工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

三原谷始末記その3 

2011/10/31
Mon. 05:43

家族水入らずで車中泊の朝、ワイフがゴソゴソ起きだすのでそれにつられて目を覚ますと、天気予報をしばし裏切って雲の切れ間から青空がのぞいています。

せっかくだからと二人で早朝の散歩をしつつ、彫刻達の設置状況を確認していたら鎮守の森の大銀杏の向こうに虹が架かってきます。
石見銀山の狭い谷ではなかなかこのような光景を目にすることがないのでとっても感激です。
早起きは何かにつけて得があるものだと実感した朝でした。

そのあとにわかにかき曇り、ザザ降りの雨になってしまいました。
山の天気は何処も同じのようで、一瞬で変わってしまいます。

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IMG_1292.jpg彫刻の田んぼの向こうが三原谷の旧大森小学校

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三原谷始末記その2 

2011/10/30
Sun. 07:30

石見銀山のあたりは、一つ一つの谷が狭いので、なかなか大きな重機の入る近代農法の田んぼに代えることが出来ませんが、三原谷の方は比較的谷が広くて奥深いので、コンバインを入れる事が出来る耕作地が各所に点在しています。

このたびも、その一つでイベント実行委員会のメンバーにもなっている三輪さん方の田んぼを借りることが出来て、彫刻の作品設置も、広々とした空間の中でノビノビと遠慮なくイメージの開放をすることが出来ました。

ワイフのインスタレーションは同行のキーポンもなかなか良い働きぶりで、トラッカー真ちゃんもセッセと手伝ってくれたりして、順調にはかどりました。

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三原谷始末記その1 

2011/10/29
Sat. 09:10

このところ早寝早起きどころか、徹夜に車中泊と移動距離数千キロメートルに及ぶ暮らしが続いていて、さすがのオヤジも疲れ気味。

今度もまた夕方から三原谷の方へ出かけることになるので、キーポンの部活送りをワイフに代わってもらって久々の朝寝をむさぼったところです。

この度の三原谷イベントも、早いもので最終日を迎えることになりました。
そろそろ記録をまとめておかないと、とろけた脳味噌のハードディスクが不具合を起こしはじめてしまうので、ひとまず前半部分をウエブディスクに移し替えておくことにします。

・・・といったわけで、まずはトラッカー真ちゃんの絶妙なユニックアームワークのおかげで、6点の彫刻とワイフのインスタレーションパーツをすべて積み込むことが出来ました。

夕方に先発した真ちゃんから三原谷到着の連絡が入ってから吉田家一家が石見銀山を出発。
途中、ワイフもキーポンも爆睡している中しばしも休まずドライブを続け、無事に早朝真ちゃんのトラックへ横付けすることが出来ました。

心配していた雨もそれほど気にならない状態で、ひとまず安心。
午前中かけてトラックから彫刻を降ろして、川向こうの田んぼまで移動しつつ設置作業を終了。

ワイフのインスタレーションパーツも地道に運んで夕方までには全ての展示作業が終りました。

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三瓶山裏事情 

2011/10/28
Fri. 08:20

万善寺東堂老師が1泊2日の旅行をすることになって、久々に国道沿いの三瓶山が見える辺りでバス待ちをしました。

老師は今年の春にアルツ君だと判明してから何かと暮らしの不具合が多発するようになって、永年暮らしを共にしているおかみさんのイライラがパワーアップしたりして、それでなくても自分の仕事が片手間になっているところへ、最近はもう片方の手間も老師夫婦へ持っていかれそうになって、なかなか気の休まらない日々が続いています。

この度は檀家さんの研修旅行へ私の代わりに付きあうことになった東堂老師を国道のバス停まで送っていった訳です。

寺からは近くの山がジャマをして三瓶山を遠望出来ないのですが、国道のバス停まで出かけると連山の向こうに石見銀山から見ると真裏にあたる三瓶山の雄姿をみることが出来ます。
子供の頃は学校の行き帰りに毎日見ていた三瓶山も、こうやって久々に見るといつのまにか高圧線や鉄塔がその前を横切ったりしていて時代の流れを実感します。

澄みきった青空と今年始めて見た霜で秋の深まりを実感した早朝でした。

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カレーの味 

2011/10/27
Thu. 06:36

数カ月前の社内異動で2人の社員減になってから、吉田家長女のなっちゃんは仕事量が激増した様子。
小さい時から負けず嫌いの性格もあって、それでも弱音をはかないで日々の仕事に励んでいるようです。

長いロードから久しぶりに石見銀山の我が家へ帰ってメールチェックしていたら、そのなっちゃんから久々に写真が届いていました。

オヤジも怠けていられません。
気持ちを切りかえて、早速今から通勤坊主にいってきまぁ~す。

↓↓↓↓↓↓↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
半年ぶりくらいに鍋使って料理したぁ(^^)
店でも家でもカレー!!

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冬支度 

2011/10/26
Wed. 04:08

そろそろ平年並に朝夕が寒くなりはじめたので、雨の予報を避けながら薪ストーブの燃料搬入を始めたところです。
1年近く丸太で乾燥させていた欅をこの間から割りはじめました。
今年は、松くい虫で切り倒した松と、ちょうど1年ほど前に切り倒した檀家さん家ヨコの欅が主な燃料になります。

べつだん忙しくもない暮らしのわりには、仕事や用事が点在しすぎていて、移動時間の無駄が解消できないまま次第に自由時間が減っている状況下で、ポコッと空いた数時間を無駄にできないと、薪割り機を酷使していたら、油圧の油が漏れはじめて故障寸前。結局修理の時間もつくる事になって、作業は遅々として進みません。

吉田家の薪ストーブも、すでに10年は使い続けていて、そろそろ作り替えようかとも思っています。
少し前までは暑い暑いと言っていたはずなのに、気がつくといつのまにか冬支度がはじまっています。

人間は偉そうにしているわりには、知らない間に自然の大きな力で動かされているんだなぁと気付きます。

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昭和を見た 

2011/10/25
Tue. 03:13

このところ酷使が続いたせいか、ポンコツ君が悲鳴をあげはじめ、毎週のようにドック入りをしています。
幸い、今のところどれも症状が軽くておさまっているので、車検までは何とかダマシダマシ乗り続けていこうと思っていますが、それもあやしいものです。

現在働いてくれているのは、3代目のピックアップで、初代は50万で手に入れたハイラックス。
その前が軽トラックでしたから、積載量も倍近くなって走りもパワフルになって、とても行動半径が広がったことを記憶しています。
当時、高校生だった長男を学校まで迎えに行っての帰り、急に左側から突っ込んできたおねえさんにはじき飛ばされて看板ポールに激突大破。

その次が長女のなっちゃんの一つ年上のダットサン君。
走行距離30万キロ直前で、急にパワーダウンをはじめ、一気に多臓器不全の症状を見せはじめ老衰で作動停止。

そして現在、次女のノッチと同い年のダットサンポンコツ君が活躍してくれています。
このポンコツ君が、私の人生初めての平成の車。

昭和の車を乗り続けていて、車体の固さと丈夫さに満足していたのですが、どうも今のポンコツ君はいろいろとデリケートに出来ているようで、部品パーツの老朽化や劣化が早いように思います。
この間は、走行中に突然ハンドルが重たくなったのであせって修理工場へかけつけると、パワステ油圧制御のベルトをモーターへ固定する金具が金属疲労で断裂。
引き続いて、固定部品ゴムの劣化たるみで車体フレームに乗っかってしまったマフラーが、車の腹の辺りで大騒ぎを初めてハーレーに乗っているような異音が響きはじめる。
とりあえずは、工場長の知恵を絞った応急処理と、私の溶接の腕でしのいでいますが、走行距離が20万キロ足らずでこの状態では、なかなか先が思いやられます。

腫れ物に触るような思いで平成のポンコツ君に大荷物を積み込んで山越えの道を走っていたら、何ともカッコイイ昭和のダンプが突然視界に飛び込んできました。
高度経済成長期の前夜、颯爽と大活躍していたであろうその雄姿は、原野の風景に同化してなお、軽々しく近寄りがたいほどの威厳を誇っていました。


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石見銀山本谷遠望 

2011/10/24
Mon. 05:42

キーポンの通う中学校の登校路を、学校の方へ曲らないで真っすぐ進むと石見銀山の坑道が点在する本谷へ突き当たります。
その本谷を経由して登り切ると仙丿山。
そこから反対側の谷へ降りていくと大森小学校がある銀山地区に入っていきます。
谷を流れるのが銀山川。
その銀山川に添って下ると吉田がのらりと暮らす大森の町並みに続く訳です。

朝から雲ひとつなく晴れ渡った秋空のもと、キーポンを中学校まで送り届けての帰り、本谷から仙丿山を見上げると、植林の向こうに茶褐色が点在しています。
秋だから紅葉している訳ではありません。
松くい虫で枯れた松と、ナラ枯れの被害に遭った真木の枯れ色です。

その辺り一帯は世界遺産の指定地域でもあるわけですが、森林の整備までには手が届かない様子です。

その日暮らしの私など、気がつけば自分の足元ばかり見て暮らしたりしていますが、たまには遠くのものを離れた距離で見ることも必要だと感じます。
自分に出来る事は、時折山に入って薪を切り出すくらいのことですが、それでもしないよりはマシかも知れません。
山に暮らす人は山に入り、海に暮らす人は海に漕ぎ出す・・そんな当たり前の暮らしでは生活できないのでしょうかねぇ。

ちなみに、世界遺産の指定地域では、はびこった竹林の伐採や枯れ木の切り倒しまで、諸々行政の許可が必要だとか。
世間の事情はなかなか複雑で難しいものです。

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オヤジの彫刻 

2011/10/23
Sun. 04:17

六本木新美術館で開催中の二紀展もあとわずか。
遅ればせながら、今年のオヤジの出品彫刻を公開します。

会期が始まる時、陳列が終って作家達がそれぞれの彫刻を前に思い思いの感想をしゃべりあったりすることがとても楽しくて、毎年あいもかわらず出品を続けている訳ですが、今年は、自分でもそれなりに迷った彫刻になって、ふり返ると鉄の方は制作の作業時間より眺めて考えている時間の方が長かったような気がします。

といっても、結構そのあたりで思考が行ったり来たりしているのも楽しかったりする訳ですが・・

「だんだん右翼がかってきたなぁ・・」
「もうあの世界へ行っちゃってんじゃないの」
「あの石ってちゃんとくっついてるよねぇ」
「あれって、なんだっけ?・・そうそう、賽の河原?」
「この鉄のサビどうやって付けてるのぉ」
「こんな赤い石あるの?」

まぁ、今年もいろいろ言われました。

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朝の月 

2011/10/22
Sat. 04:33

石見銀山のほうは最近になって、やっと朝夕が少し肌寒くなってやっと秋らしくなってきたかなと感じはじめました。

キーポンを学校へ送り届けたあと久々に朝が少しノンビリできて、ワイフが出かけてから裏庭の夏の名残をチェックしていたら、うっそうと繁った庭の草木集団はまだまだ夏の装い。
雨避けに増設した張り出しの軒下を占領したハートカズラも青々と繁ってせっかくの日差しを遮ったまま。
今年は、なかなか昼夜の寒暖に差がつかないので、このままの気候が続くと石見銀山の紅葉はあまり期待できないかも知れません。

そんなことを思いながら空を見上げると、スッキリ晴れ渡った秋空に朝の月。

夏と秋が同居しているような何とも曖昧なある日の始まりでした。

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ご自由にお持ち帰り下さい 

2011/10/21
Fri. 04:09

はやいもので、六本木新美術館の展覧会も終盤に近づき、彫刻搬出の支度にとりかかる時期がやってきました。

まだ、暑くて大汗をかきながら制作を続けてきた彫刻も、展示してみるとその会期はとても短く感じます。
2週間の展示会期が長く感じるか短く思うかは人それぞれでしょうが、一方で生活の糧を得るために厳しい社会情勢のなかで定職にたずさわりつつ、地道に制作時間を捻出して作品を完成させる作家達の苦労は、なかなか普通では理解しにくいものと思います。

もっとも、定職と言えるようなものを持ち合わせない吉田は、別段忙しいとも感じないで暇に毎日を暮らしているものですから、前記の日々忙しく働きづめの作家の皆様の一助にでもなればと、展覧会期間中は広報活動にせいを出しています。

毎朝、玄関先に持ち出している展覧会の招待ハガキは確実に枚数が減ってきて、石見銀山見物の観光さん方にはなかなかの関心事になっているようです。

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城上神社秋の例祭 

2011/10/20
Thu. 03:28

うららかな秋のある日、石見銀山の町並みを練り歩く神輿の列は城上神社秋の例祭神事。

朝早くから改良衣に着替え、仏具一式かかえて雪駄履きで万善寺へ通勤坊主をしたあと、ワイフのインスタレーションパーツの制作にとんぼ返り。
前の日から、町内にハデな桃太郎幡がはためいていたので、何があるのだろうと気になっていたのですが、自宅で改良衣から作業着に着替えていると何処からともなく聞こえてくる笛太鼓。
パンツ一つでウロウロしていたら、近所のオバサンがかって知った様子でズカズカと玄関土間へ入り込んで、
「吉田さぁ~ん、しもの方からお神輿があがってきたわよぉ~、はやくはやくぅ、とおりすぎちゃうよぉ~」
と教えてくれたので、やっと今日は「城上さんのお祭りかぁ」と気がついた訳。

急いで着替えて石見銀山の町並みへ飛び出すとギリギリセーフで行列に間に合いました。

ちなみに、赤と青の神主さんは私のいとこの旦那とその息子。
吉田の親族は神仏混合で仲良くお付き合いをしております。

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三原谷の川の風まつり速報 

2011/10/19
Wed. 00:40

三原谷の川の風まつりイベント「田んぼの中のミュージアム」へ彫刻家の吉田正純と吉田満寿美が参加させて頂くことが決まって早いもので3ヶ月になりました。

吉田正純は、野外設置の彫刻6点を移動予定で着々と準備進行中。
トラッカー真ちゃんとの打合せも出来ておおむね順調。

そして一方・・・
吉田満寿美は、只今昼となく夜となく制作真っ最中!
・・・という訳で私も、動員がかかれば昼となく夜となくお手伝い。

そんな訳で、現在の吉田家は、居間もダイニングも書斎も縁側も、それから天気が良ければお隣さんの裏庭も、吉田満寿美のインスタレーションパーツや助っ人が色々な所へ出没しております。

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もののみかた 

2011/10/18
Tue. 08:20

しばらく続いていた雨も止んだので、夜の間に受信されたメールの用事を朝のうちに片づけて、早速山へ入りました。

少し前に切り倒したナラの枯れ木が崖に寄りかかってそのままになっていたのを輪切りに細断。
体力の衰えを感じつつトラックに積み込む作業は、身体がギシギシ悲鳴をあげます。

すぐに息が上って休憩の間隔が短くなります。
ベットボトルに詰め替えたコーヒーを飲みながらひと休み。

それほど大きくないナラの木ですが、よく見るとその木肌の重厚さと色彩の混色の奥深さに視線が引きつけられて、ひと時、周囲の音がすっかりと消えてなくなっていました。
自然がつくる造形の巧みさは、自分の思考領域を遥かに超えています。
それがまた、自然の摂理環境の中で、欲張らず出しゃばらず、しかし前向きに分相応の主張を維持しつつ、互いを認めつつ、また抵抗しつつ、一方でゆずり合いながら、絶妙の相関関係を保って成長を続ける姿が、侵しがたいほどの威厳をもって自分の方へ迫ってくるように感じます。

山の中を走り回って遊んでいた頃の少年は最近、年と共に身体のアチコチのガタが慢性化して、色々な場面で動きが緩慢になってきました。
4・5年前、身体と心がまだその動きに慣れなかった頃は、もろもろ無理が失敗を誘発して、よく自分のイライラの元になっていたものです。

日本の何処かではじまったこの度のナラ枯れ病の波は、確実に島根で暮らす私の周辺にも届いています。
大量発生した小さなムシが持ち込んだ微量の菌糸が、やがてナラの木を侵略し枯れ倒す。
小さな彼等の営みをただ見続けることしか出来ない無力の自分がいます。

今、日頃の怠慢を棚に上げて、自らの老化にイライラする自分が恥ずかしく思えたひと休みでした。

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今は秋です 

2011/10/17
Mon. 08:12

夕方から浜田へ用事があって、久々に9号線を西に走りました。

島根県内は道の高速道化が遅れているように感じます。
このところ、兵庫の三原谷の関係もあって9号線を東へ走ることが増えているのでよけいにそう思うのかも知れません。

自分が暮らしている場所だから特に気になっているのが大田市を中心にした島根県県央の地域。
住民人口が少ないので、必然的に1日のピーク時の車の走行台数も他の地域に比べて少ないような気もしますが、それでも山陰の東西を結ぶ街道ですから長距離のトラックがひっきりなしに往来しています。

先頃、法事の席で聞いた話ですが、広島の世羅町から尾道まで高速の自動車道が開通したそうです。島根の松江から広島の尾道を結ぶ縦貫道の一部になります。
狭い日本で、表と裏の利便性の差がどんどん広がっているように思います。

人々は暮らしに便利な場所、仕事の多い場所へどんどん流れていきます。
島根県の海岸に添って続く9号線に山陰道のバイパスが大田市辺りで開通する頃には、どれだけの人々が地域に暮らし続けているのでしょう。
その頃には、私も老いぼれて彫刻の継続もあやしくなっていることでしょう。
車に乗っているかどうかも微妙です。
もちろん、現在でも排ガス規制に引っかかって四苦八苦しているポンコツ君は完全にリタイア。

ずいぶんと一日が短くなりました。
日本海に沈む夕陽を見ながら走行していると、気持ちの滅入ることばかりで思考が止めどなく回転しはじめて、とても厄介なことになりました。

そんな島根事情を背景に、10月も半ばを折り返す頃になってもまだ半袖で暮らしています。
ワイフと一緒に島根から東京へ彫刻を出品しはじめた頃は、皮のジャンパーを着込んで搬入陳列の移動をしていました。

島根の片田舎で暮らしていても、地球の温暖化を身体で感じている今日この頃です。


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ワイフの彫刻 

2011/10/16
Sun. 08:17

今年のワイフの彫刻は、美術館室内彫刻展示室の壁際に展示場所が決まりました。

どの作家もそうだと思いますが、二紀展のような公募団体展に出品の彫刻家は、自分の作品が少しでも良く見えるような場所に展示してもらいたいと考えながら制作をしているはずです。

私も島根に帰って彫刻をつくりはじめた当初は、色々運送業者を探して、ワイフと一緒に丁寧な梱包をして、小荷物配送の長距離トラックに混載させてもらって、もろもろ大変な思いをしながら展覧会受付まで送り届けていました。
会場周辺の首都圏で暮らす人々には、田舎で制作を続けている彫刻家の苦労が理解できないものでもあります。

当時の吉田夫婦も、島根からの彫刻の搬入搬出があれほど厳しいものだとは予想もしていませんでした。
ある意味、過酷な制作環境で必死の思いでやりくりして出品できた彫刻ですから、入落の審査をパスすることはもちろん、せっかくなら自分の作ったカワイイ彫刻が少しでも見栄えのする良い場所に展示されることを期待してしまうのも当然です。

今にして思えば、まだまだ未熟の自分の彫刻を棚に上げて、なかなか図々しい期待をしていたと恥ずかしくなります。
結局は、公募の彫刻展に出品されて入選を勝ち取った作品群は、全てそれなりに一定の評価を得た結果である訳ですから、展示場所の善し悪しは、その評価からもう一歩抜け出すくらいのパワーや完成度で決まることになります。

こうして、展示会場が六本木の新美術館に移ってから、どの展示室も同じ条件の迷路のような会場の中で、唯一、ほぼ一部屋に集約された室内展示室の彫刻達をみると、公募団体展の面白さは「不調和の調和」にあるとあらためて感じます。

個々の作家の自由な表現活動と発表の場の一つであるはずの公募展団体の多くが、技法や素材、テーマや核たる作家の指向性に準じてしだいに作風が調和される傾向にあって、二紀会の彫刻部に集まる作品の多様性は、正にその「不調和の調和」を身体全体で感じることの出来る数少ない彫刻展となっているように思います。

最近のワイフの彫刻は、だいたい展示会場の中ほどに展示されてありましたが、今年は久々の壁際。
さて、展示の効果のほどはどのようでしょう?

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父娘 

2011/10/15
Sat. 06:04

二紀会の展覧会で六本木新美術館の野外へ彫刻を展示したあと、恒例の懇親会に参加。

私にとっては、全国から集まった展覧会出品の彫刻家のお顔が拝見できるのも、その懇親会限りになります。
毎年のことなのに、少しずつ新しい友人が出来たり、逆にいつもの顔が見えなくなっていたり、長くも短くもある1年の積み重ねが重く感じます。

島根の片田舎でワガママ放題に制作を続けている私ですが、一方で制作のそこここで悩み事が無い訳でもないので、一杯飲みながらの彫刻や美術芸術の現状に関する激論は、多いに刺激になったりして、かえってそのような会話がきっかけで次の1年間の彫刻制作の基盤が固まったりすることもしばしばです。

展覧会場が上野から六本木に移転した後、なんとなく感覚のズレを感じながら制作していた数年間を、あらためて冷静にふり返ることが出来た良い機会になりました。
毎年東京へ出かけていても、このようなことはそうめったに巡り合うこともないので、皆さんに失礼かとは思いましたが、1次会の閉会があってから少しばかり一人になって色々整理する時間をつくる事にしました。

東京では吉田家の娘達が暮らしているので、その後電車を乗り継いで彼女達と合流。
久々の再会でしたが、変わらなく元気そうで何より。
私の方も気持ちがスッキリと晴れ渡って気分爽快。
周囲の迷惑かえりみず、父娘一緒に楽しい一夜を過ごしました。

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彫刻展示完了 

2011/10/14
Fri. 00:39

世間は「芸術の秋」と言ったりしますが、あまりにも暑くて汗ばむ陽気の東京は六本木。

最近は、日に日に坊主らしくなってきた彫刻家の吉田と、女流彫刻家のワイフをはじめとして島根県のSさんやMさん、鳥取のKさん山口のTさん、福岡のKさん、それに京都のIさんとで共同搬入した彫刻の展示作業が新美術館で行われました。

北海道から九州まで全国から集まる彫刻の展示も、今年は例年になくスムーズな設置作業で、予定の時間より2時間近く早く終ったので、年に1度の東京六本木観光が少しだけ多めにできました。

時々ビルのガラス窓に映る自分の姿は、やたらと顎をつき出して上ばかり見上げていたりしています。
建築物全てがあまりにも空の方に伸びすぎています。
まるで東京全体がバベルの塔に思えてきます。

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蜜の香り 

2011/10/13
Thu. 07:51

薪ストーブの焚付けを造ってくれとの依頼があって、このあいだからセッセとナラの枯れ木を切り出して、大割、中割り、小割りと割り木にしている所です。

この作業をしていると、どこからともなくヨレヨレの弱った幾種類かの蜂がよってきて、私の回りを弱々しく飛び回ったり割り木の皮にしがみついたりしています。

あれだけ嫌われている赤蜂も熊蜂も、ナラの蜜の香りに吸い寄せられて1年の最後の気力を振り絞っている姿を見ると、なにやら愛おしくもなったりして、バチッと叩き潰す気が起きません。

かく言う私も、どことなく何とも形容のしがたい独特の甘香ばしいい蜜の匂いに気持ちがグラついて、輪切りにした丸太に抱きついて吸い付きそうになってしまいます。

これから風雨にさらされて乾燥が進むまで、当分の間蜜の香りを楽しみながら彫刻の制作が出来そうです。

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棚田風景 

2011/10/12
Wed. 05:14

東西に長い島根県でも私が暮らす石見銀山の周辺では、平成の時代に入る前後くらいから棚田風景が激減していて、植林の山と田んぼの境界辺りに葛やススキがはびこって、一気に原野に変わりつつあります。

同時に、葛の根っ子を目当てにイノシシが山から下りてきて、そのまま境界の原野から田んぼまで出没が頻繁になり、人々はバッテリーの電熱線を張り巡らせた内側で農作業を強いられている始末です。

この間、何年ぶりかで銀山街道の海路に通じるルートを通過することがあって、その棚田風景を久々に見ることが出来ました。
まえは、谷の隅から隅まで棚田が開けていて、春の頃は水田に移る空の青さが輝き、夏には一面緑の階段が広がり、秋にはそれが稲穂色に染まり、何時見ても美しい風景が広がっていました。

この度、ちょうど刈入れに遭遇した風景は、ほとんどの棚田がススキと荒地になっていて、ほんの申し訳程度が田んぼで残っている状態でした。

聞くところによると、最近の稲作はコンバインでの刈り取りが主流になって、小回りの利く稲刈り機の需要が激減しているとのこと。それに使い倒して老朽化した機械の部品調達が難しくなったことで、ちょっとした不具合の修理もままならない状態だとのことです。
大金を投資して機械を買い替えるか、このまま棚田を放置して荒地の原野に戻すか、どちらかしか選択肢が見当たらないと言うことでした。

見た目の風景の美しさに感傷しているだけでは、棚田風景を継続させることは出来ないという現実の厳しさに直面します。

加速する高齢化と過疎化の中で、ラビリンスの世界にはまりこんで抜け出せなくなってしまう日本の農村の将来を垣間見たように思います。

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三原谷旧大森小学校 

2011/10/11
Tue. 06:43

石見銀山には世間では極小規模校と言われている大森小学校があります。

まだ大田市の財政が豊かだった頃に新築や改築された学校がほとんどだった頃から、なぜか大森小学校だけがその対象からはずれた状態で、住民や保護者の陳情も虚しく、結局手付かずの木造校舎のまま修繕をくり返す程度の予算処置で推移し、そのうち行政の財政破綻がささやかれるようになり、ほぼ同時に世界遺産登録の話しがもちあがり、世間はそのことで盛り上がり、気がつけば、大田市唯一の現役木造校舎が世界遺産のど真ん中に残されていました。

その大森小学校のある石見銀山が世界遺産に登録されてそろそろ5周年を迎えるまでになりました。
その間、大田市では学校の統廃合が進み、現在、大森小学校どころか、同じ校区にある中学校までがその対象校になっている状態です。

私個人としては、住民人口の減少はそろそろ底を打ちはじめ、これからしばらく横ばいが続き、その間に何かのテコ入れが成功すれば少しずつ人口増加に転じるだろうと予測しています。
問題は、その「何かのテコ入れ」とは何か?ということですが、それを実践するのはやはりそこに暮らす住民が自ら動く前向きな取り組みしかないと思っています。
昭和の時代から続く行政依存の慣習はすでに機能しなくなっているように思います。

そんな石見銀山大森小学校事情ですが、あの「三原谷の川の風まつり」イベントが開催される兵庫県の豊岡市竹野町には、すでに廃校になった「旧大森小学校」が別の施設になって元気に生残っています。

旧大森小学校のある谷には、三原とか大森とか河内など併せて7地区の自治会が集まっています。
「三原谷の川の風まつり」イベントも、最近になって少しずつ各地区からの協力者が増えてきはじめ、その地域活性活動の拠点となっているのが旧大森小学校です。
各社各団体への協賛金を資金とした住民の皆さんの手づくりの活動が、やがて豊岡市長を動かし、味わい深い風貌と、地域で守り続ける旧大森小学校の現状に感動した市長の働きもあって行政協力が加わり、ここにきて旧大森小学校活用が徐々に活性化してきたようです。

私としても、このような地域活動を自分で具体的に見聞することはとても大切なことだと考えています。
彫刻の小品展開催地の候補としてどうかとも思っています。

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階段 

2011/10/10
Mon. 06:57

久々に仏事が続いて単身赴任の寺暮らしをしています。

万善寺庫裡には、物置代わりに造られた2階があります。
よくある土蔵2階の階段と同じ造りになっていて、2階の床の一部を切り抜いて引き戸を付けたもので、その引き戸を開け閉めしながら階段の上り下りをすることになります。

昔ながらの田の字の部屋があるだけの庫裡には、独立した部屋がある訳でもなく、家族は何時も居間に当たる一部屋に集まって暮らしていました。
私が小学校の4・5年生の頃に、そろそろ子供の勉強部屋が必要だろうと、屋根裏の物置だった庫裡2階を2部屋に改装して天井も付けたりして、壁と言わず天井と言わずベニヤを張り巡らしたその一部屋が私の部屋になりました。
それ以来、中学校を卒業するまでそ2階部屋で過ごしました。

結婚の前後にワイフを連れて帰省した時もその部屋で寝起きし、現在、単身赴任の寺暮らしでも変わらずその部屋を私の書斎兼居間兼寝室として使っています。

私が10歳位の時からすでに50年近く手直しをしないまま使い続けているその2階部屋ですが、最近は、寺に居住する老師夫婦も足腰の衰えが加速して、1年に数回しか階段を使うことがありません。

階段に残る傷跡のひとつひとつが私の思い出と言っても良いでしょう。
万善寺の庫裡も改築100年を越え、かなり捩じれたり曲ったりして、それが見た目でもわかるようになってきました。
今後、私が寺暮らしを続ける間はだましダマシ住み続けるしかないでしょうが、それでも、この階段だけは何とかして残し続けたいと思っています。

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三原谷の川の風まつり 

2011/10/09
Sun. 06:16

三原谷の川の風まつりに向けて、只今急ピッチで制作が続いている「吉田満寿美インスタレーション」のパーツづくりです。

だいたい彼女は自分の仕事を人にまかせることが苦手なタイプで、結局、ギリギリの時間切れになったりすると連日の徹夜が続くようになって無駄に体力を浪費してしまうこともしばしばです。
若い頃は、それでも何とかやりくりできていましたが、年と共に、次第ににそれも難しくなってきて、早めはやめのスケジュール調整をしていかないと、共同生活をしている家族の方へもその影響が及んできたりします。

三原谷への搬入まであと1週間になりました。
私が隣でそれとなく見ていても、現在の所、まだ全貌がつかめていません。

今回のイベント「田んぼの中のミュージアム」部門とりまとめ人としては、諸々だんだん心配になってきますので、ここらでひとつ気持ちを切りかえようと、彫刻家でもあるワイフともども、家族を引き連れて早めの夕食を奮発しました。

その帰り、日本海に沈む夕陽があまりにもきれいだったので、9号線の脇に車を停めてしばし鑑賞。
日の落ちるのがあれほど速いものだとは知りませんでした。
1日の時間の短さを視覚的に理解できたように思います。

「私が島根にきた頃、はじめて日本海に沈む夕陽を見て、そのきれいさに感動したものよ。太平洋では沈む夕陽を見る機会なんてそうめったに無いものね」

車を運転しながらしみじみと結婚した前後の頃を話す彼女は東京生まれ。
その日の夕食もマグロやらエンガワやら、江戸前の定番を中心にパクついていました。

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秋日和 

2011/10/08
Sat. 02:38

彫刻制作のスケジュールを調整しながら、幾つかのクラフト小物や薪ストーブなどを造って生活していますが、以前に比べてめっきり仕事が減って、ワイフや子供に何かと迷惑をかけています。

そのような吉田事情を知ってもらっているのか、時々思い出したように単発稼ぎの用事を回してくれるありがたい施主さんから薪の調達を頼まれたので、このところ近所の山へ通っています。

一昨年くらいから島根県の山でもナラ枯れの被害が目立ちはじめ、紅葉前のこの時期、ムシが持ち込んだ菌糸がいっきに広がって、茶色に枯れ乾いた葉が落葉の気配もなく何時までも枝にくっついて、遠くからでもその状態がすぐに確認できます。

山の持ち主のおじさんと二人で、ムシの入り込んだ無数の穴と、パウダー状の粉がくっついた枯れ木を2本ばかり切り倒したのですが、頑固に枝をはり広げた枯れ木は近所の枝木に肩組みするようにからまって、なかなかすんなりと倒れてくれません。
半日かかってついにギブアップ。
そのままにしておくことも出来ないので、次の日1日は気持ちを切りかえて、地道な枝木の細断から手を付けることにしました。

そろそろ陽が傾きはじめてから、その1部を積み込んでの帰路、澄み渡った秋空のもと、色づきはじめた柿の木の向こうに稲ハデや、そのまた向こうに銀山街道から続く銀の積み出し港だったあたりの日本海が遠望され、その風景があまりにも素敵なので車の往来もほとんどない田舎道の端にポンコツ君を停めてしばし休憩。

あと2・3日もすれば展覧会が始まって六本木を歩いていることになりますが、どうも実感がわきません。
島根県石見銀山のあたりは、このところとても爽やかな秋日和が続いています。

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展覧会のお知らせ 

2011/10/07
Fri. 08:22

今月12日から、現在吉田夫婦がライフワークのように毎年彫刻出品を続けている二紀会の展覧会が始まります。
招待ハガキの宛名書きをしながらふと確認すると、今回は第65回の記念展だったようです。
何か、時代の流れを感じます。
吉田夫婦も気がつけば30年ちかく二紀会の彫刻部への彫刻出品が続いていたことになります。

吉田正純といえば、
彫刻研究と模索実験時代の30代。
素材追求と発表活動時代の40代。
そして50代も後半にさしかかり、テーマ探求と彫刻文化振興の一助を胸に、地域密着型の彫刻発表にとりかかりはじめたところです。

私のようなアウトローのワガママ者が、大きく彫刻の道を踏み外さないでここまで来れたのは、多くの彫刻家との刺激的な出会いを作ってくれた二紀展彫刻部のみなさんのおかげだと思っています。

ふくよかな温もりのある石彫を作り続けて夭折のIさん。
感性と技巧派で頑固者のMさん。
とてつもなく巨大な木彫で圧倒されたBさん。
おおらかでひとなつっこいSさん。
物静かで研究熱心なNさん。

などなど、今では年に1度の再会と会話も途絶えた彫刻家も、この時期になると不思議と鮮明な記憶で甦ります。

たいした働きも出来ない田舎オヤジですが、自分とその周辺の彫刻の面倒ぐらいは見れるのではないかと、今度の展示作業も六本木まで出かけることにしました。
新しい出会いがあるかも知れません。またそれが楽しみであったりもします。

会期中は、12日の初日と24日の最終日に会場へいる予定です。
皆様、お忙しい思いますが、世間は「芸術の秋」でもありますし、たまには彫刻鑑賞にでも浸ってみませんか。


スキャンしたイメーシ#12441;

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六本木国立新美術館 

2011/10/06
Thu. 05:38

六本木にある国立新美術館での展覧会が近づいてきました。
作品の方は、すでに搬入済みで、来週には会場での作品設置作業が行われ、引き続いて展覧会会期を向えます。

吉田家は夫婦そろって、公募展団体の二紀会彫刻部に所属しています。
ワイフの方は大学在学中の20歳位から出品を続けていますが、私の方は島根県へ帰った頃から出品をはじめ、それぞれ現在に至っています。

「あなたの行く先なら何処でもついて行くワ!」
と、今では想像も出来ないほどしおらしく擦寄ってきたりしていた頃もあって、そんなかわいいことを言ってくれるワイフが結婚を契機に作家活動を休止することは、何としてでも避けなければいけないと、その一念で私も自分の彫刻制作に本腰が入ったように思います。

おかげさまで、共同出品がお互いの励みになって、その後ワイフは4人の子供を出産したり育てたりしつつ、1年も欠けることなく制作と出品を続け、一定の評価を受けるに至りました。

なかでも一番厳しかったのは長男誕生の時。
9月の出産で10月の彫刻搬入は、さすがに私も難しいだろうとあきらめたほどでしたが、大きなおなかを抱えながら、出産の不安と戦いながら、それでもラフスケッチをくり返しているワイフを見ていると、これは何とかしないといけないという気持ちになって、ワイフの指令を受けながら、彼女の手足になって夜遅くまで制作を続けたこともありました。

今では、彫刻の一つ一つが思い出になって、制作が年中行事のお祭りのように感じたりもします。
早いもので、出産と彫刻制作で大騒ぎだった長男が、この4月からフラリと帰省して久々の同居が再開しました。
ワイフと吉田家にとっては色々な意味で節目の彫刻展になりそうです。

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オヤジ走る 

2011/10/05
Wed. 08:12

石見銀山は現在9つの自治会に別れて約400人の住民が暮らしている小さな町です。
銀の鉱山が開発された頃は、古い地名である「佐摩(さま)」の名が世界に知れ渡っていました。
その「佐摩」の地名も現在まで残っていて、9自治会の中で使用されています。
吉田が暮らす自治会「駒の足」も比較的古くから地名として使われていたようです。

どの自治会もスッポリと世界遺産である「石見銀山遺跡とその文化的景観」の中に納まっている訳ですから、住民の暮らしも観光さんからは鑑賞や観光の対象になっていて、休日や連休ともなると普段着で町内を往来することも出来にくくなったりします。

そんななか、今年も例年通り「大森町体育大会」が華々しく開催されました。
久々の好天に恵まれ、予定の競技を全て終了させることが出来ました。

駒の足自治会は40代が少ないようで、50代の吉田は、当日になって次々と出場競技が増えてきて、準備不足もてつだってもうヨレヨレ。
サンダル履きの運動会は初めてのこと。
それこそ、サンダルが足を引っ張って結果は出せませんでしたが、ウケは十分ねらえました。
来年からはもっとしっかりと事前準備をしておこうと反省した次第です。

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此処は何処 

2011/10/04
Tue. 08:02

紅葉にはまだまだほど遠いものの、石見銀山や三原谷のあたりはすっかり太陽も傾いて秋らしくなってきた今日この頃・・・

このところあまりにもアチコチ出歩きすぎた感があるので、たまにはおとなしく自宅に隠ってデスクワークでもしようと、朝からキーボードをつついていましたが、どうも障子越しに感じる秋のポカポカ陽気が気になって落ち着かない。
結局、早々とシステム終了して作業着に着替えてしまいました。

ひと夏手付かずだった吉田家周辺の整備もあるし、冬に向けて薪の確保もあるし、か細いながら一家の大黒柱としては、出稼ぎばかりしている訳にもいきません。

そんな訳で、あっちもこっちも純和風の日常暮らしにはまっていたら、ノッチから何とも怪しげな写真メールが届きました。

此処は何処??・・・ってかんじです。
まったく、東京は世界の縮図ですなぁ・・

写真-2
お台場あたりでは自由の女神が鎮座しているらしい。

写真-3
ジャック・スパローはこのところの円高で海賊業もままならず、新宿辺りに出稼ぎしているらしい。

写真
新しい何とかタワーが完成間近なのに、まだまだ人気は衰えない様だが任期はあと少しで終了するらしい。

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三中吹奏楽部 

2011/10/03
Mon. 07:22

世界遺産石見銀山をかかえる島根県の大田市では、このところ休日や祭日になると各地で文化祭が開催され、地域住民の皆さんは、1日で何箇所も掛け持ちしながらアチコチの会場へ出かけていきます。

もっとも、農繁期が一段落したこの時期、このような地域事情は全国的なものかも知れません。

キーポンの通う三中の吹奏楽部も、今年の大会で成績優秀だったことが各所に知れ渡っていて、色々な文化祭主催者から出演依頼があったりして、平日以上に忙しかったりします。
今回は、早々とずいぶん前から大田市にある授産施設「亀の子」さんから出演の依頼があって出かけてきました。
幸い天候にも恵まれ、所員の皆さんやお客さん方から大きな拍手をいただいて、大成功のコンサートになりました。

部員13人で用意する楽器は50種類を越えたりするので、このようなコンサートの度に、楽器運び要因で家族一緒に会場までの送迎をくり返すことになります。
キーポンもクラリネットを中心に3つくらいの楽器を持ち替えたりして演奏しています。

若いということはすごいことですね。
顧問の先生曰く、
「だいたい1週間もあれば、持ち替え楽器もマスターして演奏できるようになります!」
とのこと・・
いまどきの子供達の吸収力はたいしたものです。
「少女時代」とか「AKB」とか、すぐに覚えて演奏したりしています。

勉強の方もこんな調子でチャッチャッと覚えてくれると将来が安心なんですが、なかなかこればかりは思ったように上手くいかないようです。
もっとも、出来の悪い親の責任も多々あるとも思いますが・・

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三原谷の熱い秋 

2011/10/02
Sun. 07:23

三原谷のイベントで彫刻の展示をすることが決まって、その後、いろいろと事務局長さんと連絡をとりあいながらスケジュールを調整してきましたが、10月に入ってその最終調整の会議が三原谷で行われることになったので、石見銀山での用事をすませて午後から豊岡の方へ出発しました。

島根県のヘソのあたりの石見銀山から、鳥取県の日本海側をひたすら走り、兵庫県北部の奇岩絶景の海岸に添ってしばらく走った後、少しずつ東南方向の山間部へ分け入ったあたりが三原谷。
この前の台風の被害が街道の其処此処に残っていて、そのすさまじさを垣間見たりもしたところです。

夕方から始まった最終の調整会議は、事務局長の絶妙な司会進行のもと、準備から撤収までのタイムスケジュールをもとに、一つづつ諸問題を解決し、イベントを通した出欠が確認され、担当が決まっていき、責任者からの経過報告や連絡があったりして、和やかな中にも緊張感の漂う、とても充実した調整会だと感じました。

出席の皆さんは、どなたも自分の暮らしや仕事をもちながら、色々工夫して無理を調整しながらイベントに向けた活動の時間を捻出していらっしゃる様子が手に取るように伝わってきて、そのような会に自分も出席できてとても参考になったし勉強になりました。
公私をわきまえた大所高所からの取組みは、とかく希薄になりがちな自治体や住民協調の今時事情に慣れていた私にとって良い刺激にもなりました。
やはり、現場を見なければ事は進みませんね。
机上の理論がやたらと飛びかって迷走ばかりしている何処かの国の誰かさん方とはえらい違いです。

ポンコツ君も珍しく軽快な走りっぷりで、帰りの車中はなかなか快適でした。
そのせいか、途中、大きな障害もなく、4時間足らずですんなりと石見銀山までたどり着くことが出来ました。

今回の「田んぼの中のミュージアム」は失敗できません。

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熱心な協議がすすむ三原谷の皆様

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2011-10