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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

旧大森小学校教室彫刻展 

2012/08/01
Wed. 08:14

最近、彫刻がだんだん小振りになってきたように思います。

自分のことはもちろんだけれども、身近な周辺の彫刻家の彫刻をあらためて見てみると、この5〜6年の間に、やはり全体的にスケールが小さくなってきているように感じるのです。

くれぐれも誤解しないでいただきたいのは、彫刻が小さくなった事を否定している訳ではないということです。
むしろ、そのような傾向にあるのではないかという事を漠然と感じている自分に、自分が「それはどうしてのなのだ」と、問いかけていると云っても良いのかも知れません。

ひょっとすると、3年前から続けていて、この間一区切りついた現代彫刻小品展も、何となく、そのもう少し前から「小さな彫刻」の方へ志向が少しずつ変化していたのかも知れないと思ったりもします。
自分が彫刻らしきものを造り始めた頃は、何となく「デカイ仕事がしたい」とか、「一人で造ることの限界を見てみたい」とか思って、やたらと無理をしていたことがあって、話題が彫刻のことになると、ことあるごとにそのような考えを口走っていた時期がありました。
ちょうど、酒の席でもベテランの彫刻家の前でそのような話をしていたら、
「大きいのばかり造っていてもしょうがないよ。小さい彫刻を造って、それが大きく見えるくらいにならないとねぇ」・・と、そんなニュアンスの返事が返って、その時はその意味がほとんど理解出来ないでいました。
その後、やはりあの時の話を忘れる事がなかったのも、彫刻制作の重要なポイントの一つであることを教えてもらったのだろうというふうに感じたからだと思っています。

今度の三原谷のアートイベントでも、企画の一つに、「旧大森小学校教室彫刻展」を考えていて、そこに小品彫刻を20〜30点位展示してみようと思っています。
毎年制作して出品していた展覧会の美術館が六本木に移ってから、どうも居心地の悪さを感じていて、何か展覧会の居場所がなくて、何となく落ち着かないまま細々と出品を続けていましたが、三原谷へお邪魔するようになってから、少しばかりそのような迷いが晴れて来たようにも感じます。

この三原谷の話を頂いたオーナーさんは、そのご主人の実家でもある旧家を再生する事に数年の歳月をかけ、ひとまずそこで寝泊まり出来るまでの改修を終わらせ、その古民家をイベントの会場にバージョンアップさせたということです。
古民家は応仁の乱で京都から移り住んだ上級武士に端を発して今まで続き、すでに歴代当主は20代を越えるほどの旧家であり、名家であるとのこと。
500年以上も続いて土地に根付いた歴史は、とても重いものを感じます。
「旧大森小学校教室彫刻展」の彫刻テーマも、何かそのようなことへのオマージュと位置づけられたらいいなあと思っています。

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三原谷の川の風まつり2012実行委員会 

2012/07/31
Tue. 09:49

しだいに吉田家にもオリンピックの影響が忍び寄ってきました。

私個人は、彫刻展の報告書作成や、三原谷のこと、それに寺の盆準備と、次々に色々なことが重なって、気の抜けない日々を送っていて、ふと気がつくと夜も12時を回っていたりします。
そのような時間帯なのに、我が家のアチコチが明るかったりするので、一瞬まだ宵の口と勘違いしたりしますが、気がつけば、ワイフもキーポンも、それぞれ自分の用事などしながら垂れ流しのテレビでオリンピックを見たりしています。

そんな訳で、このところ夜更かしが日常になりつつあります。

三原谷で一晩お世話になった時は、真夜中の2時半にノッチから電話。
彼女の暮らす町の町内会のお祭りで屋台販売などして盛り上がっていたようで、その延長で電話をしてきたようです。
結局、私の携帯の電池切れまで夜中に大話しこいて、そのまま目が冴えてしまいました。

それから昨夜、またまた真夜中に電話があって、またまた盛り上がっています。
何事かと思ったら、こんどは友達とビアガーデンで飲んでたということ。
「そうやって不摂生をしていたら卒業制作も失敗するぞ!」などと小言を言っていたら、彼女にとってはそんなの序の口のようで、ここ数日、オリンピックで徹夜してるとか。
今のオヤジがそんな事してたら、すぐにぶっ倒れてしまいます。

アレコレ色々ありますが、ひとまず三原谷の第2弾。

三原谷は谷の幅が石見銀山の4~5倍くらいあるだろう、比較的広くて奥深い谷で、その自治会も2ケタになるようですが、それでもわりあい石見銀山と近い感じの暮らしが見えてきます。
その谷のほぼ中央に、今は廃校になった旧大森小学校が木造のまま残っていて、地域に暮らす皆さんが、その学校あとを活用してお祭りのイベントを始めてから5年以上になるようです。

元々は、三原谷の自治会の一つ、「須の谷」に実家のある都会の雑貨店(よく分からんが・・)のオーナーさんが、友達や身内や知り合いやおとくいさんなどを集めて小さなお祭りを始めた事がきっかけになったようで、それが数年の間に少しずつ谷じゅうに広がって、実行委員会も立ち上がり、助成金の獲得などもされ、自治会長さんの協力も得られ、だんだん企画が充実して、期間中の来場客も増え、行政にもそのような活動が受け入れられるようになり、そのうち行政協力も得られるようになって、今に至っているということのようです。

オーナーさんの方から吉田にその三原谷での田んぼアートの話が舞い込んできたいきさつは、長くなるので割愛しますが、とにかく、縁があって昨年から本格的にアートイベント部門の方で参加させてもらっている訳です。
まだまだおつき合いも浅いので、あれもこれも心得て、三原谷のみなさんの歯車の一つになれるまでにはいきませんが、実行委員のコアなメンバーのノリの良さとホットさにはジジイに近い吉田のオヤジ心をくすぐるものがあって、石見銀山からの片道4時間半の移動時間もワクワクしながら乗り切ることが出来ています。

今回のアートイベントは、幾つか提案させてもらった企画を修正しながら、現在4つの企画を練り直しているところです。
これから10月のイベント参加に向けて、順次彫刻の作家へ声掛けをしながら煮詰めていくことになります。
何とかキッチリ成功させて、三原谷のお父さんたちと美味い酒で盛り上がりたいものです。

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暑い熱い三原谷 

2012/07/30
Mon. 09:04

三原谷での準備会議に出席してきました。
いくつか提案させていただいていたアートイベントの調整を兼ねて出席させていただいたのですが、大計から細部に至るまで、とても順序立てられて不足のない話し合いが進められていることに驚かされます。

少し前の現代彫刻小品展や石彫ワークショップの「なりゆきやったごと打ち合わせ」とはえらい違いです。
いつも、20人前後の関係者が集まってこのような会議をされているから、遺漏のないイベントが10年も続けられるのだろうし、その実績の評価も周知されて、集客も上向きになるのだろうと、そんなふうに感心して帰路についたところです。

今回の収穫は、何といっても、地元竹野町で採石されていた青井石を提供していただいて石彫ワークショップすることが出来そうになったこと。
机上のイメージはいくらでも膨らますことが出来ますが、それを実現させるには、多くの協力がないと難しくなります。
そのあたりを心配していたのですが、三原谷のフットワークの軽いオヤジたちのノリで、こうして青井石の手配まで踏み込んでいただけたのが、大きな前進でしたし、また改めて気も引き締まったところです。

日曜日の朝早くに、その青井石採石場のすぐ側にある東石材店までオヤジたち4人で下見にお邪魔しました。
歩いて数歩の所には、「ワンワンビーチ」があって、犬も一緒に泳げる海水浴場がありました。
東石材店の「あずま」さんは、その楽しそうに泳ぐ犬たちを横目で見ながら、日曜日の朝から大汗かいて作業中。
「もうすぐお盆やから・・」ということで、今は日曜日もないほど大忙しの様子でした。

そういえば、島根も同じでもうすぐお盆。
万善寺は、まだ棚経のご案内もしていません!
・・・ヤバイ!

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三原谷の川の風まつり2012始動 

2012/06/09
Sat. 07:02

石見銀山でのワークショップが、あと1週間で始まります。
昨夜はその直前打ち合わせで、近場のメンバーが集まって情報交換をしつつ、最終の打ち合わせをしたところです。

同じ日は、「三原谷の川の風まつり」イベントの実行委員の皆さんが、それぞれの企画を持ち寄って下話をすることになって、私も昨年から彫刻の方でお付き合いをさせていただいているので、島根の用事を前や後ろにずらして、三原谷までとんぼ返りで行ってきました。
久々に往復500kmの長距離を走りましたが、この前のようにお巡りさんに止められることもなく、日が暮れる頃になって無事に石見銀山へ到着しました。

今年のおまつりには、あの「黒田征太郎」さん(みんな知ってるかなぁ?)が参加することになって、三原谷のほうは益々バージョンアップして盛り上がりつつあります。
島根の石見銀山から、兵庫の竹野町まで、9号線から178号線を経由して三原谷へ到着したのは、途中の通勤ラッシュとぶつかって、約1時間近くの遅刻。
会場の旧大森小学校では、すでに黒田さんのお話が始まっていて、前後の状況が上手に把握できないまま、約30分が経過。
ちょうどお昼のサイレンが三原谷の谷間へけたたましく鳴り渡って、それをきっかけに私が持ち込んだ今年の企画原案を説明させていただきました。

限界集落を抱える三原谷のアートイベントが、これから本格的に動き始めます。

確か、去年の何時かの打ち合わせの時も、鳥取辺りで大雨が降ったような気がしますが、今年も帰りの道中に降り続いていた雨が、石見銀山の自宅前に着いた頃には本格的な土砂降りになりました。
「ポカして、みんなに迷惑かけるんじゃないぞ!」と、天の神様に叱咤されているようなかんじでした。

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三原谷始末記最終回 

2011/11/11
Fri. 01:04

終わりよければ全て良し・・・ということで、
三原谷のイベント参加は、2日にまたがった搬出作業のしめくくりで、旧大森小学校玄関入口の両側に2点の彫刻を置いて帰ることになりました。

これで、兵庫県豊岡市竹野町にある、今は廃校になって様々なイベントや研修場として再出発した旧大森小学校と、島根県大田市大森町にある、大田市唯一の現役木造校舎大森小学校の、2つの大森小学校へ吉田の彫刻を置かせてもらうことが出来ました。

これも何かの縁だと、本人はとても喜んでいます。

関係の皆様のご厚情にあつく感謝いたします。
これから、何かと用事を作っては三原谷までチョコチョコおじゃまする口実が出来ました。
どうもありがとうございます。

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三原谷始末記その6 

2011/11/10
Thu. 07:02

彫刻家吉田の2011年行事は、三原谷の田んぼへの彫刻設置でだいたい一段落したかな・・という感じ。
設置から搬出まで全ての業務が終了してまだ10日くらいのことですが、ずいぶんと前のことのように思います。

三原谷では、確か5年以上は疎遠になっていただろうギャラリー風気の富森さんとも久々にお会いできたし、夜も遅くまで色々積もった話しをする事も出来ました。

島根へ帰ってから11月に入って、めずらしく万善寺の仏事が連日になって、その三原谷の報告事務処理が停滞してしまっています。
石見銀山や万善寺のあたりでは、あれだけ暑かった世間の秋もやっと平年並に落ち着いて、朝夕の肌寒さが実感できるようになりました。
チョット前まで半袖で過ごしていたのですが、さすがにそれも難しくなってきました。

この間、浜田のこども美術館の館長さんからメールが届いて、次回の小品彫刻展の日程が決まってきました。
これからは、その要項作成事務が忙しくなりそうです。

こうして毎日をチェックしてみると、暇にノンビリとのらり暮らしているわりには、結構マメに色々な用事を片づけているのだなあと他人事のように感心したりもします。

毎年、これから年末にかけて一年の溜まった疲れが行き場を失って絶不調の期間に突入します。
年々厳しくなって制御も難しくなっていますが、何とかしてノリ切るしかありません。
そんなわけで、今日はこれから一日、久々に工場へこもろうと思います。

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三原谷番外編 

2011/11/09
Wed. 07:06

三原谷のイベント「三原谷の川の風まつり」の時に、その第2会場になっていた「ギャラリー風来」の特設会場で見つけて、ワイフがとっても気に入って、今は彼女のおやすみグッズで手放せなくなってしまったそば殻100%の手造りまくら。

この間、久々に石見銀山の自宅でお昼くらいまでユックリできて、本当に、とっても久しぶりに朝ご飯の残りに自分で一手間かけたお昼ご飯を自宅で食べて、丁度ワイフも仕事で留守にしているし、そのそば殻まくらをチョットだけ拝借して寝心地を確認させてもらいました。

少年時代、まだまだ若かった万善寺老師夫婦の真ん中に入り込んで川の字で寝ていた頃に使っていたまくらを思いだしました。
その頃、なかなか寝つけないで布団の中でゴソゴソしていた私に、そば殻まくらをあてがって、
「そば殻の擦れる音を聴いてみなさい、すぐ眠たくなってくるから・・」
と優しく教えてくれたおかみさんを思いだします。

当時から、寺の方は稲作が盛んな農村地帯で、私が高校になって寺を出てからもしばらくの間老師夫婦が二人で小さな寺の田んぼを作っていました。
そのような環境ですから、まくらの材料はほとんどが籾殻。
日常使用ではその籾殻100%のまくらを手づくりしていましたが時々そば殻が手に入ることがあって、そのような時には、籾殻に30%くらい混ぜ込んだまくらを作り置きしたりもしていました。

籾殻は、ジャマなゴミが入り込むこともほとんどないので、古布で作ったまくら袋にザックリと入れ込んだらすぐ出来上がりますが、そば殻の方は、余分なゴミや蕎麦粉を取り除くのに何度も煮たり洗ったり乾燥したりして結構手間がかかったりもします。

籾殻まくらはいつまでたってもゴソゴソ擦れる音がかえって耳について寝つけなくなってしまったりもしますが、そば殻まくらの適度な音の感触は、なかなか味わい深かったりもします。

そば殻の音を聴きながらそんな昔のことを思いだしているうちにいつの間にか爆睡。
ヨダレがこぼれ落ちる寸前で覚醒。
かろうじて、ワイフのまくらを汚さないですみました。

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三原谷始末記その5 

2011/11/02
Wed. 05:06

久々に大騒ぎをした次の朝は、何食わぬ顔で変身の蕎麦職人三輪さんと、もう一人の三輪さんが近くの山の清水で作ったコーヒーが、アルコール洗浄された胃袋に心地よくスルスルと入っていきます。

そんな訳で、三原谷の地域には、「三輪さん」がとても多いのです。
名字で呼ぶとみんながふり返ります。
だから、実行委員を始めとして、三原谷に住む方々は爺さんになっても婆さんになっても、子供の頃のように「なまえ」で呼び合っています。

そんなやりとりを聞いていたら、吉田家も石見銀山の皆さんも似た様なものだと気がつきました。
我々市井に暮らす一般ピープルの底力はそんなお付き合いから始まっているのかも知れません。

やたら「先生」が飛びかって、「せんせー」のひと言でみんながふり返ってしまう世界もある訳ですから、世の中なかなか複雑ではあります。

そんなことをボンヤリと考えながら東へ向って三原谷をあとにしてしばらく車を宮津方面へ走らせて、日本三景の一つ丹後天橋立へチョット観光。
何より、観光船の往来に橋が回転する光景が感動ものでした。
それが見れただけでも天橋立へ来たかいがありました。
これで、日本三景の2つを制覇しました。
残るは宮城の松島。何とかクリアーしたいものです。誰か彫刻と一緒に呼んでくれないかなぁ。

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IMG_1364_20111029100741.jpg交流会の次の朝、島根から稲ハデ設置でイベント参加の皆さんも酔いざましのひと休み

IMG_1373.jpg一方、教室展示の作家諸氏は委員長の小山さんや蕎麦職人変身の三輪さんと朝から一杯

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三原谷始末記その4 

2011/11/01
Tue. 06:55

黄色いシャツが今回田んぼを提供してくれた三輪さん。
豪快な酒豪で吉田もタジタジ。

彫刻を設置したあとの交流会は、イベントの主催者や地域の関係者、参加のクラフトショップの皆さんなどが集まって、とても楽しいひと時でした。
このあと、二次会に続いて三次会まで始まって、色々な意味で三原谷の奥深さを感じつつ、フラフラになってワイフとキーポンの元へ帰着したのでありました。

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IMG_1203_20111029095658.jpg珍しく一杯飲んで上機嫌の女流彫刻家吉田満寿美

IMG_1221.jpg各地から集まった作家やクラフトマンの皆さん

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三原谷始末記その3 

2011/10/31
Mon. 05:43

家族水入らずで車中泊の朝、ワイフがゴソゴソ起きだすのでそれにつられて目を覚ますと、天気予報をしばし裏切って雲の切れ間から青空がのぞいています。

せっかくだからと二人で早朝の散歩をしつつ、彫刻達の設置状況を確認していたら鎮守の森の大銀杏の向こうに虹が架かってきます。
石見銀山の狭い谷ではなかなかこのような光景を目にすることがないのでとっても感激です。
早起きは何かにつけて得があるものだと実感した朝でした。

そのあとにわかにかき曇り、ザザ降りの雨になってしまいました。
山の天気は何処も同じのようで、一瞬で変わってしまいます。

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IMG_1292.jpg彫刻の田んぼの向こうが三原谷の旧大森小学校

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三原谷始末記その2 

2011/10/30
Sun. 07:30

石見銀山のあたりは、一つ一つの谷が狭いので、なかなか大きな重機の入る近代農法の田んぼに代えることが出来ませんが、三原谷の方は比較的谷が広くて奥深いので、コンバインを入れる事が出来る耕作地が各所に点在しています。

このたびも、その一つでイベント実行委員会のメンバーにもなっている三輪さん方の田んぼを借りることが出来て、彫刻の作品設置も、広々とした空間の中でノビノビと遠慮なくイメージの開放をすることが出来ました。

ワイフのインスタレーションは同行のキーポンもなかなか良い働きぶりで、トラッカー真ちゃんもセッセと手伝ってくれたりして、順調にはかどりました。

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三原谷始末記その1 

2011/10/29
Sat. 09:10

このところ早寝早起きどころか、徹夜に車中泊と移動距離数千キロメートルに及ぶ暮らしが続いていて、さすがのオヤジも疲れ気味。

今度もまた夕方から三原谷の方へ出かけることになるので、キーポンの部活送りをワイフに代わってもらって久々の朝寝をむさぼったところです。

この度の三原谷イベントも、早いもので最終日を迎えることになりました。
そろそろ記録をまとめておかないと、とろけた脳味噌のハードディスクが不具合を起こしはじめてしまうので、ひとまず前半部分をウエブディスクに移し替えておくことにします。

・・・といったわけで、まずはトラッカー真ちゃんの絶妙なユニックアームワークのおかげで、6点の彫刻とワイフのインスタレーションパーツをすべて積み込むことが出来ました。

夕方に先発した真ちゃんから三原谷到着の連絡が入ってから吉田家一家が石見銀山を出発。
途中、ワイフもキーポンも爆睡している中しばしも休まずドライブを続け、無事に早朝真ちゃんのトラックへ横付けすることが出来ました。

心配していた雨もそれほど気にならない状態で、ひとまず安心。
午前中かけてトラックから彫刻を降ろして、川向こうの田んぼまで移動しつつ設置作業を終了。

ワイフのインスタレーションパーツも地道に運んで夕方までには全ての展示作業が終りました。

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三原谷の川の風まつり速報 

2011/10/19
Wed. 00:40

三原谷の川の風まつりイベント「田んぼの中のミュージアム」へ彫刻家の吉田正純と吉田満寿美が参加させて頂くことが決まって早いもので3ヶ月になりました。

吉田正純は、野外設置の彫刻6点を移動予定で着々と準備進行中。
トラッカー真ちゃんとの打合せも出来ておおむね順調。

そして一方・・・
吉田満寿美は、只今昼となく夜となく制作真っ最中!
・・・という訳で私も、動員がかかれば昼となく夜となくお手伝い。

そんな訳で、現在の吉田家は、居間もダイニングも書斎も縁側も、それから天気が良ければお隣さんの裏庭も、吉田満寿美のインスタレーションパーツや助っ人が色々な所へ出没しております。

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三原谷旧大森小学校 

2011/10/11
Tue. 06:43

石見銀山には世間では極小規模校と言われている大森小学校があります。

まだ大田市の財政が豊かだった頃に新築や改築された学校がほとんどだった頃から、なぜか大森小学校だけがその対象からはずれた状態で、住民や保護者の陳情も虚しく、結局手付かずの木造校舎のまま修繕をくり返す程度の予算処置で推移し、そのうち行政の財政破綻がささやかれるようになり、ほぼ同時に世界遺産登録の話しがもちあがり、世間はそのことで盛り上がり、気がつけば、大田市唯一の現役木造校舎が世界遺産のど真ん中に残されていました。

その大森小学校のある石見銀山が世界遺産に登録されてそろそろ5周年を迎えるまでになりました。
その間、大田市では学校の統廃合が進み、現在、大森小学校どころか、同じ校区にある中学校までがその対象校になっている状態です。

私個人としては、住民人口の減少はそろそろ底を打ちはじめ、これからしばらく横ばいが続き、その間に何かのテコ入れが成功すれば少しずつ人口増加に転じるだろうと予測しています。
問題は、その「何かのテコ入れ」とは何か?ということですが、それを実践するのはやはりそこに暮らす住民が自ら動く前向きな取り組みしかないと思っています。
昭和の時代から続く行政依存の慣習はすでに機能しなくなっているように思います。

そんな石見銀山大森小学校事情ですが、あの「三原谷の川の風まつり」イベントが開催される兵庫県の豊岡市竹野町には、すでに廃校になった「旧大森小学校」が別の施設になって元気に生残っています。

旧大森小学校のある谷には、三原とか大森とか河内など併せて7地区の自治会が集まっています。
「三原谷の川の風まつり」イベントも、最近になって少しずつ各地区からの協力者が増えてきはじめ、その地域活性活動の拠点となっているのが旧大森小学校です。
各社各団体への協賛金を資金とした住民の皆さんの手づくりの活動が、やがて豊岡市長を動かし、味わい深い風貌と、地域で守り続ける旧大森小学校の現状に感動した市長の働きもあって行政協力が加わり、ここにきて旧大森小学校活用が徐々に活性化してきたようです。

私としても、このような地域活動を自分で具体的に見聞することはとても大切なことだと考えています。
彫刻の小品展開催地の候補としてどうかとも思っています。

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三原谷の熱い秋 

2011/10/02
Sun. 07:23

三原谷のイベントで彫刻の展示をすることが決まって、その後、いろいろと事務局長さんと連絡をとりあいながらスケジュールを調整してきましたが、10月に入ってその最終調整の会議が三原谷で行われることになったので、石見銀山での用事をすませて午後から豊岡の方へ出発しました。

島根県のヘソのあたりの石見銀山から、鳥取県の日本海側をひたすら走り、兵庫県北部の奇岩絶景の海岸に添ってしばらく走った後、少しずつ東南方向の山間部へ分け入ったあたりが三原谷。
この前の台風の被害が街道の其処此処に残っていて、そのすさまじさを垣間見たりもしたところです。

夕方から始まった最終の調整会議は、事務局長の絶妙な司会進行のもと、準備から撤収までのタイムスケジュールをもとに、一つづつ諸問題を解決し、イベントを通した出欠が確認され、担当が決まっていき、責任者からの経過報告や連絡があったりして、和やかな中にも緊張感の漂う、とても充実した調整会だと感じました。

出席の皆さんは、どなたも自分の暮らしや仕事をもちながら、色々工夫して無理を調整しながらイベントに向けた活動の時間を捻出していらっしゃる様子が手に取るように伝わってきて、そのような会に自分も出席できてとても参考になったし勉強になりました。
公私をわきまえた大所高所からの取組みは、とかく希薄になりがちな自治体や住民協調の今時事情に慣れていた私にとって良い刺激にもなりました。
やはり、現場を見なければ事は進みませんね。
机上の理論がやたらと飛びかって迷走ばかりしている何処かの国の誰かさん方とはえらい違いです。

ポンコツ君も珍しく軽快な走りっぷりで、帰りの車中はなかなか快適でした。
そのせいか、途中、大きな障害もなく、4時間足らずですんなりと石見銀山までたどり着くことが出来ました。

今回の「田んぼの中のミュージアム」は失敗できません。

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熱心な協議がすすむ三原谷の皆様

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三原谷のホットなオヤジ達 

2011/08/23
Tue. 07:36

ボーズ仕事の間隙をぬって三原谷へ行ってきました。

早朝4時出発→田んぼイベント企画会議→大栄町でスイカゲット(1500円)→夜7時半万善寺着。
寺に着くと待ちくたびれた老師夫婦のSF会話が炸裂し、当方チンプンカンプン。
お土産に奮発したスイカの影が一気に薄くなりました。

なかなかジジババの呪縛から抜けられません。

一方、三原谷のオヤジさま方もとても元気。

10月のイベントに向けて、田んぼの収穫の話しや、草刈りの話しや、強大な銀杏の木の話や、伊勢湾台風で流された大森小学校の話しまで色々寄り道して、絶妙な間合いを挟みながら、ひとまず、吉田の企画提案とイベントサイドの現実的問題点のすり合わせをキッチリすませ、田んぼの現地視察まで同行して頂き、またまた、お百姓さんのプロフェショナルな会話が飛び交いつつ、予定された時間を1時間半延長し、無事に1歩前進した会議となりました。

お寺のことも心配ですが、何とか三原谷イベントも成功させたいと思います。

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IMG_0133.jpg鉄橋から鉄筋コンクリートの橋に変った山陰本線の餘部
IMG_0138.jpgハワイ(トットリの)はどしゃ降り
IMG_0154.jpg久々の宍道湖は小雨模様

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2020-06