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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

山本兼文氏のこと 

2012/04/19
Thu. 05:53

私が島根に帰ってから、早いもので30年になろうとしています。

学生の頃から何処かの公募展やグループ展など、声をかけてもらいながら作品の制作や発表を続けさせてもらっていて、島根に帰ってからも何とかそのような発表活動は続けられるだろうと曖昧に思っていたのですが、それが甘かった。

やはり、学生生活の気楽さと社会人生活の厳しさとでは1日の暮らしぶりがガラリと変わってしまって、「これじゃぁ彫刻の制作を続けることも難しいだろうなぁ」と漠然と思うようになって、これから先の「自分の生活スタイルを考え直さなければいけないな」と造ることを諦めかけて1年2年と過ぎました。
その間、ワイフの方は専業主婦の合間にコツコツと時間をつくって公募展に出品を続けていて、私も、彼女の制作や搬入のお手伝いなどをしながら過ごしていました。

そのような時に声をかけてくれたのが鳥取の岩美町の今は亡き山本兼文氏。
ワイフが彫刻を出品していた公募団体展の審査委員をしていらっしゃった関係で、チェックが入っていたようです。
丁度その時期、山本兼文氏がその公募展の鳥取巡回を計画していらっしゃって、地元作家の出品を募って巡回を盛り上げようと張り切っていらっしゃった頃でした。
私の方は、ワイフの彫刻のお手伝いだけがもの足らなくなって、どうせ搬入を手伝ったりするのだったら「自分も造りたいものを造って一緒に搬入してしまえ!」という気になって二人揃って出品をし始めた頃でした。

巡回展がきっかけで、山本兼文氏とは親しくおつき合いをさせて頂くようになって、その後の数年間は、毎年のように鳥取のグループ展へワイフと一緒に小品の彫刻を持ってお邪魔していました。
山本兼文氏とお会いするたびに「あんたら何時まで島根におるか分からんが、こっちにおるうちは彫刻出してぇよぉ」と、それが私への挨拶代わりの口癖になっていました。
どうやら彼は、私達夫婦がそのうち東京へ引き上げてしまうのだろうと思っていたようです。

山本兼文氏とは、せいぜい10年足らずのおつき合いでしたが、島根に帰って宙ぶらりんの私を救ってもらったような気がして、未だに彼の影響が続いているように思います。
私の師匠の一人です。
無類の酒好きでしたがやることはやる人で、鳥取の郷土に彫刻を根付かせた彼の功績は見事なものです。
2~3トンはあるだろう巨大な石の固まりから二合徳利とおちょこを掘り出した彼の晩年の作は、何とも云えない愛嬌のある軽妙でおしゃれな彫刻になっていましたが、その内には彫刻家としての意地と心意気、それに造形の厳しさが滲み出て忘れられない彫刻の一つです。

彼の後には、現在倉吉で活躍する木彫の彫刻家古市義二さんがいらっしゃいます。
古市さんは万善寺東堂老師とほぼ同じ年で80歳を越えてなお現役です。

この度の現代彫刻小品展も抽象の最新作2点を出品して頂きました。
古市義二 作 「転生」(2012年制作) 
・・・は、さわることのできる彫刻になっています。
会期が終わる頃には、ツヤツヤといい感じで磨きがかかっているかもしれません。

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2012-04