工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

小説の街 

2015/05/31
Sun. 23:36

坊主の手間替え大般若会へ出かけた。
さすがに、病院へ衣を着て出かけるのも気が引けて毎日地味なカジュアルで通していたから、久々に法衣を着た気がする。ようするに、5月の半月間は万善寺の坊主収入もないままほぼ毎日寺暮らしをしつつ老僧の病室へ通っていたということ。

固形物を食べなくなって点滴の水分補給のみで半月持ちこたえている老僧はなかなかの体力と感心すると同時に、現代医療の凄さを実感する。
私の方は、老僧のとなりに仕事を持ち込んでそれに没頭するのもどうかと思うから、彼の安静を気遣いながらジッとして時を過ごすしかない。さすがに何時間も瞑想にふけることも難しいから、ひたすら読書に励んでいる。最近は、だいたい200〜300ページくらいの単行本や文庫本を1日1冊ペースで読み倒している。

まだ東京で暮していた頃に買ったものを捨てないで島根まで持ち帰って、寺のロフトで埃にまみれていたものを再読しているから、昭和の50年代のものがほとんど。
今こうして読み返していると、あの頃の私の東京暮らしの様々な出来事がけっこう鮮明に思い出されて気がつくと小説の街と自分の暮していた街が入り乱れて混ざり合って不思議な世界にハマってしまっている。

10年で4回引っ越しをした。
まだ国電だった山手線や中央線や青梅線。
それに、小田急、京王、西武や地下鉄丸ノ内線に銀座線・・・
最寄り駅からアパートまでの商店街や町並みの様子。
何度も通い続けていたアチコチの2番館の椅子の感覚。
銭湯までの道のり。
入り浸っていた飲み屋。
授業をサボって出かけた小旅行。
新譜のアルバムを買っていたレコード店。
待ち合わせやたまり場にしていたジャズ喫茶やロック喫茶。

それになにより、買った本屋さんのブックカバーが懐かしい。その町の駅前の本屋さんの書店名やアドレスを見ると店内の様子までハッキリと思い出してしまう。
これも老僧が引き合わせてくれた何かの縁だと思う。
こうして特に介護の手をかけることもなく、毎日ただただ静かに病室で付添っているだけのことなのだが、そのおかげてこうして昔の本を再読している。こういうことでもないと、結局一回読んだ本は二度と同じページを開くことがないまま、寺のロフトで埃をかぶりネズミにカジられどんどん風化してやがて古紙で廃棄されるか焼却されておしまい。

5月の日差しが例年になく焼けつくように暑く感じる。
それでも病室に吹込むそよ風は山の冷気をはこんで心地良い。

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ポキリ! 

2015/05/30
Sat. 20:38

雨降って地固まる!・・・イヤイヤそんなはずはない・・・小雨降って地面が濡れる・・・マダマダあまい・・・「雨降ったみたいだけど?」「えぇ〜うそぉ〜ぜんぜんしらなかったぁ〜」・・・って感じだね。

前の夜からグジャラグジャラいっていたおかみさんが、今朝になって病院へ行くと云いはじめて予定が狂った。
ことの発端は、夕食の間中延々と老僧の病気や入院の暗い話題の一人話が続いたあとで、「それで、おじいさんの具合はどうなのよ?少しは話聞かせてくれてもいいじゃない!」とか云いはじめるものだから、修業の足らない煩悩の塊の一般ピープルに限りなく近い得度出家坊主が完全にプツンと切れたのであります。

「もう、いいかげんにしてくれっ!」という話で、夕食もそこそこに万善寺唯一のシェルターと化したロフトに避難した次の朝からまた同じ展開でこれだから、もう「ボクの心はポキリと折れてしまいそう」という状態のまま、午前中の寺務用事を粛々と済ませて、結局プリプリ勝手に機嫌の悪いままのおかみさんを連れて病院へ走った。
老僧のほうは、久々におかみさんの顔を見て、完全に甘えきってしまって我侭の云い放題で、看護士さんの収拾もつかないほどの情緒不安定な状態に陥ってしまった。だから云わないことではない。とてもデリケートな現状をクールに把握しながら日々の対応に追われている私の気持ちも少しは分かってもらいたいものだ。

・・・というわけで、色々あった1日だったが、夕食に仕入れておいたラムの切り落としを使って新タマたっぷりのオリジナル肉野菜炒めを作ったら、おかみさんがそれを気に入ったようで、肉も柔らかいし、味付けも良いし、美味い美味いといってパクパク食べて、その上夏限定の麦とホップ青缶を飲みきって機嫌が見る見る好転した。

このところ、老僧とおかみさんの付き合いで1日が過ぎて仕事が手に付かない。石見銀山の留守を守ってくれているワイフとコンタクトをとりながら細々と展覧会の準備を進めているところだが、まだ、告知のポスターやチラシの原稿も手付かずでなかなか厳しい状態が続いている。
長い人生たまにはこんな時もあるさ!と、なりゆきに身を任せてその場を乗り切ってきたが、さすがにそろそろそれも限界かなと思いはじめるようになった。

ひとの生きざまなどひとそれぞれで、ひとりひとりみな違っていることだということがこういう時に身をもって痛烈に意識できる。
今の私の状況など適量の塩をパラリとふりかけた砂糖水のような甘ったるいノリでまだマシだということはよくよくわかっているつもりでいるのに、どうしても現状のストレスに負けてしまって心が折れてしまうことが多い。
そろそろ5月も終わる。
さて、老僧にとって6月は大きな山場を迎えるような気がする。
人間も含め、この世の森羅万象避けて通れない幾つかの事象と対峙する時が近づきつつある。
とんかく、いずれにしてもクールに乗り切るしかないね。

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平常な気持ち 

2015/05/29
Fri. 20:51

今度いつ逢えるかわからないから、オヤジの定位置でくつろぐクロの写真を撮っておいた。
明け方から大騒ぎして鳴きながら家中をウロウロして、ワイフや私を起こして回ったあげく、自分はひと仕事終わったふうに都合よくかってにくつろいで寝はじめている。コノヤロウと思いつつ、しばらくは猫らしいかわいげなポーズを狙っていたが、全く無視して迷惑そうにしていたから、結局たいした写真を撮ることができなかった。それでも今朝の記録くらいにはなった。

ワイフは美術講師の恒例研修があったらしい。
私は市の教育委員会の担当さんと待ち合わせの予定があった。
その担当さんは、もうかれこれ20年近くブリに会った昔の知人だった。公私の区別は大事だから、事務的な会話で終始し、一段落してから少しだけ昔話に花が咲いた。
私の意向は誠意を持って伝えられたと思っている。あとは教育委員会がどう対応してくれるかで先のことが決まる。

そんなこんなで午前中が終わって、老僧の病院へ急いだ。
夕方まで病室でつきあっていたが、断食が続いていて時々水分の補給をする程度のことだから、どんどん体力が奪われている。
たまに思考が混乱することもあるようだし、ほとんどの出来事を忘れてしまっている。それでも作り話はあいかわらず上手で、チラホラ表れるお見舞いの皆さんも含め、私以外の関係者はだいたい騙されている。
肉体の衰えは本人も自覚しているはずだが、カラ元気で乗り切っている感じだ。生きることへの執着が凄い。すぐにコロッと諦めてしまう私など、とうてい足元にもおよばない。

最近、寺暮らしの食事のパターンに変化が乏しくなってきたから、少し足を伸ばして遠くのスーパーで買い出しをした。珍しい食材が幾つかあって、ラム肉の切り落としも見つけた。今夜は冷蔵庫に残った食材の予定もあったから、次の夕食はそれを使って何か作ってやろうと決めた。

おかみさんはあいかわらず現実逃避が激しい。それで自分をなぐさめているところもあるのだろうが、愚痴や小言の矛先が息子の自分へ向いてくるのもやり切れない。さすがに毎日のように際限なく同じことがエンドレスでくり返されることに耐えることが難しくなりはじめた。彼女の気持ちも分からないでもないが、だからどうなることでもないし、やはり何れは何処かで現実を素直に認めることも大事なことだと思う。自分もおかみさんの子供だから、どこかしら似たように歳をとっていくのだろうが、まだ正気でいるうちはできる限り現実を直視してそれにクールに向き合って平常な気持ちを維持し続けたいものだ。
根が軟弱のチキンオヤジだから、それも難しいかもね。
でも、せいいっぱい頑張ってみるつもりだ。
今までも散々迷惑をかけっぱなしの自分の子供に、これ以上の迷惑はかけられないからね。

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吉田家の夜 

2015/05/28
Thu. 22:55

彫刻がらみの新企画が動き始めた・・・と思っているのは私だけかも知れないが・・・
とにかく、企画書を提出してひとまず受理されたから、その採択の結果を待たないで少しずつ内容を煮詰めている。
こういう時期は、自分の考えていることをできるだけ具体的にシンプルに関係各所へ伝えてある程度事前に協力の約束をとりつけておかないと、事業が採択されて動き始めてかっらあとになって不具合が生じたりして収拾がつかなくなってしまう。そういうこともあって準備段階で一番気苦労が絶えない時期でもある。
その大事な時に、老僧の容体の心配もあるし、おかみさんの高齢者特有の我がままに相手しないといけないしで、さすがに気持ちが落ち込んで集中力も散漫になってしまう。

今度の企画はすでに廃校になった小学校の利活用が目標の一つになっているから、その使用許可を取り付けることができないと事業そのものが成立しなくなってしまう。
面白いもので、とっくに廃校になってしまった元小学校の管理者はいまだに市の教育委員会になっているという。私のような一般人は、政治や行政の事情など全くわからないで一般的な常識を基準にモノを考えてしまうから、どうもそのような状態のまま何年も手付かずで据え置かれてしまっているシステムの根拠がわからなくて苦労する。

それはさておき、教育委員会の担当者に事業での利用内容の説明をすることになって、急きょ招集がかかった。
その用事に乗じて仕事の書類など一式の大荷物をかかえて久々に石見銀山の自宅へ帰宅した。
案の定、脱走を企んでいたクロが最初に出迎えてくれた。
土間から居間へ入ると、包丁でまな板を叩く音が台所から聞こえてきた。
「お風呂わいてるわよ!」
「それはありがたい!」
・・・何とも絵に描いたようなホームドラマのノリだ。

寺では絶対にあり得ない手料理の数々に心で泣いた。
2缶目の500㎖ホワイトベルグにワイフの許可が下りた。
クロはめんどくさそうに嫌々ながらしばらくオヤジへつきあってくれた。
人間恐怖症のシロも緊張しながらゴロゴロとかたちばかりの媚を売っておとなしくだっこさせてくれた。
珍しく久々になっちゃんからオヤジ名指しで電話が入ったのはタイムリーだった。

計算され尽くした演出で仕組まれたような吉田家の一夜になった。
しばらく途絶えていた笑顔がもどった。

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夕暮れ 

2015/05/27
Wed. 21:00

もう90歳にもなって、いまだに自分は若いと思いつつ、肉体の老化についていけなくてジレンマをかかえて生きているおかみさんであるが、一方で私の母親であることも間違いないことで、その性格は善悪含めて疑いようもなく私に引き継がれている。だからその性格上知らんぷりで見て見ぬふりをすることもできないまま、ひたすら毎日をしのいで今に至っている。
老僧の再入院でもうこのまま寺の庫裏へ帰宅することは難しいだろうとわかったあと、ひとまず毎日少しでも病室で家族の顔を見させてやることぐらいはしておいた方がいいだろうと決めてからの意地のようなものが今に至っている。そんな訳で、今後の善後策のこともあって寺暮らしを優先することに決めたいきさつがある。

朝から彫刻展がらみの用事でやたらとアチコチをうろついた。田植えの終わった棚田の水が日の光を反射して眩しい。
このところ、1日走るとだいたい200km位になっているから、結界君も駆使されて大忙しだ。気がつくと走行距離がオイル交換の時期をはるかに越えていたので、国道沿いのスタンドへ入って給油がてらオイル交換をしてもらうことにした。
たまたま、最近の巡り合わせでこの3〜4回ほど同じスタンドで給油している。プリペイドカードの残金が数百円とか千何百円とか捨てるのはもったいないほど残ってしまうから、どうしても連続して同じスタンドを利用してしまう。あくどい商売だとも思うが、かといって強硬に反発するほどのことでもないし、それも何かの縁だろうとゆるく解釈している。
一方、そのスタンドで給油しはじめてから何となく結界君の調子が良くなって、走行距離も延びている気がする。それに、すでに3〜4回も同じスタンドで給油しているから、タンクの残量も一巡して、完全にそのスタンド100%の燃料で走っていることになる。
最近は、そんなこともあって中国山地のアップダウンをけっこう快適に乗り切っている。油事情もメーカーごとに色々あるようだ。
性善説愛好者の私としては、スタンドの裏事情など知らないままで毎日を過ごしたいと思っているのに、どうしても慢性の金欠病魔に精神がむしばまれて性格が悪くなって疑り深くなってしまっている。

夕方になって寺の庫裏へ結界君を横付けした。早速おかみさんが本日の老僧の状況を根掘り葉掘り質問してくる。別に、改善もしないまま似たような状態が続いていて、特に大きな変化もない。しいて云えば、しだいに体力がむしばまれて生気が衰えているが、だからどうなる訳でもない。報告といえばそのくらいのものだ。

しつこくからんでくるおかみさんをうっちゃって、夕食を作った。
先日買っておいた鳥のもも肉とタマネギにとき玉子をからめて親子丼。
老僧がいないまま水入らずの母息子の夕食ぐらい、仲良く楽しく済まそうよ!・・・というのが、夕食のメニューに託した私のつつましくささやかな願い。
それでもおかみさんは全く気づかないまま病院と老僧の容体のことばかりうるさくしゃべり続けていた。

早めの夕食がおわった。まだ明るい夕空の上空に月があった。一日の終りのセキレイもにぎやかに鳴き続けている。例のカラスも見かけた。また、カエルのうるさい夜が来る。

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寺の朝 

2015/05/26
Tue. 21:06

普通、寺の夜は静かだろうと思うかも知れないが、全く違う。
石見銀山の自宅に寝起きする時は、朝方になると猫のクロがやたらうるさく鳴きながら家中をウロウロするから、それで目が覚める。
寺暮らしではクロの鳴声で目覚めることはないが、一晩中田んぼのカエルが鳴き続けてうるさい。
そのうえ、夜が白みはじめると同時に野鳥がいっせいに鳴きはじめる。最近うるさいのはツバメとスズメ。それにセキレイが加わるようになってきた。
完全に夜が明けると鴬が鳴きはじめる。春先の鳴声はなんとなく趣を感じるが、もう夏間近だったりすると、どうも場違いな感じで余計に耳について離れない。

ようするに、寺は夜も朝もやたらとうるさい。
それに輪をかけてうるさいのがおかみさんの独り言・・・といっても、私がロフトで寝ていることがわかっていて、当然のようにその私へ聞かせるために大きな声で身勝手にブツブツエンドレスの独り言を続ける・・・と、またまたそれに輪をかけて田舎の朝はやたら早くて、今朝など7時になる前から2回ほど電話が鳴った。
一つはお大師さんの法要の確認。一つは老僧の病状の確認。まぁ、けっしてどうでも良いような電話でもないし、どちらかといえば電話の主にとっては大事なことでもあるから仕方のないことだが、それにしても7時前の電話は高血圧の慢性成人病にはあまりよろしいとも言えない。朝寝をむさぼることもできないまま、本堂へお参りしたり、庭掃きをはじめたりして今日の1日がはじまった。

寺の近所ではムササビが暮していて、雨が降ったりして天気が悪くなると庫裏の屋根裏へ避難してくる。彼等も人恋しいのか、だいたいがおかみさんの頭上だったり、私のロフト暮らしの頭上だったり、人間の寝ているすぐ上の屋根裏でくつろぎはじめる。
それに、つがいのカラスも寺の裏山を住処にしているようだ。
早朝は、他の鳥達に混じって庫裏の軒先と蔵の屋根を行ったり来たりしながら朝食になる田んぼのカエルを狙っている。あれだけうるさく一晩中鳴いていたカエル達が、カラスの影を見ると急に静かになる。それでも、ドジなカエルが何匹かいけにえになってカラスの腹に納まってしまう。

庭掃きをしながら彼等の一連の朝の様子を目の端で追いかけてしまうのも、最近は習慣になりつつある。
寺には、井戸水と間歩水が垂れ流されている手洗いの水槽がある。1日に数回はカラスがその水槽の縁にやってきて水を飲んでいる。いつのまにか、彼等の水飲み場になっているようで、私がすぐ近くでセッセと庭を掃いていても全く気にする様子がない。
先日は、その水槽のすぐ隣で草刈り機に混合油を注ぎ足していたら、水飲み中のカラスと目が合った。その後畑の畔を刈っていたら、軒先の屋根で見物中のカラスとまた目が合った。つがいでギャーギャーうるさくしているのに、そのうちの一羽だけが私と目が合う。いつの頃からか、私の寺暮らしを監視しているようだ。別に悪いこともしていないし、厳しく過激に追い立てるようなこともしないから、彼もしくは彼女は、私を安全な生物だと認識しはじめているのかも知れない。特に特別仲良くしようとも思わないが、どうもお互いの距離が近くなりつつあるようで不思議な感じだ。

ネコチャンズのいない寺暮らしの寂しさが、カラスのおかげで少しだけ和らいでいる気がしないでもない。
さすがに、カラスをワイフの代わりに見立てる訳にもいかないから、そこまでの親近感はない!・・・はずだと思うけど・・・やっぱり、ワイフとカラスを同率に意識することはできないよね。

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彫刻の楽 

2015/05/25
Mon. 23:48

おもしろいもので、寺暮らしも長く続くと、自分が彫刻も造っているということを忘れてしまっていることがある。

夏のお盆や、正月の年末年始の寺暮らしは、寺の年中行事で最も忙しい時だし、寺務や作務でドタバタしている間にすぐに過ぎてしまうから、かえって自分を見失ってしまうこともない。
この度のように、老僧の一進一退に付添うことが用事のような日々を過ごしていると、知らない間に同じことがくり返される毎日の決められた日課に慣らされてしまって、何の疑いも持たないまま気がつくと彫刻家でもあるもう一人の自分が完全に消えてしまっていたりする。

せっかくだから少しでも寺の営繕を進めようとして、病院の付添をおかみさんに託すと、一時もジッとしていないでしゃべり続けているおかみさんに、さすがの老僧も閉口して食欲も無くなって体調が乱れてしまうようだ。
そのおかみさんは私への報告のつもりなのだろうが、その状態を逐一細々としゃべりながら「おじいさんは、わつし(私)が行くとすぐに甘えがでていけん!」などと勘違いしてしまっている。境内や寺の敷地から外へ出ることもないまま、自分の思うように90歳まで生きてきたわけだから、その頑固な偏屈はいまさらどうなるものでもない。
聞くところによると、そういう状況を医学的に説明しようとすると、一種の加齢によって大脳皮質のかい離現象が進んでしまったことによって現れる病的症状であると云うことらしいが、まぁ、そんなことをいちいちもっともらしく説明されても、「あぁそうですか」と理解はできるものの、それで何とかなるものでもなく延々とそういう日常が続いていくだけのことだからどうしようもない。

古人いわく「山林の楽を談ずる者は、未だ必ずしも真に山林の趣を得ず」とある。
私などその最たるもので、言い換えると「彫刻の楽を談ずる私のようなオヤジは、まだまだ彫刻の本質などまったく理解できてもいないのだよ」とでも云うふうになる。
それでも、坊主の所作や法要次第よりはずっと彫刻の方がわかっているつもりだ。こうして毎日の寺暮らしにハマっていると、かえって彫刻の楽を談ずることでずいぶん救われてもいる。
たしかに、彫刻の本質を理解するなどということは一生かかっても無理なことであるかも知れないが、ひとまず今のところは、その楽を談ずることで自分の正気を保っているようなところもあって捨て難い。

一杯の酒に心地よく酔って、例の如く寺のロフトでいねむりをむさぼっていたら、このシーズンはじめての蚊に血を吸われた。
そろそろ必要だろうと思って買っておいた蚊取り線香をポキッと折って点火したら、間も無くもだえ苦しむ蚊の羽音が聞こえてきた。
背に腹は代えられないから、結局殺生をくり返す。
夏安居の時期というのに、ばちあたりなことだ。

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人の世 

2015/05/24
Sun. 23:42

智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
・・・って感じだな。

とにかく、何をしても何かにつけて気に入らなくて、別にこれといって信念を通すほどの確たる持論を持つほどでもないままに、ことごとく何かしら口を挟まないと気がすまない。

只今の私の寺暮らしの世間事情がこういう感じなのでありますよ。

別に、いまさら愚痴をこぼしてもしょうがないんだけど、なんでこんなに窮屈に考えて窮屈に暮さなければいけないんだろうと、どうも理解に苦しむ。
こういう日常が延々とくり返されながら積み重ねられる歳月の事を思うと、本当に生きている事の無駄や虚しさが手に取るようにわかってくる。
ひとに使われる事の不条理はどんな場面でもついて回ってあとを絶つ事が無い。事の始まりは些細な出来事であっても、どこかしらそのことでいちどすれ違いが生じてしまうと、そのズレを補修するにはやたらと無駄なエネルギーを使わざるを得なくなって疲れるいっぽうで気が滅入る。

本当にまったく人の世は住みにくいものだ。

長年、自堕落に放り投げて見て見ぬフリをしていた寺の周辺事情が、どうも常識的限界を越えているような時期になってきて、少しずつ半世紀ほど前のシンプルでスッキリとした環境を再現しようと手を付けはじめた。
そもそも、ことの発端はおかみさんの過剰な自己満足の具体的実践にあった訳だが、人間、生きていれば生きてきた分だけ歳をとりつづけるし、精神も肉体も老化しつづけて若返ることがないことはわかっているはずなのに、その時の気持ちの高揚が抑えられなくてやらなくても良いことへ無駄に手出ししてしまった結果のツケが、半世紀たって息子の自分に回ってきた訳だ。

生き物とつきあうということは、やはりかなりの覚悟を決める必要がある。
自分で責任を持って制御できるうちは良いが、それがしだいに手に負えなくなったり、気持ちが逸れて来はじめてしまうと、あとは厄介なお荷物に成り下がるしかない。
命の無いものだったら何かの機会に捨てて処分してしまえばそれでスッキリするだろうが、犬猫と同じように鉢植えの草木や路地植えの花木になると処分出来ないまま延々と手入れしないといけなくなってしまう。
財力のあるお大臣様なら庭師の2~3人に声をかけて季節ごとのメンテナンスをくり返せばすむことでもあろうが、万善寺クラスではそういう訳にもいかない。
それこそ私が少年時代の半世紀ほど前は、寺のすぐ近所に暮すお檀家さんのおじいさんがマメにメンテナンスをくり返してくれていたりもしたが、それも今となっては過去の話。
最近は、草木のゴミを廃棄するのもお金が要る時代になった。
境内の隅でくよしをはじめても苦情が出る。
坊主面をして命の尊さがどうとかしたり顔でしゃべっている自分が、一方で草刈り機やチェンソーををブンブン振り回して花木をなぎ倒している。

おかみさんとしては、若い頃にせっせと育てた我が子のような趣味の花木がこうしてザックリと刈り倒されていく様子を見ることは断腸の思いでもあるだろう。
いずれはこうなることを半世紀前に予測してその時々を暮していてくれたら、息子の私も極悪人にならないで平和にのんびりと暮せたんだけどね。
せめて、自分の非を認めて「ありがとう」の一言でももらえたら、それだけで気持ちもスッキリと晴れるんだけど、現実はなかなかそううまくはいかないな。

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ポークジンジャー 

2015/05/23
Sat. 22:40

豚肉の生姜焼きをはじめて食べたのは、上京してすぐに暮しはじめた祖師ケ谷大蔵のレストラン喫茶だった。
2階は麻雀屋になっていて、そこに入り浸っていた私より1歳年上の日大商学部のOさんが、時々1階に降りてその豚肉の生姜焼き食べていた。
鉄板の上でジュウジュウ油が跳ねてやたら美味そうだったので思いきって注文したら、薄切りの豚肉が2枚にニンジンとじゃがいもとブロッコリーの温野菜が添えられていて、それにライスが別皿でついてきた。学生でも手が出せるくらいの値段だったが、やたら贅沢をしているように思えた。
その店のメニューでは、「ボークジンジャー」とあった。その他に、「ポークソテー」もあったが、私はとにかくポークジンジャーが大好きになった。

Oさんとはその後少しずつ仲よくなって、話す機会も増えて時々私の四畳半へも遊びに来るようになった。
それで、私が絵を描いている事を知って、自分は詩を書いて新宿の地下道で売ったりしているということを教えてくれた。印刷製本された詩集を何度か見せてもらったが、なかなか文学的で、視覚的な構成も考えられていて、凄い才能に感心した。
そのOさんが、連れていってくれた中華屋さんにも生姜焼きがあった。
その店の生姜焼きは、豚肉を生姜醤油のタレに漬け込んだものを野菜と一緒に炒めてごま油の風味をきかせた中華風の味付けだった。メニューは「生姜焼き定食」で、どんぶりのご飯と確か中華スープがついて、これも捨て難い美味さだった。ポークジンジャーより50円ほど安かったと思う。ボリュームはこっちの方が上だったが、やはりナイフとフォークを使って食べる方が贅沢感は上だった。

美術の受験勉強は新宿御苑前の学校へ通っていた。
その学校へ行く途中にサラリーマン相手の喫茶店があって、そこでは平日の昼に日替わりランチタイムがあったから、バイトのお金が入ってふところが暖かい時に時々贅沢をした。
恥ずかしい話だが、クリームコロッケとハンバーグとメンチカツはその店の日替わりランチではじめて食べた。
そして、本当にまれに日替わりランチで豚肉の生姜焼きを食べる事が出来た。その生姜焼きは、大きな洋皿に少し厚切りのジューシーな豚肉が乗って、それにタップリキャベツとトマトとキュウリが添えてあって、ごはんは別皿でデミコーヒーがついた。
この喫茶店でもメニューにはポークジンジャーと書いてあって、日替わりランチでないものは、その厚切りの豚肉が2枚ついて、なかなかのボリュームだったが値段の方もなかなかだった。

時々ワイフがいない時に、よく子供たちへ豚肉の生姜焼きをつくってやった。けっこう評判が良くてみんな美味しいといってくれる。
寺暮らしが続くと夕食のおかずをつくる機会も増えて、農協のスーパーで買い物をして、おかみさんへ生姜焼きをつくってあげたりする。ほとんどがバラ肉と野菜を一緒に炒めてあらかじめつくっておいた生姜焼きのタレをかけ回して味付けするくらいだが、まあそれなりにそこそこ美味い。
おかみさんは自分ですすんで肉類を食べようとしないから、ごはんの上へ生姜焼きをぶっかけてどんぶりにしてしまう。
ほかにも、牛のバラ肉を使って牛丼にしたり、鶏のもも肉で親子丼にしたりしてしまうと、ごはんを食べない訳にはいかなくなって、完食してくれる。

生姜焼きをつくるたびに、あの3種類の味を思い出す。どれもそれなりに美味かった。いまだにあの味を越える生姜焼きに出会う事がない。
もっとも、外食する機会もほとんど無いけどね。

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古本 

2015/05/22
Fri. 20:46

寺暮らしも長くなって、そろそろ好きな映画や海外ドラマに飢えて来はじめた。
2度目の老僧の入院は想定外だったから、事前に万全の準備をしないまま、なりゆきで寺のロフトで寝起きするようになった。
癒しのネタのネコチャンズもいないし夜の娯楽というものが乏しくて、結局寝酒を一杯ひっかけて寝るしかない。
遅れていた申請書類をひとつ終わらせて、残ったもう一つはホームページを観覧できる環境が必要なので石見銀山の自宅で用事をかたづけるしかない。

そんなわけで、今のところ時の流れに身を任せるしかないことになったから、ロフトで西陽に照らされて日焼けして紙くず同然に劣化して積年のほこりがタップリ積もった古本を引き出して読み返している。
昭和の頃の本ばかりだからかれこれ30年から40年も前の初版本だったりして、すでに1回は読んでいるはずなのにストーリーなど全く覚えていなくて、なかなか結構新鮮だったりする。
まだ10代から20代前半の頃の当時の流行を思い出す。
当時としてはずいぶん大人びた自分の好みもわかって他人事のように面白かったりする。
毎晩そうして同じようなくり返しで、もう4〜5冊は読み終わった。

高校を卒業して、島根の田舎から大都会東京へ上京して、家財道具といったら布団とスタンドとテーブル兼用の電気炬燵くらいしかなかった頃だから、それこそ娯楽といえば、映画館へ行くか、ロックやjazz喫茶でグダグダするか、四畳半で小説を読みあさるくらいの選択肢しかなかった。
その日暮らしの毎日で、銭湯の事や食事の買い出しの事や床屋のことや金融機関のことなど生活の基本パターンがおおよそ落ち着いた頃からアルバイトを探していたら、上京してすぐに知合った長崎出身の友達が紹介してくれたのがはじまりで、それから俗に云う水商売を渡り歩いた。
我が子にも言っている事だが、学生のアルバイトはやはり食べ物に関係する職種が諸々都合よく暮せると思ったのは、その当時の実体験に起因するところがある。
最初に務めたのは新宿三越の裏のビルの1階から3階までの大きなコーヒーパーラーだった。半月くらいの研修期間を終わってから、13席ある1階のフロアを任された。結構過酷な労働条件だったが、夜の10時に営業が終わると、先輩や正社員が夜食に誘ってくれて、場合によってはそれから飲み屋へ流れて、そういう時はほとんどおごってもらえた。まだ20歳前だったが、酒もタバコも人並みにつきあえるほどになっていたので、見聞の全てがとても新鮮で刺激的だった。

今読んでいる古本は、ちょうどその頃の自分の暮しぶりを見ているようで面白い。まだ20歳くらいの若造が読むには少々オヤジ臭い小説だが、水商売の面白いところがタップリと話されていて、それとなく親近感があったりしたのだろう。
田舎者のウブな私が、社会の機微に触れて人生の発見の連続だった時代のことでもあった。

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破れ鐘 

2015/05/21
Thu. 20:43

おかみさんを病院へ連れていって、老僧の相手をお願いしてから寺へ引き返した。
心置無く2時間ばかり草刈り機を振った。
色々あって草刈りを一回分飛ばしてしまったから、その間に伸びた草が本格的に丈夫に密集してエンジンへの負荷がかかる。
フッと、筋肉痛の苦しみが脳裏をよぎったがしかたがない。

ついでにもう一つフッと、先日の副住職披露の宴席を思い出した。
ある坊さんの一言・・・「ぼく、趣味でよく広島へツーリングするんですけど、ちょうど万善寺さんあたりが真ん中くらいで・・・」うんぬん・・・
街場のお坊さんは、同じエンジンでもV型2気筒とか直列4気筒とか、そんな話で普通に盛り上がったりしていらっしゃる。
そういえば、数年前にもミニがどうとかワーゲンがどうとか話していらっしゃった和尚さんの横へ結界君を駐車したら、
「あの後ろの荷台スペースって役に立つんですか?」
「さぁ、別に無くてもいい感じだけど、珍しいですよね、はじめて見ました。なんか意味あるんでしょうね・・」
だって!
あれって、わざわざ私に聞こえるようにしゃべってたのかなぁ??
どうせあたしゃ、変な軽に乗ってバイクにも外車にも何の縁もないまま、作務と称して混合のエンジン草刈り機振って汗流してなんぼの坊主ですよ!
世間で云うところの単なるヒガミですけど、坊主の世界もピンキリ色々あるってことですよ。

ドクターの病状説明と今後の医療対策をおかみさんと聞いて帰ったら、そろそろ夕方の鐘つきの時間だった。
散歩がてら境内から参道の営繕の状況を確認したついでに破れ鐘をついた。
その梵鐘は、老僧の勧進で京都の方まで発注し、ワザワザお檀家さんと鋳造屋さんの仕事場まで行って点眼遷座のおつとめして今の場所に釣下げたもので、まだ、その当時のことを覚えているお檀家さんもいらっしゃるほど新しいものだったのだが、私が長らく寺を離れている間にいつのまにか割れが入って、そのまま放置されつついまだに毎日ガツンガツンと突かれつづけているかわいそうな梵鐘なのだ。
よく見ると、造りの方は結構いいかげんで鋳造の技術も適当な工業製品のひとつと云っていい。
そんなレベルの仕事だから、割れの入った場所以外にもアチコチに怪しい箇所が点在している。
まだ元気だった頃の老僧は、その程度の鐘を思いっきり懇親の力を込めて突き上げてしまったものだから、結局その衝撃に耐えられなくて割れてしまった訳だ。
老僧の思い出のつまった釣り鐘をこれからいつまで突き続けられるか・・・
まぁ、ひとまずおかみさんの身体が動くうちは、毎日夕方になると何とも品のない破れ鐘の音が耐える事もないでしょう。

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思い出の町 

2015/05/20
Wed. 20:19

10年間暮していた東京から島根へUターンしたのは確か28歳くらいの頃だったと思う。

東京を離れる事に決めてから今のワイフ(今も昔もないけど・・)と結婚する事を決めたから、引っ越しやら結婚式やら就職やら全てが3月から4月の間に一気に押し寄せてきて、その慌ただしさは尋常でなかった。
日頃は、何事も面倒な事から出来るだけ遠いところでのらりと暮しているから、こうしてあれもこれもひと息で済ませようと思ったりすると息切れが激しくなって始末に負えない。
その28歳くらいの時もそんな感じだったが、それでもまだ今よりはずいぶん若かったから、あまり深くこだわる事もなくなりゆきに流されるまま結構気楽に乗り切ってしまったように覚えている。

その時に、住民票を移動してワイフと新婚で住みはじめた町を久しぶりに通過した。
今年の彫刻展の準備を兼ねて寄り道したのだが、せっかくなので川沿いのバイパスからその町の中学校前の信号で右折して町並みの通りに入ってみた。
今はどうなっているかわからないが、当時は街道のバス通りでもあって、乗り換えの中継場所でもあったから、田舎なりに結構にぎわいが残っていた。
社会人になって独立して最初に銀行の通帳を作ったのもその町で、いまだにその町の支店名の通帳から吉田家の光熱費や必要経費が引き落とされている。

Uターンが決まってその町へ引っ越した頃は、彫刻とか工芸とかそういう制作を続けていけるのかわからないまま、ほとんど制作を諦めていた。
それでも少し落ち着いて過去の学生時代を思い返したり、島根へ引っ越す直前までワイフがセッセと彫刻を制作しているところを見ていたし、それに何といっても、結婚式の引き出物を2人でコツコツ制作したりしていたこともあって、やっぱりこのままモノを造り続けていた方が自然な流れだなぁと思うところもあって、町の工務店さんに泣きついたり、近所のカーディーラーの修理工場の溶接機を使わせてもらったりしながら、制作だけは絶やす事をしなかった。

結局、その町で4年間暮すことになった訳だが、その間に、石材屋さんや銘木屋さんや島根鉄工会とのつなぎを付けてくれた鉄工所のご主人など、親切な皆さんにめぐりあえたことは、おおげさでもなく自分の原点がその町にあると断言できる。
今は、縁もゆかりも無くなってしまったが、それでもこうして彫刻の仲間がその町で仕事をしてくれているし、その縁でこうして時々昔懐かしい町並みを通過する事も出来る。
自分の初期の彫刻もその町のある場所にいまだに置いてもらえてるらしい。

なにかめずらしく改めて感傷に浸ったりしているありさまは、やっぱりそれなりに歳をとったせいかな・・・いや、実はそうでもなくて、ちょうどお昼時で町並みのアチコチから美味そうな焼き魚の匂いやカレーのスパイシーな香りが漂ってきて、その何ともいえない家庭の香りで私の郷愁が目覚めただけだったのかも知れない。

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雑草は年中生きている! 

2015/05/19
Tue. 23:08

朝、石見銀山を出発して万善寺へ向かった。
本当はもう少し自宅でゆっくりしようと思っていたのだが、おかみさんから電話がかかったからいそいで早く出発したのだ。
早朝だったのでワイフが話を聞いてくれて、どうやら、パーマ屋のおかみさんが突然死したらしい。
その香典を持っていけと云う事だったらしいが、おかみさんとの付き合いに未熟なワイフは、長話の主たるテーマを分析できないまま私に現状を報告してしまったものだから、結局無駄に早くに自宅を出発するはめになったわけだ。

大急ぎで寺へ着いたら、あいかわらずおかみさんのエンドレス話が始まった。
それを聞きながしながらドタバタと改良衣の片づけなどしていたら、熨斗封筒とヨレヨレの千円札を持って本堂まで這ってきた。
意味も解らないまま長話のポイントを整理すると、「お前が香典を持っていけ!」と云いたいことがわかった。
自分から葬儀に参列する気は最初から全く考えてもいなかった事だったらしい。
なんで、知りもしないおばあさんの香典をおかみさんの代わりに届けないといけないのか判断に苦しみつつ、喪主さんに悔やみを言って帳場へ熨斗封筒を預けておいた。

その後、お昼ご飯のことで小規模なバトルがあって、それが和平交渉出来ないままおかみさんを老僧の待つ病院へ連れて行った。
痩せたなりに落ち着いている老僧を見て、早速おかみさんが長話しを始めたものだから、それ幸いにおかみさんを病室に残して、自分の用事で2時間近く結界君を走らせた。
島根の東の端に近い広島県の県境あたりへ用事があったので、半日ほど老僧をおかみさんへ任せて出かけた訳だ。
今度の彫刻展のワークショップを煮詰めるための用事だったが比較的楽に会話が進んで、今後必要な資料をこれから随時作ってもらう事で大切な話し合いは終わった。

夕方になって病室へ帰ったら、それまで静かにおとなしくしていたおかみさんが老僧へ向かって急にエンドレスでシャベリはじめた。
今度の入院で思考回路が一気にショートし始めていた上に、断食で体力が消耗して一人で起き上がる事も難しくなってきた老僧を相手に、とにかく鬱陶しいくらいおかみさんがからみ続けている。

夕日はすでに沈んでいるのに夕暮れの景色はまだまだ美しく絢爛に輝いている。晩年に際しては、この夕日のような生き方をしたいものだ!・・・と古人は書き残している。
なかなか俗のしがらみにしがみついているうちは、そのような心境に平然としてすごす事も至難の業だ。

石見銀山の吉田家の玄関先には、もうかれこれ10年以上前に造った限りなく彫刻的なプランターがある。
最初から植栽のネライがあって造ったもので、根付いているのは寺の境内の端ではびこっていた雑草を根分けしたものだ。
毎年、黄ばんで薄汚れた秋の状態を見ると、いつも「今年で最後かな」と勝手に想像してしまうところもあるのだが、あの過酷な冬を乗り越えて春になると普通に新芽が伸びで古い葉が落ちて生まれ変わる。
1年が寿命の我が家の玄関先の雑草だって、根までは枯れる事もなく新しい年の水とミネラルを吸って世代交代して生まれ変わっている。
人間もいつまでもしぶとく自分の代にしがみつかないで、サッサと次の代に世代交代した方がずっと新鮮で瑞々しい世界が開けるだろうに・・・
個人のチッポケなエゴも度をすぎると厄介なお荷物にしかならないね。

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坊主の宴席 

2015/05/18
Mon. 23:13

法類とは、寺の親戚のようなもの(説明がややこしいから)だと思っていただいて結構なのだが、そこのところをもっと詳しく知りたいとおっしゃる方は「法類(ほうるい)」で検索してみてください。

その法類の万善寺住職の師匠寺から副住職就任披露のお知らせが届いた(これもややこしい)ので出席することにした。
直接は老僧の師匠寺なので私は関係が薄くて個人的には縁がない事なのだが(またまたややこしい)、それでも色々な寺のお付き合いも大切な事なので、老僧の名代ということで松江まで出かけた。

簡単な副住職の就任式を寺で済ませ、その後檀家総代さんが経営する旅館へ移動して祝宴が始まった。
山寺のナンチャッテ住職は、ほとんどの坊さんと初顔合わせで、顔見知りは5人程度。老僧だったら坊主付き合いにどっぷり浸かっていた人だから、出席の寺方ほとんどの皆さんを知っていただろう。
坊主の世界は上下関係が厳しいから、師匠寺から最も遠い僻地山寺の住職は、まず面通しということで、いの一番に注いで回った。

そもそもの田舎者は、こういう街場の坊主付き合いに縁がないから、見聞の全てが発見とおどろきの連続だった。

その1・・・坊主の宴席にコンパニオンさん登場!
その2・・・檀家総代さんの役職が凄い!(社長・会長・公民館長・市長の友人などなど)
その3・・・ハイレベルな美味い料理!
その4・・・当然の如く平然とコンパニオンさんに絡みつくエロ坊主やエロ檀家!
その5・・・何といっても檀家数の多さ!(万善寺と0のケタが二つも違う)

まぁ、そんな感じで、肖像権無視して勝手に写真をウエブアップさせていただきますので、私のマニアックなブログにつきあっていらっしゃるマニアックな皆様も、くれぐれも無断転記や拡散などされませんようにお願いいたします。

ところで・・・自慢でもなんでもないけど、お品書きの何品めかに登場したごぼうと煮込んだ鯛のアラ煮だけは、完全にマイワイフの勝利でした!
最後のひとつまみまでアチコチの身をほぐしまくって食べたけど、ウロコは舌に貼り尽くし、白髪ネギとの食べ合わせもなんとも曖昧な味だし、美味かったのはやわらかく煮込んだ牛蒡だけだった。

最後に誤解の無いように一言・・・コンパニオンのオネエサン曰く、
「島根の曹洞宗のお坊さん達は目茶苦茶真面目さん方ばかりです。ビックリです!私、前は京都にいたんですけど、全くこんなんもんじゃ済まされませんでした!」
けっこう年季の入ったコンパニオンさんのお墨付きをいただきましたので、この場を借りてご披露させていただきます。
ちなみに私は終宴までウーロン茶で乗り切っておりますので、正気の一夜でありました。

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瓶鉢の花 

2015/05/17
Sun. 21:03

このところ、とろけて醗酵した脳みそを駆使して作文に励んでいたら、知らない間に同じ姿勢が長く続いて、肩はこるし、膝のスジは伸びて疼くし、疲れ目で涙が止まらなくなるし、なんとなく無精髭も白髭が増えた気もするし、慢性の疲れが溜まり続けているようだ。

重い身体を引きずって結界君に仕事の書類や道具を積み込んでアクセルを踏み込んだら、右の足がつりそうになってあわてた。石見銀山の吉田家前は観光ガイドのスポットになっていて、ちょうど団体さんが町並みの狭い道幅いっぱいにあふれているところで、ひとつ間違えたら彼等のど真ん中へ結界君を突っ込んでしまうところだった。ちょうど軍艦島のことや近代の産業遺産のことで世間が世界遺産登録で盛り上がっている最中だし、すでに2007年だったかに登録済みの世界遺産石見銀山のど真ん中で「ナンチャッテ坊主が観光さんに結界君で突っ込んだ!」などと、でかいニュースになったろうなぁと思いつつ、慎重にノロノロと町並みを抜けて老僧の寝ている病院へ直行した。
結局断食はまだ継続中で、薬の時にお茶を一口含んだくらいで終わった。私が病室に入ったら、移動テーブルに載せてあったお昼の配膳が手付かずで残っていて、老僧はそれを見るのもイヤそうに早く下げてくれと看護師さんに我侭を言っていた。

五月にしては暑い1日だった。
夕方近くまで病室にいて寺へ移動した。
刈り倒した草や木がそろそろ乾燥していたので、たき火の続きを再開した。例の如くおかみさんはまた大騒ぎを始めたが、いちいち云う事を聞いてもいられないので、無視して作務を続けた。前回のように雨も降りそうにないから、日隠れて世間が暗くなった頃に火の様子を確かめておこうと思う。

日曜日の朝は政治の話でテレビが盛り上がっていた。
久しぶりにワイフと2人の朝食で、珍しくテレビの話題が通じた。
前々から思っていた事だか、あの総理大臣の話を始め、政治家のしゃべる事はどうも一般論の客観的な理論に裏付けされた正当論のように聞こえるところが面白い。まだ昭和の頃の今から50年くらい前だったら、日本国民も総理大臣のような偉い人の話だから云ってる事は間違いは無いはずだと善意で信用して理解する一般庶民がほとんどだったろうが、今の世の中は国民の知識教養レベルも高まっているし、なかなか簡単に「もっともそうだ!」と納得できないところも多くなっている気がする。
私など、それでなくても世間を斜めにねじ曲げて見てしまう方だから、政治家のことも詭弁の上手い胡散臭い奴らにしか見えなかったりする。あの総理大臣の話も、会話の至る所のセンテンスの始まりに「わたしは!」の一言を添え加えて主観的な意見だと思って聞いてみると、やたらと素直に「あぁ〜、そうなんだ!」と納得してしまったりする。まぁ、内容の善悪や正誤は別だけどね。

古語に、「権力を以って得るものは、瓶鉢の中の花の如し」とある。ようするに、「根のない花は、そのうちしぼんで枯れておしまいサ!」ということ。
確かに、まさに、そうだと思うけど、花瓶の花でも毒があったりあだ花だったりすると始末が悪い。いくら見た目がキレイでも、毒があったりすると恐いよね。今の日本国を見るに、私などもうけっこう仏様の世界が近づいているからそれなりに今の世の中へ諦めもつくけど、自分の子供や孫(まだ影も形もないけど・・)のことを思うと、かわいそうで心配になる。

ついでに、もう一つ花のたとえ・・・
「功業より来るものは、盆檻の中の花の如し」という。「事業の業績というヤツは、鉢植えや花壇の花のように、枯れたら捨てられたり、飽きたら植え替えられたり、いいタネや株は余所へ持って行かれたりして、落ち着かないね」ということ。営業成績の浮き沈みでドタバタしてる大手企業や、少し前のなんとか家具のお家騒動も醜いね。
それでも、瓶鉢の花よりはまだ根がついているだけマシかな。

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断食 

2015/05/16
Sat. 21:07

老僧の断食が続いている。
そろそろ3日目くらいになるのではないだろうか。
水分は点滴で補充してるが、オシッコに回らなくて下半身の肉にしみ込んでいる。足のむくみがひどくてまともに歩く事も難しくなっている。
さすがにモノも食べないから体力も続かない。腹筋を使って起き上がる事もつらくなってきた。

まぁ、そんな感じで老僧の病窒でつきあっているのだが、特にしゃべる事もないし、むしろしゃべる事も面倒なようなので、だいたいは静かに小説を読んで時間がすぎる。
渋るおかみさんを説得して病院へ連れて行った。ポットのお茶にリンゴジュースにピーナッツ煎餅に三食団子にレーズンパンなど、一抱えもあるほどの荷物を用意して病院へ行ったが、リンゴジュースで薬を飲み込んだだけで、結局最後まで他のモノに手を付ける事はなかった。
おかみさんのいつもの過激な愛情表現は聞くに耐えないものがあって、何度も廊下へ避難してしまった。それでも老僧はおかみさんの見舞いをよろこんでいる様子だった。長年連れ添った夫婦の機微は計り知れないものがある。

私の方はiPodの音量を目一杯あげて、停滞している書類の書き物をひたすら続けた。
だいたいに算数もまともに計算できないほどのレベルで収支の予算書を計算する事など自分の出来る仕事ではない。それはよくよくわかっていても他に頼める人もいないし、何とか見た目だけでも形にするしかないから表計算ソフトを延々つつきまくっていたらとっくにお昼をすぎていた。
病室には椅子があるだけでありがたい事だから、テーブルの贅沢は言えない。ラップトップの呼び名の面目躍如といった感じで、自分の膝がとても役に立った。

おかみさんを寺まで送って病院へ引き返したら、老僧はぐっすりと眠っていた。体力も落ちて話す事もつらそうになっているし起こすのもかわいそうだから、静かに退出して石見銀山へ向かった。
脱走を失敗したクロが出迎えてくれた。
かわいそうだからリードを装着して玄関先へ連れ出してやった。
夕方の石見銀山は観光さんもまばらでセキレイがしきりに鳴いていた。クロには鳥の姿も見えているのだろう。かなり長い間フリーズしてピクリとも動かないまま視線がセキレイを追いかけていたが、知らない間に最近よく見かけるいたずら野良猫が接近遭遇していて一瞬に険悪な空気が動いた。

日曜日は天気も良くなるようだ。
寺の営繕も停滞しているし、そろそろ草刈りを再開しようと思う。
とりあえず、老僧の状況次第だけどね。

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農繁期 

2015/05/15
Fri. 23:15

久々の石見銀山だったので、延々とパソコンにかじりついていた。
作文しなければいけない書類が溜まってしまって、まったく終りが見えない。
そうこうしているうちにお昼が近づいて老僧の病院から電話はかかるし、もう身体がいくつあっても足らない。
書きかけの書類を途中で打ち切って出かける準備をしていたら電話が鳴った。
何かと思ったら、メール送信しなければいけない用事をコロッと忘れていた。
あわてて書類をPDFに置換えたりしていたら、また電話が鳴った。
早速、現代彫刻小品展の申込FAXだった。
〆切は7月3日にしているのに、目茶苦茶早い。
こんなに早く届いてしまうと、ドタバタの毎日で申込用紙のことをコロッと忘れてしまうかも知れない。

とにかく、平日最後の金曜日は何かにつけて用事が溜まってしまった。
何とかやりくりして病院へかけつけたら、老僧が身体を起こす腹筋も機能しないほど弱っていてビックリした。
それでも気持ちは退院を目指していて、必死で元気を装っている。
あまりにもけなげでウルッと来つつ、一方で生への執着の凄まじさに恐ろしさも感じた。
とにかく、脳みその正常がどんどん失われている。
食事も全く手を付けようとしないまま、「お粥と煮しめを食べた!」などと上手に話を作って取り繕おうとしている。
ほんとにけなげだ。

夕方まで病院へいて、老僧の食事用のテーブルを使って書類の続きを打ち込んだ。
やっぱりどこかしら落ち着かなくて集中できなくて文章に精彩がない。
大切な申請書類だから手落ちがあってはいけないし、なかなか厄介な仕事を病院の老僧の前で落ちる点滴を見ながら進めている。

ふと思いついて、老僧の生家の親戚を訪ねた。
いろいろと今後のことを伝えておいた方が良いと思ったからだ。
人間面白いもので、若いうちは仏事のあれこれどぉ〜のこぉ〜のどうでも無関心だったのが、歳をとるとともにまんざら無視も出来なくなってやたら信心深くなる。
訪ねた親戚さんも、家を守っているおくさんがことあるごとに仏壇の事や位牌の事や遺影の写真のことなど、マメに質問される。
聞く方は適当に返事をそらす訳にもいかなくて結構緊張するし疲れる。
やっとの思いで会話の切れ目を探して、一気に結界君へ乗り込んだ。
石見銀山の駐車場へ着くと、すでにワイフの車が停まっていた。
やっぱり、誰もいない家に帰るよりは気持ちが華やぐ。
例の如く、脱走を企てようとしたクロが私の帰宅を出迎えてくれた。

キーポンがいなくなってすぐに寺暮らしが始まったから、石見銀山の自宅にはワイフが一人で留守番する事が増えた。
そういう事もあって、ジャマなオヤジがいないことで日常の暮しに少しずつ自分のペースを掴みつつある。
留守番が増えたワイフは、毎朝小学校の登校に声をかける事が日課になりつつあって、そのうち朝の散歩がわりにネコチャンズを濡れ縁の柱につなぎ付けるようになった。
背中で×に交差するリードがなにやら祭りの囃子を思い出させる。

ここにきて一気に田植えが加速した。
田の稲の方も、このままいけばほぼ例年並の成長が期待されそうだと地区の古老がもっともらしくしゃべっていた。
これで田植えが一段落すると、今度はアチコチで氏神様の春祭が始まる。
坊主の方は大般若会の手間替えがスタートになる。
とにかく、落ち着かない毎日がハイスピードで過ぎていく。

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ツメトギハウス鎮座 

2015/05/14
Thu. 21:04

入院した老僧は、脳みその幾つかのスイッチが入りっぱなしになっていたり、別の幾つかのスイッチは接触不良でうまく機能しなくなっていたり、他の幾つかはショートしてしまったりしているようだ。
それでもまだ息子の顔は分かるようで、それなりに親子の会話の幾つかは成立したが、坊主の師弟関係の会話は上の空という感じだった。

今回の直接の原因は脱水症状がひどくて入院した訳だが、さすがに現代の医療のおかげで、一晩でかなり改善していた・・・などと偉そうに素人診断している訳だが、足のむくみがもどっていたから、単純にそう思っただけのことだ。
入院する前は何ヶ月ぶりかで足の甲の骨が見えるほどに水分が枯れていたから、それで心配になった訳だけど、おかみさんは逆に「足が元にもどっとるがね!」と喜んでいた。そのあたりが素人診断のヤバイところだと思うんだけど、本人は息子の云う事を無視して聞いてくれない。

こうして老僧が入院してくれたおかげで、久々に・・本当に久々に自分の溜まった仕事に専念できてとても助かっている。
老僧の見舞いをすませてから、1日で200kmを走った。
どんどん遅れていた現代彫刻小品展の前フリをほぼ1日かけて取り戻す事が出来るまでにいったと思うが、それも何処かであれこれかなり抜け落ちていたりする事だろう。
交通安全週間の最中で、やたらアチコチに警察関連の関係者が目立つ。
そんな中、移動中の無駄な時間を有効利用しようと片手運転しながらスピーカーフォーンにして事務連絡の電話をかけっぱなしだった。

ポットに仕込んだコーヒーは無くなるし、昼飯抜きで腹は減るし、この歳になってなかなか自分の身体を酷使してるなと思いつつ、ジャンクフード好きオヤジのささやかななぐさめとご褒美美に、ついついマクドナルドのドライブスルーへ結界君のハンドルを切ってしまった。
これから市役所の後援依頼などをお願いするというのに、あまりにもくだけてだらしないTシャツスタイルにチーズバーガーの汁をタレこぼしたりして、そのまま総務課の窓口を訪問したりしてしまう自分の神経を恥じるというより、激励してやりたいほどの気持ちになってしまった。

石見銀山の自宅前駐車場へ帰ったら、クロが玄関口の引き戸に張り付くようにして迎えてくれた・・・というより、虎視眈々と脱走を狙っていただけのことなのだが、私のガードの硬さに負けてサッサとリビングへ引きあげてしまった。
そのリビングで人見知りのシロがオヤジのダッコを目当てに待機していた。
台所から美味そうな夕食の匂いが漂ってくる。
私の帰宅を家族みんなが喜んで迎えてくれている気がした。

好物の鯛のお頭アラ煮が目茶苦茶美味かった。
やはり、鯛は塩味にかぎる。
飢えていたトマトや豆腐にもありつけた。
なんだかんだ言ってもさすがにワイフの凄いところはこういう時のさり気ない気配りに尽きる。
ネコチャンズもしきりに鳴いてくる。
石見銀山の我が家の居心地のよさを全身で感じる。

留守の間にオールシーズン常設のストーブ脇にネコチャンズの真新しいツメトギハウスが鎮座していた。
寺のロフトよりずいぶんと居心地がよさそうだ・・・と一瞬真面目にそう思ってしまった。

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老僧が枯れる 

2015/05/13
Wed. 20:56

老僧がまた入院した・・というより入院させた・・というより入院させられた・・・
解釈や立場の問題で、なかなか言い回しを一つに絞れないでこまってしまうが、とにかく今は寺じゃなくて病院で寝ている・・はずだ。

今週に入ってから食事が咽を通らなくなった。
それに水分もほとんどとらなくなって、1日でコップに1杯飲むかどうかの状態が続いた。
おかみさんは、何とかしてメシを食べさせようとしたり水分をとらせようとして老僧をいじめまくっていた。
ほしくないものを無理やり押し付けるのもどうかと思うから、2人の様子を空々しくながめていることもなかなかつらかった。

この数日間の様子から判断して、訪問介護さんと相談して、通院するところまでは決めた。
あとはドクターが判断することで、私はそれに従うことにした。
年寄りが水も飲まないでメシも食べないで寝てばかりいる訳だから、瑞々しさなど期待できる訳もなく、日々しだいに枯れていく様子が手に取るようにわかる。
遂に断食即身成仏を決め込んだか!
遺偈(坊主の遺言)の一つでもひねり出したか!
と、いっしゅん老僧の高僧ブリを期待したのだが、別にそういう訳でもなかったようで、入院はイヤだとか、3日で帰れるのかとか、この期におよんでジタバタと聞き訳がないまま、いつのまにか病院仕様のパジャマに着替えさせられてしまっていた。

ちょうど、今のネコチャンズが吉田家にやってきた年の2月に永眠した犬のシェパ爺の最後の一週間に状況がよく似ていたので、今回の通院も運良く点滴程度で納まるようだったら、赤来高原をぐるっと一周ドライブでもしてやろうかと思っていたのだが、それもひとまず流れてしまった。
シェパ爺の最後は私が一人で看取った。
荒い呼吸がしばらく続いて、それが少しずつ静かになって、私を見つめた視線の焦点が泳ぎ、それから息が絶えた。とてもステキでカッコイイ死にザマだった。
彼の大きな瞳に見つめられながら最後を看取ることが出来たことは良い思い出として記憶に残っている。
出来たら、老僧もそうやって看取ってやりたい・・・と思っているが、さてどうなることやら・・・
最後までドタバタしそうな気もするし、なかなか複雑な思いだ。

今のネコチャンズはまだ3歳だから上手に生き長らえてあと20年かぁ〜
さて、どっちがどっちを看取ることになるやら・・

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ねこ 

2015/05/12
Tue. 20:10

前日の夕方から人と会う約束があって、その場所は寺より石見銀山の方が近かったから、そのまま自宅に移動して久々に石見銀山で朝をむかえた。

帰宅は真夜中に近い時間で、ワイフはもう自室で眠っていた。
出迎えてくれたのは脱走の常習犯のクロ君だった。ネコのことだからイヌ並にちぎれるほどシッポを振って媚を売ることもないことはわかっていても、脱走の失敗がわかるとサッサと何処かへ引きあげてしまって、あまりにあじけない態度に少々寂しい思いをした。
土間から部屋に上がると、テーブルに夕食が用意してあった。
少し前に電話で野菜が食べたいと愚痴を言っていたことを覚えていたのだろう、野菜タップリのおかずが並んで、ホタルイカの沖漬けが添えてあって、これを見たらヤッパリ麦とホップがほしくなった。

夜半から風が強く吹きはじめた。
時々凄い音もしはじめて、その度に目が覚める。
朝方になってワイフのネコチャンズを呼ぶ声で目が覚めた。
しばらくして、いつになく厳しい顔で叱られた。
「あんた、お風呂のドアをチャンと閉めてないからネコチャンズ、逃走しちゃってるじゃない!」
とんでもない濡れ衣だよ!それは・・・
寺を出る時にシャワーを済ませていたし、帰宅も夜遅かったから風呂のドアに触ってもいない。必死で弁解をしてなんとなく無実をわかってもらえたようだが、久々の我が家だというのになんとなく目覚めが悪い。
それでも野菜タップリの朝食を作ってくれたので、さりげない愛情に少し気が晴れた。

夜の風が朝になって少し落ち着いたら、急に雨足が強くなった。
その頃、白が裏口の方で「ただいまぁ〜」と鳴いた。抱き上げると背中が少し濡れている。それからしばらくしてビッショリと濡れたクロが玄関から帰ってきて「部屋へ入れろ!」と鳴いた。
ワイフも私も出かける間際だったので奴らに鳴声一つでいいように使われつつ、それでもひとまずホッとした。

それから午前中いっぱいは、つなぎを着て現代彫刻小品展や現代彫刻振興委員会の用事を済ませた。
工場の入口に立てかけてあった12mm厚の鉄板が見事に倒れて、その前に置いてあった色々なものがペチャンコにつぶされていた。あんなに重たい鉄板が倒れるくらいだから、昨夜の風は相当に強かったようだ。
雨の中、倒れた鉄板を人力で起こしたらクラクラした。まだそれなりの力や体力があることはわかったが、もうそろそろ無理も出来ないということも気がついた。

いつもだったら、仕事の無い時も工場にこもって小物など生活費の元を造ったりしていたのだが、最近はそれも出来ないまま寺暮らしが続いている。
鉄で造った在庫も残りわずかになった。

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自分流 

2015/05/11
Mon. 23:47

寺暮らしが始まってから、デスクワークのスタイルが一気にアナログになって、印刷するのもプリンタを動かすだけで苦労する。何事も日進月歩というか、全国レベルではまだ発展途上の島根県の石見銀山で使っているインターネット回線でも、気がつかない間にずいぶんスピードが速くなったし、何といってもこういう時に無線のありがたさを身をもって感じる。
世間の変化についていくのがやっとだと思っていたのに、気がつけば結構それなりに順応できている自分がいたりして少しばかり嬉しかったりもする。複雑だ。
とにかく、そんなこんなで予定のスケジュールが大幅に狂って今日になってやっと今年の展覧会要項を発送することが出来た。

台風の影響だと思われる風が朝からしだいに強くなってきた。
荒れ寺の現実を見ないフリですます訳にはいかないし、見た目だけでも小奇麗に維持しておこうと草刈りをはじめた。
連休前に刈った草や切り倒した桜や剪定したサツキや松を集めて山盛りにして火をつけた。
いい感じで風が少々強いから、アッと言う間に火が回る。
先ほど刈り倒した生の草を火の上にかぶせると勢いよく燃えていた火が一気に濃厚な煙に変る。
煙の勢いが無くなるとそれがまた火に変る。
この頃にまた乾燥した枯れ草を集めてその上にかぶせる。
一気に火が立ち上がったらまた先ほどの生草を集めて火にかぶせる。
・・・これを延々とくり返して、時々山を崩してまた同じことを延々とくり返す。
これが自分流のたき火で、ワイフと結婚してから現在まで色々工夫した結果、この方法が最も効率良く短時間でたき火が終わるし、消化も自然鎮火を待てばすむし、最後の灰の処理も比較的楽に終わる。

そんなことをしていたらおかみさんが大慌ての大声で叫び狂いはじめた。
風が強いからまわりの土をかぶせてたき火をすぐに消せと言っている。
もう昔からこんなに風が強い時は絶対たき火はダメだというコトになってるんだと叫んでいる。
膝が曲がらないままヨチヨチ歩きで寺の参道を降りてきそうな勢いだ。
90歳のばあさんが60歳のジジイを叱り飛ばしている。

色々工夫して見つけ出した自分のオリジナルを全否定されてしまっているようで無性に腹が立った。
昔ながらの自分流をかたくなに守り続けるのも良いかも知れないが、人にはひとそれぞれの工夫や方法もあって当然のこと。
「オレだってちゃんと自分流があるんだよ!」

彫刻を造りはじめてから30年以上、延々と火と付き合ってそれなりに自分流に工夫して今に至っている。
誰に何を云われても、変えたくないことの一つや二つはありますよ。私にだってね。

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刻の鐘 

2015/05/10
Sun. 22:35

久々の年回法事は目茶苦茶眠かった。
このところ老僧が一晩中ゴソゴソ動き出したり、アァーウゥー唸って独り言が止まない。
それでなくても不眠症のうえに、ウトウトしかけたところへそれがはじまるから、結局朝まで眠れないまま本を読み続けて夜が明ける。
おかみさんも老僧のおかげで眠れなくて機嫌が悪いし、万善寺の朝食は散々な状態で始まって終わる。

いろいろ準備をして法事へ出かけた。
ご親族が関東や関西広島あたりからお参りされていてにぎやかだった。施主家の跡取りさんは出雲に在住だが、その家族が一番最後に到着されて、結局お昼前から法事が始まった。
寝不足で眼鏡の焦点が定まらないでお経の文字がチラつく。
参列の皆さんは、それぞれ必死で経本の修証義にかじりついておつとめされているから、坊主がお経を間違う訳にはいかない。
5月とは思えないほど暑い1日で、衣替え前の袈裟に身を包んで大汗をかいた。

仕出し弁当の斎膳をいただいて、ノンアルコールのビールも飲んで寺へ帰ったら、一気に眠気が襲ってきた。法衣をたたんで後片づけをしてロフトに上がったら、知らないうちに爆睡していた。
2時間近く寝ただろうか・・気がつくと老僧が珍しくテレビをつけている。
そうか!今日から大相撲が始まったんだ。大相撲は彼の唯一の趣味と言っていい。
前回は、相撲中継の前半が終わったあたりで入院することになった。結局、病状も若干回復して退院できたし、こうしてまた大相撲を観ることも出来た。本人は何を考えてどう思って大相撲を観ているのだろう?
このところ、急激に脳の機能がショートし始めているが、それでもまだまだ正気なところもずいぶんたくさん残っていて、相撲中継が終わった途端に大声でおかみさんを呼びはじめた。
何事かと思ったら、しかめっ面で一言「鐘!」
そうか、夕方の刻の鐘の時間だった。
あわてて割れ鐘をついた。

寺の前の田んぼで営農組合の人達が田植えをしている。
「昔は田植えというと6月の梅雨になってもまだ終わらないで田んぼに入ってましたなぁ〜」
斎膳の席は田植えと、それにこの春全線開通した松江道の話題で盛り上がった。
5月の台風も来ているようだし、地球の環境も大きく変ってきたものだ。道も田んぼもこの50年でずいぶんスピードアップしている。
変らないのは、1年中老僧夫婦が守り続けている万善寺の刻の鐘くらいかもしれない。
さて、それが私の代に引き継げるかどうか・・・まぁ、無理だろうなぁ・・

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自撮り挑戦 

2015/05/09
Sat. 20:54

自撮りというヤツは難しいですなぁ・・
私くらいのオヤジになると、地鶏は好物でなかなか味にうるさいが、自撮りというと普通に暮していたらまったく縁がないことだからなぁ・・

まぁ、それはさておいて、なっちゃんからオヤジの誕生日プレゼントが届いた。
といっても、時期的にはワイフをターゲットの「母の日」というヤツに添えられた感じが濃厚かも・・
そういえば、たしか正式なオヤジの誕生日前後に「お父さんの誕生日プレゼント買ったからね♡!楽しみにしておいてね♡」なる、メールかLINEか電話か何かをもらった気がしないでもない。
それでもナンダカンダ言って、こうやってオヤジ名指しでリボンなどついたイカニモの包装が届いたりするとイヤな気はしない。
早速カジュアルなシャツを着用し、立派なブランドバックに武骨な2Tハードディスクを入れて、そのスタイルで寺へ引き返した・・・ということは、久々の石見銀山へさり気なく老僧を連れて帰った本当のネライは、なっちゃんからの荷物発送の情報が入ったからなのですよ。
それにしても、自分で買おうと思ったら、まず100%手を出さないほどのジャンルがチョイスされていて、なっちゃんのセンスというか、なっちゃんのオヤジ観はこういうことなのかと再発見させられた。

腕が短かいので、最初から全体像は期待できないものの、何とか雰囲気だけでも伝わってほしいなと苦労して自撮りしてみた。ようするに、チョットだけ「ドォ〜だ、イィ〜だろぉ〜」と自慢したかった訳であります。
連日連夜、ジジババに鍛えられて不眠症が悪化しているオヤジにとっては、なっちゃんのプレゼントは一服の清涼剤として、十二分の効能を発揮したのでありました!
ありがとね!なっちゃん。

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単身赴任の夜 

2015/05/08
Fri. 20:58

考えが甘かった!ヤバイ!
もっとサクサクと仕事がはかどるはずだったのに・・・
連休が終わって寺暮らしが再開したのだが、予測していた仕事のペースがいまいちつかみにくいまま1日が終わってしまった。

老僧の方は食欲も戻らないままなのだが、私の顔が見えるだけでなんとなく元気が出てくるようだ。おかみさんの方は、あいかわらず私の顔が見えると愚痴ばかりが出てくる。
まぁ、こんな調子で1日が過ぎてしまうわけだ。
自分の予定している仕事が出来ないことはなかなかのストレスになる。しだいに落ち着かなくなるし、イライラするし、自分を制御できなくなって大声を出してしまったりする。
午前中は何となく過ぎて何とか気持ちも波風なく過ごすことが出来たが、昼ご飯で少しばかり乱れた。
ロフトに避難してイヤフォンでiPodをガンガン鳴らして世間を遮断して小一時間ばかり自分に閉じこもっていたら少し気が晴れた。

夕方から教区内の総会があった。
寺の住職と檀家の総代役員が集まって、事業報告や会計予算決算の報告審議などがある。
今年の総会は結構もめた。万善寺のような弱小末寺はバリバリで寺務経営の立派なお寺とはラベルが違う。全てが別世界のごとき話題で会議がもめる。結局寺へ帰る頃には結界君のライトが必要になっていた。

寺の周囲は田おこしが終わってしろかきもすんで用水路から水が回ってあとは田植えを待つばかりになった。
いつもはうるさいほど聞こえる耳鳴りが気にならないほどカエルがうるさい。
だいたい一晩中こんな調子で鳴きわめいているから石見銀山にいる時よりもにぎやかだ。

単身赴任の夜も、LINEのおかげで家族が近い。
他愛ない会話ばかりだが、それで気が紛れる。
今のところ、吉田家のみんなはそれなりにオヤジの会話に食いついてくれている。
ありがたい。本当にありがたい。

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薬だけではダメ! 

2015/05/07
Thu. 22:22

持病の薬が切れたので朝早くからかかりつけの病院へ行った。
連休明けの最初の平日だから、駐車場も待合室も満員。

あまりに患者が多いので、いつもの気楽なノリで「薬だけ出してもらう訳にはいきませんか?」と受付の事務員さんに甘えたら、そのすぐ後ろでドクターの奥さんの耳に入ってしまって、しっかりピシャリと叱られた。
「しばらく診察受けていらっしゃらないから、薬だけはダメですよ!」
しまったと思ったが、時すでに遅し。
次の予定もあるし、保険証の番号だけ確認してもらって早々に退散した。

連休中は寺から遠ざかっていたから、おかみさんの無限の報告愚痴話を聞かなければいけないと思うと憂鬱でしょうがない。
病院から直行して境内へ結界君を乗り上げると、案の定おかみさんが縁側で私の帰りを待ちかまえていた。
それから、さて?どのくらい耐えたのだろう・・・
まるで拷問のような時間が流れた。

老僧は、日ごとに正気を失っている。
首から上は頭蓋骨に皮膚が張り付いたように形相が変化している。
世間で総称する認知症というヤツが悪化している。
その筋の学識者によると、認知症には「脳が萎縮して脳機能が低下する」症状と、「自尊心が崩れ自分の役割を失う」症状があって、これらの症状を総括的に判断して対処療法をしないと、投薬療法のかいもなくどんどん悪化して進行してしまうということらしい。

老僧は、基本的には楽観者でくよくよと深刻に物思いにふけるタイプではない。
それでも、自分の体力が衰え、内蔵の幾つかの臓器が少しずつ機能しなくなると、しだいに自分の身体が自分の思うようにいかない苛立ちが高じて自らを律することが出来なくなってしまう。
そこへおかみさんが追い討ちをかけて犬畜生の如く地獄の底へ突き落としてしまう。
自制の効かなくなった高齢者たちの醜く酷い行為が増幅して収拾がつかない。

おかみさんの脳は老僧よりマシで正常だから、自らの言動を慎んでもらわないといけないところもあるがそれが出来ない。身内の、それも自分の子供から注意されることも我慢できなくて、私の云うことを一切聞いてくれない。

「もう、そんなに若くないんですから、無理はいけませんよ!無理は!」
珍しく真顔になったドクターに、血圧を測りながらわざわざ私の肩に手を当ててそう言われた。
最近は、何かと不眠症が続いて朝方まで眠れないことが多いし、ドクターに言われなくても自分で十分自覚出来ていることなのだが、だからといってこればかりは誰かに代わってもらう訳にもいかないし、どうしようもなく仕方の無いことなんだよね。

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連休もゆかり美術展も終了 

2015/05/06
Wed. 21:15

ワークショップに併設の大田市にゆかりのある美術家作品展が本日で終了した。
連休も前半は雨に降られたがその後好転していい天気が続いた。
島根県のような田舎のこういう時の室内イベントは閑古鳥が鳴くほどヒマになる。
それでも出品してもらった作家をはじめ、地元でお世話になっている皆さんは気にかけてくれていて、クローズギリギリまで来場が絶えなかった。
この絵画展を企画してくれた地元の作家さんの人脈と人柄のおかげだと感謝している。

私の場合、日頃から何をするにも思いつきが先走って、肝心の本番にはアレコレ抜け落ちたほころびを取り繕うことも出来ないままダマシダマシまわりのいろんなひとに迷惑をかけながらやったごとで済ませてしまう傾向が強い。
今回も結局似たように不完全の曖昧なままコトが進んで終わってしまった感がある。
いつもいつも反省ばかりが山積して取り返しがつかない。
それでもワイフは、こういう時には特にさりげなくやさしい。
美味い夕食をタップリ用意してくれた。
おかげで麦とホップがいつも以上に美味くて飲み過ぎた。

明日からは日常の現実が戻る。
夕食が終わってくつろいでいたら寺から電話があった。
「戻るんじゃないんか?まだ戻らんのか?どがぁなんか?わからんが?」
「明日の朝には、戻るけぇ〜ねぇ〜。あ・し・た・の・あ・さ・だよ!」
電話の向こうでは耳の遠くなった老僧の混乱した大声がくり返し問いかけていた。

結界君には、デスクワークの工具や材料がすでに積み込んである。
ラップトップの書類もまとめる資料が揃っている。
問題はインターネットの脆弱な環境でメール事務連絡の不具合が少々心配だが、これは自分の場所移動で何とか乗り切るしかない。

自分の都合でしばらく遠ざかっていた寺暮らしが再開する。

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未完のかたち 

2015/05/05
Tue. 23:48

あわただしいまま、気がつけば連休も残すところあとわずかとなった。
島根では、西も東も海辺も山間部も、至るところで田起こしからしろかきが始まっている。兼業農家で土日祭日を農業に当てている農家では、今がかきいれどき。
遠方で暮す次世代の家族も、里帰りがてらの農作業で忙しい。
いつもは見かけることもない顔を隣近所のアチコチで見かける。

寺の老僧が入院以来気弱になって、ひとまず退院できたものの息子の私を恋しがるものだから、春先から連休に入るまでの期間、自分の仕事も出来ないまま高齢老夫婦に付きっきりだった。このままだと、彫刻からどんどん遠ざかって縁遠くなっていきそうだと、少々焦りはじめてしまう。
老僧の寝ているベッドのすぐ横に、手仕事の道具を持ち出して柔らかい凝灰岩を削ったりして気を紛らわせていたが、締め切った薄暗い部屋ではいつまでも長続きするものでもない。結局、天気のいい時は、道具と一緒に老僧も縁先まで連れ出してひなたぼっこをしながら手を動かし続けている。
指で摘むのも面倒なほど小さい石粒をガリガリ削る程度のことなのに、やはり日が差し風が過ぎ、山が騒めき、若鳥がさえずり、農耕機や草刈り機の機械音が谷間にうるさくこだまする野外の方が気持ちよく無心になれる。

どんなに大きくても、どんなに小さくても、彫刻を造ろうとか何か面白い形にしようとか、そういう気持ちで材料と向き合っていることが、自分にとってどれほど重要なことで大切な時間なのかということを、久々に強く意識している。
この近年は、ものの形のことや、その背景を支える創作の主題のことを本気に深く掘り下げることもしないまま、「つくるということ」に慣れて惰性をむさぼってばかりいたような気がする。
自分でいうのもどうかと思うが、最近の自分の彫刻は、どちらかといえば形がシンプルで単純なわりには、わざと主題の本意をぼかして曖昧に見せているようなところがあるから、特に何に見えるとか、何をイメージしているとか、そういう形態と主題がダイレクトに結びつく表現からはかなり遠いところに位置した造形物になっている。

こういうタイプの造形物では、1つ1つ完結した形の連続というより、常に未完の形がジワジワと伸び広がって増殖または寝食していく様子そのものを認識することの心のゆらめきを自覚したり、ゆっくりとした経年変化の発見があったりするところに、造形の面白みとかうまみを引き出すことが出来たらいいと思っている。

これから先、自力で納得のいく彫刻を造れる時間は減っていくばかりだと思っている。
過去をふり返ると、どの時期のどの彫刻もそれなりに愛着がある。
もっと気楽に造ることを楽しみ続けながら過去の主題を追いかけるのも良いなぁと思うこともよくあるが、どうせなら、体力の続く限り今の創意工夫を掘り下げていきたいとも思う。

萩からの彫刻搬出が深夜になった。ストウさんには、搬入搬出で言い尽くせないほどお世話になった。「こんな重たい彫刻は、もうこれが最後にしましょ!」女流彫刻家のワイフにそう言われた。
これから先、自分の造りたいものを造れば造るほど周囲の皆さんに迷惑がかかることになる。なかなか悩むところだ。そろそろ潮時を読むことも必要かも知れない。

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100円均一ワンコインワークショップ 

2015/05/04
Mon. 18:49

とみやまカフェのワークショップが盛況のうちに終わった!
・・・といっても、100円ショップならぬ100円均一ワンコインワークショップだから、材料代にもならないほどの赤字だが、かわいい子供たちが喜んでくれる笑顔を見るだけで十分に元はとれていると思っている・・・のは多分私だけのことだろう。

朝から霧雨や小雨が降り続いて久々に冷え込んだ。
それでも、会場のランチルームを掃除したり、工具や材料を運び込んだりしていたら少しずつ身体が温もってきて汗ばむほどになった。
オープン間際からお客さんがやってきて一気に忙しくなって、記録の写真を撮る暇もないほどだった。
途中で材料の部品が足らなくなって、色々工夫したがそれでも続けることが難しくなって、予定の時間より1時間ほど早くクローズした。

いつもの常連さんや、幼稚園や小学校の子供たちや、若いお父さんや、家族連れや、おばちゃんおじちゃんなど、年齢層も幅広い。
今回は、地元作家や地元ゆかりの作家の絵画作品を集めた絵画展も併催したので、出品者の絵描きさんも訪ねてきてくれた。

まだ新しくて立派な校舎が閉校になって人影もなくほこりっぽい空気が淀んでいる教室に、こうして1日だけでも新鮮な空気が入り込んでくると、不思議なことに部屋が生返ったように華やいでくる。
閉校して備品や什器を搬出したあと、いらないゴミだけが残って倉庫代わりに使われていた部屋には、動力が消耗して動かなくなった大きな壁時計の針が5時過ぎを指している。
もう何年も動いていないことがわかっているのに、ふと見上げた時計の時間を確認して一瞬焦ってしまう。
「今度この部屋を使う時は、まず最初にあの壁時計を撤去しておこう」・・・いつもそう思っているのだが、次に使う時はもうそのことを忘れてしまっていて、また同じように動かなくなった時計を見て同じように焦ってしまう。

夕方の定時まで残って施錠が終わった頃には、雨もすっかりあがってインターロッキングの庭も乾いていて、結界君が駐車していた跡だけがシットリと濡れ残っていた。

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萩往還まつりスタート 

2015/05/03
Sun. 22:45

萩往還まつりの1日目が終わって交流会へ出席したあと、急いで石見銀山へ向かった。

途中、2箇所ほど山陰道無料区間が延長されたおかげで、萩から石見銀山まで3時間で移動できるようになった。一人暮らしをはじめたキーポンの暮すところまでも3時間だから、日本海側の山陰沿岸も時間距離がずいぶん短くなったものだ。

私が30代の頃は、前に住んでいた大田市から石見銀山まで車がすれ違うことが出来ないほどの細くて曲がりくねった道で30分以上かかっていた。それが今では15分もあれば楽に移動できるほど時間距離が縮まった。
都市部や太平洋側のように交通網が発達している訳でもないが、それでもこうして少しずつ山陰道が伸びてくると、やはり生活の無駄な時間が少なくなっていろいろ都合よく便利になってくる。
今回もその恩恵にあずかって、こうして明日の用事のために日が変るギリギリのところで帰宅できた訳で、少しは身体の休養にもなるしありがたいことだ。

2tにめいっぱい詰め込んだ彫刻は、早朝6時から搬入展示作業に入った。指定の場所に設置が終わったのは8時過ぎだった。途中雨が激しく降りはじめたりして予定の配置を変更するようなこともあったが、なかなかいい感じで展示できたと思う。
2日目は2人の作家へ撤収搬出作業を託すことになる。こうしていつもの書斎でキーボードを叩いていても、肩や腰や膝や身体中の至る所が筋肉痛で痛い。

若い2人できちんと積み込んでもらえるか若干不安なこともあるが、こういう作業は身体で覚えていくしかないから、まぁ、今回は吉田オヤジの親心ということで、よろしくお願いいたします!

さて、どんな展覧会になったのか・・・雰囲気だけでも味わってください。

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発進!ボクの連休 

2015/05/03
Sun. 02:13

こんばんわ!・・・というか、もう午前様だからおはようございます!かもしれんけど、それはチョット早い気がするから、やっぱり、「こんばんわ!」だろうな・・

ということで、只今、萩の明木周辺で車中泊をしています。
シュラフもあるし、セブンイレブンで買い込んだ夜のお供(ビールとおつまみ)もあるし、なかなかいい感じで盛り上がってます。

何故連休早々こんなことをしているかというと、彫刻のミニ展覧会のために昇降機付きの2tで移動している訳。
朝の6時起きで彫刻設置作業の予定で、3日と4日の2日間だけの濃密な彫刻展になる。
出品作家はすべて島根県。
吉田満寿美(ミクストメディア)
松田淳(FRPと木)
周藤豊治(鉄)
吉田正純(鉄と石)
以上4人の彫刻を展示する。

今年がはじめての試みなので、結構ドキドキしている・・・この歳になって・・・
これで上手くいったら、しばらくお呼びがかかるかも知れない。
今は、予算もなくて赤字になることがわかっているが、内容が良ければそのうち赤字も解消されるかも知れない。
まぁ、そんなふうに希望的観測にときめきつつ、一方で現実の厳しさもわかっているから手放しで喜んでいる訳でもなく、結構クールに現状を直視しつつ、やっぱり、こういう彫刻振興のひと役くらいは面倒がらずに地道にお付き合いを続けた方がいいと思っているから、こうして車中泊を楽しんでいる訳なのです!

在家坊主という職業は面白いもので、世間の忙しい時と暇な時がほぼ完全に真逆になった暮しをしている。
たとえば、盆正月がそうだし、年末年始がそうだし、こうして年に数回の連休もそうだ。
俗にいうサービス業の就業システムと似たような感じかも知れないが、田舎の末寺の山寺では、その仕事をほとんど住職一人で切り盛りすることになるから病気で寝込むことも出来なくなってしまう。

今回の彫刻移動も、そんな坊主家業の間隙を縫った強行軍になっている。
「あなた、さいきんこういう無計画に落ち着かないやり方が増えてるわよ」
石見銀山を出発する時に、ワイフが厳しくチェックしてくれた。
自分でも確かにそう思う。
だからといって、せっかくの誘いを自分の都合だけでことわりたくなかったし、こういう彫刻と一緒のドサまわりがなんとも好きだからしょうがない。

今年の連休は、あげ法事がひとつだけで、それも半日ですませて今に至っている。
本当に24時間あるのだろうかと疑ってしまうほど1日がやたら短い。
こういうことって、普通に考えるとやっぱり、「充実している」といってもいいんだろうねぇ・・・

それでは、朝も早いのでお休みなさいませ・・

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2015-05