工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

モンカーダこじま芸術祭ーその2 

2017/02/27
Mon. 18:30

モンカーダこじま芸術祭がはじまった。
倉敷児島の旧野崎家住宅前、こんじんまりした公園スペースでは野外展示がされている。
展示作家は、岡山県在住の石彫作家小林照尚氏。同じく岡山県在住の草月流師範西本秋翆氏。島根県から内田紀子氏と、私吉田正純。

小林照尚氏の最近の石彫は、岡山産出の万成石をほぼ方形にザックリと加工して、それを幾つかのパーツに割ったあと、内部をくり抜いて磨き上げ、再度組み合わせて方形の原型に戻すという工法を繰り返しながら一見シンプルな彫刻に仕上げている。
形態の内面と外面の対比を構成表現させることで、見るものの感情や周辺の空間や、それらをとりまく視覚的感覚的情感を石の内部に引き込むように工夫されている。
造形としてのカラッポを用意することで空虚感を演出しつつ、一方でその内部空間に周辺を吸い込ませて、石の本来持っている無機的重量感に周囲から有機的質量が注入される。より凝縮された内空間をさまざまに想像させる、とてもミステリアスな彫刻であるように私は思う。

草月流師範の西本秋翆氏の真竹を使った空間構成は、竹の持つしなやかさを熟知してつくりあげる有機的な形態の連続が面白い。
彫刻界でも線材を多用した空間造形をよく見るが、面白いものでそのたぐいの彫刻は何故か女性の作家に多い気がする。
残念ながらまだ付き合いが浅いので、西本氏の竹作品をそれほど多く見ているわけではないが、草月流の造形物の中では比較的面的要素の強い形態が多いように感じる。
これは、ある意味で彫刻的な表現に近いところで造形が意識されているのかもしれない。
いずれにしても、野外での展示構成であることには変わらないから、竹の集積でつくられる人工の構造物がその周辺の空間とどのように関連されているかが造形の見どころであろう。

内田紀子氏の野外に設置された造形作品を久しぶりに見た。
彼女は、まだ10代の頃からよく知っていて、平面から立体まで、そして、具象から抽象まで、さまざまな素材を利用工夫しながら幅広い造形表現を展開している。
野外での表現は、やはり設置空間をどのように自分のつくりだす造形に取り込むか、もしくは、自分の造形をどのように周辺空間と対峙させるか、そのあたりのサジ加減が重要なことでそれが難しいと自分では思っている。
長い間みていると、彼女の場合は造形の取り組みが器用過ぎるきらいがあって、それが少し残念に感じる。
自分の工夫がもう少しじっくりと錬られたあとに何かしらの形へ置き換わるという、ある意味での「造形のタメ」のようなものが加わると良いと思う。

まぁ、自分のことを棚に上げていろいろと自分勝手に言いたいことを言わせてもらったが、このような発表の場が提供されて共有できているから言えることだけどね。

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モンカーダこじま芸術祭 

2017/02/25
Sat. 22:06

岡山倉敷児島での芸術イベントがはじまった。
吉田は、昨年に声がかかって今年で2回目の参加になる。

例のごとく落ち着かないまま午前中が過ぎ、私の野暮用もあったりして予定より30分遅れて石見銀山を出発した。
児島の旧野崎家住宅でオープニングイベントがあるのだが、それに間に合いそうにないまま、結界君を走らせた。

搬入の時にザックリと会場の様子を確認しておいたのだが、その後幾つかの作品が展示されて、良くも悪くもそれなりの芸術イベントらしい雰囲気ができあがっていた。
公共の場所を使った彫刻展示は、いつどんなことが起きるか全くわからないから、かなり神経を使う。
自分の彫刻は、もう30年以上野外の全天候に絶えられるように造り続けているから、だいたいどういう状況にも対応できると思うが、彫刻家の考えは人それぞれだから、彫刻家集団の一人として作品展示をすると、それなりに緊張する。
他人に丸投げして全てを任すまでの度胸もないチキンオヤジとしては、やはり、期間中の不具合が無いように自分の目で確かめておかないと気がすまないし責任持てなかったりして、児島へ向かったわけだ。

野外彫刻でいつも思うことだが、石とか木とか金属とか素材の種類は別にして、作家の住み暮らす地域と彫刻の形状は、やはりどこかしら環境と形態がお互い引き合う何かがないと、野外彫刻としての普遍性とか恒久性が失われる気がしている。
彫刻家の主観を環境の束縛でまげることになる気がしないでもないが、そもそもの彫刻美術の起源を意識すると、やはりお互いの関連は彫刻制作の大前提に起因する大事な要素の一つに位置しているはずだ。
技法テクニックがどうとか、造形の緊張感や完成度がどうとか、それ以前に、まずは彫刻の存在と環境の共有が確保できていることが大事なことだ・・・と、私は勝手にそういうふうに解釈して制作を繰り返し続けている。
たとえば、私が住み暮らす島根県の石見銀山と飯南高原をくらべても、あれだけ狭い世界で全く自然の環境が違っていて、一つの彫刻がどちらの環境でも同じように機能することがない。

もうかれこれ5年ほど前になるが、だいたいの予測をもとに、銀山街道と出雲街道の分岐点を起点にして、野外彫刻設置のデータ収集を目的とした実験を始めた。
近年はたて続けに暖冬と猛暑が続いて、平均的なデータを記録できていない気もするが、それでもこの数年の経年変化をまとめてみると、自分の造形イメージを補正するための要素の幾つかは収集できた気がする。
予想的中で成功したこともあれば、見事に失敗したこともあったし、何より、期待も予測もしていなかった新しい発見があった。
現在、その発見のデータを元にして次の何かへ繋げられないか模索中である。

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島根県高等学校美術展 

2016/12/12
Mon. 23:57

吉田のマニアックなブログをお楽しみの(??)皆様・・・長らく(・・でもないか??)お待たせしました!
本日より、満を持して再開いたします!・・・って、大げさなことですが、とにかく、このだらしない備忘録も、それなりに休んでしまうと、とろけた脳みそに記憶された時々の出来事が絶え間なく次々に消え去ってしまって、昨日のことを思い出そうにも相当苦労してしまうこともシバシバで、慢性の物忘れ症状が活性化してしまって、そのうち各所に迷惑をかけそうになりはじめて・・・そういう自覚がかろうじて残っているものだから、少しでも痴呆症状を食い止めようとささやかな期待を込めつつ、久しぶりにプチプチとラップトップのキーボードを叩き始めたところであります。

富山の事後処理(報告書作成)がもたついている間に、万善寺の仏事が絶え間なく入ってきて、昼やら夜やら、石見銀山やら飯南高原やら、島根県やら広島県やら、とにかく11月末から先週いっぱいはどうしようもなくせわしなく動き回っていた。気がつくと、結界君の燃料給油が2日ごとにやってきたりして、ジワジワと値上がりしている油代が吉田の家計を圧迫している。島根の過疎地の小さな山寺でも、さすがに1週間に一つずつお葬式が入ったりすると、何処かのブラック企業並みのかなりのオーバーワークになってしまう。私の老体もこの2週間で蓄積した疲労が回復しないままデスクワークに取り掛かってみたものの、どうもうまく気持ちを切り替えることが出来ないものだから、思い切って全ての用事を打ち切って四畳半へこもることにしたのが土曜日の午後からのことだった。

葬儀の一連の仏事が一段落して石見銀山の自宅へ帰ってから、久しぶりに深煎り焙煎のコーヒー豆を挽いた。セラミック製のギヤに砕かれる豆の音。手元から漂う香ばしい香り・・やっと人心地ついてメモ帳を開いたら「高美展」の文字がある。そういえばちょうど始まったばかりだ。週明けは七日努めが続くから行くのは今しかない。さっそく、ワイフと調整して土曜日の朝から益田へ向かった。
いつもは、松江の県立美術館が会場になっているが、今年の島根県高等学校美術展は益田市で開催される。
山陰道が少しずつ西に伸びていて、この数年の間に益田が随分近くなった。せっかくだから途中の浜田市で寄り道をして日本海の魚をチェックしようと提案したらワイフの目がキラリと光った。二人で満腹になるほど大きくて活きの良いカレイを買った。昼ごはん用にバカ安のにぎり寿司も2パック買った。葬式の斎膳に魚が出ることも期待できないし、ボクの胃袋は仏事の反動で魚を欲しがっていたのだ!

高校生諸君の美術作品はとても新鮮だった。ひところに比べると工芸部門の激減が気になった。絵画部門は油絵が小ぶりになった気がした。デザイン部門はたくさんのイラストに混じって手の込んだ細密描写が増えていた。今の高校生のブームなのかもしれないと思ったが、それはそれなりに彼らの粘り強さも伝わって好感が持てた。立体や彫刻は、技術レベルがどうこう云うより、高校生らしい遊び心があって楽しめた。なんでも上手いだけが全てではない、高校生にはたった3年間のその時でしか表現できない何かを真っ直ぐに追いかけてほしいと思う。大人の古臭い分別はいらない。

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カニ食うかい? 

2016/11/26
Sat. 14:24

彫刻家の皆様・・・           島根県現代彫刻振興委員会 代表 吉田正純

島根県の富山町は、少しずつ冷え込んできましたが、まだまだ例年に比べると暖かい日が続いています。

2016年の島根県現代彫刻振興委員会の事業は、この富山町で全ての美術イベントを終了することが出来ました。
7月の浜田市世界こども美術館での現代彫刻小品展
8月の奥出雲町旧ガラス工芸館での現代彫刻小品展
それに、11月の大田市富山町でのとみやま彫刻フィールドアートワーク

2010年に石見銀山でスタートした現代彫刻小品展は、2014年の5回展で終了し、2012年に浜田市でスタートした現代彫刻小品展は、2016年の5回展を迎えて一区切りついたところです。
2015年からのとみやま彫刻フィールドアートワークは、2回目を迎え来場が一気に昨年の3倍となりました。もっとも、10人の3倍の30人と、100人の3倍の300人では、あまりにケタの開きがあって比べ物になりませんが・・・人口約400人ののどかな里山が広がる農村地帯としては、なかなかの集客になったのではないかと思っています。
これから、年末年始の坊主家業のかたわら、これらの事業報告を図録にまとめることになります。

彫刻の出品参加でご協力を頂いた作家の皆様に、心より感謝いたします。
今後当分の間、奥出雲町での彫刻展と富山町での美術イベントに集中しようと思っています。奥出雲町は、たたら製鉄と仁多米ブランドと雲州そろばんの産地であり、そば処でもあります。また、富山町は「空に近い町とみやま」として、棚田の広がる里山の風景が彫刻の借景で絶景です。

吉田の体力や気力がある間は、彫刻が島根県に根付く美術活動継続に務める所存です。
皆様のご協力をお願いします。

告知:とみやま彫刻慰労会「カニ食うかい?!」を開催いたします。
お近くの彫刻家は前向きに参加をご検討ください!
内容:カニ(紅ズワイガニ)猪肉・手造り燻製他
   酒・食材・料理なんでも持ち込み大歓迎!
期日:12月16日(金)
時間:17:00開宴〜エンドレス
会費:1000円、但しハンドルキーパーとお子様は無料
会場:富山町旧富山小学校一階ランチルーム
申し込み〆切:12月12日(月)
問い合わせ・申込先 吉田正純 090−1688−7543 tetujin29@gmail.com

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旧富山小学校多目的スペース 

2016/11/15
Tue. 21:39

幼稚園実習中のキーポンが、ほぼ徹夜をした。
もう少しで20歳の誕生日を迎えるくらいの年齢だから、徹夜くらいのことで特に心配しているわけでもないが、昔の自分の頃のことを思い出すと、勉強で徹夜をするのは、せいぜい高校の定期試験で一夜漬けするときくらいのものだった。
真夜中に寝ている私の隣でゴソゴソし続けるものだから、そのたびに目が覚めて大きな迷惑だ。そういえば、ノッチもまだ学生の頃、課題制作や卒業制作で徹夜をしていたようだ。記憶をたぐると、吉田家の娘達はそれなりによく勉強をしているということなのかもしれない。ワイフだって、いまだに毎回彫刻の制作になるとよく徹夜をしている。彼女ほどのベテランでもそうなってしまうということは、どちらかと言えば吉田家の女性方は計画性に弱くて要領が悪いというだけのことなのかもしれない。

平日の方がシフトの関係で休みやすいからといって、もう2ヶ月くらい前から法事の日程を問い合わせていた施主さんとの最後の会話が富山のイベントの真っ最中だったので、具体的に詳しい会話に至ることもなくその日だけは開けておくと約束してそのまま過ぎた。なんの連絡もないまま約束の日の前日になったので一応抑えの電話をしてみたら、法事の有無もハッキリしないままどうしようか悩み始めた様子なので、「それじゃぁ、10時始まりということで・・・」と、強引に予定を決めて電話を切った。

どうも、私の周りには優柔不断で成り行きに準ずるキライの諸氏が多くて会話の落とし所の判断が難しくて苦労することが多い。他人のことでどうこう言えるほどの立場でもないが、暇は暇なりにソコソコ大事な用事が無いわけでもないので、自分を中心に据えたスケジュールは結構マメにチェックして調整をしているつもりだ。それでも、相手の事情やその時の予期せぬ事情が入り込んだりすることもあるから、それも含んだアバウトで緩やかなスケジュールを組み立てているところもある。
これから一眠り居て徳島の彫刻を受け取りに出かける。深夜に島根を出発すれば朝には徳島入り出来るはずだ。それで、1日を四国で過ごして夜になってから島根へ帰るように予定を立てた。

週末には、富山の教室展示を開放することになっていて、日曜日には富山町の文化祭があって、町内の皆さんに教室展を見てもらえる最後のチャンスになる。
それが落ち着いたら個展作家と調整して搬出の作業に入る。約50点ほどの小品彫刻の梱包もあるし、11月はまだまだ落ち着かない毎日が続きそうだ。自分で言うのもどうかと思うが、小品彫刻の展示だけでも一見の価値は十分にあるし、吸収できるポイントは限りがない。それだけ、島根の彫刻文化の領域が広がりに欠けているということだ。
アマチュアの趣味が高じたレベルも含めて、島根県内で活動している多くの造形作家たちは、もっと自分の造形に対して謙虚であるべきだ。もっと素直に、良いものは良いとして個々の表現を受け入れるほどの許容がないと自分の表現領域も広がり深まることがない。
「井の中の蛙大海を知らず」とは、日本の格言であるが、それが中国になると「海」が「空」に言い変わるそうだ。同じ意味でも、所変われば表現が違う。
待っているだけでは自分の世間は広くならないと思うな。

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教室個展〜竹田茂〜 

2016/11/14
Mon. 18:47

午前中に幾つかのデスクワークをして、お昼前からSNSにとりかかって、そうこうしているあいだにワイフが午後からの仕事へ出かけていった。
吉田家の中は、だいたい常識的な11月の小寒い空気が漂っていたが、昼間からストーブを焚くほどのことでもない。

午後のティータイムが始まったのだろう、上隣の改築中の町家が静かになった。大工工事に入って4~5ヶ月にもなるだろうか・・・?石見銀山の町並みは、世界遺産のど真ん中でもあって、約1km続く町家の増改築に結構厳しい規制が入る。日頃から町の住民は窮屈な思いをしながら暮らしているが、慣れてしまえば、「まぁ、そんなもんだろう」程度に、日常の不便と上手に付き合いながら暮らしているところもある。もっとも、すぐ隣で大工工事が入るとなるといつもより暮らしにくくもなって、狭い町並みでの駐車場の問題や、工事重機の出入りや廃材の始末など、かなりのストレスになったりする。吉田家も、上隣の工事重機が家の裏を通ることになって、昔からあった隣の庭石もいつの間にかそのまま吉田家の裏庭へ積み上げられて放置されていた。特に裏庭を整備するような計画もないし、そのままそんなもんだと片付けてしまえばそれで良いことだが、とても人力では動かすことの出来ない庭石の山を見た時は、今後もあの庭石の御陰で草刈り刃のチップが欠け飛んで行くのかと思うと若干憂鬱になった。

石見銀山の町並みへ出ると、小雨が降っていた。それでもどこかしら生ぬるく温かい。富山へ移動している途中から雨が激しくなった。雲が低いせいか、まだ夕方には間があるはずなのに対向車がライトを点灯している。小学校の用事を済ませてからキーポンをピックアップした。

教室個展の竹田茂氏は家族ぐるみのキャンプ仲間だった。もう30年も前のことになるだろうか・・まだ二人とも若くて子供も小さかったからとても楽しい思い出になっている。
教室個展には、できるだけ作家歴の若い人を見つけるようにしているが、それでどこかしら不安なところもあって、核になる安定したベテラン作家に協力してもらっておくと気持ちが落ち着くところもある。昨年は、彫刻の大作を集めて教室グループ展と、島根出身の絵画の大御所の作品を集めた展覧会に仕立てた。
それはそれで良かったのだが、せめて教室の個展は平面の作家に集まってもらったほうが立体と平面のバランスが良いような気がして、今年は竹田さんのお世話になった。特に改めて何も言わなくても、自分で何かしらテーマを決めて教室を仕切ってくれるだろうと思っていたが、やはりその通りで、密度の高い個展会場に仕上がった。
彼の絵画は、限りなく不定形の立体なところが特徴で、今ではそれが彼の絵画作品の特徴にもなっていて、知る人ぞ知る存在でもある。それはそれで、ある意味あらかじめ答えの用意された安心感も漂ったりするのだが、一方で、彼の制作の軌跡を大きく逸脱したような破壊や挑戦も観てみたい気がして、今回の個展にそういう期待感も意識していた。
さて、そのあたりのこととなると、これはお互い一杯やりながらじっくりと会話しないとややこしいことになりそうなところもある。いずれにしても今回の発見は、彼の展示の工夫にも増して醸し出す色彩の組み立てがとても魅力的に感じた。今のモデルに古き良き自分の少年時代の文化を感じた。

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教室個展〜本池文乃〜 

2016/11/14
Mon. 11:42

飯南高原は、さわやかな秋空が広がった。
11月に入って、農繁期も少し落ち着いて、そろそろ年末も近づいて慌ただしくなる少し手前のチョットだけ気持ちが緩やかになった頃になると、万善寺の檀家さんが一気に法事を始める。
だいたいが、寺の仕事で年間のスケジュールが決まることなど片手でもあれば十分なほどの数しか無くて、あとはお檀家さんの都合でその日その日を調整していくしかない。
まぁ、そんなわけで土曜日から日曜日にかけて3つの法事を済ませた。
さすがに日曜日の夕方に石見銀山へたどり着いた頃は、もうグッタリとして何もする気になれない。坊主はジッとして動かないのが仕事のようなものだから、この2日間で完全に身体が固まってしまって、立つも座るもそのチョットした動きで身体のアチコチに痛みが走る。やたらとウンウン唸っていると、キーポンが珍しく背中を押してくれた。背骨がボキボキ鳴ってヨダレが出そうになった。それから、腰のあたりには常備薬のサロンパスをペタペタと貼ってくれた。持つべきものは優しくて可愛い娘に限る!

土曜日と日曜日は富山の小学校教室展を観ることが出来るようになっている。前記のような事情で受付が出来なくなった。それで急きょ、教室個展の竹田茂氏と内田紀子氏がそれぞれ1日ずつ受付代行してくれた。来場は2日で7人。昨年はゼロの日もあったから人口400人静かな山間の町も、この彫刻イベントで少しほど認知され始めたのかもしれない。
そもそも、児童数が減ったからという理由で廃校になったような小学校のことだから、一般的にそういう地域は、世間に忘れられてしまっているといってもいいくらいのところだ。そういう、誰も来ないような場所でわざわざ彫刻のイベントを企てるというところからして物好きなものだと思われても仕方がないことだ。一方富山には、そういう彫刻に縁がなくて現代美術のカオスにハマることのない限りなくピュアな世界が広がっている訳でもあって、私には、そちらのほうが狭苦しいギャラリーや堅苦しい美術館がひしめく都会の文化街に比べたらずっと魅力的に見えてしまうのだ。

本池文乃氏は、鳥取の出身で、島大の新井研究室を経由して、現在は鳥取の確か中学校で子供達に美術を教えているはずだ。山陰のグループ展で彼女の絵画をはじめて見て、何かしら面白い方向性のようなものを感じて個展の声をかけたら、しばらく悩んだ末にOKの回答を得た。回答までの停滞した時間は、新井氏をはじめとした研究室やその周辺の友人諸氏に個展の相談を繰り返していたのかもしれない。
結果的には、今回の教室個展で今までにない表現の方向性が出たような気がして、面白い会場が出来上がったと私は感じた。この表現が今後どのように展開していくのか楽しみでもある・・・ということは、今回の個展は、まず造形作家の第一歩というあたりか・・
わからないなりに、ジタバタと何かを組み立てていれば、そのうち何かがひらめいて形になっている・・といったあたりがまずは大事なことだ。汗もかかないで机上の理論を組み立てて崩してばかりいても結果は見えない。まずは行動するということが大事なことで、それで掴んだ方向性もあれば、それで失敗した表現もあるはずだ。
これから彼女には造形表現の分からないことがたくさんつきまとってくるだろう。その悩み事の開放が次の表現の厚みに変わればいいことだ。

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教室個展〜坂野歩〜 

2016/11/12
Sat. 17:03

坂野歩さんは、島根県の川本町出身で、現在京都に住んでいる。
私と同じ鉄の彫刻家でもある周藤さんが川本の高校へ勤務していた時の生徒さんだったはずだから、まだけっこう若い。それでも随分前のことになるから、どのような経緯で私と親しくなったかというあたりのことはあまりよく覚えていない。受験勉強の時に彼女のデッサンを見ていたような気がする。付き合いというとその程度のことだが、なんとなく人懐っこいところもあるし、時々思い出したように連絡もしてくれるし、それなりに気になる娘で、付かず離れずの付き合いが続いている。

彼女が沖縄の芸大で勉強していた頃は泡盛を持って帰ってくれたこともある。その沖縄で日本画の技法を習得して、その縁もあってか、あの世界的に有名な島根の足立美術館へ就職した。
彼女が勤務している間に一度は美術館へ行こうと思っていたのに、それが叶わないままサッサと京都へ移住してしまった。
時々届く個展の案内を見て、制作を続けていることはわかっていたから、富山町の企画のことを少しほど説明して教室個展に誘ってみると、しばらくしてOKの返事がきた。生活の拠点が京都だし、展覧会をはじめる前に会場の下見をすることも難しいから、メールのやりとりで教室の様子を伝えるくらいしかできなかった。

富山のことは、基本的に彫刻主体の企画であるから、教室個展はできるだけ平面の作家を選んで声をかけるようにしている。そのあたりの隠された狙いはあるが、それを語ってどうなることでもないので割愛しておく。結局は、美術文化に縁遠い島根の片田舎で、ソコソコなレベルの現代美術を幅広く体験できるというあたりに旨味があるのだよ!・・・と、自分では意識しているところである。

坂野歩さんは、会期の前半2日間ほど会場当番をして京都へ帰っていった。
最終日に、島大の新井氏が訪ねてくれた。
彼は、確か私とほぼ同じくらいの年齢のはずで、島大教育学部で絵画の研究室を持っている。学生さんの面倒見もいいし、大学を離れても縁を絶やさない付き合いが出来ていて吉田的にはもちろん作品も含めて彼の人柄を特別な美術家として意識している。その彼が、坂野個展の作品技法にいい感じで食いついていた。
日本画の技法というより、画材のテクスチャーが彼にとって新鮮に感じたのかもしれない。
坂野さんの絵画は、俗に言う日本画独特の世界観を意識させないところに不思議な面白さがあってそれが魅力にもなっている。彼女の制作テーマの何処かに私的な情感を強く含んでいるからかもしれない。
暮らしの生業は学芸員であるようだから、それはそれでかなり大変な仕事であるだろう。限られた時間で作品制作を継続することはなかなか難しいことだろう。
なんでもかんでも大作がいいというわけでもないし、手頃なサイズの小品でも自分の世界観を表現することは出来るはずだ・・・が、大は小を兼ねることは出来るものの、小が大を兼ねることはなかなか難しいものでもある。
坂野さんには、これからも生涯作品制作の道を捨てないでもらいたいと思っている。

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教室個展〜内田紀子〜 

2016/11/11
Fri. 14:08

旧富山小学校1階の片付けがやっと終わった。
午前中で終わらせようと働き通したが、お昼を回ってしまった。

こうして小学校の校舎に通い続けていると、これだけの施設や設備がまったく機能しないまま毎年が過ぎていることのもったいなさを痛感する。教育委員会や行政の考えだと、色々な建築上の問題を改善する見込みがつかないから、通年の貸出ができないのだそうだ。想定外の災害などで被害が出た時の責任が持てないということのようだ。お役所仕事というのはこういうタテマエ上の堅苦しいところでスジを通しておくことの方が大事なのだろう。

当初の予定では、1階にあるノリちゃんの教室個展は、富山町の文化祭までに撤収することになっていた。それが、まちづくりセンターの調整もあって、せっかくの展示だから文化祭のお客様にも観ていただこうと言うことになって当日まで据え置くことが決まった。それで小品彫刻の第1展示会場の教室とワークショップで使ったランチルームを復元するだけですんだ。
ほんの1週間前にはあれだけたくさんの人で溢れていた場所に、今は自分一人しか居ない。なんとなく寒々しく感じるのは気候のせいだけでもなさそうだ。

ノリちゃんの個展は、小学校の下駄箱や掲示板や黒板などを上手に使って空間との調和がとても丁寧に工夫されている。
どちらかといえば、この数年間は彫刻というか立体というか、そういう傾向の作品が多かった。もともと彼女は幅広い美術的センスを持っていて、なんでもそれなりに器用にできるタイプの作家だ。こういう人は、制作の方向が定まるとあまり迷うこと無く一気に勢いで乗り切ってしまうようなふうに思う。今回も、個展会場になる教室の床に素材のあれこれを広げて夜な夜な制作に励んでいたようだ。そういうことが出来るのも、比較的自由に使いまわすことのできる展示空間があるからだと思う。これが、何処かの公共の美術館だったり街のギャラリーだったりすると、厳しい条件が重なったりして自分の表現が素直に思うように組み立てられないかもしれない。廃校になった小学校の教室がノリちゃんのような作家の個展で生き返ったような気がした。

最近のノリちゃんは子育ても一段落して、学生の頃に専攻していた造形の方向性のしがらみも凡そこなれて、ある意味で素直に自分の表現を開放できるようになってきたような気がしていた。
立体とか平面とか、そういう狭い世界にこだわらないで、自分がその時にやりたいことを素直に表現できればそれが一番いいと思う。今は、そういう制作と発表の場数をこなして表現の領域を広げる時期なのかもしれない。そしてもう少し美術環境が充足した展示空間を自力で探すことも大事なことだと思う。
ノリちゃんには、造形作家として表現の厚みを持ってほしいと思う。
自分の作品を理屈で語ることもそれなりに大事なことだと思うが、彼女のような器用な作家はもっと恒久性のある造形の工夫もするべきだ。

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とみやま彫刻フィールドアートワークのお知らせ 

2016/10/08
Sat. 22:21

石見銀山は冷たい雨が激しく降っている・・・って、ほんとうに冷たいかどうかわからないけどね??
何せ、現在私は半袖Tシャツ一枚にパンツ一丁というスタイルで、キーボードをプチプチ叩いているのです。
まったく、すでに10月も1週間を過ぎたというのにいまだに扇風機を回しているのだ。

午前中は、キリスト教高校へ雪駄スタイルで出かけた。
美術の授業らしきことをしているのだが、生徒たちは喜んでいるのかつまらないのか、どうもよくわからない。10月から後期に入って履修も変わるらしいが、ひとまず前期に選択していた男子2名がそのまま引き続いて残っていたから、吉田の人気も全く無いわけではなさそうだ。
日当は◯◯◯円ほど出る。だから一ヶ月に二日ほどは少し贅沢な昼ご飯をすることにしていて、今日はワイフもいないしとみやま彫刻フィールドアートワークのデスクワークも残っているから、思い切って国道沿いの食堂へ入ってカツ丼を注文した。9月に入って彫刻の制作で工場通いが続いて、三度の食事も変則的になって食べたり食べなかったりしていたら、胃袋が少しずつ小さくなってしまったようで、どんぶり一杯のご飯を食べると動くのが辛くなるほど満腹になった。身体にとっていいことなのかどうなのか良く分からないが、全く痩せる気配もなくて体重も減らないから、食が細っても栄養だけはそれなりに吸収できているようだ。

先ほど、遅れに遅れていた広報ポスターやチラシの原稿がやっとカタチになった。
いつもの印刷屋さんへメール添付にして原稿を送っておいた。来週になったらオペレーターのお兄さんが吉田のいい加減な原稿をせっせと手直ししてきちんとした印刷原稿に置き換えてくれるはずだ。
これからシャワーして一眠りして、ワイフの車で東京へ向かう。
高速料金と車の燃料代とボクとワイフの燃料代で、結局高速バス料金の2倍以上の出費になるが、ワイフの実家へのお土産や、その他もろもろと、あまり気にすることもなく荷物をいっぱい積めるし時間の拘束も無いから、それはそれで気楽な旅になりそうだ。
旅のお供の音楽は、最近のクラウド事情でずいぶんストレスが無くなった。問題は活字媒体の方だが、今のところ、群さんのエッセイと半村さんの小説の2冊くらいをカバンへ入れておこうと思っている。
毎年この時期は旅の空がほとんどで、一月の半分も島根県にいない。自宅でのんびりゴロゴロしているよりはずっと神経も疲れるし、肉体疲労もたまるから、体調の管理は慎重にしないといけない。歳もそれなりにとってきたしこれからの数日は無理をしないようにゆっくりと行動しよう。
日曜日の夜にはワイフの実家に到着するはずだ。それから六本木の彫刻展示があって、彫刻部の懇親会もある。周藤さんが会員になって初めての年だから、懇親会を欠席するわけにもいかないだろう。
ワイフには、絵画と合同のオープニングで仕事が割り当てられているようだ。
私は気楽なもんだから、ノッチでも誘って夜の居酒屋へ繰り出そうと思っている。

2016とみやまチラシ (1)
2016とみやまチラシ裏

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始動!とみやま彫刻フィールドアートワーク 

2016/10/03
Mon. 22:33

とみやま彫刻フィールドアートワークが動き始めた。
今年のメインは昨年に引き続いての「ものつくり教室」と、新企画、竹オブジェ公開制作。
竹オブジェは、岡山県在住草月流師範の西本氏にお願いして、会期中に会場になる旧富山小学校周辺野外の一角で公開制作をしていただく。作品に使用する竹のこととか、作品の設置場所のこととか、協力スタッフのこととか、そういう色々な幾つかの条件を話し合うために、事前打ち合わせを兼ねて富山町まで来てもらった。

10時現地集合の予定通り、だいたいそのくらいに到着するとの連絡が入ったので、石見銀山の自宅を出発した。
「今、○○のあたりです♡」
しばらく結界君を走らせていたら電話が入った。まったくトンチンカンな場所だったから、「さては、道を迷ったな・・・」と思ったが、そのまま聞き流した。
狭い日本の狭い島根県の片田舎程度のことだから、せいぜい1時間も待てばそのうち到着するだろうと思っていたが、30分位遅刻して到着した。よく出来たほうだと思う。

富山町のセンター長さんや、自治会連合会の会長さんなどと書類上の説明や打ち合わせをして町内の現場視察に入った。
富山町は、大田市の中でも比較的高地にある。そのほぼ中央に要害山と呼ばれているおむすびのような山が突き出している。その山は昔山城があった。石見銀山の銀を我が物にしようと豪族や大将が戦を繰り返していた戦乱の激戦地でもあった。今は水田と畜産が主な産業になっていて、支えているのはリタイヤした高齢者の皆さん。
富山町も、島根県の他の地域とだいたい似たような農村地帯であるわけだが、少し違うのは、比較的整備された棚田が多く残っていて、実際に稲作で機能していること。春の田植えの時期から秋の刈り入れまで、富山の谷に広がる水田の風景が実に美しい。
私は、かれこれ5〜6年くらい前にこの富山町の棚田を見る機会があって、それでひと目で惚れてしまった。それから、毎年事あるごとにコツコツと通い続けて、やっと昨年から彫刻のイベントを具体的に動かすことが出来るようになって、今年で2年目を向かえる。
人口約500人のいつもは静かなこの地域で彫刻のイベントを開催することで、その期間だけはほんのすこしほど人が動き賑わいが広がる。

現在、野外彫刻は3人の彫刻家の4点の彫刻が町内各所に置かれてある。小品の彫刻は野外彫刻を置かせていただいている地権者のお宅に一つずつ差し上げた。宿泊や会期中の事務所でお世話になったお寺にはワークショップで制作した石のお地蔵さんを安座させてもらった。
ひょっとしたら押し売りのような大迷惑の行為になっているかもしれないが、今のところ強烈なバッシングも無いし、どちらかといえばそれなりにさり気なく受け入れられているのではないのだろうかと都合よく前向きに解釈させてもらっている。

ついでだから、西本氏御一行には帰りに石見銀山を経由して、若干の観光と、「モッタイナイス展」を観てもらった。自分としては、濃密な1日になったと思っている。

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彫刻の秋 

2016/09/30
Fri. 22:40

ほんとうに雨の多い9月だった。自分の人生でここまで雨ばかりの9月は覚えがない。
自分にとって、9月は1年のうちで1・2を争うほど重要な1ヶ月になっている。
お盆が終わってギリギリまで万善寺の寺務を引っ張って、限界の日程を調整して彫刻の制作に入るという、気持ちの切り替えがとても難しい1ヶ月でもある。

奥出雲の彫刻展のこともあったりして、まだ、8月の流れで気持ちの切り替えがうまくいかないでもたついていた頃、具象の彫刻家から今年の秋の六本木は彫刻が出品できそうもないという内容の電話が入った。
詳しくは話もしないし聞きもしなかったからわからないが、とにかく体調不良が長引いてしまって彫刻を造る気持ちになれないということだった。長い人生、誰にでもたまにはそういうこともあるだろうから、私としてはだからどうこうと意見らしきものもないまま、心を込めて「おだいじに・・ね♡」と云っておいた。

鳥取の倉吉在住で、すでに90歳を越える老彫刻家が今年の六本木は出品できないことになった。右か左かどちらかの肩か肘か、どこかそのあたりを脱臼して腕が動かないことになってしまったらしい。もうかなりの高齢だし、若い頃のように身体の無理も効かないから、まずは自分の健康を大事にしたほうがいい。こうして、1年のあいだに何かしら色んな出来事があってそういうことと上手に付き合いながらコツコツと何十年も制作を続けているわけだから、やはりいずれは自分の肉体の限界が見えてくるときもあるだろう。十分に静養して心身ともに鋭気を養って次の一作を目指して欲しい。

島根搬入の前日になってすでにベテランの域に達しているはずの木彫作家から「今年は彫刻出品できません・・」と、不出品の連絡が入った・・・という知らせが搬入出の業務担当経由で入った。
秋の彫刻展出品で特に私がすべてを仕切っているわけでもないつもりでいるのに、何故かそれぞれの都合伺いが回ってきて、それなりに了解しながら善後策を決定したりしているところもある。
島根県に限れば作家歴は長い方だから、それで頼られていたりするのかもしれないが、そうであるなら直接吉田宛に不出品の意向を伝えれば済むことだと思ってしまったりもする。

今年の夏はやたらと暑くて、私もいいかげんヨレヨレでかなりバテた。よっぽど体調管理を上手にしておかいないと身体の不具合も出てくるだろうし、そのことで彫刻制作の気持ちも萎えることだって十分考えられることだ。
暑ければ暑いなりに「そんなもんだ」と思えば、自分の心身もそれなりに気楽に周辺の環境へ慣れてくれる・・・と、私はそう信じて日々の日常を過ごしている。9月の雨も、絶え間なくやってくる台風も、それはそれで避けて通ることが出来ないことに一喜一憂してもしょうがないことだ。いつもだったら、雨のやみ間を見計らって青空工房をやりくりしていたが、さすがに今年はそれも難しかった。それでもそれなりにそれなりの大きさの彫刻にはなったからそれでいいや!・・・って、大きいから良いわけでもないけどね。
彫刻を造ることだって、やっぱり最後は「気合だ!」でノリキッてるな、オレは・・・

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モッタイナイス展 

2016/09/08
Thu. 18:20

彫刻の展覧会であわただしく過ごしている間に、幾つかの制作の仕事もすることになって、ワイフと時間のやりくりをしながら工場へ通ったりしていたらいつの間にか9月になっていた。
8月末が〆切だったらしい椅子の制作も、展覧会の趣旨が今ひとつよくわからないまま結局9月になってから始めて17時間使って完成させて終わった。
このまま、だらしなく次の彫刻制作へ雪崩れ込むのも緊張感に欠けた惰性の制作になりそうなので、とにかく、せめて1日はキッチリ休日を作ろうと心に決めて寝たのだが、自分の身体のほうが上手く言うことを聞いてくれなくて、次の朝も4時前後には目覚めてしまったりしてどうも上手く休息することが出来ない。

ワイフは時間講師があるからと一人で朝食を掻き込んであわただしく出かけていった。
朝寝も出来そうにないし、かといって報告事務の仕事も気が乗らないし、もう何ヶ月も前から気になっていたグッピーの水槽を掃除することにした。
可哀想なくらい水槽の環境が劣悪になっていて、何から手を付けようか途方に暮れた。
とにかく、水を汲み出すことから始めたのだが、こういう時に限ってグッピーの子供がわざわざ汲み出しカップに入ってくる。ポンプを使うと早く楽に水槽を空にできるが、そうするとまだ小さな子供が一緒に吸い込まれてしまって面倒なことになる。
そうこうしていたら午前中の2時間がアッという間に過ぎてしまっていた。
綺麗な水を入れて用意しておいた少し小さめの水槽へ引っ越しをすませてから、汚れきった水槽の掃除をしたりして、グッピーたちの分家引っ越しをすませた時はもうお昼を過ぎていて、貴重な休日の半日が消えてしまった。思うようにいかないものだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
作品タイトル:
Landscape situation ~Seventeen hours~「或る日の情景~あのときの椅子」

素材:鉄

解説:
もう随分前の事になるが、私が造ったある店のカウンターテーブルやディスプレーが廃棄されることになった。
それも勿体無いことだし次の何かに使えるだけのいい部材でもあったので無理をお願いして引き取らせてもらった。
あれから何年かのあいだにその部材も別のかたちに変わって今は残り僅かになった。

ものつくりをしていると、すでにあるものを別の何かに使い回すとか造り直すということは、結構なストレスと労力を要する。
真っ更な材料からモノを制作することのほうがよっぽど楽だ。
それがわかっていても、ふとあの時のあの部材を使ってみたくなることがあって、そうするとそれで無駄にジタバタとしてしまったりするのだが、結局出来上がってみると何かしら自分の記憶の証明にもなっていたりして愛着も湧く。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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奥出雲彫刻搬出顛末記その2 

2016/09/07
Wed. 19:04

奥出雲暮らしが続いて、久しぶりに石見銀山の我が家へ帰った。

石見銀山で暮らしているときは、光ケーブルもないしケーブルテレビの通信回線がモタツクこともあって、ちょっとした不具合でもあるとすぐにケーブルさんの工事のお兄さんを一杯のコーヒーで釣って名指しで呼び出して文句を垂れながらインターネットのスピードチェックなどを診断してもらっていたが、こうして、奥出雲に通い始めて展覧会の会場やその周辺の現場に居続けると、飯南高原とドッコイくらい情報メディアの脆弱なことにかなり悩まされた。
たとえば、一日の会場受付でしばらくの休憩タイムなどにYouTubeやHuluやAmazonの配信動画を見ようとすると、我慢できないくらい幾度と無く画面が止まって見るに耐えない。iPhoneの回線を使って娯楽にハマってもデータ通信の縛りが不安で落ち着かないし、ほとんどテレビを見ない自分にとって、心身の疲れを癒やしてくれる娯楽手段が思うように機能してくれないことになかなか慣れることの出来ないまま現代彫刻小品展業務が過ぎた気がする。
面白いもので、特にストレスもなくほぼ毎日更新していたブログも、暇な時にテキストデータに書き込んでおけばそれでどうにか更新が続けられることなのに、こうしてYouTubeレベルで動きがギクシャクしてしまうと、とたんにインターネット環境を操作するのが面倒になってしまう。
「毎日毎日、よくも飽きないで似たようなつまらん日常を垂れ流して何が楽しいの?」
生来の怠け者の性格がボクの心に囁きかけるのだ。
別にたいして楽しいと思っているわけもなく、なんとなく惰性でラップトップのキーボードを叩いている程度のことだから、こうした、チョットした障害にすぐに反応して楽に過ぎてしまう自分がいるのだ。

そんなわけでしばらくタイムラグを生じた現代彫刻小品展搬出顛末記。

奥出雲で2tのアルミへ積み込んだ彫刻などはそのまま富山町の旧小学校へ搬入した。
現代彫刻小品展をそのまま移動するわけでもないのだが、彫刻の展示台やその他の什器などは使い回しができるから十分に経費削減の対象になる。
こういうある意味イベント事業と言っても良い企画は、とにかく人件費と行動実費に多額の費用を支出してしまう。
主催者である吉田は結界君で何往復しようが出先で何泊しようが全く経費計上できないから全て自腹で乗り切っているわけだ。たとえば、今回の棟梁や助手君などへはキチンと実費や委託料支払いの義務が生じているわけだから、こういう支出の予算立てもいい加減アバウト感覚では乗りきれないところもある。
この歳になって、チマチマとした計算ごともチャンと筋を通して遺漏の無いようにしておかないと吉田の信用が崩れてしまう。ナンチャッテ坊主にとっては結構な試練なのだ。
搬出移動の前半で周藤さんがキッチリ働いてくれた。ノリちゃんは二人の子供を助っ人で連れて来てくれた。それにもちろん私の愛妻であり女流彫刻家のマッチャンがとても良く働いてくれた。その夜は慰労で本場インドカレー屋さんへ行った。ナンが旨かった。

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奥出雲彫刻搬出顛末記その1 

2016/09/07
Wed. 14:56

現代彫刻小品展が終了して、会場撤収搬出移動などの作業を残すばかりになったら、また台風がやってきてどうなることかと心配したものの、見事に途中から熱帯低気圧になって島根県の奥出雲から大田市にかけては特に悪天候で悩まされることもなく過ぎた。
棟梁が気を利かせて助手君を連れて来てくれたから思った以上に早くことが片付いた。

会期が終わって、会場をcloseしようとしたら、駆け込みのお姉さまが二人ばかり来てくれたので、照明もそのままにして作品解説などもして付き合った。
ひとりのお姉さんは、昔々の島大の彫刻研修室の先生に少しばかり彫刻を教わっていたらしく、そのことで話題が弾んだ。
もう一人のお姉さんは高校の美術部で教わっていた先生が彫刻を作っていて、そのことを思い出してとても懐かしかったなどと、これも話が弾んだ。
私はその彫刻家というか美術の先生というか、とにかく二人の人物をよく知っていたものだから、知らず知らず立ち話が盛り上がってしまって、気が付くとすでに軽く一時間は経っていた。
あたりが少し暗くなり始めてから二人のお姉さんを見送って、作品移動や展示台の搬出などを始めていたら、今度は奥出雲で知り合った木工所の跡取り息子が仕事の帰りにトラックで駆けつけてくれた。うまく話題を振ったら手伝ってくれそうな雰囲気だったが、まだ付き合いも浅いし、グッと我慢してその場を凌いだ。
展示台を全て会場外のテラスへ搬出して、彫刻の梱包材を収納庫から引き出したところですでに夜の8時を回っていた。そろそろ、体力も限界だし近所のコンビニで夜食を仕込んで奥出雲の宿舎へ引き上げることにした。

20年近く前から知っていた音響のOさんの自宅が奥出雲だということは知っていたが、事務所兼スタジオ兼倉庫兼麻雀部屋兼助手の仮眠場所などで使っているWAREHOUSEの例のロフトへ落ち着いてシャワーで汗を流していたら、ヌシのOさんが助手君と一緒に仕事から帰ってきた。
彼らはこの3日間松江の地方テレビ局移転のイベントで働いていたそうだ。新しいテレビ局は大橋川の側になったらしい。以前の場所は駐車場もなかなか無くて面倒なところだったからこれからは今回のような展覧会の営業で出かける時も少し楽になるかもしれない。
結局、助手のたくちゃんと三人で夜食兼用の飲み会が始まった・・・といっても、彼ら二人は自宅へ帰らなけれればいけないから、私一人で飲み続けたわけだけど・・・

奥出雲では、このOさんのロフトのおかげでとても助かった。
少し落ち着いたら、何かお礼の品を持って行こうと思っている。
奥出雲は万善寺のある飯南高原とドッコイくらい雪深いところだから、簡単な薪ストーブでも作ってあげようかと思っている。それも、実はずい分前にあった時にそんな会話があって、こっちはいいかげん酔っ払って気持ちが大きくなっていたこともあったりした安請け合いだったのだが、酒を飲まない彼はシッカリ覚えていて、それが未だに機能していたわけだ。男の約束だし吉田の信用にも関わるから、これから冬になる前にひと踏ん張りしなければいけない。それに、またそのロフトでお世話になることだし♡!

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展覧会事情 

2016/09/04
Sun. 20:00

展覧会最終日の朝はあわただしく始まった。
会場当番へ出かける前に、昨夜クリヤ塗装を終わらせた鉄の椅子を工場まで取りに行った。
夜のうちに降った雨がそろそろ乾き始めている。どうりで昨夜は蒸し暑くて寝苦しかった訳だ。
搬入先のショップの玄関先へ高さ2m位の椅子を依頼の文字原稿と一緒にデンッ!と置いて奥出雲町へ向かった。

台風の情報は全く入っていないからよく分からないが、むせかえるような蒸し暑さと、会場前の桜の葉がソヨとも動かないほど風の絶えた状態が不気味だ。
OPENの準備をしていたら、近所の蕎麦屋さんが最終日だからといって生どらをドッサリ差し入れしてくれた。しばらくして8人の来場がお昼前まで五月雨に続いて、それから、朝の無風状態の如く客足がピタリと止まった。
多分、このままcloseすることになるだろうと予測して、会期中セッセと飲んでいたファミリーマートのLサイズコーヒーの空きコップへ麦とホップを入れ替えてチビチビ飲んでいたら、会場入口のテラスの手摺で一羽の鳥が羽を休めているところを発見した。
今回の彫刻展では、人間の他に可愛い犬が一匹鑑賞してくれた。打ち止めは一羽の(地味なたぶんカワガラスだと思うが)鳥になってしまう気がする。

現代彫刻小品展が始まってすぐ、その出品者の一人で九州在住の彫刻家からメールが入った。
こうして、日本国の辺境島根の山峡奥出雲で初の彫刻展開催の同時期に、九州の私設美術館が閉館となったらしい。
石橋美術館は、私が島根にUターンして間もない頃、九州の幾つかの美術館を巡ったことがあってその一つだった。石橋美術館というと、あの東京のブリヂストン美術館の石橋さんと縁が深い・・というより、むしろ九州のほうが石橋さんに近い美術館であると認識していた。そもそもブリヂストンの命名が「石橋」の「Bridge Stone」にちなんでいるというあたり、洒落た命名だとノリの軽い私としてはそれなりの親近感を感じていたのだが、その美術館のお陰をいただいて多感な幼少期を過ごした九州在住の一彫刻家の悲痛な思いがそのメールに託されていた。

島根の田舎に暮らしていると、ほんの数年で山峡の集落ひとつが限界集落になって、それからまた数年の間にゴースト集落になってしまうという現実と日々向き合っている。
この近年、墓地墓石の相談や絶縁で空き家になったお仏壇や位牌、朽ち果てつつある集落のお堂の相談が急激に増えている。
石橋美術館にしても、見方を変えれば石橋家の長い歴史の中で繰り返された世代交代のあいだに、少しずつふるさととか先祖の守り伝えてきた色々なものへの執着が希薄になって帰属意識が失せてきたのだろう。自分の暮らしに具体に何かしらの影響を受けるとすると、やはり生まれ育った環境に頼るだろうし、それに執着することになるだろう。今の日本の経済状態を背景に現実の打算もどこかしら影響しているかもしれない。個人の感傷に心が動かされることとなるとなかなか厳しいところでもあろう。

現代彫刻小品展のような展覧会は、私の生活や暮らしの本拠地を中心に、聞こえは悪いかもしれないが、文化の未開の地に近い島根の山峡をドサ回りすることで、彫刻のさまざまな表現を身近に見てもらいたいという願いが込められている。
一方で、美術館の閉館という現実があり、また一方では、生涯何処かの美術館に立ち寄ることもなく、本物の彫刻に触れる機会のないままこの世からオサラバする老若男女がいる。
私がこうしてまがりなりにも彫刻を造り続けられているのは、憲正さんが数年に一度松江まで巡回してくる日展へ少年の私を連れて行ってくれたからだ。まだ殆どが砂利道だった国道54号を3時間近くかけて松江まで出かけて夕方日が暮れてから寺へ帰った。当時は、運が良ければ、日展鑑賞の遠足もあった。
美術館のない町で生まれ育った私にとって、展覧会の会場は別世界だった。

特にメールの主の承諾を得ているわけでもないが、そんなわけで、原文から少々抜粋させていただいた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こんにちは.誰かに聞いてほしくてメールしています.
有明海と同じ筑後の宝;久留米の石橋美術館が今日でお終いです.
地下足袋からブリヂストンを起こした石橋正二郎氏が地元の為に久留米に美術館を作って60年.坂本繁二郎が早逝の友;青木繁の作品の散逸を心配し,かつて高等小学校での教え子の石橋さんに相談したのがきっかけと聞いています.石橋さんは竹橋の近代美術館も国に寄贈していますよね.市民に文化の贈り物をするなんて偉いと思います.

わたしの初美術館は小学4年生,ここで見たパウル・クレー展でした.その夢のような色彩とユーモア感覚,抽象形のおもしろさにハマってしまいました.
青木繁の「海の幸」はいつ観ても懐かしさと,わくわく感を覚えます.大好きなのは「わだつみのいろこの宮」.縦長の画面にすらりと立つ女性の美しさ,水中にある泉という設定,あぶくのゆらぎ.エメラルドグリーンの空間.あの静謐な画面はすてきです.
他に坂本,古賀春江,黒田清輝,岡田三郎助,百武ケンコウ とすばらしい作品があります.
石橋財団はそれら主だった作品を東京のブリヂストン美術館に引き上げてしまいます.大人の事情なのでしょう.東京のほうが鑑賞する人ははるかに多いでしょう.
しかし,仏像はもとのお寺のお堂で拝観したいし,青木は地元久留米に置いておきたいのです.
いつもそこに「海の幸」(千葉の海を描いていますが)があるという安心感がありました.
なのにあなたまで東京に行ってしまうの?そんなに都会がいいの?
一昨日,絵に涙で別れを告げてきました.  行かないでの署名運動を懸命にやったけれども,3万人超はひねりつぶされました.
選挙も署名もじつは何の力もないものと失望します.
あと1時間半で石橋美術館の看板が下ろされます.
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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現代彫刻小品展in奥出雲の会場当番 

2016/09/01
Thu. 12:20

石見銀山から奥出雲の横田にある現代彫刻小品展会場までMapをググってみると、だいたいどのルートも車で約2時間はかかることになっている。
比較的平坦でアップダウンやカーブの少ないルートは、土地土地の市街地を通過する関係で信号が数えきれないほど多い。きちんと数えているわけでもないが、50〜100くらいはありそうだ。だから、通勤時間帯だったり信号運が悪いと2時間を若干オーバーすることもある。
山越えのルートは、とにかくアップダウンとカーブの連続になる。そのかわり、大きな街を通過することが全く無いから、信号が10くらいあるかどうかで、朝の通勤ラッシュも関係ないし、数ある交差点も信号を設置する必要が無いほど交通量も少ない。だから、途中でコンビニへ寄ってコーヒーを抽出したりお昼のサンドイッチなどをのんびりと物色しても、楽に2時間以内で会場まで到着する。

この3日間、ワイフが出張していて私が石見銀山へ帰らないと吉田家がネコチャンズとキーポンだけになるから、往復4時間かけてセッセと展覧会場へ通勤した。
通勤時間がこれだけ長いと、自宅に帰ってもシャワーを浴びて一杯飲んで寝て起きるだけで、気が付くともう次の朝になっている。
世間のサラリーマン諸氏のほとんどは、毎日こういう暮らしを続けていらっしゃるのかと思うと、心の底から感心し頭がさがる。たまの休日にはのんびりと我が家でゴロゴロしていたくなる気持ちもわかる気がする。
私など、1年を平らに均してみると、まるまる1日のんびりと休日を楽しむことなど10日もないだろう。それほど毎日何かしらせわしなく何かをして過ごしていることになるが、それでも、自分の自由になる時間はそれなりに充実していると思う。
正に、今現在もそういう時で、こうして展覧会場の受付をしながらのんびりとコーヒーをすすり爽やかな初秋の風を感じつつ、プチプチとラップトップをつついて、ぼんやり思っていることをとりとめのないままテキストデータに置き換えている。
まぁ、会場当番という仕事が無いわけでもないが、ひと頃のなっちゃんや先月までのノッチのような絶え間ない接客で心身が疲労喪失するようなこともない。

ところで、この会場受付だが、私としては、展覧会の開催事業の数ある仕事の中で一二を争うほどの重要な仕事だと思っている。
今回の現代彫刻小品展にしても、50名の彫刻出品者の60点の彫刻作品を預かっているわけで、それだけでも十分に責任ある業務をしていることになる。接客にしても、ほとんどが地域に住み暮らす住民の皆様を相手に、それなりの日常会話ができるまでには事前のリサーチをしておくことも大事なことだ。彫刻の質問や問いかけにも制作者に代わってできるだけ適切に対応をするために、作家の作風や制作技法など、最低限の知識もチェックしておかなければいけない。まぁ、それもこれも結局は自分の勉強だと思えば苦になることもないし、かえって自分の彫刻に影響してレベルアップに繋がる可能性もある。
一日をどのように使うかひとそれぞれだが、寝る間も惜しんでガツガツと仕事に食い下がるのもどうかと思う。メシを食べても腹八分目が良いというし、適度な余裕や余力は残しておきたいと思う。結局は何をしても自分に返って来ることだからね。

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奥出雲のこと 

2016/08/31
Wed. 21:25

吉田オヤジは少々疲れ気味です。
まぁ、片道2時間の距離がけっこうこたえているだけだと思うんですけどね・・・

奥出雲は、島根県東部の山間部に広がる2つの町が集まって行政区が形成されている。
坊主的に言うと、圧倒的に地域全体へ禅宗が広まっていて、中でも曹洞宗が多い。
寺院の規模も、普通に万善寺の3倍位あって、立派な山門もあって、中には回廊がある寺もあって、それはそれはたいしたものだ。
往時の地域統治者の勢力がどれだけ大きかったかということを実感する。

商業的に言うと、はっきり言ってよくわからない・・・が、とにかく、蕎麦屋さんが多い。これまでにほとんどの蕎麦屋さんを回って、残すところあと2〜3軒までになった。
夏の間中、いろいろあって食が細ったが、ここにきて一気に胃袋が元のように大きく伸びてしまった。この、蕎麦屋さんについては、そのうち特別増刊号か何かでひとまとめにしてみようと思う。そのくらいそれなりにみなさんこだわっていらっしゃるということだ。
私としては、特に食通というわけでもないし、食道楽というわけでもないが、そばが好きだということだけは確かなことだ。自分の好みもあるが相対的に、奥出雲のそばは旨いと思う。
他にも、食事がらみのお店がそこそこあって、町に暮らすオヤジたちにとっては、適度に楽しく食べて飲めてなかなか住みやすくできているのではないかと、勝手に思っている。

産業は、やはり全国的に知名度のある仁多米につきるだろう。今の時期は、今年の新米が出まわる少し前で、1年で一番条件の悪い頃だが、それでもシャンと出処の知れている米はびっくりするほど旨い。それはやはり、中国山地から湧き出るミネラルたっぷりの水と、山から吹き下ろす冷気で冷やされた空気に地域全体が包まれる絶妙の環境によるものだろう。昼と夜の寒暖の差は高原の気候そのもので、そういう地域でひと夏を暮らすことの贅沢は何にも代えがたい気がする。飯南高原もなかなか絶品だと思うが、夏の気候はとても太刀打ち出来ない。こういうところで丹精込めて作られた米は不味いわけがない。

現状はそういう環境だが、昔々は砂鉄を使った精錬業が盛んであった。
今回、古い歴史も残るこの場所で現代彫刻小品展を開催している。
今まで、いろいろなところで同等の展覧会や個展をしたが、この奥出雲でのような会場の雰囲気は経験したことがない。
8割は奥出雲町内からの来場だが、新聞や口コミのおかげで広島や鳥取からも来てもらっている。それに、なんといっても、会場での滞在時間が圧倒的に長い。家族連れで1時間以上もかけて丁寧に見てもらったりもした。彫刻の小品60点でこれだけ丁寧に見てもらえると、恐縮してしまうと同時に、下手に彫刻の手抜きができないと痛感する。作家の力量が試されているようで、結構な緊張感だ。
ギャラリートークも熱心だったし、ワークショップも参加者は真剣に楽しんでいらっしゃったし、交流会もビックリするほど楽しく盛り上がった。
自分にとっては、久しぶりに新鮮な感動を頂いている。

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島根県奥出雲町の今 

2016/08/28
Sun. 18:52

この2日間、自分の現状がうまく把握できないまま、眼前の事実だけが風のように通り過ぎて行った。

現代彫刻小品展の巡回というか、第2期展が昨日の土曜日から始まった。
作品搬入から展示まで、最小の人数で動き回った数日間だったが、オープニングには徳島から松永さん、埼玉から本多さんが駆けつけてくれて、島根在住の出品者もワイフをはじめとして、たくさん集合してくれた。
現代彫刻小品展も、気がつけば10回の開催が終わった。
今回の奥出雲での開催は11回目となって、一つの節目を迎えたと思っている。

奥出雲町は、地理的には石見銀山から2時間、万善寺から1時間という、決して近い距離の地域ではないが、島根の歴史にはとても大事で私にとっても興味深い地域でもある。
世間に流れる様々な情報を整理するだけで、おおよそどういうところであるか解るとは思うが、私が島根にUターンしたもう30年以上も前から密かに興味深く意識していたこともあって、今年になって、やっと何かの形でこの土地と関わりを持つことができたわけでもある。
このあたりは、たたら製鉄の産地でもあって、あの「もののけ姫」の舞台でもあるが、こうしてこの数日間その真ん中にいると、町の様子にはたたら製鉄の賑わいが残り伝わることもなく、静かに静かに時が過ぎているふうにしか感じない。

中国地方の真ん中を東西に横切る中国山地一帯は、かなり古い昔から、人々が入植し、盛んに山の仕事へ従事した一大工業地帯でもあった。現在に残っている植林の植生は、たたら製鉄を核にしたその周辺産業の名残と言ってもいい。
砂鉄の採取や溶鉱炉に投じる炭の原木植樹など、山肌の隅々まで人の暮らしが入り込んで賑わっていた時代もあったわけだ。
集落の作り出す形状は、すべてが製鉄業関連の経年経過の中で必然的に作られた人工の産物でもある。
中国山地の至る所にたたらの神様でもある金屋子さんが祀られ、採掘や製錬業の繁栄や安全が祈念されていた。私が暮らす石見銀山にも、金屋子に所縁のある立派な神社が銀山坑道のすぐ近くに鎮座されてある。万善寺からわずかのところにも金屋子神社が祀られてあり、毎年の大祭は今でも絶えることなく引き継がれている。

まだ、自分が何をするかも曖昧なままフラフラと遊んでばかりいた頃には、今のようにここまで鉄と関わる自分がいようとは思ってもいなかった。
自分の生まれ育った環境や、自然と周辺の土地に惹きつけられる心情を思うと、どこかしら自分の意思とは関係のないところで得体の知れない大きな何かに引き寄せられているような気がする。
金属の工芸から始まった自分の造形表現が、そのうち金属の彫刻に変わって、島根各地の産地素材に惹きつけられている今がある。
残りわずかな自分の人生が今後どのように動かされていくのだろうか?楽しみでもある。

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現代彫刻小品展 in 奥出雲 in wife 

2016/08/24
Wed. 21:32

現代彫刻小品展 in 奥出雲が三日後に始まる。
この2日間はベッタリと奥出雲にはりついた。
昨日は、ワイフが石見銀山から駆けつけてくれて、大いに助かった。
やはり、彼女の助っ人は実に心強い。
島根の彫刻家もけっこう居るが、ほとんど全てが他で仕事をしながら細々と彫刻を造っている。そういう人たちに、彫刻がらみの用事を振り当てても、なかなか簡単に仕事を休むわけにもいかないことが分かっているだけに吉田としては気軽に頼みにくい。
それでやはり、どうしてもワイフを頼ってしまうわけだ。

チラシ集配の作業が終わってから、彫刻展の会場をワイフに見てもらった。
彼女の彫刻家としての目で見てもらって、その率直な感想を聞くことが、私の仕事の客観的な判断材料になる。
奥出雲の会場へ今回初めて展示してみたが、自分としては浜田会場と違ってこぢんまりとまとまって比較的落ち着いた雰囲気になったように思う。その様子を、ワイフの目がどのように感じてくれるか・・・実はひそかにドキドキものだった。
結果、「あら素敵!いい会場になったじゃない♡」というわけで、けっこう素直に気に入ってくれたようだ。
「今まで外からしか見たことなかったけど、なかなか立派な会場なのね。大きさも丁度いいじゃない!」
ワイフのお墨付きをもらったようで、それまでの疲労が吹き飛んだ。

石見銀山から奥出雲までは、普通に走って2時間の距離。
ワイフは往復4時間を一人で運転してよく来てくれた。
そのお礼もあるし、私の自分への細やかな慰労も兼ねて外食を奮発することにした。
お目当は、久しぶりの焼き肉屋さんだったが、なんと「本日定休日」・・・というわけで、その斜め前にある八剣伝へ落ち着いた。
焼き肉が焼き鳥に変わったが、まぁ、この程度の妥協は仕方がない。
ジム・ビームというと、ノッチを思い出すというと、ケンタッキーのバーボンだからだ。
そのあたりのことは、話せば長くなることもあるから割愛するが、要するに、そのジム・ビームのボトルを「鉄人」でキープしてあって、それがあるから、八剣伝へ行っただけのことだ。
バーボンがメチャクチャ旨かった。せいぜい3ヶ月に一度行くかどうかなのに、店長は私の好みを覚えていて、無表情に「氷だけでよかったですよね?」と念押しをする。キーポンとワイフと私の3人でいつものカウンターの端っこの、炭焼きの焼き加減が見える場所を陣取って飲み食いする。
久しぶりに気持ちよく酔っ払った。
帰宅するとワイフにアレコレ小言を言われることはわかっているのだが、それを承知で「よし!今夜は酔っ払うぜ!」と心に決めているから少々の小言など普通にスルーする。
ある時は島根を代表する女流彫刻家。ある時は小うるさい古女房。とにかくダメ親父は何かにつけてそういうワイフに毎度毎度救われているのです。

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2017-06