工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

奥出雲彫刻搬出顛末記その2 

2016/09/07
Wed. 19:04

奥出雲暮らしが続いて、久しぶりに石見銀山の我が家へ帰った。

石見銀山で暮らしているときは、光ケーブルもないしケーブルテレビの通信回線がモタツクこともあって、ちょっとした不具合でもあるとすぐにケーブルさんの工事のお兄さんを一杯のコーヒーで釣って名指しで呼び出して文句を垂れながらインターネットのスピードチェックなどを診断してもらっていたが、こうして、奥出雲に通い始めて展覧会の会場やその周辺の現場に居続けると、飯南高原とドッコイくらい情報メディアの脆弱なことにかなり悩まされた。
たとえば、一日の会場受付でしばらくの休憩タイムなどにYouTubeやHuluやAmazonの配信動画を見ようとすると、我慢できないくらい幾度と無く画面が止まって見るに耐えない。iPhoneの回線を使って娯楽にハマってもデータ通信の縛りが不安で落ち着かないし、ほとんどテレビを見ない自分にとって、心身の疲れを癒やしてくれる娯楽手段が思うように機能してくれないことになかなか慣れることの出来ないまま現代彫刻小品展業務が過ぎた気がする。
面白いもので、特にストレスもなくほぼ毎日更新していたブログも、暇な時にテキストデータに書き込んでおけばそれでどうにか更新が続けられることなのに、こうしてYouTubeレベルで動きがギクシャクしてしまうと、とたんにインターネット環境を操作するのが面倒になってしまう。
「毎日毎日、よくも飽きないで似たようなつまらん日常を垂れ流して何が楽しいの?」
生来の怠け者の性格がボクの心に囁きかけるのだ。
別にたいして楽しいと思っているわけもなく、なんとなく惰性でラップトップのキーボードを叩いている程度のことだから、こうした、チョットした障害にすぐに反応して楽に過ぎてしまう自分がいるのだ。

そんなわけでしばらくタイムラグを生じた現代彫刻小品展搬出顛末記。

奥出雲で2tのアルミへ積み込んだ彫刻などはそのまま富山町の旧小学校へ搬入した。
現代彫刻小品展をそのまま移動するわけでもないのだが、彫刻の展示台やその他の什器などは使い回しができるから十分に経費削減の対象になる。
こういうある意味イベント事業と言っても良い企画は、とにかく人件費と行動実費に多額の費用を支出してしまう。
主催者である吉田は結界君で何往復しようが出先で何泊しようが全く経費計上できないから全て自腹で乗り切っているわけだ。たとえば、今回の棟梁や助手君などへはキチンと実費や委託料支払いの義務が生じているわけだから、こういう支出の予算立てもいい加減アバウト感覚では乗りきれないところもある。
この歳になって、チマチマとした計算ごともチャンと筋を通して遺漏の無いようにしておかないと吉田の信用が崩れてしまう。ナンチャッテ坊主にとっては結構な試練なのだ。
搬出移動の前半で周藤さんがキッチリ働いてくれた。ノリちゃんは二人の子供を助っ人で連れて来てくれた。それにもちろん私の愛妻であり女流彫刻家のマッチャンがとても良く働いてくれた。その夜は慰労で本場インドカレー屋さんへ行った。ナンが旨かった。

IMG_2181_2016090717571639c.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

奥出雲彫刻搬出顛末記その1 

2016/09/07
Wed. 14:56

現代彫刻小品展が終了して、会場撤収搬出移動などの作業を残すばかりになったら、また台風がやってきてどうなることかと心配したものの、見事に途中から熱帯低気圧になって島根県の奥出雲から大田市にかけては特に悪天候で悩まされることもなく過ぎた。
棟梁が気を利かせて助手君を連れて来てくれたから思った以上に早くことが片付いた。

会期が終わって、会場をcloseしようとしたら、駆け込みのお姉さまが二人ばかり来てくれたので、照明もそのままにして作品解説などもして付き合った。
ひとりのお姉さんは、昔々の島大の彫刻研修室の先生に少しばかり彫刻を教わっていたらしく、そのことで話題が弾んだ。
もう一人のお姉さんは高校の美術部で教わっていた先生が彫刻を作っていて、そのことを思い出してとても懐かしかったなどと、これも話が弾んだ。
私はその彫刻家というか美術の先生というか、とにかく二人の人物をよく知っていたものだから、知らず知らず立ち話が盛り上がってしまって、気が付くとすでに軽く一時間は経っていた。
あたりが少し暗くなり始めてから二人のお姉さんを見送って、作品移動や展示台の搬出などを始めていたら、今度は奥出雲で知り合った木工所の跡取り息子が仕事の帰りにトラックで駆けつけてくれた。うまく話題を振ったら手伝ってくれそうな雰囲気だったが、まだ付き合いも浅いし、グッと我慢してその場を凌いだ。
展示台を全て会場外のテラスへ搬出して、彫刻の梱包材を収納庫から引き出したところですでに夜の8時を回っていた。そろそろ、体力も限界だし近所のコンビニで夜食を仕込んで奥出雲の宿舎へ引き上げることにした。

20年近く前から知っていた音響のOさんの自宅が奥出雲だということは知っていたが、事務所兼スタジオ兼倉庫兼麻雀部屋兼助手の仮眠場所などで使っているWAREHOUSEの例のロフトへ落ち着いてシャワーで汗を流していたら、ヌシのOさんが助手君と一緒に仕事から帰ってきた。
彼らはこの3日間松江の地方テレビ局移転のイベントで働いていたそうだ。新しいテレビ局は大橋川の側になったらしい。以前の場所は駐車場もなかなか無くて面倒なところだったからこれからは今回のような展覧会の営業で出かける時も少し楽になるかもしれない。
結局、助手のたくちゃんと三人で夜食兼用の飲み会が始まった・・・といっても、彼ら二人は自宅へ帰らなけれればいけないから、私一人で飲み続けたわけだけど・・・

奥出雲では、このOさんのロフトのおかげでとても助かった。
少し落ち着いたら、何かお礼の品を持って行こうと思っている。
奥出雲は万善寺のある飯南高原とドッコイくらい雪深いところだから、簡単な薪ストーブでも作ってあげようかと思っている。それも、実はずい分前にあった時にそんな会話があって、こっちはいいかげん酔っ払って気持ちが大きくなっていたこともあったりした安請け合いだったのだが、酒を飲まない彼はシッカリ覚えていて、それが未だに機能していたわけだ。男の約束だし吉田の信用にも関わるから、これから冬になる前にひと踏ん張りしなければいけない。それに、またそのロフトでお世話になることだし♡!

IMG_0913_2016090717571433d.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

展覧会事情 

2016/09/04
Sun. 20:00

展覧会最終日の朝はあわただしく始まった。
会場当番へ出かける前に、昨夜クリヤ塗装を終わらせた鉄の椅子を工場まで取りに行った。
夜のうちに降った雨がそろそろ乾き始めている。どうりで昨夜は蒸し暑くて寝苦しかった訳だ。
搬入先のショップの玄関先へ高さ2m位の椅子を依頼の文字原稿と一緒にデンッ!と置いて奥出雲町へ向かった。

台風の情報は全く入っていないからよく分からないが、むせかえるような蒸し暑さと、会場前の桜の葉がソヨとも動かないほど風の絶えた状態が不気味だ。
OPENの準備をしていたら、近所の蕎麦屋さんが最終日だからといって生どらをドッサリ差し入れしてくれた。しばらくして8人の来場がお昼前まで五月雨に続いて、それから、朝の無風状態の如く客足がピタリと止まった。
多分、このままcloseすることになるだろうと予測して、会期中セッセと飲んでいたファミリーマートのLサイズコーヒーの空きコップへ麦とホップを入れ替えてチビチビ飲んでいたら、会場入口のテラスの手摺で一羽の鳥が羽を休めているところを発見した。
今回の彫刻展では、人間の他に可愛い犬が一匹鑑賞してくれた。打ち止めは一羽の(地味なたぶんカワガラスだと思うが)鳥になってしまう気がする。

現代彫刻小品展が始まってすぐ、その出品者の一人で九州在住の彫刻家からメールが入った。
こうして、日本国の辺境島根の山峡奥出雲で初の彫刻展開催の同時期に、九州の私設美術館が閉館となったらしい。
石橋美術館は、私が島根にUターンして間もない頃、九州の幾つかの美術館を巡ったことがあってその一つだった。石橋美術館というと、あの東京のブリヂストン美術館の石橋さんと縁が深い・・というより、むしろ九州のほうが石橋さんに近い美術館であると認識していた。そもそもブリヂストンの命名が「石橋」の「Bridge Stone」にちなんでいるというあたり、洒落た命名だとノリの軽い私としてはそれなりの親近感を感じていたのだが、その美術館のお陰をいただいて多感な幼少期を過ごした九州在住の一彫刻家の悲痛な思いがそのメールに託されていた。

島根の田舎に暮らしていると、ほんの数年で山峡の集落ひとつが限界集落になって、それからまた数年の間にゴースト集落になってしまうという現実と日々向き合っている。
この近年、墓地墓石の相談や絶縁で空き家になったお仏壇や位牌、朽ち果てつつある集落のお堂の相談が急激に増えている。
石橋美術館にしても、見方を変えれば石橋家の長い歴史の中で繰り返された世代交代のあいだに、少しずつふるさととか先祖の守り伝えてきた色々なものへの執着が希薄になって帰属意識が失せてきたのだろう。自分の暮らしに具体に何かしらの影響を受けるとすると、やはり生まれ育った環境に頼るだろうし、それに執着することになるだろう。今の日本の経済状態を背景に現実の打算もどこかしら影響しているかもしれない。個人の感傷に心が動かされることとなるとなかなか厳しいところでもあろう。

現代彫刻小品展のような展覧会は、私の生活や暮らしの本拠地を中心に、聞こえは悪いかもしれないが、文化の未開の地に近い島根の山峡をドサ回りすることで、彫刻のさまざまな表現を身近に見てもらいたいという願いが込められている。
一方で、美術館の閉館という現実があり、また一方では、生涯何処かの美術館に立ち寄ることもなく、本物の彫刻に触れる機会のないままこの世からオサラバする老若男女がいる。
私がこうしてまがりなりにも彫刻を造り続けられているのは、憲正さんが数年に一度松江まで巡回してくる日展へ少年の私を連れて行ってくれたからだ。まだ殆どが砂利道だった国道54号を3時間近くかけて松江まで出かけて夕方日が暮れてから寺へ帰った。当時は、運が良ければ、日展鑑賞の遠足もあった。
美術館のない町で生まれ育った私にとって、展覧会の会場は別世界だった。

特にメールの主の承諾を得ているわけでもないが、そんなわけで、原文から少々抜粋させていただいた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こんにちは.誰かに聞いてほしくてメールしています.
有明海と同じ筑後の宝;久留米の石橋美術館が今日でお終いです.
地下足袋からブリヂストンを起こした石橋正二郎氏が地元の為に久留米に美術館を作って60年.坂本繁二郎が早逝の友;青木繁の作品の散逸を心配し,かつて高等小学校での教え子の石橋さんに相談したのがきっかけと聞いています.石橋さんは竹橋の近代美術館も国に寄贈していますよね.市民に文化の贈り物をするなんて偉いと思います.

わたしの初美術館は小学4年生,ここで見たパウル・クレー展でした.その夢のような色彩とユーモア感覚,抽象形のおもしろさにハマってしまいました.
青木繁の「海の幸」はいつ観ても懐かしさと,わくわく感を覚えます.大好きなのは「わだつみのいろこの宮」.縦長の画面にすらりと立つ女性の美しさ,水中にある泉という設定,あぶくのゆらぎ.エメラルドグリーンの空間.あの静謐な画面はすてきです.
他に坂本,古賀春江,黒田清輝,岡田三郎助,百武ケンコウ とすばらしい作品があります.
石橋財団はそれら主だった作品を東京のブリヂストン美術館に引き上げてしまいます.大人の事情なのでしょう.東京のほうが鑑賞する人ははるかに多いでしょう.
しかし,仏像はもとのお寺のお堂で拝観したいし,青木は地元久留米に置いておきたいのです.
いつもそこに「海の幸」(千葉の海を描いていますが)があるという安心感がありました.
なのにあなたまで東京に行ってしまうの?そんなに都会がいいの?
一昨日,絵に涙で別れを告げてきました.  行かないでの署名運動を懸命にやったけれども,3万人超はひねりつぶされました.
選挙も署名もじつは何の力もないものと失望します.
あと1時間半で石橋美術館の看板が下ろされます.
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

IMG_3036_20160904195931e18.jpg
IMG_3052.jpg
IMG_3041.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

現代彫刻小品展in奥出雲の会場当番 

2016/09/01
Thu. 12:20

石見銀山から奥出雲の横田にある現代彫刻小品展会場までMapをググってみると、だいたいどのルートも車で約2時間はかかることになっている。
比較的平坦でアップダウンやカーブの少ないルートは、土地土地の市街地を通過する関係で信号が数えきれないほど多い。きちんと数えているわけでもないが、50〜100くらいはありそうだ。だから、通勤時間帯だったり信号運が悪いと2時間を若干オーバーすることもある。
山越えのルートは、とにかくアップダウンとカーブの連続になる。そのかわり、大きな街を通過することが全く無いから、信号が10くらいあるかどうかで、朝の通勤ラッシュも関係ないし、数ある交差点も信号を設置する必要が無いほど交通量も少ない。だから、途中でコンビニへ寄ってコーヒーを抽出したりお昼のサンドイッチなどをのんびりと物色しても、楽に2時間以内で会場まで到着する。

この3日間、ワイフが出張していて私が石見銀山へ帰らないと吉田家がネコチャンズとキーポンだけになるから、往復4時間かけてセッセと展覧会場へ通勤した。
通勤時間がこれだけ長いと、自宅に帰ってもシャワーを浴びて一杯飲んで寝て起きるだけで、気が付くともう次の朝になっている。
世間のサラリーマン諸氏のほとんどは、毎日こういう暮らしを続けていらっしゃるのかと思うと、心の底から感心し頭がさがる。たまの休日にはのんびりと我が家でゴロゴロしていたくなる気持ちもわかる気がする。
私など、1年を平らに均してみると、まるまる1日のんびりと休日を楽しむことなど10日もないだろう。それほど毎日何かしらせわしなく何かをして過ごしていることになるが、それでも、自分の自由になる時間はそれなりに充実していると思う。
正に、今現在もそういう時で、こうして展覧会場の受付をしながらのんびりとコーヒーをすすり爽やかな初秋の風を感じつつ、プチプチとラップトップをつついて、ぼんやり思っていることをとりとめのないままテキストデータに置き換えている。
まぁ、会場当番という仕事が無いわけでもないが、ひと頃のなっちゃんや先月までのノッチのような絶え間ない接客で心身が疲労喪失するようなこともない。

ところで、この会場受付だが、私としては、展覧会の開催事業の数ある仕事の中で一二を争うほどの重要な仕事だと思っている。
今回の現代彫刻小品展にしても、50名の彫刻出品者の60点の彫刻作品を預かっているわけで、それだけでも十分に責任ある業務をしていることになる。接客にしても、ほとんどが地域に住み暮らす住民の皆様を相手に、それなりの日常会話ができるまでには事前のリサーチをしておくことも大事なことだ。彫刻の質問や問いかけにも制作者に代わってできるだけ適切に対応をするために、作家の作風や制作技法など、最低限の知識もチェックしておかなければいけない。まぁ、それもこれも結局は自分の勉強だと思えば苦になることもないし、かえって自分の彫刻に影響してレベルアップに繋がる可能性もある。
一日をどのように使うかひとそれぞれだが、寝る間も惜しんでガツガツと仕事に食い下がるのもどうかと思う。メシを食べても腹八分目が良いというし、適度な余裕や余力は残しておきたいと思う。結局は何をしても自分に返って来ることだからね。

IMG_0933_201609011219127b0.jpg
IMG_2156.jpg

[edit]

CM: 1
TB: 0

page top

奥出雲のこと 

2016/08/31
Wed. 21:25

吉田オヤジは少々疲れ気味です。
まぁ、片道2時間の距離がけっこうこたえているだけだと思うんですけどね・・・

奥出雲は、島根県東部の山間部に広がる2つの町が集まって行政区が形成されている。
坊主的に言うと、圧倒的に地域全体へ禅宗が広まっていて、中でも曹洞宗が多い。
寺院の規模も、普通に万善寺の3倍位あって、立派な山門もあって、中には回廊がある寺もあって、それはそれはたいしたものだ。
往時の地域統治者の勢力がどれだけ大きかったかということを実感する。

商業的に言うと、はっきり言ってよくわからない・・・が、とにかく、蕎麦屋さんが多い。これまでにほとんどの蕎麦屋さんを回って、残すところあと2〜3軒までになった。
夏の間中、いろいろあって食が細ったが、ここにきて一気に胃袋が元のように大きく伸びてしまった。この、蕎麦屋さんについては、そのうち特別増刊号か何かでひとまとめにしてみようと思う。そのくらいそれなりにみなさんこだわっていらっしゃるということだ。
私としては、特に食通というわけでもないし、食道楽というわけでもないが、そばが好きだということだけは確かなことだ。自分の好みもあるが相対的に、奥出雲のそばは旨いと思う。
他にも、食事がらみのお店がそこそこあって、町に暮らすオヤジたちにとっては、適度に楽しく食べて飲めてなかなか住みやすくできているのではないかと、勝手に思っている。

産業は、やはり全国的に知名度のある仁多米につきるだろう。今の時期は、今年の新米が出まわる少し前で、1年で一番条件の悪い頃だが、それでもシャンと出処の知れている米はびっくりするほど旨い。それはやはり、中国山地から湧き出るミネラルたっぷりの水と、山から吹き下ろす冷気で冷やされた空気に地域全体が包まれる絶妙の環境によるものだろう。昼と夜の寒暖の差は高原の気候そのもので、そういう地域でひと夏を暮らすことの贅沢は何にも代えがたい気がする。飯南高原もなかなか絶品だと思うが、夏の気候はとても太刀打ち出来ない。こういうところで丹精込めて作られた米は不味いわけがない。

現状はそういう環境だが、昔々は砂鉄を使った精錬業が盛んであった。
今回、古い歴史も残るこの場所で現代彫刻小品展を開催している。
今まで、いろいろなところで同等の展覧会や個展をしたが、この奥出雲でのような会場の雰囲気は経験したことがない。
8割は奥出雲町内からの来場だが、新聞や口コミのおかげで広島や鳥取からも来てもらっている。それに、なんといっても、会場での滞在時間が圧倒的に長い。家族連れで1時間以上もかけて丁寧に見てもらったりもした。彫刻の小品60点でこれだけ丁寧に見てもらえると、恐縮してしまうと同時に、下手に彫刻の手抜きができないと痛感する。作家の力量が試されているようで、結構な緊張感だ。
ギャラリートークも熱心だったし、ワークショップも参加者は真剣に楽しんでいらっしゃったし、交流会もビックリするほど楽しく盛り上がった。
自分にとっては、久しぶりに新鮮な感動を頂いている。

IMG_2138_20160831213516991.jpg
IMG_2111.jpg
IMG_2149.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

島根県奥出雲町の今 

2016/08/28
Sun. 18:52

この2日間、自分の現状がうまく把握できないまま、眼前の事実だけが風のように通り過ぎて行った。

現代彫刻小品展の巡回というか、第2期展が昨日の土曜日から始まった。
作品搬入から展示まで、最小の人数で動き回った数日間だったが、オープニングには徳島から松永さん、埼玉から本多さんが駆けつけてくれて、島根在住の出品者もワイフをはじめとして、たくさん集合してくれた。
現代彫刻小品展も、気がつけば10回の開催が終わった。
今回の奥出雲での開催は11回目となって、一つの節目を迎えたと思っている。

奥出雲町は、地理的には石見銀山から2時間、万善寺から1時間という、決して近い距離の地域ではないが、島根の歴史にはとても大事で私にとっても興味深い地域でもある。
世間に流れる様々な情報を整理するだけで、おおよそどういうところであるか解るとは思うが、私が島根にUターンしたもう30年以上も前から密かに興味深く意識していたこともあって、今年になって、やっと何かの形でこの土地と関わりを持つことができたわけでもある。
このあたりは、たたら製鉄の産地でもあって、あの「もののけ姫」の舞台でもあるが、こうしてこの数日間その真ん中にいると、町の様子にはたたら製鉄の賑わいが残り伝わることもなく、静かに静かに時が過ぎているふうにしか感じない。

中国地方の真ん中を東西に横切る中国山地一帯は、かなり古い昔から、人々が入植し、盛んに山の仕事へ従事した一大工業地帯でもあった。現在に残っている植林の植生は、たたら製鉄を核にしたその周辺産業の名残と言ってもいい。
砂鉄の採取や溶鉱炉に投じる炭の原木植樹など、山肌の隅々まで人の暮らしが入り込んで賑わっていた時代もあったわけだ。
集落の作り出す形状は、すべてが製鉄業関連の経年経過の中で必然的に作られた人工の産物でもある。
中国山地の至る所にたたらの神様でもある金屋子さんが祀られ、採掘や製錬業の繁栄や安全が祈念されていた。私が暮らす石見銀山にも、金屋子に所縁のある立派な神社が銀山坑道のすぐ近くに鎮座されてある。万善寺からわずかのところにも金屋子神社が祀られてあり、毎年の大祭は今でも絶えることなく引き継がれている。

まだ、自分が何をするかも曖昧なままフラフラと遊んでばかりいた頃には、今のようにここまで鉄と関わる自分がいようとは思ってもいなかった。
自分の生まれ育った環境や、自然と周辺の土地に惹きつけられる心情を思うと、どこかしら自分の意思とは関係のないところで得体の知れない大きな何かに引き寄せられているような気がする。
金属の工芸から始まった自分の造形表現が、そのうち金属の彫刻に変わって、島根各地の産地素材に惹きつけられている今がある。
残りわずかな自分の人生が今後どのように動かされていくのだろうか?楽しみでもある。

IMG_0911.jpg
IMG_3021_201608281847538a3.jpg

[edit]

CM: 1
TB: 0

page top

現代彫刻小品展 in 奥出雲 in wife 

2016/08/24
Wed. 21:32

現代彫刻小品展 in 奥出雲が三日後に始まる。
この2日間はベッタリと奥出雲にはりついた。
昨日は、ワイフが石見銀山から駆けつけてくれて、大いに助かった。
やはり、彼女の助っ人は実に心強い。
島根の彫刻家もけっこう居るが、ほとんど全てが他で仕事をしながら細々と彫刻を造っている。そういう人たちに、彫刻がらみの用事を振り当てても、なかなか簡単に仕事を休むわけにもいかないことが分かっているだけに吉田としては気軽に頼みにくい。
それでやはり、どうしてもワイフを頼ってしまうわけだ。

チラシ集配の作業が終わってから、彫刻展の会場をワイフに見てもらった。
彼女の彫刻家としての目で見てもらって、その率直な感想を聞くことが、私の仕事の客観的な判断材料になる。
奥出雲の会場へ今回初めて展示してみたが、自分としては浜田会場と違ってこぢんまりとまとまって比較的落ち着いた雰囲気になったように思う。その様子を、ワイフの目がどのように感じてくれるか・・・実はひそかにドキドキものだった。
結果、「あら素敵!いい会場になったじゃない♡」というわけで、けっこう素直に気に入ってくれたようだ。
「今まで外からしか見たことなかったけど、なかなか立派な会場なのね。大きさも丁度いいじゃない!」
ワイフのお墨付きをもらったようで、それまでの疲労が吹き飛んだ。

石見銀山から奥出雲までは、普通に走って2時間の距離。
ワイフは往復4時間を一人で運転してよく来てくれた。
そのお礼もあるし、私の自分への細やかな慰労も兼ねて外食を奮発することにした。
お目当は、久しぶりの焼き肉屋さんだったが、なんと「本日定休日」・・・というわけで、その斜め前にある八剣伝へ落ち着いた。
焼き肉が焼き鳥に変わったが、まぁ、この程度の妥協は仕方がない。
ジム・ビームというと、ノッチを思い出すというと、ケンタッキーのバーボンだからだ。
そのあたりのことは、話せば長くなることもあるから割愛するが、要するに、そのジム・ビームのボトルを「鉄人」でキープしてあって、それがあるから、八剣伝へ行っただけのことだ。
バーボンがメチャクチャ旨かった。せいぜい3ヶ月に一度行くかどうかなのに、店長は私の好みを覚えていて、無表情に「氷だけでよかったですよね?」と念押しをする。キーポンとワイフと私の3人でいつものカウンターの端っこの、炭焼きの焼き加減が見える場所を陣取って飲み食いする。
久しぶりに気持ちよく酔っ払った。
帰宅するとワイフにアレコレ小言を言われることはわかっているのだが、それを承知で「よし!今夜は酔っ払うぜ!」と心に決めているから少々の小言など普通にスルーする。
ある時は島根を代表する女流彫刻家。ある時は小うるさい古女房。とにかくダメ親父は何かにつけてそういうワイフに毎度毎度救われているのです。

IMG_2093.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

現代彫刻小品展 in 奥出雲 彫刻展示ほぼ終了! 

2016/08/22
Mon. 23:37

例のごとく、身体の痛みで真夜中に目が覚めてしばらく眠れなかった後、4時過ぎてから二度寝をして少し寝坊してしまった。奥出雲の作業があるから、急いで出かけようと思うのだが、なかなか思うように身体が動かない。

30分ほど遅れてファミリーマートへ着いた。例のごとく、Lサイズのコーヒーを2杯分頼んで、熱中症対策のドリンクも買って、ついでに二割引のサンドイッチも買った。
昨夜に降った雨のせいか、奥出雲町は少しばかり過ごしやすい。
彫刻展会場のガラス工芸館へ、積み残しの彫刻2点と個別配布用のチラシなどの荷物を搬入した。

お昼前に彫刻展示が終わった。
あとは、2〜3日のうちにキャプションなどを整えて会場の掃除整頓などをすれば、現代彫刻小品展のスタートだ。
サンドイッチの昼食を終わらせて、個別配布用のチラシを仕分けした。
4500枚ほど印刷しておいたが、結局約250枚くらいしか残らなかった。大田市よりは人口が少ないものの、飯南町よりは多い。島根の山間部としては結構な数の人々が暮らしているということがよくわかった。
奥出雲町は旧仁多町と旧横田町が統合してできた新しい行政区で、未だに旧行政区の役場庁舎が現役で使われている。聞くところによると、旧仁多の元役場がかなり古いから、新しく建設される新庁舎はそちらに統合されるらしい。
だいたいどこも似たようなものだが、隣接する行政区はどちらかというと長い歳月お互いに牽制しあって腹の探り合いをしているようなところもあるから、どちらかというとあまり仲良く付き合っているわけでもない。現代彫刻小品展のことで、あっちとこっちの庁舎を行ったり来たりしていると、「あの建物の周辺のことはあまりよくわかりませんので・・・」などと、役場の行政職員が済まなそうに言い訳をしたりしている。時間の無駄もハンパないが、まぁ、この際そのくらいのことはあまり掘り下げて突っ込まないでスルーしておいたほうがよさそうな雰囲気だ。

個別配布用のチラシを仕分けして自治会名を確認したりしていると、奥出雲町は、まだまだ古き良き時代の地域事情が比較的よく残っていると感じた。
「美女原(びじょばら)」なんて、思わず其処で暮らしてみたくなる。
「湯の原」「梅木原」「米原」「福原」・・・なんとなく、風景が見えてきそうだ。
「琴枕」・・渋い!「八幡」・・正に!「鋳物屋」・・ダイレクト過ぎる!「大曲」・・わかる気がする!
「蔵屋」「稲田」「馬場」「五反田」、それに、「大市」「古市」「四日市」「六日市」・・・往時の町並みの賑わいが見えてくるようだ。

午前中は万善寺のお檀家さんの年回法事。午後からが奥出雲町の個別配布集配作業。
次々に次の用事がやってきてとめどない。それでも、自分で決めたことだから苦にならない。一つ一つの地道な作業の積み重ねが、そのうち何かの支えになってくれるはずだ。

IMG_3020.jpg
IMG_3023_20160822233529cb7.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

斐伊川土手の向こうに陽が沈む 

2016/08/20
Sat. 23:27

残暑が厳しい1日だった。朝、万善事を出発する時は、すでに結界君の夜露が乾いていた。
8月に入ってから始めてだと思うほど久しぶりに、現代彫刻小品展のことで終日仕事をしようと心に決めた。
最近絶え間なく寺のことでいろいろあったから、自分の自覚がないまま、疲れが溜まっているのだろう。真夜中に身体中の筋肉が強張った気になって目がさめると、あとは朝までなかなか眠れないまま映画を見たり本を読んだりして過ごしてしまう。二度寝から目覚めたのがまだ早朝4時くらいだった。いつものことを思うとよく寝た方だ。
奥出雲町へ出かける準備はすでに終わっているから、朝の身支度を済ませて一気に結界君をすっ飛ばした。今度彫刻展の会場でお世話になるガラス工芸館に到着して結界君から出たら、まるでサウナに入っているように一気に汗が噴き出した。

一人で約60点の彫刻を展示しなければいけないから、梱包してある彫刻を取り出したり展示台のレイアウトをしたりして、それだけで結構時間がかかった。
奥出雲町内には2カ所にファミリーマートがある。コンビニの中ではそこのコーヒーが一番好きだ。マイポットを持ち込んで、Lサイズ2杯分を頼んだら、店員のお姉さんが不思議な顔をしていた。別にコーヒー好きのオヤジがいても良いだろうに、その店ではあまりコーヒーが出ないのかもしれない。これからしばらく奥出雲へ日参することになるから、次回はもう一軒のファミリーマートへ行ってみようと思う。

昼食らしきものはサンドイッチで済ませ、ペットボトル2本で水分補給をした。
おおよそ彫刻の配置が決まって、それからが悩みどころになる。
昨日まではワイフも手伝ってくれるように頼んであったが、結局、石見銀山の吉田家からの距離が長くて車の運転を渋ってしまった。だから彼女の車に積み込んである2人の作家の彫刻がまだ無い。午後になって島根大学の教育学部で彫刻を勉強していた女の子が、制作途中の木彫を持ってきた。朴木だというが、なかなか渋い味わいでいい色をしている。私はその色が気に入ったのだが彼女の方は今ひとつのようだ。職場が益田にあって、休日を利用して松江の大学の研究室に出かけて、其処を借りて制作しているらしい。確かに、いろいろな道具も揃っているし、学生の頃から慣れている場所だから落ち着いて制作できるのだろう。それにしても、長い長い島根県のほぼ両端にある街から街へ通って制作をしている姿を想像すると、どう考えても時間のロスがもったいないと思ってしまう。私も、島根に帰って10年くらいは、片道1時間半の距離を仕事が終わってから往復して彫刻を造っていたから他人のことは言えないが、まぁ、若いうちはそれも勉強だと思って乗り切るしかない。そうやって、苦労しながらでも、工夫しながら制作を続けていくことに大きな意味がある。途中で息切れして挫折してしまうと、それから後、後悔ばかりの自分の人生が始まってしまう。私にできることなど特にこれといって何かあるわけでもないが、こうして自分の彫刻を持ってきてお伺いを立ててもらえる間はできる限りのお手伝いをさせてもらおうと思っている。
展示作業は時間切れで途中になった。斐伊川土手の先に夕日が沈む。いつの間にか、ずいぶん日が短くなっていた。

IMG_0880.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

奥出雲町戸別配布チラシ完成 

2016/08/18
Thu. 23:30

万善寺夏の大イベントがひとまず終了した!
その万善寺700年の歴史の中で、ギネスブック登録級の記念すべき記録が本日達成されました!
なんと、①施食会②大般若経転読会③観音供養塔婆回向の3つの法要を1日で済ますという、普通ではあり得ないことを、万善寺の吉田家族ボクとワイフの二人だけで仕切って乗り切ったのです!
ハッキリいって、やはりいつでもどこでもすぐにぶっ倒れそうなほどきつかった。
あとで聞くところによると、ワイフは軽い熱中症になりかけたそうだ。

随喜の方丈さんは、手間替えで5人。
一昨年までは万善寺前住職憲正さんが最長老だったのが、彼が遷化するのを待っていたかのように、隣町の住職さんが85歳で引退して東堂ぐらし。
その3つ下の反対側の隣町の住職さんが、精密検査で引っかかって即入院。
そのまた下の臨済宗ご住職が草刈り中の事故で足の骨折。
その少し先の山間部には珍しく大きなお寺の若いご住職さんがドクターヘリで救急搬送。
そして、私は春先から継続中でほぼ慢性化した古傷の痛みがひどくなって棚経の間中半座でお経を唱える始末。
上げればきりがないほどアチコチの坊主が体調を崩して何かとよろめいている。
どうせよろめくなら近所の後家さんのほうがまだマシだと思いつつ、夏の日々を粛々と暮らしている。

これからも、8月いっぱいはこんな状況がしばらく続く。
明日は先日のお薬師さんに続いて夕方から七面さんの供養。
その後も、お地蔵さんの供養や古墳の供養や法事の依頼などが入って宗門の手帳が真っ黒になりつつある。
それに、今年は奥出雲町で現代彫刻小品展を開催することになって、そちらの宣伝もしなければいけない。
ひとまずやることをやって出来ることをしておく!・・・それが一番大事なことだ。
法要が始まる直前に、奥出雲町の役場から電話が入った。
先日アポを取っておいた町長会談が流れそうだと云うことだった。
法要の前のめちゃくちゃ忙しい時の電話だったが大事な話なのでしばし長電話をしてしまった。
そのまた少し後に、彫刻家の周藤豊治氏がマケットで相談を持ちかけてきて、また長電話になりそうだったから、すぐにこちらから折り返しの電話をするから勘弁!と言いつつ、
それでも結局長話になって法要が20分ほど遅れた。
世間はすでに日常の暮らしをしているから、いくらお盆の月だといっても、相手が「あぁ〜そぉ〜ですか・・」と素直に引き下がってくれることが珍しい。
「後日改めて・・・」などと曖昧な態度でいると、営業所氏はこれでもかと思われるほど強引に突っ込んでくる。

奥出雲の皆さんのみに戸別配布するポスターが完成した!もちろん現代彫刻小品展の!

IMG_2082.jpg
奥出雲町A4チラシ

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

恨むべき日月なり 

2016/08/16
Tue. 21:07

西暦2016年、仏暦2582年の棚経もあと数軒を残すまでになって、ひとまず大きなひと山を終了した!結果、寺の事情か坊主の事情か施主家の事情か、そのあたりの境界が微妙なまま。約10軒が割愛の対象となりました・・・
悲喜交交何かと思うところもあるだろうが、坊主的な立場で総括すると、寺の収入は減るものの、坊主の体力は少し楽になり、おまけに個人の自由時間も若干増えた!・・ということで、とりあえず相殺という結論に達した次第であります。

そこで、万善寺の周辺事情によるお盆の最終日は、現代彫刻小品展次回開催地の奥出雲町へ出かけた。午前中は、幾つかの書類をまとめて必要部数印刷して・・という事務をして、目処が付いたのが昼前だったので、そのままいつものように昼飯抜きで奥出雲町へ出発した。相変わらずおかみさんの罵声を浴びながらの出発になってしまったが、これも加齢による病気の症状とスルーして結界くんを走らせた。
世間というか、巷というか、現状はとにかくおかみさんの生き続けている90年の世界とは全く違う世界で動いていて説明のしようもないし理解してもらえるものでもないから、母息子の無遠慮で硬直した現状をキープしつつ眼前の現実を具体に認識して過ぎるしか無い。見た目よりズゥ〜〜~ッとナイーブなクリスタルの心臓を持つ私としては、奥出雲町までの道中は、結構な試練だった!・・・と思っているが、実は7月以来何十日ぶりかの強烈なスコールで、川になってしまった国道の路面をヨタヨタと走る結界君のハンドル操作にビビっていた小心者だったというだけの事だったのかもしれない。

半日の殆どが行政担当との名刺交換になったが、それはそれなりに収穫もあった。町長秘書室まで案内してもらって、後日指定日時に短時間のアポを入れることも出来た。
奥出雲町は、統合する前の二つの役場をそれぞれ都合のいいように使い続けていて、その庁舎の距離は結界君で20分ほど離れたところにある。この20分ほどの時間ロスはそんなもんだと慣れるしか無い。それで、なんだかんだで半日のうちに軽く2往復してしまった。

宗門オリジナルの創作お経に「修証義(しゅしょうぎ)」がある。これのベースは道元さまの「正法眼蔵」にあるが、その一節に「〜〜徒(いたづ)らに百歳生けらんは恨むべき日月なり悲しむべき形骸なり〜〜」とある。自分も含めて人の命は尊いものだということを自覚して、自分を愛し自分を敬うという気持ちが大事なのだよ!と教えてくれている。変なエゴやプライドに固まってしまうと、なかなかその鎧を捨てることが出来なくなってしまう。ことの善悪なんて、所詮は立場が違えば解釈も違ってくるから、結局は自分の都合のいいように周辺の事情を操作しようとしてしまう。そういうところに無意味な反発や拒否まで加わってしまうと、もうあとはお互いの引っ込みがつかなくなって溝が深くなって摩擦も増してくる。
私が法事で読むお経の総時間数はせいぜい1時間半位のものだ。万善寺の営繕作務で草刈りを始めたら一度で軽く3時間近くになってもまだ終わらない。坊主の実働時間なんてたかがその程度のものだ。それでお布施の中身が多いだの少ないだの愚痴を垂れてるようじゃ誰も信用して信頼してくれないよ。
自分にといっては展覧会の告知に汗を流している方がズット正直でいられるな。

IMG_3015.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

現代彫刻小品展 奥出雲町の蕎麦 

2016/07/27
Wed. 23:59

現代彫刻小品展の前半が終了し、これから奥出雲町の準備に入る。
開催までにすでに1ヶ月を切ったから若干焦りつつ広報データを整理し始めたところだ。
取材の方はすでに数回ほど奥出雲町を訪問し、会場や役場を始めとして各所をリサーチしてきた。

ワイフに「6時45分に起こしてくれ」とお願いして寝たのだが、結局目が覚めたのは深夜の3時過ぎでそれからしばらく眠れないままゴロゴロと無駄な時間を過ごしてしまった。
デスクワークはどれから手を付けようか迷うほどたくさんあるのに、それもする気になれない。
このところしばらくアメリカドラマを観ていなかったから久しぶりにFOX配信のNCISを見始めたら、それが止まらなくなって2本続けて見てしまった。3本めに入ったところでグッと我慢して朝の2度寝に入った。だから、ワイフに起こされた時は眠気が勝ってなかなか身体が動かないまましばらく過ぎた。
前日あれだけ働いたのに身体の痛みとか疲労をほとんど感じない。実は、これが結構曲者で、そういう疲労の痛みは忘れたころになって思い出したようにやってくる。そういうことを覚悟しながらこれから数日を暮らすことになりそうだ。
ワイフが用意してくれた爽やかな夏らしい朝食をいただき、急いで坊主スタイルに着替えて石見銀山を出発した。七日つとめが終わってから更新して廃棄する古い木魚の撥遣をおつとめした。今時きちんと遺漏のない仏事をつとめる施主さんが珍しくなった。
万善寺へ着いたら、すでにおかみさんが庫裡の玄関先でウロウロしていた。出雲の総合病院へ通院の日だが、予約の時間にはまだ30分以上余裕がある。老人はおとなしく待つことが出来ないことが多いし、おかみさんは特にそういうタイプだ。予約時間のかなり前に受付を済ませて待合室で待機したものの、受診はお昼を過ぎてからになった。おかみさんのイライラはカレコレ1時間半も続いただろうか・・・
こういう時の私は、文庫本を鞄に忍ばせて粛々と1日を過ごすことにしている。日頃からなかなかつくることの出来ない貴重な読書タイムと思えばイライラも全く感じないで時がすぎる。

これから万善寺に拠点を変えて奥出雲町へ通うことになる。
彫刻展の仮搬入の後、ガラス工芸館のすぐ前のたたら刀剣館へ挨拶しておいた。行く先々でガイドのリーフレットなど資料をかき集めてワイフに渡しておくと、彼女がそこそこマメにチェックしてくれて都合がいい。
奥出雲町は蕎麦処を目指しているようで、町内の至る処へ蕎麦屋が点在している。蕎麦屋マップなるものがあったので、それを頼りに、すでに3箇所を制覇した。「鬼そば」は蕎麦の味より店の雰囲気で食べさせるように思えた。暖炉型薪ストーブが目を引いた。「八川そば」は、JR木次線八川駅前にある蕎麦屋さんで、小奇麗な大衆食堂のような感じ。蕎麦の味はもう少し田舎そば風に香りが立つほうが好きだが、コシがあってソコソコ旨い。「山県そば」は今のところ一番自分よりの蕎麦になっている。蕎麦の香りも良いしコシもあってのどごしが良い。大将の軽いノリも好感が持てるが、難点は少々観光客慣れしているところ。まぁ、結局は万善寺の近所の「一福」が今のところ一番かな。

IMG_2406.jpg
IMG_2570.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

現代彫刻小品展 搬出と搬入 

2016/07/26
Tue. 23:55

朝から曇り空が続いて、移動中には雨もぱらついたし、路面が濡れているところもあった。
浜田の世界こども美術館へ到着したのは8時半。
当初計画していた通りに搬出作業の一日が始まった。

展示台を会場から搬入口へ移動している間に、いつもの棟梁が颯爽と昇降機付きアルミ2tレンタルトラックでやってきた。彫刻の展覧会のお手伝いをお願いしていて外すことの出来ない強力協力スタッフの一人でもある。
それからノリちゃんがやってきて、直後に周藤さんが来てくれた。
買い物を頼んでいたワイフが到着した頃には展示台の移動や積込がおおよそ終わって彫刻の梱包作業に入った頃だった。
それからしばらくして今年初出品してくれた高橋さんが来てくれた。
これだけスタッフが集まれば千人力だ!
少数精鋭部隊ゲリラ的搬出搬入作戦は、こうしてスタートした。

今年の現代彫刻小品展は、搬入の時から絶不調が続いていて関係諸氏に多大な迷惑をかけてしまっていたが、10日間の会期が過ぎて搬出の頃になってやっとほぼ平常の体調が戻ってきた。足の具合も徐々に回復して、このまま上手くいけばお盆の棚経が始まる頃には正座が出来るまでに回復しているかもしれない。
人間はこうして年々日々刻々老化していくのだろうということを、身を持って痛感した数ヶ月であった。

搬出作業は、梱包作業を中心にやはりそれなりに難航を極めた。搬入時に手伝ってくれたスタッフが抜けると作業の順番がわからないまま短時間で一気に荷造りをしなければいけないので、それが一番のストレスになる。それでも、今回の搬出スタッフは色々試行錯誤を繰り返しながら丁寧に荷造りを終わらせてくれて、予定より1時間ほど早くトラックを出発させることが出来た。
棟梁に周藤さんに吉田の「3匹のオヤジ」は最強の搬入部隊。
目指すは、第二期開催地奥出雲町の展覧会会場ガラス工芸館。
浜田会場を後にして、奥出雲町役場の担当さんとメールや電話で連絡を取り合いながら約3時間かけて移動した。
1時間の余裕ができたので、地元の名物蕎麦「山県そば」でゆっくりと昼食をとった。
会場の鍵を借り、彫刻移動用の台車を借り、荷降ろし搬入が終わって会場入口を施錠したのは午後4時半。
「今日は帰りが10時位になりそうだから・・と女房に言っておいたけど、明るいうちに帰れそうですね・・」ポツリと、周藤さんが言った。棟梁は往復ともトラックを運転してくれた。それから、ワイフが石見銀山のベースキャンプから心配の電話をしてくれた。
・・・なんてしあわせなんだろぉ〜〜〜・・・みんな、私のワガママについてきてくれる。

夕食はイタリアン風各種料理が並んで、メインはとんかつだった。
今までの慰労と奥出雲町の現代彫刻小品展成功をワイフが祈念してくれているようだった。

IMG_2654.jpg
IMG_2049.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

現代彫刻小品展 浜田展報告 

2016/07/25
Mon. 22:20

2016現代彫刻小品展in浜田が本日で終了した。
総入場者数522人。
ワークショップ参加171人。
以上の結果となりました。

総括すると、彫刻の出品者は増えたものの、一人1点が多く、作品の出品点数は少なかった・・・という感じで、出品点数59点、出品者数48名、触れる彫刻は10点であった。
会期が夏休みに入って最初の土日から始まった関係からか、島根県内各地でさまざまなイベントが開催されていた。子供も親もさぞかし忙しかったことだろう。
会期中の天候は良好で・・というより良好すぎて、一日も雨がふることがなかった。浜田ではすでに5年ほど開催しているが、会期中に雨が降らなかったのは今回がはじめてのことだ。美術館はどちらかと言うと天気が悪いと入場が増えたりする。公園の中にあるとか近くにあるような美術館は特にそういう傾向が強いように思う。
宣伝不足もあるだろうが、美術館への入場そのものも少なかったから、それが今年の傾向であったのかもしれない。

また、島根県内からの展覧会出品者が減った。それに、県内や近県で彫刻を出品しただけで会期中に会場へ現れなかった作家もあった。他のグループ展や個人の展覧会などの行事と重なってしまったような話も漏れ聞こえてきた。精力的に活動することはいいことだし、彫刻展への帰属意識も緩やかな集まりの会だからそれはそれで特にどうこう批判めいた事も無いが、出品作家の個々人においては、現代彫刻小品展に対しての温度差がありすぎるのも仕事の量が不均等だったり集客の告知がずさんだったりして、タップリと汗をかいてきた作家から見ると釈然としないわだかまりのようなものが残ってしまったのかもしれない。私自身は特にそういうことは気にすることも無いでいるが、過去にはそういう負担の過不足が気になって出品を控えた作家もいた。このあたりの共通理解を得るということはなかなか難しいことで、どちらかと言えばそういうことに労力を消費するより、ひたすら地道にコツコツ眼前の事実へ向き合って乗り切る方を選んでしまう。

吉田家の家庭事情を云えば、今年は例年に無く、いや、例年以上にワイフが親身に働いて手伝ってくれた。毎年のことだからそれなりに色々な場面でワタシを助けてくれていることに変わりないが、今年は特に彼女に助けられたことが多かった。
コアなメンバーで私の支えになっているのは彫刻家では周藤さんにノリちゃんだろう。他にも今年は松田さんや松本さんも受付を手伝ってくれた。浜田在住の河島くんにも彼のお母さんにも毎年受付で助けられている。数年前に生まれた男の子が毎年1年に1度見るたびに大きくなって河島くんそっくりになっていたが、今年は残念ながら息子さんに合う機会を逸してしまった。
最終日の今日はノリちゃんが二人の子供を連れて片付けの応援をしてくれた。二人ともしばらく見ない間にずいぶん大きくなってしっかりしてびっくりした。私が年をとるはずだと、こういう場面になると実感する。

明日は朝から会場撤収と搬出移動がある。もうひと踏ん張りだ!

IMG_2894_201607252218426c6.jpg
IMG_1727_20160725221839868.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

現代彫刻小品展 浜田会場会期終了 

2016/07/25
Mon. 06:36

現代彫刻小品展も最終日を迎えた。
振り返ってみると、今回ほど厳しくて辛い思いをしたことはなかった。
とにかく予定の立たない万善寺の仏事が次々に入って、それとこれとを連動させて「あれがあるから無理です」と断ることの選択肢は最初から存在しない。いろいろやりくりをしてその場を凌ぐしかないことだから、アチコチにたくさんの迷惑をかけてしまった。
何時もは何かと人騒がせなおかみさんが珍しくこの期間中おとなしくしてくれていて助かったと思っていたら、最後の最後にまた病院の通院でワガママを言い始めた。こちらの方も悩みの種で、自分以外のダレに託すことも出来ないことだから気が重い。
会期中足の具合をこじらせてしまってそちらでも苦労したが、ここに来て一気に調子が改善し始めた。このまま2〜3日安静にしていればもっと良くなるだろうと分かっているが、これから搬出も控えているし、それも無理なことでまた症状が悪化するかもしれない。
いずれにしても、身心共に不健康な日々が過ぎている。

彫刻は全てが頑強にできているわけではない。
私の造る彫刻は結構丈夫に出来ているが、一方でとてもデリケートな素材の彫刻もたくさんある。テラコッタもそういうデリケートな彫刻素材の一つと言えるだろう。
テラコッタは、日本語的に言うと「素焼きの彫刻」のようなことになる。
素焼きは陶芸の制作過程で行う第一回目の焼成にあたる。よく乾燥させた粘土の作品をだいたい750度から1000度前後の高温で焼成する。焼成温度は作家によって色々だが焼成温度が低いと粘土の成分変化が少なくて脆いがその代わり収縮も少ないし形の変形も少ない。高温になるほど粘土が焼き締まって作品の収縮が強まりスケールに変化が生じるものの素材そのものは丈夫になる。それぞれの彫刻家の彫刻に対する解釈の範囲で粘土がブレンドされ焼成される陶製彫刻がテラコッタである。
今回の展覧会にもたくさんのテラコッタ彫刻が出品された。
林さんの彫刻はテラコッタに着色された女の子が可愛い。このくらいの大きさの彫刻は、下手をすると人形のような表情になってしまうことがあって、その境界をしっかりとわきまえておかないと彫刻としての造形性が狂ってしまうおそれがある。彼女ほどの作家歴があるから構成の緊張感をもった彫刻に仕上がっているわけで、安定した力量を感じる。
大井さんの彫刻はテラコッタ表現の彫刻であると言う前に、首像に対してとても真面目に真摯に丁寧に取り組んだ習作的彫刻と言える。首像はそのスケールがおおよそ常識的に決まった範囲で制作されることが多いから、彫刻の修得には避けることの出来ないとてもベーシックな題材であるといえる。派手さはないが、作家の力量をつぶさに見分けることが出来るので制作者としても手を抜くことが出来ない。こういう彫刻に対して直球勝負をかける潔さに好感が持てる。
森戸君は展覧会の関係で長い付き合いになる・・・といっても、私は野外彫刻ばかり造っているから木彫の彼との会話はほんの挨拶程度のことで過ぎているが、それでもやはりかなり前からの知り合いである。その木彫作家と言ってもいい彼が今回の現代彫刻小品展にはテラコッタの彫刻を送ってきた。比較的一木造りに近い大きな彫刻ばかり観ていたからそれなりに新鮮に見えた。それでもやはり、何処かしら彼らしさの醸しだされた彫刻になっている。

IMG_1709_201607250635113e4.jpg
IMG_1939.jpg
IMG_1980.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

現代彫刻小品展 なにがでるかなワークショップ 

2016/07/24
Sun. 22:22

会場の受付をしながらワークショップの準備をしていたら、フラリと入ってきたご婦人がいやに熱心に彫刻の一つ一つを見て歩いているので声をかけた。
自分で言うのもどうかと思うが、そのあたりの絶妙の呼吸が彫刻の壁を下げる要素のポイントの落とし所だと思っていて、やはり彫刻の認知を広めるためには営業に繋がるかもしれないその程度のことに積極的に対応できる程の仕事は出来て当たり前だと思っている。
作家それぞれの価値観の問題だから全て正しい行いだと限定できるわけでもないが、日頃からヌルくヌルく毎日を過ごしている吉田としては、年に何回かは積極的に彫刻展の営業をすることも大事だなと思っていて色々手を変え品を変えて乗り切っているわけだ。
それで声をかけると、あのご婦人やっぱり「待ってました」と日頃の思いが一気に吹き出した感じで話が耐えなくなった。
要約すると、ご婦人曰く、こんな素晴らしくレベルの高い展覧会なのに地元に暮らす私はまったく知らないまま過ぎてしまった。もっと積極的に地域に広報すべきではないか・・・というようなことだった。主催者としては耳の痛いところでもあるが、それはそれなりに毎日何もしないで怠慢に過ぎているわけでもない。変に食いついて波風がたつと色々ややこしいことになるので時を見計らって話題を変えることなどしょっちゅうの事だが、そこには、はじめから自分の世界と世間にズレが生じてしまって何かと協調できない最後の落とし所のようなものが暗黙のうちに緩やかに用意されていて、みんなそれなりにそんなもんだと納得してもらっているようなところも無いわけでもない。

今回の展示期間最後のワークショップが始まって終わった。
後半のワークショップは合計57人の性別年齢を問わない参加があった。
主催者としては(というより、オヤジとしては・・)回転率を上げて小銭稼ぎに集中するか、造形の旨味に反応してじっくり気の済むまで制作に集中出来るか・・・というそのあたりに講師もお客さんも共通の納得できるワークショップのネタを仕入れるか・・・まぁ、講師はそのくらいのストレスを持った働きはしてほしいな・・・などと、黒田の時は黒田を思い浮かべながら黒田しかない!と、そう思った(????)って、わかんねぇ〜だろぉなぁ〜・・・(注:黒田ー広島)
まぁ、坊主のはしくれとしては、制作中の時々に人の心を引き付ける話題がそれなりに網羅されていたなと思ったくらいであまり大きな完成の感動を共有するまでに至らなかったが、参加者のそれぞれはまぁまぁ満足していただいたようだ。

例年のように予算枠の中で諸々の外せなくて割愛できない作業が進むということもあって、搬出のドタバタもそんな感じ・・・で、この現代彫刻小品展に労を提供いただく県内彫刻家諸氏の皆様・・・とても助かります!
島根県内ごときでも、確実に彫刻好きな何処かの誰かとすれ違っている作家繋がりな現実の緩やかな拘束に我が身を積極的にゆだねなければいけないと感じつつ、彫刻発表を細分化して次の巡業展(巡回展)に出かける下準備をしている今日この頃であります。

IMG_2044.jpg
IMG_2035_201607242307121b6.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

現代彫刻小品展 ガラス絵ワークショップ 

2016/07/24
Sun. 06:02

今までのらりくらりと怠けていたツケが溜まって、現代彫刻小品展の開催期間中最大のピンチにオヤジの身体がついていけない。まったく、不甲斐ない自分が嫌になる。

動かない身体を騙し騙し起床したのは6時過ぎ。急いで着物に着替えて結界君へ飛び乗ってしばらく走ってから忘れ物に気がついた。引き返して、それで軽く10分のロス。
朝の8時から初七日のお経を読むことも滅多にない。慌ただしくおいとまして次の施主家まですっ飛ばしている間に着信があったが無視。
痛い足を引きずって年回の法事を始める。
200回忌と33回忌と23回忌の3つを1つにまとめての年回法事だから回向の読み上げも大変だ。
アクティブに行動しおしゃべりが止まらない元気なおばあさん3人を相手に、只ひたすら会話が途切れる一瞬を待つばかりでなかなか法事が始まらない。結局、予定より30分オーバーして法事修了。
大衣をそのまま雲水スタイルに切り替えて急いで結界君へ飛び乗って浜田市の展覧会場まですっ飛ばしたが、やはり30分遅刻してワークショップ開始の時間へ食い込んでしまった。

今年は浜田の次に島根県東部の奥出雲町横田で巡回展を開くことにしたから、ワークショップ講師を分散させるために後半の土日は自前ワークショップで対応することにしたのだが、それに万善寺の仏事が重なってしまって自滅した。
とにかく、ボクのゆるい人生で久しぶりの分単位の行動はかなり身体に応えた。

島根県のベテラン彫刻家松本さんが午後から受付を引き受けてくれたので、私はワークショップへ集中することが出来た。
広島から弱障害の子供達が団体で美術館を訪問していて、その数人がワークショップに参加してくれた。
「この子たちは少し頭に障害があるので出来るかどうかわかりませんので・・」
付き添いのお母さんなのか先生なのか職員なのかよくわからないおばちゃんが、そんな念押しをしてきた。
私は専門の先生でもないしタダのオヤシでその上筋金入りのナンチャッテ坊主だから、そんなことを云われても普通に自分が思うように出来るように対応するしか無い。
「・・・この黒い線のところをリューターで削ると白くなるんだ。何も傷をつけないところは透明のままだからね。黒が白になるんだよ。しっかり頭を使って考えるんだよ!」
別にその子が理解できなくても、何か手を動かせば何かが出来上がって、それなりの結果が出るからそれで十分楽しいはずだ。何もしないうちから、出来る出来ないを決められてしまっている子供が可哀想な気がした。
それから3時間の間に幼稚園前の小さな子どもからおばあちゃんまで30人のお客さんがリューターでガラス瓶と格闘した。
中学校の仲良し3人組は1時間近く、椅子とリューターを占領していた。なかなかの力作が完成したが、リューターの電池はヨレヨレになっていた。

IMG_2032_20160724072350d12.jpg
IMG_2026.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

現代彫刻小品展 猛暑の日々 

2016/07/22
Fri. 23:24

毎年、梅雨の時期から秋の彼岸までの間に万善寺周辺の各地で色々な仏様の供養法要が行われる。施主家個人でお願いされることもあれば、地域の自治会でお願いされることもあるし、講会の名残が数軒寄合ってお願いされることもある。
万善寺は起源が天台系の密教と縁があるようで、各種祈祷仏事を請け負ったりしていた。子供の虫封じや放牧して行方不明になった家畜の方位占いや身心快楽の祈祷などを頼まれていたが平成になった今では消滅した。
それでもかろうじて残っているのがこの講会(こうえ)法要である。中でも薬師講、観音講とそれに大師講で出かけることが多い。大師というと、ほとんどが弘法さんを言っていて、その弘法大師さんは真言宗の開祖さんだから曹洞宗の万善寺とは少しばかり縁がずれているようなところもあるが、田舎の山寺ごときでそのようなめんどくさい律儀のスジを通していても堅苦しい付き合いになってしまうから、「出来ることは何でもやりまっせ!」的な軽いノリで引き受けている。
弘法大師さんの御縁日は毎月21日と云うことになっているから、「できるだけその御縁日を目指して法要を計画されたほうが良い」と伝えてある。それでこの度も、21日の夕方から自治会内の祠にお祀りのお大師様を集会所へ遷座して供養法要を行った。この近年に世代が交代して大師講から抜けた家も数軒ある。講会を守っていらっしゃるみなさんもしだいに高齢になって夜の法要に出かけることが難しくなることもあって、参列の人数がしだいに減っている。塔婆回向で書く塔婆もこの数年で施主の名前が交代してきた。色々な状況の変化もある中で、和讃を唱えながら約30枚ほどの塔婆回向を唸った。

現代彫刻小品展の方は、日差しの暑さに負けてか、美術館企画展の宣伝不足か、はたまた現代彫刻小品展が飽きられたか、どのような原因かわからないまま集客が伸びないまま終盤を迎えた。浜田での展覧会も5回を迎えたからそろそろ潮時が来ているような気もする。

徳島の松永さんが美術館の視察も兼ねてはじめて浜田まで来てくれた。今までは暑い夏の時期はヨーロッパで避暑暮らしをしていらっしゃったが、今年はいくつかの抜け出せない展覧会があって日本を脱出できなかったそうだ。ステンレスを使った金属彫刻が専門で、日本各地に彼の野外彫刻が設置されている。小品の彫刻も手が込んでいて良い彫刻になっている。こういう安定した質の高い彫刻が展覧会を引き締めている。
福岡の難波さんが久しぶりに出品してくれた。主に鉄の線材を使った金属彫刻の作家でまだ十分に若いから、力でねじ込んだようなザックリとした具象的構成の比較的わかりやすい彫刻になっている。このタイプの彫刻は一般の取り付きも良くて適度に人目を引く。これからの展開が楽しみな若い作家である。
神奈川県の重田さんは学生の頃からよく知っていて、いまだに縁が耐えない数少ない知人の一人だ。そういうこともあって、日頃はジュエリーから彫刻まで幅広く発表活動をしている中で、この時期になると思い出したようにストックの彫刻を幾つか送ってくれる。忙しい人だから仕方がないが、だいたいほとんど〆切りを過ぎてから慌てた様子もなく電話が入ってくる。
「もう、とっくに〆切り過ぎちゃってたワ♡!まだ間に合うかしら??」
「はい大丈夫ですよ!重田さんのために〆切りを1週間ほど早く設定してありますから!」
何時までたっても可愛らしい女性らしい緩めの金属彫刻が会場を和ませている。

IMG_1762.jpg
IMG_1629_20160723032534d63.jpg
IMG_1697_20160723032536892.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

現代彫刻小品展 やわらかな石彫 

2016/07/22
Fri. 09:31

飯南高原には10ヵ寺近くの浄土真宗寺院と3ヵ寺の曹洞宗寺院と1ヵ寺の臨済宗寺院が残っている。昭和の頃にはそれに日蓮宗も浄土宗も寺院があったが、平成になって世襲が耐えて後を引き継ぐことが出来ないまま廃寺になった。私の小学校からの同級生には浄土真宗の寺の息子がいたから、1学年80名の子供達の中に私ともう一人のあわせて二人ほど寺の子がいた。学年を越えると、上や下の学年にも寺の子がいて、兄弟や姉妹をあわせると一つの小学校全体で10人前後の寺関係者の子供達がいたことになる。
島根県のド田舎辺境の地でも、あの頃は小学校全体で500人近くの子供達がいたから、その中で10人位は寺の子がいても不思議ではない。それに、町医者も内科や歯医者や診療所が揃っていたし、駐在所だって子供の行動範囲レベルだけで3箇所にあった。農林業に従事する家庭の子が殆どなったが、小学校へ通う子供達社会でもほぼすべての職種が集まっていたから、性格も考え方も生き方も暮らしぶりもさまざまに違って、それはそれは賑やかなもので喧嘩も耐えることがなかったがそれでもそれなりに仲良しでもあったと思う。
同級生の浄土真宗の住職のパパが93歳で入寂された。万善寺の憲正さんが昨年89歳で遷化だったから長生きであった。2日ほど前には万善寺の檀家さんのおばあさんが93歳で亡くなりそれに次いでこの度のこと。飯南高原の同じ自治会で一週間連続して葬儀がでた。お手伝いの皆さんは仕事も休んでさぞかし大変だったろうが、私も結構忙しかった。

葬儀に参列して午後になって浜田の現代彫刻小品展会場へ向かった。それなりに暑い日が続いているが湿気が無くて爽やかだから気持ちのいい暑さだ。

岡山の石彫作家小林さんは、この近年万成石を割ってくり抜く彫刻を造っている。外側は万成石の特徴がよくわかる肌合いをわざと残し、外からは殆ど見えない内側をセッセと磨き上げている。石の内面に見る人の気持が引きこまれていくような感じが面白い。確か、イサムノグチの納骨兼用墓石も万成石だったような気がするが思い違いかもしれない。
福光石の採掘権を持つ社長さんが勇退されて以来、福光石がなかなか手に入らなくなった。その親戚筋に当たる石彫仏師の坪内さんも福光石を繰り抜いた彫刻を出品してくれた。内側に紙を貼って照明を光らせている。一日の展示が終わってコンセントを抜くと、福光石がほの温かい。柔らかな石肌と坪内さんの穏やかな人柄がそのまま彫刻の温もりになっているようだ。
茨城県在住の石彫作家鈴木さんは、1年の制作の殆どを野外彫刻の大作に費やしていて、環境と密接に関連し、自然と融合した、そんな感じの彫刻になっている。定期的な個展には小品のオシャレな彫刻もあって、彼のセンスの良さが伝わる。彼の石彫からは、石の持つ硬質な威圧感や圧迫感を感じることがない。丁寧に叩きこまれて出来上がった石の曲面の連続とやわらかな肌合いに彼独特の世界観が凝縮された緊張感もあって、石の存在に引き込まれる。どちらかというとまだ若い作家だと思っているが、その力量は十分にベテランの領域に達している。今年の春には、数年ぶりに銀座の画廊で彼と話すことも出来た。こうして、田舎暮らしの吉田を忘れないでいてもらえてるだけでありがたいのに、自作の小品彫刻を提供もしてくれる。彼のような高いレベルの彫刻家が出品してくれているだけでも展覧会の質的価値が上がる。
午後から半日かけてやっと全彫刻作品の撮影が終わった。

IMG_2917.jpg
IMG_2927.jpg
IMG_1801_20160722092959fae.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

現代彫刻小品展 結界君大活躍 

2016/07/20
Wed. 23:25

このところ、結界くんが大活躍している。
一日のうちで、4時間近くは結界君と一緒にアチコチ移動している。

だいたい葬儀が終わると四十九日まで7日ごとにお経を読んでいるが、今日はその三・七日だったので、施主家まで出かけた。そのお宅は万善寺から結界君で2分程度のすぐのところにある。だが、石見銀山の四畳半でやることもあるし、今度の土日のワークショップの準備もあるから、今のところ吉田家を拠点に活動していて、結局片道45分の距離をそのお宅まで移動した。お経が終わってお茶が出て、それから墓石のことや満中陰の法事のことで相談を受けた。最近は・・・というより、すでに憲正さんの代から此岸に暮らすものの都合で法事の日程が決められる。だいたいが仕事の休みを調整して土日の法事になることが多いが、最近は親族の生活の拠点がしだいに遠くの都市部へ移動しているから、その日の朝の法事に間に合うように移動することが難しくなっている。そんな事情もあってこの度も午後からの法事になった。

そう言うような打ち合わせを済ませて、石見銀山へとんぼ返り。改良衣をいつものリーバイスとポロシャツに着替えて急いで浜田市の会場へ向かった。紺碧の日本海を右に見ながら、贅沢に山陰道を使って1時間弱で展覧会の会場へ到着。
受付にお願いしている奥さんと一緒にワイフが会場当番をしてくれていた。私が到着して少し後に、島根在住の作家ノリちゃんが到着してワイフを引き継いでくれた。
人手があるうちに彫刻作品の撮影を進めておこうと準備して二人に手伝ってもらった。
富山県の丸山さんは東京で展覧会が一緒になる時の飲み友達でもある。富山は金属鋳物の産地でもあって、彼はその原型を造ることをなりわいにしている。だから、彫刻も手慣れていてオシャレな情景を具象に仕上げることが上手い。こういう小品だけの展覧会にはピッタリの彫刻だと思って、随分前から出品依頼をしていたのだが、今年になってやっとはじめて自作を提供してくれた。
埼玉の高橋さんも具象彫刻の作家。優れたデッサン力と手慣れた表現力で、絵画的情景空間を作り出すことに長けている。デッサンで造形を組み立てる作家は、一方でそのデッサン力に頼り過ぎるようなところもあって、彫刻の保つ重量感のようなものが薄まってテクニックの上手さだけが目につくような彫刻になりやすいが、彼女の場合は、そのあたりの指先の勢いをサラリと滑らせるような軽さをグッと我慢して、トツトツと真摯に対象のモデルと対峙している。彫刻に時間と空間の溜めがあって、それがすごいと思う。
藤田さんは鳥取県出身で、現在島根大学の彫刻研究室で教鞭をとっている。全身教育者的な超真面目なひとだと、私は感じている。彼のような真面目さは私には皆無と言っていいほど持ち合わせていないので何かしらの用事で会うとやたらに緊張してしまう。木彫の作家は独特の職人的真面目さをもって素材に向き合っているようなところを強く感じるが、彼の場合も正にそういうタイプの人だと思う。

島根の田舎で優れた一流の彫刻を見る機会など、一般に普通に暮らしていたら一生に一度も巡ってこないだろう。そういう現実で、この現代彫刻小品展は貴重な展覧会に位置づいていると私は思っているが・・・さて、どうだろう?

IMG_1574_20160721042553e3c.jpg
IMG_1594.jpg
IMG_2951.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2017-06