工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

カラッポの意味 

2017/06/14
Wed. 23:27

「地球は、なんと醜い星なんだ!海も山も生命で満ち溢れているではないか・・・」
みたいなことが書いてあった、ある小説家のある長編?小説を読んでいて、「なるほどな!」と納得したことがあった。
・・・さて、何時ぐらいのことだっただろう・・・
今は、その「ある小説家」は「たぶん、あの人だったよなぁ〜」と、チョット心当りがある気もするが、なんとなくそう思っているだけで確証はない。そんなことだから、「ある長編?小説」となると、まったく記憶になくて、それが果たして長編だったかどうかも曖昧だ。
とにかく、確かに、「地球という星を、そういう見方で認識することも出来るな!」と、実に素直に、納得できた自分がいたということだけは事実だ。

これも、出典は全く記憶にないが・・・
「器は、カラッポであるということに意味があるのだよ。カラッポであるから、器として機能するのだよ」と、「器」が定義付けてあったその一節をよく覚えている。正確な記憶ではないから、言葉なり文章なりの言い回しは違っているが、だいたいそのような内容の言い回しであったように思う。

憲正さんの3回忌と、俊江さんの納骨と、それに、少し早いが俊江さんの百ヶ日を一つにまとめた法事に向けての準備が、約2ヶ月半の期間ひたすら続いて、やっとその法事当日が直前に迫ってきた。
まさか、1日で始まって終わる年回法事に、これだけ長期間の準備が必要だとは思ってもいなかった。
準備といっても、その約90%は庫裏とその周辺の片付けと営繕作業に費やされた。
今現在も、万善寺二十三世住職である自分の思い描く空間には程遠い状態が続いていて、環境整備が収束するまでに、最低でも概ね2年は必要だと予測している。

本堂の方は、憲正さん遷化以降、2年かけて少しずつ整理を進めていて、あとは、時期を見て仏具什器の撥遣をして、まとめてお焚きあげをすることができれば、ひとまずは落ち着く。
庫裏の方は、なかなかそう簡単にはいかなくて、俊江さんの嫁入り以来、ピクリとも動かないで鎮座したまま老朽した箪笥の撤去からスタートしないと、次の作業に移れないし、数少ない押し入れには、生前の二人分の品物があふれかえるほどに詰め込まれていて収納の用を成さない状態だし、床や畳の敷物を上げると、その下は腐れが進んで手のつけようもない状態になっていたり・・・などなど、次々に発見される障害の数々に圧倒される数ヶ月であった。
先日も、積年のホコリや汚れを雑巾掛けして磨きあげて、やっと見た目もマシになったと思っていた板の間の床を自分で踏み抜いてしまった。
掃除をしてキレイにしているのか、家のアチコチを壊して歩いているのか訳がわからなくなってきた。
何もないこと、カラッポであることの本意を身をもって感じている今日此頃である。

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如山林中花 

2017/06/12
Mon. 23:30

如瓶鉢中花(へいはつのなかのはなのごとし)
如盆檻中花(ぼんかんのなかのはなのごとし)
如山林中花(さんりんのなかのはなのごとし)
・・・その人の人物としての技量度量人徳の大きさ深さを花に例えて示したものだ。

ザックリいうと、今から400年ほど前に万善寺へ臨済宗の方丈さんが晋山された。
その後、二世の代に本寺が曹洞宗へ改宗したことに合わせて万善寺も曹洞宗になった。
ちょうどその頃、中国は明の時代。儒教道教仏教の三教の壁を超えた持論を「菜根譚」にまとめたのが洪自誠さんだった。前記の言葉が、その菜根譚の一節。

吉田家長女のなっちゃんが、この度の法事へ都合をつけて帰ってくれることになった。
なっちゃんの名前には「菜」の字を使った。打ち明けると、色々な意味がその一字へ含まれていて、たとえばその一つが菜根譚からいただいたものである。そういうこともあって、彼女の就職が決まった時に、単行本仕様の菜根譚を奮発してプレゼントした。「あれ、読んでるかい?」と聞いてみたら、「なにそれ?」と返ってきて、どうも読んでいないようであった。どうせそんなことで、昼寝の枕代わりにもなっていないだろうと思っていたが、その通りの様子だった。まだ、20代の若さに洪自誠さんの境地を望むのも酷なことかもしれない。

島根で暮らしていると、若い美術家に巡り合うことが少ない・・というより、ほぼ無いことだから、気がつけば、何かのきっかけとか出会いとかを求めていたりすることがあって、たとえば、大学の卒業制作展とか、高校の美術展とか部展とかそういう情報にパクリと食いついて、できるだけ時間を調整して出かけるようにしている。
彼らのほとんどは社会人になるとひとまず制作から手を引いてタダのヒトになってしまうようだが、それでも何人かは仕事をしながら地道に制作を続けていたりする。

今年の春先に倉敷児島へ彫刻を展示させてもらった時も、そういう若い制作者の一人と一緒に作品展示することになった。
彼女は、島根県大田市富山町の「とみやま彫刻フィールドアートワーク」へ個展参加もしてくれていて、その時の教室展示がとても面白くて、次の展開を期待していたから、倉敷がどういう構成の展示になるか楽しみだった。
結果、空間に溶け込むような浮遊感がとみやま以上の表現になっていて、造形の構成が少し前進したふうに感じた。

学生時代の研究制作は、ある意味ハウス栽培の野菜のようなもので、粒も揃ってソコソコ美味しいが、ハウスの中でしか旨く育たなかったりする。自力でコツコツ制作を続ける経験の浅い若い作家は、鉢植えで育てる野菜のようなもので、誰かがこまめに水やりなどしてやらないと収穫までに枯れてしまう。地物の露地野菜は、そのままにしておくとトウが立って花が咲いて、種まで出来てそれが落ちて、翌年の時期になると気づけばオノレバエで新芽が出ていたりする。旨いかどうかは別にして、劣悪な環境を凌ぐ逞しさが良いな!

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ボクの円グラフ 

2017/06/09
Fri. 23:22

万善寺の法事も近づいて、毎日がアッという間に過ぎる。
梅雨に入って何時雨が降り出すかわからないから、少しでも条件のいい時を有効に活用しないと、仕事の積み残しが出てしまう。
例年だと、4月に入ってから2回位は草刈りをしている富山の彫刻周辺を、今年は一回も草刈りできないでいる。
タイミングの問題もあるが、やはり憲正さん3回忌に向けての墓地整備とか、俊江さんの納骨のこととか、吉田家内の各種事情が重なって、どうしてもそちらを優先する毎日が過ぎてしまった。

しばらく雨の降らない時期があったから、彫刻周りの草も水気が減って芯が強くなって葉や茎がかなり固くなってしまっただろう。
富山も5月以来ご無沙汰だから、今のうちに草刈りだけは終わらせたいと思っていて、先日からチップ刃用とナイロン刃用の2機の草刈り機を結界くんに積み込んでいる。
富山周辺は曲がった道が多くて強いカーブを曲る度に、5Lの混合油缶がリヤデッキでガラガラ音をたてて少々うるさい。

アクティビティをチェックしたら、草刈り機を振り回した日はやたらとエクササイズの数値が伸びている。
3つのカテゴリーすべてが一回転していて、エクササイズなど2回転を過ぎて3回転目に回り込んだりしている。草刈り機を振り回す同じ動きが延々と続くせいなのだろう。
カロリーの消費もけっこうあるし、立ち動いている時間も多い。
歩数計を見ると、草刈りの範囲が多かったか少なかったかが正直にわかる。
万善寺の境内地は狭いから平地を広範囲に動き回るというより、坂や石垣など斜面の草刈りが多い。富山の方は田んぼの耕作放棄地だったり、住居跡の平地だったりするところへ彫刻を設置してあるから、当然草刈り範囲も広がって動き回る量も増える。

AppleWatchを腕に装着するようになってからその日やその週やその月の自分の動きを客観的なデータで確認するような事が増えて、このところそれが習慣になりつつある。
今年の5月など、ほぼ連日動き回っていて、ゆっくり休日を過ごすような状態ではなかった。感覚的には、デスクワークも停滞しているし、彫刻やクラフトの制作もご無沙汰しているし、万善寺の法事など1ヶ月で2つくらいしか無かったし、暇に怠けてばかりいたふうに思っていたが、円グラフや数値を見るととても怠けて暮らしているように思えない。

「どうせそのうち飽きてしまうだろう」と自分を信用出来ないまま、こうしてダラダラとマニアックなブログを書き続けていたら、何故かそれがいまだに続いている。
毎日自分勝手に暮らしているから、必要に迫られて何処かの誰かと会話をする必要もないし、のんびりしたものだが、それでも何かしら自分の心が乱れて落ち着かないこともあるから、ブログの書き込みはチョットしたガス抜きにもなっていて都合がいいのだろう。
AppleWatchが勝手にボクのデータを集計して、その時々の自分が客観的記録に残る・・ということが、今の自分にはとても新鮮に感じているところだ。

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5月のアクティビティ 

2017/06/05
Mon. 23:11

AppleWatchを買ったのは、自分への誕生日プレゼントと、結婚記念日の記念品と、35年間私のワガママに付き合ってくれたワイフへの慰労と、吉田家の4人の子供たちすべてが社会人になってひとまず子育てが修了した祝を兼ねたものだ。
これだけ色々なアレコレを無理矢理くっつけて一つにまとめて済ますことはオキテヤブリかも知れないが、最近の2〜3の年回法事をまとめて1つの法事で済ませてしまうような檀家さん方のやり方にいつの間にか染まってしまったのかもしれない・・などと、自分の行為を正当化してしまったりしている。

AppleWatchのことは、その情報が流れ始めたときから気になっていた。
まだ2年も経っていないが、以前使っていたノキアがどうにもこうにも動かなくなってdocomoに駆け込んだら、「すでに生産していない商品ですので、お客様のご要望には添えかねます」とアッサリ見捨てられてしまった時に、渋々と買い替えたのが当時の携帯電話で一番小さかったiPhone5sだった。
それ以来、少しずつiPhoneの使い方に慣れてきて、そうするうちにAppleWatchとの連携のことが気になりはじめて、比較的クールにそういう情報を収集しつつ静観していた。
そういう時に、吉田家の記念すべき幾つかの出来事が集まり始め、その上、俊江さんの死亡もあって、色々なことが何かの形になって記憶されることも良いかもしれないと思いはじめて夫婦揃っての購入に至ったわけだ。

たぶん、AppleWatchがタダの時計だったら、未だに魅力を感じないまま買わないで過ぎているだろう。
私が腕時計を腕から放棄したのは島根県へUターンしてしばらくしてからのことだった。
最初の時計はシチズンの自動巻きスレンテスベルトを俊江さんのお父さんで私のおじいちゃんから高校入学祝いにプレゼントされたものだった。その時計は、高校3年間私の腕で動き続け、一緒に上京してからも故障なく動いてくれていたが、大学に合格して、その春の新入生歓迎会の夜に大学から上野駅までの何処かで落として失くしてしまった。
私にとっては、おじいちゃんの思い出がいっぱい詰まった時計だったからなかなか諦めきれないままお盆の棚経を手伝いに帰省した時、憲正さんに腕時計をしていないことを発見された。正直に事の経緯を話したら、お盆を過ぎて学業へ帰る時に、寺の近所の時計屋さんでその時流行していたセイコーの時計を買ってくれた。とても申し訳ないまま、有難く頂いてそれからUターンして島根に帰って壊れて動かなくなるまで約10年間使い続けた。壊れてからしばらくそのままで暮らしていたらいつの間にか腕時計が無くても気にならなくなって、それから数年して携帯電話を持つようになって、時間はそれがあれば用が足りて不便を感じない暮らしが続いた。

もう、自分と四六時中行動をともにする機械は携帯電話に切り替わっていて、生涯腕時計とは縁がないだろうと、今でも思っている。
私にとってのAppleWatchは、iPhoneの延長の便利グッズのようなもので、時計とは思っていない。
おじいちゃんと憲正さんにもらった腕時計は自分の思い出の中で今でも動いている。

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季節のかわりめ 

2017/05/20
Sat. 21:28

早朝、寒くて眼が覚めた。
珍しく、1日に2つの法事が入ったので、7時過ぎには石見銀山を出発した。
銀山街道の温度計は14℃だった。日陰であるとか、風当たりが強いとか、設置条件で多少の誤差はあるだろうが、とにかく肌寒い。
万善寺の玄関を開けると、室内で一晩冷やされた空気が一気に流れ出た。
そろそろ衣替えも近いので、夏衣を準備しておかなければいけないと一瞬思っていたが、この冷え込みでその気も失せた。

墨を摺って、午前中の7回忌の塔婆を書いた。
俊江さんの葬儀のとき以来、愛用の筆が何処かへまぎれてまだ見つからない。ボクはヨレヨレの下手な文字しか書けないから、とにかく筆との相性が合わないと困ってしまう。このまま見つからなければ、新調するしか無い。
その、見つからない筆は、たしかユザワヤの日本画用品コーナーで見つけたものだったはずだ。書道でも使えるが、どちらかといえば水墨画用の筆だったように覚えている。
結局は、自分の下手な字を筆のせいにして逃げているだけのことなのだが、改まって書道の稽古をするほど心の余裕もない。

法事でお経を読んでいると、急に身体が火照って汗ばんできて、なにやら動悸も激しくなった気もしてきた。なんとなく調子の出ないまま法事を済ませてお墓参りをした。
施主家の庭に立つと強い陽射しで汗が吹き出した。どうやら、お昼前になって一気に気温が上昇したらしい。
お斎を頂いて、一旦寺へ帰って、お昼からの法事の塔婆を書いた。
施主家へ移動中、国道にある温度計は28℃だった。朝から数時間の間に10℃以上も気温が上がっている。世間は、初夏を通り過ぎて真夏になってしまったふうだ。法事の中休みでは、みんなで「暑い暑い」の連呼になった。
夕方になって寺へ帰って玄関を開けると、中からヒンヤリした空気が流れ出て気持ちがいい。朝のうちは室内の冷たい空気で震え上がり、夕方はその冷たさを有難がって、まったく、修行の足らないナンチャッテ坊主は身勝手なものだ。

保賀の上組集落へ配り物をして、その足で石見銀山へ移動した。
玄関の土間でネコチャンズが鳴いている。
クロはいつものことだが、珍しくシロがやたらと甘えて擦り寄ってくる。抱き上げて頬ずりしてやったら、いつもは嫌がるのにゴロゴロしがみついてきた。こういうシロはめったにないから、抱きながらしばらくブラッシングしてやった。珍しく気持ちよさそうにして、嫌がりもしない。
元々野良猫だったシロは銀杏目をした折り紙つきの雑種猫である。毛並みが面白くて、羽毛のようなまっ白の産毛と、毛先だけに色がついている少し長めの柔らかい猫っ毛の二重構造になっている。
ブラッシングで集まった抜け毛はシロにしか見えない。
ネコも夏毛になる頃だし、人間も衣替えのシーズンになった。

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草衣の心 

2017/05/13
Sat. 23:52

たぶん、こういうめぐり合わせなのだろう・・・
思い返すと、今年に入って限りなく専業坊主に近い暮らしが続いている。
万善寺くらいの寺で専業坊主は、ほとんど無収入に近くて、圧倒的に支出が増えて、完全に赤字の運営が続く。

まだ副住職で兼業坊主だった頃、だいたい一つの寺を専業で運営維持できるのは最低200軒のお檀家さんが必要だと、どこかの同業から聞いたことがある。
住職を引き継ぐとき、本来「晋山式(しんざんしき)」なる住職交代の大法要を挙行し、檀家を始め地域の皆様や、組寺、法類寺等へ随喜手伝いをいただきながら広く告知して新命の任につく。
先代の憲正さんは、こういう坊主人生一生の大行事を、昭和26年頃に行っていて、本堂の書類を整理している時にそのアルバムを発見した。
万善寺の小さな本堂の前で撮影された記念写真は、随喜坊主、檀家衆、可愛らしい稚児さん、その他地域の皆様総勢200名ほどが憲正さんを中央に神妙な顔で写っている。
それから半世紀以上過ぎた現在、正純の晋山式など夢のまた夢のことになって今に至っている。
先ごろ遷化された大方丈様のお弟子様が、5月の末に晋山式をもって晴れて先代を引き継ぎご住職になられる。
私も、その寺の法類寺で随喜することになる。
さて、そのお寺でどのくらいのお参りになるか・・・

昨年からお話を頂いて1ヶ月に2回ほど通わせていただくことになった全寮制キリスト教系の高校へ行ってきた。
今年は3人の生徒が美術を選択して、2回めの授業ともいえないような授業をすませた。
「それでは、もう終わりの時間がきたようで・・・」などと、神妙な顔で授業をまとめ始めたら、その3人の生徒と、担当の先生が「♪Happy Birthday〜〜♫」と歌い始めた。
そういえば、昨年も4月の最後の授業が終わった時に校舎の生徒昇降口へ呼び出されて全校生徒から祝福の歌を頂き、代表から寄せ書きを頂いた。
授業が終わって、美術小屋の教室で突然に祝福の歌が始まった時は少々驚いたが、3人の生徒から全校生徒を代表して今年も同じように寄せ書きも頂いた。

古キャンバスの絵に紙やすりをかけて、古い油絵の具で下地を描き足した。
この油彩の授業に向けて、万善寺から私の40年前の油絵の具と50年前のパレットや油壺を持参した。まさか、半世紀も過ぎて自分の使っていた昔の油彩道具が再生しようとは思ってもいなかった。憲正さんと俊江さんが大事に捨てないでおいてくれた御陰がこういう時に役立った。二人がモノに託した思い出は、かなり老朽して見た目はボロボロで汚れきっていてもシッカリと役にたってくれている。

キリスト様の祝福を得たナンチャッテ坊主はとても幸せな気持ちになれた。
「草衣心似月」の境地とはこう云うことなのかもしれない。ふと、そう感じた。

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目に見える記憶 

2017/04/25
Tue. 18:47

万善寺のある行政区のゴミ処理場は、午後3時で一般受付がクローズする。
たぶん、そのくらいに締め切らないと分別作業をその日のうちに終わらせることが出来ないからなのだろう。
最初に万善寺の積年のゴミを搬入した時に、受付のご婦人が印刷物を2〜3枚用意して丁寧に分別のことや搬入受付のことなどを解説してくれた。
それで、午後の3時までに搬入することは承知していたのだが、庫裏の玄関先で欲を出して「もう少し、あと少し、あれも積んで、これも積めるな・・」などとモタモタしていたらどんどん時間が過ぎて、法定速度ギリギリで滑り込みセーフかアウトか微妙なタイミングになってしまった。
頓原中学校前の四つ角までスムーズに走っていたのに、そこの信号で捕まってしまった。
2台前には町内の循環バスがマッタリ走っていて、それが町並みへそれるまでやたらと無駄に時間が過ぎた。
ゴミ処理場の受付へ右折しようとしたら、すでにロープが張ってあって進入禁止。
3:02でありました・・・

もう、10回近くゴミの搬入をしているから、そろそろ受付のご婦人や作業の職員の皆さんに顔を覚えられるようになった。
タイムアウトのゴミを朝一番に搬入して、それから午前中に3回往復した。
お昼を過ぎたあたりから雲行きが怪しくなって、風も強くなってきた。
この様子だと、「風がやんだら雨になるだろう」と思っているうちに土砂降りになった。

仏教では「執着」と書いて「しゅうじゃく」という。
お釈迦様は、執着は修行の妨げになるからそういう気持ちを捨てろと力説された。
一方、執着は良い意味に解釈されることも結構あったりするので、自分の気持のゆらぎを都合よく言い訳してどうにかうまい具合に正当化して乗り切ることも出来てしまう。
このあたりの主観的な立ち位置がなかなか曖昧だったりして、万善寺でも先代夫婦と私の間で数え切れないほどのイザコザがあった。
結局、私のほうが一歩も二歩も身を引いて、老夫婦の暮らしぶりを見て見ぬふりして無理な諍いをなくす方向で付き合ってきた。

昭和の初期から戦中戦後の生活苦を体験した彼らは、モノを捨てるという感覚より、モノを大事にするという感覚で日常の暮らしが機能していたのだろう。
さまざまな「モノ」に託された彼らの「思い出」とか「記録」は彼らにとって具体的に「目に見える記憶」としてある種の宝物になるほど昇華し、捨てるという行為が日常の暮らしの選択肢から完全に削除されたまま半世紀が過ぎていったのだろう。

彼らの「捨てられない気持ち」の呪縛に絡まりながら、ひたすら断捨離を続ける自分は、一方で彼らの「目に見える記憶」を捨てていることにもなる。
見える記憶は忘れることもあるだろうが、心に刻まれた記憶はいつでも鮮明に思い出すことが出来る。私はそれで十分だと思っている。

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桜満開 

2017/04/10
Mon. 23:02

「桜って、なにか特別にキレイよね。こんな感じ他にはないよね・・」
銀山街道のすぐ脇にある枝垂れ桜の枯木が満開になった。

私は、毎年その枝垂れ桜の下を何往復も繰り返し走りながら、蕾の頃から満開になってやがて散り終わって葉桜に変わるまで見てきているが、ワイフの方は、この時期に万善寺の用事が重なることもないので、よほど運が良くないと満開の枝垂れ桜を見ることもない。
今年は、3月末から延々と続いている万善寺の家財断捨離に付き合ってくれることが増えて、たまたま桜の満開に遭遇したわけだ。

ワイフと二人の時は、どちらかといえば私のほうが良くしゃべっていると思う。
日常の吉田家では比較的寡黙で無口な方のワイフが、自分の感想を感慨深げに語ることも珍しい。
4人の子供たちが成人して、それぞれ独り立ちして吉田家を離れてから、数十年ぶりに夫婦二人の暮らしが戻ってきた。
結婚して長男のじゅん君が産まれるまでのだいたい3〜4年くらいの若かった頃の二人暮らし以来になる。
それに、先日の私の母親の死亡で嫁の役目も完了して、やっと吉田家コミュニティーのトップに立った。

万善寺の庫裏を片付けていると、憲正さん夫婦の長年の思い出が彼方此方から次々に出てくる。
彼らが結婚した時は、憲正さんの母親が庫裏に同居していただけで、その母親も孫である私の顔を見て10年と経たないうちに他界した。
その後の憲正さん夫婦は、半世紀近くの期間、何から何まで自分たちの思い通りに万善寺を切り盛りして経営することが出来た。
そのことを思うと、我々夫婦はどう頑張ってもせいぜいこれから20年程度しか万善寺の主導を得ることが無い。
住職とその妻の立場で我々に出来ることというと、先代までの過去に溜まり積もった数々のムダを整理して、スッキリとシンプルな状態に整えるくらいしか用がない。
今は特にこれと言って自分たちの名が残るような寺の経営企画など思いつくことも無いし、かといって漫然として仏事を流す程度では生きていけないし、なかなか難しい。

やっと夫婦の二人暮らしが戻ってきたというのに、こういう状態だから先々思い悩むことが尽きない。
甲斐性のないオヤジは、自分のやりたいことばかり優先して、とにかくワイフに苦労ばかりかけている。
一度しかない人生だから、後悔しない毎日を丁寧に積み重ねようと思うようになってきた。
そろそろ、目先の具体なものに思い出を託して溜め込むばかりのチープな暮らしからオサラバする時期でもあるのだろう。

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石見銀山の朝 

2017/04/07
Fri. 21:51

生来の怠け者だから何かしなければいけない事を始めるまで、なかなか心身のエンジンがかからない。
暖気運転で少しずつやる気を引き出して目先のアレコレに取り掛かるのだが、やっといい感じで仕事が回転し始める頃に限って電話がかかってきたり認印の必要な郵便物が配達されたり集金の誰かがやってきたり、その上、自由気ままで身勝手なクロがチョッカイを出してきたり人見知りのシロが珍しく擦り寄ってきたりと、とにかく自分の周辺が落ち着かないまま1日が過ぎる。

母親の葬儀から1週間が過ぎた。
その間、毎日があまりにも早くに過ぎて消えてしまうから、自分の仕事や用事がどんどん後に回ってしまう。大なり小なり肉親の死に別れが精神のダメージを誘うものだと気持ちでは解っているつもりだが、自分の現実となると日々感傷に浸って鬱々としている暇もないほど眼前の客観的事実に責められる。
やはり、世間の他人はそういうもので、他人(ひと)の都合より自分の都合を優先する。

寺での法事が迫っているから、とにかくそれまでに見た目だけでも小奇麗にして平静を取り繕っておかないといけないし、毎日朝から夕方まで食事も忘れて立ち働いていたら、調子の悪い膝がみるみる動かなくなって、階段の昇り降りで膝を曲げる度に激痛が走るようになってきた。
早めに仏壇用の位牌を作っておかないと四十九日に間に合わないから、約45分かけて仏具屋さんまで走った。
「この度は突然のことで・・・」などと形ばかりのお悔やみを頂いた後早速位牌作成の商談に入った。
事務的に粛々と進む会話がとにかく空虚だ。

仏教では四苦八苦の教えがある。
この度の、母親との別れはそれの一つ「愛別離苦」に該当すると云っていいだろう。
これも、自分の人生で避けて通ることの出来ない当然の根本だということは商売柄十分承知していることだが、それが我が身のこととなるとやはりどこかしら気にかかることもあって、素直にゴクリと飲み込むことも難しいところがある。
見た目にはクールに平静を装っていても内心は結構深刻なダメージを受けていたりする。
こういう時になると「自分の人生は、果たして幸せなのだろうか?」などとふと考え始めたりする。
それこそそのことでとろけた脳みそが飽和状態になって大事な仕事の思考システムが断続的にフリーズして何度となく再起動して気持ちを切り替えたりする。

自分の事情は抜きにして、毎日世間は世間の事情で絶え間なく動き続けている。
一方で、とても辛くて心の支えがポキリと折れてしまいそうなときもあるが、とにかく踏ん張るしか無い。
石見銀山の朝は、いやに生暖かくて霧に包まれていた。

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ブッチャケ話し 

2017/04/04
Tue. 23:40

キーポンの国民年金未払いで督促状が来たのは3月の頃だった。
気にはなっていたが、そのままにしておいた結果の督促だ。
この国民年金なるもののシステムが具体的にあまり良く頭に入ってこないから、数年前の自分の時もギリギリになって出雲の年金機構の窓口へ直接出向いて職員の説明を聴きながらイマイチ納得も理解も出来ないまま必要な書類を記入したりした記憶がある。

11月の誕生日でめでたく20歳になったキーポンは、その時から年金の支払い義務が生じて、必要な手続きもしないまま5ヶ月未納分が自動的に溜まって5〜6万円くらいになっているようだった。
そもそも、キーポン本人が年金をもらえる年齢になった時に、今の年金システムがそのまま彼女に適応されるかそれ自体が曖昧なものだと思うから、職員に私の気持ちをブッチャケダイレクトに伝えた。
「20歳になってから5ヶ月分が溜まっているようですが、未納のままにしておいても、結局はその未納分が差し引かれるだけのことでしょう?」
「それはそれは、ご成人おめでとうございます!」
「4月から就職も決まって、その後は厚生年金で処理されるはずですから、結局それも自分のことだし5ヶ月分くらいはそのままにしておいても問題ないでしょう。年金をもらえるようになって、国民年金だぁ厚生年金だぁ申請の書類が増えて面倒になるだけで、自分の時も結構それで大事な時間つぶしましたからね」
「それはそれは、ご就職おめでとうございます!」
・・・まったく、食えないオヤジだ・・・

そんなわけで、学歴証明書なるものを提出しておけば、それで未払いを書面上正当化して証拠資料の保存ということで黙認してあげよう・・という、都合のいいシステムが出来上がっているようだ。
内心、「やっぱりこういう手があったか・・」と納得しつつ、督促状の過激な脅し文句につられて慌てる20歳とその親が全国にどれだけいるのだろうと、ムカツキつつ、満面の笑顔をキッチリ造って「どうもありがとうございましたァ〜、やっぱり、こういうことは窓口で相談するのが一番ですねェ〜、とても助かりましたァ〜」と、丁寧な礼を言ったら、その窓口オヤジは気まずそうに苦笑いを返した。
貯蓄型の保険でもかけておいたほうが変な年金よりずっと安心できると思うんだけどね。

吉田家の夕食は、新鮮な野菜のアレコレとオカラと一人前の砂肝アヒージョ。それにボクの好きなアジのタタキ。
午前中はお経を読みっぱなしだったし、午後は年金オヤジと腹の探り合いだったし、万善寺のゴミ出しもして、吉田家のピアノ搬出もあって、気がつけば朝飯も昼飯も抜きでドタバタしていたから、いつも以上に美味しく感じた夕食だった。
麦とホップがどんどん空いた。昨年末に頂いた日本酒も少し飲んだ。
久しぶりのストーブで心底温まった。
明日は母親の2回目の七日が巡ってくる。さて、導師の方丈さん来てくれるかな??

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親のNGーWord 

2017/01/17
Tue. 18:10

「正月ってのはね、いつまでか知ってる?」
「・・・・」
「正月ってのは、1月の1ヶ月を言うんだよ!だから、1月の31日までが(正月!)なんだよ!」
「・・・ムムム・・・??!!」
てな感じで、すでに、1月も半月が過ぎた今頃になって、やっと年賀状の整理をしたり、年賀状もどきの年始の粗品を発送したりして、本日、ひとまずおおむね完了したのであります!
いやぁ~、ながかったなぁ〜〜・・

これでも、結構絶え間なくセッセと眼前の用事を済ませていたはずなのに、とにかく1日が終わるのが早すぎてしょうがない。
このところ、平均の睡眠時間が4時間位だったりして自分でもビックリしている。

飯南高原の萬善寺周辺は、昨日まで続いていた強烈寒気の影響もやっと峠を越して、終日良い天気だった・・が、・・・萬善寺の方は、島根県の飯南町の保賀地内でほぼ孤立状態になったままでいる。
命の綱は、参道の一本の道のみ。
ボクの相棒の結界くんは、参道下のお地蔵さんの近所が仮の駐車場になっている。
大きくて重たい荷物は、その場所から一輪車に載せ替えて、約150mほどの参道の坂を引き上げている。
3畳の寺務所前についた頃には、口から心臓が飛び出しそうになっている。「このまま雪の中にバタリと倒れてお陀仏になるのではないか」と、それこそドキドキもするが、一方で「それでも良いかな?」と思ったりもしてしまう。
後期高齢者であるのにやたらと元気な母親は、とにかく自分の都合のことでモノを考えたり行動したりすることしかしなくなってしまった。
せめて、盆正月の坊主の忙しい時期だけでも母親の影響のない穏やかな暮らしを維持したいと思うのだが・・・正月のこの調子だと、今年も厳しいお盆になりそうだ。

萬善寺の暮らしが長引くと、ボクのレジリアンスは途端に衰弱して一気にストレスが増殖する。
親子関係における「親のNGーWord」なる記事を見つけた。
↓(以下転記)
〜〜〜〜〜〜〜〜
「危ないからやめなさい」
「あなたには無理だからやめておきなさい」
「どうせ長続きしないでしょ」
「そんなのできっこないわよ」
「あなたには無理よ」
〜〜〜〜〜〜〜〜
あぁ〜〜〜、思えば、ボクの少年時代はだいたい母親から似たようなことを言われ続けながら育ったなぁ〜
もうしばらく、母親と二人の寺暮らしが続く・・・

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ナンチャッテ坊主の年頭挨拶 

2017/01/02
Mon. 20:43

万善寺新年の恒例行事は・・・
正月2日の年始会。
新年初午の豊川稲荷初午祭。
それに3月の春彼岸。
・・・以上の3つが大きな(そうでもないか・・)仏事になっていて、その時にお檀家さんや地域の信者さんがお参りくださる。

この年始会も時代の流れに乗ってお参りが減少し、この近年はだいたい多くて20名ほどの参拝に落ち着いている。
今年は、年末から続く好天気で雪も無かったから、寺の参道を本堂下の駐車場まで車で上ることも出来るし、家族の送迎も楽だしするから年始法要の後の新年会も出席が多いだろうと期待していたのだが、結局例年と変わることがなかった・・というより、天気が良すぎて正月早々家族揃って遠出でもされたのか、むしろ何時もよりお参りが少なくなった気もする。それでも、お参りの皆さんはワイフのつくった正月料理の数々をパクツキながらそれなりに賑やかに盛り上がって、一升瓶がいつも以上に早く大量に空になった。

万善寺の正月イベントに向けて、私とワイフの二人は、それぞれに自分の業務分担を受け持ちながら粛々と準備が進む。
ワイフがおかみさんから台所を引き継いでから後も、いまだに現役気分のおかみさんがアレコレ無駄口をはさみ続けるので、今年ははじめて年末ギリギリまで石見銀山の吉田家台所で正月料理に取り組んでいた。そのかいあってか、恒例のメイン料理「万善寺おでん」がいつになく絶品で、特にダシ汁をタップリ吸い込んだ大根は最高に美味しかった。その大根は富山でお世話になっているお百姓さんからいただいた立派なもので、素材そのものも格段に良かったからかもしれない。

お参りの皆さんを前に、その年の年頭挨拶をさせてもらっているが、今年は、約2500年前にお釈迦様ご自身がお弟子の修行僧相手にお話されたらしいことを、自分流に意訳して「ニートだって立派に社会へ貢献している大事な存在なのだ!仏教の修行僧なら究極のニートになるくらいの覚悟が必要なのだ!」というようなお話を伝えさせてもらった。若干意訳たとえが過ぎるかもしれないとも思ったが、どうせナンチャッテ坊主の新年の話など、新年会の一杯の酒で忘れてくれるだろうと勝手に都合よく判断したわけだ。
今の世の中、使う方も使われる方も、やたらと生産性や利潤の向上を目標に仕事をしすぎているから、少しだけ小心者で気の弱い、たとえばボクのような人はそういう世間に潰されてどんどんそういう世間から弾き飛ばされる。世間や会社や組織など、自分一人でやりくりできる社会などあるわけもなく、知らない間にどこかしらお互い様で過不足なく助け合って暮らしているはずだ。何もしないとか、何も出来ないとかそういう人が自分のすぐ近くにいてくれることで、自分自身が色々な場面でどれだけたくさんアレコレ助けてもらっているか・・・それをもっと自覚しねければいけないんじゃないですか?
・・・とまぁ、そんなことがいいたかったわけで、ものの本によると2500年も前にお釈迦様が自ら似たようなことをおっしゃっているらしいのです。仏教は深いでしょ!

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自我偈(じがげ) 

2017/01/01
Sun. 04:25

みなさま・・・あけましておめでとうございます!
吉田は、新年の朝課法要を終わらせたところです。
今年の除夜の鐘は、ほとんどじゅん君が撞いてくれて、ワイフもなにやら願い事をしながら少し撞いて、90歳を過ぎてますます元気いっぱい我がままいっぱいの母親も撞いて、それに、何年ぶりかで保賀の谷の一番外れからお参りしていただいたお檀家さんの若主人も撞いてくれた。
私は彼らに梵鐘を託して、朝課法要の準備をしながら年越しを過ごした。

特にこれといった大きな変化もない一日一晩のことで、一年が入れ替わってしまうという人々の心の切り替えの共有が成立してしまうというあたりに、計り知れないほどの精神の高揚を感じつつ、一方でどこかしら普通に覚めている自分がいたりすることの不条理を意識してしまったりして、どうも素直になれないまま毎年新年の数日を過ごしている。

昨日のことでもあるが、昨年のことでもあるほんの数時間前に、1年最後の法要で三拝を繰り返した。
そのとき思うところがあって、寿量品を全部読み切った。
私の好きなお経に「妙法蓮華経如来寿量品偈」がある。族にいう「自我偈」というお経なのだが、それは、寿量品の後半部分にある韻文偈文のこと。
ものすごくザックリと云ってしまえば、お経はお釈迦様が主役の色々な出来事を連作読み切り小説のような面白いお話にまとめたようなものだと思っている。こんなことを云ったら、宗門の偉い大和尚さま方に叱られてしまうだろうが、少年の頃から門前の小僧あがりの成り行き小坊主がまともにキチンとその筋の勉強をすることもなく普通の坊主になったくらいのナンチャッテ坊主でしょうがないとことでもあるから、ゴメンナサイと謝るしか無いことなのだ。とにかく、そういうふうに、そんなもんだと思ってお経を読んでいると、なにやら難しげなこともそれなりに解ったような気になってお経を楽しむことが出来たりしてしまうのだ。
私の場合、1年を通して般若心経とドッコイくらい自我偈を読んでいる。それに、塔婆の一節に書く経文も自我偈からいただくことが多い。

その自我偈の中に、お医者さんの薬のたとえ話が出てくる。
昨年のことになるが、憲正さんを亡くしたおかみさん(ボクの母親)が、息子の云うことも素直に聞かなくなって、とにかく何かにつけて平常でなくなった時期があった。
なんとか説き伏せて大学病院へ受診してみたりもしたが、自分の正常を確信している母親にとっては、周りの連中が寄って集って自分を病気に仕立てようとしているくらいに思い込んでしまったようで、結局ドクター処方の薬をのむことをしないまま月日が流れ、一年が過ぎた。医学的には、どうやら認知症に属する特異な病気であると云ってもいいようなのだが、母親自身が素直に検査を受けようとしないから「たぶんそうだろう??」くらいの診断しか出てこないまま時が過ぎた。息子としては、そんなもんだと今の環境に慣れるしかないのだが、自分で自分の心が病んでしまいそうになる。

自我偈は、挫けそうになるボクの心を踏ん張らせてくれるありがたいお経なのです。

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こころをくばる 

2016/12/29
Thu. 23:51

「ありがとう」
「ゴメンナサイ」
「おねがいネ」
身内の恥になるが、ボクのお母様は90歳を過ぎて魔界の人になってしまったようだ。
普通の常識で正直に暮らしていれば、その時々に色々な不具合や様々な迷惑があってあたりまえのことだし、高齢になって身体も思うように動かなくなれば、そういう場面も増える一方で減ることは無いはず。
朝から晩まで目が覚めている時は、そのあいだじゅう自分の正当性を息子に押し付けてくる。息子でもある私は、一方で万善寺の経営者であるという公的な立場で寺暮らしをしているわけでもあり、そのあたりの事情を少しでも良いからわかってもらわないと寺の行事がうまく回らないのですよ。

まぁ、こんな感じで、今年も殺伐とした年末になっているわけであります。

吉田家の家族は、私とワイフの世帯に4人の子供がいてそのうち一人は5月5日に入籍をして結婚した。それに万善寺で一人暮らしをしている母親がいる。
この母親は、前住職の憲正さんが遷化するまで寺の二人暮らしを切り盛りしていたつもりでいて、住職が代替わりしても、いまだに昔ながらの寺内のしきたりをかたくなに維持しようともがいている。彼女に「引退」とか「隠居」とかいう気持ちは無いと云っていいだろう。それが母親にとって幸せな生き方であるなら、死ぬまで現役のおかみさんを演出しておこうと決めてなんとか昔からの状態と変わらない寺暮らしを続けてもらおうとしているのだが現実は結構厳しいものだ。

10月から12月のカレンダーには「心配(こころをくばる)」と書いた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
心配は相手があってのこと。
相手構わず広く浅く心配するのは無駄。
無駄に気にかけて世話がすぎるとかえって迷惑。
ふかく、こまやかに、こころをくばる。
つよく、きびしく、こころをくばる。
やさしく、ゆるやかに、こころをくばる。
なかなか難しいものです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本当に、「こころをくばる」ことが難しいと思うのですよ・・・

私と母親の間には、意思の疎通というものに障害ができてしまっているようだ。
べつに、身内でもあるし、母親でもあることだから、他人行儀に堅苦しく緊張して付き合うことも無いのだが、せめて息子のささやかな気配りや心配や親切心くらいは素直に受け止めてもらっても良いと思うのだ。
・・・それは、私の一方的なワガママだけのことなのだろうか?

10-12月

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引き継ぎ 

2016/12/07
Wed. 20:34

広島の葬儀の後の初七日のお経が終わってから、少しだけお話をさせてもらった。
内容は、桜の老木が次の代に命を引き継いで生き残り続けるワザの話。
どうも、葬式の場でお話するネタでも無いような気がしたが、亡くなったおばあさんは、概ね大往生といってもいいと思ったので、残されたご親族へ菩提寺からのお願いを込めてお話させていただいたつもりだった。
ようするに、「今の自分があるのも産み育ててくれた両親があってのことなんだよ!」というあたりまえを忘れないようにしましょうね・・ということ。それは、自分の子や孫の代まで引き継がれていくことでもあるということで、子は親の背中を見て育っているということなのです。

田舎の方とは違って街場のことなので、斎膳の意味もわからないまま、「お昼ごはん」感覚のお誘いを受けた。坊主が膳についたら、一品も残さずに平らげるのが礼儀だと前住職から教わっていて、時と場合をわきまえながらできるだけそいういう風に務めるようにしているが、最近は、最初からテーブルに持ち帰り用の弁当膳が並んでいることが常識になりつつある。小さい頃から副住職時代も含めて前住職の昔からのことを知らないわけでもないので何かしら味気ない気もするが、時代の流れがそういう風に変わってきていることもあるし、さり気なくお昼ごはんのお付き合いをして石見銀山へ帰った。

ワイフの車もないし、2日ぶりに無人の吉田家の玄関へ入ると、やっぱりネコチャンズに軽く無視された。ストーブも冷たく冷え切っている。少し落ち着いてからメール確認をしながら深焙煎の豆を挽いた。留守の間に300件以上の着信が溜まっている。市役所の教育委員会から旧富山小学校の光熱水費請求が届いていた。たった4日間の電気代だけで1万円を越えている。吉田家の1ヶ月の使用料でもせいぜい2万円程度のことなので、公共施設の必要経費も馬鹿にならないものだ。廃校の施設を開放しないまま物置代わりに使い続けるよりはマシだろうと思って使わせてもらっているが、富山町住民ではない外部の任意の団体が使用するのだからということで、そのような使用料が計上されるようだ。富山町の住民ではないけど大田市に現住所はあるんだけどね。解釈は色々と都合よく読み替えが出来ているようで現実はなかなか厳しく出来ている。

ウソかホントか知らないが、桜の話は造園業の気難しいオヤジが喋っていたことを思い出したからで、彼曰く、「桜の寿命はだいたい80年が普通なのだ!」そうだ。だから、昔は子供が生まれると記念に桜を植樹することもあったらしい。環境の条件や、手入れ次第で寿命はマチマチらしいが、歳をとって弱り始めた桜は、気根の元になるような芽を地面に向かって伸ばし始める。運が良ければ、その芽の先が地面まで届いてつっかえ棒代わりに桜の老木を支えつつやがて地面に根付いて代替わりしながら生きながらえる。世代交代が上手くいくと若い幹が太り、老木を抱え込みながら成長して大木になるのだそうだ。
石見銀山の桜は、この近年一気に病気が広がって年々弱っている。
万善寺の巨大な枝垂桜も冬の雪の重みに耐えられなくなって、遂に朽ちて果てた。
まぁ、今の吉田家には気根の芽が出るような兆候は皆無だな・・・
石見銀山や富山町や、それに万善寺や飯南高原はちゃんと世代交代できるのかなぁ〜?

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携帯電話ストレスイライラ症候群 

2016/10/28
Fri. 05:55

久しぶりにラップトップを使っている。
島根県や吉田家をしばらく留守にしていたうえに、速度制限のかかったままのiPhoneしかデータ通信の手段がないままアチコチウロウロしていたら、そのうちそれも慣れてきて、特別こまめにメールやウエブニュースのチェックをしなくても平気になってきた。

思えば、上京して一人暮らしを始めたころなど、連絡の手段は街のアチコチに設置された公衆電話くらいのもので、はじめてアパートの自分の部屋に黒電話を引いたのは中野区南台へ引っ越してしばらくしてからのことだった。
あの頃は、だいたい電話が必要になるほどの仕事もしていないし、頻繁に電話をし合う程の親しい友人がいるわけでもないし、さしあたって特に急を要して必要に迫られていたわけでもなかったから、なんの不自由もなく電話無しで暮らしていた。
私の周辺諸氏の事情の成り行きで、大学へ通いながら高校の時間講師を引き受けることになって、校長先生との最初の面談のとき連絡先の電話番号を聞かれたことがきっかけで黒電話を引く羽目になってしまった。
その中野区南台のアパートは、一階が大家さん経営の酒屋さんで、店が空いている時は普通に10円玉何枚かで店の電話を使わせてもらっていたが、電話の取次まではなかなかしてもらえる環境でもなかった。「これこれこぉ〜で、電話がないといけないような状況になりまして・・・」と大家さんに相談したら、設置費用を自分で持つんだったら引き込み工事入れてもいいよと快諾を得た。
結構な額の投資になるし、そこまでしてどれだけその黒電話が活用されるんだろうと、まったく予測のつかないまま必要に迫られた電話設置だったが、さすがに目の前へ黒電話の現物が鎮座してマイデンワバンゴウなるものが出来ると、何かしら少し大人になって社会人になったような気になってウキウキしてしまう自分がいた。まずは勤務することになった学校の事務へ番号を伝えて、それが呼び水のように、一気にアチコチへマイデンワバンゴウが広まった。
どちらかというと、吉田の一人暮らしも若干便利になったようでもあったが、一方でそれまでの気楽な一人暮らしに若干の乱れが生じるようになった。留守中の着信音の苦情だ。「うちのほうじゃないんだけど、隣の・・ほら、中庭を挟んだ向かいのアパートがあるでしょ。その真向かいに住んでる人から電話うるさいって不動産屋通して苦情入ったのよ・・」
そんなこと言われても、自分が留守に鳴ってる電話の世話までは出来ないでしょう・・と思ったが、だからどうなるわけでもないし、苦肉の策で、出かける時は、押し入れの布団の中へ黒電話を突っ込んで当面を凌いだ。
古き良き時代のことだ。

最近、寺の一人暮らしが寂しくてしょうがない後期高齢者の母親から、私の都合など全く無視で、しょっちゅうiPhoneへ電話が入る。だいたいに出られないことのほうが多いから無視しておくとワイフの携帯へもかかるようになってきた。ここまでくると、便利とか不便とかの問題ではない。携帯電話ストレスイライラ症候群が、吉田家に蔓延してきた。病原はマイママである。

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老婆親切とは・・ 

2016/10/04
Tue. 23:46

だいたいが雨だったり曇ったりばかりで富山の良い風景がなかなか撮れなくて苦労している。
今週末には彫刻イベントポスターの入稿しようと思っているので少々焦っているのだが、また台風がやってくるという始末で、自然を相手には逆らうことも出来ないし現実は厳しいものだ。私程度の崖っぷち彫刻家など、日々是好日の暮らしなど夢のまた夢だ。

マイママ、齢91歳となる母親の定期通院日なので、急いで朝食をかき込んで石見銀山の自宅を出発した。
主治医のドクターは、見た目さっぱりと屈託のなさそうな比較的若い女医さん。
島大病院から毎週1日だけ田舎過疎地の小規模総合病院へ出かけてくれている。
私としては、初対面の印象が良かったので信頼しているのだが、母親本人はどう思っているのか、その女医さんの言うことを全く聞こうともしないで、診察の間中自分の話ばかりしていて意思の疎通には程遠い状態だ。ときおり、「チョットこのばあちゃん何とかならないの?」と視線で私に訴えてこられるが、こればかりはどうにもならなくて、「すんませんなぁ〜・・実の息子だともっとワガママになってしまって・・・」などと、返す視線で会話している。
この度の受診も、診察の途中からドクターの話が耳に入らなくなってしまって、自分の素人診断を延々と語り始めたから、「それじゃぁ、このへんで失礼します」とドクターに視線で挨拶して喋り続けている母親を診察室から連れ出した。
自分では頭がしっかりしていて、正気だと思いこんでいるから、精神は健康だと思っているというところに一般の常識とのギャップがあって、まわりが迷惑をする。薬局でもあの薬がどうとかこの薬が足らないとか、わがまま放題で時が無駄に過ぎた。

宗門の祖師道元様は修行僧に「老婆親切」が大事だと厳しかったそうだ。
この「老婆親切」というやつは、なかなか解釈が厄介で、チンピラ坊主には荷が重い。
「老婆の孫子に対する理屈抜きで惜しみない愛情慈しみを捧げる心境と具体的実践的諸行為」とでも略したらいいのだろうか?
道元様は、そういう老婆の行為を「仏の慈悲心」に重ね合わせてお考えだったのかもしれない。
一方、その惜しみない老婆親切を受ける孫子の側からすると、「小さな親切大きなお世話」的行為と受ける場合も多々存在する。
与える側と受ける側のお互いの正常な関係がまず前提に築かれていないと、正しい「老婆親切」の授受に至ることがない。我が身をわきまえた上での老婆親切であれば、それは大きな支援になるだろうし、そういう師弟関係の向上は学ぶべきものだと思う。
自分を見失った者の自己中心的な老婆親切ほど、融通が効かなくて厄介で始末が悪い。

薬局で薬をもらってから、うどんが食べたいという母親を蕎麦屋へ連れて行った。もうお昼はとっくに過ぎていて、次の用事が待っていたから、そのまま母親をドライブに連れ歩いた。親子は約200kmを結界君で過ごした。途中2回ほど大きな母子のバトルがあった。それでも、私からのささやかな老婆親切であったと自分ではそう思っている。

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坊主ギャラリーのこと 

2016/09/14
Wed. 00:40

キーポンが四畳半へ転がり込んでから寝苦しくてしょうがない。
ちょうど夏から秋に変わりそうなこの時期は、暑いのか涼しくなったのかよくわからないまま寝ていると、夜中になって暑くて目がさめたり寒くて目がさめたりして、体調の管理が難しい。
私愛用の抱きつき枕を占領して布団の真ん中で寝ているキーポンは、まだ小学生か中学生くらいにか見えなくてとても20歳前の娘と思えない。
その隣にはワイフがいて、その隣ではシロがワイフの腕枕で寝ている。
なんとも窮屈な四畳半だが、それはそれなりに家族円満であると言えるのかもしれない。
そろそろ保育実習も終わって、近所で頼まれているアルバイトも終わると、やっと後期の授業が始まって学業へ帰って行くから、それまでの辛抱だと思っていたら、長女のなっちゃんからワイフ宛のSNSが届いて、9月のお彼岸前後に仕事の出張も兼ねて帰省するらしい。
だいたい、この9月から10月にかけての時期は私もワイフも彫刻の制作で一番忙しくしているはずなのだ。こういう時に限って絶え間なく次々と家庭事情が色々変化していくことになって、まともに〆切りまでに彫刻が完成するのかそろそろ心配になってきた。

万善寺や奥出雲の暮らしから本格的に石見銀山の暮らしへ戻ってきて、そろそろ一週間が過ぎた。
現在の吉田家は、四畳半の隣の町並みに面したひと部屋が空き部屋の物置状態になっていてほとんど機能していない。
以前は、この部屋が彫刻やクラフト等のギャラリーになっていて、雨戸や障子をフルオープンして観光客相手の店にしていた。あの頃は、石見銀山の約800mの町並みに銀製品を扱ったクラフトや雑貨の店が10軒近く営業していた。その他にも土産物の店や飲食店もあって、世界遺産の観光地としてそれなりに賑わっていた。
吉田家も若干ながらその恩恵にあずかって、その日の食事代はまかなえるくらいにギャラリーが回転していたのだが、両親の介護が本格化して、やがて副住職の気楽な坊主家業から住職交代を経て本格的に万善寺住職を勤め始めると、ギャラリーのOPENも少しずつ不定期になり始めて、それまでのリピートのお客さんから苦情が出るようになってしまった。せっかくわざわざ吉田のギャラリーを目当てに訪ねてきたらcloseしていたというようなことが度重なると、「オマエ本気で商売する気があるのか!」と叱られてしまうのも当然のことだ。自分の都合でお客様に迷惑をかけることになってしまうから・・・ということで、結局その後しばらくしてから雨戸を〆切りにして今に至っている。
今もおばあさんの介護が続いているが、どう考えてもこれから先いつまでも彫刻の制作が出来るわけでもないし、やはりそれでもまだ身体が動く今のうちだったら、もう一度自分が造った彫刻やクラフトを展示できるように工夫できるのではないかと思うようになった。
今の世の中、とても自分の年金と田舎の山寺ごときだけで生活できるわけもないことだから、石見銀山の町並みに坊主が店番をするギャラリーがひとつくらいあってもいい気がするし、それで自分の暮らしに張り合いが出るかもしれない。
ワイフと二人でつつましくものつくりをしながら老後を楽しむことができるかもしれない。
そんなささやかな夢を描きながら、今日もヒマをみてコツコツと部屋掃除をしている。

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ここだけの話・・ 

2016/07/11
Mon. 23:52

安静にしておかないといけないことはわかっているが、実際そういうわけにもいかなくて動き回っているから、どんどん症状が悪化して身動きができなくなりつつある。
面白いもので、身体が不自由になると脳みその思考回路が適度に整理されて、溜まったデスクワークの優先順位がよく見えてきて、今日の仕事は思った以上にはかどった。
その途中で、珍しく万善寺がらみの電話が集中して宗門の手帳に書き込みが増えた。
島根県の万善寺周辺はお盆が8月になるので、7月のうちは比較的暇が多いからこの時期に現代彫刻小品展の企画を入れていたのだが、今年はやたらと仏事が続いて展覧会事務に迷惑をかけてしまう。

下世話なことだが、万善寺のある飯南高原は現在レギュラー140円!
仏事ひとつをまともに戸別で受けると燃料の高騰で足が出てしまうから、できるだけ一日に幾つかの仏事をまとめて受けるように調整しているがそれも限界がある。支出を切り詰めるには、自転車移動くらいしか残る手段が思いつかない。
少し前に結界君の前を走っていた選挙公報車は「わ」ナンバーだった。燃料代も必要経費でまかなえるのだろう。お金の流れる質量とスピードが万善寺の仏事と比べ物にならないほど莫大だ。こんなことで日本が活性するのなら、四六時中国民の血税を使って勝手に選挙ばかりしていればいいだろうと、不覚にも思ってしまう。

その選挙投票日は、痛い足を引きずりながらワイフと一緒に投票所まで出かけた。吉田家で投票したのはたぶん私達夫婦だけだと思う。
じゅん君は部活指導で忙しくしているようだし、なちゃんは新居に引っ越して直だし、ノッチも帰国して間がないし、学生のキーポンは選挙のために帰省することもない。90歳を過ぎて毎日を這って暮らしているおばあさんは投票所まで出かける手段も気力もない。
今の政治に現代国民のそれぞれの事情へまんべんなく対応できるほどの統制力など無いということは吉田家の家族事情を見ただけでもわかることだ。
政治家が自分に都合のいい法改正を繰り返してマスターベーションしてエクスタシーに浸っているふうにしか見えない。
聞くところによると、無効票の中に「支持政党なし」と記載されたものがかなりたくさんあったらしい。ここだけの話だが、私は最近の選挙のほとんどで白票を投じてきた。島根の田舎の選挙区で期待できるというか、信頼できる政党が見当たらないからだ。投票用紙の開票で当選でもなく落選でもない、第三の選択票を用意できれば、少しは今より投票率が上がるかもしれない。少なくても私はある意思を持って白票を投じてきた。

もう一つ、ここだけの話・・・
実は、福士や江夏や高橋や衣笠や山本や・・・あの頃からズゥ〜っと広島カープが好きなのです。今年はあの頃を思い出すように面白い。これから後半戦をどう乗り切るか楽しみで、「球場見に行こうか?」と云ったら「野球見に行くんでしょ!」とワイフに突っ込まれた。
「投票所に行こうか?」じゃなくて「投票しに行くんでしょ!」・・何時になったらそう云えるような選挙が出来るのだろう。

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付かず離れず 

2016/06/22
Wed. 17:48

そもそも、私が小まめにしたためているこのブログは、限りなく身内とその周辺の狭い世界を中心に個人事情の垂れ流しをしている程度のことだ。
だから、相当吉田家に興味のあるマニアな諸氏か、相当毎日を退屈に過ごしているモノ好きな諸氏か、それに吉田の家族身内か・・・そのくらいの訪問しかないはずだ。
そういうこともあるから、あえて自分の偏屈を隠すこともないし比較的気楽に毎日を1000字程度にまとめて時々の備忘録にしている。

今年に入ってから、もう何年も愛用しているラップトップの調子が少しずつ狂ってきて、その度に検証や修復を繰り返して騙しながら使っていたのだが、現代彫刻小品展と憲正さんの一周忌を中心に使い倒していたら、一気に状態が悪化して強烈に動きが鈍くなってしまった。最近は、夜寝る前になって布団へ潜り込んで腹ばいになってプチプチとキーボードを打つことが増えていたから、ワープロの文字を打つたびに回り始める虹のグルグルを見ていると、催眠術にかかったように眠くなって、気がつくと低反発枕へ顔を埋めてヨダレを垂らしていたりする。

ワイフは、もうずいぶん前からだらしない私の日常に嫌気がさして、ベタベタと近くに寄り付こうとしない。猫が同居するようになってからは彼女の隣には常にシロが寄り添っていて私の入り込む隙がない。彼女曰く、「寝る時くらいはゆっくりしたいの」ということらしい。つまり、私が彼女の隣でイジイジしていると落ち着かないということ。もう結婚して30年以上になるし、付き合い始めてからだと40年近くになる。自分の人生の半分以上を一緒に過ごしているわけだから、四六時中ベタベタとくっついている方がむしろ奇異なことかもしれない。今の付かず離れずの自立した大人の関係が続いているくらいが丁度良い加減なのだろう。
彫刻を造るときも、ひと頃のようにうるさく口を出すこともなくなったし、締め切りの日程もそれほど大きく狂うことなく辻褄が合うようになっている。お互いにギラギラと自分の彫刻を主張してしのぎを削って高め合うほどのこともしない。長い年月を経て、日常の暮らしの何処かで彫刻の制作や発表が特別なことでなくなったのだろう。
子供もできて家族が増えて、子育てを終わって各自が自立を始めて、気がつけばいつの間にかワイフと二人暮らしに戻っていた。そういえば、あの頃も黒い雄猫が同居していた。やはり、そういうお互いの心の拠り所がお互いから少しほどズレたところに存在しているということが刺激の緩和につながって、お互いに都合のいい適度な妥協が長続きの要因になっている気もする。

「誰にでもニコニコと笑っていたら疲れるばかりで良いことは一つもないよ。渋い顔をしている奴には渋い顔を返しておけば良いし、怒ってる奴には怒り返せば良いし、泣いてる奴には一緒に泣いてやれば良いんだよ」昔々・・人付き合いの悩み事相談に、そう答えた偉い方丈さんがいたとか・・・
私には含蓄が深くて真意がつかめないけど・・・夫婦なんてのも、結構そういう遠慮のない付き合いがひたすら毎日繰り返されているから長続きしているのかもしれない。
もっとも、どちらかがアホくさいほど鈍感だったら救いようがないだろうけどね・・

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2017-06