工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

只今、県内別居中 

2015/04/30
Thu. 21:52

久しぶりに半日ほどワイフと過ごした。
石見銀山の自宅にいてもすれ違いが多いし、一緒にいてもワイフが無口だから会話もほとんど無いし、べつにこれといってどうこう変ってもいないはずなのに、こうして別居の時間が長くなると、再会がなにげなく新鮮だったりする。

別居といっても、吉田家に暮している間も家の玄関を入ると中央の裏口まで続く土間を挟んで家庭内別居が続いているから、まぁ、日頃から気にすることもなく慣れたものなのだが、寺暮らしが続いたあとのあっちからこっちへの移動距離が結構長かったりすると、なかなか別居感覚が濃厚になっていて、再会の感動もバージョンアップしているように思ってしまう。
もっとも、これは単なる錯覚程度のことだと思うし、ワイフの言動を見聞していると別にこれといって感動の高揚も感じられないから、やっぱり、オヤジの勝手な思い違いだったりするのだろう。
しいていえば、これが家庭内別居と県内別居の違いなのかもしれない。

仕方のないことなのだろうが、最近ワイフに逢うとどうしても高齢者介護で寺暮らしの愚痴が出てしまう。
寺にいると、おかみさんの老僧介護の愚痴を散々聞いて胃が痛くなるほどイヤな思いをしているから、今度は私がそれに近いような愚痴をワイフ相手にしゃべっていることに気がつくと、それでまた一気に自己嫌悪にハマってしまう。
ワイフは、人の話を聞いてくれているのか聞いたフリをしているだけなのか、そのあたりは定かでないが、それでもイヤな顔も見せないでそれなりに付き合ってくれている。
本当にありがたいことだ。
そのことで私がどれだけストレスの解消になっているか・・・というわけで、ワイフのおかげで少し元気が戻った気がする。

人間の夫婦の日常がこんな感じだったりすると、いつのまにかネコチャンズにそれがコピーされていたりするように感じたりもする。
彼等の関係は、どちらかというと夫婦というより兄妹の関係に近いような気がするが、それでも微妙なところで付かず離れずお互いの距離を絶妙に測って極端な干渉を避けつつ同居しているあたりのしぐさが私とワイフの距離感と近い気がするし、彼等は私が思っている以上に利口に人間の日常を学習している気がする。

他人のフリ見て我がフリ・・・というより、クロのフリ見て我がフリなおソ!

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クロに嫉妬 

2015/04/29
Wed. 21:51

塔婆を2枚書いて午前中に2度1の法事を済ませて寺へ帰った。
老僧の様子を見たらベッドで眠りこけていた。

老僧は昨夜深夜の2時くらいからゴソゴソしはじめ、それが朝の4時過ぎまで続いた。
少しずつ脳の細胞が崩れはじめていることがよくわかる。
老僧の騒ぎを聞きながら会計の差し戻し事務処理で結局徹夜した。
だから、法事はなんとなく眠いままボォ〜ッとしっぱなしだった。
そのくらいの方がお経の流れもスムーズだったりして、いつになく調子よく声が出た。
斎膳無しだったから、お昼に老僧へ牛丼を作ってあげた。
お茶わんに適量をよそっておいたら、珍しく完食だった。

天気が悪くなって雨になるようなことを言っていたから、今のうちに老僧を連れ出してみることにした。
外出が大好きな老僧は、嬉々として自分からよそ行きに着替えはじめた。
内蔵が動かなくなっているから、おむつが外出の条件だと説得して履き替えた。
いつもは拒否するのにいやに素直だ。
結界君の助手席へ乗せて、行く先は床屋さん。
30分ほど待って首から上を剃り上げてもらった。
本人は久々にサッパリして喜んでいたが、身体は結構つらそうだった。
このところ急激に弱っている。
近場をぐるっとドライブして帰宅したら、よっぽどしんどかったのだろう、すぐに着替えてベッドへ潜り込んで寝てしまった。

つなぎの作業着に着替えて草刈りの続きをしていたら、おかみさんが鍬を持ってすぐ後ろまでヨチヨチと迫っていた。
もうビックリ!
知らないで草刈り機を振り回していたら、腰の折れ曲がったおかみさんの首をはね飛ばしてしまいそうだ。
私がなにかこうして外仕事をしていると、だいたいおかみさんが過剰にからんでくる。
なんとかして、かわいい息子に自分の元気なところを見せたいのだと思う。
近くにベッタリ張り付いていられても仕事にならないし、上手にさり気なく草刈りついでにおかみさんから遠ざかりつつ、ヒョロリと伸びた筍を蹴飛ばして折って歩いた。
痩せて硬そうな筍をそうやって5本ほど見つけた。
食材になるかどうかわからないが、ひとまず結界君のリヤデッキに投げ込んでおいた。

夕方になってお檀家さんの役員会に出席した。
末寺の山寺だたら役員も4人で私を含めて5人全員出席。
夕食をとりながら話し合って、1時間チョットで終了。

その足で石見銀山の吉田家へ直行した。
クロが脱走していたが、しばらくして帰宅した。
別に何がある訳でもない1日が終わったが、色々考えたり悩んだりすることが多い1日でもあった。
結構疲れているはずなのに何故かすぐに眠れそうにない。
途絶えていた不眠症が最近になって再発している。
四六時中寝ていて、時々脱走して・・・クロがうらやましくて嫉妬しそうだ。

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お不動さんの日 

2015/04/28
Tue. 19:33

毎月28日はお不動さんのご縁日なので、朝からその縁日法要へ出かけた。

島根県の山間部しか知らないことだが、集落の各所に点在するお堂のほとんどは弘法大師さんが安座されてある。他にも観音さんやお地蔵さんも多い。けっこう立派な造りのお堂にはお薬師さんが安座されてあったり、幾つかの仏さんが一緒にお祀りされてあったりする。

お不動さんが安座されていらっしゃるお堂は珍しいというか、私は一箇所しか知らない。
そのお不動さんは、個人の施主さんがお守りしていらっしゃる。年に1回、春の時期に万善寺へお呼びがかかるので、老僧から引き継いで今に至っている。
施主家の裏山の急な斜面を100mほど登ったところに小さなお堂があって、そこへたどり着くまでの道にはいたるところで筍が伸びていた。どうやら、今年は筍の当たり年のようだ。
般若心経や観音経などを読んで、最後にお不動さんのご真言陀羅尼をくり返して終わった。
今のところ一人暮らしでお守りしていらっしゃるお年寄りもまだ足腰がシッカリしてるから何とかお堂まで登ることも出来ているが、さて、あと何年それが続けられるか・・
それに、私自身の足腰がけっこう衰えているし、ヒョッとしたら先に自分がネを上げてしまうかも知れない。

2・3日前から、島根県はやたらと暑い。昼の太陽が高いうちは身体がまだなれていなくて外に出るのも厳しいくらいの暑さだ。それでも、老僧の昼寝のお守りばかりしていても一文にもならないし、せっかくだから少しでも寺の営繕に働いた方がまだマシだと思って外仕事をしている。
90歳を越えているおかみさんは、50歳とか60歳の頃と同じように働こうとしてジッとしない。私に対抗しているつもりなのだろう。
シンの伸びた松を剪定しはじめたが思うようにいかなくてついに癇癪が出た。90°に曲がった腰で剪定などできるはずがない。昔のように身体が動く訳でもないのだからそろそろ気持ちを切り替えて諦めてほしいこともいっぱいあるが、なかなか素直に受け入れることができないまま小言ばかりが増えて止めどない。

しばらくしてその松のてっぺんにカラスが飛んできた。
何処かでおかみさんの癇癪を見物していたのかも知れない。
カラスと目が合った。

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オヤジの記念日 

2015/04/27
Mon. 21:26

久々の石見銀山吉田家の夜であります!
豪華夕食であります!

何といってもまだシーズン中・・ボクの大好きな鯛の粗煮
オヤジ直伝からワイフのアレンジ・・鳥皮ポン酢あえ
今が旬・・新タマワカメ
大好物痛風の元・・焼き牡蠣
吉田家お総菜の定番・・おからとひじきの和え物
ワイフおすすめ・・スペアリブ入りじっくり煮込んだカレー
吉田家特製・・野菜具だくさんコンソメトマトスープ
ワイフ手づくり・・あま塩塩辛
とっても久々・・チリワイン濃厚フルボトル

という訳で、とにかく満腹!

本日は、年に1回の記念日オヤジの誕生日でありました。
生きていてもたいして役にも立たないオヤジは毎年、「とっとと(シニナ!)」と一発で覚えていただける4月27日が誕生日となっております・・・といっても、結構しぶとくて、今年も本人はそれなりに自堕落に生きてます。

朝から家族LINEが「おめでとう」賑わった。
何がおめでたいのかよくわからないが、こうして、家族にオヤジの誕生日を覚えてもらっているだけでも幸せなことだ。
もっとも、オヤジ本人は寺のジジババのことで手いっぱいで、この2ヶ月間ほとんどまともに稼げていないし、結構深刻な状態にあるのだが、まぁ、たまにはこうしてイヤなことも忘れて浮かれさせてもらうのも良いなぁと思っている。
それに、今年は数十年ぶりかでワイフと二人の誕生日になった。
朝から検査通院した老僧は胃カメラの結果も良好で普通食の許可も出たし、夕食は子供たちの代わりにネコチャンズもそれなりに付き合ってくれたし、忘れられない1日になった。

こうして改めてふりかえると、ジジババも含めて、家族全員が集まって夕食を共にしたことなど、自分の人生で数えるしかないことだということがわかった。
家族の事情はそれぞれ家々で違うから仕方のないことだが、それでもみんなが集合することの難しさを実感する。
さて、来年はどんな誕生日になるのだろう?
その前に、誕生日が迎えられるかどうか・・・そろそろ、そういう心配もする年齢になったなぁ・・

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暑い1日 

2015/04/26
Sun. 20:43

キーポンがどうやら風邪を引きはじめているらしい。
どうせヘソでも出して大口あけて寝ていたからだろうが、本人は絶対に違うといっている。

赤来高原の日曜日はやたら暑い1日になった。
衣替えもまだだし、大汗をかいてお手伝いの法事を務めた。
万善寺の法事はもっと簡単に済ませるお檀家さんが多いから、せいぜいお昼過ぎにはすべて終わって御開散会になるし、そのつもりで昼からの用事を予定しておいたら、考えが甘かった。
お墓参りや納骨も念入りで、斎膳も盛り上がって、やはり田舎の山寺とはいえ、キッチリとお檀家さんに貢献できているお寺は一味違うなと感心した。
結局次の待ち合わせに遅刻しそうだから、そのまま改良衣で直行しようとも思ったが、やはり事と次第によっては私の彫刻を置かせてもらえるかも知れない大切なお話が出てくるかも知れないし、気持ちを切り替えた方がいいと思って、彫刻家の正装にしている、洗いたての石鹸の香りも爽やかなつなぎスタイルに鉄板入りの長靴を履いて出かけることにした。
本当は、寺暮らしにいつものカジュアルな私服を持っていないだけのことなんだけどね。

今の行政が統廃合する前の隣町の町長さんだった会社の社長さんが、すでに自分のお店で待っていた。
遅参のおわびをして早速色々お話をさせてもらった。
さすがに、前身は行政マンの政治家さんだから地元に対しての熱い思いがヒシヒシと伝わった。
しばらくの間、自分の彫刻を実験的に置かせてもらうことを約束して、帰りにお土産までいただいた。
これから彫刻関連のイベントがどう展開していくか楽しみが出来た。
今度出前ワークショップでお世話になる小さな町の手づくりイベント情報も流して、これまでの取り組みも伝えておいた。
ヒョッとしたら、5月の連休にはスタッフの誰かが見学に来てくれるかも知れない・・などと、都合よくささやかな期待が膨らんだりもした。

今の自分は老僧夫婦を看取る仕事を見放せないし抜け出せないから、これからはこうした小さな文化活動を地道に続けていこうと思っている。
二人とも結構しぶといから、これからはどんどん醜く生きることにしがみついていくんだろうなぁ・・・
私の寺暮らしからは、日に日に笑顔が消えている。

まぁ、なにわともあれ、そんな状態でも、それでも何か出来ることを探していくしかない。
死ぬ時になって、愚痴まみれになりたくないしね。
それに、将来のある若い作家が島根の山奥から生まれ育つかもしれない可能性も無い訳ではないし・・・

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萌黄 

2015/04/25
Sat. 20:41

このところ島根県・・というより赤来高原は比較的良い天気が続いている。
連休も近いのに今のうちから天気が良過ぎると、その反動が連休あたりに来そうで何か落ち着かない。
今年の連休は、萩と大田で小さな彫刻展やワークショップをすることになっているから、やっぱり雨が降るよりは晴れていてほしい。
日々是好日の坊主家業にあるまじき煩悩に浸りきった我が心身を反省しつつも、天気のことが気になってしまうあたり修業の未熟さを痛感するばかりだ。

老僧夫婦の介護暮らしは何とも無駄に時間を食いつぶしてしまっている。
別に何をする訳でもないのだが、息子がすぐ側にいるだけで気持ちが落ち着くようだ。
老僧は身体の機能が少しずつ故障しはじめ、幾つかの臓器が動かなくなっている。
おかみさんは内蔵より筋骨系の不具合が進んで、思うように身動きできないままイライラが高じてヒステリーが激しく過激だ。
そういう二人に自分の顔や身体を見せておくだけで若干落ち着いてくれる。

こんな毎日をおくっていると自分の方が病気になりそうだと思っていたら、今日は朝から背中が痛んで、手足の痺れがとれなくて、耳鳴りがいつになくひどくて、なかなか思うように身体を動かすことが出来なくなってしまった。
やっと夕方になって少し気持ちが晴れたので草刈り機を使った。
春の草はまだまだ柔らかいから、刃がちびたなまくらだとかえって草が刈りにくい。春の花もアチコチ咲いているがそればかり気にすると草刈りにならないから、躊躇無くなぎ倒してしまう。水仙などの球根系はかえってその方が栄養の蓄積になって次の年には立派に育って立派な花が咲く。
少しぐらいは人の手が入った方が草木にとっても都合がいい。自然は勝手に育って勝手に季節が移り変わるものでもない。人の暮しと適度に共存できて育つところもある。
石見銀山から万善寺のあたりにかけて、ちょうど今頃は春の息吹が最盛期になっている。
緑の萌黄が目に眩しい。生命の活力が息苦しくなるほどみなぎっている。

手足の痺れをだましだまし、老僧夫婦に付き合いながらヒマを見てはこれから先まだ1週間ほどは春の草木と格闘の日々が続くことになるだろう。
草刈りのついでに自生の蕗を刈り倒した。老僧夫婦へのささやかなプレゼントができた。

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萩原流行さんのこと 

2015/04/24
Fri. 12:14

萩原流行さんが事故死した。
残念なことだ。

朝やお昼のワイドショーやインターネット配信の記事などを見ると、事件記事や社会記事ばかりでイヤになる。
これだからテレビや新聞を見たく無くなってしまうのだ。
一度死んだ命は生返ることもないのだから、その時の様子を100回聞いても見てもどうなることでもない。そういうネタに嬉々としてかじりついてばかりいる連中は、薄情な野次馬にしか思えない。

萩原流行さんは、高田馬場の線路脇にあった東芸劇場ではじめてみた。もうかれこれ40年近く前になるかもしれない。
東芸劇場は、普通の雑居ビルの1フロアーを演劇用に改装した程度のなんの変哲もない劇場だった。たしか、床がステージに向かって少し斜めに下がっていたような気がするが、記憶違いかも知れない。定員は満員でも100人入ったかどうかの指定席もない小劇場で、ステージ近くは椅子もなくて膝をかかえて隣同士肩をぶつけ合いながら演劇を見ていたような気がする。
まだ今のワイフ(後も先もないけど)と知合ってすぐの頃だったと思うが、演劇好きの彼女から誘われてはじめて出かけたのが東芸劇場だった。その頃は、演劇よりむしろ映画の方に夢中だったから、同じ劇場でも私が出入りしていたのは映画館ばかりだった。だから、小劇場の演劇は何とも新鮮な出会いだった。ワイフはつかこうへいさんが好きで、熱海殺人事件がヒットしていた。それからあとは、紀伊国屋ホールにも出かけるようになった。
とにかくステージと客席の距離が近くて、舞台のドラマの進行に合わせて役者さんの流れる汗や飛び散る唾や体臭や息づかいが降り注ぐようにハッキリと体感できた。空間の共有感というかライブ感がハンパ無いほどあってとりこになった。
ひょっとしたら、ステージと客席の一体感の中で萩原流行さんの唾や汗が私の顔や肩にとんできていたかも知れない。

彼の訃報を聞いて、あの頃のことを思い出した。
島根の田舎の山寺に生まれた私が、あの頃あの時、萩原流行さんの舞台を見ることが出来たということはとても幸せなことだったと思う。
おおげさでもなんでもなく、ああいう、ひたむきな感性を感じることがあったから、こうしていまだに自分の彫刻をコツコツと造り続けていられるんじゃないかとも思う。
萩原流行さんをはじめ、一流の色々な出会いと刺激に助けられて今の自分があることをあらためて感じた。
冥福を祈ります。

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壁面完成 

2015/04/23
Thu. 14:36

こういう日もあるんだね。

老僧夫婦の介護暮しが始まってから、石見銀山の自宅を出発するとひたすら過疎地へ向かって銀山街道を走る。だから、世間の通勤ラッシュなど別世界のことになったまま毎日結界君をノンビリ走らせていた。

春の大型連休が近づいて、彫刻やクラフトのクリエイティブな仕事はしだいにスケジュールが埋まって忙しくなってきた。
連休中のイベントで、この2~3年ほどお世話になっているワークショップを今年もすることになって、その準備をするために朝から過疎地と逆の市街地方面へ結界君を走らせた。石見銀山の町並みを抜けて街道へ合流したら、通勤の車が長蛇に繋がっている。走る方向が逆になっただけでここまで交通量が変ってしまうものかとビックリした。
それにしてもあまりにも極端にノロノロ運転過ぎる。
幾つかのカーブのところで車間距離を調整して前方を確認したら、軽のワンボックスが先頭のネック車になっているようだ。その軽には例の枯葉マークが貼ってあった。朝の通勤時間帯に堂々としたものだ。結局脇へそれることもなく中央ラインへ寄ったままフラフラと30kmのスピードでで蛇行しながら市街地の入口まで8km走ったところでやっと左折して街道からそれた。
待ち合わせの時間もあったので、無駄に燃料を消費して突っ走ったが結局遅刻した。

なんだかんだあったものの、準備作業がひと通り終わって解散した後、余った材料を積んで工場へ引き揚げた。
国道を西へ走って市街地を抜けたところで、急に前の車が止まった。別にバズが走っている訳でもないのにどうしたことかとしばらく様子を見ていたら、ノロノロと少しずつ車列が動き出した。
朝のことがあったのでまさかと思ったが、イヤな予感が的中した。
結界君はその車から8台ほど後方に繋がっている。またまた軽のワンボックス。さすがに朝の軽とは違っていたが、後ろのドアには「高圧ガス」のハデなシールが貼ってある。これも国道をまさかの30km走行。何と、その車はその後12kmほど追い越し禁止車線をノロノロ走りつづけて最初のガソリンスタンドへ右折した。

次の予定も決まっていたから、大急ぎでそれから4kmほど工場を目指して突っ走った。
今回はギリギリセーフで間に合ったが、島根の田舎の過疎地とはいえ、あまりにも昼間から他人の迷惑を無視してノンビリしすぎていると思いませんか?
ハッキリ言ってこれは犯罪ですよ。道交法違反の一種だと思うな俺は。
イライラし過ぎて胃が痛くなった。
それでも、絵画展示用の壁がそれなりにカッコよく出来上がったから、まぁ、由としましょう!

それじゃぁ、これからもう一つ業者さんと打ち合わせを済ませて、それから介護通勤に切り替えましょうかね。
こんどは過疎へ向かって走るから、もうノロノロ渋滞は無いだろうな。

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黒猫 

2015/04/22
Wed. 08:20

聞くところによると、黒猫はあまり人気がないらしい。
保健所や犬猫の保護施設からの引き取りや貰い手からも黒猫は敬遠されるのだそうだ。
どうしてそうなのか特に確かな理由も無いようだが・・・
地味で目立ちにくくて存在感が薄いということ。
顔がどこもかしこも真っ黒でそれでなくても無表情の猫の表情が読み取りにくいこと。
全体から醸し出すイメージがどうもネガティブであるということ。
それに写真を撮ってもだいたいが真っ黒になってかわいく写せないこと。
まとめてみると、そういった理由が大勢を占めているようだ。

たまたま偶然にも、吉田家で同居していた歴代の猫達のほぼ半数は黒猫で、現在同居中のクロもどうみても黒猫のハシクレにしか見えない。
最初の黒猫はタマという名前のオス猫だった。
彼は、見事に鼻先からシッポの先まで真っ黒で、もちろん肉球も黒で爪までもが黒みがかっていた。
それに比べて今のクロはなかなか面白いところに白の毛が混ざっている。
一つは両手の脇の下。
くすぐっても不感症で表情ひとつ変らないがバンザイをするとなかなか毛深い腋毛が男らしい。
もう一箇所はおちんちんの少し上にある。
私は「チン毛」と言っているがワイフやキーポンは「腹毛」だと言い張っている。どうでも良いことだが、どうみてもチンチンの上の方に割合大きく形良く白い毛がまとまっているから、やはりチン毛と解釈する方が常識的に思える。それでも人間の陰毛と違って剛毛でもないし、どちらかといえばフワフワの細くて柔らかい猫っ毛だから、やっぱり確かに腹毛なのかも知れない。

キーポンが一人暮らしをはじめてから、ネコチャンズの写真を撮って送れといってうるさい。
私のG12は、そろそろ時代遅れの年代物になりはじめているから、どうしても反応が鈍くてシャッターチャンスがつかめない。
キーポンのおかげで、最近はずいぶん意識してネコチャンズの写真を撮るようになってきたものだから、黒猫の敬遠される理由の幾つかが具体的に理解できるようになった。
四六時中ゴロゴロと寝てばかりいるから、背中から撮影しても黒い枕のような物体にしか写らない。フラッシュを使うとそれでなくてもふてぶてしい不細工な無表情が恐々しい顔に激変する。
これで、デジカメのメモリー消去が手軽に出来るから撮影が無駄にならないですんでいるが、ひと昔前のネガフィルムの時代だったらどれだけ無駄に浪費してしまっていただろうと考えるとゾッとする。

まぁ、なんだかんだ言いながら、かわいい末娘のために、日夜セッセと無駄にシャッターを押しつづけている毎日なのであります。

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お大師さんのご縁日 

2015/04/21
Tue. 21:27

石見銀山のマイホームへ帰ったら、ネコチャンズが出迎えてくれた。
台所から夕食の仕度の音が聞こえてきた。
それで朝から1日の重たい気持ちが吹き飛んだ。
こころのつかえが取れたせいか、ホワイトベルグをアッという間に3缶空けてしまっていた。
だから、今はとても気持ちが良くてhappyだ。
いつのまにかクロが書斎の定位置でマッタリしている。

21日は弘法大師さんのご縁日に当たる。
それで毎年4月の縁日法要に出かけている。
弘法大師さんは真言宗で、万善寺は曹洞宗で、縁日法要をするのは臨済宗で、お大師さんをお祀りしていらっしゃる八十八ヶ所巡りの施主さんは浄土真宗の信徒さんもいらっしゃるという、なんとも仏教的なグレーゾーンの広い曖昧な地域大衆の仏経文化信仰がいまだに息づいているところが田舎らしくて良い。
私はそこで老僧から引き継いだ塔婆回向を受け持っている。回向の経本は西国三十三ヶ所で、これは天台宗をベースにして宗派を越えた寺院巡りの歌で構成されている。お大師さんの四国八十八ヶ所巡りの島根山間部限定バージョンの縁日法要で西国三十三ヶ所の経本を使って塔婆回向をするという、支離滅裂な法要へ出かけた訳だ。

老僧は希に見る重篤な胃潰瘍で入院し、投薬の内科療法で退院できて今に至っている。
末期ガンの病根をかかえながらだましだまし生きているから、いつ死んでもおかしくない。
その末期ガンが胃潰瘍の悪さをしていると勝手に疑って決めつけているおかみさんの何かに取り憑かれたように脇目もふらない過剰な介護が凄まじい。
胃潰瘍は、食事の制限よりむしろ精神的ストレスの軽減を推奨すべき治療だとドクターに言われているのだが、おかみさんは聴く耳を持たないまま素人診断で自己満足の介護にハマった毎日を過ごしている。
90歳の老夫婦の日常生活がこういう状態で続いていて改善できないから、私が強制介入することにして今に至っているわけだ。
お大師さんの法要を終わった後、お土産の茶飯を食べながら1時間ばかりのティータイム。
都合よくおかみさんは別の用事で座をはずしているし、久しぶりに雲ひとつない快晴だったので、日光浴がてら庫裏の縁側で老僧と過ごした。暖かい春の風が心地いい。老僧はしきりに深呼吸をしつつ、茶飯をほうばり、バナナを食べ、プチトマトをパクつき、番茶をすすり、なかなかの食欲だった。
もうしばらくは生きていてくれそうだ。

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介護記念日 

2015/04/20
Mon. 22:06

「宿命は避けられないけど、運命は変えられる。混同するのは愚かなことだ!」

アメリカドラマの「コバート・アフェア」をhuluで見ていたら主演のお姉さんがそう言っていた。
このドラマのこのお話は、脚本家がズゥ〜ットあたためていたこのフレーズを使いたくて出来上がったんだろうなぁと一瞬思ったが、この熱いフレーズを聞くことが出来ただけでも、延々と数シーズン見続けていたかいがあったと思ったし、無駄じゃなかったと思った。

今日は、私の人生で記念すべき1日となった。これまで付かず離れず付き合ってきた万善寺の老僧夫婦の生活に介入することにした第1日目となった。
これから先は、基本的に万善寺を拠点にした暮しに切り替わる。
いずれはこういう日が来るだろうと思いつつ先延ばししてきたのだがもう限界だなと感じた。90歳にもなる老夫婦が二人だけで暮しつづけることは無理だと見切りをつけて、これからは私が付かず離れず彼等の暮しに付添いながら彼等を看取ることになる。

人間、上手に歳をとるということはこんなに難しいことなんだと、万善寺の老夫婦をみるとそう思う。
体力や精神力が衰えるだけではない。何よりある日突然些細なきっかけで人格の破壊が始まる。身内というか血を分けた肉親はこういう状況にどこまで冷静に対応できるのだろうか。
実は当事者であるはずなのに、いやに冷静に対応している自分がいたりする。我が両親は我が子に対してそれほど生きることの醜い部分をダイレクトにさらしているのかもしれない。

春の嵐というよりはあまりにも厚く低く淀み広がった雲は地熱の気化を停滞させて重苦しい霧と混ざり合っている。こんな変な日は1年の間にめったに遭遇しない。
今までずいぶんと我がままに気楽に生きてきた自分へ、ジジババ介護スタート記念日を忘れないように天の仏様が用意してくれたのかもしれないな。
宿命は避けられないのだ!

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転機の日 

2015/04/19
Sun. 20:43

なんかいやだなぁ〜と思いながら生活のこともあって背に腹は代えられないので、彫刻の制作工房を町の小さな鉄工所に切り替えた。
年度末になると思い出したようにこまかい受注が入って、春の嵐のように一波乱ある。この数年は、3月の末もそれほど鉄工所の仕事が無くて鈍ったからだに慣れていたところなのに、今年は珍しく一気に幾つかの仕事が入ってストックの材料もないし結構あわてた。

先週に年度末の注文を納品してひとまず落ち着いたので、連休のイベントで出前するワークショップの試作を造りはじめた。
滞在時間がせいぜい30分以内だから、それで造って持って帰ってもらえるものを考えるのだが、それぞれのシーズンにあわせた素材を用意したほうがいいと思うからそれなりに悩む。
結局、今年の春バージョンは電池式のリューターを使った小物づくりに絞って素材を決めた。1日の5時間くらいのことだから儲けようとも思わないのだが、ワイフに云わせるとそれがダメだといつも叱られる。それでもネタを探したり工夫したりして知恵を絞っているのは自分だし、だいたいいつもそれなりに意地も決定権も自分にあるわけで、今の儲けにはならなくても先々の島根の造形芸術文化興隆の布石にはなっているはずだと都合よくでかく正当化して自分の考えは曲げないことにしている。

このところ、老僧夫婦の寺暮らしが機能しにくくなっているので、一週間のほとんどを年寄りの都合にあわせて暮している。それに地域の年中行事もあるから彫刻を制作する時間をつくることが年々難しくなっている。
毎年のこの時期に行われる公道脇の空き缶ゴミ拾いが小雨の降る中今年も行われて、カッパを着込んで早朝の1時間ほど保賀地区の皆さんに付き合った。国道沿いだから軽トラ一杯の空き缶やゴミが集まる。朝飯前の勤労奉仕を終わって寺へ帰ったらおかみさんがひとの都合を無視して愚痴をしゃべりつづける。昔はこんな性格の人でもなかったが老人になると取り戻せないほど人格が変る。入院を境に老僧もやたら過激な老人になってしまったからそのままにしておく訳にもいかないし、意を決してこれからは生活の拠点を寺暮らしに切り替えることにした。
そういう決心をしてワイフに意思を伝えようと意気込んで石見銀山の自宅前駐車場へ結界君を止めたところで電話が鳴った。大学時代の同級生からだった。
また同級生が一人死んだ。長い闘病の末の壮絶な死だったらしい。
大学の同級生というと私の時代は80人にも満たない。専攻専科になるとそれがもっと激減する。それぐらい濃いメンバーがそれぞれ社会の第一線で仕事をしている訳だから強烈に濃厚だ。
私など生まれた時から坊主から切れない宿命を背負って生きてきたから造形とか芸術とか社会のアドバンテージの先端を生きる彼等よりは有る意味でずっと気楽でいられる。それでも、こうやって才能豊かな友人がこころざし半ばで逝ってしまうのは残念でしょうがない。
自分にとっては今後の人生の転機にもなるほどの大きな一大決心でワイフを説得しようと意気込んでいたのにその思いはケチな泡と消えた。

赤字すれすれのワークショップの試作がやたら虚しく見えた。
「いいんじゃない!」ワイフの一言は本心なのかなぐさめなのか・・・
まぁイイヤ!今の俺にはこのくらいしか出来ないし!

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萩往還まつり 

2015/04/18
Sat. 09:26

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
石見銀山遺跡を、保存修復の一面でとらえることなく、現在進行し変化しつづける遺跡造形物に彫刻的芸術性を高めることで、職人工人の確かな技術に芸術的造形感を加え鍛えることは、石見銀山文化活動発展の主軸となるはずであると確信出来た。
同時に、彫刻素材としての福光石の魅力を、彫刻家としての立場から制作を通して実践的に検証する意義を認識した。
世俗の利益に流されることなく、地元の逸材を物資人材両面から育成することの大切さを実感出来た。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
上記は、昨年石見銀山で開催の現代彫刻小品展を助成していただいた組織への報告文の一節。
結局、彫刻家としての立場からみると事業そのものは充実して満足のいくかたちで終了したと思っているが、予算的には賛助金が予定の半分しか集まらなかったり、助成母体からの事業内容見直しの提案が加わったりして、総予算を補正することになって自己資金を食いつぶしてしまった。そういう訳で、今年の現代彫刻小品展は石見銀山から撤退し、不本意ながら規模縮小で継続することになった。
ようするに、この事業の発起人であった吉田の人望の無さがハッキリとバレてしまったということになる。
たまたま巡り合わせで老僧夫婦の体調も転換期を迎えているし、気持ちを切り替えるには都合のいい時だったかもしれない。

今度、島根の仲間と一緒に大小の彫刻を持って萩の明木で小さな展覧会をすることになった。
明木在住の萩焼陶芸家内村さんが発起人になって12年続く往還まつりは、益々規模が拡大して、今では萩市の市長までまきこんだ春の大イベントになった。
地元の有志でコアなメンバーが8人ほどいらっしゃるそうだ。
陶芸家の会長が出店のクラフトマンをチョイスし、元銀行マンが会計を仕切り、市役所職員が事務をまとめ、イラストレーターが手弁当で販促を一手に引き受けなどなど、それぞれに自分の得意分野を持っていて、それが自分の務めだと信念を持って企画実行に汗を流していらっしゃるのだそうだ。
ちょうど10年目の節目の時、祭りの継続には世代交代が不可欠だと話し合って、その後は2年ごとに事業の見直しをしながら継続の是非を検討していくのだそうだ。
この度島根の彫刻に声をかけていただいたのも、現会長の内村さんが長年秘めた企画の実現に一歩でも近づけるためだということらしい。
これでたいした反応もなければ企画失敗ということで次回のお誘いはなくなるだろう・・というより、事業そのものの打ち切りがあるかもしれない。お祭りだからと云う程度で気楽にいられない責任の重さを感じる。

「金儲けで始めたことじゃないからね。それでも予算がないと出来ることじゃないし、会計の透明性がないと長続きしませんよ。住民はみんなただ働きしてるんだから・・」
コーヒーを飲みながらの会長のひとことが重かった。
夢と希望と理想だけでの事業はつぶれるね。
作陶活動で生活する工芸作家のしたたかさをもっと見習わなければダメだと痛感した。

たったの2日間ではありますが、島根の彫刻メンバーが小さなまちかど展覧会を行います。
お近くの皆様は、是非明木へお出かけください。

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萩の海 

2015/04/17
Fri. 20:44

最近耳鳴りが激しくて不眠症が続いている。
さすがに調子が悪くなって、この数日は体調がすこぶる悪い。
それでも用事は待ってくれないから、身体をだましだまし1日を乗り切っている。

結界君へ燃料を満タンにして朝から萩へ向かった。
山陰道が2箇所延長になったおかげで、萩までの距離がずいぶん短くなった。
昼過ぎに維新の若侍が往来していた街道の町へ到着した。
吉田松陰ゆかりの地は、名字が同じだというだけでなにかしら親近感がわく。
萩焼の陶芸家が暮している明木は昔の町並みが残っていて好きな場所だ。
その小さな町で穴窯を築き作陶活動続けている作家の一人内村さんは、とても長いつき合いで、お互いに刺激し合いながら制作を続けている。
その内村さんが発起人のお祭りがすでに12年目を迎える。
最近では毎年5月の連休になると何とか前後の予定を調整して萩まで出かけることが恒例のようになっている。

昨年もいつものように内村さんに逢いにいったら、せっかくだから彫刻の展示でもしてみないかと誘いを受けた。
とてもありがたいことで良い機会でもあるからと快諾して1年が経った。
それで先頃、お祭りの開催要項やチラシなどが届いて今年の事業が具体化しはじめたので下見に出かけた訳だ。
民家の軒先を中心に、野外へ10点ばかりと、古民家の座敷へ2~3点ほど展示することにした。
これから、島根の作家へ連絡を回して出品者を調整する。
山口は彫刻家人口が特に少ない。
1回2回でどうこうなる訳でもないが、何もしないよりは刺激になるはずだ。

昨夜まではどしゃ降りだった石見銀山も、朝になったら雨もあがって緑が瑞々しい。
途中朝の日本海は春霞かスモッグかわからないままなんとなく視界が悪かったが、帰りの頃には空もひらけて気持ちよくドライブできた。

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変節 

2015/04/16
Thu. 10:46

気のかかることや迷いはいろいろあるが、それでいつまでも思い巡らせていても無駄なことだし、ひとまずは目先の用事をひとつずつ片づけるしかない。

・・・ということで、あいもかわらず、相手の都合や迷惑を顧みず朝も早くからSMSや電話を使いつづけている。
そのあいだに、ワイフは小学生の集団登校を玄関先で見送り、朝食の用意をし、仕事で出かける準備をしている。
早朝からひと暴れしてひと汗かいたクロはいつもの書斎の定位置へさりげなく落ち着いて朝寝を始めた。
シロは台所でなにやらガタガタつついているから、つまみ食いの食材でも見つけたのだろう。

ひとつひとつの出来事は、ひとつひとつとりあげてどうこうするほどのこともない些細なつみかさねでしかないが、毎日のようにそれらの似たようなことがそれでも少しずつ変化しながらくり返されていることに気がつくだけで、心の平穏と余裕を感じる。
こういう時に血圧を測ると、きっといい感じで平常値なんだろうなぁと思いつつコーヒーをすすっている。

日曜日には選挙があった。
その日は早朝から出かけて寺の用事を済ませ、退院間も無い老僧とおかみさんにしばらく付き合い、境内地の営繕作業をして寺務の用事で檀家さんをまわり、それで1日をほとんど使った。
選挙期間中、街頭演説や選挙カーがうるさいだけにしか感じなかった。
赤来高原や銀山街道の選挙カーの列は交通妨害にしか感じられなかった。
道の側で彫刻の仕事をしていたら、候補者の車が止まってワザワザ握手を求めに来た。
万善寺にも石見銀山の自宅にもポストには何枚もはがきが投げ込まれていた。
自宅電話に選挙事務所から幾度と電話がかかった。
告知放送で何度も開票状況の報告があった。
朝から晩まで実に賑やかな1日だった。
こんな大騒ぎをして、世間のみんなはいったい何を期待しているのだろう。
何も変らないことを期待しているのかどうなのか、そのあたりのことがどうもよくわからない。

私の好きな洪自誠(こうじせい)さんは、「君子の変節は始末が悪いよ!」といっている。
君子とは、学識者とか人格者とか、俗にいう偉いひとをさすのだろうが、今の世で云うと、社会的影響力の強い人とでもいうのだろうか・・
今から400年くらい前の世の中も似たようなものであまり変わりがないというより、人間の行いはたいして進歩も進化もしてないね。

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二人暮らし 

2015/04/15
Wed. 21:13

最近夫婦二人暮らしに慣れてきた。
朝食も気ぜわしさが無くて1日がゆっくりと始まっている感じがいい。
もうワイフと一緒になって30年以上になるが、そのほとんどを子育てであわただしく暮していたから、何かこの雰囲気がとても新鮮だ。
まだ末娘の一人暮らし学生生活も始まったばかりだし、寺の老僧夫婦のこともあるから、気苦労が絶えている訳ではないが、それでも3月までのあわただしい毎日のことを思うと1日の始まりが全く違う。

ワイフが4月に入って久々に終日休みだというし、私も昨日は雨の中を工場で一仕事切り上げて業者さんと次の段取りを打ち合わせして材料の手配もすんで一区切り着いたところだし、思いきって今日の1日を休日にすることにした。
MJBが残り少なくなったから、まずはその補充で出雲まで出かけることにした。
ワイフお気に入りのスーパーで自宅療養中の老僧へ幾つか食材を買い込んだ。
鯛のアラがあったからこれは私用に確保した。
きのこ好きのワイフが安いエリンギなどをタップリ買った。
ドイツのオレンジボムを見つけた。
タネ抜きのオリーブも一瓶買った。

寺用の食材もあるので、出雲からそのまま出雲街道を南下した。
ワイフは久々に老僧を見る。
「痩せたわねぇ〜、頬のあたりが・・・」
私など入院前から継続して見続けているから、あまり気にもしなかった。
老人高齢者の二人暮しがいちだんと厳しくなっている・・・そんな気がした。

朝方は小雨がパラついていたが、寺を出発する頃には青空が少しのぞいていた。
桜も散って木々の新芽が出はじめた銀山街道を石見銀山へ向けて走った。
自宅前の駐車場へ入ったら例の如くキーポンの部屋からクロがのぞいていた。
夕食は瓶詰めオリーブにオレンジボムと、ホタテの入った海鮮スパゲティ。
朝から晩までワイフと色々な話が出来た気がする。
子供のこと、仕事のこと、地域のこと、それに寺の老僧夫婦のこと・・・

夕食が終わって四畳半の書斎へ入ったら、クロが特等席の定位置を占領していた。
思えば、一日でその場所の滞在時間が一番長いのは確かにクロだ。
長い間キーポンに占領されていた書斎がやっと自分に帰ってきたと思っていたが、考えが甘かったようだ。

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窮屈 

2015/04/14
Tue. 12:43

まだ7時だとか8時だとか、朝の早いうちから相手の迷惑も考えないでアチコチへ電話をかけた。
こちらとしては大事な用事だからそれをくみとって勘弁してもらうしかない。

職人さんは朝が早い。
公務員さんは平日しか連絡がつかないが、勤務中は連絡がつきにくい。
田舎坊主は土日の昼過ぎまでが忙しくて(街場坊主は毎日忙しくて)連絡がつきにくい。
業者さんは業務中しか連絡がつかない。
勤務先は内線を回されてやたら長く待たされる。
万善寺はおかみさんしか電話に出なくて話が回転して長くなる。
ワイフは携帯を持っているのになかなか電話に出ないで不携帯。
じゅん君は電話に出ない。
キーポンは不機嫌な声で「何!」
なっちゃんは着信を残しておけばだいたいかけ直してくれる。
外国暮らしのノッチはLINE電話ですます。
ほぼ完璧にダイレクト電話が通じるのは訪問介護とそれに彫刻仲間のHさんくらいのもの。

最近はけっこう重要な用事もSMSで済ますことが増えた。
ほとんどはそれで用が足りるが、完全ではない。
内容が濃い事務連絡はやはりメールに頼ることが多い。
それでも、作文の言葉足らずで意思の疎通が難しい。

ほんの30年ほど前は、こんなにアチコチへ頻繁に電話をすることもなかったし、私の生活環境ではFAXやメール送受信など影も形も無かった。
それでもべつに不自由もなく用事を片づけることが出来ていた。
今は色々な通信手段も増えて一見便利になったような気もするが、その割りにはサラリと簡単に用事が片づいている訳でもなくて、かえって煩雑になっているような気がしないでもないし、拘束されることも増えた気がする。 

1年1日1時間はいつの世も同じ長さでくり返されていてお釈迦様の2500年前と変らないはずなのに、今の世はそれを小刻みに切り刻んで余計に窮屈に忙しくしてしまっているように思えてならない。
それだけ自分の暮しが世間の様々なものと複雑に絡み合ってしまっているからかもしれないし、いつのまにかそうして複雑に暮さなければいけない社会になってしまっているのかもしれない。

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鍛造 

2015/04/13
Mon. 21:04

朝から久々にコークスへ火をつけた。
注文していた炭素入りの鋼材が届いたので、頼まれていたサッカーゴール固定のペグを造るためだ。
こういう鍛造の仕事は木炭の方が好きなのだが、コークスだと仕事が速くて制作時間の短縮にもなるし、何より経費削減にもなる。

レンガを積み上げて造った鍛造用の炉があるのだが、少し規模が大きすぎて無駄が多いから、今回は七輪を使うことにした。
送風口にヘアドライヤーを冷風にしてあてがうだけで用が足りるからなかなか重宝する。
こうした色々な制作加工をしていると、何事も創意工夫を大切にして、その辺りにあるものを簡易的に上手に使い回すことに慣れてしまった。
たった10個くらいのもので金型やジグを作るのも面倒だから鍛造の腕と見た目の感に頼って諸々妥協しながらひとつずつ似たようなパーツを造った。
焼き入れもガソリンスタンドでエンジンオイルの廃油をわけてもらって、それで代用している。
あまり硬くしてしまうとかえって部材がもろくなることもあるし、少々見た目の出来が悪くても、焼きが甘くても、用が足りていればまったく気にならない。
その辺りのホームセンターの見た目品よりずっと高価な材料を使っているのに1本1500円は格安出血大サービスだ。
3月末で退職した校長先生とは知らない仲でもないし、そんな関係もあって結局価格崩壊に至ってしまった。
我ながら人が善過ぎるのも度がすぎると自覚できているのだが、どうしても最後は情に流されてしまう。
この歳になってもいまだにそうやって軽く仕事を受けてしまうのだから始末が悪い。
今回もワイフに散々チクチク愚痴をこぼされた。

少し前の半日とこの度の半日を合わせてほぼ1日で鍛造のペグが完成した。
それから帰宅してシャワーを浴びて積み残しのデスクワークを仕上げた。
文字を書くよりひたすら汗を流している方がずっとシンプルで何より制作が楽しいということを強く実感した。

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あげ法事 

2015/04/12
Sun. 21:15

久々にあげ法事があって早朝から万善寺へ向かった。
施主家の事情であげ法事を依頼されたのだが、島根の山間部というより、万善寺であげ法事をすることはまだまだ少ない方だと思う。
それでも最近は年間に7〜8件くらいのあげ法事を頼まれる。

老僧がまだ現役だった頃のあげ法事は、ほとんどが地元から都会や街場に転出されたお檀家さんが帰省するおりに寺で法事をしてもらおうという二度一を兼ねた簡易的法事の意味合いが強かった。
それが最近では、施主家の自宅に親族を招待することや、法事のあとの斎膳引き出物茶の子を割愛して身内だけで何処かの料理屋で会食するといった年回法事簡素化傾向が増えてきた。
法事経費のことを考えるとわからない訳でもないが、寺としては無理にそうしなければならない事情もないままのあげ法事を複雑な思いでお引き受けすることがほとんどだ。

嘘か真か・・・あげ法事システムの始まったいきさつは、災害や大戦で自宅を失った施主家が、何とかして法事だけはあげておかないといけないという切なる思いを菩提寺がくみとって、「それじゃぁ、寺の本堂をお使いなさい。ご本尊様の前で法事のおつとめをしてさしあげましょう!」という、坊主の厚意から始まったことだと聞いたことがある。それを、街場へ転出されたお檀家さんが聞きつけて、「街のお寺ではこんな便利な法事をしてくださっている」と勘違いの拡大解釈を田舎の山寺へ持ち込んだことが始まりだとされている。

老僧はとっくに引退して必死で生きることにしがみついて毎日を暮しているが、おかみさんはいまだに現役で寺の事業を手放さないままヨチヨチとお接待を欠かすことなく今に至っている。目が見えて身体が動く間は、大正昭和から引き継いだお参りのお客さんのおもてなしをかたくなに継続するつもりでいるのだろう。

すでに住職も替わって、檀家さんも相当数世帯主が変って、年中行事のお参りは減っているのに、こうやってあげ法事は年々増える傾向にある。
寺が主催の行事なら寺がおもてなしをするのも当然のことだが・・・先代からの昔ながらの付き合いもあるし、なんとなく信仰仏事の解釈を履き違えたまま身内の事情もまともに仕切れないで万善寺がゆらいでいる。
やはり、迷走坊主は名僧にはなれないな。

夕方になって帰着した石見銀山の町並みで結界君を降りると暖かい春めいたそよ風につつまれた。
若い鴬がしきりに鳴いていた。

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ぐるっと一周中国五県 

2015/04/11
Sat. 20:33

老僧の入院などで停滞していた彫刻関連の用事と、一人暮らしを始めたキーポンの日用品補充をかねて、ワイフの愛車へ彫刻や自転車などを積み込んで早朝4時に石見銀山の吉田家を出発した。
前日までは、雨模様のぐずついた天気だったが、それも峠を越したようで、石見銀山の町並みは増水した側溝と濡れた路面に雨の名残が見える程度に好転していた。

島根を出発して広島県から山口県に入って、岩国で制作を続ける作家のアトリエ兼用自宅の軒先へに彫刻を降ろしたのが午前6時過ぎ。
山陽道から中国道へ入って広島から岡山県北部をかすめ、米子道を途中で降りて鳥取県に入って一路倉吉へ向かった。
中国道の東条インターの近くには、万善寺の本寺である花谷山千手寺が見える。中国道から見てもその規模の大きさには目を見張るものがある。同じ山寺でも、本寺と末寺の差が一目で伝わってくる。早起きの眠気覚ましがわりに助手席のワイフへ寺の寺歴や謂れなどを伝えながら車を走らせた。

途中、道の駅へ寄るなどして休憩しながらノンビリ走ったが、当初の予定通り昼前には倉吉へ到着した。
一週間ぶりに見た寝ぼけ顔のキーポンは少しも大人びることもなく、ほぼ高校生時代そのままだった。ある日突然激変するのもどうかと思うから、髪が少し茶色になった程度でだいたい常識的な路線をキープしてくれていて、オヤジとしてはチョット安心した。
親子で昼食を食べ、母娘は買い物をし、私は車で仮眠をとった。
5月の連休には帰省するのだそうだ。買い物袋を両手いっぱいに持って母娘がそんな会話をしていた。

夕方には石見銀山へ帰着しようとおおよそ計画をたてておいた通り、5時前に自宅前の駐車場へ着いた。クロがキーポンの部屋の窓から覗いていた。シロがワイフの足音を聞きつけて玄関内の土間で鳴いていた。腹を空かせたグッピーたちがピラニアのように水槽の水面であばれていた。
中国五県を1日かけてぐるっと回った。さすがに疲れた。

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男ホルモン 

2015/04/10
Fri. 08:39

クロとシロのネコチャンズも同居が3年目にもなるとそれぞれの生活パターンが決まってきて、自分の気に入った場所を決めて付かず離れず1日のほとんどを静かに寝て暮している。
シロはことごとくワイフになついて、彼女のいく先々につきまとう。
クロはさり気なく付かず離れず私の周囲につきまとって、スキを見ては書斎の特等席を占領して動かない。

出元は忘れたが、ものの本によると動物のオスは闘争本能を刺激したり他の動物が近づき難いようなホルモンを発散しつづけているらしい。
そうすることで、無駄で無意味ないさかいを回避できるようになっているらしい。
これは人間のオスも同じことで、その分泌されるホルモンの強さがオスの強さに比例して、オス同士の力関係が決まっているようなところもある。
だからほとんどの場合、犬や猫のような人間と同居するペットは人間の男より女の方へより親近感を感じてすり寄っていくのだそうだ。
ペット達のあいだで、人間の男は脅威の対象として認識されて力関係の上位に位置したご主人様的存在として扱われていることになる。
何処かの動物学者さんが研究した成果らしいからまんざらウソでもなさそうだし、そういうふうに思って吉田家のネコチャンズを見ていると、どことなく当たっているような気もして納得してしまう。
それでも、彼等の性格や感情は以前同居していた犬のシェパ爺よりずっと複雑で計り知れないところも多い。
私など、気がつくとことごとく猫に使われているようなところもあって、どう考えても彼等のご主人様に位置しているとは思えない。
強力な男ホルモンが歳とともに薄まってしまって効力を無くしているのかもしれない。

野良猫の寿命はせいぜい2~3年なのだそうだ。
外敵が多いし、デリケートな体質が災いして腎臓病や皮膚病にかかって病死することが増えて長生きできないということだ。
家猫で外界を隔てて暮す猫は極度のストレスをもたない限り、20年近くは生きるらしい。
我が家のネコチャンズを見ていると1日20時間は寝て暮しているし、それだけ眠りつづけていたら寿命が伸びても不思議ではない。

寝る子は育つというが、寝る猫は長生きするといってもいいのかもしれない。
我が家ではワイフが良く寝る。じゅん君も良く寝る。
彼等はきっと長生きするだろう。
一方私は、最近不眠症が慢性になりつつあるし、男ホルモンも薄くなってしまっているようだし、さて、私とネコチャンズはどっちが長生きできるのだろう。

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祝!大森小学校入学式 

2015/04/09
Thu. 12:41

かわいい新1年生2人!
世界遺産石見銀山のど真ん中にある木造校舎小学校の入学式へ行ってきた。
なんと、この自堕落自己虫非常識オヤジが来賓なのです!

話せば長い訳でもないいきさつがあって、この数年間学校評価委員なる肩書きが続いている。
その関係で、小学校の様々な節目のイベントへ招待をいただいて出かけている訳だが、自他共に認める暇人だから出席率もすこぶる良くて、ある意味学校側にも都合よくお付き合いできる町民の一人として重宝してもらっているようだ。

全校児童19名の小さな小学校は、卒業式が無い年がしばらく続き、それから入学式が無い年がしばらく続いて今に至っている。
この数年は20名前後の児童が毎日元気に登校し下校している。
幼稚園は維持が不可能になって廃園したものの、企業出資や地元の努力で私設の保育園に変って存続している。
UターンやIターンの若夫婦の努力でベビーブームが始まっているから、今後しばらくは保育園も小学校も極小規模ながら存続出来るだろう。

島根の田舎で暮し高齢者のど真ん中で坊主をしていると、小中学校の廃校とそれに伴う地域の環境変化を見聞きする機会が多い。
親の立場子の立場が中心になって廃校が決まることも多いから、地域住民はそれに従うかたちで不本意な同意を迫られることになる。
それに行政がからんだり乗っかったりしてくるから、結局高齢者ばかりが残されて疲弊弱体した限界集落に拍車がかかる。
先の明るい見通しなどある訳もなく、在家坊主はそれをわかった上で田舎に暮しつづけなければいけない。
これから先、島根の山間部からはどんどん小さな集落が消えていくだろう。
そのような状況を横目で見ながら、彫刻を造りつづけ、お檀家さんとお付き合いを続けている今日この頃であります。

まぁ、なんだかんだ色々あるが、小さな学校で野球やサッカーが出来なくても子供はきちんとたくましく育って立派な大人になっている。
この小学校を卒業した吉田家の4人の子供たちも、それなりに真っ直ぐに育ってくれています。

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田んぼ彫刻 

2015/04/08
Wed. 18:07

やっぱり彫刻の仕事は1日が充実するなぁ〜・・・

久しぶりに朝からどっぷりと彫刻へ浸った。
昨年の冬シーズンが始まった時に、刈入れが終わったいつもの田んぼへ彫刻を置かせてもらった。
月日の過ぎるのは早いもので、そろそろその田んぼも田起こしをして田植えの時期が近づいた。
3月のお彼岸を過ぎたあたりから気になっていたのだが、なかなか落ち着いて撤収の時間をつくることが出来ないまま今になってしまったので、いつもお世話になっている棟梁にお願いして人手を頼んで無事に撤収を済ませた。
春の連休前には、万善寺の近くの出雲街道沿いへ移設しようと思っている。

久々に運んだ彫刻は、とても重く感じた。
冬の間に老朽化した筋肉がタダの贅肉に戻ってしまったようだ。
これからボツボツ新作に取りかかろうと思っている。
筋肉の再生を急がなければいけない。
手始めに、コークスを使って角材の鍛造から少しずつ身体を慣らして筋肉をつくっていくことにした。

今シーズンの田んぼの彫刻は、短期間の変化がいい感じで進んだ。
雪が少なくて雨になることが多かったから、鉄の表面が粒子の細かいパウダー状のサビに包まれて柔らかい色合いをつくってくれた。
このサビがベースになってこれから少しずつ丈夫な茶黒へ変化してくれれば良いのだが、さて思うようにサビが進んでくれるか、自然の天気頼みだから文句も言えない。
日中の日差しが鉄の蓄熱の助けになって、周囲の田の草の生長が早い。
前回の彫刻でそのことがわかっていたから今回は少し彫刻の背を高めに造ったのだが、暖冬のせいもあったのか、草の勢いが良くて彫刻が埋まった感じになってしまった。
そういう予想が外れることも予想しながら造ったつもりだったのに、なかなか自然は手強い。
それがまた鉄で野外彫刻を造る面白いところで魅力なんだよね。

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最後の見頃 

2015/04/07
Tue. 15:13

老僧が退院できたということは目出度いことなのだろう。

この3週間の入院中に、ひとまず肉体的には歳相応の元気を取り戻すことが出来た。
一方、無趣味で目的もなく1日中ベットで寝て三度の病人食を食べているだけの本人は、何処かしら精神の異常が出てきはじめて職員の皆さんへ何度となく迷惑をかけてしまったようだ。環境の変化による老人性の精神障害が予測されると説明を受けてはいたが、四六時中老僧に張り付いている訳にもいかないから仕方のないことだと思っている。

銀山街道の桜並木はこの近年さくらてんぐ巣病が広がっている。
そのままにしておくと、どんどん感染して蔓延してしまうから始末が悪い。3〜4年かけて病根を除去して根絶させるしか方法がないそうだ。
万善寺の桜も次々に感染してしまったから、花が終わったところで幹の低いところから伐採していて、あとは若木の残り2~3本だけになってしまった。
桜の寿命は普通だとせいぜい80年程度で、100年200年と生きられるのはずいぶん希なことだと聞いた。
それこそ今のようなひどい大気汚染などなかっただろう100年前の環境なら、桜の古木もてんぐ巣菌がはびこるほど弱体にならないですんでいたのかもしれない。
老僧の老衰は肉体の正常な部分が残りわずかになってきた。
桜のようにノコひとつで病根を除去しつづける訳にもいかないから人間の難しいところだ。

退院の朝は久々に冷え込んだ。
病室を片づけて、寺へ帰る前にいつもの床屋でサッパリとしてもらって、檀家総代さんへ報告をして、昼前に庫裏の玄関をまたいだ。
奥の台所からお昼の仕度の焦げた煮物の匂いが漂ってきた。
おかみさんの生きる力は、老僧の介護にある。
一緒にいると目や耳についてついつい手を貸してしまうから、早々と退散した。
春の嵐に耐え残った桜の花が久々の薄日に最後の見頃を迎えている。

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みんなの日曜日 

2015/04/06
Mon. 08:13

老僧が入院して3週間くらいになるかなぁ・・・
最初の頃はおかみさんが寺から出ようとしないし、私もすでに決まっていたスケジュールを変更できないしで、3日ばかり老僧の見舞いができないまま過ぎてしまった。

その後はほぼ毎日病院へ出かけていて、その度におかみさんを連れ出そうと誘いをかけていたが、2回目の検査の結果を知らせたいとドクターから連絡が入ったので、これさいわいと連れ出すきっかけにした。
それからあとのおかみさんは比較的抵抗無く見舞いをするようになって、最近では電話一本しておくと、本堂の階段までヨチヨチ移動してそこで私の到着を待っているほどになった。

さすがに毎日病院へ出かけていると、自分の仕事が溜まる一方で八方へ迷惑をかけてしまっているから、老僧を説得して1日だけ見舞いを休ませてもらった。それが昨日の日曜日。
おかげでほぼ八割方は片づいたがそれもデスクワークだけのこと。
工場の仕事は材料へ手を付けることも出来ないまま遅々として進んでいない。
夕方になって、積み残しの用事をひとつずつ電話で片づけていたら、何処もみんな留守電になってだれにも連絡がつかない。
やはり普通に日曜日に休みの方々が多いのだろうし、どちらかといえば日曜日に仕事が多い坊主家業の都合で失礼をしてしまった。慣れは恐いね。

日曜日が休みだったシンガポールのノッチがいろいろと自分を見つめ直しているようだ。
私など自分で自分のこととなると気がつかないことの方が多いが、ノッチは偉い。
アレコレ掘り下げればキリがないけど、親から見ると、しっかりとたくましく育ってくれていると思う。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
10代は勉強して経験して悩んで遊んで
20代は挑戦して失敗して習得して遊んで
30代は発揮して進んで苦労して遊んで
40代は活かして昇って遊んで
50代は安定して見守って遊んで
60代は安心してのんびりしたいな。

30歳までの人生計画立ててみたんだよ。
難しいねー。何がやりたいのか、どうなってたいのか、その為にはどうしたらいいのか、何をしないといけないのか。

幼稚園の卒園文集に
『レンタルビデオ屋さんになりたい。』
って書いてたんだよ私。
昔から夢とか目標とか責任とか苦手なんだよ。
あったとしても人に言ったら叶わなくなる気がするし、叶わなかった時に恥ずかしいしから絶対に言わないけど。
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「私は自分の人生のほぼすべてをこの国をつくりあげることに使った。それ以外に私がする必要のあることなどなかった。私が最後に得たものは何か。成功したシンガポールだ。私が捨てねばならなかったものは何か。私自身の人生だ」
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水入らず 

2015/04/05
Sun. 10:06

最近、無性にジャンクフードが食べたくなって困る。
それでなくてもこらえ性の無い軟弱オヤジだから始末が悪い。
この傾向は老僧にもあって、その血を引いている訳だから仕方のないことだと思っている。
だから、ひたすら自分の弱い心と戦って理性を維持するしかないことはわかっているのだが、それがまたストレスになって目の前にジャンクフードがチラつきはじめるからキリがない。

この3週間あまりは、まともに規則正しく日常生活を送ることが出来ないまま過ぎてしまった。
前から決まっていたスケジュールもあれば、突然割り込んだ用事や仕事もあった。
そういうことがくり返し重なってくると、やはりどこかしら自分の許容量を超えることもあって、集中できなくなったり眠れなくなったりしてして苦労した。

昨夜は、ほうんとうに久しぶりにワイフと水入らずの夕食になった。
よく行くスーパーでお客様感謝デーなるものがあって、色々食材が安かったのだそうだ。
そういうこともあって、ワイフ手づくりの豪華な逸品でテーブルが埋まっていた。
見渡すと5日分くらいの夕食料理が一同に集まった感じだ。
こういう贅沢を見ると、あれだけ美味そうで欲しがっていたジャンクフードがかすんでくる。
都合のいいことだが、やはり家族家庭が円満であることが一番のストレス解消なのだなぁと改めて感じた。
やっと少しずついつもの日常が戻りつつあるような気がする。

月曜日には老僧の再検査があってその結果で退院が決まりそうだ。
もう何度も死ぬ間際で甦っている。
とりあえず、今年の桜は見ることが出来るようだ。
もっとも、連日の春の嵐で満開の桜もほとんど散ってしまったけどね。

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海風 

2015/04/04
Sat. 08:13

夕方から歓迎懇親会でワイフが出かけた。
粗煮と湯豆腐を作り置きしておいてくれた。
ジャンクフード好きのオヤジは、給油したついでに久々のケンタッキーを買っておいたから、昨夜のひとりメシは超豪華になった。
これじゃぁ熱燗で一杯がはずせないでしょうとウキウキしながらレンジでチン!

満開の桜は春の嵐であえなく散り飛ばされた。
今年の春は老僧騒ぎで落ち着かないし、桜どころでもない。
湯豆腐をつつきながら一杯やっていたら自宅電話が鳴った。
私への用事は携帯電話にかかることになっているから、どうせワイフの用事だろうと思いつつ、そのままにしておく訳にもいかないから出てみるとじゅん君だった。
彼からの電話などめったに無いことだったから珍しいことだ。
「今日は一日中オリエンテーションだった!」
海士町転入の皆さんを対象に、町ぐるみの熱烈歓迎海士町暮らし説明会があって最後の〆が歓迎会だったのだそうだ。
ここまでされるとオヤジ譲りで人付合いに癖のあるじゅん君もその場の流れについていくしかない。
「海士町で暮していると近所からのもらい物も多いから、まずは魚の裁き方を覚えましょう!」
なんと、海士町職員からアジの裁き方を伝授され、それがそのまま懇親会の一品になったのだそうだ。本土の殺伐とした地域付き合いとは大違いだ。
「アワビやサザエも自由に捕っていいっていわれたよ。同僚の皆さんもいい人ばかりで前の職場とはえらい違いだし!」
歓迎会がおわって、そのまま帰宅して、すぐ近くの海岸でイップクやりながら電話をしているのだそうだ。
「夜なのに海の底まで見えてるし!」

海士町暮らしの1年契約が最初から決まっているじゅん君は、来年の春にはその町を去ることになる。
引っ越しで寄港した隠岐の港では別れの紙テープが海風に舞っていた。
1年後にはじゅん君が別れの紙テープの束を握っているはずだ。

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じゅん君ステキ! 

2015/04/03
Fri. 10:43

入院中の老僧へ面会で毎日往復している銀山街道は桜が満開になった。
これで晴れていたら良い花見になるところだが、今年は開花と同時に雨が降りはじめ、今朝など風も強まったりして花見どころではない。
もっとも、私の現状も乱れた家庭事情が改善できないままの毎日がむなしく過ぎてしまっているから、まさに、風雨と桜の風景にピッタリとシンクロしているようなところでもある。

4月に入って早々、新年度の混乱が始まっている。
ワイフの周辺でも転出転入の移動があるし、老僧の病院では院長交代があった。
吉田家ではじゅん君の移動やキーポンの入学であわただしい毎日が続き、彫刻やワークショップでお世話になっている関係者の中にも職場移動や退任で顔ぶれが変ったりしている。
1年間の仕事を受けてもらえるかどうか大切なこの時期の老僧騒ぎで、ことごとく対応が後手に回って信用が崩れつつある。

世間の様々に噛み合った歯車から抜け出せないで悶々と生きる者もあれば、私のように噛み合う歯車をもたないままダイレクトドライブで生き続けている者もいる。
一見、しがらみもなくて気楽な生き様にもみえるが、あまりにもダイレクトすぎて動力源の不具合がそのまま回転の不具合に直結して立ち直ることも出来ないまま不安定回転から抜け出せなくなって身動きつかなくなってしまったらどうしようもない。

子供にとって親は適当に早めに死んでいなくなっておいた方が良いなぁと思っている。
「なんだかんだ言っても立派で子供孝行なお父さんだったね!」などと通夜の席で酒でも飲みながら子供たちに思い出を語ってもらいたいものだ。
無理に早死にしようともサラサラ思わないが、無理して無駄にしぶとく長生きしたいとも思わない。とろけた脳みそが醗酵して爆発する前にカッコよくこの世からおさらばしたいな。

久しぶりに我が家の長男が吉田家で大ヒットした。
あいつも、やる時はヤルね。さすが、オヤジの子だ!
1年間の産休先生おつかれさま!この調子だったらきっと隠岐でもアイドルになれるぜ!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ノッチは・・・
やべーwww朝から笑ったwww
3.4年ぶりくらいにみた兄ちゃん、、、なにやってんだよwww
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして、なっちゃんは・・・
お兄様完璧すぎ。
こんな先生惚れてまうわ♡そして今日お兄様は船に乗って本土を離れました。
さようなら
〜〜〜〜〜〜〜
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3月の家族 

2015/04/02
Thu. 07:34

4月1日はクロ君の誕生日だった・・・が、特別変ったこともなく1日が過ぎた。

昼のうちは老僧の病院で過ごし、夕方から吉田家のリビングを掃除(というより片づけかな)して、残っていて目に付いたキーポンの痕跡を整理した。
そして四畳半・・・何年ぶりかで名実ともにオヤジの書斎を復活させるための掃除とプチ模様替えをした。
まだ、アチコチにキーポンの痕跡が見え隠れするが、それでもかなりスッキリした・・とオヤジは思っている。

それにしても、今年の3月はいつになくあわただしく過ぎた。
長い人生こういう年もあるんだなぁ〜と、つくづくそう思った。
老僧の入院。
私とワイフの彫刻制作と展覧会。
ドタバタのお彼岸と波乱の常会。
キーポンとじゅん君のお引っ越し。
申告や報告書の作成がいつも通り出来たことが不思議に思える。

おかみさんを老僧の見舞いに連れ出した。今回で3回目になる。出不精のおかみさんも、だんだん外出に慣れてきはじめている気がする。人生をことごとく頑固に生きつづけてきたから、なかなか素直になれないまま歳をとってしまった感がある。老僧の入院が有る意味でいい機会になったと思うようにしておかみさんとの距離を縮めることができたら良いなぁと思っている。
手始めに少し遅めの昼食でそばとうどんを食べた。うどん好きのおかみさんはどんぶりからはみ出すほどの天ぷらうどんを完食した。

じゅん君は、引っ越しのあいだ中、隠岐暮らしの愚痴をこぼしていた。これから先1年間は仕事をして給料をもらう職場である隠岐を好きになるしかないのだが、まだそこまでふんぎりがつかないでいる。身内のオヤジが相手だから正直な今の気持ちを吐露しているのだろう。この際だけのことだから何もいわないで聞き流しておいた。

キーポンは、これから先輩や後輩や友達や先生や、全てが新しい環境の中で新しい付き合いが始まろうとしている。見なくても良いことや聞かなくても良いこともいっぱい見聞きしてそれに慣れていくことになるだろうし、時にはそれにつきあわなくてはいけないことも出来てくるだろう。末娘だからということで純粋に箱入りのまま育ててきたからこれからが正念場。世間の垢と埃にまみれながらたくましく汚れ育っていくしかない。

田舎付き合いはどうでも良いことで窮屈に緊張することが多い。
それでも私など、世間的にはまがりなりに坊主だったりするから周辺の連中がそれなりに一歩引いて本性を我慢しているところがあって、まだ付き合いのストレスも少なくてすむ。
自分の周辺は、なにかと気を許して打ち解けているように見えても、なかなか素直に本性をさらすところまではしない連中がほとんどだ。

人間、死ぬまでそうやって窮屈に生きなければいけないことの方が常識なのかもしれないが、どうもそういう堅苦しい生き方が性に合わなくて馴染めない。
3月の1カ月は、なにかと鬱陶しい人付合いを避けて通ることが出来なくてグッタリ疲れた。

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じゅん君のお引っ越し 

2015/04/01
Wed. 09:06

じゅんき君引っ越し終了!
彼は、隠岐郡海士町の中学校で1年間働くことになりました。

というわけで、只今海士町(あまちょう)のフェリー乗り場で30分ほどヒマだからポチポチキーボード叩いているところ。
3月の今の時期には珍しく、日本海はほぼべた凪状態。
引っ越しの荷物はこれから1年間一緒に仕事をする同僚のみなさんや、海士町の役場職員の方まで手伝ってもらって、アッという間に搬入終了。
何処かで飯でも食べようと町内を探し回ったが、お昼の今の時間帯に開いている店は皆無。
内臓脂肪タップリのメタボオヤジは1日くらい飯を抜いても何の問題もないから、持参のMJBをすすりながら乗船を待つことにした。

乗船したらさすがに1日の疲れがドッとでた。
引っ越しのほとんどをフェリーの船上で過ごしているようなものだったが、それでもどこかしら緊張感があったのだろう。二等船室に落ち着いてキーボードの続きを叩いていたら一気に眠くなって、そのまま3時間爆睡。
キーポンから電話が入って目が覚めた。すでに引っ越しを終わった彼女は、お母さんと仲良くお買い物中だそうだ。何時頃帰るのかと聞いてきたから「今何時だ?」と聞き返したらすでに夕方だった。
書きかけのラップトップを終了して、乗船チケットを確認して、荷物を片づけている間に船内アナウンスが始まった。
18:00少し前に、島根県本土へ到着。

夜の8時過ぎに石見銀山の自宅へ帰宅できた。
ゴミなどの荷物を下ろしてワンボックスに乗り込んだら、町並みのお店の事務所の電気が消えた。この時間まで仕事をしている人がいる。田舎暮らしも忙しいものだと思いつつ、町内を運転していたら、知合いのお姉さんが会社の駐車場から出てきた。
残業は彼女だったようだ。
大阪生まれの彼女が石見銀山の会社に就職してもう10年近くなる。
さて、吉田家のじゅん君はいつになったらどの辺りに就職できて落ち着いてくれるのだろう・・・

シャワーで一日の汗を流していたら右足の甲が痛い。
2日間に渡ってアクセルを踏みつづけた後遺症が出たようだ。

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2015-04