工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

吉田家の日常 

2015/06/30
Tue. 21:05

夜中に起き出してゴソゴソやっていたら、結局5時前になっていた。

家族のSNSでも確認しようと思ってiPadを開いたら、キーポンが反応した。
平日の早朝に何をやっているんだろう?・・と、ワイフに聞いたら、実習が近いからその準備をしているのだろうということだった。吉田家でゴロゴロしていた高校時代の彼女も、この数ヶ月の間にずいぶん大人になってシッカリしてきた。オヤジとしてはどことなく嬉しいな!

1年ほど前に日本を脱出したノッチは、シンガポールの日本料理屋で働いている。ホールを受け持ちながら、現地チラシやメニュー作成などのデザインや印刷オペレーターをこなして結構忙しくしている。オヤジに似て自堕落に暮らすことを信条に生き続けている彼女が、最近になって少しばかり真面目にまともに悶々と悩みながら働き始めているようだ。もう、それなりの年頃だから少しは色気のあるシナでも作って甘えた暮らしをしてもいい気がするものの、生来のわがままな強気が邪魔をしてまだまだとんがって生きているようだ。それでも、ローカルの新人さんにいろいろ厳しく怒鳴り散らして指導したりしているようで、彼女の面目躍如といったところだ。こういう時に留学で鍛えたネイティブの汚い英語が結構役立っているようだ。

東京暮らしのなっちゃんは、ことの成り行きで店長に昇格してから早いもので5年ちかくになるそうだ。小さい頃からシッカリした娘で、吉田家の誰に似たのかいまだによくわからないままだが、多分、なっちゃん以外の吉田家面々があまりにもいいかげんでだらしない性格なものだから、その反動で彼女が唯一吉田家の常識として生き抜くしかないと、いつの頃からか悟ったのだろう。1年以上前から人並みに彼氏もできてそれこそ常識的に年齢相応の暮らしをしているようだが、彼女ほどの厳しいしっかり者と付き合うのもなかなか疲れることだろうと、彼氏の立場を心配してしまう。まぁ余計なことだろうし、彼氏の方もあれでMの気が少し入っているかもしれないし、それはそれで、ちょうどいい感じで乗り切れているのだろう。

4月から隠岐の島で暮らすじゅんくんは、先日のおじいちゃんの遷化がかなりショックだったようだ。小さい頃から物心つくまでおじいちゃんとおばあちゃんに可愛がられて育ってきたから仕方のないことかもしれないが、やはり、自分としては病気が悪化して入院することになったおじいちゃんを自分の気がすむまで看取ることができなかったことの残念な思いや悔しさが忘れられないのだろう。実に優しい男に育ったものだ。その優しさはいったい吉田家の誰に似たのだろう。

ワイフはマイペースで、私が留守の間もネコチャズに癒されながらそれなりに普通に暮らしているようにみえる。私がいないことでいろいろ不具合もあるのだろうが、そのあたりに触れないまま、変わりなく私に付き合ってくれている。ありがたいことだ。

今朝、仮眠から目覚めた私は身体が固まっていた。何もできないまま今年始めて温泉へ直行した。

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もろもろ打ち合わせ 

2015/06/29
Mon. 23:59

大和尚の葬儀となると寺の大小関係なく簡単に済ますわけにもいかないから、組寺(近所の同宗の方丈さん組織)、教区(県内で幾つかに分かれている寺院集合組織)、それに寺の親戚関係の寺院である法類の方丈さんがたの中から、特に葬儀を取り仕切る時に重要な役割を持つ方丈さんがたが狭い万善寺へ一同に集まった。
この度の老僧の本葬は檀家葬という形で行うことになったから、檀家の代表や葬儀社、仏具屋さんも一緒に打ち合わせに加わってもらって総勢12人と喪主に当たる私。
毎年恒例の年中行事になっている仏事でも、近年になってこんなにたくさんの僧侶が集まることなどないから、万善寺にとっても住職の私にとっても全てが初めての体験になる。

彫刻の世界で展覧会を企画したりすると、20人くらいはすぐに関係者が集まってしまうから、別に人の頭数が多い程度のことには慣れていてどうということもないが、やはりそれが坊主集団になると、世間の常識では計りしれない僧侶にしか通じない専門用語が飛び交ってなかなかおおごとになる。
さいわい、ワイフが午前中の用事をやりくりして湯茶菓子弁当と接待を一人でまかなってくれたからなんとかなったものの、これを90歳のおかみさんへお願いなどしてしまったらそれこそ大変な大騒ぎになってしまったことだろう。
ナニワトモアレ、よくわからないままことが進み、お昼も過ぎて予定の2時間を超過するほどになったので、弁当を食べるもの、次第の確認をするものいろいろそれぞれにお昼時を過ごし、三々五々散会となった。

慌ただしく始まって終わった本葬の事前打ち合わせのあと、少し休憩してそのまま浜田へ走った。
ちょうど本葬の日には、すでに浜田で現代彫刻小品展が始まってワークショップも前半が終わっている頃なので、今までほとんど一人で切り盛りしているこちらの展覧会の方も捨て置いたままにもできないから、その辺りの事情を代行してもらう算段をしなければいけない。
まったく重なる時は見事に重なる。老僧もこの時を狙ったように最後までしぶとく食らいついてきて直属の弟子としてはなかなか厳しい修業三昧が続いている。
私がこれをなんとかしのいだとしても、途端に名僧高僧になるわけでもなく、万善寺の乏しい財産をごっそり搾り取られてあとに残るのは葬儀の借金程度のことなのがわかっていても、だからと言って規模を縮小してチャッチャと簡単に済ますわけにもいかないし、難しい判断を迫られている。いつもの軟弱極まりない自分だったら、とっくに全部をうっちゃって敵前逃亡してしまっているだろうなぁと、石見銀山の自宅に帰って、1日の疲れをシャワーで流しながらそんな不謹慎なことを思ってしまった。

久々に顔を合わせたクロが面倒くさそうに抱っこさせてくれた。最近留守がちなオヤジだが、それなりに普通に覚えていてくれてさりげなく癒してくれる。
久々にワイフと喋りながら夕食・・というより夜食になった。期間限定ゴールドベルグが美味かった。そのまま一眠りして少し元気になった。
さてこれから仕事仕事・・・って、真夜中だけどね・・・1日が短い。

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梅雨冷え 

2015/06/28
Sun. 22:04

島根県の赤来高原は、梅雨らしい雨が降ってから爽やかを通り過ぎるくらい冷え込んで肌寒くなった。
私はどちらかといえば寒さが気にならない方なので、あまり気にしないまま1日が過ぎてひと晩を過ごして次の朝になった。

久しぶりの法事へ出かけてみると、施主さん宅では「ゆんべはあんまり寒いもんですけぇ〜ストーブつけましたがねぇ〜」・・だったそうだ。
「今日も寒いですけぇ〜ストーブつけましょうかぁ〜」
おくさんが真顔でおっしゃるのでさすがにそれはお断わりした。
お茶飲み話でそんな話題に花が咲いてしばらく盛り上がった。

よくよく思い出してみると、私の少年時代は、7月に入っても梅雨の長雨で気温が上がらない時が結構頻繁で、寒さに耐えられなくて掘りごたつに炭を入れたりする日も結構あった。ナンダカンダいってもこの近年はそんなこともないまま気温が上昇して暑くなる一方だったから、冷静に過去をふり返ると地球は確実に温暖化傾向にあることが実感できる。
汗もかかないで、爽やかに法事を乗り切って寺へ帰ると、おかみさんが足元に毛布を掛けていたから、やはり赤来高原は結構冷え込んだようだ。

月曜日は憲正大和尚の二七日になる。
そもそも、坊主はすでに生きながらにして得度出家しているから世間在家の七日務めは気にしないまま過ごすのだが、そのあたりの事情を素直に理解出来ないまま毎日を在家感覚で過ごしているおかみさんにとっては大和尚の憲正さんも在家信者待遇で、毎日朝夕お参りを欠かすことがない。
私の方は、本葬に向けての事務処理が遅々として進まないまま悶々とした毎日を過ごしているのだが、おかみさんにはそんな表向きの決まりごとなど全く他人事になってしまっている。

生前に老僧が使っていた三畳の事務部屋を片づけて、半日ほど篭った。老僧の僧歴をまとめるのに、もう一週間も使っている。寺の本堂や庫裏のアチコチへ丁寧にしまい込まれた書類を探し出すのに一週間は全く足らない。
屋根裏の収納スペースは、イタチのすみかになっていて、ちょうど出入り口が彼らのトイレになっていた。溜まったウンコが乾燥していた。その先に何やら書類のひと山を確認することは出来たが、そこまで手を付ける前に心が折れた。まずは、見なかったこと、発見できなかったことにしてすますコトにした。
こうして、老僧の過去を整理してみると、本当に坊主一筋で生涯を貫いた人だったと改めて強く感じる。昭和から平成を坊主一筋で生抜くことが出来たことは、やはりとても幸せな人生だったのだろうと思う。少年時代から、生涯を僧侶として生抜くことを確信していた人だということが僧歴に見える。
彼の人生のほぼ半分は病気や怪我の入退院で過ぎてしまったが、それでも明るく溌溂と豪快な方丈さんを生抜いた。それだけでも立派な大和尚の資格十分だ。

憲正写真

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石見銀山基金事業報告会 

2015/06/27
Sat. 22:14

石見銀山基金事業報告会へ出かけた。
普通、こういう公的な会議は平日にあると思っていたら、諸官庁が休みの土曜日に招集がかかった。昨年の現代彫刻小品展を石見銀山で開催した時に助成金を頂いたので、その報告をした訳だ。
この助成母体は、ひろく一般からの募金で成り立っている。
毎年年末に募集がかかるので、せっかく石見銀山で彫刻展を開催するのだから、石見銀山に根付くような活動になればいいなと思って公募申請して2年目になる。

募集内容や条件が毎年少しずつ変るので、現代彫刻小品展のような毎年継続する事業はその年々の募集条件をパスすることに無駄な労力を使って苦労する。昨年の開催も、主たる展覧会事業より、それに付加的に添えられた要望に応えることの方が忙しくなって、本来の開催趣旨がかなり曲げられてしまったような気もした。
事業展開が私の許容を越えるくらいになったので、これは無理して助成金にすがらないで辞退した方が得策かなと思ったものの、結局一人で勝手に「ヤメマシタ!」ともいえないし、コアなメンバーで相談した結果やはり「せっかくだから助成金をもらいましょうよ!」ということになった。

結局は、報告が受理されるまで1ヶ月以上もダラダラと発展性の無い作文の書き換えが続いた。こちらとしては、すでに終了した事業でもあるし、今さらアレコレ修正を迫られても時間の無駄にしかならないから、助成母体の都合の良いように修正しながら事務処理をしてもらってもいっこうにかまわないことなのだが、まぁそのあたりは変にかたっ苦しい行政の外郭組織らしく、何ともし難いほどかたっ苦しいでっち上げの報告業務に終始した。
こういう躓きが肥やしになって、今後の事業展開へ活かせるといいと思うが、こればかりは私ごときがアレコレ口出しできる訳でもないので、事務スタッフの皆さんみずからの学習の効果に期待するしかありませんね。

その点、昨年からお世話になっている公益財団のファンドさんはなかなかザックリしたところがあって、私のようないいかげんなオヤジには「ちょうどいいかげん」なあんばいで助言をいただいたりしてサクサクとコトが進む。事業内容に客観的な視点から的確な改善を示されて、書類作成の素人にとっては目からウロコ状態だったりする。
「事務屋の私が云うようなことでもないでしょうが」と前置きをして、「このあたりの言い回しは、もう少し具体的に・・たとえば、キッチリと数字で示すとかすると、選考委員の皆さんにはわかりやすいと思いますし、事業の全体像が見やすくなって採択されやすくなると思いますよ・・」などと、誠に具体的なアドバイスをいただく。それに、この度の申請時は、事業予算の計上記載ミスを指摘された。全く素人の単純ミスだったのだが、採択の審議中にこういうところを発見されると、それが大きなマイナスポイントになるのだそうだ。蛇の道は蛇というか餅は餅屋というかやはりその道のプロはたいしたものですなぁ・・

そんな訳で、万善寺から大急ぎで駆けつけた会場は、空席が目立つ閑散としたものでした。

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水っぽい話し 

2015/06/26
Fri. 20:41

夜のうちから大量に雨が降った。
島根県は梅雨入りしたはずなのに、比較的晴れの日が続いていた。
石見銀山へ帰った日も、近所の水田はかわいそうなほど水が干上がっていた。
保賀谷の両側の山をひとつ越えた集落では、毎年のように水不足に悩まされているらしいが、万善寺の谷は、琴引山からしみ出てくる水が豊富で、いまだかつて水不足に悩まされたことがない。

寺の前の渓流は保賀川と呼ばれている。この川は神戸川の支流で、他にも幾つかの支流が一つに集まって神戸川になって日本海へ注ぐ。河口の辺りは出雲の国神話の中心地出雲大社に近い。
今では、島根有数の過疎地になってしまった赤来高原のあたりも、太古の頃は結構日本の最先端の文化集落を形成していた地域でもあった。そういうところだから、ちょっとした公共事業の工事が入るとすぐに何かしらの古墳や遺跡が掘り出されてしまう。その中でも多いのが鉄精練のたたら跡。万善寺の前を通る出雲街道沿いや、いつも石見銀山まで往復している銀山街道沿いは特に多い。
わたしは、そんな古くからの歴史が残るあたりを毎日のようにウロウロしている訳だ。

老僧の本葬に向けて略歴をまとめたりしなければいけないから、このところ連日のように遺品の整理をしている。役所や金融機関に提出しなければいけない書類もたくさんあるが、そのほとんどはいまだに未発見で日にちばかりが無駄に過ぎている。老僧は几帳面な方だったから、かえってそれが災いして大事なものをしまい込み過ぎてそのまま忘れたままになってしまった。先日も湿気を含んだ昔の年金手帳をやっと探し出した。寺の歴史図もかろうじてネズミの餌にならないで発見できた。寺暮らしの1日は、こうして寺のアチコチに分散してしまい込まれている書類の整理でアッという間に過ぎてしまう。それに、彫刻の事務仕事が加わったりしてやっかいなのに、今度は昨年の事業報告までしなければいけないことになって、本当に人手がいくつあっても足らない毎日を過ごしている。

石見銀山の書斎へ置きっ放しになっていた書類が必要になって帰宅したら、ネコチャンズがワイフに閉じこめられていた。全国から小品彫刻の小包が届いていて、業者さんが出入りする間にクロが脱走してしまうからその予防をしている訳だ。最近は、そのクロが自分で引き戸を開けるコツを掴んでしまった。最初のうちは、まさかクロが器用に引き戸を開けているなど思ってもいないから、ワイフはことごとく無実の私を責めた。それでも、私のアリバイが成立してからはクロが犯人だったと納得してくれた。

人間に対してのささやかな抵抗なのか、先日帰宅したらクロが私の目の前で堂々とオシッコをはじめた。ジョロジョロと景気のいい爽快なお小水の音が聞こえてきた。いいかげんジジイになった私でも、人に見られてオシッコをすることは恥ずかしい。
そう言えば、晩年の老僧も慢性の膀胱疾患に悩まされて苦労していたが、家族にだけは自分の排尿排便を見られることを極度に嫌っていた。
吉田家のクロは羞恥心もデリカシーも全くなさそうだ。なかなかの根性をしている。

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早朝の電話 

2015/06/25
Thu. 22:28

朝も早くから電話が鳴った。

だいたい急ぎの用事は他人の事情を無視して寝起きを襲う方が確実だから早朝の電話もお互い様だが、なにかしら慌ただしく起こされた1日が始まってしまうと、どうもその日1日が落ち着かなくてもったいない気もしてしまうんだけど・・それって、普通じゃないのかなぁ・・・
それでも、一杯飲んでとろとろ気持ちよく眠っている夜のひと時に電話でたたき起こされるよりはいいかなぁ〜と、個人的事情の常識を当てはめてそう思ったりもする。深夜の電話はなっちゃんからよくかかってくるから、おおよそ心の準備も出来ている。ひょっとしたら、自分には深夜の電話の方が抵抗力も出来ていて慣れてしまっているのかも知れないけど、それでもやはり何処かしら「ドキッ!」としてしまうことの方が多い。
まぁ、朝でも夜でも電話の一本くらいどちらでも良いようなことで、結局1日がなにかしら落ち着かないまま過ぎてしまったというだけのことです。

その電話とは・・・
昨年の秋に石見銀山で実施した現代彫刻小品展とワークショップの報告会のことだった。
もう半年以上も前の紅葉も華やかな頃の事業報告を、梅雨の時期で紫陽花も咲き誇る今頃になって開催するのも何か場違いな気もするが、それが行政のお役所仕事だと思えばわかる気もするし、まぁどうでもいいかと適当に書類などを作成してのらりとつきあうしかないかと思っている。

いくら暇にしている住職でも、いろいろと片づかない仕事の優先順位がない訳でもないのに、わざわざ早朝から念押しの電話がかかってきたりすると、どうもそれだけでマイペースを乱されてしまった気もして心穏やかにいられない・・とは、少しおおげさかも知れない。

デスクワークの環境が整っていない万善寺でそういう用事を片づけようと思うと、やはり石見銀山でのサクサクと過ぎるデスクワークと比べてしまって、よけいに落ち着かなくてイライラする。
あまりよろしくないそういう環境の中で資料を読み返したり、様式を調えたりしていたら、場の読めないおかみさんがズリズリはい寄ってきて、老僧の遺品を片づけながらご詠歌をうなりはじめた。もう、怒る気にもなれないであきれ返るばかりだ。完全に集中の糸がプツンと切れてしまったから、寺の参道を下ってそのあたりを一周ほど散歩した。
出来上がった書類をメール添付で送信しはじめたら、途中でエラー発生。ウエブディスクに保存をはじめてもエラー発生。なにをやっても通信障害が改善できないので、思い立って石見銀山へ移動することにした。
事前にワイフへ事情を知らせておいたら、夕食にはアジの塩焼きが出てきた。
もう、それだけで1日のストレスが吹き飛んだ。
久々にシロを抱きしめることが出来た。
久々にクロと猫じゃらしでたわむれた。

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吉田家猫事情 

2015/06/24
Wed. 21:07

昼をすぎてから遠雷が聞こえてきた。
そのまま雨になるかと思っていたら、そうでもなかった。
それでも夕方になって雲が厚くなって、それから少しずつ小雨になった。
いつもは7時過ぎまで明るいのに、今日は久々に暗くなるのが早い。
石見銀山はどうかなと思ってワイフに電話をしたら、雷も鳴っていないし雨も一滴も降っていないということだった。たった40分の距離なのにここまで違う。

先日、保育園の保育実習の打ち合わせもあって帰省していたキーポンが、久々に吉田家のネコチャンズと戯れていた。
その時に撮りためた写真の幾つかを私のクラウドへ送信してくれていたので、このところ写真のネコチャンズを見ながら比較的落ち着いたロフト暮らしになっている。

亡くなった老僧は、大の猫嫌い・・というより動物嫌いだった。
それでも私が少年時代は犬のポチを土蔵の軒先で飼っていたし、ほんの10年前までも犬のポチ2世を飼っていた。
自分では手も足も出さないで徹底的に無視していたが、餌だけはきちんと買って帰ったりしていたから、内心ではそれほど動物嫌いでなかったのかもしれない。
まだ、じゅん君たちが小学生の頃は、鼻の先から尻尾の先まで全身真っ黒のタマを飼っていて、お盆や正月はそのタマも私たち家族と一緒に寺へ里帰りしていた。オス猫だったからしょっちゅうアチコチ出かけて留守にしていたし、老僧が頑として座敷に上げることを拒んだから、寺暮らしの間のタマは外猫を謳歌していた。このまま外猫に味を占めて、人間になつかなくなったらどうしようと少し気をもんだが、彼はとても頭が良くて、寺の長逗留も終りに近づいて我々が荷物の整理などしはじめると、どこからともなく現れて嫌いな車にイヤイヤながら乗り込んできた。道中何度かタマのために休憩をしてやらないと車のダッシュボードにゲロッと胃液を吐いたりシートにウンコをしたりして大騒ぎをしていた。ワイフはそういうこともあって帰省することを嫌がっていたが、こればかりは仕方がないから、毎回なだめたりすかしたりして一波乱あった。

今のクロやシロはそういう過去の苦い経験があるから、いちども寺へ連れ帰ったことがない。調子が悪くなったものの、かろうじて何とか自力で歩くことが出来ていた老僧を石見銀山の自宅へ連れてきた時は、珍しくクロがズリズリすり寄って媚を売っていた。さすがに老僧も体力が落ちていたから極端に猫を嫌うこともなく見て見ぬふりで短時間を過ごしていた。
老僧の猫嫌いは近所に居着いた野良猫が本堂の仏具やお供え物を荒らしてしまうという苦い過去を引きずっているようなところもあった。たしかに、野良猫の素行の悪さには辟易する。
吉田家のネコチャンズは、正真正銘野良猫あがりの飼い猫だから、野良猫当時の記憶が小さな脳みその何処かしらに残っていて、時々そのずる賢い性格が隠せないで悪さをすることがある。これから歳をとっていけばしだいにそのような悪癖も丸くなって落ち着いた家猫暮らしに馴染んでくれるだろう・・・と期待しているが、さてどうなることやら・・

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猫騒動 

2015/06/23
Tue. 23:20

石見銀山では、駒の足自治会に吉田家がある。
全戸で二十数件の自治会だが、独居老人のお宅や、独身社宅の共同生活や、昼間だけの商店もあって、島根県の過疎地事情がそのまま駒の足自治会の事情にシンクロしている。
先ほどまで、その自治会の常会へ出席していた。
私は今年初めての出席になる。
それほど、吉田家の運営はワイフに任せっきりという訳だ。

いくつかあった議題のメインは恒例の史跡清掃のことだった。
先日、石見銀山の山に入って史跡巡りをしていた一般の観光さんが、落石の下敷きになって死亡する事故が起きた。そのこともあって、急きょ島根県と大田市の関係機関担当者から今後の対策説明を受けたことの報告があった。
レンタサイクルの交通障害も問題になっているようだ。観光さんの自転車マナーが悪いことが原因らしい。最近ブームが再熱しているツーリングバイクも石見銀山の町並みへ入り込んでくることが増えた。
梅雨に入って、集中豪雨などの水害や災害が増える時期にもなって、町民の間にはなにかと不安が広がっている。
自治会長さんを中心に、そういう色々な不具合の報告を受けて皆さんそれぞれに重く受け止めて表情も何となく暗い感じのまま時間が過ぎた。

予定の議題も終わって散会の間際に、野良猫や飼い猫のわるさのことが苦情として報告された。
たしかに、石見銀山のこの近年は、常軌を逸するほどのスピードで猫が増えた。町並みの約2kmの間で、猫屋敷が4箇所ほど確認されている。一箇所は無住の民家で繁殖してしまったらしいが、あとはすべて飼い主がいて躾もないまま放し飼いになっているらしい。
その1軒が駒の足自治会にある。だいたいに、飼い主が終日自宅にいないで、夜遅くに帰宅する生活をしているから、そこで暮す猫達は自由きわまりなく活動して、隣近所のお宅へ迷惑をかけてしまっているようだ。
猫を飼わない家からすると、猫のかわいさなどわかるはずもなく、ましてや猫の取り扱いなど知らないまま猫達の気ままで自由な行動に翻弄されるばかりで始末が悪いし我慢も限界に達している。
吉田家のネコチャンズは時々人間の不注意で脱走する程度で、1年のほとんどを家猫のまま気楽に寝て過ごしている。
常会出席の皆さんの話を総合して整理してわかったことだが、駒の足には2匹の野良猫が入り浸っているらしい。お目当ては避妊をしていないフェロモン垂れ流しでウロウロしているその猫屋敷の猫達。
家猫野良猫入り乱れてアチコチで悪さをしているらしいから、これは猫の同居人としては知らんフリの聞かないフリで無視する訳にもいかない。
せめて飼い主として避妊とトイレの躾だけでも最低限のマナーとして理解してもらいたいものだ。かわいいだけでは猫はまともに育たない。
もっとも、人間の子供だって同じことだけどね。

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おとうさんガンバル! 

2015/06/22
Mon. 22:15

週明けの一日がいっきに始まって終わった。
俗にいうと今日は老僧の初七日。

例の如く朝っぱらからおかみさんと激しいバトルをして奥の間へ引き下がったら、本堂から木魚の音がする。
急いで改良衣に着替えて駆けつけたら、この度仏事師でお願いしていた近所のご住職が老僧の祭壇へお経をあげてくれていた。
急いでお茶の用意をして、まずは御礼の挨拶。
色々気にかけてくれていて有難いことだ。

仕方のないことだが、こういう時は寺の庫裏でおかみさんと共同生活をすることになる。
私が完治不能の病気にでもならない限り、どう考えてもおかみさんが私より先にあと10年足らずでこの世とおさらばする。自分の葬式を息子に任せるしかない立場だから、もうそろそろ現実を受け入れて静かにおとなしくなってもらいたいが、本人は、老僧がいなくなってから愚痴や小言の矛先を私に向けてきはじめた。
とにかく、迷惑なことだ。
それでなくても海千山千一国一城の主と化した寺寺のご住職を相手に、アレコレ立つ瀬を用意しながらお付き合いさせていただいているのに、そんな表の常識の世界は意に介さないまま狭い世界でバベルの塔を死守しようとしている。
全く迷惑なことだ。
このままだと私は確実に再起不能の病気になってしまうだろう・・・と思いつつ、一方で、老僧の子でもあるからどこかしら深く深刻に考え思い込む前に気楽な逃避に走ってしまうだろうということも何となく想像できる。

結局朝からバトルがあって、昼は我慢して、ついに夕食でプツンと切れた。
だいたい20年前のインターネット環境しかない万善寺のロフトに避難してウエブニュースを見ていたら、「コンビニモンスタークレーマー」の記事を見つけた。
なかなか納得できる内容だった。鳥取県の特別支援学校の看護師と保護者のいきさつを見て(もしくは読んで)一言いたくなったようだ。その人のコンビニ現場体験によると、モンスタークレーマーはようするに「かまってちゃん」なのだそうだ。
たしかにその分析は当たらずといって遠からず・・・少なくても私には十分に納得できる。

もっとも、私の場合は、相手のモンスターが実母であるというところにハードルの高さを感じる。
他人というのは薄情なもので、平気で堂々とあざとく都合よく自分の立場を迎合する。おかみさんはまんまとだまされて祭り上げられてそのまま歳を重ねて今に至った。
後期高齢者を相手に、簡単にプツンと切れる私など自他共に認める子供のようなものだが、やはりおかみさんのそれこそ呪文やご真言陀羅尼のような独り言を延々と耳元でくり返しされる身になってみると、陀羅尼で明るく救われる来世があるわけもなく、この世の地獄の現実を見てしまう今日この頃なのであります。

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なっちゃんありがとう!
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ノッチありがとう!

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手料理 

2015/06/21
Sun. 18:07

石見銀山を出発する前に、ワイフが鯛のアラ煮とカレールーを持たせてくれた。寺のお昼は、鯛のアラ煮を半分ほど食べた。おかみさんにも小分けしておいたら、食べることは食べたものの美味いとも不味いとも感想は無し。

鯛はサッパリとした塩味が好きだ。その方が、鯛の旨みを引き立たせてくれる気がするし、見た目も爽やかでいい。夜は弘法大師の供養法要で出かけるから、残りは酒のつまみにしていただこうと思う。ダシ汁は捨てないでおいて、明日の朝の鯛お粥かおじやに回すつもりだ。ワイフの気遣いがとても嬉しい。

90歳になるおかみさんは、雨が降らない限りほぼ毎日畑へ出て野菜を収穫して、それを煮たり茹でたり和えたりして何とも微妙な野菜だけの料理が食卓に並び続ける。
最近のシーズンでいうと・・
煮物はクチャクチャに煮〆られたホウレンソウの葉っぱがドンブリへ山盛りになる。
その日収穫のスナックエンドウは全て塩ゆでしたものが山盛りになる。
キュウリはザッと水洗いして輪切りにして塩をふりかけたものが山盛りになる。
ピーマンは輪切りにして油炒めしたものにかつお節をかけて、これも山盛りになる。
タマネギはちくわや油揚げといっしょに炒められることが多くて、これもかつお節をかけて山盛りになる。
とにかく、ことごとく野菜ばかりを使って何か口に入るものを大量につくっている。
それを朝昼晩食べろ食べろと云われる。そればかりをおかずに米を主食の3食は、さすがに耐えられない。

よく、お袋の味が最高だ!という話を聞くが、私の場合は、残念ながら過去に一度もお袋の味を美味しいと思ったことがない。寺の精進料理のつもりなのだろうが、なんとなく怪しい。お客さんやお参りの檀家さんは、その時だけのことだから「美味しい美味しい」と、上手を云う。おかみさんは今までその上手に騙されて調子に乗ってしまっているわけだ。

ワイフと結婚を決める前にもアチコチのオネエサン宅でご馳走になったり、私のボロアパートで料理を作ってもらったりしたが、まぁ、そのほとんどはおかみさんとドッコイな感じだったな。ワイフの外にもあと数人ほど、「これは旨い!」と思った料理上手がいたが、結局はそれ以上の縁がなかった。自分では料理に口うるさい方でもないと思っているが、こればかりは1日3回1年365日一生避けて通れないことだから、さすがに不味いものばかり食べ続けることはイヤだ。

吉田家の子供たちは、ワイフの美味しい料理を食べて育っているから、ことあるごとに彼女を師匠にして問い合わせてくる。
最近はキーポンが料理に目覚めつつある。今度の帰省中も、なにやら台所でコツコツやっていたが、自分でオムライスを作ったようだ。
残念ながら、オヤジは味見をすることが出来ないまま、おかみさんの葉っぱ料理を食べていた。

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かみつく 

2015/06/20
Sat. 21:22

おかみさん一人の寺暮らしが始まった。
きっと淋しいことだろう。
とても頑固な人なので、私たち家族には絶対に弱みを見せない。
ああいう生き方もずいぶん疲れることだろう。
私がそばにいると、何がそんなに気にさわるのか意味不明にことごとく延々と私にかみついてくる。
本当に頑なで損な性格だ。

というわけで、老僧がいなくなった心の隙間をなかなか埋めることが出来ないのだろう、おかみさんの精神がぐらりと揺れている。
どういう訳か私への不満がつのる一方だから、ひとまず、姿を消してみることにした。
さて、この対応がどう影響するか・・・明日になったらわかる。
私は逃げる場所があるからずいぶんと気楽でいられるが、おかみさんはそれがないからつらいことだろう。

幾つかの用事もあったからひとまず石見銀山の自宅へ引き揚げた。
ネコチャンズがさりげなく出迎えてくれた。
久しぶりのシロは、毛先の色が濃くなっている気がするけど・・・気のせいかな?
暖かくなりはじめた頃から抜け毛が激しくなったから、夏の毛に変っているのかも知れない。
クロはあいかわらず無表情にさり気なくすり寄ってくる。
肉球をフニフニいじっていたらいきなりカプッと噛みついてきた。
甘噛みだからどぉってことないが、それが彼から私への親愛の仕種でもある気がする。

「噛付く」というと、ついに寺の近所でクマが人間を襲ってしまった。
自転車に乗ったおじさんを出合い頭にガブッとやってしまった。
おじさんはビックリしつつも、自転車でクマを撃退したらしいが、その時に、腕を噛まれ、頭をひっかかれた。
幸い傷が浅くて近所の小さな病院で処置できるほどの軽傷だったらしい。
万善寺のある赤来高原では、アチコチにクマが生息している。
もう私が子供の時からクマの目撃話が飛び交っていた。
何時頃だったか忘れるほど昔に、一度だけ少量のクマ肉が配られたことがあった。
本当は殺してはいけないことになっているのだが、悪さがひどいので誰かが内緒でズドンとやってしまったらしい。
人の口はなかなか塞ぐことが出来ないから、その少量のクマ肉で口を塞いだ訳だ。
クマの出没話は毎年のように耐えることがない。
数年前の栗の当たり年の時は、栗の枝に寝ころんでその木の栗を食べ続けていたということだ。
山寺の周辺には色々な山の生物が出没する。
時代は日進月歩で進化しているはずなのに、島根と広島の県境近くの赤来高原あたりは、どうもそれに逆行して、どんどん年々野生に侵略されている気がする。

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人生 

2015/06/19
Fri. 20:52

久々に一週間が早いと思った。
老僧の密葬は訳の分からないうちに始まって終わった。
私にとっては、何もかもがはじめての経験だった。
もちろん、吉田家の家族全員がそうだし、老僧やおかみさんの親戚にとってもはじめての体験になった。
そのくらい、老僧は長生きしたことになる。

密葬には仕事を抜けられなかったノッチが間に合わなくて参列できなかっただけで、あとはみんな都合をつけて帰ってきてくれた。
じゅん君は老僧の入院以来2度ほど病院へ見舞いにきてくれた。
なっちゃんとは、昨年の秋以来久しぶりの再会になった。
今年の春から一人暮らしを始めたキーポンは、保育実習の打ち合わせに帰ってくる予定だったのが急な葬儀で3日ほど早くなってしまった。
それぞれの事情でそれぞれが都合をつけてくれてありがたいことだ。

私は老僧とことあるごとにそれなりにベッタリ付き合っていた方だと思う。まぁ、男同士だからサッパリしているところもあって、ベタベタした感じはなかったが、老僧の方は、けっこう素直に甘えてきてくれたりして、今思うと、それが何かしら嬉しかった。
最後の3日間は、見ていてこちらがつらくなるほど苦しそうだったが、長い目で見ると、この半年間は、自分を見失うほどひどい闘病が続いたとも思わないし、それなりに僧侶らしく静かで潔い日々を生き続けてくれた方だと思う。
「あのときもっとあぁ〜してあげればよかった」とか、「もっとこぉ〜しておくべきだった」とか、そんなことは全く思わない。老僧にしてやれるだけのことはそれなりに後悔のないくらいしっかりしてやれたと思っている。だから、今は何かしら清々しくもある。

なっちゃんが帰りの車中で時間を持て余しながらつぶやいていた。

死んだときに残された人がスッキリした気分でお別れするには
「この人は人生を謳歌した!」って思わせるかどうかな気がする。
やりたい事やったしやり切ったね!
楽しい人生だったでしょ?
次の人生も楽しんで!って思えるから。

なかなか良いことを云う。私もそう思う。
いつだったか、通院を終わってまだ寺に帰りたくないと老僧が云うものだから、思いきって石見銀山の自宅まで連れてきたことがあった。その道中、「老僧の人生はどんなだったかね?」と聞いてみたら、「幸せだった!」と、珍しく即答した。
いつもは耳が遠くて聞き返してくるのにそれもなく、迷いない返事が返ってきた。
それを聞いた自分は、「救われた!」と思った。
老僧は、最後まで人に優しく生抜いた人であった。

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小雨の万善寺 

2015/06/18
Thu. 21:42

龍雲山万善寺22世禅岳憲正大和尚の密葬が無事に終了した。
朝から小雨が降り続いていて、6月にしては肌寒い1日になった。
入棺のあと本堂の祭壇へ移動安座された憲正さんは、おかみさんと孫のじゅん君が夜伽をした。
朝になって本堂へ行ったら、じゅん君が祭壇前で寝ていた。

ワイフは、長男のじゅん君を産む時から里帰りしないで、ギリギリまで私の世話で主婦をしながら島根県の病院でお産した。
あとの子も全て島根県で産んだ。
あの頃は、私もかたちばかりの副住職を務めながら転勤族の公務員をしていた。
だから、吉田家の四人の子供は全て産まれた住所が違う。
転勤するたびにその土地で一人ずつ子供が増えていったことになる。
石見銀山で暮しはじめたのも転勤がきっかけで、じゅん君が小学校1年生に入学する4月から石見銀山で暮すことになった。
その時は、子供がすでに3人いて、生粋の石見銀山っ子はキーポン一人だけになる。

長女のなっちゃんは2月に産まれた。
大きな腹をしたワイフは、冬の寒い時期にまだおむつのとれないじゅん君を育てながらなっちゃんを産んだ。
小さな2人の赤ん坊を一緒に育てるのは大変なことだったから、少し落ち着くまで万善寺に暮すおじいちゃんとおばあちゃんにじゅん君を育ててもらうことになった。
色々事情があって、老僧夫婦には子供が私一人しかいないから、じゅん君を寺に預かってもらった時は、我が子のように・・というより、それ以上のかわいがりようで甘やかしながら育てたものだから、それに味を占めたじゅん君は、徹底的におじいちゃんおばあちゃんっ子になった。

今回の憲正さんの葬儀も、じゅん君にとってはとても大きなショックで、なかなか人の死を冷静に受け止めることができなくて、この2日間はおじいちゃんの思い出に浸り続けて他人を避けるように隠れながら暮し続けていた。
荼毘が終わって、安位のお経が始まって終わったらすぐに何処かへ出かけて、日が暮れて夕食前に寺へ帰った時は、長かった髪をバッサリ短く切っていた。
まるで、年頃の女の子が失恋した時のような感じだと、一瞬思った。
もっとも、私は男で女性の気持ちなどよくわからないし、この歳になるまで、ふられたことは限りなく経験していても女の子を失恋させた経験がないからわからないけどね。

老僧のいない夕食がもう1ヶ月以上続いた訳だが、老僧の密葬のおかげで久しぶりに万善寺の食卓が賑わった。
そして、なっちゃんが仕事に帰っていった。明日はワイフとキーポンが石見銀山に帰る。それからじゅん君が帰ったら、またおかみさんとに二人暮らしになる。
これからは、おかみさんが死ぬまで延々と老僧の思い出話を聞くことになるんだろうな。

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老僧遷化す! 

2015/06/17
Wed. 22:55

今年に入ってから何度かの入退院をくり返していた老僧が、先月入院してから老衰が進んで、遂に昨日生涯を閉じた。
最後の三日間はかわいそうになるほど苦しそうだった。
はじめのうちは、なかなか話しにくいなりに手を振って応えてくれたり、時々にっこりと笑ったりして気丈なところを見せていた。
そのうち意識がもうろうとしてきはじめ、最後は眠るように息が切れた。
容体が急変してからほんの2~3分のことだった。
それまでの苦しそうな顔のゆがみが消えて、穏やかで安らかな表情に変った。

寺の庫裏へ連れ帰って寝かしてあげる時には、お檀家さんも手伝ってくれた。
病院のベットでトントン叩いてあげていた腕が氷のように冷たくなっていた。
老僧の弟弟子だった方丈さんも駆けつけてくれた。
その後近所のご住職に枕経をお務めしてもらった。
万善寺で方丈さんの葬儀が行われるのはもう半世紀ブリになる。
だから、だれもどうしていいのかわからない。
もちろん、私も寺の葬儀ははじめて経験する。
色々相談して、檀家葬の形をとることになった。
経験豊富な方丈さんの的確な指示でおおよそ次第の内容が固まったところでひとまず散会となった。

そして本日、入棺をして通夜。
参列の僧侶は20人弱。
島根県の県境近くの山寺の前住職の通夜には、たくさんの和尚さんと地域の住民の皆さん。それに近所の檀家さん。
とてもにぎやかで、老僧もきっと喜んでくれていると思う。
現住職の自分としては、ほぼこんな規模にはなるだろうなぁと予測していた。
そもそも、東堂さんの住職年数が59年。
人生のほとんどを坊主一筋で生抜いた訳だ。
私にはとても出来ない・・・というよりはしようとも思わない・・・というよりは最初から目指す世界が違う・・・っといった心境。

通夜までの一晩は、線香蝋燭を絶やさないようにおかみさんと一緒に徹夜で老僧につきあった。
90歳のおかみさんは、あの年で徹夜をしている。
私にはとても出来そうにないと思いつつフラフラになりながらおかみさんと老僧へつきあった。
もっとも、そもそも私が90歳まで生き長らえているとはとても想像できないし、その上徹夜までしているという現実が本当だとすると、予測できないほど遠い世界の出来事のように感じる。
そこまでして、丈夫に生きようとは思わない。思ったこともない。麦とホップが美味い。

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猫まみれ 

2015/06/16
Tue. 23:37

マイワイフで、島根県を代表する女流彫刻家、ご存知!吉田満寿美の彫刻を観に島根県立美術館へ行ったら、なんと、「猫まみれ」という企画展を開催していた。

「割引関係証明書を持っていたら割引になりますよ」とチケット受付のお姉さんが言うものだから、美術家連盟の会員証を見せたら2割引になった。
「猫ちゃんの写真がスマホに入っていても割引になりますよ」とにっこり笑いながら話しかけてくるから、ワイフがiPadに入っているネコチャンズを見せたら1割引になった。
〆て300円安くなった猫まみれ展は何と、絵画・彫刻あわせて300点以上の作品で猫だらけ!

江戸の浮世絵版画から、現代のエッチング、リトグラフなどの版画まで、展示展数としては「版画まみれ」っていう感じだったが、それでも木内克や柳原義達の猫ちゃんが観れて良かった。それに、何といっても藤田嗣治の猫ちゃんが思った以上にとても良かった。
それにしても、300点以上の猫を見ていると、「猫はもういいや!」という気持ちになってしまった。ナンダカンダいって、そこまで猫にハマっているわけでもないということがわかっただけでも一見の価値はあった。と同時に、やはり彫刻家でもある吉田正純としては、どこかしら作家の目でそれぞれの作品に接しているところもあったと思う。まぁ、色々な見方もあるから、それはそれで楽しめた。

ワイフとはそれから一緒に昼食を食べた。
「あれだけいっぱい猫を見てみると、やっぱり家のネコチャンズが一番かわいいなと、あらためて思ったわ♡!」
いつのまにか、ワイフは完全に吉田家限定猫好きになってしまっているようですよ。
その吉田家のネコチャンズの脱走の名人(名猫?)クロちゃんが、昨日見事脱走に成功したらしい。現代彫刻小品展の作品がボツボツ届いていて、宅急便のおにいさんがもたついている間に足元をすり抜けたらしい。結局、帰宅したのが午前0時を過ぎていたそうだ。久々に外の世界を堪能したのだろう。

今回の「猫まみれ」展を観て、美術家にとっての猫ちゃんは、結構身近な題材として重宝しつつ、同時に制作や生活上のストレスを改善できるとてもありがたい存在になっているのだということが良くわかった。
木内克の一連の猫の彫刻は私が20代の頃からとても好きな彫刻だった。
藤田嗣治の猫好きも公然と知れていた。
展示作品の解説サインにはそのあたりの作家と猫の事情が簡潔にわかりやすくまとめられていて良かった。せっかくだったら、もっと徹底的に作家と猫の関係にテーマを絞って掘り下げた展覧会になっていても良かった気がする。もっとも、そう思ってしまうのは、自分も美術界の隅っこでまがりなりにも彫刻家であると称して制作をしているからなのかも知れない。
一般の猫好き諸氏にとっては、色々なタイプの猫作品がいっぱい鑑賞できて、それはそれで堪能できているのだろうね。

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女子美術大学創立115周年記念山陰女子美展2015 

2015/06/15
Mon. 20:38

島根県を代表する女流彫刻家の吉田満寿美が、松江の県立美術館へ大作1点と小品2点を出品した展覧会が最終日を迎えた。
今頃は、搬出も終わって打ち上げで盛り上がっていることだろう。

いつも何かと迷惑ばかりかけているオットとしては、搬入も搬出も手伝えないからといって無視を決め込むのも良心が許さないので、最終日になってやっと会場へかけつけた。
展覧会タイトルは「女子美術大学創立115周年記念山陰女子美展2015」と、とても長い。この長いタイトルに1世紀を超える伝統の重みをヒシヒシと感じた。
出品点数は、作品タイトルだけでも70点を数え、素材ジャンルも多岐にわたって、年齢層も幅広く、なかなか女性作家らしい華やいだ展覧会になっていた。

前から美術館へ行くたびにそう思っているのだが、残念だったのは、美術館常設備品の何とも場違いな展示台が、会場全体の統一感をダメにしていたことだった。立体に対する美術館スタッフの認識の軽さがこういう時にバレてしまう。
ようするに、島根県立美術館の一般ギャラリーは、平面中心の展示に特化した造りになっているということ。創立時の建設審議委員メンバーが平面中心に組織されていたからだろうが、これはあくまでも確たる証拠もないまま私が個人的に想像しているだけのことなので悪しからず。
まぁ、そういう訳で、立体の展示に関しては、やはり自前の展示台を持ち込みするくらいの覚悟で展示しないと、あの美術館ではなかなか彫刻の展示レベルは上がらないなと思っている。
彫刻と展示台を含む空間配置構成は、絵画と額縁の関係とドッコイくらい重要なバランス要素を意識する必要がある。出品する作家の方も、丹精込めて制作した1点をもっと大切にして最大限の展示効果を狙ってほしいと、立体の展示作品を見ながら変なところで躓いてしまった。

今回出品した吉田満寿美の大作彫刻は、昨年の秋に六本木で発表したものを島根の皆さんへも見ていただこうということで、いわば凱旋展といった意味合いが強い。
六本木では狭い会場へ大作がひしめいているから、これでもかというほどいやらしいくらいの押し出しの強さがないと数ある彫刻に埋没してしまうが、今回のように広々とした会場へ伸び伸びと展示してあると、作家の持つ本来の魅力がシンプルにダイレクトに伝わってきてなかなかいい感じに見ることが出来た。
反面、小さなミスや制作の甘さがバレてしまうこともあるので、そのあたりに十分な神経を使う必要がある。ダイナミックなだけでは人の心を引きつけて記憶に留まるところまではいきそうにない。細部にまで気持ちを込めた繊細で正確な仕事も出来ないといけない。

今回の展覧会で彼女の彫刻を見て、将来の何れかの時に、一度は現在のテーマに則した一連の作品を一堂に集めた回顧展が出来るといいなあと、漠然と感じた。彼女の彫刻はどちらかというと劣化が早いから、メンテナンスも早い時期にすませて、テーマの一区切りにしてみるのも良い。そろそろ違ったタイプの彫刻を見てみたい気もするし・・・

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ノッチとシロの誕生日 

2015/06/14
Sun. 20:49

本日日曜日は吉田家の次女ノッチと猫のシロちゃんの誕生日なのです。
朝一番でノッチにはおめでとうメールを送信したけど、シャイなシロちゃんは何処かに潜り込んでしまって結局オヤジの愛情タップリなハグをしてやれないまま石見銀山の吉田家を出発したのでした。

土曜日のワイフは朝から夕方まで立ち仕事のアルバイトをしてくれていて、私が病院から帰宅する少し前に仕事が終わったのだそうだ。
もう、二人ともぐったりして何をする気にもなれないから、いっそのこと外食をしようということになった。たまにはこういうことがあってもいいだろうと、目茶苦茶久しぶりに夫婦水入らずの夕食になった・・・といっても、行った先は焼き鳥の居酒屋だけどね。さすがに土曜日で満員のすし詰め状態だったのに、都合よくカウンター席が二つ空いていた。それにまた都合よく、ワイフの隣が注文料理の受け渡し場になっていて、真横でメニューの現物をチェックできるものだから、夫婦で歯止めが効かなくなって次々と注文をし過ぎてしまった。芋焼酎のボトルはほとんど無くなるし、〆でラーメンまで食べてしまうし、いっきに太ってしまったが、疲労回復ストレス解消にはなった。

猫のシロちゃんは、そもそも野良猫だった。
知合いの絵本作家宅の近所に捨てられたらしくて、そこで飼っている2匹の猫たちのご飯をつまみ食いしていたところを保護された。3匹目の猫を飼う訳にもいかなくてメール拡散したところを私がチェックしたのが縁のはじまりになった。すでに(当時はまだネコと呼んでいた)クロが吉田家に居候していたから、それで十分だとワイフは縁組みをしぶったが、吉田家の住人はだいたい留守がちで自宅を空けていることが多いから、猫が上手にお留守番するには2匹くらいいた方が都合もいいからと説得して、まずはお見合いをさせてみようということになった。猫のオスとメスはよっぽどひどい性格の不一致でもない限り、自然に仲よくなってしまうものだから何とかなるだろうと引き合わせたら、ものの20〜30分もするとそこそこ仲良くなってしまったので、そのまま引き取ることにして、推定誕生日を6月14日に決めた。それがシロちゃんの吉田家デビューのいきさつなのです。
でも彼女には一つだけどうしてもなおらない悪い癖があって、そればかりはいまだに苦労させられる。野良猫時代の幼児体験が身に染みついて、つまみ食いをするのだ。よっぽど食べるものに苦労して必死に生きていたのだろう。
シロは特に白いからシロであるわけではなく、とても複雑な毛並みをしている。顔の辺りにはうっすらと茶トラの模様が見えるし、尻尾は雉トラの色味に見えることもある。それでも身体全体の70%くらいは白だし、色が付いているのは毛先の方だけのことだし、おおむね白いということでシロと命名した。それにあわせて、それまでただのネコと呼ばれていた黒猫が正式にクロになった次第。

命名の根拠はいたってあたりまえの何とも変哲のない発想だが、かえってそのくらいシンプルな方が万民にすぐ覚えられて愛される。それに、名前を知らない人でも「あぁ〜クロちゃんだぁ〜シロちゃんだぁ〜」とか云ってくれて、それにつられてさり気なく振り向いたりして、巧まずして愛想の良い猫に見えてしまうところが良かったりもするのだ!・・・とオヤジは勝手にそう思っている。

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めでたし! 

2015/06/13
Sat. 23:22

最近は、ろくに仕事もしないで寺と病院をいったりきたりしている。恥ずかしい話だが収入に繋がる仕事は今年に入ってからほとんどしていない。だからワイフがセッセと働いてくれている。時々思い出したようにだらしない私に厳しく色々いってくるが、こればかりは何とも言い訳のしようがないので、右の耳の耳鳴りへ神経を集中させてその場をしのいでいる。

まぁ、そんな毎日が過ぎているところでありますが、それでも、現代彫刻小品展の準備だけは細々と続けていて、今のところゆっくりと少しずつ先に進んでいる。
時々ワイフがFAX受信があったことを知らせてくれるし、メールが使える環境でチェックすると、現代彫刻小品展がらみの着信が幾つか溜まったりしている。
1日の出来事をチェックするのも、病室の椅子に座った自分の膝がテーブルがわりになっていて、老僧の様子を見ながら、思いついたことをメモして過ごすことに慣れてきた。

ベッド脇にある可動式のテーブルには、おかみさんが心配した置き時計がある。寝たきりの老僧は何度もその時計をのぞいている。もう90歳にもなる年寄りが二人して1日中時間を気にしている。自分も歳をとるとそうなってくるのだろうか。
そういえば、もうずいぶん前から自分の周囲には時計らしい時計がない。しいて云えば、すでに骨董品と化しつつあるNokiaくらいのものだ。
それほど、時間を気にすることのない暮しが続いているということなのだろうが、だからといって、ルーズに暮しているわけでもない。約束の時間はかなり正確に守っている。時間を気にしないでいるといったら、夢中になって彫刻を造っている時くらいのものかもしれない。
たしか、一昨日だったか、久々に石見銀山の自宅で過ごしたら、ワイフの携帯電話がしょっちゅう鳴っていてそれなりにうるさい思いをした。「電話鳴ってたよ」と教えてあげたら、タイマーだという。結婚する前の彼女は時間にルーズな方だったと思い出した。あの頃は携帯電話のような便利なものもないから、約束の時間が過ぎてひたすら待ち続けたこともしょっちゅうだった。自分は時間を守っているから何の後ろめたいこともないし、特に気にもしなかったが、よく我慢強く辛抱していたものだと今になって思う。

老僧やおかみさんはとにかく時間にうるさい。昔も変らないでそうだった。そういう二人に育てられた私は、たぶんそれなりに時間にうるさい方だと思う。その正反対にワイフがいることになる。
さて、吉田家の子供たちはというと・・・
じゅん君は、目覚めが悪くて小学校の頃から結構苦労した。
なっちゃんは、思い出す限り時間で苦労させられることがなかった。
ノッチは、上の兄姉二人を見て上手に立ち回っていた。
キーポンは、ワイフの生まれ変わりの如く、ことごとく普通に遅刻していた。
子供たちが巣立ってみると、それなりに上手に自分の時間をやりくりしているようだ。
時には失敗もしているだろうが、結局は、それぞれがマイペースで暮しているという訳で、メデタシメデタシ。

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ねむれない夜 

2015/06/12
Fri. 22:03

案の定、久々に石見銀山の自宅で一晩過ごしたのに、ワイフが歓迎(らしきこと)をしてくれたのは夕食のひと時くらいのものだった。ラムの焼き肉は上手かったけどね・・・
私が留守の間に、ネコチャンズは完全にワイフへなついてしまって、オヤジを見ても無視するどころか、シロは猫なのに脱兎の如く逃げ隠れてしまう。クロも似たようなもので、無視を決め込んでしまうものだから、結局どこかしら寂しい一夜になってしまった。
こんなことだったら、仕事にかこつけて帰宅しなければ良かった・・と、ガッカリしながら少し反省した。

躓いていた用事がひと通り片づいたので、寝ようと思ったらなかなか寝つけない。
寺はウエブ環境が悪いので、このところ好きな映画や海外ドラマとご無沙汰していたから、気晴らしにそれでも観ようとアレコレ検索したのだが、いまひとつ乗り切れない。
結局、YouTubeのウエブミュージシャンのカバー曲を垂れ流ししながら眠ることにした。
やっぱりアメリカはショー・ビジネスの国だと、こういう時に改めて感じる。とにかく、カバー曲がオリジナルより良かったりして何とも良い。絶妙なアレンジには音楽のセンスを感じるし、それだけでもカバー曲の域をこえた立派なオリジナル楽曲に聞こえてしまうから不思議だ。それにプラスして、ビデオクリップの編集がまたプロ並で凄い。

Tiffany Alvordがあまりにかわいくて目が覚めた。さり気なく弾くギターが良い。
Madilyn Baileyもかわいくて、歌も上手いし最高!
Chrissy Costanzaは、化粧はどうかと思うけど、素顔はかわいいし、歌も上手いし・・・あの華奢な感じがいい。
吉田家のなっちゃんやノッチより若い娘がYouTubeの音楽配信で世界に羽ばたきつつある姿にワクワクする。
加齢臭を振りまいているオヤジだが、まだまだこういう才能豊かな若い連中に心ときめいていることに、自分で自分に感動してしまう。若いということに無限の可能性を見ることが出来て、気持ちも晴々する。

だんだん目が冴えていたら、クロがうるさく鳴きはじめた。あいつは完全に夜行性の猫の本能に目覚めたようだ。そういえば、無愛想なワイフが、珍しくにこにこしながら「この本買っちゃったわよ!」と見せてくれたのが猫雑誌。ほんの3年前までは、極度の猫嫌いを公言していたのに、じゅん君が手乗りサイズのクロを連れて帰って以来、日に日に猫嫌いの主観的確信的根拠が崩れてしまった。
そして今、こうしてみずから嬉々として猫雑誌を買うまでに変貌した。
いくら猫好きの私でも、ワイフほどハマっている訳ではない!・・・と思う。

カバー曲を聞きながらウエブ配信のおすすめ記事を見ていたら、案の定、猫記事を見つけた。最近は、ペットショップより保護団体からの飼い主縁組みが盛んになっているらしい。それでも、縁組みに漏れてもらい手が決まらないのは、黒猫!なのだそうだ。
なんか、その気持ちわかるような気がするな・・・地味だから・・
「なぁ、吉田クロ君、君はデブでブサイクで我がままで性格悪いのにあれほど愛されて、結構幸せな黒猫なんだよ、実は・・・」

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ストレスオヤジと癒しのネコチャンズ 

2015/06/11
Thu. 21:49

印刷原稿を入稿して少しだけ現代彫刻小品展が進んだ感じだ。
今は廃業撤退した石見銀山のウエアハウスカフェでつつましくスタートした展覧会もすでに6年目を迎え、開催の回数も8回を終わった。今年の浜田開催で9回目になり、只今計画中のものづくり教室に併せた彫刻展を開催できれば、10回目を達成することになる。数をこなせばいいという訳でもないが、暇をむさぼって何もしないでボォ〜っとしているよりはまだマシだと思う。

少しだけ昔の、まだ私も若かった頃は、思いついた時は面白いと思って勢いとノリで後先深く考えもしないで展覧会のスタートを切ってしまったりすることも結構たくさんあった。
あとになって後悔することもよくあったが、かえって、その時の失敗や反省が糧になって、今ではたいした出鱈目をすることもなく物事が進むようになった。
反面、昔のようにひとつことに集中して四六時中そればかり考えて思いを巡らせているだけで良いという訳にもいかなくなって、ワイフを筆頭に身近な頼みやすい友人知人へ多大な迷惑をかけてしまうことも増えてきた。

最近では、展覧会の規模が大きくなってそれに伴う予算が増えた。それでもアチコチの助成金にすがって開催してきた彫刻の展覧会が、やっと少しずつ世間に知られるようになった。そもそも、島根県で彫刻主体の展覧会があるということがとても珍しい文化事業になっている。それに、期間中は彫刻家のワークショップも積極的に行っていて、島根県や地元ゆかりの彫刻素材などをあつかったりして、自分でいうのもどうかと思うほど結構真面目な取り組みもしている。
そういうことが少しずつ組織や主催の実績になっているようで、島根県のファンド母体の職員さんからは結構好意的な助言を頂いたりしていて、なかなかの励みに繋がっている。特に東西に長い島根県事情で西部の文化活動が低迷している現状が、現代彫刻小品展と彫刻ワークショップで活気づいてほしいという期待も伝わってくる。

展覧会の世話が増えることは、島根のような僻地文化にはそれなりの刺激になっていると思うが、一方で、そういう世話ばかりしていると自分の彫刻制作がどんどん後回しになって、何か本末転倒おかしいことになりつつある。このような活動も、そろそろ先行きどうするか原点に返って整理する時期がきているのかも知れない。自分だから出来ることと、誰でも出来ることを取捨選択整理して、スッキリとシンプルにまとめておいた方がいいな。

書類の手直しや報告資料の整理が少し躓いたので、急きょ石見銀山の自宅に帰ってデスクトップをつつくことにした。いつもはお手軽ラップトップでだいたいの事務処理をすませてきたが、やはりそれも何処かで限界を感じてしまう。
それに、自宅の仕事はネコチャンズの絶妙な介入があったりしてストレス軽減効果がすばらしい。
ちょっと冷静になってみると、どちらかというと、仕事をネタにネコチャンズに逢いに帰宅しているだけだったりして・・・
それからもちろんワイフが寂しがっているからね!・・・ってことは、まずないか・・・

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遅れていた浜田での彫刻展のデスクワークのひとつを大急ぎで片づけた。
スーパーで買っておいた太巻きを頬張って、ペットボトルの濃い茶を飲んで、時々コーヒーすすって、そんな感じで昼ご飯を済ませつつキーボードやトラックパットをつついていたら、指についたノリやご飯粒がラップトップのアチコチにくっついてベトベトになってしまった。カップのコーヒーが跳ねて液晶画面へ貼り尽くし、汚い仕事になってしまった。

幾つかメールのやりとりをして、ポスターやチラシの原稿も印刷データへ置換えられる程度になった。あとは、いつもの印刷屋さんへ高解像度のデータを送信しておけば、2~3日のうちには何とかして印刷原稿に置換えてくれるだろう。来週に刷り上った販促物が届いたら、その足で浜田へ出かけることになる。新聞社やケーブルテレビさんを訪問して宣伝もしておきたい。島根を中心にDMの発送もする。
そんなことをつらつら考えながら結界君を松江まで走らせた。
久しぶりに午後の日差しが暑い。窓から入り込む風はアスファルトの熱を巻き上げてむせかえる。エアコンのガスが抜けているようでフル回転でもあまり冷房の効果がない。本格的な夏が来る前にガスの補充はしておいた方が良さそうだ。

県庁の用事をいそいで2つばかり済ませた。
昨年訪ねた時の分庁舎を覗いたら、どうも中の様子が違う。
窓口を間違えたかと思って玄関からいちど外に出て確認したら、確かに昨年と同じ建物だった。少しまよったが思いきって職員に尋ねたら丁寧に教えていただいた。
「あぁ~、法人関係の部署は第3分庁舎に変ったんですよ。皆さん良く間違えられましてねぇ。案内図も分かりにくいですよねぇ」・・・だって。
まったく、お役所のやることは結局お役所仕事だよね。

なんと!その第3分庁舎は、東京から島根に帰った最初の年に彫刻を出品して搬入した「島根県立博物館」(元をつけるべきなのだろうか?)だったのです!
あの時と同じ正面玄関を入ったら、確か第2展示室だったところが完全に殺風景な事務所になっていた。展示室だった頃も、シミや汚れや鋲釘の穴だらけのタダの壁に囲まれた殺風景な場所だったが、それでもそこへはいずれこれから絵画などの美術作品が展示されると思うと、それなりにぬくもりや愛着を感じたりしたものだった。
時代が昭和から平成に変る間に、県立博物館の役割もずいぶん縮小してしまったようだ。まだ公立の美術館がなかった頃には、博物館の役割と美術館の役割を展示替えで使い分けていたのだが、念願の県立美術館が宍道湖畔に出来たあとは、やっと本来の博物館へ戻ることが出来たのだとばかり思っていた。伝統や伝承文化の宝庫であるといってもいい島根県なのに、文化施設の脆弱さを見てしまったようで、なんとなく気持ちが沈んだ。
事務所の受付らしきものもないし、最初に目が合ったキレイなお姉さんに問い合わせたら、
にっこり笑って、「ハイ、提出先はこちらで結構ですよ」と、すんなり受け取ってくれた。
1年前に訪問した時は、無愛想なオヤジが無愛想に対応して、しばらく待たされて、無愛想に受け取って終わった。
まぁ、あの時よりキレイなお姉さんににっこり笑ってもらっただけでも少しは気が晴れた。

2015浜田ポスターA3

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溺れる 

2015/06/09
Tue. 20:00

ワイフの彫刻搬入が心配だったから夕方になって電話をしてみた。
案の定携帯の不携帯で結局すぐに通じることはなかったものの、それから30分位して着信が入った。
少し気になることもあるらしいが、ひとまず無事に展示作業は終わったようだ。

まとまった時間もなく、集中も続かないまま無駄に時間が過ぎるばかりだった展覧会業務だが、やっと現代彫刻小品展のポスターとチラシの表原稿が出来た。
寺にWi-Fi無線環境がないので、思うように仕事がはかどらない。パソコン仕事を低予算で楽に使いやすいようにしようと、この数年間で作業中のデータをウエブディスクへ切り替えるなどしていたら、結局それが災いして今になって仕事の効率が悪くなった。
こんなことなら、OSのアップデートなどしないで、そのまま5〜6年前の環境を維持しておけば良かったと思い返しても今さらどうなるものでもない。
なんでも新しければ良いという訳でもないということがよくわかった。

もう10年近く前のことになるかも知れないが、まだOSが9の頃から重宝していた文字変換と総合ワープロソフトがあった。
日本語の変換能力も高いし、ドロー環境もこなれて使いやすいし、なによりワープロの縦書き機能が便利で、自分にとってはこの上もなく使い勝手の良いお助けアプリだった。
まがりなりにも坊主家業のはしくれで仕事をしていると、縦書き文字は欠かすことの出来ない必需品だから、簡単にそれらの仕事をこなしてくれるところなど、感涙モノだ。
ところが、そのメーカーはそのうちOSのバージョンアップに動作環境の対応がついていかなくなって、結局更新や開発を断念して、商品サポートも終了して、静かにパソコンの世界から撤退してしまった。

寺の前の田んぼは、大型の田植え機が入って半日足らずでいっきに田植えが終わった。
その後、苗の根付きとともに株が少しずつ増えてきて、水田らしく青々とした稲が生長しはじめているが、なんとも不揃いでブサイクだ。
見た目は昔と変らなく見える田んぼも、お百姓さんの高齢化が進んでしまって、今ではほとんどが営農組合へ耕作委託されてしまった。そうなると、農作業の全てが機械化されて味気ないものになってしまった。
不揃いの稲株。刈り残しが目立つ田の畔。除草剤散布で黄色く変色した農道。たぶん、田んぼのおたまじゃくしも激減していることだろう。

なんでも便利になって人手から機械化に替わって生産性も向上してきたのかも知れないが、一方でスピードや便利さには替えられない丁寧で濃密な気配りの行き届いた人の手数の貴重さが確実に失われてしまっている。
過疎の進む山寺の周辺では、細く曲がりくねった畦道の続く棚田が、大きな農耕機が使えないという理由で軒並み耕作放棄されて葛のはびこる荒地に変った。
日進月歩の波を読むのも難しいことだ。
気がつかない間にその波に溺れてしまっていることも結構あるような気がするな。

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まっちゃんシェフ 

2015/06/08
Mon. 19:45

早いモノで、2月に老僧の調子が悪くなってから、入退院をくり返し、5月に再入院してからもう6月になってしまった。
年度末の申告やら事業報告が続く忙しい時期に寺暮らしが始まって、それ以来綱渡り一輪車操業状態の日々が続いている。
思い返すと、この4カ月を良く持ちこたえたものだと自分みずから他人事のようにあきれながら感心しているところだ。

朝から梅雨らしい曇り空になった。
週明けの平日を待って、市役所の用事をひとつ片づけてから病院へ向かった。
今秋の新企画事業に欠かせない会場確保で春から動いていたが、本日やっと目出度く会場使用許可が下りた。これで提案申請中の彫刻を中心にした美術文化事業が一歩前進した。あとは、1ヶ月後の採択の合否を待つばかりになった。せっかくここまで関係各氏や各所に迷惑をかけながら積み重ねてきたことだから、良い結果通知を受けたいものだ。

ワイフは、彫刻の手直しがなかなかうまくいかなくて、明日の搬入が心配だ。
いつもだったら、ギリギリまで知恵を出したり手伝ったりしてつきあうのだが、今度ばかりはそういう訳にもいかない。石見銀山を出発する間際まで彼女につきあっていたが、結局時間切れでその後の状況を確認できないまま病院へ走った。
曇り空からはポツポツと雨が降りはじめて、開け放した結界君の窓から吹込む雨粒でハンドルを持つ腕がぬれるほどになった。
田植えを終わったお百姓さんが、雨の中を草刈りしている。刈り倒された青草の草汁の匂いが鼻を突く。ときおり両生類の生臭いドブ臭い匂いも混ざってくる。本格的に梅雨がやってきたようだ。
結界君の窓を閉めて、今年初めてエアコンのスイッチをONにした。

今回の石見銀山吉田家への一時帰宅は、結局落ち着かないまま慌ただしく過ぎてしまった。
いつもは、ワイフの夕食や朝食にワクワク期待してしまうのだが、そのような余裕もなかった。
私の方は、書類の作成に追われ、個展をお願いしている作家との対応に追われ、会場確保の説明会があったりと、とにかく1日がアッという間に過ぎてしまって、四畳半の書斎へ落ち着いた時は、もう起き上がる気力もない状態だった。
ワイフの方は、週末から休日にかけても、夕方から夜にかけて幾つかの会議や会合に出席したりして慌ただしく過ぎてしまった。その間に彫刻の作業をしたりする時間を確保している訳だから、これもなかなか忙しい。
そんな訳で、結局この度は旨いメシにありつくことが出来なかった。
前回は、夕食が鯛のアラ煮で朝食が鯛雑炊だった。
今になってあの味を思い出してしまった。最高に旨かった!
そろそろシーズンも鯛から鯵へ変るはずだ。
鯵のタタキが旨い季節になった。
実は私は鯵が大好きなのだ!塩焼きも旨いし、刺し身も旨いし、南蛮漬けもいいなぁ〜〜

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わがままな一日 

2015/06/07
Sun. 22:27

石見銀山2日目の夜がやってまいりました!
ワイフが老僧の病院へ行ってくれたので、私の方は本日1日キッチリと彫刻がらみの用事を続けることが出来た。
難航していた書類の作文もけっこう集中することが出来た。苦手な収支予算書も表に置換えた。
彫刻を制作してナンボの彫刻家なのに、何故か作文をしたり算数をしたりしてばかりで、どうもピントのズレた仕事になっているが、まぁ、これも展覧会までの通過点ということで避けて通れないことだと自分に言い聞かせている。

午後からは、会場に予定している廃校の小学校へ個展参加の作家を案内した。
けっこう熱心に校舎の隅々まで見学してくれて、制作の糸口をつかんでもらえたような気がする。
島根県にも、探せば若い表現者がいない訳ではない。
昭和の頃のように作家の世界も年功序列や師弟関係や上下関係などに振り回されて思うことも我慢することの方が多い表現者の人間関係に振り回されることのない本来の自由な制作や発表の環境を用意することが大事なことだと思っている。

立派な美術館で、あらかじめ展覧会のためにお膳立てされた空間へ、高い使用料を払って4〜5日ほど作品展示をすることも悪いことではないと思う。それでも私のような貧乏作家は、会場費の必要経費をケチって材料費に回して制作を続けていきたいという気持ちが強いから、結局少々発表条件や環境が悪くてもそれで十分と考えて、展覧会が出来そうな面白い会場を四六時中アチコチ探し続けている。
そうやって何とかして展覧会に使うことが出来ないかと思って見つけた廃校も、もう3年も前から少しずつ準備を続けていた。
今年に入って、やっと使用許可が下りそうな感触を得たのでいっきに準備作業に入った訳だ。まだ、予算も何もない状態のことなので見切り発車も良いところだが、先立つものが無いからという理由で引き下がるのも自分らしくないと思うし、規模の大小の融通を含みながらひとまずやれるところまで乗り切ってみることにした。

日頃から割合ノンビリと気楽に自由に自分の時間を贅沢に使い続けることに慣れていたから、このたびの連続する寺暮らしには少々焦りを感じていたところでもあった。
だからこうして、週末から久々の石見銀山でいっきにたたみかけるように彫刻の用事へ取りかかっていると、何となく気持ちも軽くなって色々な迷いも薄らいでくる。

それに、やはり何といってもネコチャンズが心の迷いを浄化してくれる。
ひとの都合関係なくホントに自由に自分の都合でからんでくる彼らを見ていると、わがまま放題に1日を使い切って嬉々とする我が身の姿が重なってしまう。
ワイフは、島根県立美術館での母校大学同窓展へ大作を出品することに決めたようだ。
いっぱい迷惑をかけっぱなしなのに、文句も言わないで自分の彫刻の手直しをしている。
石見銀山に暮す吉田家の住民にはとにかく頭がさがる。いつもどうもありがとう!

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梅の頃 

2015/06/06
Sat. 23:25

「そろそろ梅雨だけどねぇ〜、雨ふらんでいい天気よ」
「ふぁぁ〜〜、梅だのぉぉ〜〜」
梅の収穫の頃を思い出したらしい。
老僧の付添いをしながらラップトップをつついていたら、なんとなく目が覚めたようなので手を振ってあげたら反応が帰ってきた。まぶたが開きにくくなっているようだからウエットティッシュで拭いてあげたら、少しスッキリしたようだ。
最近はほとんどベッドに横になって寝ている。固形物はいっさい受け付けなくなった。

2〜3日前にくらべると、ずいぶん弱ってきたように思うが、意識や気持ちの方はしっかりしていて、時々の会話も笑顔が出るし、さり気ない気配りも感じられて、たいしたものだ。しばらく前はけっこう我がままも強くなっていろいろ過激になっていたこともあったが、それも今ではかなり落ち着いた。
「あと少ししたら帰られるケェ〜ノォ〜」
ニコッと笑ってそんなこともいっている。
髭もまた伸びてきて気になってきはじめたから、そろそろバリカンをあててあげようと思う。

夕方になって石見銀山の自宅へ帰った。昨夜に続いて石見銀山2日目の夜になる。
ネコチャンズも私のことを覚えてくれていて、いつもはよそよそしいクロもやたらゴロゴロと甘えてきてくれる。シャイなシロもダッコをせがんでくるので、ブラッシングしてやったら私の肩に顎を乗せて陶酔していた。

幼稚園(現在は行政からの補助もなくなって私立の無認可子供園)の先生からお願いされて、テーブルの足を短く切りそろえた。ワイフが運営委員をしているから、それで頼まれたようだ。テーブルも何処かからもらってきたものなのかも知れない。
町の鉄工所へ頼んだら、古くて壊れやすくなっているものの加工は引き受けられないとことわられたらしい。何かで事故になったりした時に責任が持てないからのようだ。新しい備品を揃えることも難しいほどの経営状態でそんなことを云われてもどうしようもない。前々から思っていたことだが、ますます暮しにくい世知辛い世の中になったものだ。
ワイフと電話で連絡を取り合いながら時間を調整して、高速度切断機を工場から持ってきたりして、日が暮れる前にいっきに作業を終わらせた。

大森小学校の子供たちが自転車で町並みの道を下っていった。元気な話し声や笑い声が響いて聞こえる。そういえば、長い間寺暮らしが続いていて子供の姿を見ることもないし声を聞くこともなかった。
近所の若奥さんが小さな子供と散歩していた。以前見た時はまだ散歩は乳母車だったのにもう普通に歩いている。時のすぎるのは早い・・・というより、子供の成長が早いと云うべきなのか・・・
幼稚園のテーブルの足を切りそろえているだけなのに、何かとっても小さな子供たちの役に立っているような気がして、和んだ。こんな気持ちになったのは久しぶりのことだ。

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遠慮 

2015/06/05
Fri. 23:52

4月から一人暮らしを始めたキーポンは、けっこうこまめに自炊して弁当や夕食など作っているようだ。
石見銀山の自宅で気ままにわがままな一人っ娘生活をしていた頃から比べるとずいぶん成長したものだと感心する。
誰でもそうだと思うが、子供にとっての親はなりふりかまわず甘えることの出来る唯一無二の存在であるとも言えるし、また、親にとってはそうして子供に手放しで甘えてもらえるうちが華であるとも云えるような気もする。

親子の間で「遠慮」を意識するようになると、その時点で親子の関係が消滅したことになって、それからあとは普通に世間の他人との付き合いと同じようにお互いの腹のうちを探り合いながら適当な距離を保った付き合いをするようになる。同じ屋根の下で暮していても、やはり何処かしら付かず離れず適当な距離と壁を作りながら共同生活を続けることになる。
親も子も、お互いに自分の立場を客観的に認識できているうちは、それなりに大きな波風もなく暮し続けることが出来るだろうが、そのバランスが少しでも狂ってしまうと、あとは溝が深まる一方で、もとの一見平和に見える共同生活へ引き返すことは難しい。
まぁ、世間の家庭事情はそれぞれ千差万別で一定の常識的判断で一律に定義づけることは出来ないと思う。この1ヶ月あまり寺暮らしを続けていて、正に実体験をもって確信を持ってそうだと思うようになった。

あまりにもデスクワークが停滞して展覧会業務がどんどん遅れてしまっているので、意を決しておかみさんを説得してひとまず石見銀山の自宅へ引き揚げた。
長男のじゅん君をあてにして、これから2日ほどの間に何とかして遅れを取り戻そうと意気込んでいたら、予定変更の電話があって見事にスケジュールが崩れた。
だいたい、彼には前々から見通しの甘いあてにならないところがあるから仕方のないことでもあるが、そういうことが何度かくり返されてしまうと、気がつかない間にどんどん信用が落ちて自分で自分の首を絞めてしまうことになる。
そもそも予定はあくまでも予定であるからなかなか正確に予測できないことでもあるし、その場の勢いでまわりを巻き込んでしまうような約束事はしないようにしておいた方がいい。
我が子のことだからなんとなく胡散臭いノリに気がついていたはずなのに、そろそろいいかげん良い大人でもあるし、どこかしら彼の成長に期待していた気もする。
云ってしまえば誰が悪い訳でもなく私の自業自得ということで一件落着するしかないことだが、一方で、依然と心配のタネが減ることもないまま、いたずらに歳月が過ぎる。

もっとも、こうして何かしら親が子にすがり子が親にすがる関係がさりげなく続いているということは、まだ遠慮の溝もないといっても良いことなのかも知れない。
まぁ、なんだかんだいいながら、現在の吉田家は今のところそれなりにオヤジの立場もそこそこキープできているような気もするが・・・気のせいなのかなぁ・・・

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意気交流 

2015/06/04
Thu. 22:49

例の如く古本をペラペラめくっていたら、「誠心や和気、愉色や婉言があれば意気交流す」とあった。
オヤジ流に都合よく解釈すると、「まごころをこめてまろやかな気持ちで、愉快になごやかに語らえば、お互いの気持ちも自然に通じあうものさ」とでもいうことになろうか・・

母息子二人の寺暮らしは、なかなかこういうわけにもいかなくて苦労する。毎日の暮しから笑顔が消えてもう久しい。
私がどれほど母親の性格を引き継いでいるか自分ではよくわからないが、これから先、私もあの母親のように老化していくのだろうかと思うと気が滅入る。それでもわずかな救いは、私に半分ほど老僧の性格が入り込んでるはずだということと、血液型は老僧と同じだということ。これがあるだけでも大きな救いになっている。

気分屋のおかみさんが病院へ行くと云ってくれた。とてもありがたいことだ。今日一日は久々に心置無く寺の営繕作務に集中できる。これから梅雨が避けて通れないし、老僧の老衰も進んでいるから、この一週間が何かと慌ただしく過ぎていくことだろう。
本堂や庫裏や境内の状況を総合的にみて、自分一人でできることは「どれだけがんばってもせいぜいあのくらいだろうなぁ」と、おおよそ予測できる。あとは、「その予測にどれだけ近づくかということだ」と考えを整理して、ひとまずは野外の営繕からはじめることにした。さすがに雨の中をカッパを着てまで仕事したくないし、エンジンの草刈り機やチェンソーは使えなくなるしするから、いまのところ選択肢はこれしかない。
ちょうど、草が一番勢い良く伸びる頃でもあるから始末が悪い。今日1日の作業でもう3回目の草刈りになる。伸び切ってはびこったサツキを刈り込むのも何年ぶりになるだろう。
おかみさんがまだ若くて元気な頃に挿し木から増やした曰く付きのサツキだから、なかなか手を付けられなくて今に至った。生命力の強い木だから、根元からバッサリ切り倒してもまた新芽が伸びてくれるだろうが、今の時期にそこまでするとおかみさんの落胆は計り知れないものがあるだろうし、ビビリのチキンボウズはさすがにそこまでの勇気がない。

草刈り機を振っていたら胸のポケットに投げ込んでいた携帯電話が鳴っていることに気づいた。
「明日命日なので法事できませんか?」
「えっ??明日ですか?」
「家族全員揃わないんですけど、次はいつ帰られるかわからないというものですから」
「それは急ですねぇ。塔婆のこともありますし・・」
「はい!塔婆はもう買ってありますのでお願いします!」
なんと強引なことだと思ったが、他に法事の予定もないし、この物入りの時期の布施収入もありがたいことだと思うことにした。

我が娘に先立たれたその施主さんはこの近年一人暮らしが続いている。
寺の母息子二人暮らしもなんだかんだ色々あるし、なかなかすんなりと「意気交流」とまではいかないものの、それなりに幸せな方なのかも知れない。

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慌ただしい一日 

2015/06/03
Wed. 23:02

〆切のある書類の発送があって、寺の脆弱な寺務環境では全ての事務処理を完成させることが出来ないものだから、急きょ石見銀山の自宅経由で老僧の病院へ向かうことにした。
何とも無駄に大回りをすることになってしまった。

昨夜は久々のまとまった雨になったから、境内の真土もたっぷり雨水を含んで結界君のタイヤ痕が水たまりになって見苦しい。このところしばらく夏のような暑い日が続いて雨の降る気配もなかったから、どちらかというと世間的には恵みの雨になったのだろうが、万善寺としては営繕の作務がひとつ増えた感じでなんとなく複雑だ。
出雲街道から銀山街道へ入ったあたりから降り続いていた小雨も止んで道も乾いてきた。そろそろ梅雨に入ったのかと思っていたが、このようすだとまだそうでもなさそうだ。

チョット用事で通過する程度の自宅へ久しぶりに帰宅してみると出勤前のワイフがまだウロウロしていた。ドタバタと慌ただしく出かける間際に、
「鳥のレバーとハチクの煮たのとトマトに、アンタの好きな菓子パン用意しておいたからね!」
そう言って大きな買い物袋を渡してくれた。ありがたいことだ。これで今夜の晩飯の仕度が少し楽になる。
清書した文章を印刷して、欠けていた資料や添書を用意して宛名を書いたりしていたらもう昼前になっていた。近所の郵便局を経由して銀山街道を引き返す頃は、昨日までと同じ暑さに戻っていた。

病室の老僧は弱々しく眠っていた。この一週間でずいぶん体力が落ちた。起こさないように静かに入室して新鮮な空気を入れ替えようと窓を開けたら、外の暑さがウソのような爽やかな風が吹込んだ。しきりのカーテンがわずかに揺れている。網戸の縁で何かが動いた。ヤモリだった。久々の雨で周囲の山川からわき出した羽虫を一晩かけてたらふく食べることが出来たのだろう、同じ場所で今夜も夕食にありつこうと早々に待機しているのかも知れない。

慌ただしい一日が終わって荷物を降ろしたりしていたら、場を読まないおかみさんが例の如く根掘り葉掘り老僧の様子を聞いてくる。ひと通り報告をすませて、ワイフの心尽くしのおかずに、私の一手間一品を添えて夕食の準備をしていたら、おかみさんが移動スーパーで買ったパックのそばを冷蔵庫から出してきた。もったいない場違いな買い物をしたもんだが、これも息子への愛情なのだろう。だらしなく伸びきったざるそばを曖昧なつけ汁でかき込んだ。

暇に過ぎても慌ただしく過ぎても一日の長さは変らないはずなのに、疲れる度合いが違う。
面白いことだと思う。早めの夕食を終わってロフトに落ち着いて膝のサポーターをはずしたら足のスネがむくんでいた。さて、一晩でこのむくみが引いてくれるだろうか。
月には薄霞がかかっている。
昼の暑さで昨夜の雨を吸った木々の葉から水分が奪われているのかも知れない。

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おしゃべりと無口 

2015/06/02
Tue. 20:53

自分では、普通によくしゃべる方だと思うが、だからといってうるさくてしょうがないほどにぎやかだとも思わない。最近、おかみさんと暮していると、「ひょっとして、自分は無口な方なのかも知れない」と思うようになってきた。

特にこの近年のおかみさんは私の姿が視界に入るとスイッチONになって止めどなくしゃべりはじめる。これも加齢による脳障害らしいから改善を期待することもできないし、とにかく、「そんなもんだからしかたがない」と我慢して割り切って暮すしかない。

老僧の再入院以来、こうしておかみさんと2人暮らしが続いているのだが、狭い山寺は造りが昔ながらの柱と建具だけでできている壁のない家だから、何処へ行くにも襖や障子を開け閉めしながら移動する。トイレに行くのも結局おかみさんが寝ているヨコを行ったり来たりするしかないから、それだけでおっくうになって、膀胱が破裂する限界までオシッコを我慢してしまう。私がヨコを通るだけで「まだ起きてるのか」とか「さっき時計が○○時を打った」とか、「今夜は風が強い」とか、ワザワザしゃべることもないほどのどうでも良い話題を振ってくる。今までに、もう数えきれないほど「お願いだから夜の間は話しかけないで静かに寝ていて頂戴よ!」と頼んでいるのに、いっこうに言うことを聞いてくれない。まぁ、そんな感じで、一字一句変らない同じ内容のお話を、1日に何度も数えきれないほど聞き続けている。

高校が山寺から遠いところにあって下宿をするしかなかったから、高校生になった時から一人で暮しはじめている。小さい時からみんなで徒党を組むようなことを避けて通るような子供だったから、すでに高校生の頃は一人でいることに慣れていた。そもそも一人でいると周囲の連中に気を使う煩わしさがない。それに、わざわざ話題を合わせて無理に会話する必要もない。実に気楽に自分の世界にはまりこんでだれにジャマされることもなくひたすら空想や妄想に浸り続ける。そういうことを楽しいと思っていたような少年だった。だから、1日中一言もしゃべらないで過ごすこともけっこう多かったし、一人暮らしをしていて風邪を引いて寝込んだりすると、それこそ2〜3日誰とも何も会話のないまま過ごすことも普通だった。

ワイフと気が合ったのも、ひょっとしたら会話の無理が無かったからかも知れない。二人とも特に無口な訳でもなく、気持ちが乗ると思わず延々熱弁を振るったりすることも多々あるから、そういうあたりはいたってノーマルなレベルだと思っている。まぁ、ようするにしゃべらないことが苦痛でもなんでもないということが大事なことだ。
おかみさんは、しゃべり続けていないとどこかしら気持ちが落ち着かないままになってしまうのだろう。しゃべることが精神の安定に繋がっているのかも知れない。

もっとも、こうして毎日ダラダラとブログを書き続けて、適当に都合よく文字に置換えて自分のストレスを解消しているあたり、おかみさんのおしゃべりと似たようなものだという気がしないでもないけど・・・と思っていたら、アクセス22223となっていました。
ブログ訪問の皆様のストレスになっていないことを切に願うばかりでございます。

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バーバーヨシダ 

2015/06/01
Mon. 20:21

今のバリカンを使いはじめてどのくらいになるのだろう?
以前使っていたモノがだんだん老朽化して、モーターの回転も途中で止まったりして、刃の切れ味も鈍ってきて、使用中に動かなくなったらどうしようとヒヤヒヤしながらだましだまし使っていたが、遂に限界がきて更新に踏み切ったのはもう1年以上前になる。

田舎にいると、近所の電気屋さんでバリカンを探すのもなかなか大変で、たしか年末の寒い冬のある日に、隣の出雲市まで出かけたりして探したようなことを覚えている。
結局それらしきものがあることはあったが、古いバリカンのようにガッチリしていないし、説明書きには腋毛処理がどうとか、うぶ毛がどうとかそんなことが書いてあって、ピンク色した本体のデザインもなんとなくオシャレ過ぎてどうも私の頭をゴシゴシと刈り続けるハードな使用には耐えられそうもないなと購入を諦めた。
そうこうしていたら、ワイフが「Amazonでいいんじゃない?」と普通に云うものだから、探してみたらあるわあるわ・・・今度はあり過ぎて目移りして、どれが自分の頭に最適なのかまったく絞りきれないから、前の古いバリカンの型番を探そうと思ったら、長い間に文字がすり減って判別不能。しかたがないからなんとなく形の似通ったものの中から一番安いものをチョイスして注文した。ダメでもともとで、調子が悪くても使い物にならなくてもせいぜい2000円くらいのものなら日本酒一本飲んでしまったと思えばそれで気がすむと思って購入したのだが、使いはじめてから既に1年以上!さすが天下の家電ナショナルパナソニックですよ。製造が中国だろうが何だろうが、良ければそれが一番です!

そんな訳でいつも調子よく坊主頭を刈り続けているバリカンを使って、老僧の病室で床屋をした。プロの床屋さんでもないし、老い枯れてだらしなく伸びきった老僧の頭皮を寄せたり引っ張ったりしながらバリカンをあてていると、時折「痛い痛い!」と大声で奇声を発して大騒ぎする。まさかチェンソーでもあるまいし、頭の皮を切り刻むほどのパワーもないから、とくに大騒ぎするほどのことでもないのだが、衰弱し続ける本来の病巣よりバリカンの刺激のほうが老僧にとっては我慢ならないようだ。
ついでに顎の髭も同じように刈り揃えて、ひとまず見た目にはサッパリした感じになった。

バリカンを使うには、それなりに順序があってできるだけ正確に自分の手をマシンの如く動かし続けることでタイガーカットにならないですむ。
吉田的に云うならば、ペンキの刷毛塗の要領・・・とでも云う感じだ。タテヨコナナメイッテコイ・・を3回ほどくり返すと、ほとんど鏡に頼らないでもまんべんなくきれいに刈り上げることができる。
こうして、私のような山寺の貧乏在家坊主はだいたい一週間から十日に一度は自ら自力で頭を刈り上げている。
近所のご住職は、世間話でもしながら床屋の椅子にドカッと座って、チョット目元の涼しげな匂い立つほど熟れきった年増のお姉さんに冗談を言いながら悠然と丸刈りをしてもらっているようだが、私は遠慮したい。
床屋代がもったいないというより、実はその床屋のおねえさん、小学校から知っている学年が3つ4つ下の娘がそのまま大年増になっただけだし・・・

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2015-06