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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

銀くんの屋根 

2019/12/07
Sat. 23:12

イチョウがすべて落葉してから、少し前まで万善寺駐車場が黄色の絨毯を敷き詰めたようにキレイだったのが、最近の冷え込みで連日霜が降りるようになると葉の水分が無残に凍って一気に干からびた赤茶色へ薄汚く変色した。
12月に入って雪も降り始めたし、このまま冬になっていくのだろうと思っていたら、予想に反して快晴が続いて、雲ひとつ無い秋の空が戻ってきたようだ。

元号が令和に変わって初めての冬は、頚椎の手術をした私にとっても術後初めての冬になる。
10日ほど前から右手の指先にかけての痺れが急にキツくなって、今まで効いていた薬の効果が薄れてきた。
処方の薬もあと僅かになったし、年内に内科と外科を回っておくことにした。
内科はそれほど気にならないが外科の方は待ち時間が長くなることがわかっているからそのつもりで暇つぶしを確保しておいた。それでも年末のせいもあってか、いっこうに呼び出しもかからなくて流石に暇をつぶすネタも尽きた。
iPad miniをなんとなく回覧していたらAmazonでルーフキャリアを見つけた。
今の銀くんへ変えた時、2m位の長いものを積むためにほしいと思ってカーショップを回ったこともあったが、その時はダイハツのモデル変更直後で規格に合う凡庸性のキャリアがまだ市販されていなかった。
それから日常の慌ただしさに紛れて失念したまま過ぎていたのをAmazonのせいで今頃になって思い出してしまった。そろそろ1回目の車検も迫っているし、ひょっとしたら今の銀くんに合う規格のものが出来ているかも知れないと気になって規格表示サイズを元に探してみたら、ROCKYのSGRシリーズでどうもSGR10がボクの銀くんの屋根に載せられそうだとわかった。Amazonだから買い物かごをポチッとやれば一瞬で購入手続きが完了するのだが、そんなに安い買い物でもないし、とりあえず自宅へ帰って再度細かくチェックしながら一晩くらいは落ち着いて考えてみることにした。
次の朝になって、結局ポチッとやってしまったルーフキャリアが、その後1週間位は過ぎただろう頃に帰宅してみると届いていた。
ちょうど天気も良いし、万善寺でゆっくりと組み立てることにして箱のまま銀くんへ積み込んだ。
いつものように寺の朝のアレコレを片付けて、コーヒーをいつもよりたっぷりと用意した。
バックミュージックはシェリル・クロウのアルバムにしてキャリアを箱から取り出した。アルバム1枚が1時間チョットなのでソレを目安に説明書を見ながら組み立てた。
少し華奢な感じで重量物だとグラツキそうな気がしないでもないが、しばらく様子を見て気になるところは補強を考えてみても良い。
ひとまず、念願だったキャリアを取り付けられたのだが、年末のどちらかといえば寺のこともいつもより忙しかったりするのに、大事な時間を自分の私的なことで使ってしまった。
チョット後ろめたい気もして、チキン坊主の心がチクリと傷んだ。
夕方のお経は、線香も長いものをお供えしていつもより念入りに丁寧に時間をかけた。

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今日の仏膳 

2019/12/05
Thu. 23:35

飯南高原は雪になった。
広島県との県境には海抜1000mを越える琴引山と大万木山がある。
その山頂が見えなくなるほどの雪が断続的に降り続いたが、国道や万善寺のあたりはうっすらと白くなった程度ですぐに消えて積雪までにはならなかった。それでも、万善寺の境内には屋根からの雪吊りで雪山が出来た。
今年は秋が暖かかったから、紅葉の見頃が無いまま冬になった。
いつもだと今頃にはだいたいほとんどの広葉樹は葉が枯れ落ちて枝木だけになっているのだが、未だに枯れ葉がしぶとく枝にくっついていて山の地姿が全く見えてこない。このままドカ雪が降ったりすると、落ち葉にならないまま枯れ残った葉に雪が張り付いて、その重さに耐えられない枝木が折れて電線を切るなどの冬の災害が増える。
数年前もちょうど今のような感じで12月が始まって年越しが迫った頃にドカ雪が来た。アチコチの電線が倒木の被害にあってしばらく停電が続いたせいで、今流行りの電化住宅は大変なことだったと聞いた。
万善寺はまだ母親が元気で生きていて、朝夕は目の色を変えて狂ったように参道の雪をかき分けていた事を思い出す。どこかしらあの年と似たような冬になりそうな気もして、チキン坊主は少々ビビっている。

「今朝は久しぶりに冷え込みまして足元も悪いのにご足労いただいてすみませんねぇ〜」
七日務めで朝のうちにお参りしたら、亡くなったおばあさんの娘さん(といっても、私とドッコイのおばさんだけど・・)が申し訳無さそうな顔で出迎えてくれた。
「いえいえ、雪も降らないと冬になりませんからねぇ〜これからもっと冷え込むでしょうし・・」などと、世間話をしながらろうそくや線香の準備をして、湯茶と仏膳を香へ潜らせた。早いもので、もう七日務めも四七日になる。
宗門では仏事があると仏前へ5つ組のお膳を用意してお供えする。
そのお宅はいつも丁寧に仏膳を作ってお供えされてあって、とても美味しそうだ。
お経を読んでいても、修行の未熟なナンチャッテ坊主はお膳に釣られて口に唾が溜まって途中で何度もゴクリと唾を飲み込んでお経の流れがだらしなく途切れる。
説教にもならない小話が終わると「いつもいつも美味しそうなお膳で・・おばあさんも喜んでいらっしゃいますよ、きっと!」とお世辞でもない正直な気持ちを伝えると「できるだけおばあさんが好きだったものを作ってあげようと思いましてねぇ〜」と嬉しそうだ。
「あのぉ〜・・・チョット聞くんですけど・・・麻婆豆腐好きだったんですけど挽き肉入ってるし・・・やっぱりおそなえの膳にはダメなんでしょぉ〜ねぇ〜・・・それに、鮭のおにぎりとか、そういうのもよく自分で作ってたんですけど・・・それからつぼ椀に肉じゃがもダメですよねぇ〜・・・」
きっと、亡くなったおばあさんが仏膳のことを事細かに言い伝えされていたのだろう。
「いいじゃぁ〜ないですか!あまり気にされなくてかまいませんよ。万善寺も前住職は何かとうるさいことを言ってましたが、いいですよ好きなものを作ってあげてください!」
今日の仏膳には飯碗へ美味しそうな炊き込みご飯が盛ってあった。
帰り際に「これ、お昼代わりにどうぞ!お膳と同じものですけど、たくさん作ったんで」と弁当にしたものを頂いた・・・帰って開けてみると、炊き込みご飯がノリを巻いて俵むすびになっていた・・・

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定休日 

2019/12/04
Wed. 23:05

この数日で一気に冬らしくなってきた。
隙間だらけの吉田家は朝晩の底冷えが厳しくなってきたせいか、ネコチャンズの活動も鈍って一日中ゴロゴロと寝てばかりいる。
小品彫刻展の会場は毎週水曜日が定休日だし、寺の用事も少し落ち着いたところだし、それに最近右腕から指先の痺れがひどいしするから、たまにはネコチャンズに見習って??一日ゴロゴロと過ごしてみることにした。

半年ほど前から吉田家ホームシアターの要であるプロジェクターが起動するたびにギャァギャァとものすごいノイズを発するようになってズゥ〜ッと気になっていたのだが、なかなかその原因に付き合うほどのまとまった時間が作れないまま今になってしまった。
朝のうちしばらくはネコチャンズとマッタリ戯れながらのんびりしていたのだが、ワイフが仕事にでかけた頃からどうもジッとしていられなくなってソワソワ落ち着かなくなってきた。それで仕方がないから、気になっていたプロジェクターへ付き合うとこに決めた。
その三菱製プロジェクターを使い始めてもう20年近くにはなると思う。
当時はけっこう高い買い物だったが、映画好きのボクとしてはそれなりに納得のいく商品だったから最後まで購入に抵抗していたテレビ好きのワイフを振り切って他の家族を説得して買ったものだ。それから約20年、子どもたちも独立して二人暮らしになってからは、彼女も機嫌の良い時やたまたま時間と気持ちに余裕がある時はボクのホームシアターライフに付き合ってくれるようになった。
彼女のお気に入りは「深夜食堂」と「時効警察」・・・何時だったか、お気に入りの訳を聞いたら、オダギリジョーが好きなのだそうだ。そういえば、どちらのドラマにも彼が出演しているし、もう結婚生活40年近くにもなって初めて彼女の好みがわかった。

取扱説明書が何処かにあるはずだと、吉田家の心当たりの場所をアチコチ探してみたが結局見つけられなかったので、ウエブ検索をしてPDFのページを探り当てた。
プロジェクターは度々動かすこともないし、故障だとすると配線コネクタの接触不良かファンの汚れだろうと素人診断してメンテナンスをしてみたのだが、変な異常音は治らないし、今度は画像までブツブツ途切れるようになって収拾がつかなくなってしまった。
どうしたものかと、だんだん焦ってくるし、そうこうするうちにゴロゴロと寝ていたネコチャンズが目を覚ましてご飯を催促して大騒ぎを始めるし、完全に集中の糸が切れてしまった。とにかくひとまず落ち着こうと、関係のAV機器を全てリセットしてみることにした。
ネコチャンズにご飯をあげて水を補充して、それからカップに残って冷めきっていたコーヒーを飲んだら少し落ち着いた。
再度、それぞれの機器へ電源を入れなおして起動を待っていたら、少しずつ明るくなったスクリーンへ「ランプを交換してください」と荒いドットの文字が浮かんできた。
「そぉ〜かぁ〜・・・さすがに20年も使っていたら、ランプ交換の時期も来るわなぁ〜・・」ということで、不具合の原因がわかって一安心!

それからしばらくしてワイフが帰ってきた。なんか、休息どころかグッタリ疲れたなぁ〜

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秋の祭日 

2019/11/24
Sun. 11:59

保賀の山王さんの神事が無事に終わった。
毎年、秋の11月23日が祭日に決まっていて、三年に一回当番が上組へ回ってくる。1週間ほど前から寄り合って交換用のしめ縄を作ったりして準備の用事が続いていた。
万善寺は上組に属しているから、本来なら当然集落のお手伝いをすることになるが、今まで「お寺さんが神事に関わるのはいかがなものか??」という、地域の古老のお考えと「寺は神事に手出し口出しをするべきではない!」という、歴代住職の考えが一つになって、少なくても私が子供の頃から記憶にある限り、地域の氏神様のお祭に万善寺が参加したことはなかった。
寺の住職交代があってから後も、先代夫婦が健在なうちは過去からの伝承を引き継いでいたが、もう大祥忌の法要も過ぎたことだし、そろそろ当代住職の考えで地域とお付き合いしても良いだろうと気持ちを切り替えた。
毎年、神事の時期は小品彫刻展と重なるので会場受付を優先するから当日は欠席することになる。それで、今回は都合をみて山王神社境内の草刈りを引き受けた。
お祭りは、保賀の集落から家族の殆どがにぎやかに参集して宮司さんにお祓いをしてもらう。山王神社での神事が終わったら地域の集会所へ移動して宮司さんを囲ってささやかな酒宴が始まるのだが、私がその酒宴へ合流できたのは今年の当番だった上組の連中だけが残って、あとはみんな解散したあとだった。

もう、100年以上前から山王神社の神事と縁が切れたままになっていた万善寺の立場を自分の代で切り替えたことになる。
堅苦しく思うと現代仏教の宗教家として常識を若干逸脱したことになるかも知れないが、元々の日本仏教は神仏習合に起源するから、自分としては民衆信仰の本来の様式に立ち還っただけの事だと思っている。

そろそろ日が暮れる頃になるまで上組の連中と他愛ない話題を肴に酒宴が続いた。
それほど深酒にもならないで程よく気持ちよくなったところで適当に切り上げた。
途中、お地蔵さんの前でご真言をお唱えして、参道を登っていると尻尾の長い黒猫と出くわした。一瞬お互いの視線が合って、それから猫は勝手知った様子でなんのためらいもなく本堂の階段脇から座の下へ入っていった。その黒猫とはこれで3回ほど接近遭遇している。今のところ寺の本堂や庫裏が黒猫の巡回コースの一部になっているようだ。そのせいだろうか?最近ネズミがいなくなったし庭先で野鳥の姿も見られなくなった。
もう、随分前のことになるが、一時期、本堂の座の下で狸の母子が暮らしていたことがあった。その頃は、毎日決まったように寺の周囲の決まった場所へ3cmほどの小さなウンコが転がっていた。ソレが母狸の縄張りだったのだろう。その狸は子育てが終わると何処かへ去っていって、帰ってくることはなかった。
さて、黒猫の巡回はいつまで続くのだろう・・・

夕暮れの日差しに照らされた満天星が真っ赤に色づいて燃えているようだ。
昔はマメに剪定をしていたが、何年もほったらかしているうちに幹も見事に太って野生になっていた。裏山が年々万善寺へ迫っている。

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ブログ再開 

2019/10/14
Mon. 11:11

飯南高原の朝は気温13℃・・・
つい先日は、10月になったばかりで30℃を越えた日もあったのに一気に秋が深まった。

ブログから遠ざかってもう1ヶ月になる。
その間、ネタの写真が溜まりすぎてラップトップのディスプレイが収集つかないほどに散らかってしまった。
そんなわけで、ちょっと本気になって写真の整理も兼ねてブログ再開を決めた。

実は、皆さんご存知のように、現在身体の右側を中心に首筋から肩を通って指先までの痺れが続いている。
ボク自身の不摂生と不養生でこの10年近くの間にジワジワと頚椎の不具合が進み、やがて神経を圧迫するようになって、彫刻の制作中にある日突然右手の握力がスッと消えて無くなってスプリングクランプを握ることができなくなった。
さすがにそのまま放置してしまうと彫刻が造れなくなってしまうことになるから病院嫌いを断念して近所の整形外科へ駆け込んだのが昨年の年の瀬のこと。
ドクターの問診に症状を説明したら、なぜか首と腰のレントゲンを撮ることになった。
具合がわるいのは右の腕から指先までのことなのに「どぉ〜して首と腰なのかなぁ〜〜?」とよくわからないままレントゲン撮影をしてしばらく待っていると、二回目に診察室へ呼び出された時には、現像を終わった首と腰の骨がバックライトに照らされていた。
「このままだと、そのうち立てなくなりますよ・・・腰はもう少し持ちそうだけど、首はもう限界を越えてますね。手術するしかないでしょう!ここでは無理だから、手術のできる病院へ紹介状を書きますね。それでいいですか?出来るだけ早くそちらへ行って検査してもらってください・・・よく、こんなになるまで我慢できましたね・・」
「そぉ〜ですかぁ〜〜・・・今はチョット忙しくて・・・」
「検査だけでも急いだほうが良いですよ。年内が無理なら年が明けたらすぐに詳しく見てもらったほうが良いですよ。いずれにしても、手術は避けられないでしょう・・・」
「それじゃぁ〜、正月が落ち着いたら行ってみます・・・」
・・・とまぁ、そんなヤリトリがあって、春に入院して平成から令和に元号が変わるのを病院で過ごした。

手術しても痺れはとれないと言われていたから、ソレはそれとして気持ちの中ではゴクリと飲み込んでいるが、なかなか身体のほうが上手く慣れなくて、夜中になると首筋からの痛みが気になって眠れなくなるものだから、何回目かの通院の時にソレを言ったら「じゃぁ〜この薬を出しておきますね。飲み終わって無くなってもまだ痛くて眠れないようなら近所の病院で処方してもらってください」と60日分もらって帰った。
ソレがそろそろ無くなりかけているのだが、その薬を飲み始めたら、夕食が終わって夜の早いうちからすぐに眠くなって、調子の良い時は朝の4時位までグッスリと眠れるようになった。
ようするに、このブログを書く時間を削って爆睡しているわけであります・・・

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錻力店の鎚音は・・ 

2019/09/11
Wed. 12:05

ひところに比べると随分陽が短くなった。
吉田家前の駐車場へ着いた頃はもう銀くんのヘッドライトが無いと辺りの状況が見えないほど暗くなっていた。

ワイフとお隣さんの車が出船状態でならんで駐車してあれば、その隣の空きスペースに銀くんを横付けするのだが、どうもいつもと様子が違う。
吉田家前の駐車場へ黒塗りの大きなセダンが窮屈そうに停めてあるし、すぐ隣の駐車スペースにも見慣れないワンボックスやハッチバックや軽バンが窮屈に停めてあって、町並みの暗がりを数人の男女が慌ただしく行き来している。

吉田家から2軒ほど川下にある家は、古から錻力店だった。
石見銀山が閉山になって町並みの活気が絶えてゴーストタウンへ変わる頃に、ご主人が営業を大田市の駅前通りに移転してそちらへ生活の本拠地が変わってから後、石見銀山の錻力店はずいぶん長い間空き家のままだった。
吉田家が石見銀山へ転居した頃も空き家のままだったのだが、その後世界遺産登録の話が本格的になる頃に駅前通りで営業していた雨樋やトタン板金の錻力店を店仕舞して石見銀山の元の家へご主人夫婦が帰ってきた。
錻力店の町並みに面した二部屋から土間にかけての改修が終わると、ご主人が石見銀山の間歩(坑道)で使われていたカンテラを造りながら観光客相手の土産物店を始めた。
カンテラは、まだ銀の採掘が継続していた近世になってから間歩で使用される唯一の明かりとして製造されていたもので、間歩の奥深くで作業をする手元を照らすための明かりとして使われたのだが、同時に坑道の奥まで酸素がいきわたっているかを確認する命綱として重要な役割の一つになっていた。酸素が薄いとカンテラの火が消えるから、それが目安になって間歩の事故を未然に察知していたわけだ。

錻力店のご主人は、今どき珍しいほど昔ながらの職人気質の人で、ことの良し悪しの尺度がことごとく自分の常識で決まっていた。だいたい世間でいうところの定年退職に相当する歳になったから潔く駅前通りの錻力店を閉店して石見銀山の実家へ引き上げた。まだまだ十分元気で自治会の新年会などでは好きな酒もよく飲みよく語っていた。
お父さんから伝授されたカンテラ作りを再現したご主人は、世界遺産の登録とシンクロして観光客に大受けした。マスコミの取材も絶え間なく続き、独特の大田弁と毒舌でアッという間に石見銀山を代表する有名人になった。遠くから錻力店のカンテラを目的に訪ねてくるファンも制作注文も増えて、とにかく毎日ブリキの板を叩く鎚音が朝から夕方まで絶えなかった。
その忙しさが良くなかったのかある日軽い脳梗塞で倒れた。
リハビリの後、退院して錻力店を再開したが、鎚音は激減した。
その後少しずつ体力が弱り、数年前には店へ出ることも無くなって奥さんが土産物の店番をしながら夫婦で静かに暮す日々が続いていた。そしていよいよご主人の身体が動かなくなってから本格的な入院介護へ入って、ご主人の顔を見ることもなくなっていた。

久しぶりに自宅へ帰られた行年82才のご主人はとても穏やかなお顔だった・・合掌

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暑い秋 

2019/09/09
Mon. 16:51

歳のせいかもしれないが・・・今の時期になって気温30℃越えはキツイ・・
またも、寺の用事ができて早朝に吉田家を出発した。
途中、銀山街道の九日市にある温度計は午前八時前なのに、すでに32℃の2の字が1の字と交互にピコピコ点滅していた。

寺関係の書類を提出して一心地ついたので、いつもの材料屋さんのいつもの担当のOくんへダイレクト電話をしてみたら「9時位には工場へ行けますがどうですか?」と返事が帰った。そういえば、先週末の話では、金曜日に材料が入ったら「夕方にはお持ちできますが・・」というようなことになっていた。結局その日は件の寺の書類と格闘していて材料を受け取ることが出来ない旨の電話を入れておいたのをOくんは覚えていて気にしてくれていたようだ。土日の2日間が無駄になって週が変わってすぐのことだから、仕切り直しになった材料の納入を急がせてしまったふうになって少々心が傷んだが、また寺のことで無理を言うことになってしまった。
「10時にはなんとか工場へ行けそうなんだけど・・」
「ハイ、良いですよ、じゃぁその頃に待ってます!」
これでひとまずこれで鉄板も揃ったし、まだ頭の中でモヤモヤしているかたちを整理して早く制作にとりかかれるようにしなければいけない。

今年は制作のペースがかなり落ちている。
春先からの入院などがあったから仕方のないことだが、こういう時に気をつけなければいけないのは、無駄にかたちをこねくり回しすぎてしまうことだ。
実材に取り掛かる前の時間が長すぎると考えなくても良い余計なことを考えすぎてしまって、結局本当に大事なかたちの骨格が曖昧に崩れてしまうからだ。
今まで、何度もソレで失敗した。
私の場合、幾つかの仕事や用事が重なって少々気ぜわしく制作の余裕が無いくらいのほうが造形のシンプルを集中して追求できているような気がする。
もっとも、そういうことも自分で勝手に「ソレが良いのだ!」と思い込んでいるだけかもしれなくて、吉田彫刻に対しての周囲の評価判断はまた全然別のところにあったりするものだから、世間の客観的な評価基準とはかなり距離が離れているのかもしれない。
まぁ、それでも失敗成功含めて「自分が納得していられればそれで良いや・・・」と、そういうふうに割り切ってしまえる歳になった。

待ち合わせの時間を少し遅刻して工場へ到着したら、すでに材料を載せたトラックが工場前で待機していた。恐縮しながら鉄板を下ろして、それからすぐに制作へとりかかれるよう、道具を動かすなどして工場を整頓しておいた。
整形外科の薬が無くなったので工場から病院へ直行して診察を受けて寺へ引き返したら、九日市の温度計が37℃まで上昇していた。
台風が関東を直撃してアチコチに大きな被害が出た。首都圏の災害は想像以上に人々の混乱を誘発している。秋の六本木の展覧会はよく会期中に台風が通過する。強風で野外設置の彫刻が倒れたりしないような工夫をすることも制作上の大事なポイントだ。

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薔薇とネルドリップ 

2019/09/01
Sun. 11:52

ワイフが○○回目の誕生日を迎えた。
早いもので結婚してから35年になる。
今まで色々あったが、それなりに付かず離れず適度な距離感を維持しながらだいたい平和に暮らしていると自分では思っている。
趣味や主張や性格や嗜好など、一つ一つ細かに具体的にチェックし始めたら共通点など殆どなくなってしまうくらい別の世界を生きているのだが、それでも今までさり気なく見て見ぬふりをしながら夫婦を続けられていられるということは、お互いに自分では気のつかない何かしらの心地よさを共同生活に感じられているからかもしれない。

とにかく、彼女の誕生日であるということは吉田家にとって無視の出来ない重要な御縁日の一つでもあるから、毎年ほぼ変わりなく似たようなプレゼントを準備させてもらっている。
前記のように、お互い共通するモノが限りなく少ないから、自分の好き嫌いでプレゼントを決めたりすると、丸く収まるものもそうならなくなって後々の面倒臭いトラブルのタネになってしまう恐れもあるので、とにかくあまり大げさでなく無難で当たり障りなく「君の誕生日はちゃんと覚えていますよ!おめでとう!」的気持ちが伝わる程度のさり気なさをプレゼントに託すことにしている。

例年だと、そのワイフの誕生日あたりを区切りに万善寺のお盆の諸行事が一段落するのだが、今年は夏の期間にお檀家さんのお葬式が2つほど続いて、その流れの四十九日までの七日つとめが1週間に2日ほど巡ってくるものだから、仏事のスケジュールが微妙にずれ込んだりしてどうも落ち着かない。
七日つとめのお経は30分もあれば始まって終わるのだが、準備や往復もあるから結局半日はアッという間に過ぎてしまう。そういうコトをいちいち気にして坊主を続けていても仕方がないから「まぁ、そんなもんだ・・・」と割り切ってあまり深く考えないようにしている。
それで、その七日つとめがワイフの誕生日と重なった。
早朝に吉田家を出発して8時過ぎには寺へ到着した。
寺の朝の用事を一通りすませて少し落ち着いて七日つとめの準備を済ませたら、寺を出発するまでに少し余裕ができた。
いつものように朝のコーヒータイムには少し早いが、丁度新しいコーヒーが届いたところだし、久しぶりにネルドリップを試してみることにした。
コーヒーは好きな方だと思うが、あまり詳しい方でもないしたいしたこだわりがあるわけでもない。強いて言えば深煎りの「少々苦い方が好きかなぁ・・・」くらいのことだ。
袋の封を切ると、部屋中にコーヒーの香りが広がって癒やされる。
「お前、コーヒーにうるさいから、コレが良いかなと思って・・・」
同級生の親父さんが亡くなって1周忌の法事の引き物でケトルをもらった。
べつに彼が思っているほどうるさいわけでもないが、それからそのケトルがずいぶん重宝している。なによりお湯の温度が分かるところが良くて気に入っている。
ネルは85℃くらいまで温度を下げてからマメを蒸すと苦味にマロミが加わって良い。

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2019年の501 

2019/08/27
Tue. 14:16

特に深刻に本気になっているわけでもないが、身体が思うように動かなくなってから、今まで以上に自分の周囲をできるだけ丁寧に慎重に意識するように心がけるようになった。
断捨離を兼ねた身辺整理のようなものだ。

車の運転は、今後身体の状態が急変しないで大過なく過ごすことができたとしても、せいぜい15年位が潮時のような気がする。銀くんを大事に乗り回して20万kmは乗り続けようと思っているが、1年半で走行距離が4万kmに達しようとしているし、これからは無駄に乗り回さないようにしなければ、土壇場のところで辻褄が合わなくなってしまいそうだ。

彫刻家を自覚してそろそろ40年近くになって、このままいけば自分の半世紀を彫刻家として過ごすまでになる。制作を継続している彫刻にしても、これからは完成後の彫刻の身の振り方を含めて一括制作計画へ取り込んでおかないと、結局気づかない間に粗大ゴミと化して家族や後輩諸氏へ大変な迷惑をかけてしまいそうだ。坊主家業の方は住職を引き継いでからまだ10年程度のことだから、あと10年ほど大きな波風をたてないように慎重に目立たないように過ごせば、さりげなく周囲の知らない間に世代交代を進められるかもしれない。自分の周囲の痕跡とクールに付き合いながら少しずつ抹消していくことがこれからのライフワークになる。

衣食住を日常の生活の基盤とすると、一存では融通がきかなくて一番やっかいなのが「住」だ。コレばかりは家族のこともあるから、とにかく自分に関係するモノだけでも後の厄介にならないように地道に始末し続けるしかない。
「食」は、最近とくに意識して無駄食いとか無駄買いをしないように努めている。お寺のことだから年間を通して色々なお供えを有難く頂いているが、戦後の時代を乗り切った前住職夫婦はとにかくなんでも大事にしすぎるようなところがあって、お供えしてあった御下がりの1年も前のもみじ饅頭が冷蔵庫で眠っていたことなど普通だった。いくらありがたいお供えであっても、自分や家族で御下がりの消費が難しいと判断したら「お供えの御下がりなので少々線香臭いとは思いますが・・・」などと注釈しながら賞味期限が切れないうちに近所の彼方此方へすぐにおすそ分けすることにしている。シーズンの旬のものはとにかく何かに調理しているから無駄にゴミで捨てることもない。自分の嗜好を優先しなければ、冷凍庫で眠っている一昨年の餅や米だって美味しくいただくことが出来る。
「衣」は、そもそも基本的にユニホームを更新し続けているだけだから、自分で劣化の時期をおおよそ判断して買い替えている。大衣や袈裟は数十万もするから私の代は更新しないことに決めている。改良衣や白衣は5年ほど前に更新したから、あと5年位はなんとかして繕いながらもたせるつもりだ。彫刻の作業着はこれから彫刻家を廃業するまでくらいは更新しないで済みそうだ。日常のカジュアルな普段着はワイフが時々親切に衝動買いしてくれるから自分ではリーバイスの501を更新するだけでいい。前回は2013年と2014年の11月にメキシコ製を買った。時間差で更新しておくと最低5年は保つ。それで、2013年が6年目でついにダメージジーンズになった。注文したら先日エジプト製が届いたので早速洗濯機へ放り込んだところだ。今後あと1回位は更新で注文することになるだろう。
ボクの場合、着るものに流行がないところが大いに助かっている・・・

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レプリカント 

2019/07/26
Fri. 23:58

なんとなく夜眠れないのでイジイジしていたら、私の気配を察したのかクロがでかい声で鳴き始めた。しばらくしてロフトへの階段を登る足音が聞こえてきて、それからすぐ耳元で「ニャァー!」と鳴いた。
わざと足音をたてて階段を登って来るような時は、だいたいメシの催促だ。
メシのことなら1階のリビングのすぐ隣で寝ているワイフのほうがずっと近くて都合が良いだろうに、クロは夜中のことになるとなぜか私を名指しで起こしに来る。
仕方なく起き上がると、クルリともと来た階段へ向き直って私が来るのを待っている。自分から先にたってスタスタと空っぽになった器の前まで行って猫座りすると、無表情な視線を合わせてくる。まったく、真夜中に人間をアゴで使っているふうでムッとくる。そのまま素直にクロの言うことを聞くのもシャクなので、先にオシッコをしてフェイントをかけてやる。トイレから出ると、ちゃっかりシロがクロと並んで待っている。こういうネコチャンズの行動をみていると、ワイフとボクの夫婦関係が何気にリサーチされて、夫婦の力関係をコピーされているように思えて益々シャクにさわる。
結局、今夜もワイフは寝たままで起きてこなかった・・・

完全に覚醒してしまった時は、無理に寝ようと思わないで映画を観ることにしている。面白ければ最後まで観終わるし、退屈すると途中で知らない間に寝てしまっているし、どちらにしても真夜中の2時間程度はすぐに過ぎてしまう。
AmazonPrimeでブレードランナーファイナルカットを観た。
ブレードランナーは確かバージョンが3つあったはずだ。
東京から島根にUターンして2年目くらいだったかに当時の劇場公開版がビデオになった。
あの頃はまだキネマ旬報を購読していたから、監督はあのエイリアンのリドリー・スコットだし、主演はハリソン・フォードだし、ブレードランナーのデータを読み漁って期待と妄想で脳みそがとろけそうになっていた。
今でこそ島根もTジョイシネマが増えて話題の映画はだいたい封切りで回ってくるが、35年前のあの頃の島根は老朽化した昭和の映画館が次々と廃業していて、ちょっとマイナーな封切りを観るには米子か広島へ出かけるしかなかったから、ブレードランナーを観るのも、ビデオのレンタルを待つしかなかった。
それで、劇場公開版だが、あとになってディレクターズカット版やファイナルカット版を見比べてみると、リドリー・スコットさんのブレードランナーに対する形而上的熱量の高さがストーリーの抽象性に昇華して、映像を通した視覚的芸術表現のレベルがより高くなっているふうに思えた。劇場公開版は大衆娯楽映画的位置づけが強かったから、それではリドリー・スコットさんの目指そうとしていた映画芸術としての着地点は望めなかっただろう。いずれにしても、観る人の価値観の問題だから商業映画としての良し悪しの判断は大衆社会へゆだねるしか無いことだろう。
2019年秋のロサンゼルスが映画の舞台になっている。現実では今年の秋のこと・・・改めて、いろいろと考えさせられる映画だった。
目が冴えて寝不足のまま目が覚めた朝、レプリカントのリーダー役で強烈に印象深かったルトガー・ハウアーさんの訃報を知った。偶然とは思えないことだ。
ボクにとっては今まで以上に、より一層忘れられない映画の一つになった・・・

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台風のあと 

2019/07/21
Sun. 23:56

選挙の日は台風の通過と重なった。
その日の夕方からは弘法大師様の供養法要があるので、前日から万善寺へ泊まって塔婆回向の経木塔婆を書いた。
一晩中強風が続いて雨戸代わりの窓ガラスがガタガタとうるさかった。
雨の方は前日が凄かった。庫裏の大屋根から雨水が滝のように流れ落ちて、狭い裏庭が池のようになった。
夜が明けてから少しずつ小降りになって、お昼前には風も雨も峠を越して蜩が鳴き始め、鳥たちも鳴き始めた。
台風が南から温かい湿った空気を運んできたからだろう、やたらと蒸し暑くなった。窓を開けると湿った外気が一気に屋内へ流れ込んできそうだ。エアコンにしようか迷ったが、やはり自然の風が良いと思ってアチコチの窓を開けた。
お大師講へ出かける準備を始めたら汗がにじみ出て、首からヘソの方へつたい流れる。着物へ着替える前にシャワーでも浴びようかと思ったが、結局出先でまた汗をかくし、夜の法要が終わってからゆっくりと汗を流すことにした。
夕方、まだ少し明るさが残っている頃に地区の自治会館へ到着した。
お大師様の供養法要でお経を読んでからお参りの皆様へご焼香をしていただき、和讃を読みながら20枚チョットの塔婆回向を終わったのが、夜の9時前だった。
台風通過や選挙のこともあって、お参りの皆さんもお疲れのことだろうと少し心配して、
「・・・いつもなら少しお話をさせていただいていますが、いかがしましょうか?」
と、一応お伺いをたててみると、あちこちでさり気なく首を縦に振る方もいらっしゃるし「それじゃぁ、せっかくですので少しほどお話を・・・」させてもらうことにした。

まずは、選挙のこと。そして、台風のこと。それからお釈迦様や道元禅師さまのことをお話させてもらった。
何が正しくて何が間違いかという判断は、結局ひとそれぞれそのひとの主観的な常識の範ちゅうで決まることが多い。何が本物で何が偽物かの選択眼も結局はそのひとの眼力の度量の大小で決まったりする。
自分は複雑な人間関係や社会構成の中で、あふれかえる程の情報量や価値観にさらされて生きているということを自覚しないと、世間の現状を正しく把握することができなくなる。
激しい風雨にさらされたり大きな災害に合うと、だいたい殆どの場合それらに対してひとの心が一つになってなんとかしようと協力が芽生えるものだ。そういう中で、自分勝手に行動したり人の言うことを聞かなかったりすると、変に摩擦が生じてまとまるものもまとまらなくなる。
なんでも自分の思い通りにならない時だからこそ、自分の身勝手な思いを抑え気持を引き締めて眼前の事実に向き合うことが大事だ。
神仏にすがることでそのまますべての解決や安寧に繋がるわけではない。まずは、自分で自分の不徳を自覚し、善行を積み重ねることの努力を惜しまないということが大事で、結果はついてくるものである。
・・なんて偉そうなことを言いましたが、コレは全て仏教の偉い人から頂いたものです。

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台風 

2019/07/20
Sat. 23:21

台風が近づいている。
石見銀山は特に風が強くもなく、時々激しい雨が降るくらいだが、WEBの天気情報を見ると飯南高原の方は雷マークの雲や傘が斜めになっていたりしているから少々心配になる。

21日は弘法大師様の御縁日で、近くの集落でお祀りのお大師様供養がある。
「お大師さんですが、台風で大丈夫でしょうか?」
毎年持ち回りでお世話をされる大師講の当番さんから電話が入った。
「大丈夫でしょう!天気情報だと夕方には朝鮮半島の方へ行っているようですし・・・私の方はお伺いできますが、そちらの皆さんのお考えでもあれば・・・」
「方丈さんが大丈夫なら変更無しでお願いしましょうか?」
「ハイ!、それじゃぁ〜そういうことで・・・また変更でもあれば連絡してください」

弘法大師様のお堂が出来たのは何時頃からなのか、今の大師講の皆さんではもうわからなくなっている。
私の方も、真言宗の開祖さんである弘法大師様とは直接縁深いわけでもないし、先代から引き継いだ法要をその通りに守り続けているだけだ。
今は、御大師堂から地域の集会場へ御本尊様を移してそちらで供養法要をされているが、先代の頃は直接御大師堂まで出かけたこともあったらしい。
その御大師堂は標高約500mくらいの松本山の麓にある。
松本山には賀田城という戦国時代の山城があったから、そのお城からみで何かしらのいわれがあったのかもしれないし、四国八十八ヶ所霊場巡礼とか西国三十三所観音霊場巡礼などの民衆信仰は比較的地域に根付くことが多いから、江戸以降のいずれかの時に流行した民衆信仰が起源であったかもしれない。
現在の賀田城は、遺跡遺構が残っているだけで詳しい歴史研究がされていることもないようだが、地元有志の皆さんは草刈りなどの整備を続けていて、三の丸付近までは軽トラで登れるようになっているらしい。
戦国時代は毛利と尼子の石見銀山攻防戦激戦地で、地元では賀田城は尼子方武将の城主が負け戦覚悟で籠城したと語り継がれている。

御大師講のこともだが、万善寺のことが心配だったから昼のうちに寺へ移動した。
銀山街道を南下しながら登っていくと、途中からしだいに雨脚が強まって飯南高原へ出ると時折の強風に田んぼの稲がバタバタと波打っていた。
万善寺の境内へ着くと、庫裏の玄関先が乱れて様子が変わっている。
「そういえば・・・柿渋染の道具がそのままだった・・・」
台風が来ているということは知っていたが、柿渋染の頃は九州のはるか南のことだったから、実感が無かった。
野外用で使っている洗濯機のフタが何処かへ飛んでいった。
作業で使い続けているブルーシートは石垣脇の紅葉の木へ巻き付いて引っかかっていた。
それでもその程度でなんとか持ちこたえていた。今年最初の台風がこれから最接近する。

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酒がすすむ 

2019/07/19
Fri. 23:41

チョット用事でワイフへ電話したら「今日帰るの何時くらい?」と聞いてきた。
帰宅時間の確認など10回電話して1回あるかどうかの珍しいことだから「なにかあるの?」と聞き返したら今夜は「イワシの刺し身!」だという。
よっぽど新鮮なイワシが手に入ったらしい。
寺の用事が残っていたので、夕方日が暮れたくらいに帰ろうと思っていたが、ソレを聞いたらイワシが気になってしょうがなくなった。
とりあえず、干しておいた大衣を2枚ほど畳んで、あとは庫裏のアチコチへ散らかった仕事の残りをそのままにして早々と帰宅の準備をした。

このところ、青空が覗いてカラリと晴れ渡ることが無いから、寺中に湿気がこもって抜けることがない。敷板も畳も縁側や本堂の敷物やゴザ座布団までどこかしらシットリと湿っていて、とにかくあらゆるモノが湿っぽい。
梅雨が続いているから仕方のないことだが、管理を怠けると何処も彼処もカビだらけになるし、ひょっとしたら目に見えない気が付かないところでキノコが生えているかもしれない。昔々のことだが実際にそういう現場を見たこともある。
それで大衣のことだが、この時期はどうしても法事の間に汗をかいてしまうからすぐに畳んで仕舞うことが出来ない。しょっちゅう洗い張りへ出すことも現実的でないし、だいたいは風通しの良いところでしばらく陰干しをして十分に湿気を抜いてから畳むようにしている。そういう、チョットひと手間のメンテナンスをしておかないと衣が痛む。
なんだかんだ云っても、坊主は準備から片づけまで一般の家庭に無縁の面倒臭い用事ができたりするものだ。寺の作務すべてを一人でやりくりしていると、今の梅雨のようにすんなりと用事が進まないで後に後に溜まってしまうことがいちばんつらい。

まだ明るいうちに帰宅して玄関へ入ると、クロが鳴きながら出迎えてくれた。
リビングにはテレビが付いていてワイフは台所仕事をしていた。
「刺し身にできるイワシなんて珍しいねぇ〜」
「仕事の帰りにスーパーよったらたまたま新鮮なのがあったから・・もうチョットでできるからね」

万善寺は山寺だから、私が少年の頃は魚というとイワシやアジの干物か塩サバばかりだった。旬の時期は時々サンマやカレーもあったが、食卓に乗るのは年に数回ほどの珍しいことだった。イカやタコはほとんどがボイルだったし、シジミの味噌汁も1ヶ月に数回しか出なくて、ようするに、新鮮な「海の幸」とは全く縁のない日常生活を送っていた。だから、本当に魚を美味しいと感じて食べたのは石見銀山で住み暮らしてから後のことで、ボクの日常の食生活に新鮮な魚が登場したのはワイフと結婚してから後のことになる。

刺し身はアブラの乗ったシイラもあって、美味かった。ハンペンとキノコの具沢山なお吸い物はシイタケの出汁がよく出てコレも美味かった。お隣さんから頂いたというレバの煮付けも美味かったし、ワイフのモツ煮込みも絶品だった。これで酒が進まないわけがない。一瞬で1日の疲れが吹き飛んだ。

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山の中のカレー屋さん 

2019/07/11
Thu. 23:34

石見銀山から銀山街道を南下して県境の町赤名から赤名峠を越えて広島県へ入ると三次まで国道を下り、松江尾道道へ乗る。尾道方面へ約30分ほど走って一般道へ出てしばらく走ると、山の中の古民家を改修したカレー屋さんがある。

本格的な本場インドカレーで、嘘か真か・・・ご主人は若い頃にインドでカレー作りを教わったとか・・・まぁ私の場合、自分の口に合えばそういうことはどうでも良いことで・・・とにかく、自宅の納屋を改装して手造りした厨房には薪のナン窯があって、その窯に火を入れるところから営業が始まる。
本格的なのかどうかはよくわからないが、こだわりのカレー屋さんであることは確かだ。
普通乗用車がやっと通れるほどの、万善寺の参道よりもっと急で狭いアプローチを登りきった先に狭い駐車場があって、食事の後、町道まで楽に降りるために車を出船駐車へ切り返ししようとすると、なかなか思うようにいかなくてひと汗かくことになる。
どんなに美味しいカレー屋さんでも「わたし、バックで駐車できないのぉ〜」とか「信号のある交差点でしかじょぉ〜ずにまがれないのぉ〜」とかそういうシティー派のセレブには不向きなお店だ・・・と、ボクは思う。
ご主人にとってはとても重要で深い意味があるのだろうお店の看板代わりのよくわからないバリ風の絵を見ながらお店に向かう。
正面は庭で、その右側には農家風の母屋がある。
庭を見ながら左へ曲がるとお店の玄関があってその向こうはウッドデッキが広がる。天気が良かったり店内が満席だったり何かのパーティーだったりする時に使われている様子で、のどかな山間の田舎風景が見渡せる。

そのカレー屋さんを紹介してくれたのは、もうかれこれ10年以上お付き合いの広島在住百姓オヤジ。
結構なこだわり者で、ピンポイントに博識で、ソコソコ人なつっこくてネットワークも広く、宗教の信仰心もそれなりに強く、どちらかといえば理系で各種メカにも精通し・・・ザックリ云うと、なんともめんどくさい偏屈者。
それで、これもどちらかといえば「偏屈者!」と云われても反論できないボクとしては、どこかしらめんどくさいながらも気が合ったりしてしまうのです・・・

「今度の連休なんですけど・・・二人予約できますか?」
なかなかワイフを連れて行ってやれないまま、このままだとお盆になっていよいよ出かける機会を逸してしまいそうだから前後のスケジュールを調整して電話してみた。
「ゴメンナサイ!・・・実は主人このあいだから肺炎で入院してるんです。それで、大事を取って7月いっぱいは休みにしようと云うことになって・・」
奥さんは、電話口で申し訳なさそうだ。1日に予約の電話が何本もかかってきて、その度に同じように予約を断り続けているのだろう。電話番だけで1日が過ぎてしまいそうなのも、我が身に置き換えてみるとなかなかしんどくて辛い。
「ソレはご心配なことです。くれぐれもお大事にてください」
カレー屋さんは彫刻の完成打ち上げ!・・ということで秋になってしまいそうだな・・・

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あめふり坊主 

2019/07/10
Wed. 23:53

「仏壇動かすんだけど、お経読んでもらったほうが良いよねぇ〜」
同級生から電話がかかってきたので、また飲み会の話かと思ったら坊主家業の真面目な問い合わせでした・・・

ひと頃のように1日中雨が降り続くことも無くなったが、それでも時々思い出したようにドサッと降ったり、晴れていたかと思うといつの間にか霧雨になっていたり、夜になってから急に大風が出て暴風雨になったりと、まぁ、梅雨らしいといえば梅雨らしい毎日が続いている。
それで、寺の方も吉田家の方も外の用事がなかなかはかどらなくて、最近どうも無駄に1日が過ぎる。
聞くところによると「20日位が梅雨明けになりそうだ・・」と誰かが言っていた。それじゃぁソレを当てにして彫刻展の外交営業などをしてみようと、スケジュールを調整することにした。
いつもだったら、年度末に軽くお伺いを立ててざっくりとした日程を押さえたあと、新年度の総会が一巡してそれぞれ関係各所の行事予定が決まったあたりに開催予定地を再度訪問して日程調整をして開催日を決めたあと、作家宛の案内要項を作成する。
開催地の条件によってなかなか正式な日程が決まらないこともあるから、毎年同じように事務が進むこともないが、それでも例年だと今頃は第1段の出品案内が出来ていてもおかしくない時期が来ている。
今年は、3月から5月いっぱい病院絡みの通院や検査や入院手術などでが続いていつもと同じように計画することが出来なかった。退院して気になりつつも体調不良が無いわけでもないし、彫刻展のことをのらりくらりと後回しに過ごしていたら、今になった。
まずは、近年お世話になっている奥出雲の関係各所へ連絡してみると、なかなかタイミングが合わなくて上手く話が通じない。行政は年度替わりに部署や役職の移動が絡むから余計にややこしくなって前例が上手く通用しない。やっと早朝の出勤前を襲うような感じで連絡がとれたものの、いつもお世話になっている友人は連休明けまでは身動きがつかないということだった。「それじゃぁ、その頃にまた連絡しますんで」と、とりあえず次の約束を入れて気持ちを切り替えた所で、お仏壇遷座の問い合わせが入った・・という次第。

「通勤坊主で朝晩前を通過しているから明日にでも顔出すよ・・詳しくはその時ということで・・・」
「ハイハイ、それじゃぁ〜それでよろしく!」
奥出雲訪問も仕切り直しになったし、同級生からの問い合わせはある意味都合良く仕事が入ったふうになった。
そろそろお盆法要の粗品を造り始めようと思っていたところだ。
しばらく藍染の手ぬぐいが続いているし、今までのように短時間で一気に作成するほどの体力も不安だしするから、ダラダラと時間はかかるが作業は単純で簡単な柿渋染めにしてみようと決めた。柿渋は知り合いの棟梁へ頼むといくらでも分けてくれるが、まずは試作で試してみることにして、匂いのないお手軽な柿渋を注文した。少々高いが作業中に匂いのストレスが無いだけでも助かる。上手くいけば本格的に大量生産を計画してみよう。

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祭りの夜 

2019/07/07
Sun. 23:57

夕方から飯南高原の赤名半夏祭りへでかけた。

赤名は広島県との県境に近い町で、新築された飯南町の役場があって一応は行政の中心になっているのだろう・・が、人口減少が加速していて町並みの町家は空き家も多い。
そういう、南北に伸びる町並みのほぼ中央に昔の国鉄バスの事務所や整備駐車場跡があって、半夏祭りの時はそこへ特設ステージが作られる。ステージでは、夕方から深夜まで色々な芸能の出し物が開催されていて、無料で鑑賞できる。おおとりは毎年お笑い芸人のステージが30分位行われ、今年はサンシャイン池崎のステージだった。

約2km続く赤名の町並みは祭りの間歩行者天国になって左右の軒先へ屋台が並ぶ。
農協スーパーの事務所前には今年も同窓会でよく開場に使う居酒屋が出張してモツ煮込みの出店を作っていた。
夕方日が暮れる頃から花火が上がる。
吉田家は、子供がまだ小さい頃から何度も見物に出かけているから、だいたい絶景の見物場所を心得ていて、今度も、ワイフが良い場所をおさえてくれた。
飯南町は和牛の産地でもあるから、モツ煮込みもなかなか美味い。他にも幾つかおつまみを買って、生ビールをチビチビやりながら約1時間ほど打ち上げ花火の見物をした。
梅雨のこの時期の祭りは、どうしても雨が多い。数年前には、ひどい土砂降りで花火が中止になったし、また別の年には低く降りた山の雲が切れなくて、打ち上げ花火をぜんぜん見ることが出来ないまま早々と途中で中止されたこともあった。まぁ、いろいろリスクは避けられない時期でもあるが、それでも昔から七夕もかねた半夏祭りが続いている。

赤名は広島方面から出雲大社へ続く参詣道の宿場町でもあったし、石見銀山から尾道の港まで陸路で銀を運ぶ銀山街道の中継地でもあった。
戦国の頃は広島の毛利軍と広瀬の尼子軍の領地拡大と石見銀山をめぐる攻防戦が続いた。
赤名の町を流れる赤名川は戦で流された血で真っ赤に染まったという。水量はそれほど多くないが、中国山地で貯水された水が絶え間なく湧き出して高原の水田を賄うほどの水量は十分に確保される。この赤名川は、幾つかの支流が合流しながら少しずつ大きくなって神戸川になって出雲大社近くの日本海へそそぐ。
瀬戸内方面から出雲大社への参詣者はこの川に沿って付かず離れず続く道を逸れなければ、必ずいずれは出雲大社へたどり着くことができるというわけで、とても重要な参詣街道になっていた。
万善寺も、その参詣街道からほど近いところにある。
飯南高原には歴史上のいろいろないいつたえや遺跡がアチコチに残っていて、古くから出雲の国にとっては霊山や聖域として重要視されていたようだ。そういう、古い土地で半夏祭りも昔から大事にされてきたのだと思う。

久しぶりに、夫婦水入らずで花火も楽しめて良かった。
そういえば・・・ワイフはあちこちで知り合いに出会って世間話をしていたのに、ボクは地元の同級生を全く見なかったし知り合いにも出会わなかった。なにか不思議だ・・・

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積もり積もれば・・ 

2019/07/05
Fri. 23:32

午前中は法事で過ぎた。
とくに年回が回ってきたわけでもないが、おばあさんが「だんだん弱ってきまして、いつまで生きていられるか心配なものですから・・・」ということで、義理の息子さんの方から依頼が入った。
その施主家は比較的大きな家で部屋数も多いから、それを「毎日維持していくのも大変なことだろう」と、配り物で訪問するたびにそう思うのだが、何時行っても玄関土間や坪庭など目につくところはきちんと整頓されて敷板もホコリたまりもなく長年の拭き掃除でツヤツヤと黒光りしている。万善寺などなかなかそこまでキレイに維持できないでいるから、自分の無精を反省して恥ずかしくなって、必要な用事を済ませたらそそくさと退散してしまう。
法事と言っても月命日の永代供養でお経を読む程度のことだろうと勝手に自分で判断して、そのような準備をして予定の時間に訪問したら、おばあさんに義理の息子さんをはじめ、亡くなった娘さんの友人知人まで皆さん正装して集まって、本格的な法事の様子になっていた。一瞬「ヤバイ!」と思ったが、平静を装ってまずはお茶のお手前をいただき、若干雑談をして少し落ち着いてからお経を始めた。

先代住職のお供で鐘つき坊主をしていた頃には、こういうタイプの法事は頻繁にあって、中には月命日に併せてお位牌さん持参でお寺にお参りをされることもあった。そういう一つ一つの供養法事の積み重ねは万善寺1年の経営維持費の糧になるから、ソレはソレで「法事も積もればナントヤラ・・」ということで、ありがたいことでもあったのだが、万善寺の代替わりにシンクロしたようにお檀家さんの代替わりも加速して、昔ながらの供養法要が一気に激減して今に至っている。

お経が終わって少しお話をしたあとお斎のお膳が出た。
最近では珍しいほどの豪華な膳だったから、寺へ帰るとすぐにワイフへ電話した。
私はお斎の膳に慣れているから、エビとか肉とか巻き寿司とか、そういう定番アイテムにあまり食欲を感じない。贅沢な話だが、だからといって粗末にできないから、吸い物とか汁物だけ頂いてあとは有難くオリに詰めて寺へ持ち帰る。それを家族がみんなでおすそ分けで頂戴して平らげるという具合が身に染み付いている。お斎のお下がりに釣られたというわけでもないが、いくつかの用事も兼ねて夕方近くにワイフが万善寺へ到着した。彼女は私の代行で午前中いっぱい働いてくれていたから、その慰労も兼ねて連絡したつもりだ。お下がりの膳をいただきながら、珍しく饒舌に代行の様子を報告してくれた。

月も変わって、もう7月に入っているのに、いまだに寺の用事が長引いている。
イッパイ飲んで良い気持ちでゴロリと横になるところまでは良いのだが、このところ、それから寝付くまでの少しの間にフッと彫刻のコトを思い出して気になったりすると、しばらくのあいだなかなか寝付けなくなってしまう。入院中に描きためたメモが記憶に積もり積もって、その幾つかがグルグル入れ替わりながら脳みそをかすめ去っていく。
やっかいなことだ・・・右半身のひどいシビレをはやくなんとかして形に置き換えていかないと、そのうち不眠症になってしまいそうだ。

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よってらっしゃいみてらっしゃい! 

2019/07/03
Wed. 23:09

飯南高原は、まだ栗の花が咲いている。
途中の銀山街道の石見銀山あたりでは、そろそろネムノキが咲き始めた。
吉田家と万善寺では、営みのスピードにだいたい半月ほど差がついているようだ。

ワイフは花火が好きで、打ち上げ花火の情報が入るとその日の夕方を待ってわざわざ人混みを目指して出かけたりする。
私は、すでに一杯やっていたりして運転できないから自宅のホームシアターで映画でも見ていたほうが良い部類に属する。
子供達が小さくて狭い吉田家で家族6人が蠢いていた頃は、花火好きのワイフが近所の子供まで誘ってイソイソと花火見物へ出かけていた。
やはり東京生まれで東京育ちの彼女には江戸っ子のDNAが引き継がれているのだろう。

今年も飯南高原は赤名(あかな)半夏祭りが近づいた。
「半夏(はんげ)」というと、坊主的には、僧堂の修行僧たちにとって夏安居の折り返し点であり、私のような在家坊主には手間替え随喜の真っ最中ということになる。
元々半夏祭りは、隣町の禅宗寺院で大般若経転読会の随喜日に決まっていた。想像だが、赤名半夏は地域のお百姓さんたちがちょうど田植えシーズンでもあるし、田畑の神様へ豊作をお願いするお祭りとして僧侶の夏安居時期に併せてご縁日が出来上がったのではないかと思っている。
最近の赤名半夏は飯南町の商工会主催で行われているから、特にお百姓さんたちの神事とは関係がなくなって毎年7月のいずれかの土曜日に開催されるようになった。
イベントの最中に飯南高原のりんご園の近所から打ち上げ花火があげられて、ソレがなかなかの規模で見応えがあるから、ワイフへ半夏情報を伝えておくことにしている。
よく覚えていないが、昨年は何かしらの都合が重なって花火見物が上手くいかなかったように記憶している。
今年はちょうど私は昼のうちに法事があって万善寺にいるし、ワイフは講師の仕事をしていて一緒に行動できないから「どうする?半夏??」と彼女に相談したら「私がお寺へ行けば良いんでしょ。そうすればアナタは飲めるし」ということで、花火を見物しながら生ビールをグビッとやることが出来そうな様子だ。
そうなると、あとはこれからセッセとお経をあげて当日の好天を御本尊の千手観音様にお願いすることになる!

「男はつらいよ」の新作ができるらしい。
寅さんの甥っ子の満男がメインでストーリーが展開されるようだ。
半夏祭りには寅さんのようなテキヤ業のみなさんがアルミの箱トラックやワンボックスで西日本一帯から集まってくる。今は、昔から比べると町並み歩行者天国の規模が3分の1に縮小された。そのかわりになるのだろうか?芸能ステージが旧国鉄の整備車庫に作られた特設会場で行われる。
その夜は、小中高校生たちも特別に半夏祭りを堪能できるようになっていて、私も、小さい頃は寺から自転車で延々1時間かけて出かけたものだが、打ち上げ花火は無かった。

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只今梅雨真っ最中! 

2019/07/02
Tue. 23:24

飯南高原は相変わらず梅雨らしい毎日が続いていて、ここしばらく琴引山の全景を見ていない。
通勤坊主で銀山街道を走っていると、ちょうど峠を登りきった行政境から飯南高原へ入ったあたりで耳の鼓膜が気圧の変化に反応してエンジン音が変わって聞こえる。それでゴクンとつばを飲み込むとまたもとに戻る。
だいたい、そのあたりが海抜450mくらいになっていると思う。万善寺もほぼそのくらいのところにある。

琴引山は海抜1000mを少し超えるほどだったと思うから、梅雨の雨雲がソレよりずっと下まで降りているということで、だから湿度も高くて洗濯物も乾きにくくて少々困っている。
いくつかの洗濯物と一緒にリーバイスを干していたらソレだけ乾きが遅くて、やっと乾いた頃にはなんとも不快な匂いが染み付いていた。そのままたたんで仕舞うと他の洗濯物へその匂いが移りそうな気がして、結局洗濯をし直して今度は干し方を変えてみた。
物干し代わりに使っている庫裏の南側の縁側も気のせいか湿気で湿っぽく感じる。
まだ子供の頃のことだったけど、庫裏の北側にある納戸の襖を開けたら、床に敷いてある夏ゴザに青カビがビッシリと生えていて、畳との隙間には小さな白いキノコが生えていたことがある。毎日人が住み暮らしていてもそういう事があるほど梅雨は湿気が多いということなのだろうが、あの時の発見は小さな子供にとってはかなり大きな衝撃だった。
洗濯物をたたみながら、そんな昔のことを思い出した。
島根県はそういう梅雨らしい梅雨の毎日が続いているが、九州の方は大雨が続いて被害が深刻なようだ。宮崎や福岡には彫刻の知人もいるから心配だ。

吉田家の裏庭整備もあるし、今のうちに急いで寺の境内地をキレイにしておかないと、お盆前の草刈りがオオゴトになる。
庫裏の西側では、もう何年も放置して伸び放題の庭木がジャングルになっているから、思い切って今のうちにすべて切り倒してしまおうと決めた。両親が健在だと絶対に許可がもらえなかったことだ。
そういう午前中の作務をおおよそ計画して作業着に着替えたり長靴を履くなど準備をしていたら、玄関土間に張り付いている湿気に足を滑らせた。あと一歩のところで大事には至らなかったが、足首の古傷と膝からふくらはぎにかけての筋へ激痛が走った。そのままひっくり返ったら準備しておいた草刈機のノコ刃を引っ掛けて大怪我になっていたかもしれない。
お寺のことばかりでもなく、工場で彫刻の制作中もそうだが、いつどこで何が起きるかわからない。近くにだれもいない一人の時はとにかく慎重に行動しないといけない。アブナイアブナイ・・・

Apple Watch4の転倒検出機能で何人もの人が生命を救われていると記事にあった。最近は、交通事故のお婆さんやお風呂で意識不明になった男性もその機能のおかげで助かったそうだ。これからは、自分の命は自分で守れるように管理できることが増えていきそうだ。ちなみに、ボクのApple Watch2にはその機能はありません・・・残念ながら・・・

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ついていけない・・ 

2019/06/30
Sun. 23:22

梅雨らしい雨が降り続くようになってから、周囲の草木が勢いづいて日に日に緑のボリュームが増していく。
1日に1時間程度の草刈りではとても成長のスピードに追いつかない。

「ねぇ〜、出かける前に少しはビワ収穫しておいてよ」

吉田家の裏庭にあるビワが鈴なりになって色づいている。
今年はビワの生り年のようで、銀山街道のアチコチでも黄色く色づいたビワの木を見かけるが、収穫されている様子が見えない。
まだ本格的に梅雨の雨が降り始める前、吉田家の大屋根から隣の家の屋根にかけて猿の通り道になったことがある。猿たちは石見銀山の谷のアチコチにある家庭菜園の野菜などを食べ尽くしながら移動する。色づいて食べごろになったビワも、彼らの絶好の餌になる可能性が無いわけでもない。ワイフは、それが心配だという。
昨年の秋は、寺の柿が大量に実をつけた。その時は、行政が熊の出没被害の元になるから柿の実を収穫するか、柿の木を切り倒してくれと防災放送で住民に呼びかけていた。
猿と熊では危険度がかなり違うから比べにくいことだが、いずれにしても最近は山の生き物の行動範囲が人間の生活圏を脅かす状態になっていることは間違いなさそうだ。
ビワは2日かけてだいたいを収穫した。
ワイフがソレを選別しながら吉田家の子供達へ送ったり、近所の子沢山のお宅へ持っていったりして、ほとんど無駄にしないでさばくことが出来た。

夕方になって寺から帰ると、だいたいクロが鳴きながら出迎えてくれる。
クロはそれから次の朝までは私やワイフの近くでウロウロしているが、我々が出かけて留守になると、1日の殆どを窓際でゴロゴロしながら過ごしているようだ。猿のこともあるし、裏庭の様子が気になっているのかもしれない。
猫の気持ちはよくわからないが、なんとなく窓際のクロが退屈しているように思えて、少し前から裏庭の適当な場所へ鳥の餌台を用意して餌付けをはじめた。
スズメくらいはすぐに集まってくるだろうと思っていたら、山鳩やカラスなど雑食の野鳥が集まって餌の取り合いが始まった。
鳥たちはよく餌台を見つけたものだと感心する。
人間が気づいていないだけで、彼らは空の何処かから我々の行動をシッカリと観察しているのだろう。それぞれの力関係で安全の距離を測りながら上手くやりくりをしている。
雨のやみ間に餌を補充しておいたら、気がつくとカタツムリが餌の上を這っていた。まさか、カタツムリまで鳥の餌を食べに来たわけでも無いだろうが、窓際のクロはその様子をクールに観察しているふうに見えた。
餌台のすぐ向こうでは葛の葉が目立ってきた。
今のうちに蔓を切っておかないと、しつこく庭木に絡みついて厄介なことになる。
7月になったら吉田家裏庭の整備を始めようと計画はしているが、まだ寺の草刈りも一区切りついていないし、容赦なく迫ってくる自然を相手に、それもだんだんと怪しくなってきた・・・

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2019-12