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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

クラフトの行く先 

2019/02/09
Sat. 23:08

今から10年ほど前に吉田家の一部屋をDIYしてギャラリーにしたことがある。
石見銀山の町並みはシーズンになるとそれなりに観光客で賑わうから、ちょっとした旅行記念のおみやげになるくらいの鉄の小物を造ってその一部屋へ並べた。
部屋の隅へ作業机を用意していくつかのパーツを造ったり、少し飽きると、あの頃はまだ元気にしていた犬のシェパくんを相手にのんびり暇つぶしをしたりしながら店番をしていた。
そういうことが1年半ほど続いたが、冬シーズンは開店休業状態になるから、実質は1年弱くらいしかギャラリーをオープンできなかった。
少しずつ春めいてお彼岸が過ぎたら本格的にギャラリーを再開しようと思っていたところへ父親が体調を崩して病院通いが本格的になった。その時は介護というほど大げさなことでもなかったが、そのうち通院が頻繁になったり手術して入院したりして、そういうことのお世話が避けられなくなってギャラリーオープンのスケジュールを調整することが難しくなった。結局冬のシーズンにクローズした状態のまま雨戸を開けることも無くなって、それから見る見る暮らしの荷物が増えてギャラリーが物置に変わった。
父親が永眠して一周忌が過ぎた頃に、再オープンを目指して荷物を撤去して心機一転床を張り替えた。
それで、今度はクラフト小物の路線を封印して純粋に彫刻展示をメインのギャラリーにするつもりで準備を進めていたら、今度は母親が弱ってきて、デイサービスの手続きとか通院の付き添いが必要になってきた。そうこうしているうちに、同宗寺院のご住職や内室が相次いで他界されるなどしてどんどん万善寺業務が増えてきて、せっかくきれいにした元ギャラリーの床には、また少しずつ色々な荷物が増えはじめ、雨戸を開ける機会が遠のいた。
しばらくして母親も他界して一周忌が過ぎた頃に、またまた思い切って建具屋さんへ頼んで障子をプラスチックの丈夫なものに張り替えてもらった。せめて元ギャラリーの雨戸だけでも毎朝開けるようにすれば、このまま物置部屋になることが避けられるかも知れないし、今の個展で造った新作の彫刻をそのまま展示してギャラリーを再開できるかも知れないと思ったからだ。

最初にギャラリーをオープンした時の売れ残ったクラフト小物は、そのまま捨てるのももったいないから吉田家や万善寺の各所で有効に使うようにしている。トイレ読書用の壁面ブックスタンドもそれぞれの場所へ取り付けてみたら意外なほどしっくりとその場の空間に馴染んだ。
私の好きな安西水丸さんはその場所ですでに何回転もしていて、最近また吉田家のブックスタンドへ返り咲いた。3月には安西水丸さんの命日が巡ってくる。早いものでそろそろ七回忌が近いはずだ。
先日、なっちゃんからSNSが届いた。おなかの子供が9ヶ月に入ったそうで、いまのところ経過は順調なようだ。私にとっては初孫の誕生が近い。
この10年は眼前の事実に粛々と向き合いながら過ぎた。気がつけば体力も減退して昔ほどの無理も効かなくなっている。なっちゃんが無事に子供を生んでくれたら、ボクのオリジナルブックスタンドと安西水丸さんの絵本をプレゼントしようと決めている。
ついでに、保育士をしているキーポンへも送ってやろうかな・・・

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今時物流事情 

2019/02/01
Fri. 23:03

朝から空模様が怪しくていつ雨が降り始めてもおかしくない感じだったが昼前にはなんとか持ち直してそれなりの天気になった。
小品彫刻展でお世話になったショップが社員の男手を揃えてくれたので、搬出は半日もあれば終わりそうだ。
彫刻の発送は、窓口での伝票記入に時間がかかりそうなので、展示台の移動をショップの関係者へお願いして任せた。

小品彫刻だと持ち込みのゆうパックが便利で、発送業務の80%は会場の近所の郵便局で済ますことができる。
取扱業者によって寸法や重量の規格が若干違うようだが、だいたい同じ条件なので、ヤマト便がゆうパックに変わってもそれほど大きな混乱はない。島根のような田舎だけのことかも知れないが、ヤマト便や佐川急便などの大手宅配業者さんは、取扱店の基地が少なくて持ち込み発送がとても不便だ。ソレに比べてゆうパックの方は、田舎の小さな町でもかならず何処かに郵便局があって宅配便の取扱をしてくれるからとても助かる。
それでも便利なゆうパックも含めて、時々業者の都合で知らない間に取扱条件が変更になっていたりすることもあって、今回もソレに引っかかった。
お客の事情というより営業上の事情が優先された条件変更の不条理にはどうも素直に納得できない。
鬱陶しいほど反乱しているどうでもいいようなCM告知ばかりに精出す暇も予算もあるのなら、こういう突然の利用条件変更に関する事前告知のコマーシャルを優先してほしい。
今まで普通にOKだった取扱が、急に受付窓口で「見直し変更になりまして・・」といわれても、結局当方は梱包のし直しで持ち帰ってまた出直すことになるわけで、私のように、何から何まで自分の都合で事業を切り盛りしている極小零細事業主にとっては、とても厳しい仕打ちなのです・・・プンプン!!ブツブツ・・・
彫刻家が悪いわけでも何でも無いのだが、世の中の物流システムの中で自分の彫刻をその基準にあわせながら制作をするというのもなにかおかしなことだ。結局は作家の都合ばかりで筋を通すことも出来ないから「そんなもんだ・・」と世間の事情を飲み込んで対応するしかない。
それで、具体的にどういうことかというと、作家が展覧会の主催宛に作品を発送する場合は普通に今までどおり梱包して業者持ち込みをすればいい。ちなみにゆうパックの場合は、送り先が同じなら以前の伝票の控えを持参すれば若干値引きしてもらえるはずだ。問題は、主催側から作家個人宛に彫刻を返送する場合。業者さんの話によると、送り先が個人宛の場合は重量や大きさの制限があるようで、その制限を超えた場合は荷物が営業所止めになって、受取人はその営業所へ引き取りに行くことになるらしい。要するに、ドライバーが一人で運搬できない場合は「自分でひきとりにきてちょうだいネ!」ということで、ソレで良ければ「発送させてもらいますヨ!」ということ。業者さんの立場から言うと何の問題もない当然の理由があることになる。
もう半世紀近く親しくしている運送業者は、営業所の所長が変わるたびに「吉田絡みの荷物はチョット厄介だからよろしく・・」と、申し送りされているようだ。今回も、ほとんど無理だろうと諦め気味に持ち込んだAさんの彫刻だったが、顔見知りの職員さんが「チョット料金かかりますけど・・」と念押ししつつ、渋々引き受けてくれた。アリガタヤ!

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絵を描く 

2019/01/26
Sat. 23:36

油彩画はどうも馴染めなくて、学生の基礎科目で100号を描いたのが最後で、その後しばらく本格的に完成された絵を描くことがなかった。

島根へUターンを決めた時は家業(万善寺のことです)を手伝うことが主たる目的で生活の手段は何でも良かった。
学生の頃は職種を選ばなければすぐにアルバイトが見つかっていたから、島根に帰っても何処か寺の近所で適当な仕事があるだろうと簡単に考えていたのに、お盆仕事の手伝いで帰省したついでに職探しをしてみると、自分の希望に沿った労働条件など皆無。
結局島根の田舎では給料をもらいながら片手間に坊主を手伝うなどと都合の良い仕事が無いものだから、一念発起して本気になって半年ほど採用試験の勉強をした。
改めて「自分にできることは何なのだろう?」と考えてみると、絵を描くことくらいしか思いつかない。試験に必要だから久しぶりにデッサンや着彩の基礎を再開してみると、昔のようにチャンとした完成度には至らないものの、それなりに大事なポイントはソコソコ抑えられる程度までにカンを取り戻すことが出来た。

島根の社会環境の現実に直面した時は、もう造形の世界から縁を切るしか無いとほとんど制作を諦めていたが、何のこともない、就職が決まって5月の連休が終わる頃には1日中与えられた仕事ばかりしてボォーっと過ごすことに飽きてしまって、引っ越しの荷物の中から学生の頃に使っていた道具を探し出していた。それでもすぐに本格的な立体造形を制作できることにはならなかったが、平面造形で絵を描いたり限りなく平面にシフトしたレリーフを造るくらいのことはできるということに気がついた。
なにか頭を使ったり手を動かしたりしているだけで1日の色々な対人関係のストレスが軽減できるしずいぶんと精神的苦痛から開放される。造形上のコンセプトがどうとかテーマがどうとか、そういう面倒臭いことより、まずは何かしらの制作に没頭できるということが楽しみでもあった。私の様子を近くで見ているワイフの方も、なにやら材料を取り寄せて小物やクラフトを造るようになって、吉田家の家庭環境がしだいに工夫されて本格的な制作に取り掛かる地盤が少しずつ出来上がった。
特に本気になって制作環境を整備したわけでもないが、何かしら造りたいものを造れるための工夫を繰り返していたらそのうち最小限の道具や制作場所も揃ってきて、まぁ、それからいろいろあって今に至っている。

年が明けたからもう3年前のことになるが、縁があって1ヶ月に2日程度の割合で高校生の美術活動へ付き合うようになった。
そろそろ3年目が終わりに近づいていて、卒業生はあと2回位しか授業がない。最後の作品制作で数人が小さな油絵を描き続けている。描きたいものが決まっている生徒は脇目も振らず絵にのめり込んで悪戦苦闘している。描きたいものがなかなか見つからない生徒は美術小屋の天井を向いて焦点の定まらない目を泳がせて、これもまた別の意味で悪戦苦闘している。
みんなそれぞれだが、日頃のしがらみをしばし忘れてなにかに没頭できるひとときがあるということはとても大事なことだと思う。

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家業本業 

2019/01/20
Sun. 23:32

朝から法事のお手伝いがあるので、前日から万善寺入りした。
珍しいほどの暖冬で、銀くんを境内まで入れることができるから、灯油をポリ容器5つ分ほど仕入れて寺まで運んだ。暖かいといっても、雪が降らないというだけで飯南高原の冬はそれなりに朝晩の冷え込みはいつもと変わらないで氷点下になるから暖房は欠かせない。

菩提寺の方丈さんは、いつもは松江の寺で暮らしていらっしゃる。
法事などの仏事のあるときだけ飯南高原へ帰っておつとめされる。お経のシステムが万善寺と違っているので、こうしてたまのお手伝いが入ると結構緊張する。
万善寺の場合は法事の数も多くないし、基本的に坊主家業が暇だから、法事が入ると途中で休憩をはさみながらお昼すぎまでのんびりとお経を読んで、お墓参りが終わって斎膳も1時間位は世間話をしながらゆっくりと過ごす。そうすると結局半日というよりむしろ1日仕事に近くなる。
今回のお手伝い法事はお昼すぎに全て終わった。寺へ帰ってからあとの時間に余裕ができて積み残しの作務がはかどった。それでも気がつけば夕方になっていてあたりが薄暗くなりかけていた。急いで斎膳の折弁当や法事のお下がりなどをまとめて石見銀山へ帰った。少しずつ日が長くなって来ているが、それでもまだ冬のことだから1日がアッという間に過ぎる。

2月になると節分があって立春がある。
例年だとちょうど節分寒波の時期なので今年の彫刻制作にむけてザックリとしたスケジュールを決め始めている。2月末には個展の彫刻へ小品を10点ほど追加しようと思っていて、そのためのパーツはすでに揃えてある。
3月に入ると、初午祭やお彼岸や母親の三回忌があるから、彫刻制作の日程を寺の仏事と調整することになる。予定では、個展の打ち止めに高さで2mチョットの大作を造ろうと思っていて、これもラフなかたちがだいたい決まっている。月末は上野の美術館で春季の展覧会が始まるから、その出品彫刻を考えているところだ。基本のコンセプトは継続しているから大体のことは大きく変わらないが、細かいことで幾つかやりたいこともあって、今はそのことで少々悩んでいる。悩みといっても、造るかたちが枯渇しているわけではないから贅沢なことであるが、それでも最終的に1点へ絞ることになってそれがつらい。個展のように、造りたいものを造りたいだけ造って片端から展示してしまって、その展示効果の中から反省を引き出すほうが気楽でいられる。
大きな団体展の場合、展示スペースの関係で基本的に作家はひとり彫刻1点出品が暗黙に決まっているようなところもあって、それを守っていると例えば大作が1年1点、小品も1年1点ということになって、そのための試作などを含めても、彫刻大小せいぜい1年5〜6点の新作が造れるかどうかになる。10年間出品を続けても50点くらいしか彫刻を制作していないことになって、その程度ではテーマとか表現の推敲が断続的に継続されているだけで、モチベーションの維持管理が難しい。私のような飽きっぽい性格だと、彫刻の深みは期待できないし、サラリと技術や技法に流されてしまう。そういうことを避ける意味もあって、定期的な個展を大事にしているところだがさてあと何回できるかな?

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富山カフェワークショップ 

2018/12/03
Mon. 04:29

大田市富山町の有志とまちづくりセンターが協力して開催している「富山カフェ」へワークショップで参加するようになってからもう3〜4年が過ぎた。
初期の頃は春の連休中と冬のクリスマス直前の2回出かけていたが、最近は冬だけ誘いがかかる。

富山カフェの方は、薪窯ピザとか地産カレーとか食べ物中心で営業しているが、ワークショップの方は、100円のワンコインで材料代だけ頂いている。
「ワンコインって、500円ですか?」と普通に誰からもそう聞かれる。
100円だと答えるとみんなが口を揃えて「安い!」と反応する。それで「親子連れで一人500円はいただけませんよ!」と答えると「確かに・・」とだいたいみんな納得してワークショップに参加してくれる。
今年は、吉田家で密かなブーム(というほどでもないが・・・)になっている「モビール」を造ってもらおうと決めて、ワイフとノリちゃんへ伝えておいた。
富山での彫刻小品展を準備しながらワークショップのことを話していたら、ノリちゃんが材料のことやぶら下げるモチーフのことなど、細かいパーツを幾つか提案してくれたので「それじゃぁ〜、そこらへんのことはまかせておいてもいいかなぁ?」と軽く振っておいた。
ワイフの方は例のごとくブツブツ愚痴というか小言というか、見た目は気に入らない様子オーラを撒き散らしながら、それでも暇を見つけては針金を用意したりフェルト細工でパーツを造ったり100均ショップでアレコレ仕入れたりして準備していた。

2日の日曜日が富山カフェの当日で、朝の9時には会場の準備をはじめた。
カフェの方は、10時からオープンのはずだったのにもうその前からボツボツとチケット購入の人だかりが始まって大盛況だった。
ワークショップは1日が終わるまで切れ目なくお客さんの出入りが続いて、それなりに盛況だった。内容の性質上、結構造形力が問われるところもあって、滞在時間がやたらと長くなった。それで回転率はいまいちだったが一人で2つも造ったり、「家でつくりたいから・・」と材料をもらって帰る人もあったりして、対応がそれなりに忙しかった。
案の定、親子連れの参加もあったから、やはり100円の設定で間違いなかった。

カフェはお昼すぎにすべて売り切れ完売で店じまい状態だったが、ワークショップは午後になっても客が絶えなくて、店じまいしたのが3時前だった。それから急いで後片付けや掃除を済ませて、ノリちゃんとはそこで別れた。
ワイフと二人で久しぶりに出雲へ出かけた。
富山町からだと出雲はすぐだから、あらかじめ予定のうちに入れて、私はもみ屋さんでマッサージ1時間コースを予約しておいた。ワイフは買い物三昧の1時間になったようだが、それでも少し時間が足らなかったらしい。
マッサージは久しぶりで、身体が少し軽くなった。特に指名の指定はしなかったのだが運良く吉田さんに当たった。私の身体を心得ていて、硬いところをほぐしてくれる。
吉田が吉田さんに揉まれている・・という光景はちょっとシュールだ。

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土曜日の朝 

2018/11/10
Sat. 23:27

午前中は江津の高校で2時間ほど高校生諸君と授業をすることになっている。
数年前にその高校の校長さんから「1ヶ月に1~2回のことだけなんだけど全校活動美術の面倒見てもらえませんか?」と打診があって引き受けることにした。
経緯はいろいろあったが割愛するとして、その校長先生とは30年ほど前からの知り合いで、よっぽどのことでもないと上手に断わる理由が見つからなかった。
失礼な言い方になってしまうが「子守くらいのことしかできないけどなァ~」と、内心はそう思っていて「ワークショップの延長のことくらいだったらなんとかなるだろう?」程度に考えて今に至っている。

はじめの頃は、高校生の実態に慣れないし、ボク自身結構な人見知りでシャイな性格だから何かと間が持てなくてツマヅイてばかりだったが、そのうち自分なりに少しずつ打ち解けてきて生徒たちとの距離が縮んだ。
前期と後期で選択替えがあってメンバーが多少入れ替わるが、2~3年の間は2~3人を相手に2時間ほど付き合うくらいのことだったので、自分の手持ちの道具や工具や材料や消耗品などを提供しながら、なんとか授業らしきことをしてきた。
ところが今年度に入って一気に選択人数が倍増以上に増えた。
そうなると、さすがに手持ちの材料でなんとかできる域を超えてしまって、あらかじめ人数分の教材のようなものを用意するところからコトを進めなければいけないことになって、少し忙しくなった。それでとにかく、今まであちこちで開店営業していたワークショップの教材を見直しつつ、現役で美術の時間講師をしているワイフやノリちゃんのネタを借用したりしてこの半年間はなんとか乗り切った。
10月からの後期は、ちょうど自分の彫刻制作や小品彫刻の展覧会や美術イベントの企画などがドッと重なってくるから、よっぽど工夫して教材の準備をしておかないとカワイイ高校生諸君に迷惑がかかる。
いくつか候補教材を決めてみたが、最後はワイフの力を頼って彼女から教材のノウハウを頂いた。身近にそういう人材がいるとたいへん助かる!
それで前回からモビールをつくっているのだが、今日ですべて完成することになっている。制作が遅れた場合は自己責任でなんとかするということにしてあるので、完成作品から順次記録写真を撮ってあとは制作者本人へ作品を返す。

朝、少し早い時間に学校へ到着して美術小屋へ入ると、その最後の一人のモビールがいい感じで出来上がってぶら下がっていた。自分のやりたいことがしっかりと伝わってきた。彼女の制作中の様子を見ていたが、とにかく一つ一つのパーツを丁寧につくっていたから、そういう様子だと完成がかなり遅れるだろうということはわかっていた。
なにかしらものつくりにかかわっている人間としていつも思うことは「造形の内容と制作〆切りのバランスをどのように調整して実材に取り掛かるか?」ということ。最近は迷いも減って失敗も減ったが、昔は時間配分や工法技術や造形の見通しにどこかしら不具合が生じて適当なところで妥協することばかりだった。
時間優先か造形優先か、結局は2つに1つの選択になってしまうことだが、やっぱり、ボクとしてはできるだけ造形に妥協はしたくないな・・・

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上出来な未完成 

2018/10/24
Wed. 23:06

もうそろそろ10月も終わろうとしているのに、まだ半袖でもいいくらいに温かい。
ケイティの宿舎前で待ち合わせをして、一緒に工場へ向かった。
助手席の彼女と日本語と英語で作業の話をしていたら、彼女は防塵用のグッズを持っていないことがわかった。
いつもはボク一人で制作をするだけだから、必要なモノを余分にためているわけでもないので、急きょ近くの町のホームセンターで調達することにした。
一応、まがりなりに金属彫刻のプロだと思っているボクとしては、それに関する色々な工具や消耗品や材料を資材業者さんを通して取寄せているし、よっぽどの急用でも無い限りホームセンターを利用することがない。広い店内でお目当ての必要なものを探すだけでも一苦労で、無駄に時間を潰してしまった。
二人でレジに並んで支払いを済ませると、すぐに工場へ移動した。

昔は簡単なメモを描いたり、小さなマケットを造ってだいたいの様子を決めてから制作に入っていたが、最近は鉄板へそのまま蝋石でドローイングしてその線を頼りにプラズマ切断機を使ってしまう。
彼女が工場のテーブル代わりに使っている鉄板の上へ図面のような制作メモを広げた時は少々焦った。
とにかく、工具の使い方をひと通り解説して、あとは図面の寸法をおおよそまかなえる鉄板を用意して「コレで何とかしてネ♡!」と日本語に英語の単語と身振り手振りをそえて伝えた。
私の方は、制作途中の彫刻を半自動溶接があるから、狭い工場で彼女のじゃまにならないように気を配りながらセッセと制作の作業を続けた。

ケイティは、結構・・というより、かなり神経質な作家だと思った。溶断した鉄板を紙の図面へ当てはめて寸法の狂いをディスクグラインダで修正をしている・・・「こりゃぁ~1日で完成は無理だな・・」
まだ若かった頃の自分を思い出す。
本格的に彫刻をはじめた頃は、3✕6板ベニヤをカッターナイフで裁断して原寸サイズの型から造っていた。今のケイティの作業の様子があの頃の自分にダブって見える。何かしら懐かしくて、忘れていた過去の自分を思い出した。

お昼はラーメンを食べた。旅慣れているケイティは、出されたものをなんでも「美味しい!!」と食べる。おもに地元で働くオヤジたちや長距離のトラッカーたちを相手にしている食堂だから、それなりに量が多くて美味しい。結局、ケイティはラーメンを完食することができなくて、お店の店員さんに済まなそうな顔をしていた。

夕方少し暗くなるまで仕事を続けて、私は予定通り1日の作業を済ませた。
彼女はやはり、完成しなかった。
それでも、慣れない工場の慣れない工具で仕事をしたわりには、上出来だと思う。
イギリスではなかなかの実力者だろうと感じた。

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モビール事情 

2018/10/13
Sat. 23:33

1ヶ月に2日ほど江津にある全寮制の高校へ行っている。
用事は全員活動の講師。
全員活動はクラブ活動のようなもので、私はその中で一応美術に関する何かの教材を用意して高校生とワイワイやりながら何か美術らしきものを制作表現するようなことをしている。
特に決まったカリキュラムとか指導案とか、そういう面倒臭いことをするなら引き受けることもないと思っていたが、校長先生からは「生徒が喜ぶようなことならなんでも良いですから・・・」と云われていて、その程度のことならボクの乏しいボキャブラリーでもなんとかなるだろうと引き受けてから、早いものでもう3年は過ぎたはずだ・・

さすがに、前日の夜寝る前にネタのチェックをひと通り済ませるだけでは、2時間の制作活動もうまく回らないから、まぁ、それなりにさり気なく事前準備などをしておくのも大事なことだ。
美術と云うと、とかく絵を描くことのような平面的なネタに偏りがちで、選択の生徒たちもどちらかといえば「絵を描くことが好きだ!」とか「絵が上手に描けるようになりたい!」とか、そういう理由でクラブ活動を選択することが多いらしい。それにプラスして陶芸とか野外活動とか他の選択が定員オーバーで第二希望へ流れてきた若干名が加わる。

どちらかといえば、小さい頃から絵を描くよりモノを造っている方が楽しかったところがあって、それの延長で今は彫刻をメインに制作を続けるようになった。
基本的に絵を描くことも嫌いではないのだが、途中で集中が切れてだんだん面倒臭くなって完成するまでのどこかで気持ちが別にそれて中途半端でいい加減な絵になることばかりで、どうも自分の性に合わないところがある。だから、とにかく自分で何かしていて楽しいと思えるようなモノを条件に教材を用意するように心掛けているつもりだ。

今回はモビールを造ることにして、工場の彫刻制作の合間にホームセンターとダイソーへ回って適当な材料を揃えておいた。
ホームセンターは平屋の床面積がやたらとヨコに広がったつくりなので、1年のうちに数回くらいしか用事のないボクにとっては、購買意欲が消滅するほどのストレスを感じる。だから棚卸しの度に商品の場所が移動するような大手ホームセンターはできるだけ避けて品数は少ないが適度に狭くてお目当てのものを探しやすい店を利用するようにしている。
ダイソーも似たようなもので、1年に数回しか立ち寄ることがない。
今回は、お目当ての材料を揃えるにはダイソーが一番楽だろうと仕方なしに決めた。
案の定、店内の商品棚が前回からガラリと変わっていた。
針金一つ探すにも、店内をぐるぐる回ってやっと見つけたし、定員に聞こうと思ってもレジカウンターに張り付いて接客しているおねえさんとおにいさんが2人いるだけで、あとが見当たらない。
ワイフのように買い物が趣味になっているような人々にとってはワクワクするようなお店なのだろうが、ボクは実に苦痛だ・・・それでも、その苦痛の先には「制作の楽しさが待っているのだ!」と思いつつ痛い膝をかばいながらひたすら店内を歩き回ったのでした!

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再スタート 

2018/09/18
Tue. 23:27

1年間フロリダで仕事をしていたノッチが帰国して、今はなっちゃん家に転がり込んでいる。

日本で新しい仕事を探すのも、きちんとした住所が決まらないといけないし、住民票のこととか健康保険のこととか、色々な手続きが必要になってなかなか大変そうだ。
オヤジの私のところへも戸籍謄本を送れと云ってきたので、寺の用事の合間に役場へ出かけて住民課の担当さんへ問い合わせたりして結構面倒だった。
世間をモヤァ〜っと見てると、自分の周辺でも「○○ちゃんがオーストラリアの農場で働いている」とか、「△△さんがアフリカの何とかという国に行ったきり帰ってこない」とかいう話を漏れ聞いたりして「世界はずいぶんと近くなったものだ・・」と漠然に思っていたりしたが、実情は出国も入国もかなり厳しくチェックされていて、それらをすべてクリアするだけでもかなりのエネルギーを必要としているということがよくわかった。
それだから余計に、この度無事に帰国したノッチのアクティブ過ぎるほどの行動力が「凄いことだ!」と思えてくる。

そんなわけで、現在のノッチは日本の暮らしを再スタートするための各種事務手続きを続けながら、再就職の就活をすることも少しばかり休憩して、ひとまずは自分のスキルアップも兼ねた小旅行を続けている。
先日は、2年半ぶりくらいになるだろうか?昔働いていたシンガポールへ行って、当時の友達に再会したようだ。
そこからベトナムとかタイとかを経由して関空へ帰ってきた。
今は、家族や友人の間でも、普通にどこでもSNSのやり取りで情報交換が簡単にできるから、一昔前のようなタイム・ラグも無くなって心配でもあるが安心する。

私の方は、家族LINEで交わされるそういうノッチの時時の様子を確認しながら奥出雲の小品彫刻展を切り盛りし、萬善寺のお檀家さんの訃報を受けて葬儀を済ませ、そうこうしながら頭の中では野外彫刻のかたちを最終段階まで練り上げ、やっと本格的に久しぶりの工場通いをスタートさせた。
前回工場へ通っていたのはいつの頃だったか、思い出そうと思って記憶の糸を手繰ってもすぐには思い出せないくらい彫刻制作から縁遠くなっていた。
これから順繰りに季節が巡って春が来るのか不安になるほどまだ雪がタップリ残っていた2月の頃だった。それから半年・・・今回の野外彫刻は、あのときに小品の彫刻を造っておおよその方向性を確かめておいたものをベースにして制作をしようと決めている。
搬入搬出の移動のこともあるから、まずは今の相棒銀くんの寸法を測って、それを工場の壁に立てかけてあるコンパネへチョークで写した。積み込みスペースを決めてから彫刻の制作へ入るなど、ずいぶんと打算的に割り切った彫刻になってしまいそうにも思えるが、それはそれなりにスケールのバランスの緊張感を考えてのことであるし、制作の方向性で妥協をしているわけではない。
鉄板を狭い工場の床に寝かせて、直接チョークでドローイングするところからはじめて、ほぼ全てのパーツを切り出すのに1日かかった。

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行雲流水ーヒトゴトジンジ 

2018/09/09
Sun. 23:15

日頃の行いがそれほど悪いとは思っていないのだが・・・
どうも、奥出雲の彫刻展は何かしら色々あって年々ハードルが高くなっている。
昨年は初日オープニングを狙ったように台風襲来!
今年は奥出雲の町長選挙が初日に重なって、広報活動で事前にアチコチ訪問すると、チラシをバシッと受け取って、あとは知らんぷりの取り付く島もない。
役場や教育委員会は選挙準備で職員もほとんど居ないし、椅子を温めているのは課長係長クラスの偉い方々ばかりで受付カウンターまでの距離がやたら遠い。
おまけに展覧会初日は前線の影響を受けて1日中大雨!・・・
展覧会の事務もまだ残っていてそちらも気になるから、会場の受付を周藤さんへ任せて午後の早いところで早退させてもらった。
あとになって、周藤さんが1日の様子を電話で報告してくれた。
「おつかれさんですぅ〜・・・会場ゼロでした!」
やっぱり・・・まぁ、あぁいう状態だとボクでも「大雨の日にワザワザ出かけないだろうな・・」と確信を持って思ってしまう。
会場から帰りがけに少し遠回りして奥出雲の町内をトロトロと銀くんと流してみたが、選挙があるはずなのにダレも歩いていなくて役場のあるメイン通りでも人影を見ることがなかった。さて、投票率はどうだったのだろう??
・・・やっぱり、ボクの行いのせいなのかなぁ〜〜・・・

展示台搬入の時はかなり増水していた斐伊川の水位も普通になっていた。
ソコソコ安定している吉田家のWi-Fiを頼って、停滞しているデスクワークを少し片付けるつもりで石見銀山へ急いだ。
「防災調査の説明会が改善センターであるようで、その出席の知らせなんですが・・・」
保賀の自治会長さんから出席してくれとの連絡が入った。班長だし、春の役員会は勝手に無視して欠席していたから、その埋め合わせも兼ねて出席すると伝えておいた。
内容はよくわからないが、防災のことは1年ほど前から石見銀山の自治会で大騒ぎをしていたし、今年になって地震もあったりしたから飯南高原でもハザードマップ作成の事前調査に本腰を入れたのかもしれない。
とにかく、「会議」と称した招集がかかっても、その殆どは一方通行の説明会で、レジュメの下の方のその他の議題のところに「質疑応答」と書いてある程度のことだから、行政の「ヤッタゴト」対策というやつで済まされるようなことだろうとだいたい予測できる。
こういうことは、あまり本気になって頻繁に説明会を重ねて地域住民が身動きできないほどギュウギュウに締め上げられるのも窮屈でしょうがないことだから、少々こぼれて抜け落ちたくらいのゆるい条例くらいで済ませておいてもらいたいものだ。
イザという時は、やはり自分の身は自己責任で守ることを住民みんなが自覚すれば、それなりの覚悟も固まって個人がシャンとする。
どうも、ボク個人は行政とか組織とか仏教界も含めて大勢に流されることに馴染めない。世間の常識的な付き合いでは我儘も限界があるからそれなりに「ゴクリ!」と飲み込んでいるが、「他人事人事(ヒトゴトジンジ)」のサジ加減には敏感でいられるよう心掛けている。

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ヨレヨレ坊主 

2018/07/13
Fri. 23:52

万善寺の隣のおじいさんのお葬式は、ご自宅の庭先へ朝から自治会のテントが張られた。
雨も降りそうにないのに葬儀会場へ日除けでテントが張られることなどとても珍しい。
大雨がやんだ数日前から暑い日が続いていて、今朝も保賀の谷の空は雲ひとつ無い晴天で気温がどんどん上昇した。

当年90歳のご導師は、副導師万善寺住職(ボクのことです・・)の法衣と比べ物にならないくらい豪華絢爛でかなりの重量もある。それに、一人では袈裟を掛ける事もできない複雑な仕組みになっていて、それもあるからだいたい浄土真宗のご院家さまはお付きの役僧さんを従えて行動されることが多い。
浄土真宗ご導師さまの法衣着付けをお手伝いするときは「曹洞宗は簡素で楽チンで良かったなぁ〜〜」と、いつもそう思ってしまう。それにしても、このご高齢でこの暑さはさぞかし身体に応えていらっしゃることだろうと思うが、そういう素振りは微塵も感じられない。さすが、ナンチャッテ坊主とは年季の入り様が違う。

事前の打ち合わせをして、鳴り物の打ち出しなどをおさらいして、葬儀本番に臨んだ。
曹洞宗の鳴り物もまともに出来ないでいるのに、他宗のこととなると様子が違って導師さまとしてはやりにくかったことだろうに「おかげさまで、色々お世話様になりまして、ありがとうございます・・」などと、葬儀が終わって控室に帰ったところで深々と頭を下げられて、恐縮した。
墓参の後、安居と初七日のお経をおつとめして斎膳になって、お昼を少し回ったところで葬儀すべて滞りなく終了した。
喪主挨拶にもあったが、これから隣の家は空き家になって1年の節目節目に喪主の長男さんが帰省されることになる。日常の維持管理は自治会の心安いお宅へ委託されるようだ。

今年に入って3月の雪が消えた頃から隣家の周辺へしきりに重機が入って整備が続いていた。それに、この近年草刈りもほとんどされないで荒れ放題だった場所へ何度も草刈りが入って万善寺の境内地がみすぼらしく感じるほどキレイになった。訃報が届く前日には最後まで残っていた地すべり箇所の修繕も終わって重機が搬出されて、いらない家財の搬出が夕方遅くまで続いていた。今にして思えば、春先を境に隣のおじいさんの容態へ変化が生じていたのかもしれない。

万善寺の法事が終わって、その夜の仮通夜から葬儀が終わるまで3日間連続して法衣を着続けたことになる。夏のお盆の時期に改良衣で過ごすことはあっても毎日法衣を着続けるまでのことはない。明日は夕方から夜にかけて弘法大師さんの大師講で塔婆回向があるから、またそこで法衣に着替える。
今週は1週間毎日着物の洗濯をして過ごした。暑くて洗濯物がすぐ乾くからそれでずいぶん助かっている。単身赴任坊主も、食事や洗濯掃除まで一人でこなして、その上お経ライブが1日2ステージばかり続くと、もうそれだけでかなりの重労働で疲労困憊・・・
ナンチャッテ坊主は、連日の猛暑も加わってフラフラのヨレヨレ坊主に変身しつつあります・・・

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惰性に過ぎない! 

2018/06/15
Fri. 23:59

万善寺を前住職から引き継いで今まで、特に大きな年中行事の変更をすることもなく過ぎてきた。その間に前住職夫婦をみおくって、来年春に内室(私の母親)の3回忌法要を済ませれば、万善寺の内輪ごとがやっと一段落する。

寺の仏事は一般在家と少し違って古来から引き継がれた伝承ごとがいまだに色濃く残っている。
私などは住職と云っても坊主付き合いがマメな方でもないし、何かと言うと簡素に割愛することばかりに気持ちが走っている方だ。それでもやはり、最低抑えて置かなければいけないところもあるし、避けることの出来ない付き合いもあるから、そういうことを一つずつ片付けていると気がつけばそれなりに坊主家業の用事が増えていて万善寺を離れることができなくなっていたりする。

今年から大般若会の日程を6月16日に移動して、明日がその法要当日。
これは、私が思いついて前住職の仏事行事に変更を加えたはじめての法要仏事になる。
随喜寺院の方丈様方にはあらかじめ何度か念押しをしておいたので覚えてもらえているとは思うが、やはりこういうことはその時になるまでドキドキと落ち着かない。
本堂の荘厳も今までのシステムとは変わることもあるから惰性に過ぎるわけにもいかなくて、それなりに気を使ってけっこう力が入った!
境内の営繕作業は、3日続いた好天のおかげで見た目の気になるところはなんとか見るに耐えるまでにはしておいたが、やはり一人での作業は限界もあって全体に納得できるまでの手を入れることは出来なくて、早めに取り掛かった北側の裏庭にはもう雑草が伸び始めてキリがない・・・

彫刻や絵画の作家がグループ展に向けて作戦会議をすることになって、会場が万善寺の庫裏になった。彫刻家吉田正純は特にグループ展とは縁がないのだが、この時期に万善寺を離れることも出来ないし、「寺へ集まれるんだったら、久しぶりに一杯やろうか・・・」ということになった。
作戦会議と云ってもどうせ飲むことがメインのコアなメンバーだから、営繕作業を早めに切り上げてシャワーで汗を流してから、作戦会議の会場づくりをした。それから、予定の時間から逆算して解凍しておいた砂肝をアヒージョにした。あとは、昼食の残りものとかワイフの差し入れしてくれた酒のツマミを数種類用意したところで周藤さんがきた。それからしばらくしてハイボールグッズ一式と一緒にタケちゃんがきた。

最近の美術界は具象化傾向が強まっていると感じる。これも時代の流行だとは思うが、具象も過ぎるとそれはそれで飽和状態になって俗っぽい方向へ傾きすぎてしまいそうな気がしないでもない。
プロの作家の目というか、評価というか、そういうものが俗に迎合しなければ良いのだが・・・美術の世界も審査や評価の入落受賞が絡むとそれはそれで流行との整合性をどう判断するかややこしいことになる。自分の表現へ不器用にしがみついているボクとしては、時代の流れに乗りつつ表現の純粋性がキープできる造形力に期待したいところだ。

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意は無事に随す 

2018/06/02
Sat. 23:01

このところ、通勤坊主が定着してその上に万善寺泊も微妙に増えている気がする。
5月はそういう日ばかりで、工場へ出かけたのも7日間あったかどうかという状態だ。
なにごとも、バランスというものがだいじで、あまり片方へ偏ってしまうと、それがそのままストレスのもとになって、眼前の事実に向き合うしか無いのに、気がつけば気持ちも身体も正直に拒否反応を示していたりしてどうも都合が悪い。

珍しく19時から通夜が始まった。
万善寺の場合は、家族葬でもない限り普通19時半スタートが多いので、準備をして寺を出発するまでが慌ただしくなって少々焦った。
ちょうど衣替えの時に重なって、夏バージョンの一式を準備したところまでは良かったのだが、白衣を着て帯を締めて足袋を履いて・・・改良衣の袖を通した時、右襟の紐の縫い目がほころびていることに気付いた。半年前に確認した時、見落としてしまったらしい。今更針仕事の時間も無いし、とにかくなんとか工夫して通夜の時間へ間に合わせた。

いつ梅雨に入ってもおかしくない時期になったが、お昼前からどんどん気温が上昇して午後になると日差しが突き刺さるくらい強くなった。まだ明るい夕方の葬儀会場は外の路地にまで通夜の参列の人並みが溢れていた。米寿を迎えるほどのおばあさんでこれだけ大人数の参列はめずらしいことだ。御本人の生前のお付き合いや、ご親族の地域での暮らしぶりが忍ばれる。
ちぎれかけている紐をさりげなくかばいながら、通夜の鐘つき坊主を務めて万善寺の庫裏へ帰った時はまだ8時を回っていなかった。それから、まずはシャワーで汗を流して、一度ザッと身体を拭いてから改めて頭にバリカンを当てて髭をそった。
ノンビリと夕食の支度をするのも面倒だから、冷凍庫で眠っていたコストコのバターロールを3つほどオーブントースターへ入れた。焼ける間に改良衣の修繕で針仕事の準備をした。朝のコーヒーの残りでパンを流し込んで、ウエブ配信でJAZZをチューニングして少し落ち着いてから、針を使った。こういう時にはハズキルーペが欠かせなくなった。
iPadがSNSの着信を教えてくれたので確認すると、キーポンがLINEで写真を送っていた。100均のマグネットシートを使って1才児用の知育おもちゃを手作りしていた。同じものを2セットつくったらしい。教材費が支給されるのかどうかわからないが、なかなか前向きによく気が回る良い保育士さんになっているようで感心した。
オヤジは寺でチクチクと針仕事・・・
キーポンは東京の社宅でセッセと教材つくり・・・
面倒臭い針仕事も、どうせ避けて通れないなら、キーポンのように前向きに仕事を楽しめるようにならないといけないな・・・反省!

そういえば、引導の情報収集によるとおばあさんは和裁が得意で、近所の奥様方に教えていたこともあったらしい。交友の広さが通夜の参列に反映していたのかもしれない。
引導には・・「意は無事に随して適い、風は自然を逐うて清し」・・白楽天の一節を使わせてもらうことにしよう〜何事も無作為をこころがければ、自然に吹く風のように清々しい気持ちでいられる〜・・欲に染まった彫刻家坊主への戒めでもあります・・・

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坊主彫刻家 

2018/05/28
Mon. 23:56

いまひとつパッとしない天気だ。
石見銀山から銀山街道を万善寺方面へ登っていると、途中から路面が濡れてきはじめた。
約100mくらいの標高差を登っているわけだし、直線距離で約30kmくらい離れたところへ移動しているわけだし、その場所場所で天気が変わるのも仕方がないことだ。

しばらく前に、雨の中無理をして草刈り機を回していたのだが、それでかどうか、エンジンの回転ムラがひどくなって、そのうち動かなくなった。素人だから雨水が原因なのかわからないし、自分で修理も無理だし、機械が動かないと仕事にならないから、すぐにホームセンターへ修理を依頼した。それからもうずいぶん日数が過ぎたのに連絡がこない。修理代が高額ならいっそ新品に更新したほうが早いかもしれないとも思う。これから梅雨に向かって草は伸び放題でこちらの都合を待ってくれるわけでもないし、困ったことだ。

寺へ到着した直後に、いつもの業者さんから電話が入った。
ディスクグラインダの砥石が届いたようだ。先日の炭素鋼の時は材料の到着が思った以上に遅れて大変な思いをしたから、砥石の方はかなり余裕を持って注文しておいたのに、たった2・3日でアッという間に届いてしまった。
もう何年か前のこと、確か北京五輪開催の前年くらいだったと思うが、そのときも材料が揃わなくて彫刻制作を断念するか、スケールを縮小してその時あるだけの材料で中途半端に造ってひとまず間に合わせてしまうか悩んだことがあった。結局、あの時はギリギリまで待って、連日突貫制作を続けて搬入にまにあわせた。
私のような個人営業の鉄工所にもならない極小作業場の人間は商工業関係の組合にも属していないし、そういうこともあって大手の建材組合からは材料取引を拒否されてしまう。まだ彫刻家になりたてで、鉄の彫刻を造りはじめの頃、島根鉄工会に材料の注文をしたら、普通にサクッと取引を断られてしまった。幸い、あの時はお世話になっている鉄工所のご主人に鉄工会と付き合いがあって、その鉄工所経由で材料購入が出来ることになってずいぶん助かった。
それから、年月が経って今は完全孤独な個人営業になっているから、少しでも業者さんとのトラブルが生じると、それで全てが止まって制作できなくなってしまうほどに厳しい環境をかろうじてしのいでいる。こういう状態でいつまで取引が続けられるか先行き不安なことだが、こればかりは相手のあることで仕方がない。
吉田個人にとって、どこかしら不安定にみえる今の材料流通状況は鉄材に限ったことだけなのかもしれないが、きっとどこかで東京五輪が何かしら影響している気がする。五輪のような国家が絡むほどの巨大なプロジェクトで流通する資材は、鉄板1枚2枚のレベルなど完全に無視されて終わりだ。製鉄会社の1ロットすべてがゴッソリ五輪へ流れることも十分に考えられることで、世界の経済はこうして活性してソコソコの安定が維持できているのだろう。

遅々として進まない万善寺の営繕作務を切り上げてシャワーで汗を流したら、工場経由で吉田家へ帰るつもりだ。ワイフが江津と奥出雲で仕入れた海のものと山のものがまだ残っているはずだ。夕食の懐石盛りを楽しみにもうひと踏ん張りしよう!

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ピリピリチリチリズキズキ 

2018/05/19
Sat. 23:29

自分の体質というか肉体というか、とにかく身体の何処かである日突然何かしらの不具合が生じて、それがもとに戻らないまま何ヶ月も体調不良が続く・・・というようなコトがあって、はじめてそのことに気づいて自覚したのは35歳くらいの頃だった。
まだまだ若くて少々の無理など平気で出来ると思っていたから、その無理がなかなかできなくなって、それまで痛いともなんとも思わないし、そういう自覚もまったくなかった首筋から肩や背中にかけて鈍い痛みが生じて、夜になっても簡単に寝ることができなくなってしまった。まだ子供も小さいし、ワイフに話すと心配が過ぎて大げさになってしまいそうだったので、密かに黙って湿布を貼ってみたりアンメルツを塗ってみたりしていたのだがほとんど効果がないまま、しだいに慢性的な痛みになっていった。
面白いもので、痛みも慢性化すると、寝ても起きても何かしら自分の身体がそれを覚えてしまって、少し無理をした時とか、身体のパーツの何処かを集中的に酷使した後とか、なんとなく「そろそろ痛みがやってきますよ!心の準備は大丈夫ですかぁ〜」といったふうな前兆を知らせてくれるようになった。なにもしないでくつろいでいる時とかに、気がつくとヤバくなりそうな患部の辺りでピリピリチリチリと微細な痛みが走りはじめる。そういうことがあると、だいたい一晩寝た次の朝に目が覚めて起きようとすると、キッチリその場所が痛くなっていたりする。
35歳くらいの時にそういうことを自覚してからあと、周期的に似たような症状が身体のアチコチで起き始めた。始めの頃はそれがだいたい5年毎に巡ってきていたが、気がつくと周期が3年くらいに短くなっている。そして、場所によっては1年後の春になるたびに巡ってくるようになっていたり、季節の変わり目ごとに症状が現れたり、時には、低気圧が接近するとズキズキ疼き始めたりするような患部まで自覚できるようになっていたりする。

最近になって特に強く自分の身体はこうして1年毎に確実に老化しているのだと云うことを実感するようになった。
毎年のように繰り返される一つ一つの決まり事は、その年の環境が多少変わってもそれでスルーできるわけもなく、いくら時間がかかっても、いくら体調が優れなくても、いずれいつかは同じように何かしらの工夫をしながら乗り切っていくしか無いことだ。
遅れに遅れていた草取り機の製作は、自分の身体を気遣ってもっと遅らせてしまうことも出来るには出来たと思うが、そうすることのしわ寄せの方がより重大である事もわかっていたので、この2日間ほどはかなり厳しく無理をして身体を酷使した。
案の定、今朝は自分の思うように身体が動かなくなっていて、どうしたものかと一瞬悩んだが、やっぱり今は無理を通すしか無いと決めて、あらかじめおおよそ計画をしておいた通り、寺の用事と吉田家裏庭の草刈りを実行することにした。体調が万全なら特に体力を消耗するほどの重労働でもないから、1日もあれば十分に時間の余裕を持って片付けられる程度の仕事量のはずだったのだが、さすがに、今の状態では無理だった。夕方日が暮れて手元や足元の様子が確認しづらくなるまで草刈りを続けたが、最後まで終わらせることは無理だった。幸い、明日は特に差し迫った用事もないし、半日もあれば残りのこともなんとかなるだろうと思ってはいるが、それも一晩寝てみないと何とも言えない。
少し前にボクの誕生日も過ぎてまた一つ歳をとった。あと何年身体が保つだろう?・・

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工房むうあオリジナル製品製作完了! 

2018/05/18
Fri. 23:21

済んでしまえば、結局どうこう云っても結果論にすぎないことだが、とにかく、今回の草取り機制作はことごとくつまづいた。
始まりは確か4月の半ばくらいだったと思う。退職校長で今は地域の公民館長へ納まっている同級生からの電話だった。

彼が退職する時、学校への置き土産に自腹で草取り機の製作依頼をしてくれたのだが、あの時は年度末の3月だった。あまり記憶も定かではないが、依頼を受けてから材料計算をしていつもの取引業者さんへ材料発注をかけたら、次の週には全部揃って工場まで配達してくれた。
いつもよく注文する塗装のない黒皮アングルは何処にでもある材料ですぐ手に入るはずだが、厄介なのは炭素鋼の角材で、こちらの方は用途が限られる材料だから何処にでもあってすぐ取り寄せ出来るものでもない。一種の鉄合金のようなもので、炭素の含有量で製品番号も各種あるから、発注する方もその具体的な説明を材料カタログの製品番号と照らし合わせたりしてなかなか面倒な鉄材でもある。
ある意味そういう特殊なものが必要になる仕事は鉄の彫刻ばかり造っている個人営業彫刻家の吉田にとって稀な部類に属する。今回の依頼も、そういうことを知った上で遅くても春の連休前には発注しておかないとヤバイことになると予測していたのだが、それがあまりにも厳しく大当たりしすぎてしまって、結局炭素鋼の現物が届いたのが昨日であった。

工房むうあオリジナル製品でもある草取り機には、使用者の使い勝手を考慮した幾つかの工夫がされている。
1号機を製作する時にリサーチした既存の草取り機は、低機能な割にあまりにも大げさでゴツく、使用者の体力負担を無視した代物ばかりだった。そういうものは、モノがヒトを選ぶような使い勝手の悪さがあって、結局校庭の片隅で放置されたまま風雨にさらされて朽ち果てるばかりの粗大ごみとなってしまうことが予測できるし、実際、リサーチの過程でそういう実態をつぶさに目撃もした。
だから、吉田の制作コンセプトは、まずは、大人が一人で手軽に運搬できるサイズと重量であることを最優先にした。軽トラで運搬できて、一人で積み下ろしして、簡単に組み立てられて、すぐに使えて、後片付けのメンテナンスも不要で、収納も場所を取らないで済むこと。
それらの条件をクリアーするためには、製作する手間暇が必要以上にかかるから、それを製作費に全て組み込むとかなりの高級品になってしまう。だから、優しく温厚な吉田は、学校教育のさらなる発展に寄与すべく、それらの面倒をすべてゴクリと飲みこんで粛々と製作に励んでいるわけなのです。
それにしても、今回は2日間しばしも休まずフル稼働した。塗装を終わって積み込みの直前から土砂降りの雨になった。まさに名実ともに正真正銘の雨男だ。
ずぶ濡れになったつなぎの作業着を着替えに一度吉田家へ帰宅して、シャワーで冷えた身体を温めて、それから予備のつなぎを用意して出雲の先の斐伊川土手方面へ銀くんを走らせた。
小学校では教頭先生が出迎えてくれた。降り続く雨の中、夕方7時前に納品が終了した。

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草取り機ものがたり 

2018/05/17
Thu. 23:42

最初に学校の草取り機を造ったのはキーポンがまだ大森小学校へ通っていた頃だった。

あの頃は、島根県全体で小中学校の児童生徒数が激減している時で、大田市でも行政区の小学校が毎年のように統廃合で減少していた頃でもあった。現代彫刻小品展や野外彫刻などの彫刻イベントを開催している旧富山小学校もその時の統廃合で廃校になった。
大森小学校の方は、地域住民の小学校存続への熱い思いが教育委員会から提出された廃校計画に真っ向から対立することになって、当時のPTAもPとTがそれぞれの立場で距離を置きながらそれぞれ主催の研修会や学校再編計画の説明会やそれらを受けての町民集会まで毎月のように開催して、石見銀山の町全体が熱く揺れ動いていた時期でもあった。

吉田家の子供たちはというと、すでに上3人が義務教育を卒業してそれぞれ次の進路へ進んでいたから、最後に残ったキーポンは一人っ娘のごとき甘えん坊に育っていた。
オヤジの私としては、特にキーポンを特別甘やかして育てているつもりもなかったのだが、上の3人の子供たちには事あるごとに「お父さんはキーちゃんだけ特別に甘やかしすぎている!」と文句というか嫉妬というか意見というか・・・とにかく、そう云っていつも叱られていた。もっとも、自分としてもやはりキーポンが最後の子供だと思うとほったらかしにも出来ないし、その上、児童数も最悪に少なくて、だから親の役回りも当然立て込んで窮屈になるわけで、そういう実情のこともあって、保護者や学校との付き合いも「コレで最後だから・・・」と、なんでも言われたことはゴクリと飲みこんで「引き受けることにしよう!」と自ら決めていたところもある。
それで、めぐり合わせでPTA会長の役職が回ってきて、それに統廃合の問題が付いてきて、何から何までドタバタと仕切りまくるしかない状態になってしまったという理由。
大森小学校の校庭の草取り機のことも、その流れで吉田が製作するということになってしまった。大森小学校の長い歴史の中で、シーズンになると歴代PTA会長が率先してH鋼を引っ張って草取りの勤労奉仕を繰り返していたという既成の事実があって、それを引き継ぐかたちになってしまったというのが今だから話せる裏事情であったわけだ。

H鋼を引っ張っていた頃のPTA会長は運送業の社長さんで、でかいトラックを持っているから、それを校庭へ持ち込んでグイグイ馬力で引きずり回していたのだが、みんながみんなそれが出来るわけでもなくて思い悩んでいたら、当時の校長さんが「前の学校で勤務していた時に近所の鉄工所のご主人が造ってくれたモノがありましてね・・・」と耳打ちしてくれた。そう云えば「似たようなゴツイのが中学校の野球場の隅へなげてあったなぁ〜」と思い出して、早速リサーチに出かけた。そうやって、幾つかの草取り機データを収集して自分なりに工夫してだいたいのスケッチを描いて、それを工場へ持っていって、ありあわせの材料をかき集めて溶接で継ぎ足して造ったのが第1号草取り機だった。
唯一のコダワリはメインの櫛に炭素鋼を使ったこと。これはたまたま、板金の打ち出しに使う小振りの当て金を造ろうと取り寄せておいたものが2本ほどあってそれを流用した。

「ご注文の鋼材が入荷しまして、夕方にはお持ち出来るんですかどうしましょうか?」
4月末に頼んでおいた炭素鋼がやっと届いた!第4号草取り機制作の余裕はもう無い・・・

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まずは鉛筆削り 

2018/04/21
Sat. 23:24

江津にあるキリスト教系の高校へ1ヶ月に2回程度通いはじめて4年目になるだろうか?
全寮制の学校で、先生の家族も同じ敷地内で暮らしながらみんなで共同生活をしている。
系列の学校が全国に数カ所あるらしいが、詳しいことは知らない。

まがりなりにも仏教の坊主がキリスト教の学校へ行くというのもどうかと思ったが、その学校の校長先生とは私が30代の頃から知り合いで、彼がまだ独身だった頃からそれなりに親しく付き合っていた仲だし、断ることも出来にくくて1ヶ月に2日位ならなんとかなるだろうと引き受けている。
それで、何をするかというと、美術全般のなんでもアリ的生徒活動の支援。
俗に言う高校の芸術美術の授業のような堅苦しいことはしないでいいということだから、気楽でいられる。生徒たちは自分の希望を幾つか提出して、その中から好きな科目を決めていくようになっている。今までは美術系の選択者が2〜3人程度だったから、そのくらいの人数なら自分の道具や材料を提供しながらなんとか1年位は乗り切れていて、かえってそれが遠慮もなくて良かった。
4月に入って新年度になってからなんの連絡も入らなかったから、今年は少なくても半年間は江津方面へ出かけることもないだろうと思っていたら、1週間くらい前にいつも美術を担当している先生から「今年もよろしく!」と電話が入った。
早速、次の土曜日からお願いしたいといわれたので、生徒の希望優先にするとなかなか選択ゼロにするのは難しいことなのだろうなぁとチラリ思いつつ寺務手帳でスケジュールを確認して記帳しておいた。
生徒活動の前日になって、また担当の先生から連絡が入った。
「あのぉ〜〜・・・美術の選択が9人なんですけどぉ〜〜・・・他が定員オーバーで第2希望で流れた子が何人か出てしまいまして・・・、美術は特に定員を用意していなかったものですから・・・大丈夫でしょうか?・・・」
まぁ、どう考えても、もう決まったあとのことだろうから、いまさら「無理です!」とか「出来ません!」とか言っても、どうなるものでもないだろうと思いつつ、道具や材料の調達のことがチラリと脳みそを駆け巡った。
「それで早速ですが、何か用意しておくものが有りましたら言っていただけると・・・教材費のことも、人数が多いので今までのようなわけにはいかないような・・・」
それから、具体的な話がしばらく続いたが、そういうことよりも、そもそも椅子が人数分あるかどうかそちらの方が心配になってきた。なにせ、今まではせいぜい多くて5人以内で用が足りていたから、気楽でいられたのだが・・・さて・・・1日で9人分のナニが用意できるだろうか寺務をしながら考えたが、急には何も出てこないので、とりあえずスケッチブックを吉田家の何処かから探し出すことにした。私の方はもう長い間スケッチブックとは縁のない彫刻家になっているので、ワイフが家事をしている間に彼女の仕事場をゴソゴソあさって、表紙が日焼けして色が変わっているような新古品を1冊探し出した。

久しぶりの美術小屋には昨年度制作した生徒たちの作品がまだそのままになっていた。
片付けてあった道具の中から鉛筆をかき集めて削っていると、新年度の選択生たちが少しずつ集まってきた。男子5人女子4人で、そのうち2人は昨年度と同じメンバーだった。

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鉄のテーブル 

2018/03/26
Mon. 23:34

まだ寝ている間に、いつのまにかキーポンが出かけていた。そういえば早番だと云っていたが、想像以上に朝が早い。

1週間の東京暮らしで必要な最低限の衣類は彫刻の梱包材で使って、銀座のギャラリーに届いている。そこから少しずつ小分けしてキーポンの部屋へ持っていって洗濯をしたりしながら一応毎日それなりにコーディネートを考えて着替えている。
東京は思ったより寒くて、島根のほうが暖かく感じる。昔東京で暮らしていた時も、晩秋や春先は風が冷たく感じて厚着をしていたことを思い出した。

キーポンの生活ルールに従って、朝シャワーを浴びて髭を剃った。それから、自分の下着などをキーポンの洗濯物と一緒に洗った。
ギャラリーの受付で出かけるまでまだ十分に時間があるから、その間に洗濯物を部屋干しするところまで済ませた。
やはり、朝には一杯のコーヒーが欲しいところだが、彼女はコーヒーを飲まないから、仕方がないのでインスタントのポタージュスープを飲んだ。

キーポンは高校を卒業して一人暮らしを始めて、それから就職が決まって昨年の3月に東京へ引っ越して1年が過ぎた。
久しぶりにオヤジが来るというので少し慎重に部屋を片付けたのかもしれないが、何気なく散らかっているようにも思うし、総じてキレイに片付けられている風に見える。
部屋のほぼ中央には娘のためにオヤジが手造りしたテーブルがある。冬はそれが炬燵にもなるから、今は二人で並んでそれに潜り込んで寝ている。夜中に寝苦しくて目が覚めるとキーポンの頭が私の腕に乗っている。彼女は、小さい時からオヤジの腕枕で寝ていて、いまだにそれが続いていることになる。

その炬燵にもなるテーブルは、長女のなっちゃんが進学して一人暮らしをすることが決まった時に造ってやったのがはじまりで、その後ノッチが一人暮らしを始める時に「私もアレがほしい!」とせがむので2つ目を造った。
なっちゃんは、引っ越しのたびにそのテーブルを持ち歩いて、結婚した今では旦那と二人でそれを使っていて、「今度は、吉田家にあるような大きいヤツ造ってね♡!」と、すでに次のテーブルを催促している。
キーポンが使っているテーブルは、ノッチから預かっているもので、ノッチが帰国したらそれがダレのものになるか今はわからない。セミダブルの比較的大きなベッドも、元々ノッチが買って使っていたものをキーポンが使っている。だから、これからノッチが帰国したら、少し揉めてめんどくさいことになるかもしれない。結局、その炬燵テーブルがノッチへ戻ることになったら、それこそ3つ目を造らないといけなくなる可能性もある。

「彫刻を造って生活できるんですか?」と、時々質問を受ける。あまりにも分かりきったことだからかえって回答に困ってしまうが、吉田の場合は、こうやって日常の幾つかの場面で使い勝手の良い何かを造ったりして暮らしの糧に変えているわけであります。

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アレはアレ!コレはコレ! 

2018/03/12
Mon. 23:34

強風と大雪で断裂したまま軒先にぶら下がっていた別棟の電気配線は周辺の雪が溶けて動きやすくなったので、近所の内線工事業者さんへ修繕依頼して、今度の寒波被害の復旧に目処が付いた。
風呂のカランの方は、まだなんの連絡も入ってこないままそろそろ1ヶ月になろうとしている。水道関係の業者さんも小さな町に1つ有るか無いかの店舗数で地域一帯に広がるこの冬の凍結被害復旧作業をこなすのもおおごとなことだろう。
屋根の雪に押されて固まったままピクリとも動かなかった建具が、先週くらいから少しずつ動くようになって、今になってやっとガタピシながらも今までどおり日常の生活に苦労しない程度に戻った。
山の斜面に面した北側は、まだ雪が溶けないまま残っている。今度の大雪で瓦がずれているかもしれないし、その確認もしておかなければいけないが、今はまだ少し早い。お彼岸前の大掃除にあわせてそれをしようと思っている。
除雪作業で酷使した膝が夜になって疼き始める。布団の中へ手持ちのヴァイブレータを持ち込んでブルブルと膝周りをマッサージすると、次第に温もって血行も良くなるのかしばらくは痛みも消えてそのうち寝てしまっている。お彼岸までには膝の具合をなんとか少しでも良くしておこうと思うが、墓掃除や倒れたままの灯籠の復旧もあって、無理な気がする。
彫刻の方は、お檀家さんの土地に植わっていた栗の木を切り倒したのがあって、それを材料でもらうことになっている。あまり大きな木ではないが、近くには今どき栗の木を扱っている材木屋など無いし、チップ工場で雑木の山から探し出すのも大仕事だから、お経の合間の世間話でそれこそ呪文のように「アノ木が欲しい、コノ木が欲しい・・」とささやいていると、時々それがヒットしてそれなりの情報が入ってくる。今度の栗の木もその一つで、彫刻に使えなければストーブの薪になるし、いずれにしても野ざらしで腐らせるよりはいい。

3月も、アッという間に月半ばが近づいた。
年度末の書類作成をしながら化学着色を続けている小さな彫刻が、少しずつそれなりの錆色になり始めたので、展示するときの効果を確認するために吉田家へ持って帰った。
今度の彫刻は、いちおう「彫刻!」と言ってはいるが、どちらかといえばインテリアクラフトに近いところに位置している。今の美術館は公共とか私設とか関係なく、作家の作品展示にやたらと厳しい規制がかかる。美術館サイドの管理運営を優先した規制が過ぎて、作家の表現の自由が無視される傾向にある。昔は、相手の事情に出来るだけ順応しようと努力しながら制作を続けていたこともあったが、そういうことのストレスが自分の彫刻の造形感というかコンセプトに悪影響を及ぼすことがわかってきて、それからは、とにかく自分で自分に「アレはアレ!コレはコレ!」と言い聞かせて時と場所を使い分けながら大小の彫刻を造るようになった。だから、本当に造りたいモノを造ろうと決めるときは、自分の許容できる発表展示の環境を用意して、それから周辺事情を調整しながら交渉を進めることにしている。こんどの小さな彫刻は、どちらかといえば、少し遠慮もあるが自分のワガママ優先で造りたいモノを造った。銀座のアノ画廊は、まだそういう類の彫刻を受け入れてくれる許容があると信じている。

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2019-03