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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ボクの想定外 

2019/11/20
Wed. 10:51

寺の用事に少し間ができたので撮りためておいた彫刻小品展の会場写真から手配りを兼ねた三つ折りのチラシをつくった。
だいたいの校正が終わったところで試しに印刷をした。
プリンターが動いている間に通勤坊主の帰り支度をしていたら、西向きの勝手口がオレンジに染まっていた。
まだそんなに遅い時間だと思っていなかったから、夕暮れの状況に慣れるまで少し時間がかかった。
気づかない間に、随分と日が短くなっていた。

石見銀山で小品彫刻の展覧会が始まって1周間が過ぎた。
会場は、北から東にかけて昔ながらの窓ガラスが建てられている。
昼のうちは逆光が少し強くなるが、夕方、陽が沈む頃になると一気に会場の雰囲気が変わって、ほんの20~30分だけのその頃合いがとても好きだ。
それから間もなく周囲が暗くなって、窓ガラスの外は夜の闇になる。ソレもまた昼間とは違って独特の雰囲気が漂う。
展示が終わって展覧会が始まって以来、なかなか会場に常駐することができなくて気になっていたから、少し早めに寺の用事を片付けて彫刻の様子をみておこうと思っていたのだが、夕方の丁度良い頃合いには間に合いそうにない。

65歳の誕生日は病院のベッドで迎えた。
まぁ、ソレも自分の人生としては記念すべき節目になったと思っている。
それにしても、5週間の日常の現実との乖離が、その後の自分の暮らしにここまで大きく影響してくるとは思っていなかった。
自分の彫刻の制作の方は、年間を通じて長期的スケジュールにほぼ大きな変更もなく毎年繰り返されているから、だいたい今の所それほど苦労することもないままいつもと変わらないでいられている。
万善寺の方は、そもそも自分の都合でスケジュールが組み立てられないから、これは一つ一つの現実と具体的に向き合って粛々と乗り切るしかない。
日頃はそれほど大騒ぎするまでもない程度の仏事が五月雨に過ぎていくばかりのことなのだが、なんのめぐり合わせなのだろうか、今年の場合は今までの万善寺がまったく通用しないまでに目まぐるしく様々な出来事が次々と絶え間なくやってくる。

展覧会が始まってすぐの夜更けに、お檀家さんの訃報が入った。
50軒足らずのお檀家さんのことで、今年は既に5軒の葬儀で5つの引導を渡した。こういう事態は、副住職時代を含め自分の坊主家業で経験のない想定外のことで、寺の過去帳を手繰っても、前住職の憲正さん在職の60年でもなかったことだ。元号が平成から令和に変わったという事実と合わせて、これからも鮮明に自分の記憶に残ることだろう。

夕方の万善寺上空は一面いわし雲が広がっていた。明日は雨になるかも知れない。
山王さんの秋の大祭が近い。今年の万善寺住職は山王神社境内の草刈りが当番になった。

2019石見銀山彫刻小品展チラシ
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気持ちの向く先 

2019/08/29
Thu. 13:18

銀山街道や出雲街道脇の田圃でコンバインが動き始めた。
年々稲刈りが早くなってるように思っていたが、今年は8月のうちから稲刈りが始まっている。早稲の品種や飼料米のこともあるのだろうが、それにしても早い。
週が変わって義務教育の子供たちの通学風景が戻ってきた。
こちらも、8月のうちから二学期が始まったようだ。
自分が歳をとったせいなのか、周囲の色々なもののスピードがどんどん速くなっているように感じていたが、そういえば、まだ8月に入ったばかりで棚経が始まった頃、やっと実り始めたばかりの稲穂スレスレに盆トンボの大群が風に乗ってホバリングをしていた。風向きが変わると一斉に銀くん目がけて向きを変えてくるものだから、チョット焦って思わずハンドルを握る手に力が入った。
梅雨が開けて連日暑い日が続いていた。

諸仏の夜法要がひとまず落ち着いた。
これから8月末までに幾つかの古墓一切追善法要が少し残っているだけなので、気持ちが日に日に彫刻の方へ向き始めている。
今年は5週間の入院生活のおかげで、かなり大量のメモが溜まった。
その中から幾つか目星をつけておおよそ制作の方向を決めておいたものを仏事の合間に眺めて再考していると、また次の欲が湧きはじめてきた。
夜、オシッコで目が覚めてなかなか寝付けなくなってしまった時にメモの幾つかを思い出したりすると、またまた無駄に浅ましく欲深いコトを考え始めてしまったりして収集がつかなくなる。
結局は、今の自分の体力や体調と相談しながら無理のないように出来ることを精査することが肝心なのだが、どうもすんなりと割り切れないで気持ちがジタバタと落ち着かない。
今まで造ってきた彫刻は、必ず形の何処かへどうでも良い蛇足がひと手間加わってしまうことばかりだった。ソレはソレで「ソレが吉田の彫刻らしさダ!」と云えなくもないが、やはり造り終わってみると無駄な蛇足が無駄に目について造形の緊張感が崩れていたりする。
結局は考えすぎているからだろうし、やれば出来てしまうくらいの邪魔な技術が我が身に染み付いてしまっていて、それで身体が勝手に動いてしまうのだろう。
この頃は、彫刻であると言えるかどうかもわからないような、なんの変哲もない彫刻が造れると良いと思う。

1日中晴れて良い天気だと思っていたら夜になって土砂降りになったりして、銀くんのリヤデッキに積んであった彫刻梱包用の古毛布などが濡れてしまった。
稲刈りが終わって11月から農閑期の数ヶ月ほど次の彫刻を展示させてもらうから、今のうちに前に造った彫刻を引き取ってもらう施主家まで移動する。
秋雨前線の様子をみて2tのユニック車を予約しておいた。
全部で4点の彫刻を早朝から積み込んでお昼前にそのうち3点ほどを施主家の庭先へ仮置きした。それから寺へ移動して残りの1点を境内の端へ設置して夕方に2tを返却した。
今の体調で少々無理をしすぎたように思うが、とにかくこれから彫刻制作がはじまる・・・

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四枚の絵 

2019/07/23
Tue. 23:20

台風は去ったがいまひとつスッキリしない毎日が続いている。
スズメたちへ古古米などを集めて餌場を作ってあったのが雨に降られてベチャベチャになっていた。それで工夫して軒下の比較的雨の影響を受けないあたりへ餌場を移動しておいたら、保賀の谷のアチコチから集まってきて大騒ぎになった。
彼等も長雨の影響でまともにメシも食えないで飢えた状態が続いていたのかもしれない。

雨のやみ間を見計らって草刈りでもしようと準備していたら、近所のオジサンが森林組合の回覧を持ってきた。
万善寺は昔から寺の山が点在しているから森林組合の組合員になっているらしい。それで私も詳しいことは何も知らないまま毎年回ってくる回覧を受け取って必要があれば指定の箇所に記名したり捺印したりしているが、内容は全く理解できていない。
「草刈りはもう少し乾いてからしんさいや・・・今は濡れとって重たいばっかりですけぇ〜」
私の草刈りスタイルを見てオジサンが教えてくれた。
ようするに、今の草は雨水をタップリ吸い込んで瑞々しく勢いがあって重たいから、燃料も無駄に使うし濡れた草が刃に巻き付いたりして機械の負担も増えて良いことではない・・というわけだ。雨がやんで好天が続いて草も土もカリカリに乾燥して軽くなってからのほうが「草刈りが楽になりますけぇ〜もう少し待ちんさいやぁ〜」だそうだ。
さすがベテランのお百姓さんだ。そう云われてみると確かにその通りだと思う。
「そんなもんですか?・・・」
なんとなく出鼻をくじかれた感じになったが、素直に教えに従って長靴を脱いだ。

何もしないで昼寝ばかりしているわけにもいかないから、前々から気になっていた昔は配膳部屋だった板の間を少しつついて展示スペースにすることにした。
なにもないとだいたい8畳くらいの大きさだが以前は母親が板戸や障子で四方を締め切って色々なモノを詰め込んで自分の寝室にしていた。その先には台所や風呂やトイレに勝手口もあって、ある意味で万善寺住人の通行の要所でもあったから、とにかく使い勝手が悪くて不便だった。
1周忌までに邪魔な建具や箪笥などを取り払って風通しを良くしながら少しずつ改造を進めていて、今年の3月には3回忌の法事をすませたし、そろそろ見た目の体裁や使い勝手も考えながらなんとかしようと思っていたところだった。

20代の、丁度今のノッチと同じ年齢の頃に、2年間かけて4枚の平面を描いた。その平面は、金属の平面作品を造るための試作も兼ねていて、構図や構成のこともあるが、制作の工法や作品のスケールを確かめることが主な目的でもあった。
その後4点の平面作品をベースにして、彫刻の研究発表をしながら金属レリーフの連作を5年間造り続けた。まだ彫刻の立体に自信が持てないでいた頃だったから、とても良い勉強になった。
自分にとってはある意味で制作上の重要な分岐点であったとも言える。
半日ほどで壁面を増設して4枚の絵を展示した。いい汗をかいた。

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柿渋染の古色 

2019/07/15
Mon. 23:14

退院後はじめての本格的なクリエイティブワークになっていた柿渋染だったが、見事な失敗に終わった!
せめてもの救いは、ボクの正業(ちなみに、家業は「坊主」です)である彫刻家としての仕事ではなかったこと。
これで鉄のナニカで失敗していたら、彫刻家引退を考えたかもしれない・・・とはいっても、完全なる大失敗という気もなくて、要するに「万善寺粗品」としての商品価値をクリアーすることができなかった・・・という程度の失敗。
柿渋染そのものは、久しぶりにワクワクドキドキするような実験と発見の連続で、ソレはソレで実に楽しい工夫の日々であった。

失敗のポイントはおおよそ予測できている。これからそのあたりの工法を修正しながらなんとかしてお盆の法要までに必要量の粗品を確保することになる。
俗なことだが、今回失敗した万善寺粗品手ぬぐいに要した経費を集計したらナント!16,000円にもなっていて、手ぬぐい1枚が400円もする万善寺規模の粗品としては完全な大赤字になった。
先代の憲正さんが配っていた粗品は、例えば万善寺の寺名入り100円ライターとかポケットティッシュとかボールペンとかそういうもので、だいたい1個150円程度だった。
今でも、業者発注ですませてしまえば、だいたい似たような経費で用が足りると思うが、一方で彫刻家であることに生きがいを感じてもいる現住職のボクとしてはソレをしたくない意地のようなものがある。法要にお参りの檀信徒の皆様へ何かしら住職の「流した汗の痕跡をお持ち帰りいただきたい」と勝手に思っているのだ。
俗に染まったナンチャッテ在家坊主のヘナチョコお経で信心がより一層深まることなど期待できないし、かといって、そんなもんだと飲み込んで坊主家業にあぐらをかいているのも嫌だし・・・せっかく一方でクリエイティブな世界に身を置いているわけでもあるから、それじゃぁ〜「粗品くらい坊主自ら一つ一つ念入りに手造りしたモノがあってもいいじゃないか・・・」と考えているわけです・・・

お彼岸が終わって先住職内室俊江さんの3回忌が終わって、体調不良を騙しながら入院前に片付けたい用事で慌ただしい毎日を過ごしていた頃、萩原健一さんの訃報が入った。
私とほぼ同世代で同じ時代を生きた人だった。いろいろとやんちゃなところもあったようだが、俳優業が増えてからあとの彼が好きだった。
その萩原健一さんで一番強く印象に残っているのは「股旅」という市川崑さんがATG(アート・シアター・ギルド)で撮った映画。
その頃は「木枯し紋次郎」が大流行していて、何作かは市川崑さんが監督していた。股旅はその木枯し紋次郎の空気感をもっと濃密にした感じの映画になっていた。萩原健一さんのなんとも不格好なヘナチョコ渡世人がテレビの印象と全く違っていて、あのカッコ悪さに強烈なリアリズムを感じた。
その映画で強く印象に残っているのは、渡世人の身につけている襦袢や袷や合羽や道中の小物入れなど。その使い込んで擦り切れてボロボロになった風合いがリアルに伝わった。
染め落ちた柿渋染の古色に、あの「股旅」の世界が再現された気がしてどこかしら懐かしかった。

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梅雨の晴れ間 

2019/07/14
Sun. 23:47

Hello Sunshine!!

保賀の谷へ久しぶりにお日さまがふりそそいでおります!
怠け者で雨男のボクが、なにか思いついてそれなりに真面目に動き始めると、途端に雨が降りはじめて出鼻をくじかれる・・・まさに、この度の柿渋染がそうで、毎日どれだけお日さまの恵みを待ちわびていたことか・・・

電話でワイフへ弱気な愚痴をタレていたら「あんた、明日だけ晴れそうだよ」と教えてくれた。
「そっちで泊まればいいじゃない。目が覚めたらすぐに仕事始められるし・・」
寺の単身赴任を切り上げて吉田家へ帰る気満々で電話したのにそんな事を言うもんだから、なんとなく帰るタイミングを逸して、もう一晩万善寺泊をすることになった。

早朝からヒヨドリがやかましく鳴きはじめて目が覚めた。
オシッコのついでに庭へ出て境内の端から琴引山の尾根を見たらなんとなく雲が明るくなっていた。
それで、そのままウロウロとパンツ一丁で玄関先に作業場所を広げて、本堂の端から境内の真ん中へロープを張って天日干しの準備をした。
今朝はやたらとヒヨドリが鳴く。彼らも久しぶりのお日さまを喜んでいるのかもしれない・・・
縁側の物干し竿へぶら下げていた手ぬぐいを庭のロープへ移動し終わった頃には、琴引山の向こうから朝日が境内へ伸びてきて、一気に蒸し暑くなった。
これから半日ほど晴れてくれれば、柿渋の定着も今までよりはマシになるだろう。上手くいけば夕方には色止めも終わらせて洗濯機を回すことができるかもしれない。

作業の区切りを調整して昼食にした。
朝が早かったから、満腹になると急に睡魔が襲ってきた。
湿気が身体中に巻き付いて蒸し暑い。
少し横になっていたら、いつのまにか寝てしまったらしい。
遠くの方でスズメたちがやけに騒がしく鳴き始めた。しだいに騒動が大きくなって尋常じゃない。
しばらくすると、一段と賑やかに騒ぎ始めて、それにセミの鳴き声も混ざっている気がする。
目を開けるとあたりが薄暗い。
「まさか・・もう日が暮れたのか??」
一瞬そんな錯覚をしたが、違った。
スズメが騒いでいると思っていたのは、実はカエルだった。
昼寝している間に、保賀の谷へ一気に雲が広がって今にも雨が落ちてきそうだ。
飛び起きて境内へ出て急いで手ぬぐいを取り込んだ。
結局・・・柿渋染は今日も未完成のまま、次の晴れの日を待つことになった・・・

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ただいま苦戦中 

2019/07/12
Fri. 23:05

珍しく週末から仏事が続いて単身赴任をしている。
吉田家を出発する時にワイフが食料を持たせてくれたから、ワンパックずつレンジでチンしながら楽に食事をしている。

柿渋染めの方は、そろそろ1週間が過ぎてまだ思うように染まってくれない。
都合よく梅雨の晴れ間がしばらく続きそうな様子だったので準備を始めたのだが、布を柿渋に浸して染め始めたら、タイミングよく梅雨の雨降りが再開してしまって、連休に入ってからもぐずついた空模様が続きそうだ。
太陽の光が大事な一役の時なのに、それも期待できないまま作業が1巡し2巡し3巡し・・・もう、4回ほど同じことを繰り返している。いつまでも雨が振り続けることもないだろうし、何時かは晴れる日も来るはずだからその日を粛々と待ち続けるしかない。
せっかくだから、万善寺で揃えられる色止めのナンチャッテ媒染液を2種類ほど試してみることにした。
1つは煮物や漬物などに使うミョウバン水。もう1つは流しの下で眠っていた使いかけのらっきょう酢へ不燃物で集めていた古釘を浸けてタンパン酢もどき。
太陽に見放されて染色の進行も期待できないから、アレコレ実験してみるのも良いかもしれない。予測として媒染液の効果が期待できるとすると、色落ちの軽減くらいのことになれば良いと思っている。手間隙かけた作業になるが、あまり期待が大きくて高いと落胆のダメージでしばらく立ち直れそうにない。

琴引山の8合目付近まで雲が降りていたらいつ雨が落ちてもおかしくない。
曇空でも琴引山の尾根から山頂まで見えていたらお日様が覗いてくれる可能性がある。
飯南高原の保賀の谷だけのピンポイント天気予報だが、ソコソコ当たる確率も高いので琴引山の様子を見に参道をお地蔵さまのあたりまで降りてみた。
かろうじて尾根が見えるほどに雲が高いから、翌日には少し晴れ間が覗くかもしれない。
せっかく町道まで降りてみたから、草の伸び具合を確認しながら少し散歩をした。
駐車場だけはまだ雨が降る前に下草を刈り込んでおいたのだが、それももうかなり伸びて見苦しい。今のボクには自然の成長スピードについていくことが難しい。最悪はお金で解決してどこかの土建業者さんへ草刈りをお願いするしかなさそうだ・・・

駐車場脇のイチョウが、瑞々しく緑に茂っている。
落ち葉の頃になると、駐車場の半分ほどは黄色く染まる。
イチョウの葉は水分をタップリ含んでいて、集めて焼こうとしてもなかなか火がつかないし、秋の台風とか季節風で適度に吹き飛ばされて見苦しくないまでキレイになるから特に掃き掃除もしないでほったらかす。その駐車場のイチョウは長い間男イチョウだとばかり思っていた。今まで実の成ったところを見たことがない。ソレが、散歩のついでによく見ると、緑の葉の根本へ緑の実がついていた。成長の具合で丁度実をつける時期が来たのかもしれない。藤の花もそうだが、もう諦めた頃になって実や花を見られたりする。
そういえば、オノレバエの柿も忘れた頃になって実が付き始めた。今年もたくさん小さな緑の実をつけている。早めに収穫して柿渋でも作り置きしようかな・・・どうせヒマだし・・・

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クラフトの行く先 

2019/02/09
Sat. 23:08

今から10年ほど前に吉田家の一部屋をDIYしてギャラリーにしたことがある。
石見銀山の町並みはシーズンになるとそれなりに観光客で賑わうから、ちょっとした旅行記念のおみやげになるくらいの鉄の小物を造ってその一部屋へ並べた。
部屋の隅へ作業机を用意していくつかのパーツを造ったり、少し飽きると、あの頃はまだ元気にしていた犬のシェパくんを相手にのんびり暇つぶしをしたりしながら店番をしていた。
そういうことが1年半ほど続いたが、冬シーズンは開店休業状態になるから、実質は1年弱くらいしかギャラリーをオープンできなかった。
少しずつ春めいてお彼岸が過ぎたら本格的にギャラリーを再開しようと思っていたところへ父親が体調を崩して病院通いが本格的になった。その時は介護というほど大げさなことでもなかったが、そのうち通院が頻繁になったり手術して入院したりして、そういうことのお世話が避けられなくなってギャラリーオープンのスケジュールを調整することが難しくなった。結局冬のシーズンにクローズした状態のまま雨戸を開けることも無くなって、それから見る見る暮らしの荷物が増えてギャラリーが物置に変わった。
父親が永眠して一周忌が過ぎた頃に、再オープンを目指して荷物を撤去して心機一転床を張り替えた。
それで、今度はクラフト小物の路線を封印して純粋に彫刻展示をメインのギャラリーにするつもりで準備を進めていたら、今度は母親が弱ってきて、デイサービスの手続きとか通院の付き添いが必要になってきた。そうこうしているうちに、同宗寺院のご住職や内室が相次いで他界されるなどしてどんどん万善寺業務が増えてきて、せっかくきれいにした元ギャラリーの床には、また少しずつ色々な荷物が増えはじめ、雨戸を開ける機会が遠のいた。
しばらくして母親も他界して一周忌が過ぎた頃に、またまた思い切って建具屋さんへ頼んで障子をプラスチックの丈夫なものに張り替えてもらった。せめて元ギャラリーの雨戸だけでも毎朝開けるようにすれば、このまま物置部屋になることが避けられるかも知れないし、今の個展で造った新作の彫刻をそのまま展示してギャラリーを再開できるかも知れないと思ったからだ。

最初にギャラリーをオープンした時の売れ残ったクラフト小物は、そのまま捨てるのももったいないから吉田家や万善寺の各所で有効に使うようにしている。トイレ読書用の壁面ブックスタンドもそれぞれの場所へ取り付けてみたら意外なほどしっくりとその場の空間に馴染んだ。
私の好きな安西水丸さんはその場所ですでに何回転もしていて、最近また吉田家のブックスタンドへ返り咲いた。3月には安西水丸さんの命日が巡ってくる。早いものでそろそろ七回忌が近いはずだ。
先日、なっちゃんからSNSが届いた。おなかの子供が9ヶ月に入ったそうで、いまのところ経過は順調なようだ。私にとっては初孫の誕生が近い。
この10年は眼前の事実に粛々と向き合いながら過ぎた。気がつけば体力も減退して昔ほどの無理も効かなくなっている。なっちゃんが無事に子供を生んでくれたら、ボクのオリジナルブックスタンドと安西水丸さんの絵本をプレゼントしようと決めている。
ついでに、保育士をしているキーポンへも送ってやろうかな・・・

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今時物流事情 

2019/02/01
Fri. 23:03

朝から空模様が怪しくていつ雨が降り始めてもおかしくない感じだったが昼前にはなんとか持ち直してそれなりの天気になった。
小品彫刻展でお世話になったショップが社員の男手を揃えてくれたので、搬出は半日もあれば終わりそうだ。
彫刻の発送は、窓口での伝票記入に時間がかかりそうなので、展示台の移動をショップの関係者へお願いして任せた。

小品彫刻だと持ち込みのゆうパックが便利で、発送業務の80%は会場の近所の郵便局で済ますことができる。
取扱業者によって寸法や重量の規格が若干違うようだが、だいたい同じ条件なので、ヤマト便がゆうパックに変わってもそれほど大きな混乱はない。島根のような田舎だけのことかも知れないが、ヤマト便や佐川急便などの大手宅配業者さんは、取扱店の基地が少なくて持ち込み発送がとても不便だ。ソレに比べてゆうパックの方は、田舎の小さな町でもかならず何処かに郵便局があって宅配便の取扱をしてくれるからとても助かる。
それでも便利なゆうパックも含めて、時々業者の都合で知らない間に取扱条件が変更になっていたりすることもあって、今回もソレに引っかかった。
お客の事情というより営業上の事情が優先された条件変更の不条理にはどうも素直に納得できない。
鬱陶しいほど反乱しているどうでもいいようなCM告知ばかりに精出す暇も予算もあるのなら、こういう突然の利用条件変更に関する事前告知のコマーシャルを優先してほしい。
今まで普通にOKだった取扱が、急に受付窓口で「見直し変更になりまして・・」といわれても、結局当方は梱包のし直しで持ち帰ってまた出直すことになるわけで、私のように、何から何まで自分の都合で事業を切り盛りしている極小零細事業主にとっては、とても厳しい仕打ちなのです・・・プンプン!!ブツブツ・・・
彫刻家が悪いわけでも何でも無いのだが、世の中の物流システムの中で自分の彫刻をその基準にあわせながら制作をするというのもなにかおかしなことだ。結局は作家の都合ばかりで筋を通すことも出来ないから「そんなもんだ・・」と世間の事情を飲み込んで対応するしかない。
それで、具体的にどういうことかというと、作家が展覧会の主催宛に作品を発送する場合は普通に今までどおり梱包して業者持ち込みをすればいい。ちなみにゆうパックの場合は、送り先が同じなら以前の伝票の控えを持参すれば若干値引きしてもらえるはずだ。問題は、主催側から作家個人宛に彫刻を返送する場合。業者さんの話によると、送り先が個人宛の場合は重量や大きさの制限があるようで、その制限を超えた場合は荷物が営業所止めになって、受取人はその営業所へ引き取りに行くことになるらしい。要するに、ドライバーが一人で運搬できない場合は「自分でひきとりにきてちょうだいネ!」ということで、ソレで良ければ「発送させてもらいますヨ!」ということ。業者さんの立場から言うと何の問題もない当然の理由があることになる。
もう半世紀近く親しくしている運送業者は、営業所の所長が変わるたびに「吉田絡みの荷物はチョット厄介だからよろしく・・」と、申し送りされているようだ。今回も、ほとんど無理だろうと諦め気味に持ち込んだAさんの彫刻だったが、顔見知りの職員さんが「チョット料金かかりますけど・・」と念押ししつつ、渋々引き受けてくれた。アリガタヤ!

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絵を描く 

2019/01/26
Sat. 23:36

油彩画はどうも馴染めなくて、学生の基礎科目で100号を描いたのが最後で、その後しばらく本格的に完成された絵を描くことがなかった。

島根へUターンを決めた時は家業(万善寺のことです)を手伝うことが主たる目的で生活の手段は何でも良かった。
学生の頃は職種を選ばなければすぐにアルバイトが見つかっていたから、島根に帰っても何処か寺の近所で適当な仕事があるだろうと簡単に考えていたのに、お盆仕事の手伝いで帰省したついでに職探しをしてみると、自分の希望に沿った労働条件など皆無。
結局島根の田舎では給料をもらいながら片手間に坊主を手伝うなどと都合の良い仕事が無いものだから、一念発起して本気になって半年ほど採用試験の勉強をした。
改めて「自分にできることは何なのだろう?」と考えてみると、絵を描くことくらいしか思いつかない。試験に必要だから久しぶりにデッサンや着彩の基礎を再開してみると、昔のようにチャンとした完成度には至らないものの、それなりに大事なポイントはソコソコ抑えられる程度までにカンを取り戻すことが出来た。

島根の社会環境の現実に直面した時は、もう造形の世界から縁を切るしか無いとほとんど制作を諦めていたが、何のこともない、就職が決まって5月の連休が終わる頃には1日中与えられた仕事ばかりしてボォーっと過ごすことに飽きてしまって、引っ越しの荷物の中から学生の頃に使っていた道具を探し出していた。それでもすぐに本格的な立体造形を制作できることにはならなかったが、平面造形で絵を描いたり限りなく平面にシフトしたレリーフを造るくらいのことはできるということに気がついた。
なにか頭を使ったり手を動かしたりしているだけで1日の色々な対人関係のストレスが軽減できるしずいぶんと精神的苦痛から開放される。造形上のコンセプトがどうとかテーマがどうとか、そういう面倒臭いことより、まずは何かしらの制作に没頭できるということが楽しみでもあった。私の様子を近くで見ているワイフの方も、なにやら材料を取り寄せて小物やクラフトを造るようになって、吉田家の家庭環境がしだいに工夫されて本格的な制作に取り掛かる地盤が少しずつ出来上がった。
特に本気になって制作環境を整備したわけでもないが、何かしら造りたいものを造れるための工夫を繰り返していたらそのうち最小限の道具や制作場所も揃ってきて、まぁ、それからいろいろあって今に至っている。

年が明けたからもう3年前のことになるが、縁があって1ヶ月に2日程度の割合で高校生の美術活動へ付き合うようになった。
そろそろ3年目が終わりに近づいていて、卒業生はあと2回位しか授業がない。最後の作品制作で数人が小さな油絵を描き続けている。描きたいものが決まっている生徒は脇目も振らず絵にのめり込んで悪戦苦闘している。描きたいものがなかなか見つからない生徒は美術小屋の天井を向いて焦点の定まらない目を泳がせて、これもまた別の意味で悪戦苦闘している。
みんなそれぞれだが、日頃のしがらみをしばし忘れてなにかに没頭できるひとときがあるということはとても大事なことだと思う。

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家業本業 

2019/01/20
Sun. 23:32

朝から法事のお手伝いがあるので、前日から万善寺入りした。
珍しいほどの暖冬で、銀くんを境内まで入れることができるから、灯油をポリ容器5つ分ほど仕入れて寺まで運んだ。暖かいといっても、雪が降らないというだけで飯南高原の冬はそれなりに朝晩の冷え込みはいつもと変わらないで氷点下になるから暖房は欠かせない。

菩提寺の方丈さんは、いつもは松江の寺で暮らしていらっしゃる。
法事などの仏事のあるときだけ飯南高原へ帰っておつとめされる。お経のシステムが万善寺と違っているので、こうしてたまのお手伝いが入ると結構緊張する。
万善寺の場合は法事の数も多くないし、基本的に坊主家業が暇だから、法事が入ると途中で休憩をはさみながらお昼すぎまでのんびりとお経を読んで、お墓参りが終わって斎膳も1時間位は世間話をしながらゆっくりと過ごす。そうすると結局半日というよりむしろ1日仕事に近くなる。
今回のお手伝い法事はお昼すぎに全て終わった。寺へ帰ってからあとの時間に余裕ができて積み残しの作務がはかどった。それでも気がつけば夕方になっていてあたりが薄暗くなりかけていた。急いで斎膳の折弁当や法事のお下がりなどをまとめて石見銀山へ帰った。少しずつ日が長くなって来ているが、それでもまだ冬のことだから1日がアッという間に過ぎる。

2月になると節分があって立春がある。
例年だとちょうど節分寒波の時期なので今年の彫刻制作にむけてザックリとしたスケジュールを決め始めている。2月末には個展の彫刻へ小品を10点ほど追加しようと思っていて、そのためのパーツはすでに揃えてある。
3月に入ると、初午祭やお彼岸や母親の三回忌があるから、彫刻制作の日程を寺の仏事と調整することになる。予定では、個展の打ち止めに高さで2mチョットの大作を造ろうと思っていて、これもラフなかたちがだいたい決まっている。月末は上野の美術館で春季の展覧会が始まるから、その出品彫刻を考えているところだ。基本のコンセプトは継続しているから大体のことは大きく変わらないが、細かいことで幾つかやりたいこともあって、今はそのことで少々悩んでいる。悩みといっても、造るかたちが枯渇しているわけではないから贅沢なことであるが、それでも最終的に1点へ絞ることになってそれがつらい。個展のように、造りたいものを造りたいだけ造って片端から展示してしまって、その展示効果の中から反省を引き出すほうが気楽でいられる。
大きな団体展の場合、展示スペースの関係で基本的に作家はひとり彫刻1点出品が暗黙に決まっているようなところもあって、それを守っていると例えば大作が1年1点、小品も1年1点ということになって、そのための試作などを含めても、彫刻大小せいぜい1年5〜6点の新作が造れるかどうかになる。10年間出品を続けても50点くらいしか彫刻を制作していないことになって、その程度ではテーマとか表現の推敲が断続的に継続されているだけで、モチベーションの維持管理が難しい。私のような飽きっぽい性格だと、彫刻の深みは期待できないし、サラリと技術や技法に流されてしまう。そういうことを避ける意味もあって、定期的な個展を大事にしているところだがさてあと何回できるかな?

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富山カフェワークショップ 

2018/12/03
Mon. 04:29

大田市富山町の有志とまちづくりセンターが協力して開催している「富山カフェ」へワークショップで参加するようになってからもう3〜4年が過ぎた。
初期の頃は春の連休中と冬のクリスマス直前の2回出かけていたが、最近は冬だけ誘いがかかる。

富山カフェの方は、薪窯ピザとか地産カレーとか食べ物中心で営業しているが、ワークショップの方は、100円のワンコインで材料代だけ頂いている。
「ワンコインって、500円ですか?」と普通に誰からもそう聞かれる。
100円だと答えるとみんなが口を揃えて「安い!」と反応する。それで「親子連れで一人500円はいただけませんよ!」と答えると「確かに・・」とだいたいみんな納得してワークショップに参加してくれる。
今年は、吉田家で密かなブーム(というほどでもないが・・・)になっている「モビール」を造ってもらおうと決めて、ワイフとノリちゃんへ伝えておいた。
富山での彫刻小品展を準備しながらワークショップのことを話していたら、ノリちゃんが材料のことやぶら下げるモチーフのことなど、細かいパーツを幾つか提案してくれたので「それじゃぁ〜、そこらへんのことはまかせておいてもいいかなぁ?」と軽く振っておいた。
ワイフの方は例のごとくブツブツ愚痴というか小言というか、見た目は気に入らない様子オーラを撒き散らしながら、それでも暇を見つけては針金を用意したりフェルト細工でパーツを造ったり100均ショップでアレコレ仕入れたりして準備していた。

2日の日曜日が富山カフェの当日で、朝の9時には会場の準備をはじめた。
カフェの方は、10時からオープンのはずだったのにもうその前からボツボツとチケット購入の人だかりが始まって大盛況だった。
ワークショップは1日が終わるまで切れ目なくお客さんの出入りが続いて、それなりに盛況だった。内容の性質上、結構造形力が問われるところもあって、滞在時間がやたらと長くなった。それで回転率はいまいちだったが一人で2つも造ったり、「家でつくりたいから・・」と材料をもらって帰る人もあったりして、対応がそれなりに忙しかった。
案の定、親子連れの参加もあったから、やはり100円の設定で間違いなかった。

カフェはお昼すぎにすべて売り切れ完売で店じまい状態だったが、ワークショップは午後になっても客が絶えなくて、店じまいしたのが3時前だった。それから急いで後片付けや掃除を済ませて、ノリちゃんとはそこで別れた。
ワイフと二人で久しぶりに出雲へ出かけた。
富山町からだと出雲はすぐだから、あらかじめ予定のうちに入れて、私はもみ屋さんでマッサージ1時間コースを予約しておいた。ワイフは買い物三昧の1時間になったようだが、それでも少し時間が足らなかったらしい。
マッサージは久しぶりで、身体が少し軽くなった。特に指名の指定はしなかったのだが運良く吉田さんに当たった。私の身体を心得ていて、硬いところをほぐしてくれる。
吉田が吉田さんに揉まれている・・という光景はちょっとシュールだ。

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土曜日の朝 

2018/11/10
Sat. 23:27

午前中は江津の高校で2時間ほど高校生諸君と授業をすることになっている。
数年前にその高校の校長さんから「1ヶ月に1~2回のことだけなんだけど全校活動美術の面倒見てもらえませんか?」と打診があって引き受けることにした。
経緯はいろいろあったが割愛するとして、その校長先生とは30年ほど前からの知り合いで、よっぽどのことでもないと上手に断わる理由が見つからなかった。
失礼な言い方になってしまうが「子守くらいのことしかできないけどなァ~」と、内心はそう思っていて「ワークショップの延長のことくらいだったらなんとかなるだろう?」程度に考えて今に至っている。

はじめの頃は、高校生の実態に慣れないし、ボク自身結構な人見知りでシャイな性格だから何かと間が持てなくてツマヅイてばかりだったが、そのうち自分なりに少しずつ打ち解けてきて生徒たちとの距離が縮んだ。
前期と後期で選択替えがあってメンバーが多少入れ替わるが、2~3年の間は2~3人を相手に2時間ほど付き合うくらいのことだったので、自分の手持ちの道具や工具や材料や消耗品などを提供しながら、なんとか授業らしきことをしてきた。
ところが今年度に入って一気に選択人数が倍増以上に増えた。
そうなると、さすがに手持ちの材料でなんとかできる域を超えてしまって、あらかじめ人数分の教材のようなものを用意するところからコトを進めなければいけないことになって、少し忙しくなった。それでとにかく、今まであちこちで開店営業していたワークショップの教材を見直しつつ、現役で美術の時間講師をしているワイフやノリちゃんのネタを借用したりしてこの半年間はなんとか乗り切った。
10月からの後期は、ちょうど自分の彫刻制作や小品彫刻の展覧会や美術イベントの企画などがドッと重なってくるから、よっぽど工夫して教材の準備をしておかないとカワイイ高校生諸君に迷惑がかかる。
いくつか候補教材を決めてみたが、最後はワイフの力を頼って彼女から教材のノウハウを頂いた。身近にそういう人材がいるとたいへん助かる!
それで前回からモビールをつくっているのだが、今日ですべて完成することになっている。制作が遅れた場合は自己責任でなんとかするということにしてあるので、完成作品から順次記録写真を撮ってあとは制作者本人へ作品を返す。

朝、少し早い時間に学校へ到着して美術小屋へ入ると、その最後の一人のモビールがいい感じで出来上がってぶら下がっていた。自分のやりたいことがしっかりと伝わってきた。彼女の制作中の様子を見ていたが、とにかく一つ一つのパーツを丁寧につくっていたから、そういう様子だと完成がかなり遅れるだろうということはわかっていた。
なにかしらものつくりにかかわっている人間としていつも思うことは「造形の内容と制作〆切りのバランスをどのように調整して実材に取り掛かるか?」ということ。最近は迷いも減って失敗も減ったが、昔は時間配分や工法技術や造形の見通しにどこかしら不具合が生じて適当なところで妥協することばかりだった。
時間優先か造形優先か、結局は2つに1つの選択になってしまうことだが、やっぱり、ボクとしてはできるだけ造形に妥協はしたくないな・・・

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上出来な未完成 

2018/10/24
Wed. 23:06

もうそろそろ10月も終わろうとしているのに、まだ半袖でもいいくらいに温かい。
ケイティの宿舎前で待ち合わせをして、一緒に工場へ向かった。
助手席の彼女と日本語と英語で作業の話をしていたら、彼女は防塵用のグッズを持っていないことがわかった。
いつもはボク一人で制作をするだけだから、必要なモノを余分にためているわけでもないので、急きょ近くの町のホームセンターで調達することにした。
一応、まがりなりに金属彫刻のプロだと思っているボクとしては、それに関する色々な工具や消耗品や材料を資材業者さんを通して取寄せているし、よっぽどの急用でも無い限りホームセンターを利用することがない。広い店内でお目当ての必要なものを探すだけでも一苦労で、無駄に時間を潰してしまった。
二人でレジに並んで支払いを済ませると、すぐに工場へ移動した。

昔は簡単なメモを描いたり、小さなマケットを造ってだいたいの様子を決めてから制作に入っていたが、最近は鉄板へそのまま蝋石でドローイングしてその線を頼りにプラズマ切断機を使ってしまう。
彼女が工場のテーブル代わりに使っている鉄板の上へ図面のような制作メモを広げた時は少々焦った。
とにかく、工具の使い方をひと通り解説して、あとは図面の寸法をおおよそまかなえる鉄板を用意して「コレで何とかしてネ♡!」と日本語に英語の単語と身振り手振りをそえて伝えた。
私の方は、制作途中の彫刻を半自動溶接があるから、狭い工場で彼女のじゃまにならないように気を配りながらセッセと制作の作業を続けた。

ケイティは、結構・・というより、かなり神経質な作家だと思った。溶断した鉄板を紙の図面へ当てはめて寸法の狂いをディスクグラインダで修正をしている・・・「こりゃぁ~1日で完成は無理だな・・」
まだ若かった頃の自分を思い出す。
本格的に彫刻をはじめた頃は、3✕6板ベニヤをカッターナイフで裁断して原寸サイズの型から造っていた。今のケイティの作業の様子があの頃の自分にダブって見える。何かしら懐かしくて、忘れていた過去の自分を思い出した。

お昼はラーメンを食べた。旅慣れているケイティは、出されたものをなんでも「美味しい!!」と食べる。おもに地元で働くオヤジたちや長距離のトラッカーたちを相手にしている食堂だから、それなりに量が多くて美味しい。結局、ケイティはラーメンを完食することができなくて、お店の店員さんに済まなそうな顔をしていた。

夕方少し暗くなるまで仕事を続けて、私は予定通り1日の作業を済ませた。
彼女はやはり、完成しなかった。
それでも、慣れない工場の慣れない工具で仕事をしたわりには、上出来だと思う。
イギリスではなかなかの実力者だろうと感じた。

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モビール事情 

2018/10/13
Sat. 23:33

1ヶ月に2日ほど江津にある全寮制の高校へ行っている。
用事は全員活動の講師。
全員活動はクラブ活動のようなもので、私はその中で一応美術に関する何かの教材を用意して高校生とワイワイやりながら何か美術らしきものを制作表現するようなことをしている。
特に決まったカリキュラムとか指導案とか、そういう面倒臭いことをするなら引き受けることもないと思っていたが、校長先生からは「生徒が喜ぶようなことならなんでも良いですから・・・」と云われていて、その程度のことならボクの乏しいボキャブラリーでもなんとかなるだろうと引き受けてから、早いものでもう3年は過ぎたはずだ・・

さすがに、前日の夜寝る前にネタのチェックをひと通り済ませるだけでは、2時間の制作活動もうまく回らないから、まぁ、それなりにさり気なく事前準備などをしておくのも大事なことだ。
美術と云うと、とかく絵を描くことのような平面的なネタに偏りがちで、選択の生徒たちもどちらかといえば「絵を描くことが好きだ!」とか「絵が上手に描けるようになりたい!」とか、そういう理由でクラブ活動を選択することが多いらしい。それにプラスして陶芸とか野外活動とか他の選択が定員オーバーで第二希望へ流れてきた若干名が加わる。

どちらかといえば、小さい頃から絵を描くよりモノを造っている方が楽しかったところがあって、それの延長で今は彫刻をメインに制作を続けるようになった。
基本的に絵を描くことも嫌いではないのだが、途中で集中が切れてだんだん面倒臭くなって完成するまでのどこかで気持ちが別にそれて中途半端でいい加減な絵になることばかりで、どうも自分の性に合わないところがある。だから、とにかく自分で何かしていて楽しいと思えるようなモノを条件に教材を用意するように心掛けているつもりだ。

今回はモビールを造ることにして、工場の彫刻制作の合間にホームセンターとダイソーへ回って適当な材料を揃えておいた。
ホームセンターは平屋の床面積がやたらとヨコに広がったつくりなので、1年のうちに数回くらいしか用事のないボクにとっては、購買意欲が消滅するほどのストレスを感じる。だから棚卸しの度に商品の場所が移動するような大手ホームセンターはできるだけ避けて品数は少ないが適度に狭くてお目当てのものを探しやすい店を利用するようにしている。
ダイソーも似たようなもので、1年に数回しか立ち寄ることがない。
今回は、お目当ての材料を揃えるにはダイソーが一番楽だろうと仕方なしに決めた。
案の定、店内の商品棚が前回からガラリと変わっていた。
針金一つ探すにも、店内をぐるぐる回ってやっと見つけたし、定員に聞こうと思ってもレジカウンターに張り付いて接客しているおねえさんとおにいさんが2人いるだけで、あとが見当たらない。
ワイフのように買い物が趣味になっているような人々にとってはワクワクするようなお店なのだろうが、ボクは実に苦痛だ・・・それでも、その苦痛の先には「制作の楽しさが待っているのだ!」と思いつつ痛い膝をかばいながらひたすら店内を歩き回ったのでした!

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再スタート 

2018/09/18
Tue. 23:27

1年間フロリダで仕事をしていたノッチが帰国して、今はなっちゃん家に転がり込んでいる。

日本で新しい仕事を探すのも、きちんとした住所が決まらないといけないし、住民票のこととか健康保険のこととか、色々な手続きが必要になってなかなか大変そうだ。
オヤジの私のところへも戸籍謄本を送れと云ってきたので、寺の用事の合間に役場へ出かけて住民課の担当さんへ問い合わせたりして結構面倒だった。
世間をモヤァ〜っと見てると、自分の周辺でも「○○ちゃんがオーストラリアの農場で働いている」とか、「△△さんがアフリカの何とかという国に行ったきり帰ってこない」とかいう話を漏れ聞いたりして「世界はずいぶんと近くなったものだ・・」と漠然に思っていたりしたが、実情は出国も入国もかなり厳しくチェックされていて、それらをすべてクリアするだけでもかなりのエネルギーを必要としているということがよくわかった。
それだから余計に、この度無事に帰国したノッチのアクティブ過ぎるほどの行動力が「凄いことだ!」と思えてくる。

そんなわけで、現在のノッチは日本の暮らしを再スタートするための各種事務手続きを続けながら、再就職の就活をすることも少しばかり休憩して、ひとまずは自分のスキルアップも兼ねた小旅行を続けている。
先日は、2年半ぶりくらいになるだろうか?昔働いていたシンガポールへ行って、当時の友達に再会したようだ。
そこからベトナムとかタイとかを経由して関空へ帰ってきた。
今は、家族や友人の間でも、普通にどこでもSNSのやり取りで情報交換が簡単にできるから、一昔前のようなタイム・ラグも無くなって心配でもあるが安心する。

私の方は、家族LINEで交わされるそういうノッチの時時の様子を確認しながら奥出雲の小品彫刻展を切り盛りし、萬善寺のお檀家さんの訃報を受けて葬儀を済ませ、そうこうしながら頭の中では野外彫刻のかたちを最終段階まで練り上げ、やっと本格的に久しぶりの工場通いをスタートさせた。
前回工場へ通っていたのはいつの頃だったか、思い出そうと思って記憶の糸を手繰ってもすぐには思い出せないくらい彫刻制作から縁遠くなっていた。
これから順繰りに季節が巡って春が来るのか不安になるほどまだ雪がタップリ残っていた2月の頃だった。それから半年・・・今回の野外彫刻は、あのときに小品の彫刻を造っておおよその方向性を確かめておいたものをベースにして制作をしようと決めている。
搬入搬出の移動のこともあるから、まずは今の相棒銀くんの寸法を測って、それを工場の壁に立てかけてあるコンパネへチョークで写した。積み込みスペースを決めてから彫刻の制作へ入るなど、ずいぶんと打算的に割り切った彫刻になってしまいそうにも思えるが、それはそれなりにスケールのバランスの緊張感を考えてのことであるし、制作の方向性で妥協をしているわけではない。
鉄板を狭い工場の床に寝かせて、直接チョークでドローイングするところからはじめて、ほぼ全てのパーツを切り出すのに1日かかった。

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行雲流水ーヒトゴトジンジ 

2018/09/09
Sun. 23:15

日頃の行いがそれほど悪いとは思っていないのだが・・・
どうも、奥出雲の彫刻展は何かしら色々あって年々ハードルが高くなっている。
昨年は初日オープニングを狙ったように台風襲来!
今年は奥出雲の町長選挙が初日に重なって、広報活動で事前にアチコチ訪問すると、チラシをバシッと受け取って、あとは知らんぷりの取り付く島もない。
役場や教育委員会は選挙準備で職員もほとんど居ないし、椅子を温めているのは課長係長クラスの偉い方々ばかりで受付カウンターまでの距離がやたら遠い。
おまけに展覧会初日は前線の影響を受けて1日中大雨!・・・
展覧会の事務もまだ残っていてそちらも気になるから、会場の受付を周藤さんへ任せて午後の早いところで早退させてもらった。
あとになって、周藤さんが1日の様子を電話で報告してくれた。
「おつかれさんですぅ〜・・・会場ゼロでした!」
やっぱり・・・まぁ、あぁいう状態だとボクでも「大雨の日にワザワザ出かけないだろうな・・」と確信を持って思ってしまう。
会場から帰りがけに少し遠回りして奥出雲の町内をトロトロと銀くんと流してみたが、選挙があるはずなのにダレも歩いていなくて役場のあるメイン通りでも人影を見ることがなかった。さて、投票率はどうだったのだろう??
・・・やっぱり、ボクの行いのせいなのかなぁ〜〜・・・

展示台搬入の時はかなり増水していた斐伊川の水位も普通になっていた。
ソコソコ安定している吉田家のWi-Fiを頼って、停滞しているデスクワークを少し片付けるつもりで石見銀山へ急いだ。
「防災調査の説明会が改善センターであるようで、その出席の知らせなんですが・・・」
保賀の自治会長さんから出席してくれとの連絡が入った。班長だし、春の役員会は勝手に無視して欠席していたから、その埋め合わせも兼ねて出席すると伝えておいた。
内容はよくわからないが、防災のことは1年ほど前から石見銀山の自治会で大騒ぎをしていたし、今年になって地震もあったりしたから飯南高原でもハザードマップ作成の事前調査に本腰を入れたのかもしれない。
とにかく、「会議」と称した招集がかかっても、その殆どは一方通行の説明会で、レジュメの下の方のその他の議題のところに「質疑応答」と書いてある程度のことだから、行政の「ヤッタゴト」対策というやつで済まされるようなことだろうとだいたい予測できる。
こういうことは、あまり本気になって頻繁に説明会を重ねて地域住民が身動きできないほどギュウギュウに締め上げられるのも窮屈でしょうがないことだから、少々こぼれて抜け落ちたくらいのゆるい条例くらいで済ませておいてもらいたいものだ。
イザという時は、やはり自分の身は自己責任で守ることを住民みんなが自覚すれば、それなりの覚悟も固まって個人がシャンとする。
どうも、ボク個人は行政とか組織とか仏教界も含めて大勢に流されることに馴染めない。世間の常識的な付き合いでは我儘も限界があるからそれなりに「ゴクリ!」と飲み込んでいるが、「他人事人事(ヒトゴトジンジ)」のサジ加減には敏感でいられるよう心掛けている。

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ヨレヨレ坊主 

2018/07/13
Fri. 23:52

万善寺の隣のおじいさんのお葬式は、ご自宅の庭先へ朝から自治会のテントが張られた。
雨も降りそうにないのに葬儀会場へ日除けでテントが張られることなどとても珍しい。
大雨がやんだ数日前から暑い日が続いていて、今朝も保賀の谷の空は雲ひとつ無い晴天で気温がどんどん上昇した。

当年90歳のご導師は、副導師万善寺住職(ボクのことです・・)の法衣と比べ物にならないくらい豪華絢爛でかなりの重量もある。それに、一人では袈裟を掛ける事もできない複雑な仕組みになっていて、それもあるからだいたい浄土真宗のご院家さまはお付きの役僧さんを従えて行動されることが多い。
浄土真宗ご導師さまの法衣着付けをお手伝いするときは「曹洞宗は簡素で楽チンで良かったなぁ〜〜」と、いつもそう思ってしまう。それにしても、このご高齢でこの暑さはさぞかし身体に応えていらっしゃることだろうと思うが、そういう素振りは微塵も感じられない。さすが、ナンチャッテ坊主とは年季の入り様が違う。

事前の打ち合わせをして、鳴り物の打ち出しなどをおさらいして、葬儀本番に臨んだ。
曹洞宗の鳴り物もまともに出来ないでいるのに、他宗のこととなると様子が違って導師さまとしてはやりにくかったことだろうに「おかげさまで、色々お世話様になりまして、ありがとうございます・・」などと、葬儀が終わって控室に帰ったところで深々と頭を下げられて、恐縮した。
墓参の後、安居と初七日のお経をおつとめして斎膳になって、お昼を少し回ったところで葬儀すべて滞りなく終了した。
喪主挨拶にもあったが、これから隣の家は空き家になって1年の節目節目に喪主の長男さんが帰省されることになる。日常の維持管理は自治会の心安いお宅へ委託されるようだ。

今年に入って3月の雪が消えた頃から隣家の周辺へしきりに重機が入って整備が続いていた。それに、この近年草刈りもほとんどされないで荒れ放題だった場所へ何度も草刈りが入って万善寺の境内地がみすぼらしく感じるほどキレイになった。訃報が届く前日には最後まで残っていた地すべり箇所の修繕も終わって重機が搬出されて、いらない家財の搬出が夕方遅くまで続いていた。今にして思えば、春先を境に隣のおじいさんの容態へ変化が生じていたのかもしれない。

万善寺の法事が終わって、その夜の仮通夜から葬儀が終わるまで3日間連続して法衣を着続けたことになる。夏のお盆の時期に改良衣で過ごすことはあっても毎日法衣を着続けるまでのことはない。明日は夕方から夜にかけて弘法大師さんの大師講で塔婆回向があるから、またそこで法衣に着替える。
今週は1週間毎日着物の洗濯をして過ごした。暑くて洗濯物がすぐ乾くからそれでずいぶん助かっている。単身赴任坊主も、食事や洗濯掃除まで一人でこなして、その上お経ライブが1日2ステージばかり続くと、もうそれだけでかなりの重労働で疲労困憊・・・
ナンチャッテ坊主は、連日の猛暑も加わってフラフラのヨレヨレ坊主に変身しつつあります・・・

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惰性に過ぎない! 

2018/06/15
Fri. 23:59

万善寺を前住職から引き継いで今まで、特に大きな年中行事の変更をすることもなく過ぎてきた。その間に前住職夫婦をみおくって、来年春に内室(私の母親)の3回忌法要を済ませれば、万善寺の内輪ごとがやっと一段落する。

寺の仏事は一般在家と少し違って古来から引き継がれた伝承ごとがいまだに色濃く残っている。
私などは住職と云っても坊主付き合いがマメな方でもないし、何かと言うと簡素に割愛することばかりに気持ちが走っている方だ。それでもやはり、最低抑えて置かなければいけないところもあるし、避けることの出来ない付き合いもあるから、そういうことを一つずつ片付けていると気がつけばそれなりに坊主家業の用事が増えていて万善寺を離れることができなくなっていたりする。

今年から大般若会の日程を6月16日に移動して、明日がその法要当日。
これは、私が思いついて前住職の仏事行事に変更を加えたはじめての法要仏事になる。
随喜寺院の方丈様方にはあらかじめ何度か念押しをしておいたので覚えてもらえているとは思うが、やはりこういうことはその時になるまでドキドキと落ち着かない。
本堂の荘厳も今までのシステムとは変わることもあるから惰性に過ぎるわけにもいかなくて、それなりに気を使ってけっこう力が入った!
境内の営繕作業は、3日続いた好天のおかげで見た目の気になるところはなんとか見るに耐えるまでにはしておいたが、やはり一人での作業は限界もあって全体に納得できるまでの手を入れることは出来なくて、早めに取り掛かった北側の裏庭にはもう雑草が伸び始めてキリがない・・・

彫刻や絵画の作家がグループ展に向けて作戦会議をすることになって、会場が万善寺の庫裏になった。彫刻家吉田正純は特にグループ展とは縁がないのだが、この時期に万善寺を離れることも出来ないし、「寺へ集まれるんだったら、久しぶりに一杯やろうか・・・」ということになった。
作戦会議と云ってもどうせ飲むことがメインのコアなメンバーだから、営繕作業を早めに切り上げてシャワーで汗を流してから、作戦会議の会場づくりをした。それから、予定の時間から逆算して解凍しておいた砂肝をアヒージョにした。あとは、昼食の残りものとかワイフの差し入れしてくれた酒のツマミを数種類用意したところで周藤さんがきた。それからしばらくしてハイボールグッズ一式と一緒にタケちゃんがきた。

最近の美術界は具象化傾向が強まっていると感じる。これも時代の流行だとは思うが、具象も過ぎるとそれはそれで飽和状態になって俗っぽい方向へ傾きすぎてしまいそうな気がしないでもない。
プロの作家の目というか、評価というか、そういうものが俗に迎合しなければ良いのだが・・・美術の世界も審査や評価の入落受賞が絡むとそれはそれで流行との整合性をどう判断するかややこしいことになる。自分の表現へ不器用にしがみついているボクとしては、時代の流れに乗りつつ表現の純粋性がキープできる造形力に期待したいところだ。

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意は無事に随す 

2018/06/02
Sat. 23:01

このところ、通勤坊主が定着してその上に万善寺泊も微妙に増えている気がする。
5月はそういう日ばかりで、工場へ出かけたのも7日間あったかどうかという状態だ。
なにごとも、バランスというものがだいじで、あまり片方へ偏ってしまうと、それがそのままストレスのもとになって、眼前の事実に向き合うしか無いのに、気がつけば気持ちも身体も正直に拒否反応を示していたりしてどうも都合が悪い。

珍しく19時から通夜が始まった。
万善寺の場合は、家族葬でもない限り普通19時半スタートが多いので、準備をして寺を出発するまでが慌ただしくなって少々焦った。
ちょうど衣替えの時に重なって、夏バージョンの一式を準備したところまでは良かったのだが、白衣を着て帯を締めて足袋を履いて・・・改良衣の袖を通した時、右襟の紐の縫い目がほころびていることに気付いた。半年前に確認した時、見落としてしまったらしい。今更針仕事の時間も無いし、とにかくなんとか工夫して通夜の時間へ間に合わせた。

いつ梅雨に入ってもおかしくない時期になったが、お昼前からどんどん気温が上昇して午後になると日差しが突き刺さるくらい強くなった。まだ明るい夕方の葬儀会場は外の路地にまで通夜の参列の人並みが溢れていた。米寿を迎えるほどのおばあさんでこれだけ大人数の参列はめずらしいことだ。御本人の生前のお付き合いや、ご親族の地域での暮らしぶりが忍ばれる。
ちぎれかけている紐をさりげなくかばいながら、通夜の鐘つき坊主を務めて万善寺の庫裏へ帰った時はまだ8時を回っていなかった。それから、まずはシャワーで汗を流して、一度ザッと身体を拭いてから改めて頭にバリカンを当てて髭をそった。
ノンビリと夕食の支度をするのも面倒だから、冷凍庫で眠っていたコストコのバターロールを3つほどオーブントースターへ入れた。焼ける間に改良衣の修繕で針仕事の準備をした。朝のコーヒーの残りでパンを流し込んで、ウエブ配信でJAZZをチューニングして少し落ち着いてから、針を使った。こういう時にはハズキルーペが欠かせなくなった。
iPadがSNSの着信を教えてくれたので確認すると、キーポンがLINEで写真を送っていた。100均のマグネットシートを使って1才児用の知育おもちゃを手作りしていた。同じものを2セットつくったらしい。教材費が支給されるのかどうかわからないが、なかなか前向きによく気が回る良い保育士さんになっているようで感心した。
オヤジは寺でチクチクと針仕事・・・
キーポンは東京の社宅でセッセと教材つくり・・・
面倒臭い針仕事も、どうせ避けて通れないなら、キーポンのように前向きに仕事を楽しめるようにならないといけないな・・・反省!

そういえば、引導の情報収集によるとおばあさんは和裁が得意で、近所の奥様方に教えていたこともあったらしい。交友の広さが通夜の参列に反映していたのかもしれない。
引導には・・「意は無事に随して適い、風は自然を逐うて清し」・・白楽天の一節を使わせてもらうことにしよう〜何事も無作為をこころがければ、自然に吹く風のように清々しい気持ちでいられる〜・・欲に染まった彫刻家坊主への戒めでもあります・・・

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坊主彫刻家 

2018/05/28
Mon. 23:56

いまひとつパッとしない天気だ。
石見銀山から銀山街道を万善寺方面へ登っていると、途中から路面が濡れてきはじめた。
約100mくらいの標高差を登っているわけだし、直線距離で約30kmくらい離れたところへ移動しているわけだし、その場所場所で天気が変わるのも仕方がないことだ。

しばらく前に、雨の中無理をして草刈り機を回していたのだが、それでかどうか、エンジンの回転ムラがひどくなって、そのうち動かなくなった。素人だから雨水が原因なのかわからないし、自分で修理も無理だし、機械が動かないと仕事にならないから、すぐにホームセンターへ修理を依頼した。それからもうずいぶん日数が過ぎたのに連絡がこない。修理代が高額ならいっそ新品に更新したほうが早いかもしれないとも思う。これから梅雨に向かって草は伸び放題でこちらの都合を待ってくれるわけでもないし、困ったことだ。

寺へ到着した直後に、いつもの業者さんから電話が入った。
ディスクグラインダの砥石が届いたようだ。先日の炭素鋼の時は材料の到着が思った以上に遅れて大変な思いをしたから、砥石の方はかなり余裕を持って注文しておいたのに、たった2・3日でアッという間に届いてしまった。
もう何年か前のこと、確か北京五輪開催の前年くらいだったと思うが、そのときも材料が揃わなくて彫刻制作を断念するか、スケールを縮小してその時あるだけの材料で中途半端に造ってひとまず間に合わせてしまうか悩んだことがあった。結局、あの時はギリギリまで待って、連日突貫制作を続けて搬入にまにあわせた。
私のような個人営業の鉄工所にもならない極小作業場の人間は商工業関係の組合にも属していないし、そういうこともあって大手の建材組合からは材料取引を拒否されてしまう。まだ彫刻家になりたてで、鉄の彫刻を造りはじめの頃、島根鉄工会に材料の注文をしたら、普通にサクッと取引を断られてしまった。幸い、あの時はお世話になっている鉄工所のご主人に鉄工会と付き合いがあって、その鉄工所経由で材料購入が出来ることになってずいぶん助かった。
それから、年月が経って今は完全孤独な個人営業になっているから、少しでも業者さんとのトラブルが生じると、それで全てが止まって制作できなくなってしまうほどに厳しい環境をかろうじてしのいでいる。こういう状態でいつまで取引が続けられるか先行き不安なことだが、こればかりは相手のあることで仕方がない。
吉田個人にとって、どこかしら不安定にみえる今の材料流通状況は鉄材に限ったことだけなのかもしれないが、きっとどこかで東京五輪が何かしら影響している気がする。五輪のような国家が絡むほどの巨大なプロジェクトで流通する資材は、鉄板1枚2枚のレベルなど完全に無視されて終わりだ。製鉄会社の1ロットすべてがゴッソリ五輪へ流れることも十分に考えられることで、世界の経済はこうして活性してソコソコの安定が維持できているのだろう。

遅々として進まない万善寺の営繕作務を切り上げてシャワーで汗を流したら、工場経由で吉田家へ帰るつもりだ。ワイフが江津と奥出雲で仕入れた海のものと山のものがまだ残っているはずだ。夕食の懐石盛りを楽しみにもうひと踏ん張りしよう!

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2019-12