工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

熱燗とトマト 

2018/06/13
Wed. 23:32

寺の夜は寒い。
夕食にはだいたい麦とホップだからいつもの癖でひと缶プシュッとやったのだが、飲んでいるうちに身体が冷えてきて熱燗が欲しくなってきた。
飲み過ぎを少し迷ったが、誘惑に負けて湯呑に注いだ日本酒をレンジでチンした。

テレビ好きのワイフがいないから一人で寺に泊まる時は全くテレビを見ない。こういう状態でNHKの受信料を支払い続けているのも釈然としないが仕方がない。ワイフが寺にいることは1年に1週間あるかどうかだから、万善寺の受信料は超高額になっている。
少しぬるくなった湯呑の酒を飲みながらウエブ配信の文字ニュースを読んでいたら、久しぶりにキーポンが電話してきた。
「トマト大きくなったのぉ〜♡!写真送ったから見てぇ〜」
そういえば、SNSにトマトの写真があった。まさか、キーポンがトマトを育て始めるなど思ってもいなかった。トマトは雨にあてると病気が出やすいこととか、水をやりすぎると根腐れするとか、一応自分の知識を教えておいた。
ワイフから、キーポンが友達と雨のディズニーランドで遊んだことを聞いていたからその話をしたら、また「写真送ったから見てぇ~」と言ってきた。観ると、スプラッシュ・マウンテンで赤いカッパを着た二人が写っていた。先程見ていた2本のトマトの芽がその写真にダブった。赤い二人がトマトに見えて電話で話しながらガハハと大笑いした。

寺は朝も冷えて寒かった。それで寒くて目が覚めてから寝られなくなった。
少しは暖かくなるだろうと、コーヒー用のお湯を沸かした。
その間に豆を挽いていつもの万善寺巡回をして台所へ戻ると、もうお湯が沸いてなんとなくほの暖かくなっていた。
朝食代わりのバターコーヒーで少し落ち着いたら大般若会のアチコチの準備が気になり始めた。それで、トイレとか勝手口とか掃き掃除をしたりしていたら、朝の時間がアッという間に過ぎていた。七日つとめへ出かける時間が迫っていて、焦って改良衣に着替えて玄関を出ると小雨が降っていた。施主家へ到着すると玄関に鍵がかかっていた。そういえば、朝のドタバタで電話を入れることを忘れていた。悪いことをしてしまった・・・
「寒いですがぁ〜・・、さっきまでストーブつけてました。灯油も使い切っておかないといけなかったし・・・」
さすがに万善寺はストーブまでつけることはしなかったものの、早朝の飯南高原はだいたい各家似たようなことをしていたようだ。

お経を終わって帰る頃には小雨が霧雨に変わっていて、琴引山の方には青空が見えていた。午後からは一気に晴れて、朝の寒さが嘘のように暑くなってきた。草刈機を振り回していると汗がにじみ出る。ここまで寒暖の差が激しいとそれで体調を崩してしまいそうだ。夕方になってからシャワーで仕事の汗を流してワイフへ電話したら、応答の声に元気がなくておかしい。体調が悪くて仕事にならなかったとシャワーのあいだにSNSが届いていた。風邪では無いらしいがとにかく気になる。安静にしたほうが良いからと、邪魔しないように寺でもう一泊することにした。さて、夕食何にしよう?・・・まずは熱燗だな!

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犬と猫 

2018/06/10
Sun. 23:14

ナナちゃんに会ったのは今年に入って確か2回めだったと思う。
本当は3回ほど会っているはずなのだが、1回はいつもの居場所のシャッターがしまっていて、多分中にいたとは思うが姿を確認することができなかった。
ナナちゃんというのはメスの柴犬。
彼女がその家で飼われるようになってからそろそろ4年目が近いはずだ。
犬として良いのか悪いのかわからないが、とても人懐っこくて、私はまだ彼女の鳴き声を聞いたことがない。最初に会った時は今より小さかったから、生まれて数週間くらいの頃だったはずだ。それが3年経って成犬になって少しは大きくなったが、それでもどちらかと云うと一般的な中型犬では小振りのほうだろう。

そのナナちゃんのいるお檀家さんの家で33回忌の年回法要があった。
その法事の本人のおじいさんは、私が小さい頃万善寺で何度か会ったことがある。
正確には覚えていないが、確か大工さんか建具職人さんかどちらかだったはずだ。
どういう経緯かわからないが、元々浄土真宗の門徒さんだったのがそのおじいさんの代に万善寺の檀家さんへ宗派替えされた。
私の周辺だけのことかもしれないが、大工さんとか左官さんとか、そういう自分の腕一本で生活している人たちは信心深い人が多い。自分の周囲の出来事で縁起をとても大事に思っていることが良く伝わってくる。そういうこともあってか、一度ナニかの縁起を信じると、脇目も振らずそれにのめり込んで身施を惜しまない。銭勘定抜きで自分の腕を駆使して最高の仕事をして奉納する。万善寺にも、そういう大工さんの職人仕事で出来た仏具が幾つか残っていて、そのほとんどがいまだに現役で活躍している。
おじいさんの仕事は、庫裏の南側縁側の板雨戸からガラス戸に変えた時のもので、10枚以上のガラス戸を板戸で使っていた戸袋をそのまま使って収納できるように作られている。もう半世紀を過ぎるくらいになる。そのくらい昔の仕事だから今のようにサッシの網戸もなくて、夏になると夜は虫が入るからガラス戸を開けられなかったりして、普通に不便ではある。それでも、その縁側とガラス戸の関係は私の記憶の幾つかで大事な思い出になっていて廃棄更新する気になれない。
法事の施主さんはおじいさんのお孫さんにあたるはずなのだが、斎膳の席でガラス戸のことなど懐かしくお話したのにまったく無反応でむしろ困ったふうな感じにみえた。あとになってよくよく思い直してみると、まだ生まれてもいない50年も前の話しなどいくら聞いてもわからないで当然のことだった。

気がつくと、3時間近く長居をしてしまっていた。慌てて帰り支度をして外に出ると、ナナちゃんが少し首を傾げて私を見ていた。美人というよりキュートでかわいい。どこかしら吉田家のシロちゃんぽい感じだ。
そういえば、元々犬と猫は起原が同じらしいとナニかの本で読んだ。犬は草原へ出たから集団で狩りをするようになって、猫は山に入ったから隠れ場所がいっぱいあって単独行動が都合よかったのだそうだ。それでワガママになって気まぐれな性格になったらしい。
まぁ、結局はボクも中国山地の山間の村に生まれ育った山人間だから猫的性格になってしまったのだろう。どうもいまだに集団で徒党を組むことが出来ない。

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梅雨の晴れ間 

2018/06/09
Sat. 23:18

朝から撥遣の法要をすることになった。
撥遣とは、俗に言う魂抜きのことで、万善寺の場合は仏壇仏様お位牌その他仏具全般に関してはその場所へ行って供養法要をする。他にも、墓地墓石塔婆祠お堂など、仏式に関係する野外施設全般もその場所で撥遣の供養法要をする。
依頼の施主にとっては、気持ちの切り替えで気になることがこの供養法要で一区切りついて気楽になれる。
引き受ける坊主の方は、キッチリと気持ちを入れて丁寧に遺漏の無いようにお経を読んで撥遣の次第をつとめる。
いずれにしても、当事者にとってはとても大事な法要である。

最近は、この法要を割愛の気持ちも皆無のまま簡単に削除することが増えた。
たぶん、「魂抜き」という言葉も当事者の知識から欠落しているのだろう。最初から知識として知らないことだからナニをどうしなければいけないのかということも特に気にすることもないままゴミのように廃棄してしまったり、適当に便利屋さんへ丸投げしたりして済ませているのだろう。

細かいことは坊主次第で何から何まで共通しているわけでもないようで、万善寺の場合はだいたいが先代住職の憲正さんからその都度口伝で聞きとって、忘れないうちに自分でメモもして記録に残すようにしておいた。後半の方は、憲正さんももの忘れがひどくなって、記憶の混乱が激しかったから、同じ質問へ全て違った答えが返ってきたりして、そのなかから、前後の整合性を探しながら修正や調整を加えていくことになった。
副住職時代に、憲正さんの役僧侍者で付き合っていなかったらもっとわからないことだらけで、まともな撥遣法要もできなかっただろう。あの頃は面倒臭いが先に立って仏事のありがたさなどひとごとのように済ませてしまっていた。今にして思うと、もっと丁寧に謙虚な気持ちで色々な仏事に取り組んでおけばここまで苦労しないで済んだだろうと、反省しきりだ。

とにかく、今回の撥遣法要をもって、万善寺の檀家さんが一軒完全に絶縁消滅した。
今後、事務的な書類を交わしてそれぞれ納得ができたところで、万善寺の過去帳に「絶縁」と記帳することになる。私が住職を引き継いではじめての正式な手続きになった。

梅雨の晴れ間がもったいないから、つなぎの作業着に着替えて境内地の野外整備を続けた。1週間後には万善寺大般若会がある。せめて駐車場とその周辺だけでもなんとか小綺麗にしておかないと、怖くて偉いお檀家さんに叱られる。もっとも、この時期にどれだけのお参りがあるかあまり期待できない気もしているところだけど・・・
だいたい普通に歩けるようになっていた足に、整備作業が終わってみると痛みが出た。少し無理をしすぎたかもしれない。石見銀山の街道がなんとなくいつもより長く感じた。
吉田家の土間へ入るとネコチャンズの迎えもなくてがっかりした。居間の引き戸を開けたら美味しそうなスパイシーな香りが漂ってきた。なんと!夕食の懐石盛りはゴージャスタンドリーチキンだった。麦とホップののどごしがいつにも増して爽快だった・・・

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ストレスマックス 

2018/06/08
Fri. 23:16

奥出雲町での小品彫刻展要項と後援依頼を持って教育委員会へ行ってきた。
先方の都合で午前中が良いということだったので、石見銀山の出発をいつもより早くして、万善寺経由で幾つかの山越えをしながら予定の時間を少し遅れて到着した。
特に遠回りになるわけでなく、だいたい万善寺のあたりが石見銀山と奥出雲町の中間地点になっているようなもので、山道ではあるが、対向車も少ないし走り慣れたルートの方がストレスもなくて楽に感じるからそうしているだけのことだ。

規模の大小はあっても、公的機関の公務員は立場の上下関係無く、だいたい似たり寄ったりの保守的で堅苦しい連中が多くて話が噛み合わなくて疲れる。
特に人間としての性格が常識的な領域から逸れているわけでもないとは思うが、それにしても向学心の伝わらないハウツー人間ばかりが選別されて揃っているふうに感じる。
私のように四六時中世間を斜めに見ているような人間にとっては、もっとも付き合いたくない避けて通りたい連中の集合体であって、そういう集団のど真ん中へ玉砕覚悟で飛び込むということはとても勇気のいることだ。たった半日数時間のことなのにストレスマックスが前後1週間は続いてしまって、いま正にグッタリ疲れている。
数日前から昼となく夜となく常に空腹感が抜けなくて過食気味になって、それでなくても体調不良が続いているところへ、飲み食いが止まらなくなってアッという間に慢性胃炎になってしまった。その上睡眠障害まで出てき始めて体調管理の収拾がつかないことになってしまった。
いずれにしても、自分の個人的不適合が原因だから公務員の方へ問題があるわけでもなく、彼らにとってはまったく迷惑なことだ・・・「あなた方が悪いわけでも何でも無いので特に気にされないでくださいませ・・ゴメンナサイ!」

とにかく、公務員が相対的思考回路に支配されていることを十二分に認識しておかないといけないとは思っている。彼らはそもそもの思考のスタートが相対的価値観前提であって、私のような絶対的我儘者の思考起点を共有する資質を持ち合わせていないことだから仕方がない。波風の立たないまつりごとを継続するには、適材適所の類友組織である方が平和の継続になるのだろう。国民や市民や町民や市井の人々にとっての公僕にヒーローは必要ないというか、むしろ阻害の要因になってしまうのだろう。

せっかくだから奥出雲町の美味い豆腐と和牛のスジ肉を仕入れて万善寺へ到着すると運良く雨が上がった。嫌なことは忘れるに限ると、少し休憩してから夕方まで草刈機を振り回した。シャワーで労働の汗を流して銀山街道を吉田家へ向かった。
そろそろ彫刻絡みの勤労奉仕も心身に限界がきているのかもしれない・・・
ビル・エバンスのアルバムが耳に心地よかった。
ふと、黒澤明さんの「生きる」を思い出した。あの公園のブランコと行政マンの志村喬さんの姿がけっこう鮮明に思い出された。あの映画を最初に見たのは確か小学校の3年生位のときだったと思う。万善寺の居間に白黒のテレビがきてすぐの頃だったはずだ。父親はもう寝ていて母親は炬燵に入って和裁の縫い物をしていた横で小学生のボクは密かに泣いていた。

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美味い! 

2018/06/06
Wed. 23:21

四十九日までの七日つとめが続いているうちは、1週間に一晩は寺で寝ることにしている。その方が、朝の時間に少し余裕ができるし、燃料高騰にはガソリン代の節約になっていい・・・と、前向きに考えているが、さて?それで家計が助かっているかどうかは疑問だ。
寺の一人暮らしだと、どうしてもスーパーへ出かけて自分の好きなものとか、その時食べたいものとか、特に無くても良いものまで無駄買いしてしまう傾向にあるし、いつまでも夜更かしして電気を無駄にしたり、慣れないナンチャッテ料理や風呂にも入りたかったりするし、結局過不足なくストレスのない日常の生活をおくるためには、光熱水費の無駄使いもしていて、万善寺の家計を圧迫する。
自分一人で吉田家の家計も見ないといけないし、やはり、ナニをドォー工夫しても二重生活の無駄は解消することがない。

朝はいつもと同じような時間に目覚めたが、寺でいると石見銀山からの通勤時間がそっくり余って、それから後の七日つとめまでの2時間を持て余してしまう。
こういう時は、何年か前の父の日になっちゃんが買ってくれた備前焼の一人用ネルドリップを使うことが多い。注ぎ口が細く延びたステンレスポットにお湯を移して適温にしてからゆっくりと時間をかけて自分用のコーヒーを淹れる。
例のごとく、農協スーパーでタップリ食材を買い込んでおいたこともあって、珍しく朝食を作る気になった。
お惣菜コーナーで見つけた野菜コロッケにウインナーを炒めて、冷凍庫で眠っていたコストコのパンとか冷凍野菜を解凍したりして、近年にないほどの豪華でボリュームたっぷりの朝食になった。
やはり、ネルドリップはまろやかで香りのたかい美味しいコーヒーになる。
日頃は朝食抜きがほとんどだから、朝から満腹になって七日つとめへ出かける前から睡魔が襲ってきて困った。

梅雨が本格的になったのかもしれない、朝食の間に夜からの断続的な小雨が本格的な本降りに変わった。
飯南高原は、田植えの終わった水田が耕作放棄地と混在しながらパッチワークのように広がっている。
銀くんを施主家前の坂道へ止めてエンジンを切ると、あたり一面からカエルの鳴き声が一気に襲ってきた。雨降りを喜ぶのはお百姓さんと田んぼのカエルくらいかもしれない。
カエルに負けないように、木魚でテンポをとりながらいつもより少し大きな声でお経を読んで鐘をたたいた。
今の施主家では、お経が終わるとすぐにお茶と焼香料が出る。ちゃんとした熨斗封筒に焼香料と墨書きしてあって、だいたい中に300円ほどの小銭が入っている。焼香料も出ないところもあるから、毎週300円いただけるだけでもありがたい。
流石に雨では外仕事にもならないから、外回りの用事を一つ済ませてそのまま吉田家へ帰宅した。いまだにリタイアしないで続いているワイフの懐石盛りには、アジのタタキが余分に添えてあった。島根沖の近海アジは今が旬で油の乗りもいいし、最高に美味い。

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牛スジカレーとベルギービール 

2018/05/31
Thu. 23:04

手間替え随喜の大般若会へ出かけるので頭へバリカンを当て、ジレットの五枚刃を更新した。
冬の凍結で壊れたシャワー付きカランを更新してから、水圧は以前と変わらないはずなのに温水の出が良くなった気がする。寺の風呂をシステムバスに変えてからもう30年は経っているはずだからその後性能もずいぶん良くなったのだろう。
もう歳のせいだと思うが、冬になると肌が乾燥してカサカサになって全身が粉っぽい感じになってピリピリと敏感になってくるしどうも調子が良くないものだから、ためしに赤ちゃんでも安心というボディーオイルを買ってみた。それが、冬に入る頃だったのだが、風呂に入ったあと、髭剃り痕などにそれを塗っていたらとても調子が良くてカサカサも改善されて、もう忘れるほど昔のまだ若かった頃の瑞々しいお肌が戻ってきた感じになった。特に、頭皮のシットリさ加減と首筋から背中にかけてのあたりや肘とか膝の具合がすいぶんと良くなって、今では風呂上がりのオイルが欠かせなくなった。
ほんの半年前まで、ボディーオイルなど自分には生涯縁のない存在だと思っていたのが嘘のようだ。いいかげんジジイに限りなく近づいているオヤジにとって必需品たるに間違いないモノなのだ!と気付いた次第。

シャワーの最中に電話があったようで、いつもの石材屋さんから着信履歴が残っていた。返信してみると、墓納めで収骨した遺骨の荼毘をするという知らせだった。
他の寺院はこのような状況でどうされているのか知らないが、万善寺の場合は墓納めのあと、一般葬儀と同じように葬祭場まで出かけて荼毘のお経を読んで焼香をすることにしている。
最近になって万善寺の檀家関係で墓納めが増えてから石材屋さんとの付き合いが頻繁になった。はじめの頃は、施主さんとの都合を調整しながら私の方で一つ一つの段取りを調整して間違いのないようにしていたが、坊主がいつまでも石材屋さんのマネージャーのような引き継ぎをしていてもキリがないし、そういう諸々の事務的なことは「万善寺の場合は、このような手配でよろしく!」と任せておくことにした。まぁ、それはそれで慣れてもらえば良いことなのだが、なかなかすぐにはうまくいかないところもあって、この度は坊主の確認を忘れたまま荼毘の日取りを決めてしまったらしく、それに気付いて焦っての電話だった。幸い、大般若会のスケジュールとタイミングよく時間がズレて、一応何事もなくうまくコトが進んで、手間替え随喜で出かける少し前に万善寺の舎利棚殿への遺骨仮安座を済ますことができた。これから改めて施主さんと日取りを調整して万善寺墓地の永代供養墓へ合葬をすることになる。

夕方万善寺へ帰ってから、修繕が必要な法衣を残して、袷の着物を一気にたたんだ。あたりはすでに暗くなり始めていた。もう、すっかり夜になってから吉田家へ着いた。土間へ入るとクロの出迎えがなくて少しがっかりしたが、かわりにスパイシーな良い香りが漂ってきた。夕食のメインは久々のカレーだった。「和牛のスジ肉が半額だったのよ。ホラ、あの時道の駅から農協のスーパーへ寄ったって云ったでしょ!」・・・さすがワイフだ!同じ半額でも目の付け所がボクとは違う。キーポンが一人暮らしを始めてからあと、吉田家のカレーは1年以上ぶりだ。本場ベルギービールが爽やかでカレーにピッタリだった。

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日本海の恵み 

2018/05/26
Sat. 23:42

江津へ行く日は、朝が少しゆっくりできる。
9時過ぎまで布団の中でゴロゴロしていようと、寝るときにはそう思っているのだが、いつもの癖というか習慣というか、そういうものが身についてしまっているようで、6時前後にはボンヤリと目が覚めてしまう。
ワイフの方も似たような時間帯で起きてきて、それからすぐにテレビを付ける。それでもしばらくはウツラウツラしているが、結局テレビの音が気になって眠れないから、iPadに入れてある読みかけの電子書籍を読み始めたりする。
昔は、早朝に目覚めてから眠れなくなることなど無かった。延々と睡魔が襲ってきていつまででも寝ていられたものだが、何故だか歳をとるとそれができなくなるようだ。

「今日は江津の日だけど、たまには一緒に出かけない?用事してる間に買い物でもしてれば暇つぶせるでしょぉ~」と、誘ってみたら「そぉ~ねぇ~・・」ということになって、それから二人で支度してワイフの車で出かけた。
江津のスーパーには美味しい大判焼屋さんがあって、それも目当てだった。
その店のご主人は、先ごろ亡くなられた画家の佐々木信平さんの兄弟になる。お店の横の壁には、信平さんの絵画が定期的に差し替えられながら無造作に展示されてある。誰でも何時でも気軽に間近で信平さんの絵が見られて贅沢な展示だ。
島根県出身の画家で信平さんほどの画力を持った具象絵画の実力者は、現在5人といないはずだ。すでに、かなりのご高齢だったから訃報が入ったときも、残念なことだと思いつつ、一方では「ついに来るものが来たか・・・」と納得するしかなかった。とにかく島根美術界にとっては惜しい人をまた一人亡くした。
大田市の富山町で数年前から開催している彫刻主体の美術イベントでも信平さんの大作を大判焼きのご主人から借りて10点ほど展示させてもらったことがある。
信平さんは東京在住だったがアトリエは静岡にあって、そこで制作中に倒れられたというようなことをひとづてに聞いた。島根出身の同郷ということもあって面識もあるし逢えば気さくに声をかけていただいた。
「朝が早かったからかしら?・・土曜日なのにお店暇そうで、いつもは混んでるのにすぐに貰えたの。なんか申し訳ない気になって一箱買っちゃった♡!」

江津の用事が終わって、それからワイフと合流して、途中の道の駅で新鮮な地物を仕入れて、ひとまず石見銀山へ落ち着いた。私の方は、すぐに銀くんへ乗り換えて万善寺へ向かった。出掛けにワイフが大判焼きを2個ほど持たせてくれた。それがお昼ご飯の代わりになる。オーブントースターで少しほど表面を焼くと美味しさが増す。寺へ落ち着いて、そうして大判焼きを食べながら、信平さんを思い出していた。
ほんの数時間ほどのことだが、境内のすぐ下を流れる用水路脇の石垣から土手までを少し整備できた。シャワーで汗を流して暗くなってから吉田家へ着いた。
夕食は、ワイフの懐石盛りがまだリタイヤしないで続いている。
江津で仕入れた近海のアジやタコが懐石盛りとは別でタタキや造りになっていて骨せんべいも絶品だった。今の時期の日本海のアジは脂が乗って最高に美味い。昔ながらの手作り木綿豆腐もシッカリと固めでボク好みだった。晩酌が何時にも増して美味かった。

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鴨山窯 

2018/05/20
Sun. 23:54

島根県や隣の山口県あたりでは各所で作陶家や窯元の新作窯祭りが盛んに行われている。
ほぼ毎日通勤坊主で往復している銀山街道沿いにも作陶家の窯元があって、桃太郎旗が立っていた。

鴨山窯という窯元は湯抱温泉の入口にあって、確か、ご夫婦とも武蔵美の出身だったと思う。
私より若干年長だから、東京暮らしの10年間が重なっていたかどうか微妙なところだ。彼等の時代はまだ全国の大学で学生運動が盛んだった頃で、私が上京した頃はそれが少し落ち着いていた頃だった。それでも、どの大学も校内外には立て看板が林立していて、運動家の学生が拡声器を持って持論をぶち上げていたし、その周辺では取り巻きの学生たちがセッセとビラ配りをしていた。
私は、どちらかというとそういう政治活動には興味がない方でシラケた貧乏学生だったから毎日の食い扶持と制作の材料代を稼ぐバイトに明け暮れていた。

詳しく聞くこともないからよくわからないが、学生の頃はご夫婦とも絵画を専門に勉強されていたようだ。その後、結婚されて島根へ帰られてご主人は陶芸家に転向し奥さんは漫画家として独立された。
今は、ご主人の生家の母屋を陶芸の展示ギャラリーに改装されて、納屋の方で奥さんが漫画を描き続けていらっしゃる。

このところ、通勤坊主の時間帯が早朝と夕方になることが増えて、昔のように気軽に寄り道をしてお茶飲み話をすることが難しくなっていた。
母親が死んでからあとの慌ただしさもあって1年以上はご無沙汰していたはずなので、今年の各種御札もまだ渡していないはずで、そのことも気になっていたし、食器の新作も欲しかったから、半日ほど都合をつけてワイフを誘って久しぶりに寄ってみた。
丁度ご主人は窯焚きの真っ最中で、「あと15分ほどでネラシが終わるから・・・」ということだったので、制作工房の方を先に見させてもらった。例の島根の地震の時には、棚の器が落ちてきて若干の被害があったようだ。
工房から母屋の方へ行ったら、納屋の1階がギャラリーに改装してあった。2部屋に分かれていて、外から直接入れるようになっていて、入り口の部屋にはご主人の学生時代の絵画作品がビッシリと展示されてあった。今の陶芸作品のベースがその絵画から感じられる魅力的な展示になっていた。奥の部屋は奥さんの漫画の原画がたくさん展示してあった。これもなかなか素敵な作品で紙の白が上手に活かされた着彩が爽やかに感じた。

それから、美味しいコーヒーをご馳走になって、新作の食器を買った。
「最近は全然痩せなくなってしまって、チョット食べてもすぐに太るから、主人の造った食器に一人分ずつ分けて懐石盛りに変えたのよ。それを続けていたら痩せるようになってきたの♡!チョット面倒だけど、けっこう良いわよ・・・」
奥さんから仕入れたネタを、それからワイフが吉田家で引き継いで、夕食は懐石盛りになった。さて、いつまで続いてどれだけ効果があるか・・・楽しみだ。

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ご飯が美味い 

2018/05/16
Wed. 23:35

七日つとめがあるので、1週間ぶりに寺泊で一人飯をつくった。

これから暖かくなってそれから先は暑くなる一方だから、作り置きが過ぎると無駄が増える。冷凍庫で眠っている食材をいくつかみつくろって簡単なツマミにして、あとは中途半端に残っている冬の日本酒や焼酎やワインを1本ずつ空にした。それでも、まだ他に封を切った日本酒が少し残っていて、それはまた1週間後の七日つとめで寺へ泊まった時の寝酒にすることにした。

主食の炭水化物がなかなか食べきれないまま残り続けていて、それもこのままだと無駄になるから少し無理をして食べ続けている。
昨年の晩秋にお檀家さんから法事の引き物代わりにお供えで頂いた30kgのお米は、そのまま御本尊様にお供えし続けるのも失礼だから、年の瀬の押し迫った時に御下がりへ回して、半分ほど吉田家へ持って帰った。残りの半分は、お正月から少しずつ炊いて食べ始めているが、他にお餅も冷凍してあるし、昨年の夏の引き物の各種乾麺も残っているし、せっかくのお供え物を粗末にしないよう気配りしながらありがたくいただくことも坊主の勤めだと、寺の日常でセッセと食べ続けている。
久しぶりに会った友人とか知人から、「少し太ったんじゃない?」とか「アラ!腹出たねぇ〜〜」などと、私の体型の変化を指摘されるが、それには「飲むも食べるも坊主の大事な仕事なのだ!」と説明するようにしている。世界には食糧難の飢餓で苦しんでいる人々もたくさんいるのに、一方で贅沢にも食べることに苦しむ坊主がいるわけで、此岸の世界の不条理をどうすることも出来ないもどかしさに悶々と過ごしている。

チビチビと晩酌しながらとか朝の通勤坊主で早出の時とか1合飯を準備して炊いておく。
冬の間は、ご飯も日持ちがするので、だいたい3合ほど土鍋で炊いて半分を冷凍へ回しておけば1週間近く主食で不自由することがない。
これから先は、1回に3合を炊き続けていくと冷凍庫がご飯で溢れかえってしまうことになるから、先日1合炊きの土鍋を新調した。
その土鍋は都合よくレンジの中にピッタリ収まったので寺の仕事をしながら10分ほどチンして、あとは同程度の時間だけ蒸らしておけば2食分の主食が出来上がる。通勤坊主をしながら2日に1回ほどこうして炊飯して半分を冷凍保存して2日目に回すことを繰り返しながらお昼ごはんを食べている。

雨で草刈りを途中で切りあげてからフキを収穫してワイフへ託しておいたのを、山椒の薬味を添えて甘辛く煮付けしてくれた。
これが炊きたてのご飯へ絶妙にピッタリで、一膳をアッという間に完食してしまう。
「いっぱいつくったからお寺へ持っていきなさいよ。冷凍で保つかもしれないし・・」
吉田家を出る時に保存袋3つ分に小分けしたフキを持たせてくれた。
その日は早速一袋分を食べた。
ワイフは料理上手でとても助かっている。長年一緒に暮らしていると、私の食の好みも心得てくれている。貧乏だけど、いつも美味い飯が食べられるボクは幸せものだと思う。

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ボクは勉強したぞ! 

2018/05/14
Mon. 23:44

9時過ぎから2時間ほど勉強をしてきました!
坊主家業でジッとしてお経を読むのもなかなかつらいものでありますが、この歳になって2時間休みなしで机に向かうというのは、体力的にかなり厳しいものでありました・・・

それで、何の勉強をしたかというと・・・
免許証更新の講習会!
・・・ということは、この3年間の間に2回ほど、あの、今はなき可愛いヨレヨレ相棒の結界くんで交通違反をしてしまったということ・・・

1回は江の川のすぐ脇の街道で、60km制限から50kmに変わったすぐのところだった。
丁度改良衣を着ていて、検問のおまわりさんに「ホホォー、お坊さんですかぁ~〜?!」と坊主スタイルを真顔で突っ込まれた。
直後に、オバサンが捕まってちょっとパニックになってしまって、そのこともあってか、坊主の方はサクッと書類ごとを済まされて開放された。
もう1回は、日が落ちて暗くなってからの信号無視。
黄色で交差点へ入ってすぐに赤へ変わった直後に、パトカーのサイレンが聞こえた。
このときは、つなぎスタイルで彫刻の制作のこともあってそのことを思いながら少々焦っていた時だった。
パトカーは、仕事帰りの帰宅時間をねらって時々その交差点で張り込みをしていて、そのことは前から気づいていたのだが、まさか自分がネコチャンの餌食になるとは思っていなかった。すぐ先の引き込みへ結界くんを寄せて駐車したら、運転席の窓をコツコツ叩いてきたのはうら若き婦人警官だったのだニャァ〜〜・・・
薄汚い作業着のくたびれたオヤジは、チューチュー謝るしか無かった・・・
いずれにしても、その2回で何処かの信号機の修理ぐらいは貢献できたかもしれない。

講習会の勉強の方は、特に嫌だとは思わない。
自分も含めて、男ばかり7人が講習を受けた。前回の3年前は、世代も性別も幅広くほぼ満員状態だったから、ちょっと意外だった。
講師の人が数年間の人身事故統計表を丁寧に説明していた。島根県は、昨年までの3年間は事故率が上昇し続けていたらしい。そのわりに受講者が少ないのはタマタマ春の誕生日の人の事故が少なかっただけのことなのだろう。
それにしても、交通法規がこの3年間でけっこう変わっていてビックリした。こういうことなら、免許の更新とか関係なしに1年1回くらいは講習を受け続けていたほうが良さそうに思った。高速道路の逆走は8の字インターチェンジの導入を増やして対応するらしい。一般道路は回転ロータリーにして信号の無い交差点を増やすらしい。高齢者講習のことも、また少し厳しくなっていた。
日本人の運転は世界でもトップクラスに下手なのだそうだ。ひとが良すぎるというか、温厚というか、控え目というか、臆病というか、度胸がないというか・・・まぁ、総じてそういう性格の国民が多いということなのだろう。
講習を終わってその足で工場へ向かった。午後の半日は草取り機の材料取りをする。

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雨の母の日 

2018/05/13
Sun. 23:20

母の日は朝から雨になった。
連休前に注文をしておいた炭素鋼がまだこない。
材料が届いたらすぐに草取り機の制作を始めようと準備はできている。

島根県の学校の校庭は私が知る限り真砂土が多いように思う。
真砂土は長石とか石英を含む硬い花崗岩が風化してできる。
島根県のような西日本一帯は、日本でも比較的古い土地で他の地帯より風化が進んでいる。つまり、花崗岩が多い西日本では色々な成分の真砂土がアチコチにあるということで、各地の土建屋さんも真砂土の採土場を自前で持っていたりして、比較的手軽にそういうところから学校の校庭へも真砂土が搬入されて都合よく利用されているわけだ。

保賀の谷も古い土地で、ほぼ全体が真砂土の山と云っていい。
そういうところは水はけも良かったりするから里山の腐葉土の層を潜った雨水が真砂土に浸透しやがてミネラルタップリの地下水になって谷のアチコチから湧き出て米も美味い。
万善寺の境内下も東から西にかけて3本の地下水脈があって保賀川へ流れ込んでいる。
昔は、墓の参道を登りきったところへ和牛の牧草地があってそこの山側の斜面に地下水を集めた間歩が掘られていた。万善寺の飲料水や風呂水はその間歩から引いた間歩水でまかなっていて、春になると、まだ下草が伸びる前に間歩まで登って秋の枯れ草が吹き込んで沈殿している水のたまり場を大掃除して、塩ビの水道管の入り口にはゴミの侵入よけに目の細かい金網を巻きつけたりした。そうする間も、間歩の天井からは絶え間なく真砂土を潜って落ちる天然水が時折差し込む木漏れ日のレンブラント光線に照らされて宝石のようにキラキラ輝いていた。
その間歩水は3本の地下水脈のいちばん東側のあたりまで一気に下って、そこに設置された濾過槽に落ちる。雪が多い年の春はその濾過槽から水が溢れて小さな滝になって用水路へ注ぐ仕組みになっていた。そして、濾過槽を潜った水は庫裏の台所にある水槽へ一度溜まって、そこで最後の不純物が取り除かれた綺麗な水が1年中絶え間なく流しへ落ちていて、それが上水道代わりで使われていた。
境内の地下を潜った水は田んぼ脇の斜面へ湧き出して小さな小川をつくっていた。湧き水の東側と西側の二つには天然のわさびが自生していて、何時の頃からか菖蒲の株も増えた。私が少年の頃は小さな小川にメダカが群れて泳いでいて、その先には隣の家の鯉の池もあった。
両側の二つの地下水脈は昭和の農地改良の工事で絶えたが、真ん中の地下水はお地蔵さん脇まで下って今でもそこから湧き出している。万善寺は工事の時に水田を放棄して駐車場にした。その時の工事で地下水脈をつついた時、一晩のうちに工事の穴へ湧き水が溜まって具合がわるいので、いっそのこと丸管を3〜4つ縦に積んで井戸にしようということになった。水質検査をしたらめでたくパスして今はその井戸が飲料水になって、そのかわり300mくらい引いていた間歩水を廃棄した。

天然水で一番の高級品は岩盤を通過した地下水だそうで、真砂土を潜った天然水も上等の部類に入るのだそうだ。万善寺のコーヒーはその水を使っている。

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春の潮風 

2018/05/12
Sat. 23:03

今年度も授業とも言えない特別活動の先生とも言えない時間講師のような仕事を引き受けることになって、2回目のその日がやってきた。
昨年度までは、せいぜい多くて2〜3人の高校生たちが相手だったから手持ちの道具や材料をその都度かき集めて学校へ持っていけばそれ程不自由もなく1年間を乗り切ることができていたのだが、今年度は一気に9人に膨れ上がって、さすがにそのくらいの人数になると自分の周りにある材料をかき集めることも限界で、少し前に100均のダイソーへ走って教材で使えそうなものをザッとみつくろって仕入れておいた。

日頃は、自分の用事でダイソーへ入ることなど殆ど無いから、どの程度の品揃えなのかまったく無知なので、こういう買い物に関してはとにかく詳しいワイフに助けてもらうことにした。
お店へ入ると、ちょっとしたスーパーとか家電量販店とかホームセンター並の痒いところへ手が届くような商品がビッシリと揃っていてその豊富さにビックリした。
新宿の世界堂ほどでは無いものの、スケッチブックから絵の具や額縁に至るまで画材の品揃えも充実していて、買い物に慣れない私は買い物かごを抱えたまま陳列棚の前でボーゼンと立ち尽くしてしまった。ワイフがそばに居てくれなかったらまともな買い物も出来なかったかもしれない。

教材の補充が出来たことで安心しきっていたところへ、今朝になって肝心の道具の電池式リューターが手元にないことに気づいた。
何処に仕舞い込んだか、布団の中で寝返りをうちながら記憶の糸を手繰り寄せていたら、万善寺の寺務でデスクワークをしている書斎とも言えないような物置兼用の廊下部屋へ保管してあることを思い出した。
リューターは、島根県内のあちこちでワークショップをする時に重宝するので大量に仕入れてあった。今までは2〜3人が使うだけの数が足りていればそれでよかったのだが、これからはそういうわけにいかなくなって、当面、ワークショップ用に揃えた幾つかの道具を使いまわしながら1年を乗り切ることになりそうだ。

吉田家から寺までは往復で1時間半はかかるから、その時間を確保するために8時半には自宅を出発した。
特別活動には十分間に合った。
自分の不注意で慌ただしい半日になったが、適度な緊張感もあってどこかしら気持ちが高揚した。
銀くんの窓を少し開けて日本海を左に見ながら国道を走っていたら、潮の香りが風に乗って車内へ入り込んできた。なんとなくゆっくりと海が見たくなって、数年前までキーポンのピアノ教室が終わってから二人でよく行っていた潮川の河口に広がる岩場の海へ回った。コンクリートの防波堤のつなぎ目にハマボウフウがしがみついて花を咲かせていた。岩場は海藻が打ち上げられて茶色に染まっていた。荒めの波に海鵜が1羽小魚を咥えて浮かび上がってきた。
山の中でばかり暮らしているからか・・・久しぶりの潮風が新鮮で心地よかった。

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如山林中花 

2018/05/06
Sun. 23:23

いつ雨が落ちても良いほどの曖昧な空模様が続く間に、通夜と葬儀が終わった。
飯南高原は田植えの真っ最中で、仮設テントのパイプ椅子も空席が目立った。

万善寺そのものはお檀家さんも少ないから、余程重要な外せない用事が重なることもほとんど無くて、喪主さんや地域の事情に併せた日程へ粛々と付き合っているのだが、副導師をお願いした方丈さんは、地域の社協に勤務の忙しい人だからスケジュールの変更で苦労されたようだ。私も、先代住職がまだ健在だった頃は公務員をしながら副住職を努めていたから、通夜はなんとかなるにしても、たった1日の葬儀を難なく務めることには結構苦労したことを思い出す。もうずいぶん昔で今のように融通が効かないわけでもなく比較的ゆるやかに拘束されていた頃のことであっても、周囲に迷惑をかけることがないわけでもないし、それなりに肩身の狭い思いをしながら努めていた。

まだ昭和の頃のこと・・・春の大型連休は、家々の親族帰省に併せて年回法事を計画する施主家が多かった。だから万善寺も、連休中は法事が重なって慌ただしく過ごして、「親子家族でチョット行楽を・・・」などという暮らしとは無縁だった。それに、先代住職夫婦もまだ若くて元気だったから今では考えられないほどの自給自足の暮らしを続けていて、極小規模ではあるが田んぼや畑もあって田植え稲刈りも近所との手間替えにすがりながら細々と続けていた。田の畦の草刈りは、和牛や酪農農家の男衆が牛の餌用に季節折々の草が伸びるのを待ち構えて朝夕草刈りに励んでいた。寺の夫婦が「寺の仕事」だからと参道の草刈りを先走ったりすると、「アレはうちの牛にやる草だから勝手に刈らんでくれ!」と隣のおじいさんに叱られたりしていた。
今は・・・寺の田畑も耕作放棄して荒れ地になってしまった上に、牛農家も廃業して草刈りが宙に浮いたまま少し気を抜くと伸び切った草が始末に負えなくて一気に原野になる。
子供も大きくなってワイフと二人暮らしになった連休は、行楽に忙しいのだろうお檀家さんの年回法事も無いし、空模様と相談しながらもっぱら境内の営繕や草刈りで過ごす。

葬儀を終わって、斎膳の頃になって、雨がポツリと落ち始めた。お手伝の自治会の皆さんが焦ってテントを畳んでいる様子を横目で見ながらご親族に挨拶を終わらせて銀くんへ飛び乗った。着物を雨で濡らすと厄介だ。
庫裏へ落ち着いて洗濯機を回してつなぎに着替えて草刈り機へ混合油を注いだ。雨が少しずつ強く降り始めてきたが、少しでも草刈りを進めておきたくて、それから日が暮れるまで草刈機を振り回した。
健在だった憲正おじいちゃんへ、まだ学生だったじゅん君が誕生日祝だと云って買ってあげていた花が今は荒れ地になって草の茂った畑の端で蕾を付けていた。憲正さんがいなくなってからあとは、それがじゅん君の花のように思えて、その花株だけは雑草の中で慎重に刈残すようにしている。半年ほど前にその花の近くへ私の彫刻を置いた。そして、連休が始まる少し前に彫刻の近くへ一本の木を植えた。「自道徳来者」は「如山林中花」という処世の気持ちを忘れないように・・・その木はまだじゅん君の花より小さい。うっかりすると、雑草の中に紛れるじゅん君の花も、それより細い一本の木も、目先の草刈り作業に気持ちが走って刈り倒してしまうかもしれない・・・アブナイアブナイ・・・

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空海 

2018/05/03
Thu. 23:18

連休を利用してキーポンが帰省すると云うので、出雲空港まで迎えに行くことになった。
昨年の3月に上京して以来、一度も帰省すること無く1年が過ぎた。
吉田家の場合、一般在家と違って盆も正月も万善寺の行事で慌ただしく過ごすから、キーポンにかぎらず、吉田家の子供たちはわざわざそういう時に帰省して親の手伝いなどして過ごすよりは、自分の自由にのんびりと過ごしていたほうが良いということを小さい時から身にしみて体験しているわけだ。

気が付かない間に、子供たちみんなそれぞれ立派に成人して自立してくれていたことを実感する。チケットの予約も色々な技を心得ていて、それ程不自由もなく上手にこなしている。私の頃などは、JRのみどりの窓口で何時間も並んで新幹線や寝台特急のチケットを買ったりして、それでかなり無駄に時間を潰していた。もっと良い方法があったのかもしれないが、今のように携帯電話もないし公衆電話くらいしか無かったから、ずいぶんと不便ではあったと思うが、あの頃はそれが当たり前で、特に不便だとも思わないしそれでイライラすることもなかった。まだ半世紀も経たない前のことなのに、日常の暮らしがずいぶん変わったものだと、こういう時に改めてそう感じる。

「映画でも見て時間調整しても良いね」
キーポンが帰省する日時が決まってから、それに合わせてスケジュールを調整している時に、ワイフがそういう提案をしてきた。
彼女に映画を観ようという発想があることを意外に感じつつ、映画好きのボクとしては特に反対する理由もなく「あなたの観たい映画を決めてよ。都合の良い上映時間のこともあるだろうし・・」と、さり気なく決定権を振りつつ、自分では「アレか、コレが観たいな・・・」などと勝手に決めて、そのあたりへ彼女の気持ちが収まるように仕向けたりもしておいた。
結果、チェン・カイコー監督の「空海」を観ることにした。
出雲の方は日本語吹き替え版しか上映していなくて残念だが、単純に娯楽と割り切ればソレもアリということだ。映画に慣れないワイフにとってもそのほうが都合良いだろう。
原作は獏さんで、ザックリ陰陽師系列のお話だし、特に空海の仏教的背景を期待しているわけでもない。中国映画の豪華絢爛さが際立って、日本ではとてもアレ程のスケールの映画はつくれないだろうなと感心させられた。とにかく、2時間チョットの時間に、原作のポイントを上手にそつなくまとめて、なかなか見ごたえのある娯楽映画に仕上がっていた。ワイフの反応も上々で、期待以上に楽しんでくれたようで何より何より・・・

映画が終わって、エンディングタイトルを最後まで観終わって、場内が明るくなってから出口へ向かっていると、「あら、お久しぶりです!珍しいところで・・空海でしたか?」と、キーポンが小学校の時の校長先生とバッタリ出会った。「キスミさんお元気ですか?もう、大きくなられたでしょぉ〜」「今日帰ってくるんですよ!これから空港までいくところです」・・・とまぁ、そんな偶然の出会いとタイムリーな会話がしばらく続いて、右と左へ別れた。もう10年は前のことで子供の名前まで覚えていてくれるとは・・さすがプロの先生だ!校長まで勤め上げただけのことはあると感心した。

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フキの収穫 

2018/05/02
Wed. 23:41

出雲に用事があったので、石見銀山から出雲経由で万善寺へ向かった。
島根県大田市が震源地の地震があってからあと、万善寺と出雲市を結ぶ道が崖崩れで通行不能になった。その道は、私が昔からよく使っているルートで、途中には立久恵峡という絶景の観光地がある。他にも幾つか出雲までの抜け道はあるのだが、なんとなく自分はその道が好きだった。
情報通に聞くと、崖崩れはそれ程でもないが、山の斜面に巨大な岩が二つあって、この度と同等クラスの地震があったら、その二つの岩が崩れ落ちる可能性が大きいから、それを何とかして撤去するまで通行止めは解消されないだろうということだった。もう10年位前にもほとんど同じところで崖崩れがあって、延々と何年も片側通行が続いていて、それがやっと直ったばかりだった。久しぶりにストレス無く寺から出雲まで出かけることが出来ていたのに、また当分の間その道が使えなくなってしまって、自分としては結構なダメージで残念なことになってしまった。

出雲から斐伊川土手に沿って南下して、途中から国道54号へ合流して広島方面へ向う。
万善寺はその国道から少し入ったところにある。
ワイフは特に寺で用事があるわけでもないのだが、私の余裕のない様子を見ていて仏心なのか母性本能なのかよくわからないが、とにかく「付き合ってもいいよ♡!」と云ってくれて、遠回りの退屈な道中の気晴らしになってとても助かった。

雨続きで外仕事が出来ないでいた上に、晴れて良い天気の日は法事の仏事が入るなどして潰れるし、空模様との折り合いが上手くつかないまま日にちが過ぎる間に寺の周囲の草がどんどん大きくなっていく。
お昼過ぎに寺へついてから、さっそく草刈りを始めた。ワイフは、座敷の掃除をしてくれるようなことを云っていたが、付き合ってくれるだけでも助かっているから、「無理しなくてもいいよ、テレビでも見て休んで良いからね・・」と云っておいた。
途中から雨の勢いが強くなってきた。
本堂の東側にある菩提樹の若葉が少しずつ開き始めていて、その木の下には大きく育ったフキが立派な葉を広げている。草刈り機でなぎ倒すとすぐにその辺り一帯がきれいになるのだが、そうするとせっかくのフキが無駄になる。ちょうど都合よく寺にワイフもいるし、ひとまず草刈りをすませてフキの収穫をすることにした。
吉田家の家族2人だとそんなにたくさんの量は必要ないが、せっかくのことだし、隣近所へおすそわけしても良いかなと思いついて、わざわざ包丁をとりに庫裏へ戻って少し丁寧に見た目良く刈り入れをした。
「うわぁ〜、たくさん採れたねぇ〜!・・・立派、立派!」
ワイフがいつになく喜んでくれた。
いつの頃からだろうか?・・・気が付かない間に、フキとかタケノコとか、子供の頃は上手くともなんとも無くて、特に好んで食べたくもなかったようなモノが、最近は「欲しい!」とか「食べたい!」とか思うようになって、また、ワイフがつくってくれる煮物などが「美味しい!」し、歳とともに自分の味覚趣向も変わるものだと身をもって感じるようになってきた。

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聖地 

2018/04/29
Sun. 23:47

この1週間で落葉樹の新芽が一気に開いた。
やわらかな萌黄のグラデーションが中国山地一面に広がってマイナスイオンが満ち溢れて降り注いでいる。
街道沿いの斜面では、所々に山吹や山藤が咲き、春の花が入れ替わってきた。

そろそろ結界くんから銀くんへ代わって1ヶ月になる。
いまだにシフトチェンジが慣れなくて緊張しているが、燃費だけは良くなった。ワイフが助手席へ乗るたびに、シートがフカフカで座り心地が良いと云う。私には、実はそれがいまひとつ気に入らない。前の結界くんのほうがガッチリしていて業務用のハードな使用に耐えられるつくりだったと思う。今の銀くんは、見た目はいかつい今風の悪人面にまとめられているが、中身は限りなく乗用車仕様になって軟弱に動く。いずれにしても、多少の不満はあっても、とにかくそれで慣れるしか無いから、少しでもはやく銀くんがボクの相棒で欠かせない存在になってくれるよう努力するしかないと思っている。

それはまだ、4月のはじめで山桜が咲いていた頃。
銀山街道沿いにある平屋の家にユンボが入った。
その家は、昨年の初夏頃のことだったろうか・・・お葬式があった。万善寺との往復で、その参列に遭遇したからよく記憶している。浄土真宗のご院家さん2人ばかりが葬列に混じって、これも銀山街道のすぐ脇にある寄せ墓へ移動中だった。
前日の夕方、万善寺をすませて石見銀山へ帰宅する途中には、周辺の住民がご親族に混ざって喪主家の坂道にあふれていた。通夜が始まる少し前の頃だった。
お葬式の次の日、その平屋前を通過すると、寄せ墓には生花がビッシリと供えられていて、庭先に乗用車が2台停まっていた。そして、また次の日通勤坊主で通過した時は2台の乗用車が無かった。
たぶんその平屋は、その日を境にして空き家になったのだと思う。
1年足らずの間にユンボが入って平屋が1軒解体されて更地になったわけだが、それにしても、まれに見るハイペースのことだった。その絶縁の家は、1周忌の法要を待たないまま暮らしの痕跡も消えて、山野に帰った。街道脇に残された寄せ墓もこのまま野ざらしの無縁墓になっていくのだろうか・・・

たぶん、カトリーナだっただろうか?・・・猛烈なハリーケーンの直撃を受けて壊滅状態になったJAZZの聖地ニューオリンズへノッチが旅行したようだ。フロリダからは飛行機で1時間位らしく、東京羽田と出雲空港でも1時間半はかかるから、旅行といっても現地では「チョットそこまで・・」という感覚なのだろう。
JAZZというと、お父さんの聖地はライブは新宿ピットイン(昔の場所ね・・・)、喫茶とバーは新宿のDIGとDUG(今もあるのだろうか??・・)だった。
私とJAZZの出会いは18歳で上京してからあとのことだった。バイトの金を貯めてTEACのドルビー付きカセットデッキを買ってから、PIONEERのプリメインアンプ、DIATONEのスピーカー、それにDENONのダイレクトドライブプレーヤーと、お金を貯めては買い揃えながら、少しずつJAZZにのめり込んでいった。

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石見銀山の夜 

2018/04/28
Sat. 23:10

いまさらいい歳して誕生日に浮かれることも無いと、気持ちでは思っているし、特にあらたまって何かすることも無いまま過ごしているつもりだったが、夕食にはワイフがいつも以上のご馳走をたくさん造ってくれて、それにボクの好物まで幾つか散りばめてくれたりするものだから、なんとなく気持ちも高揚してきはじめたところへ、子供たちが時間差のSNSで「おめでとう!」などと云ってきてくれたりして、ジワリと実感が湧いてきた。
こうして、自分の誕生日をお祝いしてもらうのも、せいぜいあと20回も続けば良いほうだろう。ひょっとしたら、そのうち自分で自分の生まれた月日を忘れてしまうことも十分に考えられるし、まぁ、とにかく、そういう先が見える年齢になってきたということだ。

夕食が終わってからゴロリと横になってウツラウツラしていたのだが、日が変わる頃になるとなんとなく目が冴えて眠れなくなってしまったから、小さな音でウエブラジオを垂れ流ししながらKindleの無料小説を読み始めた。
基本的に、本は昔ながらの紙媒体のアナログが好きなのだが、老眼へ乱視が混ざったような年齢相応にくたびれた視力を駆使して夜の電灯の下で文庫本の小さな文字を追いかけるとなると結構な体力を使うことになって、今読んでいる長編などはストーリーの展開を追いかけることがつらくなってしまってなかなか本の中へはまり込むことができなくなってしまった。だから、そういう時にはiPadにダウンロードした小説がとても便利で都合がいい。周囲が真っ暗でも、バックライトと文字の調節でストレス無く読みやすくなる。真夜中に、エコーのたっぷり効いたアルトサックスのフュージョンなど聴きながら文字を追いかけていると、時間の過ぎることを忘れてしまう。

本のおかげで朝の目覚めが少々辛かった。
重い体を銀くんへ乗せて万善寺へ向かった。
銀山街道から出雲街道のあたりは、田仕事が一気に進んで早いところは早生の田植えが終わっている。保賀の谷も用水路から水が引かれて半年ぶりに田んぼが活気づいている。
夕方からは卓ちゃんと飲むことになっているから、寺の用事を早めに切りあげてから上組班長の用事で配り物をして回った。
石見銀山へ帰った頃にはもう周囲が暗くなりかけていた。予定の時間から少し遅刻したようなのでワイフにお願いして町内の会場へ送ってもらった。
最近は、石見銀山の町内で飲むことも激減した。会場はすでに盛り上がって賑わっていたが、私が知っている顔は少なかった。紹介をすることもされることも無いままその場の成り行きで飲み会の輪に入った。ビールからはじまって途中日本酒のぬる燗を経由してシングルモルトに変わってそれで落ち着いた。
前回卓ちゃんと飲んだのも石見銀山だった。
会話の流れで銀座の彫刻展のことになったら、「アレ?DM届いてないんだけど??」と卓ちゃんが云うものだから「だって、住所知らないもの・・・」「そぉ〜かぁ〜!そりゃぁ〜失礼しました!!」で、かれこれ30年ぶりにやっと名刺をもらった。まぁ、学校の同級生であっても、そういうクールな付き合いがいまだに続いているということ。
そのうち、蝋燭のついたケーキが登場した。会場に集っていた誰かの子供がボクと1日違いで誕生日だったらしい。

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今日はボクの誕生日 

2018/04/27
Fri. 23:15

朝からワイフを出雲まで送った。
彼女の用事はだいたい2時間足らずで終わるから、その間ボクの新しい相棒銀くんのスピーカーを慣らしがてらウエブ配信のJAZZを聴きつつ獏さんの長編を読んでいた。

出雲にはBOOK OFFがあるから、こまめに古本をチェックし続けていればソコソコ掘り出し物が出てきてストックを切らすことも無いのだが、最近はどうもうまい具合に寄り道する機会をつくれないことが増えた。たとえば獏さんのような人気作家は、なかなか新しい古本??にめぐり合えないし、最近亡くなった葉室さんの古本も品揃えが悪いし、やはり古本だけで自分の都合をまかなおうと思うと限界があるようだ。

用事が終わったワイフがたまには落ち着いて買い物をしたいと云うので、スーパーまで送り届けてからとっても久しぶりにコメダ珈琲へ寄った。
コメダ珈琲は無料のWi-Fiが使えるのでデスクワークに都合よく利用する。いつもは周囲の雑音も特に気にならないし、それなりに集中できるのだが、今日はとにかく隣の親父二人連れがやたらとうるさかった。しばらく我慢してラップトップをつついていたが、どうも集中できないし我慢できないからiPhoneにイヤフォンを繋いだ。
出雲は、俗に言う出雲弁のお膝元で、吉田周辺も出雲に親戚があるし、仕事も出雲弁圏内のお付き合いが多いからだいたいの出雲弁は理解出来ているが、飯南高原の万善寺周辺はどちらかというと広島弁が強く入っているし、石見銀山の周辺は石見弁が主流だから、どうも出雲弁に馴染むことが出来ない。なんとなく居心地が悪くて落ち着かないから珈琲のおかわりでもしようかと考えていたら「買い物終わった!降りたところで待ってる!」と、思ったより早くワイフから電話が入った。せっかく久しぶりのコメダ珈琲だったのに、なんとなく不満が残った。

帰りに、美味しい手作りパン屋さんへ寄った。できたてホヤホヤのまだ温かいパンを冷めないうちに食べた。特に何をするでもない1日が少しずつ過ぎていく。たまにはこういう日があってもいい。パンのおかげであまり腹も減らないから「夕食は遅くてもいいよ」とワイフへ云っておいたが、台所にいる時間がなにやらいつもにも増して長い。
獏さんの続きを読んでいたら玄関で「こんにちわぁ〜」と声がする。どうせワイフの用事だと思うから無視していたら「しょぉ〜じゅん、いるぅ〜〜?」と聞こえてきて、自分の用事だと気付いた。慌てて土間へ下りたら、逆光に2人の男が立っている。目が慣れると一人は近所の会社役員でもう一人は卓ちゃんだった。そう云えば卓ちゃんが仕事で石見銀山へ来るから「確か明日だったはずだけど・・・」一緒に飲もうと誘われていた。
卓ちゃんは大学時代の同級生で、今は銀座三丁目に自分のデザイン事務所を持ってバリバリ活躍している。NHKのテレビにも出たりしているようだが、吉田には縁がないからいつもスルーしている。学生の頃は時々一緒に飲む付き合いだったから、今でもそれでいいと思っている。

今日はボクの誕生日だった。それでワイフがセッセと料理を作ってくれていたのだった。久しぶりの買い物は、ボクへのプレゼントでユニクロのシャツ2枚・・・幸せなことだ!

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衣笠さんのこと 

2018/04/25
Wed. 23:58

月曜日の深夜というか火曜日の早朝というか・・・
雨の音とクロの夜回り徘徊で目が覚めて、しばらく寝付けなくなったのでiPadを引き寄せてウエブニュースを見ていたら、衣笠さんの訃報記事が目に入った。その時は、あまり具体的な情報はまだなかったから、そういうこともあってなかなかすぐには信じることができなかった。それで目が冴えて朝まで眠られないまま過ぎた。
衣笠さんには失礼かもしれないが、一度見たら忘れられない特徴的な顔だったから、広島カープがセリーグ最下位を爆走中から覚えて知っていた。もう昔のことだから記憶が前後して曖昧なところもあるが、確か、山本さんのほうが少しあとから広島カープへ入団されたようなきがする。広島カープがあまりに弱すぎるものだから、監督がコロコロ変わってとにかくなんとも不甲斐ない負け方をすることばかりだったが、何故か巨人戦になるとそれがあの弱いばかりの同じ球団かと疑ってしまうほど粘り強い野球になって、ワクワクしながら白黒テレビを見ていた覚えがある。

眠れないままあの頃のことを少しずつ思い出していた。
実を言うと、野球はそれ程好きなわけでもない。理由は幾つかあって、たとえば、島根県の田舎でいると、大人も子供も自分の周辺の90%はジャイアンツファンばかりだったということ。子供ながらに、広島はすぐ隣の県なのにどうして近所の球団を応援しないのだろうと不思議に思った。だから、学校での男子の会話も野球のことはジャイアンツのことばかりでそれがとにかく自分には面白くもなんとも無かった。本格的というわけでもないが、あまりストレス無く野球情報が入るようになったのは、上京してからあとのことだった。アルバイトの先にはスポーツ新聞が常設してあって、絶え間なく連日の野球情報が入ってくるから、その活字を通して試合の状況を想像していた。それでも、周囲は圧倒的にジャイアンツファンが多かったから、隠れカープファンの吉田は実に居心地が悪いまま何年も過ぎた。
あれは、ワイフとも知り合って、そろそろ将来のことも真剣に決めなければいけないと思い始めた頃だったと思う。山本さんや衣笠さんを中心に広島カープの選手たちの役割が少しずつ噛み合って、高橋さんがよく走り、福士さんがよく投げ、それから津田さん川口さん北別府さん大野さんやそれに金田さんとか山根さんとか・・・まぁ、とにかくみんな凄い選手で、江夏さんまで加わったりしてもう、広島カープが大変なことになっていった。

とにかく、衣笠さんは私の好きな野球人であった。訃報のあとに色々な情報で知ったことだが、彼は部類の洋楽好きだったということだ。ジャズとかブルースとか最近ではブルーノ・マーズまでよく聴いていらしたようだ。そういうことがわかってよけいに好きになった。それに、ボク的には彼が生涯監督をしなかったことの潔さが好きだ。
吉田は、いつの頃からか石見銀山では鉄人と呼ばれてもう30年近くなる。たぶん、鉄で彫刻を造っているからそれと繋がったのかもしれないが、自分としては鉄人衣笠さんのことが頭の隅に記憶されているから、なんとも恥ずかしく嬉しくもあって、そういうこともあって、メールのアドレスに使わせてもらったりしているわけであります。
安西水丸さんとドッコイくらい衣笠さんはこれからも忘れられない人であり続けるはずです・・・合掌・・・

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雨の月曜日 

2018/04/23
Mon. 23:43

予報では一日中雨になるということだった。
朝からワイフと出雲へ出かけることになっていたので、雨の9号線を東進した。
いつもだとこういう早い時間帯は銀山街道をノンビリ走ることばかりで、交通量の多い道を走ることがない。
ほとんどが通勤の車列なのだろうが、これが月曜日から毎日続くのだと思うと、自分にはとても耐えられない。それに、銀くん(リタイヤした結界君の代わりになってくれたボクの新しい相棒)はミッションだから渋滞のノロノロ運転に弱い上に、現在右足の不調が続いているオヤジにとっては、アクセルとブレーキの踏み分けだけでも結構なハードワークになっているから、よけいに耐えられない。
そんな感じで、半日かけて出雲の往復を済ませた。

昼から半日ほど空いたので、少しでも身体を休めておこうと、吉田家で過ごすことにした。
雨のせいというより、この数日が逆に暖かすぎたからいつもより肌寒く感じる。
暖かかったせいで一気にネコチャンズの猫草が伸びて、彼等の食いつきが良いものだから、もう少し補充してやることにした。
基本的に面倒くさいことは避けて通るボクではあるが、一方で、自分の気が向いたコトにはこまめに立ち動くことも結構あって、この猫草栽培も苦にならないし、むしろ発芽の楽しみがあって世話をしたくなってしまう。種をせっせと並べていると、クロがちょっかいを出しに来たりして、そのあたりの距離感も良い。

一仕事というほどたいしたことでもない用事を済ませてから、先日依頼のあったグランドの草取り機の材料計算をした。
前回制作した時の記録写真を探してみると、2015年の3月末のことだった。
そう云えば、あれは校長まで勤め上げて退職した友人の退職記念品で造ったものだった。あの時の縁もあって、今回もその彼がつなぎの役目をすることになったのだろう。
前回もそうだったが、依頼から制作して納品までの日数に余裕がない。
学校の先生は総じて物心ついた頃から定年退職するまで学校の塀の中で暮らしてモノを考えているようなところがあるから、世間的に知識人を通していても、その知識の領域がだいたいに机上の学問へ偏っているようなところがある。1年の行事にしても、学校行事中心で人生の殆どを乗り切っているから、色々な職種や年齢層が入り乱れて暮らしている一般的な社会構造には少しばかり縁遠いようなところもある気がする。そういう人が、退職して第2の人生を送るとなると、地域の社会教育とか公民館活動とか民生委員とか、そのあたりのどこかしら教育機関の影が見え隠れするような役職に滑り込むことも多くて、友人の彼などは紛れもなくその常道を脇目も振らないで歩き続けているような人だ。だからといって、それが悪いわけでもないし、その人の聖職であるかもしれないし、それはそれで誰かが勤め上げなければいけない立派な役職のことであるから、適材適所で実力を発揮していただくことが一番いいことだと思う。
だいたいが周囲を斜めに見て自分に都合よく楽に楽に生きようとばかり思っているようなボクにはとても出来ないことであります。

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2018-06