工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

遠来の友 

2014/01/31
Fri. 08:04

例の如く工場で仕事をしていたら、ポケットの携帯が鳴りはじめました。
出てみると、何と懐かしいグッちゃん。
「明日お昼過ぎに石見銀山へ着くんですけど、一応知らせておこうと思って・・」
何と急なこと!
久しぶりの懐かしい声にウキウキします。

ご高齢の広島のおばあさんが亡くなって、その葬儀がやっと終わったので、東京へ帰る前に石見銀山へ回ろうと急きょ計画したのだそうです。

グッちゃんとはもう結構長い付き合いになるなあと思いつつ計算をしようにも、その起算が何時の頃だったかまったく曖昧で思い出せないので、結局あきらめました。
石見銀山は世界遺産登録の話しなどカケラもなかった頃、観光で友達とやってきたグッちゃんに偶然出会ったことがはじまりです。
彫刻のことで話しが盛り上がって、「彫刻つくりたいだったらうちへ来ると良いよ」と気楽に話したら、それを本気にして、自分の仕事を全て切り上げて吉田家へ転がり込んできました。
今にして思えばなかなか勇気のあることです。

当時は、吉田家もまだ子供が小さいし、今の家へ変わってすぐの頃で部屋もきれいなまま空いていたので、そこで数ヶ月(半年くらいだったかなぁ??)同居して、まだ元気だったシェパ君の散歩なども手伝ってくれて、ワイフ共々結構助かっていました。
彫刻の方は、私の制作を見学したり手伝ってくれたりして、だんだん制作の工法がわかるようになってからは、昼の間に頼んでおいた仕事を片づけておいてくれたりして、こちらの方もかなり助かっていました。
そうこうするうちに、いつまでも吉田の制作助手をしていても発展が無いので、学生の頃に勉強していた「塑像の仕事でも始めた方が良いよ」ということで、それから本格的に独立して、石見銀山で家を借りて暮らしながら自分の彫刻をつくるようになりました。
結婚して東京へ行くまで毎年コツコツ制作を続け、最後は等身大の大作まで手がけるようになっていました。
やっと、なんとなく自分の作風が見えてきた頃の結婚リタイヤだったので、吉田としては内心もったいない気もしていましたが、それも自分で決めた自分の人生ですから、人がとやかく言うことでもないと祝福し、その後は、私が東京へ出かけると時々逢ったりする仲の良い友達になっています。

その彼女が久しぶりに石見銀山へ来てくれたのです。
吉田の彫刻を観に!!!(・・と思ってるんだけど)
あまりバスの時間もなかったので少ししか話せなかったけど、なんかあったかい、いい感じの再会だったような気がします。
思い切って彫刻の個展をするから、こうして遠くからでも逢いにきてくれたんだなと、あらためて感じたところです。

2月から、新作がどんどん増えていきます。
お楽しみに・・・

最近、あまり会話の無いキーポンが久々に猫の写真を送ってくれました。
なごみますなぁ〜〜・・・仕事のあとの一杯が進みます。

写真 1

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2月の彫刻 

2014/01/30
Thu. 05:09

「3月中旬の気温らしいですよぉ〜」
工場にやってきた業者さんが言っていました。
どうりで暖かいはずです。

しばらく制作を続けていた壁型彫刻の完成日なので、朝から気合いを入れて制作していたら、アチコチから電話はかかるは、業者さんは次々来るはで、何度となく制作が中断し、結局完成が見えたのが夕方でした。
いつも食い意地がはって、メタボ街道ばく進中なのに、なぜか昼を過ぎても空腹を感じません。
こういうことって、本当にたまぁ〜〜にありますよね。
やっぱり、自分でも完成が楽しみなんでしょうね。

その彫刻は、2月から始まる室内個展の目玉になる予定です。
もう長いこと彫刻を造っていると、あまり気にしているわけでもないのに幾つかのテーマやシリーズと云うようなものが出来上がっていることに気付きます。
今回の彫刻もその一つで、完成間近になってあらためて見直すと、一つ前の個展からとてもいい感じでつぎに繋がったようなところもあって、長い間私の彫刻を見続けていただいている貴重で希少な吉田ファン〜(はたしてそういう奇特な方がいらっしゃるかどうかわかりませんが)〜の皆様にはホウズリするほどたまらない彫刻の一つになっているはずです。

今回の2月バージョンは、会場の彫刻セッティングをだいたい1週間ごとに代えて、少しずつ変化させながら、少しずつ彫刻を増やしていこうと思っています。
2月が終わる頃には壁面も使ったりして、会場全体に大小様々な吉田の彫刻が散らばっている感じにしたいと思っています。

シンプルで空間を広々と使った初旬。
大小の彫刻が部屋のアチコチに点在する中旬。
やがて、さまざまな彫刻が壁面まで広がる下旬。

会場を1ヶ月借り切った、とても贅沢な個展になりそうな予感がします。

しばらく続いていた晴れの日も、そろそろ終りになりそうです。
工場を仕舞って夜空を見上げたら、南の空でオリオン座がやたらとまたたいています。
冬とは思えないほどのやわらかい微風が溶接で火照った頬をなでてくれます。

こんな夜は、帰宅したらサッとシャワーを浴びて、久々に麦とホップだな!

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休憩のお伴 

2014/01/29
Wed. 09:22

ここ数日間、彫刻にグラインダーなど使っていると汗をかきます。
1月とは思えないほど春めいています。
今年は、初午が早いのでヒョッとしたら春が早くなっているのかもしれません。

日本は、新暦やら旧暦やら西暦やら日本暦やら・・・色々カレンダーの読み方が錯綜しているのでなかなかその時々の気候を読み取ることが難しいと思います。
もうちょっとシンプルに出来ないかなとも思いますが、見方を変えると、それだけ柔軟に世間の事情に対応出来ていると云うことで、それはそれで認められるべきことなのかもしれませんね。

このところ、近年に珍しく延々と工場通いが続いていて、毎日通勤坊主ならぬ通勤彫刻家になっている感じです。
ワイフとキーポンがそれぞれ学校へ出かけたあと、夕食や朝食の残りなどをタッパーウエアに詰め込んで、昼食の弁当を作って、コーヒーやお茶なども用意してイソイソと工場へ出かけています。

似たような毎日で、終日会話をすることも無く、延々と鉄と向き合っています。
しゃべることに慣れなくて、時々近所のお百姓さんがのぞきにきたりすると、舌がもつれて会話にならなかったりします。
お経も忘れてしまいそうだし、そろそろiPodへお経を仕込んで、木魚変わりに鉄板を叩きながらお経の練習でもしようかなと思っているところです。

お昼休みやティータイムの休憩も、工場の外や近くの公園や日本海を見渡せる浜辺で過ごして、雨は雨なりに雪は雪なりに結界君の中で、なかなかいい感じのアウトドアライフをしています。

こういう時の気晴らしは何といっても私の好きな安西水丸さんの本が欠かせません。
でも、彼の本はなかなか手に入らないので貴重な数冊を何回もリピートするしかありません。
「キネマ旬報」のコーナーを月二回連載されていて、昔、少しばかり暮らしに余裕があった時は、それを何年も楽しみにしていたのですが、それも途絶えてしまいました。
古本屋でも、105円コーナーにはまずありません。
その105円コーナーで見つけたのが「村上朝日堂」
村上さんの小説は、どこが良いのか面白いのか、私のとろけた脳みそでは理解不能ですが、この安西水丸さんのイラストと一緒の本だけは、とても楽しく読むことが出来ています。
続けて読んでいるうちに、これが村上さんの戦略かも知れないと思ったりすることもあります。
気がつくと、村上朝日堂につられて、結局村上さんの小説まで読んでしまったりしているわけです。

さて、そろそろ作業着に着替えて、工場へ出発です。
今日中に完成予定の彫刻がひとつ。
あと、途中まで準備した間仕切り彫刻に取掛かることになります。
工法が上手くまとまれば、一気に3つ出来るかもしれません。
つまづくと、仕事が深夜まで続くだろうなぁ・・・

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ポカポカ陽気 

2014/01/28
Tue. 04:26

気がついたら、もう6時間も延々とpodcast垂れ流しつつ、書斎でまったりと本を読んだり、書き物したり、Amazon巡回したり、exciteニュースをチェクしたりして、久しぶりに夜更かししてしまいました。
このままだとすぐ朝になってしまいそうなので、ひとまず昨日の出来事などまとめてしまおうと、キーボードをつつきはじめたところです。

だいたい2年くらい前から東堂さんの不定期な通院が頻繁になって、予定のスケジュールが機能しなくなりはじめて、それまでマメに日記代わりに使っていたto-doメモアプリも使い続ける意味が無くなって、しばらくは宗門手帳にメモなど書き込んでいたものの、やはりそればかりだと味気ないし手狭だし、何よりとろけた脳みそのせいで漢字がマトモに思い出せないでイライラするし、そんな諸々の条件が重なって、結局ブログが備忘録代わりに使われるようになって、今に至っています。

そういうことですから、オヤジ周辺の限りなく私的な出来事ばかりをダラダラと書き続けることになるのでとてもつまらないものだと思っているわけですが、それでもマメにおたちよりの皆様もいらっしゃるようで、なんとなく申し訳ない気もして、それでfacebookを始めて、時々そちらの方で軽いネタや情報を流すことにしています。

そうやって、毎日500から1000字程度の文字を書いていると、何となく冷静に1日の反省も出来るような気もして、これからも元気でいる間はこれが習慣になると良いなぁと思っているところです。

文字を書くと云うことを改めて思うと、今の子供たちや若い世代は、私がまだ若かった頃と比べ物にならないほど毎日多くの文字を使い書き続けていると感心します。
私など、いまだに電話というとメールよりしゃべることの方がほとんどで、その方が簡単で手っ取り早いと思っているのですが、末娘のキーポンなど、電話で会話をしているところを見ることがほとんど無いくらい文字で会話をしています。
別居中の子供たちもみんなそうです。
ワイフもよく見ると、時々電話を覗き込んでプチプチメールをしていたりするし、ほんの10年の間に、日本国中へ文字会話文化が急激に浸透していったと感じます。
そんなふうに思って見ると、気のせいか昔に比べたら本屋さんに若い人が増えているような気もします。

もう朝に近い夜中に、そんなことを何気なく考えています。

1月も最終週になった月曜日の石見銀山は、朝から快晴で雲一つありません。
工場での仕事も、ポカポカ暖かくていい気持ち。
休憩がてら薪を裁断していたら、なんと水仙の花を見つけました。
1月で水仙が咲いています。
数年前に気がついてから何時も同じ場所で咲き続けていますが、今年はやたら早い。
過去ブログをふりかえってみると、2月に咲いていたことを珍しがった自分の記事がありました。
このシーズンは、雪が降るとぼた雪だし、晴れの日も多くて結構温かいし、かと思うと、日が暮れてキーポンを迎えに行く道中の温度計は0度。
なんか変な感じです。

・・・おやすみなさい・・・

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日曜日の工場 

2014/01/27
Mon. 09:04

何時ものように相変わらず土曜とか日曜というと色々な行事がはいって、平日より忙しかったりします。
といっても、フリーターオヤジのことだけかもしれませんが・・・
これで、ボーズの用事(たとえば法事とか・・)が入ったりすると、完全に用事と坊主がバッティングして、収拾のつかないことになってしまいます。

高校生2年生のキーポンは中学校から吹奏楽の部員です。
毎年この時期に、地域の中学校や高校の吹奏楽部が集まって、ウインターフェスティバルが開催されます。
各学校の吹奏楽部から3年生が引退して、1・2年生だけの新生吹奏楽メンバーになってから後の、最初の合同発表会になります。
この発表会から1年の吹奏楽活動が始まるといってもいいほどの、大切な演奏会であると云っても良いでしょう。
だから、私も仕事の合間をつくって会場まで結界君を往復させたところです。

今年の演奏は、2校分しか聴くことが出来ませんでしたが、冬休みを挟んだ日の短い時期に、1〜2ヶ月の練習でよくあれだけ立派な演奏が出来るものだと感心しながら聴かせてもらいました。
遠目ながらも、キーポンの指先が忙しく動いているところも観ることが出来たし、なかなか良い演奏会だったと思います。

このところ工場通いが続いていて、身体が鉄仕事になじみはじめたところに、こうしていろいろ用事が重なると、どうも集中して鉄に向かうことが難しくなってしまいます。
それでも、何か身体を動かして道具を使ったりし続けていると、しだいにかたちが締まって格好がついてきて、確実に少しずつ完成に近づいています。

溶接の1工程を終わらせてグラインダーを使っていると、左の方の丁度工場の出入り口を何かの影がサッとかすめた感じがして振り向くと何の変化も無いので気のせいかと思ってそのままグラインダーを使っていたらまた何かの動きを感じて、やはり同じように振り向くと痩せた小さなおじさん(といってもおじいさんに近いけど)が立っています。
いそいでグラインダーのスイッチを切って、仕事の手を休めて、そのおじさんに向き合うと、鉄の板の溶接がどうとか唐突に聞いてくるので、どうもその質問らしき内容がすぐには理解出来なくてどういうことが問い返すと、また同じように訥々と同じ内容の質問らしきことを繰り返されて、お互い視線を絡めながらしばらく沈黙が続きます。
「てつのいたがあつうなったときゃぁどうねじれるのんだかね・・・」
「むむ・・・」
「にとんのにだいにしいとるきのいたがやれんようんなったけぇじゅんてんどーでてっぱんながめてかんがえよるんよ」
「はぁ・・・」
そんな、会話にならないやりとりがしばらく続いて、少しずつ内容がつかめてきました。
ようするに、2tトラックの荷台を鉄板で補強したいらしい。
それには、鉄の板を溶接しないといけないが、その溶接は出来るのか?
と云う質問だったのです。

その痩せた小さなおじさんは、今では珍しくなった牛飼いのお百姓さんです。
工場の近所にある牛小屋で牛を飼っています。
結界君といっしょにウロウロしていると、時々遠くで牛を見ることもあるし、そのおじさんを見ることもありましたが、このたびはじめて牛小屋と牛と2tとおじさんが重なってくっつきました。
鉄板常識をもとにして、幾つかの提案をしたり質問に答えたりして、納得してもらったようです。
それから、しばらく世間話がはじまりました。
やはりお百姓さんは偉いなと思いました。
人は見かけでは判断出来ないとつくづく思いました。
10年ものの中古トラックを手に入れて、10年修理しながら使って、これから10年使うと自分は80を過ぎるし、今の状態を維持するのにどれだけ投資できるか、それを確かめることで自分のこれからの百姓暮らしを判断しようとしていらっしゃるようです。
「今、ここで何万も金使うて、あと10年も今の仕事続けるちゅう時に、元が取れるかどうかちゅうことも考えとかにゃぁいけんけぇねぇ」

私が少年の頃は、寺の隣のおじいさんも和牛を飼っていました。
メス牛を大事に育て、子供を産ませて、その子を1年育てて牛市場で売ると、当時のお金で300万以上の値がついていたそうです。
牛と暮らし、1頭の牛を売って家族を養い、子や孫の世話までして1年間暮らすことが出来ていたことになります。
毎日を牛のために働いていたようなおじいさんでした。
今では、市場が世界の流通でメチャクチャにもまれてあらされて、和牛1頭せいぜい20万程度だと云う話しも聞いた覚えがあります。

「下から上を見る者は3年かかって理解出来るかどうかだが、上から下を見る者は3日でそれを理解する」
頭は良いに超したことはないですが、それをどう使うかが問題ですね。
最近の上に立つ方々は、才に溺れていらっしゃることを自覚していらっしゃらないような気がするのですが・・・

工場で仕事をしていると、時々地の賢者に遭遇します。

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公開審査会 

2014/01/26
Sun. 08:32

吉田家の四畳半は、一応私の書斎だと思っていて、だいたいのデスクワークはその部屋で済ますようにしています。
冬の間、書斎の暖房と云えばコタツだけなので、結構冷え込みます。
だから対策として、キャンプグッズが重宝します。
コタツ敷の上にテント用のフロアマット。
これがなかなか効果的な断熱になって、その上綿埃もあまり溜まらないし、なかなか気に入っています。
それから、何種類かのシュラフ。
窮屈なのが嫌いなので、全て封筒型で揃えています。
その1枚がコタツ布団代わりになって、他は座布団代わりになったり、寒い時の肩掛け代わりになったり、掛け布団になったり、敷き布団になっらりしながら、季節ごとに使い回しています。
ようするに我が家の書斎は、なかなか居心地がいいわけです。
そこで、キーポンがよく乱入してきます。
昨日も、ピアノ教室から帰ったあと、何処かに消えて見当たらないなぁと思っていたら、いつの間にか書斎のコタツに潜り込んでいました。

結局そのまま朝まで寝てしまって、オヤジとしてはほっとけないので夜中にシュラフの布団をかけてやったり、枕代わりに腕枕をしてやったりしながら、寝苦しい一夜を明かしました。
寝苦しさの原因の一つはそのキーポンですが、もう一つは、現代彫刻小品展の助成金に関してのものでした。
石見銀山を会場にして、2010年から続いていた展覧会も、2014年は難しそうな感じです。
昨日、助成金申請団体の公開審査会があったのですが、申請5団体の中で、条件付き採択となって、なかなか厳しいことになっています。
これから、出来るだけ早くコアなメンバーに集合してもらって、展覧会開催に関しての善後策を検討しなければいけなくなりました。

今年から、採択の選定基準が変わって、評価項目が細分化されました。
ざっと観た感じ、内容はとても具体的な評価点が列記されているようですが、しかし、私が熟読する限り、とっても抽象的な表現で、解釈の焦点を定めにくい内容に思えました。
それに何より、あまりに細分化されすぎていて、事業の主旨をそれらの項目に併せにくくなってしまったのです。

現代彫刻小品展は、島根県現代彫刻振興委員会の目的を達成する事業の一つとして考えられています。
内容は・・
「彫刻造形の表現活動の中で世代や性別、具象・抽象の枠を越え、常に研鑽と振興及び、地域の素材や環境を生かした自主的創造活動を次代に継承し、作家相互の連携をはかり、表現の交流をはかり、後継者を育成し、伝統と真摯に対峙し、彫刻表現の啓蒙拡充と促進に務めることを目的とする」
・・・とあります。
石見銀山での現代彫刻小品展は、この目的を達成するための一事業として2010年から当地内で開催を継続してきたわけです。

石見銀山が世界遺産登録となって7年目を迎えます。
遺跡の保全を継続しつつ、一方で将来の石見銀山をどのように活性化させ世界遺産価値を高めるかを問われつつある時と、私は思っています。
いつまでも過去の継承にしがみついて現状を維持し続けるばかりでは、気がつかないうちに、多様化する次代のニーズに取り残されることにもなりかねません。
過去の遺産を真摯に受けとめ、如何に今を輝かせることが出来るか・・・
それを如何に将来へ引き継ぐか・・・
石見銀山での現代彫刻小品展開催で助成金申請の主旨は、そこにあったわけですが、どうもそのあたりで助成母体の目的主旨と方向性が噛み合なくなってしまったようです。

助成金の獲得が目的であるのなら、いくらでもそれに併せて事業修正出来ることでしょう。
しかし、それでは本末転倒です。
石見銀山で彫刻の展覧会を開催する真の意味がゆらぎます。
キーポンに腕枕で痺れた頭で一晩考えた結果、私個人の気持ちは固まりつつあるところです。
あとは、コアなメンバーの意思統一を図ることで、今後の展開が決まります。

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バリカン 

2014/01/25
Sat. 09:02

このところ工場通いが続いていると云うことは、万善寺の用事もないと云うことで、東堂さんもそれなりに元気に落ち着いていると云うことで、自然に頭の髪も伸び放題になっていると云うことで、そのままほったらかしに出来ないから少し前にお風呂場でバリカンをあてたところです。

そのバリカンを新調しました。

最後に床屋へ行ったのは、何時だったのか全く記憶がないほど昔になります。
ワイフと結婚する前は、まだ長かった髪を適当に自分でカットしていました。
島根に帰ってからは、ワイフがカットしてくれるようになって、それから子供が次々と生まれると父子みんながワイフ床屋のお世話になって、そんなことが10年も続いた頃、当時の仕事の転勤にあわせて一気に坊主にして今に至っています。
坊主にする時も床屋はワイフにお世話になったのですが、どういうわけか、その時には先代のバリカンがすでに吉田家にありました。
だから、そのバリカンを20年以上父子で使い続けていることになります。

年頃末娘のキーポンはオシャレも念入りになってきて、バリカンを使うことがありません。
今では、オヤジが自分で自分の頭にバリカンをあてて坊主にしています。
不定期ですが、万善寺の用事がある時は頻繁に、無い時は10日に1回くらいの割合でしょうか。
その愛用のバリカンが少し前から調子悪くなって、変な音も出はじめるし、使用中に時々動かなくなったりしはじめました。
だんだん悪化して、前回の自前床屋は寒いお風呂で裸のまま、延々と時間ばかりが過ぎて大変な思いをしました。
頭半分刈ったところでバリカンがピクリとも動かなくなったら目も当てられません。
そのまま帽子でもかぶって床屋さんへ走るしか無いことになってしまいます。
一人で色々考えて、悩んで、その間髪もどんどん伸びるし、「どぉ〜しようか?バリカン調子悪いんだけど・・」とワイフに言ったら、「そんな高いもんじゃないでしょ。通販ででも買ったら」と、貴重な助言をいただき、アレコレ悩んで、結局一番安いバリカンが先日届いたばかりです。
さすがに切れ具合は上々ですが、どうも使いごこちがまだしっくりいきません。

先代のバリカンがいくらだったか知りませんが、新品で2千円ちょっとのバリカンだと、まぁあんなもんなんでしょうか・・・
もうちょっと上等なのにしておけば良かったかなと思いつつ、このまま使っても、せいぜい20年程度保てば上等で、十分元はとれるでしょう。
あとは、壊れないで先代のように長持ちすることを信じるだけです。

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いつまで続くいい天気 

2014/01/24
Fri. 09:08

前の夜に頭へバリカンをあてたせいもあって、今朝の放射冷却は格別にこたえます。
「今日は早く行くんだって・・」
朝になってからワイフがそう教えてくれたので、いつもより早めに結界君をあたためておこうと外へ出たら、町並みに残った雪がカチカチに凍っています。
作業着でないときは何時も素足のままなので、足の方は別に寒さも感じないのですが、やはり部屋の温かさになれた身体は、外の寒さで縮み上がります。

なんだかんだいって、結局いつもと変わりない時間まで暖気運転しながら待たされることになりました。
甘やかしたつもりはあまり無いはずなのに・・我が家の末娘は完全に「姫!」です。
せっかく市街地まで出たので、そのついでに幾つかの用事をすませて先ほど帰宅しました。
まだ1月のこの時期に、裏日本の山陰でこれほどいい天気だったりすることは滅多にないことで、なんとなく気持ちも春めいてしまいます。

工場の方も、外での仕事が楽に出来るようになって助かっています。
学生の頃からインスタレーション中心に空間造形を続けていた作家が、仕事の就職の関係で島根に帰省して、それからしばらく中断していた制作を再開したのが昨年あたりから。
色々思うところもあるらしくて、立体造形から木彫のあたりへ造形表現が変わりつつ今に至っています。
その彼女が、材料に木を探していると云うので、「薪にする丸太で良かったらストックがあるよ」と教えたら、それでも良いという話しになったので、せっかくの好天でもあるし、一気にチェンソーをふるったところです。
雨に当たらないように5年ばかり寝かした桜。
樹皮をとって3年ほど雨ざらしの欅。
邪魔になってつい先日に切り倒された街路樹の桜。
それに、薪くらいしか使い道の無い雑木が少々。
まぁ、これくらいあれば少しは使い物になるだろうと、おおよそ長さを揃えておきました。

東堂さんの調子も良くて、このところ毎日の工場通いが定着しつつあります。
冬至の頃にくらべるとずいぶん日も長くなって、それにつられて制作時間も夜まで続くようになりました。
夕食時の近所迷惑な雑音を気にしながら作業の内容を調整しつつ、なかなかいい感じで仕事に集中出来るようになりはじめています。

さて、ポットにティータイムのコーヒーを補充して、それから、彫刻彫刻・・・

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ちょっと早めのティータイム 

2014/01/23
Thu. 09:46

石見銀山で彫刻の展覧会が出来るかどうかは、その年の事業費を獲得出来るかどうかで決まることです。
せっかく2010年から毎年開催出来ているので、何とか今年も展覧会が出来るようになれば良いなと思っていて、事業費の助成金要望書を提出しました。
そのプレゼンテーションが迫っているので、ノリちゃんと色々打ち合わせをしたところです。
彫刻家の皆さんへは、出来るだけ早く出品の依頼をしたいのですが、先立つものが確保出来ないまま見切り発車も出来ないので、なかなか落ち着かないまま毎日が過ぎていきます。

島根県だけなのかどうかわかりませんが、文化事業でひとくくりされているような美術展は、どうも助成対象として認められることが難しくて、地域の皆さんをはじめ、島根県在住の多くの皆さんに、質の高い彫刻を観ていただける機会を用意することがなかなか難しいことになっています。
展覧会がしたければ、自己資金で何とかしなさいということなのでしょうが、毎日を生活することがやっとの吉田にはそこまでの財力も無いし到底無理なことなので、結局毎年助成金や協賛金の支援をいただくことしか良い方法が見つかりません。
そこまでして彫刻展を開催しないでもいいじゃないかともう一人の吉田が耳鳴りの向こうでしょっちゅうささやいています。
私も、そうして展覧会など一切やめて、彫刻制作と坊主家業に没頭して毎日を過ごすことが気楽でいいなぁと思っているのですが、一方では、彫刻の凄さや面白さを少しでも多くの人に知ってもらいたいとも思っていて、そういうことを誰かが何とかしないと、結局なにも現状に変化が無いままあ〜だこ〜だ言っているばかりで終わってしまいそうな気もして、私はそれがイヤだなと思うわけです。

久々にノリちゃん相手に熱く語ったような気がします。
ノリちゃんも、面倒がらないでよく聞いてくれました。
自分が思ったり考えたりしていることを、誰かに伝える手段は色々あると思いますが、机上の理論や夢と理想の会話だけではいつまでたっても具体的な結果を見ることは出来ないことです。
やはり、失敗とか成功とかそういうことは、何か具体的に行動してみてはじめて見えてくるものだと思っています。
一度しかない一回きりのこの世の人生ですから、周りには迷惑ばかりかけて申し訳ないと思いつつ、やはり死ぬ時になって「あぁ〜しておけばよかった」と悔いを残さないでいたいなと思っています。

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雪の通院日 

2014/01/22
Wed. 08:26

東堂さんの定期通院日は、朝から久々の雪になりました。
このシーズンの雪は、水分をタップリ含んだぼた雪ばかりで、それが大雪になるとその重みで雪害が心配になります。
幸い里雪にならないですんで、石見銀山は町並みの道も乾いているほどです。

結界君は国道から町道へ入るところまでFR走行のままけなげに走ってくれましたが、山の方は結構積もっていて、4WDにしても万善寺前の六地蔵さんからはじまる参道を登ることまでは無理でした。
東堂さん夫婦の冬ごもりで必要な灯油タンクを2往復して4本運んでから、ヨチヨチ歩きの東堂さんをつれて200mの参道を降りました。
毎日食べている好物の餅のせいか、体調は結構いい感じで、自力で歩いてくれたりするので、ずいぶんと助かっています。

血液検査は、血管が浮き上がらなくて腕のアチコチに針を刺されていましたが、結果は上々。
何と、腫瘍マーカーの数値が正常値まで下がっているのだとか・・・
もう10年近く正常値の10倍くらいあった数値なのに、思わず血液検査の結果を疑ってしまいます。
日課の本堂のおつとめで仏頼みでもしているのか、東堂さんが不死身に見えてきます。
この調子で、元気に死んでくれることを祈りつつ万善寺まで送り届けました。

朝のうちにデータを送信しておいたプレゼンの印刷完了の連絡が入って、そのままぐるっと島根県中央部を一周しました。
少し前は松江の往復。
今度は久しぶりに出雲市内を走りました。
走行距離〆て200km。
結界君も私の現状を思ってか・・高騰の燃料に悲鳴を上げつつ、それでも雪道だろうが、上り坂だろうが、信号の多い市街地だろうが、重たい荷物を積んでいても、4WD走行でも、ほぼ変わること無く燃料を消費してくれるので、それなりに助かっているところです。

すっかり夜になってから帰宅してみると、キーポンが書斎を占領しています。
デスクトップも占領して、ウエブ配信のドラマに夢中になっています。
結局夕食後もそのまま机代わりのコタツに入り込んで、制服のまま爆睡。
高校生にもなった乙女がこのざまです。
苦しい体制でメールチェックなどしていたら、久々になっちゃんがオヤジの限りなく私的なブログに反応してくれていました。

〜〜〜〜〜〜〜〜
お父さん今日のブログよかったよ!
60近いジジイと26の私が同じよおな事で悩む。
ということは私がこれから成長する事を諦めなかったらきっと私はお父さんを越えることが出来る!\( ˆ ˆ )/
見てろジジイ!
しかしのほほんと向上心を忘れて酒だけ飲んでる父親ぢゃなくてよかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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表現活動 

2014/01/21
Tue. 09:37

彫刻を造っていると、なんて自分は優柔不断で妥協ばかりしてしまうんだろうとイヤになるときがよくあります。
最近も、そのようなラビリンスにはまりこんで抜け出せないまま悶々と時間だけを無駄に使っています。

造ろうと思うかたちはあまりストレス無く決まってしまうのに、それをどのように実材(ほとんどは鉄ですが・・)に置き換えるかという段階になると、そこで迷いがはじまってしまうのです。
結局、なかなか問題(ほとんどが工法のことだけど・・)が解決しないままシュラフに持ち込んでしまったりします。
仕事場からキーポンを迎えに行く時も、自宅に帰って風呂に入っている時も、愛情タップリの夕食を食べている時も、ずぅ〜っと頭から離れないで、気晴らしとpodcastを垂れ流していてもなんとなく上の空のまんま・・トロトロと浅い眠りに着いて朝を向かえることになって、そして今があります。
彫刻を造ることは、自分の表現活動の大事なライフワークのようなものだと思っていますが、そう考えると、この歳になっていまだに「どう生きるか」とか、「何をしなければいけないのか」とか、そんなレベルで思い悩んでいることと似たような話になるわけで、それこそ、良い歳して救いようの無いオヤジであるのです。

自分のこともマトモに制御出来ないままのオヤジが、またまた今年も現代彫刻小品展を開催しようと動いています。
だから、結局周辺の関係の皆さんへまたまた多大なる迷惑をかけてしまうことになるわけです。
わかってはいるのですが、やはりこのような活動も続けることに意味があるとも思っています。
自分ではそれなりに目標を持って取り組んでいるはずなのに、周辺への説明不足がたたって、なかなか賛同の輪が広がらないことも事実です。
もう、早いもので展覧会をスタートさせて5年目にはいります。
いつまでも、勢いやノリでその場を凌いでいるわけにもいかないので、数字のデータだけでも整理しようと、なれない表計算などしてみたら、確実に毎年前年の記録を塗替えて上向いていることがわかりました。
そういう数字の勢いにつられて、助成金申請のプレゼンデータを完成させて、先ほど印刷を頼んだところです。

日本では、「芸術」という単語の中に、音楽やら演劇やら美術やら一見文化的と思える活動を簡単に都合良く一つにまとめてしまっているような気がします。
自分の表現活動は、たとえば電気自動車をつくったり、高層ビルをつくったりする経済生産活動とは違うのです。
暮らしが便利になることと、暮らしが豊かになることは違うと思うのです。

朝のひと仕事を終わらせて、コーヒータイム・・ボォ〜っとしながらそんなことを考えています。

2014 プレゼンa3

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公私の切り替え 

2014/01/20
Mon. 08:12

「あしたは、私がキーちゃん連れて行くから・・」
前の夜にワイフがそういってくれたので、久々に朝がゆっくり出来るだろうと、ストーブに薪などくべてノンビリして、わざわざ分厚い本まで持ち込んでトイレ読書を楽しみはじめたら、
「おとうさん、トイレ早く出て!」
結局、キーポンにせかされていつもの朝と変わらないことになってしまいました。

べつに、毎日ブログネタを探しているわけでもないのに、それほど困らない程度に何かちょっとした話題が出てきたりして、普通に生きていることもなかなか面倒なことだなと思う反面、こうして、朝のひと時、プチプチキーボードを叩いていることが平和だなぁと思ったりもしています。

年明け初の東堂さん定期通院日が明日なので、またそれで1日つぶれるし、今日は気持ちを引き締めて出来るだけたっぷりと仕事をしようと思っています。
その東堂さんは、見事に趣味を持っていなくて、その中で強いてあげればテレビでの相撲観戦に野球観戦ぐらい。
昔は週刊誌を買っていたり、新聞も時折広げていたりしていましたが、今はものを読むなどと云うこともなくなりました。
だから、完全無趣味と言って間違いでは無いと思います。
それでも、日課はあって、それが本堂のおつとめ。
朝晩にお茶や水を代えたり、線香を立てたり、割れ鐘をついたりすることは、何かに取り付かれたかの如く熱心に行っています。
見方を変えると、それがある意味では趣味になっているのかもしれません。
おかみさんは、そんな東堂さんの日課を、あまり良いように思っていません。
どちらかといえば、おかみさんも無趣味に近くて、雪の無いときは毎日畑へ出て野菜を育てているくらい。
こうして冬のシーズンはそれも出来ないので、本堂の日課が東堂さんとバッティングしてしまうのです。
それぞれに、自分のシステムがあって、それがお互い少しずつ違っているものだから、どうしてもそれが衝突のタネになってしまいます。
二人にとって、冬ごもりの数ヶ月は結構苦痛なのだろうなと思ったりする反面、それを将来の自分に置き換えてみると、今のようなトイレ読書から解放された晴耕雨読の旨味のようなものが見え隠れして、結構楽しみにしていたりするところもあります。

先日、個展の彫刻を見てもらえる機会があって、ぐるっと一周案内して回りました。
自分の彫刻をパチパチ写真に撮られるとなんとなく気恥ずかしくて落ち着きません。
解説などする余裕もないまま急ぎ足になってしまう自分がいたりします。
彫刻を造りはじめてもう30年以上になるのに、自分の個展となるとそう回数も多くないし、なかなか慣れるまでにいかないところです。

この冬シーズンの石見銀山はめずらしく寒い日が続いて、雪もなかなか溶けないままの状態が続いています。
野外彫刻からはじまった展覧会も、だいたい予測の範囲で展開されていて、これから室内の小品展が加わり、ワイフとの二人展に移行して、その後3月になって春めくと石見銀山の町並みへ会場が広がって、しだいに彫刻との境界が近づいてくるといった展開を予測しています。
長丁場のことなので、公私を上手に使い分けつつ乗り切りたいと思っています。

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石見銀山の雪 

2014/01/19
Sun. 09:26

放射冷却で久々に寒い朝をむかえました。
結界君の窓もパリパリで積もった雪を溶かすのに一苦労です。

石見銀山の町内にある改修された古民家で若い美術家の個展が出来ないかと声をかけて、昨日会場の下見をしました。
オーナーのNさんは、石見銀山に本社をかまえる会社の社長さん。
古民家を会場にして展覧会が出来ないかとお話をさせて頂いているのですが、とても熱心に好意的で、なんとなくいい感じに話しが少しずつ先へ進んでいます。
あとは、作家が前向きに考えてくれて、どのような切り口で個展をしてもらえるか、そのあたりでお話をさせてもらうことになります。

せっかく作家さんの方から石見銀山へ下見に来てもらえたので、短時間ではありましたが銀の坑道あたりまで案内をさせてもらいました。
私の方も、本当に久しぶりの町内観光になったのですが、先日の大雪の被害が思ったよりひどくて、アチコチの倒木がほとんど手つかずのまま放置されていました。

主要道の街道は、道路公団の方で倒木撤去が進んでいたので、銀山地区もそのような感じで整備されているだろうと思っていたのですが、それは自分勝手な思い込みでした。
そのまま延々と放置しておくわけにもいかないだろうし、さて、これから何時誰がどうするのだろうと、気がかりなところでもあります。

一方、彫刻展展のはじまっている田んぼの方は、なかなかいい感じで雪が溶けはじめたりしていたので、面白い記録写真を撮ることが出来ました。
色々考えているのですが、出来たら田んぼの中を彫刻の近くまで歩いていけたら良いなあとも思っていて、ひとまずコンパネを使って道をつくってみたところです。
どちらかと云えばあまり見栄えが良くなかったりしますが、これから雪の降る間はそれも仕方のないことと妥協しようと考えています。
暮らしのことを考えれば雪が降るのもやっかいなものですが、彫刻とのからみを見ると、それはそれで面白かったりして、かたちの発見やひらめきがあったりします。
同じ彫刻が、自然の条件でいろんなふうに変化したリするところも面白かったりします。
そうしてみると、やはり野外彫刻は良いなぁと思います。

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隠れ家の造作 

2014/01/18
Sat. 09:09

早いもので、もう1週間が過ぎてまた土曜日がやってきました。
いつも言っていることですが、私は、曜ではなくて日でスケジュールが決まってしまうことがほとんどなので、平日しか開いていない金融機関とか行政とかが相手の用事を、ツイツイ逃してしまうことがよくあります。
結局、2日待つことになって、それがそのまま1週間のズレになっちゃったという、何ともおかしなことになってしまいます。

世間と上手に付き合えない自己中人間がそのままジジイになりつつもあって、いよいよ融通が利かなくなって、そのまま偏屈者になりそうな将来像が見え始めたとでも云うことなのでしょうが、そうなると、益々ワイフも口をきいてくれなくなるだろうし、かわいい我が子も疎遠になってしまうだろうし、良いことがどんどん減ってしまいそうなので、なんとかしてその一線は越えないように踏みとどまらなければいけないと、日々精進を重ねているつもりであります。

昨年の秋頃から小学校の教頭先生の隠れ家(変な意味じゃないですよ!)のような、古民家改修にかかわることになって、いろいろ、あれこれ、提案させてもらったら、「それじゃぁそれでよろしく!」ということになって、それからコツコツ鉄の仕事を続けてきているわけですが、相手の施主さんが公務員の忙しい方なので、なかなか現場の隠れ家を訪問する機会を調整することが難しくて、どんどんいろいろなことがズレ込んで、結局年をまたがって今に至る・・ことになってしまっているのです。
おおよその寸法はわかるものの、最後はやはり現物併せしておかないといけないことも多いので、その時間調整に不具合が生じています。

やっと、無理矢理都合を調整していただいて、夕方も暮れる頃になって、仕事を早めに切り上げていただいて、小雨の降る中で現場集合の約束を取り付けられました。
やっぱり、現物併せはしておくもので、予測された不具合が実際のものになって、その善後策を検討しつつ制作を続けることになりました。
この仕事は、施主さんの了解を得て、2月からの個展第2弾で展示発表させていただくことにしました。
厳密に云うとそれが彫刻かどうか怪しいところもありますが、自分としては、鉄の造形作品であると解釈していて、そのような造形物を発表してもいいような気でいます。

今日もこれから作業着に着替えて工場へ直行します。
東堂さんもこのまま何も無ければ来週の(といっても、すぐ2・3日あとのことだけど・・)通院日までは仕事に集中出来そうです。

あの食べるニンニクでは無くて、忍辱(にんにく)と云う仏語があります。
六波羅蜜の一つであるわけですが、興味のある方はご自分で検索などしてみて下さい。
その六波羅蜜のことを、時々なのか日や法事の席などでお話さていただいたりしています。
なかなかデリケートな内容なのですが、くだけて言ってしまえば、「布施」の本当の意味を知ってもらいたい時に、チョットだけそれに絡まったお話をさせて頂いて、その中にこの「忍辱」が出てくるわけです。

昨今の日本人の仏教離れも、結局は坊主の怠慢と傲慢で自分でタネをまいてしまったような気がしないでもないのですが、そのような輩は、同業でも一握り程度のことで、ほとんど多くの坊さんたちはまじめに慎ましく宗教家として研鑽修行していらっしゃると思っているのです。
さて、そういう私はどうかというと、それはまた在家通勤坊主の立場もあるわけでひとまずここでは見逃していただくとして、とにかく、「忍辱は忍耐と違うんだよ」といいたいわけです。

私の周辺だけかもしれませんが、寺のおかみさんも含めて、どうも大正や昭和の初期のお年寄りは忍耐に美意識を感じていらっしゃるようで、この世の我慢と慎みがそのまま極楽往生に繋がるのだと確信して耐え忍んでいらっしゃることも多くて、なかなか「天を楽しみ命を知る」境地に至ることが難しいようです。

いかに今を生きるか・・・なかなか言葉では説明や解説が出来ないものと思っています。
自分の将来を見るに、あとは老いるばかりで病気をするか死ぬか程度のことです。
少しでも長い時間、心身ともに健康で生きていると云うことを楽しんで、そして元気に死んでいただきたい・・そんな思いを込めて、隠れ家の造作に加担させていただいているところです。

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ストレス発散 

2014/01/17
Fri. 09:05

昨年の12月にノッチが帰省した時以来、久々に松江まで結界君を走らせました。
このところ、雪の坂道をモタモタ上り下りしたり、キーポンの送迎で制限速度以下で走る枯れ葉マーク??(何て云うんだっけ??正式名称?)のお年寄りの通院車に阻まれたりして、燃費を必要以上に無駄遣いしていた結界君はストレスを一気に解消したようです。
予定の時間も迫っていたので、少々贅沢と思いつつ斐川から山陰道へ乗りました。
快適に走行して、余裕で目的地の島根県民会館202室へ到着。

用事が終わって、帰りはオヤジのストレス発散。
途中、お決まりの古本屋さんへよって、久々に105円コーナーを物色。
単行本は、片手で持つのに重たいし、鞄がかさばるので、狙いはもっぱら文庫本。
もうずいぶん前からご無沙汰なので、自宅の書架のストックが底をついて、少し前から2巡目に入った本も幾つかあったのですが、これでくつろぎのひと時と、東堂さんの通院の暇つぶしのお伴が確保されました。

石見銀山と赤名高原を行ったり来たりしながら暮らしていると、用事がない限り島根の東も西も延々とご無沙汰になってしまうので、今回の松江行きはなかなか良い刺激になりました。
たった30分程度の会話でしたが、普通だと、せいぜい近所の朝晩の挨拶程度で、家族以外に会話の相手もいないので、久々に仕事らしき会話をしたような気がします。
お経をよむときも舌がもつれることが頻繁なのに、あらたまって質問などされてしまうと小人オヤジはビビってしまいます。
暖房のせいか緊張のせいか、脇ににじむ汗を感じながら結構緊張しました。

いろいろありましたが、なにわともあれ、好意的に受けとめていただいたようで、本年の現代彫刻小品展in浜田が開催出来そうな様子です。
2月中に結果が分かると云うことなので、上手くいけば3月には彫刻家の皆さんへ展覧会出品の依頼が始められそうな様子です。
公益財団法人は、審査も事業運用も厳しいですが、行政やそれがらみの助成機関とは違って、フットワークの軽さを感じました。
さすがに、この手の事業が手慣れているというか、公私の境界をキッチリとわきまえて対応していただけたので、何とか吉田の思いを伝えられたのではないかと思っているところです。

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小人 

2014/01/16
Thu. 09:27

一人で仕事などしていると、いつのまにか瞑想ならぬ妄想の世界にはまり込んで抜け出せなくなることがあったりします。
だいたいはその時ばかりのことで、チョット休憩でコーヒーなど飲んでしまうと、それっきりそれまで悶々としていた脳みそのモヤモヤはすっかり消えてしまったりするのですが、たまに珍しく、いつまでも気にかかってしまって、どうにも忘れられなくなるようなことも無いわけではありません。

今、彫刻の個展を始めているのですが、その流れで小品の彫刻を造る準備をしているところです。
どのようなかたちで連作にするのかだいたい見当をつけていて、あとは実材前に少しでも多くのメモを溜め込んで、その中からいくつかを彫刻に置き換える作業に入ることになります。
幾つかのパターンが出揃うと、あとは何を考えても堂々巡りで、結局はじめのメモに引かれてしまって、そのようなことを延々と繰り返していると、少しずつ無駄なものが淘汰されて、しだいに何かしらのかたちが固まってくるといった具合で、彫刻の制作が進みます。

そのような状況の中でモヤモヤがはじまったのです。
それが「小人」と云う言葉。
この「小人」を「こびと」と読むか「しょうじん」と読むか・・・
そこで、オヤジの脳みそは躓いてしまったわけです。
まったく、どうでも良いようなことなのですが、そもそものきっかけは、彫刻の小品を作るときのスケールからはじまったことでした。
つまり、彫刻の寸法をどのように決めるかということです。
曲尺やメジャーを使いながらあれこれ悩んでいると、ふと「小さいおじさん」が浮かんできたのです。
そぉ〜いえば、いつ頃のことだったっけ??
なにかイヤに流行っていたことがあったような・・
短編かなにかで読んだような気もするし・・

ことの起こりは「こびと」からはじまったのですが、例の如くトイレ読書でまたまた「小人」が出てきました。
ここでは「しょうじん」と読んで、まぁ、チンピラとでも云うようなタイプの人物を総称しているようです。
世間が狭いとか、了見が狭いとか、見識がないとか、うつわが小さいとか、品性がないとか・・・そんなような人物の総称のようです。
その解釈で云うと、私などきっちり小人の端くれに属していることになりますが・・

「小人之過也必文」(しょうじんの過ちや、かならずかざる)
「文」をかざると読むのだそうです。
意味はくどくど言わなくても何となくわかるでしょう。

その言葉を残したのは、子夏という今からだいたい2400年以上位前の中国の人。
子夏をはじめ、老子や孔子もほぼ同時代を生きていたようです。
お釈迦様は今からだいたい2600年ほど前にいらっしゃったらしいし、嘘か真か、老子さんは晩年、お釈迦様に逢うためにインドへ旅立ったとか・・・
その約1000年後に中国で禅を広められた達磨さんはペルシャの人だったとか・・
その達磨さんから延々と禅が続いて今に至る・・ことになります。
飛行機も飛んでいない時代に、メチャクチャスケールの大きな話しです。

キーポンを学校へ送った後、吉田家の狭いトイレに籠って、そんなとりとめもないことに縷々思う小人オヤジであります。
石見銀山の空には、久しぶりに青空がのぞいていました。

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伝えること 

2014/01/15
Wed. 10:42

集団的自衛権とか、特定秘密保護法とか、徳洲会とか、原発問題とか、靖国問題とか、政財界の色々な話題が収拾のつかないまま、メディアで垂れ流されています。
私がそれらのことに全く感心がないから、テレビも見ない新聞も読まないという暮らしを延々続けていると思われがちですが、実はそういうわけでもありません。
むしろそのような情報に対して、自分なりの考えを持っているから当事者の軽々しい詭弁に踊らされたくないと思ってしまうからなのです。

テレビ好きのワイフと暮らしていると、ちょっとした用事でテレビの前を通り過ぎたり、食事中だったっりする時に一方的に飛び込んでくる話題に思わず反応してしまう自分がいます。
とたんに食欲が無くなったり、イライラしたりして精神衛生上とても不快になるので、二言三言反論を返すと、ワイフにすぐ叱られてしまいます。
ようするにそういうときのワイフは、当事者でもないものが偉そうに批判したりする必要はないとか、当事者だって大変なのだとか、口で批判するのは誰でも出来るとか、そんなことでアレコレ言うよりもっとやらなければいけないことがあるだろうとか、まぁ、そんなふうに思っているんだろうと思うわけです。

確かに、それは当然当たり前のことで、自分一人がドーのコーの言ってもどうなるわけでもないと云うことはよく分かります。
一方で自分を中心にして、つい目先のことで終始ことを済ませたり、自分とは直接縁がないことと知らんフリをしたり、まぁつまり思想的心情的現実逃避をしてしまったのでは、それこそ今に生きる意味を見失ってしまうような気もするのです。

現在、さり気なく個展をスタートさせて、さり気なく継続させていただいていることも、一方では現代の社会機構へのアンチテーゼであることだったりもするわけです。
自分には、彫刻を造ることで思考をまとめ、表現発表することで思想を伝えることぐらいしか出来ないのです。
政治家のように弁舌豊かではないし、実業家のように計算高くにもなれないし、宗教家と云っても在家坊主の半端坊主程度のことだし、結局は、深く思惟することと感知を修練することで自分の現態を示すしか出来ないのです。

さて、気がつけばすでにお昼。
朝のティータイムをくつろぎ過ぎてしまいました。
コーヒーをポットに入れ替えて、仕事仕事・・・

そうそう、なっちゃんの情報・・・

あぁぁあー!!人生に1回だけでいいから生で見たい‼︎鳥肌注意!
http://matome.naver.jp/odai/2134130106561385401

鳥肌どころか、コーヒー飲みながら泣きました!
興味のある方はお早めにどうぞ

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とんど祭りの一日 

2014/01/14
Tue. 10:01

さすがに万善寺の夜は寒くて、冬用のシュラフに潜り込んでもどこからとも無く冷気が入り込んで、はく息が白くなります。
家の中でこの状態ですから、外はもっと寒いことだろうと思いながらとんどさんのおつとめのシミュレーションをしてもなかなか集中出来ないでウツラウツラしながら朝を迎えました。
案の定、外はパラパラと軽い雪が舞っています。
エイヤッと勢いでシュラフから出て、本堂へおふだなど一式運んで、法衣に着替えておつとめの後、大般若経の1巻と仏具などを持って集会所近くの空き地まで出かけました。

歳徳神尊前回向のあと、「降伏一切大魔最勝成就!」・・・
地域内各家からお集りの老若男女の皆さんへ一人ずつ大般若の風をおくり、今年一年の身体安全無病息災などを祈念して、そのあと、お神酒や洗い米、こぶなどをいただいて、とんどさんのお祭りが無事終了しました。

地域の人口が減りはじめた頃に行事の見直しをして、この近年は、とんど祭りに併せて新年会をすることになっています。
私も大急ぎでいつもの私服に着替えて新年会へ参加します。
にぎやかなことが好きな東堂さんも新年会へ出たいのでしょうが、厳しいおかみさんの許しをもらえないまま庫裡でおとなしくお留守番です。

東堂さんの同級生が、まだ4〜5人健在で、少年時代の悪友2人が出席。
お二人とも、薬の話しや病院の話題を肴にしながら、なかなかの酒豪ぶりでカクシャクとしていらっしゃいます。
今年は米寿のお祝いをもらえると云うことで楽しみにしていらっしゃるとか・・
私も、日頃法事でのおつき合いなど、お年寄りとの会話は比較的多い方ですが、仏事を離れた宴席の付き合いはほとんど無いので、こうして酒の勢いでどんどん飛び出す昔の苦労話に思わず引き込まれてしまいます。

学校から帰ると、鞄を玄関へ放り込んでそのまま日が暮れるまで野山を遊び回っていたこと。
田んぼへ水宛ての水車を止めてこっぴどくおこられたこと。
田植えが終わったばかりの水田へ入って泥鰌や田螺をとってしかられたこと。
農業用水路がわりの川へ入って魚採りをしたこと。
山へ入り込んで四季折々の木の実を収穫したこと。
そんな少年時代の様々な思い出話しに花が咲きます。
古稀や喜寿のお年寄りもまだまだ若造の扱いで、今年で還暦の私など住む世界が違うと云った感じです。

大人になると・・
農繁期は1日中田んぼへ出かけ、田の畦で昼飯を食べ、手間替えで働き、三時には一杯出て、日暮れまで働く。
春から秋の朝飯前には田の畦の草刈をして牛を育て、ひと仕事終わってからやっと朝食。
冬になると毎日朝から山へ入って木の切り出し。
朝から木馬(キンマ)を引いて林道を登り、途中昼飯を食べて休憩し、また木馬を引いて山を登り、1日の仕事はそれで終了。
雪でぐっしょり濡れた箕や雪草鞋を一晩囲炉裏で乾かし、翌日は丸太が荷崩れしないようにくさびをかましながら木馬に木材の積み込み。
その夜も箕や雪草鞋を一晩囲炉裏で乾かし、翌日は山から木馬の引き出し。
登りも大変だが下りはもっと難しくて命がけ。
休憩しながら一杯ひっかけ、昼食が終わって一杯ひっかけ、その日のひと仕事の打ち上げで一杯ひっかけ、家に帰って夕食で一杯ひっかけ、箕や雪草鞋を一晩囲炉裏で乾かしつつ消耗品の箕や雪草鞋を造り溜める。
それが一冬繰り返されるという、今では想像もできないような過酷な肉体労働をしのいできた米寿の底力には圧倒されます。

「小学校の頃にゃぁ、そこの川へやまべがおったけぇのぉ〜。コイやフナぁ釣ろぉ思うたら、ずぅ〜っとしもへ下って濁ったような溜まりまでいかにゃぁいけんだったがのぉ〜・・
ダムが出来たなぁええが、水が溜まったらコイやフナぁ、み〜んなダムまでさがってしもおてのぉ〜・・・」

水がきれいでないと住めない魚もいるし、少々汚れていても住み心地の良いダムへ集まる魚もいる。
人の暮らしも似たようなものだと、そう思ったところです。
これから先、山で暮らす人もどんどん少なくなって、一人もいなくなる日が来るのかもしれません。
さて、万善寺はいつまで存続するやら・・・

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おふだ 

2014/01/13
Mon. 08:20

万善寺の自治会でとんどさんがあるので、身の回りの必要なものを持って、石見銀山から移動しました。
先日石見銀山へ降った局地的な大雪は、やはり里雪に近いものだったようで、赤名高原や万善寺のあたりは年末の雪がほとんど変化のないまま残っている程度のことでした。

島根でいうところの常識的な里雪とは、島根県の山間部一帯へ雪が降らなくて、松江とか出雲とか大田とかせいぜいそのあたりの平野部にドカッと水っぽい雪が降ることをいうようで、今までは冬の終わりを予測できる雪でもありました。
私が少年の頃は、地方版のニュースで「松江の積雪量は20㎝におよびました・・」などと流れると「もう冬もそろそろ終わりだがぁ・・」と両親が話していたものです。
今度の雪の降り具合を見ても、この半世紀で、やはり地球環境は確実に変化していることを実感します。

万善寺では、このとんどさん祭りにあわせて、本堂の荘厳を片づけたり、正月飾りを撤収したりして、地域の皆さんと一緒におたきあげをします。
ひと頃は、20軒以上の家々から大人や子供まで家族が連れ立って集まってきて、賑やかで盛大なお祭になっていましたが、最近は集まる人数が20人程度。
過疎地の人口減少は歯止めがかかりません。

せっかく、お正月以来の単身赴任になるし、法衣袈裟スタイルにもなるし、幾つかの祈念をしておこうと、色々準備をしたところです。
少し早めの「立春大吉」もその一つ。

縁起物のおふだの一つですが、謂れが気になる方は、少しばかり手間をかけて暇な時にでも検索してみてください。
その立春大吉のおふだも、東堂さんが住職の頃は、檀家さんもアチコチに散らばって軒数も多かったし、雪の中を配って歩くのも大変だということで、寺の庫裏に貼り出す程度ですませていました。
私が住職交代をしてからは、頻繁に記憶がワープする東堂さんをだましダマシ、色々聞き込んで、少しずつ昔ながらの年中行事を復活させているところです。
その一つが節分と立春の行事になるわけですが、ささやかながらもせっかく寺でおつとめもしたりするし、檀家数も家内生産の木版刷りでまかなえる程度の軒数なので、昨年から新規に版木を自作したところです。

このおふだは野外へ貼りだすので、ちゃんとした和紙を使って、キッチリ硯で墨を擦って1枚ずつ手刷りします。
最後に守護印を押して完成。
それを本尊さんへおそなえして薫香おつとめしたものを、檀家さんはじめ地域の皆さんへ配布しています。
ひと昔前は、各家で当たり前のように貼り出されていたこのようなタイプのおふだも、最近は新建材の改築やツーバイフォーの新築が進んで、お年寄りのいらっしゃる家でも「家が汚れるから」と仏壇にしまってそれっきりになっていたりすることもよく見かけます。

私のような在家坊主が偉そうなことは言えませんが、やはり「信心」の本意を理解できていないことに坊主の力不足を感じたりもします。
復刻版のような行事も、それはそれなりに意味のある信心だったわけでもあるし、ボツボツと、気長にその意味合いを伝えられるといいなぁと思っています。
もっとも、その前に代替わりして転出になったりして、限界集落が加速してしまうと、どうしようもないことなんですけどね。
今の日本国としては生産性が悪くて経費のかかる田舎は、とっとと消えてなくなるほうが良かったりするのかも知れませんが、一方で無人島の竹島が重要だったりするという何とも釈然としないところもあって、それはそれで、なにか虚しかったりもするんですけど・・・

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魑魅魍魎 

2014/01/12
Sun. 09:41

昨日の夕方からどんどん冷え込んできたので、きっと翌朝は雪解けの水が凍ってバリバリだろう予測して、「キーポン、明日はいつもより早く起きないと、部活遅刻するぞ!」と脅しておいたら、何のこともない、温々とシュラフに潜り込んで睡眠をむさぼっていたオヤジの横にやってきて、そのまますぐ隣の電気ごたつへ潜り込んでしまいました。
ダイレクトにオヤジから起こしてもらった方が良いと思ったのかどうなのか、さすがに末っ子の性格丸出しで、しかる気にもなれません。

三連休の中日の朝食をとっていると、テレビで靖国神社の例の問題を報道していて、なんとなく朝から気が滅入ってしまいます。
気が晴れないまま玄関を出てみると、昨夜の予測を裏切って、路面は凍ることもなく、雪解けの水がそのまま石見銀山の町下へ流れています。
若干気持ちも楽になって、結界君を運転していると、「靖国神社がどうしたの?」とか「道、凍ってなかったね」とか、朝のうちはすこぶる機嫌の悪いキーポンから、珍しく二言三言会話があって、そのまま無視も出来ないので、こちらからもそれなりにもっともらしい回答をしたりしておいたところです。

吉田家のトイレには、親父専用と化した自作のブックスタンドが壁にかけてあって、だいたい1・2冊の文庫本や雑誌などが用意してあります。
ひところは、藤沢周平の短編や安西水丸のイラストエッセイなど、短めの読み物を入れておいたのですが、しだいにトイレへ閉じこもる時間も延びるし、そのうち、東堂さんの通院が頻繁になったりして、最近は、短編集をバッグに入れて、そのかわりトイレの書架には新書本やハウツー本が入るようになりました。
暇つぶしに何もしないでボォーっとしているより、少しは脳みそを刺激しておくのもいいかな・・と云った程度でいろいろチョイスしているわけですが、その時は何となく教養が身に付いた気持ちになって、「これは良い勉強をした」とか「これは覚えておこう」とか「これはどこかで使えるな」とか、ちょっと偉くなったように思っているだけの話し。
結局は用を足してジャーと流したらウンコと一緒に脳みその刺激も浄化槽へ流れ込んでしまって、バクテリアのお世話になって終了!ってことがほとんどです。

それでも忘れきれないで、記憶の何処かに吹き溜まりの如くこびりついているようなキーワードもあって、ちょっとした拍子にそれが刺激になって妄想のカオスにはまり込むことが無いわけでもありません。
今朝も、結界君の道中でのキーポンの会話が気になって、何となく悶々としつつ帰宅したあと、こうして一杯の朝のコーヒーを飲みながら記憶の糸をたぐっていたら・・・
ソォーです!たどり着きました、トイレの書架へ。

春秋左伝の一言・・「公事有公利 無私忌」
石見銀山一帯も、古今に渡って魑魅魍魎百鬼夜行甚だしいわけですが、千代田区永田町辺りにも強烈なゾンビのような魑魅魍魎が巣食っているようですなぁ・・
「公事有私忌 無公利」の輩の都合の良い思弁や詭弁にだまされないようにしないといけませんね。

明日は、万善寺集落のとんど祭りがあります。
キッチリ祈念した歳徳神尊前守護札をお祀りしておたきあげのおつとめをさせて頂こうと思っています。
ピアノアーチスト黒田京子さんのFB投稿から勝手に拝借させていただきました。
ここだけの話し・・と云うことで、盗用陳謝!
内容が気になる方は、「堀文子 東京新聞」で検索ください。
色々出てきますよ・・
あぁ〜〜、このまま歳取っても何時までもクリアーな脳みそでいたいなぁ〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<考える>
1月9日付けの東京新聞に、画家・堀文子さん(95歳)が文章を寄せていらっしゃいます。これまで以上に、かなり強い調子で訴えておられ、私は共感したので、ここにアップします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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新年パーティー 

2014/01/11
Sat. 09:56

キーポンを送って、そのついでに外回りをぐるっと一周して帰ってくると、雪に埋もれた石見銀山は、町並みのアチコチで雪かきしていて、吉田家も知らんぷり出来ないし、すでにワイフはセッセと働いているし、そのまま家に入るのも気が引けて、結界君からスコップを持ち出して、雪かきへ合流しました。

空き家や独居老人宅の前は、屋根からの雪ズリが手つかずで残っていたりするので、その場の勢いというか、流れというか、結局両隣のまたその先の方まで止めどなく雪かきが続いて、切り上げ時がなかなか見つかりません。

その日予定していた用事は、雪のこともあって日延べして、かわりに万善寺の仕事を持ち出してコツコツと片付けていたら、気がつくと夕方になっています。
彫刻のマケットを見る約束をしていたNさんが予定の時間にやってきて、それを見ながら久しぶりに彫刻家らしき話しをしていたら、すでにキーポンを迎えに行く時間。

夜には、ささやかな新年パーティーを決めていたので、学校帰りのままノリちゃんの旦那の店へ合流。
キーポンとその店のご主人で板長以外は全員何かしらの造形作家ばかりが集まって、なかなか楽しい飲み会になりました。
彫刻家が3人。絵描きが1人。空間造形作家が1人。それに陶芸家から彫刻家へ転身中のノリちゃん。
ここまで作家が集まることも滅多いないことです。
なにか、次の展開が楽しみな予感もます。

そうそう、昨年末に宮崎の田中さんから目出度いメールが届いていました。
せっかくなので転記して紹介しておきます。
石見銀山の彫刻家も、彼の活動を見習いたいものです。

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私たち高鍋町まちなか商業活性化協議会が取り組んでいるまちづくりが
経済産業省の選定する「がんばる商店街 30選」に選定されました。
 
商店街の景観づくりが高く評価されたということです。
 
私たちは、かねてよりまちづくりの一環として
あかりプロジェクトを立ち上げ
国内作家の皆さんのご協力によって
あかりモニュメント公開制作・あかりオブジェ公開制作に取り組んできました。
 
つまり今回の受賞はmこのあかりプロジェクトへの取り組みが高く評価されたということです。




 
高鍋町の商店街には、あかりプロジェクトでの作品以外にも
彫刻仲間の作品があちこちに点在しています。
これらの既存の作品を含めて
高鍋町独自の商店街の景観を形成しています。
 
私たちのまちづくりは始まったばかりです。
 
あかりプロジェクトは今後も継続展開していきます。
 
 
今後とも彫刻家の皆さんからのご支援をいただければ幸いです。
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ぼた雪 

2014/01/10
Fri. 10:22

雪の朝は、アッという間に時が過ぎます。
石見銀山は、久々の豪雪です。
そして、気がつけば朝のティータイム・・
まずは、きのうの残り物のクールに冷えたコーヒー。
それがなくなったら、ワイフの入れてくれた愛情タップリの熱いコーヒー。
これで、雪かきの疲れもとれそうです。

島根県のこの冬シーズンは、昨年末から今年にかけて2度ほど大雪が降っています。
1度目は、赤名高原の万善寺あたりが大雪。
2度目は、石見銀山周辺が狙ったようにピンポイントで大雪。
どちらも、水分をタップリ含んだぼた雪で、ベタベタしぶとく張り付いて、非情に厄介なタイプの雪です。
島根に限ったことかもしれませんが、このぼた雪は、比較的冬の終わりや桃の節句あたりにかけて降ることが多くて、その時期のなると降雪量もそれほど多くないので、ソコソコ降っても重大な被害を受けることがありません。
しかし、それがまだ冬の初めや真っ最中にドカッと降ったりすると、日常の暮らしに支障が出るほどの雪害が続出します。
昨夜も石見銀山では何度か停電があって、最近の電気に頼りっぱなしの暮らしが危ぶまれるほどでした。

そんなわけで、今朝はキーポンを学校まで送り届けるのに、家の前の雪かきからはじまって、いつもの2倍以上の時間がかかってしまいました。
道中、大木が折れて電線に乗っていたり、車道を塞いでいたりして、復旧までにはかなり時間がかかりそうな様子です。

こうして、きまぐれな天の神様を相手に野外彫刻など造って暮らしていると、やはりトータルして助けられていることの方が多いかなと思ったりします。
先日田んぼで彫刻移動したときも、冬には珍しい快晴で、ひと仕事の終わる頃には、じんわり汗ばむほどでした。
その後、道具を全て回収出来ないまま雨が降りはじめ、それが雪に変わって今に至る・・って感じ。
東堂さんの通院騒ぎで遅れてしまった万善寺の年始回りも、本当なら今の時期雪深くて踏み込めないほどの山道を、難なく乗り切ることが出来ました。
その足で石見銀山へ帰ると、町の入り口からドカッと大雪になっていてそのまま今に至る・・って感じ。
結局は、たまたま偶然に運が良かっただけかもしれませんが、それも気持ちの持ちようで気楽になれたりします。

人生百年 昼夜各分・・・って感じですかねぇ・・・
厳しい冬もいつまで続くわけではないし、やがて春が来ます。
1年中雪が降らないところで暮らしたことはありませんが、こうして冬になると必ず雪が降ることが当たり前になっていることも、それはそれで良いものだと思っている今日この頃です。

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塩漬け 

2014/01/09
Thu. 09:02

案の定、キウイを収穫したすぐあとから雨が降りはじめました。
これからどんどん気温が下がって、雪になるんだろうなぁと思いつつ、今年の始めに若干模様替えをした書斎に閉じこもって、延び延びになっていた年始のお参りや年回の配布状況などを整理して、そのような事務処理を一段落させて外出すると、結構ひどい雨が降っているわりにはそれほど寒さも感じなくてちょっと拍子抜け。

田んぼの彫刻は冬の晴れ間をねらってひとまず移動配置を終わらせたので、少しばかり気持ちも楽になっていて、こういう時は、日頃気がつかないで見逃したり聞きそびれたりしていることがするりと身体に入り込んで、そのことで深刻に考えたり、過剰反応したりして、かえって精神衛生上不健康になってしまったりしてしまいます。
ひょっとして、毎日わきめもふらず、あれこれと忙しくしていた方が、むしろ気楽でいられるのかもしれません。

結局、1日が終わってキーポンを迎えに行くときも、雨が雪に変わることもありませんでした。
一夜明けた今朝も石見銀山は雨。
これから、万善寺の年回案内と今年のお札をくばりに回りますが、さすがに赤名高原の方は石見銀山のようなわけにもいかないだろうと予測出来るので、私も結界君も、身ごしらえと足回りはキチンとその気になって固めておこうと思います。

冬の雪のない街道を移動すると、相棒の結界君が全身見事に塩漬けされてしまいます。
前にでかいトラックでも走っていたら、それも倍増されます。
道に雪があって用をなす融雪剤も、雪のないときは邪魔者以外の何者でもありません。
冬タイヤを履き替える春先には、ホイルのボルトが完全に錆び付いてピクリとも動かなくなってしまっていて、素人ではどうすることも出来ないし、結局近所のスタンドや行きつけの車屋さんのお世話になるようなこともよくあります。
去年の7月から乗り回している結界君は、タイヤのボルトが4本しかないし、1本でもネジ山がつぶれたら、しばらくドック入りするしかありません。

雪も降ったら降ったで何かと苦労しますが、降らなければまた別の意味で難儀な思いをしたりします。
そんなことを心配しつつ、これから1日、結界君と万善寺周辺を一回りしてきます。

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石見銀山田んぼギャラリー 

2014/01/08
Wed. 10:16

ハイ!朝のティータイムがやってまいりました。
このところ良い天気が続いていて、一仕事するとじんわりと汗ばんできます。
島根県のあたりは、これからそろそろ雨が降り始め雪に変わりそうです。

ワイフが蔓を伸ばした先にあるキウイを採ってくれと云うので、キーポンを学校まで送ってから早速脚立を持ち出して雨の降る前に作業開始。
さすが蔓の木で、年末の重たい雪にも伸びきった蔓の先で柔軟に絶え、落下もせずにぶら下がっていたものを、小一時間かけて収穫しました。
吉田家の裏にはワイフがセッセと植えた果樹が色々あって、すくすく伸びていましたが、昨年末の雪で結構大きな琵琶の木と桃の木がボキリと折れ、倒れた枝木で足の踏み場もない状態です。
これから冬の間に、時間を見つけて少しずつ剪定などして整備することになります。

こうして労働に汗を流すと、なんとなく気持ちが晴れ晴れしてスッキリした感じになります。
私の場合、頭を使うより身体を使っていた方が精神的にも肉体的にも健康でいられるような気がします。
それでも、体育会系のノリは皆無なので、わざわざジョギングしたりウォーキングしたり運動する気など全くなくて、不健康な暮らしを続けていますが、やっぱり、何かの仕事で流れた汗には何となく充実感のエキスが含まれているようで、清々しく気持ち良く感じるわけです。

さて、吉田正純彫刻展もスタートして5日が過ぎました。
これまでに、田んぼギャラリーへ野外彫刻を8点展示しました。
2点は新作で、あとは一連の野外彫刻の中からこの5年間くらいで制作した彫刻を中心に集めて再構成したものです。
初個展がだいたい20年くらい前だったので、石見銀山の谷をその気になって散策すると、この20年で吉田の彫刻がどのように変わっていったかと云うことが分かるようになっています。
私が本格的に彫刻を造りはじめたのは島根県に帰ってから後の30歳前からで、初期の10年間は制作の一つ一つが実験的研究制作ともいえるほどの彫刻ばかりでした。
ほとんど独学の彫刻制作の基礎をささえてもらったのは、当時、鳥取県で精力的に制作を続けていらっしゃった彫刻家の山本兼文さんでした。
今から思うと私の最初の彫刻個展の時期は、たぶんに彼の影響を受けていたことがよく分かります。
その後、幾つかのテーマの変遷があって今に至っています。

山本兼文さんがだいたい半世紀のキャリアに対して、30年という私の彫刻家としてのキャリアは、決して長いものではありません。
たぶん、これからしばしも休まず彫刻の制作を続けても、あと20年と制作を継続することは難しいでしょう。
自分に残された制作期間と形になる彫刻点数は、だいたい数えられるほどになりました。
焦って無駄を重ねないように心がけたいものです。

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ハードワーク 

2014/01/07
Tue. 08:52

朝から放射冷却で結界君も寒そうにしています。
このところの島根県は冬のはずなのに好天が続いて、なにか恐ろしささえ感じます。
もっとも、万善寺のあたりは、さすがに中国山地のてっぺんの方なので、一晩で3〜5cm程度の積雪は当たり前ですが、それも昼には消えてしまうので、比較的過ごしやすい毎日を送っています。

吉田にとっては願ってもない彫刻の移動日というかセッティング日和になって、早朝のシュラフの中でそれなりに気持ちも引き締めて、あれこれシミュレーションを練っていたら、なんと、夜明けすぐに寺のおかみさんから電話。
一晩のうちに東堂さんの具合が悪くなって、夜中じゅう大騒ぎをしたことを延々と話しはじめて、一気に高揚もトーンダウン。
その後、訪問介護センターと善後策を練って次の連絡待ちで自宅待機。
彫刻移動の打ち合わせをすませ、ひとまずワイフに託して、あれこれドタバタの後、通院することになって結界君大活躍で、診察が終わったのが14:30。

それほど心配することも無いだろうと、自分なりに素人診断していたのが見事に的中。
ドクターも我々が遠路ほぼ1日使って通院する姿に同情しつつ、「年齢の事もありますから、この程度の症状は想定内ですね・・・訪問介護さんに相談されて、どうしても心配なようだったらまた連絡していただくと云うことで・・」などと、気持ち悪いほど親切にされて、検査経費サービスまであるという、なかなか総合病院らしからぬ柔軟な対応で、かえって恐縮してしまいました。

1日を東堂さんにつき合って相棒の結界君と200km近く走ってグッタリ疲れて夕暮れ迫る石見銀山へ帰ると、展覧会の彫刻達がドロドロに汚れて田んぼの中を移動していました。
今回の展覧会のスタートイベントの一つと考えていた一連のハードワークだったのに・・・別の意味でハードワークになってしまったところです。
本日から、何とか一人でコツコツと地道に微調整の彫刻移動しながら、1月の展覧会会期数日間を使いたいと思います。
これからしばらく、ハードワークが続きそうです。

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彫刻のこと 

2014/01/06
Mon. 08:50

お手伝いのお葬式を終わらせて石見銀山へ帰ると、観光さんがちらほら・・
久しぶりの快晴で気温も上昇し、改良衣の重ね着が汗ばむくらいです。
こういう快晴の日は、放射冷却で朝晩の冷え込みが激しかったりするので、体調を崩さないように気をつけないといけません。

3日からはじまっている彫刻展が少しずつ動き始めています。
今回の展覧会は、私にとって実験的な試みもあって、自分の考えがどこまで地域の皆さんに見てもらえるかがひとつのカギになっています。

今まで展覧会というと、搬入日と搬出日が決まっていて、その間に展覧会期間が入っているというシステムに何の疑問を感じないまま制作を続けていましたが、この近年、兵庫県の三原谷で毎年秋に行われている地域のイベントへ彫刻を展示しながら参加させていただくようになって、その考えが少しずつ変化してきたところでした。

そのイベントのおつき合いを通して、彫刻と人とのかかわりは、制作者と鑑賞者だけではないなと思いはじめたのです。
自分の作った彫刻を媒体にして人とどう関わるか・・
いや、媒体と云うよりむしろ触媒として彫刻が機能することもありうる・・
そう思うようになりました。
彫刻が作家と鑑賞者をむすぶ一種の触媒のように働いてくれるのであれば、両者で感動の発見やひらめきが促進され増幅され、既成の展覧会とは違った感動を共有出来るのではないか・・

私が造る彫刻は、たとえば具象の彫刻とか絵画、あるいは交響楽団の演奏会やミュージシャンのライブのようなそういう即効性のある感動を与えるタイプのものではなくて、何かよく分からないまま、いつまでもモヤモヤと忘れられないで記憶の何処かをチラチラと刺激しているような、何とも曖昧な、感動ともいえないような感覚のゆらぎが続く・・
そのあたりに位置する彫刻を造り続けているように認識しています。

さてそれでは、そのような彫刻とどう関係するか・・
この個展では、その位置からことを進めることにしました。
まぁ、本人はいろいろとくどくどとそのようなことを考えているわけです。

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重たい話 

2014/01/05
Sun. 08:23

昨年末から単身赴任坊主が続いていましたが、昨日夕方、ひとまず石見銀山の方へ荷物一式移動して、通勤坊主になりました。

私の場合は、万善寺庫裡の構造上のこともあって2世帯家族の同居が出来ないので、ほぼ通勤坊主状態を維持しつつ、幾つかの節目に単身赴任で万善寺暮らしを続けているという、出費ばかりが増えていく変則的な坊主家業を営みつつ、高齢者の仲間入りをしている東堂さん夫婦とつき合っています。
ひとつ屋根の下で、高齢者と暮らすことの大変さがこのような単身赴任状態の時によく分かります。
私としては万善寺の東堂さん夫婦と、「介護する」と云う感覚でつき合っているわけではないのですが、世間的に見て継続した医療行為が必要な東堂さんの状態をみると、やはり介護をしていることになるのでしょう。

この前のお年始会の時も、お檀家さんのオヤジたちの間で介護話に花が咲いていました。
平均すると、介護の苦労はほとんど奥さんに任せっぱなしであることと、とても家族で面倒が見れないから施設へ預けっ放しというお宅が多いようです。
在宅で家族が親の面倒を見ると云うことが、どれだけストレスになってるか、いろんな話しも出ていました。
だいたいお正月早々、介護が話題になってしまうということそのものが、高齢化社会をつぶさに実証しているようです。

石見銀山にある行政区域唯一の木造校舎大森小学校は、吉田家のキーポンがまだ小学生だった時に児童数減の対応策として統廃合の話しがもちあがり、大もめにもめたことがあります。
その当時の児童数が全校で20人ほど、複式学級当たり前。
そのことが統廃合指導の要因であると、教育委員会はいっていましたが、結局は行政の懐事情が無いわけでもなかったと思います。
とにかく、町民がみんなで踏ん張って、ひとまず存続を勝ち取り、今に至っています。
さて、現状はというと、いまだに全校児童数20人。
もう、10年近く前からこの数字がだいたい変わらないまま維持出来ていることになります。
他の地域はとにかく、年々児童数激減が続いているところもかなり多いとか・・

これからの日本の行く末を国の主導者はどのように予測してどのように導くのか・・
隣国と見栄のシノギをけずる程度の摩擦を起こしている場合じゃないような気もするのですが・・どうでしょう?
石見銀山は、私が暮らしはじめた頃は人口500人。
彫刻の展覧会も、その町民人口を入場者数の目標にしてきました。
20年後の現在は人口400人で、この近年ほぼ変わらない状態が続いています。
これが町の力です。
住民がみんなで自分の暮らす町を支えているのだと思います。
万善寺の地域では、毎年のように1年で200人以上の高齢者が亡くなっていきます。
人口減少に歯止めがかかりません。
これもやはり、住民の閉鎖的な意識の問題と思います。

新年早々、吉田はこのような重たい問題と向き合いつつ、日々粛々と暮らしております。

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東堂語 

2014/01/04
Sat. 09:27

正月3日も何事もなく終わるだろうと思っていたら、それは甘い考えでした。
年が変わって最初の訪問介護があって、東堂さんの不具合が見つかって、色々問い合わせていただくなどしてもらって、新年初通院日となりました。

病院はまだおやすみ状態なので、窓口は救急受付になります。
ちょうど、運良く手術をしていただいた主治医の当直日だったので、ひと安心。
年始回りを早めに終わらせて、昼食後結界君に東堂さんを乗せて出かけました。
救急外来は、たぶんインフルエンザだろう患者さんがひしめいていて、その上それこそ救急搬送の患者さんが割り込んだりと、なかなかの忙しさです。
結局2時間ほど待って診察を受けて点滴をまた2時間ほどして、万善寺へ到着したのは20:00。
なんとも忘れられない1月3日となりました。

そんなわけで、夕食も食欲がないし、いつものロフトに引き上げて昼のうちに出来なかった万善寺デスクワークを始めるも集中出来ないし、シュラフに潜り込んでもなかなか寝付けないし、なにやら気が高ぶって目が冴えてくるばかりになるし、時々東堂さんのうなり声と、それに反応して話しかけるおかみさんの大声に益々刺激されて、もうほとんど徹夜に近い状態で朝を迎えました。

最近の東堂さんは、何かの拍子に、何処かのスイッチが入ると、延々と「東堂語」をしゃべり続けるようになりました。
そんな様子を見ていると、絵に描いたように見事な高齢者になってきているなぁと感じます。

「シュヒュッ、ヒェッ、ヒェッ、シュ、シュッ、シュヒュッ・・・」
「アミゥゥゥ、ムォウン、ムォウン、ムォウン、アミゥゥゥ、アム、ヒュッ、ヒュッ、ヒェッ・・・」
「ウヒョ、ヒヒョ、ヒヒョヒョ、、ヒョヒョヒョ・・・」
「ハァァァア、ウホン、ククグ、グホ、ゲヘヘ、ギホォ、グホ・・」
「ハッ、ハッハ、ハッホ、ウゥ、ゥウ、ホッホッ・・・」

そうやって、東堂語をしゃべっている時は、きっと思考の何処かでモヤモヤとした説明のつきにくい瞑想の世界に入り込んでいるのかもしれません。
自分が平静に落ち着いている状態であるのかもしれません。
ひょっとしたら、その東堂語の世界に逃避することで、自分の心の乱れを抑制し、リラックスさせようとしているのかもしれません。

いずれにしても、そのような仕草が、無音でないだけにまわりの者は結構気になることはたしかです。
おかみさんも、しょっちゅうぶち切れて大声を出したりしています。
私も、気にはなりますが、それでも、出来るだけ無視して気にしないようにしています。

老化すると云うことは、こういうことでもあるのでしょう。
長い年月で積み重ねられた、色々な小さな癖が少しずつ淘汰され、一方で増幅され、それらが幾つかの目に見え、耳で聞こえる仕草になって、なかなか終わらない無限のリピートに変化しているのだと思います。

いずれ東堂さんは、日常の正常な暮らしから、東堂語が機能する瞑想世界の暮らしに取って代わる日がやってくるかもしれません。
ひょっとして、そのような人の老化の変化は、此岸の世界から彼岸の世界に移り住むための準備期間であり、その練習をしているのかもしれません。
既成の概念で「日常の正常な暮らし」と思っていることが、はたして正しいのかどうなのか・・
今の私には、マダマダ理解不能の難しい問題です。

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万善寺の恒例 

2014/01/03
Fri. 09:18

毎年のことで代わり映えの無いお正月を過ごしています。
これも平穏無事の日常ということで目出度いことなのでありましょう。

本日はお正月3が日の朝課つとめ最後でしたが、歳のせいなのでしょうか、寝過ごすこともなく午前2時には目覚めて色々準備などしておつとめをして終了が4:30。
もうすでに、1年が終ったような気がします。
三拝も3日目になると、たるみ切った体力と膝の力の虚弱化でヨレヨレフラフラ。
さすがに在家坊主の極みで、本尊さんも苦笑していらっしゃることでしょう。

お正月早々、隣町のお寺さんから葬儀のお手伝いの電話が入りました。
昨年末の12月には、万善寺の北に隣接する隣町から声がかかり、今度は南に隣接のお寺さんから声がかかるという、中どころにある万善寺としては、お声をかけていただけるありがたさを噛みしめながらお付き合いさせていただこうと思っています。

恒例2日のお年始会も、好天に恵まれお参りの皆さんの足元を気遣うこともなく、無事に一通り終了しました。
最近は、飲酒運転のこともあるので、酒の席もずいぶん淋しくなって、その上、世代交代もそろそろ進みはじめて、それに、お参りの数も減少に拍車がかかり、淋しい年始会になりつつありますが、それはそれなりににぎわいのひと時にもなっていて、ワイフが一人で切り盛りする膳の料理も好評で、なかなか良い年始会になったのではないでしょうか。
これから、いつまで続けられるか分りませんが、しばらくはこんな感じでお檀家さんとお付き合い出来ると良いなぁと思っています。

さて、万善寺ではお正月の3日は坊主正月ともいって、東堂さんがまだ住職だった頃は1日中ゴロゴロと寝正月を決め込む日になっていたのですが、最近は、寺の自治会の年始回りをする日にしていて、その慣習も崩れつつあります。
今年は雪も少ないし、いつもより楽な年始回りになりそうです。

それではこれから、結界君と仲良くグルッと一周してきます。

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年始会 

2014/01/02
Thu. 05:56

お正月の2日は、万善寺の年始会があります。
私がモノゴコロ付いていた時から恒例になっていますから、もう軽く1世紀位前から続いているのだと思います。

今では50軒足らずのお檀家さんで、お参りはまたその3分の1くらいですから、寺の家族でお年始会をまかなうことも何とか出来ていますが、50年ほど前の頃は、お参りが50人以上あることが普通で、元日の日から準備に追われて、とてもあわただしいお正月になっていました。
台所のおてつだいさんも4〜5人はお願いして、おかみさんは子供の私などほったらかしで忙しく働いていました。
今は昔のとても信じられないようなお話です。

世代交代と云うものはなかなか難しいことで、そればかりは半世紀前の方が厳しかったような気がします。
親の力は絶大なものがあって、まんざら正しいことばかりでもない親の言い付けも、子供としてはそんなもんだと従って、言葉を返すようなことなど出来るはずもないほどの関係が維持されていました。
特に島根の片田舎で育った私など、そういう親子関係が当然に普通のことだと、かなり大きくなるまでそう思っていたものです。
私の場合、幸か不幸か、中学校を卒業してから親元を離れて現在まで、両親とは別居で暮らし続けていた関係で、多少なりとも自分の考えで行動出来るようになってきたと思っていますが、周辺の同級生を見ると、私が少年時代に知っているその子の親と寸分も違わないで、そっくり親子が入れ替わった程度の暮らしぶりだったりすると、まだまだ時代の継承が色濃く残っているのだなぁと感心します。
同じ年齢なのに、考え方や趣向が全く別のところにあることがわかると、自分の今までの生き方は、はたしてそれが良かったのかどうかわからなくなってきます。

先ほどお正月の朝課つとめが終わって少しくつろいでいるところです。
ありがたいことに、年明けから天候が好転し、暮れの雪がどんどん溶けてくれました。
深夜から早朝のおつとめも、全く寒さを感じないほどです。
年越しで2〜3日だけ帰省したじゅん君がとても良く働いてくれて、本堂前の雪ズリの山を切り通してくれました。
これでひとまずはお参りの足元も少し楽になったと思います。
今は、おかみさんや東堂さんの暴走に気を配りつつ、ワイフと二人で切り盛りしています。
無事に終了出来るか多少心配ですが、乗り切るしかありません。
結果は後日報告と云うことで・・おたのしみに・・って、べつにわざわざ気にするほどでもない、単なる万善寺事情だけのことですが・・

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2014-01