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工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

彫刻の楽 

2015/05/25
Mon. 23:48

おもしろいもので、寺暮らしも長く続くと、自分が彫刻も造っているということを忘れてしまっていることがある。

夏のお盆や、正月の年末年始の寺暮らしは、寺の年中行事で最も忙しい時だし、寺務や作務でドタバタしている間にすぐに過ぎてしまうから、かえって自分を見失ってしまうこともない。
この度のように、老僧の一進一退に付添うことが用事のような日々を過ごしていると、知らない間に同じことがくり返される毎日の決められた日課に慣らされてしまって、何の疑いも持たないまま気がつくと彫刻家でもあるもう一人の自分が完全に消えてしまっていたりする。

せっかくだから少しでも寺の営繕を進めようとして、病院の付添をおかみさんに託すと、一時もジッとしていないでしゃべり続けているおかみさんに、さすがの老僧も閉口して食欲も無くなって体調が乱れてしまうようだ。
そのおかみさんは私への報告のつもりなのだろうが、その状態を逐一細々としゃべりながら「おじいさんは、わつし(私)が行くとすぐに甘えがでていけん!」などと勘違いしてしまっている。境内や寺の敷地から外へ出ることもないまま、自分の思うように90歳まで生きてきたわけだから、その頑固な偏屈はいまさらどうなるものでもない。
聞くところによると、そういう状況を医学的に説明しようとすると、一種の加齢によって大脳皮質のかい離現象が進んでしまったことによって現れる病的症状であると云うことらしいが、まぁ、そんなことをいちいちもっともらしく説明されても、「あぁそうですか」と理解はできるものの、それで何とかなるものでもなく延々とそういう日常が続いていくだけのことだからどうしようもない。

古人いわく「山林の楽を談ずる者は、未だ必ずしも真に山林の趣を得ず」とある。
私などその最たるもので、言い換えると「彫刻の楽を談ずる私のようなオヤジは、まだまだ彫刻の本質などまったく理解できてもいないのだよ」とでも云うふうになる。
それでも、坊主の所作や法要次第よりはずっと彫刻の方がわかっているつもりだ。こうして毎日の寺暮らしにハマっていると、かえって彫刻の楽を談ずることでずいぶん救われてもいる。
たしかに、彫刻の本質を理解するなどということは一生かかっても無理なことであるかも知れないが、ひとまず今のところは、その楽を談ずることで自分の正気を保っているようなところもあって捨て難い。

一杯の酒に心地よく酔って、例の如く寺のロフトでいねむりをむさぼっていたら、このシーズンはじめての蚊に血を吸われた。
そろそろ必要だろうと思って買っておいた蚊取り線香をポキッと折って点火したら、間も無くもだえ苦しむ蚊の羽音が聞こえてきた。
背に腹は代えられないから、結局殺生をくり返す。
夏安居の時期というのに、ばちあたりなことだ。

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2015-05