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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

それぞれの1週間 

2020/06/05
Fri. 23:52

本堂や庫裏で仏花に使っているシキビが次々と落葉をはじめて花器の水を吸い上げた透明感のある美しいライトグリーンの若芽がしだいに大きくなり始めた。
昔、まだ絵を描いている頃は、このライトグリーンの透明感を表現することが難しくて随分苦労したものだ。花器の水を替えながらボンヤリとそんなことを思い出していた。
もうすぐ季節は梅雨を迎える。
半年の間、仏様やご先祖様の御慈悲を目に見えるかたちに置き換えて世俗の欲に浸りきった在家坊主を見守っていただいたことへの感謝を込めて、梅雨の雨をタップリ吸い込んだ境内の土へ下ろして挿し木にさせてもらおうと考えている。彼らのどれだけが根付いて仏花に成長してくれるかわからないが、随分と丈夫な木だから何本かは根を出して生き延びてくれるだろう。
今度の大般若経転読会は、世間ではコロナ自粛が続いてまだ従来の日常生活を取り戻すことが出来ていない中で法要を厳修することになってしまった。いつもと同じような法要にはならないだろうと思っていて、なにか記憶に残る大般若経転読会になれば良いと考えて、以前から捨てないで貯めていた落葉のシキビをシッカリ乾燥させて砕いてポプリに替えてみることにした。うまくいくかどうかわからないが、その砕いたシキビの葉に添えて携行できるほどの小さな大般若守護札を造って祈念してお参りの皆さんへお持ち帰り頂けると良い。これから1周間はそのための祈念と作務が続きそうだ。

今年の万善寺環境整備作務はかなり苦戦している。
自業自得と云ってしまえばソレまでだが、昨年の春先から5週間の手術入院とその後の自主療養とで、春の境内整備がまるまる手付かずのまま終わったことが原因だ。
一度でも人の手が入った植物は、手入れをサボると一気にだらしなくはびこったり病気が入ったりで収集つかなくなる。特に、各種庭木の剪定と土の下で繁茂して広がる蔦や笹や竹などの根茎が厄介だ。
銀座の彫刻グループ展を無事に閉会してひと晩かけて島根に帰ってきた。春彼岸の法要を済ませてその日の夕方寺を出発してからほぼ1週間ぶりの万善寺になった。
用水路脇の斜面では天狗巣病から蘇った桜が満開だった。まだ病気は完全に根絶できていないが、それでも数年かけてここまで回復してくれれば良いほうだと思う。
昨年の吉田正純鉄の彫刻展で造ったLandscape traceシリーズの彫刻の鉄サビが半年の間に少しほど落ち着いてくれた。これから赤サビへ変わらないように気をつけながら養生していけば年々バーントアンバーが深まって良いサビに変わってくれるだろう。こうして、彫刻のサビが概ね安定するまではできるだけ自分の生活圏の近くに置いて様子を見ながら何かあればすぐに養生できるようにしておく。おおよそ安定して責任が持てるようになってから最終の設置場所へ移動する。この箱型彫刻は自分の歴代彫刻群の中で、どちらかといえば好きな方の彫刻である。自分ではいつまで観ていても飽きない。手放すことができそうにないようにも思っている。彫刻ばかりか平面立体問わず3日も観れば飽きてきて、1週間もすれば観るのも嫌になるような、作品とも言えないようなモノをどれだけ乱作してきたことか・・・身体もしだいに重くなってきたし、集中の持続も前のように長くは続かなくなってきたし、これからは制作の基本をおさえてジックリと丁寧に造形の緊張を大事にしていこうと思う。

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彫刻展6日目:複雑な心境 

2020/06/03
Wed. 19:05

銀山街道を沢谷から酒谷をぬけて飯南高原へ登りきった辺りから正面に瀬戸山城跡が見える。城跡は尼子に組みして毛利と戦った赤穴氏の山城で、年に何回か地元の保存会有志のみなさんが登山口から下草を刈りながら登山道を登って城跡の石垣や堀郭跡などが遠望できるまでキレイに整備される。
昔は瀬戸山城全体がスッキリと雄大に見渡せていたが、植林の檜や杉が成長して伸びて年々見晴らしが悪くなって、その上5年くらい前に銀山街道の古道近くへJA農協の巨大なプラントが出来ていよいよ見通しが悪くなった。地元の様子を知った住民でないと車で走りながらほんの一瞬くらいしか見えなくなった山城跡を確認することは難しいと思う。
銀山街道はもう何年もの間拡張工事が続いているが、いまだに中央ラインを引くことが出来ないほど道幅の狭い急カーブの連続する場所が数kmほど残っている。最近はほぼ毎日往復して、もう走り慣れてカーブの様子が頭に入っているから、特に緊張するでもなく銀くんの窓を開けて四季折々の自然の変化を五感で楽しんでいる。

ワイフが定期検診の通院日だったから出雲の病院まで送った。幾つかの検査があるのでお昼は過ぎるだろうと思ってコメダ珈琲でのんびりとコーヒーでも飲みながらワイフを待つことにした。コロナで外出自粛が続いていたから出雲もコメダ珈琲も随分久しぶりだ。
いつも山ばかり見ているから久しぶりに見る日本海に感動した。
彫刻制作で工場へ通っている時は時々お昼休みに海を見ながら休憩することもあるのだが、今は寺の営繕作務が終わらないから海も2ヶ月以上ご無沙汰になっていた。
日本海と云うと、運良く刺し身でも大丈夫という立派な島根沖産真鯛をゲットした。たまには、スーパーのハシゴをするのも良い。

展覧会6日目は会場がオープンしてすぐに、飛び込みのお客さんがあった。
美術鑑賞が趣味であるようで、コロナの蔓延で「上野も休館、六本木も休み、銀座を歩いてもギャラリーほとんど開いてなくて・・・」やっと見つけたのが彫刻のグループ展だったと、一つ一つ一点一点とても丁寧にじっくり見てもらえた。受付のカウンター越しに美術絡みの話が盛り上がっていつまでも続いて終わらなくなって、結局お昼ごはんはギャラリーの近くで見つけたお蕎麦屋さんを楽しみにしていたのに食べそこねてしまった。
帰り際に「あなた、とても話題が豊富ですねぇ〜、なにかお話のお仕事でもされると良いんじゃないですか?とっても楽しかったなぁ〜」と褒めて??頂いた。ボクの彫刻も褒めてほしかったけど・・・なにか、複雑な心境でドッと疲れた。
それからしばらくして知り合いのOさんが来てくれた。
彼女は、生活するための仕事をしながらスケジュールを調整してテラコッタの具象彫刻を造っている。もう何年も前に結婚して東京暮らしが始まった当時は気持ちも暮らしの余裕もなくてなかなか彫刻制作をすることが出来ないでいたが、それでも毎年島根の小品彫刻展だけは休まないで出品を続けてくれていた。今思うとそれが良かったのかもしれない、小さな彫刻を造り続けていたことで制作へのモチベーションが途切れないでいられたのかもしれない。彼女の最近の彫刻を見ると少しずつ自分なりのテーマを掴みかけてきた気がする。
色々あった1日だったが、こういうこともあるから受付業務も大事なことだと思う。

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コロナ渦 

2020/05/28
Thu. 17:06

何時頃何処からやってきたのか、境内の西側へ回り込んだ石垣沿いに根付いたムラサキツユクサが次々と花を咲かせ始めた。
飯南高原では6月を待たないで田植えがほぼ終わった。次は減反の田んぼへ大豆や蕎麦が植えられることになるのだが、それにプラスして耕作放棄地も増えてきたようだ。飯南高原の農耕地帯ではコロナ渦より高齢過疎化の影響のほうが大きいように感じる。
この頃は、雨と晴れが周期的に交互に巡ってくるので、寺と吉田家の整備作務のスケジュールが決めやすくなった。
それで、吉田家裏庭の方はおおよそ一巡して片付いて、あとは朝夕のひと時ほど枯れ草や枯れ木のクヨシをすればいつかそのうち片付くはずだ。
寺の方は、境内の東西南北をグルグル回りながら作務を続けているが、6月の万善寺大般若経転読会までに一巡して片付くことは難しいだろう。

3日ほど吉田家裏庭にかかりっきりだったから、その間に万善寺のポストが郵便物でいっぱいになっていた。
殆どは仏具屋さんからのダイレクトメールだったが、業者さんもコロナ対策絡みでなかなか商魂たくましい。
飯南高原一帯ではすでに行政からの第二弾マスク配布もあって、都合7枚ほど寺のポストへ投函されていた。ソレに加えて仏具屋さんからは白衣生地で造ったマスクが3枚送られてきたり、作務衣とおそろいマスクの注文表が届いていたりと、これから先、坊主業界でも当分の間各種マスクが大流行しそうだ。
SNSでもマスクデザインは賑わっているし、すでにワイフは吉田家家族のマスクを何枚も手づくりしているし、ポジティブなコロナ予防は小さなコミュニティーを越えて世界中に洗練されたマスクファッションが流行すると、それはそれでなかなか面白くなりそうだ。
ちなみに、あの「アベノマスク」は未だに島根の吉田家へは届いていない。今更届いてもまず使うことはないだろうと思いつつ、かといって廃棄するのもどうかと思うし、取り扱いに悩む面倒が残っていたのだが、なっちゃんが「捨てる神あればナントカ・・」という面白い情報を教えてくれた。

今年秋の展覧会に向けて本部事務局からアンケートが届いた。彫刻の制作出品展示作業は、人の濃密接触や長距離移動は避けられないから回答に窮した。
作家それぞれに制作発表の形態が違っているから、アンケート結果をもとにして展覧会の方向性を統一することは不可能だろうと思う。
個人的主観になるが、展覧会の本展開催が決定された場合は今までと変わりなく彫刻展示や搬入出に六本木まで往復しようと考えている。私の場合、彫刻展示は他人に任せることが出来ないからだ。それでも、例えば彫刻移動でお世話になっている業者さんに東京往復のチャータートラックを拒否されたり、共同搬入の作家が出品辞退をしたりすれば、彫刻の制作は出来ても展示発表が出来なくなる可能性もあるわけで、結局は体制の決定に我が身を委ねるしか選択肢は無いことになる。
コロナ渦は一人の彫刻作家のモチベーションにまで大きな影響を及ぼしている。
不要不急の外出自粛は、今までの生活様式を変えるほどのビッグウエーブになってきた。

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最後の蕗 

2020/05/22
Fri. 18:27

寒くて目が覚めた。
町並みの川下から車が近づいて吉田家の隣あたりで止まった。しばらくして木製のポストが「カタン」と鳴った。新聞を投げ込んだのだろう。
「最近、彼女新聞読んでるのかなぁ?」
もう新聞を読まなくなって随分経った。だから吉田家で新聞を読むのはワイフしかいない。昔は夕食が終わって寝る前のひと時ほど、洗い物の食器を片付けたテーブルへ新聞を広げていた。子どもたちが一人暮らしを始めて家を出てからのワイフは、夕食のあとテレビを見ている時間のほうが増えたような気がする。新聞もテレビ欄くらいしか見ないのだったら購読をやめてもよさそうな気がするのだが、新聞屋さんとの付き合いに義理立てでもしているのだろうか?彼女の考えていることはよくわからない。
この寒さはもう一週間くらい続いている気がする。
陽が落ちて真夜中になると一気に気温が3〜4℃くらいまで下がる。寒くて早くに目が覚めてオシッコをしてから二度寝しようと思ったがやめた。午前中に三十五日小練忌の七日努めがある。一度寝たら寺までの通勤坊主を遅刻してしまいそうだ。
しばらく続いていた梅雨のような雨降りがやっと終わって、石見銀山の町並みから東の空を見ると久しぶりに青空が広がっていた。

しばらく雨が降り続いていたから蕗を採りそこねている間に春の草が一気に伸びて蕗の葉が埋もれてしまった。
七日努めから帰って着物を脱いでコーヒーを飲んで少し休憩していつものつなぎ作業着に着替えた。
本堂の東側から庫裏の西側の端まで草刈りをしながらついでに蕗を採る。
草刈り機には笹刈り用の刃がついたままになっているが取り替えるのも面倒なのでその刃をそのまま使い続けることにしてグラインダーの方へダイヤモンド砥石を付け替えて目立てをした。
今年の蕗もこれが最後になる。
昨年は入院中で蕗の収穫が出来なかった。若い頃は蕗の美味しさもまったくわからなくて箸をつけることも殆どなかったのに、この歳になると味覚や好みが変わったのだろうか、あの蕗独特の青臭さが美味しいと思うようになった。
「もう、時期が過ぎとりましょぉ〜が?これからは虫が付きますけぇ〜・・・蕗ならコッチよりアッチの田の畦にマゲなのがまだありましょう・・・」
己バエのマーガレットを避けて草刈りをしながらアチコチに己バエの蕗を採りあつめていたら、いつも万善寺の営繕奉仕をしてもらっている保賀のお檀家さんが田仕事の手を休めて心配の声をかけてくれた。
「ありがとうございます。気になってたんですが雨が続いて採り損ねて今になってしまって・・・よさそうなものだけでも選んでみようと思って・・・」
さすが、年季の入った百姓のプロは保賀の自然を熟知していらっしゃる。
小一時間くらいほど草刈機を回しながら蕗を収穫した。これだけあったら伽羅蕗にしたものを関東で不自由に自粛している娘たちへもお裾分けできるだろう。
知らない間に随分と陽が長くなった。寺の境内から猫が消えてから戻ってきたスズメたちがやたらとうるさく鳴いていた。何処かで蛇でも出たのだろうか・・・

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伽羅蕗 

2020/05/17
Sun. 14:33

週末になると雨がふるというので、それまでに裏庭の草刈りを終わらせてしまおうと、2日ほど通勤坊主を休んだ。
このところ毎週のように週末になると雨になる。こういう状態が暫く続くと本格的な梅雨がきて草木の若芽の成長が一気に勢いをましてグングン大きく長く伸びる。

桜が散るころに梅の実が出来て少しずつ膨らみながらひと風ごとに弱い実を振り落として自力淘汰を続け、梅雨にはいる頃になると成長の早い実から熟して色づき始める。
頃合いを見計らって2〜3日続けて枝をゆすりながら落ちた実を収穫して、若い実は酒や酢に漬け込む。熟しが進んだ実はそのままガリッと食べると美味いし、煮込んでジャムにしたり日干しして梅干しにしたりする。
連休になる頃から筍が本格的にアチコチで伸び始める。1日も見逃してしまうとアッという間に長く伸びて、食べて消費する量が増える。雨が降ったりするともっと成長が勢いついて収集つかなくなる。5月中旬までの2週間ほどは伸びる筍との戦いが続く。
先週あたりから一雨ごとに蕗の葉が大きくなり始めたので、草刈りのついでに裏庭の蕗の収穫もした。蕗は地下茎で繋がって広がる。刈り取るばかりだと広がり続けて始末に負えなくなるから適当なところで抜き取ってしまったほうが良い。2日に分けて収穫したら結構な量になったので早速ワイフが伽羅蕗をつくってくれた。酒のあてにもなるしこれだけでご飯が何杯も進む。
戦後の貧しい時代を経験している母親は、筍・蕗・蕨・山椒などなんでも収穫した旬のものを塩漬けにしたり冷凍したりして保存食に変えていたから、なにかの時になにかの煮物になって食卓へのっていたが、さすがに今はそこまでして1年中食べ続けようとは思わないし、旬の加工へかける手間も時間も暇もない。

裏庭の草刈りは春になって2回目になる。
梅雨へ入るまでにこうして2回ほど下草を刈っておくと、夏草の草刈りが随分楽になる。
1回目の草刈り目安はピーピー豆の伸び具合で決める。
2回目は菜の花や水仙の花が終わる頃合いで決める。
土地それぞれ人それぞれで色々と草刈りの目安が変わるだろうが、私の場合はおおよそそのあたりの様子を見当にしている。
吉田家の裏庭は銀山川まで細長く続いていて、古民家の改修工事が終わって引っ越したすぐの頃は、土地のほぼ真ん中へかなり弱った桃の枯木があるだけであとは全体が一面野菜の畑になっていた。その桃も畑に日陰ができて野菜が上手く育たないからと徹底的に枝が刈り込まれていてそのまま枯れるのを待つだけの状態だったのを、ワイフが可愛そうだというのでなんとか新芽を生かして比較的勢いの良さそうな枝を残しながら剪定を繰り返しているあいだにそのうち小さな実をつけるまで持ち直したが、その実が食べられるところまでには上手に育てられないままだ。
ワイフは生まれも育ちも江戸っ子で、子供の頃から土の地面をいじることがなかったから野菜や花を育てたりすることに慣れなくて枯らしてばかりで、そのうち気持ちが果木の方へ移った。桃の木が生きかえったあたりから本気になって色々な果木を裏庭のあちこちへ植え始めたが草刈りまではしない。
茱萸・枇杷・李・蜜柑・檸檬・・・何もしないと裏庭がすぐジャングルになる・・・

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雨後の筍 

2020/05/11
Mon. 23:26

銀山街道はいつもの交通量が戻った。
この1ヶ月は日に日に行き交う車も減って、毎日の通勤坊主が楽になって、あれほど静かな連休は今まで経験のないことだった。
いつのまにかそういう毎日に慣れてしまっていたようで、後ろからあおってくる車もいないし渓流に沿って続く銀山街道の春の移ろいを愛でながらのんびりと銀くんを走らせていた。
週が開けても同じようにのびりとハンドルを握っていたら、気がつくとバックミラーに通勤の乗用車が何台もつながって見えて、ソレが自分のせいだとわかって焦ってアクセルを踏み込んだ。
飯南高原に入って出雲街道と合流するまで数台の乗用車が後ろをついてきて、そこから広島方面へ曲がって左右に別れた。出雲街道は広島と松江を結ぶ主要国道で今朝はもう県外ナンバーも走っていた。
コロナ自粛はまだ続いているはずだが、飯南高原だけ見るといつもの日常が戻っているふうに感じる。

万善寺の参道を登って玄関前に銀くんを横付けしてエンジンを切って運転席から降りたと同時に電話がなった。
タイミングがあまりに良すぎて焦ってしまって、電話をコンクリートのたたきへおもいっきり落としてしまった。急いでひろいあげると強化ガラスの保護シートに割れが走って本体のガラスも角が欠けてかなりひどい損傷だ。それでも、電話の機能は動いていてちゃんと普通に話もできたから少し安心した。
万善寺から保賀川を渡って向こう岸のU家からだった。どうやら銀君が寺の参道を登ったところを見ていたようだ。もう一呼吸ずらして電話してくれれば「取り落とすこともなかっただろうに・・・」と、いやらしくも自分のミスをUさんのご主人のせいにしてしまいそうになった。

緑の羽根と赤い羽根基金の集金が合わせて900円。
マスクの各家配布2回目は5枚(ちなみに1回目は7枚だった)。
それから「ふるさと応援宅配助成制度について」という、気持ちはわかるが運用方法がよく理解できない書類。
以上の用事で今から寺へ来るというから「イヤイヤこちらから伺いますから」と電話を切ってそのまま支払いやら受け取りやらした。

飯南高原は朝から暑い。
これから気温がグングン上昇しそうだ。
庫裏玄関の式台へ荷物を入れて、そのまま境内を一巡した。西側の軒先まであと1mくらいのところで筍が数本伸びているのを見つけた。このままだと近い将来座の下で伸びた筍が畳を押し上げてしまうだろう。今のうちになんとかしないといけないと思うが、自然を相手に住職一人の作務では限界を感じる。
さっそく飯南町の宅配助成制度を利用して掘った筍でもおくってやろうかなぁ〜・・

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鯛とリーバイス 

2020/05/07
Thu. 23:44

飯南高原は春先まで休止していた水田で大小の農耕機が動きだして田起こしが始まった。
連休にはいる頃から一気に活気づいて用水路から水が引き込まれてしろかきが始まって、早いところは田植えも始まった。
昔、まだ土日の2連休もなくて春の連休に飛び石が残っていた頃は、義務教育で学校へ通う子どもたちも飛び石の本来出校日を「田植え休み」と称する臨時休校にして家族や地域総出で田植えをしていた。
今は田んぼの農地整理も進んで大きな農耕機が楽に動かせるようになって農作業に人海戦術の人手を頼ることもなくなって、連休が終わる頃には水田一面すっかり田植えが終わっている。農作業も機械化の導入が進んで随分と楽になった。

全国的に蔓延したコロナウイルスの拡散抑制のために連休中は不要不急の外出自粛が徹底された。
飯南高原は中国山地を越えれば広島県のすぐ近くまでコロナウイルスが迫っていて日常の生活に気が抜けない。それでも春の田植えは時期を選ぶから自宅にこもってジッとしている訳にもいかない。農家のお年寄りの一人暮らしでは都会で暮らす家族の帰省自粛もあって田仕事が停滞してしまった。学校の休校延長で仕事も休めないまま子供を自宅に残した保護者の心配も深刻だ。
地域に点在する寺院僧侶の皆さんは宗派を超えてほとんどが地方公務員と兼業だから特に日常の暮らしで大きな影響もなさそうだが、私のように彫刻を造りながらの専業坊主に近い暮らしが1ヶ月以上続くとさすがに少々つらい。時間講師で家計を助けてくれているワイフも新学期が始まってから仕事の休みが続いて収入が絶えたままだ。

いろいろな立場の違いで心配の事情も様々に違うことだろうが、いずれにしてもなんとか無事に過ごしていられるだけでありがたいことだと思う。
4月の終わりに誕生日を迎えてまた一つ歳をとった。
自分では今更この歳になって自分の誕生日をあらためて祝うようなこともなくていたって平常に過ぎたが、それでも家族のそれぞれはそれなりにオヤジの誕生日を気にかけてくれていて、時節柄そういう思いやりが何時にも増して心にしみた。
誕生日当日もいつもと変わりなく通勤坊主で1日中寺暮らしが続いて夕方に帰宅すると、珍しく風呂が沸いていて、夕食には尾頭付きの鯛が出た。同じ尾頭付きでもいつもの吉田家では頭を縦割りした「あら煮」が定番だから、さて?本物の尾頭付きは何年ぶりになるか?いや、何十年ぶりか?まったく思い出せないほど縁がない。とにかく久しぶりの焼きたてのホクホクの塩焼きは絶品だった。こうしてあらためて味わうと、やはり鯛は美味だ。
子どもたちからは、リーバイスの501が届いた。いつもはメキシコかエジプト産のノンウォッシュを買って、しばらくダブダブのまま履いてから洗濯しているのだが、今回プレゼントで届いたのはアメリカ産のノンウォッシュだった。今までの人生で本場アメリカ産は履いたことがない。サイズも変わりなくて洗濯すればピッタリと縮んで腰回りも股下も丁度良くなるはずなのだが、何故か股下は予想以上に余っていて腰回りがピッタリと窮屈だ。ひょっとしたら、一度洗濯すると腰が入らなくなるかもしれない。ドキドキ・・・

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誕生日 

2020/05/04
Mon. 17:03

孫も出来て名実とも「おじいちゃん」になったのが今からちょうど1年前。
頚椎の手術で入院している最中に自分の誕生日を迎えそれから2日後に孫が生まれた。
「時が過ぎるのは実に早い・・・」

その日の朝、足元のクロがゴソゴソしはじめて、なんとなくボンヤリと目が覚めた。
4月も半分ほど終わったくらいから急に寺の仏事が立て込んで毎日が慌ただしく過ぎる。
お葬式が一つ出来た。
そのお葬式が昔ながらの町内葬で世話人さんが仕切ることになったものだから、菩提寺の住職へ葬儀事務を兼ねた葬儀社のような役がついてきてコロナ肺炎のこともあるし何かとおおごとになって、導師の引導が終わる頃にはどっと疲れが出てフラフラになった。
手術から1年、首から右半身の肩から手指の先にかけて残った痺れを騙し騙し上手に付き合いながら暮らしていたが、さすがにここまでいろいろなことが絶え間なく続くと身体の負担に限界がきて、慢性の痺れがいつも以上に辛い。巡ってきた初七日の朝目が覚めると、夜のうちに両足が痛くなっていていつものように起き上がって普通に歩けるようになるか微妙な状態だった。いつの間にか何かと無理が効かなくなって弱くなった。
人生の三分の二が過ぎてそろそろ四分の三が巡ってくるわけだから、身体のあちこちガタが来るのも当たり前でだいたい普通ににこんなものだろうと思う。

連休に入る頃から少しずつ暖かくなってきたものの、次の日の朝には冷え込んで冷たい雨が降っていたりして、ボォ〜っとして暮らしているとすぐに風邪を引いたりしてしまいそうだ。毎日をそれなりに緊張して暮らしていないと四方から迫ってくるコロナウイルスの絶好の餌になってしまいそうだ。
気温の寒暖はカメムシとヤモリと、それに吉田家のクロの様子を見ていればだいたい予測できる。
朝のうち、ちょっと肌寒いと思ってトレーナーを余分に着込んで湯を沸かしてコーヒーを入れてから本堂をウロウロしていたら、南側のサッシの隙間やカーテンレールの内側から越冬したヤモリが2・3匹ほどポトリと落ちてきた。まだ身体が十分に温まっていないようで、不器用にモタモタと這って敷居の隙間へ入り込んでいった。彼らも南向きで暖かい場所をそれなりに認識できているようだ。
出来たてのコーヒーを飲もうと思ってカップを持ち上げたら、カメムシが入れたてのコーヒーへ飛び込んで泳ぐでもなくうごめいていた。さすがにカメムシのエキスが溶け込んだコーヒーは飲む気になれない。そういえば、洗濯物を取り込んでいたらカメムシがポロポロと落ちてきた。越冬して生き残ったアイツラもそろそろ活動を開始したようだ。
吉田家のクロも、最近は一晩を居間のソファーで過ごすことが増えてきた。チョットした気温の変化を敏感に感じ取って寝る場所を調整している。冬の間は足元で邪魔をしていたから、やっとこれからあいつに遠慮しないでゆっくりと休めるようになる。

石見銀山は30年前の昔に戻ったように閑散として人影もない。
銀山街道や出雲街道は交通量が激減した。
飯南高原は連休前から田んぼのしろかきが本格的になって早いところは田植えが始まっている。

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映画と薪ストーブ 

2020/04/13
Mon. 16:13

しばらく晴れの日が続いていて桜もそろそろ最後かなと思っていたら、週末から急に寒くなって気温が一気に10℃も下がった。

通勤坊主で往復している銀山街道は街道沿いの桜並木もきれいだが遠くの山並みや渓流に点在する山桜がとてもきれいだ。その山桜が散り始めるころになると周囲の山々へ様々な色合いの萌黄が一気に広がる。それからしばらくしてヤマツツジがあちこちで咲き始め、自生のシャクナゲが咲く。渓流脇の桂の枯木には緑の若葉が湧き上がって瑞々しく蘇る。

近年は彼岸明け前後から街道沿いに「桜まつり」の桃太郎旗が林立して列をつくる。
はためく桃太郎旗がやたらと視界に飛び込んで、満開の桜並木を愛でるという風流からは程遠くなった。
地域有志の皆さんの地元活性に向けた前向きな取り組みの一環であるのだろうが、私個人としては、一昔前のように桜並木の蕾が何気なく満開になってやがて時期が来てさくらふぶきに変わって散った花びらが街道を淡いピンクに染める移り変わりをさり気なく感じていられる方が好きだった。

銀座のグループ展の会期が始まった頃からコロナ肺炎の流行が急速に加速した。
会場受付で往復の公共交通機関も日に日に利用客が減少した。
10代後半から20代の殆どを東京で暮らした私でも、記憶にないほど閑散とした光景が毎日続いていた。
潜伏期間を考慮して2週間は外出を自粛して人混みでの接触を避けて過ごしている。
幸い、万善寺の法事仏事も無く好天も続いているから、何年ぶりかで本格的に万善寺石垣と吉田家裏庭の整備を始めた。
毎日通勤坊主を繰り返しながら石垣に根付いた低木を切り倒し裏庭の草刈りに3日ほどかけて、週末に一段落ついたところで雨になった。夕方から雨脚が強まって風も出てきた。
これで風がなければ桜の花ももう少し長持ちしたかもしれないが、石見銀山はソレも期待できないほどの強風が吹き荒れた。
飯南高原の方が気になっていつもの天気アプリを確認したら雪マークになっていた。
暖冬のままシーズンが終わったばかりだったのに、桜が散る頃になって冬が戻ってきた。
冬の枯葉が雨で流されて雨樋のどこかに集まって溜まってしまったのかもしれない、滝のようになって溢れた雨水がすごい勢いでアルミサッシの窓をたたき続けている。
寺のことが心配ではあるが、無理にジタバタしてもしょぉ〜がないから、雨の降る間はおとなしく休養することに決めた。

荒れ地に変わった裏庭の草に埋もれて半分腐りかけていた建材の柱を刻んで薪に替えた。
やはりエアコンのフル稼働より薪ストーブはずっと暖かい。
久しぶりに温もったリビングで久しぶりにワイフと二人で「蜂蜜と遠雷」を見た。
「小説とは随分違ったね。いっぱいカットされてた・・・あの馬何だったのかしら??」
2時間の映画で小説の再現には少々無理があるということだけは確かなことだ。同じ「表現」領域でも「映画と小説は別物だと思ったほうが良い・・・」と、私は思う。

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展覧会3日目:蕎麦と焼き鳥 

2020/03/24
Tue. 23:42

東京暮らしを切り上げて島根へUターンしてからそろそろ40年近くなる。
年に何回かは上京するから東京の公共交通機関は概ね迷わないで利用できているが、それでも今になるまで毎年のように新しい地下鉄が開通しているし、相互乗り入れも増えたし、彫刻と一緒に車で移動する時も鉄道の高架線化が進んで踏切の待ち時間が短くなって楽になった。相変わらず首都高は高速道路とは名ばかりの混雑ぶりだが、それでも東北や関越には楽に乗り入れられるようになったし東京湾沿いの高速道も整備が進んで、あとは関東の西の端が南北に整備されればもっと楽に東西を移動しやすくなると思う。

車で上京したのは5年ぶりくらいになるだろうか?たしか前回は今の銀くんの前の結界くんと一緒だったはずだ。もう新名神は開通していたが新東名はたしか名古屋の東の三ヶ日あたりがまだ工事中で東名へ合流するのにやたらとグルグル回ってばかりいたような気がするが、思い違いかもしれない。
何時だったか、東京からの帰りに高速道での事故が多発したことがあった。チョットした時間の都合で次々と事故に遭遇してしまった感じで、あと1時間早ければ難なく通貨できていたはずだとか、出発時間を少しずらしていたらもっと楽に事故を回避できていたはずだとか、めぐりあわせの不運が度重なっただけのことなのに自分の運の悪さを納得できないで随分とイライラした事もあった。

最近は高速バスでの移動がメインになった。
慣れてしまえばなかなか快適で、何より前日はギリギリまで仕事ができるし当日は余裕を持って仕事に取りかかれて時間のムダがない。
殆どが仕事優先のとんぼ返りになってしまうが、日程に余裕があれば1日1晩自由時間をつくって関東在住の娘たちに逢うこともできる。キーポンと映画を見たり、ノッチと待ち合わせて一杯やったり、なっちゃん家族と食事したりと、上京の楽しみになっている。

銀座のギャラリーで受付に入る前にコンビニを経由してコーヒーをテークアウトした。
其処からギャラリーまで熱いコーヒをこぼさないようにゆっくりソロソロと移動していたらお蕎麦屋さんを見つけた。いつもは有楽町から違うルートを使ってギャラリーまで移動しているから、そのお蕎麦屋さんの前を通ることがない。
まだ学生だった頃は、駅の立ち食いそばも含めてとにかく東京のアチコチのお蕎麦屋さんには数え切れないほど通ってお世話になった。
せっかくだから、お昼は受付を変わってもらってそのお蕎麦屋さんへ行って、釜揚げそばともりそばを堪能した。島根のザラッと歯ごたえのある香り高い田舎そばも良いが、やはり、江戸前のキリッと締まってツルリとしてコシの強い上品な蕎麦もすてがたい。

夕方になって仕事帰りのノッチが彫刻展の会場へ来てくれた。マスクで顔が隠れていてしばらくノッチと気づかなかった。時期が時期だけに来場は期待していなかったが、ノッチのお陰でかろうじて10人二桁をキープ出来た!
彼女は仕事の関係で在宅勤務が難しいらしい。クローズまで受付に付き合ってくれて、それからキーポンも合流して一杯飲むことにした。

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展覧会1日目:13歳からのアート思考 

2020/03/22
Sun. 23:53

ほぼ徹夜で島根から東京まで移動して、テーブルを組み立て、ギャラリーで彫刻の展示をするという強行スケジュールをこなすと流石に全身へ疲れが溜まって、いつもどおり目は覚めているのに身体が思うように動かない。
一晩のうちに溜まったオシッコが漏れそうなのでなんとかして起き上がろうと腹筋に力を入れたらよけいにチビリそうになって少々焦った。

搬入展示を手伝ってくれたキーポンと夕食をとったあと、そのまま彼女の家で一晩お世話になった。腰は痛いし、足もまだ痛いし、無理をした時に、確実に自分の老化が進んで体力が減退していることを実感する。
「あと何回こういうことを続けられるだろうか?・・・」
放尿の開放感に浸りながらなんとなく他人事のようにボンヤリ思った。

グループ展事務局からのSNSであらかじめ送信された会場の当番表を確認すると、初日の受付は人手が足りているようなので無理をしないで1日休養することに決めた。
キーポンの部屋でゴロゴロしながらウエブニュースを見ると、いよいよコロナ肺炎流行が首都圏蔓延を避けられない状況になったようだ。
こういう時期の展覧会はみんな外出自粛で集客も期待できないだろうと島根を出発する時予測して、会場当番の暇つぶしをいくつか準備しておいた。
1週間分の暇つぶしとなると、文庫本が2〜3冊は必要だろうから彫刻の梱包と一緒に銀くんへ積み込んでおいた。それから公共交通機関で移動中用に耳のお供をAppleMusicをチェックしてiPhoneへダウンロードしておいたし、ついでにKindleの無料購読を検索して面白そうなモノをいくつか追加しておいた。
長期間家を留守にして吉田家のWi-Fi環境を離れると、出先でダウンロードも自由にならないから、その程度の準備は夜寝る前のひと手間で事前に済ますようにしている。

今回のグループ展は、例年のように関東圏を中心にDMの一斉発送を躊躇してどうするか直前まで迷った。
コロナ肺炎の蔓延状況は島根の田舎で暮らしていると首都圏の現状が遥か彼方の遠い世界の出来事のようにボンヤリと曖昧で、どうも現実的に具体的に我が事のように受け止めることが出来ない。はじめはDMに簡単なお知らせの手紙を添えて封書にしようと決めて草案を考えてもみたが、そのような封書が届いた先でかえって余計に気を使われてしまったりするかもしれないと思ったりもして、結局DMを1枚も発送しないままになった。
1日の休養を無駄に過ごすのももったいない気がして、その未発送のDMをJPGに置き換えてSNSで繋がっている友人知人だけには送信しておくことにした。相手が受信に気がつけば、その時の相手の事情で何かしら返信をしてくれるだろうと思ったし、その程度のことならこういう状況でそれほど気持ちの負担にもならないだろうと思ったからだ。あとは、自分ができるだけ連日会場で受付をしておけば、作家不在の失礼もしなくてすむし、そういうふうに決めてすべてSNSに委ねた。キーポン宅のWi-Fi環境が随分と役に立った。
お昼はセブンイレブンの中華丼をレンジでチンした。最近のコンビニレトルトはあなどれない。
それからKindleを開いた。読み始めたら面白くて止まらなくなった。

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お彼岸の夜 

2020/03/20
Fri. 23:24

春彼岸は穏やかな朝を迎えた。
本堂を中心に簡単な荘厳とお参りの湯茶を準備するのに早朝から典座寮をかねた台所と本堂を数え切れないほど往復した。
庫裏の西の端にある台所と境内の東の端にある本堂は対角線の端と端を結んだような状態に位置していていくつかの部屋を横切って渡り廊下の階段を上り下りする。
万善寺の法要があるたびに思うことだが、そこで生活しながら維持管理をする住職としてはとにかく使い勝手がすこぶる悪い。
飯南高原に点在する仏教寺院は宗派を越えてだいたい何処も似たりよったりの構造だから、過去の時代のいつの頃からか本堂を中心にした聖域の結界を構成する宗教的建造の常識としてこのような伽藍配置が極小規模の末寺にまで浸透していたのかもしれない。
昔のように、民衆の信心が旺盛な頃は地域の宗教行事として身施の勤労奉仕が盛んであっただろうが、今の時代はソレも廃れて檀信徒の仏事のお参りも形骸化が進んでいる。だいたい皆さんお客様感覚でお参りされるようなところもあって、湯茶のセルフサービスもまずは住職の方からお願いするところから始まる。

午後からの法要が始まる頃になって、左足の足首あたりがチクチクと痛み始めた。短時間で一気に休み無く動き回ったから痛風の発作が生じたのかもしれない。
夕方から東京へ向けて出発するのに嫌な成り行きになってきた。
何食わぬ顔をして、法要から塔婆回向とお茶会まで済ませ、お参りが引いて湯茶の配膳を全て片付けて洗い物をワイフへ任せてから彫刻の荷造りと銀くんへ積み込みをした。
洗い物を済ませたワイフが途中から合流して手伝ってくれて、万善寺の境内を出発したのは夕方の6時を少し過ぎた頃だった。

いくつかのルートを検索して、途中燃料を満タンにして松江から米子経由で中国自動車道へ回ることにした。
夕食はお茶会の残り物を食べた。
夜食もそのまた残り物で済ませた。
ワイフは、中国自動車道へ入った頃から助手席で爆睡モードに入って、そのまま深夜を過ぎても目覚める気配がなかった。
新東名の静岡に近づいた頃から睡魔がやってきて我慢できなくなったからパーキングエリアに寄って仮眠した。
夜が明けて周辺が少し明るくなり始めてワイフが目覚めた。
「富士山見えるかしら?」などと、のんきなことを云っていたが、夜通しの運転で疲れている上に左の足首が本格的に疼き出したボクとしては、夜明けの富士山を愛でるほどの余裕はない。ワイフの方は「わぁ〜、キレイ!やっぱり富士山は良いわね・・・」などと旅行気分を満喫していた。

東名から首都高へ回ってなっちゃんの新居を目指した。
テーブルを搬入して組み立てが終わったのはお昼前だった。
それから彫刻をコロコロキャリーに載せ替えて銀座を目指した。

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彼岸間近 

2020/03/17
Tue. 23:20

工場のすぐ前を流れる潮川周辺は菜の花が満開に咲いて黄色の絨毯を敷き詰めたようにきれいだ。
なんとなく、いつもより満開が早い気もして過去の記憶を手繰って思い出そうとしたが、無理だった・・・

銀座のグループ展へ出品予定の彫刻制作も先が見えたし、なっちゃんの新居用に制作中のテーブルも完成の見通しがついたから、気持ちを万善寺の春彼岸へ切り替えた。
今年は初午祭と日程が近かったからお参りがどれだけあるか予測が難しい。
それでも、一応例年と同じように準備はしておこうと思っているのだが、いつもはこの時期まだ寺の境内にたっぷりと雪が残っていて庭掃どころか車も玄関先へ横付けできないほどだから、境内へ雪のかけらもない今年はどうもいつもと勝手が違って準備の都合の整理がつかない。
ワイフへは法要後のお茶会用に20人前ほど何か見繕っておいてもらうようお願いした。

庫裏の観音様の八畳部屋に冬の間ほどドームテントを広げている。
寒い夜は、このテントに潜り込んでiPadのKindleを開いて読書しながら過ごす。
数年前の強力寒波襲来の時に、あまりに寺が寒かったものだから思いついてテントを使ったのがなかなか快適で、それ以来、万善寺の冬は観音様の部屋へテントを常備するようになった。
今年のシーズンは、寺の夜が極端に冷え込むこともなかったのでテントに潜り込むことが殆ど無いままになった。
お彼岸にはお檀家さんがお参りされて、檀信徒会館代わりに使ったり、お茶会の準備で何往復もしたりするところへテントがそのままになっているのもいかがなものかと、これを機会に撤収することにした。
敷布団代わりのクッションマットや毛布をテントから引き出したら、カメムシがポロポロとこぼれ落ちた。殆ど未使用だったシーズン中、カメムシたちの越冬場所になっていたようだ。
久しぶりにしばらく締め切ったままになっていた縁側のガラス戸を開けて外の空気を入れた。それからテントを外に出してひっくり返したりしていたら、本堂の座の下からあのふてぶてしい目つきの黒い野良猫が覗いてこちらの様子を見ていた。

夜は万善寺へ泊まることにした。
なっちゃんの新居へテーブルを搬送することになったので、幾つかのナビアプリでルートを確認した。休憩なしの直行だと約9時間半で到着するようだが、さすがにそれは無理だろう。だいたい16時間位を予定して給油とか仮眠とかの場所をおおよそ決めておいた。
それから思い出してAmazonで安西水丸さんの絵本を3冊ほど注文した。孫のユーシンくんもそろそろ1歳になるし、おじいちゃんからの誕生日プレゼントということで丁度良い機会だ。
それに、安西水丸さんの祥月命日が近い。もうそろそろ七回忌がくる頃のはずだ。あの人のセンスはすごいと思う。

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春先の日本海 

2020/03/15
Sun. 23:27

なにか思いついてそれなりにいつもより気合を入れてコトを始めようとするとだいたい雨になる。
今度も、彫刻を造りながらテーブルまで造ってソレを一緒になっちゃんの自宅まで陸送しようという、ボクにとってはかなり気合の入ったプロジェクトを決行しようとしているから、いずれそのうち仕事の佳境に入る頃から「雨になるのだろうなぁ〜」と漠然と考えていたら、案の定、雨になった。
それでも、思ったより寒くなくて工場の仕事は楽にはかどったのだが、塗装の段取りが狂って困った。
室内だと、いつもなら換気扇の真下に即席の塗装場を用意するのだが、今は丁度そこへ耐火レンガを積んでコークスの焼鈍し場が出来ている。わざわざそれを解体するのも面倒だし、かといって雨の中外に持ち出して塗装もできないし、彫刻の細かい部分を造りながら考えたあげく、一日の仕事の最後に狭い工場の制作台で塗装をしてそのまま翌日まで換気扇代わりの扇風機を回し続けることに決めた。
ラッカーのスプレー缶2つ半を使って塗装し、天板にはウレタン塗料を缶から直接流して木綿の手ぬぐい一枚を無駄にして塗り拡げた。

次の朝、銀くんを代車と交換することになっているから飯南高原へ急いだ。
「荷物積んで長距離走るんで後ろの空気圧高めでお願い!」
「良いよ、何処まで行くの?」
「東京ー」
「トォ〜キョォ〜〜お!?・・分かった!積載用にしておくわぁ〜」
「オイルも替えておいてくれる?」
「OK!・・まだ2年目だから車検点検そんな時間かからないはずだから・・出来たら、また連絡するわぁ〜」
「よろしく!」
「長距離なら良い腰のサポーターがあるから、それ貸してあげるわぁ〜、使ってみて」
「悪いねぇ〜、そりやぁ〜助かるわぁ〜〜」
そのクッションは、日野のトラックに乗るときに使っているモノで、ビニール製のベンチシートだと長距離は疲れるからメーカー推薦のモノを買っておいたのだそうだ。
「それで、ソレ、仁多で作ってるんだってぇ〜、世間は狭いよな!」
仁多は島根の東部にある町で、数年前まで小品彫刻展を開催していた横田町の隣町になる。仁多のお米は「仁多米」というブランド米にもなって全国へ出荷されている。思わぬところで思わぬ話になって、島根の地図が小さくなって仁多を近くに感じた。

仁多の隣の横田町は奥出雲そばで有名で、私も横田へ行くと蕎麦屋をハシゴして回る。急に蕎麦が食べたくなって、お昼は寺の近所の蕎麦やへ駆け込んで釜揚げとざるを食べた。
前日の雨は夜のうちに上がって昼過ぎにはそれなりに晴れた。大気中の埃や塵を洗いとって気持ちがいいから、工場を過ぎて日本海へ出た。北風が少々強くて沖の岩礁に白波が立っていた。
たぶん、今年はじめての日本海だったと思う。

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ノドグロ 

2020/03/14
Sat. 23:30

強力寒気団が島根県上空まで南下して、水道や電気ガスの万善寺ライフラインが大事になったのは2年前のこと。
その極寒の冬に絶えられなくてついにリタイヤした相棒の結界くんの代わりにやってきたのが今の相棒銀くん。
その銀くんの車検がきた・・・2年がアッという間に過ぎた感じだ。
銀くんが来てからの2年間は暖冬が続いて、今回の冬は雪も殆ど降ることがなかった。
このまま温暖化が進んで雪のない冬が続くとは考えにくいが、それでもこれから先、毎年昔のように雪深い冬が続くとも考えにくい気がしてきた。

同級生のカーディーラーから車検の日程調整があって、週末には代車と交換して銀くんはしばらくドック入りする事になっていた。
「あぁ〜、モシモシ吉田くん?代車がまだ戻らんでチョット予定が狂ったんよ。来週引き取りじゃぁいけんだろぉ〜かぁ〜・・」
わざわざ、工場の仕事を早めに切り上げて代車と交換しようと銀山街道を移動していたらカーディーラーのTくんから電話が入った。向こうの都合だからお彼岸までに銀くんが帰ってくればそれでいいことなので「あぁ〜、いいよ」と返事しながら銀くんの使用スケジュールを大急ぎで修正した。
彫刻を造り終わったらテーブルを一つ造ることにしていて、天板になる材料を銀くんのリアデッキに積まないといけない。車検の後にソレをしようと思っていたのだが、日程的に少し窮屈な気もするし、急きょ材料を積み込んで工場まで搬入した。

テーブルはなっちゃんのリクエストで新居への引っ越し祝いになる。
引っ越しはもう随分前に終わっているが、テーブルの納品というか運搬の都合がなかなかうまく調整できなくて今になった。
造り始めたら一週間もあればなんとか完成するのだが、ソレを島根からなっちゃんの暮らす新居まで業者さんにお願いして送り届けるとなるとその費用がばかにならない。それで色々考えて3月末から始まる銀座のグループ展に合わせて彫刻と一緒にテーブルを銀くんで搬入することにした。
サイズは新居の部屋の都合とか椅子の配置などを考慮して天板が約140cm×90cmで高さが60cmチョットくらいにした。そこまでは良かったのだが、いつも使っている彫刻の制作台がその天板より小さいものだから、とにかく造りにくい。裏表をひっくり返したり溶接したりするたびに、ヨレヨレフラフラになりながら自分の人力を使った。

夕方になってホームセンターへ寄ってテーブル関係の必要なモノを揃えて帰宅すると土間の方から何かの煮付けだろうか?食欲をそそるとても良い匂いが漂ってきた。
「おかえりぃ〜〜!半額だったのよぉ〜!」
煮付けの正体はなかなか立派なノドグロだった。食卓の隅には造りかけのワイフの小品彫刻が片付けてあった。
狭い工場で彫刻制作の合間を縫ってテーブル制作が加わって、かなり濃密な一日になった・・・

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休息 

2020/03/06
Fri. 23:42

学校の春休みが近づいて、石見銀山やその周辺では卒業式もそろそろ近づいたり既に終わったりと、毎年恒例の年度末行事が進行している。
万善寺は初午祭が終わって、これから春彼岸が来る。

いつもなら境内やお墓にはまだ雪がたくさん残っているから、掃き掃除などの外仕事にかかわる作務が出来ないままお彼岸を迎えるのだが、今年は過去に例を見ないほどの暖冬になったおかげで、庭掃どころか境内のアチコチで茂っている庭木の剪定まではじめている。
学校へ美術の時間講師で出かけているワイフは、少し前に年間の予定授業のほとんどが終わって、時間に若干の余裕ができたようだが、これから年度末に向かって地域の付き合いで引き受けている幾つかの用事が残っているようで「お雛様展の展示があるから」とか「今日は婦人会のお弁当作りがあるから」とか「明日の夜は自治会協議会の会議が入ったから」とか「民生委員で小学校まで行ってくるね」とか、とにかく連日のようにせわしなくアチコチへ出かけている。
そうやって、いつも忙しくしていることが彼女にとっては生活の張り合いになっているのかも知れない。
そんな中、久しぶりにお供えのお花を持って寺まで来てくれたから、せっかくなのでお昼は近所のお蕎麦屋さんへ二人で出かけた。
世間では新型肺炎の情報が飛び交って商業施設や学校を中心に対応対策で混乱してるようだし、お蕎麦屋さんもそれなりの影響を受けているかも知れないと気にしていたのに、お昼時のお客さんも絶え間なく続いて、全然いつもと変わらなくて安心した。
美味しいお蕎麦を食べたあと、ワイフとはそこで右と左に別れた。
彼女は「せっかく、コッチまで来たから・・」と近所の道の駅を幾つか経由してみるのだそうだ。

お寺の用事を切りの良いところで終わらせて夕方になって吉田家へ帰った。いつもならクロが土間の入り口で鳴きなから出迎えてくれるのに珍しくソレがない。ワイフは道の駅でゲットした食材を使って夕食の支度をはじめていた。部屋を見渡してもネコチャンズの姿が無いからきっとアイツラはロフトで寝てるのだろう。
ワイフの夕食が出来上がるまでまだ間があるようだし、このところ寺のことで働き詰めだったから少しほど2階のボクの部屋で休息することにした。
炬燵テーブルには少し前に届いたグループ展のDMがまだ発送されないままになっている。新型肺炎のこともあるし、ハガキをそのまま発送するより、何か一言書き添えて封書にしてみようと考えている。吉田は、ひとまず銀座で受付当番を予定しているが、来客も殆ど無いだろうから、この度は作家の研究発表的色彩が濃厚な展覧会になりそうだ。彫刻のメモはたくさん溜まっているし、私もそのことを少し意識して制作に取り掛かったところだ。

案の定、クロはボクのベッドのド真ん中で爆睡していた。炬燵に足を入れたときシロの背中を蹴ってしまったのに動く気配もない。シロもまた炬燵のド真ん中で爆睡中でした。

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贅沢な食卓 

2020/03/02
Mon. 23:59

法事では珍しいお頭付きの鯛が入った斎弁当を持って、ウキウキと吉田家へ帰った。
この頃は随分と陽が長くなって西陽に照らされた雲がオレンジに染まってきれいだ。

駐車場へ着いて荷物を降ろしたりしていたら、仕事帰りだろうか?自転車から降りたばかりの登美さんと出会った。
「正チャン最近痛風どぉ〜お?」
石見銀山町並みのド真ん中で大きな声に「なんで今さら??」と少々気恥ずかしくもあったが、石見銀山の場合、私の持病に限らず町内の殆どの住人に関する持病事情はすでにみんな周知のことで個人情報がどうとか守秘義務がどうとか、そういう堅苦しい近所付き合いとは無縁である。
「薬も欠かさず飲んでるし、特にこれと云って良くもなく悪くもなく・・普通ですよ」
「あのネ、牡蠣あるの・・・正チャン牡蠣好きなの知ってるけど、痛風に良くないらしいし、どうかなと思って・・採れたてで新鮮だからまだ生食で大丈夫なんだけど・・・どぉ〜お?いるぅ??」
今年・・・というより、随分前から口にしていない牡蠣が貰えそうとわかって、法事の疲れが一気に吹き飛んだ。
「えぇ〜、いいんですか?」
「封を切って少しほど味見させてもらったんだけど、やっぱり美味しいわよねぇ〜、それに身も大きいし、食べごたえがあるわよ。私一人で全部はとても無理だから、残りものだけどいらないかと思って・・・でも、痛風大丈夫?ほんとに??」
「全然平気です!後で痛くなっても美味しさ優先ということで、初物ですよ!」
「じゃぁ、後で持っていくわね」
「ありがとうございます!」
それからしばらくしてビニール袋いっぱいの大きくて立派なむき身の牡蠣を持ってきてくれた。

吉田家はワイフがまだ帰宅していなくて、日が落ちて少し暗くなり始めたリビングは寒々としていた。ひとまず頂いた牡蠣を冷蔵庫にしまって、斎弁当を食卓のワイフの定位置へ置いて、ストーブに火をつけ始めたところでワイフが帰ってきた。
しばらくの間、土間で何やらゴソゴソしていたワイフが「しょぉ〜ちゃぁ〜ん、ただいまぁ〜・・・カニ買ってきたわよぉ〜」と、大きなビニール袋に氷と一緒に入れてある紅ズワイガニを重そうに抱えて入ってきた。
私の法事の裏番組で、彼女は朝から山陰の作家仲間の個展会場を2箇所ほどハシゴして、その途中で境港の卸売市場へ寄ったらしい。

その夜の吉田家は、1年に一度あるかどうかの盆と正月が一緒に来たような・・いや、むしろソレ以上の超豪華で贅沢な料理の数々が食卓に溢れた。
「あとになって、痛風が出るな・・・きっと・・・」
ふと、不安と確信めいた予測が脳みそをよぎったが、ボクの心は美食を目の前にて完全にポキリと砕け折れて理性が遠くへ消えていった。

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ラムと古古古古米 

2020/02/20
Thu. 14:30

日曜日の夜から降り始めた雪が月曜日は終日降り続き、火曜日の朝には膝下まである鉄板入りの安全長靴の履き口から雪が入り込むくらいに一晩でドカッと積もった。
その日は六・七日檀弘忌があるので、いつもなら施主家に10時着くらいで準備をして出かけるのだが、これだけ雪が積もると参道の道開けをして銀くんを国道まで移動させるだけでお昼を過ぎてしまう。まずは、施主家に電話して現状を伝え、七日参りはお昼を過ぎてからということで了解を得た。

今度のドカ雪は水分をたっぷりと含んだ重たい雪だった。
こういうタイプの雪は除雪に苦労する。スコップもプラスチックの華奢なものだと雪の重さに絶えられなくてすぐに破れ壊れてしまう。それで土蔵にしまってあったアルミ製の雪かきスコップを取り出して雪を払いながら一本道を長靴で踏み固めつつ参道をお地蔵様の前まで降りた。夜の雪は一気に降り積もるから、あらかじめ前日の夕方にお地蔵様横の林道脇まで銀くんを降ろしておいたのだが、その銀くんも雪にすっぽりと包まれてすぐに動かすことができない。林道にはすでに車の轍ができていたから、その轍へ銀くんをはめ込めば国道まで進めるはずだ。
保賀の谷へ除雪車が上がってくるのはだいたい午後の3時位になる。それまで待てば楽に銀くんを動かせるのだが、夕方まで七日参りを遅らせるのもどうかと思うし、とにかく少しでも早くに銀くんを脱出させることにした。
前日から降り続いていた雪は七日参りが終わる頃になって止んだ。
しだいに雲が薄くなって雪の積もった琴引山から大万木山の峰が雲の切れた青空をバックにくっきりと白く浮かび上がって目があけていられないほど眩しい。例年だと3月のお彼岸前後に降る雪の後がこういう感じになる。今はまだ2月で1ヶ月ほど早いから、夜の放射冷却でかなり冷え込むはずだ。
寺へ帰ってから庫裏の南側にある縁側の温度計を取り外してお風呂場へ移動しておいた。
屋外はすでに夕方から氷点下まで気温が下がっていたし、深夜になって屋内の温度が氷点下5℃を下回るようなら水道管が凍結する。

その夜、飯南高原は午前2時に−7℃まで下がり、夜明け前の午前4時には−8℃になった。万善寺のお風呂場は夕方から電気ストーブを持ち込むなどして気をつけていたから、深夜の時間帯でー3℃まで下がったがソレ以下にはならないで済んだ。
水曜日の朝をほぼ徹夜に近い状態で迎えた。
本堂の朝の用事を済ませていると、東からの日差しに自分の動いて巻上げたチリがキラキラと反射していた。
庫裏の方で雪吊りのものすごい音がして本堂が少し揺れた。朝日に緩んだ屋根の雪が一気にずり落ちたようだ。それから一日中絶え間なく小規模の雪吊りがアチコチで続き、お昼を過ぎた頃からそれに雪解け水の雨だれの音がにぎやかに加わった。
この様子だともう一晩ほど放射冷却が続きそうなので寺に泊まることにした。
年が変わって冷蔵庫で眠っている古古古米が乾燥しきった古古古古米になった。捨てるわけにもいかないから最近は一人用の土鍋を灯油ストーブに乗せて出汁味のおじやを作っている。夜はソレにラムを5切れほど解凍して野菜と炒めた。

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令和の日常 

2020/02/14
Fri. 12:25

怜子さん洒水忌前日はなっちゃんの誕生日だった。早いもので彼女ももう○○(ご想像ください・・)歳になる。
今は、長男を産んで産休中だが、新年度になったら仕事に復帰するはずだ。

そのなっちゃんは昭和最後の年に生まれて、長男のユーシン君は平成最後の年に生まれた。これもなにかのめぐり合わせかも知れない。ちなみに、怜子さんとボクは月は違うが同じ27日生まれだったから誕生日を忘れることがなかった。ワイフとキーポンは29日生まれで憲正さんも同じ日だった。じゅん君となっちゃんとノッチは12・13・14と日にちが続いているから時々混乱する。吉田家の家族LINEでも誰かが誰かの誕生日を忘れていたり、1日早かったり遅かったり、何かとややこしい。
ボクの母親の俊江さんは大正15年1月1日生まれだったが、本人は昭和元年1月1日生まれだと言い張っていたし、実際には前年の12月中にはもう誕生していたという話だ。大正の頃は、出生の諸手続きも種々の都合の自己申告をそのまま飲み込んで済まされることが多かったのかも知れない。

大正から昭和平成令和と元号が目まぐるしく代わって、その間に世界や世間の事情も大きく変化した。この近年は、自分の周囲でも周辺寺院の随喜も含めて寺の年中行事はほとんど増減もないまま過ぎているのに万善寺暮らしが随分と増えた。10年前には想像もできなかったことだ。それだけ万善寺に葬儀や法事の仏事が増えているということだ。その仏事の合間にも、今年の冬は雪もなくて良い天気が続くから外仕事の作務が絶えないし、時々雨が降ると前住職夫婦から引き継いだものの整理が延々と続いて終りが見えない。
とにかく、まだかろうじて身体が動く今のうちから自分の後に面倒を残さないようにアレコレドタバタしていると、1日がいつの間にか終わっている。

週が変わって七日努めの五七日小練忌が過ぎた頃から、どうも身体がだるくて重くて食欲もないし、何より酒を飲む気になれなくて体調が優れないものだからいつもお世話になっているドクターの診察を受けたらいつも以上に血圧が高かった。そのせいだけでも無いだろうと、問診を受けながら最近のことを話していると「それは、多分疲労がたまっているんじゃないですか?・・・なにか心当たりでも無いですか??昔の若い頃と同じようにはいきませんよ。それなりの年齢でもあるし」・・というわけで、結局疲労の蓄積は年齢のせいで済まされた。要するに、あまり無理をしすぎないでボチボチ休みながら緩やかに過ごせ・・ということ。
だからというわけでもないが、以前から買い置きして溜まっていた文庫本もこのところ落ち着いて読むこともないままになっていたから、少し意識してゴロリと横になって「久しぶりの時代小説でも・・」と、佐伯泰英さんを読み始めたのだが、これが失敗だった。
読み始めたら終わらなくなって、結局連日夜ふかしが続いて血圧が上がりっぱなしのまま今に至っている。
全50巻を超える平成のベストセラーは主人公磐音の波乱の日常が延々と綴られる。
江戸時代が200年続いたということは、善悪悲喜その時々色々だったろうが、概ねそれらを飲み込んだ分相応に平和な暮らしが続いていたからのような気もする・・

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冬の朝日 

2020/02/13
Thu. 15:06

1週間がすぐに過ぎてしまう。
怜子さんの三・七日洒水忌が来た。
朝から雲が低くて小雨が絶え間なく降っている。例年ならこの雨が雪になっているはずだ。2月もすでに半分が過ぎて川岸では温い水につられて菜の花が咲いているし銀山街道のアチコチで紅白の梅も咲き始めた。
島根中央部の暖冬は尋常でない。このままだと、農繁期の水量を確保できなくて稲の生育環境を維持することが確実に難しくなるだろう。

先週末はシーズンで一番の寒気団が北から島根県上空まで降りてくるような事を言っていた。仕事というほどでもない用事が江津であるので、雪の心配もあって直接寺から出かけるのも少し億劫だから、夕方のうちに石見銀山の吉田家へ帰っておくことにした。
その日も保賀の谷は上空に雲が広がっていて、むしろその雲のおかげで地表が適度に保温されて冬なりに温かだった。

およその作務に一区切りつけて帰り支度を済ませてから吉田家のストーブ用に本堂の床下を漁って薪になりそうな製材の板を引き出した。
万善寺は観音堂形式で高床の男寺だから、飯南高原に点在する各宗派寺院の中で一番座が高い。それでそれが特に自慢であるわけでもなくて、要するに江戸中期に再建された古い形式がそのまま今に残ってしまっただけのオンボロ寺であるというだけのことだ。
それでも、あの時代は建材だけは比較的柔軟に確保できていたらしく、構造物の主要な部材には欅がたくさん使われてある。縦柱にはホゾの補修や羽目木が目立つから、ほとんどの建材は以前の寺院を解体して移築の時に再利用したものだろう。まぁ、そんな感じのガタピシとねじれ狂った本堂の座の下には、まだ槍鉋で面をさらった古い杉板などが積年のホコリを被ってしまい込まれている。子供のときには、本堂の床下が丁度いいかくれんぼの遊び場でもあったから、そういう古い杉板の影に隠れたりして鬼の追跡を上手にかわしていたものだ。
ここだけの話だが、現住職は、ある意味歴史の資料になるかもしれない古材を引き出して吉田家ストーブの焚付にしようとしているわけだから、その筋の研究者でもいたら大騒ぎになってしまうような行為を平気でしているわけだ。

かれこれ半月ほど前、1月31日から月替りの2月1日は徳島県の阿南町にいた。
石見銀山で個展をしてくれた武田さんの彫刻を彼女の倉庫まで搬送して荷降ろしをした。
近所でワンボックスと若いスタッフを調達して経費をギリギリまで削減した貧乏旅行になったが、坊主家業が日常のボクは高齢者との付き合いばかりで毎日を過ごしていたから、20代の若いスタッフと二人旅はたくさんの発見もあって久しぶりに新鮮だった。
彫刻をしていても仲間がみんな一緒になって一年ずつ歳を重ねているから、気がつけばみんなでジジババになっていて会話にトキメキもない。彫刻は積年の経験の積み重ねもあって、それなりに深みも味も渋みもでて安心できて、それはそれで良いことかも知れないが、一方で造形の限界も見えたりして気が滅入る。
北ヘ向かって帰路につく早朝、東から昇る冬の朝日が眩しかった。

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2020-07