工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

夏はそうめん 

2017/08/27
Sun. 23:34

朝の8時には草刈り機を振り回していた。
この1ヶ月で1mは伸びていただろうか?
万善寺施食会の3日前にドタバタで刈り込んだところでも1週間で20cm伸びている。
8月はとにかく雨が多かった。それで、刈った草が乾燥しないで腐っていく。乾燥すれば集めてくよす事もできるが、腐ってしまうとそういうわけにいかない。
「えっ!??方丈さんが草刈りですか?」
浄土真宗の門徒さん宅で古墳の供養をした後、世間話の流れでポロリと万善寺事情を喋っていたら、「草刈り」のところでビックリされて話題に食いつかれてしまって「シマッタ!」と気付いたが時すでに遅し・・・
飯南高原に点在する寺院では、お檀家や門徒さんの草刈り奉仕で寺の営繕作務を乗り切ることが普通に行われている。
万善寺は昔からそのようなシステムがお檀家さんに浸透していない。
私が住職になった時、2〜3年ほどさりげなくお盆法要のお知らせに添えて草刈奉仕のお願い文を挟んだことがある。結局、毎年問い合わせもなく無視されてスルーされた。護持会役員の皆様からしてそうであるから、一般のお檀家さんが動かれるはずもなく・・・そのお知らせは3年後に消滅した。
たかが草刈りであるが、それはそれで東西南北境内周辺グルリと刈り回るのもそれなりに重労働だ。いつまで続くかわからないが、私の体力が続くうちは「自分でなんとかするしか無い!」と、今では腹をくくっているところもあって、周辺寺院と比べて気持ちが騒ぐこともなくなった。
我身で出来ることを我身をいたわりながら我身の修行と信じて粛々とこなすことが、何より安らかでいられると思う。頭の片隅で「〜のに」のフレーズがチラッとでも湧き上がってしまったら、自分の修行もまだヘナチョコだということだ。

お中元も兼ねて、遠くのお檀家さんからそうめんの詰め合わせが数箱届いた。
賞味期限はだいたい1年位あるから、1年の間にその全てを消費すればすむことだが、やはり、そうめんといえば夏の定番麺類である気もして、なんとなく「夏もそろそろ過ぎる頃だし、なんとかしなければ・・・」などと、根拠のない常識めいた発想が厳しい残暑で発酵寸前の脳味噌を刺激する。
それにしても万善寺の一人暮らしで三度の食事をそうめんゆでてめんつゆ漬けてすするのも味気ないし、(贅沢なことだが)その前に飽きる。
草刈りをしている間に絵描きの知り合いから相談のメールが入っていて、試作を持って万善寺へ移動中だという。
なかなかいいタイミングだから、「君のためにオヤジの男飯でも作ってやるよ!」と、恩着せがましいSNSを返しておいた。
もちろん、食材はそうめん!
トマトとタマゴがメインの中華風スープを作って冷蔵庫で冷やして、茹でたそうめんへブッかければ完成!という、簡単料理。
草刈りを切り上げて、シャワーを浴びて新着のアルバムを聞きながら昼食の準備をしていたら、境内から車のエンジン音が聞こえてきた。

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一人暮らし坊主 

2017/08/26
Sat. 23:59


「いやに冷えるなぁ〜・・・」と気づいて目が覚めると、まだ早朝の5時前だった。
万善寺の庫裏に漂う空気はヒンヤリとして肌寒い。
AppleWatchを見ると、飯南高原の気温が17℃だった。
ほんの数分の間に東の空がいっきに明るくなって、鳥たちが鳴き始めた。
二度寝をむさぼろうと思ったが、昨夜寝る前に白衣などの着物類を洗濯機へ放り込んでおいたのを思い出してその機会を失った。

今年のお盆がひとまず終わった。
来週からは気持ちを切り替えて石見銀山暮らしをしながら彫刻制作に入ろうと計画している。
それにむけて、寺の夏を整理しておかなければいけない。
夏の着物類や衣を洗って、8月最後の草刈りもしておかないといけない。
昨年までは母親が万善寺の庫裏で暮らしていたから、その遠慮もあって季節の節目に区切りをつけることが出来にくかった。あと何年続くかわからないが、これからしばらくは気兼ねなく自分のペースで寺暮らしを続けることになる。

午前中は、この夏最後の棚経と古墓供養を2軒分済ませ、午後からは施食会に随喜した。
江津市桜江町の日笠寺さんが説教導師をお務めと案内にあったので、法要が終わってから時間の許せるところでギリギリまでお話を聞かせていただいた。
日笠寺さんは、先代住職がご健在の間は東京暮らしが長かった。
ご本人は哲学者でもあって、武蔵野美術大学で座学の講義もされていた。その縁があって、随分前から親しくお付き合いさせてもらっている。
現在は、東京の自宅へ奥さんを残し、日笠寺で一人暮らしをしながら住職に専念されていらっしゃる。
聞くところによると、五年前と2年前に2度ほど脳梗塞で倒れられたそうだが、後遺症もなく見事に蘇られて、このたび久しぶりに元気なお姿を拝見することが出来た。
お説教も相変わらず哲学的で奥深く、仏教の常識に固まった説教坊主とは一味違って面白い。最後まで拝聴したかったのだが、次の用事もあって途中で退席した。
まだ70歳代だが、お元気なうちに万善寺でお話をいただきたいと思っている・・・さて、今のお檀家さんの状態だと実現が難しいかもしれない。
彼のことについては、まだまだ語りたいことが山ほどある。それほど魅力的な人で、憧れの方丈さんである。

お葬式の導師代行をした施主さんの三・七日なので、事前の打ち合わせ通り、夕方6時を目指して移動した。
その施主さんの菩提寺の跡取りになる方丈さんから、具体的な支持もないので万善寺流の七日務めをして、途中、スーパーで夕食の買い出しをして寺へ帰った。
例年だと、お盆の一区切りでワイフの手料理をパクツキながらささやかな打ち上げをしていたが、今年はひとり飯で寂しい夕食になった。
「こういう年もめったにないだろう・・」冷奴用のわけぎを刻みながらふとそう思った。

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烏枢沙摩明王さま 

2017/08/25
Fri. 23:17

だいたい万善寺の夜は「寝苦しくてしょうがない・・」ということがないわけではないが珍しい。
夏は熱くて眠れないという日が、せいぜい5日あるかどうかだ。その珍しく眠れない1夜が明けた。
夜の間に締め切った庫裏へ溜まった湿気が、ベタリと肌に張り付いて不快だ。
朝方になって雨が落ちはじめて、夜が明ける頃には本格的に降りはじめた。
久しぶりのまとまった雨になりそうな降り方になったから、これで草がいっきに伸びるだろうと思うとうんざりする。
庫裏に充満した不快な湿気はひと晩のうちにあらゆるモノへ沁み込んだのだろう。いつもなら次の朝には乾いている洗濯物がまだ湿気っている。

2〜3日まえに、お檀家さんからトイレの改修をするのでお経をあげてくれと依頼があった。
トイレには烏枢沙摩明王さまが安座していられる・・・と、万善寺では前住職から口伝で引き継いでいた。
毎年正月の三が日は、万善寺の隅から隅までその場所場所に安座される守護神様を巡ってお経を読むことにしている。
ひところ大流行したトイレの神様の歌と似たようなものだと思うが、仏教でお祀りしてある烏枢沙摩明王さまは、お釈迦様の布教を妨害する連中を懲らしめるシークレットサービスのようなカッコイイ存在で、人間から吐き出される邪気を飲み込んで浄化してくれる、とてもありがたい仏様なのだ。
お釈迦様のありがたいお言葉は、邪気の去った晴れ晴れと清らかで澄みきった人々の心に沁み込んで、信心が芽生え仏心が根付くことになるのだ。

雨の中を雪駄履きで出かけることになるから、さすがに足袋を履くことが出来ない。素足のままでお経を読ませてもらうことをことわって撥遣のおつとめをした。
お経回向が終わってから、改修前のトイレの隅々まで洒水し塩をまいて、撥遣の偈文を唱えた。
まぁ、このたびの烏枢沙摩明王さまに限らず、お仏壇やお墓納めなど、撥遣に該当する仏事はだいたいそのような作法で引き継いでいる。
それにしても、トイレの改修でお経をお願いされることは、今時めずらしいといえば稀少なことといっていいだろう。
その施主さんは、元々日蓮宗の信者さんだった。
私が若い頃にはまだ飯南高原の隣町に日蓮宗の寺院があったのだが、ご住職の他界後に廃寺となった。その施主さんは、それ以降しばらくのあいだ1時間以上も離れた同宗のお寺へ仏事をお願いされていたようだが、色々な不具合も生じたようで、禅宗の万善寺へ宗派替えされた。代々の信心深いことは改宗後の今も変わりなく引き継がれている。

あれだけ夜が蒸し暑かったのに、雨のおかげか着物でも汗が出ない。
これから一雨ごとに涼しくなっていくのだろう。寺へ帰ると何処かで鈴虫が鳴いていた。

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荘厳のこと 

2017/08/21
Mon. 23:03

朝の涼しいうちに本堂の荘厳を解いて片付けた。
坊主の・・というより、私個人の趣味というか美意識というか、そういう主観的な要素が多分に入っていると思うが、どうも荘厳の派手派手さに馴染めないところがある。
錦糸の両山紋とか、五色幕とか、朱塗りの高茶台とか、あげればキリがないほど大小の仏具什器には、それぞれにそれなりのいわれもあって大事な装いであるのだが、揃ってそれらを荘厳すると、その派手さが空々しいものに思えてしっくりいかないところがある。

憲正さんが、何かに取り憑かれたように荘厳作務をしていた頃を思い出す。
一つ一つ、それはそれは丁寧にタップリと丸一日は使って延々と本堂にこもっていた。
それが、ある意味彼自身の信心の姿であり修行の現れであるところもあるから、手伝いもギリギリまで控えて、云われたように云われたことをするだけに留めていた。
私が本堂に居るということもあまり好ましくないような雰囲気が漂っていたので、彼の身体が弱って動かなくなってほとんど1日中寝て過ごすようになった頃から、少しずつ荘厳作務を引き継いだ。憲正さんがあまりに自分一人の世界に入って黙々と荘厳にとりかかるものだから、引き継いだ当初は事の前後が何が何やらチンプンカンプンで、やたらに無駄な動きが続いて困った。どうやらこうやら見た目の形を整えてお伺いをたてると、ヨチヨチ本堂へやって来てダメ出しが出る・・・こういうことが数年続いたあと、彼は意識してのことだろう、万善寺仏事のある時は本堂へ顔を見せなくなり、私が居るときも口を出さなくなった。
憲正さんの代で、本堂の仏具什器から鳴り物に至るまで殆どが古いものから更新された。そういう寺院経営の様子を見ても、荘厳の重要性と目指す先のあるべき姿を彼なりに定めていたのだと思う。

万善寺の隣近所のお寺では、荘厳の一式を仏具業者さんへ一任して済ますところがあるし、お檀家さんの護持会へ奉仕作業を依頼されるところもある。いずれも、それなりの支出になって資金が絡むことだが、収支が安定しているから出来ることでもある。
今思うと、憲正さんはある意味幸せな坊主暮らしを貫いたひとであった。自分の意志で自分のペースで、誰に気兼ねもなく納得できるまで荘厳に集中し、その達成感を噛みしめる。仏事のあとの撤収も、最後まで自分で責任を持って終了し、それら一連の流れをただ一人の弟子(ボクのことです・・)に託し、万善寺山風として伝える・・・それはそれとして、ある意味正当な継承となっているのであろうが、託された我が身としてはなかなかに重労働であって、予測できない未来の事態に悶々として修行どころではない。

とにかく、ひとまず、1年に2回の大掛かりな荘厳が片付いた。来年からは、こういう荘厳がもう1回増える。自分でまいた種だから自分で刈り取るしか無い。
なんだかんだいっても結局はどこかしら憲正さんの弟子でいられているなぁと荘厳を片付けながらそう思った。そしてあの空々しい派手さの不具合の元が何か分かった気がした。
寄棟お堂造りの質素で簡素でシンプルな佇まいの万善寺本堂に、あの荘厳はコーディネートに無理があるのだ。
美的調和の不具合が現住職の心をざわめかせてしまうのだ・・・

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万善寺の暑い夏 

2017/08/18
Fri. 23:26

万善寺の暑い夏が終わった。
今年のお参りは、大人17名、小人4名、合計21名であった。
塔婆回向は11枚、年回塔婆の回向が2枚、初盆塔婆が6枚と、俊江さんの1枚。
まぁ、だいたい例年通りといったところだが、今年は吉田家も含めて初盆が多かった。私と同じ歳で亡くなったご主人を除けば、あとはだいたい天寿を全うされた大往生であった。

随喜寺院は、浄土寺さん遷化でどうなることかと心配だったが、お弟子さんの息子さんが松江から駆けつけてくれて、例年と変わらない人数で仏事を仕切ることが出来た。
変わったことといえば、大般若会を憲正さんの祥月命日へ移動すると宣言したこと。
お参りの皆さんの反応は微妙だったが、「まぁ、方丈さんがそう決めたのならしかたねぇ〜なぁ〜〜・・」という感じの表情を読み取って、了解を得たことと勝手に判断させてもらった。
生前の浄土寺さんに相談したら、「そりやぁ〜、えぇ〜じゃないの」とにこやかにうなずいていらっしゃった。
内室の俊江さんじゃないが、「お参りは激減だろぉ〜なぁ〜〜・・」って感じだが、それも万善寺お檀家さん方の信心の気持ちの問題で、住職の方は粛々と我身の役割をはたすだけのことだから、それで十分だと思っている。まぁ、荘厳の作務が一つ増えることは弱った老体に応えるけどね・・・

「くれぐれも、無理のないように出来ることをしておいてくれればいいから・・」
ワイフには、寺院方の接待を一任した。
寺の仏事の運営は、それぞれの寺事情で変わってくるし、ザックリとした決まり事が無いわけでもないが、近隣の各寺のように、檀家の奥様方まで動員して内にも外にも気苦労をかけるのもしのびないし、それ以前に、檀家の奥様に「私にお手伝いさせてくださいませ♡!」といった、身施の信心の持ち合わせも無いだろう。
ワイフにとって何よりの達成感は、随喜を終わった寺院方が、庫裏に下がってノンビリと落ち着いて世間話などしながら心づくしの手料理をパクツイてくれること。それがうまくいけば、それだけで「彼女は満足してくれるはずだ」・・・と、私はそう思うようにしている。食材の買い出しや器の選別など、自分の都合で調整して組み立ててくれればそれで十分。かえって、住職坊主が「あの寺はあれが出た」とか、「この寺ではこうだった」とか、「作法はこうだから」とか、事細かに口出ししないでおいたほうが、ワイフオリジナルの接待になるし、そのうち万善寺オリジナルの接待が組み立てられて、近隣寺院方に周知されることになるはずだ。
ワイフもボクも、一方では彫刻家の顔を持っているし、全身クリエイティブで固まっているから、こういう時のオリジナルバージョンは、何かにつけて人目を引いて記憶に残っていくものだ。

ふと気がつくと、蜩が絶えた。あれだけ、早朝も夕方も賑やかに鳴きわめいていたのに、人の絶えた万善寺がやけに静かだ。自分の耳鳴りがやたらにうるさい。

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豪雨のあと 

2017/08/15
Tue. 23:54

棚経最終日の前夜は強烈な豪雨だった。
梅雨の雨以来、今年になって飯南高原最大の雨がひと晩降り続いた。
本堂の寄棟屋根から四方に向かって流れ落ちる雨水が境内や庫裏の壁を一晩中叩き続けて眠れないまま夜が明けた。

往時は広島方面から出雲大社への参詣街道でもあった出雲街道が神戸川の上流に沿って付かず離れず続く。
街道沿いに幾つかの集落が点在していて、小規模の城下町や市場町や宿場町が形成され、その面影が現在に残る。
万善寺は代々の檀家総代宅がある市場町とその周辺をぐるりと回って、棚経の90%が終わる。
ひと晩続いた豪雨のあと、のこり雨が降る中、裸足に雪駄履きで万善寺を出発した。
2〜3軒回るうちに雨も上がったので、足袋をはいた。
「この前の台風の雨より昨夜がすごかったですけぇ〜。川の増水も今年一番で、丸太がうちの下の護岸に衝突したりして眠れませんでしたがぁ〜・・」
側溝の排水も許容を越えていたし、いたるところでめくら打ちの排水管から真横に雨水が吹き出していた。

いずれにしても、これから2日間は、本葬仏事の主喪充て職で朝から夜まで葬儀会場の寺院へ張り付くことになる。
その次の日が万善寺の今年一番の大イベントである施食会と大般若会と塔婆回向がある。
先代住職が当初バラバラの3つの仏事を、内室の助言に折れて一つにまとめてしまったのは、私が寺を出て一人暮らしをしていた頃のことだった。理由は簡単で、年々減少する仏事へのお参りの数が、「一つにまとめたら昔のように増えて賑やかになるはずだ!」という、いかにも打算的で俗物的な内室の浅知恵に乗ってしまったことによる。
仏事に限らず、それぞれそれなりに意味も訳もある行事を一つにまとめて統廃合してしまうと、次にそれをもとに戻すことは至難の業でかなりの説得力とエネルギーが必要になる。大きな行事にはそれなりの経費もかかって収入も増えるが支出も増える。結局、万善寺運営も、その後数年の間にどんどん厳しい経営状態になり、ほぼ、時を同じくして先代住職の病気発病となり、万善寺がいっきに消沈した。

厳しい現実を粛々と乗り切っているヨレヨレ住職だが、今年のお盆仏事は今までにないほどの厳しさで毎日が過ぎた。
唯一の救いは、豪雨の後に半日ほど草刈りが出来て、かたちばかりのことだが、お盆のお墓参りも出来たこと。
万善寺ご本尊の千手千眼観世音菩薩さまは、ボクを見放さないでくれたようだ。
母親の俊江さんの真新しい墓石には、前日に墓参りをしてくれたじゅん君が少し多めに線香をお供えしてくれていた。古道の面影を残す参道は豪雨の渠が刻まれ、墓地の土には大粒の雨痕が一面に広がって残っていた。
お参りの粗品を毎年手造りしていたが、今はその気力も体力も無い・・・

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お先真っ暗坊主 

2017/08/14
Mon. 23:24

飯南高原は、島根県東部の南端にあって広島県の県境に接し、出雲大社近くの日本海へ流れ出る神戸川の上流に位置する。
万善寺は飯南高原の歴史ある名山琴弾山の麓にあって、神戸川の支流保賀川の流れる谷に沿って集落を形成する約20戸のひとつである。
毎年お盆の14日にこの保賀の集落を棚経で回ることにしていて、その風習から、保賀の地域では世間の常識と少しずれて14日からお盆がスタートする。
前住職の頃は、そうめんをゆでたりお団子をつくったりして本堂や仏壇やお墓へお供えしていたが、今年になって母親が死んで私一人になってからは、それら全ての盆行事を何時もより上等の高級線香をお供えして縮小割愛した。
気持ちの問題のひとことで済ますことも出来ない現実の事情には逆らえない。
ようするに、坊主1人で盆行事を切り盛りすることが物理的に不可能だということだ。
そのうえ、今年は台風の通過以降、毎日のように雨が降り続いて境内地の整備や草刈りが出来ないまま盆を向かえたことと、隣町の現職住職の遷化で本葬仏事が加わったことで、万善寺の長い歴史の中で過去に例を見ないほど多忙な8月になっている。

私が住職を引き継いでからそろそろ10年になる。
その間に保賀の集落から転出や絶縁などで7戸の家が空き家になった。
昔は、憲正さんと手分けして棚経をつとめてもお昼は過ぎていたが、今は一人で集落を回っても午前中に棚経が済んでしまう。
この2日間ほど、石見銀山で暮らす吉田家の家族二人が万善寺へ通いながら棚経の留守に盆の手伝いをしてくれている。
手伝いといっても、寺の盆のことであるから一般在家の延長でもなくて、なかなかに普通でないところがあって、簡単に済ますことも出来ない独特の習慣のようなものがある。
そもそも、寺の一つ仏事は1年に一度しか巡ってこないから、その一度のことを1年間覚えておけというのも非常識なことだ。
結局、一つ一つ口伝えに教えて一つ一つ聞いて覚えて、それを延々と何年も続ける間になんとなく頭に入って身体が覚えて、そのうちそれぞれの役目を分業しながら粛々と仏事のひと山を乗り切るという、長い年月の蓄積が大事なことになる。
吉田家からのお手伝い二人も、気持ちはわかるが動きがチグハグで、どうにも自分のペースが乱れて心が騒ぐ。
ヒマで余裕があれば、コツコツと丁寧に目先の事物へ対応できるのだろうが、そういう余裕もないし、どうしても自分の心のざわめきが態度や顔に出てしまう。
私の場合は、少年時代からの長い経験が蓄積されているから、毎日朝にはその日の様子を見てスケジュールの修正をしながらなんとか最低限の作務だけはこなして次に繋がるように仕向けていたりする。
会話の相手が他人であれば、お互いの遠慮もあって、お互いの立場を気遣いながらやりくりできるところもあるから、檀家との連携が出来ているお寺は、檀家から奥さんが寺内の用事をし、ご主人が寺外の用事を手伝い、いい感じで切り盛りが出来ていたりする。
万善寺はそういう習慣が絶えて久しいから今更どうにかするのも難しい。仏事の手伝いをアルバイト募集するくらいが都合良かったりするが・・お先真っ暗坊主のボクなのです。

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盆が来た 

2017/08/13
Sun. 23:04

久しぶりに雨の降らない1日だった。
久しぶりに・・・本当に久しぶりに・・・ワイフとじゅん君が万善寺へ来てくれた。

棚経と雨のおかげで境内地や参道などの外仕事が停滞して、その間に草が伸びる一方で、万善寺が里山の自然に飲み込まれつつあった。
施食会当日まで自分に残されている作務の日はあと2日しかない。
それで全てを済ませるのは「まず、不可能だろうなぁ〜・・・」と、ボンヤリ思いながら、一人暮らしの夜を過ごしていた。
一番つらいのが、隣町の現職住職の本葬・・・
これが万善寺施食会の前日で、大夜がその前日。この2日間は朝から拘束されるから万善寺の作務はまったく出来ないことになる。あれはあれでこれはこれでそれはそれだから、あれやこれやをまとめてひとつに済ませることは不可能なこと。寺院の付き合いには時々こういうことがあるからとにかく始末が悪い。
今は、ナニを残してドレを割愛するか、そういうことを考え始めている。
お参りのお檀家さんの目があるから、見た目の外面だけでも体裁を整えておかないといけない。申し訳ないことだが、今年のお盆のお墓参りは1週間ほど遅延させてもらおうと密かに考えていたところだ。
・・・そこへ、ワイフとじゅん君が来てくれたというわけ。

私が棚経をしている間に、じゅん君がお墓の掃除をしてくれたようだ。
これでもう1日万善寺を手伝ってくれたら、ひとまず、私の代行でお墓参りをしておいてもらおうと思う。
ワイフの方は、施食会に向けてマイペースに台所や庫裏の片付けをしてくれていた。
食器を始めとして、色々なものが彼女の都合でアチコチ移動していたから、当分の間自分の行動形態が狂って少し苦労するだろうが、彼女なりに自分の良いように工夫した結果であろうから、そのことでアレコレ気をもむのはやめることにする・・と云うよりむしろ、そのような余裕が今の私にはない。
夫婦とか親子とか、そういう家族の中のことであっても、ひとそれぞれに自分の考えがあって、その連携で緩やかな拘束が機能しているから、過不足のない中道の暮らしが出来ているのだ。そういう力関係の引き合いのバランスが良くないと、どこかしら重心のポイントが偏って、家族形態に歪みができて暮らしにくくなる。

万善寺の一人暮らしが続く中で、自分本位で自分に都合のいい暮らしが少し長く続きすぎていたようだ。たまにこうして家族が集ることで暮らしのズレを修復したり、修正したり出来ることが大事なことだと気付いた。
ほぼ1ヶ月の間に草が伸び放題で荒れ地寸前までになっていた境内が、少しきれいになってお寺らしい佇まいが再現されつつある。
母親がセッセと散布していた枯葉剤で瀕死状態だった百日紅に今年も花が咲いた。枯れる寸前にまでなっていた老木だから、花を咲かせることも想像を絶するほどのエネルギーを使っていることだろう。曇り空を背景に咲くピンクの花に少し元気をもらった気がする。

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8月の坊主 

2017/08/04
Fri. 23:17

「これからさき、こういうことが度々あるんでしょうかねぇ〜」
「さぁ〜、わからんけど・・・できるだけ都合つけて帰ってきてほしいものですなぁ〜」

隣町の方丈さんが現役住職のまま遷化されたのが7月に入ってすぐの頃だった。
自分の近所でこういうことがあると、寺の付き合いとか宗派の付き合いとか、世間在家とは違ったところで不具合が生じて、それが元で少しずつ自分の日常の暮らしを侵食して、なんとなしに何処かの歯車が噛み合わなくなって、ぎこちなくアタフタと落ち着かない。

8月に入って棚経がはじまった。
万善寺は、飯南高原の端から端まで昔からの付き合いを中心に最盛期で200軒以上の棚経を続けてきた。
前住職の憲正さんの若い頃は、松江にある師匠寺の棚経も手伝って、お盆が終わるまでのひと夏で1年の生活費を稼いでなんとかしのいでいた。
私は小学校へ上がる頃から憲正さんに付き合ってアチコチ引き回されて、高学年では、飯南高原の町内のお宅をだいたい覚えるまでになっていた。中学生になって自転車通学がはじまってからは、自分の行動範囲も随分広がって、その頃からほぼ自分一人で棚経全般をこなすくらいになった。
私が住職を引き継いだ後、この10年の間にいっきに軒数が減って今年は遂に50年前の半分以下に落ち込んで、かろうじて3桁をキープできるほどになった。

例年と同じようにこの棚経をスタートさせた日に、遷化された方丈さんの代行でお葬式の導師を務めることになった。
葬式はあらかじめの予定が立たないから、自分の都合を優先することができない。
棚経をキャンセルするわけにもいかないし、無い知恵を絞って見た目は平静を装いながら絡み合ったスケジュールをほぐしていくしかない。
そのお寺には、お弟子さんで副住職の息子さんがいらっしゃるのだが、彼は一方で松江のお寺の住職でもあって、もう数十年も前からそちらのほうが優先の暮らしが続いている。
この度も、枕経と戒名を決められた後、万善寺へそれ以降の葬式仏事全てを託して松江の寺へ帰っていかれた。

授戒から入棺、出棺、荼毘と続き、副導師の依頼までを2日に渡って務めて、通夜が終わってからあとの坊主控室で愚痴にもならないつぶやきへ先のひと言が返ってきたわけだ。
「ほんに、この町もこういう状態ですからねぇ〜」
昔は町家がビッシリと軒を連ねて、バスの走る本通りから通りひとつ横に入るのも町並みが切れる枝道まで大きく迂回しなければいけないし、棚経も自転車でないと庭先まで入れないほどだった。今は、本通りから裏通りが普通に見渡せるほど空き地が増えて、町並みが歯抜けになっている。
過疎の進む町のそのお寺は現役住職遷化の後はそのまま無住になるようなことを聞いた。
檀家さんへ維持管理を任せて、必要に応じて葬祭会館で使用されることになるらしい。
随喜坊主の頭数も狂ってしまいそうだし、頭痛のネタが増えた。

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梅雨明け?? 

2017/07/15
Sat. 23:24

蒸し暑い1日だった。
庫裏の縁側にある温度計は西陽を受けて30℃を越えていた。

3つの年回を2つの法事でつとめた。
ありがたいことであるが、この蒸し暑さに大衣と袈裟でお経を読むのは軟弱坊主にとってかなりつらい。
午前中の法事は、7回忌と13回忌を1つの法事にまとめてくれということで、施主さんのご両親の年回法事でもあるし、「まぁ、良いでしょう・・」と引き受けた。
その施主家では、50回忌のご先祖さんが年回法事をスルーされていらっしゃるが、最近はそういうことも普通に増えてきたし、忘れたふりで見逃すことにした。坊主からしてこういう態度だから日本人の宗教観も希薄なものになって仏教離れが進むことになってしまうのだ・・と、若干反省しつつ、それでも、「まだ自分はまともな方だ!」と我が身をなぐさめて正当化しようともがいていたりする。

二枚の塔婆には、ボクのスキな禅語の一つ「結果自然成」を含む達磨さんの伝法とされる偈文を別けて書いた。
〜一花開五葉 結果自然成〜
達磨さんが禅を中国に伝え広めたことで、中国禅の祖師とされていることは禅宗では一般常識で誰でも知っていることだ。
「一花開五葉」とは、「自分が中国にやってきて伝えた禅の思想は、やがて中国全土に広まり大きく花開くだろう!」とでも訳して良いのだろうか??無学なナンチャッテ坊主には達磨さんの真意まで分かるはずもなく、「なんとなく、そんな感じなんじゃないかな?」と思うようにしているくらいのものだ。
「結果自然成」が、ボクのスキな禅語で、これについては、何度かこのブログでも引用させてもらっているから、気に成る方は検索でもしてみてください。
午後からのもう一つの法事でもまた別の禅語を塔婆へ書かせてもらって同じようにお経を読んでお墓参りも済ませて、ヨレヨレになって万善寺の庫裏へたどり着いたら、もう夕方の4時を過ぎていた。

そろそろ梅雨明けと言って良いかもしれない。
保賀の谷に降り続いた雨が地面へ沁み込んで、水分を含んだ土からミネラルたっぷりの水を吸い上げて稲やマメや雑草までもがスクスクと伸びて地上の表面積が一気に広がった。夏を思わせる日差しがそれら全ての植物をジリジリと焙り、気化した水分の強烈な湿気があたり一帯に停滞し、そういう環境の中で白衣から衣から袈裟までつけた坊さんは、サウナにでも入っているくらいの酷暑に絶えつつ木魚を叩きながらお経を読む。
1日で2時間半のソロライブ2回公演をこなしたようなものだから、なかなかのハードワークだ。
湯船にぬるめのお湯をためて行水しながら白衣やパンツなど洗濯した。斎膳を2箇所でいただいていて腹も減らない。麦とホップをプシュっと開けて、その後のことはよく覚えていない。気がついたら座敷に広げて干していた敷布団でそのまま寝ていた。

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寺の朝 

2017/06/24
Sat. 23:12

実は、寺の朝はやたらと周囲がうるさくて、それで目が覚めてしまう。
中国山地の島根県と広島県の県境に近いところにある寺だから、緑が豊富でマイナスイオンがタップリ降り注ぐ静かな山里だろうと思われているかもしれない。そういう想像も、まんざら外れているわけでないが、かえってそういうところだから余計に人間以外の様々な生き物もたくさん生息しているわけで、早朝の夜から昼に変わるあたりの時間帯になると、それらの生き物たちが一斉に活動をはじめて様々な情報交換をする、それが、「やたらとうるさい!」のだ。
万善寺は、保賀の谷にある山の尾根から少し下がったところにあって、比較的見晴らしが良い。
生息する生き物たちもそういう状況を都合よく知っている。
ロフトのいつもの部屋で寝ていると、天窓のすぐ前のトタン屋根へつがいのカラスが飛んできて、ひとしきりアチコチぴょんぴょん飛び跳ねる爪の音がガサガサと、とにかくうるさくてだいたいそれで目が覚める。
こんどは鳶がピューピュー鳴き始める。時々、カラスと鉢合わせすることがあって、しばし空中戦が続いたりすると、バタバタと羽音がかなりの迫力だったりする。
それからあとは、もう寺の周囲のアチコチから数種類の鳥たちが鳴きがじめて、それが2時間近く続いて最後頃に鶯が鳴く。
その頃がだいたい6時半前後で、町内の有線放送が町民歌のピアノ演奏を流す。
強い湿気が谷へ降りているとカエルの合唱がひとしきり続くが、今は空梅雨状態だからカエルの方は比較的おとなしい。
やがて、人間が活動をはじめて草刈機の音や、国道を走る車の走行音が増えてくる。
もう、ソコまでくると朝寝をむさぼる気にもなれなくてゴソゴソとシュラフから這い出ることになる。
・・・だいたい、今の時期の朝はこんな感じだ。これが、盛夏になるとむせ返るような暑さが加わって寝苦しくなるから、それよりはまだマシではある。

週末に棟梁が改修の仕事をスタートさせた。
私の方は相変わらずいつもの終わりのない草刈りが続いていて、畑の端のイノシシが掘り返した大きな穴へ生草を投げ込んでは灰にしている。
「ほんに、いい風が通って涼しいがぁ〜!」
お茶休憩の時に棟梁がそう言った。
確かに、寺の庫裏は裏山からの風が吹き下ろしてなかなか涼しい・・というより、昼寝などしていたら寒いくらいでつま先が冷たくなるほどだ。

生前の老夫婦が、畳の上にナイロンござを敷いて、その上に箪笥などを置いて暮らしていたから、座の下から這い上がる湿気をタップリ吸った畳がブクブクになっていた。
座板も常に湿った状態で家のためには良くないことだから、この際思い切って二部屋をフローリングへ替えることにした。
いらなくなった畳は、俊江さんの畑へ敷き詰めるつもりだ。
それで当分の間、少しほど・・・ほんの少しほど草刈りの面積が少なくなるはずだ。

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坊主の冷や汗 

2017/06/17
Sat. 23:00

午前中いっぱい江津に用事があったので、万善寺を朝早くに出発した。
途中、石見銀山の吉田家近くを通過した時は、坊主頭の短い後ろ髪が引かれて、困った。
何度かこのまま左折しようと思ったが、踏みとどまった。
昼過ぎにまた石見銀山を通過する時も右折をかろうじて踏みとどまって万善寺へ向かった。

法事も終わって、もう少しノンビリゆっくりしたいと思ってはいるが、そういう時に限って幾つかの用事が重なってしまう。
毎年恒例のお大師講もその一つに重なった。
聞くところによると、九十数年続いているらしいが、その間の何回かの代替わりで本当のところは誰も分からないことになってしまったようだ。
荘厳安座されてある仏様をみると、お大師さまの他にも十王様らしき方や、お地蔵様らしき方など、色々な仏様が入り乱れていらっしゃって、お経の後の回向もなかなか一つに絞りきれない。

毎年、世話人さんが持ち回りで引き継がれている。
今年は、坊主の控室もあってお菓子付きのお茶が出たりして手厚い待遇だった。
この時期は日が長いからお経の始まりはまだ十分に明るかった。
回向を終わって焼香を回して、塔婆回向に入った。
西国三十三箇所観音巡りの御詠歌を元にして、万善寺流に吟じる。
憲正さんからの口伝だから、それが正しいかどうかも分からないまま、とにかくそれなりの音階を調整しているが、憲正さんは透き通るような高い声が自慢だったから、私のかすれたヨレヨレのつまらない声と差が開いて、終わった後、「憲正さんの声は、そりゃぁ〜よかったがぁ〜〜、涙が出よぉったけぇ〜〜ねぇ〜〜・・」などと昔話しになったりすると、一気にドッと汗が吹き出して気が滅入る。
そんなことが毎年続いて、今ではお供えのお下がりをいただく斎の恒例話題になったりしてしまった。
もう、かれこれ10年はこの時期にお大師さま供養が続いているから、さすがに小心者のナイーブなナンチャッテ坊主も打たれ強くなって慣れてきた。
お参りのみなさまは、近所のことだからお酒も入ってしだいに賑やかになる。だいたい20〜30分くらいで中座するのだが、今年は仏教やお墓の話題が振られてしまって、切り上げ時を決められないままひたすら解説や回答に汗をかいた。
日頃は、こういう仏事の質問を受けることが珍しいから少々ビビッたが、反面、こういう機会でもないとなかなか質問することもないし、されることもないから、それなりに良い機会を頂いたと、ひとまず、このたびの世話人さんに感謝しつつ、なかなか終りが見えてこないので、「それでは、今回はこのあたりで・・・ということで、第二弾は来年ということにしましょう!」などと、強引に中締めに入ってしまった。

万善寺へ帰ってすぐに白衣などを洗濯機へ放り込んだ。明日は早朝から石見銀山の一斉史跡清掃がある。木魚のバチを草刈機に持ち替えて汗を流すことになる。

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ヤルことはヤッタ!! 

2017/06/15
Thu. 23:29

法類の寺で晋山式があったのは5月末のことだった。
それから既に半月も過ぎてしまったのに、その時の記録写真を渡すことが出来ないでいる。
気にはなっているのだが、万善寺のことが色々続いて、毎日がアッという間に過ぎてしまう間に今になってしまった。

デジタルカメラで約1000枚の写真データになっているので、変にゴッソリ全てをボクのクラウドへウエブアップしてしまうと許容オーバーになってしまうかもしれない。
銀山街道を往復したり草刈機を振り回したりしながら、頭の中で色々と対応をシミュレーションしていたが、それも結局同じことの繰り返しになってしまって最善の方法が見つからない。
それで、「エイ!ヤッ!!」っと意を決めてひとまず1000枚そっくりまるごとDVDへコピーしてしまうことにした。
そのまるごとコピーをとりあえず新命方丈さんへ渡しておけば、しばらくのツナギになるだろう。
ボクの軟弱なMacBookくんでも、一晩あればなんとかデータの書き込みが終わるだろうと確信して夕食が終わってからMacBookを動かしはじめた。
書き込みの記録中は特に何もすることがないからゴロリと横になってiPadをイジったりしていたらいつの間にか寝てしまったようだ。
例のごとく、クロがフギャフギャ鳴きながら真夜中の徘徊をはじめて目が覚めたら、健気にもMacBookくんがひとりでウィンウィン動いて書き込みを続けていた。

法事の準備も最終段階を向かえ、本堂の荘厳を整えたりしていたら、ワイフから「お昼食べない?」と電話が入った。
なっちゃんが東京から帰省してくれていて、彼女がワイフの愛車を運転しているようだ。
万善寺からすぐのところにある蕎麦屋「一福」で待ち合わせることにした。
その後、ワイフたちは法事当日の配膳などの準備をして、寺を出た。
久しぶりに夏を思わせるほど暑くなって、とても陽の高いうちは外仕事は無理だと決めて、あの書き込みの終わったDVDを届けることにした。
途中夕食の食料を買い込んだりしてとんぼ返りして、残っていた草刈りを始めた。
ギリギリ法事までに本堂と庫裏の周囲をグルリと一周することが出来た。
まだ幾つか気になることもあるが、一人で2ヶ月以上の日数を万善寺内外のことに使ったのだから、それなりに「ヤルことはヤッタ!!」と自分に言い聞かせておいた。

あとは、当日早起きをして庭を掃いて花や青葉をお供えして・・・
鳥のむね肉ソテーを頬張りつつ、麦とホップを飲みながら差定をイメージした。
珍しく夜鳩がしきりに鳴いている。
昼は久しぶりに暑くなったが、それも陽が落ちると一気に冷え込む。
晋山式の1日は雲ひとつない快晴だった。
さて、万善寺の法事はどうだろう・・・ボクは雨男だからなぁ〜・・・

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晴れの幸運 

2017/06/13
Tue. 23:22

最近の雨男吉田正純は、日頃の行いが良いのか、やたらと晴れの幸運に恵まれている。
島根県の吉田が行動している地域一帯では強烈な暴風雨がどかっとやって来て梅雨になった。
これは、近年珍しく、あまりにも華々しい梅雨入りだった。
ところが、その風雨が去ったあと、そのままモヤァ~っとした曇りがしばらく続いて、その雲が去ってからは、サッパリと澄みきった晴空になって今に至っている。
おかげさまで、富山の野外彫刻周辺も、チョットした里山状態に鬱蒼とした吉田家の裏庭も、それに、万善寺の境内地や参道、俊江さんの大事にしていた畑やその周辺も、だいたいひととおり草刈りが終了した。

石材屋さんが、永代供養墓一式を万善寺墓地へ搬入設置の日も爽やかに晴れた。
雑木林に囲まれた墓地は、肌寒く感じるほど空気が澄み切って実に気持ちがいい。
もったいないくらい上等の黒土を掘って、永代供養の納骨スペースを確保したあと、3つの自然石を安座した。
手慣れた石職人さんのスキのない作業が約半日ほど続き、8割がたの完成に至った。
まだ、憲正さんが元気だった頃から密かに計画をしていた永代供養の建立が、やっと具体的な形になった。

中央の自然石が永代供養墓で「両忘」と銘を入れた。
この世がどうとか、あの世がどうとか、善悪苦楽生きていれば色々なことがあるから、いちいちアレコレ理屈をつけて窮屈になるのも大変なことだ。既成の概念や変なこだわりや執着を忘れて自分を素直に開放すれば、気持ちもスッキリ気楽になれるはずだ。

向かって右の自然石が有縁無縁供養墓で「道心」と銘を入れた。
ヒトが往生して成仏するには長い長い年数を修行に励まなければいけないのだ!・・というわけで、道元さまも「仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし!」と正法眼蔵で説かれていらっしゃる。

向かって左の自然石が三界萬霊墓で「玄妙」と銘を入れた。
輪廻転生という思想というか、理論というか、哲学的というか、そのような発想はどこかしら人類共通に存在している死生観のようだ。こういう、なかなか具体的に答えにくいところのものにある計り知れないほどの幽玄な奥深さに思いを馳せることも大事なことだ。

普通に、何処にでもあるような「◯◯供養塔」などと具体的にその意味を伝える文字を刻むことも考えたが、自他ともに認めるナンチャッテ坊主ではあっても、いちおう曹洞宗の禅僧でもあるし、お釈迦様の教授を遥か彼方に仰ぎながら香を焚く身であるときくらい、世間の俗からできるだけ遠いところでモノを考えていたいものだと思っている。
造園業者の資材置き場で山積みされた石の中から、それなりの造形的意識を持って厳選した自然石だが、それに禅の仏道に通じる「ナニカ」を刻むことで、建立の真意を感じていただきたいと思ったりしている。

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一俵の米 

2017/06/04
Sun. 23:41

朝目覚めた時に、外の光が明るいと家の中にいることがもったいない気になって、じっとしていられなくなる。
5月はほとんど法事がなくて仏事というと寺の随喜ばかりだったから、それ以外はほとんど毎日万善寺の内外の掃除や片づけや草刈りなどで過ごした。

6月になってはじめてお檀家さんから法事をしてくれと連絡が入った。
おばあさんの100回忌とおとうさんの37回忌を併せて、塔婆も2枚書いた。
万善寺のお檀家さんで、その施主さんだけがいまだに自分で塔婆を作られる。
私が住職になってからでも、5枚は作られたはずだ。そのすべてがヒバの板塔婆で厚さが1cmはあるような立派なもので、お墓に参ると風化しないでシッカリとカタチが残っている。

常々、万善寺では33回忌法事の後の年回は「お祝い法事だと思っておつとめください」とお話していて、このたびの法事は正に目出度いお祝い法事になった。
それが先日随喜でお経を読んでいる最中に何度も電話がかかって往生したことに繋がる。
法事当日の少し前になって、五輪塔建立を思いつかれた。
それはそれでとても良いことだが、あまりにも話しが唐突過ぎて、その後の段取り付合いで苦労した。
五輪塔建立そのものは、普通ではなかなか出来ない一大事業であって、そういう思いつきをしてご先祖様を大事にされる施主さんが皆無状態の今の世に、とても立派なご信心であるが・・・それであるから、坊主としては、石塔建立の場所配置からきちんと撥遣をして点眼法要へ至るまでの順序というものもある。
そういうことをまるまるすっ飛ばして、法事当日を目指した突貫工事になってしまったから、とにかく慌ただしく振り回されてしまったわけだ。

アレコレと色々あったが、終わりよければ全て良しということで無事に法事が終了して、寺へ帰って布団を干したり衣替えの衣を干したりしていたら、先程すませた法事のご主人がお参りされた。何事かと思ったら、米を1俵持参してくださった。いまどきのことでは久しく絶えて無くなったお供え物になった。
ひと昔前はお参りの度のお供え物で、住職一家が1年中食べても食べ尽くせないほどの米が集まっていた。
ずいぶんと念入りなご配慮に恐縮しながら有難く頂いて、ひとまずは御本尊へお供えさせていただくことにした。
おかげさまで、夫婦二人の1年分のお米を確保できた。米代が家計から削減できただけでもとても助かる。早速ワイフへ報告して二人で喜んだ。

このところ、ひたすらハードに身体を動かしていたから、ほぼ半日の仏事で静的動作が続いて、身体のアチコチが固まった。少しほどゆっくり休もうと寝転がったのに、こういう時に限ってネコチャンズがオヤジへ絡んでくる。肉体の疲労回復にはならなかったが、良いこともあったし、心の疲労は少しほど回復した気がする。

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典座寮復元 

2017/06/02
Fri. 23:23

昨年の12月から今年の2月までの島根県は、例年に比べて雪が多かったように思う。
それでも、寒波に比較的正確な周期のようなものがあって、マメに雪対策をしておけばそれほど雪害で悩まされることもなかった。
あとになって、法事の席などでさまざまな地域事情を聞く機会があって、それでやっと山陰から瀬戸内にかけての広範囲で厳しい冬を乗り切ったような状況を知った。

そもそも、万善寺のある飯南高原そのものが山陰とか島根県とかに絞ってみると、雪がよく降って積もるところだから、今回の冬季が特別だったとは感じないまま春を迎えたように思っていたが、実情はそうでもなかった。
万善寺でも自分の気づかないところで若干の被害があった。
境内の端には土留の石垣が組まれていて、そのほぼ中央に大きな松がある。
たぶん、寺が現在の場所に移築されたときからその場所にあったと思うから、樹齢300年くらいにはなっていると思う。

昭和の終わりから平成にかけて松くい虫の被害が東の方から広がって、数十年かけて山陰一帯を襲った。
飯南高原から石見銀山にかけても、かなりの深刻な被害が広がって、その頃は吉田家の子供たちが中学生だったし、保護者の奉仕作業で枯れた松を切り倒したりした。
松に限らず、木を切り倒すにはかなりの専門的な知識や経験が必要で、素人の仕事にはできない。
万善寺のお檀家さんの中にも昔は専門の林業従事者がいて、子供の頃から山の怖さを数多く聞かされたし、中には、若くしてその山仕事の最中に事故死した人もいる。

それで、万善寺の冬の被害のことだが、なんとか松くい虫の被害を凌いだ境内の松の大きな枝木が、雪の重みで折れた。
そのまま地面に落ちればよかったのだが、その折れた枝のすぐ下にある枝木に寄りかかって中空に踏みとどまってしまった。
下から見上げると、自分でなんとかできるとその時は判断して時が過ぎ、今になってやっと本気に伐採を思いついて本堂の荘厳用の長いハシゴを松に立てかけた。
そうしてみると、思っていたよりずっと上の方で折れていて、ハシゴを登りきっても鋸の先が届かない。
何かいい方法がないか考えたが自分の技と道具では無理だと決めて、知り合いの電工さんの工事車両目当てで泣きついた。
「今日の昼からだったら行けますよ。明日からまた仕事で使うから・・・」
というわけで、急きょ万善寺境内が大騒ぎになった。

予定外の仕事になってすっかりバテて、外仕事をする気も失せたので、途中で終わっていた庫裏の典座寮(台所配膳室)の拭き掃除をした。
前住職夫婦が、60年の間に溜め込んだゴミの山を一気に処分したところで終わっていた掃除を再開して、夕方やっと素足で歩けるまでになった。

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ひとりめし in 万善寺 

2017/06/01
Thu. 23:48

このところ連日快晴で暑い日が続いていたが、今朝は薄雲が石見銀山の谷に降りて肌寒いくらいだった。
石見銀山でこういう状態の時の飯南高原は、もっと厚い雲にスッポリと包まれているか、朝霧が晴れて抜けるような青空が広がっているかどちらかになっていることが多い。

銀山街道の途中で三瓶山の全景が見渡せるところがあって、其処まで行くとだいたい万善寺周辺の事情が想像できる。
「万善寺のあたりは雨になるかもしれないな・・・」
なんとなく、そんな気がした。

午前中は石材屋さんが万善寺の墓地で永代供養墓の作業を進めると連絡が入った。
墓地のある辺りは、古い土地でどこまで掘っても墓地にしておくにはもったいないくらいの上質の黒土である。
甲子園の土は大山から持っていっているらしいが、それに負けないくらい純度が高い。
今は、国の行政指導もあって荼毘火葬がほぼ100%になっているはずだが、少なくても島根県各所で昭和の中頃まで土葬が普通に残っていた。
この黒土に土葬で埋葬されたご先祖様方は、200年位経ってもまだ遺骨が原型をとどめて残っているだろうと思っていたが、職人さんから、無縁仏の墓から二体ほど土葬の遺骨が出たので、火葬にして仮埋葬しておいたと報告を受けた。
今の事情でお墓に手を加えると、こういうことがあるのも当然のことだから、事前の撥遣供養がどれだけ大事なことかよく分かるだろう。この度も、遺骨が残っていると予測できたので、事前に念入りに撥遣のお経を読んで供養をしておいたから、職人さん方も安心して仕事に打ち込んでくれているわけだ。

午前中で作業を終わった職人さんが帰ってから、一人昼飯を造って食べた。
前日に随喜した大般若の斎の御下りで茶飯や煮しめを頂いた。そのお寺では、数年前にお檀家さんの大々的な世代交代をした時、婦人部の皆さんも一気に若返った。茶飯は作り手が違うと味も変わる難しいご飯だから、先輩ご婦人方から事前の厳しい引き継ぎ指導があったらしい。
ワイフは流行りのサラダチキンのようなものを造ってくれていて、直前にフライパンで火を通した。そういうことをして良かったのかどうかわからないが、旨かった。
ボクは、買い置きしておいたサーモンの切り身をムニエルにした。もともと新鮮だったし、あまり火を通しすぎるとパサパサになって鮭ふりかけと変わらなくなりそうだから、少しレアの状態で火を止めた。
墓地の往復と境内の外仕事で流した汗の補充は、麦とホップのハーフ&ハーフ。
バックミュージックは、先日のテロ被害で傷心のアリアナちゃんを想いつつ、最新アルバムを流した。

外は、なんとなく怪しげに曇っていて湿気が強い。
たぶん、夕方には雨になるだろう。

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仏事の一日 

2017/05/31
Wed. 23:38

組み寺でいつもお世話になっているお寺の内室(奥さん)が亡くなったので、葬儀のお手伝いで随喜をさせていただいた。
配役は、奠茶(てんちゃ)師に相当する待遇の副導師。
仏事にはそれぞれ色々な配役や作法が決まっているが、簡単に言うと、「あなたには、お茶をお供えする役をお願いします!」ということである。
日頃のナンチャッテ坊主にはどう考えても役が重すぎて本来なら固辞すべきところだが、近所のお寺のことでもあってそういうわけにもいかないし、意固地に我を通し過ぎるのも周りに迷惑なことだから、自分の本意を飲み込んで次第の流れに身を任せることにした。

特に改まって信条としているわけでもないが、公私共々、諸々意に反する現実含め、質素倹約の暮らしをしている万善寺で一番困るのが、公的仏事の正装。
歴代住職の衣は、当然大事に引き継いで使用させていただいているが、万善寺の場合、問題になるのは過去の方丈様方の背が低かったこと。前住職の憲正大和尚様は、私より10cmは低かったから、大衣の寸法がすべて短い。襟を合わせる紐の位置など、私の乳のすぐ横の脇腹の方にまで上がってしまって何ともバランスが悪い。
それに、昔のようにお檀家さんからの喜捨で法衣や仏具を新調することも無くなったから、それなりの法衣に自腹を切るとすると1年分の布施が消えてしまう。
そういう万善寺の裏事情もあるから、出来るだけ質素に慎ましく目立たないように立ち回って裏方坊主に徹していようとするのだが、やはりそれにも限界があって、たとえば、今回のこういう配役が回ってきたりすることもあるから、厄介なことだ。
前の日からドタバタと、色衣や刺繍袈裟など引っ張り出してコーディネートしてみたが、なにせ品数が少ないからそれなりに見栄え良く合わせようも無く、適当な所で手を打つことにした。こういう時に貧乏寺の現実がバレるが、まぁ、仕方がない。

副導師の引導香語は「出来るだけ短い方がいい」と師匠の憲正さんに教わっているし、今回はお茶係だから、お茶絡みの漢詩をさがしておくこともしておいたほうが良いだろうと、麦とホップを飲みながら無い知恵を絞りまくっていたら、知らない間にホワイトベルグにまで手が伸びてえらいことになってしまった。
結局、最終稿が出来上がったのが本葬の当日。一応、今の時期のことも詠ったし、それなりに茶にまつわる漢詩も見つけたし、十方三世の仏教用語も若干絡めて、ソコソコ短くてシンプルな香語になった・・・はずだ・・・

内室本葬の日は、午後から臨済宗の寺で大般若会があって、そちらへの随喜へ回った。
白衣の袖に入れている重し代わりのiPhoneがしきりにブルブル震えているし、それに連動しているAppleWatchが手首をトントン叩くし、大般若の経典は扇風機の風でめくれ上がるし、ドタバタの落ち着かない随喜になってしまった。
電話のヌシは万善寺のお檀家さんだった。「墓を移動しようとおもぉ〜て動かしたらのぉ〜・・・」まったく、勝手に何やってるのか・・坊主に相談もなくて・・・
撥遣のお経を読みに墓地へ急いでいると、遠くで雷が鳴り始めた・・案の定、雨になって、途中まで掘り返した墓の土が白衣に跳ね返るし・・もぉ〜最悪!

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落ち葉の役割 

2017/05/26
Fri. 23:24

万善寺墓地の永代供養墓建立作業がはじまった。
いつもお世話になっている石材屋さんから職人さんが重機と一緒に境内へ上がって、そこから本堂東側を迂回して山道を墓地まで登る。
ユンボやキャタピラが大活躍して、いつもは雑木林の葉音と鳥の鳴き声程度しか聞こえない静かな墓地が一気に賑やかになった。

私は、自分で「これが良い」と勝手に思っているだけのことだが、墓地の本格的清掃は1年に2回しかしないことにしている。
その前後の天候によって若干狂うこともあるが・・・
1回目は8月11日、2回目は11月22日。
それ以外は、幾つかのご縁日に併せて墓参した時、ときに応じて活けものを替えたり、長い杉枝や朽ち落ちたコナラの枝などを取り除いたりする程度で済ませている。
だから、地面が見えているのは、8月のお盆から9月のお彼岸くらいまでで、あとは墓地の全体がほぼ1年中落ち葉の絨毯を敷き詰めたような状態になっている。
これは、墓掃除が面倒でそうしているわけではなく、墓地に眠っていらっしゃる歴代大和尚さまや亡僧さまやお寺に縁の深い寺族のご先祖さま、それに有縁無縁のみなさまが、自然の過酷に悩まれること無く安心して落ち着いて御休みいただくためのことである。
こういう、墓地管理のワガママが通せるのも、万善寺が田舎の里山を背にしてポツンと建っている立地条件があるからだ。
境内地に墓地があるような混雑した街中のお寺であったら、こういうことは他人の常識の目や口が許さないことだろう。
幸いにして、万善寺墓地は檀信徒や地域住民の日常の暮らしからは縁の切れたような環境にあるから、住職の我儘な管理が許されているわけだ。

職人さんが1日の作業を切り上げて報告と次の段取りを伺いに来たから、作業の進捗状況を確認した。
納骨のスペースも、合葬にして小さな石板プレートを添える程度の小規模なものだから、「簡単な井桁が出来ているくらいで良いかな?」と思っていたら、鉄筋を組み込んだたいそう大掛かりな工事になっていてビックリした。専門業者さんの都合もあるだろうから、状況の説明を聞いて、了解した。
「杉葉があるのが良いですがぁ〜」
墓地の急な坂道をヨチヨチ下りながら職人さんが言った。
「これがあるから、雨を吸ってくれますけぇねぇ〜。昇り降りも滑らんで楽ですけぇ〜」
「そうなんですよね。できるだけこのままにしておくようにしてるんですよ」
「落ち葉も役に立つもんですけぇねぇ〜。これがないと土は流れるし草は生えるし、厄介ですがぁ〜」
なんとなく、我儘住職の真意を察してもらったようで嬉しくなった。
先亡精霊の皆々様が自然の暑さ寒さにさらされないようにとの配慮があったが、職人さんの数多くの墓地や墓石と付き合った経験の現実から出た言葉に、自分の背中を押してもらった思いがした。

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万善寺墓地 

2017/05/25
Thu. 23:21

午後から隣町のお寺で大般若会があるので、墓掃除を午前中で切り上げた。
万善寺の墓地は、本堂の東側から山道を200mくらい登ったところにある。
昔は保賀の谷の殆どが見渡せていたのだが、谷のほぼ中央へ国道が出来てから見晴らしが悪くなった。
それでも、春の水田風景から秋の刈入れ時期までそれなりに綺麗な山里の景観が広がって見えて、私個人は好きな場所だ。

墓のすぐ下にある家のご主人は先代住職憲正さんと小学校からの同級生で、今も健在ではあるが、もう90歳を過ぎた高齢だし、息子さんは神戸に家があって帰省されないしで、昨年の冬前に介護施設へ入所されて空き家になった。
すでに数年前からほとんど外仕事を放棄されていてその間に周辺の田畑が一気に荒れた。
万善寺はすぐとなりだから、時々、寺の外仕事のついでに境界を超えて除草の草刈りなどをしていたが、俊江さんのチェックが入って、「あすこの方まで刈ることはせんでええけぇ〜」とよく小言を言われた。そこまで厳しく境界を意識しなくてもいいだろうと思うのだが、彼女にとっては昔からの色々な確執が忘れられないでいたのだろう。
とにかく、そんなわけで隣の家の周辺を維持管理することが無くなってから、万善寺墓地の前に広がる雑木や茅が一気に伸びてきて、視界が遮られるようになってきた。
跡取りは遠く神戸の方だし、いちいちお伺いを取り付けるのも厄介だから、そのうち見苦しくない程度に刈り込みをさせてもらおうと思っている。

明日から永代供養墓建立の工事が入る。
かなりの経費がかかるから、また当分の間借金が絶えることがない。
結局は自分の気持ちの問題だし、もっと気楽に乗り切って、其処までして借金を作らなくても良いだろうとも思うが、寺の住職は歴代続く通過点のようなものだから、それなりにその時々で見苦しくない程度の改修を続け、後続の住職に迷惑がかからないようにしなければいけないとは思っている。

大般若会が終わって、しばらくのあいだ坊主の世間話が始まった。
そこでお墓の話もでた。そのお寺のご住職は、一般在家と同じように歴代住職を一基の寄せ墓に集められたそうだ。町中の寺は、境内墓地の規模のこともあって、そのようにせざるを得なかったのかもしれない。またそうしておくとお墓参りも含めた維持管理も簡単になって都合がいい。
住職それぞれに、いろいろ考えがあるからそれも選択肢の一つだろうと思った。
幸いにも、万善寺の墓地はまだまだいくらでも広げられるほどの余裕がある。
墓石一つ一つにその年代の背景もあって、その重みが凸凹に並ぶ石の列に宿っていると感じる。
それになにより、私としては、墓石全体の造形が面白いと感じてしまう。
墓地周辺には、戦国の頃数々の櫓城があったらしい。いまから500年位前のことだ。
生きているものの都合で便利に改変することも大事な文明の進化であるだろうが、一方、出来るだけ何もしないでそっとしておくことも時代の証明として大事なことだと思う。

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2017-11