工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

万善寺お墓事情 

2018/04/15
Sun. 23:25

予期せぬ胃痛で1日ほどダウンしたからその時間を取り返そうと、朝早めに石見銀山を出発した。
万善寺の境内へ上がると、アチコチに色々なものが散乱している。
昨日の暴風雨の凄さがよく分かる。
まずは玄関の鍵を開けて、それからその散乱した幾つかのものを探したりもとに戻したりしていたら、また小雨が降り始めた。
お墓への参道に比較的大きな枯れ枝が落ちていた。強風で裏山の何処かから飛ばされてきたのだろう。この様子だと墓地の方もなにかあるかもしれないと心配になって、急いでつなぎの作業着に着替えた。
雨のやむのを待って掃除用具一式を持って、途中、強風の影響で散乱していた山のものを片付けながら墓地へ上がった。
1週間前の地震で墓石の幾つかが倒れたり横ずれしたりしていて、前の墓掃除の時にそれを治しておいたのだが、開祖さんの自然石だけはさすがに一人ではどうすることもできないから石材屋さんへ復元を頼んでおいた。春の墓地は、ひと冬で積もった雪の水分をたっぷり吸っていつもより地盤が緩んでいる。それに加えて、雪が解けながら墓石を押し出して倒してしまうこともある。だいたいそういう時は小さな60cmくらいのバールが一つあればなんとか一人で修復出来るのだが、今回はそれに地震が加わったからいつもよりずいぶん厄介なことになった。
とにかく、病み上がりの身体で墓地と寺を都合3往復してひとまず作務の遅れをとりかえした。

最近は、市街地の墓地を中心にお墓やお供えの管理ルールが厳しくなっていて、本来お墓参りで大事な幾つかのことができなくなってしまって、そのまま人々の記憶が薄れていつのまにか習慣が消えてしまっていることも多い。それは、街場の寺院でも同じで、何から何まで大事なことが割愛されて楽な方へ流されていく。
万善寺では・・・というより、現住職はそういうことがあまりいいことだと思っていないので、とにかく自分のからだの動くうちは昭和からの知る限りの流れに逆らわないでそれを出来るだけ守っていこうと考えている。

昔は線香蝋燭と一緒にお花と旬のモノと主食相当のモノを墓前にお供えしておくことがお墓参りの常識だった。それに、年回法事の後の墓参は塔婆が加わるわけだが、最近のお墓ではその各種お供えや塔婆を見かけることが激減している。昭和の時代には特に問題なく過ぎていたお墓参りの常識が、今は生きている者の都合優先で廃れていく上に、それが管理とか環境とか衛生とか、そういう都合を優先したルールに変わってしまう。坊主の方もそれに流されて塔婆や葬儀旗や六道などの大事なものを割愛したり書かなくなったりすることも増えた。
世間の事情も色々あるだろうが、それはそれとして大事なことが消えてしまうのも自分ではどうかと思っていて、だから、せめて万善寺の場合はこうしてお寺の聖域でもある墓地の移転も考えないし、線香や花立ても出来るだけ自然のもので毎年自作しながら更新するようにしている。

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豊川稲荷二の午祭 

2018/04/08
Sun. 23:52

豊川稲荷二の午祭は、雪ではじまった。
なかなか眠れない夜だった。
早朝に目覚めて、もう二度寝も出来なさそうなので、そのまま起きることにした。
窓の外は、どんより曇って春の淡雪が絶え間なく降り続いている。
この様子だと、お参りもないだろうと思いつつ、それでもお経は読むつもりで豊川稲荷さまの荘厳を整えて、椅子を10脚ほど配置した。

お昼前になって空が明るくなって、低い雲が消えた。
境内の雪をどうしようか迷ったが、春の雪はすぐに消えるからそのままにしておくことにした。
椿の枯木に咲きはじめている花と葉の補色のコントラストにシャーベット状の白い雪が光を吸ってとてもキレイだ。
豊川稲荷の初午祭は2月から3月になるから例年だいたい雪が降る。
万善寺は、基本的に旧暦で初午祭を厳修していて、今年は3月のお彼岸を過ぎた頃だった。法要があまりに近くで続くのでカレンダーを作りながら迷っていたのだが、二の午が4月8日で丁度お釈迦様の誕生日と重なるから、それに併せた法要をすることにした。まさか、その日に雪が降るとは予測していなかったが、やはり、万善寺の豊川稲荷さまの法要には雪が付きものになっているようだ。

ご本尊の吒枳尼尊天さまは、五穀豊穣のご利益をお持ちの女神様で、九尾狐の背に乗って天界から舞い降りていらっしゃる。
昔々は神仏が一緒の信仰だったから、主に吒枳尼尊天さまを仏教がお祀りして、九尾狐さまを商売繁盛のお稲荷様としてお祀りしていた。明治新政府の政策で日本の宗教が神仏別けられてしまってから後は、お稲荷様の信仰がメジャーになって商売繁盛の比重が重くなった。
この世に生を受けた生き物たちのそもそもの生きることの根本は、「食べること」にあると、機会があれば言っている。そういう意味で五穀豊穣はとても重要な祈念の一つと思っている。経済産業の発展が社会の発展につながるのであれば、それを支えているのが五穀豊穣であると思う。日本の食事情は、国内での自給自足率が低くて、輸入に頼りすぎている気がする。そういう現状をクールに把握して今後目指す先を正しい方向に修正する努力も大事なことだ。豊川稲荷さまの法要を厳修する真の目的はそのあたりにあるのではないかと思いながらお経を読み、大般若転読をさせていただいている。

午後になって一気に天気が回復し、青空が見えてきた。それでも、雪のあとで風がいつもより冷たい。そんな中、保賀のみなさんが三々五々参道を登って来られた。それから少しして五月雨にお檀家さんがお参りになった。
都合8人の参詣を得て法要がはじまった。
お茶会は、やはり雪が話題になった。私がまだ小学生だったずいぶん昔のこと・・・
「あのときぁ〜、春になってちょうど今頃1尺も積もりましたけぇ〜ねぇ〜」
・・・雪は降っても今は薄っすら白くなるくらいで積もるほどでもない。ずいぶん温暖化が進んでいる気もする・・

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寺のお彼岸 

2018/03/22
Thu. 23:17


彼岸の中日まで続いた雨が夕方になってやっと終わった。
これで少しはいつものように春らしくなるだろうと思っていたら、関東の方は雪になったらしい。日頃、万善寺ではテレビを見ないし新聞も無いから、知らない間に世間の今から取り残されている。

お彼岸の法要で塔婆回向を済ませておいた施主さんが、受取にお参りされた。
境内は長雨のせいで未だに雨水がアチコチへ水たまりになって残っている。それを大きく迂回しながら時間をかけてヨチヨチと庫裏玄関まで歩かれる。自分もそうだが、年々歳を重ねると、昔は普通にできていたことが少しずつ難しくなって、ある時を境にそれが一気に加速する。
万善寺の幾つかある1年の仏事の中で、飯南高原に点在するお檀家さんは、それぞれ自分の都合を調整しながら「出来るだけ1年に1回はお参りしておかないとねぇ〜」と、決めていらっしゃるようなところがある。今日のお参りも、1日前だったら本堂に上がれるし、ささやかながらお茶を飲んで世間話も出来て、それなりに「少しは気持ちも晴れるだろうに・・・」と思ったりもするが、まぁ、皆さんそれぞれに事情もあるし、また別の仏事でお参りもされるから、こちらとしては、当たりも触りもないようにサラリとお付き合いするようにしている。

いつものように朝食代わりで一杯のコーヒーでも造ろうかとお湯を沸かしはじめてから、前日に大きな来客用のポットへしそブレンドの番茶を造っていたことを思い出した。
しそブレンドの番茶は死んだ母親が得意としていて、晩年になってからはお客さんへのふるまいを、上下左右斜め仏様全く関係なくすべてそのブレンド番茶で済ませていた。
坊主社会の常識をさりげなく無視いてしまえば特に気になることでもないが、一応万善寺の住職として各寺院方丈様方とお付き合いが無いわけでもないし、そのブレンド番茶はそういう交流の常識からはかなり逸脱したふるまいであった。自分自身そういうところがあるのだが、坊主というのは、顔と心の気持ちとはかなり大きくズレているようなところがあって、ほとんどはそれを顔や口に出さないでゴクリと飲みこんで事なきを得る方向へさりけなくかじを切ることが多い。お茶一つとっても、上げ下げの所作がうるさかったり、あげればキリがないほどツッコミどころ満載のふるまいを万善寺の内室俊江さんは堂々を講釈付きで押し売りしていたところがあった。
そんな思い出と一緒に、今朝のティータイムはしそブレンドの番茶を頂きました。

明日は、その内室俊江さんの1周忌法要がある。
最近の法事は口の動くものの都合で、本人(この場合は俊江さん)の祥月命日など二の次三の次で法事の日時が決まることが殆どになった。
私は、どちらかといえば古いタイプの坊主としてモノを考えたり決めたりしていることが多いのかもしれないが、やはり、生きている者の都合で彼岸の国に暮らすご先祖様の祥月命日を動かすことは良くないことだと思う。やはりこういう時は年に1度のことでその気になってやりくりすれば万障繰り合わせてお参りすることぐらいは出来てほしいと、ささやかに願いを込めつつ、俊江さんの法事準備をしているところだ。

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豊川さんの灯籠 

2018/03/18
Sun. 23:48

容赦なく確実にお彼岸が近づいてくる・・・

冬の間、あれほど大量の寒波が押し寄せてきたのに、例年になく春が早くて万善寺の境内は雪解けが早い。
前庭は前回の雨で完全に雪が消えた。
それからしばらくして本堂東側の豊川稲荷さん周辺の雪が消えた。
倒れた灯籠を移動する準備をして、あとは晴れるのを待っていたのだが、小刻みに天気が変わって庭がなかなか乾かないでいた。そのうちお彼岸が近づいて、また雨になりそうなので、無理をして灯籠を動かすことにした。
業者さんへ頼むと楽だがその分経費がかかるので、自分で動かした。
こういう時に彫刻制作の工夫がとても役に立つ。
さいわい、台座と大柱は接着が取れないでいてくれたから、豊川さん前から本堂の前まで数メートルを歩かせようと決めていた。それには、地面の真砂土が乾いて固くなったほうが楽だから、それを待っていたのだが、とにかく晴れたと思ったら次の日は雨が降ったりしてしまって、なかなか思うようにいかない。それで、本堂の床下を物色して廃棄した杉の床板を引き出して、その上を歩かせることにした。
たった数メールの距離でも、一人の作業はなかなかハードだった。
残りの、接着が取れてバラバラになったパーツはネコ(一輪荷車)に乗せた。
土留めを兼ねた花壇用にとっておいた古タイヤが役に立った。

灯籠は保賀の同じ自治会に住むお檀家さんが平成になってから個人で寄進されたものだ。
飯南高原に点在する寺院の中で、豊川稲荷をお祀りしてあるのは万善寺だけだと思う。
そういうこともあって、昔から保賀の自治会は仏教の宗派関係なく豊川稲荷さんへの信仰心が深かった。今では、地域のお年寄りもご高齢になったり亡くなられたりしてお参りも無くて寂しくなったが、昔は、毎日朝夕の日課でお地蔵さんと豊川さんへお参りされる姿をよく見かけた。季節の野菜をもらったり、おかえしでお供えをおすそ分けしたりして、大人たちの交流が頻繁だった。寺の隣は空き家になって2冬が過ぎたし、保賀川の脇にある家は空き家になって5年近くなる。その2軒が一番万善寺と親しくて、暇な時は半日も縁側で会話が弾んだり、男同士は囲碁がはじまったりしたこともたくさんあった。
灯籠を動かしながら、ボンヤリと昔のことを思い出していた。

昼過ぎからお彼岸の案内を約50軒分配って回った。
飯南高原の端から端まで手際よく結界君を駆使してお檀家さん一軒ずつポストへ投げ込んで2時間ほどかかる。
毎年、お参りは15名くらいだから、私がこういう住職の仕事をしていると、「お参りも無いのに、そんな無駄なことせんでもえぇがぁ〜〜」と、死んだ母親がいつも同じことを云っていた。
「毎度毎度万善寺仏事のお知らせを、住職自ら持って回っているから毎年15人もお参りが絶えないで続いているのだ!」と、自分ではそう思っている。
明日はまた雨になって冷え込みそうだ・・・万善寺の春はまだもう少し先だね。

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単身赴任坊主の1日 

2018/03/17
Sat. 23:37

万善寺の庫裏は、少し変形した田の字になっていて、南側に狭い前庭が広がる。
その前庭に面した床のある奥の間と庫裏玄関につながる前の間の2部屋が俗に云う(檀信徒会館)の役目を担う。
奥の間の北側に納戸を兼ねた方丈の間があるが、そこに床はない。その部屋から縁側が続いていて、その外は申し訳程度の狭い裏庭があってすぐ裏山になる。
田の字の残った一枠が俗に云う家族の居間になっていて、そこから韋駄天さんのお祀りしてある3畳間と典座寮配膳室を兼ねる板の間があって勝手口につながる。
板の間の並びに一段下がって約15畳の典座寮(台所)がある。
その台所には昔、裏庭に面して細長い畳4枚分の板の間があって、そこが食事の場所になっていた。私も小学生の頃は夏も冬もほぼ1年中その狭い板の間で食事をしていた。
残り3分の2のスペースは叩き土間になっていて、中央に調理台を兼ねた四角い板テーブルがあって、その端には4畳に面して小さなへっついがあった。しばらくして叩き土間をコンクリートに改修する時にそのへっついとそこから出ていた煙突を撤去した。
板の間と反対側の窓際には向かって右から順に間歩水を貯める水槽、流し、3連のへっついが続いて、そのほぼ中央から屋根を突き抜けて煙突が出ていてまだ上水道は無かった。
私がそういう状態の万善寺で過ごしていたのは中学校を卒業するまでで、それから後は下宿やアパートを転々とする一人暮らしになった。その間に、何度目かの典座寮改修工事が入って、土間が古いタイプのフローリングに変わり、へっついがシステムキッチンとガスコンロになり、煙突がなくなって天井が張られ、間歩水を引いた水槽がステンレスに変わって、簡易水道が引かれた。
昨年まで約40年の間、台所は改修の手が入ることなく老朽化が進んだ。
万善寺の行事でお参りも減ってお斎料理のふるまいもワイフの強力な手伝いもあって家族身内でなんとかなるようになって、まかないのお手伝いも台所へ入ることがなくなったから、特に体裁よく改修をする必要も無くなったわけだ。
合板フローリングの床がブクブクしはじめて、歩くたびにフニャリとたわみ始めるようになってからずいぶん経つが、そろそろそれも限界になって何時床を踏み抜くか分からない状態になった頃、なんと、となりの板の間の床板を3枚踏み抜いてしまった。それで一気にヤバイと性根が入って、急いで近くのホームセンターへコンパネを買いに走った。全部で15枚位買ったから、それで台所が約15畳だとわかった次第。
今の万善寺財力で改修工事が頼めるわけもなく、フニャフニャのフローリングの上へ2日かけて一気にコンパネを貼った。見た目は悪いが、お檀家衆が台所へ入ることもないし、自分が生きているうちはコレで凌げるだろうから、それで十分だ。
寒くなる前に、その台所を簡易パーテーションで2部屋にした。
田の字の部屋はオープンスペースにして公私を使い分けられるようにして、私の私的居住区は台所一部屋に絞った。あとは、仏事絡みで納戸兼用の方丈の間を使い、檀信徒会館用の二部屋を、特に仏事で使わない時は彫刻の展示をしたり若い作家に制作のドローイングスペースで提供したりしている。
雨模様の半日を使ってそういう庫裏の模様替えをしつつ、ザックリと掃除を終わらせた。
今朝は放射冷却で霜も降りて冷え込んだが、その分天気も良くなったので、裏庭の雪が溶けた所だけでも落ち葉を集めて庭掃除をした。まぁ、お彼岸はこれでOKでしょう!

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万善寺春仕様 

2018/03/16
Fri. 23:46

「やっと家に着いた!!色々ありがとね!」
夜の11時過ぎになっちゃんからLINEが入った。
本社出張を終わって、出雲空港から最終便で東京へ帰っていった。

いつもと変わりなく通勤坊主の支度をしていると、なっちゃんが「出雲空港まで送って・・」ということになって、「じゃぁ、5時出発で・・」と時間を決めた。
彼岸前だからお寺の用事も際限なくあって落ち着かない時期だが、まぁ、基本的にフリーな状態で特にまわりへ迷惑をかけることもなく毎日を過ごしているから、時間調整も自分の工夫でなんとかしてしまう。それに、昨日から冬が戻ってきたように気温が下がって寒くなって、小雨というか霧雨というか、なんとも曖昧な雨降りが続いて外の仕事も出来ないので、本堂から庫裏にかけて来客やお参り用のレイアウトを整えることにした。

母親が生きている間は、庫裏のど真ん中の部屋を占領していて、秋から冬から春にかけて、ほぼ半年は建具を締め切ったままテレビを相手にこもりっきりの暮らしが続いた。
寺の用事で帰った時も、その部屋を迂回して用事を済まさなければいけないし、けっこう不自由した。庫裏の玄関を入ると、淀んでいた家中の空気がかき混ぜられて老人特有の加齢臭が鼻を突く。自分では気付かないのだろうが、時々訪ねてくる業者さんとか訪問客にずいぶんつらい思いをさせてしまっていたと思う。
母親が死んだ今は、私がオヤジの一人暮らしで秋から最近まで冬こもりの暮らしをしていたから、オヤジの加齢臭が寺の至る所へ染み込んでいることだろう。
お彼岸の寺参り前に冬の空気を入れ替えておこうと思っているが、どうも天気も悪くて雨も降って寒いし、ひとまず、勝手口から板の間だけでもなんとかしようと外の空気を入れた。
万善寺唯一の小さな灯油ストーブへ給油しながら土間の掃除をしていたら、箒の先で給油ポンプを引っ掛けてしまって、土間から板の間へかけて大量の灯油をふりまいてしまった。なんという大失敗!・・・あわててポンプの電池スイッチを切って、古新聞を探し出そうとしたのだが、そういえば、もう何年も前から新聞を購読していないことを思い出して、またあわてた。その間にこぼれた灯油がどんどん低い方へ流れながら土間や板の間へ染み込んでいく。別棟へ憲正さんの着ていた古い襦袢や股引などを処分するのにまとめていたのを思い出して、それらを詰め込んでいたビニール袋を破った。
家の中の淀んだ空気を入れ替えようとしたのに、灯油の匂いが充満することになってしまった。なっちゃんを空港まで送らないといけないし、万善寺の窓や障子を開けたまま出かけるわけにもいかないし、散々な1日になってしまった。

「小学校の卒業式良かったわよ!○○ちゃんなんか、歌唄いながらシクシク泣いてるし、もらい泣きしちゃったわよぉ〜・・そうそう、△△ちゃん、袴だったの!着物ピンクで、髪飾りも色合わせて、可愛かったわよおぉ〜」
午前中は民生委員をしているワイフが大森小学校の卒業式に来賓で出席していた。
ちょうどその頃、万善寺のオヤジはふりまいてしまった灯油と格闘していたことになる。
なんとなく寺の顛末を話しづらくなって、そのままボクの心に仕舞っておくことにした。

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お彼岸間近 

2018/03/14
Wed. 23:43

朝のうちは澄みきった青空が広がっていた飯南高原だったが、昼を過ぎたあたりから少しずつ薄雲が広がってきた。
しばらく春めいた良い天気が続いていたから、そろそろそれも終わりになるのかもしれない。

お彼岸の準備もあるし、その後には母親の一周忌が来て、その準備も続く。
外仕事でやらなければいけないことがたくさん残っているのに、ほとんど何も出来ないまま1日がアッという間に過ぎる。
出かけている間に、近所の電気屋さんが別棟に続く内線工事を片付けてくれた。
「早速、ありがとうございました!・・・それで、費用はいくらでしょうか?これから支払いでお邪魔しようかと・・」とお礼の連絡をしたら、まだ計算が出来ていないから後でいいと言われた。
「まぁ、せいぜい2・3000円くらいだと思いますがねぇ〜」・・・らしいので、そのくらいなら万善寺の支払いが少々遅れてもそれで経営がどうこうなるものでもないだろう。3月末は1週間ほど留守にするし、一応そのことは伝えておいた。

寒い間、板の間へ放置していた果物や野菜など日持ちのしないものを冷蔵庫や冷凍庫へ移し替えた。冬の間は、冷蔵庫より板の間のほうが冷え込んでいたからそれでよかったが、さすがに3月も半ばになると庫裏の温度も上昇し始める。本堂は天井も高いし、いまだにひんやりとして昼間でも肌寒いくらいだから、お供え物もまだ難なく大丈夫。例年、お彼岸が過ぎて5月の連休くらいまでは果物のような日持ちのするなまものを長期間お供えしておいても大丈夫だ。お彼岸を目処に、シキビなどの青葉をお供えしておこうと思う。冬は荘厳用の鋳物の花器の水が凍って使い物にならなくなるから、お釈迦様には悪いが、水無でも大丈夫な造花をお供えさせてもらっている。最近の造花は出来が良くて、100円均一のモノでも十分本堂での使用に耐えられるから重宝している。お地蔵さんはもうずいぶん前から造花で済ませているが、節目の行事や仏事がある時は、それに青葉を足しておく。保賀のカラスも最近は全く悪さをしなくなくなったから、それも助かる。

倒れた灯籠もそろそなんとかしないといけない。このところ寄進の願主さんにお伺いをしようと連絡しているのだが繋がらないままでいる。動かすにも、まずは願主さんの了解をもらわないとむやみに動かせないし、それで移動作業が停滞している。夕方になって仕事帰りの石屋さんが寺へ寄ってくれた。永代供養の戒名板のことや、燭台一式の見積もりのこともあって連絡しておいたので、その商談を済ませたついでに灯籠の話になった。万善寺の東側境内には昔から豊川稲荷の分社がお祭りしてあるが、世間ではそれは神さんで仏教と一緒になっていていいのか?・・・などと、妙に気にする人も多い。そもそも、万善寺の豊川さんの本尊様は吒枳尼尊天様で、同宗妙厳寺の境内に守護神としてお祀りしてある。細かいことを云えば色々あるが、まぁ、ザックリいうと元々神仏は仲良くそれぞれのお役目があって一緒にお祀りしてあったわけだから、特になんの問題もないというか、むしろその形態が信心信仰の本道ともいえるのだ。
とにかく、無理をすれば彫刻は2〜3日で一つ出来るのに、仏事はナカナカ片付かない。

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坊主走る! 

2018/03/11
Sun. 23:22

午前中は隣町のお寺のお手伝い法事で鐘つき坊主を務め、午後は万善寺のお参りでお檀家さんの3回忌法事。
法衣をたたむ間もなく1日2つの法事で走り回った。

冬の間の参道の雪かきがこたえて、特に右膝から太腿お尻を通って腰まで激痛が走る。朝の起きてすぐは、歩くのもままならないほどつらい。おまけに、今朝は放射冷却でぐっと冷え込み、前日の雪解け水がバリバリに固まって、少しの日陰でもスリップの危険があってアクセルとブレーキを踏み分けするたびに身体の右半分が痛くて痺れて頭がクラクラして卒倒しそうだった。

寺の勝手口で鉄の錆び付けをしているのだが、冬に逆戻りしたようなこの数日の寒さで錆液の化学反応が鈍くてこまる。
起きてすぐ、顔も洗わないで錆液を塗るのだが、午前中の法事から帰って確認しても錆の変化を見分けることが出来ない。
今まで、何度も冬の彫刻制作や錆液の化学着色をしてきたが、こんなことははじめてでどうにもしようがない。たぶん、それだけ気温が低いということなのだろう。

集中した法事の最中も、だいたい今年の強力寒波が話題になっていて、もう80歳を越えたご高齢のおじいちゃんも「今年みたいに寒いのは生まれて初めてだがねぇ〜!」としきりにそんな話題を周囲に振っていらした。一見するとあのおじいちゃん、まだボケてなさそうだし、彼の年齢で未経験の寒さだと云うくらいだから、それこそ今年の島根県中国山地一帯では100年に1度あるかないかの出来事であったのかもしれない。
万善寺の場合は、水道の不具合と、参道の道開けに悩まされたくらいで、あとは停電も短時間だったし、プロパンガスもカセットコンロで代用できたし、厳しくはあったが、生活が停滞する一歩手前でなんとか持ちこたえていたところもある。
詳しくは分からないが、お檀家さんのお話だと、停電が長引いた一帯の電化住宅では、予備のバッテリー電源とお湯用の給水タンクがほとんど底をついて、停電がもう1日続いたら一家全員で避難するしか無い状態であったらしい。他にも、水が出ないからお風呂は毎日近くの温泉へ通っていたとか、そうすると、みんなが同じ考えで、温泉施設が超満員で芋洗い状態だったとか、斎膳の席で冬の間の色々な話題というか情報交換が飛び交っていた。

1日の法事をすべて終わって万善寺へ帰ってきたのが夜の7時近かった。
法事2つで斎膳も2回お付き合いさせていただいて、もう自分の身体中飲食の入る隙間がない。折弁当やお供えや果物籠も2つ分で一抱えあって、鮮度のあるうちに一人でありがたく頂くことも不可能だし、半分を本堂へお供えしたあと、急きょ思いついてワイフに電話して石見銀山へ日持ちのしない半分ほど持ち帰ることにした。
正月から少しずつ消費してあと残りわずかになっていた冷凍庫の餅であったが、この2日間でお供えの鏡餅や切り餅が一気に増えてもと通りになった。この調子でこれから1年間は、万善寺の冷凍庫がお餅で占領されることのなるのかもしれない。

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春の法事ブッキング 

2018/03/10
Sat. 23:56

私の師匠であり万善寺の前住職であった憲正さんには2人の兄弟弟子があった。
そのうちお一人は若くして亡くなられたが、もうお一人の弟弟子さんとは私正純との師弟関係より長きに渡って親しく交流が続いていた。
憲正さんが遷化した時も、弟弟子の方丈さんには密葬から葬儀一式ずいぶんお世話になってとても助かった。
その弟弟子さんは、憲正さんの一周忌がすぎ、三回忌を間近にして突然後を追うように庫裏で倒れそのまま覚醒することなく遷化された。
それから、早いものでちょうど1年が経つ。
現住職から早々と昨年末に一周忌法要のご案内が届いていて、「随喜させていただきます」と返事をしておいた。

一方、年が変わってからは、この度の大寒波襲来で万善寺はほぼ2ヶ月に渡って陸の孤島と化したが、3月のおひなさま寒波のあと一気に気候が春に向かって加速した。それで、にわかに万善寺のお檀家さん事情が活気づいて、停滞していた法事の依頼が続いた・・・といっても、田舎の山寺のことだから「毎日のように・・」ではなく、「毎土日のように・・」「○○日の土曜日は??」という感じでお伺いの電話が二重三重に重なってしまって、ほんの少し前まで雪や凍結と格闘していた現住職はお檀家さんの法事ブッキングと格闘することになった。
飯南高原の近場のお檀家さんは土曜日を日曜日にしたり、午前を午後にしたりしてなんとか「それじゃぁ、第2週目の午後2時からということで・・・」などとスケジュールをさばいたが、関西方面の遠方にお住まいのお檀家さんは、「もう島根県も雪が消えたようで・・しばらくお参り出来ていないお墓のことも気になりますし、お彼岸前に休みが取れたものですから、今度の土曜日に日帰りすることに決めましたので・・・」などと、すでに自分のスケジュールを決めた後から法事の依頼をされたりして、コレばかりは住職やお寺の都合は全く通用しないで、とにかく困ったことになり始めた。
基本的には、先着順で法事を受け付けるので、結局「それじゃぁ、この度はお寺参りは失礼して帰らせていただきます・・・」などと云うことになって貴重な法事の布施収入が次々減っていく。まぁ、施主様のほうは、内心出費が減って「シメシメ」と思っていらっしゃるかも??・・・だけど・・・

そういう、あぁ〜だこぉ〜だのやりとりがあって、弟弟子様の1周忌法要へ随喜した後、大急ぎで万善寺へ帰って年回法事を一つ済ませた。坊主のお茶飲み話によると市街地では夕方の4時からお葬式が始まるようなこともあるようで、それよりはマシかなと思わないでもないが、地域事情の格差が仏教界にも広がっているように感じた。
一人飯の夕食準備でトマトを刻みながら麦とホップを一口二口飲んだところまでは覚えているが、そのあと、ゴロリと横になって気がつけば夜の9時を過ぎていた。ワイフは卒業式の慰労会だと云っていたからそろそろ帰宅しただろうと電話したら「電話しようかと思ったんだけどね・・きっと疲れて寝てるんじゃないかと思って・・」珍しく気を使ってくれたようだ。ピッタリとその通りで、別居中であっても意思の疎通は出来ているようだ。・・・それからしばらくして、ネコチャンズの写真をLINEで送ってくれた。

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週末の坊主 

2018/03/09
Fri. 23:26

珍しく仕事が休みだというワイフが朝寝を貪っている。
こういう朝はめったにないからゆっくり寝かせておいてやろうと、起こさないようにできるだけ静かに朝の支度をして家を出た。
このところ急に暖かくなったり大風が吹いたり落ち着かない。
今朝の石見銀山はどちらかというと「少し寒いかな?」と感じたが、我慢できないほどでもない。

週末から来週にかけて寺の用事が続くから、荷物の移動がいつもより少し多い。2回に分けて結界君へ積み込んで万善寺へ向かった。
飯南高原で銀山街道から出雲街道へ入ると目の前の琴弾山が白くなっている。万善寺は標高450mくらいだから、だいたい目算で標高600mくらいから上のほうは雪が降って積もっていた。慎重に境内へ結界君を乗り入れたら、なんとか庫裏玄関前までそのまま進めそうだ。最初の寒波がやってきてからあと、今朝になってメチャクチャ久しぶりにいつもの定位置へ結界君を駐車することができた。
それでも、やはり寒い。
しばらく薄着でいたから、さすがにこの寒さは身体にこたえる。荷物を降ろしている最中もときおり雪が舞い降りてくる。琴弾山の上の方に降っている雪が解けないで風に乗って境内まで運ばれているのだろう。
出来上がった小品の彫刻に錆び付けをして一晩外へ出しておいたのだが、この寒さで錆液の化学反応も進行が鈍くてほとんど変化がみられない。このまま一日こんな状態ならストーブの近くの暖かいところへ移動しておいたほうが良さそうだ。

土曜日から日曜日にかけてお寺参りの法事が続く。
施主さんに電話で人数を確認すると2日合わせて参列が30人近くになるという。それだけの数が集まって法事となると、お茶の支度がおおごとだ。
彫刻の世話を終わって、やっとひと心地ついて、いつものように珈琲を一杯やりながら一日のスケジュールを組み立てた。
坊主一人の接待になるから十分なことはできないが、それでも饅頭一皿と番茶くらいは用意しておかないといけない。湯呑みに菓子皿に懐紙にクロモジを揃えて、夕方には番茶のポットを用意しておくことになる。庫裏の方でそこまで準備してから、近くの店まで出かけて饅頭を人数分仕入れた。
1年前に母親が死んでから私が寺のすべてを厳しく管理するようになって、ネズミが激減した。それまでは、本堂のお供え物とか来客用の湯茶や菓子皿の準備とか食べかけのお菓子とか毎度の食事の食べ残しとか、台所の流しの生ゴミやゴミ箱の中身まで、ネズミの餌になるようなものを無造作に放置してあることばかりで、毎晩のように寺のアチコチからネズミが動き回る音が聞こえてきた。前住職夫婦の時代は、ホームセンターでネズミ退治の毒エサや粘着シートや捕獲カゴなどを買ってきてネズミ退治をしていたが、ようするに彼等の食べ物が無くなればそれで問題もほぼ解決することだから、寺の管理が自分に変わってから後、ことごとくそのあたりの不具合を改善して1年たった。
夜になって、墨を擦って塔婆を3枚書いて法衣を準備して、ツマミを造って一杯やった。

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雲が下りた 

2018/02/28
Wed. 23:30

1月末の葬儀で隣町の同宗寺院から副導師を頼まれて、はやいもので35日を迎えた。
万善寺の場合は、特に改まって喪主の都合が悪くない限り七日務めを続けるから、それに合わせて毎日のスケジュールを調整しながら49日を迎えることになる。
寺の都合はそのまま住職の都合とシンクロするから、副業で忙しかったり、お檀家さんが多い寺は、七日務めを割愛される所も多い。それで、副導師は特に菩提寺や喪主から依頼されなければそのまま何もしないで49日の法要を迎えることがほとんどだ。このたびの喪主さんは、少しほど万善寺とつながりがあってまんざら無視もできないから、せめて35日だけでもお経を読ませてもらおうと、午前中に出かけた。
このところ良い天気が続いて放射冷却現象が激しくて、早朝の参道は前日の雪解け水が見事なアイスバーンになっている。お地蔵さん横が特に厳しいから通勤坊主の最後の難所になっていて一瞬躊躇したが、荷物のこともあるし結界君のシフトチェンジとアクセル操作を信頼して思い切って参道を登ることにした。

改良衣に着替えてお経本などを準備して喪主家へ到着すると、そこはまだ万善寺以上に雪深くて別世界だった。聞いてみると、いちばんひどい時でマイナス15℃まで下がったそうだ。万善寺がマイナス10℃で大騒ぎしていたことなど、どってことない冷え込みだ。そんな厳しい毎日をたった一人で新亡のお骨とお位牌さんを守っていらした。
「菩提寺さんはお参りされますか?」と聞いたら、お葬式以来「一度も連絡がない・・」ということだった。市街地の楽な暮らしに慣れてしまうと、雪深い山里まで毎週出かけることも気おくれしてしまうだろうし、菩提寺の方丈さんの気持ちもわかる気がする。
私が久しぶりの訪問者だったようで、お経の間中落ち着き無くドタバタとお茶の支度をされて、「まぁまぁ、お茶でも一杯!」と引き止められるものだから、無下に断ることも出来なくてお茶飲み話に付き合った。
「ゆうべ、お母さんの夢をみたんですよぉ~・・お葬式からあと、何もなくて普通だったのに、はじめてお母さんが夢に出てきたんですよぉ~・・あれからずぅ~っと一人だし、なんだか怖いやら気持ち悪いやら、寝られませんでしたぁ~~」と、そんな話が絶え間なく続いて、せいぜい20分くらいで終わるはずの七日務めが1時間近くにまでなった。
坊主の私でも、死んだ身内のこととなると、時々フッと思い出すことがよくある。自分の気持の問題だから、それはそれでどうしようもないことだ。自分の心残りが多ければそれだけ思い出すことも増えるだろうと私は思っている。十分なことはできなかったかもしれないが、できるだけのことはしてきたつもりだとある程度納得できていれば、故人との辛かったり嫌だったりした思い出もそのうち懐かしい思い出に変わっていくはずだ。商売柄、法事の斎膳の席が故人の思い出で盛り上がることもよくあるし、そういうご法事はあとになってとても豊かな気持ちになれる。

しばらく続いた良い天気もそろそろ限界のようで、お昼すぎから急に雲が下がって、それからすぐ雨になった。
夕方、万善寺から石見銀山へ帰ろうと支度し始めたら、突然突風が吹いてきて、雨と一緒に縁側の窓ガラスを叩き始めた。すでに春一番は終わっているから、こんどの強風は春二番(ってあるの?)くらいになりそうだ。

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作務の一日 

2018/02/26
Mon. 23:30

風呂のカランは壊れたままだが、2~3日ほど良い天気が続いて万善寺暮らしも少し楽になった。何箇所か気になるところもあって、そのあたりの確認もしたいから久しぶりに夜を寺で過ごすことにした。
屋外の水道は一度凍らせてしまって心配したが、お湯をかけたりエアキャップで囲ったりして養生してしばらくしたら運良く奇跡的にパイプの凍結が緩んで復活した。それから1ヶ月以上蛇口を緩めて水を少しずつ流し続けていたのだが、そろそろ水を止めてもいいだろうと判断した。昼間はそれで良いが、夜になるといまだに氷点下まで気温が下がるから、まだ当分は気が抜けない。
灯油のストックが外の倉庫にしまってあって、降り積もった雪に塞がれてそこまで行くことが出来ないでいた。今年は冷え込みがきつくて雪が解けないまま氷のように固まってスコップの歯が立たなかったが、やっと今になって倉庫までのルートが確保できたので、庫裏の方へポリ容器を運び込んだ。これで春までの暖房は安心だ。
本堂東側に豊川稲荷の分社があって、その前にある一対の灯籠が屋根からのユキズリに押されて傾いてしまった。そのままにしておいたら雪が溶けて支えが無くなるとドミノの如く倒れてしまうから、古タイヤを積み上げたりして応急の倒れ止めにした。
昔、客殿で使っていた別棟は、前住職夫婦が高齢になってから庫裏で要らなくなったものを次々にと運び込んでアッという間に物置にしてしまった。しまい込むのもいいが、其処から運び出すには人力しか方法が無いので「それは後になって困るからヤメてくれ!」と再三に渡って頼み込んだが聞いてもらえないままだった。この冬にその別棟へ引いていた電線が庫裏の屋根からのユキズリで分断されて軒先からぶら下がったままになった。ブレーカーをチェックしてナントカならないか慎重につついてみたが素人には危険だと判断して、春を待つことにした。
もう長い間使っていた電気炬燵の電熱器が動かなくなった。炬燵は部屋の数ほどストックがあるから1基くらい処分しても大勢に影響ないのだが、その炬燵櫓のサイズが一人暮らしのテーブル代わりに重宝した絶妙の大きさだったものだから、どうも捨てるに忍びなくて板の間の隅へ片付けたままひと冬が過ぎようとしていた時、ホームセンターでたまたま取り換え用の電熱器だけ売っているのをみつけて「コレだ!!」と思った。もう少し値段が安かったら即買っていたのだが、本体の炬燵櫓込みの一式を新品で買うのと大差ない金額で躊躇した。それからも、なんとなく諦めきれないのでAmazonをチェックしたら、半額以下の安い電熱器があったので迷わずポチッとしておいたら、今日それが届いた。早速取り付けようと試したら、サイズが上手く合わないことがわかった。少し落ち着いて良い方法を考えたのだが、結局、本体の櫓フレームを削り落とすことが一番と結論が出た。それから夕方日が暮れるまで、ひたすら木彫用の丸ノミを叩き続けた。掘り下げた面を平らに整えて電熱器をセッティングして試運転したら、昔ながらの石英管赤外線がほんのりと赤く光はじめて正常に稼働することが確認できた。
寺の管理修繕も大事な作務と云えることだが、アチコチくたびれた年代物ばかりをダマシダマシ使いまわしてとりあえずの日常を保全出来るのもそろそろネタが尽きた気もする。
飯南高原には、宗派を越えて20ヵ寺ほどの寺院があるが、万善寺はその中でも一・二を争うほどのボロ寺になりつつある。まぁ、大災害か大地震でも無い限り、現住職(ボクのことです)の在職中に倒壊することもないだろうけどネ・・・

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昔話 

2018/02/25
Sun. 23:21

2月に入って二つ目の法事があった。
飯南高原の方はまだ雪深くてお参りのご親族も移動が難しくて、そういうこともあって始まりの時間がいつもより遅くなった。
いつもの法事は、長い長いお経を2つに分けて2時間ほどかかるところを、一つ通しでまとめて、30分ほど時間を短縮した。お墓参りも雪が多くて出来ないから、塔婆の方は春になって雪が消えてから改めて都合を決めることにした。
雪の時期の法事は、坊主も大変だが施主さんもそれに増していろいろな手配が大変なことになるから、お互いの連絡をこまめにしておかないと不具合が出る。結界君を本堂前まで乗り上げることが出来たのもつい先日のことで、いまだに改良衣に長靴を履いてウロウロしている。

お経が終わって斎膳が始まると、やはり雪のことが話題になった。
飯南町の寺のすぐ近くでも、高齢のおばあさんが除雪作業の事故で亡くなった。しばらく連絡が途絶えていたようで、近所の人が屋根の下で亡くなっていたおばあさんを発見されたそうだ。
三日市の町では、水道管の破裂で貯水槽が空になって断水が続いていたそうだ。空き家も多いし水漏れの場所が特定できなくて復旧までに時間がかかった上、貯水タンクが満水になるまで2日かかるそうで、その間は厳しい生活が続いたそうだ。町には県立高校もあって寮生活の生徒もいてそちらの対応に追われたりと、かなり深刻な状況だったようだ。
ちょうどその頃、私の方は雪に閉ざされた万善寺で茶色く濁った上水道とプロパンガスの燃料切れと井戸水の凍結に悩まされていた。

島根県は昭和38年の正月に大雪が降って、想像を絶するほどの豪雪被害があった。
法事に参列の皆さんはその時のことを鮮明に記憶されていて、唯一、施主さんの息子さんだけがまだ生まれていなくて話題についていけなくて困り顔だった。
当時小学生だった私も、あの豪雪のことはよく覚えているから、それに比べると最近の大雪は特に大騒ぎするほどのことでもないまま乗り切っていた。しかし、今年の場合は、今までに経験がないほどの冷え込みが続いて、それが大変だった。長く生きると、時々こういう未経験の出来事がやってきて、それが過ぎて収まって少し冷静になると「アレはアァ〜しておけばよかった」とか「今度からはまえもってコォ〜しておこう」とか、反省の知識になって次に引き継ぐことが出来る。
たとえば、今回の法事の後のように、みんなで昔話をすることも大事なことだと思う。
普段は、年寄りが集まって昔話に花が咲いたりすると「またアノ話がはじまったか・・」とついつい鬱陶しくなってさり気なく席を立ったりすることもあるが、こういう災害の記憶のように、当事者でないと知らない経験も昔話の中にはたくさん埋まっていて、それを知る高齢者はそういう厳しさに絶えて善後策を工夫しながら今に生き続けてきたわけだ。
世間が便利になれば、だれも気付かないうちにその裏で何か大事なものが失われていることもあるように思う。1年ほど前に母親が死んでから、少しずつ手直しを始めた万善寺のライフラインも、まだまだ至る所に手落ちがある。これから先、便利に頼らないで無駄を省いてシンプルに暮らせるまでにはしておきたいものだ。

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針仕事 

2018/02/22
Thu. 23:36

まだ氷点下の万善寺で雪と凍結に悩まされながら冬のサバイバルを乗り切っている頃、石見銀山の近所に暮らす友人が、「珍しい酒もらったから・・・結構美味しいらしいよ!」と、初搾りの大吟醸を持ってきてくれた。
代わりにワイフが受け取ってくれたので、前後の経緯はよくわからないものの、めったに飲めない高級品なのでそれからしばらく大事にボトルを眺めていたのだが、少し気温も緩んで春めいた今頃になってどうも我慢ができなくなってきたものだから、日頃の通勤坊主のご褒美と自分で勝手に決めて晩酌の時に封を切った。
昔は3日で一升空けるほどのペースだった日本酒とか焼酎が、最近はどこかしら高級品に感じるようになって、飲む機会も随分減ってきた。たまにしか飲まない・・というより飲めないから、美味いのか不味いのか味の善し悪しもわからないほど鈍くなっていたのに、久しぶりに飲んでみるとやはり美味い!調子に乗ってチビチビやっていたら、いつもより酒のまわりがよくて程よく酔っ払ってしまった。
いつもネコチャンズが占領してゴロゴロしているソファーベッドへゴロリと横になってくつろいでいたら、隣町の同宗のご住職から電話が入った。夜の電話はあまり良いことで掛かってこないから、それで一気に正気になった。
「○○寺の先代住職の内室さんが亡くなられたのご存知ですか?」と、問い合わせだったが、自分は「まるで知らない!」と云うと、「新聞に載っていたんですけど、気付かれませんでしたか?」とまた問いかけられた。
「すみません・・・もう何年も新聞読まないものですから?」
「あぁ〜、そぉ〜ですかぁ〜・・・、多分、あの町にある同宗は○○寺だけですから間違いないと思うんですけど・・・奥さんも新聞読まれないんですか?」
・・・ムウウゥ〜そうきたか・・・という感じ。ワイフは新聞読んでるけど、お寺の付き合いは全く知らないから、私に変わってマメに訃報欄のチェックをすることもない。とにかく、葬儀日程はどうなのか聞き返したら、「あぁ〜、今夜が通夜になってますねぇ〜〜、もうはじまってますねぇ〜〜・・、ドォ〜しましょう??・・・」
電話しながら二人でしばし悩んだ。結局、葬儀に参列することを約束して、香典の額も相談して、待ち合わせなどの打ち合わせをして電話を切った。それから、大吟醸の酔もスッカリ冷めて、いろいろなことが気になって熟睡できないまま朝になった。

いつもより1時間ほど早く石見銀山を出発した。寺へ到着すると、香典の表書きをして黒衣など葬儀衣装一式を用意して、すこし余裕を持って出かけた。
お昼前に出棺前の差定がすべて修了して、随喜の方丈さんは解散になった。
昨年も春にかけて寺院絡みの葬儀が多発した。今年もそうなれなければよいのだが・・・
寺へ帰って法衣を片付けていたら、ビリッ!と袖の縫い目がほころびておもいっきり大きく破れた。何年も着続けて黒い糸が日焼けして茶色くなっている。貧乏寺で、替えの黒衣も無いから、すぐに修繕しておかないと次の使用に困る。簡単に昼食を済ませて、それからチクチクと針仕事をすることになった。こういう時にメガネの度が合わないと何も出来ない。乱視も進んでいて、針の先が何本にも見えるし、そもそも糸が針に通らない。常設のハズキルーペが随分役に立ったものの、結局針仕事終了まで1時間半を要した。
手先は器用な方だと思うが、針仕事は向かない。彫刻制作のほうがずっと楽で楽しい・・

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おこげ 

2018/02/17
Sat. 23:45

週末からはじまった5つ目の寒波は今までより随分楽で石見銀山は雨だった。
それでも飯南高原は朝から気温も下がって雪が舞っている。
どちらかというと雪には慣れていて相当の積雪でもあまり気にならないで普通でいられるのだが、こんどの冬シーズンはとにかく常に気温が低くて、氷点下がすぐに二桁にまで下がって、それが連日になって、こういうことは今までに経験が無いことだから、毎日の暮らしの対応が行届かなくて、ストレスも溜まるし流石にバテた。
まだ2月の半ばのことだからこれからあと1ヶ月位は断続的に積雪も続くし、まだ春は当分先のことになる。こうして、キーボードを叩いていても、いつも同じことの繰り返しで変換率のレベルがかなり上って、比較的長めの文節が簡単に変換できてしまったりする。

寺では、どうせオヤジのひとりメシだから土鍋で3合ばかり焚いてそれを茶碗5杯分くらいに小分けして冷凍しておく。その小分けの冷凍ご飯がなくなった。
水道水の濁りを点検してもらってから、1日経つ間に少し水質が良くなっていつもの状態に戻りつつある気がする。それでも、飲水や料理に使うにはまだ不安が残るのでご飯を炊くにも最後はペットボトルの水を使った。米をといでガス代に土鍋を乗せて火の加減を調整して軽めのバックミュージックを流してから身の回りの家事をしていたら、ツイツイ土鍋のことを忘れてしまっていて、気がつくとおこげの匂いが漂ってきた。シマッタと思ってガス台を確認すると、土鍋の蓋からは水分が消えていて、かすかに立ち昇っている水蒸気が焦げ臭い。これほどの炊飯の失敗は久しぶりのことだ。水道水の凍結以来、どうも台所仕事が上手く回らなくなっている。

「除雪が国道に偏りすぎていると思うよ。今年は保賀の町道なんて1日に1回除雪が入ったら良いほうだもの・・・」とか、「凍結するから水を出せとか、上水が減ってるから節水しろとか、夜は冷えるから元栓を止めておけとか、そんなアレもコレも一緒に出来るわけ無いだろ・・・」とか、「(○○地区の停電は復旧の目処がたっていなくてご迷惑をおかけしています!)なんて防災放送流されてもそれでどうなるわけでも無いだろ・・・」とか、ワイフに向かって愚痴のような1日の報告のような世間話をしていたら、「あなたが今更そんなこと云ってもどうこうなるわけでもないでしょう!」と一括されてしまった。確かにその通りのことで一人の町民にどうなることでもないから、この事態の改善を待つしか無いことはわかっているのだが、やはり、気持ちの何処かで納得出来ないこともあって、思ってはいても他では言えないこともあるし、身内で云いやすいワイフに甘えてしまっているのかもしれない。
「オール電化住宅大変らしいですわぁ〜」と、役場の代行で水道をみてくれた業者さんが蛇口を点検しながら云っていた。停電で暖房器具使えないし、真っ暗だから仏壇のロウソクつけようと思ったらマッチもライターも無くて、息子の携帯電話の灯りが頼りだったとか・・・「何しろ、あのあたりはマイナス17℃まで下がったらしいですけぇ〜」って、想像を絶する過酷な数日を過ごしたところもあったらしい。
万善寺の場合、暖房はエアコンと電気炬燵と灯油ストーブとガスストーブと火鉢にマングローブの炭を使い分け、ロウソクやマッチやライターは必需品の常設で線香まである。それでも、ガス給湯器と水道凍結で苦労した。便利も程々にしないと先が大変だね・・・

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週末の万善寺 

2018/02/16
Fri. 23:18

1週間がすぎるのが早い。
今までに経験のない氷点下の寒さが続いて、万善寺の上水道から鉄水が出はじめて、それがそのまま1週間たってもまだ収まらないから、もうこのままにしておくのも限界だと思っていたところへガス屋さんがメーターの確認にやってきた。
この1ヶ月の間、ガスの方も色々不具合があったから使用量が跳ね上がって大変なことになっているだろうとビクビクしていたのだが、「この時期にしては、このくらいの使用量は仕方ないと思いますよ」と、手渡ししてくれた検診のレシートを見ると、たしかに思っていたほどの請求額ではなかったので一安心した。ガスに関しては、このくらいの出費は仕方がないだろう。
万善寺の場合、上水道のことはガス給湯器と連動しているし、こんどの寒波で「アレがコォーなってコレがアァーなってドォーのコォーの・・・」と、ガス屋さんに話したら、「1週間も水が濁るのはおかしいんじゃないですか?・・・やっぱり、そういうことは役場に伝えたほうが良いですよ!」と心配してくれた。濁り水が給湯器を経由して蛇口から出てしまうのも故障の原因になって良いことではないと、説明というか、脅しというか、親切というか、話を曖昧なまま済まされたものだから、それからあと、どうも水道のことが気になってきた。
このままペットボトルの水を春まで使うことにでもなったらそれこそ大変だし、これから土・日が入るとコトが先延ばしになってしまいそうだし、とにかく早いうちに役場へ今の状況を伝えておくだけでもしておこうと、お昼前に電話をしてみた。
代表窓口で「上水道のことで相談が・・・」と切り出したら、最後まで話しが終わらないうちに「担当へ切り替えますので少々お待ち下さい」と次に回された。それから次の窓口では「今担当が席を外していますので・・」と切り出されて、そこから会話が先に進まなくなった。「じゃぁ、どうしましょうか?またかけ直しましょうか?」と聞いてみたら、どういう状況なのか、それだけでも聞いてもらえることになった。
役場の担当も大忙しのようだ。
思うように水が使えないと云うだけでも何やら気持ちが滅入ってしまって、お昼ごはんもつくる気がしないし、腹も減っているかどうかわからない感じでいたら、庫裏玄関のチャイムが鳴った。
「役場から連絡をもらって来てみたんですが?」
・・どうやら、電話で少しばかり食い下がったのが良かったらしい。
「連日の水道凍結で担当さんダウンらしいですわぁ〜。症状だけでも確認してこいと頼まれましたんですがぁ〜」と、役場の代行業者さんが来てくれた。
それから、元栓を止めて蛇口を外して分解掃除をして幾つかの対策を教えてくれた。
「とにかく、いまのところ濁りの原因がハッキリとつかめない状態ですから、もう少し様子を見るしかなさそうですね。これから役場へ用事があるんで、その時に今のこと伝えておきますんで・・・とりあえず浴槽に水をためて濁り具合を確認してみてください」ということになった。
週末の金曜日が水道のことで始まって終わった。せっかく浴槽を使うのなら「少々濁ったお湯でも良いや!」と風呂に入ることにした。夕方になって外の様子をみると、俊ちゃんがユンボで境内まで上がってくれていた。こういう時は親切が身にしみて応える。

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万善寺ライフ 

2018/02/13
Tue. 23:05

さすがに、2月の雪は上質だ。
連休明けの早朝に万善寺のお地蔵さん下まで帰ると20cmくらいの新雪が積もっていた。
一晩でその程度だったら良しとしなければいけない。
その朝は4つ目の寒波が去ろうとしていたが、結界君から出ると冷たい風が真横から頬をなでた。
これから約1時間かけて一本道を開けながら参道を境内まで登っていく。

お風呂のカランが壊れているので、参道の中ほどで道開けの休憩がてら業者さんへ電話した。
「今から伺って、寺まで行けますか?」
業者さんも万善寺の立地条件を心得ていて、故障の症状を伝えたら、まずはじめにそう質問された。確かにこの時期、参道へ道があるかどうかは業者さんにとって営業を左右する大事なことだ。
「そぉ〜ですねぇ〜、あと30分もすれば道が寺まで開通します。一本道ですけど・・」
そう答えておいた。

万善寺の庫裏へ到着すると、結界君へ残してある荷物をとりにもう1往復した。それで一本道が少しは歩きやすくなるほどまでになる。カランの方は相変わらず水が垂れ流し状態だった。ガスの元栓を開けるとガス給湯器が反応して垂れ流しの水が垂れ流しのお湯になってしまうのでさすがにそれはもったいないから、業者さんが来るまでプロパンガスは使わないことにした。
吉田家の在庫から2Lの水を2本ばかりもらって来た。上水道の濁りが無くなるまではペットボトルの水でなんとか凌がなければいけない。早速ホーローのケトルに水を別けて、カセットコンロでお湯に沸かした。
九州のIさんからいただいた浅煎りの珈琲をミルに移して、ガリガリと挽いた。
冷え切った台所にケトルの蒸気が充満し、窓ガラスがくもる。
ミルから香ばしい珈琲の香りが立ち上がる。
そのあたりのところで、やっとひと心地ついた。

しばらくしていつもの業者さんが工具を一式担いで重装備で来てくれた。勝手知った様子で長靴を脱いで、風呂のカランを点検して、専用のマイナスドライバーで水漏れが無くなるまでキッチリと閉めて「こりゃぁ〜、もう使えませんけぇ〜、メーーカーへ確認してみますけぇ〜、春までこのまんまで使っとってください」と、説明してくれた。シャワーが使えなくなった。

お昼前に「お寺上がれますか?雪がすごいでしょう?」と、宅急便から電話があった。
「2tは国道から入れないと思いますんで、こちらから出かけます」と打ち合わせして、農協のスーパーまで出かけた。荷物を受け取って、ついでに牛乳とかトマトジュースとか飲み物を中心に食料を買い込んだ。
この荷物を持って一本道を上がらないといけないな・・・1日で一本道3往復はつらい。

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極寒の三連休 

2018/02/11
Sun. 23:07

今年になって2つ目で、2月唯一の法事を待っていたように4つ目の寒波が始まった。
島根県の方は、例年2月が一番寒くなる頃で、冬シーズンでもっとも雪深くなるから、それなりに心の準備も雪対策も出来ているのだが、今年の場合は今までの常識が全く通用しないくらい寒さが厳しくて対策が間に合わない。
「まぁまぁ、大変な法事になりましてぇ〜〜」
「いやぁ〜〜、少々まいりましたねぇ〜。先程も、改良衣に長靴はいて本堂のユキズリの山を越えたところですがぁ〜」
「まぁまぁ、大変なときに法事をすることになりましてぇ〜〜」
「いやぁいやぁ〜〜、祥月命日のことですけぇ〜ねぇ〜、だいじなことですけぇ〜」
「まぁまぁ、ゆうべはマイナス12度まで下がっとりましたがねぇ〜〜」
「いやぁいやぁいやぁ〜〜、万善寺はマイナス10度でしたが、まだ良いほうですがねぇ〜」
・・・なんていう挨拶代わりの会話が延々と続いていたら、
「おかあさん、もう時間がきとりますよ」
と息子さんに耳打ちされて、
「まぁまぁまぁ〜、それわそれわ・・」
「いやぁいやぁ~、それわそれわ・・」
と、あわてて法事がスタートした。
あいにくの天気だったが、たまたまの三連休でもあったので、遠方は岡山県の方から、島根県内でも松江や斐川の方から故人のご親戚やご親族が1周忌の法事へお集まりだった。
近年は、1周忌と云っても、アレコレ生き残っているものの都合で集まりも少ない寂しい法事になることがほとんどなのに、久しぶりに親子孫まで3代が揃って賑やかな法事になった。

万善寺のほうは、かろうじて水道水は流れているものの、水道管の何処かに不具合でもあるのだろう、サビの混ざった鉄水が絶えなくて、風呂をためると温泉のような茶褐色のお湯へ浸かることになった。
とてもそのような水を飲む気にもなれなくて、この際だからと、買い置きの麦とホップを飲料水代わりにしていつも以上に大量に消費してしまった。
夕食の方は、たまたまワイフが幾つかの作りおきを持たせてくれていたので、それをおかずに、冷凍庫で眠っている正月の餅を食べてしのいだ。
こんどの1ヶ月分の光熱水費のことが恐ろしくて不安になってなかなか寝付けないものだからチビチビと文庫本を読み進めたのだが、どうも内容がうまく頭に入らないで気が紛れないので、久しぶり・・・といっても、ほぼ正月ぶりくらいにテレビを付けてみた。そうすると、そこでもニュースで大雪のことが話題になっているし、島根の地方版のケーブル放送では天気情報がしつこく流れているし、もう、今更そんな情報はどうでも良いくらい厳しい現実に直面しているわけで、なにか、寝たのか寝れなかったのかよくわからないまま夜が明けた。
少しでも寺の光熱水費節約になるかもしれないと、石見銀山へ一次避難を決めた。
吉田家のワイフとネコチャンズとグッピーズと薪ストーブのぬくもりが身にしみた。

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氷点下の万善寺 

2018/01/29
Mon. 23:35

アドリブ満載ボーサントリオのセッションが終わって万善寺の玄関先まで帰ると、庫裏の方から何か男の声がボソボソと聞こえていて、すぐ静かになった。
「たしか出かける時に施錠したはずだけど?」少々慌てていたから「カギ閉め忘れたかも?」と不安になって玄関引き戸に手をかけてみるとやはりシッカリ施錠されていた。
それから気になって、法衣の荷物を抱えたまま勝手口の方へ回ってみたが異常なし。
どう思い直しても気のせいではないくらいちゃんと男の声が聞こえていたので、チキンオヤジはドキドキしながら庫裏玄関へ入った。
土間には自分の履物が朝出たときと同じ状態で動かないまま納まっているから、見た目に変わったところはない。庫裏を一巡し本堂を回っても異常なし!・・でホッとした。

お昼過ぎとはいえ、気温は零下のままで、もう1週間位そういう状態が続いている。だから留守にするときは水道蛇口が集まっている台所からトイレ洗面所やお風呂までの水回りは、、蛇口を少し捻って糸状に水を流しっぱなしにして、エアコンや電気ストーブをつけっぱなしにしておく。
万善寺の一ヶ月の光熱水費がどれだけになっているか恐ろしくなるが、背に腹はかえらえない。

高齢になった前住職夫婦が万善寺で暮らしていた時は、他にも数カ所に水道管が回っていて、毎年冬になるとその水道パイプの何処かが凍って、春になって雪が溶けて業者さんに修理してもらうまで漏水が続いていたりした。
先に憲正さんが死んで、残ったおかみさんも身体が動かなくなって2年目の冬にも、同じように漏水がはじまって、この時はその水で庭の雪が解けて境内が見えるまで被害が広がったから、さすがにそのままには出来なくて業者さんに無理をしてもらって冬の間に配管の途中からパイプを切って止水栓を接着してもらった。
来客用の洗面所は永久に使用できなくなったが、今時寺で宿泊も無いし毎年アチコチで漏水することを思うと寺暮らしのインフラを極力シンプルにしておいたほうが都合がいい。
そんな冬のドサクサが毎年のように続くものだから、私が一人暮らしになってからは、少々生活費が厳しくなっても、節約や我慢をしないで、寒いなりに出来るだけ快適に過ごせるくらいの贅沢は仕方がないと気持ちを切り替えたところだ。エアコンを新設したり、ガスストーブをレンタルしたり、バラバラに使い分けていた給湯器を一つに絞って管理の効率を見直した。少々使い勝手が悪くなっても、使用の90%は自己責任で用がすむし、残りは1年に何回かワイフが我慢してくれればなんとかなるはずだ。

約10畳ほどの台所の中ほどに展覧会で使っていた平面の展示パネルを張り巡らせてザックリと二部屋に仕切った。今は、自分の生活を出来るだけその一部屋でまかなえるように工夫しながら寺暮らしをしている。昔から狭い一部屋で暮らすことになれているから特に不便は感じない。着物を脱いで洋服に着替えてお湯を沸かして部屋が少し温まってコーヒーをいれ始めていたら、防災放送がはじまった。役場の建設課から漏水による断水の告知放送だった。あの男の声は防災放送だった。田舎の過疎地は人間が暮らしていても管理がままならないのに、空き家もやたらに多いから漏水が増えても仕方がないことだ。

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ボーサンライブ 

2018/01/28
Sun. 22:20

約1ヶ月ぶりの2時間ソロライブと、夜の部はボーサントリオの1時間オンステージと、2ステージがあって、ナンチャッテ坊主はヨレヨレ坊主になった。

昼の部が終わってお地蔵さん下まで帰ってくると、参道の一本道が3倍の広さになって境内入り口まで続いていた。
近所のお檀家さんの誰かが除雪機で往復してくれたようだ。
いつもの俊ちゃん(といっても、もう80歳近いおじいさんだけど・・)のユンボ身施だったらすぐ解るが、除雪機のこういうことははじめてだから見当がつかない。ソロライブの先で吉川饅頭(隣町に古くからある和菓子の店で、利休饅頭が名物)の一箱をお供えにもらったから、明日は今までのユンボのお礼方々それをもってお伺いをしてみよう。

途中休憩の無い2時間ブッ通しソロライブは、日頃無口に過ごす彫刻家にとってかなり過酷な肉体労働になる。こういうことなら、最初から美術家を目指すより音楽家を目指しておいたほうがつぶしが効いてよかった。
夜の部はボーサントリオのライブだったから少し楽だったが、導師さんは松江在住で、あちらの方はラップのごとく超ハイスピードでお経を読みまくるから、のんびりと暮らす田舎の山寺坊主は舌が回らなくて導師さんのスピードについていくだけでドッと疲れた。
新亡さんは、行年104歳の長寿を全うされた大往生であった。
菩提寺は万善寺ではなくて、隣町の同宗寺院なのだが、亡くなった本人のご親族が万善寺の3代前住職の内室だったから、その縁で若干の交流が続いていた。お盆の棚経でお邪魔すると、毎年のようにその頃からの昔話が同じように始まってなかなか終わらない・・そういうお付き合いが続いていて、このたび副導師のお声がかかった次第。
今の時期のことで、その施主家も万善寺も雪に埋もれているから、枕経や通夜と移動だけでも一苦労だった。

結界くんの自作カップホルダーへ前日からコーヒーを置きっぱなしにしておいたら、一日一晩の間にカップの中で凍りついてしまって、雫一滴も飲めないまま一日か過ぎた。通夜に向かう道中でやっと数滴口に入ってひと心地ついたから、そのまま導師控えの部屋まで持ち込んで、他の二人のボーサンの前でお茶代わりのシャーベットコーヒーをズリズリススッた。葬儀告別式の打ち合わせをして散開のあと、凍りついた路面に結界くんのお尻を降りながら万善寺まで帰って、遅い夕食をつくって食べた。
寒気団はいまだに島根上空へ居座っていて、マイナス状態の気温が連日続いている。ここまでになると、身体の方も寒さに慣れて、寒いとか手足が冷たいとかあまり気にならなくなってきた。寺の用事は薄手の夏足袋に長靴で出かけているが、それ以外はいまだに一日中内も外も素足でいて、なんとも思わない。慣れというものはこういうものだ。

ワイフから珍しく電話が入って何事かと思ったら、クロを病院へ連れて行ったと報告があった。小さい時から膀胱や尿道にかけての欠陥を持病のように持っていて、昨年末からそれが悪化している。ボクのパパも膀胱に病気を抱えて苦労していた。犬のシェパ君も最後は頻尿に苦しんだ。吉田家の男はみんなそうだ。そのうちボクもそうなるのかなぁ?・・

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2018-04