工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

緊急時一斉通信 

2015/01/31
Sat. 19:47

眠れない一夜が明けた・・といっても、不眠症ではない。
このところ、オヤジの四畳半が荒れ放題になっている。
キーポンとの冷戦が終結したと思ったら、その時から彼女がオヤジの四畳半へ入り浸りはじめて収拾がつかない。
おまけにネコチャンズも自由に出入りするし、ワイフまで休憩と称して炬燵に潜り込んでくる。
私が最近留守がちだったから、その間に「オヤジの書斎」であるという聖域としての四畳半が侵略されてしまったようだ。

それは、週末のまったりとした夕食が終わったあとのこと・・・
親子三人水入らずでワイフの手づくり夕食を堪能していたら、いつのまにかキーポンの姿がみえない。
その時はあまり気にすることもなく久々の熱燗を一杯やりながらくつろいで四畳半へ引きあげたら、デスクワーク兼用の炬燵にキーポンが潜り込んでウツラウツラしている。
起こしても起きないし、結局炬燵から引きずり出してシュラフの半分を巻き付けてそのまま寝かせることにした。
一応親子とはいえキーポンも18歳だし少し遠慮しながらシュラフの半分を確保して寝ていたら、どうもおちんちんの辺りが重たくて寝苦しい。
金縛りにあったことはないが、たぶんこんな状態で身動きできなくなるんだろうなぁと夢うつつで思いながらしばらくそのままでいたが、やはりその重たさが苦しくて我慢できない。
無理をして上半身を起こしてみると、猫のクロがシュラフに埋もれて寝ていた。
あれだけキーポンのおもちゃになっていじられているのに、何故かクロはキーポンが好きらしく、夜になると彼女の行く先々についていく。

せっかく久々の土曜日を休日にしようと思っていたのに、何とも寝覚めの悪い朝になってしまった。
なんとなく、シャンとしないままSNSをチェックしていたら、ノッチの新しい書き込みを見つけた。
「日本は平和だなぁ・・」で片づけていいものだろうか?
日本大使館は本当に素晴らしい仕事をしてくれていると思った。
結局はこの前の「落石注意!」のことと似たようなものかも知れないが、それでもきちんと仕事をしてくれていることが伝わる。
日本在住の日本国民である私には、今のところ残念ながら緊急時一斉通信は届いていない。
そういう、日本領土内の危機感の無さに危機感を持ってしまう。
キーポンやクロのことで眠れない一夜を過ごしたことなど何でもないことだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
在シンガポール日本国大使館から緊急時一斉通信が届いたよ。
つまり、テロが起こる可能性が0ではないから警戒しろよ。
ここは多民族国家だぞ。油断すんなよ。平和ボケしてんじゃねーよ。
ってことだね。。。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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わたしはだぁれ? 

2015/01/30
Fri. 12:19

このところあきれかえるほど万善寺家業がたてこんで振り回されている。
そう思ってしまうことも不謹慎なことだが、なにせ小さな山寺の住職としては、ここまで仏事が重なることがきわめて珍しいことなのだからしかたがない。
これでいまだに東堂さんが現役だったりすると、きっと収拾がつかないほど大騒ぎになってしまっていることだろう。

ふりかえると、老僧夫婦の時代は、まだ仏教も民衆の心の支えになっていることも多々あったから、寺の忙しさはお檀家さんや地域のお手伝いでまかなえていた。
住職がひと声かければ、八方から手伝いが集まって、方丈の間にドカッと座ってお茶でも飲みながらアレコレ指示を出していれば何とかことが進んでいた。
近所のお寺の随喜衆(お手伝いの僧侶達)が方丈の間に集まると、まかない方のご婦人方が他所行きへ着替えて化粧などしてお茶方を務めたりして、仏事とはいえお祭の如く華やいだ様子で、門前ならぬ門内の小僧である私など調子に乗って浮かれ過ぎて、散々厳しく叱られたものだ。

あの頃から思うと、身の回りの内も外も全て自分一人で切り盛りして、それでも手が回らないところはワイフの応援で助けてもらいつつ何とかその時々を乗り切っている。
たった半世紀足らずの間に、世間の事情が目まぐるしく変ってしまった。
「万善寺さんは門徒さんから何て呼ばれていらっしゃいますか?」
仏事でご一緒した浄土真宗の若いご住職から質問を受けた。
ちなみに、万善寺周辺の浄土真宗の僧侶は「御院家(ごいんげ)さん」と呼ばれている。
昔は・・というより、万善寺老僧は「方丈(杖)さん」と呼ばれていた。
それじゃぁ自分はどうだろう?と思いはじめてみると、なかなか思い当たらない。
最近は私に向かって「御院家さん」と呼んでいる檀家さんもいらっしゃる。
自分自身はべつにどう呼ばれても気にすることもないから、改めてそんな質問を受けてすぐに返事をすることが出来なかった。

ナンチャッテ坊主の貧しい仏教知識からひねり出すと、方丈の他に「坊主・和尚・住職」くらいしか思い浮かばない。
京都在住の知人のアメリカ人は、私を見ると「おしょうさん!」といってくる。
彫刻の飲み友達は酔っぱらってくると「ぼうさん!」といいはじめる。
長い間万善寺の役員をお願いしている檀家のご主人にはいまだに「わかさん!」といわれている。
お付き合いしている仏具屋さんには「ごじゅうしょくさん」とか「まんぜんじさん」とかよばれている。
ちなみに、ワイフや近所の飲み友達やその奥さんは「しょうちゃん」といっている。
遊び仲間には「てつじん」といわれていて、郵便物は郵便番号と「石見銀山鉄人」で届くこともある。
ついでに、「せんせい」と呼ばれることもけっこう多いが、何の先生なのか曖昧だし、これはあまり嬉しくない。
まともに「よしださん」と呼んでくれるのは、金融機関や病院の受付のおねえさんと宅急便や材料屋のおにいさんくらいのものだ。

仏教僧侶の呼び方も宗派によっていろいろだと思うが、私のようないいかげんな僧侶は、何と呼ばれても文句を返すことは出来ないことだとは思っている。
方丈は、僧侶の寝起き修行する住まいの寸法が語源らしい。
坊主も似たようなことで、僧侶の寝泊まりする宿坊の主をいうらしい。
和尚は、御僧が訛ったものだといわれてもいるようだが、実は私などはまだまだ足下にもおよばないほどの高尚な僧侶でないとむやみに使ってはいけない呼び名なのだ。
住職は、住持の職が短縮されて住職になったとの説が有力のようだが、一方で寺を守るために住み暮すことの職が詰まったという説もある。私などは、いまのところ万善寺に住み暮していないから無住職といわれてピッタリかも知れない。

まぁ、何と呼ばれてもそれで今の自分が変ることもないし、名前ばかりが立派になってもしょうがないことだ・・・・・と思っている。

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オヤジのひと役 

2015/01/29
Thu. 15:58

せっかく久々に仏事から開放されて自分の時間が出来た筈なのに、運悪く二日連続雨模様に祟られて思うように外仕事ができない。
しかたがないからデスクワークに切り替えているが、どうも頭がうまく回転しない。
「こういう時もたまにはあるだろう」と、そう思うしかないと気持ちを切り替えてしまうと、それはそれでアレコレ雑用を片づけているうちに1日がいつのまにか過ぎてしまう。
寺の老僧夫婦のこともなかなか悩みのタネが尽きないし、自分を取り巻く吉田家の小さなコミュニティーごときでも連日のように何かしら絶え間の無い波風に気をもんでいる。
他人事で簡単に片づける訳にもいかないことだから、とにかく踏ん張り続けるしかない。

オヤジとキーポンの冷戦は、少しずつ好転の兆しが見えるものの予断を許さない状態が続いていたが、ワイフの積極的和平介入により、お互いの譲歩案を受け入れることを暗黙に了解し、友好関係を回復するに至った。
冷戦もたまには良いこともあって、久々にオヤジの四畳半書斎ライフを謳歌していたのだが、友好関係再開と同時にキーポンの書斎乱入が復活して、落ち着かない日々を過ごすことになってしまった。

一夜明けて、礼の如く早朝からキーポンを学校まで送り、その足で七日務めに赤来高原まで移動した。テレビでは寒気団が来るとやたら脅していたが、銀山街道はそれほどでもないまま往復することが出来た。ストーブの燃料補充で薪割りの準備をしていたらキーポンから迎えコールが入った。まったく何をするにも集中の糸が切れてしまう。それでも、誰かがやりくりして何とかしなければいけないことでもあるから、それはそれなりに吉田家の役に立っている筈だと思うことにしている。

石見銀山の斜面の整理で1年ほど前に伐採されたねじれケヤキとナラの木を割った。
熱くもなく寒くもなくいい感じで温もった部屋が甘い蜜の香りに包まれた。

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吉田家事情 

2015/01/28
Wed. 10:43

爆睡していたら夜中になって仕事帰りのなっちゃんから電話が入った。
職場の社員がインフルエンザになってしまって、15日から1月いっぱい休みなしなのだそうだ。
オヤジ譲りで身体が頑丈に出来ているようで、こういう時はそれも善し悪しだなと同情してしまう。
病気も気は心で良くもなり悪くもなることもよくあることだから、彼女の場合、それなりの責任感と緊張感の御陰で体力を維持出来ているのだろう。

進路のことで、久しぶりにキーポンと冷戦が続いている。
「久しぶりに」・・というより、「きわめて珍しい」と言った方が良いかも知れない。
それほど、彼女はお父さん子のまま大きくなった。
物心ついた頃から、「この子が最後の子だ」と決めて育てたようなところがあって、いろいろな家庭の事情もあって20年ほど続いた仕事をリタイヤして彫刻と坊主の仕事に絞った時も、「これでキーポンと一緒の時間が増えるな」と良いように解釈して気持ちを切り替えたところもある。
じゅん君となっちゃんは年子で、我々夫婦もまだ若くて自由な時間もそれなりにあったから、かなり濃密な親子の時間を過ごした。
ノッチが生まれた時は、私の彫刻家人生の転機で、個展を計画したりして大きな節目を乗り切ろうとしていた時期だったから、小さい時の彼女との付き合いには何処かしら希薄なところもあって、それがいつまでも心残りのまま気になっていた。
今にして思うと、そのことでかえって良い意味で適度に醒めた距離感のまま時が過ぎて大人の付き合いになっているようなところもないわけではない。
子供たちもそれぞれにいろいろそれなりに悩んで苦労しながら大きくなっている様子が感じられていじらしくなる。

あわただしい吉田家の朝を避けるように寝不足気味のままトイレへこもって読書をしていたら、ドアの向こうで猫のクロが登校前のキーポンのおもちゃにされて鳴いていた。
落ち着いてウンコも出来ない。

冷戦も3日目に入って少しずつやわらいできたような気がする。

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不殺生戒 

2015/01/27
Tue. 10:43

久しぶりに自分のことで使えそうな一日がはじまった。
いろいろやりたいことや、やらなければいけないことが溜まっているから、何処から手を付けようか迷ってしまう。
そんな時は、まず一杯のコーヒーから始めよう!
七日務めでいただいたお檀家さんの奥さん作シホンケーキをワイフにカットしてもらって、少し早めの朝のティータイム。
殺伐とした世間のことや、見て見ぬふりでスルーする田舎付き合いのことなど、その気になって突っ込みはじめるとなかなか厳しい現実に直面してしまうことも多々あるが、そのあたりを美味いコーヒーでゴクリと飲み込んでしまったところだ。

石見銀山と万善寺は銀山街道と出雲街道で結ばれている。
どちらも峠が幾つかあって難所も多いが、特に銀山街道の方は道の改良が遅れていてカーブもきつくて狭い。
そんな道をほぼ毎日のように行き来していると、アチコチに落石がある。
冬の間は、岩盤がむき出しの斜面にしみ込んだ水が夜のうちに凍って落石の原因を作る。
地元の住民はいつものことで慣れているから、路面の悪条件を予測しながら慎重に車を走らせる。
「落石注意!」道路標識も各所に設置されている。

さて、その落石注意だが・・・直近の免許更新で受講した講義ではじめてその正しい解釈を理解した。
「路上にころがっている落石に注意して走行してください!」ということで、「このあたりは落石が多いところだから、落ちてくる石に注意してください!」ということではないということだ。
もうずいぶんと長い間、「頭上から石が落ちてくるかも知れないから早く通過しないとね!」なんて思いながら運転していた。
なんとも曖昧な解釈の道路標識だが、結局は国土交通省もしくは日本国の都合のいい拡大解釈の逃げ道を作っているような気もして、素直に納得できないところでもある。

宗門のお経の「修証義」第三章に「不殺生戒」が出てくる。
元はお釈迦様のおことばを十の禁戒に整理して、その第一番目の禁戒として記されている。
この歳になるまで数えきれないほどおつとめしているお経のこの解釈を何の疑いもなく「殺生はいけません!」とか「殺生してはいけません!」とかそういうことだと思っていたが、じつはそれも間違いではないが誤りもあった。
やはり、在家坊主も片手間副住職のままでは、修行も何もあったものではないなと反省した。
住職になって葬儀の導師をつとめるようになって、授戒をし引導を渡す責任を担うと、いいかげんに曖昧な解釈のままで捨てておく訳にもいかない。
そもそも、人間も含め、この世に生きるもの全ては何かしらの生きるための糧を得ることは当然の営みとなる。
自分がこの世に生を受けた時から、殺生の御陰で成長し生き続けることが出来ている訳だ。
生きるために避けることの出来ない最小限の殺生を常に自覚し感謝しありがたく頂きましょう・・・ということが、食材へ手を合わせるという行為で表されている訳だ。

地球に生きるもの全てに唯一許されている殺生は、「生きるための最小限の行為」のみである。
我欲や執着(しゅうじゃく)で都合よく解釈の殺生は許されない行為なのだ。

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コーヒータイム 

2015/01/26
Mon. 10:16

少しばかりゆっくりと、朝のコーヒータイムを過ごしている。
この時間に自宅でくつろいでいるのは何日ぶりだろう・・
だいたいが、ヒマにマイペースに自分のスケジュール優先で暮しているから、最近の仏事のあわただしさになかなか慣れないまま1月が終わりに近づいている。
今日もこれから着物に着替えて七日務めへ出かける。
施主家の都合で49日までは午後のおつとめになった。

そろそろ立春が近づいてきた。
島根の石見銀山や赤来高原は、例年だとその頃に厳しい寒波がやってきて一波乱あって、それから2〜3回周期的に寒い日がやってきて、打ち止めが3月のひな祭り前後の淡雪。
それからあとは、土の匂いにヨモギの新芽と枯れ残った昨秋の枯れ草の匂いが混ざった風がそよぎ、日差しが春めいて春一番がくる。

今年の初午さんは2月の11日なので、何事もなければ春がいつもより早くやって来るだろう。
一方、今年の吉田家の春は一波乱ありそうな状況だ。
東堂さんの様子に少しずつ変化が出てきた。今のところそれなりに元気ではあるがそろそろ老衰が加速しはじめているように感じる。
進路の不安を抱えるキーポンは、このところ一人になることを避けるようにオヤジにちょっかいを出しながらやたらとはしゃぎ続けている。
各年で回ってくる東京での春の展覧会もそろそろ準備にとりかかる時期になった。寺の春の仏事や法事を調整しながらスケジュールを組み立てることになる。

ヒマにマイペースに暮している毎日でも、その時々の出来事に流されつつ自分の立ち位置をブレないように保つことはなかなか難しいことだ。
毎日同じことのくり返しが続く暮しがどれだけ幸せなことかと、そういう暮しがうらやましかったりもする。
その日一日泣いても笑っても、過ぎてしまえば過去の一日だけのこと。
結局はなりゆきに身を任せるしかなさそうだね。

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斎膳 

2015/01/25
Sun. 15:10

そもそも、お檀家さんの少ない万善寺のことだから、当然法事の数も少なくて、だから片手間住職がノンビリと時間をタップリ使って大きな彫刻を造ることが出来ているわけだ。
ところが、最近やたらと法事や仏事が重なって、2日に1回は万善寺へ通勤したり泊つきの出張をしたりしている。
こんなことは、副住職時代も含めて記憶がないほど希なことだ。
吉田家のこともヒマなオヤジなりにあてにされているようなことが無い分けではないし、けっこう毎日があわただしく過ぎている。

昨年から決まっていた早朝からの法事をすませて先ほど帰宅した。
日曜日だし、吹奏楽のコンサートがあるということで、人間は留守にしていた。ネコチャンズはオヤジの帰宅を知りつつ出迎えてもくれないで、完全に無視された。
一人寂しく改良衣を着替えたり頭陀袋を片づけたりして少し落ち着いてから斎膳かわりの折りをひらいてみた。
全て施主家の手づくりはとても珍しい。
煮しめ中心の弁当は奥さん作。おでんはご主人作。
それにかたちばかりのお布施が添えられている。
なかなか心のこもった手厚いご法事だった。

最近の斎膳は、ほとんどが仕出屋か料理屋さんの法事弁当になった。
自宅のお仏壇の部屋に親族が集まって法事のあとのお供え物のおさがりをいただきながら施主家手づくりの斎膳をいただくなどということは、1年に1度あるかどうか・・・

「町内の寄り合いがありましてねぇ。高齢化も進んでいるし、そろそろ弔いごとのお手伝いも組内だけでは難しくなりましてなぁ。斎膳のお品書きも写真まで撮ったりして残しておきましたが、さて、代替わりがうまくできるかどうか、なかなかむずかしいことです・・」
昔ながらの習わしを自分たちの代で無くしてしまうのも忍びないし、次の代へ申し送るには勢い余って余計な口も手も出てしまって若いものに嫌われたりもして、なかなか世代交代が難しいままJA葬祭に一括丸投げの楽な選択肢に落ち着きそうな様子らしい。

煮しめやお漬物は家ごとに味も違って、それが坊主にとっては法事の楽しみでもあった。
老僧など、そのようなことはいまだに良くおぼえていて、赤飯は○○さん、粕漬けは○●さん、●●さんの香茸は美味い・・・などなど、元気な時はそういうことを思い出しながら晩酌をしたりしている。
いただいた煮しめ弁当も冬の寒い時期だから1日くらい平気でもつ筈だし、明日も七日務めに出かけるから、ついでに万善寺の老僧夫婦へ持っていってあげようと思う。

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薬とビール 

2015/01/24
Sat. 16:52

寺から石見銀山の自宅へ帰ったら、なんとなく気が抜けたみたいに身体がだるくてちからが抜けた感じだったから、一晩ゆっくり休んだら何とかなるだろうと思っていたら、どうも調子が戻らない。
少し意識して朝寝をしてみようとも思ったが、結局意を決して病院へ行くことにした。

いつもどおり朝食を食べてすぐに仕度してかかりつけの病院へ行ったら、看護婦さんが駐車場の車をのぞき込んで問診をしている。
インフルエンザが流行っている時なのでヤバイなとも思ったが、このまま帰るのもどうかと思うし、結局受付をして診察を待った。
寺にいる時から節々が重たく感じたりしていて、そのような症状を伝えたら、風邪の初期症状かも知れないということになって薬をもらって帰った。

もうずいぶん前から「歩く成人病」を告知されているので、日頃は3ヶ月に一度くらい通院を続けているから、診察室に入るとどうも世間話が優先してしまう。
自他共に認める病院嫌いだから、ドクターと気楽なやりとりをしているようでも、何故が血圧が上がっている。
「もういい歳だし、暴飲暴食を慎んで規則正しい生活をしましょうね」
などと、お決まりのフレーズが出てくると診察終了の合図。

薬をもらったりすると、途端に病人になったような気になってしまうが、一方で少し気楽になったような気もしたものだから、久々の気晴らしをしようと家族で出雲まで出かけた。
「あんた、病院まで行ったりしてるんだからマスクくらいちゃんとつけなさい!」
ワイフが厳しく言うもので、うっとうしいマスク着用のままショッピングセンターを歩き回った。
輸入品などを扱う食品雑貨の店でサービスのカップコーヒーをいただいたりしてアレコレ物色していたら安くなったoranjeboomが目に入った。
全く都合よく眼前の誘惑にすぐ負けてしまう。
これで今日の夕食が楽しみになった。

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雪のち晴れ 

2015/01/23
Fri. 16:51

通夜が終わって葬祭場を出たらそれまで降り続いていた雨がよけいにひどく激しくなっていた。
1月のこの時期の赤来高原に集中豪雨のような雨が降るなど珍しいことだ。
普通は雪になるはずだと思いつつ寺へ帰って遅めの夕ご飯を食べた。
テレビでなんとなく面白そうな番組が流れていたが、食事中おかみさんがしゃべり続けていたので、結局落ち着かないままテレビに集中することも出来なかった。

プチ出張で万善寺泊になると、やはり石見銀山より夜が寒い。
いつのまにか激しい雨音も耐えて、時折保賀の谷を横切る長距離トラックの走行音がうるさい。
いやに静かで底冷えもするからひょっとすると雨が雪に変ったのかも知れない。
そんなことを思いながら自宅に電話をしてみた。
寝ぼけ声のキーポンが出てきてしばらく会話した。吉田家の夕食はカレーライス。
その後、クロチャンの写真と動画を送ってくれた。
それがオヤジの夜のお供になって、iPad片手にニヤニヤしているうちにいつのまにか寝てしまっていた。
綿のたっぷり入った昔ながらの厚い掛け布団が重たくて息苦しくて目が覚めたら朝だった。
案の定、一晩のうちに雨が雪に変っていた。
葬儀の間中粉雪が降り続いていた。

3年生で午前中授業になったキーポンと連絡をとりあって、あわただしく万善寺を出発した。
赤来高原から銀山街道を日本海へ向かって下りはじめると、道が乾いている。
島根県もなかなか広い。

キーポンを拾うついでにドコモへ寄った。
使い倒している昔ながらの携帯電話の調子があまりよくない。
結局、機種があまりにも古くてどうにもならないということだったから、プランの見直しをチェックしてもらう程度で引き下がるしかなかった。
一日が過ぎるのは早い。
帰宅したらネコチャンズが大騒ぎして部屋中が凄いことになっていた。
大事なおさがりの書道ケースがひっくり返り、テーブルの書類が散乱し、親指大のウンコがひとかけらぽつんとフローリングにころがっていた。
寺からの荷物を運び込む間中、ネコチャンズが狂ったように走り回っている。
ご飯をあげて水をあげたら、やっと静かになった。
気がつくともう夕方になっている。ずいぶん日が長くなった。
石見銀山の空には青空がのぞいていた。

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人生設計 

2015/01/22
Thu. 14:10

朝から授戒をして入棺出棺や荼毘のおつとめをして、その足で七日務めに回って、帰りにとんど供養の正月飾りなどを回収して、お昼をすぎてやっと万善寺へ到着した。
おかみさんが首を長くして待っていて、私の行く先々へヨチヨチついて追いかけながら延々と一人でしゃべり続けている。

今年は保賀地内恒例のとんど祭が葬儀と重なって中止になった。
その関係で万善寺が御焚き上げをまとめることにした。
庫裏の縁側にもすでにいっぱい正月飾りが集まっていて、そのことのいきさつをおかみさんが延々としゃべり続けていた。このことは町内の主だったメンバーが連携して事を進めているから別に大騒ぎするほどのこともないのだが、年寄は前例のない出来事が急にやってくるとそれの収拾がつかないまま無駄に右往左往してしまう。もう少し広い心で私の行動を見守ってもらいたいのだが、なかなか潔く見切りがつけられないようだ。
そんな訳で、改良衣を着替える前におかみさんの声を背後に聞きながら撥遣供養のおつとめをすませておいた。
夕方からは通夜で出かけるので、その前にとんど供養を済ませておこう。

この冬のシーズンは葬儀から七日務めとやたら仏事が続く。気持ちの切り替えが思うようにいかなくて悩む。
先日、彫刻の仲間がフラリと訪ねてくれたので久々に彫刻の話題で花が咲いた。坊主家業にどっぷりと浸りきっていた時だったから話題が新鮮でアッという間に時が過ぎた。
たまにはこういうこともなくてはいけない。
気付かないまま目先のあわただしさに流されていたような気がする。

国外暮らしのノッチも少しずつ大人になってくれている。
私が彼女の年頃は、まだまだ無駄にだらしなく気楽な毎日を過ごしていた。
娘から励まされているようで、気持ちが引き締まった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
いま日本に戻って住むことになったら自我が強くなって我儘になって人に甘えて前までの自分に戻っちゃう。
いま微かにあるサバイバル精神とハングリー精神が皆無になる。
英語に本気になろ。んで3ヶ国語覚えよ。
2020年夏季オリンピックに東京にいれればそれでいーや。
人生設計しっかり建てよ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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新調とおさがり 

2015/01/21
Wed. 09:47

仮通夜1日目を終わった。
途中、結界君の調子が悪くなってスタンドへ駆け込んだら、どうも部品の老朽化が原因で警告ランプがついたらしい。
走行距離5万kmの中古を手に入れて、2年目足らずですでに10万km突破という酷使に耐えてくれているから仕方のないことだろうと納得しつつ代車を手配してもらって帰宅したら、ワイフが広島風お好み焼きをつくって待っていてくれた。

こんどの喪主さんは、馬車馬のように働いて、一方で高齢のお母さんを長い間介護されていらっしゃったから、なかなかお寺のお参りも出来ていない。
私など、会話もほとんどないからそのお宅の事情など全くわからないままのお付き合いが続いていた。
葬儀に際して、本気で過去帳を開いたりお墓の場所を聞いたりしてみると、この度亡くなったお母さんのご主人は万善寺によく尽くしていただいていたようだ。
現代社会の信心は一家の代表がせっせと寺の行事に働いておけばあとは何とかなるだろうというような都合のいい解釈になっているところもある。
そもそも信心とは家の代表がひとくくりするようなものでもないし、一人ひとりが信じる心を持つところに意味があるのだが、なかなかそういうふうにわかってもらえないところに現代仏教の説得力の弱さを感じる。

お経の内容を解釈していくと、ほとんどが如何に生きるかというあたりに主眼をおいた教典だということがわかってくる。
人生の躓きのささえになるような教えがお経の随所にちりばめられている。
坊主は仏様の教えをひたすらくり返し音読して信者に伝え、その時々に生きるための対処を教典から引き出しながら布教に励んでいるはずなのだが、さて、私などどれほどのことが出来ているのか・・・
こうして、お葬式や法事のことばかりに坊主の役目が偏ってしまうと、本来目指すべきおつとめの主体がますますあらぬ方向へ逸れていってしまってなかなか元に戻すことが難しくなってしまう。

戒名のお話とこれからあと四十九日や年回の意味をお話しさせてもらった。
はじめて知ったような神妙なお顔で聞いていらっしゃった。
お仏壇や仏具の意味やお供え物の事もお話しておいた。
これから少しずつ信心の心が目覚めていただければいいと思っている。
ワイフが新調してくれたコーヒー用のポットでティータイムをしてから、墨を擦りはじめよう。
最近、墨の減りがはやい。子供の使っていた書道用の習字道具が大活躍している。

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坊主家業 

2015/01/20
Tue. 09:33

礼の如くアッシーオヤジを終わって、ワイフがつけっぱなしの朝のワイドショーを見ながらメールチェックなどして、東堂さんの介護関係の書類に記入したりしていたら電話が鳴った。
「今朝がた母が亡くなりまして・・」
万善寺のお檀家さんからだった。

この冬シーズンに入ってから赤来高原では葬儀が続いている。
何故だろうか、だいたいこういうことは続く時はしばらく続く。
それも、同じ町内だったり同じ自治会だったりして、それに友引をはさんでしまうと隣近所のお手伝いも休みなく続いてしまう。
田舎のことで仕方がないことだが、この友引というやつが坊主にとってはとかく厄介な民衆信仰になっていて、なかなかそれにつきあうことも大変なことだ。
仏教界かなにかの申し合わせで、友引の取り扱いを一本化しようという動きもあったような話を何処かで聞いた気もするが、寺院の大小規模や地域立地条件の違いなどで、共通理解を得るまでに至らなかったということだったらしい。

今どきの坊主というと葬式坊主が職業のような方々もいっぱいいらっしゃるから、むやみに坊主仲間でそのあたりの宗教的持論を口にする事も難しいことだ。
かくいう私自身も、こうして寺周辺で葬儀が続くと毎日のように改良衣姿で忙しそうにアチコチウロウロしているわけで、在家の皆さんから見ると「仕事が忙しそうで何よりですなぁ」などとかってに思われてしまっているようなところもある。

街場のお寺では一連の葬儀や法事も申し合わせで簡素化の傾向にあるようだが、田舎の山寺の和尚さんとしてはなかなか都会並に割り切ることも難しい。
そんなわけで、これから枕経をおつとめして、葬儀の段取りを喪主さんと打ち合わせして、友引をはさんで仮通夜から通夜に葬儀をしてすぐに七日務めがめぐって春先まで仏事がさみだれに続くことになった。

通勤坊主が泊まりがけ出張坊主になって、吉田家のネコチャンズとあえない日がしばらく続くことになりそうだ。
坊主にとっては、時を待つのも仕事のうち・・・一つ一つの決まりごとを丁寧に遺漏のないように務めあげていこうと思う。

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勲章 

2015/01/19
Mon. 10:16

ワイフが広島に用事があるということで朝早くから出かけた。
珍しく夜にシャワーをすませたキーポンがおかぁさんにつられたかたちで比較的早くから登校の準備を始めたので、なんとなくいつもより朝にゆとりが出来た感じだ。

つきっぱなしのテレビを見ていたら勲章をもらったらしい桑田さんが何やらやらかしたらしい。前後のいきさつがよくわからないから何ともいえないが、大人げないことだと思いつつ、一方で平和に慣れてしまった日本国民を絵に描いたような話題だと、ふと思ったりした。
勲章というと、母方のおじいちゃんも私が高校生だったかの頃に勲章をもらった。本人はもうずいぶん前に亡くなっているが、家におじゃますると仏壇の上に勲章を授与しましたという証明書のような賞状のような紙が額縁に入って飾られてある。現物はいまだに目にしたことがないからよほど大事にしまわれてあるのだろう。
そういえば、その時期勲章の話が寺でもされていたような気がする。地元の有識者かなにかが集まって推薦か何かして本人に確認したりしてそういうことが毎年続いて順番が回って期が熟した頃に決定通知のようなものが届いてそれからがお祭り騒ぎになるのだそうだ。今の選考法式は昔と違っているかも知れないが、何か年功序列の予定調和的ノリが感じられて自分としてはどうも素直に喜べないところもあったようにおぼえている。もっとも、あの当時はことごとく世間に反抗していた時期だから余計に社会構造へのわだかまりが強かったのかも知れない。

私など、どうころんでも勲章とは縁のない人間だから気楽なものだが、やはりそういうものを狙って日々鋭意努力していらっしゃる諸氏も多いのだろう。
もうずいぶん前のことでまだ私が副住職の時、お盆の棚行で出かけた先のお宅で名品の陶器を見せていただいた。そこのご主人は、幸か不幸か浄土真宗の信者さんだから直接万善寺とは関わりが薄いのだが、当時はまだ住職だった今の東堂さんと仲が良かったようだ。私が彫刻を造っていることは赤来高原でも知る人ぞ知る存在だから、どうも私にその陶器を見せたかったらしい。
立派な桐箱に入った器は萩の茶わんだった。全体が肌色がかった酸化焼成に若干還元がかったところがあって、萩らしい夏茶わんに仕上がっていた。陶芸もするがそれほど本気で勉強している訳でもないから本格的なことは分からないものの、それほど悪くもない普通の器に思えたから、そのような感想などしゃべっていたら、実はそのご主人は桐箱の裏書きを見てほしかったようだ。読むと、文部大臣賞受賞○○○○作とある。わざわざ、箱書きにそう書いてある。
私から見るとべつにだからどうしたという話だが、ご主人にとっては器よりむしろその桐箱の銘が重要であるように思えて、急に気持ちが逸れた。

ものの価値というものは、なにかしら目に見える証明が必要になって、そういうところでしか価値判断出来ないことになってしまっているのだろうか。
工芸品の茶わんなんて使ってナンボのものが、銘ひとつで美術品になってしまう・・・なんかおかしなことだ。
桑田さんなんて、勲章があろうがなかろうが桑田さんには変わりないし、彼が好きな人もいれば嫌いな人もいるはずで、だからどうだというほどのものでもないと思うんだけど・・
親戚のおじいちゃんのように、なにかしら事前調整があって「勲章ほしいですか?」と問われて「ハイ、いただきます!」と返事したのかなぁ、桑田さんも・・

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御札 

2015/01/18
Sun. 10:55

吉田家の女性達は先ほどまでそれぞれオシャレにゆっくりと時間を使い、やっとイソイソ買い物へ出かけた。
一つしかない洗面所は、1時間以上もキーポンがこもりっぱなしでオヤジの入る隙間もなくて、顔も洗えないままストーブの世話をしたりネコと戯れたりして落ち着かない朝を過ごした。それでも久々にこころおきなく1日中デスクワークのあれこれをダイニングテーブルへ広げることができるから、少しばかりウキウキしている。いつもは四畳半の書斎で全てをまかなっているが、やはり空間が広がるとそれなりの解放感もあって、仕事もはかどるような気がする。
なにはともあれ、ワイフがつくっておいてくれたコーヒーをすすりながら、限りなくお昼に近い朝のティータイムを過ごしている。

年末から刷りはじめた1年分の御札各種がやっとほぼ刷り上った。何回かに分けて祈念のおつとめをして、香をくぐらせたものをお配りする。万善寺周辺のお檀家さんと保賀地内にはすでに年始回りで配布を済ませた。これから遠方の檀家さんや日頃お世話になっている方々へ発送の準備に入る。

毎年のことだから御札各種も大量に印刷すればすむことだとも思うが、どうもその気になれなくて私が住職になってから後、明治の版木を復刻して手刷りするようになった。
版木の側面には、制作者の彫師名と発注元の当時住職名と代金と納品月日が書いてある。私の代から数えて4代前の住職代に制作されたものだ。今ではせいぜい多くて80枚くらい刷れば1年分になるが、当時はかなりの枚数を刷っていたのだろう。ひょっとしたらお檀家さんのお手伝いも頼んでいたかも知れないし、今でいう期間限定のアルバイトのような役僧を使っていたかも知れない。そんなことを思いながら刷って守護印を押し続けた。

おもえば、一銭にもならない仕事を何日もかけてセッセと続けている。
全てがお金で動く今の世の中に、非現実的な行為をくり返していることになるが、それでいいと思っている。
むしろ、せめて自分の代だけでもそのくらいのことは面倒がらないで続けた方がいいと思っている。それで、今から3年前だったかに厄除け札「立春大吉」の版木を自分で作り足した。これには節分の鬼退治にからんだなかなか面白い謂われもあって、紙も和紙のように薄くて丈夫なものがいいとされている。
仏教とか信仰が縁遠くなった今の世の中、端くれ坊主の私にはこの程度の事しか出来ません。

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病は気から 

2015/01/17
Sat. 09:40

単身赴任の寺暮らしを切り上げて石見銀山へ帰って通勤坊主に切り替えたあたりから、どうも体調がすぐれない。
毎日の平均気温は確実に石見銀山の方が暖かいはずだから、環境のせいにするには少々無理がある。通院するほどでもないから静観しているところだが、素人判断だと単なる気の緩みとワイフへの甘えが原因なのではないかと思っている。それに、いつもはこの時期引きこもりのニートオヤジに徹している私が、近年珍しいほど冬になってから仏事で出かけることが続いていて、社会との接触が頻繁にくり返されていることも良くないのかもしれない。

世間との接触が避けられない高校生のキーポンはインフルエンザの予防接種を受けた。学校の友達が相次いでインフルエンザに感染している劣悪な環境の中で毎日元気に通学している。常夏の国に暮すノッチは、生まれつき扁桃腺が大きくてすぐに熱を出す。先日も高熱を出しながら病院にも行かないで働いていたようだ。なっちゃんは小さい時から熱に強くて少々の高熱でも真っ赤に火照った顔のままけっこう平気に過ごしていたが、最近はアラサーに近づいて昔のような訳にもいかなくなっているようだ。じゅん君は1年中鼻をズリズリさせているからいつも風邪を引いているようにみえる。ワイフは若い時から花粉症が激しくて、石見銀山のように周囲を杉で囲まれているような谷底で暮していると可哀想になってくる。
いずれにしても、体調の問題は自分で管理するしかないことで、ようは気持ちの問題で良くもなり悪くもなるもののような気がする。あとはその人の持って生まれた体力が健康度を決めているようなところもあるだろう。

もうずいぶん前、まだ私が副住職で学校の先生だった頃に、仕事の関係で石見銀山からほど近い町の小さな写真館のオヤジさんとお話をしたことがある。
高校生の卒業写真を撮りためる仕事をお願いしていて、その打ち合わせか何かの時に思わず飛出してしまったオヤジさんの本音。
「学校の生徒さんや先生は良く病気になられますなぁ。役所の人もそうだし、人に使われとる人は病気で仕事休んでも給料出ますけぇねぇ。ワシら風邪引いて熱出しても仕事は休めません・・病気になったらおしまいです。事故やケガでもしたら廃業です」
なるほどなと思った。日本国民のどれだけの人が国の補償で守られているのだろう。
今では個人営業の私など、自らの健康全てを国民健康保険でまかなっている。商工会などの組織にも属していないからケガをしても国民健康保険で対応するしかない。障害の任意保険も入り難いし、ようするに自分の面倒は自分で何とかするしかないことになる。
いろいろな保証で過保護に守られている人ほど病気に弱くなっているのかも知れない。「病は気から」というが、何処かに気持ちの緩みがあると風邪も引きやすくなるのかも知れない。

守られているという安心感は、度がすぎると人の心を弱くするところもある。
石見銀山の自宅に帰って、毎晩美味しい御飯をつくってくれるワイフに甘えてしまっている自分を反省しないといけないな。美味しい御飯を食べさせてもらうためには、もっとしっかりせっせと働かないとね。体調不良ごときで寝込んだりしちゃダメですよね。

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炬燵 

2015/01/16
Fri. 10:19

炬燵があるとどうも長居をしてしまう。
寒い時期の赤来高原は、だいたい何処へ行っても炬燵が部屋の真ん中に用意してある。
島根県くらいの寒さだと冬のシーズンはだいたい炬燵一つで用が足りる。寺のロフト暮らしも、吹雪の時は気がつくと窓の隙間から雪が吹込んでいたりすることもあるが、私一人の時は炬燵一つで暖房をまかなっている。

1月に入ってからお檀家さんの葬儀が一つあった。故人の遺言だったとかで万善寺の本堂が葬祭場にになって、通夜の夜も本葬の一日も、雪が降ろうが風が吹こうが本堂の窓を開け放しておつとめをした。参列の皆さんはさぞかし寒かったことだろう。
昔ならアチコチに手あぶりが置かれたりしていただろうが、今はそれがストーブにかわった。多少の寒さはしのげるかも知れないが、それでも眼界がある。人の生き死には時を選ぶことがないから、その時の事情に身を任せるしかない。そう思うとかえって寒さが気にならなくなって「そんなもんだ」で済ませてしまう。あとで喪主さんが、「良い葬儀をだしてもろうぉ〜て、故人も喜んどることでしょう」と、うそかほんとか、礼の挨拶でそんなことを言っていらっしゃった。

そんなことから年明け早々七日務めが始まって、お経を読んで焼香が終わって「お茶でも一杯」ということになって炬燵に潜り込んでしまうと、それからがどうしても長居をしてしまって、昨日もそのパターンを崩すことができなかった。寺の山号の謂われやこの度の戒名のことなどいろいろ質問を受けてそれに一言二言返していたら、どんどん話が発展してしまった。

吉田家の子供たちも炬燵好きで、末娘のキーポンなど、1年中その炬燵が勉強机になっていて冬の寒い間は寝る時も布団がわりに炬燵に潜り込んでしまう。ずいぶん前には、なっちゃんとノッチの要望でわざわざオヤジオリジナルの炬燵をつくったりして、今は常夏の国に暮すノッチのお下がりがキーポンのところへ移動している。東京生まれのワイフも、島根暮しが長くなって時々オヤジの炬燵デスクに潜り込んで昼寝をむさぼったりしている。

どこかしら炬燵には人を引きつける魅力を持っていて、日本独特の文化になっているのかも知れない・・などと思ってしまうのはおおげさなことなのだろうか?
今朝の石見銀山は久々に晴れて冬の水分をタップリ含んだ木々からは気化の靄が立ち上っている。
せっかくのいい天気に何時までも炬燵でゴロゴロしているのももったいないから、久々に工場へ行ってみようと思っている。

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褒める 

2015/01/15
Thu. 05:38

私は、田舎の過疎地の小さな山寺の住職でもあるが、一方で彫刻を造ったり彫刻の展覧会を企画したりもしている・・・というより、そちらの用事というか仕事というか、とにかく、彫刻に関係している時間の方が圧倒的に多いような気がする。
それほど、住職の務めをはたしていないことになるし、まぁ、ようするにヒマな坊主だということだけど・・・

小さい時からなにかしらモノを造る事が好きで、身の回りのものをいろいろ工夫してかたちにしたりしていたが、学校で勉強するようになってから絵を描くということが断然多くなってそれが高校を卒業するまで続いた。絵を描くということもキライではないがやはりモノを造る事の方が楽しくて集中も続く。それで結局いろいろあって30歳前から本格的に彫刻を造るようになった。

良く覚えていることに、小学校に入ってすぐの頃教わった色紙のちぎり絵がある。
若くてキレイな女の先生が担任で、その人に図画工作を教わった。たぶん、今にして思うと、小学校で図工が好きになったのも元はといえばその女の先生が好きだったからかも知れない。それはさておき、その先生のちぎり絵の話の中に印象派から新印象派の画家達の話が出てきた。記憶違いかも知れないけど、たしか画集のようなものを持ってきてどんな絵なのかを見せてくれたりもしたようなきがする。そのことがずいぶん強く記憶に残っていて、彼等の色使いや筆の表現技法が当時どれだけ革新的なものだったかということを、それから後の勉強でだんだん理解出来るようになった。

小さい子供相手にものの理屈を理解させようなんてなかなか出来ることではないし、実際、まだ子供だった私も印象派の理屈など分かるはずもない。それでもなにかしら色の点を並べ広げることで出来上がるような絵もあるんだなということくらいは分かったような気がした。
スキこそモノの上手・・というが、小さい頃は絵のことになるとことごとく褒められておだてられて育っていたような気がする。
子供が本格的に最初に接する大人は、幼稚園とか小学校の先生だと思う。
やはり、親とは違う他人の大人が親身に褒めてくれたりすると子供ながらに嬉しいものだ。だから、才能とか能力とかそんなものは関係なしに、子供の時に上手におだてながら育てていけばある程度のところまではだれでもそれなりに好きなことが出来てそれがいい感じで育つと思う。

あと3ヶ月足らずで末娘のキーポンが一人暮らしを始めることになるだろう。上の3人の子供たちはもうすでにそれなりに独立してほぼ自力で暮しはじめている。結局一人も坊主や彫刻家になる子は育たなかったが、自分で好きなことを見つけて好きなように仕事を選んでくれている。
節操のない親だから、我が子のことになると結局見境なくあれもこれも褒めすぎてしまった気がしないでもないが、まぁそれはそれで良かったと思う。

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イヤだな! 

2015/01/14
Wed. 08:32

「アンタは分からんかもしれんが、わつし(わたし)がはじゅぅ〜(恥)かくわぁ〜や」
久しぶりに石見銀山のマイシュラフで一晩過ごし、ワイフと娘を送り出し、コーヒーをポットから移して書斎に篭って、さて、先週から積み残しの宛名書きやおふだつくりにとりかかろうかと準備万端!・・・というところでおかみさんから小言の電話が入った。

葬儀の間中、オールシーズンの木綿の白衣を着て裸足で寺をウロウロしていたのが気に入らなかったらしい。
おかみさんにとっては、冬の暖房を炬燵と手あぶりでまかなっていた昭和30年代までの記憶がそのままストップして平成の現代まで続いている。
修行を積んだ老僧は、おかみさんの言いなりで云うことをそれなりに良く聞き、ウールのシャツにネルのシャツに厚手のセーターを2枚くらい重ねて股引も3枚くらい重ね履いて毛糸の帽子をスッポリかぶって電気ストーブに炙られながら電気敷きモーフと電気掛けモーフと重たい綿布団にサンドイッチされながら越冬の芋虫のごとき状態でゴロゴロと寝て過ごしている。

私も子供の時は、おかみさんの言うことを聞いて、息苦しいほど厚着をして冬を過ごしていた。
中学校を卒業して高校から一人暮らしを始めた最初の冬に、パンツを白のブリーフからトランクスに替えて、股引のズボン下をはかなくなって、直接学生ズボンを履いた時の何とも清々しい解放感は今でも青春の思い出のひとつに記憶している。やはり男たるものチンチンはこのくらいフリーでないといけないなと、勝手な理屈をつけて心底感動した。
それ以来、冬でも比較的薄着のまま暮しているから、温暖化の進んだ現代日本の島根県くらいの寒さは別になんの苦労もなく寒いまま平気で過ごしているのだが、それがおかみさんの常識から逸脱して我慢がならないようだ。
だいたい、ボーズなど夏も冬も同じスタイルで過ごしているようなものだから、真夏の猛暑でもシャツに白衣に大衣に袈裟で過ごす方がよっぽど体力を消耗する。白衣一枚が木綿からウールに変ろうがネルの襦袢を重ね着しようが、そうたいした違いもないことでワザワザ人目を気にして小言の電話をするほどのことかと、おかみさんの身勝手な過剰介入に閉口してしまう。

畑仕事くらいしか趣味といえるもののないおかみさんは、この時期一日中炬燵に入ってスイッチの入ったNHKを見るとも無しに虚ろに暮している。身体も思うように動かなくなっているから、頭だけがエンドレスに回転して思うことの何かが何処かで引っかかると、私への不満が増幅してしまうようだ。
無駄にヒマになることのストレスがどれだけ大きなものかということがよくわかる。
かくいう私自身も、ワイフを相手に日頃の不満を愚痴にしてしまっていることも多いから反省しなければいけない。「人のフリ見て・・・」というやつだ。
自分が聞いて言われて「イヤだな!」と思うことは、口に出しちゃいけないね。

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2015/01/13
Tue. 09:23

他人さまのことをとやかく言うのは昔からあまり良いこととされていないが、これはとかく話題の内容が悪いことに偏ってしまう傾向が多いから自然とそういうふうに暗黙の取り決めのようなものが出来上がった結果、「そうした方がいい」と共通認識がされていることだからだろうと思う。
それでも中には人の鏡になるような立派な考えや暮しぶりの方もいらっしゃって、そういうことはどんどんまわりの皆さんに知ってもらった方が良いようなことも結構ある。
坊主をしていると、その家や親族続柄職業に至るまで一般の他人よりはずいぶん深くかかわってしまうこともよくあるから、見なくても良いことや聞かなくても良いことも含めて、見たくなくても聞きたくなくてもそうしないといけないようなこともよくある。

誰かが、躾(しつけ)は子供の時に身体で覚えさせることが大事なことだといっていた。
身体で覚えさせるということは体罰とは違う。
意味も理屈もわからないうちから、こんなもんだと覚えさせておくことが大事だというわけだ。
坊主的に云うと所作(しょさ)のようなものだと思う。
立ち居振る舞いの美しさを身体で覚え感じる事は、なかなか歳をとってから出来ることではないなとつくずく思う。

このたびの故人は、なにかと苦労の多い方だった。
身内の悩み事もいっぱいあったことだろう。
家族の不幸もいろいろあった。
それでも立派に子供も孫も育って大家族に育て上げられた。
分相応に暮し、分相応に精一杯寿命を全うされた清々しさを感じる。

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戒名 

2015/01/12
Mon. 09:17

本日は友引になる。
いつの頃からか、友引の葬儀を嫌うような風習が広がった。
これは仏教的に云えばなんの根拠もない民衆信仰のひとつになる。
だから、坊主の立場としては友引の葬儀もノープロブレムなのだが・・・
あまり坊主の立場をごり押ししても摩擦のもとだから、こういう時はだいたい素直に「ハイハイそれではそのように・・」などと喪主さんや地域の意向に逆らわないよう務めている。

それで、昨日からどうも空模様が危なくなって、赤来高原はひと寒波やってきそうな雰囲気だったから、ボクのいとしい結界君を境内下の駐車場へ止めておいた。
今朝になってみると軽く10㎝以上が一晩のうちに積もっていて、日頃カンの鈍いわりにはこういう時に限って予想が的中したりしてしまう。
さて、今夜が本通夜で明日が本葬。今日は入棺出棺に荼毘。雪の降る中、大衣を着たり脱いだり忙しくなりそうだ。

このたびの故人は、生前は万善寺に良く尽くしていただいた。
もともと寺前の組内にお檀家さんが少ない上に、代替わりでそのまま空き家になってしまったり、独居暮らしが増えたりで、現在残された3軒が通年にわたって寺まわりの身施に汗を流していただいている。故人はそのうち最長老の一軒だったのだが、寺の老僧と似たような歳なのでもうずいぶん前から年中行事のお参りも遠ざかっていたところだった。
まだ元気な頃は、寺の催事の度に帳場を引き受けていただいて、庫裏の表向きの用事を片づけていただいていた。老僧と遅くまで酒をくみかわして、暗くなってからヨチヨチと帰宅していらっしゃった。とても温厚な方で、檀家衆の末席におとなしく静かに座していらっしゃるような方だった。

数年前におくさんが亡くなっていらっしゃって、そのおくさんとうまくつり合うように戒名を考えさせていただいた。
私の場合、道号で生前の人徳人柄をあらわし、戒名で生前の名前を一字残させてもらうように計らっている。
この度は、いろいろ生前のお姿を思い出しつつ「頌」の一字を使わせてもらった。長い間万善寺へ尽くしていただいた信心に少しでも華を添えることが出来たらいいなと思っている。
さて、気に入ってもらえるといいんだけどなぁ・・

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山寺事情 

2015/01/11
Sun. 09:43

狭い境内に残る重機のタイヤ痕にうっすらと雪がかぶっていた。
葬祭会場が万善寺本堂になったので急きょ近所のユンボを導入したのだが、水分をタップリ含んだ境内の真砂土もいっしょに掘り返されてしまったので、老僧夫婦の怒りをかってしまうことだろう。春になって雪が解けてからおかみさんの仕事が出来たと思って気楽に乗り切るしかない。もっとも小言も延々聞くことになるから、そちらの覚悟もしておく必要もあるけど・・

田舎の方はきちんとした葬祭場もないから地域の自治会館を借りたりして葬儀をする事が多い。昔はほとんど自宅の部屋を開放して、襖や障子を取り払って縁側まで使って葬儀をしていたものだ。まだ私が20代で副住職だった頃はそういう施主家も多くあって、雪でも雨でも猛暑でも関係なく組内の男衆が総出で会場の準備などをしていたものだ。それも今は昔のこと・・・高齢過疎化の現状では斎膳の用意までJAの葬祭事業へ頼るしかないことになってしまった。
「この前おじゃました会館では立派な漆塗りの膳什器一式が処分されたということで、もったいない話ですが、これから先使い道もないし、しかたのないことなんでしょうね」
先日ご一緒させていただいた田舎とは云えそれでも家並みの続く町場にある浄土真宗の若い現住職さんがそんなことをいってらっしゃった。
「町場の空き家はみんなが迷惑しとりましてねぇ・・、雪が降っても雪下ろしもないまま隣の家へ傾いてきたり、雨が降ると雨漏りで湿気るし、ネズミや虫が湧き出るし、ネコ屋敷になったりもして、まぁひどいもんです。もう帰らないことが分かってるお宅は取り壊しをお願いしているんですが、それもお金のかかることですしねぇ・・」
でかくて立派な浄土真宗さんも山の斜面へ張り付くように建っている万善寺と似たり寄ったりの悩みがあるようだ。

現在公民館保賀地区分館長を務めさせていただている私でありますが、その分会館の壁に掲示のハザードマップを見たら、万善寺は見事にスッポリと土砂崩れ危険区域になっていて、すでに私の人生で2度も裏山の地崩れを経験している。
やれやれ・・財も取り柄もない万善寺住職としては、セッセと観音さまにおすがりして難無きを祈るしかありませんな。

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早朝の電話 

2015/01/10
Sat. 16:23

珍しく夜中になってネコのクロが家中をドタバタしはじめた。
それで起こされて眠れなくなったからシュラフに潜り込んだまま文庫本を読みはじめた。
どうもそれがいけなかったようでそのうちクロが私のまわりをウロウロしはじめて結局両足の間にシュラフの上から乗ってきてそのまま寝はじめた。

寝苦しいまま朝になってシュラフから出られないでいると寺から電話が入った。
夜遅くか早朝の電話はあまり良いことにならない。
その上寺からの着信だからよけいに確率が上がる。
案の定、万善寺組内のお檀家さんのおじいさんの訃報だった。
寺を守る老夫婦が落ちつきなく騒ぎはじめている様子が電話口から伝わってくる。

週末の予定をたてて、週明け早々の用事がもたつかないように仕事を準備して寝たのに、すべて無駄になってしまった。
訃報は突然に入ってくるからしかたがない。
早速枕経の準備をして朝食をかき込んで石見銀山を出発した。

友引のこともあったりして、仮通夜が続く。それに、故人の意向で万善寺本堂で通夜葬儀をする事になった。
組内の世話人さんと調整して、参道から境内の雪を除去することになった。
近所の土建屋さんにお願いして先ほどおおよその雪を境内の端へつみあげ終わった。
気がつくとすでに冬の日が傾きはじめている。
クロのお陰で寝不足気味の1日がアッという間に過ぎてしまった。
これから少し休憩して、暗くなってから仮通夜にお伺いすることになる。

体力の衰えたご老人にとって今年の冬はいつもより厳しい毎日が続いているのかも知れない。
万善寺の老夫婦のこともあって他人事でもない。
亡くなったおじいさんは、生前、何かと万善寺を気にかけていただいていた。
遺漏の無いように精一杯おつとめさせていただこうと思う。

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五穀豊穰 

2015/01/09
Fri. 07:11

正月用に手刷りした五穀豊穰家内安全のおふだは万善寺のお檀家さんと保賀自治会の各家へお年始でお配りした。
私が住職になってからしばらくして今から5代前の住職代の明治の頃の木版版木が見つかって、それを復刻しようと決めた。
最近になって、手づくりの万善寺オリジナルカレンダーと立春大吉のおふだも増刷して配布するようになってから、お檀家さんの玄関先やお仏壇まわりがなんとなく万善寺色で賑わうような感じになってきた。

正月の万善寺行事が一段落して石見銀山の自宅に帰ってから、新年度第2弾のおふだ増刷作業にとりかかった。
まずは、遠方のお檀家さんや石見銀山でお世話になっている方々やその他最寄りの懇意にしていただいている皆様へのお年始がわりにお配りする。
保賀地区のとんどさんで御炊き上げの法要をする機会にあわせて、万善寺のご本尊さんへお供えして法要して香を潜らせて、配布はその後になる。
家内安全とか身体健康とかなにかしら実態の見えない願い事は、こうしておふだのような目に見えるかたちにおきかえるとそれなりに信心の対象がはっきりして気持ちが少しは楽になるところもある。

高齢と大雪のせいで年始を欠席されたお宅へおふだを配ってお伺いしたら、「まあまあせっかくだからお茶でも一杯」ということになって、しばらく茶飲み話をした。
日頃はとても無口なおじいさんで、家の切り盛りのほとんどはお子さんに譲っていらっしゃる。
「五穀豊穰がなによりですけぇ〜ねぇ〜」
おふだを手渡ししたらそうおっしゃった。政治も経済も商売も人間が人間の力で発展させることが出来て今のような日本になったが、人間も食べることに不自由したらそれもままならない。だからなにより五穀豊穰を願うことが大切でまずはそこからことがはじまってる・・・おじいさんが訥々とそうおっしゃった。
なるほどと思った。
明治の版木を復刻した意味がこのようなかたちで生きてくるとは気がつかないことだった。
五穀豊穰の意味をもういちど真摯に受け止めて見直す時期にきているのかも知れない。

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Rather Be 

2015/01/08
Thu. 08:56

朝なにげなくテレビを見ていたらClean Banditが出ていた。
「Rather Be」をはじめて聞いたのはPTXのカバーだった。
それからYouTubeでチェックしたら、動画の撮影がまるまる日本。
それできっちりチェックが入った。
絵に描いたようなイギリス顔のグループで中でもチェロの女の子の明るさが何とも印象深く目に焼き付く。
とにかく、彼等は日本に特別興味があるらしい。
彼等の感性を通して観る日本の映像を改めてみると、こうして毎日日本に住み暮している自分がどれほど現代日本の現代日本らしさを見逃してしまっているのか教えられる気がする。

昨年に相次いでCDとDVDを手放してから、久々に80インチで映画を観た。
寺から石見銀山の自宅へ帰ったら、何処かしら自分の緊張の糸が切れたみたいに体調がすぐれない。身体に溜まったいろいろな疲労が悪さをしているのかも知れないし、それに引きずられて気持ちも萎えてしまうとどんどんひどくなっていきそうだから、気分転換にウエブ映画でも観ようと思ってチェックしたのが「ブルース・ブラザース」
R&Bバンドがローハイドを歌うカントリー・バーでのシーンは、アメリカ文化をよく知らない私にとてもシンプルにその違いを伝えてくれて面白い。
日本でいうと、氷川きよしのファンの前でB'zが演歌を歌っているようなものだと思ってしまう。
まぁ、ようするに同じ国の人間でも暮す世間が違えば趣味も考えも違ってくるということだ。

島根県の片田舎で現代彫刻小品展を続けているのも、なにかしらどこかしらRather Be的世界を意識しているのかも知れない。

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オヤジ帰宅 

2015/01/07
Wed. 13:13

ほぼ一週間ぶりに石見銀山へ帰ってまいりました!

キーポンは早速オヤジの書斎へ乱入。
久しぶりの父娘戯れ合いバトル。
その彼女も高校生最後の始業式でアッシーオヤジ再開。
万善寺へ行く前に給油して、赤来高原を中心に島根県や広島県を行き来して500km以上走破。
高校からスタンドへ回って今年初給油を2000円分して、次の万善寺行きまではこれで大丈夫。
久々のネコチャンズを抱きしめるも、彼等はどこかしら迷惑そう。
留守の間に届いていた年賀状はワイフがセッセと整理中。
やはり薪のストーブはほんのりと部屋中暖まって気持ちも和む。
早速、2月の立春大吉札作成に入る。
和紙をちぎりはじめたら、ネコチャンズがやたらちょっかいを出しはじめた。
仕事のジャマで迷惑だがそれもまた微笑ましくて叱りきれない。
気がつくと朝のティータイムが過ぎている。
年賀状の整理に余念がないワイフとお菓子を食べながらしばし休憩。
万善寺の間中こわばっていた顔の筋肉が緩んだ気がする。

Clean Banditが来日するらしい。
老僧夫婦との30年の歳の差よりキーポンとの40年の歳の差がずっと近く感じる。

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長期出張中 

2015/01/06
Tue. 09:30

浄土真宗さんの葬儀はとても丁寧で、なんと全てが終わったのが午後の3時半。
もっとも、赤来高原で一気に4軒の葬儀が重なると火葬場の手配も重なって順番がずれ込んだりして仕方がないところもある。
これから田舎のまた田舎辺りで暮す人たちは、人口のわりに葬儀人口がどんどん増えていくだろうから、お手伝いの自治会も少人数で切り盛りすることも難しくなる一方だ。
同じ田舎でもちょっと大きめのスーパーやホームセンターやコンビニが3つくらい集まっているようなところにはJAの管理する葬祭場が出来て、自宅葬や自治会葬が全てそちらに流れてしまっている。
坊主の動きも、葬祭場のスケジュールにはめられて葬儀が分刻みの時間単位で進められる。
これから高齢化が進むと、葬儀システムがどのように変化してしまうのか、田舎坊主ではとても先々まで予測できないところまできている。

ことのなりゆきか、たまたまの巡り合わせか、この万善寺長期出張中の一週間オヤジの自虐的ネタが続いている。
このような面白くもない発展性の無いネタを毎日続けているのに、それでも毎日数人の訪問者が耐えないところが不思議だ。
ワイフとはこちらから一方的に毎日1回は電話するようにしていて、
「どうですか?変ったことでもありますか?」
「どぉ〜もこぉ〜も・・」
などと会話にもならない短いやりとりを続けている。

今年の年始会のお参りは過去最低記録を更新してしまったから、坊主の年始回りの軒数が激増した。
これから雨の中をグルリとひと回りしてこようと思っているが、ひとまず午前中は様子を見ようと待機しているところだ。

キーポンがマメにネコチャンズの近況を送信してくれているからそれが癒しになっている。
けっこう画像が溜まったから、Instagramに置換えておこうと思う。
ヒマはヒマなりにこまごまとした用事がないわけでもない。
そろそろ石見銀山の暮しに切り替えないとあちらの用事が溜まりすぎる。
業者さんに材料の注文もしないとけないが、その材料計算も出来ていない。
寺の老僧夫婦のことも気になるが、いつまでもダラダラ寺暮らしを続ける訳にもいかない。
そろそろ通勤坊主に切り替える時期がきたようだ。

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老後暮し 

2015/01/05
Mon. 08:00

正月をはさんでほぼ3日間で降り積もった雪はその後見る見る消えて浄土真宗さんのお手伝い通夜は万善寺参道が凍みることもなく雪駄を履くことも出来た。

正月気分に浮かれて体調を崩したままの東堂さんは、私の言うことも聞いてくれなくて困ってしまう。
日頃はだいたい規則的に時間を決めて三度の食事もとっていて、気が向けば日本酒を1合くらい飲む程度なのだが、こうして急な仏事が入って通夜で出かけたりすると私の帰りを待って夕食を食べないまま寝てしまっていたり、遅い夕食で酒を飲んで食べ過ぎたまま寝てしまったりして、とにかくどんどん不摂生が続いて収集がつかない。
おかみさんんも私が近くにいると自分のしっかり頑張っている姿を見せたがって、とにかく先回りして事をすませようと必死になっている。

こういう暮しが一週間も続くと、老僧夫婦の日常の暮しがことごとく乱れてしまって平静を維持できなくなってしまう。
正月は訪問介護も休みだし、行商の魚屋もこないし、世間から隔絶された暮しがしばらく続くから、少しでも長く寺の同居を続けている訳だが、一方で私という異分子が老人の暮しに入り込むことの弊害も出てしまうので身の置き所が無くてなかなか苦労する。

今日はこれから葬儀がある。
赤来高原はこの一週間の間にアチコチで葬儀が3つも重なって、万善寺のある保賀地内での葬儀が4つ目になる。
社会福祉協会や農協の祭壇も全部出払って順番待ち状態。
世話人さんの段取りも狂って大変なことだ。
冬の好天ももうそろそろ終わりになるようだし、葬儀のお手伝いが終わったら東堂さんを何処かへ連れ出そうと思っているが、それも彼の体調次第というところ。
心安らかに静かに好きな読書でもして老後を暮す・・・などということは、夢のまた夢のことになってしまうのだろうな・・・

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心のささえ 

2015/01/04
Sun. 10:44

お正月の3が日がアッという間に過ぎた。
物心ついてからこの歳になるまで正月を寺で過ごしている。
あたりまえのことだが、一般の俗世間の正月とはずいぶん趣が違っている。
私の場合は寺で生まれ育っているから仕方がないとしても、我が家の家族にまで私と同じような正月を強いることは出来るだけ避けたいと思っている。
一日の日が暮れて次の日の朝が来るだけのことで、別段いつもとかわりない毎日が過ぎていくだけのことだと思うが、世間はなかなかそういう訳にはいかないままそれぞれの正月を過ごしている。

寺の老僧夫婦の正月は、実に見事に厳しいものとなった。
原因はわかっている。
高齢者の精神的肉体的ストレスによる断続的躁鬱ヒステリー症候群(そんな病名無いだろうけど・・)というやつだ。
肉体の衰えによる様々な不具合は盆正月関係なく日時も関係なく予測不能状態のまま突然やって来る。
そもそも、日頃はほとんど1日中ゴロゴロと寝て暮す東堂さんがお正月の浮かれ気分で夜更かしをしたり酒を飲み過ぎたりで不摂生をする。
雪に埋もれて缶詰め暮しを強いられているおかみさんは好きな野良仕事も出来ないで毎日続く我侭な東堂さんを相手の引きこもり生活が我慢できなくなる。
そこへきて、万善寺壇信徒年始会で落ち着かないし、今年はじいちゃんばあちゃん子のじゅん君まで暮れから寺へやってきてそのまま寝正月を決め込んでしまった。
住職でもある私は、このような万善寺の正月に正面から向き合うしかない。
祝献の朝課もジジババの様子を見ながらおつとめすることになった。
出来るだけ平穏に波風を立てないようにさり気なく取り組んだが、結局おかみさんの強烈な介入によってそれもドタバタで終わった。
きわめつけは、東堂さんの1月1日救急通院。
正月気分で高揚の精神は収まることなく、それにおかみさんの過剰介護が油を注いで、その後毎晩のように深夜のひと騒ぎをつづけて今に至っている。
老僧夫婦の正月は完全に日常の平穏な暮しから逸脱してしまった。

無駄にジタバタして生き長らえようとするのもまわりに迷惑をかける一方で良いことはひとつもない。
東堂さんの訪問介護もそろそろ限界を迎えているような気がする。
この備忘録blogをふりかえると、毎年、確実に正月の厄介事が増えていることがよくわかる。
万善寺は今年がひとつの山場になるだろう。
キーポンとのビデオ電話が唯一の心のささえになっている今日この頃であります・・

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万善寺年始会 

2015/01/03
Sat. 08:24

赤来高原は島根の地元天気予報へ積雪量が出るほど久々の大雪になった。
毎年正月2日に行われる万善寺の年始会も、その雪の影響でお参りが減った。
万善寺のある保賀集落は、住民の離散転居や介護施設への入居などで数年前から20軒を割った。
昭和の大戦前後にはその狭い集落に病院もあったらしいからずいぶん寂しくなったものだ。
昔、保賀川の水源になる琴引山には地元の中学校や高校の演習林があって林業も盛んだった。
私の少年時代は春秋の農繁期が終わると地域住民みんなで琴引山の頂上にあるお宮を目指して登山遠足をするなどして親睦をはかっていたことを少しばかり覚えている。
たった半世紀の間にずいぶんと寂しくなった。
赤来高原全体が万善寺の周辺と似たり寄ったりの事情だから、お正月の年始参りも年々寂しくなってしまうことは仕方がなくて、こればかりは坊主の布教活動の怠慢を責められてもどうしようも出来ないことだ。

「ずいぶんお参りがへりましたなぁ〜・・去年は息子に変ってもらいまして失礼しましたが、こんなにお参りが少ないのは始めてですがぁ〜」
妙なことでお檀家さんに感心された。
2015年の万善寺はお年始参り15人からスタートです。

年始会が終わって、風雪の中をワイフが石見銀山へ帰っていった。
駐車場から彼女の車を町道まで降ろすのが一苦労だった。
グッタリ疲れてロフトでひと休みしていると、キーポンからオヤジの癒しネタが届いた。
オヤジ思いの優しい娘のおかげで、1日の疲れが少しばかりやわらいだ。

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苦心中 

2015/01/02
Fri. 09:08

万善寺の年始会は今シーズン最大の雪になった。
琴引山の山麓をグルリと囲むように広がる檀信徒各家は、どこも万善寺と似たり寄ったりの状況だったり、むしろそれよりひどい状況だったりするから、今年の新年会のお参りは、さて、10人もいらっしゃるかどうか・・・

老僧夫婦の寺暮らしが、このところ次第に不具合を生じはじめてそれが庫裏の各所へ広がりはじめた。
日頃は老人が二人で暮しているから仕方のないことだが、とにかく身体の関節が固まって思うように身動きできないばかりか、それに最近では頭の思考回路も硬直化して見事に頑固になって融通が利かなくなってきている。

ふたりとも、ほとんど90歳になっている。
その歳で、おかみさんは朝も早くから参道の雪かきに出かけた。
もう70年もシーズンになるとそれを続けていて、今さら止める手段も見当たらないから、身体が動くうちは何も云わないでおこうと思う。
中国へ渡航した道元さんが最初に出会われた典座(お寺の料理長さん)さんのようなもので、それも修行と思えばこちらも割り切れるが、おかみさんの場合はその事実が何時までも愚痴の独り言に変ってしまうところがなかなか俗っぽくて始末に負えない一面もある。
東堂さんも似たようなものだが、こちらは若い時から修行に苦労しているから聞きわけがずいぶん良い。
それでも、自分の住職時代が忘れられなくて朝から庫裏のアチコチを落ち着かなくウロウロと歩き回って私の段取りを崩しはじめている。
閑居にはまだまだほど遠いものがあって、これが高じると夜間徘徊などに変っていくのかも知れない。

そんなわけで、ナンチャッテ在家坊主としては、内にも外にも年寄りを相手に気の休まらない正月2日目が始まったところだ。

1~3見本

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2015-01