工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

坊主が走る 

2014/12/31
Wed. 09:54

2014年も本日を残すのみとなった。
年末になって積み残しの用事が残ったまま寺へ移動することになってしまった。
二重生活をしていると、正月の準備や年末の片づけ一つにしても似たようなことを2回ずつ行わなければいけないから手間が増えるばかりで効率が悪い。
くわえて、高齢者のヨチヨチ生活につきあうこともすることになるし、なかなか気の休まることがない。

吉田家の家族には、家訓とか家のしきたりとかの伝承をしないまま今に至っている。
私の考えでそうしようと決めているところがある。
ワイフや子供たちにとっては、かえってやり難いところがあるかも知れない。
おおよそお膳立てされたルールやコースに身を任せて粛々と乗り切った方が気楽で良かったりすることもあったりする。
そういうふうに思うことも無いわけでもないが、やはり純粋に従順なまま何一つ疑問を持たないで寺の子として育った後に、毎年変わりなくやって来る年末年始の寺暮らし特有の慌ただしさが気になりはじめると、それらの行為全てに答えの無い抵抗感のようなものが芽生えはじめて、毎年のようにそれが増幅しつつ今に至っているところもある。

老僧夫婦は何の疑問も持たない寺のしきたりを70年続けている。
もう90歳になろうというのに、20代や30代の時と同じような気持ちで寺の年末年始を乗り切ろうとしている。
彼等にとっては、常に私というお手伝いさんがいるから、自分たちの手に余る用事があっても難なく乗り切れているところもある。それに、今のような無宗教が広まる前の華やかで賑やかな頃の寺暮らしを経験しているし、その頃の正月から何人も賄い手伝いを雇って年始を乗り切ってきた宗教行事を知っていて、いまだにその頃の勢いを懐かしがったりしつつ動かない身体を引きずりながら、気持ちばかりを次の世代に託しているところがある。

いまさらウジウジと愚痴にしかならないようなことをいってもしょうもないことだから、いつの頃からか自分の家族だけは私のように窮屈な生き方をしないですむようにしてやろうと勝手に一人で決めてしまったところもある。
一方、残念ながらワイフはそういうわけにもいかなくて、どうしても私を助けてもらわないといけないこともいっぱいあるから申し訳ないことだがしかたがないし、こればかりはどうしようもないことだ。老夫婦がそれぞれ人生を全うして大往生をとげた後は、晴れて何の障害もなく私の思惑を通すことが出来るようになるから、それまでの辛抱ということで耐えてもらうしかない。

万善寺の檀家さんは代替わりのうまくいかないところがあって、そういうことまで寺の山風に習うこともないだろうにと思いつつ、あちこちの高齢者とつきあっている。
年齢とともに普通に物忘れも進むし、家長の責任で寺付き合いをしているところも多いから、1年の主だった行事が近づくとあちこちから日程日時のお伺い電話がかかってくる。
ひと頃は寺の老夫婦で対応していたが、これもいいかげんぼけたままのトンチンカンなことになってしまったりするので、結局印刷物を作って年始のお知らせを持って回ることにした。
寺によっては、暮れの棚行をされるところもあるようだが、万善寺はそういう習慣もないし余裕もないから、1日かけてぐるっとひと回りポストマンをするだけで精一杯だ。
総走行距離70kmを越えるほど結界君ががんばって走ってくれた。
途中、心安いお檀家さんのところでコーヒーなどご馳走になって休むことも出来たが帰りが遅くなって夕方の一仕事が出来なくなってしまった。

琴引山から大万木山がキレイに見えた。島根はおかげさまで過ごしやすい年末を迎えている。

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2014/12/30
Tue. 09:00

冬のある晴れた日・・・朝からせっせと薪づくりに励んだ。
これからしばらく寺暮らしが続くので、その間私が留守になる吉田家の暖房が維持できなくなってしまうのも可哀想だから年越しの間の薪を補充しておくことにした。

薪は、広葉樹の間伐や災害の倒木などをもらってヒマな時に細断したり割ったりして燃料に代えている。
石見銀山でも万善寺でも、至るところでいらない木やじゃまな木が無いか問い合わせているから、皆さん結構それを気にかけてくれていて、アチコチからコンスタントに薪情報が入ってくる。
寺の周辺はお百姓さんが多くて、使わなくなった稲ハデをもっていっても良いと声をかけてもらうことが増えた。
コンバインの浸透で稲作のシステムが変ってから昔ながらの天日干しをするお百姓さんがいなくなった。
そんな感じで、田舎に暮しているとストーブの焚き付けくらいはそれほど苦労もなく手に入ってしまう。

私などスタイルにこだわることもなくて、とにかく部屋が暖まればそれでいいから、そのあたりにある燃えるものは何でも燃やしてしまう。
それでも、薪によっては燃えやすいものや燃え難いものや色々だから、せめて私が留守にしている間はワイフがそういう暖房のストレスを軽減できるようにと、松の製材落ちをシーズン分確保している。
島根の方は、秋のうちから暖冬の情報が流れていたので、今年の製材落ちは〆て4000円分。薪ストーブがないと冬の燃料代もバカにならないが、まぁ、その程度の出費なら御の字だと思っている。
松の火力はなかなかのものだが、反面ストーブの痛みも激しいから劣化も早い。それでもすぐに火がついてすぐに部屋中が暖かくなるところがいい。

年間通しての薪集めなども適度な気晴らしになるし、友達の少ない吉田には何かしら世間の会話のネタも出来て孤独を感じないですむ。これから体力も衰える一方だし、いつまで続くかわからないが、身体が動くうちは毎年コツコツ燃料集めを続けていこうと思っている。
「あなたがいなくなったら薪ストーブも終わりね・・」
いつだったか、ワイフがそういっていた。
吉田家のインテリアに変る日のことも考えつつ、そろそろオリジナル薪ストーブの更新をしておこう。

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Instagram 

2014/12/29
Mon. 07:30

「たすけてー!父さんがインスタまではじめてしまった、、、、しかも画像がじゃがいもおじさん、、、、」
・・・と、ノッチがいいました。

「おとん。インスタにまで手を出した2014年年末」
・・・と、なっちゃんがいいました。

・・・というわけで、キーポンの助けを借りてInstagramデビューをはたしました!
彼女達にとってはそれなりに衝撃だったようで、なかなかフォローしてもらえないでいます・・・

オヤジは基本的にはblog派なので、世間のSNSは申し訳程度のお付き合いしかしていないが、日本の辺境の地で世間の狭いまま暮していると、何かしらどことなくさりげなく都会の華やかなイルミネーションや世界の生々しい実情と繋がっていたいと思ったりもして、形ばかりのお付き合いというつもりではじめた。
それに、年中ヒマにしているオヤジには少し無理をしてでも毎日の刺激を求めるようにしておかないと、どんどん楽な引きこもりに逃避して世間との接点がますます希薄になってしまいそうな予感もあったりして、そういうことになってしまうことはあまりいいことでもないなと思ったりもするものだから、続くかどうかは別にしてひとまずは食いついてみようとしている訳なのです。

twitterは、blogと連動させてblog更新のタイトルを表示するだけにしか使っていない。
それでも、おもしろいフォロワーもたくさんいらっしゃるので回覧の方は比較的こまめに行っている。正体のわからないまま、吉田のことを良く知っているような方もチラホラいらっしゃるようなのであなどれない。

facebookは、主に吉田がらみのイベント情報を中心に1ヶ月に1〜2回程度の更新を続けている。みなさんとてもマメに更新をしていらっしゃるので時々そのスピードに乗り遅れることもあるが、グローバルな情報が飛び交うのでなかなか面白くお付き合いしている。重宝しているのは簡易メール。ちょっとした情報交換やお願い事などに役立っている。それに、更新履歴の頻繁さでその人のfacebook依存度もはかれるし、話題の内容やジャンルがハッキリと伝わってくるあたりの透明感がいい。

LINEは、あくまでも家族間の通信グッズ。先日、テレビ電話で久々にノッチと会話した。彼女の後ろから店長らしき人ものぞいてきたりしてなかなかのライブ感だった。久々にノーメイクの彼女を見た気がしたが、あれでも化粧をしていたらしい。日本にいる時とはずいぶん違っていた。飾らないまま自然に日常の暮しの中で友達も出来ているようで好感が持てた。

そしてこの度のInstagramとなったわけだが、これは主に我が家のネコチャンズ写真特化のデータ更新を目指そうと思っている。来年春から一人暮らしを始めることになるだろうキーポンの癒しグッズのひとつにでもなればいいなあとも思っている。それに、増える一方の写真データの整理もかねたウエブディスクの可能性を試すのもいいかと考えている。

まぁ、そんなわけでこれらのSNSは娘達にとってうっとうしいストーカーオヤジに思われているようなところも無いわけでは無いようでありますが、例の如く島根の片田舎で暮すオヤジの限りなく透明に近いグレーな現状を伝える手段のひとつにもなっている訳であります。

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年の瀬 

2014/12/28
Sun. 10:33

年末は1年の締め切りが一気に回ってくるようで落ち着かない。
幸い、石見銀山や赤名高原はこのとろいい天気が続いているので外の仕事が楽になるだけでも気持ちが違う。
これから正月用の松竹梅を採取しに山へ入る。
年賀状の印刷は一山越えた。
寺のしめ縄の手配も出来た。
寺用の鏡餅はワイフが寺までつくりに行ってくれた。
あとは、正月年始用の家内安全守護札と立春の立春大吉祈念札の木版刷り。
それに本堂の荘厳と庫裏の大掃除。
まだまだ他にも積み残しが山ほどあるが、1年の始まりとか終わりとかは気持ちの問題で過ぎてしまうことだし、一般在家のように里帰りとか寝正月とか初詣でとかそういうことには縁がないから、他にもある幾つかの年中行事の一つを迎える程度のことに思っている。
それでも、1年の間にお世話になった方面各所への挨拶もしたほうがいいと思いつつ、今年もまたそのきっかけを掴めないまま不義理に終わってしまいそうだ。

ワイフは毎日早朝の5時前後に目覚めて朝の仕事を色々こなしている。
私はネコのクロがその少し前から鳴きながら家のアチコチをウロウロし始めて、それで起こされる。
しばらく自分の部屋に落ち着いて受験勉強をしていたキーポンは、終業式が終わったあたりから気持ちが緩んだのか、最近オヤジの書斎に乱入してきてそれがしだいに癖になりはじめている。
お盆前の一時期もそうだったが、私が寺で留守をしている間に書斎が完全にキーポンに占領されているという状況が今から見えてきてイヤな予感がする。
それもこのシーズンで終わりになるからと思って結局見逃してしまっている。
なっちゃんは1月1日だけがお休みで、あとは出勤になるそうだ。
ノッチは旧正月に有休消化の休みが1週間くらいもらえるそうだ。
じゅん君は島根で暮しているのに音信不通。
寺の老夫婦はこの1年でずいぶん弱って、生きることに必死でしがみついている感がある。

年末のある日の一日が静かに過ぎている。

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赤とんぼ 

2014/12/27
Sat. 11:52

近年赤とんぼが激減しているらしい・・・といっても、島根県の赤来高原あたりだけのことかも知れないけど・・・
赤来高原とトンボというと、赤名湿地帯に生息するハッチョウトンボが地域では有名だ。
そのハッチョウトンボの名前をいただいた大和芋の焼酎も地域限定で生産されている。

先日、大練忌の法事があった時に焼酎の方のハッチョウトンボの話で盛り上がった。
法事の施主さんは私の小中学校の同級生。
ハッチョウトンボの生産に人力を尽くした役場職員も私の同級生。
そんなこともあって、斎膳の席で昔話に花が咲いたわけだ。
思い返せば今からかれこれ20年近く前のことになるだろうか・・・
あの頃の同級生はみんなまだ若くて仕事もバリバリこなし、やる気満々な連中ばかりだった。
同級生の中には坊主が二人いて、私が禅宗でもう一人が浄土真宗。
その浄土真宗のほうがこれも役場職員で、だいたい彼が同窓会の仕切り人。
地元暮らしの同級生が結構多い学年で、声をかけると男ばかりでかるく20人近く集まる。
その時の幹事がこのたびの法事の施主さんだった。
だから自然と斎膳の席で昔話が始まったわけだ。

田舎ながらに色々な職業が集まって、話題がつきない。
それに酒豪が多い。
ビールを飲ませたら底なしでビールケース一つを飲んでしまう郵便局長。
日本酒にやたら詳しく釣り好き太公望の獣医も酒種関係なくなんでも飲む。
大和芋焼酎開発仕掛け人役場職員は役得と宣伝をかねてハッチョウトンボの現物を宴会場へ持ち込んでくる。
私も酒は嫌いな方でもないから自分の飲み分くらいは持参しようと一升瓶を持って参加。
他にも大工やスタンドで油を売っている油売りやプラント工場の主任やカーディーラーや高校教師や義務教育の教頭校長など、男の同級生だけで行政自治区が一つ出来そうな感じのところもある。
そう連中が飲み放題で宴会をしたものだから、2時間のうちにものすごい量の酒瓶や徳利がずらりと並んだ。

お茶を飲みながらそんな昔懐かしい話題でおおいに盛り上がって、坊主のしきたり中座にもならないままおいとましたあと、寺の田んぼをつくってもらっているお檀家さんのお宅を訪ねて、ハッチョウトンボならぬ赤とんぼの話がでたわけだ。
農協の指導で半農薬稲作が奨励されているらしい。つまり農薬の量を効率良く減らして人体に安全な稲作に切り替えようという試みらしいのだが、その配合農薬というか肥料というか、そういう薬剤に入っている物質で赤とんぼの幼虫が育たなくなって、その影響で成虫の赤とんぼが減るのだそうだ。

自然の営みは弱いものから消えていく。それに人の都合が加わって消滅が加速する。
琴引山を水源として万善寺前を流れる保賀川は神戸川上流に流れ込み日本海へ注ぐ。
昔保賀川にはヤマベがいてハエがいて放流のニジマスも釣れていた。
今はハエの泳ぐ姿を時々見かけるだけになった。
高齢化で耕作放棄地が増え、熊やイノシシがのし歩いて、一見自然に帰ったような印象も受けるが、失ったものも多い。
同級生たちとワイワイいいながら野や山川で遊んだ頃の昔に戻すことは既に不可能になっているのだろう。

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大森小学校終業式 

2014/12/26
Fri. 14:34

石見銀山の谷のほぼ中央に大森小学校がある。
吉田家の4人の子供たちもこの小学校を卒業した。
今は全校生徒19人が毎日元気に通学している。

数年前までは学校の教育活動の一環で町内の田んぼを借りて田植えや稲刈りをしていた。
学校のすぐ裏には小さな畑があって、子供たちが芋や大根など季節の野菜を育てていた。
ところが、近年になってイノシシや猿やカラスに畑が荒らされて収穫が激減した。
せっかく大事に育てていた野菜が動物達に横取りされてしまって、小学校の子供たちは意気消沈してがっかりした。
その前にも育てていたウサギやニワトリがテンやイタチに食べられて全滅したりしていたから、一時期はもう課外授業で動物を育てたり野菜を栽培したりすることはやめてしまおうとPTAの話題になったりしたこともあった。

それから学校の職員の皆さんをはじめとして保護者や地域の老人会などの有志が集まって、5年以上の歳月をかけた菜園の再建計画が進んだ。
小学校前の休耕田を借りて被害防止のネットや柵を作ったりして今では立派な野菜が育ち、観光さんの目の保養にもなって、時には町内の皆さんと収穫祭で親睦をはかったりするまでになった。
前任の校長先生発案で2学期の終業式に収穫祭をすることになって、校長先生が代わった今でも続いている。
当日は、小学校の子供たちや保護者の皆さんと一緒になって畑の維持管理をしてもらっている町内の有志の皆さんを招待して、みんなでお昼ご飯をつくって食べる。
そのまま校長先生のお話があってそれが終業式になる。
食器の後片づけや会場になっている図書館の復元を兼ねた大掃除があって、そのあと子供たちは通信簿とお持ち帰り用につくりわけたご馳走とクリスマスプレゼントをもらって下校する。

大森小学校の近年の変遷の中で、なぜか無役の私も常に招待をしていただいている。
3年くらい前から米つくりをやめてそばをつくるようになった。
収穫祭もメインイベントはおもちつきから蕎麦打ちにかわった。
たぶん、当日の力仕事の一手間に年中ヒマにしている吉田のオヤジが重宝するのだろう。
だから終業式の日は出来るだけヒマなりに用事を入れないようにして準備万端張切っている。
今年は朝の数時間少しばかりつまづいて出遅れたが、蕎麦粉100%の立派で美味しいおそばをたらふく食べられた。
小学校の畑の野菜も漬物になったり混ぜご飯の具になったりしてとても美味しかった。
大人でも難しくてうまくいかないのに、子供たちの蕎麦打ちはなかなかのもので、指導をしていただいた「高山そば」の方々もビックリしていらっしゃった。
ひと足早い年越し蕎麦を自分たちで作って食べる終業式などめったに無いでしょう。
大森小学校の子供たちは幸せだ。
今は気づかないかも知れないけど、大きくなったらきっといい思い出に変っていることだろう。

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メリークリスマス 

2014/12/25
Thu. 10:25

仏教坊主のはしくれである私にとってクリスマスイブは特に宗教的思想や行事と思って意識するでもないまま1年の通過儀礼として家族とともにそれなりに暖かく静かな夜を過ごしている。
それでも、宗教人としての立場をいつもより少しばかり見直そうとしているようなところもあって、この時期は何をするにもその行為のどこかに「仏の教え」としての仏教を意識しているところもある。

先代の老僧の頃から毎年12月24日は1年のおさめ法事としてご先祖さまの供養をしてくれとたのまれておじゃましている施主家がある。
それぞれのご先祖さまのご命日におつとめするかわりに1年に1回年末のこの時期にまとめて先祖精霊供養の回向をしてもらおうというわけだ。
万善寺も代替わりをして私が住職を務めるようになっても、しばらくの間は昔と同じように老僧がこの日におじゃまして斎膳をいただいて一杯飲んでいい気持ちになってタクシーで帰ってきたりして、それなりに楽しみにしていた法事でもあった。
残念ながらこの近年はそれも出来なくなってなりゆきで私が交代をすることになったから、本人は少しばかり残念に思っているところもある。

老僧にとって施主のおばあさんは小学校の2年ほど先輩でもある。
そのお宅は90歳を過ぎて老齢の姉妹二人暮らしで家事を務めていらっしゃる。
日常の買い物も、このたびのような法事のこしらえも妹さんの手を借りながら遺漏の無いよう仕切っていらっしゃる。
お茶の道具も立派なもので、手順を踏んだ美味しいお茶をいただく。
斎膳は町内の仕出屋さんへその時の目出度いものを特別にお願いされて注文をしていらっしゃる。
坊主が代替わりしてもなにかにつけて変わりなく手厚いことだ。
姉妹ともご高齢であるから、「手の込んだおもてなしはいりませんよ。お茶一杯いただければそれで十分!」と大きな声でお伝えするのだが、ご本人はそうはいかないというか、気がすまないというか、とにかく長らく続く慣例を絶やさないように精いっぱいのもてなしを心がけていらっしゃる。
これで老僧がおじゃまできれば昔話に花が咲いて、夕方近くまで長居をしていい気持ちに酔っぱらっていられるだろうに・・・と思いつつ、そのお宅ばかりは堅苦しい仏のお話を一切はぶいて主だった汁物をいただき、あとはつつんで持ち帰らせていただいている。

クリスマスイブだからということで、夕方に帰宅した無宗教のワイフが休憩もしないで夕食の仕度に忙しくしていた。
テーブル一杯に手づくりの料理が広がって、ロウソクに灯がともった。
私はストーブの番で薪を絶やさないようにしながらネコとくつろぎ、埃の溜まったサングリアの瓶を掃除したりした。
世間並みにプレゼントの交換もした。

相即平等という仏の教えがある。
相対的なものの見方と絶対的なものの見方の是非が迷走しながら混沌として行く末の見えない現代社会の世間にあって、上下、左右、善悪、高低、富貧、思想、宗教など色々な場面でなにかしらの答えを出そうとする方向がはたして本当に必要なことなのか。
主義主張の我侭を通しすぎるのも摩擦のもとだし、八方迎合しすぎても自分を見失う。

毎年同じ日に同じことを同じようにくり返し継続することもなかなか難しくて出来難いことだ。
変化がないということはかえって不安にもなって無駄にジタバタしてしまう。
結局は心の気持ちの問題で見方考え方も変ってしまうということなのだろうけど・・・

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天皇誕生日 

2014/12/24
Wed. 08:50

受験生キーポンは終業式が終わっても補習授業が続いて冬休みもない。
昨年までは吹奏楽の部活で年中休み無く学校へ行っていたから本人は慣れているだろうが、結界君の助手席で「専門の連中は補修もなくて学校来なくて良いし・・」などと愚痴をこぼしていた。たしかに、すでに10月から11月にかけて推薦入試があったりしたので、それで合格が決まったり最初から専門学校を受験することが決まっている生徒諸君は年内に進路も決まって受験勉強が丸ごと無くなってしまっているわけで、そういう連中と同じクラスで勉強しながらその上受験の補修もすることになるとやはり当事者としては不公平感が払拭できないで悶々としてしまうのだろう。
いずれにしても自分の決めたことだし、これから先はそれぞれ一人ひとりが自分のスケジュールで行動することになっていくわけだから、まわりと自分を比べて良いの悪いの云っている場合でもない。キーポンもそういうことがやっとわかってきはじめたわけだ。
今までみんなで仲良く同じような目標を持って毎日同じようなスケジュールで生活していた友達が、ここにきてそれぞれ自分の進路を決めて学校生活も考え方も行く道もバラバラになっていくありさまみると、だれでも最初はなかなかすぐにその現状を受け入れることが出来ないのもわかるような気がする。

だからと云うわけでもないが、23日の祭日はキーポンが1日中休みだということがわかったので、私の用事も兼ねて久々に島根県中央部をぐるっと一周のドライブをした。
この際だから・・と受験や進路をエサに気持ちや身辺整理も兼ねて数年かけて買いあさり読みあさっていた漫画本を古本屋へ持っていこうと話をつけて集まったのが100冊を越えた。
それを結界君に積み込んでまずは出雲へ出発。
今年最後の祭日は比較的静かで国道の車列も思ったより閑散としていた。
一冊が10円とか20円のことだが、それでも集まるとちょっとしたお小遣い程度にはなって喜んでいた。
私の方は計算が終わるまでの間に3冊ばかり100円本を探して購入。これで年末年始の万善寺ライフがすこしばかり充実したものになりそうだ。
めずらしく参考書や受験対策アプリをながめながら受験勉強を助手席でするキーポンに時々ちょっかいを出して叱られたりしながら行きつけのおそばやさんまで移動した。
12月に入って歳暮らしき品物が数箇所から届いていたし、この1年何かとお世話になったままお礼も適当に終わってしまっているお付き合いも幾つかあったので、日もちのする半生のそばを少しばかり発送してもらうように頼んでおいた。

出雲街道から石見銀山街道を経由して自宅へ帰った。
冬至で日が短いとは言え夕方にはまだ間があったが、石見銀山の町並みは静かで閑散としていた。
年末のことだからなのか、祭日なのに町内の会社は営業していた。
高齢者や独居老人が多いこともあってこのところ年々人口減になっている石見銀山も、昼人口は会社の社員さんのおかげで年々増え続けている。
最近は若い夫婦の転入があって赤ちゃんも産まれはじめている。
吉田家は引っ越しの度に子供が一人ずつ増えて、石見銀山での暮しは家族5人からが始まった。だから唯一キーポンだけが生まれも育ちも純粋の石見銀山っ子になる。
そのキーポンも来年の春には何処かの学生になって一人暮らしがはじまるはずだ。
時が過ぎるのは早いものだ。
吉田家から4人の子供が巣立っていったが、さて、帰ってくる子はいるのだろうか・・せめて一人ぐらいは帰ってきて石見銀山で子育てをしてほしいものだ。

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年賀状 

2014/12/23
Tue. 10:22

学生の頃一時中断していただけで、あとは毎年年賀状を作成し続けている。
定職について社会人になってからは年々発送の枚数が増えはじめた。
ピークは400通前後ぐらいだったと思う。
その頃は木版の多色刷りで、日本画用の絵の具を使ったりしていた。
デザインから考えて版木をつくって色ごとに擦り重ねたりすると軽く一週間はかかった。
万善寺のロフトにこもって延々とその作業を続け、時間がなくなるとワイフが手伝ってくれた。
宛名はしばらくあとになってプリントアウトしたタックシールを貼るようになった。
物持ちのいい人はまだ保管してくれているかも知れないが、そういう毎年が20年くらいは続いたと思う。

今は1年の締めくくりとしてほぼ決まったデザインに1年間撮りためたオリジナルの写真とその時に気になる言葉をワープロで打ち込んだものを組みあわせてオール自家製印刷処理でまかなっている。
昨年までは決まったオリジナルテンプレートをつくってそれにデータを差し替えながら印刷原稿をつくっていたが、今年は何回目かの午年を迎えて自分の人生も何回転かして暦も一区切りついたことなので、来年用の年賀状はそれまで使い続けていたテンプレートを手直しすることから始めた。

毎年同じテンプレートで年賀状をつくり続けていると、使うアプリケーションが時々の時代の変化に取り残されていることを痛感する。パソコンのOSが進化するスピードがあまりにも速すぎて、アプリケーションの対応がそれに追いつかないことになってしまっている。使い捨ての文房具のような消耗品への投資としては結構高額になっている。
とても出来のいいアプリでいまだに重宝しているものも、結局最新のOSでは読み込みもしてくれなくなった。だからそのアプリを使いたいためにパソコン1台を古いOSのまま大事に使い続けている。日常のメールやインターネットチェックだけだと何の支障もないのだが、もろもろデータの作成やそのような仕事のやりとりをすることになると少しずつ障害が増えてきて、結局ハードもソフトも定期的に更新の投資をすることになってしまう。
経済社会のルールが下々の弱小極小フラフラ事業主の暮しまで圧迫してくる。じつに世知辛い世の中になったものだ。

このところ年賀状の作成にワイフの手を借りることはなくなった。
「それでいいのかなぁ・・」と思ってしまう。吉田家の家計を支えてくれるためもあって社会的な付き合いはワイフの方がずっと多いし濃い。年賀状もワイフ宛のものがとても多い。そういう状況で相手のこともほとんどわからないまま宛名をチェックして印刷の作業をしている。
私宛の場合は年に1度のご挨拶だから、無事の知らせだと思って近作の彫刻を一つ添えたりして、それなりの気持ちを込めつつ作成しているところもある。

私は身内の不幸を喪中はがきでお知らせすることがあまり好きではない。ワイフのお父さんの清さんが亡くなった時もそう思ったから、たしか新年になって年賀状代わりの寒中見舞いを送った気がする。いとこの旦那が亡くなった時は何事もなく年賀状を送った。
12月に入って喪中はがきが相次いで到着している。
おばあさんが大往生したとか、兄弟姉妹が亡くなったとか、親戚のおじさんが亡くなったとかそういう内容の喪中はがきも届くことがある。少し前にはなかったことだから、やはり自分も自分の知合いもそれなりに歳をとってきたのだなぁと気がつく。
これからは、公私含めて年々年賀状のやりとりも減っていくことだろう。
そういうこともあるから、年に一度の挨拶くらい面倒がらずに自分の心身を使い続けていこうと改めて誓った。

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ミラノ座 

2014/12/22
Mon. 10:51

石見銀山もやっと本格的に雪が降り始めてきた。
島根に住んでいると例年この時期にドカッと雪が降って、それが根雪になるかならないかで暖冬かどうかが決まるようなところもあったが、今年は寒波到来が早かったのでシーズンの変わり目で躓いた感じになってしまった。
冬になると路面の凍結や冬道になれないドライバーのノロノロ運転で通勤の足が乱れる。
毎年のことでわかっていることなのに相変わらずキーポンはノンビリと朝の仕度をしているものだから遅刻を避けられないことになってしまう。
自分の都合で遅くなっているのを棚に上げて、ドライバーの私が責められる。なにかおかしなことだ。
今朝もあわただしく落ち着かないまま近道にならないような横道にそれたり、赤信号にイライラしたり大騒ぎの通学になった。
グッタリ疲れて帰宅すると、自宅前の彫刻の植栽がリニューアルされていることに気がついた。ワイフの気遣いがうれしい。棘っぽい気持ちが一気に和んだ。

今年最後になる法事をつとめてなんとなく気が抜けた。
あとは万善寺の年末年始の作務が忙しくなる。寺ではデスクワークの環境が整備されていないので、寺関係の各種印刷物や年賀状作成はすべて石見銀山の自宅で終わらせておかなければいけない。これから一週間はほとんど書斎にこもりっきりになることだろう。
だからと云うわけでもないが、気持ちの切り替えもしたいし、ミラノ座閉館の情報も飛び込んだりしたので、法事から帰ったあと、思いきって映画三昧の日曜日を過ごした。

まさかあのミラノ座が閉館になるとは思ってもいなかった。
新宿ではピカデリーやミラノ座がいちばん大きな映画館だったと思う。
歌舞伎町のコマ劇場から続く映画館街は映画好きの私にとって忘れられない場所のひとつだった。その中でもミラノ座はハリウッドの大作を中心に上映されて当時は大入り続きの人気があった。
一番館だからチケットが高くて貧乏学生の私にはほとんど縁のない映画館だった。それでもジョーズは封切りロードショーの時にそこで観たような覚えがあるが記憶違いだったかなぁ・・・
それと、島根の採用が決まって今のワイフと結婚する意思もかためて、もう東京で暮すことは無いだろうとふんぎりをつけた頃にたしかミラノ座でE.Tを観たように思うがこれも定かではない。
いずれにしてもまだ若かった私にとって、ミラノ座のロビーホールや観客席のシートはあまりにも豪華で贅沢すぎてかえって落ち着かなかったことだけは良く覚えている。

あの頃はどちらかというと、その向かって右隣にあるミラノ名画座へ入り浸っていた。入れ換えなしの1日250円は実に魅力的だった。
バイト時間の関係で最終上演しか観ることの出来なかった時に、一週間通い詰めて連日6日間見続けた映画がマックスのジーン・ハックマンとライア(オ)ンのアル・パチーノのスケアクロウだった。荒涼としたアメリカの草原とその真ん中を走る1本道でヒッチハイクをする二人の出会いのシーンから始まるその映画は、なんとも不確かで不確実な目標も目的も定まらない曖昧なまま暮し続けていた当時の私の心情がシンクロしてなんともやるせない気持ちを代弁してくれているようで、かえってそれが自分の気持ちのつかえをとってくれて、何ともいえない心地よさを感じたりしたものだ。思いっきり涙を流して泣いたあとのスッキリ感を教えてくれる数少ない映画の一つだった。

テアトル東京が無くなる時は、2001年宇宙の旅をスクリーン中央の前から5列目辺りに座って見納めした。
左右が湾曲した曲面のスクリーンに自分が入り込んで、あの黒色板と一緒に宇宙を浮遊しているように錯覚したことは今でも覚えている。
ミラノ座にはボーリング場もあった。最後を観ることが出来ないままになった。残念なことだ。

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花のあと 

2014/12/21
Sun. 03:36

寒気がやって来るようになってから急に薪の回転が早くなった。
あまり寒くない時は大きな丸太か半割りを投げ込んでおけば、それがチョロチョロ燃えてほんのりと暖かい状態が続いてそのくらいがちょうどいい。
私はどちらかといえばストーブの熱すぎるのが嫌いな方なのでこのシーズンに家へこもってデスクワークなどする時は、家族が出払ってからストーブの近くへ仕事の一式を移動してぬくぬく暖まりながら時折コーヒーなどすすりながら熱すぎない程度に薪の調節をしながら一日過ごす。

昨日もそんな感じでストーブの隣で墨を擦ってカレンダー用の文字を書いていたら一度お昼にワイフが帰ってきたので大急ぎでテーブルの上のものを移動したりして少しばかり集中の糸が切れた。
ワイフが家にいるとネコチャンズが彼女を慕ってウロウロと落ち着かない。
わざわざ書きためた文字の上に乗ってきたり紙や筆にチョッカイを出したりジャマばかりしてくる。
テーブルにモノを広げているとだいたいがそのような行動をとってくるのでもう慣れていることでもあるのだが、さすがに時と場合のかねあいもあるしこの度は仕事が先に進まなくなってしまって結局いつもの四畳半へ引きあげた。
紙の文字をスキャーナーで読み込んでデジタルデータに移し替えたりしていると好奇心の強いクロが目ざとくそれを見つけてトラックパットやキーボードの上でウロウロしはじめる。

二度目にワイフが出かけてからシロが炬燵デスクに潜り込んできた。
クロは炬燵掛けの端っこに丸まって寝はじめている。
夏の時期など暑い時や暖かい時は上手に涼しい場所を探して潜り込んだまま一日中姿を見せないこともよくあるのに、こうして少し寒くなりはじめるととたんに吉田家の人間のすぐ隣へすり寄ってくる。やはりネコは寒いのが苦手というか嫌いなようだ。
何かとジャマがはいって落ち着かないまま、それでも夕方には印刷原稿を送信できるまで仕事を進めた。

夕食を食べてから法事の準備に入った。
準備といってもそれほどたいしたことをするわけでもなく、年回表の印刷をしたりおはなしの原稿とか資料の足しになるようなものを集めたりする程度のことなのだが、今回は同級生のお宅の法事だから何かとやり難いところもあっていつもより念入りになった。
もう何十年もながら族(古い言い回しだ)を続けているから、用事の段取りに頭を使うことがない時はお気に入りの映画やミュージックビデを垂れ流しながら仕事をすることが多い。それで昨夜は久しぶりに山本周五郎原作の映画「雨あがる」を観はじめた・・というより聞きはじめた。
もう何回も観ているのでストーリーはわかっているから、お気に入りのシーンがくるとそこだけ仕事の手を休めて観入る。
「チョット汗をかいてきます・・」寺尾さんの落ち着いた物腰と居合の殺陣が決まっている。
そのあたりの場面の少し前にだいたい仕事が終わった。
何年ぶりかで映画館で観た「蜩の記」では岡田君が見事な居合の殺陣を見せてくれた。
スピードや間合いが寺尾さんと違ってずいぶん早かった。
そんなことを思い出したら目が冴えてしまって結局寝る機会を逸した。
この際だから前から観ようと思っていた「花のあと」を観た。
原作が藤沢周平ですでに読んでいたからだいたいストーリーはわかっていたのだが、北川景子さんの殺陣が実に美しくて良かった。それに甲本雅弘さんがとてもいい味を出していた。やはり舞台で鍛えた人は一味違う。
「花のあと」・・・観て良かった・・・が、ますます目が冴えて眠れなくなった。
・・・クロが隣で爆睡している。

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煙突の星くず 

2014/12/20
Sat. 09:50

四畳半のオヤジの書斎は玄関から裏庭に続く土間に面している。
土間は吉田家のほぼ中央に位置していて、その左右に別れて幾つかの部屋があって、書斎もその一つになる。
玄関は石見銀山の町並みに面しているから、世界遺産登録前後で観光客が大量に押し寄せていた頃は、しょっちゅう無断で家宅侵入されていた。

町並みから玄関に向かって右側にあるスペースがワイフの彫刻制作場になっている。
土間の左側の部屋は、私が前の仕事を辞めてから照明を取り付けたり作り付けの棚を改良してペンキを塗ったりして小さなギャラリーにしたが、そのうち万善寺との兼業や東堂さんの通院のお供が頻繁になって1年半くらいオープンしたあと現在はクローズしている。

もとギャラリーの隣がオヤジの書斎でその隣がリビングでストーブのあたりからダイニングになっていちばん奥がキッチンになる。
ネコチャンズは、その各部屋を移動して暮らしているわけだから、一般の部屋ネコよりはずいぶん行動範囲が広くて比較的自由に遊んでいる方だと思う。
ワイフとキーポンはそれぞれ自分の部屋があって寝る時はネコチャンズも一緒になってその部屋に引き上げる。
シロはワイフに顔を擦り寄せて同じ枕で寝ているそうだ。
クロはキーポンのベッドや炬燵デスクのあたりで付かず離れず寝ているそうだ。
昼の間も似たような感じでゴロゴロ寝てばかりいるから私がデスクワークで書斎にこもっている時もだいたいは静かなものだ。

彼等は年間を通して遊牧民の如く吉田家内をアチコチ移動しながら暮しているようなところがある。
寒波が次々と押し寄せてくる頃からネコチャンズが四畳半書斎の炬燵デスク周辺でごろ寝していることが増えた。オヤジが留守の時でもクロが引き戸を開けて入り込んで、シロはスイッチoffの炬燵デスクに潜り込んでそれぞれ気楽に眠りこけている。

寒波の晴れ間を狙ってストーブのメンテナンスをした。
きっかけは冷え込んだ日の夕方、煙突まで火柱が上がるほどストーブを焚き続けた時に見つけた煙突のピンホールだった。
薄暗がりの中で煙突でまたたくオレンジの星くずを見た時には少々焦った。
そうえいば、今の吉田家に移り住んでストーブを使いはじめて以来、煙突の更新を全くしていなかった。もうかれこれ10年は使い続けていることになる。そのあいだにストーブの本体は2~3回のメンテナンスをしているから気がつかなかったとはいえ間の抜けたことだ。
半日かけて更新して、ついでに薪割りの外仕事を終わって部屋に上がったらワイフがストーブを焚いていた。クロはストーブのすぐ隣で熱々になっている。シロは熱気のこもった天井ギリギリの棚まで登ってくつろいでいる。
土間に直結した四畳半の書斎はストーブで熱せられた空気の上昇気流に引っ張られた冷たいすきま風の通り道になって底冷えがする。
そろそろシュラフを7度仕様から2度仕様に変える時期がきたみたいだ。

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笑顔 

2014/12/19
Fri. 11:55

暖冬だという予想は何処へ去っていったのでしょう?
それでも島根は台風並の強風が吹き荒れ、雪もその風で何処かへ吹き飛んでいった感じで豪雪にならないままひとまず峠を一つ越えた。

最近、日頃のおこないが良いようで七日務めの本日は朝からお日さまがのぞいて路面の雪がどんどん解けて、久々に4WD走行の結界君も絶好調で、予定の時間より30分以上も早く到着してしまった。
修証義の4章をメインに30分ばかりおつとめをして、布施、愛語、利行、同事のお話をさせてもらって少し前に石見銀山へ到着した。

先日の老僧通院のお供も雨模様の一日になって雪にならなかった。
浜田へ彫刻展の打ち合わせで行った時も雪に遭遇することがなかった。
ニュース報道で見る豪雪の様子は、日本海側一帯に広がる冬型気圧配置の苦労を知らないわけでもないので、その大変さが身にしみてわかる。
これで万善寺のあたりが豪雪になってしまったら、老夫婦を助けて朝夕の雪かきや買い出しをしながら引きこもりの寺暮らしが続くことになる。
相手が天気のことなので自分のわがままも通用しないから、とにかく粛々と身を任せて乗り切るしかないことだとわかっているはずなのだが、寺のおかみさんにはどうもそのあたりの割り切りがうまくいかないで、最近頻繁に電話がかかってくる。
気の利いた愛語で接しようと心では思っているのだが、目先の現実に負けてしまってなかなか一方通行の独り言につきあってあげることが出来ないでいる。
坊主からしてこういうことだから、えらそうなことは言えない。

この度の七日務めも、そろそろ四十九日がやってきて法事の日程も決まった。
予報だと、またまたその頃に寒波がやって来るようなことをいっている。
たぶん法事の後の墓参りは難しいだろう。
施主さんと相談して無理のないように融通を利かすしかない。

歳をとると本当に融通が利き難くなって頑固になる。
私もそろそろジジイになりはじめているから気を付けなければいけないと思っている。
冬がきて寒くなると、ますます全身の筋肉も硬直して動きが鈍くなっている。
一人でいることも多いから気がつくと無表情のまま一日を過ごしていたりする。
このまま冬の間に無表情が増えると笑顔が引きつって笑えなくなってしまいそうで心配になる。

「寒くない?」
「はぁぁ〜??」
「さ・む・く・な・い・ですか?」
「いんや、ちょうどええよ」
「ちょうし は どうですか?」
「あぁ、ええよ」
「ごはん は たべられますか?」
「あぁ、たべとるよ」
「おさけは のんでますか?」
「このごろは、あんまし飲まんようになったけぇのぉ。ビールはときたまのんどるよ」
「きょう は なんようびですか?」
「きょうぉ〜・・は?? わすれた」
「おきょうは、よんでますか?」
「ああ、よんどるよ。本堂とお仏壇は毎日おつとめしとるよ」
「それはえらいねぇ・・あたまは しゃんと してますね」
「お経は読んどるが、あたまは、つまらんようになったけぇのぉ」
「ほほぉ〜 つまらんですか?」
そして東堂さん、にっこり笑って・・「ほんにあたまは・・スカスカじゃぁ〜」

以上、ドライブ中の東堂さんとの会話です。
あぁ〜〜、あの笑顔が良いねぇ・・・90歳まであと少し・・まだまだシッカリしてらっしゃいます。

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荒れる 

2014/12/18
Thu. 11:43

北陸から東北日本の天候不順がひどいらしい。
やはりいくら狭いといっても日本は東西南北それなりに広いんだなとこういう時に改めて感じる。
島根は雪よりむしろ台風並の強風に見舞われて、こればかりはどうしようもなく、JRも運休して休校も相次ぎ、かなり乱れた一日となった。
幸か不幸か、キーポンの通う高校はキッチリと7時間目まであって、補修と部活がなくなっただけ。
例の如く往復送迎をしたが、強風でフラフラ頼りなげに走る結界君の助手席で不満たらたら文句ばかりいっていた。
先生方は少しでも生徒達の勉強が遅れないように好意のつもりで授業に取り組まれたのだろうが、当の生徒諸君はさて何人が何処まで真面目に本気に学習に取り組むことが出来たのか怪しげな疑問を感じたりもした。

教育の平等化が浸透し、高学歴志向が常識になり、生まれた時から勉強することがあたりまえになっている平成の子供たちにとって、教養知識の習得や学習ができることは、三度の食事のごとくあたりまえになってしまっていて、結局はピーマンがいやだとか魚はキライだとか肉が食べたいとかラーメンが好きだとか、そんな感じで勉強に取り組んでいるようなところがあるように思う。
食事にしても勉強にしても好き嫌いが自由に云えるというだけでも平和なことだ。
食べたくても食べるものがないとか、勉強したくてもそこまでの余裕がないとか、そういうレベルというか領域というか、とにかくそのあたりで悩み苦しむことが今の日本のほとんどの子供たちにはないというだけでも平和なことだ。
それでもこのまま日本がダラダラと無策に過ぎてしまうと、これから近い将来平均的平等的常識にどんどん格差が広がって勉強したくても出来なくなってしまうような子供たちが増えてしまうことも十分考えられる。
ここまで物欲中心の暮らしが世間に浸透すると、そのうち勉強や能力を金で買うような連中が増えるかも知れない。

パキスタンでの学校襲撃とシリアでの民族虐殺だけで1000人以上の人命が報復と人種差別によって失われている。
平成になってすでに四半世紀を過ぎた。
地球社会は確実に戦争に向かって動き始めているように思えてならない。
来年のカレンダーをつくりながらそんなことを思ってしまった。
今回も、オヤジのバイブル菜根譚からその一節を四つばかり使わせてもらおうと思っている。
今からおおよそ400年前の書物で、日本でいうと戦国時代あたりだろうか、全く色あせないで今に通じるところが多い。
というよりも、今の日本や地球社会がその時代の社会性に近づいているのかも知れない。

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昭和の店 

2014/12/17
Wed. 07:29

次回現代彫刻小品展開催に向けて、その準備のまた準備をスタートさせた。
石見銀山ではすでに5回ほど終わったのでひとまず休止を考えているが、県内出品者の意見や考えもあるだろうから、そのあたりを慎重に進めていかないといけないと思っている。
浜田は石見銀山からだと片道1時間の距離だから、展覧会の会期中往復するだけでも行動費がかさむ。
それに彫刻の搬入出や展示作業、ワークショップのセッティングのことなども考えると、どうしても現地スタッフの手薄感が否めない。
それで浜田を中心にいろいろな方面にお手伝いの告知をして、やっと昔つながりの強力協力者を確保できそうなところまでこぎつけた。
今年度の彫刻展開催の時も協力をいただいてとても助かった。
そのお礼も兼ねて次年度彫刻展開催の原案を持って浜田まで出かけてきた。

石見銀山での彫刻展も含め、このところ展覧会やワークショップなどで吉田の両手両足以上にお世話になっているノリちゃんの予定を聞いたら同行を快諾してくれたので一緒に浜田へ向かった。
報道ではスクスクと育った大木の年輪のような天気図が見事な西高東低の冬型気圧配置になっていて寒波襲来の予報を絶え間なく告知している。
裏日本の島根も降雪の避けられない地域だから雪を覚悟していたが、台風並の風雨が主で結局雪が降るまでにはならなかった。

浜田で協力してくれるワタル君がミーティングの会場でセッティングしてくれたところは、昭和時代の雰囲気が濃厚に漂うこぢんまりとした大衆食堂のようなお店だった。浜田は、こういうタイプのお店や旅館が現役のまま営業しているところに良さがあると思うし魅力を感じる。
私より若いワタル君がこういうところを紹介してくれたことに、何となく吉田へのささやかな愛情(ヘンな意味じゃないよ)を感じたりして心地良い。
年季の入ったメニューからおすすめ丼をチョイスしてから、用意しておいた資料を元に展覧会関係の話しをさせてもらった。
結局は展覧会の運営資金というか開催経費の確保がいちばんの大きな問題だから、それをクリアーできるかどうかで総予算が決まって開催内容が決まる。この資金調達で失敗すると赤字承知で汗をかくことになる。
絵に描いたような自転車創業を続けてばかりだと発展もないことは十分承知しているが、何とかここで踏ん張っておけばそのうち好転の時期が来るかも知れないと、それをささやかな望みにして関係のみなさんへお手伝いしてもらっている。金の切れ目が縁の切れ目にならないように努力しなければいけない。

運ばれてきた食事はボリュームタップリの見事なものだった。
大きな丼にエビフライとトンカツがトッピングされた親子丼・・という感じ。
きわめつけは、帰りの運転をノリちゃんへ甘えて注文した生ビール大ジョッキ。
40年前に新宿小田急ビアガーデンで飲んでいた大ジョッキと同じサイズ。
20歳の頃の自分に帰った気になる。
お勘定を払おうとしたら、「チョット待ってください」といわれて、食後のコーヒーとお茶まで出てきた。
感動のビッグウエーブで胸いっぱい腹いっぱいになった。
ワタル君・・・良いお店を教えてくれてありがとう!それにこれからも協力、切にお願いいたします!

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その時々 

2014/12/16
Tue. 09:29

このところ生活のペースが狂ってどうも気持ちが集中しない。
万善寺カレンダーも原稿をつくる前の段階で足踏み状態。
だいたいのイメージは決まっているのだが、落ち着いてデスクトップに向かうまでに精神状態の高揚がない。
やはり歳のせいかとも思ったりしたが、どうもそれだけではないようだ。
思い返すと、私など世間の勤勉な皆さんの足下におよばないヒマな暮らしをしているはずなのだが、それはそれなりに夏の終わり頃から忙しくなってきていたようだ。
慣れないコンサートの仕切りをさせてもらったりしたのも、まるまる年度当初の予定に入っていなかったことだった。
そういうこともあって膨れた出費もやっと年内に主だった返済が出来そうなところまで見えてきたところだ。
知人他人など関係なく、周辺からの恩義を重く感じる半年だった。
貧すれば鈍する境涯に片足くらい踏み込んでいたのだと分析する。
一方清貧のなりわいに高潔な暮らしを模索するのも人生の選択肢のひとつともいえる。
いずれにしても、その時々は二度とめぐり来ない貴重なものと認識することが大切だ。
あとになって後悔するのも満足するのも、いずれにしてもあとのまつりにしかならない。

三年前から万善寺カレンダーを作るようになった。
片面刷りで4枚から6枚綴りのオリジナルに仕立てようとすると、結構な出費になる。
高齢過疎のど真ん中にある山寺が、お正月の粗品にここまですることもないような気もしているし、誰も何も云わないが、まわりの連中にはだいたい似たり寄ったりそのように思われているような雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。
それでもやはり自分の立ち位置はコォーであると示した方がいいと思うし、そのカレンダーを作ることで次の1年間の目標や自戒を確かめることになるのだと思うから、年末のこの時期に一踏ん張りしているわけだ。
結局は誰のためでもない自分のために用事を増やしているだけのことなんだろうけど・・・世間では、こういうことを自己満足と称しているのでしょうね。
まぁ、否定できないところもあるな・・

家族がそれぞれ出かけて、ひとり朝のコーヒーをすすりながらウエブチェックしていたら、吉田家の働き頭なっちゃんがつぶやいていました。
なかなか前向きでありつつ、マイペースなところがいいね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
6.5時出勤→6.5時出勤→10時上野からの移動して16時から21時まで高尾→6.5出勤→12時出勤→12時出勤→6.5時出勤→…の13連勤。Xmasも年末年始もない。生活リズムも健康管理も整えられるわけない。だがしかしあと1年。やるしかない。

お父さんから3:38に起きてるー?ってLINEが来てのっちと4時からLINEして私はそのせいで電車1本逃した。。吉田家夜型通り越して朝型人間。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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選挙記念日 

2014/12/15
Mon. 10:14

4月に島根県へ帰って仕事をしている吉田家の長男と久々に再会した。
なんと、投票所の駐車場!
隣にモタモタ駐車した車がじゅん君だった。
「おとうさん何しとるん?」
「お前わざわざ帰ってきたのか?」
「今さっきまで家にいてこれからまた帰るところ」
別居の一人暮らしなのに住民票を移していないから投票するには実家へ帰るしかない。
面倒なことだが、親子が一緒に投票するなど吉田家始まって以来のこと。
2014年年末の選挙は、私にとって記念すべき選挙になった。

ちょうどその日は、別のところへ行く用事をつくっていたので、「まあ気が向いたら帰宅途中に寄ってみるか・・」くらいにしか考えていなかったのだが、その用事をしていた場所が投票所のすぐ隣だったので、なんとなく窓の外をながめながら仕事をしているうちに、清いかどうかわからない一票を投じる気になった。
木枯らしの吹くなか、ご老人が子供か孫かの車に乗って投票所まで来る。
投票所と間違えて仕事中の窓際までやってくるご老人もいる。
高齢化の進む島根県はこの近年連続して全国1番の投票率をキープしている保守王国。
「選挙カーの声を聞いたの一回だけだったわ。だから、その人に投票したの」
ワイフがそんなことを云っていた。
下々の選挙なんてそんな感じで決まるものなのだろう。
日頃無口なワイフが原発反対だと珍しく自分の考えを云っていた。
じゅん君は原発があってもいいと云っていたそうだ。
先頃の四国のドカ雪で電化住宅が打撃を受けたそうだ。
暖房の手段が無くなって独居暮らしの高齢者が亡くなっていたそうだ。

人の考えや暮らしなどそれぞれだから、なにもかも良い悪いで決めてしまうことは難しい。
良いこともあれば悪いこともあるし、うまくいくこともあればうまくいかないこともある。
自分の気持ちが物欲に固まってしまうと、いつのまにかそれが自分の常識になって他を受け入れる余地がなくなる。
だからといってモノに頼らない暮らしを続けようと思えばそれはそれで窮屈になる。

電気もあればガスもあって灯油も使って薪もある。
吉田家はそのようにアレコレ使い分けながらつつましく暮している。
自作の薪ストーブの御陰で冬は結構暖かいし高熱水費は年中過不足なく横ばいが続くし、夏でも自宅でピザを焼き炭火の焼き肉もできる。
ガタピシ隙間だらけの家の御陰で夏はエアコンがなくてもそれなりに涼しい。
年中シャワーで用を足し、時々ノンビリゆっくり温泉につかって身体をほぐす。
水道水もいざとなれば近所の湧き水でまかなえる。
政治家の皆さんをはじめ、世のブルジョワジーの皆さんとは全く接点の無い暮しぶりだろうけど、何かあってもナントカなる暮らしで十分だと思う。

十分すぎてしまうとかえって暮らしにゆとりやうるおいが無くなる気がする。
出来もしない先の見えない公約で一喜一憂するなどバカらしくなってしまう。
・・・まぁ、いろいろと考えさせられる一日だったことだけは確かだね。

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フェイクワーク 

2014/12/14
Sun. 11:01

「選挙どうする?」
寺へ電話したらおかみさんが出てきた。
「最近行っとらんけぇ」
というので、投票用紙を寺まで持っていかなくてすんだ。

そのかわり、例の如くエンドレスの話が始まった。
こちらの携帯から電話しているからどんどん料金が加算される。
さすがにお金のことがチラつきはじめて、話に割って入って電話を切ることの説明をした。
「今、携帯からかけてるからお金が結構かかってるのよ。だから電話切るね」
おかみさんはまだ何やら一生懸命でしゃべっていたが、そういって電話を切った。

こんどの火曜日には東堂さんの通院がある。
今年最後になるが、寒波が来ているので寺の庫裏から参道下の町道までどうやって連れておりようか今から悩んでしまう。
あれだけの坂を自力で降りることは雪がなくても大変になっているから、結局おんぶするしかないのかなぁと思う。
そうするとこちらも足下が危なくなるし、本人もプライドが傷つくと思うから色々厄介だ。
そうまでして通院しなくてもいいと思うのだが、最近の老人は常日ごろから健康の安心を通院と薬で確認しているような所があるから始末が悪い。
寺の老夫婦など、日常の三度の食事代と医療費と高熱水費とそれに電話代でかるく二人分の年金1ヶ月分を越えていることに気がつかないまま生き続けている。
歳をとって生き続けるということはとにかくまわりに迷惑ばかりかけていることになる。
本人達は、昭和の景気のいい時代のままでストップしてしまっているから、今の時代の現状も知らないで気楽に暮している所もある。
まだ二人が70代で頭も身体もシャンとしている頃に老後の大変さを少しばかり話したことがあるが、そのすぐ後に東堂さんの具合が悪くなって通院が頻繁になって入院手術までするに至ってしまうと、そんな話も雲散霧消。
ひとまずは東堂さんの蓄えを切り崩しながらやりくりしていたが、今では私の微々たる稼ぎをつぎ込むまでになってしまった。
金の切れ目が縁の切れ目というのもなかなか難しいし、金の切れ目が命の切れ目というわけにもいかないし、なかなか長生きするのも難しいものだ。

選挙といっても、寝たきりの老人にまで投票用紙が届くありさまは、一票の格差の裏事情もあるかも知れないし、どう見ても事務的なシステムの無駄な形骸化の産物にしかみえなくて、非現実的で無駄なフェイクワークにしか思えない。
それでも、田舎に暮していると投票所に行ったかどうかでその人の社会性が判断されたりしないわけでもないし、まぁ市井に暮す下々のプロレタリアート以下のニート坊主でも清き一票を投じたフリをしないわけにはいかない現実の矛盾を感じたりしているわけであります。
・・・・さて、これから投票所にでも行ってきましょうかね。どうせフェイクワークですから投票するかどうかは別だけど・・・

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ネタ 

2014/12/13
Sat. 10:04

2010年の1月からスタートしたこのブログも、幾つかの紆余曲折を経て(そうでもないか・・)そろそろ数えで5年が終わろうとしている。
いつの頃からか1日に1回更新の義務のようなルールのようなものが出来て、次に写真1枚添付のスタイルが出来て、しばらくしてなっちゃんやノッチがtwitterの話題を持ち出すものだからそれに加わって、その時にブログからtwitterへの連携を立ち上げて、そうこうする内にまたまた吉田家の子供つながりでfacebookをスタートさせて、それで今年に入ってからマメななっちゃんが吉田家LINEを構築して、SNSの主だった所を概ね過不足なく整備するに至った。

もう半年以上も前のことだったと思うが、夕食前の少し緩やかな時間でYouTubeのチェックをしていた時に見つけたPTXのことをキーポンに教えたら、それがいたく気に入って、以来、彼等のオフィシャル配信をマメにチェックしはじめた。
年頃の娘のことだから感情の起伏もそれなりに激しかったりするし、一応反抗期の終息間際でもあるこの時期であるとは言え、どうもオヤジ離れが出来ないまま、洋楽を中心にした幾つかの趣味が近かったりして、そのあたりから付かず離れずの適度な距離を持ちながら父娘関係を維持しているところでもある。
つい昨日夕方、金曜日の授業を終わって帰宅したキーポンが、制服のままオヤジの書斎へ乱入し、そのまま炬燵デスクにもぐり込んでダラダラと夕食が出来るまで過ごした。
インターネット配信のニュースを見ていたiMacの取り合いが父娘ではじまって、結局それからおおよそ1時間くらい久々に二人でYouTubeの回覧をしつつネコチャンズと戯れた。
ちょうどその時、iPadから着信音がなりはじめた。
最初キーポンのiPhoneだと思って無視していたら、どうも自分のiPadの音らしくて、それからあわてた。
ノッチからのLINE電話かと思ったら彫刻仲間の周藤さんからFaceTime着信だった。
モタモタしているうちに切れてしまったのでこちらから折り返したら、iPadで周藤さんの元気そうな顔が笑っていた。
「これから忘年会なんですが、少し早く来てしまってヒマだったものですから試してた所です・・こんな感じで話せるんですね」
それからしばらく他愛ない世間話や深刻な情報交換をしたりしつつ、隣のキーポンも加わってしゃべっていたら、周藤さんの後ろへドヤドヤと到着の忘年会メンバーが見えたのでそれじゃぁーということでoffにした。
2014年も終わろうとしている今の時期に、FaceTimeデビューをすることになった。

次々に色々なSNSが登場するので還暦オヤジはなかなかついていけないところもあるが、吉田家の場合はマメな娘達の情報交換が頼りになって、そちら方面からストレス無く入り込むことが出来ている。
それぞれに良い所もあるが面倒な所もある。
私の用件など、だいたいが電話ですむことばかりだし、簡単なやりとりはSMSで十分。
facebookのつながりがあれば、そのメッセージで用が足りる。
少し面倒なことはほとんどメールで済ませ、その手段がない時は電話をしてからFAXか手紙。
印刷原稿の重たいデータもクラウドなどを使って済ませるようになった。

何かと便利になったとは思うが、反面そういう付き合いは深みや刺激も無くて、お互いに一歩引いた寒々しさも感じる。
そういうこともあって、せめてこのブログくらいは文字数タップリでこってりした有閑オヤジの限りなく透明に近いグレーの心情吐露を目指しているわけであります。
さしずめ、このダラダラしたブログネタなど・・・
「今日は、久々に娘とYouTubeをチェックしていたら珍しく周藤さんからFaceTimeの着信があった」
・・・だけのことで、1行で終わってしまう!・・・そんなもんですよ普通は・・・

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選挙 

2014/12/12
Fri. 10:26

他人の都合も考えないで年末選挙が決まった。
坊主の端くれとしては、この時期の毎日は盆に引き継ぐくらいあわただしい暮らしになる。
それに、土日は年回法事が入ることも多くて、何事もなければそれなりにゆとりも考えながらスケジュールを調整しているが、こうして突然に割り込んでくる行事が、国民の義務だからと一気に優先順位のトップになってしまうところに釈然としないものがある。
今の世の中、世間の事情を無視して自分の都合で物事が決まることがやたらと多くなった気がする。
四半世紀も前の昭和の頃は、まだまだ世間の事情が縁日で動くこともたくさんあった。
地域の催事は個人の仕事より何より優先されて、そこに住み暮す人々はそれぞれ個人の事情をのみこんで働き動いていたものだ。
私の少年時代は、赤来高原小中学校の児童生徒も、地域ごとの催事優先で休みが公認されたり、大きな町ぐるみの行事は休校になったりして、授業の読み替えや運用の柔軟で先生も一緒になって乗り切っていた。
あの頃のことを思うと、現在は本当に隅々まで細かく窮屈になってこまる。

朝っぱらから、愚痴というか不満というか、そういうようなことが頭にチラついてどうも気分がすぐれないまま七日務めで石見銀山街道を赤来高原まで上った。
石見銀山は弱い冬型の雨模様で銀山川の水位も上昇気味だったから赤来高原は雪になっているかも知れないと思って、いつもより30分早く出発したのだが、心配も取り越し苦労で、道中何の障害もなく順調で、結局定刻より40分も早く到着してしまった。
山陰の冬は天候が刻々と変りやすいから移動もなかなか大変だ。

選挙も似たようなもので、平成になってこの近年、田舎僻地の投票所が次々に廃止統合されて、地域の高齢者は投票所がどんどん遠くなっている。
冬の選挙で投票率を稼ぐのは難しいことだ。
聞くところによると、投票率が悪くなると限りなく自民党に有利な状態になるのだとか。
平和な世の中も長く続いているようで、直近の世界大戦が終わってまだ100年も経っていない。
それどころか地球レベルの紛争は昭和の頃よりずいぶん多くなって、世界に拡散している。
このような状況がはたして平和であるといえるのだろうか疑問だ。
仏教の坊主である私が勉強不足を棚に上げて云わせてもらえば、仏教の説く中道の精神こそ、もっとも平和に近い教義に思えてならない。
古来より、日本の有識人はあまりにも自分に都合よく道教や儒教を解釈して心酔しすぎていると思う。
平和の名のもとに上を目指し、統治の欲を美徳に読み替えて善悪の常識を押し売りする偽善者のあまりに多いことか。
低く垂れ込めた冬の厚雲をながめつつ、なんとなく悶々としながら赤来高原から銀山街道を自宅まで下った。

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発見 

2014/12/11
Thu. 09:56

久々に激しい雨が降っているので、玄関先から駐車場のボクの結界君まで傘をさすことにした。
今朝の石見銀山は、冬のこの時期にゲリラ豪雨なみの雨量になっている。
せいぜい歩いても10歩程度のことだが、その間に全身ずぶ濡れになるような勢いだ。

先日の晴れた日に愛車結界君の窓へ破水剤を散布しておいた。
これで一冬乗りきろうと思っている。
雨が降ってもガラスが汚れ難いし、雪が降っても比較的楽に雪をかき落とすことが出来る。
キーポンが乗り込んで出発すると、破水効果が逆効果で視界全体に水玉が広がって見通しがすこぶる悪い。
走り始めると風圧で水玉がはじき飛ばされて視界が開けるからそれまでのことなのだが、それにしてもワイパー無しには走行が難い状態だ。
まずは、いつも使っている遠近両用の眼鏡をドライブ用に替えようと取り外したら、石見銀山の雨の町並みが急に眼前に広がった。
あれれ・・・?
なんのこともない、いつも使っている眼鏡のピントがフロントガラスの水玉に当たっていただけのことだった。

結局、久しぶりに裸眼のまま学校まで送って、そのまま帰宅した。
良い機会だからと久々に石鹸で眼鏡を洗ったら、視界がクリアーに広がった。
もともと遠視傾向にあったから老眼が入るのも早かった。
眼鏡が手放せなくなってもう15年くらいにはなるだろう。
毎日使うものだから、レンズの狂いというよりはフレームの破損とか部品の在庫切れとかそういうことで結局今までに4回ほど更新している。
案外長持ちしないものだ。
どうせ買い替えないといけないのなら少しデザインも選びたいし、結局気がつかないまま日常の必需品に嗜好品的要素が限りなく加味されてきて贅沢な買い物になったりしている。
これからの日本の高齢社会で眼鏡屋さんの受領はどんどん拡大していくだろう。
朝のひと時、ワイフが入れてくれたコーヒーをすすりながらそんな風なことを思った。

そうそう、もう一つ発見があった。
洗面所で眼鏡を石鹸で洗いながら鏡をのぞき込むと、まつ毛がほとんど抜け落ちている。
眉毛の脱毛も進んでいいてますます人相が悪くなった。
無精髭と頭髪はほぼ変らないで昔のままグレーから白に変りはじめている。
坊主だから、どちらかといえば頭も髭も脱毛が進んで禿げてくれた方が何かと都合よくなるのだがなかなか思うようにいかないものだ。
眉毛が抜け落ちても人相に影響する程度ですむが、まつ毛だけは抜けてほしくない。
どうりで最近目にゴミが入りやすくなった。
これで眼鏡を使わなくなったりすると益々ゴミの進入が防げなくなる。
歳とともにアチコチと身体の不具合を感じるようになった。

さて、こんどはどんな発見があるのだろう。
何気なく垂れ流しのワイドショーのノーベル賞授賞式を観ながらそんなことを思った。
発見のレベル・・というよりラベルがまったく違うね。

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徹夜 

2014/12/10
Wed. 11:02

久しぶりに徹夜した。
この歳になっても徹夜しないといけないほど忙しいわけではなく、ようするに日頃からダラダラと面倒な用事を避けて通っているだけのことで、結局完成度の低いまま時間切れになってあとは妥協でごまかしてしまうという、何ともなさけないいいかげんな仕事ばかりしているからこういうことになる。
それでも、我ながらまだ徹夜に絶えられるだけの精神力や体力が残っているということがわかっただけでも何となく晴れ晴れしい気持ちになったりもして、まったく都合のいいことだ。

夜のあいだ中、クロが私のすぐ横でつきあってくれた。
何もしないでゴロゴロと寝てばかりいるだけのことなのだが、それでも時々目を覚ましてデスクワークにチョッカイを出したりするものだから、それが適度な刺激と気分転換になって一晩睡魔と戦って絶えることが出来たわけだし、このたびはなんとなく猫の手をかしてもらったような気がしないでもない。

そういえば、もう亡くなって七回忌が過ぎるくらいになったような気がするワイフのお父さんの清さんも、結構歳をとるまで徹夜仕事を続けていたことを思い出した。
まだバブルの頃で連日のように昼夜関係なく忙しく働いていた。
私がまだ貧乏学生(今は貧乏オヤジだけど・・)で銭湯代をけちったシャワー暮らしをしていて、時々ワイフの実家へおじゃましてお風呂を使わせてもらっていた頃のことだ。
寺の東堂さんと同じ歳だったから、どうしても比較して見てしまいがちだった。
結局東堂さんが徹夜をしている所を見たことがないから、よけいに清さんの仕事ぶりが凄いことだと感心して尊敬していた。
もっとも、住職が徹夜で坊主の仕事などすることもないから、坊主が夜に寝るのはあたりまえのことなんだけど・・・

とにかくそんなわけで、お昼前にやっと全ての書類を揃えることが出来た。
これから現物を持ってお伺いに行く。
少し長距離になるから居眠りをしないように気を付けないといけない。
まぁやっつけ仕事だからそっくり突き返されても文句はいえないね。

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ひとりのティータイム 

2014/12/09
Tue. 10:01

久々にノッチと夜中に1時間近く長電話をしたから今朝は少々眠い。
ワイフは雪の三瓶山で仕事があるからいつもより30分は早く家を出た。
キーポンは相変わらずマイペースで寒い洗面所に入り込んで自分の髪と格闘している。
今日は燃えるゴミの日なので書斎に溜まったゴミを指定ゴミ袋へ移したりしてキーポンの登校を待った。

しばらく居座っていた寒気が何処かへ無くなってつもより過ごしやすい。
路面は前日に降っていた雨のせいで濡れたままだから結界君の窓ガラスがすぐ汚れる。
出かける前にストーブへ薪を詰め込んでおいたから帰宅すると部屋がほんのりと暖かい。
コーヒー豆の最後の一杯分をかき集めてコーヒーメーカーへセットする。
家族が留守の間はダイニングテーブルが私のデスクワークスペースになる。
色々モノを動かすとワイフに叱られるだろうなぁ・・と思いつつお菓子の山などを少しばかり片づけて書類のケースを広げる。
iPadからWi-Fiでインターネット配信のラジオをとばす。
少し迷ってイージーリスニングを選曲して出来立てのコーヒーをすする。
早起きのネコチャンズは朝食と軽い運動を済ませてまたそれぞれに朝寝をむさぼっていて今はとても静かだ。
ときおり雲が切れて部屋が急に明るくなってすぐに薄暗くなってそれがくり返される。
上空は風が強いのだろう雲の流れの早さがよくわかる。
ふと思い出してグッピーの水槽へ朝食をまいた。
人の姿が水槽の前に近づくと彼等は一気に水面へ跳ね上がってくる。
水槽のひとつにお産を終わって力尽きたメスが浮いていた。
箸で摘んで丁寧にティッシュでくるんで薪ストーブで火葬にしてあげた。
そんなことをしながら頭は少しずつデスクワークの段取りを組み立てる。
さて、今日は最後の大詰めで終わるまで眠れない・・というより眠らないつもりだ。
年末の慌ただしい時期に無駄にダラダラ仕事を引きずる訳にはいかない。

それにしても、ノッチの元気そうな声が聞かれて良かった。
まだ一人暮らしを始める前から「バイトや仕事は飲食業の水商売が良いぞ」と念仏のように言い続けていた。
経営するには難しいことだろうが働くには都合がいい。
給料が安くても金が無くても飲み食いには困らない。
腹が減ったらやる気も失せるし、食欲は生きるエネルギーの元だ。
彼女はそれをキッチリ実践している。
それでもずいぶん痩せてスリムになったのだそうだ。
食べるものに不自由しないで痩せるのだから余程過酷な仕事をこなしているのだろう。
それも若いから出来ることだ。
・・・さて、少し早めのティータイムをそろそろ切り上ますか・・・

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出前ワンコインワークショップ 

2014/12/08
Mon. 10:01

1年がすぎるのは早いものだ。
現代彫刻小品展や六本木の展覧会。
万善寺の盆暮れ正月などの行事。
それに今回の「とみやまカフェ」出前ワンコインワークショップ。
昨年の12月にお世話になってから気がつけばもう1年が経っていた。
今年は、年賀状などのカードづくりをした。
前日まで日本上空に居座っていた寒波のせいか、昨年ほどの人出にはならなかったが、それでも皆さん熱心にそれぞれ工夫して、滞在時間も増えて、面白いカードがいっぱい完成した。
2~3年前に、元同僚だった江津在住のiさんからエッチング版画のプレス機をもらった。
もう古くなって精度もないし部品も欠けてるし廃棄するしかないモノだがそれでもよかったらあげようか?・・と声を掛けてもらって、それでありがたくいただいたものだ。
それから今まで吉田家の土間で眠っていたが、おかげさまでやっと現役に返り咲いて久しぶりに日の目を見ることが出来た。
一ヶ月ほど前から機械の調子を確かめつつ試作をつくったりした。
本番はなかなか調子よく働いてくれた。
思い返すと、私が中学生の頃から美術の授業で使ったりしていたエッチングプレス機と同じような型をしていて、その古風な感じになんとなく愛着を感じる。
今ではその高価な機械が自分のモノになったから、使い方も昔のように縛られないで自由になるところが何ともありがたい。
仲間のノリちゃんがいっぱい厚紙のプレス型を造ってくれた。
マホちゃんは勤め先の保育園からイラストカット集の本を借りてくれた。
ワイフのまっちゃんは当日早朝から起き出して朝飯前に消しゴムハンコをたくさん作ってくれた。
今回初お手伝いをしてくれたケイちゃんはアップダウンの続く坂道を富山まで自転車でかけつけてくれた(これはほとんど自分の趣味も兼ねてだけどね・・)。
手弁当で集まってくれる皆さんには本当に感謝です!
カフェのカレーも美味しかったし、地元産冬野菜もでかくて立派で安かったし、キーポンの後輩達の演奏も楽しかったし、オヤジとしては大満足の1日でありました。

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真っ赤な嘘 

2014/12/07
Sun. 04:56

たぶんシーズンで始めてのはずだと思う。
朝から寝るまで一日中ストーブを消さないで過ごした。

土曜日なのにキーポンが補習があるというので、買い物のワイフが学校へ連れていってくれた。
それで午前中はストーブの薪を絶やさないように気を付けながら、久しぶりに広々としたリビング兼用ダイニングテーブルに書類を広げるなどしてデスクワークをしたり、年賀状つくりワークショップの試作をつくったりして過ごした。
そうこうする内に、補習の終わったキーポンを連れてワイフが帰ってきた。
両手のカゴにはいっぱいの買い物。
その中に巨大なお菓子の袋が押し込まれている。
なんとアメリカ原産のポテトチップス。
三人家族でこれだけの量を消費するのは至難の業だと心配するほどデカイ。
大国アメリカの現状を見る気がした。
その場のなりゆきでその巨大ポテトチップスと記念撮影した。
ひとしきり父娘で大騒ぎをした後、現実に戻って用事を片づけていたら、キーポンがiPhoneをのぞき込んでなにやら真剣な顔になっている。
それからワークショップの準備でしばらく留守にしている間に家族間でオヤジネタのSNSが飛び交っていた。
オヤジは吉田家の娘達にいじられています。
まったく平和な連中だ。
結果がこれ・・・ちなみに、オヤジは彫刻家で坊主ですが、お百姓さんではありません!

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受験生キーポンの加工画像にノッチが食いつき、仕事休憩中のなっちゃんが調子に乗って加工して出来上がったのがこれ

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赤来高原寒波襲来 

2014/12/06
Sat. 10:03

土曜日だというのに受験生キーポンは学校で補習の勉強。
それで、土曜価格の安いお買い物を兼ねてワイフがキーポンを学校まで送ってくれた。
それで、私は朝からノンビリとコーヒーをすすりながら猫とたわむれたりメールチェックなどした。
それで、気がついたらすでに10時のティータイム。
久しぶりにくつろいだ朝を迎えている。
やらなきゃいけないこといっぱいあるのにね。

島根は12月に入って早々から寒気団が居座っている。
毎年この時期はシーズン最初の寒波がやってきてそれなりに雪が降ったりする。
数年前はそれが里雪になって石見銀山はめったにない豪雪で被害が広がった。
今年は普通に山間部の雪になって万善寺周辺や赤来高原のあたりは昼夜絶え間なく雪が降り積もって坊主の七日務めの足を捕られた。
昨日も朝から赤来高原へ向けて銀山街道を上っていくと、三瓶山への街道が分かれるあたりからわだちの跡がつきはじめ、大田市から美郷町へ入る頃には一面雪景色に変っていた。
それから30分の間、ダンプのノロノロ運転に前方をふさがれたまま赤来高原までたどりつき、到着予定から大幅に遅れて目指すお宅の軒先へ結界君を横付けした。
軒屋根から結界君めがけて落ちる雪が若干心配だったが、短時間のおつとめでもでもあるしそのまま雪の中へ雪駄の素足を踏み出した。
商売柄夏冬関係なく素足で暮しているから短時間のことなら雪の冷たさも気にならない。
そんなことを次のお宅でもくり返して、法話にもならないお話を少しばかりさせてもらっておいとましようとしたら、お昼が近いからということでささやかなお斎弁当が用意してあった。
気配りの行き届いたことだ。
こういうことは私が住職になって以降めったにあることではない。
盆の終わりのそろそろ猛暑が残暑に変るころに、そのお宅の跡取り息子さんが母親を残して先立たれた。
その日から数えて百日目のおつとめで伺ったのがちょうど雪の降り続く真っ最中。
ひょっとしたらこの雪がシーズンの根雪になるかも知れないほどの勢いで振り続けている。
「○○さん(ご主人の名前)の時も雨続きだったが、息子の時も雨続きで、こたびは雪ですけぇ・・」
残された90歳近いおばあさんがそうおっしゃっていた。
坊主の立場だとこういうことは良く続くことでべつにそのお宅が特別というわけでもないが、やはり自分の身内のこととなると雨が降ることも雪が降ることも何かしら特別な因縁のようなものに感じられるのだろう。
まだ頭もシッカリしてかくしゃくとしていらっしゃるおばあさんではあるが、長男さんが亡くなって以来、広島暮らしだった長女の娘さんが同居を始められた。
「まだ元気なようでも心配じゃけぇ、一緒に暮す方がええ思ぉて、今失業中ですけぇ」
なかなか思いきったことで、私のような軟弱坊主など出来ることではない。
耳鳴りの耳が痛い話を聞きつつお斎をいただいた。

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きもちのもんだい 

2014/12/05
Fri. 05:03

朝のあわただしい時におかみさんから電話があった。
用件は他愛ないもので別に万善寺住職の立場として報告を受けるほどの必要もないことだが、本人は自分の役割を確認して、まだまだボケないでしっかり仕事が出来ているんだということを証明しようと踏ん張っているのだということがヒシヒシと伝わってくる。
もっと気楽に暮せばいいのにと思うが、おかみさんの90年の人生には「気楽」という言葉の意味の認識が「罪悪」という言葉の意味にすり替わってしまっているところもある。
時々かかってくる電話は、ほぼ全てそういうタイプの他愛ない用件ばかりだ。
結局は何かの些細な用事にしがみついて私に甘えたい衝動をこらえ切れないまま「かまってコール」をしてしまうのだろう。

その「かまってコール」は、狙ったように私が忙しくして余裕のない時にかかってくる。
どちらかといえば、私は毎日をマイペースに自由に暮しているわけだから、たとえばお昼ご飯や夕ご飯を食べ終わって少しくつろいでいる時とか、そういう時を見計らって電話すればいいのにと思ってしまうが、一方、おかみさんの方もその時間帯はそれなりにくつろいでいて、精神的に余裕もあって私に甘えようとする衝動が湧き上がってこないのだと思う。

ひとしきり他愛ない話のリピートを聞いていたら、「寺の方は雪が降っとるけぇねぇ。あんた返事もせんで人の話を聞いとるんかどうかわからんが!」で、プツン!と切れた。
私の現状の訴えを無視して延々としゃべりたいだけしゃべってこれだから、もうどうしようもない。
結局は、時々の「かまってコール」が、ストレスのガス抜きになっているのだろう。
まぁそういうわけで、赤来高原は雪のようです。
そのことをワイフに伝えたら、「三瓶山だって真っ白よ」と返ってきた。

冬型の気圧配置が続いて北の寒気が下がってきているようだが、島根の石見銀山のあたりは雪になるほどでもないままに荒れた雨模様が続いている。
期限付きで借りている倉庫の整理は、大量のゴミを仕分けする段階がやっと終わって、これからそれを処分する段階に入った。
ゴミといっても、その前はなにかしら意味があって大切なものであった時期もあったから私の一存でゴミに切り替えて処分できるものばかりではない。
結局はワイフの判断を待つことになるのだが、そこで当事者の価値基準がズレてしまうと厄介なことになる。
どう考えてもこれから先何の役にも立たないし自分の思い出の感傷だけのためにゴミと認めたくないまま埃をかぶって放置されることが目に見えているのになかなか捨てられない。

これから雪の赤来高原で七日務めが待っている。
結局、ワイフとの気持ちがズレたまま一日が終わって、結界君の狭い荷台で雨に濡れたゴミ袋の幾つかは雪の赤来高原まで積んでいくことになってしまった。
雪の積もったゴミの山を近所の集配所が引き取ってくれるだろうか・・チョット不安・・

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冬の雨 

2014/12/04
Thu. 10:01

一晩中雨が降り続いた。
例の如くキーポンを送るので結界君に乗り込んだら、フロントガラスへ雨の縦縞が無数についている。
このところ久しく破水剤を使っていなかったから、そろそろ効果が無くなってしまったんだろうと思いながらワイパーを使っていたら、しだいに破水効果が戻ってきた。
一晩のうちに雨に溶け込んだ汚れの因が破水剤の被膜の上にこびりついていたわけだ。

結界君に乗りはじめて車検も一番安いコースでお願いしているから今まで一度も洗車をしたことがない。
こうして雨が降り続くと、結界君全体が両生類のようなヌメリを帯びてグレーがかってしまった白の塗装がにぶく光っている。
ここまで環境の汚れが染みついてしまうと普通の洗車ごときでは白を甦らせることはもう無理だ。
車は大事に乗っている方だと思うが、大事に使っているとは云えない。結界君もかなり酷使していて、サビが目立つようになったらそのあたりへ適当に似たような白色のラッカースプレーを吹きつけてごまかす。
それでも、車を運転していて視界が鈍くなるとそれだけでストレスになるから、窓ガラスだけはこまめにメンテナンスして破水剤を絶やさないようにしている。

高校を卒業した年の3月末に上京した。
たまたまその頃に雲り空が多かったのだとしばらくはそう思っていたが、どうもそうでもなかったらしい。
光化学スモッグがひとまず落ち着いた時期でもあるあの頃の東京の空には、まだまだその名残があって、スッキリと晴れ渡る空が見られることは今よりずいぶんと希だったようだ。
東京で暮しはじめたからといって、島根の暮らしから急激に変化しているわけでもないし、それなりに銭湯で身体もキレイにしているし、まだ長髪だった髪も毎日シャンプーしているのに、なぜか頭の痒みが取れなくて夏まで苦労したことを覚えている。
お盆には寺のお手伝いがあるから髪を短くする。
そうすると1ヶ月の間は頭の痒みもなくなって気にならなくなる。
8月の終わりに上京して東京暮らしが始まるとまた頭が痒くなりはじめる。
1年以上訳も分からないままそういう環境の変化に悩みながら暮した。
田舎者の私はどうも湿度変化だけでもない東京の空気へ慣れるのに時間がかかったようだ。
そのうち床屋も変えたりして、鹿児島出身の床屋のお兄さんと親しくなって色々頭のことを教えてもらって、少しずつ頭皮改善が出来て悩みがなくなった。
さすがにプロの床屋さんだなと感心していたら、何と彼自身も上京してすぐの時は似たような症状で苦労していたということだった。

あの頃の東京の空気は今よりかなり汚れていたのだろう。
今は、頭皮が雨にさらされてもすぐに痒くなって我慢できないなどということもなくなったが、それでもまだまだ汚れているということを結界君の窓ガラスが教えてくれた。

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微笑み 

2014/12/03
Wed. 10:06

朝のあわただしいひと時、ワイフから機嫌が悪いと指摘された。
特に別段何時もと変わったというわけでもなかったのだが、彼女にはそのように見えたらしい。
私も、ワイフやキーポンを見てそう思う。
つまり、ほとんど毎朝吉田家の家族みんなが不機嫌な顔をしているということになる。

私がまだ小さかった頃、大正生まれの母親が「朝玄関を出るまではその日1日がいい日になるようにみんなで笑顔でいないといけません」といって、私の登校や父親の外出を見送っていたものだ。
この歳になっても強く印象に残っていて、なるほどそういうものだなぁと改めて思う。

微笑んでいられるということは結構難しいものだ。
何も意識しないでいると知らない間に仏頂面でいるときのほうが多い。
かといって、際限もなく漫然とニヤニヤし続けていたら「あいつ、なんかおかしいんじゃない?」などといらない詮索をされたりしてしまいそうだ。
変に意識して微笑みをつくったりすると、何か下心があったり外面だけの営業スマイルに見られたりして厄介だし、いろいろ複雑になってかえって顔面が引きつる。

あらためて思うと、このところ特に微笑みが消えた気がする。
昔、反抗期だった頃は毎日両親の前ではことごとく仏頂面で過ごしていたが、それでも親しい友達の間では他愛のないことで大笑いをしたりして、それなりに顔のこわばりが緩んでいたことが多かった。
あの頃のことを思うと確かに最近は顔の筋肉に動きが乏しくなった。
それに、涙目というか目頭より目尻の方が下がってきて、しょっちゅう涙が目尻方向へ流れて溜まってこぼれる。
加齢による顔の肉のたるみのせいだと思うが、知らない間に気になっているのだろう、気がつくと頬の筋肉を緊張させて眉間にしわを寄せて目を細めて悪人づらをしていたりする。
あの大正生まれの母親は、もう何年も前からしょっちゅう不機嫌な顔をしている。確かに、若い頃のように身体も自由に動かなくなっているからそのイライラもあるのだろうが、顔の表情が乏しくなった。
そういえば、ワイフも自宅では終始そういう部類の不機嫌な顔つきでいて、会話するのも面倒がったりする。外の社会で常に緊張しながら笑顔を作ったりしているからだろう。

無表情であるということは、それなりにリラックスしていることかもしれないが、世間の付き合いの中では誤解をされることもあるだろう。
老僧と二人になって話すと、時々とても素敵な笑顔をかえしてくれる。
さすがだなぁと思う。
私もあのように自然に微笑みをかえせるようになりたいものだ。
まだまだ修行が足りません!

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文太さん逝く 

2014/12/02
Tue. 10:02

定期試験最終日のキーポンを学校まで送った。
やっといつもの朝が帰ってきた感じだ。
そして、今年の初雪を見た。
相変わらず風が強くて結界君がフラフラと揺れる。
田んぼ設置のワイフの作品は突風にあおられて目茶苦茶になった。
朝のうちに整備して、それから小学校へお礼に行こうと思う。
これからしばらくはスタッドレスの暮らしになる。
石見銀山にも冬がきた。

昨日、ウエブニュースで菅原文太さんの訃報を知った。
健さんのつぎが文太さん。
若い頃の自分の心の支えが相次いで消えた。

もうかなり前から思いついていたことだが、なかなか機会が無くて延び延びになっていたDVDの処分をした。
自分にとってDVDライブラリーはかけがえのない大切なモノだということはよくわかりつつも、なんとなく手元において眺めているだけのことの方が多い近年の暮らしには必要のないものであると切り捨てた方がスッキリすると思いはじめた。
そこへ健さんの訃報が入って本気になって、長い間占領していた書斎の定位置にあるDVDを大きな紙袋4つ分ほどに移し替えて石見銀山でお宿を経営する近所のオーナーへ引き取ってもらった。
ちょうどその日に文太さんが亡くなっていた。

もうそろそろ、過去にしがみついて生きることをやめた方が良いよ!・・と云われているような気もする。
最近になって少しずつ身辺の整理を始めていたが、どうもそうした方が良いような時期がきているのかも知れない。
自分にとっての映画は、何よりもかけがえのない趣味を越えた特別のモノだったような気がする。
小さい頃から映画好きだった少年が、上京したその年に新宿通りの東映で観た仁義なき戦いは鮮烈なものだった。
どちらかといえば低迷を続けていた日本映画が甦りはじめた頃のことだ。
それから5部作を一気に観て、その後同じ新宿東映で5部作一気オールナイト上映があって、その日は、朝から劇場の入口に並んだ。
夕方になって出演のそうそうたるメンバーがやってきて舞台挨拶。
スクリーンの中ではない本物の文太さんをその時始めて見た。
思ったより背が高くて大きくてスーツ姿がとにかくカッコよかった。
最後の完結編終了が翌朝8時。
一睡もしないでスクリーンにかじりついていた。
今にして思えば、これからも忘れることのない青春の思い出になっていた。

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2014-12