工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

引っ越しの旅 

2015/03/31
Tue. 05:09

じゅん君が案内してくれたホテルはドーミーインexpress。

出先で仕方なく探しているビジネスホテルはだいたい4000円前後ばかりだが、それより2000円ほど高かった。
この2000円が、なかなかの差だと現状を見てよくわかった。
まずは、加湿も出来る空気清浄機。これのおかげで咽の痛みを感じられないですんだ。
次に、お泊まりセット。久々にホテルの歯ブラシを使った。安全カミソリもあったから何年ブリかでヒゲそりをしてみよう。ヘアブラシもあったが、これは坊主頭には不要。
それに、お風呂にテレビ。最近のシステムバスは一味違う。こんなのが自宅にあったらテレビ好きのワイフは1日中風呂から出られなくなってしまうだろう・・・そんなことを思いながら、文庫本片手に半身浴。しっかり暖まってから備え付けのシャンプーなどをふんだんに使って坊主頭を洗った。
USB対応のスピーカーシステムはあるし、無料Wi-Fiは使えるし、プラス2000円でこの差だったら、一晩の贅沢でたまには出費も許されるだろう。

いい歳した世間知らずのオヤジが、何処かしら興奮してなかなか寝つけないままホテルの一夜を過ごした。
この10年近く、愛車にシュラフで旅先の車中泊が常識だった。
じゅん君のおかげで思わぬ贅沢をさせてもらった。

そして、じゅん君本人は一晩かけてワンボックスへ荷物の積み込みをしているはずだ。
キーポンもドタバタの引っ越しだったが、これは初体験で仕方がない。
じゅん君はすでに5〜6回引っ越しをしているはずなのに、いまだにオヤジの世話になっている。
まぁ、こうして何年に1回くらいはオヤジのことを思い出してくれるだけでもありがたいことだと思った方が良いのかもしれない。

さて、これから朝飯代わりのポップコーンでも食べながらウエブ配信の映画でも1本観ようかな。
そのうち積み込みの終わったじゅん君がホテルまで迎えにきてくれるでしょう。

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キーポンのお引っ越し終了! 

2015/03/30
Mon. 18:39

本日の引っ越しがひとまず終了!
いつものように寝起きの悪いキーポンとワイフの朝飯前のバトルから本日の引っ越しがスタートした。
オヤジは、あたらずさわらず自分の用事をひとつほど片づけて、領収書を書いたりしてワンボックスを借りてお昼前に帰宅。
そのまま荷物を積み込んで石見銀山を出発した。
助手席のキーポンは、やっと全身に血が巡って、頭もスッキリしたようでなかなか機嫌がいい。
平日お昼の高速料金を奮発してひたすら山陰道を東進。
チョット迷ったが到着したのは出来立てホヤホヤの学生寮。
愛想とフットワークのいい事務のお姉さんにいろいろ教えてもらいながら荷物の搬入を済ませた。
ホテル並の待遇で、ベッドはもちろんエアコン冷蔵庫完備の個室。
半世紀近く前のオヤジの引っ越しと下宿部屋とは比べ物にならない(というより、比べようもないけど)ほど大違いで、なんとも複雑な心境。
大物だけをざっくりと整理してひとまずは終了。
あとは入学式の前日に入寮して、一晩かけてゆっくり片づければいい。

キーポンは、松江から列車で帰宅。
松江駅でワンボックスから放り出されたキーポンは、ドキドキの乗車チケット購入。
券売機の使い方が分からないで駅員さんに助けてもらったらしい。
いい歳してなかなかかわいい娘じゃ!

私はじゅん君の引っ越しで松江泊。
オヤジの引っ越しの旅はまだ続くのであります。

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引っ越し前夜 

2015/03/29
Sun. 19:39

老僧は、思いのほか回復している。
入院するまでの2週間くらいほとんど食べられないまま苦しい思いをしていたのだが、点滴と投薬でかなり元気になった。

おかみさんを2回目の面会に連れ出した。
老僧はこのところ見る見るボケてきはじめている。
入院のしおりに書いてあった通りだ。
おかみさんの頭はそれなりにシッカリしているから、小一時間ばかりの二人の会話は絶妙にすれ違いながらぐるっと巡って元の始めに戻ってくる。不謹慎なことだろうが病室で聞いていると微妙なかみ合わせが面白い。
作り話がけっこう上手だからウソとホントの境界がつかみにくいまま、老僧の我がままにつきあって寺と病院を2往復した。

高齢者の二人暮らしは三度の食事も食べているようで栄養が偏ったり足りなかったりすることが多い。私が寺で食事をする時は肉や刺し身を食べさせたりしているが、それも毎日という訳にはいかないし、何より、間違った思い込みの健康フリークなおかみさんが、90歳にもなってコレステロールがどうとか血圧がどうとかもっともらしい理由をつけて食べようとしない。
色々考えて、ケンタッキーのチキンを一箱と、仕出し弁当のデカイのをおかみさんに渡しておいた。老僧がいないし私も食事につき合わないで出かけてしまうから、おかみさんも食べない訳にはいかない。これが成功したら、老僧の入院中はこのスタイルでおかみさんに栄養補給をしようと思う。

クタクタになって帰宅したら、ワイフもキーポンも留守だった。
これから2日かけて引っ越しだし、疲労が溜まるとやっかいだからトレーナーに着替えて寝ることにした・・・が、こういう時に限ってアレコレ考えはじめて寝つけない。思い直してラップトップを開いたら若いキーポンの手油でキーボードが濡れたようにベトベトになっている。トラックパットの滑りも悪い。
私の指は油のあの字も涸れて久しいからそれなりにうらやましくもあるが、それにしてもひどすぎる。
もっとも、こうしてキーポンとラップトップを共用するのもあと一晩のことだから見て見ぬふりですますことにした。
一人っ子のような末娘に育ててしまったから、チョットさびしい気もする。

4月からは、何十年ブリにワイフと二人の暮しが再開する。
そういえば、結婚してまだ長男が生まれる前の頃もタマという名前の黒いオス猫が同居していた。
今同居しているクロもオスで4月1日が誕生日だから、これも何かの縁なのかもしれない。

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Boyse Avenueの朝 

2015/03/28
Sat. 11:07

YouTubeでBoyse Avenueを垂れ流ししながら年回くり出しを整理して、塔婆書きの準備をしている。
徹夜の影響で身体が思うように動かないまま朝寝をしてしまった。
たぶん、ワイフが気を利かして起こさないでおいてくれたのだと思う。
朝昼兼用のボリュームタップリの食事を済ませて少し元気になった。

3月もあとわずかになって、吉田家のオヤジは天手古舞になりそうな予感・・・

まずは、万善寺のある保賀集落の年度末常会。公民館分館長の最後の役目が待っている。それに引き続いて新役員の決定が終わったあと1年回締めくくりの慰労会になる。その前に老僧の病院をのぞいてみようと思う。夜は、久しぶりに寺のロフトで寝ることになるだろう。

日曜日は、3回忌の法事で広島の三次に出かける。朝からおかみさんの曲がった腰と伸びた膝を駆使して過剰な世話が待っている。老僧が留守だから本堂の朝つとめをしておこう。

月曜日は、先日納品したグランド草取り機の試運転がある。天候に関係なくその時しか余裕がないから、雨だったりするとグランドが凄いことになりそうだ。運を天に任せるしかない。
その後は、石見銀山へ急いで帰ってキーポンの引っ越しになる。3月のこの時期にレンタカーは遊び車しか残っていないし、ワンボックス1台を調達するのも大変なことだが、本人はいたってのん気なものだ。
何事もなければ、これから2年間(たぶん?)は鳥取の倉吉でひとり暮しになる。今のところ、本人はウキウキワクワクの浮かれた毎日を過ごしている。さて、現実の厳しさに直面して慌てはじめるのはいつのことになるやら・・・

月曜日中に空のワンボックスを松江へ移動させて、じゅん君の引っ越し荷物を積み込む。火曜日の早朝には松江を出発して七類港から隠岐行きのフェリーに乗る。こちらの方も天候が心配だが、フェリーが動けばそれで御の字。
引っ越しの荷物を下ろしたら本土の島根へとんぼ返りしてワンボックスを返却して1日が終わる。

4月1日はクロちゃんの誕生日で、2日はキーポンの入学式。
オヤジは何をすればいいのだろう?
たぶん、朝からサッカーゴールのペグを鍛造して、夕方には老僧の見舞いをしたりしているのだろう。
ワイフは倉吉でキーポンと一緒だろうから、夜はネコチャンズと水入らずのはずだ。
ビールにポップコーン用意して、大音量でアクション映画でも観ようかな。

Boyse AvenueのClapton coverが心地いい・・・

さて、そろそろ墨を擦って塔婆書きでもしましょう。
それが終わったら、バリカンで床屋だな。

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完全徹夜! 

2015/03/27
Fri. 20:49

久々にこの歳で完全徹夜!
午前中に老僧の入院経過の説明をドクターがしたいという連絡が入ってあせった。
というのも、今日は週末の金曜日。
こちらも溜まった仕事に押し倒されるような気持ちで毎日を過ごしているのに、それはそれこれはこれで別のところで大事なものは大事に変わりないから気持ちを切り替えて乗り切るしかない。

毎日毎晩ノラリクラリとごろごろしているようにしか見えない私の吉田家での態度にワイフは辟易気味で結構機嫌が悪い。
実は報告書の〆切で悶々としているのだが、他人の頭の中まで見渡すことは出来ないから、私が何処のどういう所で悩んで迷っているのか見当もつかないでいることだろう。
だからドクターからの連絡が入ってやっとふんぎりをつけることが出来た。
一度妥協して決めてしまえば後は迷いがないままひたすら仕事を終わらせることばかりを気にしておけばいい。
そんなわけで、結局完全徹夜になった訳だ。
幾つかの山を乗り越えれば朝の10時には書類がまとまるはずだと確信して、夜中を過ごした。

隣では、キーポンががシュラフをかぶってiPhoneにかじりついている。
その隣では、猫のクロが丸くなって眠りをむさぼっている。
吉田家四畳半の劣悪な環境がこの余裕のない時に限って賑わっている。
人の都合など関係なしに介入してくる末娘や猫を相手にいちいち目くじらを立てていてもしょうがないから、見て見ぬふりで気にしないようにしている。

なんだかんだ言っても、うまくてボリュームタップリの朝食を用意してくれているワイフを見ると、見て見ぬふりをしながら、あたらずさわらずさり気なく私につき合ってくれていることがわかってありがたい。
予定の時間ピッタリに市役所へ書類を届けてその足で病院へ向かった。
老僧の胃潰瘍は希にみる巨大なもので、いつ吐血して大事になるかわからないほど重篤な状態だったようだ。
老僧は末期の癌細胞を身体の至る所で養っているから、潰瘍の原因が癌細胞であっても不思議ではない状態のようだ。この2週間の間に2回カメラを飲んで検査をしたが、それに耐えて食欲も改善されている。どう考えても軟弱きわまりない私にはとても老僧ほどの体力は望めない。
おかみさんもやっと重い腰を上げて老僧の見舞いをしてくれた。
息子の無愛想な顔を見るより、やはり長年連れ添った古女房の顔を見る方が老僧にとっては良薬になっているのだろう。不味いといいつつ昼食を完食した。

夕方になって、次の仕事の下見をしてきた。
こんどは小学校のサッカーゴールの固定ペグを10個ほどつくる。
炭素が少し入った鋼材を使う。
依頼主は、キーポンがお世話になった校長先生だから市場価格の半値以下で出血大サービスだ。まぁ、材料代が貰えればあとは身体の老廃物を汗で流せるだけでも御の字だと思うことにしている。

それにしても、さすがに眠い。
フラフラになって帰宅して、キーポンと少しばかりじゃれあっていたら、気がつかない間に爆睡していた。
夕食もワイフの心のこもった手づくりでうまかった。

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Landscape situation 

2015/03/26
Thu. 22:48

このところ入院中の老僧の面会が毎日続いていて、その間に用事の電話がいくつか入ってそのままにしておく訳にもいかなくなったから、ワイフに面会を変ってもらって久々に終日自分の仕事にせいを出した。
夕方になってワイフが帰ってきて、老僧の様子を話してくれた。
ペースト状の食事からご飯粒が少しわかるくらいのものに変っていたが、今日のお昼はお粥になっていたそうだ。
入院も一週間がすぎると、退屈になって我侭も出てきてそろそろ我慢も限界に近づいているようだ。
見方を変えるとそれだけ生きる気力も出てきて元気になっているということだと思う。

仕事の合間というか、切りのいいところで休憩をしたおりに、先日の彫刻展の写真を見直してみた。
もう何年も前から一度試してみようと思っていたことがあって、今回は、それをかたちにしてみようと決めた。

私が彫刻をつくりはじめた頃に、とても親しくしてくれた木彫の彫刻家がジャン・アルプのことを大好きだった。彼の作る彫刻はどことなくアルプの彫刻を思わせるような形態のものが多かったし、会話の端々にアルプの彫刻から触発された造形感が見え隠れした。その頃の私はどちらかというとムーアに傾倒していて、展覧会で東京へ出かける度に神保町の古本屋さんを巡ってムーアの作品集などを買いあさっていたのだが、アルプ好きの彼の影響でアルプもいいなあと思うようになったことを覚えている。
その木彫家が10年ほど前から持病がひどくなって彫刻をつくる気力がしだいに衰えた。
この近年は展覧会からも遠ざかって、音信不通になって彼の彫刻を見る機会も無くなった。そうなってみるとやはりどこかしら寂しいものがあって、彼が元気な時に熱く語っていたアルプ論を何かしらの感傷といっしょに思い出すことが増えた。自分も歳をとったからかもしれない。それで、彼へのオマージュというほどおおげさでもないし、足元にもおよばないが、アルプ好きの木彫家の彼に敬意を表してひとまず自分なりのかたちにしてみようと思った訳だ。

出来の具合は自分で判断しにくいものの、それなりに気に入った彫刻になったと思う。
会場で写真を撮っていたら、今回受賞した富山の丸山さんのかわいい女の子が私の彫刻の石の上で踊っているように見えた。

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時を待つ 

2015/03/25
Wed. 07:09

老僧が寝ている(というより入院している)病院へ行く準備が終わって自宅を出ようとしていたところへ電話が鳴った。
「いまいいですかぁ〜」
材料屋のおにいさんからだった。遅れていた材料が届いたらしい。これから出かけるところだし困ったことになったと思いつつ、おにいさんと電話で話しながら結界君に乗り込んだ。今度の材料は普通に建材で出回るモノでもないから、受け取る方もいつもより神経質になってしまう。
なんとなくあわただしいまま自宅前の駐車場の結界君の運転席で時間をつぶしてしまったせいで、出発が10分ほど遅れた。

お彼岸の前日に銀山街道を走っていたら、5年くらい工事中だった街道のバイパス工事が一部完成してその開通式をしていた。
石見銀山に住みはじめた頃は、万善寺まで片道1時間20分ほどかけて移動していた。この20年間に拡幅工事が断続的に続き、トンネルも新しく3つほど増えた。工事の無い時がないくらいに延々と続く中で、最近は45分から50分くらいで寺へ移動できるまでに時間が短縮した。公共工事のありがたさを実感しながら今に至っている訳だが、その最後の集中工事が先頃ひとまず終了した訳だ。
前に走っていたガードレールもない細い道は、11トン車とすれ違うことなど地元住民で道の状態を熟知していないと立ち往生してしまうほど走行の難しい難所だった。それが今度のバイパスで、一気に解消された。トンネルが2つと旧道から見上げると遥か頭上に高架橋が3つほど新設されて、5分ほど時間が短縮された。久々に工事区間のない銀山街道を走って万善寺まで40分という距離になった。

この20年間の銀山街道を通勤や営業で走る車は増えることもなく減ることもないままだ。一方、石見銀山が世界遺産に登録された10年前は観光の車があふれた。それも2・3年で落ち着いた頃には、例のノロノロと走る枯葉マークが増えて、そのうちそれもしだいに少なくなって、最近はにこにこマークのようなイラストの福祉車両を頻繁に見かけるようになった。

銀山街道も、全線がバイパスで開通する頃にはどれだけの通行量があるのだろう。私ももう20年後は車を走らせているかどうか・・その前にもうこの世からおさらばしているかもしれない。
そんなことを思うと、昔のままの銀山街道のままでも特に不都合はないような気もする。
延々と工事中で片側通行の信号待ちを強いられる身も辛いものがあった。
まぁ、色々な立場の人が色々なことを考えて色々苦労していらっしゃるだろうから、それはそれで色々改善されていることもあるのだろうが、下々の私などは特にそれでどうこうなるわけでもないと思うんだけど。

何も出来ないということの辛さより、何もしないという辛さの方が身にしみて応えるんだろうね。
何もしないでジッと時を待つことも難しいものだ。
さて、そろそろ、何もしないでジッとベッドに寝ている老僧の顔色でもうかがってきますかね。

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別れの季節 

2015/03/24
Tue. 10:46

終業式で離任退任式の日になった。
私の周辺でもそれにからんだ動きがいつになく多い。

じゅん君が1年間講師でお世話になっていた中学校を離任する。彼にとってははじめての離任挨拶になるが、さて、どんなことをしゃべるのか・・・オヤジの野次馬根性が疼く。
次の勤務地は隠岐の中学校らしい。ここでは新任式の挨拶が待っている。さて、こちらのほうも何をしゃべるか気になるところだ。オヤジの人生の経験上、新任挨拶より離任挨拶の方が数倍難しい。クールすぎても白けるし、ホットすぎても白けるし、なかなか微妙なさじ加減が必要になってくる。

キーポンが先ほどはりきって家を飛び出していった。
高校の離退任式に卒業生として参列するためだ。といっても、特別にそういう席が儲けてある訳もなく、式場の後ろの壁際に卒業生がゾロゾロ並んで、離退任する先生方の挨拶を傍聴する。走馬灯のように駆け巡るさまざまな思い出に浸って噛みしめながら悲喜交々の3年間の思い出を友達と語り合ったりして青春の1ページを心に焼き付ける訳だ。

彫刻の搬出が終わってそのまま里帰りを満喫したワイフが早朝から珍しく饒舌だった。島根でのストレスがそれなりに解消できたのだろう。東京のアチコチを散策したようだし、久々にお母さんと会話も弾んでリフレッシュしたようだ。
夕方からは時間講師で勤務校の送別会に参加するそうだ。親しくしていたりお世話になったりしていた同僚との別れは、毎年恒例に巡ってくるのだが、人の出会いや巡り合わせはいつも違うし、その度ごとに発見や感動がある。ワイフの場合は転勤のない時間講師だからそろそろ勤務校の古株に納まりつつあって、そのうち生き字引くらいになってしまうのもほど近い。もっとも、最近の少子化の波は島根県の場合特に大きな波で押し寄せてきているからいつ首を切られてもおかしくない状態でもある。すでに数年前に勤務校の1校が廃校になったし、このままいけば、あと4・5年のうちには、肩をたたかれて退任の側で挨拶をすることになりそうな気がする。

雇われ店長のなっちゃんは、送り出す方で寂しい思いをしているようだ。バイト君やバイトちゃんたちも、卒業と同時に新しい職場へ巣立っていく。
東京は桜の開花宣言がされた。
島根の石見銀山や赤来高原はまだ固めのつぼみのままだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今年で卒業の子が「タイムカード切ったけど吉田さんと今日で最後の仕事なんで働いてていいですか?(´∵`)」って言ってきたけん泣きそになったよ( ´•̥̥̥ω•̥̥̥` )寂しくなるなー
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そしてオヤジは、周辺が満期退職で賑わっている。その余波(といっては失礼だが・・)で、置き土産の記念品制作がいつになく舞い込んできた。少しばかりのことだが生活の助けになる。ありがたいことだ。

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久々集合 

2015/03/23
Mon. 08:45

春の展覧会で彫刻家のストウさんが受賞した。

実材での制作へ入る前に粘土で造ったマケットを見せてくれた。最近の彼の彫刻に対する方向性は、シンプルに迷いが無くてブレなくなってきたと思う。仕事の技術も上達して安心できる。それに、適当なところで妥協しない粘りも出てきたような気がする。要するに彫刻家としての実力が高まってきたということだ。
彼が20代の頃から今まで、大小合わせてほぼ全ての彫刻を見てきている。最近では彫刻素材の幅も広がっている。これからが楽しみな彫刻家になってくれたことがとても嬉しい。

搬出した彼の彫刻を預かっていて、日曜日が都合がいいということで石見銀山まで引き取りに来ることになった。せっかくだから、受賞祝いで一杯飲もうと誘ったらすぐに乗ってきた。石見銀山の町並みにある「梅の店」に予約を入れてそこへ集合することにした。その梅の店のご主人の奥さんのノリちゃんも彫刻を作っていて、この度も同じ展覧会に出品した。いい機会だから久々に同好の士が集まって芸術談義もいいかなと、三人で手分けして飲み会に誘ったら、ストウさんの声掛けが功を奏して、島根を代表する実力作家が集まった。

絵画3人、彫刻4人、それにフラメンコギターの得意な石見銀山在住の若きミュージシャン・・・なかなかの豪華メンバーになった。

中盤に老僧の入院話から介護の話題が広がった。せっかくの楽しい会だから湿っぽい話題はしないように決めていたのだが、つい口が滑ってしまった。頭の何処かでやはり老僧のことが気にかかっていて、それを酒の勢いで口走ってしまった。みんなそれぞれに家族の悩みを抱えながら暮している。そういう私事の影響を感じさせないシッカリした作品を制作しつづけていることがわかったことは、自分にとっていい励みになった。

老僧は、髭が伸びたことを気にするくらいに体調が回復しつつある。物忘れの方は一気に悪化した感がある。生活の環境が変ったせいだと思う。私が愛用しているバリカンをもっていって即席出前床屋をしてきた。しきりに「サッパリした」とくり返していた。
入院の間は、できるだけ毎日顔を見せておこうと思う。
息子の顔を忘れられても困るからね。

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お彼岸 

2015/03/22
Sun. 07:03

万善寺春のイベント彼岸法要が終わった。
毎年のことだが、色々あった。
それでも、それなりに良い彼岸会になったと思う。

お参り7名、ことづけ8家・・・参列が15名くらいあるといいなと思いながら仕出しをお願いしておいたが、実際はその半分だった。おかみさんに至っては前日から20名分の皿や湯飲みを用意したりして大張切りだった。老僧が現役で仕切っていた頃は30名近いお参りがあった。それだけお檀家さんが仏教離れしたというより高齢化で身動きできなくなったことと、世代交代で寺の年中行事に関心がなくなったことがお参り減少の訳だと分析している。
もっとも、「お参りがゼロになったから法要はとりやめます!」というものでもないから、私の膝が動いて身体がシッカリしていて、五感が使える間は続けていこうと思っている。

曹洞宗の教典に「修証義(しゅしょうぎ)」がある。明治の頃につくられた比較的新しいお経なのだが、道元さまの教えを当時の在家壇信徒の皆さんにもわかりやすくお伝えしようと、大事で重要な文言をまとめて編集したお経になっている。道元さまの著書「正法眼蔵」が元になっているから、末寺の在家坊主の私などは、毎日朝夕このお経をお務めしてちょうどいいどころか、それでもわからないことがいっぱいの難しいことばかりで、修業の実践などもっと先のことになってしまっているほどで、ありがたいお経だと思っている。

せっかくお彼岸の頃だし、修証義のお経に何が書いてあるか要約してみたので、原稿を転記しておく。
1章から5章までおつとめすれば20〜30分のお経を、A41枚に数行でまとめただけの役にも立たないしろものだが、それでもとろけた脳みそを駆使してフラフラになりながら絞り出した労作だと勝手に思っている。こういう寺務をしていると彫刻をつくっている時の方がずっと楽だなぁと坊主にあるまじき雑念にハマってしまう。なかなか修業になりませんなぁ・・・

お参りのお檀家さんへお配りしたものです。ヒマな方は流し読みでもしてみてください。
〜〜〜〜〜〜〜
修証義

第1章 総序
この世のさまざまに生きるものにあって、人間として生を受けたことは難しく希少な縁である。ありがたくいただいた生であるから、粗末にしないで大切に精一杯生きようとしなければいけない。

第2章 懺悔滅罪
どんなに善人であっても、自覚しないままに様々な悪業に身を染めているものである。
そのことに気付き、全身全霊反省し懺悔することが信心であり、仏はその行を慈悲深く受け入れてくださる。

第3章 受戒入位
この世に生を受けたものは老病死を避けることができない。
それを安らかに受け入れる根本は仏法僧の三宝を敬うことである。
そして、仏の教えを受け入れて悪を防ぎ、善行を率先し、衆生の利益に尽くし、十の戒めを実践することで、常に安らかで陰りのない心で暮すことができる。

第4章 発願利生
信心や悟りを究める努力を怠らないことが大事なことである。
身を呈して他に尽くすようあらゆる努力を惜しまないように生きることが大事である。

第5章 行持報恩
輪廻転生において、人として生を受けたことは希なことである。
これは仏のおかげと感謝し、見返り代償を期待しない行いに励むことこそ大いなる仏道修行となり、仏のご恩に報いることとなる。
                         但し:万善寺解釈

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お彼岸前夜 

2015/03/21
Sat. 01:09

留守の間にネコチャンズが大暴れしたようで、それでなくても煩雑とした吉田家がけっこう凄いことになっていた。
猫トイレの紙製ペレットがフローリングのアチコチに散乱し、カーペットマットがよじれめくれ、どんぶりに山盛りの猫ご飯が食べ尽くされ、ガラスボールに満タンの水が飲み干され、ワイフの布団がシロの寝床で使われ、キーポンのベッドがクロの寝床になっていたようだ。

朝の家事をするというより、留守中に乱れた吉田家を復元するだけでアッという間に時間が過ぎた。お彼岸の仕事もあるので、冷めたコーヒーを飲みながら中途半端に切り上げてお知らせ原稿を書いて印刷した。
入院中の老僧の様子も見なければいけないから、銀山街道から出雲街道を経由してお檀家さんのポストにお知らせチラシを投げ込みながら病院へ移動した。
個室を覗いてみるとお昼ご飯が終わった老僧がお茶を飲んでいた。

彫刻の搬出で留守をしている間に、絶食点滴からペースト状の流動食に変っていた。さすがに一週間ほど絶食が続いていたから頬がこけて顔つきが変っていたものの、入院時の状態がウソのように生気が甦っている。この様子だともうしばらくは生き続けられそうだ。
「髭が伸びたけぇ、気持ちが悪いけぇ・・」などと、見た目を気にしはじめている。たいした回復力だ。

寺へ帰ってみると、留守番中のおかみさんは、私の顔を見るととたんに2~3日分の報告と称して愚痴と小言を語りはじめた。もう90歳のおばあさんだから、もう少し自分の立場を自覚しておとなしく静かに暮しても良さそうなものだが、とにかく仕事が趣味のような人だから他人はみんな遊んでいるようにしか見えないらしい。用事で訪問した農協職員のおねえさんも小言のネタにされていた。
台所から醤油の焦げたようなにおいが漂ってきたのでさりげなく覗いてみたら、塩漬けや冷凍した食材を煮込んでお彼岸用の精進料理らしき煮しめを作っていた。この10年の間におかみさんの手料理はしだいに怪しいものになっている。自分の味覚の衰えを自覚できていないままお客様へのおもてなしの気持ちだけが上滑りしていて始末が悪い。お檀家の皆さんも老僧夫婦同様で年々高齢化が進んでいるから、お寺のおもてなし料理で食中毒にでもなられたら大事になる。寺務営業的には即刻業務停止をおかみさんへ勧告したいところだが、気の優しいチキンオヤジはそれがなかなか出来ないまま今に至っている。

幾つかの寺務事務(ややこしい・・)が残っていたので、夕方になってパソコンのある石見銀山へ移動した。
夕食前の小一時間は、朝の片づけの続きで終わった。
冷蔵庫をあさってささやかな夕食を作った。ハムとシーチキンのピザトーストにウリの粕漬けと赤ワインフルボトルという奇妙なとりあわせ。
野菜がほしいなぁと思ったが、その1品をつくる元気がなかった。
おかみさんの煮しめと大差ないなと、ふとそう思ったが、なかなか美味かった。

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彫刻展搬出終了! 

2015/03/20
Fri. 07:20

島根随一の実力を誇る女流彫刻家でもあるマイワイフは、実は生まれも育ちも江戸っ子なのだ!
だから、当然彼女の実家は東京にあって、この度も吉田家親子3人揃ってお世話になった。
義父の清さんはすでに亡くなってしまったが、義母の怜子さんはまだかくしゃくとして健在で近所のスポーツジムに通うことが日課になっている。
展覧会の搬出で島根から移動した朝、東名を降りてその怜子さん宅へ直行したら、どこかのビジネスホテルとは比べ物にならないほどの豪華な朝食が用意してあった。

搬出の朝は怜子さん宅から上野の都立美術館を目指して出発した。
青梅街道から靖国通りに入って水道橋や飯田橋をすぎて白山通り経由で上野公園を目指すコースをとった。
島根感覚だとだいたい1時間もあれば着くだろうと気楽に予測していたが結局2時間もかかってしまった。大都会東京をあなどっていた。それでも家族三人それぞれ懐かしかったり珍しかったりそれなりに東京観光を楽しんだ。
私が一番感動したのは何といっても「深夜食堂」のタイトルバックと同じルートを走ることができたこと。車線も同じように選んだつもりだが、車高が低くて目線の先に流れる新宿の様子が違ってしまったのが残念だった。石見銀山の近所に住む飲み仲間の友人からキーポンの学業祈願にもらった御札の湯島天神の脇も通過したし、小椋佳の母校上野高校の横も通過した。蓬莱閣もまだ昔ながらの店構えで営業していた。

彫刻展のおかげで、久々の東京観光を楽しませてもらいつつ都立美術館へ到着。
半年ブリに逢う彫刻家の顔が懐かしかった。搬入だともっとたくさんの出品者が賑やかに集う。地方からの出品者にとって10日程度の会期で東京2往復は厳しいから、どうしても搬出はほとんどが業者さんへまかせてしまう。彫刻移動などの作業は東京近郊の作家さんへお願いすることになるから同じ展覧会での作家同士の平等感が崩れる。あとはお互いの信頼関係で展覧会を運営するしかないのだが、温度差の違いをうめることは難しいだろうし、みんなが暗黙に了解して乗り切っていくしかないことなのだろう。

搬出作業を終わって昼前には上野公園を出発することができた。
神奈川県に入ったあたりから雨が激しくなって、新東名はどしゃ降りで名古屋の東の豊川辺りから渋滞になった。ちょうど東名や新東名湾岸線などが集まるジャンクションのど真ん中で事故をしていて身動きが着かないまま渋滞が続いた。それからあとも整備不良車がもとで渋滞したりして、吹田を抜けるまで無駄に時間がかかった。中国道に入ってサービスエリアごとに休憩をはさんで深夜2時に自宅着。

キーポンの部屋の窓から猫のシロが覗いていた。

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吉祥寺の夜 

2015/03/19
Thu. 08:22

東京2日目で搬出日の朝は雨になった。
これから上野の都立美術館へワイフの愛車で移動して山陰や中国地方からの出品作家の彫刻を引き取って島根へ帰ることになる。
昼間の移動だから高速料金が心配だけど、週末のお彼岸法要のこともあるし、そんなことはいっていられない。とにかく、20日の朝には何食わぬ顔で檀家さん巡りをしながら、お彼岸のお知らせをポストになげこんで配って歩いくことになる。

各年で開催される春季展は、こうしてお彼岸の行事に重なったり、年によっては初午さんに重なったりして、なかなか搬入搬出で自ら会場を訪問することが難しい。
今年は、山陰からの選抜作家がたくさん出品していたので、何とかしてスケジュールを調整して会場で彫刻の現物を観ておこうと心に決めて、かなり以前から準備を進めていた。ところがいざ展覧会の搬入陳列日が近づいてくると、七日務めや四十九日の法事が次々に重なってきて調整不能になってしまった。直前になって計画の予定変更をねじ込んで、搬出に切り替えて再調整を始めたらこんどは老僧の体調不良が悪化して入院騒ぎ。まったく日頃自堕落に暮しているオヤジはこういう時にやたらと鍛えられてしまう。

そんな訳でかなり強引な東京移動になったが、本当に久々の展覧会はなかなか見ごたえがあって感動した。
新人の選抜作品や中堅作家の力作は、大作には観られないこまやかな神経の気配りがあって中品や小品でしか表現できない魅力ある彫刻がひしめいていた。本展では審査をはじめとして展覧会の運営に忙しいベテラン彫刻家の皆さんも、手堅く密度のある小品彫刻を制作されていて、彫刻家としての力量の奥深さを感じることができた。やはり彫刻は大小関係なく現物に触れることがいちばんの勉強になると改めて感じた。
この近年、島根で開催している現代彫刻小品展もこういう密度の濃い彫刻展に仕立てたいといつもそう思いながら準備をしているのだが、島根の田舎まで彫刻を出品してもらうことの煩雑さが災いして、もう一歩の踏み込みがもたついて不本意なことも多々生じてしまう。やはり彫刻の狭い世界でも、東京は全国の中心地なのだなぁと実感した。

せっかくだから東京暮らしのなっちゃんに夕方から逢った。
もうつき合い始めて1年以上になる彼氏も残業を切り上げて合流した。完全に親から自立して浮ついた様子もなく自分の暮しを固めつつあるようだ。
そうそう、はじめはワイフも合流して夕食をしようと計画していたはずなのに、昼間のうちに久々の東京を歩きすぎて体力消耗で撃沈キャンセルになって、なっちゃん彼氏とのご対面が先延ばしされた。

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東京の空 

2015/03/18
Wed. 09:22

夕方6時に石見銀山を出発して東京へ向かった。
彫刻の搬出作業が私とワイフの仕事。
キーポンは、ディズニーランド目当てでついてきた。

ワイフと交代しながら久しぶりに夜通し運転をしてワイフの実家のおばあちゃん家に朝の8時過ぎ到着は、まあまあ妥当かな。
車から荷物を下ろしてお仏壇のおじいちゃんやお先祖さまに挨拶をして朝ご飯を頂いて、やっと少し落ち着いた。
東名から環状八号線へのると軽自動車が目立つ。私が東京暮らしをしていた頃は都内で軽自動車を見かけることはほとんど無かった。それが今では軽トラや軽バンがひしめき走っていてびっくりした。島根の田舎と変らないくらい・・・というより、それ以上の比べられないほどの混雑になっている。
地球社会で日本の軽自動車社会は確実にガラパゴス化かタスマニア化してきている。

老僧の入院騒ぎで、昨日は朝からほぼ終日かなり忙しく動き回った。
病院提出用各種書類の作成や、入院時の携行品買い出しや、主治医のドクターからの状況説明と善後策の検討や、勝手に思い込みの素人診断で硬直のおかみさんへの報告などなど、休み無く動き回っていたら完治しない膝の故障が悪化しはじめて、しまいには歩く度の激痛で膝をまともに伸ばすことができなくなってしまった。長距離の運転をすることになるから、出発前に温湿布を用意したり、痛み止めを準備したりした。
これから搬出作業もあるし、彫刻と一緒の復路の運転は一人だし、週末は万善寺のお彼岸法要もあるし、しばらく膝を休めることが難しい。
なかなか鍛えられます・・・

ところで、老僧の病状だが、内視鏡検査の結果、胃の3分の1が潰瘍に冒されていた。あれだけ巨大に広がっていたらずいぶん前からかなり痛かっただろう。若い頃からの坊主の修業のせいか、ここ数年進行しはじめた痴呆のせいか、とにかく痛みに対して我慢強い。長い闘病生活のストレスが原因にあったかもしれない。いずれにしても、ひとまずは病状も見当がついたし、完治までは期待できないものの、まだ胃潰瘍だけは投薬を重ねて治る見込みもあるようだ。
本当に老僧の精神と肉体の頑強さには驚かされる。

夜明けがずいぶん早くなった東京の空は、朝からスモッグが低く漂って視界が悪い。これから崩れて雨になるようだが、何とも曖昧になま暖かい。
どこかしら最近の自分の心の内を見ているような天気だ。

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グランド草取り機完成 

2015/03/17
Tue. 07:35

近所の小学校へグランドの草取り機を納品してきた。
校長先生は高校時代の同級生で、この3月をもって退職する。だから、置き土産のようなものだといっても良いかもしれない。

グランドの草取り機はこれで3機ほど造った。
私が草取り機1号を造ったのはもう10年近く前のことだった。
まだキーポンが大森小学校に通っている頃で、その校長先生が転勤の時に制作を依頼されて造らせてもらった。
校長先生の希望があって、見本の写真もあって、それに自分でも近場の学校へ出かけて構造を調べたりして簡単な図面に起こして制作に入ったことを覚えている。
中学校や高校で野球やサッカーなど野外スポーツの部活が盛んなところは、だいた各学校に頑丈な草取り機が用意されているのだが、大森小学校用の草取り機は、一人で持ち運びできるもので、コンパクトに収納でき、その上グランドにはびこった雑草をキッチリ除去できるモノ・・・という、なんとも高機能の構造物の制作を期待されてしまった。

モノがモノだけに、材料代と日当制作費程度の機能優先で丈夫なデザイン見た目二の次というしろものが完成した。
こだわりといえば、草をかき取る串部分を、少しばかり炭素の含有量を多くした炭素鋼にしたくらい。あとは、普通に市販されている鋼材を切ったり張ったりして造った。
それがなかなか評判が良かったようで、それからすぐに別の小学校から制作依頼が入って2号機を造ったが、残念ながら、その小学校はその後統廃合で廃校になってしまった。
今回久々に制作依頼が入った時、最初はその廃校の草取り機をもらったらどうだと、気軽に答えておいたのだが、公共の施設の備品関係は取り扱いが複雑なようで難しいらしい。
モノの貸し借りだったら何とか大丈夫らしいが、だいたいどの学校も使用期間が重なって遠慮もあるから、やはり1校に1機常設が望ましいということになって、校長つながりで私を思い出したのだそうだ。
10年前の図面など残っているはずもないし、炭素鋼の型番を覚えてもいないし、全てがゼロからのスタートで、結構それなりに苦労した。
もう次は無いだろうなと思いつつ、今回のように慌てるのもイヤだから、一応記録だけはとっておこうと、納品前に写真を撮りためておいた。

せっかくだからお茶でも・・と誘われたが、老僧の容体が良くないし、早々に引きあげてそのまま寺へ移動した。
説得になったかどうか、納得したかどうか、怪しいものだが、とにかく入院をしてもらった。本人はかなり気落ちしてガックリ落ち込んでいた。
「抗がん剤服用をやめた時に、あと2カ月くらいかなと思っていましたが、あれから2年ですから・・・」
主治医のつぶやきが聞こえにくくなった本人の耳に入ったかもしれない。
家族としては、来るものが来た感じだ。今日もこれから買い出しをして病院へ行くことになる。

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猫ネタ 

2015/03/16
Mon. 07:03

猫ネタが続きます・・・
猫嫌いの方々はスルーしてください・・・といっても、ブログ訪問者はだいたい5〜6人くらいなので、このままシランプリされるのもチョット悲しいな。

・・・というわけで、猫ネタです。

最近になって、夜になると珍しくクロが私の膝に乗ってくるようになった。
狭いとはいえ、家族三人それぞれマイルームで寝ているから寝る場所はいっぱいあるだろうに、わざわざ吉田家で一番小さくて狭いオヤジの四畳半のそれもわざわざオヤジの膝をめざして寝はじめるからやっかいなことだ。
気がつくと、お気に入りの100円ショップ猫じゃらしまで持ち込んでいる。
昨夜も、工場の疲れを癒しながらYouTubeをチェックしていたら、その猫おもちゃをくわえてゴソゴソと膝の上に乗ってきた。しかたがないからしばらく相手をしてやっていたら、そのうちおもちゃを無視してそのまま寝る体勢に入ってしまった。
膝から太ももにかけてやたら重たいから少しずつ足をずらしてクロの寝場所をつくってやった。
時々、思い出したように手がピクピク動く。猫おもちゃで遊んでいるつもりなのかもしれない。
オヤジもクロもそのまま寝てしまった。

気がつくと午前3時・・・私がゴソゴソしているとクロは何事かと一瞬耳が立って目覚めたようだが、何回かノビをして体勢を作り直して結局そのまま寝てしまった。私の方は忘れていた身体の節々の痛みが甦って、慢性の耳鳴りも気になりはじめて、どうも眠気が覚めて寝つけなくなってしまった。結局、起きることにして夜中に冷めたコーヒーの残りを調達したりメールチェックしたり小説の続きを読み進めたりして2時間ほどシュラフに潜り込んでいたら朝方になって二度寝をしていた。
そして朝になって、台所の音で目覚めた。
足元がフワッとやわらい。いつのまにかワイフにベッタリのシロまでオヤジの足を枕にして寝ていた。朝食の仕度で忙しいワイフから冷たくあしらわれて、私のシュラフへ潜り込んだのだろう。

猫に好かれるのも悪い気はしないけど、少しは人の都合も考えてほしいモノだ・・・と思いつつ、やっぱりこうやって都合よくすり寄ってくれたりすると気持ちが和む。
・・・まぁ、持ちつ持たれつお互い様の暮しが平和に続いています。
食欲のなくなった老僧の老衰が心配だけどね。

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ネコチャンズ 

2015/03/15
Sun. 07:05

どちらかというと猫派の私が、ものごころついてはじめて猫を認識したのは、まだ小学校に行く前のことだったと記憶している。
寺の下隣の家はお百姓さんで、猫好きのおばさんが三毛猫を飼っていた。その家の長女が私と同じ歳で、庭先に大きなナツメの木があったから、実のなる頃になるとそれを目当てに良く遊びに出かけていた。だいたい三毛猫はメスがほとんどで、オスのように遠方まで歩き回ることがないと、おばさんから教えてもらった。他にも、ネズミやスズメやモグラなど、いろいろ捕獲して、おばさんの前まで持って帰るの時の様子など、小さな子供相手に身振りを添えながら丁寧に教えてくれた。
だから、そういうこともあって、まだ小さい時から猫知識だけはかなり正確にインプットされていた。

寺暮らしでは猫が禁物だったので、はじめて猫と同居をすることになったのは私が明大前の一軒家に居着いてからのことだった。たしか3回目の引っ越しの家だったと思う。大きな屋敷の片隅で遊んでいた書生部屋のような別棟の家を不動産屋で見つけた。幾つか間借りの条件があったのだが、そこに住み暮すようになってしばらくして、かわいいメスのキジトラ猫を頻繁に見かけるようになった。別に悪さをする訳でもなく、腹を空かせているよすもなく、長いシッポをピンと真上に立てて優雅にふるまって時々妖しげにすり寄ってきたりして、なかなか人懐っこい猫だった。その猫には、一度もご飯をあげることもなく、寝る場所だけ足下の辺りを提供する程度で、かなりの距離を置いて数年つきあって、やがて気がつくと知らない間に向こうから何処かへいなくなっていた。

申告作業でテーブルに書類を広げて電卓をたたいてラップトップを開いたりしていると、クロがことごとくそれに反応してちょっかいを出す。シロは私の鼻先をかすめて横切ったりする。
クロもシロも私が今まで遭遇した猫の中では一番小さい頃から育てはじめているから、どことなく人間との距離が近すぎるまま成長してしまったところがある。ようするに、やたらと甘えん坊でワガママモノに育ってしまった訳だ。

もう少ししたら彫刻展の搬出作業に出かけるので、そのネコチャンズを留守番させて、しばらくの間吉田家を留守にすることになる。
近所には留守にすることを伝えておくが、ネコチャンズの世話まではなかなかお願いしづらい。
さて、ちゃんとお利口に留守番してくれるかどうか、いまから心配でしょうがない。

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東奔西走 

2015/03/14
Sat. 19:53

申告が終わって一息つく間も無く、絶不調の老僧の様子見と慈明忌年回の法事で銀山街道を往復した。

前の日から1昼夜の石見銀山は激しい風雨で荒れ模様だったから法事も墓参りがどうだか心配だったが、案の定、赤来高原はちょっとした寒の戻りでうっすらと雪景色だったから、施主家のお年寄りを残して、私一人改良衣に長靴履きの奇妙な格好で塔婆を持って山の中腹のお墓へお参りをしておいた。島根の山間部はこうやってジワジワと春が来る。
寒い冬を精神力で乗り切ろうとしている高齢者が、ちょうどこの時期に息切れして体調を崩してしまって養生のかいもなく寿命が尽きてしまうという微妙な時期にも当たる。老僧もそうやって少しずつ体力が消耗して臓器不全が改善しないまま老衰していくのだろう、そういう様子が顕著になってきた。それでも、「このまま飯食わなかったら入院で点滴だぞ!」と脅してみたら、「入院は絶対せんけぇ〜、食べるけぇ〜」という声にまだ張りがあったから、そのままにしておくことにした。

毎年この時期に島根の西にある益田東高校美術部から部展の案内状が届く。
ちょっとした縁があって展覧会に出かけるようになってから、毎年うら若き美術部の女子部長名で案内が来るものだから行かない訳にはいかない。おまけに、かわいい手書きの礼状まで届いたりするとウキウキしてしまう。片道2時間の距離だからこれで部長名が男子になっていたら行くのをやめようと不謹慎なことを思いつつ毎年楽しみにしている展覧会のひとつだ。何より、顧問の先生のご尽力もあるのだろうが、展覧会の様子が若々しくて、アカデミックで古くさくないところがいい。
昨年は、新入部員が少なかったりして、チョット元気の無い展覧会だったから、今年はどうか心配だったが、少ない部員数のわりには1年生の良く頑張った力作が多かったし、2・3年生も、個性的で手慣れた絵に仕上がっていて、なかなか見ごたえがあった。これで立体の作品があったりするともっと良いと思うが、それは私の勝手な我がままということで我慢するしかない。

前の日まで申告作業で数字とにらめっこして、そのあと法事があって、老僧の様子を見て、帰宅してカジュアルに着替えて益田まで往復して、結構グッタリ疲れた。
これから1杯飲んでぐっすり寝て、明日は終日工場にこもろうと思っている。

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大洋堂書店 

2015/03/13
Fri. 09:47

結局、老僧の通院で半日をつぶし、その後夕方からの町内年度末会議で会計決算の報告があったりして、帰宅したのは午後9時近かった。
定職も残業もない田舎暮しをしているから、こうして夜まで外出が続くと身体がついていかない。
じゅん君もなっちゃんもノッチも、働いている吉田家の子供たちは午前0時前後にはまだ仕事中だったり帰宅途中だったりしているようだし、みんなそんな暮しでよく体力が続くものだと感心してしまう・・・というより、そこまでして働く必要があるのか、良く理解できないこともある。もっとも、自分の過去をふり返ってみると、吉田家の子供たちのように20代のうちは似たような暮しぶりだったし、今に始まったことでも無さそうだけど・・

病院というところはどうも暇つぶしが難しくて、かといって簡単な仕事を持ち込む場所もないし、付添うものにとっては何とも不自由な所だ。
老僧はそういう薄暗い陰気な場所で何の娯楽や暇つぶしもないまま、ジッと診察の順番を待ったり点滴を受けたりしているから辛抱強いと感心する。周囲を見渡すと、病院職員以外で若いものというと私くらいしかいなかったりして、本当に見渡す限り高齢化の波に飲み込まれてしまっているようだ。消毒薬やゴムのような酸っぱさの漂う病院独特の饐えた匂いを嗅ぎながらそこに半日いるだけで病人になってしまいそうになる。

寺のロフトの崩れかけたカラーボックスから日焼けした古本を適当に見つくろって暇つぶしにした。
それはたまたま今から40年近く前の初版文庫本だった。定価320円・・まだ学生だった私が二回目の引っ越しで住み暮していたアパートの最寄り駅前にあった本屋さんのブックカバーが懐かしかった。学校までの電車の往復に読みふけっていたのだろうが、内容はすっかり忘れていて結構新鮮だった。老僧の点滴が気になって集中も長く続かないままそれでも短編をほぼ3分の2ほど読んだところで受付事務がクローズだからと会計の案内があった。支払いを済ませてそれからまた陽が傾くまでひとけの耐えた薄暗い待合室で読書に戻った。
小説の内容がちょうど高度経済成長期から引き続いたバブル景気前夜の頃のことで、今からは想像できないほど景気のいいストーリーが次々に展開して、それに明治生まれの体罰頑固オヤジが登場する何とも夢のような話だった。

あの頃は、午前0時前後までバイトして、そのまま始発が動くまでアチコチはしごして飲みふけっていた。
少しばかり現実逃避ができた。

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宿命 

2015/03/12
Thu. 16:40

隣町の同宗寺院からお葬式のお手伝いを頼まれて出かけた。
導師に副導師2人で合計3人。
香語引導も3人3様で鳴り物も落ちがなくてお葬式が引き締まる。

突然の容体急変でアッという間に亡くなったのだそうだ。くも膜下出血だったそうだから仕方がなかったのかもしれない。長々と長患いよりはスッキリとして良かった気がする。参列のご親族の面々を見て何となくそんなふうに感じた。

通夜で聞きとった故人の生前から膨らませた香語を思い出しつつ、老僧の通院へお供した。
老僧の病気はもう治るものでもないまま歳とともに進行が鈍ってほぼ停滞気味で今に至っている。最初の発病からするともう35年近く病気と付き合いながら数えきれないほどの手術をくり返してその度に甦っている。おかみさんなど、人生のほとんどを病人の介護で費やしているようなもので、今ではそれが生き甲斐の如く甲斐甲斐しく老僧の世話をやいている。

私の方も、すでに20代からこの歳に至まで、ある程度腹をくくって老僧夫婦の暮しぶりを眺めているようなところもある。
これも人生・・・というより、宿命のようなものだといっていいのかもしれない。
何かと身動きがつきにくい時に限って老僧の調子が悪くなるから厄介なことだが、それはそれで、血のつながりの成せる技というか、何かしら引き合うものがあるのだろう。これから一週間は、ひとまず私にとって外せない用事が控えている。色々工夫してやり過ごすしかないと思っている。問題は、おかみさんの説得だな。

救急でお世話になった若い熱血ドクターと若干のバトルになった。
カルテの文字や数字を見ただけで自説を論じられても迷惑なことだ。
患者の生き死に養生は家族の暮しに直結することでもある。
カルテには現れない患者と家族の暮しの様々な事情が隠されていることもたくさんあるんだよ。
最近は、坊主の前にドクターが患者に引導を渡してしまったりすることが増えているような気がする。
それって、結構迷惑なことですよ。私にとっては・・・

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読後感 

2015/03/11
Wed. 08:07

この冬シーズンは、比較的楽に過ごすことができた・・・といっても、気候だけのことだが・・・
石見銀山も赤来高原も、昨年までのドカ雪もなく降っては消えてしばらくするとまた降っては消えることのくり返しだったから、大掛かりな除雪作業をすることもなかった。
日本は東北の方に厳しい冬の気候が偏ったふうに感じた。
だから万善寺始まって以来の連鎖する檀家さんや地域での葬儀やそのあとの七日務めも、それなりに雪の間隙を縫って滞りなく過ごすことができたし、結界君の4WDもせいぜい2〜3日程度の使用で終わった。

こういう楽な冬も珍しいことだと自分では思っているが、もう一度くり返すけど「気候だけのこと」だからね。
それ以外の色々な出来事は、鈍り切ったオヤジの身体にかなりのダメージで蓄積されてしまった。
特に、続いた仏事の正座で膝の故障を悪化させてしまったことが一番つらい。
もう若くない身体は、何処か一箇所の具合が悪くなると、それをかばおうとして身体のアチコチが悪化してくる。
いくらヒマとは言え、その度に病院通いをするほどヒマでもないし、結局あたらずさわらず気長に不具合と付き合いながら身体を慣らすのが一番だと思っている。
まぁ、簡単にいえば無理をしないこととストレスをためないことと美味いものを食べて一杯の酒でイヤなことを忘れてしまうということができていればそれで何とかなるだろうと思っている。

せっかくワイフが買ってくれた文芸春秋3月号も、なかなか落ち着いて読むことができないまま日が過ぎていたが、最近少し余裕が出来たので、膝の不具合をだましつつ申告作業の合間を見て芥川賞を読み切った。
この近年では「苦役列車」が一番強く印象に残っている。
なんとなく自分も似たような暮しぶりだったし、自然に風景や情景がイメージされてきたから余計心に残ったのかもしれない。
「九年前の祈り」は、光のキラキラとか漂う香りとかからみつく空気とか世間の騒めきとか、そのような感覚が伝わってくる不思議な印象だった。

「あんた、黒目がだんだん白くなってきたね。病院で診てもらった方がいいんじゃない?」
先日、私の目をのぞき込んでワイフがそういった。
たしかこれで2~3回はそういわれたと思う。
彫刻を造りながらもう何十年も酷使を続けている目だから仕方がないことだ。
耳鳴りはそろそろ10年近くつきあっているし、手足の痺れも年々ひどくなる。
指先の油はすっかり枯渇してお札1枚を財布から取り出せないで苦労する。
その前に、財布にお札を溜めることはもっと苦労しているけど・・・
こうやって歳とともに身体の感覚が鈍って退化して、ひとつずつできることが減っていくのだろう。

音も聞きとり難くなって好きな音楽から遠ざかり、目も見えなくなって文字から遠ざかり、指の感覚も鈍くなってキレイなオネエサンの柔肌の感覚を忘れ・・・そのうち、美味い酒の味もわからなくなって、生きる楽しみがひとつずつ消えて無くなってしまうのだろう。

以上、吉田家の個室にこもってウンウンうなりながら読み切った芥川賞の読後感でありました。

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良いこと 

2015/03/10
Tue. 09:55

卒業式の終わったキーポンが自宅でゴロゴロするようになってから、吉田家の日常の暮しが少し狂ってきて良いこともあれば悪いこともあったりしてオヤジはなかなか慣れない。
長男の頃から土日祭日長期休業も部活があったりして、延々と昼間は学校で子供のいない暮しに慣れてしまっていたから、どことなく不思議な違和感を持ってしまう。
寺暮らしの老僧夫婦に私が割り込んでしまっていることと似たような感じかもしれない。
それでも、あと1ヶ月足らずで新学期が始まってキーポン人生初の一人暮らしがスタートするまでの辛抱ということで、その位なら何とかしのげる・・・と思う。

良いことというと、彼女のおかげでネコチャンズが私のデスクワークのジャマをすることが激減した。
だいたい1日中部屋にこもってゴロゴロとしているから、ネコチャンズも仲間が一人増えたくらいに思って彼女と行動を共にしている。
そもそも猫というものは1日12時間くらいはゴロゴロと寝てばっかりいるものだから、そういう意味で気が合うのかもしれない。
それと、彼女のiPhoneで猫がらみの絶妙のシャッターチャンスの色々な写真を撮ってくれる。
私のG12は機動力に限界があるからネコチャンズのいい写真がなかなかうまく撮れない。
猫のためにわざわざ高価なiPhoneを買う気にもなれないから吉田家ライブラリーの充実に一役買ってくれていて助かっている。
そしてなにより、夜になるとクロが彼女と一緒に寝てくれるようになったこと。
これがずいぶん助かっている。

悪いことというと・・・これは、キリがないからやめておく。
人間、都合のいいもので他人のイヤなところとか自分の気にさわることとか、そういうことはすぐに難なくチェックできてしまうんだよね。
自分だって、そうやってチェックされてるんだからね。

という訳で、カメラマンキーポンのシャッターチャンスは、いつまでたっても噛み癖のなおらないクロチャンのかわいい歯であります。

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チキンオヤジの憂鬱 

2015/03/09
Mon. 09:46

しばらく彫刻制作から遠ざかっていたからだろうか・・・
1週間ばかり工場に通って小さな彫刻を1点つくる間に、顔面の溶接焼けがいつもよりひどくなって皮膚がシワシワボロボロになってしまった。
おまけに、四六時中涙目が続いて眼鏡がうっとうしい。
・・・そんな感じで不調が続いている。
そろそろ無理が出来ない年頃になっているのかもしれない・・・などと思いつつ、月曜の雨の朝を迎えた。

先週末からおかみさんの電話が朝に夕に耐えない。
東堂さんの調子が悪いからどうしようと心細くなっているようだ。
もう90歳にもなっていつ死んでもおかしくないほど長生きしている訳だから、若くて元気な頃のようなわけにはいかないことくらいわかっているはずなのに、なかなか本人の自覚が出来ないまま、自らをいたわりつつ静かにつつましく毎日を暮そうという気になれないようだ。
大正から昭和にかけての人達はビックリするほど身体が丈夫にできている。
おまけに磨き上げられた頑固のおかげで息子の話など聞く耳も無いまま都合よく我侭に甘えてくるから始末が悪い。

ゴミの分別は無視で、燃えるものは全て燃えるゴミで自ら燃やしてしまうし、燃えないゴミは庫裏のまわりのアチコチに放り投げる。
お供え物の包装紙は山のようにため込み、使い古しのサランラップは洗って延々と使い回す。
もう何年も前からそういう様子を見聞する度に老人の暮しを今の時代用に正そうと努力してみたが、それも力尽きて今では見て見ぬふりをするようになった。
チキンオヤジとしては、罪悪感で胸がチクチク痛む。
現代社会の様々な地域のルールを受け入れることが出来ないまま昭和の昔の暮しを続けられていることの幸せをもう少し自覚してもらいたいが、まぁ無理なことでしょう。

これから、春のお彼岸法要に向けて万善寺の準備がはじまる。
せめて、本堂だけでも聖域として磨き清めたいものだ。

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春風花自開 

2015/03/08
Sun. 17:37

一週間ぶりに早朝から通勤坊主をしてきた。
溶接焼けの顔面がヒリヒリ痛いし、例の如く明け方になってクロがゴソゴソとうるさく鳴き回るしで、どうも寝不足気味のまま結界君に乗った。
それでも日曜日は通勤の車もないし、街道沿いのお百姓さんも今どきは仕事にならないし、年度末の道路工事もお休みだから、いつもの銀山街道をそれなりに快調に走ることが出来た。

ちょうど彫刻の搬入日と重なったから、そちらの様子も心配だったが、お経の最中に電話がかかってもやっかいだから携帯は結界君へあずけておいた。
法事のあとの墓参にあわせて、冬の間雪深くて出来なかった納骨をした。
お仏壇に新調のお位牌を安座点眼して無事にひと通り予定のおつとめを終わった。

大練忌塔婆は裏書きに「春風花自開」と書いた。
春の時期は禅語の量が比較的多いので助かっている。
仏教2500年の歴史の折々に、それぞれの国や地域で修行を続ける禅僧にとっても、やはり何処かしら心浮かれる季節なのかもしれない。
地球社会を我がものに生き続ける人々の身勝手なおごりは、知らない間に世界中へ拡散して常識になってしまったところもある。
人間が善業と確信してくり返すことが、自然にとっては取り返しのつかない悪業になってしまっていることも多いような気がする。
悪業を悪業とも思わないで反省することもないまま毎日が過ぎることが普通になる。
気がつかないまま自然の摂理にそぐわない身勝手で無理難題な思い込みをそのまま社会生活に転嫁する。

春の花は春に咲き、夏の花は夏に咲く。
季節の巡り合わせの中で、それぞれが咲く時期を正確に感知する。
自然の草木は、咲きたい時に身勝手に咲いている訳ではない。
夢や理想や希望を追いかけるのもいいかもしれないが、自分の足下で息づく自然の道理に目を向けることも大切なことだと思うな。

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彫刻搬入の1日 

2015/03/07
Sat. 09:45

島根県を代表する女流彫刻家の力作小品が完成するのを待って、今回一緒に出品することになったノリちゃんの彫刻と私の彫刻を積み込んで、夕方に吉田家を出発した。
国道9号から広域農道を経由して神戸川と斐伊川を結ぶ運河脇から斐伊川土手に右折してストウさんの待つ三刀屋へ到着した時は、すでに日が暮れて辺りが暗くなったあとだった。
出品票のことや彫刻の組立のことなどの事務連絡をすませて、少し世間話をしてだいたい1時間くらいして別れた。
彼は、これから本焼の窯詰めをしてから東京へ向けて出発するのだそうだ。
私など足下にもおよばないほどの体力がある。

出雲に向けて斐伊川土手に乗った頃にはすでに辺りが真っ暗になっていた。
ひとまず彫刻が完成したし、島根搬入も済ませたので出雲市で夕食をとることにした。
何が良いか聞いても何でも良いというから久しぶりに回転寿司へ行くことにした。
にぎり寿司は久々で美味かった。
生ビールはサントリーしかなかったがそれでも美味かった。
それからワイフが運転を代わってくれて自宅へ着いたのが10時近かった。
冷えきった部屋でネコチャンズが待っていた。
空には満月がくっきり見えるほど晴れ渡っていたから放射冷却で寒い。
ストーブへ薪を放り込んで火をつけてもなかなか部屋が暖まらない。
そのうちみんなそれぞれ何処かへちらばってストーブの前には私一人が残った。
その頃になってやっと少しばかり暖かくなってきたし、せっかくの薪がもったいない気もしたからプロジェクターをONにした。
アメリカドラマを1本観た。
やはり大画面は見ごたえがある。

午前0時を過ぎて日にちが変わった。
クロがゴソゴソと吉田家内夜間徘徊をしはじめた。

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食卓の彫刻家 

2015/03/06
Fri. 08:41

私の彫刻はあと半日で完成する。
食卓で制作しているワイフの彫刻は・・・夕方には完成する予定らしい。
猫のクロが彼女につき合っている。
助手にはならないようだが、それなりに気晴らしの役にはたっているようだ。

搬入と陳列は島根で制作を続けている彫刻家の一人ストウさんへ託す。
本当は私も東京へ移動するはずでずいぶん前から調整していたのに、お檀家さんの新亡さんの法事と重なった。
だいたいのことだと自分の都合を優先して暮しているが、寺のこととなると別格でそういう訳にもいかない。
久々に全国の彫刻の仲間とあえることを楽しみにしていたが仕方がない。

島根に帰ってもう30年を過ぎた。
30年前は島根で私のような抽象彫刻を造っている作家を誰も知らなくてとても心細かった。
彫刻の相談をする人が近くにいないし、ワイフの助言を頼りに手探りで制作を続けていた。
搬入も宅急便のサイズを越えると、東京まで遠距離の運送を引き受けてくれる業者さんが少なくて何年も苦労した。
とにかく、地方で彫刻を造っている作家さんから色々な情報を聞き出して試行錯誤をくり返した。
運送がうまく調整できなかった時は、彫刻の制作費の数倍の運送代を使ったこともあった。
毎回のように大金を使って苦労するくらいなら展覧会への発表をやめてしまおうと思ったことが何度もあって、実際そうして展覧会を精選した。
結局、幾つかの出品をとりやめて地元での個展発表に切り替えたりして制作環境を整理して今に至っている。

それでも島根やその周辺で彫刻を造っている作家が少し増えて、制作環境も少し活性してきた。
今回彫刻搬入を引き受けてくれたストウさんはその代表的な一人。
近場の5人の彫刻作品を彼の愛車へ積んで、週末に島根を出発して24時間かけて東京の上野まで移動してくれる。
彼のような彫刻家が育ってくれたから私もワイフも細々と制作を継続できている。
ありがたいことだ。

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顔が痛い! 

2015/03/05
Thu. 08:38

あぁ〜〜顔面が痛い!
見事な溶接焼けになってしまった。
まぶたが2倍に腫れている。
鼻の頭がヒリヒリする。
・・・つらの皮がひと一倍デリケートに出来ている小心者には、ダメージが大きい。

工場での彫刻制作も佳境に入って、1日の終盤の2時間あまりを溶接に費やした。
本当は溶接用のゴーグルをスッポリかぶって紫外線を避けながら作業を進めなければいけないのだが、細かくて精度を要する溶接はどうしてもゴーグル無しで両手が自由な状態の方が仕事も楽だし早い。

そんなわけで、一夜明けた早朝は顔面のヒリヒリで不快に目覚めた。
それでもそれなりにはかどって予定より早めに先が見えた。
少し余裕も出来たので今日は貴重な1日を慎重に使おうと思っている。

そうそう、昼飯抜きで制作に励んでいたらもう10年近く会っていない珍しい人から電話がかかった。
キーポンが小学校の時にお世話になっていた当時の校長先生も、今年で定年退職だそうだ。
最後の身辺整理で忙しくされているようで、勤務校の気になるところを改修したりして引き継ぎをしたいのだろう、その相談だった。
簡単な鉄の仕事なので、ひとまず材料の見積もりだけでもしてみることになった。
旧知の人なので予算の折り合いがついたら仕事を引き受けようと思っている。
それにしても、良く携帯の番号を保存できていたものだ。
私など、とっくに消去してしまっていたのに・・・

とにかく顔が痛い。
件のことで、これから材料屋へ回ってキレイな事務のオネエサンと真っ赤な顔でお話しをしなければならない。
オヤジの心のときめきと勘違いされたらどうしよう・・などと、無駄な心配をしたりしてしまう。

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ただいま制作中 

2015/03/04
Wed. 09:13

やっと届いたアングルを細断したりして午前中が過ぎた。
雲がしだいに厚くなって気温も上がらないから、そのうち雨でも降るかなと思っていたら、少し遅めの昼食の間に案の定降り始めた。
アングルは塗装まで雨にあてたくなかったから急いで工場に帰ってしまい込んだ。
それからは雨足が強くなる一方でどんどん冷え込んできた。
石見銀山のあたりは、こうして三寒四温をくり返しながら少しずつ春がやって来る。

小さな彫刻で使う鉄板は、少なくても1年以上野外に放置して風雨にさらしたものを細断している。
溶接などの作業は、サビのないキレイな板の方が楽にできるし粉塵も少なくてすむのだが、形の組立に表情の差をつけることができないから全体がつるんとした感じで存在感に深みが欠ける。
彫刻を造りはじめて30年の間に色々工夫しながらこの方法にたどりついた。

野外に設置する大きな彫刻は、形状のスケールや設置の工夫で制作の意図を伝えることができるので、かえって細かいチマチマした仕事をしない方が良かったりするところもある。
観る人にとっては、作家のマニアックな工夫などほとんど気にすることもないままに過ぎてしまっているのだろうが、そのあたりでイジイジと自我を通して一人悦に浸っているようなところが制作者にしかわからない面白みというか楽しみになっているのだと思っている。

最近の彫刻は日本海にもまれて丸くなった島根県の地元産の石を使うことが増えた。
鉄のサビにしても日本海の石にしても自然がつくってくれた形は、ひとつとして同じものがない。
自然の長い時の流れの通過点の一コマを切り取って彫刻のかたちに組み立てさせてもらっている。

まぁ、とろけた脳みそを駆使していろいろあれこれそれなりに考えているわけなのです。

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工場の月 

2015/03/03
Tue. 08:53

やっと通勤坊主が通勤彫刻家に戻った。
このところ工場通いが順調に続いている。
雨の日は雨なりに6畳の作業部屋へこもってチマチマ細かい仕事をしている。
晴れの日は工具を外の作業スペースへ持ち出して長モノや鉄板の切断などをしている。

夕方になって帰宅すると身体が重たくなっていて、最近は真夜中になってから節々の痛みで目覚めるようになった。
起き上がるのがつらいところを我慢して身体を動かしてお茶を一杯飲んでオシッコをしてまたシュラフへ潜り込むのだがなかなか寝つけないままイジイジして腰をひねったりすると、腰椎のあたりがコリコリ音をたてる。
朝になって目覚めるとこんどは肩から首筋にかけてコリコリしている。
それでも、坊主の正座で膝が伸びなくなってしまうよりはまだ我慢ができる。
今の私には、ジッと同じ姿勢で動かないでいることの方がつらい。
それだけ歳をとったということでしょう。

工場の仕事はほとんど1日中一人になってしまうから、大きなケガは命取りになる。
だから、細心の注意を怠らないように慎重に身体を動かしている。
集中力が切れると注意力も散漫になるので、体力が続かないと思ったら無理をしないで仕事を切る。
それに、夜の仕事はできるだけしないようにしている。疲れ目で手元が狂ってしまうことが増えるからだ。
2~3年ほど前から、制作スタイルがそのように変ってきた。
それでも、休憩ばかりいると無駄な時間も増えるし効率が悪くなるから、最近は2つ以上の別の仕事を同時進行するようにしている。
1つの作業がつらくなると気持ちを切り替えてもう一つの作業を進める。
彫刻の形がなかなか決まらなかったり、制作工程を悩みはじめたりする時は特に都合が良い。

1日のうちにだいたいどの辺りまで作業を進めておいたら良いかおおよそのスケジュールを少しゆるめに決めておけば、イライラと焦ることもなくだいたい予定通りにはかどっていく。
もっとも、先日みたいに急な業者さんからの請求や檀家さんからの法事の電話がかかってきたりするとドタバタと焦ってしまって仕事の段取りガタガタになってしまうけど・・まぁ、それは仕方のないことだね。

彫刻の方はあと3日もあれば完成の予定。
グランド草取り機のほうはあと5日もあれば完成するはず。
階段と手すりとテーブル天板と社名看板の制作が続く。
久々に工場が回転しはじめた。
そうそう、現代彫刻小品展の助成金採択の一報が入った。
今年も浜田こども美術館での開催に向けて準備をすることになった。

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吉田家の3月スタート 

2015/03/02
Mon. 09:20

島根はひと雨ごとに春めいている。
工場通いで昼の間は野外にいることが増えてきたから余計に素肌で実感する。
この時期はなんとなく落ち着かないことも多いが、日ごとに気候が温むことも実感できるしどちらかといえば好きな季節だ。

卒業証書はまだ見ていないが、キーポンが高校を卒業した。
夕食は、彼女のリクエストでワイフ手づくりのハンバーグ。
今朝の彼女は朝寝をむさぼって、朝食がいつもよりずいぶん遅れた。
その後、クロが延々とキーポンのおもちゃになっていじられつづけていた。

じゅん君は・・・
隠岐確定しました・・とりあえず一年頑張ってみます!

なっちゃんは・・・
雨で店暇だったから半休して帰ってカラーしてヘッドスパしてパラフィンパックして足裏マッサージして整体してやったぞ\( ˆoˆ )/☆*゚
自然治癒力も衰えてるしメンテナス必要だね…

ノッチは・・・
怒涛の9連勤がやっと終った。
6日間連続12時間勤務からの今日は朝6時まで缶ビール11本飲んで3時間睡眠で朝10時に出勤して深夜1時までの15時間勤務。
こんなに働いたの大学2年生ぶりだよ。

ワイフの女流彫刻家まっちゃんは・・・
本日から彫刻制作が始まりました!

そしてオヤジは・・・
材料屋から電話があって、頼んであったアングルがやっと届いた。
運送屋さんから集金の電話があって、ずいぶん前の運送代が未払いだったことを思い出してあわてた。

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2015-03