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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

三度のメシ 

2019/01/09
Wed. 23:07

「あなた、絶対アル中よ!」
ワイフは、何かと言うとボクにそう言ってくる・・・
「そんな、毎日酒飲むなんておかしいよ!」とか、あげくには「あんた、ヘンよ!」とまで言われる。そんな辛辣でデリカシーのないことを本人はどこまで自覚して発言しているのかわからないが、とにかく、面と向かってそういうコトを言われ続けながら酒を飲んでいるボクとしては、なかなかにやるせないものがある。
確かに、酒とかタバコは中毒性を有するものであるとは思う。ボクとしてはそれを自覚しつつ、ある意味でそれなりの理性のもとに酒を飲んでいるようなところもあるから、「よしヤメよう!」と思えば、何時でもやめられる自信がある。タバコに至っては、ほぼチェーンスモーカーだったボクが、長男の妊娠がわかったことを契機に、誕生のだいたい2ヶ月ほど前からピタリとヤメたという、実績もある。
そもそも、酒を含めた飲食全般は基本的に嗜好性の強いものであるから、好きな奴もいれば嫌いな奴がいて当然だし、美味いと思う人もいれば不味いと思う人もいてアタリマエのことだ。そういう好みの問題を自分の主観的尺度で判断して良し悪しを結論付けられても困ってしまう。まぁ、ワイフの場合は、私の健康を気遣ってそういう厳しい言い回しをしてくれているものだと好意的に解釈しているけど・・

彼女が酒のこととか食べ合わせのこととかあまりしつこくチクチクと云うものだから、こちらも対抗手段として「マッチャンが○○食べちゃダメというから・・」とか「ボクはもう、☓☓食べられないんだもんね〜・・」とか「別に酒飲まなくても全然大丈夫だから・・」とか、ワイフがあれダメこれダメということを、一つ一つ口に出して証明しながら実践することにした。
酒に関しては、麦酒にしても日本酒、焼酎、ウイスキー、ラムにワインなどなど、それなりに各種なんでも別け隔てなくそこにあるものを美味しいと思って飲んでいるが、基本的にアルコールであることに変わりがないから、「飲まない!」という一点をキープすればそれほど気にすること無く普通に簡単に禁酒できる。いっぽう、食べ物の方はなかなか至難の業で結構頭を使うというか・・・「アレはダメでコレは大丈夫で・・・」などと考えながら食べるということがめんどくさくて食欲が減退する。これも一種のダイエット効果と言えなくもないが、「美味しくいただく」という気持ちが失せてしまって、毎日の食事が味気なく感じてしまうようになった。
そういうコトをしばらく続けた後にお正月を迎え、ワイフ手造りのおせちが出て、お供えの鏡餅が仏様の数ほど大量に造られ、それらを消費することの「もったいない義務」で三度のメシに望んでいる今日このごろ・・・あらためて、美味しいご飯がいただけるということがどれだけありがたく幸せなことかということを身をもって実感する。

人間ドックでアレコレの肉体的諸問題を告知され、お正月のお下がりを冷蔵庫から出し入れする毎日が続くという2019年がスタートしている。ささやかな救いといえば「ボクはアル中ではありません!!」ということをワイフが認めてくれたことくらいかな・・
一方、ノッチは想像以上に健康的且つ健全な生活を続けているようで、1週間分の弁当を作り置きし、女子力をレベルアップさせている。さすが料理上手のマッチャンの娘だ。

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年賀状に関する一考察 

2019/01/07
Mon. 23:01

吉田家を基地にして万善寺へ出かけることは「通勤坊主である!」と言える。さてその逆で寺から吉田家へ向かうという状態はどう言えば良いのだろう?・・
普通だと「自宅へ帰る」ということなのだろうが、私の場合は万善寺も生家だからそれも自宅であるわけで、ということは「自宅から自宅へ帰る」ことになるわけでもあり・・・などと、どうでもいいわけもわからないことを布団の温もりから抜け出せないままボォ〜〜っと考えていたらワイフから電話がきた。
「昨夜、電話もらってたようで・・・ごめん、もう寝てた。何か用だった?」
用事があるから電話したんだけどネ・・・
「年賀状、急いでたんでしょ?印刷終わったから、そのこと・・・」

副住職が長かった時は、生活の拠点がほぼ100%吉田家にあったから、年賀状も吉田家に届くものをそのままチェックしていればよかった。
住職交代をしてからは寺と吉田家の両方の年賀状が混在するようになってデータベースの管理が急にややこしくなった。それで、毎年のように年末から年始にかけて年賀状の対応をどのようにすれば一番良いのか試行錯誤を繰り返しているが、まだ最善の策が見つかっていない。
個人的には、日頃から普通に親しく付き合っている友人知人とか、毎日仕事で顔を合わせている同僚とか、仕事の付き合いが外せない仕事仲間は、特に改まって年賀状のやりとりをするまでもないことのような気がしている。
日頃不義理をして疎遠になっている親族や、無視の出来ないほど大事な恩人や、気軽に逢うことの難しい遠方の友人知人が年賀状の対象であるくらいでいいような気がしている。
そうはいっても、こればかりはお互いに相手のあることだから、自分の身勝手な都合ばかりを優先するわけにもいかないし、相手に失礼のない気遣いも大事なことだから、それでいつも悶々と悩んでしまう。
この2〜3年の吉田家は前住職夫婦の他界で喪中も絡んだし、周辺の皆様も似たような状況らしく喪中はがきが増えていて、それも含めたデータベースの管理が年々複雑になっている。

万善寺オリジナルカレンダーや手摺り和紙のおふだなどを遠方のお檀家さんへ発送するためのデスクワークをしていたら、ワイフがお昼前に寺へ来て、早速彼女分の年賀状へ新年の挨拶や宛名書きをはじめた。
前住職の頃は、寺用の年賀状には出来るだけ「謹」の字を使うように気をつけていた。
「謹」には「うやまう」とか「かしこまる」とか相手に対して敬意を表する意味が込められているから「新年を飾る文字としては欠かさないほうが良い」と、前住職から聞かされていた。個人的には、かえって堅苦しく余所余所しく思えて、親しみの距離が遠ざかってしまうような印象もあったから、むしろ吉田家の年賀状へは「謹」絡みの文字とか言葉をあまり使用しないようにしていた。
そもそもの年賀状の意味というか意義はよくわからないが、どこかしら郵便局の営業戦略に思えなくもなく・・・まぁ、いろいろありますが新年のお知らせというか挨拶というか・・・ひとまず今週中には一段落するはずです。

2019正月状ますみ (1)

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平成最後の年末 

2018/12/28
Fri. 23:21

年内最強の寒波が南下してくるという。
雪は避けられない状態のようだし、萬善寺の参道は積雪で4WDの銀くんでも登ることができなくなるから、重たい荷物とか大きなかさばるものは事前に寺へ搬入しておいたほうが賢明だ。

前日に萬善寺入りして、ワイフが持たせてくれた鏡餅やお正月の年始会で必要な食材などを搬入した。
しばらく石見銀山の暮らしが続いている間に、たぬきが寺の留守番をしてくれていたようで、庫裏の西の端の勝手口から本堂の東側の基礎石の角まで、要所要所にウンコのマーキングをして夜回りをしてくれていた。
今年は、年始めの寒波と夏の猛暑で母親が育てていた鉢ものがほとんど絶えた。
そのなかの幾つかは鉢から地植えに移して何とかひと夏を乗り切ることが出来たものの、今度の年末寒波に絶えられるかどうか、微妙なところだ。
植物はしゃべらないし動かないから自分の身勝手な都合で面倒をみるくらいしかしょうがない。特別植物が嫌いというわけでもないが、わざわざ水やりをいてまで育てようとも思わない。それに、放ったらかしで何もしないと際限なくはびこってしまうこともあったりして、そうなってからではよけいに始末が悪い。毎年、秋になって落葉してから刈り込んで絶やしてやろうと考えてはいるのだが、秋は一方で彫刻制作の繁忙期だから、庭木や植木の剪定にまで労力が及ばないまま、結局ははびこるままになって今に至っている。

植物というと、正月の松竹梅の準備もある。
これも天気との関係でなかなか日程の調整が難しい。
前住職が他界して3年になるし、そろそろ現住職なりのシステムを導入しても良さそうな気もする。結局は個人の趣向で決まることでもあるが、今年は、松竹梅も含めて生物のお供えは最小限に留めてみようと思っている。
萬善寺の周囲を見渡すと、松は数十年前のマツクイムシ襲来以来、近所からの採取が難しくなった。梅は20年ほど前に西の畑へ植林したが、その後母親の老化に伴って管理が手薄になって今は原生林に近づいた荒れ地に変わった。竹は春先の筍採取に私の手が回らなくて猛烈な勢いで寺の周囲を攻められている。今年の春にはついに寺の東側の庭で1本ほど伸びて、今は本堂の軒に成長を阻止されて窮屈に斜めに曲がっている。松竹梅も縁起物で大事な年越しグッズになっているのだとは思うが、結局は成長の芽を摘んで枯らしてとんど祭りの焚付に変わっているだけのことだから、自分としてはそういう人間の身勝手な利己主義の具現化が良いことだとは思わない。

これから29日を避けて、本堂の供え物などをして荘厳を完成させるつもりだが、平成の元号で年越しをするのも最後になることだし、次の元号を目指して気持ちや様式の切り替えを質素倹約優先で取り仕切っても良いかなと思っている。仏事行事の継承に反する行為かもしれないし、なにかと異論があるかもしれないが、今後、老化を避けられない我が身としては、現行行事の継承が途絶える日も避けられないことでもある。今のうちから最小限の労働作務でできることにしておけば、それはそれで少しは長続きするかも知れない。

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無心 

2018/12/07
Fri. 04:11

朝から溶接が続いて立っているのが少し辛くなってきたから、いつもの海へ出てみることにした。
北西風が比較的強くて波が少し高かった。
大陸へ続く水平線が凸凹に波打っている。

仕事中に無心でいられる時間がずいぶん短く減った。
昔は、溶接をしていると足が重くなることも腰が痛くなることも肩から首筋が固まって指先が痺れてくることもなかったが、この頃はしばらく決まった仕事を続けているとそういう身体のアチコチの不具合が気になってきて集中力が切れて絶える。
修行僧的に云うと、座禅の身体がゆらゆらと揺れて気が散っているような感じで、歳を重ねれば重ねるほど修行の成果が身についてくるはずなのに、私の場合はまるでその逆になっている。
「コラ!!修行が足りん!!」と一括されてしまう不甲斐なさだが、なにせ日常の生活優先の在家坊主といては致し方ないところもある。
先代住職のことを思い出すと、膝が思うように動かなくなって、腰痛がひどくなって、サロンパスの効能が用をなさなくなって、指がしびれて物をうまくつかめなくなったり紐を結ぶのに時間がかかったりし始めた頃から、「エイ!クソ!!」を口走ることが一気に増えた。法事の先の人前でも口から出てしまうものだから「そういう、汚いこ言葉は謹んだほうが良いよ・・」とさり気なくたしなめていたのに、今は自分が似たような状況になりつつあって「ヤバイ!!」と気づいて反省することが増えた。そのうち、気づかないまに思わず口走ってしまっていたりしてくると、まさに先代と同じになってしまう。ヤレヤレ・・・

「無心」というと、確か沢庵禅師(だったと思う・・・)が、「分別や思案の無い時の心の状態である・・・」というような定義付けをしていらした(はずだ・・?)。
ようするに「何もしないとか何も考えないとかそういうこととは違うよ!」というふうに私は解釈している。「自分の現状からしばし逃避してボォ〜〜〜っとしている状態のことではない」ということ。
何か一つ事に一心不乱に取り組んでいる時の状態が「無心である」といえる。少し状況が違うかも知れないが「集中している」ということはそういう「無心の時の状態」を云うのではないのかと思っている。

日本海の波を見ていると・・いや、見続けていると・・自然と心が安らかになって、ある時を境に刻々と常に変化する波の様子と自分の気持ちが一つに重なったように感じる時がある。結局はただ「ボォ〜〜〜」っとしていただけのことなのかも知れないが、それでも何かしら彫刻の次の一手に迷いがなくなった清々しさも感じていたりする。
日々自堕落に過ごしているから集中力が退化するのも仕方がないことなのだろう。それでもまだ、いざという時にひと踏ん張り出来る程度の集中力は維持できている気がする。なにごとも、自分のことは自分自身が一番良く心得ているつもりでも、実際自分自身が一番自分の事に気づいていなかったりするものだ。ボクはまだまだ自分に甘いなぁ・・・

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造る喜び 

2018/10/28
Sun. 23:14

この数年の間に自分の周辺で2人の彫刻家が制作から遠ざかって疎遠になった。
一人は体調不良が改善できないということらしいがその後どうなったか定かではない。
もう一人は公務多忙で制作の余裕がないということのようだが、これも実際どれだけ制作ができないほど多忙なのかはよくわからない。

一般的に美術家人口はそれほど多くないと思う。たとえば島根県に限ってみても専業の美術家として精力的に作家活動を続けている人を探すとなるとなかなか見つからない。私も坊主家業の片手間で彫刻を造っていると言っていいほどの中途半端な兼業彫刻家だし、ワイフも時間講師でいる時間の方が彫刻家の制作時間より数倍多い。
みんなそれぞれに自分の生活があるから美術の創作三昧で毎日が過ぎる作家など今の日本では芸術院会員くらいかもしれないが、それもみんながみんな専業の美術家であるかどうか、判断に苦しむところだ。

30歳前に生活の拠点を島根に戻してから今までワイフと一緒に制作を続けているが、その間に仕事が忙しくて制作発表を断念したことは一度もない。一身上の都合で出品が決まっていた展覧会をドタキャンしたことが1度だけある。ソレ以外は基本的に全ての彫刻制作と発表は自分の意志で参加不参加出品不出品を決めることにしていて、それが毎年のことになるとライフワークの一つになっているといっていいだろう。

彫刻家としての立場による自分の生活信条というと「構想と制作の継続」であるといえる。寝ている時以外は常に彫刻のことを思考の基盤に占めておくということ。それをしているから、少々の世間的摩擦や認識解釈の相違で起きる諸問題もあまり深く悩まないで切り抜けてしまうことが出来ている。「彫刻家であること」を自覚することで、日常の様々な場面で生じる価値観の相違による深刻なストレスを回避できている利点がある。

現在、彫刻から遠ざかっている二人も、たとえば目先の生活レベルをキープすることを最低限の譲れない条件としてそれを優先的に用意しているとすると、やはり彫刻のこと全てが二の次になってしまうことは避けられないことだ。
日常の暮らしの中で常に彫刻のことが最優先に位置付いていたら「あれがあるから彫刻ができない」的発想は出てこないはずだ。結局造形意欲とか創造力の枯渇が制作意欲の減退につながって、結果「造る喜び」が消えて苦痛に変わってしまうことも十分に考えられることだ。
自分の造形上のテーマを曖昧なままその場しのぎでやり過ごしてしまうと、やはりいずれそのうち制作の目標を見失って自分の立ち位置も揺らいで制作意欲も消沈して立ち直ることができなくなってしまう。彫刻が遠のいた二人はもう時すでに遅いところまで来ているかも知れないが、ほんの少しでも造る喜びの記憶が残っているなら、まずはなりふり構わずどんなモノでもいいから手足身体を動かして制作の汗を流してほしい。
彫刻の制作が、現実からの逃避の手段であってもいいと思う。
とりあえずはそのあたりのところで気持ちを切り替えることが出来て、少しでも気楽になれるなら、それだけで十分に彫刻制作を続ける意味があるというものだ。

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他人の目 

2018/10/27
Sat. 23:05

10月は彫刻の展覧会が続くから何時にもまして毎日が一瞬で過ぎていく。
もともとノンビリとヒマに暮らしている方だから、時の過ぎるのが早すぎて気持ちが上手くついていけない。

「吉田さんは、けっこう几帳面で真面目だから・・・」
何かの拍子に、話題の流れでそのひとから見るところの吉田像を感想として語られたことがある。
「もちろん!名前からして正しく純スイですからネ!」
などと、物心ついて「純粋」の漢字が読めるようになってから乱発している定番ジョークをまた使ってしまった。だいたいが、その後に「みんなは(不正不純)って云ってますけどね♡!」と続くが、その時はそのフレーズを割愛した。
そもそもの吉田像は、吉田本人が一番良く解っているはずなのだが、あの時のように、自分を見る人によって色々な感じ取り方もあるのだなぁと、自分のことを他人事のようにクールに自覚している(何やら解ったような解らないような面倒臭い)自分がいた。

これも昔のことで前後の状況を全く思い出すことが出来ないままでいるのだが、あるひとが「(上手下手と向き不向き)は自分で思ってることと他人が思っていることは違うからね!」と云われたことをよく覚えていて、「まさにソレだな!」と云う場面でフッと思い出して「確かにそうだな!」と納得することがよくある。これは、人それぞれに価値基準とか常識のズレがあるから、当然当たり前のことを云っているわけだが、当事者としては何かの大事な場面で判断基準を大きく左右することになる重要な解釈を問われていたりして、少々ビビる・・・ようするに、「上手だから向いている」わけでも「下手だから向かない」わけでもないということで、自分のライフワークにつながるような重大な選択を求められたりするような時に本当に真剣に悩んだこともあった。

結局は、自分のことは自分が一番良く解っているというつもりでいても、他人が見るとまんざらそうでもなかったりするというわけで、その「他人の目」というのは、結構客観的総合的な判断が出来ていることだとも考えられるわけで、貴重な意見として拝聴しておくことも大事だと考える。それで、吉田は「几帳面で真面目」であると云うふうに見ている人もいないわけではないと思っておくことにすると、「そういえば、確かにそうかもしれない・・・」と思える場面もソコソコ思い出されたりする・・・という、またややこしい考えに遭遇したりしてまたまた面倒臭いことになってしまう。

どうして、こんな面倒臭い思考を捏ね繰り回しているかと云うと、眠れないからである・・・といって、ひと頃の不眠症が再発した訳ではない。隣りに座っている青年のニンニク臭い口臭が気になって目覚めたまま、目が冴えてしまったからなのだ!普通、深夜の高速バスへ乗る前にニンニク入の夕食をとることじたい不謹慎極まりない。少しは周囲の迷惑も考えてもらいたいものだ。
早いもので、つい先日始まったと思っていた展覧会がもう終わろうとしている。
彫刻の搬出でそれなりの重労働が待ってる。陳列に続いて只今10月2回目の移動中です・・

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坊主事情 

2018/10/25
Thu. 23:55

前日の雨が少し残って、石見銀山の早朝の町並みはしっとりと濡れていた。
ずっといい天気が続いていたから、これから少し本格的な雨になるかと思っていたらお昼前にはすっかり良い天気になった。

10月末は六本木の彫刻搬出があって、11月に入ったら富山町の美術イベントが始まる。
それまでにいくつかの萬善寺がらみの用事を済ますことになる。
少し前にお地蔵さんの供養依頼が入った。毎年おおよそこの時期におつとめしているが、日時は流動的ではっきりしない。
そのお地蔵さんは昔、地域の町別れの境界峠のてっぺんへ安座されていたそうだ。その尾根の峠が、日本の近代化が進む中の国道拡幅工事で切通しになって消えた。その後、道筋の変わったあとの国道脇に場所を移動して安座されてあったのだが、今度はその場所に近所の蕎麦屋さんが製粉工場を建設することになってまた移動することになった。その頃は前住職が遷座安座の法要をつとめて、私が先代からお地蔵さんの供養を引き継いだのはそれからしばらくしてからだった。
道端のお地蔵さんだから、法要が雨の日もあれば大風のこともあって、1年に1度だけのことではあるが心配が多い。
昨年、蕎麦屋さんの工場を拡張することになって、そのお地蔵さんがまた遷座されることになった。これで、私が聞いているだけでもお地蔵さんの遷座場所替えが3~4回は繰り返されていることになる。人間の暮らしの都合でアチコチ移動が多くてなかなか落ち着かないお地蔵さんだが「隣の山が土を採り尽くしたら広くなって見晴らしも良くなるし、そうしたらあの場所が良いんじゃないかと・・」などと、蕎麦屋のご主人がまた遷座先のことを考えていらっしゃる。
そのお地蔵さんのような石の野仏様は、だいたいどの地域でも似たようなことが繰り返されてアチコチ移動されることが普通だ。
最近では、地域でお守りすることも叶わないと、農地や道端に点在する野仏さんを一箇所に集めてお祀りされたり、熱心に信心される地域では、みんなで出資してお堂を建立されるところもある。萬善寺の六地蔵さんは、過去に数回のお堂改築を繰り返しながら参道脇の同じ場所に安座されるが、私の記憶にあるだけでも何度と無く「近所の野仏さんが粗末になるもんで・・」と、十王さんや木葉地蔵さんが持ち込まれてお堂が手狭になっている。
明日は、そのお地蔵さんのおつとめと七日つとめがあるから久しぶりに朝から通勤坊主をすることになる。

NYに旅行中のノッチは、ブロードウエイを堪能しているようだ。SNSの写真を見ていると、飯南高原のお地蔵さんとのギャップがありすぎてどうもピンとこない。
家族の歴史というか、自分の宿命というか、私のように寺で縛られた生涯を決められていたりすると、その枠の中でギリギリの選択肢を模索しながら毎日を窮屈に過ごさなければいけなくなって、なかなかしんどい。これから先、NYどころか、徳島の阿波踊りや京都の祇園祭や仙台の七夕まつりなどなど、自分には一生縁のないモノもたくさんある。
彫刻を造っていられるだけでもありがたいと思わないとね・・・

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守破離 

2018/09/27
Thu. 23:26

徳島の野外彫刻を造り終わって搬入したあと、一度工場を片付けてザッと掃除をした。
ワイフが見ているテレビでは、しきりに台風のことを報道していて、それも気になる。
週末には徳島中央公園の野外彫刻展がオープニングを迎えるが、北上している台風がそれを目指すように東寄りに進路を変えてくる。
いつもはだいたいがヒマに暮らしているボクにとって、この週末は1年に何度もない試練の日々になりそうだ・・・

工場の次の制作は、六本木の展覧会で出品する野外彫刻。
ちょうど1年くらい前に、石見銀山で個展をしないかと地元のアパレル会社のボスから誘いがあった。
そのボスとはもう30年ほどの付き合いになる。
きっかけは彼の店で彫刻の個展をしたこと。
それが縁になって、その後定期的に個展をして今度の誘いが確か4回目になる。
今年の六本木の彫刻は、個展の連作で考えていたうちの1つを造ることに決めていた。
この彫刻のテーマは、かれこれ4〜5年あたためてきた。
少しずつ試作を繰り返して工法の様子を見ながら、自分の気持の中で彫刻のかたちとかバランスとか配置とかスケールなどの要素が固まってくることを待っていたところもある。
1年前に個展の話をもらった時から雰囲気を確かめていたが、やっと無駄なかたちを捨てられるふうに気持ちが向いてきた。野外彫刻は不特定多数の目に入るから、どこかしらひとの感を刺激する要素も必要だとは思うが、それは必要最小限にとどめておこうと思う。

私が彫刻を造るようになったのは、10年の東京ぐらしを切り上げて島根県へUターンした年からになる。
学生の頃は金属工芸の技術習得や素材研究などをしていて本格的に彫刻の勉強をしたことがなかった。社会人になって仕事をしながらその合間を縫って同時進行で制作の実践を積み重ねながら少しずつ彫刻の造形感を身体で覚えた。
金属工芸の勉強をしていたときの師匠は、多くを語らないで「見て覚えろ!」的な職人の棟梁のようなタイプのひとだった。
その師匠を通して「守破離(しゅはり)」を知った。
当時は、単純に知識だけのことでその意味を頭で覚える程度のことだったが、なんとなく自分のこれからの制作にとって「とても重要な要素になっていくのだろうなぁ・・・」と漠然と感じるものもあって忘れないまま今に至っている。
最近はその守破離が自分の彫刻にとって大事なことなのだと実感することが増えた。たぶん、なにか一つの要素が崩れたり偏ったりして全体のバランスが乱れることが増えてきたからだと思う。体力や身体能力が気持ちの充実とか高揚についていかなくなっている自分を感じる。自分の現状とクールに向き合わないといけない。これから先、納得できるだけの彫刻はそんなにたくさんできるわけでもないことだから・・・

「わたし、そろそろ帰るね」・・・ノッチが朝のうちにそう云っていた。
久しぶりの石見銀山で、少しは心身のリフレッシュになったのだろうか?

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ボクの立場 

2018/09/17
Mon. 23:17

三連休の最終日は、奥出雲の後片付けで会場復元に当てていたのだが、初七日などの萬善寺仏事が重なって、またスケジュールが変更になった。
しばらく前に、ノリちゃんが連絡をしてくれて会場の後片付けを手伝ってくれることになっていた。主催者であるボクが自らドタキャンをしてしまって、彼女にはとても悪いことをしてしまった。連絡を取り合って善後策を相談して、あとは彼女に甘えることにした。

今更ながらのことだけど、私は二紀会の彫刻部に属していて、東京の六本木には毎年少し大きめの彫刻を出品している。
島根にUターンしてから本格的に彫刻の勉強を初めて、最初は研究発表の意味も兼ねて二紀会へ出品をはじめた。
それまでは何年も金属工芸の作品をつくっていたのだが、自分の気持が少しずつ彫刻へ傾いていた頃にワイフと知り合った。ワイフは学生の頃から金属彫刻の研究室で勉強していてその時の指導教官が二紀会彫刻部の委員だったから、彼女はすでに学生の頃から研究作品や卒業制作を二紀会へ出品していた。結婚して二人で島根にUターンした後も、専業主婦をしながら彫刻の制作を続けて、島根から二紀会の展覧会がある東京まで業者搬入をした。
島根で運送業者を探すことや彫刻の梱包のことなどの手間を手伝っていたら、彼女の彫刻だけ発送したり搬入搬出をしたりするだけの労力がもったいない気もしてきて、どうせなら自分も彫刻を造って一緒に出品したほうが良いと思うようになった。
それが始まりで毎年出品を続けることになって今に至っている。

島根くらいの田舎から、毎年東京を目指して彫刻制作と出品を続けることは、精神的にも肉体的にも物理的にも財政的にもなかなかの試練になる。
基本的に怠け者で飽きっぽい性格の私が、よく途中で挫折しないでここまでこれたものだと我ながら感心する。
ここまでの歳月はとにかく記憶にあるだけでも色々な出来事があった。
それでもなんとか継続できたのは、やはり自分の生活を彫刻制作優先に組み立てていたからだと思う。
この近年・・・というより、先代住職の憲正さんから住職を引き継いだ頃から、自分に降りかかる仏事のアレコレを避けることが出来なくなった。それで、結局寺のことが優先になって彫刻のことを後回しにせざるを得なくなってきた。
そろそろ10年になる島根での小品彫刻展も、少しずつスケジュールの不具合が増えてきてアチコチへ迷惑をかけることが多くなった。このまま、今の状態が続くかもっと悪化すれば確実に展覧会の継続は難しくなる。

今年も、これから二紀会彫刻部の展覧会に向けて少し大きめの彫刻制作を始める。
いまのところ、おおよそのかたちはイメージ出来ていて、工場へ通い始めたらなんとかそれなりの彫刻にはなってくれるとは思うが、昔のように十分納得するまでじっくりと落ち着いて時間をかけて鉄に向かうことはできにくくなっている。
そろそろ、次の展開をどうするか決める時期に差し掛かっている。

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晩夏 

2018/09/01
Sat. 23:07

猛暑続きの8月が終わった。
庭木1本が枯れて、鉢植えは水やりが追いつかなくて全滅した。
飯南高原の街道別れの近くにあった桜の木も枯れた。
境内の草刈りはしないことにした。
稲の刈入れが早まって、スズメたちが古古米をつつきに来なくなった。
何から何まで自分の人生(・・って、たかが知れてるけどね・・)で経験のないほどの猛暑だった。

冬は記憶に無いほどの極寒で、夏は未経験の猛暑・・・
地球の異常のせいだけでもないだろうが、この最近、人間社会でやたらと〇〇ハラスメントが賑わっている。
私の好きなウディ・アレンさんも、映画業界のハラスメント加害者だと告発が続いて、今は出演辞退の役者多発で映画製作が出来ないまま監督引退状態になっているそうだ。
この、ハラスメントというやつは、人間社会だけでなくて世の中の生き物全ての生態社会に存在していて、永遠にゼロと消えて無くなることは無い問題だと思っている。
力関係の強弱とか上下とか大小とか・・色々な場面で、同等対峙のバランスが崩れた瞬間にコトが生じ、やがて時間の経過の中で認識や解釈の相違が深まって発酵した先にハラスメント的定義付けが何処からともなく湧き出してくるもののように思う。
人間以外の動物や植物は嘘の無いコミュニティーであるから、同等対峙のバランスが崩れた時点ですでに関係機能の修復は不可能とお互いが悟る。そういう残酷な潔さが環境の循環を支えているのだと思う。
人間は、とにかく数え切れないほど複雑で様々な思考回路を持っていて、その多様性の絡み合いの中で様々に生き残りを工夫して共存しているから、頭では分かっていても、心情的であったり主観的であったりすることの振り幅や客観的認識の相違とか、時間軸の誤差の許容認識の相違とかでハラスメントの質量も違ってしまって色々とややこしいことになってしまう気もする。

とにかく、人間界におけるハラスメントの認識許容解釈は1000年100年前や50年前の常識も、10年5年前や昨日今日の常識だって一瞬先は通用しない現実がある。そういう、常に変化変態し対峙の中道が揺れ動いている事象に対して今の人間はあまりにも即物的で短絡的でありすぎる。一つ一つの事象においては、その現実と真摯に向き合って自戒を受け入れることが、人間として一大事なことで、その人の持つ技量とか才能とか特異性とか、そういう努力して培われ磨かれる能力にまで踏み込んで包括してハラスメントの網をかけてしまうことはあまりにも早計すぎる。ハラスメント事案と当事者の実績や経験値の深浅を軽々しくイコールにして混同した社会的制裁は慎むべきことだと、私は思う。

改めて冷静に自分自身の過去を振り返ると、この歳になるまで数限りないほどのパワーとかセクシャルとかモラルとか様々なハラスメントの加害者であり被害者であり続けてきたし、これからもそういう事案にゼロであり続ける自信など全く無い。とにかく、今の自分にできそうなことというと、まずは自ら対峙の耐性を鍛えることくらいだろうか・・

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仕合せ 

2018/08/30
Thu. 23:02

ロサンゼルス滞在中のノッチは、太平洋の遥か彼方「ニッポン!」に思いを馳せながらサンタモニカ散策中・・・のようであります・・・と、吉田家SNSストーカーオヤジは、テレビも新聞も見ないでセッセとWebメディアから世界の情報を収集している。

単身赴任坊主から通勤坊主に切り替えて、これから彫刻家の毎日を送ることになる。
このところ、年ごとに体調や気持ちの切り替えに時間を要するようになって、そのための時間の無駄を少しでも埋めようとアレコレ考えた結果、まずは寺暮らしで落ち着かないまま遠ざかっていた読書や映画や音楽の趣味を修復することにした。
彫刻を造っていると「それは、趣味ですか?」とか「いい趣味お持ちですなぁ~」とか「趣味で売れるんですか?」とか、ボクの周辺事情ではだいたい「彫刻」を「趣味の一つ」として認識されてしまうことが多い。
そういうことに、一々具体的な反論をぶち上げても途端に白けて場の空気が淀んで濁ってしまいそうだから、だいたいがニコニコと若干引きつって目は笑わない微笑を返して乗り切ることにしている。
その彫刻のことも、1ヶ月以上工場や制作から遠ざかっていると、気付かない間に彫刻用の思考回路が無駄に複雑に絡まって、シンプルな純粋さが損なわれてしまっている。
それでドタバタと身体ばかり動かしていても、結局材料も感覚も技術も時間も、それに乏しい体力も精神力も持続力も集中力も・・・彫刻制作に欠かせない大事なものをいっぱい無駄にするばかり・・・だから、とにかくひとまずは自分にとって気になる情報やデータをコツコツと収集することと身辺整理を徹底して周辺の垢や埃や汚れをできるだけ排除することに努力する。

吉田家で暮らしていると、ワイフの世界観が生活のアチコチに満ちあふれていて、これは、ボクなりの世界観とはかなりズレているところがある。
堅っ苦しく云うと生活信条の相違と云うやつだ。
そもそも、暮らしも環境も違った人生を20年以上それぞれに過ごした二人がある日出逢って結婚して同居を始めたわけだから、それ以降はお互いにそれぞれ不可触領域をわきまえて踏み込みすぎないように遠慮を工夫しながら共同生活を維持することが重要だ。
そういう現状をわきまえて身辺整理をするとなると、自分にとっては必要のないものでも彼女にとってはとても大事なものであったりすることも多々存在するわけだ。
実際、吉田家のアチコチでそういうものがゴロゴロ転がっていても、個人の判断で簡単に取扱うことは出来ないし、なかなか難しいものだ。

夏休み中だったワイフが仕事に復帰した。出勤前の朝の1時間位は彼女のペースで色々なことが過ぎていく。私はできるだけそれを邪魔しないように「おはよう!」とか「いってらっしゃ~い!」とか、必要最小限の会話を挟んで極力気配を消して過ごす。
子供たちが独立して、出逢った頃の二人暮らしが戻った今だから、お互いの価値観の相違を自覚しつつ、且つ尊重しながら暮らすことが「仕合せ」なことだ。
仕合せは、あくまで「仕え(Service)」合うことであって、「幸福(Happiness)」のことじゃないのだ!・・・と思えば、何も苦にならないな・・ボクは!

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ボクのスイッチ 

2018/08/28
Tue. 23:06

通勤坊主があたりまえになって、石見銀山と飯南高原を毎日のように往復していると、銀くんと一緒にいる時間が、ある意味瞑想タイムになっているようなところもあって、それはそれでボクのスイッチを切り替える貴重な時間に思えるようになった。

丁度、お盆が一段落して鉄板の搬入も終わったし、坊主から彫刻へ気持ちを切り替える良い頃合いと思っていたら、アチコチから法事の電話が入りはじめて、スケジュールの調整が難しくなりはじめた。
基本的に、私のようなお檀家さんも少ない田舎の小さな山寺の住職は昔ながらの檀家優先システムを継承するアナタ次第の受動的職業であるから、今日の明日で「父親の〇〇回忌よろしくおねがいしますけぇ〜〜」なんて電話が前触れもなくかかってきたりすると、もうその時点で予定の彫刻スケジュールがボロボロに崩れ去ってしまう。
先日の万善寺役員会でも、結局は先代住職時代から継承された万善寺システムがそのまま繰り返されることになって、新規事業や運営改革の話題を挟む隙間もなかった。
「方丈はそう云われますが、それで誰が誰にどうする云われても、ダレも『じゃぁそぉ〜しましょぉ〜!』と引き受けるようなものはおりませんでぇ〜」・・・で、話が〆切られて、あとはさり気なく世間話で流されてしまう。
そんな役員会も、忘れられないうちに時々集まっておいてもらわないといけなかったりして、会議嫌いの自分としては余計に気持ちが滅入ってしまう。

彫刻の方も、銀くんとの通勤道中で脳内ドローイングが繰り返されて、煮詰まりすぎて焦げてしまうほどになってしまった。
幾つかのテーマをそれぞれ別々に気持ちを切り替えながら組み立てていたものが、知らない間にくっついたりはなれたりを繰り返して収集がつかなくなった。元々が、かたちのシンプルを極める方向でつくることを意識していることが多いから、幾つかの「シンプル」が混ざり合ってしまうと、自分の造形のコンセプトがとんでもない方向へソレてしまう。
坊主家業にしても、彫刻の制作にしても、もっと基本を見直して、自分に出来ることをコツコツと積み重ねることが大事なことだと、今更ながらに思う。誰にでも出来ることなら誰かに任せれば良いことだし、今の自分の環境で出来ることもあれば出来ないこともあるから、それを精査することも大事なことだ。
気が付かないあいだに、自分の気持が曖昧に揺らいでしまっていた気がする。

バンデッドQ(原題はTime Bandits)という映画があった。今までに4回ほどは観た記憶がある。全体の映像が暗いから、明るい部屋ではナニが何やら細かいところがよくわからなくて、それこそ「白けてしまう」ような癖っぽい映画なのだが、ボク的にはとても面白いと今でも思っている。バンデットとは盗人という意味らしい。映画はまさにそういう連中のお話だが邦題の「Q」にどういう意味があるのかは未だにわからないままだ。
イギリスグループclean banditが久しぶりに聴きたくなってプレイリストをつくった。
10曲も連続して聴くと「あとは1週間聴かなくてもいいかな?」と思ったりするが、キャッチーでシンプルな奥深さがあって、たまにのめり込んでしまう。
明日はワイフの誕生日!・・・気持ちを切り替えるには丁度良い1日になりそうだ・・・

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大往生 

2018/08/21
Tue. 23:29

珍しくワイフの方から電話が入った。
朝もまだ早いときで、目は覚めていたがダラダラとしていた。

本堂の荘厳はまだ片付かないでいる。
庫裏のゴザ座布団もひとまず用済みだから日干しをして片付けることになる。
夏の大衣も洗濯できるものはひと夏に染み込んだ汗を流してウコンに包んで片付けはじめた。
そんなことをしながら、三度の食事をつくって食べて使った食器などを洗ってシンクを掃除して・・・などと、施食会が終わってから連日似たような暮らしをしながら、供養法要へ出かけたりしている。
そういうボクの住職スケジュールをだいたい心得ているはずのワイフが珍しく早朝に電話をしてきたということは、あまり良い知らせではないだろうと直感したが、やはりそれが当たっていた。
石見銀山で20年ほど生活衣料雑貨会社の営繕担当に従事していた職人の親父さんが死んだそうだ。

享年78歳の親父さんは、大工左官仕事から、指物修理、庭つくりまで何でも一人でこなす便利職人の鏡のようなひとだった。
私も、彫刻のことや個展の展覧会のことなどでずいぶんお世話になったし、時には一緒に仕事をしたこともある。
センスが良いというより、素材をよく知っていることと、感の良さでダレがドコにナニを求めているかを絶妙のサジ加減でくみとってかたちに置き換える技は、他に真似のできる者がいなかった。
基本的に一匹狼の自分の腕だけを頼りに自己完結型の職人さんだったから、だいたいのことは一人で飲み込んで手際よく段取りを組み立ててコツコツと仕事に仕立てていた。
私も、彼と似たようなところがあって、なんでもだいたい一人でコトを済ます方だから彼の才能をもったいないと思っていて、一緒に仕事をしている時「いつまでも若いわけじゃないから、そろそろ下を育てることも考えて良いんじゃない?」と、でしゃばったことを云ったことがある。
なんとなくわかったふうな顔つきで頷いてはいたが、たぶん、そのつもりはないだろうとわかる気もして、それ以来、そういうふうな話題を封印した。

生粋の職人さんだったと改めて思う。
数多くの彼のコピーをそれらしく再現することは出来るだろうが、彼のようにゼロから工夫して造り出すことはなかなか出来るものでもない。
今年に入って一気に病気が進行して改善が望めないまま最後は病院での治療を切り上げて自宅療養に切り替えたそうだ。今の時代、我が家の畳の上で死ねるなどなかなかありそうで無いことだ。
私個人の気持ちはいろいろ複雑ではあるが、彼は幸せな人生を全うし、それなりに最後まで頑固に元気でかっこよく逝った大往生だったと、坊主的にはそう思う。

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日々是好日 

2018/08/01
Wed. 23:16

「先生開業するのよ。次の検診予約入れといた・・」
(先生)とは、ワイフの主治医ドクターのこと・・・
定期検診の帰りに、助手席のワイフからその話を聞いた。
私は、ワイフの通院が決まった最初の時にそのドクターと逢ったはずだと思うが、よく覚えていない。その時の印象は、見た目はまだ若そうで笑顔がやり手の感じの美人だった。どうでも良いことだが、どうも自分には苦手なタイプで、そういう事もあってワイフの送迎要因としては「じゃぁ、終わったら電話するね・・」と病院玄関前で別れて終わり!・・が習慣付いた。
定期通院と云っても数週間に1度巡ってくる程度で、前住職の憲正さんへ付き合っていた時のことを思うと、比べ物にならないほど楽だ。

「エライわよねぇ~・・、先生やって、手術もやって、子供産んで育てて・・・ご主人にはまだあと10年位は大学病院で働いてもらうんだって・・」
ワイフはしきりに感心している。
そのドクターを信頼していることでもあるのだろうから、それはそれで安心できて良い・・・と思いながら、別のことを考えていた。
「島根を代表する女流彫刻家のワイフだってドクターに負けないほど立派だ!」と・・・
学生時代から1年もリタイアすること無く今まで40年間彫刻を造り続け、ぐうたらな亭主のワガママに付き合いながら子供を4人産んで育てて、子育てが一段落すると時間講師を引き受けて地域の行事に積極的に参加し、幾つかの役職を掛け持ちしながら民生委員もこなし、年に数回は寺の内室で住職に付き合ってくれてもいる。
なかなか普通に出来ることではない。

チョット気になるタイトルの映画が完成した・・・「日々是好日」
「にちにちこれこうじつ」と読むらしい。
樹木希林が出るから気になっていた。それに、あの黒木華さんが主演で多部ちゃんも出る。監督は大森立嗣さん・・・ボクのスキなまほろ駅前多田便利軒の映画監督です。

日々是好日とは・・・禅語の一つで有名だけど、坊主だったら宗派を超えて誰でも知っている名言で、万善寺の庫裏へも私が生まれる前から薄汚れた横書きの額が掛かっている。
出典は雲門禅師さまの言葉。
私は「ひびこれこうじつ」と読んでいるが、読みなど別にどちらでも良いことで、大事なのはその解釈。ヒマな人は言葉の真意をググってみてください。
映画の原作は森下典子さんのエッセイらしいが、まだ読んでいない。
圓悟禅師さまの禅語「年々好 日々好」もほぼ同じ意味のことであると思う。
いずれにしても、意味は知っていても自分で普通に出来ていられることではない。

打算や代償でコトが動き一喜一憂の時代には、坊主であってもなかなか素直に理解して普通に実践できることでない。
最近日本映画が面白い。秋の公開が楽しみだ。

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米虫世界 

2018/07/28
Sat. 23:41

朝から暑い!
万善寺の境内も、真砂土が見えなくなるまで各種の庭草が茂ってきた。
この暑さで外仕事をする気になれないから、庫裏のアチコチを片付けたり修繕したりして過ごしている。

本堂への渡り廊下へ先代夫婦が使っていた古い精米機がある。
最近は町に1・2箇所コイン精米機ボックスが設置されていて、500円もあれば無洗米を精米してくれて便利になった。そういう事もあって使わなくなった精米機はそのまま取り扱いにくい粗大ごみになってしまった。捨てるのは簡単だが、あの重たい機械を運ぶのも面倒だし、ジャマだけど当面はジャマにならないところへしまいこんで自分の住職代はそのままにしてしまおうと思っている。
精米機の近くに一斗缶があって、その中に精米が終わったもち米がビッシリ詰まっていた。
もう3年以上前の古々米で、米虫が食べて米粉になりつつ、虫の方は缶の中でサナギになって羽化してまた卵を生んで、何世代も世代交代しながら生き続けていた。彼等にとって食料はほぼ無限にあるから上手に交配を続ければ一斗缶の小宇宙で無限に子孫を繋ぐことが出来るかもしれない。

思えば、人間世界・・というより地球のあらゆる生き物すべても一斗缶の米虫世界と似たようなものだ。
実にチッポケなものだ。
お釈迦様はすでにそういうことに気付いていらしたということを、スンナリと受け入れられる。なんとなく曖昧なまま、その「曖昧である」ということに疑問を感じるわけもなく、特に深く詮索することもなく、何気なくそれをそのままそんなもんだと受け入れている自分がいる。
自分が生涯で自分に出来ることはせいぜい知れているし、自分の一生など地球の歴史では一本の髭先の点よりもまだ微小な痕跡にもならない。
精一杯頑張って切磋琢磨の上昇志向は、結局自分の目指す先に貪欲になればなるほどジャマな垢や埃や汚れが絡みついて、気がつけば折角の琢磨の輝きが濁ってしまっていたりする。我欲や名誉欲やプライドや主観の正義感とか・・・そういうモノにしがみついて悶々と悩み苦しむ様子のなんと虚しいことか・・・

自分に出来ることを丁寧に育みつつコツコツと積み重ねることに終始していれば、そのうち自分で気が付かないまま何かの自分らしさのようなものがちゃんと蓄積されて積み重なっていたりする。それがその人の生き抜く力になって、生き抜いた証になっていくものだ。

一斗缶の米虫に弱肉強食の大きな世界を見せてやるのもいいだろうと、ふと悪心が盛り上がって、庫裏の外の三和土へ持ち出したら、15分もしないうちに何処からか蟻が沸いてきて、その日の夕方には雀の集団も舞い降りて、米虫はひとたまりもなく全滅した。

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眼前の事実 

2018/07/25
Wed. 23:05

吉田家の夫婦は二人してそれぞれ幾つかの持病を持っていて、死ぬまでソレと付き合い続けるしか無いまま今に至っている。
だから、定期通院とか定期検査とか薬の補充とかが欠かせない。

私は日中寺にいることが増えたので、病院の開業時間内に間に合わなかったりすることが多くなった。
ドクターに相談したら、寺の近所の病院へ紹介状を書いてあげようかといわれた。
それでも良いと思ったが、その病院は小さいながらも地域唯一の簡易的な総合病院になっているから、定期通院とか受診とか、今の開業医のような自由が効かなくなって何かと窮屈になる。それで、ひとまずもう少し様子を見ようと云うことに決めたのだが、それからそろそろ1ヶ月が過ぎて薬のストックが無くなってきた。自分の身体のことだから自分で責任を持って面倒を見ていくしか無いことだが、とにかく病院嫌いはどうしようもない。

先日ワイフの定期通院があって、それから数日後に定期検査があった。
ワイフの通院にはできるだけ付き合うようにしていているのだが、どうも病院独特の建物に染み付いたような匂いを嗅いだだけで病気がひどくなりそうな気がして、私の方は彼女を玄関先まで送り届けたら、そのまま半日くらいアチコチで暇つぶしをしながら彼女からの連絡を待つことになる。
暇つぶしと云っても、それはソレでボクだけの貴重な時間でもあるからできるだけ有意義なものにしようとする。
本屋めぐりをしたり、マッサージの予約を入れたり、コメダ珈琲でデスクワークをしたりしていると、アッという間に時間が過ぎてワイフから電話が入ってくる。
二人とも、もうそれなりにそれなりの年齢になってすでに先が見えているし、今更ドタバタジタバタしてもはじまらない。

最近、人工も自然も何かしら不穏な動きが目立って、それが地球のアチコチで連続して生じると、私のようなチキンオヤジはどうもそういうことが気になりはじめて平静でいられなくなってしまう。
昭和初期の政治家で立憲民主党の斎藤隆夫さんの記事を見つけた。
政治の世界にチンプンカンプンで分からないことだらけだが、斎藤さんの弁舌はとてもわかり易くてダイレクトに頭へ入ってきた。
曰く・・「ひとたび戦争が起これば、問題は正邪曲直、是非善悪の争いではなく、徹頭徹尾力の争いであり、強者が弱者を征服することである!」・・と。
先日の広島や岡山や愛媛の災害にしても、自然の驚異を前に、人工はひとたまりもなく飲み込まれたふうに思える。
あの洪自誠さん曰く、「執相非真、破相亦非真」・・「現実へ執着がすぎれば真実を見失い、現実を無視してもまた真実を見失う」・・と。

何事も眼前の事実にキチンと謙虚に向き合うことが大事なことだと改めて気付かされた。

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分相応 

2018/07/20
Fri. 23:23

早いものでもう週末になった。
吉田家裏庭のジャングル状態に茂った庭木のアレコレを剪定した枝木が山積みになって足の踏み場も無くなったから、少しずつ刻んで焚き火をしながら灰にしている。
あまりに暑いものだから、焚き火が全く熱く感じない。
銀山川の向こうを知り合いが歩いていて「毎日暑いねぇ〜」と声をかけたら、「一日中エアコンの部屋で仕事してますからねぇ〜・・・」あんまり暑いと思わないらしい。こういう時に仕事を選ぶことも出来ないで焚き火をしているボクが自分でせつなくなってきた。
「乾燥してますからねぇ〜・・火は気をつけてくださいね〜・・・」
別れ際にかけてくれたひと言が、親切な助言に気づくまで少し間が空いた。

大森小学校が夏休みに入って公民館キャンプが土日にある。
吉田家の子供たちがまだ小学生へ通っていた頃は、毎年のように公民館キャンプで焼き肉をしながら親子で楽しく遊んでいた。
じゅん君やなっちゃんの頃は、小学校の校庭へテントを張って子供たちは一晩その中で寝た。
保護者の父親や公民館の関係者や小学校の職員や町内の有志たちは小学校の体育館で雑魚寝をした。
用事というと、時々子供たちの夜の様子を見回るくらいで、後は持ち寄ったツマミを頬張って各種酒類を注ぎあいながら夜遅くまで酒盛りが続いた。
30年ほど前のことだが、今から思うとあの頃は学校や先生や地域や保護者や、みんなそれぞれの敷居がずいぶん低くて、風通しも良かった。
ノッチの頃になると、キャンプは小学校の校庭から公民館のエアコンの効いたホールに移動して夜の大人の交流会も自粛傾向が増して縮小された。
キーポンの頃になると、わずかに焼き肉担当のオヤジたちが集まって申し訳程度のささやかなパーティーが2時間位あって、それから子供たちの花火大会が始まる頃には関係者だけが残って、あとは三々五々解散になった。

教育の公私混同や飲酒の是非など、面倒臭い共通理解とか認識とか社会情勢の波に飲み込まれて、建前ばかりで筋を通そうとするかたっ苦しい付き合いが世間の常識になりつつある。
それぞれの立場をわきまえた付き合いの幅がどんどん狭まって、誰が何を考えているのか、ナニがよくてナニが悪いと思っているのか、判断の素材を拾い集めることも難しくなって、遠慮がちな付き合いが当たり前のようになって、立場と立場の境界の敷居がどんどん高くなって城壁の如き壁となって、風通しがやたらと悪くなってきたふうに思えてきた。
ちょうど都合よく、今はワイフがセッセと学校や地域の付き合いに精を出してくれているので、オヤジの出番が見事になくなった。
今度の公民館キャンプも、彼女が子供たち相手にナニカのお絵かきなどをボランティアするらしい。人付き合いの不器用なボクとしては、こうして世間のシガラミから少しずつ遠ざかって消えていけるありがたさを噛み締めている。

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執着 

2018/07/17
Tue. 23:21

吉田家裏庭の清掃作業が本格的にスタートした・・・とはいっても、連日の猛暑でお昼前には30℃を超えているし、夕方になっても涼しくなる気配がないから、せいぜい実働時間は3〜4時間位にしかならない。

通勤坊主に切り替えて銀山街道を登っていたら、途中にある九日市の集落にある温度計が37℃になっていた。
丁度その日は、午前中の用事を済ませて昼の一番暑くなる頃にその温度計の下を通過したから、たぶん一日の最高温度くらいだっただろうが、それにしても中国山地の山間部にはめったにないほどのことだ。

猛暑と云うと、今から10年位近く前の、まだ石見銀山が世界遺産登録になって間もない頃に一度あったと思う。あの時は、7月の夏休みが始まる直前から現代彫刻小品展を石見銀山の町内でスタートさせた直後で、昔農協の倉庫に使っていた広いスペースを借りて彫刻の小品だけを集めた展覧会をした。
開催資金は彫刻出品者からの出品料と、自分の彫刻材料代で備蓄していたお金を当てた。
何をもって成功とするか失敗とするか・・・そういう基準もハッキリと定まっていたわけでもなく、とにかく、今のうちにナニカしなければ彫刻家としての自分の立ち位置を見失ってしまいそうだ・・・という、曖昧な状態でいた時期だったことは確かで、その「ナニカ」が小品の彫刻展だったというわけだ。
今にして思えば、一つ一つの事務的な作業が後から後から増えてきて、いつになっても落ち着く先が見えないままいつの間にか展覧会が始まって終わっていた・・という感じだった。出品作家も何人か会期中訪ねてきてくれて、中には展覧会の展示を手伝ってくれる作家もいた。
とにかく、「暑さ!」というと、気温だけのことでなくて、自分の気持の方も結構熱く燃えた夏だった。
万善寺の維持管理は、まだ元気だった前住職夫婦にすべて丸投げ状態で任せっきりにしていた。ずいぶんと薄情で非常識な副住職だったと思うが、彼らもまだまだ現役でやる気満々だったから、無理して「手出し口出しするのもどうか・・・」という気もあって、昔ながらの万善寺運営に粛々と従っていたところもある。

私の場合、彫刻にしても寺にしても、自分のヤルことは自分で決めないと気がすまないようなところがあるようで、自分の行為に何かしらの問題意識を持ち続けることがモチベーションの持続になっているような気がする。
吉田家裏庭の草刈り清掃は、一方でワイフの常識や意志との協調も大事だから、自分としてはとてもやりにくいところがある。日常のさりげない会話の中に、少しずつ彼女にとって大事な裏庭の条件を聞き出しながら取捨選択をして自分が受け持つ仕事を決めているわけだが、そういう意思疎通が少しばかり乱れたりすると後のイザコザの元になって収集がつかなくなる。少なくても裏庭のアレコレに関しての主導権はワイフにあって、私はその手先の立場を守るしか無い。
俗な執着は、仏教的に云うと修行の妨げになると云われている。どうせなら、ワイフの場合、執着は裏庭に向けるより、もっと彫刻に向けてもらいたい気もするのだけどね・・・

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キーポンのトマト 

2018/07/09
Mon. 23:07

キーポンが育てているトマトが水不足で瀕死の状態だったらしい。

島根県やその近所のことしかわからないが、こんどの大雨は中国地方各所に大きな被害をもたらした。
万善寺のある保賀の谷もそうだが、大雑把にいうと、中国山地一帯は地球の日本の歴史の中では古い土地で風化が進んでいる。
そういうところだから、一方で良質の産業資源がアチコチで産出されて、少なくても日本の歴史の初期から一大工業地帯であったし、それに付随して農業や林業も発達した。

岡山では川の氾濫で被害を受け、広島では玉石を抱いた真砂土の山崩れで大きな被害を受けた。
最近のように前代未聞の大雨が降ることも珍しかった一時代前までの人々は、そういう中国山地一帯の自然環境をおおよそ理解しながらその時々をやりくりして上手に付き合って暮らせていただろうが、今に暮らす人々は急激にすすむ地球の気候変化についていけなくなっているということにそろそろ気づき実感しはじめているはずだ。
過去の長い歴史のなかで、人々は語り尽くせないほど多くの恵みを大地から頂いて過ごしてきたのだということを謙虚に受け止めることも大事だと感じる。

石彫の彫刻家諸氏は当然の常識として石のこととか地形のこととかの知識と知恵を駆使して彫刻の制作に向き合っていらっしゃることだろう。
私のような根性のない軟弱彫刻家は、地球の素材に正面から向き合って彫刻を造ることに最初から逃げているようなところがあって、人工の工業製品を彫刻の素材にしておいたほうが気楽で良かったりするから、よけいに人工の非力を棚に上げてこんどの災害を自然のせいにばかり出来ないように思えて気持ちが萎える。

山ひとつがすべて青御影の玉石で出来ているという石山が寺の近くにあった。高度経済成長の活気の中で、その山ひとつが無くなったこともある。当時は用途がそれだけ多岐にわたって消費されていたわけだ。万善寺の境内地は真砂土の山を切って平地にして出来上がっているし、保賀川をはさんだ向かい側の山からは良質の真砂土が採れて採土の採算がとれなくなるまで掘り尽くされた。玉石も真砂土も、長い年月人々の暮らしを支え続けている大事な資源のひとつでもある。それが一方で人々の暮らしを破壊する凶器にもなる。

人は地球の自然に対してゴマ粒芥子粒ほどのものか、それ以下のものだと思う。
キーポンのトマトは、小さな植木鉢の一握りの土の微量の栄養と適度な水を糧に育って実をつけることになるのだろう。
小さな植木鉢・・一握りの土・・微量の栄養・・適度な水・・そういうそれぞれの役目がバランスよく整って実をつけることができて、収穫につながってキーポンの口に入ってキーポンの栄養になって生かさせてもらっている・・という連鎖を忘れないでいてほしい。
平和な日常は無限に続くことでは無いと、そういう覚悟を持って毎日を穏やかに暮らしていたいものだ。

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不義理 

2018/06/25
Mon. 23:41

寺籍調査でいろいろな項目へ数字などを記入していたら、この10年間で絶縁や連絡先不明が5軒あって、万善寺の名簿から削除することになった。
絶縁は、ひとまず親族の連絡先も確認できていて、過去帳の移行処置とか離檀の手続きとか送付するのだが、回答の返事を待っても無反応にスルーされて返ってくることはない。
連絡先不明に関しては、こちらでどうすることも出来ないから、万善寺の位牌堂へ安座されている先祖代々の位牌を撤去しておくしか方法がない。
家庭の事情も色々あるのだろうが、自分の親のことでも死んでしまえば仏事一切放り出して菩提寺との付き合いを絶ってしまうような不義理が普通に行われるようになったのは残念なことだ。

一方で、自分のことはと云うと、彫刻家吉田正純は平然と周辺同業への不義理を続けていて、自分で言うのもどうかと思うが実に失礼なことだ。
これで立場が違えば、口も聞きたくない顔も見たくないほどの我儘者でしかない。
そういうことを十分にわかっていても、それでも自分ではどうしようもなく体制に迎合できなかったりするところもあって、それだからやはり自分の方から少し距離をおいたほうが都合良かったりするわけだ。
組織というのはある程度個人の都合や考えを犠牲にして付き合うことをしておかないと、円滑な運営は望めないところもある。しかし、それが彫刻家のような作家集団となると、ある程度作家性の相違を許容して付き合わないと組織運営はうまくいかなくなる。そういう常識はおおよそ理解できているとは思うのだが、どうしても彫刻家吉田正純個人の気持ちとか立ち位置を優先すると、組織的活動が負担になって自分の制作意欲とか方向性が矮小化してしまう。
彫刻家であってもそれなりに人の付き合いも大事なことだとはわかるが、いつの間にかそれが優先して制作が惰性になってしまったりすると、自分の本来あるべき姿を見失って制作の意欲まで希薄なものになることも無いわけではなく、そうなってしまう自分が怖い。
2010年から続けている島根県内での小品彫刻展は、実に緩やかな拘束のもとで運営している。それぞれの作家が出来ることをそれぞれの作家に託しておく程度でなんとか最低限の運営が出来ていればそれで十分だと思う。やはり大事なのは運営業務の負担が彫刻の制作意欲を阻害しないことにある。一人ひとりの彫刻家がその時々で最高の彫刻を制作して発表できる環境を確保することが大事なことだ。

菩提寺への不義理も、彫刻組織への不義理も、見た目はそれほど差はないことだとは思うが、その真意の清浄には大きな差があると思う。菩提寺の経営や住職の思想に抵抗しての離反であれば、まだお互いに会話もできて歩み寄れる余地も残されているかもしれない。彫刻組織についてもボクの気持ちの元はだいたい似たようなものだと思っているから、なにかしら会話の機会でもあれば停滞した現状を再構築できる妙案が浮かぶかもしれない。

寺泊が続くとキーポンが送ってくれたハーブエキスの瓶から、ビールに数滴継ぎ足して時々のカクテルもどきを楽しんでいる。見た目が同じでも味がかなり変わる。新鮮な味覚に誘われてついつい飲みすぎてしまうところは少々ヤバイが、たまにはそれも良い。

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2019-01