてはいるものの、そこそこハードなネタを酒の肴で振りあっている。そういう関係だから、まずは彼に話を通すとだいたい一両日中にコトが進展して目先の問題がいっきに解決する。
吉田としては、最終兵器の彼を持ち出すまでに現場の事情に沿って穏便にコトを進めたい気持ちでいるものの、なかなか現実に具体的な事情をやりくりするには理想論だけで済まされないところもある・・・と、いうわけで「どうしようか??手術もきまったし・・」と、相談を持ちかけてから30分もしないで会社の総務部長自ら連絡が入った。

彫刻移動の日時が決まって、朝から準備を進めて、待ち合わせの場所へ行ってみると、会社の若手が4人も集まって準備万端。アッという間にあらかじめ打ち合わせの通り予定していた撤収と移動作業すべてが終了した。これから先の予定としては、一連の大きな彫刻は、レンゲが満開になって田起こしが始まるギリギリまでそのままにしておいて、春の観光さんたちに楽しんでもらうことにした。10点のこぶりな彫刻は、石見銀山の町並みに面した古民家オープンスペースへ展示替えをして、しばらくのあいだ常設展示に切り替えることになった。他は吉田家前などアチコチへ移動して、その後の調整は、退院できて身体がソコソコ動いていたら、その時の状況に応じて考えようということになっている。

だいたいが一人でやりくりしていると、さりげなく力関係や利害関係が絡む状況下で、ひとが動くというかひとを動かすというか、そういうコトがとても気重に感じる。やっぱり、なにごとも終始ひとりでコトに当たるほうが気楽でいられる。
さて、手術からあとは自分の身体状況がどのように変化しているのだろう?
もっともっと今以上に色々なひとの手助けに頼ることになるのだろうなぁ~~きっと・・

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ラップのおかげ 

2019/01/30
Wed. 23:42

小品彫刻展の会場で使わせてもらっていたショップが2日間休業日になるので、その間に彫刻の梱包を終わらせてしまうことにした。
例年だとそろそろ節分寒波がやって来る頃なので、天候の悪化が気になったが今年の暖冬は異常の部類に入っているから、いまのところ搬出作業に大きな支障は無さそうだ。
それでもやはり、小品の彫刻展とはいえ冬のこの時期に山陰地方でほぼ全国規模といっていい彫刻の展覧会を企画することはそれなりのリスクを避けられないところもある。
幸い、ショップ関係者の手伝いが期待できるので人手の確保は保証されるが、彫刻家から預かっている大事な作品を壊す訳にいかないから、小心者のチキンオヤジは胃がキリキリ痛む。

梱包の基本は搬入で彫刻が送られてきた状態を復元することだと思っている。
展覧会出品に協力を頂いている彫刻家の殆どは作家歴の長いプロフェッショナルであるから、やはり梱包の一つ一つが手慣れていて無駄がない。まがりなりに自分も彫刻家の端くれだから、梱包の状況で作家の力量が見える気もして、とても勉強になる。
もうずいぶん前のことになるが、有限会社の瓦工場で11tのトラックへパレットに積み上げた瓦の束を積み込む作業を目撃したことがある。その瓦の束は巨大なサランラップのような梱包材でパレットごとキリキリと巻きしめられてパレットサイズの立方体になっていた。知り合いの総務部さんへお願いして梱包の現場を見せてもらうと、パレットに乗せられた瓦の束がベルトコンベアーからそのまま巨大な回転台の上に移動してきて、その後高さが1mくらいのラップの円柱が軽く上下に動きながらくるくる回る回転台の瓦へ巻き付いていた。あの頃はまだエアサスペンションのトラックが珍しかったから、現場へ瓦が到着するまでに板バネでポンポン跳ねて割れてしまうことも頻繁だったそうだ。そういう、欠損のロスも含めてトラックへは受注枚数より多めに積み込んでおくのだと言っていた。
「瓦ラップのような便利な梱包材があると良いなぁ~」となんとなくあの時のことを忘れられないままでいたら、ある日、吉田家の土間でワイフがラップを使って古新聞を縛っている。
「ソレ何処にあるの?」と聞くと「100円ショップ!」と、普通に即答された。さて、かれこれ5年位は前のことだっただろうか・・・
もう10年以上も前から「あんなラップがあるといいなぁ~」と悶々としながら梱包を続けていたのに、その現物が100円ショップで手に入るという・・・
それからしばらくして、その気になって近所のホームセンターを巡ってみたら、梱包材コーナーのエアキャップの円柱の隣へ梱包用ラップがビッシリ並んでいた。

梱包用ラップだけのことでもなく、一般家庭の日常の暮らしがどんどん便利になってくる。彫刻の運送運搬も公募展へ出品をはじめた頃からすると、ずいぶん楽になった。
造形の工夫も、少し前までは安全な作品移動のことも含めて分解や組み立ての工法も当然のように造形の一部として組み込まれていて、そういう工夫はそのまま制作時間に上乗せされていたのだが、今はラップだけでもない接着剤や塗料など造形の展開で無理が効くようになった。
それでもボクの場合は、結局、便利に頼り切った彫刻はそれなりのモノにしかならないけどね・・・

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石見銀山彫刻小品展終了! 

2019/01/29
Tue. 23:55

約2ヶ月間続いた小品彫刻展が終了する。
2〜3日前から撤収搬出の準備をしながら過ごして、最終日会期終了後、それらを会場へ搬入した。
梱包材の補充や、ドライバドリルの充電や、発送伝票の記入など、それなりに細々としたことがあって、1日過ぎるのが早い。
今年は、幸い雪がないから準備が楽で助かった。

島根県は特に雪国というわけでもないが、普通に雪も積もるし冬型の気圧配置が避けられない地域だから、そういうところで冬のシーズンに展覧会を開催するということはそれなりのリスクを伴う。そういうこともあって今まで小品彫刻展を冬に開催することを避けて過ぎていたが、この度は石見銀山の衣料雑貨店が全面的にバックアップをしてくれるということでもあるし、開催するしないは、自分一人で決めてしまえば済むことなので一度は展覧会を「試してみてもいいかな?」と気持ちが動いた。
全国の作家から約半年間預かっている彫刻の管理が遺漏なくできていれば、あとは実動の殆どを自己責任で済ませることだけに集中する。
ショップ2階の一角を改修して造られた彫刻展示スペースはそれほど広くはないが、それでも照明や空調の施設は整備できているし、過去10年間の開催場所を振り返ると、いちばん画廊ギャラリーとして常識的に機能しているといっていい。
昨年11月に会場の設営をした時にも感じたことだが、展示した彫刻にどこかしら「品」のような雰囲気が醸し出されて心地よい空間になった。
期間中は、出品作家をはじめ、展覧会の関係者や友人知人の来場の他に、ショップや喫茶のお客様も含めたくさんの方に彫刻を見ていただくことが出来た。
石見銀山の地域全体が冬のこの時期には入り込みの観光客が激減する。単純に集客のことだけを考えるとリスクの大きいシーズンであるわけだが、工夫すると、それでも彫刻の展覧会が行われるという情報が流れることで彫刻目当ての入り込みが若干は稼げるということでもあるわけで、何もしないで会場を「遊ばせておくよりはマシ!」というふうに考えることもできる。
過去には、4〜5年の周期でこの時期に同じ会場で「吉田正純鉄の彫刻展」を開催してきたが、やはり、吉田が自分の個展だけでは集客に限界があると感じていた。ショップの関係者を頼ってたくさんの協力をいただきながら出来上がっている個展であるから、求心力の欠けた作家の力量の無さをどこかしら申し訳なく感じていた。
ちょうど個展開催の周期がまた巡ってきたし、これからあと何回自分の彫刻展ができるか先が読めない年齢にもなったし、吉田とその周辺の色々な事情の中で小品彫刻展の企画を個展へ合体させてみても良いかも知れないと思いついてショップの代表へ提案をした。
初の試みだったので、成果の反応はこれから少しずつ収集するしか無いことだが、自分としては、今回の小品彫刻展開催が出品協力を頂いた作家諸氏にとってプラスであれマイナスであれゼロでなかったことだけは確かなことだと考えている。
次回があるとすれば、会場スペースの限界もあるし、展示される彫刻の点数に工夫が必要であるような気もする。これから、機会を作ってオーナーの考えを聞き取りながら企画の精選を前向きに考えてみよう・・・
天候次第だが、1月中には作品撤収や梱包発送会場復元などを済ませようと思っている。

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チーン! 

2019/01/28
Mon. 23:43

門前の小僧習わぬ経を読む・・・

保賀の谷のあるお檀家さんでは、ここ数年の間におばあちゃんが亡くなり闘病中の奥さんが亡くなり、それからしばらくしておじいちゃんが亡くなり、昨年はお父さんが亡くなって、今はお孫さんご夫婦が3人のお子さんとお墓やお仏壇を御守りされながら暮らしていらっしゃる。
一般の常識で考えると「ご不幸が続いてさぞかし大変なことだろう・・・」と思われがちだろうが、長く坊主をやっているとそういうお宅はそれほど珍しいわけでもなく、その時々の巡り合わせでたまたま偶然にそれぞれの寿命が近いところで重なったということで、ご親族としてはそういう現状を納得して比較的冷静に受け止めていらっしゃることが多かったりする。
3人のお子さんはまだ小学生に通うほどの年齢だが、成長にあわせるように葬儀や法事が続いて、そのたびに何度となくお邪魔して同じお経を繰り返し読んでいるうちに、いつのまにか3人それぞれに2つ3つのお経を聞き取りで覚えてしまった。
この頃では、私がお邪魔するのを見計らって、鐘の合図や木魚のテンポにあわせて私と一緒に大きな声でお経を読んでもらっている。

万善寺の宗派は基本的に世襲ではないから、親子の関係がそのまま師弟関係である必要もないのだが、昭和の頃は長男が家の跡取りになることは当然の風習として認識されていたから、私の場合もその路線にピッタリとはめられたまま少年時代を過ごした。
それで、門前どころか身内家内の小僧としては毎朝毎晩同じお経をリピートすることが当たり前で、パブロフの犬の如く「チーン!」と鐘の音が聞こえただけで、その時何をしていても普通にお経モードにスイッチが切り替わっていた。
だいたい10歳前後で得度式をすることが多いのも、まだ子供が反抗期を迎えて親の言うことを聞かなくなる前にサッサと弟子にしておいたほうが都合良いという親の一方的判断によるものがほとんどだ。私の場合も、気が付かない間にマンマと親の常套手段に乗っていたわけで、結果、現在のナンチャッテ坊主に至ったという次第。

自分が望んで自らの信念で仏教へ向学心を持ったわけでもないから、ひとりの宗教家としては何から何まで適当で場当たり的な無学な坊主になってしまって坊主的プライドなど微塵もない。それでもやはり生まれ育った環境もあって、自分の成長の節目節目でそれなりの影響を受けていることも多々ある。
私の場合、日本的アニミズム思考は彫刻制作における造形の原点であり抽象的発想のよりどころとなっている。
自分の造形観は、有機無機問わず森羅万象万物に宿る気質気息の曖昧さに強くひかれる。
そもそもの仏陀に起因する仏教には偶像崇拝の要素がなかった。私はそのことにとても強く興味を惹かれるし、魅力を感じる。実態の説明や解説を期待しないことが素敵だと思いつつ、一方で何かしら具体的実態を求めているようなところもある。自分の彫刻は常にそういう矛盾を内在している。「チーン!」でお経モードにスイッチの入る不可思議さとどこかしら共通する気がしないでもない・・・

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百千万劫難遭遇 

2019/01/17
Thu. 23:34

見事に雪が降らない。
雪を当てにしてわざわざ冬シーズンの個展を決めたのに、完全に予測が外れてしまった。

彫刻制作はライフワークのようなものだから、何をするにもだいたい四六時中なにかしら彫刻のことを考えたり思ったりしている。1年を均すと自分の頭の中に全く彫刻のことを思わない日はほとんどない。
今の個展で造った彫刻も、そうやって何年も前からコツコツと考え続け、造形のシミュレーションが少しずつ次々変化を繰り返した結果のかたちになっている。
前回の個展から数年経って、見た目のかたちは前回と全く関連性のないように見えるかも知れないが、自分の中では切れ目なく連動してブレのないテーマのコンセプトを維持出来ていて、今の彫刻は確実にその延長線上に位置している。
いずれにしても、自分の造形観は俗にいうところの抽象彫刻に分類され、そういうタイプのかたちを造り続けているから、一般の価値観とか概念では「よくわからん!」とか「理解できない!」領域に属しているはずだ。

面倒臭いことを云うと、自分の彫刻は基本的に「造形による表現」であるから、彫刻の説明を文字や言葉など別の表現手段に頼ることは無意味に思っている。
それでも、一個人の表現者として限りなく意固地に自分だけの世界へ閉じこもってばかりいるということも大人げない気もするから、なにかの機会に自分の造形とか表現の根拠を問い掛けられたりすると、相手の認識領域を探りながら出来るだけその路線に沿ったふうに言葉や文字など造形以外の表現手段を工夫しながら自分の造形コンセプトを伝えようと努力はしているつもりだ・・・とかいっても、現実は毎日の日常でそういうコトを気遣ったり具体的に伝えたりするような機会は皆無に近い。
わざわざ吉田の彫刻個展を目指して見に来てくれるみなさんにとっては、実に不親切な彫刻展であると自覚は出来ているつもりだから、何か意味不明のこと(・・ばかりだろうけど)は遠慮しないで問い合せていただいて一向にかまわない。
自分的(自分の主観)に云うと、「抽象」の概念は「個々の具象の集積と精査の延長にあるもの」としてとらえている。だから、抽象の造形は表現者一人ひとりの興味関心や価値観の認識の相違分だけ存在するということになる。
一つ一つの具象要因や具象素材を収集追求し、その先にある関連した要因を抽出し、系統建て分類し、そういうコトの取捨選択を繰り返した先にもうソレ以上精査できない最終の要素がボンヤリと浮かび上がる。
自分の造形表現はそういうことの繰り返しの行為の証明として存在するにすぎない。願わくばその造形に少しでも美的要素が内在できれば有り難い。

宗門のお経にある「開経偈」の一節に、「百千万劫難遭遇」とある。「百千万劫」は、数の単位と略していいだろう。ボク的にザックリいうと永遠に続く「無限大の時間軸」のようなことである。「難遭遇」は、遭遇は難しいことだ!ということで、まぁ、仏様の法はそれほど奥深くて有り難いものなのだ!!となる。
自分の造形は、ボンヤリとした自分の宗教的形而上抽象をジタバタとかたちに置き換えているだけだ。抽象も仏様の法の如く奥深いものだと今更ながら痛感している次第です・・

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テーマの本質 

2019/01/05
Sat. 17:49

正月の年始会が終わって、おおよそ後片付けの目処が付いたところでワイフとじゅん君は石見銀山の吉田家へ帰っていった。
今年はじゅん君が参道の道開けをしてくれたおかげで、万善寺の駐車場まで車を上げることが出来てとても助かった。
年始会の余り物やおせちを寺用と吉田家用に小分けしてくれたから、当分の間はそれでオヤジのひとり飯がまかなえる。

まだ、後片付けが終わらないでいる時に石見銀山で親しくしている友人が新年のお寺参りに来てくれた。
大雪でなければだいたい正月三ヶ日のいずれかに万善寺を訪ねてくれる。
たまたままだ改良衣のままだったから、般若心経などのお経で彼の家内安全や商売繁盛の祈念をした。
彼が夫婦で築き上げた今の商売が昨年で30周年を迎えた。
石見銀山の古民家を買い取ってお店に改装した直後に私がその店内外全体を使って個展をさせてもらったことが縁の始まりで、その後家族ぐるみで親しく付き合うようになった。
昨年からの個展は、その店の30周年記念事業の一環にもなっている。

近年は4〜5年を目処に継続している「吉田正純鉄の彫刻展」も今後何回まで続けられるかそろそろ先が見えてきた。
この個展のテーマの本質は30年前から一貫して変えていない。
自分としてはこのテーマの本質をできる限り抽象性の高いところでキープしておくことを心がけている。抽象性の高さレベルがその時時の個展テーマに昇華還元された核になって、それぞれ個展ごとに統一された彫刻の形態に具現化する仕組みを用意している。
自分の思考の根本は、物心ついた頃から普通に形而上の宗教的な概念世界に浮遊しているようなところがあって、造形表現はその一般的に掴みどころのない形而上的思考を形而下の実在世界へ具体的に落とし込むことの手段の一つと考えている。
形而上的抽象性は、幅広く点在する個々の具象を包括してよりシンプルで普遍的な造形へ方向付ける指標として、自分の造形感の重要な要素になっている。
いずれにしてもこういう面倒臭いことは自分だけが気にして思いつめていればいいだけのことで、個展の一つ一つの彫刻はそれなりの関連があって制作して出来上がっているという、まぁ、それだけのことだ。脳みそと身体が動いている限りは、そういうテーマの本質を退化させること無く追求し続けたいと願っているしだいです。

「全然気づかなかったんだけど、ネコチャンズが脱走してたのよ!」
何時もはワイフの方から電話してくることが殆ど無いのに、珍しく向こうから電話がかかってきた。
最初に気づいたのはシロが勝手口の外で鳴いていたからだという。それからクロもいないことに気づいて探したが見つからないまま時が過ぎて心配していたら、しばらく経って裏口の方で中へ入れろと鳴いたそうだ。彼らは2019年早々から初散歩を楽しんだようだ。
ネコチャンズにもあいたいし、一度寺暮らしを切り上げて石見銀山へ帰ろうかなぁ・・・

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田んぼ彫刻 

2018/12/09
Sun. 04:36

「今年は観音様の供養がまだなんだけど、法事の時に一緒というのはダメ??」
少し前に獣医の同級生が電話をしてきた。
最近は・・というより、住職が私の代になってからそういうことは他でもよくあることだから「ソレでも良いよ」と返事をしておいたら、日を改めて「9日でどぉ〜〜?」と電話が入って「あぁ〜〜良いよ!」と答えておいたのだが、それからしばらくしてまた電話が入って1週間ずらしてくれということになって9日がフッと空いた。
彼も私と同じ年だから、すでに公務員の獣医は退職をしているのだが、現職に人員が足らなくて、宿直とか休日勤務の補助要員で駆り出されることがあって、なかなか農業1本に絞れないまま忙しい毎日を送っている。

萬善寺への通勤坊主をしなくて良いことになったから、彫刻家に気持ちを切り替えた。
11月の29日に個展がスタートして10日が過ぎた。
個展といっても、自分の場合は石見銀山の谷の吉田家の近所にある稲刈りが終わって来年春まで使うことのない田んぼの適当な場所へ野外彫刻を置くだけのことだから、入場するもしないも24時間オールフリーの展覧会になっている。
石見銀山の町並みに本店のある衣料雑貨の店が吉田の個展を主催してくれていて、その店からのダイレクトメールに第1段の展覧会案内が同封された。
作家としては、作家個人からのダイレクトメールを発送するタイミングを測りかねていて少し悩んだが、一応は展覧会の主催が他にあることなので、作家からの展覧会開催案内は少し遅れて発送することにした。
こういうタイプの展覧会は、以前にもしたことがあって、その時は、約3ヶ月の展示期間中に3回の作品入れ替えをした。
その都度案内状を発送してみたのだが、島根県の冬は雪も降るし表日本からの移動が難しかったりするから、労多くして効無し的展覧会になってしまった。
その反省も含めて、今回は3ヶ月の長期展示を同一テーマで引っ張り続けることにした。それで定期的に彫刻を移動したり加えたり減らしたりしながら展示の変化とか効果を記録していこうと決めた。

今は、この10日の間に少しずつ彫刻を増やしている段階だ。
前回の展覧会の経験で、遠方からの来場がそれほど期待できないとわかっているから、ターゲットを石見銀山に生活する様々な人々の目に絞った。
そうすることで、主催会社の従業員やそのお店のお客さんや、大森小学校へ通う子供たち、保育園に通う親子連れ、住民のおじいちゃんおばあちゃん、町内の各種事業関係者、路線バスの乗客やドライバーなど、身近な人々が彫刻の変化に気づいてくれること。それに若干プラスして田んぼの彫刻が観光流入の人々の目に入るくらいで良いふうな予測をした。
寺のことがなければ、ほぼ毎日工場へ通う日々が普通になって身体の疲労は貯まるが気持ちの方は良い意味で充実している。彫刻のカタチも、制作時間が充足されたおかげで軽々しい表現の変化を抑えることが出来てきた。
個展はこれが最後になるかも知れない。踏ん張ってカタチを掘り下げていこうと思う。

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2020-07