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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

久々に吉田家のこと・・・ 

2014/07/09
Wed. 08:06

私とワイフの間には4人の子供がいる。
たしか、結婚して二人で2~3年遊び暮らしているうちに長男が生まれて、それからさみだれに3姉妹が生まれた。
どんなに暮らしが大変でも、自分のやりたい事を我慢しなければいけなくても、子供はたくさんいた方が良いと思っていたので、ワイフが次々と子供を生んでくれるたびになんともいえない幸せを感じていた。

子供が大きく育つまでには、想像も出来ないいろいろなことがあって、一人ひとり全部ちがっていて、その時は大変だとかイヤだとか思ってイライラして落ち着かなかったりしたこともいっぱいあったが、今ではとてもいい思い出になっている。
風邪を引かせてしまって鼻がつまって横になると息が出来なくなって夜通し泣き続けた子供をだっこして座ったまま寝たりしたことも何度かあって、それも今ではなつかしい。
誕生日などの節目の行事や家族そろって小旅行など、楽しい事もいっぱいあったが、結局子供達をダシにして親が楽しんでいた事がほとんどだったような気がする。

今は末娘が高校の3年生になって立派な大人??になりかけているから、もう少しで吉田家は夫婦の二人暮らしが始まる事になる。
長男を起点にするとそろそろ30年子育てを続けている事になる。
私の成長時代は日本の高度経済成長の波に乗っていて、学生の後半から就職や結婚を考えはじめた頃はバブルの全盛期だった。
一人暮らし前半はけっこうその日暮らしで大変なこともあったが、ワイフとつき合い始めた頃は、学生の分際で何もしないでも仕事の方からやってきて生活に困る事もなかったし、はっきりいって現在の数倍の月収を稼いでいたこともあった。
そのまま東京でアルバイトの延長で何処かの会社に潜り込んで就職していたら島根に帰る事もなくてリッチな暮らしをしていたかもしれない。
幸か不幸か、私の場合は万善寺の事もあったし、当時まだ50代の前住さんが大病に苦しんで難しい手術を何回も続けていた頃だったから、仕方なく選択肢もないままワイフと結婚して島根に帰ったところもある。

自分の回りが常に目まぐるしく変化を続けてキラキラ輝いていた社会から、自分の目標など全く意識できないで1日の刺激がほとんど感じられない動きの無い島根の田舎に生活の拠点が変わった時は、ほとんど自分を見失いかけていた。
そんな時にじゅん君が生まれてなっちゃんが生まれた。
ワイフは二人の子供の世話で大忙しだったから、それを横目で観ながら彫刻制作のベースをじっくり考えて育てることができたことが良かったと今では思う。
ノッチが生まれると前後して計画をはじめた最初の個展は、しばらくして実現が見えはじめ、数年後の冬になってスタートした。
昼の仕事が終わってから車で30分ほどの個展会場へはノッチを連れてよく出かけた。
その後、個展が縁で移住した石見銀山では、彫刻制作の仕事のすぐ隣でノッチがヨチヨチと遊んでいた。
じゅん君が野良の子犬を連れて帰ったのもその頃だった。
現在全校20名の大森小学校は、なっちゃんの学年だけが同級生4人と少なかったが、まだまだ大勢の小学生で賑やかだった。
そのうちノッチも小学生になって近くの中学へ通う頃には、なっちゃんが親離れをして一人暮らしで自立した。
それが刺激になってノッチが石見銀山の家を出た。
それからキーポンと私、時々ワイフへ犬の散歩が回ってきた。
私も高校生から一人暮らしを始めたから、子供の自立は早い方がいいと思う。
そう思いながら、末娘のキーポンはいまだに私のシュラフに潜り込むからなかなか子供は親の思うように育たない。
それがまたリアルで良いところもある。

一人暮らしをはじめてそろそろ10年近くなるノッチの周辺が少し前から急に大きく変化しはじめた。
思春期の多感な時期のほとんどを一人で悶々としながら乗り切っているから、今回もまぁそんな感じでなんとかなるだろうと思っているが、そうはいってもまんざら無視を続けるわけにもいかない。
やはり娘のことだから多少気になるところでもある。
現代彫刻小品展の開催も近いし、暇にしている割に色々心配もあって気が抜けない。
ノッチも色々思うところがあるのだろう。少し前にこんなことをつぶやいていた・・・

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8年前に実家出てからだいたい1年に3日くらい父さんに会って、1年に1日くらい母さんに会って、
平均寿命まで生きてくれたとしても、あと約20年くらいしかない訳で、
そしたら合計で100日も両親に会う機会がない訳で、、、
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2014-07