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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

tetujin@ 

2014/11/29
Sat. 03:58

久しぶり・・・というより、何年かぶりに「鉄人」と呼ばれた。
そういえば昔の石見銀山暮らしは、ほとんど「鉄人」で通用していて、町のいたる所で「吉田さん」より「鉄人さん」と呼ばれることの方が多かった。
ちょうど、「料理の鉄人」(だったかなぁ・・・)というようなテレビ番組が流行っている頃だったから、私が鉄の彫刻を造っていることを知っている町の遊び友達の間で少しずつそう呼ばれるようになってきて、やがてその呼び名が定着した。
ひと頃は、年賀状や何かの請求書などの郵便物も、「島根県大田市大森町鉄人さま」の宛名で普通に届いていた。
石見銀山がまだ世界遺産登録の話しなど影も形もなかった頃のことです・・・

子供がまだ小さくて、大森小学校や大森幼稚園へ通っていた頃は、気心の知れたオヤジ仲間と1年に何回か色々なコンサートやライブのミュージシャンを石見銀山へ呼んでいた。
ワイフもまだ若くて、オヤジたちの道楽に文句も言わないでついてきてくれていて、小さな町がそれなりに盛り上がっていた。
有名なところでは、あの矢野顕子さんもやってきた。その時は会場がお客さんであふれ返って凄いことになった。
坂田明さんや大塚まさじさんや中川ひろたかさんやエポさんや・・・今にして思えばいい歳した大人がみんな元気にのぼせて嬉々として遊んでいた。

たぶん・・・だけど、石見銀山が世界遺産に登録されないままだったら、いまだになにかしらそんな感じでワイワイ暮しているような気がする。
確か2007年に世界遺産登録されたはずで、その4〜5年前から石見銀山の町に公共工事が入りはじめ、1年中町の何処かにコーンや防護ネットや片側通行の看板が設置されて絶えることがなかった。
町民は1年に何度も公聴会へ出かけ、行政の説明会が自治会ごとに行われたり、町民集会も年に何回か行われるようになったりするうちに色々規制が厳しくなった。
世界遺産を当て込んだ業者さんが町内の空き家に目をつけて食べ物屋とか土産物屋とかオープンしたりして、一気に町内へお店が増えた。
電柱が地下に埋設されて町から昭和の面影が消えた。
アルミサッシやガラス戸も激減して、派出な看板も消えて、自動販売機も減って、屋根には石州瓦が増えて町並みが茶色の同系色に染まった。
それに何より、町並みの生活道が一方通行になった。

あのころ毎晩のように元気に遊んでいたオヤジたちも、一人去りひとり消えて自然解散して今に至っている。
コンサートが明日に迫って、ピアノの調律で昔からお世話になっているお兄さん(今は完全におじさん)が前日入りしてくれた。
もう何年ぶりかで会った時の一声が「てつじんさぁ〜ん」だった。
久しぶりにそう呼ばれてなんとなく恥ずかしかった。
「あれっ??ひとりなんですか?」
誰もいない大森小学校の体育館で折畳みの椅子を並べていたら開口一番そういわれた。
・・・そう、ひとりなんです・・・
年中それなりにヒマにして融通が利いて何とかなってナントカしてギリギリに暮しているオヤジは私だけになってしまったようです。
吉田家の末娘もこのままいけばナントカ高校を卒業できるはず。
遊び仲間だったオヤジ達も、そのうち何人かは今では孫が出来たりして立派なおじいちゃん・・・そういう歳になりました。

調律が一段落したのは結局夜の8時を過ぎていた。
お供え物のおさがりの蓮の葉が印刷されたビニール袋に入ったあんパンとクリームパンと、それにドリンクを一缶夜食で渡して解散。
あの頃は、それからみんなのたまり場へ移動して飲み会が始まっていた・・・そんなことを思い出した。
誰もいない体育館の最終点検をして、照明を落として、玄関のカギを掛けて帰宅したら、ワイフはすでに寝ていた。

これからそろそろ準備して、黒田さんと喜多さんを迎えに出かけます。
石見銀山ご近所のみなさん・・・前売りチケットまだ残ってます!本日午後12時まで受け付けます。お問い合わせはこちらまで→tetujin@ginzan-tv.ne.jp

コンサートチラシ表

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