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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

雨の桜見物 

2014/03/31
Mon. 08:18

3月最後の日曜日は朝から雨でした。
石見銀山の自宅を出発したのが8時過ぎ。
通勤の車列も無く、雨の御陰でお百姓さんの軽トラも無く、工事は休日でストップ。
松江と広島をつなぐ国道へ出ても走る車はまばら。
予想よりずいぶん早く目的地の三次(みよし)へ到着しました。

だいたい1年前の丁度今頃は、今の結界君の前のポンコツ君がドック入りして、代車の軽トラで同じコースを往復していました。
その時は今以上に天候不順で、桜のつぼみがほころぶ頃になってもみぞれが降って、県境の赤名峠は積雪で、早々とタイヤを履き替えた長距離トラックが立ち往生していたりして、なかなかハードな道中だったこともありました。

月日の経つのは早いものです。
三次で1周忌のおつとめを終わって、少しお話をして、そのあとの施主さんの挨拶でも「オヤジは本当に雨男だったようです」などと、そのようなお話が出ていました。

彫刻の作業中に足首を痛めて、それを軽いねんざだろうくらいに思ってほったらかしにしていたらいつまでたっても腫れが引かないので外科で看てもらったらどうやら関節の剥離骨折を起こしているようだと診断されて、1週間に一度の通院と、七日つとめを繰り返していたことを思い出します。
結局、まともに正座が出来るようになったのはそれから6ヶ月後のお盆務めの始まる頃。
今でも後遺症と云うか、その時の無理と言うか、日常の暮らしにいろいろな悪条件が重なると古傷がうずきはじめて来ます。
坊主が正座を「悪条件」などと云うと、その筋の偉い方々にビシッと叱られてしまいそうですが、それでも身体の衰えはどうしようもない現実で、ダマシダマシ付き合っていくしかないことです。

古傷の痛みに耐えながら観音経や修證義でおつとめして、結界君に乗り込んで島根県方面へ向けて走り始めてしばらくすると、膝横のスジが引きつりはじめてアクセルを踏むのも苦しくなって、国道沿いの空き地へ寄せてしばらく休憩・・・

こんなネガティブな1日をダラダラ綴っていても面白くも何ともないことですが、まぁ、それでも後になってそんな1日もあったのだということくらいはチェック出来るし、休憩中の短時間、ラップトップを開いてメールチェックなどしていたら、結界君の頭上にまだほとんどがつぼみのままの桜の枝がかぶさっています。
車を止めた時にはまったく気がつかなかったことです。
1日のうちに見逃してしまっていることもいっぱいあるんだなぁと気がつきます。
それからは、雨のふる江の川沿いの道から支流の道沿いを巡って銀山街道を自宅まで、ノンビリとつぼみ桜見物。

石見銀山町並みの彫刻展会場も今度の日曜日でクローズです。
それからしばらくは、本格的に現代彫刻小品展の準備作業へ入ります。

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ヤレヤレな一日 

2014/03/30
Sun. 02:52

まだ今のように雨が降る前のこと・・
万善寺の用事で改良衣の正装で結界君といっしょに出雲まで往復してきました。

おつとめのお経の方は、せいぜい30〜40分で終わるほどのことでしたが、そのために片道1時間の距離を移動することになります。
世間は春休みに入ってポカポカ陽気で気持ちがいいし、この時期の国道の風物詩で(でもないか・・)若葉マークがフラフラと沸き出しています。
無事にお経もよみあげてお茶を一杯いただいておいとまして、途中で久しぶりにMr.ドーナツへよって可愛い末娘のお土産を買って、それだけだとワイフに何か言われそうなので改良衣のままスーパーへよって2割引になっていた肉など買い込んで国道へ出てみると信号待ちから結構な渋滞になっています。
往路の時は別に工事もしてなかったし、何か事故でもあったのかとはじめは思いつつノロノロの車列に乗って流れていましたが、特に止まるほどの渋滞でもないし幾つかの信号に引っかかる程度でノロノロ状態が解消しないまま延々とダラダラ状態が続きます。

出雲市から大田市へ入る峠を登る前のところで原因がわかりました。
島根県を東西に走る一つしかない主要国道を40キロ足らずの速度で走り続ける軽自動車がいるのです。
もう何とも云えないほどの強烈な迷惑車です。
国道は峠にさしかかって延々と追い越し禁止が続くし、そのあとも対向車が微妙なタイミングで絶え間なくすれ違うし、追い越そうにも長蛇の渋滞だし、もう、ひたすら耐えるしかありません。

思うんですけど、これってほとんど犯罪じゃないでしょうか?
迷惑罪ですよこれは。
おかげで、いつもより20分も時間がかかって石見銀山の自宅前の駐車場につきました。
復路1時間20分は滅多にない記録です。
島根の田舎の渋滞はなかなか予測不能です。
いくら暇なオヤジでも、さすがにイライラしましたね。
これが証拠写真です。
中国からの光化学スモッグのせいもあって、はるか彼方のネック車は遠視の老眼鏡でも確認できないほどでした。

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しつこく追悼 

2014/03/29
Sat. 06:22

定期演奏会前のキーポンがインフルエンザに感染しました。
木管総崩れ状態で、ついに演奏会延期。
まぁ、これも仕方のないことで最善の策でしょう。
丁度当日のオヤジは数少ない万善寺の法事と重なっていたので、演奏会延期大歓迎です!
などと、人の不幸をノーテンキに喜んだりしているドーショーもないオヤジです。

さて、まだ水丸さんのことを引きずっています。
この際ですから、徹底的にマニアックにハマってしまおうと思います。

私がしつこく水丸さんのことを書いていたら、九州のiさんから久しぶりにメールが届いて、「あぁ〜、たまにこのつまらんブログ見てくれてるんだなぁ〜・・」と、ありがたくも気恥ずかしい感じに思ったしだいです。
そのiさんも水丸さんのことを好きだったようです。
↓(転記御免)
〜〜〜
安西水丸さんは残念でした。素朴だけどおしゃれなイラストはほっとできて、わたしも好きな作家でした。・・・今日の朝日に嵐山光三郎さんが追悼文を寄稿されていて、最後の一文はぐっときました。
〜〜〜
と云うわけで、叱られたらどうしようと、チキンオヤジはビビりながら朝日新聞より無断拝借です。
水丸さんに興味のない方はスルーして下さい。
↓(朝日新聞デジタルより)
〜〜〜〜〜
■嵐山光三郎(作家)
 三月十四日夜、立川志らくの落語会で、安西水丸が隣席に坐(すわ)っていた。「この歳(とし)になってなんでこんなに忙しいんだろう」と恨むような顔をしていうから、その話を今週の週刊朝日に「のんきなとーさんは悲しい」と題して書いた。水丸に同情しつつも、挑発してやろう、という気があった。落語会のあとは、タクシーで青山の水丸事務所まで送って、自宅へ帰った。水丸が鎌倉の家で倒れたのはその三日後の三月十七日で、十九日に亡くなった。脳出血だった。
 ああ水丸よ。酒飲みで、女好きで、人情家で、仕事一途で、せっかちで、好き嫌いがはげしい薄情の水丸よ。手品みたいに消えてしまったね。
 一九八八年二月、水丸と一緒にニューヨークへ行き、かつて水丸がマスミ夫人と暮らしていたアパートを訪ねた。古ぼけたアパートがあり、水丸が住んでいた部屋の窓に赤いバラの鉢があるのを見つけた。階段を上がると屋上のテラスにも冬バラが咲いていたが、葉は変色してしなびていた。そのとき水丸が作った句は、うろおぼえだが、
 《冬バラに冬バラの虫生きており》
 というものだった。真紅(しんく)のバラの花弁の奥を赤い小さい昆虫が這(は)っていた。
 水丸とはじめて会ったのは一九七一年で、水丸も私も二十九歳だった。ニューヨークのデザイン会社をやめて帰国し、私が勤めていた東京都千代田区四番町の平凡社へ水丸が入ってきた。たちまち仲良くなり、水丸の娘用に『ピッキーとポッキー』という絵本を作った。水丸はその原本を福音館書店に売りこんで、一年後に刊行された。いまもロングセラーとなっている。昨年十一月に、その俳句絵本を刊行して、一月に原画展をした。これから夏祭りバージョンを仕上げる予定だったが、水丸は「夏祭りは登場動物が多いからなるべく出演者を少なくしてね」といってきた。
 水丸、南伸坊、嵐山の三人で、小型の俳画カレンダーを作って、友人に配って十年余となるが、これも今年で終了となる。
 なにごとも始まりと終わりがある。あれも、これもと楽しかった日々の記憶が重なり、空漠の彼方(かなた)へ消えていく。水丸の絵は一本の線が、水平線となってピンと張られている。その線を崩して、うまくなってしまった手をなだめ、自在に動かして、見えざる天然へ預けようとした。水丸、という人名を書くだけで、うろたえ、ただ喪失のなかを漂うばかりである。
     ◇
 あらしやま・こうざぶろう 作家。1942年生まれ。平凡社「太陽」元編集長。『悪党芭蕉』(2006年)で泉鏡花賞・読売文学賞。安西水丸さんとの共著『ピッキーとポッキー』はシリーズ化されている。
〜〜〜〜〜〜〜〜

ある水丸さんの著書の最後に「言えることは人間はいつか必ず死ぬと言うことだ」とありました。
以上、追悼打ち止め!

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ナンチャッテ坊主の憂鬱 

2014/03/28
Fri. 08:50

久々に寺の用事で石見銀山と赤名高原を行ったり来たりしました。
街道は、やっと冬の気配が消えつつあるものの、一日中日陰のようなところにはまだ残雪があって、自然の厳しさを再認識します。
数日前に降った比較的大雨のせいで、岩山の斜面からは地下水からあふれた雨水が所々で勢い良く吹き出しています。

お檀家さんの事情なのであまり詳しいことは言えませんが、山里の小さな町から出雲市まで一家転住を決めたお宅のお位牌さんを遷座するためのおつとめに行ってきたところです。
そして、今日はその後半仏事で出雲市まで出かけます。
一つ家のアッチからコッチと云うわけにいかなくて、なかなか複雑な思いのまま2日にまたがったおつとめをすることになりました。

本当に本当に一個人の考えで、禅宗の坊主にあるまじきことかもしれませんが、このような様式というか儀式というか、見た目の所作で自分の心のわだかまりを軽減するような仏事行為が一連の宗教活動の中で重要なことであるのかどうか疑問を感じてしまいます。
一つの区切りとして気分的に安らぐのであれば、それはそれで意味のあることかもしれませんが、仏教本来の心のよりどころであったり精神の清浄であったり、安らかで慎ましい日常の営みの指針であったりすることは、このような表面上の表現にすがるだけではどうしようもなく浅いままのことだと思うのです。
無心に手を合わせるとか、普通に所作の中で頭を下げるとか、そのような日常のさり気なさに深く入り込んで基板を安定させることが宗教活動の本分だと思っています。
お彼岸のお寺参りとか、ご縁日のお寺参りとか、そのようなものは、一家の義務であるべきものではないはずなのです。
たとえは悪いかもしれませんが、お寺参りは選挙の投票のようなことだと思うのです。
一人一人が自分の意志で選挙会場へ足を向けることで、その国とかその地方の行政に自分の意志を使えることになるわけで、信心もそのようなものだと思うのです。
自分の悩みや主張があるから、坊主の説教も本気で聞けるのです。

・・・ナンチャッテね!

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水丸さんの思い出ーその2 

2014/03/27
Thu. 08:51

なんか水丸さんが頭から離れない・・・
大好きな池波正太郎さんが死んだ時も、藤沢周平さんが死んだ時もそれほどではなかったのに、何故か水丸さんになるとそうはいかない。
そこで、3日目の追悼「水丸さんの思い出ーその2」

私の人生で、10回と話していない昔話を少々・・
私が高校生の頃は、美術系の受験勉強というと、学校の美術教室で石膏像の木炭デッサンをするぐらいしかなくて、少ない進路情報をたよりに実技受験の内容を確認すると、自分のやりたいことを勉強するには、デッサンも木炭より鉛筆だし、油絵より水彩だし、静物デッサンとか風景デッサンとか、それに淡彩とか平面構成とか立体構成とか何かよくわからん実技内容がいっぱいあって、これじゃぁ、いくら学科頑張って勉強して満点とっても(あり得ない話しだけど)、実技がダメならどうしようもないなぁと、3年生になった頃には「浪人」を覚悟していたのでありました。

総合大学の教育学部も含めて、全国に美術系の進路は散らばっていましたが、無駄なく効率よく短時間で受験できるというと東京が一番だと、私学の受験日を軒並みチェックして腕試しの受験で上京しました。
実は、その私学で受験したかったのが、水丸さんの母校日本大学芸術学部だったのです。
前から映画が好きだったので、その関係の勉強ができる学校を密かに探していたのです。
私の、寺関係の親戚スジに当たるおじさんが、東京で小学校の美術の先生をやりながら独立美術へ油絵を出品していて、その方面から私のもくろみをチェックされたりして、「どうせ何やっても最後は坊主になるんだから」と云う理由で、日大芸術学部の夢は見事に打ち砕かれたのでありました。

今思うと、それはそれで良かったのかなと、まぁ、なんとなく納得もしていますが、それでも、いまだに映画好きは続いているし、そのあたりの夢の世界に水丸さんが見え隠れしていることが多いのです。
トイレのバイブルとか寝る前の一読とか、もちろん東堂さんの通院お伴の暇つぶしとか・・シネマストリートの冊子が至福のひとときになっているのです。

この前も、「シベールの日曜日」なる映画のことが出てきて、一気に50年近くタイムスリップして子供の頃の自分を思い出しました。
たしか、月曜ロードショウだか日曜映画劇場だかでやっていたのを白黒のテレビで見て、少年ながら不覚にもオイオイ泣いたことを覚えています。
サクッと言うと今で云うロリコンオヤジと可愛い娘の許されぬ禁断のプラトニックラブストーリー。
でも、それが素晴らしく透明で繊細でまっすぐで良いのです。
とても悲しく終わる最後も忘れられません。

まぁそんな感じで、いつの間にか、吉田は自分の果たせなかった夢を水丸さんに重ね合わせているのかもしれません。

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水丸さんスピンオフ 

2014/03/26
Wed. 08:00

水丸さんの訃報を知ったとき、頭の中の何かがエンドレスにぐるぐる回りはじめて、その1日はやらなければいけないこともあるし、それなりに少しずつ仕事も先へ進んでいるのだけど、どうもその様子がどこかしらよそよそしい何とも説明のつけようにないまま夕方になっていたので、焦って提出書類をまとめて市役所まで結界君をすっ飛ばしました。

島根県の現代美術を牽引していると言っても良い、平面の美術家のiさんが、ご自身のFBに水丸さんのことを追悼していて、島根の片田舎で暮らす自分の比較的近所で私と似たように水丸さんを好きだった人がいたと云うことに、どこかしら類友のにおいを感じたりしました。
そのiさんは、どうやら村上春樹さんも同時に好きのようで、これも偶然に訃報の前日か、そのあたりの頃にたまたま「ノルウェーの森」の映画を観ていた私と、何処かしら重なってしまって、こんなことってあるんだなぁと思ったりしました。

その村上春樹さん原作の映画はあまり多くないと思いますが、その中でもダントツに良いなぁと思うし好きなのが「トニー滝谷」
イッセー尾形さんの乾いた感じの淡々とした様子と市川準さんのクールで静的な構造の絵造りがとても印象深かったし、宮沢りえさんのどこか取り付かれたような内的狂気を真綿でくるんだような優しい仕草に漂わせる具合とかがとても深く心に入り込んで、頭の中心の辺りがジンジン痺れるような印象のまま最後まで見入ったように記憶しています。
とても良い映画だったと思います。

村上さんにしても、安西さんにしても、やはり都会で暮らす人なんだなと思います。
私のように湿った空気の中で動植物の匂いを嗅ぎ分けながらまったり暮らしていると、一方で、彼らのようなクールな何かにあこがれがあるのかもしれません。
そんな感じで、しばらくは安西さんや村上さんが自分の周辺に絡み付く日々が続きそうだと思っている今日この頃です。

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水丸さんの思い出 

2014/03/25
Tue. 08:02

・・・・訃報!
気がついたらパソコンにノリちゃんからメールが入っていました。

ショック!安西水丸逝去

まことに残念なことです。
ボクの好きな人がまた一人この世からいなくなってしまいました。
私とだいたい10歳くらい歳が違っているはずで、だからまだ70歳になったばかりくらいだと思って、いろいろ検索をかけてみたら・・・

〜〜〜〜〜〜〜
イラストレーターで作家の安西水丸(あんざい・みずまる、本名・渡辺昇=わたなべ・のぼる)さんが19日午後9時7分、脳出血のため神奈川県鎌倉市の病院で死去した。71歳。葬儀は親族のみで済ませた。喪主は妻、満寿美(ますみ)さん。後日、お別れの会を開く予定。

 昭和17年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業。電通や平凡社勤務を経てフリーに。繊細で優しいタッチのイラストで人気を集めた。作家の村上春樹さんと親交が深く、共著に「村上朝日堂」「ランゲルハンス島午後」などがある。文筆家としても小説やエッセー、翻訳など多方面で活躍。主な作品に絵本「がたん ごとん がたん ごとん」、小説「バードの妹」「メランコリー・ララバイ」など。

 17日午後、鎌倉市内の自宅で執筆中に倒れ、救急車で病院に運ばれ治療中だった。
(産經新聞より)
〜〜〜〜〜〜〜

繰り返しになりますが・・・まことに残念なことです。
私が彼を知ったのは、ずいぶん歳をとってからで、キネマ旬報の購読を再会した頃でした。

一回目の購読は・・
高校を卒業させてもらって(最後まで赤字が耐えなかったものですから・・)というより、厄介払いで追い出された感じで、浪人になって東京へ出て、1ヶ月7500円のアパートへ転がり込んで、東京暮らしが始まった頃。
もう既に映画好きだった私は、受験勉強のデッサンもそこそこに、映画館通いにハマってしまって、一時期は狂ったように映画を見あさって、1年365本以上見ていた時期もあって、生活費のほとんどはテアトル新宿や池袋文芸や下北沢オデオン座などの2番館から3番館の250円二本立てに投資しつつ、旬刊のキネマ旬報を読むのを楽しみにしていました。

10年間の東京暮らしを切り上げて帰省して今のワイフ(前のワイフはいませんが・・)と結婚して暮らしはじめて、少し落ち着いて二回目の購読がスタートして、ちょうどその頃に安西水丸さんの「シネマストリート」のコーナーが始まっていました。

キネマ旬報は、けっこう重たい映画評や、深く掘り下げた解説(監督はもちろん、撮影やら音響などなど)が特集の映画と一緒に記事になっていて、半月の間に読む雑誌としてはかなりの文字量というか、情報量というか、ボリュームタップリ過ぎて、そのような中で水丸さんの1ページは、清涼剤のような安らぎがあって、いつも楽しみにしていました。

そんな水丸さんの思い出がどんどん蘇ってきます。
今度の訃報の記事で、奥さんがいらっしゃったことを始めて知りました。
気楽に独身暮らしを楽しんでいらっしゃったのではなかったんですね。
なんと、水丸さんの奥さんはマイワイフで女流彫刻家の満寿美と同じ名前だったんですね。
あぁ〜何という偶然・・・

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此岸のくらし 

2014/03/24
Mon. 09:02

早朝練習のキーポンを学校まで送ってきました。
吹奏楽部の定期演奏会が近づいている彼女には、「勉強」という文字が消滅しているようです。
何にも目標無く、ボォ〜っと毎日をおくっているよりまだマシかなと思いますが、それにしても、もっとクールに自分を制御できても良いような気がしないでもありません。
部活なんてのは、もう少し気楽に乗り切っていた方が後々の趣味としてでも長続きするような気がするんですが、そういうふうに思ってしまうのは私だけなのでしょうか?

勉強も同じことで、ガツガツ脇目もふらないで受験勉強などして、志望校に一発合格しても、結局は入学後にそこでどれだけ自分を伸ばせるかが大切で、次の目標を立てて邁進するほどの余裕を持つことが大事だと思います。
キーポンも定期演奏会が終わって、気が抜けて何も手につかなくなって目標を見失ってしまうのではないかと・・・オヤジとしてはそのあたりを心配しています。

3月に入ってから、国道を中心にアチコチの街道を走っていると、どこからともなく若葉マークが沸き出してきはじめました。
高校を卒業して進路進学が決まった連中が、色とりどりの車種とりどりのピカピカのクルマに乗ってフラフラと楽しそうに走っています。
1日のスケジュールをやたら余裕を持って組み立てている私などは、特にイライラすることもなく流れに身を任せていますが、そのせいでバカでかい長距離トラックに後ろからパワハラされたりし始めると、チビでキュートな結界君はビビリっぱなしになってしまいます。
この命がけの道路事情が落ち着くまでにはあとしばらく時間がかかりそうです。

このところ、立て続けに万善寺の檀家さんからお叱りを受けています。
坊主の都合で叱られると云うよりは、自分の都合でイライラが高じているようなきらいがないでもありません。
寺のおかみさんにしても自分の思い通りにならないことの不満が私の方へ向かってきます。
さすがに東堂さんは堂々としたもので、時のぉ〜流れにぃ〜身を任せ〜〜〜・・・てくれていて、私としては唯一の救いです。
もう、何年か前のことですが、臨済宗の代替わりで住職の新米坊主が檀家さんのパワハラで夜逃げをしてしまったという現実に遭遇したことがあります。
外野がいろいろ聞くともなしに漂ってくるうわさ話を総合すると、その夜逃げ坊主が一方的に悪いわけでもなさそうに思えて、むしろかわいそうな小心者に思えて、別に坊主の肩を持つわけでもないけど、檀家さんの方でもそれはそれなりの問題があるように感じたところです。

彼岸開けも過ぎたこの時期に、此岸にしがみついて心の余裕もなく暮らす俗な人間の俗な常識に振り回される虚しさを感じつつ、また1週間が始まったところです。

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納品作業 

2014/03/23
Sun. 09:44

お彼岸の連休もやっといい天気になって、過ごしやすくなってきました。
そこで、積み残しになっていた間仕切りの納品作業を一気に片付けることにしました。

梁をジャッキアップして、3カ所にセッティングをすませてみると、何となく空間に締まりが出てような気がしましたが、これは単なる作家のひいき目だけのことかもしれません。
それでも、施主のTさんにはよろこんでもらえたようで、それがなによりです。
作業が終わって、コーヒーをいただきながら、いろいろ話しの花が咲きました。

このところ、吉田の鉄工房も不景気でずいぶん長い間仕事が途絶えていましたが、この冬シーズンは、久々に充実した毎日を過ごすことが出来ました。
制作依頼の声をかけていただいたことに感謝です。

なんとなく気持ちも切り替わって、久々に映画を見ようと思いついて、「ノルウエーの森」を見ました。
もう何年も日本映画から遠ざかっていたので、久しぶりに字幕無しの映画を見たような気がします。
収穫は、なんといっても松山ケンイチさん。
あの人が、あれほど良い役者さんだとは思いませんでした。
嬉しい誤算です。
もう忘れかけていた小説の内容を思い出すことも出来ました。
映画の方は、何ともシンプルな薄い感じのラブストーリーになっていて、少し気が抜けた感じもしましたが、それも解釈の一つと気にしないことにしました。
とにかく、松山さんのさり気ない演技に引き込まれ、あとは、緑役の水原さんの自然な感じの役づくりとか、けっこう記憶に残るところも多い映画でした。

3月下旬は、久々に仏事が続きます。
その前に、1日くらいはのんびりできる休日をつくりたいと思っているところです。

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雪の春彼岸 

2014/03/22
Sat. 01:31

なんと!もう降らないだろうと思っていた雪が春彼岸当日に降りました。
今年の冬シーズンはまったく予測不能です。

予測不能というと、今回のお彼岸のお参りは、ことづけも含めて6軒、法要参列4軒という、過去最低の記録を樹立しました。
その上、時間を間違えたご本人の次期檀家総代さんからお叱りの電話がかかって、私の万善寺経営も破綻しそうです。

坊主は布教活動をすることも大事ですが、1年の節目を粛々とおつとめすることも一方で大事なことですから、参列が少ないからと云って恒例の行事を無くすわけにはいきません。
私はそのように考えて万善寺のお檀家さんとお付き合いしていますが、なかなか真意が伝わっていないようです。
かわいそうなのはワイフです。
自分の仕事や家事をやりくりして、おいしい料理をいっぱい作ってくれて、早朝から夕方まで私に付き合ってくれているのですから、本当にありがたいことで頭が下がります。

檀家さんもこういう状態だし、出来るだけ自分一人で家族に迷惑をかけることも最小限に食い止めて、仏事を切り盛りしていこうと考えています。
お参りが少ないと云うことは、私の住職活動に魅力を感じないという事であり、宗教離れが進んでいるということでもあると思います。
今回のように、お参りが無ければわざわざ毎年同じ仏事のお知らせをすることもいらないわけで、その分時間と経費の節約にもなります。
今は気持ちを切り替えて、自分で自活の道を開拓していこうと思いはじめているところです。

末娘の進路進学の問題が積み残しになっていますが、何とかしてそれを乗り切れば、そして東堂さん夫婦がおさまるところに落ち着けば、今より少しは気楽になれるような気がします。

少し前からの無理がたたって、腰痛と膝痛が我慢の限界を超えました。
今日はこれから野外彫刻の移設が決まっています。
まともに結界君を運転出来るか心配ですが、倒れて寝込んでもいいから、これだけは何とかして乗り切らなければいけません。

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お皿型燭台 

2014/03/21
Fri. 05:29

今年の春彼岸は雪が降るようなことをいっています。
もう雪も降らないだろうとタイヤを履き替えたばかりなのに、最近の天気は予測不能です。

色々準備を進めて、やっとお参りのお檀家さんへの粗品を造り終えました。
日常の暮らしの中で、毎日お仏壇やご本尊さんへ向かって手を合わせることも難しくなってきたご高齢のおとしよりのことを考えて、アロマキャンドルをご灯明の変わりに出来ないかと思いついてみました。
一度火をつけると、4時間から長いもので8時間も連続で小さな灯火がついているというすぐれものです。
実験してみると、輸入物の粗悪なものでも結構しぶとく延々と灯火が長持ちするし、これ1個あれば、舎利礼門を1回お唱えするくらいの朝夕のおつとめなら軽く1ヶ月はもちそうだし、せいぜい1年で10個もあれば十分。
100円ショップだと200円と消費税で1年分以上の灯明が手に入ることになります。

私が本堂でウロウロしていると、おかみさんが這うようにやってきて、朝晩の茶灯鐘つきのことで「もうやめればいいのに」と愚痴をこぼします。
東堂さんが毎日やりたいように線香蝋燭に火をつけてアチコチ焦がしたりして危なくてしょうがないからなのです。

つい2年ほど前にも、お檀家さんの隣の新築の家で火事がありました。
新建材を使って2×4で組み立てられた洋風の真新しい家が、見事に(失礼!)室内だけ燃えてしまったのだそうです。
消防団の人達も、家の外から放水しても何の役にもたたなかったようで、消火活動が難航したそうです。
その出火の原因はお仏壇でつけっぱなしにしていた蝋燭が何かの拍子で座布団の上にたおれてしまったことだったとのこと。

指先の不具合は60歳の私でも老化を感じます。
寺のおかみさんは、節々全てが瘤のようにかたまって、ライターの石をすることも難しいほどです。
マッチも何度か失敗を繰り返しながら火をつけます。
1本の線香は折れないようにつまみ上げることが至難です。
短く縮んだ身体で、長い燭台のそのまた上の長い蝋燭に火を灯すなど、想像以上の重労働になっています。

そのような、高齢者の日常から思いついたのが今回のお皿型燭台。
いつもは、こちらの方を使って朝課つとめなどしてもらえるといいなぁと思っているところですが、さて、習慣を変えることに病的な頑固さで拒否を続けるおかみさんが、何をいってくるか・・見物です。
きっと、春彼岸を終わって、わたしが日常の暮らしに戻った頃には、お皿型燭台もどこかにしまい込まれてしまうのでしょうねぇ・・

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彫刻の残像 

2014/03/20
Thu. 08:56

最初の彫刻を12月のうちに田んぼへ設置して、それから約3ヶ月が経ちました。
自分にはこの月日がとても早く過ぎたように思います。

先日、大森小学校の卒業式があって、その夜は駐在さんの定年退職送別会があって、その次の日に田んぼの彫刻を移動して、明日は春彼岸の法要です。
大きな節目が幾つもやってきては通り過ぎていきます。

今回の彫刻展の依頼者は、石見銀山に本社のあるアパレル企業の代表です。
彼は私より一つ年長なので、丁度退職の駐在さんと同じ年と云うことになります。
自治会の要ともいえる人ですから、送別会のためにわざわざ出張先の東京から帰ってきたようです。
彼と会話を交わしたのは、さて、今年に入ってから2回目だったでしょうか・・
どうしても60歳という年齢のことが話題になると云うことは、やはり、それぞれ当事者がそれぞれ自分なりに行く末を考えて気持ちを固めているようなこともあるようで、今後の身の振り方を念頭にしつつも、さりげなくお互いを牽制しているような、何とも居心地の悪い会話がしばらく続きました。

彼は、60歳になってまだまだやりたいことがいっぱいあって、もうひと花咲かせる勢いの元気ぶりでした。
駐在さんは退職後の再就職も決まって、すでに気持ちは次のステップに向いている感じです。
さて私はというと、60歳の節目にひとまず彫刻の個展をすることが出来たということ。
その程度のことで、何が大きく変わっていることも無く、相変わらず寺の高齢者夫婦を気遣いつつ、未だに大人になりきれない高校生の娘と付き合いつつ、気ままに一人暮らしの子供たちと軽い付き合いをしつつ、ワイフに食べさせてもらっている程度のことです。
それぞれの暮らしぶりには、ただ年齢が近いと云うだけで、いくら共通点を探しても見つからないほどの大きなズレが生じています。

12月に設置した彫刻を撤収すると、面白いほど元気に成長した田んぼの雑草が、彫刻の残像になって残っていました。
それは、まさに私の狙い通りでもあって、密かにひとりで感動しました。
冬の風雪に耐えた鉄のぬくもりが、雑草を育ててくれたのだとわかります。
固まりとしてのかたちの必然性を具体的に確かめることも出来ました。
予測のズレもわかったし、それを修正する方向も見えたような気がします。
今までの自分の積み重ねが、確実に一歩前進したことを確信出来ました。

といっても、結局は自分だけの勝手な自己満足だったりするんですけど、それでいいんです。
今の自分は死ぬために生きているわけですから、そういう頑固なところがあってもいいんです。
あの彫刻のような残像が残せたらいいなぁと、しいていえば、それがこれから進む方向なのかもしれません。

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大森小学校卒業式 

2014/03/19
Wed. 08:54

世界遺産石見銀山の町並みを過ぎて、銀山坑道へ向けてしばらく歩くと、道の右側にこぢんまりと佇む小学校があります。
それが、島根県大田市唯一の木造校舎大森小学校です。

吉田家のキーポンが1年生に入学してから教育委員会主導で小中学校統廃合の計画がどんどん具体化して、大森小学校は廃校の方向で話しが進みかけていたのですが、町民挙げて統合反対の気運が高まり、保護者が中心になって小学校存続の組織を作り、研修会や町民集会や署名活動や説明会など様々な会議や集会を数年間繰り返し、そのうち、教育委員長の交代や職員の異動があって、結局粘り勝ちと云う感じで統合話が立ち消えのまま現在に至っています。
私は、大森小学校存続のビッグウエーブをサーファーの如くしぶとく乗り切ったメンバーの残党ということで、何故かキーポンが卒業してからも顧問を命ぜられ、それを引退してからは学校評価委員なるものに任命され、その関係で、毎年卒業式や入学式や色々な小学校行事に招かれています。

夜のうちから断続的に強い雨が降り続いて、そのまま卒業式の朝をむかえました。
正装というと大衣かつなぎの作業着くらいしかないし、まさかジーパンで出席するわけにもいかないし、色々苦労しながら有り合わせの服をかきあつめて、久々に靴下をはいて靴を履いて小学校まで出かけました。
今年の卒業生は3人。
ついこの前にかわいらしい1年生で入学した子がもう卒業です。
早いものです。
体育館のステージはいつもは音楽教室で使われています。
仕切りの大扉を開けると正面に音楽教室の窓があって、その向こうの斜面には満開の梅。
実に見事な景観です。

一人一人の子供たちが送辞と答辞を繰り返して、心温まる卒業式になりました。
年度が替わって、新1年生は1人!
もうしばらくして桜の満開の頃には、20人にも満たない極小規模大森小学校の新年度がスタートします。

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田んぼ彫刻展終了 

2014/03/18
Tue. 06:56

ギリギリ駆け込みで申告も終わってホッと一息・・
でもなくて、田んぼの彫刻展が終了して、少しずつ撤去を始めました。
いろいろ考えて、一つずつ少しずつ向きを変えたりしながら歩かせていると汗をかきます。

自分で言うのもどうかと思いますが、色々な意味で良い展覧会になったのでは無いかと思います。
石見銀山の25年を自分の目で見続けて、さまざまな変化の中で制作を続けたことで、次の彫刻とその制作の背景がなんとなく固まってきたような気がします。
まだ頭の中にぼんやりとあるかたちをメモ描きしている程度ですが、そろそろ自分の彫刻も石見銀山から次のポイントに移る時期なのかも知れません。

ワイフの田んぼインスタレーションも悪天候にもめげず半月間辛抱してくれて、冬の石見銀山に華やいだ彩りを添えてくれました。
私の彫刻は、鉄という人口の工業製品を素材にしていますが、結局はかなり自然の環境に融合出来るものでもあるので、よくわからない抽象の造形が近代文明や昭和の高度経済成長期の残像に思えるようなところもあって、往時の銀の採掘鉱山と製造工業地帯であった石見銀山の時間軸の中に溶け込んでいたりもすると解釈されて、世界遺産地内ではその異物感もまあまあそれなりに見逃してもらっていたりもします。

いっぽう、私のようにこのような形式の確信犯的なゲリラ式の展覧会は、やはり色々な摩擦が出てきたりもして、その刺激がある意味で彫刻と地域の現状を繋げることのきっかけにでもなれないかとも思っています。
5年ほど前から現代彫刻小品展を始めたのも、今回の田んぼ彫刻を実現させるための抗体をつくっておこうという密かな狙いもあったわけです。

思えば気の長い話しですが、私のように、社会性も乏しく、政治家でもなく、世間に埋没しているようなニートオヤジのことですから、日常の生活を共にする狭い地域の共同体は、出来るだけ刺激しないように付き合うことが大事だと考えているわけです。

なにはともあれ、晴れの日もあれば雪の日もあるこの3ヶ月の間に彫刻の様々な表情を記録することが出来たことはとても重要なことでした。
それに、各地から彫刻を観にきていただいたことのありがたさはなににも代え難い収穫でした。

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おきどまり 

2014/03/17
Mon. 07:23

徳島のMさんたちとしこたま飲んだ翌日は、JRの列車の出発時間まで世界遺産石見銀山の観光をしました。
風がちょっと冷たかったけど、本当に久々のことで、案内の自分も結構楽しめてしまって、やはり、たまには世界遺産巡りをしないといけないなと思ったところです。
世界遺産のど真中に暮らしているのに、まだまだ知らないところが多いし、四季折々の風景の変化を見ることもないし・・・知っているつもりで偉そうなことは言えないと反省したところです。

丁度山陰道の無料区間が5kmばかり完成してそれが開通したところに遭遇して、気の早いドライバーがどこからとも無く沸き出して、いつもの国道9号線は観光シーズンのような混雑。
人のことは言えないケド、暇なヤツラが多いなぁとウンザリしつつ、滑り込みセーフでJRの出発時間に間に合いました。

島根県も、少しずつ自動車道が延びていて、県庁のある松江を中心に時間地図が変形してきています。
一方で、高齢化と過疎化の進行には歯止めがかからないし、この山陰道が全線開通するころには、誰がその道を走っているんだろうと、いらない心配をしたりします。
先日、3月最後の雪が降った時、万善寺の用事でウロウロしていたら、何時になく54号線が混雑していて、久々にトラックの列を見ました。
尾道から松江までの松江道がほぼ90%完成してからは、寺の辺りの赤名高原は、車の通行量が激減していて、国道を横断するのも楽になって、賛否色々あるものの、狭い範囲で慎ましく暮らす者にとっては、なかなか暮らしやすくなったりもして、おおむね良かったのではないかと思って、少しずつそのような現状に慣れていた頃だったので、突然昔を思い出したように長距離トラックが沸き出してきてびっくりしたところです。
「雪が降ると松江道が通行止めになるけぇねぇ・・」
「はぁ、そぉなんですかぁ・・」
「中国山地の高いところ走っとるけぇ、しかたないがね。冬はたいして役にたっとらんねぇ。大金つこぉてねぇ・・」
確かに、日本の物流は改善するかもしれないけど、そこまでして、これから地方経済がどれだけ発展するか微妙な気もします。
ものが大きく動く一方で、地域密着型弱小産業は、廃業を迫られてこれからどんどん淘汰が進むんでしょうねぇ・・
自由経済の偽善的志向性がチラツイて見えてきます。

世界遺産の地域内にある櫛島から銀の積出港の一つ、沖止まりの港へよってみました。
この天然の良港から積み出された銀は、日本海からシナ海や太平洋を経由して世界に流通していた時代があったのです。
色々考えさせられる1日でありました。

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飲み会 

2014/03/16
Sun. 07:50

久しぶりにとっても楽しく愉快な夜でした♡wwww
みんなもそうおもっててくれたら嬉しい限りです♡wwww
久々に大きな声を張って歌って笑ってしまい、声がおじさんになってしまいました。wwww

・・・と、ノッチがいっております。

一方、オヤジの方は・・・
久しぶりに石見銀山の町内へ繰り出して、徳島からの遠来の客Mさんを囲んで、しこたま飲みました。
メンバーは・・
彫刻界の大御所、徳島のMさん。
地元大田で写真館を切り盛りするFさんご夫婦。
1歳をすぎて、ヨチヨチ歩きが可愛い盛りの子供と嫁さんと浜田で3人暮らしのKくんは、久しぶりの誘いへかる〜く乗ってくれました。
前回、何時に逢ったのかわからないほど歳月が過ぎて、久々に再会のMちゃんは、大阪からUターンして1年目。
それに、部活帰りのキーポンと、ワイフ。

親も子も、同じ頃に別々の場所で同じように大騒ぎをしていて・・・
まぁ、何といいましょうか、血統といいましょうか・・・

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彫刻雪景色 

2014/03/15
Sat. 09:10

いいかげんな予想だけど、このシーズン最後の雪が降って、16日に終了する野外の彫刻展に華を添えてくれました。

昼を過ぎて3時くらいに徳島から金属彫刻の友人が訪ねてくれて、その雪をかぶった彫刻を見てくれました。
本当にありがたいことです。
彼は、もう半世紀以上徳島の方で野外彫刻の展覧会を切り盛りしている地方の彫刻文化振興の牽引者の一人です。
狭い日本なのに現代世間の常識では、「やはり文化の中心は東京だよね!」などと思っている皆さんが彫刻家に限らずたくさんいらっしゃって、何をするにもそれが基準になってしまってとにかくことのはじまりはその考えからスタートしてしまうので、本当にやっかいなことです。

野外彫刻は、やはり土地それぞれの環境と密接に結びついているものだから、その場所の様々な条件と上手に付き合って共生していかなければいけないものだと思っています。
たとえば、徳島の野外彫刻は台風の大風や大雨に延々と絶え続けることが条件だけど、雪害に耐えることはそれほど気にする必要はないとか、島根の石見銀山だとその逆だったりだとかそういうことになるわけです。
私など彫刻のほとんどは野外に置き続けているので、まずは設置する場所の条件を何度となくリサーチするところからすでに制作が始まっていると云った感じです。
だから、造る彫刻が決まって形になるまでとても長い時間が必要になります。

徳島のMさんとそんな制作者にしかわからない苦労話が出来てとても充実した一夜になりました。
野外彫刻の展覧会企画など私ごときが一人で出来る事でもないので、今のところ密かに胸の内で思い続けてそれをあたためてニヤニヤしている程度のことですが、いずれは実現したいものだと考えているところでもあります。
もう少しで1月から続いた彫刻の個展も終わります。
自分にとっては、とても良い刺激になったし、いろいろ考えることも出来たし、よかったと思っています。

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連続飲酒更新記録達成不成 

2014/03/14
Fri. 09:46

久々の大きくて長い地震で夜中に目覚めました。
珍しく私の足下で寝ていた猫のクロも何事かと一瞬目覚めて、体勢を入れ替えてまた寝ついた頃、けたたましく電話のベルが鳴って、結局目が冴えることになってしましました。
その電話の主はなっちゃん。
東京の方も若干揺れたようで、夜中遅くまで友達と大話をしていた時の出来事だったようです。
心配か野次馬か思いつきか・・・とにかくオヤジはたたき起こされたのでありました。

きのうは、ワイフがお世話になっている中学校の卒業式と夕方からの慰労会があって、朝から小奇麗な格好をしてお出かけされました。
私の方は、雨の降る中、少し早めに町内の彫刻展会場をオープンして、近くに住む友人の陶芸作家の訪問を待っていて、何となく落ち着かないまま1日が始まりました。
その後、お昼ご飯も食べたかどうかわからないまま、金融機関をぐるっと回って乏しいお金をかき集めたり遅れていた請求の入金をしたりして、ひとまず1ヶ月をしのぐ算段をしていたら気がつくと会場クローズの時間。
1日中冷たい雨が降っていたのに、結局ストーブも消えたまま夕方になってしまいました。

定期演奏会前の部活で遅いキーポンを迎えに出かけたついでに、大阪からUターンした女の子(といっても、もう熟女だけど)と十何年ぶりに逢って、全く昔と変わらないことに唖然とし、「名字変わったの?」と失礼なことまで聞いてしまったりして、再会の世間話とこれからのお付き合い(変な意味じゃなくて・・)を約束などして、早速「明日飲み会あるんだけど良かったら来ない?」と軽く誘ったり(ナンパじゃないですよ!)していたらキーポンから催促の電話が入ったのでひとまず解散。
ワイフは懇親会で自分たちの夕食もないし、久々の外食にしました。
キーポンは天津飯とラーメンの定食。
私はギョウザとラーメンの定食。
運転だから一杯は無し。
ガッツリの夕食で腹いっぱいのところへ天津飯を半分ほど食べて「これもう無理、入らない」なんていうものだから、また無理をして甘めの天津飯の残りを平らげて、久々の父娘水入らずに会話をしていたらワイフから電話。

酒の入る隙間もないほどいっぱいになった腹を抱えて帰宅して、昼の慌ただしさで手付かずの仕事をしていたら、気がつくとアルコールの一滴も入らない休肝日になっていました。
どうも寝苦しいなぁとウツラウツラしていたらあの地震です。
目覚めもシャンとしないし、連続飲酒の記録が途絶えるとろくなことになりません。

今日は雪がチラつくようなこともいっているし、ストーブで温もっていたら、猫のクロの朝食が始まって終わって、左手で水をすくって飲みはじめました。
これが彼のかわいらしい癖です。
今年の3月12日は初午さんでしたが、その日の夜にコールドプレイのライブ中継がありました。
iTunesをチェックすると、期間限定で無料配信をしています。

クロの癖と、コールドプレイのことは、暇でも出来て、覚えていたら、少し詳しいめの備忘録にまとめることにして、ひとまずはこのへんでこれまでということで・・・

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小春日和 

2014/03/13
Thu. 08:51

今年の初午祭は久しぶりに春を思わせるようなポカポカ陽気になりました。
私が東堂さんから引き継いだころは、雪のパラつく寒い日が多かったことを覚えています。

豊川稲稲荷の祠を祀る万善寺では、旧暦に初午祭をしているので、毎年日にちがズレて、2月と3月をいったりきたりしてなかなか定まらないものですから、ご近所にお知らせするのも周知が難しいところです。
このような例年の催事は、寺の方から声高にお参りを呼びかけると云うより、檀信徒の皆さんお一人お一人の気持ちの持ち様で神仏を信仰し、願いを託すことであると思っているので、俗にイメージするあのにぎやかで大騒ぎする祭事とはずいぶん趣の違うおつとめになっています。
そのように考えている私の代になってから、ご近所さんのお寺参りが激減しました。
東堂さん夫婦も高齢ですが、お参りのみなさんも一緒に高齢化が進んで、お寺の参道の坂道が身体にこたえるのだろうと思ったりもしています。

奉納の五色ののぼり旗は、1年に1度の虫干しも兼ねて本堂濡れ縁の欄干にくくりつけました。
お彼岸も近いし、しばらく風に当てておこうと思っていますが、さて、こまめな東堂さんと変化を嫌うおかみさんがそのままにしておいてくれるかどうか・・・
準備から後片付けまで1日ドタバタと動き回って、幾つか用事をすませて石見銀山へ帰宅すると夜の9時を過ぎていて、遅めの夕食を終わって少し落ち着いたなと思っていたら、知らない間に記憶がなくなっていました。

屋根を叩く雨の音で目覚めるとすでに朝。
野外彫刻の田んぼ展覧会は今度の日曜日で終了です。
駆け込みで見に来てくれる友人から電話がさみだれに入ってきます。
ありがたいことです。
これから、雨が続いて明日には雪が降るようなこともいっています。
町並みの古民家を使った展覧会場は4月まで続きます。
そろそろオープンしてきましょうかねぇ・・

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万善寺の人々 

2014/03/12
Wed. 08:56

「あしたぁ病院だだけぇ、おじいさんつれていくけぇ、昼は過ぎるけぇ、なんもこぉてくることないけぇ、Tさんがおそなえもって、おじいさんがひとりじゃいけんけぇ、家の仏壇に供えてあるけぇ、つれていくけぇねぇ、おまいりないだろぉけぇ、昼ご飯用意してないけぇ、おじいさんひとりにゃぁしとかれんけぇ、のぉーきょぉーいかにゃぁいけんけぇ、豊川さんおまいりないだろぉーけぇ、買い物はえぇけぇ、Tさんからこぉとるけぇ・・・」

話しが始まるとキズのはいったレコードみたいに終わりが無くなって、同じことのリピートが延々と続くおかみさんが電話をしてきました。
「なんもせんでえぇけぇねぇ・・、いずれは一人で全部やらにゃぁいけんのだけぇ、練習みたいなもんだけぇ、じゃぁきるけぇねぇ・・」
電話を切るのも一苦労です。

毎週行商にくるTさんを除けば、お寺参りのみなさんがおかみさんの唯一の情報交流の場になっています。
あらためて思うと、歳をとると云うことは本当に難しいことだということがよくわかります。
万善寺の東堂さん夫婦を見ているだけでも、一人一人と別々に付き合っていかないと、なかなか収拾のつくものでもありません。
耳の聞こえが年相応に悪くなって、人の話にどんどん「はぁ〜?はぁ〜?・・・」をかぶせてくる東堂さん。
1ヶ月に1度の診療所への通院が楽しみな健康オタクのおかみさんは、結局極度の寂しがり屋なのでしょう、話しが途切れることを恐れるように延々としゃべり続けます。ドクターも大変だと思います。

高齢化の進む今の世の中、大正や昭和初期の人間が昔ながらの暮らしのまま生き抜くことは限りなく不可能に近くなっています。
無理して長生きはしたくないなぁと、最近は特にそう思うようになりました。
もっとも、私のように自由気ままに自堕落に暮らしていたら、最初から長生きなど出来るものでもないでしょうけど・・・
色々厳しい現実がついてまわりますが、それを避けることも出来ないし、あまりあくせく考えないで気楽に死ねるように毎日を乗り切ろうと思っています。

そんなことを思いながら、セッセと豊川さんの守護札を刷り上げました。
これから万善寺へ出発です。
出来立てのホヤホヤをお供えして、祈念法要を厳修します。

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3月の空 

2014/03/11
Tue. 08:22

定期演奏会がだんだん近づいて、部活練習にも熱が入っているキーポンを20時前に学校まで迎えに行って自宅前の駐車場へ戻ると、石見銀山の狭い谷の上空に月が輝いていてオリオン座もよく見えていました。
何とか冬の夜空を写真に撮れないものかと、しばらく駐車場で粘っていましたが、やはり素人のつたない腕では三脚もなしにシャッタースピードを調整して夜空を撮影するなど無謀なことで、無理して記録に残そうなどと思わないで、自分の記憶の中に焼き付けておく程度の方が自然で妥当だろうなと、放射冷却で身体の芯まで冷えきった自分をなぐさめたのでありました。

案の定、一夜明けた今朝の石見銀山はかなり冷え込んでいて、一面霜におおわれて車のフロントガラスもガチガチに凍り付いています。
久々に自宅にいるワイフが、自分の用事もあるからとキーポンを送ってくれることになって、私の方は猫と戯れてマッタリとした朝のひと時を過ごすことが出来ました。
展覧会場のオープンにはまだ早いと思ったけど、二人を見送ったついでに会場を空けることにして準備をしていたら、大森小学校の子供たちの集団登校が川下から上がってきました。
丁度1週間後には卒業式があって、3人の6年生が卒業していきます。
ついこの間1年生で入学してきたと思っていた子がもう卒業です。
私と同い年の大森の駐在さんも3月で定年退職です。
私も歳をとるはずです。
だんだん春めいて気持ちも華やぐ一方で、色々な節目の行事も続くし、毎日がとても慌ただしく過ぎていきます。

このところ、報告書の書き物が続いていて、どうもかたっくるしい文章に慣れないもので、なんども書き直しをしながら結構苦戦しています。
それでも、前半のほうは何とか格好がついてきたので、あとは一気に後半をまとめあげて、それが片付いたところで坊主仕様に頭へバリカンをあててしまおうと思っています。

そして明日は初午さん。
そのついでに赤名高原のレストランで彫刻関係の打ち合わせをして、それから仏具屋さんに行こうとも思っているし、夕方からはワークショップのミーティングに合流しようとも考えていて、結構濃厚な1日になりそうです。
いつもは暇なニートオヤジですが、なんだかんだいってもやはり3月は忙しいなぁ・・・

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初午さん 

2014/03/10
Mon. 10:21

月曜の朝は雪で始まりました。
部活の早朝練習で早出のはずのキーポンも、学校到着は結局いつも通りの時間になってしまって遅刻常習者です。
言い訳の理由が、天候やオヤジの運転のせいにされてもたまったものじゃないですよ、まったく・・・

さて、今年の初午さんは12日なので、そろそろその準備を始めようと思っています。
檀信徒や万善寺のご近所の皆さんへは、初午さんの謂われなど色々お知らせしているところですが、今時のことなので、なかなか自分の信心や暮らしと上手くかみ合うことが難しくて、それに地域の高齢化も進んでいるし、ご縁日のお参りも年ごとに寂しくなっています。
代替わりのお宅などは、お寺参りの意味などの引き継ぎも無いまま仕事の忙しさを理由に、どんどん仏事から遠ざかっている現状でもあります。
それぞれにそれぞれの事情があったりするので、それはそれでしかたのないことですが、山寺の和尚さんとしてのつとめもありますので、「初午さん」の謂れだけでも知っておいてもらおうと、毎年少しばかりの解説などを交えたお知らせを配って歩いているところです。
せっかくですので、さわりを少々・・・

〜〜〜〜〜〜〜〜
万善寺では豊川稲荷の分社が御祀りしてあります。
旧暦2月最初の午(うま)の日を御縁日とし檀信徒の皆様をはじめ、地域の祭事としての五穀豊穰、商売繁盛、家門繁栄などを祈念し、祈祷法要をおつとめさせていただきます。
帰元としてはこの日、稲荷の大神が地域の人々に農業を始め、商売やまつりごとの御指導をして下さると言われており、「はつうまもうで」、「福まいり」、「おかげまいり」などと呼ばれ古くからその御陰にあずかろうと初午詣をしたということが古文書などに記されています・・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜
といった感じです。
新聞もテレビのニュースもほとんど見ないまま田舎で住み暮らしていますが、このところの日本の情勢不安はやっぱり耳に入ります。
生活が厳しいことにそれほど変わりがないような気もするのに、消費税も上がることが決まってしまったりて、どうも暮らしの見通しがつきにくい世の中になっているような気もします。
初午さんの信心からもわかるように、社会の安定や繁栄は、やはり第1次産業の安定が不可欠と思います。
昔の人は、何よりもそのことを十分にわかっていて、このような初午祭の行事なども日常の暮らしの中で大事に育てていたのだろうと思い当たります。
稲荷の大神さまを宗門では咤枳尼真天《だきにしんてん》さまとしてお参りをさせて頂いています。
咤枳尼真天さまは、とても古くから仏教の神のお一人として登場して、様々な謂れが語り継がれています。
たとえば、初午祭のように1年に一回しか回ってこないご縁日に、咤枳尼真天さまのような強力な神仏に全てを託して、現実のカオスから逃避することも心の清浄を即す良い方法かもしれませんよ。

さて、雪も溶けたし、朝のティータイムを切り上げて、仕事仕事・・・・

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日曜日の朝 

2014/03/09
Sun. 09:01

週末から日曜にかけてワイフが部活練習のキーポンを学校まで送っていってくれると云うので、少しゆっくりした朝をむかえています。
例の如く、土日も無くてダラダラ続く仕事をしているので別に暇なわけでもないのですが、世間的には私のようにメリハリの無い暮らしぶりで、今のようにデスクワークが続いて書斎に閉じこもっていたりすると「あいつ、毎日仕事もしないで昼間っからゴロゴロして何やってるんだかねぇ・・あんな大人になっちゃいけないよ!」などと社会の敗退者のような扱いをされているのでしょうが(チョットネガティブなひがみかもしれないけど・・)、人の脳みその中までは見通すことは出来ませんので、見て見ぬフリをしてソッとしておいていただきたいと常々思っている次第です。

3月に入ってからの石見銀山は、雪が無いだけで真冬並みに冷え込んで、毎日寒い日が続いています。
家にいると寒いので、燃料の薪が見る見る消費されていきます。
今の書類の目処がついたら、1日ほど薪造りにせいを出そうと思いつつ、冷えきった脳みそに血が巡るまでの短時間、朝のコーヒーをすすりながらこうしてプチプチとキーボードを叩いています。
そこで、ながら族世代の私に欠かせないのが、今はgould。
gouldというと、あのうなり声とbachもいいですねぇ〜・・というわけで、今朝は2時間半垂れ流しのbachを聴いています。

私は音楽は全然詳しくないので(彫刻だって特に詳しいわけでもないけど・・)、クラシックのこともよく分からないまま単純に自分の好き嫌いとその日の気分でながら聴きしている程度ですが、彼のピアノを聴いていると心落ち着くとか安らぐとか癒されるとかそういうことではなくて、むしろ心騒ぐというか強い刺激を受けることのほが多い気がします。
ドラマチックに感情豊かに弾きあげているという印象がなくて、淡々としてクールなピアノと自分のうなり声とが絶妙に解け合った彼のオリジナルを感じるのです。
結局は好みの問題でしょうが、bachにしてもmozartにしても何にしても彼の演奏だけは、何となく他と違っていて聞き分けることが出来るような気がします。
jazzでいうとkeith的な存在とでもいうのでしょうか・・彼のbachもなかなか良いと思っています。

キース・ジャレットというと、アルバイトで溜めたお金と丸井丸井のクレジットで始めて買ったパイオニアのレシーバーとダイヤトーンのスピーカーでFMのエアーチェックで聴いていた油井正一さんのアスペクト・イン・ジャズを思い出します。
当初は、まだカセットデッキなどの録音機材もなくて、アパートの角部屋の四畳半でひたすら夜更かしをしてスピーカーにかじりついて聴いているばかりでした。
その後、チビチビとバイトで溜めたお金の頭金とまたまた丸井のクレジットでティアックのドルビー付きカセットデッキを買ってからは、TDKのカセットテープに録音して、テープが伸びるまで延々と垂れ流しながらブルータスの石膏像をデッサンしていました。

そのブルータスの石膏像は、上野の芸大の裏の谷中の路地にあった石膏像屋さんで買ったもので、ここは現金払いでクレジットがきかなかったから、まぁその金を貯めるのにやたらと苦労したことを覚えています。
梱包されたブルータスを抱えて上野公園を20分歩いて山手線と小田急線を乗り継いで自力で運搬した時は、行く先々で注目の的で、その時が公共交通機関を使った私物運搬に羞恥心を感じなくなったきっかけだったような気がします。
その後、恥ずかしげも無く自分で描いた100号のカンバスをむき出しのまま電車に持ち込んだりしたこともあったし、粗大ゴミで捨ててあった使い古しのタンスを持って改札を抜けたり、まぁいろいろありました。

さてさて、そろそろ脳みそが動き始めたし、町並みの展覧会場のオープンが近づいたし、今日も1日、書斎に閉じこもってデスクワークに励みましょう!

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曜の暮らし 

2014/03/08
Sat. 08:35

1週間がとても早く過ぎていきます。
もう土曜日です。
最近、万善寺の用事がないので、久々に「曜」の暮らしをしていて、だんだん慣れてきたところです。

来週は12日が初午さんなので、久々に万善寺の和尚さんが復活です。
朝から初午さんの旗を立てたり、庭や本堂の掃除をしたり、豊川さんの荘厳をしたりして、地域の皆さんのお参りを待ちます・・・・といっても、5〜6人のことですが、それでも毎年楽しみにしていらっしゃることでもあるし、法要を厳修し続けることは大切だと思っています。

お参りをあてにして、法要をするかしないか決めているようではダメですね。
おかみさんは、昔からお参りの人数を気にして煮しめなどを作っていて、私が学生で寺を留守にしていた間、今の東堂さんがまだ住職だった頃から結構主導権を握って万善寺の年中行事をどんどん削減精選して統廃合してしまいました。
お寺は料亭やレストランのような飲食接客業ではないから、お客さんの多い少ないで経営方針を変えることなどありえないはずなのに、いつの間にかお布施の収入に目が眩んでしまったわけですね。
今の世の中、日々の生活にお金が絡むことは仕方のないことですが、信心の宗教活動と世知辛い日常の生活が混同してしまってはだめですね。
何を求め何を祈り何を信じるかなどどうでも良くなってしまって、俗に染まりきったものの考えが常識になったような暮らしから抜け出すことが出来なくなってしまったのです。

そんなことを思いながら、このところ連日電卓や表計算ソフトとにらめっこして0から9までの数字やマイナスやプラスの記号などを連打しています。
まだまだ先が見えそうにないので、もう1週間は四畳半の書斎に閉じこもることになりそうです。
「ながら族」(古い!かなり古い!既に死語!)で育った私の心の平静は、やはり音楽にすがるしかありません。
例の如くpodcastやインターネットラジオで無料配信のお世話になっているのですが、少し前に、youtubeで何とgouldのmozartとbeethoven sonata4時間もの合計8時間というすぐれものを見つけて、御陰様で集中力が倍増しているところです。

実は、gouldはほんの10年ほど前まで(もっと前だったかなぁ・・)まったく縁がなかったのですが、彫刻の友人H氏から、「gouldのピアノは良いよ!」と進められて、それ以来、比較的マメに聴くようになりました。
同じ楽譜が演奏者の解釈によって全く違った印象の曲になっていたりして、そのあたりが音楽の不思議なところだと思います。

gouldというと、やはりmozartかなと思ったりもしますが、beethovenもなかなか良くて、中にはキーポンがピアノでセッセと練習している曲もあったりして、なかなか良いものです。
そのキーポン・・
昨夜は、何を思ったか、例の如くシュラフにくるまっていた私の隣へ潜り込んできてそのまま爆睡。
本当に1週間は早いものです。今日は彼女のピアノ教室です。
たいして上達もしないのに、何故かこの習い事だけは小学校の頃から延々続いています。
勉強もこのくらい長続きすると良いんですけどね。
なかなか親の思う通りにはいきません。

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大田市あるある 

2014/03/07
Fri. 09:51

久々に猫に煩わされることも無く爆睡しとったらノッチから真夜中の電話。
歩く成人病高血圧人間は、こういう時にパッと目覚めます。
「おとうさんうけるぅ〜」
・・・って、何?
ノッチが電話の向こうで夜中に大ハシャギしています。
「おとうさん寝てたぁ〜?」
「そりゃぁ〜ねてるわな・・」
「朝目が覚めたら見てみっ!おとうさん吉田先生とか呼ばれとるしぃ〜」
「何何・・・」

そして本日・・何時ものようにキーポンを学校まで送っていたら・・・
「おとうさんのこと話題になってたよ」
信号待ちに、寝起きの悪いキーポンがポツリ。
そりゃぁ夜更かししてるからしょうがないけど、もうちょっと機嫌良くならないかなぁ・・などと思いながら帰宅して、町並みの展覧会場をオープンして、遅めの朝食をいただいて・・・などなどして、書斎に落ち着いてコーヒーをズリズリすすりながらデスクトップスイッチオン!
ノッチの情報を手繰っていったら出てきました。

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島根県大田市あるある bot
‎‏‪@ohdacity_aruaru‬
大森にある吉田先生の彫刻作品。
素敵。(←ここに写真あるけどオヤジの独断でカット)

うけるwwww父さんの作品じゃんwwww吉田先生って呼ぶとかぜったい知り合いじゃんwwww
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ふふふ・・・只今ひきこもりニートオヤジは「よしだせんせい」と呼ばれたりもしているのです。
まぁ、島根の田舎の狭い地域だけのことですけどね。

ちなみに、島根の方では、石見銀山のことを「大森」といったり、「大森銀山」といったりしています。
何故「大森」か・・といういわれは・・・・諸説色々あるようですので、ここではサクッと割愛させていただきます。

1昨日あたりから寒いなぁと思っていたら、島根県の山間部から広島県に広がる中国山地一帯は冬が戻ってきて雪が降っています。
石見銀山も、早朝のひととき、いちめん春の淡雪で白く染まりました。

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冬のもどり 

2014/03/06
Thu. 06:26

全国的なのか島根県だけなのかキーポンの高校だけなのかわからないけど、今日3月6日は高校の一般入学試験日。
それで当然キーポンは学校が休みで、友達と誘い合って出雲だか松江だかまで列車に乗ってお出かけです。
ということは、当然オヤジの私が最寄りのJR駅(大田市駅)まで送ることになって、その上お小遣いまでせびられることになって、なんも良いことなどないまま、いつもより2時間も早く起きて、ストーブを点火したり、早めに顔を洗ったりして服も着替えて、キーポンが起床するのを待っているのです。
だいたい学校が休みなのに、学校へ行くより1時間近くも早くに自宅を出発するなど、ジジイに近いニートオヤジにはなかなか理解出来ないことです。

色々重なる時は色々重なって(どぉ〜いうこっちゃ?)いつものペースがことごとく乱れます。
観察するに、だいたい1日の3分の2以上はゴロゴロ好きなところで寝ている猫たちが、残りの3分の1で我がまま放題に狭い吉田家を駆け回り遊び回り、疲れたところでバタリと倒れ込んでそのまま睡眠をむさぼり始めるという、それはそれでそれなりに決まった1日のスケジュールで行動しているようにも見えるのですが、よりによって、いつもより早く起きなければいけないその真夜中に、わざわざ私の足元にクロがやってきてそのまま眠りはじめました。
最近冬太りで5kgは越えているだろう重たい猫が、シュラフにくるまった両足の間に挟まってくるものだから、金縛りにあったように下半身の身動きがとれなくなって、夢うつつにウンウンうなって、それで目が覚めて、早出のきーぽんの事もあるし、まぁなんとも寝苦しいまま朝をむかえました。

このところ彫刻の仕事を休止して、ほぼ1日中書斎に閉じこもって書類作成や書き物などしているのですが、肉体労働の疲れとはまた違った何ともねばっこい疲労感が身体のあちこちに溜まって、それでなのかどうなのか、どうも熟睡出来ないまま朝になってしまいます。
日頃から暇に暮らすニートオヤジごときでも、それはそれなりに毎年この時期は年度末のまとめごとが避けられないので仕方のないことですが、こういう時の自由業は、社会の基本的構造からはじき飛ばされているようにも思えて、なんとなく釈然としないものがあります。
真っ正直に世間の言いつけを守って、素人ながらに慣れない事務処理を義務づけられているものからすると、給料をもらって、それでそのうえにあーだこーだと不平不満をいっている連中の真情の軽さが目立ってきます。
それが俗っぽいというか、世間の器なんでしょうなぁ・・・

昨日から寒くなって、まだまだ冬が居座っているなぁと思っていたら、これからしばらくは冬型が続くとのこと。
青苗滋春雨(せいびょうしゅんうにそだつ)心境はまだもう少し先のことのようです。

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彫刻の力 

2014/03/05
Wed. 10:33

心待ちにしていた助成金申請結果の一報が電話に入ってきました。
「近いうちに具体的に事業実施関係の書類をお届けしますから、詳しいことはそちらでご確認下さい。まずは、申請内容が対象事業として承認採択されましたのでそのお知らせと云うことで・・」
なかなかシャープな語り口のキャリアお姉様のお話によると、予算項目の幾つかが、助成対象外のもので、それを差し引いた額が助成決定額として削減変更されたものの、事業内容は文化事業として期待出来るものとして採択されたと云うことでした。
「美術振興関連の事業はなかなか助成申請に上がってこないので、こちらとしても事業の成功を期待しているところです。解らないことは何でも聞いて下さい。最大限の協力をさせて頂きます!」
なんて云われて、かえって緊張してしまいました。
確かに、あらためて過去の実施状況をみてみると、芸術文化振興事業だけでも30件を超えるほどの申請の中で、美術が島大の学生さんを中心にした松江での展覧会のみ。
彫刻など「彫」の字も出てこないで皆無で、あとは神楽やら太鼓やらコンサートやら・・
いまのところ、島根県の文化事情はそんな状態です。

「あの黄色いのは何で出来てるんですかぁ〜おもしろいねぇ〜」
進路問題で機嫌の悪いキーポンを学校まで送って、そのあと展覧会場をオープンしていたら、町内のご婦人方が通りかかって声をかけてくれました。
改めて吉田満寿美の彫刻の力量を感じます。
田んぼへはもう2ヶ月も前から吉田正純の彫刻を設置しているのに、住民の皆さん見て見ぬ知らんフリでスルーされっぱなし・・・
3月になって、急に町内が彫刻の話題でにぎわいはじめています。

彫刻家吉田満寿美でワイフの愛情タップリ(??)お昼のお弁当を楽しみにしつつ、若干いじけたニートオヤジは、四畳半の書斎に引きこもってデスクワークに取掛かっています。
気持ちを入れ替えようとモニターの壁紙を半年ぶりで3月の日本海仁万沖に交換しました。
今日は朝から冷たい雨が降っています。

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3月の田んぼ 

2014/03/04
Tue. 08:48

吹奏楽の定期演奏会に向けて部活が本格化しているキーポンです。
朝の練習があるようでいつもより30分早く登校を始めたと思ったら、たった1日でリタイヤ。
三日坊主にもなりませんでした。
末娘の一人っ子状態我がまま放題に育った環境が大きく影響している吉田家の子育ての実態が垣間見られる今日この頃であります。

吉田満寿美の田んぼインスタレーションを設置したら、石見銀山の町内でちょっとした話題になっているようです。
やはり野外彫刻となると、地味で難解な彫刻より、派手でシンプルでわかりやすい方が展示効果があるようですね。
吉田満寿美さんのおかげで吉田正純の彫刻も、ついでに気にしてもらっているようで、おおいに救われています。

島根県と云うより、石見銀山あたりだけかもしれないけど、例年3月になってひな祭り前後は寒の戻りの時期で、肌寒いと云うより朝夕の冷たい風が身にこたえるほど寒くなることも多くて、ひどい年はこの時期に春の淡雪が降り積もったりもするくらいですが、おかげさまで今年はそういうことも無くて助かりました。
せっかくいい天気でもあるし、また日が変わると雨になるようなことも言っているしするので、急きょ夕方から間仕切り用に制作した彫刻の1部を施主さんの家まで運んできました。
施主のTさんは丁度仕事の会議中だったので、一応断りをして彫刻を養生しながら5mくらいの路地と階段もあるアプローチを歩かせて運んでいると、会議を終わって駆けつけてくれたTさんが途中から手伝ってくれました。
予定の場所に設置が終わってあらためて見直すと、正に寸法どおりで予定通りの配置になっていて安心しました。
制作を依頼されて彫刻を造ることなど、本当に久しぶりのことだったので、適度な緊張感も持続しながら制作に集中出来てとてもありがたいことでした。
これから今の彫刻展が終わるまで会場に展示してある残りの彫刻も4月になってから搬入することになっています。
依頼があって材料を注文してから半年くらいの制作期間を使いましたが、久しぶりにお金には換えられない充実した日々が続いています。
初午祭が終わって、お彼岸までにはTさんの同じ家の2階ロフトへの階段も制作する予定です。

自分の個展の作品制作のこともあったので、近作というか新作というか、この半年の間に大小あわせて20点近くの彫刻を造り続けています。
人生のほぼ4分の3を終わって、これからあとは死ぬために生きているようなものですが、それでもひとまずは、まだ一人で80kg以上の彫刻を歩かせることも出来ているし、1日中工場に閉じこもって制作を続けるだけの集中力と持続力も残っているし、この調子だと、大病でもしなければ、もうしばらくは彫刻を造り続けていられるような気がしているところです。
3月の16日で今回の個展はひとまず終了しますが、その前日には吉田の彫刻展のためにわざわざ徳島からおなじ金属彫刻作家の知人が訪ねてくれることになりました。
本当にありがたいことです。
制作と発表を続けているからこういう仲間付き合いも続けていられるのだとつくずくそう思います。

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ひな祭りの朝 

2014/03/03
Mon. 09:27

いつもギリギリで登校しているキーポンが、珍しくいつもより1時間も早く自分で起床して、いつもより30分ほど早く登校して、おかげさまで自己虫ノロノロ迷惑走行に遭遇することも無く自宅と高校を往復してきました。
途中温度計が2度。
まだまだ冷え込む寒さですが、見上げると三層の雲が適度に混在して春の空を思わせます。

展覧会場を石見銀山の町並みへ移動して、田んぼの彫刻も手直しして、吉田満寿美の彫刻というよりインスタレーションを設置してスタートした3月の彫刻展も、早々から色々外せない用事があって、なかなか会場に常駐することが出来ない状態が続いています。

本当に、本当に、久しぶりに万善寺のお寺参りがあって、張り切ったおかみさんが、前の日から煮しめや天ぷらなどせっせと作って、度が過ぎるほどのおもてなしになりました。
私の方は、年寄りの東堂さん夫婦が朝夕お参りの日々で散らかり放題の本堂の掃除からはじめて、雪もほぼ溶けた庭に箒のはき目を入れたりと、忙しく作務をして、大衣に着替えて一通りのおつとめをしました。
やはり、同じ般若心経でも、須弥壇に向かってのおつとめは気が引き締まります。
このたびの法事の塔婆の裏書きには、「春来草自生」と書きました。
なんとなく気持ちも春めく感じです。

展覧会のことも心配なので法事が終わって一段落したら直ぐに石見銀山へ向かいました。
途中、展覧会終了後の彫刻を設置させてもらうレストランへ寄って、雪解けの具合を確認しました。
ほんの1週間前に寄った時はまだ雪に埋もれていた彫刻も、全体が見えるほどになっていて、赤名高原も確実に春が近づいています。

吉田満寿美の展示具合を確かめてみると、吉田正純の鉄サビの地味な彫刻のすぐ隣で女性らしいカラフルな作品が田んぼいっぱいに散らばっていて、一気に春が来た感じです。
「なんか場違いで、苦情が出ないかしら・・・」
女流彫刻家の心配が少し意外でした。
「そんなことを言ってくるようだったら、世界遺産石見銀山もその程度のものさ・・」

3月3日ひな祭りの石見銀山は、少しずつ日差しが強くなっています。

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吉田正純・吉田満寿美野外彫刻2人展スタート 

2014/03/02
Sun. 07:08

だいたい毎朝決まったように5時前後にゴソゴソ起きだしてひとしきり吉田家の隅々までウロウロと出口を探して歩きまわって外に出れないとわかるとウンコかシッコをして朝飯を食べて2度寝という猫のクロ。
一方、猫のシロはワイフが起きだすと一緒にあとをついてきてワイフの膝をねらってゴロゴロあまえまくって朝のくつろぎのひと時を過ごしたあと朝食を食べて満腹になったら今度はクロに甘えて寄り添って寝ています。

猫と云うものは、本当に人の都合を無視して自由に生きてるなぁと思います。
それに、人をよく観て自分の立場を正確に把握していて、気がつくと人間を上手にこき使ったりしていて、なかなか腹黒くて執念深いところもあったりします。
ペットというより人間と気楽に同居しているかんじがして憎たらしいところでもありますが、その媚びない白々さがまた良かったりもします。

吉田家の朝はだいたいこんな感じで覚醒していき、同時に私の脳味噌も少しずつ活動を開始することになって、目覚めのコーヒーや場合によっては自家製ブレンド茶などをすすりながら、プチプチとキーボードを打ちはじめます。
だから、今も正にその真っ最中と云うことになります。
そうこうするうちにだんだん前日の出来事が思い出されてきて、主立ったところを記録することになります。
朝が忙しいときは、キーポンを送ったり用事をすませたりして少し落ち着いてからプチプチの後半戦にとりかかります。

猫がドタバタと動き始め、ワイフがゴソゴソ起きだして、それが目覚まし代わりにオヤジが目を覚まし、最後にキーポンが叩き起こされる・・という毎日が続いていたら、まぁ、それなりに吉田家は平和であるということです。

さて、吉田正純鉄の彫刻展も3月バージョンに突入しました。
時折思い出したように曇り空から落ちてくる霧雨を気にしながら石見銀山の町並みを代車で何往復かして運んだ彫刻の展示作業を午前中のうちに終わらせて、午後からは工場に投込んでいた展示台などの展覧会備品を整頓し、ワイフの帰宅を見計らって夕方になってから展覧会場をのぞいてみると、薄暗がりの中で若い女の子が私の彫刻をのぞき込んでいてビックリ。
3月版展覧会が早速お客様の来場でなかなかの好スタートを切ったところです。

その娘は高校の時から知っていて、絵を描くのが上手でなかなかのがんばり屋さんで、沖縄の大学へ進学して、苦学して卒業して、島根県のあの有名な足立美術館へ学芸員で就職して、数年間みっちり働いてお金を貯めて、新天地を求めて京都へ移住して今に至る娘でした。
電話やメールなどでの会話が時々あったくらいだったので、久々の再会になりましたが、昔と全然変わっていなくて、むしろ元気になった感じがして、田んぼの彫刻など散策しながら会話が弾みました。
その後、吉田満寿美の彫刻展示のこともあったので、日が落ちる前に別れて、それから暗くなるまで彫刻移動の作業が続きました。

今日はこれから半日かけて田んぼへの彫刻展示作業が続く予定ですが、私の方は法事で万善寺。
私が般若心経をよんでいる裏番組で、ベテラン女流彫刻家吉田満寿美のパフォーマンスが繰り広げられることになります。

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2014-03