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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

コリコリオヤジ 

2019/01/16
Wed. 23:38

しばらく前まで冬にしては暖かい日が続いていた。
2〜3日前は3月中旬の陽気になったりして、少し動き回ると汗ばむほどだった。
暖かいことは良いことなのだが、着るものや寝具の調整がうまくいかなくて「ちょっと寒いなぁ〜」と夜中に目覚めると布団がゴッソリはねのけられて身体中が冷え切っていたりする。昨夜は、ワイフが一晩中コツコツと咳をしていた。今はネコも人間も男同士女同士で別々に寝ていて家庭内別居状態でいるから、睡眠中も自分のコトは自分で責任を持ってもらわないと困る。先週の土曜日は、坊主家業ではない新年最初の出稼ぎ仕事がインフルエンザの流行でキャンセルになった。人混みへ出ればインフルエンザ感染のリスクも増すし、こういう場合は自宅と寺の往復ぐらいに用事を絞っておきたい。

年始の慌ただしさは落ち着いたものの、毎日何かしらの用事があってゆっくりと休養することのないまま半月が過ぎた。
「明日は決まった用事もないから1日休むことにするから・・」
夕食の時にワイフへそう宣言して寝る準備をしていたら保賀の役員さんから電話が入った。年末に回覧した書類に間違いがあったのでその修正版を再度回覧し直してほしいということだった。電話でのことでよくわからないが、文言や期日の間違い程度のことなら電話の言い次伝言で済むことだろうにと思ったが、一応「上組班長!」の肩書があるものの実態は「ただの使い走り」としては「イヤだ!」と断るわけにもいかず、せっかく楽しみにしていた「ボクの休日」が見事に消えて無くなった。
石見銀山の朝は、久しぶりの雪がハラリと舞い落ちていたから飯南高原は本格的な雪になっているだろうと、覚悟しながら通勤坊主で移動した。
確かに雪は降っていたが難なく銀くんを境内まで上げることが出来た。
用事はすぐに終わって、ついでに洗い物の家事を済ませてから、もみ屋さんへ予約の電話をしてみると「ハイ、その時間でしたら大丈夫ですよ。空いてます!」ということだったので、即予約した。昨年末から何度も予約してフラレてばかりだったから半日の予定が決まって気持ちが少し華やいだ。
雪の舞う国道を出雲へ向けて走らせていると、神戸川の支流から本流へ合流したあたりから道が乾いていた。車で1時間も移動していないのにここまで天候に差がある。不便な山里の冬に比べると雪のない日常は何かにつけて過ごしやすいことだろう・・・

「身体全体硬いですねぇ〜」
1時間の全身マッサージが終わって肩をモミながらそう言われた。「また、近い内に来てください。お待ちしてます!・・お水タップリ飲んでおいてくださいね!」
あれだけ身体が硬直していたら、もみほぐしはあまり日を空けないでしばらく集中して続けたほうが良いということだった。まぁ、営業もかなりタップリ入っているだろうが、それでも1時間ジックリ揉んでもらうだけで身体が少しは軽くなる。
支払いを済ませて外に出ると出雲の上空はすっかり晴れて良い天気だった。飯南高原の方角を見ると、厚い雲が中国山地の稜線を隠している。きっと万善寺は雪だろう・・・
島根県中央部をぐるっと一周して帰宅すると、ワイフは夜の会議で出かけるところだった。買い置きのパンと牛乳で簡単に夕食を済ませつつ、デスクトップをつついて1年前の写真を見ると、今日の万善寺とは全く様子が違っていた。
どう考えても今年は暖冬だ!

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dele 

2019/01/10
Thu. 23:53

このところ、自分でも呆れるほど不摂生をしている。
在家坊主の住職業のだいたい70%くらいを一人でこなしていると、万善寺のような極小規模の山寺業務でもけっこうヤルことがいっぱいあって、年末から年始にかけての集中した時期に鮮度をある程度保ちながら作務や寺務をこなすとなると、かなりの体力と精神力を消耗する。
加齢による体力の減退は、そのまま集中力や持続力の減退に連動する。そういうことを自覚しつつ、一方でヤラないですますわけにいかないから身体をダマシダマシ無理をする。その無理のしわ寄せがアチコチに蓄積されて慢性化する・・・
そういうコトが続いて、今は右の首筋から肩にかけての痛みが激しく、その影響もあってなのだろう指先がシビレて何をするにも感覚が鈍っている。またそれの影響なのか、気づかないままアカギレがヒドくなってしまう。最近は箸を持つにも指先のシビレとアカギレの相乗効果でモノがまともにつかめない。それでも、必要量の業務をこなさなければいけないから、ひと通りの仕事が終わるまでモタモタと且つ延々と効率の悪い時間を消費してしまう。それが悪循環になってきたことが自覚できたので、寺業務を一式まとめて吉田家へ帰った。
ワイフが近くにいてくれると、三度の食事が保証してもらえるだけでずいぶんと助かる。コーヒーやお茶も、「ほしいなぁ〜・・」と思ったらすでにちゃんとポットに用意できている。なにもない時は普通にアタリマエのことで気にしないことでも、こうして日常の家事負担が少しでも軽減できることを身をもって感じると、ワイフの存在の有り難さを痛感する。

今年は寺業務に加えて私の彫刻個展があって、それの中間広報を二個一で絡めることにしたものだから余計にヤルことが増えた。
いろいろと最善の策を考えながらそれぞれの仕事を組み立てていると、どうしても実動ギリギリまでアレコレと考えていることのほうが多くなってしまう。データベースに頼りながら日夜デスクトップと自前のプリンターをフル稼働させて2日目が過ぎた。
郵便局の営業時間ギリギリに発送物を持ち込んで寺務と個展事務を一区切り付けた。
今週中にはすべての発送業務を終わらせて週末には万善寺へ通勤坊主が再開する。保賀のとんど祭りが連休最終日にあるからそれの準備を兼ねた本堂の荘厳復元をする。いまのところ雪の影響が回避できているだけでもかなり気持ちが楽でいられる。

「dele」がHuluへ下りてきていた。放送中はリアルタイムでインターネット配信のテレビを観ていた。久しぶりに1週間が待ち遠しく感じたテレビドラマだった。クドクドとした説明とか、無駄なお笑いとか、そういう軽い要素を極力排除したドラマになっていて、それがよかった。プリンターがセッセと動いている間とか、発送業務の単純作業が連続しているときとかにデスクトップのモニターをテレビに切り替えて、deleを観返しした。
まだワイフと結婚する前、つかこうへい事務所の公演を高田馬場東芸劇場で観ていた。あの長台詞に飛び散るつばと汗にはつかこうへい独特の演劇世界があった。
演劇とは違うけど、deleにつくり手と役者と観客の間に漂う一体感のようなものを久しぶりに感じた気がする。ボク的には#3が良かったな・・・

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寂静 

2019/01/08
Tue. 23:31

最近は早起きに慣れてしまった。
ひどい時は、朝の・・というより、深夜の3時過ぎに目が覚めたりする。
昔は、いくら寝ても眠り足らないでいつまでも際限なくメシも食べないでシッコもしないで眠り続けていたこともシバシバあったのに・・・

今朝も、いつもどおり??・・3時過ぎに目覚めてそれから眠れなくなったから、即席のDIYで仕切った壁の向こうの台所へ移動してダイニングテーブルに寺務の仕事を広げた。
そして念のために6時45分でタイマーをセットした。

今から半年ぐらい前のことだっただろうか・・・いつも無口で自分の意志を多く語らないワイフが珍しく強硬に人間ドックの受診を迫ってきた。
改まった人間ドックはもう10年以上遠ざかっているから私の健康を心配してのことなのだが、年金暮らしも本格化して定期的な収入というとソレしか無いまでに精選された現状で私がある日バタリと逝ってしまったら、残された吉田家の維持管理がオオゴトになってしまうというある意味具体的でリアルな現実が彼女の目の前にチラツキ始めたのだろう。
そろそろ、抵抗も無駄だろうと思って「自分でないと出来ないことしかヤラないからね」と念押しをして受診することを承諾した。
2〜3日前からウンコを採取して、前夜は絶食で、人間ドックの決まりごとを遂行しつつ、一方で、1日の時間の消失分をなんとかしなければいけないこともあって、早朝の寺務仕事に至ったという次第。

7時に寺の駐車場へ下りる時は、参道に流れ下った雪解け水がバリバリに凍っていて、何度も滑って転びそうになった。銀くんも全身真っ白に霜をかぶって凍りついていたからしばらく暖気運転をして霜が溶けてから受診の病院へ向けて出発した。
1時間位走って指定時間の30分前に到着したら受付が1番だった。
待時間用に読みかけの文庫本とiPhoneとイヤホンを用意して暇つぶしの準備を整えた。
それから、午前中いっぱい使って通常の患者さんで溢れかえった院内をアチコチ移動しながらすべての検査を終わらせた。
最後に簡単なその日の検査の結果を問診して、急を要する治療の受診予約の手続きをしてすべてが終わったのはお昼を過ぎて1時近かった。
身長がこの10年間で4cm縮んでいた。じゅん君の背が伸びたふうに思っていたのだが自分の背が縮んでいただけのことだった。
胃カメラを飲む前に測った血圧がなかなか下がらなくて待ち時間のほうが長くなった。夜中の3時過ぎから起き出してウロウロした後、絶食で血圧の薬も飲まないで睡眠不足のまま1時間も車を運転したりしているわけだから仕方がない。
「あなた!十二指腸に潰瘍がありますよ!!ほっておいたら腸に穴が空きますよ!」ベテランの胃カメラ技師ドクターがイヤに大きな声で脅してきた。
問診の内科医ドクターは物静かな人だった。「腎機能が低下していて、これは良くないですね」と直ぐに受診予約を入れてくれた。猫の腎臓病は死病につながることが多いようだ。吉田家のクロも若干そのきらいがある。
ボクもそろそろ先がみえてきたなぁ〜・・・

カレンダー校正

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それぞれの正月 

2019/01/03
Thu. 23:14

正月3日は元日から続く年始の朝課法要最終になる。
この三ヶ日はだいたい1時間半から2時間をかけて本堂から庫裏の各所に安座される仏様方を巡って国家平安とか家内安全などの祈念をする。
先代住職は、まだ元気に身体が動く間、僧堂の修行時代から引き継いだ朝課システムを頑なに守り続けていたから、弟子の私もそれに習って鐘つきなど導師さまの侍者をしていたが、住職交代から後は少しずつ自分のペースに切り替えて今に至っている。
3日めの朝は、ワイフたちも石見銀山へ帰ってオヤジの一人暮らしが戻ったから、少しゆっくりと法要の準備をしたので、朝課が全て終わって大衣を脱いだ頃にはすっかり冬の夜が明けていた。

万善寺では昔から3日が保賀の集落の年始回りに決まっていた。
少年時代は住職のお供をして年始に歩き、やがて一人で年始回りをするようになり、結婚してからはワイフと回り、子供が出来て少し大きくなった頃からは子供たちと一緒に回り、その子供たちも自分の意志が固まり始めると長男から順番に一人ずつ減って、今はまた昔のように一人で集落をグルリと一周している。
最近は正月2日の年始参りされなかったお檀家さんへも早いうちに年始の品を持って回ることにしている。今年は青空の見えるうららかな日和になったので、保賀地内を回る流れで飯南高原をグルリと一廻りしておこうと決めた。
お昼前に寺を出発すれば、だいたい3時間ほどで終わるだろうと予定を立てて準備していたら電話が鳴った。
家族がいて賑やかだった頃は正月早々から長電話をしていたこともあったが、オヤジの一人暮らしが普通になった今では正月に電話が鳴ることも無くなって静かなものだ。
新年早々の電話はあまり良いことでないかも知れないとドキドキしながら出てみると、お檀家さんから1月に祥月命日のご先祖様にお経を読んでもらいたいと法事の依頼だった。仕事始めが普通に諸官庁へ準ずるようになって、いつまでも正月気分でノンビリとしていられなくなった昨今、そのお檀家さんもお休みをとれるのは今しかないし、ちょうど雪も降らなくて良い天気だし「万善寺さんのご都合が許されるようでしたらと急に思いつきまして・・簡単なことで構いませんから今日お経を読んでいただくと助かるんですが・・・」
自分の都合ばかりで申し訳無さそうな口ぶりだったので「ちょうど年始回りをするので、そのついでで良ければ・・・」ということになって、急きょ正月3日の法事が決まった。

急なことで塔婆も用意できないままの略式法事になったが、それでも喜んでもらえて帰りにはおせち料理のおすそ分けも頂いた。ワイフ手造りおせちとあわせて、たまの吟醸酒一杯で豪華な夕食になって、ひと心地してからSNSをチェックしたら、3姉妹が東京のおばあちゃん家へ集合してくれていて、久しぶりに孫たちに囲まれて嬉しそうだった。いつもは一人暮らしのおばあちゃん手造りのおせち料理はビックリするほど大量で豪華だ。たぶん、それぞれの孫たちへ少しずつ持ち帰らせるための気遣いもあるのだろう。
寺の正月は一般在家の団らんとは縁遠いところで過ぎていくが、一般社会でも正月営業で働く人々も限りない。
平成元号最後の万善寺の正月三ヶ日は珍しいほど穏やかに過ぎた。

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年越し準備 

2018/12/27
Thu. 11:18

じゅん君には高校時代からの仲のいい同級生が数人いて、帰省すると連日飽きもせず誰かと何処かで逢っているようだ。
みんな、それなりにヤンチャな連中で何かと騒ぎのネタをふりまいていたこともあって、そういう類友の結束力が今に至っているのだろう。
オヤジの私の方は濃厚な友人付き合いから縁遠くて、どちらかというと鬱陶しかったり面倒だったりする方へシフトしているようなところがあるから、じゅん君の行動はどうもよくわからないところがある。それでも、生涯を通して気の許せる友人がいるということは良いことであるとは思う。

煙突掃除が終わってから大田市の蕎麦屋さんで昼食にした。
その蕎麦屋は、じゅん君が仲良くしている友達がお母さんと二人で営業している。
彼は、出雲蕎麦の老舗で数年間ほど本格的な修行をした。1日の営業分だけそば打ちをして、それが無くなると店じまいになる。変則四つ角にある店で駐車場も無いからなかなか気楽に入りにくいところもあるが、一度味を占めるとその上品な旨さのとりこになる。
その店での私は、だいたい釜揚げそばとざるそばを食べて、最後にそばがきを注文する。
ワイフやじゅん君はその時々で違うが、今回は山かけそばの温かいのを頼んでいた。

それほど寒い1日でもなかったが、煙突がきれいになったこともあって、じゅん君がガンガンストーブを焚いた。ひと頃は部屋中が熱くなって半袖で十分なほどになった。
デスクトップや周辺機器を2階へ移動したから夕食後は自室で過ごすことが増えた。住所録を整理していたら富山町のKさんから電話が入った。11月のイベントが終わってすぐにお願いしていたことがあって、その状況結果の連絡だった。それで、翌日1日の行動予定が決まった。

「ねぇ、久しぶりに温泉行かない?」
そばを食べた帰りにワイフが誘ってきた。確かにもう2年は遠ざかっている気がする。夫婦して温泉は好きな方なのだが、とにかく最近なかなかそういう時間がとれなかった。せっかくワイフがその気になってくれたことだし、自分の都合だけで断るのもどうかと思うし、富山の方は何とか工夫できるだろうとワイフの誘いに乗った。
温泉が久しぶりだったからだろうか、どこかしら湯当たりしたように全身がだるくて身体が思うように動かなくて苦労したが、それでも午後から寺へ移動して本堂の荘厳を正月仕様に整え、萬善寺の要所へしめ縄を飾って床の間の軸を替えて正月準備をした。あとは年末ギリギリに鏡餅をお供えしたり来年1年有効の御札を手刷りすれば年末のおおよその萬善寺寺務が終わる。
夕方近くになって給油へ回って、それから富山へ移動した。ちょうど帰宅ラッシュにぶつかってしまって、富山へ着いた時は夜になってしまった。Kさんがらみの用事を済ませて帰宅したら、じゅん君は例の仲の良い連中とささやかな忘年会で出かけていた。
「今夜は湯豆腐ね♡!」
それを聞くと飲まずにはいられない・・・蔵出しの純米酒をコップ1杯ほど冷で頂いた。昆布としいたけの出汁がきいた湯豆腐は久しぶりに絶品だった。

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クリスマスの煙突掃除 

2018/12/26
Wed. 23:09

吉田家にサンタさんが来てくれなくなって2年目になるかなぁ〜・・・
どうして来なくなったかいろいろ考えてみた結果、一つほど思い当たるフシがあった。
「そうか!そういえばストーブシーズンに入ってから煙突掃除してないなぁ〜」
そういうわけで、クリスマスは朝から煙突掃除をすることになった。
今年はじゅん君も手伝ってくれることになったので、ジックリと徹底的に掃除ができる。

改築してから20年は過ぎたトタン屋根は煙突からの煤煙をかぶってかなり錆びてきた。
屋根に上るたびに手の届く範囲は使いかけのラッカースプレーを吹き付けて応急処置を繰り返しているが、それもそろそろ限界に近い。
彫刻の制作資金で500円貯金を続けているものを、これから1年分は二手に分けてトタン屋根の修繕費に当てようと、屋根の上で決めた。加えて、今のうちにストーブを更新することも決めた。
自分の体力を考えるとこれから先10年もつかどうか微妙だし、それだけ生きていられるかどうか怪しいものだ。そろそろ後々のことをホンキで考えて周辺の環境を見渡して身辺整理をはじめたほうが良さそうだ・・・

屋根から裏庭の庭木越しにチラチラと田んぼの彫刻が見え隠れしている。
当初の計画だと、11月の終わりに設置した後、12月早々には雪が降って彫刻の雪景色を撮影したものを第2段の展覧会お知らせとして発送する予定だった。それが、待てど暮らせど気温が下がる気配もなく、チョット天気が悪くなるとシトシトと梅雨のような雨がしばらく降る程度で、北風が吹くこともなく気がつけば雲が切れて青空が覗いている。
ずいぶん昔にこんな感じの12月があったような気がする。年内に雪が降らなかったこともあったような気がする。そういうシーズンは年が明けて3月になってもまだ時々雪が降ったり、ひどい時は4月の入学式に桜吹雪きどころか雪が降り積もったこともあった。今年も、なんとなくそういう状況に似ている。

吉田家の薪ストーブは増築箇所の壁に穴を開けて縦横のステンレス煙突をクランク状に曲げて外へ出している。煙の匕ッパリ具合を調整するには、縦の煙突を横の3倍位に伸ばしておくと横煙突へ灰が溜まりにくくて都合がいい。燃料になる薪の種類によるが、ここ数年焚き続けている間伐の杉材はタールが多いから煙突内部にこびりついて煙道の表面積が増えてそれに灰が絡みついてくる。煙道で巻き上がった火の粉を含んだ灰が着火剤になってタールに火が着くことがあって、それが火災の元になる。まだ萬善寺の風呂を薪で沸かしていた頃、煙突の煙道が細くなってバックファイアーをおこしたことを見たことがある。つい数週間前にはお檀家さんが1軒お風呂が火元で全焼された。
薪ストーブは一時期新築住宅の流行になったことがある。銀山街道沿いにも数軒ほど煙突のある家を見かけるが、年中薪のストックが積み上げられてシーズンを通して煙突から煙が上っているところはなかなか少ない。
「あなたがいなくなったら薪ストーブも終わりね。ワタシじゃ薪つくり無理だから・・」
吉田家もワイフが思い出したように時々そう言ってくる。
それにしてもクリスマス当日に煙突掃除をしたのは、はじめてのことだ・・・

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イブの朝 

2018/12/25
Tue. 22:46

仏教の坊主としてはクリスマスだから特になにかすることもないし、いつもと変わらない1日が始まって終わる。
独り立ちしてそれぞれの生活を始めた4人の子供達がいなくなってからイブの夜に家族が集って豪華なワイフの手づくり料理を堪能することもなくなって静かなものだ。それでも今年は珍しくじゅん君が帰省しているから夕食も少し豪華になった。

イブの朝・・かなり激しい雨音で目が醒めた。
朝といってもまだ真夜中に近い頃から続く雨の音が気になって眠れなくなった。
確か金曜日から4回目のリバイバルでガガが主演した「スター誕生」が封切りされたはずだ。
お檀家さんのお仏壇一式とお位牌さんの開眼仏事を終わって、やっと一息ついた。
吉田家のメンテナンス一式や万善寺の年末年始のこともあるから、のんびりと映画を見る余裕があるわけでもないが、何かしら気持ちの区切りを用意しておくのも大事なことだし、年内の仕事が落ち着いたワイフを「映画に誘って見よう・・」と、眠れないまま決めた。
私にとっての「スター誕生」は、なんといってもバーバラ・ストライサンドに尽きる。良くも悪くも彼女の歌唱力がすごかったことを覚えている。クリス・クリストファーソンのカントリー・ロックミュージシャンも俗っぽくて映画のストーリーによくあっていたと思う。それにしても、バーバラ・ストライサンドは声もきれいだし歌が上手いことに感心した。あれはきっとあの鼻の大きさと密接に関係があるはずだとあの当時は本気でそう思っていた。確か彼女の歌はグラミーかアカデミーでなにかの賞をとっていたと思うが、よく覚えていない。映画が終わる頃には鼻の大きさが気にならなくなっていたから不思議だ。

最新作のスター誕生は、レディ・ガガ主演で前評判も良さそうだし封切り間もないし「結構混んでいるかも・・」と、気になって朝一番の上映時間をチェックして出かけた。チケットの自動券売機前にはそれなりの人だかりができていた。少し並んで発券の操作をしたら、吉田夫婦が「スター誕生」チケット購入第1番と2番だった。あれだけの人だかりは「いったいなんなのだ!」と、状況の判断に苦しんだが、ハリー・ポッター系列の映画に人気が集まっているということにすぐあとで気づいた。吉田家の二人は世間の嗜好と少しばかりズレを生じていたようだ。
それで、最新版スター誕生は、ガガのアリーがびっくりするほど自然で良かった。歌も歌声もバーバラ・ストライサンドとはまた違って新鮮で素敵で良かった。ブラッドリー・クーパーのつぶれた喉から縛りだすようなザラッとした低音にシビレた。ストーリーの方は・・・あまり喋りすぎるとマズイかな??・・とにかく、なかなか今風でよかった。ハリウッドの常道で既成の概念から逸脱しないシンプルなストーリー展開が、安心して楽しめるエンターテイメントに仕上がっていた。
映画が終わって、お昼前にロビーへ出ると入場を待つ人だかりがすごいことになっていた。初回上映のチョイスは「大成功!」だったと思うが、吉田夫婦の他に年配の男性が2人と、若い女性の二人連れと、都合6人でほぼ貸切状態!・・・って、どうだかなぁ〜?
ちょっとずれた映画好きにとっては田舎のT-JOYシネマもなかなかいいですなぁ〜

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デスクトップフル稼働 

2018/12/22
Sat. 08:06

Cloudへ移動しておいた書きかけのBlog原稿を引き出してチェックしてみると、2〜3行で終わったり半分ほどで終わっていたりする中途半端なページが大量に貯まっていた。
ラップトップの有り難さをあらためて噛み締めている・・・
過ぎたことは仕方がないから、半分ほどは諦めが着いているものの「まだなんとかなるかも知れない・・」と、少し時間の余裕ができてからささやかな望みをAppleの修理へ託してみようと思っているところだ。

松永さんが徳島から吉田の個展と彫刻小品展の会場視察を兼ねて石見銀山へ来てくれたのは今から1週間前のこと。
2泊3日ほど島根県で滞在してくれたのだが、萬善寺の用事で3日めの見送りが出来ないまま中途半端に別れた後、年末の駆け込み法事が続いて彫刻制作どころではなくなった。
連日通勤坊主をして寺の用事を片付けて庫裏玄関へ帰ってみるとポストにゆうパックの不在連絡票がこれもまた連日のように投げ込んである。
田舎の山寺は昔ながらに施主家での法事が主流だから、朝のうちから寺を留守にして帰宅するのはだいたいお昼を過ぎて2時か3時位になる。玄関先で改良衣のまますぐに折り返しの電話をかけると聞き覚えのある宅配担当さんの声が返ってくる。二度手間が申し訳ないとも思うが、仕事の約束事を丁寧に守り続けることも事業の信用を保つ大事なことだから、自分勝手な仏心の対案でむやみに担当さんの業務へ踏み込まないようにしている。

夕方になって再配達が届くまで数時間の間が空くから、その間に積み残しの過去ブログをアレコレ記憶の糸を類って思い出しながらまとめることにしたものの、寺に居れば居たで何かと寺の用事が目について気になったりして、ツイツイそちらを優先してしまう。
これといって改めて記録に残しておくほどのたいした出来事が続くわけでもないのだが、それでも毎日何かしら少し違ったその日だけの出来事が過ぎていく。やはり何かしら1日の出来事を再確認して自堕落な自分の戒めにしておくことも必要なことだと改めて思う。

「年内にお位牌さんをなんとかしたいと思っとりますんですが・・・」
今年は、本格的な雪になっていないせいか、12月に入ってから今までにないほど急な仏事依頼がいろいろと舞い込んでくる。お檀家さんも年々1歳ずつ歳を重ねて高齢化が進んで、そうなると一つ一つの思いつきに余裕が無くなるふうになるのかもしれない。それほど差し迫ったことでもないだろうという気もするが、それはそれ、私が勝手にそう思ってしまっているだけのことなので、とにかく自分の都合を飲み込んでお檀家さんのその時の気持ちを最優先でお付き合いをさせていただいている。まぁ、萬善寺の場合はそういうことが普通にできる程度の檀家数だからネ・・・
「チョット急な書き物が出来たから今夜はお寺で泊まります・・」
ワイフにそう伝えてから硯を出して墨を摺り始めた。そのお位牌さんは箱位牌とか繰り出し位牌とか俗にそう云う。
ついでというわけでもないが、萬善寺カレンダーの制作に入った。もう何年も前から続けていてデータベースが残っているから楽にできる。こういう時はデスクトップがフル稼働する。そのまたついでに、積み残しのBlogも少しだけ記事が埋まった。

カレンダー1月

更新追記:11/10「土曜日の朝」
徳島の野外彫刻を撤収するはずだったんだけど、周藤さんが代行してくれました・・・感謝!

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ブログ停滞事情 

2018/12/21
Fri. 19:03

かれこれ1ヶ月は前のこと・・・ボクのラップトップがついにクラッシュしたのです!

数年前に「もうダメかもしれない・・」と諦めかけたことがあった。
その時はシステムを入れ替えたり、いらないデータを大量に削除したりして何とか普通に動くようになったものの、前のようにサクサクとストレス無くデスクワークが出来るまでには回復しないまま、ダマシダマシ使っていたところだった。
はじめの頃は「前はもっとらくにうごいていたのになぁ〜・・」とモタッとした動きが気になってしょうがなかったのに、そのうちそれが普通になって「こんなもんだろう・・」と思うようになって、知らない間にそういうラップトップへ慣れてしまっていた。
工場へ出かける時も、通勤坊主の時も、彫刻を銀くんへ積んで徳島へ行った時も、とにかく旅のお供にいつも一緒に持ち歩いていた。
充電ケーブルの接触に不具合があったり、ガサツに使いまわしてアチコチぶつけてボコボコになっても、健気に動き続けていたからラップトップがいつも手元にあることが当たり前になっていた。
このBlogも、工場の仕事の集中が切れると日本海へ出かけて海を見ながらプチプチとキーボードを打っていたし、寺の一人暮らしもゴロリと横になってメタボ腹の上に乗せて気楽にプチプチやったりして、まぁ、チョット気になることがあったり少しヒマが出来たりすると、いつも気軽に使い倒していた。

結局は、何かと便利に使い勝手が良かったということだろう。
動かなくなってしまってからとにかくBlogの更新が停滞する。
1日の用事が終わって夕ご飯を終わって、とりあえずは「さて、そろそろキーボードでもつつくか・・・」という気になるものの、デスクトップを起動することがなかなか出来ないまま、結局睡魔の方が優先してしまう。
早朝に目覚めても布団の中でゴロゴロしている間に「わざわざBlogのためにデスクトップを起動するのも面倒臭いなぁ〜・・・」ということになる。
寺の寺務や展覧会の事務や各種書類作成や広報関連の印刷原稿の作成など、少しストレスのある重たい仕事はやはりデスクトップの方が仕事もしやすいし、集中できて作業もはかどる。
撮りためた写真データの整理や、好きな音楽のアルバム作成や、手紙や宛名のデータベースやSNSの確認のような軽い用事のほとんどをラップトップでまかなっていたから、それが全部デスクトップへ回ってくることになった。

はっきりいって、ラップトップの存在を甘く見ていた・・・
日常の暮らしのスケジュールを見直さなければ、今までと同じようなわけにはいかなくなった。毎日の出来事にそれほどのドラマがあるわけでもないし、雨が降ったとか暑かったとかそれで仕事のスケジュールが狂うわけでもないし、簡単な覚書程度のメモを残しておけばそれでBlogを代用することにもなるのだろうが、なんとなくそれだけでは味気ない気もしている。
そんなわけで、現在物理的諸事情によりBlogの停滞が続いています。あしからず・・・

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血と煙 

2018/12/08
Sat. 04:08

行きつけの開業医は土曜日でも午前中だけ診察してくれるので、朝早くに自宅を出て工場へ行く前にそちらへ回った。

その病院の待合室にはF6からF10程度の風景画やブロンズの小品彫刻が数点飾ってある。ドクターの趣味なのか薬剤師の奥さんの趣味なのか、もしくは税金対策なのかよくわからないが、総合病院によくある統一感のない寄贈品ばかりの展示とか、病院職員や関係者の趣味の作品展示よりはずっと上品で好感が持てる。
吉田家は上の子供がまだ幼稚園くらいだった小さい頃から家族全員でそのドクターの世話になっていて心安くさせてもらっている。確か娘さんがじゅん君と同じ高校で吹奏楽部の先輩後輩の関係だったと思う。看護師さんも吉田家のなっちゃんと同級生の子供がいるはずで、まぁ、狭い街のことだからなんずかんずいろいろ手繰ると普通に何処かで誰かと繋がりが出来てくる。

ボクは、もう何年も前から歩く成人病状態で数種類の薬が手放せない。ソコソコ几帳面に飲み続けてはいるのだが、目に見えて症状が改善するわけでもないし、薬の効果がどの程度なのか判断に苦しむところだが、かと言ってドクターはそれで特に深刻な様子でもないし、結局慢性の持病だと思って死ぬまで付き合うしかないことなのだろうと、今のところ自分で勝手にそう思い込んでいる。急激な体調の変化とか、診察中のドクターの顔色が一瞬曇ったとか、そうなった時はそれなりに病状の悪化を覚悟しよう。

病院が終わったらそのまま工場へ行くつもりで、つなぎなどの作業着一式を用意しておいた。さすがに鉄の埃にまみれた作業着のまま診察を受けることは出来ない。
血液検査の結果があまり良くなくてちょっと気持ちが重たい。
前日に途中で終わっていた彫刻の溶接を続けてカタチが少しずつ見えて、いつのまにか彫刻の方へ気持ちが入り込んで血液検査のことを忘れかけていたところへ、うっかり鉄板の切れ端にグローブを引っ掛けてそのあたりの手の甲に血がにじんできた。傷というほど大したものでもなかったが、ペロリとなめてもしばらく血が止まらなかった。
「これは血液の凝固を和らげる薬ですからね」・・・以前、ドクターがそのような説明をしていた。「そうか!たぶん、高血圧の薬のせいかも知れない・・・」血は鉄の味がした。血の出た傷よりまだ新しいグローブが破れたほうがショックだった。

気を取り直して溶接をしてグラインダーを使っていたら、今度は何かしら焦げ臭い匂いが漂ってくる。近くに燃えるものは無いはずなのにとにかく焦げ臭い。そのうち溶接の紫外線光に照らされて何処かから立ち上る煙が見えてきた。煙がいやに近い!
グラインダーのスイッチを切ってあたりを見回したら、なんと!ボクのつなぎの腹のあたりから煙が立ち上り、左腕の袖口にはチロチロと小さく燻る火が見えた。
焦ってグローブでバタバタと火を消したが、暫くの間ボロ布が燻る匂いと煙が工場に漂っていた。
つなぎの作業着は母親が元気だった頃ボロ布を当てて手縫いしてくれた。少なくても5年以上は前のことだ。さすがに、もう廃棄するしか無い。母親の痕跡がまた一つ消滅する。

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吉田家の夕食 

2018/12/05
Wed. 04:54

中学校を卒業するまで生まれ育った地元で暮らしていた。
萬善寺から約2kmほど歩いて小学校へ通い、中学校の3年間はその道を父親からお下がりの自転車で通っていた。
学校のあった小さな町にはなんでもあった。
映画館を兼ねた劇場は、1ヶ月に2回位上映替えがあってだいたい2本立てだったが、行楽シーズンとかお盆とかの節目には3本立て上映をしたりして賑わっていた。
大人の娯楽はパチンコ屋があったし、旅館は2軒並んでいて2階の大部屋からは週末になると宴会のザワメキが町並みに降り落ちていた。
内科と小児科を兼ねた開業医があって、その前には薬局と歯医者さんがあった。
町並みのほぼ中央にバス停と小荷物の引き渡し所があって、その隣は郵便局だった。
パーマ屋さんが町の川上にあって、町の川下の端に床屋さんがあった。
恵比寿神社の前には本屋とおもちゃ屋を兼ねた文房具店があって、その隣は電気屋さんだった。
学校へ入る四つ角には、酒屋さんとお菓子屋さんと呉服屋さんと自転車屋さんがあった。
その自転車屋さんは、それからしばらくしてスバルの自動車代理店になって、川下の床屋さんの前にある自転車屋さんはスズキの代理店になってそれぞれバイクや自動車を販売修理するようになった。
学校へ登る坂下の広場を囲むように、森林組合の事務所と農協と農協スーパーと銀行と役場があった。
新聞屋さんの隣にあるタバコ屋さんには通りに面して広い土間があって、簡単な軽食も出していた。梅雨が終わって暑くなり始めるとかき氷の旗が軒先にぶら下がった。
そのタバコ屋さんの前が雑貨屋さんで食器からザル・カゴ・ホウキ・スコップと、日常の生活雑器は何でも揃っていた。
毎日通学する先にあるその町は少年の私にとって大都会だった。

萬善寺の日常生活は、その町にある酒屋さんや雑貨屋さんの配達が頼りになっていた。
盆正月のお参りは、今では想像できないほどの大賑わいで、法要後の御斎には田の字の庫裏の襖障子をすべて取り外して大部屋になったところへ80人位のお檀家さんがひしめいていた。それだけの人数を賄うための大小の茶碗汁椀湯呑取り皿徳利猪口などなどの食器類は膨大な量で、それらすべてを寺の備品什器として雑貨屋さんから一括取寄せていて、割れたり欠けたりした物の補充更新が毎年のように繰り返されていた。
家族だけの食事には、その更新されて廃棄されるべき器がしぶとく使いまわされていて、子供ながらに、実に味気なくみすぼらしいものに感じていた。せっかくの母親の手料理も欠けた瀬戸物で飲み食いしていては美味しくもなんともない。

内村萩焼作陶工房で仕入れた器が早速吉田家の夕食に登場した。
器の殆どはとみ山フィールドアートワークで教室個展にあった器で、私が目をつけていたもの。それに、ワイフが欲しがったお皿も添えて一括購入した。
食材は、萩からの帰りに寄った数カ所の道の駅でゲットした地物ばかり。
ワイフの手料理がひときわ美味い!・・・

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経費削減 

2018/11/08
Thu. 23:11

集会とか会議とか研修会とか総会とか、とにかく決められた日の決められた時間に決められた場所へ関係者が集まってみんなでナニカ一つ事をするとかいうことが昔から嫌で嫌でしょうがなかった。
「あの人は協調性に欠けてるよね・・」なんてレベルではなく、本当に自分は「協調性の無い人間だ!」とつくづくそう思う。
それでも、昔の学校に通っていた小さい頃とか若い頃はグッと我慢してその場の流れに身を委ねて粛々と乗り切ってしのいでいたが、もう社会の現役を殆ど引退したような自由気ままな暮らしに慣れてしまうと、どうしてもワガママの方が勝ってしまって協調性のことなどどうでもよくなってしまう。

現在の定職というと、萬善寺の住職と彫刻家である。
どちらの仕事も、実に不安定で明日の暮らしが全く予測できないままの毎日を1日1日積み重ねて生活している。
経済的には決して満たされているわけでは無いが、だから不幸だとは全く思わない。
どちらかといえば、マイペースにわがまま放題の毎日を過ごさせてもらって幸せなことだと思っている。
11月に入ってから法事の依頼が二つ三つ入ってきた。
先月までは六本木だとか徳島だとか、彫刻のことで散財が続いて蓄えが底をついていたところだったから、この法事のおかげで生活の家計が少しほど楽になる。
さすがに、ありがたく頂いたお布施をそのまま彫刻の材料代へ横流しするようなマネはしないが、生きるための食い扶持に当てることは坊主の権利として妥当な支出に該当するから、まずは仏様へお供えをして、それからそれをお下がりとして生活の糧に代えさせていただいている。

個展の彫刻制作が本格化して工場通いの毎日だったが、保賀の集落を含む広域の集会へ出席することとお檀家さんが年回法事で萬善寺の本堂へお参りされることが連続したので、工場の仕事を少し早めに切り上げて作業着のまま萬善寺へ直行した。
集会は夜の7時から始まったが、議題内容は直接保賀の集落とは関係のないことだったので、最初の担当からの説明が終わったところで退席した。
夕食がまだだったので冷凍庫で眠っている正月の餅をレンジで解凍してオーブンで焼いて食べた。
法事のお参りはご夫婦2人だけだと聞いていたので、2人分のお菓子とかお茶を準備して、それから塔婆を書いた。
寝る前にお風呂で頭にバリカンを当て、ジレットで髭をそってシャワーを浴びた。ついでに作業着のつなぎも洗濯した。寺の風呂と洗濯機を使うのは久しぶりのことだ。
今年の正月は極寒で風呂のカランが破裂して一晩中水とガスが垂れ流し状態だったから、その時の光熱水費が寺の家計をかなり圧迫した。それもあって、今年は出来るだけ石見銀山の自宅で過ごす時間を増やすようにしてきた。
萬善寺が無住であれば光熱水費の支出が抑えられる。
富山町の廃校になった小学校の維持管理と似たようなことだ。

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藤井保トークショー 

2018/11/04
Sun. 23:36

とみ山フィールドアートワークのスピンオフ企画で写真カメラマンの藤井保さんトークショーを企画した。
経緯はちょっとややこしいから割愛するとして、ちょうど石見銀山で彼の写真展が開催中で、その最終日に併せて彼も石見銀山にいるというから「それじゃぁせっかくだから何か話してくれませんか?」とお願いしたら快諾を得た。

藤井さんは大田市の出身だから石見銀山とも縁がある。
すでに彼の生家は無くなっていて、帰省しても帰る場所がないからとりあえず石見銀山の知合いを頼って定宿を確保している。彼は年に何回か取材も兼ねて帰省するときはだいたいそういうふうな感じで数日間を島根県で過ごす。
その滞在中の数日間がちょうど富山町での美術イベントと重なったので、最初は富山の方へ来てもらって廃校になった小学校の教室をひとつ使って写真のスライドを上映しながらお話をしてもらうと良いと思っていたのだが、せっかく石見銀山で個展の期間中だから、どうせなら展示会場で作品の写真を見ながらお話してもらったほうがリアルで良いかも知れないと、計画を変更した。
それで、少しずつ具体的なスケジュールが決まって、藤井さんの会場変更承諾もとりつけて、あとは集客を目指して各方面へ告知の準備を進めた。
その過程で、たまたま高校生たちの美術活動で出かけている学校の先生へ藤井さんの話をしたら、ちょうどその日は学校全校生徒が石見銀山へ研修遠足をするから「ぜひトークショーに参加したい」と話が一気に盛り上がった。
学校の方では、当日のスケジュールを決め始めたところでまだ中身は流動的だった。
それから何回か担当の先生と打ち合わせをして内容が具体的になっていくと、総勢約60人くらい集まることになって、急きょそれだけの人数を収容できる会場を手配することになった。
私の方は、富山の展覧会会場で受付の用事もあって石見銀山の会場準備までは付き合えないから、藤井さんの写真展を企画した主催の方へそれをお願いしておいた。

トークショーは30分程度の短いものだったが、とても内容が深くて創造性の豊かな味わい深いお話だった。高校生たちからもたくさん質問が出たりして大いに盛り上がった!・・・と私は感じた。予定の時間をかなりオーバーして、最後はみんなで記念撮影をして解散となった。とみやまの会場はワイフや教室個展の作家へ受付代行をお願いしておいた。トークショーが終わってから、心配で電話をしてみると、特に大きな問題もないとのことだった。何人か知り合いもとみやまへ来てくれたと報告があった。

とみ山フィールドアートワークは、昨年までワークショップを3年間続けていた。
講師の手配がなかなか大仕事になって、自分としては少々オーバーワークで息切れをしていたところだったので、今年はアッサリとワークショップをやめることにした。そのかわりのトークショーだったのだが、結局こちらのスピンオフ企画もなかなかハードなスケジュールになった。まぁ、終わりよければ・・・ってやつで、それは「それで良かった!」ということにしよう・・

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新宿の朝 

2018/10/29
Mon. 23:33

搬出作業があって上京した。
さすがに、高速バスは少々疲れる。
島根県の石見銀山から新宿までは約900kmで、高速バスでの移動だとだいたい13時間ほどかかる。新幹線を使った列車移動でも点から点までで10時間くらいになるから、映画を1本見るか見ないか程度の時間差にしかならない。飛行機だと1時間前には搭乗口前に着いていることになるし、着陸してもそこから目的地までの移動時間がが結構かかる。出雲空港からは羽田までの点から点は約1時間半ほどで着くが、それに最低3時間は移動時間がプラスしてしまうから、食事をしたりしているとだいたい5〜6時間かかって目的地へ到着となる。昔は、俗に云うブルートレイン特急夜行寝台列車の出雲号というのがあって、これが一番楽で時間のムダもなくてとても都合が良かったのだが、もう何十年も前に廃止になった。特別対策として自分で車を運転する手段もあるが、これだけは出来るだけ避けたい。燃料代や高速料金も馬鹿にならないし、それに何より自分の体力が極度に奪われる。
アレコレ色々工夫しても、島根と東京の時間地図はそれほど大きく変わることがないから、結局今の自分にとっては高速バスが分相応の選択肢に落ち着く。

新宿バスタへは、ほぼ予定通りに到着した。
前回は途中の道路事情で1時間以上遅延して、その後の予定が大きく崩れて苦労したが、今回はそれもなくて助かった。
事前にキーポンと新宿で待ち合わせの約束をしていたから、念の為電話をした。「おはよお〜〜・・」の声が、完全に寝ている。
「ハナレイ・ベイ始まるの9時過ぎだからね!遅刻しないでよ!」
「はぁ〜〜〜い・・・」
声の様子がどうも心配ではある・・・ちゃんと起きてくれるだろうか?
それから、南口の甲州街道沿いにあるマクドナルドでコーヒーを飲みながら時間を調整して新宿ピカデリーへ移動した。新しくなった新宿ピカデリーはこれで2回目になる。
グレーティストショーマンを見た最初の時は、とにかく迷った。
あのときもキーポンと現地集合で待ち合わせしていたのだが、目的の新宿ピカデリーをどうしても見つけることが出来なくてウロウロしている間に上映時間は迫るしキーポンもギリギリまでこない。確か、紀伊国屋の裏から靖国通りの間の何処かに劇場があったはずなのだがそのあたりを何度行き来しても映画館らしき入り口が無い。もう誰かに聞くしか無いと思って、とにかく近くのエスカレーターに乗ったら、着いた先がそのままピカデリーのロビーホールになっていて自動のチケット販売機がズラリと並んでいた。
変われば変わるモノだ。学生時代のあのピカデリーの面影は皆無だった。
一度とことん迷うと、あとはキッチリ覚えてしまうから、今回は難なく時間に余裕を持ってロビーホールに着いた。キーポンの方は、案の定時間ギリギリに到着して、急いでチケットを買った。すでに予告が始まっていた。
それで、「ハナレイ・ベイ」だが、ボクとしてはなかなかコンパクトにまとまった良い映画だと思った。
「出てる人少な!」・・・それがキーポンの感想だった。

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いい汗かいた 

2018/10/26
Fri. 23:02

大田市富山町で開催していた「とみ山彫刻フィールドアートワーク」が、3年過ぎて助成金の対象外になった。
3年間連続して助成してやったんだから「あとは自力でなんとかしろ!」ということだ。
適当な金蔓もなくて年中金欠症候群が持病のような吉田としては、この際キッパリと島根県での彫刻振興から手を引こうという選択肢が無いわけでもないが、今の処、1年を均せばメシが食えなくてひもじい思いをしたこともないし、麦とホップも常飲できているから、もうしばらくは自力運営を続けてみるのもいいだろうという気になっている。
それで、気持ちの方は前向きにやる気満々でいるのだが、今年は春先から体調が思わしくなくて身体が思うように動かない毎日が続いていて、それでも、すでに決まっている会期は待ってくれないから、奥出雲の小品彫刻を搬出するタイミングで富山町の会場へ搬入するという二度一を兼ねて2tアルミをレンタルした。

奥出雲の会場は、階段も少なくて台車がそれなりに使えるから比較的楽な展覧会作業になるが、富山町はそういうわけにいかない。
元々の小学校が廃校になって倉庫代わりに使われていたところを借りてはじめた展覧会だから、展示会場はすべて2階の昔教室だったところを使うことになる。
今回はその教室まで約40点の彫刻と展示台を人力で持ち上げることになって、その作業がとにかく体調不良のボクには辛い。
それでも、1日をタップリゆっくり使ってコツコツと同じことを繰り返していれば、そのうち全ての彫刻も全ての展示台も2階へ持ち上げることが出来ることは解っているから、無理のないように「ノンビリと彫刻移動すればいいや・・」と腹をくくっていたところへ「ワタシ、あの日だったら何とかなるので手伝いますよ!」と、ノリちゃんが云ってくれた。彼女も自分の用事が忙しくて決して暇なわけでもないのだが、吉田の現状を風の便りに聞き取ったのかどうか??見るに見かねて手伝ってくれることになった。

そんな訳で、朝早くに国道沿いのコンビニ駐車場で待ち合わせて奥出雲へ向かった。
彫刻や展示台の積み込みはアッという間に終わって、午前中には富山町の旧富山小学校へ到着した。お昼ご飯をどうするか少し迷ったが、ノリちゃんもそれほど腹が減ってないというし「それじゃぁ、一気に搬入作業を済ませてしまおう!」と、ノリちゃんが階段を往復したのがだいたい100回くらい。膝を痛めている私はだいたいその半分くらいで勘弁してもらって、おおよそ3時間のうちに全ての搬入作業が終了した。
これから日を改めて様子を見ながら彫刻の梱包を解いたり展示台を配置したりすることになる。それも、吉田の様子を見かねたノリちゃんが結構手伝ってくれた。
自分としては、色々と面倒なことや窮屈な付き合いがいっぱいあっても、こうして彫刻のことで汗を流していると、その間はソコソコすべて忘れて気楽でいられるからありがたくもある。

島根県の中央部から東へ向けて、1日ぐるりと一周していい汗をかいた。
ノッチの方は1週間のNY暮らしを堪能していた。毎度のことながら、彼女のスケールは想像できないくらいデカイ。土産話を楽しみにしておこう・・・

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吉田正純野外彫刻巡り 

2018/10/23
Tue. 23:26

1日目は石見銀山から、銀山街道を南下しながら私の野外彫刻を紹介して萬善寺へ向かい、2日目は工場で鉄の溶接や溶断をして簡単な造形制作をすることにしようと思う。

夕食ではじめて逢ったケイティは、一見、明るくて気さくなおねえさんに見えた。それに、ずいぶん旅慣れているようにも感じた。
よく飲みよく食べて、少し早めに帰宅した。

朝は、吉田家前の駐車場で待ち合わせをして、それから銀山街道へ出た。
コーディネーターのOさんは、ケイティへの気疲れか?・・チョット元気がないように見えた。
石見銀山から飯南高原で出雲街道で合流するまでは、だいたい30分かかる。
途中に温泉があって、その近くに鴨山窯がある。
「鴨山」と書いて「おうざん」と読む。
鴨山の由来は、万葉の歌人、柿本人麻呂からくる。歌人で精神学博士であった斎藤茂吉が研究の結果、柿本人麻呂終焉の地が、銀山街道沿いにある湯抱温泉の鴨山であったと研究成果を残したことによる。
鴨山窯の森山さんは、その湯抱温泉で生まれ育ち、武蔵野美術大学で油絵を専攻した。卒業後陶芸活動をはじめて、学生の頃からお付き合いのあった奥さんと結婚して帰省。生家のすぐ隣に陶芸の制作工房を構え、「鴨山窯」とされた。以来、その制作工房をベースに、カルチャースクールの陶芸講師をされながら、1年に春と秋の2回ほど陶芸まつりを開催される。
まだ、その案内は届いていないが、時期的にそろそろ秋の陶芸まつりが始まる頃だから覗いてみることにした。運良く在宅で母屋を改装した展示ルームもオープンしていた。
陶芸まつりが近いから新作もけっこうあって、楽しめた。萬善寺用にコーヒーカップを3つ買った。ケイティは、時間をかけて熱心にアレコレ物色して抹茶茶碗を1つ買った。イギリスまで持って帰るのも面倒なことだろうが、寄り道をして良かった。
飯南高原で営業をしている薬膳レストランへ予約をしておいて、昼食にした。
地物の新鮮な季節の野菜タップリのヘルシーなランチを堪能した。ドライバー付きだし、麦酒1杯くらいほしいなと思ったがグッと我慢してコーヒーとケーキで〆た。
そのレストランのアプローチにはボクの野外彫刻を置かせてもらっている。
萬善寺は、その薬膳レストランから車で5分あれば十分だ。
ケイティを本堂へ案内して、般若心境で旅の無事を祈念してあげた。
寺の庫裏はちょっとしたギャラリーにしてあるから、展示の小品彫刻を眺めながら番茶を飲んだ。
帰りは三瓶山を経由した。時間があれば富山町の野外彫刻も案内したかったのだが、ケイティが夕食を招待してくれていて、その仕込み時間がほしいと云うことだったので、三瓶山からそのまま石見銀山を目指すことにした。
半日ほどの、吉田正純野外彫刻巡りの打ち止めは、世界遺産センター横の彫刻。
その彫刻は、まだ石見銀山が世界遺産へ登録される前にあった公園の端の砂防用の池の端へ設置したもので、当時はまだ小さかった吉田家の子供たちを誘ってよく家族で遊びに来ていた。

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ケイティのこと 

2018/10/22
Mon. 23:48

イギリスからケイティが来日して数日前に島根県の奥出雲に着いたと連絡が入った。
ケイティは、鉄鋼関係の製造や素材を研究しながら鉄材を使った造形制作もしている。
イギリスというと近代の産業革命発信地でもあったから、彼女の研究対象も自然とそちらの方へ興味が向いていったのかも知れない。

奥出雲は、たたら製鉄の実践を現代に伝承する日本で唯一の地でもある。
毎年可動して製造される玉鋼は、日本各地の刀剣鍛冶へ少しずつ配布され、鍛冶職人はそれを元に新刀を鍛造制作する。
歴史的建造物として現代に残るたたら製鉄跡は各地に散見するが、現役で可動する奥出雲のたたら製鉄では職人の技術継承も計画的に行われ、製鉄の期間にはその道の関係者を中心に見学会が行われる。
ケイティは、その時期にめぐりあうことはできなかったものの、西日本に点在する鉄関係の施設を訪れて、現地調査をしたり、作業に加わったりしてレポートをまとめるのだそうだ。
私も島根に在住する鉄の造形作家として情報提供をしておくことで日本の窓口になっているOさんから打診を受けていたので、彼女のことは1年前から情報が入っていた。具体的に吉田が彼女とどのように接するのかは、彼女の研修日程が固まる過程で少しずつ見えてくることだろうと気楽に考えていた。
ちょうど奥出雲での彫刻小品展が終わって一段落した頃に、コーディネーターのOさんから具体的なスケジュールが決まったと知らせが入って、それに合わせた吉田の行動内容もほぼ決まった。
島根での滞在拠点は奥出雲に決まって、石見銀山は移動も含めて3泊4日になった。その後岡山の新見へ移動して次は四国の高知へ行くことになるのだそうだ。
2泊3日分の吉田の都合を空けておいてくれということなので、萬善寺のことはそれに併せて前後に振り分けておいた。

「今夜から石見銀山で食事をするんですが、吉田さんもご招待ということで、19時に○○の店まで来てくださいね・・それから、明日と明後日は吉田さんへお任せしてボクは車を出してドライバーになりますんで・・よろしく!・・・あぁ、そうそう・・ケイティが、明日の夕食で料理の腕を披露するそうですから、そちらの出席もよろしく!」
Oさんは、数年前まで行政マンだったからだろう・・・段取りが分単位で細かに決まっている。
音楽好きの気さくな趣味人で、日頃はそういうくだけた付き合いをしているから、彼の知られざる一面を見た気がした。
私の方は、坊主という商売柄あなた任せの緩やかな日程で動くことがほとんどで、それに慣れているから、ガッチリと固まったスケジュールを振られると、どこかしら緊張してうろたえてしまう。
とにかく、夕食に関しては坊主の斎膳の要領で対応させてもらうことにして、2日間の石見銀山をどうするかは、夕食会の雰囲気を見て決めていこうと云うことにした。まだ、ケイティと逢って話したことも無いのだから・・・

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朗報 

2018/10/19
Fri. 23:54

周知のように、私は二紀会彫刻部の会員で毎年秋のこの時期には六本木の美術館へ彫刻を出品している。
ワイフの吉田満寿美も彫刻部の会員で、吉田家の夫婦はもう30年以上しばしも休まず彫刻をつくり続けている。
ワイフはその間、4人の子供を産んで育ててくれた。

長男のじゅん君は9月生まれだから、彼の時が一番制作に苦労した。
彼女はまだミクストメディアに入る前の頃で、鉄板を使ったり木を使ったりして彫刻を造っていた。搬入は10月のはじめで、それから審査があって入落が決まって入選すれば10月の半ばに陳列展示をして会期が始まる。
制作期間は長男が生まれて産後すぐでもあるし、とても自力で大きな彫刻を制作する体力も時間もないから二人でどうしようか相談して、1年ほど彫刻を休むという選択肢のことも本気で考えた。それでも、数年間続けているワイフの彫刻テーマがそれで一旦絶えてしまうということが残念でならない気持ちもあるし、大きなお腹を抱えてスケッチもしていたしマケットのいくつかも造っていたから「それじゃぁ、オレがマッチャンの手足代わりになるよ・・」と宣言して、自分の彫刻を造りながら彼女の材料を裁断したり組み立てたりして、彼女の方は、自分でないとできないパーツを搬入ギリギリまでコツコツ造って、最後の最後に一発勝負で組み合わせた。
そうして苦労した彫刻は、かろうじて入選して展示することができた。

公募展の制作出品は、とにかく研究と発表を継続することで実力が身につくし、さまざまな彫刻家との交流が作家性の刺激につながる。島根のような田舎で制作を続けていると刺激とか感動とかに巡り会う機会もほとんどなくて「まぁ、それでもいいや・・」とか「この程度で十分満足だね!」とか、とにかく、徹底的に自分に甘えて自分の現状に満足してしまうところがある。
日本に限っても世間は広いし、公募展に限っても1年中絶え間なく様々な公募会派の展覧会が繰り返されていて、美術文化も狭いようで実はけっこう多岐にわたってイガイに広かったりする。
吉田家の二人の彫刻家から少し遅れて二紀会絵画部へ出品をはじめた古くからの友人のタケちゃんがやっと今年の作品で推挙されて会員になった。実に目出度いことである。
彼の絵画は、少なくとも二紀会絵画部では他に類を見ないオリジナルであり、どの作家とも傾向や方向性が違ったところに位置している。
会員になるまでが実に長かった。これで、やっと本当に自分がやりたいことを誰に遠慮すること無く極めることが出来るようになった。彼のことだから大丈夫だとは思うが、今までの数十年の蓄積をベースにしてこれから造形の展開を広げてグイグイ攻めてほしい。

自分のすぐ近くで面白い仕事をしてくれる仲間がいてくれることは、自分への励みになる。彫刻家のワイフがいて、彫刻家のストウさんがいて、それにタケちゃんが加わってくれた感じだ。ボクも、もうしばらく彫刻を造っていけることができそうだ・・・
祝勝会と激励会を兼ねて久しぶりに「まっちゃん食堂」を開店することが決まった。

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夫婦の距離 

2018/10/15
Mon. 23:49

午前中からいくつかの用事を済ませて、少し早めに石見銀山を出発した。
出雲市から高速バスに乗ると、翌朝には東京へ着いてそのまま1日中仕事ができる。
飛行機や新幹線の交通手段もあるが、どうやって都合をつけても前後2日間が往復の移動日になってもったいない。
いいかげんジジイに近いオヤジとしては、睡眠不足になるし身体は固まって動きが鈍くなるし足は浮腫むし、たいして良いこともないのだが、とにかく、窮屈で余裕がないスケジュールをさり気なく消化するには高速バスが最高の移動手段になる。

出雲市までは私がワイフの愛車を運転した。
久しぶりにオートマチック車へ乗ったから、気がつけば左足のもっていく場所を探してしまっていたりして、慣れるまで少し時間がかかった。
バスの移動日が決まっていたので、その後に入った用事はすべてキャンセルして半日ほど空けておいた.。それで時間にも気持ちにもずいぶんゆとりができた。
こういうこともめったにないから、ワイフを誘って映画を見た。
映画館はもう20〜30年は遠ざかっていた。
映画そのものはとても好きなので、ホームシアターでHuluとかAmazonプレミアムとか、色々な手段を使って関係を切らないようにしていたが、今は夫婦割引やシニア料金など色々な特典が利用できるようになったので、時々夫婦で映画を見て食事をして、家庭内別居やオヤジの単身赴任などで疎遠になっていた夫婦の距離を修復する手段に重宝している。

「日々是好日」が封切りされていた。
樹木希林さんの事もあって話題になっていたから、きっと満席に近いかもしれないとビクビクしながら映画館のエスカレーターを登ってみると、人影もまばらで、難なくチケットが購入できた。
場内は我々も含めて10人もいるだろうか?・・・
お陰様で、ノンビリとマイペースに映画へ集中することができた。
「日々是好日って、あぁ云うことだったのね・・・なんとなくどんな意味かわかったような気がしたわ・・」
観終わって、夕食の時にワイフが感想を喋った。
私は、萬善寺の庫裏のひと部屋にある額を子供の時からみていて、中学生になった前後に崩しきった額の漢字が何となく読めるようになって、高校を卒業する頃にそれが禅語の一つだとわかって、それから半世紀が過ぎる間に、何時の頃からか自然にその意味が頭にはいる・・というより気持ちに馴染んで、特に忘れることもなく、気がつけば時々折々にフッと思い出すことを何度も繰り返しながら今に至って、そして、映画の日々是好日を観ることになった・・・という次第。
まぁ、端くれ坊主の自分が云うことでもないと思うが、坊主的にみると「少し説教臭いかな?」と思わないわけでもなかった。それでも、時間の流れがゆったりとしていて、昭和の香りが漂ってくるようなとても味わい深くて良い映画だった。日々是好日の意味を知らないひとが観ると「また違った印象になるのだろう?」・・そういう映画だった。

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秋の夜 

2018/10/12
Fri. 23:10

このところ、慢性の膝痛に悩まされている。
骨の方に異常は無いようだが、筋が固くなって少しでも膝を曲げると激痛が走る。
元々は足首の不具合があって、それが膝に回ってきた感じだ。

夜寝ていると、右膝の外側がピリピリ痛み始めた。少し身体をひねって、一番楽な体勢を探しながら布団の中でイジイジしていると、膝からスネにかけてズシリとした重さを感じる。少し前に夏の布団から化学繊維の綿入り布団へ変えたところだったので、その布団の重みが足に伝わっているのだろうと思っていた。
ほとんど寝ている状態で完全に覚醒しないまま、またしばらく眠ってしまっていたようだ。

それから布団の重みがどうしても我慢できないくらいになって本格的に目覚めた。
目が覚めたついでにオシッコもしておこうと起き上がろうとしたら、腰から下の足にズシリとした重みが伝わって思うように動かない。
今年に入って、膝の痛みをごまかしながら今までだましだまし動いていたから、遂にその「ダメージが下半身全体へ回ったのかも知れない?・・・」と思い始めたら急に怖くなって冷や汗が出た。そうなると、それまであまり気にならなかった尿意が我慢できなくなってきて、とにかく起き上がって歩くことをしないとオシッコが漏れてしまいそうだ。
暗い中で電灯のコードをさぐって引っ張った。
部屋がほの明るくなると、何やら丸くて黒い物体が足元からスネのあたりに張り付いて見える。
最初は、いつも使っている低反発の枕が寝ている間に足元まで転がってしまったのかと思っていたが、その枕が少し動いたように見えた。それでまたドキッとして冷や汗がドッと出て背筋に寒気が走った。
とにかく、このままではオシッコが漏れてしまいそうだから何とか立ち上がらないといけないと意を決して痛い膝を動かした。すると、枕から「ニッ!」という音が聞こえてまた少し動いた。今度は絶対に動いた!
首をひねってメガネを探して掛けて、よく見るとクロだった・・・少し動いたのは、クロの短い団子しっぽだった。

クロが何時布団の上に乗ってきたのか全く覚えがない。
このところ彫刻制作で工場通いが続いている。
知らない間に制作の疲労が少しずつ溜まっているのかもしれない。
結局、痛い膝をかばいながら布団から抜け出してオシッコに立つまでクロは動かないままだった。
トイレに入っているとドアの外で「ニャァ〜〜」とクロが鳴いた。
夜中にご飯をあげたりしてドタバタしていたら、ワイフの部屋で明かりがついた。覗いてみるとシロがワイフの腕枕で寝ていた。それからワイフも起きてきてトイレに入った。今度はシロがドアの外で「フニャ〜〜」と鳴いた。
もう完全に目が覚めてしまって寝れそうにない・・・まだ、夜の3時半だ・・・

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2019-01