工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

いつもの朝 

2014/07/31
Thu. 09:56

夏休み補習のキーポンを学校まで送って、その足で倉庫へ向かった。
だいたい2週間ぶりだろうか・・・久々にいつものだらしないオヤジの暮らしが戻ってきた。

1ヶ月間風雨と猛暑にさらされながらヨレヨレになって頑張ってくれた看板を撤収して結界君に積んであったままだったので、それを倉庫まで運んだ。
ついでに、幾つかの道具や彫刻などを整理して石見銀山の自宅に向かう途中の温度計がすでに30度に達している。
まだ9時を少し過ぎたばかりでこれだから、先が思いやられる。

帰宅すると、山陰二紀のグループ展に搬入する彫刻を手直ししたワイフが出かける仕度をしていた。
今年は鳥取の米子市美術館で開催だそうだ。
昨日の夕方から脱走していたクロが夜のうちに帰ってきたのだろう、土間の涼しいところでゴロリと横になっていた。
珍しくシロが足下にすり寄ってきた。
・・・なんか、この感じが久しぶりに思う。
「結構余裕がなかったんだなぁ〜・・」
こうして落ち着いてみると改めてそのことがよくわかる。
四畳半のいつもの書斎に入ってiTunesのインターネットラジオを見つくろってボリュームを調整する。
マグカップのコーヒーの香りが部屋に広がる。
彫刻の搬入から搬出まで酷使した膝が昨夜から悲鳴をあげて腫れてきはじめた。
久々に炎症止めの鎮痛剤を飲みはじめた。
これから8月に入ってお盆のおつとめが始まる。
このままだと前半は座具か座イス持参で棚行をすることになるだろうと、ぼんやりそんなことを思いながらコーヒーをすする。

今日は1日かけて万善寺のお盆のご案内をまとめてお檀家さんへ発送の準備をする。
明日は手間替えの臨済禅寺の施餓鬼会なので、その前に郵便局へ投函しようと思う。
展覧会が一区切りついてから東堂さんの米寿のお祝いでささやかな昼食会を身内で開いた。
例の如く出不精のおかみさんは我を通してつきあってくれなかった。

まぁ、色々あるが少しずつ日常の暮らしに戻りつつある。
8月に入ったら当分の間単身赴任で万善寺ロフト暮らしになる。
さて、今年の夏を乗り切ることができるだろうか・・・

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現代彫刻小品展in浜田のその後 

2014/07/30
Wed. 08:04

現代彫刻小品展の搬出作業がおおむねおわって、表向きに展覧会の終了が見えてきた。
実際には、これから残った支払いや作家宛の報告、作品管理やメンテナンス、展示台の補習、それに助成金の会計処理に報告書作成と、気の抜けない日々が続く。

昨日は1日かけて会場撤収と作品の倉庫移動を終わらせた。
強力助っ人ストウさんにノリちゃん、ワイフ、それに益田のマツダさんが加わってくれた。
このマツダさんの働きで撤収作業がずいぶんと短縮された。
倉庫の移動も、さすがに人数が多いと作業ペースも一気にスピードアップする。
個人的に軟弱メタボオヤジとしては、もう少しスローペースの方が気楽で身体に応えないのだが、搬出メンバーのハイペースに引きずられて、ヘロヘロになりながら身体を動かすのに必死だった。

予定の時間に余裕で間に合ってトラックを返却し、結界君に乗り換えて幾つか用事をすませて石見銀山の自宅へ帰った。
まだ日のあるうちに搬出を終わらせることができた。
これから約60点の彫刻を2ヶ月間保管する。
大きな地震でもこないかぎり、損傷の心配はないと思うが、いずれにしても大切な預かり物のことだから気の抜けない毎日になるだろう。

展覧会の期間中、このブログも完全に展覧会シフトしてプチプチキーボードを打ち続けていた。
訪問者も、日頃の2倍くらいに増えていた。
それだけこの彫刻展に興味を感じてもらっていたのだろうとプラス思考で納得することにした。
吉田の我がままに文句も言わないで本当によく彫刻展に協力してもらったと思う。
今は、感謝の気持ちしか思い浮かばない。

吉田家の事情では、展覧会の期間中に東京からノッチが帰省した。
島根にはもう1年以上帰っていないから、久しぶりのことになる。
オヤジとしては、一緒に酒も飲めたしそれなりに二人の時間もあって会話も出来たし、夜には家族で花火見物もできて、その程度で十分に満足している。
それから収穫は、彼女のおかげで長期間続いたシュラフ煎餅布団暮らしが改善して、フカフカ敷布団で眠れるようになったこと。
この感覚はとても新鮮だったが、一方で真夜中に目覚めて気がつくとせっかくの敷布団からずり落ちたりしていることもある。
オヤジの寝床が改善したところを早速キーポンが目ざとく見つけて、夜になると知らない間にゴロリと横になっていたりする。
この調子だと盆の間の万善寺暮らしが長引くと、完全にキーポンに乗っ取られることが予測できる。
ことごとく貧乏性というか貧乏暮らしというか、そういうものに慣れてしまった感じだ。

それでもまぁそれなりにおおきななみかぜもたっていないしつつましくどちらかといえばへいわにくらせているまいにちなんだろうなぁ・・・

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現代彫刻小品展in浜田終了で搬出の熱い1日 

2014/07/29
Tue. 06:20

展覧会前半は強烈な猛暑に苦しんだが、後半ワークショップあたりから最終日にかけて暑いなりに爽やかなすごしやすい夏らしい日が続いた。
学校が夏休みに入ってから美術館も無休になった。
本当なら休日の月曜日も美術館が開館していて、彫刻展の会場へもお客さんが立ち寄ってくれた。

展覧会が終わったら1日かけて彫刻撤収と会場復元のあと、展示台や彫刻の保管作業を行う。
その準備のこともあって、会場クローズを受付のおねえさんにまかせて早退した。
レンタカーの2tを借りたりして帰宅したのは夜の9時前だった。
「来場者数32名でした・・」
気配りのある報告のメールが入った。
平日の美術館にしてはお客さんが多い方で、少しはケーブルテレビさんの取材効果もあったようだ。
展覧会会期中の入場者は、最終日の踏ん張りで500人を越えた。
数字ばかりが全てではないが、今年のような7月からの猛暑の中で、まあまあの数字だと思う。

万善寺の用事などで遅刻や早退の日も数日あったが、10日間の会期中は連日浜田の会場ですごすことができた。
受付お手伝いの手配も八方行き届いて本当に助かった。
自分がいない時のことも丁寧な受付報告をいただいて、そう云う行き届いた気配りがとても心強く感じた。
現代彫刻小品展が始まってから、毎日のブログも展覧会報告に終始した。
出品作家の彫刻紹介もさりげなくさせていただいている。
こちらの方は、ひとまず彫刻を写真データに置換えておいたし、早いところで図録などにしておこうと思っている。

「あまり良いなぁと思っていなかった彫刻がこうして写真になってみるとまた違った印象で、やっぱり、観る人が違うと観方も違ってくるんだなぁと思って・・・そうやって改めて見直してみるとまた違った良さもあったりして・・・」
平日の全てを一人で受け持っていただいたお姉さんからなかなかシャープな感想を頂いた。
・・・そぉ〜〜なんです!そぉ〜なんですよ!
だれでも、最初は好き嫌いから始まるから、彫刻を観たり彫刻とつきあったりする時も初恋とか恋愛とかのように好き嫌いで始まってそんな感じでいいんですよ。

素材がどうとか、技法がどうとか、そんなのは造っている作家同士で言い合っていればいいと思う。
まずは、「好きか嫌いか」というそのあたりから感心を持ってもらえればいいんです。
そのうち、だんだんわかるようになってきて、そうなってしだいに彫刻それぞれに好き嫌いがはっきりするようになって、気がつくとそれなりに好みが固まってきたりして、だんだん善し悪しがわかってきて、もうそのくらいつきあっていると、あとは立派な彫刻好きになっていて、自分なりの眼識が育っている・・ということになってくるわけです。
まぁ、男女の出会いと似たようなものでしょう・・
大好きになったら、「いつもあなたのそばにいたいの・・」とか、「いつも君がそばにいてほしいんだ!」とか、そんな感じになって、やがては目出度く結ばれる・・
「あぁ〜〜〜、ボクの彫刻もそんな出会いをまってるんだけどなぁ〜〜」
現実は、なかなか厳しいものであります。

あと1時間もしたら、2tで浜田へ出発!
7月29日は東堂さんの米寿の誕生日。
ワイフもノリちゃんも、ストウさんも搬出を手伝ってくれる。
・・・忘れられない1日が始まろうとしている。

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現代彫刻小品展in浜田ワークショップ大盛況 

2014/07/28
Mon. 06:55

現代彫刻小品展in浜田の最終日は朝から蝉の声がうるさい。
島根県は連日のように記録的な暑さが続いて、軟弱オヤジは夏本番を前に早くも夏バテになりかけている。

ワークショップ第2弾も、大盛況のうちに終了した。
徳島からかけつけてくれた講師の居上さんは、ブラック企業並の薄給過酷労働条件に文句も言わないで献身的にパワフルに働いてくれた。
おかげさまで期間中の参加者も100人を越える勢いで、今までの反省を元に改定したワークショップ企画は大成功となった。

いつもの如く、肝心な時に頼りにならない吉田は、早朝5時起きで万善寺へ向かった。
ワークショップ最終日が、年に1度の自治会総出で草刈りの日にぶつかった。
その上、寺の隣の家の法事もかさなって、展覧会場の様子を心配しつつ午前中いっぱいを赤来高原ですごした。
高齢化の進む自治会だから、自分の用事を曲げてでも色々な行事へ参加協力を続けないと後がない。
日々、確実に限界集落へ近づきつつある島根の片田舎の実情は、なかなか厳しいものがある。
万善寺のことも含めて私の代までは何とかして持ちこたえようと思うが、それを次の代に繋げることとなると、どうしても腰が引けて躊躇が先に立つ。
法事を終わって彫刻展の会場へ向かう道中はいつになく気が重くなって、通り過ぎる風景も目に入らないほどうつろだった。
「今すれ違ったのわかった?」
浜田のこども美術館まであと30分ほどのところでワイフから電話が入った。
私の留守の会場を守ってくれているスタッフからメールを受け取っていたので、気になっていたのだが、どうやらワイフが会場の取りまとめを上手に対応してくれていたようだ。
なんもかんも自分一人でできることでもないことはわかっているものの、こうしてイザという時に遺漏なく対応してくれる周辺の存在は何より心強い。

会場へ着く頃には、沈んでいた気持ちが少しばかり回復した。
ワークショップスペースは親子連れで賑わっていた。
よく見ると、平日の受付でお世話になっているKさんが、かわいいお嬢ちゃんとワークショップで格闘中だった。
旦那さんもいっしょだった。
お世話になっているスタッフの奥さんも子連れで彫刻を見てくれていた。
そんな様子が目に入って、一気に元気になった。ありがたやありがたや・・・

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現代彫刻小品展in浜田の暑い土曜日 

2014/07/27
Sun. 00:20

2014現代彫刻小品展in浜田最終土曜日は過激に始まり華々しく終了しました!

・・・なんてドラマチックに始まったが、それほど大きな波風もなく、なんとなくいい感じでワークショップ講師の居上さんとお話しできたし、初めて島根の松田さんに熱い(というより鬱陶しい)オヤジの思いを伝えることも出来たし・・・打ち止めは仁万の打ち上げ花火をいつもの家族三人プラスノッチで見ることも出来たし、とてもいい記念日になってⅠ日が終わった。

こうして何年も似たような彫刻展を企画開催していると、だんだん目が肥えるというか彫刻に慣れるというか、自分では新鮮な刺激が少しずつ薄れていくことを感じる。
でも、お客さんや出品していただいている彫刻家の皆さんの反応を見ていると、どうもそういう風でもないようで、本当に少しずつだが固定のファンも育っているようでもある。

ワークショップ後半は正規の時間を大幅に前倒しして1時間以上も早く始まった。
薄給で引き受けていただいた講師の居上さんには悪いと思ったが、あまりかたっくるしくアレコレ事を進めていくのも民間企画の軽いフットワークが乱れるようでどうかと思ったから、さりげなくそのあたりを飲み込んでスルーした。

居上さんの方も通りすがりの通行人相手のキャッチセールスみたいな軽いノリに反応してくれて、吉田の気持ちを飲み込んでくれてもらえた気がした。
彫刻だけの付き合いで電話やメールの会話だけだった関係と距離が、一気に縮まった気がした。
勝手に思っているだけかもしれないが、そのあたりが何よりここちよく感動した。
ワークショップ参加の皆さんも生き生きしていた。
旧知の白石さんや本多さんとはまた違った空気感があって、居上さんの講師は本当によかったと思う。

朝の早いところで、展覧会のお客さんのことで「この彫刻展は性善説を念頭に開催していますので・・」と、心に秘めた趣旨を伝えることがあった。
それを聞いたお客さんはどうも解釈を勘違いされたようで、それから後の話がこじれた。
人間に限らず、犬や猫だって悪を本性としてこの世に生まれ落ちることなどあるはずがないと思っている。
この世に生まれ落ちた赤ん坊がいろいろな環境で育つ間に、世間の様々な出会いの中でもまれる間に、客観的に具体的に理解する事のないまま悪の行為が身に付いていると・・・そんなことは普通によくある事だろう。

彫刻家の信頼関係が現代彫刻小品展の基盤になっている。
だからといってそれに甘える事は現実的でない。
主催の責任はそれとは別のところにあって、それを全うする事がやがての信用につながる。
人の付き合いは、なかなか難しいものですなぁ・・・まぁ、そういうこともあって吉田は友達が少なかったりするのだろうなぁ・・・と勝手に納得する展覧会終了間際のある日なのでした。

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現代彫刻小品展in浜田出品作家吉田満寿美のこと 

2014/07/26
Sat. 03:43

現代彫刻小品展in浜田もはやいものでもう一週間が過ぎた。
今年は準備期間が短くて、広報や各所への手配などが時間不足のまま会期がスタートした。
それでも何年か継続しているおかげで出品作家の皆さんの協力や島根の皆さんのお手伝いもあって、おおきな混乱もない毎日がなんとかここまで続いている。

後半のワークショップも始まるので講師をお願いした徳島の居上さんから電話があった。
ちょうど石見銀山の自宅を出発する直前だったので都合よく必要な道具や消耗品などの搬入も間に合った。
石見銀山から会場の浜田までは車で1時間の距離だが、ワイフやプロジェクトメンバーのみわちゃんやまほちゃんも受付やワークショップの手伝いで通ってくれて本当に助かっている。
数年前から浜田に住んでいるわたる君もお母さんや嫁さんまで借り出して親身に手伝ってくれているし、なんともいいようのないほどお世話になっている。
ワイフにはこの展覧会をするたびにどれだけ周りのみんなに迷惑をかけているかと私の我がままを厳しく叱られる。
なるほどもっともなことなので言い返すことも出来ない。

いつも会期が始まって1週間くらいになると色々なストレスが溜まって暮らしの至る所で気持ちが刺々しくなって始末に困る。
日頃静かに暮らしているところへいつもと違うようなことをはめ込んでいるわけだから仕方のないことでもある。
・・・そんなことを反省しはじめたら、なかなか夜が眠れなくなってしまった。

彫刻や展覧会のことに関しては文句も言わないで親身に協力してくれているワイフである吉田満寿美は、一方で島根を代表する屈指の女流彫刻家のひとりだと思っている・・・というより、島根の彫刻界全体を見渡しても、かなりハイレベルな一流の彫刻家であると思っている。
今回の展覧会も、忙しい日常の合間を縫って3点の新作を出品提供してくれた。
最近の彼女は3次曲面に囲まれたボリュームのある立体と平面的な2次曲面から移行する軽やかな形態のウエーブにワイヤー曲線の構成をポイントにあしらった、とても女性的で包容観のある抽象彫刻を連作している。
また、メイン素材に紙を使っていることも出品作家の中で追従のない特徴になっている。

彫刻家としての作家歴でいうと、もう40年近く(ヤバイ!歳がバレて叱られる・・)の実績があって、実は私より5年以上も先輩なのです。
初期は金属彫刻を10年近く続け、その後木や石と金属を併用した彫刻に移行し、子育てが本格的になりはじめてから、彫刻制作が日常の暮らしに出来るだけ支障なく続けられる素材の模索がしばらく続き、やがてウレタンや紙にたどり着いて現在に至っている。

三度の食事を作り、掃除洗濯などの家事をこなし、子供を育てながらの彫刻制作をリタイヤすることなく継続しているわけだから、それだけでも軟弱オヤジは延々と頭が上がらないまま今に至っている・・・それに何より、今まで自分が彫刻を造り続けていられたのも彼女がすぐ隣で制作活動を継続してくれていたからだと思っている。

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現代彫刻小品展in浜田7日目の朝も暑い! 

2014/07/25
Fri. 08:26

グランドゴルフで白熱した試合が展開されている時は気がつかなかったが、終わって帰宅する時に空を見上げると厚い雲が降りていた。
赤名高原の山の天気だからなんともいえないが、ヒョッとしたら梅雨が上がってから久々の恵みの雨になるかもしれないと期待しながら真夜中の街道を石見銀山まで走った。
山に囲まれた石見銀山の谷も、けっこう厚い雲が広がっていた。

そして、次の朝・・・
現代彫刻小品展会場の浜田市へ出発した頃もなんとなく怪しい雲行きだったので、「道中で雨になるかもしれない・・」と秘かに期待しつつ1時間の距離を走ったが、結局空の雲は消えていく一方で、美術館の駐車場へついた頃はいつもの暑い夏の天気に戻っていた。

このところ、毎日気温30度を越える日が続いている。
古い話になるが、有閑オヤジもまだ少年だった頃・・・
今頃はとっくに夏休みになっていて、毎日朝からラジオ体操をしたり、朝顔の観察日記をつけたり、その日の雲の様子をスケッチしたりしながら涼しい朝を過ごしていた。
夜が寝苦しくて眠れなかったことも記憶にないほどの高原の夏が続いていた。
太陽が熱い昼間でも、大木の椎の木の下などは吹き抜ける風が冷たく感じるほど涼しくて、オヤジが棚行の途中に本屋さんで買ってくれた少年画報を持ち出して、ノンビリと鉄人28号などを読みふけっていたものだ。
その頃は今のように朝から気温30度を越す日など1日もなかった。
ひと夏でせいぜい5日もなかったと思う。

地球はは完全に温暖化が進んでいる。
美術館の会場は、午前中は東からの日差しが、午後は西からの日差しが強い。
建築設計が高松伸らしいから仕方のないことかもしれないが、なかなかに使いづらい美術館に設計されている。
午前中の東からの日差しを彫刻の回り込みに使って、西側の窓際で立体のボリュームを引き出すように撮影場所を設定して、今回の展覧会彫刻作品記録の撮影を始めた。
会期中に出品作を全て記録しておくとあとの作業が楽になるし、その都度写真データの出来を確認することも出来るから都合が良い。

日差しの向きが変わるまでパチパチとシャッターを押し続けていたら、バッテリー切れのサインが出はじめた。
そぉ〜だ!カメラのバッテリー充電をしておくことをコロッと忘れていた。
天気の予想は外れるし、仕事の準備も忘れるし・・・
展覧会も中盤にきてオヤジのとろけた脳みそが醗酵しはじめてきたらしい。
今になってグランドゴルフで使った筋肉や節々が痛みはじめてきた。

今日はこれから後期ワークショップ講師の居上さんが徳島から駆けつけてくれる。
それまでになんとか仕切り直しの撮影を終わらせてしまいたいが・・どうなることやら・・

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彫刻展が始まったら、日頃ヒマな万善寺の用事がどんどん重なってきて、当初の予定が狂いっ放しになっている。
燃料高騰の中1日で200kmほどの移動が毎日のように続くと、ありがたく頂いたお布施が油代で見事に消えてしまう。

あらかじめ予定が決まっていた49日の法事をお昼前までおつとめして、改良衣のままその足で浜田こども美術館へ直行した。
受付をお願いしているおねえさんがお昼ご飯も食べられないまま腹を空かせていたら可哀想だから、ビクビクしながら結界君をすっ飛ばした。
今年はもうネコチャンにつかまっているから、二度とネコチャンへ貢ぐことは出来ない。
何時もはノンビリと江の川のアユ釣りをながめながら走っているのに、心の余裕がないままのドライブがどれほどつまらないものかよくわかった。

美術館の方は、私がお経をよんでいる裏番組でケーブルテレビの取材が入ったようだ。
受付のおねえさんから丁寧に報告をもらった。
改良衣を平服に着替えていばらくしてから、撮影をすませた記者の若いお姉さんが再度取材に現れた。
島根県の彫刻事情や、今回の展覧会のみどころや、彫刻作品の素材などの解説をさせてもらった。

最近の美術館周辺は毎日30度を超える暑い日が続いている。
そのせいもあって、人の動きが絶えてしまった。
浜田市世界こども美術館での現代彫刻小品展開催は2012年から始めた。
その時は4月初めのまだ肌寒い時期で、そのうえ春の嵐が重なってお客さんの来場も惨憺たるものだったが、今回は夏の暑さでその時に匹敵する状況だ。
世間の事情は自分の都合でどうなるわけでもないから、日々是好日と平常心で受け止めることが気楽で良い。
全国から島根県に集まる彫刻の質も全く問題ないレベルだし、ワークショップもからめた展覧会の内容も何処に出してもおかしくないし、こういう機会や体験を自分の都合で逃してしまっている浜田市とその周辺のみなさんが哀れに思えてしまう。

ヒマだったからメチャメチャ気配り抜群の受付オネエサンにマニヤオヤジの趣味ワールドを押し売りしていたらいつの間にかクローズの時間。
夜は19:00スタートで飯南3町合同グランドゴルフ大会出場があるので、またまた江の川沿いをビクビクしながら結界君をすっ飛ばした。
ギリギリ駆け込みセーフで試合開始に間に合った。
熱戦がひたすら続いて表彰式まで全て終了したのが22:30。
それから、打ち上げの宴会をグッと我慢してことわって、石見銀山の自宅へ到着したのが23:30。

長い1日だったのか、短い1日だったのか・・・よくわからん1日でありました。

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現代彫刻小品展in浜田5日目も朝から坊主! 

2014/07/23
Wed. 08:33

この近年、1年でたった10日の展覧会を2箇所で企画開催している。
ひとつは、現在開催中の浜田市世界こども美術館。
もうひとつは、今年10月開催の石見銀山。
2010年から手づくりではじめて展覧会の数は7回目になる。

自分の都合で始めたことだから、自分の都合でいつでも店じまいできるところが気楽で良いことと思っている。
一方で、毎回ひとつずつ何かサブテーマを考えて常に新鮮な展覧会になることを意識している。
これも、自分の都合で決めてしまうことだから気楽に乗り切れる。
大変なのは、この10日間の展覧会をお手伝いしてもらっているみなさん。
吉田のわがままにいつも何時も本当にかいがいしくつきあってもらっていて頭が下がる。
実を云えば、この企画にお付き合いしてもらうことで、彫刻の色々な面白い側面を体験的に感じてもらいたいと願っているところもある。

若い時に彫刻の勉強してたけど、歳をとったらだんだん仕事が忙しくなって彫刻を造ることが出来なくなった・・・とか、
学生で勉強して彫刻を造りはじめたけど、自分の実力の限界を感じてやめてしまった・・・とか、
まえまえから彫刻に興味があったけど、独学では何から始めていいのか見当がつかないから手が出せないでいる・・・とか、
彫刻なんて日頃見る機会がないから、面白いともつまらないとも思う以前でどうも敷居が高くなってしまっている・・・とか、
とにかく、あげればキリがないほど、日常の暮らしの中で彫刻との接点が濃厚にならないまま毎日が過ぎ去っている・・・そんな人々もけっこう多く潜在していらっしゃる気がする。
何時もヒマにしている有閑オヤジだったら何かヒマなりに出来ることがあるかもしれないと思いついたところから今まで展覧会が続いてきたことになる。

彫刻の出品者は約半数がプロの彫刻家。
残りの半数がセミプロかアマチュア愛好家。
入落のない、誰でも思いついたら自分の制作した彫刻を展示できる展覧会になっている。
近年続いているワークショップは、幾つかのテーマを掘り下げてそれぞれに継続しているから、単発の打ち上げ花火で終わっていることがない。
だからワークショップを楽しみにしている方も増えてきた。
石見銀山での展覧会期間中に大森小学校で出前ワークショップを開催することも決まった。
少し前のミーティングで集まったメンバーのひとりが、「大人の部活みたいだね」といっていた。
良いネーミングだと思った。
さて、これから先をどう考えるか・・・色々な意味でひとつの節目がきている気がする。

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現代彫刻小品展in浜田4日目は坊主で走る! 

2014/07/22
Tue. 12:14

しばらく自宅を留守にしていて、久しぶりの行水でサッパリした。
その留守の間は結界君とベッタリ2泊3日のお付き合いをして親交をあたためた。
一方、エアコンフル稼働で燃料もかなり消費した。
それでも、石見銀山と浜田の往復を続けるよりは楽だから、無駄遣いだとは思っていない。

現代彫刻小品展3日目は3連休の最終日で、そのせいか会場への客足はバタリと減った。
報告によると入場数53人。
それでも3日間で200人は突破した。
まぁ、こんなもんでしょう・・・

21日は弘法大師さんのご縁日で、その日は山寺の周辺のアチコチでお大師講の供養法要が行われる。
弘法大師さんと縁の深い四国に近いから、大正から昭和にかけてのひところはお大師講が大流行だった。
他にもお薬師さんや観音さんや地蔵さんや馬頭さんやお不動さんや・・・とにかくこれでもかというほど民衆の仏教信仰が大流行していた時期があった。
今度のお大師供養もそのひとつが継続して地域の行事になっているもので、数年前に今の東堂さんから引き継いで法要と塔婆回向をしている。
その地域の集会所へ安座してある即席の祭壇前でおつとめして、それが終わったら引き続いて塔婆回向をする。

現代彫刻小品展の会期中ではあるが、万善寺の仏事もやめるわけにいかないし、そのあたりのスケジュール調整が難しい。
展覧会受付のお手伝いをお願いして、気持ちをお大師さんに切り替えて、一気に30枚の塔婆を書き終わった頃には、それだけでグッタリ疲れてしまっていた。
日頃自堕落に暮す有閑オヤジだからこういう時はそうとうにこたえる。
なかなか眠気が消えないまま、結界君と珍道中しておめあての集会所へ時間ギリギリに到着。
「ナムダイシヘンジョウコンゴウ、ナムダイシヘンジョウコンゴウ・・・!」
みんなでご真言を唱和して、塔婆回向を終わって、石見銀山の自宅へ帰ったら夜の10時だった。
ワイフはとっくに寝てるし、キーポンはオヤジのいないことを良いことにして完全にオヤジの寝場所を占拠してるし・・・夜中に一人でブツブツいいながらカレーライスをかき込んだ。・・・なかなか鍛えられる。

一夜明けて本日は、坊主手伝いの初七日でおつとめ。
鐘つき坊主をつとめて、その足で彫刻展会場の浜田へ急いでいる。
だいたい1時間ぐらい走ったところでお昼のサイレンを聞いた。
それで、少し休憩しながらこうしてプチプチとキーボードをたたいている。

何かと鍛えられる展覧会4日目お昼を迎えた今日この頃であります。

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現代彫刻小品展in浜田2日目に梅雨明け 

2014/07/21
Mon. 07:33

朝からどんどん暑くなってきたから、やはり浜田は石見銀山より南にあるからなのかなぁと勝手にそう思っていたら島根県に梅雨明け宣言が出ていて、そのせいかと納得した。

現代彫刻小品展の2日目。
前半ワークショップ無事終了。
会場への入場は160人。
ワークショップ体験参加は58人。
まぁ、だいたいこんな感じは妥当なところだろう。

今回、ワークショップを彫刻の展覧会場と同じ場所へ移した。
今まで2~3年アレコレ考えながら美術館と調整して計画していたことをベースに、今年は少し内容を変えてみたのがどうやら成功したようだ。

会場の受付は色々神経を使うことも増えて気苦労も多い。
夏休みに入って子供も増えるし、他県から観光がてらの入場も増える。
そういうこともあって、ワークショップの助手や受付当番の手配を増やした。
人件費で出費も増えるが、こういうことはケチらないほうがいいと思う。
本当は浜田の地元でお手伝いさんを確保できると一番いいのだが、ともだちの少ない吉田にはそのあたりの融通が難しくて、結局ほとんど石見銀山とその周辺の心安い知合いにお願いするしかなかった。
いつまで続けられるかわからないこの展覧会も、こうやって毎年なにかしらの問題が見えてくる。
世話人の力不足がアチコチでバレて、アチコチに迷惑をかけることになる。
まぁ何かと反省もあるものの、前半のワークショップはとても充実したものになった。
主催者としては喜ばしいことだが、人の絶え間もなくて、予定の終了時間も超過して講師のお二人はけっこう疲れたと思う。感謝!
3連休の最終日は、石彫仏師の坪内さんが別会場の美術館野外で石頭鎚をふるってくれる。
受付の合間を見て覗いたら、子供たちがコツコツ石をたたいていた。
こういう時でもないとなかなか普段の生活で石をたたくようなことも無いことで、いい経験にもなるし思い出にもなると思う。

知らないうちに打算が優先してつまらない大人になってしまってからは、ただひたすら石をたたいて良い汗を流すような体験も面倒なことと通り過ぎることばかりになる。
私など、まがりなりに彫刻を造ったりしているからそれでも世間の大人よりは無心に素材とつきあう場面も比較的多い方だと思う。
それでも、こうして彫刻展の世話をしたりしてバタバタしている時は、無心のゆとりもない。
もうかれこれ40年近くこうして彫刻など造っていても、それで食べていけているわけでもないし、結局ザックリ見ると少しハードな趣味のひとつ程度のあたりでひとくくりにされて、なかなか道を究めるということも曖昧なことですんなりシンプルに乗り切れることでもないなと、受付をしながらボンヤリそんなふうに思ったりもした。

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現代彫刻小品展in浜田の暑い初日 

2014/07/20
Sun. 07:16

隣町の同宗禅寺からお声がかかってお葬式のお手伝いをさせていただいた。
最近では珍しくなった町内会のみなさんが集まった手間替えお手伝いで行われた葬儀は、お世話役さんが中心になって皆さんそれぞれの役割を遺漏なくおつとめされて、とても気持ちがよかった。
ひと頃は町内の戸数も50軒を超えてとても賑やかだったらしいが最近は半減以下まで落ち込み、取り壊される空き家も増えてきたらしい。
高齢化が進んで、90歳を越えてかくしゃくのおばあさんも明日は我が身でいずれは町内の皆さんのお世話になることだからと若い方に混ざってしっかりお仕事をつとめあげていらっしゃるということだった。

坊主も導師を中心に三仏集まって、シャンとしたものだ。
お寺の功徳とお檀家さんの信心が上手にかみあって色々な仏事が引き継がれていることがよくわかる。
万善寺のヘナチョコ住職も見習わなければいけないと反省しつつ、心を込めて引導をお務めさせて頂いた。

浜田での現代彫刻小品展が始まる初日だったから、斎膳が終わるとその足で急いで美術館の会場まで移動した。
さすがに改良衣のまま受付をするわけにもいかないので、途中でいつもの私服に着替えた。
それほど忙しいわけでもないのに、なぜか重なる時は見事にアレコレ重なる。
お昼を過ぎて夏の日差しに焼かれた世間は、結界君のエアコンフル稼働も追いつかないほど久々に暑くなった。
彫刻展の会場では、あらかじめお願いしていた島根のメンバーが、それぞれの仕事をきっちり務めあげてくれていた。
道中の心配もふきとんだ。

展覧会の会場はお客さんでにぎわっていた。
ワークショップ講師の3人さんも久々に元気そうな顔を見ることが出来た。
色々準備でつまずいたが、それなりに好スタートを切ったように感じる。
欲を言えばキリがないし、彫刻文化未開に近い島根県にこれだけの彫刻家と作品が集まっただけでもそれなりに意味のあることだと思う。

夕方から講師のSさんやHさんを中心に、島根の有志も揃って飲んだ。
生ビールがうまかった。
日本海の魚もうまかった。
それになにより、久々に飛び交った彫刻のあれこれの話題が酒のうまい肴になった。
久々に良い刺激を受けた。
さて・・・みんなはどうだったのだろう?
午前0時を過ぎて、モテル結界君まで浜田の町を3kmほど歩いた。
昼の間あれほど暑かったのに、夜の風は涼しくて気持ちよかった。

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2014現代彫刻小品展in浜田スタート 

2014/07/19
Sat. 07:52

2014年の現代彫刻小品展は波乱のスタートになりそうな予感・・・

一日かけて彫刻展の搬入と展示が終わった。
朝はいつもより30分ほど早く自宅を出て、銀山川の川沿いへ駐車していた2tのトラックで浜田のこども美術館へ出発。
途中、高速料金が変更になったりしたから地道に国道を走って、定刻の20分ほど前に美術館の搬入口へ到着。
館長さん自らシャッターを開けてくれて、なかなかいい感じで搬入開始。

前日豪雨の中倉庫で移動していた展示台は、美術館のきれいな会場で見ると目茶苦茶汚れていた。
毎年修繕を繰り返していたのだが、さすがに5年も使い回ししていると老朽が激しい。
今年は助成金削減がひびいて、修繕費を浮かせたのが不味かった・・ということで反省!

館長さんと梱包された彫刻の搬入を続けていたら、周藤さんが到着。
続いて松田さんが到着。
そのあたりでだいたい会場への移動を終わって展示台などを配置していたらアチコチから携帯に電話がかかりはじめて、その中に寺からの電話。
やはり親子は何処かで何かが繋がっているのだろうなぁとつくずく思うほど、タイミング良く仕事の忙しい時におかみさんから電話がかかる。
さすがに時が時だけに若干イライラしながら留守電機能をONにして作業を続行した。

前の日の夜に隣町のご住職からお葬式のお手伝いを頼まれた。
こればかりは、何時逆の立場でお願いすることがあるかもわからないし、万障繰り上げてお引き受けしなければいけない。
レンタカーのトラック返却もあるからどうしても夕方までには石見銀山へ帰って坊主仕度をする必要がある。
そのこともあって、内心ではかなり焦っていたが、見た目は平静を装いながら粛々と展示作業を進めた。

初出品の広島の佐々木さんにも出会えたし、岡山から小林さんも個人搬入で駆けつけてくれたし、けっこう賑やかな展覧会準備になった。
これで通夜のお手伝いがなければ打ち上げで生ビール!・・も出来たのに・・などと、ウジウジ未練がましいところはまだまだ修行がたらない。

それで、波乱のスタートはワークショップ。
講師の白石さんには悪い事をしてしまった。
もっとも、ベテランの本多さんがいてくれるからなんとかなるだろう。
そんなわけで、主催者の事務局は初日からお葬式のお手伝いへ出かけることになりました・・とさ。

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只管打動 

2014/07/18
Fri. 06:02

早起きをしてF.Bをチェックしていると、石見銀山大森町の古刹栄泉寺ご住職の記事を発見。
「大本山總持寺二祖峨山韶碩禅師650回大遠忌中国管区予修法要」で「永平寺不老閣猊下御親修による出班焼香を勤めました」とあった。
山寺のナンチャッテ和尚は、栄泉寺さんの影も踏めないほどのヘナチョコなので、とても親しく坊主付き合いすることなど出来ないほどなのに、常日ごろからなにかと気安く声をかけてもらったりしてありがたいことだと思っている。
そんなこともあって、朝からなんとも清浄な気持ちになった。

ちょうど予修法要の最中だったろうと思うが、石見銀山から三瓶山、それに工場や倉庫のあたり一帯に雷をともなったものすごい豪雨が集中した。
19日から浜田で始まる現代彫刻小品展の搬入作業を行っている時で、展示台を移動しているあいだ中、倉庫の屋根を豪雨が叩き続けていた。
レンタカーの2t車は夕方から借りられることになっていたので、その時間がくるまでに展示台を倉庫のプラットホームへ移動しておこうと、コツコツ働いていた。
展示台は代車に7台乗せるのが1回の移動の限界。
都合、10回の往復移動することになる。
全国から届いた彫刻は、展示台をトラックへ積み込んでから最後に移動する。

さいわい、天の助けもあってこれらの作業をする頃には雨も上がって青空が見えるまでになっていた。
朝から一日かけて全て積込が終わってその足でキーポンを学校まで迎えに行った。
トラックの助手席に乗ることになったキーポンはテンション上がりまくりで大騒ぎになった。
いろいろあるが、ノーテンキで直感的な彼女の反応を見るとつかれた身体と心が癒される。
石見銀山の自宅前には2tを入れ難いので、銀山川脇の駐車場へ停めてそこから川岸を歩いた。
数え切れないほど倉庫の階段を上り下りした膝が真っ直ぐに延びない。
暗い夜道をヨチヨチ歩いていたら、キーポンが足下をiPhoneで照らしてくれた。

昼飯抜きで働くこと10時間。
こういう労働は、とにかく動き続ければいずれは終わることだからと、力を加減しながら同じ作業を只ひたすら繰り返す。
歳とともに鈍ったからだがギシギシ悲鳴をあげているが、それで動かなくなるわけでもないし、気持ちを静かにもって只ひたすら身体を動かす。

道元禅師さんの「只管打坐」ならぬナンジャク和尚の「只管打動」で修証一如なのだ!・・などと自らを叱咤しながら一日を過ごした。
気持ちの持ちようひとつのことだが、こうやって彫刻のことで働かせていただいていることが、とてもありがたいことと思えることもある。
幸せなことだと思う。

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体力と気力 

2014/07/17
Thu. 08:43

今朝はキーポンが高校野球の応援でいつもより1時間以上も早く家を出た。
最近の彼女は赤ちゃん帰りしたように私のシュラフへ潜り込んでくる。

毎晩部活から帰るのが20時を過ぎていて、それから家族で夕食になって、そのあとテレビを見るなどしてくつろいでいるとすぐに午前0時近くなる。
彼女はそれから勉強らしきことをしているようで、昼の草刈りや薪運びなどの労働で疲れた私はその間に寝てしまっているから、朝方になって目覚めると隣でキーポンが寝ている・・という状態が習慣になりつつある・・というわけ。

ことの始まりは数日前の鳥の羽事件。
吉田家を見事に脱走したネコチャンズのどちらか(たぶん犯人はシロ)が、狩に目覚めてゲットした雀を持ち帰ったことが発端だった。
我々人間に見せようと、戦利品をくわえて家中のアチコチを引き回していたらしい。
その一箇所がキーポンのベッド。
パラリと落ちていた鳥の羽のおかげで、その夜からキーポンの吉田家ジプシー暮らしが始まったことになる。

おかげで、このところ少々寝不足気味が続いている。
七日務めの往復道中もついつい眠くなってしまうものだから、改良衣の和服姿でクラシックロックをガンガンかけて眠気を吹き飛ばしたりしてなかなか苦労する。
営繕の草刈り中は、燃料の補充を3回ぐらい続けたところで1回休憩をはさむようにしているが、結界君の助手席へ座ると知らない間にウツラウツラ寝てしまったりしている。
まったく、鳥の羽のおかげでオヤジの体力がしだいにむしばまれている。

最近は、こういうちょっとした日常生活の狂いがそのまま肉体労働に影響するようになってきた。
あと少して米寿の誕生日を迎える東堂さんも30年近く前は今の私のように体力の衰えを意識しながらお盆の準備をしていたのだろうなぁと想像するが、彼の場合はおかみさんのマメな心配の助けもあるから今の私より少しは楽をしていられたろうとも思う。

東堂さんの同級生が万善寺の近所に3人ばかり健在で、その前後併せて5〜6人と去年から今年にかけて米寿で賑わっている。
寺のお隣もご夫婦そろって米寿になられてかくしゃくと生活していらっしゃる。
さすがに農作業は10年近く前からリタイヤして町内の営農組合に委託されているが、田のあぜくらいはいまだにエンジン草刈りを使っていらっしゃる。
この前も、私がフラフラと参道横を刈り込んだりしていたら縁側に立ってしばらく様子をうかがっていらっしゃった。
いろいろ気になることもあるのだろう。

営農組合というと、昨年あたりから急に農作業が粗雑になってきた。
昨年は肥料の具合がいいかげんだったのか、やたらヒョロリと高い稲に育って、それほどひどい風もないのに収穫前の田んぼは稲が倒れて惨憺たるものだった。
それに無理やりコンバインが入るものだから、素人ながらに見るに耐えない田んぼの有様だった。
今年は田植えから変な感じだった。
百姓は素人の私が見ても、なんか変な感じでデコボコの田んぼになっている。
百姓の仕事も荒んだなぁと感じる。
元気のいい時に一生懸命働いて、その時無理して出来ていたことも、歳をとって体力が衰えて気持ちばかりが先走って肉体がそれについていかなくなって、そのうちやる気も失せて面倒になって見て見ぬふりでやったごとに仕事を片づけて、どんどんいいかげんになっていく様が目に見えて感じられる。

自分の草刈りもそうとうなタイガーカットで人のことまで云えるわけでもないが、歳は上手にとりたいものだと思う。
人のフリ見てナントヤラ・・・というやつですなぁ・・・

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作務 

2014/07/16
Wed. 07:51

2日続けて万善寺の営繕草刈りをした。
そもそも、禅宗の僧侶は作務も修行の重要な要素として、1日をセッセと働いて汗を流すことも多い。
「あの坊さんは何もしないで座禅ばかりしている」
なんて云われるお坊さんがいたら、その人は真の禅僧とはいえないことになる・・というか・・そう教わってきた。

そんなわけで、私も物心ついた頃から遊びの延長のように寺の様々な作務をしてきた。
もう半世紀も前のことだから当然さきの住職夫婦で現在の東堂さん夫婦も働き盛りの若い頃で、毎日脇目もふらないで夜が明ける頃から日が暮れる頃までセッセと作務に励んでいた。
あの頃は田んぼも作っていて、田植えから稲刈りまで集落のお百姓さんと手間替えをしながら農作業をしていた。
禅宗に欠かせないお茶の栽培もしていて、時期になると家族で茶摘みをしたり茶モミをしたりしていた。
大豆も作って味噌も自家製で作っていた。
春は菜の花から菜種油をしぼってもいた。
秋は渋柿を収穫して夜なべで皮むきして干し柿にした。
年間を通して野菜はほぼ自給していた。
農作業の合間には山へ入って真木を切り出して炭焼きの手伝いもしていた。
法要でいうと・・・
夏はお盆で冬はお正月に節分。
春や秋はお彼岸に初午さんに地蔵祭り。
・・・などなど、まだ若かった住職夫婦は1年中絶え間なく立ち働いていた。

そのうち、私が学業で寺を離れて、別居暮らしをしている間に住職夫婦の周辺事情がどんどん変化して、檀家さんとの付き合いも代替わりが上手くいかなかったりして、世間社会の変化に取り残されるようになって、暮らしの色々なことが複雑になって、禅の教えをかたくになに守ったのか、解釈を間違えたのかして寺の経営がつまづきはじめた頃に住職の大病と入退院が続き、それが落ち着いたらおかみさんの大手術があったりして、頭で思う理想と身体が動かない現実のねじれが修繕できないまま、作務と布施の教えが上手く機能しなくなって、いつの間にか寺務のほとんどを古き良き時代の思い出と半世紀以上の在職プライドに頼るばかりになっていた。

波風を立てないで、気がつかないままに通り過ぎる歳月を期待することはなかなか難しい。
何もしないでいるわけにもいかないし、何かしはじめると人目について波風が立つ。
「今は昔と違うんだよ」とか、「昔と同じようにはいかにんだよ」とか、色々お話をすることもはばかられるほど、老僧夫婦の時代があるところでピタリとストップしている。

いつものことだが、寺の作務や寺務をしていると、何もないことがいちばん・・・であることの難しさを身をもって感じてる。
まだ若かったおかみさんが嬉々としてセッセと耕して植栽した休耕田は、今はこれでもかというほど手のつけようもない荒地になって、イノシシの遊び場になっている。
梅雨の蒸しかえる空気に獣の匂いが強烈に漂ってくる。
ギリギリまで草刈りを入れるが限界がある。
2年ほど前に「荒れるばかりだから木を切り倒して更地にしようよ」と提案したらものすごい大騒ぎになった。
役場で土地の様子を確認したら農地のままになっていた。
先日もおかみさんが小言のついでに2年前の私の一言を蒸し返してきた。

修行の一つと確信して作務に励むが、後に残るのはなかなかの徒労感。
まだまだナンチャッテ坊主の域を脱することができませんなぁ・・・

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オヤジの事情 

2014/07/15
Tue. 09:40

熱くなってくるとつなぎの作業着が汗で身体に巻き付いてどうも仕事がやり難い。
そういうこともあって、だいたい、毎年この時期に普段着の幾つかが作業着に切り替わる。
このチョイスがなかなか悩むところだ。
もう何年も着続けていた愛着のある普段着が、工場の粉塵や油や塗料などでどんどん汚れていくのがわかっているから最後の一歩で踏ん切りがつかなくて躊躇する。
梅雨が終わる頃までダラダラと続く衣替え作業着バージョンも、そろそろ決着をつける時期がきた。

Tシャツは半袖を中心に幾つか思い切って決めた。
タイミング良くワイフがお下がりを回してくれたので比較的楽にふんぎりがついた。
長袖のシャツは作業着に下ろすのがもったいないくらいシャンとしているのでなかなか決められなくて悩んだが、ひとまず草刈りや薪づくりなど工場以外で着る時ように何枚か決めた。
一番悩んだのはズボン。
ワイフがカタログ販売で買ってくれたエディー・バウアーか、リーヴァイスの501か・・
もう軽く10年以上前からのものだが、どちらも捨てがたい。そういえば、去年のこの時期も似たようなことで悩んでいた。あの時は選択肢がリーヴァイス同士だったから、新旧とダメージの度合いで決めた。

何年か前からワイフが私の服装のことでしつこくダメ出しをするようになった。
彼女からすると、オシャレのセンスが皆無のオヤジに見えるらしく、何処へ出かけるにも似たような薄汚れたヨレヨレの服ばかり着ているように見えているようだ。
何処かのセレブのパーティーへ呼ばれることも出かけることもないし時々忘れた頃に家族で大きなスーパーへ買い物に出かけるくらいのことで日頃から洗濯もしてきれいにしてある服の中から適当なものを選んでいるわけだからそれで十分だと思うのだがどうもそうでもないらしい。
「こんなこというのは私くらいのものなんだから・・外へ行ってみんな気になっても誰も云ってくれる人なんていないんだから・・」
まぁ、たしかにそう云われるとそうかもしれないが・・・歳をとってジジ臭い格好をしてウロウロしないで欲しいということらしい。

どうしても楽にはきやすいものだから、先日もいつものようにリーヴァイスのダメージで友人と待ち合わせて家族で食事に出かけたら、隣に座ったオネエサンとダメージのことで若干盛り上がった。
彼女曰く、新品からの着古しが本物でそれがカッコイイのだそうだ。
ダメージ加工の嘘臭さはすぐに見破られてしまうのだそうだ。
自分ではそれなりに愛着があって、それに長年の常用で身体になじんですてがたいところもある。
どうやら見る人によってはそれがファッションのひとつに見えているらしい。

なんか褒められているような気もして、何となく嬉しかったことを思い出した。
だから、リーヴァイスはもう少し普段着ではき続けることにした。
結局は作業着にも使えなくなるほどボロボロになるまではき続けることになるんだろうなぁと予測できるが、それはそれでいいと思う。

・・・というわけで、これからエディー・バウアーに履き替えて万善寺の営繕草刈りに出発いたします。

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梅雨の一日 

2014/07/14
Mon. 08:13

松江での法事が終わって、途中仏具屋さんへよって用事をすませて、一日中降り続いた雨の中を夕方になって帰宅。
燃料高騰のなか、長距離はとてもつらい。
汗になった白衣や汚れた足袋などを洗濯カゴへうつして湿っぽい居間をウロウロしていたらフローリングになにやら見慣れぬ物体を発見。よく見ると雀の死骸だった。

一日留守にしている間に、吉田家のネコチャンズが脱走して雨の石見銀山をしばらく散歩していたらしい。
ワイフから一部始終を聞いていた後だけに、「さてはクロが仕留めてきたか!」と直感して、ノンビリくつろいでいたクロを問い詰めても見て見ぬふりで知らん顔をしている。
キーポンは大騒ぎするし、ワイフは気持ち悪がるし、日頃無視されているオヤジはこういう時になると都合よく重宝して使われる。
しかたがないから、新聞紙の移動ベッドへ臨終の雀を移して水葬にすることにした。
町並みの側溝は降り続く雨のおかげで水量もたっぷりでちょうどいい。
キーポンと一緒に手厚く舎利礼文三回と普回向を添えて流してやった。
土葬にしようか火葬にしようかそれとも鳥葬にしようか・・・色々悩んだが、雨も降り続いていることだし、水葬が妥当と考えた。
夜になってキーポンがさりげなくオヤジのシュラフに潜り込んできた。
それでなくてもムシムシと蒸し暑いのになんとも寝苦しい一夜になった。
「私の布団の上に鳥の羽が落ちてたの・・」
キーポンが朝になってシーツを洗濯してくれとワイフへ訴えていた。
さては、狩猟の犯人はシロだったようだ。

毎日色々なことがあって飽きることがない。
そういえば、塔婆の裏書きに「水急不流月」と書かせてもらって、法事の後にそれをネタに少しばかりお話しを添えさせてもらったのだが、そのあとの斎膳の席でいたく共感されたご親族のお一人から、ご自分の実体験をまじえてありがたいご感想をいただいた。
ナンチャッテ坊主のことなので、どちらかといえばおかみさんゆずりの小言は得意だが説教は苦手なので意外だった。
久々のご法事だったし、知らない間に気合いが入っていたのかもしれない。
たまにはこういうこともあるんだなぁと、やけにクールに自分を分析した。

何年も無視され続けていたノッチから嬉しいお言葉が返っていた。
「あぁ〜〜、ノッチも少しずつ大人になっているんだなぁ〜〜」と思いつつ、一方で歳とともに大人の処世に染まりつつある一面を憂いたりもしてしまう。
真っ直ぐに生きるということは難しいものだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜
ずっとブロックしてたけどSNSストーカーな父さんをやっとフォローしてやりました。喜べ親父w
〜〜〜〜〜

写真 1

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世間の器 

2014/07/13
Sun. 02:36

久しぶりに墨を擦った。
祥月命日にはまだ間があるが、ご親族の都合もあるのだろう休日に併せて一周忌の法事をすることになった。
墨を擦って塔婆を書いていると、1年前の今頃のことを思い出す。
ご逝去の知らせが入ったのは、栃木の方の彫刻展へ出品した彫刻を搬出したすぐ後のことだった。
もう少しで8月の盆月になるし、色々お盆の準備にとりかかろうと計画をたてていた頃のことだった。

1年前の島根県はよく雨が降っていた。
というより、ゲリラ豪雨というやつが頻繁にやってきて気の抜けない日が何日もあった。
今年は大きな台風が来ると大騒ぎをしたわりには風雨も気が抜けるほど普通に過ぎてしまったりして、まとまった雨になることもないままの梅雨が続いている。

法事は松江であるから、朝早くに自宅を出発することになる。
キーポンが仕度を素早く済ませてくれたら、学校へ送り届けた足で松江へ向かえばいいのだが・・・さて、どうなることやら・・・
7月に入って高速道路の通行料が改正された。
早朝割引がなくなったり、休日割引の%が変わったり、自営業にとってはかなりの打撃になった。
燃料も高騰しているし、檀家さんが中国山地一帯に点在する山寺の和尚さんとしては、必要経費の行動費をどうやっておさえようか頭が痛い。
ひとまず、今回の松江往復は下道走破を考えている。
帰りは仏具屋さんへよって頼まれている用事をすまそうと思っている。

面白いテレビがあるとかで、午前0時近くまで賑やかだったからなかなか集中もできないまま書斎にこもっていて、やっと吉田家が静かになったから塔婆を書く気になった。
裏書きには「水急不流月」と書かせてもらった。
どんなに急な水の流れでも、そこに映る月は流されることがない・・・といった感じ。

今の日本社会は、政治にしても経済にしても、あまりにも目まぐるしくコロコロと色々な事物が変化しすぎているような気がする。
世間の器も小さくなったものだ。
眼前の事物の停滞を恐れて無駄にジタバタして泥沼にはまっている。
不動であったり不変であったりすることは決して悪い事ではないし、むしろ深遠の重さがある。
95歳で眠るが如く大往生だったこのたびの居士さんは、何かと頑固だったが読書家で勉強家のなかなかの人物だったなぁ・・・

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蒸し暑い一日 

2014/07/12
Sat. 08:17

石見銀山の谷は1日中蒸し返して、薪造りの作業も30分ともたない。
午前中からはじめて午後の遅い時間まで、頻繁に休憩をはさみながら大汗かいて仕事をして、結界君であと2往復すれば栄泉寺谷がおおよそきれいに片づくまでになった。

夕方から浜田での現代彫刻小品展開催に向けて最後のミーティングをした。
参加人数総勢6名が、多いか少ないか見解の別れるところだろうが、何日も前からメールで出欠を確認していた吉田としては出席率の良い方だったと思っている。
今回の議題のほとんどはワークショップのこと。
講師にお願いした彫刻家は色々はり切って準備をしてもらっている。
準備チームのチーフをノリちゃんが引き受けてくれた。
あとは、搬入の当日までに指定場所へ必要なものが集まっていれば、それも一緒に搬入することになる。
彫刻や展示台などの運搬チーフは吉田が老骨にむち打つ。
約2日間かけて保管倉庫から浜田の会場へ移動する。
美術館での搬入展示作業チーフはストウさんが松江から駆けつけてくれる。
島根の西部に散らばる出品者も手伝ってくれる。

のんびりとした「しまね時間」はいまだに継続中で、タイトルが決まっていない作家や、只今制作真っ最中の作家までいらっしゃって、吉田オヤジは連日けっこうなスリルを味わいつつ、軽快なpopを聴きながら印刷データをまとめたりして粛々と事務処理を進めている。

抗生剤と鎮痛剤のお世話になりながら少しずつ猫バトルのダメージから立ち直りつつあるクロが、ときどき吉田家中のアチコチをウロウロしはじめて、書斎の天井裏へ入り込んだりして大騒ぎを再開している。
キーボードを叩いていると、その上に天井のゴミがパラパラと落ちてくる。
まったくどうしようもなくマイペースで動き回っている。

石見銀山はこのところ連日のように30度を越える暑い日が続いている。
ネコチャンズの行動を見ていると、彼等は上手に涼しい場所を探して思い思いにゴロリと横になる。
さすがに人間は見た目の常識的立場のこともあるから、猫と同じようなわけには行かない。
そこで、最近のオヤジのささやかな癒しタイムがワイフ帰宅前の行水。
1日の汗をざっと流して、その時々のバックミュージックを聴きながら常温30度前後の風呂に浸かる。

とろけた脳みそが少しばかりシャキッとする。
湯船の淵をクロが上手に歩いてオヤジを見下ろしてくる。
「・・・前足をぐにゃりと前へ出したと思う途端ぼちゃんと音がして、はっと云ううち、ーやられた。・・・」
漱石さんの「吾輩は猫である」の一説が脳みそを通りすぎた。

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布施のご縁 

2014/07/11
Fri. 08:15

大騒ぎになっていた台風が千葉県をかすめて関東の東海上ぬけようとしている。
石見銀山の谷は比較的風の当たりが強くないので、大風の被害はそれほどでもないが、谷が狭いこともあって大雨には弱いところがある。
世界遺産に登録が決まったあたりから急ピッチで防災工事が進んで、側溝や暗きょの改修が行われた。
その時は一見災害に強くなったように思われたが、相次ぐゲリラ豪雨や豪雪の異常気象には抵抗力が弱いとわかって、町民の間では自治会ごとに自主的な防災計画をたてて豪雨対策や防災訓練を実施したりしている。

銀山川を中心にV字型に切り立った斜面のわずかばかりの平地へ町並みが続いているから、銀山川の水量が増すと町内の各所で浸水被害が起きる。
今度の台風も大雨が降るという情報だったので、吉田家のある自治会でも数日前から危険個所を点検したりしていた。

「吉田さん、栄泉寺谷の木を切ったんだけど薪に使うんだったら持っていってええよ」
「吉田さん、台風で栄泉寺谷の木が押し出される前になんとかならんかね」
よりによって、台風の来る前に谷へせり出したのり面の木を檀家さんたちが切り倒してしまったらしい。
何処かの業者さんへ依頼したのだろうが、切った木はそのまま谷の中へ倒してあったりして、大水が出ると一気にその丸太や枝木を町並みの側溝へ押し流してしまうことになる。
近所の人たちは吉田家に薪ストーブがあることを知っていて、台風のこともあるからこれさいわいに声をかけてきたわけだ。
吉田としてはタダで薪を頂けることでとてもありがたいことなので、台風通過予定日の2日ほど前からコツコツと栄泉寺谷の片づけを始めた。

石見銀山の谷全体がなんとも我慢できないほどの蒸し暑さで、チェンソーをふるう身体に溜まった汗と熱がツナギの中で逃げ場を失っている。
フラフラになりながら結界君で数回にわけて刻んだ丸太を運んで片づけたが、台風が来る前に仕事がなかなかはかどらないまま日が暮れた。
いいかげんな仕事で人災にでもなったら吉田の責任になりかねないし、ビクビクしながら台風通過を待った。
結局大騒ぎをした割に雨風ほとんど関係なくて緊張の糸が切れて、夕ご飯は思わず麦とホップを飲みすぎてしまった。

まだ薪は半分以上栄泉寺谷のあぜ道に残っている。
雨の様子を見ながら片づけるつもりだ。
万善寺の和尚さんが栄泉寺の御下がりを頂くことになる。
布施のご縁を噛みしめながら今日は午前中に栄泉寺のご住職をたずねようと思っている。

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田舎事情 

2014/07/10
Thu. 08:52

現代彫刻小品展の準備をしながら七日務めを続けている。
そういう状態だから余計早く感じられるのかもしれないが、気がつけば五・七日の35日になっていた。
おつとめが終わってふりかえると、私とほぼ同年で亡くなった一人娘さんを忍んで、残されたおばあさんはまだ涙がにじんでいる。
娘さんのご主人は久しぶりのなのか日参席で焼香をしていただいた。
あまりこういう宗教がかった仏事に感心がなさそうに思う。

そろそろ49日も近いしご主人もいらっしゃって都合がいいから、法事のお話を持ち出してみた。
「49日が終わったら近い身内で散骨をすることにしまして・・」
ご主人が唐突に話をきりだされた。
少し面食らったが、わかるような気もする。
一人娘さんに先立たれて孫もいないし、家が絶えることも分かっているのでおばあさんも納得していらっしゃるのだろうが、やはり心の何処かに積年の思いがわだかまっていて釈然としないものを感じていらっしゃるようにも見受けられた。
坊主としては、もう少し早く話をもらっていたら塔婆書きの心配もしないで良かったかもしれないと、チラリとそんなことを思ったが、それもことの成り行きで仕方のないことだし、早い時期の良い機会を見つけて御炊き上げをしようと決めた。
万善寺の近年の過去帳にお墓の無い戒名を記載するのははじめてのことになる。
東堂さんの現役時代にはなかったことだ。

お葬式の時から異例ずくめでお付き合いをしているので、いく先々で根掘り葉掘り質問攻めに遭う。
田舎の風通しの良さがかえって暮しにくくもなっていて良し悪しの観がある。
坊主としては、世間の井戸端話にお付き合いもできないから、適当にあたらずさわらず聞かれたことにだけシンプルに摘んで事のいきさつをお話ししている。
古い檀家総代さんからは「そんなことじゃぁこまる」といわれることもあるが、要するに檀家の出来事は総代も心得てそれなりに対処しなければいけないと、そういう役目の義務感を持っていらっしゃるのだろう。
あちらもこちらもあたらずさわらずお付き合いを続けることはなかなか骨の折れることだ。
いずれにしても近い将来、万善寺のお檀家さんが一軒絶縁となる。

七日務めが終わってから三瓶山を迂回して大田市の東側へ出た。
とみやまカフェでワークショップをさせてもらったことで少しずつ心安くなっているセンター長さんと久しぶりにお話をしておこうと思ったからだ。
アップダウンのカーブが続く道中を、車検をパスしたドック帰りの結界君がけなげに走ってくれて予定の時間にギリギリ間に合った。
少しばかり先の展覧会の計画をメモしたものを渡して説明をさせてもらった。
上手くいけば年末に〆切の次年度助成金申請に間に合うかもしれない。
感触としてはそれなにで、山道を走破した燃料代もそれほど無駄になったとは思えなかった。

色々おはなしをさせてもらったので、今日はこれからお昼までに草案のまた草案くらいがまとまると良いなぁと思っている。
明日は浜田での現代彫刻小品展関係でささやかなミーティングをすることになっている。
その時に少しばかり今度の話もさせてもらって、参加の皆さんの意見などを聞かせてもらおうと思っている。
幾つかある提案のひとつ・・・覚書として・・・
「棚田 イカス!プロジェクト」・・・どぉかなぁ〜〜
地元の皆さんが本気になってくれるとなかなか面白いイベントになりそうな気もするが・・

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久々に吉田家のこと・・・ 

2014/07/09
Wed. 08:06

私とワイフの間には4人の子供がいる。
たしか、結婚して二人で2~3年遊び暮らしているうちに長男が生まれて、それからさみだれに3姉妹が生まれた。
どんなに暮らしが大変でも、自分のやりたい事を我慢しなければいけなくても、子供はたくさんいた方が良いと思っていたので、ワイフが次々と子供を生んでくれるたびになんともいえない幸せを感じていた。

子供が大きく育つまでには、想像も出来ないいろいろなことがあって、一人ひとり全部ちがっていて、その時は大変だとかイヤだとか思ってイライラして落ち着かなかったりしたこともいっぱいあったが、今ではとてもいい思い出になっている。
風邪を引かせてしまって鼻がつまって横になると息が出来なくなって夜通し泣き続けた子供をだっこして座ったまま寝たりしたことも何度かあって、それも今ではなつかしい。
誕生日などの節目の行事や家族そろって小旅行など、楽しい事もいっぱいあったが、結局子供達をダシにして親が楽しんでいた事がほとんどだったような気がする。

今は末娘が高校の3年生になって立派な大人??になりかけているから、もう少しで吉田家は夫婦の二人暮らしが始まる事になる。
長男を起点にするとそろそろ30年子育てを続けている事になる。
私の成長時代は日本の高度経済成長の波に乗っていて、学生の後半から就職や結婚を考えはじめた頃はバブルの全盛期だった。
一人暮らし前半はけっこうその日暮らしで大変なこともあったが、ワイフとつき合い始めた頃は、学生の分際で何もしないでも仕事の方からやってきて生活に困る事もなかったし、はっきりいって現在の数倍の月収を稼いでいたこともあった。
そのまま東京でアルバイトの延長で何処かの会社に潜り込んで就職していたら島根に帰る事もなくてリッチな暮らしをしていたかもしれない。
幸か不幸か、私の場合は万善寺の事もあったし、当時まだ50代の前住さんが大病に苦しんで難しい手術を何回も続けていた頃だったから、仕方なく選択肢もないままワイフと結婚して島根に帰ったところもある。

自分の回りが常に目まぐるしく変化を続けてキラキラ輝いていた社会から、自分の目標など全く意識できないで1日の刺激がほとんど感じられない動きの無い島根の田舎に生活の拠点が変わった時は、ほとんど自分を見失いかけていた。
そんな時にじゅん君が生まれてなっちゃんが生まれた。
ワイフは二人の子供の世話で大忙しだったから、それを横目で観ながら彫刻制作のベースをじっくり考えて育てることができたことが良かったと今では思う。
ノッチが生まれると前後して計画をはじめた最初の個展は、しばらくして実現が見えはじめ、数年後の冬になってスタートした。
昼の仕事が終わってから車で30分ほどの個展会場へはノッチを連れてよく出かけた。
その後、個展が縁で移住した石見銀山では、彫刻制作の仕事のすぐ隣でノッチがヨチヨチと遊んでいた。
じゅん君が野良の子犬を連れて帰ったのもその頃だった。
現在全校20名の大森小学校は、なっちゃんの学年だけが同級生4人と少なかったが、まだまだ大勢の小学生で賑やかだった。
そのうちノッチも小学生になって近くの中学へ通う頃には、なっちゃんが親離れをして一人暮らしで自立した。
それが刺激になってノッチが石見銀山の家を出た。
それからキーポンと私、時々ワイフへ犬の散歩が回ってきた。
私も高校生から一人暮らしを始めたから、子供の自立は早い方がいいと思う。
そう思いながら、末娘のキーポンはいまだに私のシュラフに潜り込むからなかなか子供は親の思うように育たない。
それがまたリアルで良いところもある。

一人暮らしをはじめてそろそろ10年近くなるノッチの周辺が少し前から急に大きく変化しはじめた。
思春期の多感な時期のほとんどを一人で悶々としながら乗り切っているから、今回もまぁそんな感じでなんとかなるだろうと思っているが、そうはいってもまんざら無視を続けるわけにもいかない。
やはり娘のことだから多少気になるところでもある。
現代彫刻小品展の開催も近いし、暇にしている割に色々心配もあって気が抜けない。
ノッチも色々思うところがあるのだろう。少し前にこんなことをつぶやいていた・・・

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
8年前に実家出てからだいたい1年に3日くらい父さんに会って、1年に1日くらい母さんに会って、
平均寿命まで生きてくれたとしても、あと約20年くらいしかない訳で、
そしたら合計で100日も両親に会う機会がない訳で、、、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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現代彫刻小品展準備状況報告 

2014/07/08
Tue. 09:02

巨大台風の影響だと思う。
めちゃくちゃ蒸し暑い。
久しぶりに日本海をみながら9号線を走っていると、気持ち悪いほどの凪。
南からの陸風の影響で波が立たないのかも知れない。

業者搬入の彫刻が石見銀山の現代彫刻小品展事務局へ届いたので、展示台を保管している倉庫まで運んだあと、タップリ時間をかけて慎重に梱包を開けた。
昨日やっと全ての彫刻を確認して帰宅すると、諸事情で遅刻の彫刻が一箱届いていた。
これから1週間の間にあと二つ三つこういう彫刻が届くと思う。
日頃からしまね時間で暮しているから特にあせっているわけでもないが、今どきの世知辛い社会ではこのような振り幅の広いグレーゾーンでものごとが動いている事の方が貴重になっているかも知れない。

こうして梱包を開けていると、本当に彫刻家一人ひとりの彫刻に対する気配りややさしさが手に取るように伝わってくる。
きちんと条件が整って展示された彫刻もいいが、搬入の時の作家の息づかいを感じる瞬間もすてがたい。
薄暗い倉庫の隅で、蒸し暑く淀んだ空気の中で、慎重に鋏やカッターナイフを使いながら一人で作業を進めていると、梱包の中から色々なものが出てくる。
手付かずのアサヒスーパードライがひと箱まるまる彫刻と一緒に梱包されていた。
彫刻家のTさんありがとう!ミーティングの白熱した打ち合わせに使わせていただきます。
iさん、美味しそうに香り高いコーヒーとおつまみの詰め合わせありがとう!デスクワークのお供に使わせていただきます。
個展リーフレットといっしょに今年は美味しそうなお茶をいただいたSさん。リーフレットの方はちゃんと会場受付で活用させていただきます。お茶の方は石見銀山の会場で使わせていただきます。
などなど・・各種おこころづかい感謝です!

石川のOさんには何時も頭が下がる。
搬入搬出の経費自己負担の上にあれだけの行き届いた気配りをされると恐縮してしまう。
陳列用の作業手袋に搬出用の荷造りピーピーロープ一式まで入っている。
他にも、MちゃんやKさんから賛助金の金一封が振り込まれていた。
出品料を頂いている上にありがたいことだ。

現代彫刻小品展も今年で5年目を迎える。
彫刻出品をしていただいている作家の皆様のおかげがあってここまで続いた。
彫刻文化不毛の地に近い島根の片田舎にはもったいないほどの彫刻展になっていると思う。
まずは浜田での開催まであと少し。
日頃の軟弱オヤジも気を引き締めて乗り切らなければいけないなと改めて緊張している。

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健康の代償 

2014/07/07
Mon. 08:45

少し前の事になるが、恒例東堂さん通院のお供で1日を過ごしてきた。
まだあのころは梅雨の晴れ間というか空梅雨というか、あまり梅雨らしい雨も降っていなかった頃で、万善寺の赤来高原の方も湿気のない爽やかな日だった。

90歳になっておかみさんは益々活発に口と頭が動き、それに反して身体の身体能力はどんどん低下してきている。
東堂さんは聞こえない耳でそんなおかみさんを気遣ってヨチヨチとかいがいしく庫裏のアチコチの用事を片づけたりしている。
その上に、自分の着替えや入浴やひげそりなどだいたいの日常生活を続ける事が出来ている。
世間的にみても健康的な高齢者生活をおくっていてくれていると思う。

こんな暮しぶりの二人だから、特に病院の定期通院も必要ないと思っている。
日本の医療福祉は年々濃密に融通の利かないものになってきているような気がする。
というより、低所得者層への医療福祉が常識的に厳しすぎると思う。
任意保険に加入もなく、国民年金の受給しかない年金暮らしの高齢者にとって、通院ひとつとっても、自宅を出る時から自宅に帰るまでに支出しなければいけない必要経費は相当な負担になる。
家族身内で支えるにしても、各家庭の暮らしもあるからなかなか厳しいものがある。
昔のように、1回診察をして病状がわかるとあとは定期的に薬をもらってそれで済ませることが出来ればとても助かるのだが、最近はそれが出来ない。
ヨレヨレの高齢者に対しても薬が切れる前に診察を受けるための通院を容赦なく指定される。

一見手厚くもてなされているように見える医療福祉も、私から見ると贅沢も我慢してコツコツためた個人の貯蓄をどんどん絞り取られているように思えてならない。
先日の東堂さんの通院が正にそうだった。
「血液の数値も正常範囲がほとんどですねぇ・・日常の生活で気にされる事も特にないでしょう」
・・・だって・・
健康であるという事を診断してもらうために通院しているわけだからおかしな話だ。

イラク情勢悪化原油高騰で相棒の結界君も悲鳴をあげている。
何もしないで自宅にとじこもっていても高熱水費がかさむ。
仕事道具一式抱えて近所の図書館で1日中こもっていた方がお得な気がする。

車検でドック入りの結界君の検査結果が出た。
かなりのダメージがあるようだ。
中古にむち打って東京往復したりして1年で3万キロ走っているから仕方のない事かも知れない。
現状では車検を通らない部品の交換が数箇所。
タイミングベルトの交換年数がリミット。
この2つが大きな支出になる。
日夜けなげにオヤジのハードワークに絶えてくれているし、見放すわけにもいかないだろう。
それに東堂さんの通院お供も当分のあいだ続きそうだし・・・

そうそう・・・内弁慶猫のクロもいた。
自分から意気がって喧嘩をしかけて返り討ちに遭って、ウンウンうなって結局は抗生物質やら鎮痛剤のお世話になっている。

こんなことばかりで、週も変わった早々から気持ちも萎える今日この頃であります。

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かもめんたる 

2014/07/06
Sun. 09:13

現代彫刻小品展事務所・・(ようするに石見銀山の吉田家四畳半のことだが)・・で午前中彫刻の出品申込書を整理して出品作家のデータをまとめたところ、43人の彫刻家の皆さんに参加していただく事になった。
20代の作家が激減したかわりに80代、90代で現役のご高齢作家が元気よく制作出品していただいて、梱包を開ける事が楽しみになってきた。

お昼を過ぎたあたりから久しぶりに梅雨らしく蒸し暑くなってきて、どうもこの様子だと雨になりそうな感じだったので、まずは早いうちに搬入場所の事務所から倉庫へ彫刻を移動する事にした。
結界君が2往復がんばってくれてひとまず移動完了。
梱包の中から音が聞こえるものやグラグラ箱が揺れるものは中の彫刻が心配なので、まずはその辺りから開梱包する事にした。
蒸し暑さで額の汗がポトポト落ちるから、作品にシミを付けないように注意しながらゆっくりと作業を続けた。
あまりはかどったとはいえないが、ひとまず確認した限りでは破損事故は見当たらなかった。
いつものことだが、こういう時が一番緊張もするがワクワクもする。
梱包の工夫や同封の指示書きなどにそれぞれの彫刻家の性格が見えてきて実に楽しい。
秘かに、この彫刻を梱包した状態で展示したいと本気で思ったりするくらい楽しい。
この至福のひと時のお蔭でここまで現代彫刻小品展を続ける事が出来ているといってもいいかも知れない。

気がつくと夕方になってキーポンを迎えに行く時間が迫っていたので、ひとまず切りの良いところでその日の作業を終わらせた。
半夏祭りの夜はお笑いコンビのライブが旧国鉄バス赤名駐車場跡の特設ステージで開かれるので、それに間に合うように準備して吉田家の家族とキーポンの友達も一緒に出かけた。
案の定、昼の蒸し暑さが雨になって、石見銀山の自宅を出発する時はやむ気配もなく結構しっかりと降り続けていたが、中国山地を登る途中から道が乾きはじめてきたので、梅雨の半夏としては好条件の夜になった。

屋台を物色し、夕食代わりの焼き鳥などつまみながら生ビールを堪能した。
時間がきて特設ステージに今回の特別ゲストお笑いコンビ「かもめんたる」登場。
テレビを見ないオヤジは始めて見る二人だったが、一人は広島の出身らしい。
それなりに堂々としたステージで楽しかった。
30分がアッという間に過ぎた。
午前0時近くになって帰宅。
あれこれバタバタしていたらキーポンがオヤジのシュラフに潜り込んでいる。
こうなるとテコでも動かない。確信犯だ。
オヤジは結局朝までシュラフから身体半分はみ出た状態で寝る事になった。
何となく疲れた1日だったけど、それなりに心地よい疲れだった。

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1年ぶり 

2014/07/05
Sat. 08:56

石見銀山で暮しているオシャレな夫婦が声をかけてくれて、ほぼ1年ぶりに三瓶山のきっ川へジンギスカンを食べに行った。
「三瓶山へ行くから部活はやめに切り上げてくれ」とキーポンに頼んだらいまひとつのり気のない曖昧な返事だったので、「ジンギスカンなんだけど」と付け加えると、案の定とたんに食いついてきた。
定刻に学校の駐車場へ行ったらキーポンも珍しく定刻にやってきた。
いつもだったらその時間から45分くらい過ぎないと学校から出てこないのに、まったくゲンキンなやつだ。

夕方の三瓶山は梅雨空の霧にかくれて見えない。
途中の坂道も急に視界が悪くなったりして絵に描いたような山の天気になっていた。
きっ川のジンギスカンは地元では有名で、遠くは広島の方までファンが広がっているらしい。
島根県との県境近くにある万善寺のお檀家さんも知っていて、斎膳の席で話題に上ったりする。
肉は分厚く角切りされていて、そのあたりのスーパーで見かけるマトンとは全く違う。
生ビールは今どき珍しい昔ながらの大ジョッキが残っていて、その大きさがなんとも懐かしい。
もうかれこれ1年ぶりくらいだったのに、店のおかみさんは私の顔を覚えていてくれた。

誘ってくれたご夫婦の旦那さんが誕生日だったので、鉄の彫刻家の造った鉄のクラフトを見つくろってプレゼントにした。
奥さんも一緒になってまあまあ喜んでくれたようだ。
石見銀山の近所で住み暮しているのに、なかなか会話がないまま過ぎていた月日が一瞬で縮まる。
年々こういう付き合いから遠ざかっているところもあって、おたがい歳をとるとそんなもんなのかなぁと納得してしまう。

このジンギスカンの会には私と同い年のオヤジがいつも加わっている。
今キーポンが弾いているアップライトのピアノは、そのオヤジの家から移動してきたもので、屈強の大人が4人くらい手伝ってくれてやっと吉田家リビングの今の場所へ運び入れた。
高校3年生になる今まで、もう10年以上使わせてもらっている。
時の過ぎるのは早いものだ。
そのピアノもあと1年もしないでまた次の場所へ移る事になるだろう。

考えてみると、彫刻を造っている仲間でもそうしょっちゅう会っているわけでもないし、だいたいが年賀状のやりとり程度ですませている付き合いが圧倒的に多い。
ひとの付き合いなどせいぜいその程度のことで過ぎていくのだろう。
だからといって別に寂しいとも思わないし、改めてどうこうする事もないが、1年に1回くらい巡ってくる彫刻展は、それなりに自分への刺激にもなるし、出来上がった彫刻からかもし出される作家の容姿や過去の出会い付き合いなどが思い出されたりする。

今夜は万善寺のある赤名高原で半夏祭りがある。
天気が良ければ花火があがって吉本のお笑いや地元の神楽などのイベントもあって赤名の町並みへ出店屋台がずらりと並ぶ。
即席のビアガーデンも出来るはずでオヤジはそれを楽しみにしている。
そもそも「半夏」は仏教用語のようなもので90日続く坊さんの夏安居期間中の中日に当たる日をいう。
私のような末寺の在家坊主は、夏の90日間修行三昧も出来ないから夏安居とは縁がないまま毎年が過ぎていくが、こうやってナンチャッテ坊主がジンギスカンや生ビールに花火見物などで浮かれているあいだに、エリート修行僧の皆さんはとても大切な期間を過ごしていらっしゃるわけだ。
七夕も元をいえば仏事行事で、縁側に作った即席の祭壇棚へ幡を飾ってご先祖の精霊を迎える供養仏事から始まったもので、だから「棚幡」と書いたりも出来て盂蘭盆会の行事ともいえる。
まぁ長い日本の歴史の中でいろいろあって、例のあの伝説と合体などして今のように賑やかな七夕祭りになったものだ。

ことの大小公私いろいろあるが、自分の気持ちの切り替えや戒めや思い出にもなるし、1年に1度の節目行事は出来るだけ自分の都合で外さない方がいいなあと思う。

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人生色々 

2014/07/04
Fri. 08:28

「吉田クロちゃん大きくなりましたねぇ〜」
体重計ってクロのデブ具合がバレてしまった。
前回のワクチン接種で通院の時から1kg太ったようだ。

どうも歩き方がおかしくなってくるし、人間に触らせなくなって、こちらがしつこくするとシャァ〜シャァ〜牙をむき出してくるし、やっぱり先日の猫バトルでお尻の辺りを負傷したようなので病院へ連れて行った。
オヤジに似て内弁慶のチキン猫は外に出るとビビる。
病院の待合室でもキャリーケースの中でビビリ上がってピクリとも動かないでいた。
そのほうがこちらも色々楽なので助かるが、さすがに診察台に乗せてドクターの診察が始まったら傷口の痛さに絶えられなくて大騒ぎを始めたので、急きょ洗濯網に入れられることになった。
なかなか負傷箇所が見つからなかったが、結局お尻の少し上のシッポの付け根あたりで傷口が開いているらしい。

抗生剤と痛み止めを注射してもらって、飲み薬をもらって様子を見る事になった。
それから2日目の朝・・・
久しぶりに朝も早くから起こされた。
キーポンの試験週間で睡眠不足気味だったのもやっと落ち着いて朝寝をむさぼっていた所だったのに・・・
薬のお蔭でいつものクロのわがままが甦ったようだ。

今朝もそんな感じでまだ暗いうちから朝食をせがまれて起こされて、もうろうとしながらご飯をやったりして二度寝に入った。
昨日に続いて梅雨らしい雨模様の石見銀山の朝は結構冷え込んでいる。
夜が明けはじめて周囲が少しずつ明るくなりはじめてからシュラフに潜り込むと、隣でキーポンがiPhoneを握りしめて寝ている。
そういえば、昨夜夕食後にYouTubeをのぞいていたら勉強する気配もないキーポンが隣へ擦り寄ってきていた。
そういう都合の良い所はネコチャンズによく似ている。

昨日のこと・・・
珍しく1日中夕方まで雨が降り続いていた。
その雨の中、昼過ぎになって改良衣に着替えて石見銀山の自宅を出発した。
坊主の手間替えで万善寺近所の臨済禅寺大般若会の法要お手伝いをした。
その禅寺は寺務の経営がなかなか上手で、ご住職の長男次男とも修業を積んでそれぞれ立派な寺のご住職になって独立していらっしゃる。
最近の寺はほとんどが世襲になって名字が引き継がれているから、そのお寺もいずれは兄弟のどちらかが兼務か何かで引き継いでいかれる事になるのだろう。
ジリ貧の万善寺とはえらい違いだ。
法衣も立派なものでパリッとしていらっしゃるし、そこからして万善寺がみすぼらしく見える。
私個人としては別にだからどうこうとも思わないでいる。
東堂さんとは10㎝くらい背の高さが違うから、そのお下がりというかなんというかとにかく引き継いだ法衣を着るとスネが着物の裾から出てしまって、それに足袋をはいた姿は我ながら滑稽にみえる。
さすがに毎回洗濯の白衣はそういうわけにいかないから、中国製品の3000円くらいのを通信販売で買い足している。
中身もそれほど偉くもないいいかげんな坊主だからそのくらいの値打ちでちょうど良い具合だと思っている。
来年は、同宗のお寺で晋山式がある。
現住職の老僧から息子さんへ世襲で住職交代されることになる。
その式のために、お檀家さんはてんやわんやだという。
当事者ご住職の老僧さんがなげいていらっしゃる。
「知らんうちにみんな一緒に歳とってしもぉ〜とって、どうもこうもなりゃぁせんけぇ〜」
総代さんは広い家に独居暮し・・
デイサービスのお世話になっている・・
世代交代で寄付が集まらない・・
などなど・・・
「そがぁ〜ゆうても、なんもできんゆ〜わけにゃぁいけんけぇ〜、法衣の新しいヤツは買ぉてくださいやぁゆうとるが・・・まぁ昔と違うとってやれんがぁ〜〜」

今の世の中、なんもかんも金・金・金・・・
お布施に「領収書頂けますか?」と平気で催促される事もある。
布施の功徳の真意など何処かへ消えていってしまいましたなぁ〜。

夕方になって石見銀山へ帰るとまだ雨がパラついていた。
負傷中のクロが傷をかばいながら薄暗いリビングのピアノの角へ鳥が止まるように座っていた。
なんとなく痛々しくも見えたが、可笑しさが勝った。
どうせ貧乏が変わらないなら気楽な俗暮らしの方が良いなぁと、坊主にあるまじき不謹慎な思いがフッととろけた脳みそを通り過ぎた。

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知に働けば角が立つ 

2014/07/03
Thu. 10:19

石見銀山は夜半から雨が降りはじめてきた。
たぶんまだ梅雨の期間中だろうから雨降りも当たり前の事だが、それにしても最近の島根県は晴れの日が続いていて、現代彫刻小品展の看板を設置したりしている私にとってはめぐみの晴れだった。

今のところ天が有閑オヤジに味方してくれているようで、続々と到着する彫刻の小荷物を受け取るために事務所の四畳半書斎にとじこもりはじめたら雨になった。
石見銀山の谷には珍しくなった水田の稲もこのところの水不足で干上がっていたから、石見銀山ピンポイント万民も多分に救われたことだろう。

7月2日で石見銀山世界遺産に登録されて7年目を迎えた。
行政主導のささやかな記念事業が関係各所で開催されたらしい。
そういえば、たしか世界遺産登録5周年の時に現代彫刻小品展を石見銀山で開催していた。
ちょうど出雲大社遷宮行事なども進行中だった関係で少しずつ観光客の流入も増えてきはじめた頃だった。
現代彫刻小品展も毎年の事業として開催を継続する事はなかなか骨の折れる事だ。
建前上事業代表の吉田としては、1年の半分をこの彫刻展にかかわって過ごしているようなところもあって、気を抜く事もできないまま今に至っている。
今年は5年目を迎えるし、そろそろ次の面白い事でも考えてみようかなと思いつつ、こうやって彫刻の到着を待っていると・・・
「吉田さぁ〜ん荷物でぇ〜す!」
「ハイハイどぉ〜もぉ〜〜・・」
ほんの1週間の間にクロネコさんや佐川さんや西濃さんや福通さんやらの荷物が50個前後さみだれで届いていて、本日すでに3つ目受け取り終了。

万善寺カレンダーが7月から9月までの3ヶ月版に変わった。
「清能有容 仁能善断」とへたくそな字を書いた。
自分への戒めを込めて「菜根譚」のひと節を頂いた。
くだけて云うなら、
「なにごともほどほどに度が過ぎない程度に適度にゆるく厳しくちょうどいいかげんでいられるということはなかなか出来そうで出来ない難しい事だと思うよ!」
といった感じに解釈している。
あの、漱石さんの草枕の2行目のひと節「知に働けば角が立つ,情に棹させば流される」など、なんとなく菜根譚と通じるような気もする。

人間誰でも良い所もあればダメな所もある。
他人にいわれて気がつくようではダメだね。
他人にいわれて気がついてムキになってしまうヤツはもっとダメだね。
そういうヤツを自分の都合で担いでしまうヤツはもっともっとダメだね。
知らんフリしているのもどうかと思うけど・・・

書斎にこもってpopなラジオ聞きながら文庫本めくりながら彫刻の到着を待ちながらマッタリ過ごしている朝のひとときであります。

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ただいま進行中! 

2014/07/02
Wed. 09:12

何かにつけて人を頼むとか人を集めるとか人の心を掴むとか・・・そういうことはとても苦労するし難しい事だと思う。
だからといって、全部自分一人でなんとかできる事も結構少ないし、結局は気心が知れた近しい方々を頼って何かと無理をいってお願いする事になる。
お願いする方とされる方の立場は、どうしても色々な意味で上下の違いや温度差も出てくるし、みんながひとつになって事を起こし事を進めることのひた向きさを共有する事はハナから不可能な事なのかもしれない。

私の場合、どちらかといえば一人で思考し単独で動く事が多いと思っているから、だいたいの事はまずは一人で何がどうできるかというあたりから考えはじめてものごとを組立てているようなところもある。
そういうふうにすることが、周囲へ過度に期待しない分だけむしろ気楽でいられる。
彫刻の制作や発表もそうだし、万善寺の寺務や作務や仏事行事についても同じスタンスでいる。

石見銀山あたりではその地域で暗黙に機能している「おおだ時間」がある。
万善寺の周辺では「きじま時間」があって、狭い地域ながら隣同士の認識理解感覚が少しずつ違いながら重なり合っている。
その微妙なズレながらの重なりが広がって「しまね時間」なるものを形成している。
まぁ簡単にいえば、1・2の「さん!」でスタートするか、1・2の3・「パ〜ン!」でスタートするかの違いのようなもの。
この程度の誤差は、日常の暮らしのアチコチでゆるやかになんの障害もなく機能している。
吉田一家でもワイフ時間やキーポン時間もあって、もちろんオヤジ時間も存在する。
現代彫刻小品展の出品申込〆切が過ぎて7月になった。
この〆切も、さきの「しまね時間」なるものを念頭に、過去のデータを集積して決めたものだといえば、なかなかの事務処理能力と思われるだろうが、それに知る人ぞ知る「彫刻家時間」なるものも考慮するとなるとこればかりは作家個人の性格の問題になるからとてもそこまで思慮深くものごとを推し進めるほどの能力は吉田にあるはずもない。
結局なりゆきの「カン」というヤツで〆切という最初のハードルを突破している。
そんなわけで、7月に入ってから一気に集計作業を始めた。
今回もまぁまぁの出品点数を確保できそうなのでホッとしている。

ワークショップでお世話になる彫刻家の白石さんから工作見本が届いた。
もう一人の居上さんもいろいろメールでやりとりをして、内容が煮詰まっている。
他に数人の作家へ声をかけていたが、これは音信不通状態が続いて今に至っているから、そろそろ「しまね時間」も限界かなと思っている。

当初、現代彫刻小品展に併設のワークショップのような感じで始めたのだが、助成金を頼るとなかなかそういうわけにもいかなくなって、近年はワークショップに現代彫刻小品展が併設されているような感じになりつつある。
どうも最近釈然としないものがあって、そろそろ今後のいく末を再考する時期にあるのかも知れない。
彫刻家の皆さんへ講師をお願いする事も主催事業の締めつけが厳しくなるとどうかと思う。
せっかくのことだから、楽しく気持ちよく講師を務めてもらいたいし、自分の実績に繋げてもらいたい気もする。
いずれにしても協力を頂いている彫刻家の皆様に失礼がないような展覧会になることをめざして、これから当分の間は眼前の事実と向き合おうと思う。

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2014-07