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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

萩原流行さんのこと 

2015/04/24
Fri. 12:14

萩原流行さんが事故死した。
残念なことだ。

朝やお昼のワイドショーやインターネット配信の記事などを見ると、事件記事や社会記事ばかりでイヤになる。
これだからテレビや新聞を見たく無くなってしまうのだ。
一度死んだ命は生返ることもないのだから、その時の様子を100回聞いても見てもどうなることでもない。そういうネタに嬉々としてかじりついてばかりいる連中は、薄情な野次馬にしか思えない。

萩原流行さんは、高田馬場の線路脇にあった東芸劇場ではじめてみた。もうかれこれ40年近く前になるかもしれない。
東芸劇場は、普通の雑居ビルの1フロアーを演劇用に改装した程度のなんの変哲もない劇場だった。たしか、床がステージに向かって少し斜めに下がっていたような気がするが、記憶違いかも知れない。定員は満員でも100人入ったかどうかの指定席もない小劇場で、ステージ近くは椅子もなくて膝をかかえて隣同士肩をぶつけ合いながら演劇を見ていたような気がする。
まだ今のワイフ(後も先もないけど)と知合ってすぐの頃だったと思うが、演劇好きの彼女から誘われてはじめて出かけたのが東芸劇場だった。その頃は、演劇よりむしろ映画の方に夢中だったから、同じ劇場でも私が出入りしていたのは映画館ばかりだった。だから、小劇場の演劇は何とも新鮮な出会いだった。ワイフはつかこうへいさんが好きで、熱海殺人事件がヒットしていた。それからあとは、紀伊国屋ホールにも出かけるようになった。
とにかくステージと客席の距離が近くて、舞台のドラマの進行に合わせて役者さんの流れる汗や飛び散る唾や体臭や息づかいが降り注ぐようにハッキリと体感できた。空間の共有感というかライブ感がハンパ無いほどあってとりこになった。
ひょっとしたら、ステージと客席の一体感の中で萩原流行さんの唾や汗が私の顔や肩にとんできていたかも知れない。

彼の訃報を聞いて、あの頃のことを思い出した。
島根の田舎の山寺に生まれた私が、あの頃あの時、萩原流行さんの舞台を見ることが出来たということはとても幸せなことだったと思う。
おおげさでもなんでもなく、ああいう、ひたむきな感性を感じることがあったから、こうしていまだに自分の彫刻をコツコツと造り続けていられるんじゃないかとも思う。
萩原流行さんをはじめ、一流の色々な出会いと刺激に助けられて今の自分があることをあらためて感じた。
冥福を祈ります。

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2015-04