工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

石見銀山ギャラリートーク 

2018/04/19
Thu. 23:56

「和尚さん、お元気ですか?」
京都在住のアメリカ人Bさんから、まだ春には程遠く雪も降る寒い時に連絡が入った。

彼は、主にアメリカの旅行者を相手のツアーコンダクターをしている。
年に何回か石見銀山へ旅行者の団体を引き連れてやってきた時、時間が上手く調整できれば吉田の方へも声がかかる。彫刻のことや鉄の制作のことを少しほど話たりする程度だが、そういう彫刻のことに強く興味を持ったツアー客が何人かいたりすると、近くの宿泊施設まで呼び出されて一杯やりながら男芸者風に付き合うこともある。
知り合ってからもう20年近く経つかもしれない。それほど、古い付き合いということになる。

そのBさんが、また似たようなツアーを組み立ててそれが石見銀山へやってくることになった。今回は、彼の友人が代わりに旅行者の案内をすることになっていて、そのためのスケジュール管理がなかなかシビアなものになった。寺のこととか、すでに幾つか用事を決めていたのだが、そのことでツアーのスケジュールをいじるのも面倒だし、SNSを駆使して、難局を乗り切った。
今回の旅の仕切人さんはメチャクチャ真面目な人で予定の待ち合わせ時間の30分前には吉田家玄関前で打ち合わせをするくらいだった。こちらも、どこかしら相手の真面目な雰囲気に引き込まれる形になって、5分刻みのスケジュールを組み立ててから、急いで待ち合わせの場所へ移動した。

日頃、だいたい毎日のように石見銀山で寝ているから、長く留守をしているわけでもないのだが、朝早くに自宅を出て夕方日が暮れてから帰宅するような状態が続くと、どうしても昼の石見銀山と疎遠になる。少し早めに待ち合わせ場所へ着いて、ノンビリとツバメの飛び交う様子を眺めて過ごすことなど、久しぶりのことだった。
目の前に広がる田んぼには己生えだろうレンゲの花がまだらに咲いている。朝も早いのにすでに観光さんがうろついていて、近くのレンタサイクルが忙しそうにやり取りをしている。銀山川の反対側から吉田家の裏庭がみえる。春のめぼしい花はすでに終わっていて、つい少し前まで薄っすらと萌黄に染まった程度の下草が一気に伸びていた。5月の連休までには裏庭の整備をしておかないと後が厄介になるだろうとボンヤリそんなことを思っていたら、遠くからツアーのみなさんがゾロゾロと歩いてやってきた。総勢20人くらいだろうか、60代から80歳近い高齢の方もいらっしゃるように思ったが、欧米の人たちは年齢がつかみにくいから、もう少し若いのかもしれない。

石見銀山の谷間に点在している吉田の彫刻から幾つかをピックアップしてギャラリートークした。鉄の素材のこととか、造形のこととか、そういう彫刻の専門的なことより、どういう経緯で石見銀山の谷へ彫刻を設置し始めたのかとか、どうして吉田が石見銀山を始めとした島根の地域に密着した野外彫刻を制作し続けているのかとか、そういうことを中心に話した。
よくわからないが、質問も幾つかあって、皆さんの反応はまずまずだったと思う。

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春の嵐 

2018/04/14
Sat. 23:37

胃痛が激しくなって一晩苦しんだ。
特にこれといった原因がみつからないので、とにかく薬だけでももらっておこうと朝イチで病院へ走った。かなり早く家を出たつもりなのに駐車場は受診の車でいっぱいになっていた。診察を待っている間に少しずつ痛みが和らいで、
「しばらくは腹八分目じゃなくて、腹六文目くらいにしまようね」
「お酒の飲み過ぎはいけませんよ」
「胃でなかったら、胆嚢とか膵臓かもしれないから・・・」
・・・ドクターの前へ座ったらほとんどがカウンセリングに近い世間話で終わった。
診察料金を払って出掛けに、知り合いの看護師さんから「一度胃カメラ飲んだほうが良いですよ!」と小さく耳打ちされた。このまま症状が変わらなかったらそうするしか無いかと思っている。

本当は万善寺の用事を済ませたいところだが、これから春の嵐になる予報だし、まずは無理をしないで一日休息しようと決めた。
帰宅したら、テレビもついてキッチンの電気もついて、吉田家の生活感はシッカリ漂っているのにワイフの姿が見当たらない。ネコチャンズも例のごとく何処かへ入り込んで出てこない。どうしたのかと心配していたら何処かからワイフの声と近所のご婦人の声が混ざって聞こえてきた。「そぉ〜いうことか・・・」と状況がだいたいつかめて安心して少ししてから、玄関口でご婦人のお礼の声が聞こえた。
「裏庭の花がほしいっていうことだったから・・」と、特に何も聞いていないのに、そう云いながらワイフが部屋に入ってきたらシロがフギャフギャ甘え鳴きしながら出てきた。
「わるいけど、お昼はおかゆにしてくれる?」
そう頼んでから、一日休むことにしたことを伝えて即席のソファーベッドへ潜り込んだ。

それからしばらくして強い風が出てきて雨も激しく降り始めた。

胃が痛くてウンウンうなりながら眠れないまま途中まで見ていた昨夜のアメリカドラマの続きを見ていたら、「ごはぁ〜ん!」と、ワイフが台所から声をかけてきた。久しぶりのおかゆが美味しかった。

昼寝をして休んだら体調が少し回復して気分が上向いてきた。
せっかくの吉田家時間をムダにするのももったいないから、しばらく途絶えていた猫草の種を蒔いておくことにした。その頃になってクロが何処かから出てきた。地震以来少しずつ落ち着いて日常の行動が戻りつつある。少しの変化といえば、このところ珍しくシロが頻繁に擦り寄ってくるようになったし、メシを催促するクロの鳴き声が異常に大きくなったことか・・・

暴風雨は夕方になってもやむ気配がなく、むしろ昼間より激しくなった。
なにもしないでいると肌寒いからストーブをつけることにした。
強風で焚付の煙が煙突を逆流してなかなか思うように火がつかなくてかなり苦戦した。

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春の木漏れ日 

2018/04/13
Fri. 23:45

午前中出雲での用事を済ませて、午後からお寺へ移動した。
先日の地震の身体に感じるくらいの余震が1日に数回続いていて、出雲に居る時もそれを1回感じた。

この4〜5日のあいだに少しずつ幾つかの地震情報が流れてきた。
自分としては特に頑張って情報収集をしているわけでもないが、こういうどちらかといえば悪いこととか不幸な情報は広まることが早い気がする。
三瓶山の志学にあるジンギスカンのお店が、地震の被害で営業不能になったらしい。
ひと頃は、吉田家の家族で食べに行ったり、近所の友人が誘ってくれたりしてよく行っていたお店だった。急な傾斜地へ張り付くようにお店が建っていて、斜面へテラス状に張り出した店の床下のデッドスペースがトイレと駐車場になっていた。駐車場へ下りるまでのドライブテクニックを問われる難しい坂道と、なんとも前時代的トイレを我慢すれば、シンプルでとても美味しいジンギスカンが絶品だった。私をラム肉好きにさせたのも、その店があったからのことだ。今後の営業のことが心配だが、島根県どころか広島県の方までその店のファンが広がっているから、再建も比較的早いかもしれない。

午後からの半日は万善寺のお墓掃除にあてた。
墓地への参道から草刈機を使いはじめて、墓地まで登りきるまでに2時間弱かかった。
昨年の秋からひと冬の間にもう少したくさん枯れ葉が溜まっているかと覚悟していたが、思ったほどでもなかった。直径10cmほどの楢の木が参道の途中に倒れて道を塞いでいた。雪の重みに絶えられなくて枝の付け根から折れて落ちたふうだ。
生命力がすごくて枝先からは春の若葉が芽吹いていた。楢の木は保水力がすごいから、幹に蓄えられた水分と栄養で葉芽が成長しているのだろう。その枝木だけで相当量の薪になりそうだから、少し落ち着いたら切り刻んで寺の雨内まで持って帰ろうと思う。
春の参道は、広葉樹の葉が無い分だけ日当たりが良くて積年の腐葉土がよく乾いている。熊手や箒を使っていると土ホコリが舞って、参道脇に立つ杉並木を通過した木漏れ日にキラキラと輝いてみえる。
あとひと月足らずの間に筍や笹の芽が伸びて参道を荒らし始める。これから秋が深まるまで万善寺の保全作業が絶え間なく続くことになる。

先月の母親の1周忌にじゅん君がお墓参りをしてくれて、墓地を掃き掃除してくれた。
参道から墓地にかけて杉の植林をしていて、数本がかなりの巨木に成長している。杉の枝が雪の重みで折れ落ちて、春は墓地一面が杉葉の絨毯を広げたようになっているから、それを掃き集めるとかなり大きな杉葉の山ができる。じゅん君が本格的に墓掃除をしたのはこの度が始めただっただろうから、杉葉の処理にかなり苦労したと思う。彼の御陰でずいぶん楽をさせてもらって夕方日のあるうちにおおよその掃除を済ませることができた。
昔、まだ万善寺の風呂や台所の煮炊きに薪を使っていた頃は、1年の節目節目に墓地まで上がって墓掃除を兼ねた杉葉拾いをしていたものだ。あの頃は、山の何から何まで色々なものが生活の貴重な必需品だった。年中誰かが山に入っていたから今のように手付かずで荒れることもなかった。たった半世紀の間にずいぶん山の様子が変わった。

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遅れた入学式 

2018/04/12
Thu. 23:51

新しい相棒の銀くんが1000km点検をしてもらった。
10日間の間に1500km以上走っていて、自営業というより自由業に近いボクとしては、ちょっと走り過ぎだと思う。この調子で銀くんを乗り回していたら燃料代がいくらあっても足らない。

その銀くんがドック入りしている間に境内の植栽を刈り込んだ。庭木によくあるツツジやサツキをまだ元気だった時の母親がところかまわず挿し木にしたものだからその始末がいつまでも終わらなくてイヤになる。気がつくと五葉の松も芯が伸び始めていて、これも近いうちに芯を止めておかないと際限なく伸び続けて収集がつかなくなる。
この2〜3日で下草が一気に伸び始めた。今のうちに草刈機を振り回しておかないと後が厄介だと思っていたら、保賀の谷の向こう側で草刈機のエンジン音がし始めた。だいたいみんな同じことを考えているようで、草刈りの先を越されてしまった。
このところ天気の変わり目が早くてなかなか外の仕事に集中できない。それに、晴れている時に限って改良衣に雪駄履きで坊主の仕事が入ったりしてタイミングが狂う。来週早々には万善寺墓地の永代供養納骨の法事も入っていて、それまでに参道から墓地までの草刈りと掃除を終わらせないといけない。だいたいが、年中ヒマにノンビリとしているのに、重なる時は容赦なくアレモコレモ重なってしまう。なかなか思うようにいかないものだ。

先日の地震の影響で、大田市の小中学校では入学式が順延になっていた。
通勤坊主で石見銀山の町並みへ出ると、近所の新一年生になる子供が正装したお父さんとお母さんに手を繋いでもらって自宅を出るところだった。
ちょうど2年前まで、この時期は小学校の入学式や卒業式の来賓で招待を受けていた。自分の子供も成長して社会人になったし、いつまでも地域の役員にしがみついているのもどうかと思うし、町民の代表は適度なスピードで回転を続けているくらいが良いと思って、役員を辞退してから早いもので1年が過ぎていた。

地震は大田市全域に大きな被害を与えた。水道の復旧が遅れていまだに給水車の世話になっている地域もあるし、家屋の被害が深刻で、避難所生活を続けている住民も多い。
銀くんで大田市のアチコチを通過すると、ブルーシートを屋根に載せた家屋が点在している。家の新旧とか、構造の違いとか、そういう基準など自然災害の前には全くの無意味にみえる。新築に近い家がブルーシートでラップされているすぐ横に、半分傾いたような古い納屋が普通に何もなかったように建っていたりして、なんとも釈然としない不条理を感じる。まぁ、ヨレヨレボロボロの納屋が倒壊しても良いとは思わないが、真新しい家屋の被害を見ると、その家の施主さんの悲壮感を思って気の毒になる。吉田家も見えないところで家屋の不具合があるかもしれない。今度の週末にはまとまった雨がふるようだし、ソレに併せて雨漏りの点検をするつもりでいる。とにかく今はまだ、大工さんをはじめ、地域の建設業者さんは天手古舞だろう。

万善寺の境内にある椿の枯木が例年にないほどたくさんの花を咲かせた。この近年は、もろくなった枝木が雪の重みで次々に折れて弱っていたから久しぶりに見る光景だ。

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銀くんデビュー 

2018/04/11
Wed. 23:53

石見銀山は、時々思い出したように小さな余震がある程度で落ち着いている。
ネコチャンズも少しずつ落ち着いて、チョロチョロと吉田家を彷徨く姿を見かけるようになってきた。それでも、いまだに彼等が何処に入り込んで身を隠しているのか見当がつかない。人間の自分でも、時折聞こえてくる地鳴りや、揺れが続くとあまり気持ちの良いものでないが、人類の数倍敏感な猫達にとっては恐怖のレベルも相当なものだろう。関東の知り合いからお見舞いの電話をいただいたときそのことを話したら、東北の震災の時に飼っているネコがそうなって、おびえている様子が痛々しかったそうだ。

通勤坊主で出かけようと土間へ降りたら、クロがどこかからやってきて「行かないでぇ〜〜」と訴えかけるように珍しく視線を合わせてきた。日頃はことごとく無愛想なのに、あぁいう目を見ると可愛げにみえて愛おしく思えてしまう。
銀山街道は、所々にヤマツツジが咲き始めた。黄色の菜の花も至る所で群生して4月に入って雪が降ったりして天候不順が続いているが、吉田の周辺では順当に春の変化が進んでいて、万善寺の境内では、水仙の蕾が緩みはじめた。

走行距離が20万kmを越えたあたりから急にアチコチの調子が悪くなってきた結界君をダマシダマシ乗っていたのだが、半年ほど前から一気に不具合が酷くなって、運転していても必死で頑張って走っている様子がヒシヒシと伝わってきていた。もうそろそろ限界かもしれないと、中古車をチェックしても結界くんと同タイプの車で条件の良いものが出てこないので年末ギリギリになって同級生のカーディーラーへ中古車の伝手がないか聞いてみたら、少し調べてみてくれたようだが良い返事が返ってこなかった。
同タイプの車は1年くらい前に大幅なモデルチェンジをしていて、それ以前のタイプは新古車も含めて在庫切れになったようだ。現在の生産ラインでは新しいタイプの車しか製造していないことがわかって、遂に中古車更新の手立てが絶えた。
せめて冬の間だけでもなんとか走ってくれと、とにかく慎重に丁寧に運転していたが、22万kmに達する間際でまた一段と調子が悪くなって、例のごとく今年の飯南高原は猛烈寒波が次々に襲来して万善寺で孤立している最中だし、もうどうしようもなくなってスズキ代理店の同級生君を頼ってダイハツのピックアップを探してもらうことにした。

坊主の吉田としては、バイク1台とあとはお檀家さんの送迎にすがればなんとか万善寺の住職を務めることは出来るが、彫刻家の吉田としては、とにかく何が何でも結界くんと同等の車がないと身動きできない。「あの車は特別仕様車で何時もすぐにあるわけでもないから・・」ということらしく、「3月にはなんとかなるだろうから」と約束してくれて、なんと、この歳になってほぼ30年ぶりで新車を購入することになった。彼はさすがにその道のプロで、慣れた感じでサクッとこなして3月末の銀座の彫刻展の最中に新車登録の全てを仕切ってくれた。

4月1日はクロの誕生日で、銀座の彫刻展搬出が終わってその日の朝に出雲市まで帰ってきて、それから新車引きとりを済ませて、つい2〜3日前に1000kmを越えた。ちょうどそのくらいで一度点検をしてくれるらしい。誕生日がクロと同じになった。さて、どっちが長生きしてくれるだろう?・・・その前にボクがお陀仏になるかも・・

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地震の後 

2018/04/10
Tue. 23:31

深夜の地震から、約12時間ほどは、絶え間なく余震が続いた。
その間に、これも絶え間なく電話やSNSなどでお見舞が届いた。
どちらかといえば友達の少ない我儘者のボクなのに、ありがたいご厚情が信じられないほどだった。皆さんの好意に助けられて活かさせていただいているのだと改めて痛感した。

日頃新聞もテレビも見ないで過ごしているから、「こういう時は、ちゃんとテレビとか見ないとダメよ!それ、常識よ!!」と、ワイフに厳しく叱られたから、一応テレビは付けておいたが、特に変わった情報があるわけでもなく、常に最新の情報が流れるわけでもなく、それよりは、ケーブルテレビ付属の防災有線放送の方が現状把握に適していると客観的にそう思った。
テレビのニュースとかワイドショー番組では、大田市の地震被害がもっとも重大な地域ばかりピンポイントで取材するから、そればかりの情報で全てを判断されてしまうと、とんでもなく大げさな大災害に錯覚される恐れを感じた。今回のように、地震災害地域に暮らす当事者として、情報の取捨選択の難しさを身をもって感じた。

それで、ご心配頂いた皆様へのご報告も兼ねて、少し詳しめに吉田オヤジの行動を時系列でまとめておきます。まぁ、特に参考になるとも思わないけど・・・
9日深夜1時30分過ぎに地鳴りが三瓶山方面から石見銀山へ近づいてきた。その直後にドーンと巨大ハンマーで地面を叩かれたように激震が走ってそれが結構長く続いて日本海方面へ去っていった。それに合わせて吉田家の食器棚とか台所のこまごました物が床へ次々に落ちてきてネコチャンズがものすごい勢いで土間へ飛び出ていった。
すぐに電気をつけてスリッパを探して床を確認しながら台所を確認した。水道も普通でガスの匂いも感じなかったが、灯油ボイラーの耐震装置が作動したらしく、その時は水がお湯になることはなかった。それから夜が明けるまで、地鳴りが止むことがなく3〜4回ドカンと地面から突き上げるような大きな揺れが来た。あとはお昼までの間に少しずつ余震が弱まって午後になると地鳴りも消えて揺れもほとんど無くなった。
万善寺のことも心配だから夕方になって寺へ出かけようと準備をしたが、ネコチャンズが何処かに潜り込んで見当たらないままで、それも心配だから、結局食料の買い出しをしてもう一晩吉田家で寝ることにした。大田市は、石見銀山より被害が大きくて、ブルーシートをかぶった屋根が点在し、アチコチで窓ガラスが割れて応急修理がされていた。余震もほぼ収まった夕方になって、吉田家のライフラインを確認した。灯油もスイッチのリセットで使えるようになって、日常の暮らしが復活した。
まだ何処かに隠れたままのネコチャンズが気にかかったが、寺のことも心配で早朝から吉田家を出発して銀山街道を登った。
万善寺は、台所のフライパンがずり落ちていたくらいで、灯籠もお位牌さんも仏具も花入れも倒れること無く無事だった。きっと、観音様が守ってくださったのだろう。
境内の日陰に、先日に3日間降り続いた雪が解けないで残っていた。

寺の用事を一つ済ませて、なんとなく緊張が緩んで炬燵に潜り込んだらいつの間にか寝てしまっていた。やはり、それなりに緊張が続いて疲れが溜まっていたのかもしれない。

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島根で地震! 

2018/04/09
Mon. 13:04

豊川稲荷の二の午祭は、ワイフがいつものリンゴのケーキを作ってきてくれて、お茶会も賑わって無事に終わった。
雪が降ったりしたからご高齢の方々にはお参りもつらいだろうと、ワイフと二人で法要をつとめようと思っていたが、当日はお檀家さんもお参りされて住職としては嬉しい誤算だった。
この豊川稲荷の祈念法要は、元々仏教の宗派を問わないで周辺各地から信者のみなさんがお参りされる地域に根づいた仏事の一つだった。それで、先代住職夫婦はお檀家さんへ法要の告知をしないまま保賀地区を中心とした心安いお付き合いへお知らせする程度になっていた。だから住職交代からあと、お知らせチラシを飯南高原のお檀家さんへ配布するまでは、万善寺と豊川稲荷の関係を知らないお檀家さんがほとんどだった。
毎年、私が春の万善寺仏事のお知らせを持って回るようになってそろそろ10年近くなる。その成果が現れたのかどうなのかわからないが、今年はお檀家さんが4軒もお参り頂いた。柄にもなく嬉しくて少し興奮して、浄土真宗の門徒さんが多い中で曹洞宗と豊川さんの深い関係を熱弁してしまった。あとで振り返って少し反省したところだ。

ひと通り後片付けをして、用事絡みの出雲経由で石見銀山へ帰った時は、すでに日が暮れていた。
まぁそれなりに色々あって、さすがに少々疲れた。
ネコチャンズとグッピーへ夕食をあげて、映画でも1本見ようと吉田家シアターをセットして落ち着いたところまでは覚えているが、いつの間にか眠ってしまっていた。

どこか遠くから、「ゴォーッ!!」と地鳴りのような音が近づいてくる。
夢でも見ているのだろうと思っていたら、それからすぐに吉田家が地面から突き上げられるような感じに揺れ始めた。台所や食器棚あたりがうるさい。床にモノが落ちる音が断続的に聞こえて、それに町内の防災放送が重なった。
しばらく続いた揺れが少し収まった直後に、次の揺れが来た。これもそれなりに揺れた。
さすがに、夢ではないこともわかるから、電気を付けた。映画はいつの間にか終わっていて、時計は深夜の1時半を少し過ぎていた。
トイレでオシッコをしていたらじゅん君が心配の電話をくれた。Applewatchで話をしていたらまた揺れた。
それから朝まで地鳴りが止まないで揺れも続いた。
途中から雨が強くなって、それに地鳴りが重なって、雷に聞こえる。いや、本物の雷が鳴っていたのかもしれない。揺れるたびに吉田家のアチコチがガタピシうるさいし、軽いものがズレ落ちてくる。

あれは、まだ私が小学校の低学年くらいだったと思う。
夜、親子三人川の字になって寝ていたら、三瓶山方面からゴォーと地鳴りが近づいて、直後に万善寺が強烈に揺れた。それから地鳴りが南へ去って、しばらくしてから地鳴りが北上してきて万善寺の床下を三瓶山方面へ帰っていった。あの時は、ブルブル震えながら三瓶が噴火したのかと本気で思った。余震の続く中であの時のことを思い出した。

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4月の雪 

2018/04/07
Sat. 23:15

このところ、島根県は雨が降り続いて寒い日が続いていたから、久しぶりにストーブを焚いた。
寒いとはいえ、もう4月に入っているから溜まった紙類を火付け代わりに炊き始めただけで吉田家がほんのりと暖かくなった。薪の残りはまだ十分にあるので、その中から適当なサイズのモノを選んで3〜4本投げ込んだら、一気に部屋が温もった。
正直者のネコチャンズが、吉田家の何処かからさりげなく湧き出てきて、ストーブの近くへ寄ってきた。
人間がヤツラに使われているような気がしないでもないが、嘘をつかれるよりはマシで、彼等のために居心地が良くてストレスの少ない環境を提供してやっているのだと思って自分の好意を噛みしめる。
部屋が温まったせいか、急に眠気が襲ってきて誰よりも先に寝てしまった。

天気予報だと、北海道を中心に日本海側では雪が降るようなことを云っていた。
夜中に目が覚めると、ストーブも消えてとにかく寒い。天気アプリで確認すると島根県の飯南高原や石見銀山は雪マークになっている。
万善寺の法要もあるし、保賀地区内の訃報も入っていて、どうしても朝のうちに石見銀山を出発しておかないといけない。それで、それが気になって目が冴えて眠れなくなった。仕方がないから、FOXテレビ配信のアメリカドラマを立て続けに3本見ているうちに夜が明けた。ドラマが1本終わるたびに天気アプリで確認をしていたのだが、やはり飯南高原は雪マークが午前中続いている。朝になって吉田家の玄関から町並みを覗いてみると、幸い石見銀山は雪になっていなかった。それから、ワイフとネコチャンズのためにストーブを焚いて、吉田家を出発した。

銀山街道はシャーベット状の雪で濡れている。道の両脇は溶け残った雪が白い。ノーマルタイヤの溝は信用できないから、とにかく慎重に走るしか無い。出雲街道へ合流して飯南高原へ入ると、あたり一面雪で真っ白だった。雪混じりの雨が絶え間なく降ってワイパーが忙しい。万善寺の方へ右折してお地蔵さんの前まで来ると、路面は濡れているが4WDでなんとか登れそうな様子だ。そのまま慎重に参道を登ってみると、境内は屋根の雪吊りが山になっていた。
4月の桜に雪が降り積もっている。標高1000m級の中国山地は、冬に逆戻りしたようで真っ白になっている。

今から随分前、私がまだ小学生だった頃、境内の北側には5月の連休すぎまで雪が残っていて、大人たちが田植えをしている時期に近所の子供は雪遊びをしていた事もあった。
梅雨に入って半夏が近づいた頃に、強烈な台風並みの集中豪雨があって、それで一気に気温が下がって、寒くてしょうがないから掘りごたつへ炭を入れたこともあった。
あの頃のことを思うと、今は境内の雪もだいたい3月のうちに消えるし、桜の花も入学式には散った後だったりして、ずいぶん暖かくなっている。もう、身体がそういう春先の環境へ慣れてしまった今になって、今回のこういう雪は心身ともにつらくこたえる。
保賀自治会だけが集まった家族葬の寂しい通夜の間中、冷たい雪が降り続いていた。

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花冷えの銀座 

2018/03/30
Fri. 23:41

2年前も銀座のギャラリーで1週間彫刻展の受付をしたが、確かあの時は会期が今より1週間ほどあとで、4月に入っていたと思う・・・が、記憶が間違っているかもしれない。
とにかく、今度の展覧会は、2年前より来場が少なく感じる(気のせいかもしれない・・)。
芳名録の記帳簿へ記帳する人は、今回が多い気がするけど、それでもフラリとギャラリーへ立ち寄った人は記帳しないでそのままフラリと去ってしまう。そういう人が減ったように感じる。日が長くなりつつあっても、今の時期でクローズの迫った夕方の7時となると看板の灯りのほうが目立ってくる。そういうことも来場数に関係しているかもしれない。
吉田家二人の彫刻家目当てに16人が会場へ来てくれた。最終日に来るという連絡も入っているので、もう少し増えるかもしれない。総入場者数が150人チョットだから、島根在住彫刻家としては広報活動も健闘している方だと勝手に納得している。

前回いつ映画館に入ったか全く覚えていないほど久しぶりにキーポンと新宿で映画を観た。その帰り道に小さな公園があって、そこに咲く桜の花びらが路肩の電柱脇へビッシリと吹き溜まって、辺り一帯が淡いピンク色に染まっていた。桜の種類にもよるだろうが、東京は4月になる前に桜の花が終わりそうだ。
田舎に暮らしていると、周囲の草木の変化がそのまま季節の変わり目を教えてくれるので、なんとなくそれと連動して節目の行事を覚えていたりする。
今は1週間を留守にしているから、島根の現状がわからなくて落ち着かない。
ワイフと電話で話すたびに桜はどうだとかすももはどうしたとか聞くものだから、今日になって吉田家グループLINEへ銀山川に面した裏庭の様子写真を添付してくれた。すももは白い花がキレイに咲いているし、菜の花もアチコチに黄色い島をつくっているが、吉田家の桜はまだやっと一つ二つ花が開いている程度だった。石見銀山でそのくらいなら飯南高原の万善寺は、まだ梅の花が残っているかもしれない。

日が暮れてから一気に冷え込んだ。このところ暖かい日が続いていてそれに慣れていたから少々つらい。会場をクローズして最寄り駅で下車してキーポンのアパートまで帰っていたら、居酒屋の集まった横丁を抜けた当たりで細い路地からキジトラのネコがヒョイと飛び出してきた。たまたま方向が同じでしばらく横に並んで歩いていたが、それからまたすぐ先の民家の隙間へ曲がって見えなくなった。ソコソコ立派に太って貫禄のある老猫に見えた。キジトラの模様がもう少しグレーっぽくてほっそりと若返らせたら、明大前で同居していたタマの雰囲気によく似ていた。それで久しぶりにあの頃を思い出した。
どういうきっかけでタマが私に近づいてきたのか覚えていない。特にだきあげて頬ずりするわけでもなく、もちろん、貧乏暮らしで猫飯を自分で食べることはあってもタマのためにつくってやることなど無かったのに、なんとなくお互いの距離が縮まって、私が帰宅して鍵を開けて部屋の電気をつけると、タマはゴミの掃き出し窓から入って自分から私の膝へ乗ってきたりする、なんとも奇妙な適度な距離感の関係が2年位は続いただろうか?・・・それから、その家を取り壊すことになって引っ越しが決まって荷物の整理などをし始めたところで、フラリと何処かへ行って見えなくなった。あのタマはもうとっくに死んでいるくらい昔のことだ。吉田家のネコチャンズは今頃どうしているだろう・・・

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東京の夜 

2018/03/29
Thu. 23:36

銀座の展覧会場で受付をしていたら、出雲のお檀家さんから電話が入った。
墓納め(墓終い)のことでもう2年前から継続してお話していたことが、この数ヶ月で一気に先へ進んだ。一連の先祖供養が終わったら、晴れて離檀されることになります。
血縁親族も絶えてお墓の維持が出来なくなる家もこれから一気に増えることでしょう・・・まぁ、これは万善寺のある飯南高原のような田舎過疎地のことで、人口流入が続く市街地寺院には関係ないことだけどね。

今の小品彫刻の展覧会は隔年で開催されていて、確か今年で8回展になるはずだ。私は初期の頃に出品参加していたが、途中で会期が少しずれたことと、寺の春の仏事が重なったことでしばらく出品が途絶えていた。
開催要項は欠かさず届けられていたので、スケジュールの調整がうまくいけば出品をしようと思っていたところへ、数年前に1週間ほど展覧会の会期がズレたことがあって、「コレなら出品可能だ!」と久しぶりに新作の小品彫刻を造ることに決めた。せっかくだからと、ワイフも誘い続けて、それからあとは彼女も小さな彫刻を造ることが増えた。
この彫刻のグループ展は、公募団体二紀会の彫刻部会員有志が集まって成立している。だから、メンバーの出入りは実に流動的で、委員になる彫刻家もいれば新しく会員になる彫刻家もいて、出品者の定着が無いことがある意味で面白い。ちなみに私は永久会員のようなところがあって、そろそろこの展覧会の生き字引的存在になりつつある。
関東一円在住の会員作家が中心になって展覧会の運営を仕切っていらっしゃるが、島根の田舎暮らしから見ると、煩雑な事務仕事を粛々とこなされるコアなメンバーの皆さんには頭が下がる。隔年開催とはいえ、会期直前まで何もしないでボォ〜〜っと過ぎている吉田家彫刻家とは比較にならない忙しさだと思うから、せめて会期中だけでも業務軽減になれば良いと思って、出来る限り1週間ほどは受付を引き受けるようにしている。

毎日受け付けをしていると、それなりにあらかじめ発送しておいたDMの効果があって、だいたい毎日知り合いの誰かが会場を訪ねてくれる。それでも、結局は田舎暮らしの吉田目当ての来場者は美術業界に影響力のある偉い人など皆無で、展覧会をネタにした同窓会みたいな様相に近いノリで、作品鑑賞もしたかどうかわからないまま、気がつけば昔話に終始して、そのうち「せっかくだから何処かで一杯!・・・」ということになったりして、本末転倒実に不順な動機の方へ流されてしまう。
だいたい毎日がそんな風に過ぎているところへ、島根で縁のある写真好きの高校生が両親と一緒に会場を訪ねてくれた。彼等は吉田目当ての訪問者の中では実にトップクラスの鑑賞者で、ジックリとそれぞれの彫刻をみてくれた。そのあとは例のごとく、「せっかくだから食事でも・・」ということになって、銀座の老舗のレストランで夕食になった。こういう機会でもないとなかなか出会えない良い雰囲気のレトロな店で、食事もとても美味しかった。
それからキーポンへ連絡して新宿へ移動して、新宿ピカデリーで待ち合わせした。昔の面影は皆無でオシャレな最新の映画館に変わっていた。貧乏学生にとって封切り映画館は高嶺の花だった。かれこれ30年ぶりにピカデリーでチケットを買った。やっぱり、映画は大画面の大音響の迫力でないとダメだなと、改めて感動した。

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3月の麗日 

2018/03/24
Sat. 23:16

母親が死んだのは1年前の3月23日だった。
お彼岸の法要を終わって、本堂などを片付けて、母親にその日の残り物を託して石見銀山へ帰った。
母親は、それから寺で一人暮らしを続けて、23日にその年最初のデイサービスへ出かけて、夕方に寺へ帰って、玄関の鍵を締めて、いつもの6畳で電気炬燵のスイッチを入れて、着替えもしないで炬燵へ潜り込んだまま、テレビのスイッチを入れることもなく、心臓発作で死んだ。
発見した時は、少し苦しんだ様子があって、周囲のモノが乱れていたが仰向けになって昼寝をしているような様子だった。

毎年3月の終わり頃には展覧会が東京であって、そのための彫刻を造ったり、搬入展示で移動したりと、慌ただしく毎日が過ぎる。
それで、母親の異常に気付いたのはお彼岸のあと一週間ほど過ぎた頃だった。いつも親しくさせてもらっていた近所のオバサンが私の携帯へ連絡を入れてくれた。状況を聞くと母親が普通の状態ではないことがすぐにわかったので、ワイフにその旨伝えて、寺まで同行してもらった。
あとは、鍵の掛かった庫裏へ何とか上がり込んで、死んだ母親を発見して警察や消防へ連絡したりして次の朝を迎えた。それから、通夜密葬から葬儀と、3月から4月にかけて落ち着かない数日が過ぎた。
母親は、俗に言う孤独死だった。
1年前のその時、何故か不思議に取り乱すことがなかった。
普通に眼前の事実へ粛々と向き合っていた。
「あの時、あぁ〜しておけばよかった」とか、「もっと、こうしたら良かったかも・・・」とか、後悔というか反省というか、特にそういう気持ちになることもなかった。母親の死を、かなり冷静に受け入れていた気がする。
子供が両親を見送ることが、人生の順当な筋道で、なんとかそれが自分で出来ただけでもありがたいことだと思っている。両親は、それなりに幸せに生きて、それなりにわがままを通して、ソコソコ上手に死んでいくことが出来たほうだと自分では思っている。

母親の祥月命日にあわせて、一周忌の法要を厳修した。
隣町のご住職へ差定の手伝いをお願いして、万善寺住職の私が法事の導師をつとめた。
もっと正式に本来の仏事差定に沿った法事にすべきところなのだろうが、今の私にはそれが出来るほどの器もないし、略式のまた略式程度のことで息切れする。
とにかく、母親が生前お世話になっていた(はずの・・・)親族を大事にして、法事の日取りを伝えたら、島根県内各地から広島まで総勢8人の親子孫三世代の参集があった。あまり、進んで人付き合いをするタイプでもなかった母親の法事としては賑やかな方だ。
一年ぶりに親戚が集まって、一年の情報交換をしながら、母親との思い出話に花が咲き、いつもとは少しほど違う豪華で美味しいお斎の料理をいただき、次の再会を約束して散開した。
浄照院慈門俊香禅尼一周忌法要は、ワイフの気配りも上々で、天気もよく麗日に過ぎた。

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大雨のお彼岸 

2018/03/21
Wed. 23:38

もう、何年も前からお彼岸の行事一式を住職一人(ボクのこと!)でやりくりしているから、特にいまさら改まって緊張することもないが、何故か、あまり眠れまいまま一晩が過ぎた。
朝になる前から、雨が本格的に降りはじめて雨音がうるさい。
お彼岸は雪が降った年もあったけど、だいたいそれなりに晴れていることが多かった。
こうして朝から土砂降りに近い雨が降ることはあまり記憶にない。

法要は午後からだから、少し余裕のある朝のうちにワイフの彫刻パーツへ手をいれることにした。
雪が溶けて勝手口が機能しはじめてから、彫刻の工具や作業テーブルを移動して簡単な制作が出来るようにした。本格的に万善寺の一人暮らしをスタートさせてから、少しずつ彫刻の制作環境を整えつつあって時々思い出した時に色々と使い勝手を工夫している。通勤坊主の移動中に幾つかひらめいたりすることがあると、寺に到着して忘れないうちにメジャーで寸法を測ったりして作業台がピタリとハマったりすると思わずニヤついてしまう。
勝手口は西側に開けているから、夕方になると西陽の逆光で仕事にならない。
お彼岸を過ぎて、これから日が長くなってくると、この勝手口は万善寺の居住スペースで一二を争うほど暑くなって過酷な環境になる。そういうことも予測しながら、ひとまずは仮の制作場所として様子を見ながらしばらく使ってみようと思っている。

昼を過ぎて、本堂の業務用灯油ヒーターのスイッチを入れた。
朝から点火すると夕方には2リットルの灯油缶を1つ使い切ってしまう。
まことに不経済極まりないが、これもお檀家さんのご厚意で倒産流れの中古品を譲っていただいたものだから大事に修繕しながら使わせてもらっている。
本堂がほんのりと暖かくなり始めた頃、最初のお参りがあった。
お檀家さんの中で一番遠くのそのお宅は、琴弾山の麓から大万木山へ抜ける林道の入口付近にある。
出雲大社沖の日本海へそそぐ神戸川(かんどがわ)の支流に沿って続く林道から橋を渡った先に母屋と納屋と土蔵があって、畑を通って少し行くと墓地になる。畑の脇の川端にある桜の木が実に見事で、花の咲く頃に万善寺のお知らせを持参すると、谷を吹き下ろす風に乗って杉の造林の深緑をバックに花吹雪が舞っていたりする。
「橋の下の水道管が破られましてねぇ・・・まぁ、往生しましたわぁ〜」
ヤッパリ!!・・・という感じ。
今度の寒波は万善寺でアレだけ大騒ぎになっていたから、「それ以上は確実だ!」と思っていたが、ご主人のお話は想像以上だった。
そのご主人は、自衛隊を退職された方で、現職中は長く北海道へ駐屯されていた。奥さんともその時に結婚されて、ご両親の高齢と介護で帰郷された。元々の商売柄、サバイバルには長けていらっしゃる人が、大雪をかき分け、破裂した水道管を修理したり、除雪のこない林道の雪を巻き上げながら車をすっ飛ばすたくましい姿をかなりリアルに想像した。

17人のお参りがあって、お経読んで、塔婆回向して、お茶を飲んでお彼岸が終わった。

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彼岸の前 

2018/03/20
Tue. 23:24

冷たい雨が降り続いている。
境内や墓の掃除は結局やめることにした。
本堂の座敷から庫裏を通って台所まで、掃除をした。
小さな山寺のことではあるが、こうして端から端まで掃除機をかけていると、まぁ、それなりに広い。
気がつくともうお昼になっていて、そういえば、朝から飲まず食わずで動き回っていた。
あまり余裕もないが、せめてコーヒータイムくらいは良いだろうとホウロウケトルに井戸水を継いだところで、お茶会用の配膳や食器などの手配をしていないことを思い出した。
まずは、コンロに火をつけてAppleWatchのタイマーをセットしてから、万善寺のロゴ入り茶碗などを茶箪笥から引き出した。
こういう時のために、ワイフが1年前からセッセと食器などの収納をわかりやすく整えておいてくれたから、とても楽になった。
彼岸法要が終わってからのお茶会の席を用意していたら、手首でタイマーがブルブルと震えた。

コーヒーを飲みながら1度ワイフへ電話したが出なかった。
それからしばらくして、「今講習が終わったところなの・・・」と、ワイフから電話がかかってきた。
そういえば、今日は大田市の何処かで何かに出席するようなことを云っていたことを、その電話で思い出した。
ワイフにはお彼岸の簡単なクチトリを頼んでいて、その受取をどうするか打ち合わせをして時間を決めて電話を切った。
お寺参りのことで、特にこれといって大事なわけでもないが、その大事なことがごっそり抜け落ちてしまっているようで何かしら気ぜわしくて落ち着かない。
お参りはだいたい15人くらいだろうと概算して、経木塔婆をその程度と、冬の間墓参が出来ないでいた150cmほどの法事塔婆を4枚書いた。

打ち合わせしてあった予定の時間を少し過ぎて、久しぶりに石見銀山吉田家へ到着!
土間へ入ったら、クロがリビング入り口から顔を覗かせていたがすぐに引っ込めた。
荷物を下ろすなどして結界君の支度を整えてから、ワイフの手作り料理を運んだ。
それから、彼女の彫刻パーツの制作内容を聞き取って、それも積み込んだ。
帰りの移動中は雨が降らないでいたが、飯南高原で出雲街道へ合流したあたりから路面が濡れていた。琴弾山の上半分が雲に隠れている。

本堂前の駐車場へ車が1台停まっていた。
大田市の実家へ引っ越したばかりのK君だった。彼は、大学を卒業して江津の方の小学校へ採用が決まった。それからしばらくして、ユキちゃんがMちゃんを連れてやってきて、最後にテツヤくんが合流した。彼は今度の転勤で浜田市へ引っ越すのか引っ越したのか・・これからしばらくは浜田で暮らすことが決まった。
お彼岸前夜は万善寺の庫裏に若い彫刻家が集まって、久しぶりに寺が活気づいた!

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春の展覧会 

2018/03/15
Thu. 23:15

三寒四温は冬の頃を云うのだろうが、万善寺の暮らしだと丁度今頃のことを当てはめたほうがピッタリだと思わないでもない。

ワイフの仕事がおおよそ落ち着いて、これから先は三瓶山へ登る用事も減るだろうから、そろそろスタッドレスタイヤを履き替えておいたほうがいい時期になった。それで万善寺の土蔵で保管してあるノーマルタイヤを雨が降る前に結界君へ積み込んでおいた。昔はタイヤ交換経費をケチって、半日ほどかけて2台の車をジャッキアップしたりしていたが、最近はそれほどの時間も体力も、それに気力もなくなって、お金で済ますことにしている。結界君の方は、スタッドレスタイヤもチビてきて次の冬シーズンは使えないだろうから、そのまま履きつぶしてしまおうと思っている。

東京で営業の仕事をしているなっちゃんが島根の本社出張で帰省している。
日が暮れて暗くなってから吉田家へ帰ったら、すでになっちゃんがボクのくつろぎスペースを占領していた。ネコチャンズは彼女を恐れて何処かへ潜り込んで出てこない。たった2〜3日のことだが、夫婦の二人暮らしに慣れていると、いつもと調子が違って我が家ながら居心地が悪かったりする。それでも、ワイフはウキウキと夕食の支度などして嬉しそうにしている。あと1週間したら今度は私が彫刻のグループ展で東京へ行くことになる。会期中は、なっちゃんが会場へ来てくれるようだし、時間を調整して食事でも出来たら良いと思っている。

母娘の会話に割り込むのも悪いから、早々と布団に潜り込んで短編を読み始めた。
そろそろ寝ようかと思っているところへユキちゃんから電話が入った。
彫刻つながりで彼女の周辺の連中が久しぶりに集まるという。私はお彼岸の準備で万善寺を抜け出せないから、せっかくだしお寺へ集合しようと連絡網を回してもらうことにした。今より少しは暖かくなっているだろうし、吉田使用のシュラフも余分があるし、4〜5人くらいならみんなで雑魚寝すれば一晩くらいはなんとかなるだろう。
島大出身で彫刻を造り続けている連中は、研究室の先生の関係で春の公募展へ出品している。私も学生の頃は春の3月末にある公募展へ属して作品制作をしたり搬入搬出をしたりしていたが、島根へUターンした1年後の3月は年度末の煩雑な仕事と重なって、とても落ち着いて作品制作する余裕などなかった。それでも、「アレがあるからコレが出来ない・・」などと、仕事の忙しさを理由に制作を断念するのもシャクだし、道具も材料も制作場所も十分に揃わないまま何日も夜なべしたことを思い出す。そういう、落ち着かない3月の制作を数年続けていたが、やはりどう工夫しても造形の完成度を目指すことは難しいとわかって、春の展覧会出品をやめた。ワイフの方は学生の頃から秋の展覧会へ彫刻を出品していたから、その搬入搬出を島根で手伝っていたし、どうせワイフの制作を手伝うなら自分も一緒に彫刻を造ろうと決めて、それからあと、今に至るまで吉田家夫婦は二人して毎年秋の公募展へ出品を続けている。ユキちゃんの友達はほとんどが春の公募展で彫刻制作を頑張っている。まだみんな若いし、今のうちは少々無理をしてもなんとかなるだろうが、この時期落ち着いて制作に集中するのも難しいことだ。
自分の経験もあるし、一杯やりながら彼等とそんな話ができれば良いナ・・・

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ナニが起きるかわからない 

2018/03/08
Thu. 23:39

小品の彫刻と云っても、小さい分だけ早く出来上がるというわけでもない。
むしろ、2m以上の大きな彫刻のほうが楽にできて造りやすかったりする。
そういうこともあって、制作中にナニが起きるかわからないから、早々と吉田家を出て工場へ向かった。
石見銀山の町並みから銀山川を渡って新道へ結界君を回すと、微かに濡れた路面へ木や竹の葉が張り付いて、道脇にはプラスチック製のプランターが転がっていたりする。前夜にそこまでの強風が吹いていたのだろうか特に記憶がない。
町道から主要道へ左折してすぐにあるトンネルを抜けると下り坂が乾いている。山一つ越えるだけで天候条件がかなり違うのはアタリマエのことで、もう20年以上住み暮らしている石見銀山の町はそういう地理的環境にあるということだ。

工場通いは前日に続いて2日目になる。
いつものように、倉庫に囲まれた内庭で結界君を回してバックから工場入口へ進入し始めたら、バックミラーに入るいつもの風景がどうも変だ。側溝を目安にして左右を確認しながら慎重に工場横まで移動すると、昨日と鉄板の位置がズレている気がして少し手前で結界君を止めてエンジンを切った。その気になって注意して周囲の状況を見直してみると、資材置き場の材料が倒れていびつに重なり合っている。工場の入口前へ寝かしておいた1.6mmの鉄板がひらりと舞い上がって裏返しになっている。その上に入口横に立てかけてあった9mmの3✕6板が倒れて直撃して1.6mm板は無残に折れ曲がって変形している。
どうやら、工場の周辺地域は強烈な突風が吹き荒れたらしい。

本当にナニが起きるかわからない・・・
9mmの鉄板は、もう5年以上前に3枚ほど重ねてその場所へ立てかけておいたものだ。
それから現在まで、少しずつ裁断しながら使って今は1枚だけ残っていて、あとは切り刻んだ端材が、探せば何処かにあるくらいに減った。あの頃は、それでもまだ体力や腕力もあって腰や膝や足首の故障もそれほどひどくなかったから、地面に寝かした9mmの鉄板を起こして立てかけるくらいのことは苦もなくできていた。
その9mmを含めて工場の入口周辺に散乱した彫刻の材料を片付けるだけで、本日の体力をほぼ全て使い切った。
残りわずかの余力でフラフラになりながら小さな彫刻の最終工程に取り掛かったところで電話が鳴った。(・・・このタイミングで・・・)と見事に制作の気力が萎えたが仕方がない。同級生のクルマ屋のオヤジからだった。「オォー!まいどぉー!吉田くん今イイィ〜〜?」(・・・って全然良くないんだけど・・・)「吉田くん住民票ソッチにあるんじゃないかと思って、確認よぉー。明日までに持ってきてくれると助かるんだけどぉーー!」(・・・ってそれ突然云われても・・・)
・・・なんとか昼過ぎに彫刻を造り終わって、市役所の分庁舎で住民票をもらって、出来上がった彫刻を積んで飯南高原へ向かって同級生に住民票を渡してから万善寺へ向かった。参道を登ったら境内の端の松の枝が折れて用水路脇へ落ちていた。雪の残った境内は他にも色々なものが散乱してすごいことになっていた。
島根県はかなり広範囲で台風クラスの強風が吹き荒れていたらしい。

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大雨のあと 

2018/03/06
Tue. 23:11

石見銀山は梅まつりが終わってから天気がくずれて一晩中大雨が降り続いていたから、万善寺のことが心配で、夜が明けるとすぐに結界君を走らせた。
ほぼ銀山街道に沿って蛇行しながら流れる江の川の支流がいつになくゴォゴォと濁流になっている。
V字の谷へ張り付くように続いている棚田は昨日まで雪が残っていたのに、一晩で溶けて田植えが終わった後の水田に見えるほど雨水で満ちていた。
飯南高原から出雲街道へ合流してからもそういう景色が続いて、神戸川の支流はもっとひどく増水していた。
すくなくても、島根県の中央部は昨夜一晩でかなりの大雨が降ったようだ。

ドキドキしながら参道を上がってみると境内にはまだ白く雪が見える。一旦、駐車場で結界君を回転させ、バックでお尻から境内へ乗り入れた。
案の定、行き場のない大量の雨水と雪解け水が境内一面に溜まって大きな池のようになっている。庭の真砂土の吸水が間に合わなくて飽和状態になってしまっていた。
雪がなければ、自然にできた庭の傾斜や窪地を辿って上手に農業用の水路まで排水されるようになっているから、かなりの大雨でも気にすることもないが、今はその排水ルートが雪に埋もれて上手く機能していない。
幸い、大雨も峠を超えてどんよりと曇り空ながら朝から気温も高くて春の陽気だ。
この様子だと前庭の方は特に何もしないでもそのうち雪の下を地下水のごとき排水路が出来るはずだ。本堂の東側は、一対の灯籠が倒れたままになっているものの、排水の方は大丈夫。庫裏の西側と北向きに続く裏庭が気になるのだが、そちらは雪は多くていまだに踏み込める状態にない。
庫裏へ入って北に面した裏庭を家の中から覗いてみると、盛り土の上にある基礎石すれすれまで水面が上がっていて、あと少しで床下へ雨水が流れ込みそうな状態になっている。裏庭の排水は、庫裏から台所の軒先に沿って西側へ回り込んで、そちらにある古い用水路の跡を経由して現在現役の水路へ流れ込むようになっている。そのルート上には大量の雪が消え残っているから、これから昨夜のような大雨が降り始めたら万善寺の長い歴史はじまって以来の床下浸水になる。
とにかく、自分にできることと云えば、セッセと人力で雪をかき分けて排水ルートを確保するか、本尊様頼みの祈祷法要を始めるか、もしくは、すべて諦めて一日中空を見上げながら運を天に任せてダラダラ過ごすか・・・そのくらいの選択肢しか浮かばない。
それでもと思って、ウエブチエックで島根県の天気予報を確認すると、これからどんどん冷え込んで気温が一気に下るものの雨が降ることはなさそうだ。最近の天気情報はほぼ完璧に近いくらいよく当たるから、デスクトップを駆使して飯南高原の局地的な天気図を引き出したり、地域のケーブルテレビで天気情報を確認したりして裏付けを固めた。

寺で一日過ごしても事態が急変することも無いだろうから、石見銀山へ引き上げることにした。今日もワイフが仕事で遅くなるようなことを言っていた。いつものように疲れ切って帰宅するだろうから、夕方の家事を少しでも楽にしておくくらいのことなら出来る。ここまで自然に振り回されることも今までに無い。この歳になってナカナカ鍛えられる。

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梅まつりの夜 

2018/03/05
Mon. 23:47

石見銀山の銀山公園では毎年恒例の「梅まつり」があった。
婦人会のメンバーでもあるワイフは、三色団子を造る手伝いで朝から出かけたようだ。
この時期の私は相変わらず週末から坊主優先の万善寺暮らしで、もう何年も梅まつりと縁が切れたままになっている。

夕方になって珍しくワイフの方から電話が入った。
「お寺はどぉ〜ですかぁ〜?私は少し前に帰りましたぁ〜・・これから買い物に出かけるからねぇ〜〜・・あなたお帰りは何時くらいですかぁ〜」と、それなりに機嫌が良い。
一日婦人会の立ち仕事で疲れたのではないかと心配したが、それ程でもないようだ。
その電話があって急に吉田家が恋しくなって、急いで帰り支度を始めた。

万善寺は一日中春になったようないい天気で、吹く風も棘がなくなって柔らかい。
生まれも育ちも山奥の田舎者だからなのか、この歳になって花粉症の発症もないから、こういう春の風は実に心地よくて気持ちが晴れる。
昨年の終わりから数カ月ぶりに、お寺のそこら中の窓やドアを開放して外の空気を入れて、ついでだからといつもより念入りに掃除機をかけた。
家の中を風が通り抜けて、冬の間部屋中に充満していたオヤジの加齢臭が一気に吹き飛んでいった。

まだ明るさが残っているうちに万善寺を出発した。
雪解けの水が街道沿いの川へ一気に流れ込んで、かなり増水している。
島根県の今年の水田は水不足で悩むこともまず無いだろう。
牧場の近くを通る銀山街道へ曲がったら、沈む夕日で逆光の石見の山並みがいつになくくっきりと目に入った。だいたいが、朝夕の霧深いところでそれにこの時期は春霞みも続いて滅多にクッキリとした山景を見ることがない。

吉田家前の駐車場にはすでにワイフの車が停まっていた。
土間へ入ると、珍しくクロが鳴きながら出迎えてくれた。
夕食は、見事に炭水化物が並んだ食卓の端には三色団子。
炭水化物と甘いもの大好きなワイフが、最近少し本気になって食生活を改善しつつある。たまにはそういうストレスから開放されたいと思ったのかもしれない。それに便乗したボクもたらふく食べた。

夜も更けて日が変わる頃、雨が屋根を叩き始めた。それから青白い閃光が吉田家の天窓を通してリビングを照らした。この時期には珍しいほどの豪雨になって、周囲が一気に賑やかになった。それでも、布団の上で丸くなっているクロはピクリともしないでスヤスヤ寝ている。雨と風と雷とクロの重さで完全に目が覚めてイジイジしていると、ワイフも起きてきてトイレへ入った。シロも目覚めたようで更新した首輪の鈴がチリンと鳴った。
「万善寺はどうだろうか?・・・」
境内の溶け残った雪が雨水の排水を邪魔して大事になっている気がする・・・

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春の嵐 

2018/03/01
Thu. 23:28

1月は最初の寒波がきて、万善寺のライフラインを維持しながら寺暮らしが続いた。
2月はもっと強烈な寒波によって井戸水が凍結断水して、風呂のカランが壊れて、温泉津温泉のように茶色く濁った上水が1週間以上出続き、降り積もった雪はまったく解ける気配のないまま氷のように固く締まってスコップの歯が立たなくてまともに除雪も出来ないまま過ぎた。

石見銀山の吉田家前まで帰ると、ちょうどワイフが玄関を開けるところだった。
あまり体調が良くないのに、頼まれごとが断れない性格で一日中外出したままアレコレの用事を片付けている。
生来の怠け者の私の爪の垢ぐらいいくらでも煎じて飲ませてやるのに、そう云うと「フン!」と鼻で返事して固辞する。
歳をとってお互い益々頑固になるばかりだから見て見ぬふりで諦めるしかない。
家に帰ってもドタバタと落ち着かないままだからどうかしたのかと聞いたら、これからもう一つ会議があるのだと慌ただしく出ていった。
少々腹がへったから、普通なら勝手に何かつまみ食いでもしてしまうところだが、今のワイフには誰がどう見てもイライラとして余裕のないことがわかるので、こういう時はとにかく何もしないでジッと待ち続けることが無駄に波風を立てることもなくて一番いい。ウエブニュースを巡回しながら待ち続けて、結局彼女が帰宅したのは8時を過ぎて、それから夕食の支度を始めた。
夕方からの小雨も夜になって本格的に降りはじめ、それに風が加わってきた。こうして2月最終日はとにかく落ち着かないまま過ぎた。

3月は大風からはじまった。
石見銀山の町並みへ出ると吉田家の濡れ縁や雨戸が昨夜の風雨でビッシリと濡れていた。
銀山街道のいたるところで折れた木の枝や斜面から欠けた石が落ちていて走りにくい。
思っていた以上に風が強かったようだ。こんなことなら一晩万善寺で居たほうが良かったと後悔した。
参道を登ると、駐車場の雪が無い。あれほどしつこく解けないで固まっていた雪が一晩の大風で見事に一気に消えていた。春の嵐にこれほどの威力があることをはじめて知った。
ふと、富山の鉄の彫刻のことを思い出して気になった。
たぶん、倒れていると思う。やはり背の高い彫刻は難しい。

ポストに2月28日付水道使用量の検針レシートが入っていた。
確認すると、毎月使用量の4倍近くになっていて、請求料金がすごいことになっていた。
電気やガスは自己責任で仕方がないと諦めもつくが、水道ばかりはどうも釈然としない。
9時を待って役場の建設課へ電話をしたら、幾つか電話を回されてから料金担当と話すことができた。書類を2枚書く必要があって、1枚は自分、残り1枚は業者さんだという。そこまでしてどれだけ減免されるかわからないが、こういう同じようなことが高齢者世帯でもあると、なかなか自由もきかないし書類作成で役場まで出かけるのも難しいだろう。
何時もの便利が暮らしの負担に変わることの怖さを知った3月1日であった・・・

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オヤジ鍋 

2018/02/27
Tue. 23:43

万善寺で一晩寝ることになったので、オヤジの一人鍋をつくることにした。
万善寺の冬は冷蔵庫がいらないほど冷え込むから、食材の保存がとても楽で助かる。

最近は野菜が高くてワイフも苦労しながら食事の支度をしていて、いつもだったらこの時期毎晩のように続く鍋も、野菜が無くて激減している。まったく身勝手なもので、毎日鍋ばかり続くと「また鍋かよぉ〜・・」と顔ではニコニコ笑顔をつくりつつ、心で舌打ちしていたものだが、それもたまのことになると「そろそろ鍋食べたいなぁ〜・・」と毎晩心待ちしていたりする。
何番目かの寒波襲来で寺へこもる前にワイフが持たせてくれた白菜が残っていたので、それをすべて使った。ほかにきのこ類や長ネギをどっさり入れて、冷凍してあった大社沖のあなごをメインに寄せ鍋にして完食した。
酒のツマミの一品は、鶏皮のポン酢あえにした。いつもだったら捨ててしまうゆで汁は、寒いこの時期はそのまま数日置いても問題なく平気なので、暇な時にブイヨンにでもしようと思っている。
一見すると、いつもいつも、マメにこんなことばかり続けているように思うかもしれないが、吉田家に居る時は食後に食器を下げることくらいしか台所に立つこともない。
好きで料理などの家事をしているわけではなく、万善寺暮らしで必要に迫られて粛々と乗り切っているだけのことだ。
台所の食卓を使ってデスクワークをしているから、コンロも水道もすぐそこにあって、チョットした仕事の合間にガスの火を調整したり気晴らしに洗い物をしたりできて、それはそれで都合がいい。

このところ結界君の調子が悪くなって、それが少し気になっている。
走行距離が20万kmを越えたあたりから4速の走りにパワーがなくなって、それまで普通に登っていた坂も辛くなってきはじめた。最初は重たい荷物のせいかなと、軽い気持ちでいたが、空荷のときも走りが思わしくなくてあまり変わらない。さり気なく車のディーラーをしている同級生に聞いてみたら、エンジンの音が気になるという。素人にはよくわからないが、そう云われてみると何処かにヒビが入ってそれがビリビリ震えているような音に聞こえなくもない。走行距離はどのくらいかと云うから、「21万くらい・・」だと云ったら、「そりゃぁ〜〜、ちょっと、もぉ〜〜中古で売ることも無理だわぁ〜〜」と見捨てられた。いつもお世話になっているメカニックの工場長さんは「最近は軽も良くなって、上手に乗れば30万kmは大丈夫ですよ!」と話してくれていたのだが、どうやら、ボクは上手に乗っていなかったようだ。重たい彫刻を乗せて長距離を走ったりもしていたし、無理に酷使しすぎてしまったのかもしれない。
あと少しで雪のシーズンが終わる。昨年夏の終わりからエアコンも使えなくなってそのままだし、そろそろ寿命が近づいているようだ。

つくり置きの冷凍ご飯がなくなったので3合ほど焚いていた土鍋から湯気が消えた。
少し蒸らして炊きあがりを確認すると、今度はちゃんと焦げも出来ていない。
せっかく炊きあがりの熱々ご飯だから、たまごかけご飯にでもしようかな・・・

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クロ脱走する 

2018/02/15
Thu. 23:15

4つ目の寒波が島根県上空から徐々に遠ざかって、石見銀山へ薄っすらと積もった雪も春一番で一気に消えた。裏庭には、早々と水仙がアチコチで芽を出している。

ワイフが8時前には仕事にでかけるというので、それにあわせて通勤坊主の準備をして土間へ下りると、玄関横の雨戸が10cmほど開いていて外の光が眩しい。
「アレッ??どうして雨戸が開いてるんだろぉ〜??」
一瞬その状況がよく理解できないでいたが、「そぉ〜いえば、今朝はクロを見ない!?」ことに気付いた。
「マッチャン(ワイフのこと)クロ見た?」と、慌ただしく朝の用事をしているワイフへ聞いてみると知らないという。
それから狭い吉田家中探し回ったが、やはりクロがいない。
土間へアイツのためだけに脱走防止柵の格子戸設置で投資までしたのに、それから半年と経たない間に用を成さなくなってしまった。アイツの執念はすごい。
「アタシ、今日は早く出ないといけないから、あなたクロのこと頼むわよ!」
「えぇ〜、だって通勤坊主がぁ〜・・・」
「そんなこと云ったって、じゃぁ、クロどうするのよ?アタシ、帰りは夕方よ!」
「・・・」
結局、脱走したクロのおかげで通勤坊主を断念することになった。

それから、結界君へ積み込んであった寺の荷物を降ろして、裏口や勝手口などをクロの帰りに備えて、ストーブを焚いた。時々石見銀山の町並みや裏庭に向かって「くろぉ〜!」と呼んでみたが返事はなかった。そういうことを繰り返して何度目かに裏口を覗いたらクロが反省の様子など微塵もないポーカーフェイスでヒョッコリと現れた。「コノヤロウ!」とクロのために一日の予定が狂ったことにムッときたが、それをぐっと抑えて無視していると、自分から土間に入り込んできた。ドアを締めている間に足元をすり抜けてご飯のところへすっ飛んでいってガツガツ食べて水を飲んだ。それから、ストーブの前の一番暖かいところを陣取って丸くなって一件落着。

クロは、やっと目があいて、ヨチヨチ歩きがはじまって、まだ乳離もしない頃に、じゅん君が石見銀山の間歩に登る町外れで拾ってきた。老犬のシェパくんが大往生した年の春のことだった。近くに親らしい猫もいなかったし、野生動物も多いし、たぶんそのまま放置していたら生きながらえること無く死んでいただろう。自力でウンコもシッコも出来ないから、ワイフと二人で親代わりになってお尻やオチンチンを刺激して排泄の世話をするところから育て始めたのだが、どうもオシッコの出が悪くて様子が思わしくないから病院へ連れて行ったら、尿道が細くて膀胱に溜まった尿がうまく排泄できないでいることがわかった。手術というほどでもないが、飼い主の承諾をとって管を膀胱まで通したりしてそれなりに手間ひまかけて生還した過去がある。彼にとっては泌尿器系の不具合が持病のようなもので昨年末からそれが悪化して慢性になってあまり思わしくない。
体調不良で少々辛いこともあるだろうが、人間の心配を無視して我儘放題比較的自由に生きている。それも彼の寿命だと思うようにしている。

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2018-04