工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ボクの四畳半 

2015/08/31
Mon. 21:36

吉田家の末娘キーポンがオヤジの四畳半を占領して久しい。
山積する坊主家業以外の用事や仕事のこともあるので、お盆のひと山を越えてから石見銀山の自宅へ活動の場を移したのはかれこれ10日ほど前のこと。
万善寺の荷物を結界君へ積み込んで帰宅した時には、すでに(ボクの四畳半)はキーポングッズであふれていた。寺から持ち帰った書類などを収納しようにもその場所がないから、まずはセッセと四畳半の掃除から始まった。掃除機やコロコロやウエットティッシュなどを駆使して、だいたい1日かけて片づけ終わったら、キーポンがバイトから帰宅した。

吉田家にはほぼ8畳はある変形ロフトがあって、そこが本来のキーポンの部屋になっている。彼女の洋服や収拾している漫画本や、ミニコンポもあって至れり尽くせりの部屋なのに、何故かその部屋に上がろうとしない。夏のあいだ帰省していたじゅん君がキーポンのベッドで寝ていても部屋の主は何の抵抗もなく、オヤジの四畳半で暮していたらしい。
キーポンもそろそろ20歳を迎えるほどの年頃の娘になって、先日の天領さん祭りで町内をうろついていたら、至るところで「キレイになったねぇ〜」と大評判になっていた。そんな彼女が、毎晩オヤジの四畳半でゴロゴロして、そのうちオヤジの枕を横取りして寝はじめる。ひどい時は、ことごとく私の夜なべ仕事にからんできてシツコイことこの上ない。昨夜もそんな状態だったから、結局早々と仮眠をとることにして夜中の丑三つ時にゴソゴソ起き出して急ぎの印刷原稿を仕上げたりした。今夜も、いつものようにキーポンが四畳半を占領しているから、こうしてラップトップを持ってロフト部屋へ避難した。
これからひと仕事片づけるつもりだ。

吉田家の上の3人の子供たちは、もてあましてどうにもならないほど苦労することもなかったが、それなりにそれぞれ反抗期があった。
ところが、キーポンにはハッキリとだれにでも分かるような反抗期が見当たらないまま今に至っている。たしかに、「コノヤロー!!」と思う場面はサイサイあったから、強いて言えばそれが親への反抗であったとも思われるが、こちらとしては、とくに騒ぎ立ててオロオロするほどでもなかった。たぶん、親の方も上の3人の反抗期で免疫ができていたのかもしれない。

これから9月の中旬までキーポンの夏休みが続く。
オヤジとしては、娘盛りのキーポンとひとつ布団で寝るより、ネコチャンズと一緒に寝るほうがずっと癒されて熟睡できるのだが・・・ここで引き下がって、それこそキーポンに四畳半を明け渡したら、吉田家のオヤジの憩いの場がトイレ一ヶ所だけになってしまう。それだけはなんとしても避けなければいけないから、意地でも四畳半を死守するつもりなのだ!

最近はクロがキーポンのロフト部屋のど真ん中でゴロリと寝ている。だいたい、猫というヤツラはとかくに狭いところを好んだり、空き箱に入り込んだりしてくつろぐものなのだ。
人間が狭い部屋で窮屈に蠢いているというのに・・・
まったく、吉田家の現状は何処か普通じゃないよ!

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夏の名残 

2015/08/30
Sun. 19:00

富山はあちこちで早稲の刈入れが始まった。
最近は、年々稲刈りが早くなってきているような気がする。
長年にわたる品種改良が功を奏しているのかもしれない。

1週間前の台風通過で、稲穂がかなり揉まれてしまったようだ。
夏野菜も、風に揉まれて傷が入って売り物にならなくなったといいながら、この1週間ほどはお盆のおつとめでおじゃまする先々で食べ切れないほどの頂き物をする。
何か、dash村の〇円食道のようだ。

初七日のお務めをしてから、一周忌の法事へ回った。
朝早くからその家のおばあさんが腕によりをかけて作った野菜料理が飯台へ所狭しと並んだ。
島根の山間部でも、今どきの法事は斎膳を近所のお食事処へ移動したりお膳弁当を注文したりして簡単にすますところが増えた。
だから、御自宅の手づくり料理で斎膳を頂くことがとても珍しい事になってしまった。
そのお宅では、おじゃまするたびに五つ組の仏膳がきちんとお仏壇へお供えしてある。
開経偈でお経をはじめながらお膳の小さなフタをとると、とても美味しそうな手づくりの品が目に入る。いつも「美味しそうだなぁ〜」と思うから、そのことを正直に伝え続けていたら、最近は、斎膳にその季節の収穫をたっぷり使った手づくりの逸品が並ぶようになった。
このたびも、夏野菜の天ぷらから間引き根ものの煮物、それに娘さん手づくりのオシャレなサラダなどが飯台にあふれた。
なかでも、美味しかった・・というより珍しかったのは、トマトの漬物。シャリシャリとなかなか乙な味で、思わず一杯やりたくなる。
もうシーズンを過ぎて植え替えの時期にきた畑で、いまだに夏野菜ができ続けてキリがないから、株に残った若い熟れる前のトマトをいっきに収穫して漬物にしたのだそうだ。
「方丈さんに、殺生はいけない!生き物は大切にしないといけない!と、いつも言われとりますけぇ〜ねぇ〜」などといいながら、「最後の野菜ももったいないですけぇ〜」ということで、粗末に捨てたりしないように心がけているようなことをおっしゃるが、さて、どこまで本気なことか・・・まぁ、いずれにしても美味しければそれでいい。
私のようなナンチャッテ坊主でも、毎度毎度くり返して同じようなことを言い続けていたら、そのうちそれなりに聞きわきまえてもらっていたりして、それはそれで悪い気がしない。
最近の坊主は、お布施の中身や家の格でお経を読み分けたりするような話しを同業から聞いたりすることもあるが、そういう坊主感覚にはとてもついていけない。
私はというと、図々しくズカズカとその家に踏み込んで、上手い手づくり料理をせがんだりしているようなところもないわけでもないが、それもそれで、布施のドォ〜ノコォ〜ノいうよりはまだマシだと思う。
トマトの漬物を御裾分けしてもらうことの方が何にも替え難いその御宅との御付き合いになることだと都合よく解釈している。

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マッチャン記念日 

2015/08/29
Sat. 22:25

本日は吉田家の大黒柱マイワイフの誕生日でありました!!!!!!!!!
現在のワイフのハニーは、ほとんどヒモ暮らしでありますので、あまりデカイ態度にでることもはばかられつつ、ささやかにお祝いをしたわけでありますよ!

そんな感じで、だらしないオヤジを救ってくれたのは、まぁそれなりに成長したキーポンでありました。
なんと!彼女はバイトの大枚はたいてお母さんへの誕生日プレゼントを用意したのであります!
「お父さん!良いのが見つかったのよ!新製品で値引き対象外だから半分もって!お願い♡」
「イヤイヤそれは無理でしょう・・・お父さん、もう用意しちゃったもん!それは無理無理!」
「それはそれ!!・・ということで、半分持って♡!ねっねっねっ!!!!!」
そんなやりとりがあって、結局、いつもの薔薇の花束とキーポンの按摩機の半分を負担する事になってしまった。
マイワイフも、気が付けば還暦間近の熟女花盛りももうピークを過ぎたあたり。
一度しか無い人生だから、「こういうことがあってもしょうがないかな??」

その帰りには、なんと国道の交通事故で東西10kmを越える渋滞に巻き込まれそうになった。
そのあたりは暇なオヤジのお庭のようなところだったから、$ノ字で幹線道路を突っ走って事故現場を回避しながら帰宅したら、ワイフは自らの誕生日を勤労奉仕で祝ってくれていて、ジジイに近づいて涙もろくなったオヤジは、不覚にもググッと感極まるところまで冷静を逸脱しそうになってしまった。
ひとまず、男の意地でその場のヤバい状況を回避して、吉田家家族3人のアットホームを堪能する事が出来た。

29日というと、今は亡き憲正さんの誕生日が7月29日。
吉田家末娘のキーポンが11月29日。
それにワイフが、本日8月29日。
誕生日がこうやって重なってしまうと、痴呆症検査の初期質問で外せないデータが一気にそろってしまうあたり、吉田家の濃厚で粘っこい家族のつながりを感じる。

ちなみに、オヤジの私は御存知「死にな!」の4月27日。
ワイフのオカアサンで私の義母は7月27日。
月は違うけど、長男が13日で長女が12日で次女が14日。
クロが4月の1日のわりには、やたらと悪知恵がはたらく。
シロは次女のノッチと同じで14日。
ここまでシンプルな誕生日を忘れてしまったら、それこそ痴呆症のスタートです!
とにかく、還暦に近いワイフも歳相応に喜んでくれて何より何より・・・ってとこだね!

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吉田家の近況 

2015/08/28
Fri. 23:36

吉田家の家族は、おばあちゃんを除いてそれなりにまっとうに悩みながら生きているようであります!・・・といって、そのおばあちゃんがいちばん本気でまっとうに生きていると思っているという思い込みがその息子であり吉田家のオヤジとしてはなかなか辛いところなのであります。

この数週間のあいだに、吉田家の娘達はいろいろとそれなりに苦悩の日々を過ごしているらしい。
彼女らのつぶやきでオヤジはどれだけなぐさめられて励まされられて救われて元気づけられていることか・・・
たった2~3行のつぶやきでオヤジはホントに元気になれる。
いい歳をしてグジグジ言っている自分がなさけないと反省もする。
ヨシッ!!明日からいつものノリで突っ走るぞ!
・・・ということで、近所のホームセンターでつま先鉄板入りの長靴をだいたい2年ぶりに新調した。
これで9月に入ったら、いっきに大作3点制作だ!
今年に入って半年間以上を無制作で過ごしたから、そのツケをこの1カ月で取り戻すつもりだ。さて、体力が続くかどうかが心配だが、その前に贅肉へ変った筋肉を取り戻さなければいけない。それで、今夜はトントロに本場ウインナーにモツ煮込みに焼きナスに甘トウガラシ。前フリとしては少々贅沢がすぎたかもしれない・・・

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○まずはノッチ
"ありがとう"と"ごめんなさい"って言う場面のハードルが高いんだよねー。気軽な感じだったらぜんぜん言うけど。え?なんでこんな事で言わなきゃいけないの?って思う時がよくある。無理矢理言わされる感じすごい嫌だ。
"ありがとう"と"ごめんなさい"が言えない人間はダメだって言うけどさー、言われたいと思ってる人間に言うのはすごい嫌だ。それならダメな人間でいいって思ってしまう。
朝11時から深夜2時までぶっ通しで働いた後に1人で韓国料理屋でフライドポテトとビールを飲みながら、そんなことを考える今日この頃。クソだなーwww
タッキーきたーーーーwww
あと北川くん?!と河内くん?!って人もwww
ポーカーフェイスでずっと接客してたけど、ミーハーなわたしは内心ドギマギでしたw
(注:ちなみに、J.J好きのキーポンから北川くんと河内くんは名前が違うとツッコミが入った)

○次はなっちゃん
今日からお家酒は身体にたまらないワインに切り替え‼︎今年入ってからまだ休肝日ゼロ(´∵`)お父さんと同じ運命辿ってるー。高血圧の糖尿病決定だな!
(注:お酒が飲めなくなって、メシが不味くて食えなくなった時が死ぬ時だな・・パパより)

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心はドンヨリ 

2015/08/27
Thu. 21:26

朝から秋晴れのいい天気になったが、私の心はドンヨリと曇っている。
これも宿命という事で避けて通れない事だから仕方のない事なのだが、それにしても気が滅入る。

最近やたらと過激な老人と進化するおかみさんに手の付けようの無いほど苦労する。
まだ憲正さんが存命の頃からその兆候があったものの、過激のはけ口が数ヶ所に分散していた頃は何とかなっていた。
それが今は、ことごとく息子とその妻、そしてたまに孫にまで飛び火してくる。
こういうおかみさんの様子を見ていると、「人間、歳はとりたくないものだ」と思ってしまうが、私の場合は、すでにそのあたりはゴクンと飲み込んでいるからたいして気にもしないでいる。それでも、「おかみさんのように、歳をとってはいけない」と最近になってより強く自覚するようになってきた。
有る意味で、おかみさんに反面教師を見る思いだ。

苦労してお願いして書いてもらった総合病院での検査受診紹介状を、結局無駄にしてしまった。
おかみさん本人が検査受診を頑強に拒否したためだ。
仕方がないから、せっかく頂いた紹介状を持って予約の時間に合わせて総合病院へ1人で出かけた。
事情を説明したら、ひとまず私の話だけは聞いていただける事になって、受付けをすませてから1時間半ほど待った。
若いドクターは、自分の専攻領域を越えた内容だとことわりつつ、それでもそれなりに私の話しを丁寧に聞いてくれた。
結局医療的に検査受診の結果を見ないと客観的な病名も決められないという判断であるが、もっともなことで、忙しい時間を割いてそう言ってもらえるだけでも有難い事だ。
その上、私のしつこい食い下がりにも対応してくれて、直通の電話番号もゲットできた。
まぁ、何もしないよりは良かったと思うし、少し気が晴れた。

メシ抜きで行動している空腹感もあったが時間を無駄にも出来ないので、帰りの途中に富山へ寄った。
無駄撮りの取材を埋め合わせしようという気持ちで数日前と同じルートをなぞったものの、どうも気持ちがスッキリしないで今回もなかなか集中できなかった。
それでも100枚ほどは撮り貯めたから、中に1・2枚程度だったらそれなりに納得できるものもあるかもしれない。

明日は、また1日お盆の続きの仏事で赤来高原になる。
万善寺へ寄ろうとも考えていたが、今は無住職ということで素通りする事に決めている。
毒親には毒息子で抵抗するしかないと決める事にした。
仏事が終わってから、地域の介護福祉センターへ寄って、総合病院で聞きとった話しを伝えておこうと思っている。
そろそろ、自分の記憶力も怪しくなってきはじめているからね。

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富山の渓流 

2015/08/26
Wed. 21:01

富山のことで動き回っていたら着信があって、それでいっきにオボォーさんモードに切り替わったのは2日ほど前。
それから、島根沖を通過中の台風とシンクロするように私の万善寺住職業務が活発化した。

枕経〜受戒〜出棺〜荼毘〜通夜〜本葬告別式〜初七日法事

檀家の少ない万善寺は、多い時でせいぜい1年に2~3回程度のお葬式しかないのに、今年は憲正さんの遷化で半年が過ぎ、お盆を乗り越えたと思ったらこうしてお檀家さんのお葬式。
もう、1年の仏事が半年のあいだに終わってしまった感じだ。

一段落して、おかみさんの我侭を振り払うようにして石見銀山の自宅へ帰った時は、すでに一日の日が傾いて、薄暗くなりはじめた頃だった。
ワイフも1日中石見銀山有志主催の行事に付き合っていたようで、私の書斎兼用四畳半でグッタリと横になっていた。
シロは昼のあいだのほとんどを四畳半の押し入れをマイルームにしていて、案の定、その定位置で寝ていた。
クロは脱走を試みようよアチコチウロウロしている。
そのような、吉田家のマッタリ具合にハマってしまうと、もうその呪縛から抜け出せない。
最近はワイフに占領されつつある留守がちオヤジのマイ冷蔵庫には、かろうじてお檀家さんから頂いたお中元ビールが数本冷えていた。
イソイソとコップを用意して夕食前のひと時をくつろいだ。
ヌシのいない書斎のデスクトップには、留守中の埃がかぶっている。
まずはから拭きして持ち運んでいる外付けHDを取り付けてスイッチON。
起動して最初に現れたのが富山を取材して取り込んだ写真だった。
そういえば、万善寺仏事の直前まで富山のことに集中していたなぁ〜・・
たった3日ほど前の事なのに、何か途方もなく昔の出来事に思えてしまう。

最近は、どうも気持ちの切り替えにもたついてなかなか頭がスッキリとしない。
結局取材では100枚以上の富山写真を撮っていた。
そのほとんどは記録にもならないほどの無駄撮りばかり。
1枚1枚の写真を見ていると、やっぱり一つ仕事に集中しているようで、実は意識散漫気も漫ろ状態だったという事が客観的に見えてくる。
「このままではいけない。全てがダメになる!」
モニター画面を見ながら痛切にそう感じた。
自分へのご褒美のつもりで呑んでいたビールが急に不味くなった。

富山の渓流は、私の少年時代の万善寺前の保賀川の渓流にそっくりだった。
今の保賀川は、田んぼの排水溝から垂れ流された不気味に色付く各種農薬のブレンド排水が絶え間なく注いでいて、水辺の雑草の株がやたらと元気に太ってたくましく育っていて昔の面影は全く無い。

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台風の一日 

2015/08/25
Tue. 23:51

島根は久々に台風がやってきた。
朝から終日断続的に大荒れになった。

7回忌の休廣忌塔婆を書いて施主家へ結界君を飛ばした・・・って、万善寺からたった2軒先の家なんだけどね。
とにかく凄い暴風だったのよ!!
結界君から塔婆をもって降りたら、突風で塔婆ごと吹き飛ばされそうになった。
かろうじてメタボ重量で踏止まって慎重に施主家の玄関を開けた。
まだ新築から2年くらいしか経っていないし、台風ごときで何処か壊したりしたら、それこそお布施も貰えないまま出費だけがやたらと増えてしまいそうだ。

観音経をおつとめしているあいだに、強烈な突風はひとまずおさまった。
お経を少しスピードアップして法事を終了したら、施主家は丁寧にもお斎膳を用意してくれていた。
短時間ほどお付き合いをしておいとますると、急いで出棺のお経を読みに結界君を走らせた。
途中台風の強風で結界君がフラリと浮き上がる。
折れてくだけた木の枝が国道で渦を巻いている。
久しぶりに緊張した運転の連続だった。

出棺までのおつとめをして、その足でまたまた結界君を素っ飛ばして手間替え随喜の施食会へ向かった。
施食会はすでに始まっていたので、大衣に着替えて本堂へ入ったら、ちゃんと万善寺用の坊主椅子が空席のまま用意されていた。
台風の風雨が強烈に強い時だったので、頭のさきから足指のさきまでほとんどずぶ濡れになった。

夜には、新亡さんの通夜がある。
それまでにずぶ濡れの改良衣を乾かさないといけない。通夜に着る衣がないから・・・
憲正さんの背が低かったから、お下がりは全て小さい。
彼は、そんな着物ばかりを丁寧に着続けていて、中にはその刺繍のデザインが見るからに高価そうな袈裟もあったりする。
何もしないでそれこそお蔵入りをしてしまうのも淋しいことだから、ひとまずは自力で何とか出来ないかと色々工夫しながらお下がりを着るようにしている。
非常に強い台風の吹き荒れる中何度もそのお下がりで往復した。

とにかく、飛び込み葬儀も加わった今日の仏事が終わって万善寺へ帰ったのが夜の9時を過ぎていた。
それから夕食が始まった。
そして美味しいのか不味いのか良く分からないまま夕食が終わった。

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棚田の情景 

2015/08/24
Mon. 12:09

富山の棚田の一角に巨大な椎の木がある。
1993年に大田市の天然記念物に指定されたようだ。
元は地元の氏神かなにかの祠のご神木であったのだろう。
周辺一面棚田のそこだけが手付かずの小山のようになっていて、そのてっぺんの平地いっぱいに椎の木が枝を広げている。
整備すればけっこう遠望の姿も雄大に見えて、富山集落のそれなりの憩いの名所にもなる気がするが、今の世の中のことだから身銭を切ってまで勤労奉仕で整備するような有志も集まらないだろう。

富山と書いて(とみやま)と読む・・・とは、ずいぶん前にも何度か書いた気がする。
山あり谷ありのアップダウンが激しい土地で、現在の大田市行政で区分けされた富山町はとても広い。
だだっ広いだけの平地ではないから、平らに延ばした渓谷の表面積はかなりのものだと思う。
棚田の方は、昭和から平成の農地改革で耕作しやすいようにそれなりに几帳面に区画整備されているものの、昔ながらの畦道をどうにも手のつけようがないまま放置されてしまった場所もけっこうアチコチに残っている。

秋雨前線の勢いが弱まって晴れ間が覗きはじめたある日、富山町をひと回りして取材した。
お盆のあいだは、万善寺に缶詰め状態だったから、身も心も開放されて時間の過ぎるのが早く感じた。
不覚にも坊主の白鼻緒の雪駄を履いてそのまま出かけたものだから、あまり茂みの奥まで立ち入る事も出来なかったが、それでも富山の景観を確認する事くらいは十分にできた。

見渡した限り、この富山の棚田は、このまま稲作を続けるとしたらせいぜい50年が限界に思う。それほど耕作放棄地が点在している。
個人農業従事者の組織化が難しいということがひと目で理解出来る。
耕作農家がひとつになって我が土地の活用を目指さないと、結局国や行政からの補助金にすがった年間収入に頼るしかなくなってしまう。
怪しげな彫刻家だったり、なまぐさい坊主ごときが偉そうにこんなことを言っても何も変るわけもないが、それでも何かこの今の豊かさの残る景観が、もう一歩でも情景に踏み込めるまでのきっかけをつくれたらどんなにステキな事だろうと思ってしまう。

空の青に秋の深さが増してきた。
早稲の棚田には、そろそろ稲穂が頭を垂れはじめている。
谷からの上昇気流でホバリングしている鳶がやたらと大きく感じる。
一帯の棚田に人影はない。
ついさっきまでバイパスの拡幅工事でユンボが絶え間なく動いていた。
平日の昼間から首にカメラをぶら下げてプラプラと雪駄で歩く坊主頭は、きっと強烈に怪しいヤツに見えているのだろうなぁ・・・

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ネコチャンズ事情 

2015/08/23
Sun. 11:39

朝の少しのあいだ、吉田家のネコチャンズはリードを装着して番犬ならぬ番猫タイムがある。
本当は、数年前にクローズしたギャラリーを再オープンして番猫ならぬ招猫ちゃんズになってほしいのだが、オヤジの宿命というヤツで、いまだにそのささやかな願いを叶える事ができないでいる。

石見銀山に暮しはじめて20年を越えるほどになった。
島根生まれの私がUターンしたのが28歳の時。それから10年間はアチコチを転々としながら行く先々で子供が1人ずつ増えて、末娘のキーポンが生まれた時にはすでに石見銀山に住んでいた。
そのキーポンより先に吉田家の家族に加わったのが今は亡きシェパくんだった。
彼は三毛の雑種で、まだやっと乳離れしたほどの小さい頃に石見銀山の駐車場付近へ捨てられてうろついていた野良犬だった。まだ野良犬の悪事に染まっていなくて、人懐っこいところも残っていたが、やはり小さい身体でそれなりに苦労したからだろう、けっこう神経質でもあった。始めの頃は人に甘える事が上手くできなくて緊張で震えたりしていた。
その頃の吉田家はまだ転勤家族だったから、それなりに寿命が長い生物とはつき合わない方が良いと思っていたので、その子犬を飼う事には消極的だった。
結局、じゅん君となっちゃんの説得と、犬好きなワイフの妥協で二晩目の夜から吉田家の家族に加わった。
あの頃はまだ五右衛門風呂を使っていて、その子犬も五右衛門風呂で洗った。犬猫病院へ連れて行って診察を受け、必要なワクチンを接種して、名前も正式にシェパと命名した。
その彼は19年と10カ月生きて老衰で大往生した。
彼の人生・・イヤ、犬生が幸せだったかどうかはわからないが、飼い主でつき合っていた私は彼の最後を自分で看取る事ができたという事にそれなりの達成感もある。

今のネコチャンズも、20年前の野良犬だったシェパくんと同じようにじゅん君が黒猫を連れて帰った事がきっかけで同居が始まった。この先ネコチャンズが何事もなく年齢を重ねれば、だいたい20年くらいの寿命を全うする事になるだろう。
さて、その20年後に私はどうなっているだろう?
まだこの世でのらりと生きているだろうか?
ジジイやババアになったネコチャンズを自分で看取ってやる事ができるのだろうか?

20年前の石見銀山はゴーストタウンのありさまで、野良犬がアチコチでうろついていた。
約1kmの町並みでは数軒のお店があるだけで、観光客も皆無だった。
今の石見銀山は休日や祭日どころか、平日の晴れた日は観光客のレンタサイクルで町並みが混雑するほどになっている。
そして、野良犬がいなくなったら、野良猫がやたらと増えた。
吉田家のネコチャンズも何度か野良猫との接近遭遇があって激しいバトルがあった。
限りなく猫好きに変貌したワイフは、そういう事が続いたのでネコチャンズを家猫にした。
さて、番猫タイムが彼らにとって幸せなひと時になっているのかどうか・・

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晩夏の棚田 

2015/08/22
Sat. 22:25

四畳半は留守のあいだにかなり乱れていた・・・というより、荒れていた。
おとうさんのいないあいだにキーポンが自由に使いたい放題に使っていて、もう愛すべきオヤジの書斎の世界は見事に完全に破壊されていた。

8月のはじめにやっと学校が休みになったキーポンが石見銀山の自宅へ帰省した時は、すでにオヤジは寺暮らしが普通になっていて、そのあいだにささやかながら自分の世界に閉じこもることが出来ていたオヤジの四畳半はネコチャンズの遊び場とくつろぎの部屋になっていた。
そこへ、キーポンが合流して、時々ワイフの昼寝部屋になってしまったものだから、夏の3週間足らずのあいだに見事に荒れまくって復元不能になってしまっていた。
先日無住職の通勤坊主になると決めて久々に万善寺を引きあげて石見銀山へ帰った時は、それほどひどく荒れているとも感じなかったのに、その後2日ほど現実を客観的に直視していたら、たった四畳半だけのことなのにやはり何処かしら微妙に自分の安らぎの位置関係がズレていて居心地が悪い。
部屋のアチコチへキーポングッズが散乱していて、いちばん新しいデスクトップのモニターは、静電気に集まった部屋中の埃で薄白く曇っている。

あいかわらず四畳半にはキーポンが居着いている。
シングルサイズの敷布団はほとんど3分の2をキーポンが占領していて、オヤジは窮屈この上ない。ウトウトして深夜に気が付くと、私のメタボ腹がキーポンの枕になっている。
そのまま週末になった朝に目覚めたら、四畳半には私が寺から移動した荷物が平置きになったままになっていた。毎日の暮しをしっかり意識しているように見えて、実はまったく落ち着かないまま数日が過ぎていた。

Mac Musicを聴きながらコロコロや掃除用のウエットペーパーなどを駆使して掃除すること1時間半。だいたい大物が片づいて四畳半なりの広さが戻った。
物置になっていた炬燵テーブルも片づけた。

それから、約束の時間に遅刻しないように大田市富山町の待ち合わせ場所へ移動した。
Iターンのお兄さんがせっかくの休日の大事な時間をずいぶん延長して富山町内を隅から隅まで案内してくれた。
やはり、東西南北、上下左右何処から見ても棚田がとてもキレイだった。
今企画しているイベントの開催は稲の刈入れが終わった秋の真っ最中。
今の夏の名残の棚田は広報印刷物のネタで使うことは出来ない。
やっぱりこの絶景をもとにして、あとは豊かな秋の里山の様子を絵に置換えた方がいいと思っている。彫刻家の吉田でも絵を描くことは出来るが、やはり世間の埃で汚れ切ったオヤジの目で見た風景が絵になるよりは、もっと新鮮な若い目の感性に期待したい。
写真資料をいっぱい用意したし、近いうちに、近所の絵描きさんを説得しようと思っている。
そのおねえさん・・年増オヤジがおごった晩飯の一杯くらいでは「ウン!」といってくれないかなぁ〜

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金の煮干し 

2015/08/21
Fri. 20:46

予測していた天気が秋雨前線とそれを刺激しているらしい台風の影響で目まぐるしく変化している。島根の方は週末から少し好転して晴れ間が期待できるようなことを言っていたのに、今日の様子だとそれも難しくなりそうだ。

正式には9月1日からスタートすることになっている新事業の島根文化ファンド助成金が採択されたことを受けて、石見銀山へ帰った日からその準備事務で動き始めた。
まずは申請内容と総事業費の調整をかねて事務的な見直しをしはじめたが、結局は新規事業だから過去のデータと比較することも出来ないし、いつもの吉田オヤジのノリで見切り発車するしかないことが確認できた程度で切り上げた。
何をするにも、初回はイキオイで乗り切るしかないし、またそれでなんとかなってしまうというところもあるから、こまかな費用計算などは深く掘り下げないことにした。

文字媒体のコラムに「お金の貯まらない○○の習慣!」という記事があったから向学にと覗いてみたら、自分の行動や考え方や生活習慣はことごとく金とは縁のない生き方をしているということがわかった。それに薄々気付きながらでも、やっぱり我慢できないこともあるし、どうせあとで後悔するのなら実行するもしないも同じことだ。結局、まわりには迷惑をかけることになるだろうが、ひとまずは出来るところから具体的な行動へ移すことにした。

今度の彫刻がらみの事業は、過疎高齢と少子化の加速で廃校になった小学校がメイン会場になる。
そういう場所だから、最初から集客を望めない。わざわざ、そういう場所を選ばなくてもいい気もするが、私にはその土地が絶景の地に見えてしまうからしかたがない。
朝から関係各所へ連絡して、それぞれ時間調整をして、ひとまずぐるっと一周して、顔つなぎをしてきた。収穫というと、教育委員会の若い担当さんが難しい顔を演出しつつも結構乗り気なところが見え見えだったりして、そういう食いつき具合に期待が持てる。彼が他の部署に移動する前にそれなりの結果を用意できれば、今回のものづくり学校も行政事業の廃校活用事例のひとつに食い込めるかもしれない。
昼前からそんな夢を描きながら雨の大田市を彼方や此方へウロウロと移動していた。

坊主暮らしの後遺症が左半身へ集中してきて、昨日あたりから左膝から左腰へかけて激痛が走っている。
夕方近くに帰宅して夕食に近い昼食を食べ終わって、食後のひと時をくつろぎながら「ねこあつめ」なるゲームアプリをつついていたら、キーポンが近所のアルバイトの休憩で帰ってきた。現在の吉田家は家族三人でそれぞれ「ねこあつめ」にはまっている。私の今の目標は、セッセと金の煮干しを貯め込んで冬のシーズンに向けた高価なグッズを準備すること。厳しい冬のあいだも、ネコチャン達に快適な暮しを提供してやれるように気を配っているのだ。
吉田家の現実はもっと厳しい冬になりそうな気もする。甲斐性無しのオヤジのことだからしかたないかもしれないけど、少しでも快適な暮しが出来るよう鋭意努力いたします!!

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再開!石見銀山暮し 

2015/08/21
Fri. 02:40

もう何時頃から石見銀山を離れて暮していたのか忘れてしまうほど久しぶりに吉田家へ帰ったものだから、何かしらもっと感傷的になるものだと思っていたら、特にそういうこともなく1日が過ぎた。
もっともその1日も、結局万善寺やおかみさんの書類関係の用事で赤来高原をウロウロして昨日までの寺暮らしを引きずっているからよけいにそう思えてしまうのかもしれない。

石見銀山は未明に雨が降りはじめたようで、キッチンのトタン屋根がうるさく鳴っていた。
そういう雨音の感覚も久しぶりに聞いた気がする。
ワイフが早朝におき出してくる気配も久しぶりのこと。
朝からネコの鳴声が聞こえるのも久しぶり。
石見銀山の町並みを往来する生活の音も新鮮に感じる。

こういう日常の然りげなさの中で目覚めることが出来ることは本当に幸せなことだと、今さらながら痛感する。
それほどおかみさんと二人の寺暮らしにストレスを感じていたのだということが、こういうささやかな比較の中で気付く。
一方、早朝恒例だった夫婦のカラスの会話を聞くことが出来なくなった。
あれはあれで朝の出来事のひとつとして結構楽しみにしていたところもある。

「久しぶりだから午前中くらいゆっくり休んだら?」
ワイフがいやに優しげに気を使ってくれている。
そうだなぁ・・そういえば自分の休日なんて全く無いまま過ぎてきたなぁ・・・
毎日特にこれといって忙しくしているわけもないのに、一日寝込むほどの病気になるわけでもなく、一日何も用事も仕事もなくて休むような日があるわけでもなく、そういうことの連続が歳月の流れに乗って一緒に延々と淀みなく流され続けていたような気がする。
「そうだなぁ、じゃぁそうするか・・・予定がない訳でもないけど、たまには半日くらい休むとするか!」
ワイフが四畳半へモーニングコーヒーを差し入れしてくれたので、それにつられて気持ちが休日の方へいっきに傾いた。

お昼になって、キーポンが近所のバイトから昼休みで帰ってきた。
ワイフがマーボー丼をつくってくれて、3人で食べた。
それから結界君で通勤坊主。
ここ1カ月のあいだに溜まっていた郵便物の中から、請求書や名義変更の書類やその他急を要する提出物など一式を整理して、赤来高原をひと回りした。
さすがに、半日でそれらを片づけるのは少々無理があった。
それでも、夕方になって石見銀山の自宅へ帰ってみると、それまでだらしなく眠りをむさぼっていた様子のクロが面倒臭そうに私を見上げていた。何処かに潜り込んでいるらしいシロは姿も見せない。
あぁ〜、吉田家のこんな感じのマッタリ感がいいんだよね。

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石見銀山暮し復活記念日 

2015/08/19
Wed. 23:53

盆を過ぎて急に日が短くなった夕方から・・というより、夜になって万善寺から結界君で5分ほど走った赤来高原の里山にある七面さんのお堂でお盆供養をお務めした。
毎年同じ日に周辺地域有志の皆さんがそのお堂に集まってくる。

もとは、その地域全体にちらばって安座されていた野仏さんや小さな掘っ建ての祠にお祀りされてあった仏さんを、最近になってそのままだと粗末になるから一つに集めようということで、近くの棟梁へ頼んで立派なお堂を建立された。
そのお堂の棟上げから仏さん安座にかけての一連の法要は、まだ元気だった憲正さんが仕切った。
憲正さん直筆の立派な札板も奉納されて、すでに朽ちて文字の判別も難しい過去の札板と一緒に並べられている。

安座の仏様は様々で、昔ながらの民衆の神仏頼みの重さがよく伝わってくる。
十王さんの名残の石仏様。
とても穏やかなお顔の馬頭観音様は少し珍しい。
白木の逗子に入った彩色の小さな七面様。
石の風化が激しくてお顔の判別も難しいたぶんお地蔵様。
工人の手が同じだろうよく似た木の葉地蔵様が2躰。
それに、西国札所巡りで揃えられたと思われる軸の掛け絵観音様。
これらの仏様方は地域に広がって、それぞれ個人で長い間お守りされていたのだろう。
ずいぶん昔に憲正さんが、その仏様方のことをしゃべっていたことを思い出しながらお経を読ませてもらった。
最後に、幾つかのご真言陀羅尼をくり返して、そのあいだに焼香をしてもらった。

今年から、野外仏事は憲正さんの黒法衣を拝借している。
私と身長が10㎝違って低かったから、普通の法事や仏事で着用は難しい。
そのまま撥遣して御焚き上げするのもしのびないから、こうして野外仏事に使わせてもらうことにした。
晩年は年々膝が悪くなって立ち座りが難しくなっていたから、法衣の裾を踏んでしまったり袖を引っかけてしまったりして、アチコチにほころびが出来ているので、この度は、お務めが終わってからの着替えをやめて、そのまま結界君に乗って石見銀山の自宅へ引き揚げた。
ワイフがヒマな時にそのほころびを直してもらおうという魂胆だ。

数ヶ月ぶりに石見銀山での暮しが戻ってきた。
これからは、通勤坊主に切り替えて、万善寺の暮しが縁遠くなる。
まぁ、おかみさんが往生するまではそういう無住職状態の万善寺を維持することになるだろう。
周囲は色々言ってくるだろうが、かまったことでもない。自分の暮しが大事だからね。
そんなわけで、家族三人のささやかな石見銀山復帰祝いをした。
あいかわらずキーポンが甘えてからんでくる。
久々に心底笑った。

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万善寺のお盆今昔 

2015/08/18
Tue. 23:50

刻のわれ鐘を撞き終わって、境内から参道へ向けて少し散歩した。
8月のはじめからスタートした万善寺のお盆も、本日の施食会と大般若会でひとまず峠を越えた。憲正さんの調子が悪くなってからしばらく休憩していた塔婆回向も再開して、西国三十三ヶ所の札所巡りの御詠歌を14番まで読みあげた。
お盆の先祖供養と大般若会転読祈祷法要と観音さま尊前の塔婆回向と、1日で3つの仏事をこなすなど、過疎地限界集落末寺の面目躍如といった掟破りの超弩級ウエスタンラリアート的法要といったところだ。

そもそも、私が万善寺で老僧夫婦と寝食を共にしていた中学生までは、これらの仏事を1カ月くらいの期間で3日に分けて行っていた。確かに、お参りの善男善女の方々にとっても、万善寺にとっても、似たような法要を3回くり返すことは結構大変なことであるということはよくわかるが、それはそれとして信心仏事として後世に申し伝えて行く意義は十分にある訳で、お参りが減って50人が20人になり10人が5人になり1人がゼロになっても、粛々と法要を続けて行くところが宗門坊主の大事な役目のひとつにもなっているのだと思っている。これらの仏事を、手間の具合と、お参りの減少を秤にかけて3つから2つへ、2つから1つへまとめようと仕切ったのは他でもない、万善寺のおかみさんであり私のママで、最初にとりやめた仏事が観音さま尊前の塔婆回向だった。
この塔婆回向は、実は憲正さんの坊主家業でもっとも得意とするもので、その謡の技は島根県下に広く浸透していて、ひと頃は同じ禅宗の臨済禅寺からも塔婆回向をお願いされたりして、1年中その手間でアチコチのお寺を巡りながら小さな万善寺の寺務収入の助けにしていたところもあった。大袈裟でなく、私の学費のほとんどは憲正さんが塔婆回向で稼いでくれたようなものだった。
取止めた年のことは、今でも何となく記憶している。
前年までの仏事が一つなくなったその日の憲正さんは、1日中とても機嫌が悪いまま、お盆の荘厳が終わった本堂で何をするでもなく漫然と過ごしていた。少年の私は、盆月の1日がまるまる自由になったことをとても喜んで、嬉々として朝から保賀川へ泳ぎに行った。
その後、その観音さま尊前の塔婆供養をしていた日は、お盆の連日で貴重な休日になった。

私が島根へUターンした年もまだお盆の貴重な休日のまま続いていたが、それから数年して、憲正さんは何を思ったか一念発起、その唯一休日へ夕方からの仏事をねじ込んで、赤来高原のほぼ中ほどにある集落に鎮座する薬師堂の祈祷法要へ出かけるようになった。薬師堂のある集落のお盆行事として、それまで曖昧に誰護るでもなく鎮座していた薬師堂の仏事を立ち上げたことになる。
その後、私が代行して薬師堂へお参りするようになるまで毎年嬉々として出かけ、般若湯をいただいて、夜の10時近くにいい気持ちで寺へ帰ってくるようになった。やっぱり、根っから坊主の憲正さんにとっては、四六時中何かしらお経を読んでいることがどれほど楽しいことであったのか、今にして何となくわかってきた気がする。
でもね、私は憲正さんのように楽しいだけではいられないけどね。やっぱり、それはそれ坊主も違えばやり方も考え方も違うわけで、色々つらいこともあるわけですよ。そんな訳で現在はお盆唯一の休日はすでに無く、万善寺の仏事はまだまだ続くのであります。

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万善寺の早朝 

2015/08/17
Mon. 23:37

ヤモリって逆さになって頭が下を向いていてそのままズゥ〜ッとジッとしていて、頭に身体中の体液が下がってきてクラクラしたりしないのかなぁ〜・・・
さっき寝る前のトイレに行って、オシッコしながらそんなことを思っていた。

最近、急に秋らしくなって早朝が寒くなってきた。万善寺のロフト暮らしだと夏用の掛け布団がないと寒くて目が覚める。
保賀在住のカラスの夫婦が6時前に朝の挨拶で鳴きはじめる。習慣とは面白いもので、一羽が万善寺の庫裏の屋根で鳴き始めて、もう一羽が保賀川を渡った向こうの山からそれに応える。お互いの鳴声を上手に真似しながら鳴き合ってしばらくそれが続く。
「おはよう!」
「おはよう!!」
「涼しくなったねぇ〜」
「そうねぇ〜、チョット前まであんなに暑かったのにねぇ〜」
「そうねぇ~、チョット前までけっこう暑かったなぁ~」
「そろそろSさんちのスイートコーンいい感じよ♡」
「そりゃぁいいなぁ〜♡」
「そのあたり、もうひと回りしてくるわね」
「ボクもあっちの方を見てくるよ」
「じゃぁ、またね♡!」
「じゃぁ、またね♡♡愛してるよ♡!」
・・・って感じを朝の6時過ぎまでひとしきりやっていると、パジェロミニが参道を登って境内へ乗り上げてくる。フロントドアを開けると、強烈な大音量の音楽が流れてくる。
そうやって、毎朝ほぼ同じ時間につがいのカラスとパジェロミニが大騒ぎするから、だいたいそれで目が覚める。
ちなみに、パジェロミニの方は、新聞配達のオヤジ。
私は100%新聞を見ないから、おかみさんが玄関先のポストを覗きわすれた日は一日中その新聞はピクリとも動かない。仕方がないから夕方になって玄関の施錠の時にその新聞を引きあげる。最近は、特にそうする日が増えた。おかみさんが一週間も新聞に気が付かなくなったら、配達をやめてもらおうと思う。
どうせ6時過ぎに起こされるのなら、パジェロミニの大音量より、夫婦のカラスの会話の方がまだ良い。

明日はいよいよ万善寺の施食会と大般若会と久々に再開の塔婆回向。
今日は半日雨で境内の営繕が出来なかったから、午前中に残った仕事を片づける。
染めた手ぬぐいに手づくりの熨斗を巻いて、一筆したためて粗品の準備をした。
「お参り20人もいないでしょぉ〜」
夜になってやってきたワイフに聞いたら、「25人はいってたと思うよ!」と断言していた。もう少し、粗品を増やしておいた方が良さそうだ。
いつものように、きっとカラスが起こしてくれるだろうから一つ二つくらい、仕事が増えても大丈夫さ!

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忘無可忘 

2015/08/16
Sun. 23:25

忘無可忘・・・憲正さんの遺偈の一節。
晩年の数年間は通院のお供で、色々な暇つぶしを二人で共有していた。iPodのクラシックを一つのイヤフォンで二人で聴いたり、ウエブ配信の観音経を聴かせてあげたり、通院の度に回転寿司へ寄ってポイントを貯めたりなどなど・・・それに私の愛読書から幾つか貸し出したりして、ほとんど会話の無いまま気持ちだけは共有していた。
憲正さんは、結構我がままで好き嫌いの激しいところがあって、好きだった読み物は週刊誌の政治記事。芸能関係やスポーツ関係はほとんど興味を示さなかった。それから、宗門の宗務所経由で届く会報はよく読んでいた。私の好きなSF小説や鬼平犯科帳などの時代小説は、文庫本を渡しても結局一行も読まなかったと思う。仕方がないから売店で週刊ポストなどを買って渡すと、小刻みにうなずきながら政治記事に集中していた。
膀胱結石で手術入院をした時、たまたま私のかばんに入っていた孔子さんと洪自誠さんの新書を渡しておいたら、大部屋の数日間はマメにその新書を見ていた。
読んでいたかどうかはわからないまま、10日の予定が1週間で退院になるまでは2冊とも移動式のテーブルに置いてあった。

その後も、ひたすら通院のお供が続き、御存知の如く、昨年末からいっきに老衰が加速し、この度の遷化に至った。
本葬の次第原稿をまとめるにあたって、憲正さんの遺偈があった方が良いというふうに関係の意向がそうなったのに、実は憲正さんは改まった遺偈など残すどころか、最後まで退院して生き続ける気満々でいたから、結局は、数年・・いや、10年は越えているだろう通院のお供の道すがら憲正さんの話の端々に出てくる幾つかの単語をまとめて、それなりの漢字や形に置換えたのは私だった。
「忘無可忘」の一節は、老人特有の物忘れが激しくなってきた憲正さんが、独り言のように助手席でしゃべっていたことによく似ていたから実は私が憲正さんの意を酌んで使わせてもらった。
たぶん、憲正さんが思い描いていた世界とは、解釈がかなり違っていると思うが、それでも表面上は似たようなことを私に向かって訥々と話していた。

「最近のことは何時までも憶えとられんけぇのぉ〜。ワシも歳だけぇ・・」
晩年は自治会を回ってくる回覧板でも憶えているのはせいぜいその日の半日程度だった。
そのくらいの状況だから、「忘れた方が気楽でいられることもいっぱいあるのに、その忘れた方が良いということも忘れちゃうよ・・」という「忘無可忘」の4文字が、あの頃の彼の状況にピッタリとはまっていた。
そういうこともあって、彼の意を酌んでまとめたのが、あの本葬の次第だった訳だ。

お盆の粗品を造った。制作時間をバラしたら叱られるくらいありがたみの無いいいかげんな作業で40枚ほど手ぬぐいを染めた。指の爪まで染まったから、すぐに色落ちすることもないと思う。それで、書いた文字が「忘無可忘」・・・いつまでもその手ぬぐいを見て憲正さんを思い出してほしいという願いがたっぷりと込められているのだが、さて、何時まで憶えてもらえるかなぁ・・

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ヤモリの夜 

2015/08/15
Sat. 23:54

14時46分・・・今年の棚行を概ね終了して万善寺へ到着!
ひと頃に比べるとずいぶん過ごしやすくなったものの、今日も1日まだまだ暑かった。
パンツまでしっとり湿っている・・・汗でね!

「お昼は過ぎると思うから、先にご飯食べてていいからね」
ワイフにそう言ったら、帰ってくるまで待ってると言っていた。
私の方は、棚行の出先で飲み食いをするから、お昼ご飯を一食抜いても何の問題もない。むしろ、そのくらいにしておいた方が胃腸の具合も良い。外の世間もまともに知らないままのおかみさんは常に昔の話を持ち出して、それを万善寺の常識にすり替えて、「方丈さんが寺へ帰るのを待ってからお昼にしましょう!」と、変なルールを譲らない。それが寺に嫁いだ良妻の務めだとでもいまだに思っているのだろう。可哀想なワイフはそれに従ってひたすら腹が減ったまま私の帰りを待つことになる。そのあたりに、熾烈なる嫁と姑の意地の張り合いで火花が散っている。そのくらいの方がワイフのダイエットに効果があるかもしれないと、都合よく解釈しながら「あぁ〜、そぉ〜」で簡単に済ませていつもよりゆっくりに万善寺を出発した。
お盆の真っ最中は、どの家も朝が遅い。
あまり早く訪問すると、仏壇の前に敷き乱れた前夜の布団がそのままになっていたり、年頃の若いお姉さんが素顔のあられもない姿でウロウロしていたりして、見なくても良いものを見なくてはいけないことになってしまうから、副住職時代からの長年の下積みの経験をもとに、お盆真っ最中のこういう時は万善寺の出発時刻を少し遅く操作している。

憲正さんの遷化が地域にしっかり知れ渡って浸透しているから、今年に入って棚行お断りのお宅がいっきに増えた。長年の義理と人情で無駄にだらしなく引きずっていた憲正さんとの付き合いをやっと一区切りつけることが出来たと喜んでいるお宅も結構多い。こちらとしても、名実ともに代替わりしてスッキリしたことだし、この際だからこうして態度で示してもらう方が気楽で良い。一方、日頃のダラシナイお付き合いが急に改まって「この度は・・・」などとかしこまった挨拶が始まって「今後とも代わりませず・・・」と続いたりすると、それはそれで、憲正さんの後を引き継ぐことが出来たことの証明になったりしてホッとするところもある。とにかく今年の棚行は、色々な意味でそれなりの踏ん張りが必要で、まぁ、人知れずそれなりに疲れたところであります。

午後のティータイムのような昼食になったので、お中元に頂いていたビール缶を開けた。久々に炭酸の効いたビールを飲んだら急に眠くなった。「お墓参りがあるから昼寝もほどほどにしないといけない」・・・それなりの理性でそう思っていたのに、いつのまにか眠っていた。昼が遅かったからアッという間に夕方になっていて少々焦った。
お墓参りを済ませて、例の如くお地蔵さんのお務めをして参道を歩いていたら、何時もとかわりなく保賀在住のつがいのカラスがあっちとこっちで夕方の情報交換を始めた。
腹も減っていないのに定刻にワイフから夕食の呼び出しがあったので、ささやかな棚行明けの晩酌を楽しんだ。ビールのおかげでオシッコが近い。何時もと変わりなく今夜もトイレの窓にヤモリが張り付いていた。

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万善寺の盆 

2015/08/14
Fri. 23:57

昼前にじゅん君が寺へやってきた。
棚行中の私とすれ違って、お互い車を止めて少し会話をして別れた。
それから1時間ほどして寺へ帰ったら、じゅん君が私の作業着でウロウロしている。
お墓の掃除をするつもりだったらしいが、残念ながらすでに私がすませていたからやることがない。結局、出不精のおかみさんを昼食に連れ出してくれることになった。

そんな訳で、目茶苦茶久しぶりに万善寺の静かな午後のひと時をたっぷりと堪能した。
まずは洗濯からはじまって、昼食を作って食べて、棚行の事務処理をして、それから昼寝を少々・・
毎日がおかみさんとのすれ違いでグッタリしていたから、荒んだ心の良い休息になった。

昨日の雨が嘘のように強烈な暑さが戻って、寺の境内がジリジリと焼かれる。
とても外へ出る気力もないまま30分ほどウトウトしていたら今度はワイフがやってきた。
「しょうちゃぁ〜ん、てつだってよぉ〜ぉ!」
いつもの、厳しめの声がなんとなく懐かしかった。
荷物をいっぱいかかえている。その量を見て、「今夜は寺へ泊まるつもりだな」と直感した。

少し夏の日が傾いて影が伸びはじめた境内では、おかみさんとじゅん君がなにやら絶え間なくしゃべりあっている。
断続的に聞こえる会話を総合すると、どうやらおかみさんが庭木の剪定をじゅん君へ任せたらしい。
この暑い時に、刈り込まれてしまう椿がなんとなく可哀想になってしまう。調子が悪くなって枯れてしまうかもしれないと、心配だ。

お盆の墓参りをしてお地蔵さんへ回ってお経を読んでいたら、じゅん君が参道を降りてきた。汗で濡れたままの作業着を着てそのまま運転している。彼はこれからその格好で友達の誰かと逢うらしい。少ない休暇にスケジュールを目一杯詰め込んでいるようだ。

今年は例年より暑かったせいか、これまでマムシを見ることがほとんどなかった。参道のいつもの住処周辺でもとぐろを巻いた日向ぼっこを見かけることも少なかった。そういえば、シマヘビも1回しか見なかった。普通、棚行の道中で車に踏みつぶされて干からびたヘビをよく見るが、今年はそれも今まで記憶に無いくらい少ない。
墓参りの山道を歩いていると、獣の匂いが漂ってくる。たぶんイノシシだと思う。境内の周辺では、アチコチでイノシシが荒地を掘り返していて草刈りも難しいほど悲惨な状態だ。
夕方になって、保賀の谷で暮す夫婦のカラスが、あっちとこっちで情報交換をしている。「おぉ〜い、そろそろ○○さんちのスイカが食べごろだぞぉ〜」「△△さんちのトマトも美味しそぉ〜よぉ〜」なんて会話をしているのかもしれない。
少し前にトイレへ行ったら、2匹のヤモリが求愛をしていた。
お盆になって、夜気がいっきに肌寒くなった。

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分身が欲しい 

2015/08/13
Thu. 23:27

2日続けて雨だった。
R54を中心に何度か横切ったりしながら20軒近くの棚行をすませた。
8月のはじめからスタートした棚行も、あと3日で終わる。
その後は、観音さんや薬師さんやお地蔵さんや馬頭さんや七面さんやお大師さんや・・・とにかく地域や集落に点在するたくさんの仏さんやお堂の供養法要が続く。
塔婆回向も何ヶ所かあって、これからしばらくは夜な夜な墨を擦って塔婆書きをする。
棚行はおわっても、まだ気が休まることはない。

憲正さんの時代までは、この夏の2カ月で半年の生活費をまかなう暮しが続いていた。
私も、小学校の頃から自転車でお盆のお務めを手伝って万善寺の家計を助けていた。
だから、世間の小学生のように楽しい夏休みを過ごすこともなく、中学生になり高校生になった。
中学校は今のように夏休みを部活で過ごすこともなかったが、それでも休みの後半になって20日を過ぎたあたりから学校へ行って溜まった課題や工作を片づけていた。高校は補習があったので寺の手伝いを休むことが多くなって、憲正さんの機嫌がすこぶる悪かった。それでも、いちばん忙しいこの数日は寺の手伝いが出来るように学校の日程を調整したりして、高校生なりに結構苦労していたことを覚えている。
今のように、結界君でチョイと其処まで・・・と、簡単にいく訳もなく、ギアチェンジもない普通の重たい自転車に乗って、遠くは20kmくらい離れた集落まで峠を二つくらい越えて行き来していた。改良衣や白衣は汗でグッショリだった。夕立が来たりすると通り過ぎるまで軒先を借りて雨やどりする。とにかく最悪の棚行だった。
こんなことが高校を卒業するまで毎年続いた。だから、私の少年時代の夏休みの楽しい思いではひとつもない。本当によくやったと、今は自分を褒めてあげたくなる。

仙台の七夕祭りや、徳島の阿波踊りなんて、生涯テレビでしか見ることがない。
「ボク、ビアガーデンへ一度も行ったことがないんですよぉ〜」
先月の本葬でお手伝いいただいた若い方丈さんが、ワイフへそんな話をしていたらしい。
吉田家の子供たちにはバカ受けだったが、私には彼の気持ちがよくわかる。
子供の頃から将来の坊主が決まっていて、そのレールに乗せられて大学もその筋に入学して卒業してそのまま僧堂へ安居して・・・そんな暮しではなかなか思いきって遊ぶことも難しい。
私は、少年時代の反動でその後の10年は狂ったように遊んだ。結果は、今の状況だから結局たいして偉い坊主にはなれなかったが、好きなことはトコトンのめり込んだし、それなりに手に職もついたし、片手間ながら自分のやりたい仕事も両立しているつもりだ。

久々にYouTubeを垂れ流していたら、Siaの新しいビデオクリップを見ることが出来た。
あの、例のかわいい女の子が少し大人に成長していた。彼女は、Siaの分身なのだろう。
ボクも、もっと若いボクの分身が欲しいな。
そろそろ、体力がついていかなくなって自分のやりたいことも出来なくなりつつある。
生まれ変わってもう一度人間になれたら、坊主にだけはなりたくないな。

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必要悪の効能 

2015/08/12
Wed. 20:06

まだ憲正さんがそれでも元気で寺のアチコチを歩いたりしていた頃から、万善寺や憲正さん宛に届く郵便物の取り扱いが怪しくなって、発送元の各所に迷惑をかけはじめたり、訳のわからない事務書類におかみさんが癇癪をおこしたりしはじめたものだから、町内の郵便局へお願いして万善寺宛の郵便物は全て石見銀山で暮す吉田家へ転送してもらうことにした。
それからは、ワイフがそれなりに気を付けて整理しておいてくれたから大きな問題も起きないで、平和で静かな老夫婦の寺暮らしが戻ってきた。これでひと安心と気楽に過ごしていたら、1年くらい経った頃からまた万善寺の老夫婦が郵便物で大騒ぎをはじめるようになった。どうしてだろうと訳のわからないまま郵便局へたずねてみたら、転送有効期限は1年間なのだそうだ。なるほど、そういう訳かと納得して、転送ねがいの書類を更新して再提出して今に至っている。
この更新もさて後何年続くのだろう・・・

今年に入ってからはほとんど単身赴任の寺暮らしになっているから、普通は郵便物が寺へ届いても大丈夫なはずなのだが、まだおかみさんが元気なうちはそういう訳にいかない。
寺に届く役場や森林組合や農協や宗務所や寺院教区や高熱水費の引き落とし書類や業者からのカタログまで、全くチンプンカンプンの書類を何とかして自分の乏しい事務能力で片づけようとするから始末が悪い。
結局、無駄な心配の心労でまた癇癪を起こすことになって、それにつきあう身にすると全くもって余計なひと手間が増えるばかりでどうも調子が悪い。
面倒なことは承知の上で、いまだに郵便物は石見銀山へ転送され、私が数日間まとまった郵便物を受け取りに結界君をすっ飛ばしている。

そろそろ島根の赤来高原もお盆を迎える。
台風崩れの低気圧のせいで雨が降ると言うことだったから、まる1日かけて墓掃除と荘厳を済ませた。
昔は老夫婦が10日ぐらい使って地道に作務をしていたことを、私は1日で済ませてしまう。
最大の功労は草刈り機。これのおかげで作業効率がずいぶん改善できた。
もっとも、すでに2機を使い倒して現在3機目を使用するほどハードに使っているからそれなりに投資もしている訳だけど・・・
それで、余った時間を利用して石見銀山の自宅まで結界君を飛ばした。
郵便物は結構溜まっていたが、それより何より、ネコチャンズと久々に再会できたのが心の癒しになった。
シロちゃんは、女の子らしいシナを作って媚ながら甘えてきてくれる。ちゃんと私のことを覚えていてくれた。
クロ君は、私にだっこされることを極度に嫌がる。男のプライドがジャマしているのだろう。キーポンに撮ってもらった写真は、白い牙がのぞいていてゴジラのように見えた。
何度かガブリとやられたが、それもクロ独特の親愛表現できちんと甘噛みしてくれている。
無駄ばかりの吉田家万善寺郵便物事情であるが、それはそれで必要悪としてしっかり機能しているところが良いな。

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デキル日本人 

2015/08/11
Tue. 23:57

シンガポールのノッチが「ゆかた着たい!」といっていたから、「ゆかた着て仕事したらうけるんじゃない?」などと、気楽な思いつきなどを云いながらSNSで会話していたら、数年前のゆかた美人を送ってくれた。
この1年でずいぶん痩せておっぱいもしぼんで無くなったとなげいているノッチが、まだ見た目はふくよかで健康優良児だった頃のものだ。
もっとも、あの頃から昼夜逆転の不摂生な暮しが続いていたようだから、1日の暮しぶりは今も昔もそれほど違わないようだが、周囲にまともなデキル日本人があまりにも少な過ぎて、それがイライラや悩みのもとになっているようだ。

その、「デキル日本人」が少ないというのは、日本にいても似たようなものだと、最近の寺暮らしで痛烈に感じる。
やはり、日本は狭いといっても広いもんだ・・と、改めて身をもって自覚している。
まぁ、ようするに田舎者のチッポケなプライドと狭い世間のチープな人付合いで成立する田舎社会では、私のようなヒラメキとイキオイがメインで乗り切るぶっ飛んだ考えは、最初からチンプンカンプン意味不明理解不能・・で、プツンと切れてそれでおしまい。
こんなレンチュウばかりの田舎では、なにをやっても暖簾に腕押し糠に釘で達成感どころか疲労感ばかりが溜まる一方で反省も何もあったものではない。
結局1日の終りにバカ食いしてバカ呑みしてブクブク太ってそれでおしまい。
ノッチはストレスで痩せて、オヤジはストレスで太る・・・まぁ、お互い午年は体力の続く限り一生肉体労働で疲れきってそのうち力尽きて御陀仏を向かえるという具合に活かされているのでしょうなぁ・・・

そんな、田舎暮らしの常識で世間の非常識を少々・・・

夕方5時のサイレンが鳴ったらその日の仕事は終わり・・・これは良い習慣だし、昭和の時代はまだ十分に通用していて、あとは風呂に入って汗を流して夕食に晩酌して9時には就寝。こんな暮しは今では不可能に近いね。
自給自足中心の暮しで今は朝昼晩夏野菜・・・普通、キュウリ1本丸ごと食べればそれだけで結構腹が膨れる。それに、ナス1本にトマト1コ食べたら胃袋満腹でお米の入る隙間は無い。ガリガリに痩せて毎日欠かさず血圧折れ線グラフを記帳することが生き甲斐になっている寺の老婆は、コレステロールがどうとかで肉も食べないまま三食そういう食生活で生きる気満々。わたしなど、特に美食家とも思っていないが、それでも三食夏野菜ばかりで「食べろ食べろ!」と責められたらかえって病気になりますよ。
Aさんとの会話にBさんの悪口が出て盛り上がり、Bさんとの会話でAさんの悪口で盛り上がるCさんは、AさんとBさんにそれぞれ陰で悪口ばかり言いふらされていることを知らないまま一見平和に暮している・・・って、最も強烈な田舎の常識ですなぁ。午前10時と午後3時の田舎のティータイムは、だいたい毎日それで盛り上がる。「悪口」が田舎暮らしで生きる力になってしまっているというこの不条理を受け入れないと、自分も田舎者として共同生活することは出来ません。そういう世間では、「守秘義務」なんて日本語は理解されないどころか、存在すらしていないようですなぁ。

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米焼酎とクリント・イーストウッド 

2015/08/10
Mon. 22:26

やっぱり湿った気持ちを吹き飛ばすには、一杯の酒と痛快な映画しかないでしょう!
・・・ということで、九州の新進気鋭女流彫刻家が現代彫刻小品展出品の彫刻と一緒に送ってくれた焼酎の封を切った。
私と彼女との関係はなかなかあなどれないところがあって、キッチリ「ボクの好きな焼酎!!」を心得ていらっしゃるところがなかなか憎い。

だいたいは、酔っぱらうことが出来たら特に酒の種類にはこだわらないタイプの私なのだが、それなりにあえて贅沢を言わせてもらえば、日本酒は純米酒、ビールはエビス、ウイスキーは癖のあるラフロイグ、常用酒は麦とホップ、それに焼酎はやはり米!
せいぜい、あと10年も酒が旨いと思って呑めたら御の字だと思いつつ、ほぼ毎晩毎日何かしら酒との縁が切れない日々を過ごしている。

今年は私事で色々あって、それが落ち着かないままいまだに継続中で、なかなか自分に正直になれないで悶々とした日々を過ごしているが、九州のiさんが気を利かせて送ってくれた焼酎も、やっと気が付いて自分の目で確認できて、その心根の優しさに気持ちがグラッと揺れて年がいもなくドキドキしてしまったのはつい先日のことだった。
早速、結界君へ積み込んで寺まで運んで、マイ冷蔵庫の中身を整理して「純米焼酎川辺」を冷やしはじめて、それで今夜、十分に冷えたソレの封を切らせたもらった次第なのです。
口当たりがとても柔らかくて、正に米焼酎の醍醐味が十分!これは、そのまま何もしないでチビチビ呑み続けるのがいちばんだと確信した!
欲を言えば、この味を酒好きのみんなと一緒になって楽しみたい・・・といったところか。
寺暮らしの現状だとそれも叶わぬ夢だから、せめて一晩くらいは自分の趣味に浸ろうということでチョイスしたのが「荒鷲の要塞」・・・若い若いクリント・イーストウッドがカッコイイのですよ。こういう、痛快戦争映画を見て喜んでいるということが、今の時期に少々ヤバいかもしれないと、若干は現代日本に暮す大人の社会人として後ろめたいところもない訳ではないが、それはそれ!これはこれ!ということで、何処かの誰かが靖国参拝をするとかしないとかというレベルの過激さとは比べ物に出来ないほどのチッポケでささやかなことなのだと自分に言い聞かせつつ寺のロフトで一人酒をしている。

最近、気が付くと結界君が80kmくらいで走っている。
それほど急いでいる訳でもないし、田舎道のことだからあおってくる血の気の多いドライバーもいないのに、何故か気が付くとスピードが少々出過ぎている。
心の何処かに気持ちの余裕というものが無くなっているのかもしれない。
もう何年も前から何時もと同じお盆がやってきて、何時もと同じ慌ただしさがくり返されているだけのことなのに、憲正さんがいなくなったというそれだけで、ここまで自分の気持ちに落ち着きがなくなって荒んできているのかと思うと、自分の心の弱さにガッカリしてしまう。
結局は酒に逃避しているだけのことだと思うけど、それも出来なくなったらもう終りだね。
明日から、気持ちを切り替えてお盆に突入しようと強く念じつつ、米焼酎に酔いしれているところであります。

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盆月の一日 

2015/08/09
Sun. 22:14

午前中の、それでもまだ涼しそうな時に棚行をすませ、寺へ帰るとすぐに着物や下着を洗濯機へ投げ込んで、そのままシャワーで汗を流す。
その間洗濯機が回り続け、すすぎや脱水をすませて干して乾かす。
その所要時間おおよそ20分。
それから、昼食の仕度をして例の如く1品何かつくる。
今日は、豚コマと夏野菜で肉野菜炒め。
日もちがするように少し濃いめの味付けで、残りは冷や飯にかけてそのままレンジでチンしてドンブリに出来るようにしておく。
三畳の寺務所で棚行のまとめをして、それから昼休み。
だいたい3時過ぎまでは暑くて外へ出ることも出来ないから、ロフトにこもってメールチェックなどして昼寝を少々。
寺の手間替え随喜がある日は、昼寝の時間がそのまま随喜の時間に置き換わる。
夕方少し涼しくなってきたら、残りの用事を片づける。
今日は、仏事師でお願いした方丈さんへお礼の挨拶に出かけた。
こんちもさいなら・・という訳にもいかないから、お茶飲み話をして引きあげたら夕方になっていて破れ鐘をつく時間が間近に迫っていた。
あたまにバリカンをあてて2度目のシャワーを済ませて夕食の準備。
食後はデザートを少々。
それから今まで寺務の続き。
だいたいのところで切り上げて、こうして1日の出来事をプチプチとキーボードつつきながらまとめている。
盆月の1日は、毎日がこんな感じで始まって終わる。
とくに、これといった刺激もなく、娘達のSNS書き込みをストーカーするのが楽しみなくらいだ。
彼女達もそれなりにオヤジに見られていることを心得ていて、当たり障りの無い日々を書込んだりしているが、時々刺激的な吐露もあったりして、そういう時は、こちらもさり気なく書き込みを返したりしながらゆるい関係を続けている。
長女のなっちゃんは、日常の食生活や体調管理に苦労している。
末娘のキーポンは、ウインドオーケストラの練習や大会参加で頑張っているようだ。
そして、引っ越しが終わったノッチがシンガポールの日常を書込んでいた。

〜〜〜〜〜
ずっと日本語で接客してた日本人から日本人ですか?なんか日本語が外国人みたいですね!って言われた。え?

ずっと英語で接客してた人が日本人だった。お互いとてもびっくりした。え?

前髪切ってから何故かいままでより日本人に見られなくなった。え?
〜〜〜〜〜〜
今日も遠雷が聞こえて、また夕立かと思ったが、万善寺の上空は晴れたまま夜になった。

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聞き覚え 

2015/08/08
Sat. 21:16

200回忌の法事は、お盆の月でもあるし先祖供養ということで、何時もと違うスタイルをとった。

西国三十三ヶ所御詠歌を使って塔婆回向をする慣わしは憲正さんから教わった。
教わるといっても、学校で勉強するような感じではなくて、聞き覚えというやつ。
何度となく憲正さんの塔婆供養へ同行して侍者をしながら聞き覚えたものだ。
その憲正さんもその前の師匠から聞き覚えたものだから、長い間に自己流の節回しが少しずつ加わって憲正流の塔婆回向になっていた。
結局は私など憲正さんと全く同じ節回しなど出来る訳もなく、ブレスの箇所やフレーズの間などをだいたい踏襲しつつ、何年もかけて場数を踏みながら自分でうたい上げやすいように改良して今に至っている。
そういうこともあって憲正さんの存命中は、彼の前で塔婆供養をうたい上げることを一切しなかった。
まぁ、自分の未熟さがあるということもだが、彼に敬意を示すためでもあって、参詣の皆さんが彼のスタイルを信心の拠所として記憶しておいてほしいと思うところもあった。
万善寺のお盆法要はまだ先のことだが、塔婆供養のご案内だけは文書で示しておいた。
一人でも施主さんからの要望があればそれに答えてうたいあげるつもりでいる。

そこで、そのささやかなプレイベントとして本日の法事に施主さんのお仏壇の前で西国三十三ヶ所をうたいあげた。
現在の当主は、仏教仏事に興味がなくて、その上貴重な休日だからだろう、法事の最中も自室へこもってテレビを見ていた。
なんとも味気ない法事になったが、それでも信心深くてご先祖様を大事にお守りしていらっしゃるおばあさんが熱心に伽をされて、お経の唱和もしていただいた。
憲正さんの透き通るような美声とコロコロ回る節回しには遠くおよばないものの、声量の方は十分だったように思う。
それに何より、おばあさんにとても喜んでもらえて、「私一人で聴かせてもらうのはもったいないことで・・」との感想をいただいた。

塔婆回向も終盤に近づいた頃、またまた強烈な夕立がやってきた。
例の如く、結界君の窓ガラスがフルオープン。
苦労して一昼夜かけてやっと乾かしたところだったのに全てが無駄になったどころか、今日の夕立は猛烈な風を伴って大暴れした。
結界君の助手席にあった荷物一式全てずぶ濡れ。
あのジョン・レノン眼鏡のケースもグッショリと濡れてしまった。
一方、雨のおかげで連日の猛暑は若干おさまった気がする。
夕立が去った赤来高原は、とても爽やかな風が吹き抜けていた。

寺へ帰るとおかみさんの顔が醜くよじれていた。とにかく、必死で生きている様子がヒシヒシと伝わって可哀想になる。もっと気楽になれたらどんなに楽なことだろうに・・・吉田家のネコチャンズみたいにね。

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遠雷のあと 

2015/08/07
Fri. 23:50

手間替え随喜の施食会の最中に、遠雷が聞こえたかと思うと照明がフッと消えた。
昼間からいっきに暗くなった本堂では、須弥壇と施食棚にある燭台の蝋燭がほんのりと明るくまたたいている。
参拝のお檀家さんがしだいにざわつきはじめた。
夏のこの時期にはよくある夕立の前触れ程度のことなのだが、それがわかっていてもやはり何処かしら気持ちが騒いで落ち着かないのだろう。民衆の信心なんて、しょせんその程度のことだと思ってしまうと、大汗かいてお経を読んでいる自分が何処かしら虚しく思えてきた。

停電はしばらくして復旧したが、それから少ししてバケツの水をひっくり返したような勢いで雨が降りはじめた。
法要が終わっても雨の勢いはおさまらなくて、やむ気配がない。随喜の方丈さん方も夕立に足止めされた格好になって、しばらくお茶飲み話などしていたが、さすがに棚行で忙しいこの時期にそれもいつまで続くことにもならないから、駐車場の車まで濡れることにして走った。どちらかといえば、若い方の私が先導する形になって、本堂の軒下から山門の軒下を巡って結界君までたどりつくと、運転席の窓がフルオープンのままだった。
シートから背もたれからハンドルからミッションレバーからとにかくずぶ濡れ。
足元のゴムマットには雨水が溜まっていた。
どうすることも出来ないからそのまま運転席へ滑り込んで万善寺まで帰った。
夏用の薄い改良衣も白衣も、そしてもちろんパンツも見事に濡れてしまった。

石見銀山の自宅へ溜まった郵便物を取りに帰ることに決めていたので、濡れた諸々のものを乾かしたり洗濯したりして、急いで濡れたままの運転席へ・・・
バスタオルをかぶせて座ったがほとんど効果がなくて、リーバイスが水を吸い、履き替えたパンツがお漏らししたようにしっとりと濡れた。

前期の成績をもらいに登校していたキーポンが出雲市駅まで帰ってくるというので、また結界君へ乗り込んだ。石見銀山から出雲へ往復して帰宅するあいだで、自分の身体にシートの水気をほぼ吸い取ってしまった。結局、郵便物を受け取るだけの用事がキーポンの迎えにまで発展して、自宅のリビングへ落ち着いたのが夜の九時ちかく。
気が付くと宅急便が二箱届いている。何時届いたのか・・・それまで全く気が付かなかった。送り主は二箱とも彫刻家のHさん。箱には梨の絵が描いてある。
そぉ〜かぁ〜・・もう、梨のじきかぁ〜・・毎年のことで有難いことだ。
それに、今年はタイミング良くまだクールに冷えたままの梨を摘むことが出来た。明日は早速お供えさせてもらおう。久しぶりで美味かった。今年はお釈迦様より先に味見させてもらった。
そしてもう一つの箱は、最近のHさんおすすめの純米酒。これもまだほのかに冷えていたので、さっそく一升瓶から直接ぐい呑みへ注いだ。旨し!!
とても上品でまろやかな呑み心地で、久々に気持ちよく酔っぱらった。
Hさん、いつもどうもありがとうございます!

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赤来高原は猛暑! 

2015/08/06
Thu. 21:25

棚行を終わって寺へ帰ったら、おかみさんが座敷に座って受話器に向かって大騒ぎをしている。
宅急便で届いた中元の配送表にある電話番号へお礼の電話をしようとしたらしいが、上手くいかないまま一人で怒り狂っているのだ。
私の顔を見ると、その怒りの向きが完全に私へ変った。
それでなくてもクソ暑いのに、おかみさんの激しいヒートアップの対応で、いいかげんジジイに近いオヤジは倒れてしまいそうだ。

おかみさんの加齢による精神障害は、老僧の死亡で制御不能になりつつあるように思える。
今回の大騒ぎも、結局は電話番号の読み間違いをそのまま信じ込んでしまっただけのことなのだが、自動録音のアナウンス相手に常識ではあり得ないほどの昭和初期の時代的罵声を浴びせている。これで電話の相手が生身の交換手だったらとんでもない大事になっていたかもしれない。自分で自覚できないまま老化していくことの恐さを見た気がした。

とにかく、激しく興奮している時は何をしても何を云ってもどうしようもないから、粛々と聞き流してお昼ご飯のおかずをつくった。
この食材がまた曰く付きのもので、私の買い置きを知っていて、その上に無駄買いした大量の鶏肉。
もう賞味期限はとっくにすぎているが、それより先に消費しなければいけない食材があってなかなかその鶏肉にまでおよばないまま時が過ぎた。
からあげか親子丼くらいにしようと思っても、寺の二人暮らしではあまりに量が多過ぎる。
すでに匂い立って糸を引きつつあった鶏肉を、ざっくり二つにわけて二種類の下味を少し辛めにつけて肉の臭みをとりながら放置すること2時間弱。
それからそれぞれ揚げたり焼いたりしてお昼のおかずにしたものの、それだけの大量をさすがに完食は難しい。最近、おかみさんの料理番と化した私は、無駄に大量に収穫した畑の野菜と無駄に大量に買い込んだ移動スーパーの食材を消化することで必死になっている。

人間に生まれて、上手に歳をとって上手に死んでいくのがこれほど難しいものなのだろうか。山積する目先の仕事を片づけなければいけないのに、どうしても集中できないまま猛暑の追い討ちもあって気力が萎える。昼間から麦とホップを立続けにあおったが、全くスッキリしない。
それでも家族はありがたいもので、オヤジの愚痴にノッチがつきあってくれた。
ノッチ本人も、今の職場で悶々と絶えているところがあって、なんとなくおたがいに傷を舐めあうことが出来たのかもしれない。
本当は、おかみさんだって家族の一員のはずなんだけどなぁ〜・・・・・
そのノッチは、たくましく自力で引っ越しを済ませたらしい。
それに、シンガポールは雨が降って涼しいらしい。
そういえば、万善寺のある赤来高原は8月に入って雨が降らない。
イヤ待て!憲正さんの本葬で雨が降って以来、急に暑くなって延々と晴れ続けている気がする。麦とホップ程度ではオヤジの乾燥した心をしっとり潤すまでにはいたらないようだ。

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ジョン・レノン眼鏡 

2015/08/05
Wed. 20:49

みなさん!ジョン・レノン眼鏡って知ってました??
私は、先日になってはじめて知りました。
それも、7月の終りに自分で決めたフレームだったのです。
買った中近両用眼鏡レンズに併せてなにげなく決めたのがそのフレームだったのです。

今年に入ってから、工場で仕事をすることがなくなって、そのかわりに老僧の看取り介護やその後の葬儀関連の用事などで徹底的に事務屋になって、1日のほとんどを書類とにらめっこしたりパソコンをつついたりしながら近くを見てばかり暮していたら、どうも目の焦点が定まりにくくなって、遠くを見ても近くを見てもなんとなく世界がぼやぁ〜〜っとしてしまうので、眼科へ行こうか眼鏡屋へ行こうかしばらくまよった後に、意を決して眼鏡屋へ行くことにした。ようするに、眼科へ行って診察料を支払って目の検査をするくらいだったら、眼鏡屋へ行ったらそれがタダで出来てしまう!という、いやらしくもケチくさいオヤジ根性が勝った程度のことなんだけどね。

それで、いつもの眼鏡屋へ行ったら、ちょうど運良くいつものおにいさんがいて、もう何年も前に買った眼鏡のデータも知っていて、その時の状況も心得ていて、色々会話がスムーズに進行して、とにかく、一度現在の目の具合を調べてみて、それからアレコレ対策を判断した方がいいだろうということになった。

結果、たまたま集中して目を使い過ぎたことで目の焦点を決める筋肉が疲労しているのかもしれないという状況が考えられるということのようだった。
まぁ、その程度なら目薬を使えば少しは改善するだろうと素人診断で納得して帰ろうと思ったのだが、せっかく眼鏡屋へ来たのだからとりあえず現状で楽に焦点のあうレンズを試してみたらどうかと勧められて、検査台の前に座り直したのが敗因だった。
その時の私は、近近と遠近の眼鏡を使い分けて暮していた。
近近とは、近くを見る眼鏡により近くの指先にまで焦点を合わせるためのレンズで、私のような指先をマメに使うような仕事をする時にはとても重宝するのだ。お兄さん曰く、このてのレンズはほとんど出回ることが無くてほぼ特注に近いのだそうだ。
もう一つの遠近は、とてもメジャーな年寄り向けの定番。これはほとんど車を運転する時に使っていて、無くても何とかなるが、あった方がより視界がクリアーになる。昔から遠視の傾向にあったので、お兄さん曰くそういう人は早くから老眼になりやすいのだそうだが、素人なのでシステムを説明されてもよくわからなかった。
そして今回新調の中近レンズ。これは、おもに室内を見渡すために便利なレンズなのだそうで、そのレンズ越しの室内風景は紛れもなく絶景だった。それまで、何の疑問も持たないでもやぁ〜〜っとした世界を見ていたんだなぁと、それこそ目からウロコだった。

まぁ、こうして、眼鏡のお兄さんに見事に乗せられて3つ目の眼鏡を買った次第。
そして、それがなんとジョン・レノン眼鏡だったという訳。
とてもジョン・レノンとは縁遠い風貌だということは百も承知だが、まぁこれも何かの縁ということで、死ぬまで大事に使わせてもらおうと思っている。

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ネコチャンズになりたい 

2015/08/04
Tue. 21:57

今年の赤来高原は異常に暑い。寺のロフトのエアコンもフル稼働している。
昨日一晩久しぶりにキーポンと四畳半で過ごしたが、ヒョッとしたら石見銀山の方が涼しくて過ごしやすいかもしれない。

そんな中、万善寺の棚行が本格的にスタートした。
まずは手始めに午前中で7軒。
この近年、施主さんの代替わりが続いて上手く引き継ぎがされないまま、在宅のはずなのに玄関も縁側の窓も頑丈にカギがかかって入れないお宅が増えてきた。今日も、庭先に立派なワンボックスがあるのに仏壇までたどりつけないで引きあげたお宅があった。
もう、再々おじゃまするのも面倒だがら、これをかぎりに捨て置くことにした。
ひと晩寝て、明日は20軒弱のお宅を棚行で訪問する。
これから1カ月は結界君も大活躍で大忙しだ。
そろそろエンジンオイルの交換もしておいたほうが良さそうだ。大事な時にヘソを曲げられても困る。

棚行が終わってから、書類の作成や提出、それにおかみさんの介護相談などで役場や事務所や関係庁舎をひと回りしてきた。
田舎過疎地域の行政は、そこに暮すわずかばかりの住民にとって一見細部に渡って手厚く守られているように見えて、実はとても不親切にできている。
平成の行政区統廃合の波に乗って、万善寺のある島根の山間部も行政自治体の大きな改変が行われた。
ザックリいうと、2つの町の2つの行政が統合し、2人の町長が1人になり、地域の役場が1つにまとまった。
それぞれの町のそれぞれの行政システムに微妙な運用の違いがあったものを一つにまとめて統合するために、予測以上のこまかなすり合わせと調整が必要になって、管理システムの統一化もなかなか思うようにすんなりと移行できないまま、時間が無駄に過ぎた。
行政地域各所のサイン看板の書き直しだけでも、大変な出費になる。
こういうことがあって色々担当の苦労の末に今に至った。
例のオリンピック予算やメインスタジアムデザインのドタバタなどは、その規模や思惑はは全く違うけど当時の田舎行政統合のドタバタとにたようなものだ。
結局、統合で手狭になった役場の建て直しが決まったのに、前行政区の思惑やしがらみで立地候補を一つにしぼることが出来ないまま、無駄に年月がすぎて、その間、旧行政区のそれぞれの役場や分庁舎に窓口を分散してしまったものだから、そこで暮す住民は、2つ3つの分庁舎を巡って書類の作成をしたりして、時間と労力にやたらと無駄が出る。

まさに、私もその当事者で、今日は昼飯も食べないでアチコチの該当窓口を行ったり来たりした。
世間の猛暑のこともあってか、やたらと疲れて、遅い昼食の後は長い昼寝をしてしまった。
憲正さんの満中陰も過ぎ、礼状の発送も少しずつ続けているが、その終りはいまだに遥か彼方・・・といったところだ。

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キーポン帰る! 

2015/08/04
Tue. 02:20

4月から学生暮らしのキーポンが久々に石見銀山へ帰省するというので、これはなんとしてでも出迎えてやらねばと、急いで吉田家へ帰宅した。

途中、老僧の密葬に参列してくれた飲み友達の棟梁が銀山街道のすぐ側でなにやら怪しげな仕事をしているところへ出合ったので、先日のお礼もかねて彼の軽トラの脇へ路上駐車してしばらく世間話に花だ咲いた。
久しぶりのバカ話で久しぶりに顔の筋肉が緩んだ。
やはり、人間何時でも笑顔でいることがどれだけ心を豊かにするかということがこの短時間でよくわかった。
最近のおかみさんとの寺暮らしでどれだけ笑顔が消えていたかということもよくわかった。
このような暮しぶりが続くと、たぶん近い将来何かしらの病気になってしまうだろうなということも漠然とわかってきた気がする。
人生の70年ほどもおかみさんを相手に日常を二人で過ごしていた憲正さんの凄さを改めて痛感した。

夕方になって再会したキーポンは、ほとんど以前とそれほど大きな変化は無いように思えたが、それでも髪が茶色になっていたり、お化粧グッズがテーブルに散乱していたりして、それなりに年頃の乙女らしくなっていた。
帰省の理由は、地元の社会人で結成するウインドオーケストラの練習へ合流するためということらしいが、結局、練習は仕事が終わってから後の夜からスタートするので、昼の内はアルバイトに励むというもう一つの打算的なネライも含まれている。
それも社会勉強だし、オヤジとしては反対する理由もない。

先日終了した現代彫刻小品展の時以来、久しぶりにセブンイレブンへ寄った。
やはり、あの豊富な品揃えは他のコンビニを圧倒する。
色々目移りしてまよったあげくに、スイーツと酒のつまみとモヒートを二人分と、それにいつもの濃い茶を買った。支払いはスイカ!・・・これを使うのも久しぶりのことだった。

例の如く、四畳半でグダグダとスイーツを食べ、レンジでチンした焼き鳥をつまみ、モヒートをチビチビ飲み、アクション映画を垂れ流しながらとりとめの無い会話を楽しみ、時にはネコチャンズと戯れ、それにワイフが合流し・・・そんなグダグダが続いて気が付くとすでに丑三つ時。それぞれ勝手に解散して「おやすみぃ〜!」と思ったら、なんのこともない、キーポンはサッサとオヤジの隣で寝る準備を始めている。
「若い娘と一緒に寝れてウレシイねぇ〜〜♡」などといいながらすり寄ってくる。
まったく、あきれかえってしまう。
そろそろ親離れをしてもらわないと将来が不安になってしまう・・・などと心配しつつ、一方で、90歳にもなっていまだに子離れできないでベタベタすり寄ってくるおかみさんを思い出した。
シラッとした視線を感じて振り向くと、ひと眠りしてそろそろ目覚めた夜行性のクロがアクビを一つした。

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癒しのネコチャンズ 

2015/08/02
Sun. 21:59

落ち着かない寺暮らしが続いていると、溜まり続けたイライラがちょっとしたことですぐに飽和状態になって爆発する。
そのイライラには、ほぼ全てにおかみさんがからんでいる。

そもそも、私とおかみさんの仲は、幼児期から少年時代の15年間でプツリと切れている。
それ以降は、1年でせいぜい通算1カ月くらいしか会話がないままの学生時代を過ごした。
島根にUターンしてからも、1年の10ヶ月以上はワイフと暮し、引っ越しの度に子供が一人ずつ増え、最大6人家族の頃は、もう完全に吉田家オリジナルの暮しが定着して、最小限のコミュニティーの様々なルールが完成した。典型的な核家族になったわけだ。そのような吉田家のささやかな歴史の流れは、やがて子供の独立とともに少しずつ規模が縮小し、今の夫婦2人とネコチャンズとグッピー達のシンプルな暮しに落ち着いたのは今年の4月からだった。
そして、6月に憲正さんの遷化があった。28歳で結婚してから4年くらいは夫婦2人暮らしで、そのあと、このたび2度目の2人暮らしが久々に再開するかと期待していたら、結局、憲正さんの老衰の加速で単身赴任どころか県内別居生活が始まることになった。

老夫婦の二人暮らしは、良くも悪くも日本社会の変遷に取り残された前時代のルールがそのまま乱れることなく維持され続け、昭和から平成に変った。周辺の地域事情も万善寺の老夫婦と似たようなものだ。地域が揃って、目まぐるしく変化し続ける平成社会に追いつかなくなって、色々な不具合が膨らむ一方のまま今になった。
ゴミの分別、回覧板、運動会や文化祭などの年中行事、盆正月の神事や祭事、自治会役員の改選、地域の葬祭、そして、農業や僧侶の家業に至までことごとく年々コロコロ変る行政の取り決めに縛られつつ、それを守り維持することが出来ないまま、昔の若かった頃のシステムにすがりそれを頑固に守り、気が付かないあいだに肉体や思考の衰えをプライドの支えで死守する暮しがあたりまえになっていた。

もう半世紀も同居をしていない親子が、或る日突然日常の暮しのルールを共有しなければならなくなった時、それは、前時代のルールにしがみついた老人にとっては、ことの善悪の概念がそのまま親子の上下関係に直結して衝突を避けられない日々が続く。今の常識や正道が理解出来ないまま、ひたすら立場の上下関係だけにしがみつく老人の悲哀をヒシヒシと感じつつ、一方で、日常の暮しを共有する社会の最低限のルールを無視も出来ない。
有る意味で、仏教の聖地に寝食を共にしながら、日常で飛び交う前時代の差別言語まで受け入れなければいけないことは今の自分にとって拷問のような毎日だ。
ようするに、こうなるまで老人の暮しをほったらかしにしていた自分に非があるといわれればたしかにそうなのかもしれないが、やはり、家族親子の事情にハウツーは通用しないとも思う。おかみさんが過激に大騒ぎするのは、それなりに元気であることの証明ともいえる。これで老衰が進むと今のような過激な言動は消沈するだろう。
適度にガス抜きをしながらのらりとつきあうしかないことだと、自分に言い聞かせている。
当分は時々送ってくれるワイフのネコチャンズ写真に癒されながら寺暮らしを過ごすしかないのだろうね。

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2015-08