FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

時計 

2014/05/25
Sun. 09:48

久々に余裕で部活のキーポンを送ってきた。
ほんの10分早く石見銀山を出発するだけでこうも違う。

キーポンが朝の小1時間占拠する洗面所には、もう長い間壊れて動かなくなっていた壁時計があった。
ず〜っと電池が無くなっているのだろうくらいに思っていたら、本当に壊れて動かなくなっていた。
「100円ショップにあったから・・・」
キーポンの登校時間が遅れるのはそのせいかもしれないとワイフにいってみると、早速かわいらしい壁時計を買ってきた。
昔むかし・・まだ学生の頃にクラフトで造っていた壁時計のキットは100円の30倍位はしていたと思う。
性能はどうか分からないが、ほんの30年の間に日常の暮らしがこんなに変わってしまうものかとビックリする。
「俺がこどもの時はなぁ〜・・」などと小言をいってもピンとこないのは当たり前だと、こういう時に気がつく。

時計というと、今の吉田家にいったいいくつくらいの時計が眠っているのだろう?
覚えているだけでも、もう使わなくなってしまった時計を2つばかり工場へ持っていって、あの粉塵渦巻く過酷な条件の中でまだ立派にだいたい正確に電池の寿命が尽きるまで動き続けている。

今でもよく覚えているが、私が高校へ入学した時、おかみさんの実父のおじいちゃんが入学祝いだといってシチズンの自動巻き腕時計を買ってくれた。
はじめての腕時計をもらって何か急に大人になったようでとても嬉しかった。
夜寝る時も外さないで1日のほとんどの日課をその時計一つでまかなっていた。
高校を卒業して東京へ出てから3年して、大学の入学歓迎会で先輩達からしこたま飲まされて、自分より早くダウンして転げ回って吐きまくっていたK君の介抱をしていた時に無くしてしまった。
その時のことは鮮明に覚えている。
ヨレヨレのK君を連れて大学から上野・新宿を経由して祖師ケ谷大蔵の駅で下車して四畳半のアパートまで帰る時の何処で無くしたかまではわからなくて、交番へ行ったり駅の案内へ聞いたり学校の事務に問い合わせたりしたがついに見つからなかった。

おじいちゃんの思いでの時計だったのでとてもガッカリしてしばらく立ち直れないまま時計無しの暮らしを続けていた。
それも、慣れてしまえばそれほど苦にならなくなって、アパートを中心に、近所で定時に聞こえてくるノイズの中から、それなりに時計変わりになるものを幾つか決めておいたり、FMの放送を時計変わりにしたりしてそのまま数年間を過ごした。
絶え間なくアルバイトもしていたが、隣でデッサンしているヤツの時計を覗いたりして、何の苦もなく乗り切っていた。

そうこうするウチに、待ち合わせをするくらいの彼女も出来たりして、そうなるとどうも自分の自由で気ままに行動することが難しくなりはじめたなぁと思うようになった。
たまたまその年のお盆の棚行で島根の寺へ帰省して坊主バイトをしていた時に、「実は・・・」ということで、もう何年もしてから腕時計を無くしたということを両親に打ち明けた。
今の東堂さんが元気でバリバリ働いていた頃で、「寺の手伝いをしてもらったから」とお金の変わりに腕時計を買ってくれた。
それが文字盤がメタリックグリーンでクリスタルカットのガラスをはめ込んだ何ともいえないゴツイもので、わざわざそのデザインを選んだオヤジのセンスを疑いつつもありがたく頂戴した。
その後、何年もその腕時計で暮していたから、多分ワイフは現物を見て覚えているかもしれない。

今は、曜日ではなくて日にちの暮らしをしているし、それこそ自分の周囲に時間情報が氾濫しているから、鬱陶しい腕時計とは無縁になった。
そういうふうに思うと、この半世紀の間に生活の必需品の幾つかは趣向とか嗜好グッズになったものもたくさんあるなぁと改めて思う。
自分にとって無くてはいけないものと無くても良いものをちゃんと精査していかないと、自分の周囲が無駄なものであふれ返ってしまうような気がしないでもない。
いやいや、すでにそうなってしまっているんだろうなぁ・・・
自分の造る彫刻もそうならないようにしないといけないなぁ・・

IMG_1135.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2014-05