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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

柿の色づく頃 

2019/10/23
Wed. 17:17

秋のスズメバチがしきりにミツバチの巣を襲撃している。
巣を追い立てられたミツバチたちの羽音が境内まで響いて聞こえる。
なんとかしてやりたいと思うが、コレばかりはどうすることもできない。
境内の石垣から土蔵の床下あたりにかけてミツバチが巣を作ったようで、石垣下の用水路脇を草刈りをしていると、何年か前からそのあたりでしきりにミツバチが飛び交っていた。
今年はその巣もついにスズメバチに見つかってしまった。

六本木の展覧会で陳列作業をすませて島根へ帰ってから、それまで台風や彫刻制作で途絶えていた寺の作務を再開した。
作務といってもほぼ全てが秋の草刈りの野良仕事。
元々寺の田圃だったところを畑に切り替えたあと、母親の俊江さんが元気だった頃は毎年耕し続けて季節の野菜を育てて収穫をしていた。
それから何年かのうちに俊江さんは腰が曲がって身体が思うように動かなくなり始めると、畑の半分を使って花の木を植え始めた。
最初の頃は毎年時期になると自分で剪定をして、それなりに見事な花を咲かせていたが、それも永遠に続くわけもなくて、身体が動かなくなって畑へ降りることができなくなると一気に蔦がはびこって人手の入り込む隙間も無くなった。
一度、俊江さんが畑の野菜も少しずつ自分で面倒を見ることができなくなって来た頃に、少しでも助けになればと草刈り機を振り回したことがあった。そうしたら「大事に育てている花木も一緒に刈り倒されたら嫌だ!」から「いらない手出しをするな!」と小言を言われた。
親切のつもりで始めたことに小言を返されるのも良い気がしないし、それ以来、何年も見て見ぬふりで母親の世界へ踏み込まないでいたツケが、この近年重く自分の肩と腰にのしかかっている。

春に俊江さんの三回忌を終わったら「さすがにもうそろそろ自分の思うようにしてもいいだろう」とあれこれ思案を巡らせていたら、なんのこともない、5週間の入院騒ぎで出鼻をくじかれた。
もう、こうなると自分の意地のようなものもあって、とにかく年内に少しでも俊江さんの花木を根絶やししようと励んでいるところだ。
もう5リットル入りの油缶へ2回ほど給油したが、未だに先が見えなくて遠い。
そろそろ展覧会も終わるし、今度は搬出でしばらく留守にするし、ソレが終わると石見銀山で小品彫刻展がはじまって、徳島の野外彫刻展の搬出もある。

だいたいが年中ヒマにラクにマイペースで過ごしているところなのに、さすがに今年は少々忙しい。
長い人生、たまにはこういうこともあるのだろう。
一汗流した後の麦とホップを楽しみにすれば、ナンダカンダいっても酒が旨い!と思って飲めているだけでもありがたいこと・・・ではある!

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風が強い 

2019/09/07
Sat. 09:59

風が強いのは台風のせいかもしれない・・

万善寺の庫裏は昔ながらの木枠製ガラス窓がそのまま雨戸兼用で使われている。それで、少し強い風が吹くと、それはそれは騒々しく彼方此方が賑やかになって、ソレになれないと夜も気になって寝不足になってしまう。
小さい頃は特に気にもしないでいたが、半世紀の間で密閉度の高い丈夫で静かなアルミサッシへ慣れてしまうと、昼のうちはなんとか過ぎてしまうが夜になると周囲のノイズが耳についてなかなか寝られない。
昨夜も夜中にオシッコで目が覚めてから、風の音(というよりガラス戸の音・・)が耳について眠れなくなったものだから、iPad miniのKindleを開いて「村上さんのところ」の続きを読みはじめた。しばらくするとそのうち眠くなるだろうと思っていたが、Kindleを閉じるとまた風の音が耳について目が冴えてくるし、結局眠れたのかどうなのかよくわからないうちに夜が明けた。

寺で暮らすときはだいたい似たような朝の用事を繰り返している。
本堂では太鼓をたたきながら般若心経などのお経を読む。
夏の猛暑が落ち着いた頃から秋雨前線や台風の影響で、湿度の高い日が続いていた。
そういう時は太鼓の革が伸び切ってポコポコと頼りなくたるんだ音になる。
明治後期の十九世代に万善寺什器として新調と記帳されているから、だいたい100年以上打ち続けていて、その長い歴史の間に数え切れないほどの伸び縮を繰り返しながら酷使されていることになる。
つい昨日までなんともだらしなくブヨブヨとして破れ太鼓のような音が続いていたし、お参りもなくてだれも太鼓を聞くこともないから少し加減して打ち続けていた。
今朝もその流れて一打ち叩いてみると、それまでのくたびれた音が見違えるように締まって、歯切れが良い。
先代住職の憲正さんは在職60年の間、コレでもかと云うほど力任せにガンガン叩き続けていたから、場所によっては何時破れてもおかしくないほど薄く消耗していることだろうし、少なくとも自分が在職中は大事にしなければいけない万善寺の歴史でもある。
久しぶりに太鼓らしい太鼓の音がして、気持ちよくお経が読めた。

朝の用事を一通りすませて、朝食代わりでにコップ一杯の野菜ジュースに、今朝は冷やしたそば茶。それに熱々のスープを飲みながらコーヒーを入れた。なっちゃんからのプレゼントで重宝しているネルドリップがくたびれてきた。深煎りのマメはアブラが多いからすぐにネルが目詰まりする。少々寝不足ではあるが、まぁまぁ、平和だ・・・

寺関係の提出書類作成や、継続中の七日つとめに、月が変わって初月忌も巡ってきたものだから、9月に入って1週間ほど寺暮らしが続いている。
お盆月も過ぎて、夏野菜などのお供えも耐えたから、近所のスーパーで広告の品を目当てに缶詰など日持ちのするものを中心に買い出しをした。あとしばらくは法事で頂いた冷凍庫のお餅や赤飯とか本堂から御下がりの素麺で食いつなぐ。

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夏の坊主 

2019/08/24
Sat. 11:16

飯南高原は朝晩が寒くなって過ごしやすくなった。
日の出日の入りも一ヶ月前からすると目に見えて変わってきた。
境内へ舞い降りていたスズメの集団は、保賀の谷に広がる稲の穂へ飛散して姿を見なくなった。
ツクツクボウシが裏山の彼方此方で鳴き始めた。
ミンミンゼミの鳴き声もわずかに聞こえる。
気温の上昇が激しすぎるからか、近年はセミの鳴き声をあまり聞かなくなった。
昔は境内の庭木へセミの抜け殻がたくさん張り付いていたものだが、最近はシーズンに2〜3個しか見かけることが無い。
少し落ち着いて自分の周辺を見渡すと、確実に自然環境が変化していることを実感する。

朝の用事を一巡しても、汗をかかなくなった。
ポットに湯を沸かしてコーヒーの準備をしながらインスタントのオニオンスープを一杯すすった。
5月末に退院してから後、寺にいる時はだいたい朝のスタイルがこんな感じで落ち着いている。
ご飯1合だと3日で完食する。
お供えに頂いた素麺だと1日に一束茹でる。
御下がりのお餅だと食べやすい大きさに切り分けて冷凍しておいたものを2個ほどレンジでチンする。
主食はそのようにして昼食と夕食の時に食べ分けながら毎日が過ぎている。
夏の間は、棚経の先でお布施代わりに夏野菜をいただく。
きゅうり一本やなす二本やピーマン三個に、時々トマト一個くらいを「今日の朝収穫したものですけぇ〜」と新聞紙に包んでおすそ分けをいただく。
一軒一軒はわずかなものだが、その日一日棚経を一巡すると、自分一人で食べきれないほどのひと夏分の食い扶持が集まる。
棚経帰りに、この夏になってはじめて近所の農協スーパーへ寄っておすそ分けでカバーできないタンパク質を補充した。
2割引や半額を探すのだが、鳥や豚や豆腐や練り物など、十分すぎるほどの食材をゲットできた。夏の約1ヶ月半はせいぜい食費が5000円もあれば十分で、かなり助かる。
それに、市街地でお住まいのお檀家さんからはチラホラとビールの詰め合わせがお供えで届いたりして、毎晩の晩酌も不自由がない。
必要経費の出費と云えば、棚経移動の燃料代にお知らせ案内の郵券代、それに生活費の光熱水費がいつもより増えるが、それは節約も限界があるし、仕方のないことだ。

夏の坊主は、なかなか厳しいハードワークが連続する。
しかし、一方で特に贅沢をしなければ生活のゆとりも出来て気持ちが豊かでいられる。
世間の在家のようにお盆休みで帰省の家族親族でごった返す慌ただしさもない。
一日が終って文庫本片手にいただきものをつまみにしてチビチビやりながらノンビリ過ごすオヤジの一人飯もなかなか良いものだ。

朝の用事が終わるとコーヒーでひとやすみ
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頂いた夏野菜が大活躍!
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豚肉は半額、朝どれきゅうりが美味い
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冷蔵庫で眠っていたベーコンを発見!
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塩麹浸けの鳥はチョット油断して揚げすぎてしまった・・・
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シーチキンとあえたいんげんやスープにしたトマトはお供えの御下がり
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飯南高原の夜 

2019/08/23
Fri. 09:04

万善寺の施食会が終わると、飯南高原に点在する諸仏や古墓の供養法要が続く。
どの法要もほとんどが夕方から夜にかけてはじまる夜法要になる。
夜の法要は、それなりにそれなりの意味があってのことなのだが、そのあたりのことをくどくどと語り始めても興味のない人には面倒臭いだけのことだろうからやめるが、昔々は夜の仏事もけっこう多かったということだ。万善寺も、現住職が小僧時代は夜の法要後に盆踊りがあって、狭い境内には屋台も出て、ソレはソレは賑わったものだ・・・

さて、その夏の夜法要のスタートは、薬師堂に安座されるお薬師様の供養法要。
薬師堂のすぐ裏にある小高い山には山城があった。
そのお城を中心にした一帯にはお寺の跡も確認できていて、そのお薬師堂も昔は地域全体で大事にお祀りされていたのだろう、先代住職の頃までには夜法要に周辺から多くのお参りがあって賑わっていたと聞いた。
昭和から平成に元号が変わる頃から周辺願主の世代交代や高齢化が進み、地域の常会を経て供養法要が解体された。結果、お堂再建に積極的に関わった当時の有志のみなさんが残って、小規模なお薬師講として今に存続することになった。
私はそういう地域の事情が落ち着いてからあとになって、彫刻制作で毎日プラプラしていたところへ「せめて夜くらいは坊主の仕事が出来るだろう・・」と先代住職に押し切られて、副住職の業務ということで夜法要へ出かけることになった。まぁ、それまでも副住職という職名のもとで先代の侍者送迎担当を続けていたから、鐘つき坊主が導師に昇格した程度のことだったけど、塔婆回向も引き継いだりしてそれなりに荷が重くなって「気楽ではいられなくなった・・」という、経緯がある。

次はお薬師堂から2kmと離れていないところで、七面大菩薩を中心にお祀りされてある馬頭観音様や地蔵菩薩様など諸仏の供養法要がある。
琴引山を遠望できる緩やかな丘陵にお堂があって、昔からその地域各所へ点在していた野仏さまや個人願主の祈念で建立された仏様や掛け絵仏の観音さまなどが集められて安座されてある。先代住職の頃までは、その諸仏も地域全戸で法要の当夜を持ち回りされながらお祀りされてあったのだが、私が住職を引き継いですぐに、これも地域の常会で法要の継続不能と決着がついて、諸仏に縁深い有志の皆さまが七面さまを中心にした御講を組織されて今に至っている。
こちらの方は、一度法要が解体された機会をもって塔婆回向だけ自然消滅した。そのぶん法要の時間も短縮できて年々棚経の疲れもたまる一方だった私もずいぶん助かった。

法要後の御下がりをいただきながらささやかな酒宴が始まると、誰からともなく自分が小さかった頃からの仏様にまつわる思い出話が始まる。特に計画建てて気にしているわけでも無いと思うが、昔話に花を咲かせながらさりげなく次の世代へ申し送りをされているふうにも思える。とかく親の云うことは「面倒臭い!」が先になって上手く引き継ぎできないことが多い。隣のオヤジにナニカ云われて肝が据わる。
仏教の根本がどうこう難しいことはヌキにして、とにかく、かたちばかりのコトが長く続くうちにだんだんと仏様を身近に感じるようになれれば良いと思う。

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万善寺夏の大イベント 

2019/08/19
Mon. 13:46

万善寺夏の大イベント施食会法要が盛況??のうちに終わった。

午後の2時から施食会がスタートして、終了後塔婆回向をして、約1時間半で法要のすべてが終わる。
ワイフは珍しく前日の夕方に万善寺入りしてくれた。
私の方は、右の首筋から指先まで重くズシリとシビレていて、塔婆を書くのが実に辛かった。
荘厳などの準備は、ジュンくんが半日ほど手伝ってくれて、保賀の檀家さんから紀ちゃんが手伝ってくれた。
棚経の方は15日で前半が無事に終了したのだが、そのあいだの疲労が少しずつ蓄積して庫裏の整頓と本堂の荘厳準備は身体が思うように動かなくてどうなることかと悲壮感も漂い始めていた状態だったから、二人のお手伝いは何よりありがたいことだった。
8月後半になってこれからしばらくは、地域や個人の施主家へでかけて色々な仏様や古墓の供養法要が続く。
荘厳の片付けは、その合間を縫って少しずつ無理のないようにゆっくりと時間をかけて終わらせるつもりだ。

とにかく、年金暮らしが本格的になるのを待っていたように体力がガクリと減退した。
昨年もそれなりに厳しいお盆ではあったが、まだそれなりに一切合切一人で切り盛りできていた。
今年はとても昨年までのようにいきそうもなくて、法要の直前まで途方に暮れた。それでも本番当日をむかえてしまうと、まぁ、それなりになんとかなってしまった。
今までのコトを思うと、寺の彼方此方で見苦しい様子がさらされてしまってはいるが、それはそれで、自分が今できることを精一杯やり遂げた結果だから、それなりに納得は出来ているつもりだ。

ワイフは、法要が終わって後片付けが一段落したところで石見銀山の吉田家へ帰った。
手間替え随喜の方丈さまがたの湯茶などの接待を、ワイフが一人で相手してくれている。
私の方は本堂のアレコレを一人で切り盛りして、その間に法要の導師をつとめている。
方丈さまがたは総勢5人。今年お参りの檀信徒のみなさまは16人で、ことづけが7軒。
なにかと気を使うことばかりだが、総勢20人を相手なら、ワイフと二人で半日くらいはなんとか乗り切ることは出来る。
今更ながらにソコソコよくやっている方だと自分では思っているし、ワイフの働きには頭が下がる。

梅雨が終わってから連日猛暑が続き、先日は島根県を縦断するように大型台風が来た。
田んぼのコメはいつもよりずいぶん早く花が咲いて穂が出て、今はそろそろ穂先が垂れ始めている。万善寺の古古米を食べに来ていたスズメたちが台風に合わせたようにパッタリと来なくなった。アイツラもコメの穂が実り始めたことをよく知っている。不味い古々米より瑞々しく実りはじめの新米が美味いに決まっている。

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台風がきた 

2019/08/16
Fri. 10:11

やっと棚経が終わった!

最終日は大型台風が西日本を通過するということで、前日から行政の防災放送が何度も流されていた。
北に小高い山を背負った南向きの万善寺は、中国山地の南(広島県側)を西から東へかけて台風が通過すると、強風に注意しなければいけない。
保賀の谷を琴引山から強風が吹き下ろしたり、逆に琴引山へ向かって吹き上げたりする風の道になっていて、あまりにも風が強烈だったり、気圧が一気に変わったりするとつむじ風に変わったりすることもある。

まだ、島根県へUターンしてすぐの頃、土蔵のトタン屋根が畑のど真ん中まで吹き飛んでV字にひっくり返った。健在だった前住職夫婦が大騒ぎをして大変な思いをしたが、人力でもとに戻すことも出来ないし、ひとまず雨よけのブルーシートを掛けて当面はソレでなんとか凌ぐしか無いことになった。
そもそも、土蔵の屋根がトタンぶきだというところから本来の土蔵の意味をなしていないような気もするのだが、現住職の私が小学校へ上がる前後の頃までは薄っぺらいソギぶきだったから、ソレよりは少しはマシになったといえるのかもしれない。

さて、棚経最終日の台風は、結局傘を一度も使うことなく午後2時前にすべて終了した。
お盆に入ってからはお檀家さんを中心に棚経をおつとめするが、この近年は高齢者の一人暮らしが増えたり、市街地に家を建てたお子さんがそちらへ引き取られたりなどして、昔から継続している棚経の暗黙のルールのようなものがしだいに乱れ始めてきた。
お経を読んでいる最中に何度も着信が入ったりしてどうも落ち着かない。
移動中に返信をすると「台風で飛行機が飛ばなくなったものですから・・」とか「おばあさんの具合が良くなくて入院することになったものですから・・」とか、そういう連絡だったりして、結局、施主さんの都合にあわせて出直すことになったり棚経のキャンセルになったりする。
それでも、ソレはまだ良い方で、お知らせの棚経案内を郵送しておいても、返信もなく音信不通で家の鍵もかかってどうすることも出来ないという施主家もチラホラと増え始めているし、山寺末寺の住職としてはなかなか厳しい現実にジワジワと締め上げられている。お経が終わってお茶飲み話のついでに、気がつけばお檀家さんを相手に暮らしの愚痴が出ていたりしてドキッとすることが何度かあった・・・坊主にあるまじきことだ・・・反省!

まぁ、そんなこんなでひとまずシビレた身体をダマシダマシ8月の前半をなんとか凌ぐことが出来た。
これから、万善寺の夏本番を迎え施食会法要がある。
身体が思うように動かないから、近所のお檀家さんに荘厳のお手伝いを頼んだ。それから、お墓や参道の掃除も近所の心安いお檀家さんが汗を流してくれた。
これからは、自分で出来ることが少しずつ減っていくのだろうな、きっと・・

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告別式の朝 

2019/07/29
Mon. 23:17

万善寺では、お葬式ができると大量の書物をする。

数年前まで葬儀旗は、最低8枚書いていたが、JA葬祭が葬儀を仕切ることが増えてから、本部の地域事情を踏襲して少しずつ枚数が減り、やがて「葬儀旗はあまり必要とされないところがほとんどなものですから・・・どうしても無いと困るということでしたら別に作って用意させていただきますがいかがでしょう??」などと事前に担当さんから喪主さんへ伝えられていたりして「JAさんがそのようにおっしゃるものですから、略式でお願いできれば助かるのですが・・」と、喪主さんの方から言ってこられると「ハイ、それではそういうことで・・・」とお返事するしか無いことになって、結局最近は暗黙のうちに割愛されることがほとんどになってしまって、この度もそうなった。

七本塔婆は、お葬式の開蓮忌塔婆とは別に初七日から始まって四十九日の7日間分を書くのだが、万善寺の場合は最後の四十九日大練忌塔婆と開蓮忌塔婆の2枚は5尺か6尺塔婆を使うことにしているから、厳密には六本の塔婆を書いている。

六道さんは、俗にいう六地蔵のことで、昔は六枚の板が用意されていたがその後簡略されて今では一枚の板にノコ刃のような6つの山形を切り出したものに変わった。

白木のお位牌さんは、喪主家によって2基書く場合と1基で済ませる場合がある。細かく云えばそれぞれに意味があるが、葬祭告別式の様式上で何時の頃からかそういう習わしが定着してきたもので、坊主的には1基あれば用が足りるから、私の場合はだいたい1基書いて済ますことにしている。

他にも、如来十号とか剃髪偈とかとにかく枕経から通夜葬儀とリミットのある書物ばかりが続く。
大小の塔婆にしてもお位牌にしても、一つ一つすべてがお金だから書き損じが許されない。慎重に気遣いながら短時間で書き上げると、普通の健康体でもドッと疲労がたまる。
頚椎のこともあって右半身へシビレが続いているから、長い間筆先に集中することが難しくなった。それに塔婆は野外で野ざらしになるから墨汁だと雨に流れて字がなくなる。
そんな感じで、しばらくぶりのお葬式が出来てシビレをダマシダマシ墨をすって筆を使ったせいか、夜になって引導を考えるようになってからは、首筋から肩にかけて重たい砂袋が乗っているみたいになって、身体が思うように動かなくて頭の思考力も鈍ってきた。

引導香語の良し悪しで葬儀告別式で参列の皆さんの緊張感が変わる。
通夜は思ったより夜の虫も少なくて涼しかったし衣が苦にならなかった。
葬儀告別式の朝、8時前には温度計が27度まで上がっていた。襦袢へ白衣を重ね着しているだけで汗がにじみ出てくる。過酷な告別式になりそうな気もするが、唯一の救いは葬祭開場に使用されることになった自治会館は標高が高くて涼しい場所にあること。
100才に迫るほど長生きされて大往生のおばあさんを遺漏なくお見送りしなければいけない。めったにない久しぶりのお葬式でチキン坊主は少々緊張しております・・・

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寒山拾得 

2019/07/28
Sun. 23:25

飯南高原は朝から30度近くまで気温が上昇して猛烈に暑くなった。
今年はひと頃のような梅雨らしい梅雨で長雨が続いたから、高原では珍しいほどの蒸し暑さだ。

朝の用事が一通り終わったのを予測したように洗濯機のブザーがなった。
洗濯物を干し終わってから何もする気になれなくてコーヒーをチビチビやりながらブログネタのメモを流し見していたら、玄関の訪問チャイムが鳴った。近所の人はチャイムを鳴らすことなど無いから、少し緊張して、急いでリーバイスを履いた。

この時期の寺ぐらしは、いつも朝のひと仕事が終わるとシャツにパンツ一丁でいて、隣近所の付き合いはだいたいソレで乗り切っている。
先代夫婦やワイフがいたりするとモッテノホカのだらしない事と絶対に出来ないことだが「見た目ばかり気にしても中身がなければしょぉ〜がない」という、身勝手な持論を駆使してここ数年を乗り切っていたら、一部決まった常連訪問者の間では特に気にされる様子も見えなくなってきたところだ。もっとも、あとになって誰かが何処かでどんなコトを言いふらしているかまではわからないけどね・・・
昔の文献をチェックすると、寒山拾得羅漢尊者などなど、今の時代よりずいぶん涼しくて過ごしやすかっただろう百年千年昔で、無精極まりないスタイルの絵画彫刻の逸品をよく見かけるし、堂々と正直に「暑い時は暑いなりの過ごしようもあるのだ!」と、私のような偏屈のだらしない坊主が一人くらいいてもいいだろうと判断して実践しているわけであります。

閑話休題・・・

訪問者は、大万木山の麓にあるお檀家さんだった。
「おばあさんが、亡くなりまして・・・」
病院から直接寺へ寄った様子だった。
「ソレはご愁傷さまのことです・・・何か、ご心配でもありましたらお聞きしましょうか・・」
おばあさんは行年98才の大往生であった。眠るように亡くなったという。
「ご遺体がご自宅へお帰りになりましたら連絡してください。枕経をおつとめにお伺いしますので」
それから、必要なものをアレコレ準備して待機していると、夕方になって連絡がきた。
そのお檀家さんの先は大万木山へ続く林道になっていて、その林道を少し登るとレストランを兼ねた研修施設がある。其処を過ぎてしばらく行くとブナ林がはじまる。ブナの木はある程度の高山でないと生息しないから、標高450mあたりの万善寺周辺にブナ林はない。それだけこのたびのお檀家さんのご住居が標高の高いところにあるわけで、枕経を読んでいる間も、ヒンヤリと爽やかで涼しい風が心地よかった。
「これだけ涼しいとエアコンはいらないな・・・」
おばあさんは、とてもおだやかな寝顔でやすらかにお休みされていた。

辻晋堂 作 寒山拾得
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直指人心 

2019/07/22
Mon. 23:51

普通台風が過ぎたあとは、スッキリと晴れて一気に蒸し暑くなるものだが、今度はいつまでも雲が残ってその上時折雨が降ったりする。
境内の雑草がこの1週間でグイグイ伸びて、みすぼらしい山寺の雰囲気が一層深まってきた。これから1週間は草刈りなどの作務をすることにしていたのだが、梅雨明けの具合を待ちながらもうしばらく様子を見てみようと思う。

あまり成功したとは言えないが、縁側へ干しておいた柿渋染の手ぬぐいが乾いたのでアイロンを当てた。夏の粗品は、文字を染め抜いた手ぬぐいが定着し始めた。
自分が勝手に自分で満足しているだけのことだからお参りのみなさんが満足しているかどうかは気にしないことにしている。たまに何かの拍子に文字の意味を聞かれるようなことがあっても、ソレもせいぜい2〜3人くらいのことで、あとになって手ぬぐいの話題が出ることもない。
染色は特に改まって勉強したこともなくて、せいぜい学生の頃の何かの講座で理屈や技法をメモしたくらいのことだから、素人の頼みの綱は染色材料の裏へ書いてある使用の手引きになる。それでも、1年毎に毎回同じことを繰り返していると以前の失敗を思い出すから少しずつミスも減ってきてコストダウンにはなっているのではないかと思っている。

どうでもいいくらいの思いつきで今年から柿渋染を始めた。
万善寺の寺領(チョット大げさだけど・・)はほとんどが山林でアチコチに点在する耕作地は全部合わせても1町歩無いだろう。昔はその耕作地と山林の境界あたりへ梅の木や柿の木やイチヂクや栗などの実の生る木が植えられていた。シーズンになるとそれらを収穫して自給自足の足しにしていたのだが、それも自分一人ではかなりの重労働だし、耕作地の利用もやめた今となっては、果実の収穫も止めてほったらかし状態になった。耕作地は年々確実に原野に変わり山林との境界が曖昧になって、ソレを待っていたように山の生き物たちが自由に動き回って悪さをするようになってきたから、梅と柿と栗の木を切り倒すことにした。伐採した木はストーブの焚付の足しにできる。
数本の柿の木から手頃なのを選んで、実がまだ色づく前に毎年1本ずつ切り倒すことにした。それから柿の実を収穫して柿渋を作り置きしようと思う。絞った柿渋をペットボトルに入れておけば1年後には染色に使えるはずだ。数年間掛けて毎年切り倒しながら柿渋溶液にしておけば、しばらくはそれを使って柿渋染ができるはずだ。

文字は「直指人心」と書いた。禅語で比較的有名だから知っている人もいると思う。
指差した先にあるものにばかり心を囚われてはいけない。むしろ指差した自分の心の道理を冷静に客観的に見つめ、その真意を推し量ることのほうがズッと大事なことなんだ!・・・とでも云えば良いのかなぁ〜・・・
とにかく、軽々しくモノを指差したりするもんじゃない!・・・くらいに思っておいたら、自分の軽率な行為を自粛できるのではないだろうかと・・・そんなふうに思って、その手ぬぐいを頭に巻いて作務でもしてみようと考えた次第です。それでもたぶん、2〜3回も洗濯すればその字も消えて無くなって元の柿渋色だけが残るだろう・・と予測もしていたりしています。ソレはソレで恩着せがましくなくて良いでしょぉ〜

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令和の山寺事情 

2019/07/04
Thu. 23:53

いつもは○○県で暮らし、1年の節目に島根県の実家へ帰省して数日間過ごし、大事が収束すると○○県の生活へ帰る・・・
こういう、二重生活が過不足なく続くことは珍しい。
○○県から島根県へも「帰る」と云い、島根県から○○県へも「帰る」と云い・・・前後の事情を知らないでそういう話を初めて聞く時は、なかなかすぐには理解に苦しむことだろう。
最近の私も、規模は小さいものの石見銀山の吉田家と飯南高原の万善寺を通勤坊主で往復していると、知らない間に似たような言い回しを使い分けていたりする。
世間ではそういう生活状況が普通になってきて、会話の流れが変なふうに錯綜して無駄な誤解を招いたりしてややこしいことだ。
人口減少の加速している飯南高原あたりでは、生まれた所で仕事をしながらやがて歳をとって生まれた場所で死んでお葬式が出て先祖代々続くお墓に入るというひと昔前なら当たり前だったことが、最近では逆に珍しくなりつつある。

生活の基盤が人付き合いの濃密さと大きく関連するから「ワシが死んだら、田舎の実家で葬式を出してくれ!」とか遺言めいたことを家族に話していても、結局当人が死んでしまえば残された家族の付き合いが優先されて、現住所の近所にある葬祭会館で葬式が出される。その方が葬儀の参列者も故人の付き合いや遺族の付き合いで八方丸く収まって助かる。

他の寺院の事情はわからないが、万善寺はこの近年細切れの葬式坊主とか法事坊主の事務的な依頼が何気なく微増し始めている。
例えば「戒名だけつけてください」とか「葬式にだけ来てもらえませんか?」とか、「うちの法事はおじいちゃんまででいいですから」とか「墓納めをしてもらえばあとは家族でなんとかしていきますので」とか「散骨に決まりましたので法事やお墓参りは結構です」とか・・・施主と云うか喪主と云うか、そういう人たちの生活地域によって寺院の収益事業にかなりの誤差が出ているようだ。
市街地のお寺では、戒名料を請求するらしいし、年間の墓地使用料徴収も当たり前のようだ。他にも坊主的に説明のしようがない不条理な金銭授受が、それこそ常識として通用していたりするようだ。

万善寺の場合、1年に1回ほど5尺塔婆をまとめて購入しておけばソレでだいたい用が足りる。そろそろ在庫が減って心配だから今までの業者さんへ発注しようと価格表を見たら、いつの間にか値上がりしていて予定が狂った。せめて、年回法事の塔婆だけでも内地産の柾目がキレイなヒノキくらいにはしておきたいと思っていたのだが、今の万善寺ではとても手が出せない。あれこれ業者さんを探して、洋材だけどソコソコの柾目が揃うあたりで手を打つことにした。施主さんへの塔婆代請求は購入金額から割り出している。塔婆で儲けようなどサラサラ思わないが、それでも金額を言うと「それじゃぁ、塔婆はナシということで・・」などと云われたりする。
さて、令和の坊主家業はこれからどうなっていくのだろう???

令耳聴語1のコピー (1)

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ヤモリのシーズン 

2019/06/29
Sat. 23:11

琴引山がすっぽりと隠れて、雲が低い。
庫裏玄関の土間は昨日に増して露がタップリと張り付いている。
昼過ぎからは雨が本降りになる様子なので、午前中をつかって本堂の東側から駐車場にかけて草刈りを進めておくことにした。
大般若経転読会の前に境内のぐるりを整備しておいたのだが、その後ひと雨降るたびに刈り込んだ草がグイグイ伸びてキリがない。
草刈り機のグリップを握る右手がシビレてどうも調子が出ない。
混合油1回の給油でだいたい1時間はもつが、今は人間のボクの握力のほうが30分位しか持たない。休憩を1回入れて約1時間ほど草刈りをして、それから刈り倒した草を駐車場の隅へ集めたところで体力の限界が来た。
以前のような無理は出来ないということに少しずつ慣れてきた。

昼食に賞味期限2015年というかなり熟成された?年代物の素麺を一握りほど茹でた。
茹で上がるまでにインスタントのオニオンスープをお湯で溶かし、つけ汁は梅のり茶漬けをこれもお湯で溶かしておいた。
ワイフが持たせてくれたきんぴらとオカヒジキを取り皿に移して、茹で上がった素麺をどんぶりにすくい取った。
バックミュージックはAppleMusicからジャズのピアノ・バーにした。ちょうどダイアナ・クラールが気怠げに歌い始めたところだった。彼女は確かバークレーかジュリアードを卒業していたはずだ。アメリカはショービジネス業界の層が厚いといつも思う。

まだかろうじて雨が落ちていないから、工具や道具を湿気の少ない物置きに移動しておくことにした。
物置きは昔お風呂だったところで、まだホーローの浴槽が残っている。寺の風呂とトイレは、火事のリスクを避けるために庫裏から切り離して別棟になっていた。その後、ユニットバスに切り替えた時、庫裏の一角にあった物置きを風呂にして別棟の風呂を物置きにした。それで、今は物置きになった風呂の浴槽で彫刻の展示につかう玉石を保管している。他にも彫刻の工具や寺の営繕の道具などいろいろなものが物置きへ詰め込んであるが、少し太い杉の丸太も何かに使えないかと何本か一緒に入れてあって、ソレが場所をとっていたから移動していたら、杉皮の裏から隠れていたヤモリの子供が出てきた。

シーズンになると、物置きやトイレの窓へヤモリがどこからともなく現れて張り付いている。常夜灯代わりに電気をつけておいてやると、夜の虫たちが明るさにたかって、ヤモリはそれを食べている。
時々ヤモリをモチーフに小さな彫刻を造るから、造形の観察にも都合が良い。
まだ高校生だった頃、お盆で寺へ帰省するまで下宿の部屋でヤモリを飼っていたことがある。夕方に学校から帰ると部屋の電気をつけて30分位窓を開けておくと、ヤモリの餌たちが向こうから舞い込んでくる。ソレを生け捕りにしてヤモリの部屋(大きめのガラスコップ)へ入れておくと、次の朝には跡形もなくヤモリの腹へ収まっていると云う具合だ。
ヤモリはちいさな声で鳴く。それもまた可愛い。

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令和になって・・ 

2019/06/28
Fri. 15:49

令和元号になって初の台風が発生したとか接近するとか、朝の情報番組で言っていたような気もするが、あまり本気で聞かないまま吉田家を出発して銀山街道へ入ると、万善寺へ着くまで比較的激しい雨が降り続いた。
たぶん「台風の雨かもしれない」となんとなく思ったが、激しい風が吹くわけでもなく普通に梅雨らしいふうな様子だった。
寺の庫裏玄関へ入ると土間のたたきにビッシリと露が張り付いて、飽和状態に近い湿気がいっきに絡みついてきた。
屋内はひんやりとして特に蒸し暑いわけでもなくそれほど不快でも無いが、なんとなく肌が湿っぽいのですぐに首の装具を外した。
気圧の関係なのだろうか、右半身がだるくて指先までシビレがひどい。

本堂をひとまわりして、昨日に届いていた5尺塔婆を倉庫から運んだ。
自分が住職になってからは国内産のヒノキで製材した塔婆を奈良県の業者へ頼んでいたが、年々値段が上がってつい先ごろ調べた価格は初めて注文した頃の2倍を超えるまでになっていた。山寺の零細寺院ではとてもそれほどの投資は出来ないので止むを得ず他の業者を探すことにしたのが1週間ほど前のこと。
結局お檀家さんには悪いが背に腹は代えられないと、洋材を寄せ集めて板目に製材したB品を探し出して、それで手を打って発注を掛けた。梱包を解いて中身を確認すると、板目の塔婆にはそれこそ台風の目のような節が所々にあって、ヒノキ材とかなり差がついてしまった。これからは、塔婆用に年末まで500円貯金を工夫するしかなさそうだ。

急に風が出てきて縁側のガラス窓がうるさくなってきた。
境内の整備作業はとても無理そうなのでワイフから頼まれていたポスターの原稿を作ることにした。文字打ち程度のことだが、自分の思うようにいかないことばかりだからどうもヤル気になれない。
ワイフは、昔からデザイン仕事に慣れないところがあって、いまだに昔ながらの手描き切り貼りのアナログ原稿で業者さんとのやりとりをしている。
デザイン専用アプリが常識になっている最近は、かえって手造り感が濃厚に漂うデザインも新鮮に思えて自分としては「ソレはソレでアリかな・・」とも思う。時間と予算が充実すればできることだろうが、今の常識的印刷事情ではなかなかデザイナーの意思を汲み取った印刷物になるまでのことも難しいことだ。

塔婆もそうだし、印刷もそうだし、結局は「何をするにも金次第・・」ということなのだろうか?
そういえば、身体が不調の進行へシンクロするように、電動やエンジンの工具や道具が少しずつ増えている。
自分で気づかないまま自分の身体の不具合を機械でまかなおうという気になっているのかもしれない。
剪定用の電動ジグソーや、電動ノコ、エンジン草払い機にエンジンブロワー、充電式芝刈り機などなど・・・さて、自分の体力がどれだけお金で買えているのだろう??

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お不動さまと鮎 

2019/06/25
Tue. 14:58

右手のシビレが疼いてなかなか眠れなかった。
飯南高原の夜はけっこう冷え込んで、夏ふとんがおぼつかないほどだ。
なんとなく上手く眠れないまま朝になった。
スズメたちが騒がしくて目が覚めてから、朝食代わりの野菜ジュースをコップ一杯飲んで早朝の万善寺を一回り巡回した。そうしていると毎晩フギャフギャ鳴きながら吉田家の夜回りをしているクロを思い出した。

2日ほど前から2泊3日の単身赴任で万善寺暮らしが続いている。
3日目は飯南高原のハズレにお住まいの施主さんが一人でお守りされているお不動さんの祈念供養で出かけた。
先代住職の頃から続いている供養を私が引き継いでから、もう20年近くになる。
すでに代替わりをして、その後ご主人も早くに亡くなって、今は残されたご高齢の奥さんがお守りしていらっしゃるが、どういう経緯でお不動さんをお祀りになられたのか今の奥さんではよくわからないようだ。それでも「昔からあの場所へお不動さんがお祀りしてありましたけぇ〜ねぇ〜」ということで、一年に一度ほど春の時期にお経を読んでくれと連絡が入る。今年は、私の入院があったから6月の今の時期にしてもらった。
ご自宅の裏山の山道を登った途中に広がる竹林の中の小さな平地へぽつんと安座されてあるお不動様のお堂も、次の代替わりからあとは今の状態がどこまで維持されていくかは微妙なところだ。ひとまずは、万善寺へ声がかかる間はなんとかして小さなお堂まで山道を登り続けようと覚悟はできている。

万善寺から出雲街道を南下して、途中から銀山街道へ曲がる。その銀山街道を少し走ってひと山越えた次の谷へ入ると渓流に沿って付かず離れず続く道を江の川の本流方面へしばらく下ったあたりにお不動様安座の施主家がある。
渓流は中国山地の島根県側の麓から北へ向かって流れ下っていて昔は江の川の鮎が渓流のかなり上流までのぼっていた。施主家から3kmほど下ったあたりの渓流脇に鉱泉が湧いていて、その源泉を引いた沸湯の湯治旅館が道の脇へ一軒ほどあった。旅館のすぐ下を流れる渓流にはシーズンになると鮎の釣り人がやってきて、彼らはその旅館で泊まりながら鮎釣りをし、夜は釣った鮎をご主人の料理で鮎づくしにして一杯!・・・という贅沢な行楽でそれなりに賑わって、知る人ぞ知る名所にもなっていた。

先代住職の憲正さんは温泉好きの趣味人でもあったから、お盆の多忙が少し落ち着いた頃になるとその旅館へ予約を入れて、私やワイフやまだ小さかった孫たちも誘って1泊2日で湯に浸かり鮎三昧の慰労会をしていた。ワイフは川魚が苦手で鮎が食べにくそうにしていたし、癖っぽい鮎が孫たちの口に合うわけもなく、憲正さんと私の前には鮎の各種料理がズラリと並んでついつい酒が進んだ。ボク的に今は良い思い出になっている。

その旅館はご主人のヘルニヤが悪化したからという理由でずいぶん前に廃業した。鉱泉の源泉は今でも湧いていて、趣のある旅館の佇まいもそのままで残っているが、代替わりをした後、旅館業を再開することはなかった。お不動様のお経を済ませたあと、その元旅館の少し先にある同宗のお寺へ用事を済ませた。

アッという間に3ヶ月が過ぎた。右手のシビレは特に大きな改善もないまま続いている。

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仏様のいろいろ 

2019/06/24
Mon. 18:41

早いもので隣町にある同宗寺院のご住職が遷化されて三回忌が巡ってきた。
宗門では三回忌のことを「大祥忌」という。坊主の間では普通に日常会話でその意味が通じているが、一般の檀信徒のみなさんにとっては聞き慣れない言葉だから、追善法要のときは一般に対して「大祥三回忌」などと丁寧にお話ししているが、さて、そのようにしてもお参りの檀信徒の皆様方にどれほど理解できているか・・・私個人としては微妙なふうに思える。

現職の住職が亡くなったのだから、年回の法要も内輪で簡単に済ますわけにもいかない窮屈なところもあって、法要を円滑に進めるために最低でも10人チョットの方丈様方が配役参集される。
私も、万善寺住職として随喜することになるが、数年前に腰から下の膝やくるぶしの関節が曲がらなくなってまともに正座や三拝もできないし、身体の不具合が法要の邪魔になることばかりになったから、それでもなんとか一役こなせる程度のコトをさせてもらって許してもらっている。それで現住職のお考えもあって、そのお寺でこの度のような規模の法要がある時はだいたい司会を務めることになっている。
坊主の間で通用する仏教用語でも、一般にはわかりにくいこともあるし、そもそも、法要の中で誰が何をしているのか、どんなお経を読むのか、方丈様方の色々な動作にどういう意味があるのか、参列の皆さんはどのように立ち居振る舞わなければいけないのか、よくわからないことがたくさんあるから、法要の流れに沿ってそれらをわかりやすく解説していくというのが、司会の主な役割になる。ドタバタと動く必要もないし、本堂の片隅のじゃまにならないところで静かに気配を消して喋っていればなんとか一役務まるから、万善寺方丈にはソコソコ適役であるとは思う・・・が、そもそも大勢を相手に一人で喋り続けるということに慣れないから結局ソレも適役とはいい難いところでもあって、ようするに、現ご住職には失礼なことだが、何かもっともらしい口実を付けてどこかの方丈様へ香資を託して「トンズラしたい!」というのが本心だ。

時期的には梅雨に入って雨が降ってもおかしくないが、朝から良い天気でそのわりに暑いわけでもなく、過ごしやすい一日になった。
お寺へ着くと既にお檀家の役員方が参集され、おおよそ準備が整っていた。
前夜に大急ぎでまとめたプリントを渡して、法要開始までの手持ち無沙汰な時間の場繋ぎにしてもらった。こういう機会に少しほど本気になって仏教の常識を再確認してもらうことも大事だし、何よりこれから暫くの間は万善寺の法事で説教代わりの小ネタに使えるから自分にとっても都合がいい。
退院したときに自分への良く頑張ったご褒美で買ったiPad mini5が便利に活躍した。
今までアナログ原稿から始めていたコトが、iPad mini5とApple Pencilだけで特に専用のアプリが必要でもなく簡単にできるようになった。とても2〜3時間でできることでもなかったものが、手間数としては3〜4工程は省くことができて、ナッツを口とりに冷酒をチビチビやりながら原稿を書いて、午前0時過ぎにはプリントまで終わった。
それでも、首から方にかけて負担が大きかったのだろう、寝てるときから右手がひどく痺れて、それから法要の最中も我慢が難しいほど疼いた。

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浄土寺大祥忌法要配布 (1)

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大般若経諸願成就如意吉祥 

2019/06/21
Fri. 11:40

島根県の山間部に点在する禅宗寺院では春の祈念法要で大般若経転読会が厳修される。
大般若会は、特に春の法要として決まっているわけでもないと思うが、万善寺の周辺では昔からそういう事になっていた。
ところが、何故か万善寺だけは夏のお盆過ぎに大般若経転読会を行っていた。
お盆はだいたいどの寺院も棚経をしていて、檀家が多いところは約1ヶ月の間に500軒ほどの棚経をつとめながら、施餓鬼法要や施食会の手間替え随喜をすることになるから、その上に万善寺の大般若経会となると、もう方丈様方は体力を使い果たして声もまともに出ないほどヨレヨレに疲れ切っていらっしゃる。それでも、みなさんがまだ若かった頃はなんとか最後の力を振り絞って法要へお付き合いをしていただいたのだが、年々歳をとって身体が思うように動かなくなり始めると、いよいよ随喜の負担が増して見るからに辛そうな様子が伝わってくる。
住職のボクとしては見て見ぬふりでいられることの限界を感じ始めていたのだが、前住職の健在なうちは長い間の年中行事を気軽に変更することもはばかられて粛々と例年の習わしをそのままにつとめあげていた。

前住職の永眠から数年の間は悩み迷っていたが、三回忌が終わったところで「そうだ!憲正さんの祥月命日に大般若経転読会を厳修したらどうだろう・・」と思いついて役員の皆さんに了解を図って随喜寺院方へその旨を伝えた。
それから万善寺の大般若経転読会も夏から春の法要に仲間入りして今に至っている。
おかげさまで、寺院方には夏に比べると身体の負担も軽くなって比較的楽なおつとめになったようだ。
その、万善寺大般若経転読会が先ごろ行われた。
住職が導師をつとめることになるから大衣に着替えたところで首の装具もはずした。
もうかれこれ2ヶ月ほど首に装具を巻き付けた状態で暮らしていると、頭を支える首の筋肉が痩せ細ってなんともみすぼらしい様子になっている。親譲りのなで肩体型も加わると大衣に掛けた袈裟がすぐにずり落ちてだらし無く貧相極まりない。その上、頭の重さを支える都合で肩はこるし、腕から指先にかけて残っているシビレはひどくなっていくし、法要が終わって塔婆回向もすんでお参りのみなさんも帰られた後は、本堂から庫裏から後始末で立ち歩くのもやっとだった。
まぁ、当分の間はあまり無理をしないようにボツボツと身体を慣らしていくしかなさそうだ。

春の展覧会から帰ってきていた小さな彫刻が梱包されたままであったから、法要に合わせて庫裏のディスプレイで使うことにした。
自分で勝手に満足する程度のことだが、こうして自分が造った彫刻を触っていると身体の不具合のこともその間は忘れていられる。
この彫刻のシリーズは十三佛がモチーフになっている。個展の連作で造り始めていたものだが、腕のシビレがひどくなってその後手術になったりして、あと10体のパーツを残したまま制作が止まっている。握力も少しずつ戻り始めているし、様子を見ながら制作を再開しようと思う。

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とまり木 

2019/01/15
Tue. 23:12

少し風はあるが、それほど寒くもないから庫裏の空気を入れ替えようと、アチコチの窓を開けた。
飯南高原の冬は、だいたい雪が積もるからそれなりに湿度もある。そのうえ、締め切った家内で暮らしていると朝晩煮炊きもするからよけいに湿気がこもる。内も外も湿気だらけでどうしようもないが、それでも窓を開けて風を通すと澱んだ部屋の空気が入れ替わってスッキリする。
性格もあるのだろうが、どうも建具を締め切って薄暗い部屋に閉じこもるより内も外もなくフルオープンに開放感のある方が好きだから、こうして冬の寒い時期でも庫裏から本堂の入り口が見えるくらい素通しの状態で過ごしている。
結局はオヤジの一人暮らしで誰も文句を言うヤツもいないからこういう暮らしが出来ているわけだが、これで四六時中隣にワイフでもいたりするとこういうわけにはいかないだろう。いずれにしても、ソコソコ身体の動くうちは若干不自由なことはあっても気兼ねのない毎日を過ごすほうがストレスもたまらなくて調子がいい。

洗面所の窓を開けると、すぐ目の前にオノレバエで大きくなった柿の木と雑木の枝が茂っている。今は葉を落として向こうの景色が素通しだからそれほど気にならないが、春になって若葉が芽吹き始めると見る見る見通しが悪くなって鬱陶しくなる。それで、その時は枝を切り払おうと思うし根本から切り倒してしまおうと思うのだが、そのうちだんだんと葉の茂った景色に目が慣れてしまって「どうせなら、秋になって葉が落ちてから切り払ったほうが始末も楽だから・・」と気が変わってひと夏すぎるまでやり過ごしてしまう。そして、秋になる頃には枝木の刈払いのことなどすっかり忘れていて、そのうち葉が落ちて向こうの景色が素通しになると、特に鬱陶しく思うこともなくなってそのまま次の春になってしまう。こういうコトが繰り返されてもう何年にもなる。
今は、その柿と雑木の枝が寒雀の休憩所になっている。
捨てるのももったいないからと、虫の入った古々米の処分を雀たちに任せているところで、ちょうどその餌場近くに都合よく柿と雑木が枝を広げているものだから、彼らの食事時が重なると保賀の谷から集まった雀たちが鈴なりになって枝がしなる程になる。そういう光景を洗面所の窓からのぞき見ていると「特に急いで切り倒さなくてもいいか・・」と云う気になる。

万善寺も、この数年で裏山が境内まで迫ってきた。このまま見過ごせばそのうち座の下から筍が伸びるかも知れない。
もう何年も前のこと、万善寺営繕のことでツイツイ近所のおじいさんへソレを愚痴った。
「雑木は無理して刈り倒さんでもええですけぇ〜ねぇ〜」
そのおじいさんは、若い頃山仕事で暮らしていたから、山事情に詳しい。
「植林の枝打ちと間伐が先ですがぁ〜。雑木はどうせ4〜5年のうちに生え変わりますけぇ〜」なのだそうだ。根が浅いから夏の暑さでヤラれ、冬の雪でヤラれ、大きく育つ前に生存競争で淘汰されて長生きできないのだそうだ。それで腐った枝木や落ち葉が堆積して腐葉土になって山が肥えて都合が良いのだそうだ。
今はそのおじいさんも他界されて山の話を聞く手段も絶えた。

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三界萬霊 

2019/01/14
Mon. 23:57

たぶん、万善寺の現住職(ボクのことです!)が保賀のとんど祭でお経を読むようになってからはじめてのことだろう・・・こんな良い天気!
お正月の月半ば頃は、だいたい周囲全体雪景色で、暴風雪が続いていたりするのに、今年は高層の筋雲がひと刷毛浮かんでいるくらい。
風が少々強くて大般若経の経典をめくることが出来なかったくらいどぉ〜ってこと無い。
とんどのお焚き上げも一瞬で煙に変わって、天にたち昇っていきました。

お昼からは保賀の新年会がはじまるので、万善寺住職は急いで寺へ帰って大衣をたたんで自由服に着替えていると、すでにみんな集まって準備万端「方丈さんを待っとりますけぇ〜ねぇ〜」早く来い!と電話が入った。
一升瓶を1本とお供えしてあった羊羹の箱を抱えて集会場へ行ってみると、一番上座が空けてあって「方丈さん、はよう座って、はようはよう!」と急かされた。
たいして偉くもなんともないナンチャッテ坊主ごときが一番上座へ座らされるのもどうかと思うが、先代からの慣わしもあるので気にしないことにした。

「墓地の端っこに石塔がありますがぁ〜?うちの宗派じゃぁ見かけんですが、禅宗さんのお墓にゃぁ〜だいたいありますがぁ〜?ありゃぁ〜、なんちゅうて書いてありましたかいねぇ〜、サンやらマンやら字があったような??・・・」
この2〜3年のうちに相次いで町内の長老クラスが他界され、一気に長老格へ駆け上った感のある中組のおじいさんが、私の目の前で一杯やりながらしきりに質問される。どうも内容がよく飲み込めないでいろいろと苦労しながら話の糸を繋いで、やっと「三界萬霊」にいきついた。絶対!というわけでもないが、確かに浄土真宗さんの多い飯南高原では、墓地に三界萬霊塔が建立されることが少ない気もする。
「あぁ〜〜、それ、サンガイバンレイね!・・ハイハイ・・あの石塔は信心供養の気持ちの現われですから、あまり宗派は関係ないと思いますけどねぇ〜」と、だいたいの意味をおじいさんがわかりやすいように解説することになった。近所で暮らしていても、こうして面と向かって会話することなどめったに無い事だ。なにか新年会で昼間から気楽に飲み食いして、寺へ帰ってバタンキューを決め込んでいたのに、それどころではなくなった。

「三界萬霊」の発想そのものは、宗教的形而上において抽象性レベルの高いところで定義づけされていると思う。それをどうやってわかりやすく形而下の具体的要素に置き換えて解説するかとなると、ナンチャッテ坊主は役不足だ。とにかく、大汗かきながらアレコレ手を変え品を変え話してみたが、おじいさんが納得できたかどうかはわからない。
坊主的解釈でいうと、色界、無色界、欲界の三世界を意味付けることが多いと思うが、この解説がなかなか至難の業でボクには無理・・なので、おじいさんにはわかりやすく過去現在未来の三世界のことを云うのだと話しておいた。
今の自分のこともよくわからんのに、前世がどうとか来世がどうとか考え始めたら夜も眠れなくなる。まずは三界萬霊塔を建立して「三世界全部ひっくるめて供養信心しておけば間違いはないのだ!」というわけ!・・ずいぶん乱暴なことだが、そもそも抽象表現の根本は「如何にして単純化を追求するか!」ということではないかとボクは思っている。

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鏡餅のいき場所 

2019/01/13
Sun. 23:42

お供えの鏡餅を下げると30個近く集まるので冷凍庫を整理した。
底の方にはちょうど1年前に同じようなことをして保存しておいた去年の鏡餅がまだ残っていた。とにかく、そういう古いものからなんとかして消費しないとスペースの確保が難しいから、一度中の物を全部取り出してみた。
いらないものがあるだろうと思っていたらそうでもなくて、みなそれなりに捨てるにはもったいないものばかりだったから、オヤジの一人暮らしで使い切ることを目標に、アレコレ見繕って冷蔵庫の方へ移し替えた。

今日も朝から良い天気で、本堂の荘厳を片付ける間ストーブがなくても全然寒くなかった。
お供えのお下がりを何往復もして台所まで運んでから、しめ縄とか松竹梅を撤収してとんど祭でお焚き上げできるように一つに集めた。最後に荘厳を取り払っていつもの須弥壇に戻ったのはお昼を少し過ぎた頃だった。
人の好みとか趣味にもよるだろうが、私はとにかく何事もシンプルで質素な方が好きだ。基本的な荘厳の決まり事は宗派の常識として周知されているから、だいたいそれをお手本にして坊主個人の好みは二の次であることが大事ではある。住職は宗派の常識を元に荘厳を整えることが当然の義務であることもよくわかってはいる。それでも、やはりボクなりの美意識のようなものもあって、どうもそういう画一的な様式美を素直に飲み込むことが出来ない。前住職が健在だった頃は師匠の言付けを粛々と守って言われたようにコトを進めていたが、今は後にも先にも荘厳作務一式全て現住職である私の一存で仕切っているから、建前はソレとしてひとまず置いておいて、自分の本音を優先することに気持ちを切り替えた。常日頃は近所から信心のお参りがあるわけでもないから、自分が一人で一切合切責任を持って心得ておけばソレでいいと云うことにしてある。

本堂での作務を終わらせてから昼食の支度に取り掛かった。
つい先日まで三度の食事をワイフが用意してくれていたから、今もそのくせが抜けきれなくてなかなか食事の1品を作る気になれない。
冷蔵庫を開けたら、冷凍庫から移動しておいた幾つかの食材が解凍されていた。
好きでよく買う砂肝も良い感じで解凍されていたから、お昼はそれをメインになにか作ることにした・・・と、そこまでは決めたのだが、さて何にしようかなかなか決まらないまま、とにかく、まずは砂肝に包丁を入れることにした。気持ちが乗れば「絶対塩焼きだな!」と、一瞬閃いたが、塩焼きだとやっぱり串に挿して「炭焼だよね!」と気持ちが次に飛んで、そういえばワイフが竹串を何処かに仕舞っていたはずだ・・と思い出して、台所のそれらしき場所をアチコチ探したが結局見つけ出すことが出来なかった。まな板の上で二つに切り分けられた砂肝を眺めてしばし迷ったが、そのうち塩焼きのために炭を火起こしするのがだんだんと面倒臭くなってきた。それで、結局いつもの手っ取り早いアヒージョに落ち着いた。ワイフが差し入れしてくれた手作りパンもまだ残っているし、そのパンに砂肝エキスの滲み出たオリーブオイルを付けて食べたら美味そうだし、簡単だから「そうしよう!」と決めた。「コレにワインでもあると最高だなぁ〜」と一瞬そう思ったが、さすがに昼間から一杯やるのは気が引けて、それは断念した。

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セロテープと障子糊 

2019/01/12
Sat. 23:56

2日半の徹夜分を取り戻すようにひたすら眠り続けた。
早朝の保賀の谷は、雲はあるが山陰の冬としては良い天気といえるだろう。

寺の正月の習慣を続けていたら、最近は毎日朝食をとるようになった。もうずいぶん長い間朝食抜きの暮らしが続いていたのに、どういうわけか今度の正月以来オヤジの一人暮らしになってから後も、なにかしら朝ごはんになるような一品を作っていたりする。まぁ、普通に三度のメシを食べるということは一般的に悪いことでもないだろうから、あまりストレスにならない程度に続けてもいいかなという気もしている。

11日も過ぎたし、本格的に正月のお供え物や正月飾りを下げたりしなければいけないと思いつつ、それでも身体がなんとなく重たいものだから読みかけの文庫本を開いたりしてグダグダしていたらお昼近くになってしまった。
「コレはマズイ!」と気を取り直して、まずは身の回りの家事から片付けることにした。
台所で使いまわしている布巾代わりのタオルなど洗濯物が少し溜まっていたので洗濯機を回した。それから、灯油ストーブのタンクへ灯油を補充したりゴミの仕分けをしたりした。
重たい身体を騙しながらモタモタとそういうコトをしていたら何かの拍子に小指の爪をどこかで引っ掛けたようで爪が3分の1ほど剥がれた。血がにじんできたので絆創膏を探したが思いついた場所に見当たらない。もう1年以上も前に一箱開けてそれが使い切らないまま残っているということは間違いなく覚えているのだが、それを何処へ仕舞ったのかそのコトを覚えていない。仕方がないから、セロテープで応急処置をして近所のホームセンターへ走った。

絆創膏を探している時に障子糊を見つけた。
前々からお経本の折れ目が破れてバラバラになりそうだったのをダマシダマシ使っていたのを思い出して、この際一気に「お経本の修繕をしよう!」と決めた。
前住職はセロテープで簡易的に補修をしていたものだから、使いにくくてしょうがなかったことを思い出した。やはり折れ目の補修は和紙でないとダメだ。
特に何に使うかと決めたわけでもなく、御札製作でサイズからはみ出した余分を捨てないで仕舞っておいたのを取り出してダイニングテーブルを作業台にした。
空の雲が少しずつ切れて、台所へ西日が差し込んでくる。
時折、寒雀の集団が古古米を食べにやってくる。
作業のバックミュージックには、YouTubeからエンドレス配信の音楽を選んでおいた。

正月の荘厳を復元しょうと思っていたのに、お経本の修繕が思った以上に長引いてしまったので、そちらの方は1日ずらすことに決めた。14日は保賀のとんど祭があるから、前日に寺のコトを終わらせておけばまだ間に合う。
夕食用にテーブルを片付けて台所仕事をしていたら、小指の絆創膏がポロリと落ちた。やはり、安い絆創膏はダメだ。血の方はとっくに止まっていたが、爪の剥がれたところがヒリヒリと痛い。「夕食何にしようかなぁ〜・・」小指をしゃぶりながらしばし悩んだ。

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通勤坊主2019 

2019/01/06
Sun. 23:14

年賀状のこととか幾つかの書類ごとが吉田家で停滞していて、そろそろワイフの我慢が限界に近づいているようだったので、一度石見銀山へ帰ることにした。

冬至を過ぎてから夜明けが少しずつ早くなっている。
雪の切れた駐車場に停めてあるある銀くんには、霜が張り付いて真っ白になっていた。しばらく暖機運転をして窓ガラスの霜を溶かしてから参道を下った。
さすがに境内は雪に埋もれているが、今年は参道や本堂下の駐車場が普通に使えている。
銀山街道を走りながらちょうど1年前のことを思い出していた。
気温が−5℃くらいまで下がって水道管が凍結したり風呂のカランが破裂したりして対応に苦労した。まだ辛うじて健気に動いていた結界君はお地蔵さんの前で雪に埋まって身動きできないでいた。

今年になってはじめて石見銀山へ帰った。
町並みはまだ寝静まっていて雪の痕跡もない。
吉田家はすでに玄関も雨戸も開いていた。きっと、ワイフが早朝のウォーキングへ出かけているのだろう。
土間からクロの鳴く声が聞こえた。まだ私のことを覚えてくれていたようだ。
留守にしていた間に土間へ積み上げてあった薪が無くなっていた。

1時間ほど吉田家で用事を済ませて寺へ引き返した。
正月は、時々年始のお参りがあるので昼のうちは寺を留守に出来ない。本堂の用事をしたりしながら留守番をするのが住職の仕事にもなるが、人が一人でも居れば、暖房や三度のメシとか無駄に光熱水費を垂れ流ししているようなところもあるから、いっそのこと万善寺も「冬季休業期間を作ってもいいかな?・・」と本気で考え始めているが、私の住職できる間はそうにもなるまい。

本堂の荘厳は10日位までそのままにしておく。お供えの手造り鏡餅はそろそろカビが出る頃なので既成のパック餅に入れ替えた。早速お昼にお下がりをいただくことにする。
庫裏の南側二つの部屋は、大屋根に積もった雪の重みを支えるために冬の間だけ襖で仕切ることにしている。模様替えというほどでもないが、明るい昼のうちに彫刻の場所替えをしたりお供え用のシキビを入れ替えたりした。
年末にバリカンを当てた頭がそろそろ見苦しくなったので、夕方早いうちに風呂へ入った。さっぱりした後の夕食はおせちの残り・・・これもそろそろ飽きてきたが、ワイフの手料理を無駄にできないし、三度の食事でセッセと消費している。

正月の年始行事が過ぎてから、時間だけはたっぷりあるから読み残しや読み返しの本を読んだり見逃した映画やドラマを観たりしようとは思うのだが、目先の用事を片付けていたら気づかない間にツイツイ時が過ぎてまとまった時間が無くなってしまう。それでも、気楽に一人でいられる自由はそれなりに捨てがたいものでもある。気づけば何か一つ事に意識を集中できていたりする。寺の1日がアッという間に過ぎた。

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2019-11