工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ひとりめし 

2017/05/27
Sat. 23:16

只今の飯南高原、快晴11℃!!
ボクのAppleWatchが教えてくれています・・・
とにかく、寒い・・ので、洗濯してしまいこんでいたUSAパイロットジャケットを引っ張り出した。
高原の放射冷却は、人間の体温まで吸い取ってしまう。

明日は、法類(寺の親戚)の晋山式なので朝5時起きで万善寺を出発して、途中のお寺のご住職をピックアップする。
私は膝が曲がらないから、それでも出来るお手伝いをということで記録係になっている。
ナンチャッテ坊主はキャノンのG12とG15を首からぶら下げて、一日中ナンチャッテカメラマンになります。

夕方になって、祝賀(お祝い金)を口座から引き出すことを忘れていたことに気がついて、世間は土曜日で郵便局も銀行も農協も支局ばかりで開いていないし、万善寺中の熨斗封筒をかき集めて中身チェックしたけど、焼香料の1000円札や小銭ばかり・・・明日は朝も早いし、どぉ〜〜しよぉ〜〜〜・・・
石見銀山の吉田家に白衣の下に着る襦袢を忘れてしまって、ワイフに電話した。
「お昼ご馳走してくれたら持っていってあげてもいいよ♡!」
なかなか、優しい返事が返ってきた時には、まだ祝賀のことなどノーチェックだったからなぁ〜〜・・

お昼前にワイフが寺へ到着して、近所の一福(島根を代表する旨い田舎そば屋)へ行った。久しぶりの一福蕎麦は久しぶりにやっぱり旨かった!!
ワイフはそれから3時位まで寺の片付けを手伝ってくれた。一人では出来ないこともイロイロあるから、とても助かった。
キーポンが久しぶりに自作の夕食写メを送ってくれた。なかなかヘルシーで旨そうだ。
オヤジの方はワイフが夕食を数品用意してくれたので、夕方まで外仕事をしてから近所の酒屋さんまで麦とホップを買いに行った。珍しく黒も置いてあったので、ハーフ&ハーフにすることにした。
フキは、本堂の東側の日陰で自生していたもので、ハチクは万善寺墓地への山道に伸びていたものを収穫してワイフへ渡しておいたものだ。
昔はフキとかタケノコとか何処が旨いんだろうと、どうも理解できないまま食べていたが、最近はそのあたりにオノレ生えしている旬のモノが目に入ると、旨そうに見えてきて食べたくなってしまう。俊江さんの醤油で茶色く染まったしおからい味より、ワイフの薄く味付けされた料理が私の口にあうのかもしれない。

最近になって、夜になるとクロが私に甘えてくることが増えた。
5歳になって、少しずつ猫なりに分別も身について落ち着いてきはじめたのかもしれない。今夜は、クロも私もそれぞれ一人で寝ることになる。それでなくても寒い夜が余計に寒く感じてしまう。今頃アイツは何をしているんだろう・・・

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俊江さん四十九日 

2017/05/07
Sun. 23:25

母親の俊江さんの四十九日法事を無事に済ますことが出来た。
一ヶ月後には憲正さんの3回忌法事があるから、納骨はその時に併せて行うことに決めた。
一ヶ月の間に2つの法事で親族のお参りも大変なことだから、3回忌の方を優先してご案内をさせていただいた。

吉田家は、父方も母方も親族が少ない。
もともとはそれぞれに兄弟姉妹もソコソコいたのだが、結局は吉田家老夫婦が長生きして生き残った結果だということだ。
それで、憲正さんの近い親族は彼の妹さんだけが元気で生き残っていて、俊江さんの兄弟姉妹はすでに他界している。
こういう状況だから、法事のご案内もどこまで広げるのか迷うところだが、私としてはそのあたりを割り切って、それぞれの生家当主の判断へ委ねることにしている。
そうしておけば、私とか吉田家へ気兼ねすることもなく自分の都合で法事参列の出欠を決めてもらえるからそのほうが気楽でいられるだろうと、身勝手に判断してのことだ。

俊江さんの法事は、終わってみると、とてもアットホームな感じの良いものになったと、自分ではそう思っている。
それぞれの生家代表と憲正さんの妹さんまで参列していただいた。
吉田家からは長男のじゅん君も駆けつけてくれた。あとは、私にワイフ。
隣町の方丈さんに法事のお手伝いもしていただいた。
斎膳は、生前俊江さんが珍しく自分から行きたがっていた薬膳料理レストランへ予約を入れて、法事の後そちらへ移動した。
お店のママさんで料理長の肝いりで、私でも食べきれないほどの豪華フルコースが次々に出てきて、食いしん坊のワイフまで終盤になってギブアップしたほどだ。

法事のすべてを終わって、ワイフと石見銀山の吉田家へ帰宅したらすでに辺りが暗くなり始めていた。
強い風が吹いて春霞の一日だったが、黄砂の影響だったようだ。
島根に暮らしていると、春のこの時期に強い西風が吹くとだいたいスッキリしない霞晴れの状態が続く。

遅めの夕食を終わって少し落ち着いて、写真データから俊江さんのアルバムを引き出してみた。
ちょうど1年前の今頃は、まだ畑仕事をする気でいた。もちろん、荒れ放題の畑で何も出来るわけでもないのだが、その場所までヨチヨチと歩いていくだけでも何やら仕事をした気になって落ち着いていたのだろう。私が草刈りをしていると、自分の仕事を横取りされたふうなことまで云っていた。
法事までに、せめて彼女の畑だけでも原型が見えるまでにしておこうと決めていた。
かろうじて、畑の全景が確認できるまでにはなっただろうと、自分では満足している。

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クロの仕業 

2017/04/30
Sun. 11:57

いやぁ〜〜〜、アッという間に4月がおわってしまったなぁ〜〜・・・

末寺山寺万善寺では、ナント、4月の1ヶ月で葬儀が3つ(そのうち1つはお手伝いだったけど)・・・
ハッキリ云って、ナンチャッテ坊主のボクが副住職の頃から今までにはじめてのことであります・・
下世話な話ですが、毎月こういう坊主の忙しさが続いていたら、もっと生活も楽になるだろう。
だけど、彫刻家のボクは何処かへ行ってしまって坊主家業まっしぐらの人生になるだろうな。

そんなわけで、毎日万善寺の通勤坊主が続いている・・・いやむしろ、毎晩万善寺から石見銀山の吉田家へ寝に帰っているという状態が続いている。
さすがに、寺家業が忙しいと云っても、万善寺の夜は酒飲んで飯食って寝るだけだから、2時間でも3時間でも吉田家で彫刻絡みのデスクワークをしていたほうが少しは気も紛れる。
それで、先日いつものように荷物を一抱えと、結界君のリヤデッキいっぱいの万善寺紙ゴミを積んで帰宅した。
いつものように現在仮の書斎になっているキーポンの部屋へ書類の籠を持って上がったら、階段を登りきったところでクロ君が「フニャァ〜〜」と甘え声で出迎えてくれた。
真っ暗な2階の部屋に入って蛍光灯をつけてiPadからコルトレーンを無線でスピーカーへ飛ばしてひと心地ついて、珍しくゴロゴロと喉を鳴らしながら擦り寄ってくるクロ君をイジっていたら、右目の端になにやら雪が積もったような白い物体の山がチラリと入り込んだ。
この2〜3日は、夜な夜なキーポンの一人暮らし用の視聴覚機器を吉田家中からかき集めていたから、その梱包材でも残っていたのだろうくらいに気にもしないままその時はやり過ごしてクロとしばし戯れた。
ワイフから夕食の呼び出しがかかって、アサリのアヒージョや旬の葉わさびや筍などを堪能しながら麦とホップをグビッと空けて、しばし1日の情報交換をして書斎に引返した。
何気なしにデスクの下を見ると、やはり雪が吹き込んだ感じで何やら白いものが積もっている。
蛍光灯をつけて、デスクスタンドもつけて明るくして覗いてみると、トイレットペーパーが粉砕されて散乱して山のように積もっている。
これは、クロの仕業に違いない。
先程は珍しく甘えて擦り寄っていたが、どうやら自分の仕出かしたことを誤魔化しにかかっていた風にも思えてきた。
それにしても、2階の書斎にトイレットペーパーがあるわけもなく、何処から持って上がったのだろう?ワイフに聞いても知らないという。
メタボクロの腹回り程もあるトイレットペーパーを咥えて10段の階段を持ち上がった執念はたいしたものだ。怒る気も萎えた。

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さくらさく 

2017/04/08
Sat. 23:04

1日中吉田家の書斎へ閉じこもってデスクワークをした。
書斎は、現在2階の町並みに面したひと部屋へ移動している。
もともとはじゅん君が一人で使っていた部屋だったのを、キーポンが引き継いで高校を卒業するまで勉強部屋にしていた・・・はずだが、本来の目的で使われていたことはほとんどなくて、小学校から中学高校を卒業するまで日常のだいたいを私の四畳半の書斎で過ごしていた。
その四畳半の書斎は私の寝室も兼ねている。
どうも落ち着かないから寝るときくらい一人になりたいと、ほとんど使っていないキーポンの部屋へ移動して長い間家庭内別居をしていたワイフを説得して四畳半へ呼び戻していたのに、先頃、倉吉で学生生活をしていたキーポンがめでたく卒業して吉田家へ引き上げると、またその狭い四畳半へ転がり込んできた。
どう考えても、家族三人の居場所として四畳半は狭すぎる。その上、四六時中ネコチャンズもウロウロするし、あまりにも劣悪な環境でデスクワークも思うようにはかどらないから、結局巡り巡って私が2階へ避難することにした。

吉田家の2階にはクローゼットを兼ねたもうひと部屋があって、ノッチが中学を卒業するまで使っていた。
今は完全に物置部屋になっていて、時々私の大衣をたたむくらいにしか使っていない。
書斎移動のドタバタが少し落ち着いた先月の終わり頃、就職の決まったキーポンの引っ越し整理と、ノッチの何度目かの転職就活で必要な過去の資料を探すことが重なって、久しぶりに2階の二部屋が活性した。

ノッチは、吉田家の家庭事情で中学校を卒業と同時に東京の高校へ入学した。
2年生になる前に留学の資料を自分で揃えて親を説得して、高校へ通いながら数カ月の研修を続けて、7月にアメリカへ留学して、1年間をケンタッキーのルイビルで過ごした。
周囲に日本人がいなかったことが幸いして結構英語が喋れるようになったようだし、アメリカの高校で勉強した教科の単位読み替えも上手くいって、帰国してから学年をダブること無く3年間で高校を卒業出来た。大学も自分で決めて受験をしつつ親を説得した。
とにかくノッチは頑固に自力ですべてを決めて乗り切るものだから、親として口を挟むスキもないまま彼女主動でコトが進んだ。
卒業後も特にアクセク就活に励むでもなく、フラフラとフリーター暮らしを続けながら資金を貯めて、上手に彼女の人脈をタグってシンガポールへ渡航し、上司のパワハラに絶えつつ2年近く勤め上げ帰国して今に至っていたはずだったのだが・・・何処からか、アメリカ企業の1年契約求人募集を見つけ出して何度目かの就活に入った・・・ということは聞いていたが、何回かの面接試験をクリアーしてひとまず「補欠採用」というところまでこぎつけたことを聞いたのがつい先日のこと。

夕方までデスクワークをして、ワイフと一緒に万善寺へ移動した。
断捨離の最中にワイフがなにやら大声で話している。
会話の相手はノッチ・・・補欠採用が正採用になって渡米決定!・・あいつは凄い娘だ。

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キーポン一人暮らしスタート 

2017/03/24
Fri. 22:29

ワイフの新しい赤い中古車(名前は知らない)は、なかなかスグレモノだった。
キーポンの引越荷物を一回で全て積み込むことが出来た。
お母さんの収納タップリ新しい赤い中古車。
お父さんの念入りな引越荷物の梱包。
それに、キーポンのプロ並みの確かな積み込み技術。
吉田家3人の華麗なる連携プレーが実に見事だった。

島根の何時も彫刻運搬でお世話になっている運送屋さんへ持ち込みして、キーポンが別便で移動して現場待機。予定の時間ピッタリに引越荷物が到着して、アッという間に荷降ろし完了。
厳重にラップでぐるぐる巻きにした布団などの梱包を解いたりさり気なく整頓したりして、残るはオヤジ手造りのコタツを組み立てるくらい。

お父さんもお母さんも島根での用事があってキーポンの引っ越しに付き合えなかった。
中学校から高校を卒業するまでの6年間を吹奏楽で過ごしたから、年に何度となく楽器の積み込みで引っ越しのような重労働を経験していたことがこういう時に役立ったようだ。
部屋にはエアコンもあるが、ホームセンターの格安電熱器を取り付けたオヤジ制作のコタツの方が若干電気代も安いだろうから、まずは木ねじでコタツを組み立てるところから彼女の一人暮らしがスタートした。
プラスのドライバーが必要で、アチコチ探した挙句、ヨドバシカメラでグッドデザインのドライバーセットを買ったようだ。こういう工具が一組あるだけでも日常の暮らしが随分楽になる。なかなか良い買い物をしたと感心した。
久しぶりにワイフと二人水入らずで夕食をとっていたら、キーポンから絶え間なくLINEの着信があった。その中に、部屋の様子や組立ったコタツの写真が送られてきた。
フローリングを傷つけないように応急処置で鉄製の足に梱包で使ったラップが巻きつけてある。なかなか良い思いつきだ。
吉田家の自宅では、一日中ゴロゴロして何もしなかったナマケモノが、こうして一人になると結構こまめに立ち働いて色々とやりくりしているようだ。

急な仏事が次々と入って、予定の仕事が後回しになって苦労している。それでも、やっと少しばかり先が見えるようになって、来週早々には関係各所へ提出できそうなところまでになった。
今週末には、保賀地区自治会の年度末常会もある。
4月に入ったら、倉敷児島のイベントへ設置してある彫刻を搬出することになる。それが終わったら、万善寺法類の遷化された東堂さんの本葬があって、それから1ヶ月後には、新命住職の晋山式がある。近所の寺では弘法大師の縁日法要で塔婆回向をすることになるし、憲正さんの3回忌もある。アッという間に春が過ぎて梅雨になりそうな勢いだ。
梅雨が終わる頃に長女のなっちゃんの結婚式がある。そろそろ衣装合わせなどしているようだが、和服にドレスに和洋折衷神仏混合なんとも現代日本らしい披露宴になりそうだ。

その頃にはキーポンの一人暮らしも慣れて落ち着いていることだろう。

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石見銀山小春日和 

2017/03/22
Wed. 19:33

昨日は冬が戻ってきたような寒い1日で、晩酌も日本酒の熱燗にしたくらいだ。
冷え込んで寒いからシッカリとシュラフにくるまって寝ていたらどうも寝苦しくて目が覚めると、石見銀山の町並みはすでにほんのり明るくなり始めていた。
気がつくと、クロが私の足元で丸くなって寝ている。寝苦しさの原因がわかった。

銀山街道はいつも以上に朝もやが濃い。
多分、この様子だと今日は暖かく春らしい1日になるだろうと予測しながら結界君を走らせた。
2月のはじめから続いていた七日務めがやっと大練忌(49日)を向かえる。
すでに法事の方は少し前の親族が集まりやすい頃合いを日程に組んで終了している。それでも、正規な満中陰は、それはそれで大事な意味もあるし、施主さんの都合に不具合がなければ菩提寺として区切りのお経をあげさせてもらうことにしている。
お経が終わってから、お仏壇の荘厳を整えて、香華灯明などの配置や湯茶仏飯などのお供えのことなど、ひと通りお話をさせてもらった。

「お昼は何時くらいになるの?」
珍しく自宅を出る時ワイフが聞いてきたから何事かと思っていたら、夕方出発の高速バスでキーポンが上京するのだという。アパートも決まって、これから引っ越しや職場の社員研修の日程のこともあって、本格的にキーポンの一人暮らしがスタートする。
これで吉田家の子供たちが全て社会人になった。
出発前のお昼ごはんは何が食べたいかと聞いたら、「お母さんのつくったハンバーグ!」ということになって、家族水入らずの昼食にするために私の帰宅時間が気になったようだ。
あいかわらず、ワイフのハンバーグは絶品だった。何処かのファミリーレストランよりズッと美味しい。調子に乗って2個も食べてしまった。

駐車場でレシート太りした財布からお札を2枚引き出して手渡した。
多分、上の子供たちにはそんなこともしなかったはずだ。やはり、なんだかんだ云っても末娘は可愛いものだ。もちろん、他の子供たちもそれぞれ可愛いのだが、オヤジもそれなりに歳をとってジジイになったということなのかもしれない。

母娘を見送ってから、クロと一緒にしばらくストーブに暖まってボォ〜っと過ごした。それから、気持ちを切り替えてコタツ兼用のデスクとその周辺(つまりコタツの周囲)へ書類を広げた。それからキース・ジャレットのマイ・アルバムをシャッフル再生した。そのリストにはワイフの彫刻タイトルになっている「Birth」も入れている。
ゆったりしたバラードが心地よい。
ワイフは日常であまり音楽を聴かない。テレビが大好きで目覚めると直ぐにテレビのスイッチを入れる。彫刻の制作中もテレビがつきっぱなしだったりしている。結局耳にも目にも入っていないのだろうから、どうせだったらイメージの膨らむ音楽でも流しながら制作したほうが彫刻のレベルアップになる気がするんだけどなぁ・・

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オヤジ道中記〜ラムの焼肉〜 

2017/03/21
Tue. 15:45

最近数回続けて同じ夢を観た。
だいたいの夢は、目覚めて気がつくといくら思い出そうと頑張っても、その内容のカケラも思い浮かばないほど忘れてしまっている。そんな自分が、自分の見た夢を覚えているということは非常に稀で珍しいことなのだ。

まだ小学校にあがったばかりくらいの少年が、山羊の乳で造ったプリン(だと思う)を食べている。
プリンの容器は、小ぶりの磁器雑器の煎茶茶碗が代用されていて、それを小さな菓子皿に伏せて何度かイジイジと揺すったりしていると、中のプリンがプルンとお皿に出てくる。形は煎茶茶碗がひっくり返ったというか、皿に茶輪を伏せた感じ。それを、大量生産のプレス型で打ち抜いて整形した安っぽいステンレス製のスプーンでスクって食べている。スプーンの形に切り取られた断面の端っこが粘っこく伸びて、やがてちぎれて欠けたプリン本体がしばらくのあいだ皿の上でプルプルとゆれている。その様子を見ながらスプーンをパクリと咥える。独特の生臭くて野性的な味が口の中に広がる。なかなか旨い。
それが延々とリピートされるという夢なのだが、そのプリンの味まで覚えているというか感じているというか、とにかく、プリンを食べるという行為のその一連の状況を現実の出来事のように鮮明に記憶している・・・という、ある意味奇妙な夢を何故か連続して観た。

銀山街道を往復している時に、その夢のことをふと思い出した。なぜプリンの素材が山羊の乳なのか?なぜその山羊の乳なるものの味を自分が覚えているのか?そして、そのプリンを食べている少年は間違いなく自分自身だということ。
古い記憶を手繰ると、保賀の谷の林道を登っていった先にある家で山羊を飼っていたということと、小学校の下校途中にまだ現在の国道が出来る前の昔の砂利道だった国道脇にある掘っ立て小屋に捨てられていた子山羊を見つけて、かわいそうだからと約1kmの距離を寺まで抱きかかえて帰った(結局飼うことはできなかった)ということを思い出した。
それらの出来事は吉田少年にとって、成長の過程の通過点の些細な出来事くらいのものだったのだろうが、山羊というキーワードからは、その程度のことしか心当りがなかった。

東京で半年ぶりにノッチと逢って飲んだ。
昨年に帰国してから、そろそろ1年になる。やっぱり生身の娘と飲んだりすると、時々思い出したようにSNSの会話で盛り上がる程度の距離感が、一気に縮まる。この1年近くの間に大人のオンナになった気がした。色っぽくなったと云うより、分別のある社会人になったと云う印象だ。傍目にはいつまでも落ち着かなくてプラプラ気儘にその日暮らしをしているように見えるかもしれないが、父親としては、親娘の距離が少し遠くなったように感じて、それが彼女の人格の成長だと錯覚したのかもしれない。
彼女が池袋のお店を予約してくれて、ラムの焼肉をたらふく食べた。実に美味かった!
「あっ!ヒョットして、山羊のプリンの夢のネタ元はラムの焼肉かも知れない!」
一瞬、そう思ったが、山羊と羊は、まぁ似ているといえば同類のようなものだろうけど、まさかそれと夢とが重なったとも思えないし・・・なぁ〜・・

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オヤジ道中記〜キーポン卒業〜 

2017/03/20
Mon. 03:18

東京から帰って以来、毎日改良衣や大衣を着ていて、1日中帯を締めない坊主の自由服で過ごしたのは久しぶりのことだった。
その日はキーポンの卒業式であり、石見銀山にある今では全国でも珍しい昭和の木造校舎が現役で使用されている大森小学校の卒業式でもあった。

吉田家は、私が学校評価委員なる立場で、ワイフが民生委員なる立場で、毎年それぞれ式に来賓招待されていて、どんなに都合が悪くてもだいたいどちらか一人がやりくりして出席をさせてもらっていた。それが、今年はキーポンの卒業と重なってしまって二人して欠席になってしまって、とても残念なことだった。
全校児童20名を下回る大森小学校の卒業式は、少ない児童数だから出来る対話式の演出がされていて、それがとても感動的だ。
世間で常識的な代表の送辞答辞がなくて、1年生から6年生までの児童一人一人が自分の思い出を大きな声で発表し、まるでミュージカルのような全員の合唱に続く。
卒業式や入学式がない年も時々あるような極小規模の小学校だから、子供も大人もよけいに練習に力が入って、濃縮されて熟成された夢のような世界が木造の体育館に満ちる。
吉田家の4人の子供たちは全員その大森小学校を卒業して、このたび、最後の末娘が同じ日に卒業式を迎えることになったわけだ。

早朝に石見銀山を出発して、雪の大山を横目で見ながら少し余裕を持って鳥取の倉吉へ着いて、お世話になっていた学校の寮へ挨拶に回ってから卒業式の会場へ向かった。
倉吉は昨年に大きな地震があって、いまだにその後遺症が残っていて、アチコチでブルーシートの屋根が目につく。地震の直後は市内の給食センターが機能しなくなって、急きょ、キーポンの通う学校の調理室を開放して急場をしのいだということだ。余震も頻繁で学園祭も中止になって、急きょ帰省することになったキーポンを迎えに行った時は、歩道のインターロッキングが液状化現象で波打っていた。あれから約半年後にその同じ場所を通過すると、あの時のことがウソのように改修されて元の風景に戻っていた。
倉吉には彫刻の作家も暮らしていて、地震からあと、なかなか連絡がつかないままでいたが、先頃やっと消息が確認できて少し安心した。

卒業式に続いて謝恩会やクラスのお別れ会などがあって、その間ワイフと二人で車中待機した。私は、多分こういうことになるだろうとおおよそ予測してデスクワークの準備をしておいたから待機時間が全く苦にならなかった。
日本海へ沈む夕日の見えるパーキングまで移動してAppleMusicでラムゼイ・ルイスのアルバムを見つけてiPhoneからBluetoothで飛ばして垂れ流しながらラップトップをつついた。昔は「なんて軽くてつまらんジャズだ」なんて思っていたが、今はそうでもないし、むしろ懐かしく感じたりする。歳をとったせいかもしれない。

キーポンが助手席へ滑り込んできたのは夜の10時を過ぎていた。それから石見銀山まで約2時間半。自宅前の駐車場に到着した時はすでに日が変わっていた。
ほぼ一日中座りっぱなしで見事に足がむくんだ。

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賑わいの吉田家 

2017/02/28
Tue. 23:54

寺暮らしを切り上げて石見銀山暮らしに切り替えたのは2月の中旬だった。
それから、気がつけば2月も終わって3月が始まる。
あまりに毎日が過ぎるのが早い。

結婚してまだ1年も経たない長女のなっちゃんが先日帰省した・・・が、離婚したわけではない。現在の仕事の出張を兼ねて帰ってきただけのことだ。
結婚したと云っても、すでにその1年くらい前から今の旦那(前の旦那はいませんよ・・・)がなっちゃんの部屋へ転がり込んで共同生活をはじめていたから、実質の結婚は2年前と言って良いかもしれない。
なっちゃんの当時をみると、ナント乱れたいい加減な暮らしをしているのだ・・と思うかもしれないが、オヤジの私が特別それでどうこう口を挟むことでもないと、平常心をとおしていた。
たまに用事で上京した時は、旦那も呼び出して一緒に飲んだりもする。
ニートオヤジのごとく年中自堕落に暮らす私より、彼の方がズッとまともで真面目な暮らしをしている気もする。
なっちゃんとしては、旦那の日常のアレコレに色々と思うところもあるようだが、私からみるとそれも普通に常識の範囲で、それなりに仲のいい似合いの夫婦に見える。

自分から言うことでもないが、私は一人暮らしが結構長かったから、日常の家事はだいたいそれなりにこなせる。
ワイフがしばらく家を空けても、特に気にもしないで粛々と日常を乗り切るし、2ヶ月半続いた寺暮らしでは、母親の食事の世話までしていた。
世間の煩わしさに振り回されて落ち着かない毎日を過ごすより、むしろ、自分一人のほうが落ち着いて自由にマイペースが保てて都合が良かったりする。
一人暮らしの引きこもりの時期は、「一日中、一言もしゃべらないで過ごすことも普通でしたけど・・・」
先日、なのか日のお経が終わってお茶をいただきながらそういうことを話したら、その家で一人暮らしになられた奥さんがやたらと驚いて珍しく私の話に食い下がっていらっしゃった。
男と女の性格の違いもあるだろう。マイパパの憲正さんも、晩年の日常は特に無口になって、通院の道中、ほぼ1日近く一緒にいても男二人が一言も口を利かないことなど普通だった。

ようするに、何が言いたいかというと、なっちゃんが帰ってきた数日間は、なかなか賑やかな吉田家ぐらしになったということ。
なっちゃんに自分の寝場所を追い出されたキーポンが玉突きでオヤジの寝場所に転がり込むし、あげくには、なっちゃんにイジラレまくったクロまで私の居場所へ避難するようになった。
とにかくこの半月ほどの吉田家暮らしでは、いまだにマイペースが機能しないでいるのだが、だからといって、決してなっちゃんをはじめ、吉田家メンバーがキライなわけではないので誤解のないように!
ボクはみんな大好きだよ!

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ざわめく吉田家 

2017/02/22
Wed. 23:08

石見銀山の吉田家暮らしも、さすがに長い間留守にしていると、どうも自分の居場所が落ち着かなくて、さり気なく居心地が悪かったりする。
ひとり暮らしのキーポンが荷物と一緒に帰省してから、四畳半のオヤジの居場所がアッという間に占拠されて、コタツ兼用の事務机には彼女のグッズが散乱している。
こういうことになるだろうとあらかじめ予測して、本来キーポンの部屋であるはずの吉田家2階ロフト部屋を片付けた。事務用のデスクトップは吉田家の子供たちが中学校を卒業するまで使っていた勉強机に移動して使えるようにしておいたし、時々ネコチャンズの寝床になっていたキーポンのベッドもベッドメイキングしておいた。
こうしておけば、親子3人の夕食が始まって終わっても、さり気なく2階のロフト部屋へ引き上げてしまえば家庭の大きな混乱もなくて平和に穏やかに過ごせるはずだった。

確かに、この2〜3日はおおよその予想通り、七日務めのスケジュールをはさみながら比較的静かな毎日が過ぎていたが、昨日の夕方になって長女のなっちゃんが営業の本社会議を兼ねた出張と称して帰省してきた。
ここにきて、吉田家が一気に賑やかになってザワメキ始め、シロは四畳半のコタツデスクに潜り込んで出てこないし、クロは2階ロフト部屋の即席オヤジ書斎に避難して一日中ゴロゴロし始めるようになった。最近の私は、次々に押し寄せる様々な試練に押しつぶされそうになって、もう、ヨレヨレ状態だ。たぶん、ワイフの方は、一気に増えた口の数に振り回されて、想像以上に苦しい思いをしていることだろう。

七日務めから帰宅したら、キーポンがやっとゴソゴソ起き始めたところだった。
もうお昼の頃で、これから改めて昼食をつくるのも面倒だから、外食をすることにした。
昨年末に親から子へ店長交代をしてメニューも新しく入れ替えた近所のレストランへ数カ月ぶりに行ってみることにした。
前の店長のオヤジさんは、なかなかの趣味人で、店の経営の傍ら、もっぱらマイペースに人生を楽しんでいるような人だ。
そのあたりでは、私も似たような存在だったりして、彫刻の工場から作業着のまま昼食を食べに出かけたりすると、店へ入る前にご主人と立ち話が始まったりすることもしょっちゅうだった。
ひところは、炭焼に凝っていて、木酢液をペットボトルに入れてレストランのアプローチで安く販売したりしていた。私が陶芸の心得もあることを知っていて、窯のことや釉薬のことなど、かなりマニアックな質問を受けたりもしていたし、溶接の話が出たこともあった。海で採取した芽わかめをドッサリくれたりもする、なんとも楽しい人物である。
今度、店長の代替わりをしたご主人の次男坊は、まだ若いがすでに嫁もいて娘もいる。
銭勘定に長けていそうでなかなかシッカリとした経営者だ。
しだいに店の雰囲気も代わって、この世知辛いご時世に客が増えているふうに見える。
新メニューにはまだ慣れないし、どこかしら、前の味に懐かしさもあったりする。変わることは良いこと悪いこと予測が難しい。新体制のレストランがこなれて落ち着くまでには、もう少し時間がかかりそうな気がした。

強い北西の風で珍しく日本海が濁っていた。飯南高原は明日からまた雨から雪になりそうだ。

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2月14日 

2017/02/15
Wed. 22:23

久しぶりに朝から晴れた。
前夜の降雪も夕方の足跡が確認できるくらい少しだった。
役場や市役所や幾つかの金融機関を回ったり、書類作成を完了して発送したりなどの用事を済まそうと、大荷物を抱えて参道を下って結界君へ乗り込んで暖機運転をして出発したら、走りがぎこちなくてお尻を降り続ける。
「パンクかもしれない??」
国道の広いところへ出てからタイヤ確認をしたら、やはり、後輪がペチャンコ。
そのまま2kmほどハザードを付けながらゆっくり走って同級生経営の自動車工場へ駆け込んだ。
奥さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら修理を待っていると、バーストしていてもう使い物にならないことがわかった。
ひとまず代替えのタイヤを履いて当面乗り切ることにして、そのまま役所へ向かった。
この時期にタイヤ1本と修理代の出費はキツイ。

七日務めが当分続くから、雪の飯南高原を移動することが多いし、万善寺の参道もいつになったら結界君で登れるか予測できない状態だ。
収入の途絶えた状態がまだ当分続きそうだし、厳しい冬になってしまった。

14日は世間のアチコチがバレンタイン仕様になっていた。
就職の決まったキーポンが最後の学業へ帰る日でもあったので、家族3人が私の結界君へ乗り込んで出雲まで出かけた。
列車の時間もあるし、私が寺へ帰る時間もあるから、落ち着いて買い物をするほどの余裕はなかったが、それぞれがそれなりに必要な買い物をすることは出来た。
私が寺の食料を買い込んでいる間にワイフがチョコとワインを買ってキーポンがマックをくれた♡!

3回目の寒波はドカ雪に近い降りようだったので、万善寺は断続的な停電に苦労した。
特に、母親の大騒ぎがひどくてそれに付き合うだけでかなり疲れた。
ひと昔前なら、停電ぐらいで大騒ぎすることもなかったのに、この半世紀の間にそれだけ電気需要が拡大して、それに依存した日常の暮らしに慣れてしまったのだろう。
万善寺でこういう停電非常時に困ることは・・・
井戸水供給のストップ→ポンプの給電が絶える。
水洗トイレ→水の補充が絶える。
暖房→電気炬燵に電気ストーブに電気敷毛布にエアコンが使えなくなる。
インターネット環境→充電も出来なくなって、私にはこれが一番の苦労になった。
だいたい思いつくとこんな具合だ。

ガスはあるし、上水道もあるし、寺には大きなロウソクもあるから、それだけで非常時に十分絶えられるほどの余裕がある。
近年急激に拡大したオール電化住宅はかなり大変だったろう。
屋根の上で見かける太陽光発電システムは、こういう時どのように機能するのだろう?

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肝っ玉ワイフ 

2017/02/05
Sun. 23:42

石見銀山の町並みへ出ると、小雨が降っていた。
雪のカケラもない風景を見るのは久しぶりのことだ。

午前中の用事が終わったらワイフと二人で出雲まで出かけようと、昨夜寝る前に予定を決めておいた。
特に大事な用事があるわけでもないが、たまには意思の疎通も大事なことだ。
年が変わってから石見銀山やワイフの周辺の現状や、吉田家家族でオヤジ抜きの会話もそれなりにあっただろうし、まぁ、色々な出来事の情報交換も大事なことだと思ってのことだ。
出雲までの往復で車の中での会話が出来るというより、そのくらいのことしかやることもないし、後はどちらかが運転でどちらかが助手席で寝てしまうくらいのものだ。

ワイフは東京生まれの東京育ちで、その上、学生の頃にはほぼ私と結婚することも決まっていたから、正式な社会人として就職を経験することもないお嬢様のまま島根県で暮らすようになった。
私がUターンで、彼女はIターンということで、それが今から約35年ほどまえのことになる。
帰省した当時は仕事の関係で転勤族だったから、それから5回の引っ越しをして今に至っている。
私の信条として、仕事をさせてもらっている場所で住み暮らすことで、その地域の公私を含めたさまざまな付き合いも深まるし、良し悪し含めて地域の事情も見えてくるし、そのうえ自分たちの暮らしぶりや人柄も知れ渡るし、そういう、もろもろ悲喜交交の付き合いを共有しながら仕事をさせてもらうことはとても大事なことだと思っていた。
引っ越しが多かったのも、そういう理由があったわけだが、一方で、私と一緒に島根のアチコチを移動しながら、引っ越しのたびに一人ずつ子供を産んで都合4人の子供を育ててきたワイフの方は、それこそ生活の全てで必要に迫られて地域の付き合いが深まって、気がつけば私など足元にも及ばないほど島根県にどっぷりと浸かった島根県人として堂々と生きるまでになっていた。

私の留守の間にワイフワールドになった吉田家のテーブルで、ワイフへの委嘱状を見つけた。なんと、今では地域の民生委員や児童委員を仰せつかっていた。それに、まちづくりセンターの運営委員長とか、保育園の役員とか、やたらとたくさんの役職を抱えながら、その上石見銀山周辺の中学校3校をかけもちでの美術時間講師まで引き受けている。
携帯電話を持っているのに、何時電話しても出てこない不携帯状態だったり、たまに帰る吉田家が何時も留守状態だったりして、なかなか連絡が取れないことがやたらと多いのもわかる気がする。
そんな忙しい時間の間隙を縫って彫刻も制作しているわけだから大したものだ。

出雲の往復は濃厚な会話の時間になった。それに夕食の砂肝アヒージョも絶品だった。
改めてワイフの偉大さを確認した1日になった。

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キーポンプチお引っ越し 

2017/01/11
Wed. 23:22

久しぶりの石見銀山吉田家夕食でワイフの手料理を堪能して気持ちよく寝ていたら、冬休み最終日のキーポンが例のごとく私のダブルシュラフに潜り込んできた。
つい先日、成人式で振り袖の撮影をして立派に大人になったはずなのに、全く甘え癖が治っていない。
深夜になって寝苦しくて気がつくと、キーポンがシュラフの中で斜めになってオヤジの腹へ2本の足が乗っていた。
若い娘の恥じらいなど、微塵も感じられない我が末娘が、あと数ヶ月で社会人になるなんてとても想像できないほど親離れの出来ないガキにしか見えないんだけど・・・

そんなキーポンが学業に帰っていった。
就職先も内定をもらってほぼ確定したし、学生生活もあと2ヶ月足らずで終了するし、次の引っ越しのこともあるしするから、今の部屋の荷物を整理して少しでも身軽にしておいたほうが良いだろうということになった。
それでは、誰がどうするかということになって、ワイフは終日仕事で空きがないし、夜には地域の会議が入っているしするから、結局、私が彼女を送りがてら荷物を搬出することになった。

今年になって、はじめて石見銀山の吉田家に帰ったのだが、少しも落ち着けないまま1日がアッという間に過ぎて、途中で夕食用のお惣菜などを買い込んで帰宅したのは夜の7時を過ぎていた。
「お疲れさま、お風呂わいてるから入ってください」
テーブルに、裏紙を使ったメモが置いてあった。
強い北風の中で終日結界君を運転していたから、身体が固まって動きがぎこちない。
ストーブに薪を補充してゆっくりと風呂に入った。ほのかに入浴剤の香りが漂っていた。

石見銀山二日目の夜は、キーポンもいないし、ワイフも会議でいなし、ネコチャンズはオヤジを避けて何処かへ潜り込んで姿を見せないし、スーパーのお惣菜も味気ないしで、寂しい夕食になった。
幾つかの仕事を段ボールに入れて持ち帰っているが、それに手を付ける気にもなれないまま、麦とホップをちびちびやっていたが、ふと思いついて、Huluチェックをしてみた。
「かもめ食堂」が新作に加わっていた。
ちょうど群さんの文庫本を一冊読み上げたあとだったし、いいタイミングだと思って、ブロジェクターのスイッチをONした。
2時間弱の映画は、比較的原作に忠実にストーリーが進んでいて、それなりにいい感じの雰囲気も漂っていて、気持ちが和んだ。それでもやっぱり、原作の小説は自分のイメージを映像に置き換えながら読み進んでいくワクワク感のようなものが楽しめて、物語の深みもあって良かったかな・・・と、そういう印象もあった。
映画が終わるタイミングを図ったようにワイフがグッタリ疲れて帰宅した。
それから食べ残しておいたお惣菜を二人で分けて完食した。
明日は、夕方につけてまた万善寺へ移動する。寒波の影響が心配だ。

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キーポンの成人式 

2017/01/04
Wed. 19:51

1月3日の朝の祈念法要を全て終わったら、韋駄天さまへお供えしておいたお神酒の御下りをその日の朝食で雑煮などと一緒に頂き、坊主の寝正月へ突入する!
・・・といったお正月の決まったスケジュールが続いていたのは、憲正さんが遷化した年の正月までだった。
思えば、憲正さんもおおむね幸せな坊主暮しを続けていた気がする。正月の行事がだいたい自分の思うように過ぎて、2月には入院することになって、一時退院できたものの、それからすぐにその年2回目の入院が決まって、そのまま存命中に寺の庫裏へ帰ることがなかった。
残された母親は、前住職存命中の諸行事をかたくなに守り続けようともがいている。
そういう気持ちは分からないでもないが、誰がどう客観的に見ても90歳を過ぎた老婆と、かぎりなくジジイに近いヨレヨレオヤジ坊主の二人で昔ながらの正月仏事を乗り切ることは不可能なのだ。
結局は、年末から年始にかけての万善寺オリジナルスケジュールを調整して割愛できる幾つかのポイントを抜きだして削除しながらシンプルに乗り切っていくしかないことなのだ。そういうわけで、坊主の寝正月はもう何年も前から削除されて無くなった。

4日は世間の仕事始めもあって、地域の年始会もあって、とにかくめまぐるしい1日であるが、今年の吉田家は、それにキーポンの成人式が加わった。
吉田家の三姉妹は、お母さん(ボクのワイフ)から引き継いだ晴れ着で成人式を迎える。
その晴れ姿の撮影係がオヤジのボクなのです。
それで、早朝に万善寺を出発して石見銀山の吉田家へ向かった。
今年は雪もなくて、とても楽な新年になって、移動も楽で、銀山街道の途中からは朝霧もはれて絶好の撮影日よりになった。

早朝の石見銀山は、人影もなく静まりかえっていた。
自分にとっては、年が改まってはじめての石見銀山で吉田家になった。
例の如く、吉田家玄関へ入ってもネコチャンズのお出迎えは無し。正月休みで帰省中のじゅん君はまだ就寝中。グッピー家族の水槽は水が蒸発して可哀想なほど窮屈に暮している。
母娘が着付けから帰ってくるまでの間、ストーブに薪を補充したり、水槽の水を補充してフィルターの掃除をしたり、撮影用のG12を動作確認したりしていたら二人が帰ってきた。
久しぶりに見るキーポンは、それなりに年頃の娘らしい大人びた姿になっていた。

じゅん君からはじまって4人の子供たちが無事に成人してくれた。
じゅん君は、最初の子供でどう育てたら好いのかわからないまま時が過ぎて、知らない間に大きくなっていた。
なっちゃんは、逞しく活発に育ってくれた。泣きながら自転車練習をしたことをよく覚えている。
小さい頃のノッチは風呂嫌いで、彼女のシャンプーにはかなり苦労させられた。
キーポンの口癖は「お父さん大嫌い!」で、小学校に入るくらいまで散々そのフレーズを聞きながらだっこしていた・・が、いまだにお父さんのダブルシュラフに潜り込んでくる。

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万善寺の年越し 

2016/12/31
Sat. 22:00

松江の忘年会の後、ボクの結界君を運転して石見銀山まで連れて帰ってくれたじゅん君が、ワイフと一緒に万善寺へ来てくれた。
2016年最後の一日は、4人で万善寺の年末を迎えることになって、独居老人の母親は見違えるほどウキウキしている。

もう随分前から万善寺の梵鐘には割れが入っていて、荘厳な鐘の音と言うより、やたらとうるさいドラの音と言った感じで一打ちの鐘に新年を迎える風情など微塵もない。
近所の人は、破れ鐘と知ってか知らずか、毎日の斎の鐘をついていた頃は、「あの鐘の音で一日が終わるような気がして助けになりますワァ〜」などと、上手を言ってくる。
私の場合、「住職」というよりは、「無住職」で通すことが圧倒的に多い。
それも、生きる手段で当然の行為なのだが・・・毎日の斎の鐘を撞くためだけに万善寺の暮らしを続けていたらとっくの昔に栄養失調で干上がって即身成仏のミイラになっているだろう。
それはそれで、「あぁ〜、あの人は有難く偉いお坊さんだった!・・・」などと後々まで伝説を残すくらいになれたら即身成仏も良いかなと思うが、見方を変えると、自ら断食をチョイスして生きる術から絶縁してしまうあたりなど、体のいい自死のようなものと大差がないことにもなって、そのあたりの曖昧な宗教的解釈が釈然としない。

とにかく、石見銀山の吉田家の留守を預かり新年を迎えるのは、ネコチャンズとグッピー一家、それに少々のゴキブリたちと屋根裏のムカデとか・・そういった連中だけだということになった。

久しぶりのじゅん君だが、やはり以前と変わりなくオヤジとの会話は殆ど無い。
多少の変化といえば、男ながらに編み物ができるようになっていた。
他でもない、私自身も昔々の少年時代には母親と一緒に編み物をしていた時期もあったから、吉田家的には特に珍しいとも思わなかったが、それでもやはりいい歳をした男子がモタモタとそしてノンビリと編み物に興じている様子にはそれなりの発見と刺激があった。
会話の少ない親子ではあるが、どこかしらお互いにお互いの事情を認識できているようにも思うし、男同士の付き合いはその程度で良いような気もする。

除夜の鐘には後もう少し時間があるし、遅れていた年回の繰り出しも一通り出来たし、それでも結局年賀状へ手を付けるまでには至らなかったが、今更焦っても年内にどうこうできるわけでもないから、まるごと新年の仕事へまわすことにして、コーヒーを抽出することにした。
私の場合、「コーヒーを飲んだから眠れなくなった!」ということとはほとんど縁がないし、むしろ、寝る前の一杯のコーヒーで気持ちが落ち着いて熟睡できる。
これから除夜の鐘を撞き終わったら、引き続いて約2時間ほどの新年朝課法要もあるし、その前に少しノンビリと落ち着くことも大事なことだし、まぁ、色々と都合の良い言い訳を用意して2016年を乗り切ろうとしているわけであります。

この数日は気持ち悪いほど天気が良い。元旦は放射冷却でぐっと冷え込みそうだ。

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吉田家の食卓 

2016/11/29
Tue. 21:29

なんと!!もう11月も終わりですよ!!
こうしてブログ書く時間も、11月はホント少なかったなぁ~~~
旅の空が多くて、昼と夜が逆転することも多かったし、石見銀山の自宅に帰るとすでにワイフもネコチャンズも爆睡していたり、朝も早くから富山の立派な廃校へ移動したり、珍しく万善寺のことで忙しかったり、保賀の自治会の付き合いもあったり、打ち止めは中学校の地元メンバー納会同窓会!・・・吉田家の玄関へ入ると一気に疲れが吹き出して、家のアチコチを這うようにして動いていた(・・とは、チョット大げさかな?)

母親の通院に毎月1回付き合っているが、8月は奥出雲で9月は江津で10月は久しぶりに近所の蕎麦屋で昼飯で、11月はまたまた江津と、通院のたびにほぼ半日ほど結界君の助手席で私の用事に付き合わせてドライブをしていた。単気筒一馬力ワンオーナーフリーターオヤジに、半日の時間の無駄はかなりのダメージになってしまう。母親はそういう余裕のない私のドタバタをほぼ毎月一回結界君の助手席で眺めていたからだろうか、それまで無駄に多かった電話の回数が11月の通院が終わってからあと激減した。

幼稚園実習が終わってキーポンがいなくなった後の吉田家は、夫婦の二人暮らしに戻って一見平和な落ち着きを取り戻したふうにみえるが、実態は微妙なすれ違いが続いていて、どこかしらお互いの我慢が心の淵に淀んでいるような状態だ。こういうことが長く続くのはあまり良いことでもないから、時間を見つけて会話のネタを振ったり食事に誘ったりしているものの、お互いのスケジュールのすれ違いを修正できないまま機会を逸することもシバシバですんなりとコトが進まない。
ゆっくりと落ち着いた夕食のひとときも激減していたが、先日久しぶりにワイフの手料理を堪能することが出来た。
赤貝の酒蒸しは生姜が効いて旨かった。もう赤貝の季節になっていたことを思い出した。赤貝は万善寺のお正月には欠かせない。子供の頃からずっとそうだったから、1年の経過の早さを実感した。
久しぶりの湯豆腐も旨かった。2種類の豆腐がわかるように、切り分けの違いがしてあってそのあたりにワイフの気遣いを感じた。私が湯豆腐を造る時はネギをザクッと切って豆腐と一緒にグツグツやってしまうが、彼女は殆どそれをしない。それはそれでまた旨い。湯豆腐というと、30代の後半になってオヤジ体質が慢性して一気に歩く成人病人間になった時のことを思い出す。あの頃はほぼ毎日夕食に豆腐が出た。それでもぜんぜん飽きなくて毎晩の豆腐が美味しかった。今思うとあれは、私の健康をさり気なく気遣ったワイフの愛情だったに違いない。
鯖の竜田揚げこそ吉田家にとってはめったに出ない珍しい部類の一品だった。竜田揚げというと、私がまだ結婚前の一人暮らしの定番だった。フライパンに揚げ物ができるほどの油を溜めると、その油が古くなって使い物にならなくなるまで延々と揚げ物が続く。あの頃は竜田揚げ粉を一袋買うと、それがなくなるまで色々な食材を揚げた。鳥のむね肉は結構安くてボリュームもあるし、一人者にとっては欠かせない食材だった。
そうそうきれいな油の使い始めには、チョット贅沢にヒラメとかカレイとか白身の魚をムニエル(香りつけはマーガリンだったけど)にした。

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吉田家ネコチャンズ事情 

2016/11/27
Sun. 15:51

犬のシェパが19歳と10ヶ月で大往生して、そらから2ヶ月位経って黒猫が来た。それからまた2ヶ月位してから白っぽい猫が来た。2012年の早春から初夏にかけてのことである。

その頃のワイフはかなりの猫嫌いで、シェパがいなくなってから後も「絶対に猫は飼わない!」と言い続けていた。彼女と付き合い始めた頃の私はすでに6畳の書生部屋でメス猫と暮らしていて、私の猫好きは分かっているはずなのになんとなくおかしな話だと思いつつ、犬好きなのだろう彼女の機嫌を損ねないように2ヶ月ほど寂しく暮らしていたらじゅん君が側溝に落ちて弱っていた子猫を引き取ってきた。まだ小さくて、乳離や自力の排泄も充分でないくらいだったので、ペースト状の猫飯を食べさせたり肛門を刺激してやったりしていたら少しずつ元気になって生きながらえた。それでもいつ死ぬかわからないし、ワイフは猫がキライだと云うし、無駄に情がうつらないように、特に名前もつけないまま「オイ!」とか「ネコ!」とか呼んでその場をしのいでいたら、縁があって白っぽい猫が吉田家にやってきた。その猫はまだ子供ながら必死にたくましく生き抜いてきた野良猫特有のずる賢く且つ臆病なしたたかさがあった。2匹めの猫が加わったことで、名前をつけないままでいるわけにもいかなくなってオス猫の方を「クロ」メス猫の方を「シロ」と呼ぶようにした。家族からは、色々クレームも出たが、結局なし崩しにそれで通して今に至っている。
クロの方は、物心もつかないまま親とはぐれたか捨てられたかしているから、自分を猫型の人間だと思っているようなところがある。かなりワガママで頑固で独断的で我の強くプライドの高い偏屈なオス猫に育った。反面、慎重で思慮深く小利口なところもあって脱走のプロに成長した。
シロの方は、飼い猫の環境に慣れたとはいえ、野良猫時代の記憶が色濃く残っていて、よく人の目を盗んでつまみ食いをしつつ、上手に人間へ甘えることも覚えた。
その2匹の猫のおかげかどうか、あれだけ犬好きを公言していたワイフが手のひらを返したようにコロリと猫好きに心変わりした。

今年の島根は、未だに夏の暑さが残っているような気がするほど温かいまま秋が深まっている。
この2日間をかけて、やっと吉田家の各所を冬仕様に切り替えた。四畳半にコタツを出し、リビングにホットカーペットを敷き、一応キーポンの部屋になっている2階のベッドへ電気敷毛布を用意しておいた。薪は昨年からコツコツと薪割りをして溜め込んでいるから春までは十分に保つ。
ネコチャンズは人間にも増して季節の節目をよく心得ている。彫刻のことでドタバタしている間に私が愛用している一人用の古いソファーをクロが占領するようになって、少し肌寒くなった頃からシロがクロに抱きつくようになった。ワイフが帰宅すると、すぐにシロがワイフに擦り寄って甘える。私が愛用のソファーへ座ると、クロが居場所をなくしてしばらくアチコチうろついているが、気持ちが向くと私の腹の上で寝始める。私が彼のお気に入りの場所を横取りしているように思っているのかもしれない。
これからもっと寒くなると、私のシュラフの上でクロが寝るようになるはずだ。シロはすでにワイフの布団へ潜り込んでいる。ネコチャンズは来年で5歳になる。早いものだ。

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東京家族 

2016/10/12
Wed. 11:08

JR中央線、西荻窪南口の商店街を抜けたあたりにRe:gendoという雑貨とお食事の店がある。
その店は、実は石見銀山の町並みにある群言堂の系列店で、町家を改装してそういう店にするときは、島根県の石見銀山や周辺の工務店が東京まで出張して、島根の各所から集めた古材を再利用して現在の店に再生させた。
吉田家長女のなっちゃんは、群言堂と縁があって関西の方で働いたあと、東京の八王子へ転居して高尾で働くようになった。その後巡り巡って今は石見銀山に本店がある群言堂の東京事務所で営業の仕事をしている。

彫刻の展覧会が六本木でスタートするので、その展示作業にワイフと二人で上京した。
もともとワイフは、東京生まれの東京育ちで私と結婚するまで一人暮らしの経験がなかった。
今、里帰りも兼ねてその実家へお世話になっているのだが、せっかくだから吉田家の家族で食事をしようということになって、なっちゃんが西荻窪のその店を予約してくれた。
最初、ワイフのお母さんは強硬に会食参加を断っていたが、娘や孫の説得があって、東京暮らし(なっちゃん夫婦は埼玉だけど・・)のみんなが集まった。

お昼の食事は秋刀魚か鳥肉を選ぶことが出来るというので、それらを分け合って注文してくれた。
食材も凝っていて量もボリュームがあって、なかなか旨くて結構満腹になった。
私とノッチとなっちゃんの旦那は生ビールを飲んだ。これもなかなか旨かった。
これだけ大人数の家族が外で集まって会食をするなどこの数年無かったことだ。

ワイフの家族も、万善寺の吉田家も、外で食事をする習慣が殆ど無かった。
両家とも、それなりに慎ましく暮らしていたのだろうが、私はその反動もあってか、一人暮らしをはじめて、少しずつ社会の様子がわかるようになってからあと、一気にジャンクフードが好きになった。マクドナルドのハンバーガーをはじめて食べたのが19歳になったばかりの頃だった。新宿通りにある新宿三越の隣にあった店で最初に注文したときはドキドキして声が震えていたような気がする。吉野家の牛丼をはじめて食べたのも19歳のときだった。カウンターだけの食堂にもならないようなお店でこんな旨いメシが食べられるのかと感動して、それからしばらくは1週間に3日くらいは吉野家へ通い、3日位はマクドナルドへ通った。そんな贅沢をしていたら、みるみる生活費がなくなって、それで5月の連休が終わった頃から新宿三越の裏通りにある3階建の喫茶店ビルでアルバイトを始めた。そこだったら、休憩時間が15分くらいあれば、マクドナルドでも吉野家でもどちらもすぐ近くだから都合が良かったわけだ。

家族で食事をして、西荻窪の改札の前で3方向に別れた。ワイフと義母は新宿へお買い物。なっちゃん夫婦は埼玉へ帰った。私とノッチは、2次会で焼き鳥。島根の山奥の田舎暮らしでは、とても想像できない家族の付き合いだ。万善寺にしがみついて暮らしている母親は、こういう家族の世界もあるのだということを知らないまま死ぬのだろう。

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ジワッと感動 

2016/09/21
Wed. 23:36

キーポンが学業へ帰っていった。
近くのJRの駅まで遅れというので結界くんへ荷物を積み込んだ。
大きなコロコロ鞄の他にやたらと重たい手荷物が3つ。いったいナニを詰め込んでいるんだろうと不思議なほどの大荷物だ。

なっちゃんが会議出張で小ぶりのコロコロ鞄一つ持って帰ってきた。
キーポンと1日だけ吉田家で重なった。
長い間部屋中の至ることろへ散乱していたキーポンの私物がなくなったと思ったら、今度はなっちゃんの小物が散らかり始めた。
着替えの服とか、化粧道具とか、女の娘はナニかと大変だなと思う。

私も、コロコロ鞄を常に結界くんへ積み込んでいる。
中には、急な仏事に備えて坊主衣装や坊主道具が入っている。
彫刻の用事で遠出する時は、中身を入れ替えて使う。
特別ナニを入れるわけでもなく、折りたたみの傘と、作業着の着替えと、旅行グッズと、薬ケースくらいのものだが、旅のお供は欠かさない。
その、旅のお供は文庫本と音楽とラップトップ。
ラップトップは、調子が不安定な例の2011年購入MacBookPro。昔は3日位だったら充電器も持たなくて普通に使えていたが、最近は1日に2回位充電しないといけないほどバッテリーの消耗が早くなった。
音楽は、少し前までiPodに入れて持ち歩いていたが、NOKIAがクラッシュしてからはiPhoneになったので、今はそれが一つあれば十分だ。それにbluetoothのHeadphone。
文庫本は、読みかけの本と、読みたい本と、睡眠薬代わりの文庫本サイズ一般教養書。

なっちゃんが三姉妹を代表して、お父さんとお母さんにプレゼントを持って帰ってくれた。
東京で3人が会った時に、ワイフと私の誕生日と、母の日父の日と、その他諸々を兼ねて3人で相談して買ってくれたらしい。
私は、革製のブックカバーをプレゼントでもらった。
文庫本サイズというところがいい。
娘達は、親の暮らしを見ていないようでよくチェックしていると、チョット感心して、ジワッと感動した。

実は、文庫本は工場へ行くときもだいたい持ち物の一つで何処かに忍ばせている。
仕事の合間の休憩中とか、制作が迷って停滞してしまった時の気持ちの切り替えとか、色々な場面で手放せない。
展覧会で東京へ出かけた時に伊東屋とかハンズとかLoftとかユザワヤとか、そういう店に寄ってさり気なくチェックをしつつ、結局毎回購入までに至らないまま踏みとどまっていたブックカバーだった。
まさか、今になって思いがけなく娘達からプレゼントしてもらえるとは思ってもいなかった。大事に使わせてもらおう。

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キーポン一人旅 

2016/09/12
Mon. 21:24

東京へ一人旅していたキーポンが高速バスで早朝に帰ってくるという。
自宅に居る時はいまだに四畳半を四六時中占領して私にベタベタしている一人娘状態の甘えん坊が、随分としっかりしたものだ。

そういえば、何時からキーポンがいなかったのだろう?いつに出かけたのかまったく記憶がない。たぶん、奥出雲の彫刻展のことやおばあさんの通院のことや寺の仏事のことや、それにハンモックのことなどでキーポンから気持ちがそれていたのだろう。

少し前に、東京暮らしの二人の娘と待ち合わせをして食事をした時の写真を送ってくれた。こうして3姉妹が揃って楽しそうにしている光景を随分前から心待ちに期待していた。
長男のじゅん君が生まれた時は、なにかはじめて自分が父親になるということでとてつもないほどの責任感を自覚したことをよく覚えている。子供が出来て嬉しいという感じよりこの子を立派に育てることが自分にできるだろうかという不安のほうが強かった。
そのじゅん君が明日で○○歳の誕生日を迎える。
今・・・というより、もう随分前からほとんど会話がなくなっている。ナニを考えてドウ暮らしているかよくわからない。時々お母さんとの会話があるようで、そういう情報を収集すると、それなりに元気で暮らしているようだ。それに、なっちゃんとは歳が近いからなのか、時々SNSで盛り上がっているようだ。自分も両親とは疎遠のまま過ごしてきたし、男というものは、そういうものなのかもしれない。

ワイフは朝から用事があるということで、私が出雲までキーポンを迎えに行った。
9号線は朝の通勤時間と一緒になったから、いつもより混んでいた。それに、雨が降り続いていた。高速バスの到着時間にギリギリ間に合ったが、結局バズのほうが遅延した。
しばらくぶりにキーポンを見たはずなのに、その感覚がまったく無くて、普通に会話した。朝が早くて少し腹も減っていたから、帰りにコメダ珈琲へ寄った。
「結局服は買わなかったの♡!この靴買ったの♡!おばあちゃん元気だったよ。メガネ掛けないでテレビの字が読めるんだよ。すごいよ。吉祥寺行って、渋谷行って、原宿行って、いっぱい歩いたの♡!」
二人のお姉ちゃんとは、六本木に行ってから新宿へ回って、そこで食事をしたらしい。とても楽しかったようだ。

石見銀山へ到着した時は雨も小降りになっていたから、工場へ出かけて集めておいたゴミを処分場へ運んだ。そのまま雨がひどくならないようだったら彫刻のパーツを裁断しようと計画していたが、本降りになり始めたので断念した。
大きな彫刻を造る時は制作の殆どを青空工房でまかなう。雨の中で溶断するとゴム長靴で絶縁していても時々ビリっと感電することがある。無理はしないことにして帰宅すると、キーポンが私の四畳半で爆睡していた。高速バスで疲れているだろうし、そのまま寝かして、静かに静かに自宅の片付けをすすめた。
秋になって、紅葉が綺麗になる頃を目指して町並みに面した一部屋がリニューアルされてギャラリーになる予定だ。

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2017-06