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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

サッパリ! 

2019/05/30
Thu. 15:18

手術から7回目の日曜日が過ぎた。
入院してから5週目に退院できた。
それから1週間かけて自宅近所にある内科へ通院した。
2箇所目の内科が終わったのが今からちょうど1週間前。
先週末は隣町のお寺で大般若経転読会へ手間替え随喜。
今週末は臨済宗のお寺で大般若経転読会があって手間替え随喜。
病院ごとで明け暮れた1ヶ月少々は、振り返るとアッという間に過ぎた感じだが、その後の1週間は入院中のシワ寄せで一瞬で過ぎた。1ヶ月検診の通院で経過が良ければ首のサポーター装具がとれる。
「装具を外すのはお風呂だけですよ。あとは寝るときくらいは良いですが、あまり勧めません。検診までは自己判断で勝手に取り外したりしないようにしてください・・いいですね!わかりましたね!!」
「・・・・」
伸びた頭髪を早く散髪したくてウズウズしていたが、その是非を問うこともはばかられて装具付きの首を申し訳程度に縦に振ってうなずくしかなかった・・・
「あのドクター、ドSですね・・・」
退院前の診察が終わってから馴染みの看護師さんへポロリと愚痴ったら、ニヤリと笑って
「そぉ〜ですかぁ〜、(ド!)が付きますかねぇ〜、どちらかといえば(S)だとは思いますけど・・」
退院の説明をしながら小声でそう言っていた。
どうもあのドクターさん、患者Y(ボクのこと)とは、上手くソリが合わないふうだ。

退院の当日はワイフが勤務先から直行してくれた。
ボクの相棒の銀くんは入院中吉田家前の駐車場でピクリとも動いていない。首の装具のこともあるし、退院してもしばらくは専属ドライバーのワイフだけが頼りだ。
吉田家に落ち着くと、日常の暮らしへ自分の勘が戻るまでかなり戸惑った。部屋の出入りや風呂トイレなど、病院と勝手が違って自分の周囲は障害ばかりだ。
溜まった郵便物や書類の整理など何かと気になることが山積しているので、まずはソレを片付けようと思っていたのだが、なかなか身体が思うように動かない。30分も起き上がっていると、肩から背中にかけてズシッと重くなってしまう。半日も起きていられないコトが2日ほど続いていたが、駐車場の銀くんも気になるし、まともにミッションを動かせるか心配だしするから、3日目の朝になって、これでもかと云うほど慎重に安全運転で万善寺へ向かった。
庫裏から本堂にかけてひんやりとした空気が淀んでいたので、すぐに換気した。
コーヒーを飲んで少し落ち着くと、伸びた頭髪が気になってたまらなくなった。一瞬ドクターの怖い顔が脳裏をかすめたが、散髪の誘惑に負けて近所の床屋へ予約した。
「ハイ!何時でもいいですよぉ〜・・お昼すぎにしましょぉ〜かぁ〜!」
その床屋は美容院も兼ねていて、万善寺の老夫婦が送迎付きでお世話になっていた。
バリカンをあて、カミソリで頭からひげまでまんべんなく剃り上げて約1時間半。
「あらまぁ〜!じょぉ〜ずぅ〜〜!傷口とってもキレイ!」
その間、首の装具は取り外したままだった。
ボクのコーヒー好きを知っているから、終わってコーヒーまでごちそうになって、おまけに、床屋代は病気見舞いに変わった。

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毎日が大型連休 

2019/04/28
Sun. 23:21

なっちゃんの出産後しばらくのあいだ身の回りの世話をすることになったワイフが、ボクの見舞いも兼ねて大量のコーヒーや文庫本などを差し入れしてくれた。これだけあれば、大型連休は何不自由なく過ごせそうだ・・・といっても、入院中の身にとっては毎日が大型連休のようなもので、どちらかといえばむしろ「暇つぶしに苦労することになるかもしれない・・」と、そちらの心配をしていたのだが、生活共同体の慈愛に満ちた以心伝心は実にタイムリーに効力を発揮することになった。

今は「ねじまき鳥クロニクル」を数年ぶりで読み返している。
文庫本になっても3冊に分かれるほどの超大作で、最初に読んだときはそろそろ今から10年以上は前だったと記憶している。ちょうど、月々の給料がもらえてボーナスまで保証された安定職を早期退職したばかりの頃だった。
先代住職の憲正さんへ少しずつ前後の記憶に空白が出始めるようになって、定期通院がおぼつかなくなったり薬の飲み忘れが頻繁になったりなどして、家族の支援が必要になりはじめていた。それでもまだ、本格的に介護が必要だというほどでもなくて、まぁ、昔の感覚でいうと「憲正さんも、そろそろいい歳になってだんだんとボケが出始めたらしいでぇ〜〜」くらいのことだったが、母親も身体が思うように動かないし、結局はさしあたって家族の誰かの助けが必要なわけで、今まで自由勝手にやりたい放題を続けてきたことでもあるし、そろそろ両親のことで少しくらいは親身に付き合う時期になってきたのだろうと、自分の甘えた気持ちに一区切りつけてしまおうと決めた次第だ。仕事の方もだんだんと込み入って面倒なことが増え始めてはいたが、自分がやめて組織の歯車が一つくらい無くなってもソレですぐに体制に影響が出るわけでもない。職にしがみついて自分の暮らしが楽であっても、高齢の両親が暮らしにくくなってしまってはどうしょうもない。

島根のブラック公務員から開放されてすぐの頃に、憲正さんのお供をしながら時間つぶしにBook Offで仕入れたのがねじまき鳥クロニクルで、運良く3部作が特価で揃っていた。
完全なる健康体というわけでもないが、特にコレと云った病気があるわけでもないボクにとって、総合病院の付添の待ち時間はとにかく長くて苦痛だ。バロックの室内楽を中心にアレコレとかき集めてiPodにためたものをヘッドホンから垂れ流しながら文庫本の文字を追いかけていると、そのうちお尻から太ももの裏筋にかけてシビレが広がっていく。自分でそんな感じだから、体調の思わしくない憲正さんはよくじっと我慢して硬い待合室の椅子に座っていられるものだと、彼の修行の深さをすぐ隣で実感して感心したものだ。

それで、ねじまき鳥クロニクル三部作だが、とにかく、圧倒的に文字数の多い本だった。それに、解釈の難しい展開で、同じ場所を数回繰り返して読み直すことも多々あった。それでも、ちょうど公務員を辞めて、特に毎日を改まった目的もなく曖昧に過ごしていた時期だったし、小説の中に出てくる新宿や小田急線周辺の街の様子が学生時代の自分の生活圏とダブって引き込まれるものがあった。
あの頃は気づかなかったことだが、久しぶりに読み返してみると、村上さんのくどいほどの長文に託した社会や時代へ対して何かしらの抵抗が発信されているようで、今、その旨味のようなものをぼんやりと噛み締めている。

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骨休め 

2019/04/27
Sat. 10:05

三日間降り続いた雨が上がった。
病室の窓から見える欅は、雨の潤いのおかげか一気に芽吹いて外来駐車場までの車道へ日陰を作った。
宍道湖の対岸も、緑の彩度が燃え上がるほどに瑞々しく輝いて見える。

世間では、10連休がスタートした。
時々確認するウエブニュースは新旧の元号のことでジワジワと盛り上がりを見せ始めている。
学生時代も含めて、名実ともにこれだけまとまって「骨休め」をすることなどなかったことだから、周辺の知人友人の心配を有り難く感じつつも、内心ではかなりウキウキとして手放しの開放感にドップリと浸りきっている。
上げ膳据え膳三度の飯に湯茶のサービスや、休日祭日関係無しで連日の掃除ゴミ捨てから定期的なベッドメイキングまでとにかく至れり尽くせりのうえ、お昼前にはシャワーまで使わせてもらえる。
はじめのうちは、日常の暮らしの激変に戸惑うこともあったが、こういう殿様ぐらしが連日当たり前のように続いていると、退院のときの請求額がとんでもないことになっていたりして、そろそろ今のうちからそういう心配が気になり始めてきた。結局は、入院中の収入がゼロであるという現実は避けることができないわけだ。
まぁ、そんなことでネガティブに悶々としていても現状の変化があるわけでもないから、とにかく、今は生涯に何度と巡ることもないだろう至福の日々を堪能しつくすことにしようと思っている。

長女のなっちゃんは、妊娠中の子が3000を超えていつ生まれてもおかしくない状態になった。なっちゃんにとっては初めての出産になるから、4人の子供を生んで育てたベテランのワイフが出産前後の身の回りの世話をすることになって、連休前の1日を移動日に使った。これから、10日間はなっちゃんにつきっきりで世話をして、連休が終わると同時に島根の日常の生活に戻ることになる。
なっちゃん本人は平成だとか令和だとか、出産元号のことを気にしているようだが、家族兄弟姉妹みんなの都合も含めて実にタイミングよく親孝行なことだ。

なっちゃんというと、学生時代は染織を専攻して卒業制作は糸を染めてタピスリーを織った。卒業と同時に兵庫県の公立のミュージアムで仕事が決まっときに引っ越しを手伝って、就職祝いを兼ねた「菜根譚」の単行本をプレゼントした。ハードカバーの装丁でけっこう高かったが、なっちゃんの名前を命名するときに菜根譚から「菜」の字を頂いた縁もあってのことだった。しばらくして「読んでるか?」と聞くと「昼寝用の枕に使っている」といっていた。オヤジの自己満足のようなものだから読んでも読まなくてもどうでもいいことだが、はじめて私がその本に出会ったのは確か35歳位の頃だったと記憶していて、ちょうど吉田家ではなっちゃんが生まれて間もない頃だった。そういうこともあって、自分で勝手になっちゃんと縁深い本だと決めている。
手術が終わって身体が少し楽になってからその菜根譚をまた読み返している。

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想定外の毎日 

2019/04/21
Sun. 10:35

手術が終わって2回目の日曜日は朝から快晴。
病室の窓から見える宍道湖の湖面は波ひとつなく、対岸の島根半島を鏡のようにくっきりと逆さに写している。

4月に入って間もなく入院手術が決まって、その後、細かな検査とか日程の調整を図りながら、すでに決まっていた万善寺の法事予定をやりくりしたりして数日間が慌ただしく過ぎた。もともとお檀家さんの少ない寺だから、だいたい1ヶ月ちょっとになるだろう入院期間中に重なっていた法事も2つだけだった。少々問題なのは、毎年春の新年度が始まってから続くいくつかの総会とそれにからんだ監査などの事務的な用事を調整すること。それに関連した諸連絡はだいたい郵送でのアナログなやり取りになるから、ベッドの上でウツラウツラしながら電話のSNSで簡単に済ませるわけにもいかないし、結局はワイフの好意にすがるしかないことになって、ソレで少し気が重い。
他にもコマゴマとしたことで気になることがないわけでもないが、アレコレ悶々としてもどうなることでもないし、時の流れに身を任せるつもりにして今に至っている。

もう、かれこれ10年以上前から足腰や肩背中の調子が思わしくなくてだましだまし暮らしていたのだが、いよいよ昨年の秋風が吹く頃から本格的に痛みが慢性化してきて我慢が難しくなっていた。それでも、だいたいいつもと変わりなく彫刻の制作や展覧会のことなどを一通りこなして、少し落ち着いた年末ギリギリになって「客観的現状把握の検査だけでもしておくか・・」と思いついた。
それこそ10年以上ご無沙汰していた人間ドックも受けることになって、正月のひと山が過ぎたところであちこち検査通院が始まった。内科的には、生活習慣病といえる幾つかの数値で厳しい指摘を受けて専門医に回されたりしつつ経過観察を続けることになったが、外科的には直接近所の開業医へ現状を訴えるしかないということになった。その頃になっても「なんとか難を逃れることができないものか・・・」と渋々ノラリクラリと言い訳を続けていたら、ついにあの温厚なワイフの逆鱗に触れることになった。

近所の外科へ通院の朝は冷たい小雨になって、そのせいもあってか、いつもより指先のシビレが気になった。読みかけの文庫本を読みながら順番を待って問診を受けた後レントゲン撮影になった。
「症状の軽いところからいいますとね・・・」膝とか腰とかは「良くはないけど、まぁいまのところすぐにどぉこぉすることもないでしょう・・・」
一呼吸おいて「どうやら、シビレのもとは頚椎のようですね・・ここでは、コレ以上の検査もできないし、紹介状を書きますのでそちらへ回ってください・・・それで、何時が良いですか?明日でもいいですけど・・・担当のドクターは火曜日が良いですね・・・来週にしますか?再来週??」・・・というわけで、ボクの選択肢は限りなくゼロに近い状態で、サクッと次の病院が決まったのだが、まさか、その時点で本人(ボクのこと)はまだ手術になるとは思ってもいなかった。それから自分の人生で初めてづくしの想定外の毎日が続いている・・・けど、一応それなりに元気で生きているし、こうしてソコソコ指も動いてプチプチとリニューアルラップトップをつつける事はできている。

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追記:雪が降る(4月1日)
   新元号発表の日、ボクは一日中春の雪と格闘していた。たぶん、ボケるまでその日のことは忘れないだろう・・・
玉造病院(4月2日)
   病室からは宍道湖が一望できます
首の問題(4月3日)
   ソレでなくても首が回らないのに・・・
レンゲの咲く頃(4月4日)
   石見銀山の谷は桜が終わって菜の花やレンゲが咲き始めました

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首の問題 

2019/04/03
Wed. 23:57

最近の病院は凄い!
午前中いっぱい内科も含めて色々な検査をした結果が、診察室のドクターのデスクトップへすべて反映されていた。幾つかの断層写真は、マウスのツマミをコロコロと転がすだけで動画のようにスムーズに動いている。血液の数値も適正範囲がひと目で見渡せるようになっていたり、マウスを使った手書きの書き込みも簡単にできてしまう。
ドクターは、しばらくのあいだデスクトップを観ながらそういう操作を繰り返していた。

検査の結果がわかって今後の予定がおおよそ決まるということで「次の来院はご家族の方も同席をお願いしますね・・」とあらかじめ伝えられていたから、ワイフと並んでドクターの説明を聞くことになった。
「そぉ〜ですねぇ〜〜・・、お話が楽なところからはじめましょぉ〜か・・・ソレでいいですね」
そんな感じで検査の結果説明が始まった。
「まずは、膝ですが・・・これは、骨の様子を見る限りまだ今の所隙間も確保できていますから、関節の動きを改善する工夫が必要ですね」
・・・ということで、ひとまず、膝はパス!
「腰ですけど、骨のみだれは見えますから良くはないですが、今すぐどうこうするほどの状態ではないですから、まぁ、しばらく様子を見てみましょう」
・・・ということで、これもひとまずクリアー!
「それで、問題は頚椎です!これは、いけませんねぇ〜。このままだと手足が動かなくなりますよ。ほら、ココのところ白くなってるでしょ・・骨の中に神経が走ってるんですが、ソレが圧迫されて機能しなくなってるんですよ。丸いホースが前後から潰れて楕円になっているような感じですね。これは、かなりの重症ですよ。指がそれだけ動いているということが不思議なほどですよ。この状態だと手術は避けられませんね。何処で観てもらっても同じこと言われるでしょうね・・・」
・・・本人(ボクのこと)の自覚は、そこまでヒドイものだとは思っていなかったから、そういう説明があっても、特に緊張感もなく、動揺することもなかった。
「それで、手術はどうされますか?この状態は、まぁ、交通事故にあって緊急の手術が必要だというような・・そのくらい急を要することですから・・・ね。他の病院でも心当たりがアレばそれでも良いですが・・・どうされますか??」

わざわざ、近所のドクターから玉造病院名指しで紹介状を書いてもらったことだし、それに、今までの検査とほぼ同じようなことをまた繰り返すのも気が滅入る。
「避けられないことなら、こちらでそのまま手術していただけると良いと思うのですが・・」
あとで聞くとワイフの方は、入院中の見舞い移動のこともあるし、もう少し近いところの病院が良いと考えていたようだった。
それから、入院日程などの事務的な説明などがあって、途中、アチコチで買い物をしながら吉田家へ帰宅したのは夕方だった。
平成元号最後の4月がこんな感じではじまった・・・

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玉造病院 

2019/04/02
Tue. 23:52

山陰本線の踏切を渡って上り坂の途中から右折すると、正面に患者用の駐車場へ誘導する看板があった。
車道脇の植え込みには立派なイチョウとカエデの木が並んでいる。
新芽がかろうじて確認できるほどに伸び始めているが、全体の様子は秋から冬にかけて枯れ葉を落としたそのままに成長が止まって見える。

「玉造病院」という名前だけは昔から知っていた。
高齢者の間では病院長が整形外科の名医で有名だと噂で、若い人にも、ヘルニアの手術が信頼できると情報が広がっていた。
まさか自分の人生で、そういう整形外科に特化した病院のお世話になるとは予想もしていなかったから世間のうわさ話も他人事で「自分とは関係がないことだ」と、普通に無関心でいた・・・その病院へ紹介状が回った。
イチョウやカエデの成長具合から、そこそこ古い歴史のある病院だとわかる。外壁のタイルも昭和のデザインが残っていてどこかしら昔懐かしい。少々くたびれた雰囲気はそれなりに風格を感じるが、銀座の煉瓦亭やライオンほどの歴史の重みはない。

1階の外来待合はゆったりと広い。そこから受付の手続きをして整形外科へまわって順番を待っていると「よしださぁ〜ん、どぉ〜したんですか??」と、中学生くらいの女の子を連れたおかあさんが声をかけてきた。
「おひさしぶりですぅ〜・・どうしたんですかぁ〜・・どこかわるいんですかぁ〜??」
・・・そのおねえさん・・いや、おかあさんは、昔まだ高校で美術の先生をしていた頃の美術部員で、それと野球部のマネージャーを掛け持ちもしていた。確か、ヘルニアを患っていて、学生時代は苦労していたようだが社会人になったかどうかのところで思い切っって手術に踏み切ったという話を聞いたか、年賀状で知ったか、どちらかだったと思う。
その日は、骨折をした娘さんの治療通院だった。
奇遇といえばそれまでだが、縁のあることだ。
旦那さんとは入院中に仲良くなって結婚に至ったらしい。そのご主人が先程ボクの首をレントゲン撮影してくれた。
「アレが旦那ですぅ〜」と奥さんが教えてくれた。旦那の視線は別のところにあったから、たぶん彼は気づかなかっただろう。
とにかく、大きな娘さんもいて幸せそうだと思っていたら「今は違うけど、あの頃、旦那の実家まだ五右衛門風呂だったんですぅ〜・・・親と同居だったしぃ〜・・・」
短時間だったが、久しぶりの会話からはなかなか過酷な新婚生活が想像された。まぁ、それでも結局子供も恵まれて暮らしも安定しているようだし、なによりなにより・・・
それからしばらくして次の検査で呼び出されて、会話はそこで途切れたままになった。

主治医に決まったドクターからの詳しい話が聞けたのは、午後の2時を過ぎた頃だった。
昼食抜きになったが特に空腹は感じなかった。たぶん、ドクターの方も昼食はまだだっただろう・・・真面目というか熱心というか・・だいたいが自堕落な自分とは比べられないなと、変なところで感心しながら症状の現状を聞いていた。結構重症のようらしい・・・

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雪が降る 

2019/04/01
Mon. 23:07

新元号発表の日でエイプリールフールの4月1日・・・万善寺は朝から雪になった。
飯南高原で4月に入って雪が降ることはそれほど珍しいことでもないが、この年齢になるまで経験したことのないほどの暖冬だった今年で4月の雪となるとかなり焦った。
3月のお彼岸を過ぎた適当な日に、同級生の経営するカーディーラーへ銀くんをピット・インして夏タイヤに履き替えたばかりだった。とにかく、この1〜2年の飯南高原は過去の常識が裏切られるばかりで天候の予測がつかない。

神戸川上流の河岸脇に1軒だけ離れて建つお檀家さんでは、四十九日と納骨と位牌点眼を一つにまとめておつとめをすることになっていた。
「寺の方は雪の具合どうですかいねぇ?」
「境内は真っ白ですが、車はお地蔵さん脇にあるのでなんとか走れるとは思うんですけど・・・」
「ははぁ〜〜・・・こっちの方は道も真っ白になっとりますけぇ〜ねぇ〜・・・スタッドレスだと大丈夫でしょうが・・・」
「まぁ、伺うのはお昼過ぎてからですから、その頃にはなんとか・・・」
「まぁまぁ・・やれんようだったら電話くださいや、迎えに行きますけぇ〜・・・」
「はいはい、それじゃぁ〜そぉ〜いぅ〜ことで・・・」

念のために前日には万善寺入をして塔婆を書いて点眼の準備をしたし、雪のことがなければ特に心配することもないのに、どうもどこかしら気になって前夜一晩は熟睡できないまま朝になった。補充しておいた古古米目当てのスズメたちが早くから騒いでいたし、どうせ春の雪だからそのうちにはやむだろうという気はしていたが、地元に詳しいお檀家さんの方からわざわざ心配の電話が入ったりすると、チキンオヤジはさすがに少々ビビる。食欲のないまま昼食を抜いて、慎重に雪の積もった参道をお地蔵さん脇まで降りてみると、車道は雪もなくて凍っている様子もないから夏タイヤでそのまま移動することにした。
施主家へ着くと雪はやんでいて、そのかわりやたらと冷たい雨が絶え間なく降っていた。納骨が若干苦労するだろうが、雪よりはマシだろう。
おおよそ1時間位ですべてのおつとめがおわって、それから、自家製の手作り煮しめなどが出た。雪のせいもあって、ご親族のお参りは少なかったが何処かから取り寄せの斎膳弁当よりはずっとマシだ。見た目や味の善し悪しや好き嫌いよりも、おもてなしの気持ちが伝わってきて、そのほうが好きだ。アレコレと世間話に花が咲いて思わず長居をしている間に、気がつけば雨がまた雪に変わっていた。翌日は通院で少し詳しめの検査が決まっているので、ひとまず石見銀山の自宅へ帰っておかなければいけない。雪は海抜400mのあたりまで降り続いていて、それから先は雨に変わった。銀くんの4WDとミッションの切り替えを駆使して、夏タイヤを騙し騙し慎重に走った。

やっとの思いでたどり着いた吉田家は雪の痕跡も無く、実に平和なものだった。
新元号が「令和だって」・・・夕食の支度をしながらワイフが教えてくれた。珍しくネコチャンズがベッタリと仲良く寝ていた。
「塔婆や過去帳・・チョット書き難いかも・・・」チラリとそう思った。

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平成最後の・・・ 

2019/03/24
Sun. 23:23

毎年変わる万善寺初午の日が今年はちょうど3月10日の日曜日に重なった。
約10日後には春分の日が巡ってきて春彼岸の法要になる。
こういう、日が近い休日や祭日と法要が重なってしまうと、万善寺の場合はお参りが確実に半減する。
「たまの休みにはゆっくりとしていたい」
「休みに合わせて家族の予定が入っている」
「10日も経たない間に2回もお参りするのは少々面倒だ」
「日が近いからお参りはどちらか一つで済ませてしまおう」
「雨でも降ったら出かけるのも面倒だからお参りはやめよう」
「せっかくの休日でいい天気だったりするとお寺参りで1日潰すのももったいない」
「家族がみんな出かけてお寺参りの足がないからお休みしよう」
・・・などなど、さまざまな事情でお寺参りの行事が次々と後に回って、やがてそのうち「まぁ、今年もいろいろとあるから寺参りはやめよう!」ということになって、万善寺としては在家坊主の生活の糧であるところの布施収入が目減りして年々暮らしが厳しくなっていくという悪循環が繰り返されているという実態が浮き彫りになる。

だいたいの予測は大きく外れることもなく当たる確率だけが虚しく引き上げられている今日このごろであるが、特にだからといって恒例の年中行事で現在まで継続している万善寺の春の法要を「お参りが少ないから」という理由だけで廃止しようとは考えていない。
そもそも、法要厳修の意味とお参りの数とはまったく目的の違うことであって連動の接点を無理強いして行事廃止を正当化しようとすることもおかしなことだ。それはソレでこれはコレと気持ちを分けて乗り切らなければ「ボクの坊主としてのプライドが許さない!!」・・・のだ!・・・などと、一見かっこよさげに思ってはみるものの、こういうささやかな年中行事をとりおこなうにあたっては、どうしてもワイフの助けなしでは乗り切れないところもあって、むしろそちらの方が弱小運営の山寺末寺としては気がかりなことで申し訳ない気持ちにもなって素直に晴れ晴れとなれないところでもある。

10日の初午祭は、お寺の近所の保賀集落を中心にお参りがあった。1年に1回だけの法要だが、毎年お参りされるメンバーはだいたい決まっているから、お茶席のお茶口も毎年同じものというわけにいかなくてワイフが悩む。定番をいくつか用意して、あとはその時々の旬のものをからめる。今まではこの数年りんごのケーキが定番になっていたが、今年はそれがさつまいものケーキに変わった。吉田家では数日前から何度か試作が繰り返されてその都度味見が待っていた。糖尿病予備群としては、酒を飲みながら甘いものを食べるというのも若干罪の意識を感じるし、ドキドキしながらワイフの努力に付き合った。
まぁ、そんなふうな様子が春彼岸の法要まで続いた。
2つ続いた法要は、当初の予想通りお参りが減った。

昼過ぎに東京のぐっちゃんから写真付きのSNSが入った。上野都美術館で春季展の展示が終わったところだ。直前まで自分も陳列に行くことになっていたのだが、急きょ予定が変わった。それで、平成最後の上野の花見はできなくなった。

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動静両忘 

2019/03/07
Thu. 10:05

気づけばすでに3月に入って1週間!
毎日がアッという間に過ぎてしまっている今日このごろ・・・
このところ、春めいて穏やかな日が続いていましたが、本日は朝から冷たい雨が降っています・・・
デスクワークに使っている吉田家ロフトのマイルームにある炬燵の中ではシロがマッタリと丸まっていて、ときどき足がぶつかると挨拶がわりにザラザラの舌でペロリとボクの足の裏を舐めてくる。

このブログも、約1ヶ月の間休みが続いている。
ネタがないわけでもなく、むしろ次々と想定外の出来事が押し寄せて、それらのことがうまく回らないまま山積してオーバーフロー気味の状態になっている。
昨年に愛用のラップトップが壊れてから、急にワープロ仕事が停滞しはじめた。
最初の頃は面倒臭いと思いつつ吉田家と万善寺にあるデスクトップをこまめに使いわけていたが、それだと、とにかく何をするにも1日の一定時間はその前で過ごさなければいけなくて非常に非効率で時間のムダも出て使い勝手が悪い。
日々溜まり続けるネタの数々は、そのうち宗門手帳の味気ない箇条書きの覚書メモに変わってきて、最近はそういう時代に逆行したアナログ環境に慣れてきた。
やはり使い勝手や仕事の回転率を総合するとラップトップを使い倒している方が良い。アナログ環境ではいくら脳みそをフル回転させても忘却の彼方に過ぎ去った漢字を引き戻すこともできないし、簡単な足し算ひとつとっても脳みその回転がすこぶる悪くてドタバタとiPhoneを引っ張り出して電卓を起動したりと、自分の思考力の退化に憮然と落ち込む。
そういえば、初代のiBookから数えるとすでに30年近くAppleラップトップのお世話になっているわけで、知らぬ間に自分の道具の一つであり相棒のような存在になっていた。
ちょうど1年前の今頃、もうひとりの相棒だった結界くんが前代未聞の異常大寒波でダウンして、想定外の出費にお先真っ暗で息も絶え絶えだったところを、旧知のカーディーラー同級生くんが奔走してくれて今の銀くんへ更新したばかり。それだけでほぼ1年分の収入が消えて酸欠状態だったところへ半年後にラップトップのクラッシュが追い打ちをかけた。とにかく、先立つものがなくてどうしょうもないからこのままなんとかこの難局を乗り切るしかないのだが、人生が一巡して間もない今の頃になかなかの試練だ。

個展の彫刻展もあと数週間で終了となる。期間としては長かったが、自分ではとても短く感じた。たぶん、会期中にもコツコツ絶え間なく制作を続け、彫刻のことを考え続けていたからだと思う。昔のように、ギラギラとした好戦的我欲がずいぶんと消沈した。日々更新する造形表現で、そういう我欲の消沈が良いのかどうかわからないが、一方で、表現の淘汰が進んで迷いの無駄が減ったような気がしないでもない。
最終章のお知らせ代わりに簡単なDMを造った。
やはり、それなりにクリエイティブな作業はデスクトップに限る。
菜根譚では、「動静両忘」の前に「人我一視」の四文字がある。「両忘」は禅語でよく使われる。
今の自分の彫刻表現の目標でもある。

動静両忘 (1)

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順番が狂った 

2019/02/11
Mon. 23:08

「ねぇ〜、今日は帰ってくるの?」
通勤坊主で出かけようとしていたら、珍しくワイフが聞いてきた。
「何もなければ、明るいうちに帰れると思うけど・・・」
「ねぇ〜、今日は帰ってきてよ・・」
寺の用事は予定がたてにくくて、急に電話がかかったり呼び出されたりすることがあるから、そういう時は状況に応じてそのまま寺泊になることもある。普通は「どぉ〜ぞ、わざわざ帰らなくていいわよ!また予定が変わったら連絡してね」程度のクールな肯定的反応が返ってくるばかりだが、今朝はいつもと様子が違う。
特に何かの記念日でもないと思うし、なっちゃんの誕生日もまだだし、何かの予定も無かったはずだし、どうもシックリと当てはまる素材が見当たらない。
「えっ?今夜何かあったっけ??」
「べつになにもないけど、できたら帰ってきてよ・・」
「わかった、とにかく、確実に帰ることにするから・・・それで、何で??」
「のどぐろ、そろそろ食べないと限界だから・・」
・・・なぁぁ〜〜んだ・・・
のどぐろには失礼だが、のどぐろの「賞味期限が迫っているから・・」という理由があったようだ。確かに、このところ連日何かしら何処かから貰い物が続いていて、昨日も急きょカキフライにありつくことになったし、ワイフの手料理の予定がどんどん狂ってそのたびにのどぐろが後に後に回されていたのだろう。私がいなくても一人で平らげれば済むことなのに、ワイフはわざわざ「ボクを待っていてくれたんだなぁ〜〜・・」と思わずニヤケた。
彼女と知り合って40年が過ぎた今でも、基本的に二人それなりに仲良く暮らすことができている。その日暮らしの貧乏一家だが、まぁ、それなりに幸せなことだ。
もう、若い頃のように好きだ嫌いだなどと何かにつけて男女の仲で心ときめくようなこともなくなったかわりに、どこかしら吉田家オリジナルの生活共同体的連帯感のようなものが出来上がって、お互いが適度な距離を保ちながらそれぞれの個人を尊重しつつ過不足なく支えあっているふうな具合だ。

「もしもし、万善寺さんですかいねぇ〜、息子が死んだんですがぁ〜・・・まだ家へ帰るのは先のようでハッキリしとりませんで、それで一応お知らせだけでもしておこう思いまして・・・」
「えっ??息子さんですか??」
それは、突然の電話だった・・・
お檀家さんのお父さんからで、電話の声は落ち着いているように聞こえたが、やはりどこかしら平常でない様子がうかがえる。何度か確認を取り付けたことを総合すると、どうやら死因がはっきりしなくて、その検死がされるらしい。坊主がジタバタしても始まらない。親子の順番が狂ったが、コレばかりはどうしようもないことだ。

夕食はのどぐろが煮付けになっていた。刺激的な1日になったが、のどぐろの美味さは十二分に堪能できた。
結局坊主は葬式請負人の役を全うするしかないことなのだろう。それで喪主家の気持ちが少しでも安らぐなら、それはソレで何かしらの意味があるのだろう。

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山盛りカキフライ 

2019/02/10
Sun. 23:59

三回忌の法事は孫まで揃ってとても賑やかだった。
関東暮らしのお子様家族は冬の悪天候で飛行機が飛ぶかどうか危ぶまれたが、山陰は思ったほど寒波が厳しくなくて、無事に帰省できたということだ。
亡くなったご主人は私と同じ歳だった。
残された奥さんとは職場で知り合って結婚された。
奥さんのご親族も参集されてお孫さんまで入れると総勢20人は越えていたと思う。
息子さんを先に亡くされたおばあさんにとってはひ孫さんまで法事に駆けつけてもらえて、さぞかし嬉しかったことだろうが、一方で息子さんに先立たれた悲しみも思い出されて複雑な気持ちの法事になったことだろう。
お墓参りを済ませてお斎が終わったのは午後の2時近かった。
いつもならとっくに万善寺へ帰ってのんびりしている頃だが、ご親族の年齢も比較的若くて華やいだご法事になったものだから、知らず知らず長居をしてしまった。

最近は、一周忌の法事でも遠方の親族は「仕事が休めないもので・・・」などと理由があって不参加が普通になりはじめている。
核家族が当たり前の時代で、施主家の家族だけの法事となると、関係者1人か2人だけ参列!・・・なんてのもあったりする。確か「お孫さんも同居のはずだけど?・・・」と思って伺うと「あいつは今日はちょっと用事で・・・」などと言われて、そういうお宅では、もう仏教とか宗教とかのたぐいは日常の暮らしから完全に縁が切れて、祥月命日のコトなど、年中行事の数にも入らなくなってしまっているようだ。
ホボホボお葬式と法事の儀式だけで生活している在家職業坊主のボクなど、お布施収入も減少する一方でこの先どうやって暮せばいいのかお先真っ暗状態だ。

賑やかな法事のあと、いつもと変わらない万善寺の静かな日常へ引き戻されたからか、いつになく気持ちが沈んだ。
そういえば、しばらくワイフとまともな会話もしていないし、施主家から法事の引き物も頂いたから、かるくお供えをしたあと、それを抱えてまだ陽があるうちに石見銀山へ帰った。
駐車場へ銀くんを停めたところで、個展会場のオーナーさんと出会って声をかけられた。
「正チャンには身体に障るかも知れないけど、たくさん頂いたから少し手伝ってくれない?」
手渡されたのはビニール袋にタップリと入ったむき身の牡蠣!
「こんなに頂いて良いんですか?うち二人しかいませんし・・・」
「いいのよ〜ぉ、うちだって町内別居で家族みんなバラバラなんだから・・こんなにたくさん、とても一人で食べきれないから、どぉ〜ぞどぉ〜ぞ」
「すみませんねぇ〜、それじゃぁ〜有り難く・・」
玄関先で立ち話をしていたら土間の奥でクロが鳴いた。珍しくお出迎えをしてくれたようだ。
結局、今の吉田家も子どもたちは独り立ちしてワイフと二人暮らしの核家族状態。
夕食は贅沢に山盛りのカキフライ!・・・美味すぎて痛風を刺激してしまいそうだ・・・

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残骸 

2019/02/08
Fri. 23:52

気になっていた寒気団は、それほどオオゴトにならないまま過ぎていくようだが、それでも丁度一番厳しさが増す頃にあわせて3回忌の法事が入っているので、その法事が過ぎるまでは万善寺を離れないようにしておくことにした。
節分立春が過ぎるまでの冬の万善寺はそれなりに慌ただしくもあって、今は少し落ち着いたところだがその流れの諸々の用事もないわけではない。
庫裏の各部屋は特に使うこともなくて汚れることもないから毎日こまめに掃除をすることもない。それでも、強風の後は天井裏の積年のホコリが舞い降りて気がつくと畳がざらついていたりする。
彫刻の展示台を部屋のコーナーへ設置して、時々入れ替えながら展示しているから、掃除のついでにその模様替えをすることにした。1月末に終わった小品彫刻展の作品はすでにそれぞれの作家へ返却したが、吉田正純とか吉田満壽美とか他にも数点預かっている彫刻もあるので、それらを定期的に入れ替えれば気持ちも更新してしばらくは新鮮でいられる。

庫裏の6畳ひと部屋は、寺で一人暮らしの私がのんびりとくつろげるように、炬燵やソファーや按摩機を配置して、100インチのスクリーンを壁一面に張って何時でも映画を見ることができるようにしてある。
その部屋は、冬の来客の客間にも使っているのでそれなりにこまめに掃除をしている。
普段は炬燵を撤去して敷物の下まで掃除をすることもないのだが、せっかくのことなのでたまには徹底的に掃除をしておくことにした。
炬燵板をとって、こたつ布団を縁側の物干しへ掛けて、炬燵櫓を片付けたら、炬燵敷きの中程あたりへ木の実の食べかけが転がっていた。上手に外皮を剥がして、中の実だけ食べている。
秋が終わった頃から、本堂と言わず庫裏と言わず、なにかを移動したりすると万善寺の彼方此方から木の実が転がり出てくる。どうせ野ネズミの仕業だろうが、今までその木の実を捨てないで集めておいたら、飯茶碗1杯位たまった。彼らの越冬中の食料になっているのだろうか?・・その様子がどこかしら健気に見えていじらしくなる。
寺に吉田家のネコチャンズでもいたら、彼らは毎日嬉々としてネズミたちを追いかけて大騒動するだろう。
「三毛猫はようネズミをつかまえてくれますけぇ〜ねぇ〜」
今はもう亡くなった隣のおばあさんは家で猫を飼っていた。
「雌猫は家について遠くへ行きませんけぇ〜・・よぉ〜働いてくれますがぁ〜・・」
お茶飲み話によくネコの話題が出ていた。その家では、おじいさんが元気な頃は和牛を2〜3頭飼っていたからネズミも多かったのだろうが、まんざらネズミ退治だけでネコを飼っていただけでも無かったと思う。おばあさんの猫好きはネンキが入っていた。

炬燵敷きの木の実の残骸は掃除機で吸い込んでキレイにして、それから縁側へ炬燵敷きを広げて、天日干しにしておくことにしたのだが、さて、いつになったら冬型の気圧配置が緩んで縁側へ日差しが戻ってくるのだろうか・・・しばらくのあいだ炬燵のない暮らしが続きそうだ。

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オヤジ三昧 

2019/02/07
Thu. 23:42

冬の間の寺の食料は、基本的に「餅!」
ヒドい時(餅さんゴメンナサイ!)は、朝昼晩三度のメシを餅で済ませることもある。
そんな食生活を続けていると、3月の桃の節句が近づく頃にはだいたい3kgは太ってしまう。
身体に良いことではないと思いつつ、一方でお正月のために暮れから準備した大量の餅を消費しないでそのままにしてしまうと、3月の終わり頃には寺の一人暮らしのくせに業務用の冷凍庫を準備しないといけないほどになってしまう。
実は今も、一昨年に冷凍しておいた餅と格闘しているところだ・・・
それで、主食の方は余り余るほど充足しているのだが、オカズのほうが無くなってしまって、冷蔵庫を開けても何も残っていない。
久しぶりに本格的な冬型の気圧配置が戻ってくるようだし、寺暮らしの行動が難しくなる前に近所のスーパーで日持ちのする野菜などを仕入れておくことにした。
万善寺を起点に南北へ少し走るとJAのスーパーがある。若干高いが一人分の食料程度のことだからあまり気にならない。
豆乳やトマトジュースは日持ちするから欠かせない。
きのこ類はすぐに使うぶんだけ残して、あとは適当に刻んで小分けして冷凍庫行き。
ネギとワケギも使うぶんだけ残して、刻んでから冷凍庫行き。
冷凍の枝豆やカット野菜も仕入れておいた。
まぁ、こんな感じで吉田家だとワイフに任せてノラリクラリと逃げを打っている台所仕事をこまめに繰り返している次第です。
それで、晩飯はきのこタップリの中華風スープを造った。もちろん、主食は餅!

昨年末から始まっている吉田正純鉄の彫刻展もあと2ヶ月ばかりで終了する。
予定としては2月のうちに数点の彫刻を加えて、3月のうちに一気に10点くらい追加展示するつもりだ。
例年だと石見銀山では桃の節句あたりにシーズン最後の寒波がやってきて、開花した梅に雪が積もったりする。その春の淡雪が溶けた頃から少しずつ寒さが緩んで一気に春めいてくる。ソレに合わせて入り込みの観光客が増えて町並みが賑わい始める。私の個展も、3月最後のそういう時期にあわせて展示替えの移動をしていこうという計画だ。
冬の間は、主に本当にマニアックに彫刻を見ている同業の作家とか、オヤジの吉田と個人的知り合いだったりする少数の友人が訪ねてきてくれる。季節が春めいて地球上の生物へ活気が戻ってくるあたりからは、不特定多数の見学者が増えてくる。
だいたいが一般大衆によくわからない抽象のかたちばかり造っているから、個展に関しては若干わかりやすくて想像が広がるような楽しみの要素を少しほど加えたりしているつもりだが、それを理解してもらっているかどうかはわからない。
吉田の個展は、とにかくワガママ放題でやりたいことをやりたいようにやらせていただいている。
ワイフには「アンタ、少しくらいは暮らしの足しになるような売れる彫刻も造ってもらわないと困るわよ!」と渋い顔をされる。重々承知のことなのだが、どうしても気持ちの方向がソレとは真反対へ向いてしまう。だって、その方が造っていて面白いんだもの・・・

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2月のみぞれ 

2019/02/06
Wed. 23:46

体調もすぐれないし薬も残り少なくなってきたしするので、病院を回って寺へ行くことにした。
このところ、島根県はインフルエンザが流行していて、学校では学級閉鎖もあったりしているからあまり病院へ行きたくないのだが仕方がない。日頃から人付き合いの殆ど無い暮らしをしているから、よっぽどのことがないと出先で感染することはないと思うが、何時何処で何があるかわからないからコレばかりは運を天に任せて観音様にすがるしかないことだ。

いつものかかりつけの開業医へ行くと、思ったより患者さんが少なくて助かった。
病院の方は死活問題でもあろうが、私の方は混雑の少ないヒマな病院は大好きだ。
いつもの優しいドクターと世間話をしながらひととおりの診察を受けていつものように2ヶ月分の薬を出してもらうことにして薬局を回って寺へ向かった。

今年に入ってかなり強い寒気団が南下しているようだ。それでも、昨年のことを思えば楽なもので万善寺も屋根からの雪吊りの山を避ければ、なんとか境内まで銀くんを乗り上げることが出来ている。曇り空ではあるが、今の所大きく天候が崩れることも無さそうだ。
玄関を開けて荷物を搬入して、勝手口の方へ外から回ってスズメたちへ古古米を補充してからひとけのない冷え切った庫裏へ入った。
台所のダイニングテーブルが寺の寺務机になっているから、まずは部屋を温めるのにガスストーブを点火し、エアコンをONして、灯油ストーブをつけた。そのくらいしないとすぐに部屋が温まらない。湯沸かしポットへ井戸水を満タンにして、コーヒーを入れる準備をしてから、デスクトップを起動させた。
以前は四六時中パソコンを何かしらのことでつついていたが、最近はそれも激減した。日常の情報はiPadで収集できるし、メールのやりとりも簡単なことはショートメールで済ませてしまう。展覧会の報告事務が無くなっただけでもずいぶん楽になった。不便というと、ブログの更新が停滞してしまうことくらいか・・・

お湯が湧いたのでネルドリップを用意した。
寺でひとりの時は、なっちゃんがボクの誕生日プレゼントで買ってくれたネルドリップを使うことが多い。1日3回位はソレを使い、あとはクノールのカップスープだったりお供えで頂いた煎茶のお下がりだったり、とにかく温かい飲み物を欠かさないようにしながらデスクワークをしている。
台所のトタン屋根が急にうるさくなった。みぞれ混じりの雨が降っている。
保賀の谷に散らばっていた寒雀の集団が、ドッと古古米に集まってきたのが台所の窓越しによく見える。冬の羽毛のせいか、それとも古古米の支給のせいか、まるまると太って実に美味そうだ。
昔、焼鳥屋でバイトしている時に中国産の冷凍雀をさばいて串に刺していたことを思い出した。くちばしと両足を切り落として腹割した雀を串に刺す。夕方に店が開く頃には解凍されていて、塩焼きにすると少し苦みばしって実に美味かった・・・スズメと目があって一気に飛び立っていった。
彼らには私の顔が悪魔に見えたのかも知れない・・・南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏・・・

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哀愁の一輪車操業 

2019/01/27
Sun. 23:07

ワイフが休みだというので「温泉にでも行くか?」と誘ってみたら、パクリと食いついた。

ワイフの1月から3月は1年の中でも比較的暇な期間で、どうでもいいような(本人が知ったらめちゃくちゃ叱られるだろう・・)宛て職の年度末会議が頻繁になるくらいのことだ・・・ということは、収入につながる仕事がないということで家計がとても苦しくなる。そのうえ、年度末であったり申告の時期であったりして、膨れ上がった借金をチャラにしておかないといけないこともあるから、一輪車操業のボクとしては首が思うように回らなくなって心身ともにとても疲れるのだ。
だからというわけでもないだろうが、最近頚椎の圧迫が原因なのだろう肩から腕への痛みや指先のシビレがひどくて、鉄の仕事でクランプを握る握力が無くなったり、膝の関節から急に力が抜けたりして一気に老化が加速している。

たまには温泉にでもゆっくり浸かって身体の内から全身を温めてみれば現状が少しは改善するかも知れないとささやかな期待を胸に、午前中から少し遠くの温泉へ出かけた。
昼過ぎというより夕方近くになって帰宅すると、なんとなく1日の疲れがどっと出て何をする気にもなれない。ひょっとしたら温泉の湯あたり症状が原因かも知れない。ワイフも似たようなもので、二人で思い思いにゴロリと横になったらそれから夕方暗くなるまで眠りこけてしまった。
ネコチャンズのドタバタで目が覚めた。
ワイフはまだ寝ている・・・
1日中仕事らしいことを何もしないでいたのに、夕食が恋しくなる。
特に空腹を感じるわけでもないが何か食べないわけにはいかないから台所をのぞいてみると、シンクが洗い物で溢れていた。

それなりに一人暮らしが長かったから、家事のアレコレは特に苦痛を感じることもないのだが、その一人暮らしのせいで、自分の家事の癖のようなものが身に染み付いてしまっていて、たとえば食器の洗い物のこともそのひとつ。
男の生活の知恵で、アルバイトはとにかく「メシを食わなければいけない!」とマカナイに困らない飲食業や水商売をメインに渡り歩いていた。そのおかげもあって、食器洗いの工夫をその道のプロフェッショナルから厳しく教わった。その時は、食器を洗うくらいのことでそこまでシステマティックに神経質にならなくてもいいだろうと思っていたが、アルバイト先が喫茶店とかスナックからはじまってバーやクラブや焼き鳥屋まで何処へ行ってどの仕事をしても、なぜかだいたい似たり寄ったりの洗い物ルールのようなものがあって、言われたようにコツコツとその流れを押さえ続けていたら「お前なかなかできるな!」などとボスにおだてられたりして時給が若干上がったりした。
なにごとも、それなりの効率のコツというものがあるということだ。
それで、ポイントは、ザックリいうと最小限の使用食器を回転させるということ。流しに食器が溜まるとそれだけ洗い物が増えて時間も労力も光熱水費の必要経費も無駄が増える。一輪車操業はこぐのをヤメたらコケるしか無いのだ!ブツブツ・・・

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タンスの木の実 

2019/01/24
Thu. 23:43

通勤坊主の暮らしが普通になってきたから、それにあわせて彫刻の「棲み分けを考えても良いなぁ〜」と思うようになった。
どういうことかというと、道具や電動工具や彫刻材料とかその周辺のさまざまに関係する消耗品や備品を仕分けて、制作の基地を分散するということ。
鉄の彫刻とソレに関連する道具関係は今までの工場をベースに整備する。
木彫や石彫関係のモノは寺の方へ移動しておく。
梱包材や彫刻の展示台は工場の倉庫と寺の土蔵へ分割して管理する。
・・・そんな感じで、ザックリと仕分け内容を決めてからそろそろ1年になる。
通勤坊主の往復を利用して少しずつ関連の品々を運搬しつつ、制作のスケジュールが具体的に決まると、仕事がおおよそ形になるまでそれぞれの場所へ居続ける。時間のロスや光熱費などの必要経費も若干削減できて無駄な出費が軽減できたように思う。

ワイフはもう長い間吉田家の一番良い部屋を制作工房に占領していて動こうとしない。それで、ギリギリのスケジュールを組み立てても制作のシステムにブレが少ないからだいたい予測どおりに仕事がはかどって無駄が無い。
私も理想を言えば、やはりワイフのように制作工房は一箇所に絞っておきたい。そのほうが制作に対するモチベーションも安定して集中がいい。それはわかっているのだが、現実に坊主家業と彫刻家を使い分けながら暮らしているうちはそうもいかない。だいたいがヒマに暮らしてはいても、それなりにさり気なくささやかな悩みもあるわけです。

2月の下旬に個展の模様替えを考えていて、その時に新作を10点ばかり増やしつつ、今の彫刻配置を移動しようと決めている。その新作に七宝のパーツを組み込むことにしていて、試作も兼ねて制作した彫刻が3点ほど出来た。おおよそ当初のイメージ通りに出来上がったので、工法も含めて全体の迷いが消えた。
七宝は、関連の道具や材料などをすべて寺の方へ移動してあったから、パーツが完成するまで寺に居続けた。庫裏の一部を即席の制作工房にした程度のことだから、どこかしらやりにくいところもあって制作のストレスが解消できているわけではないが、それでも朝から晩まで一つ事に集中することが出来て疲労感も心地良い。

寺ではだいたいシャワーで済ませることが多いのだが、たまにはゆっくりと風呂へ入るのもいいだろうと、その準備をしながら着替えやバスタオルなど庫裏のアチコチに分散しているタンスや衣料ケースの物色をしていたら、冬用衣類の間から木の実がコロリと転がり落ちた。それほどたくさんの衣装持ちでもないし、いつもセッセと洗濯を繰り返しながら同じものを着続けているからタンスにしまいこんだ冬物は洗濯のローテーションにない。たまたま洗濯の回転が若干狂ったので着替えを物色したわけだが、ソレをしなければ、たぶん木の実は「次の冬シーズンまでそのままかもしれない・・」と思ったものの「さて、あの木の実を冬物の隙間へ持ち込んだのは何者だ?!」と気がついた。私が留守の間に万善寺へ居着いたヤツがいる。冬の間の食料で確保していたのだろう。どうせ近所の野ネズミの仕業だろうが、どこかしら微笑ましくもある。せっかくなので見つかった木の実は1箇所に拾い集めておいた。

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追記:11月12日「周藤さんの彫刻
   彫刻家周藤豊治のファン微増!
   吉田正純の彫刻・・・「アレ、何ですか?」
             「アレはボクが造った彫刻です!周藤豊治の彫刻ではありません・・・トホホ・・」

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ドッチがいい? 

2019/01/22
Tue. 23:51

1月は行って、2月は逃げて、3月は去って・・・アッという間に4月になる。
3月には上野で展覧会もあるから、その準備もそろそろ具体的に進める時期になった。

年度末の申告があるから書類の整理がてら寺にこもった。
1年分のコトを1日で片付けることも難しいから、まだまだ何日もこういう事務的なコトを続けなければいけない。ワイフはほとんど源泉徴収票で申告を乗り切る事ができるから私のような二重生活の自由業からするとずいぶん楽に申告が終わる。これも、毎年のことだからある程度の慣れも出てくるが、昨年は予期しない出費が重なったのでどんな集計結果が出るか心配だ。
まぁ、今更どうなることでもないけどね・・・それなりに、その日暮らしで飯が食えていたわけだから、それはそれでなんとかなっていたということで、有り難いことです。

このところ冬とは思えないほどうららかで過ごしやすい日が続いている。
こんな刺激やストレスのない天候が毎日続くと、もともと自堕落に怠け者のボクとしては精神の緊張感が退化してとろけそうになってしまう。それで、天気もいいし気持ちの切り替えも兼ねて、何年も前から気になっている畑の荒れ地を刈り込むことにした。
もともとは、田んぼの耕作をヤメて畑に切り替えたとき、その頃はまだ若くてバリバリ元気に農作業で働いていた母親が、その勢いを借りて大根を育てるようなウネを作ってセッセとサツキやらツバキやらアジサイやら色々な鑑賞木の苗木や挿し木を整然と植えたことからはじまる。とにかく、植物というものはしゃべらないし動かないし静かなものだが、それでそのままほったらかしにすると気が付かない間にどんどん成長して際限なく繁茂してしまう。だから、毎年維持管理を欠かさず継続しないと収集がつかないことになって、鑑賞に耐えられなくなる。母親は、そういう先々のことにまで責任を持たなければいけないということを予測できないまま目先の夢と理想を追いかけてしまったわけで、その結果が今の荒れ地になったわけだ。
ツルヤカズラの巻き付いた木の枝を払うだけでもかなりの重労働で、2時間も続けるとぐったり疲れる。1m四方を刈り込んだ枝木やツルやカズラを積み上げると、たったソレだけで自分の背の高さくらいまでになった。その山を見て力尽きた。

コーヒーを啜っていると、寒雀の集団がドッと古古米にやってきて賑やかになった。
そういえば、吉田家のクロが毎日飽きもせず裏庭を眺めている定位置のすぐ先にも石見銀山の雀たちがよく遊びに来ている。脱走を成功させたときに、何度か雀をくわえて帰ってきたことがあった。そのたびにワイフは狂ったように奇声を発して大騒ぎをしながら私へ救いを求める。クロとしてはワイフへのお土産のつもりなのだと思うが、それを彼女は素直に喜んで受け入れることができない。そのクロもそろそろ人間でいうと40歳位になって、メタボが気になるようになった。ボクとしては、たまには運動がてら脱走を黙認してやっても良い気もするのだが、ワイフがそれを絶対に許さない。

さて、植物と動物・・・上手に育てて上手に付き合うには、ドッチがいいのだろう??
結局ドッチもほったらかしにできないから似たようなモノなのだろうが、ボクはどちらかといえば動物が良いな。植物の物言わない不気味さがどうも苦手だ・・・

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クロとBazzi 

2019/01/21
Mon. 23:50

突然クロがものすごい勢いで飛び跳ねた。
それからしばらくのあいだ頭を小刻みに振ってあたりをキョロキョロ見ていた。
私はクロの隣で寝ていたのだが、それで目が覚めた。
正確に言うと、私が寝ていると吉田家の夜回りを終わったクロが隣にやってきて丸くなるということ。
だから、彼は私が気づかないままいつの間にか隣で寝ているわけ。
クロが突然飛び跳ねた時はものすごい衝撃だった。しばらく、自分の心臓のドキドキがおさまらなかった。
背中を擦ってやっていたら、ペロペロと身繕いをはじめた。気持を落ち着かせようとしているのかも知れない。
いったい、何があったのだろう?
電気をつけて部屋の様子を見たが、特に気になることもない。
「ネコって、夢見るのかなぁ〜・・」

最近になって、気づいたことがある。
昔は、夢を見ても朝になって目覚めた時は内容を全く覚えていないことばかりだった。
夢の中でなにかしていたりとか、なにかとても大事ななにかを見ていたりとか話していたりとか、そういうことまでは思い出すのだが、具体的に「なにか」がナニであったのかを思い出すことが出来ないまま、知らない間に夢を見ていたということそのものを忘れてしまっている・・・ということばかりだった。
それが、いつのまにか目覚めてしばらく経ってからでも夢の内容をかなり鮮明に覚えているということが増えてきた。
内容はその時々で色々。自分が若かったときのこととか、自分が見たこともない知らない場所にいたりとか、時にはわけのわからない彫刻を造っていたりすることもある。

ちょうど1年前は自分の人生で記憶に無いほどの大寒波がやってきて、飯南高原の万善寺は陸の孤島状態でえらいことになっていた。
とにかく、朝夕の参道の雪かきがたいへんで、たぶんそのときの労働が元になってしまったのかも知れない指先のシビレが直らないまま、今に至っている。夜に寝ていても、ふとした拍子に指先のシビレた感覚が気になってそれからしばらくのあいだ眠れない状態が続く。そういう、浅い眠りが増えたことで、夢の内容を記憶できるようになってきたのかも知れない。いずれにしても、確実に1年1年自分の老化が進んでいるということなのだろう。これから先は、自分の身体をできるだけいたわりながら無理をしないように暮らすようになっていくのだろう。

そんなわけで、夜中に起きていることが増えた。
目が冴えて眠れなくなってしまった時は、音楽を聴くようにしている。
かすかに何処かから音楽が聞こえてくるぐらいにボリュームを絞って聞き流している。
最近良く聞いているのはBazzi。アルバム1枚が40分ぐらいだから最後まで聴かない間にいつのまにか眠っている。

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あの頃のボク 

2019/01/19
Sat. 23:46

駅の北口へ出ると正面に映画館があってそのすぐ右から北へ向かって商店街が続いている。
少しほど下り坂になっている商店街の道はインターロッキングになっていて次の四つ角まで続いてそこで終わる。
家並みの隙間から差し込む西日に照らされた塵が絶え間なく舞っている。
四つ角を右に回ると背中に西日が当たってなんとなく暖かい。環状線の大通りへ突き当たったら通り沿いに左へ曲がってバス停を2つ歩いた少し先から斜め左の路地へ曲がる。
その路地の先はT字になっていて、突き当りに酒屋がある。
8畳くらいの狭い酒屋は向かって右側の壁に沿って業務用の冷蔵庫が据えてあって、中にはビールとか冷酒と一緒にジュースやコーラなどが冷やしてある。冷蔵庫の左隣には冷凍庫があってアイスクリームとか氷の袋が入っている。通りに面したガラスのショーケースはがラス板で上下二段に仕切られていて、上の段にはおつまみの袋が種類ごとにまとめて並べてあるが下の段はほとんど何もなくて右の端へダンボールの小箱が寄せてある。おおよそ真ん中あたりに奥まで続く通路のようなスペースがあって、左側にあるスチールの骨組みと薄い合板を組み合わせた移動式の棚には、ワンカップの瓶や缶詰やソーセージや菓子パンなどがビッシリと並べてある。
スチール棚の奥の壁沿いには作り付けの棚があって、洋酒や日本酒が並べてある。
通路になっているスペースの突き当りの左側に小さなカウンターがあって、レジスターが載せてある。
カウンターの後ろは狭い廊下でその向こうに座敷がある。
カウンターの右側の板壁にはアサヒビールとかキリンビールなどのポスターが張ってある。どれもかなり古くなって煤けて黒ずんでいる。
その前には細長い木製のテーブル。椅子はない。テーブルの長辺は通路スペースと冷蔵庫に冷凍庫、短辺に板壁とガラスケース。テーブルを中心に人が一人周囲をグルリと回ることができるほどのスペースがある。テーブルの上に孟宗竹の節一つを底に使って輪切りにした箸立てがあって袋入りの割り箸がビッシリ詰まっている。テーブルの下には四角のポリ容器が2つほど置いてある。
そのテーブルに向かって3人の男が立呑をしている。一人はワンカップの酒。あとの二人は缶ビール。テーブルにはつまみの袋が2つ3つ空いていて、ワンカップの男はなにかの缶詰を割り箸でつついている。缶ビールの二人は知り合いのようで、テーブルを挟んで向かい合ってなにか小声で話しているが、ワンカップの男は一人で飲みながら時々店のおかみさんと話している。
酒屋の右側に細い路地があって、少し先にペンキで黒く塗った鉄製の階段が見える。
何気なく酒屋を覗いたらカウンターのおかみさんと目があったので軽く会釈した。それから路地に入って階段を上がると真正面から家並みの隙間をすり抜けた西日がもろに目に入って周囲が黄色く光った。子供の声がして小学校のチャイムが鳴った・・・
耳元で「ニャァ〜!」と猫が鳴いた。鳴き声に聞き覚えがある・・・クロの声だ。西日が眩しくて目が開けられない。「チリン!」今度は鈴の音がした。「アレッ??なんでクロがいるんだ??」・・無理して目を開けると天窓から朝日が差し込んでいる。眩しい・・・クロがまたニャァ〜と隣で鳴いた。
夢だった。とても懐かしい夢だった。酒屋は大家さんであの頃のボクは長髪で髭面だった。

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パシリ坊主 

2019/01/18
Fri. 23:27

庫裏玄関の脇にあるブリキの安っぽいポストがぐにゃっと平行四辺形にねじれ曲がるくらい無理やり紙の手提げ袋が詰め込んであった。
それをまた無理やり引っ張り出すと、ポストが微妙に傾いたのでそれを元に直そうと無理やりねじったがどうも直らない。
たぶん裏の止め金具かネジのようなものがズレたまま何処かに引っかかってしまっているのだろう、そのままでもポストの機能に大きな障害があるわけでもないから、ひとまずそのままにしておくことにした。

紙袋は、町内上組分の回覧板だった。
1ヶ月に1回ほど、行政や各種団体の定期通信がまとまって配布されてくる。
「上組班長」という役職の使いっパシリをしていて、またその用事が回ってきた。
1年で隣へ1軒ずつ役職が交代しながらエンドレスで回ってくるから、上組の場合順当に行けば5年後に次の班長が巡ってくることになる・・・が、万善寺住職の吉田は、すでに3回目の班長を務めていて、ソレにプラス公民館長1年、会計1年を務めている・・・ということは、毎年何かの役が回って来ていることになる。
その、役員交代を兼ねた常会が3月下旬に保賀の集会所で開催される。ちょうど、その時期に毎年東京で彫刻のグループ展が重なるから、基本的に常会は欠席することになる。結局は誰かがナニカの役職を引き受けないと町内の自治が回らないから、よっぽどのことでもないと「NO!」と言えない。それで、はじめのうちは欠席裁判のようにコトが決まって「万善寺さんは○○職が回ってくる番でしたけぇ〜・・」などと、常会の決議事項を後日知らされて、それで次年度の1年が回り始める。
「これって、ちょっときついなぁ〜・・・」と無い知恵をし絞って、「上組の皆さんの同意がいただければ、しばらく班長を固定していただいて構わないんですが・・・そうしていただくと、こちらとしても助かることもあったりして・・・」
役員交代と事業報告の常会の時に提案してみると、若干アレコレあったが比較的すんなりと「まぁ、そういうことでしたら・・」よろしくということになった。

少年時代は、保賀の谷で全戸30軒の世帯があって、家族を数えると人口はかるく大型バス1台分をはるかに超えて、年の節目の行楽事業や神事催事は子供大人ジジババまでみんな集まって大賑わいだった。
今の常会の当て職は、その頃から延々と引き継がれた決まり事がベースになっていて、誰もそれに異論や対案を示さない。昨年に絶縁の家が1軒増えたから、今年度は戸数が20軒を切った。高齢者の独居も4軒ほどある。それに常時空き家もあるから常会も欠席世帯が増えていてこういう状態で当て職を回転させるとなると、もう自治会の円滑な運営に支障をきたすことが目に見えているから、さり気なく何気なく目立たないように上組班長の輪番を解体した次第。
このまま、もうしばらく同じように回覧板や集金のパシリを務めたら、そのうちソレが普通になって、誰も気にしないまま時が過ぎ、気づけば上組どころか町内全戸の「パシリ坊主」に昇格する日が近いかも知れない。
たった20軒くらいのことだから、保賀の役職の統廃合で分担を軽減することが今の密かな企みであるわけです・・・

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2019-06