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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

吉田家の歴史 

2014/06/08
Sun. 07:31

吉田家が石見銀山で暮すようになって20年は過ぎていると思う。
最初は大森小学校のすぐ近くの銀山地内に住んでいた。
彫刻の工場というか作業場というか、自宅裏の畑をつぶして彫刻が制作できる機械やガスや工具などをならべてブルーシートでテントを造って、そういうところで仕事をしていた。

その頃は、石見銀山も今のように賑やかではなくて、夕方になると人影が絶え、あとは獣達の世界に変わっていた。
「吉田さん狸飼ってるの?」と聞かれたこともある。
じゅん君が1年生で大森小学校へ通いはじめていて、友達が代官所前の駐車場をうろついていた野良の子犬を捕獲して、じゅん君をたよりに連れてきて、結局シェパと命名して吉田家の飼い犬になったばかりだった。
まだ子犬のシェパが狸にビビっておとなしかったのかどうか分からないが、狸の方は犬の餌を狙って出没していたのだろう。

テントを張って工場にする少し前には、裏の濡れ縁で漁師が猟銃を持って悪さをする猿の集団を待ちかまえていたこともあった。
まだ若くて元気だった寺のおかみさんが、孫の子守りに来てくれていた時のことで、その後当分の間その時の話題がおかみさんのネタ話になってリピートされていた。
私は仕事、ワイフは次女の出産などでバタバタしていたから、射殺される猿を見たのはおかみさんだけだった。
そのうち工場を自宅裏に造って、夜遅くまでグラインダーなど伝いはじめたら、獣達も少しずつ出没が減って、銀山地内の住民の皆さんから喜ばれた。

石見銀山の暮らしがそんな感じでスタートしたのだが、私が貸家の自宅をどんどん改造することに驚異を感じた大家さんが「来月出ていってくれるかね!」と急に言ってきて大騒ぎになった。
それで本気になって次の住処を物色していたら、親しい飲み友達が今住んでいる吉田家を世話しくれた。
彼は地元の名士で色々顔が広いから助かったものの、これから住もうとする家は、玄関を入ると大屋根の棟の辺りが抜け落ちて青空が見えていた。
すぐに住める状態でなかったから、大家さんにお願いして引っ越しを1年ほど待ってもらって、その間は彫刻の仕事も出来るだけ音をたてないようにおとなしくしていた。

すでに石見銀山は伝統的建築群保存指定地域になっていたので改築の申請が手間取った。
それでもなんとか住めるまでになって引っ越しをすませたのが今からかれこれ15〜6年前のことになる。
銀山地内に暮しはじめて飼いはじめたシェパが、現在の自宅へ移り住んで今から2年前に大往生した。
それから2ヶ月後にクロが来てその2ヶ月後にシロが来た。
そして今度の14日でシロの2歳の誕生日を迎える。
思えば時の過ぎるのは早いものだ。

現在の吉田家の改修検査の時に、江戸中期の建造物で石見銀山の大火を免れた貴重な町家家屋だということがわかって、築250年以上だと教えられた。
だからそろそろ築300年も間近ということで、時代の流れというより歴史の流れを感じる。
時々猫の遊び場になっている屋根裏には当時の竹がそのまま使われて今に至っている。

写真 2

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2014-06