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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

一杯の晩酌 

2014/08/14
Thu. 07:54

万善寺へ単身赴任して半月がすぎた。
ジジババが気に入るかどうかは別にして、ほぼ毎日夕食を一品つくっている。
昨夜は、ヘルシーにうどんとそばをゆでて夏野菜を添えた。

健康オタクのおかみさんは、塩や醤油や砂糖や油や・・とにかく身体への影響や効能の独り言を添えて、その割に揚物や煮物に偏ったおかずをよく作る。
もう長いことそういうおかみさんのおかずを食べ続けている老僧は、その中でもさりげなく好き嫌いをチョイスして食べわけているものの、なにかしら限界があって出されたものにまったく箸をつけないこともよくある。

ちょうど3年前の夏は、彼の体調が崩れて、ひと夏持たないかもしれないと真剣に考えたことがあった。
ものを食べなくなって見る見る痩せて足に力も入らなくなってフラフラになった。
診察をしてもらっても、別にこれといって病気の進行もないし、老化による体力の衰えと栄養失調くらいの診断しか出てこないし、結局、夏の2ヶ月のあいだ毎日栄養剤の点滴で通院し、秋風が吹く頃になってようやく少しずつ物を口に入れるようになった。

やはり、固形物を口に入れるということがとても大事なことのようで、体力の維持にはそれが最も効果的であるということがよくわかった。
私は、一杯の晩酌が欲しくなくなったら体調が悪い証拠だと素人診断している。
老僧も似たようなもので、今のところ毎日二人で晩酌を欠かさない。
日頃の暮しぶりから、毎年確実に老化していることは十分判断されることだが、それでも老人なりに体調がいいようだ。

坊主をしていると、ドクターでもないのに日常の付き合いの中でひとの寿命を客観的に計ったりしているところもある。
ちょっとした所作の乱れや、会話の不具合で老化を敏感に感じたりしてしまう。
濃密な付き合いの家族のあいだでは、そういうことも日常のことで気にならないこともあるだろうが、たまにしか会話のない付き合いになると、かえってダイレクトにその時の不調がわかってしまうこともある。
今年も、今まで棚行の先で何軒か新亡のお写真に遭遇することがあった。
昨年まで元気に会話があったひとが故人になっている。
ご家族のお話では、「そういえば、あのとき・・」と、あとになって故人の遺言らしき会話を思い出されることもあったらしい。
日頃のあわただしさの中で、簡単に見過ごしてしまう些細な心身の変化もたくさんあっているのだろう。

自分の欲や立場や財産は墓場まで持っていけるわけでもないし、後悔や心残りに悶々と死ぬより、さっぱりと潔く死ぬことがいいと思う。
適当なところで執着を離れ、きれいさっぱり次代後輩に譲り託すくらいの余裕がほしいものだ。
せいぜい、元気で生きているうちからこういう練習を続けておきたいものだね。

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2014-08