工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ヨレヨレオヤジの1週間ーその4 

2017/09/22
Fri. 20:46

奥出雲の会場で受付をしていると・・・というより、ノンビリと文庫本読みながら暇つぶしをしていると、「時の過ぎるのが早いなぁ〜」と感じる。
なかなか、珍しいことだ。
特にナニをするでもなくボンヤリ過ごしているだけなのに、アッという間にお昼になって気がつけばティータイムの時間が過ぎて、そろそろ会場クローズが近づく。
石見銀山や浜田が会場の時はそういうこともなく、むしろ時の経つのがゆっくりに思えて苦痛だった。
それで、「なぜなのだろう??」と疑問を持って分析するかというと、そこまでの根性も意欲もないし、あまり深く考え込んで悩みはじめても厄介だから、普通にヒマを楽しみながら冷めたコンビニコーヒーをすすっている。

あれは、台風が通り過ぎた次の日だった。
徳島野外彫刻展に出品の彫刻をワンボックスに載せて島根の石見銀山を出発したのは午後2時を過ぎた頃だった。
銀山街道を南下して島根県の県境を越えるまでは、特に台風の影響が残るふうでもなくいつもと変わらない風景が続いた。強いて言えば、江の川の支流が増水して濁流になっていたくらいだ。広島県に入ると、国道のアチコチへ折れた枝木が散乱していたりして運転に神経を使った。時折突風のような強い風がワンボックスの横腹へぶつかってハンドルをとられる。太平洋側の地域は想像以上に風雨が激しかったのだろう。

このところ、睡眠時間が平均して3時間程度しかとれていない。そういうことが数日続くうちに、そのうち身体が慣れてきて昼寝もしないまま普通に一日を乗り切ることが出来るようになった。それでも、夜になって夕食も終わってチョット気持ちが緩むと、途端に睡魔が襲ってきて何かしていても知らない間に意識が遠のいて爆睡している。
運転中にそういう状態にでもなったら大事になるので、瀬戸大橋を渡って四国に入ると、いつも以上に緊張してアクセルペダルを踏み続けた。
少し前には夜の7時というとまだ空に明るさが残っていたのに、もうスッカリ暗くなっている。秋分の日も近いから当然のことだが、いつの間にか秋になっていた。

徳島中央公園の彫刻搬入口に到着してから松永さんへ連絡した。それから、今年の設置場所へ案内してもらって、約1時間かけて彫刻のセッティングを終わらせた。
ワンボックスの返却もあるので、そのまますぐ出発しようとしたのだが、夕食に誘われたし、朝から飲まず食わずで搬入作業をしていて流石に腹も減っていたから、松永さんの親切へ甘えることにした。夜の9時過ぎに徳島を出発して島根へ向かったのだが、瀬戸中央道へ入る前に睡魔でダウンした。山陽道へ入ってからもそういうことが周期的に続いて、結局、石見銀山へ帰る気力をなくして万善寺で仮眠することにして、ユキちゃんへその旨伝えた。
夜と云うより、早朝の4時前に万善寺境内へ到着した。
お風呂にはお湯。台所のテーブルにはユキちゃんからのおすそ分け。
ユキちゃんの気配りに泣けた!・・・良い嫁さんになるゼッ!きっと!

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ヨレヨレオヤジの1週間ーその1 

2017/09/19
Tue. 14:03

「万善寺さんの携帯でしょうか?・・○○ですが、昨夜父が亡くなりまして・・・」
それは、突然の電話だった。

ちょうど、工場にこもって徳島野外彫刻展用の彫刻を造っている最中で、プラズマ切断の電源ノイズとトーチの先からコンプレッサーの圧縮空気が勢い良く吹き出ているなんともうるさいときで電話の内容がうまく聞き取れなかったものだから何度も聞き返した。
たしかに、身内が亡くなった状況の中で「大きな声で元気よく!!」会話が出来るわけもなく・・・とても失礼なことをしてしまった。
奥出雲の現代彫刻小品展が始まる直前で、これから展示台を運んだり彫刻の展示をしたりキャプションや出品目録などを印刷したりでいっきに忙しくなるから、少しでも彫刻制作を先に進めておこうと、がむしゃらに鉄板と格闘している時だったから、だいたい目標にしていたその日のスケジュールが崩れてしまって、一瞬頭が真っ白になった。
「それはそれは、お寂しいことでしょう・・・なんともご愁傷様でございます・・ところで、亡くなられたのは○○さんでしょうか?」
「はい、父の○○です。それで、お葬式をお願いできないかと・・」
そのお宅は、万善寺のお檀家さんではなくて浄土真宗の門徒さんだから、詳しく家の事情を知らないし、時期が時期だけに普通ならまずお断りする方向で話を聞き取っていたのだが、先代住職からの付き合いもあるし、お父さんご夫婦が健在の頃は夏の棚経に毎年お邪魔して親しくさせていただいていたし、なかなかうまく次の会話に繋げられないまま、結局葬儀日程などの具体的な話になって、「ひとまず、今の用事が落ち着いたところで枕経のおつとめにお邪魔しますので、詳しくはその時に聞かせていただきますから・・」となって、浄土真宗さんのお手伝いをすることに決まった。

それから自分の周辺が慌ただしくなって、とても一人で展覧会業務をまかなうことが不可能になった。
すでに、アルミ2tのレンタルもしてあるし、展示台の搬入をしないと展覧会を始めようがない。急遽、いつもの棟梁へ連絡してスケジュールの修正をした。
ここまで幾つかの違った事情がひとつに集まることなどなかなか無いことだ。
仏事の事情に彫刻の事情をかぶせても正当な言い訳にならないし、彫刻のスケジュールを仏事の事情で変更もならないし、アレはアレでコレはコレで別々の事情に一人の親父が絡んでいるだけのことだから、結局は誰の迷惑にもならないように自分の事情を工夫してやりくりするしかないことだ。
ナニが出来るかというと、世間が寝静まった夜の間に幾つかのスケジュールをはめ込んでしまうということ。
それ以来、ほぼ1週間・・・だいたい睡眠時間3時間程度で乗り切っている。
寝る前とか目覚めのひと時を使ってプチプチとキーボードを叩いて垂れ流していたオヤジのブログも、完全にその時間を奪われた。
さりげなく私のブログへ付き合ってくれているのは、吉田家オヤジと一・二を争うほどヒマを上手につくっているノッチくらい。
そのノッチがボクのことを心配してくれた!・・・嬉しいよね・・・ヤル気が出るよ!

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スケールが違う 

2017/09/12
Tue. 23:28

午前中から昼過ぎにかけてははそうでもなかったが、その後雨脚が次第に強くなって、日が暮れる頃には暴風雨に変わった。
奥出雲の展覧会準備で、会場まで備品を運んだりしてアレコレするうちに暗くなったので施錠してその日の作業を終わらせた。
奥出雲からだと万善寺経由で石見銀山まで2時間弱かかる。
吉田家へ着いたのは夜の九時を過ぎた頃だった。
途中、雷がすごくて、一瞬真昼のように明るくなる。
撥水剤のおかげで視界はかろうじて確保できているが、それにしても凄い暴風雨で結界くんも時折フラリとふらつきながら必死で態勢をキープしている。

やっとの思いで吉田家にたどり着いたら、ワイフがテレビを見ながらまだ寝ないで起きていた。
いつもだったらもう布団へ潜り込んでいる頃だから、きっと私の帰りを待ってくれていたのだと思う。
遅めの夕食の間も屋根を叩く雨音がすごくて、テレビの音声が聴き取りにくい。
夜も遅いし、こういう時は心配をめぐらしてもどうなるものでもないから、サッサと寝てしまうに限る。

島根県の暴風雨位で結構ビビッて大変な思いをしているわけだから、フロリダ上陸のハリケーンはとてつもなくデカくて、私ごときの想像の域を遥かに越えているのだろう。
ノッチのことも心配ではあるが、あまりにも距離が離れすぎていてドウコウするにもすべてが気持ちの空回りで過ぎてしまってオヤジの現実からは程遠い。
本当に世界は広いんだなぁと実感する。

「今日はじゅん君の誕生日だったはずだ・・・」
ふと気がついて、「忘れないうちにSNS送っておかないと!」と、なにか大事な義務感のようなものに気付いて「おめでとう!」と送っておいたら、「ナニが??ヒョットしてボクの誕生日のことだったら、それ、明日だよ!」と返信があった。
そうなのだ!そういえば今日はじゅん君の誕生日の一日前の日だった。
「しまった!」と一瞬思った。
それでも忘れて過ぎてしまうよりはまだマシだ。

その、じゅん君の誕生日の前日が、彫刻の業者搬入日であった。
会場で彫刻の梱包を解きながら1日がすぎる間に新しく4点の彫刻が届いた。
昨日と合わせて合計32点となって、最終的には40点位の彫刻が集まりそうだ。
昨年は点数が多すぎて窮屈な展覧会になったから、今年くらいの点数が奥出雲の会場にとっては丁度良い。それに、島根県在住の若い彫刻家の出品が増えたことも喜ばしい。
一仕事終わって休憩しながら家族のSNSをチェックしたらフロリダのノッチがハリケーン通過の状況を載せていた。宿舎前の樹木が裂け折れるほどだからかなりの威力だったと想像できる。嵐の後の虹が絵に描いたようだ。ナンもカンもアメリカはスケールが違う。

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それぞれの営み 

2017/09/07
Thu. 23:00

1日で3つも寺の仕事で出かけなければいけないのに、朝からものすごい雨が降って境内が池のようになって大変なことになっている。結界君のワダチに流れ込んだ雨水が川になって低い方へ流れている。こういう状態が1日続けば大事になるだろうと心配しながら西の空を見ると、空がかなり明るくなっていて少し安心した。

午前中は年回2つを1つにまとめた年回法事。
最近はこういうスタイルがどんどん増えてきた。坊主的にはあまり良いことではないのだが、いちいちそのわけを解説するのも疲れてしまって、そういう意向の施主さんには「ハイ!わかりました」のひと言を返して終わりにすることにしている。
そもそも、そういう申し出のある施主さんの気持ちそのものが本来の信心からソレて義務法事にしてしまっているわけだから、その考えを尊重してのことだと自分に言い聞かせているところもある。
坊主の仏事とか宗教心とか布教は俗な世間から遠く離れたところにあるのだ。
午後からは、2つの点眼(開眼)供養をした。
1つは、会社の工場増設に伴って敷地内に安座のお地蔵様を遷座することになって、その最終段階の供養法要を現場で行った。
その時間帯にはすでに雨が上がって小康状態であったが、施主さんはお地蔵様が濡れないように簡易テントまで用意して手厚い荘厳がされていた。
点眼のお経や回向が終わってから、遷座地の地鎮祭で使用した荘厳の灰を撥遣してすべて終わる頃になってまた雨が降り始めた。
「これで安心しました。この灰は自宅の横の川へ持っていって流させてもらいます・・」
ご主人の安堵の顔が心地よかった。
そのお地蔵様の現場から直接次の点眼へ移動した。
玄関先へ結界君を駐車する頃には、運良く雨が止んでくれた。
小さな簡易仏壇がパソコンデスクを再利用した祭壇に置かれて、大きな遺影が中央に飾られていた。位牌は、万善寺で安座の新帰元白木位牌を再利用する。まだそれなりに若い後家さんだから仕方のないことだが、どうも信心の方向が本尊様からソレているようで、亡くなったご主人もどこかしら居心地が悪そうな気もしたが、何もしないで粗末になるよりはずっと良いことだし、気持ちを込めて点眼のお経を読んで回向をさせてもらった。

ノッチの暮らすフロリダが厳戒態勢で大変なようだ。
最大級の超巨大ハリケーンがフロリダを直撃するかもしれない。
イチロー選手のマーリンズは、遠征試合に家族同伴を決めて家族の安全を確保することに決めたそうだ。
こういう緊急時の対応に慣れないノッチは、水の確保に失敗したようで結構心配だが、最悪スキなビールで乗り切ることが出来るかもしれない・・・
それにしても、天災の前には、ヒトの営みなど芥子粒以下にチッポケで木っ端微塵だ。
万善寺の豪雨など比べ物にもならない。
太陽では通常の千倍以上の大規模爆発が観測されたらしいし、地球レベルでない宇宙レベルで得体の知れない何か大きな変化が起きているのかもしれない。

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それぞれの制作 

2017/09/03
Sun. 23:26

ご主人様を亡くして途方にくれていた犬が、このままだと保健所行きか万善寺へ一時預かりか、そのくらいしか選択肢が残されていない状態だったところへ、夕方になってやっと次の飼い主が決まりかけてきたと連絡が入って少しホッとしたところだ。
やはり、保健所よりはまだマシとはいえ、オヤジのわびしい一人暮らしの雪深い寺で震えながら寄り添って味気なく暮らすよりは、家族の温かい愛情に包まれて余生を送ったほうがその犬もずっと幸せだろう。
今年に入ってから今までになく忙しい毎日を送っていて、その上犬の事情も増えたりするとどうしようかとチキンオヤジは内心ビクついていたが、心配事の一つはなんとか回避できそうだ。

9月に入って、私の周囲では展覧会発表へ向けての制作が一気に本格化してきた。
ユキちゃんが万善寺の土蔵の前でクスノキと格闘を始めた。
土蔵の下屋を利用してチェーンブロックを取り付けて即席の制作場所を造って、エンジンチェンソーの使い方を教えておいた。
これから約10日間は昼の仕事が終わったら万善寺へ帰って、制作を続けながら寄宿生活が本格化する。

ワイフは最近少し体調不良が続いていてあまり元気がない。
それでも、彫刻制作に向けての気持ちは萎えることなく私へ色々支持を出してくる。
鉄の彫刻家としては自分の制作が無いわけでもないのだが、ワイフの指令に「ノォー!!」とは言えない。
徳島の野外彫刻へ出品する限りなくインスタレーション的彫刻を組み立てるために、20個のパーツと周辺の部品を結界くんへ詰め込んで万善寺の境内へ運んだ。
鉄の制作工場は地面が全面コンクリートで固められているから、彼女のセッティングをシミュレーション出来ない。それで、真砂土で固めた万善寺の境内が都合よく使われることになったわけだ。
ワイフは、かれこれ10年以上かけて少しずつ野外展示の工夫をしている。10日から1ヶ月位の期間を野外設置して耐候性のデータを集めながら根気よく素材研究を続けている。

鳥取のアヤノちゃんが県展の出品作品をデータで送ってきた。搬入の時は色々ドタバタがあって大変だったようだ。
絵を描く人は、発表歴の少ないはじめの頃、四角のフレームの中に自分のすべてがはまり込んで気持ちの方が先行してしまって、制作のスタートから完成までをクールに客観的スケジュールで管理することが不得意な気がする。
彫刻の場合は、かなり慎重に制作計画を練っておかないと作品が締め切りまでに完成しない恐れもあって、周囲の関係者に大迷惑をかけることになる。
アヤノちゃんは、まだ作家歴も若いから、今後も幾つかの失敗を繰り返すことになるだろうが、そういう過程の蓄積が確実に何かのカタチで証明されて次の制作に反映されることにもなるから、あせらないで自分を信じてその時々の難局を乗り切ってほしい。今は制作のベースで少しでも自分のボキャブラリーを広め深めることに専念する時期だと思う。

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畜生道 

2017/09/02
Sat. 23:37

午前中に江津で用事を済ませ、工場へ直行してワイフの彫刻パーツや道具など必要なモノを結界くんへ積み込んで万善寺へ向かった。
夕方には隣町まで4・7日の七日参りでお経と墓参に出かけ、ついでにスーパーで半額のお惣菜を買って、先頃遷化されて寂しくなった寺へ回って、帰らぬヌシを待っている柴犬のようすをみた。
夏の間は厳しい猛暑のためか、それともヌシがいなくなったせいか、瞳も虚ろで地面に張り付くように寝転がったまま尻尾も振らないでぐったりしていたが、秋風が吹いて涼しくなり始めたら急に元気を取り戻して、私の姿を見るとちぎれるように尻尾を振りながらリードの長さいっぱいまで走り寄ってきた。
もうあと10日くらいしたら寺の留守居を切り上げてしまうらしい娘さん(といっても、もうおばさんだけど・・)がいなくなったら、その柴犬は無住の寺に一匹残されてしまう。
「どなたか、面倒を見てくれる人見つかりましたか?」
「それが、まだ・・・・」
「あきらめないで、色々たずねてみてくださいね。ギリギリまで」
「そのつもりですが、ナカナカ見つからなくて・・・『可愛いぃ〜♡』とは言ってくださるのですが・・・ヒトが来てもぜんぜん鳴かないし、いい子なんですけど・・なかなか飼ってくれるまでにはいかなくて・・・」
どうも、歯切れの悪い返事がかえってきた。
ヒト(他人)の心など、だいたいそのようなものなのだろう。
「何歳ぐらいですか?」
「さぁ〜〜、よくわからないんですけど・・・」
それなりに老犬のようだし、最悪、保健所行きを覚悟するしかないことになると、まず引き取りもなくて殺処分になることだろう。
生前のご住職の話だと、血統書付きの柴犬だということだった。
そういう話題になると、目を細めてにやけた顔になっていたから、そっけない風を装いながら、内心はとても可愛がっていたのだと思う。
「引き取り手が見つからないようだったら、万善寺の番犬で引き受けることにしましょう。どうせ、あと1〜2年の命でしょうから、そのくらいならなんとかなるでしょう」
そう言い置いて、ご本尊の阿弥陀様に手を合わせて帰りかけたら、
「どうしてもの時は、預けさせてもらってもいいんですよね?」
私の背中に娘さんの念押しの声が乗ってきた。さて・・・これから数日間で飼い主が見つかるのだろうか?・・いや、飼い主を探す気があるのだろうか?
エサ代もかかるし、散歩も日課に加わるし、犬を飼うのもそれなりに腹をくくる必要があってのことだが、口のある生き物を粗末にすることは出来ない。
仏教六道で三悪道の一つといわれる「畜生道」は、本能のままに生き、自力で仏心を得ることの出来ない世界をいう。
犬はまさにその畜生道の世界に生まれて死んでいくことになるわけだが、一方で、悪意を持って嘘をついたり騙したりするようなことはしない正直者でもある。
腹黒い魑魅魍魎のうごめく「人間道」の世界よりすっとシンプルで潔い世界だとも思う。

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吉田家の玄関 

2017/08/31
Thu. 23:35

吉田家の暮らしに少しほど慣れた・・・というのもおかしな話だ。
たぶん、こういう違和感がまだ健在だった母親が暮らしていた頃の万善寺へ帰った時に感じていたものと同質だったのだろう。
自分の自由が効かなくて、どことなく無理をしたり我慢をしたりしているところがあった。

母親が死んで、万善寺のアチコチに手を加え始めたら、それはそれで際限がなくなっていまだに収集のつかないままでいるが、それでもどこかしら自分の責任ですべてを仕切っていると、それなりに気持ちの開放感のようなものがある。
寺の草刈りのことも、肉体的なつらさはあるが、自分の好きなように自分のペースでコトをすすめることが出来て、ずいぶん気持ちが楽になった。
ユキちゃんの彫刻制作と寄宿暮らしのことも、母親が居たら100%不可能なことだったろう。
庫裏を開放したギャラリーも、机上の構想ばかりが先走って実現に到ることもなかっただろう。
万善寺の身内のことだけでどれだけ自分が萎縮していたことか・・・この半年でよくわかった。

吉田家暮らしが再開すると、私がいない間のワイフの暮らしの痕跡がアチコチに残っていて、それはそれで特に気にすることでもないのだが、やはりどこかしら自分の居場所が随分と狭まっていることに気付く。
巨大な新しい猫タワーが鎮座していたり、通販で買ったらしいソファーベッドがリビングを占領していたり、食卓の半分以上がワイフの持ち物で溢れていたり、それに、ボクの大事なデスクトップが部屋の隅へ片付けられていたり・・・
まぁ、一つ一つは他愛ないことなのだが、やはりどこかしら自分の居場所が定まらないで落ち着かない数日が続いた。

今頃になって少しずつ吉田家の新しい(と言ってもいいだろう・・)環境になれてきたものの・・・玄関の引き戸が格子戸に変わっていたことと、板戸へ真新しい鍵が着いていたことは想定外だった。
「これが玄関の鍵だからね。私がいない時はこれで鍵あけてね♡!」
そういって、小さな鍵を渡された時はなんとも複雑な気持ちだった。
家に男がいないことの不安があったのかもしれない。
そういえば、憲正さんが死んで一人暮らしがはじまった母親は、何かというと玄関へ鍵をかけてガラス戸を締め切って薄暗い庫裏の真ん中の部屋で1日を過ごしていて、ひどい時は、夜の常会から帰るとすでに施錠されていて庫裏を締め出されたこともある。

「玄関開けてくれない?中に入れないんだけど・・」
夕方に寺から帰宅すると吉田家の玄関が開かないから、玄関外でワイフへ電話した。
「アレ??玄関あかないの?」・・・しばらくしてワイフが土間をドタドタ走ってきた。

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朝もやの向こう 

2017/08/24
Thu. 23:56

なっちゃんが帰省しているので、できるだけ石見銀山に帰ろうとスケジュールを工夫している。
それでも万善寺の用事は毎日続くし、8月も後半になって棚経の疲れも溜まりっぱなしで体調不良が改善できないまま、身体が重いし、1日3回の胃薬が絶えない。
「坊主に夏痩せはない!」といわれている。自分でも今までそうだったが、今年の私はその定説も崩れて8月の半月のうちに3kg痩せた。
胃薬が手放せないのも、職業病のようなもので、棚経の先で一日何杯も煎茶を飲み、インスタントや缶コーヒーをいただき、時には炭酸ソーダも出たりして、それらを有難くいただき続けていれば、そのうち胃袋がおかしくなっても仕方のないことだ。年々歳をとるばかりで若返ることはないから、自分の身体も衰えるばかりで、私にとっての夏の仏事は非常に過酷なものになっている。
一人暮らしをはじめてから、朝に目が覚めても、夕方寺へ帰っても、食事の世話は自分でしなければいけないから、目先の細々とした洗濯や戸の開け閉めや、もちろん本堂のことと、毎日続く用事を片付けていると、結局それに流されて飯抜きになったりして不摂生極まりない。こういう時に、ワイフのありがたさを痛感する。

まだ、朝寝を貪っているなっちゃんを吉田家に残して、自宅を出発したのは朝の7時前だった。すでにその2時間ほど前には目が覚めていて、この半年近く吉田家に埋もれていた私の私物を整理して結界くんへ積み込んだりした。
ギャラリーになる予定の町並みに面した一部屋も、結局以前と変わりなく物置になりつつある。その中からホコリをかぶった昔の彫刻を見つけた。
ちょうどその彫刻をつくったことが転機になって、今のテーマが固まってきた、自分にとっては記念すべき彫刻といえる。
改めてクールな目でこの時期の彫刻を見直すことも大事なことで、経本がボロボロになるまで何度も繰り返しながら一つお経を読み続けることの大事さに通じるところもある。

石見銀山の町並みを抜けて、銀山街道の古道に沿って付かず離れずアップダウンを繰り返しながら続く現在の銀山街道を太陽に向かってしばらく走っていると、無数の大小のシルエットが道の至る所で逆光を受けてうごめいている。早朝の朝もやも漂っていて現実とは思えない光景だ。こういう状況を何処かで見た覚えがある。結界くんのスピードを緩めてゆっくりの朝もやの中へ入っていくと、逆光が少し緩和されてコントラストが弱まった。
大小のシルエットは、それぞれランダムに動きながら道の両脇へ吸い込まれていく。シルエットの一つが、道の脇で固まって動かなくなった。さて・・・時速20kmくらいだったろうか・・ゆっくりその塊に近づいたら、やっと正体が見えた。
猿の群れだった。だいたい20匹はいたはずだ。独特の野生の獣の匂いが朝もやの中に充満している。
しばらく走りながら、「あの光景は何処かで見たような・・・」思いを忘れられないまま記憶を手繰っていると・・思い出した。
「蜘蛛巣城!」・・・妖気漂う異世界に迷い込む武将の姿が早朝の銀山街道を走る自分に重なった。

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ジュウショク 

2017/08/23
Wed. 23:39

万善寺のお盆はまだ続いている。

着物も衣も一日の汗が沁み込んでしまうから、毎日お経を一回読むたびに洗濯機へ直行して上から下まで全てを脱いで放り込む。
一日に仏事が2回あれば洗濯機も2回動くことになる。
一人暮らしにはちょうどいい小ぶりの全自動がフル回転していて、最近気がつくと何かしらモーターコイルの焼けるような匂いが洗面所へ充満している。
洗濯といっても、洗い物を放り込んで洗剤を入れてスイッチONするだけのことだから大した負担でもないが、かえって全ておまかせの全自動だと、そういうちょっとした不具合を見逃してしまって後の始末が大変になることもあるから、たかが洗濯、されど洗濯と、毎日の家事をそれなりに緊張して片付けている。

朝のまだ涼しい間に、毎年恒例になっている古墓と三界萬霊を先祖供養のお墓参りに合わせておつとめしてきた。
その施主家は実は浄土真宗の門徒さんなのだが、年に1回盆の月にお墓の供養をするときだけ万善寺がお参りさせてもらっている。
島根県の飯南高原あたりでは、俗に云う「墓納め」とか「墓終い」の仏事を禅宗に依頼されることが多い。その付き合いがご縁になって、毎年1回は禅宗のお経を読んでもらいたいと思われたりされるようだ。
そもそも、昔々の民衆に密着した仏事というものは、そういうふうに仏教宗派を越えて、その得意とする領域の住み分けをこなして、坊主同士お互い仲良く過不足なく自分の得意ジャンルをキープしながら付き合っていた。
最近の宗門の付き合いは、どうも本山直下の縦社会構造が教化されて、そういう指導や研修が繰り返されてくると、末端の住職現場での交流も疎遠になってどこかしら付き合いも堅苦しくなってくる。高齢過疎限界集落が混在する田舎の山寺住職は、もっと緩く地域の事情に溶け込めるような付き合いを大事にしたほうが良いと思う・・・などと、偉そうなことが言える立場でもないけどね・・・

午後から奥出雲へ出かけて800枚の町内回覧配布のチラシを集配仕分けさせてもらった。
夏休み中のユキちゃんが松江の実家から駆けつけてくれてとても助かった。最近、少しずつ気持ちが通じて、私の動きを読んでくれるようになってきた気がする。適度な距離をおいた付き合いが気楽で居られて良い。

夕方から石見銀山へ向かった。
なっちゃんが勤務先の出張で約1週間ほど帰省している。いつの間にか東京ベースの事務所で幾つかの重職を任されているようだ。どれほどの仕事ができているかどうかは分からないが、本人は特別緊張するわけでもなく偉ぶるわけでもなく、いたって普通に何時もと変わらない様子だから、ぎゃくにそれが凄いと思う。万善寺のチキン住職など、坊主の会議や仏事などあったらオロオロヨレヨレで使いものにならない。
「ジュウショク」違いで差がついてきた。まぁ、それはそれで喜ばしいことである。

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晩夏の万善寺 

2017/08/22
Tue. 23:55

保賀の谷の上昇気流を探して、低空飛行の鳶が万善寺裏山の上空へ円を書きながら舞い上がっていった。

最近は、朝晩がずいぶん涼しくなって、夏用の掛け布団がないと寒いくらいになった。
寺の一人暮らしが長引いて、気が付かない間に随分早起きになった。
境内から参道までの様子を確認しながら朝の散歩をしていたら、今年2回目のマムシを見た。前回の丸々と太ったマムシとは違って胴体が私の親指くらいだった。私の気配を察しているはずなのに参道の真ん中で伸び切って動こうとしない。早朝の地面の温度が敏捷に動けるほどの体温の上昇を支えてくれていないのかもしれない。
お参りのお客もないし、1日で人間に会うとなると自分から町内や近所の町へ出かけるしか無い。一人で暮らしていると、周囲の生き物くらいしか私に反応してくれない。
生き物は正直だから、こちらから危害を加えなければ、安全の距離を維持しながら、付かず離れず彼らの日常が繰り返される。

夏の盛りが少しおさまって、秋の気配に変わりつつある。
もう随分前から、古墓の先祖供養だからと、だいたい毎年この時期に自作の塔婆を持参する大工さんがいる。
まだ8時前に手首のAppleWatchがブルブルと動きはじめて着信を教えてくれた。
「◯◯ですが、今年もお侍さんのお墓を供養してもらいたいんですがぁ〜・・」
「ハイ、どうぞ何時でも良いですよ」
「アレッ?・・・今お寺ですか?」
昨年までは母親が寺で暮らしていたから庫裏に私の居場所がなくて、お盆を過ぎたこの時期には石見銀山の吉田家を拠点に、通勤坊主を繰り返していた。大工さんもそれを心得ていて、私に面会できる時間帯の都合を問い合わせてきたわけだ。
「最近は、だいたい寺に居ますから何時でも大丈夫ですよ!」
「そぉ〜ですかぁ〜・・、それじゃぁ、今から持参しますんで・・・いいですかぁ〜」
「ハイ!どうぞ」
・・・こういう、地域のささやかな仏事の付き合いが8月いっぱいは五月雨に続く。
これからも、古墓の墓参りや、ご先祖さまの永代供養などで出かけることがあって、その間隙を縫って彫刻の予定を入れる。

今週に入って、奥出雲の彫刻展が動き出した。
例年に比べると随分準備が停滞しているが、今年の私の個人事情ではこの遅延も仕方がないことだ。塔婆を書き終わった頃に、印刷が終わった800枚の回覧チラシを営業のおじさんが持ってきてくれた。今までは石見銀山の吉田家を事務所にしていたから、今年になってはじめて万善寺を訪ねてくれたことになる。
少しずつ準備中の仮称「ギャラリーまんぜんじ」も見てもらった。
印刷物の付き合いしか無いから、彫刻の実物を観るのがはじめてのようだった。

どこか近くで鳶が「ピィー!」と鳴いて保賀の谷へ響いた。

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慰労の夜 

2017/08/19
Sat. 23:45

お盆月恒例の諸仏祈祷法要がまた一つ終わった。
こうして少しずつ万善寺の夏が過ぎて秋がやって来る。

昔々の飯南高原は、林業と農業が主な産業で、あとは、出雲街道と銀山街道に沿って適度な距離を維持しながら市場町や宿場町が点在していた。
農業の方は、ほとんど稲作が中心で、農耕の補助に黒毛和牛を育て、米と牛からの収入で暮らしていた。
稲作には水が必要になるが、場所によっては農業用水の確保が難しいところもあって、天候を頼って自然の恵みに一喜一憂することの繰り返しが続く中で、仏頼み神頼みの信心が芽生え、有志を募って水田の脇へお堂や石仏を建立したりして豊作を願った。
その建立された諸仏を粗末にできないからと、供養と祈念を兼ねた法要が今に続いている。
おもしろいもので、土壌や水源の条件が整っている地域では、神仏にすがるまでの悲壮感も薄くて、過去からの信仰風習も途絶えたままになっているが、水源の確保が難しい地域では、世代が変わっても信仰心の絶えることがない。
万善寺は、一年の節目で行われる地域の五穀豊穣を祈念する信心仏事に招待を受ける。

10年ほど前に新築された2畳ほどのお堂でお経を読んでから近くの自治会館へ移動して、お供えのお下がりをいただいた。
憲正さんの頃は私が付き添って送迎を兼ねていたから、お酒も出て賑やかな宴会になっていたが、今は飲酒の規制が厳しいから随分静かになった。
1時間近く経ってからさり気なく退席して寺へ帰るとユキちゃんが展覧会の慰労を兼ねた手料理を持参してくれていた。
しばらくして、ヒョロリテツヤもやってきた。
ユキちゃんの手料理は、なかなか凝ったものでワイフの味付けとはまた違って新鮮で旨かった。
二人ともあまり遠慮しないで結構飲むものだから、ついつい酒が進んで会話もはずんだ。
いつもはどちらかといえば寡黙なユキちゃんが饒舌になった。
彼女の知られざる一面を垣間見た気がして親近感が深まった気がする。

春に万善寺で寄宿が始まって、今までに3点の小品彫刻を造った。
すべて島根の地元であった展覧会へ出品して、発表も精力的だ。
素材へ取り組む姿勢も前向きで、少しずつ彫刻に対する我欲も増しているふうに感じる。
吉田にはたいしたこと出来るわけでもないが、少しでも頼ってくれるうちはなんとか付き合っていこうと思っている。

境内に日参していたスズメが絶えた。他の何処かで条件の良い餌場が見つかったのかもしれない。参道脇をつがいの白鷺が低空で飛び去った。
雨の降り癖が収まって残暑が厳しくなりそうだ。刈り倒した草が少しずつ乾燥してきた。
お盆前に注文していた彫刻用の鉄板がそろそろ届く頃だ。

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言い訳はしない 

2017/08/17
Thu. 23:59

本葬仏事が無事終了し、大練忌法要も終わって斎膳が本堂へ配膳され、総勢100名近い方丈さまやお檀家衆が着座されて献杯になったのは13:00を過ぎた頃だった。
主喪の役目も最後のおもだった方丈さま方へ酌をして回ればそれで終了と心に決めて、一巡したあと、さりげなく荷物をまとめて退席した。
本当は、斎の酒宴が終わった後の片付けまで居残るべきだろうが、さすがにそこまでの心身の余裕がない。

もう前回石見銀山へ帰宅したのが何時の頃だったのか思い出せない。
まさか、ここまでベッタリと万善寺に居続けようと考えてもいなかったから、18日の万善寺お盆の大イベントへ向けて色々な必需品が石見銀山の吉田家に残されている。帰宅のスケジュールを考えながら「なんとかして」とか、「そろそろ」とか、「そのうちに」とか思いつつ、結局前日まで帰宅できないまま時が過ぎた。さすがに残された余裕もないから、いっきに石見銀山まで久しぶりの銀山街道を走った。こういう時に限って、やたらとノロノロフラフラ走る県外ナンバーが邪魔をする。かなりイライラしながら石見銀山の町へハンドルを切ると、唖然とするほどヒトがひしめいている。
「そぉ〜か、世間は夏休みでお盆だ!」
過疎の進む飯南高原でノンビリとした毎日をおくっていて、それがすっかり普通のことになってしまっていた。

必要な荷物をまとめて結界くんへ積み込んでいる間に、ワイフが買い物から帰宅した。
クロは何処かで眠りこけているのだろう、終始顔も見せない。
シロはフギャフギャ甘えてダッコをせがんできた。
グッピー軍団は、水量の減った水槽の中で「餌をくれ!」とピラニアの如き勢いでピチャピチャ跳ねていた。
リビングに巨大なソファーが搬入され、土間には梱包材が散乱していた。
私のデスクトップが、部屋の隅で小さくなっている。
しばらく留守にしている間に、吉田家はワイフの暮らしが充満していた。彼女には彼女なりの考えがあって、吉田家がしだいに自分の住みやすいように変化していったのだろう。
前例にないほどの多忙な万善寺業務で忙殺されている間に、ワイフは一人で味気なく暮らしていたのかもしれない。
口では、大丈夫そうなことを云って自分の多忙を訴えていたが、はたしてそれは本心だったのだろうか?

夜の横路薬師供養の仏事が毎年恒例になっていて、石見銀山から万善寺へ帰着すると夕方までの間に塔婆を書いたりして準備を進めた。
坊主の事情で何時になく忙しかったことなど、お薬師様へお参りの皆様には関係のないこと。ざわめく気持ちを落ち着かせて境内から参道へ降りたら、琴弾山の尾根に虹が見えた。「なるようにしかならない」ことだとわかっていつつ、ジタバタしている自分に気付いた気がする。
「言い訳はしないことにしよう・・・」と決めてお薬師様のお堂へ向かった。

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大夜仏事 

2017/08/16
Wed. 23:17

なんとか辻褄を合わせて棚経を調整して、大夜仏事に随喜した。

大夜とは、俗に云う通夜のようなもので、曹洞宗の住職が遷化されると、まずは密葬をして、仕切り直しで本葬に入るが、その前日の夜を「大夜」(言い方は他にもあるし、漢字もいろいろ違うこともあるのであしからず・・・)といって、幾つかの大夜仏事を厳修して本葬を迎えるというスケジュールになる。
ややこしいことだが、これはようするに葬儀に関係する方丈さま方のスケジュール調整期間を用意しているのだと思っていただくとわかりやすいだろう。
一般のように2〜3日のうちに住職の葬儀をしようと思うと、そのためにお手伝いも含めて約30人ほどの方丈さんが短期間で遺漏なく都合をつけることなど無理な話だから、はじめからそれぞれの方丈さんの都合を合わせやすいように49日までの適当な日を本葬のために用意しておけば、諸々随喜で自分のスケジュールを調整しやすくなると云うわけだ。
それでも結局は、直前に我が寺の葬式が入ったり、すでに当日が我が寺の仏事でふさがっていたりと、全て100%上手く調整できるわけでもないから、あとは、坊主が自分で自分のスケジュールを都合の良いように修正するしかないことになる。
私の場合も、変更や修正の難しい仏事が重なっていないわけでもなく、なかなか厳しい状況の中でこの度の当て職を受けている。

集合時間の少し前に葬儀会場になる寺院へ到着した。
その後、続々と若い方丈さんたちが参集して、会場の微調整に入った。
私は、立場上現場監督のような采配をふるうことになっているが、そういう器でもないし、たかが隣町のナンチャッテ坊主ごときはあまり出しゃばらないほうが八方丸く収まる。
時々、それとなく写真撮影をしたりして、大夜仏事のスタートを待った。
昨日まで断続的なスコールで落ち着かない毎日が続いていたが、ここにきてやっと半日ほど天気が持ちなおすようなことを云っていたし、少しくらいは坊主が運を天に任せるのも良いかなと思った。
予報はソコソコ的中して、お経の途中あたりになって雨が本降りになりはじめた。

亡くなった大方丈様が可愛がっていた犬がいない。
血統書付きの柴犬だそうだが、けっこう歳をとっていて、雨も降るし少し心配しつつ、何時もつながれているあたりを気にしたが、今日一日は犬の周辺のものも片付けられて、そこに犬がつながれていたという痕跡も消えていた。
どういう経緯で亡くなった方丈さまが犬を飼い始めたかわからないが、私がさり気なく犬の話題を持ち出すと、嬉しそうに柴犬との暮らしぶりを語られて、そういうところに、方丈さまの心根の優しさがにじみ出たりして微笑ましく思ったものだ。

方丈さまのいつもの定位置も、今はすっかり片付けられてどこかしら寒々しい。
本葬が終わってしばらくあとには、無住の空き寺になるようだ。

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自分の都合 

2017/08/11
Fri. 23:20

このところ雨が降りやすくなって草刈りが出来ないでいる。
棚経の方も傘が手放せない状態で、もたついている間に世間は盆休にに入ってしまった。
彫刻の方もそろそろ具体的に計画をたてないといけないから、まずは材料の注文をしておいた。
庫裏の修繕は、ひとまず1日かけてなんとか体裁を取り繕うまでに出来た。
留守の間に建具屋さんが網戸の修繕も終わらせてくれていたし、近所のお檀家さんは夏野菜をたくさん届けてくれた。
ワイフは夏風邪でもひいたらしく、微熱が出て1日ほどふせっていたらしい。
じゅん君は今年も自分の都合で夏休みのスケジュールが決まって、寺の手伝いも期待できなくなった。
結婚式も終わって少し落ち着いたらしいなっちゃんが伸ばしていた髪をバッサリ切った。
フロリダで暮らしはじめたノッチは早速友達ができてその様子をLINEに載せていた。アメリカのミッキーたちは、なんとなくデカイ気がする。
キーポンは、保育士の仕事にも慣れて系列の保育園へヘルプを頼まれるまでになったようだ。
彫刻見習いのユキちゃんは松江の美術館でグループ展のあと、来年からの職探しをスタートさせるようだ。
ユキちゃんつながりで最近知り合ったヒョロリテツヤ君は学校講師の仕事と彫刻を両立させて精力的に制作を続けているようだ。
鳥取で制作を続けているアヤノちゃんは、公募展出品をめざして大作にとりかかる準備をはじめたようだ。
吉田家のネコチャンズは、人間のスキをねらってマンマと脱走して石見銀山の町並みを彷徨いていたらしい。

・・・「〜らしい」とか、「〜ようだ」とか、なんとも曖昧な情報しか入ってこないままの日々が続くと、どうも気持ちがもやもやしてスッキリしない。
やはり、自分にはこういう受動的で曖昧な暮らしが性に合わないようで、確実に少しずつストレスが蓄積されている。
気晴らしになるかもしれないとG15をぶらさげて早朝の散歩に出た。
参道から境内に入るところでマムシをみた。このところ雨が続いているからどこかに潜んでいるか気にかけていたが、案の定いつもの場所をぎこちなくニョロニョロ動いていた。
山鳩の夫婦も境内で羽根を休めることが日課になりつつあるようだ。まだ人間に慣れるところまででもなく私を見かけると慌てて飛び立っていく。
相変わらず朝一番に蜩が鳴き始め、日暮れ時になるとまた蜩がうるさく鳴き始める。

春先に母親が死んだから、この歳になって自分の人生ではじめて正真正銘の一人暮らしが続いている。何をするにも自分しかいないからふとした拍子にもやもやとして悶々としている自分自身のことがクールに見渡せていたりする。
良いも悪いも、誰のせいでもない結局は自分の都合で決まってしまうものだとわかる。
「自返照看」とは、こういう状態であることを云っているのかもしれない。

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単身赴任住職 

2017/08/10
Thu. 23:42

万善寺単身赴任住職の一人暮らしが続いている。
この頃になって、日本の・・いや、世界中の一人暮らしオヤジのわびしさがなんとなくわかり始めたようなきがする。
15歳で一人暮らしをはじめて28歳で結婚するまで、特に寂しいともわびしいとも思わないし、どちらかといえば毎日がマイペースに気楽に過ぎて周辺へのわずらわしさもないし、都合よく暮らしていたことを思い出す。
やはり、嫁さんが出来て子供も出来て家族が増えてくると、若い頃の気楽な暮らしとは全然違って、「家族」とか「家庭」とかいう、オリジナル極小コミュニティーが成立して、それなりのゆるやかな拘束感や帰属意識を自覚するようになって、そうなってから後の単身赴任的暮らしが続くと、やはり、どこかしら気持ちの支えとかより処が某獏と曖昧になって、そういうことがオヤジのわびしさの種になっているのかもしれない。

お決まりの施食会随喜のあと、お決まりの棚経の続きで県境を越えた。
島根県のほぼ中央を南から北の日本海へ流れる江の川の上流近くにある盆地の町へ向けて結界君を走らせていると、にわかに空が暗転して強烈なスコールになった。まるで水中を走っているような(・・といっても、ボクはハンマーだから想像するだけのことだけど・・)感じでワイパーが全く機能しない。前を走るダンプの車幅をたよりに国道を走り続け、江の川を渡った。
帰りにはスコールが嘘のように雲の切れ間から青空も覗いていた。
早朝に万善寺を出て、夕方6時近くに帰着して庫裏玄関を開けると一日分の不快な湿気が充満している。こういう状況に遭遇すると、一人暮らしのわびしさが目覚める。

体内時計が正常に働いていないようで腹が減っているのかどうなのか判断に苦しむ。
今日1日は、結局固形物を口に入れないで過ぎてしまった。
シャワーで汗を流して、パンツ一丁で朝食のような夕食をつくった。
棚経の布施代わりやお中元代わりのお供え物に頂いた夏野菜を刻んだ。
夏野菜だけは、お供えもして、その上一人では食べきれないほど大量に溜まっている。
キュウリを塩もみしても、1食で1本食べれば十分で、消費に悩むのもこの時期の贅沢だ。なんとかしてあと1週間鮮度をもたせれば施食会のお供えに使える。
収穫時期を過ぎて出荷できないアスパラも大量にもらった。もう筋張って硬いからお供えにもならないし、炒めるとか茹でるとかして消費しようと思う。

これからお盆になって棚経もいっきに佳境に入る。
吉田家でワイフが一時期ガスコンロ用の土鍋式炊飯器にハマって使っていたことを思い出して、それを探し出して寺まで持ってきた。
夕食の後で、母親が食べ残した古い米をセッセとといで炊いた。
独身の一人暮らしでは片手鍋を使って炊飯していたし、そのほうが短時間ですぐ炊ける。
古いなりに、米も立っておこげも少々出来て見た目は旨そうだが、味は期待できないだろう。キーポン流に茶碗一杯ずつラップにくるんで冷凍庫へ放り込んでおいた。これで、漬物かふりかけでもあれば2〜3日はなんとかなる。

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島根のスコールとフロリダの月 

2017/08/09
Wed. 23:45

導師代行の葬儀が終わってから、松江の美術館へ結界君をすっ飛ばした。空にはとても嫌な感じの雲が広がって、何時スコールがくるかわからない。久しぶりに結界君のエアコンをフル稼働して島根上空に漂う湿気と戦いながら、国道を北上した。

会場にユキちゃんはいなかったが、万善寺庫裏の玄関でほぼ徹夜して制作した彫刻が静かに展示してあった。その後ろには、ヒョロリテツヤの彫刻もいい感じの距離感で寄り添うように設置してあった。
そもそも、その展覧会がどういう趣旨でどういう対象で開催されているのか、私には全くわかっていない。プレゼンのファイルブックのようなものもあったし、キャプション脇に解説文もあったが、どうもじっくり読むきになれないままスルーしてしまった。リーフレットにはアンケート用紙も挟んであって、展覧会参加メンバーのヤル気が伝わってくる。

私は、島根の県境に近い飯南高原の山寺で住職をしながら彫刻を造っているが、こういう松江くらいの近所の展覧会情報が入ると、できるだけ都合をつけて出かけるようにしている。住職坊主も、職業柄狭い地域で行動するばかりで、気がつくと社会の大きな流れに取り残されて世間知らずになっていたりするし、彫刻というと、ひたすら完成を目指して工場に閉じこもって制作ばかりの毎日だから、周辺との会話も絶えて新鮮な情報に取り残されていたりする。
面倒な付き合いもなくて気楽な日常が過ぎるばかりで私のようなナマケモノには都合のいい暮らしなのかもしれないが、一方で造形のビビットな先端からはどんどん縁遠くなってもいる。石見銀山の吉田家を基地にして行動している時は、インターネット環境を泳ぎながらSNSを利用してマメに情報を収集したり発信したりしていたが、万善寺の劣悪なWeb環境ではそれをするのも面倒になってしまう。それもヤバイと思うから、たとえば今回のように、乏しい情報を手繰って足で稼いでアナログの暮らしなりに工夫しているわけだ。

松江からの帰りは、スコールへつかまってしまった。あまりに激しい雨で給油する気にもなれないまま、南下して万善寺を目指した。途中、少し雨足が弱くなって空も明るくなってきた。このままだと結界君の燃料が寺までもたないから給油のついでに少し大きなスーパーへ寄ってお盆までの食料を買い込んだ。
例のごとく、夕方から深夜にかけてはインターネットがまともに使えないので、最近は夕食が落ち着いたらとりあえずひと眠りすることにしている。ウツラウツラしていたらフロリダのノッチからLINE電話が入った。
久々に聞く懐かしい声は、いつもと変わりなく元気そうだった。テキサスを経由してほぼ1日くらいかけてフロリダへ着いたらしい。空港の税関のオジサンがノッチを癒やしてくれたようだ。彼女は実にオヤジ好きだ。5人部屋があてがわれて、同室の娘とすぐに仲良く打ち解けることが出来たらしい。私に似てシャイで人見知のノッチとしては上出来だ。
島根とフロリダは半日くらいの時差があるのだろうか?
これから1年間の仕事に向けて、まずは説明会があるのだそうだ。
なんとなく曖昧なタイミングで目が覚めて頭がうまく回転しない。展覧会のリーフレットで作家と作品を思い出そうとしたが、ユキちゃんはじめ4人が限界だった。

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ノッチの出国 

2017/08/08
Tue. 23:13

8月に入って、通勤坊主からワイフと別居の単身赴任坊主になって、一人暮らしを続けながら棚経を続けている。
吉田家の家族からはなんとなく疎外された感じもあって、どこかしらわびしい。

そんな中、次女のノッチがアメリカのフロリダへ旅立った。
1年間の期限付きで、オーランドのディズニーリゾート日本館で働く。
詳しくは知らないが、3〜4回の面接試験を通過して採用が決まったらしい。
本人は軽いノリで求人募集に引っかかったらしいから、何人か交代した面接の試験官とも常に軽いノリで世間話していたふうだが、アメリカというお国柄か、そういう比較的ラフでカジュアルなスタンスがかえって功を奏したのかもしれない。採用の母体がアメリカ企業だから、大使館のビザ申請もアッという間にパスしてこのたびの渡米になった。
いわゆる、自分のスキルアップ目的の研修プログラム就労的扱いのようだから、給料も少ないし、宿舎もシェアハウスというより合宿所か学生寮のような感じらしく、5人の日本人部屋があてがわれたようだ。

ノッチは、坊主で云うと雲水を続けながらひとつ場所に留まること無く自分の足でアチコチ旅して先々の恩にスガリながら修行する禅僧のようなかんじだ。まさに、行雲流水の如く、物事に深く執着することなく、その時々の世間の流れに身を任せ、ガチガチに固まる自分を避けるようにナチュラルに徹し、無欲無心に社会を泳いでいるふうに見える。
こうして都合よくオヤジの愛情で定義づけると、「あの娘はなんて立派で素敵なヒトなんだ!」と錯覚するかもしれないが、ようするに、本当はチキンでワガママで場の読めない無学の独善ガールであって、それがかえって殺伐とした世間の荒波に揉まれて喘いでいる常識的な大人たちにとっての清涼癒やし的存在として可愛がられているのかもしれない。
本人はそれなりに歳もとって、そろそろアラサー世代に踏み込もうとしているが、至って気楽にワガママを通しながら浮遊しているようなところもある。

吉田家にとってのチョットした日常のゆらぎを感じつつ、万善寺一人暮らしのオヤジ坊主は、粛々と眼前の事実に向き合って毎日の現実を乗り切っている。
連続して依頼された代行葬儀の入棺出棺から荼毘までお付き合いして万善寺へ帰着したら、たしか、午後から松江の美術館へ「搬入展示のはずなのに・・・?」ユキちゃんの愛車がまだ境内に残っていた。
庫裏玄関へ入ると、まだせっせと杉材の彫刻を制作している顔に悲壮感が漂っている。
今回も、結局制作スケジュールの調整ミスで自滅寸前状態だ。
それでも、まぁそれなりに仕事もソコソコ丁寧だし、本人の完成予想からは大きくソレたかもしれないが、立体のムーブマンにそこはかとない色気もあるし、彫刻の通過点としては評価に値する。作家歴も浅くて、将来への展望が見えないまま悶々と彫刻へしがみついている状態と言って良いかもしれない。
今のユキちゃんは、耳掻きひとすくいでもノッチのエキスを注入してやれたら、きっと随分楽になるだろうに・・・
まだ飯抜きだと云うから、遅すぎるオヤジのナンチャッテ昼食をふるまった。

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オヤジの出来事 

2017/08/05
Sat. 23:09

代行導師の葬儀が終わった。
結界君で5分程度走ったら隣町へ到着する。そのくらいの距離なのに、トコロが変われば葬儀システムも少しずつ違っていて、けっこう気疲れする。
納骨を済ませて、野辺帰り安位のお経を読んで、それに初七日と35日も併せてお経を読んで、それらがワンセットになってお葬式の次第になっているようだ。こういう、坊主の代行業務も滅多にあることでないから、何かに記録しておかないとそのうち忘れてしまって、次に似たような事態が生じた時には、またまた気疲れ心労で苦労することになるかもしれないし、念のためこうしてその時々の出来事を備忘録へ記しているところだ。

午後からは、同じ隣町の臨済宗のお寺で施餓鬼法要がある。
飯南高原とその周辺は、曹洞宗寺院が3ヵ寺と臨済宗寺院が2ヵ寺ある。施餓鬼とか施食会とか大般若会とか御大師供養とか、そういうそれぞれの寺院で法要の手間替え随喜をしながら坊主の頭数を揃えて法要にあたる。
今回、曹洞宗の現役住職が遷化されたことで、貴重な坊主の頭数が1人減った。
順当に順番が狂わなければ、そのうち近い将来、万善寺住職の私も死ぬだろうし、そうなると、いよいよ寺院の法要仏事や周辺地域の葬祭が回らなくなる厳しい現実がやってくる。先のことに思い巡らして今のうちから悶々と悩むこともないのだろうが・・・ナンチャッテ坊主もなかなか難しいめぐり合わせになってしまったものだ。

それやこれやで、棚経をすべて終わらせて万善寺へ帰着したのが夕方の5時前だった。
パンツから改良衣にまで汗が染み渡って不快極まりない。
早速風呂に温めのお湯を張って行水をした。
さりげなくヒーリング・ミュージックを垂れ流して、1時間位のんびり出来ただろうか?徳島の彫刻家から野外彫刻展絡みの事務連絡が入った。それから少しして、地元の同級生オヤジからAppleWatch絡みの問い合わせ電話が入った。湯船に浸かりながらそれぞれにそれなりの対応をした。
新作の野外彫刻と一緒に、秋に徳島へ行くことになった。最短1泊2日の旅になる。
先日の焼肉飲み会でボクの左手首のAppleWatchを目ざとく見つけた同級生オヤジは、その後、それが欲しくて欲しくてたまらくなって、遂に我慢できなくなって購入に踏み切ったようだ。さりげなく自分に都合よくソコソコの理由を電話口で連打していた。これでAppleWatch仲間が一人増えた。

庫裏で寄宿している彫刻見習いのユキちゃんが、後輩を連れてきた。
痩せてヒョロリと背の高い青年で、どれほどの腕力があるのか怪しげなふうで、ユキちゃんの方がずっとたくましくて力持ちにみえる。
彼は木彫を幾つか持参していて制作のテーマとか方向性のことなど熱心に話してくれた。
彫刻を造ってはいるが、特にその世界で目立った作家でもないし、住職であっても彫刻の重職に就いているわけでもないし、そういう無役のオヤジを彫刻持参で訪問してくれただけでも有難くて嬉しい。思わず「まぁ〜、飲んでヨ!飲んでヨ!」と、残り酒を進めていたら、大事にしていた鳥取のアヤノちゃん推薦の旨い酒がなくなってしまった・・トホホ

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蒸し暑い一日 

2017/07/27
Thu. 23:01

万善寺台所に壁を作って一つの部屋を二つにしようと計画したのが、5月の連休明けくらいの頃だった。
ひとまず、憲正さんの3回忌と俊江さんの49日が終わらないと改修作業を始められないだろうと思って、まずは法事までに6畳と3畳をフローリングへ改修することを優先した。結果、棟梁の都合で大工工事が先延ばしになって、そのまま玉突きされて台所の改修も遅れて、その間に予期せぬ仏事が加わったり今回の展覧会ではワイフの代行をしたりして、やっと本気で大工仕事に取り掛かることが出来たのが本日であった。
素人だから、とても表向きの大事な場所をイジることは出来ないが、私の一人暮らしでしか使わないところとか、台所のようにたまに家族の誰かが使ったり、1年の数回の万善寺年中行事でワイフの世話になったりする程度で使用するくらいのところは、素人のなんちゃってリフォームで十分だ。
例のごとく石見銀山から通勤坊主の途中で、ホームセンターへ寄って必要な資材を仕入れて、コンビニで熱中症用のスポーツドリンクを買って万善寺へ着いたのが9時前だった。
この半世紀で床がブクブクに弱って、場所によってはよほど気をつけないと踏み抜いてしまうまで傷んでいた。だいたい12畳くらいの広さへコンパネを隙間なく敷き詰めて、その後壁を造った。冷蔵庫の場所が動かせなかったり、作り付けの食器棚の場所が悪かったりして、シンプルな四角い部屋を作ることができなかったが、色々工夫して夜の9時過ぎにやっとひと通りの大工仕事が終わった。

松江の美術館で開催中の展覧会に、私が初めて見る絵画の新人作家(だと思うけど・・)が2人出品していた。
1人は、父親がその展覧会のベテラン出品者で、影響を受けた息子も絵を描きはじめ、目出度く父親と同じ会場へ自作を展示することになった二世作家になる。
初めて見る絵画だから新鮮に観ることが出来た。年齢がわからないので何とも言えないが、抽象の硬い構図と色彩の組み立てに「苦悩する若者」がイメージされた。これからその絵がどのような展開をみせるのか楽しみである。作風の正直さに現代美術の曖昧な境界が必然性を持って加味されてくるともっと面白くなっていく気がする。構図や色彩が直接的であることに対して、筆触の不規則性がズレすぎているふうに見えて、素直に絵のフレームへ入り込むことができにくかった。きっと、トテモとても真面目すぎるくらい真面目なヒトなのだろう。
もうひとりは、たぶんまだ20代後半か、もしくは30代前半くらいだろう女性作家。
出品者の会話を聞くともなしに聞きながら想像するに、何処かの高校の美術の先生らしい。アカデミックで素直な作風の静物画は、室内の一角を切り取って構図を決めた癖のない伸びやかで爽やかな具象の絵に仕上がっていた。題材や作風は今回の展覧会出品絵画の中ではとても分かり易く万民受けすると思う。其処にあるものをそのまま丁寧にうつしとることには、それなりのデッサン力が大事であって、その力量の有る無しが絵画に深みとか説得力とか、絵の裏に隠された作家のテーマの重さに還元される。絵画に限らず、具象の表現の難しいところはテーマの設定と、その目指す先をどのように咀嚼して鑑賞者へ正確に伝えることが出来るかということのように思う。
ただ、上手に描くとか上手に描けたとか、そのあたりで思考や方向が止まらないように自分の絵へグイと踏み込んで欲しい。

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坊主も作家も 

2017/07/26
Wed. 23:52

前日の雨が上がって、琴引山の木々からは雨水が気化して空に戻っていく。
この1日で島根県内アチコチを300km以上走った。結界くんのエンジンオイルは、交換時期を過ぎているが、カーショップへ行く時間がなかなか作れない。

先月遷化された方丈さんの本葬に向けて、事前の準備でお手伝いの方丈さま方が参集されるので、主喪(しゅそう)役の私も朝から隣町のお寺へ向かった。
主喪は、一般で云うと喪主のような立場の配役になる。これは、表向きの建前当て職のようなもので、内実は副住職のご長男が喪主になっている。宗門僧侶の立場では、この副住職は、遷化されたご住職のお弟子さんに当っている。それを遺弟(ゆいてい)と称し、本葬では遺弟としての立場で諸々の役割を果たすことになるから、別に表向きの喪主的役割を受け持つ係が必要になるわけで、それが万善寺方丈の私に当たったわけだ。
なかなか、一般では理解不能で面倒な習わしが宗門の葬儀の決まりごととして今に継承されている。
それぞれ、寺の内情や方丈さまの功績やお檀家衆護持会のお考えや、それに当日配役寺院の事情などを総合して、多少のオプションが加わったり、逆に次第の変更や割愛があったりするので、あらかじめの予習や予行練習をしておく必要もあるし、この度のように葬儀会場となる本堂を中心とした模様替えなどの準備もしておくことになるわけだ。

松江の美術館で山陰二記展がはじまって初日でもあるし、今年はワイフが留守にしているし、他にも彫刻のベテラン出品作家が揃って留守にしているから、誰かが搬出のことも含めて遺漏の無いように手配しておかないと絵画の皆さんへ迷惑をかけることになる。
こういうことは前々から分かっていることだから、出品者でありグループのメンバーでもある彫刻の仲間には誰かが事前に申し送りをして事態の収集調整をしておくべきことだと思う。その「誰か」が立場としてはワイフであるわけなのだけど・・・
部外者である私がしゃしゃり出るのもどうかと思いつつ、ワイフとのやりとりで事前調整が出来ていなさそうな雰囲気を感じたので、今回はさり気なく搬入搬出へ絡んでおくことにした。

僧侶と作家は、職業の接点があるわけでもないが、モノの考えや立場が比較的近いと思っている。規模の大小はあってもひとつ寺の住職としての立場は、ある意味腕一本で表現し個人オリジナルな独創的思考を身上とするアーチストと似たようなところで考えたり行動したりしていたりする。
私自身がそういう立場で日常の暮らしを使い分けたりしているからそう思うだけのことかもしれないが、とにかく、それで良いこともあればどうかと思うこともある。
個人のプライドであったり、テーマや主張の好き嫌いであったり、頭の数ほど口の数もあって考えることも言うことも違うし、行動パターンも違う。
坊主集団の良いところは、みんながそれをわきまえて自分の立ち位置をキープしながら、一方で組織的な集団行動も出来る配役を粛々とこなせることだ。
坊主も作家もお互い一人の人間だし・・・それなりに過不足なく付き合うのも面倒なことでけっこう疲れますなぁ〜・・・

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2017-09