工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

大森小学校体育館コンサート 

2014/11/30
Sun. 23:52

一日が終わるのがじつに早い・・・と、久々にそう感じた。
さすがに、昼過ぎまで寝てるとそれもあたりまえのことなんだけどね。

夕方から年に1回の坊主研修へ出かけた。
施食会や大般若会などの法式を勉強した。
私など、本気でみっちりと修行することもないままずるずる延々と名ばかりの副住職を務め、気がついたら住職交代の時期をむかえ、晋山式もないまま書類の提出で交代をした程度のいいかげんな坊主だから、こういう実践的な勉強会に出かけると気持ちが引き締まる。
列席各寺のご住職方は本山修行をされた方も多くて、色々な仏教用語を普通に使ってこまかな所作の違いを話されていて、両手両足立ち座りのきまりごとなどメチャメチャバラバラの私は、住職の風上に置けないほどのダメ坊主だということをこういう時につくずく実感する。
ズシリと重たい気持ちを引きずりながら、雨の三瓶山を往復して帰った。

先ほどまで、前日のコンサートの整理をした。
この度は、もう10年以上遠ざかっていた大森小学校体育館でのコンサートになったので、会場準備も含めて結構気を使うことが多かった。
出演のバイオリンの喜多さんとピアノの黒田さんには、とても迷惑をかけてしまったのではないかと反省しつつ集計をした。
友達の少ない吉田だから、チケットの売れ行きも思わしくないまま日にちばかりが虚しく過ぎる毎日が続いていたが、人望厚く顔の広い友人のおかげで100人近くの来場を頂いた。
会場を提供していただいた大森小学校の校長先生はじめ職員のみなさん。
チケット販売に協力していただいた大森町内のみなさん。
地元企業の若い社員のみなさん。
ストーブを快く貸して頂いた近所のお寺のご住職。
最後まで文句も言わないで準備に協力してくれたワイフ。
試験勉強に期間中で自分の誕生日なのにコンサートへつきあってくれたキーポン。
そして、ピアノの移動で人力を提供してくれた男手のみなさん。
それになにより、近くは石見銀山町内、遠くは東京、島根は松江や出雲など遠方からかけつけていただいたお客様。

本当にお世話になりました。
ありがとうございます。

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tetujin@ 

2014/11/29
Sat. 03:58

久しぶり・・・というより、何年かぶりに「鉄人」と呼ばれた。
そういえば昔の石見銀山暮らしは、ほとんど「鉄人」で通用していて、町のいたる所で「吉田さん」より「鉄人さん」と呼ばれることの方が多かった。
ちょうど、「料理の鉄人」(だったかなぁ・・・)というようなテレビ番組が流行っている頃だったから、私が鉄の彫刻を造っていることを知っている町の遊び友達の間で少しずつそう呼ばれるようになってきて、やがてその呼び名が定着した。
ひと頃は、年賀状や何かの請求書などの郵便物も、「島根県大田市大森町鉄人さま」の宛名で普通に届いていた。
石見銀山がまだ世界遺産登録の話しなど影も形もなかった頃のことです・・・

子供がまだ小さくて、大森小学校や大森幼稚園へ通っていた頃は、気心の知れたオヤジ仲間と1年に何回か色々なコンサートやライブのミュージシャンを石見銀山へ呼んでいた。
ワイフもまだ若くて、オヤジたちの道楽に文句も言わないでついてきてくれていて、小さな町がそれなりに盛り上がっていた。
有名なところでは、あの矢野顕子さんもやってきた。その時は会場がお客さんであふれ返って凄いことになった。
坂田明さんや大塚まさじさんや中川ひろたかさんやエポさんや・・・今にして思えばいい歳した大人がみんな元気にのぼせて嬉々として遊んでいた。

たぶん・・・だけど、石見銀山が世界遺産に登録されないままだったら、いまだになにかしらそんな感じでワイワイ暮しているような気がする。
確か2007年に世界遺産登録されたはずで、その4〜5年前から石見銀山の町に公共工事が入りはじめ、1年中町の何処かにコーンや防護ネットや片側通行の看板が設置されて絶えることがなかった。
町民は1年に何度も公聴会へ出かけ、行政の説明会が自治会ごとに行われたり、町民集会も年に何回か行われるようになったりするうちに色々規制が厳しくなった。
世界遺産を当て込んだ業者さんが町内の空き家に目をつけて食べ物屋とか土産物屋とかオープンしたりして、一気に町内へお店が増えた。
電柱が地下に埋設されて町から昭和の面影が消えた。
アルミサッシやガラス戸も激減して、派出な看板も消えて、自動販売機も減って、屋根には石州瓦が増えて町並みが茶色の同系色に染まった。
それに何より、町並みの生活道が一方通行になった。

あのころ毎晩のように元気に遊んでいたオヤジたちも、一人去りひとり消えて自然解散して今に至っている。
コンサートが明日に迫って、ピアノの調律で昔からお世話になっているお兄さん(今は完全におじさん)が前日入りしてくれた。
もう何年ぶりかで会った時の一声が「てつじんさぁ〜ん」だった。
久しぶりにそう呼ばれてなんとなく恥ずかしかった。
「あれっ??ひとりなんですか?」
誰もいない大森小学校の体育館で折畳みの椅子を並べていたら開口一番そういわれた。
・・・そう、ひとりなんです・・・
年中それなりにヒマにして融通が利いて何とかなってナントカしてギリギリに暮しているオヤジは私だけになってしまったようです。
吉田家の末娘もこのままいけばナントカ高校を卒業できるはず。
遊び仲間だったオヤジ達も、そのうち何人かは今では孫が出来たりして立派なおじいちゃん・・・そういう歳になりました。

調律が一段落したのは結局夜の8時を過ぎていた。
お供え物のおさがりの蓮の葉が印刷されたビニール袋に入ったあんパンとクリームパンと、それにドリンクを一缶夜食で渡して解散。
あの頃は、それからみんなのたまり場へ移動して飲み会が始まっていた・・・そんなことを思い出した。
誰もいない体育館の最終点検をして、照明を落として、玄関のカギを掛けて帰宅したら、ワイフはすでに寝ていた。

これからそろそろ準備して、黒田さんと喜多さんを迎えに出かけます。
石見銀山ご近所のみなさん・・・前売りチケットまだ残ってます!本日午後12時まで受け付けます。お問い合わせはこちらまで→tetujin@ginzan-tv.ne.jp

コンサートチラシ表

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オヤジ絶不調 

2014/11/28
Fri. 03:15

前夜まで雨が降り続いて銀山川が意外に増水していた。
このところ夜のうちに雨が降って朝になるとやんでいることが多い。

コンサートが近づいたので灯油の買い出しをした。
「薪ストーブはどうなったかね?それ、風呂用?」
ポリ容器を持って自宅前をウロウロしていたら近所のおばあさんが食いついてきた。
薪ストーブを使っていることとか、風呂が灯油だとか、そこまで吉田家の実態が知れ渡っていることに少々驚いた。
近所付き合いや他人付合いの悪い方でもないと思うが積極的でもない程度の自分にとっては、1年の間に2分と会話をすることも無いおばあさんがそんなことまで知っていることに恐ろしさを感じる。
濃密な町内ネットワークの現状を垣間見た気がした。

コンサート会場の小学校体育館へ灯油を搬入して、校長先生と少しお話をして帰宅したら、玄関の板戸が閉まっている。
確か出かける時は定期試験期間中のキーポンがオヤジの四畳半で勉強らしきことをしていたはずなのに・・
どうしたんだろうと直近の記憶を手繰っていたら思い出した。
そういえば、受験用の健康診断を受けるとかどうとかワイフと話していた。
隙間だらけのガタピシ吉田家のほとんど石見銀山の町並みの延長のような土間へ面した四畳半の書斎は外からの日も入らなくて暗い。
薄明かりで蛍光灯のヒモを手探りしていたらモコモコの足下で何かが動いたような気がする。
スイッチを入れて明るくなってみると、クロがシュラフの上で寝ていた。
キーポンが勉強中に包まっていたものがそのままクロの寝場所になっている。
足の踏み場が悪かったらクロをつぶしていたところだ。

せっかく勉強机用の炬燵をつくってやったのに、あれから後、使ったのは2日しかない。
試験が始まった日から、また彼女の勉強道具一式がオヤジの炬燵デスクに散乱している。
寝床の敷布団がキーポンの座布団がわりに使われていて、上掛けのシュラフを身体に巻き付けて炬燵デスクに向かうキーポンの後ろでクロが寝ている。
しいたげられたオヤジは、中途半端に敷布団の端のスペースを使って、シュラフの隅に包まって寝るしかない。
なんとなくウツラウツラしているとキーポンのアラームが鳴り出す。
11時過ぎに起こされて、午前3時にまたアラームがなり出す。
目が覚めるとキーポンとクロは爆睡中。
コンサート前夜のオヤジは睡眠不足で体調絶不調。
真夜中に眠気など微塵もなくなってどんどん目が冴える。
あぁ〜〜オヤジも爆睡したい・・・と思っていたら、ワイフが起き出してストーブを焚きはじめた・・・

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老化 

2014/11/27
Thu. 08:19

三連休の後、平日の仏事が続いた。
山寺の和尚さんとしては1年に5回とない珍しいことだ。

最近は、法事というと土日祭日に集中することがほとんどだから、坊主家業はせいぜい一ヶ月に3〜4回あればいいくらいのものだが、今年の秋は珍しく法事が集中して宗門手帳が赤と黒で染まっている・・・といっても、ほとんどが黒だけど・・・
つまり・・・
黒は彫刻を中心にした個人スケジュール。
赤は万善寺関係の法事を中心にしたスケジュール。
そうやって、一冊の手帳を使い分けているからそのように染まってくるわけだ。

それで、職業病のようなモノかも知れないが、11月に入ってから足の古傷を中心に痛みはじめて慢性化しつつある。
日常の暮らしで鉄板入りの安全長靴を履いたりしているときが一番つらい。
面白いもので、お経で正座をしてしまうと、普通に20〜30分座り続けているし、法事の時などお斎膳も含めて2時間以上断続的に正座が続いたりしても、その時は結構平気ですぎてしまう。
それが、自宅に帰って、ひと晩過ぎて、次の朝になって大変なことになっている。
自分の足が何処かへ行ってしまったように別物の如く痛くなっていて何かに伝い歩かないとまともな歩行が困難になっていたりする。

先日、久々に老僧を買い物に連れ出した。
ドライブの間は、秋の紅葉を愛でたりして上機嫌で、新しく出来たスーパーへ寄った時も目を輝かせてウキウキしていた。
手押しのカートに買い物カゴを乗せて自分の好きなものを買ってもらうようにしたのだが、それほど大きくないスーパーのコーナーを2つばかり曲がったあたりから急に動きが鈍くなって、しまいにはカートにしがみついたまま歩くことが出来なくなってしまった。
なんとかしてレジを済ませている間もセルフカウンターに腰かけてぐったりしていた。
外での買い物は8月以来のことで、たった3ヶ月の間にここまで脚力が弱っているとは少々驚きだった。
老人はこうやって少しずつ動くことがつらくなって、そのうち動きたくなくなって、気がつくと動けなくなって、やがて寝たきりになっていくのだろう。
おかみさんは、もう何年も前から膝が固まって曲がらなくなったままヨチヨチ歩いたり這ったりしている。
日常のほとんどは精神力と意地で暮しているようなものだから、心の支えがあと二つ三つなくなったり折れたりしてしまったら一気に寝たきりになってしまうだろう。

気がつけば、年寄りが高齢者に手を貸して親子一緒にヨチヨチと危なげに歩いている。
今さらジタバタしてもどうにもならないことだが、バリアフリーの安全対策に甘えすぎるのもどうかと思う。
山は山で谷は谷でそう簡単に平らになるわけでもないし、至れり尽くせりの老人社会にも限界がある。
他人や社会に甘える心が育ってしまうと、もう後には引けない。
厳しいようだが、年寄りは年寄りなりに自分を律して潔くしないといけないし、それが歳をとる自分の務めだとくらいに思って毎日を生きてほしい。
今さらジタバタしないで、カッコよくヨチヨチとはいずり回って生きたいものだ。

炬燵布団を占領しているクロがものすごい形相で大あくびをした。
法事の先で出合った黒猫は吉田クロによく似ていてビックリした。
もうかなりの老齢猫で動きがとてもゆっくりしているが無駄がない。
鳴声もドスが利いて渋い。
毛並みはキューティクルが破壊してボサボサ。
2時間の法事が終わっておいとまの寸前にその老猫がさり気なくすり寄ってきた。
法事の間中、怪しげな坊主を延々慎重にさり気なく品定めしていたのかもしれない。
その老猫に吉田クロの行く末を見る気がした。
彼も天寿を全うすればそうやって老化していくのだろう。
・・・さて、オヤジとクロとどちらが先にこの世からおさらばするのかな?

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クロ帰宅 

2014/11/26
Wed. 02:36

脱走していたクロが帰って起こされた。
すぐにメシを食べて水を飲んでしばらくウロウロした後、オヤジの四畳半の引き戸を自分で開けて入ってきた。
開けたら締めてくれればいいのだが、それはしない。
それでなくてもすきま風で外と変らない四畳半に夜の冷気が流れ込んできた。
しかたがないから、クロの出入りに開けておいた玄関を閉めにいって、冷茶を一杯飲んで寝ようとしたらシュラフの真ん中でクロがペロペロと身繕いしていた。

先日はオヤジの失敗で脱走。
この度はワイフの失敗で脱走。
脱走の執念はなかなかの知能犯だ。
たぶん、どちらかというとクロは猫の中では頭がいい方だと思う。
上手に人を見て上手に鳴声を使い分けて上手に人を使う。
「メシくれよぉ〜」
「ここ開けろよぉ〜」
「ウザイからやめろよぉ〜」
「たまには散歩させろよぉ〜」
男のわりにはよくしゃべる方だと思う。

とにかく、クロのお陰で起こされてしまって仕切り直しで寝はじめてウツラウツラしていたら携帯が鳴った。
仕事帰りのなっちゃんが、駅から自宅までの距離で暇つぶしの電話をかけてきた。
だいたい20分くらい他愛ない話に付き合った。
バイト君のこと。
合コンや飲み会のこと。
友達と遊んだこと。
彼氏のこと。
それに少しだけ仕事のこと。
午前1時を過ぎて完全に眠気が去った。

朝から墓石の点眼と三回忌の法事で出かけるというのに、目が冴えてしばらく眠れそうにないから短編を読みはじめた。
アッという間に区切りのいいところまで読んでしまって、このままだとやめられなくなりそうなので、キーボードプチプチに切り替えた。
それで今こうして真夜中にダラダラとブログを書いている。
シュラフの真ん中で本格的にクロが寝ている。

最近酷使している足のアチコチが痛む。
このところ肘の関節の痛みも続いている。
ジジイになるということはこういうことかと、身にしみて実感する。
冷茶で痛み止めの錠剤を一粒流し込んだ。
さて、本気で寝るぞぉ〜〜!

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秋晴れの一日 

2014/11/25
Tue. 02:46

天気予報が見事に当たって夜半から雨になった。
秋はアチコチで色々な行事があって、この2ヶ月ばかり毎週のように休日がつぶれる。
そのうえ、天気が悪かったりすると野外の行事が雨天順延の玉突き現象で地域の小さな行事を圧迫する。
それに地域の文化祭や氏神さんの秋の大祭などが重なったりすると人手が幾つあっても足らない。
それでなくても高齢過疎化が進む島根の田舎町は少数の動ける者たちがそれぞれやりくりしてギリギリのところで踏ん張りながらそれぞれの務めにせいを出す。

しばらくいい天気が続いていた連休の最終日に、ほぼ半世紀ぶりで数年前に復活した妙見さんの祈祷法要があった。
信心深い地元企業の代表が地域の文化伝承と活性化を目標に思いついて、自治会や石見銀山の代表役員や妙見堂のある廃寺の門徒さんなどを集めてお祭行事に仕立てた。
廃寺の宗派は浄土宗で、昔々その寺に縁のあった同宗の和尚さんに供養法要をお願いする。
それに引き続いて祈祷法要は町内の日蓮宗の若い和尚さんがつとめる。
なかなか念の入った法要が午前午後と続いて、お供えのおさがりのおすそ分けやふるまいが出たりしてそれなりに賑わう。
在家坊主の私は、これまでほとんどが万善寺のお檀家さんの法事と重なって妙見さんと縁がなかった。
今年は珍しく当日の法事が無かったから、朝からお堂の掃除や荘厳のお手伝いをした。
法要の方はワイフが参列した。
今年のふるまいはおしるこぜんざいだった。

雨になることがわかっていたのでストーブの薪が乾いているうちに細断して補充した。
それから今度のコンサートのチケットを売りに歩いた。
4枚売れて、大根を1本いただいた。
せめて50人くらいは来てもらいたいが、それでも万善寺の盆正月のお参りよりはマシだと思う。
ヘタをしたら、それにお彼岸とお地蔵さんのお参りをたしてもまだコンサートの方が多くなりそうだ。
そう思うと、それなりに充実感がある。
チケット行商のながれで、田舎では珍しい数少ないMac派オヤジと久々に話すことも出来た。

肉が食べたいとワイフに云っておいたら、チキンのトマトソース煮込みをつくってくれた。
自分では失敗したと云っていたがなかなか美味かった。
頭と髭にバリカンをあてて、塔婆も二枚書いて、坊主仕度も準備万端。
これから11月が終わるまで、法事に墓石点眼に納骨にコンサートを務めて、打ち止めが坊主研修。
これって、やっぱりそれなりに「忙しい!」といってもいいのかなぁ・・・

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書斎奪還成功 

2014/11/24
Mon. 02:26

オヤジの書斎ついに奪還!
キーポンに延々と占拠されていた書斎がやっとオヤジの元に帰ってきましたよ!
いやぁぁ〜、長かったなぁ〜・・

本日、やっとキーポンが自分の部屋へ荷物や勉強道具を引き揚げてくれた。
ついでにヌクヌクの羽毛布団も持っていかれたが、敷き毛布もあるしシュラフも残っているから書斎での寝床はひとまず確保できた。
ワイフは小さい時から椅子とテーブルの暮しに慣れていて、もちろん勉強も机を使っていたようだから私のように座机を使うことがない。
私は子供の頃から座机を使い慣れていて、冬のシーズンになるとそれが炬燵に変る。
万善寺のロフト暮らしは中学校を卒業するまで続き、その習慣が上京してからも続いて論文も炬燵で書いた。
最近の書斎もデスクワークが炬燵で、寝る時は押し入れから寝具を出して使う。
書き物が立て込む時は、自分を中心に狭い四畳半いっぱいに色々な資料や書類が広がる。
ほとんどのものが手の届く範囲に集まっているから、身体をひねって手を伸ばせばそれで用が済む。
自分としてはこの自堕落さが何より好都合でけっこう仕事がはかどる。
吉田家の子供たちはそういうオヤジの暮らしを見ながら育ったせいか、どの子も小さい頃から勉強というとほとんど座机や炬燵を使っていた。
じゅん君は吉田家で一番の勉強家だが炬燵を欲しがらなかったからワイフ仕込みで育ったのだろう。
なっちゃんがアパート暮らしを始める時にテーブル代わりの炬燵を自作してプレゼントした。
一般的な炬燵は足が短くて勉強するには少し低い。
それと、組立が華奢にできていて軽くて強度がない。
だから、そのあたりを改良して鉄の足に鉄のテーブルにした。
電熱器は使い古しの中古を代用した。
ズシリと重たくて少々のことでは動かないからちょっとした作業にも都合がいい。
ノッチが一人暮らしを始める時もなっちゃんと同じものが欲しいというので2つ目をつくった。
そのノッチが海外で暮すことになって久しぶりに吉田家へ炬燵テーブルが帰ってきた。
それがキーポンの勉強机になった。
なっちゃんはいまだに炬燵を使っていて電熱器を更新することになった。
ついでだからキーポンのおさがり机用とあわせてフレームを2つ作った。
休みが明けたら梱包してなっちゃんへ郵送する。
もう一つはキーポンの勉強机に取り付けて早速彼女の部屋で使っている。
おかげで、オヤジの書斎が開放されたわけだ。

メデタシメデタシ・・・

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オヤジの試練 

2014/11/23
Sun. 09:15

キーポンの試験週間が始まって、べつに付き合ってるわけでもないけど、午前三時に目が覚めた。
真夜中頃にドタドタとオヤジの炬燵デスクに潜り込む気配を感じて、やっと勉強を始めたのかと思いつつそのまま寝ていて、気づいたら午前三時だったというわけ。
結局、彼女はノート一刷広げたまま炬燵に潜り込んで大口空けて爆睡していた。
私の方は何となく目が覚めてしまって、iPadを開いてノッチとLINEをはじめた。
そのうちキーポンが起きるだろうと思ってしばらく待っていたがその気配もないのでまた寝た。

その次に目覚めたらこんどは娘達がLINE会話していた。
なっちゃんは早朝出勤前の目覚め時・・・なのだろう。
ノッチは仕事が終わって帰宅した頃・・・じゃないかな。
キーポンの後ろ姿は何となく勉強しているように見えた。
しばらく他愛もない会話が続いてまた寝た。

どうも膝の痛みが本格的になりはじめたようでひたすら疼く。
気になりはじめて眠れないままゴソゴソしていたら、キーポンに動くなと叱られた。
どうもオヤジの威厳が希薄に感じつつウトウトしはじめて、次に目覚めたらすでに9時前だった。
まったく、昨夜ひと晩何をしていたのだろう?
二度寝三度寝が続いて、きちんと寝たのかどうかわからないままこうしてプチプチキーボードを叩いている。

昨日は、東堂さんを連れだして買い物をしたりして1日過ごした。
昼食をワイフに託して、その間にチケットを1枚売った。
三連休で石見銀山は人だかり。
東堂さんも痛い足を引きずってヨチヨチと駐車場から玄関に入るまで観光の人並みにビックリしていた様子だった。
天気もいいし平和なものだ。
夕方になって東堂さんを寺まで送り届けて、結局1日2往復200km走破して燃料を使い果たした。
なんか、無駄に疲れただけの気がしないでもないが、たまにはこういうこともあるだろう。

今朝はいまだに猫もワイフも姿を見せない。
これから少し遅めの朝食をかきこんで工場へ出かけることにする。
キーポン専用炬燵をつくらないと、シーズン中オヤジの書斎を占領されてしまいそうだ。
試練だ!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
いやん。告白からのプロポーズされちゃった。父さん。
私はアメリカに嫁に行きます。(半分本当の半分嘘)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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老若男女 

2014/11/22
Sat. 09:16

一日田んぼで動き回って、次の日はほぼ一日お経を読んで納骨などして、もうオヤジの膝がガタガタですよ。
ナントカいう関節の潤滑剤が無くなったのか酸化して老朽化したのかわからないが、このところ年々月々日々に節々の動きが鈍くなっている。
それもあって早々と書斎の炬燵デスクに潜り込んで横になっていたら寺から電話が入った。
おかみさんのかまってコールだ。

おかみさんは、遊ぶことを人生の悪だと思っていてそれが様々な愚痴や批判になって伝わって始末が悪い。
日常の些細な出来事もすべて仕事や用事のネタにして用を言いつけてくるものだから、何回に一回はそれに付き合わないと面倒なことになる。
もう長い間老僧と二人暮らしが続いていて愚痴や批判の対象がすべて老僧に向いてしまうからそういう時はさっさと老僧を連れ出すことにしている。
ちょうど今頃は私の方も忙しい時で、その上寺の務めも加わっているから手が放せないしおかみさんにつき合っているヒマもないのだが、老人特有の「思い込んだらただひたすら堂々巡りで終わりがない」日常が延々と続きはじめるのがわかっているし、これから年末になってどんどん融通が利かなくなってくることも予測できるから、少しでも早めのその芽を摘んでおくことにした。

・・・というわけで、これから老僧を連れ出しに寺へ出かける。
それから老僧を連れて石見銀山へ帰って自分の仕事を進めることにする。
老僧の方は、もう何年も前から人生をこんなもんだと割り切って毎日を過ごしているから聞きわけが良い。
これも、老人特有の突発性癇癪や慢性手慰みが絶え間なくくり返されるが、そんなもんだと思ってしまえば気にもならないで付き合える。
おかみさんに厳しく叱られ続けられるよりはましだろう。
何処かで美味い飯を食べても良いかも知れない。

久しぶりにノッチが自分の近況を告知していた。
同じ華やかさでも、本堂の薄暗がりで鈍く浮き上がる山寺の荘厳とはえらい違いだ。
そろそろ来年の万善寺カレンダーを思いつく時期になってきた。
久々に絵でも描いてみようかと思っているところだがどうなることやら・・



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【生存確認】・・・OKです。

もうすぐクリスマスみたいっすね。
みんな半袖短パンっすよ。
#クリスマス#イルミネーション#街が#華やいでる#ここ#常夏#シンガポール。
#季節感#zero
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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石見銀山野外彫刻二人展 

2014/11/21
Fri. 07:52

キーポンの試験週間が始まった。
11月はこんなに早く過ぎていたっけ??
これで彼女の試験が終わったら、アッという間にクリスマスや年末になって正月になってしまう。
もう、2014年もほとんど終わりに近いということを改めて実感している今日この頃であります。

昨年から、石見銀山地内の数少ない田んぼの一箇所を借りて農閑期の冬の時期に彫刻を設置させてもらっている。
吉田家の二人の彫刻家は島根県での発表をほとんどしない。
それにはまぁ色々とわけがあって、ことの発端は30年も前にさかのぼってしまうからあっさりと割愛するが、当時の島根県の彫刻事情は、結局この30年間ほとんど変化することなく現在まで継続しているようだから、むしろそれはそれで島根県独特の彫刻文化なのだと言える気がしないでもない。

六本木での彫刻発表は毎年行っているし、展覧会が終わって搬出した彫刻は島根に帰って倉庫に保管したら日の目を見ることもなくなることがほとんどだから、それもどこかしらわびしいものでなんとか短期間でも地元石見銀山の皆さんに気にかけてもらうことが出来ればいいなぁと思いはじめたところへ奇特な飲み友達が声をかけてくれて、田んぼ展示が実現したのが昨年のこと。

冬の間田んぼに設置された彫刻は、斜めに差し込む日差しに長い影をおとし、秋の雨に濡れ、冬の雪に埋もれ、色々な表情を見せてくれるから飽きない。
それに期間限定で設置することで、春の田起こし前に撤収した後の自然が造った彫刻の痕跡が面白い。
いずれにしても、既成の展覧会の枠に入らないゲリラ的展示だからなかなか世間に広く周知されることもないままに始まって終わることになる。
自分ではそれはそれでいいだろうと思っていて、今年も声をかけてもらったから一日かけて田んぼ一つを整備して、まずはワイフで女流彫刻家吉田満寿美の3年ほど前の野外インスタレーションを設置した。

今日は七日務めがあるから、それが終わって夕方近くに私の六本木帰りを設置しようと思う。
久しぶりに田んぼの切り株をまたぎながらヨチヨチヨ歩き続けたから、ひと晩寝ている間に膝が動かなくなって大変なことになってしまった。
さて、お経の間きちんと正座できるだろうか・・・
あちらをたてればこちらがおぼつかなくなるし・・・どうも自分の仕事は極端に走っていけない。

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いい転機 

2014/11/20
Thu. 09:04

七日務めが金曜日に重なって、そのうえ来週の金曜日はコンサートの準備も重なることになってしまった。
50軒足らずの山寺の檀家さんなのにここまであちらもこちらも重なったりすることなど皆無に近いことだから少々苦労している。
寺の方は自分一人でなんとかなるが、コンサートの方は八方お願いすることばかりなのでどうなることやら・・・

先日の葬儀は坊主三人が招待された。
万善寺ではめったに無い久々のことだった。
老僧が健在だった頃は、私の事情も無視されて世話人さんと勝手に決められたまま鐘つき坊主を務めることも多かったが、最近はそういうこともなくなって久しい。
坊主が兼業で何かの定職に就いていると、平日休日関係なく、必ず1日は葬儀にお付き合いして兼職を休むことになるから、職場へ多少の迷惑をかけてしまう。
昔は学校の先生に坊主が多かったりして、自習になることが結構多かった。
平成の時代になると公務員の就業がしだいに厳しくなって、先生が坊主だったりすると若い保護者から兼業を指摘されることも多くなった。
「先生が坊主のアルバイトをしている」などといったふうに思われてしまったりするともうどうしようもない。
なかなか厳しい世の中になったもので、正義感の強い真面目な小心者の私など痛くもない腹を探られて悶々としながら暮すほどの強く図々しい精神力もないまま、とっとと定職を辞して坊主と彫刻家に絞ってフリーターニートオヤジになった。

生きる気力も職の研鑽も萎え、過去の知識経験にすがりつくばかりでぬけがらのごとき状態に気づかないまま、まわりの迷惑を無視しつつ我が身かわいさでしぶとく職にしがみつくのもどうかと思う。
頭も身体も精神も老化は避けられないことだから、それはそれでそれなりに出来ることを探せばいいことだ。
さまざまな不安や不満と向き合いながら懸命に生きていたまだ若かった頃の自分を思い出して、次の世代に託すことくらいの余裕を持ちたいものだ。

近年の彫刻は、行き先や設置場所をおおよそ決めて、その交渉をしながら制作するようにつとめている。
少し前まではそのようなことを考える余裕のないままひたすら造りたいものを造りたいように造って発表して、それで終わっていた。
気がつくと自分のまわりの迷惑かえりみず、アチコチに昔の彫刻が投げっ放しになっている。
自分にとっては大切なものでも、他人はそう理解してくれない。
ジャマだと言われたりゴミだと言われたり、なかなか厳しい現実がある。

11月に入って倉庫の整理を始めたら、なかなか制作に手が回らない。
これからせいぜい20年も制作を続けることが出来るかどうか・・・
過去の遺物の粗大ごみになって、産業廃棄物や再生ゴミで処理されておわりにならないように・・・最近はそのことばかり考えながら制作を続けている。

いずれにしても長い人生、時々に巡ってくる節目をどう乗り切るかが鍵になる。
オヤジだけではない、吉田家の子供たちも、それぞれがそれぞれに転機を向かえているようだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
責任と目標という言葉が大嫌いで、姉ちゃんから"お前は社会不適合者だ"と散々言われ、ひたすらニート生活を謳歌していた私が、ご飯食べる間も寝る間も削って仕事をしている奇跡。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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健さん逝く 

2014/11/19
Wed. 09:11

赤瀬川さんの次は健さんです。
坊主という職業柄ひとの生死には比較的クールにお付き合いしているつもりだが、やはり何かと思うところもあってしばらくは頭を離れることがない。
春先には安西さんが亡くなって、その時はさすがに少々落ち込んだ。

ひとは生まれた時を起点にしてどんどん年々歳を重ねる。
あたりまえのことだからごく当然のように避けることのできない死を意識しているはずなのだが、やはり日常の暮らしの猥雑さの中でそのことを忘れたまま毎日を過ごしていることが多い。
つい先日、崩れかけた本棚から引き出した一冊の本は、懐かしさのこともあって一気に読み返してしまった。
その本の作家もずいぶん前に亡くなった。
こうして過去をふり返ってみると造形にしても映画にしても小説にしても、表現されたものはいつまでたってもその時々の時代を背景に鮮度を保ったまま老化すること無く光り続けているんだなぁと改めて実感できる。

この度の健さんの死も、避けて通ることのできない事実として受け止めるしかない。
それでも自分の中では、健さんはいつまでもその時々のスクリーンの中で生き続けていることも確かな事実で、その気になればいつでも逢えるという気楽さがないわけでもない。
スクリーンの健さんは、いつまでたっても歳をとることがない。
赤瀬川さんの千円札にしても半村さんの仙田にしても健さんの島勇作にしても上京して間も無い20歳の自分を思い出させてくれる。
日々悶々としつつ、かといって極度に落ち込むこともなく、それなりに刺激のある毎日をくり返していた頃の新鮮な自分を思い出させてくれる。

良いも悪いも含めて、今をコツコツと生きていくことが出来ていればそれでいいと思う。
安西さんのようにバタリと、健さんのように潔く死にたいものだね。
見苦しく死んでいくことだけはしたくないな。

健さん、たくさんの感動をありがとうございました。
こころから冥福を祈ります・・・合掌

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知吾忘我 

2014/11/18
Tue. 09:11

先週末から4日間は山陰の冬を思わせる曖昧でぐずついた毎日だった。
ドンヨリと曇った空から時折激しく雨が降りはじめ、しばらくして一気に日が射したかと思うとまたどしゃ降りになる。
なんとも先の読めない天候の赤来高原と石見銀山を昼夜問わずひたすら往復した。
そんな天気が続いたものだから、結局葬儀に続いて予定していた納骨は延期することにした。
遠方のご親族は納骨に立ち会えないことになったがそれも仕方の無いことだろう。

それにしても、この度の葬儀は何かと気を使った。
坊主がここまで気を使うというか仕切るというか、そういうことはめったに無い。
だいたいが葬祭屋さんか地域の世話人さんが取り仕切って、すべてのことが粛々と進んでいくものだが、今回はそのある意味仕切り人がいないまま、ことが先へ進んだ。
それというのも、それまで自治会の葬祭を延々と長い間引き継いでいた仕切り人のお母さんが亡くなって、当然その仕切り人が喪主さんになってしまったわけで、それまで彼に任せっきりだった全ての葬祭ごとが宙に浮いたままになって、まとめ役もいないまま迷走をはじめ、おまけにその喪主が私の幼稚園からの同級生だったりしたものだから、夜昼関係なく連絡が入ってくるし、なかなかややこしいことになってしまったのだ。
それでなくても少ない万善寺の檀家さんだが、そこへきて地域のほとんどが浄土真宗の門徒さんだから、葬祭ごとは浄土真宗のノリで進んでいく。
白木の位牌も龕も幡も塔婆も六道さんも何も揃っていなくて、坊主がまずはそこからことを進めなければいけないことになって大変だ。
肝心の喪主本人が曹洞宗の坊さんを「ゴインゲさん」などと平気で呼んだりしているわけだから頭が痛い。
これも自らの布教活動の怠慢と、まったくもって不甲斐なく自責を噛みしめるばかりであった。

どうも歳まわりのせいなのかどうか、私の同級生というか、同年代の連中は、アチコチで仕切り人が多い。
友達の少ない自分のまわりを見渡しただけでも、思い当たる人物があきれるほど多い。
残念ながら今回の喪主さんもその一人だし、かくいう私自身もその部類に属する。
良く言えば信頼してお任せできる人であり逆だと都合のいいただのおせっかい。
使われやすいが使い難い。
おだてには軽くのってしまうが、我が強くてすぐにヘソを曲げる。
などなど・・・

これも同じ歳の何処かの国の総理大臣など正に絵に描いたような我欲の人物である。
地域の葬儀の仕切りを嬉々として働く程度だったら都合よく好かれもするが、一国のお祭りごととなるとなかなかねぇ〜・・・
そもそも、人物の器というものが知れてますから・・
学問知識博識だけでは、その程度のものですよ。
吾を知って我を忘れるくらいでないとなかなか打算を越えて信頼できる一国の長にはなれないでしょうね。

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坊主走る 

2014/11/17
Mon. 03:58

富山町の文化祭に吉田満寿美の彫刻を展示させてもらったので、会場の受け付けがてら屋台や出し物を楽しませてもらおうとはりきっていたら、急な葬儀(って急なのはあたりまえのことだけど・・)が入って、朝から赤来高原へ走った。
前夜に枕経へ出かけた時、喪主さんと色々打ち合わせをしておいたのだが、その後ひと晩の間に何度か確認の電話が入って、それと対応しながら過去帳を確認したり戒名を考えたり中陰表を整えたりしていたら深夜になっていた。

寝不足気味でシャンとしないまま富山町のセンター長さんへ朝早くに事情の連絡を入れて昼までに入棺から出棺と荼毘までのおつとめを済ませた。
万善寺周辺の地域は、自治体の申し合わせで葬儀の前に荼毘を済ませてしまう。
これは私が子供の頃からすでに地域独特の慣わしになっている。
坊主としては、葬祭の決まった法式にそぐわないところもあって解釈に苦労するが、地域のみなさんの共通理解で決まったことだから、それに従いつつ山風を因に各寺の考えで法式を読み替えたりして工夫している。
万善寺も老僧が工夫してきた法式をもとに私が引き継いで今に至っている。

荼毘までおつきあいして、その足で富山町まで走ったから結局昼食を抜くことになった。
通夜までにいろいろ書き物があるから、展示場の様子をうかがったあと急いで帰宅した。
試験が終わったキーポンがノンビリと炬燵に潜り込んで猫とたわむれている。
ワイフは石見銀山の文化祭に出かけたまままだ帰っていない。
三時のおやつがわりになったお昼ご飯を簡単につくって食べた。
それから頭にバリカンをあてて身だしなみを整えてから墨を擦りはじめた。
塔婆書きをしていたらワイフが帰ってきた。
とにかくなんとなくあわただしくて落ち着かないまま、改良衣に着替えて葬祭の会場まで結界君を走らせた。

この2日間でかるく300kmは走っている。
いささか疲れもたまって身体に重たさを感じつつ通夜をおつとめした。
帰宅したら珍しくワイフが寝ないで待っていてくれて少し元気になった。
留守の間に2週間前のキーポンの受験結果が届いていて、ひとまず合格はしていたようだ。
試験の直前になって彼女なりに頑張っていたからきっとホッとして嬉しかったことだろう。
そういうことが伝わってきたが、あえて無視した。
今ここで手軽に進路を決めてしまったら、これから来年の春まで緊張感の無いままだらしなく遊んでしまって終わりだ。

夜中に目が覚めたら彼女はあいかわらず炬燵に潜り込んで寝ていた。
猫のクロが添い寝している。
私が無視したものだがら機嫌が悪いまま、それでも自分のベッドで寝ようとしない。
もうそろそろキッチリと親離れしてもらわないと困る。
雨が降りはじめて外がうるさい。
雨の葬儀と納骨になった。
お墓までの道があるから長靴を用意しておこう・・と思っているが、忘れそうだなぁ・・

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蜩の記 

2014/11/16
Sun. 07:50

早朝6時過ぎに石見銀山の吉田家を出発して松江へ向かった。
空に残った雲のおかげでそれほど冷え込むこともない。
それでもキーポンは寒い寒いといっていた。
最初の予定では、前日にワイフとキーポンが松江で一泊することになっていた。
その後、色々あって結局当日の朝の出発でいいだろうということになった。
一週間が過ぎるのは早い。
11月に入ってキーポンが2回目の受験日をむかえた。

今月はアチコチの自治体で文化祭が行われる。
石見銀山も現代彫刻小品展を行った会場で文化祭が行われる。
民生委員や婦人会など、町内の幾つかの役職を引き受けているワイフはとても忙しい。
それに加えて私の方が別の自治体の文化祭へワイフの彫刻を展示しようと言い出したものだから、余計に忙しくなってしまった。
これに各地の神社で秋の大祭が始まったりして毎週誰かが何処かで用事があってこの時期の田舎暮らしはあわただしい。
吉田家の場合はキーポンの受験も加わったものだから近年になく目まぐるしく毎日が過ぎている。

結局はどれもこれも避けて通れないことなので、夫婦で手分けをしたり、もしくは一緒に行動したりして付かず離れず適度な距離を維持しながらお互いに用事が偏らないで分散できるように調整して乗り切ろうとしている。
今回も、どうせ慌ただしさが変らないのなら家族三人で一日を一緒に行動してしまえばその方がかえってシンプルにストレス無く過ごすことができると思って早朝から石見銀山を離れたわけだ。

松江へ着いたら他の受験生も似たような感じで、お父さんが運転したりお母さんが運転したりして家族三人の車が駐車場へ並んだ。
時間がきてキーポンが試験会場に入ってからワイフと久々に・・いや、何十年ぶりに映画館へ入った。
暇つぶしも兼ねているが、こういう時の家族がバラバラだとお互いにいらない詮索をしたり、場合によっては気がつかないままそれぞれ勝手に「〜のにシンドローム」に陥ったりして、それでなくてもそれなりに受験生の不安を家族が共有しているわけだから精神衛生上よろしくない。
キーポンも、「自分が緊張して受験している間にオヤジ達はのんきに映画を観て楽しんでる・・」くらいに思っておいた方が、親の期待の重圧を感じないですむ・・などと都合よく理由をつけた。

土曜日の朝の映画館なのに目茶苦茶空いていた。
吉田夫婦と、あとご婦人がひとり。
結局都合3人の貸し切り状態でのんびりと映画の世界に浸った。
数年前に直木賞になった「蜩の記」は、丁寧につくってあってとても良い映画になっていた。
なんとなく心落ち着かなく気持ちの潤いも消えてざらついた毎日を過ごしていたから、感情の湿り気が戻ってきたようで清々しい気持ちで席を立てた。

携帯電話の電源を入れたら、着信が山のように入っていた。
寺からの着信もある。
「これは、葬儀だな・・」
一瞬で確信して現実に返った。
これから年末年始にかけて七日務めがしばらく続くことになった。

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雨やどり 

2014/11/15
Sat. 05:30

このところ七日務めが続いていて一週間がアッという間に回ってくる。
いつものように般若心経や修証義などをおつとめして、このたびは発願利生から布施・愛語・利行・同事のところを少しお話をさせてもらった。
喪主さんは、老僧の代から比較的親しくしてもらっていて、そのせいかどうも日常の付き合いの延長のような感じで緊張感というか信心というかそういうものが軽く滑ってしまうところがある。
それでも、一週間ごとにお話をさせてもらっていると、最近では少しずつ落ち着いて話を聞いてもらえるようになってきた。
坊主がなれなれしく世間付き合いしすぎるのも考えものだと、こういう時に思ってしまう。

改良衣のままホームセンターへよって寺の日常品を買い込んだ。
若い頃からほぼ半世紀以上家計を老僧へ任せっきりだったおかみさんが、最近になって家計の世話をするようになってきた。
代替わりの前後から老僧の事務能力が低下しはじめて、公私共に色々不具合が出始めてからやっとおかみさんが本気になりはじめた。
もともとが趣味もなく真面目に厳しく家事を切り盛りしているような性格の人だから、老僧の老化を素直に受け入れることができなくて毎日イライラしながら過ごしている。
微々たる年金で日常の暮らしを維持してもらわないといけないから、デイサービスの贅沢も本気に進めるわけにいかない。
訪問介護や通院に薬代と何かと出費が増えて、結局は吉田家の家計を圧迫している。
年寄りが長生きするのもなかなか厳しいものがある。

庫裏から本堂をひと回りして、灯油の世話やストーブの試運転や線香ロウソクの補充や・・・シッカリしているようでもどこかしら抜け落ちている老僧夫婦の日常の不具合を色々と点検してしばらくおかみさんの独り言に付き合う。
そのうち延々と同じ話がリピートされはじめるから、用事のあるフリをしてそろそろと動き始めてその場を取り繕う。
ロフトの書斎件寝室にある埃をかぶった本棚から昔の小説を引き出してしゃべり続けるおかみさん相手に暇つぶしをした。

崩れかけた本棚には、もうかれこれ40年近く前に読んだ本が並んでいる。
あのころは贅沢にもハードカバーの単行本を集めたりしていたことを思い出した。
積年の埃と日焼けで見る影もなく痛んでいるが、大洋堂書店と印刷されたブックカバーが懐かしかった。
まだノッチが町田の方で暮していた時に小田急線で大洋堂のあった梅ヶ丘を何回か通過した。
今ではそのあたりも高架橋になって梅ヶ丘公園もホームの壁に隠れて見えない。
駅前開発で大洋堂はどうなったのだろうか・・・
梅ヶ丘から代田方面へ10分ほど歩いたところのアパートに住んでいた。
国士舘が近くにあって学生がウロウロしていた。
荒木一郎が近くに住んでいて、時々流しの屋台ラーメンで一緒になった。
だいたいがロレツがまわらないくらいに酔っぱらっていたが、キレイなオネエサンと一緒だったりする時は無口にカッコよかったりして、屋台に寄ることもなかった。

懐かしい本の中から1冊抜き出して自宅へ持ち帰った。
もう夕方になっていたから、風呂掃除をしてお湯を溜めてからその本を持ち込んだ。
半身浴をしながら短編を一つ読んだ。
その本の話の舞台が新宿要町あたりで、当時入り浸っていた飲み屋のことを思い出した。

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寒い夜 

2014/11/14
Fri. 09:04

コンサートのチケット販売が伸び悩んで苦戦している。
だからと言うわけでもないが、チケットをしのばせて幾つかの用事を兼ねて浜田まで出かけた。
自宅を出る時間が少し遅れてしまったので高速料金を片道分奮発した。
そのお陰か、1枚売れた。
浜田には水揚げされる日本海の魚が集まるお魚センターがあるので、帰りにそちらへ寄った。
でかいヒラメとそれなりに大きい鯛一匹(のアラ)を買った。
〆て1050円也。
最近の日本海は天候不順だし、平日のお昼時だしするから、安くもないが高くもない買い物だと思う。

大型バスの観光客がドッとおしかけて、旅の恥をかき捨てていた。
彼等は遠慮というものを知らない。
図々しくて品がない。
アラを買うために色々目で追いかけて品定めをしながら20分ほど順番を待って、2分で買い終わった。
群集の心理というか旅の高揚感のせいか、とにかく同じ日本人として教養を疑う。
ひとごとの事なのになんとなく気持ちが落ち込んで帰り道が長く感じた。

夕食は3種類に味付けされた鯛とヒラメで食卓が一杯になった。
大きめの洋皿からぶつ切りにしたヒラメの骨がはみ出る。
目の下や顎の肉にあばらやえんがわの肉だけで腹いっぱいになる。
鯛のダシをタップリ吸い込んだ白菜が美味い。
親子3人でパクついたが、それでも完食できなかった。
つまみ食いの得意な猫のシロがひとしきり狂ったように鳴いていた。
猫フードしか食べないクロは知らんフリで爆睡している。
久々に贅沢に腹いっぱい魚をむさぼった。

キーポンが四畳半の書斎を占領してから、もう2ヶ月近くになる。
途中、衣替えの時期にもなったから模様替えをしてオヤジの書斎的色彩を強調してみたが効果がなかった。
・・というより、それがかえって逆効果で完全に炬燵デスクを占領されてしまった。
寒くなってからはそのまま朝まで炬燵に潜り込んで寝てしまっている。
なにげなく人恋しい感じのクロが最近はキーポンの隣を占領しはじめた。
おまけにシロまでやってきて炬燵に潜り込む。
結局、オヤジの居場所がなくなって最近は火の気のないところでシュラフ暮らしが増えてきた。
占領された炬燵で爆睡するネコチャンズとキーポンの隣で、真夜中になってからゴソゴソとデスクワークにとりかかる。
久しぶりになっちゃんの書き込みを見た。

〜〜〜〜〜〜〜
今日の衝撃。
大学2年生ハタチの子が、31日がある月は毎年変わるって思ってた。
他のハタチの子はスイセンをネギだと思ってた。
他のハタチの子は彼岸をカレギシと読んだ。。
日本大丈夫か??
〜〜〜〜〜〜〜〜
なっちゃんも大人になったなぁと思いつつ、いつのまにか一般常識が理解できる娘に育ってくれていて嬉しかった。
このままいけば、あの非常識な観光客よりはマシなおばさんになってくれるだろう。

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501 

2014/11/13
Thu. 04:53

Huluで「舟を編む」を観た。
少し前に「まほろ駅前~~」を観てから三浦しおんづいている。
テレビ東京の30分ドラマ「まほろ~~番外地」も一気に観た。
テレビ東京というと「孤独のグルメ」も面白い・・が、話がそれた・・・といっても、そんなに確たる信念を持って毎日のお題を決めているわけでもないけど・・

いずれにしても、小説も含めて最近三浦しおんとの距離が近づいている。
ご本人には失礼なことだが、趣味読書の素人ごときにえらそうな感想も言える立場でないことを知りつつ言ってしまうと、どこといって特にドラマチックに盛り上がるストーリーでもない気がするし何が面白いんだろうとよくわからないまま、それでもダラダラと最後まで読んだり観たりしてしまう、そんな不思議なところがあって、結局はそのあたりが魅力にもなっているのだろうと思っている。

その「舟を編む」にデニムとジーンズの話題が出てくる。
私の世代は・・と勝手にザックリくくってしまうと・・ジーパンとかジーンズと普通にそうよんでいたが、最近ではデニムといっているらしい。
ジーンズごとき(失礼)をファッションの1ジャンルとして認識していないところもあるオヤジのノリでは、そのような作業用の丈夫なズボン(又はパンツ)をどのように呼ぼうがどうでも良いことだと思いつつ、一方では自分の生涯におけるジーンズの立場は白衣改良衣に雪駄の坊主スタイルと同等以上の定番になっていて切っても切れない関係が成立している。

世間では「万善寺のおぼっちゃん」と呼ばれていたまだ私が幼少の頃は、ズボンというと折り目のスジのついたナイロン配合の少年用スラックスしか履かせてもらえなかった。
あとは小学校へ通学する時の学生ズボン。
そとで遊ぶ時は、山も川も田んぼも畑も、学生ズボンのお古に履き替えて使い回していた。
そんな環境の中で、小学校のある町場の少年たちが私服で普通に履いていたのがジーパンだった。
そのジーパンは、まだ白黒のテレビで観ていたジェームス・ディーンやスティーブ・マックイーンなどのアメリカの俳優さんがカッコよく履いている姿とダブって、お寺のおぼっちゃんの憧れと嫉妬の的だった。

実は、何を隠そう・・といって別に隠すほどのことでもないが・・私がはじめてジーパンを履いたのは高校生になって一人暮らしを始めてからだった。
松江の天神町にあったお店で買ったエドウィンが最初だった。
貯めたお小遣いを握りしめてその店に入って、定員さんにサイズを測ってもらって裾あげもしてもらったジーパンは結構高かった。
似合っているのかどうかもわからないまま、学校から帰るとだいたいそのジーパンに履き替えて過ごした。
高校を卒業して東京へ出る時もそのジーパンを履いていた。
そうやって4〜5年目にバイトで貯めたお金を握りしめて、アメ横のたしか田中商店だったか中田商店だったかで2本目のエドウィンを買った。
その時に米軍のアーミージャケットデッドストックを一緒に買った。
ポケットの裏生地が、花柄の女性用の生地で縫ってあって、なんとなく金髪のキレイなオネエサンを想像したりして胸がときめいた。
その年の冬にそんなスタイルで帰省したら、おかみさんのひんしゅくをかった。

今はリーバイスに変った。
どうしてそうなったかというと、それを思い出すだけでも涙が出るほどつらい出来事があった。
機会があったらそのことはまたいずれ詳しくお話します。

というわけで、20代の後半からリーバイスの501を履き続けている。
すでに5〜6本履きつぶした。
まだ定職についていた頃には、転勤の餞別に黒の501をプレゼントしてもらったこともある。
WとLのサイズがノッチと一緒だったから、彼女のお下がりをもらったこともあって、今も洗濯替えでそれをしぶとく履いている。
確か誕生日だったかにあわせてワイフも2回くらい買ってくれた。
そうやって更新をくり返しながら今に至るが、最近まともなリーバイスが1本だけになってしまってどうも都合が悪くなったものだから、思い切って久々に黒の501を通販で買った。
この30年以上サイズが変らないので、あとは生産国をチェックすれば通販でもほとんど外れることはない。
昨日ノンウォッシュが届いたから、しばらく部屋着で履きならした後洗濯しようと思う。
・・・さて、これから死ぬまで何本の501を履くのだろうか?

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〜のにシンドローム 

2014/11/12
Wed. 10:01

そろそろ冬支度が本格的になりはじめた。
島根は1日ごとに天気が変りはじめ、石見銀山では紅葉も見頃になってきた。
大森小学校でのコンサートが近づいて、チケットの販売も佳境に入っているはずなのだが売れ行きはサッパリ。
朝に昼に夕方にアチコチ回っているがなかなかお目当ての人と逢うことができなくて苦戦している。
高校生以下が無料ということでも、ちょうど学校の試験があったり新人戦や受験やコンクールや学習発表会や、まぁ子供たちなりに忙しい毎日の最中で冷む風の吹く晩秋の夜にコンサートへ出かけようという余裕もなさそうだ。
当日の暖房用に借りたストーブを仕事の途中に小学校へ運んだ。
ちょうど先生方は職員会議中で、子供たちは一輪車で遊んでいた。
彫刻のワークショップでつくった石の花鉢が花壇の脇へ並べられていて雨水が溜まっていた。
石彫の道具を貸しておいたから、あれから昼休みや放課後の時間を使って子供たちがコツコツ穴を叩き広げているらしい。
校務技能員のオジサンや職員の皆さんと相談して、適当な時に水抜きの穴を空けておこうと思う。
小学校の近くにある精練所後の遺跡が紅葉でキレイだった。
幼稚園の隣の落葉松もキレイに色づきはじめていた。

チケット販売も成果が出せないまま工場へ帰って、そのまま倉庫の片づけにとりかかった。
ずいぶん長い間貸してもらっていて整理もいいかげんなまま散らかっているので、家主さんから整理しろとの指令が下った。
自分のものなら取捨選択してサッパリとゴミにしてしまうが、家族のものまでそうするわけにもいかないからズルズルと整理できないまま月日だけが過ぎてしまう。
じゅん君の荷物になっちゃんの荷物。
それにワイフの彫刻が一番場所を取っている。
とにかく荷物移動のルートを確保する必要があるから耐火ボードの壁を一つ抜いた。
これで大きな収納棚やワイフの彫刻が台車で移動可能になる。
日も短くなってすぐ日が暮れる。
それなりに気持ちばかりは焦っているつもりだが、だからといってどうなるわけでもないし、なるようにしかならない。

こういう時に、ふと気を抜くと知らない間に「〜のにシンドローム」に陥ってしまったりしている。
あぶないあぶない・・・坊主にあるまじき邪念である。
仏教では「二利同時」の実践を提唱している。
自他共に幸せを感じられるための行いを心がけて生きることこそ仏法興隆の原動力となる。
ボロボロの布を巻き付けただけのみすぼらしい法衣で雲水修行に励む僧侶に、あまりにも気の毒だからと自分の着物の裾を破り取って法衣の繕いの足しにでもしてくれと差し出し施した、これもみすぼらしい様子の人があった。
この行いが布施のはじまりとされている・・・が、定かではないものの、まんざら間違っているわけでもないと思う。
財を施すだけが布施ではない。
一歩引いて自分の周囲を見渡すと二利同時は、至る所に見つけ出すことができる。
「オレはこんなに頑張ってチケットを売ろうとしているのに、だれも買ってくれない・・」
なんて、思ってしまったりするともう坊主失格だね。

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女流彫刻家 

2014/11/11
Tue. 09:42

日曜日まで降り続いていた雨があがって月曜日は朝からいい天気になった。
ずいぶん前から富山町での文化活動に少しでも協力できないかと思って相談していたら、11月の文化祭に彫刻展示をしてみないかとお話を頂いたので、1日がかりで女流彫刻家吉田満寿美の彫刻を4点ばかり搬入した。

会場は旧富山小学校の1・2年教室。
ほぼ正方形のこぢんまりしたかわいい部屋が生徒昇降口の隣にあって、廊下側の前後と、直接昇降口側のテラスへ出られる大きな引き戸が3箇所にある至れり尽くせりの教室になっている。
校舎に入らないで直接テラスから教室へ出入りできるところが開放的でいい。
富山町の子供たちがこの小学校へ通っていた頃は毎日が賑やかで楽しい学校生活をおくっていたのだろうなぁと思いつつ、部屋の掃き掃除をした。

いつもお世話になっている大工の棟梁の軽トラックを借りて2往復した。
吉田満寿美の彫刻は、柔らかい感じのほぼ球体に近い三次曲面を基本的な核にして、植物の花弁や葉のような形態がそれにつながるロマンチックで幻想的で印象的なかたちをつくり出している。
こういうタイプの立体造形は、「彫刻」という概念的な形状の解説では説明できない、有る意味で彫刻らしからぬ現代彫刻であると思っている。
反面、見た目の形態の柔らかさから想像できないほど結構丈夫にできていて重量もある。
軽トラックにこの大きなまあるいかたまりを二つ三つ乗せて国道を走っていると相当量の視線を感じる。
だいたいが日頃からなにかにつけて見とがめられることに慣れているからいつもは気にもならないが、むくつけき運転手とあまりにもタイプの違うワイフの清楚な彫刻を運んだりしていると、さすがにどことなく恥ずかしい。

自分で彫刻を造っているわりに、あまり彫刻のことを勉強していないからなんとも言いにくいことだが、私はワイフのこのようなタイプの彫刻を高く評価している。
少しばかりその気になって各種現代彫刻を見たり、そういう展覧会を観たりするとわかると思うが、彼女の彫刻は素材や表現全体にしっかりと彫刻家吉田満寿美としての一つのジャンルタイプをつくり出していると思う。
もう何十年も彼女の制作を見続けていると、制作中の集中力と持続力、それにブレの無い方向性を強く感じる。
いろいろな忙しい仕事の合間をぬって短期間につくり出す造形力の安定した確かさもなかなかのものだと思っている。

あまり積極的に発表の機会をつくることもしないで、コツコツとコンスタントに地道に制作を続けているから、今回のように大作をまとめる機会もそんなに多くない。
女性作家で制作を続けていることも珍しい。
そんな吉田満寿美の影響もあってか、島根県では少しずつ若い女性の彫刻家が育っている。
こんどの文化祭には、彼女の大学の後輩で大田市在住のノリちゃんも自分の彫刻を展示する。
数少ない機会だから近所の人は是非旧富山小学校の会場へ見にきて欲しい。
11月16日の日曜日が富山町の文化祭です。

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無欲に生きる意欲 

2014/11/10
Mon. 09:53

留守にしている間に宅急便でお酒の箱が届いていた。
送り主は京都のiさん。
地元京都で3つの彫刻展に大作の野外彫刻を出品し続けている彫刻家で、六本木の展覧会へは共同出品をしていただいているメンバーの一人だ。

山陰で彫刻を造っている連中が集まってトラックをチャーターして東京の展覧会へ共同出品を始めてからもう20年くらいにはなっていると思う。
その間に諸経費がどんどん上がって頭割りの出品費用がどんどん膨らむから、とにかく頭数だけでも増やそうと思いついたのが共同出品の作家拡大。
山陰両県はもとより、最近では山口で孤軍奮闘している彫刻家のtさんと、その京都のiさんが加わってくれて、経費的には一時期より少しばかり軽減できるようになった。
彫刻の大小や重軽や距離の遠近でそれぞれ差をつけはじめるとキリがないから、とにかく単純に経費計算できるよういろいろ工夫しながら毎年乗り切っている。
だから、共同出品の仲間は負担の大小でとやかく詮索することもなく割り切ってそれぞれの役割を全うできればいいと思っている。
出品歴が浅ければ彫刻の制作に集中して完成度を高めて入選をめざすことが務めになるし、力持ちには搬入や搬出の仕事にせいを出してもらうし、時間に余裕のある人がいちばん働けばすむことだし、とにかく分相応に自分の務めをはたしてもらえばそれでいいとお互いが納得して自分の役割を務めてもらっている。
京都のiさんには、毎年搬入も搬出も六本木の受付で働いてもらっていて、他の共同出品メンバーはとても助かっている。
そんなわけで、みんながそれぞれ自分の役割を決めて働いているから特に改めて酒の箱など送らなくてもいいと思っているのに、本人はそうしないと気が収まらないという。
毎年同じことのくり返しも受け取る側は恐縮ばかりだが、それぞれがそれぞれの思いで過不足なく付き合っていることだろうから、最近はもう細かいことは気にしないでこんなもんだと思ってありがたく頂戴することにしている。

そのiさんは作品の完成度が評価されてこのところ受賞が続き、ついに審査委員へ推挙された。
普通に目出度いことだが、一方で困ったこともある。
見てみぬ振りで済ませていた受付当番の仕事をiさんへ任せることが出来なくなってしまった。
これからまた試練の1年が始まる。
「毎年遠くへ彫刻出品することも大変で疲れてきたから、そろそろこれで最後にしようと思って大きい彫刻を造ったんだけど、やめることも出来難くなって・・・」
お礼の電話をしたら、ご本人がそうおっしゃっていた。
欲張らずその時出来る精いっぱいのことに励む姿を、見る人はちゃんと見ていますよ。
結果はそうやってついてくるものだと思う。
意欲と我欲は紙一重で、欲も過ぎると見苦しくなるだけ。
世間にはそうやって見苦しく生きて見苦しく死んでいく方々がどれだけ多くいらっしゃることか・・・
地球社会の生き物の中で、欲を意識して暮しているのは人間だけだと思う。

シロの具合が悪くなって病院のお世話になった。
少し前にはクロが瀕死の重体で入院までしているからなかなか厳しいところでもあるが、そのままにしておくわけにもいかないからと、ワイフが嫌がるシロをゲージに入れて病院までつれていった。
結局幾つかの薬をもらって様子を見ることになった。
シロもクロも自分では苦しいともつらいとも言わないでジッと絶えている。
その姿がいじらしくなって結局ほったらかしに出来ない。
いろいろ粗相をしたりいたずらをしたりしながら、人間と付かず離れず暮している猫を見ると、それが彼等にとって本当に幸せなことなのかわからにままに、かといって、野良猫で暮すよりは幸せなはずだと人間の勝手な都合で思い込んだりしているところもある。
病気や喧嘩も絶え間ないだろうし、緊張の連続だろう野良猫暮らしは、寿命は短くなってほとんど毎日を運の助けで暮すことになるかもしれないが、窮屈な人間との同居暮らしよりはもっと自由に暮せるのかもしれない。
人間は我欲を捨てて潔く無欲に生きることがなかなかできない。
無欲に生きる意欲がないといけないね・・・実に難しいことだ。

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自適其適・・・ 

2014/11/09
Sun. 10:42

週末からしだいに秋空へ雲が広がりはじめていて、昨夜からついに雨が降りはじめた。
キーポンと1日半べったり一緒だったことは最近珍しい・・というより、思い出すことも難しいほど久しぶりのような気がする・・・といいつつ、進行する老人性健忘症のせいもある可能性がないわけでもないからなんとも曖昧な記憶に頼っているだけのことなのだが・・・とにかく、久しぶりに延々と一緒に過ごした。
ほとんどは結界君の助手席でPTXやマイリーやカルメンや・・・まぁ、彼女のiPodに入っている曲を聴きながら世間話をする程度のことだけど、日頃はそういうこともあまりないまま付かず離れず一緒にいる程度なので今さらながらになんとなく親近感を感じたりしてどうもいつもと様子がちがった。

彼女を面接会場へあずけて、そのまま赤来高原の檀家さんのお宅へ直行した。
山陰道と松江道を駆使して突っ走ってほぼ定刻に到着した。
少し世間話をして2時間の法事をつとめてお墓参りも済ませて携帯の着信を見たらすでに1時間も前に面接が終わっていた。
それからキーポンを拾いに松江へ復路を急いだ。
改良衣は絶対イヤだといっていたから、途中の駐車場でリーバイスに履き替えたりしたが白い鼻緒の雪駄だけは代替えを忘れてそのままなのでなんとも曖昧なカジュアルになった。

松江は、宍道湖の東岸に広がる街でその中央を大橋川が東へ流れて中海にそそぐ。
じゅん君が山陰道から最近バイパスでつながった先にいるから何度も電話したが結局応答がないままだった。
キーポンいわく、きっと部活だろうということで納得した。
彼は今年の春から産休先生で吹奏楽の部活を担当している。
そろそろアンサンブルのコンクール間近らしいからその練習で忙しいのだろう。
そういえば昨年のキーポンも今の時期そうやって遅くまで練習をしていた。
1年がすぎるのは早い。

結界君の燃料を気にしながら境港まで走って松葉ガニならぬ紅ズワイガニを仕入れた。
助手席のキーポンが中海に浮かぶ冬の水鳥を見つけて楽しそうにはしゃいでいる。
とても受験生とは思えないほど能天気だ。
贅沢に山陰道へ入ってからひたすら西走して夕方まだ明るいうちに石見銀山へ帰着した。
ほぼ1日座りっ放しで膝から腰を抜けて背中から首まで鈍く重たく固まった。
歩く姿が老人のスタイルに変っていることがわかる。

1日半ぶりの四畳半ではクロがオヤジの帰りを無視して爆睡している。
シロは何処かに潜り込んで出迎えてもくれない。
夕食の仕度の音が聞こえる。
ストーブも焚かれていて部屋が暖かい。
オヤジ的にはどちらかといえば濃厚な1日半だったと思うのだが、過ぎてしまえば結局相棒の結界君と一緒にドライブに始まってドライブに終わる、どぉ〜〜ってことない普通のことだった。

自適其適・・・べつに込み入って深刻な話題になるわけでもなく、普通に他愛の無い会話だけのことだったが、年頃の娘とそういうふうに付き合えることもありがたいことだと思いつつ、紅ズワイガニをパクつき一合徳利を空けた。

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シンガポールの月 

2014/11/08
Sat. 05:29

久々に松江のホテルで寝た。
キーポンの試験が午前中にあるので、石見銀山の自宅からだと時間的に余裕がないからとワイフが心配して予約を入れた。
私としては、石見銀山早朝出発でも特に問題ないと思っていたが、彼女の考えもあるので従った。
当初はワイフが自分で付添う気満々でいろいろ準備をしていた。
それが、自分の受けた用事と重なっていたことに気づいたのがあまりに遅かった。
私は私で、すでに年回法事の日程が決まっていたのでこちらも動きがつかない。
よりによってこういうこともあるから、人生なかなか気が抜けない・・・とは、少々おおげさかもしれないが、とにかくナントカしないといけないから土壇場であわてた。
結局、法事を1時間遅らせてもらうことで決着して今に至っている。

この近年はホテルで寝ることなど皆無で過ごしていた。
彫刻のことで毎年アチコチ移動しているがすべてとんぼ返りか車中泊ですませている。
東京はおばあちゃんの家かなっちゃんのアパートでお世話になっている。
時々彫刻仲間のアトリエでお世話になったりもする。
そんなことだから、前回どんな事情で何処のホテルに泊まったのか思い出そうとしたがまったく記憶に無い。
そろそろ老人性記憶喪失症が始まっているのかもしれない。
どう考えてもこのブログを書きはじめたころからあとはホテルに縁のないまま今に至っているような気がしつつ寝苦しいまま悶々としていたら知らない間に眠っていた。

だいたいに日頃から石見銀山の谷底の湿気タップリの古民家日本家屋で暮しているから、ビジネスホテルの人工的乾燥状態の環境に自分の身体がついていかない。
この度も夜中に咽の皮がカサカサに乾燥して自分の乾いた寝息に起こされた。
鼻腔の水分が無くなって鼻息が痛い。
こんな状態で修証義と観音経がおつとめできるだろうか・・・だんだん心配になって眠れないまま目が覚めて、結局朝になって今に至っている。

夏からシンガポールで働いているノッチが、幼稚園からの旧友と久々に再会したらしい。
彼女も中学校を卒業するまで湿気の潤いタップリの石見銀山で暮していたから、東京暮らしに変ってから後は乾燥になれなくて大変だったと思う。
そういえば、ノッチの高校受験もお父さんが付き合った気がするが・・・思い違いかなぁ??・・確か卒業式は出席した覚えがあるけど・・・
まぁ、昔のことばかりキッチリ覚えていてもそれでどうなるわけでもないからどうでもいいや!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2日前に銀ちゃんと話しながらみてた月は171年ぶりのミラクルムーンだったらしい!
なんかロマンチックね♪
数年ぶりに会った幼稚園からの幼馴染みとシンガポールで再会してそんな貴重な月をみたなんて...♡

8割くらい外国人客だし基本的にずっと英語で接客してるから、忙しい時にいきなり日本人に話しかけられると日本語がカタコトになる。
きょう日本人客に"日本語上手ですね!"って言われた。
一応"ありがとうございます。"って返しといた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ノッチもそれなりに元気で暮しているようです・・・

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悶々の日々 

2014/11/07
Fri. 07:56

「正ちゃん、空がキレイだよ!」
夕方になって出かける用事のあったワイフが玄関を出るところで教えてくれた。
十三夜は雲ひとつない夜空にミラクルムーンを見ることが出来たし、このところ晴天続きだということはわかっていたが、一日中四畳半の書斎にとじこもっていると雨でも晴れでも関係なくなって気にしないまま過ごしていた。
ワイフのひと言で現実にかえって急いでデジカメ片手に石見銀山の町並みへ出てみると、あたりはすでに夕暮れ時だった。
確かに珍しく雲が広がっている。
こういう薄霞のかかったような空は春先の様子を見ているようでなんとなく気持ちがやわらいでくる。
ひょっとしたら、今夜の月は雲がかかっていい感じで絵に描いたような雰囲気になってくれるかもしれない・・・と、少しばかり期待しながらシャッターを切った。

これから週末にかけて一気に忙しくなる・・・といっても吉田家の身内事情だけのことだけど。
11月は受験生キーポンの試験が続く。
うまくいけば年内に進路が決まるが、現在の状態だとなかなか難しいだろう。
悶々とした正月を過ごすのだろうということがだいたい想像できる。
考えようによっては場数を踏んで試験になれることも大事だし、私も受験はそうやってしのいだ。
面接練習やら小論文の添削やら、昔に比べたら、学校の先生も受験勉強に親身になって付き合ってくれていることがよく伝わってくる。
私が受験生だった頃は、たしか2回程度の個人面談があって、三者面談はする人としない人とあって、「お前は実家が遠いから三者面談はしなくていいな!」などと、軽くいなされて終わってしまったように記憶している。
そうやってほったらかしにされていることも、かえって気楽にマイペースに毎日を過ごすことが出来て良かったと思う。

結局は本人の意思で自分の進路を決めることなのに、転ばぬ先のナントカで手取り足取り親切らしきことが過ぎるというのもどうかと思う。
十代の柔軟で脳みその柔らかい時期は、ほぉっておいてもその気になればどんどんいろいろな知識も吸収して頭に入って記憶できるし、少しばかり負荷があるくらいの方が精神を鍛えることになっていいと思う。
悩み多き十代・・・というやつで、思い返すと私も結構悶々と過ごしていた。
受験勉強もしなければいけないとわかっていつつ、さて「何故ボクはこんなに毎日勉強ばかりしなければいけないのか?デッサンばかり続けている方がもっと実践的に意味のあることなのではないのか?」などと、都合よく悶々としながら、一方でサルトルの未完の大作へのめり込んだり、そうかと思うと笹沢佐保の紋次郎へはまったり、大藪春彦に陶酔したり山本周五郎に泣いたり、チャンドラーを読みあさったり、B2のパネルの点描超大作(結局未完)にとりかかったり、とにかく支離滅裂な受験勉強の日々であった。

4人兄妹の末娘も、早いもので受験生です。
思い返すと、上の三人は気がつかない間に受験して進路が決まっていた。
せめて、末娘だけでも悲喜こもごも受験の悲哀を共有しようという気になりはじめたところです。

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ミラクルムーン 

2014/11/06
Thu. 10:19

何でもいろいろとなにかの特別な日を見つけて話題にできるものだと感心しつつ、月を見上げた。
詳しいことはよくわからないが171年ぶりになるらしい1年に2回目の十三夜だというので、キーポンを迎えに行った帰りに自宅前の駐車場でしばらく月を見上げた。
ヘナチョコカメラマンが愛用のG12を駆使して絞りやシャッタースピードを変えたりしながらその珍しいのだろう月を連写した。
先日終わった年回法事が150年の元治2年で慶応元年だったからそれよりまだ以前のことで、今年と似たような十三夜に巡り合った江戸の頃の人々はいったい何を思って月を見上げていたのだろうと、シャッターを押しながらそんなことを思った。

吉田一家が暮す石見銀山の家は今からだいたい200年前の文化文政以前に建てられたらしいことが分かっている。
万善寺の開山は室町の頃といわれているが、現在までに2~3箇所移動再建をくり返しているから、石見銀山の自宅よりは新しい。
そのことを思うと、久しぶりのことだということくらいは実感できる。
いずれにしても、171年前の月というと気の遠くなるような想像もつかない昔のことだからなんの感傷もないままだが、それでも秋の澄み切った空に浮か姿はなかなか見ごたえがあった。

受験試験間近のキーポンになかなかエンジンがかからない。
「1時間もかからないで小論文かいたよ!」
朝方になって報告してきた。
その前に「800字の80%って何文字くらい?」などとトンチンカンな質問をしていたから、それから後に勉強を始めたくらいだろう。
だいたい試験の内容がわからないからなんともいえないが、普通小論文くらいだとせいぜい20分くらいで終わらせておかないとあとがヤバいんじゃないの?とも思ったりした。
子供の受験にあまりにも無関心だったりすることが我ながらどうかとも思ってまんざら反省しないでもないが、子供自身がのり切っていないのに親が大騒ぎしても今さらどうなるものでもないような気もするし、まぁ自分の人生なんだから自分で何とかするしかないことをわかってもらえるだけでも受験に意味があるのかもしれない。

先日トイレにiPadを持ち込んでウンウンと情報を収集していたら、最近の受験生は早稲田をすべり止めにして慶応を目指すことが増えていると記事にあった。
まったくアホな話だ。
例のナントカ細胞の失態で人気が下がったのだという。
だいたいに、何か失敗があるということはそのズゥ〜ット前から失敗の因が始まっていて、それが飽和状態になった時に露呈するものだ。
失敗がわかって周知にさらされてしまった時がどん底であるから、あとはそこからなんとかしてまともに這い上がっていくしかないわけで、それ以上最悪の状況になったとしても一過性のものですぐに納まる。
組織が硬直して形骸化してしまっていたらどうしようもないが、人間そこまでバカでもないだろうし、少なくても教育機関でもあるわけだから再生も早いだろうし、失敗の清浄化も進むだろう。
私だったったら、本当に本気で学問したいなら今がチャンスと思って少々の頭の悪さを踏ん張ってでも勉強して絶対に早稲田を狙うな。

1年に2回ある十三夜も人間の都合でつくり出したものだろうし、さて、それが世界に通用しているのかも怪しいものだ。
江戸の頃に見上げた月も、昨夜の月も同じ月でなんの違いもないだろうに・・
誰かのマニアックな知識がボリュームアップしてメディアが食いついて都合よく話題になる。
一月在天・・・ただそのことをいつまでも見失わないでいたいものですなぁ・・
とかいって・・・秋の空に浮かぶ月は見事に美しいものでありました。

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技を越える 

2014/11/05
Wed. 10:35

キーポンを学校まで送ったあと、朝のひと時をくつろいでいる。
だいたいがヒマにしているわりには最近まで毎日があわただしく過ぎていた。

三連休も過ぎて石見銀山は少しずついつもの様子を取り戻しつつあるが、それでもまだ大型バスの観光客が時間差でおしかけてくる。
そのほとんどは観光会社の巧妙に仕組んだ平日格安ツアーにまんまと乗っかってしまったリタイヤ組の方々である。
永年勤続三十数年と思われるオヤジさんが延々とほったらかしていただろう奥さんと一緒に何十年ぶりかに運転のレンタサイクルに乗ってフラフラしながら町並みの道をにらみつけて石見銀山を上り下りしている。
バスの集合時間があるからと観光ガイドさんの後ろをウォーキングスピードで汗をかきながら団体さんが歩いている。
なかなか観光するのも楽ではないなと思いつつ、コンサートの開催を目指して少しずつ暖機運転を始めたところだ。

茂木なんとかという評論家か研究者かなにかがいて、その人の脳の思考の事を書いた文章を読んで小論文にまとめろと云う受験用課題をもらったキーポンが、私の隣でしばらくウンウン唸っていたが、そのうち静かになって気がついたら大口あけて寝ていた。
一文字も書かないままだったからめんどくさいと思いつつ起こしたら、声に出してその文章を読みはじめた。
耳から入る文字は、オヤジの脳みその想像力をとんでもない方向へねじ曲げてしまう。
はじめて聞く日本語のフレーズが飛び交って支離滅裂だ。
「これなんて読むん?」
時々私に質問してくるが、国語も漢字も英語も単語も苦手なオヤジは解るはずもないので適当に感で答えてごまかしていると、そのうち諦めて電子辞書を持ち出した。
「そんな便利なものあるんだったら最初から使えや!」
一瞬そう思ったが、一応受験生だし不安に揺れ動く心情を刺激してはいけないと思ってググッと我慢する。
オヤジの書斎は完全に乗っ取られた。
こういういいかげんな環境と勉強ではなかなか結果も出せないだろう・・・
それにしても、今どきの小論文教材はどうかと思う。
その茂木なんとかという人のこむずかしい文章など、そもそも1冊の本になって出版されていることそのものが紙の無駄遣いだ・・・といって、本にもなってないかもしれないけど・・それにしても人間が一生のうちに一度もつわかないような単語熟語を並べて悦に浸っているようなヤツに限って人間が軽薄だったり世間が小さかったりするんだよね。

私が学生時代、お父さんのように慕っていた先生がいて、その人は頑固者で癇癪持ちで気難しいからあまり人気がなかったのだが、私はむしろそのくらいの方が正直に生きているように見えて好ましかったりもしたから、付かず離れずさり気なく仕事のお手伝いなどさせてもらっていた。
卒業するか大学院へ残るか迷いつつ、何もしないわけにいかないからと受験勉強を始めた頃に文章を書くことがあってその添削で云われたことはいまでもだいたい忘れないで覚えている。
「考えることや工夫することは自分の頭の中ですることで、人に解説したり見せびらかすことじゃないよ。お前のは何処かから気に入ったものを見つけて格好つけて写してるだけだな。文章に気持ちが入っとらん」
作品制作のお手伝いをさせてもらっている時も似たようなことをよく云われた。
「モノを造るということは技術が上手なだけじゃダメなんだよ。そればっかりだとなにも越えられないよ。伝統は伝承と違うんだから」
難しいことを考えて難しいことを云うことはかえって易しい。
受験勉強で散々描いたデッサンが、作品らしきものを造り始める頃になってジャマになりはじめたことがあった。
モノを写し取る技など実はどうでもいいことで、本当に大事なのはモノの心柱や本質を正しく見極めることだ。

「茂木さんという人は、普通には使わない難しい言葉をいっぱい使って、(自分はこんなに偉いんだぞ!)と言いたいためにこの文章を書いたんだなぁと思いました・・・とでも書いとけ」
「お父さん、さすがにそれは出来んわ・・」
・・・パジャマ代わりのトレーナーが珍しくオヤジとおソロになって盛り上がっていたキーポンだが、一方なかなか常識者でありました。

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カマキリの斧 

2014/11/04
Tue. 08:49

「今日は早く出かけるからキーちゃん頼むね!」
朝食代わりなのだろうドーナツをほうばりながらあわただしくワイフが出かけた。
低血圧かどうか知らないが朝の機嫌の悪さには定評のあるキーポンを遅刻しないように学校まで送り届けなければいけないのが少し憂鬱だったが、珍しく昨夜は自分で風呂の掃除をして1時間以上浸かっていたから血行も促進されたのだろう、幸い今朝はいつになく機嫌が良くて助かった。
おまけに、久しぶりの好天で青空がキレイで気持ちがいい。
こんな時は外仕事もはかどるだろうと一瞬そう思ったが、一方、このところ寺務手帳に赤と黒で見分けがつかないほどの書き込みが続いているし、1日としてまとまった休みをとっていないから、たまには一人でノンビリ過ごすのも良いかなぁと思いつつ帰宅したら、立て続けに電話が3回鳴った。
1つは近所の友人から仕事打ち合わせ。
1つは寺の東堂さんから。
1つはケーブルテレビさんからコンサート取材の伺い。
何となく休みの出鼻をくじかれたようで、結局「おまえは休んでいるヒマなどないんだよ!」と言われてしまったような気がする。

彫刻の用事が一段落したので倉庫を少しずつ整理して梱包材代わりの古いモーフや布団などを片づけていたら、今年はカメムシが少ないことに気がついた。
いつもだったらこの時期、鉄板の隙間や梱包材の隙間にビッシリ張り付いて越冬の準備をしているはずなのにそれが少ない。
11月の連休も仏事に追われて雨の銀山街道を走っていたらヘビが車道を横断している。
家の中より外にいる方が暖かいし、少しばかり力仕事をすると汗が出る。
そうそう・・・それに、やたらとカマキリを見かける。
少し前には結界君のバックミラーにしがみついて石見銀山から隣の町まで小旅行をしていた。
助手席のキーポンが見つけてひとしきり大騒ぎだった。
別の日はワイパーにしがみついて窓の外からやたらと威嚇していたが、トンネルを抜けたところで姿が消えていた。

数カ月前の開蓮忌塔婆の裏書きへ「生死事大無常迅速」と書かせてもらったが、それ以来この言葉が時々思い出されて、つい先日も150回忌の法事でまた使わせてもらった。
坊主だから仕方のないことで避けて通れないところもあるから、あたりまえに日々感じていることかもしれないが、こうして「生死」について少し踏み込んで意識することが最近増えたように思う。
自分自身が歳をとったと自覚しはじめているからかもしれない。
避けて通れない「死」へ向かって必死で生抜きなさい!・・・といっているわけで、死ぬまでの毎日毎時毎分毎秒をとにかく大切に生きることが大事なのだ!・・・ということ。
自分の意識が正常である限り「死ぬこと」の現実を自覚して受け止めることが出来れば、「生きているということ」に対して感謝の気持ちが芽生えるはずだ!・・というわけです。

今の世の中あまりにも殺伐として見苦しく感じてしかたがない。
ワイパーのカマキリを思い出して、「カマキリの斧」の事を思い出した。
才に溺れ智に溺れ財に溺れ名誉に溺れ権力に溺れ自我に溺れ・・・
そういう自分を見失っている連中がどれだけ多くいることか・・・
どうせ何時かは死んでしまうのにね・・・エゴは墓場まで持っていけませんよ。

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実りの秋 

2014/11/03
Mon. 08:31

石見銀山も赤来高原も秋の色が深まって落葉も進んでいる。
その上最近は雨も降り続いていて、いっきに山陰の冬を思わせる日々が増えた。
現代彫刻小品展の事後処理で事務などを進めていると、益田の作家から連絡が入ってこれから石見銀山へ向かうという。
彼の彫刻を手渡ししたら、あとは徳島の居上さんから寄贈していただいた彫刻だけが残る。
やっと一区切りついた感じだ。

ちょうどお昼のティータイムに益田のTさんがやってきた。
もうずいぶんお歳だからしばらく休んでコーヒーでも飲んでもらおうと思ったが、ワイフが在宅でくつろいでいるから自宅に上がってもらうことも出来なくてそのまま石見銀山の町並みへ出た。
時々断続的に激しく雨が降る変な天気の一日だったが、外へ出てみるとなんとなく生ぬるく暖かい。
3連休ということもあって観光客が町並みにあふれている。
近所のお茶屋さんへ案内したらそこも満席。
Tさんには申し訳ないと思ったが、そのまま倉庫へ走って雨の中彫刻を引き渡して少しばかり立ち話をして別れた。

この連休前から寺の用事が入って銀山街道を落ちつきなく行き来している。
今年は柿の生り年のようで、街道沿いの柿の木は色づいた柿の実がやたらと目に付く。
柿に限らず秋の実が豊作の時は山の動物が里まで下りてくる。
アチコチで熊の目撃が相次ぐ。
だいたいが柿の木の近所をうろついていたということが多い。
万善寺の谷は熊の通り道になっていて、尾根を2つばかりと谷を3つばかりの範囲を行き来している。
近所の人はその熊の一家の行動をよく知っていて、上手に接近遭遇を避けながら暮している。
途中に広島と松江を結ぶ国道があって、熊がどうしてもその国道を横切らないといけないところが一箇所ある。
目撃はその場所と彼等のねぐらにしている里山のあたりに集中する。
初月忌でおじゃましたお宅でお茶飲み話にそのような情報を聞き取った。
私もまだ子供だった頃から「あの場所は熊が出るけぇのぉ〜。用心せにゃぁいけんでぇ〜」などと、お年寄りや先輩の中学生から教えてもらったりしていた。

秋の山はとにかく美味しいものがいっぱいできるから、大人から子供まで休みになるとよく山へ入り込んでいた。
山栗の小さな実を頭陀袋いっぱい拾ったり、黄色く色づいた自然薯のツルを頼ってむかごを収穫したり、天然のヒラタケやシイタケ、それにマツタケにコウタケなどなど・・・
「お寺の山へ入らせてもらいましたけぇ〜。少しばかりですがおすそ分けですけぇ〜」
律義なお年寄りは、貴重なマツタケなどを置いていったりしていた。
今はそういうことも絶えて久しい。

熊のねぐらの隣の谷にある田んぼは転作で大和芋の畑になっている。
先日、改良衣でその大和芋畑の隣のお宅へ訪問してお経を一つあげてきた。
そこのおばあさんは自分の畑で年内に食べるだけの自然薯を人工栽培しているのだと聞いた。
家族がみんなでシーズン中に食べる程度の収穫が出来ればそれでいいと、もう何年も前から続けているということだ。
お仏壇のお供えもその自然薯をすり下ろしたものだった。
「ダシで擦ってご飯にかけると美味しいですけぇねぇ〜」
・・・たしかに・・・想像しただけでもよだれが出る。
そのお宅では、おつとめの帰りに今年豊作の柿をもらった。
その前は天然のヒラタケをもらった。

熊のねぐらのすぐ隣で、ひっそりとつつましく暮すその一家には、そろそろ忘れかけた昭和の暮らしがそのまま残っていて気持ちが安らぐ。
もう何年も前だったか、お仏壇が傷んだから修繕することになって撥遣や点眼のおつとめをしたことがある。
「ご先祖さまのお仏壇ですけぇねぇ〜。粗末にできませんけぇ〜」
おばあさんがそうおっしゃっていた。
今の世の中何でも廃棄新調の時代に、手直し修繕の手段を選択するお気持ちがかえって新鮮だった。
修繕されたお仏壇はカシューシンナーの匂いが強くてお経を読みながら咳き込むほどだった。
その年はほぼ1年間そのシンナーの匂いで大変だったらしいが、今では部屋中に香の香りが漂っている。

人の欲は際限がない。
十分なことで済ませばいいものを十二分に欲張ってまだ満足しない。
すでに90歳近いそのおばあさんは嫁入りして以来、熊の姿を見たことがないという。
山に入っても接近遭遇がないということ。
熊も人間も、お互い分相応に欲張らないで暮しているからそう出来ているのだろう。

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石見銀山雨の日曜日 

2014/11/02
Sun. 08:38

もうずいぶん前から何度も言っていることだが、私は新聞を見ないしテレビもほとんど見なくて自分からリモコンのスイッチを入れることはまず無い。
時々、ワイフが見ているテレビに向かって自分の考えをしゃべったりすると途端にワイフからツッコミが入る。
そういうことが些細なイザコザのもとになったりするものだから平和主義者の私は極力その元凶を排除しようと日夜努力している。
休日の朝から政治家のおしゃべりを聞いたりすると、しばらくのあいだ耳について慢性の耳鳴りがかすんでしまうほどになる。
だからといて、地球社会の出来事に無関心でいるかというとそういうことはなくて、インターネット配信のニュースなどからいろいろな情報を収集しているから別にこれといって日常の常識的な会話に困ることもなく暮しているつもりだ。
今話題のイスラム国のことだって、日本をはじめ世界から兵士の志願者が後を絶たないとか、国家経営の主たる資金源が誘拐の身代金だとか、人質が一方的なメッセージを強いられつつクビを切られているとか、強い憤りを感じながら情勢を日々チェックしている。
ここだけの話だが、このイスラム国の台頭に至る要因は何かというと地球先進国と呼ばれている各国の偽善的人命尊重重視主義による悪癖と世論に対する自衛的抵抗力の無さによるものだと独断的に分析している。
世間の事情を無視してこういうことを普通に考えて普通にしゃべったりするものだからワイフに叱られてしまうわけで、そういう場違いな状況は極力排除したほうがいいだろうと自ら勝手に結論を出したりして自然に世間付き合いが疎遠になってしまうということになる。
もういちど言うけど、私は平和主義者だからね。
地球的に言えば、国と国、政治と政治、思想と思想、金と金、人と人・・・まぁ数え切れないほどの駆け引きの渦に巻き込まれながら我々は暮しているわけだが、一方でもっと地球的に言えば人間など多種多様の生物のほんの1種類にしか過ぎないのだ。
たったその1種類だけの中で様々な言語が飛び交って様々な主義主張が絡まって身動きできなくなってしまっているだけのことなのだ。
赤い色を美しいと感じるか汚いと感じるかどうかは、その隣にどんな色がどのように関係してくるかで違ってくることぐらいは誰でもが気づいていることでしょう。
一杯のみそ汁が美味しいと感じるか不味いと感じるかどうかは、人それぞれの味覚によって違ってくるでしょう。
無理やり白黒をはっきりさせたり、yesかnoかを答えようとしたりすることにそもそも無理がある。
様々な感能があり様々に感応することの奥深い意味をもっと慎重に柔軟に探求すべきである。
自分のフリ幅が広がるともっと容易に他を受け入れやすくなるものだと思うんだけど・・・

石見銀山雨の日曜日・・・ワイフの朝食の仕度の音を聞きながらそんなことを思っているのです。

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オヤジの四畳半奪還計画失敗の巻 

2014/11/01
Sat. 10:33

10月がアッという間に終わった。
31日は朝からいつになくあわただしかった。
タップリ8時間以上寝ているキーポンが早朝4時頃から起き出してワガママが炸裂して、結局オヤジの書斎からオヤジが撤退するはめになった。

思い返すと、自分も18歳の頃は毎日が眠くて、いくら眠っても寝足りなくて部活を終わって下宿に帰って気がつけば夕食も食べないで深夜まで爆睡していたことも多々あった。
成長した兄姉を思い出しても、だいたい気がつくとそれぞれ勝手に吉田家の何処かでゴロリと寝ていた。
さすがに歳のせいか私はこの数年前から明るいうちに眠くなることはほとんど無くなった。
夜も気がつくと午前0時近くなっていたりするから、睡眠時間がだんだん減っている。
そんな現状で、タップリ寝だめしたキーポンと猫のクロが早朝から身勝手にオヤジを起こしてしまうからたまったものではない。
なにごとも、歳の差を埋めることは難しいとつくずく思う。

まぁそんなわけで、朝寝が出来ないから空き部屋状態になっているキーポンの部屋に避難して2~3時間寝ることになった。
彼女のベッドはやたら甘ったるい匂いが染みついている。
何かそういう芳香剤でもふりかけているのだろうが、それが鼻について吐きそうになりながら無理やり寝た。
朝っぱらからそういうことがあってどうも落ち着かないままキーポンを学校まで送った。
ちょうど七日務めと初月忌が重なってしまったので午前中が忙しかった。
万善寺程度の山寺でこのように中陰が重なることもきわめて珍しい。
午前中のあとさきを調整してそれぞれのお宅を訪問した。
帰りに近所の大工さんの作業場へよって出来上がっていた塔婆を受け取った。
棟梁は例の如く現場仕事で留守だから、そういう時は作業場の前にあるお薬師堂に塔婆が預けてある。
お薬師さんに手を合わせて、香り立つ柾目ヒバの立派な塔婆を預かって帰った。
石見銀山の自宅に着く頃には、結界君の車内がヒバの香りにつつまれて思わぬ森林浴となった。
吐きそうに甘ったるいキーポンの枕とはえらい違いだ。

久々に雨が降っているので外仕事は出来ないが、遅めの昼食をとって吉田家の冬支度を少しばかり進めた。
オヤジの書斎も冬季仕様に模様替えをした。
ついでに、半年間たまった手紙や書類などを整理したら四畳半が少しばかり広くなったように感じる。
炬燵敷きを敷いていつものデスクワークテーブルを炬燵仕様に換えた。
こういう模様替えはなんとなくワクワクして時間の経過も忘れる。
気がつくとあたりはすっかり暗くなっていて、研修帰りのワイフがキーポンを拾って帰宅した。

「おとうさん、なにやっとるん!ずる〜い!うわぁ〜ぬくい〜〜!もぉはなれられんわぁ〜」
キーポンが乱入してきた。
その前に模様替えの最中から猫のクロがさりげなく様子をうかがっていたが、大騒ぎするキーポンに紛れてちゃっかり自分の寝場所を確保してしまっていた。
10月のあいだに乱れ切ったオヤジの書斎は、模様替えごときで静かだった春先のあの頃の復元までには至らなかった。

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2014-11