工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

まずは鉛筆削り 

2018/04/21
Sat. 23:24

江津にあるキリスト教系の高校へ1ヶ月に2回程度通いはじめて4年目になるだろうか?
全寮制の学校で、先生の家族も同じ敷地内で暮らしながらみんなで共同生活をしている。
系列の学校が全国に数カ所あるらしいが、詳しいことは知らない。

まがりなりにも仏教の坊主がキリスト教の学校へ行くというのもどうかと思ったが、その学校の校長先生とは私が30代の頃から知り合いで、彼がまだ独身だった頃からそれなりに親しく付き合っていた仲だし、断ることも出来にくくて1ヶ月に2日位ならなんとかなるだろうと引き受けている。
それで、何をするかというと、美術全般のなんでもアリ的生徒活動の支援。
俗に言う高校の芸術美術の授業のような堅苦しいことはしないでいいということだから、気楽でいられる。生徒たちは自分の希望を幾つか提出して、その中から好きな科目を決めていくようになっている。今までは美術系の選択者が2〜3人程度だったから、そのくらいの人数なら自分の道具や材料を提供しながらなんとか1年位は乗り切れていて、かえってそれが遠慮もなくて良かった。
4月に入って新年度になってからなんの連絡も入らなかったから、今年は少なくても半年間は江津方面へ出かけることもないだろうと思っていたら、1週間くらい前にいつも美術を担当している先生から「今年もよろしく!」と電話が入った。
早速、次の土曜日からお願いしたいといわれたので、生徒の希望優先にするとなかなか選択ゼロにするのは難しいことなのだろうなぁとチラリ思いつつ寺務手帳でスケジュールを確認して記帳しておいた。
生徒活動の前日になって、また担当の先生から連絡が入った。
「あのぉ〜〜・・・美術の選択が9人なんですけどぉ〜〜・・・他が定員オーバーで第2希望で流れた子が何人か出てしまいまして・・・、美術は特に定員を用意していなかったものですから・・・大丈夫でしょうか?・・・」
まぁ、どう考えても、もう決まったあとのことだろうから、いまさら「無理です!」とか「出来ません!」とか言っても、どうなるものでもないだろうと思いつつ、道具や材料の調達のことがチラリと脳みそを駆け巡った。
「それで早速ですが、何か用意しておくものが有りましたら言っていただけると・・・教材費のことも、人数が多いので今までのようなわけにはいかないような・・・」
それから、具体的な話がしばらく続いたが、そういうことよりも、そもそも椅子が人数分あるかどうかそちらの方が心配になってきた。なにせ、今まではせいぜい多くて5人以内で用が足りていたから、気楽でいられたのだが・・・さて・・・1日で9人分のナニが用意できるだろうか寺務をしながら考えたが、急には何も出てこないので、とりあえずスケッチブックを吉田家の何処かから探し出すことにした。私の方はもう長い間スケッチブックとは縁のない彫刻家になっているので、ワイフが家事をしている間に彼女の仕事場をゴソゴソあさって、表紙が日焼けして色が変わっているような新古品を1冊探し出した。

久しぶりの美術小屋には昨年度制作した生徒たちの作品がまだそのままになっていた。
片付けてあった道具の中から鉛筆をかき集めて削っていると、新年度の選択生たちが少しずつ集まってきた。男子5人女子4人で、そのうち2人は昨年度と同じメンバーだった。

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アレはアレ!コレはコレ! 

2018/03/12
Mon. 23:34

強風と大雪で断裂したまま軒先にぶら下がっていた別棟の電気配線は周辺の雪が溶けて動きやすくなったので、近所の内線工事業者さんへ修繕依頼して、今度の寒波被害の復旧に目処が付いた。
風呂のカランの方は、まだなんの連絡も入ってこないままそろそろ1ヶ月になろうとしている。水道関係の業者さんも小さな町に1つ有るか無いかの店舗数で地域一帯に広がるこの冬の凍結被害復旧作業をこなすのもおおごとなことだろう。
屋根の雪に押されて固まったままピクリとも動かなかった建具が、先週くらいから少しずつ動くようになって、今になってやっとガタピシながらも今までどおり日常の生活に苦労しない程度に戻った。
山の斜面に面した北側は、まだ雪が溶けないまま残っている。今度の大雪で瓦がずれているかもしれないし、その確認もしておかなければいけないが、今はまだ少し早い。お彼岸前の大掃除にあわせてそれをしようと思っている。
除雪作業で酷使した膝が夜になって疼き始める。布団の中へ手持ちのヴァイブレータを持ち込んでブルブルと膝周りをマッサージすると、次第に温もって血行も良くなるのかしばらくは痛みも消えてそのうち寝てしまっている。お彼岸までには膝の具合をなんとか少しでも良くしておこうと思うが、墓掃除や倒れたままの灯籠の復旧もあって、無理な気がする。
彫刻の方は、お檀家さんの土地に植わっていた栗の木を切り倒したのがあって、それを材料でもらうことになっている。あまり大きな木ではないが、近くには今どき栗の木を扱っている材木屋など無いし、チップ工場で雑木の山から探し出すのも大仕事だから、お経の合間の世間話でそれこそ呪文のように「アノ木が欲しい、コノ木が欲しい・・」とささやいていると、時々それがヒットしてそれなりの情報が入ってくる。今度の栗の木もその一つで、彫刻に使えなければストーブの薪になるし、いずれにしても野ざらしで腐らせるよりはいい。

3月も、アッという間に月半ばが近づいた。
年度末の書類作成をしながら化学着色を続けている小さな彫刻が、少しずつそれなりの錆色になり始めたので、展示するときの効果を確認するために吉田家へ持って帰った。
今度の彫刻は、いちおう「彫刻!」と言ってはいるが、どちらかといえばインテリアクラフトに近いところに位置している。今の美術館は公共とか私設とか関係なく、作家の作品展示にやたらと厳しい規制がかかる。美術館サイドの管理運営を優先した規制が過ぎて、作家の表現の自由が無視される傾向にある。昔は、相手の事情に出来るだけ順応しようと努力しながら制作を続けていたこともあったが、そういうことのストレスが自分の彫刻の造形感というかコンセプトに悪影響を及ぼすことがわかってきて、それからは、とにかく自分で自分に「アレはアレ!コレはコレ!」と言い聞かせて時と場所を使い分けながら大小の彫刻を造るようになった。だから、本当に造りたいモノを造ろうと決めるときは、自分の許容できる発表展示の環境を用意して、それから周辺事情を調整しながら交渉を進めることにしている。こんどの小さな彫刻は、どちらかといえば、少し遠慮もあるが自分のワガママ優先で造りたいモノを造った。銀座のアノ画廊は、まだそういう類の彫刻を受け入れてくれる許容があると信じている。

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カレン・ソウサを聴きながら 

2017/12/14
Thu. 18:26

飯南高原は、冬シーズン一番の冷え込みになっている。
朝は0℃以下でお昼も3℃くらいまでしか気温が上がらなくて、夕方からまた一気に冷え込んできた。
さすがに、寒くて動く気になれない。
それでも探しもので本堂や町道に止めてある結界くんやアチコチうろついたりしていると、そのたびに寒雀の群れがバタバタと飛び立って、それはそれで賑やかだったりする。
保賀の谷は一面雪に覆われて真っ白だから、スズメ達も食べるものがなくて腹をすかせているのだろう、器の古々米が半日で無くなっている。

万善寺で一番大きなテーブルは台所の食卓だから、少し前にデスクワークの一式をそちらへ移動して、今は台所が寺務所代わりになっている。
本堂も庫裏も台所も、寺のすべての建物が少しずつアッチやコッチへ傾いていて、建具がまともに締まることがない。
台所も四方に隙間があって、いたるところから外気が入り込んでいる。

今は、年末から年始にかけての寺の用事を優先しているが、年が明けて少し落ち着いたら春のグループ展に向けて彫刻を一つ造る。これは銀座のギャラリーで室内展示になるから、野外彫刻のかたちをそのまま縮小したような安直なノリで造る訳にはいかない。
小品彫刻には、野外彫刻とは違った密度が大事になる。
食卓をいっぱいに使って御札用の和紙をカットしたり、墨汁と墨を硯でブレンドしたりしながら、脳味噌は彫刻のことで動いている。時々ひらめいたかたちをメモして、また寺務に戻る。これからしばらくそういうことを続けていくうちに、少しずつかたちの方向性が固まって、そのベースのかたちに「アレもしたいコレもしたい・・」とやりたいことが加わって張り付いて、それはそれで人目を引く面白いものになりそうな気もして、しばらくはイメージを組み合わせて頭の中で彫刻にしてみたりする。こういう、ひたすら物思いにふけるひと時が楽しかったりする。コーヒーを飲んだり、お供えの御下りをつまんだりしているあいだに、彫刻のイメージが崩れて消えてしまうこともよくある。それはそれでその程度のものだから、消えて忘れるくらいの方がいい。
実材制作のギリギリまでそういうことを繰り返している間に、結局アレやコレや無駄に張り付いたものが一掃されて、シンプルなベースのかたちが残る。そのかたちの緊張感を再確認して迷いがなくなったところで制作がスタートする。
この小品の彫刻は、長い目で見ると野外彫刻のマケットであったり習作であったりする、そういう位置づけにあるのかもしれないが、自分では独立した造形スタイルを別に用意しているつもりだったりして、いずれそれが次の野外彫刻のベースになればいいと思っている。

台所の音響へ手を加える余裕が無いから、バックミュージックもいまいち集中力の助けにならなくて、自分の耳鳴りの方がうるさい。ウエブラジオなどいろいろ探して、ひとまず、カレン・ソウサに落ち着いた。なんとなく音程がふらついて揺れている具合が、かえって心地よかったりする。それでも、アルバムごとにこなれてきて、いい感じだ。

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井形彫刻搬送の旅 

2017/12/03
Sun. 23:29

日頃アラームをセットすることなど無いから、かえってそれで緊張して眠れなくなって、結局、きちんと眠れたのかどうかよくわからないまま、出発予定の午前1時より30分ほど前には完全に目覚めた。

大牟田の井形さんの彫刻は、すでに吉田家駐車場のワンボックスに収まっている。
石見銀山の夜は、冷え込んで入るが空には星も見えて晴れている。外灯も少ない町並みがなんとなく明るいから、きっとどこかで月も出ているのだろう。
大牟田までのルートを検索したら、3つほど出てきた。そのうち2つは九州行きでよく使っていたもので、徳山から竹田津へわたるフェリーにも何度か乗ったことがあるし、昔、宇品港から別府までのフェリーがあった頃には、それもよく利用していた。延々と車を運転するより、フェリーに乗っている間はゴロリと寝転んで休息もとれるし、体力の温存にはもってこいだから、彫刻の搬入出がらみの移動ではよく利用していた。宇品港からのルートは随分前に廃船になって、今は徳山港のルートしか残っていない。

エンジンをかけてiPhoneのナビを起動させてから、少し迷ったが今回は萩を経由して中国道に乗って関門海峡を渡って九州道へ入るルートにした。
途中、休憩を挟んで6時間ぐらいだろうと予測して、早朝には井形家の下の道に横付けして仮眠して、適当な時に電話で彼女を起こせばよいだろうと、運転しながらだいたいのスケジュールを決めた。
中国道へ入った頃には、進行方向にお月さまが大きく見えてキレイだった。夜が白むまで付かず離れず月が一緒に移動してくれて気が紛れた。
九州道へ入って、古賀のサービスエリヤで休憩しながら時間調整をして、井形家へ横付けしたのは早朝6時過ぎだった。ほぼ予定通り休憩も含めて移動に5時間半かかった。やはり、夜に走るとストレスも少なくて楽だ。

8時まで仮眠してから電話で彼女を呼び出した。
二人で彫刻をワンボックスから倉庫まで移動して、それから井形家で朝食をごちそうになった。お母さんはすでに80歳を越えていらっしゃるが、お元気そうでなかなかの博学であるふうに思えた。幾つかの質問を受けたり、自らの知識と照合したりして上手に私から話題を引き出していらっしゃるふうに感じた。母娘が仲良く慎ましく暮らしている様子が伺えて気持ちが和んだ。井形さんの趣味の器を幾つか拝見しつつ、旨い朝食や珈琲などをいただいて、10時過ぎに大牟田を出発し、帰りは萩に暮らす陶芸家の友人を久しぶりに訪ね、休憩がてら小一時間ほど喋り、彼と彼の息子さんのつくった器を買って、日本海を左に見ながら東進した。石見銀山まで帰った時はすでに日が暮れて、荷物の移動は結界君のヘッドライトを頼った。帰宅すると、クロは私の椅子で爆睡中。シロはワイフに擦り寄って甘え鳴きを続けていて、ワイフは夕食をつくっていて、ストーブからは杉ヤニの焼ける匂いが漂っていた。萩で買った徳利でお燗した酒を、これも買った大ぶりのぐい呑に手酌して、井形さんにもらったアレコレをつまみに飲んだ。

この日、石見銀山駒の足自治会は、年に1度の妙見さん祈祷法要のお祭りだった。

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九州出発前夜 

2017/12/02
Sat. 23:43

初冬のこの時期、夜明け頃に保賀の谷へ朝霧が広がっていると、その日はだいたい晴れる。

今年は11月の半ばを過ぎた頃から雪がちらつき始めたから、いつもより冬が早いかもしれないと思っていたが、しばらくすると汗ばむほどの陽気になったりするし、そうかと思うと次の日はまた寒くなって雨が降ったりする、とにかくなんとも気難しくて気まぐれな天気に毎日悩まされている。
こういうことが続くと、ある日突然雪が降って身動きできなくなってしまうこともあるので、早めにスタッドレスタイヤへ履き替えておいた。
ワイフの車も早くそうした方が良いと云っておいたのに、彼女はその時期を逃したまましばらく留守にしてしまったから、いまだにタイヤ交換できないでいる。
島根県は来週から一気に寒くなって雨が続くらしい。
そういう時の飯南高原はだいたい雪になることが多い。
ひどい時は、12月のはじめに降った雪がそのまま根雪になって年を越えることもある。
これからは、それなりの覚悟をして毎日を過ごすことになる。

午前中の用事を済ませて、少しの間留守にしていたワイフを迎えに出雲まで走った。
結界君のリヤデッキには、富山の片付けで溜まった梱包用のダンボールが廃棄の機会を逸したまま積んである。ワイフをピックアップした帰りに、資源ゴミ引き取り屋さんへ持ち込んたら60円になった。こういうことは、お金の問題でなく、それこそ資源の価値の問題で、日頃からそういう意識を大事にしておかないといけないと思っている。

石見銀山の自宅前へ着いたら、町並みに大勢の中国人観光客が押し寄せていて、荷物を下ろすのも一苦労だった。
天候が崩れないうちに、九州の大牟田へ井形さんの彫刻を積んで移動する。さすがに結界君では小さすぎるから、借りておいたワンボックスを引き取って駐車場へ横付けする時も、まだ吉田家前には中国人で溢れていた。観光の流れが収まるのを待って彫刻を積み込み始めたら、吉田家を覗き込んだり、町並みの真ん中で記念撮影を始めたり、なんとも騒がしくて苦労した。

朝のうちはかなり冷え込んで寒かったが、良い天気が1日続いたおかげで積み込みが終わる頃には汗が流れるほどだった。
シャワーを浴びて、早めの夕食をして、仮眠しておくことにした。
ウツラウツラしていると、クロが腹の上を横切って、私の顔のすぐ隣に落ち着いて身繕いをはじめた。まったく、実に身勝手で都合よく擦り寄ってくる。
夜になって、急に冷え込みが強くなった。
ソコソコ晴れて、久しぶりに青空も広がっていたから放射冷却が始まったのだろう。

石見銀山出発は午前1時くらいにして、国道の下道を使って山口県まで走ろうと思う。
それから高速へ上がって大牟田へは10時前には到着する予定だ。

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造形とは・・ 

2017/11/20
Mon. 19:26

飯南高原では初雪が舞った。
ほぼおなじ頃、文化祭のあった富山町ではアラレが降ったということだ。
この2〜3日、島根県は冬型の気圧配置に包まれている。

日曜日で、今年の彫刻絡みの行事が全て終わった。
これから年末までに少しずつ会場の復元をしたり事務を整理したりして過ごすことになる。
自分の周辺で自分と同じふうに暇しているモノもいないし、その上、年末に向けて世間が微妙に慌ただしく感じるようになってきて、そういう状況で図々しく彫刻絡みの用事を振りまくる勇気などチキンオヤジにあるわけもなく、全ては時間が解決してくれることだからと、一人コツコツ眼前の用事を片付けていると、どうしても、自分のことが後回しになって、吉田家の暮らしが停滞してしまったり、万善寺の年末の整理が適当になってしまったり、身内にばかり迷惑をかけている。

チョット急ぎだがホンの10分程度の用事ができて、松江まで出かけた。
ソレだけのことで脇目も振らずに片道80kmを走り続けるのもむなしいし、せっかくだから美術館で開催中の島根県展を観てきた。
彫刻部門のコーナーには趣味の延長のような曖昧な彫刻が約15点くらい並んでいた。私の濁った目ととろけた脳味噌を駆使して鑑賞させてもらったが、それなりに納得できる彫刻になっていたモノはせいぜい2〜3点だけだった。立派な分厚いリーフレットにはそうそうたる後援機関がずらりと3列くらい並んでいた。まぁ、殆ど名義貸し程度のものだろうが、依頼を取り付けるほどの組織力があるということでもあって、民間のヨレヨレオヤジが地道に乗り切っている彫刻の企画に付き合っていただいている全国の彫刻家有志諸氏に申し訳ないことだといたたまれなくなって、そそくさと美術館を後にした。
今年のとみ山彫刻フィールドアートワークには、1点ずつ数えると100点以上の美術作品が集まった。絵画や陶芸やインスタレーションの個展に若い木彫作家のグループ展もあって、総合美術展といっていいほどの充実した展示になった。

岡山から陶芸の新作を持ってきてくれた芝さんは、3年ほど前から「島根で個展しませんか?」とか「作品送ってくれるだけでいいから・・」とか「旅費くらいだったらなんとかしますよ!」とか、逢うたびに手を変え品を変え耳元でささやき続けてやっと陥落させた作陶家だ。
彫刻の持つ外に向かって吹き出すような造形エネルギーを内在する立体とは違って、かたちの内部に観るものの感心を吸い込むようなブレのない造形感を持った立体の数々は、芝さんのデリケートでナイーブな感性がタップリと内包されて、思わず抱きしめて頬ずりしたくなってしまう。
念願が叶って「芝眞路の造形」展を開催できただけでもありがたいことだったが、芝さん自ら搬入、作品展示、搬出、会場復元と、全ての個展スケジュールを自力で乗り切ってくれたあたりに、プロの作陶家の意地と底力を感じた。完成の作陶造形が全てではない、人生観や心情などを包括して彼の造形感に触れたことは収穫であった。

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草月流師範西本秋翆さんのこと 

2017/11/16
Thu. 22:00

カメムシがやたらと多くて少々閉口気味だ。
世間では、「こういう年は雪が多いんだよ!」と言われている。
万善寺の場合は、雪が多くても少なくても特に関係なく毎年それなりの雪量になるし、当然毎年同じように参道の雪かきをすることになるから態勢に大きな影響があるわけでもないわけで、とにかくカメムシが減ってくれればそれで十分なのであります。

このところ、石見銀山の吉田家滞在が増えているのは、停滞していた冬支度を急ピッチで進めているからだ。
昨日は午前中かけて裏庭の草刈りをして、午後からは駐車場に積み上げた杉の丸太の一部をストーブの薪に仕立てた。乾燥のこともあって約1年近く丸太のまま放置している間に、シロアリがはびこって食べ放題に食べられて食い散らかされていた。薪に割ってすぐに土間へ運んでしまったら、しぶとく生き残ったシロアリの残党が吉田家の土台を食い荒らしてしまいそうなので、ひとまず駐車場の隅へ井桁に積み上げてヤツラを追い出すことにした。

カメムシといいシロアリといい、あれだけ大量に増殖して人間の生活へ踏み込んでこられると、周囲の環境が確実に原生の自然に戻りつつあるのだということを身をもって感じる。
私がまだ少年だった昭和の時代は、周囲の山の端や農業耕作地や寺の境内地の端もずいぶん遠くにあって、紅葉の終わった落ち葉が屋根や雨樋に吹き溜まることも稀だった。今は、境内の裏山全体が寺の本堂や庫裏の屋根に覆いかぶさるほど迫っていて、秋の終わりになると庭一面が落ち葉の絨毯に敷き詰められてしまう。

春から夏にかけては草刈りに苦労させられ、これからしばらくは落ち葉と格闘し、庭木の剪定や雑木の伐採で忙しくなり、やがて雪が振り始めると春になって雪が消えるまで参道の雪かきが続く。

昨年からとみ山彫刻フィールドアートワークへ参加していただいている倉敷の草月流師範西本秋翆さんへ、今年は富山の竹を使ったワークショップをお願いしておいた。
2年目のことなので、彼女の都合で動きやすいように、こちらからは緩めのスケジュールをふっておく程度にしておいたら、見事に住民参加型の素敵なワークショップを組み立ててくれた。
ワークショップは、カルチャースクールとか社会教育とか講師指導型教材で無くて共同参加型教材の方が良いと思っている。内容はともかく、何かしら手を動かしたりモノをつくったりすることを楽しんでもらう体験を通して造形の面白さに気付いてもらえたら良い。
西本さんとは、時に綿密な打ち合わせをしたわけでもないが、私の考えていることがそう大きくずれること無く伝わっていたように思う。それになにより、富山に暮らす地域の皆さんと仲良くおつきあいできていることが良い。まぁ、むさ苦しい無骨な吉田より、オシャレで素敵な熟女の指令で動くほうが富山のオヤジたちにとっては気持ちが良いだろうし、そういうことが毎年の楽しみになってくれると良いと思っている。

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DM発送前夜 

2017/10/26
Thu. 23:51

朝の7時過ぎに石見銀山を出発して朝もやの銀山街道を飯南高原へ急いだ。
夜の雨もあがって、良い天気になりそうだ。
富山の彫刻周辺の草刈りも気になるが、その前にDM発送の事務も残っているし、こういう時は自分のクローンがほしいと切に思う。
東京へいる間、時間だけはタップリあるのになにもしないまま1日が過ぎていたから、それなりに「もったいないことだ・・」と思わないわけでもなかったが、だからどうなるものでもないし、台風前から降り続いていた雨のせいにも出来ないし、「なるようにしかならない」と気持ちを切り替えていた。

「草刈りはだいたいいつ頃が効率いいんですか?」
法事の席に、飯南高原の農作業代行を一手に引き受ける農業会社のご主人が同席していたので聞いてみたら、「6月の草刈りはしてもしょうがないね」ということだった。刈ったあとに、ほんの2〜3日でいっきに二番芽が成長してきりがないのだそうだ。刈れば刈るほど株が太くなって、それが夏の日差しで丈夫に固くなって収集がつかなくなるのだそうだ。かえって、梅雨の水分をタップリ吸い込んで軟弱にヒョロリと伸びたあとくらいのほうが刈りやすいし、回数も若干稼げるらしい。
そのご主人は、高齢のお百姓さんに代わって代行農業で朝から夜までひたすら同じ作業を繰り返しているのだそうだ。自分にそういうことが出来るかどうか怪しいものだ。性格とか好き嫌いとかそれぞれの個人事情で長続きする職業が決まってくるのだろう。

草刈りにはもってこいの良い天気が1日中続いたが、とにかくそれは考えないようにしながら万善寺の6畳へこもって1日中デスクワークに集中した。
DMの発送先を仕分け整理したら130通になった。この数字が多いか少ないか判断に苦しむところだが、富山のことが3年目を迎えることを思うと、まぁ、妥当かなという気もする。
島根県内から参加してくれる彫刻や教室個展の作家も少しずつ増えているし若返っている。目に見えて大きく代わっているわけでもないが、こういうイベント企画も何もしないよりはマシだとは思う。富山の地域の皆さんは確実に彫刻や美術に触れる機会も増えて、そういうことに慣れつつある。

島根県展用の石彫を制作中のユキちゃんが万善寺へやってきた。
来待ストーンの制作環境があまり思わしくなくて落ち着かないらしい。ちゃんと屋根も道具もあって至れり尽くせりな気でいたが、観光目当ての来場もあって、制作中のユキちゃんへ場をわきまえないチョッカイが多くて集中できないのだそうだ。言われてみるとそんなものなのかもしれない。私はそもそも対人関係に無礼なところがあって、知らない人には愛想もないし無視を決め込むことがほとんどだから、そういうガードの固いオーラがさりげなく漂っているようで、彫刻に絡む色々な出来事ではそれほど苦労もしないで今に至っている。
かえって万善寺の劣悪な制作環境が彼女にとってはソコソコ適しているのかもしれない。最近、ユキちゃんが我が子のように思えてきだした・・・ヤバイ!

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終わらない草刈り 

2017/10/09
Mon. 23:58

草刈りをしている間に3連休が過ぎた。
その少し前は、雨に悩まされながら彫刻の搬入作業をしていたのだが、幸いにもその後草刈りを始めるとほぼ晴れの日が続いてくれたので、雨男の吉田としては大いに助かった。
きっと、万善寺の御本尊様がヘナチョコ住職の愚態を哀れんで少しばかり助けの手を差し伸べてくれたのだろう。
一日の仕事が終わって夜になると、身体のアチコチに鈍痛が生じて寝てから後もその刺激が神経のアチコチを絶え間なく刺激してくるものだから、なかなか熟睡できないまま一晩が過ぎる。連休最後の日は、天気が良すぎて気温もグングン上昇して、夏を思わせるほど暑くなって、わずかに残っていた体力がアッという間に吸い取られてしまった。ちょうど、境内下の用水路を保全するために業者さんが入って仕事をしていて、その辺り一帯は草刈りも出来ないし、次の土日が晴れることを確信して、ひとまず万善寺を引き上げることにした。

週初めには、富山の彫刻イベントを事務処理からスタートさせる。
早起きをして、幾つかの書類を整えて関係の部署を一巡しながら富山へ向かうつもりだ。
富山では野外彫刻の環境整備でまた草刈りをする。
この数年間で少しずつ知り合いになって話しやすくなった近所の町民の皆さんを表敬訪問しながら1日かければ、彫刻の周辺もなんとか見苦しくないまでにはなるだろう。

教室の展覧会も個展作家がおおよそ決まった。
昨年から引き続いて島根の竹田茂氏と鳥取の本池文乃氏に加え、新しく島大教育学部彫刻専攻の流れをくむ若い彫刻家がグループ展をしてくれることになって、少しずつ地元地域の美術活動が活性してきた。あとは、岡山赤礬から陶芸作家の芝さんと九州大牟田から女流彫刻家の井形さんが参加してくれることになった。昨年公開制作をしてくれた草月流華道家の西本さんにはワークショップでお世話になろうと思っている。

昨年までの過去2年間の資料を再確認していたら、本池さんの作品資料に目が止まった。山陰のグループ展ではじめて彼女の油絵を見た時に、面白い視点を持っていると思ったので声をかけてみたのがきっかけで教室個展に繋がった。教室個展は平面造形というよりも空間を構成演出するインスタレーション作品になっていた。シンプルな展示だったが、かえって制作の方向性がストレートに伝わってきて好感が持てたし、それ以降の展開が楽しみになった。その後、縁あって倉敷の芸術イベントでも一緒に展示することになって、彼女との距離が少し縮んだし、そこでの展示は確実に造形の方向性が面白くなっていた。
いつもは学校の先生をしているひとだから、その仕事の合間を使って制作するのはなかなか大変なことだろうが、良く踏ん張っていると思う。
今年に入っていつ頃だったろう??久しぶりに制作のことで縁が復活して、その後時々彼女の造形を見ていると、なにやらとんでもなく面白いことを考えていて、次の展開にとてつもない広がりを感じるようになった。彼女の師匠は島大の新井さんだが、彼の指導が良かったのか、彼女の潜在の資質を上手く引き出して育てていたのかもしれない。
さて、今度の富山ではどんな個展をしてくれるのか・・楽しみにしている。

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現代彫刻小品展終了前後 

2017/09/26
Tue. 06:15

お地蔵さんのご縁日は24日で1年に12回巡ってくるが、お盆月の24日を「地蔵盆」といってお地蔵さんの供養祈祷法要を厳修するお寺が多い。
発祥のいわれは色々あるから、興味があれば自分で検索してみてください・・
とにかく、万善寺ではその地蔵盆の法要を毎年9月24日に行っている。
これは、8月18日の万善寺施食会が終わって日が近いから、寺の都合で1ヶ月遅れにしたことと、23日が秋彼岸であることとあわせて、23日〜24日の2日間に渡って仏事が続くことで「秋の節目になるといいなぁ〜」と万善寺住職のささやかな期待を込めてのことだ。

今年の秋彼岸と地蔵供養は、運良くというか運悪くと言うか、土日にまたがった。
お地蔵様法要の主役はどちらかといえば地域の子供達になるのだが、その子供たちの子供会活動やスポーツ少年団活動が丸々そっくりと重なってしまって、主役が不在になってしまった。
それでも、例年この日を目当てにお参りをいただく常連のご婦人方は、ほとんど欠けること無くお参りくださって元気なお姿を拝見することが出来た。
それに今年は、彫刻制作で寄宿中のユキちゃんもお茶会の仲間に加わって、いつもにもまして新鮮な話題に花が咲いた。
やはり、オヤジばかりの通夜のような重たい空気の集まりより、ご婦人方の話題の絶えない賑やかな集まりのほうが楽しい。
たった2時間ほどのことだが、万善寺本堂が華やいだ。

寝る前に翌朝4時にアラームを設定しておいた。
25日は現代彫刻小品展の搬出日で2tアルミのロングをレンタル予約してある。
万善寺からだと、出雲街道から銀山街道を経由して1時間少々移動した先でトラックが待機している。お手伝いを立候補してくれたのりちゃんと店舗駐車場で6時に合流して、奥出雲に向かった。
斐伊川土手を走りながら約2時間ほど南下して彫刻展が終了した開場前に到着した。
早朝の空気は朝露をタップリ含んでヒンヤリと清々しい。
こういう時の秋の山の天気は晴れ渡ることが普通だから、きっとお昼頃には気温も上昇して暑くなるはずだ。

会期を通してお世話になった奥出雲のアクティブオヤジもお手伝いしてくれて、お昼前に彫刻梱包や展示台積み込みや会場復元などの作業が全て終了して、次の会場大田市富山町へ向かった。
11月から「とみやま彫刻フィールドアートワーク」が始まる。
その会場へ現代彫刻小品展を巡回することになる。
トラックを会場の廃校になった小学校生徒昇降口へ横付けして搬入作業が終了したのは午後の3時少し前。ほぼ予定通りに1日の行動予定が完了(結局昼食抜きになったけど・・)して、のりちゃんと別れて石見銀山へ着いたのは夕方だった。
ワイフと少しお茶を飲みながら会話して、ネコのシロと戯れ、メールチェックをして、ゴロリと横になって、先程目が覚めた。
なんと夕食も食べないで10時間眠り続けていた。

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ヨレヨレオヤジの1週間ーその3 

2017/09/20
Wed. 17:53

何年も前からお世話になっていたレンタルトラックの取扱業者が撤退してしまって、それ以来、彫刻関係の移動に苦労している。
徳島野外彫刻展に彫刻を搬入するのに都合の良い業務用のワンボックスがナカナカ手配できないでいた。現代彫刻小品展の準備の合間を見てなんとか借りる手段を見つけるところまでは良かったが、鍵の受け渡しや彫刻の積み込み移動などで無駄に結界くんを走らせることが増えて、もうソレだけでヨレヨレオヤジの体力が消耗した。

奥出雲と万善寺の往復で結界くんを走らせる。
展覧会場を出ると谷川沿いの県道をしばらく北上して、途中から左へソレて西へ向かう。そこから先は幾つもの山越えをして幾つものトンネルを潜って、途中のスーパーで買い物をして万善寺へ帰る。
もうかれこれ10日間くらいはこんな毎日を続けている。
その間に、稲刈りが始まって終わる。
ススキが穂を出し、そばが白い花を咲かせる。
台風もやってきたが、中国山地がガードしてくれた。
北朝鮮のミサイルは島根に大きな影響もなく過ぎたようだ。
広島カープが2年連続でセリーグを制したが、その歓喜を共有することは出来なかった。
先月末から続いていた七日務めの代行坊主が終わってやっとお役御免になった。
烏蒭沙摩明王様の一時遷座は、改修工事が終わって新トイレに安座される日も決まったので、彫刻制作中の工場から駆けつけてお経を読んだ。
まぁ、とにかく、毎日が昼も夜も関係なく目まぐるしく過ぎた。

現代彫刻小品展のキャプションと出品目録を造っていたら、出品者の彫刻が2点遅れて加わった。
その原稿差し替えや印刷を予定していた日に鳥取のアヤノちゃんが大作の試作を持ってやってきた。
昼の間は工場にこもって鉄の粉塵をかぶりながら彫刻の制作を続けていたから、もう、寺の玄関に入ったときは倒れそうだったが、すでに到着していたアヤノちゃんの弾けるほどの元気な笑顔に押し戻されてかろうじて踏みとどまった。
制作も佳境に入って、もう少し深刻に悩んで目が三角になっていても良い時期のはずなのにイヤにハイなのがかえって心配になる。
今更吉田ごときにお伺いをたててもそれほど作品レベルが向上するわけでもないと思うが、それなりになんとなく頼ってこられると、こちらもとろけた脳味噌を駆使してなんとか付き合っていこうという気になる。
こういう、制作の店を広げるのに建具を取り払った14畳ほどの寺の庫裏は都合が良い。
知恵を出し合いながら構成を煮詰めているうちに、いつの間にか夢の世界へトリップしていたようで、気がつくとすでに早朝!
アヤノちゃんは、ほぼ徹夜で試作と格闘していた。ナカナカの根性と体力だ。
それからヨレヨレオヤジはセッセと目録を手直しして印刷を続けた。
彫刻展の初日がこうしてスタートした。

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生業と家業 

2017/09/11
Mon. 23:39

現代彫刻小品展の業者搬入がはじまった。
昨年から会場が奥出雲町へ変わった。
この展覧会は、2010年から始まったので今年で8年目になるが、1年で2回から3回巡回することもあるので、回数はすでに10回を越えている。
よくここまで続いていると他人ごとのように思ってしまうが、だいたいがナマケモノの部類に属している自覚もあって、ノンビリ彫刻やクラフトばかりしていると、そのうちそれも面倒になって制作から遠ざかってしまいそうな気がするものだから、常に自分を適度に追い込んで忙しそうにしておかないとダメになりそうだとビビッてスタートしたようなところがある。

絵を描くこともキライではないが、どちらかというと工作のようにモノをつくることの方がスキだったから、結局そういう方面の勉強をはじめて、そうなると物好きの趣味程度では済まされなくなって、しだいに造形の世界へ本気に踏み込むようになった。
もう昔から坊主になることが決められていたから、別に好きで坊主になるわけでもないし、そういう気持ちで死ぬまで好きでもない仕事を続けることも嫌なことだから、自然と制作表現の方へ力が入るようになって、ソコソコ自信もついて納得できるところまでいくと、それなりの欲も芽生えるし、同業諸氏との付き合いも楽しいし、制作中の苦しさが快感に変わったりしはじめると、もうあとに引けなくなってそれが生業になった。
坊主は家業のようなものだから、それはそれで吉田家の継承的重要度も承知している。
いつの頃からか、生業と家業が少しずつ適度に混ざりあって、造形のコンセプトを形成するようになっていた。

現代彫刻小品展も、一年中ソレばかり思い詰めてアクセク働いているわけでもないが、いつの間にか少しずつ規模が大きくなって好意的意見を聞くようになったりすると、そろそろ自分の手に余るふうに感じるようになって来た。
今年は、春先から坊主家業の方と吉田家の私事の慶弔事が絶え間なく続いて、彫刻絡みの幾つかが著しく調整不能になって息切れし始めた。
このままだと、いずれどこかで何かにつまづいておおごとになりそうな気もしてきたから、まずは自分個人の事情をやりくりして精査整理することにした。
そういうめぐり合わせでもあるのだろうし、過去の自分を振り返る良い機会でもあった。

いまのところ、造形の枯渇を感じたことはないが、肉体の衰えによる制作上の不具合が先行して、造形の変更を迫られることは増えた。当初、この造形の変更がかなりのストレスになって制作の苦痛に耐えられないこともあったが、その時期を踏ん張ると、意外な発見があったりしてソレはソレで面白いと思えるようになった。そうなると、本当に難なく次の展開が具体的に見えるようになって、最近では昔々の自分のようにチョコチョコとメモをとっていたりするようになって、それはとにかくとても久しぶりのことだ。
これから先、あとどれだけ制作できるかわからない。メモは増えるかもしれないが実材の彫刻の方はそろそろ指折り数えられるくらい予測できるようになってきた。
彫刻も仕切り直しで再スタートを考えても良い頃なのかもしれない。

2017チラシA3奥出雲 (1)
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気持ちのもんだい 

2017/09/09
Sat. 23:36

やっぱり、整頓された工場は気持ちがいい。
このまま何時までも綺麗なままだったら良いと思うが、そうなるともう彫刻を造ることもなくなるだろうし・・・まぁ、適度に乱雑な方がヤル気になれるような気もする。

坊主の修行では、毎日欠かすこと無く掃除をする。
修行の僧堂が違えばシステムも少しずつ違うと思う。私が修行させていただいた僧堂では幾つかの係を振り分けられて、それなりのスケジュールも決まっていて、毎日掃除ばかりをしていたわけでもなかったが、修行僧全体を均すと、誰かが何処かの掃除をしているということに変わりはなかった。
面白いもので、万善寺の暮らしを続けていると、1日のかなりの時間を掃除に使っていることに気付く。
草刈りやチョットした改修作業も含めると、寺にいる時で、お経を読んだり食事をしたり寺務のデスクワークをしたりする以外は殆どなにかしらどこかしらの掃除や営繕作業をしていたりする。
長い目で見ると、結局毎日だいたいそういう似たり寄ったりの生活をしていたら、極端に酷く汚れることも荒れることもない。やはり、修行暮らしの基本として掃除は重要で大事な作務のひとつだということだ。
そう考えると、日常的に自分一人で維持管理できる限界点が見えてきて、山寺万善寺は狭いながら少々手に余る程の規模になる。6畳チョットの工場と物置倉庫くらいがちょうどいい大きさといえる。
その工場で午前中かけて鉄板の裁断を8割方終わらせた。
あとは溶接をしながら細かい微調整をしつつ組み立てていくことになる。
頭の中ではおおよその図面も出来ていて、現物を見ながら具体的なかたちを造り込むことになる。
久しぶりにまとまった制作になって、心配していた集中力も比較的長持ちして、身体の動きもソコソコで体力も極度に衰えたふうでもなかった。
これから制作が長期化するし、自分の身体の様子を見ながら無理をしすぎない程度に工場通いを続けようと思っている。

午後から奥出雲の展覧会に向けて結界くんへ積めるだけの資材や備品を運んだ。
久しぶりの会場は未使用の期間が続いたせいか埃っぽい空気が停滞して、展覧会にはいらない什器がたくさんあって、それらを整理するだけで1日はかかりそうだ。
今回からは人手に頼ることも難しくなったから、会場整備の時間や体力も確保しておかなければいけない。
彫刻から遠ざかった坊主暮らしで鈍り切った身体や精神を鍛え直さないといけない。

家族のSNSに吉田家三姉妹が情報を流していた。キーポンは友達とJUMPのコンサート。なっちゃんの結婚式で造った掲示板がやっと使えてもらえたようだし、ハリケーンが心配なノッチは同僚と助け合ってたくましく暮らしているようだ。
こういう家族情報は私の鈍り切った気持ちを奮い立たせてくれて励みになる。

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残暑の1日 

2017/09/08
Fri. 23:19

早朝の銀山街道は濃い霧に包まれていた。
予報ではこれから晴れて残暑も厳しくなるようだ。

あまり体調の優れないワイフが夜中に咳をするようになった。
これから六本木の彫刻の制作もあるし、現代彫刻小品展もあるし、徳島の野外彫刻展もあるし、とみやまでは3年目を迎える彫刻アートワークもあるし、年末まで彫刻漬けの制作が続くから、身体には十分に気を使ってほしい。
石見銀山と万善寺の二重生活をしている間に、自分の身の回りのものが二箇所へ分散してしまった。その時々の都合のいいようにモノをアッチとコッチへ持ち運んでいたら、コッチで必要なモノがアッチにいっていたり、アッチで必要なものがコッチにあったり・・そんな暮らしが暫く続くと、最近衰えが加速する脳ミノのハードディスク系統がパニックを起こしてしまってクラッシュ寸前状態になっている。
ワイフに必要な風邪薬も、記憶の断片を手繰っていったら万善寺の寺務所にあったことを思い出して、朝飯前に早朝の銀山街道を走ることになった次第。

ワイフにはとにかく休息して風邪を早く直せと言い置いて、彫刻制作の工場へ出かけた。
前回その工場で彫刻を造ったのは、今年に入ってまだ母親が生きていた頃だった。
その後、彼岸明けに母親が死んでからあとは万善寺のことで手一杯になって彫刻制作の時間が消滅したままアッという間に半年が過ぎた。
鉄粉とガーネットが混ざった粉塵が工場の床一面に積もっている。
何時もなら制作が終わって彫刻を搬入して展覧会の用事が落ち着くとすぐに一斉清掃をして次の制作に向けて環境を整えておくのだが、今年はソレも出来ないまま春から秋になってしまった。
大作用に造り付けた鉄板の野外デッキには、早々と落ち葉が積もり始めている。

工場の2階は彫刻の展示台を保管する倉庫になっている。
自分のスケジュールをザックリと調整してみると、今のうちに小品展の展覧会用に展示台をプラットホームの近くまで移動しておいたほうが良いと判断して、掃除が終わってからその作業をはじめた。
今までは、何かにつけて作家仲間が作業を手伝ってくれていたが、今年から現代彫刻小品展の方は助成金が切れたからそれも頼みにくくなった。それでも作業を割愛することも出来ないから、気持ちを切り替えて約80個の展示台をすべて1階へ降ろした。
こういう作業は、時間があれば十分一人で出来ることでもあるし、はじめから誰かを頼ってしまうとそれだけで自分の気持ちが無駄に荒れる。調子の悪い膝をかばいながらだいたい1時間ほど1階と2階を往復した。

夕食はアジの刺身が出来ていた。アジはボクの大好物で、ワイフの気遣いが伝わって、疲れもいっきにとれて麦とホップが2カン空いた。
ノッチから巨大ハリケーンの情報が入った。
水の確保もなんとかできたらしい。少し安心した。

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仮称:ギャラリーまんぜんじ 

2017/08/12
Sat. 23:01

台風の大風が吹いて以来、雨の降り癖がついてしまったようで、一気に伸びた草を刈ることも出来ないまま毎日がアッという間に過ぎる。
ワイフに電話をすると、石見銀山も似たようなもので、雨がよく降っているそうだ。

棚経ばかりで他に何もしないでいるわけにいかないから、本堂の荘厳をおおよそ済ませた。
いつもはガランとして畳ばかりの本堂だが、荘厳の配置をしたり仏具を移動したりしてみると、どこかしら雑然として狭苦しく俗っぽくなってしまう。
少し強い風が吹くたびに天井裏の積年の埃ゴミが舞い落ちて配置を終わった仏具に降りかかる。お盆のお寺参りも時々あるし、本当なら施食会法要の直前まで何もしないでおきたかったのだが、夢と理想と現実を調整してみるに、このひと夏の万善寺のほとんど80%以上を一人で乗り切ることを思うと背に腹は代えられない。

庫裏の方は、今まで老人の二人暮らしが半世紀以上続いて、その間の色々なものがあふれかえって空気の淀みが室内のいたるところに出来ていたのを解消することに終始している。
北側の全面は、家屋の内外含めて朽ち落ちる寸前まで劣化して手のつけようがない。
ひとまずは、捨てられないまま無駄に室内各所へ詰め込まれたモノを1箇所へ集めて、冬になってから落ち着いて整理することにした。
狭いながらに、いちおう寺院の機能が足りるくらいの部屋はなんとか確保しなければいけないし、それを思うと、大げさでもなく、頭が冴えて眠れない日が続いている。
先のことを悶々と考え続けても室内のモノが動くわけでもないから、棚経を終わると雨の様子を見ながらセッセと庫裏の整備に集中した。

1年の万善寺行事をザックリ洗いだすと、庫裏の公的使用はせいぜい10日程度のものだ。それ以外のほとんど毎日を締め切ってしまうのは、どう考えても回転率が悪すぎる。
先々うまくいくかどうか分からないが、自分にできることはなにかと考えてみるに、美術造形絡みの活用くらいしか思いつかない。
この10年間で展示開催していた現代彫刻小品展のノウハウをもとに、畳の床をフローリングに張り替えたり壁面を仮設したりして、なんとなく美術展示が出来るくらいのスペースをつくってみた。若い作家の個展とかグループ展ができれば良いかなと思っていて、今後、期間中の宿泊も可能なくらいまでに改修してみようと思う。

ユキちゃんの参加したグループ展が一段落して、そのかわりのように、鳥取からアヤノちゃんが大作の試作模型を持って伺いにやってきた。鳥取からだとかなりの距離だし、ワザワザ島根の山奥で一人暮らしの吉田をアテにすることもないだろうと思わないでもないが、今までの幾つかの企画絡みで表現の伸びも感じるし、彼女次第だけど、作家路線が安定して少し先が見通せるくらいまでは付き合っておいたほうが良いようにも思っている。
昼は棚経の裏番組で寺の留守番しながら試作を座敷に広げ、寄宿暮らしのユキちゃんに提供した部屋で一晩寝て帰っていった。

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だろう??? 

2017/08/07
Mon. 23:00

今年の夏は、やたらに鍛えられる。
お檀家さんの高齢化や代替わりの宗教離れに絶縁が進む万善寺の運営であえぐガケップチ坊主は、3ケタ以上のお檀家さんをかかえる専業住職様方の遺漏無い手配や配慮に適宜返礼することもままならないまま振り回されている。

つい先日、同宗寺院から代行依頼された葬式導師が終わったばかりなのに、また別口の葬式代行を依頼されて、万善寺の棚経スケジュールが狂ってきた。
こういうことなど、自分の坊主人生で一度あるかないかの珍しいことだ。
古い話になるが、先代住職の憲正さんが病気で臥せっている時に2〜3回代行導師をお願いしたことがあった。あの頃は、私も融通がきかない公務員だったりして、急な葬儀に即時対応することが出来なかったという事情があった。そういう過去の恩を忘れていないから、この度も黙って代行導師を引き受けている。それにしても、お盆の月に専業住職の忙しさもわかるが、田舎の末寺山寺住職の閑職が慢性化する我が身にとっては、心の奥底の方で専業住職の多忙をうらやんだりしていて、わきあがる煩悩の業欲に負けそうになってしまう。

万善寺のお盆は18日の施食会と大般若経転読会と塔婆供養回向でピークがくる。
それに向けて、本堂の荘厳を整え、境内地や参道とその周辺の草刈り掃除などの整備をしてお檀家さんのお参りをお迎えする。今年はそれに加えて庫裏の修繕も継続中で、なんとか人の目にふれるところだけでも体裁を整えておかなければいけない。
そのながれで、座敷へ彫刻の展示台を持ち込んで私やワイフや見習いユキちゃんの彫刻を展示した。お檀家さんの目に触れることは殆どないが、法要へ手間替え随喜の方丈さま方の目にはふれることになる。
若い頃の自分の絵が残っているし、これから夜なべ仕事に壁面を増設して平面作品も展示したいと思っている。
平面というと、鳥取でがんばっている(だろう?)アヤノちゃんはその後どうしているだろう??
7月末の展覧会では、自分の表現がそれなりに面白い方向へ繋がっていくふうに感じた。特に親しいわけでないから本人のことはあまり良くわからないが、それなりに頑固で意地も根性もあるふうに見えた。絵描きだろうが彫刻家だろうが、男だろうが女だろうが、まずは制作に執着する(坊主に禁物の)我欲が無いと話にならない。見た目ほどキレイな仕事でもないし制作に没頭するときは、身も心もドロドロに汚れまくっていたりするものだ。身体から染み出し漂う体臭を感じたりすると、それだけでだらしなく心乱れてヨロメイてしまったりする。そういう制作のひたむきさに惚れてしまう。
もう、かれこれ30年前からの付き合いになるストウさんも、ノリちゃんも、今は結婚して東京暮らしのグッチャンも、そうやって制作の付き合いが続いている。ユキちゃんが連れてきたヒョロリテツヤくんもなかなか面白い青年だった。これで筋肉がついて力持ちになったら一気に彫刻が伸びるだろう。それに、気がつけばアヤノちゃん推薦の旨い日本酒も飲まれてしまったし、そういう図々しさも良い。
・・・そのアヤノちゃんのあの絵はどんな感じで展開しているのだろう???

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行水のあと 

2017/08/06
Sun. 23:34

台風の影響だと思うが、やたら蒸し暑くてたまらない。
少しでも過ごしやすいうちに棚経を終わらせようと、8時半を待って万善寺を出発した。
日曜日ということもあって、例年留守で施錠されてある家も、久しぶりにお仏壇の前でお経を読むことが出来た。
年々、身体が弱って体力が衰えてお盆月の棚経がつらくなる。代わりを頼んだりすることも出来ないし・・さて、この状態をあと何年続けることが出来るのやら・・・

膝の具合が良くないままダマシダマシ動いていたら、8月に入ってますます調子が悪くなって、自分でもおかしくなるほど不格好にユラユラ揺れながら歩いている。
島根県の飯南高原に点在するお寺さんの棚経は、宗派を越えてお仏壇の前へ最短距離で上がってお経を始める習わしがあるようで、高い縁側をヨイショと上がり下りするところからすでに体力を消耗する。昔は、棚経というと若い修行僧やそれ専用の役僧や弟子が住職の代行をして済ませていた。憲正さんも、棚経の殆どを弟子で副住職の私へ丸投げして、自分は檀家総代さんや役員の皆さんのお宅を数軒歩いて回る程度だった。私には適当な弟子もいないから、全て自分一人でお盆の行事をまかなうことになる。

昼過ぎの一番暑い頃に万善寺へ帰着したら、境内の日陰でユキちゃんが彫刻を制作していた。
行水で汗を流してから形をみて、少し感想を伝えた。
今の私は、彫刻歴も40年近くなるし、それなりの場数も踏んで、テーマや形の蓄積もあるから、制作の途中で仕事の手が止まることもない。それでも、彫刻歴が若かった頃は、実材へとりかかるギリギリのところまでメモをまとめたりマケットを何個もつくったり壊したりしていたし、時には原寸大の型板を作ってスケールを確かめたりしていた。高価な材料を贅沢に刻んで納得するかたちを作り出すわけだから、失敗のムダは許されない。作品移動の経費も馬鹿にならないし、貧乏人は無駄にお金を捨てるわけにいかない・・・そんな思いで、彫刻の一つ一つを制作していた。
ユキちゃんは、会話の端々に彫刻をつくることへのヒタムキさがにじみ出ている気がする。こういう気持ちで彫刻に向き合っていられるうちは、確実に技量や感性が磨かれて伸びる。一方、その制作に対して気合が入りすぎるのもあまり良いことではない。冷静にかたちへ向き合うことをしないままひたすら手を動かし続けてしまうと、気が付かない間にかたちの緊張のポイントを見逃してしまったりする。
制作を続けるという先に発表の場が用意されているのなら、やはり、それを目指して様々に錯綜するスケジュールをキチンと整理して、予期せぬ事体に備えて少し余裕を持って制作に取り組むことが大事だ。
自分の夢や理想と、目の前の現実とが、あまり大きく開きすぎていると、完成の着地点を見失ってしまう。
自分の現状を一歩引いて俯瞰するくらいクールであってほしい。

台風の影響なのか、時折強い風が保賀の谷を吹き抜けていく。
羽根を休めていた白鷺の群れが、強風に舞って上昇気流を探していた。

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不具合の連鎖 

2017/08/03
Thu. 22:37

もう何年もの間、サッシの網戸が破れたままガムテープやセロテープや絶縁テープまで持ち出して修理にもならない修理を続けながら放置されていた。
気にはなっていたが変に口や手を出して毒を吐かれるより、見て見ぬふりで知らん顔をしていたほうが無駄な摩擦も起きないし、平和主義者の私としては都合がいい。

お檀家さんに建具屋さんがある。
その建具屋さんは、先代住職夫婦との付き合いが無いままだった。先代夫婦は寺の修繕全般を大工さんへ任せていて、何か不都合があるとすぐにその大工さんへ電話をすることにしていた。だから、何処かの調子が悪くなっても大工さんへ連絡すれば、都合よくアチコチへ手配してそれなりに修繕が終わるようになっていた。長い付き合いでそういうことも出来たのだろうが、どうも修繕の内容に身が入らないというか、その場しのぎの付け焼刃的修繕で終わっていて、後々の使い勝手が悪くて困ってしまう。

とにかく、庫裏から本堂へかけて、北側のアチコチが思った以上に傷んでいて手のつけようがない。始めの頃は、「お盆までにはなんとかなるだろう・・・}くらいにノンビリと構えていたが、1箇所の不具合が気になり始めると、次々にダメなところが見つかって、呆然となる。

モタモタしている間に、気がつけばお盆がすぐそこまで近づいていた。
石見銀山と飯南高原の二重生活をしているから、自分の道具をアッチとコッチで使い回ししていて、たとえば草刈機などは草が伸びるたびに結界くんのリヤデッキへ積み込んだり降ろしたりがしばらく続くことになる。
本格的に万善寺の修繕を始めたから、それの関係でジグソーやベルトサンダーやドライバドリルやボール盤やディスクグラインダや丸鋸や電動カンナなどなど、工場の道具が少しずつ万善寺の物置へ移動してきた。
なっちゃんの結婚式で必要になったフレームを工場で造り始めてから、使いたい道具が万善寺へ移動していたことに気がついた。ワザワザ取りに行くのも時間の無駄だし、「これも意識して仕組んだ味わいというヤツなのサ!」と、気持ちを切り替えて、その道具無しで制作できるように急きょ路線を変更した。道具というものは、無ければ無いなりに工夫をしてなんとか乗り切ることも出来てしまうが、やはり何かと無駄も多い。
修繕の事というと、不具合が少しばかり気になりはじめた時にすぐそれなりの工夫をしておけば重大な老朽を回避できることなどいくらでも出来ることだ。

「もう、このタイプのサッシは製造されてませんけぇ〜ねぇ〜・・・」
建具屋さんは、しばらくアレコレ対策を考え込んでいたが、「とりあえず、なんとかしてみますけぇ〜。ちゃんと出来るようにしますけぇ〜」
そう云って、寸法を測って修繕のパーツを軽トラへ積み込んで帰っていった。
網戸の修繕など、ソレ用の材料や道具があればなんとか出来るものだと思うが、そういえば、結界君の前のポンコツ君も、部品パーツの在庫切れが元で手放すことになったのだ。
一日の労働が虚しく感じる。行水で汗を流しているうちに西の空へ陽が沈んだ。

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大森小学校のワークショップ 

2017/07/18
Tue. 23:02

万善寺にいると、昼間から庭先でプラプラしていても、G15を首からぶら下げてお地蔵さん下の町道をブラブラしていても、特に周囲を気にすることもなく普通だったりする。
保賀の谷の住民も、「今日の方丈さんは、坊主仕事もなくて暇してるんだな」くらいに思いつつ、自分はセッセと田んぼの世話や田の畦の草刈りしながら普通に軽く会釈して挨拶を交わす。
そもそも、飯南高原全体の住民も高齢化率が高いから、スーパーへ出かけても郵便局へ入っても、行く先々で出逢うのは現役をリタイヤしたくらいの年格好のおじさんおばさんや、杖や手押し車や買い物カートの助けを借りてフラフラと歩いていらっしゃる高齢者の皆様がほとんどだ。

久しぶりに白昼の石見銀山を歩いていると、観光客の多さに驚く。
「何処からこれほどたくさんに人間が湧き出てくるんだろう・・・」などと、そういうことの方へ関心が向いたりする。
「わざわざ人の集まる混雑へ我が身を投じなくてもいいだろうに・・・」
日常の暮らしの周辺環境が違うだけで、自分でも気が付かない間に暮らしの常識も少しずつズレて思考の基準が変化していたりする。

大森小学校の子供たちは、現在全校で11人まで減っていた。
ワークショップの材料や道具を結界くんへ積み込んで観光客の人波を縫うように町並みを抜けて小学校へ急いだ。
図書館(図書室かな?)は、ランチルーム兼ときどき今回のような特別授業の会場になったりする。
今回準備した題材は、「ガラス瓶へリューターで絵や模様を描こう!」と言った感じ。
夏らしくて良いかな?と思ったし、ガラス瓶は、家に持って帰って何にでも使うことが出来るし、壊れなければ何時までも目に見える思い出として自分の近くに置いてくれるだろうというささやかな期待も込めてみた。
授業2コマ分をいただいて校長先生や教頭先生のお話から始まって、最後は子供たち一人ひとりの感想発表があって、私の〆のお話で終了。
リューターは、島根県現代彫刻振興委員会の備品として揃えてあるもので、ビットなどの消耗品を買い足しながら色々なワークショップで使い続けている。
大人から子供まで簡単に使えて危険も少なくて都合の良い道具になっている。
大森小学校の子供たちは、私の取扱説明が終わると、一気にリューターを使いはじめて、図書館にモーター音が充満した。
途中から担任の先生方も加わって、なかなか面白い力作がたくさん出来上がった。

小学校では、お昼の給食や学校菜園の夏野菜までいただいて、石見銀山の町並みに面した吉田家前の駐車場へ結界君を止めた時の印象が前記のそれだった。
これから1週間、石見銀山を拠点に暮らすつもりだ。
その間に鉄のクラフトを幾つか造るつもりにしている。

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一本の電話 

2017/06/28
Wed. 23:35

大森小学校へ通う集団登校の賑やかな声が吉田家の前を通り過ぎたら、簡単にその日の荷物を準備して石見銀山の町並みへ出る。
万善寺への通勤坊主が最近の日課になっていて、「しばらく休んでいないから、たまには1日ゆっくりと映画でも観て過ごしたいなぁ〜」と、毎朝のように気持ちはそちらの方に傾いているのに、身体のほうが勝手に反応して出かける準備に入ってしまう。
今日もそんな感じで疲れの取れきらない身体を引きずるように結界くんへ乗り込んで銀山街道へ入った。
その頃はまだ雨も降らないでいたが、梅雨の雲は低く下がっていて、何時降りはじめてもおかしくない状態だった。

万善寺へ着くと、保賀の鳥たちへ朝ごはんを振舞う。
それから本堂や庫裏のアレコレをいつものように一巡し、朝のコーヒーを抽出する。
外仕事は絶えることがないので気長に取り掛かるしか無いが、デスクワークの一つ一つはそれなりの締切りもあるから、午前中はそちらを優先するようにしていて、そろそろそういう流れが出来て習慣になりつつある。
狭い部屋へ閉じこもってイジイジとデスクワークで過ごすのも気が滅入ってはかどらないから、業者さんが撤退してから後はテーブルを庫裏玄関の軒先に持ち出した。
開放感が心地よくて、周囲のノイズで煩いわりに集中が持続して、気がつくとお昼を過ぎていたりする。
ひとりメシをつくる時間の無駄が、かえって仕事の気晴らしにもなって都合良かったりもする。
坊主の営業は開店休業状態であるが、それもあまり気にならなかったりする。
こういう状態でいられるということは、それなりに贅沢であるのかもしれない。

現代彫刻小品点のデータをまとめていたら電話が鳴った。徳島の彫刻家松永さんからだった。久しぶりだったが、相変わらず元気そうな声だった。用事の電話ではあったが、それも確認程度のことで、世間話がほとんどだった。
最近の吉田は、彫刻家というより坊主家業にベッタリ浸かりっぱなしでいることのほうが多くなっているから、彫刻絡みの書類作成がなんとなく空々しくもたついていたところだったので、松永さんからの電話で彫刻の感を少し取り戻すことが出来た気がする。
会話の途中で、永代供養墓の自然石のコトが出てきて、「さては、松永さん・・ボクのブログを見たな!」と、ピンときた。
私の現状をつぶさに見抜かれているようで、ドキリとして「ヤバイ!」と思ったが、一方で彼のさりげない親愛の支援が伝わってきた。

いつもいつも、ダラダラとりとめもなくその日の出来事を垂れ流しているだけのことなのだが、たまに、松永さんのように行間をくみ取ってさりげなく励ましてくれるヒトもいて、心の支えになっているし、踏ん張っていられたりする。
ブログがソコソコ継続しているということは、まぁ、自分がソコソコ元気で正気でいられているということなのだろう。

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2018-04