工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

雨に救われたヨレヨレオヤジ 

2017/10/12
Thu. 23:18

面白いもので、秋になって日が短くなって夜明けも遅くなってくると、ソレに合わせて保賀のカラスも朝寝坊をするようになってきた。
最近では、カラスより私のほうが早起きだったりすることが増えている。

3連休が終わった週初めから富山へ通い続けて、野外彫刻の周辺を草刈りしている。
今年は、春から夏にかけて何時になく万善寺の用事が連続したから、富山へ行く機会を見つけられないまま秋になった。
本当は、田植えが終わった頃と、梅雨がはじまった頃と、お盆前の頃に草刈りをしておくと、耕作放棄地でも比較的楽に整備し続けることが出来て都合が良いのだが、今年はそのうち、春と盆前の2回ほどそれが出来ないで伸び放題の雑草を放置することになった。
結果、葛とセイタカアワダチソウが我が物顔にはびこってしまった。
葛はすぐに草刈り機の回転に巻き付いてしまうし、セイタカアワダチソウは茎が杉の枝木ほどに固くなってチップの刃がすぐに摩耗する。
自分の都合で伸びる雑草を放置してしまったわけだから責任は自分にあることだし、この3日間は粛々と草刈りに励んでいたのだが、夏に戻ったような暑い日が続いて体力がみるみる消耗して午後の3時を過ぎた頃には足元がふらついて腰に力が入らなくなって、いっきに集中力が切れる。
そんな状態を続けてどうにか全体の半分ほど終わらせたところで、昨日から助けの雨が降り始めた。このまま、太陽の日差しに炙られながらもう1日ほど草刈りをしていたら、たぶんひとまずは彫刻周辺の整備もおおよその終了が予測できたが、それをしたら、今度は自分の体力が消耗しきって回復に時間がかかってしまうことになる。
こんどの秋雨復活になって、やはり、ねっからの雨男はその雨に救われたかたちになって、寝込む寸前のところでかろうじて蘇ることが出来た。

草刈りの間、久しぶりに石見銀山の吉田家暮らしが続いた。
昼のうちは私もワイフも留守になるから、ネコチャンズが留守番をしているくらいで、暮らしに特別刺激があるわけでもないが、早朝の短時間と夕方から夕食が終わって寝るまでの数時間は他愛ない夫婦の会話があって、そのくらいのことで昼の疲れも和らぐし、身体のアチコチの痛みも忘れることができる。それでも結局疲労の痛みが消えているわけでもなく、いざ寝ようと思うと逆に神経が敏感になってスヤスヤ眠っているワイフを気遣いながら寝苦しい夜を過ごすことになる。
結局は自分のことで自分が痛い目にあっているわけだから誰の仕業でもないのだが、そう解っていても「もっとあぁ〜だったら、ちょっとこぉ〜だったら・・」などと、自分を棚に上げて周囲の事情を無視して都合のいいように我身を正当化して愚痴っぽく考えていたりする。
「自浄其意」という、仏教ではソコソコ周知の偈文の一節がある。
頭の中で知識としてわかっていても、日常の暮らしのアレコレに紛れてだいたいが気にしないまま過ごしているばかりだ。
まぁ、ヨレヨレオヤジのモチベーションが揺らいでいる時に、ふと思い出したりしてスイッチをこまめに切り替えたりしてときどきを乗り切っているところであります・・

IMG_2326_201710130818565b9.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

富山の秋 

2017/10/10
Tue. 23:14

大田市役所を経由して富山町へ回った。
まちづくりセンターで打ち合わせをしてから旧富山小学校へ移動した。
教室の状況を確認しながら1階から2階へ展示台を少し運んだ。
奥出雲から展示台と彫刻を移動して以来、誰も何も使われていなかったようで、校舎の中には埃っぽい空気が淀んでいた。
修理をする気もないのだろう、水道の蛇口から水が規則的に滴り落ちている。

学校が廃校になってからもう何年も過ぎているが、いまだに市の教育委員会が管理窓口になっていて、校舎の敷地の端で肩身の狭い思いをしながら窮屈に機能している富山町のまちづくりセンターが哀れに思える。
こういう使いみちの定まらないまま器だけが放置に近い状態で取り残されているようなところを探し回っては彫刻の展覧会やイベントを続けている。
管理責任者が見放した施設は、その気になって探せば何処にでもあるが、その全てが自由に使えるわけでもないし、行政区や自治区の状況で使用規定もマチマチだったりするし、ほとんどは交渉の段階で管理母体の壁にぶつかって企画を断念することが多い。
胡散臭い民間人が営業利益とは無縁の企画を持ち込むことからして信用されないところもあるし、それに文化イベントのメインが「彫刻」だったりすることが窓口担当者の知識や概念の外にはみ出てしまって、良く実態の掴めない曖昧な企画に思われてしまうと、そこから先は取り付く島もないほど事務的な対応に変わって「お話の内容はひとまず聞き取らせていただきましたので・・」あとは、「関係各所と協議して」・・・何ていう感じで逃げを打たれたりしてしまう。

富山町での彫刻イベント「とみやま彫刻フィールドアートワーク」は助成金の補助をいただきながら開催して3年目を迎える。
そのあいだに、少しずつ町内の皆様に顔も覚えられるようになった。彫刻絡みの話題も聞かれるようになって、まちづくりセンターの職員さんからは、町内企画のイベントへ参加依頼をしてもらえるようになってきた。
自分の周囲にほんの数人で良いからスタッフが加わってくれれば、もっとフットワークも軽くなって内容の充実も増すだろうが、吉田にはそこまでの財力も人望もないから、自分で出来ることを自分でやりくりしながら迷惑にならないように動くことが精一杯だ。

富山町の1日目は、野外彫刻の設置で借りている場所の草刈りをした。全部で4箇所に点在している彫刻の周辺を、11月のイベント開催までに見苦しくないくらいには整備しておく必要がある。
野外の温度計が24℃だった。この時期としてはナカナカ厳しく暑い。
ユキちゃんが勤務先から直行して訪ねてきてくれた。校舎の教室を案内したあと、別れ際にスポーツドリンクを差し入れしてくれた。
「ほんにねぇ〜〜、草刈りしてあげられるといいんだけどねぇ〜〜」
知り合いになった地元のおばちゃんが優しく声をかけてくれた。その気持だけでありがたい。「富山の芸術の秋は、草刈りからスタートです!」・・・そう返したら笑っていた。

IMG_2321.jpg
IMG_2323_20171011051503b21.jpg
IMG_2320.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

雑草の山 

2017/10/08
Sun. 23:21

自分の背丈ほどに伸びた雑草を刈り倒して畑の稜線が確認できるまでになったのは、草刈りをはじめて3日目のことだった。
彫刻の制作で使う筋肉や身体の動きと、草刈りで使うソレとは違っているようで、とにかく腰を中心にして身体中が痛くてかなわない。
夜寝ていても、ジッとしていられなくて寝返りばかり繰り返している。
連休の最終日もこの調子で寺の参道から東側まで草刈りが続くことになる。

富山の彫刻イベント参加者が大体出揃ったので、週明けの平日にまちづくりセンターを訪問して直前の打ち合わせをしたあと、急いで広報活動にとりかかる。
まずは、後援依頼から初めて印刷物の原稿作りをすることになるが、今年は全てのことに少しずつ遅れが出ていて最終の辻褄を合わせることが出来るのか不安だ。

寺で寄宿中のユキちゃんが固まった粘土を砕いて水簸を始めた。
次の制作目標は島根県展。
福光石のブロックが2〜3個本堂の脇に転がっていて、それを何か彫刻に出来ないかと考え始めた。石彫はまだ経験が浅いから、はじめのうちは石彫仏師の坪内さんにだいたいのことを教えてもらうことになった。

ホームセンターで買い物をしていたら、隣町で働いているIターンのおねえさんが声をかけてきた。
彼女とはもう3年ほど前に知り合っていて、私が彫刻を造ったり美術イベントを企画したりしていることを知っているから自分の美術活動の悩み事を聞いてもらいたいらしくて、買い物の支払いが終わって駐車場へ出たところでしばらく立ち話が続いた。
帰る方向が寺と一緒だから、「時間があったらこのまま寺に来ませんか?」と誘ったら喜んでついてきた。美術の専門的な勉強を経験しないまま、好きで始めた創作活動がそろそろ行き詰まって悩み始めたところだったようだ。特に差し迫った用事も無いということだったので、ユキちゃんと3人で夕食を食べながら創作の話をすることになった。

ユキちゃんもそうだが、自分の表現のネタというか、駒数というか、玉数というか、そういうものが圧倒的に足りない。たとえば100のアイデアから1つを抽出するのと、10のアイデアから1つを抽出するのでは、その深みとか広がりとか説得力とかの質量が違って表現の重みが全く違ってくる。はじめのうちはとにかく質より量を追求していくくらいのほうが伸び率が良いし成長も早い。そのうち精査抽出できるまでの質量が充実したところで、少しずつ造形力の質を高める工夫をすればいい。

大して広くもない畑だが、伸びた雑草を刈り込んで一処へ集めると、ほぼ自分の背丈ほどにもなって、まるでモネの積みわらのような雑草の山が出来た。何種類もの様々な形態の雑草が一つに集まると、それなりのボリュームになってナカナカの存在感となった。
その山もやがて数年間風雨にさらされている間に熟成とか発酵とか色々な反応が繰り返されて堆肥に変わってカブトムシの幼虫の巣に変わるかも知れない。

IMG_2314.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ナントカ暇無し 

2017/10/07
Sat. 23:06

「羊雲が広がってるから雨だろうなぁ〜」
「えっ??どうして?夕焼け出てるじゃない?」
「あの雲かうろこ雲だとだいたい雨降るよ」

彫刻の制作や搬入が終わって、休みたい気持ちを抑えつつ次の用事に気持ちを切り替えた。
出雲へ出かけるワイフを途中で降ろしてそのまま奥出雲まで走った。
斐伊川に沿って続く街道をひたすら中国山地の船通山方面目指して南下していくと、途中にダムが二つあってその先が奥出雲になる。帰りは下りが続いて楽な道だが、行きはひたすら上り坂が続くからボクの結界君が息切れして苦しそうだ。
現代彫刻小品展の会期中は、毎日その道を昇り降りしていた。
先日、万善寺の境内で結界くんをバックさせていたら、本堂の前で「ガツン!」と大きな金属音がした。基礎石に結界くんの何処かをぶつけたのかと思ったがそうでもないし、エンジンも変わりなく軽快に回転しているし、ハンドルやブレーキも問題ないようで特に変わった様子もないまま、とにかくその衝撃音だけが大きく聞こえた。さすがに20万km以上走行していると、どこかしら気づかないところでガタが来ている。

彫刻搬入の最中に降り続いていた雨があがってから、残暑が戻ったように蒸し暑くなった。
結界君のACスイッチをONしてしばらく走っていても、どうも涼しくならない。
つまみをあれこれガチャガチャ動かしてみても、一向に涼しくならない。
気がつくとエアコンのモーター音が聞こえてこないし、アクセルに負荷も感じない。
「あの衝撃音は、エアコンだったか・・・」
今年に入ってエアコンを使い始めてから、時々モーターの不具合があって調子が悪いままになっていた。
ひと夏はなんとか乗り切って、奥出雲の往復にも絶えて、つい先日は徳島の往復にもなんとか絶えて機能していたエアコンが万善寺の境内でついに力尽きてしまったようだ。

奥出雲の用事を済ませ、帰りにワイフを出雲でピックアップした。
「これから涼しくなって寒くなるし、壊れたままでも何とかなるんじゃない」
ワイフが助手席でひとごとのように無責任なことをいった。
「そりゃそぉ〜だけど・・・窓ガラスくもり始めたらやっかいだなぁ〜・・」
他愛ない会話に思えるが、ボクとしてはかわいい結界くんのダメージに心が傷ついて気持ちが沈んでいる。

空一面に広がる雲は羊雲のようにも思えるが、専門家でもないし確証がない。
確かにワイフの言うように夕焼けでもあるし、明日も良い天気になるかもしれない。
島根の田園は、稲刈りも終盤を迎え、しばらく続いていた雨に濡れた枯れ草の匂いがエアコンが壊れて全開の窓から流れ込んで息苦しいほどだ。
これから万善寺と吉田家と富山の彫刻周りの草刈りをして、それから薪割りが続く。

IMG_2311.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその3 

2017/10/06
Fri. 08:29

徳島から帰ってから彫刻の島根搬入が終わるまで、島根県は比較的強い雨が降り続いた。
万善寺土蔵の軒先で制作を続けていたユキちゃんは、最後の追い込みで大事な時に雨に降られることになってなかなかの試練になった。

早朝5時起きで万善寺から石見銀山へ移動して、ワイフの彫刻の進み具合を確認すると、さすがに作家歴40年近くのベテランだけあって、とりあえず完成は見えている状態であった。
「ユニック借りるから、乗せていってくれない?」
「どこまで??・・・あぁ、資源ゴミ屋さんの近くの・・・」
最近は、あまり体調が良くない制作途中のワイフへ用事を頼むのは気が引けるが、彼女の助けがないと島根搬入も上手く動かないし、遠慮しながらお願いした。
借りたユニックを工場に横付けして、慎重に自分の彫刻を積み込んでからカッパを着たままボクの結界くんへ乗り換えて急いで万善寺へ走った。
雨男ヨレヨレオヤジは、雨の中大活躍だ!

「職場へお願いして、お昼から早退させてもらいました・・・」
万善寺へ到着すると、確か夕方まで仕事だったはずのユキちゃんが、悲壮感の漂う引きつった笑顔でそう報告してきた。
とにかく、少しでもたくさんの制作時間を確保してやりたいから、ユキちゃんが帰ってくるまでに土蔵の下屋先へ即席の雨よけを造っておこうと思っていたのだ。
彫刻を雨で濡らしながら制作していたので、急いでブルーシートを張った。
長年の彫刻家人生の殆どを青空工房で乗り切っているベテラン雨男彫刻家は、こういう時の応急対応能力レベルがかなり高いのだ!

制作の助けになればと思って、バイブレーションサンダーとディスクグラインダー用の研磨ペーパーディスクを近所のホームセンターで仕入れてユキちゃんへ託しておいた。これで少しは制作もはかどるだろうが、使い方がアマチュアなのでむしろかたちの緊張感が崩れてボロボロになるかもしれない・・・

午後の3時にワイフの彫刻を積み込む予定にしているから、急いで工場へ引き返してユニックを石見銀山の自宅前へ移動した。
今年のワイフは室内展示用の制作をしていたから、彫刻を雨に濡らすわけにいかない。
ラップでぐるぐる巻きに梱包してユニックの荷台へ積み込むと、いつもお世話になっている運送業者さんのプラットフォームへ急いだ。
その後、周藤さんの自宅までユニックを届け、帰りは彼の愛車を借りた。
石見銀山の吉田家に到着した時は、夜の8時を回っていた。

・・・以上、10月2日の一日の出来事でありました!
シャワーで汗を流して夕食が終わったら、一気に一日の疲れが吹き出した。
とろけた脳味噌で一日のスケジュールを調整しながらよくここまで行動できたものだ・・

IMG_2305_20171006082803b83.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ヨレヨレオヤジ奮闘記ーその1 

2017/10/05
Thu. 03:09

気がつけば、9月が終わり10月が始まっていた。
石見銀山の夜はぐっと冷え込んですっかり秋らしくなっていた。
「こんばんわ!今日は満月らしいですけど、なんかチョット欠けてるような??・・お月さまに虹がかかってキレイですよ♡!」
吉田家前の駐車場へ結界君を駐めてエンジンを切ったら、隣の若奥さんが、これも少し前に隣へ駐車した車から降りているところで、スライドドアの中から荷物を引き出しながらそう教えてくれた。
「あぁ、こんばんわ・・そうですか、満月ですか・・・」
見上げると、石見銀山の要害山へ続く山のアウトラインが黒く沈んで夜の町並みがボンヤリと浮かび上がり、吉田家の大屋根の瓦が月の光に反射してまぶしいくらいだった。
確かに、空に浮かぶ秋の月には真丸の虹がかかり、上層には出来損ないのうろこ雲が小さな島をつくって満月の横を南から北の方へゆっくり移動していた。

今朝・・・といっても、お昼の12時半頃に目が覚めた。
ワイフには、朝から通勤坊主で寺に行くことを伝えて寝たはずなのに、12時間以上の間、何度か微妙に覚醒しながら切れ切れに幾つかの夢を見ながら眠り続けていたようだ。
ハッキリと目が覚めたのは、ワイフがなっちゃんと会話している様子が耳に入ったからだ。
最初は、少し意識が混乱していて、また何かの用事でなっちゃんが帰省したのかと思ったりしていたのだが、ワイフの声だけが聞こえてくる現実の状況が次第に理解できるようになって、それで、電話での会話だということがわかってきた。
そういえば、食料などを買い込んで送るようなことを云っていた。
2日間レンタルしていた2tユニックを返してワイフに拾ってもらってから近くのスーパーで大量に買い物をしたことを思い出した。

今年も、六本木の美術館で始まる展覧会に向けて島根搬入が始まって終わった。
気持ちも身体も緊張が続いて微妙にシッカリと正気でいられているが、実態はかなり疲労が蓄積していたようで、東京までのチャーター便へ全ての彫刻を積み込んで解散してから、その様子を記録しておくことを忘れたことに気付いた。
昨年までは、搬入経費を抑えようと、集配所のプラットホームと工場や吉田家などを軽トラックで2〜3往復したりしていたが、今年は、今後の体力温存を気遣って2tユニックを手配しておいた。
それほど大きくも重くもない彫刻だから普通に軽トラックで1日かけて回数を稼げばなんとかなるくらいのことだったが、その往復の連続に自分の集中力と持続力が絶えられる自信が無かった。
まぁ、ようするに自分もこの1年の間にそれだけ老け込んでジジイになったということなのだろう。
年季の入った折り紙つきの底無し貧乏人だから、2tユニックのレンタル料くらい、500円貯金を少しほど切り崩せばなんとかなるだろうし、次には六本木での陳列作業も控えているし、この度は、少しほど贅沢をさせてもらった次第です!

IMG_6046.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ありがたいこと 

2017/09/24
Sun. 13:25

現代彫刻小品展の最終日で、お地蔵さんご縁日の数珠繰り法要の日が開けた。
お盆以来の万善寺仏事になるので、寺で寝た。
このところ体調不良が続いているワイフが無理してお茶会用の茶口つまみを用意してくれたので、有難く受け取って万善寺の冷蔵庫へ移動した。

ひとつひとつのことはそれほどたいした用事でもないのだが、それらが同時に重なるとやりくりが難しくなって身動きできなくなる。
ある時は万善寺の住職方丈さん、ある時は鉄の彫刻家、ある時は美術イベントの事務屋、ある時はキリスト教系列学校のナンチャッテ先生、そしてある時は吉田家の軟弱パパ、またある時はワイフの優しい旦那であったりするふうな具合を程よく調整してつつましく暮らしているはずなのだが、これらの用事の幾つかが同時に重なったりすることも再々あって、たぶん、そういう状況が巡りくると世間で云うところの「あぁ〜〜、忙しい忙しい!!」って感じになっているのだろう。
それでも、1つずつ分解して小分けしてみると、それぞれの用事はそれほど大げさに「忙しい忙しい!!」と云うほどでもなくて、普通に楽に乗り切れることのほうがほとんどだから、自分としては「間が悪かったなぁ〜」とか、「運悪く重なっちゃったなぁ〜」とか、その程度のことにしか実感できないでいたりする。
そうは云っても、すぐ近くでオヤジの行動をクールに見つめるワイフに言わせると「ナニよ、そんなに(プンプン!!)イライラして!」ということになっているようで、ポーカーフェイスで乗り切っていると思っているのは自分ばかりで、周囲には余裕の無さがバレバレだったりしているようだ。

「今カレーつくってるのぉ〜」
キーポンから久しぶりに電話が入ったのは、そんなドタバタの時だった。オヤジの荒れ具合を見抜かれているような気もしたが、嬉しかった。いい感じで気持ちの切り替えも出来てヤル気もでる。

「やだー!かえりたーい!切実にー!」
フロリダのノッチがSNSで叫んでいる。ホームシックになっているのかもしれないが、一方で楽しそうな日常の一コマを送ってくれたりもする。こうしてゆるやかに家族とつながってくれていると、お互い色々なことがあっても安心するし少し気楽になれる。

石見銀山の吉田家で寝ることが随分減ってきた。それでも、ひと晩寝ている間に何度もクロが起こしに来る。迷惑で鬱陶しいが、やはり可愛いところもあるし甘やかして許してしまう。いつもワイフにベッタリのシロが甘え鳴きしながらダッコをせがんできたり、とにかく吉田家へ帰宅すればネコチャンズに逢えると思うと、少しの無理も気にならない。

先日、元同僚が展覧会場をたずねてくれた。ありがたいことです・・・
開口一番「忙しくて・・これからまた行く先があって・・」などと、慌ただしく去っていった。
そんなに忙しいのなら、義理や人情で彫刻を観てもらわなくても良いのだけど・・給料貰って仕事させていただいて保証もあって、それで十分ありがたいことだとボクは思うな。

IMG_2254.jpg
IMG_2256_201709241320545e5.jpg
IMG_2241_20170924132051ffc.jpg

[edit]

CM: 1
TB: 0

page top

ヨレヨレオヤジの1週間ーその4 

2017/09/22
Fri. 20:46

奥出雲の会場で受付をしていると・・・というより、ノンビリと文庫本読みながら暇つぶしをしていると、「時の過ぎるのが早いなぁ〜」と感じる。
なかなか、珍しいことだ。
特にナニをするでもなくボンヤリ過ごしているだけなのに、アッという間にお昼になって気がつけばティータイムの時間が過ぎて、そろそろ会場クローズが近づく。
石見銀山や浜田が会場の時はそういうこともなく、むしろ時の経つのがゆっくりに思えて苦痛だった。
それで、「なぜなのだろう??」と疑問を持って分析するかというと、そこまでの根性も意欲もないし、あまり深く考え込んで悩みはじめても厄介だから、普通にヒマを楽しみながら冷めたコンビニコーヒーをすすっている。

あれは、台風が通り過ぎた次の日だった。
徳島野外彫刻展に出品の彫刻をワンボックスに載せて島根の石見銀山を出発したのは午後2時を過ぎた頃だった。
銀山街道を南下して島根県の県境を越えるまでは、特に台風の影響が残るふうでもなくいつもと変わらない風景が続いた。強いて言えば、江の川の支流が増水して濁流になっていたくらいだ。広島県に入ると、国道のアチコチへ折れた枝木が散乱していたりして運転に神経を使った。時折突風のような強い風がワンボックスの横腹へぶつかってハンドルをとられる。太平洋側の地域は想像以上に風雨が激しかったのだろう。

このところ、睡眠時間が平均して3時間程度しかとれていない。そういうことが数日続くうちに、そのうち身体が慣れてきて昼寝もしないまま普通に一日を乗り切ることが出来るようになった。それでも、夜になって夕食も終わってチョット気持ちが緩むと、途端に睡魔が襲ってきて何かしていても知らない間に意識が遠のいて爆睡している。
運転中にそういう状態にでもなったら大事になるので、瀬戸大橋を渡って四国に入ると、いつも以上に緊張してアクセルペダルを踏み続けた。
少し前には夜の7時というとまだ空に明るさが残っていたのに、もうスッカリ暗くなっている。秋分の日も近いから当然のことだが、いつの間にか秋になっていた。

徳島中央公園の彫刻搬入口に到着してから松永さんへ連絡した。それから、今年の設置場所へ案内してもらって、約1時間かけて彫刻のセッティングを終わらせた。
ワンボックスの返却もあるので、そのまますぐ出発しようとしたのだが、夕食に誘われたし、朝から飲まず食わずで搬入作業をしていて流石に腹も減っていたから、松永さんの親切へ甘えることにした。夜の9時過ぎに徳島を出発して島根へ向かったのだが、瀬戸中央道へ入る前に睡魔でダウンした。山陽道へ入ってからもそういうことが周期的に続いて、結局、石見銀山へ帰る気力をなくして万善寺で仮眠することにして、ユキちゃんへその旨伝えた。
夜と云うより、早朝の4時前に万善寺境内へ到着した。
お風呂にはお湯。台所のテーブルにはユキちゃんからのおすそ分け。
ユキちゃんの気配りに泣けた!・・・良い嫁さんになるゼッ!きっと!

IMG_2223_20170922204543a77.jpg
IMG_2246_2017092220454518c.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ヨレヨレオヤジの1週間ーその1 

2017/09/19
Tue. 14:03

「万善寺さんの携帯でしょうか?・・○○ですが、昨夜父が亡くなりまして・・・」
それは、突然の電話だった。

ちょうど、工場にこもって徳島野外彫刻展用の彫刻を造っている最中で、プラズマ切断の電源ノイズとトーチの先からコンプレッサーの圧縮空気が勢い良く吹き出ているなんともうるさいときで電話の内容がうまく聞き取れなかったものだから何度も聞き返した。
たしかに、身内が亡くなった状況の中で「大きな声で元気よく!!」会話が出来るわけもなく・・・とても失礼なことをしてしまった。
奥出雲の現代彫刻小品展が始まる直前で、これから展示台を運んだり彫刻の展示をしたりキャプションや出品目録などを印刷したりでいっきに忙しくなるから、少しでも彫刻制作を先に進めておこうと、がむしゃらに鉄板と格闘している時だったから、だいたい目標にしていたその日のスケジュールが崩れてしまって、一瞬頭が真っ白になった。
「それはそれは、お寂しいことでしょう・・・なんともご愁傷様でございます・・ところで、亡くなられたのは○○さんでしょうか?」
「はい、父の○○です。それで、お葬式をお願いできないかと・・」
そのお宅は、万善寺のお檀家さんではなくて浄土真宗の門徒さんだから、詳しく家の事情を知らないし、時期が時期だけに普通ならまずお断りする方向で話を聞き取っていたのだが、先代住職からの付き合いもあるし、お父さんご夫婦が健在の頃は夏の棚経に毎年お邪魔して親しくさせていただいていたし、なかなかうまく次の会話に繋げられないまま、結局葬儀日程などの具体的な話になって、「ひとまず、今の用事が落ち着いたところで枕経のおつとめにお邪魔しますので、詳しくはその時に聞かせていただきますから・・」となって、浄土真宗さんのお手伝いをすることに決まった。

それから自分の周辺が慌ただしくなって、とても一人で展覧会業務をまかなうことが不可能になった。
すでに、アルミ2tのレンタルもしてあるし、展示台の搬入をしないと展覧会を始めようがない。急遽、いつもの棟梁へ連絡してスケジュールの修正をした。
ここまで幾つかの違った事情がひとつに集まることなどなかなか無いことだ。
仏事の事情に彫刻の事情をかぶせても正当な言い訳にならないし、彫刻のスケジュールを仏事の事情で変更もならないし、アレはアレでコレはコレで別々の事情に一人の親父が絡んでいるだけのことだから、結局は誰の迷惑にもならないように自分の事情を工夫してやりくりするしかないことだ。
ナニが出来るかというと、世間が寝静まった夜の間に幾つかのスケジュールをはめ込んでしまうということ。
それ以来、ほぼ1週間・・・だいたい睡眠時間3時間程度で乗り切っている。
寝る前とか目覚めのひと時を使ってプチプチとキーボードを叩いて垂れ流していたオヤジのブログも、完全にその時間を奪われた。
さりげなく私のブログへ付き合ってくれているのは、吉田家オヤジと一・二を争うほどヒマを上手につくっているノッチくらい。
そのノッチがボクのことを心配してくれた!・・・嬉しいよね・・・ヤル気が出るよ!

IMG_2240.jpg
IMG_2238.jpg
IMG_0779.jpg

[edit]

CM: 1
TB: 0

page top

スケールが違う 

2017/09/12
Tue. 23:28

午前中から昼過ぎにかけてははそうでもなかったが、その後雨脚が次第に強くなって、日が暮れる頃には暴風雨に変わった。
奥出雲の展覧会準備で、会場まで備品を運んだりしてアレコレするうちに暗くなったので施錠してその日の作業を終わらせた。
奥出雲からだと万善寺経由で石見銀山まで2時間弱かかる。
吉田家へ着いたのは夜の九時を過ぎた頃だった。
途中、雷がすごくて、一瞬真昼のように明るくなる。
撥水剤のおかげで視界はかろうじて確保できているが、それにしても凄い暴風雨で結界くんも時折フラリとふらつきながら必死で態勢をキープしている。

やっとの思いで吉田家にたどり着いたら、ワイフがテレビを見ながらまだ寝ないで起きていた。
いつもだったらもう布団へ潜り込んでいる頃だから、きっと私の帰りを待ってくれていたのだと思う。
遅めの夕食の間も屋根を叩く雨音がすごくて、テレビの音声が聴き取りにくい。
夜も遅いし、こういう時は心配をめぐらしてもどうなるものでもないから、サッサと寝てしまうに限る。

島根県の暴風雨位で結構ビビッて大変な思いをしているわけだから、フロリダ上陸のハリケーンはとてつもなくデカくて、私ごときの想像の域を遥かに越えているのだろう。
ノッチのことも心配ではあるが、あまりにも距離が離れすぎていてドウコウするにもすべてが気持ちの空回りで過ぎてしまってオヤジの現実からは程遠い。
本当に世界は広いんだなぁと実感する。

「今日はじゅん君の誕生日だったはずだ・・・」
ふと気がついて、「忘れないうちにSNS送っておかないと!」と、なにか大事な義務感のようなものに気付いて「おめでとう!」と送っておいたら、「ナニが??ヒョットしてボクの誕生日のことだったら、それ、明日だよ!」と返信があった。
そうなのだ!そういえば今日はじゅん君の誕生日の一日前の日だった。
「しまった!」と一瞬思った。
それでも忘れて過ぎてしまうよりはまだマシだ。

その、じゅん君の誕生日の前日が、彫刻の業者搬入日であった。
会場で彫刻の梱包を解きながら1日がすぎる間に新しく4点の彫刻が届いた。
昨日と合わせて合計32点となって、最終的には40点位の彫刻が集まりそうだ。
昨年は点数が多すぎて窮屈な展覧会になったから、今年くらいの点数が奥出雲の会場にとっては丁度良い。それに、島根県在住の若い彫刻家の出品が増えたことも喜ばしい。
一仕事終わって休憩しながら家族のSNSをチェックしたらフロリダのノッチがハリケーン通過の状況を載せていた。宿舎前の樹木が裂け折れるほどだからかなりの威力だったと想像できる。嵐の後の虹が絵に描いたようだ。ナンもカンもアメリカはスケールが違う。

IMG_2219_2017091223275379f.jpg
IMG_2220.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

それぞれの営み 

2017/09/07
Thu. 23:00

1日で3つも寺の仕事で出かけなければいけないのに、朝からものすごい雨が降って境内が池のようになって大変なことになっている。結界君のワダチに流れ込んだ雨水が川になって低い方へ流れている。こういう状態が1日続けば大事になるだろうと心配しながら西の空を見ると、空がかなり明るくなっていて少し安心した。

午前中は年回2つを1つにまとめた年回法事。
最近はこういうスタイルがどんどん増えてきた。坊主的にはあまり良いことではないのだが、いちいちそのわけを解説するのも疲れてしまって、そういう意向の施主さんには「ハイ!わかりました」のひと言を返して終わりにすることにしている。
そもそも、そういう申し出のある施主さんの気持ちそのものが本来の信心からソレて義務法事にしてしまっているわけだから、その考えを尊重してのことだと自分に言い聞かせているところもある。
坊主の仏事とか宗教心とか布教は俗な世間から遠く離れたところにあるのだ。
午後からは、2つの点眼(開眼)供養をした。
1つは、会社の工場増設に伴って敷地内に安座のお地蔵様を遷座することになって、その最終段階の供養法要を現場で行った。
その時間帯にはすでに雨が上がって小康状態であったが、施主さんはお地蔵様が濡れないように簡易テントまで用意して手厚い荘厳がされていた。
点眼のお経や回向が終わってから、遷座地の地鎮祭で使用した荘厳の灰を撥遣してすべて終わる頃になってまた雨が降り始めた。
「これで安心しました。この灰は自宅の横の川へ持っていって流させてもらいます・・」
ご主人の安堵の顔が心地よかった。
そのお地蔵様の現場から直接次の点眼へ移動した。
玄関先へ結界君を駐車する頃には、運良く雨が止んでくれた。
小さな簡易仏壇がパソコンデスクを再利用した祭壇に置かれて、大きな遺影が中央に飾られていた。位牌は、万善寺で安座の新帰元白木位牌を再利用する。まだそれなりに若い後家さんだから仕方のないことだが、どうも信心の方向が本尊様からソレているようで、亡くなったご主人もどこかしら居心地が悪そうな気もしたが、何もしないで粗末になるよりはずっと良いことだし、気持ちを込めて点眼のお経を読んで回向をさせてもらった。

ノッチの暮らすフロリダが厳戒態勢で大変なようだ。
最大級の超巨大ハリケーンがフロリダを直撃するかもしれない。
イチロー選手のマーリンズは、遠征試合に家族同伴を決めて家族の安全を確保することに決めたそうだ。
こういう緊急時の対応に慣れないノッチは、水の確保に失敗したようで結構心配だが、最悪スキなビールで乗り切ることが出来るかもしれない・・・
それにしても、天災の前には、ヒトの営みなど芥子粒以下にチッポケで木っ端微塵だ。
万善寺の豪雨など比べ物にもならない。
太陽では通常の千倍以上の大規模爆発が観測されたらしいし、地球レベルでない宇宙レベルで得体の知れない何か大きな変化が起きているのかもしれない。

IMG_0773.jpg
IMG_0772_201709080700595ee.jpg
IMG_0770_201709080700565ae.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ささやかな夢 

2017/09/06
Wed. 23:17

万善寺の用事をしている間にワイフが土間の写真を送ってくれた。
何時もながら棟梁の仕事は早い。
クロにはかわいそうだが、これで脱走の確率がかなり減ったはずだ。
・・・と同時に、私のギャラリー再開の確率が少し上昇した。

ギャラリーというと、もうかれこれ10年ほど前になるだろうか?
石見銀山の町並みに面したひと部屋を彫刻やクラフトの展示ギャラリーにしたくて、仕事の合間を調整しながら少しずつ部屋の改修を始めた。
吉田家の半分は文化文政年間の建築だということが専門家の調査でわかっている。
残りの半分は大屋根で繋いだ別の建物になっていたようで、こちらの方は華奢な掘っ建てのような造りだったから、「たぶん何かの作業小屋として使っていたのでしょう・・」ということだった。
吉田家入居のための改築前は、ギャラリーにしようとしていた部屋の床を取り払って駐車ガレージになっていた。
まだ世界遺産登録前の頃だったが、伝統的建築群保存指定地域になっていたから、改修工事をするにあたって文化庁の調査が入った上、建設当初の様子に復元をするということが条件になっていた。
今思えば、床をとってガレージにする時、もっと使い勝手の良いように縦柱の場所をずらしたり出来たと思うが、当時の居住者はそこまで大げさに改修することもないと思っていたのだろう。私としては、そのままガレージに使いたくてそのままの状態を残してほしいと思っていたのだが、奈良県の方から専門家が来たり、行政建設課の一級建築士から街並み保存を優先した外観の図面を提示されたりして、家主の意向は軽くスルーされた。

今の吉田家に限らず、石見銀山の間歩まで続く約3kmの道筋に面した家並みは、こうしてことごとく国の指導に沿った改修をされて、今では電柱も取り払われて江戸時代を中心として昭和に続く時代の変遷を見ることの出来るテーマパークのような町に変わった。
実際、そういう所で日常の暮らしを続けている住民にとっては、暮らしが便利になるどころか益々不便になって、観光客の視線を避けるように町並みの建具が一年中締め切られたままになっていたりする。
私がギャラリー開設を計画したのも、自分の暮らしを出来るだけ開放して、風通しの良い住まいにしたかったからだ。土間玄関を開け放し、そのとなりのひと部屋の建具を取り払い、大小の彫刻や絵画などを展示して店番をしながら小物を造ることを約1年半続けた。
少しずつ常連さんも出来始め、クラフトの注文も入り始めた頃、前住職の病気が深刻になりはじめて、寺務の停滞で周辺寺院やお檀家さんへ迷惑が及ぶようになって・・・まぁ、そういう避けて通れない時の流れに我が身を委ねるしかないことになって、晋山式の大げさな仏事もしないまま密かに住職交代をすませた。通勤坊主が本格化したのもその頃からだったが、当時は万善寺の仏事より前住職通院のお伴の方が忙しいくらいだった。
ギャラリーをクローズすることに決めたのは、お客様に失礼をすることが増えたからだ。
今はあの頃に比べると自分のペースで動けるようになった。そろそろ自分の先行きも見えてきた気もするが、もう一度仕切り直しでささやかな夢を見てみたい気もしている。

IMG_0769.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

それぞれの制作 

2017/09/03
Sun. 23:26

ご主人様を亡くして途方にくれていた犬が、このままだと保健所行きか万善寺へ一時預かりか、そのくらいしか選択肢が残されていない状態だったところへ、夕方になってやっと次の飼い主が決まりかけてきたと連絡が入って少しホッとしたところだ。
やはり、保健所よりはまだマシとはいえ、オヤジのわびしい一人暮らしの雪深い寺で震えながら寄り添って味気なく暮らすよりは、家族の温かい愛情に包まれて余生を送ったほうがその犬もずっと幸せだろう。
今年に入ってから今までになく忙しい毎日を送っていて、その上犬の事情も増えたりするとどうしようかとチキンオヤジは内心ビクついていたが、心配事の一つはなんとか回避できそうだ。

9月に入って、私の周囲では展覧会発表へ向けての制作が一気に本格化してきた。
ユキちゃんが万善寺の土蔵の前でクスノキと格闘を始めた。
土蔵の下屋を利用してチェーンブロックを取り付けて即席の制作場所を造って、エンジンチェンソーの使い方を教えておいた。
これから約10日間は昼の仕事が終わったら万善寺へ帰って、制作を続けながら寄宿生活が本格化する。

ワイフは最近少し体調不良が続いていてあまり元気がない。
それでも、彫刻制作に向けての気持ちは萎えることなく私へ色々支持を出してくる。
鉄の彫刻家としては自分の制作が無いわけでもないのだが、ワイフの指令に「ノォー!!」とは言えない。
徳島の野外彫刻へ出品する限りなくインスタレーション的彫刻を組み立てるために、20個のパーツと周辺の部品を結界くんへ詰め込んで万善寺の境内へ運んだ。
鉄の制作工場は地面が全面コンクリートで固められているから、彼女のセッティングをシミュレーション出来ない。それで、真砂土で固めた万善寺の境内が都合よく使われることになったわけだ。
ワイフは、かれこれ10年以上かけて少しずつ野外展示の工夫をしている。10日から1ヶ月位の期間を野外設置して耐候性のデータを集めながら根気よく素材研究を続けている。

鳥取のアヤノちゃんが県展の出品作品をデータで送ってきた。搬入の時は色々ドタバタがあって大変だったようだ。
絵を描く人は、発表歴の少ないはじめの頃、四角のフレームの中に自分のすべてがはまり込んで気持ちの方が先行してしまって、制作のスタートから完成までをクールに客観的スケジュールで管理することが不得意な気がする。
彫刻の場合は、かなり慎重に制作計画を練っておかないと作品が締め切りまでに完成しない恐れもあって、周囲の関係者に大迷惑をかけることになる。
アヤノちゃんは、まだ作家歴も若いから、今後も幾つかの失敗を繰り返すことになるだろうが、そういう過程の蓄積が確実に何かのカタチで証明されて次の制作に反映されることにもなるから、あせらないで自分を信じてその時々の難局を乗り切ってほしい。今は制作のベースで少しでも自分のボキャブラリーを広め深めることに専念する時期だと思う。

IMG_2204.jpg
IMG_2200.jpg
IMG_2123.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

畜生道 

2017/09/02
Sat. 23:37

午前中に江津で用事を済ませ、工場へ直行してワイフの彫刻パーツや道具など必要なモノを結界くんへ積み込んで万善寺へ向かった。
夕方には隣町まで4・7日の七日参りでお経と墓参に出かけ、ついでにスーパーで半額のお惣菜を買って、先頃遷化されて寂しくなった寺へ回って、帰らぬヌシを待っている柴犬のようすをみた。
夏の間は厳しい猛暑のためか、それともヌシがいなくなったせいか、瞳も虚ろで地面に張り付くように寝転がったまま尻尾も振らないでぐったりしていたが、秋風が吹いて涼しくなり始めたら急に元気を取り戻して、私の姿を見るとちぎれるように尻尾を振りながらリードの長さいっぱいまで走り寄ってきた。
もうあと10日くらいしたら寺の留守居を切り上げてしまうらしい娘さん(といっても、もうおばさんだけど・・)がいなくなったら、その柴犬は無住の寺に一匹残されてしまう。
「どなたか、面倒を見てくれる人見つかりましたか?」
「それが、まだ・・・・」
「あきらめないで、色々たずねてみてくださいね。ギリギリまで」
「そのつもりですが、ナカナカ見つからなくて・・・『可愛いぃ〜♡』とは言ってくださるのですが・・・ヒトが来てもぜんぜん鳴かないし、いい子なんですけど・・なかなか飼ってくれるまでにはいかなくて・・・」
どうも、歯切れの悪い返事がかえってきた。
ヒト(他人)の心など、だいたいそのようなものなのだろう。
「何歳ぐらいですか?」
「さぁ〜〜、よくわからないんですけど・・・」
それなりに老犬のようだし、最悪、保健所行きを覚悟するしかないことになると、まず引き取りもなくて殺処分になることだろう。
生前のご住職の話だと、血統書付きの柴犬だということだった。
そういう話題になると、目を細めてにやけた顔になっていたから、そっけない風を装いながら、内心はとても可愛がっていたのだと思う。
「引き取り手が見つからないようだったら、万善寺の番犬で引き受けることにしましょう。どうせ、あと1〜2年の命でしょうから、そのくらいならなんとかなるでしょう」
そう言い置いて、ご本尊の阿弥陀様に手を合わせて帰りかけたら、
「どうしてもの時は、預けさせてもらってもいいんですよね?」
私の背中に娘さんの念押しの声が乗ってきた。さて・・・これから数日間で飼い主が見つかるのだろうか?・・いや、飼い主を探す気があるのだろうか?
エサ代もかかるし、散歩も日課に加わるし、犬を飼うのもそれなりに腹をくくる必要があってのことだが、口のある生き物を粗末にすることは出来ない。
仏教六道で三悪道の一つといわれる「畜生道」は、本能のままに生き、自力で仏心を得ることの出来ない世界をいう。
犬はまさにその畜生道の世界に生まれて死んでいくことになるわけだが、一方で、悪意を持って嘘をついたり騙したりするようなことはしない正直者でもある。
腹黒い魑魅魍魎のうごめく「人間道」の世界よりすっとシンプルで潔い世界だとも思う。

IMG_2196_201709030737576eb.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

吉田家の玄関 

2017/08/31
Thu. 23:35

吉田家の暮らしに少しほど慣れた・・・というのもおかしな話だ。
たぶん、こういう違和感がまだ健在だった母親が暮らしていた頃の万善寺へ帰った時に感じていたものと同質だったのだろう。
自分の自由が効かなくて、どことなく無理をしたり我慢をしたりしているところがあった。

母親が死んで、万善寺のアチコチに手を加え始めたら、それはそれで際限がなくなっていまだに収集のつかないままでいるが、それでもどこかしら自分の責任ですべてを仕切っていると、それなりに気持ちの開放感のようなものがある。
寺の草刈りのことも、肉体的なつらさはあるが、自分の好きなように自分のペースでコトをすすめることが出来て、ずいぶん気持ちが楽になった。
ユキちゃんの彫刻制作と寄宿暮らしのことも、母親が居たら100%不可能なことだったろう。
庫裏を開放したギャラリーも、机上の構想ばかりが先走って実現に到ることもなかっただろう。
万善寺の身内のことだけでどれだけ自分が萎縮していたことか・・・この半年でよくわかった。

吉田家暮らしが再開すると、私がいない間のワイフの暮らしの痕跡がアチコチに残っていて、それはそれで特に気にすることでもないのだが、やはりどこかしら自分の居場所が随分と狭まっていることに気付く。
巨大な新しい猫タワーが鎮座していたり、通販で買ったらしいソファーベッドがリビングを占領していたり、食卓の半分以上がワイフの持ち物で溢れていたり、それに、ボクの大事なデスクトップが部屋の隅へ片付けられていたり・・・
まぁ、一つ一つは他愛ないことなのだが、やはりどこかしら自分の居場所が定まらないで落ち着かない数日が続いた。

今頃になって少しずつ吉田家の新しい(と言ってもいいだろう・・)環境になれてきたものの・・・玄関の引き戸が格子戸に変わっていたことと、板戸へ真新しい鍵が着いていたことは想定外だった。
「これが玄関の鍵だからね。私がいない時はこれで鍵あけてね♡!」
そういって、小さな鍵を渡された時はなんとも複雑な気持ちだった。
家に男がいないことの不安があったのかもしれない。
そういえば、憲正さんが死んで一人暮らしがはじまった母親は、何かというと玄関へ鍵をかけてガラス戸を締め切って薄暗い庫裏の真ん中の部屋で1日を過ごしていて、ひどい時は、夜の常会から帰るとすでに施錠されていて庫裏を締め出されたこともある。

「玄関開けてくれない?中に入れないんだけど・・」
夕方に寺から帰宅すると吉田家の玄関が開かないから、玄関外でワイフへ電話した。
「アレ??玄関あかないの?」・・・しばらくしてワイフが土間をドタドタ走ってきた。

IMG_2193.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

朝もやの向こう 

2017/08/24
Thu. 23:56

なっちゃんが帰省しているので、できるだけ石見銀山に帰ろうとスケジュールを工夫している。
それでも万善寺の用事は毎日続くし、8月も後半になって棚経の疲れも溜まりっぱなしで体調不良が改善できないまま、身体が重いし、1日3回の胃薬が絶えない。
「坊主に夏痩せはない!」といわれている。自分でも今までそうだったが、今年の私はその定説も崩れて8月の半月のうちに3kg痩せた。
胃薬が手放せないのも、職業病のようなもので、棚経の先で一日何杯も煎茶を飲み、インスタントや缶コーヒーをいただき、時には炭酸ソーダも出たりして、それらを有難くいただき続けていれば、そのうち胃袋がおかしくなっても仕方のないことだ。年々歳をとるばかりで若返ることはないから、自分の身体も衰えるばかりで、私にとっての夏の仏事は非常に過酷なものになっている。
一人暮らしをはじめてから、朝に目が覚めても、夕方寺へ帰っても、食事の世話は自分でしなければいけないから、目先の細々とした洗濯や戸の開け閉めや、もちろん本堂のことと、毎日続く用事を片付けていると、結局それに流されて飯抜きになったりして不摂生極まりない。こういう時に、ワイフのありがたさを痛感する。

まだ、朝寝を貪っているなっちゃんを吉田家に残して、自宅を出発したのは朝の7時前だった。すでにその2時間ほど前には目が覚めていて、この半年近く吉田家に埋もれていた私の私物を整理して結界くんへ積み込んだりした。
ギャラリーになる予定の町並みに面した一部屋も、結局以前と変わりなく物置になりつつある。その中からホコリをかぶった昔の彫刻を見つけた。
ちょうどその彫刻をつくったことが転機になって、今のテーマが固まってきた、自分にとっては記念すべき彫刻といえる。
改めてクールな目でこの時期の彫刻を見直すことも大事なことで、経本がボロボロになるまで何度も繰り返しながら一つお経を読み続けることの大事さに通じるところもある。

石見銀山の町並みを抜けて、銀山街道の古道に沿って付かず離れずアップダウンを繰り返しながら続く現在の銀山街道を太陽に向かってしばらく走っていると、無数の大小のシルエットが道の至る所で逆光を受けてうごめいている。早朝の朝もやも漂っていて現実とは思えない光景だ。こういう状況を何処かで見た覚えがある。結界くんのスピードを緩めてゆっくりの朝もやの中へ入っていくと、逆光が少し緩和されてコントラストが弱まった。
大小のシルエットは、それぞれランダムに動きながら道の両脇へ吸い込まれていく。シルエットの一つが、道の脇で固まって動かなくなった。さて・・・時速20kmくらいだったろうか・・ゆっくりその塊に近づいたら、やっと正体が見えた。
猿の群れだった。だいたい20匹はいたはずだ。独特の野生の獣の匂いが朝もやの中に充満している。
しばらく走りながら、「あの光景は何処かで見たような・・・」思いを忘れられないまま記憶を手繰っていると・・思い出した。
「蜘蛛巣城!」・・・妖気漂う異世界に迷い込む武将の姿が早朝の銀山街道を走る自分に重なった。

IMG_2170.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ジュウショク 

2017/08/23
Wed. 23:39

万善寺のお盆はまだ続いている。

着物も衣も一日の汗が沁み込んでしまうから、毎日お経を一回読むたびに洗濯機へ直行して上から下まで全てを脱いで放り込む。
一日に仏事が2回あれば洗濯機も2回動くことになる。
一人暮らしにはちょうどいい小ぶりの全自動がフル回転していて、最近気がつくと何かしらモーターコイルの焼けるような匂いが洗面所へ充満している。
洗濯といっても、洗い物を放り込んで洗剤を入れてスイッチONするだけのことだから大した負担でもないが、かえって全ておまかせの全自動だと、そういうちょっとした不具合を見逃してしまって後の始末が大変になることもあるから、たかが洗濯、されど洗濯と、毎日の家事をそれなりに緊張して片付けている。

朝のまだ涼しい間に、毎年恒例になっている古墓と三界萬霊を先祖供養のお墓参りに合わせておつとめしてきた。
その施主家は実は浄土真宗の門徒さんなのだが、年に1回盆の月にお墓の供養をするときだけ万善寺がお参りさせてもらっている。
島根県の飯南高原あたりでは、俗に云う「墓納め」とか「墓終い」の仏事を禅宗に依頼されることが多い。その付き合いがご縁になって、毎年1回は禅宗のお経を読んでもらいたいと思われたりされるようだ。
そもそも、昔々の民衆に密着した仏事というものは、そういうふうに仏教宗派を越えて、その得意とする領域の住み分けをこなして、坊主同士お互い仲良く過不足なく自分の得意ジャンルをキープしながら付き合っていた。
最近の宗門の付き合いは、どうも本山直下の縦社会構造が教化されて、そういう指導や研修が繰り返されてくると、末端の住職現場での交流も疎遠になってどこかしら付き合いも堅苦しくなってくる。高齢過疎限界集落が混在する田舎の山寺住職は、もっと緩く地域の事情に溶け込めるような付き合いを大事にしたほうが良いと思う・・・などと、偉そうなことが言える立場でもないけどね・・・

午後から奥出雲へ出かけて800枚の町内回覧配布のチラシを集配仕分けさせてもらった。
夏休み中のユキちゃんが松江の実家から駆けつけてくれてとても助かった。最近、少しずつ気持ちが通じて、私の動きを読んでくれるようになってきた気がする。適度な距離をおいた付き合いが気楽で居られて良い。

夕方から石見銀山へ向かった。
なっちゃんが勤務先の出張で約1週間ほど帰省している。いつの間にか東京ベースの事務所で幾つかの重職を任されているようだ。どれほどの仕事ができているかどうかは分からないが、本人は特別緊張するわけでもなく偉ぶるわけでもなく、いたって普通に何時もと変わらない様子だから、ぎゃくにそれが凄いと思う。万善寺のチキン住職など、坊主の会議や仏事などあったらオロオロヨレヨレで使いものにならない。
「ジュウショク」違いで差がついてきた。まぁ、それはそれで喜ばしいことである。

IMG_2159.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

晩夏の万善寺 

2017/08/22
Tue. 23:55

保賀の谷の上昇気流を探して、低空飛行の鳶が万善寺裏山の上空へ円を書きながら舞い上がっていった。

最近は、朝晩がずいぶん涼しくなって、夏用の掛け布団がないと寒いくらいになった。
寺の一人暮らしが長引いて、気が付かない間に随分早起きになった。
境内から参道までの様子を確認しながら朝の散歩をしていたら、今年2回目のマムシを見た。前回の丸々と太ったマムシとは違って胴体が私の親指くらいだった。私の気配を察しているはずなのに参道の真ん中で伸び切って動こうとしない。早朝の地面の温度が敏捷に動けるほどの体温の上昇を支えてくれていないのかもしれない。
お参りのお客もないし、1日で人間に会うとなると自分から町内や近所の町へ出かけるしか無い。一人で暮らしていると、周囲の生き物くらいしか私に反応してくれない。
生き物は正直だから、こちらから危害を加えなければ、安全の距離を維持しながら、付かず離れず彼らの日常が繰り返される。

夏の盛りが少しおさまって、秋の気配に変わりつつある。
もう随分前から、古墓の先祖供養だからと、だいたい毎年この時期に自作の塔婆を持参する大工さんがいる。
まだ8時前に手首のAppleWatchがブルブルと動きはじめて着信を教えてくれた。
「◯◯ですが、今年もお侍さんのお墓を供養してもらいたいんですがぁ〜・・」
「ハイ、どうぞ何時でも良いですよ」
「アレッ?・・・今お寺ですか?」
昨年までは母親が寺で暮らしていたから庫裏に私の居場所がなくて、お盆を過ぎたこの時期には石見銀山の吉田家を拠点に、通勤坊主を繰り返していた。大工さんもそれを心得ていて、私に面会できる時間帯の都合を問い合わせてきたわけだ。
「最近は、だいたい寺に居ますから何時でも大丈夫ですよ!」
「そぉ〜ですかぁ〜・・、それじゃぁ、今から持参しますんで・・・いいですかぁ〜」
「ハイ!どうぞ」
・・・こういう、地域のささやかな仏事の付き合いが8月いっぱいは五月雨に続く。
これからも、古墓の墓参りや、ご先祖さまの永代供養などで出かけることがあって、その間隙を縫って彫刻の予定を入れる。

今週に入って、奥出雲の彫刻展が動き出した。
例年に比べると随分準備が停滞しているが、今年の私の個人事情ではこの遅延も仕方がないことだ。塔婆を書き終わった頃に、印刷が終わった800枚の回覧チラシを営業のおじさんが持ってきてくれた。今までは石見銀山の吉田家を事務所にしていたから、今年になってはじめて万善寺を訪ねてくれたことになる。
少しずつ準備中の仮称「ギャラリーまんぜんじ」も見てもらった。
印刷物の付き合いしか無いから、彫刻の実物を観るのがはじめてのようだった。

どこか近くで鳶が「ピィー!」と鳴いて保賀の谷へ響いた。

2017チラシA3奥出雲 (1)
IMG_2162_20170823035613ce2.jpg
IMG_5743_20170823035614348.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

慰労の夜 

2017/08/19
Sat. 23:45

お盆月恒例の諸仏祈祷法要がまた一つ終わった。
こうして少しずつ万善寺の夏が過ぎて秋がやって来る。

昔々の飯南高原は、林業と農業が主な産業で、あとは、出雲街道と銀山街道に沿って適度な距離を維持しながら市場町や宿場町が点在していた。
農業の方は、ほとんど稲作が中心で、農耕の補助に黒毛和牛を育て、米と牛からの収入で暮らしていた。
稲作には水が必要になるが、場所によっては農業用水の確保が難しいところもあって、天候を頼って自然の恵みに一喜一憂することの繰り返しが続く中で、仏頼み神頼みの信心が芽生え、有志を募って水田の脇へお堂や石仏を建立したりして豊作を願った。
その建立された諸仏を粗末にできないからと、供養と祈念を兼ねた法要が今に続いている。
おもしろいもので、土壌や水源の条件が整っている地域では、神仏にすがるまでの悲壮感も薄くて、過去からの信仰風習も途絶えたままになっているが、水源の確保が難しい地域では、世代が変わっても信仰心の絶えることがない。
万善寺は、一年の節目で行われる地域の五穀豊穣を祈念する信心仏事に招待を受ける。

10年ほど前に新築された2畳ほどのお堂でお経を読んでから近くの自治会館へ移動して、お供えのお下がりをいただいた。
憲正さんの頃は私が付き添って送迎を兼ねていたから、お酒も出て賑やかな宴会になっていたが、今は飲酒の規制が厳しいから随分静かになった。
1時間近く経ってからさり気なく退席して寺へ帰るとユキちゃんが展覧会の慰労を兼ねた手料理を持参してくれていた。
しばらくして、ヒョロリテツヤもやってきた。
ユキちゃんの手料理は、なかなか凝ったものでワイフの味付けとはまた違って新鮮で旨かった。
二人ともあまり遠慮しないで結構飲むものだから、ついつい酒が進んで会話もはずんだ。
いつもはどちらかといえば寡黙なユキちゃんが饒舌になった。
彼女の知られざる一面を垣間見た気がして親近感が深まった気がする。

春に万善寺で寄宿が始まって、今までに3点の小品彫刻を造った。
すべて島根の地元であった展覧会へ出品して、発表も精力的だ。
素材へ取り組む姿勢も前向きで、少しずつ彫刻に対する我欲も増しているふうに感じる。
吉田にはたいしたこと出来るわけでもないが、少しでも頼ってくれるうちはなんとか付き合っていこうと思っている。

境内に日参していたスズメが絶えた。他の何処かで条件の良い餌場が見つかったのかもしれない。参道脇をつがいの白鷺が低空で飛び去った。
雨の降り癖が収まって残暑が厳しくなりそうだ。刈り倒した草が少しずつ乾燥してきた。
お盆前に注文していた彫刻用の鉄板がそろそろ届く頃だ。

IMG_2152.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

言い訳はしない 

2017/08/17
Thu. 23:59

本葬仏事が無事終了し、大練忌法要も終わって斎膳が本堂へ配膳され、総勢100名近い方丈さまやお檀家衆が着座されて献杯になったのは13:00を過ぎた頃だった。
主喪の役目も最後のおもだった方丈さま方へ酌をして回ればそれで終了と心に決めて、一巡したあと、さりげなく荷物をまとめて退席した。
本当は、斎の酒宴が終わった後の片付けまで居残るべきだろうが、さすがにそこまでの心身の余裕がない。

もう前回石見銀山へ帰宅したのが何時の頃だったのか思い出せない。
まさか、ここまでベッタリと万善寺に居続けようと考えてもいなかったから、18日の万善寺お盆の大イベントへ向けて色々な必需品が石見銀山の吉田家に残されている。帰宅のスケジュールを考えながら「なんとかして」とか、「そろそろ」とか、「そのうちに」とか思いつつ、結局前日まで帰宅できないまま時が過ぎた。さすがに残された余裕もないから、いっきに石見銀山まで久しぶりの銀山街道を走った。こういう時に限って、やたらとノロノロフラフラ走る県外ナンバーが邪魔をする。かなりイライラしながら石見銀山の町へハンドルを切ると、唖然とするほどヒトがひしめいている。
「そぉ〜か、世間は夏休みでお盆だ!」
過疎の進む飯南高原でノンビリとした毎日をおくっていて、それがすっかり普通のことになってしまっていた。

必要な荷物をまとめて結界くんへ積み込んでいる間に、ワイフが買い物から帰宅した。
クロは何処かで眠りこけているのだろう、終始顔も見せない。
シロはフギャフギャ甘えてダッコをせがんできた。
グッピー軍団は、水量の減った水槽の中で「餌をくれ!」とピラニアの如き勢いでピチャピチャ跳ねていた。
リビングに巨大なソファーが搬入され、土間には梱包材が散乱していた。
私のデスクトップが、部屋の隅で小さくなっている。
しばらく留守にしている間に、吉田家はワイフの暮らしが充満していた。彼女には彼女なりの考えがあって、吉田家がしだいに自分の住みやすいように変化していったのだろう。
前例にないほどの多忙な万善寺業務で忙殺されている間に、ワイフは一人で味気なく暮らしていたのかもしれない。
口では、大丈夫そうなことを云って自分の多忙を訴えていたが、はたしてそれは本心だったのだろうか?

夜の横路薬師供養の仏事が毎年恒例になっていて、石見銀山から万善寺へ帰着すると夕方までの間に塔婆を書いたりして準備を進めた。
坊主の事情で何時になく忙しかったことなど、お薬師様へお参りの皆様には関係のないこと。ざわめく気持ちを落ち着かせて境内から参道へ降りたら、琴弾山の尾根に虹が見えた。「なるようにしかならない」ことだとわかっていつつ、ジタバタしている自分に気付いた気がする。
「言い訳はしないことにしよう・・・」と決めてお薬師様のお堂へ向かった。

IMG_2138_201708180759588b9.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2017-10