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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ミラノ座 

2014/12/22
Mon. 10:51

石見銀山もやっと本格的に雪が降り始めてきた。
島根に住んでいると例年この時期にドカッと雪が降って、それが根雪になるかならないかで暖冬かどうかが決まるようなところもあったが、今年は寒波到来が早かったのでシーズンの変わり目で躓いた感じになってしまった。
冬になると路面の凍結や冬道になれないドライバーのノロノロ運転で通勤の足が乱れる。
毎年のことでわかっていることなのに相変わらずキーポンはノンビリと朝の仕度をしているものだから遅刻を避けられないことになってしまう。
自分の都合で遅くなっているのを棚に上げて、ドライバーの私が責められる。なにかおかしなことだ。
今朝もあわただしく落ち着かないまま近道にならないような横道にそれたり、赤信号にイライラしたり大騒ぎの通学になった。
グッタリ疲れて帰宅すると、自宅前の彫刻の植栽がリニューアルされていることに気がついた。ワイフの気遣いがうれしい。棘っぽい気持ちが一気に和んだ。

今年最後になる法事をつとめてなんとなく気が抜けた。
あとは万善寺の年末年始の作務が忙しくなる。寺ではデスクワークの環境が整備されていないので、寺関係の各種印刷物や年賀状作成はすべて石見銀山の自宅で終わらせておかなければいけない。これから一週間はほとんど書斎にこもりっきりになることだろう。
だからと云うわけでもないが、気持ちの切り替えもしたいし、ミラノ座閉館の情報も飛び込んだりしたので、法事から帰ったあと、思いきって映画三昧の日曜日を過ごした。

まさかあのミラノ座が閉館になるとは思ってもいなかった。
新宿ではピカデリーやミラノ座がいちばん大きな映画館だったと思う。
歌舞伎町のコマ劇場から続く映画館街は映画好きの私にとって忘れられない場所のひとつだった。その中でもミラノ座はハリウッドの大作を中心に上映されて当時は大入り続きの人気があった。
一番館だからチケットが高くて貧乏学生の私にはほとんど縁のない映画館だった。それでもジョーズは封切りロードショーの時にそこで観たような覚えがあるが記憶違いだったかなぁ・・・
それと、島根の採用が決まって今のワイフと結婚する意思もかためて、もう東京で暮すことは無いだろうとふんぎりをつけた頃にたしかミラノ座でE.Tを観たように思うがこれも定かではない。
いずれにしてもまだ若かった私にとって、ミラノ座のロビーホールや観客席のシートはあまりにも豪華で贅沢すぎてかえって落ち着かなかったことだけは良く覚えている。

あの頃はどちらかというと、その向かって右隣にあるミラノ名画座へ入り浸っていた。入れ換えなしの1日250円は実に魅力的だった。
バイト時間の関係で最終上演しか観ることの出来なかった時に、一週間通い詰めて連日6日間見続けた映画がマックスのジーン・ハックマンとライア(オ)ンのアル・パチーノのスケアクロウだった。荒涼としたアメリカの草原とその真ん中を走る1本道でヒッチハイクをする二人の出会いのシーンから始まるその映画は、なんとも不確かで不確実な目標も目的も定まらない曖昧なまま暮し続けていた当時の私の心情がシンクロしてなんともやるせない気持ちを代弁してくれているようで、かえってそれが自分の気持ちのつかえをとってくれて、何ともいえない心地よさを感じたりしたものだ。思いっきり涙を流して泣いたあとのスッキリ感を教えてくれる数少ない映画の一つだった。

テアトル東京が無くなる時は、2001年宇宙の旅をスクリーン中央の前から5列目辺りに座って見納めした。
左右が湾曲した曲面のスクリーンに自分が入り込んで、あの黒色板と一緒に宇宙を浮遊しているように錯覚したことは今でも覚えている。
ミラノ座にはボーリング場もあった。最後を観ることが出来ないままになった。残念なことだ。

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