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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

とまり木 

2019/01/15
Tue. 23:12

少し風はあるが、それほど寒くもないから庫裏の空気を入れ替えようと、アチコチの窓を開けた。
飯南高原の冬は、だいたい雪が積もるからそれなりに湿度もある。そのうえ、締め切った家内で暮らしていると朝晩煮炊きもするからよけいに湿気がこもる。内も外も湿気だらけでどうしようもないが、それでも窓を開けて風を通すと澱んだ部屋の空気が入れ替わってスッキリする。
性格もあるのだろうが、どうも建具を締め切って薄暗い部屋に閉じこもるより内も外もなくフルオープンに開放感のある方が好きだから、こうして冬の寒い時期でも庫裏から本堂の入り口が見えるくらい素通しの状態で過ごしている。
結局はオヤジの一人暮らしで誰も文句を言うヤツもいないからこういう暮らしが出来ているわけだが、これで四六時中隣にワイフでもいたりするとこういうわけにはいかないだろう。いずれにしても、ソコソコ身体の動くうちは若干不自由なことはあっても気兼ねのない毎日を過ごすほうがストレスもたまらなくて調子がいい。

洗面所の窓を開けると、すぐ目の前にオノレバエで大きくなった柿の木と雑木の枝が茂っている。今は葉を落として向こうの景色が素通しだからそれほど気にならないが、春になって若葉が芽吹き始めると見る見る見通しが悪くなって鬱陶しくなる。それで、その時は枝を切り払おうと思うし根本から切り倒してしまおうと思うのだが、そのうちだんだんと葉の茂った景色に目が慣れてしまって「どうせなら、秋になって葉が落ちてから切り払ったほうが始末も楽だから・・」と気が変わってひと夏すぎるまでやり過ごしてしまう。そして、秋になる頃には枝木の刈払いのことなどすっかり忘れていて、そのうち葉が落ちて向こうの景色が素通しになると、特に鬱陶しく思うこともなくなってそのまま次の春になってしまう。こういうコトが繰り返されてもう何年にもなる。
今は、その柿と雑木の枝が寒雀の休憩所になっている。
捨てるのももったいないからと、虫の入った古々米の処分を雀たちに任せているところで、ちょうどその餌場近くに都合よく柿と雑木が枝を広げているものだから、彼らの食事時が重なると保賀の谷から集まった雀たちが鈴なりになって枝がしなる程になる。そういう光景を洗面所の窓からのぞき見ていると「特に急いで切り倒さなくてもいいか・・」と云う気になる。

万善寺も、この数年で裏山が境内まで迫ってきた。このまま見過ごせばそのうち座の下から筍が伸びるかも知れない。
もう何年も前のこと、万善寺営繕のことでツイツイ近所のおじいさんへソレを愚痴った。
「雑木は無理して刈り倒さんでもええですけぇ〜ねぇ〜」
そのおじいさんは、若い頃山仕事で暮らしていたから、山事情に詳しい。
「植林の枝打ちと間伐が先ですがぁ〜。雑木はどうせ4〜5年のうちに生え変わりますけぇ〜」なのだそうだ。根が浅いから夏の暑さでヤラれ、冬の雪でヤラれ、大きく育つ前に生存競争で淘汰されて長生きできないのだそうだ。それで腐った枝木や落ち葉が堆積して腐葉土になって山が肥えて都合が良いのだそうだ。
今はそのおじいさんも他界されて山の話を聞く手段も絶えた。

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三界萬霊 

2019/01/14
Mon. 23:57

たぶん、万善寺の現住職(ボクのことです!)が保賀のとんど祭でお経を読むようになってからはじめてのことだろう・・・こんな良い天気!
お正月の月半ば頃は、だいたい周囲全体雪景色で、暴風雪が続いていたりするのに、今年は高層の筋雲がひと刷毛浮かんでいるくらい。
風が少々強くて大般若経の経典をめくることが出来なかったくらいどぉ〜ってこと無い。
とんどのお焚き上げも一瞬で煙に変わって、天にたち昇っていきました。

お昼からは保賀の新年会がはじまるので、万善寺住職は急いで寺へ帰って大衣をたたんで自由服に着替えていると、すでにみんな集まって準備万端「方丈さんを待っとりますけぇ〜ねぇ〜」早く来い!と電話が入った。
一升瓶を1本とお供えしてあった羊羹の箱を抱えて集会場へ行ってみると、一番上座が空けてあって「方丈さん、はよう座って、はようはよう!」と急かされた。
たいして偉くもなんともないナンチャッテ坊主ごときが一番上座へ座らされるのもどうかと思うが、先代からの慣わしもあるので気にしないことにした。

「墓地の端っこに石塔がありますがぁ〜?うちの宗派じゃぁ見かけんですが、禅宗さんのお墓にゃぁ〜だいたいありますがぁ〜?ありゃぁ〜、なんちゅうて書いてありましたかいねぇ〜、サンやらマンやら字があったような??・・・」
この2〜3年のうちに相次いで町内の長老クラスが他界され、一気に長老格へ駆け上った感のある中組のおじいさんが、私の目の前で一杯やりながらしきりに質問される。どうも内容がよく飲み込めないでいろいろと苦労しながら話の糸を繋いで、やっと「三界萬霊」にいきついた。絶対!というわけでもないが、確かに浄土真宗さんの多い飯南高原では、墓地に三界萬霊塔が建立されることが少ない気もする。
「あぁ〜〜、それ、サンガイバンレイね!・・ハイハイ・・あの石塔は信心供養の気持ちの現われですから、あまり宗派は関係ないと思いますけどねぇ〜」と、だいたいの意味をおじいさんがわかりやすいように解説することになった。近所で暮らしていても、こうして面と向かって会話することなどめったに無い事だ。なにか新年会で昼間から気楽に飲み食いして、寺へ帰ってバタンキューを決め込んでいたのに、それどころではなくなった。

「三界萬霊」の発想そのものは、宗教的形而上において抽象性レベルの高いところで定義づけされていると思う。それをどうやってわかりやすく形而下の具体的要素に置き換えて解説するかとなると、ナンチャッテ坊主は役不足だ。とにかく、大汗かきながらアレコレ手を変え品を変え話してみたが、おじいさんが納得できたかどうかはわからない。
坊主的解釈でいうと、色界、無色界、欲界の三世界を意味付けることが多いと思うが、この解説がなかなか至難の業でボクには無理・・なので、おじいさんにはわかりやすく過去現在未来の三世界のことを云うのだと話しておいた。
今の自分のこともよくわからんのに、前世がどうとか来世がどうとか考え始めたら夜も眠れなくなる。まずは三界萬霊塔を建立して「三世界全部ひっくるめて供養信心しておけば間違いはないのだ!」というわけ!・・ずいぶん乱暴なことだが、そもそも抽象表現の根本は「如何にして単純化を追求するか!」ということではないかとボクは思っている。

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鏡餅のいき場所 

2019/01/13
Sun. 23:42

お供えの鏡餅を下げると30個近く集まるので冷凍庫を整理した。
底の方にはちょうど1年前に同じようなことをして保存しておいた去年の鏡餅がまだ残っていた。とにかく、そういう古いものからなんとかして消費しないとスペースの確保が難しいから、一度中の物を全部取り出してみた。
いらないものがあるだろうと思っていたらそうでもなくて、みなそれなりに捨てるにはもったいないものばかりだったから、オヤジの一人暮らしで使い切ることを目標に、アレコレ見繕って冷蔵庫の方へ移し替えた。

今日も朝から良い天気で、本堂の荘厳を片付ける間ストーブがなくても全然寒くなかった。
お供えのお下がりを何往復もして台所まで運んでから、しめ縄とか松竹梅を撤収してとんど祭でお焚き上げできるように一つに集めた。最後に荘厳を取り払っていつもの須弥壇に戻ったのはお昼を少し過ぎた頃だった。
人の好みとか趣味にもよるだろうが、私はとにかく何事もシンプルで質素な方が好きだ。基本的な荘厳の決まり事は宗派の常識として周知されているから、だいたいそれをお手本にして坊主個人の好みは二の次であることが大事ではある。住職は宗派の常識を元に荘厳を整えることが当然の義務であることもよくわかってはいる。それでも、やはりボクなりの美意識のようなものもあって、どうもそういう画一的な様式美を素直に飲み込むことが出来ない。前住職が健在だった頃は師匠の言付けを粛々と守って言われたようにコトを進めていたが、今は後にも先にも荘厳作務一式全て現住職である私の一存で仕切っているから、建前はソレとしてひとまず置いておいて、自分の本音を優先することに気持ちを切り替えた。常日頃は近所から信心のお参りがあるわけでもないから、自分が一人で一切合切責任を持って心得ておけばソレでいいと云うことにしてある。

本堂での作務を終わらせてから昼食の支度に取り掛かった。
つい先日まで三度の食事をワイフが用意してくれていたから、今もそのくせが抜けきれなくてなかなか食事の1品を作る気になれない。
冷蔵庫を開けたら、冷凍庫から移動しておいた幾つかの食材が解凍されていた。
好きでよく買う砂肝も良い感じで解凍されていたから、お昼はそれをメインになにか作ることにした・・・と、そこまでは決めたのだが、さて何にしようかなかなか決まらないまま、とにかく、まずは砂肝に包丁を入れることにした。気持ちが乗れば「絶対塩焼きだな!」と、一瞬閃いたが、塩焼きだとやっぱり串に挿して「炭焼だよね!」と気持ちが次に飛んで、そういえばワイフが竹串を何処かに仕舞っていたはずだ・・と思い出して、台所のそれらしき場所をアチコチ探したが結局見つけ出すことが出来なかった。まな板の上で二つに切り分けられた砂肝を眺めてしばし迷ったが、そのうち塩焼きのために炭を火起こしするのがだんだんと面倒臭くなってきた。それで、結局いつもの手っ取り早いアヒージョに落ち着いた。ワイフが差し入れしてくれた手作りパンもまだ残っているし、そのパンに砂肝エキスの滲み出たオリーブオイルを付けて食べたら美味そうだし、簡単だから「そうしよう!」と決めた。「コレにワインでもあると最高だなぁ〜」と一瞬そう思ったが、さすがに昼間から一杯やるのは気が引けて、それは断念した。

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セロテープと障子糊 

2019/01/12
Sat. 23:56

2日半の徹夜分を取り戻すようにひたすら眠り続けた。
早朝の保賀の谷は、雲はあるが山陰の冬としては良い天気といえるだろう。

寺の正月の習慣を続けていたら、最近は毎日朝食をとるようになった。もうずいぶん長い間朝食抜きの暮らしが続いていたのに、どういうわけか今度の正月以来オヤジの一人暮らしになってから後も、なにかしら朝ごはんになるような一品を作っていたりする。まぁ、普通に三度のメシを食べるということは一般的に悪いことでもないだろうから、あまりストレスにならない程度に続けてもいいかなという気もしている。

11日も過ぎたし、本格的に正月のお供え物や正月飾りを下げたりしなければいけないと思いつつ、それでも身体がなんとなく重たいものだから読みかけの文庫本を開いたりしてグダグダしていたらお昼近くになってしまった。
「コレはマズイ!」と気を取り直して、まずは身の回りの家事から片付けることにした。
台所で使いまわしている布巾代わりのタオルなど洗濯物が少し溜まっていたので洗濯機を回した。それから、灯油ストーブのタンクへ灯油を補充したりゴミの仕分けをしたりした。
重たい身体を騙しながらモタモタとそういうコトをしていたら何かの拍子に小指の爪をどこかで引っ掛けたようで爪が3分の1ほど剥がれた。血がにじんできたので絆創膏を探したが思いついた場所に見当たらない。もう1年以上も前に一箱開けてそれが使い切らないまま残っているということは間違いなく覚えているのだが、それを何処へ仕舞ったのかそのコトを覚えていない。仕方がないから、セロテープで応急処置をして近所のホームセンターへ走った。

絆創膏を探している時に障子糊を見つけた。
前々からお経本の折れ目が破れてバラバラになりそうだったのをダマシダマシ使っていたのを思い出して、この際一気に「お経本の修繕をしよう!」と決めた。
前住職はセロテープで簡易的に補修をしていたものだから、使いにくくてしょうがなかったことを思い出した。やはり折れ目の補修は和紙でないとダメだ。
特に何に使うかと決めたわけでもなく、御札製作でサイズからはみ出した余分を捨てないで仕舞っておいたのを取り出してダイニングテーブルを作業台にした。
空の雲が少しずつ切れて、台所へ西日が差し込んでくる。
時折、寒雀の集団が古古米を食べにやってくる。
作業のバックミュージックには、YouTubeからエンドレス配信の音楽を選んでおいた。

正月の荘厳を復元しょうと思っていたのに、お経本の修繕が思った以上に長引いてしまったので、そちらの方は1日ずらすことに決めた。14日は保賀のとんど祭があるから、前日に寺のコトを終わらせておけばまだ間に合う。
夕食用にテーブルを片付けて台所仕事をしていたら、小指の絆創膏がポロリと落ちた。やはり、安い絆創膏はダメだ。血の方はとっくに止まっていたが、爪の剥がれたところがヒリヒリと痛い。「夕食何にしようかなぁ〜・・」小指をしゃぶりながらしばし悩んだ。

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通勤坊主2019 

2019/01/06
Sun. 23:14

年賀状のこととか幾つかの書類ごとが吉田家で停滞していて、そろそろワイフの我慢が限界に近づいているようだったので、一度石見銀山へ帰ることにした。

冬至を過ぎてから夜明けが少しずつ早くなっている。
雪の切れた駐車場に停めてあるある銀くんには、霜が張り付いて真っ白になっていた。しばらく暖機運転をして窓ガラスの霜を溶かしてから参道を下った。
さすがに境内は雪に埋もれているが、今年は参道や本堂下の駐車場が普通に使えている。
銀山街道を走りながらちょうど1年前のことを思い出していた。
気温が−5℃くらいまで下がって水道管が凍結したり風呂のカランが破裂したりして対応に苦労した。まだ辛うじて健気に動いていた結界君はお地蔵さんの前で雪に埋まって身動きできないでいた。

今年になってはじめて石見銀山へ帰った。
町並みはまだ寝静まっていて雪の痕跡もない。
吉田家はすでに玄関も雨戸も開いていた。きっと、ワイフが早朝のウォーキングへ出かけているのだろう。
土間からクロの鳴く声が聞こえた。まだ私のことを覚えてくれていたようだ。
留守にしていた間に土間へ積み上げてあった薪が無くなっていた。

1時間ほど吉田家で用事を済ませて寺へ引き返した。
正月は、時々年始のお参りがあるので昼のうちは寺を留守に出来ない。本堂の用事をしたりしながら留守番をするのが住職の仕事にもなるが、人が一人でも居れば、暖房や三度のメシとか無駄に光熱水費を垂れ流ししているようなところもあるから、いっそのこと万善寺も「冬季休業期間を作ってもいいかな?・・」と本気で考え始めているが、私の住職できる間はそうにもなるまい。

本堂の荘厳は10日位までそのままにしておく。お供えの手造り鏡餅はそろそろカビが出る頃なので既成のパック餅に入れ替えた。早速お昼にお下がりをいただくことにする。
庫裏の南側二つの部屋は、大屋根に積もった雪の重みを支えるために冬の間だけ襖で仕切ることにしている。模様替えというほどでもないが、明るい昼のうちに彫刻の場所替えをしたりお供え用のシキビを入れ替えたりした。
年末にバリカンを当てた頭がそろそろ見苦しくなったので、夕方早いうちに風呂へ入った。さっぱりした後の夕食はおせちの残り・・・これもそろそろ飽きてきたが、ワイフの手料理を無駄にできないし、三度の食事でセッセと消費している。

正月の年始行事が過ぎてから、時間だけはたっぷりあるから読み残しや読み返しの本を読んだり見逃した映画やドラマを観たりしようとは思うのだが、目先の用事を片付けていたら気づかない間にツイツイ時が過ぎてまとまった時間が無くなってしまう。それでも、気楽に一人でいられる自由はそれなりに捨てがたいものでもある。気づけば何か一つ事に意識を集中できていたりする。寺の1日がアッという間に過ぎた。

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万善寺年始会今昔 

2019/01/02
Wed. 23:02

正月2日は原則として年始会が恒例になっている。
私が物心ついた時にはすでにそういう決まりができていて、当時は新年の祝賀祈念法要とその後てづくりおせちの精進料理や初餅のお雑煮や黄粉餅に日本酒の熱燗で日が暮れるまでエンドレスに酒宴が開催されていた。
近所からまかないでお願いした奥様方が5〜6人集まって、それぞれが自分の役割を分担して手際よく年始会を切り盛りしてもらっていた。
酒宴が盛り上がると流行歌がアチコチから出はじめたり、早々と何時もは家族が居間で使っている掘り炬燵へ移動して囲碁が始まったりした。
年始参りの檀信徒の皆さんの大半は、公共交通機関の路線バスの時刻に合わせて日が暮れる前に帰られる。今のように自家用車の持ち合わせなど稀なことで、せいぜい50ccのバイクくらいしかなかったから、雪の正月の寺参りはバスか徒歩だった。
お檀家さんで遠いところは一里以上もさきから徒歩で万善寺を目指す方もいて、年始参りも1日仕事になる。そこまでしてお寺参りされるくらいだから信心の強さも並ではなくて、正月早々年始会が2次会に突入する頃には、お参りの旦那衆総出で並んだ配膳机が片付けられ、取り払われていたふすまや障子が建て付けられ、いつもの掘り炬燵に復元されて、それから炬燵ごとのグループが出来て寺の運営で議論が始まるなどして賑やかなものだった。

高度経済成長とともに家族の離散が本格的になって、市街地で暮らす親族の帰省ラッシュが普通になって、それぞれのお檀家さんでは年始参りの信心より、久しぶりに揃う家族と過ごす正月が当たり前のことになった。
万善寺も、息子の私は30歳直前まで日頃は東京で暮らしていたから乗車率200%ほどの新幹線自由席や在来線を使って延々と10時間ほどかけて帰省することが当たり前だった。
その頃の万善寺は、年始参りもすでに激減していて、まかないでお願いしていた近所の奥様方も高齢を言い訳に一人ずつリタイヤされ、それに変わるように新婚間もないワイフが年末のうちから年始会の仕込みなどで都合よく内室のおかみさんを手伝わされるようになった。
私の方は、すでに少年時代から毎年繰り返される年末年始の決まりごととして粛々と受け止めていたからそれほど大きな感情の起伏も無かったが、在家から嫁いだワイフの方はある日突然に寺のまかないが回ってきて想定外の苦労を背負うことになった。それでも幸いに、お手伝いさんの数人はまだ引退前だったから、そういうご婦人方の他愛無い井戸端会議に救われて内室からのダイレクト司令を避けることが出来た。おかげさまでそれで嫁姑の直接対決を避けられたし、辛うじてギリギリ平常心でいられることが出来た。

私もワイフも彫刻家でもあるわけで、制作中はどちらかといえば自分の仕事をマイペースに進めることが多いから、万善寺のことも内室のおかみさんが他界してからは正月行事がずいぶんやりやすくなって楽になった。何事も、まずは誰かを当てにするところからスタートすると、かえってそのための事前事後の手間が負担になって気疲れする。はじめから他人を当てにしないでいたほうが気楽でいられて都合が良い。
今年の年始会は天気も落ち着いて、お参りも例年と変わりなく静かに始まって終わった。

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元日の朝 

2019/01/01
Tue. 23:40

正月元日の朝は井戸水をお湯にするところからはじまる。

午前0時を過ぎて、ワイフとじゅん君が除夜の鐘をつき終わるまでに新しい蝋燭へ火をつけ、線香をつけ、須弥壇の御本尊様をはじめ万善寺じゅうの諸仏へお供えする。それから井戸水を沸かして同じように本堂から庫裏の各所へお供えする。
万善寺の元日は先代住職の頃からだいたい同じことが繰り返されてきた。

同宗の近隣寺院がどのようなお正月をされるかわからないが、私は子供の頃から師匠である先代住職の司令を受けて眠い目をこすりながらそれらの決まりごとを繰り返していた。
師弟関係というものは、そういう日々の繰り返しが基本になるのだろう。
まずは、いつも同じことを同じように遺漏なく繰り返すことが出来るようになるということが大事なことだと、先代住職がほぼ寝たきりになってから気がついた。
だから、守破離の「守」の重要さが自覚できたのはつい最近のこと。
何をするにも前後後先の順序がとにかく曖昧でコトが先に進まない。物心ついた頃から自分の坊主人生のほとんどで毎年同じことを繰り返し続けていたはずなのに、すべて自分の責任で取り仕切ろうとすると、何もかもが中途半端に曖昧でとたんに自信が失せる。
師弟関係であっても私の場合はその前に親子関係でもあったから、どこかしら父親への反抗心もあって、完全に公私が混同されたままの師弟関係になってしまっていた。謙虚な気持ちでモノを教わるという自覚が足りない・・というより「ほとんど皆無に近かったのだ!」と今更ながら気づいた。
先代住職は人生の殆ど半分は病気と付き合いながら生きてきて、それでも90歳近くまで長生きできていたわけだから、私がその気になって師匠の所作へ寄り添っていれば今の不安はずいぶん軽減できていたはずだが、とにかくなにごとも時すでに遅し!・・・

「坊主の弟子は持たない」と、心に決めている。だから、万善寺の次代には住職の姓が変わるはずだ。それでいいと思うし、自分の宿命を思うとむしろ「その方が良い!」と思う。ずいぶん身勝手なことだが、今の周辺環境や社会事情の客観性に即して自分の立ち位置をみればそれが最善の選択肢だと思う。
実にモタモタしつつ、それでもそれなりに自分の身辺整理を心がけている。
特に、長男であり一般常識的師弟関係の対象として一番身近な存在であるじゅん君には対応が難しい。
年末からワイフと一緒に万善寺で親子三人の暮らしを続けているが、彼の信仰心を直ぐ側で見ていると、仏教の根本からは程遠いところにあると気付く。それはそれで、彼の気持ちが収まることであればそれで良い。彼ももう30歳を過ぎるし、すでに立派な彼なりの人格が形成されているわけだ。

初釜の湯をお供えして、元日の法要をはじめて、ひと通り各所の仏様を一巡して、すべての次第が終了したのはそれから2時間ほどあと。そのまま徹夜で正月2日の年始会準備に入った。すべて自分一人で取り仕切らなければいけないことなのだが、朝になって元日の朝食が終わってしばらくして、ワイフが見るに見かねて遅れた準備を手伝ってくれた。

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ヤル気の素 

2018/12/31
Mon. 23:01

「○△※□◇〜〜」・・・

庫裏の西の端から北の裏山の方へほぼ正方形に出張った台所をDIYで長方形2つの部屋へ改造して、オヤジの坊主暮らしはその2部屋を行き来しながらだいたいの用事を済ませている。
いつもは食事に使っているダイニングテーブルを片付けて年末の万善寺寺務をしていたら、庫裏玄関から男の声が聞こえた。年末のお客さんか宅配の業者さんが来たのかと思って急いで出てみるとじゅん君だった。
「じゅん君かぁ〜〜・・」
「ただいまぁ〜〜・・」
「あぁ〜、おかえり・・ご苦労さま・・」
それから少しして、ワイフが「ただいまぁ〜〜」と荷物を抱えて玄関へ入ってきた。

「(ただいまぁ〜〜)・・・か・・・」
何かしら、ちょっと嬉しかった。
どちらかといえば自分としては、通勤坊主や単身赴任で生家である万善寺へ「行ってくる・・」じゃなくて「帰ってくる!」気持ちの方が若干強いかな・・・
石見銀山をベースに暮らす吉田家家族からすると、万善寺は(自分の家へ帰る・・)感覚からは遠い気がする。なんとなくそう思っていたものだから彼らの「ただいまぁ〜〜!」の一言が嬉しかった。

毎年それなりの出来事があって、年末になるとそのしわ寄せのようなものが立て込んで気ぜわしく落ち着かないことが増えるからそれも仕方のないことだと諦めも加わった数日を粛々と過ごしているのだが、この1年間は何時にもましてとにかくいろいろと厳しいことが続いたものだから、今まで以上に心身の負担が増して身体のアチコチで不具合のサインが多発していた。それで、ちょっと沈んだ気持ちでいたときのことだったので「ただいまぁ〜〜」のたった一言で自分の気持ちがかなり晴れ晴れとして、ヤル気が復活した。

除夜の鐘ギリギリまで本堂へ入り浸ってベッタリと諸仏さんと付き合っている。
須弥壇の御本尊様は千手千眼観世音菩薩さまと云われているが、先代住職には十一面観世音菩薩も合体した特別に珍しい本尊様だと教えられた。自分としては、ベーシックな千手千眼観世音菩薩だと思うのだが、仏教美術の専門家ではないから正しくはどちらなのかわからない。須弥壇の右には大権(だいげん)さま、左には達磨さまが安座されている。続き部屋には両本山の開祖様が安座され、その隣に豊川稲荷がお祀りされている。須弥壇の裏側は万善寺開祖様以下歴代の大和尚さま方がお祀りの位牌堂があって、その隣に檀信徒のみなさまの位牌堂などがある。
本堂にいるといつも思うのだが、偶像物を中心に様々な信仰の抽象的造形がそれを取り囲んで独特な空間が創り出されていて、その具象と抽象の混沌とした混在が不思議に面白い。
彫刻家としての今の自分の造形感の原点は、多分そのあたりから発しているのだと思う。

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単身赴任坊主の年末 

2018/12/30
Sun. 23:29

こうみえても、ボクは小心者の心配性なものだから、ひと晩の雪のことが気になって朝もまだ暗いうちから目が覚めてしまう・・・
それで、今朝もオシッコのついでに庫裏の南側の縁側で雪の具合を確かめると、昨日夕方近くに参道を往復しておいたのに、それが辛うじて確認できるくらいまでたっぷりと降り積もっていた。

決して雪が嫌いではない。むしろ冬になると雪の降るのを心の何処かで待ちわびているようなところがある。
今年のシーズンは、年末ギリギリまで全く雪の降る気配がなく「このままだと、雪のない正月になるのかも知れない・・」などと、少々がっかりしていたところだ。
それが、28日から一気に強力寒気団が南下して飯南高原はもちろん、石見銀山の方でも雪が降り始めた。
石見銀山は申し訳程度に白くなったくらいで、すぐに消えたそうだが、さすがに飯南高原はそこまで甘くない。それから今日まで連日絶え間なく降り続けている。

夜が明けて少し明るくなってから外に出ると、空全体が暗いグレーに染まっていた。
萬善寺の上空は雪が切れているが、近所の何処かでは集中して雪が降っている感じだ。
お地蔵さんの脇へ路上駐車してある銀くんへシキビと梅と松が積んであるから、それを運び上げるついでに参道の道を開けた。
雪が重たくてかなりの重労働になる。
銀くんもひと晩のうちに全身雪に埋まっていた。

本堂から庫裏の各所へ松竹梅のお供えをして、最後にお地蔵さんまで参道を下りて鏡餅といっしょにお供えをしてご真言をお唱えした頃は、もうお昼になっていた。
朝は厚い雲で覆われていた南の空が若干明るくなって、時折弱々しい日差しも感じる。とりあえず強力寒波が収束に向かっているのかもしれない。少し寒さが和らぐと重たい雪が水っぽくなってますます重くなる。このまま雪が止めば除雪をしないでも勝手に消えてくれるからそれを期待したい。
たった3日間の除雪労働ですでに膝がガクガクしてくるぶしの古傷がうずきはじめ、腰の骨がコキコキと乾いた音をたてている。
まだまだ寺の年末の用事は山積みだが、正月早々寝込むわけにもいかないし、大事を取って少し早めに風呂へ入って身体をほぐしておくことにした。気づくと頭もヒゲも伸び放題でむさ苦しくて貧相なオヤジ顔になっていた。充電が弱ったバリカンが伸びた髪の毛に負けてしまう。裸のままいつもの倍くらい時間をかけて床屋をしていたら、風呂で身体を暖めるどころか完全に冷え切ってしまった。
湯気で曇った鏡の下を飛び跳ねる気力も失せたベンジョコオロギが弱々しく歩いて横切った。風呂の何処かで越冬をするつもりだったのかもしれないが、考えが甘い・・・

夕食でオヤジのひとり飯は、冷凍庫をあさってタコの頭を解凍しておいたものにシメジを添えてアヒージョにした。

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重たい雪 

2018/12/29
Sat. 14:42

夜半から降り始めた雪が朝になっても絶え間なく降り続いている。
まだ雪の降る前に境内に乗り入れた銀くんを朝のうちにお地蔵さんのところまでおろしておいた。

寺の作務もキリがないほど沢山あって、それらを自分一人でこなしているとアッという間に1日が過ぎる。
過去帳から来年の年回法事を繰り出していたら、ガス屋さんがプロパンガスの補充にやってきた。萬善寺は雪が本格的になると境内へ軽トラを上げることが難しくなるから、その前にひと冬分のボンベを追加しておく。雪がどんどん降り積もる中、参道に残った銀くんのタイヤの轍を頼って辛うじて登りきってくれた。
過去帳の繰り出しが一区切り着いたところで、参道の道開けに出かけた。
今度の寒波はまだ気温が高い方で、雪がやたらに重たい。こういう雪質だと1回の参道の往復で1日分の体力をほぼ全て使い切ってしまう。道開けを終わって庫裏玄関へ帰った頃は腰が痛くて長靴を脱ぐことが出来ないほどだった。少し落ち着くまで雪の中をうろついて、スズメの餌場に古古米を補充したりした。その間にも本堂の大屋根から雪吊りが続いている。

吉田家に幾つか大事な忘れ物をしていて、思い出すたびにワイフへ電話していたらそのうち少しずつ機嫌が悪くなってきた。彼女の方も年末のアレコレで忙しくしているわけだから当たり前のことだとは思うが、日頃は通勤坊主で二重生活をしているからそれも仕方がないことだと思う。毎年この時期同じことを同じように繰り返しているはずなのにどうしても忘れ物が減らない。これから先こういう大事なことを忘れることが増えることはあっても減ることはないだろうから、今のうちに年末年始の年越し作務を記録しておく必要を感じる。
1日が終わって次の1日が始まるだけのことなのに、1年の終わりと始まりのことになるととたんに何もかもが更新されて気ぜわしくなる。
毎年の1年を振り返ると、1日として同じ出来事の1日を繰り返すことがないのに、年越しの1日だけは同じように巡ってくるから、結局何もかもをその1日にあわせて都合をつけている。自分としてはどうも釈然としないもどかしさもあるが、だから自分の自由に振る舞うこともはばかられる。坊主という商売柄で余計に窮屈な決まりごとで縛られているところもあってどうなるものでもない。

外は休み無く雪が降り続いている。重たい雪だし、1日で2回は道を開けておかないと次の日の道開けが辛くなる。
本格的な冬がはじまった。
石見銀山の田んぼ彫刻は降り積もった雪でどんな具合に変化しているのだろう?
そのことも気になるし、今度の雪が残っている年内に一度は記録にとっておきたい。正月の御札を手摺りしなければいけない。町外のお檀家さん宛てへ年始の発送準備もある。元号が変わることでもあるし、年賀状は別の手段へ切り替えようと考えている。
あと3日もないのに、全部できるのだろうか??

カレンダー2
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今時上法事事情 

2018/11/09
Fri. 23:30

寺の夜は結構寒かった。
今年は今までにないほど暖かい日が続いていて秋になってからは雨もそれほど降らない。
そのせいかどうかわからないが、自分の身体が暖かさに慣れて鈍り切ってしまっていたようだ。
石見銀山と飯南高原の標高差は200mくらいのものだろうから、それほど気温の差も無いだろうと思っていたが、少々考えが甘かったようだ。さすがに高原の夜は冷え込んだ。温かいとはいえ、やはり季節は確実に冬に向かっている。

上げ法事のお参りが9時になっている。
前夜にあらかた法事の準備はしておいたから、あとは本堂の朝の用事を済ませて施主さんの到着を待つばかり。
俗に「上げ法事」というのは、お寺の本堂で法事をすることを云う。ことの始まりは、昔々戦争とか災害で一つ集落が全滅するほど大量の死者が出た時、それぞれ個人でお葬式を出すことが出来なくてどうしようか困っているところへ「それじゃぁ、お寺さんの本堂を借りてみんなで合同葬にしましょう!」と思いついたのが始まりだと聞いた。
それが、最近では個人の葬儀や法事でもお寺を借りることが増えてきて、市街地ではむしろその方が当たり前の常識になっているようである。
細かいことを言えば、昔ながらの仕来りにはそれなりに納得できる意味があることなのだが、時代が変われば変わったなりにその時時の自分の都合が優先で物事が進むようになってしまった結果が今に至っているということなのだろう。
萬善寺のような田舎の山寺も、結局は施主家の都合が先に立って市街地の方から流入してきた「上げ法事システム」が増えてきた。
田舎から街場に転出した家族親族から「うちの方では、お寺さんへ行って法事してますよ」などと、ソレが普通のようにもっともらしい情報を聞かされてしまうと「そういう方法もあったか!」とか「そりゃぁ、自宅の世話が無くて楽になるわぁ〜」とか「お寺さんへ現地集合ということでよろしく!」とか、そういう簡易的法事形式が浸透し始めた。

ワイフの実家は菩提寺が新宿の方の比較的有名な浄土真宗大谷派のお寺だが、そこでは先代の御院家さんが亡くなって今の代になってから一度も自宅の仏壇前でお経をあげてもらったことが無いそうだ。それで、上げ法事が普通になって法事のお参りをすると、お布施の他に本堂使用量、茶菓子代、花代などの必要経費を別途請求された上、御院家さんの斎膳の膳料や会館の使用量まで請求されるのだそうだ。そういうことになると、何のための法事なのかわけのわからないことになってしまう。それで、最近では法事もやめてしまって御院家さんに見つからないように親族が境内の墓地へ集まって墓参りだけをして近くの料理屋で親族だけで斎膳をいただくことにしたそうだ。お経のない法事というのもどうかと思うし、萬善寺の場合ではあり得ないことだ。
そんな、今時の法事事情をサラリと受け流して、茶菓子と番茶を用意して位牌堂へ法事の準備を済ませて待っていたら、施主家のご夫婦が到着された。
せっかく本堂で法事だから、妙法蓮華経如来寿量品をゆっくりキッチリおつとめさせていただきました。

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お地蔵さんの数珠繰り 

2018/09/24
Mon. 23:13

ワイフが、ポテトサラダとりんごのケーキと、「今年の新芋でつくった芋けんぴもあるからね」と、あといくつかのお茶のおもともを持たせてくれた。

地蔵供養の法要は夜になってからだが、「夜になってから出かけるのはチョットたいへんなものだから・・・」という人もあって、そういう人のお参りは自分の都合で出かけやすいときに萬善寺の参道をヨイショと登ってこられるから、住職が留守にするのも失礼なことだし、法要の準備は1日かかるわけでもないのだが、ひとまず早朝から庫裏玄関の鍵を開けて急なお参りに対応できるようにはしておく。

ワイフの心づくしの手料理などを適当な鉢に移し替えて、いつでもお茶席へ出せるようにしておいたら、あとは何もすることが無くなった。
そろそろ9月も終わりだし、衣替えの時期が近いから、洗濯のできる大衣を洗っておくことにした。物干しの関係で一回に2着しか洗えないから、衣替えの洗濯だけでも1週間位かかってしまう。隣町のお寺はこの時期に法衣屋さんへ預けてクリーニングと縫い物の補修をしてもらうのだそうだ。ケチくさいことだが、萬善寺の財政ではとてもそれだけのことが出来ないので、とにかく自分でできることは自力で乗り切るようにしている。
縫い物もするが、針に糸を通すことが出来ないから今年になってハズキルーペを買った。結構高かったが、大衣のクリーニングよりは経済的なのでずいぶん重宝している。

お昼前に近所のおばあさんがお供えを持って来られたので、お地蔵さんの御札を渡しておいた。それから夕方にかけて3人のお参りがあった。
あまり良い天気とはいえないものの、かろうじて雨降りは回避できそうだと思っていたら小雨が落ちてき始めて、参道の舗装が濡れ始めた。
その参道は側溝が無いから、雨が降るとそのまま雨水が集まって川のようになってしまう。お参りのみなさんが慣れない夜道で滑って転ばれても困るし、それが気になってチョット不安になりつつお茶会のテーブルを整えていたら、最初のお参りがあった。
それから少しずつお参りが増えて、予定の時間少し前にいつものメンバーがおおよそ集まった。
先祖供養の塔婆を書いてくれと申し出があって、急きょ塔婆回向もすることになった。恒例の行事なら次第進行が乱れて迷惑になるから個人交渉は断ることにしているが、お地蔵さんの日はお参りも少ないし、塔婆回向で時間のロスも無いから引き受けることにした。

数珠繰りが終わって、説法にもならないお話を少しほどしてお茶会に入った。
昔の人は、仏様を名指しで信仰の対象にすることが多かった。「私はいつもアソコの三叉路の角にある観音様のお堂を拝んどるんよぉ〜」と、誰かが言い始めると「私は○○のお地蔵さんへはよくお参りしとるけぇ〜」とか「最近体調が悪くなってきたけぇ〜△□薬師さんへ参ることにしたんよ!」などと、仏さんや信心参りの情報交換が始まったりした。
少し前までは、萬善寺の豊川稲荷さんにも朝夕お参りがあったりしたものだ。
今回の地蔵供養のお茶会は病気と病院の情報交換で話題が盛り上がっていた。お参りのみなさんも、1年毎に確実に1歳ずつ歳を重ねていらっしゃる。

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地蔵盆 

2018/09/23
Sun. 23:52

本堂の正面階段へ仮置きしている永代供養の墓碑前に豪華な生花があふれるように活けてあった。
秋の彼岸入りは過ぎているし、それでもと思って岡山から帰った朝、丈夫な青葉を境内の端から切り取ってお供えしておいたのだが、そのひと枝が邪魔に思えるほど見事に華やいで、萬善寺の薄汚れた本堂が色めいている。

毎年、9月の24日を地蔵盆の法要に決めていて、今年もそのお知らせを発送しておいた。
いつもは、少し余裕にあるときに町内へ点在する40軒程のお檀家さんと保賀の各家をぐるりと回ってプリントしたお知らせを1枚ほどポストに投げ込んでおくのだが、それだけでも全部回るのに3時間近くはかかるし、今年はその時間の余裕が無くて、結局徳島へ行く前に夜なべで封筒詰めをして郵送しておいた。
お彼岸の方は、春彼岸で供養法要をするから、特にお檀家さんへお参りにお知らせをすることはない。飯南高原では秋の農繁期でアチコチがあわただしい最中だ。そういう地域事情もあって、地蔵盆の法要は夜になってからスタートする。お経が終わってからお地蔵さんの御真言をとなえながらお参りのみんなで大きな数珠を時計回りに回す。最後にお茶会をしてお供えしておいた御札を配る。

「忙しいとは思うけど、また今年もお茶会の茶口よろしくね♡!」
ワイフは、秋の展覧会に向けて彫刻制作に忙しくしている。
その制作の手間を少しばかり借りて地蔵供養の茶口をつくってもらうことになるから、できるだけ彼女の負担にならないようにさり気なく気遣いながら食材の材料代込みの薄謝手当を手渡しながらお願いしている。
「去年は何だったっけ??」
そう聞かれても、1年前の茶口の内容まではメモで残していないし「ポテトサラダとりんごのケーキはあったと思うなぁ?」・・・よく覚えていないまま記憶を手繰ってそのくらいに応えておいた。あとは、彼女の都合でなんとかしてくれるだろう。

今度の法要で本堂の荘厳をすることはないが、それでもザッと掃除してお供え物を整えて経木塔婆へ奉請を書いた。
「紙へ書くより筆が早くダメになってしまうんだよなぁ〜・・御札だし紙の印刷にしようかなぁ〜・・・」
「印刷って有難味がないじゃない。塔婆書きなんて2時間の映画一本観るの我慢したらできるんじゃないの?お供え頂いてるんだから、筆の1本くらいケチらないでそのくらいしなさいよ・・」
ワイフへ塔婆書きの愚痴をいったら、ボクのケチ臭い言い訳に軽くダメ出しが返ってきた。毎年のお参りも10人くらいだし、事付けも含めて15枚も書けば足りる。
寺の昼食はオヤジのひとり飯で、久しぶりに塩ラーメンをつくって食べた。
それから食器類を準備して、ワイフのつくってくれる茶口を受け取りに夕方になって石見銀山へ帰った。

2018地蔵法要ご案内 (1)
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観音様の御陰 

2018/09/11
Tue. 23:58

台風が通過してから秋雨前線が刺激されたのか、今ひとつパッとしない天気が続いていて、なかなかスッキリとした秋空になってくれない。
彫刻展の会場をオープンする時間から逆算して飯南高原を出発した。
前夜は、例の防災マップ作成に関する調査開始の説明などがあった。
飯南高原を大きく3~4ほどに分けてそれぞれのグループから自治会の責任者が集まってきた。50人以上は居たと思う。
議題へ入る前に15分ほどのDVDを見せられて、私はたった15分の間に寝てしまっていた。隣りに座っていたのは、夏に棚経でお邪魔するお宅のご主人だった。ひょっとしてイビキをかいてしまったかもしれないと若干不安だったが、済んだことは仕方がない。
年齢のこともあって、私の同級生たちの顔が結構たくさん集まっていた。
顔ぶれを見ると、それなりのご意見番で活躍していそうな連中だったから、そういうことは極力避けて生きている私としては、とにかく面倒臭いことにならないように、集会が終わるとすぐ彼等と目を合わせないように工夫しながら早々に退散した。

保賀の谷は、全体が真砂土でその上に腐葉土が被っている。
萬善寺の裏山も、私が記憶しているだけで2回は大きな土砂崩れがあって、その度に腐葉土がずり落ちて真砂土がむき出しになった。
観音様の御陰もあって、本堂の真裏で崩れた土砂は2回とも庫裏の裏を斜めに横切って西側の畑に向かってずり落ちた。
1回目の土砂崩れで裏庭の面積が半分になって、その痕跡を隠すように母親がセッセとサツキやツツジの挿し木をした。
2回目の土砂崩れは庫裏の隣りにある別棟の客殿の角をかすめて、長方形の家全体が平行四辺形になったうえに、土砂の一部が家の中に入り込んで壁や柱や建具を壊して畳の一部がダメになった。家のすぐ横の畑はその時の土砂で完全に埋まった。流石にその時は保賀の町内の男衆が総出で家屋内の復旧を手伝ってくれた。それからあとも、萬善寺は何度も自然災害に遭遇してアチコチに数え切れないほどのダメージを受けているが、すべて観音様の御陰によってその都度なんとか復旧して今に至っている。

国や県の防災計画によると、自分の住居が幾つかある災害防災パターンのどれかに該当する場合は、立ち退きを迫られるか、国の基準に則った防御壁を建造をするかしないといけないことになるらしい。
さて、萬善寺は調査の結果どういう対応を迫られることになるのだろう・・・
開祖さん以来、400年以上の歴史ある萬善寺が今の場所に移築再建されたのは江戸の中期になる。
戦国の頃は毛利と尼子の最前線で激戦地だった。そういうところに山の一部を削って平地をつくってアチコチから古寺の部材をかき集めて観音堂のような本堂が造られた。
それから250年くらいは過ぎて、いまの萬善寺は、地面から垂直に建っている柱は一本もない。同じ場所へ改築する気にもなれないし、まぁ、ボクの住職代に何かあれば萬善寺と運命を共にするしか無いだろう。
観音様の庇護も命運尽きて、災害で潰れてしまえば後腐れなくてそれも良い。

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住職家業 

2018/09/07
Fri. 23:00

9月に入って、はじめての年回法事があった。
施主さんの先代夫婦の年回を一つにまとめてしてくれということで、事前に自作の杉板塔婆を2枚託されていたから、それに戒名など書いて持参した。

昔は、法事の度に施主家の裁量で塔婆をつくって菩提寺を迎えた。
坊主は、法事当日に30分ほど早く施主家へ出向いて、その場でサラサラと塔婆を書く。
萬善寺の先代住職も現役時代はだいたいそうやって乗り切っていた。
身体が動きにくくなった晩年から副住職の私が法事を引き継ぐことも増えて、同時に施主家の方も代替わりが増えて、法事当日のプロローグパフォーマンスでもある塔婆書きショーがうまく機能しなくなってきた。
「えぇ〜〜、本日は13回忌のご法事ということでお参りさせていただきました・・・、なにかとご心配のことでしょうが・・・ひとつよろしくおねがいします。ところで、塔婆のご準備はどのようで??・・・」
「・・・・・??、トォーバといいますと??」
「ご当家でご準備されてあると思いますが・・・」
「・・・?・・・エッ???ソォーなんですか??」
てなかんじで、お経の前からドタバタの大騒ぎになったりすることもシバシバ・・・

飯南高原に萬善寺のお檀家さんは少なくて、ほとんどが塔婆のいらない浄土真宗さんのご門徒さんばかりの土地柄もあって、施主家での申し送りが曖昧に済まされていたりすると、仏事の常識がほとんど欠落したまま法事を坊主の方が仕切ることになったりする。
萬善寺周辺でも葬祭業の浸透で仏事の不案内な施主家が一式丸投げの葬式仏教が増えた。
坊主の布教活動が怠慢であることも一因なのかもしれないが、まぁ、ボク的にはそういうややこしい仏事の決まりごとをクドクド説教しても、結局は聞く側の仏教信心の主体的な受け取り方の問題だから「ソォーいうことはあまり興味ないので」とか「難しいことはわからないので」とか「仕事が忙しくて」とか、なにかと都合の良いように言い訳されておしまいだったりする。
それで数年前から、自分で奈良県の間伐製材屋さんへ直接塔婆制作を依頼することにした。そうしておけば、法事の話が入った時に「それで、塔婆はどうされますか?」と一言事務的に問い合わせするだけで事前のドタバタが解消できる。

世間話をはさみながら家族だけのささやかな法事を済ませ、寺で着物を着替えて洗濯を済ませてから、斎膳の折弁当とお供えに頂いたピオーネの粒落ちパックを持って吉田家へ急いだ。
ブドウはなっちゃんへ土産にして、弁当はワイフへ土産にした。
最近は斎膳のほとんどが弁当になった。贅沢な話だが・・・法事の度に似たような詰合せの弁当を頂いていると、そういう、見た目重視の小洒落た料理より、ワイフの手作り家庭料理のほうがずっと美味しく感じる。それでも、彼女の方は「美味しい♡!」とか、「珍しい♡!」とかいって、結構喜んでくれえるので、粗末になることはない。残りは自分でありがたく完食させていただく。

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ありがたやありがたや 

2018/08/25
Sat. 23:02

夜明け前のまだ暗いときから、土砂降りになった。
裏山の木々の枝が風で大きく揺れてぶつかり合う音が雨音にかぶさって、それに竹の葉の擦れ合う音が重なる。賑やかなことだ。
台風は過ぎたはずなのに、今頃になって台風並みの風雨が戻ってきた。

1日かけて、古墓と観音様とお地蔵様とお大師様の供養で4軒廻る。
1軒は万善寺のお檀家さんだが、あとは浄土真宗の門徒さん。
飯南高原では昔から、宗派を超えてご利益の重いお経を読んでもらおうと状況に応じて近くのふさわしいお寺へ供養をお願いされるお宅が多かった。
世代交代の過渡期をむかえた最近は、少しずつそういう供養の依頼も減ってきたが、それでもまだ数軒は毎年のようにお経の依頼が入ってくる。
古墓をお守りのお宅は、信心もあつくて、いつ行ってもキレイに墓掃除が行届いている。
個人でお祀りの観音様やお地蔵様などの諸仏は、だいたい庭の奥まったところへ小さなお堂を建立されていて、これも三具足がきちんと揃って信心の深さが伝わってくる。
お堂の無いお宅でも、お仏壇の近くへ別に祭壇を用意されていてお供え物も整って丁寧にお守りされている。

信心は、その家その人の気持ちの問題だから、気にしなければほったらかしに投げっぱなしでも特にナニがどうこうなるものでもない。
それでも、ナニカの拍子にナニカがおこったりすると「観音様を粗末にしてたから・・」とか「最近古墓のお参りを怠けていたから・・」とか、そういうコトが気になるのか、唐突な供養依頼があったりすることもある。万善寺へ「お経をひとつお願いできませんか?」などと連絡が入る時は、だいたいナニかネガティブに気になることがあってのことのようだ。まぁ、お経をひとつ読むことで気持ちが楽になるのならそれも坊主の大事な人助けの務めだと思って、できるだけ丁寧にお付き合いさせていただいている。

「この1年で寺の様子も変わって、今は、だいたい単身赴任の一人暮らしで乗り切ってますわぁ〜・・・」
「そりゃぁ〜、不自由なことで・・・ご飯はどうされてるんですかぁ?」
「今は、夏野菜のお供え物ももらって、それも粗末にできませんから・・・そぉ〜ですねぇ〜〜ほとんど自分で何か作ってますねぇ〜」
「はぁ〜〜、そりゃぁ〜、そりゃぁ〜・・・」
お経を終わってお茶飲み話で、また気がつけば愚痴にも間違えられそうなことを口走ってしまっていた。
「別居暮らしも気楽で良いもんですよ!三度の飯もスキな時にスキなものをチャチャッとつくって、特に苦にもなりませんしねぇ〜・・」
失言を少しばかりフォローしたつもりでいたら、帰りがけに「ちょっと待っててくださいや!お供えを言付けさせてもらいますけぇ〜」と、有難く頂いたのが赤飯だった。
流石に農家の自家製素材でつくった赤飯は一味違って美味い。
頂き物の野菜とワイフが持たせてくれた卵とサバ缶でチャチャッと遅めの昼ごはんにした。

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トネさんの樒 

2018/08/20
Mon. 23:20

詳しくはないが、新潟県というか、石川とか福井や富山も一緒に北陸地方は日本でも有数の職人密集地帯であったらしい。
職人集団は、良質の原材料が豊富に集まる場所を探し当ててソコに住み着いて自らの腕を頼りに生活へ密着した機能を創意工夫しながら生産性を高め工業や産業に昇華させる。
美術学生ではあっても、まだ右も左も何もわからないまま、脳みそだけは根拠のないプライドや我欲に支配されていた陳腐極まりない頃、その、北陸地帯を旅したことがある。
1度は学生仲間と一緒の研修旅行で、もう1度は仲の良い連中と一緒の青春無計画行き当たりばったり珍道中。
それから、あっという間に20年が過ぎた頃、僧籍の資格取得でお世話になったのが新潟の永平寺系列僧堂。それからまた10年ほどしてから特注で造った鉄のテーブルを搬入したのが新潟の魚沼。
自分の人生の節目に、何故か新潟とか北陸が絡んでくる。

年に数回の荘厳の頃になると、仏花のお供えで樒を用意する。
樒は、シキビとかシキミと読まれている。
この樒を「しょうじゅんさんは、和尚さんでもあるから、樒があるといいでしょぉ〜。こんど、もう少し株が大きくなったら送ってあげるよ・・・」と約束してくれた木彫の彫刻家がいて、その約束を忘れないで今から20年チョット前に石見銀山の吉田家宛に苗が届いた。
早速、裏庭の適当なところへ地植えしてそれから枯れないように気をつけながら丁寧に育てていたものが、やっと、私の住職交代で万善寺を前住職から引き継いだ頃になって仏様のお供花に使うことが出来るようになった。
樒は日本のほぼ全国で自生しているようだから、地域の事情によっていろいろと仏前木の伝承解釈も違っているだろうが、とにかく、石見銀山の樒は丁度今頃に可愛らしい乳白色の花を咲かせて香りがひときわ際立ってくる。
基本的に仏事に合った香木として機能しているようだから、その苗木をくれた木彫の作家にはとても感謝していて、剪定する度に思い出すし、彼のことは忘れることがない。

お酒の好きな人で、木彫を制作しながら、実は宮大工の棟梁でもあった。出身は新潟県で、確か出雲崎のあたりだと聞いたような気がするが定かではない。
その彼は、もう10年程は前になるだろうか?持病が悪化して体調を崩したまま木彫の制作をあきらめた。元々が職人気質の強い人だったから、病気を言い訳にして適当に流すような彫刻になってしまうことが我慢ならなかったのかも知れない。これで、病気の束縛がなければ、今はトップクラスの木彫作家になっていたと思う。
「アトリエの庭にいっぱい樒が己生えしているのよ・・」と云っていた。
今頃あのアトリエはどうなったのだろう?
ひと頃は、展覧会で上京する度にアトリエを定宿代わりに使わせてもらっていた。
まだ死んではいないで生きているだろうけど、完全に音信が絶えた。

次の朝、本堂へ入ると樒の香りが狭い本堂いっぱいに充満して清々しい。

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過剰摂取 

2018/08/19
Sun. 23:45

施食会が終わって、お供えを下げたり洗い物をしたりと、荘厳だけを残しておおよそ片付いたのは夕方陽が落ちはじめた頃だった。ワイフは吉田家のネコチャンズが腹をすかせて待っているから、少し休憩してから帰っていった。私は翌日に飯南高原のほぼ中央にある七面さんや馬頭さんお不動さんお地蔵さんなどの諸仏をお祀りしてあるお堂の祈祷供養があるので、そのまま寺へ残った。

万善寺の法要が終わると、当分の間お供えの御下がりを有難く頂きながら暮らすことになる。お盆の時期は、特に野菜などの生鮮食品が長持ちしないので三度の飯を工夫してひたすら残さず消費することにつとめる。

本格的な一人暮らしをはじめてから、最近になって万善寺の家事や台所仕事が苦にならなくなってきた。
まだまだ充分でないところも沢山残っているが、この1~2年で少しずつ自分の使い勝手を工夫して、それがしだいに機能し始めてきたからだと思う。
長年、庫裏の隅々まで都合よく仕切っていたおかみさんのスタイルを、とにかくとことん解体整理してボクのライフスタイルへ切り替える作業は、思っていた以上に難航して時間を要した。いまだに、庫裏全体の3分の1にも満たないほどしか整理できていないが、それでも母親から寺を引き継いだ頃からするとずいぶんコンパクトにまとまってきていると思う。

お供えのアレコレも、規模を縮小させてもらった。
須弥壇周りの湯茶やお菓子野菜などのお供えや佛飯やお膳も必要最小量で都合をつけた。
その必要最小量のお供えにしても、法要が終わって御下がりを集めるとかなりの量になる。たとえば、お団子にしても一皿1個ずつにしても必要最小量で40皿くらいになるし、それがお盆の3日間続くと膨大な量の団子を一人で消費しなければいけなくなる。素麺を茹でても、40皿分となると一束ですまなくなるし、赤飯にしても1合程度では足らない。その上にお供えの夏野菜が大量に御下がりへ変わるし、お檀家さんからお供えにと頂いた生菓子一箱の消費期限も迫ってくるし、炭水化物と糖類の消費だけで目眩がする。

施食会用の餓鬼飯1合分は、出汁を加えて土鍋でおじやにした。
施食会用の夏野菜を混ぜ込んだ洗米は水を多めに炊き直しておかゆにした。
5つ組の膳は全て一つに混ぜてめんつゆを垂らして一気に鍋風に煮込んだ。
朝昼晩とこんな感じの食事が続いて、完全に炭水化物の過剰摂取になって、おまけに、お堂の祈祷供養で御下がりを頂いたりして、胃薬が欠かせなくなってしまった。

市井の俗人なら自分の好き嫌いで簡単に残飯で捨てることもするだろうが、曲がりなりにも在家坊主で御本尊をお守りする住職が、お盆の月の頂き物を粗末にあつかうことも出来ない。
いずれにしても、モノの価値や有難さに身をもって気付かされる毎日が続いている。
捨てる勇気も必要だが、捨てられないことの工夫を努力することも大事だと感じる。

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粗品はてぬぐい 

2018/08/18
Sat. 23:39

この数年のうちに相次いで先代住職夫婦が死んで、おまけに昨年は隣町の現職住職も遷化されて、その本葬が8月17日で万善寺盆法要の前日。
とにかく、何から何まで崖っぷち坊主の綱渡りが続いた。
今年は、やっと少し楽なお盆になるだろうと思っていたら、連日の猛暑とお盆直前にお檀家のおばあさんが亡くなって家族葬モドキ。
今まで長い間副住職でだらしなく気の無い坊主職を続けていたことのツケが回っているのかも知れない。

まぁ、そんな感じで慌ただしく落ち着かないまま施食会法要当日をむかえた。
昔ながらの建築方法で基礎から組み上げて屋根をのせただけの本堂は、東西南北上下左右あらゆるところから隙間風が吹き込んで、風通しが良い。
実は、そういうこともあって、チョット強めの風が吹くと、屋根裏に吹き込んだ風が天井裏へ溜まった積年の埃を吹き飛ばして、天井板の隙間から大小の埃がパラパラと落ちてくる。時には、つがいの山鳩が屋根裏の隙間から入り込んで何泊か住処にしていたり、何かの加減で迷い込んだセキレイが延々とバタバタ本堂のガラス戸めがけて飛び付いていたり、見た目よりずいぶんと賑やかで埃っぽい。本堂東側の枯木が朽ち倒れるまでは、何年も天井裏へムササビが住み着いていて、いまだにその頃の溜め糞が山になって残っている場所もある。ムササビは高い木が無いと滑空できないから、境内の木が倒れると本堂から屋移りしていなくなったのだが、気がつくと、それからあと最近になってテンが侵入ルートを見つけたようで、またドタバタとうるさくなった。テンはムササビより一回り大きいから、あいつが天井裏で騒ぐとアチコチで埃がパラパラと落ちてくる。

それで、あまり早くから荘厳を準備してしまうと、掃除が難しくなるので、ギリギリまで何もしないでおいて、最終調整は当日の早朝から一気に仏具や供え物の配置を決める。
そういう作務をしていたらワイフが到着。
随喜のお寺さんの接待をメインに、庫裏での一切をすべてワイフに任せてある。十分なことは出来ないが、彼女の気持ちが何かのかたちで伝わればそれで十分だと思っているから、私の方は本堂の一切を取り仕切って、お参りの皆さんへ集中する。
今年の粗品は手染めの手ぬぐいにした。
おおよそ人数を予測して、事付のお返しも含めて30枚ほど染めた。
仏事で使ったロウソクを廃棄しないで1年分集めたものを湯煎で溶かしながら用意した白地の手ぬぐいへ文字や絵を描く。
一人暮らしになって、小さな中古の全自動洗濯機へ替えた時、それまで使っていた2層式の洗濯機を廃棄するか残しておくか少し迷ったのだが、染色の時の洗濯くらいには使えるかも知れないと外の洗し脇へ移して置いたのが1年ぶりに役立った。あの厳しい極寒と猛暑を乗り越えて動いてくれた時は、少し感動した。夏が過ぎたらもっと丁寧に囲って大事に管理してあげようと思う。

施食会は30分で終了し、少しお話をはさんで塔婆回向も30分で終わって、夕方には法要全てが無事に終わった。粗品の手ぬぐいは3枚染め付け失敗し、8枚余った。

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施食会前夜 

2018/08/17
Fri. 23:10

先代住職の憲正さんは、時々突発的な思いつきで物事を決めてしまったり、その時の勢いでなんの脈絡もなく説明のつけようがない行動に走ったりすることがあった。
家族身内がそれで振り回されるのは仕方ないとしても、お檀家さんや近所の町内会の皆さんにまでそういうことがおよぶと、周囲の関係者は立場上「NO!!」と云いにくいことが多くて、ドタバタと大忙しになってしまったりしてずいぶん迷惑をかけてしまった。
他人の口は利口にその場を取り繕うから、ずいぶんあとになって憲正さんの無茶振りが風の便りで耳に入ったりして、よく冷や汗をかいたものだ。

住職交代で東堂さんになってからも、しばらくは現役の癖が身についたまま新住職(ボクのことです・・・)へ特に相談もなく勝手に日程調整をして約束したりしてしまうから、何度と無く慌てた。
もう、時効になったような昔の出来事までほじくり出されて詰め寄られたりすることもたまにあるし、何かと言うと「憲正さんが云い始めたことだから・・」と、現住職の私の頭上で話が交差して、それがしばらく続くうちにいつのまにか適当なところで話が決着してシャンシャンと住職抜きの手打になったりすることも再々ある。

それで、夜の薬師供養も私が学生で留守にしている間に、いつのまにかお盆の万善寺法要仏事の前日、つまり17日に決まっていた。
私が少年時代の昔、今の薬師供養は確か8月のもっと遅くだったはずで、秋風が吹き鈴虫が鳴く頃だったと記憶している。どういうことで、万善寺の法要前日の夜に薬師供養を移動したのかよくわからないが、ひょっとしたら、昔々の万善寺では17日夜に観音供養をしていたから、憲正さんがふとその頃のことを懐かしく思い出したのかも知れない。
いずれにしても、関係者も承知の上で坊主の方から日程移動を切り出したわけだから、それをまた坊主の都合で変更することも難しいし、かなりの重たい根拠があって提案するとしても、今のボクのようなナンチャッテチキン坊主には、説得できるまでの勇気も根性もない。
結局は、「おかしぃなぁ〜〜??なんでかなぁ〜〜??」と、思いつつ、いずれ関係者の代替わりがくるまでは今の日程で今後も乗り切っていくしか無いことだと思っている。

夜の7時半スタートを目指して薬師堂へ向かった。
お堂はすでにお供えなどの準備が整っていて、あとは近所からのお参りが集まったらお経を始めれば良い。それまでは、袈裟を掛けながら世話人の旦那方と世間話をしたりして過ごした。定時にお経をはじめて、お薬師様の御真言をとなえながら焼香を回して法要を済ませた後、参列施主7軒分の塔婆回向を和讃で読み上げて、だいたい45分位で薬師堂での法要が終わった。それから、世話人旦那のお宅へ移動して、お供えの御下がりをいただきながら、あれこれとりとめのない話がしばらく続いて、切りの良い頃合いを見計らって中座した。

明日の施食会の準備は終わらせてあるが、どうも落ち着かなくてなかなか寝付けなかった。ワイフは当日早朝には万善寺入してくれることになっている。

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2019-03