工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ヒョロリくんの彫刻ー「かたち2」 

2017/09/23
Sat. 21:00

最近の島根県は・・・というより、石見銀山とか飯南高原とか奥出雲とか、私がウロウロと行動しているあたりは、雲の多い日が続いている。
今朝も、うろこ雲の向こうに朝日が出ていた。
うろこ雲が広がると近いうちに雨になると云う。少年時代の自由研究で夏休みの1ヶ月間ほど雲の観測をした時も、かなりの確率で次の日が雨になった。
万善寺の営繕でお世話になっていた近所のおじさんは、若い頃山に入って林業に従事していて、山の天気のことをとても良く知っていた。そのおじさんが、ある時うろこ雲と雨の関係を話してくれたことがあって、それを聞いた時は「ほんとうかなぁ〜〜?」と、どうも眉唾っぽくて子供ながらにすぐには信じがたかったから、それで逆に忘れないでよく覚えていた・・・そんなことを思い出しながら結界君を運転して早朝の万善寺へ着いた。

土蔵の前のユキちゃんの彫刻は、昨日とほとんど変化していなかった。
少し心配になったが、時には作業の手が止まることもたまにはあるし、ひとまずは見て見ぬふりですませておくことにした。
ユキちゃんが卒業した島根大学の教育学部には彫刻の研究室があって、木彫が専門の藤田英樹氏が学生の指導にあたっている。
彼は国展の審査もしているから、彫刻に興味を持って制作を続ける学生は卒業すると国展へ彫刻を出品して若いうちから受賞したりしている。田舎から大きな彫刻を公募団体展の本展へ出品するとなると、搬入搬出など、様々に経費がかかって出費も増える。よほどの財力とヤル気がないと毎年制作を継続して展覧会へ出品を続けることができない。まぁ、かなりの覚悟が必要だ。あらかじめ藤田さんのようなルートが出来上がっていると、そういう制作に付随する幾つかの実務や経費が削減できるから、若い作家には都合がいい。

ユキちゃんと仲の良いヒョロリテツヤは島大附属中学校で美術の先生をしているらしい。
彼も藤田さんを慕って国展へ彫刻を出品しているようだ。こういう若い彫刻家が元気の良い彫刻を制作してくれると展覧会も華やいで賑わいが増す。
現代彫刻小品展も大作を制作するための手がかりとして有効に利用してもらえたら良い。
今のヒョロリテツヤは、ねじれるかたちに興味があるようなことを云っていた。
制作の目標がなにも無くて定まらないままでは彫刻としてかたちにすることが出来ない。
まずは何かの手がかりを用意しなければいけないわけだが、彼のように気になる形とか現象を追いかけるところから彫刻に結びついていくのもいい。
研究室が木彫だから、卒業の若い作家はみんな木彫の制作になっているが、もう少し緩やかに広い目で彫刻を見ることが出来るようになれば、素材の枠を超えていろいろ自由な彫刻がつくられるようになるはずだ。自分の好きな形とか目指すテーマとか形態が、もっとも素直に表現できる素材に出会うことが出来たら制作の楽しみも膨らんでくると思うし、あまり若いうちから変に強いコダワリを持たないでおいたほうが良いと思っている。
私など、初期の彫刻は自分の身の回りにあるいろんな材料を手当たり次第使いまわしていた。そうすることで、そのうち素材の好き嫌いや向き不向きが解ってきて、少しずつ自分の彫刻と素材の関係が親密になってきて、今は鉄が大好きだから鉄の彫刻ばかりつくるようになった。まぁ、それも、ナントカの一つ覚えで発展性のないことだけどね・・・

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ノリちゃんの彫刻ー「ノビルーざわざわ」 

2017/09/22
Fri. 11:17

いつもより30分ほど早く展覧会場へ着いた。
いつものようにコンビニで買物をした。
街道脇に設置された温度計は16℃だった。
だいたいこんなもんなのだろうが、いつもより肌寒く感じる。
数日前から交通安全の桃太郎旗が林立するようになった。
今までにあちこちでそれなりの寄付をしてきたから、そろそろ信号機の1基くらい更新できたかもしれないし、もう十分だろうと思っていて、結界君と相談しながらできるだけ法定速度を守るようにしている。

会場受付の準備をして、本日の内職の店をひろげ、バックミュージックにビル・エバンスを流した。
「朝からビル・エバンスねぇ〜・・」
なんとなく場違いな感じもしたが、「ビル・エバンスは夜でなければいけない!」という決まり事があるわけでもないし、ウイスキーのオン・ザ・ロックでも、コンビニコーヒーでも、それなりに心地よい時が過ぎればそれでいい。

彫刻の写真撮影もおおよそ終わって、残りわずかになった頃、ノリちゃんが会場へ来てくれた。
特にスケジュールを伝えておいたわけでもないが、自主的に自分の時間をやりくりして気にかけてくれる。
搬入の時は、お葬式の坊主家業と重なってスケジュールの修正をしたりいつもの棟梁へ泣きついたりして苦労したが、個人搬入のノリちゃんがそのまま展示台の移動も手伝ってくれて、随分助かった。
そもそも、坊主という職業は予定があってないようなもので、相手の都合に合わせることが出来て当然だったりするから、スケジュールを事前にガチガチに固めすぎてしまうと、かえって周りが迷惑することにもなりかねないし、自分で出来ることは出来るだけ自分の都合で乗り切るようにしている。
写真も、このままのペースだとあと1日くらいかかるだろうと覚悟していたが、ノリちゃんのおかげてずいぶん早く終わらせることが出来た。

ノリちゃんは、現代彫刻小品展が始まったときから、欠かさず作品を制作して出品してくれている。
秋の彫刻展は子育てなどでしばらく不出品を続けていたが、この小品展へ出品するようになってからまた大作を制作するようになって、最近はコンスタントに毎年連続出品できるまでになっている。彼女はまだ10代の頃から知っていて、もともとセンスのある娘だった。その時々のひらめきや思いつきが楽にかたちになってくれるようなところがあるのは良いが、今の彼女の彫刻に、もう少し頑強な造形力の裏付けが備わると、もっともっと伸びていく程の素質を持っているはずだ。だいたいなんでも出来て器用貧乏なところもあるから、それで忙しくしすぎて彫刻制作が甘くなることもあって少々残念だ。
もう少し制作時間をタップリとって完成度をより高めて欲しい。

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グッチャンの彫刻「life」 

2017/09/21
Thu. 15:20

様子が見えてうれしいですが、更新しすぎです(笑汗)気休めですが無理なさらぬように…。
・・・・・東京のグッチャンからブログ宛のメールが届いた。

結界君の燃料が見る見る減っていくのを確認しながら山越えの近道を毎日奥出雲まで移動して、途中のコンビニで朝食と昼食とコーヒーを調達して現代彫刻小品展の展覧会場へ向かう。
会場受付をしながら彫刻の写真撮影をしたりしている。
今年から助成金がカットになったので支出を控えなければいけないし、自分でできることはできるだけ他人(ひと)に頼らないようにしている。
奥出雲での展覧会は、町内に回覧配布する800枚のチラシと、告知放送と、地元ケーブルテレビの情報で広報宣伝している。もっと大々的に宣伝すればそれなりの効果も期待できるのだろうが、今の吉田に出来ることは限界があるから、地域の皆様の「くちこみネットワーク」に期待することにしている。会場を訪れた皆さんには、口々に「来てよかった!」とか、「面白かった!」とか、好意的な感想を残していただいているので、展覧会の企画内容そのものは決して質の悪いものでないと思っている。あとは、展覧会の認知度を上げることに工夫をする必要があるということだが、やはり一人で広報活動のすべてをまかなうことに限界があるからそれなりの協力とそのための経費計上が大事になる。小品彫刻の方は県内の巡回をすることにしているし、それらの結果を総合して集計すると、それなりの成果が期待できると予測している。
とにかく、展覧会の継続がいちばん大事な島根県の彫刻振興につながると思っていて、実際、少しずつだが確実に県内から若い作家の彫刻出品も増えている。

まぁ、そんな感じで全国から集った彫刻に囲まれて、あまり無理をしないようにノンビリと会場事務を続けている。
だから、自分としては展覧会業務に脇目も振らずガツガツと汗を流してばかりいるわけでもない。
延々と彫刻の撮影を続けていても疲れるばかりで集中力も切れて、作家の大事な彫刻を壊してしまったりするとそれこそおおごとだから、時々休憩して文庫本を流し読みしたり、音楽を聴いたり、居眠りをしたり、こうしてブログを書いて暇つぶしをしたりしているわけで、無理をしているわけでもなんでもないのですよ・・グッチャン・・・
むしろ、ダラダラとだらしなく文字を並べている程度のブログを飽きもしないで丁寧に読み続けている方が大変なことなのではないかと、こちらの方が恐縮して気を使ってしまうほどなのです・・

そのグッチャンの今年の彫刻は、これまでのアカデミックな具象と違って今の興味や感動が正直にシンプルに伝わってくるようなところがあっていいと思った。
彫刻は大きければ良いというものでもないし、素材や形態へ真摯に向き合ってコツコツと丁寧にその時の感動をかたちに置き換え続けることが大事なことだと思う。
君の気遣い・・・とっても嬉しかったよ!

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ユキちゃんの彫刻「剪定」 

2017/09/21
Thu. 11:36

「風呂は夜派?朝派?」
「私は夜ですね。家族はほとんど朝かなぁ〜・・夕方に熱いお湯入れても結局その夜にだれも入らなかったりして、次の朝にシャワーですませたりして・・・そういうの無駄だと思うんですけど・・・」
「オレも夜派だなぁ・・それも、外から帰ってすぐ!夕食の前に風呂に入って一日の汚れた身体をキレイにしてそれから落ち着いて一杯!ってやつが最高だなぁ〜」

最近、万善寺で寄宿暮らしのユキちゃんと共同生活が続いている。
春の連休の頃からすると、奇妙な二人暮らしも随分こなれてきた。
やはり、どこかしら緊張している様子がうかがえるし、彫刻見習いの立場とはいえ、異性のことだから自分もそれなりに気を使う。
まぁ、最初の出会いなどだいたいそういうものなのだろうが、あれからユキちゃんも数ヶ月の間に3つの展覧会へ彫刻を造って出品しているうちに、少しずつお互いの壁が低くなって来たように思う。
そもそも、「彫刻」が媒体になってお互いの価値観がその1点に集約されていることが揺るがないわけだから、惰性の馴れ合いで共同生活を送っているわけではない。
お互いにお互いを気遣って思いやりながら持ちつ持たれつのゆるやかな関係が続けられたら、少々の性格の違いや価値観の相違など大した問題ではない。

前々からなんとなく思っていたことだが、ユキちゃんは自分の家族のことになると饒舌になる。
私もこうしてブログの中で、かなりの確率で家族ネタを垂れ流す。
他人のことや、よくわからない社会情勢や、もちろん彫刻家諸氏の丹精込めた彫刻の批評など偉そうに語る柄でもないし、ソコソコ自己責任で語れるコトというとそれほどたくさんのネタがあるわけでもなく、毎日の備忘録的扱いを崩さない限り、やはり身近な日々時々のコトを正直に伝えるほうがストレスもない。
そこで最近は、現代彫刻小品展のコトが中心になって毎日が過ぎているから、必然的に万善寺暮らしが増えるし、展覧会絡みでユキちゃんに甘えることも増えて、公私共に親密度が増すことになって、結局気がつくとユキちゃんが吉田家家族の延長的存在になりつつあったりして、そうなると、このブログの登場回数も増えてくるということになるわけだ。

このところ、奥出雲の帰りが遅くなるものだから、頃合いを見計らって風呂を用意してくれている。ユキちゃんの気配りに感謝しつつ先程の風呂の話題になった。
その風呂のコトが呼び水になって彼女自ら家族の話題がタップリ詰まった抽斗を開けた。
プライベートのことなので内容は一括割愛するが、とにかくその話っぷりが実に上手い!
いつもは寡黙で♭がかってモゾモゾとした聴き取りにくい小声の彼女が、家族ネタになるといっきに声のトーンも♯がかって起承転結表情豊かに語り始めるものだから、もう完全に笑いのツボにはまって、そのうち後頭部から側頭部の耳の後ろあたりがズキズキと痛み始めたりして耐えられなくなってきた。
彼女にはそういう一面も隠されている。

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ヨレヨレオヤジのの1週間ーその2 

2017/09/20
Wed. 11:26

万善寺から奥出雲の現代彫刻小品展会場までは、近道だと1時間もかからないが、国道から主要県道を経由した平易な道だと1時間半ほどかかる。
この2つの選択肢を毎朝毎夕の往復で悩む。

このところ、本気になって寝たことがない。
眠くなると自分の近所にあるシュラフへ潜り込んだり、気がつけばデスクワークのリクライニング椅子で仮眠していたり、小さなソファーへ丸まって寝ていたり、とても不健康な睡眠をとっていて、朝起きると、節々が固まって悲鳴を上げてナカナカ思うように動かない。
大作の彫刻を造っているユキちゃんが寄宿してくれているから、いつの間にか眠ってしまった私へ知らない間に夏布団を掛けてくれていたりして、かろうじて風邪をひかないですんでいる。

小品彫刻展のスタートは台風とぶつかった。
吉田はかなりの確率で雨男だし、自然を相手にどうこうできるわけでもないから、なるようにしかならないと、その時々の状況に身を委ねている。
今回は、オープニングで四国在住の彫刻家松永さんを呼んでいたのだが、台風の直撃進路に当っていてそういうところから移動するのも難しいだろうと予測していたら、当日早朝に電話が入って、「まだ、風とかたいしたことないんだけど、JRが運休決めて移動手段が無いのよ・・」と、弱りきっていたから、「こういう時のことなので無理されないでください」と伝えて、すぐに宿泊予約のキャンセルをしたりして、少しざわついた。
結局、オープニングトークとワークショップは台風の影響で割愛となったが、ささやかなオープニングパーティーは奥出雲からの参加もチラホラあるし、若い20代の出品者も遠方から駆けつけてくれて、打ち止めは周藤さんも加わって大いに盛り上がった・・・と思う。主催の吉田としてはなかなか楽しかったし、満足したが、さて、参加してくれた皆さんはどうだったのだろう?

その夜は、展覧会場の床に梱包材の毛布などを敷いて一人用のテントを張ってシュラフで寝た。
ユキちゃんとヒョロリテツヤはそれぞれテーブルをベット代わりにしてそれぞれのシュラフへ潜り込んで寝たようだ。
最近の若い皆さんは、「シャワーがないとダメ!」だとか、「枕が変わると眠れないの!」とか、いろいろ堅苦しくて難しい日常を過ごしているようだが、吉田はそういうことで気にすることもないし、浜田の彫刻展のように車中泊をしないですむし、奥出雲の展覧会会場は素晴らしい環境だと思っている。

寝ている間に台風は東へ去って船通山のあたりへ雲を残しつつも、展覧会2日目は朝から青空が広がった。ユキちゃんが1日会場の受付をしてくれるし、奥出雲のアクティブオヤジが会場当番をしてくれることになってとても助かった。
ボクは、安心して徳島野外彫刻展の作品搬入へ出発できます!

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夜の奥出雲 

2017/09/13
Wed. 23:25

現代彫刻小品展の開催に向けて着々と準備が進んでいる・・・と言いたいが・・・
なにかとってもヤバそうな状況に突入しつつある・・・

彫刻の方は、大した混乱もなく展覧会場の奥出雲町へ続々と届いてきた。
朝から慎重に彫刻の破損などを確かめながら受取当番をしながら荷物を解いていると、中から手紙とか梱包材代わりの差し入れの品とか色々出てきて、思わずにやけてしまう。
毎年のように、こういう彫刻家の心のこもった気配りに接した時、「あぁ〜、やっててよかったなぁ〜〜」と心底そう思う。
今年から補助金の対象から外れたし、いろいろな公的事情で開催期間がナカナカ決まらなかった上、私の私的事情や坊主絡みの年中行事の大幅な変更があったりと、いろんな条件が複雑に絡み合ってしまって、一時は展覧会開催が不可能のように感じた時もあった。
それでも、こうしてなんとか会場の調整もできて彫刻やありがたい梱包材も集まってくると、やはりやめないでよかったと実感している。

気がつくと日にちが変わって深夜の2時を回っていた。
奥出雲は、飯南高原ほどではないが、夜になるとやはりいっきに冷え込む。
例のごとく結界くんには必要最小限のアウトドアグッズと梱包材代わりの古毛布などを常備しているからだいたいのことは安心できるが、今年は、「多分こんな感じで外泊も増えるだろうなぁ」と予想できていたので、先週になって一人用のテントを新調しておいた。
シュラフとテントがあれば日本国中何処に居ても大体のことはしのげる。それに、展覧会場そのものは、シャワーとガス施設がないだけでソレ以外のものはすべて揃っているから自宅の延長のようなものだ。

疲れたら何時でもシュラフに潜り込んで寝ることが出来るように準備してから、会場に残ってデスクワークをしていたら、鳥取で制作をしているアヤノちゃんから着信が入った。
もうかなり遅い時間だったから、制作のことで行き詰まったのかと心配になって電話したら、まだ学校で仕事中だという・・・もう、ビックリ!!
そういえば、展覧会場になるガラス工芸館の隣りにある中学校も夜の10時を過ぎてまだ光光と明かりがついて、駐車場にはファミリー仕様の車がビッシリ並んでいる。
島根県といい鳥取県といい、山陰の教育界は公然とブラックを黙認している。
「まだ、がっこうなんですぅ〜・・、チョット相談したいことがあるんですけど、これから出かけても、ものすごく遅くなるしぃ〜・・、どうしようかと思ってぇ〜・・」
ボクへのその相談というのは、「学校教育について・・」なんて全く関係なくて、展覧会に向けての大作の制作のこと。
だいたいに、公僕時代のボクなど、ひどい時はお昼のティータイムを過ぎた頃から勤務先の敷地内で堂々と制作の店を広げ、平気で職場の電源を使い騒音ノイズなどお構いなしてディスクグラインダーをガンガン使っていたりしたから、公私混同も甚だしいほどの5時からオヤジ・・と云うより3時から彫刻家を乗り切っていた。
夜の10時を過ぎて制作に気持ちを切り替えることなど無理でしょう!・・それでもなんとか制作にしがみつこうとしている様子が愛おしく思える。若い作家が育つはずがない!

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奥出雲彫刻搬出顛末記その2 

2016/09/07
Wed. 19:04

奥出雲暮らしが続いて、久しぶりに石見銀山の我が家へ帰った。

石見銀山で暮らしているときは、光ケーブルもないしケーブルテレビの通信回線がモタツクこともあって、ちょっとした不具合でもあるとすぐにケーブルさんの工事のお兄さんを一杯のコーヒーで釣って名指しで呼び出して文句を垂れながらインターネットのスピードチェックなどを診断してもらっていたが、こうして、奥出雲に通い始めて展覧会の会場やその周辺の現場に居続けると、飯南高原とドッコイくらい情報メディアの脆弱なことにかなり悩まされた。
たとえば、一日の会場受付でしばらくの休憩タイムなどにYouTubeやHuluやAmazonの配信動画を見ようとすると、我慢できないくらい幾度と無く画面が止まって見るに耐えない。iPhoneの回線を使って娯楽にハマってもデータ通信の縛りが不安で落ち着かないし、ほとんどテレビを見ない自分にとって、心身の疲れを癒やしてくれる娯楽手段が思うように機能してくれないことになかなか慣れることの出来ないまま現代彫刻小品展業務が過ぎた気がする。
面白いもので、特にストレスもなくほぼ毎日更新していたブログも、暇な時にテキストデータに書き込んでおけばそれでどうにか更新が続けられることなのに、こうしてYouTubeレベルで動きがギクシャクしてしまうと、とたんにインターネット環境を操作するのが面倒になってしまう。
「毎日毎日、よくも飽きないで似たようなつまらん日常を垂れ流して何が楽しいの?」
生来の怠け者の性格がボクの心に囁きかけるのだ。
別にたいして楽しいと思っているわけもなく、なんとなく惰性でラップトップのキーボードを叩いている程度のことだから、こうした、チョットした障害にすぐに反応して楽に過ぎてしまう自分がいるのだ。

そんなわけでしばらくタイムラグを生じた現代彫刻小品展搬出顛末記。

奥出雲で2tのアルミへ積み込んだ彫刻などはそのまま富山町の旧小学校へ搬入した。
現代彫刻小品展をそのまま移動するわけでもないのだが、彫刻の展示台やその他の什器などは使い回しができるから十分に経費削減の対象になる。
こういうある意味イベント事業と言っても良い企画は、とにかく人件費と行動実費に多額の費用を支出してしまう。
主催者である吉田は結界君で何往復しようが出先で何泊しようが全く経費計上できないから全て自腹で乗り切っているわけだ。たとえば、今回の棟梁や助手君などへはキチンと実費や委託料支払いの義務が生じているわけだから、こういう支出の予算立てもいい加減アバウト感覚では乗りきれないところもある。
この歳になって、チマチマとした計算ごともチャンと筋を通して遺漏の無いようにしておかないと吉田の信用が崩れてしまう。ナンチャッテ坊主にとっては結構な試練なのだ。
搬出移動の前半で周藤さんがキッチリ働いてくれた。ノリちゃんは二人の子供を助っ人で連れて来てくれた。それにもちろん私の愛妻であり女流彫刻家のマッチャンがとても良く働いてくれた。その夜は慰労で本場インドカレー屋さんへ行った。ナンが旨かった。

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奥出雲彫刻搬出顛末記その1 

2016/09/07
Wed. 14:56

現代彫刻小品展が終了して、会場撤収搬出移動などの作業を残すばかりになったら、また台風がやってきてどうなることかと心配したものの、見事に途中から熱帯低気圧になって島根県の奥出雲から大田市にかけては特に悪天候で悩まされることもなく過ぎた。
棟梁が気を利かせて助手君を連れて来てくれたから思った以上に早くことが片付いた。

会期が終わって、会場をcloseしようとしたら、駆け込みのお姉さまが二人ばかり来てくれたので、照明もそのままにして作品解説などもして付き合った。
ひとりのお姉さんは、昔々の島大の彫刻研修室の先生に少しばかり彫刻を教わっていたらしく、そのことで話題が弾んだ。
もう一人のお姉さんは高校の美術部で教わっていた先生が彫刻を作っていて、そのことを思い出してとても懐かしかったなどと、これも話が弾んだ。
私はその彫刻家というか美術の先生というか、とにかく二人の人物をよく知っていたものだから、知らず知らず立ち話が盛り上がってしまって、気が付くとすでに軽く一時間は経っていた。
あたりが少し暗くなり始めてから二人のお姉さんを見送って、作品移動や展示台の搬出などを始めていたら、今度は奥出雲で知り合った木工所の跡取り息子が仕事の帰りにトラックで駆けつけてくれた。うまく話題を振ったら手伝ってくれそうな雰囲気だったが、まだ付き合いも浅いし、グッと我慢してその場を凌いだ。
展示台を全て会場外のテラスへ搬出して、彫刻の梱包材を収納庫から引き出したところですでに夜の8時を回っていた。そろそろ、体力も限界だし近所のコンビニで夜食を仕込んで奥出雲の宿舎へ引き上げることにした。

20年近く前から知っていた音響のOさんの自宅が奥出雲だということは知っていたが、事務所兼スタジオ兼倉庫兼麻雀部屋兼助手の仮眠場所などで使っているWAREHOUSEの例のロフトへ落ち着いてシャワーで汗を流していたら、ヌシのOさんが助手君と一緒に仕事から帰ってきた。
彼らはこの3日間松江の地方テレビ局移転のイベントで働いていたそうだ。新しいテレビ局は大橋川の側になったらしい。以前の場所は駐車場もなかなか無くて面倒なところだったからこれからは今回のような展覧会の営業で出かける時も少し楽になるかもしれない。
結局、助手のたくちゃんと三人で夜食兼用の飲み会が始まった・・・といっても、彼ら二人は自宅へ帰らなけれればいけないから、私一人で飲み続けたわけだけど・・・

奥出雲では、このOさんのロフトのおかげでとても助かった。
少し落ち着いたら、何かお礼の品を持って行こうと思っている。
奥出雲は万善寺のある飯南高原とドッコイくらい雪深いところだから、簡単な薪ストーブでも作ってあげようかと思っている。それも、実はずい分前にあった時にそんな会話があって、こっちはいいかげん酔っ払って気持ちが大きくなっていたこともあったりした安請け合いだったのだが、酒を飲まない彼はシッカリ覚えていて、それが未だに機能していたわけだ。男の約束だし吉田の信用にも関わるから、これから冬になる前にひと踏ん張りしなければいけない。それに、またそのロフトでお世話になることだし♡!

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展覧会事情 

2016/09/04
Sun. 20:00

展覧会最終日の朝はあわただしく始まった。
会場当番へ出かける前に、昨夜クリヤ塗装を終わらせた鉄の椅子を工場まで取りに行った。
夜のうちに降った雨がそろそろ乾き始めている。どうりで昨夜は蒸し暑くて寝苦しかった訳だ。
搬入先のショップの玄関先へ高さ2m位の椅子を依頼の文字原稿と一緒にデンッ!と置いて奥出雲町へ向かった。

台風の情報は全く入っていないからよく分からないが、むせかえるような蒸し暑さと、会場前の桜の葉がソヨとも動かないほど風の絶えた状態が不気味だ。
OPENの準備をしていたら、近所の蕎麦屋さんが最終日だからといって生どらをドッサリ差し入れしてくれた。しばらくして8人の来場がお昼前まで五月雨に続いて、それから、朝の無風状態の如く客足がピタリと止まった。
多分、このままcloseすることになるだろうと予測して、会期中セッセと飲んでいたファミリーマートのLサイズコーヒーの空きコップへ麦とホップを入れ替えてチビチビ飲んでいたら、会場入口のテラスの手摺で一羽の鳥が羽を休めているところを発見した。
今回の彫刻展では、人間の他に可愛い犬が一匹鑑賞してくれた。打ち止めは一羽の(地味なたぶんカワガラスだと思うが)鳥になってしまう気がする。

現代彫刻小品展が始まってすぐ、その出品者の一人で九州在住の彫刻家からメールが入った。
こうして、日本国の辺境島根の山峡奥出雲で初の彫刻展開催の同時期に、九州の私設美術館が閉館となったらしい。
石橋美術館は、私が島根にUターンして間もない頃、九州の幾つかの美術館を巡ったことがあってその一つだった。石橋美術館というと、あの東京のブリヂストン美術館の石橋さんと縁が深い・・というより、むしろ九州のほうが石橋さんに近い美術館であると認識していた。そもそもブリヂストンの命名が「石橋」の「Bridge Stone」にちなんでいるというあたり、洒落た命名だとノリの軽い私としてはそれなりの親近感を感じていたのだが、その美術館のお陰をいただいて多感な幼少期を過ごした九州在住の一彫刻家の悲痛な思いがそのメールに託されていた。

島根の田舎に暮らしていると、ほんの数年で山峡の集落ひとつが限界集落になって、それからまた数年の間にゴースト集落になってしまうという現実と日々向き合っている。
この近年、墓地墓石の相談や絶縁で空き家になったお仏壇や位牌、朽ち果てつつある集落のお堂の相談が急激に増えている。
石橋美術館にしても、見方を変えれば石橋家の長い歴史の中で繰り返された世代交代のあいだに、少しずつふるさととか先祖の守り伝えてきた色々なものへの執着が希薄になって帰属意識が失せてきたのだろう。自分の暮らしに具体に何かしらの影響を受けるとすると、やはり生まれ育った環境に頼るだろうし、それに執着することになるだろう。今の日本の経済状態を背景に現実の打算もどこかしら影響しているかもしれない。個人の感傷に心が動かされることとなるとなかなか厳しいところでもあろう。

現代彫刻小品展のような展覧会は、私の生活や暮らしの本拠地を中心に、聞こえは悪いかもしれないが、文化の未開の地に近い島根の山峡をドサ回りすることで、彫刻のさまざまな表現を身近に見てもらいたいという願いが込められている。
一方で、美術館の閉館という現実があり、また一方では、生涯何処かの美術館に立ち寄ることもなく、本物の彫刻に触れる機会のないままこの世からオサラバする老若男女がいる。
私がこうしてまがりなりにも彫刻を造り続けられているのは、憲正さんが数年に一度松江まで巡回してくる日展へ少年の私を連れて行ってくれたからだ。まだ殆どが砂利道だった国道54号を3時間近くかけて松江まで出かけて夕方日が暮れてから寺へ帰った。当時は、運が良ければ、日展鑑賞の遠足もあった。
美術館のない町で生まれ育った私にとって、展覧会の会場は別世界だった。

特にメールの主の承諾を得ているわけでもないが、そんなわけで、原文から少々抜粋させていただいた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こんにちは.誰かに聞いてほしくてメールしています.
有明海と同じ筑後の宝;久留米の石橋美術館が今日でお終いです.
地下足袋からブリヂストンを起こした石橋正二郎氏が地元の為に久留米に美術館を作って60年.坂本繁二郎が早逝の友;青木繁の作品の散逸を心配し,かつて高等小学校での教え子の石橋さんに相談したのがきっかけと聞いています.石橋さんは竹橋の近代美術館も国に寄贈していますよね.市民に文化の贈り物をするなんて偉いと思います.

わたしの初美術館は小学4年生,ここで見たパウル・クレー展でした.その夢のような色彩とユーモア感覚,抽象形のおもしろさにハマってしまいました.
青木繁の「海の幸」はいつ観ても懐かしさと,わくわく感を覚えます.大好きなのは「わだつみのいろこの宮」.縦長の画面にすらりと立つ女性の美しさ,水中にある泉という設定,あぶくのゆらぎ.エメラルドグリーンの空間.あの静謐な画面はすてきです.
他に坂本,古賀春江,黒田清輝,岡田三郎助,百武ケンコウ とすばらしい作品があります.
石橋財団はそれら主だった作品を東京のブリヂストン美術館に引き上げてしまいます.大人の事情なのでしょう.東京のほうが鑑賞する人ははるかに多いでしょう.
しかし,仏像はもとのお寺のお堂で拝観したいし,青木は地元久留米に置いておきたいのです.
いつもそこに「海の幸」(千葉の海を描いていますが)があるという安心感がありました.
なのにあなたまで東京に行ってしまうの?そんなに都会がいいの?
一昨日,絵に涙で別れを告げてきました.  行かないでの署名運動を懸命にやったけれども,3万人超はひねりつぶされました.
選挙も署名もじつは何の力もないものと失望します.
あと1時間半で石橋美術館の看板が下ろされます.
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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現代彫刻小品展in奥出雲の会場当番 

2016/09/01
Thu. 12:20

石見銀山から奥出雲の横田にある現代彫刻小品展会場までMapをググってみると、だいたいどのルートも車で約2時間はかかることになっている。
比較的平坦でアップダウンやカーブの少ないルートは、土地土地の市街地を通過する関係で信号が数えきれないほど多い。きちんと数えているわけでもないが、50〜100くらいはありそうだ。だから、通勤時間帯だったり信号運が悪いと2時間を若干オーバーすることもある。
山越えのルートは、とにかくアップダウンとカーブの連続になる。そのかわり、大きな街を通過することが全く無いから、信号が10くらいあるかどうかで、朝の通勤ラッシュも関係ないし、数ある交差点も信号を設置する必要が無いほど交通量も少ない。だから、途中でコンビニへ寄ってコーヒーを抽出したりお昼のサンドイッチなどをのんびりと物色しても、楽に2時間以内で会場まで到着する。

この3日間、ワイフが出張していて私が石見銀山へ帰らないと吉田家がネコチャンズとキーポンだけになるから、往復4時間かけてセッセと展覧会場へ通勤した。
通勤時間がこれだけ長いと、自宅に帰ってもシャワーを浴びて一杯飲んで寝て起きるだけで、気が付くともう次の朝になっている。
世間のサラリーマン諸氏のほとんどは、毎日こういう暮らしを続けていらっしゃるのかと思うと、心の底から感心し頭がさがる。たまの休日にはのんびりと我が家でゴロゴロしていたくなる気持ちもわかる気がする。
私など、1年を平らに均してみると、まるまる1日のんびりと休日を楽しむことなど10日もないだろう。それほど毎日何かしらせわしなく何かをして過ごしていることになるが、それでも、自分の自由になる時間はそれなりに充実していると思う。
正に、今現在もそういう時で、こうして展覧会場の受付をしながらのんびりとコーヒーをすすり爽やかな初秋の風を感じつつ、プチプチとラップトップをつついて、ぼんやり思っていることをとりとめのないままテキストデータに置き換えている。
まぁ、会場当番という仕事が無いわけでもないが、ひと頃のなっちゃんや先月までのノッチのような絶え間ない接客で心身が疲労喪失するようなこともない。

ところで、この会場受付だが、私としては、展覧会の開催事業の数ある仕事の中で一二を争うほどの重要な仕事だと思っている。
今回の現代彫刻小品展にしても、50名の彫刻出品者の60点の彫刻作品を預かっているわけで、それだけでも十分に責任ある業務をしていることになる。接客にしても、ほとんどが地域に住み暮らす住民の皆様を相手に、それなりの日常会話ができるまでには事前のリサーチをしておくことも大事なことだ。彫刻の質問や問いかけにも制作者に代わってできるだけ適切に対応をするために、作家の作風や制作技法など、最低限の知識もチェックしておかなければいけない。まぁ、それもこれも結局は自分の勉強だと思えば苦になることもないし、かえって自分の彫刻に影響してレベルアップに繋がる可能性もある。
一日をどのように使うかひとそれぞれだが、寝る間も惜しんでガツガツと仕事に食い下がるのもどうかと思う。メシを食べても腹八分目が良いというし、適度な余裕や余力は残しておきたいと思う。結局は何をしても自分に返って来ることだからね。

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奥出雲のこと 

2016/08/31
Wed. 21:25

吉田オヤジは少々疲れ気味です。
まぁ、片道2時間の距離がけっこうこたえているだけだと思うんですけどね・・・

奥出雲は、島根県東部の山間部に広がる2つの町が集まって行政区が形成されている。
坊主的に言うと、圧倒的に地域全体へ禅宗が広まっていて、中でも曹洞宗が多い。
寺院の規模も、普通に万善寺の3倍位あって、立派な山門もあって、中には回廊がある寺もあって、それはそれはたいしたものだ。
往時の地域統治者の勢力がどれだけ大きかったかということを実感する。

商業的に言うと、はっきり言ってよくわからない・・・が、とにかく、蕎麦屋さんが多い。これまでにほとんどの蕎麦屋さんを回って、残すところあと2〜3軒までになった。
夏の間中、いろいろあって食が細ったが、ここにきて一気に胃袋が元のように大きく伸びてしまった。この、蕎麦屋さんについては、そのうち特別増刊号か何かでひとまとめにしてみようと思う。そのくらいそれなりにみなさんこだわっていらっしゃるということだ。
私としては、特に食通というわけでもないし、食道楽というわけでもないが、そばが好きだということだけは確かなことだ。自分の好みもあるが相対的に、奥出雲のそばは旨いと思う。
他にも、食事がらみのお店がそこそこあって、町に暮らすオヤジたちにとっては、適度に楽しく食べて飲めてなかなか住みやすくできているのではないかと、勝手に思っている。

産業は、やはり全国的に知名度のある仁多米につきるだろう。今の時期は、今年の新米が出まわる少し前で、1年で一番条件の悪い頃だが、それでもシャンと出処の知れている米はびっくりするほど旨い。それはやはり、中国山地から湧き出るミネラルたっぷりの水と、山から吹き下ろす冷気で冷やされた空気に地域全体が包まれる絶妙の環境によるものだろう。昼と夜の寒暖の差は高原の気候そのもので、そういう地域でひと夏を暮らすことの贅沢は何にも代えがたい気がする。飯南高原もなかなか絶品だと思うが、夏の気候はとても太刀打ち出来ない。こういうところで丹精込めて作られた米は不味いわけがない。

現状はそういう環境だが、昔々は砂鉄を使った精錬業が盛んであった。
今回、古い歴史も残るこの場所で現代彫刻小品展を開催している。
今まで、いろいろなところで同等の展覧会や個展をしたが、この奥出雲でのような会場の雰囲気は経験したことがない。
8割は奥出雲町内からの来場だが、新聞や口コミのおかげで広島や鳥取からも来てもらっている。それに、なんといっても、会場での滞在時間が圧倒的に長い。家族連れで1時間以上もかけて丁寧に見てもらったりもした。彫刻の小品60点でこれだけ丁寧に見てもらえると、恐縮してしまうと同時に、下手に彫刻の手抜きができないと痛感する。作家の力量が試されているようで、結構な緊張感だ。
ギャラリートークも熱心だったし、ワークショップも参加者は真剣に楽しんでいらっしゃったし、交流会もビックリするほど楽しく盛り上がった。
自分にとっては、久しぶりに新鮮な感動を頂いている。

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島根県奥出雲町の今 

2016/08/28
Sun. 18:52

この2日間、自分の現状がうまく把握できないまま、眼前の事実だけが風のように通り過ぎて行った。

現代彫刻小品展の巡回というか、第2期展が昨日の土曜日から始まった。
作品搬入から展示まで、最小の人数で動き回った数日間だったが、オープニングには徳島から松永さん、埼玉から本多さんが駆けつけてくれて、島根在住の出品者もワイフをはじめとして、たくさん集合してくれた。
現代彫刻小品展も、気がつけば10回の開催が終わった。
今回の奥出雲での開催は11回目となって、一つの節目を迎えたと思っている。

奥出雲町は、地理的には石見銀山から2時間、万善寺から1時間という、決して近い距離の地域ではないが、島根の歴史にはとても大事で私にとっても興味深い地域でもある。
世間に流れる様々な情報を整理するだけで、おおよそどういうところであるか解るとは思うが、私が島根にUターンしたもう30年以上も前から密かに興味深く意識していたこともあって、今年になって、やっと何かの形でこの土地と関わりを持つことができたわけでもある。
このあたりは、たたら製鉄の産地でもあって、あの「もののけ姫」の舞台でもあるが、こうしてこの数日間その真ん中にいると、町の様子にはたたら製鉄の賑わいが残り伝わることもなく、静かに静かに時が過ぎているふうにしか感じない。

中国地方の真ん中を東西に横切る中国山地一帯は、かなり古い昔から、人々が入植し、盛んに山の仕事へ従事した一大工業地帯でもあった。現在に残っている植林の植生は、たたら製鉄を核にしたその周辺産業の名残と言ってもいい。
砂鉄の採取や溶鉱炉に投じる炭の原木植樹など、山肌の隅々まで人の暮らしが入り込んで賑わっていた時代もあったわけだ。
集落の作り出す形状は、すべてが製鉄業関連の経年経過の中で必然的に作られた人工の産物でもある。
中国山地の至る所にたたらの神様でもある金屋子さんが祀られ、採掘や製錬業の繁栄や安全が祈念されていた。私が暮らす石見銀山にも、金屋子に所縁のある立派な神社が銀山坑道のすぐ近くに鎮座されてある。万善寺からわずかのところにも金屋子神社が祀られてあり、毎年の大祭は今でも絶えることなく引き継がれている。

まだ、自分が何をするかも曖昧なままフラフラと遊んでばかりいた頃には、今のようにここまで鉄と関わる自分がいようとは思ってもいなかった。
自分の生まれ育った環境や、自然と周辺の土地に惹きつけられる心情を思うと、どこかしら自分の意思とは関係のないところで得体の知れない大きな何かに引き寄せられているような気がする。
金属の工芸から始まった自分の造形表現が、そのうち金属の彫刻に変わって、島根各地の産地素材に惹きつけられている今がある。
残りわずかな自分の人生が今後どのように動かされていくのだろうか?楽しみでもある。

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現代彫刻小品展 in 奥出雲 in wife 

2016/08/24
Wed. 21:32

現代彫刻小品展 in 奥出雲が三日後に始まる。
この2日間はベッタリと奥出雲にはりついた。
昨日は、ワイフが石見銀山から駆けつけてくれて、大いに助かった。
やはり、彼女の助っ人は実に心強い。
島根の彫刻家もけっこう居るが、ほとんど全てが他で仕事をしながら細々と彫刻を造っている。そういう人たちに、彫刻がらみの用事を振り当てても、なかなか簡単に仕事を休むわけにもいかないことが分かっているだけに吉田としては気軽に頼みにくい。
それでやはり、どうしてもワイフを頼ってしまうわけだ。

チラシ集配の作業が終わってから、彫刻展の会場をワイフに見てもらった。
彼女の彫刻家としての目で見てもらって、その率直な感想を聞くことが、私の仕事の客観的な判断材料になる。
奥出雲の会場へ今回初めて展示してみたが、自分としては浜田会場と違ってこぢんまりとまとまって比較的落ち着いた雰囲気になったように思う。その様子を、ワイフの目がどのように感じてくれるか・・・実はひそかにドキドキものだった。
結果、「あら素敵!いい会場になったじゃない♡」というわけで、けっこう素直に気に入ってくれたようだ。
「今まで外からしか見たことなかったけど、なかなか立派な会場なのね。大きさも丁度いいじゃない!」
ワイフのお墨付きをもらったようで、それまでの疲労が吹き飛んだ。

石見銀山から奥出雲までは、普通に走って2時間の距離。
ワイフは往復4時間を一人で運転してよく来てくれた。
そのお礼もあるし、私の自分への細やかな慰労も兼ねて外食を奮発することにした。
お目当は、久しぶりの焼き肉屋さんだったが、なんと「本日定休日」・・・というわけで、その斜め前にある八剣伝へ落ち着いた。
焼き肉が焼き鳥に変わったが、まぁ、この程度の妥協は仕方がない。
ジム・ビームというと、ノッチを思い出すというと、ケンタッキーのバーボンだからだ。
そのあたりのことは、話せば長くなることもあるから割愛するが、要するに、そのジム・ビームのボトルを「鉄人」でキープしてあって、それがあるから、八剣伝へ行っただけのことだ。
バーボンがメチャクチャ旨かった。せいぜい3ヶ月に一度行くかどうかなのに、店長は私の好みを覚えていて、無表情に「氷だけでよかったですよね?」と念押しをする。キーポンとワイフと私の3人でいつものカウンターの端っこの、炭焼きの焼き加減が見える場所を陣取って飲み食いする。
久しぶりに気持ちよく酔っ払った。
帰宅するとワイフにアレコレ小言を言われることはわかっているのだが、それを承知で「よし!今夜は酔っ払うぜ!」と心に決めているから少々の小言など普通にスルーする。
ある時は島根を代表する女流彫刻家。ある時は小うるさい古女房。とにかくダメ親父は何かにつけてそういうワイフに毎度毎度救われているのです。

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現代彫刻小品展 in 奥出雲 彫刻展示ほぼ終了! 

2016/08/22
Mon. 23:37

例のごとく、身体の痛みで真夜中に目が覚めてしばらく眠れなかった後、4時過ぎてから二度寝をして少し寝坊してしまった。奥出雲の作業があるから、急いで出かけようと思うのだが、なかなか思うように身体が動かない。

30分ほど遅れてファミリーマートへ着いた。例のごとく、Lサイズのコーヒーを2杯分頼んで、熱中症対策のドリンクも買って、ついでに二割引のサンドイッチも買った。
昨夜に降った雨のせいか、奥出雲町は少しばかり過ごしやすい。
彫刻展会場のガラス工芸館へ、積み残しの彫刻2点と個別配布用のチラシなどの荷物を搬入した。

お昼前に彫刻展示が終わった。
あとは、2〜3日のうちにキャプションなどを整えて会場の掃除整頓などをすれば、現代彫刻小品展のスタートだ。
サンドイッチの昼食を終わらせて、個別配布用のチラシを仕分けした。
4500枚ほど印刷しておいたが、結局約250枚くらいしか残らなかった。大田市よりは人口が少ないものの、飯南町よりは多い。島根の山間部としては結構な数の人々が暮らしているということがよくわかった。
奥出雲町は旧仁多町と旧横田町が統合してできた新しい行政区で、未だに旧行政区の役場庁舎が現役で使われている。聞くところによると、旧仁多の元役場がかなり古いから、新しく建設される新庁舎はそちらに統合されるらしい。
だいたいどこも似たようなものだが、隣接する行政区はどちらかというと長い歳月お互いに牽制しあって腹の探り合いをしているようなところもあるから、どちらかというとあまり仲良く付き合っているわけでもない。現代彫刻小品展のことで、あっちとこっちの庁舎を行ったり来たりしていると、「あの建物の周辺のことはあまりよくわかりませんので・・・」などと、役場の行政職員が済まなそうに言い訳をしたりしている。時間の無駄もハンパないが、まぁ、この際そのくらいのことはあまり掘り下げて突っ込まないでスルーしておいたほうがよさそうな雰囲気だ。

個別配布用のチラシを仕分けして自治会名を確認したりしていると、奥出雲町は、まだまだ古き良き時代の地域事情が比較的よく残っていると感じた。
「美女原(びじょばら)」なんて、思わず其処で暮らしてみたくなる。
「湯の原」「梅木原」「米原」「福原」・・・なんとなく、風景が見えてきそうだ。
「琴枕」・・渋い!「八幡」・・正に!「鋳物屋」・・ダイレクト過ぎる!「大曲」・・わかる気がする!
「蔵屋」「稲田」「馬場」「五反田」、それに、「大市」「古市」「四日市」「六日市」・・・往時の町並みの賑わいが見えてくるようだ。

午前中は万善寺のお檀家さんの年回法事。午後からが奥出雲町の個別配布集配作業。
次々に次の用事がやってきてとめどない。それでも、自分で決めたことだから苦にならない。一つ一つの地道な作業の積み重ねが、そのうち何かの支えになってくれるはずだ。

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斐伊川土手の向こうに陽が沈む 

2016/08/20
Sat. 23:27

残暑が厳しい1日だった。朝、万善事を出発する時は、すでに結界君の夜露が乾いていた。
8月に入ってから始めてだと思うほど久しぶりに、現代彫刻小品展のことで終日仕事をしようと心に決めた。
最近絶え間なく寺のことでいろいろあったから、自分の自覚がないまま、疲れが溜まっているのだろう。真夜中に身体中の筋肉が強張った気になって目がさめると、あとは朝までなかなか眠れないまま映画を見たり本を読んだりして過ごしてしまう。二度寝から目覚めたのがまだ早朝4時くらいだった。いつものことを思うとよく寝た方だ。
奥出雲町へ出かける準備はすでに終わっているから、朝の身支度を済ませて一気に結界君をすっ飛ばした。今度彫刻展の会場でお世話になるガラス工芸館に到着して結界君から出たら、まるでサウナに入っているように一気に汗が噴き出した。

一人で約60点の彫刻を展示しなければいけないから、梱包してある彫刻を取り出したり展示台のレイアウトをしたりして、それだけで結構時間がかかった。
奥出雲町内には2カ所にファミリーマートがある。コンビニの中ではそこのコーヒーが一番好きだ。マイポットを持ち込んで、Lサイズ2杯分を頼んだら、店員のお姉さんが不思議な顔をしていた。別にコーヒー好きのオヤジがいても良いだろうに、その店ではあまりコーヒーが出ないのかもしれない。これからしばらく奥出雲へ日参することになるから、次回はもう一軒のファミリーマートへ行ってみようと思う。

昼食らしきものはサンドイッチで済ませ、ペットボトル2本で水分補給をした。
おおよそ彫刻の配置が決まって、それからが悩みどころになる。
昨日まではワイフも手伝ってくれるように頼んであったが、結局、石見銀山の吉田家からの距離が長くて車の運転を渋ってしまった。だから彼女の車に積み込んである2人の作家の彫刻がまだ無い。午後になって島根大学の教育学部で彫刻を勉強していた女の子が、制作途中の木彫を持ってきた。朴木だというが、なかなか渋い味わいでいい色をしている。私はその色が気に入ったのだが彼女の方は今ひとつのようだ。職場が益田にあって、休日を利用して松江の大学の研究室に出かけて、其処を借りて制作しているらしい。確かに、いろいろな道具も揃っているし、学生の頃から慣れている場所だから落ち着いて制作できるのだろう。それにしても、長い長い島根県のほぼ両端にある街から街へ通って制作をしている姿を想像すると、どう考えても時間のロスがもったいないと思ってしまう。私も、島根に帰って10年くらいは、片道1時間半の距離を仕事が終わってから往復して彫刻を造っていたから他人のことは言えないが、まぁ、若いうちはそれも勉強だと思って乗り切るしかない。そうやって、苦労しながらでも、工夫しながら制作を続けていくことに大きな意味がある。途中で息切れして挫折してしまうと、それから後、後悔ばかりの自分の人生が始まってしまう。私にできることなど特にこれといって何かあるわけでもないが、こうして自分の彫刻を持ってきてお伺いを立ててもらえる間はできる限りのお手伝いをさせてもらおうと思っている。
展示作業は時間切れで途中になった。斐伊川土手の先に夕日が沈む。いつの間にか、ずいぶん日が短くなっていた。

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奥出雲町戸別配布チラシ完成 

2016/08/18
Thu. 23:30

万善寺夏の大イベントがひとまず終了した!
その万善寺700年の歴史の中で、ギネスブック登録級の記念すべき記録が本日達成されました!
なんと、①施食会②大般若経転読会③観音供養塔婆回向の3つの法要を1日で済ますという、普通ではあり得ないことを、万善寺の吉田家族ボクとワイフの二人だけで仕切って乗り切ったのです!
ハッキリいって、やはりいつでもどこでもすぐにぶっ倒れそうなほどきつかった。
あとで聞くところによると、ワイフは軽い熱中症になりかけたそうだ。

随喜の方丈さんは、手間替えで5人。
一昨年までは万善寺前住職憲正さんが最長老だったのが、彼が遷化するのを待っていたかのように、隣町の住職さんが85歳で引退して東堂ぐらし。
その3つ下の反対側の隣町の住職さんが、精密検査で引っかかって即入院。
そのまた下の臨済宗ご住職が草刈り中の事故で足の骨折。
その少し先の山間部には珍しく大きなお寺の若いご住職さんがドクターヘリで救急搬送。
そして、私は春先から継続中でほぼ慢性化した古傷の痛みがひどくなって棚経の間中半座でお経を唱える始末。
上げればきりがないほどアチコチの坊主が体調を崩して何かとよろめいている。
どうせよろめくなら近所の後家さんのほうがまだマシだと思いつつ、夏の日々を粛々と暮らしている。

これからも、8月いっぱいはこんな状況がしばらく続く。
明日は先日のお薬師さんに続いて夕方から七面さんの供養。
その後も、お地蔵さんの供養や古墳の供養や法事の依頼などが入って宗門の手帳が真っ黒になりつつある。
それに、今年は奥出雲町で現代彫刻小品展を開催することになって、そちらの宣伝もしなければいけない。
ひとまずやることをやって出来ることをしておく!・・・それが一番大事なことだ。
法要が始まる直前に、奥出雲町の役場から電話が入った。
先日アポを取っておいた町長会談が流れそうだと云うことだった。
法要の前のめちゃくちゃ忙しい時の電話だったが大事な話なのでしばし長電話をしてしまった。
そのまた少し後に、彫刻家の周藤豊治氏がマケットで相談を持ちかけてきて、また長電話になりそうだったから、すぐにこちらから折り返しの電話をするから勘弁!と言いつつ、
それでも結局長話になって法要が20分ほど遅れた。
世間はすでに日常の暮らしをしているから、いくらお盆の月だといっても、相手が「あぁ〜そぉ〜ですか・・」と素直に引き下がってくれることが珍しい。
「後日改めて・・・」などと曖昧な態度でいると、営業所氏はこれでもかと思われるほど強引に突っ込んでくる。

奥出雲の皆さんのみに戸別配布するポスターが完成した!もちろん現代彫刻小品展の!

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奥出雲町A4チラシ

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恨むべき日月なり 

2016/08/16
Tue. 21:07

西暦2016年、仏暦2582年の棚経もあと数軒を残すまでになって、ひとまず大きなひと山を終了した!結果、寺の事情か坊主の事情か施主家の事情か、そのあたりの境界が微妙なまま。約10軒が割愛の対象となりました・・・
悲喜交交何かと思うところもあるだろうが、坊主的な立場で総括すると、寺の収入は減るものの、坊主の体力は少し楽になり、おまけに個人の自由時間も若干増えた!・・ということで、とりあえず相殺という結論に達した次第であります。

そこで、万善寺の周辺事情によるお盆の最終日は、現代彫刻小品展次回開催地の奥出雲町へ出かけた。午前中は、幾つかの書類をまとめて必要部数印刷して・・という事務をして、目処が付いたのが昼前だったので、そのままいつものように昼飯抜きで奥出雲町へ出発した。相変わらずおかみさんの罵声を浴びながらの出発になってしまったが、これも加齢による病気の症状とスルーして結界くんを走らせた。
世間というか、巷というか、現状はとにかくおかみさんの生き続けている90年の世界とは全く違う世界で動いていて説明のしようもないし理解してもらえるものでもないから、母息子の無遠慮で硬直した現状をキープしつつ眼前の現実を具体に認識して過ぎるしか無い。見た目よりズゥ〜〜~ッとナイーブなクリスタルの心臓を持つ私としては、奥出雲町までの道中は、結構な試練だった!・・・と思っているが、実は7月以来何十日ぶりかの強烈なスコールで、川になってしまった国道の路面をヨタヨタと走る結界君のハンドル操作にビビっていた小心者だったというだけの事だったのかもしれない。

半日の殆どが行政担当との名刺交換になったが、それはそれなりに収穫もあった。町長秘書室まで案内してもらって、後日指定日時に短時間のアポを入れることも出来た。
奥出雲町は、統合する前の二つの役場をそれぞれ都合のいいように使い続けていて、その庁舎の距離は結界君で20分ほど離れたところにある。この20分ほどの時間ロスはそんなもんだと慣れるしか無い。それで、なんだかんだで半日のうちに軽く2往復してしまった。

宗門オリジナルの創作お経に「修証義(しゅしょうぎ)」がある。これのベースは道元さまの「正法眼蔵」にあるが、その一節に「〜〜徒(いたづ)らに百歳生けらんは恨むべき日月なり悲しむべき形骸なり〜〜」とある。自分も含めて人の命は尊いものだということを自覚して、自分を愛し自分を敬うという気持ちが大事なのだよ!と教えてくれている。変なエゴやプライドに固まってしまうと、なかなかその鎧を捨てることが出来なくなってしまう。ことの善悪なんて、所詮は立場が違えば解釈も違ってくるから、結局は自分の都合のいいように周辺の事情を操作しようとしてしまう。そういうところに無意味な反発や拒否まで加わってしまうと、もうあとはお互いの引っ込みがつかなくなって溝が深くなって摩擦も増してくる。
私が法事で読むお経の総時間数はせいぜい1時間半位のものだ。万善寺の営繕作務で草刈りを始めたら一度で軽く3時間近くになってもまだ終わらない。坊主の実働時間なんてたかがその程度のものだ。それでお布施の中身が多いだの少ないだの愚痴を垂れてるようじゃ誰も信用して信頼してくれないよ。
自分にといっては展覧会の告知に汗を流している方がズット正直でいられるな。

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現代彫刻小品展 奥出雲町の蕎麦 

2016/07/27
Wed. 23:59

現代彫刻小品展の前半が終了し、これから奥出雲町の準備に入る。
開催までにすでに1ヶ月を切ったから若干焦りつつ広報データを整理し始めたところだ。
取材の方はすでに数回ほど奥出雲町を訪問し、会場や役場を始めとして各所をリサーチしてきた。

ワイフに「6時45分に起こしてくれ」とお願いして寝たのだが、結局目が覚めたのは深夜の3時過ぎでそれからしばらく眠れないままゴロゴロと無駄な時間を過ごしてしまった。
デスクワークはどれから手を付けようか迷うほどたくさんあるのに、それもする気になれない。
このところしばらくアメリカドラマを観ていなかったから久しぶりにFOX配信のNCISを見始めたら、それが止まらなくなって2本続けて見てしまった。3本めに入ったところでグッと我慢して朝の2度寝に入った。だから、ワイフに起こされた時は眠気が勝ってなかなか身体が動かないまましばらく過ぎた。
前日あれだけ働いたのに身体の痛みとか疲労をほとんど感じない。実は、これが結構曲者で、そういう疲労の痛みは忘れたころになって思い出したようにやってくる。そういうことを覚悟しながらこれから数日を暮らすことになりそうだ。
ワイフが用意してくれた爽やかな夏らしい朝食をいただき、急いで坊主スタイルに着替えて石見銀山を出発した。七日つとめが終わってから更新して廃棄する古い木魚の撥遣をおつとめした。今時きちんと遺漏のない仏事をつとめる施主さんが珍しくなった。
万善寺へ着いたら、すでにおかみさんが庫裡の玄関先でウロウロしていた。出雲の総合病院へ通院の日だが、予約の時間にはまだ30分以上余裕がある。老人はおとなしく待つことが出来ないことが多いし、おかみさんは特にそういうタイプだ。予約時間のかなり前に受付を済ませて待合室で待機したものの、受診はお昼を過ぎてからになった。おかみさんのイライラはカレコレ1時間半も続いただろうか・・・
こういう時の私は、文庫本を鞄に忍ばせて粛々と1日を過ごすことにしている。日頃からなかなかつくることの出来ない貴重な読書タイムと思えばイライラも全く感じないで時がすぎる。

これから万善寺に拠点を変えて奥出雲町へ通うことになる。
彫刻展の仮搬入の後、ガラス工芸館のすぐ前のたたら刀剣館へ挨拶しておいた。行く先々でガイドのリーフレットなど資料をかき集めてワイフに渡しておくと、彼女がそこそこマメにチェックしてくれて都合がいい。
奥出雲町は蕎麦処を目指しているようで、町内の至る処へ蕎麦屋が点在している。蕎麦屋マップなるものがあったので、それを頼りに、すでに3箇所を制覇した。「鬼そば」は蕎麦の味より店の雰囲気で食べさせるように思えた。暖炉型薪ストーブが目を引いた。「八川そば」は、JR木次線八川駅前にある蕎麦屋さんで、小奇麗な大衆食堂のような感じ。蕎麦の味はもう少し田舎そば風に香りが立つほうが好きだが、コシがあってソコソコ旨い。「山県そば」は今のところ一番自分よりの蕎麦になっている。蕎麦の香りも良いしコシもあってのどごしが良い。大将の軽いノリも好感が持てるが、難点は少々観光客慣れしているところ。まぁ、結局は万善寺の近所の「一福」が今のところ一番かな。

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現代彫刻小品展 搬出と搬入 

2016/07/26
Tue. 23:55

朝から曇り空が続いて、移動中には雨もぱらついたし、路面が濡れているところもあった。
浜田の世界こども美術館へ到着したのは8時半。
当初計画していた通りに搬出作業の一日が始まった。

展示台を会場から搬入口へ移動している間に、いつもの棟梁が颯爽と昇降機付きアルミ2tレンタルトラックでやってきた。彫刻の展覧会のお手伝いをお願いしていて外すことの出来ない強力協力スタッフの一人でもある。
それからノリちゃんがやってきて、直後に周藤さんが来てくれた。
買い物を頼んでいたワイフが到着した頃には展示台の移動や積込がおおよそ終わって彫刻の梱包作業に入った頃だった。
それからしばらくして今年初出品してくれた高橋さんが来てくれた。
これだけスタッフが集まれば千人力だ!
少数精鋭部隊ゲリラ的搬出搬入作戦は、こうしてスタートした。

今年の現代彫刻小品展は、搬入の時から絶不調が続いていて関係諸氏に多大な迷惑をかけてしまっていたが、10日間の会期が過ぎて搬出の頃になってやっとほぼ平常の体調が戻ってきた。足の具合も徐々に回復して、このまま上手くいけばお盆の棚経が始まる頃には正座が出来るまでに回復しているかもしれない。
人間はこうして年々日々刻々老化していくのだろうということを、身を持って痛感した数ヶ月であった。

搬出作業は、梱包作業を中心にやはりそれなりに難航を極めた。搬入時に手伝ってくれたスタッフが抜けると作業の順番がわからないまま短時間で一気に荷造りをしなければいけないので、それが一番のストレスになる。それでも、今回の搬出スタッフは色々試行錯誤を繰り返しながら丁寧に荷造りを終わらせてくれて、予定より1時間ほど早くトラックを出発させることが出来た。
棟梁に周藤さんに吉田の「3匹のオヤジ」は最強の搬入部隊。
目指すは、第二期開催地奥出雲町の展覧会会場ガラス工芸館。
浜田会場を後にして、奥出雲町役場の担当さんとメールや電話で連絡を取り合いながら約3時間かけて移動した。
1時間の余裕ができたので、地元の名物蕎麦「山県そば」でゆっくりと昼食をとった。
会場の鍵を借り、彫刻移動用の台車を借り、荷降ろし搬入が終わって会場入口を施錠したのは午後4時半。
「今日は帰りが10時位になりそうだから・・と女房に言っておいたけど、明るいうちに帰れそうですね・・」ポツリと、周藤さんが言った。棟梁は往復ともトラックを運転してくれた。それから、ワイフが石見銀山のベースキャンプから心配の電話をしてくれた。
・・・なんてしあわせなんだろぉ〜〜〜・・・みんな、私のワガママについてきてくれる。

夕食はイタリアン風各種料理が並んで、メインはとんかつだった。
今までの慰労と奥出雲町の現代彫刻小品展成功をワイフが祈念してくれているようだった。

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現代彫刻小品展 浜田展報告 

2016/07/25
Mon. 22:20

2016現代彫刻小品展in浜田が本日で終了した。
総入場者数522人。
ワークショップ参加171人。
以上の結果となりました。

総括すると、彫刻の出品者は増えたものの、一人1点が多く、作品の出品点数は少なかった・・・という感じで、出品点数59点、出品者数48名、触れる彫刻は10点であった。
会期が夏休みに入って最初の土日から始まった関係からか、島根県内各地でさまざまなイベントが開催されていた。子供も親もさぞかし忙しかったことだろう。
会期中の天候は良好で・・というより良好すぎて、一日も雨がふることがなかった。浜田ではすでに5年ほど開催しているが、会期中に雨が降らなかったのは今回がはじめてのことだ。美術館はどちらかと言うと天気が悪いと入場が増えたりする。公園の中にあるとか近くにあるような美術館は特にそういう傾向が強いように思う。
宣伝不足もあるだろうが、美術館への入場そのものも少なかったから、それが今年の傾向であったのかもしれない。

また、島根県内からの展覧会出品者が減った。それに、県内や近県で彫刻を出品しただけで会期中に会場へ現れなかった作家もあった。他のグループ展や個人の展覧会などの行事と重なってしまったような話も漏れ聞こえてきた。精力的に活動することはいいことだし、彫刻展への帰属意識も緩やかな集まりの会だからそれはそれで特にどうこう批判めいた事も無いが、出品作家の個々人においては、現代彫刻小品展に対しての温度差がありすぎるのも仕事の量が不均等だったり集客の告知がずさんだったりして、タップリと汗をかいてきた作家から見ると釈然としないわだかまりのようなものが残ってしまったのかもしれない。私自身は特にそういうことは気にすることも無いでいるが、過去にはそういう負担の過不足が気になって出品を控えた作家もいた。このあたりの共通理解を得るということはなかなか難しいことで、どちらかと言えばそういうことに労力を消費するより、ひたすら地道にコツコツ眼前の事実へ向き合って乗り切る方を選んでしまう。

吉田家の家庭事情を云えば、今年は例年に無く、いや、例年以上にワイフが親身に働いて手伝ってくれた。毎年のことだからそれなりに色々な場面でワタシを助けてくれていることに変わりないが、今年は特に彼女に助けられたことが多かった。
コアなメンバーで私の支えになっているのは彫刻家では周藤さんにノリちゃんだろう。他にも今年は松田さんや松本さんも受付を手伝ってくれた。浜田在住の河島くんにも彼のお母さんにも毎年受付で助けられている。数年前に生まれた男の子が毎年1年に1度見るたびに大きくなって河島くんそっくりになっていたが、今年は残念ながら息子さんに合う機会を逸してしまった。
最終日の今日はノリちゃんが二人の子供を連れて片付けの応援をしてくれた。二人ともしばらく見ない間にずいぶん大きくなってしっかりしてびっくりした。私が年をとるはずだと、こういう場面になると実感する。

明日は朝から会場撤収と搬出移動がある。もうひと踏ん張りだ!

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2017-10