工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

クロ脱走する 

2018/02/15
Thu. 23:15

4つ目の寒波が島根県上空から徐々に遠ざかって、石見銀山へ薄っすらと積もった雪も春一番で一気に消えた。裏庭には、早々と水仙がアチコチで芽を出している。

ワイフが8時前には仕事にでかけるというので、それにあわせて通勤坊主の準備をして土間へ下りると、玄関横の雨戸が10cmほど開いていて外の光が眩しい。
「アレッ??どうして雨戸が開いてるんだろぉ〜??」
一瞬その状況がよく理解できないでいたが、「そぉ〜いえば、今朝はクロを見ない!?」ことに気付いた。
「マッチャン(ワイフのこと)クロ見た?」と、慌ただしく朝の用事をしているワイフへ聞いてみると知らないという。
それから狭い吉田家中探し回ったが、やはりクロがいない。
土間へアイツのためだけに脱走防止柵の格子戸設置で投資までしたのに、それから半年と経たない間に用を成さなくなってしまった。アイツの執念はすごい。
「アタシ、今日は早く出ないといけないから、あなたクロのこと頼むわよ!」
「えぇ〜、だって通勤坊主がぁ〜・・・」
「そんなこと云ったって、じゃぁ、クロどうするのよ?アタシ、帰りは夕方よ!」
「・・・」
結局、脱走したクロのおかげで通勤坊主を断念することになった。

それから、結界君へ積み込んであった寺の荷物を降ろして、裏口や勝手口などをクロの帰りに備えて、ストーブを焚いた。時々石見銀山の町並みや裏庭に向かって「くろぉ〜!」と呼んでみたが返事はなかった。そういうことを繰り返して何度目かに裏口を覗いたらクロが反省の様子など微塵もないポーカーフェイスでヒョッコリと現れた。「コノヤロウ!」とクロのために一日の予定が狂ったことにムッときたが、それをぐっと抑えて無視していると、自分から土間に入り込んできた。ドアを締めている間に足元をすり抜けてご飯のところへすっ飛んでいってガツガツ食べて水を飲んだ。それから、ストーブの前の一番暖かいところを陣取って丸くなって一件落着。

クロは、やっと目があいて、ヨチヨチ歩きがはじまって、まだ乳離もしない頃に、じゅん君が石見銀山の間歩に登る町外れで拾ってきた。老犬のシェパくんが大往生した年の春のことだった。近くに親らしい猫もいなかったし、野生動物も多いし、たぶんそのまま放置していたら生きながらえること無く死んでいただろう。自力でウンコもシッコも出来ないから、ワイフと二人で親代わりになってお尻やオチンチンを刺激して排泄の世話をするところから育て始めたのだが、どうもオシッコの出が悪くて様子が思わしくないから病院へ連れて行ったら、尿道が細くて膀胱に溜まった尿がうまく排泄できないでいることがわかった。手術というほどでもないが、飼い主の承諾をとって管を膀胱まで通したりしてそれなりに手間ひまかけて生還した過去がある。彼にとっては泌尿器系の不具合が持病のようなもので昨年末からそれが悪化して慢性になってあまり思わしくない。
体調不良で少々辛いこともあるだろうが、人間の心配を無視して我儘放題比較的自由に生きている。それも彼の寿命だと思うようにしている。

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春一番だったらしい 

2018/02/14
Wed. 23:11

14日のバレンタインデーは春一番になったらしい・・・
吉田家は夫婦の二人暮らしに猫とグッピーが同居しているだけだからいつもと変わらない朝になった。
ちょうどワイフの通院の日だったので、万善寺の通勤坊主を休んで付き添いをした。
出雲にある総合病院の玄関アプローチにワイフを降ろして、そのままコメダ珈琲へ向かった。
「診察終わったらとりあえず電話してくれよ。あとのことはそれから決めよう・・」
そう云って別れたのだが、車を走らせていたら助手席の横のシートの隙間に充電中の彼女のiPhoneが滑り落ちているところを発見した。よほどのことがあったら「公衆電話でも使うだろう?」と、彼女からの連絡を待たないことにした。彼女の場合、携帯電話を持っていても電話に出る確率が極端に低いから最初から電話での会話をほとんど期待しないで諦めているところがある。

珈琲にモーニングを添えて、それにサラダを付けて朝食にした。
若い頃一人暮らしをはじめてから朝食をとらないことが当たり前になって、目覚めて1〜2時間は自分の身体というか胃袋が食べ物を欲しがらない。ワイフは几帳面に3度の食事を欠かさないから、結婚してはじめのうちは朝食に付き合っていたが、それでイッキに10kg太ってしまった。それが30歳前のことで、それから今に至るまで20代前半の体重に戻ったことがない。朝食が原因で体重が増えたとは言えないしそう思っているわけでもないが、約1年前からはじまった通勤坊主の日常が定着してからは、約1時間位の移動時間が朝食までの胃袋覚醒に丁度良い加減で、寺に到着してからモーニングコーヒーと一緒に軽めの朝食をとることが出来るようになった。寺と出雲はだいたい似たような距離だし、コメダ珈琲での朝食は普通にいつもと変わらないことになって都合が良かった。

「電話忘れたからタクシー使ったわよ。ここまで1500円って高いわよね!」って云われてもボクは困ってしまう。彼女の場合は、もう少し電話への依存度をレベルアップしてもらいたといつも思っていることだが、こういう時には特にそう思う。結局ワイフもコーヒーを飲んでケーキも頼んだりして、なかなかの出費になった。
出雲の市街地は先日の大雪がいまだに残っていて、幹線道路や大きな駐車場くらいしかまともに平常の機能が回復していない。万善寺の参道の1本道もそれはそれで大変であるが、今ほどの積雪で除雪の処理に悩むほどでは無いから、かえって市街地の雪事情は積雪地帯より苦労が多いように見える。
雪が残ったワダチを気にしながらスーパーまで慎重に走って買い物を済ませた。
お昼過ぎに帰宅したらワイフも一緒に買い物の荷物を運び込んだりして賑やかしているのに珍しくネコチャンズの出迎えがない。連休中に帰省していたじゅん君のこともあってソファーベットの寝具をそのままにしていたら、ネコチャンズ仲良く布団の真ん中でスヤスヤと寝ていらっしゃいましたよ!
・・・そして、夕食の前にワイフがチョコレートを手渡ししてくれた。きっと、スーパーの買物と一緒に仕入れたものだろう。出資元はボクの財布だから自分で買ったようなものだけど・・・そのことは深く考えないことにした。

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氷点下の憂鬱 

2018/02/12
Mon. 23:39

北陸程ではないものの、飯南高原に点在する町は水道を中心にライフラインが大きなダメージを受けている。
上水道の貯蔵タンクは水量が激減していて、これからも寒波が長引くと給水制限に踏み切ることになりそうだ。

万善寺の水道は、井戸水が機能しなくなった。
ポンプアップしているから、そのポンプそのものがオーバーヒートしてしまったのかもしれない。春になって雪の心配がなくなってから修理することになるだろう。
石見銀山の用事で寺を留守にしている間に、お風呂のカランが凍結で壊れた。水が止まらなくなって、ガス給湯器が反応して、一晩中誰もいないお寺の風呂でお湯が出続けていた。次の朝、お寺に帰ってそのことに気付いて、すぐにガスの元栓を閉めたが、ガスの消費もかなり無駄遣いになったことだろう。風呂のカランレバーを動かしても水が止まらなくて、仕方がないからマイナスのドライバーを探し出して蛇口の元栓を締め上げたのだがそれも限界で3連休の間無駄に水の垂れ流しが続いた。
連休が明けたらすぐに業者さんへ連絡をしようと思っているが、さて、万善寺の参道を登ってくれるかどうか?こういう時期のことだから少し不安になる。

台所の上水道からは茶色の水が出て洗い物ぐらいにしか使えそうにない。
洗濯物も少しずつ溜まってきてそろそろ洗濯機を動かしたいのだが、茶色い水で白衣や白足袋を洗うのもどうかと思うし、寺の暮らしが一気に停滞してきた。
留守にするのも、それはそれで寺のことが気になって落ち着かない。本当は寺暮らしを続けたほうが良いとは思うが、今のこういう状態ではそれも難しいから早めに石見銀山の吉田家へ帰ることにした。

連休の始まった日の深夜にじゅん君が隠岐の海士町から帰ってきた。
隠岐の方は、学校が休校になってナニもすることがないから船が動いている間に本土へ帰っておくことにしたのだそうだ。彼の場合は、吉田家に帰ることが主たる目的ではなくて、松江や出雲や大田に散らばっている友達と逢うことを優先しているから、吉田家へは家中寝静まった頃に帰宅する。昼の間は飯も食べないで寝ていて、夕方になるとまたどこかへ出かけてしまう。ワイフとは会話があるようだが、オヤジとは接点がないから会話にもならない。
連休も最終日になって、珍しくじゅん君の方から「昼ごはんでも食べよう!」と言いはじめた。
家族3人でじゅん君の友達が経営している蕎麦屋へ行った。本格的な手打ちそばで上品な味の美味しい蕎麦だった。じゅん君はどちらかというと何かにつけてお母さんに似ているようなところがある。お父さんに似ているというと、蕎麦好きなところくらいかな?
蕎麦屋から解散して、彼は隠岐の海士町へ帰っていった。
ワイフと二人で夕食の買い物をして帰宅すると、ネコチャンズがワイフ目当てに出迎えてくれた。彼等のご飯茶碗がからっぽだった。
あぁ〜〜、飯南高原の大雪が憂鬱だ・・・明日も万善寺へ通勤坊主かぁ〜〜・・

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万善寺ライフライン 

2018/02/10
Sat. 23:56

江津から益田へ移動した。
朝から雨で、路面に雪が残っているところは無かった。同じ島根県でもこういうところで暮らしているひとは雪の心配もしないで済むだろう。そう思ってみると、家屋の造りも屋根がやたらと複雑で、雪が積もったら身動きできなくなりそうだ。
アレコレ飯南高原と比較しながら結界君を走らせていると、いつの間にか益田へついていた。昨年に山陰道が西へ少し伸びて、三隅の石正美術館近くで国道へ合流した。浜田からの所要時間も20分位は縮んだのではないだろうか?

毎年この時期に益田東高校の美術部展が開催される。
律儀に高校生の美術部員からDMが届くから、時間の調整が可能なら出来るだけ観に行くようにしている。県内各地の高校美術部もそれなりに部展をしているとは思うが、吉田のところまでその情報が流れてこないからよくわからない。島大の卒業制作展や各公募団体も同じで、展覧会広報の難しさを感じる・・・というより、島根県において彫刻家の吉田正純の認知と存在レベルがやたらと低いということなのだと思う。
さて、その益田東高校の展覧会だが、立体ゼロで平面の作品のみの展覧会である。顧問の先生が絵画専門だから仕方のないことだが、吉田としてはチョット寂しい。それでも、30号Sサイズくらいの大作がずらりと並んでいて描き込みもシッカリしているし、ナカナカ魅力的な作品が多い。全体の7割ちかくが3年生の作品で、それがこの学校の特徴に思える。顧問の先生に聞くと、3年生になって他の部活を辞めたり、帰りの公共交通機関の時間待ちだったり、それに、受験で美術の進路希望だったりする生徒が入部して、少しずつ部員が増えていくのだそうだ。結局は、自分から絵を描きたいと思うような子は基本的にそういうことが好きなわけで、好きであれば本気になって絵を描き始めると飲み込みもノビも早いし、面白い絵に仕上がる・・・ということなのだろう。
だいたい30分位で会場を一巡し、若い感性を堪能させてもらった。その間、地域のみなさんが絶え間なく来場され、活気のある良い展覧会だった。

石見銀山の吉田家経由で万善寺へ移動して夕方少し明るさが残っているうちに到着した。
本堂の雪吊りで境内の一本道がふさがっていた。人の靴跡が雪吊りの山を登って下りていた。こういう時は欠かさず持ち歩いている雪スコップで雪の山に階段を作りながら私も登って下りて庫裏玄関へ向かった。
水道やガスや電気と生活のライフラインをひと通りチェックしたら、機能していたのは電気だけであとはすごいことになっていた。
風呂のカランが壊れて水が垂れ流し状態になっていて、その関係でガス湯沸かし器が作動してガス欠になるまでお湯が出っぱなしだったようだ。もちろん、台所のガスコンロもガスストーブもガス欠で火がつかない。水道の元栓を閉めたら全ての水が使えなくなるから風呂のカランの元栓を探してドライバで締めるのだが、それもうまくいかないで完全に水を止めることはできなかった。ガスは、かろうじて残っているガスボンベに切り替えて、風呂焚きに使った。これからしばらくはカセットボンベの使用で煮炊きを凌ぐしかない。
一晩一日留守にした間の出来事だった。今年のような−10℃クラスの氷点下が続くことはいまだかつて経験がない。3連休が明けるまで寺を放棄することになりそうだ。

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寺が冷凍庫 

2018/02/09
Fri. 23:41

最近の万善寺は、台所以外、どこもかしこも冷蔵庫というより冷凍庫になっている。
昼のうちも気温が上がらなくて、井戸水は出る気配もないまま日が暮れた。
買い物の食材も、板の間に出しっぱなしで全く問題がない・・というより、トマトなど水気の多い野菜は水分が凍みて包丁を入れるとシャリシャリ音がする。
風呂に入ろうと思ったら、流しっぱなしの水道の水が凍って湯船の底に張り付いて層になっている。
家の中でこの状態だから、もうこれ以上打つ手がない。
2月いっぱいはこういう状態がしばらく続くだろうし、気長に気候の緩むのを待つしかない。
明日は江津で午前中用事をして、そのまま益田へ向かうつもりだ。
島根県も西の方は少しは暖かくて寺よりは随分マシだと思う。

3連休は法事が入っているので通勤坊主から万善寺の単身赴任に切り替える。
彫刻のこともそろそろ始めようと思っているが、これだけ寒いとどうもやる気が出ない。
カタチはもう決まっているから、制作の順番を見直して付属のパーツから造り始めようかと思っている。ひとまずは台所の食卓があればそれを作業台代わりに使えるだろう。
ワイフは最近彫刻の制作シーズンになると夜な夜な夜更かしをして食卓に彫刻の店を広げている。そういう公私が入り乱れた制作環境はあまり良いとは思わないし、どちらかといえばきちんと工房を構えて気持ちを切り替えてから制作に取り組むほうが良いと思っていて、ワイフにもそのようなことを言い続けていたこともあった。まさか、今になって自分までワイフと似たようなことになろうとは・・・不甲斐ないことだ。

ワイフというと、もうかれこれ1年くらい前からあまり体調が良くない。
定期的に通院を続けているし、時々短期間の入院になったりすることもある。
本人は元気そうにしているが、やはりひと頃にくらべると体力も落ちて、握力も弱くなって、疲れも溜まりやすくなっているし、無理をすると身体のアチコチが傷んで夜もなかなか眠れないほどだと云う。
少しでも彼女の助けになればと、それなりに気を使っているつもりだが、彼女のペースと思うように上手く噛み合わなくて、それが少々しんどかったりする。
寺の一人暮らしは何から何までひとを当てにしないで自分の思うようにコトを決めて進めてしまうから、知らない間に1日の行動パターンが出来上がっていて、過不足なくその繰り返しで毎日が過ぎていればそのうちそれが当たり前のようになっている。食事のことも掃除洗濯のことも、その他家事や寺務や作務も、そんなもんだと思えば特にわずらわしくもなく事が過ぎていく。
多分、ワイフにはワイフなりに長い吉田家の生活の中でそういう自分だけの都合の良い行動パターンが出来上がっていて、そういうことをあまり大きく変更すること無く守って維持しておいたほうが気楽でいられるのかもしれない。
私が彼女の日常に介入することで暮らしのペースが狂ってしまうことのほうが彼女にとってはつらくて嫌なことになるとそれも良くない。今のところ風呂のこととストーブの焚き付けくらいかな?・・吉田家のオヤジがワイフに叱られないで出来ていることは・・・

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3冊ゲット 

2018/02/07
Wed. 23:37

ちょうど3つ目の大寒波が島根県上空へかかりはじめの時、雪も多いし、車の運転も心配なので、出雲に用事があるワイフへ付き合うことにした・・・といっても、オヤジと一緒でヨレヨレのポンコツ結界君もあまり信用できないし、丁度ワイフの車が給油しないと燃料切れになると云うから、ひとまず、彼女の赤い(車種はよく覚えられない)普通車で出かけることにした。
オートマチックのFF車なのだが、私が運転するほとんどの車は貨物車だったり商用車だったりでだいたい5速から7速くらいのミッションばかりだから、どうもオートマチックの感覚が読めなくてメチャクチャ緊張して肩がこった。
雪が残ったアイスバーンで信号に捕まったりすると、チョットしたアクセルの踏込みですぐに前輪が空回りしてスリップするし、どうも自分の思うように車が動いてくれない。
そういう難しい車で三瓶山の麓まで往復している彼女は、ナカナカの根性と度胸があって感心する。大雪が降ったりするとチキンオヤジはビビリ上がってすぐにズル休みしてしまうだろう。

出雲にはBOOK OFFがあるから、用事が終わって帰りに寄った。
たぶん、半年ぶりぐらいだと思う。
雪が降って天気も悪いからお客はほとんどいなくて店員さんの人数が多いくらいだった。
だいたいいつも100円コーナーで物色して、そこが思わしくなければ300円以上の棚へ回る。別にケチっているわけでもないが、最近は文庫本でも新刊は1000円近いから、そこまでして本を買う気にもなれない。
先頃死んだ葉室麟さんの本がないか、まずは、今回の狙い目がそれだった。
葉室さんのコーナーにはだいたい既に読んでしまったものばかり並んでいて、唯一1冊だけ未読があったからまずはそれをゲットした。
あと少しで読み終わるAmazonで買ったカーヴァーなんてマニアック(失礼!)な洋書の翻訳本など出雲のBOOK OFFに期待できないとあきらめつつ、それでもと思って一巡したがやはり見当たらなかった。
珍しく100円コーナーの「ま行」に村上春樹さんと三浦しおんさんがズラリと並んでいた。どちらかといえば売れっ子の二人だから、いつもは5冊も揃っていれば御の字だ。物色すると、それぞれ1冊ずつ未読があったので、迷わずソレもゲット。初版は古い本だが、特にお目当ての作家を追いかけて読み漁るほど熱心な読書家でもないから、今の自分には気長に未読本をチェックし続けるくらいで十分だ。
三浦さんの「風が強く吹いている」は映画にもなって、小出恵介さんが抑えた演技でなかなかいい味を出していた。小出さんは「Nのために」もとても良かった。彼は不祥事で現在活動休止中だが、日本のマスコミは芸能人にしつこいほど厳しすぎる気がする。それよりむしろ、そういうことに軽く乗っかるSNS愛好家も少し偏りすぎてわずらわしい。彼の不祥事を弁護するわけではないが、それはそれとして役者は役者の生業で良い仕事を全うすれば、それでいいと思う。人間、丁度いい加減に多少の清濁併せ持つくらいのほうが良い。「清水に魚棲まず」というやつだ。
まぁ、色々あるが、ひとまず3冊の文庫本があればお彼岸くらいまでは雪に埋もれた万善寺の暮らしをストレス無く維持できそうだ。

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なにもしない 

2018/02/06
Tue. 23:12

早朝の石見銀山は−3℃でいつになく寒い。
ワイフが、三瓶山の中腹にある中学校へ行く日だから、彼女の送迎で7時過ぎに自宅を出発した。
土間から町並みへ出ると雪はあまり積もっていない。それでも、路面が完全に凍結していて、長靴の溝が使い物にならないでツルツル滑る。三瓶山は飯南高原ほど雪は多くないが、路面凍結と圧雪で厳しい通勤になった。
ワイフを送ってから銀山街道を経由して飯南高原へ向かった。途中、酒谷地区を過ぎた街道最大の難所で結界くんがかなり苦戦した。ミッションを3ギヤから2ギヤに入れ直しててかろうじてピンチを切り抜けた。こんどの寒波はとにかく気温が低くて、連日昼も夜も氷点下のまま推移いしている。

ホワイトアウトの飯南高原を慎重に突っ切って、節分の日から3日ぶりに万善寺へ帰ってきた。万善寺の方も、雪はそれほど積もっていなくて少し安心したが、それでも石見銀山と比べるまでもなく多い。お地蔵さん横から1時間半かけて参道に1本道を開けながら庫裏玄関へ到着した。
水道の凍結が心配でビクビクしながらまず最初にそれを確認したら、家の中は大丈夫だった。屋外の水道と別棟の水洗トイレのことも心配だが、今更そこまで手が回らない。今度のシーズンが落ち着いてから水道の業者さんと善後策を相談して都合のいいように改修するしかないと思っている。

万善寺の台所は−2℃で、お昼前の屋外は−6℃だった。
まずはエアコンのスイッチをONして、ガスストーブを点火して、灯油ストーブも点火して、井戸水をホーローのケトルに注いで、それからコーヒー豆をミルで挽いた。
サッシが少しずつケトルからの蒸気で曇った頃、台所が氷点下を脱した。
一杯のコーヒーでやっとひと心地ついて、デスクトップでメールチェックなど始めた。
そして・・・
チラリと垂れ流し光熱水費のコトが脳みそをかすめて、ゾクリと寒気が蘇った。

それにしても、今回の寒波は島根県生まれの私が今まで経験がないほど寒い。
積雪はそれほどでもないので助かっているが、毎日朝夕の道開けがつらい。
気がつけばもうお昼を過ぎていたから、寺のアレコレを片付けて水道の確認をして参道の一本道を下りて結界くんへ急いだ。
ワイフを迎えに行く時間が迫っていて少々焦った。
結界くんの踏ん張りでかろうじて待ち合わせの時間に間に合った。

ボクは今日の1日、いったいナニをやっていたのだろう??
結界君と一緒にひたすら雪道を走り、三瓶山を往復し、万善寺の参道を道開けし・・・
ナニもしていないのにイヤに疲れた。
万善寺ほどではないが、石見銀山の火の気のない吉田家もかなり寒い。
すぐにストーブを焚いて、風呂を沸かして、ジレットの5枚刃を交換した。

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あわただしい節分 

2018/02/03
Sat. 23:14

なんといいましょうか・・・あわただしい節分になった。
約1年前に母親が死んでから、名実ともに正純一人で万善寺を切り盛りすることになった。
万善寺の年中行事も幾つかあって、そのうち片手くらいはワイフの助けを借りて乗り切っている。これは、両親がまだ健在であった頃から変わらないことだったが、それ以外にもワイフの手助けに頼らないでナントカ出来ることも幾つかあって、節分もその1つ。
節分のような節目の行事は昔から引き継がれた習慣のようなものでもある。
万善寺の場合は特別節分法要にお参りがあるわけでもないし、近所のみんなが集まって大げさに豆まきをするわけでもない。正月を過ぎた本堂や庫裏のお供えを更新し、風呂に入って身を清め、その日に汲み貯めた天然水をお湯に沸かしてお供えし、線香蝋燭を灯し祈念のお経を読むくらいのことだ。
そういう規模の小さいささやかな法要であっても、いろいろ支度をして始まって終わると普通に半日は使ってしまう。
最後に豆まきをして節分のご馳走を食べつつ慰労を兼ねた晩酌をして、あとは寝るだけ・・といった具合なのだが、今年からは、それを飯南高原と石見銀山の二箇所で行うことになったから、そのぶん気ぜわしくなって落ち着かない一日になったという次第。

節分の支度をしている途中から3番目の寒波がみるみるやってきて本格的に雪が降りはじめた。水分をたっぷり含んだ重たい雪が、自分の靴跡がかろうじて確認できるまで一気に積もっていた。シャーベット状の路面をお尻をフリフリ走り続けて石見銀山へ帰ったのは夕方日が暮れる少し前だった。それから今度は吉田家の節分豆まきが始まって終わった。
やはり、一人で寂しくお経を読むよりは、ワイフやネコチャンズもいっしょに賑やかに豆まきをしたほうが気も晴れる。思わず豆を食べすぎてしまって、寝る前になってから胃の具合が悪くなって胸焼けが始まった。少々浮かれすぎてしまった。

万善寺では、1日に何度も役場建設課から節水の呼びかけが放送されている。
早く水道管の損傷をみつけて業者に依頼して修理してくれとお願いばかりだ。その上、凍結防止に水を流し続けるようにしてくれと、これもお願いされる。先日からは上水の水不足が深刻になってきたから節水してくれと、地域住民へのお願いがまた一つ増えた。それって、普通に全部真面目に聞いていたら、「だから結局、ナニをどうすればいいの?」という、矛盾のカオスワールドに迷い込んで、夜も眠れなくなってしまう。保賀の谷の近所のことだけでも、万善寺の右や左は雪に埋もれた空き家状態で、その家の前まで行くにも道が無い。水道の元栓が閉められていればよいが、それがなければ、延々と春になって雪が消えるまで漏水のままだろう。2つほど先の小さな町にある無住になった同宗寺院では、冬の2ヶ月ほど漏水が続いて数十万円の水道代が請求されたそうだ。役場の当事者は額に汗してこの難曲を必死で乗り切っていらっしゃるのだろうが、防災の告知放送を何日も続けて改善が見られないのはどうしてか?その答えを具体的に見つけるまでの労を成すのも住民の公僕として大事な公務と思うのだ。後になって水道代を金で回収できれば良いという、単純なことでもないだろう。人口流出に歯止めの効かない過疎地住民が、冬の光熱水費をどれだけ無駄に使い続けていることか、具体的に実態を直視してほしいものだ。

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節分前夜 

2018/02/02
Fri. 23:18

二つ目の寒波が去って、それでも2〜3日は穏やかな日が続いただろうか・・・
万善寺の水道凍結と格闘しながらの1週間は緊張の連続で夜もなかなか眠れなかった。

前住職夫婦は、半世紀以上に渡ってこういう冬の日常を暮らしていたのかと思うと、彼等の想像を絶する忍耐力にはとても太刀打ち出来ないと頭が下がる。小さい頃は、またかと思って聞き流していた戦時中や広島のピカドンの地鳴りの話を思い出すと、激動の昭和を生き抜いた彼等の底知れない生活力や精神力が今日の日本を支えてきたのだと納得できる。ヘナチョコオヤジなど、たった1週間とか1ヶ月くらいの雪との付き合い程度で顎出してヒーヒー肩で息してヨレヨレになっていたりして、我ながら実に不甲斐ない。
今年のような寒波襲来は自分の人生で4回目くらいだから、どちらかといえば珍しい方だ。過去の3回ほどはとにかく大雪に悩まされてきた。今度の寒波は島根県では珍しいほど気温が下がりっぱなしで、とにかく寒い。
島根県の飯南高原あたりでは、例年2月の節分から立春にかけて本格的な強力寒波がめぐって、そのあたりから積雪量も増えてその後2月いっぱい冬が本格化する。今度も、どうやらそういうめぐり合わせになっているようで、夕方になって通勤坊主の帰宅途中から雨が降りはじめ、石見銀山へ着くころはみぞれに変わっていた。吉田家では、ワイフが少し前に帰っていてまだストーブもついていなかった。夕食を食べ終わる頃から雨音が本格的になってきたから、きっと万善寺の方は雪に変わっているだろう。3番目の寒波はかなり厳しいらしいが、節分だけは万善寺と吉田家のどちらでも年中行事としてひと通り抑えておこうと思っている。

夜に目が覚めて眠れなくなったり、朝早くに目覚めてしまったりした時は、幾つかのウエブニュースの見出しを一巡して、気になった記事を流し読みすることにしている。ラップトップのときもあればiPadのときもある。最近、iPadの調子がすごく悪くてストレスが増していて、そういうこともあって少しずつウエブニュースから遠ざかった。夜の眠れない時間を暇につぶすことに変わりはないから、深夜の読書が復活していたのだが、それも未読の在庫が底をついてしまって、結局インターネットラジオの垂れ流しくらいしか暇つぶしが出来なくなってしまった。数年前はPodcastをよく利用していたので、久しぶりに幾つかの配信番組をチョイスして同期を再開した。既に閉鎖している番組もあったが、ほとんどがいまだに存続していて地道な運営がされていることに少し感動した。
どこかしら自分の彫刻のことや展覧会のことに通じるような気もして、やはり、相互通行というか意思の疎通というか、お互いの関係が継続の力になっているということを改めて確認できた気がした。

たまたま調子の悪いiPadでNewsweek日本版を見ていたら、なにかと話題の相撲で優勝した栃ノ心の出身地ジョージアの写真家ナテラ・グリガラシュヴィリの記事を見つけた。彼女は、自分の故郷の山村風景を写真に記録し続けている。ジョージアは、2年間で200の村が消滅したらしい。限界集落が増え続ける日本の現状の未来が予測できる。たった数センチの雪で機能しなくなるような都市へ一極集中の施策は果たして正しいのだろうか?それでどれだけ多くの地方の暮らし文化が失われるのだろう。

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おだやかな一日 

2018/02/01
Thu. 23:16

やっと気温が緩んで凍結の心配が薄らいだので、ワイフと連絡をとりあって石見銀山へ帰ることにした。
一晩寺を空けることになるから、その支度をして保賀の上組を一廻りして会費の集金などしようと玄関へ出たら、参道の方から重機の音がする。
雪で見通しが悪くなっているから、少し背伸びしてそちらの方を見ると、俊ちゃんがユンボで道開けをしてくれていた。いつも彼のおかげでとても助かっている。久しぶりに一本道が拡幅になってボクの結界くんが本堂下の駐車場まで上がれるくらいになった。先日の「饅頭のお礼が良かったのかもしれない」とも思ったが、たまたま天気も回復して重機を動かすのに都合が良かっただけかもしれない。

隣町のお寺は、住職が遷化された昨年から無住になった。
日頃の付き合いの広いご住職が健在だった時はお檀家さんをはじめとして人の出入りも多くて賑やかなお寺だったが、雪の降りしきる中、用事でそのお寺の下を往復した時は、参道の道開けも無いままひっそりと雪に埋もれていた。万善寺もそのうちそうなるのかもしれないが、私が動けるうちは出来るだけ日常の暮らしの絶えない寺で維持できるようにしておきたいと思っている。

俊ちゃんに頭を下げてお礼して、それからお地蔵さん横の結界君を動かした。
国道へ出るまでの町道は、車のワダチの圧雪で白い状態が続いているが、国道は融雪剤の効果もあって、普通に難なく走ることが出来ている。出雲街道から銀山街道へ抜けて石見銀山までの道中、2・3箇所ほど雪が消えない難所を除けば、久しぶりに緊張のないのんびりとした普通のドライブが出来た。
石見銀山の町並みは所々屋根から落ちた雪が消えないで残っているものの、通行に支障がある程でもない。飯南高原の雪風景とあまりに差がありすぎる。
「隣のミネちゃんが吉田家の前も雪かきしておいてくれたの」
吉田家の前もキレイに除雪されていて、帰宅するとワイフがそう教えてくれた。
彼女も毎日仕事があって朝から夕方まで家を留守にするから、なかなか町並みの除雪が出来るほど手が回らない。
万善寺といい、石見銀山の吉田家といい、近所の助けの御陰で楽に暮らさせてもらっている。ありがたいことだ。

ノッチの手料理写真が刺激になったのか、このところ吉田家のFamilyLINEがひとりメシで賑わっている。なっちゃんが造っている旦那の弁当はなかなか手が込んでいて、ちゃんと嫁さんをやっているようだし、少し安心した。そういえば、昔々はワイフも毎日ボクのために弁当をつくってくれていた頃があった。
吉田家の夕食には手の込んだ洋風の見慣れないおしゃれな鍋が出た。とろけたチーズが食欲をそそって、それだけでワインが1本空いてしまった。ワイフの鍋は一手間違う。
体調不良のクロは、見た目は普通に変わりなくポーカーフェイスのままだった。嫌がるクロを抱き上げると、少し軽くなったように思ったが気のせいかもしれない。シロは相変わらずワイフにベタベタ甘えっぱなしでボクには寄り付こうとしないままだった。

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鍋坊主 

2018/01/30
Tue. 23:20

もう2週間位長期間寒い日が続いている。
青空が見えて気温が緩んだのは2日と無かったろう。
12月から1月の光熱水費請求が揃った。
合計すると、収入に対して完全な赤字。
エアコンフル稼働の1ヶ月電気代は、法事の布施収入で賄えなかった。
氷点下の水道凍結回避対策で水の垂れ流しも1ヶ月続いているし、檀家用の野外トイレは凍結防止の暖房対策で灯油ストーブつけっぱなし。
これだけの出費を続けながら万善寺で常駐する必要があるのか疑問に思う。
万善寺とほぼ同等の近隣寺院は、冬の期間無住状態にして寺院機能を放棄している所も多い。
ガス、水道の元栓を締め、冷蔵庫をカラにしてブレーカーのメインスイッチを切り、人の生活の痕跡を消してしまえば、1・2ヶ月の支出がゼロに抑えられる。
そこまでして、坊主が自ら信仰の対象を放棄することの是非を思うと、私のようなチキン坊主はビビッてしまってなかなか踏み切れないまま、赤字とわかって無駄に出費を重ねている。

連日続く参道の道開けで足腰の痛みが慢性化して、夜寝ていても痛みが酷くて目が覚めるようになってきた。
ホッカイロを貼ったり、電気敷毛布で患部を温めたりいろいろ試してみたが、今のところコンパネと鉄パイプで自作した大きくて足の長い電気コタツに潜り込むことが一番安眠できる方法のようだ。
日頃はほぼ1年中シャツとパンツ一丁で布団に潜り込んで寝るのだが、それだと身体にホッカイロを貼り付けることもできないし、電気敷毛布の温熱療法も寝ている間に低温やけどになってしまいそうだし、一番の問題は布団の重みが腰痛を誘発してよろしくない。
結果、トレーナーにジャージをパジャマ代わりで1つ余分に着込んで、敷布団を敷いて炬燵を渡して炬燵布団代わりの封筒型シュラフを広げてその中に潜り込めば、ちょうど腰から膝にかけての痛いところを中心に温めることが出来るし、炬燵の空間で布団の重さも意識しないでフリーに身体を動かすことも出来るし、なかなか都合が良い。
それを始めてから、最近はソコソコ安眠できるようになって、寝ている間は身体の痛みを意識しないですんでいる。

水道代の節約で、風呂や洗濯の回数も減らしているが、オヤジの一人暮らしでどうも気持ちが滅入ってサッパリしないから、ケチくさい努力を放棄してストレスを溜めないようにすることにした。
連日の餅消費もしばらく中断して、ワイフが用意してくれた白菜としいたけをふんだんに使って朝から鍋にした。
今度の冬は、今のところ寒いだけで積雪量はそれほどでもないから、それだけでも助かっている。鍋が出来上がる間に参道の道開けを終わって、別棟のトイレに灯油ストーブを用意した。
朝から鍋だと熱燗の一杯が欲しくなるが、さすがにそれはグッと我慢した。

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粉雪舞う 

2018/01/24
Wed. 20:11

先程、2回めの道開けをした。
朝は、雪の止み間をねらって2往復した。参道の難所で滑って転んで尻餅をついた。
お昼過ぎに、シーズン2回めの大雪警報が発令された。
その後、延々と止み間なく雪が降り続けているから、2回目はあきらめて雪の降りしきる中、真っ白になって道開けをした。
まだ日が暮れる前で−8℃まで気温が下がっている。
万善寺はいたるところに隙間があって、風の強い時は雪が舞い込んでくる。箒ではき出しても一晩のうちにまた舞い込んで家の中に積もってしまうから、雪が落ち着くまでそのまま見逃しておく。
時折突風が吹いて雪が舞う。
重たい雪は風の強さと風の方向に角度を合わせて規則正しく降り積もって、参道の数カ所に吹き溜まりが出来る。
気温が低いと、雪は水分が少なくて粒が小さくて軽いから、空にあるときからランダムに風に舞い落ちながら降り積もる。
外に出て、雪に濡れるだけで手がカサカサになる。
万善寺の一人暮らしが始まってから髪や髭が伸びて気になりはじめた。
訪問者もないからそのまま無精を続けても良いものだが、どうも気持ちがスッキリしないし、これからバリカンを当てることにした。

今の寒波が過ぎたら、彫刻の仕事に入ろうと計画している。
まずは3月のグループ展に向けて小品を一つ造る。
それで工法やバランスの様子を見てから、次に比較的小振りな野外彫刻を造る。
すでに、おおよその雰囲気はメモしてあるから、今はそれを何時でも見られる所へ張り出してチラチラ見ながらイメージを整理しているところだ。
最近は、マケットを造ることもなくなって、ずいぶん怠けて楽をしていると思うが、かといって、いつもいつもコツコツとデッサンしたりマケットを造ったりしないといけないとも思わない。チョットしたひらめきをメモしておいたり、以前からあたためていたかたちを思い出した時にメモしたりしながら、少しずつ自分の気持ちを彫刻の方へ向けていく位の自然な流れで制作を続けるほうが自分のライフワークに向いているようにも思っている。
彫刻を造りはじめてすぐの頃に、「彫刻の出来不出来は、背面を見ればすぐ解る」と具象の偉い彫刻家に教わったことをよく思い出す。あの頃は、どうもピンとこなくてその意味の重要さが解らないでいたが、なんとなく言われた内容は「とても大事で忘れてはいけないことなのだ!」という気がして、今でも、実材に取り掛かるギリギリのところまで背面のことを意識しながら「かたちの溜め」〜音楽で言うと「サビの部分」とでもいうのだろうか?〜を彫刻へ造るようにしている。

重たい雪は、降り積もる先の吹き溜まりのことまでおおよそ予測できるが、軽い雪は、なかなか積雪のベースにある地形の状況が読み難くてあなどれない。
2回めの道開けはホワイトアウトもあって随分だらしなく蛇行してしまった。

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2連休終了 

2018/01/21
Sun. 23:59

今年に入ってはじめて石見銀山で2連休させてもらった。
いちおう冬だからそれなりに寒いが、それでも昼間はシャツにトレーナーくらいで普通に過ごせるほど暖かい。

ワイフは、朝早くから台所へ立ちっぱなしでコツコツと料理を続けている。
私は、ストーブの世話をしながら80インチのプロジェクターで深夜食堂を観はじめた。
ワイフの実家は西武新宿線の沿線だから、JR新宿駅から靖国通りを渡って西武新宿の駅へ向かう。
ドラマの始まりのタイトルバックに、丁度その靖国通りを西新宿から歌舞伎町方面に向かってJRガード下を通り過ぎるあたりの見慣れた風景が撮影されていて、懐かしい。
台所から煮物の美味しそうな香りが漂ってくるし、スクリーンでは豚汁が手際よく出来上がっているし、映像と現実がさり気なくシンクロしている。

これから1週間は、シーズン2回めの大寒気団が島根県上空に居座るらしい。
雪になると万善寺の参道を結界君が登れなくなるから、今のうちに食料品などの荷物を搬入しておいたほうが楽でいい。
キリの良いところまで深夜食堂を観て、昼食を済ませて、石見銀山の町並みへ出た。
買い物のレジカゴには、白菜やネギと一緒に浜田で買い込んだ海のモノでワイフがつくってくれた料理も小分けされて入っている。参道の道開けをしながらこれから1週間、寒気団が過ぎるまで雪に閉ざされた万善寺で暮らすことになる。

2日ほど留守にしていた万善寺を一巡して、コーヒーを入れて少し落ち着いてからお風呂の支度をした。もう少し沢山雪が溶けているだろうと思っていたが、2日前とほとんど変わらない。飯南高原は、それほど気温が上昇しなかったようだ。
明るいうちにお風呂へ入るのは久しぶりだし、たまには長湯も良いだろうと文庫本を持ち込んで、陽が沈みはじめて文字が読みづらくなるまで半身浴をした。身体が温まっている間に頭の先から足の先まで手の届く範囲へオイルを塗って全身をマッサージした。前回の大雪の時に膝や腰を酷使した痛みがとれないままに、また雪と付き合うことになるから、今のうちに少しでも身体を休めて体調を整えておいたほうが良い。

キーポンが仕事の休日を使って髪を切ってパーマを当ててメガネを新調したと云うから、しつこく拝み倒して、やっと自撮りの写真を転送してもらった。
ヘアーサロンは原宿から歩いて表参道の方まで行ったらしい。
メガネは新宿のメガネ屋さんで、近視や乱視があるのに数時間ほどで出来上がったらしい。島根だとレンズが出来上がるまで1週間はかかる。物流の格差がすごい。
東京で暮らしはじめて1年も経たないのに、スッカリ一人暮らしに慣れたようだ。
写真のキーポンは、メガネも似合って女子力がグッとアップしたようにみえる。
iPhoneに替えた時に待ち受けをクロにして、今までそのままだったのを、キーポンの写真に差し替えた。
これからは、しばらくクロに休んでもらってキーポンに癒してもらおうと思う。

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海の幸 

2018/01/20
Sat. 23:57

山陰の冬にはもったいないほどの良い天気になって過ごしやすい日になった。
天気アプリだと、万善寺の方は来週から連日雪マークになっているし、そうなるとしばらく通勤坊主から単身赴任坊主になって、朝夕の参道道開け業務に従事することになるから休むのは今しかないと心に決めて、ワイフへそう伝えた。

このところ、ワイフの体調があまり思わしくないから、そういうこともあって気晴らしも兼ねて浜田のおさかなセンターまで出かけた。
日本海は波も穏やかで、日差しも柔らかで、とても1月の今の時期とは思えないほどだ。
この1週間は飯南高原で日中を過ごしていても、雨が雪へ変わることもなかったし、特に強い風も吹かなかったから、きっと日本海の第一次産業も活性して賑わっていたはずだ。
山の中での暮らしが続いて、海のものが恋しくなっていた頃だし、毎日の餅もそろそろ限界になっていた。ワイフとのとりとめのない会話を楽しみながら1時間ほど走って浜田港へ到着すると、だいたい、みんな考えることが一緒のようで、おさかなセンター前の駐車場が何時になく賑わっていた。

この時期定番のアンコウをはじめとして、旨そうな日本海の魚介類がビッシリと並んでいた。アンコウの肝も並んでいたが、「痛風の事もあるしね♡!」と、ワイフが云うし、グッと我慢した。
タコを美味いと思って食べ始めたのは石見銀山で暮らすようになってからだった。今でも、スーパーに生ダコを見かけることが珍しいくらいだから、それだけ新鮮なタコに巡り合うことが少ない。まずはタコの頭も一緒に巨大な足を二本分迷わずゲット!
それから刺身にできるアジを一盛ゲット!魚は青物が好きで、アジは子供の頃から美味いと思って食べていた。
とにかく、久しぶりの魚屋だから目移りしてしょうがない。ワイフがヒラメのアラを買った。寒い時期のアラ煮は一晩置くと煮凝りが出来て、それを熱いご飯にのせるとそれだけで食が進む。
やはり、新鮮な海のものは、それなりの所へ行かないと手に入らない。充実した休日になった。

「浜田へ来たの1年ぶりかそれ以上だわぁ〜、きっと・・」
そう云われると、たしかにそうかもしれない。
2011年の春から浜田こども美術館で現代彫刻小品展をはじめて、それからたしか2016年まで展覧会が続いた。
浜田は、日展系会派の洋画が強いところで、展覧会を通して彫刻への関心が少しでも開拓できれば良いと思っていたのだが、まったくカスリもしないまま、始まって終わった感じだった。
だいたい、島根県美術界の体質がそういうところにあるから仕方のないことではあるが、それにしても、あまりに保守的すぎて若い芽の育つ余地がない。自我独断が強くて協調性に欠ける同じ穴のムジナの如き個人が自分の利害優先で繋がった縦社会にすがって我身の進退を守っているようなところもあって窮屈なことだ。

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観音様の御蔭 

2018/01/19
Fri. 12:03

一日一晩雨が降り続いたおかげで、銀山街道から出雲街道にかけて幾つかある難所の雪が一気に消えた。
私が通勤坊主で往復している街道は、400年以上前から少しずつ整備されてきた。
その時々に、大水が出たり、崖が崩れたり、トンネルやバイパスがつくられたりして道筋が変わりながら今に至っている。主要街道はそういう整備も進んで、だいたい全線に渡って中央ラインのある2車線になっているが、まだバイパスや拡幅工事が進まなくて大型トラックがすれ違うことの出来ないほどの狭い場所が、かなりの距離残っている。それに、往時の通行の要所だったところもその後の道筋の大幅な改変によって、今は山の中の獣道ほどの状態になって、その気になって注意深く確認してやっとそれらしき痕跡を見つけ出せるくらいに街道の機能が途絶えてしまっている場所もかなりある。そういう場所の付近は、近代交通には大きな障害になる難所であるところが多いから、民家も少ないし、交通量も少ないし、日当たりも悪いしして、この度のようなドカ雪になったりすると、除雪もなくて積もった雪が圧雪になってなかなか溶けないまま何時までも路面に張り付いて残ってしまうことになる。
私は、毎日朝夕そういうところを通っているわけだが、冬のこの時期はほとんどが道を熟知した土地っ子ばかりが往来しているので、それなりに慎重に注意していれば交通マヒを起こすほどの大げさなことにはならない。

それはまだ大寒波が島根上空に居座っていた頃のこと・・・
いつもより石見銀山出発が1時間近く遅れてしまったのだが、万善寺のことで特に差し迫った用もないから、そのままのんびりと慎重に結界君を運転して銀山街道を登っていたときのことだった。比較的きつめの登りS字カーブがあって、その入口に差し掛かった時にスリップが始まってしまった。幸い対向車も来なくて道の右側にはガードレールもあったから最悪それにぶつかれば止まってくれるだろうと、結界くんの踏ん張りにすべてを委ねたのだが、途中から左方向にスリップしはじめて、このままいけば道の下に流れている沢へ落ちてしまうことになって、それからメチャクチャ焦ってしまった。こういう時にブレーキや急ハンドルを使ったりすると泥沼にハマってしまうことは解っていたが、それをしてでもナントカ沢の底まで落ちてしまわないようにすることが最優先と判断して、とにかくドタバタと手足を動かした。それらのことはたぶんほんの1分程度の出来事だったのだろうが、自分にはサム・ペキンパーのワイルドバンチが如きスローモーションでアイスバーンの路面や右側のガードレールや左側の沢が目の前で回転し、それがやたらと長い時間に感じた。そして、深い沢の谷のすぐ脇にある街道から30cmほど下がった湿地へ結界が頭から突っ込んで止まった。あと1mズレていたら、ボクは沢に落ちてお陀仏だったかもしれない。そういうことがあって直後に、地元の水道修理業者さんの軽バンが止まってくれて、その直後に、道路工事の業者さんのトラック集団が3台止まって、その直後に、除雪中の巨大な除雪専用車が止まってくれて、たまたま結界くんへ積んでいたスリングやロープを総動員して、約30分位で道の下の湿地から瀕死の結界くんを引き上げてくれた。
エンジンをかけると普通に動いて、ミッションも異常無し!油漏れも無し!電気系統も異常なし!・・・だったが、座席下のエンジンを保護しているカバーはボロボロ!
絶対にボクは万善寺御本尊十一面千手千眼観世音菩薩様に守られているなと確信した!

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万善寺越冬事情 

2018/01/17
Wed. 18:51

随分前(よく覚えていないが、去年からだっかもしれない・・)から、万善寺のトイレで一匹の蜘蛛が越冬を始めた。
その時々で暖かいところを探しているのかもしれない、少しずつアチコチ移動していて、2・3日見えない時もあったりするが、気がつくとまた何処かから現れて壁に張り付いている。
ジッとしてまったく動かないから、最初は死んでミイラ化しているものだろうと思っていた。ある日その場所から蜘蛛がいなくなっていたから、何かの拍子でトイレの窓から突風でも吹き込んで、ミイラの死骸が何処かへ飛ばされてもしたのだろうと、簡単に決めつけて忘れてしまっていたのだが、しばらくして別の場所で発見して、それでやっと「アイツ生きてるな!」とわかった。
特に自分が坊主だから殺生を避けているわけでもないのだが、無理に叩き殺してしまわなければいけないという強い嫌悪も感じないから、そのまま見て見ぬふりで放置していたら、今朝になって蜘蛛が2匹に増えていた。今まで、たまたま2匹の蜘蛛を1匹ずつ別々に見ていただけのことかもしれないが、とにかく今朝は、2匹が壁のアッチとコッチに張り付いていたので、結局は万善寺のトイレが彼等の越冬場所に一つになっているということを確信した。
そう云えば、同じトイレのサッシの隙間でヤモリも数匹冬眠していたっけ・・・

万善寺の先代から法衣をはじめとした坊主の商売道具である着物類や、襦袢から足袋まですべて引き継いだのだが、先代夫婦が、年中湿気の多い庫裏の押し入れや和ダンスへそれらをあまりにも大事にしまい込みすぎてしまって、虫干しの片付けがてら、少しずつ取り出して確認を始めたら、そのほとんどがカビのシミや死骸になったカメムシの体液や虫食いの穴だらけになっていて使い物にならない。新品のまだビニール袋に入っているモノなどはそのまま捨てるのももったいないからそれでもと思って洗濯や漂白を数回繰り返してみたが、そのたびに洗濯機の浴槽へ干からびたカメムシが浮き上がってくるし、そのうち、繊維の劣化が激しかったあたりから布が溶けるように破れが広がって、もうどうしようもなくなって、そういうことが白衣や白帯やV字のシャツに至るまで、ことごとくそのような状態であるということを確認しただけのことになってしまった。秋になって衣替えする時に、それらを燃えるゴミにまとめようとしたのだが、とても一回で済ますことにならないから、残りを手付かずのまま放置して年を越す事になった。これから、夏の衣替えまで待って、その時に一気に片付けてしまおうと思っている。
先代夫婦は激動の昭和を生き抜いた人たちだから、モノを大事にする気持ちのかなりの部分を当代の私へ引き継いだつもりであったのだろうが、結局、引き継がれた方の私は、彼等の後始末が余分な仕事で増えただけのことだから、どうも、そういう片付けごとに本気になれない。万善寺の現状で、モノを粗末にしないように暮らすにはどうすれば良いか、季節の変わり目のその時々に悩みながら今に至った。結局何をするにも完璧にこなすということは難しいようだし、まずは、無駄に沢山のものをしまい込まないで最小限必要なモノに絞ってシンプルに暮らしつつ自分にできることを粛々とこなすしか無いのだろう。

冬の万善寺は、沢山の生き物の越冬場所になっているようだ。無駄な殺生をしないで春を迎えたいものだ・・と思っていたら目の前をカマドウマがヨタヨタと跳ねて横切った。

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雪が止んだ! 

2018/01/14
Sun. 13:39

2時間かかった参道の道開けは、私の体力を奪い、慢性に痛みが続く腰と膝に思った以上のダメージを与えたようだ。
夜になって、食卓に仕事を広げて寺務を始めようとしたら、10分と椅子に座っていられないほど腰が痛くて我慢していられなくなった。

10年位前の大雪の時に、参道の道明けを無理してしまって、それが元で腰痛が慢性になったことを思い出した。あの頃は、なんちゃんやじゅん君や子どもたちみんなで手伝ってくれた。今は、手伝いもなくて一人で万善寺の冬を乗り切らなければいけないから、とにかく必要以上の無理はしないように気をつけていたつもりだが、やはり、この10年間の老化は避けられない。
仕事になりそうもないから早めに布団へ潜り込んだのだが、1時間もすると腰痛で目が覚める。しばらくモゾモゾと布団の中でストレッチもどきをして、痛みが収まるとまた寝るのだが、また1時間位して今度は膝が痛くて目が覚める・・・そんなことが一晩中繰り返されて、朝近くなってやっと少しまとめて眠ることができた。

朝の道明けをしようと準備をしていたら、参道の方からキャタピラの音が聞こえてきた。保賀の谷に一人暮らしのお檀家さんがユンボで道を作ってくれていた。急いで着替えて外に出てみると、ほとんど人力で何もすることがないくらい雪かきが終わっていた。お地蔵さんまで降りると、町道脇へ駐車場も出来ていた。もう、80歳近いおじいさんだから、いつまでユンボを動かせるかわからないが、とにかく今は万善寺の冬の暮らしの強力な助っ人になってくれている。冬が去って春がくるころに何かお礼をしようと思っている。

結界君からおろせないままになっていた食料の箱を持ち帰って、朝と昼を兼ねた食事をとった。
さすがに、餅を食べる気になれなくて、我慢できなくてコメダ珈琲の分厚い食パンに手を出してしまった。ワイフが、昨年末に置いていってくれたキャベツの葉を3枚ばかり使った。今の時期、野菜は貴重品だから大事に使っている。
食事の途中から典座寮の板の間が急に明るくなった。台所の窓の外は日差しが眩しい。そろそろ、1週間ぶりに万善寺で晴れを見る。
鉄の彫刻に積もり張り付いていた雪が目に見えて溶け剥がれている。
南に面した屋根は雪吊りが絶え間ない。

この冬一番の大型寒気団がやっと去っていったようだ。
お昼過ぎで日差しもあって一番気温が上昇するころでも、まだ1℃にしかなっていないから、今度の寒気はかなり強烈だったことが分かる。こういう気候だと軽いパウダースノーの雪質も良くて、積雪量が多い割に雪害が少ないから助かる。心配していた水道の凍結も、シーズンへ入る前に保温ヒーターを取り付けておいたから、それで随分助かった。一晩留守にした時に停電していたようだが、その影響も無かった。
これから、まだ2〜3回は強烈な寒気団が南下してくるだろうから、油断ならない。それでも、その先は必ず春が巡ってくる。そして、春来草自生・・・だね・・

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万善寺大雪情報 

2018/01/11
Thu. 23:46

天気アプリだと飯南高原は−7℃とある。
石見銀山は−3℃だからそれなりに冷え込んで寒いけど、万善寺よりは少しほど過ごしやすい。それに、雪が全く無いに等しいからそれだけでも気持ちが楽でいられる。

今週末は石見銀山の吉田家絡みの用事が続く。
大雪警報が出ている飯南高原も心配なので、ワイフを北三瓶の職場へ送ってから万善寺へ移動した。路面はバリバリに凍っていて、気温が低いことがよく分かる。
結界君のミッションをこまめに切り替えながら低速でゆっくりと時間をかけて銀山街道を登りきったところで、急に路面状況が悪化した。

万善寺のある飯石郡飯南町は、東西南北端から端まで島根県有数の豪雪地帯で、近年、2つの行政区が統合して1つの町になった。
それ以前は、それぞれの行政区事情で除雪作業をしていたから、寺のすぐ下の町道まで1日2回位は除雪車が来てくれていた。それが、統合してからあとは国道と幹線道路の除雪が優先になって、何日も除雪が入らないことが頻繁になった。今度の大雪のように、1日でドカッとイッキに降り積もってしまうと、除雪の手間が積雪のスピードについていかなくて、地域の交通網がすぐに麻痺して機能しなくなる。
今日も、お昼前に国道から万善寺までの町道へ入ると、地域住民の車のワダチがかろうじて残っていて、それを頼りにお地蔵さん下までたどり着くことが出来た。あのワダチがなかったら、国道の何処かに結界君を駐めて、ソコから歩くしかなかった。
トップダウンに近い国策にノーということのない日和見イエスマン気質の島根県事情は、結局田舎過疎地に暮らす住民の生活を圧迫し続けて、住みにくくなる一方だ。

まずは結界君の駐車スペースを確保して、参道の雪かきをしながら万善寺を目指した。
腰が痛いのを我慢してひたすら雪中行軍を続け、1時間少々で庫裏玄関へ到着。
風当たりの関係で、雪の吹き溜まりのあたりは1m近くまで降り積もっている。だいたい平均して70cm〜80cmくらいは積もっている様子だ。それでも、もっと山深くに暮らすお檀家さんのことを思うと万善寺は良いほうだと思う。
少し落ち着いてから窓越しに外を確認すると、積雪の定規代わりになっている彫刻がすごいことになっていた。まるで、新しい抽象の雪像彫刻が一つ出来上がっているようだ。

ワイフと調整していた時間が近づいたので、豪雪地帯を迂回してワイフの職場を目指した。決めていた15時の5分前に駐車場へ着いた。北三瓶は30cmの積雪があっただろうか?・・・飯南高原よりずいぶん少なく感じた。
「この時間で路面の雪が溶けないでいるんだから、気温が低いのよ、きっと!」
もう、何年も通勤しているワイフが助手席でそういった。冬の悪条件が続く道路事情を思うと、ワイフの度胸と根性に頭が下がる。彼女がこうして苦労しながら、不甲斐ないボクや子供たちに美味い飯を食べさせてくれているわけだ。
帰りに、途中のスーパーへ寄ってたくさんの買い物をした。レジに並んだ彼女へ、感謝の気持ちということで、ボクの薄っぺらい財布を手渡した。

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雪起こし 

2018/01/09
Tue. 23:09

遂に!・・というか、やっと!・・というか・・・
飯南高原は本格的な雪になりました!

朝方まで、窓の外で雨音が続いていた。
前日の夕方には、AppleWatchの天気アプリは雪マークが続いていたが、それが少しずつ変わって、深夜にはすべて雨マークになっていた。
場合によっては、結界君を境内からお地蔵さん脇へ降ろしておかないといけないし、一晩中天気アプリを眺めながら過ごしたら、寝不足になった。
朝方になって、睡魔に襲われてウツラウツラしている間に、気がつけば万善寺の周囲が一気に真っ白に変わっていて、みるみるうちに積雪が進み、朝の支度でモタモタしているほんの1時間程度の間に、一瞬で3cmくらい積もった。
この状態だとお寺参りもないだろうから、急いで支度して結界くんへ飛び乗った。

国道を北上していると、琴引山から大万木山にかけて厚い雪雲にスッポリと包み込まれているのが良くわかった。遠くから雷の音もかすかに聞こえる。
こういう中国山地沿いに集中する雪の振り方は、冬に入る雪起こしの状態に似ている。
今までは、11月の最終週か12月の1週目くらいに最初の雪起こしがあったが、このたびは、年明けの今頃になってそれが来ている。
こういう状態だと、2月から3月にかけての天気が予測できないし、これからの彫刻制作にどこかしら影響が出てしまいそうだ。

斐伊川の近くの町で用事をすませて、そのまま斐伊川に沿って出雲方面へ向かった。
案の定、そのあたりは雪のカケラもなくて路面も乾いている。
同じ島根県でここまで気候状況が違う。
これから、富山を経由して石見銀山へ帰ろうと思っていたが、富山の雪風景は期待できそうにない。
斐伊川土手を途中から逸れて、出雲の西で国道へ合流した。
日本海から吹き付ける強烈な北風で結界くんが時々大きくふらつく。
このくらい強い風だと、富山にある「ボクの彫刻が倒れているかもしれない・・・」
国道を走りながらしだいに心配になってきたものの、今更どうなるわけでもない。
ドキドキしながら要害山を迂回して、富山の谷を超えて彫刻の見えるところまで行ってみると、健気にもかろうじて倒れることもなく、強風にあおられながら直立していた。

まちづくりセンターへ新年の挨拶がてら万善寺カレンダーを置いてきた。
「風で彫刻が心配だったものですから・・、雪が降ってると思ったら無いですね・・」
「今年は降りませんねぇ〜、午前中はもっとすごい風でしたよぉ〜!」
飯南高原は、富山より100mくらい高地になる。この100mの差と、1000m級の連山が続く中国山地の麓とでは、これほど大きく気候条件が違っている。
ふと、奥出雲の船通山がどうなのか気になった。
この近年、吉田の行動はどんどん街場から離れて山里へ入り込んでいる・・

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保賀の谷とんど祭 

2018/01/08
Mon. 20:40

昼前から保賀のとんど祭がはじまった。
1日前から強い風がおさまらないまま、続いている。
万善寺の裏山から吹き下ろしていた北風が、今度は南風に変わって保賀の谷から万善寺へ吹き上げてくる。
雨の方はかろうじて小雨程度でおさまってくれていて、大衣を着ることはできた。
歳徳神の回向を終わってお焚きあげの火を移す頃はいよいよ南風が強くなっていた。
今年の役付の火の番を残して、保賀の集会所へ移動して年始会になった。
それから約2時間ほど酒宴が続き、役付の皆さんの後片付けを手伝って寺へ帰ったのは午後の3時を過ぎた頃だった。
南風がまだ残っていて、この時期にしては珍しい暖かさで、それでもと思って下着に貼り付けておいたホッカイロが熱いくらいだ。
夕方になって陽が暮れて夜になってもそれが続いて、今のこの時間で7℃もある。
たぶん、今日がこの冬シーズンで最高の暖かさになるのだろう。これから明日早朝にかけて爆弾低気圧が接近し始めると、一気に極寒の冬が戻って、万善寺も雪に埋もれる。
それから約1ヶ月半ほど参道の一本道を確保しながら寺の機能を維持することになる。

自分の近くにテレビ好きのワイフがいないと、全くテレビを見ることがない。
今の寺暮らしがそれで、正月の行事を終わってワイフが石見銀山へ帰った夜に、テレビにつながるコンセントを別の用事で抜いてから後、未だにそのままの状態が続いている。
特に差し迫った世間の危機があるわけでもなさそうだし、知らなくてもいいような情報をワザワザ知る必要もないから、たぶん、当分の間寺のテレビは動かないままになるのだろう。そういう状態でも天下のNHKの受信料は引き落としされてしまうのだからどうも気持ちがスッキリしないところもある。いっそのこと、光熱水費と同じようなシステムを導入してメーター1つを取り付けたNHK専用回線にしてしまえば、誰からの文句も出ない純粋な受益者負担になって良いと思ったりするが、それも暇なオヤジの妄想の1つだという程度のことだ。

チョコレートドーナツという映画の中で、ボブ・ディランの「I Shall Be Released」をルディが歌っていた。「何処かで聴いた覚えがあるなぁ〜?」と気付いたものの、その記憶の出元がしばらく分からないままでいたが、その後、FUNの「Carry On」アコースティックバージョンを聴いていて突然ひらめくが如くTHE BANDが「ラスト・ワルツ」で歌っていた曲だと思い出した。そのラスト・ワルツは、あのマーティン・スコセッシが監督した。映画の最後の方でボブ・ディランがTHE BANDのステージに登場して大喝采を浴びながら歌っていたことを思い出す。
どうして、I Shall Be ReleasedとCarry Onが繋がったのだろうと、そのあたりのことは自分でも理解できないでいるが、新年会で久々にタップリ飲んだ熱燗のせいもあって、脳みその何処かに点在していたジグソーパズルのような記憶のカケラが何かの拍子に噛み合ったのかもしれない。
特にこれといって深刻なストレスがあるわけでもないが、思いっきり泣いて涙を流すのもストレス発散に効果があるという。今夜はそんな映画をチェックしてみようかな・・

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2018-02