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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

枕経 

2014/06/06
Fri. 09:31

朝のうちから工場でひと仕事してお昼頃になったから「昼飯どうしようかなぁ・・」と思いつつ、なんとなく今日のお昼は抜きにしようとしだいに気持ちが固まりはじめた頃に電話が鳴った。
「○○ちゃんが死んじゃったの・・」
聞き覚えのある声は、老僧とどっこいのそろそろ90歳になるくらいの檀家のおばあさんからだった。
なんとなく状況が掴めないまま、それからすぐに葬儀社の担当さんに電話が変わって事務的な話になった。

工場を片づけて帰宅すると、仕事が休みのワイフが家事をしていた。
事情を話して仕度してお昼を少し腹にいれて出雲の斎場へ出発した。
梅雨に入った島根は、道中所々で雨になって、駐車場へ着くとちょうどひどく降っている時でひとけもない。

斎場の小さな小部屋でおばあさんと亡くなった娘さんのご主人が控えていらっしゃった。
前夜に容体が急変して急きょ病院へ駆けつけたが、結局次の日の朝になって亡くなったとのことだった。
子供に先立たれることの悲壮感が疲れたおばあさんの顔に漂っている。
自宅は万善寺から5分ほどの町なのに、亡くなった娘さんとはほとんど顔を合わせることがなかった。
私より1歳年上で2つ学年が上の娘さんは同じ中学校へ通っていた。
今の世の中、62歳という年齢は死ぬにはあまりにも早すぎる。
だいたい2年弱の闘病生活だったというから、よけいにそう思う。

枕経をおつとめして、葬儀の日取りを決めた。
病院から自宅に連れ帰らないで出雲市内の斎場でそのまま家族葬のような葬儀をしてしまおうということで、とてもシンプルなものになった。
まだ若いからそれなりの葬儀にすればお別れの参列もそれなりに集まるだろうにと、いらないお世話で気になったりした。
家族親族の考えもあるので坊主はそれに従うしかない。

万善寺は老僧からの考えもあって、出来るだけ昔ながらの儀礼を割愛しないように務めている。
隣近所のお寺では「あれもやめたこれもやめた」と、どんどん簡潔になっていく話を漏れ聞く。
今回は出雲の街場のことだから余計のことで、各種葬儀旗も、六道さんも無し。
一つ一つの法式の意味も虚しくなってしまう。

その人の人生に一度しかない最初で最後の「死ぬ」という現実に直面することの意味がどんどん希薄になる。
結局は、残されたものの必要経費だったり世間付き合いだったりそのような現実的な問題が避けられない事実として大きく絡んできているのだろう。
万善寺も例外ではない。
今の私の働きと財力で、老僧夫婦を立派に見送ることが出来るかどうか・・・怪しいものだ。

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2014-06