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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

怜子さん檀弘忌 

2020/03/05
Thu. 23:07

初午祭の法要が終わって後片付けもあるから万善寺単身赴任で一泊した。
お参りが6人でも、湯呑とかお皿とかお箸とか各種の鉢や大皿など食器の洗い物が典座寮を縮小改造した台所の流しへ大量に溜まって、その量を見ただけで1日の疲れがドッと出た。
盆正月の法要は、もっと大量の洗い物をワイフが一人でこなしてくれていることを思えばたいした仕事量でないのは分かっているが、それにしてもその日のうちに全て片付けるのは少々つらい。どうせ寺で一泊するのだから、洗濯も含めて溜まった食器の洗い物は翌日に回すことにした。

その翌日は怜子さんの6・7日檀弘忌になる。
ワイフも含めて、怜子さんに近い親族の関係者はそろそろ巡ってくる四十九日を早く短く感じたのか、それとも遅く長く感じたのか、どうだったのだろう。
私は、親族の一人でもあるが一方で坊主でもあるからそれなりに客観的にクールにこれまでの期間を乗り切っている。
人が一人死ぬるということは、周辺の近い身内にとって当分の間の日常生活に多少の不具合を生じることのストレスは避けられないことだ。その上で、一般の俗世間では通用しないよなことも多々ある宗教上の慣習にはそれなりの誠意を込めて従うことになるから、ソレがまたソレで気持ちの重しになってしまったりする。
ワイフの近くで彼女が怜子さんを偲ぶことの行動を見ていると、どこかしら乙女チックで可愛らしく微笑ましく思う。
今ではボクが一人で使っているシアタールーム兼用のリビングに設置したスピーカーを即席の祭壇にして、昔の怜子さんの写真を探し出して、お猪口に水を入れてお供えして、私がストックしていた比較的高級な白檀の香を探し出して1日に1回焚いて手を合わせている。
流石にその白檀香も底をついて残りがあと少しになった頃、彼女はAmazonで探しだしたお香の詰め合わせを注文したようで、2・3日前からリビングが上品な白檀の香から一気に俗っぽいエキゾチックな香りに変わった。
吉田家の即席祭壇では、ご本尊さまと三具足の仏教上最低の条件でもある常識が通用しないまま今に至っている。
まがりなりにもすぐとなりに一応万善寺住職でもあるナンチャッテ坊主がいるのだから、そのあたりのことをチョット聞いてくれても良いと思うんだけどネ・・

積み残しの食器洗いを済ませ、洗濯機をONしてから本堂へ上がって怜子さんの檀弘忌を始めようと予定していたら、珍しくワイフの方から電話が入った。
「今、途中でお花を買ったところだから、あと20〜30分でお寺へ着くネ!」

さて、あと1週間お花が保つかどうか心配だがこのまま寒い日が続けばなんとかなるかも知れない。お経が終わってワイフが親族を代表して焼香して檀弘忌法要が終わった。
四十九日大練忌は、喪主施主のトシちゃん夫婦が怜子さんの遺骨持参で万善寺へ来ることになっている。吉田家からはじゅん君も仕事の都合をつけてお参りしてくれる。

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怜子さん以芳忌 

2020/02/06
Thu. 16:01

吉田家前の駐車場には、夜のうちから降り始めた雪が3cmくらい積もっていた。
通勤坊主の荷物を銀くんへ積み込んでいたら、隣の旦那が自分の車へ積もった雪を払うついでに銀くんの雪も払い落としてくれた。
「これからお寺ですか?あっちは結構積もってるんじゃないですか?」
「さぁ、どうでしょうかねぇ~、参道が登れるかどうか・・なんとなく里雪のような気もしますしねぇ~・・」
「道中気をつけて・・・」
「あぁ~どうも・・雪のほうもありがとう・・」
朝の挨拶がわりに雪を払ってもらったお礼をしている間も、休み無く綿雪が降り続けていた。銀くんを暖機運転する間に「雪道だからいつもより少し時間がかかるだろう・・」とAppleMusicからルイス・キャパルディを探して50分チョットのアルバムを再生した。
牧場の真ん中を切り取るように伸びている銀山街道を登り切ると、雪の重みでアーチ状にたわんだ竹がかろうじて銀くんの屋根をこすらないで済むくらいのトンネルを作っていた。それからしばらくの間、江の川へ合流する支流に沿って緩やかな下りの銀山街道が続く。雪が綿雪から粉雪に変わりはじめてはいたが、積雪は逆に少なくなった。中国山地をえぐる深い谷の底を流れる江の川周辺は山の中でも海抜が他より低いから降った雪はすぐに消える。
雪国に暮らす者の経験では、こういう雪の降り具合だと飯南高原の雪も大したことはないはずだ。
銀山街道から出雲街道へ合流して丁度保賀の谷へ右折するところで、ルイス・キャパルディが終わった。参道下の林道にはそれでも5cm位の積雪があった。4WDとシフトチェンジを駆使してお尻を降りながら銀くんを寺の駐車場まで上げた。予想通りいつもより5分位遅れて万善寺へ到着した。

早いもので怜子さんのドタバタ葬儀が終わって、二・七日が来た。
あれから、ワイフとトシちゃんの姉弟では、曽祖父の代から続く菩提寺を離れることに気持ちが傾いている様子だ。仏教のくくりは同じでも宗派が違うから仏式や経典解釈などが違って、善し悪しの判断は出来ない。その上、ワイフも義弟もこれまで信心深い仏教徒であったとは言いにくいし、単純な好き嫌いの感情だけで宗派替えを即決するのもどうかという気がしないでもなく、坊主の末席にしがみついているボクとしては、自分の身近な親族身内の出来事として見過ごすことも出来ないし内心なかなか複雑な気持ちだ。
とにかく、菩提寺さんと葬儀話がこじれて「万善寺流でよければ」と引き受けたわけだから、四十九日までは責任を持って曹洞宗として七日ごとのお経を絶やさないでいたい。
まずは底冷えのする本堂を業務用の灯油ヒーターで温めて、怜子さん用に即席の祭壇を用意した。お供えのことなど十分なことは出来ないが、しきびの花と線香蝋燭を準備して、怜子さんの好きだった梨と、私が常飲しているそば茶の熱いのをお供えに変えてから二・七日参りのお経を読んだ。
万善寺の先住職夫婦は二人とも生前すでに得度授戒を済ませていたから、七日ごとの供養も無くてほぼ1ヶ月をゆっくりと四十九日の大練忌法事厳修に向けて準備に使うことが出来た。非力ながらせめてボク一人でも怜子さんの仏道修行を引き継いでお助けしよう!

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冬の東京 

2020/02/04
Tue. 13:59

立春の朝は青空が高くて冷え込んだ。
見上げると、石見銀山の谷のはるか上空には箒でサッと掃いたような筋状の雲が東西に横切っていた。
銀くんの窓ガラスは一面霜が厚く張り付いて真っ白だ。
霜が溶けるまで暖機運転をしながらApple Musicをチェックした。

このところ、ゆっくりと音楽を聴く余裕も時間もないままだったからその間にニューリリースのアルバムが増えていた。
年末から年始にかけて新譜のリリースで賑わっていて、お陰様でお正月の寺の一人暮らしは夜な夜な大音量のエアチェックが続いて全然寂しくなかった。
ホールジーの久しぶりのアルバムは彼女の透き通るような声に惹かれる。もうかれこれ40年も前に買ったDIATONEの古いスピーカーから流れるアコースティックの柔らかな音を聴いていると自然に睡魔がやってきて右半身の痺れもしばし忘れていられる。
メーガン・トレイナーの4〜5年ぶりのアルバムは、ある意味で彼女らしくて、運転のバックミュージックで聞き流すにはいい感じだ。石見銀山の自宅前の駐車場で再生を始めると、だいたいアルバム1枚聴き終わる頃に寺の境内へ到着する。丁度いいタイムキーパーになっていて、今のところ通勤坊主が飽きないでいられる。

怜子さんの急逝で高速バスの移動中には、寝付くまでトルド・グスタフセンの賛美礼拝を繰り返し聴いていた。
具体的な情報がなくて状況がよくわからないまま移動していることのなんともいえないもどかしさというか落ち着かなさというか、そういう感覚は、昔、憲正さんの緊急手術が決まってその連絡を受けて新幹線に飛び乗った時以来のことだ。それでもあの時はまだ生存の予測が可能だったからこの度よりは気持ちに若干の余裕があった。
坊主が賛美礼拝というのもおかしな場違いかもしれないが、歌の意味はわからなくても心が静かでいられるということはいいことだ。
いつの間にか眠っていて、気がつけばあと少しで新宿へ到着の時間だった。

新宿バスタから重たい荷物を引きながら地下通路をJRの南口まで移動して、そこから電車を乗り継いで怜子さんの住む最寄り駅へ降りると、傘が必要なくらいの雨が降っていた。
石見銀山を出発して高速バスへ乗り込むまでは良い天気だったのに・・・とにかく、私が大事なことに関係すると、かなりの確率で雨になる雨男であるようだ。
荷物を引いて抱えて雨に濡れながら青梅街道を渡ってガスタンク脇から石神井川に沿ってしばらく歩いた。見下ろすと水面のあちこちで雨跡の同心円が次々と重なり合って広がっている。久しぶりの石神井川は流れが絶えて澱んだ水溜りにしか見えない。
そういえば、冬の東京は雨も降らなくて毎日肌をさす冷たい風ばかりが強かった。
まだ貧乏学生でワイフと付き合っていた頃、ワイフの実家で数え切れないほどの夕食や朝食を食べさせてもらったし、お風呂に入ることも出来た。
貧乏は今も変わらないが、怜子さんの手料理を味わうことはできなくなった。

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アッ!!という間 

2020/02/03
Mon. 15:55

気がつけば節分で豆まきをしなければいけないじゃないですか!・・・
「豆は用意してあるからネ。でも、私今夜協議会の会議があるのよ・・議長だし、抜けられないから・・帰り遅くなるね」
通勤坊主で出かける準備をしているときにワイフが台所の方で話していたのを、ボンヤリひとごとのように聞いていた。
銀山街道の途中の町で金融機関を一周して、それから万善寺へ向かった。
例年ならこの時期は節分寒波で雪がドカッと降るのだが、今年は屋根から雪吊りで溜まった雪が申し訳程度に境内へ残っているだけだ。
生まれて半世紀を超えた今頃になるまで、今年のような雪のない冬は全く記憶にないし経験がない。

そんな異常気象が続く1月のある日、いつものように寺の用事を片付けていたら珍しくワイフの方からLINE電話が入った。彼女はまだ仕事中で電話の出来る状態でないと思っていたから、「珍しいこともあるものだ・・」と思いつつ電話に出ると、電話口の彼女の声が異常なくらいに震えている。
「・・・おかあさんが亡くなったの・・・」
最初は聞き取りにくくて何度か聞き返すうちに外出先で「怜子さんが急逝した」という事実がわかった。警察からワイフの弟へ連絡が入ったらしい。
「それで、事故なの?病気なの?」
「・・・それが、よくわからないの・・・」
とにかく、全く予期せぬ訃報であった。

それから1日がアッという間に過ぎて1週間が慌ただしく1瞬で去った。
私の方は、お檀家さんの七日参りが2つあって1月の31日には外せない用事が決まっていた。急いで高速バスを往復予約して、それからすぐにお檀家さんに事情を話して七日参りを前倒ししてもらった。
七日のお経を読んでいる時、何度も義弟のトシちゃんから直接電話が入っていた。
寺へ帰るとすぐに返信したら「あのぉ~・・、言いにくいことなんですが、お兄さんでお葬式を出してもらうことできないでしょうか?菩提寺さんと調整が上手くいかなくて・・式場のこともあるし宗派のことが気にならないようなら葬儀は早いほうが良いんじゃないかと・・葬祭屋さんもそういわれるし・・」
怜子さんは警察の霊安室で一晩過ごすことが決まっているだけで、その他の事情を詳しく聞いてジックリ相談できる状態でないし「自分でよければ、これから急いで支度します!」と、そう返事するだけでもトシちゃんの気持ちが少しは楽になるだろうと、前後の事情も飲み込めないまま、急遽私が怜子さんに引導を渡すことになった。

いつもの上京は、頭陀袋に必要最低限のモノを放り込んで袈裟がけしたくらいの気軽な移動ばかりだが、さすがにこの度はそういうわけにもいかない。後で考えたら宅急便で法衣や葬儀仏具一式を送ってしまえば良かったと気づいたが、その時はそこまで落ち着いて考える余裕もなかった。新宿バスタに着くと、この時期珍しく東京は雨だった。

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吉田ネコチャンズ 

2019/12/03
Tue. 23:55

あまり行儀の良いことでないとわかっているが、やはり会場の受付をしているとお客さんが絶える時間帯もあって退屈になるものだから、そういう時はiPadのKindleへダウンロードしておいた本をチビチビ読み流している。

「村上さんのところ」は、暇があると繰り返し読んでいてもう何度目かになる。
小説でもないし、エッセイでもないし・・・ああいうQ&Aの集合体的本はなんと言って良いのだろう??・・とにかく、何処から読み始めても何処で終わっても全然気にならないし、何より、既に何回か同じ場所を読んでいるはずなのに「全く内容を覚えていない・・」というところが飽きなくて都合が良い。
そんなわけで、たまたま今回開いたページからは猫のネタが幾つか連続で続いていた。
村上さんのことはそれほど詳しいわけでもないが、幾つかの村上本を読んでいると、どうやら彼は比較的猫好きの人であるらしい。だからといって、たとえば夏目漱石さんとか竹下夢二さんとか群ようこさんとか、彫刻では木内克さんとか・・世の中に猫ネタで思い当たる有名人はいっぱいいるし、村上さんが特別という気もしない。

実は、吉田もどちらかといえば猫好きな方で、現在同居している猫を含めて7匹の猫が今までの自分の人生の節目のどこかに絡んでいた。犬の方は小さい頃に寺で飼っていたポチと2012年の2月に19歳10ヶ月の長寿で大往生したシェパ君の2匹だから、やはり犬よりは猫のほうが縁深いのだろう。
今同居しているのは2匹で、名前はクロとシロ。
クロの方は迷い猫か捨て猫だったのをじゅん君が拾ってきた。石見銀山の間歩へ行く途中の側溝へ落ちて這い上がれないまま弱々しく鳴いていたらしい。まだ乳離もしていないし自力でウンコやシッコもできないほど小さかったから、運が良ければ生き残れるだろうくらいの気持ちで世話を始めて特に猫用の飼育グッズを用意することもしないまま、だいたいを吉田家のそのあたりにある代用品で済ませたのだが、しぶとく生き続けてそれなりにスクスクと育った。少しずつ性格が固まってきた頃にオシッコの出が悪くなったのでドクターに診てもらったら尿道が詰まっていた。腎臓障害の傾向があるようだと診断されて、それから何度か医者にかかったりご飯を高級品に変えたりしたらその後極端に体調を崩すこともなくなって、わがまま放題に脱走を繰り返しつつ気がつけばもう7歳になる。
クロが同居を初めて2ヶ月ほど経った頃、シロが吉田家にやってきた。
シロは、子猫ながらもすでに立派な野良猫になっていて、いつの間にか知人が飼っていた二匹の猫に混ざってご飯を盗み食いしていたところを捕獲された。その知人が「さすがにウチの財政で三匹は無理!」とSNSで告知していたのに気がついて、吉田家は家を留守にすることも多いし、性格が合えば留守番をするクロの気休めになるかも知れないと1日位ほどさり気なく見合いをさせたら、そのうち自然と仲良くなったのでそのまま預かることにして今に至った。元々野良猫で暮らしていたから人間のすきを狙ってつまみ食いをする癖が染み付いていて、今でもソレは治らないままだが、この7年で人間に対しての警戒心は随分と薄らいで、甘えん坊に変わった。
半年くらい前からお乳のところに大きなデキモノが出来て少しずつ大きくなっている。悪性の腫瘍かもしれないがソレもシロの寿命と手術は考えなで最後まで付き合うことにして、ドクターにはそう伝えてある。

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スポーツばぁちゃんと自堕落親父 

2019/09/17
Tue. 11:31

怜子さんはワイフのお母さんである。
ワイフのお父さんで怜子さんのご主人の清さんは、何年も前に病気で亡くなっているから、今は自宅で一人暮らしをしている。
毎日のように午後から近所のスポーツクラブへ出かけて、夕方暗くなるまでジムで汗を流し、シャワーをつかって帰る。
だから、80歳を過ぎた今でも十分に体力もあるし、とても元気だ。

三連休の最終日は敬老の日だったから、関東で暮らす孫の(吉田家)3姉妹が怜子さん宅へ集合しておばあちゃんの敬老を祝ってくれた。
長女のなっちゃんが今年の4月に長男を生んだから怜子さんは曾孫を見ることが出来た。
日頃は一人暮らしで気楽にしていられるから、こうしてたまに孫たちが訪ねてくるとそれなりに気を使うようで数日前からワイフと色々何をしようか電話で相談していたようだ。
ワイフの助言もあって、自分の敬老をしてもらうのだから、孫たちに一切を任せておけばいいだろうと云うことで決着が着いたようだ。

私は毎年秋には東京で展覧会があるから、作品展示の作業などで上京する。
それに合わせてスポーツクラブで忙しい怜子さんの都合を問い合わせながら自宅を訪問しているのだが、やはり無骨な男が訪ねることが怜子さんの負担になっているようにも感じて、コチラの方も少し遠慮気味になる。
一人暮らしのマイペースな気楽さに慣れてしまうとそういうものなのかもしれない。

ノッチも最近ジムの会員になったと言っていたし、母親である怜子さんを見習ってか、先日からワイフまで自宅から車で30分は走った先にあるプールとジムを併設したスポーツランドへ「一週間に一回は通おうと思ってるの!」と言って通うようになった。
プールの中をウォーキングしているようだが、今の処、特に痩せてきたとか、身体が引き締まってきたとか、そういう変化も見た目ではわからない。見た目のことよりも健康でいられることを重視しているのかもしれない。

私は、だいたいに運動とか汗を流すとかが嫌いな方だから、行きつけの病院でドクターから運動を命令されたとしても、ノラリクラリと適当な言い訳などしながら誤魔化して、結局運動で汗を流すようなことはしないような気がする。
あんまり神経質になっているわけでもないが、強いて言えば炭水化物の過剰摂取だけは慎もうと注意している。
それでなくても坊主家業を続けていると、年間通してお餅が耐えることなく冷凍庫で眠っているし、お供えの素麺はもう夏が過ぎて秋になってもまだ一昨年のお盆でお供えした三輪素麺が手付かずでネズミのつまむ気配もないまま台所の冷暗所で眠っている。お米は古々米を小分けした袋がまだ3つ分ほど米びつ代わりの冷蔵庫でピクリとも動かないまま鎮座して、そろそろ古古古米になろうろしている。
もともと、そばとかスパゲッティとかピザとかパン類とか、そのあたりの炭水化物は好きな方だから、それを我慢することだけでも自分では上出来だと思っている。

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休日 

2019/09/15
Sun. 09:13

「謎の4連休なの!」
保育士をしているキーポンが電話でそう言っていた。
シフトのある仕事をしている人達はみんなそうやって休日が用意されているのだろうけど、そういう仕事に縁のないボクは世間で云うところの「休日」という感覚が具体的にイメージできない。

ノッチは週休2日の会社へ勤務するようになってあと少しで1年になる。
彼女のSNSを時々チェックすると、休日に併せてアチコチ国内旅行をしているようで、ある時は沖縄の海にいたり、ある時は横須賀の港へいたり、つい先頃は大坂にいた。
休日を有効に使って、なかなかアクティブに暮らしているようだ。

只今育児休暇中のなっちゃんは、ほぼ連日のようにワイフや私を目指して「ヒマデン」をしてユーシンくんの成長を報告してくれていて、少し前には寝返りが出来るようになったユーシンくんを動画で知らせてくれた。
彼女にとって育児ノイローゼとは無縁の育児休暇を満喫して毎日忙しくしている。

先日はじゅん君の誕生日だった。
昨年は1日前にフライングをしてしまって「ボクの誕生日明日だよ!」と、まだ海士町で暮らしていた彼から珍しくダメ出しの電話が来たから、今年はそういう失敗をしないようにドキドキしながら誕生日当日の朝を待っていた。
午前0時を少し過ぎるまでアメリカドラマを見ながら過ごして、日が変わったところで「お誕生日おめでとう!」とSNSを送っておいた。朝になってLINE電話もしてみたが相変わらず無反応のままで1日が過ぎた。
受話器マークを数えたら軽く10個以上返信のないまま溜まっていて、オヤジからの電話には全く出てくれていない。何か着信拒否されているようでちょっと寂しいと思っていたら、夜になって「調子は相変わらず良くないです・・・まぁこんなもんだと思ってがんばります・・」と文字の返信が届いた。
自分の誕生日で浮かれている余裕など無い様子だ。数年ぶりに本土へ帰ってきた地方公務員の彼にとって、休日らしい休日とは無縁の暮らしが続いているようだ。
言いたかないけど、島根の学校教育はブラック極まりない。こういうベーシックなところから教育システムを見直していかないと日本の教育はそのうちとんでもない方向へネジ曲がってしまいそうで不安になってしまう。

9月も2週目に入ったところで、少しずつ生活の拠点を万善寺から吉田家へ移した。それで少しはワイフとの会話も増えるかと思っていたが、彼女の方は前にも増して土日祭日関係なく朝早くから忙しくしていて、日中はほとんど自宅を留守にしている。昨日も昼は敬老会のお世話をし、夕方からフリースクールのお手伝いで出かけて夜遅くに帰ってきた。

まぁ、そうやって吉田家を見渡してみると、一見「休日」とは無関係に暮らしているボクが一番ヒマにたくさん休日を消化し続けているようだ。

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キーポンの夏休み 

2019/08/30
Fri. 13:54

夕方から観音様とお地蔵様とソレをお祀りのお宅の先祖供養と、もう一軒古墓一切の供養で出かける。
もうずいぶん前に先代住職が書いてそのままになっている守護塔婆をそろそろ更新したほうが良いだろうと、それぞれに経木塔婆を書き直して新調した。
本当は、毎年更新したほうが良いことなのだが、施主家は浄土真宗の門徒さんでもあるし、あまりしつこく曹洞宗の様式を押し売りするのもどうかと思って、そのあたりの実情を深く掘り下げないようにしている。
ちょうど元号も変わったことだし、タイミングとしては良い頃合いだと思う。

1週間ほど前にキーポンがお盆休みをずらして帰省して、昨日の最終便で東京へ帰っていった。今頃は、職場の保育園でセッセと働いているはずだ。
吉田家の場合、盆正月は寺の仏事がいつも以上に立て込んで、在家のような「お盆休み」とか「正月休み」のような習慣がない。だからキーポンに限らず、子供皆には「どうせ帰ってもお互いに落ち着かないし、無理に国民の大移動へあわせる必要もないから・・」と云い続けている。

春は春でお彼岸の仏事があるし、結局世間の長期休暇の時期へ何かしら1年の節目の仏事が重なっている。
まだ少年だった頃は、そういう寺暮らしの不条理をなかなか素直に受け入れることが出来なくて、何かと反抗を繰り返していた。
高校生になってから後も、学校が休みになる度に寺の仕事が入ってソレに付き合うことになって夏や冬のメジャーな遊びに集中することも出来なかったし、休業を使って本格的な長期旅行や観光をすることもなかったから、そのことについても毎年常にかなり根強く陰鬱な不満を持ち続けていた。
結婚して子供が生まれると、余計に寺の公的環境と吉田家の私的環境を区別することが難しくなって、子供たちを前にして公私混同を避けることが出来ないまま今に至った。
昔、自分自身が環境の現状に馴染めないまま悶々として過ごしていたから、我が子やワイフにはそういうストレスばかりの面倒臭い生活はしてほしくないと、できるだけ私一人で出来ることは家族の誰も当てにしないで済まそうと心がけている。
それでキーポンが帰省を決めた時も、お盆の行事が重ならない時期を調整してこの時期になった。
もっとも、キーポン自身は帰省の主たる目的が吉田家の日常とは別のところにあって、仕事のストレスからしばし開放されて、久しぶりに地元の友人と逢うことであったり、ネコチャンズと戯れて癒やされることであったり、島根の美味いものを堪能することであったりして、パパ・ママはひたすら自分のスケジュールを調整して彼女の専属ドライバーやお抱え調理師に徹したのでありました。

ズゥ〜ッと県内のアチコチを転々としているじゅん君は別にして、関東で暮らしている三姉妹は島根への帰省をそれなりに喜んでくれている様子が伺える。私と違って、里帰りが苦痛になっていないだけでも、少しは公私を切り替えることが出来たのかなぁと思う。

キーポンとの昼食は寺の近所の奥出雲そば
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ネコチャンズは1年半ぶりのキーポンを覚えていたのでしょうか??
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昼食は家族3人でオシャレなレストラン
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レストランの前庭やアプローチには彫刻家吉田正純の鉄の彫刻
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家族の距離 

2019/07/27
Sat. 23:36

娘たちから相次いで近況報告があった。
最近は、離散した家族のコミュニケーション手段もずいぶんとハードルが下がって、すぐ隣近所に住み暮らしているような気になってしまう。
ボクを中心にして距離の近い順から云うと・・・←なっちゃん←キーポン←ワイフ←ノッチ←←←じゅん君・・・という感じだろうか・・・

なっちゃんは、4月に長男が生まれて子育て真っ最中!
息子の毎日の成長の変化が楽しくてしょうがないようで、育児ノイローゼとは無縁の日々をマメに家族LINEへ更新し続けている。
ユーシン君も最近は寝返りをするようになって、だんだん上手にできるようになってきたから、動画を公開することが増えてきた。

キーポンは、保育園の担任をしていて、今のクラスや昨年のクラスの子供達の様子をマメに報告してくれる。
毎日預かっている子供たちのご飯やお昼寝にお散歩やウンコシッコの世話までしていると、何かと大変ではあるだろうがその分「情」が移って可愛くて仕方がないようだ。
その日に面白いことや楽しいネタがあると、1日の仕事が終わって最寄り駅で下車してから帰宅する10分間を使ってお父さんへLINE電話してくれる。

現在石見銀山で二人暮らしのワイフとは、通勤坊主で帰宅する度にそれなりに当たり障りのない会話をしているつもりだが、それでも1日のうちに彼女と同じ時間を過ごしているのは夕食前後のせいぜい2〜3時間程度のことだと思う。
万善寺の経営維持管理を私一人でするようになってからは、石見銀山のことすべてをワイフへ任せてしまっている。彼女は特に表面上嫌がりもせずにそれらを引き受けてくれていて、地域の信頼も厚く、名刺にすると片面だけでは足らないほどのいろいろな役職を一人でこなしている。東京出身の彼女がここまで島根に根付いているということはすごいことだと思う。

マイペースに暮らしているノッチは、それなりにお父さんとの距離も離れている。だからといって疎遠であるわけでもなく、適度に情報を流してくれているし、ある意味で絶妙な距離感が維持できている。
さいきんは、80歳を越えて一人暮らしの怜子おばあちゃんに付き合ってくれていて、一緒にジム通いもしているようだ。
彼女の人生で4年位は国外で暮らしているし、私など足元にも及ばないほど社会の事情をわきまえてクールに乗り切っている。これで、男運が良くなれば幸せな人生を送れるだろうけど、そればかりは本人のめぐり合わせでもあるからオヤジは静観するしかない。

長かった隠岐の暮らしが終わって、この春から本土に帰ったじゅん君は、距離から云うと吉田家の一番近くで暮らしている。それでも、会話というか意思の疎通というか、そのあたりのことになるとオヤジとの距離は遠い。まぁ、ボクも昔はそうだったけどね・・・

ユーシン君の足
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キーポンとユーシン君
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ノッチは沖縄を満喫
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怜子さんとジム帰りにお祭り見物
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連休明け 

2019/07/16
Tue. 23:51

埼玉で暮らしている長女のなっちゃんが4月に生まれた初孫を連れて帰省する。
LINEで送ってくれた往復チケットのコピーを見たら、なんと1ヶ月も吉田家に滞在する事になっていて、その上、最後の1週間は旦那も休暇をとって吉田家へ合流するらしい。
ワイフもしばらく前からなっちゃんのことでそのような話をしていたが、まさか本当のことになるとは思っていなかった。あの頃私は丁度彫刻の制作に取り掛かっている最中だし、寺の方でも幾つかの法要行事が決まっているし、よっぽどキチンとスケジュールを調整しておかないとオオゴトになりそうで、チキンオヤジは少々ビビっている。
それからしばらくして、今度は東京で保育士をしているキーポンから同じように家族LINEで帰省スケジュールを送ってきた。日程を見ると、お盆のピークが過ぎた頃に1週間ほど帰省することになっている。
これも、坊主のボクとしては盆月の終盤でまだまだ日夜各種法要に忙しくしている頃。

失敗した柿渋染の仕切り直しへ入る前にお盆の棚経計画を作ってお檀家さんへお知らせしようと思って、丁度そのスケジュールを作り始めたところだった。例年は1日の棚経をかなり窮屈に決めて4日位ほど空き日を作って其処へ万善寺の草刈りや本堂荘厳などの作務を入れていた。今年の夏は、手術した頚椎のことや右半身のシビレのこともあって身体が慣れないし、まだ無理ができそうもないので、今までと同じようなわけにはいかない気もする。その上に娘たちのこともあるからよほど慎重に体調管理をしておかないと吉田家家族だけでなくお檀家さんへも迷惑をかけてしまいそうな様子だ。

そのようなことを考えながら朝早くに寺を出発して病院へ向かった。
連休明けは1ヶ月ほど前から決まっていた定期通院日になっていた。
血圧や血液や尿の検査をしてその数値を見ながらドクターの問診を受ける。どうせ「病院ごとで1日が過ぎてしまうだろうから・・」と、2つの病院へ通院することに決めて事前にそれぞれのドクターへ相談しておいた。
一人は以前からかかりつけの町医者Wドクター。
もう一人は総合病院の内科で一ヶ月に2日しか出張日のない腎臓専門のYドクター。
結局Yドクターの都合に併せて通院日を決めるしかないので自分の選択肢は殆ど無い。
女医のY氏は細かい数値の変化に厳しくて、自堕落に不摂生を続けるオヤジの生温い日常生活が我慢ならないようだ。長い付き合いのWドクターは「まぁ、チョット数値が高いですがこの程度ならもうしばらく様子を見ていきましょう・・」などと、患者と繋がる細い糸を自分から断ち切らないように、なかなかの営業努力をされる。ボクとしては世間話をしながら気心の知れたWドクターの方が付き合いやすいのだがなかなかそういうわけにもいかないし、最近、少しずつ病院通いが日課になっている高齢者へ仲間入りしつつある。

ほぼ1日中病院をハシゴしていると、ソレだけで自分が病人になってしまったように思えてぐったり疲れる。
吉田家へ帰ると、ワイフとシロが仲良く昼寝していた。シケイロスだったか?オロスコだったか?それともリベラだったか??・・・パースペクティブを強調した独特の迫力あるメッセージ性の強いメキシコ絵画を見ているようでもあり、はたまたお釈迦様の涅槃像のようでもあり、どことなく荘厳な雰囲気が漂って、思わず手を合わせたくなった。

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ボクはおとうさん 

2019/06/26
Wed. 17:46

このところ万善寺業務が続いて流石に疲れがとれないし右腕のシビレがひどくなる一方だったから、単身赴任を切り上げて吉田家帰った。
駐車場で銀くんを降りると、土間の格子戸の向こうでクロが甘ったるい声で鳴きながら出迎えてくれた。

ワイフは台所でなにかしていて、シロは猫タワーでのんびりとくつろいでいた。
グッピーの家族も劣悪な環境にもめげないで小さな子供がいっぱい生まれていた。
テーブルには読みかけの新聞が広げられていて、そのとなりに飲みかけのコーヒーカップが置いてある。
テレビがリビングに向かって一人でしゃべり続けている。
寺暮らしでは新聞もないしテレビも見ないから、久しぶりに吉田家の日常へ引き戻された感じだ。

しばらく前に吉田家のファミリーLINEで「父の日」ネタが飛び交っていた。
そもそも、父である自分自身がいつが「父の日」だったのか分からないでいるくらいだから、三姉妹を中心にしてお父さんをネタにしてもらえるだけでありがたいことだ。
まだ入院中だったときに「キーちゃんと一緒に探して、これに決めたの。お店のオリジナルよ!」と、退院したらこれをかぶれとキーポンからの父の日プレゼントを東京帰りのワイフが手渡ししてくれていた。そのハンチングはけっこう派手で目立つ柄に見えたから、病院内でかぶるのは少し勇気がいると思ったが、それからしばらくして退院してから後は普通に朝夕の通勤坊主で愛用させてもらっている。そのハンチングと首に巻いた装具のスタイルはかなりのインパクトがあるようで、銀山街道の拡張工事で片側通行の信号待ちをしていたりすると、すれ違う車のドライバーがよく二度見している。
ノッチは正確に当日のLINEで感謝をしてくれた。おとうさんとしては特にこれといってノッチになにかしているわけでもないからどこかしら恥ずかしくもあったが素直に嬉しかった。
それからずいぶん日が経って、なっちゃんがユーシン君の写真を送ってくれた。彼女は子育ての忙しさで父の日のことをコロッと忘れていたようだ。
いずれにしても、おとうさんとしては、自分の娘達の気遣いが素直に嬉しい。みんな立派に育ってくれた。
じゅんくんは家族LINEに何か書いていただろうか?・・・どうもはっきりと思い出せない。まぁ自分も、母の日はワイフが気を利かせてくれた花をあげたりしてそれなりに母親のケアはしていた気もするが、父の日に改まって父親へなにかしたような覚えもないし、男はそのくらいで良い気もする。
そうそう「私はあなたの子供じゃないからネ!」と、ワイフは例の調子で知らんふりをしていたが、それでもさり気なくその日の夕食にボクの好物を揃えてくれていたりして、ジワリと嬉しかったりする。

こうして、1日中自宅から一歩も外へ出ないで過ごしたことは退院した次の日以来だと思う。つくづく無理のできない身体になったものだと今更ながらに感じた。

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母の日 

2019/05/13
Mon. 11:33

特に何もしてないのに爪や髪は普通に伸びる。
むしろ、何もしていないからいつもより早く伸びるのかも知れない。
髪の毛は、久しぶりにココまで長く伸びた。記憶をたぐるとそろそろ数十年ぶりくらいかもしれない。
数年前に、まだ結界くんが元気だったときだと思うが、バリカンのタイミングを逃してかなり長く伸びた時があった。春の田植えか秋の稲刈りの頃だったと思う。窓を全開にして走っていたら頭がムズムズして気になるものだから窓からなにかゴミでも舞い込んで頭に引っかかったかと側頭部を探ってみると、自分の髪が風になびいてざわめいていただけのことだった。今はあのときよりもっと長く伸びてしまった。たぶん、この状態で病院の外へ出たら、きっと初夏のそよ風に吹かれて髪の端が耳の端をくすぐるかも知れない。白髪が増えてもっとごま塩状態になっているかと思ったら、想像以上に黒くてビックリした。口ひげも鼻毛も白髪が増えているのに頭の方は特に抜け毛が気になるわけでもない。だいたいが年中2mm程度までにしか伸びていないから、栄養が一本一本の毛髪の先まで十分にいき届いているのだろう。

もう半年は過ぎただろうか・・・
ワイフが思い切って白髪染めをヤメた。それと同時に気分一新のショートヘアーにした。
最初に知り合ったのは、まだ彼女が20歳頃だったと思う。
大学バスケット部の4番を背負って華々しく活躍していて、髪もショートヘアーだった。部活を引退してから彼女の髪が少しずつ長くなって、最長がセミロングくらいまでにはなっただろうか・・・それから、少し伸びては切り伸びては切りしていたが、そのうち白髪が出てき始めて染めるようになった。節目節目にはちゃんと美容院へ行っていたが、合間は自宅のお風呂や洗面所を使っていた。
男と女は見た目の気に仕方がずいぶん違っていると漠然に思っていたら、髪の毛に関しては、男もそれなりというかむしろ女以上に抜け毛や白髪を気にするようなところがあるということを知ったのは、自分が50歳を過ぎて、口ひげや顎ひげに白髪が混ざるようになってからだった。
「あなた、髭剃ったら・・・白髪混ざってジジ臭いわヨ!」
その頃になってワイフが幾度となく指摘してくるものだから、面倒になって顎ひげだけ剃り落とした。気づくと、数本しかない胸毛に白髪が混ざっていた。すね毛にも白髪を発見した。風呂に入って何気なく身体を洗っていたらチン毛にいっぱい白髪が混ざっていた。脇毛はどうかと確認したがよく見えなくてわからなかった。
だいたい、坊主は坊主頭が常識だから頭の髪の毛などはじめから生えていないほうが不便がなくて都合がいい。それに、まともにバーバーへ通っていたりすると年間の必要経費が床屋代だけで相当な額になる。
入院のときに、それこそ数十年ぶりで病院併設の床屋へ行った。〆て4000円也!

なっちゃんからマッチャンお婆さんの写真が届いた。
少し緊張気味なのだろうか?・・グレーのショートヘアーがよく似合っていて、上品なセレブおばあちゃんにみえる。イヤリングはキーポンから母の日プレゼントらしい。
ボクは病院の朝食が終わってから、入院後3回目の爪切りをした。

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吉田家記念日 

2019/04/29
Mon. 23:51

吉田家長女のなっちゃんが長男を出産した。
なっちゃんは昭和生まれでその子は平成生まれになった。
生む直前まで平成だとか令和だとか騒いでいたが、実際、母子ともに健康であればそういうことは大きな問題ではない。
いずれにしても、吉田家にとって今の状況は普通に頻繁に遭遇することでないことだけは確かだ。
オヤジは急な手術になって入院中。
ワイフは長女の出産で留守中。
長女のなっちゃんは人生初めての出産。
長男のじゅんくんは4月から転勤で連休関係なく毎日深夜まで仕事らしい。
ノッチはパーフェクトな10連休で毎日が行楽。
キーポンはシフトの関係で半分程度出勤らしい。
そして、吉田家のネコチャンズとグッピーたちは、10日間連続で留守番。
みんな見事にバラバラで元号をまたぐことになって、吉田家の歴史上、ある意味記念すべき数日を迎えることになった。

病室の窓からは全体がグレーに染まった空と宍道湖と島根半島が見える。そのうち、間違いなく雨が落ちてくるだろう。
理学療法と作業療法の担当者さんは、連休シフトで毎日頻繁に人が入れ替わる。担当固定もそれなりにリハビリ効果があるとは思うが、自分としてはどちらかというと時々人の入れ替わりがあったほうが新しい発見もあって良い。
今入院中の病院は、整形外科で手術を受けた人ばかりだから、手術が終わればあとは傷が治るのを待つばかりなので、基本的に8割の患者さんは元気だ。残りの2割が、手術前で苦痛と格闘している人だったり、手術後すぐでまだベッドから起き上がれない人だったり、ボクのように手術絡みの麻痺が身体のどこかに残っていたりする連中になる。
連休に入ってからは、毎日朝から夕方を過ぎて夜の消灯時間ギリギリまで家族や友人知人の面会が絶え間なく続いている。見舞いも患者も基本元気だから病室や院内のフロアーに会話や笑いが充満して、とても病院とは思えない状況だ。看護師さんやリハビリ療法士さんもそういうノイズには実に寛容で、場合によっては職務を忘れて一緒に仲良く盛り上がっていたりする。はじめのうちは、院内の雑踏雑音が少々気になるので、小説に集中できないでいたが、そのうち、新宿駅のホームのベンチに座って読みかけの本を読んでいるようなものだと気持ちが切り替わった。iPhoneにダウンロードして溜め込んだ世界の音楽をヘッドフォンで聞きながら静かに自分の世界へ浸っていると、時間がアッという間に過ぎて次のリハビリ療法が迫っていたりしてあわてる。
今入院中の病院ではリハビリ治療だけは1年中無休で続くのだそうで、担当さんに聞いたら、そういう病院は「ボクは島根県で他に1箇所しか知らない・・」ということで、全国でもそう多くないということだった。
総合病院だと、普通外科が完治したらその時点で退院になるらしいが、さて、ボクの退院は何時になるのだろう??
ちなみに、なっちゃんは5月3日が退院予定らしい。まぁ、妊婦は病気じゃないからね。

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法事の日 

2019/03/23
Sat. 23:21

俊光禅尼大祥忌(前住職内室俊江さん三回忌)の朝は雪になった。

法要の準備のこともあって前の日から万善寺暮らしをしていたのだが、いつもより朝晩の冷え込みが厳しくてこの時期としては肌寒く感じていた。
自分ひとりだとエアコンと灯油ストーブで乗り切るくらいのことだが、標高が200mは低い平野からお参りの親戚方は万善寺の寒さに耐えられそうもない。
春彼岸も過ぎたし、庫裏の障子や襖の建具を取り払ってサマーシーズン用に模様替えをしたばかりなのに、また電気コタツを引っ張り出すことになった。

春の雪が降る中、お参りの準備を整えていたらワイフが到着した。
石見銀山もいつもより寒い朝になったようだが、雪が降るまでにはならなかったらしい。
それからしばらくして、親戚のみなさんが揃い、法要のお手伝いにお願いした隣町の方丈さんが到着された。
お昼前には法事を済ませてお墓参りの後お斎の食事会になる。

はやいもので、前住職の憲正さんが遷化してから5年がすぎる。その間に、内室の俊江さんも相次いで亡くなってその後の年回法事が毎年のように続いた。
人の生死は予め予測できないから、自分の都合でどうこうできるものでもない。
それは十分にわかっていることなのだが、実際我が身の暮らしとなると、毎日がそういう予測不能の事態に備えて過ごしているわけでもないから、結局何かコトが起こるとそのコトでジタバタと焦って慌てて予定していたスケジュールがもろく崩れる。
避けて通れない通過点のようなものだからイザというときのために心の準備をしておくしかないことなのだということを改めて具体に感じた気がする。

法要の間に雪が雨に変わってお墓参りの頃にはそれもやんだ。
親族が集まるのもこれでしばらく間が空く。そのあいだにそれぞれが同じように歳をとって今よりは身体も動かなくなって老化が進んでいることだろう。こうしてみんなが元気な顔を揃えられるのも年々難しくなっていくかもしれない。
万善寺のお檀家さんだけのことかもしれないが、この近年、年回法事の依頼が減っていて、もう何年も音沙汰なくて途絶えた施主家もある。1年の間に盆正月と家族親族が集まる機会はあるのだろう、それで年回の先祖供養を兼ねているのかもしれない。
宗教の信心も形骸化した今、葬式請負人と化した坊主がどれだけ多いことか・・・
かく言う私自身もその一人なのだが、だからといっていまの世間で坊主の宗教観を切切と語るという機会も場所もなかなかみつからないし、それなりの説得力ある語りもできない。まぁ、現状を受け入れて自分でできることをできるように慎ましくコツコツと積み重ねていくしかないことなのだろう。

法事の日、ご参集の親族の皆様はどのような思いだったのだろう・・・
クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を久しぶりに観た。以前に観たときとはまったく印象が違って思えた。家族の周辺の事情があの頃とは違ったからかもしれない。

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立春の朝 

2019/02/04
Mon. 23:54

吉田家の豆まきがあるので、日が暮れるまでに石見銀山へ帰った。
駐車場へ銀くんを停めた時は、いつもと変わりなく町並みは静まりかえって、ほの暗い外灯の灯りだけが夜露に滲んで瞬いていた。
この時期は寒の戻りの節分寒波の影響でだいたい雪が降ったり積もったりするのだが、今年は雪の欠片もなく晴れ渡っている。
こういう状態だと、空が高くなって放射冷却が激しい。少し雪が降って雲が下がっているくらいがかえって夜の冷え込みもゆるくてすごしやすかったりする。

ワイフが風呂を用意してくれていた。
ゆっくりと温まってから、恒例の豆撒きをした。
子供がいる時は、吉田家の内外まんべんなく大量の豆を撒き散らしていたが、今は夫婦とネコチャンズだけなので、あとの掃除のことも考えてひとつまみずつパラパラとまく程度に自粛している。それでも、どこかしらケチくさい感じにならないように声だけは威勢よく張り上げて豆の少なさをごまかしておいた。
ワイフが其処此処の障子や戸口や窓を開けて、私が豆撒きの係。
クロがすきを狙って脱走しようとしばらく豆撒きについて歩いていたが、途中で諦めて何処かへ消えていった。
夕食には、ワイフ手造りの太巻きが出た。
久しぶりだったからとても美味しかった。
「この程度で良かったら、お正月の年始もこんな感じでつくってもいいわねぇ〜」
いつもは、寺の近くの三日市にある仕出し屋さんへお檀家さんの年始会用に太巻きを注文している。ワイフはおでんをつくって振舞っているのだが、それに太巻きが加わると正月早々仕事が増えるし、それに仕出し屋さんとのお付き合いも大事だから「そこまで無理はしなくていいよ」とさりげなくことわっておいた。

茅場町の会社勤めをするようになったノッチが、最近はお弁当を手作りしている。
日曜日に1週間分の料理をまとめて作り置きして、ソレを朝昼晩上手に消費しながら自炊生活をしている。いつまで続くかわからないが、今の所三日坊主で終わることにはなっていないようだ。ワイフの手料理はどこに出してもおかしくないと自慢できる。ノッチもお母さんの娘だから「ヤレバデキル!」素質がある。けっこう不摂生もしているようだが、それなりに健康志向でもあるみたいだし、シッカリした大人になってくれた。

万善寺のことも少し落ち着いたし、これからしばらくは石見銀山の吉田家を拠点にして、時々必要に応じて通勤坊主をしながら彫刻の制作へ気持ちを切り替えようと思っている。
これからさき、雪がひどく降らないまま少しずつ春になってくれると良いのだが、島根の方は2月が本格的な雪のシーズンでもあるから予断は許されない。もうしばらくは気持ちが緩まないように気を使いながら生活しよう。
「お隣さんも豆まきしたみたいよ。道で豆がいっぱい潰れてるぅ〜〜」
新聞を取りに行ったワイフが、玄関先で教えてくれた。隣はまだ子供も小さいし、誰かが鬼になったのかなぁ〜?・・・さて、立春大吉のおふだ張り出さなきゃぁ〜・・・

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冬のネコチャンズ 

2019/01/11
Fri. 23:58

不摂生の徹夜をしたおかげでお昼すぎには郵便局へ行くことが出来た。
週末ギリギリの滑り込みセーフになった。
ワイフが三度の食事を世話してくれなかったら、週末の発送が間に合わなかっただろう。
そのワイフは、昼食を食べたら直ぐに仕事へ出かけた。
彼女はフリースクールの非常勤もしていて、なかなか学校へ行けない子供たちの話し相手になっている。
自分では「特にこれといって何するわけでもないけどね」といっているが、それなりに気疲れもあるだろうし、普通に簡単に引き受けられる仕事でもない気がする。

郵便局から直接万善寺へ向かって、まだ日のあるうちに寺へ着いた。
昨年の強烈寒波が嘘のように穏やかな毎日が続いている。それでも日本海側の気候だから曇りがちではある。その雲の御蔭で気温がそれほど下がらないから都合がいい。
寒雀の群れが庫裏の西側へ集まって賑やかに鳴き騒いでいる。
吉田家のデスクワークでしばらく寺を留守にしていたから、古古米を食べ尽くしてしまったのだろう。
とにかく、不摂生でかなり体力が消耗した。雀に古古米を補充して、それから風呂へお湯を入れた。湯船に浸かると一気に睡魔が襲ってきて、ウトウト寝てしまった。
ゆっくりと時間をかけて温まったので、少し身体が楽になった。
ワイフが仕事で出かける前に夕ご飯用のおかずなどを用意してくれたので、それをレンジでチンしたりお湯を沸かしてインスタントのスープをつくったりして早めの夕食にした。
台所を即席の壁で半分に仕切った寝室へ移動してベッドへ横になって、すぐ隣のテーブルに置いてある寺の寺務用デスクトップを起動した。
連休の最終日に保賀のとんど祭りがあるから、その準備に過去データを探し始めたところまでは思えているが、その途中でいつの間にか寝てしまったらしい。
気がつくと4時間位寝てしまっていて、その間に珍しくワイフから幾つか電話が入っていた。もう夜が遅いし、朝になってから返信の電話をすることにした。

今頃、ネコチャンズはどうしているだろう?
こんどのことで吉田家へ帰った時は、何年か前に鉄板の廃材で造ったネコチャンズチェアーで仲良くくつろいでいた。冬の間はストーブの近くへ移動しておく鉄板製のネコチャンズチェアーは、ストーブの放熱で椅子全体が少しずつ温まってネコチャンズの絶好の居場所になる。夏は夏で、鉄板のヒンヤリとした冷たさが気持ちよくてネコチャンズの絶え間ない椅子取りバトルが繰り返されているが、冬はお互い身体を寄せ合って体温を共有しておいたほうが良いらしく、気がつくと仲良く抱き合っていたりする。
「あの子達、あなたがいないと2匹とも私にベッタリくっついてなかなか眠れないのよ」
シロはワイフの布団へ潜り込んで、クロは布団の上からワイフの上へ乗ってくるのだそうだ。夏の間は涼しい場所を見つけてそれぞれ好きなところで寝ているのに気温の変化に敏感というか正直というか・・・とにかく、いずれにしてもワイフは彼らのおかげで何かと癒やされているようだ。私が留守にしても全然平気らしい・・・嬉々としてネコチャンズ事情を語るワイフを見ると、ボクはちょっと寂しいな・・・

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偶然の一致 

2019/01/04
Fri. 23:47

三ヶ日も終わって、朝が少しゆっくりになった。
昨日からの晴天で放射冷却が強烈だ。
目は覚めているが寒いから布団にくるまって温々していたい気持ちが勝って、しばらく寝転がったままダラダラと過ごした。

ノッチがおばあちゃんちからの帰りにメガネを買った。
昨年帰国してしばらく「スキルアップ休暇」を決め込んでいたのだが、貯蓄の目減りが気になり始めた頃から本気に就活をはじめて11月から貿易事務の仕事に就いてそろそろ研修期間が過ぎる。先輩社員と同等の業務になると、今までのように定時退社も無くなって残業が増えるということだ。1日の殆どをデスクワークで過ごし「モニターの数字や書類とにらめっこすることになるから」と、ブルーライトカットのレンズに決めたそうだ。
キーポンは小さい頃から視力が弱くてメガネが手放せない。
学生で保育士の勉強を始めると、実践の現場でメガネは何かと不具合があることがわかってコンタクトレンズにした。それでも1日中そればかりだと疲れるし、自宅で過ごすときや職場以外ではメガネでいることもあるからと、今のメガネを買った。
お父さんのボクは、もともと遠視が強かった上に30代の頃から乱視が入りはじめ、疲れ目がひどくなった。それでも我慢して数年は乗り切っていたのだが、そのうち近くを見るための筋肉収縮が劣化して老眼が入ってデスクワークの事務や寺の寺務に影響が出るようになったからメガネ購入を決めた。それから寝る時以外は四六時中メガネの暮らしになって今に至っている。
1年ほど前、春の彫刻を造って完成したものを移動している時に、ちょっとした不注意で彫刻を引っ掛けてレンズへ傷を付けてしまった。運悪く、目の焦点が一番良く合うところにひっかき傷が着いたものだから、日常の暮らしには支障がないものの、本を読んだり字を書いたりする時になるとその傷が目に入って邪魔でしょうがない。我慢も限界になっていつものメガネ屋へ駆け込んだら「レンズ変えるしか無いですね」と気の毒そうに言われた。レンズ交換と新品メガネの購入がほぼ同じような金額で2000円と変わらないことがわかったので何時も使いと仕事使いと使い分けることにして夏の暑い時期に新調した。
いまのところメガネがいらないのはなっちゃんだけだが、「ワタシ、目が悪くなるほど目を使っていないから・・」と本人はそう言っている。それでも外国ドラマが大好きで暇な時には延々と見漁っているようだし、そのうち彼女もメガネが必要になるだろう。

メガネは3人それぞれ違う理由で違う店で買ったのに、気が合うというか顔形が似ているというか、偶然にもボストンタイプの似たようなデザインに揃った。
なっちゃん曰く「あのデザイン、今流行りみたいだから・・うちの会社でも何人か似たようなメガネかけてるよ」・・・だそうだ。
だいたい車にしても家電や家具にしても社会に氾濫する工業デザインというものは製造者主導で決まることがほとんどだから、今のボストンタイプもそういう流行に乗ったのかも知れない。それでも結局最後の決定判断は機能性が大事であって、それとデザインがキチンとシンクロすればそれがその人にとっての逸品となり得るはずだ。
今のメガネも今の視力が変わらないうちは大事に使い続けていこうと思っている。

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じゅん君帰宅 

2018/12/24
Mon. 20:10

現在海士町在住のじゅん君が冬休みで帰ってきた。
だいたいに男というものはみんな似たような感じなのかも知れないが、じゅん君は現在の自分の状況を細かく報告するようなことがないから、どういう経緯で帰省したのかよくわからないところがある。
私の周辺では25日に学校の終業式があって冬休みはそれから後のことが多い気もする。最近の学校の先生は世間の勤務体系と同じように年内の仕事納めまでは普通に勤務が続くはずだし、クリスマス前から年が明けて学校が始まるまで延々と休み続けることが出来るのかどうかもよくわからない。特別ズル休みをしているわけでもないだろうから、親父が気にすることもないことだろうが、それでも簡単な現状の報告くらいはあっても良いと思うんだけど・・・想像するに、隠岐の生活ももう4年になるし、義務教育に正式採用も決まったから、今まで貯まっている有給休暇や代休の解消をしているのかも知れない。
まぁ、そんなわけで、寺から吉田家へ帰ってきたらじゅん君がいたという次第。

デスクトップがリビングの隅にあって、自宅での事務処理はその場所を使っていたのだが、じゅん君の寝場所にもなっていて、自分の自由がなくなった。
プリンターなどの周辺機器も一式パソコン周りに集まってケーブルで繋がっているし、それでなくてもラップトップが機能しなくなってから後、何かと不自由が続いているところへ追い打ちがかかってしまった状態だ。

その夜、ネコチャンズが珍しく私の寝室になっている2階の元キーポンの部屋へ時間差でやってきた。
シロは早々と電気炬燵へ潜り込んで私の足元で丸くなった。
クロはそれからしばらくしてから2階へ上がってきて炬燵布団をガサゴソやっていたが、読書中の私の真横の窮屈なところへ落ち着いて丸くなった。
いつもはワイフの周辺でゴロゴロしていることがほとんどのネコチャンズが、じゅん君の帰省でオヤジのところへ避難してきたふうな感じだ。そのうち彼らも腹が減ったりのどが渇いたりしたら仕方なしにじゅん君の横をすり抜けざるを得なくなるから、そうこうしている間に警戒心も薄れて慣れてくるだろう。
2018年も残りわずかだし、このまま吉田家のデスクワークを停滞させるわけにいかないから、年末の大掃除も兼ねて現在のオヤジの寝室を書斎兼用に出来ないか工夫することにした。
ボクの寝室はワイフが彫刻を制作している工房部屋の真上だから、それなりに広いのだが、半分は子供たちが昔着ていた洋服や最後まで我が物顔で使っていたキーポンの荷物で占領されていて、石見銀山の町並みに面した明かりとりの窓際にはネコチャンズが外の様子を見ながらしばしくつろげるほどのスペースも用意してある。その並びには子供たちが使いまわしていた勉強机が2基並んでいたりして、結局自由に使えそうな場所は以前書斎で使っていた四畳半より狭いスペースしか残っていない。
まがりなりにも吉田家の家長としてはどこかしら家族からしいたげられた不条理を感じなくもないが、深く思い悩んでも現状を改善できる余地がそれほどあるわけでもなく、ひとまずはあまり深く考えないことにした。

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法事の日 

2018/10/21
Sun. 23:59

9月に帰国したノッチは、1ヶ月以上就活をしないまま気ままに暮らしていた。
それでも、毎日遊んで暮らしてばかりいたわけでもなく、住むところを探したり、金融機関の口座を引きついだり、住民票や保険などの事務手続きをしたりして、1年間留守にしていた日本の日常を取り戻しつつ社会人としての基盤を再構築していたようだ。
日本で就職するにも生活の基盤が落ち着かないと、履歴書1枚もまともに書くことができない。世間はグローバル化が加速しているようにもみえるが、組織に属さない個人のレベルではまだまだ社会生活のハードルが高いようにも感じる。
そういう現実の面倒臭い厳しさを、愛嬌と図々しさと人脈とその場のノリでアクテイブに乗り切るノッチのたくましさをみていると、我が娘ながら凄い人間になったものだと感心する。
日本での日常の暮らしができるまでにひと通りのことが一段落して履歴書の様式もソコソコ整備できるまでになって、本格的な就活にとりかかったと聞いていたのはつい先日のことだったのに、あれから1週間も経たない間にアッという間に貿易会社の事務職で再就職が決まったのは、ちょうど私がワイフの彫刻ともども六本木の美術館で陳列展示作業を終わって展覧会がスタートした日だった。それで、11月1日から、彼女は毎日東京のオフィス街のド真ん中へ通勤することになった。

彫刻絡みで慌ただしく過ぎた東京往復のあと、今月にはいって2つ目の法事があった。
ご親族の都合で決められた日程は、遠く群馬県の方からも帰郷されとても賑やかな法事になって、ご自宅前の町道が大小の自家用車で埋まった。
朝が早かったので、萬善寺には前日に入って塔婆を書くなどの準備をした。
吉田家では、台所仕事をすべてワイフへ任せっきりになっているが、寺の一人暮らしではそういうわけにもいかないから、冷蔵庫や冷凍庫を見繕って適当に夕食を作った。
正月にお供えで頂いた日本酒が本堂の位牌堂の棚へそのまま残っていたのでそれを開封してみると、すでに若干黄みがかっていた。ワイフを始めとして、私の周囲では「あいつは呑助だ!」と思われているが、自分ではそれほどでもなくて酒に関してはいたって常識的に普通の人だと思っている。
まだ昭和の時代は、社会が酒にそれほどうるさくなかったから、貧乏な山寺でも1年中お供えに頂いた日本酒や麦酒が切れたことがなかった。それでも先代住職は晩酌が底をついて時々酒屋へ麦酒の大瓶をケースで配達してもらっていて、今の自分よりは相当酒豪だった・・・そんなことを思い出しながら1合ほどレンジでチンして飲んだ。

寝る前に家族のSNSを見たら、ノッチがまた出国していた。昔の知り合いがNYで仕事をしていて、彼女がフロリダに居た時には時々合っていたらしい。就職も決まって、これから先しばらくはノンビリと旅行もできなくなるだろうからそれもいいだろう。
坊主家業のオヤジは、住職の立場でもあるし、萬善寺を起点にしてナニカの時はすぐにストレス無く移動できる手段を用意しながら毎日を過ごしているようなところもある。なかなか窮屈なことだ。
小さい時からそういうふうな暮らしに慣らされているようなところもあったから仕方がないと思いつつ、吉田家の家族はもっと自由にさせてあげたいと思う。
一度しか無い人生だから・・・

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人には添うてみよ 

2018/10/17
Wed. 23:46

高校の時から一人暮らしをはじめて、その延長で上京して東京ぐらしが10年続いた。
30歳に近づいても、まだ定職につかないままフラフラしていたから、そろそろシャンとして「何処かの採用試験でも受けなければ・・・」と思いつつ、それでも今ひとつ就職に本気になれないでいたのだが、ちょうどその頃両親が相次いで大病を患って、父親が手術を受けたり入院が長引いたりして萬善寺の行く末に暗雲が湧き上がった。それからしばらく闘病生活が続いていたが、発達中の医療の御陰で日常の暮らしを取り戻すまでに回復した。
「本気で帰省を考えないと・・・」いけないことになったので、10年目の7月になって島根県と広島県の教員採用試験を受けることに決めた。
ちょうど、後輩に広島県出身の娘がいて、その娘は頭も良くてよく勉強をしていたから、お昼ご飯とかちょっとおしゃれなディナーをネタに試験のノウハウを色々教えてもらった。
お陰様で、両県とも無事に合格して、その年の秋になってから通知が直接寺の住所へ届いた。昔のことで記憶も定かではないが、広島県からの連絡が1日ほど遅くて島根県の採用通知を承諾した後だったことはよく覚えている。これが、逆だったら今頃は広島県と縁が続いて石見銀山に自宅をかまえていなかったかも知れない・・・
とにかく、自分としては両親に引き戻された格好で島根県へUターンしたことになる。
ワイフとは、すでに数年間の付き合いが続いていたから就職を契機に結婚することを決めて、勤務校が決まって辞令交付直前の3月末に慌ただしく仏前で結婚式を上げた。
長男のじゅん君が生まれたのはそれから3年ほどあとだった。
その後、なっちゃんにノッチにキーポンと女の子が続いて三姉妹になった。
4人の子供はそれからスクスク成長してみんな立派な社会人になった・・・はずだが・・

今年の秋になって、隠岐の海士町で音楽の講師をしているじゅん君から中学校音楽で正式に教員採用が決まったと知らせがはいった。
彼が先生に向いているがどうか?・・・オヤジとしては自分のDNAを引き継いでいるだけに少々不安ではあったが、本人は音楽教師一本に絞って脇目も振らず勉強を続けていたから、結果的にはそれでよかったと思っている。
それから、オヤジの分身のようにフラフラと落ち着かない暮らしを続けていたノッチが、ちょうど自分と同じ年齢で本気になって採用試験を受けた。
それが、六本木の展覧会オープニングの日・・・
「面接1時から30分ほどで終わるらしいの・・・だから、2時位には美術館行けるよ!」
ノッチとの約束から逆算してキーポンと美術館へ向かっていたら、「もう終わったから、これから移動します!」と連絡が入った。面接は15分で終わったらしい・・・
それから3人でお昼を食べて、お父さんとお母さんの彫刻が展示してある会場を回った。
何人もの彫刻の友人に合って挨拶をしたり娘たちを紹介したりして、Hさんとも会場であった。
Hさんは、ノッチがまだ小学生くらいのときから知っているし、キーポンも小さい時から何度も合っている。
彫刻展示室のど真ん中で、ノッチの就職試験をネタに大いに盛り上がった。

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2020-04