FC2ブログ

工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

未完のかたち 

2015/05/05
Tue. 23:48

あわただしいまま、気がつけば連休も残すところあとわずかとなった。
島根では、西も東も海辺も山間部も、至るところで田起こしからしろかきが始まっている。兼業農家で土日祭日を農業に当てている農家では、今がかきいれどき。
遠方で暮す次世代の家族も、里帰りがてらの農作業で忙しい。
いつもは見かけることもない顔を隣近所のアチコチで見かける。

寺の老僧が入院以来気弱になって、ひとまず退院できたものの息子の私を恋しがるものだから、春先から連休に入るまでの期間、自分の仕事も出来ないまま高齢老夫婦に付きっきりだった。このままだと、彫刻からどんどん遠ざかって縁遠くなっていきそうだと、少々焦りはじめてしまう。
老僧の寝ているベッドのすぐ横に、手仕事の道具を持ち出して柔らかい凝灰岩を削ったりして気を紛らわせていたが、締め切った薄暗い部屋ではいつまでも長続きするものでもない。結局、天気のいい時は、道具と一緒に老僧も縁先まで連れ出してひなたぼっこをしながら手を動かし続けている。
指で摘むのも面倒なほど小さい石粒をガリガリ削る程度のことなのに、やはり日が差し風が過ぎ、山が騒めき、若鳥がさえずり、農耕機や草刈り機の機械音が谷間にうるさくこだまする野外の方が気持ちよく無心になれる。

どんなに大きくても、どんなに小さくても、彫刻を造ろうとか何か面白い形にしようとか、そういう気持ちで材料と向き合っていることが、自分にとってどれほど重要なことで大切な時間なのかということを、久々に強く意識している。
この近年は、ものの形のことや、その背景を支える創作の主題のことを本気に深く掘り下げることもしないまま、「つくるということ」に慣れて惰性をむさぼってばかりいたような気がする。
自分でいうのもどうかと思うが、最近の自分の彫刻は、どちらかといえば形がシンプルで単純なわりには、わざと主題の本意をぼかして曖昧に見せているようなところがあるから、特に何に見えるとか、何をイメージしているとか、そういう形態と主題がダイレクトに結びつく表現からはかなり遠いところに位置した造形物になっている。

こういうタイプの造形物では、1つ1つ完結した形の連続というより、常に未完の形がジワジワと伸び広がって増殖または寝食していく様子そのものを認識することの心のゆらめきを自覚したり、ゆっくりとした経年変化の発見があったりするところに、造形の面白みとかうまみを引き出すことが出来たらいいと思っている。

これから先、自力で納得のいく彫刻を造れる時間は減っていくばかりだと思っている。
過去をふり返ると、どの時期のどの彫刻もそれなりに愛着がある。
もっと気楽に造ることを楽しみ続けながら過去の主題を追いかけるのも良いなぁと思うこともよくあるが、どうせなら、体力の続く限り今の創意工夫を掘り下げていきたいとも思う。

萩からの彫刻搬出が深夜になった。ストウさんには、搬入搬出で言い尽くせないほどお世話になった。「こんな重たい彫刻は、もうこれが最後にしましょ!」女流彫刻家のワイフにそう言われた。
これから先、自分の造りたいものを造れば造るほど周囲の皆さんに迷惑がかかることになる。なかなか悩むところだ。そろそろ潮時を読むことも必要かも知れない。

IMG_5194.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2015-05