工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

言い訳はしない 

2017/08/17
Thu. 23:59

本葬仏事が無事終了し、大練忌法要も終わって斎膳が本堂へ配膳され、総勢100名近い方丈さまやお檀家衆が着座されて献杯になったのは13:00を過ぎた頃だった。
主喪の役目も最後のおもだった方丈さま方へ酌をして回ればそれで終了と心に決めて、一巡したあと、さりげなく荷物をまとめて退席した。
本当は、斎の酒宴が終わった後の片付けまで居残るべきだろうが、さすがにそこまでの心身の余裕がない。

もう前回石見銀山へ帰宅したのが何時の頃だったのか思い出せない。
まさか、ここまでベッタリと万善寺に居続けようと考えてもいなかったから、18日の万善寺お盆の大イベントへ向けて色々な必需品が石見銀山の吉田家に残されている。帰宅のスケジュールを考えながら「なんとかして」とか、「そろそろ」とか、「そのうちに」とか思いつつ、結局前日まで帰宅できないまま時が過ぎた。さすがに残された余裕もないから、いっきに石見銀山まで久しぶりの銀山街道を走った。こういう時に限って、やたらとノロノロフラフラ走る県外ナンバーが邪魔をする。かなりイライラしながら石見銀山の町へハンドルを切ると、唖然とするほどヒトがひしめいている。
「そぉ〜か、世間は夏休みでお盆だ!」
過疎の進む飯南高原でノンビリとした毎日をおくっていて、それがすっかり普通のことになってしまっていた。

必要な荷物をまとめて結界くんへ積み込んでいる間に、ワイフが買い物から帰宅した。
クロは何処かで眠りこけているのだろう、終始顔も見せない。
シロはフギャフギャ甘えてダッコをせがんできた。
グッピー軍団は、水量の減った水槽の中で「餌をくれ!」とピラニアの如き勢いでピチャピチャ跳ねていた。
リビングに巨大なソファーが搬入され、土間には梱包材が散乱していた。
私のデスクトップが、部屋の隅で小さくなっている。
しばらく留守にしている間に、吉田家はワイフの暮らしが充満していた。彼女には彼女なりの考えがあって、吉田家がしだいに自分の住みやすいように変化していったのだろう。
前例にないほどの多忙な万善寺業務で忙殺されている間に、ワイフは一人で味気なく暮らしていたのかもしれない。
口では、大丈夫そうなことを云って自分の多忙を訴えていたが、はたしてそれは本心だったのだろうか?

夜の横路薬師供養の仏事が毎年恒例になっていて、石見銀山から万善寺へ帰着すると夕方までの間に塔婆を書いたりして準備を進めた。
坊主の事情で何時になく忙しかったことなど、お薬師様へお参りの皆様には関係のないこと。ざわめく気持ちを落ち着かせて境内から参道へ降りたら、琴弾山の尾根に虹が見えた。「なるようにしかならない」ことだとわかっていつつ、ジタバタしている自分に気付いた気がする。
「言い訳はしないことにしよう・・・」と決めてお薬師様のお堂へ向かった。

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大夜仏事 

2017/08/16
Wed. 23:17

なんとか辻褄を合わせて棚経を調整して、大夜仏事に随喜した。

大夜とは、俗に云う通夜のようなもので、曹洞宗の住職が遷化されると、まずは密葬をして、仕切り直しで本葬に入るが、その前日の夜を「大夜」(言い方は他にもあるし、漢字もいろいろ違うこともあるのであしからず・・・)といって、幾つかの大夜仏事を厳修して本葬を迎えるというスケジュールになる。
ややこしいことだが、これはようするに葬儀に関係する方丈さま方のスケジュール調整期間を用意しているのだと思っていただくとわかりやすいだろう。
一般のように2〜3日のうちに住職の葬儀をしようと思うと、そのためにお手伝いも含めて約30人ほどの方丈さんが短期間で遺漏なく都合をつけることなど無理な話だから、はじめからそれぞれの方丈さんの都合を合わせやすいように49日までの適当な日を本葬のために用意しておけば、諸々随喜で自分のスケジュールを調整しやすくなると云うわけだ。
それでも結局は、直前に我が寺の葬式が入ったり、すでに当日が我が寺の仏事でふさがっていたりと、全て100%上手く調整できるわけでもないから、あとは、坊主が自分で自分のスケジュールを都合の良いように修正するしかないことになる。
私の場合も、変更や修正の難しい仏事が重なっていないわけでもなく、なかなか厳しい状況の中でこの度の当て職を受けている。

集合時間の少し前に葬儀会場になる寺院へ到着した。
その後、続々と若い方丈さんたちが参集して、会場の微調整に入った。
私は、立場上現場監督のような采配をふるうことになっているが、そういう器でもないし、たかが隣町のナンチャッテ坊主ごときはあまり出しゃばらないほうが八方丸く収まる。
時々、それとなく写真撮影をしたりして、大夜仏事のスタートを待った。
昨日まで断続的なスコールで落ち着かない毎日が続いていたが、ここにきてやっと半日ほど天気が持ちなおすようなことを云っていたし、少しくらいは坊主が運を天に任せるのも良いかなと思った。
予報はソコソコ的中して、お経の途中あたりになって雨が本降りになりはじめた。

亡くなった大方丈様が可愛がっていた犬がいない。
血統書付きの柴犬だそうだが、けっこう歳をとっていて、雨も降るし少し心配しつつ、何時もつながれているあたりを気にしたが、今日一日は犬の周辺のものも片付けられて、そこに犬がつながれていたという痕跡も消えていた。
どういう経緯で亡くなった方丈さまが犬を飼い始めたかわからないが、私がさり気なく犬の話題を持ち出すと、嬉しそうに柴犬との暮らしぶりを語られて、そういうところに、方丈さまの心根の優しさがにじみ出たりして微笑ましく思ったものだ。

方丈さまのいつもの定位置も、今はすっかり片付けられてどこかしら寒々しい。
本葬が終わってしばらくあとには、無住の空き寺になるようだ。

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自分の都合 

2017/08/11
Fri. 23:20

このところ雨が降りやすくなって草刈りが出来ないでいる。
棚経の方も傘が手放せない状態で、もたついている間に世間は盆休にに入ってしまった。
彫刻の方もそろそろ具体的に計画をたてないといけないから、まずは材料の注文をしておいた。
庫裏の修繕は、ひとまず1日かけてなんとか体裁を取り繕うまでに出来た。
留守の間に建具屋さんが網戸の修繕も終わらせてくれていたし、近所のお檀家さんは夏野菜をたくさん届けてくれた。
ワイフは夏風邪でもひいたらしく、微熱が出て1日ほどふせっていたらしい。
じゅん君は今年も自分の都合で夏休みのスケジュールが決まって、寺の手伝いも期待できなくなった。
結婚式も終わって少し落ち着いたらしいなっちゃんが伸ばしていた髪をバッサリ切った。
フロリダで暮らしはじめたノッチは早速友達ができてその様子をLINEに載せていた。アメリカのミッキーたちは、なんとなくデカイ気がする。
キーポンは、保育士の仕事にも慣れて系列の保育園へヘルプを頼まれるまでになったようだ。
彫刻見習いのユキちゃんは松江の美術館でグループ展のあと、来年からの職探しをスタートさせるようだ。
ユキちゃんつながりで最近知り合ったヒョロリテツヤ君は学校講師の仕事と彫刻を両立させて精力的に制作を続けているようだ。
鳥取で制作を続けているアヤノちゃんは、公募展出品をめざして大作にとりかかる準備をはじめたようだ。
吉田家のネコチャンズは、人間のスキをねらってマンマと脱走して石見銀山の町並みを彷徨いていたらしい。

・・・「〜らしい」とか、「〜ようだ」とか、なんとも曖昧な情報しか入ってこないままの日々が続くと、どうも気持ちがもやもやしてスッキリしない。
やはり、自分にはこういう受動的で曖昧な暮らしが性に合わないようで、確実に少しずつストレスが蓄積されている。
気晴らしになるかもしれないとG15をぶらさげて早朝の散歩に出た。
参道から境内に入るところでマムシをみた。このところ雨が続いているからどこかに潜んでいるか気にかけていたが、案の定いつもの場所をぎこちなくニョロニョロ動いていた。
山鳩の夫婦も境内で羽根を休めることが日課になりつつあるようだ。まだ人間に慣れるところまででもなく私を見かけると慌てて飛び立っていく。
相変わらず朝一番に蜩が鳴き始め、日暮れ時になるとまた蜩がうるさく鳴き始める。

春先に母親が死んだから、この歳になって自分の人生ではじめて正真正銘の一人暮らしが続いている。何をするにも自分しかいないからふとした拍子にもやもやとして悶々としている自分自身のことがクールに見渡せていたりする。
良いも悪いも、誰のせいでもない結局は自分の都合で決まってしまうものだとわかる。
「自返照看」とは、こういう状態であることを云っているのかもしれない。

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単身赴任住職 

2017/08/10
Thu. 23:42

万善寺単身赴任住職の一人暮らしが続いている。
この頃になって、日本の・・いや、世界中の一人暮らしオヤジのわびしさがなんとなくわかり始めたようなきがする。
15歳で一人暮らしをはじめて28歳で結婚するまで、特に寂しいともわびしいとも思わないし、どちらかといえば毎日がマイペースに気楽に過ぎて周辺へのわずらわしさもないし、都合よく暮らしていたことを思い出す。
やはり、嫁さんが出来て子供も出来て家族が増えてくると、若い頃の気楽な暮らしとは全然違って、「家族」とか「家庭」とかいう、オリジナル極小コミュニティーが成立して、それなりのゆるやかな拘束感や帰属意識を自覚するようになって、そうなってから後の単身赴任的暮らしが続くと、やはり、どこかしら気持ちの支えとかより処が某獏と曖昧になって、そういうことがオヤジのわびしさの種になっているのかもしれない。

お決まりの施食会随喜のあと、お決まりの棚経の続きで県境を越えた。
島根県のほぼ中央を南から北の日本海へ流れる江の川の上流近くにある盆地の町へ向けて結界君を走らせていると、にわかに空が暗転して強烈なスコールになった。まるで水中を走っているような(・・といっても、ボクはハンマーだから想像するだけのことだけど・・)感じでワイパーが全く機能しない。前を走るダンプの車幅をたよりに国道を走り続け、江の川を渡った。
帰りにはスコールが嘘のように雲の切れ間から青空も覗いていた。
早朝に万善寺を出て、夕方6時近くに帰着して庫裏玄関を開けると一日分の不快な湿気が充満している。こういう状況に遭遇すると、一人暮らしのわびしさが目覚める。

体内時計が正常に働いていないようで腹が減っているのかどうなのか判断に苦しむ。
今日1日は、結局固形物を口に入れないで過ぎてしまった。
シャワーで汗を流して、パンツ一丁で朝食のような夕食をつくった。
棚経の布施代わりやお中元代わりのお供え物に頂いた夏野菜を刻んだ。
夏野菜だけは、お供えもして、その上一人では食べきれないほど大量に溜まっている。
キュウリを塩もみしても、1食で1本食べれば十分で、消費に悩むのもこの時期の贅沢だ。なんとかしてあと1週間鮮度をもたせれば施食会のお供えに使える。
収穫時期を過ぎて出荷できないアスパラも大量にもらった。もう筋張って硬いからお供えにもならないし、炒めるとか茹でるとかして消費しようと思う。

これからお盆になって棚経もいっきに佳境に入る。
吉田家でワイフが一時期ガスコンロ用の土鍋式炊飯器にハマって使っていたことを思い出して、それを探し出して寺まで持ってきた。
夕食の後で、母親が食べ残した古い米をセッセとといで炊いた。
独身の一人暮らしでは片手鍋を使って炊飯していたし、そのほうが短時間ですぐ炊ける。
古いなりに、米も立っておこげも少々出来て見た目は旨そうだが、味は期待できないだろう。キーポン流に茶碗一杯ずつラップにくるんで冷凍庫へ放り込んでおいた。これで、漬物かふりかけでもあれば2〜3日はなんとかなる。

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島根のスコールとフロリダの月 

2017/08/09
Wed. 23:45

導師代行の葬儀が終わってから、松江の美術館へ結界君をすっ飛ばした。空にはとても嫌な感じの雲が広がって、何時スコールがくるかわからない。久しぶりに結界君のエアコンをフル稼働して島根上空に漂う湿気と戦いながら、国道を北上した。

会場にユキちゃんはいなかったが、万善寺庫裏の玄関でほぼ徹夜して制作した彫刻が静かに展示してあった。その後ろには、ヒョロリテツヤの彫刻もいい感じの距離感で寄り添うように設置してあった。
そもそも、その展覧会がどういう趣旨でどういう対象で開催されているのか、私には全くわかっていない。プレゼンのファイルブックのようなものもあったし、キャプション脇に解説文もあったが、どうもじっくり読むきになれないままスルーしてしまった。リーフレットにはアンケート用紙も挟んであって、展覧会参加メンバーのヤル気が伝わってくる。

私は、島根の県境に近い飯南高原の山寺で住職をしながら彫刻を造っているが、こういう松江くらいの近所の展覧会情報が入ると、できるだけ都合をつけて出かけるようにしている。住職坊主も、職業柄狭い地域で行動するばかりで、気がつくと社会の大きな流れに取り残されて世間知らずになっていたりするし、彫刻というと、ひたすら完成を目指して工場に閉じこもって制作ばかりの毎日だから、周辺との会話も絶えて新鮮な情報に取り残されていたりする。
面倒な付き合いもなくて気楽な日常が過ぎるばかりで私のようなナマケモノには都合のいい暮らしなのかもしれないが、一方で造形のビビットな先端からはどんどん縁遠くなってもいる。石見銀山の吉田家を基地にして行動している時は、インターネット環境を泳ぎながらSNSを利用してマメに情報を収集したり発信したりしていたが、万善寺の劣悪なWeb環境ではそれをするのも面倒になってしまう。それもヤバイと思うから、たとえば今回のように、乏しい情報を手繰って足で稼いでアナログの暮らしなりに工夫しているわけだ。

松江からの帰りは、スコールへつかまってしまった。あまりに激しい雨で給油する気にもなれないまま、南下して万善寺を目指した。途中、少し雨足が弱くなって空も明るくなってきた。このままだと結界君の燃料が寺までもたないから給油のついでに少し大きなスーパーへ寄ってお盆までの食料を買い込んだ。
例のごとく、夕方から深夜にかけてはインターネットがまともに使えないので、最近は夕食が落ち着いたらとりあえずひと眠りすることにしている。ウツラウツラしていたらフロリダのノッチからLINE電話が入った。
久々に聞く懐かしい声は、いつもと変わりなく元気そうだった。テキサスを経由してほぼ1日くらいかけてフロリダへ着いたらしい。空港の税関のオジサンがノッチを癒やしてくれたようだ。彼女は実にオヤジ好きだ。5人部屋があてがわれて、同室の娘とすぐに仲良く打ち解けることが出来たらしい。私に似てシャイで人見知のノッチとしては上出来だ。
島根とフロリダは半日くらいの時差があるのだろうか?
これから1年間の仕事に向けて、まずは説明会があるのだそうだ。
なんとなく曖昧なタイミングで目が覚めて頭がうまく回転しない。展覧会のリーフレットで作家と作品を思い出そうとしたが、ユキちゃんはじめ4人が限界だった。

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ノッチの出国 

2017/08/08
Tue. 23:13

8月に入って、通勤坊主からワイフと別居の単身赴任坊主になって、一人暮らしを続けながら棚経を続けている。
吉田家の家族からはなんとなく疎外された感じもあって、どこかしらわびしい。

そんな中、次女のノッチがアメリカのフロリダへ旅立った。
1年間の期限付きで、オーランドのディズニーリゾート日本館で働く。
詳しくは知らないが、3〜4回の面接試験を通過して採用が決まったらしい。
本人は軽いノリで求人募集に引っかかったらしいから、何人か交代した面接の試験官とも常に軽いノリで世間話していたふうだが、アメリカというお国柄か、そういう比較的ラフでカジュアルなスタンスがかえって功を奏したのかもしれない。採用の母体がアメリカ企業だから、大使館のビザ申請もアッという間にパスしてこのたびの渡米になった。
いわゆる、自分のスキルアップ目的の研修プログラム就労的扱いのようだから、給料も少ないし、宿舎もシェアハウスというより合宿所か学生寮のような感じらしく、5人の日本人部屋があてがわれたようだ。

ノッチは、坊主で云うと雲水を続けながらひとつ場所に留まること無く自分の足でアチコチ旅して先々の恩にスガリながら修行する禅僧のようなかんじだ。まさに、行雲流水の如く、物事に深く執着することなく、その時々の世間の流れに身を任せ、ガチガチに固まる自分を避けるようにナチュラルに徹し、無欲無心に社会を泳いでいるふうに見える。
こうして都合よくオヤジの愛情で定義づけると、「あの娘はなんて立派で素敵なヒトなんだ!」と錯覚するかもしれないが、ようするに、本当はチキンでワガママで場の読めない無学の独善ガールであって、それがかえって殺伐とした世間の荒波に揉まれて喘いでいる常識的な大人たちにとっての清涼癒やし的存在として可愛がられているのかもしれない。
本人はそれなりに歳もとって、そろそろアラサー世代に踏み込もうとしているが、至って気楽にワガママを通しながら浮遊しているようなところもある。

吉田家にとってのチョットした日常のゆらぎを感じつつ、万善寺一人暮らしのオヤジ坊主は、粛々と眼前の事実に向き合って毎日の現実を乗り切っている。
連続して依頼された代行葬儀の入棺出棺から荼毘までお付き合いして万善寺へ帰着したら、たしか、午後から松江の美術館へ「搬入展示のはずなのに・・・?」ユキちゃんの愛車がまだ境内に残っていた。
庫裏玄関へ入ると、まだせっせと杉材の彫刻を制作している顔に悲壮感が漂っている。
今回も、結局制作スケジュールの調整ミスで自滅寸前状態だ。
それでも、まぁそれなりに仕事もソコソコ丁寧だし、本人の完成予想からは大きくソレたかもしれないが、立体のムーブマンにそこはかとない色気もあるし、彫刻の通過点としては評価に値する。作家歴も浅くて、将来への展望が見えないまま悶々と彫刻へしがみついている状態と言って良いかもしれない。
今のユキちゃんは、耳掻きひとすくいでもノッチのエキスを注入してやれたら、きっと随分楽になるだろうに・・・
まだ飯抜きだと云うから、遅すぎるオヤジのナンチャッテ昼食をふるまった。

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オヤジの出来事 

2017/08/05
Sat. 23:09

代行導師の葬儀が終わった。
結界君で5分程度走ったら隣町へ到着する。そのくらいの距離なのに、トコロが変われば葬儀システムも少しずつ違っていて、けっこう気疲れする。
納骨を済ませて、野辺帰り安位のお経を読んで、それに初七日と35日も併せてお経を読んで、それらがワンセットになってお葬式の次第になっているようだ。こういう、坊主の代行業務も滅多にあることでないから、何かに記録しておかないとそのうち忘れてしまって、次に似たような事態が生じた時には、またまた気疲れ心労で苦労することになるかもしれないし、念のためこうしてその時々の出来事を備忘録へ記しているところだ。

午後からは、同じ隣町の臨済宗のお寺で施餓鬼法要がある。
飯南高原とその周辺は、曹洞宗寺院が3ヵ寺と臨済宗寺院が2ヵ寺ある。施餓鬼とか施食会とか大般若会とか御大師供養とか、そういうそれぞれの寺院で法要の手間替え随喜をしながら坊主の頭数を揃えて法要にあたる。
今回、曹洞宗の現役住職が遷化されたことで、貴重な坊主の頭数が1人減った。
順当に順番が狂わなければ、そのうち近い将来、万善寺住職の私も死ぬだろうし、そうなると、いよいよ寺院の法要仏事や周辺地域の葬祭が回らなくなる厳しい現実がやってくる。先のことに思い巡らして今のうちから悶々と悩むこともないのだろうが・・・ナンチャッテ坊主もなかなか難しいめぐり合わせになってしまったものだ。

それやこれやで、棚経をすべて終わらせて万善寺へ帰着したのが夕方の5時前だった。
パンツから改良衣にまで汗が染み渡って不快極まりない。
早速風呂に温めのお湯を張って行水をした。
さりげなくヒーリング・ミュージックを垂れ流して、1時間位のんびり出来ただろうか?徳島の彫刻家から野外彫刻展絡みの事務連絡が入った。それから少しして、地元の同級生オヤジからAppleWatch絡みの問い合わせ電話が入った。湯船に浸かりながらそれぞれにそれなりの対応をした。
新作の野外彫刻と一緒に、秋に徳島へ行くことになった。最短1泊2日の旅になる。
先日の焼肉飲み会でボクの左手首のAppleWatchを目ざとく見つけた同級生オヤジは、その後、それが欲しくて欲しくてたまらくなって、遂に我慢できなくなって購入に踏み切ったようだ。さりげなく自分に都合よくソコソコの理由を電話口で連打していた。これでAppleWatch仲間が一人増えた。

庫裏で寄宿している彫刻見習いのユキちゃんが、後輩を連れてきた。
痩せてヒョロリと背の高い青年で、どれほどの腕力があるのか怪しげなふうで、ユキちゃんの方がずっとたくましくて力持ちにみえる。
彼は木彫を幾つか持参していて制作のテーマとか方向性のことなど熱心に話してくれた。
彫刻を造ってはいるが、特にその世界で目立った作家でもないし、住職であっても彫刻の重職に就いているわけでもないし、そういう無役のオヤジを彫刻持参で訪問してくれただけでも有難くて嬉しい。思わず「まぁ〜、飲んでヨ!飲んでヨ!」と、残り酒を進めていたら、大事にしていた鳥取のアヤノちゃん推薦の旨い酒がなくなってしまった・・トホホ

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蒸し暑い一日 

2017/07/27
Thu. 23:01

万善寺台所に壁を作って一つの部屋を二つにしようと計画したのが、5月の連休明けくらいの頃だった。
ひとまず、憲正さんの3回忌と俊江さんの49日が終わらないと改修作業を始められないだろうと思って、まずは法事までに6畳と3畳をフローリングへ改修することを優先した。結果、棟梁の都合で大工工事が先延ばしになって、そのまま玉突きされて台所の改修も遅れて、その間に予期せぬ仏事が加わったり今回の展覧会ではワイフの代行をしたりして、やっと本気で大工仕事に取り掛かることが出来たのが本日であった。
素人だから、とても表向きの大事な場所をイジることは出来ないが、私の一人暮らしでしか使わないところとか、台所のようにたまに家族の誰かが使ったり、1年の数回の万善寺年中行事でワイフの世話になったりする程度で使用するくらいのところは、素人のなんちゃってリフォームで十分だ。
例のごとく石見銀山から通勤坊主の途中で、ホームセンターへ寄って必要な資材を仕入れて、コンビニで熱中症用のスポーツドリンクを買って万善寺へ着いたのが9時前だった。
この半世紀で床がブクブクに弱って、場所によってはよほど気をつけないと踏み抜いてしまうまで傷んでいた。だいたい12畳くらいの広さへコンパネを隙間なく敷き詰めて、その後壁を造った。冷蔵庫の場所が動かせなかったり、作り付けの食器棚の場所が悪かったりして、シンプルな四角い部屋を作ることができなかったが、色々工夫して夜の9時過ぎにやっとひと通りの大工仕事が終わった。

松江の美術館で開催中の展覧会に、私が初めて見る絵画の新人作家(だと思うけど・・)が2人出品していた。
1人は、父親がその展覧会のベテラン出品者で、影響を受けた息子も絵を描きはじめ、目出度く父親と同じ会場へ自作を展示することになった二世作家になる。
初めて見る絵画だから新鮮に観ることが出来た。年齢がわからないので何とも言えないが、抽象の硬い構図と色彩の組み立てに「苦悩する若者」がイメージされた。これからその絵がどのような展開をみせるのか楽しみである。作風の正直さに現代美術の曖昧な境界が必然性を持って加味されてくるともっと面白くなっていく気がする。構図や色彩が直接的であることに対して、筆触の不規則性がズレすぎているふうに見えて、素直に絵のフレームへ入り込むことができにくかった。きっと、トテモとても真面目すぎるくらい真面目なヒトなのだろう。
もうひとりは、たぶんまだ20代後半か、もしくは30代前半くらいだろう女性作家。
出品者の会話を聞くともなしに聞きながら想像するに、何処かの高校の美術の先生らしい。アカデミックで素直な作風の静物画は、室内の一角を切り取って構図を決めた癖のない伸びやかで爽やかな具象の絵に仕上がっていた。題材や作風は今回の展覧会出品絵画の中ではとても分かり易く万民受けすると思う。其処にあるものをそのまま丁寧にうつしとることには、それなりのデッサン力が大事であって、その力量の有る無しが絵画に深みとか説得力とか、絵の裏に隠された作家のテーマの重さに還元される。絵画に限らず、具象の表現の難しいところはテーマの設定と、その目指す先をどのように咀嚼して鑑賞者へ正確に伝えることが出来るかということのように思う。
ただ、上手に描くとか上手に描けたとか、そのあたりで思考や方向が止まらないように自分の絵へグイと踏み込んで欲しい。

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坊主も作家も 

2017/07/26
Wed. 23:52

前日の雨が上がって、琴引山の木々からは雨水が気化して空に戻っていく。
この1日で島根県内アチコチを300km以上走った。結界くんのエンジンオイルは、交換時期を過ぎているが、カーショップへ行く時間がなかなか作れない。

先月遷化された方丈さんの本葬に向けて、事前の準備でお手伝いの方丈さま方が参集されるので、主喪(しゅそう)役の私も朝から隣町のお寺へ向かった。
主喪は、一般で云うと喪主のような立場の配役になる。これは、表向きの建前当て職のようなもので、内実は副住職のご長男が喪主になっている。宗門僧侶の立場では、この副住職は、遷化されたご住職のお弟子さんに当っている。それを遺弟(ゆいてい)と称し、本葬では遺弟としての立場で諸々の役割を果たすことになるから、別に表向きの喪主的役割を受け持つ係が必要になるわけで、それが万善寺方丈の私に当たったわけだ。
なかなか、一般では理解不能で面倒な習わしが宗門の葬儀の決まりごととして今に継承されている。
それぞれ、寺の内情や方丈さまの功績やお檀家衆護持会のお考えや、それに当日配役寺院の事情などを総合して、多少のオプションが加わったり、逆に次第の変更や割愛があったりするので、あらかじめの予習や予行練習をしておく必要もあるし、この度のように葬儀会場となる本堂を中心とした模様替えなどの準備もしておくことになるわけだ。

松江の美術館で山陰二記展がはじまって初日でもあるし、今年はワイフが留守にしているし、他にも彫刻のベテラン出品作家が揃って留守にしているから、誰かが搬出のことも含めて遺漏の無いように手配しておかないと絵画の皆さんへ迷惑をかけることになる。
こういうことは前々から分かっていることだから、出品者でありグループのメンバーでもある彫刻の仲間には誰かが事前に申し送りをして事態の収集調整をしておくべきことだと思う。その「誰か」が立場としてはワイフであるわけなのだけど・・・
部外者である私がしゃしゃり出るのもどうかと思いつつ、ワイフとのやりとりで事前調整が出来ていなさそうな雰囲気を感じたので、今回はさり気なく搬入搬出へ絡んでおくことにした。

僧侶と作家は、職業の接点があるわけでもないが、モノの考えや立場が比較的近いと思っている。規模の大小はあってもひとつ寺の住職としての立場は、ある意味腕一本で表現し個人オリジナルな独創的思考を身上とするアーチストと似たようなところで考えたり行動したりしていたりする。
私自身がそういう立場で日常の暮らしを使い分けたりしているからそう思うだけのことかもしれないが、とにかく、それで良いこともあればどうかと思うこともある。
個人のプライドであったり、テーマや主張の好き嫌いであったり、頭の数ほど口の数もあって考えることも言うことも違うし、行動パターンも違う。
坊主集団の良いところは、みんながそれをわきまえて自分の立ち位置をキープしながら、一方で組織的な集団行動も出来る配役を粛々とこなせることだ。
坊主も作家もお互い一人の人間だし・・・それなりに過不足なく付き合うのも面倒なことでけっこう疲れますなぁ〜・・・

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狩人ネコチャンズ 

2017/07/24
Mon. 23:28

琴引山のてっぺんあたりへ、一日中厚い雲がかかっていた。
いつもだったら、だいたいシトシトと雨が降り続いているはずなのに、何故か今日は降りそうで降らない。湿った空気が飯南高原高原をスッポリ包んでいて、とにかく蒸し暑くてしょうがない。
何もしないでいても汗が滲み出てくるような不快な状況で、こういう時はパンツ一丁でフローリングへベタリと寝転んで一日中ダラダラ過ごしたいとツイツイ思ってしまう。
朝からそういう状態で、仕事をする気にもなれない。

仏様は時々薄情で意地悪で冷たく無視される。
「今日のような不快な日は、きっと、仏様もやる気も失せてしまうのだろう・・」
そう思うことにして、白衣と改良衣で坊主の制服を着込んだ。
月曜日から法事をすることなど、1年で一度あるかどうかと云うほど珍しいことだが、たまたまご親族の仕事に月曜休日が多かったということで、それにあわせて法事の日程を決められたのだそうだ。
工場の制作も片付けたし、これから7月のうちに万善寺庫裏の台所を修繕する作業に入ろうと思っているくらいで、おおむねヒマにしている私の方はこの不快な天気が気になるくらいで、特に不都合はない。
大祥忌の法要を済ませ、斎膳をいただいて、午後の早いところで万善寺へ帰って、すぐに白衣などを洗濯機へ放り込みつつ、シャワーで汗を流してスッキリした。

田の字の庫裏は、美術の制作工房代わりに提供していて、グループ展搬入を前に新人の作家たちが最後の追い込みへ入っている。
まだ若い人には、今日のように不快な蒸し暑さなど気にもならないようで、黙々と制作を続けていた。
たぶん、今夜はほぼ徹夜になるのだろう。「それも、試練で良い経験だ・・・」などと、偉そぉ〜に上から目線を被せながら麦とホップをグビリと喉に流し込んて、すぐに寝た。
きっと、ワイフも石見銀山の吉田家で、食卓を作業台に使いながら「制作に励んでいるのだろう」と思いつつLINEしようと思っていたら、本人から電話が入った。
「気持ちが通じてるねぇ〜♡!」
「何云ってるのよ!アンタ出掛けに後ろのドア閉めなかったでしょ!」
ネコチャンズが開いたドアから悠々と脱走して、屋外散歩を楽しんだらしい。
「ストーブの前にスズメが死んで転がってたわよ!外で何してるか分からないんだから!」
外出中に狩りもして獲物をゲットしたようだ。さて、シロかクロか?どちらの仕業だろう??
スズメにはかわいそうなことをしてしまったが、「彼らもナカナカ猫らしいところもあるじゃないか・・」と、ワイフのプンプン声を聞きながらニヤついてしまった。

急に暑くなりはじめてからの吉田家は、必然的に窓やドアを開放する機会も増えて、ネコチャンズにとっては脱走の確率も増してウキウキなシーズンになっているようだ・・・
その夜、ワイフは自分の寝場所からシロを追い出したらしい。それも可哀想だな・・・

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何時もの海岸 

2017/07/22
Sat. 23:27

仕事の合間に日本海へ出た。
工場は強烈な暑さで、粉塵の換気代わりに回している古い扇風機が何の役にも立たないまま、熱い空気をかき混ぜているだけだ。
ツナギは汗を吸って重たいし、鉄板入りの安全長靴の足が気持ち悪いほどジクジクしている。
こういう劣悪な環境ではなかなか集中力も続かないし、チョットした気の緩みで大怪我をしてしまったりする。
自分一人で工場へいる時に、一番注意しなければいけないのは怪我だ。
大怪我をしても誰も助けてくれないし、すべて一人で世話しなければいけない。
常々、仕事の進捗より自分の身体を気遣うことを優先するようにしている。
今日も、集中の限界を感じて、あと少しでキリの良いところまで進む仕事を切り上げた。
身体の方は悲鳴を上げているのに、気持ちだけが熱く盛り上がっているという状態が一番危険だ。

コンビニでスポーツドリンクとお茶のペットボトルを買って、何時もの海岸へ結界君を走らせた。
狭い駐車場へ乗用車が1台止まっていた。
日本海へ直角に止めて海岸を見渡すと・・・砂浜になっている・・・

私が彫刻の素材で使う日本海の石は、だいたいその海岸で採集する。
島根県の海岸はほとんど砂浜と岩場ばかりで、石浜を探すことが難しい。
たいしてこだわっているわけでもないが、川の玉石は、角の取れ具合というか丸まり具合にまだ完成されていないところがあるように感じる。こういう石は自分の主張というか個性というか、そういうものが宿っていて全体がひとつにまとまりにくいところがある。
日本海の石浜の方は、徹底的に海の波で転がされて、稜線が微かにかろうじて残りつつ、一方で個性が程よく消えるまで丸まってくれている。
この、川の石と海の石の違いで自分の彫刻の主張の落とし所が狂ってしまう。

毎年少しずつ採取して補充しながら使い続けていた石浜の石が、見事に跡形もなく消えている。こういうことが数年前にもあった。
仕方がないからホームセンターで20kg入りの玉石を買う羽目になった。巨大なポットミルで挽いて作成した玉石は、見るからに味気ない。少しほどストックしてあった海の石を全てかき集めて、その玉石もどきと組み合わせてなんとか展覧会を乗り切った。
あの時の記憶が蘇って、防波堤に立ち尽くしてしまった。

砂浜になってしまっている海岸で、500ml2本分の水分補給をして工場へ帰ってプラズマ切断を準備したが、どうも仕事が手に付かない。
飯南高原の山暮らしが長く続きすぎたツケが回ってきた気がする。
この前この浜に来たのは、俊江さんが死んですぐの頃だったはずだ。
あの頃は、冬の名残の冷たい北風に白波が立って、海岸の石が波打ち際で濡れていた。

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ヤモリのシーズン 

2017/07/21
Fri. 23:46

またヤモリのシーズンになった・・・といっても、ヤモリは1年中いると思うんだけど、とにかく、暖かくなると少しずつアチコチで見かけることが増えて、梅雨が終わる頃からいっきに活動が活発になって、だから目撃の回数も増えて、「ヤモリのシーズンになったなぁ・・」と錯覚してしまうのだろう。

ヤモリというと、高校生になってすぐの1年半ほど下宿をしていた家の窓へ夜になると何処からともなく現れて張り付いていた。
高校生の頃は、午前0時前に寝ることなど無いほど常習的に夜更かしをしていたから、窓からもれる灯を目指して集まってくる虫達も多いし、ヤモリの捕食には都合の良い環境を提供していたわけだ。
夜更かしといっても、ひたすら勉強ばかりしていたわけでもなくて、ひと通り予習などが終わったら、あとは深夜のラジオを聴きながら小説を読んだりしてダラダラ過ごすという悪循環が続くといった具合だった。

その下宿は、自室の施錠ができない造りになっていて、個室の環境があまり良くなかった。
1年が終わる頃には少し慣れるだろうと思いつつ我慢して暮していたが、そのうち、自分が留守のあいだに誰かが部屋へ入ってアチコチ物色した形跡が感じられるようになって、それがしだいに具体的な物証に変わってきたから、このまま見逃すともっとヤバいことになりそうだったので、2年生の夏休みをはさんで下宿を変ることにした。
時期的に云うと、丁度今頃のことだったが、荷物を整理して段ボールの山に埋もれながら夏休みを待ちつつ夜更かししていたら、文庫本の開いたページを目掛けたようになにかが上から落ちてきた。
だいたい、日常の暮しの中で、こういうシチュエーションに遭遇することなど滅多に無いことだし、夜中のことでもあるし、その上ねっからのチキンボーイだから驚いたの何の・・・!
最初何が降ってきたのか見分けもつかなくて、また確認の余裕もないまま本をバサリと閉じて放り出してしまった。
段ボールの方まで飛んだ文庫本がピクピク動くのが見えて、余計にビビったが、そういう状況をそのままにしておくわけにもいかないし、近づいて確認すると、その本の中からヤモリがクネクネ這い出てきた。勢い良く本を閉じたことで、ヤモリも若干のダメージを受けたのだろう、動きがヨタヨタしてぎこちない。
意を決して摘み上げたら、「キーキー」と鳴いた。
「ヤモリって鳴くんだぁ〜」
その時はじめて知った事実に驚きつつも、「可愛いヤツだなぁ〜〜」とも思って、いっきにヤモリとの距離が縮んだ気になった。手の平のヤモリはヒンヤリと冷たいまま動かない。
本に潰されたあとだから、「このまま死んでしまうのかなぁ〜」と心配になって、しばらくジッと眺めていたら、少しずつシッポや手足を動かすようになって、それから手の平で身体をクネクネ動かして指のあいだへ頭を突っ込んできた。その力が自分の手に伝わってきて「これは、生返ったな」とわかって、すこし気楽になった。
そのヤモリは、ガラス瓶の中で小さな蛾を食べながら引っ越しの日まで一緒に暮した。

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夏野菜が旨い 

2017/07/20
Thu. 23:34

お盆までに万善寺庫裏の改修を終わらせておこうと、結界くんへパネルを積み込んだ。
それから幾つか用事をして吉田家前の駐車場へ帰ると、どうも空模様があやしい。
AppleWatchで天気を確認すると、雲に雷マークがついている。
工場の方は、青空も見えて雨が降る気配などなかったから、一晩おいて翌朝に寺まで移動すればいいと思っていたのだが、計画を変更して今日中に運んでおいたほうが安心できる。
「雨が降りそうだから、チョット寺まで行ってくる」
ワイフにそう言い置いて銀山街道へ出た。
石見銀山はジッとしていても汗がにじみ出るほど蒸し暑かったが、飯南高原は爽やかさが違う。万善寺の庫裏へ入ると、空気がヒンヤリしていて、一気に汗がひいた。

板の間とフローリングへ改修した6畳間にパネルを立てて壁を自作する。
基本的に万善寺はとてもヒマな寺だから、1年に数回の仏事行事で使う以外は、空き部屋のまま遊んでいる状態だ。
昔の日本家屋だから、柱と建具で田の字に仕切られたシンプルな作りなのだが、その田の字の部屋に先代夫婦は色々なモノを持ち込んで狭く狭く使っていた。
私はどちらかというとなんにもないスッキリした空間へ憧れているようなところがある。やっと自分の自由に暮らせるようになった庫裏を、必要最小限の家具を置くだけにして、彫刻の展示台を並べてギャラリーにしようと考えている。
女流彫刻家吉田満寿美と鉄の彫刻家吉田正純の彫刻を季節ごとに入れ替えながら常設して、時々知り合いの彫刻家へお願いして個展をしてもらったり出来ると庫裏の空間が活かせる気がする。
考えているようにうまくいくかどうかわからないが、何もしないでお寺参りを待つだけよりはマシだ。8月の盆月が落ち着いたら、倉庫で眠っている彫刻を移動して秋にはオープンしようと思う。

ワイフが、例のごとく食卓を彫刻の作業台に使いはじめた。
今年は松江の県立美術館がグループ展の会場になる。
会期中になっちゃんの結婚式が重なって吉田家の7月は一気に忙しくなる。
ワイフは、彫刻の搬入をしてそのまま島根を離れる。
私は少し遅れてじゅん君と待ち合わせをして別便で移動する。
ボンヤリと決めていたスケジュールが少しずつ具体的に固まりはじめた。

寺から吉田家へ帰宅したら、作業台になっていたテーブルが夕食の食卓に戻っていた。
ボクのスキな料理が並んでいた。チーズの焦げた香ばしい匂いがしていた。
トマト、ナス、キュウリ・・・夏野菜が美味しい。
クロが珍しく擦り寄ってきた。シロは何処かへ潜り込んで出てこない。
「雨どうだった?」
「それほどでもなかったよ」
やっぱり、石見銀山は雨が少し降ったようだ。

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ミョウガの始末 

2017/07/19
Wed. 23:11

しばらく吉田家を留守にしている間に、裏庭の草が伸びて茂っていた。
春のうちに2回ほど集中して徹底的に刈り込んでおいたから、昨年までに比べるとこの時期の草刈りもかなり楽になった。
それでも、問題がいくつかあって、その一つが葛。この葛がはびこって根付いてしまうと、草刈り機の回転にツルが巻き付いて厄介だ。それに、裏庭の果木へ巻きついて幹を締め上げると、木の成長の体力を奪う。この数年の間に、ほとんどの梅の木が葛にやられて絶えた。自然の植生の力関係は、容赦がない。
吉田家の裏庭程度でも、人の手が入らないと、たった数年で人間が踏み込めないほどのジャングルになってしまう。
この葛を筆頭に、蔓や蔦系の植物がはびこると、成長力の弱い植物は一気に絶えてしまう。人の暮らしに余裕がなくなったり、暮らしが絶えて環境が放置されたりすると、一軒家は2・3年にうちに蔓蔦に飲み込まれてしまう。

今年の春に母親の俊江さんが永眠するまでの、だいたい10年位は石見銀山の吉田家のことがほったらかしにされていた。
私の体力と生活力の弱体が原因と云えなくもないが、結局は石見銀山の吉田家をワイフへ任せっきりにして、万善寺とその周辺の維持管理を優先し続けたからのことだ。
最近になって少しずつだが、吉田家の裏庭をワイフが諦めるようになった気がする。
一時期は、何かに取り憑かれたように裏庭のアチコチの空いたところを見つけては色々な種類の木や花を植え続けた。やがて花が満開になったり、果実がたわわに実ったりすると、それをすごく喜んで愛でた。私が仕事の合間に草刈り機を振り回して大事な草木の幾つかを薙ぎ払ったりするものだから、それが気に入らなくて自分で草刈り機を使ったりしていた時期もあったが、それもいつの間にかしなくなって、人の手が入らなくなった裏庭が荒れはじめた。
寺の俊江さんの方も、ワイフと似たり寄ったりで、万善寺の境内やその周辺に草木を植えたり挿し木をしたりした。こちらの方はまだ彼女が若くて元気だった頃からのことだからその後30年位の間にしだいに株が大きくなって見晴らしが悪くなっていった。
たまたま、私の近くの二人の女性が似たような趣味を持っていたのかもしれないが、そのおかげで、私自身がけっこう苦労している。

植物は、モノも言わないし文句も言わないし只々静かにさり気なく成長するだけのことで、人手もかからないように見えるかもしれないが、実はそれが一番厄介だったりする。
同じ生き物でも、私は断然動物のほうが良い。
植物に比べたら、動物のほうがずっとずっと慎ましく健気に正直に生きて死んでくれる。

7月の終わりには保賀の谷で一斉清掃がある。それまでに万善寺周辺の草刈りも終わらせなければいけないし、今のうちに吉田家の草刈りを済ませておくことになる。
オノレバエのミョウガの時期で、それが密集している。さて、刈り込むべきかどうか?
万善寺のミョウガは、とっくに刈り込んでしまったけどね・・
久しぶりの石見銀山吉田家暮らしは、裏庭の草刈りからはじまっている。

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しおらしいメール 

2017/07/17
Mon. 23:27

7月の熱い連休が終わった。
かろうじて、連休最終日に石見銀山の吉田家へ帰宅することが出来た。

週初めに大森小学校のワークショップがある。
島根県現代彫刻振興委員会が毎年この時期に講師派遣をさせてもらっていて、今年でもう5年は過ぎたと思う。
吉田家の子供たちが全員お世話になって卒業させてもらった小学校だから、何かのかたちで美術造形を通した恩返しができないかと思っていたのだが、2010年からスタートした現代彫刻小品展でワークショップと講師を招聘するようになって、せっかく、プロの彫刻家が島根県へ来てくれるのだから、小学校の子供たちと美術交流をしてもらうのも良いことだと思いついて、それ以来日程の調整が可能な限り、この夏休み直前に時期に大森小学校へお邪魔する機会をつくるようになった。

幾つかの事情が重なっためぐり合わせで、とっても久しぶりに彫刻家吉田正純が今年の講師を引き受けることになった。
ワークショップ材料を万善寺へ移動して、寺の作務の都合をみては材料や道具などの準備をしたりしてきて、連休最終日になって最後の調整が終わるようにスケジュールを組み立てた。
・・・と、其処まではおおよそ予定通りに進んでいたところ、鳥取で学校の先生をしながらコツコツ制作に取り組んでいる絵画の新人から、「吉田さんのおじゃまにならないようにさり気なくチラリとお目にかかれたら・・・」などと、いやに低姿勢のしおらしいメールが入ってきた。
7月の終わりにある展覧会へはワイフも出品するから、まんざら無視もできないし、特に作家歴の短い新人は海千山千魑魅魍魎の蠢く美術界の実情を知らないまま、マンマと「飛んで火にいるナントヤラ」状態になって、純粋で清らかな造形精神が錯乱炎上でもしたら大変なことになるから、ここはひとつ、吉田のたるみきったひと肌でも脱いでやってもいいかと、珍しく坊主の仏心が目覚めて「どうすればいいの?時間調整しようか?」って感じのメールを返しておいたら、描きかけの絵や幾つかのパーツを持って万善寺までやってきた。
彼女は、倉敷の児島旧家でのインスタレーションがいい感じだったので、何かしらその路線で次の展開に繋がってくれると良いなと思っている。
今は、未消化の曖昧な状態が続いているが、かえってそういう制作上の朦朧としたカオス的世界観が制作者の「リアルな今」を伝えているふうにも感じて、それがモヤモヤと漂う空気感として画面に切り取られるのも面白いかも知れない。
ベースになる絵はまだ下描きの段階で、題材もどちらかといえば直接的すぎて商業的素材に見えなくもなかったが、まぁ、それもボキャブラリーの積み重ねの過程でそのうち自分で気付くことでもあるだろうし、彫刻家吉田正純としては、「今はまだ静観の時期かな!」などと、偉そうに勝手に納得したりしつつ、幾つか思いついた吉田流の参考素材を提供しておいた。
たとえば、「赤ひげ」とか、「第三の男」とか、「麦秋」とか・・わかるかなぁ〜?・・

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里山の端 

2017/07/16
Sun. 23:26

早朝の第一声が蜩に変わったのは・・・さて、そろそろ1週間も前くらいからだろうか・・・
それまでは、まだ暗いうちから山鳥が鳴きはじめて、世間が明るくなってから保賀のカラスが情報交換をはじめて、それから一斉に万善寺周辺が賑やかになるという、なんとなく決まった順番があった。
それに、たとえば雨の日のカエルが加わったり、子育てツバメが加わったりとそのその時々で若干変化しながら夜が明ける。
最近、夜鳩が頻繁に鳴くようになって、それにつられて木菟も聞こえたりして、それでなくても寝苦しい夜が賑やかになってきたものだから、少々睡眠不足気味である。

今朝も蜩で目が覚めて、まだそのまま起きるには早いから二度寝を貪ろうとしていたら、つがいのカラスが境内に舞い降りて鳴き始めたものだから、うるさいのなんの!・・・もう完全に目が覚めてしまった。
少し前に気がついたのだが、いつものつがいのカラスに3羽目のカラスが加わって一緒に行動するようになっている。電線に3羽並んで止まっていたり、保賀の谷の上空を飛び回ったりしている。子供なのか友達なのか新参者なのかよくわからないが、このまま住み着いてくれるのも少々厄介だなと思ってしまう。

夕方からお大師様の供養と塔婆回向へ出かけた。
保賀の自治会から少し離れた自治会でお祀りしてあるお大師様で、土地のみなさんも起源や謂れはわからないらしい。いつもは、名ばかりの御大師堂の祠へ安座されていて、1年に1回ほど供養のために自治会館へ遷座される。
私が前住職から引き継いだ頃は、各家ご夫婦や先代ご夫婦まで自治会へ参集されて、20人を越えるほどの賑やかな仏事であった。それから10年の間に、どんどん参拝が減って、今夜は遂に男性3人女性5人という、寂しい仏事になった。塔婆回向の枚数も20枚は書いていったが、「もう、この施主さんは死んどりますけぇ」ということで、差し戻されたりして、なかなか複雑な心境のままお供えのおさがりで斎をいただいた。 
さて、この地域のお大師講もこれから先何時まで継続することやら・・・

お通夜のような斎の席になってしまったので、こういう時は坊主の方から話題を提供して会話の道筋をつくることも大事なことだ。
「このあたりはクマは出ますか?」と振ってみたら、一気に話題が広まって会話が動きはじめた。
イノシシ出没は当たり前。田んぼに残った足跡ですぐにクマと分かる。数年前からシカも増えてきた。まだ大きな被害になってないが、これから増えると植林の木や果木の被害が増えそうだ・・・などなど。いまのところ、万善寺の夜はせいぜいタヌキやイタチくらいで、時々イノシシが境内で悪さをするくらいに収まっているが、今朝のようにうるさい朝が常識化してしまうと、もう、寺の境内というより里山の端といえるほどの状態になってしまうかもしれない。
田舎の過疎地の限界集落が山に飲み込まれようとしている実態を見聞した。

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クロ帰宅 

2017/07/11
Tue. 23:57

駐車場へ帰って結界君から降りたら、吉田家のロフト窓のいつものところからクロが鼻先をペロペロ舐めながらクールな目で見下ろしていた。
ついさっきまでだらしなく伸び切って寝ていたのだろう様子が目に見えるようだ。
荷物をおろしたりしている間に、窓からクロがいなくなっていた。
「さては、土間へ降りたな・・」
玄関の引き戸を開けていると、家の中からクロの鳴き声が聞こえる。

クロの脱出で一番警戒しなければいけないのが、この玄関を開ける時。
それを上手にクリアーすれば、あとはオヤジのペースで事が進む。
脱出失敗を察したクロは、だいたいほとんど、しばらくのあいだ未練がましく玄関の障子戸を見上げながらウロウロしはじめる。
「あわよくば、オヤジがもう1・2回、玄関を出入りするかもしれない・・そのスキに・・」
クロの執念深い性格がこういう具合で垣間見れる。
彼のそういう諦めきれない行動をオヤジのペースに引き込んで、脱出の未練をキッチリと断ち切ってやることにしている。
ある時は、抱き上げて抱っこしてギュッと抱きしめる。
ある時は、玄関の引き戸を少し開けて町並みの外気を嗅がせてやる。
ある時は、大げさにドタバタと追いかけて吉田家の奥へ追い詰める。
ある時は、クロの存在を無視してサッサと居間へ上がり込む。
その時々で対応を変えながらクロの脱走欲を断ち切ってやると、あとは普通に彼の気持ちも落ち着いて興味が別のところへ向く。
適度にリラックスして気持ちに余裕がある時は、左手で水をすくって飲むことがある。
クロの癖だが、これが実に可愛らしくて癒される。
めったにその仕草をしないので、それを見かけた時は「ナニか良いことがあるかもしれない」と、密かに思うようにしている。
クロのそういう仕草は彼の健康状態が良好であるという判断材料の一つにしている。

珍しく午後から吉田家に居たら、クロが私の周囲でやたらとフギャフギャ鳴きながら何かの誘導を仕掛けてくるので、ご飯か水でも無くなったかと覗いてみたがそれも十分に足りているし、どうも判断に苦しみつつ無視をしていたら、そのうちあきらめたようで静かになった。
それから少しあと、ワイフの帰宅の様子が玄関の方から聞こえてきた。
「クロだめ!ダメよ!駄目だからね!コラ!クロ!」・・・しばらくワイフの声だけが聞こえていて、「ただいまぁ〜」と居間へ上がってきた。
「おかえりぃ〜、おつかれさまぁ〜」
「まったく、チョット目を離したスキに脱走したからね!クロが!」
ワイフは、自分の失敗をクロのせいにしてプンプン怒っている。
クロは、完全にワイフの行動を読んでいる。
それから4〜5時間も過ぎただろうか・・・だいたい日の変わる少し前に静かに帰宅されました・・

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七夕の夜 

2017/07/07
Fri. 23:14

もう3週間ほど草刈りをしていないから、そろそろ境内周辺が見苦しくなってきた。
浄土寺さんの密葬も終わって少し落ち着いたし、梅雨の豪雨も過ぎて土も湿っているから、今のうちに主だったところだけでも見苦しくない程度に刈り込んでおいたほうが良いだろうと、朝から作業着に着替えて固まった身体を騙しながら草刈り機を振り回した。
これから本格的な夏に向けて、葉茎も益々固く太り根も張ってきて、刃のチップがすぐに摩耗する。
草刈り機を振り回す力も今まで以上に必要になって1時間も作業をすると一気に体力が消耗する。

万善寺の一人暮らしも、気がつけばアッという間に3ヶ月が過ぎた。
春の頃は、今の万善寺くらいの規模だと「せいぜい1週間に3日も通勤坊主をすれば十分だろう」なんて気楽に思ってワイフと1ヶ月のスケジュールを決めたりしていたが、いつのまにか、そのような机上の計画は何の効果もなく遥か彼方へ消え去ってしまっていた。
今では、オヤジのひとりメシも普通に習慣づいてきて、午前中の仕事が終わる頃には、なんとなく頭の何処かへ冷蔵庫の食材を投影しながら「ナニを作ろうか?」ナンチャッテ料理の段取りをしていたりする。

蕎麦の乾麺を茹でる間に、近所でもらった夏野菜をぶつ切りにして、ベーコンとツナ缶を併せてトマトベースの味付けをして弱火でコトコト煮込んだ。
そこそこ満腹になって、昼の暑いうち昼寝の休憩をして体力の回復を図ろうと庫裏でゴロゴロしていたら、カエルが一斉に鳴きはじめて雨が降り出した。
なんとなく午後からの草刈りの出鼻をくじかれたようで気持ちが萎えたまま、外の様子を見ながらトイレ読書をしていたら、けっこう長いハエのことのエッセイを見つけた。
ハエのネタでよくこれだけの長文が書けるものだと感心しながら読んでいたら、確かに思い当たることがいっぱいあって、その観察眼の細かさに感心した。
「そういえば、最近はハエも随分少なくなっていなくなったなぁ」などと。しばしボォ〜っと物思いにふけっていたら、知らない間に雨がやんでいた。

珍しくワイフの方から「今日は帰るの?帰らないの?」と連絡が入ったので、何事かと聞いたら「この前買ったラム焼こうかどうしようかと思って・・」と、夕食を決め兼ねていたようだ。そういえば、先日出雲のスーパー巡りをした時に、真空パックの骨付きラムを見つけて仕入れていた。

切りの良いところで草刈りを終わらせて、汗まみれのツナギからパンツまで洗濯機に放り込んでシャワーで汗を流して、散らかった万善寺をおおよそ片付けて、結界くんへ乗り込んで久しぶりの銀山街道を吉田家へ急いだ。
土間からリビングへ入ると、ジューシーな肉の焼ける香りが扇風機の風に乗ってきた。
いつもは脂身のない薄くスライスされたラムばかりで、それはそれで旨いが、骨付きの油タップリの肉汁が滴るラムもなかなか!
七夕の夜・・・気がつくと、皿の上には7本の骨が転がっていた。

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密葬の日 

2017/07/06
Thu. 23:30

「方丈さんの車があると、(あぁ〜、いらっしゃるなぁ〜)と、すぐわかって・・」
「寺におられると、だいたいいつもこの椅子に座っとられて・・」
「朝も早うございまして、(早すぎるかな)と思っても、もう、起きとられて・・」
「大きな熊手で庭掃除しとられたりなぁ〜・・」
荼毘からの帰りまでお寺で留守番のお檀家さん方の思い出話し・・・
(皆さんに慕われた立派な方丈さんだったんだなぁ・・)と、生前の様子が垣間見れた。
さすが在位62年の現役方丈さまだ。とても自分には出来ないことだと思う。
本葬用だと思うが、その印刷物への略歴原稿がテーブルに置いてあって、何気なくチラリと見させてもらったが、まことに華々しい職歴がビッシリと記されてあった。
隣の寺の方丈さまのことであるのに、あまりに知らないことが多すぎる。

密葬の朝は、前日までの大雨があがって、蒸し暑い曇り空となった。ジッとしていても白衣に汗が沁み込むのが分かる。
葬儀の配役で主喪を当てられたので、少し早めに万善寺を出発した。
遺弟さんとはそれほど親しい関係でもないから間合いの具合が微妙で気持ちを読み取りにくいところもあるが、出来る限り付かず離れず、邪魔をしないように本葬が終わるまで様子を見ていこうと思う。

密葬から出棺が終わって火葬場までお付き合いしたところで、安位の祭壇の人手が不足している事がわかって、急きょ浄土寺へ引き返すことになった。
最近、まともに落ち着いて一杯のコーヒーを飲むことも無かったから、ファミリーマートへ寄り道をしてコーヒーを買った。いつものことだが、改良衣に雪駄履きで店の中をうろついているとお客の視線をヒシヒシ感じる。そういうスタイルは坊主の制服のようなものだから自分ではどうとも思わないが、やはり一般には珍しいことなのだろう。こういう時に、大衆の信仰が神仏から遠く離れてしまったことを強く感じる。

万善寺の憲正さんが二十二世で60年在位。浄土寺さんが同じ二十二世で62年在位。
修行僧の頃からだと、生涯僧侶を貫いた二人の大和尚さまは、大きな時代の変遷の中でそれなりに布教の苦労もあっただろうが、それでもソコソコ充実した住職方丈の人生を送ることが出来たのではないだろうかと、私はそう思う。
50にも充たない檀家で坊主暮らしのやりくりを考えなければならない現住職は、一方で百も二百も桁違いの大きなお寺様と同じように寺院付き合いを迫られることになって、この不条理はとても日常の修行と信心だけでは埋めることが出来ない。
ある意味、そういう現実と向き合ってノラリクラリ適度に緩くその時々を乗り切っている自分もナカナカのモノじゃないかと思ったりする。

「このスズメも、もう餌がもらえんようになりましたなぁ〜」
いつもの場所のいつもの椅子に浄土寺さんが座ると、スズメたちが窓下へ集まるのだそうだ。毎朝、パンをちぎって彼らへ食べさせてあげていたらしい。ヌシのいなくなって誰も座ることない空席のままの椅子のすぐ下へヒトを恐れないスズメたちが集まっていた。

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豪雨のあと 

2017/07/05
Wed. 23:30

島根県は、今までに経験のないほどの局地的豪雨になった。
過ぎてしまえば、だいたい1日のうちにはじまっておわるほどの間だけだが、その1日で降る雨の量がとてつもなく多かった。
ほんの数kmしか離れていない場所で全く降り方が違っていて、河川の増水は予測できる余地が無いほど一瞬で迫ってくる。

石見銀山のワイフは、その日も仕事で近くの中学校へ出かけた。
朝のうち残っていた雨も、帰宅する頃にはやんでいたようだ。
飯南高原の方もほぼ似たような感じだったが、石見銀山より若干東南に位置しているから、その距離ほど雨が遅くまで残った。
それでも、通夜に出かける頃は雨も上がっていて普通に傘もいらなくて雪駄で用が足りる状態だった。

近隣の若い方丈さま方が心得た所作で準備が整い、檀家衆の動きにも遺漏なく、粛々と当夜の差定が進んだ。
おもえば、万善寺の憲正さんはすでに遷化の数年前から現役住職を辞して東堂の暮らしをしていたから、檀家葬といっても、なかなか寺院葬儀の詳細が行き届かなくて取りまとめに苦労したところもあった。
この度の浄土寺さん遷化は、現職のご住職で、ほんの数週間前まで仏事にお勤めでもあったから、お檀家衆の驚きと悲しみは計り知れないものであったろう。
悔やみ受けの受付に立つ遺弟さんと檀家代表さんを前に、言葉にならない号泣の弔問客があとをたたなかった。
方丈ささまのお顔が見れるのも、あと1日だけになった。

密葬の朝は早い。
法要はもちろん、出棺から荼毘、拾骨と安位までおつとめさせていただこうと思っている。
1日前の未曾有の豪雨がウソのように雨も風も止んで天気も回復している。
浄土寺さんでは、この春に内室さんを看取られ、先日49日の法要が終わったばかりだった。
方丈さまも、どこかしら気持ちの支えが無くなって気落ちが加速したのかもしれない。
内室さまの後を追うようにあわただしく遷化された感じだ。
私が物心ついて、随喜の方丈さんのあいだを無邪気に駆け回っていた頃から浄土寺さんがいらした。
万善寺を離れていた数十年の間も、病気療養の憲正さんを支えて頂いた。
これから少しずつ、受けた御恩をおかえししようと思っていたが、それも出来ないままお別れすることになってしまった。
あとは、息子の遺弟さんが寺を引き継がれて安泰ではあるが、その息子さんも松江のお寺の住職であるし、当分の間は浄土寺も留守がちで寂しくなる。
今は只々、冥福を祈るばかりだ。

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2017-08