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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

赤名高原の夏 

2013/07/10
Wed. 04:56

キーポンを学校まで送った後、9時の営業開始を待ってアチコチの用事をすませ、そのまま万善寺へ直行。
前々から気になっている草刈をするためです。

この草刈をはじめとして、万善寺営繕作業には大きな障害がついてまわります。
それは寺のおかみさん・・つまり私の母です。
信じられないほどの執着さで、草刈り機を振り回して作業中の私について回り、手出し口出しをします。
結局おかみさんの目を盗んで、2時間しか草刈になりませんでした。

故あって15歳で寺を離れて一人生活に入って、その後結婚し現在に至るまで、現住所を代えながら移動して暮らしている吉田家ですが、私の両親である老夫婦と同居して暮らしたことは一度もありません。
つまり、私は万善寺に常駐していないということです。
坊主のくせに「万善寺住職」ではない??わけです。
この坊主家業のねじれ状態が、何故現在まで続いているかと云うと、その最たるものが庫裡の狭さ。
昔ながらの「田の字」に台所と板の間がついただけの庫裡は、今で云う檀信徒会館ような用向きの部屋を2間開けておく必要もあって、とにかく、島根に帰省して4人の子供と暮らす吉田家がジジババと一緒に寺に暮らすことなど不可能だったのです。

我が子(つまり私のこと)が可愛くて可愛くてしかたのないおかみさんは、60に近い私を、15歳のまま引き取って一緒に暮らし、少年のままの私と会話しようとするのです。
いまのおかみさんは、何時までたっても自分の人生で一番楽しくて充実した頃の子育ての思い出にすがりつつ、現実とのギャップにジレンマしているのです。

「年をとる」ことと「年をかさねる」ことは、同じ意味のようにも思えますが、一歩踏み込んで語意をくみとると、ずいぶんと違う解釈が引き出されます。
何をプラスし、何をマイナスするかの問題は、それをどう解釈するかで、出てくる答えが大きく違ってくるように思えます。

限りなくジジイに近づいているオヤジも明日は我が身。
日々の言動を自覚しながらつつましく暮らすすべを学ばなければいけません。

さてさて、すでに老婆と云って差し支えないほどの万善寺のおかみさんです。
人の云うことに聞く耳を持たなくなったおかみさんの老婆親切。
どう解釈し、どうつき合うか・・・ナンチャッテボーズの私には、なかなか重たい試練です。

ドッと疲れて気持ちも湿って、湿度100%のオヤジ。
一方、何時になくスッキリと冴え渡って空高く夏の日差しがまぶしい雨上がりの赤名高原。
まぁ、それもそれなりにほどほど釣り合っているかもね・・

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2013-07