工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

鉄の上にも3ヶ月 

2014/06/30
Mon. 09:51

「最近オカアサン何時も機嫌悪いんだけど・・・」
長いこと一緒にいると今に始まったことでもないし、しばらくあたらずさわらずに過ごしていると、そのうち自分も気にならなくなって、そういうことがあったことも忘れてしまっている。
「ぼたもちとおはぎはいっしょでぇ〜・・、主食副食がぁ〜・・、脂分はぁ〜・・」などと付け焼き刃の勉強をしながら、只今1学期期末試験中のキーポンが結界君の助手席でつぶやいていた。
今日は家庭科の試験でもあるのだろう・・・

先日の週末に進路相談で出かけたワイフが、学校で聞いた教頭先生のお話になかなか感銘したようで、めずらしく細かいところの話題まで報告をしてくれた。
勉強のことが主な話だったから、たぶんキーポンもその時の話題がベースになって色々な話を聞かされたのだろう。
子育てもひとそれぞれで、吉田家の自立??した子供たちを見ただけでもバラバラにやりたい事やって、それでも人並みの苦労をしながら暮している。

「彼等がこどもの時にあぁ〜育てたから、こぉ〜なった」などと分析しているわけでもないが、親の都合で子供を育てる事がないようにしようとだけは考えていたような気がする。
すくなくても、オヤジの私はそう思っている。
それで一番の悩みどころは子供の学資と生活費の捻出。
一人ひとり条件が違うから、かなり苦労する。
商売柄固定収入もないしそれで生活するのも厳しい上に子供の進学がからむと、とたんに暮らしの全てで身動きできなくなる。
今は寺の老夫婦の事もあるし、身内から締め上げられて自分の瞑想の世界へ逃げる事も出来ない。

私の周辺には学校の先生なる方々が比較的多くいらっしゃる。
それぞれ大なり小なり高学歴公務員知識人としての自分の立ち位置を認識していらっしゃって、そういう自信とプライドで人生を乗り切ることが出来るはずだと思っていらっしゃる先生が多い気がする。
そのなかでも、保護者相手に自分の教育論を冷静に語れる先生がどれだけいらっしゃる事か・・・
くだんの教頭先生も教育実践事例に裏付けされた教育者としての強い教育持論を持っていらっしゃるのだろうと推察する。
また、そういう先生を慕う優秀で真面目な生徒さんが多かったのだろう。
学校社会でそれほど素晴らしく恵まれたお互いの出会いは多くないと思う。
一方、その出会いからこぼれた先生や生徒さんも結構いっぱいいる気がする。
そちらサイドに流れた人たちはなんとなく可哀想な気がする。
先生も生徒もよっぽど自立心がないと立ち直れない気もする。
もしくは、「こんなもんだ」と納得して惰性で人生を乗り切るしかない。

そんなことを思いつつ帰ると、自宅前の彫刻の植栽が過酷な環境に耐えながら元気にたくましく根付いていた。
春先の個展で造った彫刻の現在の姿になる。
ワイフがマメに世話をしてくれていて水やりをしてくれているお蔭もある。
私の我が侭な夢と理想だけで造った形優先のへなちょこな彫刻がかいがいしくかわいく見える。
石の上のそのまた上の過酷な鉄の上でやっと3ヶ月。
さて、これから暑い夏の盛りをどう絶えてくれるか・・
マメな思いやりと温かい視線を濯ぎつつ、観察していきたいと思う。
子育てだって似たようなものだ。
親も子も自分の人生はひとつしかないし、甘やかして育てる事と過保護に育てる事は違うと思うな。

吉田家長女がこんなこといってます・・・

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
吉田兄妹は長年の低迷から2014年はとても飛躍の年になったぞ!
お兄ちゃんは長年のフリーター生活から中学校講師になり妹も1年のニート生活から海外で仕事出来たし!
多種多様で色んな人生が間近で見れて面白い!
非凡家庭に産まれてよかった\( ˆoˆ )/
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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高速道の夜 

2014/06/29
Sun. 08:51

なんともいえない浮遊感に浸りながら2時間ばかり寝たらそれなりに元気になった。
アクセルを踏み続けて、時々ブレーキを踏むことを往復ノンストップ9時間続けたら、右足のふくらはぎがイカレて現在膝が伸びないまま変な動きで歩いている。
2ヶ月前に頂いたばかりの折り返し人生を酷使してしまった。

土曜日の夜は、気持ち悪いくらいトラックがいない。
たぶん中国自動車道を走行しているからだろうと、最初のうちはそう思って勝手に納得していたら、山陽道が合流しても九州道へ入ってもその状態に変化なく、一般道へ出てからも変わらなかった。
特に真剣に数えたわけでもないけど、結局トラックは10台も出会わなかったような気がする。
土曜日の夜の高速道路ってこんな感じなのだろうか・・・

用事は20分程度で終わって、給油してまた九州道へ入ったところで日にちが変わった。
たった1時間も違わないのに、今度はトラック集団が団子状態で走っている。
日曜日の深夜から営業が開始されるのだろうか?
世間の事情も知らないで自分の用事だけでのり切っていると、時々こういう状況に遭遇する。
なにかとても不思議な夜だった。

道中のお供は、ワイフの作ってくれたホットサンドと熱いコーヒー。
眠くなるとそれにすがった。
江の川を渡って石見銀山に近づいたところで空が明るくなりはじめた。
緊張の糸が何本か切れたようで、急に眠気が出てきたから、現代彫刻小品展出品者数を北から数えたり南から数えたりしてみた。
日本地図の最北は栃木や茨城になった。
関東、東海、北陸、近畿、四国、中国と続き、九州は福岡と宮崎が各1名。
島根は10人を突破したが不出品も増えた。
そうやって運転しながら数えていると、その度ごとに合計の数が違う。
だんだんイライラしてきはじめたら眠気が去った。
面白いものだとニヤついてしまった。

今年の現代彫刻小品展は浜田からスタートする。
ワークショップが面白くなりそうだが、さて参加者が集まるかどうか・・・
石見銀山の現代彫刻小品展は秋の10月になった。
気候も良いし、ワークショップも面白いことが出来そうだ。

せっかくの日曜日だし、旅の疲れもあるからノンビリと休養したいと思ったりしつつ、積み残しの事務も残っているし、結局1日書斎にこもることになりそうだ。
さて、耳のお供は何にしようかな?

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土曜日の朝 

2014/06/28
Sat. 08:37

土曜日の買い物は色々特典が付くからということで、ワイフが試験中のキーポンを連れていってくれたから朝の1時間をノンビリ過ごしている。

現代彫刻小品展の出品申込〆切だったので、ギリギリまでFAXの到着を待ちながらお知らせ原稿の作成や宛名印刷などの事務をして過ごした。
FAXの送信がうまくいっていないようで夜になっても何度か電話が鳴っていた。
石見銀山での現代彫刻小品展は秋の開催だからそのお知らせも兼ねた手紙を用意して、切手を貼って近くのポストに投函した。
これから1週間の間に続々と彫刻が届くことになる。
受け取りのこともあるので、またしばらく事務所兼用の自宅でおとなしくしていなければいけない。
作品データの作成やキャプションのこともあるから、その準備をするつもりにしている。
それに、喧嘩に負けて負傷中で落ち込んでいるクロのことも気になるし・・・

全国から届いた申込を見ると、彫刻家の皆さん本当に精力的に制作をしていらっしゃることがよくわかる。
自分の個展や制作の都合で不出品の作家も多いし、新しく立ち上げた美術芸術関連の企画に忙殺されて彫刻制作休止中の作家もいらしゃる。
島根の片田舎でのんびりと気楽に彫刻を造っているようなオヤジなどとても偉そうに「私は彫刻をつくっとりましてぇ〜」などと言えないな・・と思いつつ、出品料の減少で予算書の見直しもあって、のんびりしているような田舎暮らしもそれなりに気が抜けない。

そんな近況だが、書斎暮らしのバックミュージックで「Pentatonix」にハマっている。
彼等のアカペラの完成度がめちゃくちゃ凄い。
グラミー賞クラスのミュージシャンのカバー曲など、オリジナルとはまた違った聴き応えがあったりして思わず仕事の手が止まって聴き入ってしまう。
今は5人で活動するPentatonixはテキサスの仲良し3人組からスタートしたらしい。
アメリカのことはよくわからないが、テキサスというと何となくイメージとして田舎っぽい気がする。
島根の田舎で現代彫刻小品展をまとめたりしていると、何となく親近感を持ってしまう。
地に足を付けてコツコツと力を蓄えて実力を磨いていく若者の姿をみると、自分も何となく若返ったような気がする。

私がたしか高校生になったか卒業したかくらいで、とにかく一人暮らしを始めた頃にブームだった「かもめのジョナサン」に最終章があったらしい。
あの頃は、将来の展望など全く見えないまま、とにかく好きなことをあきらめないでデッサンばかりしていた気がする。
デッサンの本当の大切な意味も解らないまま、とにかく上手になるための技術テクニックばかり気にしていたような時期だった。
もう80歳くらいの五木寛之さんが40年前と同じように翻訳をされたらしい。
新刊本は高くて手が出せないから、2~3年して落ち着いた頃に読んでみようと思う。
この半世紀の間に自分がどのように変化したのか・・それが見えるような気もする。

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現代彫刻小品展in浜田出品申込終了間近 

2014/06/27
Fri. 09:46

早いものでキーポンが高校3年生1学期の期末試験に入った。
これで彼女の進路が決まる。
最近の若者を「悟り世代」というらしい。
そういわれてみると「なるほど・・」と思わないわけでもないが、さて、当事者達はそれを理解しているのか意識しているのか・・グルリと人生が一回りしたオヤジにはよくわからない。

今日の試験は「生老病死わぁ〜」とか「八正道わぁ〜」とかチンプンカンプンの単語が道中の結界君の助手席で飛び交っていた。
久しぶりに「倫理社会」という単語を聞いた。
コロココ変わる中教審の学校教育のことだから、すでにとおの昔に死語になっていたと思っていたが、いまだに教科として残っているらしい。
仏教がどうとか宗教がどうとか、今の高校生が・・というよりキーポンがまともに勉強するわけでもないし、坊主のはしくれにぶら下がっているオヤジでも、法事の前の晩に一夜漬けで復習する程度のことだから、点数の方は最初から期待していない。
それでも内申書の成績にもつながる大事な試験だから、せめてわからないなりに珍回答や迷回答のセンスで温情加点を狙えと激励しておいたが、オヤジゆずりの真面目で馬鹿正直な性格だからそれも無理だろうとあきらめている。

たしか梅雨が明けていないはずなのに最近の島根県は延々と良い天気が続いている。
せっかくの好条件だから草刈りや薪づくりや、それに彫刻制作や色々やりたいこともいっぱいあるが、それも後回しにして浜田の現代彫刻小品展事務に励んでいる。
現代彫刻小品展の申込締め切り日なので、夕方までFAXの番をしながら展覧会お知らせ第3弾??あたりの書類を作成したり印刷したりしている。
これから7月いっぱいは万善寺の寺務や七日務めなどが続いていて、両立が難しくなっている。
先日もまだ余裕があるだろうとレンタカーのトラックを予約したらすでに先約でいっぱいになっていた。
いつもの担当のお兄さんが気遣って、時間外の勤務も厭わないで八方手を尽くしてくれてなんとか1台確保してくれた。
会場搬入の日は島根の辺りで梅雨収めの長雨や集中豪雨が続く頃なので、平ボデーのトラックはさけようと思っていて、それもあって結構な苦労になってしまった。

それほど忙しいとも思わないが、何かと慌ただしい感じで毎日が過ぎる。
寺の寺務も期限が近いし、四畳半の書斎はめずらしく書類が山積みになってしまった。
2・3日前の脱走で強敵のキジトラ猫とバトルしたクロは、やはりお尻の辺りをケガしたみたいで、食欲もあまりないまま音もなく書斎に入り込んで大事な書類の上で寝ていたりする。

毎日それなりに色々あって退屈もしないが落ち着くこともない。
展覧会の出品者も、大震災のあった2011年までにいかないくらい半減してしまった。
現代彫刻小品展も過渡期を迎えて彫刻家にとって出品の魅力がなくなっているのかもしれない。
このところの数年間は、彫刻制作も棚に上げて現代彫刻小品展ばかりにせいを出していたから、気がつかないままに自分の視野が狭くなっていたのかもしれない。
気持ちを引き締め直してあと一踏ん張りしようと思う。

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猫騒動 

2014/06/26
Thu. 08:14

夕食の途中に現代彫刻小品展のことで電話が入って色々話している間になんとなく腹いっぱいになって食欲がなくなった。
すでにキーポンは食べ終わって席を離れているし、ワイフもテレビをみながらノンビリしている。
そのうち猫の姿が見えないことに気がついて探していると玄関の引き戸が少し開いている。
知らない間にクロがこじ開けてそのままネコチャンズが脱走したようだ。
そんなことがあって、もう完全に食欲が無くなってしまった。

しばらく夜の闇に向かって「くろぉ〜〜」「しろぉ〜〜〜」と呼んでみたがチリリとも音がしないのであきらめて静観することにした。
なんとなく落ち着かないままでいると、裏庭の方で「ギャワァ〜〜、フギャァァ〜〜・・」とけたたましい鳴声がしてきた。
あわてて飛び出して夜の闇に向かって猫を呼び続けていたらクロが興奮して帰ってきた。
しばらくの間なりふりかまわずすごい形相で「シャァ〜〜シャァ〜〜」威嚇してくる。

猫の喧嘩は鋭いツメでケガをする事が多いので、出来るだけ早く傷を見つけておいた方が良い。
オス猫のクロはオヤジににてチキン猫だから逃げ回っている間に下半身を引っかかれる可能性が高い。
反対に顔面や耳などの上半身にケガをしている猫は喧嘩が強いということになる。
猫の皮膚は三味線にするくらいだからよく延び縮みする。
その関係で少しの引っ掻き傷もすぐに傷口がふさがってばい菌の毒が回って化膿する。
そもままにしておくとどんどん膿が広がって熱が出てぐったりしてくる。
そのころから化膿で弱くなった傷口の皮膚が破れて膿が飛び出す。
野良猫はばい菌の抵抗力があるから自力で舐めて直すが、いたれりつくせりの軟弱飼い猫はそういうわけにはいかない。
傷らしきものが見つかったら出来るだけ早く病院へつれていって抗生剤の治療が必要になる。
家の内外関係ない自由な飼い猫は、何回かこういうことを繰り返しているうちにだんだんばい菌に強くなってたくましい猫になる。

だいたい人間が気がつかない間に、クロが脱走したルートを使ってシロもそれに続く。
メス猫は一般的に行動半径が狭い。それに臆病で慎重で小心者のわりには図々しく媚を売ったりする。そのくせ人間のスキを見てはつまみ食いして悪さをする意地汚いところがある。
吉田家の箱入りシロちゃんもそういう一般的なメス猫の性格を多分に有している。
こういう典型的なメス猫は、上手に喧嘩を避けることをするから、余程に予期せぬ出会いが無い限り、周辺に気配りしながら安全な場所を上手に探して、気が変わるまで同じ場所でジッとしている。
そんなお気に入りの定位置が何ヶ所かあって、そこを定期的に巡回していることが多い。
家猫でいる時も、脱走している時もだいたい似たようなもので、今回も夜午前様になってからつつましく玄関の引き戸をノックしてきた。
めんどくさいが開けてやらないとまた何処かに逃亡してしまうから入口を作ってやると脱兎の如く走り込んできた。
私に捕まるとこっぴどく叱られることがわかっているから、一気にワイフの寝場所まで走って媚を売る。

結局、ネコチャンズのおかげで色々気が立って眠気が失せた。
電話のおかげで食欲が失せ、ネコチャンズの騒動で眠気が失せ・・・散々な一夜になった。
今は、何事もなかったように私の足下でクロが寝ているから布団を上げることも出来ない。

まぁ、猫はだいたいこんなもんだと思うしかないし、なんだかんだ言っても憎めないからついつい甘やかしてしまう。

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オヤジの1日 

2014/06/25
Wed. 09:36

最近吉田家の書斎が賑わっている。
ワイフがポスターのデザインをはじめたことと、試験週間に入っているキーポンが勉強道具の店を広げたこと。
夜の間にそうやって二人が書斎を占領しはじめてからは、夕食後に自分の仕事を始める気になれなくて、ついついインターネット配信の海外ドラマを見たりしてしまう。

ワイフは午前0時前後までパソコンをつついている。
私が便利に使っているドローとワープロ機能を統合したお手軽アプリで仕事をして、使い方が分からなくなるとその度に聞いてくる。
海外ドラマもブツ切れになってどうもストーリーが頭に入らないし、そのうち眠くなってシュラフにくるまってウツラウツラしているとまた起こされる。

そういうことが何回も続いてどうも寝た気になれないまま夜も更けて、気がつくと今度は知らない間にシュラフの隣へキーポンが潜り込んでいる。
夕食が終わって仮眠して目覚めて勉強をしていたキーポンが朝方眠くなってくると、そのまま私の隣で寝てしまう。
狭いし身動き出来ないし窮屈で目が覚めると、私の腕枕で眠りこけている。
もう17歳で高校3年生がこの調子だから先が思いやられる。
ひょっとしたら、このまま上手に進学して一人暮らしをはじめて、気がつくとオヤジの代わりの腕枕が出来ていたりして、アレヨアレヨと結婚・・などということもありそうだなどと思ってしまう。

お大師さんや浄土真宗さんのお手伝いなど寺の寺務が一段落して、現代彫刻小品展の事務を始めようと朝からはりきっていたのだが、申込用紙の整理をして、コーヒーを飲みながらメールチェックなどしてチョットだけ横になっていたら、いつの間にか記憶が切れていた。
気がつくとうたた寝をしていたようで、カップのコーヒーもとっくに冷めている。
猫のクロが足音も立てないですぐ近くに忍び寄っていた。
無くなっていたご飯をあげたり、グッピーにご飯をあげたりしているあいだに眠気は覚めたものの、どうも頭がボンヤリとして集中できないまま昼が過ぎて夕方になった。
気持ちを切り替えてキーボードと叩いていたら電話がなった。
「お父さん今何処?」
キーポンからお迎えコールが来た。
学校の駐車場でキーポンを待っていたらまた電話が鳴った。
「しょぉ〜ちゃん今何処?」
ワイフからだった。
どうやら彼女の電話にキーポンから着信があったようだ。
やれやれ・・・
何にもしてないわけでもないのに、何か虚しい1日が過ぎた。

唯一収穫といえば・・・
「青空文庫」の戦前戦中戦後を通して大人気の大衆小説皆様ご存知野村胡堂の銭形平次。
私が生まれた頃には長谷川一夫の映画などで大流行していた。
なかなか艶っぽくてエロチックだったりする。
当時の大人たちはドキドキしながら読みふけっていたんだろうなぁと思いつつ、「青空工房」もしばらく開店休業になっているなぁ・・と、彫刻のことがチラリと脳裏をよぎった。

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ほどほどの実行 

2014/06/24
Tue. 10:54

それほど用事が立て込んでいるわけでもないと思うが、なんとなく慌ただしく毎日が過ぎる。
特に定職があるわけでもなく、さみだれでやってくる用件を仕事だと思って眼前の事実に向き合う日々を過ごしていると、それはそれでひとつひとつの事象がとても大事なことだということもわかるから、遺漏の無いよう心がけながら丁寧に収めようと努力している。

このところ自分の周囲で弔事が続いて、和服で過ごす日が続いている。
移動は白衣に改良衣で通すから坊主用の簡易帯ですませていたら、ワイフが見とがめて「それって、なんか下帯みたなんだけど、そんなんで正装なの?」なんて言うものだから、単色の博多帯を締めるようにして、それなりに気を使うようになった。

今の世の中、日常を和服で過ごすことなど希なことだろうから、自分では気がつかないところで結構目立っているのかもしれない。
先日も、その姿で久しぶりに東堂さんを床屋さんへ連れて行ったら、小学校の頃から知っている少し歳下の年季の入ったおねえさんに、開口一番「アラ素敵!」て言われた。
坊主が簡易正装して歩いているだけだから別に変わったことでもないだろうと思っていたが、世間の目はそうでもないらしい。
東堂さんを床屋さんへ預けて、おかみさんに頼まれた味噌やマヨネーズなどを買いにスーパーへ行ったら、今度は定年退職して悠々自適の同級生オヤジが「今日はおつとめ?」と神妙な顔つきで問いかけてきた。
そのくらい見ればわかるだろうと思ったが、一応世間的な挨拶を交わしておいた。
過疎地のど真ん中で短時間のうちに知合いから声をかけられるのも珍しいことなので、それだけ自分の外見が目立っていたのだろう。

面白いもので、和服を着ると歩き方や肩肘の動きまで自然にいつもと違ってくる。
気がつくとしゃべり方もそれなりに違っていたりする。
チョット意識して一歩引いて自分を見てみると、考え方やものの見方まで変わっているような気もする。
少なくとも、ジーパンにTシャツスタイルの自分とは違っていることがわかる。

私が少年時代で小学校の中学年くらいまでは、普通に寝巻きが着物だった。
夏の暑い時など、朝目覚めたら着物の前がはだけてへそ丸出しだったりすることもしょっちゅうだった。
ほんの半世紀前のことだ。
飛躍するが、今の時代に着物が復活したらずいぶんと日本社会が変わるだろうなぁと思う。
政治も経済もずいぶん違ってくると思う。
面白いもので、文化やスポーツに絞るとまだまだ着物社会がしっかりと根付いている。

世界をぐるっと見渡すと、それぞれのお国柄がそれなりに見分けられる。
その背景には、長い歴史に裏付けされた世界観の違いが見えてくる。
ひとの考えや趣向の違いも見える。
お互いがそれをシンプルに伝えあう事が出来れば、もっと世の中は平和に暮せると思う。
人の欲や驕り高ぶりや傲慢が蔓延すると社会はダメになる。
分相応に暮し、分相応に付きあうことは結構難しいことだと思う。

この半世紀で変わったのは私の暮しぶりだけのことではない。
最近の日本はどうも不穏な空気を感じる。
強い力の暴走を感じる。
早いものでそろそろ6月も終わりかけて、1年も半年が過ぎる。
万善寺のカレンダーも破る前にもう一度見直して、この3ヶ月をふり返って、次の3ヶ月を平穏に乗り切ってもらいたいものだ。

なにごとも、ほどほどであろうと実行することは簡単なようで結構難しいものです。
本気で自覚しないと出来ることではないですよ。

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それも現実 

2014/06/23
Mon. 00:12

本日は月曜日であります!・・・って当然だけど・・・
只今、眠たい目を擦りながら万善寺のロフト兼書斎で起きてます。

今から数時間前・・・
万善寺の参道前の家のおばあさんの通夜が終わった。
享年93歳・・まぁ普通に大往生だと思う。
宗派は浄土真宗本願寺派西本願寺。
曹洞宗の万善寺は、ご近所さんだということで坊主待遇でご招待を頂き、導師の隣でおつとめをさせていただいた。
明日は葬儀の当日で、これも導師とご一緒させていただく。
浄土真宗さんのお経本をたよりに、トツトツとついていくのがやっとだが、心を込めておつとめさせていただくつもりだ。

なにげなく、exciteをチェックしていたら、とてもタイムリーな記事があった。
いろいろ思うところもあるが、まずは冷静になって今の日本社会の仏教や坊主に対しての認識がこのようなものなのだということを客観的に判断させていただこうと思った。
以下、自戒を込めて記事を転記する。
夢と理想と現実の差は、このような情報操作の元で拡散しているのだろうなぁと思った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「お布施」はもともと、仏の教えに出合って、自分が執着しているものを喜んで捨てる“喜捨”。日本では地域差も著しく、宗派や寺院の格式、僧侶の僧階、戒名の内容、寺との付き合い方などによって金額も異なってくる実態がある。
本来は寺院の維持管理に使われるお金であり、お寺を援助することで「功績を積む」との考え方に則する。“援助”の内容は様々で、例えば、お寺の掃除を手伝うなどの奉仕活動も「お布施」に当たり、葬儀では生前に奉仕が適わなかった分もお金で援助するといった目的を担う。
檀家制度が事実上破綻している現代では菩提寺を持たない家も多く、とかく読経や戒名をもらう対価として解釈しがちだ。深い信仰心がなくとも、いまだ葬儀全体の9割を仏式が占める現状は、宗教儀礼に求められる効果や役割の高さを裏付けており、状況的にお布施は葬儀費用の一部だと考えざるをえないだろう。
ただ、お布施を「僧侶への感謝の気持ちと寺院護持のための施し」と捉えるか、「葬儀サービスへの対価」と考えるかは各人の捉え方次第。“僧侶の出仕料”と割り切った考え方ができるなら、寺院を持たない分、総じて低費用ですむ僧侶の派遣サービス業者を利用するのも一案だ。
ただし、人材はピンキリのため、どこでどんな修行をした僧侶なのか、あらかじめ確認しておく必要がある。また、葬儀社に僧侶の手配を依頼する場合は、「在家僧侶通信講座」を受講させた自社社員が僧侶に扮するなどの悪質なケースもあるため、前もってどこの寺院の僧侶なのかを訊ねておき、当日は必ず名刺をもらうこと。昨今、火葬炉前での読経だけなら、3万円程度から手配が可能だ。
一方の「戒名」は仏教徒としての名前であり、受戒し、「仏教の戒律を守って生きていく」と誓いを立てた証しとして、師から授与されるもの。本来なら生前、仏門に入った際にいただくもので、亡くなってから“故人専用の名前”として大金を納めて「買う」といった感覚自体が、本意からはズレてしまっているのだ。加えて、「教師資格」以上を有し、その位にある僧侶より授けられるのであり、自身で勝手につけられる性質のものでもない。
立派な戒名が故人への餞(はなむけ)、あるいは死後の免罪符のように捉えられて一部で商品化が進んだ結果、現下では本来の意味と意義から乖離してしまった感は否めない。仏教徒としての信心も踏まえて、戒名が本当に必要かどうか、本人の意向も交えて考え直す余地はあるだろう。
迷うようなら俗名のままで葬儀をすませ、必要なら納骨の際など、後からつけてもらうこともできる。中には同宗派の戒名が必要となる納骨先もあるので、最終的に“どこへ葬るか”も視野に入れて一考すべきだ。
ジャーナリスト 新郷由起=文
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ちなみに、この記事は「経済欄」に記載されていた。
一人のひとの一言の重みを痛感する。
私のように、個人ブログでいいたいことを言っているのとはチョット訳が違うと思うんだけど・・・

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癒しの化け猫 

2014/06/22
Sun. 07:54

このところ1週間に1回くらいの間隔で頭にバリカンを当てている。
・・・ということは、万善寺の坊主家業が続いているということ。
ほとんどが数カ月前から決まっている年回法事で、施主さんの都合がかさなったというくらいのことで、何時もこんな感じで忙しいわけではない。

時々こういうことはあるから私も普通に乗り切ろうとしていたのだが、何時もと若干違ったのは上げ法事が重なったこと。
それで暴走を始めたのが寺のおかみさんなのです・・・
これがなかなか私には厳しくて、自分の都合で朝早くに電話をかけたり、用事の最中に電話がきたり、もう完全にひとの都合おかまいなしで自分の不満や小言をしゃべり続ける。
そういうことが集中して続くと、こちらの気持ちもどんどん萎えて、とたんに鬱に落ち込んでしまう。

もう90歳だから元気でいてくれるだけでありがたいことなのだが、本人の気持ちはいまだにバリバリの働き盛りのつもりでいるから収拾がつかない。
そもそも、60年間一人で万善寺を切り盛りしてきたという思い込みが全身に擦り込まれているから、その見えないバリヤを崩すことは至難の業になる。

思えば寺の老夫婦が元気にはりきって寺務をこなしていた昭和の時代は、彼等にとって一番幸せな時期だったのだろう。
今の東堂さんが病気になって数回の手術を乗り切ったのもそれなりに大変なことだったろうが、そのことがあったから私も東京での暮らしを切り上げて島根に帰ったようなものだ。
ちょうど時期的に彼等にとって都合が良いといえばジャストタイミングだったと思う。
その頃も含めて、おかみさんの生きる力は仕事を趣味にすること。
東堂さんはさすがに坊主修行を積み重ねているだけあって、おかみさんの暴走を上手にかわしながらノラリクラリと今まで暮している。
男の潔さというか、まぁそういうところはなかなかカッコイイ。

私などまだ人間が出来ていないから何かにつけていろいろ気になることもあって、そういうことを出来るだけ避けるように寺暮らしを続けているが、なかなか思うようにいかない。
今の状況が続くのもせいぜい長くて4・5年だろうくらいに思っている。
人間90歳まで生きれば御の字だ。
いまのところ、右のものを左に移すと、結局しばらくあとに元の位置におさまっているような寺暮らしが続いているが、それもあと少しの辛抱と思うようにしている。
こんなことばかりで無駄に気持ちが乱れるものだから、最近は彫刻の仕事もなかなか深く掘り下げることが出来ない。
それでも、過去のメモが大量に蓄積されているから、暇を見つけてパラパラと広げてみたりして思いつきを整理したりしている。
たまには一歩引いてこういうときがあっても良いと思うようにしている。
田舎暮らしも毎日それなりに色々ありますなぁ・・・

色々ドタバタのあと夜も11時近くに帰宅した。
ワイフとキーポンが猫の話題で盛り上がっている。
クロが写真のモデルになってコビを売っている。
平和だ。実に平和だ。なかなか和む。
キーポンを拝み倒してクロの写真を転送してもらった。
あのふてぶてしいデブ猫が別人(別猫)の如く見える。
上手に化けたものだ・・・猫もなかなか奥が深い・・などと思いつつ萎えた心がかなり盛り上がった。

写真 3

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土曜日の憂鬱 

2014/06/21
Sat. 09:41

洗面所や台所の流しや洗濯機の蛇口と今年になってから水回りの給水や排水がどんどん壊れて一気に更新することになった。
思えば石見銀山の町並みに面した今の家に移り住んでから10年以上になった。
ものが壊れたり調子悪くなったりする耐久度はそのくらいなのかなと普通に納得もするが、一方で、私が高校で一人暮らしを始める時に今の東堂さんに買ってもらった掃除機は、いまだに工場の作業台の鉄粉をキッチリ吸い取ってくれている。
そのナショナルの掃除機は、もうかれこれ半世紀近く動き続けていることになるからたいしたものだ。

前に乗っていたポンコツ君1号と2号はダットサンだったが、どちらも走行距離15万kmあたりでウインカーのギヤがちびて昔ながらの手動で操作することになった。
そのくらいの走行距離になる前に車本体を更新することがほとんどだろうから、私の使い倒しが尋常でないのかもしれないが、ようするにダットサンのウインカーのパーツの耐久度がそのくらいのものだったということがわかる。

万善寺で毎日使っているナショナルの洗濯機は、私が島根に帰って仕事を始めた頃におかみさんの使っていた古い洗濯機が壊れたので買ったものだ。
もう1槽式の全自動洗濯機が主流になっていたが、おかみさんが使い難そうだからとわざわざ昔ながらの2槽式洗濯機にした。
それも買ってからかれこれ30年は使い続けていて、いまだに壊れる気配がない。

ワイフと結婚する時買ってもらった東芝の洗濯機や、そのあと何回か引っ越しして買い替えた日立の洗濯機は比較的簡単に壊れて、つい最近更新して使っているシャープですでに4代目になる。使い方にもよるだろうがおおよそ計算すると10年に1度更新していることになる。

寺の冷蔵庫は大小2台を使い分けていて、これも1台ずつ更新を繰り返しつつ、すでに20年以上使い続けている。
吉田家の3ドアや4ドアのデカイ冷蔵庫は今の自宅に住みはじめてから買い替えているしもう2・3回更新したはずだ。

まだ昭和の時代からつき合い始めている近所の陶芸家の生活雑器はやたら丈夫で壊れることがない。
初代が萩で修行して地元に帰って築窯して、丈夫な石見の土を使って登り窯で丁寧に焼き上げていたものをもとに、2代目が引き継いで登り窯からガス窯と灯油窯に変えて品質を安定させつつ作り続けている食器がとにかく丈夫なのだ。
「いつまでも壊れないで使ってもらえるのも良し悪しで・・・」
本人は曖昧に愚痴をこぼしていらっしゃる。
その気持ちがとてもよくわかる。

あげればキリがないほど現代人は消費社会にどっぷりと浸かっている。
生産者の都合か、経済界の取り決めか、国の政策か・・せいぜい10年でモノが壊れるように作られているようにしか思えない。
これほど多様化した時代に、人の暮らしだけは自分の意思でモノを選別することが出来なくなっている実態をみると、人間そのものも産業社会のベルトコンベアに乗せられて暮しているような気になってしまう。

半世紀前に造られたものの丈夫さとそのための技術や素材がそのまま現在に維持できていたら、ここまでゴミで苦労することも無かったような気もする。

最近は自動感知で止まる自動車が製造されているようだ。
私のような古い人間はいまだにクラッチ付きの貨物車に乗っている。
人の都合関係なく自分で勝手に止まる自動車と一緒に公道を走らなければいけないからそれなりにドライブテクニックを磨かないといけない。
ドへたくそなドライバーがどんどん増えるから困ってしまう。
ようするに、「親切安全」という名目で人間のファジーな適応力まで経済社会が食いつぶしていることになる。

現代の社会はどこまで堕落していくのだろう。
このままいけば自分はあと20年程度でおさらばだろうから我慢も出来るが、孫・子の世代のことを思うと複雑で気持ちも萎える・・・・
このような日本社会にしてしまったのも、自分の責任なんだろうなぁ・・・

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サンドイッチタイム 

2014/06/20
Fri. 09:43

さすがに還暦にもなると昔のように体力を駆使して無理が続かなくなる。
今回の往復12時間九州行きも、帰宅してその日の夜になってとたんに眠たくなって、気がついたら今朝の7時まで夢の世界をさまよっていた。
仕事の途中のデスクトップもそのままで、書きかけの書類もそのままで、10時間ほどの時間が凍りついたように止まっていた。

自宅を出発する時に、ワイフがホットサンドを作ってくれた。
それにポットいっぱいのコーヒーと自家製のブレンド茶。
これだけあれば給油以外はノンストップで往復出来るはずで、あとはその時の体力が続くかどうかで決まる。
耳のお供は、幾つか用意した中から45分で1番組が終わるPodcastを選んだ。
こうしておけば、番組の切り替わるごとに時間の経過が分かるし、到着時間の予測も出来て都合が良い。
そうやって、特に無理をするでもないまま往復できたから、それなりに普通に調子が良かったのだろうが、そのあとの現状をみると、やはり何処かしらひと昔前と同じようなわけにいかないところもあるらしいとわかった。
気持ちとしては日常のこの10年来べつに急激に老化したとも思わない。
たしかに細かいことを一つずつチェックすればアチコチ不具合があるものの、それも経年変化の劣化だから身体もそれに少しずつ慣れてきているし、それほど肉体の衰えを気にする必要もないだろうくらいに思っていたが、どうやら歳相応に無理がきかないところもでているらしい。

昔の人は人生の短期中期長期の見極めを実に効率良く刻んでいたんだなぁと思う。
1年の季節の節句や年中行事のご縁日もそうだし、数年ごとにやってくる年回忌もそうで、厄年もあったりして、節目の還暦もそのひとつだったりと、なかなか合理的に人の一生が決まっている。

満年齢でいうと60歳、数え年齢でいうと61歳で還暦になる。
読んで字の如く、生まれてから十干十二支数えて歳がぐるりと1回転した訳だ。
そんなわけで、これから先は2回目の人生をいただいたことになる。
1回ぐるりと回る間に、色々な勉強をさせてもらったし、やりたいこともやらせてもらった。
ワイフと一緒に家庭もつくって家族も出来た。
好きな彫刻も続けられている。
世間付き合いのやっかいなこともいっぱいあるが常識に工夫できるほどの生活の知恵もそれなりに備わってきたはずだ。
時々の都合で、キッチリと還暦で割り切って打ち切ることも出来ない返済やしがらみもない訳では無いが、自分の気持ちだけは自由にできるところもある。
このような人生に一度しかない節目は惰性で過ぎないようにしなければいけないと決めているところもある。

今まで散々わがままに生きて暮してきたが、これからはもっとわがままに生きてやろうと秘かに思っている。
いいかげんいい歳して物欲名誉欲にしがみつくほど醜いものはない。
一人一役くらいはしかたないとして、潔い身辺整理を思いつかなければいけないなと感じる。
もっとも、この身辺整理がなかなかやっかいで難しい。

・・・・朝焼けの高速道のパーキングでホットサンドをパクつきながら、そんなことを思っていた。
軟弱なチキンオヤジに、さて、どれほどのことができるか・・・あぁ〜心が折れそぉ〜だ・・

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バリアフリー 

2014/06/19
Thu. 09:49

部活帰りのキーポンを自宅前で降ろして、そのまま結界君を九州へ走らせた。
彫刻仲間のK君から作品台とパーツを頼まれて、それが出来たので持っていった。
実際に彫刻の現物を見ていないからうまく組立つかもわからないし、まずは自分の目で確認した方が手っ取り早くて納得する。

まだ若いK君は、交通事故の被害に遭って車椅子での生活になった。
数年は彫刻制作も出来ないままリハビリに励んで、そのうち制作を再開して、今度は個展の計画を立ててそれを実行に移している。
今回の私の仕事も個展出品の彫刻パーツを造ることだった。

キーポンを連れて帰ったあとからの出発だから九州へ着いたのはすでに日の変わった深夜だった。
ひとまず予想通り組立ててみたが、どうも造りが華奢でいまひとつ納得できない。
いろいろ工夫してみたが、応急の仕事になりそうなので、一式島根までもって帰ることにした。
真夜中なのにコーヒーをいただいたり、お弁当まで用意してもらったりと至れり尽くせりで恐縮してしまった。

とんぼ返りで、アチコチ交差点の点滅信号が平常作動に切り替わる前に石見銀山の自宅へ帰宅した。
朝ご飯を食べてノンビリしようとトイレ読書を楽しんでいたら、「おとうさん行くよ」と声がかかってあわてた。
としも歳だし完全徹夜だから結構疲れてすぐ寝たかったのにしかたがない。
いつもと変わらない1日がはじまった。

久々の長距離で時間もたっぷりあるし、運転しながら色々なことを思った。
車椅子暮らしのK君は、みたところ不自由ながらほとんど自力で制作を続けているようにみえる。
ものすごい集中力と持久力だと思う。自分にはとても出来ない。
自宅裏にある彫刻の作業場へも昇降機を操りながらほとんど自力で移動している。
バリアフリーの支援も最小限のようで、至る所に段差がある。

そうしてみると、万善寺の段差もかなりのものだと思う。
腰が曲がって膝が伸びたおかみさんは、アチコチの段差をはい上がったりはい降りたりして全身運動している。
畑の坂など芋虫のように地べたを移動している。
老僧はそれなりに足もシッカリと歩いているが、頻繁にふらついていてハラハラする。
背も縮んで式台が膝より高くなった。
本堂は高床だから庫裏と結ぶ渡り廊下は階段ばかりだし、蔵の出入りも上下激しいし、六地蔵さんの通りまでは急な坂もある。
そうやって一つ一つ思い出してみると、万善寺の造作で半世紀の間にバリアフリーになった場所など一つもない。
老僧に歳の近い組寺のご住職も、最近寺内のアチコチでつまずいてよく転ぶようになったそうだ。

普通に不便に暮していると、不便も普通に色々工夫して乗り切っているように見える。
至れり尽くせりのデイサービスや介護施設を利用しているお年寄りは頻繁に転んでよく骨を折るらしい。
知合いの介護士さんがそう言っていた。
バリアフリーに慣れてしまうと、日常の暮らしで普通によくある少しの段差に履物や足の指が引っかかって転ぶことが増えるようだ。

そういえば、私がお邪魔するK雲寺とかK洞寺とかの古い石段は、見事に高さも石組みもバラバラで足の運びに苦労する。
聞くところによると、由緒ある古刹古寺は参拝の老若男女へ注意喚起のためにわざとそのような石段を造ることが習わしのようなものであったという説もある。
時間をかけてでも這ってでもお参りするという信仰心の強さが、かえって安全に慎重に我が身を守ることにもなっていたのだろう。

何事も至れり尽くせりが良いとも言えない気がする。分相応に歳相応に自身を慎む所作をわきまえることがあっていいと思う。
万善寺の老僧夫婦には見て見ぬふりで手を貸さないことにしている。
いつまでもそれなりに自力で生き抜いて元気に死んでいってもらいたいと思っている。

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本来無一物 

2014/06/18
Wed. 05:14

バラバラの書類を一つに閉じたくてホチキスが必要になった。
だいたいある場所はわかっているつもりでしばらく自力で探したがどうも見つからない。
朝の忙しい時だったので悪いなと思いつつ、何処にあるかワイフに聞いた。
案の定、ちょっとイラッとしたかんじで「いつものクリアラックの上から2・3番目。あなた自分で有る場所ちゃんと覚えておかないと、私がいなかったら何もわからなくなって困るでしょ」と、場所を教えてくれつつ諭された。
その場所はすでにそのあたりだったと思って探していたんだけど見つけられなかったのよ・・・
「確か、ピンク色をしたホチキスだったはずだ・・」と曖昧な記憶を頼りにしていたイメージ上のホチキスは、例のコの字型の針がビッシリ並んでいる昔ながらの定番のヤツ。
それを目指して探していたら、ワイフが差し出してくれたのは最新型の針がいらないヤツ。
かたちも似ているといえばホチキスだが、自分の頭にあるあの形をイメージして探しているから、まぁ、色はピンクだったような気がするけど、かたちも違うしやっぱりそこにあってもわからないよ。

家族なんて個人個人が共同生活をしているようなものだから、色々な道具や小物や文房具を色々自分の使い勝手の良いように使ってそのままになったりして、誰かそれを見つけて「しかたないなぁ、ちゃんと元に戻しておいてくれよ・・」と若干イラッとしつつ自分でひとのものを片づけたりすることなどしょっちゅうある(吉田家の場合は・・)
じゅん君が家にいた時は耳かきがどんどん無くなって、仕方がないから補充する。そのうちまた何処かに無くなるから補充して、結局しばらくして彼の部屋にいっぱい溜まって見つかったりした。
キーポンの教科書やノートや勉強道具や食べかけのお菓子などがピクリとも動かないで何ヶ月も同じ場所にあったりすることもよく見かける。
しばらくモノが動かないであることに気がつくと、私がそっくりAmazonの空き箱か何かへ移して片づけたりするものだから、それからずいぶん経ってすっかりそんなこと忘れてしまっている頃になって「あれはどうした?」とか聞かれても困ってしまう。

壮絶な人生の末にウルグアイの大統領になったホセ・ムヒカさんがすごい。
彼は「世界で最も貧しい大統領」といわれている。
2012年の地球サミットでの彼の演説が心にしみた。
エンドレスの消費社会を作った富裕の国々に対して厳しく責任を問いかけている。
そして、「昔の先住民曰く、貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」と言い切っている。

ホチキスから針を無くしたということは、環境にやさしい開発研究の成果かもしれない。しかし、だからといって、今まで使っていた針の球を打ち込むホチキスも無くなることは無いと思う。

4つの年回の4枚の塔婆の裏書きに4つの禅語を書かせてもらった。
1つは、例の歳月不待人
1つは、万波不離水
1つは、寂然不動心
そして、本来無一物

無い知恵を絞って、難しい本を頼って、意味を解ろうと脳みそを絞ってすがった4つの禅語は、どこかしらホセ・ムヒカ大統領の演説の言い換えのようなところも感じられて、仏教の深遠な思想の淵が少しばかり見えたような気がした。

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耳のお供 

2014/06/17
Tue. 07:11

6月に入ってから出かけることが増えた。
万善寺の通勤坊主、工場や材料屋さん、それに街場に点在するお檀家さんの法事。
昔は万善寺のすぐご近所で暮していらっしゃったお檀家さんが、次の代に変わる時、それまでの田舎の自宅をそのままにして街場へ引っ越していかれることが続いたからこうなった。
見方を変えると、家の跡継ぎさんに高学歴が増えて、仕事も大きな街の企業サラリーマンや公務員が増えたということになる。
お百姓さんの家に育った子がお百姓さんのあとをつがないまま就職していったということだ。
高度経済成長期の日本にとっては、それが一番の選択肢だったのかもしれない。
田舎の家を守りながら歳をとって身体が動かなくなって子供に引き取られて、街場の病院に入ってそのまま息を引き取って、その近所の葬祭場で葬式をして、遺骨は一周忌辺りまで自宅で拝んで、その間に適当な霊園を探して、集合墓を造立して田舎に代々続いた墓地を引き上げ遷座して、それでふるさととは縁が切れておしまい・・・なのだが、時々先祖さんの年回の法事がやって来るからその時は街場の坊さんを頼むとお布施も高いし、「そうそう、昔からお世話になってるあの山寺の和尚さんにお願いしよう!」ということで唐突に電話をかけて「○○の○回忌のおつとめを・・」とお願いして、山寺価格で法事をすませる・・・という、そのようなパターンが増えている。

市街地に転居された万善寺のお檀家さんは、仏事にシッカリしている方が多いから、皆さんマメによくおつとめいただいているので、坊主の方も気持ちよく行き来させてもらっているが、東堂さんは車の免許を持たないから、ずいぶんたくさんのお檀家さんを手放したようだ。
その頃は私も寺を出て一人暮らしをしていたし、色々な事情もあっただろうが、結局は寺も檀家もその方がお互い都合が良いと思った選択肢だったのだろう。
それでも熱心なお檀家さんは万善寺を忘れないでいてくれて、この度のように早朝から自宅を出発して、今日は松江まで往復する。
何と、1年分まとめての法事で塔婆も4枚書いた。
俗っぽいことを言うと、今どき往復の油代もバカにならないし、「お車代」も出たりでなかったりだから、私としてはお寺の上げ法事が良いかなと思ってもいるが、自宅に来てくれと頼まれれば、東堂さんのように「免許がないので」でお断りすることも難しいし、「ハイ、承知しました。お伺いしましょう」という流れに落ち着いてしまう。
今どきの山寺の和尚さんの悲哀ですなぁ・・・

そうやって、ジクジクウジウジとネガティブに思ってばかりもいられないので、気持ちを切り替えて道中を楽しむようにしている。
吹奏楽の大会でキーポンの高校はプッチーニのトスカを演奏するようだ。
オペラはオペラらしい・・というか、とにかくスケールのでかい抑揚の激しい楽曲が多いから、結界君のかわいいハンドルを握りながらノンビリとアチコチの街道を走行するにはあまり適した音楽にならない。
クラシックだとやはり室内楽が一番なのだが、延々とバッハやモーツァルトなどの有名どころを聴いていても飽きてしまうから・・というより気持ちよくなって眠くなってしまうから選曲が難しい。
そこで登場するのが例のPodcastということになって、今もこうして早朝のプチプチの裏番でiTunesがフル稼働している。
改良衣でクラシックというのもなかなかオツなものだが、日本海や宍道湖を眺めながら走っているとクラシックロックも良い感じで溶け込んでくる。
クイーン、エアロスミスなどなど・・
それに、最近良く聴いているのがコールドプレイ。
あのアイルランドっぽい楽器の使い方とか、繰り返されるシンプルなフレーズが耳に心地よい。
男性歌手の声は、意外に結界君の走行音で消えてしまうこともあるので、車で聴くのは女性の声があっていると思う。
ナタリー・コールの澄んだ声も渋いし、サラ・ブライトマンのポップなクラシックも良い。
楽器だとマイルスのミュートトランペットなんかが良い感じで耳に入る。
コルトレーンのサックスもバリバリしていて耳に入りやすい。

・・・まぁ、ようするに何でもいいって訳・・のような気もするなぁ・・・
そんなわけで、本日もそろそろ松江までいってきまぁ〜す。

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歳月不待人 

2014/06/16
Mon. 10:01

年回法事が万善寺であったので、キーポンを学校まで送ってそのまま寺へ直行した。
田舎の山道は交通ラッシュなどないが、そのかわりあきれるほどのノロノロ運転でわが道を行くドライバーが時々横行していて、それに捕まるとどうもこうもならないまま、追い越しできるところまでお尻について走り続けるしかない。
今回も、久々にそういう場の読めないドライバーに出くわして苦労した。
結局、いつもより15分ほど遅れて寺へ到着して、大急ぎで掃除機をかけたり荘厳を整えたりお茶の準備をしたりしていたら、施主さんが予定より30分も早くお参りされて、めちゃくちゃ忙しくなってしまった。

おかみさんは、いつもの精進料理を作っていて、ヨチヨチと運んでくる。
長い間の習慣だからしかたのないことだが、さすがに90歳近くなって作る料理は怪しいところもあって、お参りの皆さんに差し出すことも緊張する。
とくにこれから暑くなってものが長持ちしなくなってくると余計に心配をすることになるし、内も外もまんべんなく気配りをして気苦労が絶えない。

上げ法事の方は、上手に代替わりが出来て親子3代仲良くお参りされて、最近はそういう施主家も珍しくなっていたから、気持ちの良い法事になった。
それになにより、33回忌を過ぎた祝い法事でもあるので、和やかに晴々して、お墓参りのあとの斎膳の会話もはずんだ。
6月に入ってから梅雨らしい毎日が続いていたので、その日は久々に青空を見たような気がする。

梅雨に入ってジメジメし始めた頃に、久しぶりにシングルモルトを飲みたくなって、コンビニで氷を買って来た。
大事にチビチビと飲んでいて、冬はストレートで、今ごろのように蒸し暑くて湿っぽい時は氷が欲しくなってくる。
旨いなと思いつつ氷のあるだけ2・3日続けていたら、飲みかけの1本が無くなった。
身体の調子が悪くなると酒も飲む気が失せるものだから、こうしてワイフの手料理を堪能しながら美味しく飲める1杯は格別に感じる。

寺暮らしの老夫婦も、毎日ヨチヨチと、それなりに元気でそれなりに仲良く暮していて、気が向けば二人で夕食の1杯もやっているようだから、時々冷蔵庫をのぞいてビールの在庫チェックをしている。
今回もさり気なく覗いてみたら、残りわずかに減っていた。
老夫婦の楽しみになっているのだから欠かすことも出来ないし、次の草刈りの時にひとケース持っていこう。

現代彫刻小品展出品作品の集まりを心配しつつ寺のこともあるし、一つことばかりにかかわっていられないから、気持ちもなかなか落ち着かない。
だからといって考え込んでばかりもしょうがないから、流れに身を任せるしかない。
そんなことを思いつつ、塔婆の裏書きに「歳月不待人」と書かせてもらった。
若干公私混同のきらいもあるが、不変の真理でもあるからまぁいいかなと思う。

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父の日 

2014/06/15
Sun. 06:18

毎日が日曜日・・なんて夢のまた夢のような何とも曖昧な毎日を過ごしている今日この頃。
たまにはオヤジも日曜日らしいマッタリとした1日を過ごしたいなぁと思いつつ、毎週土日になると寺の法事やキーポンの部活の発表会などがさみだれで入ってなかなか心身ともに休まる時がない。

私が少年時代で寺暮らしだった頃は、まだ若かった今のジジババが白黒のテレビを見たり仲良くお茶したり週刊誌パラパラめくったりして結構ノンビリと1日を所在なさそうに暮している時も多々あったように記憶している。
節目節目に家族旅行もしたり、日展が各年で島根へやって来ると1日がかりで松江まで連れていってくれたり、結構マメに子育てもしてくれていたことを思い出す。

我が子の場合はどうだっただろうとふり返ってみると、じゅん君となっちゃんの小さかった頃は、それこそ毎日のように出雲や松江のショッピングセンターへ家族で出かけてミニ遊園地を渡り歩いていたことを思い出す。
ノッチの小さい頃もだいたいそんな感じだったが、遠くまで旅行というと彫刻と一緒の搬入搬出を兼ねていたりして、仕事絡みで子供を連れ回すことが増えていた。
それでも、大人たちの宴会やらカラオケやらに付き合わせて夜が更けるまで大騒ぎをくりかえしたりする遊び時間の余裕がまだまだ残っていた。

さて、キーポンの時代はというと・・・
上の子供たちが大きくなっていたという家庭事情もあるだろうが、小さい時からアチコチ家族で出かけるということが極端に減ったように思う。
何処かへ出かけるというと、だいたい誰かの展覧会だったりお兄ちゃんやお姉ちゃんの吹奏楽発表会だったりで、ようするに何かの用事に付き合わせていることがほとんどになっていた。
ワイフと「そろそろ搬入が近いなぁ」などと会話していると、途端にそれを聞きつけて「ディズニーランド行こう!」と食いついてくる。
ようするに、物心ついたキーポンにとっては、私たち夫婦が年中行事のように彫刻の展覧会で東京へ用事があることを楽しみにしていたわけだ。
変われば変わるものだ。
どういうわけか年々毎日が忙しい思いで窮屈になっている気がする。
もっとシンプルな暮らしをしたいと思うが、なかなか難しい。

年に1度の父の日は・・・益田産のメロンを買ったので寺の老僧へ持っていってあげる。それから午後の遅い時間に浜田こども美術館での現代彫刻小品展でいろいろお世話になる現地スタッフと打ち合わせに出かけて、帰宅は夜遅くなるだろう。
だからというわけでもないだろうが・・
「キーちゃんがおとうさんへ父の日のプレゼントだって!」
と、何故か早々とワイフが大きな紙袋を渡してくれた。
見ると、1本のワインとおつまみの数々・・・
「キーポンありがとう!」といったら、本人めんどくさそぉ〜にシラ〜っとして無視された。
私はワイフのお父さんではないから、ワイフから父の日のプレゼントもらうのもおかしな話だが、とにかくお気持ちありがたくいただいた。

そうそう・・昨日のこと・・夕方遅くに東京のぐっちゃんから久々に電話をもらった。元気そうな声だった。ぐっちゃんのオヤジという訳でもないが、長いつき合いで親しい間柄だから何か嫁に行った娘から電話がかかってきたような感じで嬉しかった。
それも、いわばプレ父の日のプレゼントだと思っても良いな!・・と思った。

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はっぴー・ばぁーすでぇー 

2014/06/14
Sat. 09:08

土曜日なのに朝から制服に着替えてウロウロしているキーポンをボンヤリ眺めつつ朝食をとっていたら「おとうさんそろそろぉ〜」と声がかかって、吉田家出発。
いつもよりずいぶん・・といっても20分くらいだけど・・早く自宅を出たら、道中スムーズで学校までスイスイ。
「部活で珍しくせいふくかぁ〜」
「今日は模試!」
「もしぃ〜?・・もしぃ〜・・って、もしかしてあの模試?」
「・・・」
どうりで、珍しく夜に勉強していたなぁと思い出して納得した。
さてさて、キーポンのように日頃から勉強癖のついていない受験生が、高い模試代はらって何処まで身に付いているのか・・・オヤジの前例(って大昔だけど)もあるし、はなはだ疑問であります。

そんな一見平和な土曜日の朝のドタバタがあって、やっと少し落ち着いたところ。
昨日まで工場の仕事が続いていて、それも一区切りついて、あとは塗装の仕上げを少し残すだけになって、一段落した。
これから気持ちを切り替えて年回の塔婆を書いて、頭にバリカンを当てて、ついでに無精髭にもバリカンを当てて・・などと1日の予定を組み立てていたら、久々にノンビリ休もうと思っていたのにそれもしだいに怪しくなってきた。

礼の如くゴロゴロしながらラップトップを探っていたら、2・3日前から続いているノッチの誕生日プレイベントがなかなかゴージャスで、雨のディズニーシーを楽しんだり色々忙しいようだ。
そして本日がノッチの誕生日当日。
何もしてやれないオヤジは、少し前に電話で「おめでとう!」だけは言っておいた。
オヤジ譲りで友達の少ないわりには濃厚な付き合いもあるようで、それなりに愛されているようだし、それがなにより。
そうそう・・忘れていけないのは、箱入りおてんばつまみ食いシロちゃんの誕生日も本日。
もともと野良猫なので、忘れないようにノッチの誕生日に間借りさせてもらった。
そんなわけでシロも目出度く??2歳になる。色々悪さをして叱られることも多いから、オヤジにはびくついているが、ご飯を催促する時と寝起きで人恋しい時は媚を売ってベタベタと甘えてくる自己虫で都合の良い小娘に育ってしまった。

真夏のような5月が過ぎて、肌寒くて汗も出ない梅雨の6月も前半が終わった。
田植えの農繁期も少し落ち着いて、田の水の世話で目が離せない日がしばらく続いて、あとは天気次第の夏が来る前に、万善寺周辺の集落ではお大師さんの供養が続く。
ご縁日は21日だから6月21日と7月21日がすでに予約済み。
上手に代替わりできた集落もあれば、お大師講の意味もわからないで面倒なまま親の言いつけを事務的にこなそうとする気持ちの入らない次世代集落もある。
若い世代の地元への帰属意識の希薄さがその地域の衰退につながる・・と思うな・・

年に1度のご縁日供養も我が子の誕生日のようなものだと思ってしまえば、みんなで楽しく祝えるのにね。

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ありがとう 

2014/06/13
Fri. 08:49

いいかげんなデザインと、トンボも当てていないPDF。
原稿制作は、アドビの使い方も知らないままほとんど無料アプリの使い倒し。
紙の指定もお任せの上に、まともに校正もしない。
「チョット文字が見えにくいんですが、これでいいですか?」
ひどい時は逆に校正してもらって、
「すみませんねぇ〜、じゃぁ原稿直してみます・・・」
そんな感じでドタバタの印刷を、イヤな顔もしないで(って、実は電話の向こうで苦いムシを噛んでいるかもしれないけど・・)引き受けていただいているいつもの印刷屋さんのおかげで、思った以上の良い反応が返っていてビックリ!
さて、その印刷とは・・・「現代彫刻小品展ナンチャッテ作品集」

そもそも、去年の展覧会が終わって、半年もダラダラと印刷原稿を引っ張っているのだから、我ながら気の長いことだとあきれてしまう。
ワイフなど、書斎にこもって何やらプチプチクリクリやっているオヤジを、あたらずさわらず見て見ぬふり。
まがりなりにも大切で重要な仕事中はネコチャンズを書斎から締め出して集中しなければいけないと思いつつ、自分で勝手にガラス戸を開けて進入するクロを叱ることも出来ないで、逆に気晴らしで遊んでもらったりすることもシバシバ・・・
これといって忙しい日常が続いているわけでもないので、途中で挫折することもなく原稿制作を続けられたようなもの。
それでも、度々行き詰まるようなことがあって、その筋の各所に相談したりして協力をいただきながらナンチャッテ作品集が完成したのであります。

この度やっとA4サイズの入る大きな封筒を印刷屋さんに用意してもらって、浜田での現代彫刻小品展開催チラシと一緒に発送することが出来た。
そして、島根でコツコツ制作に励むSさんから最初の電話を頂いた。なにかとても喜んでもらえたようでうれしかたなぁ・・
浜田の会場では縁の下で支えていただいているiさんから電話でお褒めのことばを頂いた。
「ありがとうございます」の言葉がおもわず出た。
第1回展に出品をいただいたMさんから礼のメールが届いて、「もう着いたのか!」と最近の郵便事情にビックリした。
九州や四国からも早速メールを頂いた。

このところ、メールの返信などだんだんサボりがちだったのを反省した。
気がつけば、「すみませんね・・」とか「ごめんなさいね・・」とかばかりで、なかなかすなおに「ありがとう」と言えていないと気がついた。
意味としては似たようなものだと思って使っていることも多いけど、やはり、相手の受け取り方が湿っぽくなってしまう気もする。
あぁ〜、「ありがとう」かぁ〜・・・最近あんまり使っていなかったなぁ・・
反省反省・・

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過疎地高齢化田舎事情 

2014/06/12
Thu. 08:27

早いもので、もう1週間が過ぎて初七日が来た。
施主家の都合で、お昼前にご自宅へおじゃました。
新亡さんは、まだ彼岸へ到達するまでの旅の途中であるから、その家のお仏壇のご先祖様にお仲間入りが出来ない。
そこで祭壇を別に用意して、四十九日まではそちらでおつとめをする・・・と、万善寺ではそのように言い継がれていて、私もその例にならってお話しをさせていただいている。
そういう具体的な理屈を用意することで、残された親族が納得して気持ちを切り替えやすいようにお付き合いするのも坊主の仕事と思っている。

この度は田舎では珍しい家族葬で終始しているから、坊主の守秘義務もなかなか田舎社会ですり合わせをすることが難しい。
それでなくても過疎化が進む中で、昔ながらに隣近所を頼って葬儀をしようとすると、「わしゃぁ〜もう歳だけぇ〜お手伝いもむずかしいけぇ〜」などと煮え切らない返事が返ってきたり、かといって、一切合切JAの葬儀チームにお願いすると、隣近所や責任役の仕事まで取り上げて全て金で解決しようとするし、なかなか葬式一つすませるのも気の張る大仕事になってしまう。

また例によって例の如く大正生まれのおかみさんからお叱りの電話がかかった。
句読点の無い長話を要約すると、○○さんの△△さんが亡くなったらしいという噂を聞いたが本当か?ということで、しかたがないからそうだと答えて、葬儀もすませたと言って、普通ならあぁ〜そうかで終わるところなのだが、おかみさんの場合はそういうわけにいかなくてそこからが延々変な理屈で長くなる。

こういう田舎独特の重箱の隅に残った食材のカケラを箸の先で擦りとって舐めとってその味が旨いとか不味いとか堅いとか柔らかいとかまぁ微細なネタで持論をぶって喜んでいるようなことを繰り返す想像の産物のうわさ話で盛り上がるようなことが日常の近所付き合いを円滑なものにするという社会性がいまだに鮮度を保って生々しく存在している様子に接することが憂鬱になる。
どう良いように解釈しようと思っても、あまりにもネガティブ過ぎる話題を楽しんで喜んでいるようにしか思えなくて気が滅入る。

田舎暮らしをしていると、それだけ自分の周辺には話題が乏しいということなのかもしれないが、私など、かえって世間の厄介なしがらみの中で知らなくても良いようなことまで色々耳に入ってイヤな思いをするよりは、付き合いをセーブして知らないですませておいた方が気楽で良いと思っている。
「過疎地高齢化限界集落だ!」と大騒ぎしているわりには、そのど真ん中にいると、なんとも濃厚なコミュニケーションが結構活発だったりもしていて面白いものだ。

人の考えは色々だから平穏に暮すということはむずかしい。

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ライブ 

2014/06/11
Wed. 06:48

だいたい毎日・・というか毎朝、目が覚めた時に思いついたことをポツポツ書きはじめて、そうやってダラダラしているとワイフが目覚めて朝の家事を始める。
毎日のことだからそのうちネタも尽きるだろうと毎日思っているが、どうもなんというか毎日なにやら思いつくようなことがあるらしくて、たいしたネタもないままタネも尽きないで今に至っている。

そもそも、こういう思いつき90%以上のネタなど推敲に推敲を重ねるなどありえないことだから、あとになって「えぇ〜と・・○○さんの法事は何回忌だっけ?」などと思い出せなかったりする時に、その法事の前後の数日間をふり返ってみたりして再読すると無責任な思いつきを脈絡もなくダラダラ書いていたりして落ち込んでしまう。
一般的に普通は朝の忙しい時間帯でラップトップをアチコチゴロゴロ回転させながら途切れ途切れに思いつきを並べているわけだから、まぁ散文的要素満載になってしまうのはしかたのないことだろう。

先日、何年ぶり・・いや何十年ぶりかもしれないが、大塚まさじさんのライブに行ってきた。
そもそも大塚さんを知ったのは・・・なんてところから始めると半日ぐらいキーボード叩き続けた大長編になりそうなのでザックリカットすることにして、とにかく、かなり前から彼を知っているのです。
それで、顔を見たいし歌も聴けるし、そもそも吉田を覚えてくれているかどうかも気になるし、いろいろな想いがうずまいて、久々の高揚感でドキドキしながらライブ会場まで出かけた。

大塚さんのことはF.B.でチェックしているし、彼の日常がだいたいわかっているから、何時も何処かで逢っているような錯覚にはまることもあったりして、ライブのMCを聴きながら虚構と現実が入り乱れて変な感じだった。
とにかく、久々に充実した感のある良い時間を過ごすことが出来た。

彼とは5歳くらいの年の差程度だから、ほとんど同じ時代を別のところで過ごしていたようなもので、なんとなく考えていることや気持ちが通じている気がする。
飾らない自分の身近のうちあけばなしなどされると、「そうそう・・」とうなずいてしまうことも多々あった。
久々に聴いた同じ歌が心にしみた。
しばらくブランクをはさむことで、歳をとるというか歳をかさねるというか、そのような経年変化の事情が手に取るようにわかる時もあるんだなぁと感じた。
ミュージシャンと彫刻家の違いなんてたいしたことなくて、だいたい似たようなこと考えているんだなぁと思った。

部活帰りのキーポンが助手席で色々話してくれた。
学校の芸術鑑賞でポルトガルギターを聴いたそうで、YouTubeの検索などして曲を聴かせてくれた。
友達はみんなウツラウツラと寝ていたらしいが、それもリラックスできていることだし、音楽の良さでもある。
彼女は音楽好きだからしっかり聴いていたようで、そのあたりにオヤジと同類の匂いを感じる。
結構感動したんだろうなあと伝わってきて、芸術鑑賞も大事なことだと実感した。

やはり、ライブでしか感じることの出来ない心のふるえというかゆらぎというか、そういうものは大事だと思う。
彫刻の展覧会だって同じだね。
やっぱり本物を間近で見ることが一番だね。
そんなことをめんどくさいと思いはじめたらおわりだね。

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勝負にならん 

2014/06/10
Tue. 10:12

このところの数日間、キーポンが自宅を早出することが増えてきた。
吹奏楽の早朝練習をしているのだと思う。
日曜日に西部地区の吹奏楽祭があったことと、次の吹奏楽コンクールに向けての練習強化の時期なのだろう。
たしか6月の一週目あたりは高校総体だったはずだ。
先日、久々の年回法事で出かけた先では、斎膳の席で少年野球の強い弱いで話題に花が咲いていた。
ブラジルのサッカーもメディアで賑わっている。
少し前にはオリンピックもあったし、このところ勝ち負けや一等賞を争うような勝負事の話題が増えたように思える。
そういうことはたぶんずいぶん昔からあったことで、特に最近になって急に増えているわけでもないはずなのに、結局世間の事情から逃避しているような自分のところまで流れてくる情報量が増えているから余計にそう思うのだろう。

どうも勝ち負けの勝負事が好きになれない。
まだ血の気の多い10代の時を思い出しても、回りの連中が大騒ぎするほど勝ち負けで歓喜することはなかった。
高校生で美術部だった時も、島根県の美術展に出品することはなくて、部員が入選や入賞を目指して大作に取り組む横で石膏デッサンなどしていた。
そういう具合だから受験勉強は自分の性格に合わないし、そもそも闘争心というものが希薄だから、「まぁやることやってればそのうちなんとかなるだろう」くらいにかなりクールに乗り切った。
就職試験も、別にこれといって特別なことをすることもなかった。
坊主の方もそんな感じでなりゆきで副住職になって、別に目標も望みも欲も無いまま延々と何十年も小さな山寺の寺務を続けた。

彫刻を造りはじめるようになってからも、当分の間そんな感じで公募展に出品を続けていた。
気持ちが変わったというか、割り切ったというか、そういう時がきたのは、彫刻の恩師の一人山本兼文さんが病気で亡くなったあとのことだった。
志半ばの無念の思いで亡くなった彼の意思を継ぐのは自分しかいないだろうと、身勝手に思い込んだことがきっかけになって、自分の気持ちが変わった・・・というより、無理に変えた。

それからあと、しばらくは脇目もふらないで突っ走った気がする。
偉そうにいうと、島根や鳥取に在住する地域の彫刻家の新鮮な芽を育てることが兼文さんの意思を引き継ぐことになると思っていた。
島根や鳥取でのグループ展や広島との交流や、東京の美術館へ彫刻を搬入搬出したり、色々活発に行動しているあいだに、少しずつ若い作家が育ち、又は消え、色々厳しく淘汰されつつ実力を身に付けて、みんなそれなりに良い年齢になった。
4〜5年前に、腰も痛くなるし、体力も続かなくなるし、何時までも若い時と同じようなわけにもいかないからもうそろそろいいかな・・と肩の力を抜いた。

彫刻の世界も生臭い勝ち負けの常識が揺るぎなく構成されていて、そういうところでしのぎを削っている彫刻家がいっぱいいる。
実力に結果がついてくることは本物だと思うが、なかなかそこまでシンプルでもない。
自分の知らないところでいろいろな思惑や戦略が飛び交っているような気がする。

2010年からスタートした現代彫刻小品展も5年目を迎える。
世間のしがらみに縛られないで気持ちよく楽しく彫刻を造ったり発表したり出来るような展覧会になると良いなぁと思って始めた。
だいたい5年くらいすると、そろそろ作家が固定しはじめるし彫刻展の色合いも見えはじめる。
考え方を変えれば過渡期にさしかかっているように思える。
しつこいようだが、自分には勝ち負けの勝負事に興味がない。

この展覧会は助成金がないと成り立たないほどの脆弱なものだから、その助成結果の報告会があった。
「彫刻の何処が良いのか素人には難しくてわかりませんなぁ」
「このような展覧会を続けることが石見銀山とどのようにかんけいするんですか」
などと質問を受けた。
たった1年でそんなことを期待されても困っちゃうよね。
吉田なんか、もう30年以上も彫刻を造り続けてまだ悶々としてるんだから・・
二つ三つの彫刻を見て「どうも理解出来ん」て言われても、「ごもっともです」と言うしかないでしょう。

偉そうに言うわけではないが、今の日本に芸術文化の歴史は育っていないなぁと思う。
ものを、結果で判断するしか出来ない見識の無さがバレるような発言というか意見というか・・・良い歳した大人でその程度のことだからやるせない。
勝負というのはどうも結果を優先するように見える。
「まずは島根県で一番になろう!」なんていって、いくら練習を続けても、才能や能力はそんなにアレヨアレヨと伸びているわけでも無いと思う。
彫刻だって一緒ですよ。
コツコツと継続することに意味があるし、それが実力になっていく。
運を掴むのも実力のうち・・程度で気楽にいたほうが良い結果に繋がるような気がするし、吉田の場合はそうやって周囲の皆さんに助けられてこの歳まで生きてこれていると思っている。

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大人の事情 

2014/06/09
Mon. 08:48

セブァン・スズキというひとを知っていますか?
現在34~35歳くらいだと思う。
サッカーで巷に話題が飛び交っているブラジル・・・
彼女がそのブラジルで開催された地球サミットの席で環境問題についてスピーチをした時は12歳だったそうだ。
ちょうど同じ頃、吉田家が大田市内の住宅から石見銀山へ転居した。

彼女の話はとても立派であるというより、大人が見て見ぬふりをしていたり、自分の暮らしで精いっぱいで見逃してしまったり気づかなかったりしていることが、厳しく指摘されている。
石見銀山は世界遺産に登録されたことで、正に彼女が12歳の時に世界の大人たちに託した願いを具体的に実践したり証明したりするための発進地としての役割を持つことになったのかなぁと思っている。

そこで、気づかされた大人の一人として自分はいったい何が出来るのだろうと考えたわけだが、結局偉そうなことを言うことも出来ない程の無能で普通のオヤジであるということに気づかされるばかりでどうしようもない。
唯一出来ることといえば、自分のライフワークである彫刻の制作や発表を続けることで周囲にプレゼンテーションするしかないと言うことに思い当たった。

モノの考えの根拠や表現は、ネガティブなものとポジティブなもの、受動的なものや能動的なものなどがあるが、それらの考えや行為は均衡を保ち続けることで客観的であり冷静でいられることだとも思う。
良い意味での中道とか中庸であるということ。

青山は元より不動であり、白雲はおのずと去来する。
半開の花を愛で、微酔を好む。
そういう態度や処世に務め、自我の常識を捨てる。
虚栄プライドも過ぎると排他的になる。
主義主張も過ぎると他者の否定に繋がる。

「ちょうどいいかげん」の難しさを趣旨の根幹として心に刻みながら彫刻の制作や展覧会に取り組むように心がけている。
八方丸く収めることは難しいことだから、そればかりに終始していると本来の面目を見失う。
芸術文化は一方で過激であることも多い。
しかし、この過激さこそが時代に対するアンチテーゼであることをシンプルに内包することもある。
芸術文化を盤石のものにすることで時代の現実が高価なものになり、将来への展望が具体的にみえることも多々ある。
ハードを強化することは、見た目の説得に流されやすい。
ソフトの教化こそが、感動を呼び覚まし他者に伝える大きな力になる。

12歳の少女の数分間のスピーチに12歳の嘘はない。
60歳のオヤジなど、気がつくと知らない間に保身の嘘で塗り固めた自分がいたりする。
このようなことではなかなか清浄に死ぬことなど出来ないなと思う。
死ぬまで嘘を通して傲慢に生きたヤツの告別式など、悲しげな顔の嘘の仮面をかぶった奴らしか集まってこないよ・・きっと・・
そんなこと言ってるオレだって、十分傲慢だけどね・・
世間の大人の皆さん・・・・どう思いますか?

彫刻家の皆様・・
今週中に今年の現代彫刻小品展のお知らせ第2弾を発送予定です。
過去の展覧会の作品図録を同封させていただきます。

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吉田家の歴史 

2014/06/08
Sun. 07:31

吉田家が石見銀山で暮すようになって20年は過ぎていると思う。
最初は大森小学校のすぐ近くの銀山地内に住んでいた。
彫刻の工場というか作業場というか、自宅裏の畑をつぶして彫刻が制作できる機械やガスや工具などをならべてブルーシートでテントを造って、そういうところで仕事をしていた。

その頃は、石見銀山も今のように賑やかではなくて、夕方になると人影が絶え、あとは獣達の世界に変わっていた。
「吉田さん狸飼ってるの?」と聞かれたこともある。
じゅん君が1年生で大森小学校へ通いはじめていて、友達が代官所前の駐車場をうろついていた野良の子犬を捕獲して、じゅん君をたよりに連れてきて、結局シェパと命名して吉田家の飼い犬になったばかりだった。
まだ子犬のシェパが狸にビビっておとなしかったのかどうか分からないが、狸の方は犬の餌を狙って出没していたのだろう。

テントを張って工場にする少し前には、裏の濡れ縁で漁師が猟銃を持って悪さをする猿の集団を待ちかまえていたこともあった。
まだ若くて元気だった寺のおかみさんが、孫の子守りに来てくれていた時のことで、その後当分の間その時の話題がおかみさんのネタ話になってリピートされていた。
私は仕事、ワイフは次女の出産などでバタバタしていたから、射殺される猿を見たのはおかみさんだけだった。
そのうち工場を自宅裏に造って、夜遅くまでグラインダーなど伝いはじめたら、獣達も少しずつ出没が減って、銀山地内の住民の皆さんから喜ばれた。

石見銀山の暮らしがそんな感じでスタートしたのだが、私が貸家の自宅をどんどん改造することに驚異を感じた大家さんが「来月出ていってくれるかね!」と急に言ってきて大騒ぎになった。
それで本気になって次の住処を物色していたら、親しい飲み友達が今住んでいる吉田家を世話しくれた。
彼は地元の名士で色々顔が広いから助かったものの、これから住もうとする家は、玄関を入ると大屋根の棟の辺りが抜け落ちて青空が見えていた。
すぐに住める状態でなかったから、大家さんにお願いして引っ越しを1年ほど待ってもらって、その間は彫刻の仕事も出来るだけ音をたてないようにおとなしくしていた。

すでに石見銀山は伝統的建築群保存指定地域になっていたので改築の申請が手間取った。
それでもなんとか住めるまでになって引っ越しをすませたのが今からかれこれ15〜6年前のことになる。
銀山地内に暮しはじめて飼いはじめたシェパが、現在の自宅へ移り住んで今から2年前に大往生した。
それから2ヶ月後にクロが来てその2ヶ月後にシロが来た。
そして今度の14日でシロの2歳の誕生日を迎える。
思えば時の過ぎるのは早いものだ。

現在の吉田家の改修検査の時に、江戸中期の建造物で石見銀山の大火を免れた貴重な町家家屋だということがわかって、築250年以上だと教えられた。
だからそろそろ築300年も間近ということで、時代の流れというより歴史の流れを感じる。
時々猫の遊び場になっている屋根裏には当時の竹がそのまま使われて今に至っている。

写真 2

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マックイーン猫 

2014/06/07
Sat. 06:03

帰宅すると猫のクロがさりげなく出迎えてくれた・・・と思っている。
どうせ本人(本猫?)は、脱走のスキを狙っているくらいのことだろうが・・とにかく、気配を消して土間の暗闇に紛れて私の足下まで近づいている。
目が合うとあきらめたように身体を擦り寄せて媚を売る。

頭陀袋を首にぶら下げて両手に水筒やら鞄やらいろいろ持っているから抱き上げることも出来ないのでそのままリビングに上がってワイフに帰宅を告げると、
「クロが大変だったのよ!」
炊事をしながら台所から大声で話してくる。
着替えなどしたいから詳しく聞くのはそれが終わってからにしてくれと頼んでおいて書斎に入ろうと思ったら、建て付けの悪いガラスの引き戸が少し開いている。

クロは気に入らないことがあると、はらいせにマーキングシッコをする。
人間へのレジスタンス活動とストレス解消を兼ねているのだろうが、ねじれたいやらしい小利口さがクロらしいところでもある。
「さては書斎でやられたか!」と一瞬思って、狭い四畳半を見渡したが特別変わったこともない。
きっと久々に脱走が成功してワイフを困らせたのだろうくらいに思っていたら、
「あなたの部屋の障子から土間へ出ちゃったのよ」
「えっ?あのはめ殺しの障子?」
「そう、あの障子を内側から倒して出ちゃったのよ」
まったく凄い執念だ。
書斎は四畳半だから障子は3枚が交差するように溝が切られてある。それを開け閉めするように使うと、どうしても書斎の収まりが悪いのでその前に棚を作ったり40年前のでかいダイヤトーンを置いたりプリンタをはめ込んだりして、色々隙間なく詰め込んで使っている。
元はその障子にちゃんと障子紙が貼ってあって、時々ワイフが張替えたりしてきれいに使っていたが、クロが来てから2年の間にアチコチの桟を破りはじめてその癖も直らないでひどくなるばかりになったので、障子紙を全てきれいにはがしてしまった。
だから、1年中土間と書斎は風通しがいいのだが、さすがに冬は寒い。
そんなわけで、クロも自分のせいで現状があるというその状況を十分に心得ていて、狭い桟の枠から外へ出ることが不可能だと分かっているはずだったのだが、ヤツはその障子ごと溝から外して倒してしまったらしい。

本当にあきれるほど執念深い。
そのあたりが猫の猫らしいところかもしれない。
私が書斎にこもっていると、さりげなく様子を見にきて、さりげなく去っていって、時々さりげなく擦り寄ってきて、たまに遊びをせがんで、あるときは書類の上で1日中ピクリとも動かないで眠りほうけていることもある。
彼は日常の猫観察とリサーチを積み重ねつつ、虎視眈々と脱走の機会を狙っていたわけだ。
「パピヨン」や「大脱走」のマックイーンみたいなものだ。
・・・って、そこまでカッコよくないかもしれないが・・・まあ、感心するほど猫らしい猫だと思う。
上手に鳴声を使い分けて人間を使うし、とぼけた顔をして、あいつは結構頭の良いヤツかもしれない。

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枕経 

2014/06/06
Fri. 09:31

朝のうちから工場でひと仕事してお昼頃になったから「昼飯どうしようかなぁ・・」と思いつつ、なんとなく今日のお昼は抜きにしようとしだいに気持ちが固まりはじめた頃に電話が鳴った。
「○○ちゃんが死んじゃったの・・」
聞き覚えのある声は、老僧とどっこいのそろそろ90歳になるくらいの檀家のおばあさんからだった。
なんとなく状況が掴めないまま、それからすぐに葬儀社の担当さんに電話が変わって事務的な話になった。

工場を片づけて帰宅すると、仕事が休みのワイフが家事をしていた。
事情を話して仕度してお昼を少し腹にいれて出雲の斎場へ出発した。
梅雨に入った島根は、道中所々で雨になって、駐車場へ着くとちょうどひどく降っている時でひとけもない。

斎場の小さな小部屋でおばあさんと亡くなった娘さんのご主人が控えていらっしゃった。
前夜に容体が急変して急きょ病院へ駆けつけたが、結局次の日の朝になって亡くなったとのことだった。
子供に先立たれることの悲壮感が疲れたおばあさんの顔に漂っている。
自宅は万善寺から5分ほどの町なのに、亡くなった娘さんとはほとんど顔を合わせることがなかった。
私より1歳年上で2つ学年が上の娘さんは同じ中学校へ通っていた。
今の世の中、62歳という年齢は死ぬにはあまりにも早すぎる。
だいたい2年弱の闘病生活だったというから、よけいにそう思う。

枕経をおつとめして、葬儀の日取りを決めた。
病院から自宅に連れ帰らないで出雲市内の斎場でそのまま家族葬のような葬儀をしてしまおうということで、とてもシンプルなものになった。
まだ若いからそれなりの葬儀にすればお別れの参列もそれなりに集まるだろうにと、いらないお世話で気になったりした。
家族親族の考えもあるので坊主はそれに従うしかない。

万善寺は老僧からの考えもあって、出来るだけ昔ながらの儀礼を割愛しないように務めている。
隣近所のお寺では「あれもやめたこれもやめた」と、どんどん簡潔になっていく話を漏れ聞く。
今回は出雲の街場のことだから余計のことで、各種葬儀旗も、六道さんも無し。
一つ一つの法式の意味も虚しくなってしまう。

その人の人生に一度しかない最初で最後の「死ぬ」という現実に直面することの意味がどんどん希薄になる。
結局は、残されたものの必要経費だったり世間付き合いだったりそのような現実的な問題が避けられない事実として大きく絡んできているのだろう。
万善寺も例外ではない。
今の私の働きと財力で、老僧夫婦を立派に見送ることが出来るかどうか・・・怪しいものだ。

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消しゴム 

2014/06/05
Thu. 09:22

消しゴムを使わなくなったなぁと思う。
工場でちょっとした探し物があって、ついでにいらなくなったものをゴミにしようと分別していた時に、唐突だけど、そのことに気がついた。
ようするに、使いかけの消しゴムを見つけただけのことです。

もう何年・・いや何十年も前から文房具というと宗門手帳とボールペン1本を鞄に入れているだけのこと。
だいたいそれで日常の用も足りるし、特に不便を感じない。
消しゴム一つとっても日常で使うことがないまま何十年も暮していたことに気づいて、我ながら不思議な気持ちになった。

そんなことがあって、途端に作業の手が止まった。
ゴミの分別も面倒になってやめた。
使いかけの消しゴム一つを捨てていいものなのか、捨てないで最後まで使うべきなのか迷ってしまう。

そういえば、最近になって色々な身の回りのものをセッセと捨てるようになってきた。
ちょっと暇が出来てちょっと思いついただけで、結界君のデッキ一杯分のゴミがすぐに集まる。
近くのゴミ集配施設へ分別したものを持ち込むとだいたいワンコイン程度でおさまる。
これをエンドレスで続けながら引っ越しの転居の思い出を整理している。
30代で購読していた雑誌はほとんど捨てた。
あの頃は宝物のように書架へバックナンバーを並べていたので、ゴミに出す時は断腸の思いだった。
作品集や図録は知人の作家へ押し売りの如くプレゼント?した。
着古した衣類はシーズンの変わり目に捨てることにしているが、それなりの思いでがつまっていてなかなか捨てられない・・が捨てる。
子供が小さかった頃の写真はさすがに捨てられない。
子供のおもちゃや教科書は捨て難くて悩む。

まぁそんな感じで分別している時に消しゴムと出あったわけです。
デッサンには練りゴムを使う。
一種の消しゴムのようなものだが、使い勝手が全然違う。
若い頃は練りゴムと消しゴムを適度に工夫して使い分けていて、それがデッサンの味になったりしていたこともあった。
たぶん、心の何処かでそのようなことを思い出したのだと思う。
自分の身に染みついた癖のようなものかもしれない。

使いかけの消しゴムを捨てようかどうしようか迷っているくらいだから、この様子だと、死ぬまでデッサンを捨てられないままでいるんだろうなぁ。

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平穏な日々 

2014/06/04
Wed. 08:18

遅出のワイフがキーポンを送ってくれたので、久々に朝のひとときをくつろいでいる。
そのキーポンが嘘か真か勉強で調べものをするとか言って前の夜にラップトップを持っていったものだから、今ごろになってプチプチとブログのキーボードを叩いている。

吉田家は相変わらず大きな波風もなく、平穏な毎日が続いている。
ネコチャンズも相変わらず自由気ままに過ごしている。
クロの方はスキを見て脱走を試みているが、ガードの堅いオヤジにはばまれて失敗を繰り返している。
シロの方はビビリの箱入り娘のくせにつまみ食いなど見つかってワイフに叱られている。
人間の方は衣替えの季節で、キーポンも高校最後の夏仕様になった。
オヤジの衣も夏仕様になったが、彫刻の作業着スタイルは年中変わらない。
ワイフは・・・よく分からない。

島根県だけのことなのかどうか・・石見銀山も赤名高原もこの前久々に通過した三瓶高原もこのところ延々と30度以上の暑い日が続いていた。
さすがにこの時期の暑さは、心も身体も準備が整っていないからつらい。
ネコチャンズもたぶん似たようなものだと思う。
狭い吉田家の涼しい場所を上手に探してゴロリと横になっている。
猫は衣替え出来ないから最近抜け毛が目立つ。
先日もワイフが「コレ何か分かる?」と真綿のような塊を見せた。
シロのブラッシングでとれた抜け毛が、とてもきれいだった。
これから夏のシーズンに2匹の猫をマメにブラッシングしていたら、マフラーの1本くらい出来るかもしれない・・と一瞬思ったが、そこまでマメでもないし、すぐに挫折するだろうから、そういう思いつきは考えないことにした。

現代彫刻小品展関係の仕事はデスクトップを使っている。
連日の暑さでオーバーヒートしそうなので、扇風機の風は人間ではなくてパソコンの方へ向いている。
何かおかしなことだが、ここでデスクワークが頓挫したら大変なことになるから、背に腹は代えられない。
週末には印刷が上がってくるはずだから、それまでに封筒の宛名などを終わらせようと思う。
これは単純な事務作業だから、映画でも観ながら夜の仕事に回すことにして、昼間は工場へ出かけることにした。
工場の辺りは風の強いところで、久々に行ってみたら立て掛けておいた鉄板が倒れてものすごいことになっていた。
そろそろ梅雨に入りそうだということだから、雨が降らないうちに片づけておこうとせいを出して、結局、それで1日が終わってしまった。

これといって特に何が起きるわけでもない1日が普通に過ぎているきょうこのごろです・・

写真 2

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おかみさん事情 

2014/06/03
Tue. 07:13

東堂さんのお世話でおかみさんがねを上げているようなので、2日続けてお寺から連れ出してみた。
色々と注意深く気にしておいたが、これといって特に気になることも無いほど普通に上手に老化しているだけのように思える。

どちらかというとおかみさんの過剰反応が気になる。
家族として付き合っているとだいたい性格も分かっているから、そんなもんだと思って適当にやり過ごしてしまうことがほとんどなので、そのことに慣れてしまうとかえって重要なことを見逃しているともかぎらない。
素人判断で決めてしまうのもどうかと思うが、やはりおかみさんの長年蓄積された頑強な偏屈さに原因があるように感じる。

戦中戦後の厳しい時代を必死で生き抜いた大正女のしたたかさが、自分にとって都合の良い処世術になってきたのだと思う。
田舎の山寺とはいえ、まがりなりにも寺へ嫁入りした彼女は、当時の世間では一つも二つも格上だと自他共に認めているようなところもあったろうし、在家とは違うプライドもあっただろう。
寺のおかみさんという格付の中で、今の時代では何かにつけて矯正される様々な認識や常識の変化に取り残されたまま年を重ねてきたように思う。

坊主家業をしているとこういうことはおかみさんに限ったことではなくてアチコチお邪魔するさきのお宅でも普通によく見聞する。
昔ながらに家を守る気持ちに執着するご婦人方の世間の狭さが手に取るように伝わってくる。
家族家庭の問題は簡単にハウツーで片づけられないし、事例も常識も通じないそれぞれ独特の世界観を持っていると思う。
よくある話として片づけることはあまりに安直すぎる。

いずれにしても、家族のことを家族で面倒が見れているわけだからこれほど幸せなことはない。
少々の不具合など何の問題にもならない。
このまま元気に歳をとって元気に死んでいってもらいたいものだと願っている。
とかいって、こっちが先にくたばってしまいそうだけど・・・

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暑い一日 

2014/06/02
Mon. 04:31

朝から改良衣に着替えて石見銀山を出発したが、とにかく暑い。
万善寺で用事をすませて東堂さんを連れ出した頃にはもっと暑くなっていた。
歳をとると暑さ寒さをあまり感じなくなるという。
「外は暑いから薄着にしとくんだよ」
と何度も声をかけておいたけど結局ネル地の長袖を着てしまった。

一時期はもうダメかと思うほど弱っていたのに見事復活した不死身のような東堂さんも、足腰が弱って歩くことがつらそうになっている。
それもあってか、寺の外へ出ることもほとんど無いので、私が時々連れ出している。
月も変わったし、これからまた現代彫刻小品展の印刷物が刷り上ったりして忙しくなるし、今のうちに「父の日」なるものをすませておこうという魂胆。

特にこれといった計画もないので、ひとまず久しぶりの石見銀山を見せてあげることにした。
日曜日の町並みは観光さんでにぎわっていて、東堂さんも駐車場から玄関までのそれだけの距離をヨチヨチと歩き難そうだった。
ワイフは日曜日も仕事をしてくれていて留守。
猫のクロが出迎えてくれていて、早速東堂さんの足下に擦り寄って媚を売っていた。

お昼ご飯は好物の寿司と天ぷら。
盛り合わせ一皿をぺろりと平らげてなかなかの食欲。
今度の誕生日で米寿になるが、この調子だと元気でいられると思った。

年相応に物忘れもあるし耳も聞こえ難くなっているから、おかみさんと二人の寺暮らしはなかなか厳しいところもある。
おかみさんの方は、もう若い時から変わらないままつれあいの世話は自分の仕事だと決め込んでいる。
私なども、同居していた中学校までは粘り着くような執拗さで世話につきまとわれて結構難儀した。
東堂さんは結婚以来延々とその調子でかいがいしく世話されるものだからもうなれていて、夫婦にとっては厳しいなりに都合よく暮せているのだと思う。
帰りはひなびた温泉でくつろいだ。
温泉好きの東堂さんにとっては久々のことだったから、結構喜んでくれた。
なかなか良い感じでジジイ顔になっていた。
気持ち良さそうに湯へ浸かる東堂さんを眺めつつ、自分もだんだんあのような顔になっていくんだろうなと、なんとなく納得した。
そういうふうに歳をとりたいものだと思ったが、さて、これから先の厳しい世間のことを思うとそれもどうなることか・・

一説に、目出度いこととして一休さんの「親死に、子死に、孫死に・・」という名言がある。
死ぬ順番が狂うことの不幸をいい、順当に順番に年寄りから死んでいくことの普通を由とすることが幸せで目出度いことだといっている。
本当にそうだなぁと思う。
ジジババが上手に死ねるように務めないといけない・・・

帰りの街道の温度計は31度。
暑い1日だった。

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絶景 

2014/06/01
Sun. 04:16

手間替えの大般若会があって島根県最高峰三瓶山を山越えした。
結界君はさすがに急勾配の山道がきつそうだったが、それなりにがんばって走ってくれた。
道中の温度計は32度になっている。
三瓶高原でこの高温だから身体がついていかない。
やっと5月が終わろうとして所々のアヤメがきれいに咲いているこの時期でこの暑さは身体にこたえる。
大衣に袈裟はまだ衣替え前の冬物が本当なのだが、軟弱坊主にはそれがとても我慢できないので夏物を用意した。
厳しい和尚さんに見とがめられて叱られるかと思ったが、結局みんな同じ思いだったようで、打ち合わせがあったように何事もなく夏衣になっていた。

それにしても暑かった。
帰りに、また三瓶山の山越えが終わったところでワイフが教えてくれた絶景スポットのことを思い出した。
もう何年も前にお世話になっていた中学校の校長先生から教えてもらったのだそうだ。
少しでも高いところへいったら吹く風も違って気持ちが良いかもしれないと期待もあって寄り道をした。
結界君を降りて展望台に出てみたら、やっぱり暑かった。
それに、期待が過ぎたのか雄大な展望は望めなかった。
たぶん長い年月のうちに山肌の雑木が伸びたせいだろう。
マメに管理をすることも難しいだろうからしかたのないことかもしれないが少しガッカリした。

石見銀山には山吹城といわれていた城跡の山があって、地元の消防団や史跡保存会のみなさんがマメに草刈りなどの営繕をして管理していらっしゃる。
町並みの通りから見上げても山頂の平地の形状や桜の枝ぶりが望める。
ということは、山頂からの眺めはその逆で石見銀山の町並みどころか、条件が良ければ遠くは日本海や出雲大社のあたりまで見渡せるし、もちろん三瓶山の勇姿も望める。

石見銀山の谷をはさんで山吹山の反対に銀の採掘鉱山の仙ノ山がある。
この山の頂上あたり一帯が昔は鉱山で働く人たちの住居や今で言う役所や管理棟や精練所などが集まった集落になっていた。
その場所へ登る林道の途中に展望の良い物見の場所があって、20年ほど前は家族で時々登ったりしていた。
あのころは見晴らしもよかったが、つい5・6年前にその場所まで行ったら、三瓶山の展望台と同じで斜面に植林されたスギの木が伸びて見通しが悪くなっていた。
それからまた数年して登ってみると、なんと足場パイプを組み立てて展望やぐらが出来ていた。
伸びたスギを切るわけにはいかないから、誰かの発案が採用されたのだろう。

その後、現在まで登ることがないから今どうなっているか知らないが、ヒョッとしたら展望やぐらがもう1段高くなっているかもしれない。
絶景を維持することもなかなか骨の折れることだ。IMG_1185.jpg

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2014-06