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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

できること 

2020/08/01
Sat. 17:18

「今まで何年も続けてきたことだけぇ〜、勝手にこっちの都合で日にちをずらしちゃぁ〜いけんけぇ〜・・」
まだ副住職だった頃、盆前になると毎年のように先代から叱られ続けてきた・・・

吉田家の家計と彫刻の制作費を捻出するために島根県の公僕に働いていた頃のことだ。
主たる生計を公僕で賄っている身としては、寺の都合で有給をフルに使ってチョコチョコ休むわけにもいかないし、毎度毎度同じ時期になると同じ棚経のことで先代とバトルが繰り返されていた。
坊主は月々のスケジュールを数字日程優先で決めていくし、公僕は曜日優先で決めていくから、前年と同じスケジュールが通用しないわけだ。
そもそもは、合理的でシンプルに繰り返される坊主日程の方が八方都合良いはずなのだが、世俗の常識は曜日日程をもとにして社会生活を送っているから、平成から令和に至る現代社会では昔ながらの縁日などとっくに崩壊して日常のご縁から遥かに遠ざかってしまった。

公僕を早期にリタイヤして坊主家業と彫刻家業を適度に調整しながら自営業というか自由業というか、とにかくどうとでも融通の効く暮らしに切り替えてそれに慣れてしまうと、その便利さに自分自身が随分と助けられているということに気付かされる。
寺の年中行事はそれぞれ縁日で決まっているから新春正月のうちにその年のカレンダーへ1年分の書き込みができるし、彫刻絡みの展覧会スケジュールも若干の誤差を考慮して少し余裕をもった日程を書き込んでおけばいい・・・そういうことが毎年繰り返されるうちに万善寺のオリジナルカレンダー制作を思いついて、そろそろ10年になる。
1年の万善寺行事を印刷したカレンダーを年始会へお参りのお檀家さんへ配っておけば寺の寺務が随分と割愛できて助かる。さすがに寺のカレンダーへ彫刻の行事予定も一緒に印刷しておくわけにいかないから、彫刻関係は後で自分用のカレンダーへ手書きしておく。

昨年のうちに印刷した今年のカレンダーは、年中行事が2月まで狂わないで過ぎたものの、それから後、コロナのおかげで狂いに狂ったまま気がつけはお盆を迎える頃になった。万善寺の行事は全くブレないで今に至っているが、手間替え随喜の組寺さんを始め、彫刻の展覧会に至るまですべて中止や日程変更無期延期と続いて、今後の予測不能に陥った。各種イベントや神事・催事・集会など世間の行事が軒並み様変わりになって自粛が当たり前になってきた。
時節柄、みんなそれぞれ慎重になることは当然大事で必要なことと思う。一方、仏事と直接関係する坊主家業の立場からすると、こういう時節であるからこそ余計に神仏に信心することで気持ちの平常を維持できる可能性も無いわけではないとも思う。信心はあくまで個人の自由であり特権であるから、大勢が一つ所に集まって何かをしなければいけないということもない。
それぞれのプロが分相応にそれぞれの立場でそれぞれに必要な業務に粛々と従事する環境が保全できると良いと思う。さしずめ、ボクにできることはセッセと太鼓を叩きながら人類の身体安全を祈念することかな・・・

2020暮らす彫刻奇譚のコピー

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ストレス発散 

2020/07/27
Mon. 10:33

本堂で常用の線香と香炉の灰へ湿気が入ってすぐに消える。
庫裏では、気がつくと蚊取り線香まで途中で立ち消えていたり、座布団や寝具もなんとなく湿っぽい。
押入れの襖や和箪笥の引き出しを開けるとカビの匂いが巻き上がる。
何処かで殆ど動かすことのないまま置きっぱなしの何かを持ち上げて動かしたりすると一面カビだらけだったりしているような気がして、そういう映像がリアルに思い浮かんでドキドキとする。
コマメにサッシやガラス戸を開けて換気をするのだが、かえって湿気をタップリ含んだ外気が家内に入り込んで部屋中がよけいに湿っぽくなってしまうような気もして悩む。

ワイフとの二人展を準備し始めてから工場と会場を何度となく往復した。
その間も雨がよく降り続いて、時々強烈な豪雨に変わったりして、さすがに疲れた。
それでも、搬入や展示がおおよそ終わってコロナで遅れていた会期がスタートしたからというわけでも無いだろうが、ひとまず雨が上がった。

首筋から右の指先まで絶え間なく残る痺れは、さすがに慣れた。
雨が降り続いて気圧が下がったりしている時はいつもより辛くて、箸を持つことが億劫になる。こういう状態が慢性になってこれから身体のアチコチに不具合が広がって日常の暮らしの其処此処で自分の動きが確実に少しずつ鈍くなっていくのだろう・・・と、ひとごとのように思いながら毎日が過ぎている。

県立美術館では建畠覚造さんと清水九兵衞さんの抽象彫刻が美術館の企画展で始まったようだ。二人とも、県立美術館の建設時に野外彫刻が買い上げ設置されたはずだから県民美術愛好家諸氏にとっては澄川喜一さんと併せて馴染み深い抽象彫刻家なのだろう。
「抽象」という言葉の概念はなかなか具体的に解説しにくいものだから、おおよそ殆どの鑑賞者は「何なのかよくわからない??」表現のモノであれば立体も平面もすべてひっくるめて「アレは抽象だ!」とか「アレが前衛だ!」とか思うことで表現されたモノの意図を納得するようにしているように思う。それはそれでいいと思う。
抽象表現領域の境界というか結界のようなものの内側からモノを見るか外側からモノを見るかの違いであると、自分で勝手に定義づけているようなところもあるから、私の造る彫刻を「アレは何ですか?」とか「何に使うんですか?」とかいう質問には「私が造っている彫刻です・・」と、簡単に回答するようにしている。そうすると、だいたい殆どの人は「あぁ〜そぉ〜ですか・・」と納得??されて、次の会話まで進むことはない。
時々「何で造ってあるんですか?」と質問をされることもあって、そういう時はチョット困る。「何で」という言葉の主旨がハッキリ伝わらなくて「どういう意図を持って」ということなのか「どういう素材で」ということなのか曖昧に伝わってしまうこともあるからだ。「意図」を回答するにはそれこそ1時間半くらいの説教をするようなことになってしまうから、だいたい「素材は鉄で造ってます!」と回答する。そうすれば一瞬で済むから、まずは、そうやってさり気なくかわしてその場を乗り切っている。
自分では抽象へ逃避しているようなところもあって、諸々のストレスを発散している。

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今を生きる 

2020/07/02
Thu. 23:59

万善寺の大般若経転読会法要は、先代住職憲正さんの三回忌が終わってから祥月命日の追善供養を兼ねて6月16日を縁日にして移動した。
連日通勤坊主をしながら荘厳などの準備を続け、前日になって仏花を活けかえ少しでも瑞々しく鮮度のある状態で法要に望んだ。

荘厳の心得として「仏花はお釈迦様の慈悲、灯明はお釈迦様の智慧、香はお釈迦様の功徳だから、どんなに忙しくても暇がなくても、この3つのコトだけは絶対に遺漏の無いようにしなければいけない!」と、小さい頃から法要行事が近づくとそれこそ耳にタコができるくらい毎度毎度憲正さんから言われ続けていた。
当時はその言われ方が指令とか命令とかくらいにしか思えなくてイライラとめんどくさいばかりに感じていた。慈悲だとか智慧だとか功徳だとか、なんとも曖昧で実態のない抽象的な言い回しのモノが何を意味しているのか生涯理解などできるものでないと思っていたのだが、今は、花はやがて枯れ腐り、蝋燭は溶けて流れて燃え尽き、線香は煙と灰になってかたちが消える・・・という、実体が消滅する様子を具体的に五感で感じとることで生死の実体を平静に受け入れられるように工夫された死生観の教えであるのだろうと思うようにしている。

死生観は一方で「如何に生きるべきか!」という人生観であるといえる。
地球上のあらゆる生き物はすべて生から死へ向かって一度しか無い一方通行の生涯を通して今を生き続けている。
過去のことは思い返すことはできても修正はきかない。
未来のことは理想を夢見ても現実にどうなるかはわからない。
結局、今を大切にして自分に正直に生きていくしかない。

衣替えに合わせて、シキビをメインに流儀も流派もないナンチャッテ活花で庫裏の装いを変えた。
ドクダミの花はそろそろシーズンのひと山を越えたようだが、それでもしぶとく咲き続けている。
ユキノシタも随分前から花を咲かせていて切り花にしても結構長持ちしてくれる。
ムラサキツユクサは水の吸い上げが早いから、それを気づかってやれば切り花の後も次々に花を咲かせてくれる。
ちょっとしたことだが、冬の間シキビで済ませていたところへ庭の花を切り花にして活け添えただけでどこかしら庫裏が華やいで感じる。

「私はあなたの娘じゃなくて妻なんだけどネ!」
ワイフが父の日にわかりきって言わなくてもいい一言を添えて携帯の扇風機をくれた。
なにか「組み立てキットのおもちゃみたいだなぁ〜」と思いつつUSBで充電を済ませて首にかけてみると、なかなかどうして思った以上に快適で意外だった。さすがに改良衣で首へ掛けてお盆の棚経に回るわけにはいかないものの、寺の荘厳や整備作務には十分に活躍してくれそうだ。

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彫刻展最終日:美しいということ 

2020/06/04
Thu. 23:51

6月に入ってコロナの自粛意識が少し和らいだのか、年回法事の問い合わせがチラホラと増えてきた。
俗なことになるが、在家坊主の住職業としては、4〜5月の2ヶ月間はほぼ無収入状態が続いていたので、この調子で法事が2つくらい入ると今月は寺の光熱水費が「なんとかまかなえるかもしれない・・」と、少し気持ちが楽になった。
幾つかの寺務が重なったので久しぶりに寺で泊まった。
昼のうちはあいも変わらず境内地の整備作務が続いているからデスクワークは夜になる。
寺務書類がある寺のデスクトップを起動してデータの書類を開いているあいだに世間のニュース動画を一巡した。最近は地上波のニュースに限らず世界各地の種々の出来事がいつでも回覧できるから世の中の情報に取り残されないですむ。便利になったものだ。
東京の方は自粛解除があってからまたコロナ患者が増えている。そろそろ平常業務に戻りつつあった関東で暮らす娘たちのこともまだ心配が続く。
何気なく動画を見ていたらテロップに「コロナ禍」とあった。「禍」とはどう発音するのだろう?・・・「コロナワザワイ??」「コロナカ??」・・そんな言い回しがあったのをはじめて知った。たまにはテレビとか週刊誌とか新聞とか見たほうが良いのかなぁ??
自分ではこのたびのコロナウイルス世界蔓延を地球全体規模の異常気象や自然災害に類するようなものだと思っている。人々の傲慢な驕りや自然の正常な営みを人間の都合で強引に捻じ曲げた経済活動の行き過ぎへ地球が抵抗を具体的に行使し始めたように思える。
「なんて美しい星なのだろう!熾烈なる生命の戦いが極めて少ない!」・・・宇宙の遥か彼方から地球の砂漠へ降り立った宇宙人がそう感嘆した・・・ように地球の美しさを表現した半村良さんの小説を思い出した。また半村さんは「青々と自然豊かな山海に満ち溢れた生命が生き残りをかけて殺し合い淘汰しあう悍ましく醜い世界!」と宇宙人目線で言わせている。
なんて小説だったかなぁ〜?・・「産霊山秘録」「太陽の世界」「妖星伝」・・何だったかなぁ〜?・・随分昔に読んだから、細かいことまでは思い出せないが、とにかく「そういう見方もある気がするなぁ〜」と、印象深かったことはよく覚えている。あれから数十年の間に地球はどんどん温暖化が進行し、地球規模で砂漠化が進んで、半村さんの小説の世界が現実になりつつある。ある意味で、地球が本来の美しい星を取り戻しつつあるのかもしれない。

展覧会最終日は、彫刻の搬出があるから関東圏から出品者が来るだろうし、搬出時間ギリギリに会場へ居ればいいだろう。搬出作業はキーポンが手伝ってくれることになった。
会場へ到着すると「吉田さんのレリーフお買い上げです!」と実行委員長が教えてくれた。最終日に見に来てくれた彫刻仲間のKさんが買ってくれた。コロナのことで集客も厳しいだろうしまさか売れるとは思っていなかった。石見銀山のアートイベントで古民家へ展示しようと思っていたから若干予定変更になってしまったが、同業の彫刻家からそれなりの評価を頂いたことは嬉しかったし、自分の表現に間違いがないことを客観的に証明してもらえたように感じた。
彫刻の梱包をしていたら、ギリギリになって飛び込みの一般客さんが周藤さんの彫刻を買って行った。
周藤さんは数年前から現代彫刻の作家や作品を丁寧に研究している。その成果が少しずつ彼の彫刻へ現れているように思う。

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周期的に晴れと雨が繰り返されて、ひと雨降るごとに暑くなっていく。
万善寺はやっと孟宗の筍が落ち着いて真竹に変わりつつある。
6月に入っていつ青梅を収穫しようか悩みながら毎朝梅の枯木を見上げている。

石見銀山の吉田家では、2~3日連続で朝早くから大屋根を猿の群れが移動して目が覚めた。裏庭へ出てみると銀山川脇にある夏みかんを食べ散らかして皮が散乱していた。
飯南高原では、1日に何回と無くクマの目撃情報が防災放送で流れる。寺の裏山はクマの通り道になっているから外仕事も気をつけなければいけない。
万善寺では、野良猫が消えて半月の間にネズミが出没をし始め、スズメの群れが境内へ戻り、山鳩が寺の裏山から蔵の屋根裏へ移動してきて1日中ホーホーと鳴いて耳につく。保賀の谷で暮らすつがいのカラスは野良猫がいようがいまいが関係なしに寺の上空を飛び回っている。そうそう・・ナント!先日は田植えが終わったばかりの水田で二羽のカモメを見た。島根半島にはうみねこの生息地もあるが、あれは間違いなくカモメだった。中国山地の県境まで北の日本海か南の瀬戸内海かどっちからやってきたのだろう?
巨大台風並みに発達したコロナウイルスの大渦巻にすっぽりと包み込まれてしまった日本列島は、日常的に続く人々の自粛生活と反対にこれから夏に向かって益々自然の動植物の活動が活性していきそうだ。

3月にあった彫刻のグループ展は、5日目も受付で銀座へ出かけた。
まだコロナ対策の政治判断が模索中であったから、人々の不安は高まる一方で、飲食業を中心に営業自粛や休業が日に日に増えていった。
SNSで展覧会情報を送付しておいた友人知人から少しずつ返信が届いている。
早くに「○○日に仕事終わったら会場へ行きますね。時間がおおよそハッキリしたらまた連絡します!」と返信のあったKさんから、「会社が自宅待機に変わったので、残念ですが・・・」この度は家でおとなしくしているとSNSの着信があった。懸命な判断だと思うし「お気遣いなく!気にしないでください」と返しておいた。
会期中は部屋代替わりの夕食をおごりながらキーポン宅でお世話になっている。
彼女は保育士をしているから、不要不急の自粛要請であっても在宅勤務になることもなくて、今のところシフトの変更もなく「早番だ」とか「遅番だ」とか言いながら毎日変わりなく出勤を続けている。
私の方は会場のオープンが11時だから、あまり早くから出かけてもしょぉ〜がないし、できるだけ三密は避けたほうがいいしするので、電車の空いた時間帯を工夫して最寄り駅から銀座まで移動している。
最寄り駅までの途中、歩行者専用の路地が何本かあって、道の両側に居酒屋などの小さな店が隣り合って長屋のように続く飲食店街がある。その一角に荼枳尼天さまをお祭りされた小さな祠がある。赤い鳥居が結界になっていて阿吽のお狐様のむこうのお堂にはしめ縄に半鐘ほどの大きさの鐘がぶら下がってお賽銭箱と昔ながらの神仏習合が残っている。
荼枳尼天さまは五穀豊穣商売繁盛のご利益が強力なので、このたびのコロナウイルス大渦巻終息身体安全祈願からは少しずれるかもしれないが、巡り巡った先で商売繁盛と縁がないわけでもないし、鳥居の前では一歩の足を止めてしばし手を合わせている。

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Stuck with U  

2020/05/21
Thu. 18:55

吉田家の玄関を出ると昨日から降っていた雨はあがっていたが石見銀山の町並みはまだしっとりと濡れたままだった。毎日のようにシトシト降ったりやんだり雨が続くといつの間にか「梅雨になってしまったのかもしれない?」と思ってしまう。
銀山街道の道端にはアザミが咲き始めた。
渓流沿いの斜面ではアチコチでやま藤が紫の花を咲かせている。
国道から町道へ右折して保賀の谷へ入ると、正面に見えるはずの琴引山は濃い霧に包まれてまったく見えない。田植えが終わった水田では水面から覗いた苗稲が寒そうだ。
庫裏玄関の柱の水銀温度計が12℃だったし寒くて耐えられないから火鉢が復活した。
温暖化が進む近年のこの時期に、これだけ寒い日は珍しい。少し前に冬物の洗濯をだいたい済ませて、あとは夏物と入れ替えるばかりになっていたのに、またゴソゴソと引き出して重ね着をした。

万善寺の床下に住み着いていた黒猫が10日ほど前からいなくなった。
その少し前に天井裏でネズミが騒ぎ始めていて、ピンクの毒エサが和箪笥の改良衣の下とか香炉の灰の上とか洗濯して畳んであったバスタオルの中とか、セッセと運んで溜め込んでいたりしていた。野良猫は寺の周囲で動くものを何でも捕まえて食べていたから、ネズミと一緒に毒エサも食べてしまったのかもしれない。
猫を見かけなくなってしばらくしたらスズメの集団が境内へ帰ってきてうるさく鳴き始めるようになった。そのうちツバメも巣作りの場所を探して開け放していた庫裏玄関へ飛び込むようになって、それまで静かだった寺暮らしが急ににぎやかになった。
たった一匹の猫がいるといないとで寺の周囲の生き物たちの生態系が変わったようだ。
これから夏に向かって縁側のガラス窓を開けることも増えるし、寺中の建具を開け放して風を通すことも増えるから、野良猫が床の上下関係なく自由に入り込んだらどうしようと心配をしていたところだったから少し安心したが、一方、この数カ月間、どこかしらオヤジの一人暮らしにさりげなく寄り添ってくれていた気もして、今まで頻繁に見かけていた猫がいないとなるとチョットだけ淋しくもある。

裏の斜面の足元の悪いところで木を切っていたノコ刃がソレて指の関節を怪我した。チョットした気持ちの緩みだった。工場で彫刻を造るときも同じだが、一人でなにかする時はとにかく気持ちが集中していないと小さなミスが大きな怪我につながる。誰も助けてくれないから慎重に行動するしかない。日頃から一人でいることに慣れているから大きな支障があるわけでもないのだが、一人でいると小さな怪我でも心細くなるものだ。
AppleMusicから新譜や更新のお知らせが届いていたのでひと通り回覧した。
世界のミュージシャンもコロナウイルスで在宅が続いているようだ。
吉田のような在家坊主の彫刻家は年がら年中一人で在宅しているようなものだから特に日常の不便は感じていないが、コミュニティーの規模が桁違いに大きな彼らにとっては何かと不自由な暮らしでストレスも溜まっているだろう。
久しぶりのアリアナちゃんが、ジャスティンくんとコラボしてタイムリーで素敵なシングル(Stuck with U )が出来ていた。最近の通勤坊主で耳のお供に欠かせない。欧米の人達は日頃からスキンシップが濃密だから随分と苦労しているのだろうなぁ〜・・

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網籠と花束 

2020/05/10
Sun. 23:06

母の日の朝、保賀の谷は濃い霧に包まれた。
境内から参道へ下るとすぐ其処にあるはずの六地蔵様のお堂が濃霧に隠れて見えない。
南に向いた庫裏玄関の柱に掛かる水銀温度計は13℃だった。
最近は毎日寒暖の差が激しい。その上、毎週末になると雨になって週明けまで続く変な天候の習慣ができてしまった。そのせいでもないだろうが、連休前にしろかきまで終わった保賀の水田は田植えを前にして農耕機の動きが止まったままになっている。
霧の向こうでうぐいすが鳴いている。
祈祷法要の準備で灯した蝋燭の芯が時々「ジジッ!」と鳴る。
いつになく静かな朝だ・・・

予定では、昨年の秋六本木の展覧会へ向けて造った六基の彫刻を石見銀山の町並みへ移動するように計画していた。
それが、前日には雨が降るとわかってしまったので直ぐに手伝いを頼んでいたT君へ連絡して取りやめにした。T君は、今年に入ってすぐ徳島へ彫刻移動をする時に手伝ってくれた。車の運転から彫刻の積み込みや搬入出まで随分とお世話になった。一方、1泊2日の二人旅で自分の体力が減退したことを具体に実感した。
秋に六基の彫刻を制作した時もなんとなく身体の限界を自覚したような気もしたが、そのときはそれほど強く実感したわけでもなかったから、それから約半年を過ぎて年が変わった頃になって「無理の限界も自覚しないと!」いけないふうにわかって自分を戒めた。それで、今回も無理に自分だけで無理をしないではじめからT君を頼ってしまうことにしたところだ。

かれこれ20〜30年くらい前は、彫刻の仲間も随分たくさんいたし、それに何より自分の体力もまだ十分に余裕があって、彫刻の制作から展覧会発表までなんの苦労も疲労も感じることがなかった。それから今に至る間に、彫刻仲間も一人二人と去って消えて、その上、自分の体力も限界が見えてきた。一方でしぶとく彫刻にしがみついて残ってきた仲間はそれぞれ自分の彫刻制作や発表に正面から向き合ってグングン伸びている真っ最中だ。
今、あらためて自分自身と自分周辺の彫刻事情を均して見るに、なかなか良い具合に作家性も彫刻の方向性も遺漏なく的確に成熟していると感じる。
20代から30代にかけて彫刻に目覚め彫刻にしがみついて没頭していた黎明期。
30代後半からの10年間は思いつく限りのテーマと一つずつ納得するまで正面から向き合った草創期。
それからは造形の想像と現実の整合性を確認するために実践創造期の10年間が過ぎ、少し前からは、かたちの無駄を自覚しじっくりと納得できるまで自分に向き合って取捨を選択する俯瞰期に入っている気がする。
これから先、体力減退を理由にして自分の意思で彫刻と縁を切るということは無いと思うが、一方で、今まで無意識に遥か遠くばかりをみつづけた彫刻になっていた気がしないでもないし、これからはもっと素直に丁寧に自分の足元を気遣うことも大事なのかと思う。

夕方、いつもの花屋へ駆け込んで、じゅん君の代わりに小さな花束を造ってもらった。
ワイフへは既に関東に住む娘たちから素敵な手さげの網カゴが届いていた・・・

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安西水丸さんのこと 

2020/03/18
Wed. 23:29

Amazonへ頼んでおいたユーシン君の絵本が届いた。
ハードカバーの折り目を気にしながらページの隙間を開けて覗き込むように試し見した。
安西水丸さんの表現解釈はボクが受けてきた日本の美術教育や受験の実技勉強の世界とはかなり違ったベースから始まっているのではないかと、改めて感じた。

安西水丸さんのことはそんなに詳しく知っているわけではない。
彼をはじめて知ったのはまだ美術の受験勉強を続けていた頃から購読していたキネマ旬報で、映画の一場面などの簡単なイラストと短いエッセイ風の文章が1ページになっている「シネマストリート」というコーナーだった。
確か、それまで読んでいた和田誠さんの「お楽しみはこれからだ」(だったかなぁ〜・・間違っているかも知れない・・)が終わって、それを安西水丸さんが引き継いだかたちで始まったのがシネマストリートだったと思う。
その頃の私は、西洋の透視図法を駆使しながらギリシャ彫刻の石膏モデルを必死になって木炭紙サイズへ写し取っていて「美術の基礎はこれしかないのだ!」とか「このデッサンをマスターしなければ自分の美術表現を認めてもらえないのだ!」とか「受験美術にとって東洋的空間表現は意味を成さないのだ!」とか、そんなふうな今思えばある種盲目的な思い込みと信念を頼りに、狭い世界から抜け出せないまま偉そうなことばかり云って悶々とした毎日を過ごしていた。

和田誠さんのイラストは洗練されていて、簡潔に整理された一本の線に必然性があって単なる似顔絵の領域を越えた素晴らしく完成度の高いもので、受験デッサンの勉強中だった頃の私にとってとても参考になった。エッセイ風の文章も面白くて、キネマ旬報購読の楽しみの一つだった。
ソレがある日気づくと安西水丸さんのコーナーに変わっていた。正直、はじめは拒否反応に近いものがあって全く馴染めなくて、しばらくの間なかなかそのページを受け入れることが出来なかった。それでも、なんとか文章を読んでいるうちに彼独特の極度に主観的な鑑賞感になんとなく親近感を感じるようになって、そうして文章に添えて描かれた速記のようなイラストを見ると、不思議にその映画のその場面の記憶が現実性をましてくる。そして、無性にすぐにでもまたその映画を見直してみたくなってしまう衝動に駆られる・・・気づくと、いつの間にか水丸ワールドの虜になっていた。

自分にはとても安西水丸的感性とか表現は出来ないと思う。ソレだからこそかも知れないが彼の表現感性に一種憧れのようなものを持っている。彼の絵を見ていると「絵を描く」という技法とか手法に頼り流されること無く、現実の具体的な事物が極端に主観的解釈で整理されて簡潔に無駄なくまとめられている・・・と、そういう具合に私は感じる。これは、ある意味で極めて具象的な表現だと思う。その具象表現の裏にデッサン力の誇示とかおごりを全く気づかせないところが凄いと思う。私も、自分の彫刻に彼のような一見気負いのないシンプルな表現が出来たら良いと思うがなかなか難しい。

春彼岸の前日の3月19日は、安西水丸さんの祥月命日になる。

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前向き 

2020/03/07
Sat. 23:39

年末に石見銀山の小品彫刻展を撤収して、今年に入って2月までの間に全ての彫刻返送を終わらせてすぐに節分が来て立春になると、思い出したように重たい雪が降った。
やっと冬が戻ってきて「やはり飯南高原は雪が降らないと冬になった気がしないな」と少し安心していたら、なんのこともない1回ほど雪かきをして一本道を開けた次の日には山陰の2月に珍しい冬晴れになってアッという間に参道の雪が溶けた。
こんなことなら、腰痛を無理して雪かきなどしなきゃよかったと思いつつ、今度は何年もの間にだらしなく枝葉の伸びきって見苦しい庭木のことが気になりはじめて剪定などはじめた。2月のうちに庭木の剪定をすることなど今まで想像もつかないことだったが、穏やかな小春日和がしばらく続くうちに身体がモヤモヤしてジッとしていられなくなってトリマーやチェンソーを倉庫から引っ張り出してしまった。
2・3日ほど良い天気が続いたおかげで境内地の外仕事はソコソコはかどったのだが、ついでにお墓までの参道も秋からの落ち葉が乾いている間に掃除しようと予定を立てたところで雨になった。
一度降り始めた雨はそれからしばらくダラダラと降り続いて、せっかく乾いていた落ち葉もまたジットリと濡れて地面に張り付いてしまって、予定が未定になった。

週末は激しく雨が降った。
吉田家のデスクワークも溜まってはいるのだが、どうもキーボードやテンキーをプチプチやるのもめんどくさいし、ロフトにこもって炬燵に潜り込んでいても気持ちが滅入るばかりだから鉄の仕事を再開することに決めて、久しぶりに朝から工場へ出かけた。
石見銀山の自宅から鉄の工場は、万善寺方面とは真逆に向かって5分ほど銀くんを走らせると到着する。
丁度、小品彫刻展に絡んで制作を続けていた連作のパーツが溜まっていて、ソレを溶接して組み立てるところから仕事に取り掛かることが出来て無駄が無い。
コンプレッサーのスイッチをONして、圧縮空気がタンクに溜まるまでの間に工具のチェックをしたり防じんマスクを用意したりして制作の準備を整えた。
世間では新型肺炎でマスクどころかトイレットペーパーまで品薄になってしまったようだ。人口密集地では日常の生活に支障が出てしまうまで流行が加速しているようだが、私の日常は坊主も彫刻も全くいつもと変わらない毎日が過ぎている。
これから銀座のグループ展に向けて彫刻を造ることになる。すでに搬入から受付搬出と1週間の上京も決めていて、ソレを思うと、小心者のチキンオヤジは今のうちから少々ビビっている。もっとも、銀座の会場は外出自粛の影響でほとんど開店休業状態が予測されるし、この際だから溜まった文庫本をいつもより多めに持参して「読書に集中できるかも知れない・・」などと不謹慎な想像をめぐらしてニヤつく自分がいたりもする。
いずれにしても、今のうちから実態の伴わないことで深刻な想像ばかりしていてもきりがないから、とにかく肉体の抵抗力を鍛えて精神の弱さに負けないように銀座の1週間を前向きに乗り切ろうと思っている。
グループ展や個展などの彫刻制作と発表は、まだ学生だった頃から毎年欠かさず続けていて、もう40年を過ぎた。
継続は力にもなるが惰性に堕ちることもある。そのあたりの見極めに失敗すると「労すれど功なし」となる。自分には受付当番も制作に匹敵する重要な業務と考えている。

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冬が来た 

2020/02/19
Wed. 19:48

シーズン一番の寒気団が峠を超えた。
飯南高原は−8℃位まで下がるから夜間の水道凍結に十分注意するようにと週が変わってから何度も町の防災放送で注意報が流れた。
数年前にも同じような事があって、その時は水道の元栓から庫裏の西側へ集中している水道管の養生ばかりに集中してソレで安心して石見銀山の吉田家へ避難していたら、その間に風呂のカランが破裂して一晩中蛇口から温水がタレ流しされていた。水道水とプロパンガスの請求がいつもの3倍から4倍とすごいことになって、修理代もかさむし、生活費の圧迫で万善寺の備蓄がたった3ヶ月で一気に底をついた。
その年の夏は連日30℃を超える猛暑になって、万善寺台所にある唯一のエアコンをひと夏フル稼働してなんとか乗り切ったが今度は電気代がすごいことになった。
吉田家の生活費から万善寺へ経費を補填しながらなんとか半年を乗り切った矢先の猛暑は万善寺経営に深刻な影響を与えた。

もう、かれこれ10年以上前から500円貯金を続けている。
始めた時の主たる目的は彫刻の制作に関する諸々の必要経費と会費の捻出にあった。
とにかく、買い物は現金をメインにしてカード決済を極力避けるように気遣いながら1年を過ごしてお釣りの中から500円を抜き取って家中の至るところへ設置した仮の貯金箱へ溜め込んでいたものを集めるとそこそこの金額になっていて制作の経費補填がずいぶんと楽になった。500円貯金もなかなか侮れないところもあって、そういうことを10年も続けていると、最近ではチョット高額の買い物をする時の目標にもなったりして、貧乏なりの楽しみにもなって達成の喜びもひとしおだ。
Powerbeats Pro 貯金は3月からはじめて9月末に目標を達成した。彫刻の展覧会で上京の時、往復の高速バスで大活躍してくれて、今は銀くんを運転中のハンズフリー電話でiPhoneの強い味方になってくれている。

自分の周辺に起こる具体的で深刻な環境変化がこの10年間で地球の温暖化を確実に証明している。
10年前は吉田家のリビングにエアコンが一つあれば家族6人が苦もなくひと夏を乗り切っていたのに、今はワイフと気楽な二人暮らしでも20年前のエアコン性能が環境の変化に追いつかなくなってしまって用をなさなくなってしまった。
これから先、昔のように温暖で過ごしやすい環境を期待することは諦めるしか無いことだと極寒猛暑を乗り切った時に痛感した。自然を相手にジタバタあがいても無駄なエネルギー浪費と、今の現状を大所高所に受け入れるしか無い。
それで、自分に何ができるか考えるに・・・
ひとつは、おおよその将来を意識した上で生活に密着した環境の改善を具体的に進めること。とにかく、暮らしの無駄を省いて極力シンプルに生活環境を整理すること。
そしてもうひとつは、彫刻の制作を通して環境の経年変化を記録し続けること。これはすでに2014年の石見銀山個展から具体的に現場へ落とし込んでいて、幾つかのデータも集まっている。彫刻制作による一連の表現活動は今の自分にとってとても大事なライフワークになっている。

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処世の道 

2020/02/18
Tue. 21:04

節分を少し過ぎた頃にちょっとした寒波が北から島根県上空へ降りて雪が少し降った。
それが過ぎると、冬とは思えないほど穏やかな小春日和が続いた。
通勤坊主を続けてもいいと思っていたが、法事の準備や塔婆書きもあるし朝夕の移動が面倒になったので単身赴任坊主に気持ちを切り替えた。
寺暮らしが続くと、炊事とか洗濯とか家事がついて回る。それに、せっかくの良い天気に外仕事の作務をしないのももったいない気がして、庭木の剪定などをした。気がつくと通勤坊主で往復に使う時間とドッコイくらい、いやむしろそれ以上に家事でドタバタしている。本当に改めて心からワイフのありがたさを噛み締めている。

週末になって冬には珍しい大風が吹き始めてそれから土砂降りになった。
1周忌法事の当日は朝から生憎の風雨になって気温も一気に下がった・・・といっても、いつもだとこの時期風雪が当たり前だから寒いと云っても随分と温かい。
1月から続いている七日努めがまだ残っているから、とにかく1週間が落ち着かない。連日のように銀くんを乗り回して飯南高原のアチコチへでかけていると、国道の補修や脇道の拡張とか、神戸川支流にかかる橋の架替とか、とにかく公共工事がやたらと多くて片側とか交互通行で足止めされる。どこへ行くにも迂回路が無いから赤信号で捕まる度にジッと我慢して青信号を待つしか無い。
そもそも、2月のこの時期にこれほどたくさんの仏事が続いたり重なることも極めて珍しいことだが、例年だと除雪作業くらいの仕事で重機を動かす程度の土建業の方も公共工事でフル稼働していてまた珍しい。

塔婆の裏書きに「一月在天 影印衆水 (いちげつてんにあり かげはしゅうすいにうつす)」と書いた。この禅語は好きで、時々塔婆に書かせてもらっている。坊主解釈はその筋の書物に詳しく解説されているからソレをチェックする方が間違いない。
私は坊主的立場で好きな言葉というより、一個人としてこの言葉を大事にしている。大げさに言えば自分が毎日の暮らしの中で忘れないようにしておきたい処世の道とでも云っていいかも知れない。
自分の何気ない言動は、時として周囲の人達にとても重たい影響を与えてしまっている可能性がある。それが常識的に正しいことであれば特に大きな問題にならないかも知れないが、一方、限りなく個人的で主観的な言動が自分の気づかないまま周囲に良くも悪くも何かしらの影響を与えてしまうということもあり得る訳で、そのことの責任の自覚がないと自分の真意を正しく伝達する道が絶える可能性もある。自分が伝えたいことであったり託したいことであったりするものは一つでも、それを受ける側の解釈は種々様々である。

まだ学生の頃、師匠であるY教授から「守破離」の話を聞いた。前後の経緯は全く記憶にないがなぜかその言葉が強く印象に残って脳みその片隅に張り付いた。道元禅師様は「喜心老心大心」の重要を説法された。僧堂老師のお話でその言葉を知った時、自然とY教授の守破離とつながった。坊主であり彫刻家である自分の環境がたまたまその2つの言葉を結びつけて意識させてくれたことだと思う。心身が両輪になって蛇行しないでいられるのもそろそろ先が見えている。周囲を整理したシンプルを探すのもかなり難しいことだ。

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我儘 

2020/02/07
Fri. 13:03

土地の立地条件が関係しているのかどうなのかよくわからないが、飯南高原で俗に云う「節分寒波」は、良くも悪くも不思議なほどに今までだいたい言い当てていて、そこに暮らす住民は冬の過酷な環境をそれはそれとして飲み込んで受け入れているようなところがある。
節分から立春は、万善寺で年間に幾つかある寺の仏事行事として毎年欠かさず引き継いでささやかな法要をする。
本堂が寒くてナンチャッテ住職の気持ちが萎えることもあるが、その程度の我儘で仏事をサボるわけにもいかないから、自分の軟弱な心身を騙し騙し下手くそなお経を読み続けている。
吉田家の方でも、節分の豆まきをするから、吉田家施主であり万善寺住職であるボクは二箇所で行われる2つの年中行事を時間差で乗り切るしかないことになって、節分寒波の真っ最中に銀山街道や出雲街道界隈を朝夕行ったり来たりの通勤坊主を続けている。今年は、それに怜子さんの七日努めが加わったから、この時期にドカ雪でも降ったらどうしようと毎日気象情報を検索しながらビクビク暮らしていたが、幸い、運良く、過去に前例を覚えていないほどの暖冬になって、立春も里雪で済んで、自他共認める雨男も随分と楽をさせてもらった。

昔の仕事で付き合いのあった美術の先生が3月末までの勤務を終えて定年退職をする。
それに併せて回顧展をすることになって先日立派な展覧会案内状が届いた。リーフレットには初期の頃からの作品写真がテーマごとに系統立てて几帳面に配置されて、彼の性格が手にとるように良く伝わってくる・・・と同時に、数十年もの期間休まずに制作を続けてきた多数の作品群をよく大切に保管管理できていたものだと感心し感動した。
彼とは若い頃からの飲み仲間で制作仲間でもあるから、回顧展のほぼ全ての作品を知っている。幾つかは、随分と熱く語り議論を繰り返した結果の作品もあって、その時のことを懐かしく思い出される。
彫刻家の吉田には、彼のような几帳面さもないし制作を終わった彫刻を資料ファイルで残すようなことを思いついたこともない。出来上がった彫刻も、ほとんどサインすることがないからあとになって制作年代や正確なサイズの問い合わせがあったりすると大騒ぎになって気持ちが萎える。彼のように自分の作品に対して責任を持ち続けることも大事なことだと、リーフレットを見ながら改めて反省した・・・といっても、今更どうなるわけでもないけどネ・・・

平成元号が終わろうとする頃から回顧展案内が頻繁に届くようになった。自分の作家歴がそういう制作を一区切り付ける作家諸氏とうまい具合にシンクロしているのかも知れない。丁度その頃から、彫刻家としての活動を大幅に整理しようとボンヤリ思っていたのだが、こうして彼からの案内状を見ると、これから先わずかに残った作家活動の方向というか方針というか、そういうものが具体的に見えてきた気がする。長年付き合っている彼には悪いが、基本的に彫刻家吉田正純が絡まない各種展覧会を失礼することにした。大鉈を振るって絶断する気はないが、例えば年賀状のように、少しずつ規模を整理してさり気なく何気なく表立ったお付き合いから消えていければいい。
我儘なことだがそろそろ造形に対する我欲の毒を抜いて天地に向き合う自分を大事にしてみようと思うようになった。

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ナンチャッテ坊主はナンチャッテ住職 

2020/02/05
Wed. 12:17

立春を過ぎて少しは寒さが厳しくなるだろうと覚悟していたら、東の琴引山の向こうからまばゆいほどの朝日が昇って、夜の放射冷却で保賀の谷一面真っ白に張り付いていた霜を一気に溶かし始めた。

昨夜は、飯南高原の地元に残っている同級生が集まって新年会のような飲み会があった。
常々女房殿の下僕で小さくなっているオヤジどもは、普通になんの目的もないまま集まって飲むほどの勇気もなく、いくつかの理由をあれこれと画策してでっち上げて涙ぐましい努力を繰り返しながら集まっている。それで今度は新年会という名目の元、町内のプラント会社で永年勤務の重役U君とMさんが退職したことの祝と、6月に決まっている同窓会の事前打ち合わせというもっともらしい言い訳をつくって親しいところから順を追って連絡網が回ってきた。
三日市にある居酒屋は万善寺からだと下りで徒歩10分、帰りの上りだと徒歩20分の距離にある。数日前まで怜子さんのことで東京のアチコチを延々と歩き続けていた疲労が膝と腰に溜まってしまって寺の用事や吉田家の階段を上り下りしている間にシクシクと痛むものだから片道だけでも楽をしようと酒を飲まない友達へ連絡して迎えに来てもらった。
同級生の何人かは「真面目」を絵に描いたような世話人がいて、時々思い出したように審議事項の議題を持ち出しながら鍋をつつき、酒を飲みつつしているうちに、少しずつ辻褄もあって話もまとまって、それからあとは他愛ない世間話になった。

昨年に我々同窓生の担任だった先生が天寿を全うして大往生された。曹洞宗の隣町のお寺の檀家総代を永年務められた立派な信心者であった。晩年は年中行事の仏事でそのお寺へ随喜のたびに教え子のボクに向かって「ワシが死んだらお経をあげてぇ~よ!頼むけぇ~ねぇ~」が口癖のようになっていた。それで、こちらもその気になって葬儀の時は誠心誠意副導師の職を努めようと思っていたのだが、結局は代替わりされた現住職のお考えもあって、サラリと告別式も過ぎて、万善寺としてはどこかしら消化不良のままに終わった。せめて「四十九日の時にでも改めて・・・」と気持ちを切り替えたのだが御導師さんの方から「四十九日はお参り結構ですから・・」と云われて、それも菩提寺様のご意向とゴクンと飲み込んで全てが終わった。
怜子さんの菩提寺は浄土真宗大谷派になるが、御院家さんの都合で葬儀が日延べ先送りになりかけた。私個人としては「坊主は喪主施主の都合に併せてナンボ・・」と決めているところがあって、仏事と仏事が重なる時でも出来る限り喪主施主さんの意向に添えるよう最善策を考える。先代からの申し送りでもあるが、やはりソレであることが菩提寺住職の務めであると自分では思っている。

この近年、仏事が殺伐として寺務がしだいに事務的になってきたように感じる。
彫刻を造る時は、打算など気にすることのないまま必死でテーマを追いかけながら制作にしがみついているような、そういうある種純粋であることが彫刻家としての務めと思う。
今の万善寺住職は、宗教家の欠片も無いタダの職業坊主として世間の事情に流されながら、気がつけば自分で気づかないうちに打算を追いかけていることが増えていたりする。結局、ナンチャッテ坊主はナンチャッテ住職しかできそうにない・・虚しいなぁ~・・

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肩書 

2020/01/24
Fri. 17:03

そろそろ申告の準備をする時期になった。
頚椎の手術で5週間入院していた時に、時間だけはたっぷりとあったから色々と行く先のことをシミュレーションしていたのだが、退院して現実の世界に戻ってしまうとアレコレ考えていたことなど忘れてしまって目先の事物を片付けるだけで手一杯になった。
申告も、公務員を早期退職して寺の住職と掛け持ちしながら自営業を始めたところで青色申告に切り替えた。それからかれこれ15年位は経っただろうか・・・年齢的には引退をしてもおかしくないから自営業も「そろそろ身辺整理して廃業しても良いかもしれない・・」と漠然と思っていたのだが、なにか具体的に行動することもなく今に至った。

たまたまだろうが、昨年はとにかく寺の用事に忙殺された。
年明け早々から絶え間なくお葬式が続いて入院の日程を調整することにも苦労した。すでに決まっていた法事の日は動かすことが出来ないから隣町のご住職へ代行をお願いしたりもした。それでも、万善寺程度の弱小寺は宗教法人の様式に即して申告事務をするだけだからなんとかなるが、自営業の方は収入支出や各種控除から減価償却のことまで例年と変わりなく事務を進めるしかなくて何かと厄介だ。
とにかく何もしないで済ませるわけにいかないから、廃業のことを考えながら自営業関係の身辺整理を始めた。

1年分の関係書類を中心にアチコチへ散らばっていたものを整理していたら随分昔の名刺類がドッサリと出てきた。
そういえば、あの頃はそれなりに営業の努力もしていて名刺交換の機会も多かった。頂いた名刺は、だいたいが公的使用の名刺で有効期限はせいぜい2〜3年程度のものだろうし、顔と名前が一致するものは一握りあるがどうか程度のものがほとんどだったから躊躇なくゴミ箱直行になった。
名前と住所と連絡先がわかればデータとしては十分のはずだが、どれもこれもやたらと肩書が長々と、そして数々と、多い。
京都で交換した○○寺のご住職はすごい名刺だった。
普通の名刺サイズの横が2倍になっていて、裏表4面にビッシリと様々な肩書が列記してあった。その名刺をもらったときも「そういえば、あのボォ〜さんアレコレと自分の忙しさを強調していたなぁ〜・・・」と顔までは思い出せなかったが、その時の映像はボンヤリと浮かんできた。

さて、自分の肩書というと・・・いったい何なのだろう?
「これいったい何ですか?」と鉄の彫刻を指差されると「彫刻家」と言っているし、着物の時は「坊主」とか「住職」とか言っている。
名刺には、自分の名前に添えて「島根県彫刻振興委員会」と「工房むうあ」は石見銀山の住所連絡先、「龍雲山万善寺」は飯南高原の住所と連絡先をそれぞれ載せていて、「彫刻家」とか「住職」とか職名は無い。何をやっていても「ボクが吉田正純です!」とわかってもらえればそれでいいと思っている。
それにしても気がつけばいつの間にか名刺交換の機会など全く無くなったなぁ〜・・・

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野生の事情 

2020/01/22
Wed. 12:27

一応、シーズンは冬だからそれなりに寒いことは寒いが、それでもこの時期で境内には雪も無くて過ごしやすい。
晴れることが多くて朝から雲ひとつ無い青空が広がっていると、自分の住み暮らしているところが中国山地の山の中であるということをつい忘れてしまいそうなほど不思議な気候が続いている。

七日参りを二軒分済ませて庫裏玄関前へ銀くんを横付けして仏具などの荷物を取り出していたら、バッタリ黒猫と遭遇して目が合った。猫の方はすでに車のエンジン音で私の帰宅を察していたと思うが、こちらはそれに気付かないでいたから少し驚いた。
黒猫を境内地の其処此処で見かけるようになってからそろそろ半年くらいにはなるが、これだけ近くで出会ったのははじめてのことだ。
目つきも悪いし鳴き声ひとつ聞いたこともないし、私の存在に気付きつつ完全に無視して適度に安全な距離を維持しながら堂々と眼の前を横切るようなふてぶてしさもある筋金入りの野良猫で人間に懐くことなど無いと思っていた。それがこの度は、手を伸ばせば届くくらいの近距離に猫背を丸めて行儀よく座ってこちらを眺めている。
そういえば正月になって連日寺暮らしが続いていると、ほぼ毎日のように黒猫を見かけるようになっていたから、向こうもしだいに人間(・・というより私)へ慣れてきはじめたのかもしれない。

日常の様々な場面で動物(さすがにクマとかイノシシは別だけど・・)と遭遇すると、とりあえず自分の方から挨拶代わりに声掛けをするようにしている。そうすることで、彼らに対して敵意とか悪意を持っていないということが伝わるような気がする。それに、声掛けをするということで彼等の方も「自分はあの人間に見られている・・」ということを自覚して、私という人間のテリトリーを認識して、その領域内で変な悪さをしなくなる・・・と、なんとなくそういう気もするからだ。
カラスに声掛けをするようになってから、お地蔵さんの供え物を散らかして悪さをするようなことがなくなったし、タヌキを見かけたときも声掛けを始めたらそれまで毎晩のようにマーキングウンコをしていた境内のウンコスポットからウンコが消えた。屋根伝いに庫裏の天井裏へ入り込んでいたテンやイタチや一時期本堂の屋根裏で暮らしていたつがいの山鳩も出会うたびに声掛けを続けていたらそのうちいつのまにかいなくなった。

自分の思い込みだけのことかもしれないが、基本的に野生で暮らす連中に対して人間の生活の思惑や都合を当てはめて善し悪しをみてもしょうがないことだと思う。
畑が荒らされたとか田んぼに被害が出たとかテーブルにあったアジの開きを持っていかれたとか、サンダルを片方持っていかれたとか野生にしてみればいつか死ぬ時が来るまでひたすら生き続けなければいけない、何かしら意味のある重要で正直な生存の行動の一つであるだけのことだ。
あの一見ふてぶてしく見える野良猫も、本人(本猫)にしてみれば実に正直に清貧に毎日を生き続けているだけのことで、人間と敵対して生きているわけではない。
そこらへんに蠢く裏表のある人間たちよりはずっと素直で信用できるな、ボクは・・・

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限界坊主 

2020/01/21
Tue. 13:42

久しぶりの風邪からなかなか立ち直れないまま五月雨に続く仏事を粛々と片付けていたら、喉のあたりに咳の残骸がしぶとく絡みついてお経のたびに咳き込んでしまう。
それを我慢しながら法事など片付けて寺へ帰って、お経の間中飲み込んで飲み込んで溜まりに溜まっていた咳を一気に連続で吐き出して、そういうことがしばらく続いた。
そのうち胸の胸骨から肋骨のあたりに張り付いた筋肉へ疲労が出てき始めて、それがしだいに下の方へ下がってきて、今は贅肉でたるみきった腹のあたりへかろうじて残っている腹筋の欠片が咳をするたびにキリキリと痛みはじめている。
いいかげんジジイになった後期オヤジのボクは数年ぶりにこじらせた風邪で疲労困憊、気持ちも肉体もグッタリと萎えてしまって、何をする気にもなれない。

正月から続いていた万善寺の単身赴任をひとまず切り上げて3日位連続で通勤坊主をしていたら、その間にボクの厄介な風邪菌を吉田家でばらまいてしまったようで、それがワイフへ感染ってしまったらしい。
あれこれと家事をしながら鼻水を垂らし咳き込んでいる彼女をみると、なんとも申し訳ない気持ちになって「これはしばらく自分で自分を隔離しておいたほうがいいだろう・・・」と、通勤坊主から再度単身赴任へ切り替えたところだ。
ちょうど月末も近づいて寺務や支払いもいくつか残っているし、寺のアチコチからかき集めた焼香料を握り締めて金融機関を巡回し、風邪で停滞していた年賀状の発送業務などをやっと済ませて、少しヒマができたからこうしてキーボードをつついている。

ファミリーLINEへなっちゃんが中学校廃校の新聞記事を載せていた。吉田家の子供たちが通っていた中学校が生徒減少で廃校になることが決まりそうな様子だ。
日本全体が人口減少傾向にあって、限界集落が絶滅集落になることも当たり前の時代だから、学校の統合や廃校も避けられないことになった。
今から約40年ほど前、私がまだ東京に暮らしていた頃、自分の母校である中学校の廃校が決まって、同窓会の連絡網で校舎の再利用案や跡地再開発案の募集情報が流された。まだ学生で勉強中だったし、Uターンのこともまったく考えていない頃だったから、母校消滅に若干の寂しさとかもったいなさとか、そういう気持ちがあるにはあったが、その時は特にコレといった提案を回答することもなく静観するだけに留まった。
それから今に至るまで飯南高原の行政区では人口の自然減少が続いて、この近年は年間出生は20人以下に留まっているらしい。いまのところ1つの行政区に中学校が2校あるが、出生が現状のままだと、近い将来には中学校の統合が避けられないだろう。

2月には節分立春からお釈迦様の涅槃会があって3月は豊川稲荷初午祭から春彼岸と、年中行事が控えている。万善寺仏事のお知らせを配りながら1年のうちに数回ほど飯南高原に点在するお檀家さんを巡っているが、昨年1年の間に空き家や絶縁で巡回の戸数が10軒近く減った。数年前は配りものを一巡するのに半日はかかっていたのに、今は2時間チョットで一巡してしまう。
学校の統合整理が落ち着く頃には、当然寺院の統合整理も加速しているはずだ。
職業としての在家坊主で生活するには、そろそろ限界を越えて絶滅に近づいているナ・・

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風動幡動 

2019/12/01
Sun. 23:56

関東の方は2年続けて木枯らし一号の吹かないまま11月が終わったらしい。
だいたい標高450mあたりに位置する山寺の万善寺は、12月を待たないで11月も終わろうとしているある日の朝、初雪というほどでもないくらいの雪の粉が舞い落ちた。

飯南高原は毎年決まったように11月の最終週の頃に初雪が降る。
今年は晩秋になっても暖かい日が続いていたからもう降らないだろうと気楽に考えていたから、スタッドレスタイヤに履き替えてもいなくてチキン坊主のボクは少々焦った。同級生のモーターズへ電話したら「15分もあれば交換できるからいつでも良いよ!」といってくれたので「それじゃぁ、法事の間に交換しておいてくれる?」ということになった。保育園の頃からの付き合いだから半世紀以上の腐れ縁になるが、こういう、地元の同級生がそれぞれ異業種で散らばってくれていると、人付き合いが苦手なボクとしてはとても助かる。

12月1日は、朝から33回忌の年回法事が決まっていた。
丁度故人の祥月命日で日曜日だから親族も集まりやすかったのだろう、もう3ヶ月くらい前に法事の予約が入っていた。
いつも塔婆書きに使っている硯は、吉田家の子供達が義務教育時代に中学卒業まで使いまわしていたものだ。プラスチックの硯箱にセットで入っていた教材用の墨はもうとっくに使い切って、今は3本目がそろそろ無くなろうとしている。
墨汁では雨に流れて使い物にならないから、こうして塔婆に書く墨は、毎回せっせと硯で墨を摺る。今どきの日常に硯で墨を摺るようなことはその筋の書道家を別にして寺社関係の職業宗教家くらいしかいないだろうと思う。
在家坊主の住職は長方形に練り固めた墨の棒を先端が鋭角に尖るまで斜めに斜めに傾けて摺り続ける。摺り落とす面が少しでも広いほうが塔婆書きの時間短縮につながるからだ。
私は、どうもそのスタイルが気に入らなくて、律儀に墨を硯へ直角に立ててきちんと3本の指で摘んでゆっくりと前後に動かすように摺り続ける。今は、墨が短くなって指で持てなくなってペンチを使って摘んでいる。今どきケチくさい話だが、なんとなく塔婆書きへ入るまでの準備運動というか手慣らしというか、そういう一つのものに集中できるまでの時間が大事だとも思う。
それで、そうやって墨をすりながら塔婆の裏書きを考えて、「風動幡動(ふうどうばんどう)」と書いた。有名な禅語だから興味があればググってみれば出てくるだろう。
グレッグ・ローリーの18年ぶりになるニューアルバムを聴きながら塔婆を書かいた。
彼は、あのジャーニーでスティーブ・ペリーの前にキーボードとボーカルを担当していた人だ。少し前にスティーブ・ペリーも久しぶりにソロアルバムを出しているから、それに影響されたわけでもないだろうが、とにかく元気に現役でいられて良かった。

吉田にとっての1970年前後は自分の人生の大きな転換期であった。周辺の環境が一気に変わって、わけもわからないまま時代の激流に流されてアッという間に飲み込まれていった。そんな状況で自分を見失わないでいられたのは、リアル・タイムでアメリカのウッドストックやフォーク・ロックや一連のニューシネマがあったからのような気がする。

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混同か合体か 

2019/10/28
Mon. 10:39

久しぶりに一日中まとまった雨になった。
吉田家のトタン屋根を激しく叩きつづける雨の音で夜のうちに目が覚めた。
最近は処方してもらった薬のおかげもあって、夜中に目覚めることも随分減った。
その薬もそろそろ飲みきってしまうので、幸いに雨で外仕事もできないし、近所の整形外科へ通院することに決めた。
「病院行くんだったらお昼前が少しすいてるわよ・・・」
仕事へ出かける前にワイフが教えてくれたから、いろいろと準備をして丁度良い頃合いを待って出かけた。雨は時折土砂降りに変わって強く振り続けている。病院までの間、雨の降る中、作業員がずぶ濡れになって道路の補修工事をしていた。自分の都合で休むことのできない彼らが可愛そうになる。

今月末には六本木の展覧会の会期が終わって彫刻の搬出作業がある。
春の手術入院のこともあるし、今年の彫刻制作はあまり無理をしないように気をつけたつもりだが、普通に何もしないで過ごしているわけでもないから、結局はそれなりの無理が続いた。制作の工程を見直して、できるだけシンプルで右手の負担を軽減できることを考えた。それで彫刻の造形が崩れてダメになるくらいならいっそのこと制作を中止するくらいの気持ちで始めた。
こういうときは知らない間に自分をかばって適当なところで妥協してしまったりする。
彫刻を初めて2〜3年だっただろうか・・・会期中の彫刻講評会のときに「昼の仕事が忙しくて制作時間がうまくとれなかったものですから・・」などと、形の破綻を弁解がましく取り繕ったら、講評の委員から「そんなの関係ないでしょ!あなただけじゃなくてみんな似たような環境で他に仕事しながら制作してるんだから・・ようは、その彫刻が良いか悪いか、ソレだけでしょ」と、ピシャリ言われたことがある。
その時は「クソ、コノヤロウ・・」と、自分の甘さを棚に上げてムッときたが、あとになって帰りの夜行寝台でチビチビやりながら思い直してみると、確かに言われたことももっともなことで、自分の彫刻制作に対しての認識の薄さに気づいた。

とにかくどんな事があっても他の事情と彫刻のことを区別して混同しないようにしようと肝に銘じてから、カレコレ35年が過ぎた。毎年何かしらの出来事が彫刻制作に絡んできて、なかなかしんどい時もあるが、なんとか今まで良いも悪いも含めてそれなりに自分で納得しながら彫刻を造ってきた。上野から六本木に展覧会場が変わった時、自分の彫刻は六本木の美術館にそぐわない気がして下見に行ったことがある。それでこれをキリに公募展を辞めようかと思ってもみたが、結局ナンダカンダいっても公募団体展へ出品する彫刻は1年に1作しか制作しないわけだし、10年続けてもたかだか10作の彫刻しか残らない。自分のテーマを追求して苦悩して悶々と掘り下げているとしても「たった10作の彫刻で何が語れてどんな方向が見えるのか知れたものだ・・・」そうも思えるところもあって、何かしら撤退というより敗退という気もして「ソレもイヤだな・・」と今まで続いた。
最近は坊主メインの彫刻制作になりつつあるが、ソレも宿命だし、きちんと区別して言い訳がましい彫刻にならないようにしたいものだ・・・といって、どうもこのところ坊主と彫刻は混同というより合体という感じになってきた気もするなぁ??・・・

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無事是貴人 

2019/09/10
Tue. 11:35

みなさまよくご存知のように、わたくしはチキンオヤジでありますから、色々な場面で遭遇するイザコザとかイサカイとかバトウとかドウカツとかボウリョクとか、そういうことがたまらなく嫌なので、とにかく事あるごとに避けて通っているわけでありますが、それでもソコソコいい歳を迎えてくると、どうしても避けられない事情というものが幾つかはあるわけで、なかなか厄介なことであります。

どちらかと云えば人嫌いな方の私の狭い付き合いでも、あまり親しくお付き合いしたくない人や、できるだけかかわらないでいたい人も、その気になって思い返すと結構何人か該当者がいたりして、幾つかの出来事を思い出したりするととたんに気持ちが滅入ってしまったりする。

広い世間のメジャーな情報社会でも日韓のことやあおり運転のことや子ども虐待や町内の迷惑オジサンや迷惑オバサンなどが、大衆の野次馬根性をくすぐって賑わっている。
そういう、自分にとっては比較的遠い世界の出来事は、情報の入り込みを上手に制限してカットすればなんとかなるが、寺の付き合いにしても自治会の付き合いにしても、避けて通れない身近な付き合いの中で気持ちのザワツクことが生じてしまうと辛い。
坊主をしていると、法事ででかけた先で何かの拍子にアチラの話題が出て、そのうち聞くに耐えない悪口で盛り上がり始めたりすると、もう何か適当な理由をつけてすぐに中座してしまいたくなる。別の日のコチラの法事でも似たようなかんじで聞きたくもないアチラの悪口が出始めると、もう自分の居場所が無くなって溶けて消えてしまいたくなる。

人間に限らず、犬や猫を見ていても、歳とともに温厚でおとなしくなるモノもいれば逆に怒りっぽくなって過激に走るモノもいる。
先日お地蔵さんの供養でお邪魔した家では、老夫婦が健在で息子夫婦が昼間仕事で留守の家をシッカリと守っていらっしゃる。もう随分長い付き合いで昔から1年に1回はお経を読みに出かけている。さすがにこの近年はお二人とも確実に毎年体力が落ちて老化が進んでいると分かる。自分の将来を見ているようで参考になっているのだが、その老夫婦のおばあさんの方が1年前からすると予測不能なほど口汚く怒りっぽくなっていた。おじいさんの方はそういうことが毎日繰り返されているだろう慣れのようなものがあって「またはじまったぞ・・」と苦笑いしながら一歩引いた当たり障りのない返事をしている。「なるほど、コレが夫婦円満のコツか!」と感心しつつも、明日は我が身のことと他人事で済まされないように思った。
実は、ボクのパパとママの二人暮らしはもっと厳しくて聞くに耐えないどころか見るに耐えないことも頻繁だった。よく憲正さんは耐え抜いたと頭が下がる。若い頃からの仏教の教えや修行が身に染み付いていたからニコニコとして耐えられたのだろうと私は本気で感心している。
今年の吉田家は、仲良し別居が倍増した。たまたま、そういうめぐり合わせなのだろうと自分を納得させていたが、その別居暮らしが増えたせいでワイフとの間に何かしら気持ちのズレが生じたようで、些細なことですれ違いが増えた。チキンオヤジとしては円満に物事が進むことを希望しているのだが、ヤブをツツイて自滅することが増えた・・ヤレヤレ・・・

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Powerbeats Proのおかげ 

2019/09/08
Sun. 10:48

寺関係の書類を作成して教区の事務局へ届けてから、そのまま石見銀山へ向かった。
西陽が目に入って眩しくてしょうがないから、銀くんへ常備してある年代物のレイバンをとりだした。手元の方はボケて見えないが遠くはよく見えて眩しさも気にならくて走りやすい。随分と日が短くなって、西陽の影が長くなってきた。

3日ほど前から残暑が厳しい。
秋の虫も賑やかになって、しばらく初秋の涼しさが続いていたから、身体のほうがソレに慣れてしまっていたところへ真夏のような暑さが戻って体調がすぐれない。
加えて、右半身を中心に首筋から肩を通って指先までのシビレがひどくてなかなか寝付けない。手術の時に神経の圧迫を軽減するだけで完治の期待は難しいと言われているから体調の改善へ特に大きな期待を持っているわけでもないが、それでも夜になって昼間のツケが首筋へ集まって一度気になり始めると寝不足が続くし、しだいに慢性化し始めてさすがに少々つらい。次の通院も近いし、ドクターへ相談してみようと思う。

オヤジの一人飯も気楽ではあるが、そのうち飽きてきてあまり長くはもたない。
ワイフ手作りの夕食が美味くて少々食べ過ぎた。
夕食が終わってからしばらくネコチャンズと無理矢理勝手に戯れた。
クロもシロも久しぶりに逢ったというのに、極めて素っ気ない。迷惑そうに尻尾を小刻みにパタパタと振っていたが、それでも「まぁ、久しぶりにオヤジのワガママへ付き合ってやるか」くらいには思ってくれていたのかもしれない・・・ソコソコ我慢しておとなしくボクのねちっこいスキンシップに耐えてくれた。

吉田家ではPowerbeats Proが重宝する。
ワイフは自宅で音楽を聴くことがない。テレビは垂れ流しで1日中つけっぱなしだったりするのに音楽の趣味は無い。そういうこともあって、スピーカーからボク好みの洋楽が流れていたりすると、台所の方から「チョット静かにして!」と文句が飛んでくる。
吉田家でPowerbeats Proを使うようになってから、そういうイザコザが減っただけでも良かったと思う半面、我が家で肩身の狭い窮屈な思いでいるのもどこかしら釈然としないところもあるし、なかなか複雑だ。
とにかく、いずれにしてもつまらないいさかいが絶えないで殺伐としているよりは平和な方が良いから、あまり深く考えないで耳からのダイレクトな刺激を堪能しつつ、シビレの不具合をしばし忘れることが出来ている。
そろそろ20年ぶりくらいになるだろう、あの頃よく聴いていたシェリル・クロウが新譜を出していた。これからはライブ活動を中心にしてアルバムの制作はコレで最後にするということらしい。Apple Musicで新譜の「THREADS」を検索すると彼女のアルバムに託した思いがなんとなく見えた気がしてそれからYouTubeに切り替えて3時間近く新旧取り混ぜてホームシアターライブを楽しんだ。Powerbeats Proはこういう時に都合が良い。
それにしても彼女の声はなんと可愛くてセクシーなんだろう・・・そろそろ60歳くらいだと思うけど全然変わらなくてカッコよくて可愛い・・・見事に素敵に歳をとったと思う。
もっとも、歌声以外はボクの好みのタイプではないけどね・・・

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2020-08