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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

人の世 

2015/05/24
Sun. 23:42

智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
・・・って感じだな。

とにかく、何をしても何かにつけて気に入らなくて、別にこれといって信念を通すほどの確たる持論を持つほどでもないままに、ことごとく何かしら口を挟まないと気がすまない。

只今の私の寺暮らしの世間事情がこういう感じなのでありますよ。

別に、いまさら愚痴をこぼしてもしょうがないんだけど、なんでこんなに窮屈に考えて窮屈に暮さなければいけないんだろうと、どうも理解に苦しむ。
こういう日常が延々とくり返されながら積み重ねられる歳月の事を思うと、本当に生きている事の無駄や虚しさが手に取るようにわかってくる。
ひとに使われる事の不条理はどんな場面でもついて回ってあとを絶つ事が無い。事の始まりは些細な出来事であっても、どこかしらそのことでいちどすれ違いが生じてしまうと、そのズレを補修するにはやたらと無駄なエネルギーを使わざるを得なくなって疲れるいっぽうで気が滅入る。

本当にまったく人の世は住みにくいものだ。

長年、自堕落に放り投げて見て見ぬフリをしていた寺の周辺事情が、どうも常識的限界を越えているような時期になってきて、少しずつ半世紀ほど前のシンプルでスッキリとした環境を再現しようと手を付けはじめた。
そもそも、ことの発端はおかみさんの過剰な自己満足の具体的実践にあった訳だが、人間、生きていれば生きてきた分だけ歳をとりつづけるし、精神も肉体も老化しつづけて若返ることがないことはわかっているはずなのに、その時の気持ちの高揚が抑えられなくてやらなくても良いことへ無駄に手出ししてしまった結果のツケが、半世紀たって息子の自分に回ってきた訳だ。

生き物とつきあうということは、やはりかなりの覚悟を決める必要がある。
自分で責任を持って制御できるうちは良いが、それがしだいに手に負えなくなったり、気持ちが逸れて来はじめてしまうと、あとは厄介なお荷物に成り下がるしかない。
命の無いものだったら何かの機会に捨てて処分してしまえばそれでスッキリするだろうが、犬猫と同じように鉢植えの草木や路地植えの花木になると処分出来ないまま延々と手入れしないといけなくなってしまう。
財力のあるお大臣様なら庭師の2~3人に声をかけて季節ごとのメンテナンスをくり返せばすむことでもあろうが、万善寺クラスではそういう訳にもいかない。
それこそ私が少年時代の半世紀ほど前は、寺のすぐ近所に暮すお檀家さんのおじいさんがマメにメンテナンスをくり返してくれていたりもしたが、それも今となっては過去の話。
最近は、草木のゴミを廃棄するのもお金が要る時代になった。
境内の隅でくよしをはじめても苦情が出る。
坊主面をして命の尊さがどうとかしたり顔でしゃべっている自分が、一方で草刈り機やチェンソーををブンブン振り回して花木をなぎ倒している。

おかみさんとしては、若い頃にせっせと育てた我が子のような趣味の花木がこうしてザックリと刈り倒されていく様子を見ることは断腸の思いでもあるだろう。
いずれはこうなることを半世紀前に予測してその時々を暮していてくれたら、息子の私も極悪人にならないで平和にのんびりと暮せたんだけどね。
せめて、自分の非を認めて「ありがとう」の一言でももらえたら、それだけで気持ちもスッキリと晴れるんだけど、現実はなかなかそううまくはいかないな。

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2015-05