工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

デュオアルバム 

2014/10/31
Fri. 10:07

ワイフは市内の中学校を数校掛け持ちの時間講師をして私にメシを食べさせてくれている。
島根県の教育関係の方々はとても勤勉でお利口で向学心満々なので、いろいろな講習会やら研究会やらが年間を通してたくさん開催される。
時間講師のワイフも時間外の集会に参加したりして多忙に暮している。
そういうこともあって、今朝は自宅を7時前に出かけていった。
キーポンは相変わらずマイペースをつらぬいているから、オヤジも結界君も冷や汗ものだ。
結局ギリギリセーフで遅刻を免れていつものように登校した。

帰宅したらもう何日も乗っ取られているオヤジの書斎に電気がついていた。
朝のドタバタで消し忘れてしまったらしい。
キーポンの勉強道具が散乱して、テーブルには消しゴムの消しカスと紙の切りカスが山積みになっている。
おまけに、敷きっ放しになっている布団の真ん中でクロが丸くなって爆睡している。

オヤジの居場所がどんどんなくなって、今も喜多さんと黒田さんのデュオアルバムをラップトップで聴きながらリビング兼ダイニングテーブルでキーボードをつついている。
人のことは言えないが、吉田家の住人は猫まで一緒になってマイペースに暮している事がこういう時によくわかる。

二人のデュオアルバムは確かすでに2~3枚あったと思うがよく覚えていない。
もう何年も前から様々な音源は全てiTunesで一括管理するようになった。
その関係で、CDをダイレクト再生することも無くなった。
若い頃は、レコードやカセットテープのコレクションにハマっていたし、CDやDVDの時代になっても余裕のあるうちはしばらくそういうことが続いていたが、今はそういうコレクションもまったくしなくなった。
アレコレ見境なく集めていた頃は、それを眺めているだけでも気持ちが高ぶってひとり悦に浸っていたようなところもあったが、今ではそういう感情も薄れた。
それが良いか悪いかはわからないし、人の好きずきだし、どうでも良いことだろうが、無駄にモノが増えるよりはいいだろうくらいのことに思うようになって、歳とともに考えが変ってきたのだろうと勝手に分析している。

そのデュオアルバムがなかなか良い・・・なんて素人のオヤジがエラソォ〜なことをいったらプロのお二人に叱られるかもしれないが、それはさておいてこういう切り口もあったかと思ったし、改めて思い返すと、今までこんな感じで解釈された音つくりに巡り合っていなかったように思えて新鮮だった。
音楽は普通に趣味の好き嫌いで聴いている程度のことだからそんなに詳しくもない。
それでも、なにかしら心を打つというか感動するというか、そういうたぐいの出会いというのはいつまでも記憶に残る。
彫刻も絵画も演劇もドラマも映画も小説も・・とにかくそういう文化的色彩の強い表現には、具体的でない実体のない何かのパワーを感じ取ることの面白みがある。

・・・なんとなく聴いていたらもう1時間近く過ぎていた!ヤバイ!
今日はこれから七日務めと初月忌があった・・・

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彫刻の島根搬出を終わった。
これから日を改めて石見銀山の田んぼへ設置して、冬の間地元の皆様に見てもらおうと思う・・・といっても、誰もほとんど気づかないだろうけど・・・
それでも、錆びた鉄の彫刻に雪が積もったり雨で濡れたり、おのればえの稲の緑とのコントラストがきれいだったり、そういういろいろな変化を自分の目で確かめることが出来る絶好の機会にはなる。
ワイフの石見銀山未発表の野外インスタレーションも一緒に設置しようと思う。
最近は、そういうふうにいろいろな機会を頂いて、地域に密着した発表活動を続けることも大事なことだと思っている。
私など、地元島根の美術館で彫刻発表をほとんどしないし、ちゃんとした発表というと六本木の美術館の野外展示場くらいのものだから、誰もまともに正確に吉田の実態を把握することもないままなんとなく「あの人は彫刻を造っているらしいぞ・・」くらいの認識しかされていないところもある。
まぁ、当の本人が今さらあくせく売名行為をする気もないし、時々の自分の感情や感動をかたちにして表現し続けるその継続こそが何より大事なことだと思っているから、自分の目の届く範囲の広々とした田んぼ展示場で贅沢に半年近くの間彫刻を設置させてもらえるだけでそれはそれはとてもありがたいことなのだ。

そんなわけで、あわただしいままに秋晴れの1日が過ぎて、その夜には坂田さんのライブコンサートへ出かけた。
坂田さんとは坂田明さんのこと。
ベースの水谷浩章さんにも久々に逢う事が出来た。
ピアノの黒田さんは相変わらずの超絶テクニックで鳥肌が立った。
今回のプログラムは、坂田さんの「平家物語トリオ」と黒田さん水谷さんとのベーシックな「坂田明トリオ」を合体させてナンとも贅沢な坂田ワールドが展開された。
しばらくぶりに聴く演奏だったが、坂田さんの現在というか今というか、その円熟味を増した構成の力に引き込まれた。
中盤の説法もなかなか共感した。
ナンチャッテ坊主のつまらん話など比べることも恥ずかしい濃密で奥深い説法だった。
この説法だけを切り取ってCD1枚に焼いたらいいといつも思う。
内容は吉田の心の奥底にしまっておいて、こんど何処かの年回法事で使わせてもらおう。

帰宅したのは11時前だった。
受験生キーポンがテレビドラマを観ながらキャーキャー叫んでいた。
結局彫刻搬出で昼飯抜きのうえに坂田さんで晩飯も抜きだったから結構腹が減っていた。
実はあんまり好きな味じゃないんだけど贅沢はいえないから、ずいぶん前の法事で頂いたお供え物のアサヒスーパードライをあけた。

坂田さんのライブはアサヒビールの主催で無料だった。
〜プログラムタイトル〜
アサヒビールロビーコンサートin島根
美しい日本に乾杯!〜うまい!を明日へ!プロジェクト〜
「もの言わぬプランクトン〜おごれる者も久しからず〜」

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それぞれの秋 

2014/10/29
Wed. 09:14

石見銀山を留守にしている間、四畳半のオヤジの書斎は完全にキーポンと、それに日頃は出入り禁止のクロが乗っ取っていた。
彼女とクロの痕跡が部屋中に散乱している。
久しぶりに吉田家の日常が戻ってきた感じだが、なにかゆっくりと気が休まる雰囲気になれないところは、まだ島根での彫刻搬出作業が残っているからだと思う。

東京から帰った朝は、そのまま溜まった仕事や用事を片づけて石見銀山の周辺をウロウロした。
昼過ぎにキーポンから着信が入った。
ちょうど学校の近くにいたから用事の途中で彼女を拾って、それからアチコチ回って帰宅したら午後のティータイムどき。
昼食がまだだったから二人で遅すぎる昼ご飯を食べて、それから赤来高原へ走った。
自治会の集金を済ませて、老夫婦の機嫌を伺いに寺へ寄った。
山の日暮れが早くなって真横からの夕日が目に眩しい。
このところ、年々というより日に日に老化している老夫婦の挙動を見るのがつらくなる。
子供の私が顔を出すと途端におかみさんがしがみついてくる。
東堂さんは急に男の威厳を取り繕って焦りはじめる。
どう考えても自分がいない方が平和な寺暮らしになっていると思うが、世間はなかなかそういうふうに見てくれないだろう。
厳しいようだが、年寄りが寄り添ってそれなりに工夫しながら元気で暮すには、そのくらいほったらかしにしておいた方がいいと思っている。
変に手取り足取り甲斐甲斐しく接してしまうとどんどん甘えて何をするにもまずはそこから物事が始まるようになる。
あれだけ訪問介護を拒否して嫌っていた二人が、この2年の間に手のひらを返したように甘えてすがりついている。
職員はそれが仕事だから面倒がらないで丁寧に接してくれる。
老夫婦にはそれが何より助けになっている。
行商の魚屋さんの訪問もそうだ。
1ヶ月にするととんでもない額の買い物をしているが、結局は老夫婦のプライドを守る保証のようなものだ。
親子の関係ではお互いにとてもそこまで辛抱できない。
他人だから出来ることで、お金の代償があるから出来ることだ。
日暮れの眩しさがおかみさんの顔を容赦なく照らす。
延々としゃべり続けるおかみさんの話を背中で聞きながら結界君に乗った。

帰宅すると玄関が真っ暗だった。
四畳半の書斎はオヤジの布団が敷きっ放しになっていてキーポンが爆睡している。
受験が近づいて進路に悩んでいる様子がうかがえる。
それでもあいつは頑固だから自分で勝手に思い詰めて相談もかけてこない。
なるようにしかならないことだし、私自身そうやって今まで生きてきた。
我が子のことだからだいたい事情がわかる。
親の都合だけですますわけにもいかないし、勝手に自分の都合で逃避するわけにもいかないからむずかしい。

六本木の彫刻展は、なかなか都合よく一区切りふんぎりがついて良い節目になった。
身内のことでいろいろあるものの、それはそれぞれお互い様で避けて通ることにもならないから、1年に1回くらいは自分の思うようにやりたいことが出来ていればそれだけで少しの救いになることがわかったような気もする。
これから先いつまで続けられるかわからないが、とりあえずはなにかしら踏ん切りがついた感じで、それがわかっただけでもちょっとすっきりしたかな。

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霜の朝 

2014/10/28
Tue. 09:49

高速バスが、定刻より20分程度遅れて広島県の県境の町にあるバス停へ着いた。
前日の彫刻展搬出日は、朝から気持ち悪いほど温かくて、熱く燃えるオヤジは周囲の視線を無視して終日場違いに半袖のTシャツで通した。

搬出作業は比較的スムーズに過ぎた。
搬入のように神経を使うこともなくて、その上搬入の4トン車から11トン車へトラックが大きくなって、やたらと贅沢なスペースに、彫刻たちも伸び伸びと納まった。
全国からやってきたいつもの彫刻仲間ともまたしばらく疎遠になる。
再会を約束して三々五々解散した。

今年の共同搬入は、とても好成績だった。
京都から出品の伊勢さんがついに委員推挙になった。
島根の周藤さんが準会員の最高賞を獲得した。
1台のトラックで共同搬入のメンバーから受賞者が出たりすると、みんなの苦労が報われる。
目出度いことだ。

予定よりずいぶん早く作業が終わって解散した後、周藤さんと打ち上げのビールを飲みながら久々に水入らずで熱く語った。
この勢いでどんどん力作を発表展開してもらいたい。

高速バスの旅でパンパンにむくんだ足の甲を無理やりクロックスへ押し込んでバス停へ降りたら目茶苦茶寒い。
コロコロを受けとる身体がブルブル震える。
やはり世間は10月の終わりだし、中国山地のてっぺんの方はさすがに冷える。
半袖のまま大急ぎで結界君まで走って暖気運転に入った。
フロントに夜露がビッシリとはり付いて視界がゼロだったからワーパーを動かした。
「ザザッ、ギギッ、ウイーン、ウイーン、ウイーン・・」
ナンと、夜露かと思ったら霜がはり付いていた。
ワーパーのゴムに接着剤をつけたみたいに動きがぎこちない。
丁寧にしぶとくみみっちくゴムの寿命をのばしているのに、この一掻きでずいぶんなダメージになってしまった。
霜が溶けるまでというより、身体が温まるまでひたすら待った。
この調子だと街道も何処かで凍っているかもしれない。
注意しながら1時間かけて帰宅した。

クロが玄関口で出迎えてくれた・・・というより、スキを見て脱走しようと引き戸の隙間から駐車場をうかがっていた。
「おかえりなさい・・」
ワイフが普通に出迎えてくれた。
この普通さがいいなぁ・・
これからいつもの運送業者さんのプラットホームで彫刻の受け取りをして全てが終了する。

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プチ同窓会 

2014/10/27
Mon. 09:25

幾つか用事を済ませて田園調布へ向かった。
学生時代の同級生が駅のすぐ近くに住んでいて、そこへ何人かが集まることになった。
同級生といっても、工芸が確か35人くらいで、デザインが45人くらいで、彫刻や建築も似たようなものだから、その中で都合のつく連中が集まったとしてもせいぜい4〜5人だろうと思っていたら、鋳金、鍛金、染織、デザイン・・・だいたい当たっていた。

30年も過ぎると、自分で起業していたり、会社に属していたり、みんなそれぞれいろいろだ。
寺を引き継いで坊主家業におさまっているのは、さすがに私だけだと思うから、異色といえばそうなるのかもしれない。
関東に暮している連中は時々会っているようだ。
私など卒業以来久々にあったわけだから、もう少しなにかしらの感動があるかと思ったが、別に普通だった。
付き合いというものはそんなものなのかもしれない。
学生の時に同級生の一人が事故死した。
今度会って最新の情報では病気で一人死んでいて、散々飲み食いしたあと帰りがけに、お仏壇の隅で笑っている遺影へ線香をあげて一声お経をあげておいた。
みんなしんみりしていたようで、そろそろそういう年齢になったということかもしれない。

今度のあつまりは、どうやら私が東京へ出かけるからということで決まったらしい。
制作を続けていることぐらいが取り柄という程度のくたびれたオヤジのためにわざわざ集まってくれてありがたいことだけど、なにかどことなく気恥ずかしい。
帰りの電車は酔っぱらっていてよく覚えていないまま、ちゃんと新宿までたどり着いていた。
スイカのおかげだと思う。

昔のことをいろいろ思い出した。
中野坂上で神田川の近くのアパートへ入り浸っていたこと。
祖師ケ谷大蔵の喫茶店の髪の長いきれいなオネエサンのこと。
梅ヶ丘駅前の本屋さんのこと。
福生のもと米軍ハウスで大騒ぎしたこと。
恋ケ窪のアパートで雑魚寝暮らしをしていたこと。
南台の酒屋の二階で暮していた時にはじめて電話を引いたこと。
方南町にあったステーキハウスの分厚いバカ安ステーキ。
それに上野界隈、谷中、千駄木、日暮里、根津・・・田無のフグ鍋屋のおじや。
明大前ではネコのタマが電気ごたつの中で三匹の小猫を産んだ。
そのすぐ後だったか・・・その頃からワイフが時々やって来るようになってだんだん親密になった。
私のつまらない話を辛抱強く聞いてくれていた。
10年間の東京暮らしだったが、過ぎてしまえばアッという間だった。

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東京の朝 

2014/10/26
Sun. 10:04

高速バスが珍しく快調に走って、いつもより30分も早く新宿のアルタ前に着いた。
新宿駅南口の開発工事で、この近年バスの発着場がコロコロ変る。

それでアルタ前からコロコロを轢いて西武新宿線のホームまで歩いた。
早朝だというのに東京はすっかり目覚めている。
急行に乗り込んだら女子高生がシートにもたれて眠っていた。
いつもだったら吉田家のキーポンはやっと起き出して朝シャワーを浴びはじめた頃だが、今日は日曜日だからまだ爆睡中だろう。
都会と田舎(というより、キーポン)の勉強事情がここまで違う。
吹奏楽の大会が終わるまでは土日休日関係なく毎日登校していたキーポンが、受験生になってから以降日に日にだらしなくなっている。
なにかしら目標を失ってしまったのだと思う。
親の稼ぎがないから、どうしても希望の選択肢が制限されてしまって、それも仕方のないことなのだが、親の都合で動かざるを得ない本人の事を思うとどうしても一歩踏み込んで進路を押し売りし難いところもあってオヤジの気持ちが萎える。
自分が受験生だった頃は、もういずれは坊主になるしかないと散々云われつづけて受験勉強をしていたから、かえってその反抗と反動で腹が据わっているところもあった。
「やりたくないことはしない!いきたくないところはいかない!」
とにかく、その一念をたよりに、ひたすら脇目もふらずデッサンをくり返していた。
きーぽんは、なかなかそういうわけにもいかない今の学校社会の事情があるだろうから、
「お父さんの場合はなぁ〜」などと軽率に昔話を持ち出すこともはばかられる。
ボンヤリ思っていたら上石神井でその女子高生が降りた。
続いて自分もコロコロを引っ張って降りた。
各駅停車に乗り換えて、その女子高生は1つ目の駅で降りた。
部活かなぁ、勉強かなぁ・・・いずれにしても真面目そうな娘だった。

それから幾つめかの駅のホームに降りて階段を上がって降りて交番の前をすぎて青梅街道へ出るといつものガスタンクが視界に入った。
この近年、1年に1度はお仏壇のお参りも兼ねてワイフの実家へ寄るようにしている。
石神井川にはまるまると太ったカルガモのつがいが数組くつろいでいた。
このあたりの風景は昔と変らない。
ワイフと結婚する前からずいぶん何度も通った場所だ。
彼女の実家のすぐ隣は20年ほど前まで金型の鋳物工場だった。
お父さんの清さんはまだ元気で金型工場を経営していた。
隣近所にもけっこういろいろな町工場や製作所がひしめいていた。
この20年で、全てがワンルームマンションと建て売り住宅に変った。
ワイフの実家も清さんが病気で亡くなってからいろいろあって工場をたたんで昨年から今年にかけて工場を整理した。

界隈はずいぶんと風景が変った。
少し歩くと銭湯があるはずだが今はどうなっているんだろう?
高速バスに揺られながら、眠るまでの間Huluでテレビ東京制作の30分ドラマをみた。
懐かしい東京の町が映っていた。
数年前にはその近所でノッチやなっちゃんと父娘で大騒ぎしていた。

まだ東京で暮していた若い頃もそんなに友達がいっぱいいた方でもないが、最近は接点も途絶えて、付き合いもないような微妙な付き合いがかろうじて絶えないでいるほどになった。
いつものことだが、それほど自由な時間があるわけでもないし、一人であてもなくプラプラしていた方が気楽なこともある。
そういうこともあって特に誰に知らせるわけでもないまま上京したのだが、この度は、やたらと世話を焼きたがる旧友がいてこれからひと晩賑やかになりそうだ。
何もしないわけにもいかないからグレンリベットの12年を買っておいた。
東京辺りだと1000円は安いだろうが田舎はそういうわけにいかない。
高い買い物だがさて、それでどんな思いでが買えるかどうか・・・楽しみである。

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知られざるクロ 

2014/10/25
Sat. 07:43

クロは思った以上に力持ちだ。
あれだけ堅いカリカリご飯を咀嚼しているのだから顎の力が強いのはわかる。
それに加えて足腰の筋力もなかなかのものだということもわかる。
あれだけ高いところから飛び降りたりしているのだからその柔軟性もわかる。
オヤジと比べても歴然に差がついている。
最近になって、彼のパワーの凄さを再発見している。
キーポンのイチゴのクッションマクラをくわえて1階の土間まで引きずり下ろしていた。
その前はアライグマのぬいぐるみ。
その前は緑色のでかいクッション。
その前は毛足の長い敷きマットと格闘していた。
キーポングッズが吉田家のとんでもないところで発見される。
時々ワイフの身辺も荒らされているようだ。
つい先頃は、瀕死の重傷で点滴しながら入院までしていたのに快復して復活したそのあたりから怪力に目覚めたようだ。
ドクター処方の怪しい薬か何かでXメンならぬXネコになってしまっているのかもしれない。
吉田家の家族が留守の間にクロは何かスーパーネコに変身して家中暴れ回っているのかもしれない。
うっかりガードの甘い四畳半の書斎へ入る時の後ろ姿のたくましさは家族みんなが認めるところでもある。
肩の辺りと腰のひねりが尋常でないほどネコらしくない。
短い団子シッポが小刻みに震えて力がみなぎっている様子がうかがえる。
そこまでして四畳半へ入っても別にクロが喜びそうなものは無いはずなのに・・・

キーポンが現場の証拠写真を幾つか撮っている。
受験生でクロに付き合っているヒマもなさそうな気がするが・・・
まぁ、写真としてはそれなりに楽しめるものになっているからまぁいいか・・

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濃密な時間 

2014/10/24
Fri. 09:27

現代彫刻小品展のことでアチコチお世話になったところを回ったり支払いの一部を済ませたり会場に残った展示台などを運んだりして気づいたら昼になっていた。
久々に在宅のワイフが豪華な昼食を作ってくれた。
それから、1ヶ月後に迫るコンサートのチケット販売のためのお願いや打ち合わせをした。
だいたいが石見銀山町内やその周辺のことで終わることだったが、とにかくあわただしく時間がすぎた。

もうお昼のティータイムも終わりかけてからやっと四畳半の書斎に落ち着いた。
さて、メールチェックでもしようとラップトップを開いたら、
「よしださぁ〜ん、いるぅ〜」
玄関で声がした。
何となく聞き覚えのある声だと思いつつ急いで土間をかけていったら、なんと益田のMさん夫婦が立っていた。
もう何年ぶりだろう・・・たしか、前に会ったのは私が萩へ行った帰りに益田へ寄った時だったと思う。
早速あがってもらってコーヒーを飲みながら久しぶりに会話が弾んだ。

一人娘のハナちゃんのこと・・
高齢で痴呆のおばあさんのこと・・
畑を荒らすイノシシのこと・・
最近のお百姓事情のこと・・
近海物の魚のこと・・
コンサートのことに展覧会のこと・・
吉田家の子供たちのこと・・
グローバルな国際社会のこと・・
そして、生きることと死ぬことのこと・・

とにかく、久しぶりに濃密な時間を過ごした。
話題は決して明るいものではないが、ポジティブな会話が楽しい。
いつのまにか、時間がアッという間に過ぎていた。
欲を捨ていらないものを整理することはとても難しくてなかなか出来ることではない。
世間に対しての批判や反発はいくらでもできるが、だからといって信念を持って抵抗しているわけでもない。
日常の暮らしの中で、さりげなく自分に正直に素直に生きていくことはけっこう難しいことだ。
したたかに前向きに生きるMさん夫婦の暮しぶりは私の憧れであり目標である。
吉田家で活躍する薪ストーブも、彼等の暮しに憧れて自作して以来すでに10年も使い続けている。
今年は新しい自作ストーブを新調しようと思いつつ、すでにシーズンが来てしまった。
ゆっくりだが、出来る時に出来ることを収めていけばいい。
最近のあわただしさでうわついていた気持ちが少し落ち着いた。
充実した午後のひと時を過ごさせてもらった。

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久々の日常 

2014/10/23
Thu. 08:55

なんとなく久々に日常のマッタリした朝が戻ってきたかなと感じる。
今朝も寝起きの悪いキーポンがプチ反抗をしていたり、朝のあわただしさにワイフがイライラしていたり、早朝の空腹を満たしたネコチャンズは早々と二度寝をむさぼっていたり、吉田家の平和な一日が始まろうとしている。
私の方はあいかわらず場の読めない朝の行動を叱られたりしながら吉田家の女性方を相手にあたらずさわらずさり気なく目立たないようにふるまっている。

さすがに昨夜は溜まった疲労に耐えられなくて早々と布団に潜り込んだ。
そのまま寝てしまえばいいのだが、なんとなく気持ちが高ぶって目が冴えるわけでもないのに頭が落ち着かない。
狭い四畳半に窮屈に敷いた布団の先にあるデスクトップを置いたテーブルがキーポンの勉強道具で賑わっている。
そのデスクトップのモニターからYouTubeのPTXが流れている。
こんな状態で眠れるはずもないと思っていたら、いつのまにか眠っていた。
PTXの爽やかなアカペラが棘立つ精神をリラックスさせてくれたのかもしれない。

気がつくと自分の太ももからチンチンを過ぎてヘソの下の辺りがやたらと重くて寝苦しい。
寝返りも出来ないほど動くことが出来ない。
少しずつ覚醒するとまぶたの外の視界がやけに明るい。
まだ夜中のはずなのに何でこんなに世間が明るいんだろうとなかなかその現状を把握できないまま正気を待っていたがどうも身体の下半身だけが重たくて身動きが出来ない。
ふと思い出した。
「そぉ〜だ、キーポンがオヤジのテーブルで勉強していたはずだ!」
案の定、オヤジの布団の上で電気のついたまま眠りこけていた。
どうりで重たいはずだ。
高校3年生の乙女が何たるザマだ。
寝ぼけてろれつの回らないまま無理やり寝返りを打ってキーポンを起こしたつもりで、何となく起き出した気配とゴソゴソものを片づける音を聞きながらまた寝てしまった。
朝方になってまた息苦しくてうなされた。
気がつくと、キーポンがしっかりオヤジの腕枕で寝ていた。
まったく、こういうことがたびたびあるから疲れが取れない。

テーブルで人間が何かをしているとネコチャンズがその上に乗ってくる。
昨夜も、夢うつつで夜なべ中のワイフの叫び声を聞いたような気がする。
キーポンの勉強机はクロの寝場所になっているようだ。
ずいぶん前にオヤジの必需品トラックパットめがけてクロが着地してからカーソルの誤作動で悩まされたことがある。
そういうこともあるから、四畳半だけは猫の進入を阻止できるようにしてあるのだが、キーポンの進入はいまだに阻止できないでいる。

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なおもしつこく現代彫刻小品展in石見銀山 

2014/10/22
Wed. 09:55

あいかわらずPTXにハマっているキーポンが結界君のヤワなカーステレを酷使して大音量で流しながら一緒に歌っている。
久々に登校のお供をしている。
もうしばらくキーポンの送迎をしていなかったことになる。
ワイフにはほんとうに迷惑をかけっ放しだったことがこういう時によくわかる。

例の如く、遅刻ギリギリセーフの時間帯で車列の流れにのっていると、田舎の道路事情の粗雑さがイライラのもとになる。
それぞれのドライバーがそれぞれワガママを通してしまうから交通渋滞がひろがる。
朝夕の一時だけのことなのにその時間帯を避けられないところがつらい。

私など、これといって運転が好きなわけでもないし、仕事中心で使い勝手のいい車に乗ってるだけで車種にこだわるわけでもないから、最近のボタンひとつで動く電気仕掛けの自動車など運転する機会もない。
今日も前を走っている障害物探知機能が10個ぐらいついているようなデカイ車が、町の狭いバス通りで立ち往生した。
たぶん運転席のモニター画面で確認できているはずなのに対向車とすれ違えなくてピクリとも動かない。
チョットゆずってバックすればすむことだけのことが出来ないでいるのだ。
「まったく、そんなヤツは運転する資格がないよ!カッパでも着て自転車へ乗っとけ!・・」って自転車にも乗れなかったりして・・・

昔の石見銀山の町並みは国道だったこともあって街道には路線バスも走っていたからたいしたものだ。
その町並みを2トンの箱トラックで走らないといけないから、それだけでビビリオヤジは胃が痛む。
石見銀山は世界遺産の町でもあって、その関係で昔の違法建築がそのまま町並みの景観になって残っている。
至る所の町家で側溝の溝蓋より軒先が道へ張り出している。
もう何年前だったか、例の如く2トンを運転している時、1台の自転車をよけ切れなくて軒先の瓦に箱の角を引っかけたことがある。
修理代やことわりの羊羹代など高くついた。

いつもだったら、昼間の明るいうちに町並みを通り抜けているのだが、今年は結局真夜中にトラックを運転する羽目になった。
雨も降って視界が悪いし、夜空と軒先の境界がまったく見えない。
いつも眺めている町並みの記憶を思い出しながら、ほとんど感でハンドルを操った。

何から何までプロに任せて事無きを得ればそれでいいかもしれないが、それなりの資金も必要だ。
出来るだけ自分で出来ることは自分ですまさなければ今回のような展覧会を乗り切ることは出来ない。
そこがなかなか厳しいところだ。
会期中、いろいろと温かい励ましの言葉をいただいた。
ありがたいことだし、やる気も出る・・・が、それはそれとしてさすがにそろそろ疲れてきたなぁ・・・

夜のうちに彫刻の梱包を済ませて、これから発送作業に移る。
事後処理報告の作業がまだまだ山積している。
年内にはなんとかして終わらせたいものだ。

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現代彫刻小品展in石見銀山ドタバタ搬出騒動 

2014/10/21
Tue. 06:13

結界君のフロントガラスにはり付いた霧雨が走る。
遅れに遅れている展覧会搬出作業が残っているのに雨が降りはじめた。
テントの撤収もまだだし、展示台の運搬も残っている。
ほとんどの彫刻が梱包もしないまま会場の床に並んでいる。
どうしてこういう事態になってしまったかというと、少しばかり複雑な葬儀が舞い込んできたからだ。

小学校へ出張した小林さんのワークショップが大成功に終わって、現代彫刻小品展の展示会場前の庭へ移動した朝、日程の外せない法事が一つあって赤来高原へ銀山街道を移動していたら充電の切れかかった携帯へ電話が入った。
それでなくても山奥で電波状態が悪いところでの着信だったから、すぐに路肩へ結界君を停めた。
「もしもし・・もしもし・・もしもし・・」
やたらせわしなげな電話で会話を返す余地がない。
それで1回電話が切れてまた鳴った。
「今益田に来とるんですが、弟が今朝7時○○分に亡くなりまして・・」
やっとそこまで聞き取れた。
「葬儀場まで来たところですけぇ担当の人と代わりますけぇ相談に乗ってください。どがぁがいいかようわからんですけぇ・・」
まぁあわただしいことだ。
葬儀社の担当もどうも要領を得ない。
電波状態も悪くて聞き取り難いし充電も残り少ない。
法事にも遅れそうだ。

そんなドタバタの後、結局益田まで枕経をよみに出かけることになった。
小林さんのワークショップが心配だったが仕方がない。
会場では町内の名物おばさんがセッセと福光石をたたいていた。
小林さんも何か造りはじめている。
石頭槌の槌音が石見銀山の谷にこだましている。
のどかな風景に後ろ髪が引かれる思いだったがもともと坊主だからそれもままならない。
あとは小林さんに任せて益田へ走ったのが3日前。

それから通夜に葬儀と石見銀山ー益田間を3往復した。
現代彫刻小品展の最終日の会期終了時間は浜田の辺りを走っていた。
山陰道の工事が真っ最中で国道が走り難い。
2トンのレンタルトラックを借りておかないと後のスケジュールが狂うし・・といってすでに狂ってるんだけど・・一番忙しい時に葬儀が重なってしまった。

山寺の和尚さんとしては、益田のあたりの葬儀事情を知ることが出来てそれなりに勉強になった。
喪主さんもとりあえずは喜んでもらえた。
葬儀まで終わらせてとんぼ返りしたが結局改良衣からつなぎの作業着に着替えてトラックに乗り込んだのは夕方だった。
それから一人で延々と展示台の運搬をしていたらノリちゃんから電話が入った。
「今時間が空きましたけど何処へ行けばいいですか?」
ありがたい!実にありがたい!本当にありがたいことです!
ワイフもワガママオヤジの穴埋めをキッチリしてくれた。

搬出作業が全て終了したのは午前0時をとっくに過ぎていた。
あとは発送作業が残っているが、これは東堂さんの通院が終わってからのことになる。
とにかく、いろいろなところやいろいろな人へ迷惑をかけた。
この展覧会もそろそろ潮時かなぁ・・・時期が悪かったのかなぁ・・・
近いうちに反省会を開こうと思っているが、さてどれだけ集まってくれるか・・・

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現代彫刻小品展in石見銀山終了! 

2014/10/20
Mon. 07:16

雲ひとつない快晴の秋空が気持ちいい。
法事を終わって石見銀山の現代彫刻小品展ワークショップの会場へ帰ってみると、町内のご婦人方が熱心に福光石をコツコツたたいていた、
花生けとか盆栽鉢にして11月の文化祭へ出品するのだそうだ。
今年の文化祭はなかなか盛り上がりそうだ。
講師の小林さんがご婦人方の器用さにいたく感動していた。
「福光石はなかなかいい教材になりそうですね。粘りもあるし、彫刻にはいい石ですよ!」
なにか、石彫のプロからお墨付きをもらったようでとてもうれしい。

福光石に出会って、どこかしらこの石が彫刻に向いていると思ってから、いろいろなところで試していたことがやっと報われた思いだ。
水の吸い込みも良いし、コケも広がりやすい。
鉄分を含んでいるから経年変化の色合いがおもしろい。
美術品から工芸品、日常の道具などいろいろな場面で使える良い石だと思う。

石の面白さを知ってもらおうと始めたのがこの展覧会付属のワークショップだった。
最初は高校生の彫刻講習会を誘致するところからはじめて、その時制作した力作の完成を待って展覧会へ展示することが出来た。
島根大学教育学部の彫刻研究室へお願いして、教材研究もあわせたワークショップを組立てもらった。
若々しいオシャレなアクセサリーも出来て会場がにぎわった。
県内高校の美術の先生が研究会で福光石の彫刻講習を開いてくれた。
今年は、そこで制作した完成作品を現代彫刻小品展へ出品してくれた。
会期中公開制作をしてくれた石彫仏師の坪内さんが町内にある禅寺へ達磨さんを寄進してくれた。
そして、今年公開制作の羅漢さんは本日移動設置をする。
大森小学校の子供たちも3年前から福光石をたたきはじめて、このところ年中行事になりつつある。
「本当に小学校の子供たちは恵まれてますよ」
担任の先生がそう言ってくれた。
なんと、校長先生の宣伝もあって今年は県内の先生が遠方から視察に来ていた。
・・・とにかくこの4〜5年は鉄のこともそっちのけで福光石へベッタリつき合っていたように思う。
石見銀山に暮す少し偏屈でいつもわけのわからない鉄の彫刻を造るオヤジが、久しぶりに魅力的な素材へ出会って燃えた。

5年目を迎えた現代彫刻小品展が静かに終わった。
期間中入場者は、目標にしている石見銀山の住民人口400人を達成したと報告があった。
ワイフにはいろいろな場面でとてもお世話になった。
今まではどちらかというと私のライフワークに身内でつき合ってくれていた感じだったが、今年は講師の依頼や掲示物の制作など積極的に企画へ参加してくれた。
とにかく、小品の彫刻を出品してくれる彫刻家の皆さんや島根地元でお手伝いの皆さんのお陰で続けられている展覧会だと思う。
ありがたいことです。
出品してくれた彫刻家のひとりからメールが届いていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
手伝いもできずに勝手な事を言いますが、私のような本展には向かない半端な大きさを作っている者には、小彫刻展が受け皿で、細々と続ける原動力となっているのです。
感謝です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こちらこそ感謝です!

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小林さんのワークショップで盛り上がっている時に、徳島の松永さんから電話が入った。
「今、出雲市を通過したところですぅ〜」
石見銀山到着の時間はまだ大森小学校でワークショップの後片づけをしている頃だろうから、すぐにワイフへ連絡して迎えをたのんだ。
松永さんは冬の石見銀山の私の個展にも来てくれた。
昨年の現代彫刻小品展もきてくれた。
もちろん、毎年欠かすことなく彫刻の出品も続けてもらっている。
訪問の度に世界遺産石見銀山をあちこち散策して、今ではかなりマニアックに石見銀山観光スポットをチェックしていて、地域住民のひとりである吉田もタジタジになるほどだ。

ワークショップが終わってから小林さんと3人で夕食をとった。
小林さんが館長を務める美術館の町の地酒を持ってきてくれたのでそれを飲んだ。
松永さんもおなじみ徳島の地酒を持ってきてくれていたがそれも空けると次の日にこたえるだろうと我慢した。
久々に彫刻やその周辺の話題が飛び交って楽しい一夜を過ごした。

一夜明けて土曜日は、ワークショップの会場を展覧会会場の前庭へ移した。
前日にテントを張って準備万端。
いっぽう私は49日の法事が入っていて、早朝から赤来高原へ出かけた。
故人の葬儀が9月のはじめだったから、時の経つのは早いものだ。
49日の七日務めは欠かせない仕方のないことだが、現代彫刻小品展はもう半年も前から準備を進めていて仏事の都合で日程を変えることも出来ないし何とかしてしのぐしかない。
会場の方はワイフと小林さん、それに年季の入った受付のオネエサン。そして、彫刻界のベテラン松永さんへ振った。

法事の最中に着信が幾つかあって、ワイフからのメールも入っていた。
まったく、重なる時はことごとく重なる。
とろけたオヤジの脳みそアナログハードディスクは処理能力を超えている。
その上、万善寺へ寄って用事を済ませていたらおかみさんが私にしがみついてきて放してくれない。
灯油のこと、乾電池のこと、線香のこと、届いた冊子のこと、ストーブのこと、壁掛け時計のこと・・・
日常の暮らしのそこここで出てくる不具合を、高齢者老人の二人暮らしで解決することが出来なくなっている。
私が同居して四六時中見届けていればなんの事もないことだが、それをすると食いぶちが干上がって一家でミイラになってしまう。
それも気楽でいいかなと思いつつ、粛々と用事を済ませて石見銀山へ帰った。

その日は、まだまだいろいろなことがあって、また出かけて帰宅したのが夜中になった。
最近オヤジとの接点が減ったキーポンが、スキンシップをねだってきた。
いい歳こいて夜中にひとしきり大騒ぎをしてそのままオヤジのとなりで眠りこけている。
ブログをひらいたら、なんとアクセス件数がちょうど20000件。
目出度いのかどうかわからないまま、ひとまず記録した。
2014年10月18日土曜日の夜の事でした。

そして、お話はまだまだ続く・・・ひとまず前半終了!

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前夜に降っていた雨も上がって、絶好のワークショップ日和になった。
大森小学校の子供たちは全校で19人。
それに先生も加わって、みんなで一日福光石を叩き続けた。
きっと今頃は身体中が筋肉痛になっている頃だろう。
校長先生も作業着持参で福光石と格闘していらっしゃった。

講師の彫刻家小林さんは、岡山から来ていただいた。
岡山には上質の石がある。
出身は広島だが、その関係もあって現在は産出される石の近くで暮していらっしゃる。
専門学校の校長先生や美術館の館長もして忙しく飛び回るなか、今回の現代彫刻小品展ワークショップ講師をお願いしたら、即に快諾いただいた。

朝一番に準備を始めて出前ワークショップがスタートした。
大田市唯一の木造校舎中庭には子供たちの石頭槌の槌音が響きわたった。
昼食には給食までいただいた。
なかなか美味かった。
お昼休みの時間に槌音がはじまった。
子供たちが遊ぶことも忘れて槌をふるっている。
小林さんと思わず視線が合った。
凝灰岩福光石の適度な柔らかさが子供たちの創作意欲を奮い立たせているのだろう。
「教材に最適の石ですねぇ」
小林さんが評価してくれた。
「えぇ〜みなさん、校長先生からの発表です!」
担当の先生が中庭に拡声器を持って現れた。
あまりにも熱心な子供たちの反応でお昼の掃除が取りやめになった。
校長先生の粋な計らいが清々しい。

大小の石にかわいい大小の穴が刻まれた。
手水鉢になったり花を生けたり土を足して植木鉢になったり・・・
そんな感じのへこみ穴のできた福光石が花壇脇にならんだ。
子供たちの何人かは家に持って帰りたがって先生方を困らせていた。
「いやぁ〜、とても楽しかった!」
講師の小林さんがそう言ってくれた。

晴れ渡った秋空のもと、気持ちよくいい汗をかかせてもらった。
「是非来年もよろしくお願いします!」
帰り際に校長先生から念押しされた。
ありがたいお言葉に心がゆらいだ。
来年も現代彫刻小品展を開催することになるのかなぁ・・

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岡山から現代彫刻小品展ワークショップ後半(長い・・)の講師小林さんが来てくれた。
小林さんには大森小学校の出前ワークショップもお願いしてある。

六本木の展覧会から石見銀山へとんぼ返りして、早速その準備で働いた。
小学校はあいにく校長先生不在だったが、教頭先生や担任の先生とお話しすることが出来て、打ち合わせも終わった。
今回は、みんなで大小の福光石を石彫の道具でたたいて穴を掘ってみようということになった。
子供たちはせっかく世界遺産石見銀山のど真ん中にある小学校へ通っているのだから、銀の鉱脈を探しながら山の地中深く彫り進んでいった昔の坑夫の職人さんになったつもりでみんなで汗を流そうというわけだ。

校長先生の計らいで、午前から午後までほぼまる1日このワークショップに使える時間をつくってもらった。
今どきの世知辛い教育事情の中でなかなか出来ないことに感動した。
島根地元産の福光石を使ったワークショップはもう3回目になるし、これでひとまず打ち止めにしようと思っているから、小林さんには存分に働いてもらおうと思っている。

福光石は、アレコレ細かいことをいえばいろいろ問題を持って使い難い石かもしれないが、こうしてワークショップの教材にしたりすると癖の無いお手軽に何にでも使えるなかなか魅力的な石だと思っている。
私は石彫の専門ではないから、何人かの石の彫刻家にこうして実際に触ってもらいながら石の使い勝手を確かめてもらうことは自分にとってもいい勉強になっている。
今年の展覧会には、高校生達の彫刻講習会で福光石を使ってくれた作品を展示することも出来た。
昨年には大森小学校の子供たちが立派な石のサインを掘り出してくれた。
毎年少しずつ福光石の魅力が広がっている気がする。

とにかくまずは遠路はるばる島根の片田舎まで来てもらった小林さんと一杯飲んだ。
今年の展覧会主催代表のノリちゃんもPTA会議が終わってから合流してくれた。
刺激の乏しい田舎に仕事の関係でIターンしてきた絵描きのオネエサンも合流してくれた。
久々に濃厚な美術論に花が咲いた。
やっぱり美術は理屈じゃないと思う。
やまのようにデッサンを描いて思いつきを形に変えてひたすら汗を流して制作に没頭することがなにより大事なことだと思う。
とにかく地道にそういうことをくり返していたら、そのうち自分がやりたいことややらなければいけないことが自然に見えてくるような気がする。

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ワイフは女流彫刻家! 

2014/10/16
Thu. 08:41

朝帰りオヤジは何とも眠たいのだ!

六本木の彫刻展陳列も無事終了し、展覧会初日は雨でスタートした。
なっちゃん家でひと晩過ごし、朝飯のハムエッグを頂いてコーヒーで目覚め、仕度を済ませて会場まで出かけるところで少しずつ雨が降りはじめた。
六本木はすでに本格的な雨になっていて、私の彫刻が設置された野外展示場は閑散としていた。
なっちゃんと学生時代の友達が美術館で待ち合わせをしていて合流。
私の方も1年ぶりの知人と出会ったりして、なんとなく華やいだ感じだ。
ワイフの彫刻は当初の設置場所からアチコチ移動して、結局彫刻室内展示場の動線を決めるスタート地点辺りにおさまっていた。

ワイフは知る人ぞ知る島根を代表する女流彫刻家でもある。
今回の展覧会出品彫刻の制作も、石見銀山地内にあるアパレルショップの催事盛り上げ役で展示した大作数点の搬入と同時進行もあったりして大忙しだった。
こうしてあらためて彫刻に忙しくしているワイフを見ると、島根の女流彫刻家の代表としてもっと公に積極的になってもいいのになぁと思う。
彼女の力があって、最近では若い女性彫刻家が比較的自由に発表をしたり展覧会へ出品したりし始めているし、彼女以前の島根の彫刻界でコンスタントに彫刻の発表活動をしている女性を見たことがない。
いずれにしても、ワイフは子育てをしつつ、オヤジの我がままに付き合いながら苦節30年と少し・・・しばしも休まず彫刻を造り続けているベテランである。
島根の女流彫刻界に一時代を築いた貢献度はもっと評価されてもいいと思うんだけどなぁ・・・

「今度の彫刻、チョット方向が直線的すぎない?去年の方が良かったな!」
なっちゃんの厳しい評価を受けつつ、島根で留守を守ってくれているワイフに思いを馳せたのでありました。
そしてその日の夕方、雨のあがった新宿から高速バスに乗り込んで、本日1時間ほど前に石見銀山の我が家へ帰宅して今に至っている。
ひと晩のバスの旅でむくんだ足をクロックスが締めつける。
これからひと休みしたら作業着に着替えて鉄板入りの長靴を履いて明日から始まるワークショップの準備に入る。
まだまだゆっくり休めないまま緊張の毎日が続く。

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芸術の秋の彫刻展 

2014/10/15
Wed. 07:37

秋の公募展彫刻部に出品をはじめてもう30年になる。
最初の10年は成長期とでもいう感じで、とにかく毎回悩んで毎回失敗をくり返していた。
気持ちが晴れてふんぎりがついて、彫刻に迷いがなくなったのはそれから後。
すすんで野外会場へ彫刻を展示しはじめてからのことだった。
それから今まで、展覧会の会場が変っても延々と野外へ展示し続けている。

10月は毎年展覧会で東京を訪問することになる。
展覧会が終わると彫刻の搬出に出かけて、それからその記憶が新鮮なうちに次の彫刻をつくりはじめる。
それがいい感じにうまくいけば次回の彫刻展へ出品する形態の手がかりがつかめる。
どうも納得がいかなくて消化不良だったりすると、形がハッキリと定まるまで脳みその何処かへしまい込む。
時々思い出したようにそれを引き出してメモしながらかたちが煮詰まるまでくり返す。
そうこうするうちに1年がすぎて、搬入日ギリギリのところまでそれを引っ張って、制作のスケジュールを決める。
最近は毎年こんな感じで綱渡りしながら彫刻をつくり続けているが、自分もそろそろ体力も落ちてきているし、まだ健在の両親のこともあって、何時までも決めたスケジュール通りにうまく事がはこぶということもないし、そういう不安を抱えている。
だから、もしもの時のために秋の彫刻展へ出品できるくらいの彫刻を少しずつストックするようにしている。

いまのところ、さいわいにもそれらの彫刻は日の目を見ないで秘かにささやかに島根の田舎に設置されてそのまま根を張りはじめている。
ひとくちに30年といっても、そのあいだに東京での展覧会のために造った彫刻が30点になったというだけのことで、その点数は決して多くないし、多作ともいえない。
島根の石見銀山で開催されている現代彫刻小品展は5回目を数えるが、それに出品をする彫刻はもう10点近く制作した。
数を造ればいいというものでもないが、彫刻の制作は絵描きが絵を描くような訳にはいかない。

1年に1回の秋の展覧会は、全国から集まった彫刻家達に会えて彫刻の話題で終始する数少ない楽しい数日間のはずなのだが、どこかしら手放しで楽しめないところもあって複雑だ。
島根から共同出品している連中も確実に1年に1歳ずつ歳を重ねている。
10年や20年前の若いパワーは確実に衰えている。
これから10年先のことを思うと、吉田の場合はもう先が見えている。
さて、メンバーのみんなはどうなっているんだろう??
彫刻制作は自分にとってのライフワークだし、やめて撤退することはないだろうが、そのうち制作したくても出来ない事になってしまうことも無いわけではない。

バスで座りっ放しのあと、展示作業で1日中立ちっ放しの足は、豚足のようにむくむくとむくんでいる。
はき慣れたクロックスがちゃんとはけるかなぁ・・チョット心配。

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現代彫刻小品展IN石見銀山台風19号襲来 

2014/10/14
Tue. 08:32

「高速バス最強!」
快晴にはれわたった東京上空は登る朝日がやたらと眩しい。
いい気持ちで寝ていたら、眼球の形が分かるほど強烈な光が突然襲ってきた。
台風一過で空には申し訳程度のスジ雲が浮かんでいる。
なんとなくもう眠れそうもなくて、ワイフにSMSを送ったら、そう返ってきた。

台風情報をチェックしたら、岸和田へ上陸した後、時速50km前後で東へ向かっていったらしい。
JR西日本は開業以来初の予告全面運休。
こういうこともめったにない。
これも運というものだろうか。
石見銀山の展覧会をクローズして、その足で高速バスの停車場へ向かっている途中も、せいぜい小雨が降る程度。
風もたいしたことない。
「八百万の神様が守ってくれているんだよ!神在月の島根は台風も避けて通ってるんだよ!」
珍しくキーポンが真顔でそんなことをいっていた。
確かにそうかもしれない。

昨年に続いて10月の台風は避けて通れない。
時間や日程にもう少し余裕があればそれなりに気楽に乗り切れるのだが、年々そういうわけにもいかなくなっている。
石見銀山はそれほどたいしたこともなかったが、それなりに雨も降っていた。
受付の年季の入ったお姉さんに「10人来てくれたら御の字だね!」などといっていたら、結局20人を越える来場があった。
中には観光さんもチラホラあったが、台風で商売にならない町内のお店スタッフや連休で会社がお休みの若いお兄さんが犬の散歩のついでと寄ってくれたりした。
雨は雨なりに、あなどれないことがわかった。

本日14日は、これから六本木の彫刻展陳列作業がある。
島根から木彫で出品したMさんは、飛行機が運休でドタキャン。
歳とともに足腰ががたついてきたオヤジは、ワイフの彫刻なども含めて、美術館の内と外を際限なく往復することになるだろう。
少しはメタボ腹のためになるかもしれないと一瞬思ったが、今まで何年もかけて散々鍛えてきた腹がそう簡単に引っ込むわけもなく、期待はしないことにした。
なにわともあれ・・・キッチリ働こう!
そんなことを思いながら朝飯を食べつつ足下を見たら、結界君を運転してそのままクロックスを履いていた。
芸術の秋に六本木の美術館をサンダル履きでウロウロすることになってしまった。

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現代彫刻小品展in石見銀山ワークショップ 

2014/10/13
Mon. 06:30

台風が近づいているので、本日13日のワークショップは中止することにした。
島根とか石見銀山はたぶん他の地域より影響も少ないと思うが、それでも雨風がないわけでもないし野外のテント村では落ち着いてワークショップも出来ないだろう。
島大の先生と学生さんのワークショップは地元の年季の入ったオネエサンや観光さんに好評だった。
羅漢さんの公開制作をしてくれた石彫仏師の坪内さんは、毎日天気図をチェックしながら、こういうこともあるだろうと、事前にある程度のところまで制作を進めてくれていた。
私のような計画性のないノリで生きているだけの人間とはずいぶん違う。
埼玉から駆けつけてくれた白石さんは、帰りの交通機関のこともあるし、無理も出来ないだろうから1日早くワークショップを切り上げて帰路を急いでもらうことにした。
この二日間、一日中立ちっ放しで疲れも溜まったろうし、十分に働いてもらった。

会期4日目で3連休の最終日はなかなか厳しい感じでスタートしそうだ。
毎年同じようなことをしているのに、毎年同じようなわけにはいかないものです・・・
それにしても、現代彫刻小品展もよくここまで続いたものだ。
自分でいうのもどうかと思うが、展覧会の内容は年々充実していると思う。
20代の若い作家から90歳を越える大ベテランまで年齢の幅も広い。
これもまぁ〜吉田の人望とでもいいましょぉ〜か・・・
・・・とそんなことはまったくないのだが、出品作家の皆さんの広いネットワークのお陰でここまで広がったわけで、そのことが何よりありがたい。

とにかく、いろいろある展覧会も前半のワークショップはひとまず大盛況のうちに終了した。
気持ちを切り替えて会場受付に励もうと思うが、このところ自宅に帰って寝るだけの暮らしが続いていて、毎日家にいるのに家のことがまったく出来ていない。
文句も言わないで切り盛りしているワイフには実に申し訳ないと思っている。
昨夜もグッタリ疲れて帰宅してシャワーで汗を流して布団に入ると、受験生キーポンが潜り込んできた。
ゆっくりしようと思っていたら考えが甘かった。
しばらくとなりでゴロゴロしていたが、そのうち静かになって寝息が聞こえてくる。
それから2度ばかりiPhoneのタイマーがけたたましく鳴ったが、それで起き出すわけでもなく、オヤジのシュラフを独り占めして凄い寝相で朝まで爆睡してしまった。
娘の恥じらいも色気もカケラもない。
これで一応彼氏がいるというから不思議なことだ。
シュラフの端っこにくるまって、どうもどこかしら疲れがとれないままの寝苦しい夜が明けた。
クロが何処かでしきりに鳴いている。

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現代彫刻小品展in石見銀山3日目 

2014/10/12
Sun. 09:40

NHKの取材があって、カメラマン氏からホームページにも掲載のメールがきて、その日のお昼にはテレビでも放送されて、それを観たお客さんが会場へ寄ってくれて、なかなかのにぎわいになった。
こういう時はNHKの報道力の凄さを実感する。

台風が近づいて少しずつ風が出てきはじめた。
展覧会場前の庭でワークショップをしているが、この調子だとこのまま続けるのが難しくなりそうだ。
無理をしないで中止にした方がいいかもしれない。
秋の展覧会は今まで経験がないので一度試してみたかったのだが、気候は良いが台風の心配があるので野外のイベントはなかなか難しいということが分かった。
何事も経験ですなぁ・・・

先ほど会場へ出かけたら、すでにワークショップのお客さんが講師先生を待っていた。
オープンは10時からなのに田舎の朝は早い。
展覧会が始まってまだ3日目でそろそろオヤジに疲れが出てきはじめた。
これから六本木の展覧会で展示作業が待っていて台風の東進にあわせて移動することになる。
昨年も丁度展示作業から初日にかけて台風に遭遇した。
なかなか鍛えられる。

さて、それでは今日も1日頑張ってしごとしごと・・・

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現代彫刻小品展in石見銀山スタート! 

2014/10/11
Sat. 06:55

石見銀山での現代彫刻小品展がスタートした。
助成金と賛助金のお陰でやっとこさ開催できている彫刻展も、早いもので5回目を数える。
昨年から引き継いで2年目になる助成金母体は、事務処理が素人でとてもやりにくい。
「口は出すけど手は出さない」よりまだたちが悪くて困る。
事業の継続がブツ切れになる上に「口は出すは手は出すは」で収拾がつかない。
ようは、執行部構成員が素人だからそういうことになってしまっていて、振り回される事務職員が可哀想になる。
まぁ、そこまで何かと口出しをするのなら、結局自分たちの主催事業にしてしまえばすむことだと思うが、それも気がつかないで事が始まってからえらそぉ〜にあぁ〜だこぉ〜だいいはじめても時すでに遅し・・というヤツですよ。
シャープでスマートな対応をいただいている賛助金各社とはえらい違いだ。
こっちは、半年どころか1年近くかけて準備したり報告の事務処理をしているんだからね。

・・・と、ひとの都合関係なく過ぎたことをむし返されてうっとうしいスタートを切ったところだが、展覧会そのものは意外とすんなりまとまって、スッキリとした会場になった。
早速NHKさんが取材してくれて、本日土曜日の夕方ローカルタイムに紹介されるらしい。
タップリ2時間近くかけて彫刻のアレコレをなめるように撮影していただいた。
巨大台風の襲来が気になるところだが、こればかりはこちらの都合でどうにかなるものでもないから、相手に合わせて善後策を検討して対応するしかない。
ひとまずはテント二張を会場前庭の近所まで運んで、本日からのワークショップに向けて少しばかり事前準備をしておいた。

夕方に関東から今回のワークショップ講師をお願いした白石さんが到着した。
展覧会の会場を見てもらった後、まずは近所の温泉宿へ落ち着いてもらった。
作業の汗を流してから二人で夕食に出かけた。
久しぶりに水入らずで濃厚な彫刻の話に花が咲いた。
いつもお願いしている代行のおっちゃんへ電話して、温泉宿経由で帰宅した。

メールチェックなどしていたら、ノッチが大変なことになっていたらしい。
久々のLINE電話で大話をしたすぐ後の事だったんだろうか・・・
我が娘のことだから、アチコチトンチンカンなところは予測の範囲だが、それでもまわりの親切な皆さんのお陰で事無きを得たようだ。
彼女のストレートな魅力が功を奏したのかもしれない。
そのあたりはオヤジの上をいっているようで、チョット悔しい・・・

あっちやこっちや、いろいろなことが毎日くり返されますなぁ・・・

〜〜〜〜〜〜〜〜
タクシー降りた10秒後にiPhone忘れた事に気付いて、追いかけたけど間に合わなくて、家に帰って急いで店長にメールして、アプリ使って私のiPhone追跡して、タクシー捕まえてタクシー追いかけて、iPhoneが手元に戻ってきました。
不安とワクワクが混同した1時間半でしたw
こんな遅い時間に急いで駆けつけて一緒に探してくれた店長と私のiPhoneを乗せたままのタクシーを追いかけてくれたタクシードライバーとiPhoneを見つけて連絡し返してくれたタクシードライバー・・・
この短時間でスーパー良い人にスーパー助けられました。
優しいですね!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ひとまず、良かった良かった!

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現代彫刻小品展in石見銀山会場準備 

2014/10/10
Fri. 06:39

朝からトラックを動かして展示台と彫刻を一気に会場まで運んだ。
今年のお手伝いは、なんとありがたくも町内自治会長さん。
展覧会の開催には、自治会協議会の後援もいただいていて、日頃から石見銀山町民の皆様にはとにかくなにかとお世話になっている。
厳しい経費で開催しているから十分なことは出来ないが、お昼ご飯をお礼がわりにさせてもらって、そのまま自宅まで送り届けた。
世知辛い世の中で平日の昼間の貴重な時間を割いていただき感謝の言葉もない。「本当に助かりました!」
助成金のおかげで開催できている展覧会だから、こういうお手伝いのお弁当代も経費で落ちないしいろいろ制約があってなかなか厳しい。
それでも、ありがたい気持ちだけは何とか伝えておきたいし、なかなかクールにわきりれないオヤジなのであります。

途中からワイフが加わってくれて作業がはかどった。
昼からは彫刻の梱包をといて、展示台を配置して会場の整備にとりかかった。
益田の方から出品の作家が彫刻を個人搬入してくれた。
遠路わざわざ持参の上におみやげまでいただいた。
特におかえしもないから、展覧会のポスター5枚とチラシを100枚さし上げた。
まぁ、お礼というより押し売りといったほうが正解かもしれないが、ひとまず見た目はこころよく受け取っていただいた。
たぶん、土日にかけてセッセと島根県西部一帯に告知営業していただけると確信している。

現代彫刻小品展と会期を重ねて、出品作家のひとりMさんが会場から100メートルたらずの改修古民家で個展をスタートさせる。
これは「やまにあプロジェクト」の石見銀山活用事業のひとつで個展の依頼をして実現したものだ。
窓口が私で彫刻展の方と仕事が重なっているから、そのドタバタもあってまだ正確に予算の計上も出来ていないが、おおむね前回開催のNさんの個展並でおさまると思っている。
Nさんは津和野出身で、今度のMさんは益田出身。
NやらMやらややこしいが、島根の西の端から順繰りに石見銀山の町並みで個展をしてくれる作家が決まってくる。
このままだと次の個展は浜田か江津あたりになるかなぁ・・・

前回の春先のNさんの個展もなかなか面白い現代美術だった。
今回のMさんの個展も、石見銀山ではなかなか遭遇する機会のない現代美術のユニークな会場が出来上がっていた。
昔ながらの堅苦しい決まりごと優先のつまらん彫刻を見慣れていると、なかなか新鮮で刺激になる。
現代彫刻小品展より人気が出たりしてオヤジとしてはそれが少々不安・・・と、またまた俗っぽく勝手に欲のつっぱりをはってしまった。

終日、ワイフと二人で会場準備に励んだ。
家のこともあるし、いろいろ工夫しながら手伝ってくれるワイフにはいつも感謝している。
こういう時に、家族の二人がそれぞれに彫刻を造っている彫刻家であるということがどれだけ自分の励みや助けになっているかということをありがたく実感する。
会場がだいたい片づいて帰宅したのは夜の九時を過ぎていた。
一足先に帰ったワイフが熱いお風呂とカレーライスを用意してくれていた。

そのカレーライスを食べていたらノッチから久しぶりにLINEの電話がかかった。
とても元気そうな声だった。
上司からいじられたり御局から目をつけられたりいろいろ苦労しているようだが、彼女なりの処世術でのり切っているようだ。
タップリ話して心の疲れがスッキリ取れた。

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皆既月食 

2014/10/09
Thu. 05:22

皆既月食を見上げながら彫刻の展示台を運んだ。
倉庫の2階から1階へ降ろして、プラットホームまで運んで、トラックの昇降機を使いやすいところまで移動して・・・それを皆既月食が始まって終わるまで延々と続けた。

この月をいったいどれだけの人が見たのだろう。
月があれだけ明るいということがよくわかった。
「キーちゃんが見たいというから世界遺産センターまで来て月を見てる」
ワイフから電話がきた。
「おとうさん今何してるの?」
久々になっちゃんから電話がきた。

展示台にシートをかけて彫刻を降ろしはじめる頃には階段の往復で膝がおかしくなってきた。
展覧会前日の1日は終日作業が続くから膝をいたわっておくことにしてひとまず作業を切り上げた。
倉庫からの帰りに町並みのアチコチで玄関先に佇む人を見た。
みんな、雲ひとつない高く晴れ渡った秋の空を見上げていた。
みんな、どんな思いでこの月を観ているのだろう。

一月在天 影印衆水
水急不流月
月落不離天
草衣心似月
・・・

今も昔も月にひかれる思いや、月に託す思いや、月を愛でる心はそう大きく変っていないのかもしれない。
発光ダイオードの物理学でノーベル賞をとる人もいれば、自宅の庭先で皆既月食を見上げる人もいる。
光への憧れや探求心がどれだけ幅広くて奥深いものか・・・
昔の人は、皆既月食の理屈も現象も知らないまま驚異や不安や驚きや・・いろいろな思いのままにいつもと違う月の光を見ていたんだろうなぁ・・
どちらかといえば、吉田は答えの定まらない解釈の曖昧な光の方が好きだな。

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オヤジまた走る 

2014/10/08
Wed. 05:58

現代彫刻小品展のDM発送を前日にすませた後、このクソ(失礼・・)忙しい時に1日つぶして松江まで行ってきた。
燃料も高いし高速料金も実質値上げで家計の行動費が底を突いているから、混雑の国道を走るか、空いている脇道を走るか迷ったが、結局は下道のチョイスなのでどちらも似たようなものだと出雲大社の近所を走ることにした。
神在月の出雲大社では、例の目出度い結婚式があって1億数千万円が飛び交ったりして、同じ島根に暮しながら下々の吉田とはなんの接点もない別世界の出来事が展開している。

島根県庁と法務局と家庭裁判所を回って、東堂さんの師匠寺へ寄ってきた。
さすがに県庁所在地に勤務する役人さんは、山奥の役場職員とは一味違って飲み込みも早いし仕事や対応にぬかりがない。
山寺の和尚さん相手に口元へ若干の皮肉な笑いを漂わせながら、見た目は丁寧なそっけなさでそれなりに応対してもらった。

住職交代の書類を提出した場所をめざして、総合受付窓口のおねえさんに問い合わせたら、なんとその部署が県庁の本庁からえらく遠く離れた分庁舎に移っていた。
せっかく見つけた駐車場から車を回すのも面倒だし、信号待ちなどしていたら余計時間がかかりそうなので雪駄をペタペタならしながら重たい書類を抱えてひたすら歩いた。
ガードマンに部屋を訪ねてドアを開けると、6人ほどの事務職員がパソコンデスクに向かっている。
いかにもお役所といった感じで愛想がない。
しばらく時間がかかったものの、何部かの提出書類の表書きを見ただけで内容を確認することもなく受理された。
宗教法人の改定で提出書類が増えてしまったのに、結局は届いた書類をデータファイルする程度のことのようで、せいぜい1年の2〜3ヶ月のうちにさみだれで集まる提出物にチェックを入れる程度のことだろうが、そんなことに6人の職員が必要なのかとサモシイ考えがとろけた脳みそを刺激ししてむなしさがよぎった。

それから法務局と家庭裁判所へ回った。
印鑑証明2通に1000円かかった。
見た目では何処がどう違うのか見分けもつかない個人だと200円程度の証明書が事業所になるだけでえらい高くつく。
どういうシステムでそうなるのかまったく意味不明だが、法務局に用事のあるほとんどは代書屋さんだろうし、かれらはそれも経費で落とすだろうから気にもかけない些細な事情なのだろう。
私のような素人が直接個人で訪問するところではないようだ。

万善寺のような貧乏寺で代書屋さんにお願いするほどの余裕はないから、種類1枚でもアチコチで聞きながら現場で書込むなどしている。
家庭裁判所も、山奥の役場職員からの説明でよくわからなくて、その後メールや電話のやりとりもあったが混乱するばかりだし直接自分で出かける方が早いと決めた。
こちらは、すんなりものの5分で用事が終わった。
私のようなトンチンカンの訪問がけっこういっぱいなのかもしれない。
役場でもらった書類を見ただけで察しがついたようで、記入例までコピーしてくれた。
家庭裁判所は20代の時の免停以来の訪問だった。

その後東堂さんの法類師匠寺へまわって香資をお供えした。
ほんとうは東堂さんの用事になるが、もうそういう細かいことは考えもおよばなくなっているし、かといって付き合いを絶やすのも良いことではないし、報告相談もなく代行を務めて終わりにしている。
坊主の会話となると、どうしても檀家さんのことやネガティブなぐちばなしになってしまう。
相手は1000軒もの檀家を抱えるデカイ寺なのに、ぐちばかりは相づちをうったりしておかしな話だ。
街場の1000軒が999軒に減ったことと、山奥の50軒が49軒に減ったことを一緒にされても困る。

一生に一度会うかどうかの人たちと1日のうちに会話してすれ違った。
彼等はどんなイデオロギーや思想哲学をもって日々暮しているのだろう・・・
帰りに現代彫刻小品展搬入作業に使う2tのレンタカーを借りて帰宅した。
それから二個一法事の塔婆を2枚書いた。
ワイフが久々に上等の肉を買ってくれていて、夕食は久々の焼き肉だった。
昼の疲れと虚しさを忘れることが出来た。

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オヤジ走る 

2014/10/07
Tue. 07:03

台風の影響はほとんど無かったと思うが、いつもの銀山街道を走っていたら松くい虫で枯れた巨大な松の木が道幅いっぱいに倒れていた。
ヤワでチビな結界君ごときにはとてもその障害物を乗り越えることが出来なくて遠回りをしなければいけないくらいのものだったが、運良く大型トラックが粉砕してくれたあとだったので、難なく通過することが出来た。

小雨の中、いろいろと現代彫刻小品展の準備を中心に終日外回りをした。
ワークショップでお世話になる島大の彫刻研究室と打ち合わせも出来た。
忙しい中、先生が下見を兼ねて石見銀山まで駆けつけてくれた。
島大のワークショップは今年で2回目になるので前年を参考にしながら、クラフトの延長のようなお持ち帰りワークをすることになった。
下見を終わってから現代彫刻界の実態情報や島根や鳥取の彫刻家情報を交換したりした。

石見銀山の町並みで解散してから、その足で町内を回った。
大小のポスターを各所に貼り出したら、なんとなく展覧会が近づいた感じがして気が引き締まった。
留守のお宅もあったが、おおむね町内の皆さん好意的で励みになった。
もうとっくに昼をすぎていたので昼食を食べそびれたまま赤来高原へ銀山街道を上っていたらその松の倒木にぶつかったというわけ。
万善寺老僧がまだ現役で寺務をしていた頃の整理をしているのだが、少しずつ痴呆が入ってもいたから至る所に不具合が生じていてなかなかすんなりと引き継げないで困っている。
だいたいが役所や金融機関がお休みの日に仏事が入るから、そういう機関を訪問するにはどうしても平日の1日をそれに使うことになってしまう。
別々で関連の無い用事をバラバラに片づけなければいけないからなかなか気持ちの整理と頭の切り替えがうまくいかない。

幾つかの機関で書類をもらって話を聞いて自宅に持ち帰ったのは午後の4時を回っていた。
限りなく遅れた昼食をかき込んで早速デスクワーク。
途中、役場から電話が入ってメールも入った。
問い合わせの最初に聞いた説明が電話やメールのたびに少しずつ違っている。
若い職員の方も、数少ない事例を探って必死で対応してくれているのだろうし、その気持ちは十分に伝わるものの、やはりこういう時のベテランのアドバイスと云うか縦の連携がうまくいかないあたりが残念だ。
都会も似たようなものかもしれないけど・・・

遅くに帰宅したワイフが夕食を仕度してる間から、キーポンがオヤジの書斎に進入してそのまま居眠りを始めた。
夜になってやっと落ち着いてしばらく書類を書いたりしていたらシロがやってきてクロがやってきた。
夜にオヤジを訪ねることは珍しい。
その上、シロはそのままシュラフへ潜り込んできた。
クロがシュラフの上で寝はじめるし、もう始末に負えない。
身体の節々が痛むほど寝苦しい一夜になった。
朝になってそのことを訴えると、「昨夜は私が猫を閉め出したから!」
キーポンの仕業だったとそれでわかった。
今日もこれから外回りが続いて帰りは夕方になるだろう・・・

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痒い 

2014/10/06
Mon. 06:52

耳が痒くなると我慢できなくなって、とにかく何かそこらへんにあるものを耳に突っ込んでかこうとするのだが、なかなか痒みの基までうまく届かなくて狂いそうになることってありませんか?

結界君を運転していてそうなったり、お経をよんでいてそうなったり、ホームセンターで買い物をしていてそうなったり・・・まぁ、このところところかまわずそういうことが多発するようになって始末が悪い。
自宅にいる時はアチコチに耳かきがあって、もちろん書斎のデスクにも常備してあるから、なんの不自由もなく恍惚の世界に到達できる。
こうやって一度耳が痒くなると癖になったようにしばらくの間それが続く。
私の場合、耳あかというより耳の中で老化角質化した皮膚のようなものがパウダー状に浮き上がって、それが耳の穴に密集する産毛を刺激してしまうから痒くなるのだと勝手に素人診断している。
これが鼻だと、デカイくしゃみを一発ぶちあげて唾と鼻水の飛沫を跳び散らして思いっきりティッシュで鼻をかんでスッキリ・・で一件が落着するが、耳の場合はどうもそう簡単にはいかない。

そもそもなんでこんなにしょっちゅう耳が痒くなりはじめたのか思い返すと、どうも原因は彫刻制作の溶接スパークの紫外線のような気がする。
彫刻を造っている間の紫外線焼けで、目と鼻を中心に一皮も二皮もむけた顔が今では20年ほど若返ったようにツルツルピカピカになっているから、少し遅れて今頃になって耳の穴の表皮が活発な新陳代謝をくり返しはじめているのかもしれない。
とにかくそんなわけで、このところ耳が痒くて仕方がない。

痒いというと、台風の影響で町民運動会が中止になったので午前中をデスクワークに使っている時、背中のほぼ中央の右の肩甲骨のすぐ下あたりが痒くなって我慢できなくなった。
これが20年前だったら簡単に左の腕をぐるりとひねって直接ボリボリかける距離だったのだが、今はそれが出来ない。
右の腕を回すと痒みのポイントへ指先が届く前に肩甲骨がじゃまをするし、どうしようか考えつつうねうね上半身を動かしながら書斎にある長いものを目で探した。
50センチ定規がいつもの収納場所にしまってあることを思い出して、それを襟首から差し込んで恍惚の世界に浸った。

それから、先日薪を運んでいる途中に左腕の内側に激痛が走って、袖をまくり上げると二箇所ほど小さな点を中心に白く膨れ上がっているところがあった。
とにかくその点が目茶苦茶痛くて仕事の続投が萎えた。
それからだいたい3日目くらいになるが、今は丁度その場所が赤く膨れ上がってとにかく痒い。
黒い点はそのまま残っていて、汁が出ている。
これはその点を目印にツメの先を格子模様に押し付けて急場をしのいでいる。

あぁ〜〜、このところオヤジの身体は至る所が痒くて悩まされるなぁ・・
蚊に刺された痒みなど軽いものだ・・

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いただいた1日 

2014/10/05
Sun. 10:21

七日務めから帰って、現代彫刻小品展の準備をしていたら、町内の体育委員さんが町民運動会中止を伝えにきてくれた。
台風が接近中ということだから仕方がない。
この近年は好天に恵まれて中止になることがなかっただけに少々残念。
町民の皆さんの元気な顔を見られる数少ない機会が無くなってしまった。

いただいた1日をどうどうするかということになるが、せっかくなので彫刻展の準備に使わせてもらおうと思う。
会期中のスケジュールも作成しなければいけないし、広報に各所を回ることも出来そうだし、とてもありがたい1日になった。
郵送のチラシを封筒にしたら400通弱になった。
こういう細かい作業が知らない間にけっこう身体にこたえているようで、珍しく肩からクビにかけて神経痛が走る。
あまり調子が良くないから夜は早めに寝た。

早朝まだ暗い間に目覚めたら、ワイフが封筒ののり付けをしてくれていた。
台風の様子がどうなのかよくわからないがひとまずは雨も風もひどくないし、このままいけば搬入を終わった六本木の方が心配になる、
夜のうちに彫刻審査を終わった友人からSMSのメールが入っていた。
共同搬入のメンバーは目出度く入選したようだ。
もうしばらくしたら電話をしておこう。

試験も終わってくつろいでいるキーポンは私の横で仕事のじゃまをしている。
最近の彼女はPTXにハマっていて、彼等のアカペラが耳の奥でリピートする。
クロがキーポンが包まるシュラフの上でイジイジとくつろいでいる。
展示台の会場搬入があるのでトラックをレンタルしているのだが、前の日に仏事と公民館の会議が入って予定が狂った。
誰にも何も言っていないから、搬入と陳列展示はコツコツと1日かけて終わるまで続けるしかなさそうだ。

まぁ、いろいろある・・・
こうしてプチプチキーボードをつついていても、時間がもったいないし、オヤジのじゃまをするキーポンもうるさいし、せっかくいただいた1日を無駄にしたくないし・・・
・・・ということで、ひとまずこのあたりでおさらば!

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仏性 

2014/10/04
Sat. 08:48

早いもので七日務めも5日目・・・ということで35日の小練忌になる。
葬儀が終わってから一週間に1回、七日ごとにおじゃまして修証義などおつとめして、少しばかりお話をする。
先週は、帰りにビックリするほどでかいヒラタケをいただいた。
異常気象で雨続きの8月から、まだ残暑が厳しい9月になって今では朝晩の布団が欠かせないほど涼しく過ごしやすい秋。
季節の過ぎるのは早いものだと思う。
残されたご親族も少しずつ平静にもどって、日常の暮らしが落ち着いてきたようだ。
お供えのお膳がいつも凝っていてとても美味しそうだ。
故人への心遣いがこういうところでよくわかる。

最近の仏事は、何事も都合よく簡素になって儀礼的になった。
「みつき越しの法事はせんほうがいいですがぁ〜」
49日大練忌の法事は葬式から2ヶ月以内に済まさなければいけないということ。
知らない間になんの根拠もない仏事のルールが出来上がっている。
友引の葬儀は避ける・・・というのも、仏事としては根拠の無いこと。
地域の慣習風習のなかで日常の暮しに都合よく決められてきたことなのだろう。
そもそも、そういう仏事の諸々が人の都合で変るというところに宗教観の希薄さや坊主の脆弱さが見えてくる。

世の中、「大は小をかねる」とか、「長いものには巻かれろ」とか、とかく立場の上下大小や強弱でまとまる傾向にあるが、全部が全部それでいいのか疑問も残る。
信心の深さや重さは組織の上下大小で量るものでもない。
日常の暮らしに支障をきたすとか、迷惑になるとか、そういう現代社会の集団組織生活にマイナスの要因が集まっただけのことで2000年以上絶え間なく引き継がれてきたお釈迦様の智慧や真理が簡単に阻害されてしまう。
私など宗教家と云えないほどいいかげんな坊主と自覚して末席を汚しているが、それでもそれなりに坊主として越えてはいけない一線は持っているつもりだ。
仏事のいろいろも相手があることだから、それなりに歩み寄ることも大事なことだが、何から何まで世間の都合に迎合することもないような気がする。

吉田家に同居する二匹の猫には、日常の暗黙のルールがきちんと出来上がっていて潔い。
そして付かず離れず人間と上手に付き合っている。
自分の都合でベタベタと気持ち悪く甘えてくるうっとうしいオヤジにも、ポーカーフェイスで我慢しながら適度に付き合ってくれている。
まぁ、そうやって何処かしら世間の殺伐さから逃避しつつ、ネコチャンズの観察に仏性を模索している今日この頃のオヤジであります・・・

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護持会研修の一日 

2014/10/03
Fri. 08:23

久しぶりのまとまった雨になった。
寝静まった石見銀山の家並みを打つ雨音が朝まで続いた。
彫刻の島根搬入が終わったので、それまで続いていたいい天気で乾燥の進んだ薪を刻んだ。
それから少しして雨が降りはじめたから、薪づくりの作業がはかどったとは言いにくいものの、ひとまずは冬の1ヶ月分をまかなうくらいの薪をストックできた。

彫刻搬入の同じ日に宗門の護持会研修会があった。
今年は赤来高原の隣町にある同宗寺院が会場になった。
教区内寺院から住職と檀信徒代表が集まってなかなか盛大な研修総会になる。
万善寺は会場のすぐ近所なのでお檀家さんも5〜6人ほど出席していただいた。
特派布教師は滋賀県の方から老師をお迎えした。
高齢のお檀家さんが多数で、法話の1時間半をジッとしていることもそうとうつらかったことだろう。
坊主は座禅の心得もあるから動かないことに慣れている方だと思うが、普通に暮す在家のお檀家さんはなかなかそういうわけにもいかない。
法話の内容はともかく、どう考えても1時間半は長すぎると感じたが、それは私だけだったかもしれない。
激動の昭和を生抜いてきた体力と精神力は高齢でも衰え知らず・・・といったところか。
末席に座した私の隣では、若い和尚さんが新品のiPhone6を延々とつついていた。
ニコチン切れの禁断症状に負けてさりげなく中座の和尚さんもチラホラ目に付いた。
会場で寺院席だけがなんとなくざわついていた。
それでも、教区長さんはセッセとメモをとっていらっしゃった。
毎年のことで慣れてしまうとそのようなものかもしれない。

半日の研修はいろいろといい勉強になったと思いつつ、結界君をすっ飛ばして石見銀山の自宅に帰った。
その日のうちに送信をすませておかなければいけない書類があって、その用事をすませていたら搬入の定時集合に遅刻した。
すでに何点かの彫刻がトラックに積み込まれていて、あとは私の彫刻を乗せるくらいまで作業が進んでいた。
その後、アレコレあって帰宅したのは夜になってしまった。

1日のうちに、種類の違う関連性の無い用事を3つ片づけるとさすがに疲れた。
寝る前に宗門教化部制作の布教リーフレットをひらいた。
タイトルは「ー布施ー」とある。
震災と原発事故の被害にあった福島県の和尚さんが寄稿していらっしゃった。
たしかこの2〜3年で同じ話を2回別々に聞く機会があったように思う。
正確に覚えているわけではないが、1回は法話で1回はDVDかテレビか映像の動画だったと思う。
そして今回は文章になっていた。

坊主の間では常識に通用する「布施」の意味が、一般通説ではかなり食い違って解釈されている。
一説には、お釈迦様とお弟子さまの説法と修行の旅の時代、着の身着のままで裸同然だったお釈迦様たちは、説法しながら立ち寄る村々、通り過ぎる道々で、少しでも衣の足しにしてくれと野良着や作業着の端を破りちぎって差し出された布の切れ端をありがたくいただき、縫い合わせて大きな一枚の布にして身体に巻き付けたものが袈裟の始まりといわれ、その無償のほどこし行為を布施というようになったといわれている。
法を施し布を施しお互いの喜捨をわかち合う。
布教布施とはそういう意味が含まれていることをありがたく正しく感じ取ることが大事だと思う。

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彫刻搬入出プロジェクト顛末記 

2014/10/02
Thu. 06:44

島根でのトラック積み込み搬入が終わって、途中大阪のトラックセンターを経由して、本日東京六本木の美術館で搬入作業をして、やっと今年の彫刻展がスタートすることになる。

この彫刻搬入出プロジェクトは、もう20年以上の長い歴史がある。
当初は、絵画と彫刻が一緒になって2トン車を借りて3人のメンバーが運転を入れ替わりながら搬入出2往復していた。
あの頃はまだ私も30代で他のメンバーも20代がいて、彫刻も絵も未熟なのにとにかく体力だけはあったから相当の無理も平気だった。
そのうち共同出品者が増えて、2トン車2台で2往復したこともあった。

齢と体力と経費のことを考えて無駄を見直してから、11トン車のチャーターに切り替えた。
しばらくはいい感じで絵画彫刻仲良く搬入出が続いていたが、展覧会運営執行部を中心にした事務の見直しや変更があって、絵画が個人搬入に変って共同搬入出のグループから離脱した。
メンバーが半減したことで経費負担が倍増したものの、作家の若い勢いがあったしやる気もあったので、彫刻のメンバーはそのまま共同搬入出を継続することにした。
少しでも経費削減に繋げようと九州や関西の出品者へ声をかけて共同搬入出のネットワークを広げた。
メンバーが確保できていた数年間は11トン車チャーターを続けることも出来たが、そのうち高速料金や燃料代値上がりのこともあったので、経費据置優先で4トン車チャーターに切り替えた。
トラックサイズが縮小したことで積み込みの工夫が必要になった。

20年前から比べるとそれぞれの作家も経験を積み、入選や受賞も増え彫刻の完成度も増してそれなりに成長しているから、それぞれがいろいろ考えて幾つかの難局をしのいで切り抜けて今に至っている。
それでも、作家の個性や作風は最大限に尊重しないといけないし、それを曲げたり無視したりすると本末転倒ガタガタの共同搬入出になってしまう。
私の彫刻も、4トン車になってから少しずつ形態が変化してきた。
共同出品の作家がみんなが無理なく積み込みできるように工夫するようになった。
トラックのサイズも縦横高さもだいたい頭に入っている。
今のところ日程の検討、人員手配、運送屋さんとの事務連絡、会計と、業務分担もきちんと組み立てられて、ひとまずはメンバーが仲良くまとまっているように感じるが、これから先のことはわからない。
この数年間据置だった運賃が、経費の圧迫で値上がりになった。
長距離運送を引け受けられる業者さんも減っている。
作家の年齢も下がることがないし、世代交代も島根の現状では先が読めない。

地元での彫刻発表の機会を増やして、地元での彫刻認知度を高めることも大事なことだ。
もう、彫刻を造りはじめて30年になる吉田でも、万善寺の周囲の人たちにはいまだに「趣味」だと思われている。
それでも石見銀山では、「先生」などと呼ばれることもある。
政治家でも学校の先生でもドクターでもないのにね。
島根を代表する女流彫刻家でもあるワイフが、搬入の様子を激写してくれた。
オヤジのお尻・・・こうしてみるとなかなか若々しくてキュートでしょ!

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2014-10