工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

雨の大晦日 

2015/12/31
Thu. 23:44

2015年の最終日で大晦日は、ほぼ一日中3畳の万善寺即席寺務所にこもって、年回のくり出しとお札造りに励んだ。
ジッとして椅子に座ってばかりだと足が固まって動かなくなるので、時折思い出したように本堂の荘厳を確認したり、湯茶を注いだりしながら過ごした。
大晦日らしく、申し訳程度に限りなくみぞれに近い雪も降ってくれた。
軒下にピッタリと横付けして駐車していた結界君へまともに雪ズリが落ちてきそうなので、念のために午後から安全な場所まで移動しておいた。

憲正さんのいない大晦日からお正月を迎えるのは、やはりどこかしら今までとは違った気がする・・・って、まぁアタリマエのことだろうけどね。
私は、とにかく年末年始のこの時期やお盆の月など寺の用事で身動きができない時は、完全に仕事と割りきって毎日を過ごしている。
家族みんなが認めるところのニート親父ではあっても、やはりこういう時はそれなりの緊張感を持って毎日を過ごしているつもりだ。

本堂の用事を済ませていたら、松江市在住のお檀家さんが家族で年末の挨拶にお参りしてくれた。
ご主人はずい分前から目が不自由で、それでも自分なりに工夫して自力の暮らしを長い間続けていらっしゃったが、しばらく前から盲導犬の導入を思いつかれて、犬と一緒に数ヶ月の訓練に入られた。
その話を聞いたのが夏のお盆の棚経の頃で、犬も人間もアマチュアで慣れないから、苦労が多いと云うことだった。
時折激しい雨が降る中、境内下の駐車場から盲導犬と参道を上がってこられる姿は、やはりまだまだ危なっかしいところがあって、道をそれて下の田んぼへ犬と一緒に落ちそうでヒヤヒヤした。
本堂前の基礎石を一段上がる時も、その犬はまだまだご主人様の役に立っているとは言いがたいほどの無頓着ぶりで、そんな姿が妙に微笑ましくいじらしく思えてしまった。
暮れの挨拶もそこそこに、雨に濡れた犬としばし戯れた。
名前は「きらら」ちゃん。
2歳の女の子だそうで、実に愛らしい。
ご主人様いわく、やっとこの頃自分に擦り寄って甘えてくれるようになってきたのだとか。
その施主家にはしばらく年回法事も巡ってこないから、こんどきららちゃんに逢えるのは随分先の事になるだろう。
身体の不自由に臆することなく前向きに過ごしていらっしゃるご主人をみると、何かこちらが励まされているような気になってくる。
今にして思えば、晩年の憲正さんはいろいろ不自由な日常を随分我慢して暮らしていたのだろうと心が痛む。それでも、あの犬のように私が代わりになることも出来ないから結局は見て見ぬふりでやり過ごすしかない。
きっと、今の憲正さんはあの頃の不自由な苦痛から全て開放されて随分と楽になったことだろう。

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手摺りの御札 

2015/12/30
Wed. 21:06

気がつけば2015年も残すところあと1日となってしまった。
残っている用事が多すぎて年内に全て終わらせることは物理的に難しいと思い始めた。
人のせいにするわけでもないが、絶対の確信を持ってエルニーニョのせいだけにはしたい!
とにかく、生まれてこの方、年末の30日に狭い境内の庭掃きをしなけれないけないなどと誰が思っていただろう。
たぶん、今は亡き憲正さん在職60年でこの時期に万善寺の庭掃除などしたことはなかっただろう。それほど中国山地のてっぺんのあたりは雪深いということだ。
今日はその庭掃きで軽く4時間を使った。
万善寺の庭には2本の松があって、その松葉が止めどなく枯れ落ちているから、毎日庭掃きをしてもキリがないということで、この庭掃除の辛さは寺の営繕作務をしている者にしかわからないことだろう。
それでも、ささやかな救いは、集まった松葉の焚き火が簡単だということ。
これがイチョウの葉だったりするともうそれこそ一日あっても始末に終えないことだろう。
イチョウの葉だけは、とにかくしつこく燃えにくい。
それだけ多くの水分を含んでいるわけで、そういうことをよく知っている古人が神聖な結界の境界神木と防火を兼ねてイチョウの木を選んで植えたのだと思う。
さいわい、万善寺にはイチョウの木が近くにないから助かっていると云えなくもないが、一方で、燃えにくいイチョウがイザという時の防火の役割を果たしてもいるわけだから、結界の中で暮らす身にとってはなかなか良し悪しの判断に苦しむところでもある。
もっとも、禅寺末寺の万善寺位だと火災から守るのは御本尊様くらいのもので、歴史の古文書などはじめから残されることもなく口伝されてきただけのことなので後腐れもなくすっきりしたものだ。

口ばかりが動くおかみさんの小言のような指示のようなアレコレを聞き流しながら作務を進めて、人心地ついた時はすでに夕方になっていた。
夜には年回の繰り出しもしなければいけないから夕食前にお正月の大般若経守護札を刷ることにした。
私が住職になる前は仏具屋さんの通信販売で印刷された御札を購入していたが、それも味気ないし、やっぱり、自ら気持ちを込めて一枚ずつ刷り上げた御札に守護印を押してお経と香をお供えしたほうが良いような気がしている。
木版の版木は、万善寺から少し北上したとなり町に暮らしていた職人さんにお願いしたもので、明治の頃に作られたものだ。
私の木版は、墨をすってそれに墨汁を少し加えたものをいつも塔婆書きで使っている太筆に含ませている。
バレンでゴシゴシ擦っていると、版木に当てた和紙を通して逆さまの文字がくっきり見えてきて、その時の印象で版の出来がわかる。
版木に張り付いた和紙を取る時のピリッとした緊張感が好きだ。
暮らしがどんどんお手軽になっていく昨今、こういう手造りにしかない味わいもそれはそれでいいものだと思う。

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温かい年の瀬 

2015/12/29
Tue. 22:35

今年ほど異常気象を実感したことはない。
赤来高原の万善寺周辺はついに雪が消えてなくなった。
今朝はかなり冷え込んで地面以外は昨夜の雪が白く残っていたが、昼前にはそれも消えた。
春の田おこしから田植えの頃に農業用水が足りるかどうか心配になる。

富山のイベントの時に宿舎でお借りしたお寺の総代さんが伐採の薪を持ってきてくれた。
軽トラックに積載量ギリギリまで積んで、もうこれで4〜5回位往復してくれている。
本当にありがたいことだ。
何かおかえしでもしなければと思いつつ、結局今年も終わってしまう。
荷降ろしが終わってから、なにもないから万善寺のカレンダーを押し売りしておいた。
万善寺とはまったく関係のないことだから見るからにつまらないもので取り扱いに困ってしまうかもしれないが、裏紙を使ったら何かに役立つかもしれない。
今年の冬シーズンは、とにかくストーブのお世話になることが極端に少ない。
焚き付け用の製材落ちも、結局昨シーズンの残りでいまだにまかなっている。

夕方に万善寺へ帰って荷物をおろしていると、おかみさんがヨチヨチと歩いてくる。
「ここまで来なくていいからね!あなたは何もすることないからね!」
少し厳し目にいって聞かせないとなかなか云うことを聞いてくれない。
狭くて小さな万善寺の庫裡も、今のおかみさんにとっては相当広く感じているはずだ。
寝たきりで動けなくなるよりは随分マシなことだと思うが、こちらとしては干渉が過ぎるのも落ち着かないことだし、フクザツな心境でもある。

だいたいは寺の坊主玄関や帳場に使うための3畳を、今年の夏から少しずつ片付けて私の寺務所に使い始めた。とても書斎というまでにはいかないものの、今ではそれなりにちょっとした書物くらいの寺務が出来るようになってきた。
学生の頃からながら勉強が当たり前になっていて、もうそれが習慣になってしまって、何か耳のお供がないと仕事が手に付かない。
上の子供がまだ小さかった頃は、一ヶ月に何度もキャンプやデイキャンプに出かけていた。それ用に手作りしたテーブルをデスクワーク用に使っている。
3畳は狭いながらもそれまで仕事をしていた寺のロフトよりは機能的だ。
今夜から正月に配る御札を作り始めた。まずは和紙を裁断するところから始める。
特に頭を使わない単純作業だから、耳のお供だけでは物足らなくなって、ロフトで眠っていた古いデスクトップを移動した。
モニターの裏側に積年の湿気が溜まっていて、にじみが取れないままになっているが、それでもモタモタと動いてくれている。
虹のグルグが絶え間なく回って、アプリの起動にやたらと時間がかかる。
パソコンの性能は日進月歩だということがこういう時によくわかる。
久しぶりに西岸良平さん原作の映画「三丁目の夕日」を見た。
映画が始まって終わるまでに白黒テレビがやってきて、冷蔵庫が氷から電気に変わって東京タワーが完成した。

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恐るべし地球温暖化 

2015/12/28
Mon. 20:37

山のように仕事が残ってるのに、ひとまずタイムリミットで餅つきが始まるから、ワイフと一緒に万善寺へ移動した。
前夜から徹夜で目先の用事を一つ一つ片付けていたのだが、結局すべて終わらないまま朝になってしまった。
私が一晩中ウロウロして落ち着かないので、クロは別の寝場所を探してひとしきりうるさく鳴いていた。
石見銀山の真夜中の吉田家では、人間とネコがそれぞれ自分の都合ですれ違いながら無駄に動き回っていた。

朝方になって、自分でも覚えがないほど知らない間に記憶がスゥ〜〜っと飛んでしまっていて、「ちょうどいい時間にワイフが起こしてくれなかったら」・・今日一日がどうなっていたのかわからない。
師走の銀山街道はトラックがまったく走っていなくて久々にマイペースで走ることが出来た。
結界くんの後ろにはワイフのファンカーゴがピタリと張り付いている。
万善寺へ到着したら二手に分かれてそれそれの用事を粛々と片付けた。
気が付くとすでに午後2時が近い。
ワイフが暮れの買い物をしようというので、片道45分かけてスーパーへ着いた。
もう、今から尾頭つきの鯛が焼いてあった。
「お正月まで保つのかしら??」
「それまでに食べちゃうんでしょぉ〜」
なんともどうでもいい会話をしながら2割引きとか半額とかを中心に買い物をした。
帰りは、睡眠不足の影響でまぶたが重くて大変だった。
気晴らしにMac Musicを垂れ流して口ずさみなから眠気をとばした。

本堂の掃き掃除(といっても掃除機を使っただけだけど)と、前庭の掃き掃除を済ませた。
本堂の掃除は毎年のことだからそれなりに段取りも決めて普通に終わったが、厳しかったのは庭の掃き掃除。
なにせ、物心ついて今まで、年末のこの時期に万善寺の境内へ雪が残っていないという不思議。
ちょっと前までは、「雪がなくて走り易いねぇ〜」とか、「これだけ温かいと外仕事も出来ていいわぁ〜」とか、「せっかく新調したスタッドレスがやたらとちびるなぁ〜」とか、とにかく気楽なアレコレが緊張感のない脳みそを刺激していた。
よくよく考えると、雪のおかげで今まで長い間庭掃きをしなくてすんでいたのに、こうして雪ひとつない境内を見渡すと、やたらにたくさんの松葉が落ちている。
これをそのままにしておいたら、お檀家のどなたかに叱られてしまいそうなので、熊手と箒を使い分けながらひとまず前庭を掃いた。
年末の掃除に庭掃除が加わるなど、まったくの誤算だ。
暖冬の影響が万善寺にまで及ぶとは思ってもみなかった。
地球温暖化恐るべし!

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年の瀬の一日 

2015/12/27
Sun. 16:10

自分の人生でいちにを争うほどいろいろなことが重なった1年間だった。
まだあと少し残っているし、除夜の鐘をつくまでは気を抜くことが出来ない。

6月に遷化した憲正さんが急に調子悪くなって緊急通院したのが今年の1月1日だった。
こともあろうに、年明け早々から休日診療のお世話になって落ち着かない1年がスタートした。それから2月3月と徐々に体調が悪化して食欲がなくなり、5月までに2回の入退院を繰り返し、最後は一口も食べ物を口にしなくなってからほぼ1ヶ月して眠るように死んでいった。
本格的に腹をくくって看取り介護が始まってから約半年後の事だった。
その頃のブログを読み返してみると、憲正さんのことを心配しつつも、それを気にする余裕もないほどいろいろな用事が巡ってきて慌ただしい毎日を送っていた。

年の瀬の万善寺は、雪も消えて温かい。
今年最後の法事をつとめて、おかみさんの様子を見ながらしばらく付き合った。
この半年の一人暮らしもまだまだ慣れてくれなくて時折感情の乱れが高じて収集つかなくなることがある。それを心配をしてしばらく寺暮らしを続けていると、余計に世間との距離が遠ざかって私一人を相手に妄想の世界がどんどん大きく広がっていく。
おかみさんの生きるチカラというと、他人の世話にならないで自力に頼り過ぎるきらいがあって、益々それが意固地に固まってくる。
息子である私に対してもことごとく対抗意識をもって私の行く先々へヨチヨチとついてまわり、私の行動の全てに自らの主観的なチェックを入れてくる。もう体力も思考能力も、とても若いころと同じようには働かないことがわかっているはずなのに自分ではそれを認めようとしない。この半年の間、何度か福祉関係の職員さんに相談もしてみたがなかなか改善が見られないまま今に至ってしまった。

そんなおかみさんを振りきって石見銀山へ帰宅するとお昼を過ぎていた。
急いで改良衣から着替えて、冬休みに入って帰省するキーポンを迎えに行った。
途中、印刷が終わった来年の万善寺オリジナルカレンダーを受け取って、その他幾つかの用事を済ませながら予定より1時間ほど遅れてキーポンの待つ学生寮へ着いた。
ワイフのファンカーゴは、どうも私のドライブスタイルになじめないところがあって、長距離の運転をすると腰や膝が我慢できないほど痛くなってくる。
途中何度か休憩をはさみながら自宅へ着いたのが夜の8時半だった。

隠岐の海士町で働いているじゅん君も本土へ向かうフェリーに乗ったようだ。
石見銀山の吉田家が久々に賑やかになる。
そろそろ夫婦の二人暮らしの静かさに慣れてきた頃だったから複雑な心境のまま玄関を入ると、いつもは鳴きながら出迎えてくれるシロの姿が見えない。
突然のキーポン登場でビビリ上がってしまったようだ。
これから年末年始の約2週間、万善寺と石見銀山の往復を続けながら慌ただしい毎日を過ごすことになる。

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薪割りのクリスマス 

2015/12/26
Sat. 23:58

皆様・・・思い出に残るクリスマスになりましたか?
忙しい毎日を送っている方々にとっては、年に数えるほどの私事で大活躍の2日間になったのではないでしょうか?・・・と、私が一人で勝手にそう思ってるだけのことなのですが・・
「皆様」といってもこのブログに立ち寄っている方々はせいぜい片手程度のことですので限りなくマイナーなことなのですけどね。

さて・・・
今年の吉田家のクリスマスは何十年ぶりかで夫婦だけの二日間になった。
吉田家の子供達もそれぞれ自分の暮らしが固まってきて、そのうちそれが優先して、これから先親子の関係がしだいに遠ざかって疎遠になって、今年のような夫婦二人のこういう毎日が普通になるのだろうと思うと、吉田家コミュニティーの創世が一山越えて次の段階に移行した(大げさだねぇ〜・・)ということを具体的に感じ取れる2日間であった。
仏教徒の私がクリスマスを人生の節目にしてしまっているようなところもあって、そのスジの厳しい方々から石を投げられそうなことだけど、それは私の半世紀を超える人生において外すことの出来ない幾つかのポイントの一つと言ってもいい。
寺の子として生まれた時から、盆正月は公的事業(つまり、公事)に従事する暮らしをしている私にとって、1年の暮らしの中で寺の拘束を解かれて私事に過ごせる数少ない日がこのクリスマスということになる。
クリスマスは、同じロウソクでも仏壇のご本尊様への灯明とはまったく趣旨用途の違う使い方が出来る。
使途というと、他には夏の花火の着火火種や、災害停電時の生活の灯り、それに誕生日やクリスマスで使うケーキを飾るあのロウソクくらいしか思い浮かばないほどだ。
そういう訳とかもあって、とにかくクリスマスは好きなのだ。

それで、今年の事になるが・・・
前記のように、この2日間はまだ体調不良を引きずっていて、このまま症状が改善しなければそう近くない未来に私の死が迫っているかもしれないなどと大げさなことを思い始めたりして、人間の(ではなくて私の)メンタルの弱さを実感しつつ過ごした。
体調不良で苦しんでいる私に対して、ワイフからは「早く病院へ行け」と厳しく叱られ、なっちゃんは「そのくらいで死ぬようなことなどあるわけがない」と笑われ、ノッチには「ビールが不味くなる」と嫌われ、キーポンもひとごとで軽くあしらわれ、とにかく心身ともに散々なクリスマスになった。
それでも、この慌ただしい年の瀬に何もしないで寝てばかりもいられないし、結局クリスマスの当日に病院で午前中を過ごし、午後は昼食も抜きにして薪割りにはげんだ。
体調が思わしくないと、かえって自分の身体をいたわるようなところがあって、無理をしないようにゆっくりにゆっくりと仕事を進めたものだから、かえって無駄な動きが減って作業効率も上がった。
夕方になって手元も怪しくなったからキリの良い所で後片付けに入った。
薪割りのクリスマスも、まぁそれなりに記憶に残るそれなりの記念日になった。

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いちあいいちさつ 

2015/12/25
Fri. 21:12

物心ついてからこの歳になるまで、クリスマスを普通に過ごしたことがなかった。
改めて考えてみるとすごいことだと思う。
高校になってひとり暮らしをはじめてからも、クリスマスイブには何かそれらしきことをして過ごしてきた。上京してからでも、数少ない友達と過ごしていたり、数少ない彼女と一緒に過ごしたりしていた。
もちろん今のワイフも結婚する前から当然クリスマスを一緒に過ごした。子供が出来てからは、昨年のクリスマスまでサンタさんが毎年やってきて、それにお父さんサンタとお母さんサンタもいたから結構たいへんだった。
そして・・・今年は、キーポンの一人暮らしが始まって、30年ぶりくらいにワイフと二人だけのとても静かなクリスマスになった。
~~~~~~~~~~~~~~~
「あいさつ」は漢字で書くと「挨拶」になり、「押し迫る」というような意味で、語源は禅語にあります。
それに、それぞれ「一」がついて「一挨一拶(いちあいいちさつ)」となるわけですが、私が思うに、この「一」を付けるかつけないかで「挨拶」の真意に深みが増すかどうかというほどの大きな違いというか、重たい言葉になるような気がします。

人と人が相対してお互いに押し迫る・・・という行為に、強烈な緊張感を覚えるのです。
そこには、親愛を込めて「Hello!」と声をかけあうほどの軽さはないと思うのです。
そこには、修行の厳しさを超えてお互いの真意がわかりあえた時の喜びがあり、また、微妙な解釈のズレに新鮮な発見があり、その時の感情の深浅をつぶさに感じ取るほどの真剣な付き合いが含まれていると思うのです。

禅の道場でこのような師弟関係を維持しながら続く修行のことを思うと、今の我々にある「挨拶」がどれほど見た目だけの俗な言葉としてだけに使われているかがわかります。
地域の子供達に「みんなで挨拶をしまよう」などと学校教育で指導し、集団登下校があったりすると子供達は元気に「いってきまぁ~す」とか「かえりましたぁ~」とか叫んで使い分けたりしていますが、一人でどこかに遊びに出かける子どもとすれ違っても挨拶一つ帰ってこない。そういうことはよくあることです。
親や先生から教わらないと出来ない・・いや、教わっても出来ない子供達はいっぱいいて、それが当たり前で普通のことです。
むしろ、そこまで子供達に期待している大人がどれだけ日常で挨拶しているでしょう?

挨拶は上下のあるたしなみであってはいけないと思います。
相撲の取り組みのように、どちらも待った無しの阿吽の呼吸でぶつかり合うほどの緊張感が「一挨一拶」にはあると思います。
まぁ、そんなえらそぉ~なことを言っても、自分がどこまで本気で挨拶しているか怪しいものですけど・・・それに、「おはようございます!」に気合が入り過ぎても気持ち悪くておかしいですよね。
とにかく、ホドホドが一番。イザという時に出来るかどうかが大事なことです。

2016-1:2:3

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莫妄想 

2015/12/24
Thu. 20:41

体調不良が改善しないまま、早朝から結界くんを1時間半ほどすっ飛ばした。
途中で具合が悪くなるといけないから、朝食は抜きにした。

法類(寺の親戚のようなもの)のお寺の奥さんの訃報が入ったのは2日前だった。
通夜があって今日は葬式だった。
体調不良もあって通夜には参列できなかったが、葬儀をパスするわけにもいかないので、とにかく1日ほど何もしないでしっかり休んで今日に備えた。お陰さまで、式の間から帰宅するまでは普通に乗り切ることが出来たが、時折ひどい頭痛に襲われて目の奥が痛くなる。この症状が収まらないようだったら、病院へ行くしかないと思うが、もう年末で休院のところもあるし厄介なことだ。
この度亡くなった奥さんは七十代前半で今の時代ではまだまだ若いほうだ。万善寺のおかみさんは90歳を過ぎて元気に生きる気満々の毎日を送っている。人それぞれ何時何処でどうなるか・・そろそろ何があってもおかしくない年齢に差し掛かっている。
身辺の無駄なものを切り捨てて、スッキリと暮らせるようにしたいね・・
さて、カレンダー第3弾をどうぞ・・

~~~~~~~~~~~~~~~~
妄想などという言葉は、最近あまり聞かなくなったような気がします。
「もうぞう」とか「ぼうそう」とも読まれているようで、仏教的に言うと、「対象の事物にとらわれて間違った思惟や判断をしてしまう」ようなことを言うらしいのですが、まぁ、そういうことは私達の日常の暮らしの中で毎日のように行われていることでもあるでしょう。
また、「妄想」の上につく「莫(まく)」は否定とか禁止の意味なります。つまり、「莫妄想(まくもうそう)」とは、そのまま読んで「妄想するんじゃありません!」となるわけです。
妄想にはプラス思考とマイナス思考があると私は思っています。
他人の真意を正しく見極めようとしないで勝手な思い込みをして、なんの根拠もなく誤解をして喜んだり悲しんだりして、無駄にドタバタと落ち着かないまま物事を難しい方向へ捻じ曲げて収集がつかなくなることがよくあったりします。

今の世の中はあまりにも他人を素直に信用することが出来なくなっているように思います。
それも、良いように考えれば、他人の甘い言葉に騙されないですむし損をするようなことも減るでしょう。
しかし、度が過ぎると世間の付き合いが難しくなって暮らしにくくなったり、勝手に自分の主観的な善悪を正当化して世間と摩擦を起こしてしまったりすることになります。
何事も、「適度なゆるさ」をもって暮らすことができたら、無駄に妄想に縛られないで気楽に暮らせるのではないでしょうか。
他人と自分を比べるということが「妄想」を生み出すことになります。
自分は自分・・・出来ることもあれば出来ないこともある・・・特に立派な人間でなくてもそれで十分な気がします。

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結果自然成 

2015/12/23
Wed. 20:22

もう少しでクリスマスだというのに絶不調に陥ってしまった。
もっとも、禅宗の坊主にはクリスマスはなんの関係もないんだけど、そこは結局キリスト教も同じ宗教であるという私の寛大な心でひとまとめにして1年の節目の一つにしても良いのかなと思っているところもある。
聞くところによると、アメリカの方ではクリスマスをHAPPY HOLIDAYSというようにしているのだとか。いろいろな人種やいろいろな宗教が集まる国の事情ということらしいが、私としてはなかなかいい思いつきだと思うな。仏教だってお釈迦様の誕生日を祝ったりしているんだけど、今の世間でそれを知ってるのは坊主くらいかもしれないね。昔は地域で賑やかに花祭りの行事をして宗派を超えて坊さんたちが集まっていたこともあった。どうも、最近は仏教というと冠婚葬祭の葬式専門請負所みたいになってきて、宗教家の端くれとしては複雑で寂しい思いをしているわけです。
さて、それではカレンダー原稿第2弾
~~~~~~~~~~~

私ごとですが・・・
この歳になるまで・・いや、この歳になってもとにかく、やたらと多くの失敗をしてしまいます。物理的身体的な器用と感覚的精神的な器用とでは、おなじ「器用」でもその器用の意味がまったく違うと思うのです。「器用貧乏」という言葉がありますが、どちらかと言えばそれに近いことかもしれません。

「結果自然成」は、「けっかじねんになる」とでも読めばいいかと思います。
この言葉は解釈によっていろいろな意味が考えられます。「成」とは成功を意味したりもしますが、そうすると、「結果的には何をやってもまぁそこそこ成功するものさ!」というように、楽観的な解釈もあるでしょう。さて、どうでしょうか?
私は万善寺住職を引き継いだあとも彫刻を造り続けています。
方丈さんが彫刻を造っているのか、彫刻家が寺の住職を務めているのか、そのあたりの解釈は人それぞれでしょうが、私自身としては、坊さんでも彫刻家でもどちらでもなく、只の一人の人間がそこにいて、それぞれの役割を果たしているということなのです。
万善寺の日常は、そこで彫刻の制作をしていないという只それだけです。
工場で彫刻の仕事をしている時は、自身の修行と寺の作務を重ねあわせて過ごしたりしています。
島根県で小さな彫刻展を企画して開催している時は、これも布教活動だと確信して働いています。
それぞれ何をやっても成功の実感を持つことはありません。
むしろ、今の自分が何をしてきたのか、自分に何が出来るのか、そういうことが大事であって、それが目標になって頑張ることも出来て、結果はそのズゥ~~っと先にあって、自分の行為についてきているだけのことなのです。
ようするに、何もしなければ結果もないということです。
失敗を繰り返しても、それを恐れてなにもしないでいるよりはずっと良いことで、ひょっとしたらいつの間にかそれが人生の生きがいになっているかもしれません。

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みずきゅうにしてつきをながさず 

2015/12/22
Tue. 20:42

昨夜もいつものようにワイフの愛情たっぷり(かどうかはわからないけど・・)の夕食を食べてデスクワークの続きをしようと四畳半へこもっていたら、胃のあたりがシクシク痛み始めて我慢が出来なくなってきた。
それからがどんどん大変にひどくなっていくばかりで、ひと晩の間に数えきれないほどトイレの往復をした。
その間も、クロは私の横でピクリとも動かないまま爆睡している。
はじめのうちはまったく薄情なやつだとも思ったが、夜半を過ぎたあたりからそんな余裕もなくなって、フラフラしながらお茶を飲み水を飲みポカリを飲みバヤリスオレンジを飲み・・とにかく、脱水症状にだけはならないように気をつけるだけが精一杯になってきた。
結局、一睡もできないまま朝になって、ワイフが台所の用事を始めた音が聞こえてきたら、それで少し安心したのか、短時間ほど寝ることが出来た。
昼前になって胃の方は落ち着いて少し良くなったが、今度は熱が出てきた。
それでも寝ている訳にはいかないから、自分をだましだまし、原稿を仕上げた。
その一つがこれ・・・来年の万善寺カレンダーになる予定なのだが・・・さて間に合うだろうか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
宗門開祖の道元禅師さんの定められた修行規則に「典座教訓」があります。
「典座(てんぞ)」と云うのは、修行僧達の食事をつくる料理長のような役職のことです。
典座職は修行道場での要のような役割だといってもいいでしょう。
道元禅師さんは、それほど禅の修行で毎日の食事が大事なんだとお考えになっていました。

自分にしか出来ないことを自分の才能とか能力だと思ってしまって、それにしがみつくばかりのプライドだけで毎日を生きている人が多いような気がします。
人はこの世を生き抜く上で、自分のプライドを持つことはとても大事なことです。
でも、或る日気が付くといつの間にか自分がそのプライドの呪縛から抜けだせないでもがき苦しんでいることもよくあることです。

自分に素直になってプライドを捨てるということは、なかなか勇気のいることです。
その人の人らしさとか素晴らしさは、プライドの鎧をぬいだ時に初めて見えてくることではないでしょうか?
プライドは見た目は醜くても食べれば旨い、海老や蟹のようなものです。

「みずきゅうにしてつきをながさず」とでも読むのでしょうか?
~どんなに急流や激流であっても、そこに映る月は流されてしまうことがない~
私は、今までアチコチで散々流され続けてきました。
そろそろ先も見えてき始めたし、どこかに丈夫な杭でも見つけて流されないようにしがみついておきたいものです。
何事も、まずは自分を見失わないこと・・・その辺りからだったらはじめられそうな気がします。

2016-7:8:9改訂版

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本音と建前 

2015/12/21
Mon. 23:13

早いもので、憲正さんが遷化してもう半年が過ぎる。
1周忌をめどに墓石の建立を考えて、しばらく前に近所の石材屋さんへ相談しておいた。
その見積が今朝になって届いて、確認の電話が来た。
なんとなく予測はしていたが、かなりの出費になる。
夏から秋にかけて檀家の役員の皆さんとそのことで少し話をしてみたが、今時のことで積極的な前向きの話にはならなかった。
こういうことになると、みんながそれぞれの都合で良いように思いを巡らしてなかなか方向が一つに定まらない。
昭和の昔も似たような感じで憲正さんが孤軍奮闘頑張っていた。
万善寺の近年の歴史には憲正さんの労がかなりたくさん注がれている。
さすがに在職60年ともなると、万善寺の後世に残る事業をたくさん残している。
梵鐘の建立。
参道の改修工事が2回。
38年の豪雪後の庫裡の屋根替。
裏山の地すべり災害の復旧と客殿の改修工事。
位牌堂の増築。
本堂の屋根替。
畳の打ち替え。
地蔵堂の改築。
台風災害の復旧。
台所の改修工事。
風呂トイレの修繕。
・・・などなど、大小数えきれないほど寺の営繕に努めて来た。
大きな事業は、檀信徒からの寄進をお願いしていたようだが、ほとんどはコツコツ備蓄した私財を投資している。
宗教法人経営の鏡のような大和尚であったと思う。
なかでも、私にとって一番に救われたのは学資の全額を全て吉田家個人でまかなってくれたことだ。
仏教の中でも、曹洞宗は基本的に師弟関係で寺が引き継がれていくから、他の宗派に多い世襲ではない。
だから親子であっても、必ず子供がその寺を継がなければならないということでもない。
しかし、そういう建前はあっても、結局は子供の就学にあわせて学資の補助を檀信徒からの寄進に頼ったりすることがほとんどで、結局、そういうところへ踏み込んでしまうと、子供は成長してから、補助してもらった学資を自分の身体でお返しするということになる。
こうなると、寺の代替わりや引き継ぎには本音と建前が錯綜して、結局は世襲に準じて跡継ぎを引き受ける道しか手段がないことになる。
近所の寺院では、ほとんどそうやって子が親を引き継いで寺の住職に収まっている。
結局万善寺も表面上は似たような感じで私が代替わりして住職に収まっているが、実は心の奥底の何処かでは何時でも万善寺をオサラバするだけの腹をくくっているところもある。
檀信徒からの紐付でないということの自由な身が救いだね。憲正さんありがとう!

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放射冷却の日曜日 

2015/12/20
Sun. 23:58

万善寺の朝は放射冷却でかなり冷え込んだ。雲一つない青空が広がっている。
結界くんには霜がびっしりと張り付いていていた。今年最後の法事になるので、朝から頭陀袋をまとめたり塔婆を用意したりする間、暖機運転で霜を溶かした。
冬の時期のこういう時はスリップに気をつけなければいけない。
境内から参道へ降りるところが朝の太陽に照らされてキラキラ光っている。まずはクロックスで状況を確認した。万善寺参道が冬の一番の難所になる。ひと晩の間にどっさりと雪が積もったりすると、もう車を下の道まで下ろすことができなくなってしまうから夕方の天候には敏感になる。
島根県は裏日本でもそれほど雪国というわけでもないし、この近年は雪も少ないから比較的ラクに冬を過ごしているが、それで安心して気を抜いてしまうと大変なことになる。
大正生まれのおかみさんが、今度の雪で早速参道の雪かきにでかけた。私が少年時代はまだ国道も砂利道で自家用車を持っている家など集落に1軒もなかった。冬の交通手段は路線バスくらいしかないない時代の移動は自分の足に頼るしかない。彼女は、そういう頃から雪が降ると参道の雪かきを欠かさないで、それが日課にもなっていた。
長年続けた習慣というものが歳を重ねると共に頑固な意地に代わって肉体の衰えと精神感情のズレが修正できないまま無駄に重労働を繰り返してしまう。
タオルを頭に姉さんかぶりで巻きつけ、くの字に曲がった腰と膝が固まって棒のようになった足でヨチヨチ蠢きながら雪かきをするおかみさんの姿には鬼気迫るものがある。90歳を過ぎたおかみさんの雪かき姿を遠くから見ると、横溝正史の「悪魔の手毬唄」を思い出す。あの峠ですれ違うおばあさんの様子が重なってくる。

まだまだ年内に済ませておかなければいけない用事が残っている。
おかみさんを一人寺に残して、夕方になって石見銀山の自宅へ帰った。
行きつけのガソリンスタンドから会員割引のメールが届いていたので、空になった灯油缶を全部積み込んで大田の市内へ走った。
年末の日曜日だし、きっと混んでいるだろうなぁと覚悟して出かけたらそうでもなくて、簡単に給油が終わって、灯油をセルフで入れていたら、隣から声が聞こえる。
「せんせぇ~、先日はお世話になりましてぇ~」
まさか、こんなところで私に向かって「先生」などと呼ばれることなどないと思っているから、はじめは誰か他人のことだろうと聞き流していたが、しつこく呼びかけてくるので振り向いたら地元で頑張っている女流彫刻家のノリちゃんの旦那だった。
「なぁ〜んだ、はるちゃんかぁ〜・・こちらこそお世話になりっぱなしでぇ〜」などと、灯油を注ぎながら話していたら、今度は反対の隣へノリちゃん本人の赤いマーチが入ってきた。仲の良い夫婦だ。
灯油の給油所で両側からはるちゃんとノリちゃんの夫婦に挟まれて「先生」などと呼ばれている年の瀬の日曜日の夕方・・・何か自分のまわりだけ世間の慌ただしさがウソのようにゆったりと静かに過ぎているように錯覚した。
わがままオヤジの身勝手な都合であれだけ迷惑をかけて振り回してしまっているのに・・
みんなの優しさのおかげで今年もそれなりに満足の仕事ができた。
ありがたいことだ。

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底冷えのロフト 

2015/12/19
Sat. 23:12

年末になって駆け込みの法事を2つほど済ませた。
田舎の山寺では1年に2度あるかどうかの珍しく忙しい1日になって、午前の法事でお斎を早めに中座して、午後の法事へ出かけた。
都会や街場では法事というとほとんどがお寺参りで済まされることが多いようで、ワイフの実家でも年回法事の時は、親族が菩提寺へ集まって法事をして終わったらどこかの手頃なお食事処で身内だけでお斎を済ませてその場で解散して終わる。
その、午前のお斎の席で「お斎ってそもそも何ですか?」と質問を受けた。
なぜその話が出たかというと、午後からも法事があるということをさり気なく施主さんへ伝えておいたからだ。
それで、その施主さんが混乱してしまったということになる。
そもそも、「お斎」は法事が終わったあとに坊主をもてなす「お昼ごはん」だと思っていて、だから、午後からの法事はあり得ないと思っていたらしい。
それも特に間違いという程でもないし、まぁ、「お斎」とは坊主の業界用語のようなものでもあるから、普通に「そんなもんだ」と思っておいてもらって構わないことでもあるが、もう少し別な意味がないわけでもない。
真意の方は何かの検索に任せるとして、先代住職の憲正さんが斎膳の話を良くしていて、斎の用意ができると「それじゃ~仏事でございますからみなさん手を合わせてぇ〜・・今日は、○○さんの○回忌です。お供えのお下がりを皆さんでおいしくいただきましょう。いいですかぁ〜・・ハイ!いただきます!」で食事が始まる。
〜せっかくだから法事の日の食事はお仏壇にお供えをしたお膳の品を味わいながらご先祖様や故人を偲びましょう〜という意味もあるのだというわけだ。
私はその憲正さんの考えが気に入っていて、斎の膳についた時はそう思うように心がけている。
ちなみに、午後からの法事は斎膳が割愛されて、お茶を飲んで解散になった。

今年はじめての本格的な雪になって万善寺の狭い境内は雪に埋まっている。
おかみさんに付き合って延々と終わりのない話を聞き流しながら夕食が終わってロフトに避難した。
さすがに中国山地のてっぺんにある赤来高原は冷え込んで、空の星が近い。
いろいろやることもあるが、1日2回の法事で疲れた。久々に2時間以上お経を読んだ。
寺の寺務用に常備しているパソコンを開くと、モニターが湿気で曇っている。このまま無理してワープロを使ったりすると1Cチップのどこかがショートしてしまいそうで怖い。
しばらく暖機運転をして内部の湿気を飛ばすことに決めて、最近ハマっている夏帆ちゃんが出ているあの深夜ドラマを見ることにした。
可哀想なほど低予算バレバレだが、どこかしらつくり手たちの熱い思いが伝わってくる。偽善的であざといだけのワイドショーなど比べ物にならないほど純粋だ。
こういうところから鍛えられてみんながいい仕事をして育っていく人たちは本物だ。
昔の高田馬場駅の東芸劇場で汗と唾を飛ばしながら熱演していたつかこうへい事務所の役者さんたちのことを思い出す。
交通事故で死んだ萩原流行さんもそうだった。

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幸せな人生 

2015/12/18
Fri. 23:45

東京ぐらしを引き上げて島根に帰ったのは、今は亡き憲正さんが大病を患って手術を繰り返すようになったからだ。
最初の手術の時は中退も考えたが、せっかく学費を浪費して勉強してきたものを無駄にすることも忍びないし、それなりに学生生活へ未練もあったから「まだ島根に帰りたくない!」とわがままを通した。
それからすぐに憲正さんが2回目の手術をすることが決まって、さすがにもうワガママも言えないだろうとあきらめて、慌てて島根と広島の採用試験を受けることにした。
結局どちらも受かって、まわりが島根にしろというものだから言うことを聞いてひとまずワイフを連れて寺の近くの公立の学校まで帰った。
それから島根県内の転勤をいくつか繰り返して、引っ越しをするたびに子供が一人ずつ生まれて四人目が出来た時に、そろそろどこかに落ち着いておかないと子供達が可哀想だと思うようになって石見銀山の現在の家に落ち着いた。
ちょうどそれと前後して今度はおかみさんが心筋梗塞の手術をして生還した。
生活を支えるための職業は地方公務員になるから、そのまま定年まで勤め上げればそれなりに自分の老後もある程度保証されるだろうし、子供達も楽に就学できるだろうと思ったが、どうもそのように上手く事が運ばなくて、やはり両親の面倒を見ながら万善寺を引き継がなければいけないことになった。それに、公務員という立場で年々時間の拘束が厳しくなって坊主家業と両立することが難しくなったということもある。
それが今から7〜8年前のことで、その頃も憲正さんが何度目かの手術をした。
フリーになって彫刻をつくることの時間が随分楽になって、それはそれで良かったが給料の定期的な収入が無くなったので一気に生活が厳しくなった。
ワイフが働いてくれるようになって石見銀山の自宅の一部屋を使って絵画教室を初めてギャラリーをオープンした。
なんとなくいい感じで事が動きそうになったところでまた憲正さんが病気になった。
もうさすがにそこまでくると万善寺を引き継ぐしか選択肢がなくなって住職申請をして憲正さんと交代したのが今から5年前。この5年の間に絵画教室はワイフの彫刻工房に変わり、ギャラリーは物置になって今はネコチャンズの遊び場になりつつある。
万善寺の維持も大事なことだが、そればかりだと自分の暮らしが成り立たない。
それで始めたのが彫刻イベントの企画と運営。
1年のほとんどをその仕事で乗り切っていて、やっと何かしらやりがいを感じるまでになり始めているが、収入には繋がらないところが玉に瑕だ。それでも、公務員で平日はサービス残業し土日もなく働いていた頃の自分を振り返ると、精神的にも肉体的にもかなりのストレスが溜まっていて自分に余裕がなかった。今はお金では買えない自分の時間をもらっているから、それはそれで捨てがたくありがたい。
先日、憲正さんの通帳を整理した。万善寺の水道代と電話代と電気代の引き落としを切り替えた。
憲正さんの出生から死亡までの証明書を揃えるのに苦労したが、彼の生涯が少しだけ理解ることが出来た。
憲正さんは幼名を「後藤憲吉」という。生まれて2歳にもならない時に吉田家の養子になった。
まだ存命の時、通院の帰りに「幸せな人生だった・・」と言っていた。

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雪が降る 

2015/12/17
Thu. 23:38

石見銀山の町並みがしっとりと濡れていた。
雪駄の底からひと晩の間に冷えきった地面の冷たさが素足に伝わってくる。
「これは、たぶん寺は雪だな・・」
そう感じて、駐車場から長靴を取りに自宅へ引き返した。

案の定、銀山街道を登って行くと、途中から雪がちらつき始め、一気に路面が真っ白になった。
赤来高原へさしかかったところで広島ナンバーの真新しい乗用車が路肩に乗り上げていた。
たぶん、スタッドレスを履いていなかったのだろう。
この時期にノーマルタイヤでの走行は無謀だ。

国道から町道へそれて寺の前の道に入ったら一気に雪の量が増えた。
この近年は財政難もあって道の除雪は町道までで終わる。
結界くんはそれでも4WDだからそこそこ雪道を走ってくれるが、轍が深かったりすると腹を擦って動かなくなる。
バックとローをこまめに切り返しながらやっとお地蔵さんの前までたどり着いて参道の坂へ乗り入れたが、重たい雪がバンパーの上までのしかかって無駄にスリップするばかりで身動きできないままになってしまった。
長靴を用意しておいて本当に良かった。
お地蔵さんの前に結界くんを止めて、荷物を持って新雪の参道を寺まで歩いた。

一人暮らしもそろそろ慣れたおかみさんが、もち米を精米していた。
お正月のお供え用に鏡餅をつくるためだ。
90歳を過ぎてまだ昔と変わりないように働こうとしている。生きる気満々という感じだ。
ワイフが持たせてくれたポテトサラダをおかみさんに渡して、寺のアチコチにしまってある書類から調べ物を探した。
本堂も庫裡も暖房がない。おかみさんは冷えきって湿っぽい台所のフローリングに電気炬燵を出してそれだけでこの寒さをしのいでいる。
今年の寒さはいつもより楽だから、おかみさんもまだそのくらいの暖房で我慢出来ているのだろう。

一通り調べ物をしたが、結局お目当てのコピーを見つけることが出来なかった。
どこかにあるということはわかっているのだが、それが必要なときにはいくら探しても出てこない。
これが面白いもので、しばらくしてなんでもない時に何かの拍子で簡単に見つかったりする。なかなか思うように事が進まない。
それでも、関連の書類を一つにまとめてひとまず雪の赤来高原から石見銀山へ向かった。
帰宅してストーブに火をつけて風呂に入って温まったらひと心地ついた。
その頃から雨や硬い氷が激しく屋根を叩き始めて、夕食が終わった頃に静かになった。
今は気持ち悪いほど静かだ・・・きっと、明日の朝は雪が積もっているだろう・・・

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なんでも兼用テーブル 

2015/12/16
Wed. 21:29

夕食前にちょっとだけワイフといさかいをした。
吉田家唯一の団欒の場であるなんでも兼用テーブルにあった料理のレシピメモが見当たらなくて、それが原因だった。なぜ見当たらなかったかというと、私が承諾なしにテーブルの彼女の定位置周辺を自分の都合で片付けてしまったからだ。
こういういさかいは時々あるし、だいたいがその原因は今回のように私がなにかしでかしたということにワイフが我慢できなくてイラッときてしまうことから始まる。
当方としては、そもそも吉田家の数少ない公共の場である「なんでも兼用テーブル」は常におおむねフリーにしておくほうが良いと考えている。そうしておけば、いつもは食事で使っているテーブルを、ある時はワイフの用事で使うこともあるし、またある時は私の仕事のアレコレを広げることも出来るし、それに、急なお客様があってもすぐに対応できるし、そういう場所が家に一箇所くらいは必要だと思っている。

一歩引いて自分の行為を振り返ってみると、やはり自分自身にもそれなりの非があって行き過ぎた行為であると云われてもしょうがないところもある。そもそも、性格の違う二人が一つ屋根の下で共同生活をしているわけだから、こういう価値観のズレとか感情の行き違いがあるのは当然のことで、極めてノーマルないさかいと言ってもいいだろう。それがお互いに何処まで理解できて妥協できて反省できるかで、またつぎのいさかいまでは休戦が続きその間に時々フッと前回のいさかいの原因を思い出して少しばかり反省してちょっとだけ都合よく体裁を整えてお互いの溝が深くなり過ぎないように務める。
夫婦してこういう微調整をしながら毎日それとなくさりげなくできるだけ大きな波風が立たないように努力しているわけだ。

もう随分前の事になるが、研究資料の何かで「ブロークン・ウインドウ現象」という確かアメリカの犯罪学者の学説と実践研究を読んだことがある。自分の理論を実践すると、犯罪が激減したと報告されていた。ザックリと言ってしまえば、生活環境が改善されれば犯罪者が減るということ。
吉田家の「なんでも兼用テーブル」ごときで大げさなことだが、まずは身近の些細な事から物事を正すということは大事なことだ。毎日の習慣とか、最低限のルールは、だれでもやろうと思えば出来るくらいのところから始めていかないと長続きしない。
外出先から帰ったら靴をそろえるとか手を洗って服を部屋着に着替えるとか、食事は「いただきます!」から始めるとか、毎日歯磨きするとか・・・出来て当たり前のことがきちんと守られているかどうかを、寝る前にチェックして反省することぐらいの事だったら、それほど踏ん張って頑張らなくてもだいたい普通にだれでも出来ていることだろう。
ようするに、テーブルの片付けなどはその気になるかどうかで簡単に出来てしまうことなわけで、たとえば今の吉田家の場合だと朝起きて朝食前にちょっと片付けて、出かける前にちょっと片付けて帰宅してちょっと片付けて夕食が終わったらちょっと片付けて寝る前にチェックして夜中にオシッコしたらチラッとチェックをするくらいのことを夫婦が二人して繰り返せば随分片付いてしまうと思うんだけどそんなに難しいことなのかなぁ・・・
よし!!早速今夜寝る前からボクの場所だけでもそうやって始めるぞ!
・・・というわけで、さていつまで続くか、乞うご期待!

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幸せ者 

2015/12/15
Tue. 18:13

昨日はあれほどいい天気だったのに、夜になって気が付くと屋根に雨音が聞こえる。
2回目の薪がまだ結界くんのリヤデッキに積みっぱなしだからせっかく乾いていたのに濡れてしまっただろう。

富山町のイベントが終わって、最後の請求書が集まり始めたので朝から支払いに回ろうと思っていたのだが、急きょ薪の移動を優先することにした。
一時間位で土間へ積み上げた頃は雨が本格的に降り始めていた。
土間が製材落ちの松の臭いでむせかえる。

アチコチ支払いに回って最後にいつも2tレンタカーでお世話になっている車屋さんへ寄ったら、経理の可愛いお嬢さんが大きな傘を差し掛けてくれた。
こっちはいつもの汚いつなぎに鉄板入りの長靴スタイルで、それまでさんざん雨に濡れながら薪運びをしたあとの事なのに、そこまでしてもらわなくてもいいのに・・恐縮してしまったけど、なんとなく嬉しかった。
レンタル料金が今回から少し上がった。お嬢さんのサービスはそれでかも知れない。
前回の消費税が上がった時も値上がりして、今回また値上がりして、来年にレンタルする時は消費税も上がってまた値上がりしているだろう。
2010年に島根県の現代彫刻小品展がスタートしてから、レンタル料金だけで5000円は値上がりしている。
こればかりは自分の都合でどうにでも出来るわけもないし、世間の事情に身を委ねるしかない。
自分一人の暮らしだったら、無ければ無いなりにどうにか工夫してやりくりできるかもしれないがそれも現実的でない。

先日、島根の地元に住んでいる中学校時代の同級生が集まって忘年会をした。
みんな同じ年だから職業や立場の違いを超えて昔ながらの気楽な付き合いができる。
私は昼の用事があって少し遅刻したが、みんな何事もなかったようの出迎えてくれた。
しこたま飲んでしこたま食べた。
それなりに暮らしが豊かな奴はさり気なく高くて手に入りにくい旨い酒を差し入れてくれる。
それなりの退職金をもらって子供も独り立ちして気ままに暮らしている奴はその日のために何日もかけて旨い手造りおでんを振る舞ってくれる。
何も出来ない奴は「ウマイウマイ」を連発し、ひたすらパクパク食べてグイグイ飲むことでお返しをする。
10人も集まると昔から気の合う奴もいればそうでもない奴もいる。
そのあたりの微妙な距離をわきまえながらそれなりに和気あいあいと時が流れる。
中学校以来、40年以上も過ぎると、その間に死んだ奴もいるしドクターヘリで搬送された奴もいる。健康不健康も含めて、幸せに歳を重ねるばかりではない。
みんなそれぞれ、自分の環境で必死に生きている。
私のように自由にわがままに気楽に生きている奴は少ないだろう。幸せものだ・・・

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冬仕様の土間 

2015/12/14
Mon. 23:04

日が暮れて工場から石見銀山への坂を登る道端の温度計が12度だった。
この時期には珍しく、昼のうちは抜けるような青空に夏を思わせるような積乱雲が盛り上がっていた。少し動いただけですぐに汗ばんでくる。
気持ちの方はもう完全に冬対応になっているから、どうも身体の反応が上手く制御出来ない。
結果くんにいっぱいの薪を積んで吉田家前の駐車場へ帰って空を見上げたら、石見銀山の町並みの頭上の空いっぱいに星が輝いていた。
「今日は双子座流星群だよ!帰りに流れ星3つ見たわぁ〜」
キーポンが電話でそう言っていた。
一日中丸鋸動かして薪を刻んでいたから、空を見ながら駐車場で暇を潰す気持ちになれなかった。流れ星を見るよりは風呂で温まった方がいい。

このところ、短期間で天候が大きく変わる。
少し前の晴れた日に、昨シーズンで余った焚付の製材落ちを刻む準備をしておいたら、その後暴風雨になってせっかく乾燥していた薪がじっとりと濡れてしまった。
今日は、その濡れたままのまだ乾ききっていない薪を一気に裁断して結界くんで2往復した。
吉田家の土間のいつもの場所に積み上げてみると、今年の年末からお正月がすぎるくらいまではこれほどの量で十分まにあうほどになっていた。

吉田家の土間は、正面の町並みに面した出入り口と裏庭や銀山川の側にある出入り口を結んで、家の真ん中を縦断している。
もとは、土間から半分が住居で反対の半分が掘っ建ての作業場だったようだが、近代になって作業場に床を張り畳を敷いて2世帯が一つ屋根の下で暮らせるように改築したらしい。
吉田家の家族がこの家で住み暮らす前は、屋根が抜け落ちて空が見えるほど朽ちた状態の空き家だった。
文化庁の調査が入ったりして結構面倒な家だったが、せっかくのことなので原型にできるだけ近づけながら復元しつつ改築して今にいたっている。
その土間も、調査の結果基礎石の配置に従ってほぼ原型に近い状態で復元された。
町並み側の出入り口は大戸を引き上げることも出来るような仕組みになっていたようだが、今は障子の引き戸を開け閉めしながら暮らしている。
それでも結構広い土間だから、こうして自宅の中に薪を積み上げておくことが出来て便利だし、手押し車も持ち込めて作業もし易い。

薪を運んでいると、まだ子供達が小さかった頃を思い出す。
あの頃はじゅん君もなっちゃんもお父さんの薪運びをよく手伝ってくれて、まだ小さかったノッチは犬の散歩を変わってくれて、家族みんなで冬のシーズンを迎える準備をしていた。
「あんたが動けなくなるまでだからね。薪ストーブは・・」
ワイフにそう言われていて、今は、オヤジ一人でコツコツと薪を刻み運んでいる。

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年末の日曜日 

2015/12/13
Sun. 19:49

久々に餅つきをした。
石見銀山の駒の足自治会では、毎年この時期なると町内の各家にお餅をふるまう。
大人たちが・・というより、男たちが餅をついて女達がそれをこねる。
子供達は出来上がってパック詰めにされたお餅を配って歩く。
吉田家の4人の子供達も毎年そうやって大きくなった。
キーポンが小学校から中学校へ入った時の同級生は彼女を含めて二人だけだった。
同じ自治会はキーポン一人だったから、あの頃の駒の足自治会の平均年齢はかなり上の方だった。
今日は朝早くから餅つきに出掛けてみると、小学校へ上る前の小さな子供達がいっぱいいた。
ザラッと数えただけでも赤ん坊まで含めて10人はいたと思う。
知らない間に、完全に世代交代していた。
ほんの数年前までは大森小学校の全校児童が19人でしばらく推移していたのに、今では一つの自治会だけで二桁もの子供が育っている。
この賑やかな餅つき風景を見ると、吉田家のキーポンが可哀想に思えてきた。
彼女の頃は子供が少なくて何年も寂しい思いをしていたのだろう。

若いお父さんが重たくて大きな杵を持ってふらつきながら無駄に力の入った餅つきをしているのを見ながら久々のアサヒスーパードライを飲んでいたら、餅の返しをしろと使令が飛んできた。
この返しはそれなりにコツがあるから、若いお父さんにはまだ難しいようだ。
まだ孫もいないのに歳だけはとって、もういい加減ジジイになっているからけっこう重労働だった。
腰は痛いし、膝も調子が悪いし、せっかく気持ちよくビールを飲んでいたのに・・・
それでも、みなさんに喜んでもらえたようだし、朝っぱらから堂々と酒も飲めたから文句は言えない。

久々の日曜日は午後から久々に本物の日曜日になって、観たかったアメリカドラマを2本と、それにワイフの目を盗んで最近やたらと元気なテレビ東京の最強エッチドラマ「みんな!エスパーだよ!」を見漁った。
夏帆ちゃんの白いパンツが目に眩しかった。
その夏帆ちゃんは、島根県の浜田を舞台にした映画の「天然コケッコー」で新人賞をもらっている。
役の幅も広いしなかなか度胸のある女優さんだと思う。
とにかく、テレビ東京の30分ドラマは理屈抜きで面白い。
島根県では地上波でテレビ東京を見ることが出来ないし、長い間このような文化の地域格差に不満を感じていたが、最近氾濫気味のウエブ配信動画のおかげでやっと気楽に趣味の世界を堪能できるようになった。
パソコンとテレビの境界が曖昧になっている現状は、個人的に大歓迎だ。
餅も美味かったし、テレビドラマも面白かったし、良い骨休めの日曜日になった。

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肩が凝る 

2015/12/12
Sat. 17:13

ワイフが朝から鯛飯を作ってくれた。
絶妙に旨かった!

・・・その鯛は、万善寺の隣町の禅寺ご住職在位60周年を祝った時にふるまわれたもので、2段重ねの祝儀弁当を飾っていたものだ。
近所の寺で組寺でもあるし、祝賀の拝表を添えて法要へ随喜させてもらった。
お檀家さんの信心で立派な法要だった。
秋には教区の寺で晋山式もあったし、今年は慶弔事の多い一年になった。
こういう時は末寺の山寺にとって、出費が増えてけっこうつらい。
それでも、お付き合いであるしできるだけ時間を調整して出席参加するようにしている。

苦労していた報告書が一つ終わって、昨日は強風の中松江の県庁内にある事務局まで提出してきた。
ついでに事務職のオネエサンと幾つか情報交換して善後策を助言してもらったりした。
年末になって大きな仕事の一つがひとまず片づいたので、なんとなく気が抜けた。
文書の作成中は気にならなかったのに終わってみると身体の節々が痛い。
昼となく夜となく不自然な姿勢のままキーボードにかじりついていたからその後遺症かもしれない。
面白いもので、何日も工場で金槌持ってガツガツ鉄板を叩き続けていても筋肉痛にはなるが肩など凝ることもないのに、延々とデスクワークが続くとやたら肩が凝る。
世間の事務職サラリーマンの皆さんは凄いと思う。
自分には絶対にサラリーマンは不可能だと確信できる。

今朝は身体が重くてなかなか起きれなかったが、旨い鯛飯で元気が出た・・・と同時に食べ過ぎた。
その後、寺の用事を二つ片づけて、島根県の中央部をぐるっと一周して石見銀山へ着いた。
これから着替えをしてまた赤来高原へ走る。結局1日で一周半することになる。

寺にはそれなりにいろいろ外せない付き合いもあるから仕方がないことだ。
今回の付き合いは絶縁になりそうな墓石の管理に関する相談だった。
現在は京都で暮していらっしゃる親族のご夫婦が、仏事の用事で帰省するのでそのついでに万善寺と縁があった絶縁の親戚の墓石の始末をしたいという相談だった。
当事者にとっては、なかなかデリケートな問題だし、残された身内でたらい回しにされている墓の始末を結局誰かが受けなければいけないから、何年もそれで悩んでいらしたようだ。最近は、こういう相談事が多い。
私は、そういう時はとにかく事務的に用件だけをシンプルに伝えて済ますことにしている。
この時代に仏教の教典がどうだこうだいっても話にならない。
さて1時間もお話したろうか?・・相談のご親族は肩の荷が下りたようで、お別れの時は晴々とにこやかなお顔になっていた。
まぁ色々あるけどそれが何より!・・・ボクの肩凝りは治らないままだけどね・・・

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長男のこと 

2015/12/11
Fri. 23:36

キーポンの一人暮らしが決まった頃に電池式の歯ブラシを買ってあげた。
ついでだから自分やワイフのものも一緒に買ったのだが、結局しばらく使っているうちにまずワイフが使わないようになって、次に私も使わなくなった。
私の場合は、ちょうど憲正さんの調子が悪くなったりして寺暮らしが多くなってしまって、その流れで自然に電池式歯ブラシから遠ざかってしまったような感じだった。
その後その歯ブラシは、半年の間に憲正さんの遷化やお盆がやって来るなどして、洗面所のガラス扉の裏に仕舞われたまま忘れられた存在になってしまった。

いつもの歯ブラシが開き切ってしまって歯磨きの用をなさなくなったので替えを探しかけたが、その時になってあの電池式歯ブラシがあったことを思い出した。
スイッチを入れるとブラシがグルグル回りはじめる仕組みで、一定の時間回り続けたところで「ブブッブブッブブッブブッブブッ」っと回転が変る。その時間が標準的な歯磨きタイムになっていて、時間がきたことを知らせてくれているわけだ。
使用を再開してしばらく経つが、その電池式歯ブラシを使うようになってから、顎を突き出して顔をあげて天井を見ながら回転が変るまで歯磨きを続けるようになった。
その天井近くに物置用に自作した棚の壁があって、その壁にじゅん君の(まだおむつが取れないくらい)小さい頃に三瓶山へピクニックに行った時の写真が引き伸ばして掛けてある。
私がキャノンAE1で撮影したもので、結構気に入っている。
最近は、その写真のじゅん君を歯磨きのたびに見ている。
あの頃は良く彼と遊んで、寝る時も川の字で、何かにつけてベッタリと可愛がっていた。まだ猫のタマが吉田家にいる頃で、小さなじゅん君に尻尾をにぎられたりして遊び道具にされていた。

例の如くトイレにこもってなにけなくウエブニュースの記事を見ていたら、長男の特徴なるものが列記されていて、読んでみたら結構当たらずといって遠からず。

1.面倒見の好い、世話好きな男はほぼ長男
2.長男は比較的におっとりマイペース
3.長男は多かれ少なかれマザコンである
4.臆病なのは長男の良いところか?
5.優柔不断に見えて頑固なのが長男
6.長男はうつ病になりやすいのが特徴
7.なぜかリーダーシップはあるのが長男
8.プライドの高い男もやっぱり長男

記事の方は、項目の一つ一つがそれなりに分析されていて、彼を思い浮かべながら読んでみるとなかなか楽しめた。
早いもので、彼もそろそろ30歳になる。
親から見ると子供はいくつになっても可愛いものだ。

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コーヒー 

2015/12/10
Thu. 22:46

1日前はあれだけいい天気だったのに、石見銀山は一晩のうちにいっきに冬らしい天気になった。
最近ではこういう急激な気候の変化が身体にこたえるようになってきた。夜のうちからどうも身体がだるくて重い感じがしていたが、限りなく早朝に近い深夜頃になると同じ体勢でジッとしていることがつらくなって、そのことでどんどん目が冴えて眠れなくなってしまったので布団の中でゴロゴロしながら読みかけの文庫本を読んだりしていたらワイフが起きてきた。都合のいいことにそれで気持ちが切り替わったので、おはようの挨拶を交わしてから二度寝に入った。その間に、ワイフは朝食の準備をしてコーヒーをポットいっぱいにしてくれた。
報告書の一つがあと少しで出来上がる。
どうもかたくるしい作文が苦手で、ウンウンうなりながらやたらとコーヒーを飲んでしまう。一日が終わって気が付くとあれだけたっぷり入っていたポットのコーヒーが残り少なくなっている。それでも、夕食の晩酌で一杯やると普通に4〜5時間は眠れてしまう。数年前は不眠症で苦労していたのに面白いことだ。
自分の身体というか体質の変化に自分で戸惑ってしまう。きっと、今頃は人生の何回目かの変化がやってきていて、それにまだ自分が慣れないままでいて、そのうち気がつかないうちに調子の悪いことが普通になっていて、そういうことがくり返されながら少しずつ老化していくのだろう。

コーヒーというと、今はMJBの大きなカンを開けている。
コーヒーを旨いと思って飲みはじめたのは18歳で上京してからだ。
高校までは試験や受験の勉強というともっぱらリプトンの紅茶ばかりだった。
東京に出て予備校の近くの喫茶店でお昼の日替わりランチタイムがあってそれが安くて旨かったから一週間に2日くらいはそこで食べていたのだが、そのランチについてくるデミカップのコーヒーがとにかく旨かった。今思うと、それまではネスカフェのインスタントばかりだったから当然といって当たり前のことで旨いに決まっている。
ある日、その喫茶店のマスターがお昼の忙しい時に包丁で指をザックリ切ってしまった。
ちょうど私が日替わりランチを食べている時だったから、「洗い物しますよ・・」と声をかけたのがきっかけで、それから2年半もの長い間都合の良いようにバイトして働かせてもらった。時給のバイト代よりむしろお昼ご飯に苦労しないですむことの方が有難かった。
マスターは毎朝ネルのドリップで大量のコーヒーを入れていて、それが午前午後の2回に分けてくり返される。
コーヒー抽出のこまかなポイントはその時見ながら覚えて、コツは聞きながら教わった。
コーヒーメーカーの今ではネルドリップなど使うこともないが、ポイントはマメの量と蒸し加減に尽きるようだ。たっぷりのマメを贅沢に使うということと、濃いコーヒーを一度冷ましてから適温まで加熱して最後に色加減を見ながら差し湯をするのがマスターの技だった。コーヒーカップが白いのは、コーヒー色の濃さを見るためだとマスターは云っていたが、ほんとうかどうかは分からない。
今の私はそこまで凝るようなこともないけど、いずれにしてもそこそこ旨いコーヒーが飲めればそれで満足なのさ。

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長髪 

2015/12/09
Wed. 23:56

このところ石見銀山で引きこもっているか、改良衣に着替えて寺の用事を済ませているか、どちらかの生活が続いていた。
報告書作成の関係で急きょ彫刻家の小林さんと逢うことになって、久しぶりに朝から石見銀山の町並みへ出て見るとメチャメチャいい天気。

ワイフにたたき起こされて痛い身体を騙しながら布団から抜け出した時はそれほど寒さを感じなかった。
しばらくのあいだストーブの世話もしないでシロと戯れていたら、「ストーブちゃんとつけてよ!朝は忙しいんだからそのくらいしてくれてもいいでしょ!!」
・・台所のワイフに叱られた。
べつに、ストーブがなくてはいけないほど寒くもないと思ったが、ワイフの機嫌をこれ以上損ねるのもどうかと思うし、ひとまずは素直に彼女の言うことを聞いた。

まぁ、そんなことがあって、それでも美味しい朝ご飯を食べさせてもらって、必要な書類などを準備して、結界君に乗り込んで石見銀山から国道へ出て東に向かった。
運転席に冬の低い太陽が射し込んで顔の右側がやたらと熱い。
これで夏場だったら帽子を用意したり窓ガラスにタオルを挟み込んだりして直接の紫外線を避けたりするが、まさか冬の今の時期にそんなことまで準備しようとも思っていなかった。
運転しながら結界君の助手席の後ろ側辺りの左手の届く範囲をまさぐっていたら、工場の仕事中に暑くなって脱ぎっ放しにしていたTシャツを見つけてそれを頭から顔の右半分に引っかけた。
こういう時に頭を丸刈りにしている坊主は困ってしまう。やはり長髪の良さというか、長髪にする意味というか、まんざらファッションの関係だけでもない。
出雲市に入ってしばらくしてから斐伊川土手を南下する。
その頃になってやっと結界君の運転席に射し込む日差しの向きが変った。

長髪というと、やはりそれなりに世間へ反抗していた若い頃のことを思い出す。
それに私の場合、中学校を卒業するまで丸刈りの坊主頭だったから、余計に長髪へ憧れていたようなところもある。
あの当時は、ビートルズの来日やヒッピーやフォークソングの流行などで、長髪が完全にファッションの一部になっていた。高校生になってすぐから田舎の坊主頭の少年は髪を伸ばしはじめ、その長さに正比例して親への反抗も増幅した。ひと通り悪いことも覚え、卒業までにそれが一巡した。
それから上京して20代のほとんどを長髪で過ごした。
今の坊主頭からは想像できないだろうが、ポニーテールで過ごしていた頃もあるし、アフロで改良衣を着てお盆務めをしたこともある。それに、口髭と顎髭は結婚してからも続き、今のようなスタイルになったのは30代も後半になってからのことだった。
「ロングヘアーが懐かしいなぁ・・」と思いつつ、結界君の道中は久々にボブ・ディランを聞いた。

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12月の紅葉 

2015/12/08
Tue. 23:58

「今日もいい天気で暖かでしたねぇ〜〜」
幾つかの支払いを済ませて、最後になったクロス屋さんのお母さんが領収書を書きながらそんな世間話をはじめた。
確かにこの数日の石見銀山から大田市一帯は小春日和が続いている。
冬の山陰のことだからそれも局地的なものかもしれないが、どうも今年の気象はいつもと違う。
「いつもだったら、もう1〜2回はドカッと雪が降ってる頃ですよね・・先日富山の紅葉がキレイに色づいていましたよ・・・もう12月なのにねぇ〜・・」
少しばかり世間話につき合って店を出たらあたりはいつのまにか暗くなっていた。

ワイフに連絡したら今帰宅途中だという声がぐったりと疲れていた。
彼女にはそのまま石見銀山へ帰るよう伝えて、私は近くのスーパーへ回った。
一日の売り尽くしで生鮮食品がかなり値引きされている。
世間が・・というより、政治が軽減税率の話題で盛り上がっていることを思い出した。
私のような低所得庶民にとって、手が出るのは半額になった鯛のアラとか3割引の豚バラとかせいぜいそんなもんだ。近所のコーナーにずらっと並んでいる加工食品特上マグロのにぎり寿司は、半額でもまだ十分高い。
疲れていそうなワイフを気遣った今日の夕食の買い物は、1本364円のワインも併せて〆て2000円チョット。最近の夫婦二人暮らしの夕食で一人1000円はかなりの贅沢をしてしまった。結局は何処かのコンビニ弁当にした方が安くあがるが、それは加工食品だからこれから先の軽減税率の対象外になる可能性がある。
まったく、今の政治は庶民のベーシックな暮しぶりを全く理解していないね。
朝起きたら秘書が車で迎えに来ているような暮しをしているような、吉田とは別世界で生きている方々には最初から低所得庶民など関係ない話なのだろうけどね。
100歩譲って関係あるとすると、選挙の投票の時くらいのものだろうけど、それも島根くらいの地方になると組織票とか云うヤツがいまだにしっかり残っているから、その筋の関係者には痛くも痒くもない話だしね。
買い物をすませて、そんなことを考えながら日が暮れた銀山街道を素っ飛ばした。

自宅を出る時に、ストーブへたっぷりと薪を補充しておいたから、土間から部屋へ入ったら身体がとろけそうに暖かい。ひと足先に帰宅していたワイフがそのストーブの前でボォーっとしていた。
準備していた風呂が保温されているはずだから、まずは読みかけの文庫本を持って風呂へ入ることにした。短編を2〜3つ読む間に身体が温もった。
実は私は、秋から冬になって日が短くなって夜が長くなる今の時期が昔から大好きなのだ。
仏教坊主の立場で、クリスマスが大好きだし・・・
夜が長いということで、何かいっぱい得した気になってしまう。
仕事も早く終わって風呂にも早く入って一杯の酒も早く飲めて好きな映画は2本くらい楽しめる。
これくらいのマイペースな貧乏暮らしも、それはそれでなかなか楽しいものですよ。

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ここだけの・・ 

2015/12/07
Mon. 22:52

台風以上の大風が吹いて、結界君がひっくり返るんじゃないかとヒヤヒヤの一日が過ぎて、冬の日本海沿岸としては文句の云えないほどのそれなりに薄日の差す一日になって、朝からストーブもつけないでウロウロしたあと、引き続いて富山での今年最後のワークショップと、それなりに慌ただしい毎日が続いている。
私のように定職を持たないで毎日がバラバラの仕事とも云えない用事を一つずつ片づけながら暮していると、かなり強く意識して一日のスケジュールを組み立てていかないと、怠けようと思えばいくらでも楽にだらしなく毎日を過ごしてしまうことになってしまうから、それはそれで自ら自分を戒めて結構緊張しながら暮していたりする。
秋口から続いた、自分にとっては比較的大きな仕事の実働が一段落して、このところその整理や報告の事務処理が続いているから、寺の用事が無い時はだいたい吉田家にこもりっ放しになっていることが多い。
ほぼ一日中ジッとしていたりすると、3時のティータイムになる頃には身体のアチコチが固まって椅子から立ち上がるのも辛くなってしまったりする。
せっかく自宅にいるわけだから、軽い運動も兼ねていつもはワイフに任せっきりの家事の手助けでもしようと決めたことがある。
食器洗いと、ネコチャンズのトイレ掃除と、お風呂掃除に風呂焚き、それに時間を見つけて薪づくり。このくらいの家事をほぼ毎日くり返すことも、規則的な日常を過ごすことになって、今の自分には都合がいい。
もっとも、こんな暮しをいつまで続けていても収入に繋がるわけではないから生活の方は厳しくなる一方であるが、今のところ酷く世間に迷惑をかけることもなく暮すことができているから、「まぁいいや!」と思うようにして未来を悲観しないようにしている。

ここだけの話・・・
私の吉田家での暮しは独断的に我侭で俗な世間の常識からは若干逸脱しているところがある。子供が同居している頃からそういうふうな癖っぽいところもあったが、今よりはずいぶんと常識的に暮していた。
それが最近のワイフと二人暮らしになってからは、ハッキリと確信的に態度で表れるようになってきた。具体的に云うと些細なことで取るに足らないほどのことなのだが、同居しているワイフから見ると、どうもそれが我慢できなくてイライラの種になっているようだ。
自宅電話は鳴っていても出ない!ということと、新聞は読まない!ということと、洗濯物はたたまない!ということで、たったそれだけのことだから、別に大騒ぎするほどのことでもない。私への用事は携帯へダイレクトにかかるし、ウエブニュースで好きな時に最新の情報がチェックできるし、衣類のたたみ方で文句を言われたくないだけのことなのだ。

こうして吉田家で過ごす時間が増えると、それはつまりネコチャンズと一緒にいる時間が増えているということで、いきおい彼等の毎日の行動に敏感にもなる。彼等は、平均して確実に12時間以上は何処かで寝ている。
起きている時の彼等の行動を見ていると、学ぶべきところも多々あって、今の私は気が付かない間に猫化しているように感じる。
良く云えばマイペース。良く云えば媚びない。良く云えばキレイ好き。良く云えば・・・

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年末ワークショップ 

2015/12/06
Sun. 22:12

準備も手伝いもなんにもしないワガママオヤジがへんに偉そうに口出しするととんでもなくコトがねじれきってしまう恐れもあるから、ワイフに全てを丸投げしてしまおうと思っていたから、彼女の試作を観た時はハッキリ言って感動した。
武骨なだけのオヤジとしては、ワイフのさり気なくポイントを外さない絶妙なお洒落加減に頭がさがる。

・・・というわけでクリスマスも近い本日の富山でのワークショップのお題は、オシャレなクリスマス仕様のウエルカムボードつくり。
日当までは出ないけど、材料代などの必要経費がまかなえればそれでイイヤと儲けは二の次で、料金は今どき100円ショップでも108円の時代に一人100円ワンコイン!
今回最高のお買い上げは若いお母さんとまだ小さな4人のお子様〆て500円。
これで、お一人様500円のワンコインだったりすると5人で2500円なんて「吉田だったら絶対にパスするな!」と貧乏人根性でそろばんをはじいてしまうから結局いつまでたっても商売にならない。
終わってしまえば、会場関所の料金箱には2700円ほど溜まっていました!
その中から、ワイフへ還元金2000円を支払って、残り700円が手元に残った次第。
油代くらいにはなったかもしれない。

年に2回のワークショップも、今年でもう4年目になる。
4年前から毎回参加してくれる地元のおばちゃんやおばあちゃんは冗談話ができるほどの仲良しになっている。
少しずつ顔も名前もお互いに覚えて覚えてもらって、そういうお付き合いができるようになってくることが有難いことだと思っている。
中でも、本当に嬉しかったのは地元のおじいさんが拾い集めて寄付してくれたヒノキの実。
こういうことでもないと、一生「これがヒノキの実なのだ!!」と分かって拾い集めることなどないだろう。
そういう、色々な自然の恵みが何かしら工夫されてかたちを変えて何かが出来上がっていく様子を見ることが楽しい。
「先生!ここどうすればいいですか?」小さな子から質問された。
先生って誰だろうと思っていたら吉田オヤジのことだった。
今では私もワークショップの先生なのですよ!
濃密な出会いがいっぱいの1日だった。

例の如く文庫本を持って風呂に入っていたら、知らない間に眠ってしまっていた。
突然耳元で猫が鳴いた。
お湯を恐がらないクロが湯船の縁を歩いていた。
さて、どのくらい眠っていたのだろう・・・タオルにくるんだ読みかけの文庫本が風呂の湿気でシットリと湿っぽい。
身体も心もとろけてふやけた。
台所から包丁がまな板をたたく音が聞こえていた。

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アデルの一日 

2015/12/05
Sat. 23:36

あれだけ大風が吹いたから万善寺の狭い境内は吹き飛んだ松葉で大変なことになっているだろうなぁ・・と、確信的に思いつつ、いつもの七日務めが終わって寺に帰ったら、やはり予測通り境内全体に松葉の層が絨毯のように敷き詰められていた。
作務用の作業着に着替えるのも面倒だから、そのまま改良衣に雪駄履きで熊手と箒を使い分けて松葉をかき集めた。
おかみさんは、自分が若い頃と同じように今の住職を使おうとして、無駄に小言ばかり口走っている。
90歳を過ぎて、そろそろ分相応に自分をわきまえて慎み深く暮してもらいたいものだと期待しつつも、とてもそのような都合のいい願いが叶うわけもない。
何処かしらそのような不条理を感じながら、おかみさんの一人小言を聞き流そうと自分をだましながら庭履きに励んだ。

夕方から石見銀山で飲み会に誘われていたので、それに間に合うように帰宅した。
今日は一日アデルを流しながら万善寺へ往復していたから、風呂に入ってからも耳鳴りの向こうでかすかにアデルが歌っている。
何度聞いても歌が上手すぎるし、アルトがかった包み込むような声に引かれてしまう。
このくらいのレベルになると、かえってしつこく聴き過ぎて身体中がアデル漬けになってみうごきがつかない。
彼女の何処がいいかというと、それで一晩過ごしてしまいそうだし、それも限りなく個人的で身勝手な趣味の問題だから、そのあたりを考慮して「吉田の趣味はひとまず分かったからね・・・ヨシヨシ・・それでOKよ!♡」くらいの軽いノリで済ませておいて欲しい処もあるともう一人の自分が囁いていたが、激しい耳鳴りには勝てなかったようで、普通にオヤジのノリでほんの3時間ばかり酒宴が盛り上がってしまった。

今夜の飲み会の相手をしてくれたというか、相手してもらったというか、その人は、もう40年ほども前になる頃の同級生の「たくちゃん」だった。
自他共に認める田舎者の吉田オヤジとは比べることもできるわけがないほどの別ラベルの世界で生きている人だから、少しくらいは慎重におとなしくしなければいけないと、酒宴の席に着くまでは自覚していたつもりだったが、結局、いい歳してそこまでして自分を誤魔化してもナンの得にもならないだろうと見限って、途中からいつもの「ワガママチョットガンコオヤジ」で乗り切ってしまおうと気持ちを切り替えた・・・というより、心を入れ替えた。
いまさらここにきてたいしてどおでも良いような自分を着飾って有りもしない見栄を張ってもしょうがないことだ。

明日は朝から一日だけのワンコインワークショップでお出かけ。
上機嫌で帰宅したら、いつもは早寝のワイフがセッセと試作品を造っていた。
彼女の様子をみると明日の不安が飛んでいった。
ハッキリ言って、吉田家のこのゆるやかなワガママモノの生活共同体であるということの居心地の良さは何にも替え難いね。

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結界君踏ん張る! 

2015/12/04
Fri. 22:54

時折強い風が土間に吹き込んでくる。
久々に冬らしい寒い一日になった。
アチコチ隙間だらけの吉田家に暮していると、ストーブに薪を放り込んでおくだけの暖房に慣れてしまった。
四畳半のデスクワークには炬燵があるからそれで十分。
一年中空けっ放しの明かりとりの障子窓からおもいっきり冷たい風が土間に吹込んでくるから、まぁ、ほとんど石見銀山の町並みと似たような環境で暮しているようなものだ。
屋外より少しマシなのは雨や雪が降り込んでこないということくらいのことだろう。

年末の押迫った用事を片づけないといけないから、この一週間はそれにかかりっきりになっている。
もう週末になってしまって、今度の日曜日は今年最後のワークショップがある。
ほんの2~3年前はひと声かけると簡単にメンバーが集まって協力してくれたものだが、最近はそれも難しくなって、結局ワイフと二人だけで1日をこなすことになった。
世間の景気が少しずつ好転して、みんなそれなりに仕事も増えて忙しくなっているのかもしれない。

ワークショップの準備もあるので、ストーブでヌクヌクのリビングから久しぶりに冬の石見銀山の町並みへ出た。
思ったほど寒くもないし、雨も降っていない。
なんとなく気が抜けたまま結界君に乗り込んで工場へ向かった。
境界のトンネルを抜けると、いっきに世間が変った。
突風が襲ってきて結界君がふらついた。
強風にあおられた雨が凄い勢いで結界君の窓ガラスをたたく。
葉っぱのついた小枝が左前方から飛んできた。
対向車線の大型トラックが間近にせまっていてハンドルを切ることもできないまま何故か運転しながら身体が小枝を避けるように右に揺れていた。
すれ違うトラックと吹きつける突風にあおられて結界君がフラリと浮き上がったような感じに揺れた。
大きな左カーブが目の前にせまっていて結界君がコロリと転がってしまうかもしれない。
ハンドルを切りながらブレーキを踏んでしまったら絶対にヤバイと判断して、そのまま運を天に任せた。

・・・こうしていつものように寝る前に一日をブログにまとめているということは、私の華麗なるドライブテクニックと結界君のけなげな踏ん張りで難を逃れたということ。
その後、工場の用事を済ませている間に突風は納まって雨だけになっていた。
ワイパーに先ほどの小枝の一部がからまっていた。
あれほどの強烈な突風は滅多に遭遇しないからたぶん台風以上だったと思う。
無事に帰宅すると、ストーブの薪がいい感じで、部屋は何事もなかったようにヌクヌクで、ネコチャンズが大あくびで出迎えてくれた。

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炬燵デスク事情 

2015/12/03
Thu. 23:45

今の炬燵デスクには27インチのiMacがある。
これは主にポスターとかリーフレットなどの印刷原稿をつくるためにある。
画像の加工でメインで動かしているのは、今は¥3,600-しているPIXELMATORというアプリで、それを期間限定で無料配信している時にゲットした。
これがあればだいたいの写真の加工ができるし、自分で書いたナンチャッテ習字やレタリング文字の切り取りでも重宝している。
自分の内輪のことは、このアプリで加工した素材をiMac付属の総合ソフトへ取り込んで適当なフォントを組み合わせてそれをPDFに固めてそのまま印刷原稿にしてしまう。
万善寺のカレンダーもそうしてつくったものだ。
現代彫刻小品展やこんどの富山町のイベントくらいになると、そう簡単にはいかないから例の高価な「アレ」を使うことになるが、自分では・・というより、個人営業の事業主としてはとても手が出せないし、それにそこまで投資して元が取れるほどの仕事もないから、だいたいのところまで雰囲気をつくってあとはキチンと印刷できるまでそのスジの方々にお任せする。
若干費用もかかるが、例のあのアプリを買うことを思うとバカ安だし、それに自分であのアプリを使いこなすほどの腕などない。
そろそろ来年の夏くらいにはノッチが帰国するはずだから、上手に彼女へ頼めば家内工業並に身内だけでことが済まされるかもしれないなどと、淡い期待を夢見たりしている。何といっても、彼女はあのアプリを使って飯食ってるからね♡!

もっぱら雑用も含めて使いたおしているのが、今もキーボードをプチプチやっているこのMacBookということになる。
自分で自慢するのもどうかと思うが、このラップトップに入っているアプリはすべて無料でゲットしたものばかりで、たぶんその関係もあるのだろうが、数カ月前からどうも調子が悪い。特にインターネット関連のメールやウエブ検索や音楽配信あたりで不具合が重なる。もう何年も前に買った結構古いモノだからその関係もあるかもしれないが、今のところ吉田家にあるパソコンの中でディスクドライバが使えるのはこれだけだから大事にしておかないといけない。

iMacをテレビがわりに使ってYouTubeを垂れ流しながらMacBook付属の総合ソフトを使い続けて今に至るが、今のところなかなかいい感じで動いてくれている。それでも時々虹のグルグルが始まるから、アプリの頻繁のデータ保存と強制終了をくり返したりしてロスも多い。
そういう時には、やはりキレイな娘さんで目の保養をすることにしている。
今は・・というより最近はTiffany Alvordにはまっている。
とにかく、何ともかわいい!♡♡し、歌も上手い!
彼女の笑顔と透き通る歌声を聴いていると疲れが取れる。
かれこれ2~3年は前からチェックが入っているはずなのだが、時々ウエブ検索してもいまだに日本での認知度が低いようだ。
もったいないことだ・・・でも、もうしばらく「ボクのTiffanyちゃん」にしておこう。

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温泉の効能 

2015/12/02
Wed. 23:03

文庫本を風呂に持ち込んで読んでいたら、すぐ近くでお昼のサイレンが鳴りはじめた。
「もう、1時間がすぎたのかぁ〜・・」

水曜日はサービス業の業者さんの休みが多いので外交が停滞する。
このところ寺の用事が続いてしまって、工房むうあの仕事に集中できない。
年末に入って幾つかの提出書類の作成も済ませてしまいたいし、来年のカレンダーの原稿もつくりはじめる時期だから(といっても、営業的にはもう遅いんだけどね・・)一日四畳半に篭ろうと思っていた。

ワイフの膝の具合が思わしくなくて、先日の妙見さんの法要でも階段の上り下りに苦労していた。見た目を気にするほどの年齢でもないのだから杖を使った方が良いと勧めているのに言うことを聞かない。いつもだったらヨチヨチと朝の仕度を急いでいるワイフが珍しくノンビリしているのでどうしたのかと聞くと、「今日は一日休みなの」だそうだ。

私の方も妙見さんの日の午後から出かけた坊主研修以来、久しぶりの座禅がいけなかったというわけでもないのに腰の具合が思わしくない。たぶん、その前の工場の片づけと制作中のストーブの重たいパーツ移動で無理をしてしまったことが原因になったのだろう。

キーポンも一人暮らしをはじめて、今の吉田家は人間が二人と猫が二匹の比較的ユルイ同居暮らしが続いている。
前出の水木さんの第6条を拡大解釈することにして、「温泉にでも行ったら少し良くなるかもよ?」と、ワイフに振ってみたら「行きたい温泉があるんだけど・・ついでに、そこから近くの道の駅に寄ってみたいな♡!」と、珍しく積極的な反応が帰ってきた。

私の暮す島根県は、何処へ行ってもアチコチに温泉があって、石見銀山と赤来高原往復する道中だけでも5箇所くらいあるし、石見銀山から1時間圏内ほどになると、かるく2桁に達するほどの温泉がひしめいている。
そんな数ある温泉もワイフお気に入りがいくつかあって、今回はその一つ「湯谷温泉」へ行った。
平日の湯谷温泉のお昼前はオールシーズン通してチョットした客の切れ間になっている。
その時間帯を狙うと、運のいい時は大浴場を貸し切り状態で入浴することができる。
今回も、結局1時間入浴する間に3人のオヤジが入れ替わったくらいで、ほぼ貸し切り状態が続いた。
ぬるい湯が好きな私は、かけ流しのぬるい源泉を選んでゆっくりのんびりとタオルにくるんで持ち込んだ文庫本を読む。
そんな贅沢をして1時間もするとジンワリ汗がにじみ出てきて、そのくらいになると身体の芯まで温泉の効能がしみ込んだ気がする。
その後、地物の野菜などのお買い物をして帰宅すると、案の定クロがヌシのいない四畳半の定位置を独占していた。
まぁ、仕方のないことだろう・・・温泉の効能に免じて許してやろう・・・

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2015-12