工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

おこげ 

2018/02/17
Sat. 23:45

週末からはじまった5つ目の寒波は今までより随分楽で石見銀山は雨だった。
それでも飯南高原は朝から気温も下がって雪が舞っている。
どちらかというと雪には慣れていて相当の積雪でもあまり気にならないで普通でいられるのだが、こんどの冬シーズンはとにかく常に気温が低くて、氷点下がすぐに二桁にまで下がって、それが連日になって、こういうことは今までに経験が無いことだから、毎日の暮らしの対応が行届かなくて、ストレスも溜まるし流石にバテた。
まだ2月の半ばのことだからこれからあと1ヶ月位は断続的に積雪も続くし、まだ春は当分先のことになる。こうして、キーボードを叩いていても、いつも同じことの繰り返しで変換率のレベルがかなり上って、比較的長めの文節が簡単に変換できてしまったりする。

寺では、どうせオヤジのひとりメシだから土鍋で3合ばかり焚いてそれを茶碗5杯分くらいに小分けして冷凍しておく。その小分けの冷凍ご飯がなくなった。
水道水の濁りを点検してもらってから、1日経つ間に少し水質が良くなっていつもの状態に戻りつつある気がする。それでも、飲水や料理に使うにはまだ不安が残るのでご飯を炊くにも最後はペットボトルの水を使った。米をといでガス代に土鍋を乗せて火の加減を調整して軽めのバックミュージックを流してから身の回りの家事をしていたら、ツイツイ土鍋のことを忘れてしまっていて、気がつくとおこげの匂いが漂ってきた。シマッタと思ってガス台を確認すると、土鍋の蓋からは水分が消えていて、かすかに立ち昇っている水蒸気が焦げ臭い。これほどの炊飯の失敗は久しぶりのことだ。水道水の凍結以来、どうも台所仕事が上手く回らなくなっている。

「除雪が国道に偏りすぎていると思うよ。今年は保賀の町道なんて1日に1回除雪が入ったら良いほうだもの・・・」とか、「凍結するから水を出せとか、上水が減ってるから節水しろとか、夜は冷えるから元栓を止めておけとか、そんなアレもコレも一緒に出来るわけ無いだろ・・・」とか、「(○○地区の停電は復旧の目処がたっていなくてご迷惑をおかけしています!)なんて防災放送流されてもそれでどうなるわけでも無いだろ・・・」とか、ワイフに向かって愚痴のような1日の報告のような世間話をしていたら、「あなたが今更そんなこと云ってもどうこうなるわけでもないでしょう!」と一括されてしまった。確かにその通りのことで一人の町民にどうなることでもないから、この事態の改善を待つしか無いことはわかっているのだが、やはり、気持ちの何処かで納得出来ないこともあって、思ってはいても他では言えないこともあるし、身内で云いやすいワイフに甘えてしまっているのかもしれない。
「オール電化住宅大変らしいですわぁ〜」と、役場の代行で水道をみてくれた業者さんが蛇口を点検しながら云っていた。停電で暖房器具使えないし、真っ暗だから仏壇のロウソクつけようと思ったらマッチもライターも無くて、息子の携帯電話の灯りが頼りだったとか・・・「何しろ、あのあたりはマイナス17℃まで下がったらしいですけぇ〜」って、想像を絶する過酷な数日を過ごしたところもあったらしい。
万善寺の場合、暖房はエアコンと電気炬燵と灯油ストーブとガスストーブと火鉢にマングローブの炭を使い分け、ロウソクやマッチやライターは必需品の常設で線香まである。それでも、ガス給湯器と水道凍結で苦労した。便利も程々にしないと先が大変だね・・・

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週末の万善寺 

2018/02/16
Fri. 23:18

1週間がすぎるのが早い。
今までに経験のない氷点下の寒さが続いて、万善寺の上水道から鉄水が出はじめて、それがそのまま1週間たってもまだ収まらないから、もうこのままにしておくのも限界だと思っていたところへガス屋さんがメーターの確認にやってきた。
この1ヶ月の間、ガスの方も色々不具合があったから使用量が跳ね上がって大変なことになっているだろうとビクビクしていたのだが、「この時期にしては、このくらいの使用量は仕方ないと思いますよ」と、手渡ししてくれた検診のレシートを見ると、たしかに思っていたほどの請求額ではなかったので一安心した。ガスに関しては、このくらいの出費は仕方がないだろう。
万善寺の場合、上水道のことはガス給湯器と連動しているし、こんどの寒波で「アレがコォーなってコレがアァーなってドォーのコォーの・・・」と、ガス屋さんに話したら、「1週間も水が濁るのはおかしいんじゃないですか?・・・やっぱり、そういうことは役場に伝えたほうが良いですよ!」と心配してくれた。濁り水が給湯器を経由して蛇口から出てしまうのも故障の原因になって良いことではないと、説明というか、脅しというか、親切というか、話を曖昧なまま済まされたものだから、それからあと、どうも水道のことが気になってきた。
このままペットボトルの水を春まで使うことにでもなったらそれこそ大変だし、これから土・日が入るとコトが先延ばしになってしまいそうだし、とにかく早いうちに役場へ今の状況を伝えておくだけでもしておこうと、お昼前に電話をしてみた。
代表窓口で「上水道のことで相談が・・・」と切り出したら、最後まで話しが終わらないうちに「担当へ切り替えますので少々お待ち下さい」と次に回された。それから次の窓口では「今担当が席を外していますので・・」と切り出されて、そこから会話が先に進まなくなった。「じゃぁ、どうしましょうか?またかけ直しましょうか?」と聞いてみたら、どういう状況なのか、それだけでも聞いてもらえることになった。
役場の担当も大忙しのようだ。
思うように水が使えないと云うだけでも何やら気持ちが滅入ってしまって、お昼ごはんもつくる気がしないし、腹も減っているかどうかわからない感じでいたら、庫裏玄関のチャイムが鳴った。
「役場から連絡をもらって来てみたんですが?」
・・どうやら、電話で少しばかり食い下がったのが良かったらしい。
「連日の水道凍結で担当さんダウンらしいですわぁ〜。症状だけでも確認してこいと頼まれましたんですがぁ〜」と、役場の代行業者さんが来てくれた。
それから、元栓を止めて蛇口を外して分解掃除をして幾つかの対策を教えてくれた。
「とにかく、いまのところ濁りの原因がハッキリとつかめない状態ですから、もう少し様子を見るしかなさそうですね。これから役場へ用事があるんで、その時に今のこと伝えておきますんで・・・とりあえず浴槽に水をためて濁り具合を確認してみてください」ということになった。
週末の金曜日が水道のことで始まって終わった。せっかく浴槽を使うのなら「少々濁ったお湯でも良いや!」と風呂に入ることにした。夕方になって外の様子をみると、俊ちゃんがユンボで境内まで上がってくれていた。こういう時は親切が身にしみて応える。

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万善寺ライフ 

2018/02/13
Tue. 23:05

さすがに、2月の雪は上質だ。
連休明けの早朝に万善寺のお地蔵さん下まで帰ると20cmくらいの新雪が積もっていた。
一晩でその程度だったら良しとしなければいけない。
その朝は4つ目の寒波が去ろうとしていたが、結界君から出ると冷たい風が真横から頬をなでた。
これから約1時間かけて一本道を開けながら参道を境内まで登っていく。

お風呂のカランが壊れているので、参道の中ほどで道開けの休憩がてら業者さんへ電話した。
「今から伺って、寺まで行けますか?」
業者さんも万善寺の立地条件を心得ていて、故障の症状を伝えたら、まずはじめにそう質問された。確かにこの時期、参道へ道があるかどうかは業者さんにとって営業を左右する大事なことだ。
「そぉ〜ですねぇ〜、あと30分もすれば道が寺まで開通します。一本道ですけど・・」
そう答えておいた。

万善寺の庫裏へ到着すると、結界君へ残してある荷物をとりにもう1往復した。それで一本道が少しは歩きやすくなるほどまでになる。カランの方は相変わらず水が垂れ流し状態だった。ガスの元栓を開けるとガス給湯器が反応して垂れ流しの水が垂れ流しのお湯になってしまうのでさすがにそれはもったいないから、業者さんが来るまでプロパンガスは使わないことにした。
吉田家の在庫から2Lの水を2本ばかりもらって来た。上水道の濁りが無くなるまではペットボトルの水でなんとか凌がなければいけない。早速ホーローのケトルに水を別けて、カセットコンロでお湯に沸かした。
九州のIさんからいただいた浅煎りの珈琲をミルに移して、ガリガリと挽いた。
冷え切った台所にケトルの蒸気が充満し、窓ガラスがくもる。
ミルから香ばしい珈琲の香りが立ち上がる。
そのあたりのところで、やっとひと心地ついた。

しばらくしていつもの業者さんが工具を一式担いで重装備で来てくれた。勝手知った様子で長靴を脱いで、風呂のカランを点検して、専用のマイナスドライバーで水漏れが無くなるまでキッチリと閉めて「こりゃぁ〜、もう使えませんけぇ〜、メーーカーへ確認してみますけぇ〜、春までこのまんまで使っとってください」と、説明してくれた。シャワーが使えなくなった。

お昼前に「お寺上がれますか?雪がすごいでしょう?」と、宅急便から電話があった。
「2tは国道から入れないと思いますんで、こちらから出かけます」と打ち合わせして、農協のスーパーまで出かけた。荷物を受け取って、ついでに牛乳とかトマトジュースとか飲み物を中心に食料を買い込んだ。
この荷物を持って一本道を上がらないといけないな・・・1日で一本道3往復はつらい。

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極寒の三連休 

2018/02/11
Sun. 23:07

今年になって2つ目で、2月唯一の法事を待っていたように4つ目の寒波が始まった。
島根県の方は、例年2月が一番寒くなる頃で、冬シーズンでもっとも雪深くなるから、それなりに心の準備も雪対策も出来ているのだが、今年の場合は今までの常識が全く通用しないくらい寒さが厳しくて対策が間に合わない。
「まぁまぁ、大変な法事になりましてぇ〜〜」
「いやぁ〜〜、少々まいりましたねぇ〜。先程も、改良衣に長靴はいて本堂のユキズリの山を越えたところですがぁ〜」
「まぁまぁ、大変なときに法事をすることになりましてぇ〜〜」
「いやぁいやぁ〜〜、祥月命日のことですけぇ〜ねぇ〜、だいじなことですけぇ〜」
「まぁまぁ、ゆうべはマイナス12度まで下がっとりましたがねぇ〜〜」
「いやぁいやぁいやぁ〜〜、万善寺はマイナス10度でしたが、まだ良いほうですがねぇ〜」
・・・なんていう挨拶代わりの会話が延々と続いていたら、
「おかあさん、もう時間がきとりますよ」
と息子さんに耳打ちされて、
「まぁまぁまぁ〜、それわそれわ・・」
「いやぁいやぁ~、それわそれわ・・」
と、あわてて法事がスタートした。
あいにくの天気だったが、たまたまの三連休でもあったので、遠方は岡山県の方から、島根県内でも松江や斐川の方から故人のご親戚やご親族が1周忌の法事へお集まりだった。
近年は、1周忌と云っても、アレコレ生き残っているものの都合で集まりも少ない寂しい法事になることがほとんどなのに、久しぶりに親子孫まで3代が揃って賑やかな法事になった。

万善寺のほうは、かろうじて水道水は流れているものの、水道管の何処かに不具合でもあるのだろう、サビの混ざった鉄水が絶えなくて、風呂をためると温泉のような茶褐色のお湯へ浸かることになった。
とてもそのような水を飲む気にもなれなくて、この際だからと、買い置きの麦とホップを飲料水代わりにしていつも以上に大量に消費してしまった。
夕食の方は、たまたまワイフが幾つかの作りおきを持たせてくれていたので、それをおかずに、冷凍庫で眠っている正月の餅を食べてしのいだ。
こんどの1ヶ月分の光熱水費のことが恐ろしくて不安になってなかなか寝付けないものだからチビチビと文庫本を読み進めたのだが、どうも内容がうまく頭に入らないで気が紛れないので、久しぶり・・・といっても、ほぼ正月ぶりくらいにテレビを付けてみた。そうすると、そこでもニュースで大雪のことが話題になっているし、島根の地方版のケーブル放送では天気情報がしつこく流れているし、もう、今更そんな情報はどうでも良いくらい厳しい現実に直面しているわけで、なにか、寝たのか寝れなかったのかよくわからないまま夜が明けた。
少しでも寺の光熱水費節約になるかもしれないと、石見銀山へ一次避難を決めた。
吉田家のワイフとネコチャンズとグッピーズと薪ストーブのぬくもりが身にしみた。

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氷点下の万善寺 

2018/01/29
Mon. 23:35

アドリブ満載ボーサントリオのセッションが終わって万善寺の玄関先まで帰ると、庫裏の方から何か男の声がボソボソと聞こえていて、すぐ静かになった。
「たしか出かける時に施錠したはずだけど?」少々慌てていたから「カギ閉め忘れたかも?」と不安になって玄関引き戸に手をかけてみるとやはりシッカリ施錠されていた。
それから気になって、法衣の荷物を抱えたまま勝手口の方へ回ってみたが異常なし。
どう思い直しても気のせいではないくらいちゃんと男の声が聞こえていたので、チキンオヤジはドキドキしながら庫裏玄関へ入った。
土間には自分の履物が朝出たときと同じ状態で動かないまま納まっているから、見た目に変わったところはない。庫裏を一巡し本堂を回っても異常なし!・・でホッとした。

お昼過ぎとはいえ、気温は零下のままで、もう1週間位そういう状態が続いている。だから留守にするときは水道蛇口が集まっている台所からトイレ洗面所やお風呂までの水回りは、、蛇口を少し捻って糸状に水を流しっぱなしにして、エアコンや電気ストーブをつけっぱなしにしておく。
万善寺の一ヶ月の光熱水費がどれだけになっているか恐ろしくなるが、背に腹はかえらえない。

高齢になった前住職夫婦が万善寺で暮らしていた時は、他にも数カ所に水道管が回っていて、毎年冬になるとその水道パイプの何処かが凍って、春になって雪が溶けて業者さんに修理してもらうまで漏水が続いていたりした。
先に憲正さんが死んで、残ったおかみさんも身体が動かなくなって2年目の冬にも、同じように漏水がはじまって、この時はその水で庭の雪が解けて境内が見えるまで被害が広がったから、さすがにそのままには出来なくて業者さんに無理をしてもらって冬の間に配管の途中からパイプを切って止水栓を接着してもらった。
来客用の洗面所は永久に使用できなくなったが、今時寺で宿泊も無いし毎年アチコチで漏水することを思うと寺暮らしのインフラを極力シンプルにしておいたほうが都合がいい。
そんな冬のドサクサが毎年のように続くものだから、私が一人暮らしになってからは、少々生活費が厳しくなっても、節約や我慢をしないで、寒いなりに出来るだけ快適に過ごせるくらいの贅沢は仕方がないと気持ちを切り替えたところだ。エアコンを新設したり、ガスストーブをレンタルしたり、バラバラに使い分けていた給湯器を一つに絞って管理の効率を見直した。少々使い勝手が悪くなっても、使用の90%は自己責任で用がすむし、残りは1年に何回かワイフが我慢してくれればなんとかなるはずだ。

約10畳ほどの台所の中ほどに展覧会で使っていた平面の展示パネルを張り巡らせてザックリと二部屋に仕切った。今は、自分の生活を出来るだけその一部屋でまかなえるように工夫しながら寺暮らしをしている。昔から狭い一部屋で暮らすことになれているから特に不便は感じない。着物を脱いで洋服に着替えてお湯を沸かして部屋が少し温まってコーヒーをいれ始めていたら、防災放送がはじまった。役場の建設課から漏水による断水の告知放送だった。あの男の声は防災放送だった。田舎の過疎地は人間が暮らしていても管理がままならないのに、空き家もやたらに多いから漏水が増えても仕方がないことだ。

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ボーサンライブ 

2018/01/28
Sun. 22:20

約1ヶ月ぶりの2時間ソロライブと、夜の部はボーサントリオの1時間オンステージと、2ステージがあって、ナンチャッテ坊主はヨレヨレ坊主になった。

昼の部が終わってお地蔵さん下まで帰ってくると、参道の一本道が3倍の広さになって境内入り口まで続いていた。
近所のお檀家さんの誰かが除雪機で往復してくれたようだ。
いつもの俊ちゃん(といっても、もう80歳近いおじいさんだけど・・)のユンボ身施だったらすぐ解るが、除雪機のこういうことははじめてだから見当がつかない。ソロライブの先で吉川饅頭(隣町に古くからある和菓子の店で、利休饅頭が名物)の一箱をお供えにもらったから、明日は今までのユンボのお礼方々それをもってお伺いをしてみよう。

途中休憩の無い2時間ブッ通しソロライブは、日頃無口に過ごす彫刻家にとってかなり過酷な肉体労働になる。こういうことなら、最初から美術家を目指すより音楽家を目指しておいたほうがつぶしが効いてよかった。
夜の部はボーサントリオのライブだったから少し楽だったが、導師さんは松江在住で、あちらの方はラップのごとく超ハイスピードでお経を読みまくるから、のんびりと暮らす田舎の山寺坊主は舌が回らなくて導師さんのスピードについていくだけでドッと疲れた。
新亡さんは、行年104歳の長寿を全うされた大往生であった。
菩提寺は万善寺ではなくて、隣町の同宗寺院なのだが、亡くなった本人のご親族が万善寺の3代前住職の内室だったから、その縁で若干の交流が続いていた。お盆の棚経でお邪魔すると、毎年のようにその頃からの昔話が同じように始まってなかなか終わらない・・そういうお付き合いが続いていて、このたび副導師のお声がかかった次第。
今の時期のことで、その施主家も万善寺も雪に埋もれているから、枕経や通夜と移動だけでも一苦労だった。

結界くんの自作カップホルダーへ前日からコーヒーを置きっぱなしにしておいたら、一日一晩の間にカップの中で凍りついてしまって、雫一滴も飲めないまま一日か過ぎた。通夜に向かう道中でやっと数滴口に入ってひと心地ついたから、そのまま導師控えの部屋まで持ち込んで、他の二人のボーサンの前でお茶代わりのシャーベットコーヒーをズリズリススッた。葬儀告別式の打ち合わせをして散開のあと、凍りついた路面に結界くんのお尻を降りながら万善寺まで帰って、遅い夕食をつくって食べた。
寒気団はいまだに島根上空へ居座っていて、マイナス状態の気温が連日続いている。ここまでになると、身体の方も寒さに慣れて、寒いとか手足が冷たいとかあまり気にならなくなってきた。寺の用事は薄手の夏足袋に長靴で出かけているが、それ以外はいまだに一日中内も外も素足でいて、なんとも思わない。慣れというものはこういうものだ。

ワイフから珍しく電話が入って何事かと思ったら、クロを病院へ連れて行ったと報告があった。小さい時から膀胱や尿道にかけての欠陥を持病のように持っていて、昨年末からそれが悪化している。ボクのパパも膀胱に病気を抱えて苦労していた。犬のシェパ君も最後は頻尿に苦しんだ。吉田家の男はみんなそうだ。そのうちボクもそうなるのかなぁ?・・

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万善寺ルール 

2018/01/26
Fri. 23:33

土曜日は江津で用事があるので石見銀山へ帰っておくことにした。
いまだに猛烈な寒気団が島根県上空へ居座って、万善寺をすっぽりと包んでいる。
昼間でも−2℃くらいまでしか気温が上がらなくて、深夜には−8℃まで下がったこともある。万善寺でこれだけの寒い冬を経験するのは自分の人生ではじめてのことだと思う。
両親が死んでから万善寺の一人暮らしを続けているが、生まれた時からこの歳になるまで1月1日を万善寺以外で迎えたことがない。坊主という商売柄、こればかりはどうしようもないことで、結婚してからはワイフもこの万善寺ルールへ巻き込んでしまっている。
冬の万善寺には、最低あと2つほど毎年欠かさず守らなければいけないルールがあって、それができなくなった時は、万善寺が無住になった時・・つまり私が死んだ時だと思っていただいて結構だ。
1つは参道の道開け。
寺から道開けをしながら参道を下るか、町道から道開けをしながら参道を登るかの違いがあっても、1日1回は1本道を確保しておかないと雪に閉ざされて寺が孤立してしまう。数年前までは新聞を購読していたから、その配達で毎日寺へ登り降りする1本道を用意しておく必要があった。それで、寺暮らしの両親が高齢で新聞を読まなくるまで毎朝誰かが参道の道開けをすることが日課になっていた。今は、道開けをするものは自分一人しかいないから、こうして石見銀山で朝を迎えると、通勤坊主で町道の脇へ結界君の駐車スペースをつくったら、そこからセッセと1時間位かけて雪をかき分けて万善寺の玄関へたどり着くことになって、それがそのままその日最初の道開けになっている。明日も江津で用事を済ませたらそのまま万善寺へ向かって、参道下から雪中行軍をすることになる。
もう1つは水道の管理。
冬の間は水道の凍結を回避しないと日常の生活が機能しなくなる。もう半世紀も前の小学校時代のことを思い出すと、今年以上の強烈な豪雪の年、まだ万善寺まで公共の水道が整備されていなくて、300m離れた裏山の間歩水を頼りに冬を乗り切っていた。その間歩水が凍結して生活飲料水が何日も途絶えたことがあった。さすがに、子供ながらにその豪雪のことは覚えていて、風呂に入るにも水がないから降り積もった雪をバケツですくって親子三人風呂釜へバケツリレーをしながら風呂を沸かしたし、母親は米を炊くのも料理をつくるのも全て雪を使ってやりくりしていた。その後、公共の簡易水道が万善寺へも伸びてきて水に困ることは無くなったが、一方で、水道管の凍結を予防しないといけないから、それはそれで水の心配をしながら冬の毎日を過ごすことになって、気の抜けない寺暮らしが今まで続いている。今年は、その水道管理に失敗した。私が寺を留守にしていた数十年の間に、水道事情が目まぐるしく変化していた。たとえば、風呂の改修でシステムバスになったり、水洗トイレの新設で合併浄化槽になったり、間歩水のインフラ老朽化で井戸水をポンプアップしたりなどなどで、境内のアチコチに水道パイプが張り巡らされてしまった。今年はその一つのパイプを見逃してしまって凍結させてしまった。もう既に何処かで破裂して水漏れが始まっているかもしれない。
冬の万善寺の一日は特にナニもすることも無いようだが、それなりに手間のかかる維持管理もある。夕方になって3回目の道開けを終わって結界君へ乗り込んでしばらく走っていると、助手席のあたりからカラカラと変な音がしはじめた。気になって確認したら凍っていたボトルのほうじ茶が解け始めていた。寒気に健気に耐える結界君が愛おしくなった。

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万善寺大雪警報 

2018/01/13
Sat. 23:11

町道から参道へ踏み込むと、1mちかく雪が降り積もっていて、2日前に踏み固めておいた1本道の痕跡がかろうじて確認できる程度だった。
新雪の除雪をしながら踏み固めて、人が一人両手に荷物を持って歩けるほどの道幅を確保しながら地道に参道を登って万善寺の境内を目指す。

午前中は江津に用事があって、お昼前にそれが終わって、万善寺のお地蔵さん前に到着したのが12:30だった。
途中のコンビニでお弁当でも買おうか悩んだが、寺の餅を少しずつ消費しているところで、弁当は「贅沢すぎる!」と空腹を我慢することにしたのだが、目の前の積雪の状況を見て、それを少し後悔した。使い古してボロボロになったプラスチックスコップを使って一本道を造り始めて、それから2時間後・・・やっと、本堂西側の基礎石まで到着した。
その間、絶え間なく雪が降り続けて、時々後ろを振り返ると、先程踏み固めた長靴の後がもう消えている。

予報では、飯南高原一帯、こういう状態が日曜日まで続くらしい。
正月の月半ばまで雪の全くない日が続いていたが、それからとんど祭りに強風が吹き荒れて、その後一気にこの状態だから鈍り切った身体が除雪の重労働に耐えられないで悲鳴をあげている。
庫裏玄関の板の間へ立つと、冷え切って真っ赤になった足の指が触感を失って思うように歩けない。
フラフラしながら荷物を移動して、すぐに本堂へ回った。ひと気や火の気のない本堂中央へ、片付けておいた業務用の灯油ストーブを移動してスイッチを入れた。せめて夕方まではこうして本尊様や仏具荘厳を少しでも温めておく。
それから、風呂にお湯を入れ始め、縁側で冷たくなっていた洗濯物を取り込んだりした。
お湯の具合をタイマーが知らせてくれたので、まずは冷えた身体を暖めることにした。
頭にバリカンを当てるのは1週間ぶりになる。僧堂で修行の時は、基本的に4と9の日にカミソリを当てたりすることになっているが、在家坊主の日常ではそれを守り暮らすのも堅苦しいことで、私はだいたいその時々の事情の中でやりくりしている。

そうこうしている間も雪は絶え間なく降り続いていた。
結局、気がつけばお昼ごはんを食べ損ね、江津へ出かける前にワイフが用意してくれた肉まん2個で1日を乗り切ったことになった。
切り餅4切れを2回にわけてレンジでチンした。今日は、そうしておいてから鍋に入れて簡単な味付けをしたスープに浸してグツグツ煮込んだ。いつも同じように食べているとさすがに飽きるから、その日の気分で餅を使い変えながら食べて消費している。おかげで、正月から半月で2kg太った。昨年から、寺の一人暮らしが増えて、そういう食生活のこともあって、数十年ぶりに少しずつ痩せ始めていたところへ、正月早々から餅づくしの贅沢が続いている。固くなった餅は、お皿にラップを張ってオリーブオイルを垂らした上に乗せてレンジでチンすると、早く柔らかになるし、ベタベタと張り付かないで都合がいい。
餅の消費で苦労している方は、一度試してみてくださいネ♡!

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飯南町大雪警報発令! 

2018/01/10
Wed. 15:46

参道下のお地蔵さん脇から、雪を踏み固め、かき分けながらひたすら坂道を登り続け、庫裏の玄関へたどり着くまで1時間はかかったと思う。

徳島の展覧会が終わって搬出したあと、前は万善寺の畑だったところへ置いた彫刻が、積雪の定規代わりになっている。
昨日から1日1晩で50cmくらいは積もっていた。
結界くんのパワーと、そろそろチビ始めたスタッドレスタイヤでは、この半分くらいの積雪をかき分けるのが限界だ。

こうして雪が降り続ける間は、とにかく万善寺をできるだけ離れないようにしておかないと、何時何が起きるかわからない。例えば停電になったり、例えば屋根からの雪吊りで何かが壊れるかもしれないし、例えば水道管が凍って漏水がひどくなるかもしれない。
・・・それに、最低朝夕の2回は参道の雪かきをしておかないと、それこそ雪に閉ざされて寺が孤立してしまう。
2年ほど前から空き家になった隣の2軒は、生活道路が雪の下になって日常の営みが完全に絶えた。
朝昼兼用の切り餅を2つ食べてコーヒーを入れていたら、飯南町に「さきほど大雪警報が発令されました!」と防災放送が流れた。このままこの調子で降り続くと、明るい間にかるく1mは降り積もるだろう。

とんど祭もおわり、雪も本格的になったから、寒中見舞いの支度に入った。
世間は、喪中のことだからと、年賀状の失礼を良しとすることが多いが、私は特にそういうことにこだわらないで過ごしている。世間的に云うなら、昨年に母親が永眠しているから今年の年賀状は失礼することになる。それでも、年賀状が1年に1度きりの挨拶状になっていることも多いし、こうして、少し時期をずらして何時もの年賀の挨拶を寒中見舞いに置き換えることにしている。
それで、今年の自分への戒めとして「動処静得 苦中楽得」を書かせてもらった。
「年頭の気持ちを忘れないように・・」と、最近は年間通して塔婆の裏書きにすることが増えた。もちろん、時と場合によって色々と使い分けるから、すべての法事仏事をその一節で乗り切っているわけではないが、だいたい、そうすることが多い。墓前のお経を読みながら、その裏書きを見ることで、その年に自分が何を大事に思っていたか解るし、自分の惰性や怠慢を反省することにもなる。
出典は、私のスキな洪自誠さんの菜根譚による。
とかくドタバタと忙しくしてばかりいると心の余裕がなくなってイライラして、それがすぐに顔に出て、結局周りを巻き込んだりして迷惑をかける。
自分の好きなことばかりにのめり込んでいる、そういう毎日は楽しくていつまでも続いてほしいことだが、そればかりでは自分を磨くどころかいつのまにか自分に甘えてしまって、気がつけば周りから取り残されていたりする。
自分にとって本当の「心の穏やかさ」とか「行いの楽しさ」を極めるにはそれなりの努力や苦労が大事ということ。

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三日坊主 

2018/01/07
Sun. 23:12

さすがに餅好きだった憲正さんのようなわけにはいかなくて、手をつくした餅レシピもあまり効果がなく、食べても食べてもいっこうに消費の実感もわかないまま、坊主の餅食が三日坊主で終わってしまいそうな状況だ。
1日に4切れくらいしか腹に入らないし、切り分けた餅はすでに万善寺の冷凍庫からあふれて冷蔵庫を占領している。
いつもは朝食を食べないことに慣れているから、この数日間の万善寺一人暮らしは餅の食べ過ぎで胸焼けが収まらない。まったく、胃薬を飲みながら餅を食べ続ける自分に自分で呆れてしまう。
今の時期のことで、「お供えの御下りですからどうぞ♡!」と近所に配ったりしたらかえって迷惑になるし、正月早々大きな試練に遭遇して悶え苦しんでいるボクなのです。

とんど祭に向けて、しめ縄などの正月飾りや昨年の御札などを集めて、正月の装いを整理した。一般在家とは違って、本堂から庫裏まで各所に散らばった正月飾りをひとつに集めるとかなりの量になる。
午後になってから、時折庫裏の縁側で建具のガラス窓を叩く音が繰り返されて、次第に周辺が賑やかになってきた。万善寺は南向きに建っているから、北風が吹き始めるとその音ですぐわかる。
年末から続いていた気持ち悪いほどの好天も、そろそろ終わりに近づいたようだ。
この2日間は、日中の気温も上昇して夜の冷え込みも和らいでとても過ごしやすかったが、これから爆弾低気圧の接近で天気が崩れることもわかっているし、そうなる前に残った年始回りを片付けておくことにした。
県境を越えて広島県の方から、島根県の雲南市や出雲市との境あたりまでグルリと一周りした。
途中、農協スーパーへ寄ろうとも思ったが、例の餅のこともあるし、食べるものは食べきれないほど豊富にあるから、グッと我慢した。

明日は、朝から保賀のとんど祭があって、万善寺が祈念法要をすることになる。それが終わってからお焚きあげをして、そのまま今年の年始会になる。
保賀は、上中下の3組に分かれている。
上の組は、絶縁や空き家が増えて現在在宅で機能している戸数が5軒だけになった。そのうち、3軒は私のような一人暮らしだから、お祭りとか年始会と云っても随分寂しくなった。それでも、残った住民がなんとかしてこういう年中行事を継続維持して次の世代へ繋いでいかないと地域文化がどんどん衰退して機能しなくなる。
私が少年の頃は、地域の年寄りがやたらと威張って若い世代をこき使っていた。万善寺の憲正さんは、たいして偉くもないのに威張り散らしていた近所の年寄ったお檀家さんから「方丈さん」と呼ばれて別格扱いになっていたおかげで随分楽をしていたが、私の代になったからはそういうわけにもいかなくて、何をするにも地域の皆さんと一緒になって動くようにしている。
大衣も着ることになるし、明日1日というより、せめて午前中だけでも穏やかな天気であってほしいものだ。

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万善寺典座寮配膳室事情 

2018/01/06
Sat. 14:36

本堂が8箇所で庫裏が5箇所。それにお地蔵さん・・・これが、現在の鏡餅お供え総数。
前住職の頃はもっと多くて、その2倍以上だった。
住職が完全交代して私の代になってはじめての正月だったから、それまで母親の目を盗んで少しずつ減らしていたお供え餅の数を、今回一気に絞ったところだ。

今までは毎年正月が過ぎて、お供えの御下りをありがたく頂く毎日が、3月の桃の節句くらいまで延々と続いていた。
憲正さんはお餅好きで、1年中毎朝お餅を欠かさないくらいのひとだったから、正月の御下りも普通に難なく消費できていたが、少年時代からそういう食生活に付き合わされていた正純のほうは、毎朝餅を食べることが仕事のようなものになっていて、一人暮らしを始めて、餅朝食から開放された時の喜びは相当なもので、今でも時々思い出す。
餅を見るのも嫌だとか、喉も通らないで吐き気がするとか、それほどでもないが、とにかく、許されるなら餅を食べないでいられることを切に願っているところもある。
それでも、坊主であるという商売柄、餅との縁を切ることは出来ないから、それも坊主の修行試練と思って粛々と乗り切るしか無い。
お供えも長引くと、餅が石のように固くなって後の保存始末が面倒になるから、ワイフのつくってくれた重ね餅だけを早めに下げた。
それ以来、暇を作ってはレンジでチンして少しやわらかくしてから一口サイズに切り分けしている。小分けしてビニールに入れて冷凍庫へ放り込んでいるが、それも満杯になってきたから、今度は少しずつ消費することを考えないといけない。

石見銀山で一晩過ごしてから、また万善寺の暮らしに戻った。
私は、冬も夏も変わりなく建具を締め切った暮らしが馴染めない。
夏は虫が入るし、冬は外気がはいって寒いしで、吉田家家族も含めて訪問者にはあまり良く思われていないところもあるが、日常のほとんどが正純坊の一人暮らしだから、誰に気兼ねすることもない。
それで、この数日は、正月にワイフが作り置いた幾つかの食材を消費するために、灯油ストーブを昔寺の典座寮配膳室だった板の間の真ん中へ置いて、おでんや煮物の鍋を温めている。
三度の食事で少しずつ食べて減らしつつ、切り餅の消費も欠かさない。おかげで、まったく腹がへることもなく、少しずつ冬太りし始めているが、これも職業病ということで割り切るしか無い。

なんとも命名のしようがない料理ともいえないようなオヤジのナンチャッテ「餅入りおかず」を手を変え品を変え毎回作り変えている。
昨夜は、イタリアン風の味付けにしてワインを楽しんだ。
朝食は、ひとまずおでんに餅を入れて煮込んだ。
今夜は、残っている焼き鯖をほぐしてフレーク風にしたものを餅を伸ばしてナン風に丸く焼き上げた生地へ乗せて餅ピザでも作ろうと思っている。
和風洋風入り乱れて、これからしばらくは、ブログネタが餅づくしになるかもしれない。

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一日遅れの坊主正月 

2018/01/04
Thu. 23:17

正月3日間の朝課法要が一段落して気が緩んだのかもしれない。いつもより1時間位寝坊してしまった。
あわてて着替えて、諸々準備をして遠方のお檀家さん他、関係各所に配布する1年の守護札と年始粗品用カレンダーを祈念しようと本堂にいたら、昔は毎日のように夜な夜な飲んでいた30年来の友人が新年のお参りをしてくれた。

それぞれ違った道を歩きはじめて、気持ちの向く方向が別々になってから少しずつ逢う機会も飲む機会も話す機会も減ってきて、石見銀山の町並みのすぐ近所で暮らしているのに、今は1年に5回と出会うこともないし、酒を飲み交わすこともあるかどうか・・?程度に疎遠になった。それでも、こうして正月のうちに万善寺へ寺参りをしてくれて、それだけはよっぽどの事情がない限りだいたい例年続いている。
「これから、何か用事があるの?」と聞いたら、午前中は特になにもないと云うから、「それじゃぁ、久しぶりだし・・」とコーヒーでも用意することにした。
まずは、祈念のお経を終わらせて、御札などを香にくぐらせて、彼にも焼香してもらって、そのまま本堂に落ち着いて、ほぼ1年ぶりの世間話になった。別に、お互い嫌いになって疎遠になったわけでもないし、それなりに風の便りでおおよその実情は把握できているから、逢えばすぐに疎遠の距離も縮んでそれぞれの近況報告になった。

「今ねぇ、(喜捨)という言葉が気になってるのよぉ〜」
本堂に置いてある喜捨箱をみつけてそう云ってきた。
「寄進とか寄付とか、同じような意味合いだけどね・・(喜捨)といわれるとチョット気持ちが変わってくるよね・・」
文字をそのまま読むと「喜んで捨てる」ということで、その気持の先は、功徳をいただくことに繋がるわけで、そういう汚れのない清らかな気持ちが形になって示されるわけだから、その質量の加減で功徳の過不足が決まるようなものでもない。そういうことの積み重ねが信心の重さ深さになって我身我心の清浄につながるし、徳の道がひらけるわけだ。
今の世の中、とかく銭勘定が優先して打算が過ぎる傾向にある。
「欲」にも良し悪しがあって、選択肢を誤ると無駄に苦労が重なって自分の行末に悩みのネタが尽きなくなる。結局は、何も無いのが一番スッキリして気持ち良かったりするのだが、そういう境地に至るまでが試練だ。
「(放下)ということもよく云われるよね。そっちが(喜捨)の上かもね?我欲が消えて放下の境地になればたいしたものだよ」
「(ホーゲ)って、どんな漢字書くの?」・・・彼は、まだ放下を知らなかった。
そのうち、なにか分かり易く解説でもできるといいなと思ったが、今の自分はまだまだそんなエラソォーなことが言える身でもないし、まずは、自分で自分が納得できるまでのことをしないといけない・・・とまぁ、万善寺の冷えきった本堂でコーヒーすすりながらオヤジ二人の1年がそんな会話から始まった。

彼が帰ってから、今日を一日遅れの坊主正月に決めて、昨年末に万善寺本堂へ導入したAI掃除機君のスイッチをONした。

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2018万善寺年始会 

2018/01/02
Tue. 23:10

毎年、新年二日目はお檀家さんのお参りをいただいて年始会を行う。
この日のために年末から準備を始め、元日も早朝からほとんど一日中立ち働いて、午前0時を過ぎたら正月朝課の祈念法要に入る。
お経を読みながら本堂を一巡し、庫裏の各所を回ってだいたい2時間はかかる。
それが終わったら、すぐ寝るわけでなく、引き続いて二日目の準備に戻るわけだ。

昨年末からじゅん君とワイフが万善寺へ合流してくれて、年始会準備を手伝ってくれた。
かれらは、私の家族親族だというくらいのことで、寺に関係する色々なことを一緒になって働いているわけではないので、本当は自分ひとりで全てを取り仕切るほどの覚悟がないといけないのだが、周知のごとくの軟弱者だから、どうしても彼等家族に頼ってしまうことになって、そういう不甲斐ない自分が嫌になってしまう。
だいたいに、ひとの用事の手伝いというものは、とかく「面倒臭い・・」が先に立って気持ちのこもる仕事になることが少ない。
少年の頃から大人になって副住職になり、住職になってからでも前住職夫婦の居るうちは心底正直に本気に寺務を切り盛りするようなこともなく、どこかしら心の片隅で義務感の方が優先していて、坊主の宗教的使命というようなピュアな気持ちでいられることなど無かった。
人生の殆どをそういうふうに中途半端に過ごしているから、今更或る日突然のごとく立派な宗教家に変身して残されたわずかな人生を全うする気にもなれないし、まぁ、このままなんとなく「成り行きに我が身を委ねるしか無いのだ!」と、思っている。

この近年・・・というより、副住職時代も含めて、正月2日が雪のかけらもなく1日中好天であったことの記憶がない。
それほど驚異的に珍しい年始会になった。
総勢約20名のお檀家さんも革靴正装がほとんどで、ポカポカ陽気で雨具の必要もないし、住職も含めてどこかしら緊張感のないまま祈念法要が始まって終わった。
ワイフが内室として正月を手伝ってくれるようになってから、年始会の定番がおでんになった。
この日のために3日位前から仕込んで、ほぼ一日中コトコト煮込んできたものだ。最近は、出席率ほぼ100%常連のお檀家さんも、ワイフのおでんを楽しみにされるようになった。
法要が終わって本堂に並べた坐テーブルいっぱいにならぶ正月料理は、8割方ワイフの手作りになる。じゅん君と二人で裏方に徹して約2時間の年始会を盛り上げてくれた。

私には住職としての立場を維持しつつホストに徹して場を盛り上げる役があるから、ワイフたちがいてくれないと新年会が回らない。
隣近所の寺院では、お檀家さんの奥さんにまかない役をお願いしていらっしゃるところが多いようだが、万善寺の現状ではそこまでする必要も無いほどだからどうしても家族に負担がかかってしまう。
世間の一般家庭のような正月の過ごし方は、吉田家にとって夢の世界なのだ!

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元旦の万善寺 

2018/01/01
Mon. 21:18

なにか、全然実感が涌かないんだけど・・・とにかく、2018年になったようです・・・
年中ヒマにしている吉田としては、盆正月のあわただしさがどうも苦手だ。
問題なのは、どちらもあとがなくて潰しが効かないこと。まるで、紀伊國屋ホールの舞台に立っているような(まったくもって大げさだけどネ!)失敗の許されない数日が続く。
こういうことを、延々と半世紀以上も続けているわけだから、それだけでももう少し評価してくれてなぐさめてくれてもいいと思うんだけど、残念ながら私の周辺にはそんな殊勝な人は(家族も含めて)見当たらない。
仕方がないから、気がつけば夜な夜なアルコールの力にすがって自分で自分を慰めている自分がいるわけです・・・

まぁ、そんな感じで、今年も1年が始まりました。
若干違うところは、母親がいなくなって名実ともに正純一家で正月を迎えることになったこと。これに、ネコチャンズとグッピーズがいてくれたらもっと幸せに思えるだろうに・・残念ながらそれは無理として、代わりに暮れから保賀のカラスとスズメ達がヨレヨレオヤジに付き合ってくれています。

海士町で暮らすじゅん君も万善寺暮らしに合流してくれているが、彼は坊主でもなんでもないから、仕事始めまで普通に寝正月を貪ってマイペースに乗り切っていて、寺のアレコレに付き合わせる気にもなれない。変にヤブを突くと、かえって余計に無駄に忙しくなったりして収拾がつかなくなりそうだ。
もう、結婚して30年以上経ったベテランのワイフも、今更どうでもいいようなことをワザワザ問い合わせてきて、それはそれでややこしい。1年に10日あるかないかの坊主の内室業務程度のことだから、そろそろ自分の意志で自分の都合よく取り計らってほしい。今時のことだから、それなりにオモテナシの気持ちが伝われば少々チープなお膳立てでも「それで十分なことだ!」と私自身はクールに乗り切ろうとしているのだけどネ・・

「お風呂キレイになったね♡!」
風呂上がりのワイフが珍しくそうなぐさめてくれた。
合併浄化槽を万善寺に導入する時に、ついでだからとガス屋さんに勧められてシステムバスに切り替えてもう何十年にもなる。
憲正さんは部類の風呂好きで、毎晩風呂にはいることを趣味にしていたような人だった。内室の俊江さんは、風呂に入るも仕事のうちだと考えているような人で、ビックリするほどのカラスの行水だった。自分より1年先に憲正さんが死んでからあと、一気に風呂へ入らなくなって、老人特有のすえた臭いを万善寺の庫裏内に撒き散らしながらその後1年ほど一人暮らしが続いた。それこそ、盆正月に寺へ長逗留するたびに乏しい掃除用具を駆使してカビや垢汚れを落としていたが、半年の間にまたもとに戻っていて、それはそれでむなしいことだった。
正月のお風呂は、昨年の春から誰に邪魔されることもなく文句を言われることもなく、10ヶ月かけてセッセとマメに磨き上げてきた成果なのだ!だからキレイで当たり前なのサ!・・・と、そんなわけで、一見ムサ苦しいボクは結構きれい好きなのです!

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窓越しの保賀の谷 

2017/12/30
Sat. 23:30

年末のこの時期に、朝から青空を見ることができた。
寺のことだから仕方がないが、この数日、薄暗い台所の即席寺務所に引きこもって書類ごとに没頭していたから、身体が芯まで冷え切って気持ちが湿っぽくなっていたところだった。
例のごとく、数少ない気晴らしも含めてモーニングコーヒーを入れたり、食器を洗ったりしていたら、いつの間にかお昼近くになっていた。
AppleWatchで天気情報をチェックしたら、なんと飯南高原が気温7℃になっている。
万善寺の暮らしでは、絶好の外仕事日和だから、一気にコーヒーを飲みきって素足のまま長靴を履いた。

まずはストレッチ代わりの境内の庭掃きで、固まった節々を柔らかくして、それから参道を下りて保賀川を渡って、保賀の谷の向こう側にある松の若木を採りに行った。
数年前まで真砂土の採土場だったが、おおよそ採り尽くして閉山した後の腐葉土も何もないむき出しの真砂土斜面にマツクイムシの被害で生き残った松の種が根付いた。
保賀川のこちら側は、万善寺の裏山から谷を二つばかり越えた先までマツクイムシに殺られて、それこそかろうじて生き残ったのは境内の松くらいのものだった。
昔は、年末に雪をかき分けて寺の裏山へ少しほど入り込んだら、どこにでもオノレ生えの若松が無尽にあったが、今はそれも完全に絶えてしまった。
昨年は例年並みに雪が積もっていたから、谷の向こう側へ行くことができなかったので、寺の用事の合間を縫ってワザワザ雪の少ない石見銀山の近所まで結界君をすっ飛ばして松の若木を採りに出かけた。寺を出る時、まだ生きていたおかみさんが、「この時期に寺を空けて、どうせ、石見銀山の家まで行くつもりだろうが、寺のことも考えてもらわにゃぁいけんけぇ~ね~!」と私の背中に毒づいていたことを思い出す。

採土場へ続くトラックが往復していた砂利道を伝って、重機が回転していた幾つかの平地を越えて、昔棚田があった小さな谷のどん詰まり辺りまで登った。
その先をそのまま登りきると山の頂上にテレビ塔があったが、今はケーブルテレビに変わって、テレビアンテナが用済みになってそのかわりに携帯電話各社の中継地に変わった。
土嚢袋いっぱいに若松を詰め込んで寺へ引き返して、それから竹を採りに裏山へ登った。雪がないからとても助かった。あとは、ワイフが吉田家裏の梅の小枝とシキビを持参してくれるはずになっている。

庭木の剪定を少しして、春先から気になっていた何年も掃除していない台所のガラス窓を取り外した。おかみさんが生きているうちは台所を牛耳っていたから手を出せないまま過ぎていた。アルミサッシの溝いっぱいに土蜂が巣を作っていて、幼虫が数匹年越しをしていた。ガラス窓の掃除を終わって元の状態に戻すと、信じられないくらい窓越しの視界がクリアーになっていた。
少ししてワイフがやってきた。立派な鏡餅が出来ていたし、しめ縄も持ってきてくれた。しばらくしてワイフが帰っていった。
冷蔵庫にはお正月用の食材がビッシリ詰め込まれてあった。

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オヤジ鍋 

2017/11/26
Sun. 23:13

目が覚めるとすでに7時を過ぎていた。
日曜日は町内の有線放送も定時の目覚ましコールが無い。
平日はやかましくてしょうがないまま起こされてしまうが、それも無くて静かなままだったりすると気が抜けてしまってしっくり来なかったりする。全く都合の良いワガママ者だ。

珍しく法事が二つ重なったので、午前と午後に分けた。
万善寺の上空は雲が低くて雨がいつ落ちてもおかしくない。
大衣などの準備をして結界君へ乗り込んで国道へ出ると、そのまま島根県の県境を越えた。
広島県側は曇っているものの空が明るい。
こういう日は、放射冷却もなくて比較的温かいことが多くて、ある意味過ごしやすい。
法事の会場は、最近新しくできた葬祭会館で、全てがいたれりつくせりで施主家も坊主もどこかしらみんながお客様感覚の仏事が始まって終わる。
私はどちらかと言うとこういうタイプの法事に慣れていなくて味気ない気持ちが優先してしまうが、施主家の方は諸々の負担が軽減されて楽に法事が出来るのだろう。
墓参して納骨を済ませて斎膳でしばらく歓談して中座して結界くんへ乗り込んで国道を広島県側から引き返していると、県境あたりの上空に重たい雲が広がって、中国山地の稜線はすでに雲の中に隠れている。
これが典型的な冬の風景だ。
案の定、県境のトンネルを越えたら雨になっていた。
雪が降るよりマシだが、それから寺へ移動する間に雨脚がどんどん強くなって、結界君を境内に乗り上げた頃には土砂降りに近いくらいに本格的な雨になった。
次の法事は万善寺の本堂になる。すでに時間が迫ってほとんど間がない。
急いで位牌堂の荘厳準備をして、灯油ストーブを点火した。
本堂のストーブはこのシーズンではじめて使うから、上手く起動するか心配だったが、とりあえずはなんとか動いて本堂が少し暖かくなった。
灯油を継ぎ足していたら法事の施主さんがご夫婦で到着された。
それから50回忌の法事を済ませ、ストーブの前でしばらく立ち話の事務連絡を交換して別れた。
1日のうちに2つの法事はやはりキツイ。
こういうことは1年に5回と無いほど万善寺では稀なことで、それを一人でやりくりすると、やはりドッと疲れる。彫刻絡みのことで動き回るほうがずっと楽に思える。

本堂の照明を落としたら、すでに日が暮れていてあたりは暗くなっていた。
気持ちを切り替えて夕食の準備をした・・・といっても、酒のツマミを用意して日本酒をお燗するくらいのことだけどね・・
やはり、これからの晩酌は日本酒に限る。
オヤジの一人飯も味気ないものだが、熱燗があればそれもまぎれる。
この度の寺暮らしが始まった夜に、土鍋いっぱいの鍋を作り置きしておいた。
毎晩新しい食材を継ぎ足しつつ煮込み続けているから、だんだん濃厚に美味くなっている。
明日はそれにうどんを入れて卵を落としてシメにしようと思っている。

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夏はそうめん 

2017/08/27
Sun. 23:34

朝の8時には草刈り機を振り回していた。
この1ヶ月で1mは伸びていただろうか?
万善寺施食会の3日前にドタバタで刈り込んだところでも1週間で20cm伸びている。
8月はとにかく雨が多かった。それで、刈った草が乾燥しないで腐っていく。乾燥すれば集めてくよす事もできるが、腐ってしまうとそういうわけにいかない。
「えっ!??方丈さんが草刈りですか?」
浄土真宗の門徒さん宅で古墳の供養をした後、世間話の流れでポロリと万善寺事情を喋っていたら、「草刈り」のところでビックリされて話題に食いつかれてしまって「シマッタ!」と気付いたが時すでに遅し・・・
飯南高原に点在する寺院では、お檀家や門徒さんの草刈り奉仕で寺の営繕作務を乗り切ることが普通に行われている。
万善寺は昔からそのようなシステムがお檀家さんに浸透していない。
私が住職になった時、2〜3年ほどさりげなくお盆法要のお知らせに添えて草刈奉仕のお願い文を挟んだことがある。結局、毎年問い合わせもなく無視されてスルーされた。護持会役員の皆様からしてそうであるから、一般のお檀家さんが動かれるはずもなく・・・そのお知らせは3年後に消滅した。
たかが草刈りであるが、それはそれで東西南北境内周辺グルリと刈り回るのもそれなりに重労働だ。いつまで続くかわからないが、私の体力が続くうちは「自分でなんとかするしか無い!」と、今では腹をくくっているところもあって、周辺寺院と比べて気持ちが騒ぐこともなくなった。
我身で出来ることを我身をいたわりながら我身の修行と信じて粛々とこなすことが、何より安らかでいられると思う。頭の片隅で「〜のに」のフレーズがチラッとでも湧き上がってしまったら、自分の修行もまだヘナチョコだということだ。

お中元も兼ねて、遠くのお檀家さんからそうめんの詰め合わせが数箱届いた。
賞味期限はだいたい1年位あるから、1年の間にその全てを消費すればすむことだが、やはり、そうめんといえば夏の定番麺類である気もして、なんとなく「夏もそろそろ過ぎる頃だし、なんとかしなければ・・・」などと、根拠のない常識めいた発想が厳しい残暑で発酵寸前の脳味噌を刺激する。
それにしても万善寺の一人暮らしで三度の食事をそうめんゆでてめんつゆ漬けてすするのも味気ないし、(贅沢なことだが)その前に飽きる。
草刈りをしている間に絵描きの知り合いから相談のメールが入っていて、試作を持って万善寺へ移動中だという。
なかなかいいタイミングだから、「君のためにオヤジの男飯でも作ってやるよ!」と、恩着せがましいSNSを返しておいた。
もちろん、食材はそうめん!
トマトとタマゴがメインの中華風スープを作って冷蔵庫で冷やして、茹でたそうめんへブッかければ完成!という、簡単料理。
草刈りを切り上げて、シャワーを浴びて新着のアルバムを聞きながら昼食の準備をしていたら、境内から車のエンジン音が聞こえてきた。

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一人暮らし坊主 

2017/08/26
Sat. 23:59


「いやに冷えるなぁ〜・・・」と気づいて目が覚めると、まだ早朝の5時前だった。
万善寺の庫裏に漂う空気はヒンヤリとして肌寒い。
AppleWatchを見ると、飯南高原の気温が17℃だった。
ほんの数分の間に東の空がいっきに明るくなって、鳥たちが鳴き始めた。
二度寝をむさぼろうと思ったが、昨夜寝る前に白衣などの着物類を洗濯機へ放り込んでおいたのを思い出してその機会を失った。

今年のお盆がひとまず終わった。
来週からは気持ちを切り替えて石見銀山暮らしをしながら彫刻制作に入ろうと計画している。
それにむけて、寺の夏を整理しておかなければいけない。
夏の着物類や衣を洗って、8月最後の草刈りもしておかないといけない。
昨年までは母親が万善寺の庫裏で暮らしていたから、その遠慮もあって季節の節目に区切りをつけることが出来にくかった。あと何年続くかわからないが、これからしばらくは気兼ねなく自分のペースで寺暮らしを続けることになる。

午前中は、この夏最後の棚経と古墓供養を2軒分済ませ、午後からは施食会に随喜した。
江津市桜江町の日笠寺さんが説教導師をお務めと案内にあったので、法要が終わってから時間の許せるところでギリギリまでお話を聞かせていただいた。
日笠寺さんは、先代住職がご健在の間は東京暮らしが長かった。
ご本人は哲学者でもあって、武蔵野美術大学で座学の講義もされていた。その縁があって、随分前から親しくお付き合いさせてもらっている。
現在は、東京の自宅へ奥さんを残し、日笠寺で一人暮らしをしながら住職に専念されていらっしゃる。
聞くところによると、五年前と2年前に2度ほど脳梗塞で倒れられたそうだが、後遺症もなく見事に蘇られて、このたび久しぶりに元気なお姿を拝見することが出来た。
お説教も相変わらず哲学的で奥深く、仏教の常識に固まった説教坊主とは一味違って面白い。最後まで拝聴したかったのだが、次の用事もあって途中で退席した。
まだ70歳代だが、お元気なうちに万善寺でお話をいただきたいと思っている・・・さて、今のお檀家さんの状態だと実現が難しいかもしれない。
彼のことについては、まだまだ語りたいことが山ほどある。それほど魅力的な人で、憧れの方丈さんである。

お葬式の導師代行をした施主さんの三・七日なので、事前の打ち合わせ通り、夕方6時を目指して移動した。
その施主さんの菩提寺の跡取りになる方丈さんから、具体的な支持もないので万善寺流の七日務めをして、途中、スーパーで夕食の買い出しをして寺へ帰った。
例年だと、お盆の一区切りでワイフの手料理をパクツキながらささやかな打ち上げをしていたが、今年はひとり飯で寂しい夕食になった。
「こういう年もめったにないだろう・・」冷奴用のわけぎを刻みながらふとそう思った。

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烏枢沙摩明王さま 

2017/08/25
Fri. 23:17

だいたい万善寺の夜は「寝苦しくてしょうがない・・」ということがないわけではないが珍しい。
夏は熱くて眠れないという日が、せいぜい5日あるかどうかだ。その珍しく眠れない1夜が明けた。
夜の間に締め切った庫裏へ溜まった湿気が、ベタリと肌に張り付いて不快だ。
朝方になって雨が落ちはじめて、夜が明ける頃には本格的に降りはじめた。
久しぶりのまとまった雨になりそうな降り方になったから、これで草がいっきに伸びるだろうと思うとうんざりする。
庫裏に充満した不快な湿気はひと晩のうちにあらゆるモノへ沁み込んだのだろう。いつもなら次の朝には乾いている洗濯物がまだ湿気っている。

2〜3日まえに、お檀家さんからトイレの改修をするのでお経をあげてくれと依頼があった。
トイレには烏枢沙摩明王さまが安座していられる・・・と、万善寺では前住職から口伝で引き継いでいた。
毎年正月の三が日は、万善寺の隅から隅までその場所場所に安座される守護神様を巡ってお経を読むことにしている。
ひところ大流行したトイレの神様の歌と似たようなものだと思うが、仏教でお祀りしてある烏枢沙摩明王さまは、お釈迦様の布教を妨害する連中を懲らしめるシークレットサービスのようなカッコイイ存在で、人間から吐き出される邪気を飲み込んで浄化してくれる、とてもありがたい仏様なのだ。
お釈迦様のありがたいお言葉は、邪気の去った晴れ晴れと清らかで澄みきった人々の心に沁み込んで、信心が芽生え仏心が根付くことになるのだ。

雨の中を雪駄履きで出かけることになるから、さすがに足袋を履くことが出来ない。素足のままでお経を読ませてもらうことをことわって撥遣のおつとめをした。
お経回向が終わってから、改修前のトイレの隅々まで洒水し塩をまいて、撥遣の偈文を唱えた。
まぁ、このたびの烏枢沙摩明王さまに限らず、お仏壇やお墓納めなど、撥遣に該当する仏事はだいたいそのような作法で引き継いでいる。
それにしても、トイレの改修でお経をお願いされることは、今時めずらしいといえば稀少なことといっていいだろう。
その施主さんは、元々日蓮宗の信者さんだった。
私が若い頃にはまだ飯南高原の隣町に日蓮宗の寺院があったのだが、ご住職の他界後に廃寺となった。その施主さんは、それ以降しばらくのあいだ1時間以上も離れた同宗のお寺へ仏事をお願いされていたようだが、色々な不具合も生じたようで、禅宗の万善寺へ宗派替えされた。代々の信心深いことは改宗後の今も変わりなく引き継がれている。

あれだけ夜が蒸し暑かったのに、雨のおかげか着物でも汗が出ない。
これから一雨ごとに涼しくなっていくのだろう。寺へ帰ると何処かで鈴虫が鳴いていた。

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荘厳のこと 

2017/08/21
Mon. 23:03

朝の涼しいうちに本堂の荘厳を解いて片付けた。
坊主の・・というより、私個人の趣味というか美意識というか、そういう主観的な要素が多分に入っていると思うが、どうも荘厳の派手派手さに馴染めないところがある。
錦糸の両山紋とか、五色幕とか、朱塗りの高茶台とか、あげればキリがないほど大小の仏具什器には、それぞれにそれなりのいわれもあって大事な装いであるのだが、揃ってそれらを荘厳すると、その派手さが空々しいものに思えてしっくりいかないところがある。

憲正さんが、何かに取り憑かれたように荘厳作務をしていた頃を思い出す。
一つ一つ、それはそれは丁寧にタップリと丸一日は使って延々と本堂にこもっていた。
それが、ある意味彼自身の信心の姿であり修行の現れであるところもあるから、手伝いもギリギリまで控えて、云われたように云われたことをするだけに留めていた。
私が本堂に居るということもあまり好ましくないような雰囲気が漂っていたので、彼の身体が弱って動かなくなってほとんど1日中寝て過ごすようになった頃から、少しずつ荘厳作務を引き継いだ。憲正さんがあまりに自分一人の世界に入って黙々と荘厳にとりかかるものだから、引き継いだ当初は事の前後が何が何やらチンプンカンプンで、やたらに無駄な動きが続いて困った。どうやらこうやら見た目の形を整えてお伺いをたてると、ヨチヨチ本堂へやって来てダメ出しが出る・・・こういうことが数年続いたあと、彼は意識してのことだろう、万善寺仏事のある時は本堂へ顔を見せなくなり、私が居るときも口を出さなくなった。
憲正さんの代で、本堂の仏具什器から鳴り物に至るまで殆どが古いものから更新された。そういう寺院経営の様子を見ても、荘厳の重要性と目指す先のあるべき姿を彼なりに定めていたのだと思う。

万善寺の隣近所のお寺では、荘厳の一式を仏具業者さんへ一任して済ますところがあるし、お檀家さんの護持会へ奉仕作業を依頼されるところもある。いずれも、それなりの支出になって資金が絡むことだが、収支が安定しているから出来ることでもある。
今思うと、憲正さんはある意味幸せな坊主暮らしを貫いたひとであった。自分の意志で自分のペースで、誰に気兼ねもなく納得できるまで荘厳に集中し、その達成感を噛みしめる。仏事のあとの撤収も、最後まで自分で責任を持って終了し、それら一連の流れをただ一人の弟子(ボクのことです・・)に託し、万善寺山風として伝える・・・それはそれとして、ある意味正当な継承となっているのであろうが、託された我が身としてはなかなかに重労働であって、予測できない未来の事態に悶々として修行どころではない。

とにかく、ひとまず、1年に2回の大掛かりな荘厳が片付いた。来年からは、こういう荘厳がもう1回増える。自分でまいた種だから自分で刈り取るしか無い。
なんだかんだいっても結局はどこかしら憲正さんの弟子でいられているなぁと荘厳を片付けながらそう思った。そしてあの空々しい派手さの不具合の元が何か分かった気がした。
寄棟お堂造りの質素で簡素でシンプルな佇まいの万善寺本堂に、あの荘厳はコーディネートに無理があるのだ。
美的調和の不具合が現住職の心をざわめかせてしまうのだ・・・

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2018-02