工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

岡山倉敷児島にて 

2017/02/09
Thu. 23:56

3回目の寒波がやってきたようだが石見銀山は一晩中雨が降っていた。

岡山へ行くには中国山地を越えないといけないので、そのあたりは雪になっているから、出発する時間を見極めるのが難しい。
色々迷ったが安全策で出発を2時間遅らせることにした。
8時に自宅前の町並みへ出ると、雨だった。
いつもの銀山街道を10分ほど走ったら、雨が雪に変わった。
面白いものでこの時期の銀山街道は、飯南高原へ登るまでに二箇所ほど天候事情が大きく変わるところかあって、雨になっても雪になっても、それに晴れても曇ってもだいたいその場所が境界になっている。
石見銀山から出発した場合、一箇所は雨が雪に変わるところで、もう一箇所は降る雪の量が一気に増えるところ。
地元の人はみんなそういうところを心得ているから、車の運転もそのあたりは慎重になるが、その道になれない車は、頻繁に脱輪したり法面に突っ込んだりして立ち往生している。それがトラックだと完全に交通渋滞の元になって、数時間も身動きできないままジッと救助を待つしか無い。今回は、そのうちの一箇所で見事に乗用車がカーブを曲がりきれないで側溝に突っ込んでいた。

島根県の方は、寒波の影響でそんな感じだったが、広島県に入ったら雪の量が激減した。
松江と尾道を結ぶ自動車道のやまなみ街道は、交通規制もなく渋滞もなく快調に走ることが出来た。
瀬戸中央道へ入ってから四国のMさんに電話したら元気な声が返ってきたので、そのまま瀬戸内海を渡って四国へ入った。
お昼を少し過ぎたくらいに徳島へ到着した。
彼は、あと1週間したらオーストラリアへ出発するそうだ。
船便で送った彫刻より自分の往復の飛行機代が安かったそうだ。
同じ彫刻仲間でも、山寺に張り付いている私とは住む世界が違う。
そういえば、岡山の彫刻家Kさんは、現在北海道の方で雪像彫刻を制作中だ。

自分の立場で自分の彫刻を造っていることだから、色々なタイプの彫刻家が色々な制作の活動を続けることは当然のことで、彫刻のネットワークも広がってとてもいいことだと思う。
私のように行動半径が極端に狭い彫刻家にとってはそういう同業の人たちの様々な制作活動の実践を聞くだけで十分刺激になる。
そういう楽しみもあるから、アチコチの色々なタイプの彫刻家との付き合いを大事にしているようなところもある。
まぁ、それが坊主の付き合いと全く違って常に新鮮でいられるからありがたいことだ。
とはいえ、全国共通何処へ行ってもだいたい似たり寄ったり同じスタイル同じ作法で同じお経が通用するということも坊主として大事なことで捨てがたいほどの魅力も感じる。
それはそれで、貴重な体験というか経験になっているのだ。

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奥出雲のマニアなメンバー 

2017/02/04
Sat. 23:59

何か色々あったけど、葬儀が終わった。
坊主家業を続けていると、1年に数回は反応の場が読めない仏事があって、自分の坊主経験の浅さに落ち込んでしまう事がある。
今回も、2月に入って間もないのにそういう状況が巡ってしまったようだ。
こういうことをいつまでも悶々と引きずっても事態が好転するわけでもないので、気持ちを入れ替えて万善寺を留守にすることにした。
そんなわけで、久しぶりの完全フリー無住職を過ごしている。

告別式のようなお葬式が終わって、お斎の膳も終わって坊主解散して、万善寺に帰ってから、セッセとフリー無住職坊主に向けての準備をした。
次の目指す先は、昨年お世話になった島根県奥出雲町を基地にして活動する音響プロオヤジの事務所兼倉庫兼スタジオ兼たまり場兼ボクの仮の宿。

例の、倉敷森山オリジナル焙煎珈琲と、その周辺の道具一式を結界君へ積み込んで万善寺を出発した時は、すでに午後の1時を過ぎていた。途中。幾つかの用事を済ませて事務所前の駐車場へ結界君を乗り入れたら、音響オヤジがタイミングよく出迎えてくれた。
早速、彼の自慢の薪ストーブの、概ねボクの定位置へ落ち着いて、森山珈琲の深煎り焙煎をミルにかけた。若干怪しげな珈琲を飲みながら、しばらく音響さんとマッタリマニアックなオヤジ談義をしていたら、奥出雲の土地っ子怪しげなオヤジがもう一人加わった。
そこで、3人のオヤジ談義で盛り上がっている間に、いつの間にか時は過ぎ、ボクのささやかな造形絡みの用事で連絡をしていた本人が近所まで来ているということで迎えに行って、それで都合4人となった。
この4人目の本人は、私の長男とドッコイの年齢で、美術家である。
幾つかの事情がダブリあって、作品展の出品仲間になったから、そのための出品作品の事前打ち合わせで都合つけた次第。
森山珈琲のマッタリとした香りに包まれながら、世間のことや趣味のことや、もちろん珈琲のことなどの会話に、造形の工夫や、方向性や、表現力のことなどアレコレ私なりの考えをけっこう真面目に話したりしていたら、奥出雲のコダワリ蕎麦屋のお兄さんが彼女とやってきてこれで6人になった。

土曜日の夕方にここまでマニアなメンバーが集まったら、普通だとアルコールに流れてしまいそうなところだが、一方では結構真面目な造形のアレコレの話になっているし、一方ではマニアックな音響絡みの話題で盛り上がっているし、そこに蕎麦屋のお兄さんの熱い熱い地域活性の会話が絡んだりしてくると、もうそれらの流れに身をゆだねるすべは一杯の美味い珈琲とその香りしかないだろうというわけで、それから後は、それぞれの限りなく身勝手な音の話題や香りの話題や造形の話題や文化活性の話題が絡み合って際限がなくなってしまった。
そんなわけで、石見銀山の吉田家へ到着したのは夜の9時少し前。
ワイフは、お風呂に入っていて、猫のシロは土間へ締め出されて寒さに震えつつフニャフニャ泣いていて、クロはストーブのぬくもりに包まれながらマッタリしていた。

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冬の結界くん 

2017/01/25
Wed. 20:38

ボクの超個人的な備忘録ブログに飽きもせず時々立ち寄ってくださっている皆様のことですから、すでに重々ご承知のことと存じますが・・・「結界くん」という、ボクにとっては切っても切れない大事な相棒がいるのです!
彼は、マニュアル5段切り替え4WDデッキバン貨物車仕様で、現在はヨコハマのスタッドレスタイヤを履いて何処までもひたすら健気に走ってくれています。

冬シーズンは、出先のどこで何があるかわからないから、昨年末に結界くんを少しほど重装備して今に至っている。
幸い運良く、それらの装備のお世話になるところまでに至らないまま、厳しい寒気を2つばかり乗り越えることが出来た。
その、重装備とは(べつにたいしたことではないのだが)・・・
後部座席をフラットにした上に、若干改造した助手席をフルフラットにして、45cm✕180cmのパネルをはめ込んで作った簡易ベット。
チャチで薄っぺらな、それでも見た目は羽毛布団(これは、結構コンパクトになってそれなりに温かいから便利!)と、何時ものシュラフにバスタオル、歯磨とお泊りセット。
パジャマ代わりのジャージ上下と、パンツにシャツ数枚。
履き替え用の雪駄、サンダル、長靴、それに子供からの誕生日プレゼントカジュアル革靴と、傘、もしもの時の坊主の必需品一式に改良衣などの法衣一式。
そうそう、最近トレッキング用の杖を2本積んだ。
そして、欠かせないのはカセットコンロと、それ用ボンベなど。
他にも、大工道具や鉄工道具とそれに関連する必要最小限の電動工具も常備してある。
それで、iPhoneとその充電器があれば少々の渋滞でも普通に気楽に乗り切ることが出来る。

今回の2回めの寒波は、島根の隣鳥取県で交通網が分断されて大変だったようだ。
島根の方は、今のところ昨年並みかそれ以下の積雪で、万善寺のある飯南高原も吉田家のある石見銀山も、比較的楽な毎日を送っている。
このままいけば、「モテル結界くん」のお世話にならないで春を迎えられそうな気もする。

昨日の保賀の谷は、ひと晩で50cmは積もったと思う。
その前日から同じくらい降り続けていたから、1本道を歩く時は腰のあたりまで降り積もった雪だまりをスコップでかき分けながら結界くんまで歩いた。
そして、今朝は薄く降り積もった今季最高のパウダースノーを舞い上げながら慎重に1本道を探りつつ参道を下った。
こういう朝は、放射冷却が特に厳しいから、結界くんの暖気運転がいつもの3倍位必要だった。
それでもワイパーにこびりついた雪というより氷の塊が溶けるまでにはかなりの時間を要した。
過酷な飯南高原の冬に、文句一つ言わないで耐え続ける結界くんが愛おしくなる♡!

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さすらいの珈琲マン 

2016/11/19
Sat. 22:19

さすらいの珈琲マン森山!が、突然富山町へあらわれた!・・・らしい・・・

最近、彫刻界に於いて敵前逃亡非国民甚だしい吉田が、例のごとく、今度の土日も万善寺隣の文江さんの葬儀で富山の彫刻展や教室個展の受付をドタキャンしてしまった・・その裏番組で、あの珈琲マン森山が、受付代行のワイフや富山の熟女達に珈琲を振る舞ってくれた・・・らしい・・・
まったく、先週といい今週といい、主催者のドタキャンは「許されざる者」である。
まぁ、吉田オヤジは、せいぜいこんなもんだ!・・・ということで、飲み込んでいただくしか無いわけで・・・

万善寺隣の文江さんは私の師匠で前住職二十二世禅嶽憲正さんの同級生でもありました。
その亡くなった文江さんは、かれこれ1年近く闘病生活が続いただろうか・・とにかく、一般的にいえば、それなりに人生を全うした大往生であると私は思っている。
先程、通夜を終わって万善寺の三畳へ落ち着いたところだが、通夜の前の仮通夜からご親族の様子を見ていると、悲痛とか沈痛とかそういう様子は微塵もなく、何かしら晴れ晴れとした雰囲気が漂っている気もした。
文江さんには子供の頃から何かとお世話になった。
万善寺のおかみさんでもある私の母親は、なんだかんだいっても、結局はお嬢さんがそのまま寺のおかみさんになってしまったようなヌルい人生であって、自分が自分で言うほどの苦労は経験していない。それに比べて、隣の文江さんは何かしら苦労の多い人だったと気になっていた。思い返せば、吉田少年は母子のいさかいがあるたびに、「ボクは文江さんの子でいたかった・・」と、自分をなぐさめていたものだ。あの文江さんの何気なく目先の面倒臭いものをスルーする絶妙にヌルい加減が小気味よく感じていたところもある。
文江さんの家は浄土真宗だから、今夜の鐘つき坊主は必死で仏説阿弥陀経を読んだ。明日はそれに正信偈も読むことになる。街場の坊主付き合いでは思いもよらないことだろうが、島根の山奥では普通に宗派を越えた坊主付き合いが続いているのだ。

葬儀の準備をしている時に珍しくワイフから電話が入ったから、何か富山の会場で不都合でもあったかと緊張したが、珈琲マン森山がやってきたという報告だった。
どちらかと言えば吉田もそれなりの自由業をこなしている気もするが、珈琲マン森山は得体の知れない自由人である気がする。
何時まで続くのかわからないが、吉田としては自分の周囲に似たようなノリの軽いヤツが居てくれるだけで、結構真面目に助かっているようなところもある。

彼のコーヒーは、彼の完全なるコダワリがそのまま抽出されているようなところがある。さりげなく聞くところによると、彼には彼なりの師匠がいるようで、ひとまずはその師匠の世界に心酔して、それを目標に求め自分を鍛えている時期であるのかもしれない。
物欲の氾濫する現代に、緩やかに焦ることなく自分の我欲を育くんでいるような飄々としたノリが魅力的だ。今の彼は、上手に他人に使われているようなところがある。それも大事な経験の蓄積だが、いずれは他人を上手に使えるほどの人物になって欲しいと思う。

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Hennessyと玉鋼 

2016/05/28
Sat. 21:41

島根県在住で鉄の彫刻家の一人、周藤豊治氏が制作途中のなかなか面白い力作彫刻とHennessyの箱を持って訪ねてくれた。
ワイフは夕方からコンサートへ出かけたが、その前にイサキとアサリのワイン蒸しやマダコとトマトのカルパッチョやセセリとタマネギに大根おろしを添えたポン酢あえなどのつまみを用意してくれていた。私はもらいモノの玉鋼大吟醸の封を切って待っていたが、ワイフの手料理にはHennessyだろうということで、そちらから飲むことにした。
彼と飲んだのは、確か銀座のグループ展以来だったと思うが、良く覚えていない。それほど久しぶりだったということだ。

ちょうど同じ日に、今度の浜田こども美術館での現代彫刻小品展ポスターとチラシが刷り上って、営業のお兄さん(といっても、PTA活動も忙しい普通にオヤジだけど・・)がワザワザ吉田家まで持参してくれていて、早速周藤さんにそれを見てもらった。
私としては、今年の現代彫刻小品展でひとまず浜田市での彫刻の展覧会を一区切りつけようと思っていて、周藤さんには以前からその話をしていたのだが、彼はそれをどう思っているのかよく分からないまま、展覧会の搬入展示作業などの手伝いのことに話が集中した。
私が企画した展覧会はあくまでも非拘束の任意の団体の事業として進めているので、「準備や会期中くらいちゃんと手伝ってくれよ!」などとエラソォ〜に命令できる立場でもない。だから、基本は周辺の作家に迷惑をかけないように吉田ができるだけ自分で展覧会業務のコトをすませ、あとは、各自の事情や都合にゆだねるふうな気持ちでいるのだが、たとえば周藤さんのような強力な助っ人がセッセと働いてくれているから今まで何とか展覧会を続けることが出来ていたということも事実である。

今から10年くらい前に公僕をリタイヤしてフリーになった時、それまで週休2日に特別休暇や有給休暇が当たり前の暮しがいっきに崩れた。
寺の仕事が土日に入ることもあるし、再就職で嘱託に近い仕事は昼夜の境界もなく不定期に入ってくる。みんなが休んでいる土日に仕事したり、夜中遅くまで仕事が続いたりする。
「何で自分だけ・・・」仕事中に、少し前まで同僚だった人達の顔が脳裏に甦ることもシバシバだった。そんな毎日の日課の乱れになかなか自分の気持ちが切り替わらなくて、それから2年くらいは悶々として暮していたように思う。その後自宅を少し改造してギャラリーをオープンしたら憲正さんの体調が崩れて病院の通院が続くようになった。こうなると、規則正しい休日の保証など期待できるわけもなく、宗門手帳が手放せなくなった。とにかく、五月雨に入ってくるコマゴマした仕事の一つ一つをすぐにメモしておかないと用事が重なったりして収拾がつかなくなる。
今では休みが無いことが当たり前になって、場合によっては晴耕雨読が当然のことで一仕事を片づけるようなこともある。雨が降ればデスクワークや細かな彫刻仕事に切り替えるし、晴れれば外仕事で寺や自宅の営繕で草刈りをしたり薪割りをしたりして過ごし、時々ワイフと日程調整をして休日に切り替えて温泉につかってたりして気楽に暮している。

自分の仕事を窮屈にやりくりして吉田と付き合ってくれている周藤さんには頭がさがる。
今、少しでも周藤さんのような立場の人が楽に動けるようにできないものかと、無い知恵を絞っている。

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栄泉寺さん遷化 

2016/05/15
Sun. 02:21

久しぶりにラップトップを開いた。
ネタが無くて放置していたわけではなく、ラップトップを開くタイミングが無いまま今になったということ。

このだいたい2日間の間に、けっこう目まぐるしく色々な出来事があった。

半日ほど自宅の四畳半にこもって彫刻イベントの助成事業申請書類最後のひと山の作文を完成させ、その後、松江に走り、幾つか用事を済ませて担当窓口へ書類を提出し、無事に受理していただき、また一つほど用事を済ませて急いでUターンして自宅へ着いて、慌ただしく急いでワイフに修繕してもらった改良衣に着替えて九教区総会へ移動。
三瓶山の山越えをして、開会予定時間ギリギリに到着して何食わぬ顔で出席。護持会役員の皆さんも比較的高齢者が目立つなぁ〜・・などとボォ〜ッと会場の雰囲気を見渡している間に会長以下丁寧なおはなしが延々と続き、それに引き続いて粛々と議事が進行し、時々承認の拍手が数回あって会議終了。
席を立ったところで呼び止められて「あんた今年から監事だけん、監査してもらわにゃいけんけぇ〜」と唐突なおはなし。「えっ??、それって何時に決まったことでしたっけ??」・・・前後の経緯がよく飲み込めないまま、ゴネてことわる理由もなく承知して監査日程を宗門手帳へ書込んで、配られた会議弁当を頂いて散会帰宅。

「正ちゃん・・・帰って早々だけど・・・栄泉寺さんがお亡くなりになったって・・」
ワイフから訃報を聞いた。
少し前に、病気が見つかって入院したがもう治る見込みがないそうだ・・という情報が、これもワイフ経由で入っていたのだが、あまりにも急なこと。
通夜密葬の日程を聞きとったものの、具体的な葬儀内容までの情報が入らないまま悶々と一晩を過ごすことになった。
栄泉寺のご住職は、私のようなチンピラ坊主とは訳の違う特派布教師の立派な方丈さんで、1年中日本全国を巡りながら布教活動をしていらっしゃった。
宗門開祖の道元さんが残された書物の研究や、地元地域に縁深い名僧高僧の古文書を読破されるなど、なかなかの勉強家であり仏教の研究者でもあった。島根のような田舎では、滅多に存在しない逸材の名僧だと思っていた。
もう10回を数える現代彫刻小品展も、初回から会場へ足をはこんでいただき、「専門外で分からんことですが、いやぁ〜、立派ですなぁ〜!こういう小さな町でこういう一流の彫刻が見られるということは幸せなことですよ!」などと、身に余る感想を頂いたりした。そういうご縁もあって、栄泉寺境内へ展覧会企画のワークショップで制作した都合3体の石彫を奉納させていただくことも出来た。facebookで近況を報告されたり、1カ月に1回ほど地元地方紙の日曜版へ1200字ほどの記事が掲載され続け、もう何年も続いていた。
私よりズッと若くてこれから島根の仏教界を引っ張っていただけるような方だと期待していたのに残念なことだ。
このところ、facebookにはあまり深く関係しないまま時が過ぎていたが、気がつかない間に静かにさり気なく栄泉寺さんのページや記事が消えていた。冥福を祈ります・・・

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ワイフの思い出 

2016/04/06
Wed. 00:11

まんざら異常気象のせいでもないような気がするようになってきた今日この頃・・・
東京はやたらと冷え込んで、冬物の一式を全て結界君へ置きっ放しにしてしまった吉田オヤジとしては、素肌に容赦なく突き刺さる太平洋側の冷たい寒さに打ち震えているところであります。

4月に入って入学式前のこの時期に、花冷えの頃とは云ってもあまりにも寒過ぎる一日が始まって終わった。
だいたい、私が何か事を構えて起こす時には雨や悪天候がつきまとって、そういうことは慣れていることなのだが、それにしても、小春日和にだらしなく慣らされてしまったオヤジとしてはなかなか厳しい銀座の一日を過ごすことになってしまった。

会場で受付けをしていると、やはり銀座の芸術レベルの高さを肌で感じる。
毎年のように銀座のギャラリーで個展などしている芸術家諸氏にとっては、こういう状況も普通のこととして気楽に過ぎているのだろうが、私のような田舎者の彫刻家としてはやはり田舎では味わうことの出来ない都会的芸術観のようなものをつぶさに感じて気が付けば緊張ばかりしてしまっている。

ギャラリーのクローズ間際に、ワイフの学生時代の同級生が訪ねてくれた。
ワイフは学生時代バスケットのクラブに入ってキャプテンで活躍していたから、その時の仲間の一人でもある。
そして私がまだ結婚する前のワイフと付き合っていた頃からのことだでもあって、そのiさんもよく知っている。
前回彼女と逢ったのはもう10年くらい前のことだったと思ってそういうことを云ったら、彼女はそんな昔のことではないと否定した。
お互いに失われた記憶をアレコレ探っていたら、結局、結論は前回のこの同じ趣旨のグループ展のオープニングの時に逢っている筈だということで決着した。
それでも、前回というと、もう5年以上は前のことになっていて、3月のお彼岸の時期にこのグループ展の会期が移動する前のことだから、その後万善寺のことで色々あった私にとっては10年にも匹敵するほどの遥か昔のことに思えてしまうのも仕方のないことだ。

とにかく、久しぶりの再会は嬉しかった。
予定では、会場クローズの後に吉田家長女のなっちゃんと逢うことになっていたから、そういう連絡もしながらiさんも一緒に新宿へ移動した。
新宿といえば私の青春のホームグランドといっても云い。
西口の中央公園から、ションベン横丁脇のガードをくぐって、歌舞伎町から要町の先の新宿二丁目あたりまで、とにかく連日のように徘徊していた処でもある。
そういうあたりを、ワイフの友達のiさんと一緒に歩いているということがなんとなく不思議な感じだった。あの頃と同じ風景は探すことも不可能なほど大きく様変わりした新宿の町を、なっちゃんの指示に従ってしばし彷徨っていると、あれほど冷えきっていた身体がいつの間にか温もって火照ってきた。

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倉敷の思い出 

2016/03/17
Thu. 21:44

ボクのことを愛してやまないワイフが帰ってまいりました!
やっぱり、オヤジの醸しだす芳醇で魅力的な男ホルモンは、結婚して30年以上経っった今でも彼女をトリコにしているようであります!

午前中から午後のティータイムに至るまで外せない用事があったので、それを過ぎてからワイフへ電話をしたら、寝ぼけた声で返事が返ってきた。
1周間前と変わらない感じで、ボクの四畳半のボクの書斎のボクのデスクワーク炬燵に潜り込んでボクの男くさい残り香に包まれながら昼寝をしていた。
やはり夜行の高速バスではあまり熟睡できなかったようだ。

少し前の事になるが、倉敷で久しぶりに再会した久保田くんのことを今になってまた、ちょっと思い出した。
彼は、現在凸版印刷のクリエイティブディレクターである。
そして、はるか数十年前の青春時代は浪人の苦楽をともにした仲間の一人でもある。
あまり酒が強い方ではなかったが、付き合いはすこぶるいい方であった。
浪人の悲哀を乗り越えて晴れて大学生になってからあとの彼は、色彩学の色占いなるものを習得して、その世界でみるみるのし上がった。
角砂糖にたかる蟻の如く、彼の色占い目当てに周辺のうら若き乙女どもが集まって、ハーレム状態になった。
もちろん、吉田はその彼と彼の周辺の事情を指をくわえてよだれを垂らしながら眺めていたムサ苦しい男どもの一人だったわけだ。
あまりにも悔しいから、或る日、彼の色占いをエサに吉田主催(今で言うところの)合コンを華々しく開催した。
「おんな」をエサにしたら久保田くんすぐにノッてきて、なかなかいい感じで盛り上がった。
そこで残念なのは、その時、その宴席に今のワイフがいたということ。
あの頃の吉田は本当はまだフリーだったはずなのに、せっかく汗水流して苦労して集めた女の子たちが久保田くんの色占いの話術で舞い上がってしまって、主催のはずの吉田は、酔っ払う隙もなく滅茶苦茶冷めてしまった・・・というところを、ワイフに目撃されてしまった。吉田の、甘くせつない古き好き青春時代の思い出の一コマである。

倉敷で久々に再会した折、ワイフと、こともあろうにキーポンもいる夕食会の席で、久保田くんがその思い出話を披露し始めて、一気にオヤジの酔が冷めた。
彼にとっては、数少ない吉田絡みの思い出話として記憶に残っていたのかもしれない。
それどころか、その後の展開で今も時折色占いをベースにした講演活動を展開しているらしい。
さすが凸版印刷の営業デザイナーだけのことはある。転んでもただでは起きないしたたかさがある。
田舎の山寺の和尚さんのぬるま湯につかってふんぞり返っていた吉田オヤジにはいい勉強になった・・・いろいろな意味でね・・・

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猫の気楽 

2016/03/07
Mon. 18:25

通勤坊主が再開した。
本堂の西側壁面へ畳二畳を潰して納骨用の舎利棚殿を造り付けることにして、その大工工事が始まったからだ。
前住職の頃からお檀家さんの離散が少しずつ始まって、現住職である私の代になってからそれが加速している。
昨年には、ついに独居世帯で孤独死の葬儀をすることになってしまった。ひとまず、近い親族でかたちばかりの葬式をして万善寺墓地の空き地へ埋葬するところまでは進めたが、七日務めも割愛され、四十九日もかたちばかりのお経で済ましたことにして、あとは親族からの連絡も耐えたまま現在に至っている。
最近の仏教は、世間では葬式坊主程度の認識しか持ってもらえなくて、「仏教」の教典のことなどどうでも良くなってきた。だから坊さんはどちらかと云うと仏教と云うより仏事のことができればそれでOKと云うノリで付き合ったりされているような気がする。

そんなわけで、どうも新亡さんが粗末に扱われることが増えているようで、親族の身寄りが少なかったり絶縁になったり、場合によっては絶家になるようなこともあるだろうし、そういう立場の新亡さんを、かたちばかりでも寺でお守りできればいいかなと思って舎利棚殿を寄進することにした。
これから何年かかかって造作代を支払うことになる。

倉敷の飯尾ちゃんの個展会場には、可愛らしい猫のジュエリーがいくつか並んでいた。
吉田家のネコチャンズを思い出してしまいそうな小さな猫がショーケースの一角に鎮座していて、欲しくなってしょうがなかった。
とても今の自分にはそれを手に入れられるほどの余裕もないので、値札は見ないようにしながら個展の作品群を鑑賞させてもらった。

彼女も、数年前から親の介護をすることになって、それで実家の愛媛に帰ってきた。
彼女は、受験で上京してから30年以上も東京暮らしがつづいていて、そこを生活の本拠地にして世界各地に出稼ぎをしていたくらいだから、親の介護のためだけに愛媛へ拠点を移そうと決めるまでには随分と葛藤があったと思う。
とにかく、なんとかして自分が暮らしていくだけの生活力を持っておかないと、親の面倒を見ることなどできない。
私も彼女の同業に近いから作家としてものをつくり続けることで生活の糧を得ることの厳しさはそれなりに分かっているつもりだ。
財力のある人は、お金の力で親の面倒をどうにでも看ることができるだろうし、正に商売柄そういう現実をつぶさに目にすることも多い。
歳をとって死ぬにも死にきれないまま生きながらえて、その上我が子にも見放されて何処かの介護施設に放り込まれてしまう親の立場を思うと、複雑な気持ちだ。
私など、ある意味でそうすることなどしたくてもできない貧乏人だから、かえって諦めもついて自分で親の面倒を看ることが当たり前と思って暮らしている。
いつになったら、悩み多き人生から解放されてネコチャンズのように気楽になれるのだろう・・・

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倉敷の旅 

2016/03/06
Sun. 23:44

キーポンの用事で倉吉まで出かけたから、そのまま石見銀山へ帰ってしまうのも味気ない。
ワイフも一緒で吉田家の家族が揃っているしするから、今どきこういう機会は滅多に巡ってくる事も無いだろうと思ったので、倉吉から倉敷までいっきに南下した。
2月に倉敷へ彫刻を持って行って設置したまま、その後のお礼もしないままになっているし、家族に・・というより特にキーポンにオヤジの仕事を見てもらうのも大事な事だと思ったからでもあった。

上の三人の吉田家の子供たちは、小さい時からオヤジの彫刻と一緒にアチコチ貧乏旅行をしてきた。
キーポンは上の子供たちと年齢が離れている関係で、彫刻がらみの家族旅行にほとんど縁がないまま大きくなってしまった。
それも結局はその時々の巡り合わせでもあろうが、こうして今思うと、ほんの20年から30年の間に、私の彫刻制作や発表の環境も大きく変ってきたという事がよくわかる。
一度しかない人生のかなりに多くの部分を、こうして彫刻と関係しながら過ごしてきたということを、自分の子供たちへも少しは知っておいてもらいたい・・・そういう気持ちがない訳でもないし・・・

鳥取の倉吉を出たのが午後の2時を過ぎた頃だった。
ワイフが早起きしてセッセとつくってくれていたお弁当をパクつきながら走り続けて、倉敷へ到着したのが夕方の4時半だった。
学生のころの同級生で今は七宝作家で活躍している飯尾京子女史の個展会場が倉敷の美観地区の端にあって、まずはそれを観に行く事を優先して予定を立てた。
会場のクローズが5時だったので、あまり長く鑑賞する事は出来なかったが、彼女の一連の七宝作品の現物を観る事は学生の時以来のことだったから、とても有意義な時間になった。
せっかく、久々の再会になったし、たまたまワイフの女子美辞代の同窓生も飯尾ちゃんとつながりがあって会場に来ていたので、出張中の同窓生の久保田くんも合流して夕食をご一緒する事にした。
いつもだったらこういう時の私は車中泊で一晩を過ごしてしまうが、家族が一緒だとトイレの問題もあるし、オヤジの気軽な一人旅と同じように乗り切る事も難しい。

夕食は、色々昔話で花が咲き乱れたり美味しい地酒を飲む事も出来てオヤジ上機嫌。
倉敷2日目は、昨夜の久々に再会した同窓生たちと倉敷の各所に点在する作家の作品展を巡った。
その中に彫刻家吉田正純の彫刻も展示されていて、もちろんそれも彼等にじっくりと観てもらう事ができた。
日本第一熊野神社の宮司さんや搬入でお手伝いを頂いた氏子の皆さんに逢ってお礼をすることもできたし、もう一ヶ所彫刻を置かせてもらっている造り酒屋のご主人とお話しする事もできたし、もちろん、新酒の一升瓶をゲットする事もできた。
ワイフやキーポンもそれなりに倉敷を楽しんでくれたようで良い思い出が一つ出来た。

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飲み助 

2016/02/05
Fri. 23:53

空には星が・・・またたいて・・・いるかなぁ〜・・・って感じの夜空を眺めています!・・・って、結局一杯飲んで酔っぱらってるだけのことだけどね!

本日は島根県の田舎町のボクの生まれてそれなりに普通に育ったと思われる少年時代の苦楽を共にしたと勝手に思っているだけの同級生オヤジつながりから、なにかしら説明責任が乗り切れるだけの口実を用意できるほどのしたたかなオヤジ厳選!・・・のグループが集合するという記念すべき(ってショッチュウあることで珍しくも無い)日でありました!!!・・・
ようするに、ふつうにイロイロあって、ふつうに飲んだ訳です。

それで、いつものように眠たい目を擦りながらボクの相棒の結界君へ落ち着いて、こうしてとっくに冷めたホットレモンをチビチビやりながらMacBookのキーボードをプチプチ叩いているわけであります。
そもそも、今回の地元在住同級生の集まりが何だったかというと、皆さんお決まりの「同窓会」の打ち合わせであったわけですから・・・別にドってことないどこにでもいるヒマな飲み助が集まっただけの事なのだが・・・それでも約2~3名はかなり真面目に事務調整や電話連絡などしてセッセと職務に励んでいた。
結局、その真当な数名の諸氏のおかげ(なのかなぁ??)で、本年の会場が10月某日大坂某所・・というところまで決定した。
あとは、飲めるヤツとか飲みたいヤツが好きなだけ飲み続けてそれぞれ自慢の愛妻タクシーでご帰宅・・となって散会した。

私には同級生諸氏のように良妻のお迎えなど期待できるわけもないから、例の如くいつものようにボクのワガママを文句も言わないであたたかく包んでくれる結界君に身も心もゆだねてくつろいでいるところへ、シテキな(ステキではないよ)ビックニュースが飛び込んだ。
吉田家次女のノッチが今の職場を退職して転職するようだ。
オヤジによく似た娘のことだから、この2年近く続いた今の職場に良く耐え忍んだものだと褒めてあげたいし抱きしめてあげたい!
もう、立派な成人だし、諸々の責任は自分に返ってくることだから私としてはとっくに子離れしているつもりでいるが、それでも肉親身内の我が子でもあるから内心は心配なところもあるにはある。それに、コツコツ貯めていたノッチ訪問ツアーの準備金500円貯金の目標が宙に浮いてしまったというチョット残念な気持ちもある。

なにわともあれ・・同級生諸氏の了解を得て、皆さんの本日の飲み助仲間をご紹介いたします。
左から順に・・・本日の飲み助諸氏
公僕を立派に務めあげて現在転職中のW君。同級生で1・2を争う高額納税リッチマンU君。U君と高額所得を争っている釣り師獣医I君の真鯛の魚拓。いまだに郵便局長にしがみついている仕切り人A君。(ド田舎)カーディーラー社長のT君。それにボクとあと一人。

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オヤジの時間 

2015/09/01
Tue. 23:57

もう何ヶ月ぶり・・・いやいや、今年に入ってからはじめて・・・ということは、1年ぶりにはなっているかも知れない・・・
吉田家から、石見銀山の町並みをほんの80メートルばかり歩く程度の距離なのに、本当に久しぶりに逢って1杯飲んだ。
Mさんとは20年以上の付き合いになるはずで、ヒョッとしたら30年になっているかも知れないほどの長い友人になる。その年月、とにかくやたらと飲み明かしている。さて、総量どのくらい飲んでいるだろう・・・

憲正さんの密葬から本葬まで、律義に会葬してくれたものの、話す機会はほんのひと言程度で終わってしまっていたから、ずぅ〜〜っとそれが気になっていた。
彼は忙しい人で、ほとんど出張で出かけているから、石見銀山で捕まえることが難しい。
その上に、私が正月から寺暮らしが続いて、1カ月に1週間足らずの日数しか自宅で過ごすことがなかったから、この半年以上は普通に疎遠になっていた。
べつに、これといって積もる話があるわけでもないが、それでもお互いの日常の悩みや仕事の現状を報告交換する機会は大切なものとして長年つき合っていた。石見銀山に帰ってしばらく経つし、少しはこちらの生活に慣れはじめたことだし、ちょうどいい機会だと思って連絡したら、M氏の方も、次の出張まで少し間があるから予定を都合しようということになって、結果今日の夕方から逢うことになった。

久々の彼の自宅はあたらしく増改築が終わって壁の一部にドアができて、普通に下隣の家と繋がっていた。彼の家族に孫が増えたりしていろいろなことがあって、結局現状が少し前から固まってきたらしい。
「まぁ、いろいろあるが、結局ワシが老後はこの家らしいわぁ〜・・、動けるうちは2階で過ごして、上がれなくなったらここで寝たきりになること決定みたいだわぁ〜・・家族で話したらどうやらそうなるらしいわぁ〜〜」
普通に軽くひとごとのようにそう話していた。

その後、二人でワインを1本空けて、ビールを6缶空けて、飲むものが無くなってお開きした。
久々に逢った歳月がお互いのひとつひとつの話題で埋められて、アッという間に楽しいひと時が過ぎた。
話題といえば・・M氏は会社の今後のこと。私は例の富山の企画のこと。お互いの経過報告といったところだが、一方は億のケタで一方は十万のケタという、比べようもない遠い存在のことなのに、なんとなく分かったふうに助言し合ったりするところがかわいらしい。
「今までやりたいことやってきたけど、もうこれで最後だというつもりで残りの人生もうひと山越えようと思っとるんよぉ〜!」
「まぁ、この歳まで生かさせてもらって、あとはいただいた人生を死ぬために大事に使って行こう思っとるんよぉ~!」
二人の今後には大きな見識の違いがあるものの、それがまたそれぞれの人生で面白い。
やはり、たまにはこういう濃厚なオヤジの時間を過ごすことも大事だね!

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遠雷のあと 

2015/08/07
Fri. 23:50

手間替え随喜の施食会の最中に、遠雷が聞こえたかと思うと照明がフッと消えた。
昼間からいっきに暗くなった本堂では、須弥壇と施食棚にある燭台の蝋燭がほんのりと明るくまたたいている。
参拝のお檀家さんがしだいにざわつきはじめた。
夏のこの時期にはよくある夕立の前触れ程度のことなのだが、それがわかっていてもやはり何処かしら気持ちが騒いで落ち着かないのだろう。民衆の信心なんて、しょせんその程度のことだと思ってしまうと、大汗かいてお経を読んでいる自分が何処かしら虚しく思えてきた。

停電はしばらくして復旧したが、それから少ししてバケツの水をひっくり返したような勢いで雨が降りはじめた。
法要が終わっても雨の勢いはおさまらなくて、やむ気配がない。随喜の方丈さん方も夕立に足止めされた格好になって、しばらくお茶飲み話などしていたが、さすがに棚行で忙しいこの時期にそれもいつまで続くことにもならないから、駐車場の車まで濡れることにして走った。どちらかといえば、若い方の私が先導する形になって、本堂の軒下から山門の軒下を巡って結界君までたどりつくと、運転席の窓がフルオープンのままだった。
シートから背もたれからハンドルからミッションレバーからとにかくずぶ濡れ。
足元のゴムマットには雨水が溜まっていた。
どうすることも出来ないからそのまま運転席へ滑り込んで万善寺まで帰った。
夏用の薄い改良衣も白衣も、そしてもちろんパンツも見事に濡れてしまった。

石見銀山の自宅へ溜まった郵便物を取りに帰ることに決めていたので、濡れた諸々のものを乾かしたり洗濯したりして、急いで濡れたままの運転席へ・・・
バスタオルをかぶせて座ったがほとんど効果がなくて、リーバイスが水を吸い、履き替えたパンツがお漏らししたようにしっとりと濡れた。

前期の成績をもらいに登校していたキーポンが出雲市駅まで帰ってくるというので、また結界君へ乗り込んだ。石見銀山から出雲へ往復して帰宅するあいだで、自分の身体にシートの水気をほぼ吸い取ってしまった。結局、郵便物を受け取るだけの用事がキーポンの迎えにまで発展して、自宅のリビングへ落ち着いたのが夜の九時ちかく。
気が付くと宅急便が二箱届いている。何時届いたのか・・・それまで全く気が付かなかった。送り主は二箱とも彫刻家のHさん。箱には梨の絵が描いてある。
そぉ〜かぁ〜・・もう、梨のじきかぁ〜・・毎年のことで有難いことだ。
それに、今年はタイミング良くまだクールに冷えたままの梨を摘むことが出来た。明日は早速お供えさせてもらおう。久しぶりで美味かった。今年はお釈迦様より先に味見させてもらった。
そしてもう一つの箱は、最近のHさんおすすめの純米酒。これもまだほのかに冷えていたので、さっそく一升瓶から直接ぐい呑みへ注いだ。旨し!!
とても上品でまろやかな呑み心地で、久々に気持ちよく酔っぱらった。
Hさん、いつもどうもありがとうございます!

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みんな大人 

2015/07/29
Wed. 07:46

久々に・・・というより、10年ぶりに好きな人に逢うことが出来た。
こんなことをいうと、ワイフの角がいっきに伸びて大変なことになるだろうと心配の諸氏もいらっしゃるだろうが、そういうことはまずない。
その、好きな人とは遠藤彰子画伯。

毎年六本木へ彫刻を持っていっているが、遠藤彰子氏はその展覧会の絵画部の重鎮。
私ごとき田舎者の顔を覚えていてもらって、美術館のそこここで出会うとにっこり笑いかけてもらう程度の付き合いなのだが、その、覚えてもらっているということだけでただただ嬉しい。

何といっても、彼女の絵画のパワーが凄い。
絵画の前に立つとその世界に引き込まれるほどの求心力がある。
魅力を上げればキリがないが、それは何処かの誰かの絵画評かなにかに任せるとして、とにかく私好みの面白い絵を描く人なのだ。

浜田での現代彫刻小品展の撤収と搬出を終わって、その足でワイフの彫刻を松江の美術館へ運んだ。
ちょうど今年は、彫刻展の搬出の日が、山陰二紀展の搬入展示の日で、その山陰二紀展の公開講評の講師として神奈川から遠藤彰子さんが島根まで来てくれた。
前回の島根来訪は、かれこれ10年は前のことだろうと漠然と思っていたら、彼女曰く、12年前のことだったらしい。
きっと、今回島根に来ることが決まってから、昔の資料をアレコレ探して事前調査しておいたのだろうが、迎える側としてはやはり覚えていてもらったというだけで何かしら嬉しくなってしまう。

その12年前から今に至る歳月に彫刻家としての吉田正純にも色々なことがあった。
身勝手を承知の上で、周辺の美術家へずいぶん我がままを通してきた。
久々に逢った浜田さんは、良い意味で変わりなく話しかけてくれた。
今まで欠かさず現代彫刻小品展に作品提供してくれていた古市さんは大正14年生まれで今年90歳になったが、まだまだしっかりと二本の足で歩いている。
倉吉在住の磯江さんの優しげな作風は昔と変らない。
学生運動の活動家で強烈な思想を展開していた勝田さんは、少し小さくなったかなと思ったら、強靭な根性と生きる力で大きな手術を乗り越えて生還したらしい。
佐田さん、田中さん、竹田さん、楫さん・・・などなど、懐かしい顔ぶれが、不義理の私をあたたかく迎えてくれた。
本心はどうでも良いことだ。みんな本当に本物の大人だ。
遠藤彰子さんとも、たっぷり会話が出来た。
私のデシャバリに釘を打ち付けながら、それでもニコニコとして酔っ払いオヤジにつきあってくれたワイフの大人ぶりにもずいぶん助けられた。
とても楽しい酒で、良い思い出が一つ増えた。

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彫刻の島根搬出を終わった。
これから日を改めて石見銀山の田んぼへ設置して、冬の間地元の皆様に見てもらおうと思う・・・といっても、誰もほとんど気づかないだろうけど・・・
それでも、錆びた鉄の彫刻に雪が積もったり雨で濡れたり、おのればえの稲の緑とのコントラストがきれいだったり、そういういろいろな変化を自分の目で確かめることが出来る絶好の機会にはなる。
ワイフの石見銀山未発表の野外インスタレーションも一緒に設置しようと思う。
最近は、そういうふうにいろいろな機会を頂いて、地域に密着した発表活動を続けることも大事なことだと思っている。
私など、地元島根の美術館で彫刻発表をほとんどしないし、ちゃんとした発表というと六本木の美術館の野外展示場くらいのものだから、誰もまともに正確に吉田の実態を把握することもないままなんとなく「あの人は彫刻を造っているらしいぞ・・」くらいの認識しかされていないところもある。
まぁ、当の本人が今さらあくせく売名行為をする気もないし、時々の自分の感情や感動をかたちにして表現し続けるその継続こそが何より大事なことだと思っているから、自分の目の届く範囲の広々とした田んぼ展示場で贅沢に半年近くの間彫刻を設置させてもらえるだけでそれはそれはとてもありがたいことなのだ。

そんなわけで、あわただしいままに秋晴れの1日が過ぎて、その夜には坂田さんのライブコンサートへ出かけた。
坂田さんとは坂田明さんのこと。
ベースの水谷浩章さんにも久々に逢う事が出来た。
ピアノの黒田さんは相変わらずの超絶テクニックで鳥肌が立った。
今回のプログラムは、坂田さんの「平家物語トリオ」と黒田さん水谷さんとのベーシックな「坂田明トリオ」を合体させてナンとも贅沢な坂田ワールドが展開された。
しばらくぶりに聴く演奏だったが、坂田さんの現在というか今というか、その円熟味を増した構成の力に引き込まれた。
中盤の説法もなかなか共感した。
ナンチャッテ坊主のつまらん話など比べることも恥ずかしい濃密で奥深い説法だった。
この説法だけを切り取ってCD1枚に焼いたらいいといつも思う。
内容は吉田の心の奥底にしまっておいて、こんど何処かの年回法事で使わせてもらおう。

帰宅したのは11時前だった。
受験生キーポンがテレビドラマを観ながらキャーキャー叫んでいた。
結局彫刻搬出で昼飯抜きのうえに坂田さんで晩飯も抜きだったから結構腹が減っていた。
実はあんまり好きな味じゃないんだけど贅沢はいえないから、ずいぶん前の法事で頂いたお供え物のアサヒスーパードライをあけた。

坂田さんのライブはアサヒビールの主催で無料だった。
〜プログラムタイトル〜
アサヒビールロビーコンサートin島根
美しい日本に乾杯!〜うまい!を明日へ!プロジェクト〜
「もの言わぬプランクトン〜おごれる者も久しからず〜」

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プチ同窓会 

2014/10/27
Mon. 09:25

幾つか用事を済ませて田園調布へ向かった。
学生時代の同級生が駅のすぐ近くに住んでいて、そこへ何人かが集まることになった。
同級生といっても、工芸が確か35人くらいで、デザインが45人くらいで、彫刻や建築も似たようなものだから、その中で都合のつく連中が集まったとしてもせいぜい4〜5人だろうと思っていたら、鋳金、鍛金、染織、デザイン・・・だいたい当たっていた。

30年も過ぎると、自分で起業していたり、会社に属していたり、みんなそれぞれいろいろだ。
寺を引き継いで坊主家業におさまっているのは、さすがに私だけだと思うから、異色といえばそうなるのかもしれない。
関東に暮している連中は時々会っているようだ。
私など卒業以来久々にあったわけだから、もう少しなにかしらの感動があるかと思ったが、別に普通だった。
付き合いというものはそんなものなのかもしれない。
学生の時に同級生の一人が事故死した。
今度会って最新の情報では病気で一人死んでいて、散々飲み食いしたあと帰りがけに、お仏壇の隅で笑っている遺影へ線香をあげて一声お経をあげておいた。
みんなしんみりしていたようで、そろそろそういう年齢になったということかもしれない。

今度のあつまりは、どうやら私が東京へ出かけるからということで決まったらしい。
制作を続けていることぐらいが取り柄という程度のくたびれたオヤジのためにわざわざ集まってくれてありがたいことだけど、なにかどことなく気恥ずかしい。
帰りの電車は酔っぱらっていてよく覚えていないまま、ちゃんと新宿までたどり着いていた。
スイカのおかげだと思う。

昔のことをいろいろ思い出した。
中野坂上で神田川の近くのアパートへ入り浸っていたこと。
祖師ケ谷大蔵の喫茶店の髪の長いきれいなオネエサンのこと。
梅ヶ丘駅前の本屋さんのこと。
福生のもと米軍ハウスで大騒ぎしたこと。
恋ケ窪のアパートで雑魚寝暮らしをしていたこと。
南台の酒屋の二階で暮していた時にはじめて電話を引いたこと。
方南町にあったステーキハウスの分厚いバカ安ステーキ。
それに上野界隈、谷中、千駄木、日暮里、根津・・・田無のフグ鍋屋のおじや。
明大前ではネコのタマが電気ごたつの中で三匹の小猫を産んだ。
そのすぐ後だったか・・・その頃からワイフが時々やって来るようになってだんだん親密になった。
私のつまらない話を辛抱強く聞いてくれていた。
10年間の東京暮らしだったが、過ぎてしまえばアッという間だった。

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濃密な時間 

2014/10/24
Fri. 09:27

現代彫刻小品展のことでアチコチお世話になったところを回ったり支払いの一部を済ませたり会場に残った展示台などを運んだりして気づいたら昼になっていた。
久々に在宅のワイフが豪華な昼食を作ってくれた。
それから、1ヶ月後に迫るコンサートのチケット販売のためのお願いや打ち合わせをした。
だいたいが石見銀山町内やその周辺のことで終わることだったが、とにかくあわただしく時間がすぎた。

もうお昼のティータイムも終わりかけてからやっと四畳半の書斎に落ち着いた。
さて、メールチェックでもしようとラップトップを開いたら、
「よしださぁ〜ん、いるぅ〜」
玄関で声がした。
何となく聞き覚えのある声だと思いつつ急いで土間をかけていったら、なんと益田のMさん夫婦が立っていた。
もう何年ぶりだろう・・・たしか、前に会ったのは私が萩へ行った帰りに益田へ寄った時だったと思う。
早速あがってもらってコーヒーを飲みながら久しぶりに会話が弾んだ。

一人娘のハナちゃんのこと・・
高齢で痴呆のおばあさんのこと・・
畑を荒らすイノシシのこと・・
最近のお百姓事情のこと・・
近海物の魚のこと・・
コンサートのことに展覧会のこと・・
吉田家の子供たちのこと・・
グローバルな国際社会のこと・・
そして、生きることと死ぬことのこと・・

とにかく、久しぶりに濃密な時間を過ごした。
話題は決して明るいものではないが、ポジティブな会話が楽しい。
いつのまにか、時間がアッという間に過ぎていた。
欲を捨ていらないものを整理することはとても難しくてなかなか出来ることではない。
世間に対しての批判や反発はいくらでもできるが、だからといって信念を持って抵抗しているわけでもない。
日常の暮らしの中で、さりげなく自分に正直に素直に生きていくことはけっこう難しいことだ。
したたかに前向きに生きるMさん夫婦の暮しぶりは私の憧れであり目標である。
吉田家で活躍する薪ストーブも、彼等の暮しに憧れて自作して以来すでに10年も使い続けている。
今年は新しい自作ストーブを新調しようと思いつつ、すでにシーズンが来てしまった。
ゆっくりだが、出来る時に出来ることを収めていけばいい。
最近のあわただしさでうわついていた気持ちが少し落ち着いた。
充実した午後のひと時を過ごさせてもらった。

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鴨山窯 

2013/09/17
Tue. 08:48

石見銀山のイベント目当てに、明石から元気なお姉様方ご一行の訪問があって、その中のほとんどのメンバーが三原谷でお世話になっている皆さんで、せっかく遠くから石見銀山へ来ていただいたのだからと、明くる日のフリータイムに、ワイフと二人で近場の窯元を一巡ご案内してきました。

石見銀山から15分くらいの鴨山窯(おうざんがま)さんへご案内。
鴨山窯さんは、ちょうどいい具合に万善寺までの通勤の道中にあって、時間の融通がつくと、ふらっと寄り道をして、美味しいコーヒーを飲みながらご主人やおくさまと大話ししたりしています。
ご主人はもともと絵描き。
奥様はベテランの漫画家。
現在は、ご主人が陶芸家に転職?されて、年に1~2回の窯祭りなど、奥様共々地域に根付いた文化活動をされたりして、なかなか元気に暮らしていらっしゃいます。

お二人とも、東京暮らしの学生結婚(たしか・・?)から続く仲の良いご夫婦。
ご主人の実家の島根県に帰って築窯。
ギャラリーに改築した自宅の古民家で暮らしていらっしゃいます。

パワフルな明石のお姉様方と話しも弾んで、アッという間に時間が過ぎます。
どうやら器の方も結構お買い上げがあった様子。
日頃の図々しいおじゃまオヤジも、少しだけ飲み食いのお返しが出来たかなと思ったところです。

残暑が厳しいとはいえ、台風の影響だろう、時折吹く強風が秋のにおいを運んできます。
その後、温泉津に移動して、2〜3軒ほど窯元を巡ったところで時間切れ。
駅まで送ってお別れ。
今度は、三原谷で再会しましょう・・

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もぐさ 

2013/08/29
Thu. 09:24

今年の島根県はなかなか試練が続きます!
現在、石垣島あたりの台風が、このままだと島根県へやってきそうです。
聞くところによると大雨になりそうだし・・・
ちょうど、その日は49日の法事もあるし・・・
ここまで雨の日の移動が続くと、さすがにうんざり。
まだまだ修行が足りません。

吉田家裏を流れる銀山川は、前回の大雨で氾濫寸前まで水位が上昇。
川端に枝を広げるスモモの巨木が根元から崩れて濁流を遮ってしまわないかと心配になってきます。

台風の影響なのか、石見銀山は朝から雨がポツポツ落ちています。
ややっ!裏庭に何やら怪しい影・・・
スモモの根元でゴソゴソと動いています。
ヒョッとして、イノシシ?それとも最近連日出没のサル?まさかシカ?いやいや巨大なイヌ?・・・・
ネコチャンズも仲良く並んで庭先をのぞいています。

・・・まぁ、結局はヤギの「もぐさ」ちゃんなんだけど・・・
そのもぐさちゃんの飼い主のスズキ君は、会津の人(だったと思う)。
今は石見銀山井戸神社の社務所暮らしだけど神主さんではありません。
仕事の関係で2日間出張することになって、
「もぐさどうしようか困ってるんです」と云ってたので、
「裏庭の草取りさせてやっても良いよ」と云うことで、本日は朝から茂った葛の葉をセッセと食べてくれている訳です。

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酔うて眠る 

2013/07/20
Sat. 09:11

早いものでもう土曜日。
2トンのレンタカーを借りて石見銀山を出発したのが丁度1週間前の夜。
のんびりと車中休憩しながらほぼ1日かけて彫刻を置いてある黒羽町まで行ってきました。

一泊を彫刻家の大先輩H氏のご自宅でお世話になって、夕食は奥様、朝食はご主人直々の手づくりをご馳走になり、とてもゆったりとくつろがせてもらいました。
お宅は、江戸期創建の茅葺き書院つくり風の古民家で、大震災の被害に遭いつつも、凛と耐えたというなかなか趣のある佇まい。
私は、贅沢にもその奥座敷に泊めていただきました。
質素に簡潔にまとめられた床。
今でも十分に現役で活躍の衣桁。
箔の古び具合に味の出た二曲(・・だと思う)の屏風。
先代が持ち帰ったという中国の青銅古器などなど・・
ナンチャッテオヤジの寝場所にはもったいないほど。
結局緊張のまま一睡も出来ず・・なぁ〜んてこともなく・・とても気持ちよく爆睡したのでありました。

縁側の垂壁には、横書きの「山静似太古」の額。
万善寺にも無いガンチクの禅語。
飲み助オヤジにジャストミート。
いやぁ〜、釈迦の手のひらのごとく大彫刻家に遊ばれているような思いでした。

中国古詩の一節を、時の高僧が抜き出して禅の意味を吹込んだものと記憶しています。
どちらかというと、書家の間で有名なのでは・・・
いつもだったら、
「興味と暇のある方はググってみてください・・」
などと、スルーするところですが、今回は自らググってみました。
以下はその抜粋

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
唐庚「酔眠」(酔うて眠る)
山靜似太古(山静にして太古に似たり)
日長如小年(日長くして小年の如し)
餘花猶可醉(余花なお酔うべし)
好鳥不妨眠(好鳥も眠を妨げず)
世味門常掩(世味には門常に掩い)
時光簟已便(時光簟に便ぐのみ)
夢中頻得句(夢中頻りに句を得たり)
拈筆又忘筌(筆を拈ればまた筌を忘る)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・・ねっ、タイトルがハマるでしょ!
さて、何を以て禅語と成すか・・・そのあたりの解釈はご自由に・・・

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2017-10