工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

終わらない草刈り 

2017/10/09
Mon. 23:58

草刈りをしている間に3連休が過ぎた。
その少し前は、雨に悩まされながら彫刻の搬入作業をしていたのだが、幸いにもその後草刈りを始めるとほぼ晴れの日が続いてくれたので、雨男の吉田としては大いに助かった。
きっと、万善寺の御本尊様がヘナチョコ住職の愚態を哀れんで少しばかり助けの手を差し伸べてくれたのだろう。
一日の仕事が終わって夜になると、身体のアチコチに鈍痛が生じて寝てから後もその刺激が神経のアチコチを絶え間なく刺激してくるものだから、なかなか熟睡できないまま一晩が過ぎる。連休最後の日は、天気が良すぎて気温もグングン上昇して、夏を思わせるほど暑くなって、わずかに残っていた体力がアッという間に吸い取られてしまった。ちょうど、境内下の用水路を保全するために業者さんが入って仕事をしていて、その辺り一帯は草刈りも出来ないし、次の土日が晴れることを確信して、ひとまず万善寺を引き上げることにした。

週初めには、富山の彫刻イベントを事務処理からスタートさせる。
早起きをして、幾つかの書類を整えて関係の部署を一巡しながら富山へ向かうつもりだ。
富山では野外彫刻の環境整備でまた草刈りをする。
この数年間で少しずつ知り合いになって話しやすくなった近所の町民の皆さんを表敬訪問しながら1日かければ、彫刻の周辺もなんとか見苦しくないまでにはなるだろう。

教室の展覧会も個展作家がおおよそ決まった。
昨年から引き続いて島根の竹田茂氏と鳥取の本池文乃氏に加え、新しく島大教育学部彫刻専攻の流れをくむ若い彫刻家がグループ展をしてくれることになって、少しずつ地元地域の美術活動が活性してきた。あとは、岡山赤礬から陶芸作家の芝さんと九州大牟田から女流彫刻家の井形さんが参加してくれることになった。昨年公開制作をしてくれた草月流華道家の西本さんにはワークショップでお世話になろうと思っている。

昨年までの過去2年間の資料を再確認していたら、本池さんの作品資料に目が止まった。山陰のグループ展ではじめて彼女の油絵を見た時に、面白い視点を持っていると思ったので声をかけてみたのがきっかけで教室個展に繋がった。教室個展は平面造形というよりも空間を構成演出するインスタレーション作品になっていた。シンプルな展示だったが、かえって制作の方向性がストレートに伝わってきて好感が持てたし、それ以降の展開が楽しみになった。その後、縁あって倉敷の芸術イベントでも一緒に展示することになって、彼女との距離が少し縮んだし、そこでの展示は確実に造形の方向性が面白くなっていた。
いつもは学校の先生をしているひとだから、その仕事の合間を使って制作するのはなかなか大変なことだろうが、良く踏ん張っていると思う。
今年に入っていつ頃だったろう??久しぶりに制作のことで縁が復活して、その後時々彼女の造形を見ていると、なにやらとんでもなく面白いことを考えていて、次の展開にとてつもない広がりを感じるようになった。彼女の師匠は島大の新井さんだが、彼の指導が良かったのか、彼女の潜在の資質を上手く引き出して育てていたのかもしれない。
さて、今度の富山ではどんな個展をしてくれるのか・・楽しみにしている。

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現代彫刻小品展終了前後 

2017/09/26
Tue. 06:15

お地蔵さんのご縁日は24日で1年に12回巡ってくるが、お盆月の24日を「地蔵盆」といってお地蔵さんの供養祈祷法要を厳修するお寺が多い。
発祥のいわれは色々あるから、興味があれば自分で検索してみてください・・
とにかく、万善寺ではその地蔵盆の法要を毎年9月24日に行っている。
これは、8月18日の万善寺施食会が終わって日が近いから、寺の都合で1ヶ月遅れにしたことと、23日が秋彼岸であることとあわせて、23日〜24日の2日間に渡って仏事が続くことで「秋の節目になるといいなぁ〜」と万善寺住職のささやかな期待を込めてのことだ。

今年の秋彼岸と地蔵供養は、運良くというか運悪くと言うか、土日にまたがった。
お地蔵様法要の主役はどちらかといえば地域の子供達になるのだが、その子供たちの子供会活動やスポーツ少年団活動が丸々そっくりと重なってしまって、主役が不在になってしまった。
それでも、例年この日を目当てにお参りをいただく常連のご婦人方は、ほとんど欠けること無くお参りくださって元気なお姿を拝見することが出来た。
それに今年は、彫刻制作で寄宿中のユキちゃんもお茶会の仲間に加わって、いつもにもまして新鮮な話題に花が咲いた。
やはり、オヤジばかりの通夜のような重たい空気の集まりより、ご婦人方の話題の絶えない賑やかな集まりのほうが楽しい。
たった2時間ほどのことだが、万善寺本堂が華やいだ。

寝る前に翌朝4時にアラームを設定しておいた。
25日は現代彫刻小品展の搬出日で2tアルミのロングをレンタル予約してある。
万善寺からだと、出雲街道から銀山街道を経由して1時間少々移動した先でトラックが待機している。お手伝いを立候補してくれたのりちゃんと店舗駐車場で6時に合流して、奥出雲に向かった。
斐伊川土手を走りながら約2時間ほど南下して彫刻展が終了した開場前に到着した。
早朝の空気は朝露をタップリ含んでヒンヤリと清々しい。
こういう時の秋の山の天気は晴れ渡ることが普通だから、きっとお昼頃には気温も上昇して暑くなるはずだ。

会期を通してお世話になった奥出雲のアクティブオヤジもお手伝いしてくれて、お昼前に彫刻梱包や展示台積み込みや会場復元などの作業が全て終了して、次の会場大田市富山町へ向かった。
11月から「とみやま彫刻フィールドアートワーク」が始まる。
その会場へ現代彫刻小品展を巡回することになる。
トラックを会場の廃校になった小学校生徒昇降口へ横付けして搬入作業が終了したのは午後の3時少し前。ほぼ予定通りに1日の行動予定が完了(結局昼食抜きになったけど・・)して、のりちゃんと別れて石見銀山へ着いたのは夕方だった。
ワイフと少しお茶を飲みながら会話して、ネコのシロと戯れ、メールチェックをして、ゴロリと横になって、先程目が覚めた。
なんと夕食も食べないで10時間眠り続けていた。

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ヨレヨレオヤジの1週間ーその3 

2017/09/20
Wed. 17:53

何年も前からお世話になっていたレンタルトラックの取扱業者が撤退してしまって、それ以来、彫刻関係の移動に苦労している。
徳島野外彫刻展に彫刻を搬入するのに都合の良い業務用のワンボックスがナカナカ手配できないでいた。現代彫刻小品展の準備の合間を見てなんとか借りる手段を見つけるところまでは良かったが、鍵の受け渡しや彫刻の積み込み移動などで無駄に結界くんを走らせることが増えて、もうソレだけでヨレヨレオヤジの体力が消耗した。

奥出雲と万善寺の往復で結界くんを走らせる。
展覧会場を出ると谷川沿いの県道をしばらく北上して、途中から左へソレて西へ向かう。そこから先は幾つもの山越えをして幾つものトンネルを潜って、途中のスーパーで買い物をして万善寺へ帰る。
もうかれこれ10日間くらいはこんな毎日を続けている。
その間に、稲刈りが始まって終わる。
ススキが穂を出し、そばが白い花を咲かせる。
台風もやってきたが、中国山地がガードしてくれた。
北朝鮮のミサイルは島根に大きな影響もなく過ぎたようだ。
広島カープが2年連続でセリーグを制したが、その歓喜を共有することは出来なかった。
先月末から続いていた七日務めの代行坊主が終わってやっとお役御免になった。
烏蒭沙摩明王様の一時遷座は、改修工事が終わって新トイレに安座される日も決まったので、彫刻制作中の工場から駆けつけてお経を読んだ。
まぁ、とにかく、毎日が昼も夜も関係なく目まぐるしく過ぎた。

現代彫刻小品展のキャプションと出品目録を造っていたら、出品者の彫刻が2点遅れて加わった。
その原稿差し替えや印刷を予定していた日に鳥取のアヤノちゃんが大作の試作を持ってやってきた。
昼の間は工場にこもって鉄の粉塵をかぶりながら彫刻の制作を続けていたから、もう、寺の玄関に入ったときは倒れそうだったが、すでに到着していたアヤノちゃんの弾けるほどの元気な笑顔に押し戻されてかろうじて踏みとどまった。
制作も佳境に入って、もう少し深刻に悩んで目が三角になっていても良い時期のはずなのにイヤにハイなのがかえって心配になる。
今更吉田ごときにお伺いをたててもそれほど作品レベルが向上するわけでもないと思うが、それなりになんとなく頼ってこられると、こちらもとろけた脳味噌を駆使してなんとか付き合っていこうという気になる。
こういう、制作の店を広げるのに建具を取り払った14畳ほどの寺の庫裏は都合が良い。
知恵を出し合いながら構成を煮詰めているうちに、いつの間にか夢の世界へトリップしていたようで、気がつくとすでに早朝!
アヤノちゃんは、ほぼ徹夜で試作と格闘していた。ナカナカの根性と体力だ。
それからヨレヨレオヤジはセッセと目録を手直しして印刷を続けた。
彫刻展の初日がこうしてスタートした。

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生業と家業 

2017/09/11
Mon. 23:39

現代彫刻小品展の業者搬入がはじまった。
昨年から会場が奥出雲町へ変わった。
この展覧会は、2010年から始まったので今年で8年目になるが、1年で2回から3回巡回することもあるので、回数はすでに10回を越えている。
よくここまで続いていると他人ごとのように思ってしまうが、だいたいがナマケモノの部類に属している自覚もあって、ノンビリ彫刻やクラフトばかりしていると、そのうちそれも面倒になって制作から遠ざかってしまいそうな気がするものだから、常に自分を適度に追い込んで忙しそうにしておかないとダメになりそうだとビビッてスタートしたようなところがある。

絵を描くこともキライではないが、どちらかというと工作のようにモノをつくることの方がスキだったから、結局そういう方面の勉強をはじめて、そうなると物好きの趣味程度では済まされなくなって、しだいに造形の世界へ本気に踏み込むようになった。
もう昔から坊主になることが決められていたから、別に好きで坊主になるわけでもないし、そういう気持ちで死ぬまで好きでもない仕事を続けることも嫌なことだから、自然と制作表現の方へ力が入るようになって、ソコソコ自信もついて納得できるところまでいくと、それなりの欲も芽生えるし、同業諸氏との付き合いも楽しいし、制作中の苦しさが快感に変わったりしはじめると、もうあとに引けなくなってそれが生業になった。
坊主は家業のようなものだから、それはそれで吉田家の継承的重要度も承知している。
いつの頃からか、生業と家業が少しずつ適度に混ざりあって、造形のコンセプトを形成するようになっていた。

現代彫刻小品展も、一年中ソレばかり思い詰めてアクセク働いているわけでもないが、いつの間にか少しずつ規模が大きくなって好意的意見を聞くようになったりすると、そろそろ自分の手に余るふうに感じるようになって来た。
今年は、春先から坊主家業の方と吉田家の私事の慶弔事が絶え間なく続いて、彫刻絡みの幾つかが著しく調整不能になって息切れし始めた。
このままだと、いずれどこかで何かにつまづいておおごとになりそうな気もしてきたから、まずは自分個人の事情をやりくりして精査整理することにした。
そういうめぐり合わせでもあるのだろうし、過去の自分を振り返る良い機会でもあった。

いまのところ、造形の枯渇を感じたことはないが、肉体の衰えによる制作上の不具合が先行して、造形の変更を迫られることは増えた。当初、この造形の変更がかなりのストレスになって制作の苦痛に耐えられないこともあったが、その時期を踏ん張ると、意外な発見があったりしてソレはソレで面白いと思えるようになった。そうなると、本当に難なく次の展開が具体的に見えるようになって、最近では昔々の自分のようにチョコチョコとメモをとっていたりするようになって、それはとにかくとても久しぶりのことだ。
これから先、あとどれだけ制作できるかわからない。メモは増えるかもしれないが実材の彫刻の方はそろそろ指折り数えられるくらい予測できるようになってきた。
彫刻も仕切り直しで再スタートを考えても良い頃なのかもしれない。

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気持ちのもんだい 

2017/09/09
Sat. 23:36

やっぱり、整頓された工場は気持ちがいい。
このまま何時までも綺麗なままだったら良いと思うが、そうなるともう彫刻を造ることもなくなるだろうし・・・まぁ、適度に乱雑な方がヤル気になれるような気もする。

坊主の修行では、毎日欠かすこと無く掃除をする。
修行の僧堂が違えばシステムも少しずつ違うと思う。私が修行させていただいた僧堂では幾つかの係を振り分けられて、それなりのスケジュールも決まっていて、毎日掃除ばかりをしていたわけでもなかったが、修行僧全体を均すと、誰かが何処かの掃除をしているということに変わりはなかった。
面白いもので、万善寺の暮らしを続けていると、1日のかなりの時間を掃除に使っていることに気付く。
草刈りやチョットした改修作業も含めると、寺にいる時で、お経を読んだり食事をしたり寺務のデスクワークをしたりする以外は殆どなにかしらどこかしらの掃除や営繕作業をしていたりする。
長い目で見ると、結局毎日だいたいそういう似たり寄ったりの生活をしていたら、極端に酷く汚れることも荒れることもない。やはり、修行暮らしの基本として掃除は重要で大事な作務のひとつだということだ。
そう考えると、日常的に自分一人で維持管理できる限界点が見えてきて、山寺万善寺は狭いながら少々手に余る程の規模になる。6畳チョットの工場と物置倉庫くらいがちょうどいい大きさといえる。
その工場で午前中かけて鉄板の裁断を8割方終わらせた。
あとは溶接をしながら細かい微調整をしつつ組み立てていくことになる。
頭の中ではおおよその図面も出来ていて、現物を見ながら具体的なかたちを造り込むことになる。
久しぶりにまとまった制作になって、心配していた集中力も比較的長持ちして、身体の動きもソコソコで体力も極度に衰えたふうでもなかった。
これから制作が長期化するし、自分の身体の様子を見ながら無理をしすぎない程度に工場通いを続けようと思っている。

午後から奥出雲の展覧会に向けて結界くんへ積めるだけの資材や備品を運んだ。
久しぶりの会場は未使用の期間が続いたせいか埃っぽい空気が停滞して、展覧会にはいらない什器がたくさんあって、それらを整理するだけで1日はかかりそうだ。
今回からは人手に頼ることも難しくなったから、会場整備の時間や体力も確保しておかなければいけない。
彫刻から遠ざかった坊主暮らしで鈍り切った身体や精神を鍛え直さないといけない。

家族のSNSに吉田家三姉妹が情報を流していた。キーポンは友達とJUMPのコンサート。なっちゃんの結婚式で造った掲示板がやっと使えてもらえたようだし、ハリケーンが心配なノッチは同僚と助け合ってたくましく暮らしているようだ。
こういう家族情報は私の鈍り切った気持ちを奮い立たせてくれて励みになる。

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残暑の1日 

2017/09/08
Fri. 23:19

早朝の銀山街道は濃い霧に包まれていた。
予報ではこれから晴れて残暑も厳しくなるようだ。

あまり体調の優れないワイフが夜中に咳をするようになった。
これから六本木の彫刻の制作もあるし、現代彫刻小品展もあるし、徳島の野外彫刻展もあるし、とみやまでは3年目を迎える彫刻アートワークもあるし、年末まで彫刻漬けの制作が続くから、身体には十分に気を使ってほしい。
石見銀山と万善寺の二重生活をしている間に、自分の身の回りのものが二箇所へ分散してしまった。その時々の都合のいいようにモノをアッチとコッチへ持ち運んでいたら、コッチで必要なモノがアッチにいっていたり、アッチで必要なものがコッチにあったり・・そんな暮らしが暫く続くと、最近衰えが加速する脳ミノのハードディスク系統がパニックを起こしてしまってクラッシュ寸前状態になっている。
ワイフに必要な風邪薬も、記憶の断片を手繰っていったら万善寺の寺務所にあったことを思い出して、朝飯前に早朝の銀山街道を走ることになった次第。

ワイフにはとにかく休息して風邪を早く直せと言い置いて、彫刻制作の工場へ出かけた。
前回その工場で彫刻を造ったのは、今年に入ってまだ母親が生きていた頃だった。
その後、彼岸明けに母親が死んでからあとは万善寺のことで手一杯になって彫刻制作の時間が消滅したままアッという間に半年が過ぎた。
鉄粉とガーネットが混ざった粉塵が工場の床一面に積もっている。
何時もなら制作が終わって彫刻を搬入して展覧会の用事が落ち着くとすぐに一斉清掃をして次の制作に向けて環境を整えておくのだが、今年はソレも出来ないまま春から秋になってしまった。
大作用に造り付けた鉄板の野外デッキには、早々と落ち葉が積もり始めている。

工場の2階は彫刻の展示台を保管する倉庫になっている。
自分のスケジュールをザックリと調整してみると、今のうちに小品展の展覧会用に展示台をプラットホームの近くまで移動しておいたほうが良いと判断して、掃除が終わってからその作業をはじめた。
今までは、何かにつけて作家仲間が作業を手伝ってくれていたが、今年から現代彫刻小品展の方は助成金が切れたからそれも頼みにくくなった。それでも作業を割愛することも出来ないから、気持ちを切り替えて約80個の展示台をすべて1階へ降ろした。
こういう作業は、時間があれば十分一人で出来ることでもあるし、はじめから誰かを頼ってしまうとそれだけで自分の気持ちが無駄に荒れる。調子の悪い膝をかばいながらだいたい1時間ほど1階と2階を往復した。

夕食はアジの刺身が出来ていた。アジはボクの大好物で、ワイフの気遣いが伝わって、疲れもいっきにとれて麦とホップが2カン空いた。
ノッチから巨大ハリケーンの情報が入った。
水の確保もなんとかできたらしい。少し安心した。

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仮称:ギャラリーまんぜんじ 

2017/08/12
Sat. 23:01

台風の大風が吹いて以来、雨の降り癖がついてしまったようで、一気に伸びた草を刈ることも出来ないまま毎日がアッという間に過ぎる。
ワイフに電話をすると、石見銀山も似たようなもので、雨がよく降っているそうだ。

棚経ばかりで他に何もしないでいるわけにいかないから、本堂の荘厳をおおよそ済ませた。
いつもはガランとして畳ばかりの本堂だが、荘厳の配置をしたり仏具を移動したりしてみると、どこかしら雑然として狭苦しく俗っぽくなってしまう。
少し強い風が吹くたびに天井裏の積年の埃ゴミが舞い落ちて配置を終わった仏具に降りかかる。お盆のお寺参りも時々あるし、本当なら施食会法要の直前まで何もしないでおきたかったのだが、夢と理想と現実を調整してみるに、このひと夏の万善寺のほとんど80%以上を一人で乗り切ることを思うと背に腹は代えられない。

庫裏の方は、今まで老人の二人暮らしが半世紀以上続いて、その間の色々なものがあふれかえって空気の淀みが室内のいたるところに出来ていたのを解消することに終始している。
北側の全面は、家屋の内外含めて朽ち落ちる寸前まで劣化して手のつけようがない。
ひとまずは、捨てられないまま無駄に室内各所へ詰め込まれたモノを1箇所へ集めて、冬になってから落ち着いて整理することにした。
狭いながらに、いちおう寺院の機能が足りるくらいの部屋はなんとか確保しなければいけないし、それを思うと、大げさでもなく、頭が冴えて眠れない日が続いている。
先のことを悶々と考え続けても室内のモノが動くわけでもないから、棚経を終わると雨の様子を見ながらセッセと庫裏の整備に集中した。

1年の万善寺行事をザックリ洗いだすと、庫裏の公的使用はせいぜい10日程度のものだ。それ以外のほとんど毎日を締め切ってしまうのは、どう考えても回転率が悪すぎる。
先々うまくいくかどうか分からないが、自分にできることはなにかと考えてみるに、美術造形絡みの活用くらいしか思いつかない。
この10年間で展示開催していた現代彫刻小品展のノウハウをもとに、畳の床をフローリングに張り替えたり壁面を仮設したりして、なんとなく美術展示が出来るくらいのスペースをつくってみた。若い作家の個展とかグループ展ができれば良いかなと思っていて、今後、期間中の宿泊も可能なくらいまでに改修してみようと思う。

ユキちゃんの参加したグループ展が一段落して、そのかわりのように、鳥取からアヤノちゃんが大作の試作模型を持って伺いにやってきた。鳥取からだとかなりの距離だし、ワザワザ島根の山奥で一人暮らしの吉田をアテにすることもないだろうと思わないでもないが、今までの幾つかの企画絡みで表現の伸びも感じるし、彼女次第だけど、作家路線が安定して少し先が見通せるくらいまでは付き合っておいたほうが良いようにも思っている。
昼は棚経の裏番組で寺の留守番しながら試作を座敷に広げ、寄宿暮らしのユキちゃんに提供した部屋で一晩寝て帰っていった。

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だろう??? 

2017/08/07
Mon. 23:00

今年の夏は、やたらに鍛えられる。
お檀家さんの高齢化や代替わりの宗教離れに絶縁が進む万善寺の運営であえぐガケップチ坊主は、3ケタ以上のお檀家さんをかかえる専業住職様方の遺漏無い手配や配慮に適宜返礼することもままならないまま振り回されている。

つい先日、同宗寺院から代行依頼された葬式導師が終わったばかりなのに、また別口の葬式代行を依頼されて、万善寺の棚経スケジュールが狂ってきた。
こういうことなど、自分の坊主人生で一度あるかないかの珍しいことだ。
古い話になるが、先代住職の憲正さんが病気で臥せっている時に2〜3回代行導師をお願いしたことがあった。あの頃は、私も融通がきかない公務員だったりして、急な葬儀に即時対応することが出来なかったという事情があった。そういう過去の恩を忘れていないから、この度も黙って代行導師を引き受けている。それにしても、お盆の月に専業住職の忙しさもわかるが、田舎の末寺山寺住職の閑職が慢性化する我が身にとっては、心の奥底の方で専業住職の多忙をうらやんだりしていて、わきあがる煩悩の業欲に負けそうになってしまう。

万善寺のお盆は18日の施食会と大般若経転読会と塔婆供養回向でピークがくる。
それに向けて、本堂の荘厳を整え、境内地や参道とその周辺の草刈り掃除などの整備をしてお檀家さんのお参りをお迎えする。今年はそれに加えて庫裏の修繕も継続中で、なんとか人の目にふれるところだけでも体裁を整えておかなければいけない。
そのながれで、座敷へ彫刻の展示台を持ち込んで私やワイフや見習いユキちゃんの彫刻を展示した。お檀家さんの目に触れることは殆どないが、法要へ手間替え随喜の方丈さま方の目にはふれることになる。
若い頃の自分の絵が残っているし、これから夜なべ仕事に壁面を増設して平面作品も展示したいと思っている。
平面というと、鳥取でがんばっている(だろう?)アヤノちゃんはその後どうしているだろう??
7月末の展覧会では、自分の表現がそれなりに面白い方向へ繋がっていくふうに感じた。特に親しいわけでないから本人のことはあまり良くわからないが、それなりに頑固で意地も根性もあるふうに見えた。絵描きだろうが彫刻家だろうが、男だろうが女だろうが、まずは制作に執着する(坊主に禁物の)我欲が無いと話にならない。見た目ほどキレイな仕事でもないし制作に没頭するときは、身も心もドロドロに汚れまくっていたりするものだ。身体から染み出し漂う体臭を感じたりすると、それだけでだらしなく心乱れてヨロメイてしまったりする。そういう制作のひたむきさに惚れてしまう。
もう、かれこれ30年前からの付き合いになるストウさんも、ノリちゃんも、今は結婚して東京暮らしのグッチャンも、そうやって制作の付き合いが続いている。ユキちゃんが連れてきたヒョロリテツヤくんもなかなか面白い青年だった。これで筋肉がついて力持ちになったら一気に彫刻が伸びるだろう。それに、気がつけばアヤノちゃん推薦の旨い日本酒も飲まれてしまったし、そういう図々しさも良い。
・・・そのアヤノちゃんのあの絵はどんな感じで展開しているのだろう???

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行水のあと 

2017/08/06
Sun. 23:34

台風の影響だと思うが、やたら蒸し暑くてたまらない。
少しでも過ごしやすいうちに棚経を終わらせようと、8時半を待って万善寺を出発した。
日曜日ということもあって、例年留守で施錠されてある家も、久しぶりにお仏壇の前でお経を読むことが出来た。
年々、身体が弱って体力が衰えてお盆月の棚経がつらくなる。代わりを頼んだりすることも出来ないし・・さて、この状態をあと何年続けることが出来るのやら・・・

膝の具合が良くないままダマシダマシ動いていたら、8月に入ってますます調子が悪くなって、自分でもおかしくなるほど不格好にユラユラ揺れながら歩いている。
島根県の飯南高原に点在するお寺さんの棚経は、宗派を越えてお仏壇の前へ最短距離で上がってお経を始める習わしがあるようで、高い縁側をヨイショと上がり下りするところからすでに体力を消耗する。昔は、棚経というと若い修行僧やそれ専用の役僧や弟子が住職の代行をして済ませていた。憲正さんも、棚経の殆どを弟子で副住職の私へ丸投げして、自分は檀家総代さんや役員の皆さんのお宅を数軒歩いて回る程度だった。私には適当な弟子もいないから、全て自分一人でお盆の行事をまかなうことになる。

昼過ぎの一番暑い頃に万善寺へ帰着したら、境内の日陰でユキちゃんが彫刻を制作していた。
行水で汗を流してから形をみて、少し感想を伝えた。
今の私は、彫刻歴も40年近くなるし、それなりの場数も踏んで、テーマや形の蓄積もあるから、制作の途中で仕事の手が止まることもない。それでも、彫刻歴が若かった頃は、実材へとりかかるギリギリのところまでメモをまとめたりマケットを何個もつくったり壊したりしていたし、時には原寸大の型板を作ってスケールを確かめたりしていた。高価な材料を贅沢に刻んで納得するかたちを作り出すわけだから、失敗のムダは許されない。作品移動の経費も馬鹿にならないし、貧乏人は無駄にお金を捨てるわけにいかない・・・そんな思いで、彫刻の一つ一つを制作していた。
ユキちゃんは、会話の端々に彫刻をつくることへのヒタムキさがにじみ出ている気がする。こういう気持ちで彫刻に向き合っていられるうちは、確実に技量や感性が磨かれて伸びる。一方、その制作に対して気合が入りすぎるのもあまり良いことではない。冷静にかたちへ向き合うことをしないままひたすら手を動かし続けてしまうと、気が付かない間にかたちの緊張のポイントを見逃してしまったりする。
制作を続けるという先に発表の場が用意されているのなら、やはり、それを目指して様々に錯綜するスケジュールをキチンと整理して、予期せぬ事体に備えて少し余裕を持って制作に取り組むことが大事だ。
自分の夢や理想と、目の前の現実とが、あまり大きく開きすぎていると、完成の着地点を見失ってしまう。
自分の現状を一歩引いて俯瞰するくらいクールであってほしい。

台風の影響なのか、時折強い風が保賀の谷を吹き抜けていく。
羽根を休めていた白鷺の群れが、強風に舞って上昇気流を探していた。

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不具合の連鎖 

2017/08/03
Thu. 22:37

もう何年もの間、サッシの網戸が破れたままガムテープやセロテープや絶縁テープまで持ち出して修理にもならない修理を続けながら放置されていた。
気にはなっていたが変に口や手を出して毒を吐かれるより、見て見ぬふりで知らん顔をしていたほうが無駄な摩擦も起きないし、平和主義者の私としては都合がいい。

お檀家さんに建具屋さんがある。
その建具屋さんは、先代住職夫婦との付き合いが無いままだった。先代夫婦は寺の修繕全般を大工さんへ任せていて、何か不都合があるとすぐにその大工さんへ電話をすることにしていた。だから、何処かの調子が悪くなっても大工さんへ連絡すれば、都合よくアチコチへ手配してそれなりに修繕が終わるようになっていた。長い付き合いでそういうことも出来たのだろうが、どうも修繕の内容に身が入らないというか、その場しのぎの付け焼刃的修繕で終わっていて、後々の使い勝手が悪くて困ってしまう。

とにかく、庫裏から本堂へかけて、北側のアチコチが思った以上に傷んでいて手のつけようがない。始めの頃は、「お盆までにはなんとかなるだろう・・・}くらいにノンビリと構えていたが、1箇所の不具合が気になり始めると、次々にダメなところが見つかって、呆然となる。

モタモタしている間に、気がつけばお盆がすぐそこまで近づいていた。
石見銀山と飯南高原の二重生活をしているから、自分の道具をアッチとコッチで使い回ししていて、たとえば草刈機などは草が伸びるたびに結界くんのリヤデッキへ積み込んだり降ろしたりがしばらく続くことになる。
本格的に万善寺の修繕を始めたから、それの関係でジグソーやベルトサンダーやドライバドリルやボール盤やディスクグラインダや丸鋸や電動カンナなどなど、工場の道具が少しずつ万善寺の物置へ移動してきた。
なっちゃんの結婚式で必要になったフレームを工場で造り始めてから、使いたい道具が万善寺へ移動していたことに気がついた。ワザワザ取りに行くのも時間の無駄だし、「これも意識して仕組んだ味わいというヤツなのサ!」と、気持ちを切り替えて、その道具無しで制作できるように急きょ路線を変更した。道具というものは、無ければ無いなりに工夫をしてなんとか乗り切ることも出来てしまうが、やはり何かと無駄も多い。
修繕の事というと、不具合が少しばかり気になりはじめた時にすぐそれなりの工夫をしておけば重大な老朽を回避できることなどいくらでも出来ることだ。

「もう、このタイプのサッシは製造されてませんけぇ〜ねぇ〜・・・」
建具屋さんは、しばらくアレコレ対策を考え込んでいたが、「とりあえず、なんとかしてみますけぇ〜。ちゃんと出来るようにしますけぇ〜」
そう云って、寸法を測って修繕のパーツを軽トラへ積み込んで帰っていった。
網戸の修繕など、ソレ用の材料や道具があればなんとか出来るものだと思うが、そういえば、結界君の前のポンコツ君も、部品パーツの在庫切れが元で手放すことになったのだ。
一日の労働が虚しく感じる。行水で汗を流しているうちに西の空へ陽が沈んだ。

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大森小学校のワークショップ 

2017/07/18
Tue. 23:02

万善寺にいると、昼間から庭先でプラプラしていても、G15を首からぶら下げてお地蔵さん下の町道をブラブラしていても、特に周囲を気にすることもなく普通だったりする。
保賀の谷の住民も、「今日の方丈さんは、坊主仕事もなくて暇してるんだな」くらいに思いつつ、自分はセッセと田んぼの世話や田の畦の草刈りしながら普通に軽く会釈して挨拶を交わす。
そもそも、飯南高原全体の住民も高齢化率が高いから、スーパーへ出かけても郵便局へ入っても、行く先々で出逢うのは現役をリタイヤしたくらいの年格好のおじさんおばさんや、杖や手押し車や買い物カートの助けを借りてフラフラと歩いていらっしゃる高齢者の皆様がほとんどだ。

久しぶりに白昼の石見銀山を歩いていると、観光客の多さに驚く。
「何処からこれほどたくさんに人間が湧き出てくるんだろう・・・」などと、そういうことの方へ関心が向いたりする。
「わざわざ人の集まる混雑へ我が身を投じなくてもいいだろうに・・・」
日常の暮らしの周辺環境が違うだけで、自分でも気が付かない間に暮らしの常識も少しずつズレて思考の基準が変化していたりする。

大森小学校の子供たちは、現在全校で11人まで減っていた。
ワークショップの材料や道具を結界くんへ積み込んで観光客の人波を縫うように町並みを抜けて小学校へ急いだ。
図書館(図書室かな?)は、ランチルーム兼ときどき今回のような特別授業の会場になったりする。
今回準備した題材は、「ガラス瓶へリューターで絵や模様を描こう!」と言った感じ。
夏らしくて良いかな?と思ったし、ガラス瓶は、家に持って帰って何にでも使うことが出来るし、壊れなければ何時までも目に見える思い出として自分の近くに置いてくれるだろうというささやかな期待も込めてみた。
授業2コマ分をいただいて校長先生や教頭先生のお話から始まって、最後は子供たち一人ひとりの感想発表があって、私の〆のお話で終了。
リューターは、島根県現代彫刻振興委員会の備品として揃えてあるもので、ビットなどの消耗品を買い足しながら色々なワークショップで使い続けている。
大人から子供まで簡単に使えて危険も少なくて都合の良い道具になっている。
大森小学校の子供たちは、私の取扱説明が終わると、一気にリューターを使いはじめて、図書館にモーター音が充満した。
途中から担任の先生方も加わって、なかなか面白い力作がたくさん出来上がった。

小学校では、お昼の給食や学校菜園の夏野菜までいただいて、石見銀山の町並みに面した吉田家前の駐車場へ結界君を止めた時の印象が前記のそれだった。
これから1週間、石見銀山を拠点に暮らすつもりだ。
その間に鉄のクラフトを幾つか造るつもりにしている。

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一本の電話 

2017/06/28
Wed. 23:35

大森小学校へ通う集団登校の賑やかな声が吉田家の前を通り過ぎたら、簡単にその日の荷物を準備して石見銀山の町並みへ出る。
万善寺への通勤坊主が最近の日課になっていて、「しばらく休んでいないから、たまには1日ゆっくりと映画でも観て過ごしたいなぁ〜」と、毎朝のように気持ちはそちらの方に傾いているのに、身体のほうが勝手に反応して出かける準備に入ってしまう。
今日もそんな感じで疲れの取れきらない身体を引きずるように結界くんへ乗り込んで銀山街道へ入った。
その頃はまだ雨も降らないでいたが、梅雨の雲は低く下がっていて、何時降りはじめてもおかしくない状態だった。

万善寺へ着くと、保賀の鳥たちへ朝ごはんを振舞う。
それから本堂や庫裏のアレコレをいつものように一巡し、朝のコーヒーを抽出する。
外仕事は絶えることがないので気長に取り掛かるしか無いが、デスクワークの一つ一つはそれなりの締切りもあるから、午前中はそちらを優先するようにしていて、そろそろそういう流れが出来て習慣になりつつある。
狭い部屋へ閉じこもってイジイジとデスクワークで過ごすのも気が滅入ってはかどらないから、業者さんが撤退してから後はテーブルを庫裏玄関の軒先に持ち出した。
開放感が心地よくて、周囲のノイズで煩いわりに集中が持続して、気がつくとお昼を過ぎていたりする。
ひとりメシをつくる時間の無駄が、かえって仕事の気晴らしにもなって都合良かったりもする。
坊主の営業は開店休業状態であるが、それもあまり気にならなかったりする。
こういう状態でいられるということは、それなりに贅沢であるのかもしれない。

現代彫刻小品点のデータをまとめていたら電話が鳴った。徳島の彫刻家松永さんからだった。久しぶりだったが、相変わらず元気そうな声だった。用事の電話ではあったが、それも確認程度のことで、世間話がほとんどだった。
最近の吉田は、彫刻家というより坊主家業にベッタリ浸かりっぱなしでいることのほうが多くなっているから、彫刻絡みの書類作成がなんとなく空々しくもたついていたところだったので、松永さんからの電話で彫刻の感を少し取り戻すことが出来た気がする。
会話の途中で、永代供養墓の自然石のコトが出てきて、「さては、松永さん・・ボクのブログを見たな!」と、ピンときた。
私の現状をつぶさに見抜かれているようで、ドキリとして「ヤバイ!」と思ったが、一方で彼のさりげない親愛の支援が伝わってきた。

いつもいつも、ダラダラとりとめもなくその日の出来事を垂れ流しているだけのことなのだが、たまに、松永さんのように行間をくみ取ってさりげなく励ましてくれるヒトもいて、心の支えになっているし、踏ん張っていられたりする。
ブログがソコソコ継続しているということは、まぁ、自分がソコソコ元気で正気でいられているということなのだろう。

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紫陽花の咲くころ 

2017/06/20
Tue. 23:29

「わたし、いつもデジカメ携帯してるから♡!」
少し前に、キーポンから紫陽花の写真が届いたので、上手に撮れてキレイだと返事した。

4月から保育士で働き始めた彼女は、現在ゼロ歳児を担当しているのだそうだ。
仕事で、色々なシーンを記録しておくこともあるから「デジカメ買ったの!」だそうだ。
それから、出かける時はそのデジカメを鞄に忍ばせているらしい。

私がキャノンAE-1プロギラムを買ったのは、新宿ピットインの斜め前にあったカメラ屋さんだった。
当時学生だった私は、特にカメラが好きだというわけでもなく、どちらかといえば必要に迫られて「買わされた」ような状況だったと記憶している。
カメラ本体売りが常識で、それにどのレンズを組み込むかオプションの選択肢で価格が決まるシステムで、その日暮らしの貧乏学生にとっては、かなり高価な買い物だった。
結局、店員さんの推薦というか、助言と言うか、まぁ、云うなりに標準レンズをセットして設定されていた最低標準価格のモノに決めて、それがキャノンだったわけだ。
カメラのことは特に詳しいわけでもないし、ひとまず一眼レフで被写体の構図やピントが狂わなければいいくらいの写真になっていれば良かったから、買ってしばらくは、プログラム設定のおまかせ写真ばかり撮っていた。
その頃中元と歳暮を狙って定期的に開催していた展示即売のクラフトグループ展があった。まだバブルがハジケル前で、学生の分際でも何かそれらしきものを造ればソコソコ売れていた時代だった。庶民でも日常の暮らしが少しばかり贅沢できていたから、クラフトのオリジナルデザインが気に入られていていたし、学生の手造りクラフトは価格も安く設定してあったし、それに、大量生産でない一品物であるという付加価値も加わって、需要と供給の思惑が合致してよく売れた。
キャノンはその展覧会と称した展示即売会の売上で買った。

グループ展の先輩にカメラの詳しい人がいて、立体作品の撮り方を丁寧に教えてくれた。
被写界深度と絞り優先とかシャッタースピード優先とか、ISOのことやフィルムの感度など、グループ展の会期中に集中してやたら親切に指導してくれた。
「一見怖そうだけど優しい先輩だなぁ〜」くらいに思いつつ熱心に教わっていたら、「俺、他の用事があってもう会場へ来ること出来ないのよ。悪いけど、俺の代わりに、展示作品全部、写真撮っておいてくれる?よろしく頼むわぁ〜」ということだった。
私が一番暇してるふうに見えたのだろう、マンマとハメられた感じだったが、ある意味信用されたふうにも感じて、やたら緊張しながら三脚使って撮影を続けた。

今は、キャノンでもお手軽PowerShot Gシリーズ愛用者になったが、あの時の先輩のお陰で写真撮影の基礎がシッカリ身についてとても助かっている。
展覧会の図録用写真から、お正月の年賀状までなんでも一人でまかなっている。
憲正さん遷化の時は、遺影や本葬差定冊子まで手造りした。
あの先輩とはその後疎遠のままだが、とても感謝している。

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三日坊主 

2017/05/19
Fri. 23:55

最近、鏡を見る機会が増えた・・・かといって、ナルシシストに目覚めたわけでもない。
現実は、営繕作業で汗を流すのでシャワーの機会が増えたことと、一日の半分くらいが仏事絡みの仕事だったりする時に無精髭を剃ったり伸びた頭にバリカンをあてたりすることが頻繁になったことで、その度に鏡を見る時間が増えただけのことだ。

頭を刈るとか髭を剃るとかいうことは、どちらかと言うと彫刻家の吉田スタイルというより坊主の吉田スタイルの身だしなみのようなものだから、バリカンなどの道具一式を万善寺の洗面所と風呂へ移動した。
今月唯一の法事があるので、いつもの営繕作業を終わって陽のあるうちに風呂の鏡を見ながら坊主スタイルを整えた。
前々から気づいていたことなのだが、後頭部の頭蓋骨の出っ張りと、その周辺の頭皮のダブツキがひどくなって、そのあたりになるとバリカンが思うように動かない。
さすがに、鏡でも後頭部までは肉眼で見ることが出来ないから、首を捻じ曲げたり余った片手で頭皮を引っ張ってみたり、指先の触感に頼ったり、いろいろとそれなりに工夫しながらバリカンをあてている。もう一箇所、顎の先から喉へかけての髭剃りで剃り残しが出来るようになって、こちらの方は少し慎重にその気になって鏡を覗き込んだら状態が確認できるから、ひととおり石鹸の泡を流してから再確認をする。
さすがに、今の自分くらいの年齢になると体全体の毛に白いものが目立つようになってきた。光のあたり具合によっては、白くなった毛が皮膚の色に同化して見えなくなることがあるので、毛が抜け落ちたかと錯覚することがある。毛が長く伸びていると禿げたのか白髪になったのか判断しやすいが、私のように極端に短く刈り上げた時は区別しにくい。

坊主が30人ほど集まることがあって、その席でそれこそ坊主頭のことが話題になった。
「私達坊主は、何時の頃から頭を丸めるようになったのでしょう?」
「どうして坊主が頭を丸めるのにカミソリを使うことが普通になったんでしょう?」
万善寺のナンチャッテ住職は、頭にバリカンをあててすませているし、口髭も剃り残してハサミで切りそろえているから、まぁ、ようするにわたし名指しの当て付けであったかもしれないが、それも考え過ぎのことであったかもしれないし、よくわからないまま、「さぁ、どうしてでしょう??禅の開祖の達磨さんは髪も長いし髭もありますよね・・」と、返答しておいたら、周辺の坊さんたちが坊主頭の話題に食いついてしばし盛り上がった。
「ようするに、昔はバリカンという道具が存在しなくて、頭を丸める時は髭を剃るカミソリをそのまま使いまわすしかなかったからですよ」
言われてみると確かにそうで、納得できる。聞くところによると、昔々は、ハサミもないから、長い髪もカミソリで削ぎ整えていたらしい。

結局は長い髪が修行のジャマになるとか、不衛生の元になるとか、坊主を見た目で識別しやすくするとか、それなりの幾つかの理由が都合よく集まったのだろう。
私の場合、坊主頭に慣れてしまうと、もう髪を伸ばそうという気にもならない。バリカンをあてて3日もすると、もう頭皮がムズムズしてくる。坊主頭はやめられないですね。
・・というのが、ナンチャッテ坊主的解釈の「三日坊主」というヤツであります。

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吉田家裏庭営繕作業継続中 

2017/05/16
Tue. 23:37

この数日、私の周辺は比較的良い天気が続いている。
ノッチが帰省している時は雨が多かった。
彼女は雨女なのだそうだ。私は雨男だから、二人でウロウロしていたら天気が悪くなるのも仕方がないだろう。

島根県内で彫刻の展覧会やイベントを企画開催する時は、石見銀山の町並みに工務店を構える棟梁へお手伝いを頼む。
若い頃は東京で大工をしていたから仕事が早くて都合がいい。
万善寺のお檀家さんにも大工さんが3人いたのだが、その中で一番頼みやすかった棟梁が1年ほど前に若くして病気で死んだ。彼が死ぬとしばらくして工務店は解散して工場の工具や機械を売却して店じまいしてしまった。その棟梁のやり残した仕事もいくつかあったようだ。その一つに万善寺の舎利棚殿もあった。全体の80%以上は完成していて、細かな仕上げ仕事がいくつか残っていたが、結局次への引き継ぎが上手くいかなかったようで、なんとなく完成の曖昧なまま、しばらくして請求書が届いた。
「まだ、お願いしていたことが最後まで終わってないんだけどなぁ〜?」と、モヤッとした気持ちで請求書の明細を見ると、特に細かなことも書いて無くて「◯◯一式」で済まされていた。
本人のいなくなってからあとになって、「あれはどうなってる、これはこうだった・・」などと、蒸し返してもしょうがないから、少し値がはるものの「香資」ということで飲み込んで、先々代から続いていた万善寺お抱え大工のようなお付き合いを断った。

檀家さん以外の工務店や棟梁と付合いが無いから、寺の修繕も停滞したまま1年が過ぎたところで俊江さんが死んだ。考えようによっては、やっと「過去からの義理も切れて自分の思うように自分の責任で物事を済ますことが出来るのだ!」と気持ちを切り替えて、石見銀山の棟梁に相談したら「あぁ〜良いよ!」と、いつもの軽いノリで引き受けてくれたので、早速万善寺へ案内して修繕の打ち合わせをして見積もりをお願いした。
棟梁は、「まだ仕事の途中で忙しいから」と、お茶も飲まないで帰っていって、それから10日ほどして見積もりを持ってきてくれた。
例のごとく、吉田家裏庭の営繕作業が続いていたので、棟梁には銀山川を渡って直接裏庭へ来てもらった。
「いやぁ〜、こりゃ大きなスモモ!!これがポポーの木かね??アレッ、グミもあるがね!まぁまぁビワもあって・・・この花何かね??」
吉田家を建ててもらった時は、だだっ広いだけのタダの空き地だったのが、この20年でジャングルのようになって当時の面影も消えた上に、鬱蒼と様々な草木が茂って里山を切り取ったような裏庭へ変貌を遂げ、それでしばし話題が広がった。
ちょうどいい機会だからと、早速吉田家のトタン屋根へ上がって現状を見てもらって、天窓の修繕もお願いした。

あとで見積もりを見ると、思ったより安かった。
棟梁へは、今年も島根県内で開催予定の彫刻イベントへも付き合ってもらうつもりだ。

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実践!オヤジのルール 

2017/05/14
Sun. 23:04

次女のノッチが、春の大型連休を1週間ずらして帰省してきた。
石見銀山で5日間位のんびりしたあと、夜行の高速バスで東京へ帰っていった。
早朝にバスタへ着いて、自宅へ寄ってから会社へ出勤する。

吉田家の4人の子供たちは、末娘のキーポンが保育士になって働き始めたので、全員が社会人になって独り立ちしてくれた。
長男と末娘だけは18歳まで吉田家で暮らしたが、長女と次女は15歳から吉田家を出て一人暮らしをはじめた。
子供たちへは、学校が終わるまでは親の援助が必要だから、その支援内容に見合うくらいの口出しはさせてもらおうと密かにオヤジなりのルールを決めさせてもらっていた。結局は、稼ぎの悪いニートオヤジの支援など無いに等しいことだから、気がついたら子供たち一人ひとりがソコソコ自活して、ひとまずは自力でメシを食べながらそれぞれの学校へ通ってそれぞれそれなりの学生時代を経験して卒業してくれた。だから、4人共すべてバラバラの仕事をしていて全員がバラバラに暮らしている。今年に入ってからは、私の寺暮らしがいっきに増えたから、親も子も吉田家全員がバラバラに一人暮らしをしているようなふうになった。

オヤジのルールとは、大それたものでも何でもなくて、「アルバイトなどで働く時は飲食業などの水モノ職業を探せ!」というだけのこと。
要するに、「稼ぎは悪くてもメシには困らない」ということ。
これは、まったくもって私の経験に基づく根拠があるだけのことだから万人に当てはまることもないだろうし、アルバイトに頼らないでも楽に暮らせる青年もたくさんいるだろうから、完全に吉田家オリジナル吉田家限定のルールであると思っているが、4人の子供たちは4人共ソコソコ忠実にこのルールを実践してくれた。
中でも次女のノッチの就業遍歴は筋金入りで、ことごとく水モノ職業を渡り泳いでいる。
始まりは喫茶店のホール。ここでは、時々消費期限の迫ったケーキなどをもらって帰ってきていた。
高校の時はラーメン屋でアルバイトをしようと探していたが、おじいちゃんの反対で断念。
大学の時は、居酒屋のチェーン店。結局ほぼ4年間続いて、贅沢なまかない飯で腹を満たしていたらしい。
国外脱出して働いていたシンガポールは日本食焼肉レストランだったから、食いっぱぐれナシ!
帰国してしばらくは、なんと◯◯のおいしい水なる、家庭用飲料水をコンテナ販売して関東一円を回っていたこともある。
今は、20代で起業した若社長の下で事務経理を任されているようだが、かなりの確率で食事に誘ってくれるらしい。
そして、今年の8月からは1年間フロリダのオーランドにあるエプコットの日本館レストランで働くことが決まった。
この就職活動がなかなか強気で面白い。未だに吉田家のノッチネタで話題に登っている。

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吉田家営繕作業〜草刈り 

2017/05/09
Tue. 23:26

石見銀山は朝から雨になった。

石見銀山の大森町町並みから銀山川まで続く土地へ20年ほど前に引っ越した時は、全面隅から隅まで細かく仕切られた畑だった。
ほぼ中央に桃の木が1本あって、畑が日陰になるからと横に広がった枝木はすべて切り落とされて、二股に分かれてYの字に上へ伸びてバランスの崩れた枝ぶりがどこかしら弱々しく寂しげに感じられた。
その畑の町並み側へ慎ましく建っていた廃屋同然の平屋を修繕して今の吉田家になった。
吉田家の大屋根が大森町の家並みに埋もれるように低いのは、それだけ建築時期が古いという証拠なのだそうだ。大屋根が抜けて青空が見える状態の家を修理するにあたって、奈良県の方からやってきたその筋の歴史的建築研究の専門家が調査してわかったことだ。
石見銀山の町並み全体は文化財指定の網にかかっていて、原則として更地にしてから新築することが出来ないことになっている。家とその真下の土地セットで中古車価格並に安く買い取ったものの、結局は改築工事の経費が膨大にかかって、終わってみれば、新築並みかそれ以上の費用がかかっていた。そのおかげで死ぬまで借金返済を続ける羽目になって今に至っている。
もともと私の書斎になっている四畳半は、江戸中期の文化文政時代に出来上がったということがわかっていて、黒く煤けた柱や天井板もその頃のものだということだ。
今は、その柱にインパクトで木ねじをねじ込んだりケーブルテレビの同軸ケーブルを這わせたりして、伝統とか保存とか、全く無視して使い倒している。

万善寺での暮らしが増え始めてから、吉田家内外の営繕が手付かずのまま放置されることが増えた。
移住してすぐの時に、以前暮らしていた家の庭先に植えていたウメやスモモやグミやビワなどの果木を裏の畑へ移植した。その後、ワイフの趣味の延長で次々と草木が植えられた。
もともと長い間畑で使われていた土地は栄養タップリで肥沃だから、移植の草木果木はスクスクと面白いように成長してアッという間に林になった。

現在の吉田家裏庭は、荒れ放題の雑木林的状態になっていて足の踏み場もない。
だいたい、1年に2〜3回は草刈り機を振り回しているが、その度にワイフが大事にしている草花も一緒に刈り倒してしまうものだから、「そろそろ裏の草刈りしておいてくれない♡」などと、依頼する時は優しげなのに、ひと仕事終わった後はやたらと機嫌が悪くなって、だいたいいつも叱られている。
毎年同じような展開が続くと、最近はもう慣れてしまって、ワイフを無視して都合よく自分の良いように刈り取ってしまう。どうせ何やっても叱られるのはわかっているからね。

1日、雨に濡れながら混合油の切れるまで草刈り機振り回し続けたが、結局最後まで刈り切ることができなかったから、日を改めて仕切り直しになった。
この時期には珍しいほど冷え込んだから、夜になってストーブに薪を投げ込んだ。

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オヤジ道中記〜東京都立美術館〜 

2017/03/18
Sat. 12:39

隔年開催の春季展へ先週のはじめに彫刻の搬入をすませたのに、もう搬出の日が迫っている。その搬出の方は、島根県彫刻界の新進気鋭ホープ作家周藤豊治氏が行ってくれる。

私にとって春の展覧会は、公私を含めて日程の調整がとにかく難しい。
作品発表の場が東京の美術館に集中することが多いから、島根県のように東京から1000km近く離れていると、こうして、何人かの同好の士が周辺にいてくれないと、年々歳を取る一方のヨレヨレ彫刻家としてはとても彫刻制作や展覧会を継続できるものではない。

最初の展覧会らしきグループ展に誘われて銀座のギャラリーへ作品展示させてもらったのが、確か22〜23歳の時だった。
その頃は、強い意志を持って何かしら作品発表を継続しようと決めていたわけでもなかったが、気がつけば毎年何かしらの展覧会らしき作品発表が続いていて、結局、この歳になるまでしばしも絶えることなく制作を続けることが出来ていた。
もう、ここまでくると自分のライフワークの一つと踏ん張ってみるのも良いかもしれない・・・と、具体的にそう思うようになったのは2010年の春だったと記憶している。

石見銀山が世界遺産認定登録されたのは2007年だったはずだ。
その2〜3年前から周辺がとにかく騒がしくなって、昼夜公私を問わず、何処かで何かの世界遺産認定に関連した会議とか説明会とか研究会とかイベントとかが開催されていた。
石見銀山のど真ん中で、それなりに緩やかなスケジュールをこなしつつ、つつましく静かに彫刻の制作や発表を続けていた私も、いつの間にか流行性感冒の熱に感染したかのように世界遺産の熱に飲み込まれてしまっていた。
それまで、普通に楽に石見銀山町内の好きなところへ彫刻を設置させてもらっていた(もちろん、地権者の承諾を得てのことだけど)し、町内で美術の展覧会が出来ていたのに、急に文化の規制が厳しくなって彫刻家の住みにくい町になった。
規制の根拠としては、過去の文化遺産を保存し後世に伝えるうえで、個人の文化活動が時代考証や地域文化伝承の妨げや弊害になる可能性が高いと判断されたわけだ。
個人の文化活動は趣味の延長とか大衆の文化祭くらいに留めておけばそれが妥当だくらいにしか認識されないことへのいきどおりを強く感じた。
彫刻の制作で、彫刻のかたちを借りて自分の今を表現させてもらっている私としては、そういう、一部の硬直した官民一体のまずは世界遺産保全ありき的不透明で希薄な寄生虫のような管理体制に対して、あくまでも自分の彫刻表現で抵抗するしか無いと決めて、現代彫刻小品展を石見銀山で立ち上げたのが2010年だったわけだ。

都立美術館がリニューアルオープンして、久しぶりに彫刻展示を手伝わせてもらった。
学生時代からお世話になっている思い出深い美術館だったが、ほとんど変わらない外見に対して、あまりにも大きく様変わりした管理システムには驚かされた。
美術館という器は、やはりそこに美術芸術表現をもって参集する作家の資質に、毅然として、且つ包容力を持って対峙するくらいの度量が欲しい。
石見銀山しかり都立美術館しかり、担板漢的類友の衆には心底疲れる・・・

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予定変更 

2017/02/02
Thu. 23:36

先日、出雲へ出た時に衝動買いしたベルギー産のチョコを、初午祭まで待てなくて味見してしまった。
ようするに、軟弱坊主は食欲の誘惑に負けて甘いものに手を出してしまって、その原因は倉敷の森山珈琲深焙煎を飲んでしまったことによる!・・・などと、また他人のせいにして我が身を守ったりしている・・・という、このいやらしいオヤジだったりする。
万善寺の3畳寺務所で珈琲飲んでマッタリしていたら、知らない間にそういう状況にハマってしまったりしてしまう訳だ。

このところのブログネタは、延々と万善寺のことや雪のことばかりで、自分のひらめきとか発見とかワクワク感とかがまったく無い。
「立春が過ぎたら、彫刻家の吉田に変身するぞ!」
しばらく前からそういうふうに自分の気持を切り替え始めていて、やっと、モヤッとしていたスケジュールが具体的になり始めたところだった。
その区切りの一つに、母親の通院日程を組み込んで、雪の状況とか参道の具合をチェックしながら、一方で最近やたらとしぶとく超元気な我儘自己虫母親を牽制しながら適度に負荷を与えつつ過ごしていた。
その通院が本日で、昨夜から雪がぱらつき、夜半から明け方は星が降るほどの晴天になり、もう最悪の雪が積もってガチガチに凍った放射冷却の朝になってしまったのだ!
仕方がないから、鉄の先が尖ったスコップを持ち出して参道の氷をカキ砕いて結界くんを無理やり境内まで上げたら、彼の軟弱なFRPバンパーがグニャリと曲がったりして、なかなかイラつく通院になった。

母親を病院へ預けて自分の用事を済ませていたら、電話が鳴った。
いつもは1年に1度も会話がないほどのお檀家さんからで、とてもイヤな予感がした。
やはり、的中で、大正13年生まれのお母さんが亡くなったとのこと。
時間の調整をして枕経を読んでから葬儀日程を打ち合わせした。
節分から立春が面白いほどピタリと見事に重なった。
実は友引が重なったりしていたから内心ビクビクしていたが、自治会の世話人さんは見事にスルーしてくれて助かった。
気がつけば、密かに温めていたボクの彫刻計画があっけなく崩れ去ってしまった。
自分にとっては坊主も外せない仕事のうちだから、仕方がないことなのだが、それにしても、日頃の付き合いが全くないお檀家さんで、それも亡くなったお母さんの方は、年に1度の棚経でもお話をしたことがなかったりして、坊主は坊主なりに複雑な心境の枕経になった。

夕方から、仮通夜で出直して、1時間ばかりしっかりとお経を読んで、日頃お寺参りの皆さんに少しずつ積み重ねてお話している仏教のアレコレから幾つかをまとめて、少し長めの説教とも言えない「今さら聞けないお経の話」なる講釈を垂れておいた。
週末から3日間はすでに予定を決めて連絡しあっていたことが幾つかあったのだが、それのキャンセルやら日程変更やら、夕食後は慌ただしい夜になって、今になった。

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大寒波襲来がどうした! 

2017/01/15
Sun. 22:17

世間的にいうと、島根県の東部を中心にそれなりの強烈な寒気団にスッポリと包まれているようであります!
吉田的にいうと、まぁ、毎年何回か遭遇する厄介な降雪の1回分に遭遇した・・と、そんな感じの1日を過ごしたわけであります。

万善寺の早朝は、絶え間なく降り続く雪から始まった。
保賀の谷のとんど祭りの日で、前夜には御焚きあげ用の御札を書いて守護印をペタペタ押して準備完了して、夜の冷え込みが結構厳しかったから、「これは、夜のうちに降り積もるな!」と雪の心配をしながら2枚重ねのシュラフに潜り込んだ。
やっぱり冷え込みが何時もより厳しかったようで、早朝の尿意を我慢できなくてオシッコに起きたら、だいたい一晩で30cmは雪が積もっていた。

島根県の飯南高原でその程度の積雪は普通に常識の範囲だから、特に気にすることもなくとんど祭りの仕度をしていたら、保賀の自治会長さんから電話が入った。
「おはよぉ〜〜〜ございますぅ〜〜、それで、お清めは何時ぐらいがいいでしょぉ〜かぁ〜〜〜?」
さて、そんなに早くても、この雪で参道を下りるまでに20分はかかるだろう・・と、判断して、
「そぉ〜ですねぇ〜・・・それじゃぁ、9時ということで・・・」
チョット見栄を張ってそぉ答えたものの、寒い朝をそれなりに自堕落に過ごしていたナンチャッテ坊主は、それはそれなりに焦ったのでありました。

絶え間なく降り続く雪の中で、とんど祭りのお焚きあげ法要を済ませ、その足で広島県との県境を越えた。
保賀地内にあれだけ降っていた雪が、県境を越えると「なにこれ??」という感じで雪風景が軟弱になった。

法事は結局、この度の大雪(でもなかったけど・・)報道でビビッたご親族の欠席が続いて、当初予定の半分以下の参列になった。人の頭数でお経の長短が決まるわけでもないから、それなりにいつも通りのゆったりとした法事を済ますことが出来た。
斎場の仕切りオヤジが、「とても勉強になりました!なかなかこういうご法事は無いものですから・・・」などと、話題を振ってきた。
「それで、何かどうかしたということで??・・・」などと、話題を繋げていたら、「このあたりでは、法事はだいたい20分というところでしょうか・・・」
「広島県の仏事の実態はこれなんだ!」と、唖然とした。
「まずはティータイム!」から始まる法事の法式が、島根の万善寺と広島でここまで違うのかと、もう、むちゃくちゃビックリ!!
普通の法事で、短くて1時間半から始まる万善寺の法式は、果たして正しいのだろうか・・??だれがどう考えても、法事一つを20分で片付けるのは無理でしょぉ〜〜〜?

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2017-10