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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

おかみさんの性格 

2011/04/29
Fri. 07:16

放下著(ほうげじゃく)という有名な言葉があります。
「すててしまえ!」という意味で、「著」は「放下」をより強調するための助字になります。

もうかれこれ30年以上は前になるでしょうが、学校の卒業制作で無い知恵を絞ってあれこれ考えながら題材を探している時に出会った言葉でした。
最近になってその言葉の深さを少しは感じるようになりましたが、当時は上辺の意味を知識で覚えて偉そうに理解出来たような気持ちになったりして、その心の空ろを形にしようなどと、とんでもないことを真剣に思いついたりして、わざわざヘンテコな形を造ったりしていたものです。
あんなことをしながらよく卒業させてもらえたものだと、あらためて山下教授の懐の深さを感じて懐かしがったりもしたり、一方で私のような不出来な学生はさっさと追いだしておいた方が都合が良かったのかも知れないと、思い当たるフシに気付きはじめたりもします。

その山下教授は、万善寺老師(現在は東堂の私のオヤジ)と同じ歳で、そのこともあって妙に一方的な親近感を抱いたりもしていました。残念ながら、無類のかんしゃく持ちで酒飲みの性格がそのまま年齢と共に病癖に変わって、結局はそれがもとで大病を患い、退職後時を置かずに亡くなってしまいました。

最近、東堂のお世話をしながら寺の作務をする事が増えてきて、半日ほども一緒にいたりすると何となく山下教授を思い出したりして、私も昔を懐かしがる歳になったかと思ったりもします。
何れは自分もそうなっていくのでしょうが、歳をとるとどうも融通が利き難くなって、見る見る頑固になって短気になっていくようです。そのようですから一方では人の言う事をだんだん聞かなくなって、自分の思い通りにことが進まないとまたまたイライラがつのって機嫌が悪くなってかんしゃくを起こす。

坊主や仏事に暮らす者であっても、なかなか人の世の物欲我欲はすてきれないようで、かえって思い出の中に蓄積されたりもしてしまう弱さがあることに気付かされます。
見渡す領域が狭まるほど、感性の許容が狭まります。
自分の世界に閉じこもる事は楽でもありますが、世間からは取り残されがちです。

おかみさんは東堂と結婚以来、60年近く万善寺の暮らしを支え続けてきました。
その一貫性のある暮らしぶりにはとても頭が下がります。
一方で、それが彼女の支えでもあったりしますから、なかなか踏み込んだ口出しも出来ないジレンマを感じたりします。
チッポケな末寺の暮らしであっても、そこにはそれなりの品位が保たれなければいけません。
壊れたポットに法事のお下がりの生花を活けて、庫裡の玄関を飾るような感性はいかがなものかと思います。
いくらモノをすてられない性格のおかみさんでも、ひと昔前ならそのようなことは考えつきもしなかったはず。
何れにしても、生花が枯れるのは時間の問題。
自分への戒めとして、心にしまっておこうと思います。

オッと!ここにも一人、なかなかすてきれないで仕舞い込んでしまっている人間がおりました。

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2011-04