FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

彼岸間近 

2020/03/17
Tue. 23:20

工場のすぐ前を流れる潮川周辺は菜の花が満開に咲いて黄色の絨毯を敷き詰めたようにきれいだ。
なんとなく、いつもより満開が早い気もして過去の記憶を手繰って思い出そうとしたが、無理だった・・・

銀座のグループ展へ出品予定の彫刻制作も先が見えたし、なっちゃんの新居用に制作中のテーブルも完成の見通しがついたから、気持ちを万善寺の春彼岸へ切り替えた。
今年は初午祭と日程が近かったからお参りがどれだけあるか予測が難しい。
それでも、一応例年と同じように準備はしておこうと思っているのだが、いつもはこの時期まだ寺の境内にたっぷりと雪が残っていて庭掃どころか車も玄関先へ横付けできないほどだから、境内へ雪のかけらもない今年はどうもいつもと勝手が違って準備の都合の整理がつかない。
ワイフへは法要後のお茶会用に20人前ほど何か見繕っておいてもらうようお願いした。

庫裏の観音様の八畳部屋に冬の間ほどドームテントを広げている。
寒い夜は、このテントに潜り込んでiPadのKindleを開いて読書しながら過ごす。
数年前の強力寒波襲来の時に、あまりに寺が寒かったものだから思いついてテントを使ったのがなかなか快適で、それ以来、万善寺の冬は観音様の部屋へテントを常備するようになった。
今年のシーズンは、寺の夜が極端に冷え込むこともなかったのでテントに潜り込むことが殆ど無いままになった。
お彼岸にはお檀家さんがお参りされて、檀信徒会館代わりに使ったり、お茶会の準備で何往復もしたりするところへテントがそのままになっているのもいかがなものかと、これを機会に撤収することにした。
敷布団代わりのクッションマットや毛布をテントから引き出したら、カメムシがポロポロとこぼれ落ちた。殆ど未使用だったシーズン中、カメムシたちの越冬場所になっていたようだ。
久しぶりにしばらく締め切ったままになっていた縁側のガラス戸を開けて外の空気を入れた。それからテントを外に出してひっくり返したりしていたら、本堂の座の下からあのふてぶてしい目つきの黒い野良猫が覗いてこちらの様子を見ていた。

夜は万善寺へ泊まることにした。
なっちゃんの新居へテーブルを搬送することになったので、幾つかのナビアプリでルートを確認した。休憩なしの直行だと約9時間半で到着するようだが、さすがにそれは無理だろう。だいたい16時間位を予定して給油とか仮眠とかの場所をおおよそ決めておいた。
それから思い出してAmazonで安西水丸さんの絵本を3冊ほど注文した。孫のユーシンくんもそろそろ1歳になるし、おじいちゃんからの誕生日プレゼントということで丁度良い機会だ。
それに、安西水丸さんの祥月命日が近い。もうそろそろ七回忌がくる頃のはずだ。あの人のセンスはすごいと思う。

IMG_1923.jpeg


[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

春先の日本海 

2020/03/15
Sun. 23:27

なにか思いついてそれなりにいつもより気合を入れてコトを始めようとするとだいたい雨になる。
今度も、彫刻を造りながらテーブルまで造ってソレを一緒になっちゃんの自宅まで陸送しようという、ボクにとってはかなり気合の入ったプロジェクトを決行しようとしているから、いずれそのうち仕事の佳境に入る頃から「雨になるのだろうなぁ〜」と漠然と考えていたら、案の定、雨になった。
それでも、思ったより寒くなくて工場の仕事は楽にはかどったのだが、塗装の段取りが狂って困った。
室内だと、いつもなら換気扇の真下に即席の塗装場を用意するのだが、今は丁度そこへ耐火レンガを積んでコークスの焼鈍し場が出来ている。わざわざそれを解体するのも面倒だし、かといって雨の中外に持ち出して塗装もできないし、彫刻の細かい部分を造りながら考えたあげく、一日の仕事の最後に狭い工場の制作台で塗装をしてそのまま翌日まで換気扇代わりの扇風機を回し続けることに決めた。
ラッカーのスプレー缶2つ半を使って塗装し、天板にはウレタン塗料を缶から直接流して木綿の手ぬぐい一枚を無駄にして塗り拡げた。

次の朝、銀くんを代車と交換することになっているから飯南高原へ急いだ。
「荷物積んで長距離走るんで後ろの空気圧高めでお願い!」
「良いよ、何処まで行くの?」
「東京ー」
「トォ〜キョォ〜〜お!?・・分かった!積載用にしておくわぁ〜」
「オイルも替えておいてくれる?」
「OK!・・まだ2年目だから車検点検そんな時間かからないはずだから・・出来たら、また連絡するわぁ〜」
「よろしく!」
「長距離なら良い腰のサポーターがあるから、それ貸してあげるわぁ〜、使ってみて」
「悪いねぇ〜、そりやぁ〜助かるわぁ〜〜」
そのクッションは、日野のトラックに乗るときに使っているモノで、ビニール製のベンチシートだと長距離は疲れるからメーカー推薦のモノを買っておいたのだそうだ。
「それで、ソレ、仁多で作ってるんだってぇ〜、世間は狭いよな!」
仁多は島根の東部にある町で、数年前まで小品彫刻展を開催していた横田町の隣町になる。仁多のお米は「仁多米」というブランド米にもなって全国へ出荷されている。思わぬところで思わぬ話になって、島根の地図が小さくなって仁多を近くに感じた。

仁多の隣の横田町は奥出雲そばで有名で、私も横田へ行くと蕎麦屋をハシゴして回る。急に蕎麦が食べたくなって、お昼は寺の近所の蕎麦やへ駆け込んで釜揚げとざるを食べた。
前日の雨は夜のうちに上がって昼過ぎにはそれなりに晴れた。大気中の埃や塵を洗いとって気持ちがいいから、工場を過ぎて日本海へ出た。北風が少々強くて沖の岩礁に白波が立っていた。
たぶん、今年はじめての日本海だったと思う。

IMG_0871.jpeg


[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ノドグロ 

2020/03/14
Sat. 23:30

強力寒気団が島根県上空まで南下して、水道や電気ガスの万善寺ライフラインが大事になったのは2年前のこと。
その極寒の冬に絶えられなくてついにリタイヤした相棒の結界くんの代わりにやってきたのが今の相棒銀くん。
その銀くんの車検がきた・・・2年がアッという間に過ぎた感じだ。
銀くんが来てからの2年間は暖冬が続いて、今回の冬は雪も殆ど降ることがなかった。
このまま温暖化が進んで雪のない冬が続くとは考えにくいが、それでもこれから先、毎年昔のように雪深い冬が続くとも考えにくい気がしてきた。

同級生のカーディーラーから車検の日程調整があって、週末には代車と交換して銀くんはしばらくドック入りする事になっていた。
「あぁ〜、モシモシ吉田くん?代車がまだ戻らんでチョット予定が狂ったんよ。来週引き取りじゃぁいけんだろぉ〜かぁ〜・・」
わざわざ、工場の仕事を早めに切り上げて代車と交換しようと銀山街道を移動していたらカーディーラーのTくんから電話が入った。向こうの都合だからお彼岸までに銀くんが帰ってくればそれでいいことなので「あぁ〜、いいよ」と返事しながら銀くんの使用スケジュールを大急ぎで修正した。
彫刻を造り終わったらテーブルを一つ造ることにしていて、天板になる材料を銀くんのリアデッキに積まないといけない。車検の後にソレをしようと思っていたのだが、日程的に少し窮屈な気もするし、急きょ材料を積み込んで工場まで搬入した。

テーブルはなっちゃんのリクエストで新居への引っ越し祝いになる。
引っ越しはもう随分前に終わっているが、テーブルの納品というか運搬の都合がなかなかうまく調整できなくて今になった。
造り始めたら一週間もあればなんとか完成するのだが、ソレを島根からなっちゃんの暮らす新居まで業者さんにお願いして送り届けるとなるとその費用がばかにならない。それで色々考えて3月末から始まる銀座のグループ展に合わせて彫刻と一緒にテーブルを銀くんで搬入することにした。
サイズは新居の部屋の都合とか椅子の配置などを考慮して天板が約140cm×90cmで高さが60cmチョットくらいにした。そこまでは良かったのだが、いつも使っている彫刻の制作台がその天板より小さいものだから、とにかく造りにくい。裏表をひっくり返したり溶接したりするたびに、ヨレヨレフラフラになりながら自分の人力を使った。

夕方になってホームセンターへ寄ってテーブル関係の必要なモノを揃えて帰宅すると土間の方から何かの煮付けだろうか?食欲をそそるとても良い匂いが漂ってきた。
「おかえりぃ〜〜!半額だったのよぉ〜!」
煮付けの正体はなかなか立派なノドグロだった。食卓の隅には造りかけのワイフの小品彫刻が片付けてあった。
狭い工場で彫刻制作の合間を縫ってテーブル制作が加わって、かなり濃密な一日になった・・・

IMG_0859.jpeg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

休息 

2020/03/06
Fri. 23:42

学校の春休みが近づいて、石見銀山やその周辺では卒業式もそろそろ近づいたり既に終わったりと、毎年恒例の年度末行事が進行している。
万善寺は初午祭が終わって、これから春彼岸が来る。

いつもなら境内やお墓にはまだ雪がたくさん残っているから、掃き掃除などの外仕事にかかわる作務が出来ないままお彼岸を迎えるのだが、今年は過去に例を見ないほどの暖冬になったおかげで、庭掃どころか境内のアチコチで茂っている庭木の剪定まではじめている。
学校へ美術の時間講師で出かけているワイフは、少し前に年間の予定授業のほとんどが終わって、時間に若干の余裕ができたようだが、これから年度末に向かって地域の付き合いで引き受けている幾つかの用事が残っているようで「お雛様展の展示があるから」とか「今日は婦人会のお弁当作りがあるから」とか「明日の夜は自治会協議会の会議が入ったから」とか「民生委員で小学校まで行ってくるね」とか、とにかく連日のようにせわしなくアチコチへ出かけている。
そうやって、いつも忙しくしていることが彼女にとっては生活の張り合いになっているのかも知れない。
そんな中、久しぶりにお供えのお花を持って寺まで来てくれたから、せっかくなのでお昼は近所のお蕎麦屋さんへ二人で出かけた。
世間では新型肺炎の情報が飛び交って商業施設や学校を中心に対応対策で混乱してるようだし、お蕎麦屋さんもそれなりの影響を受けているかも知れないと気にしていたのに、お昼時のお客さんも絶え間なく続いて、全然いつもと変わらなくて安心した。
美味しいお蕎麦を食べたあと、ワイフとはそこで右と左に別れた。
彼女は「せっかく、コッチまで来たから・・」と近所の道の駅を幾つか経由してみるのだそうだ。

お寺の用事を切りの良いところで終わらせて夕方になって吉田家へ帰った。いつもならクロが土間の入り口で鳴きなから出迎えてくれるのに珍しくソレがない。ワイフは道の駅でゲットした食材を使って夕食の支度をはじめていた。部屋を見渡してもネコチャンズの姿が無いからきっとアイツラはロフトで寝てるのだろう。
ワイフの夕食が出来上がるまでまだ間があるようだし、このところ寺のことで働き詰めだったから少しほど2階のボクの部屋で休息することにした。
炬燵テーブルには少し前に届いたグループ展のDMがまだ発送されないままになっている。新型肺炎のこともあるし、ハガキをそのまま発送するより、何か一言書き添えて封書にしてみようと考えている。吉田は、ひとまず銀座で受付当番を予定しているが、来客も殆ど無いだろうから、この度は作家の研究発表的色彩が濃厚な展覧会になりそうだ。彫刻のメモはたくさん溜まっているし、私もそのことを少し意識して制作に取り掛かったところだ。

案の定、クロはボクのベッドのド真ん中で爆睡していた。炬燵に足を入れたときシロの背中を蹴ってしまったのに動く気配もない。シロもまた炬燵のド真ん中で爆睡中でした。

IMG_0843.jpeg
IMG_0842.jpeg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

贅沢な食卓 

2020/03/02
Mon. 23:59

法事では珍しいお頭付きの鯛が入った斎弁当を持って、ウキウキと吉田家へ帰った。
この頃は随分と陽が長くなって西陽に照らされた雲がオレンジに染まってきれいだ。

駐車場へ着いて荷物を降ろしたりしていたら、仕事帰りだろうか?自転車から降りたばかりの登美さんと出会った。
「正チャン最近痛風どぉ〜お?」
石見銀山町並みのド真ん中で大きな声に「なんで今さら??」と少々気恥ずかしくもあったが、石見銀山の場合、私の持病に限らず町内の殆どの住人に関する持病事情はすでにみんな周知のことで個人情報がどうとか守秘義務がどうとか、そういう堅苦しい近所付き合いとは無縁である。
「薬も欠かさず飲んでるし、特にこれと云って良くもなく悪くもなく・・普通ですよ」
「あのネ、牡蠣あるの・・・正チャン牡蠣好きなの知ってるけど、痛風に良くないらしいし、どうかなと思って・・採れたてで新鮮だからまだ生食で大丈夫なんだけど・・・どぉ〜お?いるぅ??」
今年・・・というより、随分前から口にしていない牡蠣が貰えそうとわかって、法事の疲れが一気に吹き飛んだ。
「えぇ〜、いいんですか?」
「封を切って少しほど味見させてもらったんだけど、やっぱり美味しいわよねぇ〜、それに身も大きいし、食べごたえがあるわよ。私一人で全部はとても無理だから、残りものだけどいらないかと思って・・・でも、痛風大丈夫?ほんとに??」
「全然平気です!後で痛くなっても美味しさ優先ということで、初物ですよ!」
「じゃぁ、後で持っていくわね」
「ありがとうございます!」
それからしばらくしてビニール袋いっぱいの大きくて立派なむき身の牡蠣を持ってきてくれた。

吉田家はワイフがまだ帰宅していなくて、日が落ちて少し暗くなり始めたリビングは寒々としていた。ひとまず頂いた牡蠣を冷蔵庫にしまって、斎弁当を食卓のワイフの定位置へ置いて、ストーブに火をつけ始めたところでワイフが帰ってきた。
しばらくの間、土間で何やらゴソゴソしていたワイフが「しょぉ〜ちゃぁ〜ん、ただいまぁ〜・・・カニ買ってきたわよぉ〜」と、大きなビニール袋に氷と一緒に入れてある紅ズワイガニを重そうに抱えて入ってきた。
私の法事の裏番組で、彼女は朝から山陰の作家仲間の個展会場を2箇所ほどハシゴして、その途中で境港の卸売市場へ寄ったらしい。

その夜の吉田家は、1年に一度あるかどうかの盆と正月が一緒に来たような・・いや、むしろソレ以上の超豪華で贅沢な料理の数々が食卓に溢れた。
「あとになって、痛風が出るな・・・きっと・・・」
ふと、不安と確信めいた予測が脳みそをよぎったが、ボクの心は美食を目の前にて完全にポキリと砕け折れて理性が遠くへ消えていった。

IMG_0830.jpeg
IMG_0828.jpeg
IMG_0829.jpeg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ラムと古古古古米 

2020/02/20
Thu. 14:30

日曜日の夜から降り始めた雪が月曜日は終日降り続き、火曜日の朝には膝下まである鉄板入りの安全長靴の履き口から雪が入り込むくらいに一晩でドカッと積もった。
その日は六・七日檀弘忌があるので、いつもなら施主家に10時着くらいで準備をして出かけるのだが、これだけ雪が積もると参道の道開けをして銀くんを国道まで移動させるだけでお昼を過ぎてしまう。まずは、施主家に電話して現状を伝え、七日参りはお昼を過ぎてからということで了解を得た。

今度のドカ雪は水分をたっぷりと含んだ重たい雪だった。
こういうタイプの雪は除雪に苦労する。スコップもプラスチックの華奢なものだと雪の重さに絶えられなくてすぐに破れ壊れてしまう。それで土蔵にしまってあったアルミ製の雪かきスコップを取り出して雪を払いながら一本道を長靴で踏み固めつつ参道をお地蔵様の前まで降りた。夜の雪は一気に降り積もるから、あらかじめ前日の夕方にお地蔵様横の林道脇まで銀くんを降ろしておいたのだが、その銀くんも雪にすっぽりと包まれてすぐに動かすことができない。林道にはすでに車の轍ができていたから、その轍へ銀くんをはめ込めば国道まで進めるはずだ。
保賀の谷へ除雪車が上がってくるのはだいたい午後の3時位になる。それまで待てば楽に銀くんを動かせるのだが、夕方まで七日参りを遅らせるのもどうかと思うし、とにかく少しでも早くに銀くんを脱出させることにした。
前日から降り続いていた雪は七日参りが終わる頃になって止んだ。
しだいに雲が薄くなって雪の積もった琴引山から大万木山の峰が雲の切れた青空をバックにくっきりと白く浮かび上がって目があけていられないほど眩しい。例年だと3月のお彼岸前後に降る雪の後がこういう感じになる。今はまだ2月で1ヶ月ほど早いから、夜の放射冷却でかなり冷え込むはずだ。
寺へ帰ってから庫裏の南側にある縁側の温度計を取り外してお風呂場へ移動しておいた。
屋外はすでに夕方から氷点下まで気温が下がっていたし、深夜になって屋内の温度が氷点下5℃を下回るようなら水道管が凍結する。

その夜、飯南高原は午前2時に−7℃まで下がり、夜明け前の午前4時には−8℃になった。万善寺のお風呂場は夕方から電気ストーブを持ち込むなどして気をつけていたから、深夜の時間帯でー3℃まで下がったがソレ以下にはならないで済んだ。
水曜日の朝をほぼ徹夜に近い状態で迎えた。
本堂の朝の用事を済ませていると、東からの日差しに自分の動いて巻上げたチリがキラキラと反射していた。
庫裏の方で雪吊りのものすごい音がして本堂が少し揺れた。朝日に緩んだ屋根の雪が一気にずり落ちたようだ。それから一日中絶え間なく小規模の雪吊りがアチコチで続き、お昼を過ぎた頃からそれに雪解け水の雨だれの音がにぎやかに加わった。
この様子だともう一晩ほど放射冷却が続きそうなので寺に泊まることにした。
年が変わって冷蔵庫で眠っている古古古米が乾燥しきった古古古古米になった。捨てるわけにもいかないから最近は一人用の土鍋を灯油ストーブに乗せて出汁味のおじやを作っている。夜はソレにラムを5切れほど解凍して野菜と炒めた。

IMG_0807.jpeg
IMG_0809.jpeg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

令和の日常 

2020/02/14
Fri. 12:25

怜子さん洒水忌前日はなっちゃんの誕生日だった。早いもので彼女ももう○○(ご想像ください・・)歳になる。
今は、長男を産んで産休中だが、新年度になったら仕事に復帰するはずだ。

そのなっちゃんは昭和最後の年に生まれて、長男のユーシン君は平成最後の年に生まれた。これもなにかのめぐり合わせかも知れない。ちなみに、怜子さんとボクは月は違うが同じ27日生まれだったから誕生日を忘れることがなかった。ワイフとキーポンは29日生まれで憲正さんも同じ日だった。じゅん君となっちゃんとノッチは12・13・14と日にちが続いているから時々混乱する。吉田家の家族LINEでも誰かが誰かの誕生日を忘れていたり、1日早かったり遅かったり、何かとややこしい。
ボクの母親の俊江さんは大正15年1月1日生まれだったが、本人は昭和元年1月1日生まれだと言い張っていたし、実際には前年の12月中にはもう誕生していたという話だ。大正の頃は、出生の諸手続きも種々の都合の自己申告をそのまま飲み込んで済まされることが多かったのかも知れない。

大正から昭和平成令和と元号が目まぐるしく代わって、その間に世界や世間の事情も大きく変化した。この近年は、自分の周囲でも周辺寺院の随喜も含めて寺の年中行事はほとんど増減もないまま過ぎているのに万善寺暮らしが随分と増えた。10年前には想像もできなかったことだ。それだけ万善寺に葬儀や法事の仏事が増えているということだ。その仏事の合間にも、今年の冬は雪もなくて良い天気が続くから外仕事の作務が絶えないし、時々雨が降ると前住職夫婦から引き継いだものの整理が延々と続いて終りが見えない。
とにかく、まだかろうじて身体が動く今のうちから自分の後に面倒を残さないようにアレコレドタバタしていると、1日がいつの間にか終わっている。

週が変わって七日努めの五七日小練忌が過ぎた頃から、どうも身体がだるくて重くて食欲もないし、何より酒を飲む気になれなくて体調が優れないものだからいつもお世話になっているドクターの診察を受けたらいつも以上に血圧が高かった。そのせいだけでも無いだろうと、問診を受けながら最近のことを話していると「それは、多分疲労がたまっているんじゃないですか?・・・なにか心当たりでも無いですか??昔の若い頃と同じようにはいきませんよ。それなりの年齢でもあるし」・・というわけで、結局疲労の蓄積は年齢のせいで済まされた。要するに、あまり無理をしすぎないでボチボチ休みながら緩やかに過ごせ・・ということ。
だからというわけでもないが、以前から買い置きして溜まっていた文庫本もこのところ落ち着いて読むこともないままになっていたから、少し意識してゴロリと横になって「久しぶりの時代小説でも・・」と、佐伯泰英さんを読み始めたのだが、これが失敗だった。
読み始めたら終わらなくなって、結局連日夜ふかしが続いて血圧が上がりっぱなしのまま今に至っている。
全50巻を超える平成のベストセラーは主人公磐音の波乱の日常が延々と綴られる。
江戸時代が200年続いたということは、善悪悲喜その時々色々だったろうが、概ねそれらを飲み込んだ分相応に平和な暮らしが続いていたからのような気もする・・

IMG_0779.jpeg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

冬の朝日 

2020/02/13
Thu. 15:06

1週間がすぐに過ぎてしまう。
怜子さんの三・七日洒水忌が来た。
朝から雲が低くて小雨が絶え間なく降っている。例年ならこの雨が雪になっているはずだ。2月もすでに半分が過ぎて川岸では温い水につられて菜の花が咲いているし銀山街道のアチコチで紅白の梅も咲き始めた。
島根中央部の暖冬は尋常でない。このままだと、農繁期の水量を確保できなくて稲の生育環境を維持することが確実に難しくなるだろう。

先週末はシーズンで一番の寒気団が北から島根県上空まで降りてくるような事を言っていた。仕事というほどでもない用事が江津であるので、雪の心配もあって直接寺から出かけるのも少し億劫だから、夕方のうちに石見銀山の吉田家へ帰っておくことにした。
その日も保賀の谷は上空に雲が広がっていて、むしろその雲のおかげで地表が適度に保温されて冬なりに温かだった。

およその作務に一区切りつけて帰り支度を済ませてから吉田家のストーブ用に本堂の床下を漁って薪になりそうな製材の板を引き出した。
万善寺は観音堂形式で高床の男寺だから、飯南高原に点在する各宗派寺院の中で一番座が高い。それでそれが特に自慢であるわけでもなくて、要するに江戸中期に再建された古い形式がそのまま今に残ってしまっただけのオンボロ寺であるというだけのことだ。
それでも、あの時代は建材だけは比較的柔軟に確保できていたらしく、構造物の主要な部材には欅がたくさん使われてある。縦柱にはホゾの補修や羽目木が目立つから、ほとんどの建材は以前の寺院を解体して移築の時に再利用したものだろう。まぁ、そんな感じのガタピシとねじれ狂った本堂の座の下には、まだ槍鉋で面をさらった古い杉板などが積年のホコリを被ってしまい込まれている。子供のときには、本堂の床下が丁度いいかくれんぼの遊び場でもあったから、そういう古い杉板の影に隠れたりして鬼の追跡を上手にかわしていたものだ。
ここだけの話だが、現住職は、ある意味歴史の資料になるかもしれない古材を引き出して吉田家ストーブの焚付にしようとしているわけだから、その筋の研究者でもいたら大騒ぎになってしまうような行為を平気でしているわけだ。

かれこれ半月ほど前、1月31日から月替りの2月1日は徳島県の阿南町にいた。
石見銀山で個展をしてくれた武田さんの彫刻を彼女の倉庫まで搬送して荷降ろしをした。
近所でワンボックスと若いスタッフを調達して経費をギリギリまで削減した貧乏旅行になったが、坊主家業が日常のボクは高齢者との付き合いばかりで毎日を過ごしていたから、20代の若いスタッフと二人旅はたくさんの発見もあって久しぶりに新鮮だった。
彫刻をしていても仲間がみんな一緒になって一年ずつ歳を重ねているから、気がつけばみんなでジジババになっていて会話にトキメキもない。彫刻は積年の経験の積み重ねもあって、それなりに深みも味も渋みもでて安心できて、それはそれで良いことかも知れないが、一方で造形の限界も見えたりして気が滅入る。
北ヘ向かって帰路につく早朝、東から昇る冬の朝日が眩しかった。

IMG_0740.jpeg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

保賀のとんど祭 

2020/01/13
Mon. 23:08

とんど祭の朝は雪になった。
昨晩は久しぶりに冷え込みがキツかった。
生温い冬に慣れていた身体が深夜の冷え込みに耐えられなくなって目が覚めたら、それから眠れなくなった。

すでに前日には万善寺の各所からしめ縄を降ろして一年分溜まった御札や祈祷や回向の塔婆などを集めてある。お焚き上げには歳徳大善神さま以下、八将神さまや地鎮や家内諸々の神仏さまを一つにまとめて墨書きしたものを一緒に添えて天と地にお返しする。その半紙もすでに焼香用の角香炉と一緒に用意してテーブルへ置いてある。
眠れないままもう一度それらを確認して、それから火鉢の炭をつついて豆炭を補充して布団へ潜り込んだ。

とんど祭当日が新年になって初めての雪かもしれない。
襦袢にホッカイロを貼り付けて白衣や大衣を着て保賀の集会所脇に設置したとんど祭の祭事場へ出かけると、すでに自治会のみなさんがほとんど全員集合して万善寺の到着を待っていた。祈祷のお経を終わって回向を済ませてから一人ひとりの皆さんへ大般若の風を当て身体安全怨敵退散を祈ってとんど祭仏事が終わった。
保賀の谷では、仏式のとんど祭が前住職から引き継いで毎年恒例の行事になっている。

「○○さん、チョットお聞きしますが、お宅の方で黒い猫を見かけることはありませんか?」
「あぁ、そう言われると何度か見たことありますなぁ~」
「△△さん、お宅の近所に猫がウロウロしていませんか?」
「あぁ~、黒いのが歩いてるのを見ましたねぇ~」
「そういえば去年の冬になってからうちの座の下で鳴いてましたねぇ~、ありゃァ~サカリのついた声だったなぁ~」
半年ほど前から、寺の境内地で黒猫を見かけるようになったから、とんど祭が終わってから始まった保賀の新年会の席で近所のご主人へ猫の目撃情報を聞いてみた。幾つか集まった情報を総合すると、その黒猫はかなり広範囲を移動していることがわかった。
保賀の地内には、万善寺を始めとして山王神社の祠とか空き家が適度な距離をおいて点在している。どうやら、その黒猫には都合の良い徘徊の基地が出来ているらしい。
「何処かの飼い猫じゃないの?」とワイフは云うが、この数ヶ月のうちに何度も目撃していて、その時時に「ネコチャン!」とか「おはよ!」とか声をかけて目も合っているのに「一度も鳴き声を聞いたことがないから、アレはやっぱり野良猫だよ。飼い猫の経験はないナ!」と、自分は思う。
まだ秋が始まったばかりで残暑が残っていた頃、玄関や縁側を開け放していたら、黒猫が座敷へ上がってきたことがある。そのまま悪い癖がつくと始末が悪いから、それでとにかくその猫を見るとこちらから声をかけるようにしている。
新年会の帰り、庫裏玄関脇を黒猫がサッと横切った。
「アイツは、人間に懐くことは無いな!」と思う。適度な距離をおいて、自分から決して目をそらさない仕草が筋金入りの野良猫だ。私としては悪さをしなければソレでいい。

IMG_0693.jpeg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

冷たい雨 

2020/01/08
Wed. 23:12

年末にじゅん君が風邪をつれて吉田家へ帰省した。
それから大晦日で除夜の鐘を撞きに万善寺へ来て正月3日の早朝まだ暗いうちに吉田家へ帰って週明けの仕事始めまで過ごした。

彼が一人暮らしを始めてからそろそろ15年くらいにはなる。
その間に、元々じゅん君の部屋を妹たちが代わる代わる模様替えしながら使いまわして、その後少しの間ワイフの部屋にもなっていたが、やがて家中のいらないものを詰め込んで物置になった。
長女のなっちゃんが子供を連れて帰省することが決まってから、彼女と子供の寝起きする部屋が必要になったので、しばらくぶりに日常使用ができるように物置を片付けてみるとロフトに1つとワイフの彫刻制作部屋の隣に1つの2つほど昔のようにひとの暮らしが出来るほどの部屋に戻すことができた。
少しずつ寺暮らしのほうが増えてくると、長い間使い続けていた吉田家四畳半のボクの事務所部屋が機能しなくなって、いつの間にかワイフとシロちゃんの寝室に変わった。それで居場所を失ったボクは、夏は涼しいところ冬は少しでも暖かいところを探しながら吉田家の各所を点々と移動しながらジプシー暮らしをしていたのだが、物置を片付けてからやっとオヤジの寝室兼用事務所部屋が吉田家ロフトへ復活した。

その復活したロフト部屋は元々じゅん君の部屋で、彼が高校を卒業するまでの青春期のさまざまな反抗の痕跡がそのまま残っている。年末年始を彼は数年ぶりに大量の風邪の菌をばらまきながらその部屋で過ごした。
それが原因かどうか分からないが、だいたい風邪をひくことがないボクが10年ぶり位に大風邪をひいてしまった。久しぶりの風邪はそれはそれはヒドイもので、ノドは痛いしハナは詰まるし、熱が出なかったのがせめてもの救いだった。
ちょうど、風邪で一番つらかった時に葬儀が重なってしまった。
とにかく、なんとしてでもキャンセルできないことだから、フラフラしながら納骨までつとめて一段落して「コレで少しは休めるぞ・・」と一瞬思ったのだが、まだ昨年末からの七日務めが引き続いていることを思い出した。

寺の用事の合間を縫って風邪薬をもらいに病院へ走った。「それじゃぁ、総合感冒薬を出しておきますから・・コレ、眠くなりますから車の運転は控えてくださいよ」と、念押しされて1週間分の薬をもらったのだが、吉田家からの通勤坊主や寺の用事で銀くんを運転しないわけにいかないから、結局まともに薬をのむこともできないまま1日を過ごし続けて今に至った。
まともに夜も眠れないまま、この数日過ごした。年始のカレンダーも発送作業が頓挫したまま三連休に入って、最終日は保賀のとんど祭で朝からお経を読んで、午後からは年始会が始まる。
今年は雪もなくて春めいた暖かい過ごしやすい日が続いていたのに、とんど祭を前にしてもう冷たい雨が降りはじめた。風邪薬で少しほど持ち直した体力がこのまま年始会が終わるまで保ってくれるかどうか少々心配だ。次の日はまた7日務めが巡ってくる・・・

IMG_7187_20200112111100c5f.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

おばあさんの正月 

2020/01/04
Sat. 23:02

飯南高原は正月4日の夕方になって令和2年の初雨が降った。
前日に引き続いて年始参りに欠席されたお檀家さんを巡ってお年始のカレンダーと年回のお知らせを配っていたら、そろそろ日が暮れる頃になって銀くんの窓ガラスにポツリポツリと雨が落ちてきた。
この時期に雪ではなくて初雨になることはとても珍しい・・というより、自分の記憶にはなかったと思う。
国道に撒かれた融雪剤は、雨や雪も降らないまま通り過ぎる車の轍に粉砕されてパウダーになって風に舞っている。国道沿いに暮らす人達は外に洗濯物も干せなくて大変だろう。いつものように雪でも降れば今度はシャーベット状に溶けて跳ね散った雪をかぶることになるし、いずれにしても過酷な冬の暮らしぶりにそれほど大差はないようだ。
すっかり暗くなって寺へ帰った頃には雨が本格的になって風も少し出てきた。

東京暮らしの吉田家三姉妹が、ワイフの実家でいつもは一人暮らしのおばあちゃん家へ集まってくれた。
あとになって家族LINEで送ってくれた写真は曾孫も一人増えてずいぶんとにぎやかで楽しそうな様子だ。私の親族でおばあちゃんだけが曾孫をダッコできた。
夕方のお経を終わって、庫裏や本堂の仏様へお供えをしていたお餅を下げたあと、固くなっていたお餅をゆで直して夕食にお下がりを頂いた。ワイフがつくってくれたお正月料理がまだたくさん冷蔵庫で眠っている。贅沢なことだが、オヤジの一人暮らしではなかなかすぐに消費できなくてそろそろ胃がもたれてきた。
自分は一人暮らしを特に寂しいとも思わないで気楽に過ごしているが、東京のおばあちゃんはどうなのだろう。高齢になって一人でいると家事のなにごとも面倒になって次第に生活が荒んでしまうことが多いらしい。保賀の谷でもこの近年で独居ぐらしが4軒に増えた。年末年始やお盆などのその家にとって特別な日の一人暮らしはどうなのだろう?・・・前住職の憲正さんが死んでから2年ほど万善寺で母親が一人暮らしを続けていた。今にして思えば、現在の自分の暮らしのようにあの頃から通勤坊主をはじめて、もう少し頻繁に寺との距離を縮めておけばよかった。

ブログを始めたのは確か2010年の1月だったはずだ。
早いもので気がつけばあれから10年が過ぎた。
10年前のあの頃は万善寺のネタが登場することなど1年で数えるほどしかなかった。
今はどうだろう・・・この4日間ほとんどすべてが寺絡みのこと。変われば変わるモノだ・・・昨年は、かなりの数の書くことと写真を捨てた。そもそもが毎日の備忘録になればいいと思って続けているようなところもあるから、日常のどうでもいい些細なことも含めて書き留めておいたほうが良いこともたくさんあったはずなのに、それを残すことができなかった。このブログもなにかコレといった目標があるわけでもないが、それでも、たとえば彫刻を造っているときとか銀くんで移動しているときとか寺の作務のときとか、もちろんワイフや家族やネコチャンズやグッピーたちや保賀のカラスやスズメや狸や境内の石垣で暮らすマムシとか、周囲を見渡せば気になることが尽きない。
表現の工夫は書くことも描くことも、そして彫刻を造ることも同じだと思う。

IMG_0690.jpeg
IMG_0689.jpeg
2020年賀状写真 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

交流会の朝 

2019/12/22
Sun. 20:27

小品彫刻展交流会の朝は空に月が残っていた。早いものでそれから1週間が過ぎた。
年末の慌ただしい時期に日程の都合を決めてしまったから、参加も少ないだろうと勝手に5人も集まればいいだろう位に予測していたら、結果、その2倍以上の参加になった。
4~5人程度だったらいつもの「まっちゃん食堂」でなんとかすればいいと事前にワイフへ相談やらお願いやらしていたのだが、彼女も昼となく夜となく用事が詰まっていてなかなか良い返事がもらえないまま日が過ぎた。
そうこうしている間に、ある日の早朝、万善寺のお檀家さんから着信が入った。
ちょうど運悪く直ぐに電話へ出られない事情が重なっていたので、少し落ち着いてから返信をすると「今朝早くにお母さんが亡くなりまして・・」と、またも訃報が入った。
お母さんといっても、すでに90歳にはなるだろうご高齢のおばあさんで「春くらいから急に弱ってきて・・」とか「起き上がることもやっとのようで・・」とか周辺からチラホラと漏れ聞こえる話は、あまり良いことでないものが増えていた。とにかく、まずは枕経を急ぐことになって交流会のことを後回しにするしか無いことになってしまった。
飯南高原の行政区では、この1年で死亡による人口の自然減がすでに200を超えたらしい。一方、出生の方は20人以下で「今後人口増加に好転することはまず無いだろう・・」と、保賀の山王さんの秋祭りで話題になったばかりだった。
万善寺では、結局この1年でお檀家さんのお葬式が6つになって、檀家軒数の1割を超えた。寺の維持管理も日頃は別段忙しいわけでもないのだが、だからといって余裕があるわけでもなく、実に曖昧でその場しのぎのいい加減ゆるいスケジュールでやりくりしてなんとか1年間の辻褄を合わせているのだが、今年ばかりはそうもいかなくて流石に疲労の回復が間に合わなくて弱った。

交流会は、徳島の松永さん、三木さん、武田さんが沢山の徳島名産持参で参加してくれた。島根県の作家は私も含めて4人。あとは彫刻の展示会場を提供してくれたショップのスタッフ有志。それに、埼玉の本多さんや高橋さんは参加できないからと差し入れして気遣ってくれた。他にもなにかの縁でもあったのかグッド・タイミングで其処此処からの差し入れも重なって贅沢な交流会になった。
今年の小品彫刻展は、久しぶりに抽象彫刻が増えた。
この近年というか、かれこれ20年位は前からのことになるのだろうか、時代の流行もあるのだろう、少しずつ彫刻表現が具象に偏ってきて抽象彫刻が減り続けている。若い作家の嗜好にそういう流れができあがっているのかもしれない。
抽象彫刻というと、ある日突然にフッとひらめいて湧いて出てくるようなものでもないし、それなりにデッサン力の裏付けも大事だし、造形の理屈も心得る必要がある。それに何より制作上の客観的なコンセプトがしっかりとしていないと、彫刻としての構造物へ昇華還元するまでにならない。
たまたまだったのだろうが、この度の交流会は作家歴は違うものの、みんなそれぞれが自分の抽象を追いかけ続けている彫刻家が集まった。飲み食いで忙しかったから抽象の突っ込んだ話をするまでには至らなかったが、それでもお互いに次の制作へ向けてそれなりに刺激を受け合うことはできた気がする。みんな春には次の展覧会が決まっている。小品彫刻展が少しでも次のステップアップに繋がってくれるといいのだが・・・

IMG_0624.jpeg
IMG_0616.jpeg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

眠れない夜 

2019/12/09
Mon. 23:40

右手の痺れは、これ以上ひどくならないように気をつけながら死ぬまで上手に付き合うしかないことになった。特にネガティブに思うこともないが、痺れが我慢できなくて深夜に目が覚めてしまうとそれから後が目が冴えて眠れなくなって、ソレが少々つらい。
小品彫刻展がスタートした頃は痺れもいつもどおりでそれほど気にならなかったのに、受付で長い間ジッと椅子に座っているといつの間にか身体の節々が凝り固まって動きがぎこちなくなっていたりする。そういうことが何回か続いているうちにこうして眠れなくなる夜が増えてきたところだ。
「素人診断はダメよ!きついんだったらちゃんと病院へ行きなさい!!」
食事の何気ない会話でポロリと愚痴らしきことをこぼしてしまうと、だいたい何時もそうやってワイフに厳しく叱られる。
自分としては「今日は何時もよりチョットだけ辛いな・・」くらいの軽い世間話のつもりなのだが、途端に食卓の空気が重く沈んでせっかくのメシが急に味気なくなってしまう。
こうして、自分はこれから先少しずつ歳をとって身体が不自由になっていくのだろう・・

眠れない夜は趣味の音楽にドップリと浸かってそれなりに充実した時間を過ごしている。
昔はFMのエアチェック専門で、ジェットストリームが終わってからのアスペクト・イン・ジャズを楽しみにしていて、油井正一さんのプロフェショナルな解説が良かった。録音しておいたカセットテープを聴き直してLPを探したりするのも楽しみの一つだった。
オスカー・ピーターソンの「ナイト・トレイン」を探しだした時は、ジャケットの写真がメチャクチャカッコよく感じた。ニュー・アルバムではなかったが中古品でもなくて、当時の貧乏学生にはなかなか手を出せないまま何度も購入を断念したものの、やはりどうしても欲しくてその月の25日に手渡しでもらったアルバイト代をリーバイスのお尻ポケットに入れて新宿三越の裏にあるレコード店へ直行したことを覚えている。肝心の楽曲の方は、オスカー・ピーターソンらしいラウンジジャズのような癖のないテクニカルな演奏で、それこそ眠れない夜のお供に最適だった。

LPレコードの時代は、カッコいいジャケットのデザインを探し出すのも楽しみの一つだったし、何より美術の基礎を勉強していた自分には趣味と実益が一つになってとても都合の良いデータベースにもなっていた。特に本気になって分析をしていたわけでもないが、中でもジャズは中身の楽曲がボンヤリとイメージできて好きなものが多かった気がする。
ニューシネマが全盛の頃はまだ高校生だったが、いちご白書の主題歌にもなったジョニー・ミッチェルのサークルゲームを松江のレコード店で探した時は、アルバムジャケットのイラストがやたらとオシャレでカッコよくて、レコードプレーヤーも持っていないのに思わずそのレコードを衝動買してしまったこともあった。ナント!、そのイラストはジョニー・ミッチェル自身が描いたものだった。彼女の透明感のある歌声がそのままイラストになった感じで「ボクにはとてもあぁ云う絵が描けるセンスはないな!」と、それでデザイン科を受験することをやめた。
今は、トルド・グスタフセンのアルバムデザインが好きだ。ノルウエーだったかスウェーデンだったか、彼は何処か北欧のジャズマンだったと思う。勿論中身の楽曲もボク好みで良い!最近、夜に眠れない時はよく聴くようになった。

81HFIWKZ.jpeg
IMG_0602.jpeg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

銀くんの屋根 

2019/12/07
Sat. 23:12

イチョウがすべて落葉してから、少し前まで万善寺駐車場が黄色の絨毯を敷き詰めたようにキレイだったのが、最近の冷え込みで連日霜が降りるようになると葉の水分が無残に凍って一気に干からびた赤茶色へ薄汚く変色した。
12月に入って雪も降り始めたし、このまま冬になっていくのだろうと思っていたら、予想に反して快晴が続いて、雲ひとつ無い秋の空が戻ってきたようだ。

元号が令和に変わって初めての冬は、頚椎の手術をした私にとっても術後初めての冬になる。
10日ほど前から右手の指先にかけての痺れが急にキツくなって、今まで効いていた薬の効果が薄れてきた。
処方の薬もあと僅かになったし、年内に内科と外科を回っておくことにした。
内科はそれほど気にならないが外科の方は待ち時間が長くなることがわかっているからそのつもりで暇つぶしを確保しておいた。それでも年末のせいもあってか、いっこうに呼び出しもかからなくて流石に暇をつぶすネタも尽きた。
iPad miniをなんとなく回覧していたらAmazonでルーフキャリアを見つけた。
今の銀くんへ変えた時、2m位の長いものを積むためにほしいと思ってカーショップを回ったこともあったが、その時はダイハツのモデル変更直後で規格に合う凡庸性のキャリアがまだ市販されていなかった。
それから日常の慌ただしさに紛れて失念したまま過ぎていたのをAmazonのせいで今頃になって思い出してしまった。そろそろ1回目の車検も迫っているし、ひょっとしたら今の銀くんに合う規格のものが出来ているかも知れないと気になって規格表示サイズを元に探してみたら、ROCKYのSGRシリーズでどうもSGR10がボクの銀くんの屋根に載せられそうだとわかった。Amazonだから買い物かごをポチッとやれば一瞬で購入手続きが完了するのだが、そんなに安い買い物でもないし、とりあえず自宅へ帰って再度細かくチェックしながら一晩くらいは落ち着いて考えてみることにした。
次の朝になって、結局ポチッとやってしまったルーフキャリアが、その後1週間位は過ぎただろう頃に帰宅してみると届いていた。
ちょうど天気も良いし、万善寺でゆっくりと組み立てることにして箱のまま銀くんへ積み込んだ。
いつものように寺の朝のアレコレを片付けて、コーヒーをいつもよりたっぷりと用意した。
バックミュージックはシェリル・クロウのアルバムにしてキャリアを箱から取り出した。アルバム1枚が1時間チョットなのでソレを目安に説明書を見ながら組み立てた。
少し華奢な感じで重量物だとグラツキそうな気がしないでもないが、しばらく様子を見て気になるところは補強を考えてみても良い。
ひとまず、念願だったキャリアを取り付けられたのだが、年末のどちらかといえば寺のこともいつもより忙しかったりするのに、大事な時間を自分の私的なことで使ってしまった。
チョット後ろめたい気もして、チキン坊主の心がチクリと傷んだ。
夕方のお経は、線香も長いものをお供えしていつもより念入りに丁寧に時間をかけた。

IMG_0600.jpeg
IMG_0601.jpeg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

今日の仏膳 

2019/12/05
Thu. 23:35

飯南高原は雪になった。
広島県との県境には海抜1000mを越える琴引山と大万木山がある。
その山頂が見えなくなるほどの雪が断続的に降り続いたが、国道や万善寺のあたりはうっすらと白くなった程度ですぐに消えて積雪までにはならなかった。それでも、万善寺の境内には屋根からの雪吊りで雪山が出来た。
今年は秋が暖かかったから、紅葉の見頃が無いまま冬になった。
いつもだと今頃にはだいたいほとんどの広葉樹は葉が枯れ落ちて枝木だけになっているのだが、未だに枯れ葉がしぶとく枝にくっついていて山の地姿が全く見えてこない。このままドカ雪が降ったりすると、落ち葉にならないまま枯れ残った葉に雪が張り付いて、その重さに耐えられない枝木が折れて電線を切るなどの冬の災害が増える。
数年前もちょうど今のような感じで12月が始まって年越しが迫った頃にドカ雪が来た。アチコチの電線が倒木の被害にあってしばらく停電が続いたせいで、今流行りの電化住宅は大変なことだったと聞いた。
万善寺はまだ母親が元気で生きていて、朝夕は目の色を変えて狂ったように参道の雪をかき分けていた事を思い出す。どこかしらあの年と似たような冬になりそうな気もして、チキン坊主は少々ビビっている。

「今朝は久しぶりに冷え込みまして足元も悪いのにご足労いただいてすみませんねぇ〜」
七日務めで朝のうちにお参りしたら、亡くなったおばあさんの娘さん(といっても、私とドッコイのおばさんだけど・・)が申し訳無さそうな顔で出迎えてくれた。
「いえいえ、雪も降らないと冬になりませんからねぇ〜これからもっと冷え込むでしょうし・・」などと、世間話をしながらろうそくや線香の準備をして、湯茶と仏膳を香へ潜らせた。早いもので、もう七日務めも四七日になる。
宗門では仏事があると仏前へ5つ組のお膳を用意してお供えする。
そのお宅はいつも丁寧に仏膳を作ってお供えされてあって、とても美味しそうだ。
お経を読んでいても、修行の未熟なナンチャッテ坊主はお膳に釣られて口に唾が溜まって途中で何度もゴクリと唾を飲み込んでお経の流れがだらしなく途切れる。
説教にもならない小話が終わると「いつもいつも美味しそうなお膳で・・おばあさんも喜んでいらっしゃいますよ、きっと!」とお世辞でもない正直な気持ちを伝えると「できるだけおばあさんが好きだったものを作ってあげようと思いましてねぇ〜」と嬉しそうだ。
「あのぉ〜・・・チョット聞くんですけど・・・麻婆豆腐好きだったんですけど挽き肉入ってるし・・・やっぱりおそなえの膳にはダメなんでしょぉ〜ねぇ〜・・・それに、鮭のおにぎりとか、そういうのもよく自分で作ってたんですけど・・・それからつぼ椀に肉じゃがもダメですよねぇ〜・・・」
きっと、亡くなったおばあさんが仏膳のことを事細かに言い伝えされていたのだろう。
「いいじゃぁ〜ないですか!あまり気にされなくてかまいませんよ。万善寺も前住職は何かとうるさいことを言ってましたが、いいですよ好きなものを作ってあげてください!」
今日の仏膳には飯碗へ美味しそうな炊き込みご飯が盛ってあった。
帰り際に「これ、お昼代わりにどうぞ!お膳と同じものですけど、たくさん作ったんで」と弁当にしたものを頂いた・・・帰って開けてみると、炊き込みご飯がノリを巻いて俵むすびになっていた・・・

IMG_0539.jpeg
IMG_0552.jpeg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

定休日 

2019/12/04
Wed. 23:05

この数日で一気に冬らしくなってきた。
隙間だらけの吉田家は朝晩の底冷えが厳しくなってきたせいか、ネコチャンズの活動も鈍って一日中ゴロゴロと寝てばかりいる。
小品彫刻展の会場は毎週水曜日が定休日だし、寺の用事も少し落ち着いたところだし、それに最近右腕から指先の痺れがひどいしするから、たまにはネコチャンズに見習って??一日ゴロゴロと過ごしてみることにした。

半年ほど前から吉田家ホームシアターの要であるプロジェクターが起動するたびにギャァギャァとものすごいノイズを発するようになってズゥ〜ッと気になっていたのだが、なかなかその原因に付き合うほどのまとまった時間が作れないまま今になってしまった。
朝のうちしばらくはネコチャンズとマッタリ戯れながらのんびりしていたのだが、ワイフが仕事にでかけた頃からどうもジッとしていられなくなってソワソワ落ち着かなくなってきた。それで仕方がないから、気になっていたプロジェクターへ付き合うとこに決めた。
その三菱製プロジェクターを使い始めてもう20年近くにはなると思う。
当時はけっこう高い買い物だったが、映画好きのボクとしてはそれなりに納得のいく商品だったから最後まで購入に抵抗していたテレビ好きのワイフを振り切って他の家族を説得して買ったものだ。それから約20年、子どもたちも独立して二人暮らしになってからは、彼女も機嫌の良い時やたまたま時間と気持ちに余裕がある時はボクのホームシアターライフに付き合ってくれるようになった。
彼女のお気に入りは「深夜食堂」と「時効警察」・・・何時だったか、お気に入りの訳を聞いたら、オダギリジョーが好きなのだそうだ。そういえば、どちらのドラマにも彼が出演しているし、もう結婚生活40年近くにもなって初めて彼女の好みがわかった。

取扱説明書が何処かにあるはずだと、吉田家の心当たりの場所をアチコチ探してみたが結局見つけられなかったので、ウエブ検索をしてPDFのページを探り当てた。
プロジェクターは度々動かすこともないし、故障だとすると配線コネクタの接触不良かファンの汚れだろうと素人診断してメンテナンスをしてみたのだが、変な異常音は治らないし、今度は画像までブツブツ途切れるようになって収拾がつかなくなってしまった。
どうしたものかと、だんだん焦ってくるし、そうこうするうちにゴロゴロと寝ていたネコチャンズが目を覚ましてご飯を催促して大騒ぎを始めるし、完全に集中の糸が切れてしまった。とにかくひとまず落ち着こうと、関係のAV機器を全てリセットしてみることにした。
ネコチャンズにご飯をあげて水を補充して、それからカップに残って冷めきっていたコーヒーを飲んだら少し落ち着いた。
再度、それぞれの機器へ電源を入れなおして起動を待っていたら、少しずつ明るくなったスクリーンへ「ランプを交換してください」と荒いドットの文字が浮かんできた。
「そぉ〜かぁ〜・・・さすがに20年も使っていたら、ランプ交換の時期も来るわなぁ〜・・」ということで、不具合の原因がわかって一安心!

それからしばらくしてワイフが帰ってきた。なんか、休息どころかグッタリ疲れたなぁ〜

IMG_0545.jpeg
IMG_0567.jpeg
IMG_4634.jpeg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

秋の祭日 

2019/11/24
Sun. 11:59

保賀の山王さんの神事が無事に終わった。
毎年、秋の11月23日が祭日に決まっていて、三年に一回当番が上組へ回ってくる。1週間ほど前から寄り合って交換用のしめ縄を作ったりして準備の用事が続いていた。
万善寺は上組に属しているから、本来なら当然集落のお手伝いをすることになるが、今まで「お寺さんが神事に関わるのはいかがなものか??」という、地域の古老のお考えと「寺は神事に手出し口出しをするべきではない!」という、歴代住職の考えが一つになって、少なくても私が子供の頃から記憶にある限り、地域の氏神様のお祭に万善寺が参加したことはなかった。
寺の住職交代があってから後も、先代夫婦が健在なうちは過去からの伝承を引き継いでいたが、もう大祥忌の法要も過ぎたことだし、そろそろ当代住職の考えで地域とお付き合いしても良いだろうと気持ちを切り替えた。
毎年、神事の時期は小品彫刻展と重なるので会場受付を優先するから当日は欠席することになる。それで、今回は都合をみて山王神社境内の草刈りを引き受けた。
お祭りは、保賀の集落から家族の殆どがにぎやかに参集して宮司さんにお祓いをしてもらう。山王神社での神事が終わったら地域の集会所へ移動して宮司さんを囲ってささやかな酒宴が始まるのだが、私がその酒宴へ合流できたのは今年の当番だった上組の連中だけが残って、あとはみんな解散したあとだった。

もう、100年以上前から山王神社の神事と縁が切れたままになっていた万善寺の立場を自分の代で切り替えたことになる。
堅苦しく思うと現代仏教の宗教家として常識を若干逸脱したことになるかも知れないが、元々の日本仏教は神仏習合に起源するから、自分としては民衆信仰の本来の様式に立ち還っただけの事だと思っている。

そろそろ日が暮れる頃になるまで上組の連中と他愛ない話題を肴に酒宴が続いた。
それほど深酒にもならないで程よく気持ちよくなったところで適当に切り上げた。
途中、お地蔵さんの前でご真言をお唱えして、参道を登っていると尻尾の長い黒猫と出くわした。一瞬お互いの視線が合って、それから猫は勝手知った様子でなんのためらいもなく本堂の階段脇から座の下へ入っていった。その黒猫とはこれで3回ほど接近遭遇している。今のところ寺の本堂や庫裏が黒猫の巡回コースの一部になっているようだ。そのせいだろうか?最近ネズミがいなくなったし庭先で野鳥の姿も見られなくなった。
もう、随分前のことになるが、一時期、本堂の座の下で狸の母子が暮らしていたことがあった。その頃は、毎日決まったように寺の周囲の決まった場所へ3cmほどの小さなウンコが転がっていた。ソレが母狸の縄張りだったのだろう。その狸は子育てが終わると何処かへ去っていって、帰ってくることはなかった。
さて、黒猫の巡回はいつまで続くのだろう・・・

夕暮れの日差しに照らされた満天星が真っ赤に色づいて燃えているようだ。
昔はマメに剪定をしていたが、何年もほったらかしているうちに幹も見事に太って野生になっていた。裏山が年々万善寺へ迫っている。

IMG_0519.jpeg
IMG_0494.jpeg
IMG_0498 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ブログ再開 

2019/10/14
Mon. 11:11

飯南高原の朝は気温13℃・・・
つい先日は、10月になったばかりで30℃を越えた日もあったのに一気に秋が深まった。

ブログから遠ざかってもう1ヶ月になる。
その間、ネタの写真が溜まりすぎてラップトップのディスプレイが収集つかないほどに散らかってしまった。
そんなわけで、ちょっと本気になって写真の整理も兼ねてブログ再開を決めた。

実は、皆さんご存知のように、現在身体の右側を中心に首筋から肩を通って指先までの痺れが続いている。
ボク自身の不摂生と不養生でこの10年近くの間にジワジワと頚椎の不具合が進み、やがて神経を圧迫するようになって、彫刻の制作中にある日突然右手の握力がスッと消えて無くなってスプリングクランプを握ることができなくなった。
さすがにそのまま放置してしまうと彫刻が造れなくなってしまうことになるから病院嫌いを断念して近所の整形外科へ駆け込んだのが昨年の年の瀬のこと。
ドクターの問診に症状を説明したら、なぜか首と腰のレントゲンを撮ることになった。
具合がわるいのは右の腕から指先までのことなのに「どぉ〜して首と腰なのかなぁ〜〜?」とよくわからないままレントゲン撮影をしてしばらく待っていると、二回目に診察室へ呼び出された時には、現像を終わった首と腰の骨がバックライトに照らされていた。
「このままだと、そのうち立てなくなりますよ・・・腰はもう少し持ちそうだけど、首はもう限界を越えてますね。手術するしかないでしょう!ここでは無理だから、手術のできる病院へ紹介状を書きますね。それでいいですか?出来るだけ早くそちらへ行って検査してもらってください・・・よく、こんなになるまで我慢できましたね・・」
「そぉ〜ですかぁ〜〜・・・今はチョット忙しくて・・・」
「検査だけでも急いだほうが良いですよ。年内が無理なら年が明けたらすぐに詳しく見てもらったほうが良いですよ。いずれにしても、手術は避けられないでしょう・・・」
「それじゃぁ〜、正月が落ち着いたら行ってみます・・・」
・・・とまぁ、そんなヤリトリがあって、春に入院して平成から令和に元号が変わるのを病院で過ごした。

手術しても痺れはとれないと言われていたから、ソレはそれとして気持ちの中ではゴクリと飲み込んでいるが、なかなか身体のほうが上手く慣れなくて、夜中になると首筋からの痛みが気になって眠れなくなるものだから、何回目かの通院の時にソレを言ったら「じゃぁ〜この薬を出しておきますね。飲み終わって無くなってもまだ痛くて眠れないようなら近所の病院で処方してもらってください」と60日分もらって帰った。
ソレがそろそろ無くなりかけているのだが、その薬を飲み始めたら、夕食が終わって夜の早いうちからすぐに眠くなって、調子の良い時は朝の4時位までグッスリと眠れるようになった。
ようするに、このブログを書く時間を削って爆睡しているわけであります・・・

IMG_0357_20191014110822f0c.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

錻力店の鎚音は・・ 

2019/09/11
Wed. 12:05

ひところに比べると随分陽が短くなった。
吉田家前の駐車場へ着いた頃はもう銀くんのヘッドライトが無いと辺りの状況が見えないほど暗くなっていた。

ワイフとお隣さんの車が出船状態でならんで駐車してあれば、その隣の空きスペースに銀くんを横付けするのだが、どうもいつもと様子が違う。
吉田家前の駐車場へ黒塗りの大きなセダンが窮屈そうに停めてあるし、すぐ隣の駐車スペースにも見慣れないワンボックスやハッチバックや軽バンが窮屈に停めてあって、町並みの暗がりを数人の男女が慌ただしく行き来している。

吉田家から2軒ほど川下にある家は、古から錻力店だった。
石見銀山が閉山になって町並みの活気が絶えてゴーストタウンへ変わる頃に、ご主人が営業を大田市の駅前通りに移転してそちらへ生活の本拠地が変わってから後、石見銀山の錻力店はずいぶん長い間空き家のままだった。
吉田家が石見銀山へ転居した頃も空き家のままだったのだが、その後世界遺産登録の話が本格的になる頃に駅前通りで営業していた雨樋やトタン板金の錻力店を店仕舞して石見銀山の元の家へご主人夫婦が帰ってきた。
錻力店の町並みに面した二部屋から土間にかけての改修が終わると、ご主人が石見銀山の間歩(坑道)で使われていたカンテラを造りながら観光客相手の土産物店を始めた。
カンテラは、まだ銀の採掘が継続していた近世になってから間歩で使用される唯一の明かりとして製造されていたもので、間歩の奥深くで作業をする手元を照らすための明かりとして使われたのだが、同時に坑道の奥まで酸素がいきわたっているかを確認する命綱として重要な役割の一つになっていた。酸素が薄いとカンテラの火が消えるから、それが目安になって間歩の事故を未然に察知していたわけだ。

錻力店のご主人は、今どき珍しいほど昔ながらの職人気質の人で、ことの良し悪しの尺度がことごとく自分の常識で決まっていた。だいたい世間でいうところの定年退職に相当する歳になったから潔く駅前通りの錻力店を閉店して石見銀山の実家へ引き上げた。まだまだ十分元気で自治会の新年会などでは好きな酒もよく飲みよく語っていた。
お父さんから伝授されたカンテラ作りを再現したご主人は、世界遺産の登録とシンクロして観光客に大受けした。マスコミの取材も絶え間なく続き、独特の大田弁と毒舌でアッという間に石見銀山を代表する有名人になった。遠くから錻力店のカンテラを目的に訪ねてくるファンも制作注文も増えて、とにかく毎日ブリキの板を叩く鎚音が朝から夕方まで絶えなかった。
その忙しさが良くなかったのかある日軽い脳梗塞で倒れた。
リハビリの後、退院して錻力店を再開したが、鎚音は激減した。
その後少しずつ体力が弱り、数年前には店へ出ることも無くなって奥さんが土産物の店番をしながら夫婦で静かに暮す日々が続いていた。そしていよいよご主人の身体が動かなくなってから本格的な入院介護へ入って、ご主人の顔を見ることもなくなっていた。

久しぶりに自宅へ帰られた行年82才のご主人はとても穏やかなお顔だった・・合掌

IMG_3742.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

暑い秋 

2019/09/09
Mon. 16:51

歳のせいかもしれないが・・・今の時期になって気温30℃越えはキツイ・・
またも、寺の用事ができて早朝に吉田家を出発した。
途中、銀山街道の九日市にある温度計は午前八時前なのに、すでに32℃の2の字が1の字と交互にピコピコ点滅していた。

寺関係の書類を提出して一心地ついたので、いつもの材料屋さんのいつもの担当のOくんへダイレクト電話をしてみたら「9時位には工場へ行けますがどうですか?」と返事が帰った。そういえば、先週末の話では、金曜日に材料が入ったら「夕方にはお持ちできますが・・」というようなことになっていた。結局その日は件の寺の書類と格闘していて材料を受け取ることが出来ない旨の電話を入れておいたのをOくんは覚えていて気にしてくれていたようだ。土日の2日間が無駄になって週が変わってすぐのことだから、仕切り直しになった材料の納入を急がせてしまったふうになって少々心が傷んだが、また寺のことで無理を言うことになってしまった。
「10時にはなんとか工場へ行けそうなんだけど・・」
「ハイ、良いですよ、じゃぁその頃に待ってます!」
これでひとまずこれで鉄板も揃ったし、まだ頭の中でモヤモヤしているかたちを整理して早く制作にとりかかれるようにしなければいけない。

今年は制作のペースがかなり落ちている。
春先からの入院などがあったから仕方のないことだが、こういう時に気をつけなければいけないのは、無駄にかたちをこねくり回しすぎてしまうことだ。
実材に取り掛かる前の時間が長すぎると考えなくても良い余計なことを考えすぎてしまって、結局本当に大事なかたちの骨格が曖昧に崩れてしまうからだ。
今まで、何度もソレで失敗した。
私の場合、幾つかの仕事や用事が重なって少々気ぜわしく制作の余裕が無いくらいのほうが造形のシンプルを集中して追求できているような気がする。
もっとも、そういうことも自分で勝手に「ソレが良いのだ!」と思い込んでいるだけかもしれなくて、吉田彫刻に対しての周囲の評価判断はまた全然別のところにあったりするものだから、世間の客観的な評価基準とはかなり距離が離れているのかもしれない。
まぁ、それでも失敗成功含めて「自分が納得していられればそれで良いや・・・」と、そういうふうに割り切ってしまえる歳になった。

待ち合わせの時間を少し遅刻して工場へ到着したら、すでに材料を載せたトラックが工場前で待機していた。恐縮しながら鉄板を下ろして、それからすぐに制作へとりかかれるよう、道具を動かすなどして工場を整頓しておいた。
整形外科の薬が無くなったので工場から病院へ直行して診察を受けて寺へ引き返したら、九日市の温度計が37℃まで上昇していた。
台風が関東を直撃してアチコチに大きな被害が出た。首都圏の災害は想像以上に人々の混乱を誘発している。秋の六本木の展覧会はよく会期中に台風が通過する。強風で野外設置の彫刻が倒れたりしないような工夫をすることも制作上の大事なポイントだ。

IMG_0240_20190909164727ff8.jpg

[edit]

CM: 1
TB: 0

page top

2020-04