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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

それも現実 

2014/06/23
Mon. 00:12

本日は月曜日であります!・・・って当然だけど・・・
只今、眠たい目を擦りながら万善寺のロフト兼書斎で起きてます。

今から数時間前・・・
万善寺の参道前の家のおばあさんの通夜が終わった。
享年93歳・・まぁ普通に大往生だと思う。
宗派は浄土真宗本願寺派西本願寺。
曹洞宗の万善寺は、ご近所さんだということで坊主待遇でご招待を頂き、導師の隣でおつとめをさせていただいた。
明日は葬儀の当日で、これも導師とご一緒させていただく。
浄土真宗さんのお経本をたよりに、トツトツとついていくのがやっとだが、心を込めておつとめさせていただくつもりだ。

なにげなく、exciteをチェックしていたら、とてもタイムリーな記事があった。
いろいろ思うところもあるが、まずは冷静になって今の日本社会の仏教や坊主に対しての認識がこのようなものなのだということを客観的に判断させていただこうと思った。
以下、自戒を込めて記事を転記する。
夢と理想と現実の差は、このような情報操作の元で拡散しているのだろうなぁと思った。

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「お布施」はもともと、仏の教えに出合って、自分が執着しているものを喜んで捨てる“喜捨”。日本では地域差も著しく、宗派や寺院の格式、僧侶の僧階、戒名の内容、寺との付き合い方などによって金額も異なってくる実態がある。
本来は寺院の維持管理に使われるお金であり、お寺を援助することで「功績を積む」との考え方に則する。“援助”の内容は様々で、例えば、お寺の掃除を手伝うなどの奉仕活動も「お布施」に当たり、葬儀では生前に奉仕が適わなかった分もお金で援助するといった目的を担う。
檀家制度が事実上破綻している現代では菩提寺を持たない家も多く、とかく読経や戒名をもらう対価として解釈しがちだ。深い信仰心がなくとも、いまだ葬儀全体の9割を仏式が占める現状は、宗教儀礼に求められる効果や役割の高さを裏付けており、状況的にお布施は葬儀費用の一部だと考えざるをえないだろう。
ただ、お布施を「僧侶への感謝の気持ちと寺院護持のための施し」と捉えるか、「葬儀サービスへの対価」と考えるかは各人の捉え方次第。“僧侶の出仕料”と割り切った考え方ができるなら、寺院を持たない分、総じて低費用ですむ僧侶の派遣サービス業者を利用するのも一案だ。
ただし、人材はピンキリのため、どこでどんな修行をした僧侶なのか、あらかじめ確認しておく必要がある。また、葬儀社に僧侶の手配を依頼する場合は、「在家僧侶通信講座」を受講させた自社社員が僧侶に扮するなどの悪質なケースもあるため、前もってどこの寺院の僧侶なのかを訊ねておき、当日は必ず名刺をもらうこと。昨今、火葬炉前での読経だけなら、3万円程度から手配が可能だ。
一方の「戒名」は仏教徒としての名前であり、受戒し、「仏教の戒律を守って生きていく」と誓いを立てた証しとして、師から授与されるもの。本来なら生前、仏門に入った際にいただくもので、亡くなってから“故人専用の名前”として大金を納めて「買う」といった感覚自体が、本意からはズレてしまっているのだ。加えて、「教師資格」以上を有し、その位にある僧侶より授けられるのであり、自身で勝手につけられる性質のものでもない。
立派な戒名が故人への餞(はなむけ)、あるいは死後の免罪符のように捉えられて一部で商品化が進んだ結果、現下では本来の意味と意義から乖離してしまった感は否めない。仏教徒としての信心も踏まえて、戒名が本当に必要かどうか、本人の意向も交えて考え直す余地はあるだろう。
迷うようなら俗名のままで葬儀をすませ、必要なら納骨の際など、後からつけてもらうこともできる。中には同宗派の戒名が必要となる納骨先もあるので、最終的に“どこへ葬るか”も視野に入れて一考すべきだ。
ジャーナリスト 新郷由起=文
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ちなみに、この記事は「経済欄」に記載されていた。
一人のひとの一言の重みを痛感する。
私のように、個人ブログでいいたいことを言っているのとはチョット訳が違うと思うんだけど・・・

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2014-06