工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

忙しい 

2017/10/24
Tue. 23:06

台風前からスッキリしない天気が続いていて、富山の野外彫刻周辺が整備できないままでいる。
万善寺への通勤坊主も、やっと以前のように日常化して吉田家の出発時間も少しずつ早くなってきた。何もなければ、片道40分から45分くらいで移動できるが、銀山街道の難所が幾つかあって、そのあたりの拡幅整備工事が何年も前から続いているから、停止信号の事情で運が悪いと1時間近くかかることもある。市街地や都会ほどでもないが、朝夕の通勤時間帯には1つの信号で2回くらい捕まることもあって厄介だから、そういう時間帯の移動は避けるようにしている。

再開したブログで六本木の野外彫刻が「台風で大丈夫だろうか?」と書いておいたら、彫刻部委員のHさんが、「大丈夫だったよ!」とSNSを送ってくれた。会の組織委員ともなると自分のこと以上に全体の不具合を気にしておかないといけないこともたくさんあって気が抜けないことだろう。
「台風なんて来るものは来るんだから、家で酒飲みながら彫刻の心配してたってしょうがないじゃない!」
ヘナチョコなチキンオヤジが、ワイフ相手に煮えきらないことを云っていたら、ガツンと叱られた。正にごもっともなことで言い返すことも出来ないし、気を使ってくれたHさんに悪いことをしてしまった。

毎年この時期は彫刻のことで2度ほど東京往復をするし、3年前からは富山の彫刻イベントも始めてしまったから、こうして文字に置き換えるとソコソコ忙し気に思われるだろうが、自分としては特別そう思うこともないし、それなりに暇な時間もあってノンビリと過ごしていられる。それでも、この度のように、2・3日前になって檀家さんから法事の依頼が入ったりすると若干時間調整に苦労することもある。
そもそも、「忙しい」という概念そのものに個人差もあって、その人の職業や環境や経験値など様々な状況を総合してまことに抽象的な感覚に寄りすがって「忙しいのだ!」と認識してしまっているにすぎないのではないかと思うことがある。
自分の場合は、周辺の環境に我身を投じてそれを「ゴクリ!」と飲み込んでしまっているようなところもあるから、そういう状況においては、「忙しくてしょうがない!」と感じることがあまり多くないだけのことだ。
たとえば、こうして毎日通勤坊主をしていても、結界君で往復の2時間弱は惰性で運転しているだけのことでけっこうボォ〜〜っとして過ごしているし、彫刻のことでアレコレととろけた脳味噌にドローイングをしたりしてなかなか有意義だったりする。
境内の庭掃きをしていても熊手や箒で造る真砂土の形状を工夫していたり、草刈り機を振り回していても土地の起伏や稜線の面白い変化に気付いたりして、なにかしら彫刻のことにつながってしまうようなことも多い。

夕食が終わったところで、ワイフが「アナタに私からのプレゼント♡!」と低反発の敷布団マットレスを手渡してくれた。
今夜は良い夢でも見られるかな??・・・と、気がつくとまた雨が降っている・・・

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道楽を極める者 

2017/10/14
Sat. 23:06

「そろそろ、道楽もたいがいにしてお寺のことで頑張ってもらわないといけませんがねぇ〜」
今に始まったことでもないが、何かにつけて前々からそのようなことを檀家さんに言われながら、結局は住職交代もして、「寺を守らにゃぁいけんけぇ〜」が口癖の母親が死んでからは万善寺を1週間と連続して留守にしたことがない。
それこそ、名実ともに「住職」を務めていることが増えたが、だからといって母親のように寺の庫裏の一部屋へ根が生えたように引きこもっているわけでもなく、昼の間は坊主家業で留守がちの「無住職」だし、夜は彫刻家の吉田に変身して石見銀山を拠点にすることも多いから、どちらかといえば「通勤坊主」の暮らしが常態といっていい。
たぶん、私のそのような居所の定まらない暮らしぶりを見るか聞くかして、自分の意に沿わない不満が「道楽」のひと言に集約されているのだろう。

そもそも、「道楽」とは、仏教に語源があって、今で言う世間的な意味合いとは解釈も違ってなかなか高尚で有難く、仏門にある私などはそれを目指すべきこととして大事に思わないといけない生涯の目標とか指針のようなものであったりする。
いちいち理屈をこねてそのようなことを反論しても、正しいとか正しくないとか、対立のもとになって、これも私としてはよろしくないところに結論が落ち着きそうだったりして都合が悪い。
まぁだいたいが、モゴモゴと口の中の曖昧な言葉をツバと一緒に飲み込みつつ、ニコニコと笑顔で首を縦でもなく横でもなく微妙に曖昧に振って切り抜けることにしている。

ついでだが、「極道」も仏教用語で時代時々の高僧は「極道者」と賞賛され崇められたりされるときにもちいられたという、ありがたいお言葉であったのだ。
世の中が変わって、時代の流行や風習の変化にともなって、本来の大事な意味を持ついろいろな物事がねじれ曲がってしまうと、なかなか元に戻れなくなってしまうということは、とても悲しいことだと思う。
現在の私など、「道楽を極める者」と言われているようなもので、身に余るほどの光栄なお言葉をいただいて、ナンチャッテ坊主のヨレヨレオヤジは幸せ者であるのだ!

秋らしく爽やかに澄みきった雨後の半日ほど夕暮れまでそのような都合の良いことを思い巡らしながら、今年最後(・・にしたい)の万善寺草刈りを続けた。
オヤジの一人飯で湯豆腐と残り物のアレコレをツマミに一杯やったあと、インターネットラジで見つけたアラブ音楽を聞きながら「とみ山彫刻 field art work」の回覧チラシをまとめた。アラブ音楽はけっこうマイナー・コードが多くてどこかしら意外だった。やはりシルクロードは東の果ての日本まで続いているのだ。
チラシの草案は余裕をもって完成していたのだが、その後、出品するとかしないとかの作家とのやりとりが手こずって、島根の若い木彫作家グループが最後まで揺れた。
若い作家には、こういう造形とか制作とか発表とかの活動に優柔不断なほどの曖昧さがあることは大事なことだと思う。あまり早うちから自分の世界が固まってしまうのもつまらない。

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文化とは・・・ 

2017/10/13
Fri. 12:50

11月3日は国民の祝日「文化の日」で、手持ちの辞書で定義を検索したら「自由と平和を愛し,文化をすすめることを趣旨とする」とあった。
それじゃぁ、そもそも「文化」とは何かと検索をしたら、限りないほどたくさんの「文化〜」とか「〜文化」とか項目が際限なくなって、めんどくさくなって検索をヤメた。

「とみ山彫刻 field art work」のメインタイトルで企画を練り上げて具体的に開催できたのは2015年だった。
この企画を考えて事業計画を起案して予算を落とし込んで助成金の申請をするまでには、2〜3年かかっていて、まだ石見銀山で現代彫刻小品展を開催できていた頃だった。

大田市で暮らし始めてから30年ほどになって、石見銀山の暮らしも20年は過ぎた。
生まれ育った万善寺の暮らしは15歳で一人暮らしを始めるまでだから、いつの間にかその2倍ほどを大田市の行政区で過ごしていることになる。
自分が住み暮らす地域に根付く文化活動をしようと自覚と責任を持って決めたのは大田市へ引っ越してすぐの頃だった。
自治会名は大田市天神町といって、天神さんのお祭りの時は、境内に屋台が並んで特設の大きなスクリーンには子供相手の映画が映し出されて、まだじゅん君やなっちゃんも小さくて生まれて間もないころのノッチも一緒に家族でひと時を楽しんだ。
その後、仕事の関係で引っ越しをすることになって、石見銀山へ家族の生活の拠点を移した。それから今までの間に4人の子供たちは地域の小学校と中学校を卒業してそれぞれの高校へ進学し、バラバラの大学を経て仕事について今に至っている。

そもそも、「地域に根付く文化活動」とはどういうことなのかと改めて思うに、自分にできることというと彫刻を中心にした美術造形に絡むイベントくらいしか思いつかない。
現在主にお世話になっている助成金母体はしまね文化ファンドさんだが、その事務局担当さんは、美術関連部門の助成金申請が少ないのでその掘り起こしに苦労していらっしゃる様子。結局は、島根県の場合は祭りや神楽や音楽関連の文化活動への助成に偏りすぎているとの誤解もチラホラあるようだ。
そういえば、吉田家の4人の子供たちは全員吹奏楽を経験し、ワイフのお粗末なピアノと、私の吹くホラ?!を併せて家族セッションが出来るまでに音楽漬けの学生生活を送っていた。近所の小さな子が地域の子供神楽団に属していたり、ある意味でその類の文化活動が島根の長い歴史の中で自然に育まれ受け入れられやすい風習を築いてきたのだろう。

彫刻絡みの文化活動といっても、スタートは個人の個展だったり同好の士が集まったグループ展だったりするところがせいぜいで、現代彫刻小品展でやっと10年続いたくらいのことだ。後援依頼や、会場使用申請や広報活動の回覧手続きで教育委員会を中心に市役所へ日参しているが、そこでの指摘というか論点というか、そもそもそのあたりで文化活動の振興啓蒙とは程遠い事務的な内容に揉めることもシバシバだ。
行政マン諸氏にとっては、事業の内容より、書類の不備や費用計算のほうが大事なことであって、文化活動の趣旨とか事業効果とか実績とかには興味が無いようだ。

2017とみやまチラシ

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今の自分 

2017/07/13
Thu. 23:26

週末から万善寺の一人暮らしに戻る。
石見銀山の吉田家からだと結界君で40分もあれば飯南高原の万善寺へ到着するから、通勤坊主でもなんとかなるのだが、やはり法事の仏事が連続すると往復の時間ロスもあるし、なによりジジイに近いオヤジの体力が徐々に奪われてしまって集中力も続かなくなる。春からはじまった一人暮らしも次第に慣れてきたし、自分の食事の世話を面倒がらなければ経費削減にもなるし、それに面倒臭いお荷物オヤジの世話が減るだけでもワイフの家事負担軽減につながるだろうと恐妻家・・・オット失礼!「愛妻家!!」のボクの愛情でもあるのだ。

この3連休で法事や塔婆回向が続く。
塔婆回向は、長い間続いている地域の弘法大師様の大師講で、お大師様の供養法要の後、参列各家先祖代々供養などの塔婆を一枚一枚和讃で読み上げる。憲正さんからの口伝だが、最近になって少しずつマイオリジナルの節回しが安定するようになって少し気が楽になった。
その、塔婆回向用の塔婆を20枚チョット書き続けて、墨を擦ったついでに連休中の法事の塔婆も4枚書き上げた。筆を使って一文字ずつ書き上げることの大事さは分かっているつもりだが、やはりワープロのキーボード操作に慣れてしまうと、塔婆1枚表裏書き上げるのもナカナカの重労働に思えてしまう。
例のごとく、塔婆の裏書きで使う禅語を幾つか思いつく順に絞り出した。
その1枚に「結果自然成」と書いた。これは昨年の万善寺カレンダーでも書いた。
今の自分をもう一度見直す良い頃合いだろうと思ったからだ。
以下は、そのカレンダーの禅語解説の抜粋。文責はナンチャッテ坊主の私自身である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「結果自然成」は、「けっかじねんになる」とでも読めばいいかと思います。
この言葉は解釈によっていろいろな意味が考えられます。「成」とは成功を意味したりもしますが、そうすると、「結果的には何をやってもまぁそこそこ成功するものさ!」というように、楽観的な解釈もあるでしょう。さて、どうでしょうか?
私は万善寺住職を引き継いだあとも彫刻を造り続けています。
方丈さんが彫刻を造っているのか、彫刻家が寺の住職を務めているのか、そのあたりの解釈は人それぞれでしょうが、私自身としては、坊さんでも彫刻家でもどちらでもなく、只の一人の人間がそこにいて、それぞれの役割を果たしているということなのです。
万善寺の日常は、そこで彫刻の制作をしていないという只それだけです。
工場で彫刻の仕事をしている時は、自身の修行と寺の作務を重ねあわせて過ごしたりしています。
島根県で小さな彫刻展を企画して開催している時は、これも布教活動だと確信して働いています。
それぞれ何をやっても成功の実感を持つことはありません。
むしろ、今の自分が何をしてきたのか、自分に何が出来るのか、そういうことが大事であって、それが目標になって頑張ることも出来て、結果はそのズゥ~~っと先にあって、自分の行為についてきているだけのことなのです。
ようするに、何もしなければ結果もないということです。
失敗を繰り返しても、それを恐れてなにもしないでいるよりはずっと良いことで、ひょっとしたらいつの間にかそれが人生の生きがいになっているかもしれません。
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ジタバタ 

2017/07/12
Wed. 23:26

不甲斐ない住職のボクはとっくの昔に万善寺の御本尊様から見放されてしまったのだろうなぁ〜・・と、最近のヒマな坊主暮らしをしながらそう思っていたら、こんどの3連休前になって次々と法事やお大師様供養が入って、7月の無収入はなんとか回避できそうな感じになった。
延々と続く万善寺赤字財政に変化はないが、それでも、もらい物の夏野菜に豆腐一丁プラスくらいの贅沢はできそうでありがたい。
吉田家の食卓はワイフの収入にすがってばかりだから、せめて万善寺の一人暮らしくらいは坊主稼ぎでなんとかまかなおうと踏ん張っているところだ。

最近は、坊主暮らしの日常の其処此処で、「息子さんは何歳になられましたね?」とか、「跡継ぎの心配はしとられますかね?」とか、「息子さん得度は済んどったかいネ?」とか、やたらにじゅん君が話題へ登るようになってきた。
誰がどう考えても近未来の発展的展望が皆無の万善寺を次の代へ譲るとか引き継ぐとか、そういう夢の如き話題などいい加減聞き飽きてしまった。
「彫刻の弟子は受付けますが、坊主の弟子はとらないことに決めてますので・・」
その手の話題を振られた時は、だいたいそのように回答することにしている。
やはり、自分の発言にはそれなりの説得力と具体的証明が必要でもあるから、特に彫刻へこだわることもなく、何かしらクリエイティブな路線で気になる周辺の若い人材はできるだけ見逃さないようにして声をかけるようにしている。
末寺坊主と美術を秤にかけると、やはり近未来の発展が望めるのは美術のほうだと思っている。それに何より、自分の苦悩や努力がキチンと正直な結果になって自分に返ってくるところに魅力を感じるし、生きる目標にもなる。

なんとなくノリと勢いで万善寺へ寄宿することになった彫刻家のタマゴちゃんも、早いものでそろそろ住み込みをはじめて1ヶ月が過ぎた。
今は、地元山陰のグループ展へ出品を目標に、木彫を制作している。
それとなくさりげなく、制作の様子を見ていると、この2週間は制作の手が止まって悩み続けているふうに感じる。1作1作、1点1点を大事にすることは良いことだが、それにハマりすぎてコダワリすぎるのも良くない。作家歴の若い頃は抜け出せない制作のラビリンスに迷い込むことがよくある。それも、自分の造形の成長でもあるのだが、自分で気が付かないまま制作の泥沼にハマってしまうと、其処から抜け出すのに相当のエネルギーが必要になる。
今の彼女には、とことんジタバタしてほしいと思っている。

万善寺の庫裏玄関を解錠したら、入り口の土間へノミ跡が残る制作中の木彫があった。
材料の元は、私がストーブの焚付にしようともらって来た杉の丸太。
決して木彫として上等の材料ではないが、その節や木目を工夫しながら粘り強く彫り続けた過程に味があって面白くなりそうだ。
表現のテーマがブレなければ、技術や完成度はついてくるものだ。
今は、ひらめきの積み重ねを素直にかたちの連続へ置き換える作業が大事な時だと思う。

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生き残りの条件 

2017/07/09
Sun. 23:26

ほぼ1日中雨が降り続き、時折猛烈な豪雨になったりして、万善寺の裏庭に溢れた行き場の無い雨水が庫裏の周囲の低地を探して流れ始めるまでになった。
殆どの雨は、そのまま地面の地下に吸い込まれて庭が池のようになるまであふれるようなことなど無いのだが、今日の1日は、完全に地面の許容を越えていた。

境内周辺の草刈りが残っているし、それを終わらせようを、雨のやみ間を待っていたが、とてもやみそうにない状態が続くし、裏山の土砂崩れも心配だから、石見銀山の吉田家へ避難することにした。
この近年の島根県は確実に雨の振り方が変わった。
昔のような夕立程度の降りようではなくなって、排水の処理などどうしようもなくなって、手のつけようがない。
結局は、そういう状況を呆然の眺めていることぐらいしか出来なくて、水の流れる方向や、水の行き場が無くて溜まってしまうしかないところなど確認して、雨が止んで水がひいてから、セッセと真砂土を運んで埋め立てたり水の道を作ってやったりするしか方法が見当たらない。

出雲街道から銀山街道を経由して石見銀山へ向かう間も、局地的集中豪雨に何度か遭遇して、そのたびに結界君を道の脇へ止めて大降りをやり過ごした。
ワイパーの役目などまったく頼りなくて、水中を走っているような感じだ。
江の川の支流もアチコチで増水が確認できたが、断続的な短時間の豪雨なので、なんとか許容の範囲で踏みとどまって濁流を阻止している。
この程度のことだと、江の川の増水もそれほど心配することもないだろうが、それにしても、短時間の降雨量が非常識なほどすごいことになっている。
チキンオヤジは、チンチンも縮み上がるおもいで街道の様子にビビりながら吉田家へたどり着いた。
石見銀山の町並みへ入る頃は、殆ど雨も上がって傘が必要にないほどだった。
こんなことなら、万善寺の出発をもう少し遅らせておけばよかったとも思ったが、あのAppleWatchでも局地的な豪雨は予測不能だし、地球の自然相手にジタバタしてもしょうがないし、今の自分にはせいぜい観音様に手を合わせるくらいしかヤルこともない・・

吉田家は、いつもと変わりなく平静だった。シロの具合が良くなくて、食欲もなくてぐったりしている。それ以外は、特に変わったこともなくてやたらに蒸し暑く不快だった。
動物は本当に正直で嘘がつけない。
調子の悪いシロをクロが極度に警戒している。
自分にとって不易な条件を本能的に排除しようとしているみたいで、そうすることで、自分の生き残りの条件を確保しようとしている感じだ。
まだ小さくて幼いころはそういうこともなかったが、成長して色々な猫なりの知恵もついて脱走も経験して場数も踏んで、身につけた自分なりの生存の手段なのかもしれない。
自然の猛威に抵抗の術もなく、ビクつきながら観音様にすがっているナンチャッテ坊主は、クロの生存に執着する非情な強さに生きる力の具体を教えられた気がする。

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今を生きる 

2017/07/08
Sat. 23:31

〜「“禅的な生き方とは何か”と考えてみると、それはつまり、“今を生きる”ことではないかと思うんです」〜

ダイアン・レイン・・・知ってますか?
吉田よりだいたい10歳くらい若いアメリカの女優さん。
彼女がまだ10代のときだったと思うが、「アウトサイダー」で始めてみた。
おっぱいが大きくて、可愛くてエロチックで・・・そういうことばかり目についた。
よく覚えていないが、ワイフと結婚して島根に帰ってすぐくらいの映画だったと思う。
あの頃は、まだ自分も世間的には「若者だ!」と思っていたから、違和感なくすんなりと映画の世界へ入ることが出来た。
とてもシンプルで、先の読める、ある意味安心して観れる古いタイプの作りが少し物足らない気もしたが、何かとひねくり回した難しい映画も多かった頃だったし、島根県に帰ってから、簡単に軽いノリで娯楽に走ることも難しい時だったから、そこそこ強く印象に残っている。

久しぶりに観た彼女は、美しい熟女になっていて、あのおっぱいも健在で、益々色気が増していた。
華のある女優さんが、まさか「禅」を語るとは想像もしなかった。
色々な役に出逢う中で、自分を捨てて役にハマることの難しさから、精神の平静を保つことは大変なことで、時には自分を見失ってしばらく立ち直れなくなってしまうこともあるようだ。
役者というのはよっぽど強い理性を持っておかないと務まらないのだなぁと思った。
そういう職業だから、よけいに「禅」の世界に救われてきたのかもしれない。
前記の彼女の言葉には、坊主である私がいつも大事に思っていることが実にすんなりと自然にシンプルに表現されていると思う。

正確な所作や、上手なお経や説教が出来ることも大事なことであるのだろうが、もっとそれ以前に飾りのない素直でシンプルな宗教家としての自分の存在を明確に示し伝えることも大事だと思う。
私のように、生まれたときからお寺の境内の中で大きくなって、そのまま惰性で坊主になって、何の疑いもなく当然のように住職にまで決められたルートを手繰り、なにも考えないで、なにも疑問を持たないで、宗教家としての自覚も希薄で、世間の常識を疑うこともなく、坊主としての技量を研鑽するでもなく、毎日を平穏に暮らし通しているような坊さんもけっこう沢山いるようなきがする。

「◯◯寺は、外人の坊さんがいっぱい修行をしている」・・・というような坊主どおしの会話を聞いた。
「僧侶」という職に、人種の違いなど関係ないだろう・・・
大事なのは、修行の積み重ねでナニを求めナニを掴みナニに気づきナニを伝えるか・・そういうあたりのことのような気もしている。

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彫刻家のモチベーション 

2017/06/25
Sun. 23:51

少し雨が降って、「やっと梅雨らしくなったな」と思いつつ、一方で外仕事が出来ない上に、境内周辺の「草が一気に元気になるな」と少々うんざりしながら奥出雲へ向かった。
俊江さんの百ヶ日が過ぎるまでは万善寺のことが気にかかってどうも落ち着かないまま毎日が過ぎていたが、憲正さんの3回忌に併せて永代供養墓の建立や俊江さんの納骨を済ませたりしてやっと気持ちが彫刻の方へ向き始めた。
とにかく、6月のうちに今年の彫刻スケジュールを組み立てておかないと彫刻家吉田正純のモチベーションが永遠に崩壊してしまいそうな気がして、気持ちが萎えていたところだ。
見方をけると、梅雨の雨もある意味自分を救ってくれているのかなぁと思ったりしないでもない。
やはり私には、適度な「雨男」が似合っているのかもしれない・・・

万善寺から奥出雲町へは、峠を2〜3越えると1時間以内で到着する。そういう近道もあるのだが、結界君の息切れして大変そうな様子を感じながら運転を続けるのが忍びなくて、わざわざ遠回りをして楽な道を走ることが多い。
いつもだったら迷うこともなく町境のトンネルを抜けてもそのまま国道を直進してしまうが、さすがに今は彫刻の遅れのほうが気になって迷わず右へハンドルを切ってしまった。

午前中は法事を請け負っていたから、万善寺のことでモタモタしていたら出発が午後の4時を過ぎるぐらいになった。
遅刻を連絡して待ち合わせの場所を少し変更して小雨の中を奥出雲へ急いだ。
奥出雲の窓口でお世話になっているOさんは、私とどっこいくらいの年齢で、最近まで公務員の行政マンだった。
私の偏見だと思うが、どうも行政マンはモノの考えや組み立てが硬っ苦しくて性に合わないところが多いのに、Oさんは珍しく(失礼!)フットワークが軽くてとてもアクティブなヒトなので気楽に付き合えて、すぐに甘えてしまったりする。
この度も、彫刻展の日程を事前に打ち合わせしておく必要があって、迷わず彼にすがったところだ。
事務的な話はトントンと軽く進んで、あとはダラダラと他愛ない会話が続いた。それがなかなか楽しくて、結局万善寺へ到着したのは夜の8時になっていた。

梅雨らしい雨も、ほぼ1日続いていたが結局長雨になる前にあがってしまって、いつの間にか空から雲が切れた。しばらく石見銀山の吉田家から遠ざかっているし、ネコチャズのことも気になるし、別居ぐらしに慣れはじめたワイフの気持ちが大きく遠ざかるのも心配だから、次の日は朝から溜まった寺のゴミなどを整理して石見銀山へ向かった。

留守にしていた一週間の間に郵便物がたくさん溜まっていた。その中に、一ヶ月ほど前にあった晋山式の記念写真が届いていた。
万善寺現住職の晋山式は結局時代に流されて何処かへ消えて無くなっていくのだろう。
まぁ、それもボクらしくて良いかもネ・・・

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カラッポの意味 

2017/06/14
Wed. 23:27

「地球は、なんと醜い星なんだ!海も山も生命で満ち溢れているではないか・・・」
みたいなことが書いてあった、ある小説家のある長編?小説を読んでいて、「なるほどな!」と納得したことがあった。
・・・さて、何時ぐらいのことだっただろう・・・
今は、その「ある小説家」は「たぶん、あの人だったよなぁ〜」と、チョット心当りがある気もするが、なんとなくそう思っているだけで確証はない。そんなことだから、「ある長編?小説」となると、まったく記憶になくて、それが果たして長編だったかどうかも曖昧だ。
とにかく、確かに、「地球という星を、そういう見方で認識することも出来るな!」と、実に素直に、納得できた自分がいたということだけは事実だ。

これも、出典は全く記憶にないが・・・
「器は、カラッポであるということに意味があるのだよ。カラッポであるから、器として機能するのだよ」と、「器」が定義付けてあったその一節をよく覚えている。正確な記憶ではないから、言葉なり文章なりの言い回しは違っているが、だいたいそのような内容の言い回しであったように思う。

憲正さんの3回忌と、俊江さんの納骨と、それに、少し早いが俊江さんの百ヶ日を一つにまとめた法事に向けての準備が、約2ヶ月半の期間ひたすら続いて、やっとその法事当日が直前に迫ってきた。
まさか、1日で始まって終わる年回法事に、これだけ長期間の準備が必要だとは思ってもいなかった。
準備といっても、その約90%は庫裏とその周辺の片付けと営繕作業に費やされた。
今現在も、万善寺二十三世住職である自分の思い描く空間には程遠い状態が続いていて、環境整備が収束するまでに、最低でも概ね2年は必要だと予測している。

本堂の方は、憲正さん遷化以降、2年かけて少しずつ整理を進めていて、あとは、時期を見て仏具什器の撥遣をして、まとめてお焚きあげをすることができれば、ひとまずは落ち着く。
庫裏の方は、なかなかそう簡単にはいかなくて、俊江さんの嫁入り以来、ピクリとも動かないで鎮座したまま老朽した箪笥の撤去からスタートしないと、次の作業に移れないし、数少ない押し入れには、生前の二人分の品物があふれかえるほどに詰め込まれていて収納の用を成さない状態だし、床や畳の敷物を上げると、その下は腐れが進んで手のつけようもない状態になっていたり・・・などなど、次々に発見される障害の数々に圧倒される数ヶ月であった。
先日も、積年のホコリや汚れを雑巾掛けして磨きあげて、やっと見た目もマシになったと思っていた板の間の床を自分で踏み抜いてしまった。
掃除をしてキレイにしているのか、家のアチコチを壊して歩いているのか訳がわからなくなってきた。
何もないこと、カラッポであることの本意を身をもって感じている今日此頃である。

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如山林中花 

2017/06/12
Mon. 23:30

如瓶鉢中花(へいはつのなかのはなのごとし)
如盆檻中花(ぼんかんのなかのはなのごとし)
如山林中花(さんりんのなかのはなのごとし)
・・・その人の人物としての技量度量人徳の大きさ深さを花に例えて示したものだ。

ザックリいうと、今から400年ほど前に万善寺へ臨済宗の方丈さんが晋山された。
その後、二世の代に本寺が曹洞宗へ改宗したことに合わせて万善寺も曹洞宗になった。
ちょうどその頃、中国は明の時代。儒教道教仏教の三教の壁を超えた持論を「菜根譚」にまとめたのが洪自誠さんだった。前記の言葉が、その菜根譚の一節。

吉田家長女のなっちゃんが、この度の法事へ都合をつけて帰ってくれることになった。
なっちゃんの名前には「菜」の字を使った。打ち明けると、色々な意味がその一字へ含まれていて、たとえばその一つが菜根譚からいただいたものである。そういうこともあって、彼女の就職が決まった時に、単行本仕様の菜根譚を奮発してプレゼントした。「あれ、読んでるかい?」と聞いてみたら、「なにそれ?」と返ってきて、どうも読んでいないようであった。どうせそんなことで、昼寝の枕代わりにもなっていないだろうと思っていたが、その通りの様子だった。まだ、20代の若さに洪自誠さんの境地を望むのも酷なことかもしれない。

島根で暮らしていると、若い美術家に巡り合うことが少ない・・というより、ほぼ無いことだから、気がつけば、何かのきっかけとか出会いとかを求めていたりすることがあって、たとえば、大学の卒業制作展とか、高校の美術展とか部展とかそういう情報にパクリと食いついて、できるだけ時間を調整して出かけるようにしている。
彼らのほとんどは社会人になるとひとまず制作から手を引いてタダのヒトになってしまうようだが、それでも何人かは仕事をしながら地道に制作を続けていたりする。

今年の春先に倉敷児島へ彫刻を展示させてもらった時も、そういう若い制作者の一人と一緒に作品展示することになった。
彼女は、島根県大田市富山町の「とみやま彫刻フィールドアートワーク」へ個展参加もしてくれていて、その時の教室展示がとても面白くて、次の展開を期待していたから、倉敷がどういう構成の展示になるか楽しみだった。
結果、空間に溶け込むような浮遊感がとみやま以上の表現になっていて、造形の構成が少し前進したふうに感じた。

学生時代の研究制作は、ある意味ハウス栽培の野菜のようなもので、粒も揃ってソコソコ美味しいが、ハウスの中でしか旨く育たなかったりする。自力でコツコツ制作を続ける経験の浅い若い作家は、鉢植えで育てる野菜のようなもので、誰かがこまめに水やりなどしてやらないと収穫までに枯れてしまう。地物の露地野菜は、そのままにしておくとトウが立って花が咲いて、種まで出来てそれが落ちて、翌年の時期になると気づけばオノレバエで新芽が出ていたりする。旨いかどうかは別にして、劣悪な環境を凌ぐ逞しさが良いな!

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ボクの円グラフ 

2017/06/09
Fri. 23:22

万善寺の法事も近づいて、毎日がアッという間に過ぎる。
梅雨に入って何時雨が降り出すかわからないから、少しでも条件のいい時を有効に活用しないと、仕事の積み残しが出てしまう。
例年だと、4月に入ってから2回位は草刈りをしている富山の彫刻周辺を、今年は一回も草刈りできないでいる。
タイミングの問題もあるが、やはり憲正さん3回忌に向けての墓地整備とか、俊江さんの納骨のこととか、吉田家内の各種事情が重なって、どうしてもそちらを優先する毎日が過ぎてしまった。

しばらく雨の降らない時期があったから、彫刻周りの草も水気が減って芯が強くなって葉や茎がかなり固くなってしまっただろう。
富山も5月以来ご無沙汰だから、今のうちに草刈りだけは終わらせたいと思っていて、先日からチップ刃用とナイロン刃用の2機の草刈り機を結界くんに積み込んでいる。
富山周辺は曲がった道が多くて強いカーブを曲る度に、5Lの混合油缶がリヤデッキでガラガラ音をたてて少々うるさい。

アクティビティをチェックしたら、草刈り機を振り回した日はやたらとエクササイズの数値が伸びている。
3つのカテゴリーすべてが一回転していて、エクササイズなど2回転を過ぎて3回転目に回り込んだりしている。草刈り機を振り回す同じ動きが延々と続くせいなのだろう。
カロリーの消費もけっこうあるし、立ち動いている時間も多い。
歩数計を見ると、草刈りの範囲が多かったか少なかったかが正直にわかる。
万善寺の境内地は狭いから平地を広範囲に動き回るというより、坂や石垣など斜面の草刈りが多い。富山の方は田んぼの耕作放棄地だったり、住居跡の平地だったりするところへ彫刻を設置してあるから、当然草刈り範囲も広がって動き回る量も増える。

AppleWatchを腕に装着するようになってからその日やその週やその月の自分の動きを客観的なデータで確認するような事が増えて、このところそれが習慣になりつつある。
今年の5月など、ほぼ連日動き回っていて、ゆっくり休日を過ごすような状態ではなかった。感覚的には、デスクワークも停滞しているし、彫刻やクラフトの制作もご無沙汰しているし、万善寺の法事など1ヶ月で2つくらいしか無かったし、暇に怠けてばかりいたふうに思っていたが、円グラフや数値を見るととても怠けて暮らしているように思えない。

「どうせそのうち飽きてしまうだろう」と自分を信用出来ないまま、こうしてダラダラとマニアックなブログを書き続けていたら、何故かそれがいまだに続いている。
毎日自分勝手に暮らしているから、必要に迫られて何処かの誰かと会話をする必要もないし、のんびりしたものだが、それでも何かしら自分の心が乱れて落ち着かないこともあるから、ブログの書き込みはチョットしたガス抜きにもなっていて都合がいいのだろう。
AppleWatchが勝手にボクのデータを集計して、その時々の自分が客観的記録に残る・・ということが、今の自分にはとても新鮮に感じているところだ。

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5月のアクティビティ 

2017/06/05
Mon. 23:11

AppleWatchを買ったのは、自分への誕生日プレゼントと、結婚記念日の記念品と、35年間私のワガママに付き合ってくれたワイフへの慰労と、吉田家の4人の子供たちすべてが社会人になってひとまず子育てが修了した祝を兼ねたものだ。
これだけ色々なアレコレを無理矢理くっつけて一つにまとめて済ますことはオキテヤブリかも知れないが、最近の2〜3の年回法事をまとめて1つの法事で済ませてしまうような檀家さん方のやり方にいつの間にか染まってしまったのかもしれない・・などと、自分の行為を正当化してしまったりしている。

AppleWatchのことは、その情報が流れ始めたときから気になっていた。
まだ2年も経っていないが、以前使っていたノキアがどうにもこうにも動かなくなってdocomoに駆け込んだら、「すでに生産していない商品ですので、お客様のご要望には添えかねます」とアッサリ見捨てられてしまった時に、渋々と買い替えたのが当時の携帯電話で一番小さかったiPhone5sだった。
それ以来、少しずつiPhoneの使い方に慣れてきて、そうするうちにAppleWatchとの連携のことが気になりはじめて、比較的クールにそういう情報を収集しつつ静観していた。
そういう時に、吉田家の記念すべき幾つかの出来事が集まり始め、その上、俊江さんの死亡もあって、色々なことが何かの形になって記憶されることも良いかもしれないと思いはじめて夫婦揃っての購入に至ったわけだ。

たぶん、AppleWatchがタダの時計だったら、未だに魅力を感じないまま買わないで過ぎているだろう。
私が腕時計を腕から放棄したのは島根県へUターンしてしばらくしてからのことだった。
最初の時計はシチズンの自動巻きスレンテスベルトを俊江さんのお父さんで私のおじいちゃんから高校入学祝いにプレゼントされたものだった。その時計は、高校3年間私の腕で動き続け、一緒に上京してからも故障なく動いてくれていたが、大学に合格して、その春の新入生歓迎会の夜に大学から上野駅までの何処かで落として失くしてしまった。
私にとっては、おじいちゃんの思い出がいっぱい詰まった時計だったからなかなか諦めきれないままお盆の棚経を手伝いに帰省した時、憲正さんに腕時計をしていないことを発見された。正直に事の経緯を話したら、お盆を過ぎて学業へ帰る時に、寺の近所の時計屋さんでその時流行していたセイコーの時計を買ってくれた。とても申し訳ないまま、有難く頂いてそれからUターンして島根に帰って壊れて動かなくなるまで約10年間使い続けた。壊れてからしばらくそのままで暮らしていたらいつの間にか腕時計が無くても気にならなくなって、それから数年して携帯電話を持つようになって、時間はそれがあれば用が足りて不便を感じない暮らしが続いた。

もう、自分と四六時中行動をともにする機械は携帯電話に切り替わっていて、生涯腕時計とは縁がないだろうと、今でも思っている。
私にとってのAppleWatchは、iPhoneの延長の便利グッズのようなもので、時計とは思っていない。
おじいちゃんと憲正さんにもらった腕時計は自分の思い出の中で今でも動いている。

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季節のかわりめ 

2017/05/20
Sat. 21:28

早朝、寒くて眼が覚めた。
珍しく、1日に2つの法事が入ったので、7時過ぎには石見銀山を出発した。
銀山街道の温度計は14℃だった。日陰であるとか、風当たりが強いとか、設置条件で多少の誤差はあるだろうが、とにかく肌寒い。
万善寺の玄関を開けると、室内で一晩冷やされた空気が一気に流れ出た。
そろそろ衣替えも近いので、夏衣を準備しておかなければいけないと一瞬思っていたが、この冷え込みでその気も失せた。

墨を摺って、午前中の7回忌の塔婆を書いた。
俊江さんの葬儀のとき以来、愛用の筆が何処かへまぎれてまだ見つからない。ボクはヨレヨレの下手な文字しか書けないから、とにかく筆との相性が合わないと困ってしまう。このまま見つからなければ、新調するしか無い。
その、見つからない筆は、たしかユザワヤの日本画用品コーナーで見つけたものだったはずだ。書道でも使えるが、どちらかといえば水墨画用の筆だったように覚えている。
結局は、自分の下手な字を筆のせいにして逃げているだけのことなのだが、改まって書道の稽古をするほど心の余裕もない。

法事でお経を読んでいると、急に身体が火照って汗ばんできて、なにやら動悸も激しくなった気もしてきた。なんとなく調子の出ないまま法事を済ませてお墓参りをした。
施主家の庭に立つと強い陽射しで汗が吹き出した。どうやら、お昼前になって一気に気温が上昇したらしい。
お斎を頂いて、一旦寺へ帰って、お昼からの法事の塔婆を書いた。
施主家へ移動中、国道にある温度計は28℃だった。朝から数時間の間に10℃以上も気温が上がっている。世間は、初夏を通り過ぎて真夏になってしまったふうだ。法事の中休みでは、みんなで「暑い暑い」の連呼になった。
夕方になって寺へ帰って玄関を開けると、中からヒンヤリした空気が流れ出て気持ちがいい。朝のうちは室内の冷たい空気で震え上がり、夕方はその冷たさを有難がって、まったく、修行の足らないナンチャッテ坊主は身勝手なものだ。

保賀の上組集落へ配り物をして、その足で石見銀山へ移動した。
玄関の土間でネコチャンズが鳴いている。
クロはいつものことだが、珍しくシロがやたらと甘えて擦り寄ってくる。抱き上げて頬ずりしてやったら、いつもは嫌がるのにゴロゴロしがみついてきた。こういうシロはめったにないから、抱きながらしばらくブラッシングしてやった。珍しく気持ちよさそうにして、嫌がりもしない。
元々野良猫だったシロは銀杏目をした折り紙つきの雑種猫である。毛並みが面白くて、羽毛のようなまっ白の産毛と、毛先だけに色がついている少し長めの柔らかい猫っ毛の二重構造になっている。
ブラッシングで集まった抜け毛はシロにしか見えない。
ネコも夏毛になる頃だし、人間も衣替えのシーズンになった。

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草衣の心 

2017/05/13
Sat. 23:52

たぶん、こういうめぐり合わせなのだろう・・・
思い返すと、今年に入って限りなく専業坊主に近い暮らしが続いている。
万善寺くらいの寺で専業坊主は、ほとんど無収入に近くて、圧倒的に支出が増えて、完全に赤字の運営が続く。

まだ副住職で兼業坊主だった頃、だいたい一つの寺を専業で運営維持できるのは最低200軒のお檀家さんが必要だと、どこかの同業から聞いたことがある。
住職を引き継ぐとき、本来「晋山式(しんざんしき)」なる住職交代の大法要を挙行し、檀家を始め地域の皆様や、組寺、法類寺等へ随喜手伝いをいただきながら広く告知して新命の任につく。
先代の憲正さんは、こういう坊主人生一生の大行事を、昭和26年頃に行っていて、本堂の書類を整理している時にそのアルバムを発見した。
万善寺の小さな本堂の前で撮影された記念写真は、随喜坊主、檀家衆、可愛らしい稚児さん、その他地域の皆様総勢200名ほどが憲正さんを中央に神妙な顔で写っている。
それから半世紀以上過ぎた現在、正純の晋山式など夢のまた夢のことになって今に至っている。
先ごろ遷化された大方丈様のお弟子様が、5月の末に晋山式をもって晴れて先代を引き継ぎご住職になられる。
私も、その寺の法類寺で随喜することになる。
さて、そのお寺でどのくらいのお参りになるか・・・

昨年からお話を頂いて1ヶ月に2回ほど通わせていただくことになった全寮制キリスト教系の高校へ行ってきた。
今年は3人の生徒が美術を選択して、2回めの授業ともいえないような授業をすませた。
「それでは、もう終わりの時間がきたようで・・・」などと、神妙な顔で授業をまとめ始めたら、その3人の生徒と、担当の先生が「♪Happy Birthday〜〜♫」と歌い始めた。
そういえば、昨年も4月の最後の授業が終わった時に校舎の生徒昇降口へ呼び出されて全校生徒から祝福の歌を頂き、代表から寄せ書きを頂いた。
授業が終わって、美術小屋の教室で突然に祝福の歌が始まった時は少々驚いたが、3人の生徒から全校生徒を代表して今年も同じように寄せ書きも頂いた。

古キャンバスの絵に紙やすりをかけて、古い油絵の具で下地を描き足した。
この油彩の授業に向けて、万善寺から私の40年前の油絵の具と50年前のパレットや油壺を持参した。まさか、半世紀も過ぎて自分の使っていた昔の油彩道具が再生しようとは思ってもいなかった。憲正さんと俊江さんが大事に捨てないでおいてくれた御陰がこういう時に役立った。二人がモノに託した思い出は、かなり老朽して見た目はボロボロで汚れきっていてもシッカリと役にたってくれている。

キリスト様の祝福を得たナンチャッテ坊主はとても幸せな気持ちになれた。
「草衣心似月」の境地とはこう云うことなのかもしれない。ふと、そう感じた。

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目に見える記憶 

2017/04/25
Tue. 18:47

万善寺のある行政区のゴミ処理場は、午後3時で一般受付がクローズする。
たぶん、そのくらいに締め切らないと分別作業をその日のうちに終わらせることが出来ないからなのだろう。
最初に万善寺の積年のゴミを搬入した時に、受付のご婦人が印刷物を2〜3枚用意して丁寧に分別のことや搬入受付のことなどを解説してくれた。
それで、午後の3時までに搬入することは承知していたのだが、庫裏の玄関先で欲を出して「もう少し、あと少し、あれも積んで、これも積めるな・・」などとモタモタしていたらどんどん時間が過ぎて、法定速度ギリギリで滑り込みセーフかアウトか微妙なタイミングになってしまった。
頓原中学校前の四つ角までスムーズに走っていたのに、そこの信号で捕まってしまった。
2台前には町内の循環バスがマッタリ走っていて、それが町並みへそれるまでやたらと無駄に時間が過ぎた。
ゴミ処理場の受付へ右折しようとしたら、すでにロープが張ってあって進入禁止。
3:02でありました・・・

もう、10回近くゴミの搬入をしているから、そろそろ受付のご婦人や作業の職員の皆さんに顔を覚えられるようになった。
タイムアウトのゴミを朝一番に搬入して、それから午前中に3回往復した。
お昼を過ぎたあたりから雲行きが怪しくなって、風も強くなってきた。
この様子だと、「風がやんだら雨になるだろう」と思っているうちに土砂降りになった。

仏教では「執着」と書いて「しゅうじゃく」という。
お釈迦様は、執着は修行の妨げになるからそういう気持ちを捨てろと力説された。
一方、執着は良い意味に解釈されることも結構あったりするので、自分の気持のゆらぎを都合よく言い訳してどうにかうまい具合に正当化して乗り切ることも出来てしまう。
このあたりの主観的な立ち位置がなかなか曖昧だったりして、万善寺でも先代夫婦と私の間で数え切れないほどのイザコザがあった。
結局、私のほうが一歩も二歩も身を引いて、老夫婦の暮らしぶりを見て見ぬふりして無理な諍いをなくす方向で付き合ってきた。

昭和の初期から戦中戦後の生活苦を体験した彼らは、モノを捨てるという感覚より、モノを大事にするという感覚で日常の暮らしが機能していたのだろう。
さまざまな「モノ」に託された彼らの「思い出」とか「記録」は彼らにとって具体的に「目に見える記憶」としてある種の宝物になるほど昇華し、捨てるという行為が日常の暮らしの選択肢から完全に削除されたまま半世紀が過ぎていったのだろう。

彼らの「捨てられない気持ち」の呪縛に絡まりながら、ひたすら断捨離を続ける自分は、一方で彼らの「目に見える記憶」を捨てていることにもなる。
見える記憶は忘れることもあるだろうが、心に刻まれた記憶はいつでも鮮明に思い出すことが出来る。私はそれで十分だと思っている。

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桜満開 

2017/04/10
Mon. 23:02

「桜って、なにか特別にキレイよね。こんな感じ他にはないよね・・」
銀山街道のすぐ脇にある枝垂れ桜の枯木が満開になった。

私は、毎年その枝垂れ桜の下を何往復も繰り返し走りながら、蕾の頃から満開になってやがて散り終わって葉桜に変わるまで見てきているが、ワイフの方は、この時期に万善寺の用事が重なることもないので、よほど運が良くないと満開の枝垂れ桜を見ることもない。
今年は、3月末から延々と続いている万善寺の家財断捨離に付き合ってくれることが増えて、たまたま桜の満開に遭遇したわけだ。

ワイフと二人の時は、どちらかといえば私のほうが良くしゃべっていると思う。
日常の吉田家では比較的寡黙で無口な方のワイフが、自分の感想を感慨深げに語ることも珍しい。
4人の子供たちが成人して、それぞれ独り立ちして吉田家を離れてから、数十年ぶりに夫婦二人の暮らしが戻ってきた。
結婚して長男のじゅん君が産まれるまでのだいたい3〜4年くらいの若かった頃の二人暮らし以来になる。
それに、先日の私の母親の死亡で嫁の役目も完了して、やっと吉田家コミュニティーのトップに立った。

万善寺の庫裏を片付けていると、憲正さん夫婦の長年の思い出が彼方此方から次々に出てくる。
彼らが結婚した時は、憲正さんの母親が庫裏に同居していただけで、その母親も孫である私の顔を見て10年と経たないうちに他界した。
その後の憲正さん夫婦は、半世紀近くの期間、何から何まで自分たちの思い通りに万善寺を切り盛りして経営することが出来た。
そのことを思うと、我々夫婦はどう頑張ってもせいぜいこれから20年程度しか万善寺の主導を得ることが無い。
住職とその妻の立場で我々に出来ることというと、先代までの過去に溜まり積もった数々のムダを整理して、スッキリとシンプルな状態に整えるくらいしか用がない。
今は特にこれと言って自分たちの名が残るような寺の経営企画など思いつくことも無いし、かといって漫然として仏事を流す程度では生きていけないし、なかなか難しい。

やっと夫婦の二人暮らしが戻ってきたというのに、こういう状態だから先々思い悩むことが尽きない。
甲斐性のないオヤジは、自分のやりたいことばかり優先して、とにかくワイフに苦労ばかりかけている。
一度しかない人生だから、後悔しない毎日を丁寧に積み重ねようと思うようになってきた。
そろそろ、目先の具体なものに思い出を託して溜め込むばかりのチープな暮らしからオサラバする時期でもあるのだろう。

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石見銀山の朝 

2017/04/07
Fri. 21:51

生来の怠け者だから何かしなければいけない事を始めるまで、なかなか心身のエンジンがかからない。
暖気運転で少しずつやる気を引き出して目先のアレコレに取り掛かるのだが、やっといい感じで仕事が回転し始める頃に限って電話がかかってきたり認印の必要な郵便物が配達されたり集金の誰かがやってきたり、その上、自由気ままで身勝手なクロがチョッカイを出してきたり人見知りのシロが珍しく擦り寄ってきたりと、とにかく自分の周辺が落ち着かないまま1日が過ぎる。

母親の葬儀から1週間が過ぎた。
その間、毎日があまりにも早くに過ぎて消えてしまうから、自分の仕事や用事がどんどん後に回ってしまう。大なり小なり肉親の死に別れが精神のダメージを誘うものだと気持ちでは解っているつもりだが、自分の現実となると日々感傷に浸って鬱々としている暇もないほど眼前の客観的事実に責められる。
やはり、世間の他人はそういうもので、他人(ひと)の都合より自分の都合を優先する。

寺での法事が迫っているから、とにかくそれまでに見た目だけでも小奇麗にして平静を取り繕っておかないといけないし、毎日朝から夕方まで食事も忘れて立ち働いていたら、調子の悪い膝がみるみる動かなくなって、階段の昇り降りで膝を曲げる度に激痛が走るようになってきた。
早めに仏壇用の位牌を作っておかないと四十九日に間に合わないから、約45分かけて仏具屋さんまで走った。
「この度は突然のことで・・・」などと形ばかりのお悔やみを頂いた後早速位牌作成の商談に入った。
事務的に粛々と進む会話がとにかく空虚だ。

仏教では四苦八苦の教えがある。
この度の、母親との別れはそれの一つ「愛別離苦」に該当すると云っていいだろう。
これも、自分の人生で避けて通ることの出来ない当然の根本だということは商売柄十分承知していることだが、それが我が身のこととなるとやはりどこかしら気にかかることもあって、素直にゴクリと飲み込むことも難しいところがある。
見た目にはクールに平静を装っていても内心は結構深刻なダメージを受けていたりする。
こういう時になると「自分の人生は、果たして幸せなのだろうか?」などとふと考え始めたりする。
それこそそのことでとろけた脳みそが飽和状態になって大事な仕事の思考システムが断続的にフリーズして何度となく再起動して気持ちを切り替えたりする。

自分の事情は抜きにして、毎日世間は世間の事情で絶え間なく動き続けている。
一方で、とても辛くて心の支えがポキリと折れてしまいそうなときもあるが、とにかく踏ん張るしか無い。
石見銀山の朝は、いやに生暖かくて霧に包まれていた。

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ブッチャケ話し 

2017/04/04
Tue. 23:40

キーポンの国民年金未払いで督促状が来たのは3月の頃だった。
気にはなっていたが、そのままにしておいた結果の督促だ。
この国民年金なるもののシステムが具体的にあまり良く頭に入ってこないから、数年前の自分の時もギリギリになって出雲の年金機構の窓口へ直接出向いて職員の説明を聴きながらイマイチ納得も理解も出来ないまま必要な書類を記入したりした記憶がある。

11月の誕生日でめでたく20歳になったキーポンは、その時から年金の支払い義務が生じて、必要な手続きもしないまま5ヶ月未納分が自動的に溜まって5〜6万円くらいになっているようだった。
そもそも、キーポン本人が年金をもらえる年齢になった時に、今の年金システムがそのまま彼女に適応されるかそれ自体が曖昧なものだと思うから、職員に私の気持ちをブッチャケダイレクトに伝えた。
「20歳になってから5ヶ月分が溜まっているようですが、未納のままにしておいても、結局はその未納分が差し引かれるだけのことでしょう?」
「それはそれは、ご成人おめでとうございます!」
「4月から就職も決まって、その後は厚生年金で処理されるはずですから、結局それも自分のことだし5ヶ月分くらいはそのままにしておいても問題ないでしょう。年金をもらえるようになって、国民年金だぁ厚生年金だぁ申請の書類が増えて面倒になるだけで、自分の時も結構それで大事な時間つぶしましたからね」
「それはそれは、ご就職おめでとうございます!」
・・・まったく、食えないオヤジだ・・・

そんなわけで、学歴証明書なるものを提出しておけば、それで未払いを書面上正当化して証拠資料の保存ということで黙認してあげよう・・という、都合のいいシステムが出来上がっているようだ。
内心、「やっぱりこういう手があったか・・」と納得しつつ、督促状の過激な脅し文句につられて慌てる20歳とその親が全国にどれだけいるのだろうと、ムカツキつつ、満面の笑顔をキッチリ造って「どうもありがとうございましたァ〜、やっぱり、こういうことは窓口で相談するのが一番ですねェ〜、とても助かりましたァ〜」と、丁寧な礼を言ったら、その窓口オヤジは気まずそうに苦笑いを返した。
貯蓄型の保険でもかけておいたほうが変な年金よりずっと安心できると思うんだけどね。

吉田家の夕食は、新鮮な野菜のアレコレとオカラと一人前の砂肝アヒージョ。それにボクの好きなアジのタタキ。
午前中はお経を読みっぱなしだったし、午後は年金オヤジと腹の探り合いだったし、万善寺のゴミ出しもして、吉田家のピアノ搬出もあって、気がつけば朝飯も昼飯も抜きでドタバタしていたから、いつも以上に美味しく感じた夕食だった。
麦とホップがどんどん空いた。昨年末に頂いた日本酒も少し飲んだ。
久しぶりのストーブで心底温まった。
明日は母親の2回目の七日が巡ってくる。さて、導師の方丈さん来てくれるかな??

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親のNGーWord 

2017/01/17
Tue. 18:10

「正月ってのはね、いつまでか知ってる?」
「・・・・」
「正月ってのは、1月の1ヶ月を言うんだよ!だから、1月の31日までが(正月!)なんだよ!」
「・・・ムムム・・・??!!」
てな感じで、すでに、1月も半月が過ぎた今頃になって、やっと年賀状の整理をしたり、年賀状もどきの年始の粗品を発送したりして、本日、ひとまずおおむね完了したのであります!
いやぁ~、ながかったなぁ〜〜・・

これでも、結構絶え間なくセッセと眼前の用事を済ませていたはずなのに、とにかく1日が終わるのが早すぎてしょうがない。
このところ、平均の睡眠時間が4時間位だったりして自分でもビックリしている。

飯南高原の萬善寺周辺は、昨日まで続いていた強烈寒気の影響もやっと峠を越して、終日良い天気だった・・が、・・・萬善寺の方は、島根県の飯南町の保賀地内でほぼ孤立状態になったままでいる。
命の綱は、参道の一本の道のみ。
ボクの相棒の結界くんは、参道下のお地蔵さんの近所が仮の駐車場になっている。
大きくて重たい荷物は、その場所から一輪車に載せ替えて、約150mほどの参道の坂を引き上げている。
3畳の寺務所前についた頃には、口から心臓が飛び出しそうになっている。「このまま雪の中にバタリと倒れてお陀仏になるのではないか」と、それこそドキドキもするが、一方で「それでも良いかな?」と思ったりもしてしまう。
後期高齢者であるのにやたらと元気な母親は、とにかく自分の都合のことでモノを考えたり行動したりすることしかしなくなってしまった。
せめて、盆正月の坊主の忙しい時期だけでも母親の影響のない穏やかな暮らしを維持したいと思うのだが・・・正月のこの調子だと、今年も厳しいお盆になりそうだ。

萬善寺の暮らしが長引くと、ボクのレジリアンスは途端に衰弱して一気にストレスが増殖する。
親子関係における「親のNGーWord」なる記事を見つけた。
↓(以下転記)
〜〜〜〜〜〜〜〜
「危ないからやめなさい」
「あなたには無理だからやめておきなさい」
「どうせ長続きしないでしょ」
「そんなのできっこないわよ」
「あなたには無理よ」
〜〜〜〜〜〜〜〜
あぁ〜〜〜、思えば、ボクの少年時代はだいたい母親から似たようなことを言われ続けながら育ったなぁ〜
もうしばらく、母親と二人の寺暮らしが続く・・・

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ナンチャッテ坊主の年頭挨拶 

2017/01/02
Mon. 20:43

万善寺新年の恒例行事は・・・
正月2日の年始会。
新年初午の豊川稲荷初午祭。
それに3月の春彼岸。
・・・以上の3つが大きな(そうでもないか・・)仏事になっていて、その時にお檀家さんや地域の信者さんがお参りくださる。

この年始会も時代の流れに乗ってお参りが減少し、この近年はだいたい多くて20名ほどの参拝に落ち着いている。
今年は、年末から続く好天気で雪も無かったから、寺の参道を本堂下の駐車場まで車で上ることも出来るし、家族の送迎も楽だしするから年始法要の後の新年会も出席が多いだろうと期待していたのだが、結局例年と変わることがなかった・・というより、天気が良すぎて正月早々家族揃って遠出でもされたのか、むしろ何時もよりお参りが少なくなった気もする。それでも、お参りの皆さんはワイフのつくった正月料理の数々をパクツキながらそれなりに賑やかに盛り上がって、一升瓶がいつも以上に早く大量に空になった。

万善寺の正月イベントに向けて、私とワイフの二人は、それぞれに自分の業務分担を受け持ちながら粛々と準備が進む。
ワイフがおかみさんから台所を引き継いでから後も、いまだに現役気分のおかみさんがアレコレ無駄口をはさみ続けるので、今年ははじめて年末ギリギリまで石見銀山の吉田家台所で正月料理に取り組んでいた。そのかいあってか、恒例のメイン料理「万善寺おでん」がいつになく絶品で、特にダシ汁をタップリ吸い込んだ大根は最高に美味しかった。その大根は富山でお世話になっているお百姓さんからいただいた立派なもので、素材そのものも格段に良かったからかもしれない。

お参りの皆さんを前に、その年の年頭挨拶をさせてもらっているが、今年は、約2500年前にお釈迦様ご自身がお弟子の修行僧相手にお話されたらしいことを、自分流に意訳して「ニートだって立派に社会へ貢献している大事な存在なのだ!仏教の修行僧なら究極のニートになるくらいの覚悟が必要なのだ!」というようなお話を伝えさせてもらった。若干意訳たとえが過ぎるかもしれないとも思ったが、どうせナンチャッテ坊主の新年の話など、新年会の一杯の酒で忘れてくれるだろうと勝手に都合よく判断したわけだ。
今の世の中、使う方も使われる方も、やたらと生産性や利潤の向上を目標に仕事をしすぎているから、少しだけ小心者で気の弱い、たとえばボクのような人はそういう世間に潰されてどんどんそういう世間から弾き飛ばされる。世間や会社や組織など、自分一人でやりくりできる社会などあるわけもなく、知らない間にどこかしらお互い様で過不足なく助け合って暮らしているはずだ。何もしないとか、何も出来ないとかそういう人が自分のすぐ近くにいてくれることで、自分自身が色々な場面でどれだけたくさんアレコレ助けてもらっているか・・・それをもっと自覚しねければいけないんじゃないですか?
・・・とまぁ、そんなことがいいたかったわけで、ものの本によると2500年も前にお釈迦様が自ら似たようなことをおっしゃっているらしいのです。仏教は深いでしょ!

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2017-11