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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

琴引山遠望 

2020/03/12
Thu. 23:50

大練忌の朝、万善寺はマイナスまで冷え込んだ。
前日には法要の準備などをして横になったのが深夜になった。その少し前くらいから冷え込みが厳しくなってきたから、雪になるか放射冷却で空が晴れ上がるかどちらかだろうと思った。目が覚めると庫裏の南側の窓が障子越しに明るくなっていた。布団の中で吐く息が白い。いつもより早めに起きて玄関の鍵を開けて、それから本堂から庫裏までぐるりと一周朝の用事を済ませた。
吉田家からはワイフとじゅん君が怜子さんの大練忌にお参りしてくれる。
トシちゃんたち夫婦は直接遺骨と一緒にお寺へ来てくれる。
法要のお手伝い随喜を隣町同宗ご住職へお願いしておいた。

予定した大練忌差定が粛々と進み、喪主以下ご親族の焼香で無事に全て終了した。
斎の会は、飯南高原の丘陵にある薬膳レストランを予約しておいた。
地産の野菜や島根各所の地物をふんだんに使ったコース料理で満腹になった。
そのレストランは、時々の節目にワイフと食事に出かける。いつだったか「怜子さんにも食べてもらいたいね・・」と二人で話した記憶があるが、結局叶わないまま過ぎた。
万善寺先代夫婦は、まだ彼らが元気な頃に何度か連れてきたことがある。
内室のおかみさんはその日のおまかせコース料理が好きだった。晩年は指の関節が固まっていて箸が思うように使えなくなっていたから、豆などの箸を使いにくい皿のものは直接指で摘んで食べていた。あまり行儀の良いことでないが「美味しく食べてくれたらソレが良い・・・」と、見ないふりをした。

レストランからは琴引山の山稜がよく見える。
植林の中の登山道を一気に登って最初の尾根へ着くと、そこから幾つかの稜線が緩やかにアップダウンを繰り返しながら山頂まで続く。
その山頂は草野球ができるくらいの広い平地で、その端の岩場に御宮が安座されてある。
昔は、その御宮から山頂に広がる平地へ40以上の宿坊があったらしい。宿坊と云っても、仏道修行者が寝起きする程度の掘っ建てのようなものだったと思う。万善寺の起源はその宿坊の一つから始まったようだ。
琴引山の麓である飯南高原一帯は、戦国時代毛利と尼子の領地争奪の激戦地だった。戦国の武将たちは戦略や策略や政略などあらゆる手段を駆使して時代を生き延びた。万善寺開基殿はその中の一人の武将に行き着く。彼は、最後まで尼子方に組みして敗戦を期に出家したらしい。その出家僧の生地がどうやら銀山街道沿いの宿場町であったようだ。私は、通勤坊主で朝夕その町を通過している。銀山街道古道はくねくねと続く渓流を渡りながら両岸のわずかな平地をたぐって飯南高原まで続いていた。町に続く小山の山頂にあった山城は銀山街道の関所の一つとして機能していたようで、その宿場町はたたら製鉄とか養蚕業などの地産や石見銀の運搬業などで賑わっていた様子がうかがえる。

葬儀開練忌から続いた仏事も大練忌をもって一区切りついて、少しだけ気持ちが晴れた。
琴引山の遠望が雲ひとつない飯南高原に映える。
いつもの万善寺に戻った境内を、あの目付きの悪い黒猫が横切った。

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幹カンジ 

2020/03/10
Tue. 23:06

「早くからすんませんなぁ〜・・○○寺でずが、チョットお時間大丈夫でしょうか?」
住職の朝は比較的早いから、まがりなりのナンチャッテ住職のボクももう起きていて特に支障はなかったっが、それにしても一般的には躊躇してしまうような時間の電話だった。
だいたい坊主業では、一般的な時間外の電話というのはあまり良いことでない場合が多いし、同業ご住職からの電話だし、何事かと若干緊張した。
「ハイ、大丈夫ですが、何か?昨年は何かとお世話になりまして、ご面倒をおかけしました・・」
ひとまず、当たり障りのない返事を返すと、
「その節はこちらこそ、なかなか至らないところもありまして・・・」
などと、しばし、儀礼的会話が続いたあと・・
「ところで、お願いがありまして連絡させていただきました」
やっと本題に入った雰囲気だと弔事のことではなさそうで、少し安心した。それで、要件は宗門組織の事務的なことだった。
「教区から幹カンジを二人ほど出すことになっておりまして、その役を引き受けてもらえないかと・・・」
「ソレはご心配なことです・・・が、私にできるようなことでしょうか?」
「もちろん大丈夫なことです。オタクのようなユニークな方に是非引き受けていただきたいことです。用事と云っても1年に2〜3回の会に出席して頂く程度のことですので、なんとか引き受けていただくと有り難いのですが・・・」
「そういうことなら、もっと適任がいらっしゃると思いますが・・・」
「イヤイヤ、オタクが適任ということでお願いしておりますので、いかがなものでしょうかねぇ〜」
「よくわかりませんが、私で良ければ構いません。受けさせて頂きます・・・」
・・・と、云うことになった。
先方の方丈さまは、何となく安堵された様子で、それから少しして電話が終わった。

今年は、万善寺が教区の総会会場で回ってくる。
私が先代から住職を引き継いだ年に当番会場が回ってきたからこれで2回めになる。
説教老師の巡回があって、それに教区の総会がセットされる。当番寺院は老師の接待と、教区の護持会会員の総会出席の世話をすることになる。昭和の昔は、総会が終わったあとの懇親会も夕方まで賑やかに盛り上がって、各寺のみなさんが散会されるとそれから万善寺役員の皆さんで慰労会が始まるという、数年に一度巡ってくる一大事業だった。
今は、そういう親睦も割愛が普通になって、老師のお話と総会が終わると出席分のお弁当を配布して散会になる。あとは数人の役員さんが後片付けがてら残ってささやかな慰労をしてその日の夕方には終了する。前日の老師接待からだと1日半くらいあれば事業全て終わる。それでも、会場となるとそれなりに気遣いも多いし、人並みの心労もある。
幹事の方は一度引き受けると「再選は妨げない・・」などと都合の良い理由をつけて任期がしばらく続きそうな気がしないでもないが役不足は棚に上げておいて「一人一役」を前提に、まずは一応「NO!」は言わないことにしている。
益々彫刻業が減って坊主家業が増えてきた・・・

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国家平安万邦和楽 

2020/03/04
Wed. 23:22

この数年で随分と坊主家業に従事することが増えた。
昨年は、今まで前例がないほど葬儀が多くて、ソレに付随した法要仏事も絶え間なく続いて、その上、例年変わりなく寺の過去帳から繰り出している年回法事もあるし、とにかく、1年で70%以上は万善寺のことで始まって終わった気がする。
先代の憲正さんは、生涯100%専業坊主で乗り切って住職在職も60年に至った。
その先代の御蔭で自分が40年以上彫刻制作を休まずに続けてこられたのだと、今更ながら間違いなく確信できる。
昭和から平成令和と世の中の情勢が大きく変わる中で、昭和20年代から殆ど大きく変更することもなく万善寺の諸仏事が引き継がれてきたのは、禅嶽憲正大和尚のブレない仏教家としての強い信仰心があったからだと思う。それでも、元号が昭和から平成に変わろうとする頃から憲正さんの愚痴が少しずつ増えた。お寺の仏事行事へのお参りが1年毎にみるみる減っていったことに我慢ならなかったのだ。
その頃から人々の仏教離れの加速が始まっていた気がする。

副住職時代が長かった私は、憲正さんの仏教家としてのジレンマと間近に接しながら、一方で寺の仏事から隠れるように彫刻制作へ逃避していた。
嬉々として彫刻に没頭していた頃が懐かしい。
今は、時々フッと出来たヒマに描きためた小さな彫刻のメモがかたちにならないまま貯まる一方になっている。たぶん、このままなにかの反故に紛れていずれ破棄されてしまうのだろう。
憲正さんを引き継いで住職になって、職業坊主の末席に着いたように自覚できる今、彫刻を絶やそうとは思わないが、できるだけ万善寺の過去からの伝承も絶やさないようにはしようと考えている。

1年に一度の万善寺初午祭が巡ってきた。
初午の日は毎年動くからその都度飯南高原をグルッと一回り約60枚ほどのお知らせを配布して回る。今年は雪もなくて楽に一巡できたが、当日は前日までの好日が嘘のように前夜から雨になって冷え込んだ。
それでも、法要には6人ほどお参りがあった。
それこそ憲正さんの頃は、雪をかき分けて20人以上のお参りがあって賑やかな法要になっていて、お参りのみなさんも内室のおかみさんが心づくしの手料理で世間話に花を咲かせ、ちょっとした地域の情報交換の場にもなっていた。
今のように、ワイフがおかみさんのあとを引き継いだときには、すでにお参りも半減していたから、当時の賑やかな初午祭を彼女は知らない。それに、殆ど毎年平日の祭事になって彼女の手伝いもないから、住職一人で本堂と庫裏を数え切れないほど往復した。
いずれそのうち、お参りが0人になる日が近いかも知れないが、それでも自分の身体が動くうちは法要を絶やさないでいようと思う。
前日までの美食が過ぎて、お経の最中は足の裏がピリピリ傷んだ。
万善寺豊川稲荷荼枳尼天さまへ、国家平安万邦和楽五穀豊穣商売繁盛を祈念し、お参り各家の家内安全身体堅固を祈り、ついでにチョットだけボクの痛風減痛を願った・・・

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お祝い法事 

2020/03/01
Sun. 23:11

3月になって早々の法事は朝から穏やかな日差しが降り注ぎ、気温もぐんぐん上昇して、着物に着替えて改良衣を羽織ったりするとジットリ汗ばむほどになった。

万善寺では50回忌からお祝い法事としてご案内させていただいている。
先代のお供で50回忌を越えた法事へ出かける時は、すでにお檀家さんの方で法事趣旨を心得ていらっしゃって、ご親族も遠方まで声を掛け合って参列されることが普通で、ソレはソレは賑やかな法事になっていた。
まだ20〜30年前はお斎の膳に酒がつきものだったし、お祝い法事になるとソレにプラスして各自の膳に尾頭付きの鯛がついていたり、刺し身の盛り合わせや巻き寿司があったりと、大盤振る舞いの豪華で賑やかなことだった。先代は法事が終わるとしこたま酒を飲んで施主家の歴史を交えた昔話に花が咲き、引き物や大皿やお供えのお下がりなどのお土産と、食べきれなかった斎膳を弁当に詰め直して、抱えきれないほどの大荷物を副住職(もちろんボクのこと・・)へ持たせて良い機嫌で寺へ帰って、それから酔が冷めないまま内室のおかみさん相手のお茶飲み話に花を咲かせ、その日の法事の顛末を嬉々として語り継いでいた。
50回忌からの塔婆は、それまでの板塔婆から角塔婆へ変わる。
法事の数日前に大工さんがお寺まで特注された角塔婆を持参して、住職は半日くらいかけてたっぷりと墨を摺って4面それぞれに戒名や経文や禅語香語などを書く。それからしっかりと1日位墨を乾かして施主家へ電話するとその角塔婆を引き取りに来て大事そうに持ち帰る。法事の当日に施主家へお邪魔すると、床の間の「南無釈迦牟尼仏」の掛け軸と並べて角塔婆が立てかけられて、その前に三具足が並び仏膳がお供えされてある。
特にこれと云った住職からの指示があるわけでもないが、だいたいどこでも似たりよったりの扱いがされていた。

・・・さてさて、今はどうかと云うと・・・
「角塔婆は建てるところが無いですけぇ~、板塔婆でいいですけぇ~」とか、「100年も前の先祖さんは顔も知りませんけぇ~、お盆の塔婆回向でいいですわぁ~」とか、「みんな用事があるそうなんで、法事は家にいる者だけしかおりませんけぇ~、簡単によろしく!」とか、だいたい殆どが、そんなふうな「お祝い!」とは遥かに程遠い法事になってしまった。
「昔は、誰かが亡くなると組内の者が遠くの親戚まで知らせに走ってましたけぇ〜」
「そうそう、冬は雪で車も使えんから、組の若いもんが一日がかりで山越えして広島県まで行って帰ったりしよりましたがぁ〜」
「もっと遠くは仕方がないけぇ〜電報にしたりして・・・住所がわからんかったりしてアッチに聞いたりコッチに聞いたりして、葬式になるまで何日もかかったりしてねぇ〜」

3月1日の100回忌お祝い法事は、角塔婆こそ板塔婆で済まされたが、久しぶりに副導師の随喜も頂いて立派で賑やかに終始した。
私が住職になって約10年・・・50回忌を越えたお祝い法事で角塔婆を書いたのは5回とない。楽といえばソレまでだが「ソレで済ませていいのだろうか?」とふと思う時がある。

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逃げる2月 

2020/02/29
Sat. 14:12

早いものでもう怜子さんの5・7日小練忌がおわった。
万善寺に安座した仮位牌や仏具の前で一人七日努めのお経を読み続けているが、もう命日から5週間が過ぎた。急逝だったから、ワイフもトシちゃんも心の準備が無いまま慌ただしく通夜葬儀から告別式を終わらせて、気持ちの落ち着かないまま日常の仕事へ帰っていった。
いつもなら、2月の万善寺は立春が過ぎて時々初午祭のご縁日が巡った年は法要でお参りが数人ある程度で、あとは年回法事の仏事も殆どない。それでも1年で一番雪が沢山降り積もる時期でもあるから、単身赴任に切り替えて朝夕の参道雪かき道開け作務が欠かせない。
今年はその参道雪かきを1回しただけで、もう3月になろうとしている。

雪がないからだろう、2月は毎週末から連休にかけて年回法事が続いて、そのうち2日ほどは県境を越えて広島まで出かけた。
広島は毛利公の関係で浄土真宗が多く、法事の様式も万善寺とはかなり違う。法事にお集まりのご親族もいつもと勝手が違って戸惑い気味だ。
こちらもお檀家さんであるとは云っても飯南高原の気のおけない勝手知った近所付き合いの延長のような法事付き合いにならなくて緊張する。前日から塔婆を書いたり経本を揃えたり法要用の線香や焼香用の香炭を用意したりと準備だけで時間がすぐに過ぎた。

雪が降り積もっていないからなのか、目付きの悪い黒猫を頻繁に見かけるようになった。
以前は保賀の谷のアチコチへ出没していたようだが、最近は万善寺境内のどこかでほぼ毎日目が合う。
庭木の剪定をしていたらサツキの株脇で丸くなっていたし、銀くんを庫裏玄関へ横付けして荷物をおろしていたらボクの造った彫刻脇でジッとこちらの動きを凝視していた。勝手口で灯油のポリタンクを出し入れしていたら物置の曲がり角で行儀よく猫座りをしていた。その物置に入って剪定用のノコやカマなどを物色していたら日当たりの良い南側の窓際でゴロリと寝たまジッとこちらを見ていた時はかなりビックリした。本堂の仏花を替えていたら高床の座の下からボクの動きをしっかりとロックオンしていた・・・
2月になって接近遭遇が激増したので、境内へ出入りするたびに「ネコちゃん!」と声掛けを続けていたら、そのうちその黒猫の方も「どうやら自分は(ネコちゃん!)であるらしい・・・」と自覚するようになって、あてもなく「ネコちゃぁ〜ん!」と呼ぶとどこかからひょっこりと現れるようになってきた。まだ手が届くほど近くへ寄ってくるまででもないから彼か彼女か判別はできていないが、以前よりはお互いの距離が短くはなっているようだ。それにしても、いまだにその猫の鳴き声を聞いたことがない。まだ「鳴く」ということが人間とのコミュニケーションの手段の一つであるということを知らないでいるのだろう。

飯南高原で雪のない2月は私の人生で初体験になった。境内の掃き掃除や墓地への参道整備、それに俊江さんが健在だった頃からの懸案事項である荒れ放題に繁茂したツツジの伐採も少しずつ進んできたところだ。雪かきとは違った忙しい2月が終わろうとしている。

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花が咲いた 

2020/02/21
Fri. 23:37

怜子さん四・七日阿経忌の朝も前夜からの放射冷却でかなり冷え込んだ。
まずは本堂の業務用灯油ストーブを点火して、それから一連の朝の用事を済ませてから阿経忌のお経を読んだ。

正月用にお供えした梅とシキビに花が咲いた。
シキビは花入れの水を時々補充したり入れ替えたりしてお世話していると、半年を過ぎてお盆の頃まで長持ちして、条件が良ければ花入れの中で根を出すものもチラホラ出てくる。
梅は松や竹と一緒にお供えしたものだが、その時は小さくて硬い蕾が確認された程度だった。それが約1ヶ月の間に少しずつ膨らんで、立春を過ぎたあたりからチラホラと花を咲かせ始めて、今はだいたいどの花入れも満開になって見頃を迎えている。
松は元々丈夫にできているから水を絶やさなければかなり長い間松葉の緑を見ていられる。流石に春彼岸を過ぎて大般若転読の法要まで花入れにそのままというわけにもいかないから、少し寒さが緩んで春めいた頃合いを見てひとまず挿し木にまではしておくのだが、殆どはそのまま根付くこと無くいずれ枯れて地に帰る。
竹は切ってすぐから青葉が丸まって1日と保たない。それでお正月飾りの松竹梅を代表してとんど祭のお焚き上で天に帰ってもらう。

御仏前に線香と蝋燭と一緒にお花をお供えすることは、仏事の一つとして欠かせない大事な意味がある。
本堂の須弥壇には、木製金箔の蓮が一対お供えされてある。宗門の場合、それに季節の切花を添えてお供えするのだが、その決まり事は住職の考えや代代の引き継ぎなどで寺ごとに違っている。
万善寺先代の場合は、だいたい1週間に一度位を目安に季節の状況を見ながら花の入れ替えをしていた。先代がまだ元気で日常の買い物などが自分でできていた頃は、そのついでに花入れの数分ほど季節の花をドッサリ買って帰って、自分で入れ替えをしていた。一般在家のお仏壇へお花をお供えするようなイメージとは全く違って、本堂から庫裏まで全てのお供えを総入れ替えした後の大量のお花は、その捨て場所が決まっていて一箇所に集まって山になる。私は、少年の頃から時々住職の指令で花の入れ替えをしていたのだが、実はソレがとても嫌だった。シーズンが春から秋にかけては花入れの水とか廃棄された花の山がすぐに腐って、その匂いが万善寺中に広がる。慣れてしまうと気にならないのだろうが、時々お参りがあったり近所の用事で来客があったりすると、その人達は絶対に腐った匂いを敏感に感じていたはずだ。

先代から住職を引き継いだ頃から、少しずつジワジワと花入れの様子をシキビに変えてきた。飯南高原はシキビを仏花にする習慣が根付いていないから、はじめはお参りのお檀家さんも須弥壇や位牌堂の様子が地味になったことに違和感があったようだが、今はソレもなくなって、少しずつ在家のお仏壇へもシキビが浸透し始めている。
シキビは、一方で毒花でもある。お墓花に使われるのは、昼夜の動物に仏花が悪さをされないようにする意味もあるし、何より丈夫でいつまでも緑でいてもらえるからでもある。

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背中が熱い 

2020/01/07
Tue. 23:20

「夕べ7℃でしたよぉ〜。あたたかいですがぁ〜・・」
お通夜のはじまる前にお茶を用意してくれたお手伝いの奥さんがそう言っていた。
確かに、この2・3日は雨は降っているがあたたかい・・・というより、雨が降っているからあたたかいといったほうが良いのか??・・・とにかく、なにか、とてもおかしな冬だ。
「わたし、嫁に来てから雪のない正月はじめてですぅ〜・・」
お手伝いの奥さんよりどう見ても年上だろうボクでも覚えがないことだから当然のことだ。
「昭和38年の豪雪の時は、うちの方でも2階から出入りしてましたけぇ〜ねぇ〜」
「そぉ〜そぉ〜、寺も本堂の屋根から参道まで雪がつながってスコップをソリにして遊んでましたもの」
「もう、あれくらい降ること無いでしょうねぇ〜・・、ありますかねぇ〜・・」
「さぁ〜・・どうでしょぉ〜かねぇ〜・・だいたいに最近はずいぶんとあたたかくなりましたからねぇ〜」
「大万木山がまだ白くないですけぇ〜・・」
この時期のお通夜で雪がまったくないことは副住職時代も含めて経験がない。
夜は冷え込むかもしれないと思って白衣の裏へホッカイロを3個も貼り付けておいたのだが、全く効果がなくてむしろお経を読んでいる間背中が熱いくらいだった・・・

節分の前後にやってくる節分寒波があるから、それなりに雪の覚悟はしておかなければいけないことだが、それにしても楽な冬の葬儀になった。お手伝いの自治会の皆さんも助かっていることだろう。
亡くなったおばあさんのご主人は、電工さんだった。
私がまだ小学生だった頃はまだご主人もお元気で、万善寺のお年始会へお参りもされていた。それこそ、昭和38年の豪雪前後のことだから、毎年のようにものすごい量の雪が降っていた時代だ。
子供ながらによく覚えているご主人のお話がある。
たまたまのめぐり合わせなのだろうが、それからずいぶん経って私が学校の先生を早期退職する少し前に、別の電工さんから同じ話を聞いた。
「若いヤツはとにかくヤルことがザツだから危なくて見てられない。一つ間違えば自分の命が無くなるような危ない仕事をしているという自覚が薄いから、よく怪我もするし、すぐにバテてアゴを出す!」・・・というような内容のお話。
電工さんといっても色々な現場の仕事があるだろうが、いずれにしても高所での作業もあるに違いない。万善寺は山寺だから、昔は周辺に山仕事の林業従事者も多くて、植林の間伐材の下敷きになったり枝打ち作業中に転落したりと、仕事中の事故で亡くなる方も多かった。年回の法事を繰り出すときも何人か事故死があって、みなさん若死にだ。ちょっとした気の緩みがあったのかもしれない。
このたびのおばあさんは、30年も前にご主人を亡くされていたが、そのご主人は病死だった。それからまだ小さかったお子さんを女手一つで立派に育てられた。荼毘のお別れのすすり泣きにつられて、不覚にもお経の声が少し震えた。

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不戯論 

2020/01/06
Mon. 23:19

冬の雨は、冷たいと云うより暖かく感じてしまう。
いつもなら雪になってもおかしくない今の時期に、夜中暴風雨が吹き荒れて眠れなかった。
万善寺の南側は昔ながらのガラス戸が雨戸代わりに建てられている。それが強風にあおられてものすごい音で、耳について耐えられない。
結局、一晩ほとんど眠れないまま夜が明けた。
ワイフが留守番している吉田家のことも心配なので電話してみると、石見銀山も一晩中強風が吹き荒れて、雨もかなり降ったらしい。飯南高原で雨だから石見銀山も雨なのはわかったことで、どちらかといえば風の方が心配だった。
「少し前から目は覚めてるんだけど、シロも一緒にまだ布団から出てないの。ゆうべはあめかぜがものすごくて寝れなかったわよ」
どうやら、石見銀山も似たようなものだったらしい。それにしてもワイフが眠れなかったと云っているくらいだから、かなりの暴風雨だったのだろう。

いつもの朝の用事を片付けていたら、電話が鳴った。
「お母さんが今朝亡くなりました・・」
年が変わって最初のお葬式ができた。
先日、年始回りをした時に、正月早々珍しく庭先に車も無くてひと気がなかったから「子供さんのところにでも行ってお正月をすごされているのだろうか?」とチラッと思ったが、認知症が入って目の離せないおばあさんも一緒に出かけることもないだろうと、その考えは一瞬で消えた。年末に寺の配りもので巡回した時、おばあさんの容態が思わしくないということを聞いていたから、病院の付添で留守なのかもしれないと勝手に理由を決めて納得していたのだが、それが今訃報の知らせを受けて本当のことになった。食事が喉を通らなくて、年越しも病院の点滴が命綱になっていたようだ。
死生観の事は法事の度に繰り返しお話しているからそれなりの覚悟はできていたと思う。
今の施主さんはご主人を先に亡くされ、その後は、おばあさんの介護も目が話せなくて嫁の立場でかなりの苦労だったようだ。
おばあさん自身もご主人を早くに亡くされていて、少年の私が夏の棚経で訪問する頃にはすでにご主人はお位牌さんになっていた。親子二代、男子が短命だったことになる。
雨の中、枕経を読みに出かけた。
お葬式から四十九日までこれからしばらくの間、坊主家業が絶え間なく続くことになって、春の彫刻展に向けた制作の日程計画を少し修正しないといけなくなった。

不戯論~ふけろん~
人の命は必ず限りのあるもの
我身はなによりかわいいもの
自分の利益が他人の不利益になったり・・
自分の行為や言葉が他人を傷つけたり・・
自分の我欲で他人に押し売りしたり・・
精一杯正しく思いやり限りある命を全うしたいものです

10~12月印刷原稿2020

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火鉢 

2020/01/05
Sun. 23:27

万善寺住職の単身赴任が昨年末から続いて10日目になる。
気楽なオヤジの一人暮らしで特に不便や不具合は感じないが、市街地のようにちょっと歩けばスーパーやコンビニがあるというような生活の便利さはないから、食料品の買い物はちょっとだけ計画的に頭を使っている。
お正月前後は夏のお盆の時期より周辺が寒いから生鮮食品の保存が効いてそれで少し助かる。もっとも、今年のような暖冬だと参道の雪の心配もなくていまのところいつもと変わりない日常生活ができて、知らないうちにそれに慣れていたりするのが怖い。
これから2月の節分や立春を迎える。
島根県の飯南高原はちょうどその頃に強い寒気が南下して一気に寒くなって大量の雪が降る。それを乗り越えれば、3月の桃の節句あたりに水分をたっぷり含んだ重たいぼたん雪が降って、その後次第に春めいてきてお彼岸前後のなごり雪が降って消えると、それから一気に春が来る。

1年に2回、半年ごとに香炉の掃除をして灰をふるいにかけて入れ替える。
冬は年末にそれをして大晦日の法要からきれいになった香炉へ線香を立てた。
香炉掃除の時、ついでに火鉢の灰をチェックしたらしばらく使っていない間に湿気を吸ってシットリと固まっていた。
この近年は、厳しい寒波が続いていたので火鉢を使うことがなかった。
強い寒波が来ると灯油やガスや電気ストーブにエアコンや電気コタツと万善寺にありったけの暖房器具をフル稼働させて隙間の多いガタピシ庫裏へ篭って暮らす。
今年のような暖かい冬は電気コタツ1つで昼間を乗り切り、朝夕に灯油ストーブを使うくらいで済むが、一日中コタツに潜ってジッとしているわけにもいかないから、部屋全体をほんのり温めるために火鉢を使う。
暖房効果はそれほど期待できないが、それでも火鉢に炭があると何かと都合が良い。
ヤカンをかけておくとコーヒーやお茶などで直ぐにお湯が使えるし、お餅を焼いたりおでんの鍋を温めたり夕食の寄せ鍋とか湯豆腐とか、そういうちょっとした鍋料理もできる。

「アンタ、火鉢使って一酸化炭素中毒にでもなったらおしまいよ・・大丈夫?」
火鉢など江戸っ子のワイフにとって縁の無いモノだっただろうからその心配もわかるけど、確かに、マレーシア産のバーベキュー炭は使っている木のせいか、それとも炭の焼き具合が悪いのか、庫裏の玄関先までなんとも言えない煙臭さが充満してしまうが、かえって部屋中にそのくらいの炭臭い煙が漂っている方が虫退治にもなって都合も良い。
万善寺は今時の2✕4住宅のように建て付けが良いわけでもないから普通に自然換気で乗り切れているし、昔ながらの日常生活が今に続いて残っているだけのことだから自分はそれほど気にもしていない。
典座寮配膳室には床下に囲炉裏がつくってあって、昔は仏事行事のたびにその囲炉裏を使って煮物などをつくっていた。
今は囲炉裏へ火を入れることは無くて豆炭や炭の収納庫にしている。
これから飯南高原で温暖化が進むと、そのうち冬の暖房を兼ねて床下の囲炉裏が再稼働するかもしれない。

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修智慧 

2020/01/03
Fri. 22:03

正月3日で新年の祝献朝課法要がひとまず終了した。
流石にほぼ徹夜状態が3日も続くと身体に応える。毎年変わらないことだからとにかく体調を整えて寿命の続く限り乗り切るしか無い。

2日の檀信徒新年会は例年並みで15名のお参り出席だった。檀家総数も実質50軒を切って、万善寺の運営もいよいよ風前の灯となってきた。この調子で行くと、お参りがひと桁になる日もそう遠くはなさそうだ。
もともと自分の性格は営業向きではないから、今になって万善寺の運営を立て直そうなどと夢や理想を持っているわけもなく、まぁ「人生なるようにしかならない・・・」くらいの気持ちでジタバタすることもない。贅沢をしなければ、万善寺の運営も自分の年金と彫刻の売り上げを切り崩していけばなんとか1年を乗り越えるくらいはできているが、それもいつまで続くかわからない。新年早々、気分の滅入る現実を心配してもどうなるものでもないから、そういう悲観は考えないように決めている。

それにしても、良い天気が続いている。もう3日も連続で雨雪がない。
保賀地内の年始回りも、いつもだったら早朝に寺を出かけて雪をかき分けて戸別訪問して一巡してやっとお昼前くらいに寺の参道を登るくらいになる。今年もそのつもりで9時前に寺を出たら、何の苦労もしないで簡単に呆気無く1時間位で年始回りが終了した。地球全体はどうかわからないが島根の飯南高原では確実に温暖化が進んでいる。
年始回りの世間話でも雪のことが話題になった。冬の今の時期に、春から夏にかけての農繁期で田んぼの水が心配なのだ。自然の天気を相手にして水の心配をしてもどうなるものでもないことはわかっているはずなのに、それでも心配をしない訳にはいかない農業の現実が目の前にぶら下がっている。
坊主のお寺参りの心配と農業の水の心配では要因の接点もなんにもなくて比べようもないことに思えるが、実はまんざらそうでもないことでもある。地球の環境変動を前にして人の知恵や行動など取るに足らない「些細な抵抗くらいのことだ!」ということが、おおよそなんとなくわかっているから諦めもついて踏ん張りも効く。物欲のダメージはそれはそれでそれなりに辛いが精神のダメージより回復が早い。
人は我が身の非力を自覚した時、それまでの自分から少しだけ強くなれる・・・そういうことを、日常の暮らしの現実を通して少しずつ学習しているのだ・・・ということ。
日常で四苦八苦と対峙しているのは坊主の修行だけではない。この世の人全てが四苦八苦と向き合って生きているはずなのだ。

修智慧~しゅうちえ~
知識は教え教わることの積み重ね
知恵は考え工夫し身につけること
知識が増えれば知恵も深まり
知恵が深まれば心が豊かになる
心が豊かになればものの道理がみえる
物事を正しく判断し見極められるようにありたいものです

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7~9月印刷原稿2020

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修禅定 

2020/01/02
Thu. 23:26

新年2日目の祝献朝課法要が終わったのは深夜の3時だった。
大衣を脱いでいつものヨレヨレトレーナーに着替えて、寺のシアタールームになっている6畳リビングの火鉢の炭をつついて豆炭を補充したり、現在の寺務所になっている3畳で年始会にお参りの皆さんへ配る万善寺オリジナルカレンダーへ手製ののし紙を巻いたり・・・色々な目先の用事や細々とした積み残しの事を片付けていたら、あっという間に1時間が過ぎた。
ワイフが寺で泊まるときには、いつもボクが使っているベッドを提供している。
今の時期、寝る少し前に電気敷毛布のスイッチをONしておくと、ベッドへ潜り込んだときに包まれるほのかな暖かさが気持ちよくて一瞬で睡魔がやってくる。底冷えする寺の冷え切った夜に、こういうなんとも例えようのない温々さ加減が寒い時期の醍醐味だ。
そういうオヤジの一人暮らしで数少ない至福のひと時をワイフへ提供しているわけで、どれだけ彼女を大事に思っているかがわかってもらえるはずなのだが・・・普通は・・・その彼女が、早朝に近い夜の私のドタバタで不機嫌そうに目を覚ました。
一区切りついたら仮眠くらいはとろうと思っていたところだったのに、自分の都合で彼女を起こしてしまった手前、入れ違いに寝ることもできにくくなって、そのまま用事の続きをしていたら長い夜が明けた。
庫裏玄関の鍵を開けたついでに境内へ出てみると、朝日が薄く広がった空の雲をほんのりとグレーに近いコーラルレッドに透かしている。
今年の万善寺年始会は近年になく雪一つ無い過ごしやすい1日になりそうだ。

本堂での檀信徒正月法要と新年会に向けて巨大な業務用灯油ヒーターを点火した。こうして、朝のうちから温めておくとお昼に新年会が始まる頃には適度にちょうどいい加減で本堂の冷え込みがやわらぐ。
それから現在ボクの寝室になっているドームテントへ潜り込んで1時間ばかり仮眠した。

住職の新年挨拶は、今年のカレンダーにした八大人覚のことにした。
万善寺のような極小規模の山寺でも、宗教法人を運営経営する組織の決められた寺務を一通りこなさねければいけない。昨年は会社でいうと定款規約のような寺務の運営規程に即して数年に一度巡ってくる書類の更新や報告業務で苦労した。ナンチャッテ住職でも一応建前上代表責任役員であるから、大規模寺院だと役僧がするような寺務も全て一人でこなしてアチコチ関係者に頭を下げて実印をもらって歩いた。
国の定めた法人業務を遵守して遺漏なくコトを進めるのも大変だ。

修禅定~しゅぜんじょう~
種々の情報が氾濫するこの世の中
気がつけば知らないでも良いことまで知ってしまう
ねじれてゆがんでなかなか住みにくい世間
せめてほんのひと時だけでも
浮世の塵や埃や垢にまみれた我身を洗って
静かに心穏やかに過ごしたいものです

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4~6月印刷原稿2020

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年々好日々好 

2020/01/01
Wed. 12:16

謹賀新年!
佛紀2586年、令和2年元日の万善寺は穏やかな朝となりました。

12月31日は朝から雪の1日となって、やっといつもの冬が戻ってきた感じだったが、上空の薄い雲から保賀の谷へ舞い落ちる雪は結局夕方から夜になっても本格的に積もることはなかった。
年が変わる少し前から本堂や庫裏の其処此処へお蕎麦や湯茶のお供えをし、太鼓を叩いて令和元年最後の祝献祈祷のお経を唱えた。
それから割れた銅鑼の音梵鐘を三分の一ほど数えながらついてワイフとじゅん君に引き継いで任せたあと、新年のお水取りをして湯茶に沸かし本尊様へお供えした。
大衣に着替えて、本堂から庫裏のお仏壇等を巡って最後に典座寮を守ってくださる韋駄天さまへお参りをして約二時間続いた元日の朝課祈念法要が一段落したのは、朝の3時過ぎだった。
特に冷え込むこともなく、在家住職業就任以来1・2を争うほど楽な祝献法要になった。
この早朝(・・といっても真夜中だけど・・)の法要は正月3日まで続く。

日頃は万善寺で気楽なオヤジの一人暮らしでいるのだが、お寺のお正月とお盆の数日はワイフが手伝いで泊まってくれる。それに、じゅん君も年越しから正月にかけて寺へ泊まって除夜の鐘とお檀家さん年始会を手伝ってくれる。
まだ先代住職夫婦が元気で吉田家の子供たちも小さかった頃は、寺の寺務作務法要等をしながら在家と変わらない賑やかなお正月だったが、子供たちが成人してからは現在のような何時もと変わらない住職業務中心の粛々とした日々が過ぎる。
別段忙しいわけでもないが、大晦日と元日は年が一つ変わるという改まった節目でもあるから、何時もの日常の連続とは違って見た目も気持ちも目先の現実と向き合ってとても具体的に切り替える必要もあって、それが少々あわただしい。

「忙しい忙しい・・って言いながらコーヒー飲んでる隙があるんだから、まぁその程度のもんサ。本当に仕事のできる奴は(忙しい!)なんて口に出さないもんヨ・・」
上京した18歳の秋、まかない飯目当てに始めたお昼の1時間だけのバイト先のマスターがカウンターの換気扇下でタバコを吸いながら皿洗いのボクに向かって独り言のように耳打ちしたことをよく覚えている。
お昼のランチもある珈琲屋に近い喫茶店は、丸ノ内線新宿三丁目と新宿御苑のほぼ中間にあった。中小の企業が同居する雑居ビルがたくさんあって、甲州街道が靖国通りと合流するあたりには世界堂新宿店があった。要町には末広亭があって、近くの厚生年金会館ではジャンル問わず何かしらのライブコンサートがあった。近くは新宿二丁目で、途中にストリップ劇場もあった。サラリーマン諸氏から夜の仕事が終わった二丁目のお姉さん方や、時々ストリップの妖艶な踊り子さんたちもコーヒーを飲みに来店していた、そういう喫茶店だった。
マスターが入れるコーヒーで、はじめて珈琲の旨さを知った。それと「~忙しい!~は云わないようにしよう!」と決めた。でも気付かないまま口が滑ってしまってるけどネ・・

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冬の簾 

2019/12/08
Sun. 23:52

皆さんご存知のように、私は本業彫刻家で家業住職坊主で実態はヒトギライな引きこもりニートオヤジ・・・といったところですが、一方、毎日刻々と日が短くなって冬至やクリスマスが近づく、まさにちょうど今の時期がとっても好きでウキウキしてしまうのです。
ようするに、微々たる一日の用事をアレコレと言い訳を用意しながら先送りしつつ、昼間からダラダラ自堕落にニート暮らしを続けているオヤジにとって、昼間が短く夜が長いという1日はかけがえのない至福の1日であるというわけなのです・・・

積雪にもならない雪がパラリと降ってすぐ消えたあと、今の時期にしては珍しいほど晴れの日が長く続いている。
晴れの少ない冬の日本海側で外仕事には絶好の良い天気がここまで長引くと、日頃怠け者のボクでも流石に何もしないで毎日ゴロゴロしているわけにいかなくて、朝から夕方まで境内をグルグル回りながら庭木を刈り込んだり雪囲いをしたりして過ごしている。
もう、かれこれ10年くらい前からシーズンになるとしぶとく使い続けていた簾が、今年の夏の終りになってついに編糸がバラバラにほつれ始めた。それでも風化の具合がそのまま捨てるには忍びないほど渋いものだから、なにか他のことで使えるかも知れないと丸めて土蔵へしまっておいたのをフッと思い出して、黒竹の雪囲いで使うことにした。

昨年までは、土蔵の雪がずり落ちる丁度真下に自生する黒竹が気にはなりつつ、これといって何をすることもなく自然の再生に委ねてばかりだったのだが、流石にほったらかしのままだと年々勢いが無くなってこのままだとそのうち絶えて自然消滅するのがみえはじめてきた。
丁度運良く春の筍の時期に入院して寺を長期間留守にしていたのが幸いして、住職の手が入らないままアチコチから芽を出した黒竹の筍がのびのびと成長した。大きくなって葉を広げた若竹を見ると、それなりに殺伐な境内の風景に少しばかり風情が感じられたりしたものだから、これからしばらくは「チョット手厚く育ててやっても良いなぁ〜・・」と思うようになって、今度が彼らにとって初めての試練の冬になる。
若竹も1年を無事に乗り越えれば2年目から少しずつ繊維も丈夫になって特有の黒光りも艶が増してくる。
廃棄処分同然の簾がどれほど雪囲いの役に立ってくれるかわからないが、無いよりはマシだろうと、朝課のお経が終わってから庭へ出た。

12月になって小品彫刻展の会場はCloseが17:00となった。
陽が短くなって島根の田舎では観光の足も早くから途絶えるし、営業の経費削減も考えなければいけない。それで、彫刻会場の受付も17:00少し前には電源を落として入場を止める。このところ、通勤坊主で寺からの出発が遅れて会場のCloseに間に合わないことが続いていて、ショップのスタッフさんに迷惑をかけてばかりで恐縮する。
今度15日の夕方から石見銀山の近所から出品の彫刻家が集まって慰労や情報交換を兼ねた忘年会のような集会を持つことにした。作家の皆さんへ告知したところ、暮れの忙しい時期なのに四国の松永さんが駆けつけてくれることになった。宿泊の手配も出来たし、当日まであと1週間足らずになった。今から楽しみだ。地酒の新酒でも探してみよう・・・

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初月忌 

2019/12/06
Fri. 23:24

雪は境内に少しほど残してあとはすっかり消えた。
ひとまずシーズン最初の寒波が去ったようだ。
万善寺の庫裏はアチコチ隙間だらけで、立て付けの悪いガラス戸1枚で仕切られただけの外の気温と殆ど変わらなくて寒い。
潜り込んでいた布団のぬくもりが恋しくてなかなか起き上がれないままグズグズしていたら知らない間に二度寝をしてしまって、9時過ぎには初月忌のお経を読みに出かけようと思っていたのに寝過ごして遅刻してしまいそうになった。
寒いなどと言っていられないから、急いでハンガーに掛けてある冷え切った襦袢や袷の着物を着た。

早いもので、おばあさんの訃報を聞いて枕経を読んでからもう1ヶ月が過ぎた。
初月忌は、祥月命日の次の月に巡ってくる、初めての月命日を云う。地域や寺の事情によっては初月忌のお経を割愛するお寺もあるようだが、万善寺の場合は施主家の要望があれば伺うようにしている。それでも、前住職から私に代替わりした頃にはすでにその習わしもほとんど消えかけていて「初月忌はどうされますか?」と聞くと「ソレなんですか??」と聞き返されたりすることが殆どになっていた。意味の説明をしていると、話の途中で「ソレいいですわぁ〜、どうせすぐに七日が回ってきますから・・」と辞退される。四十九日までの七日ごとのお参りと、初月忌のお参りはその趣旨とか意味がぜんぜん違っているのだが、日常の我が身の生活に手一杯で「そういう仏事の一つ一つへ律儀に付き合うだけの余裕が無いので・・・」という面倒臭そうな様子がモロに表情へ出ていたりすると、その程度の信心へいちいち付き合うことも面倒になって「あぁ〜そぉ〜ですか。じゃぁ〜オタクでお供えしてもらって、舎利礼文くらいは読んであげておいてください・・・」と、サラリと流してしまう。
万善寺くらいの規模の寺で、葬式坊主とか法事坊主を決め込んでセッセと坊主営業を勤め上げても、ソレだけで我が身の日常生活が普通にできるわけでもないから、せめて寺に居る時くらいはできるだけ本来坊主の大事な勤めである修行三昧とガタピシ山寺の維持管理の作務に励むことを大切にしようと心がけている。

それで、滑り込みセーフで初月忌のお経を読むことが出来たあと、世間話をしながら帰り支度をしていたら「ちょっとまってくださいね、お膳のスパゲティーたくさん作りすぎたんで方丈さんのお昼代わりにしてもらおうと思って・・・今持ってきますから・・・」と、あらかじめ準備してあった様子のラップで包んだお弁当を頂いた。丁寧に割り箸まで添えてあって、ラップ越しにサラダや香の物も見える。
「おばあさん、食べることが本当に好きだったから・・・味付けが薄いと思いますから・・・濃い味のものがあんまり好きじゃなかったものですから・・・」
むすめさんはこうして節目のお膳を料理しながら生前のおばあさんの好みをなぞっていらっしゃるのかも知れない。まさに、おばあさんのお膳のおさがりを頂いたふうで、むすめさんの信心の気持ちが手にとるように伝わってくる。
四十九日まで続く仏事で、これほど坊主の気持ちが和むことはめったに無い。
お昼は、自然と背筋が伸びて手作りのお弁当に手を合わせて合掌した。

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柿の色づく頃 

2019/10/23
Wed. 17:17

秋のスズメバチがしきりにミツバチの巣を襲撃している。
巣を追い立てられたミツバチたちの羽音が境内まで響いて聞こえる。
なんとかしてやりたいと思うが、コレばかりはどうすることもできない。
境内の石垣から土蔵の床下あたりにかけてミツバチが巣を作ったようで、石垣下の用水路脇を草刈りをしていると、何年か前からそのあたりでしきりにミツバチが飛び交っていた。
今年はその巣もついにスズメバチに見つかってしまった。

六本木の展覧会で陳列作業をすませて島根へ帰ってから、それまで台風や彫刻制作で途絶えていた寺の作務を再開した。
作務といってもほぼ全てが秋の草刈りの野良仕事。
元々寺の田圃だったところを畑に切り替えたあと、母親の俊江さんが元気だった頃は毎年耕し続けて季節の野菜を育てて収穫をしていた。
それから何年かのうちに俊江さんは腰が曲がって身体が思うように動かなくなり始めると、畑の半分を使って花の木を植え始めた。
最初の頃は毎年時期になると自分で剪定をして、それなりに見事な花を咲かせていたが、それも永遠に続くわけもなくて、身体が動かなくなって畑へ降りることができなくなると一気に蔦がはびこって人手の入り込む隙間も無くなった。
一度、俊江さんが畑の野菜も少しずつ自分で面倒を見ることができなくなって来た頃に、少しでも助けになればと草刈り機を振り回したことがあった。そうしたら「大事に育てている花木も一緒に刈り倒されたら嫌だ!」から「いらない手出しをするな!」と小言を言われた。
親切のつもりで始めたことに小言を返されるのも良い気がしないし、それ以来、何年も見て見ぬふりで母親の世界へ踏み込まないでいたツケが、この近年重く自分の肩と腰にのしかかっている。

春に俊江さんの三回忌を終わったら「さすがにもうそろそろ自分の思うようにしてもいいだろう」とあれこれ思案を巡らせていたら、なんのこともない、5週間の入院騒ぎで出鼻をくじかれた。
もう、こうなると自分の意地のようなものもあって、とにかく年内に少しでも俊江さんの花木を根絶やししようと励んでいるところだ。
もう5リットル入りの油缶へ2回ほど給油したが、未だに先が見えなくて遠い。
そろそろ展覧会も終わるし、今度は搬出でしばらく留守にするし、ソレが終わると石見銀山で小品彫刻展がはじまって、徳島の野外彫刻展の搬出もある。

だいたいが年中ヒマにラクにマイペースで過ごしているところなのに、さすがに今年は少々忙しい。
長い人生、たまにはこういうこともあるのだろう。
一汗流した後の麦とホップを楽しみにすれば、ナンダカンダいっても酒が旨い!と思って飲めているだけでもありがたいこと・・・ではある!

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風が強い 

2019/09/07
Sat. 09:59

風が強いのは台風のせいかもしれない・・

万善寺の庫裏は昔ながらの木枠製ガラス窓がそのまま雨戸兼用で使われている。それで、少し強い風が吹くと、それはそれは騒々しく彼方此方が賑やかになって、ソレになれないと夜も気になって寝不足になってしまう。
小さい頃は特に気にもしないでいたが、半世紀の間で密閉度の高い丈夫で静かなアルミサッシへ慣れてしまうと、昼のうちはなんとか過ぎてしまうが夜になると周囲のノイズが耳についてなかなか寝られない。
昨夜も夜中にオシッコで目が覚めてから、風の音(というよりガラス戸の音・・)が耳について眠れなくなったものだから、iPad miniのKindleを開いて「村上さんのところ」の続きを読みはじめた。しばらくするとそのうち眠くなるだろうと思っていたが、Kindleを閉じるとまた風の音が耳について目が冴えてくるし、結局眠れたのかどうなのかよくわからないうちに夜が明けた。

寺で暮らすときはだいたい似たような朝の用事を繰り返している。
本堂では太鼓をたたきながら般若心経などのお経を読む。
夏の猛暑が落ち着いた頃から秋雨前線や台風の影響で、湿度の高い日が続いていた。
そういう時は太鼓の革が伸び切ってポコポコと頼りなくたるんだ音になる。
明治後期の十九世代に万善寺什器として新調と記帳されているから、だいたい100年以上打ち続けていて、その長い歴史の間に数え切れないほどの伸び縮を繰り返しながら酷使されていることになる。
つい昨日までなんともだらしなくブヨブヨとして破れ太鼓のような音が続いていたし、お参りもなくてだれも太鼓を聞くこともないから少し加減して打ち続けていた。
今朝もその流れて一打ち叩いてみると、それまでのくたびれた音が見違えるように締まって、歯切れが良い。
先代住職の憲正さんは在職60年の間、コレでもかと云うほど力任せにガンガン叩き続けていたから、場所によっては何時破れてもおかしくないほど薄く消耗していることだろうし、少なくとも自分が在職中は大事にしなければいけない万善寺の歴史でもある。
久しぶりに太鼓らしい太鼓の音がして、気持ちよくお経が読めた。

朝の用事を一通りすませて、朝食代わりでにコップ一杯の野菜ジュースに、今朝は冷やしたそば茶。それに熱々のスープを飲みながらコーヒーを入れた。なっちゃんからのプレゼントで重宝しているネルドリップがくたびれてきた。深煎りのマメはアブラが多いからすぐにネルが目詰まりする。少々寝不足ではあるが、まぁまぁ、平和だ・・・

寺関係の提出書類作成や、継続中の七日つとめに、月が変わって初月忌も巡ってきたものだから、9月に入って1週間ほど寺暮らしが続いている。
お盆月も過ぎて、夏野菜などのお供えも耐えたから、近所のスーパーで広告の品を目当てに缶詰など日持ちのするものを中心に買い出しをした。あとしばらくは法事で頂いた冷凍庫のお餅や赤飯とか本堂から御下がりの素麺で食いつなぐ。

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夏の坊主 

2019/08/24
Sat. 11:16

飯南高原は朝晩が寒くなって過ごしやすくなった。
日の出日の入りも一ヶ月前からすると目に見えて変わってきた。
境内へ舞い降りていたスズメの集団は、保賀の谷に広がる稲の穂へ飛散して姿を見なくなった。
ツクツクボウシが裏山の彼方此方で鳴き始めた。
ミンミンゼミの鳴き声もわずかに聞こえる。
気温の上昇が激しすぎるからか、近年はセミの鳴き声をあまり聞かなくなった。
昔は境内の庭木へセミの抜け殻がたくさん張り付いていたものだが、最近はシーズンに2〜3個しか見かけることが無い。
少し落ち着いて自分の周辺を見渡すと、確実に自然環境が変化していることを実感する。

朝の用事を一巡しても、汗をかかなくなった。
ポットに湯を沸かしてコーヒーの準備をしながらインスタントのオニオンスープを一杯すすった。
5月末に退院してから後、寺にいる時はだいたい朝のスタイルがこんな感じで落ち着いている。
ご飯1合だと3日で完食する。
お供えに頂いた素麺だと1日に一束茹でる。
御下がりのお餅だと食べやすい大きさに切り分けて冷凍しておいたものを2個ほどレンジでチンする。
主食はそのようにして昼食と夕食の時に食べ分けながら毎日が過ぎている。
夏の間は、棚経の先でお布施代わりに夏野菜をいただく。
きゅうり一本やなす二本やピーマン三個に、時々トマト一個くらいを「今日の朝収穫したものですけぇ〜」と新聞紙に包んでおすそ分けをいただく。
一軒一軒はわずかなものだが、その日一日棚経を一巡すると、自分一人で食べきれないほどのひと夏分の食い扶持が集まる。
棚経帰りに、この夏になってはじめて近所の農協スーパーへ寄っておすそ分けでカバーできないタンパク質を補充した。
2割引や半額を探すのだが、鳥や豚や豆腐や練り物など、十分すぎるほどの食材をゲットできた。夏の約1ヶ月半はせいぜい食費が5000円もあれば十分で、かなり助かる。
それに、市街地でお住まいのお檀家さんからはチラホラとビールの詰め合わせがお供えで届いたりして、毎晩の晩酌も不自由がない。
必要経費の出費と云えば、棚経移動の燃料代にお知らせ案内の郵券代、それに生活費の光熱水費がいつもより増えるが、それは節約も限界があるし、仕方のないことだ。

夏の坊主は、なかなか厳しいハードワークが連続する。
しかし、一方で特に贅沢をしなければ生活のゆとりも出来て気持ちが豊かでいられる。
世間の在家のようにお盆休みで帰省の家族親族でごった返す慌ただしさもない。
一日が終って文庫本片手にいただきものをつまみにしてチビチビやりながらノンビリ過ごすオヤジの一人飯もなかなか良いものだ。

朝の用事が終わるとコーヒーでひとやすみ
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頂いた夏野菜が大活躍!
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豚肉は半額、朝どれきゅうりが美味い
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冷蔵庫で眠っていたベーコンを発見!
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塩麹浸けの鳥はチョット油断して揚げすぎてしまった・・・
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シーチキンとあえたいんげんやスープにしたトマトはお供えの御下がり
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飯南高原の夜 

2019/08/23
Fri. 09:04

万善寺の施食会が終わると、飯南高原に点在する諸仏や古墓の供養法要が続く。
どの法要もほとんどが夕方から夜にかけてはじまる夜法要になる。
夜の法要は、それなりにそれなりの意味があってのことなのだが、そのあたりのことをくどくどと語り始めても興味のない人には面倒臭いだけのことだろうからやめるが、昔々は夜の仏事もけっこう多かったということだ。万善寺も、現住職が小僧時代は夜の法要後に盆踊りがあって、狭い境内には屋台も出て、ソレはソレは賑わったものだ・・・

さて、その夏の夜法要のスタートは、薬師堂に安座されるお薬師様の供養法要。
薬師堂のすぐ裏にある小高い山には山城があった。
そのお城を中心にした一帯にはお寺の跡も確認できていて、そのお薬師堂も昔は地域全体で大事にお祀りされていたのだろう、先代住職の頃までには夜法要に周辺から多くのお参りがあって賑わっていたと聞いた。
昭和から平成に元号が変わる頃から周辺願主の世代交代や高齢化が進み、地域の常会を経て供養法要が解体された。結果、お堂再建に積極的に関わった当時の有志のみなさんが残って、小規模なお薬師講として今に存続することになった。
私はそういう地域の事情が落ち着いてからあとになって、彫刻制作で毎日プラプラしていたところへ「せめて夜くらいは坊主の仕事が出来るだろう・・」と先代住職に押し切られて、副住職の業務ということで夜法要へ出かけることになった。まぁ、それまでも副住職という職名のもとで先代の侍者送迎担当を続けていたから、鐘つき坊主が導師に昇格した程度のことだったけど、塔婆回向も引き継いだりしてそれなりに荷が重くなって「気楽ではいられなくなった・・」という、経緯がある。

次はお薬師堂から2kmと離れていないところで、七面大菩薩を中心にお祀りされてある馬頭観音様や地蔵菩薩様など諸仏の供養法要がある。
琴引山を遠望できる緩やかな丘陵にお堂があって、昔からその地域各所へ点在していた野仏さまや個人願主の祈念で建立された仏様や掛け絵仏の観音さまなどが集められて安座されてある。先代住職の頃までは、その諸仏も地域全戸で法要の当夜を持ち回りされながらお祀りされてあったのだが、私が住職を引き継いですぐに、これも地域の常会で法要の継続不能と決着がついて、諸仏に縁深い有志の皆さまが七面さまを中心にした御講を組織されて今に至っている。
こちらの方は、一度法要が解体された機会をもって塔婆回向だけ自然消滅した。そのぶん法要の時間も短縮できて年々棚経の疲れもたまる一方だった私もずいぶん助かった。

法要後の御下がりをいただきながらささやかな酒宴が始まると、誰からともなく自分が小さかった頃からの仏様にまつわる思い出話が始まる。特に計画建てて気にしているわけでも無いと思うが、昔話に花を咲かせながらさりげなく次の世代へ申し送りをされているふうにも思える。とかく親の云うことは「面倒臭い!」が先になって上手く引き継ぎできないことが多い。隣のオヤジにナニカ云われて肝が据わる。
仏教の根本がどうこう難しいことはヌキにして、とにかく、かたちばかりのコトが長く続くうちにだんだんと仏様を身近に感じるようになれれば良いと思う。

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万善寺夏の大イベント 

2019/08/19
Mon. 13:46

万善寺夏の大イベント施食会法要が盛況??のうちに終わった。

午後の2時から施食会がスタートして、終了後塔婆回向をして、約1時間半で法要のすべてが終わる。
ワイフは珍しく前日の夕方に万善寺入りしてくれた。
私の方は、右の首筋から指先まで重くズシリとシビレていて、塔婆を書くのが実に辛かった。
荘厳などの準備は、ジュンくんが半日ほど手伝ってくれて、保賀の檀家さんから紀ちゃんが手伝ってくれた。
棚経の方は15日で前半が無事に終了したのだが、そのあいだの疲労が少しずつ蓄積して庫裏の整頓と本堂の荘厳準備は身体が思うように動かなくてどうなることかと悲壮感も漂い始めていた状態だったから、二人のお手伝いは何よりありがたいことだった。
8月後半になってこれからしばらくは、地域や個人の施主家へでかけて色々な仏様や古墓の供養法要が続く。
荘厳の片付けは、その合間を縫って少しずつ無理のないようにゆっくりと時間をかけて終わらせるつもりだ。

とにかく、年金暮らしが本格的になるのを待っていたように体力がガクリと減退した。
昨年もそれなりに厳しいお盆ではあったが、まだそれなりに一切合切一人で切り盛りできていた。
今年はとても昨年までのようにいきそうもなくて、法要の直前まで途方に暮れた。それでも本番当日をむかえてしまうと、まぁ、それなりになんとかなってしまった。
今までのコトを思うと、寺の彼方此方で見苦しい様子がさらされてしまってはいるが、それはそれで、自分が今できることを精一杯やり遂げた結果だから、それなりに納得は出来ているつもりだ。

ワイフは、法要が終わって後片付けが一段落したところで石見銀山の吉田家へ帰った。
手間替え随喜の方丈さまがたの湯茶などの接待を、ワイフが一人で相手してくれている。
私の方は本堂のアレコレを一人で切り盛りして、その間に法要の導師をつとめている。
方丈さまがたは総勢5人。今年お参りの檀信徒のみなさまは16人で、ことづけが7軒。
なにかと気を使うことばかりだが、総勢20人を相手なら、ワイフと二人で半日くらいはなんとか乗り切ることは出来る。
今更ながらにソコソコよくやっている方だと自分では思っているし、ワイフの働きには頭が下がる。

梅雨が終わってから連日猛暑が続き、先日は島根県を縦断するように大型台風が来た。
田んぼのコメはいつもよりずいぶん早く花が咲いて穂が出て、今はそろそろ穂先が垂れ始めている。万善寺の古古米を食べに来ていたスズメたちが台風に合わせたようにパッタリと来なくなった。アイツラもコメの穂が実り始めたことをよく知っている。不味い古々米より瑞々しく実りはじめの新米が美味いに決まっている。

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台風がきた 

2019/08/16
Fri. 10:11

やっと棚経が終わった!

最終日は大型台風が西日本を通過するということで、前日から行政の防災放送が何度も流されていた。
北に小高い山を背負った南向きの万善寺は、中国山地の南(広島県側)を西から東へかけて台風が通過すると、強風に注意しなければいけない。
保賀の谷を琴引山から強風が吹き下ろしたり、逆に琴引山へ向かって吹き上げたりする風の道になっていて、あまりにも風が強烈だったり、気圧が一気に変わったりするとつむじ風に変わったりすることもある。

まだ、島根県へUターンしてすぐの頃、土蔵のトタン屋根が畑のど真ん中まで吹き飛んでV字にひっくり返った。健在だった前住職夫婦が大騒ぎをして大変な思いをしたが、人力でもとに戻すことも出来ないし、ひとまず雨よけのブルーシートを掛けて当面はソレでなんとか凌ぐしか無いことになった。
そもそも、土蔵の屋根がトタンぶきだというところから本来の土蔵の意味をなしていないような気もするのだが、現住職の私が小学校へ上がる前後の頃までは薄っぺらいソギぶきだったから、ソレよりは少しはマシになったといえるのかもしれない。

さて、棚経最終日の台風は、結局傘を一度も使うことなく午後2時前にすべて終了した。
お盆に入ってからはお檀家さんを中心に棚経をおつとめするが、この近年は高齢者の一人暮らしが増えたり、市街地に家を建てたお子さんがそちらへ引き取られたりなどして、昔から継続している棚経の暗黙のルールのようなものがしだいに乱れ始めてきた。
お経を読んでいる最中に何度も着信が入ったりしてどうも落ち着かない。
移動中に返信をすると「台風で飛行機が飛ばなくなったものですから・・」とか「おばあさんの具合が良くなくて入院することになったものですから・・」とか、そういう連絡だったりして、結局、施主さんの都合にあわせて出直すことになったり棚経のキャンセルになったりする。
それでも、ソレはまだ良い方で、お知らせの棚経案内を郵送しておいても、返信もなく音信不通で家の鍵もかかってどうすることも出来ないという施主家もチラホラと増え始めているし、山寺末寺の住職としてはなかなか厳しい現実にジワジワと締め上げられている。お経が終わってお茶飲み話のついでに、気がつけばお檀家さんを相手に暮らしの愚痴が出ていたりしてドキッとすることが何度かあった・・・坊主にあるまじきことだ・・・反省!

まぁ、そんなこんなでひとまずシビレた身体をダマシダマシ8月の前半をなんとか凌ぐことが出来た。
これから、万善寺の夏本番を迎え施食会法要がある。
身体が思うように動かないから、近所のお檀家さんに荘厳のお手伝いを頼んだ。それから、お墓や参道の掃除も近所の心安いお檀家さんが汗を流してくれた。
これからは、自分で出来ることが少しずつ減っていくのだろうな、きっと・・

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2020-04