工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

仮称:ギャラリーまんぜんじ 

2017/08/12
Sat. 23:01

台風の大風が吹いて以来、雨の降り癖がついてしまったようで、一気に伸びた草を刈ることも出来ないまま毎日がアッという間に過ぎる。
ワイフに電話をすると、石見銀山も似たようなもので、雨がよく降っているそうだ。

棚経ばかりで他に何もしないでいるわけにいかないから、本堂の荘厳をおおよそ済ませた。
いつもはガランとして畳ばかりの本堂だが、荘厳の配置をしたり仏具を移動したりしてみると、どこかしら雑然として狭苦しく俗っぽくなってしまう。
少し強い風が吹くたびに天井裏の積年の埃ゴミが舞い落ちて配置を終わった仏具に降りかかる。お盆のお寺参りも時々あるし、本当なら施食会法要の直前まで何もしないでおきたかったのだが、夢と理想と現実を調整してみるに、このひと夏の万善寺のほとんど80%以上を一人で乗り切ることを思うと背に腹は代えられない。

庫裏の方は、今まで老人の二人暮らしが半世紀以上続いて、その間の色々なものがあふれかえって空気の淀みが室内のいたるところに出来ていたのを解消することに終始している。
北側の全面は、家屋の内外含めて朽ち落ちる寸前まで劣化して手のつけようがない。
ひとまずは、捨てられないまま無駄に室内各所へ詰め込まれたモノを1箇所へ集めて、冬になってから落ち着いて整理することにした。
狭いながらに、いちおう寺院の機能が足りるくらいの部屋はなんとか確保しなければいけないし、それを思うと、大げさでもなく、頭が冴えて眠れない日が続いている。
先のことを悶々と考え続けても室内のモノが動くわけでもないから、棚経を終わると雨の様子を見ながらセッセと庫裏の整備に集中した。

1年の万善寺行事をザックリ洗いだすと、庫裏の公的使用はせいぜい10日程度のものだ。それ以外のほとんど毎日を締め切ってしまうのは、どう考えても回転率が悪すぎる。
先々うまくいくかどうか分からないが、自分にできることはなにかと考えてみるに、美術造形絡みの活用くらいしか思いつかない。
この10年間で展示開催していた現代彫刻小品展のノウハウをもとに、畳の床をフローリングに張り替えたり壁面を仮設したりして、なんとなく美術展示が出来るくらいのスペースをつくってみた。若い作家の個展とかグループ展ができれば良いかなと思っていて、今後、期間中の宿泊も可能なくらいまでに改修してみようと思う。

ユキちゃんの参加したグループ展が一段落して、そのかわりのように、鳥取からアヤノちゃんが大作の試作模型を持って伺いにやってきた。鳥取からだとかなりの距離だし、ワザワザ島根の山奥で一人暮らしの吉田をアテにすることもないだろうと思わないでもないが、今までの幾つかの企画絡みで表現の伸びも感じるし、彼女次第だけど、作家路線が安定して少し先が見通せるくらいまでは付き合っておいたほうが良いようにも思っている。
昼は棚経の裏番組で寺の留守番しながら試作を座敷に広げ、寄宿暮らしのユキちゃんに提供した部屋で一晩寝て帰っていった。

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だろう??? 

2017/08/07
Mon. 23:00

今年の夏は、やたらに鍛えられる。
お檀家さんの高齢化や代替わりの宗教離れに絶縁が進む万善寺の運営であえぐガケップチ坊主は、3ケタ以上のお檀家さんをかかえる専業住職様方の遺漏無い手配や配慮に適宜返礼することもままならないまま振り回されている。

つい先日、同宗寺院から代行依頼された葬式導師が終わったばかりなのに、また別口の葬式代行を依頼されて、万善寺の棚経スケジュールが狂ってきた。
こういうことなど、自分の坊主人生で一度あるかないかの珍しいことだ。
古い話になるが、先代住職の憲正さんが病気で臥せっている時に2〜3回代行導師をお願いしたことがあった。あの頃は、私も融通がきかない公務員だったりして、急な葬儀に即時対応することが出来なかったという事情があった。そういう過去の恩を忘れていないから、この度も黙って代行導師を引き受けている。それにしても、お盆の月に専業住職の忙しさもわかるが、田舎の末寺山寺住職の閑職が慢性化する我が身にとっては、心の奥底の方で専業住職の多忙をうらやんだりしていて、わきあがる煩悩の業欲に負けそうになってしまう。

万善寺のお盆は18日の施食会と大般若経転読会と塔婆供養回向でピークがくる。
それに向けて、本堂の荘厳を整え、境内地や参道とその周辺の草刈り掃除などの整備をしてお檀家さんのお参りをお迎えする。今年はそれに加えて庫裏の修繕も継続中で、なんとか人の目にふれるところだけでも体裁を整えておかなければいけない。
そのながれで、座敷へ彫刻の展示台を持ち込んで私やワイフや見習いユキちゃんの彫刻を展示した。お檀家さんの目に触れることは殆どないが、法要へ手間替え随喜の方丈さま方の目にはふれることになる。
若い頃の自分の絵が残っているし、これから夜なべ仕事に壁面を増設して平面作品も展示したいと思っている。
平面というと、鳥取でがんばっている(だろう?)アヤノちゃんはその後どうしているだろう??
7月末の展覧会では、自分の表現がそれなりに面白い方向へ繋がっていくふうに感じた。特に親しいわけでないから本人のことはあまり良くわからないが、それなりに頑固で意地も根性もあるふうに見えた。絵描きだろうが彫刻家だろうが、男だろうが女だろうが、まずは制作に執着する(坊主に禁物の)我欲が無いと話にならない。見た目ほどキレイな仕事でもないし制作に没頭するときは、身も心もドロドロに汚れまくっていたりするものだ。身体から染み出し漂う体臭を感じたりすると、それだけでだらしなく心乱れてヨロメイてしまったりする。そういう制作のひたむきさに惚れてしまう。
もう、かれこれ30年前からの付き合いになるストウさんも、ノリちゃんも、今は結婚して東京暮らしのグッチャンも、そうやって制作の付き合いが続いている。ユキちゃんが連れてきたヒョロリテツヤくんもなかなか面白い青年だった。これで筋肉がついて力持ちになったら一気に彫刻が伸びるだろう。それに、気がつけばアヤノちゃん推薦の旨い日本酒も飲まれてしまったし、そういう図々しさも良い。
・・・そのアヤノちゃんのあの絵はどんな感じで展開しているのだろう???

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行水のあと 

2017/08/06
Sun. 23:34

台風の影響だと思うが、やたら蒸し暑くてたまらない。
少しでも過ごしやすいうちに棚経を終わらせようと、8時半を待って万善寺を出発した。
日曜日ということもあって、例年留守で施錠されてある家も、久しぶりにお仏壇の前でお経を読むことが出来た。
年々、身体が弱って体力が衰えてお盆月の棚経がつらくなる。代わりを頼んだりすることも出来ないし・・さて、この状態をあと何年続けることが出来るのやら・・・

膝の具合が良くないままダマシダマシ動いていたら、8月に入ってますます調子が悪くなって、自分でもおかしくなるほど不格好にユラユラ揺れながら歩いている。
島根県の飯南高原に点在するお寺さんの棚経は、宗派を越えてお仏壇の前へ最短距離で上がってお経を始める習わしがあるようで、高い縁側をヨイショと上がり下りするところからすでに体力を消耗する。昔は、棚経というと若い修行僧やそれ専用の役僧や弟子が住職の代行をして済ませていた。憲正さんも、棚経の殆どを弟子で副住職の私へ丸投げして、自分は檀家総代さんや役員の皆さんのお宅を数軒歩いて回る程度だった。私には適当な弟子もいないから、全て自分一人でお盆の行事をまかなうことになる。

昼過ぎの一番暑い頃に万善寺へ帰着したら、境内の日陰でユキちゃんが彫刻を制作していた。
行水で汗を流してから形をみて、少し感想を伝えた。
今の私は、彫刻歴も40年近くなるし、それなりの場数も踏んで、テーマや形の蓄積もあるから、制作の途中で仕事の手が止まることもない。それでも、彫刻歴が若かった頃は、実材へとりかかるギリギリのところまでメモをまとめたりマケットを何個もつくったり壊したりしていたし、時には原寸大の型板を作ってスケールを確かめたりしていた。高価な材料を贅沢に刻んで納得するかたちを作り出すわけだから、失敗のムダは許されない。作品移動の経費も馬鹿にならないし、貧乏人は無駄にお金を捨てるわけにいかない・・・そんな思いで、彫刻の一つ一つを制作していた。
ユキちゃんは、会話の端々に彫刻をつくることへのヒタムキさがにじみ出ている気がする。こういう気持ちで彫刻に向き合っていられるうちは、確実に技量や感性が磨かれて伸びる。一方、その制作に対して気合が入りすぎるのもあまり良いことではない。冷静にかたちへ向き合うことをしないままひたすら手を動かし続けてしまうと、気が付かない間にかたちの緊張のポイントを見逃してしまったりする。
制作を続けるという先に発表の場が用意されているのなら、やはり、それを目指して様々に錯綜するスケジュールをキチンと整理して、予期せぬ事体に備えて少し余裕を持って制作に取り組むことが大事だ。
自分の夢や理想と、目の前の現実とが、あまり大きく開きすぎていると、完成の着地点を見失ってしまう。
自分の現状を一歩引いて俯瞰するくらいクールであってほしい。

台風の影響なのか、時折強い風が保賀の谷を吹き抜けていく。
羽根を休めていた白鷺の群れが、強風に舞って上昇気流を探していた。

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不具合の連鎖 

2017/08/03
Thu. 22:37

もう何年もの間、サッシの網戸が破れたままガムテープやセロテープや絶縁テープまで持ち出して修理にもならない修理を続けながら放置されていた。
気にはなっていたが変に口や手を出して毒を吐かれるより、見て見ぬふりで知らん顔をしていたほうが無駄な摩擦も起きないし、平和主義者の私としては都合がいい。

お檀家さんに建具屋さんがある。
その建具屋さんは、先代住職夫婦との付き合いが無いままだった。先代夫婦は寺の修繕全般を大工さんへ任せていて、何か不都合があるとすぐにその大工さんへ電話をすることにしていた。だから、何処かの調子が悪くなっても大工さんへ連絡すれば、都合よくアチコチへ手配してそれなりに修繕が終わるようになっていた。長い付き合いでそういうことも出来たのだろうが、どうも修繕の内容に身が入らないというか、その場しのぎの付け焼刃的修繕で終わっていて、後々の使い勝手が悪くて困ってしまう。

とにかく、庫裏から本堂へかけて、北側のアチコチが思った以上に傷んでいて手のつけようがない。始めの頃は、「お盆までにはなんとかなるだろう・・・}くらいにノンビリと構えていたが、1箇所の不具合が気になり始めると、次々にダメなところが見つかって、呆然となる。

モタモタしている間に、気がつけばお盆がすぐそこまで近づいていた。
石見銀山と飯南高原の二重生活をしているから、自分の道具をアッチとコッチで使い回ししていて、たとえば草刈機などは草が伸びるたびに結界くんのリヤデッキへ積み込んだり降ろしたりがしばらく続くことになる。
本格的に万善寺の修繕を始めたから、それの関係でジグソーやベルトサンダーやドライバドリルやボール盤やディスクグラインダや丸鋸や電動カンナなどなど、工場の道具が少しずつ万善寺の物置へ移動してきた。
なっちゃんの結婚式で必要になったフレームを工場で造り始めてから、使いたい道具が万善寺へ移動していたことに気がついた。ワザワザ取りに行くのも時間の無駄だし、「これも意識して仕組んだ味わいというヤツなのサ!」と、気持ちを切り替えて、その道具無しで制作できるように急きょ路線を変更した。道具というものは、無ければ無いなりに工夫をしてなんとか乗り切ることも出来てしまうが、やはり何かと無駄も多い。
修繕の事というと、不具合が少しばかり気になりはじめた時にすぐそれなりの工夫をしておけば重大な老朽を回避できることなどいくらでも出来ることだ。

「もう、このタイプのサッシは製造されてませんけぇ〜ねぇ〜・・・」
建具屋さんは、しばらくアレコレ対策を考え込んでいたが、「とりあえず、なんとかしてみますけぇ〜。ちゃんと出来るようにしますけぇ〜」
そう云って、寸法を測って修繕のパーツを軽トラへ積み込んで帰っていった。
網戸の修繕など、ソレ用の材料や道具があればなんとか出来るものだと思うが、そういえば、結界君の前のポンコツ君も、部品パーツの在庫切れが元で手放すことになったのだ。
一日の労働が虚しく感じる。行水で汗を流しているうちに西の空へ陽が沈んだ。

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大森小学校のワークショップ 

2017/07/18
Tue. 23:02

万善寺にいると、昼間から庭先でプラプラしていても、G15を首からぶら下げてお地蔵さん下の町道をブラブラしていても、特に周囲を気にすることもなく普通だったりする。
保賀の谷の住民も、「今日の方丈さんは、坊主仕事もなくて暇してるんだな」くらいに思いつつ、自分はセッセと田んぼの世話や田の畦の草刈りしながら普通に軽く会釈して挨拶を交わす。
そもそも、飯南高原全体の住民も高齢化率が高いから、スーパーへ出かけても郵便局へ入っても、行く先々で出逢うのは現役をリタイヤしたくらいの年格好のおじさんおばさんや、杖や手押し車や買い物カートの助けを借りてフラフラと歩いていらっしゃる高齢者の皆様がほとんどだ。

久しぶりに白昼の石見銀山を歩いていると、観光客の多さに驚く。
「何処からこれほどたくさんに人間が湧き出てくるんだろう・・・」などと、そういうことの方へ関心が向いたりする。
「わざわざ人の集まる混雑へ我が身を投じなくてもいいだろうに・・・」
日常の暮らしの周辺環境が違うだけで、自分でも気が付かない間に暮らしの常識も少しずつズレて思考の基準が変化していたりする。

大森小学校の子供たちは、現在全校で11人まで減っていた。
ワークショップの材料や道具を結界くんへ積み込んで観光客の人波を縫うように町並みを抜けて小学校へ急いだ。
図書館(図書室かな?)は、ランチルーム兼ときどき今回のような特別授業の会場になったりする。
今回準備した題材は、「ガラス瓶へリューターで絵や模様を描こう!」と言った感じ。
夏らしくて良いかな?と思ったし、ガラス瓶は、家に持って帰って何にでも使うことが出来るし、壊れなければ何時までも目に見える思い出として自分の近くに置いてくれるだろうというささやかな期待も込めてみた。
授業2コマ分をいただいて校長先生や教頭先生のお話から始まって、最後は子供たち一人ひとりの感想発表があって、私の〆のお話で終了。
リューターは、島根県現代彫刻振興委員会の備品として揃えてあるもので、ビットなどの消耗品を買い足しながら色々なワークショップで使い続けている。
大人から子供まで簡単に使えて危険も少なくて都合の良い道具になっている。
大森小学校の子供たちは、私の取扱説明が終わると、一気にリューターを使いはじめて、図書館にモーター音が充満した。
途中から担任の先生方も加わって、なかなか面白い力作がたくさん出来上がった。

小学校では、お昼の給食や学校菜園の夏野菜までいただいて、石見銀山の町並みに面した吉田家前の駐車場へ結界君を止めた時の印象が前記のそれだった。
これから1週間、石見銀山を拠点に暮らすつもりだ。
その間に鉄のクラフトを幾つか造るつもりにしている。

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一本の電話 

2017/06/28
Wed. 23:35

大森小学校へ通う集団登校の賑やかな声が吉田家の前を通り過ぎたら、簡単にその日の荷物を準備して石見銀山の町並みへ出る。
万善寺への通勤坊主が最近の日課になっていて、「しばらく休んでいないから、たまには1日ゆっくりと映画でも観て過ごしたいなぁ〜」と、毎朝のように気持ちはそちらの方に傾いているのに、身体のほうが勝手に反応して出かける準備に入ってしまう。
今日もそんな感じで疲れの取れきらない身体を引きずるように結界くんへ乗り込んで銀山街道へ入った。
その頃はまだ雨も降らないでいたが、梅雨の雲は低く下がっていて、何時降りはじめてもおかしくない状態だった。

万善寺へ着くと、保賀の鳥たちへ朝ごはんを振舞う。
それから本堂や庫裏のアレコレをいつものように一巡し、朝のコーヒーを抽出する。
外仕事は絶えることがないので気長に取り掛かるしか無いが、デスクワークの一つ一つはそれなりの締切りもあるから、午前中はそちらを優先するようにしていて、そろそろそういう流れが出来て習慣になりつつある。
狭い部屋へ閉じこもってイジイジとデスクワークで過ごすのも気が滅入ってはかどらないから、業者さんが撤退してから後はテーブルを庫裏玄関の軒先に持ち出した。
開放感が心地よくて、周囲のノイズで煩いわりに集中が持続して、気がつくとお昼を過ぎていたりする。
ひとりメシをつくる時間の無駄が、かえって仕事の気晴らしにもなって都合良かったりもする。
坊主の営業は開店休業状態であるが、それもあまり気にならなかったりする。
こういう状態でいられるということは、それなりに贅沢であるのかもしれない。

現代彫刻小品点のデータをまとめていたら電話が鳴った。徳島の彫刻家松永さんからだった。久しぶりだったが、相変わらず元気そうな声だった。用事の電話ではあったが、それも確認程度のことで、世間話がほとんどだった。
最近の吉田は、彫刻家というより坊主家業にベッタリ浸かりっぱなしでいることのほうが多くなっているから、彫刻絡みの書類作成がなんとなく空々しくもたついていたところだったので、松永さんからの電話で彫刻の感を少し取り戻すことが出来た気がする。
会話の途中で、永代供養墓の自然石のコトが出てきて、「さては、松永さん・・ボクのブログを見たな!」と、ピンときた。
私の現状をつぶさに見抜かれているようで、ドキリとして「ヤバイ!」と思ったが、一方で彼のさりげない親愛の支援が伝わってきた。

いつもいつも、ダラダラとりとめもなくその日の出来事を垂れ流しているだけのことなのだが、たまに、松永さんのように行間をくみ取ってさりげなく励ましてくれるヒトもいて、心の支えになっているし、踏ん張っていられたりする。
ブログがソコソコ継続しているということは、まぁ、自分がソコソコ元気で正気でいられているということなのだろう。

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紫陽花の咲くころ 

2017/06/20
Tue. 23:29

「わたし、いつもデジカメ携帯してるから♡!」
少し前に、キーポンから紫陽花の写真が届いたので、上手に撮れてキレイだと返事した。

4月から保育士で働き始めた彼女は、現在ゼロ歳児を担当しているのだそうだ。
仕事で、色々なシーンを記録しておくこともあるから「デジカメ買ったの!」だそうだ。
それから、出かける時はそのデジカメを鞄に忍ばせているらしい。

私がキャノンAE-1プロギラムを買ったのは、新宿ピットインの斜め前にあったカメラ屋さんだった。
当時学生だった私は、特にカメラが好きだというわけでもなく、どちらかといえば必要に迫られて「買わされた」ような状況だったと記憶している。
カメラ本体売りが常識で、それにどのレンズを組み込むかオプションの選択肢で価格が決まるシステムで、その日暮らしの貧乏学生にとっては、かなり高価な買い物だった。
結局、店員さんの推薦というか、助言と言うか、まぁ、云うなりに標準レンズをセットして設定されていた最低標準価格のモノに決めて、それがキャノンだったわけだ。
カメラのことは特に詳しいわけでもないし、ひとまず一眼レフで被写体の構図やピントが狂わなければいいくらいの写真になっていれば良かったから、買ってしばらくは、プログラム設定のおまかせ写真ばかり撮っていた。
その頃中元と歳暮を狙って定期的に開催していた展示即売のクラフトグループ展があった。まだバブルがハジケル前で、学生の分際でも何かそれらしきものを造ればソコソコ売れていた時代だった。庶民でも日常の暮らしが少しばかり贅沢できていたから、クラフトのオリジナルデザインが気に入られていていたし、学生の手造りクラフトは価格も安く設定してあったし、それに、大量生産でない一品物であるという付加価値も加わって、需要と供給の思惑が合致してよく売れた。
キャノンはその展覧会と称した展示即売会の売上で買った。

グループ展の先輩にカメラの詳しい人がいて、立体作品の撮り方を丁寧に教えてくれた。
被写界深度と絞り優先とかシャッタースピード優先とか、ISOのことやフィルムの感度など、グループ展の会期中に集中してやたら親切に指導してくれた。
「一見怖そうだけど優しい先輩だなぁ〜」くらいに思いつつ熱心に教わっていたら、「俺、他の用事があってもう会場へ来ること出来ないのよ。悪いけど、俺の代わりに、展示作品全部、写真撮っておいてくれる?よろしく頼むわぁ〜」ということだった。
私が一番暇してるふうに見えたのだろう、マンマとハメられた感じだったが、ある意味信用されたふうにも感じて、やたら緊張しながら三脚使って撮影を続けた。

今は、キャノンでもお手軽PowerShot Gシリーズ愛用者になったが、あの時の先輩のお陰で写真撮影の基礎がシッカリ身についてとても助かっている。
展覧会の図録用写真から、お正月の年賀状までなんでも一人でまかなっている。
憲正さん遷化の時は、遺影や本葬差定冊子まで手造りした。
あの先輩とはその後疎遠のままだが、とても感謝している。

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三日坊主 

2017/05/19
Fri. 23:55

最近、鏡を見る機会が増えた・・・かといって、ナルシシストに目覚めたわけでもない。
現実は、営繕作業で汗を流すのでシャワーの機会が増えたことと、一日の半分くらいが仏事絡みの仕事だったりする時に無精髭を剃ったり伸びた頭にバリカンをあてたりすることが頻繁になったことで、その度に鏡を見る時間が増えただけのことだ。

頭を刈るとか髭を剃るとかいうことは、どちらかと言うと彫刻家の吉田スタイルというより坊主の吉田スタイルの身だしなみのようなものだから、バリカンなどの道具一式を万善寺の洗面所と風呂へ移動した。
今月唯一の法事があるので、いつもの営繕作業を終わって陽のあるうちに風呂の鏡を見ながら坊主スタイルを整えた。
前々から気づいていたことなのだが、後頭部の頭蓋骨の出っ張りと、その周辺の頭皮のダブツキがひどくなって、そのあたりになるとバリカンが思うように動かない。
さすがに、鏡でも後頭部までは肉眼で見ることが出来ないから、首を捻じ曲げたり余った片手で頭皮を引っ張ってみたり、指先の触感に頼ったり、いろいろとそれなりに工夫しながらバリカンをあてている。もう一箇所、顎の先から喉へかけての髭剃りで剃り残しが出来るようになって、こちらの方は少し慎重にその気になって鏡を覗き込んだら状態が確認できるから、ひととおり石鹸の泡を流してから再確認をする。
さすがに、今の自分くらいの年齢になると体全体の毛に白いものが目立つようになってきた。光のあたり具合によっては、白くなった毛が皮膚の色に同化して見えなくなることがあるので、毛が抜け落ちたかと錯覚することがある。毛が長く伸びていると禿げたのか白髪になったのか判断しやすいが、私のように極端に短く刈り上げた時は区別しにくい。

坊主が30人ほど集まることがあって、その席でそれこそ坊主頭のことが話題になった。
「私達坊主は、何時の頃から頭を丸めるようになったのでしょう?」
「どうして坊主が頭を丸めるのにカミソリを使うことが普通になったんでしょう?」
万善寺のナンチャッテ住職は、頭にバリカンをあててすませているし、口髭も剃り残してハサミで切りそろえているから、まぁ、ようするにわたし名指しの当て付けであったかもしれないが、それも考え過ぎのことであったかもしれないし、よくわからないまま、「さぁ、どうしてでしょう??禅の開祖の達磨さんは髪も長いし髭もありますよね・・」と、返答しておいたら、周辺の坊さんたちが坊主頭の話題に食いついてしばし盛り上がった。
「ようするに、昔はバリカンという道具が存在しなくて、頭を丸める時は髭を剃るカミソリをそのまま使いまわすしかなかったからですよ」
言われてみると確かにそうで、納得できる。聞くところによると、昔々は、ハサミもないから、長い髪もカミソリで削ぎ整えていたらしい。

結局は長い髪が修行のジャマになるとか、不衛生の元になるとか、坊主を見た目で識別しやすくするとか、それなりの幾つかの理由が都合よく集まったのだろう。
私の場合、坊主頭に慣れてしまうと、もう髪を伸ばそうという気にもならない。バリカンをあてて3日もすると、もう頭皮がムズムズしてくる。坊主頭はやめられないですね。
・・というのが、ナンチャッテ坊主的解釈の「三日坊主」というヤツであります。

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吉田家裏庭営繕作業継続中 

2017/05/16
Tue. 23:37

この数日、私の周辺は比較的良い天気が続いている。
ノッチが帰省している時は雨が多かった。
彼女は雨女なのだそうだ。私は雨男だから、二人でウロウロしていたら天気が悪くなるのも仕方がないだろう。

島根県内で彫刻の展覧会やイベントを企画開催する時は、石見銀山の町並みに工務店を構える棟梁へお手伝いを頼む。
若い頃は東京で大工をしていたから仕事が早くて都合がいい。
万善寺のお檀家さんにも大工さんが3人いたのだが、その中で一番頼みやすかった棟梁が1年ほど前に若くして病気で死んだ。彼が死ぬとしばらくして工務店は解散して工場の工具や機械を売却して店じまいしてしまった。その棟梁のやり残した仕事もいくつかあったようだ。その一つに万善寺の舎利棚殿もあった。全体の80%以上は完成していて、細かな仕上げ仕事がいくつか残っていたが、結局次への引き継ぎが上手くいかなかったようで、なんとなく完成の曖昧なまま、しばらくして請求書が届いた。
「まだ、お願いしていたことが最後まで終わってないんだけどなぁ〜?」と、モヤッとした気持ちで請求書の明細を見ると、特に細かなことも書いて無くて「◯◯一式」で済まされていた。
本人のいなくなってからあとになって、「あれはどうなってる、これはこうだった・・」などと、蒸し返してもしょうがないから、少し値がはるものの「香資」ということで飲み込んで、先々代から続いていた万善寺お抱え大工のようなお付き合いを断った。

檀家さん以外の工務店や棟梁と付合いが無いから、寺の修繕も停滞したまま1年が過ぎたところで俊江さんが死んだ。考えようによっては、やっと「過去からの義理も切れて自分の思うように自分の責任で物事を済ますことが出来るのだ!」と気持ちを切り替えて、石見銀山の棟梁に相談したら「あぁ〜良いよ!」と、いつもの軽いノリで引き受けてくれたので、早速万善寺へ案内して修繕の打ち合わせをして見積もりをお願いした。
棟梁は、「まだ仕事の途中で忙しいから」と、お茶も飲まないで帰っていって、それから10日ほどして見積もりを持ってきてくれた。
例のごとく、吉田家裏庭の営繕作業が続いていたので、棟梁には銀山川を渡って直接裏庭へ来てもらった。
「いやぁ〜、こりゃ大きなスモモ!!これがポポーの木かね??アレッ、グミもあるがね!まぁまぁビワもあって・・・この花何かね??」
吉田家を建ててもらった時は、だだっ広いだけのタダの空き地だったのが、この20年でジャングルのようになって当時の面影も消えた上に、鬱蒼と様々な草木が茂って里山を切り取ったような裏庭へ変貌を遂げ、それでしばし話題が広がった。
ちょうどいい機会だからと、早速吉田家のトタン屋根へ上がって現状を見てもらって、天窓の修繕もお願いした。

あとで見積もりを見ると、思ったより安かった。
棟梁へは、今年も島根県内で開催予定の彫刻イベントへも付き合ってもらうつもりだ。

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実践!オヤジのルール 

2017/05/14
Sun. 23:04

次女のノッチが、春の大型連休を1週間ずらして帰省してきた。
石見銀山で5日間位のんびりしたあと、夜行の高速バスで東京へ帰っていった。
早朝にバスタへ着いて、自宅へ寄ってから会社へ出勤する。

吉田家の4人の子供たちは、末娘のキーポンが保育士になって働き始めたので、全員が社会人になって独り立ちしてくれた。
長男と末娘だけは18歳まで吉田家で暮らしたが、長女と次女は15歳から吉田家を出て一人暮らしをはじめた。
子供たちへは、学校が終わるまでは親の援助が必要だから、その支援内容に見合うくらいの口出しはさせてもらおうと密かにオヤジなりのルールを決めさせてもらっていた。結局は、稼ぎの悪いニートオヤジの支援など無いに等しいことだから、気がついたら子供たち一人ひとりがソコソコ自活して、ひとまずは自力でメシを食べながらそれぞれの学校へ通ってそれぞれそれなりの学生時代を経験して卒業してくれた。だから、4人共すべてバラバラの仕事をしていて全員がバラバラに暮らしている。今年に入ってからは、私の寺暮らしがいっきに増えたから、親も子も吉田家全員がバラバラに一人暮らしをしているようなふうになった。

オヤジのルールとは、大それたものでも何でもなくて、「アルバイトなどで働く時は飲食業などの水モノ職業を探せ!」というだけのこと。
要するに、「稼ぎは悪くてもメシには困らない」ということ。
これは、まったくもって私の経験に基づく根拠があるだけのことだから万人に当てはまることもないだろうし、アルバイトに頼らないでも楽に暮らせる青年もたくさんいるだろうから、完全に吉田家オリジナル吉田家限定のルールであると思っているが、4人の子供たちは4人共ソコソコ忠実にこのルールを実践してくれた。
中でも次女のノッチの就業遍歴は筋金入りで、ことごとく水モノ職業を渡り泳いでいる。
始まりは喫茶店のホール。ここでは、時々消費期限の迫ったケーキなどをもらって帰ってきていた。
高校の時はラーメン屋でアルバイトをしようと探していたが、おじいちゃんの反対で断念。
大学の時は、居酒屋のチェーン店。結局ほぼ4年間続いて、贅沢なまかない飯で腹を満たしていたらしい。
国外脱出して働いていたシンガポールは日本食焼肉レストランだったから、食いっぱぐれナシ!
帰国してしばらくは、なんと◯◯のおいしい水なる、家庭用飲料水をコンテナ販売して関東一円を回っていたこともある。
今は、20代で起業した若社長の下で事務経理を任されているようだが、かなりの確率で食事に誘ってくれるらしい。
そして、今年の8月からは1年間フロリダのオーランドにあるエプコットの日本館レストランで働くことが決まった。
この就職活動がなかなか強気で面白い。未だに吉田家のノッチネタで話題に登っている。

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吉田家営繕作業〜草刈り 

2017/05/09
Tue. 23:26

石見銀山は朝から雨になった。

石見銀山の大森町町並みから銀山川まで続く土地へ20年ほど前に引っ越した時は、全面隅から隅まで細かく仕切られた畑だった。
ほぼ中央に桃の木が1本あって、畑が日陰になるからと横に広がった枝木はすべて切り落とされて、二股に分かれてYの字に上へ伸びてバランスの崩れた枝ぶりがどこかしら弱々しく寂しげに感じられた。
その畑の町並み側へ慎ましく建っていた廃屋同然の平屋を修繕して今の吉田家になった。
吉田家の大屋根が大森町の家並みに埋もれるように低いのは、それだけ建築時期が古いという証拠なのだそうだ。大屋根が抜けて青空が見える状態の家を修理するにあたって、奈良県の方からやってきたその筋の歴史的建築研究の専門家が調査してわかったことだ。
石見銀山の町並み全体は文化財指定の網にかかっていて、原則として更地にしてから新築することが出来ないことになっている。家とその真下の土地セットで中古車価格並に安く買い取ったものの、結局は改築工事の経費が膨大にかかって、終わってみれば、新築並みかそれ以上の費用がかかっていた。そのおかげで死ぬまで借金返済を続ける羽目になって今に至っている。
もともと私の書斎になっている四畳半は、江戸中期の文化文政時代に出来上がったということがわかっていて、黒く煤けた柱や天井板もその頃のものだということだ。
今は、その柱にインパクトで木ねじをねじ込んだりケーブルテレビの同軸ケーブルを這わせたりして、伝統とか保存とか、全く無視して使い倒している。

万善寺での暮らしが増え始めてから、吉田家内外の営繕が手付かずのまま放置されることが増えた。
移住してすぐの時に、以前暮らしていた家の庭先に植えていたウメやスモモやグミやビワなどの果木を裏の畑へ移植した。その後、ワイフの趣味の延長で次々と草木が植えられた。
もともと長い間畑で使われていた土地は栄養タップリで肥沃だから、移植の草木果木はスクスクと面白いように成長してアッという間に林になった。

現在の吉田家裏庭は、荒れ放題の雑木林的状態になっていて足の踏み場もない。
だいたい、1年に2〜3回は草刈り機を振り回しているが、その度にワイフが大事にしている草花も一緒に刈り倒してしまうものだから、「そろそろ裏の草刈りしておいてくれない♡」などと、依頼する時は優しげなのに、ひと仕事終わった後はやたらと機嫌が悪くなって、だいたいいつも叱られている。
毎年同じような展開が続くと、最近はもう慣れてしまって、ワイフを無視して都合よく自分の良いように刈り取ってしまう。どうせ何やっても叱られるのはわかっているからね。

1日、雨に濡れながら混合油の切れるまで草刈り機振り回し続けたが、結局最後まで刈り切ることができなかったから、日を改めて仕切り直しになった。
この時期には珍しいほど冷え込んだから、夜になってストーブに薪を投げ込んだ。

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オヤジ道中記〜東京都立美術館〜 

2017/03/18
Sat. 12:39

隔年開催の春季展へ先週のはじめに彫刻の搬入をすませたのに、もう搬出の日が迫っている。その搬出の方は、島根県彫刻界の新進気鋭ホープ作家周藤豊治氏が行ってくれる。

私にとって春の展覧会は、公私を含めて日程の調整がとにかく難しい。
作品発表の場が東京の美術館に集中することが多いから、島根県のように東京から1000km近く離れていると、こうして、何人かの同好の士が周辺にいてくれないと、年々歳を取る一方のヨレヨレ彫刻家としてはとても彫刻制作や展覧会を継続できるものではない。

最初の展覧会らしきグループ展に誘われて銀座のギャラリーへ作品展示させてもらったのが、確か22〜23歳の時だった。
その頃は、強い意志を持って何かしら作品発表を継続しようと決めていたわけでもなかったが、気がつけば毎年何かしらの展覧会らしき作品発表が続いていて、結局、この歳になるまでしばしも絶えることなく制作を続けることが出来ていた。
もう、ここまでくると自分のライフワークの一つと踏ん張ってみるのも良いかもしれない・・・と、具体的にそう思うようになったのは2010年の春だったと記憶している。

石見銀山が世界遺産認定登録されたのは2007年だったはずだ。
その2〜3年前から周辺がとにかく騒がしくなって、昼夜公私を問わず、何処かで何かの世界遺産認定に関連した会議とか説明会とか研究会とかイベントとかが開催されていた。
石見銀山のど真ん中で、それなりに緩やかなスケジュールをこなしつつ、つつましく静かに彫刻の制作や発表を続けていた私も、いつの間にか流行性感冒の熱に感染したかのように世界遺産の熱に飲み込まれてしまっていた。
それまで、普通に楽に石見銀山町内の好きなところへ彫刻を設置させてもらっていた(もちろん、地権者の承諾を得てのことだけど)し、町内で美術の展覧会が出来ていたのに、急に文化の規制が厳しくなって彫刻家の住みにくい町になった。
規制の根拠としては、過去の文化遺産を保存し後世に伝えるうえで、個人の文化活動が時代考証や地域文化伝承の妨げや弊害になる可能性が高いと判断されたわけだ。
個人の文化活動は趣味の延長とか大衆の文化祭くらいに留めておけばそれが妥当だくらいにしか認識されないことへのいきどおりを強く感じた。
彫刻の制作で、彫刻のかたちを借りて自分の今を表現させてもらっている私としては、そういう、一部の硬直した官民一体のまずは世界遺産保全ありき的不透明で希薄な寄生虫のような管理体制に対して、あくまでも自分の彫刻表現で抵抗するしか無いと決めて、現代彫刻小品展を石見銀山で立ち上げたのが2010年だったわけだ。

都立美術館がリニューアルオープンして、久しぶりに彫刻展示を手伝わせてもらった。
学生時代からお世話になっている思い出深い美術館だったが、ほとんど変わらない外見に対して、あまりにも大きく様変わりした管理システムには驚かされた。
美術館という器は、やはりそこに美術芸術表現をもって参集する作家の資質に、毅然として、且つ包容力を持って対峙するくらいの度量が欲しい。
石見銀山しかり都立美術館しかり、担板漢的類友の衆には心底疲れる・・・

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予定変更 

2017/02/02
Thu. 23:36

先日、出雲へ出た時に衝動買いしたベルギー産のチョコを、初午祭まで待てなくて味見してしまった。
ようするに、軟弱坊主は食欲の誘惑に負けて甘いものに手を出してしまって、その原因は倉敷の森山珈琲深焙煎を飲んでしまったことによる!・・・などと、また他人のせいにして我が身を守ったりしている・・・という、このいやらしいオヤジだったりする。
万善寺の3畳寺務所で珈琲飲んでマッタリしていたら、知らない間にそういう状況にハマってしまったりしてしまう訳だ。

このところのブログネタは、延々と万善寺のことや雪のことばかりで、自分のひらめきとか発見とかワクワク感とかがまったく無い。
「立春が過ぎたら、彫刻家の吉田に変身するぞ!」
しばらく前からそういうふうに自分の気持を切り替え始めていて、やっと、モヤッとしていたスケジュールが具体的になり始めたところだった。
その区切りの一つに、母親の通院日程を組み込んで、雪の状況とか参道の具合をチェックしながら、一方で最近やたらとしぶとく超元気な我儘自己虫母親を牽制しながら適度に負荷を与えつつ過ごしていた。
その通院が本日で、昨夜から雪がぱらつき、夜半から明け方は星が降るほどの晴天になり、もう最悪の雪が積もってガチガチに凍った放射冷却の朝になってしまったのだ!
仕方がないから、鉄の先が尖ったスコップを持ち出して参道の氷をカキ砕いて結界くんを無理やり境内まで上げたら、彼の軟弱なFRPバンパーがグニャリと曲がったりして、なかなかイラつく通院になった。

母親を病院へ預けて自分の用事を済ませていたら、電話が鳴った。
いつもは1年に1度も会話がないほどのお檀家さんからで、とてもイヤな予感がした。
やはり、的中で、大正13年生まれのお母さんが亡くなったとのこと。
時間の調整をして枕経を読んでから葬儀日程を打ち合わせした。
節分から立春が面白いほどピタリと見事に重なった。
実は友引が重なったりしていたから内心ビクビクしていたが、自治会の世話人さんは見事にスルーしてくれて助かった。
気がつけば、密かに温めていたボクの彫刻計画があっけなく崩れ去ってしまった。
自分にとっては坊主も外せない仕事のうちだから、仕方がないことなのだが、それにしても、日頃の付き合いが全くないお檀家さんで、それも亡くなったお母さんの方は、年に1度の棚経でもお話をしたことがなかったりして、坊主は坊主なりに複雑な心境の枕経になった。

夕方から、仮通夜で出直して、1時間ばかりしっかりとお経を読んで、日頃お寺参りの皆さんに少しずつ積み重ねてお話している仏教のアレコレから幾つかをまとめて、少し長めの説教とも言えない「今さら聞けないお経の話」なる講釈を垂れておいた。
週末から3日間はすでに予定を決めて連絡しあっていたことが幾つかあったのだが、それのキャンセルやら日程変更やら、夕食後は慌ただしい夜になって、今になった。

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大寒波襲来がどうした! 

2017/01/15
Sun. 22:17

世間的にいうと、島根県の東部を中心にそれなりの強烈な寒気団にスッポリと包まれているようであります!
吉田的にいうと、まぁ、毎年何回か遭遇する厄介な降雪の1回分に遭遇した・・と、そんな感じの1日を過ごしたわけであります。

万善寺の早朝は、絶え間なく降り続く雪から始まった。
保賀の谷のとんど祭りの日で、前夜には御焚きあげ用の御札を書いて守護印をペタペタ押して準備完了して、夜の冷え込みが結構厳しかったから、「これは、夜のうちに降り積もるな!」と雪の心配をしながら2枚重ねのシュラフに潜り込んだ。
やっぱり冷え込みが何時もより厳しかったようで、早朝の尿意を我慢できなくてオシッコに起きたら、だいたい一晩で30cmは雪が積もっていた。

島根県の飯南高原でその程度の積雪は普通に常識の範囲だから、特に気にすることもなくとんど祭りの仕度をしていたら、保賀の自治会長さんから電話が入った。
「おはよぉ〜〜〜ございますぅ〜〜、それで、お清めは何時ぐらいがいいでしょぉ〜かぁ〜〜〜?」
さて、そんなに早くても、この雪で参道を下りるまでに20分はかかるだろう・・と、判断して、
「そぉ〜ですねぇ〜・・・それじゃぁ、9時ということで・・・」
チョット見栄を張ってそぉ答えたものの、寒い朝をそれなりに自堕落に過ごしていたナンチャッテ坊主は、それはそれなりに焦ったのでありました。

絶え間なく降り続く雪の中で、とんど祭りのお焚きあげ法要を済ませ、その足で広島県との県境を越えた。
保賀地内にあれだけ降っていた雪が、県境を越えると「なにこれ??」という感じで雪風景が軟弱になった。

法事は結局、この度の大雪(でもなかったけど・・)報道でビビッたご親族の欠席が続いて、当初予定の半分以下の参列になった。人の頭数でお経の長短が決まるわけでもないから、それなりにいつも通りのゆったりとした法事を済ますことが出来た。
斎場の仕切りオヤジが、「とても勉強になりました!なかなかこういうご法事は無いものですから・・・」などと、話題を振ってきた。
「それで、何かどうかしたということで??・・・」などと、話題を繋げていたら、「このあたりでは、法事はだいたい20分というところでしょうか・・・」
「広島県の仏事の実態はこれなんだ!」と、唖然とした。
「まずはティータイム!」から始まる法事の法式が、島根の万善寺と広島でここまで違うのかと、もう、むちゃくちゃビックリ!!
普通の法事で、短くて1時間半から始まる万善寺の法式は、果たして正しいのだろうか・・??だれがどう考えても、法事一つを20分で片付けるのは無理でしょぉ〜〜〜?

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納行脚 

2016/12/15
Thu. 23:48

昨日に続いて、今年の納行脚に出かけた。
こういう時に、自分の自由さが痛感される。
こうして、今でも夜中になってもネコと戯れながらコーヒーをすすりながらゴソゴソと昨日のことや明日のことでデスクワークなどしているが、自分としてはとても真面目に「ボクの仕事」をこなしているつもりなのだ。ところが、世間はちゃんと業務時間なるものがあって、朝は○○時から夕方は○○時までの間に1日の仕事を片付けなければいけないことになっていて、諸官庁になると特にそれがキッチリと守られていて、場所によっては窓に灯りがついて人影があるのに入口が閉まっていたりする。昨日は、そういうところをお昼のど真ん中で訪問するようにスケジュールを調整していたが、それはそれで面会の相手がお昼休みで連絡できなかったりする不都合もあって、とにかく行く先々で都合をあわせることがなかなか難しい。年末の忙しさは何処も似たようなものだから仕方がないことだということにして、比較的自由に動き回っている吉田の方は、大事な用事の合間に私用を適当に混ぜ合わせて不測の事態にさり気なく対応しているようなところもある。

富山へ納会の道具などを搬入して、青空と富山の棚田風景などを写真に記録した。それからあらかじめ予定を打ち合わせしておいた奥出雲の方へ確認の電話を入れたら、「何時でもどうぞ!」と云ってくれたので、富山から直行することにした。時間が短縮できる山道のルートにするか、時間はかかるが気楽に運転できる斐伊川土手を回るか少し迷ったが、ちょうどお昼時だし、その時間は外したほうが良いだろうと決めて斐伊川の中流から上流へノンビリと結界くんを走らせた。斐伊川は数日前からの雨で水かさが増していたし、日陰やトンネルの中など路面が濡れていて少し走りにくかった。奥出雲に近づくと結界くんの空調が肌寒く感じてきた。予報では雪マークもあったから、外気がけっこう冷え込んでいるのだろうと思っていたら、目の前に雪をかぶった船通山が見えてきた。

奥出雲での彫刻展でお世話になった各所へ、お礼代わりに私の彫刻を配って回った。
どちらかといえば、欲しくもないものを貰わなければいけない面倒の方が多いかもしれないが、見た目はそういう本音を見せるわけにもいかないし、一応は建前の笑顔で対応していただいた。それでも、自分としてはおおよそのねらいどおりにいい感じでいい場所へ収まったと思っている。

奥出雲を出発して、斐伊川と付かず離れず結界くんを走らせていると、燃料がなくなっていることに気付いた。このところ、2日に1回位のハイペースで給油している。安いセルフスタンドには車の列が続いていた。年末の燃料の高騰はなかな厳しい。
国道を走っていたら検問にぶつかった。この慌ただしい時期に、わざわざ渋滞の元をつくらないでもいいだろうと思いつつノロノロ走っていたら、2台前の2tアルミがそのまま検問をスルーした。1台前の軽トラダンプもスルーした。結界くんのスピードを緩めたら警察官がそのまま行けと合図している。バックミラーに映るすぐ後ろの軽の乗用車は検問に引き込まれて、その後ろのユニックはまたスルーした。どうも、商用車と自家用車を選別して検問しているようだ。
そうか・・・ボクの結界くんは商用車だったのだ!

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節目の納会 

2016/12/13
Tue. 19:06

今の吉田にとって、1.5日の休息はとても良い心の疲労回復になった。

面白いものだ。
ほんの10年前は土日の休日があたりまえで、たまに、その休日返上で万善寺の法事が入ったりすると、メチャクチャ損をしたふうに感じて、だいたいがふてくされ気味に憲正さんのお付坊主を務めていた。土日休日の決まっている仕事を辞してからも、その癖が身体にも心にも染み付いていて、「他人が休んでいるのになんで自分だけ働かなきゃいけないんだ・・」と、不満タラタラに仕事をすることばかりだった。そういう気持ちの動きは、どこかしら態度になって現れるから、はじめからほとんど持ち合わせることもない信用もアッという間に崩れ去ってしまって、目先の仕事もどんどん減って、1年毎に収入も減収が加速して、年収が辞職前の4分の1くらいに落ち込んでしまっていたのを2010年の申告時期になって気付いた。それからしばらくはドタバタと慌ててワンオーナーのギャラリーを立ち上げたりしたが、それもしばらくして憲正さんの病気悪化で頓挫した。

いい歳をしたオヤジがこれといった人生の目標もなく定職にもつかないままフラフラと坊主家業を引き継いでしまっているわけだから、普通だったらとっくに家族に見放されてしまっていておかしくないくらいなのに、その頃のワイフはこれといって過激な愚痴をこぼす訳でもなく粛々とアルバイトやパートや時間講師などを引き受けながら家事を支えてくれていた。私の方はそれでも彫刻だけは真面目に本気に制作を続けていて、ワイフの個展を企画したりして暇を乗り切っているうちに、「やっぱり自分にはこれしかないな・・」と、改めて正面から自分の彫刻に向き合うことを決めた。それで始めたのが、「現代彫刻小品展」というわけで、貯金も家計も底をついて、借金だけはタップリ溜まっているという金欠状態なのに、そういう吉田家の経済状態を全く無視して、とにかくありったけの金をかき集めてスタートさせた。

現代彫刻小品展は、石見銀山で5回、浜田世界こども美術館で5回と、今年奥出雲町で1回ほど開催するまでになった。
石見銀山の5回の内、最初の2年間2回分は出品作家の出品料と自己資金でまかなった。今思うと、よく2年間も自腹で乗り切ってきたものだと恐ろしくなる。しかし、その2年間の蓄積というか実績というか、そういうものがないと現在のように各所からの助成金を獲得することはできなかったと思う。助成金のおかげでプロの彫刻家も講師依頼できて、展覧会やワークショップの質も保てたわけだ。

気がつけば、あれから10年近く経った。今は1日の休日もなかなか確保できない。
これから先、確実に歳をとって心身の老化が進む。いつまでも、現状にしがみついているわけにもいかないし、そろそろ、それなりの潮時が近づいているような気もする。なかなかすんなりと次に引き継ぐことも難しい・・・というより、まず限りなく不可能に近いことかもしれない。
今週に入って、今年最後の再稼働を始めた。
今週末は、空に近い町とみやまの旧富山小学校で今年最後の納会を盛大に開催する。

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オヤジの朝 

2016/11/10
Thu. 09:29

気がつけば、もう11月も3分の1が終わりそうですよ!!
吉田はいったい何をしているのでしょう??

このところ、デスクワークを何処かへ置いて、肉体労働ばかりが続いていて、昨夜も10時前に帰宅して・・・もうグッタリ・・という状態・・
富山町でのイベントが終わって、その事後処理の資材什器運搬や関係各所へのお礼廻りなどをこなしながら、万善寺の幾つかの用事や母親の通院もあるし、保賀地区の祭り準備など、毎日が目まぐるしく始まって終わる。いつものことだが、自分のことが一番後回しになって、ワイフには迷惑をかけっぱなしだ。

1周忌の法事と納骨があるので、夜遅くに帰宅してバリカンを当てようと思ったら充電が切れていて、それで一気にその気が萎えた。施主さんには無苦しい姿を見せてしまったが、なんとなく法事の合間の話題が彫刻やワークショップのことになって、若干救われた。たぶん、伸びた坊主頭に無精髭が偏屈な彫刻家風に見えたのかもしれない。
飯南高原のあたりでは、けっこう「彫刻家の方丈さん」的知名度があったりする。だいたい、「知る人ぞ知る」といったところだ。

幼稚園実習のキーポンを送りがてらワイフが仕事に出かけた。今日は帰宅が19時くらいになるそうだ。一方私は今まで早朝から出かけることが続いていたから、今朝は久しぶりにゆっくりしている。
奥出雲で旅の空を続けている間にLittle Mixへハマってからいまだにそれが続いている。結界君と移動しているときも、彫刻展の作業をしているときも、一日のかなりの時間聴き流すにはちょうどいい。グッピー家族の水を補充し、ネコチャンズのトイレのウンコやシッコを片付け、ストーブに薪を補充し、四畳半を少し片付け、今もLittle Mixをバックにコーヒーをすすりながらキーボードを叩いている。

旧富山小学校教室個展の一人ノリちゃんの個展会場は教室棟の生徒昇降口から教室までの1階を使って展示された。
もう一つある1階の教室は小品彫刻の会場になっていて、これはこれから2日間で撤収搬出する。富山町の収穫祭も兼ねた文化祭が11月20日に決まって、その会場の一部でこの旧富山小学校を使うから、教室の復元も兼ねてノリちゃんの個展会場を若干移動しなければいけない。
まぁ、何時でもそうだが、ひとつの事業を回すのは普通に最低半年は使ってしまうから、幾つかの事業が重なったり万善寺の用事もこなして彫刻も造るとなると、暇なオヤジも暇なりにあわただしい毎日を過ごしていたりするのだ。

富山は終日冷たい雨が降り続いていた。
ノリちゃんから連絡が入って個展会場の件で少しほど具体的に調整できた。彼女も仕事があって忙しいのに、吉田の無茶振りへとてもよく付き合ってくれる。富山がはじめての個展会場になったのだが、それでよかったのだろうか?

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2日間に渡って市役所へ日参して大田市内全域へ「とみやま彫刻フィールドアートワーク」の回覧配布集配作業をした。
今週末には、市内の各地で回覧板が回り始めることになるだろう。
行政からの地域広報作業がどれだけ面倒なことか、こういう時によく分かる。前回の奥出雲町でも同じような配布集配作業をしてきた。行政区が変わると、作業内容もかなり大きく変わって、行く先々で前例が通用しないので何かと混乱してややこしい。

吉田が貧乏事業を足で稼いでやりくりしている手段の一つに「後援」の獲得がある。
後援申請くらいだと、紙数枚の作文でほとんど許可が下りる程度の気楽な事務処理なのだが、これが通過しないと関係施設の利用や使用規定などで厄介なことになって無駄に予算を食いつぶしてしまう。反面、こういう面倒なやり取りでひと汗流すのも時間の無駄になっていたりする。ようするに、「時間を取るか金を取るか」の二者択一であって、彫刻絡みの企画など、寝食忘れて日夜動き回ってナンボのもんだから、自分では悶々としつつ、無駄を受け入れながら粛々と用をこなすしか無いところもでもある。

大田市の場合は、回覧配布のみで約2000枚を印刷した。これが戸別配布となると途端に印刷枚数が増えるから、広報衆知もそれぞれの地域事情で難しい選択を迫られている。
とにかく、何かと失敗を繰り返したものの、一応行政総務のクレームを乗り越えてひと仕事を終わらせることが出来たわけだが、それにしても、どう考えてもやたらと無駄が多い回覧配布になっている。たぶん、遠い過去からの習慣が定着して今に至っているのだろうが、たった1枚の回覧配布にA4封筒とそれに添付する用紙の印刷とそれを貼るテープやノリ代までを自腹で乗り切ることになる。それが例えば、100枚の回覧を封筒一つに入れるとなると、若干のお得感はあるが、たった1枚の回覧でここまでの作業をする必要があるのだろうか、ケチ臭い疑問が湧き出してしまった。
昔々、大田市の人口も今の数倍あるいは数十倍であった頃を思うと、今のシステムもそれなりに機能していたのかもしれない。まぁ、行政職員でも月給取りでも何でもない、必死で日銭を稼いでいる程度のただのフリーターオヤジが考えていることなど、世間ではまったく通用しないことなのだろう。
無駄に印刷のゴミを増やしてばかりの配布集配作業だったが、もし来年があるなら今度はミスのないようにキッチリと全てをやりくりしようと心に決めて市役所をあとにした。

夕方につけて、会場の旧富山小学校で展示作業を続けた。
1階の教室には、「現代の彫刻家たち展〜石と鉄の彫刻室〜」と題した教室展の会場を設営した。ほぼ全体が整ったところで、ケーブルテレビ用の広報写真を撮ったりした。そうこうしていたら、個展をすることになっているノリちゃんが教室の寸法を測りに来た。これから2週間位で個展の準備や設営に入るようだ。私が個展を計画する時は、だいたい遅くても1年前には準備をスタートさせている。長くなると計画から交渉まで5年以上かかっていたりすることもある。長ければいいとか、時間を使えばいいとかいうだけのものでもないが、それにしても2週間程度で個展を仕立てるとはなかなかのものだと感心する。ノリちゃんがどんな個展をするのか、今から楽しみだ。

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まだまだつづく・・・旅の空その4 

2016/10/17
Mon. 20:08

「おはよぉ〜〜・・・ところで、今日何曜日だっけ?」
「月曜日でしょ!午後から◯◯の日だから、午前中しかいないから・・」

東京から石見銀山へ帰って、そのあと徳島の野外彫刻展会場を訪問して、帰りに倉敷で草月の師範さんととみやまの公開野外オブジェの打ち合わせをする予定にしていた。
まるまる1日までは休息できないまでも、ほぼ半日以上は吉田家でのんびり出来るはずだった。
しばらく「旅の空」が続いて留守にしていたから、ポストが新聞と郵便物で溢れかえっていた。
「出る前に、新聞止めておくように◯◯君に言っておいたのにぃ〜〜」
彼は、「ハイハイ!」と返事をしていたらしいが、そのことが全く脳みそに記憶されていなかったようだ。

その、新聞紙に埋もれた郵便物の中から、吉田家へ転送された万善寺檀家さんの封筒が紛れていた。宛名のヌシは、すでに90歳を過ぎてまだまだ元気なおじいさんだった。彼の少年時代は万善寺先代の憲正さんと遊び友達で、先々代住職からしょっちゅう一緒に叱られていたらしい。今は松江の方へ家を建ててそちらで暮らしていらっしゃるが、数年のうちに五月雨である法事の時は、少年時代を過ごした保賀の地内へある万善寺で法事をするのが楽しみだということだ。
手紙には「今度15日は、午後の2時頃にお邪魔しますので、33回忌の法事をよろしくお願いします」といった趣旨のことが懇切丁寧に書きしたためてある。
「アレレ???」
どうも、私には、そのような法事を引き受けた記憶がない・・・
宗門の手帳にもメモがない・・・・
年回のお知らせをひっくり返して、何回か届いているその施主さんからの手紙も読み直して、過去の時間軸を組み立てていたら、施主さんから問い合わせがあった法事の予定日を幾つか書き出した私からの返信に「今だったらこの日があいてますよ!」という内容の月日を記載した手紙があって、そのひとつに「現在、15日と16日は終日あいてます」が書き込まれてあった。返事を返したのが8月のお盆前のことで、その後、何の返事もないから、次々スケジュールを入れていたら、この度の手紙になった次第。
どうにもこうにも、仏事のからむこればかりは、施主さんの都合で物事が進んでしまうから、対案とか選択肢とか全く機能しないことになってしまう。結局、当初予定のスケジュールに無理やり法事をはめ込んで石見銀山と飯南高原を駆け回って、おまけにワイフにも色々迷惑をかけて、大騒ぎの半日となってしまった。

さすがに、その法事は自分の体力を一気に奪ってしまった。
法事でお経の時間より、終わったあとの思い出話が長いくらいになってしまうから、お経が済んだら91歳の私の母親へ全てを任せて、ワイフと待ち合わせの場所へ結界君をすっ飛ばした。
徳島まで移動すること約4時間。久しぶりに高速道路の追い越し車線を走り通した。

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最近、1日がアッという間に過ぎてしまう。

昔はこういうこともあまりなかった気がする。
強いて言うなら・・・
ほぼ一晩中続く酒の飲み過ぎで二日酔いならぬ二日寝をして目覚めた時の空白の一日。
延々と続くエンドレスのセブンブリッジで費やす一日。
若い頃は、1年のうちに何回かはこういうこともあった。
ワイフと結婚してからは、ずいぶん品行方正になって夜遊びが激減した。

だいたい、1日が一瞬で終わるようなことというと、遊び狂っていた頃のことしか思い出せない。
ところが、そろそろジジイの領域に踏み込み始めている今頃になって、また、1日のスピードが早く感じるようになっている。
そういうことを積み重ねると、結局は1年過ぎるのがやたらと早く感じて、つい先日10月になったと思っていたのに、もう1週間も経ってしまっている。
この調子でいくと、もうすぐしたらコロッと死んでしまって、我が人生の終焉も近いかもしれない。
これから、どんどんジジイになって、醜くなって、身動きできなくなって、さまざまな醜態を晒して周囲に迷惑をかけながら生きながらえるよりは、サッパリとキッパリとサッサとこの世におさらばしたほうが八方丸く収まって都合がいいかもしれない。

万善寺は島根県の第二宗務所第九教区に属している。今日は、その九教区の特派布教研修総会だった。
何時もの年は、9月のうちに開催されていて、秋のお彼岸と重なったり、彫刻の島根県搬入と重なったりして、やたらと慌ただしい。特派布教老師の都合で日程が決まるのだろうが、やはりこの時期の会合集客はなかなか厳しい気がする・・・といっても、万善寺の住職だけの都合かもしれないけどね。
まぁ、そんな訳で、大事な1日が坊主家業で潰れるから、前日は1日中吉田家の書斎へこもってデスクワークに励んだ。

今年の「とみやま彫刻フィールドアートワーク」は、富谷町内にはびこる竹の間伐を兼ねて、草月流師範による、野外竹オブジェの公開制作を計画した。
地元有志の皆さんが、10月の月末に集合して竹の伐採にとりかかる予定だ。棚田風景がキレイな富山がこういう美術イベントで活気づいてくれるといいなぁと思っている。
ひとまず、今までに決まってきたデータを元に、ポスターの初稿を造ってみた。
作家や関係諸氏に目を通してもらって、抜けているところとか、間違った記述とかをチェックしてもらって、今週中にオペレーターさんへ引き渡す。
あとは、私のザックリとしたなんちゃってデザインをきちんとした印刷物に仕上げる手直しをしてもらうことになる。
また、今夜も眠れそうにない。

2016ポスターA3印刷原稿

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2017-08