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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

真夜中の懐柔 

2019/08/07
Wed. 11:41

8月に入ってもう1週間が過ぎた。
大往生のおばあさんの二七日が来た。
お盆の棚経も1日から始まって15日まで続く。
ワイフが10日前から留守をしているから、毎日通勤坊主を続けている。
しばらく前から燃料が上がった。
台風8号の影響がまだ少し残っていて風が強い。
早朝の銀山街道を飯南高原へ向かっていると、途中の九日市にある温度計はまだ7時過ぎで既に29℃になっていた。
棚経で木魚を叩き続けているせいか、右腕のシビレがひどくなって夜に眠れない。
・・・まぁ、もう半世紀も前からお盆の月はこんなもんで、そう大きな変化もないからその時時の流れに我が身をゆだねるしかしょうがないことだ。

毎日がそれほどドラマチックに過ぎているわけでもないが、そうかといってなにもないこともないし1日として同じことがデジャビュのように繰り返されているわけでもないからブログネタに窮することもない。
寺の1日の用事を片付けて吉田家へ帰って夕食で一杯やってしまうと腕のシビレも忘れて夜の早いうちから眠くなってしまう。
だいたい深夜の午前0時前後に目覚めてオシッコをすると、それからしばらくは眠れなくなってしまうものだからWEBニュースを回覧したりして次の睡魔がやってくるのを待つ。
幾つか気になる記事があるとソレをメモしたりURLを記録したりして、思いついたことをブログの何処かで書き残しておこうと思うのだが、最近は、落ち着いてA4の1枚分(原稿用紙だと3枚分くらいかな?)を書き起こす時間が無くなっている。
チョット空いた時間があるとラップトップを開いてブログのページへ移動するのだが、途中まで書きかけたモノを改めて読み直していると、どこかしら気持ちが滑って軽々しく思えてしまってガラにもなく真夜中に真剣に物思いにふけったりしはじめて始末が悪い。
結局、それでかえって目が冴えていよいよ眠れなくなってしまったりする。
大事なことは備忘録としてその日のうちにiPad mini5へメモしてあるし、頭がシッカリと回転している間は、しばらく時が過ぎてもそういうメモを手がかりに大事なことは思い出すことも出来るだろうと無理をしないで気楽にいるようにしようと決めた。

たとえば、ブレードランナー2019年のことがきっかけで気になり始めた過去・現在・未来のこと・・・現在の最先端テクノロジーが50年後にはどのように機能しているのか?いないのか?・・・なんてことを真剣に思ってみたりしているのです。
そうすると、毎晩のように真夜中に巡回している幾つかのWEBニュースにしても、気がつけば知らない間に吉田正純の思考や嗜好や指向や志向に特化した記事が集まっていたりして「これは絶対にAI機能で操られているな!」と懐疑的心理が活性しはじめて「アブナイアブナイ!ヤツに懐柔されてはイケナイ!」などと、AI相手にジタバタとどうでも良い芸能や政治や経済や・・とにかくいろいろな記事や流行のYouTubeなどをわざわざ検索して対抗しているつもりになったりしているわけです。

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言い次 

2019/07/25
Thu. 23:15

島根県の梅雨明けはまだのはずなのに、琴引山から雲が切れて青空がチラチラと覗き始めたら、一気に蒸し暑くなった。
飯南高原は「もう梅雨明けと云ってもいいだろう」と勝手に自分でそう決めた。

いつものように寺の朝の用事を一通りすませてコーヒーを入れていたら保賀の班長さんから電話が入った。
「うっかりしとりましたが、今度の日曜日は草刈りの日になっとりますけぇ〜。都合がつくようならでてくださいやぁ〜・・・朝の7時半に会館へ集合ということですけぇ〜」
そういえば、2・3日前に班長さんからの着信があった。丁度その時はすぐに電話へ出られなかったから後でかけ直したのだが、今度は班長さんの方が電話へ出なくてそれっきりになっていた。急ぎの用事なら返信があるだろうとそのままにしておいたのだが、きっと草刈りの言い次だったのだろう。

電話帳へ載っている万善寺の電話番号は、もう10年近く前からFAX専用にして電話回線から電話機を取り外してしまった。
理由は2つあって、まだ健在だった両親の電話番に少しずつ不具合が生じてきたことと、迷惑電話や詐欺電話が激増したこと。
当初、両親とも自分ではまだ昔のようにシッカリと電話番の寺務が出来ていると確信しているふうだったが、住職業を引き継いだ自分としては寺務に限らず自治会の付き合いの細かなことまでコトの整合性をいちいち確認しながら二度手間を繰り返すことが増えてきて、これではそのうち必ず「アチコチへ迷惑をかける事になるから」と事あるごとに「電話に出なくてもいいからね・・」とヤンワリ云い続けていたのだが、なかなかすぐに納得してもらえないまま時が過ぎ・・・その間に幾つかの失敗もあり、しかし両親ともソレが自分のせいであることを認めること無く、何かしらアレコレ言い訳をしてくるし、やがてソレが頻繁になり、電話の相手も何気なく「アレッ?チョットオカシイぞ??」と気づき始め、そのうちダイレクトに私宛に連絡が来るようになり「ヤレヤレ少し楽になった・・」と思っていたら、今度はサプリメントだとか羽毛布団だとか健康食品だとか、そういうタグイの迷惑電話がかかってきて、延々とその悪質業者の話を聞いてそのうち質問やらしはじめて会話が終わらなくなって、気がつくと私のことやワイフの話まで始まったりしてマンマと業者の術中へハマって個人情報を垂れ流していたりするものだから「コレはもう限界だ!」と途中から会話好きの母親の手から電話をもぎ取って悪質業者の「住所と電話番号を教えてもらえますか?チョット母親と相談して改めてこちらから電話させてもらいますから・・」などと切り返すと、途端に電話口の態度が急変して向こうからプツンと電話を切る・・・というようなことも数回あって、それにもっと明らかに「怪しいぞ!」と分かる悪質詐欺電話も増えてきたから、それでFAX専用にした。

世の中が便利になることは、ソレはソレで良いこともたくさんあるだろうが、世間の進化のスピードについていけないでよく実態を把握できないままなんとなくその場のノリでわかったつもりでいたりするようなことが度重なると、そのうち自分の許容を超えて収集がつかなくなる。ボクもそろそろ時代の先進に取り残され始めているかもしれないなぁ〜

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不二法門(ふにほうもん) 

2019/07/24
Wed. 23:45

退院する時に処方された薬が無くなったので近くの外科医院へ行った。
受付で保険証などを提出して待合室を見渡すと、座る場所がすぐには見当たらないほど混み合っていた。
ほとんどが俗にいう75歳以上くらいの高齢者で、私程度の年齢の患者さんは4〜5人くらいしか見当たらない。
ワイフも昨年くらいから同じ病院へ通院していて、彼女は定期的に電気治療を受けている。
薬をもらうだけのことだが、ドクターの問診を受けなければいけないから自分の順番を辛抱強く待つしか無い。

iPad miniでWEBニュースを流し読みしていたら、先日の選挙のコトが記事になっていた。
なんとかチルドレンとかタレント議員とか、選挙にも流行のようなものがあるようで、そういう人が当選して本当に国民の代表として政治の仕事に従事できるのだろうかと、どうも素直に信用出来ないものがある。
蛇の道は蛇の類友集団が寄って集まってアレコレ議論を積み重ねても、混沌として誰にも予測不能な日本の近未来は現状とそれほど大きく改善しているとも思えないし、場合によっては改悪になってしまうということだって十分に考えられることだ。
坊主的に云うと「ことの善と悪の判断はソレを認識する人によって様々であり誰もが納得できる客観的常識というやつは最初から存在しないのだ!・・・つまり、善も悪もそれぞれ対比する存在ではなく両方併せ持った一つのものなのだ!・・・そしてそれは全人類の心に内在しているのだ!」と云う概念のような存在があるわけです。
自分を取り巻く環境には、善と悪のような相対する関係が大なり小なり存在しているわけで、それら全てを飲み込んでそれがそのまま自分である!・・・という事実を謙虚に受け入れることが大事なことだと・・・ボクは思うのです。
ひとそれぞれ、自分の考えや意見を持っているだろうから、ソレはソレで大事なことだけど、ソレが善くても悪くても誰にでも納得できるだけの構築された対案になっていないとひとの気持ちを動かすことは難しい。
形而上学的抽象論をぶつけているだけでは大衆を納得させることは出来ないだろう・・・と、どちらかと云えば抽象思考で毎日を過ごし、坊主家業をつとめつつ彫刻を造っている私は、身をもってその現実に向き合い、日々悶々としながら、それでもできるだけ妥協をしないようにしようと心がけているわけであります。まぁ、実態はそういう現実からしょっちゅう逃避してだらしなく楽に楽に過ごしている自分もいるわけですが・・・

「もう1ヶ月も通ってるのに全然ようならんけぇ〜、紹介状書いてくれぇ〜やぁ〜!この病院わぁ〜、つまりゃぁ〜せんがぁ〜!!」
突然、受付のお姉さん相手にオジサンが大声で苦情を言い始めた。待合室の皆の視線が一気にそのオジサンへ集まった。
もう、結構いい歳のオヤジが昔の若い頃と同じようにピンピンと元気になれるはずも無いだろうに・・・あぁ云う担板漢はどんな思いで清き一票を投じたのだろうか??

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マイ・ブーム 

2019/07/18
Thu. 23:55

中国山地の山並みを水源にした渓流が、やがて幾つかの支流を集めて神戸川の源流になって飯南高原南部のほぼ中央を流れ下った先に水力発電と貯水を兼ねたダムがある。
30年ほど前にはそのダム湖畔にキャンプ場があって、当時はアウトドアがブームだったし万善寺からも近かったから吉田家も子供が小さい頃はオートキャンプを楽しんでいた。

平成の時代になった頃にダム湖から4kmくらい上流の神戸川脇へ湧き出している泉源から温泉を引いて休憩や食事もできる日帰り温泉が出来た。元々数百年も昔から地域の湯治場として利用されていたのだが、昭和の時代に県道の拡幅工事があって、その時に泉源の真上にあった掘っ建ての小屋が解体されてソレっきりになっていたものを周辺の集落が共同で出資した資金と行政の助成金を使って再建した。地域では泉質が良いことで知られていたから、再建オープンされると一気に情報が流れて大繁盛になった。
今では広島県や島根県各地からの温泉客がずいぶん増えて連日絶え間なく賑わっている。
万善寺からだと車で3分ほどの近いところにあるから、寺で泊まる時はその「温泉へ行こうか」と普通は思ってしまいそうだが、実は私は1度もその温泉へ入ったことがない。あまりに地元過ぎて隣近所みんなが「万善寺の方丈さん」を知っていて、ソレでどうも自分には落ち着いて温泉気分にひたれない気分なのだ。
結局寺泊というと、シャワーで簡単に済ませて、バリカンで床屋をし、ジレットで髭を剃り、電動歯ブラシを使って、体を拭いたバスタオルでそのままシステムバスの主だったところを拭き掃除して、洗濯機を回す・・といういかにも味気ない作業で終始する。

年齢なのか手術の経過状況なのか自分の不摂生なのかよくわからないが、とにかく最近は右半身を中心に疲労が蓄積して肩から指先にかけてピリピリとシビレが走って我慢できないほどのことが続いている。
梅雨もそろそろ終わるだろうと思っていたら、台風が前線を刺激してなかなかスッキリと晴れないまま愚図ついた毎日が続いているし「温泉にでも行かない?」とワイフを誘ったらその後恒例の「道の駅行きたいな!」と云うことになって吉田家から車で30分ほど走ったところにある湯谷温泉へ行った。
その温泉は、実は3月末から休業していた。業務委託されていた東京の事業主が営業不振で撤退したからだ。その後、行政の商工観光課あたりが各方面へ働きかけて、6月になって地元有志の共同経営で営業が再開された。泉質は良いのだが、源泉は温泉の基準温度に達しない鉱泉で、ボイラーの加熱がないと冷たくて使えないらしい。結局、設備投資が高額になって入浴客との兼ね合いで利益が出ないことになってしまったのだろう。
湯谷温泉も歴史の古い由緒ある温泉のようで、戦国時代は時の城主が家臣たちの戦の疲れを癒やすために入浴を奨励していたとか・・
約1時間ゆっくりと湯につかったあと、道の駅へ寄ったり途中のレストランへ寄ったりして、結局疲労が軽減したのかどうかよくわからないまま1日が過ぎた。
最近は、またオートキャンプに再ブームが来ているようで、自分の周辺のアチコチの道の駅には立派なキャンピングカーがよく駐車している。
ボクも昔はキャンピングカーに憧れてワイフと時々そのような話をしていたこともあったが、今はもうキャンプより温泉の方が良いな。

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冷心思理 

2019/07/17
Wed. 23:36

Amazonがプライム会員特典セールをすると頻繁に宣伝していた。
チキンのくせにアマノジャクな面倒臭い性格のボクは、セールと称してみんなが飛びつくような餌を大量にまかれたりすると、とたんに興味が失せて購買意欲が消沈する。
「あなた、Amazon何か頼んだ?」
一方、ワイフはこういう安売りセールとなると急に積極的になって熱心に自分のiPad miniを覗き込んでいる。
「特にこれといって欲しいものもないし・・マッチャンなにか良いのあった?」
「トランク安くなってたから!」
・・・早速買い物カゴをポチッとしたらしい・・・
そういえば、トランクの写真がセールのトップページにあったような?・・・案の定、既に彼女はセールにパクリと食いついていた。

私が覚えているだけでもワイフはこの1・2年の間にAmazonで大小のトランクを3個買っている。
改まって何処かへ旅行する予定もないし、チョットお出かけするくらいでトランクが必要なほどの大荷物にもならない気もするのだが、彼女の場合はなんとしてでもハードケースのトランクが必要なコトがあるのだろう。
そういえば、私が入院することになった時、病院からもらった「入院の手引き」なるプリントを見ながらセッセと必要なものを用意して幾つかあるトランクの適当な大きさのものへ何枚ものパンツやシャツなどを整然とへ詰め込んでいた。
「アナタのコロコロ見たけど、相当くたびれてたからコレに詰めておくからね。色は赤しかないけど、どうせ中身を移したら私が持って帰っておくから、ソレでいいでしょ!」
「スンマセンなぁ〜〜助かります。ありがとぉ〜〜」
本当は、自分で準備しなければいけないコトを嫌がりもしないで代行してくれていることに文句など全く無い。それに、せっかく立派なトランクが幾つもあるわけだし使わないでしまっておくばかりは勿体無い。

さて、そのAmazonだがせっかくプライムセールをしているならKindleで何か掘り出し物0円読み放題の小説があるかもしれないと探していたら、山本周五郎さんの「樅ノ木は残った」全巻があった!ボクにとってはなかなかの掘り出し物なのでパクリと食いついた。
しばらく前には、守屋洋さんの「決定版菜根譚」もKindleで見つけた。
前集の206項に「冷眼観人、冷耳聴語、冷情当感、冷心思理」がある。
守屋さんは解説に「冷静な眼で人間を観察し、冷静な耳でことばを判断する。冷静な感情で仕事に取り組み、冷静な心理で道理を考える」とある。
昨今の社会情勢をみるに、政治では選挙も近いし、外交政策も不穏な状況だし、年金や保険で不安を刺激され、メディアの報道もどこかしら殺伐と過激で、どうも一方通行の情報過多に平静が揺らぐ。
「菜根譚」は私の30年来のバイブルのようなもので、この歳になるまで何度も助けられ気持ちが穏やかでいられた。今はiPad miniで何時でも簡単に読めるようになった。そう考えると、なんだかんだ云ってAmazonもなかなか捨てがたい便利さがある。

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令心思理2のコピー (1)

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雨男の覚悟 

2019/07/01
Mon. 23:04

どちらかといえば「雨男」だと自分では思っている。
だから、今のようにシトシトと降り続く梅雨とか、晩秋から早春にかけての山陰地方特有のドンヨリとした冬空から舞い落ちる雪とか、そういう湿っぽい環境はあまり嫌いではない。
それでも、この近年は突然のゲリラ豪雨とかドカ雪とか迷走台風とか、予測不能の天候が頻繁になって、のんびりと「実は、ボク雨男でして・・・」とか「雨もそれなりに情緒があっていいですねぇ〜」とか、そういう発言も「不謹慎だ!!」とはばかられるようになって、世間話ひとつするにもどこかしら勝手が違って緊張していたりする。

万善寺オリジナル3ヶ月カレンダーの2枚めが終わって3枚目に入った。
カレンダー上でのフォーシーズンが、後半に入ったことになる。
前半は、3月に個展が終わってから入院手術と続いて、退院できたら万善寺がらみの諸行事が絶え間なく続き、連日の営繕作務も体力減退で持続力も半減し、とにかく1日が一瞬で去っていくような毎日が続いて、いまだにそれが解消できないでいる。
今年のフォーシーズンカレンダーは八大人覚から前半の4つをいただいたものだが、これからの3ヶ月はまさに「寂静」を目標に過ごしていきたいものだと、終わった1枚をめくりながら気持ちを改めたところだ。
7月は営繕作務に汗を流し、8月の盆月は坊主家業に汗を流し、9月からは彫刻の制作に汗を流し・・と、心穏やかに過ごしにくい3ヶ月となる。
そろそろ通勤坊主から単身赴任に切り替える時期になって、人付き合いの苦手なボクとしては、世間のお付き合いにドップリと浸り切る試練のシーズンでもある。
あまり無理をしないで失った日々を少しずつ取り戻したいと思っている。

飯南高原に残っている地元の同級生が久しぶりに集まって飲んだ。
公務員や会社員など前職は様々だが、死ぬまでリタイヤのない自営業も何人かいる。
一応住職の肩書を持つ私も、自分の意志で帰俗しない限り死ぬまで住職でありつづけることになる。自分としては、なかなか気楽でいられないことで重たい錘を抱え続けているようなものだ。
ちょうどその日、AppleCEOのティム・クックさんが、スタンフォード大で恒例のスピーチを行っていた。WEB配信の記事には、前CEOのスティーブ・ジョブズさんが亡くなった時、初めて「単にAppleを引き継ぐ“準備ができていること”と本当の意味で“覚悟ができていること”の違いを自覚した!」そうで、それから学位授与の学生たちへ「誰かの人生を生きることに時間を使わないでほしい!誰かの思い通りになってはいけない!」と話したとあった。どれだけの学生が彼のスピーチを受け入れ自覚できたかはわからないが、少なくとも還暦を過ぎて限りなくヨレヨレのボクの心にはグサリと突き刺さった。

八大人覚はお釈迦様の遺言と言われているし、道元禅師さまはその修学がなければ坊主とは言えないと言われているほどの、大事な仏教の心理であるようだ。ナンチャッテ坊主にはとてもついていけそうにない気もしているが、「大事であること」くらいはわかる気がする。とにかく向こう3ヶ月は「寂静」を大事に暮らしていこうと努力するつもりだ。

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cool head 

2019/06/27
Thu. 15:11

朝のうちは、一日中吉田家ロフトに引きこもって休養をとろうと思っていたが、ワイフから「お昼ご飯よぉ〜!」の声がかかってからは、何もしないでいることがだんだんと落ち着かなくなってきて、ロフトの片付けなどをし始めたら止まらなくなった。
時々ネコチャンズが様子を見に階段を駆け上がってきてしばらくウロウロと見回りをして去っていく。

気がつくと右半身が重たく凝って指先のシビレが腕から肩にかけて広がっている。
それでまたしばらくゴロリと横になっていると、アレやコレや次のことが思い浮かんでジッとしていられない。ゴソゴソと起き出して、デスクトップをつついていると入院中に描きためて保存しておいたメモ素材が出てきたので、それを原稿に使えるまで加工しておくことにした。暇といえば暇だから、こういうときでないとなかなか本気になれない。いつもなら面倒が先に立って後回しにしているようなことだ。

メモ帳に筆ペンをつかって何本も線を描く。
これを1本ずつ画像で取り込んでコントラストなどの処理を済ませて保管しておけば、ポスターやチラシなどに使う線や面の素材にできる。
高価な画像編集ソフトなどを使えばこういう面倒もしなくてすむのだろうが、私の場合は原則としてお手軽無料アプリしか使わないから、たまに自力で素材作りをしながら作業効率を強化しているわけで、もう10年以上そういうことをコツコツと続けていると、ストックも溜まってそれなりに使い勝手も良くなっている。
ソレをつかって個展の彫刻を撮りためた写真をハガキにした。
文字も入院中にメモ帳へ書いておいたものだ。
日常の移動でも鞄には筆ペンが2本くらい忍ばせてあって、文字にしても素材にしても、それに彫刻原稿も、とにかく思いつくと筆ペンでメモをとる。
そういうことは、まぁ、都合の良い自分なりに現実逃避の手段ともいえる。

ノッチは最近ダーツにハマっている。
職場からの帰りに2〜3時間ほど一人でダーツを楽しんでいるらしい。都内で流行っているようで、なかなかの腕前だ。彼女の周辺の雑然とした日常の中で、心静かに無になれる貴重なひとときになっているのかも知れない。
夕食の後は近所のジムへ通い始めたようだし、ひと頃は、連日飲み歩いていたほどの彼女も、自分の健康を見つめ直すようになったのだろうか?それともノッチなりの現実逃避の手段になっているということなのだろうか?

一人で楽しめるゲームスポーツというと、私のころは歌舞伎町に空気銃の射撃場があって、一時期は頻繁に通っていた。そこからすぐの西武新宿駅近くの路地には地下一階に小劇場があって、結構メジャーな俳優や女優さんがマニアックで前衛な一人芝居や朗読などをしていた。
今度ノッチに逢ったらダーツを教えてもらおうかな・・・
右手のシビレはそのまま残っているだろうけど、ソレは仕方がないね・・・

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銀くんはミッション 

2019/06/23
Sun. 19:52

万善寺本堂でお檀家さんの法事をした。
お檀家さんが菩提寺へお参りをして法事をおこなうというと、山寺の万善寺としては殆ど無いほどに珍しい。
だいたいが法事の日取りが決まったら、事前に塔婆を書くなどの準備をして坊主の方からお檀家さんのお宅を訪問する。御本尊様と一緒にその家のご先祖様をお祀りしてあるお仏壇に向かって、法事に該当の御位牌を中央に安座して、お経を読む・・・という、そういう流れで法事が始まるのだが、1年のうちには時々この度のように檀家さんの方からお寺へお参りをして法事をされるところも無いわけではない。

市街地ではこういう形式の年回や供養法事が一般的になりつつあるようだが、万善寺住職的に云うとそれはあくまでも略式の法事であると考えている。
最近は、ひとの生き死にというと、生まれるときも死ぬときも病院から始まって病院で終わることが当たり前になってきた。私個人としては生家で産婆さんのお世話になって産湯を使い、長年愛着のある自宅の畳の上で死にたいものだと古臭いことを思っている。正純和尚も万善寺の庫裏のひと部屋で産声をあげた。さて、死ぬときはどうなることやら・・

そんなわけで、いまひとつ落ち着かない余所行きの法事を午前中でサクッと済ませ、ひと心地ついてから飯南高原に点在のお檀家さんをグルッと一周配りものをして回った。
3時間弱かかって走行距離60km。銀くんの乗り降りを繰り返しながら戸別訪問でポストに配りものを投げ込みながら弱った足腰を酷使していたら、寺の庫裏玄関にたどり着いたときは膝がいまいち上がりにくくなっていて、高くもなんともない敷居につまづいてひっくり返りそうになった。それで思わず踏ん張った膝の具合がそれからどうも思わしくなくて鈍い痛みが続いている。

そういえば、広島の百ヶ日では往復250kmを走破した。首をかばいながら2日間で300km以上を走ったことになる。昨年の異常寒波が終わった春先に結界くんから乗り換えた銀くんは、1年の間に3万km走った。島根県山間部を拠点に活動していると車は自分の足がわりの必需品で無くてはならない大事な道具の一つになっている。
最近、各種メディアがしつこく食いついている高齢者の人身事故は、今の自分にとって他人事で割り切ることのできない切実な問題として眼前にぶら下がっている。
幸か不幸か、万善寺の変に癖っぽくねじれて曲がった急な参道の御蔭で銀くんはミッション。上り坂の途中でサイドブレーキを駆使して坂道発進したりして、なかなかハイレベルな運転技術が必要になるが、そこまでしても冬になって雪が降ると参道が登れなくなる。
ミッションは操作を失敗するとエンストして動かないから、ある意味同じ操作ミスでも高齢者にとってはかえって安全な車であるような気もする。適度な運転ストレスがあってとことん優しすぎない所が良い。
近い将来、銀くんの操作もおぼつかなくなる日が必ずやってくる。仕方のないことだが、車が勝手に動いて走る狂気と化して人身事故を起こすよりはマシだとあきらめも付く。
今のうちから、「畳の上で元気に死のう!」を目標に「ひきこもりジジイの楽しい暮らし」なるネタを、けっこう本気であれこれ考えはじめている。

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口乃心之門 

2019/05/14
Tue. 17:11

三食昼寝付きに土日祭日無くリハビリ療法士さんが身体のアチコチをほぐしてくれる。
ボクの生涯でこんな贅沢な毎日を過ごすことなど二度と巡ってこないだろうと、しみじみそんなことを思いつつ、まだ陽の高いうちから風呂につかっている。

しばらく続いていたシャワー生活から「明日から首の装具をはずしてお風呂に入られていいですよ!くれぐれも足元とを気をつけてくださいね♡!」と、看護師さんから入浴許可を頂いたのはだいたい1週間ほど前のこと。ベッドにゴロンと横になってこわばった身体の関節や筋肉をほぐしながら文庫本を読むのが暇つぶしのようなものだから、もう、かれこれ10冊近くの小説や実用書などを読み終わった。周囲のざわめきが気になるときは、ウエブラジオをヘッドフォンから小さく垂れ流しておくと、もう、完全に自分の世界へ入り込んでしまう。

この数週間の入院で気づいたことがある。患者さんの独り言が絶えないということ。
バイクの交通事故で入院中の青年まで、とにかく世代を超えてまんべんなく独り言が出る。
そういえば、万善寺暮らしの憲正さんや俊江さんも独り言が多かった。だいたい老人はそういうものなのだろうと、その頃は特に気にすることもなかったが、こうして一つ病室で集団生活をしていると自分以外のみんながそれぞれ何かしらブツブツとつぶやいていて、ソレがアチコチから聞こえてくる。一度気になると、自分の耳が敏感に反応して聞くともなしに聞いてしまうようなことになって厄介なことだ。
少し意識して自分の1日を緊張しながらチェックしていると、何故か自分には独り言が出ていない。そんなものなのだろうか?自分で気づかないだけなのかも知れない・・・
「口乃心之門(くちすなわちこころのもんなり)」と、菜根譚にある。
まぁ、口は慎みなさいよ・・とでもいうことなのだろうが、改めて自覚すると自分の思っていることを知らない間に口走っているようなことも、けっこうあったりする。
場合によっては、些細な一言で相手を大きく傷つけてしまったり、取り返しのつかない誤解を生じたりなどなど、良いことは一つもない。

結局うまくスケジュールが合わなくて映画を見逃してしまった「散り椿」を読んだ。
葉室麟さんは藤沢周平さんが亡くなってからアレコレと系列の糸を手繰ってたどり着いた。「蜩ノ記」も良かったし「冬姫」も面白かったし・・・と、今までソコソコ読んできたが、この入院中に読んだ「蛍草」は、思わず嗚咽の声が漏れるほど泣いた。葉室麟さんはどちらかというと説教めいた堅苦しくて無骨な感じの時代小説が多いと思っているが、この蛍草は彼の作風には珍しく周五郎さんとか周平さんに近い娯楽色の強い読み物になっていて、楽しめた。
自分の身勝手な想像だが、葉室麟さんは中国の儒教道教や仏教キリスト教などの宗教をかなり読み込んでいらっしゃった気がする。儒教の建前と道教の本音を適度にミックスしながらブレのない禅の死生観が主軸に構成されている。
今から400年ほどは前だろうか?戦国から江戸にかけての日本は、東洋哲学や宗教が今よりもっと身近な学問のバイブルとして日々の暮らしに活用されていたのかもしれない。

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5回目の日曜日 

2019/05/12
Sun. 16:57

手術が終わって5回目の日曜日が来た。
まぁ、長くも感じ短くも感じ・・・いずれにしても「入院」そのものが初体験だからそれなりに発見の毎日が繰り返されて、1日がアッという間に過ぎる。
今日までに病室を3回変わった。今の病棟は、脊髄に関する手術が終わってリハビリ治療を続けている患者が集まっていて、基本みんなほぼ元気だから、なかなかに騒々しい。
他の病棟は人工関節や膝だったりと、症状に応じて患者さんが振り分けられている。

私は、今までに2回ほど血液検査があって、2回ほどリハビリ治療の経過検査があって、それらが、もう1回終わったあたりで退院日が決まりそうな様子だ。症状としては、手術後すぐに麻痺が現れた左肩の神経はほぼ日常生活ができるまでに回復した。今回の手術に直接絡んでいた右手指のシビレは、入院前とほぼ同等で今後の改善は難しそうな様子だ。
外来の診察ですでにそのコトが予測されていたから、現状維持を当面の目標にして、今後はソレに慣れながら付き合っていくように気持ちを切り替えつつある。こういう状態も、せいぜいあと20年付き合っていけばソレだけのことだから自分としてはあまり深刻になることもない。それでも、リハビリ療法士さんは身体の改善が少しでも進むように丁寧な治療を続けてくれていて、自分の身体の不具合を客観的に指摘してもらったりすると、過去の悪行でどれだけ長い間我が身を身勝手に酷使していたか、その要因が思い出されたりすることも多々あって、今更ながらに慎ましく反省の入院生活を続けている。それも、退院してしまえば、また目先の現実に向き合って以前と似たり寄ったり同じように毎日を過ごしてしまいそうな気もするが、ひとまず、今のところは自分の身体をいたわりながら無理のないようにおとなしく1日を過ごしている。

「ねじまき鳥クロニクル」を読み終わって少ししてから、ウエブニュースサイトに村上さんの対談記事を見つけた。彼のお父さんはお寺の次男坊だそうだ。戦争に徴兵されて過酷な中国戦線に従軍したときの日本兵の残虐な行為をリアルタイムで体験されたそうで、村上さんがまだ少年だった頃1度だけその時の様子を克明に話してくれたそうだ。ねじまき鳥クロニクルでの生々しく残酷な話は、僧侶でもある父から聞いたときの戦争追体験がベースにあったのではないかと、勝手にそう解釈した。
前回読んだときは、スプラッターホラーの要素が強すぎてほとんど飛ばし読みしていたのだが、どうせ今はベッド生活で時間も暇もたっぷりあったから、シッカリと隅から隅まで読んだ。戦争に徴兵されて従軍した人は、万善寺檀家さんでもたくさんあった。今はすべて彼岸ぐらしをされているが、まだ健在の頃はお酒がまわると喜々として講釈師のように戦争体験を少年のボク相手に話されていたおじいちゃんを思い出す。
吉田家の場合、先代の憲正さんは、山口のお寺で修行中に終戦を迎え、母親の俊江さんは親戚を広島の原爆で亡くし、本人は島根の実家で南から押し寄せる原爆の地鳴りを体験している。親戚が集まると繰り返しそのことを話していた。
今の地球社会が平和であるとは全く思ってもいない。
人間の残酷なエゴイズムはこれから先も薄まること無く続いていくだろうが、せめて心をこめた謝罪の気持ちを伝えることくらいはできるような気もするのだが、今の利己的な自由社会では過去の事実に向き合って謝罪の一線を超えるという勇気もわかないのだろう。

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愛のかたち 

2019/04/26
Fri. 15:59

4月に入って早々に降った雪が消えてからしばらくは、春めいた良い天気が続いていた。
そろそろ大型連休が始まろうとする今頃になって雨が降り始めて、今日で3日目になる。
菜種梅雨というには少々時期がずれてしまったが、心地よい程度の適度な肌寒さと湿気はかぎりなくジジイに近いオヤジの干乾びたお肌に適度な潤いを補充してくれる。

手術後2週間が過ぎた。
3日ほど前から首のガードを取り外して全身シャワーがOKになった。
2週間目の当日には、手術の傷口を止めていたテープがとれて、歩行補助器使用が解除された。
久しぶりに自分のペースで歩き、一般トイレの出入りが解禁され、エレベーターを使った病院内の縦移動も許可された。
理学療法と作業療法のリハビリ治療も、自分のベッド上からリハビリステーションへ移動して行われることになった。
普通に日常の暮らしへ戻ると、生活のそこここで想定外のストレスに遭遇することもあるだろうが、病院内での恵まれた環境ではそれほど大きな不便を感じることのないまま、特に改まって意識することなく少しずつそれぞれの場面への適応力が身についていて、そういう状態をクールに認識しながら現状を受け入れている自分がいる。

手術が終わって覚醒してから3日目の朝、目が覚めると左の肩に神経の麻痺が出ていた。
腕を上げることができないし、全く筋肉が動かなくて力も抜けたままだった。
指先のシビレは、右手のほうがひどかったが、右肩は以前と変わりなくストレス無くだいたい普通に動いていた。
首の骨の関節の隙間から出ている神経の束が手術の影響で圧迫されて「麻痺が出るということは稀にあることだ」と事前に説明を受けていたから、自分では「左肩へアレが出たな・・」くらいに担当の看護師さんへ症状の報告をしておいたのだが、それからしばらくして、深刻な顔をした主治医のドクターが回診してくれた。
「こういう症状が出ることは稀なことなんですけどねぇ〜・・・」と、左腕の稼働状況を確認したあと、「現状確認と記録を兼ねて・・」ということで術後の管が全て取れたところで断層写真を残しておくことになった。
いずれにしても、自分にはそのときどきの状況をそのままダイレクトに受け入れることしかできないわけだから、アレコレと深刻にジタバタしてどうなるものでもない。

ワイフは、仕事の合間を縫ってマメに見舞いをしてくれている。そのたびに、ポット満タンのコーヒーを持ってきてくれる。アルコールは特に苦労すること無く禁酒できているが、コーヒーはなかなかそういうわけにいかない。コーヒー絶ちの方が今の自分にとって辛いことになっている気がする。
ワイフとは結婚してそろそろ40年近くになって新婚当時の甘ったるい恋愛関係など雲散霧消と化した今、気がつけば、ソレとは全く違った生活共同体としての信頼関係が強化されていたという発見があったように思う。
ソレもまた愛のかたちのひとつなのかも知れない。

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説教とは・・ 

2019/02/05
Tue. 23:47

なんとなく寝るタイミングを逸してしまって、ウエブ配信のドラマや映画を見る気にもならないし、しばらくYouTubeで音楽のビデオを見ていたが、ソレも今ひとつ身に入らないし、垂れ流しのBGMに切り替えて、ウエブニュースを上から順番にチェックしていたら、そのうち、いくつかの読みかけの文庫本があったことを思い出した。
一つは葉室麟さんの長編。一つは三浦しをんさん、一つは安西水丸さんのキネマ旬報へ連載されていた映画エッセイ(これは読みかけとは言えないな・・・)、一つは夢枕獏さんの仏陀の荒唐無稽長編冒険譚、一つは村上春樹さんの対談・・・などなど、夜中にその気になって探し始めたら自分の周囲の彼方此方から読みかけの文庫本が湧き出るように見つかった。
こんなに、際限もなくアレコレの本をつまみ食いのようにつまみ読みしていると、その1冊の読みかけのところまでがどんな内容だったかほとんど覚えていなかったりする。
こんなことだと、「読書」という領域から逸脱していて、どこかしら自分の近くに何かしらの本が転がっているだけでなんとなく気持ちが落ち着くといった、精神安定剤のような役割にしかなっていないように思ったりする。
それでも、それらの1冊1冊には、記憶に残るというか脳みその何処かに張り付いて離れないというか、そんな感じで前後の雰囲気をいつまでもソコソコ覚えているようなこともあったりして、それはソレで「何もないわけじゃないからネ・・・」と勝手に自分でそういう状況を肯定的に納得しているようなところもある。
さて、それじゃぁ~ひとまず「どれから読み続けようか?」と決め始めたら、それがなかなか決まらない。夜中のことだから、すぐに眠くなる本にするのも良いかも知れないし、軽めの感じで無理なくスラスラ読み続けるのも良いかも知れないし、せっかくだから、少し丁寧に行間を追いかけるのも有りの気もする・・・

ボンヤリと、そんなことを思っていたら、いつも鞄に忍ばせて持ち歩いている菜根譚を思い出した。
洪自誠さんの菜根譚は、私のバイブルのようなもので、日常の何かにつけて暇があればパラパラとページを捲って、止まったところから2つ3つ読み進めたりしている。特に暗記をしようと思ってもいないが、気になるフレーズはしばらくのあいだ覚えていられるし、その時時の状況によって微妙に解釈が変わって感じられたりして飽きることがない。
こういう状態の菜根譚と私の関係はどこかしら師弟関係に通じるような気もしていて、日頃だらしなく暮らしている自分には大事なことのように思う。
洪自誠さんの時代・・というより、孔子さんや老子さんなど中国哲学では「小人(しょうじん)」と「君子(くんし)」を並べて論じる傾向にあるようだ。小人は「人徳がなく度量の小さい人」で、君子は「学識や人格が優れた徳の高い人」を象徴して定義づけられていて、だいたいその2者を対比させながら善悪善し悪しが示される。洪自誠さんの菜根譚もザックリとそういう形態に属しているから、云っていることが結構厳しくて断言的ではあるが、私にはどこかしらボンヤリとした柔らかさも感じられて、それが好きなのだろう。時々「法事の後のナンチャッテ説教で使えないかな?」と思ったりもするが、なかなか自分の言葉に置き換えるまでの技量がなくて諦める。
「説教とは、教訓を垂れること!」とあって、「教訓とは教え諭すこと」とあった。
どうも意味不明でボクにはよくわからない・・・?

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気持の拠り所 

2019/02/03
Sun. 23:51

寺で暮らしている時は、時間をみつけて祈祷太鼓をたたいている。
先代は、塔婆の書はもちろん、音感がよくてお経も御詠歌も和讃も太鼓も上手だった。
現住職のボクは、自他ともに認めるナンチャッテ坊主だから、先代とは比べ物にならないほど坊主業全てにおいて下手糞だ。それでも、万善寺の住職はボクしかいなくて住職業の何をするにも避けて通れないこともいっぱいあるから、様々な場面でたくさんの恥をかきながらどうにかこうにか乗り切っている。

3日は節分だから、一人本堂で祈祷のお経を読んだ。祈祷のお経は太鼓を叩くことが多いから、下手糞なりにバチを振った。
正月になって、三ヶ日が終わって、節分までのできるだけ早い時期に、自分なりに今年1年の自戒をいくつか用意する。
偉い和尚さんは、毎年のはじめに遺偈(遺言のようなもの)を残される。
私は偉くもなんともないから、偉そうに遺偈を残すなど恐れ多い。それで、そういうことはしない代わりに、自戒を用意するわけだ。そうしておくと、何かにつけてそのコトが思い出されて、だらしなく緩みきった自分の気持が若干矯正できる。
塔婆を書く時は、裏書きにその言葉を使うこともある。
展覧会や季節のお知らせとか、ときには何かのデザインのキャッチコピーに使うこともある。
そうやって、日常に都合よく利用していると、知らない間にその言葉が少しずつ自分の気持の中へ入り込んで、やがて現実的で具体的な事象と結びつくことがある。だいたい1年が過ぎる頃には最初は曖昧でどうとでも解釈される抽象的な文言がそれなりに煮詰まって記憶の何処かへ張り付いてくれることもある。
名僧高僧さまをはじめ先人諸氏の名言は、はじめのうちは自分の現実と全然関係ないところで浮遊していて、頭ではなんとなくわかってもソレを自分の実感として自分の所作に置き換えるまでには程遠い。せめて1年位は心にあたためて時々思い出しながらそういうコトを繰り返しているうちに少しずつ現実の具体と関連するコトがあってソレに気付いてドキッとする自分がいる・・・ということを何度となく実感している間に、気がつけばそれなりの信念や確信を持ってその文言に自分の気持の拠り所を意識できていたりする。
もっとも、用意した自戒の全てが自分の気持を動かすことも珍しくて、実際、1年も過ぎれば知らない間に年始めの自戒などコロッと忘れて忘却の彼方に消え去ってしまっていることも多い・・・というより、ほとんどソレばかりだったりする。
それでも、そういうことの繰り返しのなかで、とにかく色々な場面で思い出されることもあるし、絶対に忘れることのないまま生き様であったり信念であったりそういうものに変わる自戒もないわけではない。
そういう文言のいくつかは、確実に自分の救いになっているし力になっている。
信心の気持ちというものは、そもそもそういうことの終わりのない積み重ねであるような気がする。

今年は、「動静両忘」「風逐自然清」「静聴鐘声」の3つを書いておいた。
私が好きな洪自誠さんの言葉の一節です。文字を並べるとシンプルで簡単なことだが、その奥深さに感じるものがある。「静聴鐘声」は個展の案内で早速使わせてもらった。

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あのころ 

2019/01/31
Thu. 23:32

彫刻の梱包は結局1日で終わらなかった。
「手伝いましょうか?梱包・・」
ショップのスタッフが気を利かせてくれたが、ありがたく断わった。
信用していないわけではないが、やはり彫刻梱包のことはアマチュアにはまかせられない。時間はかかっても、いずれいつかは必ず終わる作業だとわかっているから、特にイライラもしないし、それになによりボクはとってもヒマで時間だけはタップリあるのだ!
「今日はお昼すぎで仕事終わるから、それから会場へ顔だすね♡!」
ワイフが、出勤前にそう言っていたから少しだけ彼女を期待しているところだ。

最近の小品彫刻展は、年々抽象の彫刻が減っている。
絵画の方は、かなり前から純粋抽象をほとんど見ることが無くなっている。日本の美術界全体が絵画彫刻問わず具象へ傾いて、知らず知らず作家の目はそういう流行を追いかけているのだろう。
具象抽象平面立体各種素材表現技法なんでもひと通りそれなりの研究表現が出来て、それをベースに取捨選択して個人のオリジナルな表現を絞って追求するところに美術家の個性とか作品の斬新が醸し出されて、それが面白い!・・・と思うのだが・・・

雪が降らないといっても、飯南高原はそれなりに彼方此方で消え残った雪の残骸を見かける。万善寺もまだ境内に屋根からずり落ちて固まった雪が山になっている。
年末から年始にかけて少しずつ溜まった各種のゴミを処分したいのだが、銀くんはやっと境内まで乗り入れることができるくらいで、簡単にゴミの積み込みをするにはまだ雪が多すぎる。
時期が来たら一気に片付けようと物置代わりに使っている離れへ集めてあるゴミの山を整理していたら、学生の頃に描きためたクロッキー帳を見つけた。
1冊100枚綴りの片面しか使わないで描き続けたクロッキーは1000枚を軽く超える。
毎週1回の予備校主催クロッキー会でタイムキーパーのアルバイトをしていた約1年半で描き続けたものだ。タバコ一箱程度の時給は安いものだったが、お金をもらってクロッキーができるわけだから、なかなか美味しいアルバイトだった。
懐かしくてパラパラとめくってみると、今の自分よりずいぶんと描写力がシッカリしている。それぞれのクロッキーに、描画の主題を決めているところが伝わってくる。純粋に素直にモデルさんと向かい合っていた。きっと、絵を描くという行為が楽しくてしょうがなかったのだろう。絵を描くということくらいしか表現の選択肢が無かったのだろう。まだ立体の実在に出会いその魅力に引き込まれてしまう前の頃だ。

具象彫刻を梱包していて、あのクロッキー帳のことをなんとなく思い出していた。
立体にのめり込んで、鉄と出会って、たくさんの技法を知って、未知の表現に悩み、数え切れないほどの失敗を繰り返して、気がつけばもう身体も思うように動かないジジイになって、指先の感覚もなくなってドローイングの線もフラフラでヨレヨレ・・・まぁ、それでもそれなりに未だに彫刻の造形が枯渇していないのも、あの頃形態の具体に正面から向き合ってセッセと脳みそを回転させていたからだという気がしないでもない。

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珈琲の緑茶割り 

2019/01/23
Wed. 23:05

珈琲の緑茶割りが身体に良いと、何かの本(多分雑誌)で見た気がする。
記憶をたぐると「読んだ!」という気がしないから、広告か見出しか何かをチラリと見かけたくらいのことだと思う。
どうしてそれを覚えているかというと、珈琲が好きであるということ。それに寺の茶箪笥へ緑茶の詰め合わせが消費されないまま山積みに溜まっているということ。その2つの現実が、「珈琲の緑茶割り」で見事に頭の中で合体したことによる。

一般の概念というか大衆の常識というか、とにかく禅寺とお茶はとても親密で切っても切れない関係であると思われているようなところがある。それで曹洞宗の末寺万善寺も毎年のお中元やお歳暮でアチコチからその年の新茶が届くというわけ。
まずは仏様へお供えさせてもらって、そのお下がりをいただくわけだが、オヤジの一人暮らしではとても1年でその年1年分のお茶を消費することが出来ないまま、残った新茶が少しずつ古くなって溜まっていく一方になる。とても有り難い悩みであるわけだが、残念ながら住職である私自身が緑茶をあまり好まないこともあって、新茶が古茶に変わって、時々フライパンに移して煎り上げて即席のほうじ茶もどきにしたりするものの、やはりすべてを消費できなくて古茶が古古茶になってしまう。そういう寺の日常のこともあって「珈琲の緑茶割り」のフレーズを忘れないでいた次第。
珈琲は好きで毎日欠かさず飲み続けているから、それにひと手間加えて緑茶で割って、そういう飲み物がとりあえず我儘坊主の口に合えば、無駄なく緑茶の消費につながるし都合が良い。まだ余裕がなくて実践に至っていないが、近い内にブレンドの具合などを色々試してみようと思っている。

「喫茶去」は、もともと中国の禅僧のお言葉が始まりらしい。その禅的解釈を臨済宗開祖の栄西大和尚様が日本で広められた。そういうことから、禅宗というと「どうかお茶でも召し上がれ!」というノリの所作を想起されるようになったのだと思う。
昔は、お茶も漢方の一種で珍重されていたようだ。インゲン豆も隠元大和尚様に由来するらしいし、タクアン漬けも沢庵大和尚様が語源らしい。昔の方丈さまは、今でいうところの漢方医とか薬剤師的存在でもあったのだろう。
そういえば、書画仏画仏像彫刻、作詞作文など、坊主の表現観はなかなかレベルが高い。どの坊主もみんながみんな同じようにセンスや才能があるわけでも無かったろうが、宗教的修行だけで坊主の人格が形成されていたわけでも無い気がする。
もともと、仏教の根本は限りなく解釈の広がった抽象的で雲を掴むような混沌としたものであったりするから、昔々の偉い方丈様方はそれをいかに具体的な実践に置き換えるかということを真剣に考え試行錯誤していたのだと思う。
仏事様式を正確に伝承することも大事な修行であるだろうが、もう少しアバウトに振り幅を広げて坊主個々人の仏教観を模索してもよい気がする。近年は、坊主カフェとか坊主バーとか坊主ミュージシャンとか坊主フェスとか色々と営業を展開されている様子を見聞する。ある意味で、そういうことも布教活動としては大事な実践であるのだろうが、シャイで人見知りのナンチャッテチキン坊主のボクなど、コツコツと彫刻を造り続けることくらいしかできそうにない。それじゃぁ、とても積極的布教活動になってないね・・・

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三度のメシ 

2019/01/09
Wed. 23:07

「あなた、絶対アル中よ!」
ワイフは、何かと言うとボクにそう言ってくる・・・
「そんな、毎日酒飲むなんておかしいよ!」とか、あげくには「あんた、ヘンよ!」とまで言われる。そんな辛辣でデリカシーのないことを本人はどこまで自覚して発言しているのかわからないが、とにかく、面と向かってそういうコトを言われ続けながら酒を飲んでいるボクとしては、なかなかにやるせないものがある。
確かに、酒とかタバコは中毒性を有するものであるとは思う。ボクとしてはそれを自覚しつつ、ある意味でそれなりの理性のもとに酒を飲んでいるようなところもあるから、「よしヤメよう!」と思えば、何時でもやめられる自信がある。タバコに至っては、ほぼチェーンスモーカーだったボクが、長男の妊娠がわかったことを契機に、誕生のだいたい2ヶ月ほど前からピタリとヤメたという、実績もある。
そもそも、酒を含めた飲食全般は基本的に嗜好性の強いものであるから、好きな奴もいれば嫌いな奴がいて当然だし、美味いと思う人もいれば不味いと思う人もいてアタリマエのことだ。そういう好みの問題を自分の主観的尺度で判断して良し悪しを結論付けられても困ってしまう。まぁ、ワイフの場合は、私の健康を気遣ってそういう厳しい言い回しをしてくれているものだと好意的に解釈しているけど・・

彼女が酒のこととか食べ合わせのこととかあまりしつこくチクチクと云うものだから、こちらも対抗手段として「マッチャンが○○食べちゃダメというから・・」とか「ボクはもう、☓☓食べられないんだもんね〜・・」とか「別に酒飲まなくても全然大丈夫だから・・」とか、ワイフがあれダメこれダメということを、一つ一つ口に出して証明しながら実践することにした。
酒に関しては、麦酒にしても日本酒、焼酎、ウイスキー、ラムにワインなどなど、それなりに各種なんでも別け隔てなくそこにあるものを美味しいと思って飲んでいるが、基本的にアルコールであることに変わりがないから、「飲まない!」という一点をキープすればそれほど気にすること無く普通に簡単に禁酒できる。いっぽう、食べ物の方はなかなか至難の業で結構頭を使うというか・・・「アレはダメでコレは大丈夫で・・・」などと考えながら食べるということがめんどくさくて食欲が減退する。これも一種のダイエット効果と言えなくもないが、「美味しくいただく」という気持ちが失せてしまって、毎日の食事が味気なく感じてしまうようになった。
そういうコトをしばらく続けた後にお正月を迎え、ワイフ手造りのおせちが出て、お供えの鏡餅が仏様の数ほど大量に造られ、それらを消費することの「もったいない義務」で三度のメシに望んでいる今日このごろ・・・あらためて、美味しいご飯がいただけるということがどれだけありがたく幸せなことかということを身をもって実感する。

人間ドックでアレコレの肉体的諸問題を告知され、お正月のお下がりを冷蔵庫から出し入れする毎日が続くという2019年がスタートしている。ささやかな救いといえば「ボクはアル中ではありません!!」ということをワイフが認めてくれたことくらいかな・・
一方、ノッチは想像以上に健康的且つ健全な生活を続けているようで、1週間分の弁当を作り置きし、女子力をレベルアップさせている。さすが料理上手のマッチャンの娘だ。

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年賀状に関する一考察 

2019/01/07
Mon. 23:01

吉田家を基地にして万善寺へ出かけることは「通勤坊主である!」と言える。さてその逆で寺から吉田家へ向かうという状態はどう言えば良いのだろう?・・
普通だと「自宅へ帰る」ということなのだろうが、私の場合は万善寺も生家だからそれも自宅であるわけで、ということは「自宅から自宅へ帰る」ことになるわけでもあり・・・などと、どうでもいいわけもわからないことを布団の温もりから抜け出せないままボォ〜〜っと考えていたらワイフから電話がきた。
「昨夜、電話もらってたようで・・・ごめん、もう寝てた。何か用だった?」
用事があるから電話したんだけどネ・・・
「年賀状、急いでたんでしょ?印刷終わったから、そのこと・・・」

副住職が長かった時は、生活の拠点がほぼ100%吉田家にあったから、年賀状も吉田家に届くものをそのままチェックしていればよかった。
住職交代をしてからは寺と吉田家の両方の年賀状が混在するようになってデータベースの管理が急にややこしくなった。それで、毎年のように年末から年始にかけて年賀状の対応をどのようにすれば一番良いのか試行錯誤を繰り返しているが、まだ最善の策が見つかっていない。
個人的には、日頃から普通に親しく付き合っている友人知人とか、毎日仕事で顔を合わせている同僚とか、仕事の付き合いが外せない仕事仲間は、特に改まって年賀状のやりとりをするまでもないことのような気がしている。
日頃不義理をして疎遠になっている親族や、無視の出来ないほど大事な恩人や、気軽に逢うことの難しい遠方の友人知人が年賀状の対象であるくらいでいいような気がしている。
そうはいっても、こればかりはお互いに相手のあることだから、自分の身勝手な都合ばかりを優先するわけにもいかないし、相手に失礼のない気遣いも大事なことだから、それでいつも悶々と悩んでしまう。
この2〜3年の吉田家は前住職夫婦の他界で喪中も絡んだし、周辺の皆様も似たような状況らしく喪中はがきが増えていて、それも含めたデータベースの管理が年々複雑になっている。

万善寺オリジナルカレンダーや手摺り和紙のおふだなどを遠方のお檀家さんへ発送するためのデスクワークをしていたら、ワイフがお昼前に寺へ来て、早速彼女分の年賀状へ新年の挨拶や宛名書きをはじめた。
前住職の頃は、寺用の年賀状には出来るだけ「謹」の字を使うように気をつけていた。
「謹」には「うやまう」とか「かしこまる」とか相手に対して敬意を表する意味が込められているから「新年を飾る文字としては欠かさないほうが良い」と、前住職から聞かされていた。個人的には、かえって堅苦しく余所余所しく思えて、親しみの距離が遠ざかってしまうような印象もあったから、むしろ吉田家の年賀状へは「謹」絡みの文字とか言葉をあまり使用しないようにしていた。
そもそもの年賀状の意味というか意義はよくわからないが、どこかしら郵便局の営業戦略に思えなくもなく・・・まぁ、いろいろありますが新年のお知らせというか挨拶というか・・・ひとまず今週中には一段落するはずです。

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平成最後の年末 

2018/12/28
Fri. 23:21

年内最強の寒波が南下してくるという。
雪は避けられない状態のようだし、萬善寺の参道は積雪で4WDの銀くんでも登ることができなくなるから、重たい荷物とか大きなかさばるものは事前に寺へ搬入しておいたほうが賢明だ。

前日に萬善寺入りして、ワイフが持たせてくれた鏡餅やお正月の年始会で必要な食材などを搬入した。
しばらく石見銀山の暮らしが続いている間に、たぬきが寺の留守番をしてくれていたようで、庫裏の西の端の勝手口から本堂の東側の基礎石の角まで、要所要所にウンコのマーキングをして夜回りをしてくれていた。
今年は、年始めの寒波と夏の猛暑で母親が育てていた鉢ものがほとんど絶えた。
そのなかの幾つかは鉢から地植えに移して何とかひと夏を乗り切ることが出来たものの、今度の年末寒波に絶えられるかどうか、微妙なところだ。
植物はしゃべらないし動かないから自分の身勝手な都合で面倒をみるくらいしかしょうがない。特別植物が嫌いというわけでもないが、わざわざ水やりをいてまで育てようとも思わない。それに、放ったらかしで何もしないと際限なくはびこってしまうこともあったりして、そうなってからではよけいに始末が悪い。毎年、秋になって落葉してから刈り込んで絶やしてやろうと考えてはいるのだが、秋は一方で彫刻制作の繁忙期だから、庭木や植木の剪定にまで労力が及ばないまま、結局ははびこるままになって今に至っている。

植物というと、正月の松竹梅の準備もある。
これも天気との関係でなかなか日程の調整が難しい。
前住職が他界して3年になるし、そろそろ現住職なりのシステムを導入しても良さそうな気もする。結局は個人の趣向で決まることでもあるが、今年は、松竹梅も含めて生物のお供えは最小限に留めてみようと思っている。
萬善寺の周囲を見渡すと、松は数十年前のマツクイムシ襲来以来、近所からの採取が難しくなった。梅は20年ほど前に西の畑へ植林したが、その後母親の老化に伴って管理が手薄になって今は原生林に近づいた荒れ地に変わった。竹は春先の筍採取に私の手が回らなくて猛烈な勢いで寺の周囲を攻められている。今年の春にはついに寺の東側の庭で1本ほど伸びて、今は本堂の軒に成長を阻止されて窮屈に斜めに曲がっている。松竹梅も縁起物で大事な年越しグッズになっているのだとは思うが、結局は成長の芽を摘んで枯らしてとんど祭りの焚付に変わっているだけのことだから、自分としてはそういう人間の身勝手な利己主義の具現化が良いことだとは思わない。

これから29日を避けて、本堂の供え物などをして荘厳を完成させるつもりだが、平成の元号で年越しをするのも最後になることだし、次の元号を目指して気持ちや様式の切り替えを質素倹約優先で取り仕切っても良いかなと思っている。仏事行事の継承に反する行為かもしれないし、なにかと異論があるかもしれないが、今後、老化を避けられない我が身としては、現行行事の継承が途絶える日も避けられないことでもある。今のうちから最小限の労働作務でできることにしておけば、それはそれで少しは長続きするかも知れない。

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無心 

2018/12/07
Fri. 04:11

朝から溶接が続いて立っているのが少し辛くなってきたから、いつもの海へ出てみることにした。
北西風が比較的強くて波が少し高かった。
大陸へ続く水平線が凸凹に波打っている。

仕事中に無心でいられる時間がずいぶん短く減った。
昔は、溶接をしていると足が重くなることも腰が痛くなることも肩から首筋が固まって指先が痺れてくることもなかったが、この頃はしばらく決まった仕事を続けているとそういう身体のアチコチの不具合が気になってきて集中力が切れて絶える。
修行僧的に云うと、座禅の身体がゆらゆらと揺れて気が散っているような感じで、歳を重ねれば重ねるほど修行の成果が身についてくるはずなのに、私の場合はまるでその逆になっている。
「コラ!!修行が足りん!!」と一括されてしまう不甲斐なさだが、なにせ日常の生活優先の在家坊主といては致し方ないところもある。
先代住職のことを思い出すと、膝が思うように動かなくなって、腰痛がひどくなって、サロンパスの効能が用をなさなくなって、指がしびれて物をうまくつかめなくなったり紐を結ぶのに時間がかかったりし始めた頃から、「エイ!クソ!!」を口走ることが一気に増えた。法事の先の人前でも口から出てしまうものだから「そういう、汚いこ言葉は謹んだほうが良いよ・・」とさり気なくたしなめていたのに、今は自分が似たような状況になりつつあって「ヤバイ!!」と気づいて反省することが増えた。そのうち、気づかないまに思わず口走ってしまっていたりしてくると、まさに先代と同じになってしまう。ヤレヤレ・・・

「無心」というと、確か沢庵禅師(だったと思う・・・)が、「分別や思案の無い時の心の状態である・・・」というような定義付けをしていらした(はずだ・・?)。
ようするに「何もしないとか何も考えないとかそういうこととは違うよ!」というふうに私は解釈している。「自分の現状からしばし逃避してボォ〜〜〜っとしている状態のことではない」ということ。
何か一つ事に一心不乱に取り組んでいる時の状態が「無心である」といえる。少し状況が違うかも知れないが「集中している」ということはそういう「無心の時の状態」を云うのではないのかと思っている。

日本海の波を見ていると・・いや、見続けていると・・自然と心が安らかになって、ある時を境に刻々と常に変化する波の様子と自分の気持ちが一つに重なったように感じる時がある。結局はただ「ボォ〜〜〜」っとしていただけのことなのかも知れないが、それでも何かしら彫刻の次の一手に迷いがなくなった清々しさも感じていたりする。
日々自堕落に過ごしているから集中力が退化するのも仕方がないことなのだろう。それでもまだ、いざという時にひと踏ん張り出来る程度の集中力は維持できている気がする。なにごとも、自分のことは自分自身が一番良く心得ているつもりでも、実際自分自身が一番自分の事に気づいていなかったりするものだ。ボクはまだまだ自分に甘いなぁ・・・

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造る喜び 

2018/10/28
Sun. 23:14

この数年の間に自分の周辺で2人の彫刻家が制作から遠ざかって疎遠になった。
一人は体調不良が改善できないということらしいがその後どうなったか定かではない。
もう一人は公務多忙で制作の余裕がないということのようだが、これも実際どれだけ制作ができないほど多忙なのかはよくわからない。

一般的に美術家人口はそれほど多くないと思う。たとえば島根県に限ってみても専業の美術家として精力的に作家活動を続けている人を探すとなるとなかなか見つからない。私も坊主家業の片手間で彫刻を造っていると言っていいほどの中途半端な兼業彫刻家だし、ワイフも時間講師でいる時間の方が彫刻家の制作時間より数倍多い。
みんなそれぞれに自分の生活があるから美術の創作三昧で毎日が過ぎる作家など今の日本では芸術院会員くらいかもしれないが、それもみんながみんな専業の美術家であるかどうか、判断に苦しむところだ。

30歳前に生活の拠点を島根に戻してから今までワイフと一緒に制作を続けているが、その間に仕事が忙しくて制作発表を断念したことは一度もない。一身上の都合で出品が決まっていた展覧会をドタキャンしたことが1度だけある。ソレ以外は基本的に全ての彫刻制作と発表は自分の意志で参加不参加出品不出品を決めることにしていて、それが毎年のことになるとライフワークの一つになっているといっていいだろう。

彫刻家としての立場による自分の生活信条というと「構想と制作の継続」であるといえる。寝ている時以外は常に彫刻のことを思考の基盤に占めておくということ。それをしているから、少々の世間的摩擦や認識解釈の相違で起きる諸問題もあまり深く悩まないで切り抜けてしまうことが出来ている。「彫刻家であること」を自覚することで、日常の様々な場面で生じる価値観の相違による深刻なストレスを回避できている利点がある。

現在、彫刻から遠ざかっている二人も、たとえば目先の生活レベルをキープすることを最低限の譲れない条件としてそれを優先的に用意しているとすると、やはり彫刻のこと全てが二の次になってしまうことは避けられないことだ。
日常の暮らしの中で常に彫刻のことが最優先に位置付いていたら「あれがあるから彫刻ができない」的発想は出てこないはずだ。結局造形意欲とか創造力の枯渇が制作意欲の減退につながって、結果「造る喜び」が消えて苦痛に変わってしまうことも十分に考えられることだ。
自分の造形上のテーマを曖昧なままその場しのぎでやり過ごしてしまうと、やはりいずれそのうち制作の目標を見失って自分の立ち位置も揺らいで制作意欲も消沈して立ち直ることができなくなってしまう。彫刻が遠のいた二人はもう時すでに遅いところまで来ているかも知れないが、ほんの少しでも造る喜びの記憶が残っているなら、まずはなりふり構わずどんなモノでもいいから手足身体を動かして制作の汗を流してほしい。
彫刻の制作が、現実からの逃避の手段であってもいいと思う。
とりあえずはそのあたりのところで気持ちを切り替えることが出来て、少しでも気楽になれるなら、それだけで十分に彫刻制作を続ける意味があるというものだ。

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2019-08