工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

冬のネコチャンズ 

2018/02/23
Fri. 23:51

クロの調子が悪くなってから、2回ほど通院して、抗生剤などの薬をもらって、食べるキャットフードもドラックストアの安い徳用のものから、アメリカ製の超高級品に変えて、それなりに手厚く至れり尽くせりの3ヶ月が過ぎた。
治療や薬や高級猫飯の効果か、最近になって体調が回復してオシッコも難なく出来るようになってきたようだ。
ひと頃は、睡眠も途切れがちで、深夜の2〜3時間ほど延々と鳴きながら辛そうに吉田家のアチコチをウロウロしていたが、しばらく前からそれもなくなって人間が騒がしくしていてもピクリとも動かないで爆睡するようになった。あまりにも無反応なものだからかえってそれが心配で時々クロのぬくもりと呼吸の具合をソッと確かめたりしている。
今では布団のフミフミカミカミも再開して、お気に入りの玩具やクッションをくわえて家中アチコチ持ち歩いたりするようにもなった。
フミフミカミカミは、生まれてすぐに母親から離れて乳離までのいろいろな猫社会のルールを経験しないまま大きくなった猫が時々赤ちゃん返りをしているらしく、気持ちが落ち着いてリラックスしている時によくそういうことをするのだそうだ。
野良猫だったシロは、それなりに苦労もしたろうが、ちゃんと乳離するまでお母さん猫に育ててもらっていたようで、クロのようにフミフミやカミカミをしたところを見たことがない。それでも、野良猫時代の悪癖というか、空腹のトラウマはいつまでたっても忘れないで続いているようで、人間の目を盗んでは家中の食べ物を漁ってしまう。吉田家にやってきてすぐの頃は、目の病気に感染していて、しばらく病院や抗生剤のお世話になっていた。シロは今でも目が弱くて、知らない間に目ヤニを貯めていたり涙目になって片目を閉じていたりする。

吉田家のネコチャンズは、不幸な星の下に生まれて育った方かもしれないが、その後縁あって家猫になって、飯の心配も無くなったし暑さ寒さもそれなりに楽に乗り切って、世間の野良猫よりは随分贅沢に暮らすことが出来ている方だと思う。あれで野良猫のままだったら今頃はもう生きていないかもしれない。

今度の冬シーズンは、とにかく今まで経験がないほど気温が低くて厳しかった。
気温の変化に敏感なネコチャンズもさすがにこの冬は寒かったらしく、吉田家の一番暖かいところを探しては、二匹ベッタリ寄り添って丸くなっていることが多かった。特にシロは寒がりで、ストーブを焚いていると毛が自然発火するくらい近くに陣取って寝ている事が多かった。
クロは寒さに強くて、火の気の消えた深夜でも土間の方をうろついているし、寝る時もシロのように布団へ潜り込むことがない。石見銀山は5つ目の寒波が去ってから一気に暖かくなって、日によっては昼間ストーブを焚かなくても難なく過ごせるほどの時も増えてきた。ネコチャンズは正直者で人間のように嘘をつかない。少し暖かくなった日にはちゃんとそれなりの距離を置いて付かず離れずそれぞれの居場所を決めて、ベタベタとくっついて居ることがなくなった。今はまだどちらかといえば寒い方だからクロはオヤジと、シロはワイフとくっついて寝ている。クロの調子も良くなったことだし、そろそろ自分に都合の良い場所を探して移動してほしい。はやくアイツを気にしないでゆっくり寝たい。

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只今仕込み中 

2018/02/21
Wed. 23:11

毎日の通勤坊主も、やっと少し楽になった。
街道の両脇には除雪された雪が解けないまま山のように盛り上がってはいるが、毎日散布される融雪剤のおかげで路面の凍結がなくなっただけでかなり走りやすくなった。2年位続いていた拡幅の工事区域がまだ5つ目の寒波が居座っていた頃に完了して片側交互通行が解除された。
吉田家前の駐車場で2・3分暖機運転をする間に、40分から50分のアルバムをMacMusicから引き出して再生する。今までは、飯南高原の三日市の町のあたりでそのアルバムが終わっていたが、工事が終わってから後は万善寺の境内へ結界君を乗り上げてもまだ最後の1曲くらい再生が残っていたりする。ヨレヨレガタガタの結界君でも、45分前後で通勤坊主の移動ができるようになったわけだ。道に雪が残っていた時は1時間以上かかっていたからそれだけでも移動中の気持ちが楽になった。

体調が思わしくなくて薬とか定期的な通院が続いているワイフは、雪の心配が去って気候も緩んで春めいてくると、今度は花粉症がひどくなってきて、最近は年々体力が衰えて辛そうにしている。性格的に、なんでも他人に任せることを嫌うところがあって、こちらが何も言わなければ以前と変わらないように家事を仕切ってしまう。あまり先走って手をかけすぎてしまうと余計イライラしてきはじめてそのあたりのさじ加減が難しい。薬のせいらしいが、料理の味付けが上手くいかなくて、そのこともストレスになって生来ののんびりとした性格が少しずつ刺々しく変わった。頼みの綱はネコチャンズの癒やしで、吉田家での私は出来るだけ自分の存在を消して波風を立てないようにしているつもりだ。
そういう彼女のことも思って、最近は少し意識して外食を増やすようにしている。費用がかかるが、彼女の家事の負担が少しは軽減できるし味付けのことも自分の責任を気にしないで「おいしい!」とか「まずい!」とか、普通に言えるようになるから、それが良いと思っている。それから、寺ではオヤジの一人飯で食事の支度は自分で出来ているから、気が向けば朝の内から食材を少し多めに仕込んで夕方までに1品くらいオヤジのナンチャッテ料理を造って持って帰る。基本的に塩辛いよりスパイス辛い方が好きなので、自分で造るものはなんでもそういう方に偏ってしまうから、辛いことを好まない彼女にとってはあまり喜ばしいことではないのだが、まぁ、一口二口くらいは我慢して食べてくれるから、何もしないより少しくらい自分の気持が伝わればそれで良い。

今度の何回かの寒波で、ライフラインのありがたみが十分身にしみてわかった。何事も、我慢がすぎるのはよくないことだが、無ければ無いなりに工夫することを覚えておくことも大事だと痛感した。しばらく途絶えていた井戸水にしても、日頃のメンテナンスを怠けてはいけないとあたらめてわかった。灯油ストーブの暖房もイザという時はとても重宝するし、マングローブのバーベキュー炭は冬の蓄えでいくらでも便利に使うことが出来る。ライターやマッチも寺のことだけではない生活の一部で欠かせない道具だ。
ボタン一つでなんでも出来ることも増えたが、多少の手間ひまかけてナントカ出来ることもいっぱいある。石見銀山と万善寺の往復で通勤坊主をしていることも、燃料の無駄遣いだと思わなくもないが、生活の拠点が二つあるだけで日常の暮らしがどれだけ楽にできるか改めて気づいた。どんな面倒なこともそれなりに意味も価値もあることだ。

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甘いささやき 

2018/02/18
Sun. 23:03

もう半年は過ぎたかもしれない、万善寺の単身赴任が続いていた頃、吉田家のリビングに新しくソファーベッドが加わった。それは、ワイフが思いついて買ったもので、昼寝とかチョット休憩の場所が欲しかったと云う。若干思うところもあったが、既に彼女が便利に使っていたし、今更波風立てることもないかと、そのまま受け入れることにした。
ある日帰宅してみると突然リビングが一気に狭くなって、わずかに見えるフローリングが部屋と台所を結ぶ通路になっていたわけだから、当初は少々戸惑ったものの、そのうち慣れた。
あれから、子どもたちが時々帰省するとその場所が数日のあいだ即席のベッドになる。
昔の吉田家は親子6人で暮らしていたわけだし、おじいさんやおばあさんが生きていた頃は退院した後しばらく療養の部屋を用意できるほどの空き部屋もあったから、片付ければそれなりに広々とした部屋が無いわけではないのだが、子どもたちがいなくなって昔のように頻繁にお客も来ることがなくなって、現在に至って、私の通勤坊主とか単身赴任とかが当たり前になってくると、1日の殆どをワイフ一人で過ごすことになって、彼女の導線が極端に狭まってきた。そういう現状で、彼女の使い勝手の良いストレスの少ない生活ができればそれはそれで大事なことでもある。

このところ、冬の万善寺の維持管理のことで少しずつ疲労が溜まっていたようで、いつものように夕方に帰宅して夕食が終わって、寝る前のひと時をそのソファーベッドで過ごしていたら、いつの間にか寝てしまっていて気がつくと朝になっていた。
連休の時にじゅん君が帰省して使ったままの状態だから、寝ようと思えば何時でもそのままベッドになってしまう。それに、昼のうちはワイフも留守でネコチャンズがその場所を都合よく自由に使って、それがしだいに普通になってきた。
不覚にも一晩ネコチャンズの憩いの場を占領して寝落ちしてしまっている間に、クロが例のごとくオヤジの股間の真上で丸くなっていて、その重さの息苦しさで目が覚めると朝だったというわけだ。
いつもは薄っぺらいせんべい布団で寝ているから、ソファーのフカフカが身体に馴染めなかったようで節々に溜まった疲労が全く改善されまいまま思うように動けない。
「どうせ今日は日曜日なんだから休みなさいよ、そのまま・・・」
クロを股間の上に載せたままウンウン唸っていると、ワイフが魔女の如きひと言をささやいてきた。それで結局見事にコロッと彼女の甘いささやきに屈してしまった。

1日の予期せぬ休日は、それこそ予定外のことだから、そのままワイフの予定に付き合うことにした。
お昼前に自宅を出て、ワイフに付き合ってメガネ屋さんへ行った。前からメガネが合わなくて見え難くて苦労しているようだったし、この際だからと更新を勧めた。
「あなたがいなかったら絶対アレに決めなかったわよ!」
帰りの車でワイフがそう云った。
全体が落ち着いた感じのピンクがかっていてツルの金属もピンクゴールドっぽくて、彼女のiPhoneにも合うし、それに、見た目婆臭くない。本人はこれから婆さんになっていくばかりだから、メガネくらいそれに逆行してもいいだろう。

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吉田家雪事情 

2018/02/08
Thu. 23:49

万善寺がついに氷点下を更新した。
−10℃は、物心ついて以来記憶にない。
上水の凍結は免れたが、ついに井戸水の水道管が凍ってしまった。井戸水が凍ることなど過去に例がない。多分、地下水も凍って、その上連日流しっぱなしだったから井戸に溜まる水量が底をついたのだと思う。
飯南高原の公式記録温度は−12℃だったそうだ。万善寺のお檀家さんはもっと過酷な地域で生活していらっしゃるから、あのあたりはそれ以上に気温が下がっていたと思う。
このところ、日中でも氷点下のまま気温が上がらない日が続いていたが、2日間ほどは久しぶりに太陽も出て降り積もった雪が一気に緩んだ。寒いことは確かに寒いのだが、身体の方は連日の氷点下に慣れてきたようで特に寒さを感じないでいた。それが、太陽が出て一気に気温も上がったせいか、逆に日差しが肌に突き刺さるようで「暖かい」というより「熱い」という感じで、あの夏の「暑い」とは体感が違ってなにか不思議な感じだ。この二晩は夜も晴れていたせいで放射冷却がひどかったから、こうして氷点下を更新してしまったのだと思う。

島根県で今回3回目の強力寒気襲来になったが、飯南高原上空は雪雲のわるさが比較的少なくて大雪になるほどではなかった。
一方、松江や出雲、大田の日本海沿岸の平野部で大雪になって、主要国道や幹線道路の交通が麻痺した。山陰本線も止まったので通学の足が奪われた高校生を中心に休校が増えたらしい。ワイフの通う三瓶山周辺の中学校は、沿岸部の平地とは比べ物にならないほどの大雪になっていても休校にはならなかった。
私だったら、「アッチの学校休みなのにぃ〜・・」とか、「コッチの方が何倍も雪が多いだろぉ〜〜」などと、すぐに愚痴が飛び出して、適当な理由をセッセと考えてすぐにズル休みの対策を講じてしまうだろうが、時間講師のワイフは全く文句も言わない平常心で、いつもより1時間近く早くから粛々と通勤の準備をはじめていたりする。
だいたい彼女には何かにつけてそういうところがあって、ほんとうに根っからの教育者なのだろう。きちんと定期的に免許証の更新もしているし、律儀に年に数回の研修も欠かさないし、どうせだったら、「採用試験を受けて正教員になればいいのに」と、一時期そういうことをよく云っていたが、「それはイヤ!」と、いつもは「どっちでもいいよ」とか、「どうでもいいよ」とか、曖昧な対応ばかりの彼女にしては珍しいほどハッキリと断ってくる。まぁ、彼女の働きにすがって三度のメシを食べさせてもらっている立場でもあるから、あまりしつこく同じ話題を蒸し返すのも気が引けて、結局は自分の方から黙り込んでしまって今に至っている。
彼女の助けになればと、夕方少し早めに石見銀山へ帰ってストーブをつけた。私が帰宅しても無反応のネコチャンズが、部屋が暖まり始める頃になって何処かから湧き出て、「メシくれよお〜!ニャァ〜!」と騒ぎはじめて始末が悪い。ひとしきりメシをガッツイていたが、そのうち静かになって何処かにいなくなった。
気がつくとベッドメイキングのど真ん中で仲良くぬくぬくと丸くなっていたが、突然「フニャァ〜〜♡!」と甘え鳴きし始めた。
玄関がガラガラと開いて、「ただいまぁ〜〜」とワイフの疲れた声が聞こえた。

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猫のこと 

2018/02/05
Mon. 22:01

節分の夕方に石見銀山へ帰ってから、寒波の飯南高原を気にしながら吉田家に居続けている。漏水のこともあるし、すぐにでも万善寺へ帰ろうと思いつつ、やはり暮らしの楽な方へ気持ちが動いてしまうあたりが自分の軟弱なところだ。

先日から吉田家で寝るようになってクロが一緒に寝てくれるようになった。彼は毎年冬の寒い時期は掛け布団のど真ん中を陣取って、そのあたりで丸くなっている。彼のために昼間も布団を敷いているようなところもあって、そうしておくと、ほぼ1日中そこを寝場所にしている。夜行性でもあるから、夜はだいたい私のほうが先に寝ていて、夜中にうなされて目を覚ますと、いつの間にか私の太腿や股間の上で丸くなっている。重たくて寝返りをしてもクロは動こうとしない。目は覚めていると思うのだが、はじめから人間を無視しているようだ。とにかくマイペースに自分の思い通りの毎日を図太く生き続けている。そういうところに私の父性本能がくすぐられて可愛くなって思わず頬ずりしてしまったりすると、しばらく面倒臭そうに我慢しているが、限界を超えると建前上フギャー!と鳴いてシャァー!と威嚇してくるものの別に本気で怒っているわけでもなく、絶妙のサジ加減でそういうポーズをとりながら一定の距離を挟んで私との付き合いが続いている。

猫というと・・・
昔、寺のすぐ隣の家で三毛猫が飼われていて、その家の娘と同級生だったから猫が目当てでよく遊びに行っていた。同級生の娘のお母さんで三毛猫の飼い主のカネさんは「ネコイラズ代わりに飼っとるんよぉ〜」とよくいっていた。メス猫は家について遠くへ行って行方知れずにならないし、ネズミをはじめとして家の中の害虫も捕獲してくれるから色々と都合がいいと教えてくれた。他所の人にはあまりなつかないで、少年の私を見るとサッと何処かへ隠れてなかなか姿を見せてくれなかったが、犬とは違った可愛さがあった。
万善寺の先住夫婦はとにかく猫嫌いで、本堂の近くで野良猫を見かけると目の色を変えて石を投げつけるような人たちだった。いつだったか、本堂の座の下で野良猫が子供を産んだことがあって、その時は近所の檀家さんを呼んだりして本堂の座の下から境内中追いかけ回して大捕り物になった。結局、野良猫が一枚も二枚もウワテで、上手に人間をかわしながら小さな子猫を一匹ずつくわえて、もう一軒の方の隣の農家の納屋へ移住してそこで子育てをすませた。その家の奥さんのフミエさんは、寺から移住した猫の親子をしばらく飼うでもなく養ってくれていたようだが、それから先のことは覚えていない。親猫を捕獲するには、まず子猫の方を捕まえてしまうと楽だったろうに、猫嫌いの先住夫婦はそのことに気づかないままお檀家さんと一緒にセッセと親猫ばかり追い回していた。子供ながらに、「坊主にあるまじき行為だろう!?!」と、呆れながら猫の賢さに心のなかで拍手していたことを思い出す。上京してデッサンなどの美術系の勉強をしていた頃、東京の西部をアチコチ点々と引っ越した後、しばらくの間明大前の六畳一間トイレ台所付き元お屋敷付属の書生部屋だった離れの一軒家で暮らしていた。箒ゴミの掃き出し窓が畳と面位置にあって、いつの間にか一匹のメス猫が其処から出入りするようになって、ご飯もあげないのに同居が始まってしばらく住み着いた。その間に3匹の子猫を電気コタツの中で産んで育てて、いつの間にかいなくなった。野良猫とはいえ、上品で頭脳明晰の美人ーイヤ、美猫!だった。あの時は彼女の処女を奪って妊ませた野良猫野郎にチョットだけ嫉妬した。

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立春の朝 

2018/02/04
Sun. 23:01

立春の朝は雪で始まった。
ワイフの勤務先では保護者参加の行事振替で日曜出勤になった。
「チョット車の雪みておいてくれない?」とワイフからお願いされた。
早朝の石見銀山町並みは一面白くなっていたが、飯南高原とは比べ物にならないほど楽な雪だ。それでも次の寒波が島根県上空へ下りて来たせいかやたらと寒い。
結界君を変に駐車していたから、ワイフの車が出やすいようにエンジンをかけた。
窓ガラスに薄く積もった雪をワイパーで払い落として暖機運転をしていたら、燃料が無いことに気づいた。寺へ移動するには足らないから、そのままついでにガソリンスタンドまで走ることにした。
走り始めはルームミラーにチラチラとワイフの車が見えていたが、そのうち見えなくなった。

燃料を満タンにして帰宅すると、クロがソファーのど真ん中で丸くなっていた。
ソファーは、私が万善寺で留守がちになってからあとしばらくしてワイフが買ったものだ。なっちゃんが本社出張で帰省した時はそれがベッド代わりになっている。
ワイフの仕事は午前中で終わるらしいから、帰宅したときのために部屋を暖めておくことにした。
クロはストーブの準備で騒がしくしている間も、ピクリとも動かないで丸くなっている。
彼は小さい時から泌尿器系が弱くて、それが慢性化して持病になりつつある。一般的に猫は尿毒症になりやすくて、飼い主がそれを見過ごして早死することも多い。クロはオスだからおちんちんのぶんだけ尿道も長いし、余計にオシッコの出が悪くなったりして病気が悪化する確率が高い。今は抗生剤を飲み続けて泌尿器系の病気に特化したキャットフードに切り替えたりして対策を工夫しているが、それが彼にとって効果があるのかはわからない。とにかく、今の吉田家は圧倒的に留守が多いから人の目の届かないところでストレスを溜めてしまわないように気をつけいるつもりだ。
その点、シロはワイフに上手に擦り寄ってベッタリと甘えきった日常を送っているから、それほど気にする必要もない。猫の世界も、男より女のほうが丈夫にできているようだ。

ストーブの薪に火が回って少しずつ部屋が暖まって皮膚に突き刺さるような寒さが抜けてき始めた頃、クロが目覚めた。あくびを一つして背中を高く突き出してノビをして身体のアチコチをペロペロとナメてしばらく身づくろいをしてから一声鳴いて吉田家の巡回をはじめた。ストーブの前にいる私に気付いているのに、それを完全に無視して椅子の下を潜ってテーブルに飛び乗ってまたすぐ下りて土間へ消えていって、それから、ガサガサと猫砂をかき混ぜる音がし始めた。ウンコかオシッコが終わったようだ。
あとで土間のトイレを確認すると、正常なウンコが転がっていて、親指と人差指でつくった輪っかほどのオシッコをしていた。量は少ないが、尿管が詰まって苦しんでいる様子でも無いようだ。
土間へ下りたついでに玄関の引き戸を開けて町並みの様子をみると、朝の雪は溶けて消えていたが、空からは断続的に雪が舞い降りていた。明日もワイフの通院につきあって寺を留守にする。万善寺はこの程度ですまないな・・・水道が凍結している気がする・・・

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吉田家一人飯事情 

2018/01/31
Wed. 23:25

それにしても、島根の寒さは近年に珍しくしつこい。
万善寺は、1月も終わりになって若干寒さが和らいで、「ついに!」というか「やっと!」というか、とにかく日中の数時間ほど気温が2℃まで上昇した。夜は−4℃まで下がったがそれでもまだ暖かい方で、いつものように夕食の鍋を造り始めたら台所の冷えた空気が温まって風呂上がりの身体が汗ばむほどになった。
2回めの寒波は、おかげさまで雪が少なくて助かった。それに、気温が低くて雪質も上等のパウダースノーだったから道開けの除雪も楽だった。そのかわり、庫裏の屋根に積もって張り付いた雪が落ちてくれない。本堂の急勾配でも北側はいまだに屋根へ雪が残っている。
庫裏の端にある台所の氷柱がついに1mを越えた。
物心ついてから今まで、これだけ長く伸びた氷柱を観た記憶がない。
今シーズンの万善寺はそれだけ寒い日が続いているということなのだろう。

日本と12時間位時差のあるノッチから夜のうちにLINEが届いていた。
アメリカも今の日本以上に厳しい寒さで大変なようだが、フロリダは南の方だからだいたい大丈夫だろう。
写真は、ノッチ自作(らしい?・・)のツマミの数々と地元ビールが並べられて画面いっぱいに写っていた。
パーテイーでもしたのだろうか?彼女がこれほど見事に手料理をこなすとは予想外だった。一人暮らしが長いから自然と自分で出来るようになってきたのだろう。オヤジの私もそうだった。
ワイフは、結婚するまで実家暮らしだったが、私と付き合うようになってから一気に料理の腕を上げた。酒のツマミの幾つかは私が彼女に伝授して、それを元に少しずつ改良しながらバージョンアップさせて、今ではワイフオリジナルのツマミが出来上がって、たまの来客にも大好評だ。いつだったか、周藤さんがワイフ名指しに電話して料理のレシピを聞いたりしていた。
キーポンも比較的マメに手造りしたおかずの写真を送ってくれる。
色々工夫していて、最近は一人鍋を時々つくっているようだ。
なっちゃんは結婚して旦那もいるから、それなりに主婦の端くれとして「美味い飯を食べさせていることだろうナ?!」と思っていたら、旦那の帰りが遅いのかどうなのかよくわからないが、結構彼女も一人飯が多いようだ。夫婦生活は円満なようだからなっちゃんの飯が不味くて旦那の外食が増えているわけではないと思う。
海士町で一人暮らしのじゅん君は・・・さて?・・・ちゃんと3度の飯を食べているのだろうか?・・・学生の頃は帰省した時に男の手料理を振る舞ってくれたこともあった。海士町は本土に比べて物価が高いようだから、ワイフが時々ドサッと食料品を買って送ったりしている。彼は私にはあまり私生活を語らないから、どういう食生活なのか謎だ。
私は、アルバイト時代から、まかない飯目当てで各種水商売を渡り歩いていたから、中華と刺し身以外だいたいひと通りナンチャッテ料理くらいのことはなんとかなっている。今の一人暮らしも、食材が無ければないなりに色々工夫しながら、雪で孤立状態の万善寺でナントカ暮らせている・・・ということで、今夜は和風だし寄せ鍋風湯豆腐で一杯!

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吉田家雪情報 

2018/01/23
Tue. 20:40

万善寺の外は、相変わらず雪が舞っている。
幸いにして、今のところ昼の雪になっているから一気に積もることが無くて、降っては解け解けては降ることの繰り返しで助かる。
朝のうちに参道の一本道を開けようと思っていたら、その前に近所のおじさんが回覧板をもって4WDの軽トラで要領よく本堂下の駐車場まで上がってくれた。そのワダチが消える次の積雪までは道開けをしないで大丈夫そうだ。
島根県山間部豪雪地帯にある万善寺は、冬の間の法事は殆ど無いに等しいから、いたってヒマに自炊しながら雪の世話をしつつ1日を過ごすのが仕事のようなものになっている。

関東の方は4年ぶりに大雪になったようなので、なっちゃんとキーポンを心配して連絡をしてみた。
キーポンの職場は中央線の駅一つ分だから、列車が動かないでもなんとかなるだろうと分かっていたが、それでも東京の雪は経験がなくて苦労しているかもしれない。
なっちゃんは、自宅が埼玉で職場から離れているし、列車の移動や乗り換えで大変な状況かもしれない。
キーポンは、「電車は遅れてたけど、普通に乗れたよ。大家さんが雪かきしてくれて、お菓子とジュースもってきてくれたぁ〜♡!」・・・ということで、全然だいじょうぶ!・・・のようだが、職場から近いということで、翌日は早番にシフトが変わったそうだ。
なっちゃんは、帰宅ラッシュに捕まって身動きできなくなっていた。途中駅で旦那と待ち合わせして、どこかで夕食でも食べながらピークを回避することにしたらしく、その判断が正解だったようで、二人一緒に埼玉へ帰宅できたのだが、LINEには「東京より埼玉がやばかった!」と、写真入りで報告が返ってきた。
島根の山間部はよほどの悪天候でないと交通マヒを起こすこともない。
とりあえず平和な日本だから、大雪で都市機能がマヒしても社会情勢が不安になることはないだろうが、何時何処で何が起きるかわからないから、転ばぬ先の杖というか、防災への認識は強化しておいたほうが無難だと思う。
ちなみに、石見銀山のワイフは、「雪も降らなくて大丈夫だけど、寒い!」と電話口で鼻をすすっていた。昼間は仕事で留守にしていて、火の気のない吉田家は冷え切っている。留守番のネコチャンズは、仲良く寄り添って丸くなっていたようだ。

夕方から一気に気温が下がって、保賀の谷が雪で真っ白になった。このまま一晩降り続くようだ。
寺にストックしてある文庫本が底をついた。今のところ、何度も繰り返して読みたい本も置いていないし、そういう気分でもないから、今度の雪が落ち着いたらBOOK OFFへ出かけてみようと思う。そろそろ半年以上はご無沙汰してる気がする。
池波正太郎さんが死んで、藤沢周平さんも死んで、少し前に葉室麟さんも死んで、なにか、自分の周辺の本事情が寂しくなった。この際だから、昔のように翻訳物の小説でも読んでみようかと思うようになった。そういえば、10代の頃はサルトルとかカミュとかヘミングウェイとか・・・読んでたっけ・・・

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「イヤッ!」といえない 

2018/01/18
Thu. 18:00

この時期の食生活は、ボクをどんどん太らせる・・・
万善寺の冷凍庫で大量に在庫を抱えている餅の一袋を、やっと片付けた。それでも、似たような大きさの袋があと3つくらいと、パック詰めの鏡餅が10個と・・・まだまだ数え切れない餅が大量に残っていて、気が遠くなりそうだ・・・
台所の食卓でデスクワークをしながら、毎日の食事をつくっているのだが、最近は、近所のホームセンターに並んでいた小ぶりの土鍋が大活躍している。
土鍋の利点は、食材がなかなか冷めないこと。それに、寒い時は身体が温まる。
使うたびに煮込んだ食材のエキスが土鍋に沁み込んで、次に使う時、水をお湯に暖めるだけでそれなりのスープが出来上がってしまっているということも、土鍋でないとできない良いところだ。そういうことを、毎回繰り返しながら土鍋を使っていると、台所中に食欲をそそる香りが充満して、どうしても一杯が欲しくなって、仕事に集中できない・・それが欠点になる。
まだ、購入してから1ヶ月も経たないのに、すでにシッカリと味の染み込んだ土鍋になりつつある。
最近体調の優れないワイフを気遣って、出来るだけ彼女に負担をかけないように、自分の食べるものくらい自分でなんとかしようとしていて、そのくらいのことしか出来ないのだが、それで太ってしまうのだから気遣いが逆効果になったりして、なかなか思うようにいかない。

「3月まで○○中学校へ行くことになったのよ・・・△□時間だって!」
夕方になって石見銀山へ帰ったら、珍しくワイフがストーブを焚き付けていた。竹野町の石屋さんがダンボール一箱分の立派な薪を送ってくれていて、その蓋が開いていた。このところ連日のように職場から帰るとそのまま寝室を真っ暗にして寝ていることが多かったから、体調が少し良くなったのかと思ったのだが、私に美術の時間講師を引き受けたことを知らせることで起きていたのかもしれないとも思った。
とにかく、ワイフは「イヤ!」と言えない性格で、それで、自分で自分の首を締めているようなところがある。周囲は、それを心得ていて都合のいいように上手に用事や仕事を振っているように思えてならないのだが、そういう性格の彼女は、負担が重なって無理が増えることが解っているのに結局は引き受けてしまっていたりする。
このたびも、ワイフが断れなかった諸悪の根源は、3学期になって早々、自分の都合でサッサと辞めてしまった前任の美術教師にある。詳しいことは全然知らないが、普通に常識で考えても、この時期に可愛い生徒を残して自分の都合で辞めることが出来るという、そういう人格でもって良く長年学校の教師が務まっていたものだと呆れる。
ワイフはすでに、三瓶山を中心の3つの中学校で時間講師をしているから、それにまた1校が加わって3月の終業まで4校を掛け持つことになった。自分の意思で決めたことだろうからボクにドォ〜のコォ〜の言うことも出来ないし、そのうえ、3月の終わりには彫刻のグループ展も控えていて、その制作もしてもらわないといけないし、万善寺のお彼岸のこともあって、吉田家は予断を許さない情勢にある。
この難曲はワイフの体調管理とボクの献身と、それにネコチャンズの癒やしに救いを求めつつなんとか助け合って乗り切るしか無い。

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オヤジの帰宅 

2018/01/05
Fri. 16:52

飯南高原の近場のお檀家さんを年始回りで一巡して、そのまま石見銀山へ向かった。

昨年末に万善寺の一人暮らしに入って、自分ではそれなりに万善寺住職の正月重職を勤め上げたつもりで、やっと坊主正月らしき日を迎えることが出来たのが昨日のこと。
だいたい10日ぶりに石見銀山の吉田家へ帰宅した。
荷物をおろしたりして賑やかしているのに吉田家のネコチャンズはまったく姿を見せないし、鳴き声もしない。
「猫だいじょうぶ?脱走してるんじゃない?」
心配になってワイフへ聞いても、自分の用事ばかりで返事がうわのそら・・・
ボクとしては、久しぶりの帰宅になるんだけどなぁ〜・・と、もう少し歓迎されてもいい気がした。これだけ付き合いも長くなると、夢見がちな家庭生活なんて忘却の彼方へ消えてしまっているようだ。もっとも、今更そういう甘ったるい夫婦生活など想像するだけで逆に気持ち悪い。

昨年末に薪ストーブの焚付の薪を補充しておいた中から、乾燥が進んで燃えやすくなったモノがほとんど消費されていた。
生まれも育ちも江戸っ子のワイフにとっては、まさか、今頃になって冬の暖房を薪に頼るなどとは思ってもいなかったことだろうから、それにしては文句も言わないで偏屈親父によく従って尽くしてくれているとは思う。
ストーブに火が着いて少し部屋が暖まってきたら、何処かからネコチャンズが湧き出てきた。まったく、みごとにマイペースを極めたヤツラだ。
帰宅した時土間にじゅん君の靴が見えたから、彼はまだオヤジの炬燵へ潜り込んでいるのだろう。
ワイフ情報によると、このところ毎日のように昼は寝正月で夕方になるとゴソゴソ起き出して夕食もとらないで何処かへ出かけるのだそうだ。ワイフもネコチャンズも寝静まった後、夜中になって帰宅しているようで、普通だと自分の家庭をもってもおかしくない歳になっても、まだそのように正月早々毎日夜遊びを続けていて、夜行性の猫の上を行く。
こればかりは、自分の自覚が出ないうちはまわりがとやかく云ってもどうしようもないことだ。親子のことで、冷たいオヤジに思えるかもしれないが、順当にいけばどうせ先に死ぬのは親父の自分の方で、後になって子供がどう苦労しようが、手を貸すことが出来るわけでも無いことだから、先にサッサと子離れしておいたほうが気楽だ。

オヤジの寝室をじゅん君が占拠しているから、新年早々吉田家にボクの寝場所が無い。
彫刻や結界くんと一緒にアチコチ旅して回っているし、こういう劣悪な環境に遭遇してもナントカその場を取り繕ってしのいでいるから、それほど気にすることでもないが、やはりさすがに一晩熟睡できなくて苦労した。オシッコに目覚めた時、じゅん君が帰ってきて、余計に目が覚めたから、それから80インチを起動して映画を1本観た。吉田家の唯一のボクの娯楽で、家族の中でこれらの機器を操作できるのは他にナッちゃんくらいしかいない。ワイフの手前、少し遠慮して音響を絞って静かに観ていたら深夜の巡回を終えたクロが音もなく私の布団の上に乗ってきた。劣悪な睡眠環境がもっと劣悪になった。

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晴れ女 

2017/12/22
Fri. 23:50

本社出張のなっちゃんが旦那の元へ帰っていった。
たった3日くらいの吉田家滞在だったが、ワイフと二人の生活に慣れていたからなのか、なんとなく生活のペースが狂って落ち着かなかった。
普通だと、我が子が久しぶりに帰省するのだからそれなりに心浮かれても良さそうなのに、なんとなくひとごとのように思えてしまって、自分は「なんて薄情なオヤジなのだ!」と、自分を責めた。
親娘とはいえ、お互いの生活の基盤が違って長いから、それぞれの大事なポイントも変わってくるし、一人の大人として考え方も自立しているから、1年に数日数時間しか同じ生活空間を共有する程度では昔の親娘関係に戻ることは出来ないことになってしまっているのだろう。
こういう状態が、「親の子離れ」であって「子の親離れ」であると云えるのかもしれない。特にお互い遠慮しているわけもないが、少し距離をおいた良好な付き合いができているということだと思っている。

なっちゃんの帰省で一番心乱れて平常心が狂ってしまったのはネコチャンズだっただろう。
まだ乳離しない手乗り猫状態の頃から吉田家で暮らしはじめたクロは、人間を恐れることがない。むしろ強い好奇心を持って人間を観察していたりするようなところもあるから、なっちゃんのミスを見逃さないで上手に脱走を成功させたりするようなずる賢い接し方を覚えている。
生まれてすぐから野良猫だったシロは、殆どの人間を自分の敵だと思っていて、人見知り程度のレベル以上に野生の本能で人間を警戒しているようなところがある。なっちゃんに対しても自分の方から気持ちを開くことがないから、なっちゃんはそういうシロを好きになれないでいる。
いずれにしても、猫は「ねることが仕事」のような身勝手マイペースなところがあるから、なっちゃんが吉田家をうろついている間、シロはワイフの部屋、クロは私の部屋へ避難してほぼ一日中眠り続けていたようだ。

ネコチャンズにとっては、疫病神に近い状態のなっちゃんであるが、私達夫婦にとっては、日常の暮らしに刺激をくれた愛娘で、その上、12月のこの時期に気持ちの悪いほど続いたいい天気を連れてきてくれた晴れ女であった。
おかげさまで、1日は万善寺で保管していた薪をきざむことが出来たし、1日は吉田家駐車場の薪を割ることができた。これから正月が開けて過ぎるまでは薪づくりも難しいだろうからとても助かった。

二日続けて薪作りをしたら、身体のアチコチがミシミシと痛い。
とにかく、少しでも早く寝るに限ると決めて部屋にこもって炬燵に潜り込んでiPadをつついていたら、クロがジワジワと音も立てずに私の股間の真上へ乗ってきた。彼がこの数日間好んで寝場所に決めていた丁度その場所を私が占領してしまったようだ。さすがにそのままで耐えられないから、結局その場所はクロに譲った。

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カキフライ 

2017/12/18
Mon. 18:14

なっちゃんが本社出張で帰ってくる。
出張の仕事が終わったら、そのあとから忘年会になるのだそうだ。
いつものことだが、仕事がらみの帰省は朝から夜遅くまで吉田家に居ることがなくて、家族の夕食はせいぜい1晩あるかどうかといったところだ。

「今夜はカキフライだからね!」
自宅を出発する時に、ワイフが声をかけてくれた。
今のシーズンは牡蠣が旨い。
私は牡蠣が大好きで、カキフライだったら際限なく食べられるから、痛風の身体に良くない。
「痛風は、右足の親指の関節へ尿酸が集まって激痛になる」と外科のドクターから教わった。
もう随分前になるが、彫刻の制作があと一晩で終了するというその夜に、借りていた鉄工所のクレーンフックが外れて、約1tの彫刻パーツがその右足の親指を直撃した。
ちょっとした気の緩みで起きた過失事故だったが、幸いにも、ほんの1cmほど床の鉄板から指先が外れていたおかげで、関節を骨折はしたものの、足がつぶれないですんだ。
その時は、そのまま痛みをこらえながら残った仕事を済ませて翌日病院へ行ったくらいの軽傷だと思っていた。
「これは折れてますねぇ〜、ギブスが良いけど、生活が大変だから当て木とテーピングの固定で乗り切りましょう・・・チョット折れた場所がねぇ〜、良くなかったなぁ〜・・」
治療してくれたドクターの顔が終始曇った感じだから、「実は重症なのかもしれない」と心配になって聞いてみると、痛風を心配した先程のような回答があったという次第。
固定が1日2日のことではなくて長期間になるから、それが「痛風を誘発してしまいそうで怖い」というわけだ。
当て木は約1ヶ月半くらい続いて、その間は痛風の症状も出ないで何事もなく過ぎた。
「早く体力が回復して元気になってね♡!」
まだ、子供も小さい若夫婦時代のワイフは今にもましてとてもボクに優しくしてくれた。
普通に歩けるようになるまではと、毎晩のようにレバーやホルモンや精のつくものをたくさん食べさせてくれた。
私も、そういう食材が限りなくスキな方だったから、喜んでパクパク食べていたのだが、或る日の朝、起きて歩こうとするとどうも右足の親指がうずく。
おかしいな?と思いつつ1日立仕事などしていたら、夕方には親指が2倍位に腫れて歩けないほどになった。次第に痛みも激しくなってナニをしてもドウしてもとにかく延々と激痛が続くようになってやっと「これが痛風というやつかも??」と思い当たった。
「ははぁ〜、やっぱり発症しましたねぇ〜・・・一応痛み止め出しますが、この病気は内科の方ですから・・」
いただいた薬がなくなった時、内科の開業医へ行って、それ以来、そのお医者さんがボクの主治医状態になった。嘘か誠か、彼いわく「痛風のメカニズムが解明されたら、ノーベル賞ものですよ!今はまぁ、対処療法くらいしか無いですからねぇ〜」ということだった・・・カキフライ、10個は食べたいなぁ〜〜・・

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真夜中のノッチ 

2017/12/16
Sat. 23:18

万善寺で、いつものように一人寂しく男飯をつくって昼ご飯を終わらせた。
外は冬といえば冬らしいものの、どちらかといえば雪になるほどでもなく雨の方が多くてなんとも微妙な天気が朝から続いている。

ガタピシの日本家屋はとにかく隙間風がひどくて、夏の間はそれなりに涼しくて過ごしやすいが、冬になると一気に冷え込んで家も外もたいして気温が変わらない。
炬燵もあるが、それに潜り込んでしまうとそのまま出れなくなって一日中ゴロゴロとだらしなく過ごしてしまうから、今は台所の食卓へ寺務の用事を広げてテーブルと椅子の暮らしをしている。

少しはお昼休みでもしようと、憲正さんが使っていたベッドへ横になってくつろいでいると、久しぶりにノッチからLINE電話が入った。
フロリダと島根では約12時間の時差があるから、島根が昼の1時だとフロリダは夜の1時ということになる。
「こんな夜中にまだ起きてるの?」
「いつもだいたいこんなもんだよ。寝るのは3時くらいかな??」
コマ落ちでぎこちない動きのノッチが、缶ビール片手にニッコリ笑っている。
アメリカの人たちはほとんどライトビールばかり飲んでいて酒好きのノッチには味気ないのだそうだ。それで、ビンテージのラガービールをみつけてそればかり飲んでいるらしい。ラベルを見せてもらったが、初めて見るものだった。
とりとめのない会話なのだが、久々にノッチの声が聞けて良かった。
気がつくと1時間ほど喋っていて、その間に、ノッチは缶ビール2缶あけて、マルガリータを作って飲んでいた。私はこれから石見銀山へ移動があるし、雪の状態も心配だからアルコールはグッとこらえて、コーヒーをチビチビやりながら会話に付き合った。

ノッチもそろそろいい歳だし、10代から3回ほど外国で暮らしていて、そろそろ日本へ落ち着こうと考えているようだ。
我が子とはいえ、本人の気持ちのことだから私の思うことを押し付けるつもりもないから、彼女の自由にすればいいと思っているが、最近の日本は貧乏な国民(ボクのことです・・)から容赦なくアレコレ理由をでっち上げて金を巻き上げるような国になってしまったから、ノッチのような自由人にはきっとかなり住みにくいのではないかと思ってしまう。
彼女がフロリダに居る間のいつか、ノッチを頼りにワイフと二人で旅行でもしようと思っている。前回、シンガポールの時は、そのつもりで500円貯金をしていたのに、あと一歩というところで、ノッチが帰国してしまった。結局、あの時の500円はボクの彫刻に化けてしまったが、使いみちとしては実に有意義であって、保険だとか年金だとか消費税だとか、そういうことで巻き上げられよりずっとマシだった。あの時の残金と、その後も続いているワンコイン貯金を元手に、アメリカ往復くらいはなんとかなるのではないかと試算しはじめた。あとは、ワイフが本気になってくれるだけだが、仕事や地域の付き合いにとにかく前向きな人だからどこまで個人の自由を優先できるか・・それが問題だ・・

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ジャンクフード家族 

2017/12/10
Sun. 23:13

拾骨が終わって、ご先祖様のご遺骨が集められた「骨壷が自宅に帰ってきたから・・」という連絡が娘さんから入った。
その家は、ご主人を亡くされたおばあさんが一人で暮らしていらっしゃる。お子さんたちは、既にその家を出てそれぞれ自分の家族を持って暮らしていらっしゃるから、おばあさんのあとは誰も今の家に帰ること無く、絶縁空き家になる。ご先祖様のお墓もいずれは放置されて荒れることになるから、万善寺の永代供養墓へ合葬を希望されて、そのように取り計らう事務処理を進めることになった。今は昔と違って、何から何まで書類の作成が必要でそういうことがよく頭に入って飲み込めている役場の事務職員などは簡単にコトを済ます事もできるだろうが、家に一人で取り残された老人にとってはチンプンカンプンのことで、書類ごと一つのことで飛散した家族が集って話し合われるなどされて、1年近く経った今頃になって少しほど事態が進展した。
万善寺の周辺にはそういう家が年々増えている。

毎年のことだが、年末はいろいろヤルことも多くてなかなか落ち着かないまま1日が過ぎる。
長女のなっちゃんが正式に結婚式をあげたから、吉田家も親戚が一つ増えて賑やかになった・・といっても、なっちゃんの嫁ぎ先は埼玉の方だから、「今度の週末は一緒にバーベキューでもやりましょうか?」などと、親密な付き合いになるわけでもなく、時節のご挨拶をするくらいのものだ。それで、先日先方から石見銀山の方へお歳暮が届いた。私はこのところ万善寺暮らしが続いていたので、ワイフからその報告を受けた時も「あぁ〜そぉ〜・・」と、一瞬スルーしかけたが、「チョット待て!こちらも何かしなければ!」と気付いて、それから何にしようかアレコレ気にしながら数日が過ぎた。
厳しい寒気もひとまず遠のいて天候も若干回復したから、「カニでも買いに行こうか?」とワイフを誘った。
午前中に拾骨絡みのおつとめが終わったので、それから境港へ走った。
いつも行きつけの卸売市場は、年末のお客さんであふれて活気があった。しばらく続いていた寒波のおかげて、近海の魚は少し高めだったが、どれも目移りするほど立派なものばかりだった。行きつけのカニやさんを覗いたら、もう顔見知りになっているオバチャンと目があった。お客でいっぱいだったが、視線のやりとりで会話して、お歳暮の一品をカニに決めた。ついでに吉田家用の安いカニもみつくろった。

「マクドナルドへ寄ってくれる?ジャンクフード食べたい気分なの♡」
出雲市あたりまで帰ってきた頃、珍しくワイフがそう云ってきた。
そういえば、吉田家はだいたいみんな揃ってジャンクフードがスキな傾向にある。特に、一人暮らしをはじめたキーポンは、仕事先と自宅の間にあるマクドナルドへ入り浸っているようだ。時々電話で話す時はだいたい「今ポテト食べてるのぉ〜」とか、「ビックマックセット買ったのぉ〜」とか云っていて、きっとワイフはそれを思い出したのだろう・・
最近は、オヤジも一人暮らしが慣れてきはじめている。
冬に入って、火鉢の管理をしながらデスクワークを続けていると、ツイツイ金網をのせて餅を焼いたり地鶏を焼いたりして、そちらのほうが楽しくなって困っている。

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吉田タマ 

2017/12/01
Fri. 01:32

集団登校の子供たちの賑やかな声で目が覚めた。
出掛けにグッピーの水が少なくなっていることに気付いた。つい先日水を足したばかりだと思っていたが思い違いだったのだろうか?バケツに3杯ほど継ぎ足してご飯を蒔いた。
石見銀山の町並みは昨夜の雨で濡れていた。

とにかく、なんとかして11月中で富山小学校の校内をキレイにしておきたい。
結界君に校内の残りを全て積み込んで移動すれば、あとは、天候の状態を見て野外彫刻の周辺を草刈りなどして整備して、今年の彫刻絡みの企画事業全てが落ち着く。
事業報告作成や会計事務は石見銀山で篭ろうか万善寺で篭ろうか、まだ迷っている。
・・・そんなことを考えながら結界君を富山へ走らせた。

途中、まだ転勤族で働いていた時に暮らしていた町を通る。
三瓶川に沿って広がった町に今から20年ほど前まで住んでいて、町内で2回引っ越しをした。今でもバス通りのままなのか知らないが、当時は狭い道を路線バスが走っていた。1軒目は一部2階付きの一戸建てで、小さい子供を育てながら暮らすくらいの広さがあった。じゅん君となっちゃんが生まれていて、2階を寝室にして4人が並んで寝ていた。シャム猫系雑種の黒猫が同居していたが、野良猫から酷い皮膚病を移されて、病院へ連れて行ったら「これは、治すのが難しいから殺処分にした方がいい」と女医さんから冷たく見放された。当時はまだ猫嫌いを貫いていたワイフは、非情にも女医さんのいうことに納得して平然としていた。私はとにかく自分にできること全てを試して「それでもダメなら諦めるから」と冷淡な女医を説き伏せて強力なシャンプー系のチューブ薬を1本もらって帰った。それから約半年の間、1軒屋の一部屋を猫部屋にして子供やワイフを立ち入り禁止にして隔離しながら、嫌がる黒猫を毎晩無理やり風呂へ連れて行ってチューブ薬を使ってシャンプーした。3本くらい買い足した頃に元気な頃と同じようなツヤツヤの毛並みに戻って完治した。黒猫の世話は全て私が責任をもっていたから、他の家族は皮膚病の治った猫を抱こうともしないまま、ほぼ無視の状態がしばらく続いた。元気な頃は殆ど外猫同然で暮らしていたから、私が仕事で留守の間に吉田家を飛び出して行方知れずになった。私の強制的シャンプーは猫にとっては虐待されているようなものだったろうから、逃亡するのも仕方がないとあきらめつつ、それからしばらくして同じ町内の2階建て集合住宅へ引っ越した。その住宅は今は更地になって跡形もない。ノッチはその住宅の時に生まれたから黒猫を知らない。或る日、3人の子供が小さな裏庭で遊んでいる時に、はるか向こうの田の畦道をのんびりと歩く黒猫を観た。吉田家の猫ととても良く似ていたから、「タマァ~~!」と呼んだら、一瞬立ち止まってこちらを見た。「タマ」の名前を覚えていたのかもしれないと思ったが、タマタマだったのかもしれないとも思った。それから少しあと、近くの新しく建った立派な2✕4住宅の2階出窓にぬいぐるみの黒猫が置いてあった・・・と気付いて、見上げていたらその黒猫が動いてこちらを見た。「吉田タマに違いない!」と確信した。たぶん別の名前をもらったのだろう、幸せそうで良かった。

富山へ往復しているあいだに、少しずつあの頃のことを思い出している。
「吉田タマ」の正式名称は「タマJr Special 2」という。イケメンのオス猫だった。

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クロ対策 

2017/09/05
Tue. 23:14

限りなく透明に近いグレーな吉田家のコトをブログにしたら、ノッチがさっそく食いついてきた。
ボクは君の適度にゆるいところ良いと思うんだけどなぁ〜・・・
チョット短気で気に入らないとすぐにプンプンすることもあるけど、それは多分、よほど親しい関係にある人の前(たとえば吉田家の家族とか)でだけのことだろうから、それも愛嬌ということで・・・

クロがポーカーフェイスでしつこく脱走をあきらめないでいるから、私の留守の間にワイフが吉田家の玄関から土間のあたりを整備しはじめて、その最終段階でいつもの棟梁の手を借りることになった。
朝早くに現状を確認がてら棟梁がやってきて、お互いの知恵を出しながら打ち合わせを済ませた。
「それじゃぁ〜、昼からということで・・・」
「あっ、それだったら玄関入れるようにしておきます!吉田家は二人とも留守だと思うので・・・」
棟梁が土間で仕事がしやすいように、一度片付けてキレイになった部屋が結局物置に戻りそうになっていたところを再度午前中かけて本格的に片付けた。
あふれた荷物は持って行き場もないから、結界くんへビッシリと詰め込んで万善寺へ走った。
狭い山寺とはいえ、今の吉田家よりは広い。本堂の西側にある渡り廊下の空きスペースを少し片付けて結界君の荷物を積み上げた。

昼食の時期を過ぎてから空腹に気づいたが、いまさら昼ごはんをつくる気にもなれないし、ひとまず昼飯抜きで石見銀山へ向かうことにした。
空荷で帰るのもモッタイナイ気がして、寺のアチコチに積み上げられているダンボールなどの紙類をまとめてみたら、リヤデッキいっぱいのソコソコの量になった。
明日は坊主家業で法事があるから、荷物を積んでウロウロするのも坊主らしくないし、紙専門のリサイクルショップへ持ち込んだら150円になった。
「油代のほうが高くついたな?・・」
なんとなく、いやしい打算が脳味噌をよぎったが、「資源の有効活用に貢献したのだ!!」と、自分の身施善行に気持ちを切り替えた。

午前中に石見銀山を出発してひと回りして帰宅したら、土間から投光機の明かりが漏れていた。
棟梁の仕事は実に早い。
夕方までにフレームが組み上がり、たぶん、明日半日もあれば完成するだろう。
これでクロの脱走が激減するはずだ。
感の良いクロが、そういうことを察してか今日1日で2回も脱走を成功させて、現在まだ帰宅していない。
「フフフ・・・、君の散歩も今日で終了サ!」

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ノッチからのSNS 

2017/09/04
Mon. 23:13

ちょと思いついて国内観光をアチコチと・・・なんてネ♡!
のんびり旅行でもしてみたいな・・・などと、思う余裕もなく・・・

最近吉田家のSNSが賑わっている。
8月から1年契約の就職が決まってフロリダで暮らしているノッチが、職場エリアの写真を送ってきた。
詳しくは分からないが、巨大なディズニーリゾートの日本館エリアで働きはじめた。
数週間の座学や試験や研修などがあって、配属先が決まったらしい。
ノッチも私とワイフの娘だから、何もしないでダラダラしていると、全身がとろけてダレ切ってしまう性格なので、それを自分もわきまえて「一番忙しいところが良いです!!」と訴え続けていたら、見事にそういうエリアへ配属されたらしい。
今回同僚になった連中の殆どは、帰国後の就職に照準を当てて、そのためのスキルアップを狙っているらしい。
女性はキャビンアテンダント、男性は高級ホテルといったところの希望が多いそうだ。
それでノッチはどうかというと、「ウゥ〜〜ン・・・、あんまり考えてないノォ〜・・」という感じ。
まぁ、自分の目標をガッチリ固めてガツガツ暮らすよりは少々緩めに余裕を持っていたほうが「ツブシも効いて良いかな?」と思ったりしてしまう。
ノッチもまだ若いとはいえそろそろアラサーに近づいているし、外国暮らしは今回が最後だと、自分ではそういうふうに決めているようだが、彼女のことだからそれもどうなるのか定かではない。

吉田家の4人の子供たちは、それぞれ自分の思うように自分のやりたいことを自分で決めて働いているから、6人家族それぞれが見事にバラバラで暮らしている。それでも、全体を緩やかにグループ分けしてみると「先生」系が多いのかな?
ワイフは時間講師で3つの中学校を回っているし、じゅん君は海士町で音楽の先生をしているし、今年の四月から働き始めたキーポンは東京で保育士をしている。
私は坊主をしながら彫刻を造っているが、1年を均すと彫刻家が坊主をしているふうになって、まぁ、いずれにしてもとってもヒマな暮らしをしている。
一番忙しく働いているのはなっちゃんだと思う。先日も、島根へ出張と称して帰ってきてからあと、高松や宇都宮など毎日のように出張が続いていたらしいし、なっちゃんの旦那も平日は帰宅がかなり遅くなっているようだ。これで土日の休日がなかったらあの二人は過労で倒れているかもしれない。

私くらいの田舎育ちの年齢層は、「男は家の跡を継ぎ、女は嫁入りをして子を育て・・」などと、物心ついたときから呪文のように耳元で囁かれながら大きくなってきた。
そういう洗脳子育ての結果、自分で自分の出過ぎた杭を打ちながら敷かれたレールを大きく踏み外さないようにつつましく生きてきたようなところもある。
せめて、我が子や自分の家族くらいは、親の都合で子供が我慢しなければいけないようなことになってほしくないと思っていたつもりだが、さて、どのように育ったのか??

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9月1日の一考察 

2017/09/01
Fri. 23:10

朝晩がめっきり寒くなって掛け布団が手放せなくなってきた。
私とワイフは、世間の夫婦並みに仲良く暮らしていると思う。
それでも、今年のように別居生活の一人暮らしが増えたり、自宅でも寝る部屋が別だったりして、四六時中ベタベタと一緒にいるわけでもない。
結婚生活が長くなると、だいたいどの家庭も似たり寄ったりなのではないかと勝手に自分でそう思っている。

万善寺には、とりあえず暮らしに困らないくらいの備品は整っているから、そのままで不自由はないのだが、それだからといって暮らしに潤いがあるわけでもない。
たとえば、味気ない家具もそうだし、貧乏を絵に描いたような継ぎ接ぎだらけの布団やカーテンもそうだし、セロテープやガムテープや絶縁テープまで使って補修をした建具もそうだし、あげればキリがないほど到ることころの到るものがボクの美的感覚の琴線に触れて、無駄に心がざわめいて落ち着かない。
この半年で、すぐ目に付くものから少しずつ廃棄したり更新したりしてきたが、まだまだその手を緩めるわけにいかないほどチープな遺物がたくさん残っている。
夏の間はそれらを取り外したり撤去したままでも気にならないし、むしろその開放感が心地よかったりして暮らしの不具合を感じることもなかったが、こうして、少しずつ秋の気配が漂いはじめてくると、撤去した家具や建具などが恋しくなって必要を感じるようになってきた。
そこで、ワイフを誘って出雲のニトリへ出かけた。
幾つかの安いインテリア用品を揃えて、ついでにワイフの椅子も買ったが、これが一番高くついた。その椅子は、わたしが万善寺の寺務所で使うために購入したものと同型の色違いで、もう1年以上使い続けて使用感は確認済みだ。
買い物をしている間に雨が本格的に降り始めていた。
せっかく久しぶりに出雲まで出かけたのだからそのまま帰るのも味気ないからと、昼食を食べ、大きな業務用スーパーへ寄って買い物もした。
それこそ、二人揃って遠出することなどだいたい1ヶ月ぶりで、前回はなっちゃんの結婚式の時くらいだったと思う。
吉田家のこととか、子供たちのこととか、ワイフの仕事先でのこととか、それに彫刻のこととか、会話が途切れることがなかった。

一人暮らしが増えてから、日常品も含めて自分で買い物をすることが増えた。
私が必要な特殊なものなど殆どをAmazonに頼っていて、ラップトップが一つあれば外出しなくても買い物が出来るし、普段田舎ではまず売っていないようなものも2〜3日待てばだいたい手に入る。私の買い物などせいぜいそのようなものだった。
こうしてワイフと仲良く日常品の買い物をしたりしていると、夫婦でいられることのありがたさが分かる気がする。やはりなんだかんだいっても、夫婦でいると自然にその家庭の暮らしの役割分担が出来上がっていて、それが過不足なく機能して、お互いの気配を身近に感じることの安心感もあったりする。
吉田家の場合、この適度な距離感があるから仲良しでいられるのかもしれない。

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Happy Birthday 

2017/08/29
Tue. 23:06

約1ヶ月ぶりに吉田家でワイフと暮らしている。
彼女と知り合ってからだともう40年位一緒にいて、いまさら1ヶ月間離れていても特に大きな気持ちの変化があるわけでもないが、「彼女の方はどうなのだろう?・・」と、「今までに無いほどの気持ちのすれ違いがあるかもしれない?・・」と、そういう意識をしていたりする。
一見、特に変わったふうもなく、普通に今までと変わりない日常の会話になって、空白期間の情報交換をして暮らしの穴埋めをして、ランダムに散らばった石見銀山やワイフや吉田家家族やネコチャンズなどの周辺事情を縫い合わせる。そうして、一つ一つの点が線でつながってやがてそれが絡み合って小さな面になって、面と面が触れ合って少しずつ大きな面になって、その端っこの方に私がしがみついてぶら下がるほどになってやっと、「あぁ〜〜、石見銀山へかえってきたなぁ〜〜」と実感できる。
そうなるまでは、島根県の飯南高原とか石見銀山とか奥出雲とか、そういう狭い地域を、幾つかの顔を使い分けながらボイジャーのように浮遊している感もあって、自分の居場所の定まらないまま、ボンヤリとした疎外感を抱えながら日常の眼前の事実にむきあっていた。

吉田家に少しほど落ち着いて、一歩下がってみると、私のいない間、吉田家は随分荒れた感じになってしまっていた。まぁ、それも当然のことで仕方がない。やはり、ダラダラと何もしないでそこに居ても居なくてもどうでもいいくらいノラリクラリ暮らしているように見えても、私なりにそれなりに自分の役割をソコソコ果たしていたという存在の痕跡がかすかに残っている。

・・・さて、ナニが出来るか??、ナニから始めようか??・・
寺から持ち帰ったツナギに着替えて、1年以上手付かずだった土間の杉の丸太を薪に片付けることから始めた。
私がいない間、ほとんど新鮮な風が抜けることも無かったのだろう、土間が湿っぽく淀んでいる。薪割り機の油圧の油が少しずつ暖まって揮発すると、丸太に沁み込んだカビの匂いに混ざったなんとも異様なほこりっぽい空気がかき混ぜられる。
吉田家の暮らしがそこまで停滞していたのかと、一人暮らしを強いられていたワイフがかわいそうになった。
「ネコチャンズがいてくれるおかげよ・・・」
擦り寄ってきたシロをだきあげて、ワイフがポロリとそうつぶやいた。
ひと頃は、あれだけ猫嫌いを周囲に告知していたはずなのに、彼女の心変わりもナカナカのものだ。それでも、結果的にはソレでよかった。最初に、瀕死のクロを救出して連れ帰ったじゅん君はなかなか良い仕事をしたことになる。

半日かけて丸太を片付けて、土間を掃いた。それから、雨の降る中、工場から花屋さんを回って万善寺へ向かって日が暮れるまで草刈りをして、暗くなってから帰宅した。
ワイフの誕生日はバラの花束をプレゼントしていて、それが恒例になっている。
その夜、吉田家SNSが飛び交い、3人の娘がそれぞれ時間差でワイフへ電話してきた。

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それぞれの暮らし 

2017/08/20
Sun. 23:16

朝の目覚めは、普通に何時もと変わらなかった。
寺の一人暮らしに慣れてくると、いつの間にか日の出とともになんとなく目がさめるようになって、早朝のアレコレをひと通り済ませることが習慣になりつつある。
だいたい2〜3時間ほどそうやって庫裏や本堂をうろついて、デスクワークを少ししてから休憩に入る。その頃が石見銀山でワイフと二人暮らしをしていた頃の私の目覚めの時間になる。歳をとったせいか、環境が変わったせいかよくわからないが、夜中にひたすら夜更かししてもだいたい決まったように目覚めてしまうから、あまりシッカリと熟睡できていないのかもしれない。

飯南高原のインターネット回線があまりにも貧弱で、夜のうちにデータのやり取りをしようとしても上手く機能しない。遅々としてデスクワークが進まなくてはかどらないから映画でも見ようと気持ちを切り替えるのだが、インターネット経由の映画もまともに動かなくて結局断念する。そのまま仮眠するか、本でも読むかくらいしかすることもないし、なんとなく夜の時間がもったいないと思ってしまう。
かろうじてメールやLINEなどの軽いSNSはソコソコ使えていて、iPadとiPhoneを駆使して事務連絡をとりあっているが、キーボードの感覚に慣れなくてストレスがたまる。
この1〜2年は、大事なデータをCloudに保存することが普通になって、仕事ごとに使い分けていた外付けのハードディスクの使用頻度が激減していたのだが、今になって少しずつ復活し始めている。

久しぶりにキーポンが一人飯の写真を送ってくれた。
現在の吉田家は、結婚したなっちゃん以外みんなアチコチで一人暮らしをしている。いちばん味気ない食生活を送っているのは、たぶんじゅん君だろう。ノッチはオーランドでシェアハウス暮らしになったから、食事の世話もそれなりにみんなでワイワイと仲良くこなしていることだろう。ワイフは比較的几帳面に食事の管理をする人だから、心配することもない。私は、棚経が始まってから不摂生が続いて、最近は胃の調子がすこぶる悪くて、胃薬が手放せない状態だ。

吉田家の一人暮らしが続いているワイフは、それでもネコチャンズやグッピーたちがいて、その世話で手間もかかるだろうが、私ほど純粋に一人で寂しく過ごしていることもないだろう。彼女は、先日思い切ってソファーベッドを購入したらしく、その写真をSNSで届けてくれた。狭いリビングがより狭くなって、ついに私の居場所がなくなった。
20年ほど前に手づくりして家族が入れ替わりながらごろ寝していたカウチはいつのまにか物置になっている。そろそろ彫刻の制作で吉田家暮らしに戻ることになる。そうしたら、カウチを分解して撤去することも考えたほうが良いかもしれない。
結局は、吉田家で一番長く暮らすワイフに併せて少しでも彼女が住みやすい環境を整えてあげることが一番いいと思う。

知らない間に相当疲れが溜まっていたのだろう。朝のひと仕事が終わって切りの良い所でごろ寝したら、そのまま昼食も食べないで夕方まで寝てしまっていた。

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2018-02