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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

展覧会4日目:世田谷のSさん 

2020/06/01
Mon. 16:41

展覧会4日目・・・とは、3月のグループ展のこと。
6月になった今頃になって3月のことを云うのもどうかと思うが、最近は常飲している薬のこともあって夜がすぐに眠くなる。
そろそろ頭の方もボケることが多くなって、前の日の夕食に何を食べたか直ぐに思い出せなかったり、銀くんへ乗っていても「アレッ?今何処へ行ってるんだったっけ??」などと用事を忘れていたり、必要なものがあってホームセンターへ出かけても何が必要だったのか思い出せなくて結局ドォーでもいいものを無駄に買って帰ってしまったり、なんとなく脳みその何処かのネジが緩んだかして緊張感の無い毎日を過ごしている。
だからというわけでもないが、その日の出来事を忘れる前にMacBookやiPadにメモで残しておくようになった。時々使っているボイスメモも文字変換の精度が向上して前に比べたら随分便利になったが、昔から使い慣れているキーボードの方が性に合っているようでストレスが無くていい。そうやって、毎日というわけでもないが何かに付けてメモに変えていたら、気がつくと昨年のメモまで山のように溜まっていて収集がつかなくなっていた。今になって昨年のお盆の○○日の「予定変更電話あり10:00→9:30」なんてメモを読み返しても、なんの予定かなんて今更覚えているわけもなくてチンプンカンプンどうしょうもないまま、気づけば「きっと大事なことだったんだろうなぁ〜」と悶々と考え込んでしまっていたりする。

大げさに断捨離というほどでもないが、ちょっと休憩のコーヒータイムなどに一括選択してdeleteボタンをポンポン押し続けていたらメモがかなり見やすくなった。
それで、3月のグループ展のことだが、メモを見ると3月25日からブログ記事になっていなかったので今更ながらその様子を書き起こしておくことにした。
小品の彫刻であっても出品は全国規模だが、会場の当番はやはりどうしても関東在住の作家にお願いすることになってしまう。私のような万年会員は隔年開催のグループ展も初期から参加していておおよそ業務負担の偏りに気づいてしまっているから、作品出品が可能な場合は、せめて会期中の会場受付当番くらいは出来るようにと数ヶ月前から寺のことの日程調整をして会期の1週間位を空けるようにしておく。
すでにコロナのことで世間が大騒ぎになっていたが、だから当番不在で乗り切れるわけでもなく自分のことは自分で責任がもてるように注意しながら会期を乗り切ることにした。
4日目のお昼過ぎに世田谷のSさんが来てくれた。
まだ学生の頃お世話になっていたアパートの大家さんの息子さんの嫁さん(ややこしいけど・・)で、大家のおばあちゃんにはいつも何かに付けて叱られてばかりだったが、その嫁さんはそんなダメ学生のボクにとっても優しく接してくれた。旦那さんとは小さい頃から同級生で、長い付き合いのまま結婚するに至ったらしい。とても多趣味な文化人でもあって何処かのご令嬢がそのままお嫁に行って子供を生んで育てて孫もできていつの間にかおばあちゃんになっていた万年お嬢様のような人だ。
今回の展覧会のご案内はSNSでさり気なく済ませておいたのだが、コロナで出かけにくいところを律儀にもお土産持参で会場を訪ねてくれた。湯茶の接待もできないままずいぶん長い時間立ち話になってしまって恐縮だから、後日改めて展示作品と同じテーマで造った彫刻をプレゼントすることにした。夏のお中元代わりに届けようと思う。

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冷凍みかんと水出しコーヒー 

2020/05/29
Fri. 17:28

満タンにした草刈り機の油がなくなる頃には額から汗が流れ落ちるまでに暖かくなった。
通勤坊主で寺へ到着すると、午前中の作務をひと仕事済ませてコーヒーを入れる。
少し前まではステンレスメッシュを使っていたが、今は水出しコーヒーに変えた。
お昼ごはんを終わった昼休みに、ハンドミルを回して豆を挽いて前日に沸騰させて一晩冷ましておいた井戸水を使う。一回の水出しで1リットルほどつくって冷蔵庫で冷やしておけば、それで次の日に飲むぶんのコーヒーが足りる。
季節が初夏から初秋までの暑い間のティータイムは冬に造った自作の冷凍みかんと水出しコーヒーで済ませている。

今年は教区も彫刻も春の総会が中止になった。
寺院の方は一応住職でもあるから欠席できないが、彫刻の方は全国から東京の総会会場へ集合することになるので、もう何年も前から委任状で済ませて欠席させてもらっている。
その展覧会の会報が届いたので目を通していると、長年彫刻部の委員で組織運営にご尽力を頂いていたHさんの功労退会が記載されてあった。
Hさんよりもご高齢の作家も参与などでまだ在籍していらっしゃるし、退会されるにはなにかそれなりに特別の事情でもあるのかと心配していたら、後日、ご本人から健康上の都合だとする丁寧な退会のお知らせハガキが届いた。
具象の彫刻家であるHさんは、この近年仏教絡みの宗教的なテーマを追いかけて彫刻を制作されていた。そのテーマには、何かしらご本人の意図するものがあるのだろうと毎年会場で彫刻の前に立ってそのことを読み取ろうとしてみたが、結局彫刻を見るだけでは制作の背景を感じとるまでに至らなかった。
いずれ、何かの機会に彫刻の宗教的背景を聞いてみたいと思っていたから、ソレが出来ないままご本人との接点が切れてしまった。

自分では彫刻を造っていると同時に、まがりなりにも住職まで勤めているナンチャッテ坊主でもあるから、具象の彫刻家が宗教的題材の彫刻を制作するということは、かなりの勇気が必要だと思っている。
知人である奈良に在住の寺院の壁画を描くほどのフレスコ画家は、下描きを始める前に剃髪し心身を清めて仏教の三千大千世界に帰依される。画家であると同時に仏教の一宗教家として制作に向かわれる。そういう姿を見聞していると、彫刻家としての自分の立ち位置は「宗教家からは程遠いところにいるなぁ〜・・・」と感じる。

職業と云うと、自分のことを「彫刻家」とは色々な場面でよく使いよく言う。しかし、自分を坊主とは云っても自分から「宗教家」と言うことは無い。
気持ちの問題と云ってしまえばその程度のことだが、仏教とか宗門とか、そういうことの知識も適当でいいかげんなボクが、偉そうに宗教を語ることなどできるわけもない。そうであるから余計に、彫刻家としての自分が自分の責任で仏教的背景に起因する彫刻を制作することなど有り得ないことなのだ。

最近は、万善寺の須弥壇に安座される御本尊様正面へ経机を移動して下手な自己流太鼓をたたきながら地球の安寧を願って祈祷法要を続けている。

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猫も一役 

2019/12/21
Sat. 16:10

12月に入ってしばらくした頃、雀たちが万善寺へ帰ってきた。
保賀の谷の田んぼで稲の穂が出て少しずつ実が膨らむ頃までは、毎朝夕古古古米へ稗や粟や向日葵などをブレンドした万善寺オリジナルの雀ご飯を先を争ってパクツイていたのに、そろそろお盆になろうかとする暑い盛りに稲穂が頭を下げ始めたら途端に糠臭い古古古米など見向きもしないで新鮮な新米の甘くて柔らかい若穂目当てに保賀の谷へ広がる田んぼのあちこちへ飛び去ってしまった。

本堂の座の下を散歩の通り道にして猫が徘徊するようになったと気づいたのは、まだ雀が万善寺へ帰ってくる前だった。
衣替えで、夏の着物を洗濯して和箪笥へ仕舞いながら冬シーズンの袷や襦袢と一緒に大衣を取り出していると、畳んだ衣の間からネズミ駆除用のピンクの毒エサが次々と転がり落ちた。あの頃はまだ万善寺のアチコチへネズミが出没してお供えのお菓子や乾物をカジッたりして悪さをしていたが、猫が何処かからやってくるようになった途端にネズミがいなくなった。

数年前には狸が座の下へ住み着いていたこともあるし、本堂の天井裏にはイタチの寝床もあった。ちょうど1年前には朝帰りのテンが繁茂した裏山の雑木を伝って庫裏の屋根伝いに天井裏へ入り込んで昼寝をむさぼっていたがそのうちいなくなって、それから1年テンを見ることも絶えた。
寺の日常の暮らしが困ってしまうほど特に迷惑をかける訳でもないし、狸やイタチやテンもネズミの駆除に役立ってくれるといいと思って見て見ぬふりで過ごしていたのだが、その頃はネズミ出没の絶えることがなかった。そのかわりムカデやベンジョコウロギが絶えた。彼らの食性はどうやらそちらの方を好んでいたようだ。

猫は寺へ住み着いているわけでもないし、時々の散歩コースに本堂の床下が入っているだけなのだろうが、それでも寺の管理者である住職のボクとしては、一匹の猫のおかげであれほど悪さをしていたネズミがいなくなったという事実は見過ごせないものがある。それで、ささやかなお礼も兼ねてホームセンターにある一番安い猫飯を一袋買った。毎日万善寺へ通勤しているわけでもないが、年の瀬に向かって日中は寺で過ごすことも増えたし、早朝に出勤すると本堂の座の下脇へ猫飯を一皿用意しておくことにした。そうすると、だいたい次の朝には食べ残しの残骸も全く落ちていないほど皿がきれいに空っぽになっている。

吉田家のネコチャンズは日がな一日ゴロゴロと寝てばかりいる。
寒くなって吉田家ロフトのマイルームへコタツを出したら、それからシロが入り浸るようになった。クロは図々しくも昼と云わず夜と云わず、ほぼ1日中マイベッドのど真ん中を占領している。
彼等が吉田家に同居をはじめた7年前から、吉田家からネズミが消えた。あれだけ雑然と散らかり放題なのにゴキブリやムカデと出くわすことなど1年で5回と無い。
猫たちもそれなりにさり気なく一役働いてくれて立派な生活共同体になっている。

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良い刺激 

2019/07/06
Sat. 23:08

自分の老化で身体が鈍くなったのか、飯南高原がいつになく涼しいのかよくわからない。
とにかく、島根の7月は近年に珍しく梅雨らしい雲が下がって、湿気は多いが涼しい。

「おかげんどうですか?しばらくご無沙汰ですし、快気祝いなどいかがでしょう?」
しばらく前に島根の彫刻仲間のSさんから連絡が入った。
前のような健康体ではないが、酒くらいは普通に飲んでいるしせっかくの誘いだからことわらないことにした。
彼は仕事の合間を縫って小さな彫刻を造り続けていたらしい。せっかくだからソレも持ってくるという。自分の方はまだ本気に彫刻制作へ入れないまま坊主家業が続いているから、良い刺激をもらえそうだ。
週末だったら夕方には万善寺へ来られると云うので、日程を決めた。
当日は午前中の法事を済ませたあと、午後から寺の作務をやりくりして農協スーパーへ回った。オヤジのナンチャッテつまみ程度のことだが2割引きの食材を中心にかき集めた。
ちょうどワイフの方は女子美術大学島根支部??だったかの同窓会と重なったので、あらかじめ酒のつまみになるようなものを幾つか作り置きしてくれて、とても助かった。
どうせ、仕事の流れで何も食べないで来るだろうから、夕食代わりで少し腹の足しになるようなものも造っておいた。

「これ飲みましょぉ〜!快気祝い奮発しましたよ!」
砂肝を炒めていたら、彼がレミーマルタン持参でやってきた。
さて、4・5千円はすると思う。ずいぶんと奮発したものだ。
彼に手伝ってもらって庫裏の6畳の居間までおつまみなど一式を運んで、まずはビールから快気祝いを始めていると、少し遅れて絵画のTさんが手造りハムとサッポロ黒ラベルを持ってやってきた。
最近は、彫刻のSさんとボクが飲もうと決めると、だいたい絵画のTさんも都合をつけて合流してくれることが増えた。それに、ワイフも含めて石見銀山の吉田家で宅飲みになった時は近所に住む女流彫刻家のUさんも加わる。
昔ほど大勢が集まってバカ飲みして大騒ぎすることも無くなったが、それでも何かと言うと、こういうコアなメンバーが付き合ってくれていることは嬉しい。

こんどのSさんの彫刻は春に制作した小品と同系列のものだ。徳島に出品する野外彫刻のマケットで、バランスとかセッティングの工夫で若干悩んでいるふうだ。
彼の彫刻家としての作家歴もそろそろ30年近くにはなっていると思う。アタリマエのことだが、初期の頃から見ると、造形力も制作技術や技法もずいぶん上達した。学生時代の彼は、制作の基礎技法を中心に勉強していた程度だったから、実材としての彫刻素材がはっきりと鉄材一つに決まったのは私と付き合い始めてからあとだった。溶接や溶断などの制作技術も私の横で自分の彫刻を作りながら見よう見まねで覚えていった。
そういう頃から彼の仕事ぶりを見ていると、最近の造形力の向上には目を見張るモノがある。これからの彫刻に必要な要素はやはり彫刻を触媒として社会と如何に関わりどのような提案をしていくのかという、コミットメントの追求に尽きる気がする。

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令耳聴語2のコピー (1)

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手紙 

2019/06/20
Thu. 11:05

最近は1日が「アッ!」という間に過ぎてしまって、夕食が終わったらすぐに眠くなる。
朝はオシッコで目が覚めるとそのままベッドメイキングなどして銀くんへ飛び乗って万善寺へ直行する・・・
退院してから1ヶ月の間、そういう毎日が繰り返されている。

東京の日本橋三越で個展をする彫刻家から案内状が届いた。島根からだと遠くだからなかなか会場まで行けないだろうと気を利かせて図録が同封されていた。
まだ体調が万全でないまま寺のことで落ち着かない毎日が過ぎているから、彫刻の制作が始められるのはもうしばらく後になりそうだが、こうして、彫刻絡みの情報が入ってくると、なんとなく気持ちがそちらの方へ振られて身体がうずいてくる。彫刻のコトで気持ちが少し晴れたし、せっかくだから自分の近況報告も兼ねて久しぶりに手紙を書いた。
最近は、何かと言うと各種SNSなどで簡単に情報交換ができてしまう。しばらくその便利さにパクリと食いついていた時期もあったが、せいぜい、家族親族くらいな最小のコミュニティーで機能していればそれでいいふうに思うようになって、そのうちなんとなく味気なくなって、その種の類から気持ちがソレて縁遠くなった・・・

○○さんお久しぶりです。
彫刻個展のご案内ありがとうございます。
今年は、春に上京できなかったのでなんとか観に行きたいという気もしましたが、やはり何かと不都合があって残念ですが断念するしかなさそうです。
一応、関東在住の三姉妹には連絡しておこうと思います。気が向けば観に行ってくれるかもしれません。
長女は東川口にマンションを購入して埼玉県人になりました。一ヶ月ほど前に長男が生まれて私は名実ともにおじいちゃんになりました。次女も先日「わたし告白されたの♡!今、運気上昇中なのよ!!」といっていました。三女は勤務先の保育園で小さな男の子から毎日のように告白されたりデートに誘われたりしているようです。

さて吉田の方は、退院はできたものの、入院中の5週間の仕事の空白がかなり厳しくて、その埋め合わせで毎日がアッという間に過ぎています。体力が思うように回復しなくて30分動いて2時間休憩したりなどしていると、予定の用事が遅々として進まないまま気がつけば夜になっています。これだけ用事に追いかけられていることは今までの自分の人生で記憶にありません。還暦を過ぎてあとは残された人生を慎ましくのんびりと過ごしていこうと思っていたのに想定外のことになってしまいました。今までの怠けていたツケが今頃になって回ってきたのかも知れません。

ワイフが図録を観て「これほしい!!」といっていました。
「ほしかったら自分で資金ためてくださいね!」と念押ししておきました。まぁ、○○さんのことだから妖艶な熟女のファンが殺到して一瞬で完売するでしょうけど・・・
奥様を始め、ご家族の皆様によろしくお伝えください。
展覧会のご盛況を万善寺御本尊の千手千眼観世音菩薩様へ祈念しておきます!

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彫刻家Hさん 

2019/03/08
Fri. 21:46

3月3日の桃の節句は前日からの雨がまだ残っていて、ロフトの天窓から入り込む朝の日差しはいつもよりずいぶんと弱々しかった。

最近ほぼ毎晩のように私の近くで寝ているクロが、まだ夜の明けきらない早朝から起き出して「メシくれよぉ〜!」と催促鳴きを繰り返しながら周囲をぐるぐる回り始める。
ご飯係はワイフの仕事になっているし、ダイニングテーブルの脇にあるネコチャンズのお食事コーナーはワイフの寝室が近いから「メシくれよぉ〜!」の催促は彼女の方へ回ってもらいたいのだが、何故かわざわざロフトで寝ているボクを起こしに来る。
しばらくは無視して寝ているが結局根負けしてゴソゴソと起き出して、まだおぼつかない足元を気にしながらゆっくりと階段を降りて土間にある踏み板をまたいでリビングの隅にあるお食事コーナーへたどり着いて一握りのご飯をネコ茶碗へ放り込んでからトイレに入って焦点の定まらないままブックスタンドの文庫本の文字を追いかけながらオシッコを済ませる。
いつもなら、そうこうするうちにワイフが起きてきてお互いに軽く朝の挨拶を交わして、私はまたロフトの布団へ潜り込んで二度寝を決め込む・・・という恒例のパターンが繰り返されるのだが、今年の桃の節句は特別なスケジュールが決まっているので、ベッドメーキングを済ませると、少し無理をしてそのまま起きておくことにした。

わがままで身勝手な彫刻家吉田正純の何処がいいのか、もうずいぶんと長い間上京のたびに面倒がらずに付き合ってくれている彫刻仲間のHさんが、わざわざ吉田正純鉄の彫刻展を見に来てくれる。
彼は埼玉に在住で、具象彫刻の作家。素材は主に粘土や石。だから普通なら主に鉄ばかり使ってどちらかといえば抽象彫刻の吉田と表現上の接点があるわけでもないのだが、なにかしらどこかしら気持ちの通ずるものがあるようで、大勢の彫刻家の中では、裏表のない一歩踏み込んだ会話が成立する唯一の彫刻家であり友人であると私は思っている。
さて、彼の方は吉田のことをどういうふうに思って付き合ってくれているのかわからないが、彫刻界での友人知人の少ない吉田からすると、Hさんのブレのない造形観や表現上の技工に流されない彫刻に対する真摯な姿勢がとても素敵にみえる。それに、だいたいが自己主張の強い協調性の欠けた彫刻家どもの組織にあって、とりまとめの政治力や事務能力の優秀さには頭が下がる。
まぁ、結局なんだかんだ云っても彼は優秀な彫刻家であるということだ。その彼が年度末の忙しい中、わざわざ島根まで来てくれるということが実に嬉しいことなのだ。

「おはようございますぅ〜〜とうふやですぅ〜〜」
朝のうちにデスクワークを少しでも先に進めようとデスクトップをつついていたら、玄関の引き戸が開いて聞き覚えのある声がした。まさか彼がこんなに早く石見銀山入りするとは思ってもいなかったから少々焦った。すぐに土間へ降りて久しぶりの再会となった。
町並みや田んぼにある吉田の彫刻を案内して、一緒に昼食をとって、それからそれぞれに別れた。時間にするとせいぜい3時間程度のこと。それでもとても濃密なひとときになった。

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2月の新年会 

2019/02/02
Sat. 23:25

そろそろ1月もあと僅かのある日、節分から立春へ向けて準備をしていたら着信があった。
名前を見ると中学校の同級生で元野球部、少し前まで郵便局の局長からだった。
彼からの電話はだいたい内容がわかる。
「2日新年会するけど、来れる?・・・夕方6時半で会費4000円・・・」
「寺は節分あるけど、そっちは大丈夫?前日だよ?」
「節分3日でしょぉ〜、大丈夫大丈夫、そんな遅くまでヤラないから・・・みんな昔みたいに飲めなくなってるし」
「チョット遅れると思うけど、行くよ・・・予定変わったらすぐに誰かへ連絡しておく」
「だいたい、いつものメンバーだから誰でも良いよ、都合変わったら知らせといて・・」

それで、2日は明るいうちに本堂を片付けたりお経を一つ読んだりしておいたのだが、結局なにかしらアレコレ用事を片付けていたら時間がどんどん過ぎていた。
膝と腰の具合が思わしくないし、夜になったら歩道が凍みるだろう。
銀くんに常備のステッキを引き出して、ソレを支えに参道を下って町道から国道へ出て三日市の町まで歩いた。
寺を出るときはまだ明るかった。
もう少し時間がかかるだろうと思ったら、道がズゥ〜っと下りだからだろう、15分で三日市に1軒の居酒屋へ着いた。
店に入るとメガネが一気に曇った。
「早いじゃない。もっとおそくなるかとおもったわぁ〜」
「吉田のぶんチャンと残してあるゾォ〜」
「お前の席、コッチコッチ!」
「ハイ!改めてカンパイィ〜〜!」
「おつかれぇ〜」
「ハイ、今年もヨロシクゥ〜!!」

地元同級生が10人位集まった。
みんな、もう現役は退職の年齢だが、まだ何人かは嘱託か何かで引き続き仕事をしている。他に自営業もいて、身体が動くうちは現役続行が決まっている。万善寺住職もその一人。
いつもラム肉を分けてくれる獣医も来ていた。
銀くんを世話してくれたカーディーラーの社長は酒が飲めない。
カープのファンクラブ会員で元役場職員もいた。
パチンコ好きなプラント役員もいた。
元教頭は去年ハチに刺されて救急車で運ばれた。
棟梁は相変わらずクールに飲んでいた。
ビールが酒に変わってワイワイやっていたが、気がつくといつのまにか奥さんが迎えに来て一人二人と消えていった。
帰り道は20分かかった。上り坂ばかりだからだろう。案の定、歩道はもう凍みていた。

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~のようなもの~ 

2019/01/25
Fri. 23:10

夕方に待ち合わせをして「新年会!・・・のようなもの・・・」をした。
調整は周藤さん。
美術公募団体二紀会のメンバー有志(~ということになっている)。
吉田の方は、石見銀山を起点に、近所のノリちゃんなどへ声をかけた。

島根県内で展覧会絡みの企画を運営してそろそろ10年になるし、自分のモチベーションや年齢のことも考えるとそれなりの潮時もみえてきたので、1年くらい前から仕事の規模を縮小して無理しないで乗り切れる程度に気持ちを切り替えた。
何かと便利に使っていたSNSの利用も減って、最近は大きな動きが無くなってきた。SNSも頻繁に各種諸連絡を回しているうちは経費や時間や事務など色々と都合が良いが、そういう事務連絡の必要もなくなると、知らなくても良い情報やどうでも良い広告ばかりが頻繁に続いてだんだんと鬱陶しくなってくる。
このところ冬とは思えないほどよい天気が続いて、どこかしら外仕事をしない冬の1日がもったいなく思えてしまうものだから、工場へ行けば行ったで青空工房の整備や鉄の廃材を仕分けたりでなかなか制作が本気になれないし、寺は寺で冬のこの時期に境内へ雪が無いことなど自分の人生で初めてのことだから、おもわず草刈り機のエンジンをかけたりしてしまう。

新年会(~のようなもの~)は、出席メンバーの都合で出雲市へ集合することになった。
そうすると、当然飲んだ後は銀くんで車中泊になるから、ソレ用のベッドが必要になる。
午前中はいつものように工場で過ごして、午後から寺へ移動して銀くんの寸法を測りながら現物合わせでスノコ状のベッドを造った。
作品梱包用の毛布などはだいたい常備してあるから、それらを使って隙間を埋めて、助手席のシートをフルフラットに倒して、その上にスノコを敷く。シュラフを用意して枕を積み込んで、寒さ対策にカシミアの毛布も追加した。あとは、飲み屋の近くのワンコインパーキングの然るべき場所へ駐車して、飲み終わったら朝まで寝てしまえば無駄がない。
準備万端整えて出雲市へ向かうころから冬らしい天気になって、飲んでいる間に雪になりそうな様子だ。
1番に会場へ着いた。それからタケちゃんが来て周藤さんが来てノリちゃんが来て、都合4人の新年会になった。
今年は春季展開催の年だから、制作の原案を持ち寄って検討会からスタート。久しぶりの冬型悪天候で風も激しくなったから、居酒屋の客もまばらでひそひそ話には好都合。
絵画のタケちゃんはかなり沢山のメモを用意していた。具体的な素材とか制作方法を変える必要は無いが、テーマの精選はすべきだと思う。まだまだ整理淘汰の余地が残されているように感じた。彫刻のノリちゃんは、彫刻表現の方向性を再考する時期だと思う。いずれはフォルムとしての彫刻造形上の堅牢さを追求することも必要になる。センスと技術は持っているのだから、それに流されすぎないようにしないといけない。周藤さんは自分で造形のことをよく考えているから、適当なところで満足しないように気をつけつつ、しばらくはこのまま乗り切ればいいと思う。ワイフには、飯を食べながらアレコレ話したし、あとはボクが自分のコトで妥協しないようにしないとね・・・コレが一番ヤバイ・・

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年の瀬の訃報 

2018/12/23
Sun. 17:28

年の瀬になって急に慌ただしくなった。
宗門手帳を見ると、12月のページはほぼ空白で2日のワークショップと14日の新蕎麦の会と松永さんの来訪くらいだったのが、ここにきて連日のようにアチコチから駆け込み法事などの問い合せが入って、土日祭日を中心に年末ギリギリまで寺の用事が立て込んできた。
たぶん、そういうことも今年だけのことだと思う。
例年だとこの時期は根雪になるかならないか微妙な感じの雪がそれなりに積もっていて、そういう時に駆け込み法事の依頼などまずこない。寺の方は毎年変わりなく冬シーズンの維持管理を中心に年末年始の決まりごとを粛々と繰り返しているだけのことなのだが、今年はそれもなかなか出来なくて、その影響で石見銀山の吉田家のことがどんどん後回しになっている。このままだと年内に済まそうと思っていた自分の彫刻制作など、完全に何処か遠い彼方へ消え去ってしまいそうだ。せっかく材料も届いて消耗品の補充も済んだところなのに・・・なかなか自分の思うように上手く事が進まないものだ・・・

萬善寺で幾つかの用事を片付けていたらワイフから電話が入った。
石見銀山の天理教大森支部長さんのご母堂が亡くなったとの知らせだった。天理教は日本宗教をザックリくくると神道に寄っていて仏教とは葬祭の様式がずいぶん違っている。私は仏教でいうところの通夜に当たる神事しか参列できないからその開始時間へ間に合うように急いで石見銀山へ帰った。喪服は着る機会もないまま何処かに仕舞い込んだままだから、寺で改良衣に着替えてそのまま通夜神事に出席した。坊主が改良衣で榊を玉串奉奠するという、日頃はなかなか遭遇しない機会を得たわけだが、個人的には故人を見送る気持ちに変わりがあることでもないし、それはそれで何の問題もないと思っているのに、隣に着座の参列者がやたらとうるさく根掘り葉掘り知ったかぶりの宗教を問い掛けてくるものだから、とにかくボク的には面倒臭い居心地の悪い通夜神事になってしまった。

帰宅して、賞味期限が切れて不味くなった日本酒を飲みながら遅めの夕食を済ませて少し落ち着いてから自宅のパソコンを開いてメールチェックをしたら、木彫家の小島弘さんの訃報が入っていた。詳しいことはわからないが、もうかなりの高齢だったからきっと大往生だっただろうと思うことにした。
島根県の小品彫刻展をスタートした当初から数年前まで毎年欠かさず素敵な木彫作品を出品していただいた。奥様に先立たれ、その後しばらくして自ら介護移設へ入所され、静かな余生を送られたようだ。小品彫刻展の方は、入所を決断されたところで丁寧な出品辞退の手紙を頂いた。
何事も几帳面に滞りなく処理される様子は、日頃から自堕落に過ぎる私にはなかなかマネの出来ないことだ。
まだ健在だった頃の厳格な所作言動は、気楽に近づき難いオーラが漂っていて、田舎者のボクなどは視線を逸らせて避けて通っているようなところもあったが、小島さんの方はキチンと吉田と吉田の彫刻のことを認識されていたようだ。
木彫の小島彫刻は抽象への境界を踏み越える一歩手前までデフォルメされた緊張感のある洗練されて気骨のある具象のムーブマンが実に魅力的だった・・・九拝合掌・・

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更新追記:11/11坊主彫刻家的嗜好
徳島でいい感じの錆色に色づいた彫刻が石見銀山のいつもの田んぼへ帰ってきました。
これから年越しをして3月末まで動きません・・・みなさん、冬の間しか観ることができませんよ!

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萩の穴窯 

2018/12/04
Tue. 04:50

山陰で高速道路の整備が一番遅れている島根県西部も、この数年間で工事が加速して少しずつだが開通区間も伸びて長距離移動が便利になってきた。

萩焼の内村さんとはもうずいぶん長い付き合いになる。
彼の窯は登り窯よりもっと原始的な穴窯で、そういう窯で焼成する作陶家は萩地域だけでなく島根県や山陰でも珍しい。付き合い始めの頃は、窯焚きの手伝いをさせてもらうかわりに、自分の器を焚き口の灰被りのあたりの邪魔にならないところへ置かせてもらったりした。やはり、薪窯の味わいは他のガスや灯油の窯とは比べ物にならないが、穴窯はそれにも増して独特の窯変がみられる。酸化と還元が曖昧に混ざりあった中性窯の様子は、薪のくべ方ひとつで大きく変化するから最後の練らし焼成になるまで緊張の連続だ。

富山町での教室個展へ作陶展をお願いしたのは今年の会期スタートからだいたい1年半ほど前のことだった。
私は特に差し迫った用事がない限り内村さんの工房がある明木で5月の連休に行われる往還まつりのイベントへ出かけることにしている。中国地方の各所から集まってきた陶芸やクラフト工芸などの作家が店を出すので、器や小物を見たり買ったりすることを楽しみにしている。
そのまつりの主催で忙しくしている内村さんを捕まえて富山町での作陶展を打診しておいたのだが、その後少し落ち着いてからOKの連絡をもらった。
展示会で生活している彼は、旅慣れているし作品展のノウハウは心得ているから、会期や搬入出のデータと会場の様子を知らせておけば、あとは自分の都合で動いてくれるので依頼する私の負担も減って助かる。
この度も、そんな感じで展示作業は彼に任せっきりにしておいたのだが、いつも忙しい彼に島根と萩を2往復してもらうのも悪い気がして、イベントが終わってからの後片付けと作品梱包などはすべて私が責任を持って行うことにした。それで、11月の連休中にそれを済ませて、あとは萩まで運搬するだけになっていたところへ「久しぶりに私も行きたいなぁ〜・・萩!」とワイフが言いだして「それじゃぁ〜、何時か良い日があったら教えてよ」ということになって、週明けの月曜日早朝、ワイフの車へ内村さんの陶器一式を積み込んで萩へ向かった。

昔は、石見銀山から萩まで5時間ほどはかかっていた。
10年くらい前から少しずつ自動車道が整備されて片道5時間を切った。
2年くらい前から一気に高速が伸びて、今は3時間半あれば内村さんの工房へ到着する。

「今、改築中で年内には完成させる予定!」だということで、焚き口と煙突下の袋窯だけを残してあとの穴窯の部分はレンガが撤去されていた。
「アレコレ考えながら造ってるとなかなか進まなくて・・」
工学系にも強い内村さんが自分で改修工事をしている。
こだわりの穴窯が完成したら、来年の3月まで空焚きをしたりしてそれから窯詰め本焼きと続く。私もなんとかして、再生初窯焼成メンバーに加えてもらえるといいなぁ〜・・

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再会 

2018/10/30
Tue. 23:08

マリちゃん(・・・って、今はもうオバサンだけど・・)と久しぶりに逢った。
彫刻の搬出で前日に東京入していたからマリちゃんが何処かで逢おうと云ってきた。前回は5・6年前だったと思うが、確か田園調布に住んでいたこれも学生時代の同級生のマンションに数人が集まって小規模の同窓会のような感じで飲んだ。

自分で云うのも何だけど、ボクはどちらかといえば人嫌いな方で一人でいることのほうが気楽で良かったりするほうだから、学生の時もそういう感じで自分の方から積極的に友達をつくろうと思うようなことはなかった。それでも、ナンダカンダと気軽にくっつく連中がいないわけでもなくて、マリちゃんもそのうちの一人だった。
今にして思えば、何かの縁のようなものもあったのかも知れない。
きっかけは、確か新入生歓迎会の時だったと思う。新入生はあいうえお順に並ばされてどんぶりいっぱいの日本酒を回し飲みしながら自己紹介をさせられるという、今にして思えば実に過酷極まりない歓迎会だったのだが、その順番で吉田の前にいたのがマリちゃんだった。だいたい、一般常識として成人間もない女子がどんぶりに波波と注がれた酒を飲み干すことなど普通に無理なことで、彼女も酒の入ったどんぶりを手にしてアタフタしながら悶絶していたところを、その次に控えていたボクが引き受けて(つまり、吉田はどんぶり2杯の酒を飲んだということです・・)事なきを得たという、まぁ、それなりの男気を示した!・・・というあたりから、付き合いが始まったような気がする。
四六時中ベッタリくっついていたわけでも何でも無いが、何故かそれぞれの行動が重なることも多くて、気がつけば付かず離れず一緒にいたりして、不思議な関係が卒業するまで続いた。
当時、彼女は藤沢でおねえさんと一緒に住んでいて、私はその隣の駅で降りてバスに乗ってしばらく行ったところに親戚のオバサンの家があって、それでそちら方面へ行くときはよく電車が一緒になることもあったし、鶴見の北口のロータリーに面した焼き鳥屋でバイトしていた時も学校から帰りの方向が一緒だった。彼女が渋谷の近くへ引っ越した時もたまたま自分も渋谷でバイトをしていたりして、まぁ、一般的に一緒にいる時間も多いとしゃべることも増えてそれなりに親近感もわくし、特に男と女の深刻な関係に踏み込むこともないまま気楽な縁であったと、自分では思っているが、彼女がどう思っていたのかは知らない。

キーポンと六本木の美術館へ行ってお父さんとお母さんの彫刻などを見て、そちらから銀座へ移動した。マリちゃんは和光の前の花屋さんの角で待っていて、そこからすぐ近い銀座ライオンの本店で飲んだ。
前回に逢った以来の空白を埋めるるようにアレコレと話していると、キーポンが山野楽器で楽譜を見てから合流し、それからしばらくして仕事帰りのノッチが合流した。
マリちゃんは「大丈夫だろうか??」と心配になるほどよく飲んで「二次会へ行こう!」と言いはじめて、それから吉田父娘たちと一緒に彼女の自宅が近い中目黒へ移動してまた飲んだ。
しばらく逢わないうちにずいぶん飲めるようになったもんだ。彼女なりに色々と場数を重ねてきたのだろう。今は一人息子も結婚して手が離れて制作を再開している。

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カムバックグッチャン 

2018/10/18
Thu. 23:31

グッチャンが石見銀山に点在する鉄の野外彫刻を観て、フラリと吉田家へ立ち寄ったのは、まだ彼女が20代の頃だったと思う。
初対面のその時に、お茶飲み話で彫刻のことを話したのがきっかけで、それからしばらくして勤めていた仕事をやめて吉田家へ転がり込むように単身石見銀山へやってきた。
その頃の吉田家はまだ子供も小さかったし、犬のシェパ君も居て私も定職があって昼の間はワイフが一人で吉田家を切り盛りしつつそろそろ時間講師でもしてみようかと思い始めていた時期だったから「君の仕事は犬の散歩ネ!」と、それを条件にほとんど未使用だった変形の8畳を彼女の部屋に提供した。
子どもたちも彼女によくなついて、子守代わりもしてくれて、それなりに吉田家としては重宝した。
それでも彼女は何もしないで彫刻の制作三昧で毎日過ごすわけにもいかないから、近所のアパレル会社でアルバイトをすることに決めて、それからあとは1日や1周間や1ヶ月のスケジュールもしっかりと固まってくるし、生活のリズムもつかめてきて、時々私の彫刻の手伝いをしながら塑像の制作にとりかかった。
首像からはじめて石膏取りをして、そういうことを繰り返しながら続けていたアルバイトも本格的になって、会社の重要なポジションに定着して、それがきっかけになって吉田家から独立して会社所有の一軒家に住まわせてもらうことになった。
それから、塑像制作が本格的に回転するようになって、「制作工房があると良いね」ということになって、探し当てたのが棟梁の工場事務所。
ひとの良い、面倒見の良い棟梁の御陰もあって、夜な夜な棟梁の工場の事務所へ通いながら制作を続けて、等身大の彫刻を石膏取りをするまでになった。
住まいも、自分で探して会社の社宅から独立したが、「彫刻を造ることを優先したいから・・」と、アルバイト待遇の方はそのままで仕事を続けた。

グッチャンは、どちらかというと、彫刻のセンスがあって器用にオシャレにサラリと制作できるタイプではない。
一つ事を自分が納得するまでコツコツと積み重ねて、対象に誠実に向き合い、存在をトツトツと追求することに時間を惜しまないタイプの彫刻家になりつつあった。初期の頃は、粘土に伝わる指の跡も一つ一つが点で止まって、そういうことが連続して積み重なっていくふうな作風で、それは一方で流れるようなムーブマンの勢いを阻害してしまうし、造形の重心を低い方へ押し下げてしまうような重たい彫刻になることが多かった。
自分が納得しながら一つずつ制作を積み重ねることによって、ゆっくりではあるが確実に造形力が伸びる方向へ向かっていた時に結婚して石見銀山から東京のマンションへ転居した。しばらくは生活を優先の日常が続いていたが、数年の間に小さなテラコッタの彫刻を造れるまでに立ち直った。それから、毎年島根の現代彫刻小品展を目標に制作を続けてくれて、その後関東のグループ展へ出品する機会も得てだいたい10年が過ぎた今年になって、久しぶりに六本木の展覧会へテラコッタの胸像を出品した。
素材に忠実で仕事の痕が最小限まで抑えられて、表情の内面へ引き込まれるような清楚で慎ましやかで上品な胸像に仕上がっていた。審査委員の心が揺れたのかも知れない・・奨励賞を受賞した。造形力の蓄積が裏付けられた見事なカムバックだった。

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不確か情報 

2018/10/09
Tue. 23:20

いつもこんなだったかなぁ〜〜〜・・・

今年は10月に入って展覧会絡みの報告というか何というか、特にボクにはコレと云って重要なコトでもないのだけど、まぁ、考えようによってはわざわざ吉田目指して様々な現状を大きなタイム・ラグもなく逐一こまめに伝えていただいているわけで、それはそれで、周囲が吉田を忘れていなかったということが実感できて、密かに嬉しかったりもする。こういうことが、あと何年続くかわからないが、ボクも美術とか彫刻の世界ではまだ十分に現役でいられているということだとともいえるわけで「知らない間に義理や人情が優先の付き合いだけになっていた!・・」というようなことだけにはならないように気をつけようと思う。

さて、そんなわけで、いくつかの報告の中で一番嬉しかったのが昔から苦楽をともにしている絵画の友人が「受賞するか推挙されるかどちらかもしれない??・・」という、なんとも不確かな情報・・・
今までに何度となく彼にはそういう機会が巡ってきそうだったのに、その度に何度もスルーされていた。吉田としては、彼のそういう状況がわかる気がするものの、一方で歯がゆくも感じていた。
当初から彼の作風は、彼の研究を積み重ねた先にある完全に彼オリジナルのものであった。私から見ると、目を瞠るような鮮烈なデビューだといえる。
一方で、今の公募団体展でくくられた画壇に彼の絵画性がどこまで理解してもらえるか不安だった。
「彫刻が向いてるんじゃない?」とか「絶対彫刻のほうが面白くなるよ!」とか「その作品が彫刻になっても全然問題ないんじゃない!」とか、あらゆる手段で彫刻へ誘ったこともあったが、頑固な彼はかたくなにそれを断り続けた。
何時の頃からか「あいつは本当に絵を描くことが心底好きなんだなぁ〜!」と残念だが私も納得するようになった。
その頃から彼の迷いが絵に出てきたように感じた。彼にとっては試練の数年だったと思う。
その試練の数年がとにかく長かった・・・自分でパンドラの箱を開けてしまったと云うか、ラビリンスの扉を開けてしまったと云うか、そういう感じで、少し距離をおいて見ているうちに、彼の絵画はカオスと苦悩の世界に染まった。
ある日、彼の自宅のすぐ近くを通過することがあって、ちょうど日曜日だったしひょっとしたら自宅にいるかも知れない?・・・と、ちょっとした思いつきで訪問したとき「もう、彼とはこれから先、昔のように付き合うことは難しいかもしれない・・・」と、思うことがあった。彼や彼の奥さんが在宅だったが、とにかくどことなくよそよそしくて取り付く島もないほどで吉田との距離が一気に遠ざかった風に感じた。それからあと、一歩も二歩も下がって彼との付き合いを遠ざけていたが、どうしてもその離れた距離に我慢ならなくて今年の春のある日、彼と飲む機会をつくった。とにかく、飲んで喋って私の鬱々とした彼に対しての数年間の気持ちを伝えた。
それが良かったのかどうかよくはわからないが、今年の彼の絵画は少し変わっていた。

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台風の後・・ 

2018/10/07
Sun. 23:44

法事へ出かける頃には雨も風もやんで静かな朝になった。
秋の台風が日本海を通過したことが嘘のようだ・・・それから石見銀山へ帰って・・・夕方まだ波の残った日本海へ出ると、沖の方をタンカーがゆっくりと西へ向かっていた。

鳥取在住で私と同じ公募団体展へ出品しているまだ若い絵画のMさんから「どうやら入選したらしい・・」とショートメールが入っていた。
彼女は、地元の大学で美術教育を専攻して卒業してから学校の先生になった。
ワイフが付き合って出品している山陰のグループ展へ彼女も出品していて、ワイフの搬入を手伝ったりしているとき何度か会場で絵を見かけたことがあったものの、その頃は、それほど強く印象に残る絵画であると思って観ていなかった。その次のグループ展のときだったかに観た絵もあまり印象になかったのだが、どこかしらその展覧会の中では面白いセンスを持っているように感じたので、その時企画していた美術イベントの教室個展へ誘ってみた。そうすると、いがいにすんなり食いついて出品してくれることになった。

会場は廃校になった小学校の教室だから、大きな絵画が楽に展示できるようなシステムではない。そういう現状を説明して、いくつかの過去資料も用意して、あとは作家の自由に任せて、展示の手間などの諸経費を保証することを伝えて、おおよその打ち合わせを済ませた。
会期が近づいてから手間の手配を打ち合わせして、いつも私がお世話になっている棟梁へお願いして彼女の展示へ付き合ってもらうことにした。
それから、それなりにいろんな事があったが、ひとまずイベントのオープンには間に合って展示の終わった会場へ行ってみると、グループ展へ出品していた絵画作品とは全く違ったインスタレーションになっていた。
「彼女はこういうセンスも持っているのか・・・」
意外ではあったが、一方で印象が大きく変わった。

山陰の小規模な仲の良い友達が集まって出来上がったグループ展も、それはそれで出品者にとってはとても大事な研鑽と発表の場ではあるのだろうが、吉田としては、そういうところでの造形に関するディスカッションが自分の制作や表現の伸長に影響できているか、あまり期待できない気もしている。
結局は、グループ展に限らず発表の実践においてとても重要な制作上の趣旨でありテーマであるところの根本をそれぞれ作家個々人がどれだけ共通理解を持って認識し共有してお互いを高め合い刺激しあっているかが大事なことで、そういうことにどこかしら曖昧なところがあって、ある種のヌルサの共有に作家間の居心地の良さがあったりするような環境になっていたりすると、それで自分の作家性の成長や向上を期待することはなかなか難しいことなのだろうなぁと思ってしまう。それぞれの作家が自分の造形表現を研究し成長を目指すことはまず当然なことだが、その自分の表現システムや主観を押し売りしたりしはじめたら、もうどうにもならないし表現の成長を阻害することにもなりかねない。
彼女の場合は、そういうグループ展や周辺の作家事情も含めて現状をクールに認識しながらピュアな自分のセンスを磨き続けてほしいものだ。
・・・とにかく入選おめでとう!

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22万km突破 

2018/03/23
Fri. 23:28

ボクの結界君がいよいよ調子悪くなって、脇道から本線に右折するときなど急にフラッとハンドルが揺れて血の気が引くことがある。それでなくても歩く成人病の高血圧症を持っているボクは、「あぁ〜〜、ついに脳みその何処かの血管が切れたのかもしれないぃぃ〜〜〜」と、一瞬クラリとしてお陀仏を覚悟しながらしばらく本線を走らせていると、それがハンドルというか、サスペンションというか、とにかく結界君の足回りの具合でふらついているのだとわかる。こういう症状が頻繁になると、それはそれで「こんなもんだ・・」とか、「また来たな・・」とか、慣れてしまって気にならなくなるのだろうが、前回の似たような症状から相当に日時がたったあとだったりすると、前のことなどスッカリ忘れているからメチャクチャ焦ってしまうのだ。信号待ちで停まってクラッチを踏んでニュートラにすると、途端に結界君がブルブル震えはじめて「エンジンが止まるかもしれない!」と、またまた焦ってしまう。

とにかくそういう状態が冬の間中続いて、近所の町の同級生のカーディーラーへ寄って、コーヒーをズリズリすすりながら世間話の合間にポロリと愚痴をこぼしたら、それじゃぁ、チョット見せてみろと、ハンドルを据え切りしたりエンジンをかけてアクセルを踏み込んでみたりして、感触を確かめてくれた。
今の結界くんは、その前のダットサンが潰れて乗り換えたはじめての中古軽自動車だったから、ダットサンの馬力で慣れていたところで、パワー不足にがっかりしたこともあった。それでも、地道にそんなもんだと思って乗り回していると、ダットサンでは苦労していた幾つかがすんなりと解消できて、それはそれで気楽に使い倒すことも出来るし、知らない間に無くてはならない大事な相棒になっていた。
東京の往復も何度かして、新名神や新東名を走ることもできた。九州や四国も彫刻と一緒に出かけたし、自作のフックを造って100号の油絵を運んだこともあった。もちろん、薪ストーブの燃料を山のように積んでフラフラしながら吉田家まで運んだことも数え切れない。助手席をフルフラットにして、180cm✕45cmの自作ベットをはめ込んだりした。シュラフはシーズンごとに積み替えて、遠出の時はカセットコンロやポットを積み込んだりと、とにかく、都合の良いように使っている。
平均すると1年で3万kmくらいは走っている。オイル交換は出来るだけ3000〜5000でするようにしてきた。仕事の流れでアチコチぶつけたりこすったりしてはいるが、特に大きな故障も無いまま22万kmチョットまで走っている。なんとなく「調子が悪いなぁ〜」と気付いたのが21万kmくらいの頃で、夏の猛暑が続く四国へ出かけていた時、ついにエアコンが壊れた。
ダットサンは24万km、その前のハイラックスが28万kmで潰れた。軽貨物車の結界くんは22万kmだから、そろそろ限界も近いだろうと覚悟をしつつ、それなりに大事に乗っていたのだが、「こりゃぁ〜、もぉ〜、やれんでぇ〜、あんまり遠くへ行かんほうがえぇ〜でぇ〜」という、カーディーラー君の話でした・・・
スズキの代理店で元々は自転車屋だった。中学校は自転車通学をしていて、父親の御下りを使っていた。その自転車のパンク修理は彼のおじいちゃんがしてくれた。彼のお父さんがスズキのバイクを取り扱うようになって、それから、自動車を販売するようになった。
ボクの寺暮らしも本格的になったから、そろそろ、次の車は彼に頼もうと思っている。

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ニカラグアの珈琲 

2018/03/13
Tue. 23:28

ついに大牟田の珈琲がなくなった。
近所のスーパーで安売りを買ったり、茶の子で頂いたスティックやドリップタイプの珈琲などと併用しながら、大事にチビチビ飲んでいたが、ついになくなった。

吉田家の場合は大きなコーヒーメーカーがあって、ワイフがさりげなく気を使ってポットいっぱいの珈琲をつくり置きしておいてくれる。
万善寺は自分で用意するしかないから、通勤坊主や単身赴任坊主の時は、ネルドリップとかペーパーフィルターとかステンレスメッシュとか、その日の気分で珈琲をいれている。
やっぱり、飲む分だけ豆を挽くのが一番美味しいから、だいたい朝のティータイムはミルを使うことが多い。
そんなわけで、万善寺の珈琲豆がなくなったから、ワイフを誘って出雲まで買い出しに行くことに決めた。

毎年、この時期は確定申告があるから税務署の近くでワイフと待ち合わせをした。
申告の手続きをしていたら、昔一緒に仕事をしていたときの友人とバッタリ会った。お互い、自営業というか自由業というか、源泉徴収とは縁のない世界の日銭で暮らしているから、仕事も趣味もまったく接点がないのに、それでもどこかしら類友のような親近感がある。奥さんや子供も知らないわけでないし、立ち話で昔のことが少し蘇った。

よく晴れた良い天気で、出雲への移動も気持ちがいい。
ワイフと他愛ない会話を楽しみながら運転をしていると、電話が鳴った。
「今何してるの?もう申告終わった?」
誰かと思ったら、先程の彼からだった。今出雲へ向かっているといったら、帰りに寄らないかという。
「5時過ぎると思うけど、それでもいいの?」
「全然大丈夫!子供も帰国しているし、久しぶりだからいらっしゃいよ!」
「それじゃぁ、寄らせてもらうよ!」
ということになって、彼へのお土産に浅煎りの珈琲を粗挽きしてもらった。

お土産を渡すと、彼は、早速アメリカンのさっぱりした珈琲をいれてくれた。
昔、長野の方で短期間だけペンションを経営していたことがあるから、そのあたりのことは手際が良い。
息子さんはずいぶん大きく逞しく立派な大人になっていた。つい先日までオーストラリアのファームで働いていたそうだ。そのあたりはオヤジに似てワイルドだ。同じ外国暮らしでもフロリダディズニーで働いているノッチは吉田家のオヤジに似て軟弱チキンだったりするから、血は争えないものだ。
1時間がアッという間に過ぎていた。
夜も遅いからと再会を約束して別れた。
申告も終わって、1年が一区切り付いたし、旧知の友人と久しぶりの再会もあったし、なんとなく温かい気持ちになった。

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くされ縁 

2018/02/24
Sat. 23:19

一頃に比べたらずいぶん暖かくなった。
このまま春になってくれるといいのだが、まぁ、地球を相手にそんなに甘くはないだろう。

江津は東西に長い島根県のほぼ中央に位置していて、冬でも雪がほとんど降らない過ごしやすい地域なのだが、吉田的には二つほど気になることがある。一つは水道料金がやたらに高いこと。もう一つは韓国のラジオ放送が嫌になるほど鮮明に受信されること。これには、韓国のテレビ放送も付属についてきて、画像の乱れを少し我慢すれば普通に韓国番組を家庭で楽しめるレベルでもある。これらが改善できれば地域的な魅力もあるし、とても住み良いところだと思う。

数年前からその江津へ縁ができてひと月に2日ほど石見銀山や万善寺から出かけている。
今年度最後の美術活動講師で仏教の坊主がキリスト教系高校へ出かけた。その高校は全寮制で、全国から先生や生徒が集まってくる。規模はそれほど大きくないから、みんなで仲良くほぼ自給自足の共同生活をしながら暮らしている。今の校長先生は島根県の浜田出身で、昔私が学校の先生だった頃副担任をしてくれた。あの頃の彼はまだ独身だったから、ほぼ毎日夕方になると吉田家へやってきて夕食を食べながら一杯やっていた。吉田家もまだ子供が生まれていなかったし、ワイフも彼の訪問を特に気にしていなかったから、共同生活というか合宿というか、そんな感じの毎日を過ごしていた。
あの頃から彼は日曜日になると近くの教会の礼拝へ出かけるような熱心なキリスト教信者だった。その関係で、江津の今の場所を開墾した時も信者が集まってほとんど自力で学校を建てるところからそういう活動に参加していて、開校と同時にその学校の教職員になった。今にして思うと、限りなく違法建築に近い掘っ立て小屋が幾つか林立して、それが宿舎であったり美術室のような特別教室であったり、農作業の小屋であったりしていた。
それから30年ほど経過して彼が校長先生になった。昔からの付き合いでもあるし、吉田の家業のことは特に気にならないようだし、こちらも宗教的事情で特に固辞する理由も無いから、コトの成り行きで美術を引き受けたまま年数が更新されて今に至っている。

共同生活をしている高校生たちは、とても純粋で気持の良い子ばかりで居心地がいいから、年度替わりで校長先生から「来年度も一つよろしく・・・」と改まって依頼されると給料がどうとか待遇がどうとか全く気にしないで軽いノリで引き受けてしまう。
美術活動を選択する生徒はせいぜい2〜3人だから、子守のようでそれがまた楽しい。
東京に自宅のある2年生の男の子は、植田正治写真美術館の写真コンクールで受賞したりするほどの高校生らしからぬマニアックなカメラマンでなかなか良いセンスを持っている。彼の自作の写真アルバムは完成度が高くて感動した。そういうセンスはムダにしないほうが良いと思うから、「写真の個展をしてみないか?」と誘ったらやってみたいと言うので、それから後、時々連絡をとりあいながら、学校とも調整しつつ、少しずつ内容が具体的になってきた。たぶん、今年の秋には彼の写真展を島根で開くことが出来るはずだ。3月には彫刻のグループ展で東京へ行くし、帰省中の彼を誘って打ち合わせがてら飯でも食べようとたくらんでいる。

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岡山倉敷児島にて 

2017/02/09
Thu. 23:56

3回目の寒波がやってきたようだが石見銀山は一晩中雨が降っていた。

岡山へ行くには中国山地を越えないといけないので、そのあたりは雪になっているから、出発する時間を見極めるのが難しい。
色々迷ったが安全策で出発を2時間遅らせることにした。
8時に自宅前の町並みへ出ると、雨だった。
いつもの銀山街道を10分ほど走ったら、雨が雪に変わった。
面白いものでこの時期の銀山街道は、飯南高原へ登るまでに二箇所ほど天候事情が大きく変わるところかあって、雨になっても雪になっても、それに晴れても曇ってもだいたいその場所が境界になっている。
石見銀山から出発した場合、一箇所は雨が雪に変わるところで、もう一箇所は降る雪の量が一気に増えるところ。
地元の人はみんなそういうところを心得ているから、車の運転もそのあたりは慎重になるが、その道になれない車は、頻繁に脱輪したり法面に突っ込んだりして立ち往生している。それがトラックだと完全に交通渋滞の元になって、数時間も身動きできないままジッと救助を待つしか無い。今回は、そのうちの一箇所で見事に乗用車がカーブを曲がりきれないで側溝に突っ込んでいた。

島根県の方は、寒波の影響でそんな感じだったが、広島県に入ったら雪の量が激減した。
松江と尾道を結ぶ自動車道のやまなみ街道は、交通規制もなく渋滞もなく快調に走ることが出来た。
瀬戸中央道へ入ってから四国のMさんに電話したら元気な声が返ってきたので、そのまま瀬戸内海を渡って四国へ入った。
お昼を少し過ぎたくらいに徳島へ到着した。
彼は、あと1週間したらオーストラリアへ出発するそうだ。
船便で送った彫刻より自分の往復の飛行機代が安かったそうだ。
同じ彫刻仲間でも、山寺に張り付いている私とは住む世界が違う。
そういえば、岡山の彫刻家Kさんは、現在北海道の方で雪像彫刻を制作中だ。

自分の立場で自分の彫刻を造っていることだから、色々なタイプの彫刻家が色々な制作の活動を続けることは当然のことで、彫刻のネットワークも広がってとてもいいことだと思う。
私のように行動半径が極端に狭い彫刻家にとってはそういう同業の人たちの様々な制作活動の実践を聞くだけで十分刺激になる。
そういう楽しみもあるから、アチコチの色々なタイプの彫刻家との付き合いを大事にしているようなところもある。
まぁ、それが坊主の付き合いと全く違って常に新鮮でいられるからありがたいことだ。
とはいえ、全国共通何処へ行ってもだいたい似たり寄ったり同じスタイル同じ作法で同じお経が通用するということも坊主として大事なことで捨てがたいほどの魅力も感じる。
それはそれで、貴重な体験というか経験になっているのだ。

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奥出雲のマニアなメンバー 

2017/02/04
Sat. 23:59

何か色々あったけど、葬儀が終わった。
坊主家業を続けていると、1年に数回は反応の場が読めない仏事があって、自分の坊主経験の浅さに落ち込んでしまう事がある。
今回も、2月に入って間もないのにそういう状況が巡ってしまったようだ。
こういうことをいつまでも悶々と引きずっても事態が好転するわけでもないので、気持ちを入れ替えて万善寺を留守にすることにした。
そんなわけで、久しぶりの完全フリー無住職を過ごしている。

告別式のようなお葬式が終わって、お斎の膳も終わって坊主解散して、万善寺に帰ってから、セッセとフリー無住職坊主に向けての準備をした。
次の目指す先は、昨年お世話になった島根県奥出雲町を基地にして活動する音響プロオヤジの事務所兼倉庫兼スタジオ兼たまり場兼ボクの仮の宿。

例の、倉敷森山オリジナル焙煎珈琲と、その周辺の道具一式を結界君へ積み込んで万善寺を出発した時は、すでに午後の1時を過ぎていた。途中。幾つかの用事を済ませて事務所前の駐車場へ結界君を乗り入れたら、音響オヤジがタイミングよく出迎えてくれた。
早速、彼の自慢の薪ストーブの、概ねボクの定位置へ落ち着いて、森山珈琲の深煎り焙煎をミルにかけた。若干怪しげな珈琲を飲みながら、しばらく音響さんとマッタリマニアックなオヤジ談義をしていたら、奥出雲の土地っ子怪しげなオヤジがもう一人加わった。
そこで、3人のオヤジ談義で盛り上がっている間に、いつの間にか時は過ぎ、ボクのささやかな造形絡みの用事で連絡をしていた本人が近所まで来ているということで迎えに行って、それで都合4人となった。
この4人目の本人は、私の長男とドッコイの年齢で、美術家である。
幾つかの事情がダブリあって、作品展の出品仲間になったから、そのための出品作品の事前打ち合わせで都合つけた次第。
森山珈琲のマッタリとした香りに包まれながら、世間のことや趣味のことや、もちろん珈琲のことなどの会話に、造形の工夫や、方向性や、表現力のことなどアレコレ私なりの考えをけっこう真面目に話したりしていたら、奥出雲のコダワリ蕎麦屋のお兄さんが彼女とやってきてこれで6人になった。

土曜日の夕方にここまでマニアなメンバーが集まったら、普通だとアルコールに流れてしまいそうなところだが、一方では結構真面目な造形のアレコレの話になっているし、一方ではマニアックな音響絡みの話題で盛り上がっているし、そこに蕎麦屋のお兄さんの熱い熱い地域活性の会話が絡んだりしてくると、もうそれらの流れに身をゆだねるすべは一杯の美味い珈琲とその香りしかないだろうというわけで、それから後は、それぞれの限りなく身勝手な音の話題や香りの話題や造形の話題や文化活性の話題が絡み合って際限がなくなってしまった。
そんなわけで、石見銀山の吉田家へ到着したのは夜の9時少し前。
ワイフは、お風呂に入っていて、猫のシロは土間へ締め出されて寒さに震えつつフニャフニャ泣いていて、クロはストーブのぬくもりに包まれながらマッタリしていた。

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冬の結界くん 

2017/01/25
Wed. 20:38

ボクの超個人的な備忘録ブログに飽きもせず時々立ち寄ってくださっている皆様のことですから、すでに重々ご承知のことと存じますが・・・「結界くん」という、ボクにとっては切っても切れない大事な相棒がいるのです!
彼は、マニュアル5段切り替え4WDデッキバン貨物車仕様で、現在はヨコハマのスタッドレスタイヤを履いて何処までもひたすら健気に走ってくれています。

冬シーズンは、出先のどこで何があるかわからないから、昨年末に結界くんを少しほど重装備して今に至っている。
幸い運良く、それらの装備のお世話になるところまでに至らないまま、厳しい寒気を2つばかり乗り越えることが出来た。
その、重装備とは(べつにたいしたことではないのだが)・・・
後部座席をフラットにした上に、若干改造した助手席をフルフラットにして、45cm✕180cmのパネルをはめ込んで作った簡易ベット。
チャチで薄っぺらな、それでも見た目は羽毛布団(これは、結構コンパクトになってそれなりに温かいから便利!)と、何時ものシュラフにバスタオル、歯磨とお泊りセット。
パジャマ代わりのジャージ上下と、パンツにシャツ数枚。
履き替え用の雪駄、サンダル、長靴、それに子供からの誕生日プレゼントカジュアル革靴と、傘、もしもの時の坊主の必需品一式に改良衣などの法衣一式。
そうそう、最近トレッキング用の杖を2本積んだ。
そして、欠かせないのはカセットコンロと、それ用ボンベなど。
他にも、大工道具や鉄工道具とそれに関連する必要最小限の電動工具も常備してある。
それで、iPhoneとその充電器があれば少々の渋滞でも普通に気楽に乗り切ることが出来る。

今回の2回めの寒波は、島根の隣鳥取県で交通網が分断されて大変だったようだ。
島根の方は、今のところ昨年並みかそれ以下の積雪で、万善寺のある飯南高原も吉田家のある石見銀山も、比較的楽な毎日を送っている。
このままいけば、「モテル結界くん」のお世話にならないで春を迎えられそうな気もする。

昨日の保賀の谷は、ひと晩で50cmは積もったと思う。
その前日から同じくらい降り続けていたから、1本道を歩く時は腰のあたりまで降り積もった雪だまりをスコップでかき分けながら結界くんまで歩いた。
そして、今朝は薄く降り積もった今季最高のパウダースノーを舞い上げながら慎重に1本道を探りつつ参道を下った。
こういう朝は、放射冷却が特に厳しいから、結界くんの暖気運転がいつもの3倍位必要だった。
それでもワイパーにこびりついた雪というより氷の塊が溶けるまでにはかなりの時間を要した。
過酷な飯南高原の冬に、文句一つ言わないで耐え続ける結界くんが愛おしくなる♡!

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2020-07