工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ポトラックパーティー 

2014/04/30
Wed. 09:07

絵本作家の一美さんはワイフの後輩で、学生時代は日本画を勉強していた。
ワイフは造形学で金属彫刻を勉強していたから学生時代の接点はなかったようだ。

吉田一家が石見銀山に移り住んだ頃、一美さん一家はそこから30分くらい出雲よりの古民家を改修して子育てをしながら絵本を描いていた。
類は友を呼ぶという感じで、いつとはなしに幾つかの接点が出来て、気がついたらお互いが知合いになっていた。
特に親しい付き合いもないが、別に疎遠で避けているわけでもない微妙な距離関係がなかなか良い具合で、何かの節目にはどちらからともなく急接近する・・・そんな関係がもう何十年も続いている。

その一美さんが、子育てを終わって渡米する事になった。
もともと大学を卒業してからしばらくの間アメリカで暮していたから、今回はその仕切り直しになる。
例の9.11があってから、アメリカへの渡航はとても厳しくなった。
一美さんも、数年間はアメリカ暮らしが続くからビザの関係や画材などの荷物の関係がなかなかうまくいかなくて苦労したようだ。
それでも、成長した子供がすでにアメリカで暮しているし、昔の伝手で絵本の仕事などもあるしで、ひとまず渡米してしまえばしばらくは何とかなる感じではあるらしい。

問題は日本の島根の例の古民家とそこで同居する猫。
それを自分が留守の間何とか維持しなければいけない。
結局八方手を尽くしてやっと最近猫の世話代で留守居をしてくれる人が見つかった。
その留守番人も私の知合いなのだが、これも付かず離れず適度な距離をもって今に至っている。
いずれにしても、そこそこクリエイティブな人たちが自分の周辺に暮しているという事は適度な刺激になって良い。

一美さんの渡米話も、1・2年の間だれか猫の世話をしてくれないかというメールが入り込んで知ったようなもの。
猫というと、我が家のおてんばシロちゃんは、まだ小さい頃にどこからともなく一美さんの家に転がり込んでいた野良猫だった。
その引き取り手を探すのもメールだった。
結局、イロイロアレコレあって一美さんがそのシロちゃんをつれて吉田家へやってきて、そのまま預かる事になって今に至っている。

まぁそんな事情でつい先日、渡米前のささやかなポトラックパーティへ招待を頂いた。
丁度その日はすでに予定が入っていたので、ひとまずワイフの力作を先渡ししておいて、夕方になってから猫と暮す一美家へお邪魔した。
久々に見る顔が集まっていて楽しかった。
さて、写真はその時の記念撮影。
一美さんご本人はどなたでしょう??
そのうち吉田家もさりげなくネタをつくってポトラックパーティーやりたいな!
ネッ、まっちゃん・・

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昭和の日 

2014/04/29
Tue. 09:29

いつものようにキーポンを学校まで送っていたら、どうもいつもの朝と様子が違っておかしいなぁと感じた。
帰る時もいつもの車の流れと違っていて、2台前には石見銀山の会社へ出勤の知合いがノンビリと走っていて、その前の車もこれといって急ぐ様子もない。

帰宅したら「洗濯できてるから干しておいて」と珍しくワイフから用事をたのまれた。
いつもの勤務の服装と違うなぁと思っていたら、今日は午前中アルバイトだという。
何気なくそんな話を聞きつつ、ワイフの仕度を見ながら猫と戯れつつ、
「そういえばキーポンはいつもの制服きてなかったなぁ〜・・」とか、
「学校の駐車場閑散としてたなぁ〜・・」とか、
「朝の通勤ラッシュがなかったなぁ〜・・」とか色々思い出した。
そして、頼まれた洗濯物を干しつつ、石見銀山の駐車場で朝からガードマンがウロウロしてたことを思い出してやっと気付いた。
「今日は祭日だ!」
ワイフとキーポンが「昭和の日」がどうとか言っていた事の意味がやっとわかった。
毎月28日はお不動さんのご縁日だとか云う事はちゃんと覚えているのに、世間の常識は完全に何処かへ飛んでいってしまっている。

その28日に万善寺のおかみさんの実家でお祀りしているお不動さんの供養にお参りしてきた。
私の代になってからは、だいたい毎年春の4月か5月のご縁日にあわせてお参りするようにしている。
東堂さんもそうだが、昔の人はいちいち謂れとか信心とか丁寧にお話しないでもだいたい先代からの言い伝えで心得ているようなところもあって、ひと通りのお経をあげて回向をすませて世間話でもしながらお茶でも飲んでそれで終わりだったりしていたのだが、最近では行く先々でなんで毎年こんなことをしなきゃいけないのかと、面倒がられたりする事が増えた。
お経の時間より謂れや信心のおはなしの方が長くなったりする事もしばしばで、昨日も玄関先の立ち話が延々と続いた。

毎年同じように確実に歳をとって、去年のおはなしを1年のうちに忘れてしまっていて、今年になって1年ぶりにリピートする事もよくある。
そのうち自分も1年前がどうだったか忘れてしまってわからなくなる時が来るだろう。
考えようによっては、軽く簡単に忘れてしまうほうが、ウジウジと昔の事やイヤな事をしつこく覚えているより気楽で良かったりするかも知れない。
大事な事も一緒に忘れてしまったするのはやっかいだけど、若い頃と同じようにはいかないわけだし、歳相応に歳をとるという事は、有る意味で合理的で都合の良い事であるような気もする。

何時までも現役で華々しかった頃にしがみついているのも往生際が悪いものだと思う。

写真 1

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吉田家親子事情 

2014/04/28
Mon. 09:53

じゅん君がタクトデビューするというので、吉田家家族で松江の先の方まで出かけてきた。
キーポンのリクエストもあって、途中出雲で寄り道してお買い物をしたり昼食をしたりしてノンビリしていたら、コンサートの開演時間がせまっていて少しあせった。
ワイフの迷ナビーゲーターで若干道に迷うも、無事に会場へ到着することが出来た。

松江も含めて島根の東の方はもう何年もまともな用事から遠ざかっていて、アチコチぐるぐる回り歩く事もないから、知らない間に新しい道がどんどん出来ている。
昔の古い道は記憶の隅に若干残っているものの、周辺の宅地造成や新しい道との整合性に欠けるから、どこをどう走っているのかチンプンカンプンでGoogleマップに頼るしかない。
東西に長い島根県の行政や経済事情の格差がこういう時によくわかる。

コンサートの方は、2・3年生の吹奏楽部員15人ががんばっていた。
じゅん君も一生懸命タクトを振っていた。
1年生の新入部員も7・8人いて、緊張しながら歌をうたっていた。
高校を卒業して、大学を卒業して、吹奏楽の演奏会もしばらく遠ざかったまま久しぶりの学校生活が始まったところだから、じゅん君もなかなかペースが掴めないまま1ヶ月が過ぎた感じだろう。
ひとまずは春のひと山を乗り切って、これから夏のコンクールに向けて上手に気持ちを切り替える事が出来るかどうか・・・オヤジとしては少し心配になる。

いずれにしても、オヤジと違ってじゅん君にはまだ長い人生が待っているし、苦労はあってもいままで自分の好きな道を歩いてここまできたのだから、このまま初志を通してもらいたいと思う。
夜になって、あと少しで午前0時という頃に、なっちゃんから電話が入った。
その時間までノッチと姉妹仲良く飲み歩いていたらしい。
「そんなに何時までもプラプラ遊んでいないで、早く孫の顔でも見せてくれよ」
「あと5年のうちには見せてあげるから待っとき!」
「じゃぁ、2・3人はたのむわぁ・・」
「それ無理!・・それより孫できても孫の成人式見るの難しいんじゃない」
「・・・・確かに・・・」

あいつら、夜中に酔っぱらっていても、ちゃんとオヤジの将来冷静に読んどりました・・
当たっているだけに若干悔しい・・
吉田家は確実に世代交代しつつあります。

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月を追いかけて 

2014/04/27
Sun. 05:19

もう連休に入っているような気もするが、現代彫刻小品展の要項作成や作家宛発送などを急がなければいけないから、ほぼ1日中書斎にこもって原稿を書いて印刷ばかりしている。
背中や腰が固まって身体がギシギシ軋む。

夕方はキーポンのピアノ教室で送迎をした。
待ち時間に電子書籍のサンプル版をチェックしていたらアッという間に時が過ぎた。
少し前よりまた日が長くなった。

夜中に猫が騒ぐので目が覚めてしまった。
文字ばかり見ているから脳みそを使いすぎて気持ちが高ぶっているのかも知れない。
結局なかなか寝つけなくなってしまって、それにバックアップでスイッチの入ったハードディスクが変な音を出しはじめたりして、いろんな音が耳につきはじめてよけいに目が冴えてくるし、しばらく我慢して気を紛らわそうとしたが、それも無理だからあきらめて電気をつけた。

久々にDVDの映画を観た。
このところインターネット配信の映画やドラマが充実しているので、趣味の娯楽はほとんどそれで済ませている。
我が家の視聴覚ライブラリも2年以上前から増えないまま今に至っている。
手付かずで棚のディスプレィと仮しているからディスクにカビが生えているかも知れないと心配したが大丈夫だった。

スタンドバイミーは私が島根に帰って2・3年した頃にやたらと世間で流行っていた。
当時はまだレンタルビデオなど初期の頃だったが、定価30万円もしたHiFiステレオのベータデッキの中古を知合いが半額くらいで世話してくれて、それに飛びついたばかりの頃だったからなんでもが珍しくて、松江にあったレンタルビデオ店まで2日に1回は通っていた。
それから少しして出雲にもレンタルビデオ店が出来た。
丁度松江と出雲と同じくらいの距離にあるところに住んでいたから、ひと頃は毎晩のように松江と出雲を交互にいったりきたりしていた。
そのような暮らしが慣れてきてしばらく経った頃にスタンドバイミーがビデオになった。
評判がよかったから結構期待していたが、正直自分にはそれほど感動は伝わらなかった。

「月を追いかけて」という映画が、スタンドバイミーの2・3年前に出来ていて、たしかキネマ旬報の何処かでそれを知ったように記憶しているが定かでない。
とにかく、ショーン・ペンとニコラス・ケイジが出ているという事が気になって覚えている。
あの頃、ショーン・ペンはマドンナと結婚していたということで世間では有名だった。
ニコラス・ケイジはコッポラの親戚だということらしいが、私は彼を「バーディー」で始めてみた。
バーディーはマシュー・モディーンが主役だと思うが、ニコラス・ケイジのほうが絶対良いと思って見ていた。
その、「月を追いかけて」は結局日本では劇場で上演されなかったと思う。
待てど暮せどビデオにもならなくて、それから10年くらい経って忘れた頃にレンタルでやっと見る事が出来た。
自分にはとてもシックリ合って、何度も何度も見返した。
それからまた10年近く経過した、つい10年ほど前にDVDになっていることがわかって、すぐに飛びついた。
だから、現在は我が家の家宝・・というより、私の宝物になっている。

猫にたたき起こされたから、「月を追いかけて」を久々にパソコンのモニターで観た。
音はヘッドフォンで聴いた。
泣けた。
やっぱり不覚にも泣けた。

ストーリーは・・気になる方は、何処かで現物を探して自分でチェックしてください。
吉田はとてもいい映画だと思っている。
スタンドバイミーよりいい映画だと思っている。

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アートワーク 

2014/04/26
Sat. 09:37

「明日は私がキーちゃん連れて行くから」
前の夜にワイフがそういってくれたので朝から少しゆっくりしている。
土曜日はいろいろお買い物に特典があるらしいし、少し前から歯が痛いと言っていたキーポンを歯医者へ連れて行くという事を約束していたようだ。
結局キーポンは連休も関係ないで部活が続くようで、今どきの高校生の部活はブラック企業並に忙しく感じる。
もっともキーポンにとっては自分の好きな事が出来ているのだからそれはそれでいいのかも知れない。

忙しいというと長男のじゅん君が明日の日曜日にタクトを振る。
4月から島根県の中学校で音楽講師を始めているが、勉強と仕事と部活とで毎日忙殺されている上に例年の定期演奏会がすでに決まっていたらしく、その準備などで眠れない毎日を過ごしている。
先日も夜の11時過ぎに電話したら、ついさっき帰ってきたところだと言っていた。

毎日アチコチで色々な事がありますなぁ・・・
そんな忙しさの中、昨夜は石見銀山町内でワークショップの打ち合わせと予行練習をした。
みんな自分の仕事を持っているからそれを何とかやりくりして集まってくれたが、それでも急に会議が入ったとかで欠席になったメンバーも出た。
ワイフが気を利かせてくれて、旬のタケノコを使って春巻きや炊込みご飯の夕食を作ってくれたり、ノリちゃんがおにぎりやお茶を持ってきてくれたりした。

今度の連休に近所の廃校になった小学校でワークショップをする。
ランチルームでのワークショップはこれで2回目になるが、せっかくだから何か春らしい企画を用意しようと、今まで何回か打ち合わせしてリューターのガラス絵をすることにした。
何もなければ廃棄してしまうガラスの空き瓶をノリちゃんが集めてきてくれて、それに好きな絵を描いてもらう。
私はリューターも含めて商売柄電動工具を筆やペンのように使う事もあるからどちらかといえば道具に慣れているが、そうでないメンバーもいるので練習も兼ねて集まってもらった。
世間話で口を動かしながら同時に手も動かしつつ、さりげなくデザインも考えたり、それなりのアートワークを楽しんだ短時間だった。

これから制作手順の解説書や、原画の用意などを手分けする事になった。
当日はいっぱいお客さん来てくれるといいなぁ・・・

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表現者の1日 

2014/04/25
Fri. 10:29

島根県具象彫刻の重鎮で、江津市に在住の彫刻家田中さんを訪問した。
歳は私より10歳くらい上だろうが、彫刻家としての作家歴の差はそれ以上のものと、改めて感じた。

プラプラと根無し草の生活を続けていた私が、そろそろ落ち着こうと自覚してワイフと結婚して島根に帰って彫刻を造りはじめたのは30歳少し前だった。
この時点ですでに島根に根付いてコツコツ彫刻を造り続けている田中さんの作家歴と10年の開きがあるからトータル20年は私より余計に制作を続けていらっしゃるわけだ。

今回、現代彫刻小品展のことで色々図々しいお願いをしたら、そのことは、実にこころよく簡単に引き受けていただいた。
だから話はそれで終わってあとは失礼するだけの事だったのだが、そこからが長かった。
色々積年の思いがあったのだと思う。
聞くところによると当初独学で彫刻を始められたらしい。
今では日本を代表する根付け彫刻家としてその筋では広く知られているが、島根の彫刻振興に関しては苦労していらっしゃるようで、そのようなこともあって、私の事を同好の士と思って下さったのかも知れない。

とにかく、島根県は彫刻過疎地であることに間違いはないので、狭い業界に蔓延する色々な私恨や思惑は水に流して、世代や表現領域を越えた広く柔軟な付き合いが出来るといいと思っている。
少し前から現代彫刻小品展のことでワークショップ講師の依頼や会場との調整や事務的なところから本格的に動き始めたが、ガードの堅い県内の彫刻家の協力を得る事は難しい。

帰りの道中、アレコレ悩んでもしょうがないのでひとまずは目先の事実に向き合っていこうと気持ちを切り替えた。
だからというわけでもないが、帰宅してから久しぶりにグッピーちゃんの水槽を掃除した。
狭い水槽の劣悪な環境の中でかるく10年以上は世代交代を繰り返しながら生き続けているので、彼等はすでに野生に戻っているかも知れない。
側面の汚れは限りなく不透明にこびりついているから、日常の暮らしの中で彼等の様子を鑑賞して癒されるなどと生温い感情はすでに消えた。
それでもこうして水を入れ替えたりフィルターを交換したりしていると、親しげにぴょんぴょん飛び跳ねて指先をつついてきたりするほど慣れている様子はかわいい。

夜になっていつものようにキーポンを迎えに出かけた。
「今日は映画を観よう!」というので、「そんなことより、やらなきゃいけないことがあるだろぉ〜」と思ったが、誘惑に負けてコンビニへ寄ってポップコーンと麦とホップ500㎖を買ってしまった。
夕食が終わって、本当に久しぶりに家族3人でフランス映画の「オーケストラ」を観た。
二時間近い映画の最後の15分位がチャイコフスキーのバイオリン協奏曲のコンサートシーンになる。
音楽の事はよく分からないが、チャイコフスキーにはもっとドラマチックで有名な楽曲がいっぱいあるのに、やはりこの映画にはバイオリン協奏曲が一番だと思う。もっとも、ストーリの要になっているのだから当たり前の事だが・・・
演奏のシーンの一見ガサツなところが良い。
私が思うに、フランス映画にはだいたいそんな感じが漂っていて、だから言いたい事に一本太い筋が通っていて、それがシンプルで気持ちが良い。
美しいバイオリンのソリストのメラニー・ロランが良い。
たぶん、かなりバイオリンを練習したのだと思う。
吹き替えだろうオーケストラの演奏も、微妙に癖があって上手だけでない味のある良い演奏だったと思う。
それに、個人的には、マーラー・・確か「巨人」??が使われていたのが良かった。

表現者の一人として色々考えさせられた一日だった。

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島根ロンサム・ロード 

2014/04/24
Thu. 09:48

島根県の中西部をぐるっと一周した。
自宅に帰ってきたら結界君の走行メーターが200キロメートルを越えていた。
リッター160円を突破している燃料代もバカにならない。
自転車ドライバーになろうかと真剣に思ったりしつつも、軟弱で体力の無いオヤジは実行する前にすぐに挫折する。

午前中に資料をまとめて浜田世界こども美術館へ移動。
館長さんと責任者の栗栖さんに展覧会開催内容の説明。
美術館の都合に合わせて微調整。
オヤジの愚痴を若干吐露。
会話が湿っぽくならないうちに退散。
九号線を東進して、江津から江の川沿いをひたすら南下。
春の風が心地よくて先ほどの湿っぽい話題も何処かへ飛んでいってしまった。
頃合いを見てワイフの愛妻弁当をパクつく。
チキンオヤジにチキンの唐揚げは絶妙の旨さ。
春の農繁期を前に江の川の水量を気にしつつ完食。
知人のお百姓オヤジのFBを思い出した。

〜〜〜〜〜〜〜〜
江の川流域では 大変なんです。
昨日は日曜日、田圃の代かきに皆さん性を出されて
江の川が、濁っています。田圃の水を満水にし止水すること無く
かけ流し状態で、大型トラクターで作業をするとこうなるのです。

家の前に流れる生田川はモット状態が悪いです。

そんな江の川に、今日鮎の稚魚を放流していました。
ブラックバスや鵜に食われて歩留まりが悪いとか漁協は言いますが、
今日の現実を見ると???です。

結局 かけ流し状態で田圃の代かきをすると 水中にシルト質が増え鮎の餌になるミズゴケが付き難く成ります。 そして そんな 水の中に離れた子鮎たち
水の中に酸素があるのでしょうか?

色々 感じた 半日でしたよ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
現場に暮す人にしか分からない悩みです・・・・
農業も漁業も、第1次産業の要。
これは社会構造の基礎で、これがグラツキはじめたらもう終わりだね・・って、日本再生はすでに無理かも・・

そんなことを考えながら江の川沿いから中国山地の赤名高原へそれて目指す先は集落センターの来島公民館分館長会議。
花田植え、神楽、囃子などの伝承事業。
少子高齢化対策、保小中高一貫事業。
健康づくり推進事業。
などなど、公民館や分館の連携強化がとても大事だという事を痛感した会議だった。

ナンチャッテ坊主は今年度の1年間分館長を務める事になりました・・・

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平和 

2014/04/23
Wed. 09:41

「平和とはどういう意味ですか?」と質問された。
檀家さんの法事の席でのことだ。
「他の宗教は分かりませんが、曹洞宗では平和という解釈は聞いた事がないですねぇ・・」と答えた。
正しい答えかどうかはわからない。
仏教の学校で勉強している訳でもないし、宗門の教典を読破している訳でもないナンチャッテ坊主はその程度に答えるしかない。

話題を逸らすかも知れないがと前置きして、「仏教上で「福」の解釈は比較的重要なポイントに位置づいているようですねぇ」と続けた。
めちゃくちゃザックリいうと、「苦では不い」で「不苦」と言うことが転じて「福」となったといわれているようだ。
自分の心にある「苦」を強く意識し認識する事で、「苦」を追い払ってしまおうと思惟する行為が転じて「福」となることを望んだわけだ。
つまり、福とは苦に打ち勝った先に現れる理想であり希望である存在ということになる。
そして、苦に打ち勝つことが修行であり信仰であるのだと続く。

さて、平和とは何かを仏教的に解釈しようとする(べつにそこまでする事も無い気がするが・・)と、自らを「苦」から解き放つ考えや行為に近い事なのかと思ったりする。
自分の心に生ずる様々な欲や相対的思考が心の乱れに通じ、それを過激な方向に向かわせる要因として認識した場合、それらの要因を断ち克服することが平和に繋がることになるのではないか。
そのあたりのところで仏教を信仰するという精神性が認識され、それをかたちや様式におきかえる現実的行為が修行であるのではないか。

先人の知恵は、あの世の彼岸を「平和」とみなして飲み込んで解釈する事で、この世の此岸の大小様々な苦しみを乗り切る手段としてきたのではないのだろうか。
私が住み暮す島根の片田舎の過疎化が進む飯南町赤来高原や石見銀山の近所の方では、花田植えのシーズンを迎えている。
地元の小中学校も特別時間割で地域と密着してお祭を支援している。
地域の伝承的行事は様々な神事仏事の由来で今に残り、また復活している。
世界に散らばる年中行事も「不苦」の祈りに起因している気がする。
21世紀になってから、各地にフラッシュモブの輪が広がっている。
一人ひとりの「不苦」の願いがかたちになってみえる。
そこには、政治や経済の戦略とは一線を画した純粋な表現活動がある。

何をもって平和とみなすかは、人それぞれの生きる条件や環境によって様々に違う。
そのような形而上学的ラビリンスにはまりこんでしまうと、それこそ夜も眠れなくなって「不苦」どころの話ではなくなってしまうが、平和はそういう小さな不苦を克服する一人ひとりの現実的行為の積み重ねの先に現れるもののような気がする。

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弘法大師尊前並びに其家先祖代々回向 

2014/04/22
Tue. 09:47

この時代の島根県の片田舎に大師講が残っているところがある。
大師は弘法さんのことで、講は講会のこと。
毛利元就さんの関係で浄土真宗の報恩講は島根県でも盛んに行われているが、弘法さんの大師講が残るところはあまり知らない。

昔は万善寺でも観音講をしていた事があって、春の今ぐらいの頃の観音さんのご縁日に合わせて幾つかの集落に老僧が出かけていた事を覚えている。
住職も檀家も代替わりした今では、講の話題も絶えて、時々お年寄りの昔話で出てくる程度になった。

時代の流れと一言で片づける事は楽な事だが、どうも万善寺の寺務経営は失敗の連続だったように感じる。
私がもっと早いうちから寺務に口を出していればもう少し違ったかも知れないが、こどもの頃から坊主一筋で一つ覚えの潰しの利かない専業坊主を通してきた東堂老僧の性格を考えると、それも彼の人生を否定してしまうような気がして見て見ぬふりを通してきた。
これから万善寺がどう転んでもあとは私の責任であるから、そのあたりは外野が何をいってきても腹はくくっているつもりだ。

さて、大師講のこと。
寺務経営を上手に展開して田舎の山寺ながら法類親族縁者上手に手を取りあいながら発展を続ける禅寺もあって、今の万善寺は時々そのような立派な寺からお付き合いのお呼びをかけていただいたりして日々をしのいでいる。
とてもありがたい事なので大事にお付き合いさせていただいている。

東堂さんは塔婆回向やご詠歌が得意で、元気だった頃はそのことで遠くの寺まで出稼ぎをしていた。
だいたい坊主の師弟関係は口移し(kissではないですよ)で色々な事を覚えていくから、万善寺もそうするのが普通だが、私の師匠であり父である東堂さんは、変なところで職人気質のようなものがあって、自分の技を人に伝えることを極度に拒み、何かと理由をつけては後回しにしてきた。
だから、私は彼の技を盗み取るしかなくて、それに自分の解釈を加えてオリジナルを仕立てている・・・といえばカッコいいが、要するに自己流のナンチャッテご詠歌で世間を煙に巻いているという訳。
まぁ1年に1回の事なので節回しが出鱈目でも歌詞が合っていれば内容が変わる訳でもないし、東堂さんからの何ヶ所かのツボをおさえて今までしのいできた。
至れり尽くせりの暖房で大汗をかきつつ50枚ほどの弘法大師尊前並びに其家先祖代々回向塔婆を歌い上げた。
春先の肌寒さに慣れた身体が閉切った本堂の巨大なファンヒーターの暑さで悲鳴をあげた。

弘法大師さんのご縁日は毎月21日になっています。

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自覚 

2014/04/21
Mon. 11:41

島根の片田舎で暮していると彫刻のことが話題になる事もほとんどないし、彫刻を制作している同業というとワイフを除けば片道数十kmも車を走らせてやっと一人いるかどうかの過疎だから、よっぽど自覚して日常の何処かへ彫刻に関係する刺激を過不足なく植え付けるようにしておかないと、どんどん感覚が鈍って退化してしまう。
本当は、工場にこもってコツコツと制作を続けていれば、そういう毎日の中で新しい発見もあったりしてそのようなことが繰り返される事で次の展開に繋げやすくもなるのだろうが、なかなかそれも難しくて曖昧な日々を過ごしている。
ザックリいうと1年の3分の1くらいは山寺の和尚さんで仕事をしているから、和尚さん的立場で彫刻の事を話題にするなど無いし、そんな自分は本当に彫刻家だと言えるのだろうかと疑ってしまう事もある。

法事の席で、久しぶりにというより、住職になって初めてといっていいほど彫刻とデッサンの話題で花が咲いた。
施主さんのご親族が、偶然に私の彫刻が点在する石見銀山の古民家で1泊される機会があって、その夕食の席で「万善寺の和尚さん」のことが話題になったのだそうだ。
それで初めて彫刻家の吉田と和尚さんの吉田が結びついて盛り上がったらしい。
興味関心を持つという事は大事なことだと改めて思った。
彫刻に興味を持っていただいたおかげで、仏事の席で彫刻の話をする機会を得られたという事であって、それは何よりありがたい事だ。
一方、年回の事やら永代供養のことやらと、やたら生々しい仏事の質問攻めにあい、ピカソの絵や岡本太郎の彫刻のことで質問されたりして、難しげな専門用語を多用する事もはばかられるし、仏事にしても彫刻にしてもやさしく分かりやすい言葉を返すのもなかなか難しい事だと改めて感じた。

帰宅してトイレにこもって、いつものトイレ書架からいつもの安西水丸さんの文庫本を引き出して読みかけの続きを見ていたら、彼のデッサン力というか、眼力というか、観察力というか、とにかく表現力の凄さに改めて気付いた。
1本1本の線にデッサン力のいやらしさを感じないところが良い。
長い間に何度となくものを写しとったりイメージを描き出したりしていると、自分が知らない間に変な理屈っぽくて見た目の格好だけの線が見えてきたりしていてガッカリする事がある。
お経を読んでいる時も似たようで、気がつくと内容も意味もろくに理解できていないのに、うる覚えで暗記したお経に字面を重ねて追いかけているだけだったりして、知らない間に形骸化された様式に慣れてしまった自分がイヤになる事がある。

「和尚さんは作家でいうとどなたがお好きですか?」と質問された。
「同業ですから特に好き嫌いはありません」と答えた。
正しく伝わったかどうかわからないが、自分の未熟さを自覚することに好き嫌いは一番の邪魔者で障害だと思う。

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春の夕日 

2014/04/20
Sun. 07:48

久しぶりに法事があった。
上法事(寺にお檀家さんがやってきて法事をする事を万善寺では「あげほうじ」といっている)で施主さん以下10人さまの団体。
今どきこの多人数は珍しい。
年回は17回忌と50回忌が二つで、計三つを一つにまとめてお務めしてくれとのことで、塔婆も三枚書いた。
これもなかなか珍しい。
色々事情があるだろうが、年回法事もやらないですます事の増えた昨今、まぁ三つまとめてもやるだけましだと思うしかない。

あえて俗っぽく世知辛い事をいえば、1回分のお布施で三つ分の法事をすませる訳だから坊主の暮しもなかなか成り立たない。
いっそのこと、きっちり4時間半かけて3回分のおつとめをしてやろうかとも思ったが、それも大人げないからやめた。
それで今日は別のお檀家さんで法事。
これも塔婆を2枚書いたので、内情はくどくど言わなくても分かるでしょ。

ご先祖さまもまともに供養してもらえない事が増えてきた。
もっとも、家が絶えてお位牌の引き取り手もないことも増えているから、宗教法人の総合的見解で善後策を協議して指針を示す事も必要な気もするが、そのような事はチンピラ坊主がいちいち考えなくても、すでに何処かの偉い坊さん方が取り組んでいらっしゃるのかも知れないけど、それも過疎地の山寺の和尚さんの希望的見解程度の事でしょう。
都市部周辺の新興住宅地にあるお寺では年々お檀家さんが増えて忙しくしていらっしゃる事も事実ですからね・・
戦後の高度経済成長を支えてリタイヤして往生の皆さん方の行く末は実に寂しくはかないものですなぁ・・

なんとなくグッタリ疲れて帰宅して、そのまま書斎にとじこもってメールチェックなどしているうちにウツラウツラと寝てしまっていた。
真夜中に猫に起こされたりしているからよけい疲れたのかも知れない。
近所のご夫人が珍しく何年ぶりかで訪ねてきてしばらく話し込んで帰っていったあと、キーポンのピアノ教室につきあって、そのついでの待ち時間に日本海まで足を伸ばした。
日が長くなったと思う。
それでも沈む夕日の絶景には少し送れてしまった。
春霞もあるし、春は好きだが地球が奇麗なのはやはり晩秋からだなぁと、改めて思った。

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自己嫌悪 

2014/04/19
Sat. 04:48

猫のクロに起こされて眠れなくなってしまった。

クロは2年前に吉田家長男のじゅん君がバイト先から連れて帰った。
側溝のU字管の中で弱々しく鳴いていたところを見つけたらしい。
やっと目が明いたくらいで弱っていたせいかフラフラとヨチヨチ歩きがやっとだったが、それなりに元気だった。
ちょうどその年の2月に長い間同居していた老犬が永眠したところだったので、なんとなくチビクロネコを飼いはじめる事になった。
そのときのワイフはどちらかといえば猫嫌いで、口ではかわいいと言いつつ、そのまま飼い続ける事には難色をしめしていた。
一方、どちらかといえば猫好きの私は、お尻を刺激してウンコを出したり、オチンチンを刺激してシッコを出したりして少しずつトイレのしつけをして、指を吸わせたり噛ませたりしながら人との付き合い加減を覚えさせたりした。
そうやって少しずつ大きくなってくるとだんだんオス特有の行動形態も出てくるようになって、我がままも出てきて、それなりにオス猫の性格が固まってきた。
これといって決まった名前をつけないまま暮していたが、情が移ってかわいがりはじめたワイフやキーポンがアレコレ勝手に名前を付けて呼びはじめたので、結局白っぽいメス猫が来た時に「クロ」という名前に確定した。
そんなふうに安直に命名したものだからいまだに名前を呼んでも返事もしない。・・が、自覚はしているようだ。

猫という生き物はなかなかペットとは言いにくい生き物だと思っている。
犬のように芸を覚える訳でもないし、人間に媚を売る訳でもないし、自由に勝手に1日中ゴロゴロしている。
目が覚めている時のオスは、飯を食べている時意外とにかくメスの尻を追いかけてばかりいるから、なかなか家猫になりにくい。
そんなこともあってメス猫をあてがってやったところもある。
人間もそうだが猫にも相性があって、性格が違っても仲が良かったり、似たような毛並み顔つきをしていても仲が悪かったり、なかなか微妙なところで好き嫌いがはっきりしている。

吉田家のクロはハッキリ言ってオヤジに似てしまったところがある。
内弁慶で我がまま。
人当たりはいいが別に好んで媚を売る事もない。
偉そうに他人(ひと)をあご(鳴声)で使う。
自己中心的でしつこい。
すぐに飽きる。
好き嫌いがはっきりしている。
弱いくせに短気ですぐに怒る。
変な癖が幾つかあってなおらない。
叱られても反省しない。
放浪癖がある。
それにデブでメス好き。

・・・あぁぁぁ〜〜、あまりに似ていていやになる・・・

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石の上にも・・ 

2014/04/18
Fri. 09:56

ワイフに聞いたら夕方から雨になるというので、濡れる前に裏庭の里山整備の廃材を処理しようと暗くなるまで働いた。
隣の空き地で薪をしたら、ほんの数日前に剪定したばかりの枝木が面白いほど良く燃えた。
燃え上がった炎が時々塀の高さを越えるまでになった事もあって少しあせったが、さいわい風もないし薪のことは比較的慣れているので大事になる事はなかった。

少しサッパリした木々のせいもあって、なんとなく風通しが良くなった気がする。
シャワーで汗を流してキーポンを迎えに町並みへ出たら、むせ返るほどの雨の匂いがしている。
春のこの時期には珍しいほど雨の降らない日が続いていたので、恵みの雨といっても良いかも知れない。
学校のいつもの場所へ着いたらすでにキーポンが待っていて、結界君へ乗り込むなり「臭い!」というから何事かと思ったら、彼女も私と同じように雨の匂いをかぎとっていたようだ。
カラカラに乾燥した大地にはどの程度の潤いだったか知らないが、今朝目覚めて町並みへ出てみると道はほとんど乾いていた。

新聞を読まない私に、ワイフが「iさん出てるよ!」といって切り抜きを渡してくれた。
「われら文化部」という特集欄の写真の端っこの方で彼がにっこり笑っていた。
iさんは、彼が高校生の時から知っていて、現在は高校の美術の先生をしている。
あの頃は、難しい顔をして黒いデッサンを描いて、彩度の弱い明度の強い油絵を描いていた。
個人の趣味の問題だからどうこう言うこともないが、十代の彼を見ていると、正に絵に描いたような悩み多き高校生という感じで、日夜何かにつけ悶々としながら暮しているのだろうなぁと思ったものだ。
気楽にその日暮らしをしていた私とはえらい違いだった。
その後、持って生まれた才能と根性と苦学の末に高校の先生になって島根県へ帰ってきた。
それから数十年。
新聞に載った現在の高校に赴任してからもう10年にはなるだろう。
最近の社会情勢の中で、めまぐるしく展開される転勤移動のルールも、幸か不幸か彼の場合はあまり通用していないようだ。

石の上にも三年とか、桃栗三年柿八年とか、面壁九年とか(・・これはかんけいないかな?)まぁ一人前になるにはそのくらいかかるよといった、なかなか実践的でダイレクトな言い伝えも残っているが、現代社会ではこのような年数は弊害ばかりで一利もないとみなされているらしく、私の周辺は目まぐるしく人事異動が繰り返されている。

学校の現場や行政職と私のような彫刻制作を一緒にする事も出来ない事はわかっているが、それにしても、ひとつの事業や授業を組み立てて何かしらの成果を引き出すまでにはそれなりの時間と年月が必要になるものだと思う。
現代彫刻小品展の開催も5年目を迎える。
先週から今週にかけて助成金の採択通知が届いた。
事業の始動が遅れて心配なところもあるが、業界世間の都合もあるし仕方のない事だろう。
これからしばらく苦手な書き物が続く。
無料配信のラジオでも垂れ流しながら乗り切ろうと思っている。

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春の風 

2014/04/17
Thu. 10:16

愛車を結界君に代えてから少し長めの鉄材や大きめの彫刻を運ぶ時は、何時もお世話になっている近所の大工さんの軽トラを借りる事が増えた。
このところ、その大工さんも急に忙しくなってアチコチ出かけることが増えた。
だからどうしてもスケジュールの都合で軽トラを借りなければいけない時は、出先の仕事場まで押し掛けた事もあった。
そのような様子を見ると景気も上向いたのかなと思ったりするが、たまたま年度替わりだったり消費税のことがあったりして、偶然に仕事が重なっただけのことなのかも知れない。

そんなわけで、延び延びになっていた彫刻の移動設置にやっと昨日都合がついて2点の彫刻を運ぶ事が出来た。
1回で彫刻パーツを全部積み込んだら結構な重さになって運転席が少し上がり気味になった。
積載量ギリギリだったと思うが、それでも中国山地の上り坂を結構快適に走ってくれた。

島根県は全般的にこのところ晴れの日が続いていて温かい。
窓をフルオープンにして春の風を受けながら走っていると、なんとなく頭がムズムズして痒い。
晴れているのに春霞がひどくて何ともいえない空模様になっているから、ヒョッとして中国から飛来した光化学スモッグが原因かも知れないなどと勝手に想像が膨らんだりして、よけいにむず痒さが気持ち悪くなった。

少し念入りに時間をかけて2点の彫刻の設置が終わった時はツナギの作業着全身に汗がにじんでいた。
それから彫刻を置かせてもらったレストランのご好意でお昼やコーヒーをご馳走になっている間に汗も引いて落ち着いた。
帰りに法事の塔婆を引き取りに寺の近くの大工さん宅へ寄った。
材料はスギだったが、ちゃんと五輪が刻んであって良い仕事をしていらっしゃった。
吉田の回りには適度にあちこちに都合よく大工さんがいらっしゃいます。

重たい彫刻が無くなって軽くなった軽トラは、下り坂の連続のせいもあってすこぶる快適走行・・・なのだが、またまた頭がムズムズと痒くなりはじめる。
ちゃんとシャワーも浴びてるし、石鹸で頭も洗ってるし、色々思い当たる節がないかと考えていたら、なんとなく頭皮に生える髪の毛が風になびいている気がする。
神経を頭に集中してみると、確かに髪の毛が風になびいている。
法事や仏事がない事をいいことにして、散髪を怠慢していたのがむず痒さの元だったらしい。
原因がわかって安心したのも一瞬のこと。
ようするに、寺が暇でお布施も入らないし収入がないという事に気がついた。
あぁ〜春の風が身にしみるぅ〜〜〜

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吉田家裏庭整備事業その2 

2014/04/16
Wed. 09:39

ワイフが今年度も目出度く仕事にありついて、昨日は早速朝から出かけていった。
稼ぎの悪いオヤジは助かっています・・・
それで、キーポンを学校まで送ってから久々に一人の朝のひと時をむかえている。

コーヒーをすすりながらメールチェックなどして、幾つかの用事を電話で済まそうと何度か試したが、結局なかなか通じなくて断念した。
やはり、年度当初はどこもそれなりに忙しいのだろう。

吉田家裏庭整備事業初日は日暮れとともに中断してしまったので、その続きにとりかかった。
エンジン草刈り機で隣の空き家の裏庭も一緒に草刈りした。
昔はお医者をしていたという隣は、未だに立派な蔵が残っていて敷地も広い。
それが今は空き家になっていて荒廃している。
大風が吹いた後は蔵の瓦が吉田家の方へ飛んできたり、まだ暮らしていた頃の応急処置で貼り付けたトタンがぱたぱためくれて、ひどい時はそれも吉田家へ飛んできたりする。
石見銀山が世界遺産に登録されることがわかってから、現在関東で暮らす直近の親族が張りぼての工事を入れ、町並みに面した母屋の屋根瓦は行政が税金で葺替えた。
そのあと、関東のほうからでかいワンボックスで親族がやってきて、仏壇や位牌もそのままに金目のものを残らず持ち出して、その時は「いずれ帰ってくる」とか云いながら未だに音沙汰もなく今に至っている。
他人の持ち物なので手を付けることもはばかられてしばらくそのままにしておいたが、背丈以上に伸びる雑草や雑木がはびこってそのうち葛が繁茂しはじめてどうしようもないので、しかたがないからこうして今まで年に何回かの草刈りをくり返している。

毎日住み暮らしている吉田家でも、なかなか裏庭の整備に手を付ける事ができないで荒らしてしまう。
どうも自分の暮らしとなると色々なことの後回しになってしまうようなところがあって、私の場合万善寺の営繕もあるから年中アチコチの草刈りばかりしているような気がする。
その合間に彫刻を造って、また合間に薪を調達して、忘れた頃に寺の法事が入って、1年に2回の現代彫刻小品展があって、それで終り・・・
実にシンプルな暮らしぶりだと思う。

そんなことを思いながら、裏庭整備事業はおおむね半分ばかり終了した。
里山の小道風な通り道も一応機能するようになったし、あとは大量の枝木を腐らせないように乾燥させながら処分しつつストーブの焚付け用に細断することになる。

ちなみに、残り半分はワイフが丹精込めて育てている草花などのアレコレを何とかしていただかないと手を付けられないことになっている。
今までに彼女が大事に育てていた花木を何度も刈り倒して叱られてばかりだから、もう自分で手を付けないことにした。
さて、何時になったら裏庭整備事業が全て完了するのだろうか・・・

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吉田家裏庭整備事業 

2014/04/15
Tue. 09:52

どうせこんなことだろうと思っていたら、案の定いつもの緊張感の無いキーポンに戻ってしまった。
定期演奏会も終って、少しは気持ちを切りかえて自分の行く末のことを悩みつつ家庭学習など充実させてくれるかも知れないと期待したオヤジが甘かった。
今朝など、高校生になって1・2を争うほど自宅の出発が遅れて、遅刻ギリギリで滑り込みセーフ(・・だったと思う)状態。
これからしばらくすると春の連休も始まるし、キーポンの進路問題は予断を許さない事態になってしまいそうで、チキンオヤジはいささかビビっている。

このところ石見銀山は好天が続いている。
こんな日は朝から外仕事など出来ると、結構いろいろスムーズにはかどるだろうと思いつつ報告書などの書き物におわれて1日が過ぎてしまった。
この時期厄介なのは、万善寺のアレコレの申請書というか報告書。
まがりなりにも宗教法人の末席を汚しているので、どうでも良いような提出書類を毎年この時期にまとめなければいけない。
老僧の頃から続いていることだが例の小泉内閣の法人改革の影響で書類作成が面倒で厳しくなった。
彫刻の方で属している団体組織も法人の事業切りかえ絡みでやたらと面倒なことが数年間続いた。
巡り合わせというものはどうあがいても仕方のないことで、坊主も彫刻も法人改革の波にもまれて無駄にエネルギーを消費した。

改革はいろんな意味で必要かも知れないが、その時の思いつきと自分の意地のトップダウンで回りのものがどれだけ振り回されて大変な思いをしているか、当の当事者はほとんど知らないまま事が進んでしまっているように思う。
そんなことでいちいち文句ばかりいっていることがイヤだったら、まずは自分がテッペンを狙ったら良いじゃないかということになってしまうが、それはそれで好き嫌いもあるし財力や求心力も必要だし、なにより人物の魅力がないとどうしようもないことで、それらのどれにも引っかからないような吉田は、黙って静かに世間の波にのまれて深く静かに潜航するしかない気もする。
過ぎたことは後戻り出来ないから、信念を持って生き続けるしかないことだが、改革が改悪になったか改善になったかくらいの客観的な検証ぐらいはしておいて欲しいと思う。

自分の事務能力の低さを棚に上げて悶々としながらいい天気の1日が終りはじめてから、もう長いこと気になり続けていた裏庭の整備にとりかかった。
冬のダメージがひどくて荒れ放題のまま梅が咲きスモモが咲き桃も咲き山吹も咲き雪柳や水仙も桜も咲き・・・まぁ荒れたなりにいつものように春先のにぎわいを見せてはいるが何時までもそのままにしておく訳にもいかないので、気分転換も兼ねて色々道具を持って外へ出た。
それなりに少しは片づいたがまだまだ先は長い。
日が暮れて手元もまともに見えなくなって、剪定鋏で間違って自分の指をちょんぎったりしてもいけないので、暗くなったのを潮時に切り上げた。

やっぱり汗を流す方がいいなぁ・・
キーボードぷちぷち叩いていてもまだ汗も出ないほどの春の1日が始まって終った。

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大田高校吹奏楽部定期演奏会 

2014/04/14
Mon. 09:10

3月の末にキーポンの通う高校の吹奏楽定期演奏会が開催される予定だったのに、その少し前から部員に広がったインフルエンザのおかげで急きょ順延になった。
その仕切り直しが昨日の日曜日だった。
結局、インフルエンザの流行は、部員の半数にのぼり、全員揃って練習出来たのは2日前の金曜日だったという。

私のように彫刻を造っていたりすると、一日中誰とも会わないで誰とも口をきかないで過ごすことも多々あるが、吹奏楽というとそういう訳にはいかない。
みんなで狭い音楽室に集まって合奏などするとアッという間に細菌が部屋中へ拡散してしまうことだろう。

そんな訳で、演奏会順延で予定の狂った昨日のオヤジは、けっこうあわただしい1日になった。
朝のゴミ掃除から帰って自宅前の駐車場についたら、目の前で観光さんがゴミをポイ捨てしたところに遭遇して複雑な気持ちになったことは前記の通り。
その後、幾つかの書類をまとめていたら演奏会開場の時間が迫っていて少々慌てた。
会場はそれなりに人が集まっていて盛況だった。
部員の保護者もたくさんスタッフで協力していて、その中にワイフもいた。

それで、演奏会はというと・・・
なかなか聴きごたえのある演奏だった・・・といっても素人の感想だけど。
これから新1年生が入部して、部員数が増えると音にボリュームが出てきていい感じになるような気もするが、これも素人の勝手な考え。
つまりは、こうして自分の子供が一生懸命自分の役をこなして、みんなで仲良く楽しそうに部活に励んで、それなりに充実した学校生活をおくってくれているところを見させてもらうだけで充分に感動するのです。

高校3年生になったキーポンにとっては最後の定期演奏会だった。
今日は学校が終ったらパートの仲間で打ち上げだそうだ。
朝になって、オヤジはなけなしの金を全て巻き上げられて財布が空っぽになった。
まぁ、いろいろあるけどひとまずは区切りをつけて上手に気持ちを切りかえてほしいものです・・・おつかれさん・・

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ゴミ拾い 

2014/04/13
Sun. 10:41

朝4時に起きてまだもう少し寝られると思って一眠りして、5時に起きて色々支度をして6時前に自宅を出発した。
今日は寺の自治会で毎年恒例春の空き缶拾いとゴミ掃除。
銀山街道を走っていると、雨が降りはじめてきた。
集合場所へ到着すると自治会の皆さんはカッパを着たり傘をさしたりして準備万端。
自治会長さんから挨拶があって国道の両脇へ散らばって1kmほどの間を歩いた。

当たり前のことだが、みんな毎年一つずつ年をとっているので、この往復2kmほどの距離が大変のようだ。
国道の斜面に落ちている空き缶や粗大ゴミは見えるのだが、それをとりに登ったり降りたりすることができない。
お年寄りにはなかなかハードな恒例事業になっている。
このゴミ拾いも行政指導で毎年行われているのだろうか?それも考えものだと思う。
1時間ほどで軽トラいっぱいのゴミが集まった。
一見キレイげに見える国道も、歩いてみるとずいぶん汚れて散らかっているものだ。

会館長の仕事で常会費を集金に回ってから幾つかの寺の用事をすませて帰路を急いだ。
その道筋でも地域のみなさんがゴミ拾いをしている。
島根県一斉清掃の日が決まっている訳でもないだろうに、年度当初の自治会行事は何処もだいたい似たような日程になってしまうのだろう。
そんなことを思いながら少し前に自宅へ到着。

石見銀山の地内へ入ると、すでに観光さんが散策している。
駐車場へ降りると、目の前の年配の夫婦が側溝の流れへ丸めたティッシュをポイと投げ捨てた。

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赤潮 

2014/04/12
Sat. 09:44

しばらく前の事になる。
4月初めの桜がほころびはじめたがまだ寒い日が続いていて、その後急に温かくなったある日。
幾つかの用事をすませて日本海を右に見て9号線を西へ走っていると、海岸線の至る所で赤潮が発生している。

原因はわからないが、思い出してみると春先のこの時期によく見かけているような気がする。
根っこのちぎれたワカメが砂浜や護岸に打ち上げられる時期でもあるので気になって何時もの憩いスポットへ迂回してみたら、その場所も見事に赤潮が漂着していた。
何時ものマッタリ絡みつくような塩のかおりが全く無くて、何ともいえない腐臭があたり一面に漂っている。
一説によると河川や沿岸部の生活圏の環境状況による生活排水の富栄養化が原因でプランクトンが大量発生するのだといわれているが、山陰の島根県の人口減少が加速する片田舎の町々を流れ下る小さな河川がそこまで栄養豊富であるとはなかなか考え難い。

このところ彫刻制作に欠かせない日本海岸の玉石を採集する場所が、数年前に忽然と消えた事があった。
別に大きな台風もきていなかったし洪水の被害もなかったはずなのに、砂浜どころか、打ち寄せ積み重なった玉石も消えて無くなっていた。
その年は、彫刻のパーツを採集するのにえらい苦労して、結局過去の彫刻パーツまでかき集めてやっとギリギリ間に合わせた。
その後何度か通い詰めるうちに、1年が過ぎ2年が過ぎて、少しずつ無くなった海岸線と少しばかりの玉石が戻りはじめた。
それでもまた何時海岸が無くなるかわからないのでセッセと通い詰めて玉石採取に励んだ。
今度の彫刻展で良い感じの石を結構使ってしまったので、またそろそろ集めておこうと思っていた時だったので、赤潮の悪臭には気持ちがガックリと萎えた。

昨年は強力な台風や記録的な豪雨も続いた。
漂着物の山は今までに見た事がないほど膨大だった。
おかげさまで、我が家のストーブの燃料はずいぶん楽に確保できたが、一方で海岸線の風景が一変した。
その場所は、満潮干潮関係なく前からすると3分の1くらいになって年々荒れてくるような気がする。
自分の目で確かめているだけでもそれほどの変化が見える。
人間一人ひとりの大小の我欲が集まると、ここまで目に見えて自然が狂ってしまうものかと恐ろしくなる。
科学の進歩や経済の発展が、一方で物言わぬ自然の営みを狂わせているのかも知れない。
自分で自分の首を絞めるのは自分の事でしょうがないが、知らない間に他人の首も一緒に締めたりする事も無い訳では無い。
今の世の中、人々がお互いに助けあい分かち合いつつましく穏やかに暮すという事は何よりも難しい事になっているのかも知れない。

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ぐるっと一周島根中山間部 

2014/04/11
Fri. 09:31

すもももももも花の時期が過ぎ、桜も花吹雪がはじまり、菜の花の黄色はまばらになり、里山の雑木林も少しずつ萌黄に芽吹き、水仙の群生が終わり、近所では田起こしが始まり、寺までの街道は用水路掃除がすすみ、水の流れが変わり、至る所で水田がひろがり、田舎の風景を逆さに写している。

埼玉出身で、学生の頃から東京で一人暮らしを始めて、その後幾つか仕事を転々とし、だいたい1年前に仕事の縁で石見銀山へやってきた、青年というにはギリギリセーフか、オジサンというにはまだ早いか、どうも微妙な年頃のお兄さんと一緒に、島根の春を探すドライブをした。
予定ではもう少し早く石見銀山を出発したかったのだが、いろいろこまごまあれこれしていたら、結局結界君が動き始めたのは昼前になっていた。

まずは、三瓶山を遠望し日本海を見渡す起伏のある谷間に広がるスケール感が素晴らしい富山の集落へ国道から逸れる事にした。
まちづくりセンターの事務職ねえさんと少しばかり打ち合わせの用事があったので、それにつき合わせた事になる。
富山には要害山という小高い山があって、その柔らかく丸まりつつそびえる山姿は、なかなかの存在感で、周辺の集落を柔らかく包み支えてくれているように感じる。

その要害山の麓を手繰るように日本海側へ下っていくと、街道から少し逸れたところに古民家を徹底的に改造したカッコいいカントリーハウスが木立の中に佇む。
家主は絵本作家のおねえさんで、今は子育ても一段落して2匹の猫と暮している。
これまでも何度か近所を行き来していたのだが訪問するのははじめて。
オネエサンはあと1ヶ月で渡米するので、今はその準備に忙しい。
それでも親切に家の造作を案内してくれてなかなか刺激的なひとときになった。

そこから9号線の2・3本南を走る街道へ出て一気に出雲市の端っこから神戸川と斐伊川のバイパス運河沿いを迂回し、斐伊川土手を南下して三刀屋へ着いたのはお昼もかなりすぎてから。
まだ学生の頃からコツコツ集めていた図録や画集などの美術書や専門書や趣味の雑誌などが捨てられないまま埃をかぶっていたので、それを知人の金属彫刻家までプレゼント(とは聞こえが良いが・・)で差し上げた。
有効に使ってもらいたいと思っているが、果たしてどうなる事か・・
あまり空腹を感じないまま、小奇麗でオシャレなレストランで昼食。
五穀米のオムライスは、ジジイに近いオヤジには結構なボリュームだった。

松江と広島を繋ぐ主要国道54号は、少し前に開通した高速松江道のおかげで走る車もまばらに閑散としている。
万善寺はその国道沿いにあるから行く先々で松江道のことが話題になる。
高齢過疎で寂しくなる一方の島根県山間部の集落はアチコチで空き家が目立って荒れた感じに拍車がかかっている。

54号をしばらく走ったところで、仕事の次いでや東堂さんの通院などで時々走る好きな道へ少し逸れて滝を見に行った。
竜頭が滝には名馬の伝説が残っていて、その名馬つながりの銘酒に池月がある。
そんなことをお兄さんに話ながら女滝を観た。
夏に来る事がほとんどだが、春の滝も静かに落ち着いていて良い森林浴になった。

途中の酒屋で池月と月山の2銘柄新酒を仕入れて夜になってから帰宅。
日が変わるまでお兄さんと二人酒。
2本が空になったところでおひらき。
それなりに、濃厚で充実した1日になったと自分では思っているが、果たしてお兄さんの方はどうだか・・・

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ボーズ走る 

2014/04/10
Thu. 01:22

万善寺の用事・・・といっても、自治会の常会のこと。
集落は、現在20世帯が集まって形成されていて、万善寺もその1戸。
寺を守る老夫婦は、高齢を理由に集落の付き合いも役受けも全てことわって、孤立した暮らしをして久しい。
自治会のお付き合いというのは何処かで誰かが自分の都合で勝手に動きはじめると、それが元でいろいろ不具合が蔓延してしまうので、その起因を万善寺が作ることは避けなければいけない。
東堂さん夫婦も、若い時からもうずいぶん長い間持ち回りの色々な役を受けてきているからそのような事は分かっているはずなのに、どうも私を抜きにして連絡や相談もないまま自分の都合で物事を勝手に決めてしまうようなところがあって、気苦労が絶えない。
同居できないでいることが一番の問題だと分かっていても、年寄りの暮らしをいじりはじめる事の摩擦を何度も繰り返していると、なかなか単身赴任通勤坊主の現状から抜け出し難くなってしまう。
3月の年度末から4月の新年度にかけて、自治会の運営役員改選が頻繁になる。
常会もその流れでふえて、昨夜は会館長を任命された万善寺が招集をかけた。
自治会館運営活動等の予算案を協議したが、出席の皆さんの協力と会議嫌いの私の坦々とした司会進行で、予定した時間の半分ほどで常会を終わらせる事が出来た。
これからは、月末に各地域の会館長が集まった拡大会議があったり、地域一帯一斉清掃空き缶拾い等年度当初の恒例事業が続く。
もうしばらくは通勤坊主が頻繁になる。

そんな中、先日搬入を終わらせた改修古民家報告披露パーティーが今週末に決まった。
ブックエンドにもなる手乗り彫刻を粗品として用意した。
ワインや新酒も準備しようと思っている。
楽しい会になるといいなぁと思う。

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大森小学校入学式の朝 

2014/04/09
Wed. 06:56

島根県は全県的に今日がほとんどの学校で入学式らしい。
石見銀山の今では珍しくなった昭和の木造校舎で残っている大森小学校も入学式がある。
3月には3人の6年生が卒業して、4月からの新年度は新入生が一人。
それに転入生が5年生に入ってくることになって、都合前年度比1名減からスタートすることになった。
転入生の方は出雲の大きな小学校からやってくる。
このところの大森小学校は複式学級があたりまえのような定番になっているので学習指導が難しいと思う。
いずれにしても、極小規模の小学校であるが今年もひとまずは1年生から6年生まで全学年が揃うことになった。

目出度いことだ!・・と、なんとなく我が事のように前日から落ち着かなくて、入学式当日の今朝も4時過ぎに目覚めてそのまま寝つけなくなってしまった。
というのも、キーポンが小学校を卒業してからあと、いつの間にか「大森小学校学校評価委員」なるものを肩書きに背負うことになってしまってそのまま今に至って、その関係の来賓招待。
卒業式につづいて入学式も出席することになった。

先日の日曜日に最終日を迎えた吉田正純鉄の彫刻展の撤収をして、使わせてもらっていた会場の復元をして、そのあと、石見銀山の町並みに面した吉田家の玄関回りに彫刻を移動するなどして模様替えをした。
春の草花を植栽したので久々に華やいだ。

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新年度 

2014/04/08
Tue. 09:27

いつものようにキーポンを学校まで送った。
今日は高校3年生の始業式。
時の過ぎるのは早いものだ・・・

彼女が小学校の4年生か5年生かのころに万善寺を東堂さんから引き継ぐことにしてそれまでの仕事をやめた。
万善寺くらいの檀家数だと一昔前なら別に仕事を辞めないでも両立できていたし、私が学校へ通っていた頃も兼業坊主や兼業神主の先生が普通に校長先生にまでなっていても不思議ではなかった。
時代が平成になったあたりからいやに仕事が窮屈になって人目を気にしなければいけないことが増えた。
別にやましいことをしている訳でもないのにどこかしら仕事を休んで法事などをしている姿が後ろめたいものに見えてきて自分の中で割り切れないし、宗教活動はそんなにいい加減なものでもないだろうとも思ったりして、その上、彫刻の仕事をすることでも同じような悶々とした感じを引きずったりするし、こんな中途半端なことをダラダラ続けていても、結局自分の暮し全部がいい加減ないなってしまいそうに思ったものだから、数年間の期間を使って仕事をやめる準備をした。

定職を辞めて定収入がなくなるし、東堂さんの病気や通院のこともあって、収入のない不安定な暮らしが始まった頃は不安でしょうがなかった。
それでも、ワイフが文句も言わないでコツコツ地道に働いてくれるし、当初は比較的自由になる仕事を少しばかりもらうことも出来て、しばらくはそれで食いつなぐことが出来た。
結局そのうちそれも無くなって、今は助成金に頼りながら現代彫刻小品展の運営にほぼ1年間を使い切ってしまう暮らしが続いている。

暮らしはずいぶん厳しいし、保険や年金の負担も大変だが、自由な時間と心の余裕は何にも変えがたいほどの贅沢に思えることもある。
むしろそのような暮らしを続けていると、仕事の忙しさを理由に逃げることの出来ない変な使命感や責任感のようなものが芽生えてきたりもする。
先日、万善寺の自治会で新年度の役員交代が議題の常会があった。
2年前に事務が出来なくなった東堂さんから途中交代して一役すませているので、しばらくは役職当番も回ってこないはずだったのだが、いざ常会を開くと、結局色々な理由が重なって順番がどんどんとばされて、気がつけば万善寺が自治会の会館長を引き受けることになってしまった。
現状をつぶさに判断するに、固辞して意地を通すのも大人げないことだし、ここはなんもかんも飲み込んでサクッと引き受けようと決めた。
家庭の事情をいちいち言い始めたらキリがない。
早速夜の常会で予算決めをしなければいけない。

島根県山間部のあたり一帯が確実に一歩ずつ限界集落に近づきつつある。
今世紀が終わる頃にはJRも廃線が進み、荒れ果てた街道と通行量もまばらな高速道くらいしか残っていないかも知れない。
私には過去の栄光など最初から皆無だが、それでも「昔は良かった・・」とふとそんな気持ちになることも無い訳では無い。
東堂さん夫婦くらいの高齢者になると気持ちの切り替えを強要できないところではあるが、過去にしがみついてもどうしようもないことをそろそろわかってもいい気がする。
我が子の時代には今のような訳にはいかなくなっているだろうし、まぁ、難しいことです・・

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好日 

2014/04/07
Mon. 09:25

交通安全期間になって、片道10km少々のキーポン通学路のアチコチにパトーカーが湧き出ている。
1年中1週間に1回くらいはこんな日を作っておくと街道の交通状況も改善できるのではないだろうかと思ってしまう。
とにかく、高齢化が進む田舎道は、判断力の鈍った高齢者車が至る所でフラフラ走っているし、今の時期は新卒の若葉マークもそれに加わってくるので、用事があっても出かけることがおっくうになってしまう。
もっとも、今はそう思っている自分が、このまま10年も過ぎれば迷惑運転をしている可能性もあるわけで他人事でもない。

昨日は久しぶりに仕事らしきことを何もしないでゴロゴロと1日を過ごした。
ワイフはキーポンとお出かけで家が静かだったので昼寝もした。
短編を2つばかり読んで、新シリーズの配信が開始されたアメリカドラマを延々と寝るまで観た。
夕食は、ワイフが買ってきてくれたジャンクフードをたらふく食べた。

毎日がこんな暮らしだったらすぐに飽きるだろうなぁと思う。
万善寺で暮す東堂さん夫婦は、世間から隔離されてこれといった趣味も無いまま休日のような毎日を過ごしている。
自分はああはなりたくないものだと思う。
おかげさまで、今の私は暇は暇なりに用事がない訳でもなく、何かを一つずつ片づけていると知らない間にまた次の用事が出来ていたりしている。
渦中にいると気付かないことが、こうして何にもしない時に気付いたりする。

早起きのワイフが朝から何やら忙しくしているなぁと思っていたら、旨そうな朝食が出来ていた。
パン生地から作った力作は、めちゃくちゃ旨かった。
元気が出てやる気が出る。
これから彫刻の搬出をして、そのまま次の場所へ搬入する。
小品彫刻の幾つかで吉田家前の町並みギャラリーのリニューアルをしようと思う。
そんな1日をシュミレーションしていたらけっこう忙しい1日になってしまいそうだ。
こんなことなら、昨日のあいだに、少しばかり働いておけば良かったかなと反省するも後の祭り。
自分の責任だし、日々是好日で乗り切るしかないでしょう・・

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寒い日曜日 

2014/04/06
Sun. 11:14

2回目になるワークショップのミーティングをして、リューターのガラス絵をすることに決まってから、久々に逢ったメンバーと思いっきり酒を飲んだ。
もう少ししたら60歳の誕生日を迎えるオヤジだが、酒の方はあまり衰えていないようで、けっこう調子よく飲んでしまった。
おかげで、目が覚めたらすでに10時過ぎ。
久々の爆睡・・あぁ〜よ〜ねたわぁ〜〜
今は、たまには日曜日に休んでもいいかなぁ〜と思っているところ。
鉄の彫刻展も遂に本日全て終了で、明日は1日かけて撤収作業の予定。

週の前半で現代彫刻小品展の開催要項や出品申込書などを発送しようと思っています!
出品者がどれだけ集まるか・・
毎年のことだが、それが一番気になるところで心配が尽きない。

朝昼兼用の食事を食べながら、そんなことぼんやりと思いつつ、マッタリとした休日を過ごしています。

昨日は三瓶さんに雪が積もっていたし、それにしても寒いなぁ・・

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「自由である」ということ〜後編〜 

2014/04/05
Sat. 09:33

夜更かしをしていると遠雷が聞こえてきた。
夕方には雨も上がって青空が見えていたから明日はきっと良い天気だろうと思っていたのに、4月早々の今ごろは正に「春の空」でなかなか明日の天気が予測できない。

そういえば、石見銀山で始めた現代彫刻小品展を浜田こども美術館へ展開した最初の年が丁度今の時期だった。
会期が始まってしばらく経ったあと、石見銀山から浜田への道中はまだアチコチで奇麗な満開の桜を見ることが出来ていた頃に想像を絶する春の嵐がやってきて、国道は斜面の岩盤に張り付く雑木の倒木で大変になっていたことを思い出す。

さて、「自由であること」の後編です。

ふり返れば子供たちへの「絵を描くこと」に〜自由であること〜を奨励推進したのは山本鼎の「自由画教育運動」であったと記憶している。
それ以前(といっても明治以降の近代日本の学校教育が形成されてからの数十年のことだと思うが)の図画教育は「臨画」を由としていた。
島根の片田舎は先進の学校教育から取り残されているようなところもあったらしく、大正生まれの万善寺のおかみさんも学校では「臨画」中心の授業で図画を教わったといっている。

それでは、あと少しで60歳の誕生日を迎える私はどうかというと少年の頃から絵が好きで、公私の境なくひたすらコツコツと草木や風景の写生や少年画報や冒険王などのマンガをいわば臨画に近い模写していた。
確か私より5・6歳年長の諸氏は、高校入学試験に美術科目もあって自分の手のデッサンなどの実技試験を受けていたはずで、ようするに、当時の学校では図画や美術教育はこどもの発達段階において今よりはるかに重要な科目であると認識されていたことがわかる。

何故このような昔のことを掘り返しているかというと、図画教育において「自由であること」をどう解釈するかを問いかけているからです。

以下、コピーペーストで前記した昨日の長文を細断したものに、自分の考えを付け足してみた。

興味の無い方々は、これから先は「無かったこと」ということでとばしてください!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○絵を描かなくなっているのではなく、『描かせる』『作らせる』のではなくなっているということ

これは、学校教育での指導の運用、もしくは方法論の問題。
今より昔、少なくても私くらいの年齢の連中がこどもの時は、色々な場面で今より「絵を描くということ」の機会が多かったように思う。
そんななかで、『描かせられる』とか、『作らさせられる』とかいう子供からの立場は、ある意味で表現の自由に対する適度な抑圧であり、その反動として「もっと自由に描きたい作りたい」という純粋な自己表現が芽生える。
子供なりにある種の達成感を繰り返し積み重ねることで、自ら「描きたい」「作りたい」という欲求を持つようになり、それが表現の成長につながると思っている。

○技術を教え込むよりも、モノをつくる楽しさや絵の具を塗った気持ちよさ等を感じさせる、表現する環境をつくってあげること

子供一人ひとりの生活環境の多様化をもっと考慮すべきなのではないか。
現代のように、多種多様な社会にもまれて暮す子供たちは、昔の田舎の学校のように1クラスのほとんどが親はお百姓さんでとか、漁師さんでとか、そういう環境ではなくなっている。限られた表現素材だけで授業を組み立てるなら、何処かのカルチャースクールと大差ない。
自分の周辺に限りなく多種多様の表現素材がどこにでも存在しているということが、表現する環境づくりには必要なのではないか。

○絵の描き方などを教えてしまうと、子どもは自由に表現できなくなってしまいます

正しい技術技法を正確に伝えるということは、子供の成長過程の重要な要素の一つだと思う。
表現の自由とは、それをお互いに素晴らしいとかつまらないとか認めあう評価があってはじめて機能するものなのではないのか。

○『上手い・下手』の基準ができてしまう

「上手いけど嫌い」とか「下手だけど好き」なこともあるでしょう。
その時はいくら下手だと言われても、それが好きなことならずっと頑張り続けられるし、下手だと言われてへこたれるのなら、それほどのものと思えばいい。

○絵を描くとき、かたちが狂ってもいい

形が狂っているということを自分で認識するほどの客観性を小さい時から身に付けないといけないと思う。
「私は3歳の時からピアノを習いはじめました」といっている子が全てプロのピアニストになっている訳ではない。
「バッハの譜面を間違って弾いてもいい」といっているようなもの。

○子どもは人間の体を描くとき、肩が描けないものですが、それを教えてしまうと、足し算や引き算を習わないで、いきなり微分積分を教えてしまうのと同じになってしまう

足し算や引き算を習うとき、子供のあたまでその理屈が理解できていましたか?
足し算や引き算を習いながら、少しずつその理屈を理解してきたのではないですか?
「肩」があるという造形上の理屈を正しく教えることの方が重要と思うんだけど・・

○『白いところを塗りなさい』『間も空なんだから、塗りなさい』と教師が言ってしまうこと

そんなことしか言えないような教師は勉強不足ですね。

○大人は「木は茶色と緑」「空は水色」と思い込んでしまうが、本当は何色で塗っても良いはず

「既成の概念」というヤツですね。
思考が老化するとそれが強くなりますね。
ヒョッとして、知らない間に「木は茶色と緑なんだよ!」と言ってしまっている自分がいたりして・・

○学校の授業だと「こうやって描くんだよ」と否定されてしまうこともある。すると、子どもが本当に描きたいものが何なのか、描きたくて描いているのかどうかわからなくなってしまう

「こうやって描くんだよ」という言葉には、否定だけでもない肯定もあるということを認識すべきなのでは・・
自分の考えていることを思うように表現できないでいる子にとっては、むしろ「こうやって描くんだよ」と技術を正しく教えてあげることが「適当である」ということもある。
そのあたりの助言は教師の教育力でしょうね。

○教師の役目は、教えることではなく、『ここキレイな色だね』『かたちが良いね』などと褒めること,認めてあげることが大切。子どもたちの創作意欲を引き出すことが重要

こんな考えばかりで子供の造形力や表現力は伸びないでしょうね。
「如何に感性を鍛えるか」ということがないと、感性の伸長は望めないのでは・・

○絵を描いても良いし、粘土や木を使っても良い。何を作っても描いても良い。一人一人が「めあて」を決め、「頑張ったこと、発見・工夫」を考え、他の子にアドバイスをもらうのではなく「良いところを見つけてもらう」ということ

まぁ、1日中・・せめて半日くらいまるまる図画教育出来るだけの時間割でもあれば何とか目標を達成できるかも知れないけど・・現実は机上の理論で終わるような気もしますが・・
学校の先生が教える図画と美術家が教える図画にはその密度において大きな差がつく。
正しいデッサンの出来ない先生は、正しいデッサンを教えられないでしょう。
『上手い・下手』はこう言う場面で使い分けるべきなのでは・・

○課題を与えられればやれるのに、自分が何をやりたいか気づけない子も多い

課題を与えられればやれるのなら、与えればいい。
何か与えれば、すくなくてもそのことが「やりたいこと」なのか「やりたくないことだったのか」気付く。
自分が何をやりたいか気づけないまま、時間を無駄にすることの方が無駄。

○『やりたいことを見つける』ことは、将来、社会に出ていくときにも、自分が目指す大人になるためにも、一番大切なこと

「自分が目指す大人」を分かるから「やりたいことが見つかる」のでは・・

○図工は実は社会の縮図

そこまで考えはじめたら夜も寝れなくなりますね。

○絵がうまくなるのが目的ではなく、『やりたいこと』を持ち、『自分が目指すもの』にいかに近づくかを考え、学ぶことが重要

絵を描く時は「まずは絵が上手くなることを目的とすべき」です!
絵が上手くなれば絵を描くことが楽しくなるはずです!
絵を描くことが楽しくなれば絵はもっと上手に描くことが出来るようになるでしょう!
そうすれば絵を描くことがもっと楽しくなるでしょう!

○「何を描いても作っても良い」。そんな環境で育った子供たちは、「好きなもの」「やりたいこと」を見つけるのが上手で、生きる力が強いのかもしれない

そればかりだとそれしか出来ない、それしかやらない、そればかりの我がまま者になるような気もするけど・・

○大人はついついテクニックやノウハウを教えたくなってしまうものだけど、それは子どもたちの自然な発達段階や「発見」を妨げてしまうのか

それが大人の経験値なのでは・・
こどもはそれをある種の憧れに感じる時もある!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あくまでもオヤジの身勝手で主観的な考えであるから、教育の現場で日夜こども達と向き合って苦悩している現場の先生方とは大きな考えのギャップもあるだろう。

ここで、私が言いたいのは、「自由」の解釈のこと。
「与えられる自由」は、はたして本当に「自由」といえるのだろうか?
むしろ「自由」の強要になっているのではないか?
そんなことを思う。
数ある困難から掴み取った「自由」こそ、本当の意味において「勝ち取った自由」と言える気がする。

ここまで長文に付き合っていただいた皆様・・ご苦労様でした。
夜も寝ないで、プチプチキーボードを叩いているオヤジは、それほど暇してると解釈していただいていっこうにかまいません。
もっとも、そのぶん現代彫刻小品展の要綱作成の時間が何処かに飛んでいっちゃったけどね・・

以上、本日のブログは4000文字近くのボリュームになった次第です。

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「自由である」ということ〜前編〜 

2014/04/04
Fri. 10:05

もう何年も前から新聞を読まなくなって久しい。
大人の週刊誌になると、買ったことが記憶に無いほど昔から読んでいない。
かといって、活字から離れているかというとそうでもなくて、1日に数回はその日の出来事をデジタルニュースでチェックしている。
重宝しているのがexcite。
それなりにまんべんなく色々なジャンルの情報が詰まっているので朝の覚醒のひと時、晩の就寝前の憩いのひと時に欠かせない。

少し前に、このexciteの「コネタ」欄に以下のような記事が載っていた。
何処かの誰かさんよりひどい確信犯で自分のブログにコピーペーストをしてしまうが、せいぜい1日に十人程度のお客様に回覧いただいている程度なので、そのあたりは見て見ぬふりですませていただきたい。

さて、そのコラム記事が以下のもの。
「自由である」ということに色々解釈があるのは、それこそ「自由」であるからそれはそれでいいのだが、吉田としては、小学校の図工で子供たち相手に「自由に表現」させることの「自由」がどうしても心の琴線に引っかかる。
そこで、図らずもたまたまこのブログに立寄ってしまった皆様の不幸を、これも何かの運だとか縁だとか程度に思っていただいて、まずは以下の長い長い文章に目を通していただきたい。

それで、今回は、前半と思って下さい・・・

丁度、明日は5月の連休の1日だけ実施のワークショップを計画するミーティングがあるので、その場でこのことを少しばかりお話しさせていただこうと思っている。
そんな訳で、まずはその時のために、自分の考えをまとめておく必要がある。
後半は4月5日版ブログをお楽しみに・・・って、別に楽しい訳でもないか・・・

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最近、小学校の図工の教科書や授業・作品を見て、驚いたことがある。それは、「絵を描くこと」「写生」が非常に少なく、何かを作って「自由に表現」する課題が多数だということ。
自分が子どもの頃は、校庭で木や花を、あるいは近所の神社などに出かけて写生をする授業が多数あったけど、今は小学校の図工で絵をかかなくなっているのだろうか。
東京学芸大学附属竹早小学校・図工教諭の桐山卓也先生にお話を聞いた。

「確かに小学校の図工では、今、写生はあまりしません。でも、絵を描かなくなっているのではなく、『描かせる』『作らせる』のではなくなっているということです。技術を教え込むよりも、モノをつくる楽しさや絵の具を塗った気持ちよさ等を感じさせる、表現する環境をつくってあげることが重要になっているのだと思います」

なぜ図工の授業スタイルが変わってきているのか。
「絵の描き方などを教えてしまうと、子どもは自由に表現できなくなってしまいます。『これで合ってるのかな』『間違うと注意される』と不安感を抱いてしまう。どうしても大人の反応をみてしまうのです。『上手い・下手』の基準ができてしまうんですよ。絵を描くとき、かたちが狂ってもいいんです。例えば、子どもは人間の体を描くとき、肩が描けないものですが、それを教えてしまうと、足し算や引き算を習わないで、いきなり微分積分を教えてしまうのと同じになってしまうんです」

絵の描き方も、発達段階に応じて自然に変わっていくものだということだ。
同様に、「空の描き方」にも発達段階があると言う。
「子どもの絵は、空と地面が離れてしまうんですよね。空は上、地面は下という認識があって、間は白いままになってしまう。それを『白いところを塗りなさい』『間も空なんだから、塗りなさい』と教師が言ってしまうことが多いんですが、子どもにはピンとこない。感覚が大人と全く違うからです。大人はいろいろ教えたくなってしまいますが、地面と空の境も、5年生ぐらいになると自然に塗るようになっていくものです」
大人は「木は茶色と緑」「空は水色」と思い込んでしまうが、本当は何色で塗っても良いはずだ。
そういえば、幼児の絵を見ると、胴体がなく、顔から手足が出ていたりすることが多いが、それでも楽しく描いている幼児を大人は否定しない。
ところが、学校の授業だと「こうやって描くんだよ」と否定されてしまうこともある。すると、子どもが本当に描きたいものが何なのか、描きたくて描いているのかどうかわからなくなってしまうのだと言う。
「教師の役目は、教えることではなく、『ここキレイな色だね』『かたちが良いね』などと褒めること,認めてあげることが大切。子どもたちの創作意欲を引き出すことが重要だと思います」

そこで、桐山先生が多く採りいれているのは、「アート造形」というテーマだ。
アート造形では、絵を描いても良いし、粘土や木を使っても良い。何を作っても描いても良い。一人一人が「めあて」を決め、「頑張ったこと、発見・工夫」を考え、他の子にアドバイスをもらうのではなく「良いところを見つけてもらう」ということを、毎時間行っているそうだ。

「課題を与えられればやれるのに、自分が何をやりたいか気づけない子も多いんです。高学年になると、そうした傾向がどんどん強くなります。『やりたいことを見つける』ことは、将来、社会に出ていくときにも、自分が目指す大人になるためにも、一番大切なこと。材料集めをし、どうやって作るか考え、失敗したら、路線変更する。図工は実は社会の縮図だと思うんですよ。絵がうまくなるのが目的ではなく、『やりたいこと』を持ち、『自分が目指すもの』にいかに近づくかを考え、学ぶことが重要なんだと思います」

「何を描いても作っても良い」。そんな環境で育った子供たちは、「好きなもの」「やりたいこと」を見つけるのが上手で、生きる力が強いのかもしれない。

大人はついついテクニックやノウハウを教えたくなってしまうものだけど、それは子どもたちの自然な発達段階や「発見」を妨げてしまうのかも……と改めて痛感した。
(田幸和歌子)
1973年、長野県生まれ。出版社、広告会社勤務を経て、フリーランスの編集・ライターに。週刊誌、夕刊紙、ウェブ等で執筆中。小中高の教員免許も運転免許も書道師範もとったのに、あまり活かされていない日々
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町並みの小品彫刻 

2014/04/03
Thu. 08:40

早いもので、吉田正純鉄の彫刻展もあと少しで終了となります。
最終章は石見銀山町並みの古民家を会場に、小品彫刻を展示しました。
同じ彫刻が場所を代えることでここまで表情も変わってしまうものかと、制作の本人も少し意外な発見をしたところです。

日頃からあまり小さな彫刻は造ることがないので、見せかたの問題とか、置き場所の問題とか、仕上げの問題とか、これから色々工夫していかないといけないことが分かったように思います。
野外の大きな彫刻ばかり造っていると、いつも設置場所のことを考えながら同時進行で制作を進めているようなことが多いし、一度設置が終わるとなかなか簡単にアチコチ彫刻を移動することなど難しくなるので、借景も重要な制作上の要素になっています。
今回、冬の農閑期の田んぼに設置させてもらったのも、その田んぼの施主さんを筆頭に、様々な地域の人々の理解や協力がないと実現するものではありませんでした。

2010年から石見銀山でスタートした現代彫刻小品展も今年の開催が無事に終われば、5年目を迎えます。
5年連続で観にきて頂いた方もいらっしゃれば、5年間DMを送り続けて全く感心を示してもらえない方もいらっしゃいます。
人の気持ちや趣向は様々ですからそれでどうこう思うことも無いのですが、そんな状況を逆転して思うと、自分の造形や発表活動の怠慢さが浮彫になります。

これからは体力もどんどん衰えていくでしょうし、制作の回数や作品の点数や発表の機会も少しずつ減っていくでしょう。
彫刻の制作は、なかなか気力だけあってもどうしようもないこともあるので、そんなものだと許容するしかないことなのでしょう。
あまり無理することなく、出来る時に出来ることをコツコツ積み重ねていくようにしたいものです。

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今年の桜 

2014/04/02
Wed. 07:41

吹奏楽部のあいだで感染が広がったインフルエンザもどうやら少し落ち着いたようで久々に部活再開となりました。
キーポンもインフルエンザでしたが、寝込んだのは2日くらい。
あとは家の中を元気にドタバタしながら暇を持て余しぎみに暮していました。
用もないのにオヤジの書斎に乱入して炬燵デスクに潜り込んだりしてインフルエンザの菌をばらまいています。
そのせいかどうも昨夜あたりから調子が悪いので、ヒョッとしてすでに感染しているかも知れません。
普通に親子の家族で暮しているつもりですが、仲が良いほうなのだろうなぁとこういう時に感じたりしつつ、そろそろ、時と場所をわきまえるくらいのクールな大人のつきあいもしてほしいものと思ったりします。

昨日は東堂さんの定期通院の日で、朝から夕方まで1日中お付き合いをしてきました。
年相応の物忘れと遠くなった耳のこともあって、最近は1日一緒にいても会話を交わすことはほとんどありません。
それに、例のインフルエンザ感染の疑いもあったりしますから、出来るだけ触れ合わないように気遣ったりしたつもりですが、ここで彼に感染していたらきっと生死の問題に発展することだろうと覚悟の必要を感じたりしています。

訪問介護を受け入れるようになってから外出の機会が激減したので、こうして一月に1回の外出日は出来るだけ有効に使ってアチコチ連れ回すようにしています。
天気も良くて過ごしやすかったので、島根県有数の桜名所三刀屋から木次にかけての桜並木を見物させてあげました。
結界君の助手席で昔のことなど交えながら饒舌の様子を見ると、心が和みます。
男ですからあまりペラペラしゃべることもないのですが、やはり60年も続けて坊主暮らしのこともあって、一度口が動きはじめると話の種がつきるまで調子よくしゃべり続けています。

残された人生、出来るだけ気楽に不自由なく生きさせてあげたいと思っているのですが、収入も途絶えて年金の切り崩しもそろそろ底をつきはじめています。
万善寺の行く末のこともあるし、何とか今の暮らしを建て直さないといけないとわかっているものの、消費税の追い討ちもあって、なかなか底辺の暮らしからはい上がることが出来ません。

日本の1流の政治家や高所得者の皆さんは、我々と同じように歳をとって介護を必要になっても、何不自由なく手厚くもてなされて死んでいける訳で、生活のレベルもお金の価値も全く違う世界で暮していらっしゃる方々です。
福祉大国でもない日本が、せいぜい半世紀たらずの短期間で国民へ福祉事情を根付かせるということは無理があるような気もします。

これから後も吉田家の暮らしの大筋は変わることがないし、今までと変わりなく彫刻を造り続けるには、何か別のところで切り詰める算段を迫られています。
なかなか厳しい1年になりそうです。
1日の用事を終わって、万善寺から帰宅の道中、銀山街道の宿場町九日市に咲く枝垂れ桜が薄桃に輝いていました。
昨年の今の時期は花冷えの毎日が続いていました。
だいたい毎年同じように咲いていたはずの枝垂れ桜が、今年はいやに豪華に感じます。
何かいいことでもあればいいな・・

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クロの誕生日 

2014/04/01
Tue. 07:26

4月1日になりましたねぇ〜・・
2014年になってこの3ヶ月は、アッという間に過ぎてしまったような気がします。

さて本日は、吉田家同居猫クロの2才の誕生日ということになっています。
二年前の今頃は、長男のじゅん君がまともに職に就かないままアルバイトで食いつなぎつつ吉田家に居候していた時期で、何かとざわついて落ち着かない日々が続いていました。
その居候のじゅん君がバイト先から連れて帰ったのがクロです。
まともに自分の稼ぎで飯も食えない居候が、図々しくも勝手に居候2号を連れて帰ってきたのです。

丁度その年の2月に、長年一緒に暮らしていた犬のシェパ爺が他界した後だったので、猫の1匹くらい何とかなるだろうと思ったのかも知れませんが、思い返せばその他界したシェパを連れて帰ってきたのもじゅん君。
自分で面倒をみる訳でもないし、ましてやきちんと躾けする事もないし、その時の気分で前後のことなど考えることもなく既成の事実をつきつけてくるあたりの図々しさにはまいってしまいます。

当初、どちらかといえば猫好きの私は、情が移らないようにクロのことを「ネコ」と呼び続けていたのですが、いつの間にかみんなでそのネコの名前を勝手に付けはじめたりして、結局なし崩しに吉田家へ居着くことになってしまいました。
そうして早いもので既に2年が過ぎた訳です。
現在のクロは、6kgはあるだろう巨大な「でぶ家ネコ」になって、内弁慶を気取っています。
最近の私などクロのしもべになっていて、鳴き声を使い分けてあれこれと動かされています。
「早くここ開けてくれよぉ〜」
「腹減ったんだよ、飯くれよぉ〜」
「めんどくせぇ〜けど、たまには甘えてやるよぉ〜」
「少しくらい外で散歩させろよ〜」

器用に障子を開けることもします。
時々脱走して町内を散歩したりもしています。
まぁとにかく、執念深いというか我慢強いというか小利口というかプライドが高いというか・・雄ネコの鏡のような性格ではありますが、小心者でビビリなところは同居人のチキンオヤジにそっくりだったりします。

とにかく本日は誕生日ということで、久しぶりに男同士お風呂へ一緒に入ろうと思っています。

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2014-04