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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ノッチ様様 

2018/09/26
Wed. 23:59

ワイフが腕によりをかけて手料理をつくっている。
久しぶりのノッチへあれもこれも、食べさせたいものがたくさんあるのだろう・・・
「わたし、何を食べても美味しいとか不味いとかあんまり気にならないの・・」
ノッチは、昔からだいたいそのようなことを云っていた。
そのわりに食通なところもあって、私の知らない食べ物のことをたくさん知っていたりするし、ジャンクフードが大好きだと公言したりと、振り幅が広い。

吉田家の彫刻家達にとって、ちょうど今の時期は六本木の展覧会に向けて大作彫刻を造っている時期だから、ノッチの帰宅がそれに重なってワイフも落ち着かない。
一晩くらいは家族揃って外食もいいだろうと誘ってみたら、
「そぉ〜ねぇ〜・・・ノッチ次第ネ!」とワイフが云って、
「イコイコ!里見八犬伝!」とノッチが云って、
「そうじゃなくて、八剣伝だから・・」
ということになって、夕方から焼き鳥の八剣伝へ出かけた。
ソコソコの街なら何処にでもあるチェーン店だから特にどうということもないが、その店には私のジム・ビームが置いてあるし、炭火の焼き鳥はそれなりに美味いし、季節ごとにその店オリジナルの一品や、〆の飯や麺類もあるし、店員さんも私のことを覚えてくれていて、席につくとさり気なくキープのボトルを用意してくれるし・・・まぁ、色々と面倒がなくてチョイと飲むには都合の良い居酒屋だ。

「今年は原点に帰ってみるつもりなの」
何時だったか、ワイフがそんなことを云っていた。
その時は、彼女が彫刻のことを云っているのだとは思っていなかったのだが、それからしばらくして3✕6板の建材用ウレタンボードを買い込んで吉田家にある彼女の制作部屋へ搬入していたから、それで「原点に帰る」意味がつかめた。確かに、彼女の今の彫刻テーマが決まった初期の頃には彫刻素材にウレタンボードを多用していた時期があった。
島根県を代表する女流彫刻家のワイフは、最近では山陰地方から中国地方一帯を代表しても良いくらいに彫刻の質レベルを上げている。
家事をしながら子育てをしながら美術の時間講師をしながら町内外の色々な役員を受けて四六時中ドタバタと忙しくしている合間を縫って彫刻を造っているのだからたいしたものだと思うが、それ以上に凄いのはその彫刻の質が落ちないままキープできていることだ。
だいたいが目先の優先順位が高いところから順番に仕事のヤリクリをつけて、自分のことが後回しになって、適当に辻褄を合わせたヤッツケ仕事で終わらせてしまうことが多いのに、彼女の場合はそういう手抜きをすることがない上に、今回のように向上心もあって制作意欲も盛んで寝る間を惜しんで徹夜までする。
一応、坊主彫刻家の吉田正純も、それなりに失敗のないように彫刻の質を下げないように意識しながら制作を続けているつもりではあるが、やはり昔のように無理な踏ん張りが効かなくなって制作のスパンがだらしなくなってきている。

こんどのノッチの帰省が刺激になって自分の気持がかなりハッキリと切り替わった。
たぶん、ワイフも同じように刺激を受けていると思う。ノッチ様様です!

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ノッチ帰る 

2018/09/25
Tue. 23:49

アジアを旅行していたノッチが関西空港へ帰ってきた。
そこからバズに乗って直接出雲市まで移動して、石見銀山の吉田家まで帰ってくる。
私の方は、ちょうどお地蔵さんの縁日と重なって萬善寺のことでドタバタしていたから、ワイフがスケジュールを併せてノッチを出雲まで迎えに行ったりすることになった。

ノッチと逢うのは久しぶりのことだ。
私の方は日本の近場をグルグルと行雲流水の暮らしが続いているが、ノッチの行雲流水はスケールが違う。
彼女が小さい時は、何かにつけてプリプリと機嫌の悪いことが多かった。
私がノッチのお風呂当番でよく彼女の髪を洗ったりしていたときも、シャワー嫌いでだいたいいつも抵抗して狭いお風呂で大騒ぎだった。中学校に入った頃から反抗期になりはじめて、毎日気難しくふてくされた顔つきでいた。高校のときに1年ほどケンタッキーのルイビルでホームスティした。彼女が留学をしたいと云ったときに、学校を留年することになるだろうと密かに覚悟していたが、そのころからノッチの自立心が急激に芽生えて、必要最低限の努力で最大限の効果を得るための処世術習得がめざましく成長した。気がつけば、自分で進路を決めて留年することもなく大学まで卒業して、シンガポールの仕事を決めていた。

昨今のカオスジャパンで、ガチガチに凝り固まったクソ真面目な生き方より、ずっと自然で自分に正直でいられて、それでソコソコ生活に困らないほどの仕事が出来ていられるだけでもたいしたものだ。
いつまでも親離れできないで反抗期が延長したまま親に甘えて我儘放題の大人になるよりは、少々ガキっぽくて思慮深さに欠けて周囲に迷惑をかけるようなところはあっても、サッサと親離れして自立して、なんでもおおよそ一人で片付けてしまうような大人になったほうが面白い人生を過ごせるだろう。
我が子だから親の思い通りに育ってほしいなどと、親の期待が負担になるような人生はつまらない。自分の一生は一度だから、死ぬときになって後悔しないように生きてほしいと、強いて言えば、それがオヤジの私の願いである。

寺の用事を片付けて吉田家に帰ったら、ネコチャンズがご主人様を出迎えるわけでもなくそれぞれ勝手に好きなところでゴロゴロと留守番をしていた。猫に主従関係は成立しない・・・というより、むしろ私など「ニャァー!」のひと鳴きで戸の開け締めをしたりご飯や水やトイレの世話をしたり、彼らにこき使われている。そのネコチャンズが突然それぞれムクリと起き上がって、クロは土間の入り口へ走り、シロは珍しくワイフの寝室へ入り込んだ。
何事かと思っていたら、それからしばらくして「ただいまぁ〜〜!」と、あの懐かしいノッチの声が聞こえた。
小さなコロコロトランクひとつ持ってアジアから吉田家に帰ってきた。
「クロ!ダメ!ダメよ!!」
脱走を試みたクロを叱りつけるワイフの声がいつにもまして大きかった。

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まっちゃんデー 

2018/08/29
Wed. 23:35

昼食は出雲のパスタ屋さんでスープスパゲティ・・・
最近、何かの節目によく出かけるようになった。なかなか美味しいと思うが、お店の正式名称は未だに知らないままだ。そのお店を見つけたのはワイフで「なにか、いつも同じお店ばかりでつまらないね・・」と、あるときワイフが云い始めて、「それじゃぁ〜適当なお店見つけてよ」・・・と車を運転しながら助手席のワイフに話しをフッたら、しばらくiPhoneをつついて探し出したのがそのパスタ屋さんだった。
あらかじめ予約を入れて、結構探し回ってたどり着いたお店は、新建材多用だが見た目はそれなりにおしゃれ風のお店で、スタッフも若いしお客も若くて、吉田夫婦が年齢層を引き上げている感じだった。
幾つかコースが有って迷ったが、おすすめコースでスパゲッティはスープスパゲティにしてみたところ、それがなかなか美味しかった。
それ以来、ワイフと外食を決めた時は「そば?すし?とんかつ?ちゅうか?・・・それともパスタ?」と選択肢が一つ増えた。

ワイフの誕生日には、毎年バラの花束を渡していたのだが、今年はやめた。
そのかわり、幾つかネタを用意して1日ワイフへ付き合うことに決めた。
満腹になってお店を出てからニトリへ向かった。
彼女は前からほしいと決めていたものがあったようで、それを探す目的だった。ボクとしてはデザインも今一つだし、どうもピンとこないところもあったが、今日の主役は彼女だし、強く逆らわないことにした。

それから映画館へ入ってオーシャンズ8を観た。
ドルビーサラウンド7.1の大迫力は映画館でしか味わえない。私は、事前に映画データのチェックをかなりマメにしておくほうなので、どちらかと云えばけっこうクールに細部までこだわって見逃さないようにしている。若い頃からの「折角高い入場料を払っているのだから・・・」なんとかして元を取ろうというあざとい根性が抜けないでいる。そういうこともあって、事前にだいたいのストーリを把握しているから、整合性の不具合も含めて許容の範囲で楽しめている。オーシャンズ8も、かなり強引で粗っぽい感じだったが、それなりに面白く楽しめた。
「ねえねえ・・・あの場面は一体ドォ〜いうことだったの??」とか、「もっとアクションいっぱいあるのかと思ったわよぉ〜・・」とか、帰りの助手席から、質問攻めにあった。
個人的には、インターネット配信を待ってホームシアターでも良いくらいだったが、ワイフの誕生日には妥当なチョイスだったと思っている。

帰宅すると、ネコチャンズがワイフを迎えてくれた。もちろん、ボクの方は完全無視・・
SNSノッチは1年の仕事を終わってオーランドからロサンゼルスへ移動したらしい。
しばらく西海岸のアチコチ巡って、9月1日には帰国する予定のようだ。
時差の関係だろう・・・真夜中になってワイフ宛に「誕生日おめでとぉー!!」LINEが届いていた。

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只今帰省中 

2018/08/26
Sun. 23:08

詳しくはわからないが、じゅん君が研修か何かで隠岐の海士町から本土へ帰省中だ。
私の方は、ワイフが夏休みで実家へ帰省中の留守をあずかって、ネコチャンズやグッピーズの世話に吉田家へ帰って通勤坊主に切り替えながら暮らしている。

じゅん君とは、彼が高校を卒業してから今までの10年チョットをだいたい殆ど離れて暮らしているが、その途中、2年位ほど石見銀山に帰ってきて、色々なアルバイトをしながら吉田家で家族と一緒に暮らしていた。あの頃は、まだキーポンもいたし、老犬のシェパ爺もまだ生きていたと思う。
シェパ爺が冬に大往生して、それから数カ月後にじゅん君が手のひらに乗るくらい小さな猫を保護して連れて帰った。その猫がふてぶてしくデブ猫に育った今のクロだ。

例のごとく早朝からメシの催促でそのクロがうるさく鳴きはじめた。
もう少しゆっくりと寝ていたかったが、隣の部屋で寝ているじゅん君は起きる気配もなく、かすかにイビキも聞こえているし、結局、騒がしく鳴き続けるクロに根負けした。
空っぽの猫皿へご飯をよそって、水を足して、そのまま洗い物などをしていたら、あっという間に時間が過ぎて通勤坊主の出勤時間になった。

万善寺へ到着すると、朝の空気がヒンヤリしている。縁側の柱へぶら下がっている温度計は25℃。途中の銀山街道は朝の8時過ぎで温度計がすでに31℃だったから、ずいぶん涼しく感じる。今から半世紀ほど前は、夏の25℃でも暑く感じる方だった。今は連日30℃を越えることが当たり前になった。これでまたあと半世紀ほどすると、地球はいったいどうなっているのだろうと、ひとごとながら心配になって可愛そうになる。
吉田家も、あと20年前後で世代交代を迎える。
ネコチャンズやボクとワイフは、すでにこの世からおさらばしていると思う。グッピーズは、次の世代がうまく養ってくれていれば、水槽の中で限りなく世代交代しながら生き延びているかも知れない。
三人の娘たちはもう石見銀山へ帰ることもないだろう。島根大好き人間のじゅん君が石見銀山の吉田家を拠点に、このままナニカの職業に就いていれば、現在のガタピシ吉田家も、もっと老朽してガタピシになりつつ、それでもなんとか倒れないで維持されているかもしれない。
だいたい今の吉田家の状況だと、将来の予測はまぁこんな感じであるだろう。

吉田家近未来を希望的に展望してみると、何かの仕事が大当たりして、貯蓄も増えて吉田家も改築されてオール電化の暮らしを手に入れたじゅん君が、キレイなよく気の利く嫁さんと、可愛くて頭脳明晰な娘と、かっこよくて優しい息子の4人家族が巨大な水槽で暮らす世代交代して生きながらえているグッピーズと、石見銀山の間歩近くで保護したオスの黒猫と代官所前で保護したメスの白猫と、銀山口公園で捕獲された柴犬系雑種の野良犬を引き取って飼いはじめ、たまに石見銀山観光を兼ねて帰省する3人の妹たち家族を優しく迎えて、裏庭のオリーブの樹の下で仲良くバーベキューを楽しんでいる・・だったりして・・・そういう、絵に描いたような幸せで豊かな暮らしだと安心だけどなぁ・・

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ワイフの夏休み 

2018/08/22
Wed. 23:39

万善寺の法要が一段落して、ワイフは久しぶりの夏休みで実家へ帰省した。
高速バスで広島へ出て新幹線で東京までのルートを自分で決めていた。
バス停までは、石見銀山から車で1時間位かかるので、私が彼女を送ることにして、約1ヶ月ぶりに帰宅した。
じゅん君も研修が2日間ほどあるとかで帰省していて、家族3人の夕食になった。
ネコチャンズやグッピーたちに逢ったのも久しぶりだ。
翌朝・・・
県境を越えた先にあるバス停までの道程は、もう1年以上走ることがなかったはずだ。
その間に、大雨も降ったし地震もあったから、途中の道路事情を心配しながら走った。
幸い、特に大きな障害もなく予定の通り1時間足らずで高速バスの停留所へ到着した。
ワイフを見送って吉田家へ帰宅するとお昼だった。

長い間自宅を留守にしていたから、何かしらどうも勝手が違ったふうに感じて落ち着かない。それに、やたらと暑い。
万善寺の暮らしも、連日の猛暑でグッタリ疲れ切っていたが、石見銀山の現状を我が身に感じると、やはり飯南高原は暑いけど一方でサッパリとしていた。夕方が過ぎて夜になっても吉田家中がミストサウナのように蒸し蒸しして我慢できない。あれほど逢いたかったネコチャンズがスネのあたりへすり寄ってきただけでムッとした体温が伝わって不快だ。ワイフは、こんな吉田家の劣悪な環境で良く毎日コマゴマとした家事を続けていたと感心する。

ナニもする気にならないままグダグダと半日過ごした。
それでもなんとなく普通に夕食時になったら空腹を感じて冷蔵庫を漁った。
すぐに食べられそうなおかずの残りを見つけてレンジに入れた。
その頃になって、クロがメシの催促でうるさく鳴きはじめた。この蒸し暑さでも何処かへ潜り込んで延々と寝呆けているのに「腹だけは当たり前にへるのだなぁ〜・・」と思っていたら、シロも何処かからさり気なく湧き出てきて、珍しく私の足元へすり寄ってきた。
人間の自分だって半日何もしないでゴロゴロしていたのに腹だけはちゃんと減っている。
猫は人間と比べ物にならないほど正直だから、まぁ、そうやって空腹を訴えてくるくらい元気であるということなのだろう。そう云えば、「猫はねぇ〜、元々砂漠の暑いところで暮らしてたから、そのDNAが残っていて暑さには強いんだって!」などと、ワイフがもっともらしいことを云っていたっけ・・・それも、まんざら嘘でもなさそうだ。

寺の一人飯は特に何も思わないで過ぎるのに、吉田家の一人飯はどこかしら味気ないまま過ぎた。
気づくと知らない間にLINEの着信があった。ワイフはすでに東京へ着いていて、キーポンと焼き肉を食べていた。今夜はキーポン宅で母娘仲良く一緒に寝るらしい。
「きーちゃんがねぇ〜、焼き肉おごってくれたのぉ〜♡!」
電話をしたらワイフは幸せいっぱいそうだった。オヤジとは待遇が真逆に違う・・・
しばらくしてキーポンがトマトの現状をLINEしてきた。緑の実がチラリと見えた。

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もう夏バテ 

2018/08/06
Mon. 23:17

20日過ぎまで続く棚経が始まったばかりだというのに、もうバテて体力が続かなくなりそうだ。

半世紀前の飯南高原は、夏のシーズンに30℃を超える日が5日となかった。西日の当たる縁側でもせいぜい25℃くらいだった。
その程度で普通に暑さにやられてグッタリとダレ切って、昼食が終わると親子それぞれ陽が陰る頃まで万善寺の涼しいところを探しては昼寝をしていた。

前住職の憲正さんは、本堂の舎利殿前が昼寝の定位置で、東西南北の引き戸を開放してゴロリと横になって新聞を見てくつろいでいた。
内室のおかみさんでボクの母親は台所か配膳室の板の間にゴザ枕を用意して大の字に寝ていた。
少年の私は、家族の居間で使っていた6畳が定位置だったが、中学校になってからは西日がモロに入り込む玄関上のロフトで大汗を流してゴロゴロとのたうちまわっていた。
あの頃は、扇風機もなくてもっぱらパタパタと団扇を使って生暖かい風をかき回すくらいしか暑さ対策の方法がなかったのに、それだけでなんとか1日をやりくりできていた。

今年のように、毎日当たり前のように30℃を超えて暑さが続いていると、深夜午前0時を過ぎた頃になってやっと26℃くらいまで気温が下がっただけで涼しく感じてしまう。
島根県の飯南高原でこんな感じだから、石見銀山のような谷底や出雲松江のような平地はもっと不快で寝苦しい毎日が続いているのだろう。

現在東京で保育士をしているキーポンが熱中症になった。
子供たちをビニールプールで遊ばしている間に気分が悪くなって、熱を測ったら40℃くらいまで上がっていたらしい。
フラフラになりながら勤務を終わって帰宅して解熱剤を飲んで寝ているうちに少しずつ熱も引いて翌朝には回復して、何事もなく普通に勤務に就いたということだ。
さすがに若いと体調の回復も早くて、心配もしたがビックリもした。
私が彼女と同じような状況になったら、間違いなく病院行きで何日か寝込んでしまっただろう。
フロリダのノッチからSNSで写真が届いた。
あちらは日本より赤道へ近いから暑さもかなりのものだと思うが、写真ではいたって健康そうに見える。日本とは猛暑の質が違っているのかも知れない。

このところ、万善寺の単身赴任が続いているからワイフと電話で話した。
吉田家のネコチャンズが暑くてバテているかも知れないと心配したが、そうでもなくて普通にしているらしい。シロはこの暑さなのに、吉田家ロフトの明り取り窓の真下で一日中寝ているらしいし、クロの方はロフトの真下の1階の畳の部屋に置いてある除湿機の裏の狭いところをワザワザ選んで潜り込んでいるらしい。
猫はけっこう暑さに強いようだ。だから寒さに弱くて冬には炬燵で丸くなっているのか・・・

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ケンタッキーノッチ 

2018/07/18
Wed. 23:17

ノッチが久しぶりに大量の画像や動画をSNSに載せていた。

彼女は高校生の時に1年間ケンタッキーのルイビルで暮らしていた。
ホストファミリーがとても優しかったそうで、帰国してから今までだいたい10年の間連絡を絶やさないで過ぎてきたようだ。
オヤジに似ているところがあって、何かにつけてすぐにめんどくさがったり飽きたりするノッチが、いまだに付き合いを継続しているというだけでも、ルイビルでの1年間で良い思い出をいっぱいつくることが出来たのだろう。
親としては、多感で面倒臭い時期のノッチを上手に育ててくれたことだと、とてもありがたく思っている。
フロリダでの暮らしもそろそろあと僅かとなって、帰国する前に休みをとってルイビルのホストファミリーを訪ねたり、高校の時の友達と逢ったりして楽しく過ごしたようだ。

石見銀山は、西日本大被害の大雨が去った後、連日猛暑が続いて吉田家のエアコンや扇風機がフル稼働している。
ロフトのような荷物置き場も兼ねた二階の部屋は、昔、子供たちの部屋で使っていた。
ワイフと二人暮らしになってから、夜になると音楽や映画でうるさくするので「2階が空いてるんだからあなたはキーポンのベッドで寝なさい!」と1階から追い出されて家庭内別居を続けていたのだが、さすがにエアコンも無い蒸し風呂のような熱帯夜が延々と続くと、それに耐えられなくて今はリビングの片隅にあるワイフの憩いの場になっていたソファーベッドを使わせてもらっている。
エアコンは、そのリビングから続きのキッチンへ向かって1機と、ワイフが寝室にしている昔ボクの工房むうあ事務所を兼ねた書斎だった四畳半に1機ある。
万善寺の世代交代の引き継ぎからあとは、書斎のデスクワークも少しずつ寺の方へ移動させて四畳半を寝室に使うようになった。それでしばらくはワイフと仲良く四畳半で寝ていたのだが、キーポンが時々帰省すると無理やり夫婦の寝室へ侵入して川の字で寝たりするものだから、オヤジはしだいに寝づらくなって、その頃から少しずつ吉田家のボクの居場所が狭まって今に至っている。

かれこれ3週間位前のことになるだろうか・・・暑くなる前に2機のエアコンを一度丁寧にクリーニングしておいたほうが良いだろうと、電気屋さんに依頼した。
そのクリーニングの日が決まったので朝の草刈りを早めに切り上げてシャワーで汗を流して業者さんを待った。
お昼少し前にクリーニング道具を一式抱えて業者さんが来た。興味津々で人間を恐れないクロが作業の間中オジサンの足元でウロウロして困らせたが、だいたい1時間少々で作業が終了した。
「フィルターに結構ホコリが溜まっていましたが、他は特に故障の原因になるようなことはありませんでしたので・・」と報告を受けた。まだ、四畳半が事務所でフル稼働していた頃から寝室に変わった今までフィルターの掃除などしたこともなかった。
今はワイフとネコチャンズの寝室だが、これで少しは快適に夏を過ごせるだろう・・・

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吉田家限定特別助成金 

2018/07/05
Thu. 23:56

キーポンが東京暮らしを始めてから早いもので1年半になろうとしている。
今住んでいる社宅の入居が決まって、慌ただしく準備して引っ越しして仕事に慣れて日常の暮らしが落ち着いた頃から、「ピアノ買ってぇ〜〜♡!」とか「ピアノ欲しい〜ぃ♡!」とか、何かの機会を見つけてはオヤジへせがむようになった。
こうなると、あとは父娘どちらが根負けするか勝負しているようなもので、日常の慌ただしさに紛れて記憶の彼方へ忘れ去っていると、彼女の誕生日が近づいて、プレゼントをネタに「買ってぇ~♡!」が始まる。
なんとかノラリクラリ話題をそらしていると、クリスマスが近づいて、またプレゼントをネタに「買ってぇ~♡!」が始まる。
仏教の坊主にキリストさん事情は混同できないと宗教的条件を持ち出そうにも、自分自身が少年時代から万善寺の場合は世界の宗教が都合よく混在して特に気にすることもないで大きく育った経緯もあって、なかなかノー!と言えないところもあるから、またまたノラリクラリ話題をそらすことになる。
そうこうしているうちに年が変わって1年が過ぎてまた誕生日が近づいてくる・・・

いつまでも父娘でこういうことを繰り返していてもキリがないから、どこかで「一区切りつけないとなぁ〜・・」とぼんやり思っていたら、突然じゅん君が中古車の更新費用を補助してくれと泣きついてきた。
こちらの方も、前々からさりげなく車の更新話を漏れ聞いていて知らないふりして逃げ続けていたのに、気づかない間にボクのバリアの外堀から少しずつ崩されていたようなところがあって、仕方ないからコツコツ貯めてきた500円貯金などをかき集めてじゅん君へ送金した。

その500円貯金は本当ならノッチがシンガポールにいた頃に「私がいる間にコッチへ遊びに来ない♡」と優しく誘ってくれたことがあって、それの旅行費用に当てようと貯め始めたものだった。
それが結局、ジジババの葬式などでキャンセルになったまま、今度はフロリダに行ってまた「私がいる間にコッチへ遊びに来ない♡」と優しくノッチが誘ってくれたから、それで気を取り直して本気になって500円貯金を再開しつつワイフと日程調整をしたが、それも上手くいかなくなってつい1ヶ月ほど前に最終的に断念したところだった。

そんな、オヤジの涙ぐましい地道な貯金活動は、幸か不幸か、ソコソコそれなりの成果があって、眼前の事実に向き合ってみると、土壇場でかろうじて機能してしまったりするものだから、「アレは最初から無かったことだとあきらめて忘れたらそれですむし・・・」と、大した未練もなくその時々の事情に合わせて有効利用し続けている。
そして、じゅん君の必要経費に当てた残りが都合よくキーポンのピアノ購入補助金に化けた。なっちゃんの結婚式でご祝儀に切り崩してから1年の間にソコソコ溜まっていたわけでなかなかあなどれない。
この500円貯金もイザというときの助けになっているということが証明されたような気もしていて、最近は500円を貯めることに何かしら喜びを感じるまでになった。

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ダメなオヤジ 

2018/06/20
Wed. 23:22

埼玉に暮らして東京へ通勤しているなっちゃんの会社の本社は島根にある。
現在の彼女は東京ベースで営業の仕事をしているようだが、業務内容までは詳しく知らない。
彼女は年に何回か島根の本社へ出張で帰省してくる。
私が法事などで飯南高原の万善寺でほぼ缶詰に近い状態の時に、出張で帰ってくることになったらしい。
ワイフとはしばらく前から帰省の情報交換をしていたようで、○○日は夕食がいらないとか△△日の夕食は自宅に帰るとか、アレが食べたいコレが欲しいなどと、年甲斐もなくお母さんへ甘えきっている様子だ。

四十九日の当日、早朝の保賀は谷全体が雲海に沈んで、山裾の万善寺も朝靄にすっぽりと包まれていた。施主家へ出かける時は霧雨に変わって梅雨らしい一日が始まった。
塗り位牌さんを点眼してお仏壇へ安座の法要を済ませた。それまで仏壇とは別にお祀りしてあった祭壇の片付けをして施主家を出ると、小雨が止んで空が少し明るくなっていた。
お地蔵さんから参道を登ると、駐車場脇へ伐採して山積みのサツキが茶色く乾き始めていた。そのままにしておくわけにもいかないから、いずれは焼却しようと考えているが、風が強かったり雨になったり法事が重なったりと、なかなか好機がつかめないままでいる。なっちゃんの帰省のこともあるから石見銀山の吉田家へ帰ろうと思っているから、今度もまた先送りになりそうだ。

アメリカ国内を旅行中のノッチが吉田家LINEに写真を送ってくれた。
カリフォルニアのディズニーランドへも行っていたようだ。お父さんへのお土産を自分で試着したようだが、仕方がない。いまだに気にかけてくれているだけでありがたい。
キーポンからも時々連絡が入るし、子供たちの元気な様子が確認できるだけで安心だ。

まぁ、そんな感じで娘たちとはソコソコ連絡がついているところへ、珍しくじゅん君の方から電話が入った。
彼の方から連絡してくるのはだいたい何かしら用事のあることばかりだ。今度もどうせそのようなことだろうと思っていたら、図星だった。
かなり前からチラチラと話を聞いていたが、ついに今乗っている車がダメになって買い換えることに決めたらしい。私も4月に変えたばかりだからオヤジの財政難はわかっているはずなのに、最後に頼ってくるのはオヤジしかいないということなのだろう。
おじいちゃんおばあちゃんが元気だった時は、オヤジの私のわからないところでジジババに泣きついていたらしいが、今はソレも出来ないし、まずはワイフへ相談していたようだがそれも失敗に終わって、結局頼る先はボクしかいないということだ!
「しかたないなぁ〜〜・・・、それでどれくらい必要なの?・・・」
良い歳した男が不甲斐ないことだと思いつつ、それでもまだ親に頼ってくる可愛いところもある。本人は必ず返すと云っているから信じてやろう!
これから本気に金策を考えないといけなくて現実は厳しいことだが、長男に頼ってこられる嬉しさも無いわけでもなく・・・まったく、ダメなオヤジだなぁ〜〜〜・・・

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ばーすでーノッチ 

2018/06/14
Thu. 23:51

6月14日はノッチとシロの誕生日。
朝吉田家を出発する時は、ノッチへSNSを送ろうと思っていたのだが、寺へつくと目先の色々なことが気になって、それを優先していたらbirthdaySNSが他の吉田家家族に先を越されてしまった。

シロの誕生日をノッチと同じにしたのは、その方がいつまでもシロのことを忘れないで「覚えているだろうから・・・」と判断したことと、もう一つは、シロをみるたびにノッチのことを思い出すことができるからという、まぁ、特に深い意味もなく単純な思いつきからだった。
シロは、2012年の確か秋の彫刻の制作をし始めたかどうかという、その頃に吉田家へやってきた。
きっかけは知り合いからの拡散メールだった。
その知り合いは、すでに2匹の猫を飼っていて、3匹目までは面倒を見れないということだった。元々野良の子猫で、知らない間に家猫たちのご飯をつまみ食いしていているところを発見して保護したらしい。そのころ、吉田家にはすでにクロがいて、まだ、正式に名前も決まらないまま内弁慶のワガママ放題でいたから、同居猫が増えると少しは猫らしく落ち着いてくれるかもしれないと、まずはお見合いをさせてみることにした。そうすると、シロは野良の経験もあってすでになかなかしたたかで猫慣れしていて、普通に恐れること無くクロに近づいた。クロがシロになれるまでは少し時間がかかったが、それでも、一晩の間に猫同士の距離が縮んでそれほど相性も悪くないようだったので、そのまま預かることにしてその後正式に吉田家の猫で受け入れることになった。
シロの誕生日のことは、それからしばらくして、生まれ月が「だいたい3ヶ月は前だ!」という病院のドクターの見立てで決まった。それが、ノッチの誕生日と重なった。

ノッチは、今フロリダで1年契約の仕事をしているが、その1年がそろそろ近づいて有給休暇の消化??も兼ねた旅行を繰り返している。
メキシコとかプエルトリコとかアメリカの国内東海岸とか、色々旅しているようだが、今はラスベガスにいてシルク・ドゥ・ソレイユの公演を観るらしい。これからグランドキャニオンへ回ると云っていた。9月には日本へ帰っているはずだ。日本での就職先が決まっているかどうかは微妙だが、私の彫刻制作が順調なら、10月には東京で会えると思う。
吉田家の4人の子供たちは、みんなそれぞれ心身ともにソコソコ健康で立派に育ってくれて、ボクとしては子育てを十分に楽しませてもらった。ワイフはどう思っているかわからないが、子供たちはお母さんを大事にしてくれているし、みんなアチコチ離れていても母子の会話も絶え間がないし、自分としてはいい雰囲気の家族だと思っている。
基本的に吉田家は慢性の貧乏暮らしをしているから、子供たちに十分なこともしてやれなかったし贅沢な暮らしとは縁遠いまま大人になった。その中でも、ノッチは結構弾けた自由人になった気がする。なんとなく小さいときから一匹っ狼で乗り切っているようなところがあって、まわりからすると極端なワガママモノに見えていたかもしれないが、自分の行動へ責任が持てるならそれでいいと、オヤジとしては思っている・・甘やかしかな??
でも、まぁ良いや!みんな一度しかないこの世の人生だから・・・

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トマトつながり 

2018/06/05
Tue. 23:10

草刈り機を修理に出してドック入りしたまま、まだ連絡がこない。
そうしたら今度は、チエンソーがクラッシュして、いよいよ外仕事が遅れることになった。
島根県は梅雨入りしたとかしないとかするとか・・・微妙な情報が流れているところだが、石見銀山や飯南高原はいつ雨になってもおかしくない状態のままとりあえず今の所かろうじて本格的な雨降りにならないですんでいる。

6月に入って前月分の請求書をまとめて発送しておかないと吉田家も万善寺も生活費に困るから、午前中はそれで過ごした。こうして、請求書を作成できるだけでもありがたいことだから、面倒な事務とか寺務ではあるが口が裂けても「めんどくさいなぁ〜・・」などと言える立場ではないし、そんな事を言ったらワイフや御本尊の観音様に大目玉を食らう。
デスクワークがほぼ終わりかけた頃、草刈り機を預けていたホームセンターから電話が入った。
結構丁寧に修理状況を解説してくれて、交換した部品のことも話してもらったが、なにせ電話でのことだし、こちらとしては修理代が安く済んで機械が使えればそれで良いことなので、「それで、何時くらいには修理が終わってるんですか?」と聞いたら「部品を交換するだけですので、そぉ〜〜ですねぇ〜〜、せいぜい1時間もあれば・・・」作業が終了するということだった。部品交換で1時間程度のことが「どうして今まで何日も待たされたのだろう??」と一瞬疑問に思わないわけでもなかったが、まぁ、いろいろ事情があってのことだったのだろうと、深く考えないことにした。

いつもより少し早めに寺を出発してホームセンターで修理の終わった草刈り機を受け取って支払いも済ませて石見銀山の吉田家前駐車場まで帰ったのは夕方だったがまだ十分に世間が明るい。そろそろ、明日あたりから雨になると云うことらしいので、駐車場へ積み上げて乾燥させておいた薪用の丸太が乾いているうちにできるだけたくさん土間まで移動して積み上げておくことにした。
時間にすると1時間程度のことだったろうが、駐車場でウロウロしいる間に町内外の知り合いが何人か吉田家前を通り過ぎた。最近は昼の間留守ばかりしているから、2・3軒となりのおばさんなど「あぁ〜らおひさしぶりぃ〜〜、家すぐそこなのにねぇ〜」などと、懐かしそうに話しかけてくる。無視もできないから仕事の手を休めて世間話を始めたりして、そういうことが幾つかあって、そのうち日が暮れて、たいして仕事がはかどったわけでもなかったが、まぁ、ナニもしないよりは少しは片付いたかな・・・

キーポンがLINEで芽が出たトマトの写真を送ってきた。彼女はLoft好きで、ソコでみつけたトマトの栽培キットを買って育てている。私も彼女くらいの時は、アパートの窓外へ野菜の鉢を並べて夏野菜を育てて収穫していた。あの頃は栽培キットなどなかったし、今はずいぶんオシャレになったものだ。
その夜の吉田家は、なんと食卓へトマトとタマゴのスープがとても久しぶりに出てきた。
母と娘がトマトでつながっていた。偶然で片付けられない母娘の縁を感じた。

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バカルディラム 

2018/05/25
Fri. 23:14

隣町のお寺で大般若経転読会の手間替え法要がある。
膝が曲がらなくなって苦労しているが、昨年はまだ痛みを我慢して無理をすれば不格好な正座くらいはできていた。
それから1年の間に膝も含めて足首とが腰とか下半身が悪くなってきた。
まずは、身体が動いてナンボのものだし、今年は手間替え法要も無理をやめて自前の椅子持参で乗り切ることにした。
座禅を修行の第一とする宗門の坊主としては恥さらしのことだが、周囲の目を気にしてばかりいて自分を見失うのもまた坊主として恥さらしのことと、自分を自分で都合よく慰めてこれから先のことを乗り切ることに決めた。

私は元々体育系のような集団行動が苦手だ。
曹洞宗はどちらかというと仏教各宗の中でも体育系寄りに振れている方だと思っていて、その上たまたまかもしれないが、周辺寺院のお坊さん方も学生時代は野球部に所属の方が大多数を締め、他にもバレーボールだったりテニスだったり・・・そういう方面で華々しく活躍されていた方々ばかり。その中で、美術部だったり吹奏楽部だったり完全文化系に浸りきっていた私は、とにかく、どの寺でもどの方丈さんとも打ち解けた話が出来にくくてなかなか居心地の悪い坊主付き合いをさせてもらっている。一方、かえってそのくらいの少し距離を置いた付き合いのほうが気楽でいられる気もしている。

日本と半日くらいの時差があるフロリダ暮らしのノッチが、SNSで近況を知らせてきた。
あと3ヶ月ほどで帰国が決まっているから、今のうちにあちこち旅行などして楽しもうと考えているようで、少し前のメキシコから今度はプエルトリコへ行ってきたようだ。
吉田家の子供達の中で、ノッチが一番酒好きでアルコールに強いと思う。
ワイフは、家系的に酒とは縁のないところで育って大きくなっているから、お酒の旨さをほとんど理解しないまま今に至っている。そういうこともあって、吉田家でのオヤジの晩酌は結構緊張しながら楽しんでいるところもあるのだが、たまにノッチと一緒に飲むと、何時になく盛り上がって、とにかく楽しい。彼女はこんなオヤジとどのように思って付き合ってくれているのかわからないが、父娘の関係でそういう楽しいお酒が飲めるということは、とても幸せなことだと自分では思っている。
プエルトリコというと、やはりバカルディラムを思い出す。そして、ノッチはモヒートやビールが好きなようで、SNSの写真もやはりうまそうなバカルディだった。

そのノッチが、フロリダを起点にアチコチ旅しながら着々と帰国後の就活に取り組んでいるようで、すでに、転職用の履歴書を作成済みで、検討リストも十数件ピックアップできているらしい。
私の時代には彼女のような就活形態は想像もできない未知の世界だった。たった半世紀足らずの間に情報世界が激変した。
ノッチはそういう時代の流れをとても上手にマイペースに泳いでいると思う。島根の田舎暮らしでは想像不能な現実に直面して苦労していることも多々あるだろうが、自分を信じて乗り切って欲しい。オヤジは彼女の足手まといにならないよう気をつけないとね・・・

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少し早い母の日 

2018/05/11
Fri. 23:16

案の定、「アンタのお母さんじゃ無いんだけど!」といわれた。
「だから、言われなくてもそれわかってるし・・・子供たち近くに誰もいないから、ただの代行だよ代行!・・・それで、薬膳ランチ食べたくないの?たまには良いじゃない・・・母の日を口実にするだけのことだから・・・」
何かしら意固地になって煮え切らないワイフをとにかく説得して薬膳レストランへ予約の電話を入れておいた。

丁度ワイフの車へ搬出を済ませた彫刻と展示台が積んだままになっているし、いずれはそれを寺へ移動させることになるのだから、それも兼ねてたまにはお昼ごはんを外食するのもいいでしょぉ~・・・ということで、ワイフと一緒だから朝は少しゆっくりして石見銀山を出発した。久しぶりにワイフの普通車を運転したら、やはり軽の貨物車と違って銀山街道の上り坂も難なく楽に登ってしまった。
「軽は所詮軽だから、同じ道でも普通車に比べたらエンジンフル回転で酷使しているところもあるのよ。本当は高級なオイルを使ったほうが良いけど、安いオイルでもマメに交換したら同じようなものだし・・・車、長持ちさせようと思ったら、オイル交換だけはマメにしておいたほうが良いよ」
同級生の車屋さんから銀くんを引き渡された時に、そんな助言をもらった。
確かに、言われてみるともっともなことでわかる気がする。一般公道を、普通車や長距離トラックなどに混ざって一緒に同じスピードで走っているのだから、それだけでも、一生懸命「頑張って走っているんだなぁ~」と愛おしくなって、大切に乗ってやろうという気になった。たまには、こうして自分の相棒の現状を客観的に把握しておくことも大事なことだ。

予約時間ぴったりにレストランへ着いた。
見晴らしの良い特等席へ二人分の準備がしてあって恐縮した。
オーナーのご夫婦とは、もう長い間の付き合いになる。入り口のアプローチへは今から2つほど前のシリーズを中心に集めた野外彫刻を置かせてもらっていて、用意してもらった席からは、その彫刻が程よく見渡せている。
雪深い所だから、冬の間の雪の様子を確かめながら彫刻の変化や雪とのバランスをチェック出来るだろうと考えてオーナーを説得した経緯がある。自分の身近で彫刻の状況を何時でも観察できる環境は、なかなかありそうで無いものだ。

ランチは、地物の野菜や旬のモノがたくさん使われていて、それがオシャレに盛り付けてある。ポタージュベースのスープも美味しかった。食事の間に、次々とお客さんが入ってきて、アッという間に満席になった。贅沢な特等席に座ってワイフと二人して落ち着かなくなってきた。チキンの小市民は何時までたってもこういう状況に慣れることが無いと思う。コーヒーが出て、最後のデザートは手づくりのアイスだった。至れり尽くせりのランチにワイフも少し早めの母の日を堪能してくれたようだ。
寺で用事を済ませて夕方早めに二人で帰宅したら、リビングの入口へフロリダにいるノッチから届いた宅急便の箱が置いてあった。開けてみるとカーネーションの鉢だった。

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それぞれの日々 

2018/05/07
Mon. 23:04

「じゅん君まだ寝てるの?」
「もう、帰っていったわよ!」
・・・知らない間に、連休で吉田家へ帰省していたじゅん君がいなくなっていた・・・

結局、彼が吉田家に居る間、会話は無かった。
男というものは、そんなものなのだろう。自分のことを振り返ってみると、親子の会話はじゅん君以上に少なかった気がする。
両親のことを特に強く嫌っているわけでもないし、絶縁であるわけでも無かったが、とにかく、父親とはお互いに強いて会話の糸口を探すこともしなかったし、坊主家業で必要最小限の事務的なやり取りができていればそれで支障もなかった。母親の方は「何か話すことをしてちょぉ~だいや」とか、「少しは外であったことを聞かせてぇ~や」とか、くどいほどに絡んできていたが、彼女はひとの話を聞くことが不得意で、自分のことばかりを繰り返し繰り返し延々と語り続けるばかりの独り言と小言に終始して、だいたいいつも同じネタが話されるばかりだから、それを聞き続けることも苦痛になって早々と自室へこもったりしていたものだ。
まぁ、自分の場合はそういう感じで親子の会話にもならない親子付き合いが続いていた。
私とじゅん君の関係も、それに近い状態といえる。たぶん、彼が少年の頃から私の親子関係をすぐ隣で見聞きしていたから自然と今のようになってきたのだと思う。時々フッとじゅん君のことを思い出すことがあって少しさびしい気持ちになるが、彼の場合は、ワイフとの母子関係が良好で、羨ましくなるほどお母さんとの会話はよく出来ているからそれでいいと思っている。

それからしばらくして、連休の最終日に、キーポンが高速バスで東京へ帰っていった。
ほぼ1年ぶりの帰省だったから学生時代の友人が訪ねてきてくれたりして、それなりに楽しく過ごせたようだ。
私の方は昼の間通勤坊主で石見銀山の自宅を留守にばかりしていたが、彼女はじゅん君とちがって夜に出かけることが無かったし、久しぶりのお母さんの手厚い手料理を堪能して、私もそのオコボレに預かることも出来て、晩酌の一杯もすすむし、親子の会話もそれなりにあった。
連休後半の島根は雨がひどくて寺の仕事も石見銀山の行楽も消化不良気味に終わったが、吉田家の連休は何気なく華やいだふうに過ぎた。

ネコチャンズは・・・というと、これはなかなかストレスの溜まる毎日だった。
いつもは、昼の間面倒臭いオヤジもいないし、大好きなワイフに甘えてばかりの暮らしが続いていたところへ、ある日突然吉田家に人間が二人も増えて、その上、ネコの都合を無視して無理矢理ダッコされたり、自分たちの寝場所を奪われたりして、それがたった数日だけのことなのに、完全に平和のペースを狂わされてしまった。
少し前の地震でも、緊張の日々がしばらく続き、それが少し収まったかと思ったら今度は人間の容赦ない振る舞いに耐えることになり・・・色々あった彼等にとって、いつもの心穏やかな平和の日々が戻るのは、もう少し先のことになりそうだ・・・

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家族焼肉 

2018/05/04
Fri. 23:19

5月3日は、東京も島根もけっこう風が強くて、キーポンが乗る飛行機が飛ぶかどうか心配していたら、「このくらいだったら普通に飛ぶわよ!」とワイフが平気なことを云うので「そんなものか・・」と思うようにした。
私の人生で飛行機に乗ることは、やっと2桁くらいになったかどうかだが、ワイフは学生の頃にヨーロッパ旅行をしたりして経験が豊富だ。じゅん君もオヤジとドッコイくらいだと思うから、どうも吉田家の男組は飛行機とは縁のない人生のめぐり合わせになっているのだろう。

出雲空港へ到着したキーポンは、いつもと変わりない様子だった。
飛行機が揺れたかと聞いたら、そうでもないようなことを云っていた。

途中で業務用スーパーへよって買い物をしたあと、ワイフが予約しておいた焼肉屋へ直行した。連休で帰省中のじゅん君も誘ったのだが、彼にとっては家族より友達との付き合いが大事なようでそちらを優先して焼肉は不参加。
その焼肉店はもう2年近くご無沙汰だと思う。モツとか上カルビとか、日頃口にできないものを久しぶりに食べた。上カルビはあまりに久しぶりすぎて、どんな味だったか思い出そうにも覚えていない。美味いのかどうなのか比べようがないまま一皿がアッという間になくなった。
ワイフの方はほぼ1年ぶりの再会だと云うのに、いつもと変わりなく日常の会話が淡々と過ぎた。最近は家族の間にSNSが浸透して情報の停滞が殆ど無いからなのかもしれない。

寒い時は熱燗ということで、2本めを頼んで飲み始めたところで電話が鳴った。着信を見るとお檀家さんからだった。商売柄、この時間帯の電話はあまり良い知らせではない。
案の定、訃報だった。
「今日の夕方、おじいさんが亡くなりまして・・・」
電話の主はお孫さんだった。亡くなったおじいさんは、もう10年以上顔を見ていない。とても元気な人だったが、確か、奥さんに先立たれてしばらくして骨折をされて、それが元で介護施設に入所された。それからあとは1年の節目には時々帰宅されていたようだが、思うように身体が動かないものだから、自然と施設暮らしが続くようになって、結局息のあるうちに自宅へ帰ることができなかった。
125ccのバイクに乗ってとにかく元気な方で、万善寺へもよくお参りされて、前住職夫婦とは庫裏の縁側でよくお茶飲み話に花が咲いていた。将棋は地元限定の名人級で、介護施設では負け知らずだったらしい。とにかく、最後までポジティブにアクティブに生き抜かれた方だった。行年は大正6年生まれの102歳だった。

お酒を飲んでいるし、すぐには枕経をおつとめできないから、4日早朝に石見銀山を出発した。
キーポンは、私の横で布団代わりのシュラフに包まって爆睡している。
立派な成人になって、保育士になってゼロ歳児や1歳児をあずかっているのに、いまだにオヤジの布団へ潜り込んでくる。

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道の駅ツアー 

2018/04/30
Mon. 23:20

世間では春の大型連休がはじまった。
吉田的には、特にいつもと変わらない毎日が過ぎている・・・ということは、ようするに毎日が連休のようなものだから・・・です。
これで、鉄の材料が週末までに届いていれば工場にこもって草取り機の制作が出来ていたのだが、炭素の入った鋼材はすぐに取り寄せが出来ないまま、いつもの業者さんと何回か電話のやり取りをして、結局直近納品でも連休明けになってしまった。

朝からなにもしないでゴロゴロしているのもヒマすぎて飽きるし、いつものように通勤坊主となるとせっかくの連休でワイフを家に残して乏しい会話も一層乏しくなって殺伐とするし、ウツラウツラしながらそんなことを思っていた。
連休後半は、万善寺の用事がいくつか入っていて、それから、1年ぶりにキーポンが帰省することが決まって、それなりに自分の周囲が賑わいそうな気もする。

「そうだ!道の駅ツアーをしよう!!」
最近、自分のことばかりでワイフとの距離が遠くなっている。
この際、石見銀山を起点にして、島根から県境を越えて広島県まで足を伸ばして春の旬を目当ての道の駅めぐりを思い立った。
「良いわよ・・・でかけてみようか?」と、ワイフから珍しく気軽にOKがでた。
浜原ダムのところで江の川沿いの道に合流した。
国道54号は、北上すると万善寺へ向うが、南下すると広島県との県境を越える。
周囲は海抜1000m級の山々に囲まれて、石見銀山あたりからは2週間ほど春が遅く感じる。旬のものというと、孟宗竹の筍が少し時期を過ぎたくらいだろうか?ワラビとかフキとか、他にも天ぷらのネタになるような山菜がタップリ揃っているはずだ。

大きな盆地で雲海がキレイな三次まであと少しというところまで南下して途中から国道を左折した。そのまま東へ進むと松江尾道道の俗称やまなみ街道へ合流する。そのあたりに広がる君田は高原の町で周囲に中国山地が遠望できる。公共の温泉施設に併設されて道の駅があって、駐車場は連休の車でいっぱいだった。最近再流行中のキャンピングカーとバイクオヤジ集団もいて賑やかだ。
いつものことだが、ワイフの買い物は私が隣りにいると落ち着かないという。暇つぶしはいくらでもあるから特に不都合もないし、彼女の買い物の邪魔にならないように遠慮して車で待つことが多い。君田では、野草の鉢物とアスパラガスを買って戻ってきた。それからやまなみ街道へ乗って高野町の道の駅まで北上した。連休の車で駐車場がいっぱいだったから、いつもは使わない空き地が臨時駐車場になっていた。アチコチで犬が散歩していて、家族連れがお昼の弁当を広げていた。山菜というより地物の野菜が豊富にあって、ワイフはまたアスパラガスを買った。即席のテント村が出来ていて手打ちそばが美味そうだったからワイフと食べた。高野町はこんにゃくの産地でもあるらしい。ジックリと煮込んでだし汁の染み込んだ串刺しのこんにゃくも美味かった。それから、島根県に入って道の駅をあと2つ経由して、石見銀山の吉田家へ到着した時には、満腹になっていた。
ワイフの道の駅ツアーは、それなりに満足したようでメデタシメデタシ・・・!

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吉田家のこと 

2018/04/22
Sun. 23:06

最近、家族LINEでノッチの動きが活発になってきた。
少し前にワシントンDCへ行った時の写真を載せていたが、それから直後にメキシコの写真を載せてきた。夏の終わりには帰国するから、その前に出来るだけ色々なところへ行っておこうと思っているのかもしれない。

先日、吉田家の子供たちがお世話になっていた小学校の頃の先生とバッタリ出先で会った。今は子供たちも独り立ちしてそれぞれに暮らすまでになっているから、もうその先生とはずいぶん長い間接点のないままだったが、さすがに商売柄というものなのだろう、4人の子供の名前をみんな覚えてくれていて感心した。
キーポンはあの頃まだおむつのとれないほどの赤ん坊で、そのことまで思い出してくれて、今はどうしてると聞かれたので、東京で保育士をしていて1歳児のクラスを担当していると云ったら、「えぇ〜〜、あの赤ちゃんがぁ〜〜!!」と、元々丸い目をもっと真ん丸にして驚いていた。
なっちゃんは結婚したと云ったら、「もうそんな歳になったんだぁ〜」と昔の色々なコトを思い出したように「あの子はシッカリした子だったから・・・」と懐かしがってくれた。
じゅん君はどうしてると聞かれたので「隠岐の海士町で音楽の講師になっている」と云ったら、さすがに現役の先生だけあって、隠岐事情もソコソコ詳しいふうに、しきりにウンウンうなづいていた。
ノッチはフロリダにいて、そろそろ帰ってくると話したら、どういうわけでそうなったのか興味津々に質問を受けた。「実は、うちの近所でも外国で働いている若い人が増えていて、最近のブームなんでしょうかねぇ?」と聞き返された。たまたま吉田家の家族で一人の子供がそういうふうに暮らしているだけのことだから、世間の事情はよくわからないものの、そう云われれば、自分の周辺でも似たような暮らしぶりの青年がいることを思い出した。彼は、ノッチ以上にアクティブで、一定期間働いてお金をためたら、また次の場所へ放浪の旅を続けるとった暮らしを続けていた。

ノッチもそうだが、自分の思い通りにやりたいことが出来るのも人生のホンの短い間だけのことだ。そういう機会を失ってしまえば、なかなか次の好機に巡り合うことも難しい。あとになって後悔してもどうなるわけでもないし、周囲のしがらみで不自由しないうちにやりたいことをしておいたほうが良いと、自分の経験上そう思っている。だから、吉田家の子供たちには親の方から先々のコトを押し付けるつもりもなかったし、だいたい彼等の自由意志を汲み取って付き合ってきたつもりでいる。
それでも、幾つかは面倒なこともあって、たとえば、ノッチの国民健康保険にしてもその一つ。昔暮らしていた住所から上手に転送されて、保険料の督促や支払い通知が吉田家に届いた。総額数十万になっているが、それも個人の都合だから、親の方で身代わりに納入しようなどという気はない。
オヤジの世代でも誰のために保険料を払っているのかわからないような先々不透明な日本の国政が、ノッチの世代にどうなっているのかも予測不能だし、まぁ、自分のことは自分で考えて決めていただくのがいちばん妥当かなと思っている。

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寝る子 

2018/04/18
Wed. 23:10

日頃はあまり気にもしないでネコチャンズと付き合っているが、ふとした拍子に彼等の態度が今までと少し違っていたりすることに気づくことがある。

この2日間、右の足首から先が腫れてきて身動きできないまま自宅療養をしていた。原因は「アレだな!」とか「あの時だな!」とかだいたいわかっているのだが、いまさら病院通いで長く待たされて飲み薬と湿布をもらって帰るくらいなら、自宅でクラシックでも聴きながら療養していおたほうが良い!・・と、勝手に自己診断してゴロゴロしている。
思い返すと、2日間なにもしないでメシもろくに食べないで寝続けたことなど、この近年の記憶にまったくないほど珍しいことだった。それで、なにもしないでただひたすら眠り続けていたわけだが、この歳になってもまだ、昔の若かった頃のように眠っても眠っても、また次々と寝ていられるものだと云うことがわかった。
電話があったりするし、オシッコもしたくなるしで時々目が覚めてゴソゴソしていると、どこからともなくネコチャンズがそろりと私の横を通り過ぎて行ったりする。彼等も、ほぼ同じような1日の暮らしぶりで、メシを食べ、オシッコやウンチをして、チョット窓際に佇んで世間の様子を確かめて、またどこかへ潜り込んで見えなくなる。

私が吉田家に居る時はだいたい何かしらの用事でドタバタとうるさくしていて、ネコチャンズもそれでなかなか落ち着かなくて一緒になってウロウロしていることが多い。気がつくと、ソファーとか日の当たる窓際とかで爆睡していることもあるが、そういう現場を見つけると、なんとなくチョッカイを出したくなってベタベタ触ったり頬ずりしたりして起こしてしまう。彼等もしばらくオヤジの我儘へ付き合ってからフギャーと面倒臭そうに鳴いてオヤジの手の届かない安全地帯へ避難する・・・そんな感じで、けっこう昼間は吉田家のアチコチをせわしなくうろついていると思っていたし、夜は夜で毎晩深夜の夜回りがひとしきり続くし、彼等もそれなりに慌ただしい毎日を過ごしているのだと思っていたら、療養中の2日間でそうでもないということがわかった。
何のこともない、オヤジかそれ以上にだらしなく惰眠をむさぼっているのだ。

寝るにしても、耳のお供くらいの癒やしは欲しいから、40年前から使用しているくたびれたDIATONEスピーカーの前に陣取って療養と称する惰眠を貪っていると、クロがフギャーとひと声鳴いて静々と私の腹の上に乗ってきて、そこから少しずつ居心地の良さそうな場所を探して移動しながら結局股間の隙間へはまり込んで落ち着いた。それからしばらくして、今度はシロがやってきて慎重にオヤジの様子を確認しながらさり気なく痛い右足を伝って股間のクロへ擦り寄ってくる。ここまでになるとさすがに熟睡中の私でも彼等の重さに目が覚める。とても延々と我慢できる態勢でないから、イジイジと身体を捻ってソファーベッドの隅へ身をかわすのだが、ネコチャンズはそういうオヤジの優しさを完全無視して都合よく布団のど真ん中をキープする。臆病者のシロは、私の動く気配を敏感に察知して、すぐに飛び起きて安全地帯へ避難するが、クロの方はピクリとも動かないで眠りこけている。アレコレ用事の最中も動く様子がないから心配になって覗き込むとわずかに背中が上下して息をしていることが伝わる。この2日間観察を続けていると、彼等は少なくても18時間ほどは寝てばかりいる。やはり猫の語源は「寝る子」に間違いない!

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トイレの絵本 

2018/03/28
Wed. 23:15

キーポンの部屋へ転がり込んで数日過ぎた。
その間のほとんどが早朝出勤で夕方6時くらいまで仕事をしている。
ついこの前まで、アマエンボォーのガキだと思っていたが、もう立派な社会人になって働いている。

彼女は東京で働くようになってから、まだ一度も石見銀山へ帰省していない。吉田家はそういうことで特に面倒なことは言わないほうだから、帰省したければ自分で何かの都合をつけて考えるだろう。
オヤジのこういうスタンスはキーポンに限らないで、吉田家の家族みんなに浸透している。ワイフに至っては、東京生まれの東京育ちなのに、自分から進んで実家を恋しがることもないし、こうして彫刻の用事で上京するたびに「一緒に行こうよ・・」と誘っても、だいたい幾つかの用事を理由に断られる。

吉田家の90%は朝シャワー派で、残り一人(ボクのことです!)だけが夕方のまだ世間が明るいうちから風呂に防水スピーカーを持ち込んでチャポリッと湯に浸かる。だから、どうも朝シャワーになれないのだが、居候も長くなるとだんだんそれに慣れてきて、シャワーにあたりながら歯磨きをするようになった。じゅん君が吉田家へ帰ると、歯磨きチューブが風呂に移動している理由がわかった。
自分の着替えを洗うついでにキーポンが洗濯機へ投げ込んでいるモノも一緒に洗って、展覧会場へ出かける前に部屋干しをしておく。せめてもの居候のお礼と思っているが、それも毎朝になるとなんとなく習慣づいて、狭い部屋の動線がシンプルになって整理されるようになってきた。
日常の避けられない習慣も、こうして状況が変化するとかえって新鮮に思えて苦にならない。それでもせいぜい1週間位が限界で、あとはしだいに日常の形式化されたパターンに組み込まれて気持ちの揺れもなくなっていくのだろう。

キーポンは、都内の保育園で保育士をしている。
今の仕事を始める時に、私も含めて家族の殆どが「どうせだったら幼稚園の方が良いよ」と、文科省管轄下の先生を勧めた。本人は、終始一貫して家族の提案を無視して保育士一本でブレないまま自分で就職を決めた。
彼女が自分で決めたことだから、彼女なりの理由でもあるのだろうと思いつつ、それを聞き出すこともなく過ぎたが、いまだになっちゃんがしつこく「なんで幼稚園にしなかったの?」と云い続けていて、昨夜一緒に飲んでいる時、やっとその理由を話してくれた。聞くと、なるほど最もなことで、学校で色々な勉強や実習をしながらそれなりの取捨選択をしてよくよく考えて自分の働く場所を決めて来たのだとわかった。
「幼稚園はゼロ歳児から見れないから・・」
キーポンはゼロ歳児からの成長を確かめられることが働く楽しみになっているようだ。今になって彼女の知られざる一面を見た。
部屋のトイレには彼女の工夫で絵本がオシャレにディスプレイしてある。開くと朝礼進行の小さなメモが挟んであった。彼女にとっては大切な忘れがたいある日の仕事の1シーンだったのかもしれない。

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アラフォーネコチャンズ 

2018/03/02
Fri. 23:30

少し前のこと・・・
人間のチョットしたスキにクロが2回連続で脱走を成功させた。
とにかく、アイツは想像以上の執念深さで常に脱走の機会を狙っている。
外は危険がいっぱいだとわかっているはずなのに、それでも何とかして脱走したいらしい。
吉田夫婦の目を盗んでそういうことを繰り返しているものだから、今では吉田家周辺のご近所さんもそこら辺の野良猫とクロをキチンと見分けられるようになってきた。上隣の家の若奥さんは脱走したクロを見かけると、わざわざワイフへ電話したりメールしたりして知らせてくれるまでになったし、1ヶ月に一度回ってくる回覧板を下隣へ届けると、「いつだったかなぁ〜、銀山川の向こうの土手のところで日向ぼっこしとったよぉ〜」と、その家のオバチャンが教えてくれたりする。

石見銀山では、3年くらい前に野良猫が大量に繁殖して、それから1年位は、とにかく町並みのアチコチで野良猫被害が多発して、自治会の常会でそのことが議題になった事があった。その時は、保健所から捕獲用のカゴを借りてきて生け捕りして補助金使って避妊手術の世話までした自治会もあったようだ。
人口300人程度の石見銀山に猫が20〜30匹も増えたりすると、さすがに手放しに「アラッ、かわいい♡!」だけではすまなくなる。

吉田家のネコチャンズは、2012年の春から同居がはじまった。
それまでは犬のシェパくんがいて、その年の春先、水仙が咲く頃、19年10ヶ月を生きて大往生したし、またその少し前まではミニウサギのグレーもいて、そのグレーが死んだ時はワイフがいつまでも胸に抱きしめてオイオイ泣いていた。
その頃、世間はまだ今のような猫ブームがやってくる前で、石見銀山町並みでは野良犬が数匹うろついていて、犬の捕獲が常会の議題になっていた。
別に吉田家が世間のペットブームに乗っかっているわけでもないのだが、何故かタイミングよく吉田家に野良犬が住み着いたり捨て猫が拾われてきたりして今に至っている。

それでネコチャンズのことだが、彼等は人間で云うと30歳を超えてそろそろアラフォーが近いくらいの年齢になる。避妊手術をしているからどちらかといえば太り気味で、クロの方はそれに泌尿器系の持病があるし、そちらの悪化も心配な年頃でもある。シロは野良猫時代を覚えていて臆病者だから、自分から進んで脱走をすることもないのだが、時々クロに便乗して外の空気を満喫して帰ってきたりする。いずれにしても、このまま上手に家猫でいられれば、それなりのストレスはあるだろうが、世間の危険にさらされることも無く比較的平和に生涯を全うできる確率は高い。
最近は、完璧主義者のワイフがセッセとネコチャンズの食事制限に専念しはじめて、そのせいか微妙に彼等の体型が絞られてきた気がする。それで、何年も前から変わらないままの古い首輪がスルスルと抜け落ちてしまうようになった。首輪のない猫が外をウロウロしていると、野良猫に間違えられて捕獲される危険もあるので、彼等の誕生日はまだ少し先だが、先日の猫ちゃんの日に何もしてやれなかったし、心機一転首輪を更新してあげた。

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2020-05