工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

気持ちいい 

2015/10/31
Sat. 23:56

あれだけ飲んだのに結構目覚めが気持ちいい。
ここは、大田市富山町の古刹曹洞禅寺松林寺。
ほぼ真東に向かって本堂が建っている。
朝日が須弥壇の本尊様へ向かってしだいに伸びていくさまはなかなかのものだ。
万善寺のチャチな本堂とは一味違う。
野鳥の声を聞きながら周囲を一回り散歩した。
つがいのカラスがうるさく鳴きながら富山の谷を渡って行った。

とみ山彫刻フィールドアートワークの1日目は、近所のおばさんの犬の散歩から始まった。
前日に作家の教室個展の会場設営が長引いて、結局そのまま朝まで小学校で寝たから何処かしら気持ちがと切れることのないままでいたら、そのうちワークショップでお願いしている根付彫刻家の田中さんが到着。それからしばらくしてお地蔵さん制作でお願いしているいつもの坪内さんが到着した。
この二人は、インターネット環境とは全く縁のない暮らしをしていて、FAXのやり取りも不具合のあるような状態だから、1ヶ月の間ほとんど事務連絡もないままスルーしていたが、かえってそのくらいのほうが逆に気持ちが通じているようなところもある。
早速テキパキとものつくり教室コーナーの準備が始まった・・・と、そうこうしているうちにもう最初のお客さんがやってきた。
スタートは10時からになっているのに・・・さすが、田舎時間は一味違う。

その10時には既に二人のコーナーはお客さんでいっぱいになていた。
チラシには定員10人をうたってあって、それが功を奏したのかもしれない。
今は子供達の声も途絶えた旧富山小学校の校舎が久々に活気づいた。
普通ならうるさい雑音でしかない鎚の音がアチコチから聞こえる。
それがこういう時は何故か気持ちいい。

昼前になってワイフが足を引きずりながらやってきた。
この1ヶ月の間に、どんどん症状が悪化している。
私も似たようなもので、まともに歩けない毎日が続いているが、こちらの方は肉体疲労が原因だということでわかっているから、騙し騙し付き合っていくしか無い。
今の仕事が落ち着いたらそのうちいつの間にか少しずつ治っていくだろうと思っている。
いずれにしても、これからは元気であるかどうかという基準も下方修正しながら自分の身体と付き合っていくしかない。こうして、足腰が弱って不具合が始まると、若いころと同じように行動することはまず不可能だということになる。
彫刻の制作にしても、そういう自分の身体を上手に騙しながらユルユルと造形の緊張感を保ち続けるようなことをしていかないと気力も萎える。
さて、あと何年くらい彫刻の現状が維持できるのか・・・歩きにくそうに大きく揺れるワイフの後ろ姿が痛々しい。
頭のモヤモヤがスッキリしないまま冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込んでみる。
やっぱりなんだかんだいっても気持ちがいい!・・・こんな感じってジジイッて感じ??

IMG_1261.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

とみ山彫刻フィールドアートワーク開催前夜 

2015/10/30
Fri. 22:33

とみ山彫刻フィールドアートワークがいよいよ明日から始まる。
それで、現在旧富山小学校のランチルームでキーボードを叩いている。
世界は実に静かだ。
それなりに寒い気もするが、それも特に気にならない。
ノリちゃんが炊き出しでカレーライスを作ってくれた。
お米は新潟の佐渡の新米。
お餅のようにモッチリしてとても美味しいから、ご飯だけでもどんどん食が進んで、炊飯器は空っぽ。
個展の作家が一人朝から準備。
昼過ぎからもう一人が合流。
吉田は例の如く棟梁と朝から展示作業。
今回ほどエレベーターが欲しいと思ったことはない。
展示台を運び上げ、彫刻を運び上げ・・・さて、何度階段を往復したことだろう。
夕方には足が腫れ上がって上履きのクロックスが入らなくなってしまった。
その頃になって棟梁が引き上げた。
それから一人消え二人帰り、こうして吉田が最後に残った。
まだキャプションと展覧会目録の作成が残っている。
そろそろ眠くなってきた。

・・・と、そんな感じでⅠ日が過ぎた。
そのⅠ日の間に、右の手を二箇所ケガした。
自分で言うのもおかしなことだが、日頃はほとんどケガをすることがないほど慎重な方なのだが、今回は何処かしら集中の糸が切れていたようで、どうしても避けることが出来なかった。
一箇所は掌。
約3cmの強烈に長くて鋭い棘が皺の線にそってズブリと突き刺さった。
1cmのところまではすぐに抜き取ることが出来たが、あとは掌に残ってしまった。
おおよその仕事が一段落するまでそのまま仕事を続行して、それから意を決してカッターナイフで傷口を広げて残ったトゲの先をつまんで一気に引き抜いた。
こうして、その時の様子を文字に置き換えると普通に簡単にチャッチャとことが進んでいるようだが、実際はやはりかなりの勇気と痛みに耐える我慢が必要だった。
とにかく、バンドエイドを貼って作業を続行していたら、今度は親指の爪のキワを金属疲労で欠けた金具でザックリ切ってしまった。
出先のことでバンドエイドも無いから、掌に貼っていたモノを剥がして親指に巻きつけて、その上からセロテープをグルグル巻いている。
このところ、まともにゆっくり休むこともないまま、ひたすら動きっぱなしでいる。
明日は、ワイフに救急セットを持ってきてもらおうと思うが、さて、こっぴどく叱られるだろうなぁ・・・
ケガをして痛い思いをして、そしてワイフに叱られて・・・
あぁ〜、想像しただけでつらくなってしまう・・・から、もう寝ちゃお!

IMG_1235_20151030224813bbb.jpg





[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

機械に使われた 

2015/10/29
Thu. 22:28

吉田・周藤と助っ人の棟梁の三人で2台のレンタカーを借りて一気に富山の搬入を済ませた。
ハードな一日になるだろうと予測はしていたが、やはりなかなかのもので、結構厳しい作業になった。
それでも、周藤さんが修正してくれた当日のスケジュールが功を奏して、ひとまずは当初の予定がほぼ終了し、結果としては全体の80%が完了したと思っている。

野外彫刻の展示は、もう随分前から私のライフワークのようになっている。
最近は、3年ほど前から毎年石見銀山へ彫刻を展示することができていて、自分としてはけっこう満足している・・・といっても、内容の善し悪しはわからないけどね。
それでも、それで勢いづいたというか、このところコンスタントに自分の作る野外彫刻が回転し始めている。
今年の春には、寺のとなり町の道の駅の近所へ設置することも出来た。
そして今回は、富山町内の各所へ自分の彫刻も含めて6点の野外彫刻を設置した。
こういうことが継続して、数年の間に富山が野外彫刻の町になるくらいまで盛り上がってくると良いなぁと思っているが、さてそこまで出来るかどうかはわからない。

さて、その彫刻設置で一苦労したのが2トンのユニックレンタカー。
だいたい、ユニック車で2トンというのを探すのが難しい。
やっとの思いで探しだしてひとまずは予約をして、棟梁にそれを持ってきてもらった。
私の方は同じ日に箱トラックを借りていたから、さすがに一人で2台のトラックを運転できないし、無い知恵を絞って棟梁に泣きついたわけだ。
そこまでは、我ながらなかなかの名案だったのだが、さて、ユニック車を操作する段になって躓いた。
そのユニックが我々にとっては最新式過ぎたからだ。
なにか操作レバーを動かすたびに、優しげなおねえさんの声で「あれはダメ」とか「先にこれしろ」とか、やたらとダメ出しや指示がくる。
棟梁も私ももう20年位前の古い4トンユニックしか扱うことがなかったから、さすがにこれにはまいった。
何をするにもおねえさんのいうことを聞かなければいけない。
昔はちょっと面倒なことは、2つ3つの工程を割愛してチャッチャと済ませてアームも言うことをよく聞いてくれていたのに、最新式は一つ操作を飛ばそうとするとピクリとも動かない。
結局何が誤算だったかというと、ことごとくそのユニックのクソ真面目で鈍い動きに尽きる。
「なんか、機械に使われていますよね」
一緒に彫刻の積込を手伝ってくれた運送屋の所長さんがポツリと言っていた。
正にそんな感じ。
気づかないうちにいつの間にか人間が機械の言うことを聞かなければいけない時代になっていた。

IMG_0558.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

キャノンG12 

2015/10/28
Wed. 23:44

話せば長くなるようないろいろな理由があってのことだが、私吉田正純は、故あってニートオヤジを継続中であります。
だからといって、世間のニート様方とは一線を画しているのだ!・・・と本人は勝手に都合よく自己主張しているわけでもあるのだが・・・
とにかくそういう身勝手な暮らしをしている関係で、世間的に友達というか友人というか知人くらいまで網を広げても、決して交友関係が広いわけでもなく、比較的自由気ままに一人勝手に毎日を過ごしている。
だから、別に淋しいというわけもないまま、自分の周囲の様々なものにお友達的要素をあてがったりして喜んでいるようなところがある。
たとえば、「ボクの相棒結界くん!」・・・というのは、愛車の軽くんの事。
何故か移動の多い自分の環境に文句ひとつ言わないで付き合ってくれる「ラップトップくん」は、結構古いMacBook Proくんのこと。
最近これの調子がすこぶる悪くて少々心配。
そして、四六時中手の届くところにあるキャノンの「G12」はボクの身体の一部と言っていいほどの長い付き合いになる。
そのG12くんが、キーポンが帰った日で展覧会の搬出日前夜に壊れてしまった。
ハッキリいって、これは密かにかなりのショックだった。
しばらくロードに出て石見銀山を留守にするというその前の夜に壊れたわけだから、これはどうしようもなく途方に暮れた。
今時の世間は、電話に付いているカメラ機能で大体の用を済ますという方々が多いようだが、昭和生まれの吉田オヤジは、やはり少々かさばっても少々重くても、常にカメラを首からぶら下げてウロウロするということに落ち着きさえ感じてしまう年頃でもあるのだ。
昔々の庶民の文化の象徴のようなものでもあった二眼レフの系統にあるそのデジカメは、今の吉田にはなんとも使い勝手の良い必需品で、軽いスナップから、記録のデータ用から、印刷原稿用の写真に至るまで、全てこのカメラ1台で用を済ませていた。
それの唯一の1台が壊れたわけだから、やはりどう考えても途方に暮れたわけだ。
そういうことでしばらく頭が真っ白になったのだが、その後ふと思い出したことがある。
それが、ノッチの就職祝いにプレゼントしたG15。
そのG15が自分の手元にあることを思い出した。
なんのこともない、ノッチが仕事でカメラを使うことが必須だというようなことを本人が言っていたから、これは日頃はニートオヤジで逃げまくっていた子育てを少しばかり反省しようと一大決心でAmazonチェックをして確信と信念を持ってチョイスした1台がG15だった。その、オヤジ渾身のプレゼントを、1年以上ほったらかしにして挙句に「これ使わないから」とオヤジへ返品までしやがった(汚い言葉でごめん!)。どう考えてもコノヤローですよ!まぁ、そんなわけでたまたま手元にあったG15が愛しのG12の身代わりになって今度の搬出の旅で活躍してくれた。
久々に石見銀山へ帰る途中で代金引換の電話が入った。
1週間ぶりにG12と再会したら、なんと不具合だったレンズがまるごと交換されていた。
ずっと気になっていたレンズの傷もなくなった。
再開の愛機はちょっと綺麗でかっこ良く若返っていた。

IMG_1360_201510282341581da.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

石見銀山吉田家の朝 

2015/10/28
Wed. 06:28

皆様おはようございます!
あれほど疲れているはずなのに何故か夜のうちから目が冷めて、シュラフの中でイジイジしていたら結局この時間になってしまった。
こともあろうに私が彫刻搬出で留守の間、吉田家の四畳半はワイフとキーポンに占領されていたようだ。そのキーポンは今週から2週間位、保育実習で近所の保育園へ通園し始めた。それの送迎がワイフの仕事になっているらしい。道理で私の彫刻搬出に付き合ってくれないわけだ。

昨夜は雨の中2トンの箱トラックを動かして搬出などの準備が終わったのが8時頃だった。
それから風呂に入って旅の疲れをとって夕食を食べて終わったらもう寝る時間になっていいる。それに、いつのまにかキーポンは以前と全く変わりなく私のシュラフに潜り込んで寝てしまっている。まったく、あいつの神経はどうなっているのか・・・

最近ワイフの膝の調子が悪い。
外科の診療医院へ通院して、水を抜いたり何か薬を注入したりしてもらっているようだが、まったく改善していないようだ。私も彼女ほどではないものの古傷が元で少し無理をすると膝から下のアチコチが痛む。それをごまかしたり騙したりしていると、しだいに上半身に悪影響が出てきて、今はやたらと腰がいたい。
そろそろ結婚して35年位になる。まぁ、そのくらい長く一緒に暮らしていると他人から始まった仲も、心身ともに色々な不具合が上手に混ざり合って何処かしら似た者同士になっていくのだろう。
時々どちらかがプツリと切れて険悪な状態になることもあるが、そんなことは長年のやりくりの蓄積でだいたいのところで適当に日常の平常へ軌道修正していたりする。それに子供が4人ほどいると、それぞれそれなりに程よい加減の介入や助言や支援もあったりするし、家族という最小限のコミュニティーはそういう具合に緩やかな拘束と緊張感を持って形成されているものなのだろう。現在の吉田家は子供もそれぞれ自分の暮らしを始めているし、狭苦しいと思っていた家も何処かしら持て余すほどの無駄な空間が広がった。幸い、それを例のネコチャンズが埋めてくれているから、それなりに都合よく家族間の世代交代というか役割交代ができている気もする。
私が彫刻搬出へ出かける少し前にワイフが「気持ち悪いこと話してあげようか?」と珍しくニヤついてきた。どうせクロが布団の上で吐いたとか枕の上にウンコしたとかそんなことだろうと思っていたら、「まだ、毛の生える前のネズミの子があたしの布団の横へ転がってたのよ・・・それも2匹!」・・・さて、クロかシロかどちらの仕業だろうか・・・その後、今度はネズミらしい形態にまで成長した、それでも小さなヤツがまた同じ所でゴロリと転がっていたらしい。やはり、あいつらもそれなりにれっきとした猫であった。
まぁ、吉田家はそういう感じで何かと小さな不具合を抱えつつ、毎日が粛々と過ぎているわけなのであります。
さて、今日は1日とみ山彫刻フィールドアートワークの搬出作業が待っている。
そろそろ、準備でもしましょうかね・・・というのに、まだ、隣でキーポンがゴロゴロしているという、なんとも緊張感のない朝が始まった。

IMG_1232.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ブログが消えた? 

2015/10/27
Tue. 22:12

数少ない吉田のブログファン(??)のみなさま!大変長らくお待たせしました!
・・・という程でもないでしょうが、やっと島根の我が家へ帰ってまいりました!
先週末から続いていた彫刻搬出の旅はまだ終わっているわけでもないのですが、ひとまずマイ四畳半に落ち着いたところであります!
・・・と、ここまでは良かったのだが、旅のお供のコロコロくんからラップトップを引っ張りだして、「さて、今日のニュースはどんなかな?」とか、「大事なメールでも入ってるかな?」とか、まぁいろいろチェックしていたら、なんと、更新したはずのブログが見当たらない。
Safariの具合でも悪かったのかと再起動しても、昨日書いたブログが出てこない??
旅の間中使い倒したWi-Fiルーターの調子が悪くてイライラする事が結構あったが、ひょっとしてその関係か?はたまたラップトップの不具合か?インターネット環境の問題か?
などと考えを巡らせていたらだんだん不安になってきた。最近問題を抱えているFC2ブログそのものの不具合かもしれない。
だいたいアナログ人間のまぎれもなく純粋な文化系人間にとっては、こういう機械的不具合がもっとも苦手とするところで、あれこれ対処法を巡らせてもなんの問題の解決にもならない。
それでも、いくつか方法を確かめたり、ウエブ検索で似たような症状の情報を収集してみようとしたが、思いつくほどのキーワード検索を試しても何も好転することがなかった。
結局、何を書いたか何処へいったか探したりすることも面倒になってきて、ラップトップのメインスイッチの強制終了でその場をごまかしてみることにした。
急に1日の疲れがどっとやってきて、デスクトップに残っていた昨日分の挿入写真が何処かしら虚しく見える。

・・・と、そういうわけで、どうも昨日のブロク記事が更新もされないまま何処かに隠れて、ブログ管理者である私でも何か良くわからないまま忽然と1日が消えたのでありました。・・・といっても、展覧会の搬出作業の様子をダラダラと書いていただけのことだけど、1年経ってその同じ日を振り返って途切れた記憶をそれなりに修復することぐらいは何とか出来ていたはずなのに・・
今年の彫刻搬出は、とみ山彫刻フィールドアートワークの搬入と前後するので、野外展示場の二人の作家へ話を通して、だいたい1年位の間ほど彫刻を貸してもらうことで決着した。
そんなわけで、作業の方は比較的スムーズに進んで、5時までには一通り野外展示室にあった彫刻は全て搬出された。
・・・と、ようするにそんな話題を例の如くダラダラ書き綴ったわけです。
今もそうだけど、こうしておやすみ前のひとときにその日1日を思い出して記録しておくということは、普通に手帳へメモする程度のことであまりにも味気ない。そんな気がするから、年中ヒマな私の場合、この程度のプチプチ仕事がそれなりの気分転換になってなかなか都合の良い一時になってもいるわけなのです。
雨のやみ間を探して彫刻設置予定地の草刈りもした。その後、小雨の中絵画作品の積込も無事に終わった。
・・・それにしても、今日のブログは何か変なふうに始まって終わったな。

IMG_1330.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

木枯らし一番 

2015/10/25
Sun. 23:26


島根にいると、普通にカジュアルな靴をはくということもない。
坊主家業の時は白の鼻緒の雪駄だし、彫刻家の時は鉄板入りの安全長靴だし、日常の暮らしは履き古しのクロックスで済ませる。
彫刻の仕事で長距離の移動をするときも、結界くんに雪駄かクロックスか長靴を乗せておけばそれで用が足りる。
今履いている靴は、4~5年前の私の誕生日の時に娘達が買ってくれたものだ。
こうして、1年に1回ほど展覧会の用事で東京へ出かける時にそれを履くことにしている・・というより、礼服用の黒の革靴以外、まともな靴はそれ一つしか持っていない。
このままいけば、今の暮らしが大きく変化することでもない限り、一生そのプレゼントされた靴一つを履きつぶして終わるだろうと思っている。
最後に死ぬ時は、棺桶にその靴も忍ばせておいてくれたら都合よく遺品整理にもなるくらいに思っている。

そういうわけだから、こうして靴を履いて東京に来て一日中アチコチ動きまわると、半端無く疲労する。
その靴と同じように1年に一度欠かさないようにしているのは、ワイフの実家へお伺いすること。一人暮らしのワイフのお母さんを尋ねることも私の東京での大事な用事の一つになっている。
秋のこの時期のワイフは、島根の石見銀山を中心にアチコチで行われる地域の文化祭に出かける事が多い。東京生まれの彼女が、ここまで上手にさり気なく地域に溶け込んでくれるとは思ってもいなかったことだ。日頃から世間付き合いの悪い私の我儘を上手にカバーしてくれているということで実にありがたい。

それで、昨夜からワイフの実家でお世話になっている。
夜がほとんど眠れなかった。
一晩中サイレンがアチコチで鳴っていた。それに、時折激しい風が吹き付ける。朝になってニュースをチェックしていたら、今年の木枯らし1号だったそうだ。
私など、まだ半袖シャツ一枚でウロウロしているのに、もう東京は木枯らしの季節になっているようだ。
どうりで、電車の乗客がアチコチでコツコツ咳をしている。昨日も普通電車に乗ってノンビリ座席に座っていたら、2つ目の駅で混み始めて私の両側に座ったお姉さんとおじさんが右と左でコツコツ咳をし始めて往生した。その上、何処からともなくやたらと臭い口臭が漂ってくるし、もう、それだけで自分が病気になってしまいそうになる。どうしても耐えられなくて、結局乗り換えの駅まであと少しというところで、その電車を降りた。
島根の暮らしではこういう状況に遭遇することはまず無い。
今から40年前は、自分も東京ぐらしをしていたということがウソのようだ。
見た目にはそれなりに小奇麗に見える大都会の街も、そこで暮らすとなると、見なくてもいいものを見ながら、聞かなくていいものも聞きながら、自分の都合を我慢して窮屈に暮らすしか無い事のようだ。
なんとなく、ホームシックになってしまっているのかなぁ~・・

IMG_1325.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

六本木の彫刻ギャラートーク 

2015/10/24
Sat. 21:44

ボクの相棒というと、結界君とラップトップ。
この2〜3日ラップトップの調子がすこぶる悪い。
騙し騙し付き合っているが、余談を許さない状態。
今も、プチプチやっているがやたらと高熱を発している。
吉田おやじの行く先々へ有無を言わせず付きあわせているから仕方の無いことだと思うけど、もう少し踏ん張ってもらわないと、君の元が取れないのだよ!!

てなわけで、ビクビクしながら一日の様子をまとめているこの頃であります。

さて、本日の吉田にとって何があったかというと・・・六本木の展覧会の作家ギャラートークがあったのです。
日頃から会の彫刻部には不義理をしていることで心が痛む日々を送っているわけであるので、何年に一度あるかないかの指名を受けた時は、自分の事情を曲げてでも「YES!!」というように心がけているわけであります。
その、大当たりがやってきたわけで、これは断るわけにもいかないと(といっても、暇すぎて断りのネタがなかった・・)ギャラリー・トークなるものを引き受けたのであります。
予定の時間に六本木の美術館へ行ったら、新進気鋭の彫刻家が集合していて、内心少々ビビリましたよ。
それでも、そこは日頃からだらしなく鍛えた坊主家業のナンチャッテ蓄積があるから、それなりに、お集まりの皆さんの顔色を伺いつつ乗りきればいいやと気楽に思っていたら、なんと、仕切り司会者の委員の先生独断で選出された作家5人のアンカー決定。
これはなかなか田舎者の私にとっては荷が重い。
身も細る思いで順番を待っていたのだが、その時気づいたのは、トーク作家の皆さんの声が小さいこと!
これは、内容はともかく、声が大きければそれだけでなんとかなるかもしれないと、戦略を立てたわけであります!
それが功を奏したかどうかわからないけど、目の前で委員の偉い先生(某H様)がウンウン頷いているし、とにかく、痩せる思いで冷や汗をかきつつ、指名の任務を果たしたのでありました。

そのあと、彫刻部会の会議に参加すると、みなさん本当に本気で会の行末を論じていらっしゃる。
当然アタリマエのことだけど、この現状を出品の彫刻家のどれだけの作家が心得て彫刻を制作しているのだろうと思ったら、自分の付き合いの我儘な好加減さだけが目立ってしまって、本当に反省ばかりの一時間だった。
作家は、自分の作品に責任を持たなければいけない。何をおいてもまず一番にそれをクリアーするための彫刻を作ることであるが、いの一番のその辺りでどれほどの彫刻家が躓いて周りに迷惑をかけているか・・・なにか、とても良く自覚した。
思えばこれまで、吉田はどれほどどれだけ何年も会の優しい「見て見ぬふり」に救われてきたことか・・・それが自覚できただけでも、少し早めに東京入りして良かったと思った。

IMG_1328.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

我ながら「しつこいオヤジだなぁ・・」と思いつつ、またも「とみ山彫刻フィールドアートワーク」のこと。
今日もセッセと広報活動で島根県中央部をぐるっと一周してきた。
それに、校舎使用の許可申請や、野外彫刻設置の場所決めなどをしながら、期間中宿泊所で使わせてもらう無住のお寺へ必要物資搬入をしておいた。
「島根県現代彫刻振興委員会」なる大げさな組織名のわりには、結局年中暇人は私くらいのものだから、事務から雑用(といったら叱られるかな?)までほとんど一人でこなしている。
それでも、こまごました買い出しの方はお買い物大好きワイフへほぼまるなげしてある。

事業報告のこともあるから、毎日の出来事を忘れないうちに備忘録へ整理しているような感じでこのブログを使っているが、過去の記事の幾つかを読み返してみると、何やらえらく忙しそうな雰囲気が醸し出されていて、他人に優しく自分にはもっと優しい軟弱オヤジのだらしない性格がバレバレになっていた。
そんなもんだから一見忙しそうに見えていても、アッチへいってチョコッと用事を済ませてダラダラ長話。こっちへいってサッサと用事を済ませてコーヒー飲みながら世間話。移動の途中で綺麗な風景があったりするとイソイソとデジカメで連写。
そうこうしている間に1日が暮れていくわけなのです。

それで、今日も三瓶山を上がって降りてグルっと回ったわけだけど、朝方に三瓶山へ上る途中で棟梁とすれ違った。それから、昼過ぎに三瓶山を回ってあとちょっとで石見銀山というあたりでまた棟梁とすれ違った。
まぁ、なんというか、気が合うというかやることが似てるというか・・・
さすがに、1日に2度も棟梁とすれ違うなどめったにあることではない。こっちは、一つ用事でダラダラ1日が過ぎているのだが、まさか棟梁も私とどっこい暇なわけでもないだろう。こんなことってあるもんなんですなぁ・・・

帰宅したらネコチャンズはそれぞれだらしなくくつろいでいた。
聞くところによると、飼猫の体型は飼い主に似てくるのだとか・・・
吉田家のネコチャンズを見る限り、なんとなく当たっている気がする。
訪問客の全てが「まぁ、大きな猫ちゃん!」とびっくりしている。
飼い主的には、大きいというより太っていると思っているんだけど、それを「大きい!」と言い換えてくれているお客さんの優しさなんだろうね。
その、デカイクロとしばらく戯れて、メールチェックに入ったら、市役所の担当さんから提出書類の校正が入っていた。
早速、電話で確認しながら指定場所を修正して、再度市役所訪問。
このところ結界君が大活躍で、燃料がどんどんなくなる。
日の入りとともに仕事を放棄するくせのついた私は、どうも一日が短くなって窮屈になってきた。
あぁ〜、夜なべだけはしたくないなぁ〜、きっと、することになるんだろうなぁ〜・・

IMG_1283.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

とみ山彫刻フィールドアートワーク広報営業 

2015/10/22
Thu. 21:28

帰宅した時は既に真っ暗だった。
随分日が短くなった。

万年ニートオヤジと吉田家の子供達から言われているほど、わがままに自由な毎日を過ごしていて、夜になってからまで仕事はしたくないと勝手に心に決めて暮らしているようなところがある。強いて夜の仕事といえば通夜と夜法要と常会くらいのことだ。この数年は、彫刻の仕事も夜なべをすることは1年で一週間もない。
今の世の中、こういう暮らしができることは結構贅沢なことかもしれない。
物欲に縛られると、その欲を満たすことで無駄に働いて無駄に金を稼いで無駄にそれを使い続けるしか無い。
物欲を少しだけセーブすることでどれだけ自分の自由な時間が増えることか・・・
まぁ、これもわがままオヤジの勝手わがままな理屈なんだけどね。
人が違えば考えも違うし物の価値も違って、私だとどうでもよくて魅力も何にもないもにしか見えなくても、その人にとっては人生で一二を争うほど大事なものだったりすることもよくあったりするからね。

夕方まで「とみ山彫刻フィールドアートワーク」の広報営業で三瓶山の裏側まで遠征していた。
お目当ての相手は、行政の合併まで町長をしていた元気なオヤジで、今は地場産業振興のアンテナショップを経営する社長さん。私より10歳位年上のはずだが、頭の回転と行動力のシャープさは私より10歳位若く感じるほどの熱血オヤジでもある。社長業の傍ら、アチコチの招待を受けて講演活動も精力的な人だ。
その熱血オヤジをお目当てに吉田のチャチな企画の営業をしに出かけたら、何処が気に入ったのか、えらく盛り上がって、社員のお姉さんを呼び出したりし始めた。
そのショップにはIターンの社員が結構多くて、中国山地の山奥の田舎町のわりには、全国規模で若者たちが集まってきている。
若い子たちも結構キッチリ自分の意見を出したりして元気がいい。
この近年は、若い子といえば吉田家の子供達くらいしか付き合うことがないから、何か不思議な感じになって、その熱血オヤジの術中にマンマとハマってしまっていた。
そんなわけで、気がついたら夕方になっていて、せっかくだから地域の若い連中に吉田の活動を話してやってくれということになった。

来週末からは、ものつくり教室のワークショップも始まるし、教室展覧会も搬入設営が終わっているだろうから、それなりの営業にもなるだろう・・・と結界君を運転しながらそう思うことにした。
「プロジェクターもありますから!なんでも必要なものいってください!準備しますから!」
さすが、熱血社長に日頃から鍛えられている社員のお姉さんがアレコレ畳み掛けて来た。
「イヤイヤ、あの時期そこまで準備時間の余裕ないから・・」
それに、だいたい夜は仕事しないことに決めているんだから・・・特別だよ!今回は!

チラシA4見本

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

幸せってなんだろう 

2015/10/21
Wed. 21:58

ほぼ午前中いっぱい市役所で配布物仕分けの仕事をした。
自分の人生で、研修とか講習を抜きに半日も役所にいるなどなかったことだ。
行政公務員の皆さんは、あんな感じで毎日仕事をしていらっしゃるのかと、日頃見慣れない体験ができてよかった・・と言いたいのだが、身体は正直なもので小一時間もすると頭の側面がチリチリ痛み始め、そのうち動悸が激しくなり、時々フラリと意識が不安定になったりして冷や汗が出始め、気持ちが悪くなってきた。

どうしてこんなことになってしまったかというと、話せば長くなるところをつまむと「この回覧は自治会ごとに小分けして封筒に入れてもらわないと配布できませんね!」ということになってしまったのだ。
大田市行政区全体の回覧配布だけでも約2000枚印刷した。それを町ごとに仕分けして、その後それぞれの町の自治会ごとに仕分けして、町内回覧が行き渡る仕組みだ。
今度の「とみ山彫刻フィールドアートワーク」の告知に、この市内一斉回覧システムを初めて導入してみた。

前日までに部数を整理して帯でまとめて準備万端整っていたはずなのに、今朝市役所の指定場所へそれを持ち込んだら、配布作業のシステムがどこかしらおかしい。
それでモタモタしていたら、優しげなお姉さんがススッとよってきて色々教えてくれようとしたのだが、脳みそのとろけた私にはどうもチンプンカンプンで要領をつかめない。
結局お姉さんが意図するところの仕分けが出来そうも無いと気づいて、今では吉田専属担当のように何かと市役所の窓口になってくれているお兄さんを名指しで配布作業を仕切り直しすることになった。
なにせ、大田市大田町内の回覧配布の枚数だけでも300枚近くある。それの不具合分を全て戸別に仕分けなければいけないことになってしまった。お兄さんが嫌な顔もしないで付き合ってくれて全て終了したのがお昼前だった。

市役所に半日いる間に、私の後ろや横を何人もの知り合いが通り過ぎていった。
「あらま!今日はなに?」とか、「お珍しい!」とか、「やぁ〜」とか、反応は様々だったが、私の鬼気迫る作業の姿を恐れて、馴れ馴れしく擦り寄ってくる人は皆無だった。
彼らの全てが今では「長」の字がついた重要ポストに収まっていらっしゃる。私のようにいい年をしていまだにタダノオヤジなど一人もいない。そう考えると、結構みなさん年齢相応に年功序列も加わって確実に昇進していらっしゃるわけだ。
私もどこかの組織に潜り込んでいたら、よっぽど取り返しの付かない大きなポカでもしないかぎり、今頃は○○課の長くらいにはなっていたかもしれない。
そういえば、高校の同級生も私が大騒ぎしながら用事をしているすぐ近所で何やらパソコンいじってたなぁ・・彼は校長先生で退職して、今は市役所の嘱託に収まっている。
もう、40年近くもたっぷり働いたんだから、これから生きてもせいぜい長くて30年。
少しくらいは殺伐とした世間を忘れて悠々自適の趣味に走っても良さそうな気もしたけど、彼にとっては、働き続けることが生きがいになっているんだろうなぁ・・・

年中気ままにやりたいことしかしない私には、どうもその辺の事情がわかりません。
あれはあれで、けっこう幸せなんだろうなぁ〜・・・

IMG_1190_20151021215622644.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

オヤジとネコ 

2015/10/20
Tue. 21:52

とみ山彫刻フィールドアートワークの準備が本格的になってきた。
朝からいつもの棟梁と小学校の校舎に入って、パネルを組み立てたり教室の整理をしたり、荷物を持って1階と2階を何度も上がり下りしていたら、調子の悪い膝がみるみる悪化した。
国道沿いに看板を設置するので、その申請書類を警察まで取りに行った。べつに表立ってやましいことをしているわけでもないのに、玄関を入る時はどうも緊張で顔がこわばってしまう。警察は私の三大嫌い場所の一つだ。ちなみに、あとの2つは学校と病院。今回の企画で、その三大嫌い場所の2つまで関係することになってしまった。

お昼を少し過ぎたところで棟梁の大工仕事が終わった。
私の方は教室の片付けなどが残っているが、腹も減ってきたし、キリの良い所でひとまず切り上げることにした。アチコチまわって必要な買い出しをして帰宅したら、ワイフが昼食を作り始めた。今日は何かの行事の関係で久々の平日休みになったのだそうだ。
ワイフが家にいる時は、だいたい私の顔を見てから食事の支度を始める。冷めた料理を出すのが嫌なのだそうだ。私の方は特にそこまで食事のことで温かいとか冷めているとか気にしてもいないのだが、昔からそういう感じで変わることもなく今に至っているからその流れに慣れてしまった。

夫婦で昼食を食べるなんて久々のことだ。
結婚してすぐで、まだ子供もいなくて、ワイフも専業主婦だった頃のことを思い出した。
あの頃は、5世帯分の住宅長屋の日当たりの悪い一番奥まった端っこで、しっぽの長い黒猫のタマと一緒に暮らしていた。近所に家もなく、地域の自治会に入ることもなく、その長屋だけが周囲から切り離されたような環境だった。
タマはその後2回の引っ越しについてきた。引っ越しのたびに町場の住みにくい暮らしへ環境が変化した上に近所に野良猫がたくさんいて、いろいろな病気や喧嘩の怪我で心身ともにボロボロにやつれて性格も荒れて、結局フラリと家出してそれっきりになってしまった。自分の仕事で転勤が避けられなかったことだからしかたのないことだが、タマには悪いことをしてしまった。今のクロが吉田家にやってきた時も、タマのようにしてしまうかもしれない気がして、私としては同居を拒んだりしたが、猫好きの上に軟弱な性格が災いして結局飼うことになって今にいたっている。
そのクロが珍しく今日は一日中私の書斎でゴロゴロしている。夕方にワイフのすきを狙って一度脱走したがあえなく捕まって、それでも若干気持ちが晴れたのか、今はシュラフのど真ん中で落ち着いている。

九州の彫刻家から少し深刻なメールが届いていた。こういう内容にはなかなか返事がしにくくて、そのままスルーすることも多いのだが、とにかく踏ん張って早く返事を書くようにしている。昼過ぎからかれこれ半日ほど使ってそれなりに悩んで、やっと少し前に返信が終わった。
こうしてダラダラと備忘録を書いている方がずっと楽なことだ。
クロがムクリと起きてまずは大あくび。それから身繕いを始めた。

IMG_1221_201510202149078c6.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

吉田家通信事情 

2015/10/19
Mon. 20:38

「あなたのパソコン貸してくれない?」
ワイフが珍しく自宅でパソコンを使いたいというので、朝も早くから自分の仕事をせっせと片付けていたら、目の前で新聞を見ながらウトウトし始めている。
亡くなったワイフのパパの清さんを思い出した。
清さんは、とても無口な職人気質の金型会社の社長さんだった。
彼の腕は業界でもトップクラスで、日本がバブルの頃は難しい金型製造や、修理調整仕事が絶え間なく入ってきて、何日も徹夜が続いたこともよくあった。
ワイフは、そういうパパの長女に生まれて愛情たっぷりに育てられていた。
私が知り合ってからは時々お風呂と夕食をおよばれにいっていたが、食事が終わったあとのくつろぎのひとときは、今のワイフとそっくりに新聞を見ながらいつの間にかウトウトと寝始めて、怜子さん(ワイフのママ)によく起こされていた。
やはり、親子だなぁと今のワイフを見てそう思う。

最近のデスクワークは、アチコチ移動しながら出先で仕事を片付けたりすることが増えた関係で、ラップトップを使う時間が圧倒的に増えた。90%はキーボードをプチプチ叩く文字や数字の仕事。残りの10%でメールやインターネットや資料写真の整理くらいに使っている。そうそう、このブログでもだいたい毎日30分位は使っている。
狭いデスクトップには未成理のデータファイルやテキストなどがアチコチに散乱してやたらと見難い。なかなか綺麗に整理できない自分の責任だから文句も言えないが、最近は歳相応に物忘れも常習化してくるし、保存したデータを探し出すだけでも結構大変になってきた。
たぶん、そういうだらしない使い方をしているせいだと思うが、どうもこのラップトップの調子が悪い。インターネット環境の不具合が続いて、ひどい時はメール着信が途中でフリーズしたり、データの送信中に固まって虹のグルグルが止まらなくなったり、写真の起動に時間がかかったり、このブログのウエブアップもタイムラグがやたらと多発したりして不安定な状態が続いている。
今のとみ山フィールドアートワークの仕事が片付いたら、OSを無料アップデートしようと思う。ひょっとしたらそれで今の不具合が少しは解消するかもしれない。

最近の家族通信はほとんどをLINEで済ますようになった。
キーポンが少し前からアルバイトを始めて、時々「今日のまかない」の写真を送ってくる。
13年間続いたオヤジの一人暮らしで習得した「ナンチャッテ生活学」の最大のポイントに、「金はなくてもメシに困らない生活術」というのがあって、吉田家の4人の子どもたち全てにそれを伝授した。そのかいあってか、末娘のキーポンまで、それなりにメシに困らない毎日だけは送っているようだ。
今の吉田家LINEは、「ガーリックライス」で盛り上がっている。数日前のキーポンのまかないは「ガーリックライス牛タン乗せ」!・・・なんという贅沢だ!
オヤジがキーポンの頃は、牛肉というと吉野家の牛丼でしか食べることがなかった。
もっとも、今のオヤジはレストランのまかないとドッコイに旨い「ワイフの手料理」へほぼ毎日ありついているから、それはそれで十分に幸せなことだ。

IMG_0585_201510192034308ed.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

雲一つない 

2015/10/18
Sun. 22:24

雲一つない秋晴れ。
島根県中国山地のてっぺんの方にある万善寺から結界君で日本海方面に向かって1時間弱北上したあたりある曹洞宗禅寺古刹の晋山式へでかけた。
方丈の末席を汚しているナンチャッテ坊主が、寺院方の帳場役をすることになって、緊張のあまり前夜から目が冴えて眠れないまま朝になった。

「とみ山フィールドアートワーク」が近付いているので、石見銀山の自宅を離れることが出来ない。
教室展示でお世話になる作家から連絡が入って、そろそろ個展の準備をしたいという申し出があった。
会場の鍵番をしているし、ちょうど晋山式が重なってもいるし、一人で二役は出来ないから、無い知恵を絞って移動の途中で合流して鍵の受け渡しをすることになった。
ギリギリになってワイフの助けを借りたりして、とにかく色々あったがひとまずは帳場も展示会場も事なきを得た。

晋山式はとても立派なものだった。
細やかな配慮が行き届いて、若い方丈さんがキビキビ動いて緊張感のある厳粛な式になった。
本当は、万善寺も晋山式をしなければいけないのだが、今のところその予定は無い・・・というより、そこまでの余裕も力も無い。
私のような軟弱坊主が一人で踏ん張ってもどうなることでもない。

帰宅してラップトップをチェックしたら、作家が報告の写真をメール添付してくれていた。
写真の感じでは、なかなかおもしろそうな現代美術になっていた。
旧富山小学校の教室展は、万善寺の坊主家業に比べてまずは順調だ。
自分にはああいう発想の作品は出来そうもないし、展示依頼をして正解だった。
「どれだけわかってもらえるかしら?・・」
写真を見せたらワイフがそんな感想を漏らした。
「それが良いのだ!!」と、自分では思っている。
あぁ〜いう現代美術を見てもらったりすることも、必ず地域の刺激になるはずだ。
まずはこちらから近づくことのほうが、田舎暮らしには効果のあることも多い。
なにごとかチンプンカンプンの何かが、普通に身近にあることの面白さに気がついてもらえると良いなぁと思っている。

堅牢な具象絵画の大作、250年の前から継承される伝統の根付彫刻、地元地域に産出の凝灰岩を活かした石彫、地元で精力的に制作発表を続けている画家、自分の作風を磨き育てて独特の世界観を表出する若い彫刻家などなど、具象抽象や時代作風を問わない幅広い表現が旧富山小学校へ集まってくる。
彫刻家の吉田が、坊主の吉田と合体して、無い知恵を絞りだして組み立てた美術イベントは、さて、結果は如何に・・・

IMG_1200_20151018222153c8d.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

今日の一日 

2015/10/17
Sat. 23:54

六本木の展覧会で彫刻を設置して懇親会へ参加して久しぶりに見る友人知人と色々な話をして身体は疲れているのに気持ちは元気をもらって帰宅。
車中2泊の1泊2日は、さすがにかなり疲れた。
その数日の間だと思うが、私周辺のF.Bでは元大統領ムヒカさんの記事でやたらと盛り上がっていた。なんで今さら・・・と思ったが、どこかのテレビ局がムヒカさんの番組を制作して放送したらしい。
やはりムヒカさんのことは知っている人より知らない人のほうが多いんだなと、あらためて確認できた気がした。

私が彼の人生哲学に感動して備忘録に書いたのは何時の事だったろう?・・と思い出せなくてブログ内検索をしたら、「2014年6月18日」のことだった。もう1年以上前の事になる。あの頃は、浜田での現代彫刻小品展開催に向けて準備事務をスタートしていた。
寺の用事と両立しながら、まだ元気だった憲正さんの通院に付き合いながら、いろいろと時間や日程の調整をして、コツコツと事務処理を続けていたことを思い出した。

そしてあの頃のムヒカさんは、南米の南の端の方の小さな国ウルグアイのまだ現役の大統領だった。
身も心も無限の欲に固まって本来の自分を見失ってしまった現代地球人の多くの人々へ厳しい批判を投じている。
小さな国の大統領の発言は、世界の人々にそれなりに大きな刺激を与えるものだ。
そのあたりの普通の一般ピープルが大声を上げて叫んでいる内容と全く同じことを語っていても、やはり小さいとはいえ一国の代表の一言にはそれなりの重みがある。
最初から大勢にあきらめて何もしないで何も言わないで無難に埋没して過ごすことも気楽で良いかもしれないが、どこかしら少しでも自分の心に引っかかるものがあるなら、それはなんとかして少しでも早く取り除いてスッキリしておきたい。
・・・あの頃は、なんとなくそういう風に考えて、今の自分に何が出来るか考えた気がする。
そして、出来ることというと、我と我が身で具体的に実践するということぐらいしか出来そうにないと思ったというか決めたというか・・・自分の書いた記事を読み返してそんなことを思い出した。
幸いにもこの1年の間、それほど大きく狂うこともなく、むしろかなり確信して眼前の事実にわりかし正直に向き合いながら暮らし続けている自分をあらためて確認できた。
ちっぽけなケシ粒以下のタダのオヤジでも、周りの多くの人に迷惑をかけながらでも、何かしらの信念を持って自分にできることと向き合って暮らし続けていた。
今日の一日は、とどまることなく過去の一日になって、すぐに次の一日がやってきて、一眠りしている間に今日の一日になっている。

一口にフェイス・ブックといっても、友達つながりが少しずれてしまうと、ムヒカさんのことで盛り上がることも無いかもしれないね。
あぁ〜、ボクの周りには素敵な人がいっぱいいてくれて幸せものですよ。

IMG_0581_20151018012428d4a.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

寒いなぁ〜・・・と思って目が覚めたら、ワイフが台所で何やら慌ただしく動いていた。
ネコチャンズがしきりにうるさく鳴いている。朝から賑やかなことだ。
そのうちクロが鳴きながら私を起こしに来て、もう限界になって朝寝をあきらめた。

目覚めのコーヒーを飲んだりしてまったりと吉田家の朝をすごしていたら、
「ハイ!これ今日のお昼ね!」と、ワイフが弁当を渡してくれた。
キーポンが高校を卒業してから毎朝の弁当が無くなっていたから何事かと一瞬たじろいだ。
今日は自分の昼食の弁当を作ったからついでに私のお昼も弁当にしたのだそうだ。
何か久々のことだったので、なんとなく嬉しくなって、いそいそと四畳半のマイデスクへ持って行って蓋を開けたら、最近流行りの「おにぎらず」だった。
お昼まで我慢できるか自信がないままその弁当を横目で見ながらデスクワークを続けていたら、いつの間にかとっくに午後12時を過ぎていて、印刷屋さんと約束の時間が近づいていた。
せっかくワイフが作ってくれたおにぎらずもゆっくりと味わう時間がないまま大急ぎでパクツイた。
美味かったが、結局時間切れで完食できなかった。

約束の印刷物を受け取ってそのまま富山の町へ登った。
棚田のほとんどは刈り入れが終わっていた。
現地集合で待ち合わせのノリちゃんが少し前に旧富山小学校へ到着していた。
それから1時間ばかり、二人で個展会場になる教室の片付けをした。
我々が教室を使うことになるまでは、教育委員会の倉庫というか物置というか、そういうふうに使われていて、他の学校の備品まで運び込まれて寒々しく雑然としていた。
教室を片付けていると色々な不具合が目につく。
剥がれた壁紙。雨や埃で汚れ曇ったガラス窓。床に広がった何年分かの埃。テラスにはムジナやたぬきのウンコが山になって乾燥している。軒下にはいたるところにツバメの巣が張り付いてその下にもツバメのウンコが山になっている。
それらの掃除は少し本気にならないと上手く片付きそうにない。
大体のところで切り上げて宿舎でお世話になるお寺の鍵を借りにまわった。
運良く管理人の総代さんの軽トラとすれ違って、鍵を受け取ることができた。
ノリちゃんと二人で合宿のシミュレーションをして、それから現地解散した。
帰りにユニックの2トンをレンタルしようと、業者さんを2軒まわって3軒目でやっと借りることができた。
この近年は少しずつ景気が回復しているようで、長期レンタルされているユニックが多くて個人事業主の吉田は契約拒否をされることが多かった。
今回のように簡単に借りることができたのは久々のことだった。

帰宅してすぐにネコチャンズを呼んだがなんの反応もない。ワイフが帰ってくると土間を玄関へ突っ走って出迎えるのに、この待遇の差はなんとも淋しい。ガッカリして冷めたコーヒーを飲んでいたら、やっとその頃になってノシノシとクロが出てきた。

IMG_1191.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

石見銀山の現実 

2015/10/15
Thu. 22:16

六本木の彫刻展示でしばらく留守にしている間に、大切なウエブメールがいくつかと、ポストに投げ込まれたアナログメールがいくつかあった。
石見銀山の自宅に落ち着いて、ワイフに六本木の報告などしてしばらくしてそれらをひとつずつ整理した。
ほとんどは確認程度で済むことであったが幾つかは具体的なやりとりの必要があって、そんなことをしていたらお昼になって、その頃はワイフも出かけていて、気が付くと吉田家はネコチャンズが静かに昼寝をしているくらいでやたらと静かになっていた。
まだ24時間も経っていない。
つい少し前は、人通りも耐えることのない東京の六本木や八重洲あたりをうろついていたことがウソのようだ。

ワイフからの伝言の一つでストーブの煙突設置の問い合わせがあった。
昨年のストーブシーズンオフに撤去する時は、その店の担当者があれほどしつこく写真に記録していたはずなのに、それがなんの役にも立っていなかったようだということがわかった。その人が悪いわけでも何でもなくて、それまで何年も私が自分でコツコツやりくりしてその時々を無難に過ぎてしまっていたわけだから、まぁ、少しばかりめんどくさく追求すれば責任の元は自分にあるなぁと、反省しながら煙突を90%ばかり組み立てて、あとはその店の従業員さんに投げておいた。
相手は可愛げなお姉さんだし、少しばかり後ろめたいところもあったが、だからといってなれなれしくニヤけたオヤジ根性で付き合ってもなんの見返りもないことはわかっているから、クールに見捨ててサッサと終わりにして自宅に引き上げた。

しばらく遠ざかっていたYouTubeをチェックしていたら、時々フッと記憶が抜けることがあって、その間隔が頻繁になって、ついに耐えられなくなってバタリと寝てしまった。
やっぱり、シャンとしているようで現実は確実にジジイになっている。
自分の精神力に体力がついていっていないようで、爆睡すること約2時間・・・気がついたらいつの間にかワイフが帰宅していた。

とにかく、明日からは「とみ山彫刻フィールドアートワーク」の現実が待っている。
早速9時の約束を取り付けて1日が始まる。
六本木のように、至れり尽くせりみんなが助けてくれることがない。
全て一切合切自分で自力でノリ切らなければいけない。この一週間は準備段階の正念場になる。さんざんアチコチに迷惑をかけているから、失敗は許されない。
珍しくクロが自分から擦り寄ってきた。
しばらく私の隣で虚ろにもの思いにふけっていたがいつの間にかいなくなっていた。
気持ちの通じることというのはこんな感じなのかもしれない。どこかしら面倒だったり不安だったり懐疑的だったりと、自分の弱さが身体中から垂れ流れていることをクロが敏感に察知してくれたような気がした。
結局、自分一人では何もまともにできていないんだよ・・・というか、できないんだよね一人では・・

IMG_1159.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

世代交代 

2015/10/15
Thu. 07:05

六本木の彫刻陳列が終わって、その夜慰労懇親会があった。
展示が早く終わって少し時間があったから、数人の仲間で慰労会の予行練習を始めたら、それなりに結構盛り上がって、本番前にしっかり出来上がってしまった。
都合、10時間位は飲み続けていたかもしれない。
そんなわけで、展覧会初日は二日酔いでもなかったが、どちらかと言うと寝不足気味でお昼すぎになってもなにかぼんやりしていた。
島根に帰ったその年から出品を始めた展覧会がいまだに続いていて、東京でこういう1日を過ごすのはもうその頃からのことだ。

島根から一緒に彫刻を出品している仲間の周藤さんがお昼を付き合ってくれて、イタリアワインのボトルを1本空けた。
おかしいもので、あれほどいっぱいアルコール漬けになっていたのに、日が変わるとなんの問題もなくワインが身体に入って美味しく飲めてしまう。
色々と環境の違う大都会の空気に酔わされているのかもしれない。

六本木の細い裏道で大きな高級外車がスルスルと滑るように近づいてくる。どの車も埃汚れ一つなくてピカピカ!
ふと、ボクの愛しの結界くんを思い出してしまった。
作業着に長靴スタイルだったり、改良衣に雪駄履きだったり、容赦なく使い倒している結界くんが可哀想になってきた。もう、何年も洗車していないから、車体のいたるところへ張り付いた埃汚れに青苔がつき始めている。塗装の端っこからサビも浮き始めた。
そういえば、田舎のお百姓さんの軽トラはだいたいにやたらと綺麗に光っているなぁと、東京のど真ん中の六本木の街を歩きながらそんなことまで思いだしていた。

東京駅八重洲口から高速夜行バスに乗った。寝ている間に周藤さんからメールが入っていた。彼がやっと会員になってくれた。
島根では吉田正純と吉田満壽美夫婦が揃って彫刻を造り続けているが、北陸でも石彫を造り続けている彫刻家夫婦がいる。
彼らが、揃って受賞したそうだ。
まだ若い二人だし、これからが楽しみになる。
吉田夫婦も、今は随分と年季を重ねて年をとった。
こうして、いい感じに次へ世代が交代していく様子が見えてくると、そろそろ、自分の踏ん張りも無駄な力が抜けて、気楽にいられるようになる。
島根の彫刻界も、周藤さんから後がどうなっていくか、楽しみなってきた。夜行バスを降りた時は、いつもは寝不足でフラフラになっているが、今朝は日差しも眩しい晴天で頭がシャンとしている。ワイフにすぐ電話した。
「周藤さんが会員になったよ!」
「それはそれは・・・」
島根在住彫刻家吉田夫婦の人生もこれから少し変わってくるかな?・・
さて、久々の日本海を見ながら石見銀山へ帰りますかね・・

IMG_1141.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

心が踊った 

2015/10/13
Tue. 23:57

皆様・・・って、せいぜいヒトケタでしょうが・・・こんばんわ!!
ボクはハッキリと酔っ払ってます!

というわけで・・・と、どういうわけかよくわかりませんが・・・
六本木からアッチへいって飲みコッチへいって飲み、よくわからないまま昔懐かしい上野広小路のボウ宿屋へ落ち着いたところです。

本日は、六本木の美術館で終日彫刻の展示作業でありました。
例のごとく例の調子で野外彫刻展示場の一仕事が終わって、ドヤドヤと六本木界隈の飲み屋へ集まって1次会が終了し二次会が終了し、一人消え二人消えみんないなくなって飛び込みのワンルームへ落ち着いて、ラップトップの電源を入れたところであります!!!

まぁ、色々あったけど、なにわともあれ、山陰から彫刻部へ出品したメンバー一人ひとりがとても良い彫刻を造って評判も上々で、吉田オヤジとしてはとてもとても嬉しかったわけ!
とにかく、なんといっても嬉しかったわけ!

毎年同じように秋が来て、毎年同じように彫刻を造って、毎年同じようにドタバタがあって、毎年同じようにそれを乗り切って、毎年同じように六本木へ集合して彫刻の展示作業をしただけのことなのだが、今年は自分にとってとても良い感じの彫刻展示になった。
おっと!自分の彫刻がどうのこうのというわけではなくて、山陰からの出品者の彫刻がいい感じだったということ。それで、何か自分のことのように嬉しくなって、しっかりと徹底的にはしご酒をしたわけだ。
こういうことは、この近年に全く無かったことだった。
それだけ六本木という場所は自分にとって不釣り合いであるということなのだが、だからといっていい加減な彫刻を展示するわけにもいかないし、それはこの世界の常識だから、やはりきちんとスジは通さなければいけない。
それで、色々ときちんと(だったかどうかわからないけど・・)スジを通しまくって今の彫刻になった次第。

何年ぶりかで彫刻の奥深い話をしたが、やはりみんなそれなりに一生懸命彫刻に向き合って彫刻を造っているということがいい感じで伝わってきた。
展覧会初日はできるだけ長い時間野外の会場で自分の彫刻と向き合って反省のネタを収集しようと思う。島根で制作を続けている自分の工場は、永遠に持ち主家主さんからのお下がりになると思う。
自分の作る彫刻の限界がそのうちさり気なく見えてくると思うが、それはそれで、闇雲に何か形のようなものをつくり続けるだけでは、やがて底が知れて収集がつかないままで終わってしまう気がする。
世間のことはあまりよくわかっているわけでもないが、それなりに久々に心が踊った気がした。

IMG_1111.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

文化は時代の先進だ! 

2015/10/13
Tue. 06:27

昔々、見渡す限り山また山、谷また谷の続く、山と谷に囲まれた小さな集落が4つあった。
産業といえば、林業か炭焼きか、狭い土地を耕して農業か、近くの大きな川へ流れる渓流の漁業か、上質の石の砕石かそのくらいのことだった。
そのうち、日本に高度経済成長期が始まって、その小さな4つの集落にそれぞれ土木会社ができた。

その4つの小さな集落は、少しずつ住民の性格が違ってお互い牽制しあうながらそれでも大きな波風が起こることもなく平和に暮らしていた。
ある時、国や県の指導が入ってその集落の合併の話が持ち上がった。
そこで、まず、3つの集落が一つになることになって選挙が始まった。
1つの小さな集落は村長さんが村の行政を支えていた。
2つの集落には2人の町長さんがいた。
選挙はその3人が立候補して選挙戦を戦ったが、住民の数が多い集落の町長さんが勝利して、村長さんはあえなく敗退した。
合併後の町の名前には、2つの町に使われていた文字が1つずつ使われることになって、村の名前は使われることがなかった。
こうして、もともとあった4つの集落の名前は大きく2つの名前に集約されて、それがしばらく続いた。

その後最近になって、次の大きな行政改革の波がその山の中の町にもやってきて、何度目かの合併総選挙が行われた。
当初の予想通り、前回合併して大きくなった方の町へ1つだけ残っていた町が吸収されてしまった。
その時残っていた小さな町の町長さんは、任期半ばで町長選を辞退することにした。
結局、何人かが立候補したが、小は大に組み込まれて静かに選挙が終わった。
老朽化した町役場の再建が本格的に動き始めて、用地の候補地を各地区が争ったが、これも、元の小さいながらも大きな街の役場の隣へ再建することになった。
最後に吸収合併になった町の一番外れ辺りからするとかなり遠くになって、役所での書類作成など、1日仕事になるほどになった。

やがて、その2度の合併を繰り返した山間の町に次の統廃合の話がささやかれるようになる。島根と鳥取の選挙区が一つになった。次は道州制の導入か。そうなると、好むと好まざるとにかかわらず、やっと一つになった町が、県境を超えて二分する可能性も出てきた。

今私は、新宿のマクドナルドの2階でラップトップを叩いている。
私の属している美術団体では、もう30年以上も前から、島根と鳥取が山陰にまとまって一つになって、その上、絵画も彫刻も仲良く一つにまとまって制作や発表や展覧会活動を続けている。やはり、文化は時代の先進であると、こういうことがあるとそう思うし、自分の目指す方向は間違っていないと確信できる。
マクドナルドのコーヒーが久々で旨い。

IMG_0583.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

彫刻展示前夜 

2015/10/11
Sun. 22:48

秋になって久々の法事で、久々に重たい冬大衣を着た。
法事が終わってお墓参りが終わってお斎の最中に、急に肩から首筋にかけて激痛が走って我慢ができなくなって頭がフラフラになってきはじめたので、頃合いを見計らって中座させてもらった。
このところ延々とデスクワークが続いていたからそのせいかもしれないが、やはり体力が落ちてきたなぁと思う。

年に一度の六本木の展覧会が始まる。
夜行バスで移動する日も朝から法事を一つ済ませて、それから急いで支度して島根を出発する。
翌朝に東京駅八重洲口着で、そこから六本木へ移動する。
彫刻の仲間と久しぶりに会話する。
島根の日常で彫刻の話をすることは殆ど無い。
ワイフも彫刻家なのに、それでも彫刻絡みの会話が殆ど無い。
話題が彫刻でなくても、たとえば1日の出来事であっても、テレビの話題であっても、同じように会話がないことばかりだから特にどういうこともないが、総じて刺激が乏しい毎日を送っているので、この年に一度の六本木行きはやはりどことなく気持ちが高揚する。
すでに先着している自分の彫刻の現状も少し心配だし、作家仲間の新作が観られることのワクワク感もある。

10月に入って初めて寺で寝る。
何かと絡みついてくるおかみさんがいるだけでどうも落ち着かない。親子としてはもう少し思いやりを持たなければいけないとわかっているのだが、どうしても気持ちが棘っぽくなってしまう。だいたいに、おかみさんは昔から私の彫刻制作に理解を示すことが無い。そもそも、坊主の修行もそっちのけで彫刻を造っているという私の行為が我慢できないようだ。
坊主の私の彫刻制作は憲正さんの無言の協力でかなり救われていた。
憲正さんは、彫刻家としての正純を誇りに思ってくれていた。
それがとても良く伝わってきて自分の制作の励みになっていた。
やはり、身内の支援や理解は何にも代え難いほどのやる気をもらえる。
今はその支えがなくなってしまったから、とにかく制作の時間を作ることが難しくなった。
今年の彫刻は、いろいろな意味で重要な転機になっていると思う。今後も、造ることをやめるということは無いと思うが、今までと同じように自分のテーマを頑固に守り続けることも難しくなるかもしれない。
職業坊主の生業として坊主を生き抜くには限界を感じてもいるし、まずは一歩身を引いて自分の彫刻を見なおす必要を感じる。

9月の寺は秋の虫で夜がやたらとうるさかった。
10月の寺は自分の耳鳴りがやたらとうるさくて気になる。
今夜はどうもすぐには眠れそうにない。

IMG_1170.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

ダルい1日 

2015/10/10
Sat. 23:51

なんとなくダルい1日だった。
それでもなにもしないで休むわけにいかないから、とにかく朝から眼前の事実に向き合った。

大都会の人々の暮らしを基準にすれば、私の暮らすところは、石見銀山にしても万善寺にしても、まぁ、かなりの田舎と言ってもいいだろう。
たとえば一番近いコンビニまでの距離。
たとえば一番近いATMまでの距離。
たとえば一番近い総合病院までの距離。
たとえば一番近い宅配便集配所の距離。
それに、たとえば一番近いゴミ収集所の距離。
自分の暮らしの拠点を中心に、身近にあると便利な施設までの距離が近づけば近づくほど個人の暮らしが便利に楽になる。その「便利の加減」が大都会とド田舎の暮らしの格差と言って良い気がする。

万年副住職のぬるま湯にどっぷりと使っていた私が、避けることのできない年功序列に乗って住職になって、さて、6〜7年になるだろうか?
とにかく、この歳でまだ10年と在職していない間に、万善寺周辺の数軒のお檀家さんが消えた。
あるお宅は、独居老人の死亡で絶縁。
あるお宅は、介護施設暮らしで空き家。
あるお宅は、高齢の親が都会暮らしの子供に引き取られ、そして、あるお宅は、都市部の住宅地へ新築転居。
近い将来を加えれば、絶縁のお宅があと2〜3軒控えている。
将来の展望が全く無いままのこういう状態で寺を維持することも至難の業・・というより、それをわかって転職できない身の辛さと向き合いながら、毎日を過不足なく気楽に生きなければいけないという現実がある。
「これも自分限り・・」と、心に秘めて家族の幸せに背を向け、自分の夢に目をつぶり、発展性のない現実と向き合って、1日を快活に過ごす。
こんな夢や希望や理想から見放された暮らしを楽しく明るく過ごすことが出来るだけでも大したものだ!
今朝目覚めてシュラフにくるまったまま、しばらくのあいだワイフの台所の音を聞き、ネコチャンズのひと騒動を聞きながら、とかくに現実的な瞑想ともいえない瞑想をしていた。

人に生まれて、毎日を何もしないで、何も考えないで、何も思わないで過ごすということがどれだけ辛くて難しいことか・・
喉が渇けば水が飲みたくなるし、腹が空けばメシが欲しくなるし、満腹になればウンコが出たくなるし・・・
生きていれば何かしら欲も芽生えて、我慢ができなくなって、毎日毎日アクセクする。
それも一度しかない自分の人生なんですからね・・・

IMG_1103.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

持ちつ持たれつ 

2015/10/09
Fri. 22:25

猫というやつはいつまでたってもどうも正体がつかめないというか本性がよめないというかそういうところがある。
猫が違えば性格も違うしやることしぐさも違う。だからそれが彼らの魅力になっていると思っているし、それが良いというか、まぁ、どちらかというとそれに馴染める自分がいるから同居が刺激的だったり癒しになったりして心地よかったりするのだろう。
あるときは、めんどくさくなるほど媚を撒き散らし、別の時は憎たらしいほど無視を決め込まれたりする。それが同じ猫のすることだったりするから、正直者で純粋に(それが私の名前の由来!)できている私などすぐに混乱してしまう。

「とみ山彫刻フィールドアートワーク」のポスターやリーフレットの印刷が上がったので、この2日間ほど島根県をアチコチ営業して回っている。
主催母体が民間だと、公的美術館にポスターを貼ってもらえなかったりする。どちらかと言えば美術文化イベントで公的美術館の企画事業とかぶっているようなところのものは自分の利益に繋がらないとみなされてしまうのかもしれないが、その美術館が断る理由としては、「一つ団体を許してしまうと収集がつかなくなってしまうから、美術館企画以外の掲示物は全てお断りすることにしている」と返ってくる。日本全国の公的美術館カルテルが密かに存在しているのかもしれない。
そんなわけで、もう何年も前から掲示物を断られている美術館を避けて、島根中央部の私設美術館を巡ってきた・・といっても、島根には私設美術館も少ないけど・・・
今井美術館は、今井産業という島根では大手のゼネコン系会社の創立者の趣味が高じて作られた美術館らしいが、詳しいことはよくわからない。
その美術館の学芸員のお姉さんがチョットした知り合いで、運良くその人と逢えたら二つ返事でポスター掲示やリーフレット配布を承諾してくれる。ついでに彫刻展絡みの営業も若干させてもらって、またそのついでに今井美術館企画の招待状やチラシなどももらった。まぁ、「あなた持ち込みのポスター貼ってあげるから、美術館企画の宣伝もしてちょうだいね♡!」ッて感じだったりする。
人の良い私などマンマとその術に乗せられて、喜々として我が企画と一緒に宣伝したりしてしまう。
午後からは会場でお世話になる富山町を訪問した。センター長さんと野外彫刻設置の候補地を決め、郵便局の局長さんとJAの職員さんへポスター掲示をお願いし、会期中の事務所や宿泊でお世話になるお寺の総代さんと日程の打ち合わせをし、婦人会の会長さんへ期間中の炊き出しをお願いして、ついでにあわせ柿をつまみながらコーヒーなどごちそうになり・・・と、一人ひとり話せばみなさんとても良い人ばかりで気持ちが和む。
今日は1日、久しぶりに沢山の人と沢山会話をした。

帰宅したらいつもはしばらくすると現れるネコチャンズがいつまでたっても見当たらない。何かの失敗で脱走したかと心配になって本気で探し始めたら、クロは思いもよらないとんでもないところで爆睡していた。シロは例の調子で私の存在の裏をかいてチョロチョロ逃げまわっていたようだ。
心配してやったことが馬鹿らしくなって、無くなっていた猫メシの補充を無視してやった。

IMG_1222_20151010002631420.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

喜心・老心・大心 

2015/10/08
Thu. 22:50

「喜心・老心・大心」という3つの心をいつもいつでも正しく意識して忘れてはいけないよ!・・・とは道元禅師さまのお言葉とされている。
だいたい、曹洞宗の坊主ならどこかで一度は聞いているし、そのことがどんなことであるか勉強もしているはずだ!・・・と、私は思っている。
ところが今になって思い出す限り、残念ながら私の乏しい修行経験の中では、その言葉をダイレクトに聞くことがなかった気がする。いや、ひょっとしたらどこかで誰か偉い方丈さんが説法されていたかもしれなが、とにかく記憶に無い。

私がまだ小学校に上がったばかりの小さい頃の、確か冬だったと思うが、今は亡き憲正さんが、珍しく寺の台所に立っておかゆを作ってくれたことをよく覚えている。
まだ、薪を使ったクドで煮炊きをしていた頃のことだ。
冷や飯に水を足したナンチャッテおかゆではなくて、お米から炊き上げた正当な(それが正当かどうかわからないけど・・)おかゆのこと。
出来上がったものは表面に糊状の膜が貼っていて、それをかき混ぜながらお茶碗についで、ひとつまみの塩とゴマをふりかける。
それだけのことだが、子供ながらに憲正さんのおかゆが抜群に美味かったことはよく覚えている。
いくら思い出してもその場面におかみさんが登場しないから、たぶん、きっと、おかみさんがひどい風邪か何かで寝込んでいたのではないか、そして、憲正さんがおかみさんのかわりに私のために食事を作ってくれたのだろうと、いつの頃からかそういうふうに思うようにしている。
憲正さんは、僧堂で修行中にそういう料理とも言えないような料理を覚えたのだろう。

前記の「喜心・老心・大心」は料理をするときの心構えとして、道元さまの「典座教訓」に出てくる。
典座とは、僧堂で修行中・・まぁ、くだけて言えば合宿とか共同生活中の料理当番のような役目のお坊さんのこと。
喜心は「喜びの心」で、食材に対しての感謝と料理を作ることの喜び。
老心は「慈悲の心」で、作る料理への愛情とおもてなしができることの喜び。
大心は「寛大な心」で、料理を通した作る人と食べる人の気持の通じ合う喜び。
これが、十分に心得られて実践されることが大事なのだというわけだ。
もっといえば、どんな役目であってもどんな仕事であっても、それら3つの心で接することが仏道修行に重要で、それを実践することが布教の根本でもあるということになる。

3つの心は、料理においてのみ重要であるわけでもない。これは、日々の暮らしにおいて自分の生業の全ての場面において目指さねければいけない目標の一つであると思っている。たとえば、私が彫刻を造り、彫刻展を開催することも正に自分の生業の目標として外せないことなのだ・・・と思っているわけであります。
私にとって、坊主は家業、彫刻家は生業・・・などといったら、同業の坊さん方から石が飛んできそうだね。コワイコワイ・・・

IMG_1063_20151008224856451.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

こちらがおるす 

2015/10/07
Wed. 22:57

このところ、自宅にいることが少なくて毎日のように出かけていた。
留守にしているということは、デスクワークが停滞しているということで、それはそれでかなりヤバイことになっている。
なにせ今回の富山のイベントも、ほとんど単気筒1馬力(例えのようなものですが・・)で仕事を回しているから、当然、一人で「あちらのことをしているときはこちらがおるす」ということになっていることになる。

ワイフが「今日は6の6よ!」とスケジュールを伝えて早々とでかけた後、吉田家で一番大きなダイニングテーブルへいっぱいに事務仕事を広げてラップトップをつつき続けた。
昼過ぎになっていつもの印刷屋さんの営業のお兄さんが、後輩営業のお姉さんと一緒に刷り上がったリーフレットを納品してくれた。
私のいい加減な原稿が原因のミスも若干あったが、まぁ、普通に見ただけでは気が付かないくらいのものだ。言っておくけど、印刷屋さんのミスじゃないからね!
吉田家のネコチャンズもさり気なく媚を売ってくれて場が和んで、ちょうどいい感じで朝からのデスクワークの休憩になった。
約束のあった用事が夕方にズレこんだので、刷り上がったリーフレットもあるし、宣伝も兼ねてポスター等の一式持参ででかけた。
グルッと一廻りして帰宅したら、ぐったり疲れたワイフがオヤジの四畳半でゴロリと休憩していた。
散らかしっぱなしのダイニングテーブルを急いで片付けた。

最近、ネコチャンズのオシッコやウンコの臭いで吉田家の空気が悪い。
家主が一日中留守にして閉めきってしまっていることが原因なのだろうが、ひょっとしたら、閉じ込められてストレスの溜まったクロが、人間への抗議の抵抗であちこちマーキングしているからかもしれない。ネコ独特のポーカーフェイスでシラッとしているわりには、私の機嫌を敏感に読み取って当たらず触らず絶妙の距離を作っている。
ワイフの手料理で一杯やって私の機嫌がゆるくなる頃には、クロが早々とオヤジの四畳半の特等席を占拠して図々しく爆睡している。

「けっこう読み応えがあったわよ!」
ワイフは既に私が帰る前にリーフレットを見ていたようで、そう言ってくれた。文字数がやたら多くてめんどくさいデザインになってしまったから、自分としては今ひとつ納得できていないところもあるが、予算の限界もあるし、適当なところで妥協することもしかたがないことだと思っていた。
厳しい身内の批評家からまずは好意的な感想をもらって、少し気が楽になった。
明日は朝から広報営業で県内をぐるっと回ってこようと思っているが、まぁ、だいたい島根県の半分くらいも回れないだろうと予測している。
こうして、また留守にすることが多くなってモタモタしているうちに週末になって、万善寺の法事が巡って、そのあとは六本木の彫刻陳列になる。
そろそろ、無理して徹夜が続きそうな予感がしている。

IMG_1216.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

不条理 

2015/10/06
Tue. 21:45

実に不条理だ!
自他ともに認める山寺の田舎坊主が、松江に居住するお檀家さん宅へ法事にでかけた。
朝の通勤ラッシュを避けて山陰道を使えば普通に1時間半あればご自宅まで到着するはずだった。
ほぼ予定通りに松江の市街地へ入って・・・なんとそこから30分!
さて、田舎の都会程度の松江で信号機をいくつ通過しただろう。
特に自分のことを気が短い人間だとも思っていないが、この市街地の渋滞とも言えないほどの車の流れには我慢できなかった。
坊主ともあろうものが、お檀家さん宅へ到着するや、真っ先に愚痴を吐いてしまった。
一杯の煎茶でやっと人心地ついてそれから密かに反省した。

年回法事の時にしか合うことがないので、この際にと色々熱心に仏事のことで質問を受けた。人間年をとると、それまで関心のなかった仏教のあれこれが気になり始めるのかもしれない。それだけ、この世の先が見え始めてあの世が近付いているという自覚が芽生えてきたからなのかもしれない。
そんなわけで、田舎の法事だと斎膳も含めて3時間位で終わるところを、お経とお話だけで軽くオーバーして石見銀山へ帰宅したのは16:00近かった。1日がかりの法事になったことも最近は珍しい。
この度は斎の膳も御膳料になったから昼飯抜きで結構腹が減った。

最近、自分の中で気になっていることは、口座引き落としとマイナンバー。
先日、引き落とし口座にしている銀行から手紙が来て、「重要」と書いてあったから、また残高不足で引き落とし不能でもあったかとドキドキしながら封を切ったら、「○○銀行△△支店閉行と統合のお知らせ」だった。それにともなって、年内に引き落とし口座が利用不能になるからあとはよろしく・・って感じで、なんとも一方的な通知だった。今時のことで、どれだけの件数が口座の自動引き落としになっているか・・・それを全て自分で変更する手間を考えると気が滅入る。
その上、よく訳のわからないマイナンバーの一方的決定通知。
世の中で、給料の源泉徴収や各種納税や場合によっては保険料に至るまで、複雑に管理されて暮らしている一般ピープルのどれだけの人が十分に理解して対処できるのだろう。すでに90歳を超える私の母である寺のおかみさん名でダイレクトメールが届いても、結局その事務的に煩雑なことは私へ回される。現在海外で働いていて日本住所不定のノッチが日本へ帰った時にはマイナンバーのない無国籍人間になっているかもしれない。自宅から遠く離れた学校で勉強しているキーポンとはどうやってマイナンバーなるもののやり取りをすれば良いのだ。それに、自営業で青色申告の吉田と、宗教法人傘下の末寺で住職の吉田は一つのマイナンバーをどのように使い分ければ良いのだ。
とにかく、日常の毎日の朝昼晩のご飯を食べるだけで精一杯のギリギリの毎日を過ごしている吉田には、このような社会システムの一方的押し売り通知に耐えるだけの余力はない。
先々のことで思い悩んでも無駄なことだとわかっていても、やはり小心者のナンチャッテオヤジは先行き不透明な見通しで憂鬱になるばかりなのであります。

IMG_1213_20151006214355470.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

秋の夜風が身にしみる 

2015/10/05
Mon. 23:55

銀山街道沿いの田んぼは、万善寺へ往復するたびに稲の刈り取りが進んでいく。
ついこの前まで黄金色に美しく輝いていた田んぼは、1日のうちにコンバインの痕跡と稲株だけが見苦しく残って味気ない。

10月に入って曹洞宗の衣替えになった。
朝からショウノウとカビの臭いが入り混じった冬モノの改良衣に着替えてお地蔵さんの供養法要へでかけた。
そのお地蔵さんは、昔々、まだ国道が開通する前までは当時の行政の境にある峠のてっぺんに安座されていた。
私が中学生になって学校まで自転車通学が始まった頃から国道の拡幅改良工事が始まって、少年の頃から見慣れていた風景がみるみる変わっていった。峠のお地蔵さんもその頃に始まった工事の影響で遷座されることになって、その時にお経のお勤めをしたのが今は亡き憲正さんだった。その関係で、その頃から万善寺がお地蔵さんの供養をするようになった。
時間ピッタリに石のお地蔵さんが安座されている場所へ到着して、すぐにお経を始めた。
集団にハグレたのか、一匹のミツバチがお地蔵さんの近くで弱々しげに飛んでいる。お供えの花瓶の花に絡みついてなかなか離れない。

他の地域は知らないが、島根県の9月から10月は、ひょっとしたら1年で一番いろいろ雑多なイベントが多くなる。それに加えて、彫刻にかぎらず秋の文化祭に向けて作家のみなさんにとっては、寝る間も惜しんで制作に励む、1年で数少ない時期でもある。
私も例外なくせっせとコツコツと制作が続く。
制作中はそれほど気にならない節々の痛みが、搬入も終わってしばらくしたこの時期になって一気に我慢の限界を超えてきて普通に動くことも厳しくなる。特に朝の起きがけはそれがひどくて、目が覚めてからひとしきりは布団の中で固まった節々をほぐすためにイモムシのようにイジイジと動きながら関節を柔らかくする。

数日前からワイフの動きが急に老けて見える。
ワイフより3歳ほど年上の私は、彼女が数年遅れで私の後を追いかけて老化していることが手に取るようにわかる。
何気なくさりけなくそれとなく見聞きして情報を繋いでみると、どうやら、彫刻制作で休みなく動かし続けていた右の肩が上に上がらないほど痛くなってきたらしい。それに、前々から調子の悪い膝の痛みが慢性化し始めたものだから、どうも日常の動きがぎこちなく大振りになってしまっているようだ。
彫刻も円熟味が増して、これから益々完成度も高まって面白くなり始めた頃だというのに、身体の方が思うように動かなくなり始めている。このままだと、次回の大作あたりから少しずつ制作の手助けが増えるかもしれない。自分のことで手一杯の現状をもう少し整理していかないと次の展開が躓く恐れもある。
とにかく、最近は無理が効かなくなってきた。秋の夜風が身にしみる。
遅れていた衣替えを進めながら、久しぶりに取り出した敷毛布に電源を入れて試運転をしていたら、何処からかネコチャンズがやってきてその上で寝始めた。

IMG_1166_20151005235340e4a.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

30年の重さ 

2015/10/04
Sun. 23:57

石見銀山では年に一度の町民体育大会が行われた。
昨年は台風の影響で中止。一昨年も雨のおかげでグラウンドの調子が悪くて中止と、2年連続で流れていたから、久々の開催になった。私は、徳島へ居たからなんとかしてその後の打ち上げには間に合わせようと、時間を計算してお昼前に野外彫刻展会場を出発した。

朝9時半から始まった野外彫刻展のオープニングセレモニーは、徳島県知事、徳島市長をはじめ、そうそうたる来賓出席があって、テープカットもあって、開会式の最後はみんなで記念撮影もあって、とてもしっかりとした文化イベントになっていた。
その後、彫刻の制作者自らのギャラリートークが続いて、島根から参加した作家として、吉田も少々自作を語らせてもらった。
地域、市民、県民を上げた阿波踊りと同等の一大文化イベントとして、徳島彫刻家集団主催の野外彫刻展が定着しているということは、島根に暮らす吉田にとってなんとも言えないほどの羨ましさを感じた。

最後の作家のギャラリートークが終わったのが11時だった。その後主催者役員の彫刻家居上さんと会長の松永さんへ断って、一路石見銀山へ向かった。
松江と尾道を結んだ自動車道が全線開通したおかげで、石見銀山と徳島の時間距離が随分縮んだ。それでも、結界くんをいたわりながらのんびり定値走行して5時間と少々はかかる。駒の足自治会の慰労会が始まる直前でぎりぎり間に合った。
慰労会の方は、30年間綱引きの部総合1位の実績を達成し、その優勝カップへなみなみと注いだ酒をみんなで回し飲みした。
一升瓶がすぐに一本空いてしまう。
老若男女町内のメンバーがたくさん集まって、久々に盛り上がった。
その上、私は徳島の彫刻展で興奮しているものだから、近所の飲み友達相手に久々の熱弁を振るってしまった。

競技には参加できなかったものの、とても気持ちのいい酔っぱらいに出来上がってワイフと一緒にフラフラと帰宅していたら、東京の展覧会の入選連絡が選考委員の友人から入った。
結果は、島根鳥取山陰出品者全員入選!
今年はいつもにも増して辛くてきつい島根搬入だったから、とにかく嬉しかった。
選考経緯を聞きながら喜びを噛み締めつつ、一方で制作の現実の厳しさも反省しつつ、吉田家前の街灯の下で立ち話をした。
駒の足自治会の綱引き同様、30年連続入選を継続中の自分の彫刻は、落選するほどのものでもない程度のある意味一定レベルの彫刻水準をキープ出来ていて、味気ないつまらないものなっている。だから同じ30年でも綱引きの勝敗の緊張感には程遠いところにある。
毎年のことに甘えて、だらしない制作をしていたような気がして、喜びもなんとなく甘酸っぱい感じになった。
来週は彫刻の展示作業があって展覧会がスタートする。六本木の美術館の会場で、自分の彫刻の現状をあらためて冷静に厳しく見なおしてみようと思う。

IMG_1084_201510050248212de.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

第53回徳島彫刻集団野外彫刻展 

2015/10/03
Sat. 23:55

明日開催の徳島野外彫刻展に先立って、夕方、少し暗くなり始めた頃に現地入りした。
主催責任者の松永さんと、会報事務局担当の居上さんに旨い夕食で歓待していただいたが、私個人はこのような待遇に慣れていなくて少々緊張してしまった。
それでもビールが一杯入ると平常心が戻って、結局終いにはいつものアホオヤジのノリに戻ってしまった。
今夜の宿舎は居上さんが手配してくれて、夜食や明日の朝食の買い出しをしてやっと先ほど少し落ち着いたところだ。
それにしても、徳島は暑い。真夜中に近い今頃でも、なんとなく汗ばんでしまう。

徳島の野外彫刻展は今年で53回目になる。巷の数ある公募展より歴史が古かったりする。
主催のお二人の話を総合すると、徳島大学の先生だった阪東文夫氏がそもそもの発足人で、作風会派年功序列の枠を超えて超党派の彫刻制作集団を作られたのだそうだ。
阪東氏は、あの佐藤忠良さんとも親交の深い同窓生だったりして、地元徳島の彫刻会をリードする彫刻家であったそうだ。
松永さんは尊敬する坂東氏の彫刻振興の理念に賛同し、発足して数年後には同好の彫刻家の一人として徳島彫刻集団に加わり、現在では坂東氏の意志を正当に引き継いで主催代表を務めるまでになられた。
吉田と松永さんとの出会いを語り始めたら、夢と理想と現実と非現実が入り乱れて収集がつかなくなってしまうので、さり気なくスルーさせてもらうが、それでも、最初の出会いからだいたい20年ほどの時を隔て今があるということだけは間違いがない。
ナンチャッテ坊主のナンチャッテ彫刻ごときを、伝統ある徳島野外彫刻の末席に設置させてもらえるだけでありがたいことであるし、自分にできることは身体で返すくらいしか思いつかないから、こうしてオープニングの前日入りをしたわけだ。
結局は、かえってお二人に迷惑を変えてしまったようで恐縮してしまう。一方で、あまりしつこく遠慮するのも空々しく寒々しくなることもあるし、そのあたりのさじ加減が難しいと思いつつ、結局お遍路の聖地お四国のおもてなし精神に甘えることにした。

明日は早朝から会場の徳島中央公園に移動して、じっくりと出品者の彫刻を鑑賞させてもらおうと思う。
それに、運が良ければ作家との情報交換も出来ればいいなと思っている。
夕食の席で松永さんから印刷の終わった展覧会のチラシを頂いた。
既に出品作家の作品写真がA4両面フルカラーで刷り上がっていた。
約30点の野外彫刻が公園にひしめいている。
島根ではとても目にすることのない贅沢な空間がチラシに収められている。
やはり、半世紀を超える歴史の重さを感じる。

搬出の時は、なんとかしてワイフを誘おうと思っていたら、タイミングが良いというか悪いというか・・檀家さんから法事の電話が入った。搬出日の次の日の10時から法事が始まる。だいたいに1年中暇に暮らしているのに、何故かこういう時に限ってことが重なる。なんとも辛いことだ。

IMG_1030.jpg

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

秋の先駆け 

2015/10/02
Fri. 21:26

台風並みの低気圧が過ぎた島根は、久々に抜けるような青空が広がった。
いつもの浮かれオヤジだったら、1日四畳半でくすぶっていないで、サッサと外出して海を見に行ったり渓谷の温泉へ出かけたりして秋の先駆けを満喫しているはずなのに、今はどうもそういう訳にはいかない状態で朝から例の四畳半へ引きこもって、昼過ぎまでキーボードをプチプチやったりトラックパットをクリクリやっったりしていた。

珍しく平日に休みになったワイフは、石見銀山の町並みへ何度も出たり入ったりして落ち着きなく平日の用事を済ませている。
明日からは先日彫刻搬入を済ませた徳島へ野外彫刻展を観に行くことにしている。
20年位前には、こうしてすこしばかりの遠出は吉田家家族全員で行動していた。
知らない間に一人ずつ石見銀山を離れて、結局今ではワイフと二人暮らしになった。
日常の暮らしに限ると子供の手が離れたわけだから、もう少し共通した夫婦の時間が出来るかと思っていたのに、世間はそれほど甘いものではなかった。
昔ながらに暇にのんびりと嫌な仕事は引き受けないままの我儘な暮らしがバージョンアップするくらいにか思っていなかったのに、現状はその逆で全く慌ただしく落ち着く暇もないままアッという間に1日が過ぎてしまっている。
それでもお互い滅多にない二人の時間が共有できる機会でもあるし、少しばかり無理をして仕事の調整をして3時間ばかり外出した。
結局は、何をするでもなく普通に近所のスーパーへ買い物に出かける程度のことだが、たかがそれだけでなんとなくウキウキしてしまう。
一方、ワイフの方は私の財布を狙ってウキウキしているのが見え見えで、まぁ、色々と買わされました・・というか買いました。
一番の収穫は半額セールになっていた超高級な和牛肉。
続いてこれも安くなっていた豚トロ。
そして最近の定番鯛のアラ。
あとは、それぞれ好きな買い物をして、結局支払いは私。
夕食を楽しみに想像しながら街道を急いだ。

明日は早朝から七日努めに出かける。
早いものでもう6-7日になる。
先日の彫刻搬入の無理がこたえて、腰の痛みが改善しない。
こういう時の長時間のお経は救いようのないほど地獄だ。
動き続けているのも辛いが、じっとし続けているのもかなり辛い。
とにかく何をしても体に応える。
徳島への1泊2日の道中もきっと腰が痛いまま2日が過ぎてしまうのだろう。
早めの夕食を終わって、そんなことを思いながらBoyce Avenueを垂れ流して聴いている。
最近、世間が少し涼しくなってネコチャンズが頻繁にベタベタ擦り寄ってき始めた。
気候の変化に敏感と云うか正直というか、とにかく自分の都合でオヤジに擦り寄ってくる。
それでも、よそよそしくされるよりは良いもんだ。腰の痛みも少し忘れていられる。
Boyce Avenueのアコースティックが耳に心地いい。

IMG_0580 (1)

[edit]

CM: 0
TB: 0

page top

2015-10