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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

仏事 

2010/06/28
Mon. 08:24

昭和の農地整理政策が寺の田畑へも適応されたことを契機に、坊主農業も稲作から撤退し畑作を残すことに決めたのは老住職夫婦です。
当時、農機具の通行路を確保して農業の効率化を図るということが表向きの目的になっていましたが、実質は農地作付面積の縮小が狙いで、ダブツキ気味の米の収穫量を削減して輸入米の流通を促進させることが真の目的だとの話しが農業従事者の間で飛び交っていました。

寺の田んぼは、明治の農地解放でほとんど全てが小作農家に無償で払い下げられ、わずかばかりの農地が私有地として残されました。まわり全てがお百姓さんの田んぼの真ん中にポツンと残る寺の田だけが農地整理の改良工事を免れることが出来ない状況になって、関連の土木工事にかなりの出費が必要になったようです。
その時助けていただいたのが、先頃亡くなった治三郎さんでした。

改良工事が終った後に、寺の田だけを荒地にしてしまうわけにもいかないだろうと悩んでいた住職へ、
「よかったらワシに寺の田を作らせてもらえんか?」
と声をかけてくれたのが治三郎さん。
肉体労働の連続で若くしてくの字に曲った身体をもっとくの字に曲げて毎年働き続け、一俵米を寄進し続けて数十年。身体の衰えと、奥様の介護が必要になったことを契機に稲作から撤退されたのでした。

1年ほど前から身体の不調が続き、入院加療と退院を幾度か繰り返し、昨年お盆の棚経は仏壇を拝んでもらえるからと在宅で、訪ねた私とお茶代わりのアイスクリームを食べながら世間話をしたのが、治三郎さんの見納めでした。

今頃は、彼岸を目指して六道さんに守られながら三途の川を渡っていらっしゃることでしょう。
私も四十九日まで七日勤めをしながら、治三郎さんが彼岸に到着するまでお付き合いすることになります。

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仏道の世界では、我々人間が悩み苦しみ楽しみ浮かれ、さまざまな欲にとりつかれながら暮らしているこの世を「此岸」といって、「彼岸」の対義語にしています。
此岸に暮らす私たちのほとんどは、暮らしの浮き沈みに一喜一憂しながら生きています。
長い生涯ですから普通に暮らす中でも辛く苦しいことはやってくるし避けることはできません。一方、調子よく順調で何不自由のない暮らしがいつまでも続くとは限りません。
良いこともあれば悪いこともあるこの世の中は常にグルグル回り続けているもんだと思ってみると気が楽になります。
此岸の六道さんは道を踏み外したり、道に迷ったりしてフラフラしている私たちの道案内でとても忙しいのです。

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2010-06