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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

口乃心之門 

2019/05/14
Tue. 17:11

三食昼寝付きに土日祭日無くリハビリ療法士さんが身体のアチコチをほぐしてくれる。
ボクの生涯でこんな贅沢な毎日を過ごすことなど二度と巡ってこないだろうと、しみじみそんなことを思いつつ、まだ陽の高いうちから風呂につかっている。

しばらく続いていたシャワー生活から「明日から首の装具をはずしてお風呂に入られていいですよ!くれぐれも足元とを気をつけてくださいね♡!」と、看護師さんから入浴許可を頂いたのはだいたい1週間ほど前のこと。ベッドにゴロンと横になってこわばった身体の関節や筋肉をほぐしながら文庫本を読むのが暇つぶしのようなものだから、もう、かれこれ10冊近くの小説や実用書などを読み終わった。周囲のざわめきが気になるときは、ウエブラジオをヘッドフォンから小さく垂れ流しておくと、もう、完全に自分の世界へ入り込んでしまう。

この数週間の入院で気づいたことがある。患者さんの独り言が絶えないということ。
バイクの交通事故で入院中の青年まで、とにかく世代を超えてまんべんなく独り言が出る。
そういえば、万善寺暮らしの憲正さんや俊江さんも独り言が多かった。だいたい老人はそういうものなのだろうと、その頃は特に気にすることもなかったが、こうして一つ病室で集団生活をしていると自分以外のみんながそれぞれ何かしらブツブツとつぶやいていて、ソレがアチコチから聞こえてくる。一度気になると、自分の耳が敏感に反応して聞くともなしに聞いてしまうようなことになって厄介なことだ。
少し意識して自分の1日を緊張しながらチェックしていると、何故か自分には独り言が出ていない。そんなものなのだろうか?自分で気づかないだけなのかも知れない・・・
「口乃心之門(くちすなわちこころのもんなり)」と、菜根譚にある。
まぁ、口は慎みなさいよ・・とでもいうことなのだろうが、改めて自覚すると自分の思っていることを知らない間に口走っているようなことも、けっこうあったりする。
場合によっては、些細な一言で相手を大きく傷つけてしまったり、取り返しのつかない誤解を生じたりなどなど、良いことは一つもない。

結局うまくスケジュールが合わなくて映画を見逃してしまった「散り椿」を読んだ。
葉室麟さんは藤沢周平さんが亡くなってからアレコレと系列の糸を手繰ってたどり着いた。「蜩ノ記」も良かったし「冬姫」も面白かったし・・・と、今までソコソコ読んできたが、この入院中に読んだ「蛍草」は、思わず嗚咽の声が漏れるほど泣いた。葉室麟さんはどちらかというと説教めいた堅苦しくて無骨な感じの時代小説が多いと思っているが、この蛍草は彼の作風には珍しく周五郎さんとか周平さんに近い娯楽色の強い読み物になっていて、楽しめた。
自分の身勝手な想像だが、葉室麟さんは中国の儒教道教や仏教キリスト教などの宗教をかなり読み込んでいらっしゃった気がする。儒教の建前と道教の本音を適度にミックスしながらブレのない禅の死生観が主軸に構成されている。
今から400年ほどは前だろうか?戦国から江戸にかけての日本は、東洋哲学や宗教が今よりもっと身近な学問のバイブルとして日々の暮らしに活用されていたのかもしれない。

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5回目の日曜日 

2019/05/12
Sun. 16:57

手術が終わって5回目の日曜日が来た。
まぁ、長くも感じ短くも感じ・・・いずれにしても「入院」そのものが初体験だからそれなりに発見の毎日が繰り返されて、1日がアッという間に過ぎる。
今日までに病室を3回変わった。今の病棟は、脊髄に関する手術が終わってリハビリ治療を続けている患者が集まっていて、基本みんなほぼ元気だから、なかなかに騒々しい。
他の病棟は人工関節や膝だったりと、症状に応じて患者さんが振り分けられている。

私は、今までに2回ほど血液検査があって、2回ほどリハビリ治療の経過検査があって、それらが、もう1回終わったあたりで退院日が決まりそうな様子だ。症状としては、手術後すぐに麻痺が現れた左肩の神経はほぼ日常生活ができるまでに回復した。今回の手術に直接絡んでいた右手指のシビレは、入院前とほぼ同等で今後の改善は難しそうな様子だ。
外来の診察ですでにそのコトが予測されていたから、現状維持を当面の目標にして、今後はソレに慣れながら付き合っていくように気持ちを切り替えつつある。こういう状態も、せいぜいあと20年付き合っていけばソレだけのことだから自分としてはあまり深刻になることもない。それでも、リハビリ療法士さんは身体の改善が少しでも進むように丁寧な治療を続けてくれていて、自分の身体の不具合を客観的に指摘してもらったりすると、過去の悪行でどれだけ長い間我が身を身勝手に酷使していたか、その要因が思い出されたりすることも多々あって、今更ながらに慎ましく反省の入院生活を続けている。それも、退院してしまえば、また目先の現実に向き合って以前と似たり寄ったり同じように毎日を過ごしてしまいそうな気もするが、ひとまず、今のところは自分の身体をいたわりながら無理のないようにおとなしく1日を過ごしている。

「ねじまき鳥クロニクル」を読み終わって少ししてから、ウエブニュースサイトに村上さんの対談記事を見つけた。彼のお父さんはお寺の次男坊だそうだ。戦争に徴兵されて過酷な中国戦線に従軍したときの日本兵の残虐な行為をリアルタイムで体験されたそうで、村上さんがまだ少年だった頃1度だけその時の様子を克明に話してくれたそうだ。ねじまき鳥クロニクルでの生々しく残酷な話は、僧侶でもある父から聞いたときの戦争追体験がベースにあったのではないかと、勝手にそう解釈した。
前回読んだときは、スプラッターホラーの要素が強すぎてほとんど飛ばし読みしていたのだが、どうせ今はベッド生活で時間も暇もたっぷりあったから、シッカリと隅から隅まで読んだ。戦争に徴兵されて従軍した人は、万善寺檀家さんでもたくさんあった。今はすべて彼岸ぐらしをされているが、まだ健在の頃はお酒がまわると喜々として講釈師のように戦争体験を少年のボク相手に話されていたおじいちゃんを思い出す。
吉田家の場合、先代の憲正さんは、山口のお寺で修行中に終戦を迎え、母親の俊江さんは親戚を広島の原爆で亡くし、本人は島根の実家で南から押し寄せる原爆の地鳴りを体験している。親戚が集まると繰り返しそのことを話していた。
今の地球社会が平和であるとは全く思ってもいない。
人間の残酷なエゴイズムはこれから先も薄まること無く続いていくだろうが、せめて心をこめた謝罪の気持ちを伝えることくらいはできるような気もするのだが、今の利己的な自由社会では過去の事実に向き合って謝罪の一線を超えるという勇気もわかないのだろう。

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愛のかたち 

2019/04/26
Fri. 15:59

4月に入って早々に降った雪が消えてからしばらくは、春めいた良い天気が続いていた。
そろそろ大型連休が始まろうとする今頃になって雨が降り始めて、今日で3日目になる。
菜種梅雨というには少々時期がずれてしまったが、心地よい程度の適度な肌寒さと湿気はかぎりなくジジイに近いオヤジの干乾びたお肌に適度な潤いを補充してくれる。

手術後2週間が過ぎた。
3日ほど前から首のガードを取り外して全身シャワーがOKになった。
2週間目の当日には、手術の傷口を止めていたテープがとれて、歩行補助器使用が解除された。
久しぶりに自分のペースで歩き、一般トイレの出入りが解禁され、エレベーターを使った病院内の縦移動も許可された。
理学療法と作業療法のリハビリ治療も、自分のベッド上からリハビリステーションへ移動して行われることになった。
普通に日常の暮らしへ戻ると、生活のそこここで想定外のストレスに遭遇することもあるだろうが、病院内での恵まれた環境ではそれほど大きな不便を感じることのないまま、特に改まって意識することなく少しずつそれぞれの場面への適応力が身についていて、そういう状態をクールに認識しながら現状を受け入れている自分がいる。

手術が終わって覚醒してから3日目の朝、目が覚めると左の肩に神経の麻痺が出ていた。
腕を上げることができないし、全く筋肉が動かなくて力も抜けたままだった。
指先のシビレは、右手のほうがひどかったが、右肩は以前と変わりなくストレス無くだいたい普通に動いていた。
首の骨の関節の隙間から出ている神経の束が手術の影響で圧迫されて「麻痺が出るということは稀にあることだ」と事前に説明を受けていたから、自分では「左肩へアレが出たな・・」くらいに担当の看護師さんへ症状の報告をしておいたのだが、それからしばらくして、深刻な顔をした主治医のドクターが回診してくれた。
「こういう症状が出ることは稀なことなんですけどねぇ〜・・・」と、左腕の稼働状況を確認したあと、「現状確認と記録を兼ねて・・」ということで術後の管が全て取れたところで断層写真を残しておくことになった。
いずれにしても、自分にはそのときどきの状況をそのままダイレクトに受け入れることしかできないわけだから、アレコレと深刻にジタバタしてどうなるものでもない。

ワイフは、仕事の合間を縫ってマメに見舞いをしてくれている。そのたびに、ポット満タンのコーヒーを持ってきてくれる。アルコールは特に苦労すること無く禁酒できているが、コーヒーはなかなかそういうわけにいかない。コーヒー絶ちの方が今の自分にとって辛いことになっている気がする。
ワイフとは結婚してそろそろ40年近くになって新婚当時の甘ったるい恋愛関係など雲散霧消と化した今、気がつけば、ソレとは全く違った生活共同体としての信頼関係が強化されていたという発見があったように思う。
ソレもまた愛のかたちのひとつなのかも知れない。

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説教とは・・ 

2019/02/05
Tue. 23:47

なんとなく寝るタイミングを逸してしまって、ウエブ配信のドラマや映画を見る気にもならないし、しばらくYouTubeで音楽のビデオを見ていたが、ソレも今ひとつ身に入らないし、垂れ流しのBGMに切り替えて、ウエブニュースを上から順番にチェックしていたら、そのうち、いくつかの読みかけの文庫本があったことを思い出した。
一つは葉室麟さんの長編。一つは三浦しをんさん、一つは安西水丸さんのキネマ旬報へ連載されていた映画エッセイ(これは読みかけとは言えないな・・・)、一つは夢枕獏さんの仏陀の荒唐無稽長編冒険譚、一つは村上春樹さんの対談・・・などなど、夜中にその気になって探し始めたら自分の周囲の彼方此方から読みかけの文庫本が湧き出るように見つかった。
こんなに、際限もなくアレコレの本をつまみ食いのようにつまみ読みしていると、その1冊の読みかけのところまでがどんな内容だったかほとんど覚えていなかったりする。
こんなことだと、「読書」という領域から逸脱していて、どこかしら自分の近くに何かしらの本が転がっているだけでなんとなく気持ちが落ち着くといった、精神安定剤のような役割にしかなっていないように思ったりする。
それでも、それらの1冊1冊には、記憶に残るというか脳みその何処かに張り付いて離れないというか、そんな感じで前後の雰囲気をいつまでもソコソコ覚えているようなこともあったりして、それはソレで「何もないわけじゃないからネ・・・」と勝手に自分でそういう状況を肯定的に納得しているようなところもある。
さて、それじゃぁ~ひとまず「どれから読み続けようか?」と決め始めたら、それがなかなか決まらない。夜中のことだから、すぐに眠くなる本にするのも良いかも知れないし、軽めの感じで無理なくスラスラ読み続けるのも良いかも知れないし、せっかくだから、少し丁寧に行間を追いかけるのも有りの気もする・・・

ボンヤリと、そんなことを思っていたら、いつも鞄に忍ばせて持ち歩いている菜根譚を思い出した。
洪自誠さんの菜根譚は、私のバイブルのようなもので、日常の何かにつけて暇があればパラパラとページを捲って、止まったところから2つ3つ読み進めたりしている。特に暗記をしようと思ってもいないが、気になるフレーズはしばらくのあいだ覚えていられるし、その時時の状況によって微妙に解釈が変わって感じられたりして飽きることがない。
こういう状態の菜根譚と私の関係はどこかしら師弟関係に通じるような気もしていて、日頃だらしなく暮らしている自分には大事なことのように思う。
洪自誠さんの時代・・というより、孔子さんや老子さんなど中国哲学では「小人(しょうじん)」と「君子(くんし)」を並べて論じる傾向にあるようだ。小人は「人徳がなく度量の小さい人」で、君子は「学識や人格が優れた徳の高い人」を象徴して定義づけられていて、だいたいその2者を対比させながら善悪善し悪しが示される。洪自誠さんの菜根譚もザックリとそういう形態に属しているから、云っていることが結構厳しくて断言的ではあるが、私にはどこかしらボンヤリとした柔らかさも感じられて、それが好きなのだろう。時々「法事の後のナンチャッテ説教で使えないかな?」と思ったりもするが、なかなか自分の言葉に置き換えるまでの技量がなくて諦める。
「説教とは、教訓を垂れること!」とあって、「教訓とは教え諭すこと」とあった。
どうも意味不明でボクにはよくわからない・・・?

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気持の拠り所 

2019/02/03
Sun. 23:51

寺で暮らしている時は、時間をみつけて祈祷太鼓をたたいている。
先代は、塔婆の書はもちろん、音感がよくてお経も御詠歌も和讃も太鼓も上手だった。
現住職のボクは、自他ともに認めるナンチャッテ坊主だから、先代とは比べ物にならないほど坊主業全てにおいて下手糞だ。それでも、万善寺の住職はボクしかいなくて住職業の何をするにも避けて通れないこともいっぱいあるから、様々な場面でたくさんの恥をかきながらどうにかこうにか乗り切っている。

3日は節分だから、一人本堂で祈祷のお経を読んだ。祈祷のお経は太鼓を叩くことが多いから、下手糞なりにバチを振った。
正月になって、三ヶ日が終わって、節分までのできるだけ早い時期に、自分なりに今年1年の自戒をいくつか用意する。
偉い和尚さんは、毎年のはじめに遺偈(遺言のようなもの)を残される。
私は偉くもなんともないから、偉そうに遺偈を残すなど恐れ多い。それで、そういうことはしない代わりに、自戒を用意するわけだ。そうしておくと、何かにつけてそのコトが思い出されて、だらしなく緩みきった自分の気持が若干矯正できる。
塔婆を書く時は、裏書きにその言葉を使うこともある。
展覧会や季節のお知らせとか、ときには何かのデザインのキャッチコピーに使うこともある。
そうやって、日常に都合よく利用していると、知らない間にその言葉が少しずつ自分の気持の中へ入り込んで、やがて現実的で具体的な事象と結びつくことがある。だいたい1年が過ぎる頃には最初は曖昧でどうとでも解釈される抽象的な文言がそれなりに煮詰まって記憶の何処かへ張り付いてくれることもある。
名僧高僧さまをはじめ先人諸氏の名言は、はじめのうちは自分の現実と全然関係ないところで浮遊していて、頭ではなんとなくわかってもソレを自分の実感として自分の所作に置き換えるまでには程遠い。せめて1年位は心にあたためて時々思い出しながらそういうコトを繰り返しているうちに少しずつ現実の具体と関連するコトがあってソレに気付いてドキッとする自分がいる・・・ということを何度となく実感している間に、気がつけばそれなりの信念や確信を持ってその文言に自分の気持の拠り所を意識できていたりする。
もっとも、用意した自戒の全てが自分の気持を動かすことも珍しくて、実際、1年も過ぎれば知らない間に年始めの自戒などコロッと忘れて忘却の彼方に消え去ってしまっていることも多い・・・というより、ほとんどソレばかりだったりする。
それでも、そういうことの繰り返しのなかで、とにかく色々な場面で思い出されることもあるし、絶対に忘れることのないまま生き様であったり信念であったりそういうものに変わる自戒もないわけではない。
そういう文言のいくつかは、確実に自分の救いになっているし力になっている。
信心の気持ちというものは、そもそもそういうことの終わりのない積み重ねであるような気がする。

今年は、「動静両忘」「風逐自然清」「静聴鐘声」の3つを書いておいた。
私が好きな洪自誠さんの言葉の一節です。文字を並べるとシンプルで簡単なことだが、その奥深さに感じるものがある。「静聴鐘声」は個展の案内で早速使わせてもらった。

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あのころ 

2019/01/31
Thu. 23:32

彫刻の梱包は結局1日で終わらなかった。
「手伝いましょうか?梱包・・」
ショップのスタッフが気を利かせてくれたが、ありがたく断わった。
信用していないわけではないが、やはり彫刻梱包のことはアマチュアにはまかせられない。時間はかかっても、いずれいつかは必ず終わる作業だとわかっているから、特にイライラもしないし、それになによりボクはとってもヒマで時間だけはタップリあるのだ!
「今日はお昼すぎで仕事終わるから、それから会場へ顔だすね♡!」
ワイフが、出勤前にそう言っていたから少しだけ彼女を期待しているところだ。

最近の小品彫刻展は、年々抽象の彫刻が減っている。
絵画の方は、かなり前から純粋抽象をほとんど見ることが無くなっている。日本の美術界全体が絵画彫刻問わず具象へ傾いて、知らず知らず作家の目はそういう流行を追いかけているのだろう。
具象抽象平面立体各種素材表現技法なんでもひと通りそれなりの研究表現が出来て、それをベースに取捨選択して個人のオリジナルな表現を絞って追求するところに美術家の個性とか作品の斬新が醸し出されて、それが面白い!・・・と思うのだが・・・

雪が降らないといっても、飯南高原はそれなりに彼方此方で消え残った雪の残骸を見かける。万善寺もまだ境内に屋根からずり落ちて固まった雪が山になっている。
年末から年始にかけて少しずつ溜まった各種のゴミを処分したいのだが、銀くんはやっと境内まで乗り入れることができるくらいで、簡単にゴミの積み込みをするにはまだ雪が多すぎる。
時期が来たら一気に片付けようと物置代わりに使っている離れへ集めてあるゴミの山を整理していたら、学生の頃に描きためたクロッキー帳を見つけた。
1冊100枚綴りの片面しか使わないで描き続けたクロッキーは1000枚を軽く超える。
毎週1回の予備校主催クロッキー会でタイムキーパーのアルバイトをしていた約1年半で描き続けたものだ。タバコ一箱程度の時給は安いものだったが、お金をもらってクロッキーができるわけだから、なかなか美味しいアルバイトだった。
懐かしくてパラパラとめくってみると、今の自分よりずいぶんと描写力がシッカリしている。それぞれのクロッキーに、描画の主題を決めているところが伝わってくる。純粋に素直にモデルさんと向かい合っていた。きっと、絵を描くという行為が楽しくてしょうがなかったのだろう。絵を描くということくらいしか表現の選択肢が無かったのだろう。まだ立体の実在に出会いその魅力に引き込まれてしまう前の頃だ。

具象彫刻を梱包していて、あのクロッキー帳のことをなんとなく思い出していた。
立体にのめり込んで、鉄と出会って、たくさんの技法を知って、未知の表現に悩み、数え切れないほどの失敗を繰り返して、気がつけばもう身体も思うように動かないジジイになって、指先の感覚もなくなってドローイングの線もフラフラでヨレヨレ・・・まぁ、それでもそれなりに未だに彫刻の造形が枯渇していないのも、あの頃形態の具体に正面から向き合ってセッセと脳みそを回転させていたからだという気がしないでもない。

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珈琲の緑茶割り 

2019/01/23
Wed. 23:05

珈琲の緑茶割りが身体に良いと、何かの本(多分雑誌)で見た気がする。
記憶をたぐると「読んだ!」という気がしないから、広告か見出しか何かをチラリと見かけたくらいのことだと思う。
どうしてそれを覚えているかというと、珈琲が好きであるということ。それに寺の茶箪笥へ緑茶の詰め合わせが消費されないまま山積みに溜まっているということ。その2つの現実が、「珈琲の緑茶割り」で見事に頭の中で合体したことによる。

一般の概念というか大衆の常識というか、とにかく禅寺とお茶はとても親密で切っても切れない関係であると思われているようなところがある。それで曹洞宗の末寺万善寺も毎年のお中元やお歳暮でアチコチからその年の新茶が届くというわけ。
まずは仏様へお供えさせてもらって、そのお下がりをいただくわけだが、オヤジの一人暮らしではとても1年でその年1年分のお茶を消費することが出来ないまま、残った新茶が少しずつ古くなって溜まっていく一方になる。とても有り難い悩みであるわけだが、残念ながら住職である私自身が緑茶をあまり好まないこともあって、新茶が古茶に変わって、時々フライパンに移して煎り上げて即席のほうじ茶もどきにしたりするものの、やはりすべてを消費できなくて古茶が古古茶になってしまう。そういう寺の日常のこともあって「珈琲の緑茶割り」のフレーズを忘れないでいた次第。
珈琲は好きで毎日欠かさず飲み続けているから、それにひと手間加えて緑茶で割って、そういう飲み物がとりあえず我儘坊主の口に合えば、無駄なく緑茶の消費につながるし都合が良い。まだ余裕がなくて実践に至っていないが、近い内にブレンドの具合などを色々試してみようと思っている。

「喫茶去」は、もともと中国の禅僧のお言葉が始まりらしい。その禅的解釈を臨済宗開祖の栄西大和尚様が日本で広められた。そういうことから、禅宗というと「どうかお茶でも召し上がれ!」というノリの所作を想起されるようになったのだと思う。
昔は、お茶も漢方の一種で珍重されていたようだ。インゲン豆も隠元大和尚様に由来するらしいし、タクアン漬けも沢庵大和尚様が語源らしい。昔の方丈さまは、今でいうところの漢方医とか薬剤師的存在でもあったのだろう。
そういえば、書画仏画仏像彫刻、作詞作文など、坊主の表現観はなかなかレベルが高い。どの坊主もみんながみんな同じようにセンスや才能があるわけでも無かったろうが、宗教的修行だけで坊主の人格が形成されていたわけでも無い気がする。
もともと、仏教の根本は限りなく解釈の広がった抽象的で雲を掴むような混沌としたものであったりするから、昔々の偉い方丈様方はそれをいかに具体的な実践に置き換えるかということを真剣に考え試行錯誤していたのだと思う。
仏事様式を正確に伝承することも大事な修行であるだろうが、もう少しアバウトに振り幅を広げて坊主個々人の仏教観を模索してもよい気がする。近年は、坊主カフェとか坊主バーとか坊主ミュージシャンとか坊主フェスとか色々と営業を展開されている様子を見聞する。ある意味で、そういうことも布教活動としては大事な実践であるのだろうが、シャイで人見知りのナンチャッテチキン坊主のボクなど、コツコツと彫刻を造り続けることくらいしかできそうにない。それじゃぁ、とても積極的布教活動になってないね・・・

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三度のメシ 

2019/01/09
Wed. 23:07

「あなた、絶対アル中よ!」
ワイフは、何かと言うとボクにそう言ってくる・・・
「そんな、毎日酒飲むなんておかしいよ!」とか、あげくには「あんた、ヘンよ!」とまで言われる。そんな辛辣でデリカシーのないことを本人はどこまで自覚して発言しているのかわからないが、とにかく、面と向かってそういうコトを言われ続けながら酒を飲んでいるボクとしては、なかなかにやるせないものがある。
確かに、酒とかタバコは中毒性を有するものであるとは思う。ボクとしてはそれを自覚しつつ、ある意味でそれなりの理性のもとに酒を飲んでいるようなところもあるから、「よしヤメよう!」と思えば、何時でもやめられる自信がある。タバコに至っては、ほぼチェーンスモーカーだったボクが、長男の妊娠がわかったことを契機に、誕生のだいたい2ヶ月ほど前からピタリとヤメたという、実績もある。
そもそも、酒を含めた飲食全般は基本的に嗜好性の強いものであるから、好きな奴もいれば嫌いな奴がいて当然だし、美味いと思う人もいれば不味いと思う人もいてアタリマエのことだ。そういう好みの問題を自分の主観的尺度で判断して良し悪しを結論付けられても困ってしまう。まぁ、ワイフの場合は、私の健康を気遣ってそういう厳しい言い回しをしてくれているものだと好意的に解釈しているけど・・

彼女が酒のこととか食べ合わせのこととかあまりしつこくチクチクと云うものだから、こちらも対抗手段として「マッチャンが○○食べちゃダメというから・・」とか「ボクはもう、☓☓食べられないんだもんね〜・・」とか「別に酒飲まなくても全然大丈夫だから・・」とか、ワイフがあれダメこれダメということを、一つ一つ口に出して証明しながら実践することにした。
酒に関しては、麦酒にしても日本酒、焼酎、ウイスキー、ラムにワインなどなど、それなりに各種なんでも別け隔てなくそこにあるものを美味しいと思って飲んでいるが、基本的にアルコールであることに変わりがないから、「飲まない!」という一点をキープすればそれほど気にすること無く普通に簡単に禁酒できる。いっぽう、食べ物の方はなかなか至難の業で結構頭を使うというか・・・「アレはダメでコレは大丈夫で・・・」などと考えながら食べるということがめんどくさくて食欲が減退する。これも一種のダイエット効果と言えなくもないが、「美味しくいただく」という気持ちが失せてしまって、毎日の食事が味気なく感じてしまうようになった。
そういうコトをしばらく続けた後にお正月を迎え、ワイフ手造りのおせちが出て、お供えの鏡餅が仏様の数ほど大量に造られ、それらを消費することの「もったいない義務」で三度のメシに望んでいる今日このごろ・・・あらためて、美味しいご飯がいただけるということがどれだけありがたく幸せなことかということを身をもって実感する。

人間ドックでアレコレの肉体的諸問題を告知され、お正月のお下がりを冷蔵庫から出し入れする毎日が続くという2019年がスタートしている。ささやかな救いといえば「ボクはアル中ではありません!!」ということをワイフが認めてくれたことくらいかな・・
一方、ノッチは想像以上に健康的且つ健全な生活を続けているようで、1週間分の弁当を作り置きし、女子力をレベルアップさせている。さすが料理上手のマッチャンの娘だ。

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年賀状に関する一考察 

2019/01/07
Mon. 23:01

吉田家を基地にして万善寺へ出かけることは「通勤坊主である!」と言える。さてその逆で寺から吉田家へ向かうという状態はどう言えば良いのだろう?・・
普通だと「自宅へ帰る」ということなのだろうが、私の場合は万善寺も生家だからそれも自宅であるわけで、ということは「自宅から自宅へ帰る」ことになるわけでもあり・・・などと、どうでもいいわけもわからないことを布団の温もりから抜け出せないままボォ〜〜っと考えていたらワイフから電話がきた。
「昨夜、電話もらってたようで・・・ごめん、もう寝てた。何か用だった?」
用事があるから電話したんだけどネ・・・
「年賀状、急いでたんでしょ?印刷終わったから、そのこと・・・」

副住職が長かった時は、生活の拠点がほぼ100%吉田家にあったから、年賀状も吉田家に届くものをそのままチェックしていればよかった。
住職交代をしてからは寺と吉田家の両方の年賀状が混在するようになってデータベースの管理が急にややこしくなった。それで、毎年のように年末から年始にかけて年賀状の対応をどのようにすれば一番良いのか試行錯誤を繰り返しているが、まだ最善の策が見つかっていない。
個人的には、日頃から普通に親しく付き合っている友人知人とか、毎日仕事で顔を合わせている同僚とか、仕事の付き合いが外せない仕事仲間は、特に改まって年賀状のやりとりをするまでもないことのような気がしている。
日頃不義理をして疎遠になっている親族や、無視の出来ないほど大事な恩人や、気軽に逢うことの難しい遠方の友人知人が年賀状の対象であるくらいでいいような気がしている。
そうはいっても、こればかりはお互いに相手のあることだから、自分の身勝手な都合ばかりを優先するわけにもいかないし、相手に失礼のない気遣いも大事なことだから、それでいつも悶々と悩んでしまう。
この2〜3年の吉田家は前住職夫婦の他界で喪中も絡んだし、周辺の皆様も似たような状況らしく喪中はがきが増えていて、それも含めたデータベースの管理が年々複雑になっている。

万善寺オリジナルカレンダーや手摺り和紙のおふだなどを遠方のお檀家さんへ発送するためのデスクワークをしていたら、ワイフがお昼前に寺へ来て、早速彼女分の年賀状へ新年の挨拶や宛名書きをはじめた。
前住職の頃は、寺用の年賀状には出来るだけ「謹」の字を使うように気をつけていた。
「謹」には「うやまう」とか「かしこまる」とか相手に対して敬意を表する意味が込められているから「新年を飾る文字としては欠かさないほうが良い」と、前住職から聞かされていた。個人的には、かえって堅苦しく余所余所しく思えて、親しみの距離が遠ざかってしまうような印象もあったから、むしろ吉田家の年賀状へは「謹」絡みの文字とか言葉をあまり使用しないようにしていた。
そもそもの年賀状の意味というか意義はよくわからないが、どこかしら郵便局の営業戦略に思えなくもなく・・・まぁ、いろいろありますが新年のお知らせというか挨拶というか・・・ひとまず今週中には一段落するはずです。

2019正月状ますみ (1)

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平成最後の年末 

2018/12/28
Fri. 23:21

年内最強の寒波が南下してくるという。
雪は避けられない状態のようだし、萬善寺の参道は積雪で4WDの銀くんでも登ることができなくなるから、重たい荷物とか大きなかさばるものは事前に寺へ搬入しておいたほうが賢明だ。

前日に萬善寺入りして、ワイフが持たせてくれた鏡餅やお正月の年始会で必要な食材などを搬入した。
しばらく石見銀山の暮らしが続いている間に、たぬきが寺の留守番をしてくれていたようで、庫裏の西の端の勝手口から本堂の東側の基礎石の角まで、要所要所にウンコのマーキングをして夜回りをしてくれていた。
今年は、年始めの寒波と夏の猛暑で母親が育てていた鉢ものがほとんど絶えた。
そのなかの幾つかは鉢から地植えに移して何とかひと夏を乗り切ることが出来たものの、今度の年末寒波に絶えられるかどうか、微妙なところだ。
植物はしゃべらないし動かないから自分の身勝手な都合で面倒をみるくらいしかしょうがない。特別植物が嫌いというわけでもないが、わざわざ水やりをいてまで育てようとも思わない。それに、放ったらかしで何もしないと際限なくはびこってしまうこともあったりして、そうなってからではよけいに始末が悪い。毎年、秋になって落葉してから刈り込んで絶やしてやろうと考えてはいるのだが、秋は一方で彫刻制作の繁忙期だから、庭木や植木の剪定にまで労力が及ばないまま、結局ははびこるままになって今に至っている。

植物というと、正月の松竹梅の準備もある。
これも天気との関係でなかなか日程の調整が難しい。
前住職が他界して3年になるし、そろそろ現住職なりのシステムを導入しても良さそうな気もする。結局は個人の趣向で決まることでもあるが、今年は、松竹梅も含めて生物のお供えは最小限に留めてみようと思っている。
萬善寺の周囲を見渡すと、松は数十年前のマツクイムシ襲来以来、近所からの採取が難しくなった。梅は20年ほど前に西の畑へ植林したが、その後母親の老化に伴って管理が手薄になって今は原生林に近づいた荒れ地に変わった。竹は春先の筍採取に私の手が回らなくて猛烈な勢いで寺の周囲を攻められている。今年の春にはついに寺の東側の庭で1本ほど伸びて、今は本堂の軒に成長を阻止されて窮屈に斜めに曲がっている。松竹梅も縁起物で大事な年越しグッズになっているのだとは思うが、結局は成長の芽を摘んで枯らしてとんど祭りの焚付に変わっているだけのことだから、自分としてはそういう人間の身勝手な利己主義の具現化が良いことだとは思わない。

これから29日を避けて、本堂の供え物などをして荘厳を完成させるつもりだが、平成の元号で年越しをするのも最後になることだし、次の元号を目指して気持ちや様式の切り替えを質素倹約優先で取り仕切っても良いかなと思っている。仏事行事の継承に反する行為かもしれないし、なにかと異論があるかもしれないが、今後、老化を避けられない我が身としては、現行行事の継承が途絶える日も避けられないことでもある。今のうちから最小限の労働作務でできることにしておけば、それはそれで少しは長続きするかも知れない。

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無心 

2018/12/07
Fri. 04:11

朝から溶接が続いて立っているのが少し辛くなってきたから、いつもの海へ出てみることにした。
北西風が比較的強くて波が少し高かった。
大陸へ続く水平線が凸凹に波打っている。

仕事中に無心でいられる時間がずいぶん短く減った。
昔は、溶接をしていると足が重くなることも腰が痛くなることも肩から首筋が固まって指先が痺れてくることもなかったが、この頃はしばらく決まった仕事を続けているとそういう身体のアチコチの不具合が気になってきて集中力が切れて絶える。
修行僧的に云うと、座禅の身体がゆらゆらと揺れて気が散っているような感じで、歳を重ねれば重ねるほど修行の成果が身についてくるはずなのに、私の場合はまるでその逆になっている。
「コラ!!修行が足りん!!」と一括されてしまう不甲斐なさだが、なにせ日常の生活優先の在家坊主といては致し方ないところもある。
先代住職のことを思い出すと、膝が思うように動かなくなって、腰痛がひどくなって、サロンパスの効能が用をなさなくなって、指がしびれて物をうまくつかめなくなったり紐を結ぶのに時間がかかったりし始めた頃から、「エイ!クソ!!」を口走ることが一気に増えた。法事の先の人前でも口から出てしまうものだから「そういう、汚いこ言葉は謹んだほうが良いよ・・」とさり気なくたしなめていたのに、今は自分が似たような状況になりつつあって「ヤバイ!!」と気づいて反省することが増えた。そのうち、気づかないまに思わず口走ってしまっていたりしてくると、まさに先代と同じになってしまう。ヤレヤレ・・・

「無心」というと、確か沢庵禅師(だったと思う・・・)が、「分別や思案の無い時の心の状態である・・・」というような定義付けをしていらした(はずだ・・?)。
ようするに「何もしないとか何も考えないとかそういうこととは違うよ!」というふうに私は解釈している。「自分の現状からしばし逃避してボォ〜〜〜っとしている状態のことではない」ということ。
何か一つ事に一心不乱に取り組んでいる時の状態が「無心である」といえる。少し状況が違うかも知れないが「集中している」ということはそういう「無心の時の状態」を云うのではないのかと思っている。

日本海の波を見ていると・・いや、見続けていると・・自然と心が安らかになって、ある時を境に刻々と常に変化する波の様子と自分の気持ちが一つに重なったように感じる時がある。結局はただ「ボォ〜〜〜」っとしていただけのことなのかも知れないが、それでも何かしら彫刻の次の一手に迷いがなくなった清々しさも感じていたりする。
日々自堕落に過ごしているから集中力が退化するのも仕方がないことなのだろう。それでもまだ、いざという時にひと踏ん張り出来る程度の集中力は維持できている気がする。なにごとも、自分のことは自分自身が一番良く心得ているつもりでも、実際自分自身が一番自分の事に気づいていなかったりするものだ。ボクはまだまだ自分に甘いなぁ・・・

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造る喜び 

2018/10/28
Sun. 23:14

この数年の間に自分の周辺で2人の彫刻家が制作から遠ざかって疎遠になった。
一人は体調不良が改善できないということらしいがその後どうなったか定かではない。
もう一人は公務多忙で制作の余裕がないということのようだが、これも実際どれだけ制作ができないほど多忙なのかはよくわからない。

一般的に美術家人口はそれほど多くないと思う。たとえば島根県に限ってみても専業の美術家として精力的に作家活動を続けている人を探すとなるとなかなか見つからない。私も坊主家業の片手間で彫刻を造っていると言っていいほどの中途半端な兼業彫刻家だし、ワイフも時間講師でいる時間の方が彫刻家の制作時間より数倍多い。
みんなそれぞれに自分の生活があるから美術の創作三昧で毎日が過ぎる作家など今の日本では芸術院会員くらいかもしれないが、それもみんながみんな専業の美術家であるかどうか、判断に苦しむところだ。

30歳前に生活の拠点を島根に戻してから今までワイフと一緒に制作を続けているが、その間に仕事が忙しくて制作発表を断念したことは一度もない。一身上の都合で出品が決まっていた展覧会をドタキャンしたことが1度だけある。ソレ以外は基本的に全ての彫刻制作と発表は自分の意志で参加不参加出品不出品を決めることにしていて、それが毎年のことになるとライフワークの一つになっているといっていいだろう。

彫刻家としての立場による自分の生活信条というと「構想と制作の継続」であるといえる。寝ている時以外は常に彫刻のことを思考の基盤に占めておくということ。それをしているから、少々の世間的摩擦や認識解釈の相違で起きる諸問題もあまり深く悩まないで切り抜けてしまうことが出来ている。「彫刻家であること」を自覚することで、日常の様々な場面で生じる価値観の相違による深刻なストレスを回避できている利点がある。

現在、彫刻から遠ざかっている二人も、たとえば目先の生活レベルをキープすることを最低限の譲れない条件としてそれを優先的に用意しているとすると、やはり彫刻のこと全てが二の次になってしまうことは避けられないことだ。
日常の暮らしの中で常に彫刻のことが最優先に位置付いていたら「あれがあるから彫刻ができない」的発想は出てこないはずだ。結局造形意欲とか創造力の枯渇が制作意欲の減退につながって、結果「造る喜び」が消えて苦痛に変わってしまうことも十分に考えられることだ。
自分の造形上のテーマを曖昧なままその場しのぎでやり過ごしてしまうと、やはりいずれそのうち制作の目標を見失って自分の立ち位置も揺らいで制作意欲も消沈して立ち直ることができなくなってしまう。彫刻が遠のいた二人はもう時すでに遅いところまで来ているかも知れないが、ほんの少しでも造る喜びの記憶が残っているなら、まずはなりふり構わずどんなモノでもいいから手足身体を動かして制作の汗を流してほしい。
彫刻の制作が、現実からの逃避の手段であってもいいと思う。
とりあえずはそのあたりのところで気持ちを切り替えることが出来て、少しでも気楽になれるなら、それだけで十分に彫刻制作を続ける意味があるというものだ。

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他人の目 

2018/10/27
Sat. 23:05

10月は彫刻の展覧会が続くから何時にもまして毎日が一瞬で過ぎていく。
もともとノンビリとヒマに暮らしている方だから、時の過ぎるのが早すぎて気持ちが上手くついていけない。

「吉田さんは、けっこう几帳面で真面目だから・・・」
何かの拍子に、話題の流れでそのひとから見るところの吉田像を感想として語られたことがある。
「もちろん!名前からして正しく純スイですからネ!」
などと、物心ついて「純粋」の漢字が読めるようになってから乱発している定番ジョークをまた使ってしまった。だいたいが、その後に「みんなは(不正不純)って云ってますけどね♡!」と続くが、その時はそのフレーズを割愛した。
そもそもの吉田像は、吉田本人が一番良く解っているはずなのだが、あの時のように、自分を見る人によって色々な感じ取り方もあるのだなぁと、自分のことを他人事のようにクールに自覚している(何やら解ったような解らないような面倒臭い)自分がいた。

これも昔のことで前後の状況を全く思い出すことが出来ないままでいるのだが、あるひとが「(上手下手と向き不向き)は自分で思ってることと他人が思っていることは違うからね!」と云われたことをよく覚えていて、「まさにソレだな!」と云う場面でフッと思い出して「確かにそうだな!」と納得することがよくある。これは、人それぞれに価値基準とか常識のズレがあるから、当然当たり前のことを云っているわけだが、当事者としては何かの大事な場面で判断基準を大きく左右することになる重要な解釈を問われていたりして、少々ビビる・・・ようするに、「上手だから向いている」わけでも「下手だから向かない」わけでもないということで、自分のライフワークにつながるような重大な選択を求められたりするような時に本当に真剣に悩んだこともあった。

結局は、自分のことは自分が一番良く解っているというつもりでいても、他人が見るとまんざらそうでもなかったりするというわけで、その「他人の目」というのは、結構客観的総合的な判断が出来ていることだとも考えられるわけで、貴重な意見として拝聴しておくことも大事だと考える。それで、吉田は「几帳面で真面目」であると云うふうに見ている人もいないわけではないと思っておくことにすると、「そういえば、確かにそうかもしれない・・・」と思える場面もソコソコ思い出されたりする・・・という、またややこしい考えに遭遇したりしてまたまた面倒臭いことになってしまう。

どうして、こんな面倒臭い思考を捏ね繰り回しているかと云うと、眠れないからである・・・といって、ひと頃の不眠症が再発した訳ではない。隣りに座っている青年のニンニク臭い口臭が気になって目覚めたまま、目が冴えてしまったからなのだ!普通、深夜の高速バスへ乗る前にニンニク入の夕食をとることじたい不謹慎極まりない。少しは周囲の迷惑も考えてもらいたいものだ。
早いもので、つい先日始まったと思っていた展覧会がもう終わろうとしている。
彫刻の搬出でそれなりの重労働が待ってる。陳列に続いて只今10月2回目の移動中です・・

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坊主事情 

2018/10/25
Thu. 23:55

前日の雨が少し残って、石見銀山の早朝の町並みはしっとりと濡れていた。
ずっといい天気が続いていたから、これから少し本格的な雨になるかと思っていたらお昼前にはすっかり良い天気になった。

10月末は六本木の彫刻搬出があって、11月に入ったら富山町の美術イベントが始まる。
それまでにいくつかの萬善寺がらみの用事を済ますことになる。
少し前にお地蔵さんの供養依頼が入った。毎年おおよそこの時期におつとめしているが、日時は流動的ではっきりしない。
そのお地蔵さんは昔、地域の町別れの境界峠のてっぺんへ安座されていたそうだ。その尾根の峠が、日本の近代化が進む中の国道拡幅工事で切通しになって消えた。その後、道筋の変わったあとの国道脇に場所を移動して安座されてあったのだが、今度はその場所に近所の蕎麦屋さんが製粉工場を建設することになってまた移動することになった。その頃は前住職が遷座安座の法要をつとめて、私が先代からお地蔵さんの供養を引き継いだのはそれからしばらくしてからだった。
道端のお地蔵さんだから、法要が雨の日もあれば大風のこともあって、1年に1度だけのことではあるが心配が多い。
昨年、蕎麦屋さんの工場を拡張することになって、そのお地蔵さんがまた遷座されることになった。これで、私が聞いているだけでもお地蔵さんの遷座場所替えが3~4回は繰り返されていることになる。人間の暮らしの都合でアチコチ移動が多くてなかなか落ち着かないお地蔵さんだが「隣の山が土を採り尽くしたら広くなって見晴らしも良くなるし、そうしたらあの場所が良いんじゃないかと・・」などと、蕎麦屋のご主人がまた遷座先のことを考えていらっしゃる。
そのお地蔵さんのような石の野仏様は、だいたいどの地域でも似たようなことが繰り返されてアチコチ移動されることが普通だ。
最近では、地域でお守りすることも叶わないと、農地や道端に点在する野仏さんを一箇所に集めてお祀りされたり、熱心に信心される地域では、みんなで出資してお堂を建立されるところもある。萬善寺の六地蔵さんは、過去に数回のお堂改築を繰り返しながら参道脇の同じ場所に安座されるが、私の記憶にあるだけでも何度と無く「近所の野仏さんが粗末になるもんで・・」と、十王さんや木葉地蔵さんが持ち込まれてお堂が手狭になっている。
明日は、そのお地蔵さんのおつとめと七日つとめがあるから久しぶりに朝から通勤坊主をすることになる。

NYに旅行中のノッチは、ブロードウエイを堪能しているようだ。SNSの写真を見ていると、飯南高原のお地蔵さんとのギャップがありすぎてどうもピンとこない。
家族の歴史というか、自分の宿命というか、私のように寺で縛られた生涯を決められていたりすると、その枠の中でギリギリの選択肢を模索しながら毎日を窮屈に過ごさなければいけなくなって、なかなかしんどい。これから先、NYどころか、徳島の阿波踊りや京都の祇園祭や仙台の七夕まつりなどなど、自分には一生縁のないモノもたくさんある。
彫刻を造っていられるだけでもありがたいと思わないとね・・・

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守破離 

2018/09/27
Thu. 23:26

徳島の野外彫刻を造り終わって搬入したあと、一度工場を片付けてザッと掃除をした。
ワイフが見ているテレビでは、しきりに台風のことを報道していて、それも気になる。
週末には徳島中央公園の野外彫刻展がオープニングを迎えるが、北上している台風がそれを目指すように東寄りに進路を変えてくる。
いつもはだいたいがヒマに暮らしているボクにとって、この週末は1年に何度もない試練の日々になりそうだ・・・

工場の次の制作は、六本木の展覧会で出品する野外彫刻。
ちょうど1年くらい前に、石見銀山で個展をしないかと地元のアパレル会社のボスから誘いがあった。
そのボスとはもう30年ほどの付き合いになる。
きっかけは彼の店で彫刻の個展をしたこと。
それが縁になって、その後定期的に個展をして今度の誘いが確か4回目になる。
今年の六本木の彫刻は、個展の連作で考えていたうちの1つを造ることに決めていた。
この彫刻のテーマは、かれこれ4〜5年あたためてきた。
少しずつ試作を繰り返して工法の様子を見ながら、自分の気持の中で彫刻のかたちとかバランスとか配置とかスケールなどの要素が固まってくることを待っていたところもある。
1年前に個展の話をもらった時から雰囲気を確かめていたが、やっと無駄なかたちを捨てられるふうに気持ちが向いてきた。野外彫刻は不特定多数の目に入るから、どこかしらひとの感を刺激する要素も必要だとは思うが、それは必要最小限にとどめておこうと思う。

私が彫刻を造るようになったのは、10年の東京ぐらしを切り上げて島根県へUターンした年からになる。
学生の頃は金属工芸の技術習得や素材研究などをしていて本格的に彫刻の勉強をしたことがなかった。社会人になって仕事をしながらその合間を縫って同時進行で制作の実践を積み重ねながら少しずつ彫刻の造形感を身体で覚えた。
金属工芸の勉強をしていたときの師匠は、多くを語らないで「見て覚えろ!」的な職人の棟梁のようなタイプのひとだった。
その師匠を通して「守破離(しゅはり)」を知った。
当時は、単純に知識だけのことでその意味を頭で覚える程度のことだったが、なんとなく自分のこれからの制作にとって「とても重要な要素になっていくのだろうなぁ・・・」と漠然と感じるものもあって忘れないまま今に至っている。
最近はその守破離が自分の彫刻にとって大事なことなのだと実感することが増えた。たぶん、なにか一つの要素が崩れたり偏ったりして全体のバランスが乱れることが増えてきたからだと思う。体力や身体能力が気持ちの充実とか高揚についていかなくなっている自分を感じる。自分の現状とクールに向き合わないといけない。これから先、納得できるだけの彫刻はそんなにたくさんできるわけでもないことだから・・・

「わたし、そろそろ帰るね」・・・ノッチが朝のうちにそう云っていた。
久しぶりの石見銀山で、少しは心身のリフレッシュになったのだろうか?

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ボクの立場 

2018/09/17
Mon. 23:17

三連休の最終日は、奥出雲の後片付けで会場復元に当てていたのだが、初七日などの萬善寺仏事が重なって、またスケジュールが変更になった。
しばらく前に、ノリちゃんが連絡をしてくれて会場の後片付けを手伝ってくれることになっていた。主催者であるボクが自らドタキャンをしてしまって、彼女にはとても悪いことをしてしまった。連絡を取り合って善後策を相談して、あとは彼女に甘えることにした。

今更ながらのことだけど、私は二紀会の彫刻部に属していて、東京の六本木には毎年少し大きめの彫刻を出品している。
島根にUターンしてから本格的に彫刻の勉強を初めて、最初は研究発表の意味も兼ねて二紀会へ出品をはじめた。
それまでは何年も金属工芸の作品をつくっていたのだが、自分の気持が少しずつ彫刻へ傾いていた頃にワイフと知り合った。ワイフは学生の頃から金属彫刻の研究室で勉強していてその時の指導教官が二紀会彫刻部の委員だったから、彼女はすでに学生の頃から研究作品や卒業制作を二紀会へ出品していた。結婚して二人で島根にUターンした後も、専業主婦をしながら彫刻の制作を続けて、島根から二紀会の展覧会がある東京まで業者搬入をした。
島根で運送業者を探すことや彫刻の梱包のことなどの手間を手伝っていたら、彼女の彫刻だけ発送したり搬入搬出をしたりするだけの労力がもったいない気もしてきて、どうせなら自分も彫刻を造って一緒に出品したほうが良いと思うようになった。
それが始まりで毎年出品を続けることになって今に至っている。

島根くらいの田舎から、毎年東京を目指して彫刻制作と出品を続けることは、精神的にも肉体的にも物理的にも財政的にもなかなかの試練になる。
基本的に怠け者で飽きっぽい性格の私が、よく途中で挫折しないでここまでこれたものだと我ながら感心する。
ここまでの歳月はとにかく記憶にあるだけでも色々な出来事があった。
それでもなんとか継続できたのは、やはり自分の生活を彫刻制作優先に組み立てていたからだと思う。
この近年・・・というより、先代住職の憲正さんから住職を引き継いだ頃から、自分に降りかかる仏事のアレコレを避けることが出来なくなった。それで、結局寺のことが優先になって彫刻のことを後回しにせざるを得なくなってきた。
そろそろ10年になる島根での小品彫刻展も、少しずつスケジュールの不具合が増えてきてアチコチへ迷惑をかけることが多くなった。このまま、今の状態が続くかもっと悪化すれば確実に展覧会の継続は難しくなる。

今年も、これから二紀会彫刻部の展覧会に向けて少し大きめの彫刻制作を始める。
いまのところ、おおよそのかたちはイメージ出来ていて、工場へ通い始めたらなんとかそれなりの彫刻にはなってくれるとは思うが、昔のように十分納得するまでじっくりと落ち着いて時間をかけて鉄に向かうことはできにくくなっている。
そろそろ、次の展開をどうするか決める時期に差し掛かっている。

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晩夏 

2018/09/01
Sat. 23:07

猛暑続きの8月が終わった。
庭木1本が枯れて、鉢植えは水やりが追いつかなくて全滅した。
飯南高原の街道別れの近くにあった桜の木も枯れた。
境内の草刈りはしないことにした。
稲の刈入れが早まって、スズメたちが古古米をつつきに来なくなった。
何から何まで自分の人生(・・って、たかが知れてるけどね・・)で経験のないほどの猛暑だった。

冬は記憶に無いほどの極寒で、夏は未経験の猛暑・・・
地球の異常のせいだけでもないだろうが、この最近、人間社会でやたらと〇〇ハラスメントが賑わっている。
私の好きなウディ・アレンさんも、映画業界のハラスメント加害者だと告発が続いて、今は出演辞退の役者多発で映画製作が出来ないまま監督引退状態になっているそうだ。
この、ハラスメントというやつは、人間社会だけでなくて世の中の生き物全ての生態社会に存在していて、永遠にゼロと消えて無くなることは無い問題だと思っている。
力関係の強弱とか上下とか大小とか・・色々な場面で、同等対峙のバランスが崩れた瞬間にコトが生じ、やがて時間の経過の中で認識や解釈の相違が深まって発酵した先にハラスメント的定義付けが何処からともなく湧き出してくるもののように思う。
人間以外の動物や植物は嘘の無いコミュニティーであるから、同等対峙のバランスが崩れた時点ですでに関係機能の修復は不可能とお互いが悟る。そういう残酷な潔さが環境の循環を支えているのだと思う。
人間は、とにかく数え切れないほど複雑で様々な思考回路を持っていて、その多様性の絡み合いの中で様々に生き残りを工夫して共存しているから、頭では分かっていても、心情的であったり主観的であったりすることの振り幅や客観的認識の相違とか、時間軸の誤差の許容認識の相違とかでハラスメントの質量も違ってしまって色々とややこしいことになってしまう気もする。

とにかく、人間界におけるハラスメントの認識許容解釈は1000年100年前や50年前の常識も、10年5年前や昨日今日の常識だって一瞬先は通用しない現実がある。そういう、常に変化変態し対峙の中道が揺れ動いている事象に対して今の人間はあまりにも即物的で短絡的でありすぎる。一つ一つの事象においては、その現実と真摯に向き合って自戒を受け入れることが、人間として一大事なことで、その人の持つ技量とか才能とか特異性とか、そういう努力して培われ磨かれる能力にまで踏み込んで包括してハラスメントの網をかけてしまうことはあまりにも早計すぎる。ハラスメント事案と当事者の実績や経験値の深浅を軽々しくイコールにして混同した社会的制裁は慎むべきことだと、私は思う。

改めて冷静に自分自身の過去を振り返ると、この歳になるまで数限りないほどのパワーとかセクシャルとかモラルとか様々なハラスメントの加害者であり被害者であり続けてきたし、これからもそういう事案にゼロであり続ける自信など全く無い。とにかく、今の自分にできそうなことというと、まずは自ら対峙の耐性を鍛えることくらいだろうか・・

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仕合せ 

2018/08/30
Thu. 23:02

ロサンゼルス滞在中のノッチは、太平洋の遥か彼方「ニッポン!」に思いを馳せながらサンタモニカ散策中・・・のようであります・・・と、吉田家SNSストーカーオヤジは、テレビも新聞も見ないでセッセとWebメディアから世界の情報を収集している。

単身赴任坊主から通勤坊主に切り替えて、これから彫刻家の毎日を送ることになる。
このところ、年ごとに体調や気持ちの切り替えに時間を要するようになって、そのための時間の無駄を少しでも埋めようとアレコレ考えた結果、まずは寺暮らしで落ち着かないまま遠ざかっていた読書や映画や音楽の趣味を修復することにした。
彫刻を造っていると「それは、趣味ですか?」とか「いい趣味お持ちですなぁ~」とか「趣味で売れるんですか?」とか、ボクの周辺事情ではだいたい「彫刻」を「趣味の一つ」として認識されてしまうことが多い。
そういうことに、一々具体的な反論をぶち上げても途端に白けて場の空気が淀んで濁ってしまいそうだから、だいたいがニコニコと若干引きつって目は笑わない微笑を返して乗り切ることにしている。
その彫刻のことも、1ヶ月以上工場や制作から遠ざかっていると、気付かない間に彫刻用の思考回路が無駄に複雑に絡まって、シンプルな純粋さが損なわれてしまっている。
それでドタバタと身体ばかり動かしていても、結局材料も感覚も技術も時間も、それに乏しい体力も精神力も持続力も集中力も・・・彫刻制作に欠かせない大事なものをいっぱい無駄にするばかり・・・だから、とにかくひとまずは自分にとって気になる情報やデータをコツコツと収集することと身辺整理を徹底して周辺の垢や埃や汚れをできるだけ排除することに努力する。

吉田家で暮らしていると、ワイフの世界観が生活のアチコチに満ちあふれていて、これは、ボクなりの世界観とはかなりズレているところがある。
堅っ苦しく云うと生活信条の相違と云うやつだ。
そもそも、暮らしも環境も違った人生を20年以上それぞれに過ごした二人がある日出逢って結婚して同居を始めたわけだから、それ以降はお互いにそれぞれ不可触領域をわきまえて踏み込みすぎないように遠慮を工夫しながら共同生活を維持することが重要だ。
そういう現状をわきまえて身辺整理をするとなると、自分にとっては必要のないものでも彼女にとってはとても大事なものであったりすることも多々存在するわけだ。
実際、吉田家のアチコチでそういうものがゴロゴロ転がっていても、個人の判断で簡単に取扱うことは出来ないし、なかなか難しいものだ。

夏休み中だったワイフが仕事に復帰した。出勤前の朝の1時間位は彼女のペースで色々なことが過ぎていく。私はできるだけそれを邪魔しないように「おはよう!」とか「いってらっしゃ~い!」とか、必要最小限の会話を挟んで極力気配を消して過ごす。
子供たちが独立して、出逢った頃の二人暮らしが戻った今だから、お互いの価値観の相違を自覚しつつ、且つ尊重しながら暮らすことが「仕合せ」なことだ。
仕合せは、あくまで「仕え(Service)」合うことであって、「幸福(Happiness)」のことじゃないのだ!・・・と思えば、何も苦にならないな・・ボクは!

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ボクのスイッチ 

2018/08/28
Tue. 23:06

通勤坊主があたりまえになって、石見銀山と飯南高原を毎日のように往復していると、銀くんと一緒にいる時間が、ある意味瞑想タイムになっているようなところもあって、それはそれでボクのスイッチを切り替える貴重な時間に思えるようになった。

丁度、お盆が一段落して鉄板の搬入も終わったし、坊主から彫刻へ気持ちを切り替える良い頃合いと思っていたら、アチコチから法事の電話が入りはじめて、スケジュールの調整が難しくなりはじめた。
基本的に、私のようなお檀家さんも少ない田舎の小さな山寺の住職は昔ながらの檀家優先システムを継承するアナタ次第の受動的職業であるから、今日の明日で「父親の〇〇回忌よろしくおねがいしますけぇ〜〜」なんて電話が前触れもなくかかってきたりすると、もうその時点で予定の彫刻スケジュールがボロボロに崩れ去ってしまう。
先日の万善寺役員会でも、結局は先代住職時代から継承された万善寺システムがそのまま繰り返されることになって、新規事業や運営改革の話題を挟む隙間もなかった。
「方丈はそう云われますが、それで誰が誰にどうする云われても、ダレも『じゃぁそぉ〜しましょぉ〜!』と引き受けるようなものはおりませんでぇ〜」・・・で、話が〆切られて、あとはさり気なく世間話で流されてしまう。
そんな役員会も、忘れられないうちに時々集まっておいてもらわないといけなかったりして、会議嫌いの自分としては余計に気持ちが滅入ってしまう。

彫刻の方も、銀くんとの通勤道中で脳内ドローイングが繰り返されて、煮詰まりすぎて焦げてしまうほどになってしまった。
幾つかのテーマをそれぞれ別々に気持ちを切り替えながら組み立てていたものが、知らない間にくっついたりはなれたりを繰り返して収集がつかなくなった。元々が、かたちのシンプルを極める方向でつくることを意識していることが多いから、幾つかの「シンプル」が混ざり合ってしまうと、自分の造形のコンセプトがとんでもない方向へソレてしまう。
坊主家業にしても、彫刻の制作にしても、もっと基本を見直して、自分に出来ることをコツコツと積み重ねることが大事なことだと、今更ながらに思う。誰にでも出来ることなら誰かに任せれば良いことだし、今の自分の環境で出来ることもあれば出来ないこともあるから、それを精査することも大事なことだ。
気が付かないあいだに、自分の気持が曖昧に揺らいでしまっていた気がする。

バンデッドQ(原題はTime Bandits)という映画があった。今までに4回ほどは観た記憶がある。全体の映像が暗いから、明るい部屋ではナニが何やら細かいところがよくわからなくて、それこそ「白けてしまう」ような癖っぽい映画なのだが、ボク的にはとても面白いと今でも思っている。バンデットとは盗人という意味らしい。映画はまさにそういう連中のお話だが邦題の「Q」にどういう意味があるのかは未だにわからないままだ。
イギリスグループclean banditが久しぶりに聴きたくなってプレイリストをつくった。
10曲も連続して聴くと「あとは1週間聴かなくてもいいかな?」と思ったりするが、キャッチーでシンプルな奥深さがあって、たまにのめり込んでしまう。
明日はワイフの誕生日!・・・気持ちを切り替えるには丁度良い1日になりそうだ・・・

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大往生 

2018/08/21
Tue. 23:29

珍しくワイフの方から電話が入った。
朝もまだ早いときで、目は覚めていたがダラダラとしていた。

本堂の荘厳はまだ片付かないでいる。
庫裏のゴザ座布団もひとまず用済みだから日干しをして片付けることになる。
夏の大衣も洗濯できるものはひと夏に染み込んだ汗を流してウコンに包んで片付けはじめた。
そんなことをしながら、三度の食事をつくって食べて使った食器などを洗ってシンクを掃除して・・・などと、施食会が終わってから連日似たような暮らしをしながら、供養法要へ出かけたりしている。
そういうボクの住職スケジュールをだいたい心得ているはずのワイフが珍しく早朝に電話をしてきたということは、あまり良い知らせではないだろうと直感したが、やはりそれが当たっていた。
石見銀山で20年ほど生活衣料雑貨会社の営繕担当に従事していた職人の親父さんが死んだそうだ。

享年78歳の親父さんは、大工左官仕事から、指物修理、庭つくりまで何でも一人でこなす便利職人の鏡のようなひとだった。
私も、彫刻のことや個展の展覧会のことなどでずいぶんお世話になったし、時には一緒に仕事をしたこともある。
センスが良いというより、素材をよく知っていることと、感の良さでダレがドコにナニを求めているかを絶妙のサジ加減でくみとってかたちに置き換える技は、他に真似のできる者がいなかった。
基本的に一匹狼の自分の腕だけを頼りに自己完結型の職人さんだったから、だいたいのことは一人で飲み込んで手際よく段取りを組み立ててコツコツと仕事に仕立てていた。
私も、彼と似たようなところがあって、なんでもだいたい一人でコトを済ます方だから彼の才能をもったいないと思っていて、一緒に仕事をしている時「いつまでも若いわけじゃないから、そろそろ下を育てることも考えて良いんじゃない?」と、でしゃばったことを云ったことがある。
なんとなくわかったふうな顔つきで頷いてはいたが、たぶん、そのつもりはないだろうとわかる気もして、それ以来、そういうふうな話題を封印した。

生粋の職人さんだったと改めて思う。
数多くの彼のコピーをそれらしく再現することは出来るだろうが、彼のようにゼロから工夫して造り出すことはなかなか出来るものでもない。
今年に入って一気に病気が進行して改善が望めないまま最後は病院での治療を切り上げて自宅療養に切り替えたそうだ。今の時代、我が家の畳の上で死ねるなどなかなかありそうで無いことだ。
私個人の気持ちはいろいろ複雑ではあるが、彼は幸せな人生を全うし、それなりに最後まで頑固に元気でかっこよく逝った大往生だったと、坊主的にはそう思う。

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2019-06