工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

いろいろあるね 

2015/11/30
Mon. 23:57

ついさっき、クロが上手に四畳半の引き戸を開けて出ていった。
一度開けたら閉めておいて欲しいが、そこまで猫に期待するのも無理なことだろう。

このところ、急に寒くなって冬らしくなってきたのでやっとストーブを使いはじめた。
11月ももう最後だし、今日は1日デスクワークをすることにして朝からストーブの薪を絶やさないようにしながら、同時に溜まった書類の中から要らないものを焚き付けにまわしたりして少しだけ身辺整理をした。
日中はそんなことをしながらストーブの近くに居続けたからかも知れないが、気が付くと額から汗が流れている。首回りも汗がにじんでシャツも湿っぽい。
先日は雪も降ったのに、今年はどうも気温の変化に体調がついていかない。
それでも最近のクロを見ていると気候の変化がなにげなく予測できるような気がしてきた。
少し寒くなると四畳半の炬燵デスクの特等席に陣取って動こうとしない。
少し暖かい時はリビングにある1人がけのソファーでまるくなっている。
朝から小春日和だったりすると土間の敷台でくつろいでいる。
それにストーブを焚いている時はだいたいその近くでゴロゴロしている。
今夜はどうも何時に無く暖かいようだ。
訳もなく・・というか、クロにはそれなりの訳があるのかも知れないが・・とにかく、今夜のクロは夜行性の猫の本性でやたらとうるさくドタバタ走り回っている。

水木しげるさんの訃報を聞いた。
カニを買いに時々出かける境港の出身だから何かにつけて近い存在だった。
少し前には原節子さんも亡くなったし、このところ自分の中で大正や昭和の時代が特別に強く意識されるようになっている。
原節子さんの時は、追悼のつもりで久々に「麦秋」を観た。
鎌倉の辺りで暮す家族の日常を淡々とスケッチ風にまとめた感じで、一冊のスケッチブックに丁寧に構図を考えて写生されたデッサンを1枚1枚めくりながら観ているような気になる。
原さんは、両親や兄夫婦の家族と暮す婚期を過ぎるギリギリの年齢の娘を演じている。
会話の端々に、太平洋戦争の痕跡が感じられる。
娘さんが婚期を逃した原因も思いを寄せていた男性の戦死にあるような様子がうかがえる。
戦争が終わって日本は社会が次第に活気づいているはずなのに、人々は心の何処かに戦争のダメージをかかえながら暮している、そういう素直に幸せを喜べない湿っぽさが漂う。

もう、今年もあと1カ月で終りになる。いろいろあってアッという間の1年だった。こういう落ち着かない暮しがいつまで続くのだろう。もっともっと思い切って身辺の整理を急がないといけないと思いつつ、すぐに毎日が過ぎる。
ノッチが仕事中に手の平を切って4針縫った。
数年前にワイフがアボガドで失敗した時と様子が近い。
私も3㎝のトゲが手の平刺さってから、その傷がいまだに治らないで苦労している。
それでも、水木さんのように戦争で腕を1本無くすよりはマシだ。

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心みだれる 

2015/11/29
Sun. 21:44

石見銀山の自治会内にある妙見堂が数年前に再建されてから、毎年この時期に祈祷法要が行われる。
午前中は浄土宗の方丈さんがおつとめされ、午後は日蓮宗の方丈さんが祈祷法要される。
ワイフは朝からお斎の仕度で出かけた。
午後からは宗門教区寺院が集まって研修会がある。
それに出かける準備もあるので、私は午前の法要だけ参列して焼香を済ませて帰宅した。
仏事行事が幾つか重なって落ち着かない1日になった。

今回は声明や回向の勉強や確認の研修で、各寺院や教区の特徴などの意見交換が活発に行われて、有意義な研修になった。
それに、久々に数分間ほど座禅をした。
研修会場になったお寺まで石見銀山の自宅から三瓶山をひと山越えて約1時間の距離を移動してすぐだったし、山道の両側には2日前に降った雪が少し残っていて、走行中も結構緊張した。それもあってか、自分の吸う息と吐く息のバランスがうまく整えられなかった。
久々に耳鳴りが耳について意識を落ち着けることが難しかった。
耳鳴りはもう何年も前から絶え間なく続いていて慣れているはずなのに、こういう時になるとやたらと気になって仕方がない。
隣で座禅する方丈さんの整った息が聞こえてきたりすると余計に心が騒ぐ。
こういう時にあらためて自分の修行の未熟さを痛感する。
たった数時間のことでもあるし、年に一度のたまの研修も、日頃のダラシナイ暮しが少しは修正できるような気もして良いことだと思う。

すっかり暗くなった山道を引き返して石見銀山の自宅へ着いたら、早速クロが土間で出迎えてくれた。
ワイフはまだ帰っていない。ストーブをつけて昨夜の残りのつまみを温め直してまずは一杯。
研修の頭を整理してみると、やはり自分の立ち居振る舞いの乱れやだらしなさはそのまま坊主の品格に表れてしまうことを改めて意識できた。日頃の暮しの中で無意識のうちに自然に醸し出される所作の一つ一つに自分の人格を試されているような気がしないでもない。

もう30年以上も前のことになるが、島根県へUターンしてすぐの頃、それまで大学の研究室で至れり尽くせりの道具工具に囲まれて制作に没頭していた自分が、そういう整った環境の全く無い処へ放り出されて途方に暮れたことを思い出す。
何かしようにも、すぐには材料も無いところに加えて自分の手元にあるのは、必要最小限の工具だけの状態でこれから先いったい何ができるのだろうかと毎日が不安しかなかった。
自分の技量とか、デッサン力とか、そんなものにしがみついているだけでは何も具体なかたちにすることはできないということが身をもって分かった。
その時そこにある金槌一本で何が始められて何ができるか・・・
声明所作の一つ一つに乱れない美しさや品位を醸し出す技も大事だろうが、その元はやはり心静かに座することにあるということに改めて気付かされた一日になった。

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虹のグルグル 

2015/11/28
Sat. 23:53

七日務めで般若心経を読みはじめたら声がうまく出てこない。
アレッ??っと思いながらひとまず回向まですませて声のキーを少し上げて次のお経を読み続けた。そういえば、朝起きた時から咽がいがらっぽくて鼻も水っぽい。
「そんなに飲み過ぎたかなぁ??」と、昨夜をふり返ってもそれといって覚えがない。
お経を終わってお話をしてお茶を御馳走になって結界君へ乗り込んで小雨の銀山街道を走りながらふと気が付いた。
「そういえば昨夜はキーポンがお父さんのシュラフに入り込んでいたんだった!」
彼女は一度寝はじめると自分で起きるまでテコでも動かない。
そろそろ寝ようと四畳半へ入ったら、すでに彼女が私のシュラフに潜り込んでいた。
「オヤジの加齢臭が充満しているだろうに・・・」と思いもしたが、自分ではそれがどんな臭いなのかわからないし、どうせ何をしても起きないだろうから、そのまま寝かしておくしかない。結界君に常備しているシュラフを取りに行って、二枚重ねて寝ることにした。
夜中に咽が渇いて目が覚めたらキーポンが飛出していたからシュラフに引っ張り込んだ。
胃液で食道が痛くて目が覚めたらキーポンがオヤジの腕枕で寝ていた。
まぁ、とにかくそんな感じでちゃんと寝たのかどうか曖昧なまま朝になった。
このところ、クロがシュラフのど真ん中で寝るようになっていたし、昨夜はキーポンまでが図々しくひとのシュラフを横取りする。
時々仕事から早く帰ったワイフがシュラフに包まって昼寝をしていることもある。
日頃はオヤジを見向きもしないで避けまくっているシロも炬燵デスクにしてからゴソゴソと頻繁に入り込んでくるようになった。
吉田家唯一の四畳半でオヤジの書斎から寝室まで全てをまかなっているというのに、昼も夜もプライベートな空間というものがない。
本やiPadnewsをトイレに持ち込んでノンビリしているとワイフの機嫌が悪くなるし、時にはクロが開けろとドアをガサガサかきむしる。
寝る前のひと時、先日亡くなった原節子さんの検索などして思い出にふけっていたらクロが自分の寝場所を探して目の前をウロウロしはじめた。
せっかくキーポンを自分の部屋へ追い上げたばかりなのにクロが夜の四畳半へ帰ってきた。

他人様はどうせ他人事で好んで波風を立てたくもないからと見て見ぬふりをしているようだが、吉田家の身内はデリケートな私の心が傷つくのを無視して、ことあるごとにズケズケ云いたいことを云ってくる。
「だいたい、あなたは自己中すぎるわよ」とか、「お父さんそういう云い方が上から目線なんだよ」とか、「結局全部1人で勝手に決めてるじゃない」とか、「あんたの無茶振りでまわりがどれだけ迷惑してるかわかってないでしょ」とか、だいたい、毎日そんなようなことを云われ続けている。
確かに、まったくその通りで、返す言葉も見当たらないけど、オヤジはオヤジなりに結構我慢して暮しているつもりなんだけどね・・・

そうそう・・・あの虹のグルグルのMacBookが今日の23:09にやっとゴミ箱を空にしてくれた。再起動したら少しだけ動きが軽くなった気もするけど・・気のせいかなぁ??

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MacBook絶不調 

2015/11/28
Sat. 13:43

山陰道を中心に、数ヶ所寄り道をしながら倉吉まで往復したら走行距離425kmだった。
石見銀山から東京までがだいたい900kmだからほぼ大津あたりまで走ったことになる。

最近MacBookの調子が悪くて、虹のグルグルが延々続くことが増えたから、思い切って昔の書類を中心にいくつかのアプリケーションを削除してみようと、石見銀山を出発する前にその操作をしておいた。
それが27日で昨日の午前9時くらいだった。

前夜は雨が降っていたから朝になってから濡れては困る彫刻を結界君のリヤデッキに積み込んで工場を出発した。
日本海沿いを東進して、神戸川の手前から南下して斐伊川土手を抜けて国道54号から少し入ったところでリヤデッキの彫刻を一つ降ろした。
それから宍道湖へ出て玉造温泉の近くで作家と待ち合わせて二人分の彫刻を積み替えた。
もうお昼を回っていて少し空腹感もあったが、コンビニコーヒーMサイズで誤魔化しながら松江を抜けてなおも東進。
倉吉から三朝へ向かうあたりに暮す齡90歳を越えてまだ現役の抽象木彫作家宅へ彼の彫刻を降ろした。
これでひとまず今年預かっていた彫刻はほぼ返却を終わって、あとは岩国で暮す女流彫刻家の作品を残すだけになった。

キーポンをピックアップしようと倉吉駅方面に向かっていたら電話が鳴った。時間調整が上手くいってロスがない。昼食抜きが誤算だったが、そのくらいは我慢するしかない。
シュラフを渡して、夏物の荷物を積み込んで出発したのが午後の3時半。このまま寄り道もしないで西進すれば夜の7時前には石見銀山へ到着するはずだ。ちょと余裕が出来たし、腹も減ったし、助手席のキーポンが何か食べたいと言い始めたので、途中の道の駅に寄った。あとはウエブラジヲを聴きながら出雲の西まで山陰道を走り続ければいい。

朝はやんでいた雨が所々で降ったりしている。
石見銀山へついた時は一応やんでいたが何時降り出してもおかしくないような様子だった。
ワイフは病院に行く日だと云っていてまだ帰っていない。荷物を降ろしてストーブの薪に火をつけている間に、キーポンは四畳半の炬燵にに入り込んでもう爆睡している。
それからしばらくしてワイフが帰って夕食の仕度を始めた。
さて、ブログでも書こうかと朝方のMacBookが気になって見てみると、ファイルの削除が遅々として進んでいない。
テキスト書類を開こうとしたらまた虹のグルグルが回りはじめて終わる気配がない。
そして、一晩過ぎて28日の昼を過ぎた・・・が、まだ削除中。
しびれを切らして内容など全くない備忘録ブログを書きはじめて、ここまでで1時間半もかかっている。
漢字の変換をするたびに虹のグルグルが回っている。
辛抱強い自分を褒めてあげたい。

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冬がきた 

2015/11/26
Thu. 23:32

あたりまえのことだが、すぐ日が暮れる。
日本海特有の冬型の気候が本格的になってきて、分厚い雲が低く広がって、風も強い。
工場は石見銀山の谷から二つほど北にあって、日本海に近い。
真冬でも雪はたくさん積もることはないが北風がひどい。
工場の引き戸を開けておくともろにその北風が吹込んできて、CO2のガスが吹き飛ばされてしまう。
薪ストーブの製作が佳境に入っていて大事な溶接が続いているところなのに、今日はガス調整の具合が上手くいかなくて苦労した。
狭い室内の仕事はすぐに粉塵が充満して空気が悪くなるから、1年中扇風機を回し続けている。それに加えて引き戸も開けたままにしているから、こうして北からの風が強い時は溶接が難しい。溶接箇所がすぐに酸化して泡を吹く。強度も弱まるがそれより厄介なのはピンホールが出来てしまうことだ。
仕事が遅々として進まないまま気がつくといつのまにかあたりが真っ暗になっていた。
それでもまだ夕方の5時半過ぎ。
夏場だったらあと2時間は工場で粘れるくらいなのだが、さすがにこの時期は近所の住民の暮しに迷惑をかけてしまうので、適当なところで仕事を打ち切った。

暗い玄関をあけると、土間の暗闇にさし込む街灯の光でクロの目が光った。
オヤジを出迎えてくれたのか、それとも脱走をたくらんでいたのか・・・私と目が合った。
ワイフが四畳半で寝ていた。
特に体調不良があるわけでもないが、毎日の疲れが慢性に溜まって抜けることがないようで、少しでも空き時間が出来るとすぐに横になって仮眠する。
デスクワークの炬燵はスイッチがONになっていて、シロが潜り込んでいるようだ。
クロは自分の定位置をワイフに横取りされてウロウロしている。
まずは作業着を脱いで風呂。頭にバリカンをあて、ゾーリンゲンで髭を剃った。
まだ仮眠中のワイフを起こすのもしのびないので、朝につくっていたパンプキンスープを温めはじめてメールチェックをした。

夕食が終わって四畳半に引きあげたら、シュラフがワイフ型に膨らんだままになっていた。
シュラフメーキングをしてテーブルの書類などを片づけて、寝る前の歯磨きをしていると外が急に騒がしくなった。工場を出る時に降っていた小雨が本格的になったようだ。
SNS情報では、工場周辺は広範囲に停電しているとか・・ついに冬がきた。

明日は彫刻返却で結界君を東へ走らせる。都合3箇所を回って受け渡しをする予定だ。
帰りはキーポンをピックアップして、途中で境港へ寄り道してカニを買おうと計画している。
彼女の誕生日が近い。今年のプレゼントはカニですまそうと思っているが、さて上手くいくかな?
いつのまにかクロが四畳半のど真ん中を占領している。
また寝苦しい一晩になりそうだ。

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食卓の好物 

2015/11/25
Wed. 23:44

元はといえば吉田クロ君は手のひらに乗るくらいの小さい時に吉田家長男に拾われた捨て猫である。
吉田家に来た時は、まだ乳離れもしていなくて手のひらでブルブル震えながら弱々しく鳴いていた。

まだ私が東京の明大前で暮していた時に、美形メス猫のタマと同居していて、そのタマが何処かの野良猫に処女を捧げて、それからその年の冬に電気炬燵の中で私も手伝って初産の子猫を3匹産んだ。
タマと夫婦のように協力しながら猫のお産から子育てまで経験していた私のおかげで、クロは一命をとりとめてスクスク育った。
だからクロは幼少時代の経験から自分のことを半分くらいは人間だと思っているようなところがある。
クロの猫らしいところは、空き箱や買い物袋が好きだということと、ツメトギをするところくらい。かろうじてシロちゃんを自分の同類と認めているくらいで、周辺の野良猫と仲良くなることがない。

結局は私が甘やかして育ててしまったせいかも知れないが、クロは人間を恐がることがない。むしろ訪問者が来たりすると上手にすり寄ってスキを見て脱走をする。それに寝る時はだいたい部屋の真ん中とかオヤジのシュラフのど真ん中とか、リビングの出入り口とか、とにかく吉田家の一等地を独占していることが多い。腹が減ると飯をくれとうるさく鳴いて催促するし、水は上手に左手ですくって飲む。部屋の引き戸は簡単に開けてしまうし、油断していると開き戸のノブまで器用に操作している。
私が頻繁に留守をしている間に、四畳半のど真ん中の一等地が完全にクロに乗っ取られた。
キーポンがいてくれたらそういうことも今ほどひどくなることもなかっただろうと、最近では彼女の功績を評価しはじめつつある。
そんなわけで、今も私の隣・・・というより、私が爆睡しているクロの隣で窮屈な思いをしながらこうしてプチプチとキーボードをたたいている。

やっと例年のように寒くなって冬らしくなった。
ワイフの仕事先は石見銀山の自宅から20〜30分圏内の山間部にあるから、冬はスタッドレスが必需品になる。
このところの暖かい天候のおかげですっかり気持ちが緩んでタイヤ交換もしないままノンビリ過ごしていたワイフを説得して、新品のスタッドレスを買いに出かけた。
やはり日本製の普通車のタイヤは高いからカードを使って2回払いにしてもらった。
私の結界君は、溝山の限界になったタイヤを、今シーズンも使いたおすか、もしくは更新するか微妙なところでまだ迷っている。

夕食は、半日ほどつき合ってあげた私へのお礼なのか、食卓に好物が並んだ。
久しぶりの湯豆腐と鳥皮。それに初物の広島産牡蠣。
少し甘めの日本酒が旨く飲めたし、クロのわがままも今夜は許してやろう・・

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冬仕様 

2015/11/24
Tue. 21:48

11月も残すところ後わずかになった。
島根はだいたいにぐずついた天気が続いている。
万善寺も石見銀山もしょっちゅう小雨がパラついている。
そのわりに寒くて我慢できない・・ということがない。
たぶん、吉田家が今の場所に移って自宅を構えて以来はじめてのことになるだろうが、まだ薪ストーブを使うこともなく毎日を過ごしている。
朝夕の短時間ほどのことでストーブを焚かないといけないほどに冷え込むことが無いので、この時期までエアコンの暖房程度で十分普通に暮している。
私の身体が気温の変化に鈍くなったのかも知れないが、ワイフも普通に問題なく一緒に暮しているから、やはり、どちらかといえば暖かい毎日が続いているのだろう。
四畳半も早々と冬仕様に模様替えをしてパソコンデスクを炬燵デスクにしておいたのだが、いまだにスイッチを入れないまま使い続けている。
気温の変化に敏感な我が家のネコチャンズを見ても、炬燵でまるくなるというよりオヤジのシュラフを占領してまるくなっている程度のことだ。
つまり、それだけ今年の石見銀山は暖かい。
それでも、いずれは朝夕の冷え込みも増して雪も降るだろうから、冬支度はキチンと済ましておかなければいけない。
一日ほどゆっくり休ませてもらったから、今日は朝から吉田家の土間に薪を運び込んだ。
これから2~3日は薪造りと薪運びをくり返すことになるだろう。

昼食をすませて工場へ出かけた。
ほんとうに久しぶりのことだ。
ほぼ6畳くらいのスペースで制作しているから、溶接機や工具の配置に六本木の展覧会用に造った彫刻の名残があって、これから先の小品制作には使いにくい配置のままだったから、まずは工場の方も冬仕様で模様替えをすることにした。
今年は六本木から帰ってすぐに富山町のイベントへかかりっきりで工場の仕事が一カ月ほど年末へずれ込んでしまった。
冬シーズンの工場では、小品の彫刻を中心に小物のクラフトを造る。
個展が一つほど出来るくらいの量を造り貯めておくと、何かで彫刻や小物が必要になった時に重宝する。
11月の残りの数日で薪ストーブを一つ完成させようと思う。
時間を調整してコツコツとパーツを造り続けていたものが、今年の春先にだいたい揃った。
それで本体の全体構造が組み立てられるようになったから、あとはダクトのつまみやドアの取っ手などのパーツを造り足して全体のデザインを固めていく。
これからが悩みどころでもあるが、それがまた楽しみにもなって、仕事が面白くなっていく。
夕方暗くなるまでパーツの最終調整を続けているうちに、春先に決めていたデザインがつまらなく思えてきて、それに機能のことも含めて再考の必要を感じた。
このストーブは、吉田家のリビングへ設置するものだ。
だいたい10年は使い続けようと思っているから、飽きないものにしておかないとね!

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チキンオヤジの一日 

2015/11/23
Mon. 22:40

自他共に認めるところのチキンオヤジは、共食いとそしられながらチキンが大好きで、スーパーのお肉コーナーを物色しても、だいたい鶏肉のところで足が止まってしまう。
先日、彫刻の搬出と返却の帰りに寄ったスーパーでも鶏肉を物色してしまった。
しばらくぶりにセセリを見つけたので迷わずゲット。それから1パックだけ残っていた鳥皮があったのでそれもゲット。ついでに宮崎地鶏の炭火焼き真空パックが今日の広告商品というヤツで並べてあったからそれも一袋調達した。
その夜は、セセリの塩焼きに、大好きな鳥皮ポン酢和えが食卓に並んだ。
鳥皮ポン酢は、私が「鳥銀」という炭火の焼鳥屋でアルバイトをしていた時に焼き鳥職人のオジサンから教わったおつまみ料理を新婚ホヤホヤのワイフに直伝したもので、それから30数年をかけて彼女なりの工夫を加えてバージョンアップしたものだ。
これが久しぶりのこともあって、抜群に旨かった。
「鳥にはやはり日本酒だろう!」と、勝手に1人で納得してチビチビやっていたら、思わず小瓶が1本空いてしまった。
まぁ、そんなことがあって久々に鳥尽くしの一晩になったわけだが、それから何日か経って昨夜の打ち上げ芋煮パーティーになった。
自分にとっては4年越しで実現した新企画の打ち上げでもあったから、この席でも散々飲んで気が付くと午前0時を過ぎていた。
ワイフはサッサとネコチャンズを連れて寝てしまっているし、フッと現実の正気がよみがえって、あがりのお茶をガブガブ飲んで歯を磨いたりオシッコをしたりしてから寝た。
・・・そこまでは記憶にあるのだが・・・・・

「正ちゃんご飯!たべるよぉ〜!」
ワイフの声で目覚めたらなんとお昼の2時近かった。実に良く寝たもんだ。
当初の予定が一日前倒しになったおかげで、今日という一日は全く何もない空白の一日になった。
少し遅めのお昼ご飯を食べた後は、とにかく何もしないまま四畳半でゴロゴロした。
クロがうるさく鳴きながら散々家のアチコチをうろついた後に、ゴロゴロしている私の腹の上に落ち着いてゴロゴロ云いながら寝はじめた。
最近冬太りがひどくなって肥満気味になってしまったからやたらと重たい。
しばらくはそんなふうに重たくなったクロを意識していたがそのうちウトウトしはじめた頃、
「正ちゃん買い物に出かけるけど何か欲しい物あるぅ〜?」
ワイフの声が土間から聞こえてきたから、すかさず「ケンタッキーフライドチキン!」といったら、「えぇ〜〜・・・かんがえとくぅ〜〜」
乗り気の無い返事を残して出かけていった。
チキンも好きだけどジャンクフードも大好きだから一日くらい贅沢にわがままいってもいいだろうと思ったが、ワイフはそこまで私に優しくもない。
全く期待もしていなかったのに、先ほどの夕食はフライドチキンにフライドポテトまでついたジャンクフードでありました。
実に素晴らしい空白の1日になって、かなりリフレッシュできたなぁ〜・・・

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とみ山彫刻フィールド・アート・ワーク最終搬出 

2015/11/23
Mon. 18:43

旧富山小学校の児童昇降口前でワイフ差し入れの昼食豚汁パーティーをした。
これで、ひとまずとみやま彫刻フィールドアートワークの現場が片づいた。

当初の計画では23日にトラックを借りて最終の搬出と会場復元の作業をしようと思っていたのだが、レンタルの都合で22日になった。
それが功を奏して、思いの外たくさんの助っ人が集まってくれて、主催オヤジとしては目茶苦茶助かった。
もういいかげん年寄りのジジイになっているから、昔のように無理が出来ないことは分かっている。
それでも、数日かけて少しずつ搬出日の準備をしておいたので、1人で作業しても1日あれば十分片づくだろうと予測していた。
それが1日前倒しになったことで、その1日分の作業がまるまる残ったままになってしまったから、ハッキリ言って少々不安だった。
搬出スケジュールをメール送信しておいたら、何と、「22日はお手伝いできますよ!」とか「何時に何処へ行ったらいいですか?」とか、「その日だったら大丈夫です!!」とか、とにかく、アッという間にたくさんの助っ人が集まってくれることになった。
それに、雨男の吉田オヤジは雨降りを覚悟していたのに、助っ人の誰かが晴れ男や晴れ女だったようで、その日は朝から見事な秋空が広がって、汗ばむくらいの陽気になった。
長い人生、「たまにはこういうこともあるんだなぁ〜」と、2tを運転しながら感傷にふけっていたら、石見銀山から大田の市内に入る信号が黄色から赤に変って捕まった。
その後、次々に赤信号で捕まって、都合11箇所の信号待ちを強いられた。
島根の田舎の大田市ごときで街を抜けて富山町へ到着するまでに、こんなにたくさん信号待ちをしなければならないという不条理を噛みしめつつ、旧富山小学校前に到着したら、ジャスト9時。
遅刻だけはかろうじて回避できた。

助っ人のおかげで作業は順調に進み、なんとお昼の豚汁ライスまでには70%ほど終了できた。結局、午後3時にはほぼ搬出作業が終わって、2tを返したりしてまだ陽のあるうちに全てが終了した。
助っ人頭の周藤さんと打ち上げの一杯をやることにしていたから、まずは近所の湯迫温泉で汗を流した。もう、からだがとろけてしまいそうに気持ちよかった。

ワイフの手料理はいつものように最高だった。
里芋と牛肉たっぷりの芋煮。
恒例鯛の荒煮。
糸瓜の酢物。
茹でた落花生などなど・・・・
〆は、芋煮ベースのカレーうどん・・・これが超絶品!
9月から準備に入って、10月には本格的に動き始めて、そしてこの度の打ち上げ。
まだ報告は残ってるけど、まずはメデタシメデタシ・・・ってとこだね。

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不携帯・・ 

2015/11/21
Sat. 23:16

昔石見銀山で勤務していた同級生の駐在さんは柔道教室の先生もしていて、吉田家の子供たちはその縁で幼稚園から小学校まで柔道を習っていた。
島根県のいろいろなところで試合に出場してメダルや盾もいっぱいもらって、いまだにそれらは埃をかぶったまま四畳半やリビングのアチコチに置いてある。
その元柔道教室の先生の駐在さんを囲んで、当時の保護者主要メンバーが久々に飲んだ。

次の日は朝から七日務めの日になっていたから、アルコールは消えていたものの寝不足がひどいまま、大急ぎで改良衣に着替えて雪駄を履いて坊主スタイルで結界君に乗り込んだ。
運転中も意識がシャンとしないから、Macミュージックからちょっとハードなヤツをチョイスして久々にガンガン鳴らしながら赤来高原まで走った。
雨はやんだものの雲が低く広がっていて、銀山街道から出雲街道へ合流するまでは水墨画を思わせる風景が続いた。
それでも、最近では比較的いい天気の部類になるから、寺の営繕でもしておこうと決めて七日務めのお宅から昼前に万善寺へ入った。
おかみさんはあいかわらずジッとしないでゴソゴソ歩き回るというか、這い回っている。
いつもの作業着に着替えて鉄板入りの長グを履いて本堂の東側へ結界君を回して床の下にしまい込んである古材を刻んで積み込んだ。
180kgくらいの古材や丸太などを荷台にビッシリと積み込んでいる間に、おかみさんが何度もヨチヨチ偵察にきて、ブツブツ文句を言い続けていた。
その古材は、彼女がまだ元気で若い頃にセッセとしまい込んでおいたものだから、それを容赦なく刻んで薪に替えてしまった私をののしっているのだ。
そういう気持ちも分からないわけではないが、そのまま床の下にしまい込んでおいても使い道があるわけもないし、風通しが悪くなるだけのことだ。
ひと汗かいたら頭がスッキリした。

いつものカーディーラーへ頼んでおいた2tのレンタカーが来たと連絡があったので、急いで万善寺を出発した。
刻んだ廃材をたっぷり積み込んだままの結界君から2tに乗り換えて富山町へ移動した。
前日に梱包しておいた10点の大作絵画を積み込んで返却に走った。
すっかり暗くなってから銀山川横の駐車場へ2tを停めて荷物をまとめて帰宅したら風呂が出来ていた。
ワイフの愛情を感じながら作業着を脱いだり荷物を片づけたりしていたら財布が見つからない。
夜道で銀山川にでも落としたのかも知れないし、必死で探したら、何と、昨夜の飲み会で履いていたリーバイスのお尻から出てきた。
今日は1日中何度も警察車両とすれ違ったりしながら免許証不携帯でウロウロしていた。
それも、すでに終わったことということで、メデタシメデタシ。
夕食のシャケのカルパッチョと鯛のアラ煮が絶品だった。
ちなみに、キーポンのまかない料理は「牛スジの赤ワイン煮込み」
牛肉というとお父さんが十代の頃は、吉野家の牛丼だったのに・・

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小雨のとみやま 

2015/11/20
Fri. 23:52

正直なところ、やはり自分の体力がかなり落ちているなぁと感じた。
特に無理をしているとも思わないのだが、一日のスケジュールをこなすのが辛くなってきた。
確か45歳くらいの時に、突然原因不明の絶不調に陥って、その時はなにがどうしたのか訳の解らないまま悶々として悩んだ末に思い切って総合病院で検査をしてもらうことまでしたのだが、結局特にたいした異常もないまま原因不明ということで決着した。
今思いかえすと、あれはきっと加齢によるちょっとした肉体の衰えだったような気がする。
そういうことが一度でもあると、それ以降の節目節目にガクッと身体のシステムが崩れるような兆候を意識できるようになってきて、「あぁ〜、そろそろまた老化のひと山が迫ってきはじめたなぁ」と予測しながら1〜2年を暮しているうちに、いつのまにかその時の絶不調が普通になっていて、自分の身体をダマシダマシ酷使しながらそれなりの日常生活を送っていたりするようになる。

富山小学校で搬出の作業を続けて3日目になる。
10月末の搬入の時は、六本木の展覧会が終わった延長で、そのまま休むこともなくいっきに富山町へ彫刻を移動したりしてかなり無理をしたから、その後の体力回復が思うように進まなくて苦労した。
搬出はそういうことのないように、とにかく無理なくことを進めようとそればかり意識しながらここまできた。
10年も前のことだったら半日で終わるほどの仕事量をゆっくりと一日かけて着実にこなした後、お世話になった各所に彫刻家吉田満寿美の近作小品と彫刻家吉田正純の近作ナンチャッテ彫刻を配って歩いた。
なんとなく、「押し売りに近いことやってるな・・」と思わないでもなかったが、それでも一応は喜んでもらえたような気もする。
期間中、チョクチョク入り浸っていたJAショップのオネエサンとも今では気軽にオヤジの冗談や駄洒落交じりでしゃべれるまでになったし、ゆうパックでお世話になった郵便局も局員のオネエサンやオジサンとも顔見知りになったし、曹洞宗の空き寺を管理している檀家総代さんにもお近づきになれたし・・・たった2週間ほどがそれなりに濃密な2週間になった気がする。

夕方になって小雨がパラつきはじめる中、残っていた石彫の福光石を回収して結界君に積み込んだ。
総重量200kgくらいにはなっただろう、そのおかげで久々に結界君の乗り心地が良くなった。やはり貨物車は荷物を積んでナンボのもんだ。
ポスター看板の請求書が届いていたから、途中で寄り道をして支払いを済ませた。
コーヒーを飲みながら長々と世間話に花が咲いて、気が付くと結局最後は自分の老化と親の介護の話題になっていた。だいたいが、「そぉ〜そぉ〜!」とか「あるある!」とかそんなノリで盛り上がって収拾がつかなくなった。
お互いに、確実に一年ごとに歳をとっている。
10年前はこんな話題などカケラもなかったのにね・・・

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オルタナティブ 

2015/11/19
Thu. 22:51

インターネットラジオからなにげなく流れてくる楽曲が、「あぁ〜、いいなぁ〜・・」と思っていると、忘れた頃にまたその曲が流れてくるというか、そのうち次第にその曲を聴く回数が増えるというか、そうなってくると、世界の比較的多くの人達の支持が増えているのだろうなぁとわかるようになってきて、だいたいそのくらいの時期が自分的にはいちばんシックリきて、まだ聴き飽きるというところまでいかない程度に耳について微妙な親近感がわいてきたりする。
音楽の世界では、そういう時期の流行ともいえない程度の曖昧な領域に位置する楽曲をオルタナティブミュージックと言うらしい。
いつの頃からか特に気にするでも無く、なんとなく「いいなぁ〜」と聴いている音楽は、どうも、そのオルタナティブミュージックが増えているように思う。
どちらかというと、自分の彫刻もオルタナティブ的だからかなぁ・・

もう、半月も親娘のダイレクトなSNS会話がないまま過ぎていたノッチが、久々にお父さん名指しでおすすめアーティストを教えてくれた。
brandon bealは聴いてみるとヒップホップ系のような気がした。
いいなぁ〜と思うし、歌も上手いと思うが、どうもお父さん的にはいまひとつ乗り切れないところがある。
charlie puthは、お父さんのストライクゾーンにピタリとハマった。
1950年代から60年代の感じが盛り込まれていてオヤジ心をくすぐる。それにcover曲の選曲が良いし、歌も声も良い。meghan trainorもそうだけど、最近はあの手の音楽が受けているのかも知れない。
jazmine sullivanは、なかなか癖っぽいソウル系に感じた。
ハスキーな何ともいえない声質が耳についてしばらく離れない。チョット違うがCorinne Bailey Raeあたりと通じるような気もしてお父さんは好きなタイプだ。

どうも、なんというか、やっぱりノッチの音楽センスはお父さんと気が合うようだ。
女性ミュージシャンは聴かないようなことを言っていたノッチも、少し大人になったというか歳をとってきたのか、音楽のフリ幅が広くなってきたのかも知れない。
そんなノッチに叱られてしまいそうだが、最近のお父さんは、やっぱり可愛いAriana Grandeちゃんに目が釘付けだ。
YouTubeの彼女から目が離せない・・・というわけで、今はあのAndrea Bocelliさんとのデュエットが気に入っている。それと、マイリーと一緒に歌っているDon't Dream It's Overはかわいくていいなぁ〜〜〜♡

今日も朝から富山町で搬出準備をしていた。
あれだけ降り続いていた雨もあがって、乾いた車道を走るのも久しぶりだった。
大田から江津から浜田へ、島根の西部を中心に彫刻の返却をした。
土曜日は10枚ほどの100号から200号の絵画を返却する。
日曜日は彫刻展示台などの残った什器や荷物を旧富山小学校から全て撤去する。
今年の吉田の彫刻アートワークもこれで実働が終わる。

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石川隆さんの石彫 

2015/11/18
Wed. 22:39

今、彫刻家石川隆氏の石彫が島根県大田市富山町山中のバス停脇にある小さな不定形の平地に設置されてある。

私が彼を知って意識しはじめたのはもうずいぶん前のことで、まだ上野にある東京都美術館の野外展示室に彫刻を設置していた頃のことになる。
あまりに古いことだから記憶も定かではないが、確か、私が美術館の野外展示室へ公募展の彫刻を置くようになった時、石川さんはすでにそこへ彫刻を置いていたと思うから、もうかれこれ30年近く延々と野外展示をしていることになる。そういう年季の入った野外彫刻家はそう多くはいないはずだ。

その30年前の彼の彫刻は、私の目では幾何構成を元にした純粋な抽象彫刻のように見えていて、長い間そういうテーマの彫刻を研究しているのだろうと思っていた。
展示が終わったあとの少しの時間に彼と会話をすることがあって、いろいろ制作や形態の話が出てきて、それらを総合すると、意外にも形態の発想の元がかなり具体的なモノであるということがわかった。
要約すると、彼は俗にいう具象抽象の領域で制作をしていたということになる。

もう皆さんもご存知のように、私が彫刻を造りはじめたのは30歳近くなってからのことだった。
普通一般には、学生の時から彫刻家のキャリアを積み重ねてきていることが多いから、私はそういうその筋の常識で言うと、だいたい10年近く遅れて彫刻をスタートさせたことになる。
そういうこともあって、いまだに自分の周辺では自分より若い彫刻家の方が多い。
石川さんもその1人ということになるわけだが、彼は私のようなノリの軽いヘラヘラしたオヤジと違って、無口で思慮深く物静かでとても落ち着きのある人である。

彫刻を出品している公募展が、上野から六本木に移った頃から、石川さんの彫刻の作風が変った。
今回、富山の野外に設置した石彫「信号」もその一連のテーマというかシリーズというか、そういう位置づけで制作されたものだと解釈している。
彼の最近の関心は海の生物にあるようだ。
それも、軟体動物のタコがよくモチーフにされている。
こうして文字に置換えると「だからどうした?」という程度の関心事で済まされるかも知れないが、そこを一歩彫刻的に踏み込んで考えてみると、かなりの造形的表現力がないと軟体動物を彫刻的表現上で緊張感のある立体造形に昇華させることはできないということがわかる。海の中で活き活きと動き回る躍動感あふれる軟体動物のタコを、石を刻んで表現しようなどと思うことそのものが、彼の彫刻造形への挑戦のように感じる。

これから向こう1年、富山町の四季に石川隆氏の石のタコがどう感応していくのか楽しみなことである。

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美のボキャブラリー 

2015/11/17
Tue. 22:45

石見銀山から富山町へかけて梅雨の終りのような土砂降りが1日続いた。
締め切った旧富山小学校の2階で彫刻の梱包作業をしていると、生暖かい空気が充満して汗ばんでくる。
まったくおかしな天気が続いている。

ちょうど1週間前も似たような天気だった。
その時は、今日のような生暖かい風雨の中で仮通夜から荼毘までが過ぎた。
その一昼夜で今年の秋の紅葉がいっきに散った。
万善寺の裏庭は紅葉の絨毯を敷きつめたように変った。
このまま次の春まで捨て置いたら、やがて雪が降り根雪になって雪解けが来るまで下草の雑草が伸びることもなく過ぎていくだろう。
見た目の刹那に視覚的な情報を既成の概念と照らし合わせてその時々の常識に落とし込んで判断すると、前の日まで散々美しいと愛でていた紅葉が一晩の風雨で地に落ちた途端汚い枯葉に変って、それは美的な趣から薄汚いゴミに変ってしまう。
人間の感性なんて所詮そんなもんだ。
石彫作家の横山さんの彫刻を梱包しながら、そんなことを考えていた。
伊達冠石の酸化した表皮をわざと残した石肌が、磨き上げて鈍く光る手加工の痕と対比して奥深い味わいを見せている。
こういう何とも密度の高い彫刻を見ていると、平面造形のこねくりまわした技巧があざとらしく見えてしょうがない。
やはり、実材の本物の強さというのはそのあたりにあるのだろう。

ものごころついた頃からバカの一つ憶えで絵ばかり描いていたから、20歳を過ぎた頃には、もうほとんど絵を描くことに飽きていた。
その頃に出合ったのが金属の実材だった。
きっかけはアホらしいほど単純不純な動機で、まぁ、あの頃惚れてつき合い始めていた彼女と国立博物館で見た日本の伝統工芸の金属製品に起因する。
銅合金の地金で作った赤光する柿と、燻し銀のヘタ。
なめし皮のようにシットリとした梨子地鉄製のこぼし。
名工の打ち延べた吸い込まれるような波紋の名刀。
小柄の柄に施された銀の象眼。
・・・などなど、それら金属になんとも吸い込まれるような色気を感じた。
それからあらゆる金属に手を出していろいろ勉強して工夫してみたが、やはり一番身近で面白くて自分の感覚にしっくりきたのが鉄だった・・・というわけで、今に至っている。

自分の鉄の彫刻は、だいたいが錆は汚いものだという先入観でみられる。
「美」という認識は、それのボキャブラリーの多さに尽きる。
20歳そこそこで「錆の美」に魅せられた私は、それから延々ひたすら今まで「鉄錆の美」に魅せられながら彫刻を造っている。
見上げる紅葉だけが美しいわけでもない。地べたの紅葉だって十分美しい。

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kamikaze 

2015/11/16
Mon. 21:16

寺の前の保賀川の向こうでお住まいだったお檀家さんの孤独死の知らせが入ってそのお手伝いをしたり通夜をしたりしている、ちょうどその時にパリのテロが起こった。
ウエブニュースでチェックが入ってはいたが、目先の忙しさでそのあと昨日の富山町の展覧会が一段落するまで具体的に何がどうなったか知ることもないままになっていた。

ワイフは石見銀山の文化祭のお手伝いで2〜3日を忙しく働き、久しぶりに落ち着いて夕食をゆっくりできるかなと思っていたら、それほどでもなかった。
結局、2つ続いた葬儀で予定のスケジュールが完全に狂ったまま空白の一週間になった。
疲労の方が勝ってしまって盛り上がらないうちに夕食が終わってしまったし、その流れで久しぶりのウエブニュースで一週間のおさらいをして、それでパリのテロ事情も具体的に内容がつかめた感じだ。
劇場での乱射も悲惨だが、数ヶ所で同時に自爆テロもあったという。
欧米のニュースでは、自爆テロを「kamikaze」と表現しているらしい。
そういう日本語が、こういう時に使われていることをはじめて知った。
戦争というものは、一方で多くの革新的な発明を実現化している。
有る意味で平和と対した両刃の剣のようなものにも思える。
第二次世界大戦では日本の戦闘機ゼロ戦の脅威が連合軍に知れ渡った。
日本に落とされた原爆は、不安定な要素を残したままいつのまにか平和利用の名目にすり替えられている。
そして近年は、テロの手段で「kamikaze」もどきが実行される。
純国産の名機ゼロ戦とカミカゼを生み出した日本は、いまだに戦争という呪縛から逃れられないでいるという現実を見た気がする。

世界はテロの脅威にさらされて平和が急速に崩れている。
ウィキペディアで「テロ」を紐解こうとしたら、最初に「この記事には独自研究が含まれているおそれがあります」とあった。デリケートな問題だということが伝わる。
私見だが、最近のほとんどのテロ行為は国際的刑事事件の犯罪だと思っている。
カミカゼを正当化する訳では無いが、あのカミカゼはあくまでも戦争上の戦略作戦の紛れもない一行為として説明できる。
自分の命と自国の武器を犠牲にして敵国の軍隊と差し違えるという唯一無二の最終作戦といっていいだろう。
この度のパリの事件を、政治的テロ行為と位置づけるのはあまりにも陳腐だ。
武器を持たない、抵抗する手段を持たない一般人を相手にした大量虐殺行為をテロと見なすことそのものに不具合を感じてしょうがない。
「七人の侍」の野武士達は戦に負けて仕官の道を閉ざされた浪人の集団が、結局は自分たちの食いぶちを得るために強盗集団になってしまったわけで、そういう連中の無差別な殺戮強奪行為に政治的思想的背景で証明されて肯定されることはカケラもない。
あの無抵抗の農民が結局は武器を持って野武士達と戦う。
今の世界を見ていると、現代人も最終的に大きな脅威に向かっていずれ武器を持つことになるのかも知れない。

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1973 

2015/11/15
Sun. 23:39

久しぶりのジェイムス・ブラントが耳に心地良い・・・

富山町の文化祭が今日で、それまで引っ張っていた旧富山小学校での展覧会も最終日になった。日曜日だから仕方の無いことなのかも知れないが、結局万善寺の法事などの用事が入って会場へ行くことが出来なかった。
個展作家に連絡をとって、何とか教室展覧会の全体を把握してもらうようにしてはおいたが、それも彼等にとっては迷惑なことだったろう。まぁ、吉田のやることは所詮こんなもんですよ。飛ぶ鳥があとを濁しっ放し・・・って感じですね。

それでも出来ることはあるだろうと、この2日間早朝に富山町へ走った。
教室のカギを開け、照明をつけ、作品やキャプションの状態を点検する。
増刷しておいた目録を整頓して、それから万善寺へ向かう。
富山での滞在時間はせいぜい20分程度。
このところ連日パッとしないぐずついた日が続いていて今朝も空がドンヨリと曇っている。
だからというわけでもないだろうが、とにかく気持ち悪く生暖かで朝から汗ばむ。
結界君の車内も梅雨のような湿気が充満していて窓がすぐ曇って視界が悪くなる。
朝からこんな天気だと気持ちも沈んでくるから、それでiTunesを探って、久々のジェイムス・ブラントになったわけだ。
延々と続く三瓶山の上り坂にエンジンフル回転のけなげな結界君が可哀想になっていたが、〜1973〜が爽やかに流れたりすると、前夜の風雨で外周道路いっぱいに張り付いた枯葉までがキレイに見えてきたりする。

1973・・・というと、あの頃は上京して祖師ケ谷大蔵のアパートの四畳半で暮しはじめた頃。
当然のことだが、あの頃は若かったなぁ〜・・
毎日受験勉強で絵ばっかり描いていた。
そして、新宿東映で「仁義なき戦い」を観た。広島に限りなく近い島根県の山奥で生まれ育ったから、あの菅原文太さんの広島弁が耳について離れなくなってしまった。
まだ、友達も少なくて1日中ほとんどしゃべることもないまま暮していた頃だったから、ポロリと出てくる方言が直らないまま苦労していた頃でもあった。
「明日に向かって撃て」のあとにポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのコンビ再結成でジョージ・ロイ・ヒルの「スティング」が上映されたのも確かあの頃だった。
「明日に向かって撃て」は、松江の高校へ通っていた頃に、今は無き松江中央の土曜日のオールナイト上映へ潜り込んで3回も連続して泣いた。キャサリン・ロスがキレイでかわいくて、それから何度も映画雑誌の彼女をデッサンした。
「スティング」も面白かった・・・というより痛快でスカッとして気持ちが晴れた。確か、上映は新宿のピカデリーかミラノ座だったと思う。

ジェイムス・ブラントを聞きながら、昔は貧乏浪人の分際で贅沢に映画を見あさっていたなぁ〜・・などと思い出しているうちに万善寺へ到着した。

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一輪の花 

2015/11/14
Sat. 23:29

それにしても、今年はいったいどうしたというのだ!
11月だというのにやたらと暖かい。
庭掃きなどしていたら汗がにじみ出る。

習慣というか思い込みというか、この時期に雨が降って風も強かったりするとそれだけで「寒いもんだ」という気になってしまうようだ。
朝から葬式・・というより告別式のような葬儀が終わって納骨をして、最近よくある「せっかくみんなが集まってるのでついでに初七日もお願いします・・」ということになって、万善寺の自治会にある集会所とお墓と施主家をいったりきたりしている間に、しこたま汗をかいたのだが、参列の皆さんはストーブのまわりに集まったりダウンジャケットで着膨れたり、ご婦人方は手袋まで装着して完全防備。
そんな状況で私だけが額に汗してお経など読んでいたりして、自分でも「どこか具合が悪いのかなぁ」と錯覚してしまいそうだった。
彫刻の仕事以外では年中裸足で過ごしている私にとっては、少なくても足首から先の部分は気温の変化に鈍いというか不感症というかそういう状態が普通になっている。
どちらかというと、冷え性の真逆で年中足が火照って寝苦しくてしょうがない。
やっぱりそういうのも何かの病気なのだろうかと、少しは心配してしまう・・・と、そんなことはどうでも良いことで、今日も例の如く素足に雪駄で庭履きのひと仕事をした。
万善寺にいると、そのくらいしか仕事を見つけることができないのだ。

前夜の風雨でドッサリと散り落ちた紅葉を集めてひと汗かいたところで、本堂裏の崩れかけた石垣に狂い咲きしている一輪のツツジを見つけた。
このところの陽気に騙されて思わずつぼみになって花が咲いたわけだ。
そういうシーンは、なんとなくとぼけたアホらしさを感じないでもないが、私はやはりどちらかというと物悲しさが優先する。
ふと、やたらとカラ元気に頑固な寺のおかみさんを想像してしまった。
もう90歳も過ぎてあとは毎日つつましく暮して朝目覚めると「また1日生かさせてもらった」と感謝からはじまる・・・そういう物静かな老後を送ろうなどと思い巡らすこともなく、ひたすら意地を張って生きているようなおかみさんの場違いなツッパリ具合がその一輪の花にダブって見えた。
坊主家業をしていると、歳をとって頑固になる・・という話は行く先々で良く聞くことだから、寺のおかみさんだけが特別ということもないのはわかっている。
それでも身内のこととなると、どうもその根拠の無いわがまま一方の取りつく島もない頑固さ加減には閉口してしまう。

参道脇の電柱に、いつものカラスが飛んできた。
やかましく鳴き始めたら保賀川の向こうの山からつがいの片割れが鳴き返してきた。
夕方恒例の情報交換でもしているのだろう。
久しぶりにあった気がして「おぉ〜い!」と声をかけたら振り向いた。
「おぉ〜い!元気だったかい?」・・・絶対聞こえているはずなのに今度は無視された。

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とみやま野外彫刻 

2015/11/13
Fri. 23:13

通夜は暴風雨の中で始まって終わった。

だいたいに吉田正純という人間は1人しかいないのに、万善寺の住職であり、彫刻家でもあるから、全く接点の無い二つの用事が同時に重なってしまうと、身動きがつかなくなってどうしようもない。
そういう時は、サクッと割り切って住職家業を優先することにしている。
彫刻関連の方は、私個人の融通でとりあえずはなんとかなることの方が多いから、出来るだけまわりに迷惑をかけないようにはしているつもりだけど、結局は何処かしら誰かを頼って迷惑をかけてるんだけどね。

今回も、富山町の文化祭に併せて展覧会の方だけイベント期間を一週間ほど延ばしておいたが、急な葬儀が続いて予定が完全に狂ってしまった。
枕経を読んだり、授戒をしたりの最中は、キッチリとそちらの仏事に集中している。
それでもお務めが終わってお茶を頂いたりして気持ちが緩んでいる時にフッととみやまのコトが脳裏をかすめてしまうものだから、何かと気になってきて落ち着かない。
ものの見方や考え方は人それぞれだから、何が間違って何が正しいのか、そのあたりのことになると解釈の基盤が少しズレているだけで無駄に収拾のつかないもめ事が起きてしまったりすることなどしょっちゅうのことだ。
それは、万善寺住職の坊主家業の中でもあることだし、彫刻関連の付き合いの中でもよくある。
地域や当事者の温度差に至っては、趣旨の解釈の違いがあったりすると、その差を埋める適切な手段もないまま延々とレールのごとき平行線が続いていく。

万善寺でいうと葬儀に対しての地域の共通理解と運営方法のこと。
彫刻でいうと制作と発表の趣旨や手段の具体的相互理解のこと。
完全にシンクロして盛り上がってしまえば、それはそれでひと山越えた感じで次が見えてきたりもするが、世の中はそう簡単に上手くいくばかりでもない。
今回も、葬儀の次第をどうするかで今朝から色々な電話がかかってきて、移動しながらの応対をするだけでグッタリと疲れてしまった。
彫刻の方もとみやまでの展覧会を捨て置くわけにもいかないし、いろいろ考えた末に、やはり自分で動くしかないだろうと、通夜が終わって暴風雨の中、風であおられてフラフラの結界君をダマシダマシ石見銀山へ帰ってきた。
先ほどまでクロにジャマされながら改訂版の目録を50枚ほど印刷をしていた。文字だけのデータまで印刷屋さんへお任せしてしまうと、乏しい予算を無駄遣いしてしまう。
目録データを加筆修正して気付いたことだが、展示された作品だけで50点をこえるほどの規模になっていた。野外彫刻の飛び入りで、トラックレンタルに予算を超えた不具合を生じたものの、やっぱりやらないで後悔するよりは良い!
明日は、早朝からとみやまの会場受付をセッティングして、その足で万善寺へ走って何食わぬ顔をして葬儀で引導を渡す。
自分で云うのも何だけど、いいかげんジジイに近いオヤジがよくやっていると思うよ。

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孤独死 

2015/11/12
Thu. 23:58

石見銀山から結界君で15分ほど走ったところにある窯元から秋の窯祭りの案内が届いていたのだが、あいにくとみやまのイベントと窯祭りが完全に重なっていたので行くことが出来なかった。
期間中は、地元の蕎麦打ち同好会の実演試食会などもあって、蕎麦好きの私にとってはとみやまよりそちらの方へ行きたくてしょうがなかったのだが、そういう我がままが許されるわけでもなく、断念せざるを得なかった。
その後、秋の新作陶器が気になりつつ、その窯元の前を数回往復して、やっとこの度少しの時間が出来たから万善寺からの帰りに立ち寄ることができた。
お目当ては2つあって、中鉢程度の深めの器とコーヒーカップ。
窯祭りからしばらく時が過ぎていたせいか数は揃わなかったが気に入ったのが手に入った。
それからその窯元の御主人夫婦と3人でお茶飲み話は、ちょうどお葬式が終わったところだったから、そんな話題で盛り上がった。
葬式が話題になってしまう年齢になっていたのかと、3人で気が付いて大笑いになった。
坊主の私が坊主の悪口なども口走ったりして、話がどんどん変な方向に傾いてしまいはじめたようなので、このままだと後味の悪い暗い気分のまま別れることになってしまいそうな気がしていたところへ、窯元の奥さんがそれに気付いて話題を他に振ってくれた。
さすがにお客様相手のベテラン自営業。
おかげさまで気持ちが荒ぶこともなく、楽しいひと時が過ぎた。

帰宅途中、電話が鳴って出て見ると万善寺のある保賀自治会長からだった。
彼は私の同級生なのだが酒が飲めないので近所なのにあまり深い付き合いもない。
もう夕方になっていたから何事だろうと様子が掴めない。
「○○ちゃんが死んだんよ・・」
突然のことでビックリした。
万善寺の前を流れる保賀川の川向こうにあるお宅で一人暮らしのオヤジさんが死んだ。
彼は、私より5〜6歳は年上だったと思う。それでも、世間的にはまだ若い方に入る。
もう何年も前から糖尿病を患っていて、その合併症も出たりして入退院をくり返しながら自宅療養を続けていた。
夏に見たときは、身体が弱った感じではあったが、普通に話も出来ていた。
「まだ、検死中で様子がわからんし身内も帰ってないからすぐにどうこうなるわけでもないんだけど・・・正ちゃんの檀家さんだし、とりあえず伝えておこうと思って・・」電話をしてくれたらしい。
一人暮らしの人だったから、「孤独死」もあり得るかも知れない・・などと、漠然と思っていたが、日頃から病院の世話になっている人だったし、何かにつけて自分から入院を望むような人だったからまさか孤独死が現実のものになるとは思ってもいなかった。
その後連絡が入って、明日は、枕経から出棺荼毘をすませて通夜が決まった。
自治会にフレをまわすくらいで収める、家族葬というヤツになったようだ。
施主さんの都合だからしょうがないところもあるけど、近所のことでもあるし、お檀家さんでもあるし、絶縁のお宅でもあるし・・・何か複雑な思いで帰宅したら、ワイフは留守で、ネコチャンズが悩みひとつなさそうな平和な顔で私の四畳半を占領していた。

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素直に生きる 

2015/11/11
Wed. 22:37

○呼ばれて席に行ったら、刺身についてた飾りの紅葉(もみじ)を指差して"これマリファナ?!"って真剣な表情で聞いてくるイタリア人!→"たしかに形は似てるね!けど違うよ?それ食べてもハイにはならないよ?"っ教えてあげる優しいわたし←

○シルクドソレイユの人達めっちゃ愉快で本当にいい人達ーお店にめっちゃ来てくれる♪
来年から公演で17ヶ月日本に滞在するみたいで、日本語の勉強してる・・かわい♡♡サーカスの人達ってのは聞いてたけどシルクドソレイユの人達って知ったのはいまさっきw・・・すげー!!

○うちのレストランの建物の上の階がマンスリーマンションなの!いまそこに150人くらいで泊まってるんだって♪1番初めの対応わたしが全部したから、いつもチップくれて、いつもチャコー(ノッチの現地呼名)!!!ってみんな呼んでくれる♡
写真撮るときにハイ、チーズ!って教えたの私だから!♪♪♪W

○駅で3人に乗り方と行き方聞かれたんだけど。わたしそんなにローカルっぽく見える?わたしもわかんないよ。教えてあげられなくてごめん・・
↑↑↑↑↑↑
10月の終りの頃に長期の有給休暇で帰国したノッチと久々にガッツリ飲んだし・・・
彼女もなんとなくリフレッシュしたようで、このところのSNSが珍しくマイルドソフトクリーミーでオヤジとしてはいい感じ!!

何とかノッチがシンガポールにいる間に行って見ようと思ってセッセと500円貯金続けてるけど、なかなか現実にはほど遠い。
自分一人分の旅費とホテル代くらいはなんとかなりそうだけど、ワイフがいるからね。
まだ若いキーポンはこれから自分で何とか出来るだろうけど、ワイフははずせないよね!・・・といって、ハズしたら何されるか考えただけで恐ろしくて不眠症になりそうだけど・・・といって、すでにほとんど不眠症気味なんだけどね・・・

たまたま万善寺で単身赴任ロフト暮らしの最中で、自分自身ちょっとしたホームシック気味(・・といって、自分の実家でホームシック???)になって、余計に子供たちが恋しくなってしまったよ。
じゅん君へ久々に電話したら、嘘か真か「今、イカが冷凍してあるからそれ持って帰るよ」なんて優しいコト言ってくれたし、なっちゃんは絶妙のタイミングで電話してくれるし、キーポンは事務連絡も含めてマメにSNSの書き込みしてくれるし、ワイフは・・・!!・・って感じで、ひとまずそれなりに見た目平和な吉田家コミュニティーが形成されている。

世の中の一般家庭はだいたい今の吉田家と似たり寄ったりの平和な暮しをしているのだろうなぁと思いつつ、一方で、万善寺周辺の高齢小子過疎化のほとんど崩壊再生不能離散家族のなかなか単純に納得できない現実もあったりする。素直に生きるって難しいなぁ〜。

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秋の草の実 

2015/11/10
Tue. 22:21

「何か変ったことあった?」
「とくにぃ〜〜、今までクロちゃんが私のヒザでくつろいでたのにぃ〜」
だって・・・

入棺、出棺、荼毘と続く前に、剃髪や受戒のお務めを済ませるのが万善寺のやり方になっているので、色々な準備を終わって寺を出発する前にワイフへ電話した。
クロは私には反抗してなつかないのに、ワイフには自分から甘えていく。
シロははじめからワイフにベッタリ絡みついていて、彼女が呼ぶとだいたいほとんどイソイソと鳴きながら彼女に走る。
「あんたがネコチャンズの世話しないからよ。私なんか毎日ご飯あげたりしてるからね!」
ポロリと不満を口走ったりすると、途端に厳しいワイフの反撃が返ってくる。

彼等が私へ寄りつかない理由は他にあると思っている。
つまり、私の濃厚で野獣のような男ホルモンのせいなのだ!
自然界における生活環境で発散されている男ホルモンには闘争心を刺激する物質が多く含まれているらしくて、それを駆使してお互いに威嚇しあうことによって一定の距離を保って必要以上の闘争を避けているのだといわれている。
ようするに、男ホルモンの強いヤツが競争社会の中で生き残っているともいえる。
地球人類の長い歴史の中で、常に絶え間なく戦争や闘争が続いているという紛れもない現実事実の根拠もどうやらそのあたりに起因しているのではないか。
ことの善し悪しは抜きにして、そう思うことによって、だいたい全ての社会情勢の不具合が納得できたりもする。
猫や犬のオスがマメにマーキングをするのも、自分の行動範囲をお互いに伝えあって出合い頭の急な接近遭遇を極力避けながら、一方で自分の支配領域を誇示し確保するネライが含まれているのかも知れない。
まぁ、そういう行為も所詮は自分のケチなプライドにしがみついて身勝手に戦々恐々としている程度のことかも知れないが・・・
犬猫社会を見ていると、無駄にギャアギャア鳴き狂って威嚇ばかりしているヤツにかぎって腰が引けて弱かったりすることが多いからね。二本足で歩いている人間だって4本足とどっこい五十歩百歩ってとこじゃないでしょうかね。

味気ない寺の夕食が終わって吉田家SNSのチェックをしていたら、あの今朝の会話の後にクロが脇のあまいワイフのスキを狙って脱走に成功したらしい。
さすがクロは男だ!自らの野生のプライドを信じて日夜鍛練を怠らない姿勢が素晴らしい!
今回の脱走劇の成果は秋の草の実。
ワイフはコロコロで応戦したらしいが、成果はいまいちだったようだ。
きっと、当分の間私の四畳半やヌシのいないシュラフのアチコチに各種草の実がくっついていることだろう。私が現場にいたら、有無を言わせず即シャンプーだけどね・・・

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雨の万善寺 

2015/11/09
Mon. 23:17

一日中生暖かい雨が降っていた。
午前中は石見銀山の吉田家で今度のお葬式の準備をした。
準備といっても何のことか一般にはなかなかわからないことだろう。
シャワーを浴びつつ頭にバリカンをあてるとか、ワイフが買ってくれたゾーリンゲンの安全カミソリで髭を剃るとか・・
お葬式の次第をつくるとか、引導をかんがえるとか、衣や白衣などを揃えるとか・・
まぁ、ようするに坊主にとって欠かせない諸々のこと。
そうこうしているうちにワイフが昼食を作ってくれて、それを食べてコーヒーをガブリと飲んで、荷物を結界君へ積み込んだのが午後の3時近かった。寺までの道中は湿度が多くて、中国山地一帯がガスで充満している。結界君の視界がすぐに悪くなって走りにくいからエアコンを付けた。とにかく、先週末から変な気候が続いている。

おかみさんがひたすら頑固に暮す万善寺に到着すると、真土を敷いた狭い庭にやたらと大小太細の車の轍が残っている。
彫刻のイベントでしばらく留守にしていた間に、万善寺が荒れていた。さすがに90歳を過ぎた年寄りに寺の留守居を任せることは無理なのかも知れない。
とにかく、外回りの営繕は雨がやまないとどうしようもないから、ひとまず見て見ぬふりで乗り切ることにした。

万善寺のある保賀集落の秋祭りが近い。
年々高齢化が進んで、氏子の1人一役にそろそろ限界が出てきた。
そろそろ坊主の私にも一役の出番が回ってくるかも知れない。
坊主が坊主頭にはちまき締めて神輿担ぐのも絵にならないが、結構難易度の高い俗な間違い探しくらいの見せ物くらいにはなるかも知れない。
夕食のご飯も食べないでセッセとしゃべり続けるおかみさんの近況話を聞きながらボンヤリとそんなことを思っていた。

寺務の部屋へ落ち着いて墨を擦りながらiPadに溜まったネコチャンズを楽しんでいたら、参道から寺の前の林道に合流するあたりにある隣家の猫を思い出した。
もうかなり長い間その家で飼っていた可愛い三毛猫が今年の夏の初めに死んでしまった。
その猫と前後してビーグルも死んだ。
回覧板を持っていったりすると、犬と猫が仲良く寄り添って昼寝をしているところをよく見かけた。
あの時は、あまりにも短時間のうちに猫と犬があっけなく死んでしまったから、「ヒョッとして毒でももられたか!」と良からぬ妄想が膨らんでしまった。
万善寺は、先代の頃から別に特別な理由もないまま「寺で犬猫を飼うことは絶対にダメ!!」という無言の決まりごとがあったし、今もおかみさんの前で吉田家のネコチャンズのことを話したりするとこれでもかというほど汚い言葉で罵りが始まる。
三日も飼えば情も移るし、それなりの話し相手にもなって一人暮らしの気も少しは紛れるだろうに・・無愛想なクロが無性に可愛く見えてきた。

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あつい日曜日 

2015/11/08
Sun. 22:40

この時期にしては珍しく暑い夜で寝苦しいまま朝になった。
キーポンの保育実習が昨日で終わって今日の日曜日は移動日になっていたから、どうせ彼女のコロコロいっぱいの荷物も一緒に家族みんなで学校の寮まで送っていくことになるのだろうなと思いつつ朝寝をしていたら、電話が鳴った。

この時間帯の電話は、寺絡みの要件だろうとピンときた。
やはり予測が当たっていて、今年の夏くらいから入院中だったお檀家のおばあさんの訃報だった。
おばあさんと言っても私が少年時代の歯医者さんで、歯並びの悪い扱いにくい吉田少年を根気よく治療してくれて、今でも当時の銀のかぶせが奥歯で活躍しているほど丁寧に診察してくれた名医だった。
私の両親はすでに40代の頃から総入れ歯になっていて、それもそのドクターの治療でお世話になった。
枕経に出かけていろいろお話をうかがうと、高齢による老衰ということのようだ。
若くしてご主人を亡くされて、歯医者をしながら女手一つで子育てをされた苦労人であった。
万善寺の毎年の行事には欠かさずお参りされるほど信心深い方でもあった。
お子さん方は東京を始めとして都市部の暮らしに落ち着かれ、田舎の実家のあとを継ぐこともない。
これから先、あの広くて立派なお宅はどのように維持されていくのだろうと、他人事ながら心配になる。
そして、お檀家さんとしてのお付き合いもしだいに希薄なものになっていくのだろう。

友引の風習のこともあって葬儀日程で少し揉めたが、一通りの打ち合わせを済ませてひとまずは石見銀山の自宅へ帰ることにした。
キーポンのことは、枕経のドサクサで曖昧になったままになった。
結局一人で大荷物を抱えてJRで帰っていった。

これから一週間は予定していたスケジュールが完全に狂った。
これも坊主の宿命と気持ちを切り替えるしかない。
それにしても、この週末からやたらと温かい。
四畳半も冬支度に模様替えをしたばかりだし、それで余計に暑苦しくなって、なんとも調子が悪くて、このままだと体調まで狂ってしまいそうだ。
さすがにネコチャンズは正直に生きていて、少し寒くなった頃は、図々しくオヤジのシュラフやワイフの布団を占領して一日中ゴロゴロしていたのに、この2・3日はサマーシーズンと同じように涼し気なところを見つけて暮らしている。

2週間ぶりにキーポンのいない、そしてネコチャンズの絡みつかない夜を迎えた。
断続的に激しく降り続けていた雨も小康状態のようで、静かな夜に耳鳴りだけがやたらとうるさく感じる。

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紅ズワイガニ 

2015/11/07
Sat. 23:07

最近、どうもブログの調子が悪いまま、だましだまし更新を続けている。
まぁ、どうせ私の私的な私ごとの出来事など気にする人もそれほどたくさんいるわけでもないだろうし、それでも比較的マメにチェックをしているのは可愛い可愛い(と言っておかなければ叱られそうだし・・・)子供達くらいだろうから、今も不具合とだらしなく付き合いながらこうしてプチプチとキーボードを叩いている。

こんなにダラダラどうでもいいようなネタを垂れ流しているばかりなのに、面白いもので何故か毎日どうでもいいようなネタが枯渇することがない。むしろ、寝る前のひととき、少し落ち着いて1日を振り返ると、普通にそれこそ本当にどうでもいいネタが2つ3つ思い浮かんで、それのどれをチョイスしようか馬鹿らしくも本気に悩んでしまったりする。

久しぶりになっちゃんから電話が入った。
時間的に仕事が終わって帰宅途中でJRの最寄り駅を降りてコンビニに寄るなどして自宅のアパートへ帰るまでの約10分間の暇つぶしと、彼女にとっての少しばかりのささやかなニュース(というか、話題)の提供(というか、共有)で電話がかかることが多い。
このたびも、私にとってはどうでもいいような職場の出来事が彼女のスクープくらいのことだと判断して電話をしてきたのだろうが、やはり、どう考えても私にとってはどうでもいいようなことだったけど、そういうことで電話をしてくれることが嬉しくもある。
まぁそれなりに少しばかり面白い話だったから普通に会話が続いて、次に私が話題を握った。
それが、「チョコレート・ドーナツ」
もうかれこれ1年位前の事になるかもしれないが、そのタイトルの映画が観たくてしょうがないと言っていたのがなっちゃんだった。
そのことを思い出して話題を振ったのに、当の本人はその映画のタイトルをまったく記憶していないようだった。
だから、いろいろ慎重に(でもないけど・・・)考えた末、キーポンと一緒に見て一緒に泣いてしまったその映画のネタはこのつぎに回すことにした。

閑話休題・・・までがやたらと長くなってしまったが、そんなわけで本日のネタ・・・

朝から結果くんを境港まで走らせた。
お目当ては紅ズワイガニ(松葉ガニではありません!)
昼前に着いていろいろ悩んだ末、一袋5ハイ入りの3500円バージョンにした。
吉田家は見事に全員カニ好きなのだ!・・といっても、正確には「紅ズワイガニ」というヤツ。それ以外の高級なカニは味も知らない。
まぁ、その程度のカニ好きだから少々油代を使っても贅沢だと思うこともないのだが、やはり1年でこの時期になると、その紅ズワイガニが無性に食べたくなってしまう。
それで、ちょうど一仕事一山越えたところだし、気分転換にささやかな贅沢をしようと決めたわけだ。
山盛りのカニを三人でパクパク食べた。味噌もあって美味かった。

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今日は温泉だ! 

2015/11/06
Fri. 23:09

久々にワイフと温泉に行った。
島根県は、東西に長い県で温泉が多い。
私もワイフも比較的温泉が好きな方で、何かのことが一区切りすると、その節目に温泉へ出かけてリフレッシュする・・・といっても、この歳だともう「リフレッシュでスッキリ!」というところまでにはなかなかいかないが・・・
それでも、何処かしら気持ちよくなって気分はスッキリする。

朝にめざめた時は、「よし!今日は温泉だ!」などと張り切って予定を立てていたわけでもなく、富山のイベントの後片付けで最後に残っていたワイフの大きな彫刻を搬出するところまでは「本日の仕事」として打ち合わせがすんでいた。
それをメインに、幾つかの用事を絡めて無駄のない1日を組み立てていたら、どうしても一度は石見銀山の自宅へ引き返さないといけない事になってしまった。
二人で二台の車で別々に行動する手もあったが、それも何かバカらしいのでその選択肢はなくなった。
せっかく一緒に半日ほど行動するなら、富山から近所の温泉へ足を伸ばそうと折り合いたついて、お目当ての秘境の温泉を目指した。
その秘境の温泉「小屋原温泉」は、比較的ぬるい源泉の垂れ流しだから、そろそろ時期的に今が最後くらいになるし、それに最近・・というか、この近年随分ご無沙汰している。
家族風呂で、個室に区切られていてワイフと一緒に入浴することが出来る。
ゆっくりと湯に浸かって渓流の紅葉でも見ながら他愛無い世間話をするのもたまには良いだろう・・・そういう状況を想像しながら山道を登ってたどり着いたら、なんと「臨時休業いたします」だって!
「普通、行楽シーズンの金曜日に営業を休む温泉があるか??」
一瞬、そう思ったが、だからどうなるわけでもないから、気持ちを切り替えて次を目指すことにした。
その温泉の近くには、知る人ぞ知る田舎の蕎麦屋さんが1軒ある。
その蕎麦屋さんも日頃から不定期によく休むから、さて、今日はどうかと一瞬不安もよぎったが、とにかく近くまで行ってみることにした。
幸いオープンしていて、駐車場には岡山ナンバーの車もある。
蕎麦も久々で美味かったが、そばがきが絶品だった!・・・ということで、満足の昼食。
やはり、せっかくだから温泉は外せないだろうということになって、その蕎麦屋さんから比較的近い「池田ラジウム鉱泉」へ向かった。
ここも基本的に家族風呂形式で、ラジウムの含有量が多くて湯あたりが激しいから長湯は避けてくれと但し書きがある。
私はもうその泉質に慣れているから、のんびりと紅葉を見ながら入浴を楽しんだ。
ワイフとのとりとめのない会話も出来たし、それにやはり、彫刻の話も落ち着いて出来た。

たった半日で、石見銀山の周辺をぐるっと一周しただけなのに、それほど苦もなく当初の予定を達成することが出来た。むしろ、臨時休業の温泉のおかげで、近所の温泉巡りで何処に行こうか悩んでしまったほどだ。
それはそれで贅沢な悩みだったなぁ〜

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アートなフレーム完成 

2015/11/05
Thu. 23:26

「あんた、まわりにどれだけ迷惑かけてるかわかってるの?!」
久々の日曜と心に決めて朝寝をむさぼっていた四畳半に、ワイフのお叱りが響いた。
(ごもっとも・・そうでございます。何も言い訳できませんです・・・)
そう思いながらシュラフを被った。

なんだかんだいって、いつも一番迷惑をかけているのは、他でもないワイフその人だということがわかっているだけに、なにも言い返すことが出来ない。
20代の頃からの長い付き合いだから、誰よりも私のことをよく知っていて、それでそれがわかっていてこうして捨てられないで一緒に暮らしているわけだから、ワイフの微妙なさじ加減の丁度いい加減な具合にはまったく頭が上がらない。
それでも、こうしていつもいつも誰にも相談しないままわがままにやりたいことばかり決めてしまうものだから、ここまでくると取り返しがつかないところまできていると自分では感じている。

いつもいろいろなところで呪文のように「一度しかない人生だから・・」を繰り返しているから、私の近所で付き合っている人たちは(またはじまったか・・)くらいに思って、ほんとうにめんどくさい奴だなぁと思われているのだろうが、それでもそれが自分の正直に決めて思っていることだから思わず口走ってしまってもしかたがないことだ。
一方で、こう見えても結構今までいろんなことを我慢してきたし諦めてきたし妥協して流されてきたことも事実だ。
今更そういうことをほじくり返してアァ〜だコォ〜だいってもどうなるわけでもないから、このまま突っ走るしかないと最近はある意味で開き直っているところもある。
それに、自分では今の自分がやっているとこは間違っていないと確信しているようなところもあるから余計に頑固になってたちが悪い。
ワイフが厳しく指摘しているのは、そのあたりのさじ加減が今の私の状況と上手く釣り合っていないと言っていることと解釈している。

島根の片田舎で適度に過不足なくまわりに流されて、時々正気に本気になって取り憑かれたように制作に励んでそれなりのまあまあの出来栄えに自分でニヤリと満足しているような制作と発表を繰り返していてもそれはそれで気持ち良いことなのかもしれないが、残念ながら私にはそういう余裕が無い。
吉田が吉田らしく吉田のやりたいことを続けるということは、それがそのまま自分の生きざまになっていかないと、吉田の言動に馬力が無くなってしまう。
とにかく、何かしら一本筋の通った彫刻をつくり続けるということが何よりの吉田の強みになっていなければ、吉田の言動の根拠が無くなってしまう。
人の考えや思いは様々で、それが私と同じように彫刻を造っている連中でも一人ひとりみな違ったように思い悩み目的を決めて違ったふうに彫刻制作を続けているわけだから、算数のように答えは一つしかないなどとシンプルなものでもない。
島根の田舎で生まれて歳をとってあとは死んでいくしかないという、そういう人たちでも、一生に一度は美術造形の刺激にふれて感動して欲しいと思っている今日このごろであります。

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つなぎの1日 

2015/11/04
Wed. 23:01

無住の禅寺松林寺さんの檀家総代さんへ、長い間借りっぱなしになっていた鍵を返した。
とみ山彫刻フィールドアートワークの準備から期間中を通して何度となく自由に都合よく使わせてもらっていたから、なんとなく親近感も加わって去りがたい。

一日中抜けるような秋の青空が続いて久々に着たつなぎの作業着が汗ばむ。
一晩ゆっくり休んだおかげで両膝からふくらはぎにかけての鈍痛が和らいだ。
期間中のゴミを処理し、ポスターを剥がし、事務処理の諸々を整理して結界くんへ積み込んだ。
お世話になったまちづくりセンターへ行ったら、職員の皆さん全員お留守。
聞くところによると、富山町内で2つのお葬式が重なったらしい。
この数年で町民人口が激減していると自治会長さんが嘆いていたことを実感する。

主だったモノを積み終わった頃に、教育委員会の担当職員が水道と電気のメーターを見に来た。
証拠の指差し確認のモデルになって記録写真に写った。
すでに廃校になって何年も空き家状態の小学校を、いまだに市の教育委員会が管理しているというのも、民間人の私にとっては理解し難いところがある。
使用管理母体をサッサと町へ委託してしまったほうがずっと楽なことだろうに、行政管理はなかなかそう簡単なことでは済まされないのだろう。

明日からしばらくは報告書作成の事務処理が続く。
支払い会計の残もあるし、まだまだ気が休まらない。
ものづくり教室の4本柱は、概ね成功と言ってもいいだろう。
田中さんの根付彫刻体験は定員10人を軽く超えて大忙しだった。
坪内さんの福光石のお地蔵さん制作も結果的に定員10人を遥かに超えて大盛況だった。
小林さんと居上さんの造形ワークショップも終始親子で賑わっていた。
まだ正確に延べ人数を把握するまでには至っていないが、ザッと出席簿を見る限りでも60人は軽く超えている。
若い作家の教室個展は、これからそれぞれ個人の結果報告を待つことになる。
期間中私が見た限りでは、作家の友人知人が遠方から駆けつけていたようだ。
久々の再開もあったようで、個展会場の滞在時間がとても長かった。
地域からの来場もリピーターさんが多くて、ありがたいことに会期終盤には差し入れも増えた。
今回の個展以外の美術展は、絵画彫刻合わせて約60点ほど展示した。
こういう企画でもない限り、国道から離れた山間の町へは、来訪の流入も皆無に等しい状態だろう。
JAのサロンに集まってお茶飲み話をしていた地域のおばちゃんたちが「いいことをしてくれた」と、とても喜んでくれていた。「食べるものもあったらよかったのにねぇ〜」とも言ってくれた。さすがに、そこまでは我々に出来ることでもないが、地域と協同で何かできるキッカケくらいにはなったかもしれない。

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究極の贅沢太り 

2015/11/03
Tue. 22:42

富山の爽やかな秋空が少しずつ夕焼けに染まり始めてきたので、4日間続いた「とみ山彫刻フィールドアートワーク」のA型看板を撤収することにした。
思えば、アッという間に始まって終わったイベントだった。
準備段階から会期まで余裕がなかったから、今にして思えば。結構ハードだった。
過去6年間の蓄積がなかったら上手く開催できなかったかもしれない。
今になってそう思うようになって、看板を撤収しながら背筋がゾクッとした。

250kg積載の結界くんがフル稼働して、荷台いっぱいに回収した看板と石彫の道具や石材を積み込んだ。
参加の作家や講師の皆さんとスタッフが協力して富山小学校の復元をしたあと、三々五々四方に解散した。
最後の点検を済ませて結界くんのエンジンを始動した時はすでに夕闇が迫っていた。
鈍く痛む膝をかばいながらクラッチ操作を繰り返して富山の谷をあとにした。
明日は残った後片付けを1日かけて済ませつつ、お世話になった関係各所へお礼に回ろうと思う。
4年越しで実現した今回の企画は、今までにないほど刺激的な反応が返ってきた。
あの手厳しいワイフも今回に関してはまあまあゆるく優しく見逃してくれたところもあったからそれなりに評価してくれたのだろう。

1日目はノリちゃんのカレーライス。
2日目はノリちゃんの豚汁。
交流会はワイフのおでん。
3日目はノリちゃんの中華丼。
4日目はワイフのカレーライス。
それに、ご飯は新潟佐渡の新米。
以上、お昼ごはんその他のメニューでした。

そして・・・差し入れ!
旧知のクラフトマンの奥さんから押し寿司。
富山地元の旦那衆から焼酎にツマミにビールに・・・その他諸々。
講師の小林さんからどぶろく。
交流会にはワインのボトルにオードブル。
地元の奥様方からみかんにお菓子。
それに、発泡スチロール一杯のふかしイモ。
出品の作家からも差し入れがあって、結局会期中にアチコチ配っても全て消化できないままお持ち帰りした。
「あぁ〜、4日間受付で運動もしないで食べて飲んでばっかり!」
って感じで、ハッキリいって究極の贅沢太りまっしぐら!
とにかく、なんだかんだいってありがたいことであります。
朝から晩まで徹底的に贅沢をさせていただいた4日間でありました。
そしてそして打ち止め・・・日本酒の熱燗!・・・あぁ〜〜〜こたえられませんなぁ〜!

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さしいれ 

2015/11/02
Mon. 22:33

さすがに疲労が溜まって寝返りをするたびに腰が痛くて目が覚める。
それでも久々に吉田家のいつもの四畳半は気持ちが安らぐ。
夜中になって雨音で目が覚めたら、その四畳半がいやに明るい。
一瞬寝ぼけてしまったのかと思ったが、確かに電気がついていて明るい。
腰の痛みをこらえて寝返りをして体制を整えてみると、キーポンが何やらカリカリと字を書いていた。

キーポンが保育実習で帰省して、もう1週間になる。
彼女と入れ替わった格好で私が富山で暮らし始めている間に、四畳半のオヤジの書斎が彼女の部屋になってしまった。
私がいつもデスクワークで使うこたつテーブルに彼女の荷物や筆記用具が散乱している。
いちいち彼女の荷物を片付けるのも面倒だと一瞬躊躇したが、それでもなんとかしないと自分の仕事もできないから意を決して「こたつテーブル」を「炬燵」にすることにした。
それで一応掃除になるしテーブルも片付くし、少しばかりの暖房にもなる。

カビ臭さが残っているこたつ布団を久々に押入れから引っ張りだして掃除機をかけたり雑巾がけをしたりしていたら、クロがどこからかやってきた。
犬のようにクンクン嗅ぎまわりながらしばらく私の掃除を邪魔していたが、そのうち何処かへいなくなって、部屋が片付いた頃にシロを連れて帰ってきた。
その夜は、私の隣にクロが落ち着いて、炬燵の中でシロが寝て、私の腕枕でキーポンが寝ていたはずだったのに、こうして真夜中に目覚めたら、シロがいつの間にかいなくなって、クロがAmazonの空き箱で寝ていて、キーポンがカリカリと何か書物をしていたということで、最初に戻ってあぁ〜いうことになっていたわけだ。

なんとなく夜中に起こされた格好になって、朝はいつまでも眠くて起きるのに苦労した。
それでも何とか石見銀山を定刻に出発して富山の3日目が始まった。
休日のなか日の平日だからさすがにお客さんも少ないだろうと勝手に判断して、会場の目の前のコンビニより小さなJAスーパーで買い物をしてダラダラと世間話をして受付場所へ引き返してすぐに、ノリちゃんが当番の手伝いに来てくれた。
それから町内の皆さんが三々五々いらっしゃって、それはそれは熱心に展覧会を見てくれた。
長い人で滞在時間1時間を超えるほど熱心にそれぞれの教室を巡ってくれた。
お昼すぎにまたJAに行ってカップ麺を買いつつ、少し親しくなった販売員のお姉さんとマタマタしばらく世間話に盛り上がって受付へ帰ったら、車が1台増えていて、ノリちゃんはお客さんの相手でギャラートークをしていた。
気が付くと受付カウンターに発泡スチロールの箱が置いてある。
「まぁまぁ〜立派な展覧会で・・・小学校もこうやって使ってもらえることもありがたいことですよ・・・」
町内のおばちゃんが発泡スチロールの箱いっぱいのホカホカのふかし芋を差し入れしてくれた。
こちらこそ「まったくもって、ありがたいことですよ!!」

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学校の階段 

2015/11/01
Sun. 22:52

とみ山彫刻フィールドアートワークの前半2日目が終わった。
ものつくり教室でお願いした二人の講師もそれぞれ西と東へ帰っていった。
明日は教室の模様替えをして最終日3日の文化の日を迎える。

地域の自治会長さんたちも参加してくれた交流会をスタッフや講師の宿舎でお願いした松林寺の本堂寺院方控室で華々しく開催した。
総勢約15人の作家たちが夜遅くまで熱く語った。
中でも一番盛り上がっていたのはかく言う私吉田であった。
きっと、やたらとうるさかったことだろう。
気がつけば、麦とホップ500mlのケースが空き、差し入れの焼酎やどぶろくも無くなり、ワイフの力作大鍋おでんも完食。
こんなことは、1年に1度くらいしかないことだろう。
個展で出品参加してくれた若い作家ともタップリ話すことが出来たし、吉田としてはとても気持ちよく飲めた。

一方、そろそろジジイの身体にアチコチ不具合も出てき始め、朝方から腰が重くなり、昼過ぎには左の膝が曲がりにくくなり、徳島からものつくり教室の講師で参加してくれた居上さんを駅まで送る頃には結界くんのクラッチを踏むのもつらくなった。
2階の会場準備で踊り場付きの広い階段を何度往復しただろう。
たぶん、1千回近くにはなっていると思う。
今度撤収するときのことを思うと頭がクラクラしてきた。

日曜日ということもあって、富山町内からのお客さんは親子三代そろって出かけてくれたりして、もう長いこと空き家になっていた富山小学校が久々に賑やかな子供達の声であふれた。
教室の個展会場も熱心に見てくれたこの子たちは、自分が生まれたすぐ近所のこの富山小学校に通うこともなく、もちろんそこで勉強することもないまま大人になってしまう。
熱心にものつくりをしている子供達の背中を見ながらそんな風に思った。

「2階へ上がるのは初めてですよ・・・」
町内のおじさんたちがそう言っていた。
階段の手摺柱には、初代の校舎で使われていた立派なケヤキの柱が再利用されて黒光りしている。
はるか昔、この手摺の柱を毎日のように掃除して何百人何千人の子供達の小さな手がそれこそ数えきれないほどペタペタ触っていた時代があった。
「この柱がこんなところで使われとったんだねぇ〜」
今では立派なおじいちゃんになった昔々の古い校舎へ通っていた仲の良い小学生が、愛おしそうにさすりながらしばし少年時代の思いでを懐かしそうに語り合っていた。
若い作家の教室個展のエネルギーが、一気にしぼんでしまうほどの重たい感想だった。
膝は壊れてしまったけど、この階段を往復して良かったと実感した。

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2015-11