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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

布施 

2010/08/12
Thu. 02:21

万善寺の場合、盆のおつとめは大きく分けて寺の法要である施餓鬼会(盂蘭盆会)と檀家を含む在家を訪問しての先祖供養である棚経の2つを平行して行います。

施餓鬼会は近隣の同宗坊主が手間替えで各寺院の施餓鬼会法要を務める関係で日にちが決められています。
棚経の方は、初盆のお宅や月命日のお声掛けを頂いたお宅の事情で日にちが変わったりすることがよくありますが、基本的にはそれぞれの集落を一括しておつとめすることが習わしになっているので、一日ごとに近隣の集落を隣から隣へグルグルまわっていくことになります。
何れにしてもお盆の3日間では全てを終了することが出来ないので8月の盆月に全体を均してこれらの法要を行っている訳です。

私が、住職のお手伝いでこの8月のおつとめをはじめたのは小学生の頃ですから、学校の夏休みにつきものの一般的子供らしい思い出はほとんど持ち合わせておりません。

施餓鬼会の法要に併せてお寺へお参りするお宅はその時に、自宅の棚経で済ますお宅はその時にそれぞれお布施を用意されます。
在家で用意されるお布施は「財施(ざいせ)」といって、金品や産物を施す行為をさします。これは、古くは僧侶の修業の研鑽奨励に対する支援の意味も含まれます。
僧侶も人間ですから何か食べないと生きていけませんし修業も出来ないから、そのお助けをして差し上げましょうということです。
僧侶の修行の一つである「托鉢」も広く解釈すれば在家旦那衆の施しを受けるための行為になるわけですが、一方で僧侶の立場から云うと畑仕事などと同じ日常の暮らしの一部であるといっても良いでしょう。

実際、一般の方々がどのような思いでお布施を用意されているかは分かりませんが、このような習わしの中で吉田少年も棚経つとめをしながらお布施をありがたくいただいておりました。
毎年のことですので、家々の習わしがあって吉田少年がおじゃますると通常のお布施の他にお小遣いの封筒も用意されていたり、お菓子の詰め合わせの紙袋も用意されていたり、もちろん朝採れの野菜やお米一合など、様々なお布施をいただいていました。自転車に乗るようになってからは、ひと回りが終って寺へ帰る頃は荷物カゴがいっぱいになって上りの坂道が地獄に感じました。

吉田少年も中学校になり高校になってそれなりの反抗期になったりするとしだいにそれらのプラスアルファーはなりを潜め、いつの間にか普通の僧侶待遇になって今に至っています。
流石に最近は封筒に硬貨が入っていることは無くなりましたが、つい先頃まではよくあったことです。
夏野菜のお布施は今でもよくいただきます。年や地域、おじゃまのお宅によって出来不出来が違っていて、こればかりは予測不能です。スイカ丸ごと1個などいただくと笑顔が引きつったりします。メロンが豊作だったりすると本堂の高杯にメロンがあふれ、仏壇を中心にどことなく甘い香りが漂います。

最近は、「お百姓さんの家庭菜園」というのが流行っているようで、この間も、「うちで育てた無農薬野菜だから!」とか、「有機農法で作った野菜は一味違うデェ~」とかいって立派な夏野菜を頂きました。
どうやら農協へ出荷する農薬野菜と区別して育てていらっしゃるようです。
そんな話を聞きながらありがたく頂く野菜はとても美味しく感じます。
・・・が、「農薬野菜はお百姓さんも食べていないということなのォ~?」と視線が泳いでしまいます。

棚経は坊主の修行でもあります。いろいろなことを学ばせていただいております。

ちなみに、「布施(ふせ)」にはあと三つの意味がありますがその一つを「法施(ほうせ)」といいます。
これが、僧侶から一般に施される「仏の教え」になる訳です。だから、僧侶はセッセと寝食を惜しんで修行にはげんで仏の教えを学びとるために苦労している訳です。

「これっぽっちの布施でまともな法事ができるかぁ?」とうそぶく坊主がアチコチに存在するようですが、世間にはつり合いというものがあります。それはそれなりに妥当な金額なのではないのでしょうか?よくは知りませんが・・・
私のようなこれっぽっち坊主には、無農薬や有機農法の夏野菜でも充分すぎるくらいです。合掌・・・


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2010-08