工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

梅雨明け?? 

2017/07/15
Sat. 23:24

蒸し暑い1日だった。
庫裏の縁側にある温度計は西陽を受けて30℃を越えていた。

3つの年回を2つの法事でつとめた。
ありがたいことであるが、この蒸し暑さに大衣と袈裟でお経を読むのは軟弱坊主にとってかなりつらい。
午前中の法事は、7回忌と13回忌を1つの法事にまとめてくれということで、施主さんのご両親の年回法事でもあるし、「まぁ、良いでしょう・・」と引き受けた。
その施主家では、50回忌のご先祖さんが年回法事をスルーされていらっしゃるが、最近はそういうことも普通に増えてきたし、忘れたふりで見逃すことにした。坊主からしてこういう態度だから日本人の宗教観も希薄なものになって仏教離れが進むことになってしまうのだ・・と、若干反省しつつ、それでも、「まだ自分はまともな方だ!」と我が身をなぐさめて正当化しようともがいていたりする。

二枚の塔婆には、ボクのスキな禅語の一つ「結果自然成」を含む達磨さんの伝法とされる偈文を別けて書いた。
〜一花開五葉 結果自然成〜
達磨さんが禅を中国に伝え広めたことで、中国禅の祖師とされていることは禅宗では一般常識で誰でも知っていることだ。
「一花開五葉」とは、「自分が中国にやってきて伝えた禅の思想は、やがて中国全土に広まり大きく花開くだろう!」とでも訳して良いのだろうか??無学なナンチャッテ坊主には達磨さんの真意まで分かるはずもなく、「なんとなく、そんな感じなんじゃないかな?」と思うようにしているくらいのものだ。
「結果自然成」が、ボクのスキな禅語で、これについては、何度かこのブログでも引用させてもらっているから、気に成る方は検索でもしてみてください。
午後からのもう一つの法事でもまた別の禅語を塔婆へ書かせてもらって同じようにお経を読んでお墓参りも済ませて、ヨレヨレになって万善寺の庫裏へたどり着いたら、もう夕方の4時を過ぎていた。

そろそろ梅雨明けと言って良いかもしれない。
保賀の谷に降り続いた雨が地面へ沁み込んで、水分を含んだ土からミネラルたっぷりの水を吸い上げて稲やマメや雑草までもがスクスクと伸びて地上の表面積が一気に広がった。夏を思わせる日差しがそれら全ての植物をジリジリと焙り、気化した水分の強烈な湿気があたり一帯に停滞し、そういう環境の中で白衣から衣から袈裟までつけた坊さんは、サウナにでも入っているくらいの酷暑に絶えつつ木魚を叩きながらお経を読む。
1日で2時間半のソロライブ2回公演をこなしたようなものだから、なかなかのハードワークだ。
湯船にぬるめのお湯をためて行水しながら白衣やパンツなど洗濯した。斎膳を2箇所でいただいていて腹も減らない。麦とホップをプシュっと開けて、その後のことはよく覚えていない。気がついたら座敷に広げて干していた敷布団でそのまま寝ていた。

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寺の朝 

2017/06/24
Sat. 23:12

実は、寺の朝はやたらと周囲がうるさくて、それで目が覚めてしまう。
中国山地の島根県と広島県の県境に近いところにある寺だから、緑が豊富でマイナスイオンがタップリ降り注ぐ静かな山里だろうと思われているかもしれない。そういう想像も、まんざら外れているわけでないが、かえってそういうところだから余計に人間以外の様々な生き物もたくさん生息しているわけで、早朝の夜から昼に変わるあたりの時間帯になると、それらの生き物たちが一斉に活動をはじめて様々な情報交換をする、それが、「やたらとうるさい!」のだ。
万善寺は、保賀の谷にある山の尾根から少し下がったところにあって、比較的見晴らしが良い。
生息する生き物たちもそういう状況を都合よく知っている。
ロフトのいつもの部屋で寝ていると、天窓のすぐ前のトタン屋根へつがいのカラスが飛んできて、ひとしきりアチコチぴょんぴょん飛び跳ねる爪の音がガサガサと、とにかくうるさくてだいたいそれで目が覚める。
こんどは鳶がピューピュー鳴き始める。時々、カラスと鉢合わせすることがあって、しばし空中戦が続いたりすると、バタバタと羽音がかなりの迫力だったりする。
それからあとは、もう寺の周囲のアチコチから数種類の鳥たちが鳴きがじめて、それが2時間近く続いて最後頃に鶯が鳴く。
その頃がだいたい6時半前後で、町内の有線放送が町民歌のピアノ演奏を流す。
強い湿気が谷へ降りているとカエルの合唱がひとしきり続くが、今は空梅雨状態だからカエルの方は比較的おとなしい。
やがて、人間が活動をはじめて草刈機の音や、国道を走る車の走行音が増えてくる。
もう、ソコまでくると朝寝をむさぼる気にもなれなくてゴソゴソとシュラフから這い出ることになる。
・・・だいたい、今の時期の朝はこんな感じだ。これが、盛夏になるとむせ返るような暑さが加わって寝苦しくなるから、それよりはまだマシではある。

週末に棟梁が改修の仕事をスタートさせた。
私の方は相変わらずいつもの終わりのない草刈りが続いていて、畑の端のイノシシが掘り返した大きな穴へ生草を投げ込んでは灰にしている。
「ほんに、いい風が通って涼しいがぁ〜!」
お茶休憩の時に棟梁がそう言った。
確かに、寺の庫裏は裏山からの風が吹き下ろしてなかなか涼しい・・というより、昼寝などしていたら寒いくらいでつま先が冷たくなるほどだ。

生前の老夫婦が、畳の上にナイロンござを敷いて、その上に箪笥などを置いて暮らしていたから、座の下から這い上がる湿気をタップリ吸った畳がブクブクになっていた。
座板も常に湿った状態で家のためには良くないことだから、この際思い切って二部屋をフローリングへ替えることにした。
いらなくなった畳は、俊江さんの畑へ敷き詰めるつもりだ。
それで当分の間、少しほど・・・ほんの少しほど草刈りの面積が少なくなるはずだ。

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坊主の冷や汗 

2017/06/17
Sat. 23:00

午前中いっぱい江津に用事があったので、万善寺を朝早くに出発した。
途中、石見銀山の吉田家近くを通過した時は、坊主頭の短い後ろ髪が引かれて、困った。
何度かこのまま左折しようと思ったが、踏みとどまった。
昼過ぎにまた石見銀山を通過する時も右折をかろうじて踏みとどまって万善寺へ向かった。

法事も終わって、もう少しノンビリゆっくりしたいと思ってはいるが、そういう時に限って幾つかの用事が重なってしまう。
毎年恒例のお大師講もその一つに重なった。
聞くところによると、九十数年続いているらしいが、その間の何回かの代替わりで本当のところは誰も分からないことになってしまったようだ。
荘厳安座されてある仏様をみると、お大師さまの他にも十王様らしき方や、お地蔵様らしき方など、色々な仏様が入り乱れていらっしゃって、お経の後の回向もなかなか一つに絞りきれない。

毎年、世話人さんが持ち回りで引き継がれている。
今年は、坊主の控室もあってお菓子付きのお茶が出たりして手厚い待遇だった。
この時期は日が長いからお経の始まりはまだ十分に明るかった。
回向を終わって焼香を回して、塔婆回向に入った。
西国三十三箇所観音巡りの御詠歌を元にして、万善寺流に吟じる。
憲正さんからの口伝だから、それが正しいかどうかも分からないまま、とにかくそれなりの音階を調整しているが、憲正さんは透き通るような高い声が自慢だったから、私のかすれたヨレヨレのつまらない声と差が開いて、終わった後、「憲正さんの声は、そりゃぁ〜よかったがぁ〜〜、涙が出よぉったけぇ〜〜ねぇ〜〜・・」などと昔話しになったりすると、一気にドッと汗が吹き出して気が滅入る。
そんなことが毎年続いて、今ではお供えのお下がりをいただく斎の恒例話題になったりしてしまった。
もう、かれこれ10年はこの時期にお大師さま供養が続いているから、さすがに小心者のナイーブなナンチャッテ坊主も打たれ強くなって慣れてきた。
お参りのみなさまは、近所のことだからお酒も入ってしだいに賑やかになる。だいたい20〜30分くらいで中座するのだが、今年は仏教やお墓の話題が振られてしまって、切り上げ時を決められないままひたすら解説や回答に汗をかいた。
日頃は、こういう仏事の質問を受けることが珍しいから少々ビビッたが、反面、こういう機会でもないとなかなか質問することもないし、されることもないから、それなりに良い機会を頂いたと、ひとまず、このたびの世話人さんに感謝しつつ、なかなか終りが見えてこないので、「それでは、今回はこのあたりで・・・ということで、第二弾は来年ということにしましょう!」などと、強引に中締めに入ってしまった。

万善寺へ帰ってすぐに白衣などを洗濯機へ放り込んだ。明日は早朝から石見銀山の一斉史跡清掃がある。木魚のバチを草刈機に持ち替えて汗を流すことになる。

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ヤルことはヤッタ!! 

2017/06/15
Thu. 23:29

法類の寺で晋山式があったのは5月末のことだった。
それから既に半月も過ぎてしまったのに、その時の記録写真を渡すことが出来ないでいる。
気にはなっているのだが、万善寺のことが色々続いて、毎日がアッという間に過ぎてしまう間に今になってしまった。

デジタルカメラで約1000枚の写真データになっているので、変にゴッソリ全てをボクのクラウドへウエブアップしてしまうと許容オーバーになってしまうかもしれない。
銀山街道を往復したり草刈機を振り回したりしながら、頭の中で色々と対応をシミュレーションしていたが、それも結局同じことの繰り返しになってしまって最善の方法が見つからない。
それで、「エイ!ヤッ!!」っと意を決めてひとまず1000枚そっくりまるごとDVDへコピーしてしまうことにした。
そのまるごとコピーをとりあえず新命方丈さんへ渡しておけば、しばらくのツナギになるだろう。
ボクの軟弱なMacBookくんでも、一晩あればなんとかデータの書き込みが終わるだろうと確信して夕食が終わってからMacBookを動かしはじめた。
書き込みの記録中は特に何もすることがないからゴロリと横になってiPadをイジったりしていたらいつの間にか寝てしまったようだ。
例のごとく、クロがフギャフギャ鳴きながら真夜中の徘徊をはじめて目が覚めたら、健気にもMacBookくんがひとりでウィンウィン動いて書き込みを続けていた。

法事の準備も最終段階を向かえ、本堂の荘厳を整えたりしていたら、ワイフから「お昼食べない?」と電話が入った。
なっちゃんが東京から帰省してくれていて、彼女がワイフの愛車を運転しているようだ。
万善寺からすぐのところにある蕎麦屋「一福」で待ち合わせることにした。
その後、ワイフたちは法事当日の配膳などの準備をして、寺を出た。
久しぶりに夏を思わせるほど暑くなって、とても陽の高いうちは外仕事は無理だと決めて、あの書き込みの終わったDVDを届けることにした。
途中夕食の食料を買い込んだりしてとんぼ返りして、残っていた草刈りを始めた。
ギリギリ法事までに本堂と庫裏の周囲をグルリと一周することが出来た。
まだ幾つか気になることもあるが、一人で2ヶ月以上の日数を万善寺内外のことに使ったのだから、それなりに「ヤルことはヤッタ!!」と自分に言い聞かせておいた。

あとは、当日早起きをして庭を掃いて花や青葉をお供えして・・・
鳥のむね肉ソテーを頬張りつつ、麦とホップを飲みながら差定をイメージした。
珍しく夜鳩がしきりに鳴いている。
昼は久しぶりに暑くなったが、それも陽が落ちると一気に冷え込む。
晋山式の1日は雲ひとつない快晴だった。
さて、万善寺の法事はどうだろう・・・ボクは雨男だからなぁ〜・・・

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晴れの幸運 

2017/06/13
Tue. 23:22

最近の雨男吉田正純は、日頃の行いが良いのか、やたらと晴れの幸運に恵まれている。
島根県の吉田が行動している地域一帯では強烈な暴風雨がどかっとやって来て梅雨になった。
これは、近年珍しく、あまりにも華々しい梅雨入りだった。
ところが、その風雨が去ったあと、そのままモヤァ~っとした曇りがしばらく続いて、その雲が去ってからは、サッパリと澄みきった晴空になって今に至っている。
おかげさまで、富山の野外彫刻周辺も、チョットした里山状態に鬱蒼とした吉田家の裏庭も、それに、万善寺の境内地や参道、俊江さんの大事にしていた畑やその周辺も、だいたいひととおり草刈りが終了した。

石材屋さんが、永代供養墓一式を万善寺墓地へ搬入設置の日も爽やかに晴れた。
雑木林に囲まれた墓地は、肌寒く感じるほど空気が澄み切って実に気持ちがいい。
もったいないくらい上等の黒土を掘って、永代供養の納骨スペースを確保したあと、3つの自然石を安座した。
手慣れた石職人さんのスキのない作業が約半日ほど続き、8割がたの完成に至った。
まだ、憲正さんが元気だった頃から密かに計画をしていた永代供養の建立が、やっと具体的な形になった。

中央の自然石が永代供養墓で「両忘」と銘を入れた。
この世がどうとか、あの世がどうとか、善悪苦楽生きていれば色々なことがあるから、いちいちアレコレ理屈をつけて窮屈になるのも大変なことだ。既成の概念や変なこだわりや執着を忘れて自分を素直に開放すれば、気持ちもスッキリ気楽になれるはずだ。

向かって右の自然石が有縁無縁供養墓で「道心」と銘を入れた。
ヒトが往生して成仏するには長い長い年数を修行に励まなければいけないのだ!・・というわけで、道元さまも「仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし!」と正法眼蔵で説かれていらっしゃる。

向かって左の自然石が三界萬霊墓で「玄妙」と銘を入れた。
輪廻転生という思想というか、理論というか、哲学的というか、そのような発想はどこかしら人類共通に存在している死生観のようだ。こういう、なかなか具体的に答えにくいところのものにある計り知れないほどの幽玄な奥深さに思いを馳せることも大事なことだ。

普通に、何処にでもあるような「◯◯供養塔」などと具体的にその意味を伝える文字を刻むことも考えたが、自他ともに認めるナンチャッテ坊主ではあっても、いちおう曹洞宗の禅僧でもあるし、お釈迦様の教授を遥か彼方に仰ぎながら香を焚く身であるときくらい、世間の俗からできるだけ遠いところでモノを考えていたいものだと思っている。
造園業者の資材置き場で山積みされた石の中から、それなりの造形的意識を持って厳選した自然石だが、それに禅の仏道に通じる「ナニカ」を刻むことで、建立の真意を感じていただきたいと思ったりしている。

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一俵の米 

2017/06/04
Sun. 23:41

朝目覚めた時に、外の光が明るいと家の中にいることがもったいない気になって、じっとしていられなくなる。
5月はほとんど法事がなくて仏事というと寺の随喜ばかりだったから、それ以外はほとんど毎日万善寺の内外の掃除や片づけや草刈りなどで過ごした。

6月になってはじめてお檀家さんから法事をしてくれと連絡が入った。
おばあさんの100回忌とおとうさんの37回忌を併せて、塔婆も2枚書いた。
万善寺のお檀家さんで、その施主さんだけがいまだに自分で塔婆を作られる。
私が住職になってからでも、5枚は作られたはずだ。そのすべてがヒバの板塔婆で厚さが1cmはあるような立派なもので、お墓に参ると風化しないでシッカリとカタチが残っている。

常々、万善寺では33回忌法事の後の年回は「お祝い法事だと思っておつとめください」とお話していて、このたびの法事は正に目出度いお祝い法事になった。
それが先日随喜でお経を読んでいる最中に何度も電話がかかって往生したことに繋がる。
法事当日の少し前になって、五輪塔建立を思いつかれた。
それはそれでとても良いことだが、あまりにも話しが唐突過ぎて、その後の段取り付合いで苦労した。
五輪塔建立そのものは、普通ではなかなか出来ない一大事業であって、そういう思いつきをしてご先祖様を大事にされる施主さんが皆無状態の今の世に、とても立派なご信心であるが・・・それであるから、坊主としては、石塔建立の場所配置からきちんと撥遣をして点眼法要へ至るまでの順序というものもある。
そういうことをまるまるすっ飛ばして、法事当日を目指した突貫工事になってしまったから、とにかく慌ただしく振り回されてしまったわけだ。

アレコレと色々あったが、終わりよければ全て良しということで無事に法事が終了して、寺へ帰って布団を干したり衣替えの衣を干したりしていたら、先程すませた法事のご主人がお参りされた。何事かと思ったら、米を1俵持参してくださった。いまどきのことでは久しく絶えて無くなったお供え物になった。
ひと昔前はお参りの度のお供え物で、住職一家が1年中食べても食べ尽くせないほどの米が集まっていた。
ずいぶんと念入りなご配慮に恐縮しながら有難く頂いて、ひとまずは御本尊へお供えさせていただくことにした。
おかげさまで、夫婦二人の1年分のお米を確保できた。米代が家計から削減できただけでもとても助かる。早速ワイフへ報告して二人で喜んだ。

このところ、ひたすらハードに身体を動かしていたから、ほぼ半日の仏事で静的動作が続いて、身体のアチコチが固まった。少しほどゆっくり休もうと寝転がったのに、こういう時に限ってネコチャンズがオヤジへ絡んでくる。肉体の疲労回復にはならなかったが、良いこともあったし、心の疲労は少しほど回復した気がする。

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典座寮復元 

2017/06/02
Fri. 23:23

昨年の12月から今年の2月までの島根県は、例年に比べて雪が多かったように思う。
それでも、寒波に比較的正確な周期のようなものがあって、マメに雪対策をしておけばそれほど雪害で悩まされることもなかった。
あとになって、法事の席などでさまざまな地域事情を聞く機会があって、それでやっと山陰から瀬戸内にかけての広範囲で厳しい冬を乗り切ったような状況を知った。

そもそも、万善寺のある飯南高原そのものが山陰とか島根県とかに絞ってみると、雪がよく降って積もるところだから、今回の冬季が特別だったとは感じないまま春を迎えたように思っていたが、実情はそうでもなかった。
万善寺でも自分の気づかないところで若干の被害があった。
境内の端には土留の石垣が組まれていて、そのほぼ中央に大きな松がある。
たぶん、寺が現在の場所に移築されたときからその場所にあったと思うから、樹齢300年くらいにはなっていると思う。

昭和の終わりから平成にかけて松くい虫の被害が東の方から広がって、数十年かけて山陰一帯を襲った。
飯南高原から石見銀山にかけても、かなりの深刻な被害が広がって、その頃は吉田家の子供たちが中学生だったし、保護者の奉仕作業で枯れた松を切り倒したりした。
松に限らず、木を切り倒すにはかなりの専門的な知識や経験が必要で、素人の仕事にはできない。
万善寺のお檀家さんの中にも昔は専門の林業従事者がいて、子供の頃から山の怖さを数多く聞かされたし、中には、若くしてその山仕事の最中に事故死した人もいる。

それで、万善寺の冬の被害のことだが、なんとか松くい虫の被害を凌いだ境内の松の大きな枝木が、雪の重みで折れた。
そのまま地面に落ちればよかったのだが、その折れた枝のすぐ下にある枝木に寄りかかって中空に踏みとどまってしまった。
下から見上げると、自分でなんとかできるとその時は判断して時が過ぎ、今になってやっと本気に伐採を思いついて本堂の荘厳用の長いハシゴを松に立てかけた。
そうしてみると、思っていたよりずっと上の方で折れていて、ハシゴを登りきっても鋸の先が届かない。
何かいい方法がないか考えたが自分の技と道具では無理だと決めて、知り合いの電工さんの工事車両目当てで泣きついた。
「今日の昼からだったら行けますよ。明日からまた仕事で使うから・・・」
というわけで、急きょ万善寺境内が大騒ぎになった。

予定外の仕事になってすっかりバテて、外仕事をする気も失せたので、途中で終わっていた庫裏の典座寮(台所配膳室)の拭き掃除をした。
前住職夫婦が、60年の間に溜め込んだゴミの山を一気に処分したところで終わっていた掃除を再開して、夕方やっと素足で歩けるまでになった。

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ひとりめし in 万善寺 

2017/06/01
Thu. 23:48

このところ連日快晴で暑い日が続いていたが、今朝は薄雲が石見銀山の谷に降りて肌寒いくらいだった。
石見銀山でこういう状態の時の飯南高原は、もっと厚い雲にスッポリと包まれているか、朝霧が晴れて抜けるような青空が広がっているかどちらかになっていることが多い。

銀山街道の途中で三瓶山の全景が見渡せるところがあって、其処まで行くとだいたい万善寺周辺の事情が想像できる。
「万善寺のあたりは雨になるかもしれないな・・・」
なんとなく、そんな気がした。

午前中は石材屋さんが万善寺の墓地で永代供養墓の作業を進めると連絡が入った。
墓地のある辺りは、古い土地でどこまで掘っても墓地にしておくにはもったいないくらいの上質の黒土である。
甲子園の土は大山から持っていっているらしいが、それに負けないくらい純度が高い。
今は、国の行政指導もあって荼毘火葬がほぼ100%になっているはずだが、少なくても島根県各所で昭和の中頃まで土葬が普通に残っていた。
この黒土に土葬で埋葬されたご先祖様方は、200年位経ってもまだ遺骨が原型をとどめて残っているだろうと思っていたが、職人さんから、無縁仏の墓から二体ほど土葬の遺骨が出たので、火葬にして仮埋葬しておいたと報告を受けた。
今の事情でお墓に手を加えると、こういうことがあるのも当然のことだから、事前の撥遣供養がどれだけ大事なことかよく分かるだろう。この度も、遺骨が残っていると予測できたので、事前に念入りに撥遣のお経を読んで供養をしておいたから、職人さん方も安心して仕事に打ち込んでくれているわけだ。

午前中で作業を終わった職人さんが帰ってから、一人昼飯を造って食べた。
前日に随喜した大般若の斎の御下りで茶飯や煮しめを頂いた。そのお寺では、数年前にお檀家さんの大々的な世代交代をした時、婦人部の皆さんも一気に若返った。茶飯は作り手が違うと味も変わる難しいご飯だから、先輩ご婦人方から事前の厳しい引き継ぎ指導があったらしい。
ワイフは流行りのサラダチキンのようなものを造ってくれていて、直前にフライパンで火を通した。そういうことをして良かったのかどうかわからないが、旨かった。
ボクは、買い置きしておいたサーモンの切り身をムニエルにした。もともと新鮮だったし、あまり火を通しすぎるとパサパサになって鮭ふりかけと変わらなくなりそうだから、少しレアの状態で火を止めた。
墓地の往復と境内の外仕事で流した汗の補充は、麦とホップのハーフ&ハーフ。
バックミュージックは、先日のテロ被害で傷心のアリアナちゃんを想いつつ、最新アルバムを流した。

外は、なんとなく怪しげに曇っていて湿気が強い。
たぶん、夕方には雨になるだろう。

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仏事の一日 

2017/05/31
Wed. 23:38

組み寺でいつもお世話になっているお寺の内室(奥さん)が亡くなったので、葬儀のお手伝いで随喜をさせていただいた。
配役は、奠茶(てんちゃ)師に相当する待遇の副導師。
仏事にはそれぞれ色々な配役や作法が決まっているが、簡単に言うと、「あなたには、お茶をお供えする役をお願いします!」ということである。
日頃のナンチャッテ坊主にはどう考えても役が重すぎて本来なら固辞すべきところだが、近所のお寺のことでもあってそういうわけにもいかないし、意固地に我を通し過ぎるのも周りに迷惑なことだから、自分の本意を飲み込んで次第の流れに身を任せることにした。

特に改まって信条としているわけでもないが、公私共々、諸々意に反する現実含め、質素倹約の暮らしをしている万善寺で一番困るのが、公的仏事の正装。
歴代住職の衣は、当然大事に引き継いで使用させていただいているが、万善寺の場合、問題になるのは過去の方丈様方の背が低かったこと。前住職の憲正大和尚様は、私より10cmは低かったから、大衣の寸法がすべて短い。襟を合わせる紐の位置など、私の乳のすぐ横の脇腹の方にまで上がってしまって何ともバランスが悪い。
それに、昔のようにお檀家さんからの喜捨で法衣や仏具を新調することも無くなったから、それなりの法衣に自腹を切るとすると1年分の布施が消えてしまう。
そういう万善寺の裏事情もあるから、出来るだけ質素に慎ましく目立たないように立ち回って裏方坊主に徹していようとするのだが、やはりそれにも限界があって、たとえば、今回のこういう配役が回ってきたりすることもあるから、厄介なことだ。
前の日からドタバタと、色衣や刺繍袈裟など引っ張り出してコーディネートしてみたが、なにせ品数が少ないからそれなりに見栄え良く合わせようも無く、適当な所で手を打つことにした。こういう時に貧乏寺の現実がバレるが、まぁ、仕方がない。

副導師の引導香語は「出来るだけ短い方がいい」と師匠の憲正さんに教わっているし、今回はお茶係だから、お茶絡みの漢詩をさがしておくこともしておいたほうが良いだろうと、麦とホップを飲みながら無い知恵を絞りまくっていたら、知らない間にホワイトベルグにまで手が伸びてえらいことになってしまった。
結局、最終稿が出来上がったのが本葬の当日。一応、今の時期のことも詠ったし、それなりに茶にまつわる漢詩も見つけたし、十方三世の仏教用語も若干絡めて、ソコソコ短くてシンプルな香語になった・・・はずだ・・・

内室本葬の日は、午後から臨済宗の寺で大般若会があって、そちらへの随喜へ回った。
白衣の袖に入れている重し代わりのiPhoneがしきりにブルブル震えているし、それに連動しているAppleWatchが手首をトントン叩くし、大般若の経典は扇風機の風でめくれ上がるし、ドタバタの落ち着かない随喜になってしまった。
電話のヌシは万善寺のお檀家さんだった。「墓を移動しようとおもぉ〜て動かしたらのぉ〜・・・」まったく、勝手に何やってるのか・・坊主に相談もなくて・・・
撥遣のお経を読みに墓地へ急いでいると、遠くで雷が鳴り始めた・・案の定、雨になって、途中まで掘り返した墓の土が白衣に跳ね返るし・・もぉ〜最悪!

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落ち葉の役割 

2017/05/26
Fri. 23:24

万善寺墓地の永代供養墓建立作業がはじまった。
いつもお世話になっている石材屋さんから職人さんが重機と一緒に境内へ上がって、そこから本堂東側を迂回して山道を墓地まで登る。
ユンボやキャタピラが大活躍して、いつもは雑木林の葉音と鳥の鳴き声程度しか聞こえない静かな墓地が一気に賑やかになった。

私は、自分で「これが良い」と勝手に思っているだけのことだが、墓地の本格的清掃は1年に2回しかしないことにしている。
その前後の天候によって若干狂うこともあるが・・・
1回目は8月11日、2回目は11月22日。
それ以外は、幾つかのご縁日に併せて墓参した時、ときに応じて活けものを替えたり、長い杉枝や朽ち落ちたコナラの枝などを取り除いたりする程度で済ませている。
だから、地面が見えているのは、8月のお盆から9月のお彼岸くらいまでで、あとは墓地の全体がほぼ1年中落ち葉の絨毯を敷き詰めたような状態になっている。
これは、墓掃除が面倒でそうしているわけではなく、墓地に眠っていらっしゃる歴代大和尚さまや亡僧さまやお寺に縁の深い寺族のご先祖さま、それに有縁無縁のみなさまが、自然の過酷に悩まれること無く安心して落ち着いて御休みいただくためのことである。
こういう、墓地管理のワガママが通せるのも、万善寺が田舎の里山を背にしてポツンと建っている立地条件があるからだ。
境内地に墓地があるような混雑した街中のお寺であったら、こういうことは他人の常識の目や口が許さないことだろう。
幸いにして、万善寺墓地は檀信徒や地域住民の日常の暮らしからは縁の切れたような環境にあるから、住職の我儘な管理が許されているわけだ。

職人さんが1日の作業を切り上げて報告と次の段取りを伺いに来たから、作業の進捗状況を確認した。
納骨のスペースも、合葬にして小さな石板プレートを添える程度の小規模なものだから、「簡単な井桁が出来ているくらいで良いかな?」と思っていたら、鉄筋を組み込んだたいそう大掛かりな工事になっていてビックリした。専門業者さんの都合もあるだろうから、状況の説明を聞いて、了解した。
「杉葉があるのが良いですがぁ〜」
墓地の急な坂道をヨチヨチ下りながら職人さんが言った。
「これがあるから、雨を吸ってくれますけぇねぇ〜。昇り降りも滑らんで楽ですけぇ〜」
「そうなんですよね。できるだけこのままにしておくようにしてるんですよ」
「落ち葉も役に立つもんですけぇねぇ〜。これがないと土は流れるし草は生えるし、厄介ですがぁ〜」
なんとなく、我儘住職の真意を察してもらったようで嬉しくなった。
先亡精霊の皆々様が自然の暑さ寒さにさらされないようにとの配慮があったが、職人さんの数多くの墓地や墓石と付き合った経験の現実から出た言葉に、自分の背中を押してもらった思いがした。

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万善寺墓地 

2017/05/25
Thu. 23:21

午後から隣町のお寺で大般若会があるので、墓掃除を午前中で切り上げた。
万善寺の墓地は、本堂の東側から山道を200mくらい登ったところにある。
昔は保賀の谷の殆どが見渡せていたのだが、谷のほぼ中央へ国道が出来てから見晴らしが悪くなった。
それでも、春の水田風景から秋の刈入れ時期までそれなりに綺麗な山里の景観が広がって見えて、私個人は好きな場所だ。

墓のすぐ下にある家のご主人は先代住職憲正さんと小学校からの同級生で、今も健在ではあるが、もう90歳を過ぎた高齢だし、息子さんは神戸に家があって帰省されないしで、昨年の冬前に介護施設へ入所されて空き家になった。
すでに数年前からほとんど外仕事を放棄されていてその間に周辺の田畑が一気に荒れた。
万善寺はすぐとなりだから、時々、寺の外仕事のついでに境界を超えて除草の草刈りなどをしていたが、俊江さんのチェックが入って、「あすこの方まで刈ることはせんでええけぇ〜」とよく小言を言われた。そこまで厳しく境界を意識しなくてもいいだろうと思うのだが、彼女にとっては昔からの色々な確執が忘れられないでいたのだろう。
とにかく、そんなわけで隣の家の周辺を維持管理することが無くなってから、万善寺墓地の前に広がる雑木や茅が一気に伸びてきて、視界が遮られるようになってきた。
跡取りは遠く神戸の方だし、いちいちお伺いを取り付けるのも厄介だから、そのうち見苦しくない程度に刈り込みをさせてもらおうと思っている。

明日から永代供養墓建立の工事が入る。
かなりの経費がかかるから、また当分の間借金が絶えることがない。
結局は自分の気持ちの問題だし、もっと気楽に乗り切って、其処までして借金を作らなくても良いだろうとも思うが、寺の住職は歴代続く通過点のようなものだから、それなりにその時々で見苦しくない程度の改修を続け、後続の住職に迷惑がかからないようにしなければいけないとは思っている。

大般若会が終わって、しばらくのあいだ坊主の世間話が始まった。
そこでお墓の話もでた。そのお寺のご住職は、一般在家と同じように歴代住職を一基の寄せ墓に集められたそうだ。町中の寺は、境内墓地の規模のこともあって、そのようにせざるを得なかったのかもしれない。またそうしておくとお墓参りも含めた維持管理も簡単になって都合がいい。
住職それぞれに、いろいろ考えがあるからそれも選択肢の一つだろうと思った。
幸いにも、万善寺の墓地はまだまだいくらでも広げられるほどの余裕がある。
墓石一つ一つにその年代の背景もあって、その重みが凸凹に並ぶ石の列に宿っていると感じる。
それになにより、私としては、墓石全体の造形が面白いと感じてしまう。
墓地周辺には、戦国の頃数々の櫓城があったらしい。いまから500年位前のことだ。
生きているものの都合で便利に改変することも大事な文明の進化であるだろうが、一方、出来るだけ何もしないでそっとしておくことも時代の証明として大事なことだと思う。

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30年の蓄積 

2017/05/23
Tue. 23:56

石見銀山の吉田家を出発する頃は、朝から日差しが強くてまた1日暑くなりそうだった。
近年、気候は穏やかでまだ肌寒く感じる春先なのに、日射しだけはやたらと強くて、結界くんの窓から入り込む日射しで太腿や右の腕が焼けるように熱くて我慢できなくなることがある。歳のせいなのかそれとも地球環境の変化なのか、よくわからないまま、タオルをドアの窓へぶら下げたり、いつも積み込んでいる着替え用の服を膝へ掛けたりして窮屈に運転している。

通勤坊主が万善寺へ到着すると、境内のスズメたちが一斉に飛び上がった。
古々米の威力はなかなかのもので、前日のオスソワケがすでに残りあとわずか・・・
食べ残しを見ると、オスソワケにありついているのはスズメたちだけでは無さそうだ。

万善寺の上空に雲が広がっているせいかそれほど暑くない。
時折水田のカエルたちが一斉に鳴き始める。
上空をつがいのカラスが鳴きながら飛んでいる。
田植えが終わって農耕機のノイズが消えてからの保賀の谷は長閑だ。

午前中は寺の庫裏や本堂の周囲を中心に小規模な営繕を進めて、お昼になって暑くなる頃は室内各所の片付けをする予定にしていたが、どうも空の具合が怪しいし、時折鳴き始めるカエルたちのことも気にかかってきて、雨が心配になってきた。
草刈りは少し涼しくなった夕方から始めようと思っていたのだが、前回の大がかりな草刈りもあと少しの所で雨に振られてしまったし、またそうなるのも嫌だし、急遽予定変更で草刈機を振り回すことにした。
コンスタントに、1ヶ月1回、1日約3時間、3日間あれば草刈り作業もそれほど苦にならないし、適度な運動にもなる。

今のところ4月5月と、延々草刈りが続いているが、これは、約30年分の俊江さんへの気遣いの影響が残っているからだ。この、30年の蓄積を少しずつ解消して、もとのシンプルな万善寺に戻すにはまだ2〜3年は必要だろう。焦ってもしょうがないから、少しずつのんびりと寺の作務を続けながら暮らすしか無い。
俊江さんは、とにかくじっとしていられない人だった。晴れれば畑を耕し、雨が降れば縫い物をしたりジグソーパズルに没頭したりして毎日を過ごした。
時折私が寺のことでアレコレ動いたり、それこそ草刈りを始めたりすると、知らないうちに私の後ろへついて回っていて一つ一つ自分の指示を出し始める。
昔からそういう人だったが、30年ほど前から少しずつ身体が動かなくなって、その後口出しの数がどんどん増えた。自分の思うように体が動かないことのイライラが私へ向けられたのかもしれない。

今の私は、30年前の俊江さんとほぼ同じくらいの年齢になった。
ようするに、自分の身体が思うように動いてくれなくなったということ。
1日の身体の疲れがとれないまま、また、次の1日が巡ってきている。

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作務の日々 

2017/05/22
Mon. 23:27

午前中は用事で出雲へ出た。
石見銀山からだと太陽に向かって走ることになって、やたらと暑かった。
いろいろと用事を済ませて、比較的大きな業務用のスーパーへ寄った。
ワイフが、カートいっぱいに買い物をして、ダンボールの空き箱2つにもなった。
帰宅すると、珍しくクロがモタモタと土間を歩いてくる。朝からそのまま寝続けていた様子だ。
買い物などの荷物を結界くんから下ろして、そのまま万善寺へ走った。
飯南高原の田植えはほぼ終了した感じだ。
前日の夕方に補充しておいたおすそわけの古々米が殆どなくなっている。
境内のアチコチで鳴いているスズメたちの数が増えている気がする。
つなぎの作業着へ着替えて、草刈り機に混合油を補充して刈り残しの続きから営繕作業を始めた。
今週から月末にかけて近所のお寺の大般若会が続く。膝を痛めていて正座ができないから、安静に休んでおいたほうが良いと思うがそうもいかないし、なかなかつらい。

万善寺は禅宗の曹洞宗の末寺になる。
禅宗というと、一般には座禅の仏教だと認識されていると思うが、実は、一日中座禅してお経を読んでいるわけでもなく、どちらかといえば色々な作務で忙しく動き回っていることのほうが多い。
宗派によって幾つか違った寺のタイプがあるが、ざっくりと大きく分けると、檀家さんとの葬式仏事関係で寺の経営を維持する檀家寺と、決まった檀家を持たないで年中行事の加持祈祷や参拝お参りの客収入で寺を維持する祈祷寺になる。明治新政府の廃仏毀釈による宗教改革前には寺領からの収入で寺の経営を維持することもあって、特に檀家数に頼らないでも、小作からのソコソコの上納収入があれば、修行僧の食い扶持くらいなんとかなっていた。朝夕に座禅して昼は寺の経営に働くという、会社的な組織が出来上がっていたわけだ。
もともと万善寺は琴引山の頂上にある神仏混合の聖域にあった。
祈りの聖域で暮らす僧侶はだいたいが自給自足の暮らしをしながら修行に励むことになるから、開山当初は加持祈祷に重きを置いたタイプの寺であったと想像できる。
開山の施主は、飯南高原一帯に点在する幾つかの豪族の一つであると記録されている。
その豪族の発願によって、当時銀山街道沿いにある谷の一つへ大きな僧堂(全寮制の坊主の学校のようなもの)を構えていた曹洞宗のお寺から、今で言う学校の教頭先生クラスの立派な方丈さんを開祖に迎えて建立されたのが万善寺の元になる寺だった。
万善寺という寺の寺名は、発願の施主さんが晩年「万善寺殿」と呼ばれていたことに由来し、龍雲山という山号は、万善寺何代目かの大方丈様に雲龍という道号の方があって、その方丈様以降より曹洞宗龍雲山万善寺という寺名が完成したようだ。
寺の墓地には歴代住職墓石の他に二十余基の亡僧墓があるから、過去には、寺に暮らし寺で働きながら修行していた僧侶がそのまま寺で入寂されたという様子が伺える。

今、その墓地へ上がる参道の周辺で草刈り機を振り回している。

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石に託す 

2017/05/06
Sat. 22:58

いつもお世話になっている石屋さんと待ち合わせをして、永代供養の自然石を決めた。
万善寺にとってはそれなりの大事業であると思われるが、私は檀家さんに知らせることもなく一人で事を進めている。
あとになって色々言われるとは思うが、特に寄付を募るわけでもなく、ほとんど私財を投じて行うことだから、まぁ、それも「後の祭り」というやつで済ませてしまおうと思っている。
予算としてはだいたい150万円くらいを見積もっているが、さてそれで済むかどうか・・

石の物色は島根県内の比較的大きな造園業の石材置き場で行った。
時間があればアチコチ回ってから決めようと思っていたが、そろそろ憲正さんの3回忌も迫っているし、のんびりもしていられないから、気持ちを切り替えて一箇所へ絞ることにした。
彫刻の仕事もしているし、造形のことに関しては若干のこだわりもあるつもりでいるから、極端に都合よく解釈すれば、そこら辺に転がっている変哲もない石でも、見方を変えて使いようによっては説得力のある石になってくれることだって十分にあり得ることだ。
大小の石の上に立つと、自然と幾つか石の方から起き上がってきてくれるふうに見えてきたものがあって迷ったが、ユニックのアームの限界もあるし、妥協に妥協を重ねて、ほぼ1時間をかけて3つの石に絞った。
あとは石材の価格交渉になるが、そこまで坊主がしゃしゃり出ても石屋さんの仕事になりにくいだろうと思って、彼へ託すことにした。
交渉の過程で、少しは彼の汗代も考えておかないと仕事に張り合いが持てないというものだ。

私が住職交代をしてすぐの頃に、親族の位牌さんを守りきれないから寺で引き取ってくれと、ある施主さんから申し出があった。
その後、その方は年に1回必ず寺参りをされてその御位牌さんを供養される。
あの頃から変わりなく私の方は出歩いてばかりで無住職を決め込んでいるが、母親が健在だった頃はそういう寺参り目的の施主さん相手に私の不在を良いことにして本堂へ案内することもなくお茶飲み話に終始して事後報告の対応で失礼ばかりしていた。それで今になってやっと形ばかりの供養のお経を読むことが出来るようになってきた。
要するに、「寺を守る!」と言い続けて寺にしがみついていた母親の寺務が全く機能しない数年間があったことになる。

寺からほど近い町に暮らす彼の周囲も、年々空き家が増えて、1年の殆どをなんの供養もされないままお仏壇の御本尊様やご先祖の御位牌さんが安座されていらっしゃるらしい。
幸いにして、その町にある数件の万善寺檀家さん宅はそういうこともなく、かろうじて毎年の供養はされてはいるが、それでも最近は年回法事の幾つかをスルーされることが目に見えて増えてきた。
仏教の根本は、ご先祖様の御位牌をお守りして供養するということだけでも無いのだが、最近はそれもまともに出来ないほどに仏教離れが目に見えて進んでいる。

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板の間 

2017/05/02
Tue. 23:05

寺の周囲と言うか地域全体はだいたい農家で、数年前には酪農業の会社も進出してきたほどだ。
昔は、農業の他に林業従事者が数軒あって、参道下の林道は山の木を切り出す人々が盛んに往来するほどの活気があった。
平成の時代だと想像もできないことだろうが、昭和の30年台には、林道を馬が木馬(きんま)を引いて切り出した木を運んでいた。もちろんアスファルトの舗装もない砂利道を。
その頃は、寺の周囲の3軒の農家では水田で米と麦を作り、自宅に隣接する納屋では和牛を2〜3頭飼育していることが普通だった。
田の畦や雑木林につながる山道脇の傾斜地に生える雑草はすべて牛の餌にしていて、朝暗いうちからの数時間と夕方日が落ちるまでの数時間を草刈りに使っていた。
だいたいどの農家も、その草刈りは主に百姓の現役を引退した老人夫婦の仕事になっていて、和牛の世話も自然とその流れで老夫婦の役割になっていた。
保賀の上組だけでも専業農家が4軒あって、和牛が10頭以上は飼われていた。
年に1回ほど牛を出荷する牛市があって、そこで競り落とされた金額の内容で牛飼いの上手下手がはっきりと決まる。
当時は、高値で売れる牛がだいたい1頭300万から400万あたりで競り落とされていて、その金額を巡って寺の周囲の老夫婦は熾烈なるシノギを削りながら毎日牛飼いに携わっていたことになる。私は子供ながらに、噂で流れてくる牛の売値に感嘆し、老夫婦の仕事を尊敬もしていた。

何故こんな昔の話を持ち出したかというと、境内地の周囲で暗くなるまで草刈機を振り回している時に牛飼いのおじいさんから聞いた「雑草の価値」の話を思い出したからだ。
寺周辺に広がる寺領は、そういう牛飼い農家の草刈り地として提供されていたから、坊主が自ら鎌を持って草刈りなどすることがなかった。むしろ、庭の手入れのついでに参道脇の草刈りなどしてしまうと、「隣のノブさんに叱られてしもぉたが・・」と、憲正さんが愚痴ってたりしたものだ。
今はお百姓さんの耕作放棄も目立つ時代になって、雑草の価値もなくなった。参道脇の隣の畦道まで踏み込んで草刈りをしていても見て見ぬふりで誰も文句を言うこともない。

5月の連休最終日に俊江さんの四十九日法事をするから、今はそれに向けて毎日万善寺内外の片付け営繕に追われていて、給油3回目の草刈りが終わった。
元は台所の配膳室だった板の間にあった古い茶箪笥や古くなった日用品を処分しまくって、古畳を6枚ほど撤去した。
宗門では、その部屋から台所にかけてを「典座寮」という。韋駄天さんが安座されてあって、僧侶の日常でとても重要な役割の場所なのだが、長い間その板の間が俊江さんの部屋になっていて、古畳を敷いたり古障子を建てたりして都合よく改造していた。
半世紀ぶりにほぼ建築当初の用途を持った空間が蘇った。
私が少年時代に遊んで過ごした板の間には、敷板の下に囲炉裏が切ってある。
寺の仏事の時は、その囲炉裏で煮炊きもしていた。

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寺暮らし 

2017/05/01
Mon. 23:56

万善寺の片付けへワイフが参加してくれたので、境内の営繕草刈りで汗を流した。
母親が生きている時は、彼女のマメな監督のお陰で思うよに営繕作業が出来なかったので、1日中心置きなくマイペースの作務が出来た。

境内地と云っても・・・
参道下の六地蔵さんから駐車場とその脇の花木林。
庫裏の東は寺のお墓で西は田んぼから転作の母親の畑とその周辺。
北側に広がる雑木林の傾斜地と南側の石垣や用水路脇のあぜ道まで。
・・・とにかく私一人の作務では手に負えない程の広さだ。

私はどちらかといえばモノの無いシンプルな空間が好きな方で、少年の頃はとても広く感じていた万善寺の本堂や、テーブルと座布団しか無い庫裏の客間が気に入っていた。
あの頃は小学校でも定期試験のようなものが各学期に1〜2回はあって、その度にガランとした8畳の真ん中にある大きなテーブルを座机代わりにして勉強道具を広げていた。
一段落するとゴロンと仰向けに寝っ転がって、正面のふすまの上に掛けてある横書きの黄ばんで薄汚れた「日々是好日」の額をしばし眺めて気持ちを切り替える。
その日の勉強が終わると、全てのモノを自分の勉強机へ戻して、使っていた座布団を部屋の角へ重ねて磁器製の傘をつけた60wの電球の紐を引いて消灯する。
当時の寝室は、寺で云うところの方丈の間で、押入れとその横に親族のお仏壇。万善寺では母親の衣装箪笥に鏡台。それに憲正さんの衣を掛ける二枚折の衣桁だけのシンプルさ。
押し入れの上段に家族の寝具。下段に家族の日常衣類がしまわれていて、寝る時は部屋の真ん中へ布団を並べる。朝になると布団を畳んで押し入れへ仕舞えば元の何もない方丈の間に戻る。
中学校に入って、玄関上のロフトへ新調した腰掛け用の勉強机を引っ張り上げて、其処が子供部屋になって勉強も寝起きもその部屋で完結するようになった。その部屋は今でも寝室で使っている。

15歳から一人暮らしを始めて、食べることから寝ることまで暮らしの全てを一部屋で賄うようになるとアレコレ雑多なものが一部屋に集まるようになって、シンプルとは程遠い暮らしになって今に至っているが、両親の他界した今、半世紀ぶりに私が少年の頃の万善寺へ戻そうとしている。
あの頃は、寺の内も外も何も無くても特に不便を感じたことは無かった。水田にしても畑にしても、日当たりの良さを一番に考えて余分な花木は一切なく、春になって柿の木が葉を広げるとそれが日陰になるからと、冬の間に枝を切り落としていたくらいだった。

半日ほどの草刈りで、田んぼから転作した畑の原型が少しほど見えてきた。
晩年の母親は、春から秋にかけてこの畑で野菜を作っていた。
年々身体が動かなくなって耕作地が減少して、死ぬ前の年に耕作放棄が進んで荒れ地に変わって、やがて猪の遊び場になった。
昨年からの枯れ草がなくなった後には、新しく獣道が出来ていた。

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正純和尚の1日 

2017/04/10
Mon. 06:28

智光正純和尚法事ライブ1日2回公演でダウンの巻・・・
いやぁ〜〜、とにかくハードだった。
前日から万善寺入りして、本堂を法事用に荘厳し、墨を摺って塔婆を2枚書いて、経本など準備した。

1つめの午前中からの法事は、施主家へ訪問。
お参りのご親族もだいたい10人までだろうと予測して檀信徒用の経本を用意しておいたら、なんと15人近くお集まりで、賑やかな法事になった。
施主さんの奥さんが亡くなって1周忌だからということで、参列も増えたのだろう。
年齢層も高齢で、お経が終わってお墓参りをして帰ってみると、昔ながらに手づくりの赤飯とか旬の煮しめが、折膳と一緒にテーブルへビッシリと並べられていた。

万善寺では、法事を前半と後半の2回に分ける。
前半は30分位で、間に、衣を着替えたりする時間を用意して、後半は幾つかの回向を集めると40分位かかる。ここまでで普通に1時間半はかかるが、それにお墓参りをしてお斎の膳を含めると約3時間の法事になる。
施主家へ訪問しての法事はスタートの30分前にはお仏壇の前で荘厳を整えたり改良衣を着替えたりするから、半日仕事と云っていい。
普段は寡黙に暮らす私にとって、鐘や木魚を叩きながら1時間以上もお経を読むことはかなりハードだ。

2つめの法事は午後の2時から万善寺の本堂で始まる。
法事が終わって始まった斎膳の席を中座して、急いで寺へ帰ってお参りの皆さん用にお茶の準備をして位牌堂の荘厳を整えた。
こちらも1周忌法事で、ご親族が集まりやすい時期を調整して納骨と墓石建立を併せて計画された。その関係か遠方からのご親族も参集され、こちらも賑やかな法事になった。墓参を済ませ全てのお経や回向が終わって寺へ帰ったのが夕方の5時前。それから斎膳が用意された保養施設の会場へ向かった。
其処には沸かし湯もあって、宿泊の他に、近所の皆さんが湯入りしたり休憩がてら簡単な食事をしたり出来るようにもなっている。5時からの斎膳は、いわば夕食を兼ねたものになって、坊主の中座の後は2次会も兼ねてカラオケでも始まるのかも知れない。

母親の葬儀で参列してくれたじゅん君が風邪を持って帰って、それをワイフへ移した。そのワイフが鼻水を垂らしながらコツコツと咳を繰り返す間に、どうやら私も風邪をもらったらしい。普段なら、その程度では私にまで風邪が移ることもないのだが、この度は感染してしまったようだ。どこかしら身体が弱っているのだろう。2つの法事が終わって万善寺を片付けて石見銀山へ帰宅すると、咳が我慢できなくなってきた。
ワイフと2人で遅めの夕食を終わったら、一気に1日の疲れが出たようで、夜のメールチェックを始めたはずなのにそのことも記憶にないほどいつの間にか寝てしまっていた。

下手な若い鶯の鳴き声で目覚めると、外はすでに明るくなっていた。

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住職の居場所 

2017/04/06
Thu. 23:57

92歳で死んだ母親の葬儀が終わって1週間が過ぎた。
その間、幾つかの法事などを片付けながら万善寺の庫裏を中心に積年溜まり続けた過去をアレコレ断舎離し続けた。まだまだ始まったばかりで何時になったら終わるのか何時になったら片付くのか、まったく予想できない状態である。

もともと、彼女の夫であり私の父であり先代住職であった憲正さんは、自分の私物や仏具などの身の回りのものを人目に触れないようにきちんと整理して仕舞い込むタイプの人だった。その憲正さんの妻であり私の母であった俊江さんは、私からすると病的とも思えるほどモノを大事にして最後の最後まで使い続け、その用途が耐えると色々工夫して他の何かに改変してまた使い続けるといったタイプの人だった。
この二人が結婚してどちらかが先に死ぬまで連れ添って暮らしていたわけだ。
若い頃は身体も動くし、古くなってゴミになったりしたものを焼却したり廃棄したりしてなんとか身の回りを整理しながら暮らしていたが、年齢が増すとともにそれも難しくなり、その上行政指導の厳しいゴミ処理ルールが常識化すると、二人共とたんに生活思考の何処かがショートし始めて断捨離できなくなって、何もかも溜め込むばかりになってしまった。どちらかといえば小さくて狭い極小規模の末寺は、収納という収納へはどこもかしこも目いっぱいにいろいろなものが詰め込まれて、そこから溢れ出たゴミ同然のモノが庫裏の外の軒先まで溜まり続けるまでになっていた。

憲正さんが死んだとき、主を失って行き場の無くなった憲正さんの周囲の幾つかを整理してゴミ処理場へ持っていったことがある。
どう見ても使いみちもなくてゴミにしか見えないものを集めて処分したつもりだったのだが、その中に母親が大事に使っていたモノが幾つかあったようで、その後しばらくのあいだ私を見ると呪文や陀羅尼のように大事なモノを捨てられたと言われ続けた。憲正さんの葬儀に至っては、本堂の片付けで檀家さんが捨ててしまったものにまで恨み節が及んで、「もう、これは彼女の目の黒いうちは見て見ぬふりで当たらず触らず付き合うしか無いな!」と、それからあと私は、目も耳も口も、それに心も閉ざして庫裏を母親に渡した。

それから約2年の間、万善寺の庫裏に掃除を入れたのは寺の仏事と憲正さんの1周忌法要の時だけだった。
母親が死んでこの1週間を掃除や片づけに費やしている息子を見ると、親の思い出を次々に捨てる「まことに薄情な息子だ!」と思われているかもしれないが、万善寺のような小さな寺は、本堂は仏事の式場で、庫裏は式典参加者の待合室で方丈さん方の控え室であり、台所は飲食配膳の厨房となり、隅から隅まで公の場として機能することになるのだ。
そういう時は、住職の居場所も含め寺暮らしの全てを仏事に提供出来るということが、庫裏に暮らす者の生活のルールになって、そこに個人のプライベートは無い。

憲正さんが仕舞い込むタイプの人であったことは坊主として理に適った行為であったわけだ。私には、現住職として少しでも早く万善寺の庫裏を公的使用が可能な本来の施設に戻す役目がある。

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正福寺再中興大和尚遷化 

2017/03/20
Mon. 23:59

東京では都立美術館の展覧会が、飯南高原では万善寺のお彼岸が、それぞれ終わった。
これで、吉田の春の大きなイベントを乗り越えた感じだ。

石見銀山の吉田家を8時に出発した。
石見銀山の町並みから出てすぐに結界君の燃料が少ないことに気がついた。1週間位前から少しずつ油価格が値上がりしはじめて、給油1回で5000円を越えるようになってきた。
49日までの七日務めが結構財布に響く。下世話な話だが、七日務めにお布施が出ないことが多い。飯南高原あたりだけのことかもしれないが、こういう地域オリジナルに近いような慣習は、坊主にとってかなり厳しく生活費を圧迫する。一般の各種職業のように、必要経費と割り切って別途請求するのもはばからられるし、現実はなかなか厳しい。
春彼岸の法要は、15名弱のお参りを頂いた。
毎年のことだし、万善寺オリジナルカレンダーにも年間行事が記載してあるから、とくに改めてご案内する必要もないことのはずなのに、万善寺お檀家様各位は彼岸仏事にあまり関心がないようだ。それぞれ各家でお墓参りくらいはしていただいているものとささやかな願いを込めて法要をおつとめした。

今年は先代住職の憲正大和尚3回忌の法要がある。
昨年は、記念事業として憲正さんの墓石と舎利棚殿を建立し1周忌を厳修した。
今年は、永代供養塔を建立し、ひとまず、憲正さんの報恩仏事として3回忌を厳修する。
これらの事業は、お檀家さんとは一線を画してすべて現住職である吉田正純とその家族で取り仕切る。本来は、万善寺運営役員会で協議してもおかしくないほどの大事業であると思うが、人の頭の数ほど人の考えも口もあるから、そういうことでモタモタするのも性に合わないし、ひとまず自腹を切って5カ年計画くらいで借金を返せればいいかなくらいに思っている。それでも、総額は高級な新車が1台買えるほどのかなりのものになるし、いつまでたっても家族に辛い思いをさせてしまって心苦しい。

上野の都立美術館へ彫刻搬入と展示が終わったのを見ていたように、万善寺法類(親戚寺)から訃報が入った。憲正さんの弟弟子に当たる東堂(住職を引退された前住職)さんが遷化(死亡)されたという。
生前の憲正さんは、何かとその弟弟子の方丈さんを頼っていた。私も、ついつい甘えて頼ってしまったりして随分お世話になっていたし、現住職さんには、憲正大和尚遷化以来本葬に到るまで葬儀仏事全てを取り仕切ってもらって随分助かった。
展覧会のオープニングから2〜3日は都立美術館の会場へ出かけようと思っていたが、急きょ取りやめてとんぼ返りした。それでも、枕経には間に合わなかった。
翌夕方からの通夜から引き続いて密葬、荼毘、拾骨までお付き合いさせてもらった。

新聞を読まなくなって久しいが、彼岸法要にお参りの檀家さんから、島根の地方紙にその東堂さんの本葬日程が掲載されていたと聞いた。
憲正さんの本葬は檀家葬で散々にお世話になっているから、おかえしも兼ねて、せめて万善寺檀家役員の皆さんくらいは万象繰り併せて参列して貰いたいものだが・・・

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初午祭 

2017/02/12
Sun. 19:29

今年の初午祭当日を狙ったように万善寺は寒波第3団に襲われた。
今回は、ひと晩で50〜60cmは降っただろうか・・
前日の積雪と合わせて1mは軽く越えていた。

初午祭の朝は、参道の1本道作成から始まった。
長靴が埋まらない程度までアルミスコップで雪かきをして、その後雪踏みをする。
本堂の雪ズリを避けつつ、それをひたすら続けて寺の境内から参道を下っていく。
ここでのポイントは、あまり雪を深く掘り下げないこと。
踏み固めた雪道はできるだけ高くしておいたほうが、次の雪が降り積もった時にスコップの雪かきがしやすくなる。積もった雪の上に積もった雪をかきあげるわけだから、雪の壁は低いほうが楽だというわけだ。
少年の頃からこの歳になるまで、毎年雪国で冬を暮らしているから、そのくらいの知恵は自然についてくる。
それにしても、この近年は自分の体力の衰えを身にしみて感じる。雪かきの夜は身体が痛くて眠れない。
色々工夫してできるだけ楽に過ぎようと思うのだがやはり限界がある。
今回はまだ明るいうちからスパジャズを流しながら風呂にゆっくり浸かってみた。昨夜は、比較的寝付きが良かった気はしたが、夜中にキーポンのLINE攻撃にあって起こされてからあと、腰から下が延々と疼き続けて寝る機会を逸してしまった。読書でもしよとしたが、眼がショボショボでうまく焦点をあわせることが出来ないのでhuluをチェックしたら、銭形警部とタラレバ娘と左江内氏の新着があったから見ることにした。
そのうち眠くなるだろうと思っていたら、身体の痛みが勝って、気がつくと朝の5時を回っていた。

ウツラウツラしていたら、母親がドタドタやってきて停電の報告をはじめた。そのくらい、ひとつ屋根の下で寝ているのだからとっくに気づいているのに、ほんとに面倒臭い。
このところ絶不調が続いているが、母親の頑強な呪縛に絡まって自分の心身が日に日に蝕まれているからだと思っている。
今年の1年が、自分の体力の限界になるかもしれない。
そろそろ先が見えてきたきもするし、後々悔いの残らないように自分の仕事にケリをつけることも必要になる。諸々、断捨離を急いだほうが良さそうだし、まだまだやらなければいけないことが山のようにある。
そんなこんなで、気持ちはけっこう焦っているが、一方で、この眼の前の雪が一段落して先が見えるくらいまではどうしようもないし、腹をくくってジッと耐えるしか無い。

そんなことを考えながら、半日の間に参道の1本道を鼻水垂らしながら2往復した。
初午祭の法要が始まる直前に、その1本道を近所のご婦人が3人ほどお参りに登ってこられた。
今年は一人で法要を済ませることになるだろうと思っていたが、ありがたいことだ。
法要の最中にユンボが境内まで上がってきた。いつもいつも、本当にありがたいことだ。

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2017-07