工房むうあと鉄の手仕事

鉄の彫刻家、吉田正純の手仕事、彫刻や展覧会の紹介、万善寺住職活動など、さまざまな日常を公開します。

ニャーの肉球特別大サービス 

2016/02/29
Mon. 16:17

ニャーの肉球特別大サービス!
・・・とか勝手に云ってるのは自分だけのことだけど・・・

万善寺をあとにして、普通だったら石見銀山まで40分程度で到着だが、昨夜おかみさんの大騒ぎでズッコケた書類を持って贅沢にも山陰道を使って松江まで走った。
宍道湖へ出るまでは激しく雪が降っていたのに、いつのまにかそれもやんで松江は市街の道が若干濡れている程度。
雪模様の万善寺のこともあって、手拭いを頭に巻いてツナギに長靴という山暮らしの正装で出かけたのだが、結界君を降りる時になって恥ずかしくなった。
駐車場のガードマンさんとドッコイの重装備のまま県庁の6階まで上がって降りて、用事はそれだけで終わった。

せっかくの松江なので、最近よく行くお肉屋さんへ寄ってラムを500g買った。
今夜は久々に焼き肉を堪能したいものだが、それもワイフ次第。
そのまま下道を走っていたら空がだんだん明るくなって日本海の向こうから晴れてきはじめた。
しばらく山暮らしが続いていたから日本海がなんとなく懐かしい。
北からの強い風で結界君が時折ふらつく。
海沿いの国道を走る車が極端に少ない。
田舎の国道であっても、いつもだったら信号の度に車が溜まってくるのに、今日はそれもない。
運転中にお寺のおかみさんから電話があって、さんざん毒を吐かれた。
前を走る4tの箱トラックが時折強風にあおられて大きく蛇行する。
それを見ながら1時間以上いっしょに結界君を走らせていたが、どうもふらつきの様子が気になるし、おかみさんの毒気に当ったようで気持ち悪いし、久々の日本海をしばらく堪能しようと、国道から日本海へ続く道へ右に曲がった。
宍道湖は水深が浅いから今日くらいの強風ですぐ濁る。
日本海岸は岩場が多いからいつもの深い青緑がそのままで時折豪快に舞い上がる白波がキレイだ。

石見銀山へ入ったら、あれほど激しかった強風が消えていた。
駐車場へ山積みされた薪の丸太が愛おしい。
荷物を降ろして土間へ入ったら、彫刻展示台が無くなっていた。
そういえば、近所の図書館のホールで美術展をするのだとワイフがいっていた。
私の小さな彫刻も減っている気がする。
部屋へ入ったらクロがあくびをしながら出てきた。
ストーブの余熱でなんとなく家が暖かい。
時計は3時半を少し過ぎたところ。
昨夜の書類作成が終わった時から半日過ぎた。
2月の増えた1日がとても貴重に思えた。

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記念日の彫刻 

2016/02/29
Mon. 11:11

ニャーの肉球の日は朝から雪になりました。

2月中に片づけたいと思っていた書類を、昨夜3時半までかかって終わらせた。
途中、真夜中におかみさんが強烈な大声で叫びながら3畳の即席書斎へ這ってこようとしていたから、それでいっきに集中の糸が切れて、それからあとの2時間くらいは記入ミスの連続で苦労した。
それでなくても常日ごろ自堕落に暮してとろけきった脳みそを使うこともあまりないから、こういう時に大変な思いをする。

狂気のおかみさんのわきを静かにすり抜けてロフト部屋に上がって寝ようと試みたが、気持ちが高ぶってなかなか眠れない。
古いヘッドフォンを引っ張り出してMac musicからピアソラを引き出して聴いた。
「ブエノスアイレスの春」はキーポンがアンサンブルで演奏していたから久々に懐かしかった。
ほとんど夜明けに近い真夜中にピアソラを聴いたりしたものだから、よけいに目が冴えて眠れなくなってしまった。

いつもより30分くらいゆっくりと寝てロフトから降りていたら、またおかみさんが這いよって叫びはじめた。
最近、頭の何処かの回路がショートすることが増えた。
変に息子の私が近くにいると、それが気になってしょうがないようで、いつまでたっても最後に別れた15歳の息子が彼女の記憶の中で大人に成長しないままでいるような気がする。
午前中で片づけられるくらいの仕事もあったが、それもおかみさんの介入で上手くいかないだろうとあきらめて万善寺をあとにした。

昨日はあれほど春めいて暖かかったのに、今は結構本格的に雪が降っているので、移動の途中にある彫刻の様子を見に行った。
いい具合に雪が積もって造形のネライが強調されていたので、思わずニヤリとしてしまった。
その彫刻は2年ほど前に造ったもので、素人でも2人いれば簡単に移動できたりする。
そのせいか、確認するたびに少しずつ場所が移動していて、組立の具合がだらしなくズレて乱れている。
たぶん、近所の誰かが気軽に彫刻へ乗ったりして遊んでいるのだろう。
その程度ですぐに壊れるようなものでもないから気にすることもないが、こうして時々チェックすることで造形や構造の不具合がわかるし、次の制作へその反省を生かすことが出来る。
4年に1度の記念日に、雪の降り積もる自分の彫刻を記録することも出来たし、それなりに何時もとは違ったふうに1日が過ごせそうだ。
さて、4年後の肉球の日におかみさんが生きているかどうか・・・

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年々歳々 

2016/02/28
Sun. 16:01

昨日まで冬の雪やみぞれや冷たい雨が残って寒々とした毎日が続いていた。
週の後半から寺暮らしが続いているところへ、はずせない用事が出来て石見銀山へとんぼ返りした時も、道中の銀山街道は冷たい雨が降り続いていた。
用事を済ませて、思いついて町内の大工の棟梁を作業場へ訪ねたら、達磨ストーブに建材のクズを焚いてくつろいでいた。雨が降って仕事にならないらしい。
足元には、イノシシのリブ肉が散乱している。作業場に住み着いている野良猫が必死でそれに噛付いている。
棟梁も猫もいい感じでマイペースな雨の午後を過ごしている風に見えた。
ヒマな具合は似たようなものだが、残念ながら、今の私には彼等のようにワイルドにヒマを楽しむほどの余裕はない。

保賀の谷に暮す、つがいのカラスが朝からうるさい。
近くの採土場の重機もうるさい。
そうこうしていると、救急車のサイレンが国道を通り過ぎる。
カラスや救急車は仕方ないいにしても、日曜日のはずなのに、重機まで動いているというところがどうも落ち着かない。
田舎の山間部のほぼ限界集落的保賀の谷で、日曜日に慌ただしくドタバタしているのは、せいぜいひと月に1度あるかないかの法事で出かける山寺の和尚さんくらいのものだと思っていたが、そうでもないらしい。
その、貴重な法事へ出かけるまでには少々時間もあるし、もう少し惰眠を貪ろうと思っていたのにその機会を逸したようで、仕方なしにロフト部屋から降りた。
久々に朝霞を通して薄日が差している。
なんとなく空気も生暖かく春めいた感じだ。
救急車は別にして日曜日の世間が朝から騒がしいのは、今朝の気候のせいかもしれない。
本堂の様子をみて出かける準備をしていたら、おかみさんが鉄のスコップを持って雪かきを始めた。いつもより若干暖かいとはいえ、水たまりにはまだ薄氷もはっている境内へヨチヨチと出ている。元気なことだというより、ヒマを持て余しているのだろう。

年々歳々花相似(ねんねんさいさいはなあいにたり)
2月も今日で終りかと思っていたら、今年は4年に1度の「猫の肉球」の日があることを思い出した。
法事へ出かける時間になって雪駄を履くと、おかみさんが崩した雪の山が溶けて境内へ水たまりが広がっている。
ほんの30分前の薄氷はすでに溶けていて、水たまりが微風に絶え間なく揺れている。
そろそろ冬も終りに近づいているような気がする。
毎年同じようにくり返されることなのに、毎年同じように喜憂することがばからしく思えてしまう。
結局は今年もやがて木々が芽吹き、山が萌黄に染まり、春の花が咲きはじめる。
自然のゆるやかに過ぎる毎日の中で、人間の営みは落ち着き無く慌ただしく過ぎる。
草木も人も同じ時を過ごしているはずなのにね。

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量より質 

2016/02/27
Sat. 09:35

夜のうちからロフト部屋の天窓を強い風がたたきはじめた。
なんとなく眠れなくなってシュラフの中で蠢いていたら、居間の柱時計が3時を打った。
石見銀山だと、そろそろクロが起きて吉田家の夜回りをはじめるころだ。
朝方になって、知らないうちに二度寝をしていた。
毎日6時半になるとケーブルの有線で小学校の校歌が流れてくる。
数年前までは、子供たちの可愛らしい合唱だったが、近年は上手なピアノの独奏に変った。
だいたいはそれで目覚めるのだが、二度寝の今朝は全く聞こえないまま寝過ごしてしまった。

3畳の即席書斎へ移動する途中に、毎日香のかおりがほのかに残っていた。
おかみさんの日課で憲正さんへ線香を供えたものだ。
朝になっても強風がおさまらない。
灯油ストーブに点火して、本堂へお参りして知人から頂いた高野山の線香を本尊様の須弥壇へお供えする。
憲正さんの頃は、線香だけでも毎日10本近くお供えしていた。
貧乏寺で高価な線香を湯水のように消費されては困るから、彼が気付かない間にホームセンターで安売りしている時を狙って買いためたお徳用お墓線香を補充し続けていた。
この、お墓線香は杉葉を粉末にして練り固めたものがほとんどだから、1年中朝っぱらから除虫菊の蚊取り線香を本堂でくゆらせているとたいして変らないようなものだ。
もっとも、お墓線香で蚊の駆除になっているかどうかは知らないけど・・・本堂で殺生するのもどうかと思うし・・・
先代から引き継いで万善寺を守りはじめてから、少しずつ自分流に本堂の日課を修正している。
この線香も同じで、私はどちらかというとせっかく結界の中で仏様を守って暮すのなら「質より量」よりやはり「量より質」を目指すべきだと思う。
別にお金の高額を望むこともないが、やはり1日の始まりは格調高い香からスタートした方が心地いい。
それに、上等のお香にはそれなりの説得力もあって、たった1本の線香でも、その香は締め切った本堂で次の朝まで引き続いて残っている。
毎朝、仏の功徳を嗅覚で感じることが出来るということだけでもありがたいことだ。やはり、杉のヤニくさい臭いとは香の質が違う。
たった1本の線香だけのことだが、それほどのことで自分の気持ちを左右に動かしていることになる。

さきほども、一本の高野山線香をお供えしてご本尊様へ手を合わせた。
ふと、倉敷の冬の青空を思い出した。
万善寺から結界君でせいぜい3時間も走れば倉敷に着いて、そこには青空に向かってオリーブの木が葉を広げている。
寺のガラス窓の向こうでは厚く広がった曇り空から時折舞い落ちる雪が強風にあおられている。
オリーブの木は島根県ではうまく育たないらしい。

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辛抱の親娘 

2016/02/26
Fri. 20:50

皆様如何おすごしでしょうか??
吉田の週末は万善寺暮らしとなりました。
本日は1日中、思い出したように小雪がチラホラと舞っておりました。
石見銀山の自宅を出発する時に、チラリと視線の端に入ったのは裏庭の梅の花。
万善寺周辺は、梅が咲く気配など微塵もありません!

90歳を過ぎて、90°以上に腰の曲がったばあさんが、鉄のスコップを引きずって境内の雪かきをしている。
雪なんて、そのままほぉ〜っておいてもいつかは消えてなくなるのにねぇ〜・・
どうして、ここまで昔ながらの日常の暮しにしがみついているのか全く理解に苦しむ。
私など現在の老化の具合と体調を考えると、まずは90歳まで生きることなどないだろうと確信できるが、もし間違ってその年齢まで生きていたとしても、絶対に断じて小雪の舞う寒い日にワザワザ我が老体をいじめて雪かきなどする気は皆無と自信を持って言える。
これほど、日常の暮しぶりやものの考え方がズレてしまうと、お互いに歩み寄ってお互いを思いやる気持ちなどお互いに芽生えることもない。
お互いがそれぞれ自分の我を突き通していくしかない状態が続く。
まぁ、結局は親子のことだから似た者同士ということで片づけるしかないことだ。

親子というと・・・
目先の仕事が山積しているのに、それも思うように片づけられないまま小雪の舞う万善寺で心身ともに寒さに耐えながら悶々としているオヤジの現状を知ってかどうか・・シンガポール在住のノッチが久々のSNSで大量の近況写真を載せていた。
彼女は、逆境に耐えながら、だいたい2年近く辛抱して働いていた職場に退職願を出して只今就活中。
彼女の実力かどうか分からないが、色々なところから就職の誘いが舞い込んでいるらしい。
「悩めるお年頃よね〜。選択肢がどんどん増えていくよ。日本、シンガポール、香港・・・上海が新たに浮上」・・・だって・・・
オヤジとしては、なんとなくヤバそうな雰囲気が臭ってこなくもないが・・・まぁ、ノッチのことだから、そのあたりは自分で何とか乗り切るしかないとも思っている。
安定した収入の定職もないまま、ヒマな坊主暮らしにドップリと浸っている我が身を思うと、娘の心配より自分のことが優先だよね。
それにしても、人間は巧みに嘘をつくからね。
犬猫の動物のように善くも悪くも嘘がつけない正直者なんて、まずいないからね。
そのあたりをわきまえて自分を上手に売り込むことが出来たら、ノッチにも華々しく明るい未来がやって来るかもしれないね。
少なくても、いまのオヤジのように寒々しい閉塞の暮しだけはして欲しくないな!

納骨が終わって、簡単なお斎が出て、土壌に手をかけても連作は3年が限界だというお百姓さんの話題で盛り上がった。
人間も土壌と一緒だね。

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シロが燃えた 

2016/02/25
Thu. 16:25

1月はほとんど寺暮らしで、2月はすでに2回ほど倉敷へ往復して、とにかくこのところ石見銀山の自宅に落ち着くことが激減している。そういうこともあってか、ワイフがリビングのストーブに薪を焚くことが増えてしまう。それと、私が薪を割る時間が減ってしまう。
この悪循環が解消できないまま、すでに2月が終わろうとしているある日・・・

例の如く、しばらく留守にしていた我が家へ帰宅すると、吉田家のネコチャンズはご主人様を全く無視してお出迎えもないまま何処かに潜り込んでゴロゴロと寝ているようだ。
とにかく、少しでも早く冷えきったリビングを暖めてワイフの帰宅を待とうと、焚き付けの小割りや杉の生木をストーブに投げ込んだ。小割りに火が回って杉の生木に火が移って杉ヤニが溶け出して、パチパチと音を立てはじめる頃になって、クロがノソリと何処かからやってきた。どうせさっきまで四畳半の特等席で爆睡していたのだろう。
私と少し距離を置いて両手を前に思いっきり延ばしてお尻を後上方に向かってグイと突き上げて短い団子尻尾をプルプル動かして丸まった背骨を逆ぞりさせて大きなノビをして私と視線をあわせたまま胃袋が見えるかもしれないほどの大あくびを二つするあいだに今度は2本の足を1本ずつ後に上げて肉球を見せながらプルプルと全身の筋肉を思いっきり伸ばしてから私の方へやってきた。
「ニャァ〜(おかえり・・)」と挨拶でもしてくれるのかなと待っていたら、何のこともない、ソファーに浅く座ってストーブをつついている私の膝の下を無言のまますり抜けて最短距離を選んでご飯を食べに行った。ひとしきりカリカリと乾燥猫メシを食べて、左手で水をすくってペロペロと飲み始めた。

このクロの一連の動作を聞きつけたようで、今度はシロが「おかえりフニャァ〜フニャァ〜」と鳴きながら四畳半方面から私めがけてすり寄ってきた。「可愛いヤツじゃ!」と膝に抱きあげたら途端にゴロゴロとノドを鳴らしはじめる。
シロは私に抱かれる時のポーズというか体勢というかそういう姿勢を決めているようで、すぐに頭を私の左腕に乗せてイジイジと身体をうねらせて調整しながらちょうどおちんちんの真上辺りに自分の右横腹を収めて長いカギ尻尾をウネウネと動かす。
私はそのシロの抱かれポーズが落ち着く加減をみて、フリーな右手で耳の後や顎の下などをマッサージして背骨に沿って毛並みを整えてやる。
・・・と、シロの左足の太ももあたりに丸くて大きな茶色のシミのようなものがついている。何事かと思って、その付近の毛をしげしげ点検すると、どうも火に炙られて焼け焦げたふうに見える。もうストーブのシーズンを何回か経験しているし、その間に薪ストーブで自分の毛を焼いたことなど無い。杉の爆ぜた火の粉が飛んで毛を燃やしたのかとも考えたが、それだったらここまで大きく燃え広がることは無いはずだ。

帰ってきたワイフに状況を確認するも、「そぉ〜なのよぉ〜、ゼンゼン思い当たらないのよぉ〜、どうしてこんなんなっちゃったのか・・」どうも、彼女も思い当たることがないらしい。
それからしばらくして、原因はどうやら電気ストーブにあると結論が出た。たしかに、寒がりのシロは気がつくとワイフ専用の電気ストーブの前で燃える寸前まで熱くなっていることがある。このままだと気がつかない間にシロの丸焼きができるかもしれない。
電気ストーブの危険性と薪ストーブの安全性を再発見した。

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寒い朝 

2016/02/25
Thu. 13:49

キーポンが帰省した。
これから、数回学校の用事があるようだが、後期の成績も出て基本的には春休みに入ったということらしい。
それでというわけでもないだろうが、彼女の荷物が幾つか増えただけで、狭い吉田家がいっきにより狭くなった気がする。
特に私の書斎兼隠れ部屋兼私とクロの寝室になっている四畳半には、アッという間に彼女の荷物が散乱し、そのど真ん中の一等地を彼女自身が占領した。
ワイフと夜のひと時を過ごして四畳半へ引きあげたら、キーポンはすでにデスクワーク兼用の炬燵デスクに潜り込んでぐっすり眠っていた。
こうなると、たたき起こしてもテコでも目覚めないことが分かっているから、私は自分用の薄い夏布団を持ち込んで、彼女の隣で小さくなって寝た。
一番の被害者はクロ。
何時もは私の隣の一等地(正にキーポンが寝ているその場所)で丸くなって寝ているのに、昨夜の彼は、リビングの座布団の上で寝ることになってしまった。

島根県は何回目かの強い寒気が入り込んでいる。
作業着に着替えて石見銀山の町並みへ出たら雪が舞っていた。
倉敷から帰って旅の整理をして、しばらくぶりに工場へ出かけた。
倉敷行き直前までの作業を片づけて掃除をしたあとがまだ乾かないでそのまま残っている。
あの時は、雪になるまでに冷え込まないまま冷たい土砂降りが続いて、彫刻の移動に苦労した。
次の仕事は4月の彫刻グループ展用に造る小品。
できたら2~3作造って、その中から一つをグループ展用に決めようと思っている。
構想はすでに頭にある。材料のストックもある。
工場の状態を確認して、その足で万善寺へ向かった。

銀山街道の対向車が雪をいっぱい積んでいる。
万善寺のあたりは真っ白になっているだろうことは予測できる。
おかみさんが自分のペースで絡みついてくることも想像できる。
冬のあいだの万善寺は雪に埋もれてしまうから、おかみさんはとかくに心細がって私を頼る。
息子としては自分の仕事を優先し続けることもできないまま、誰に頼ることもないままストレスが溜まっていく。
「そんな、ため息ばかりつかないでよ。どぉ〜もこぉ〜も、しかたないじゃない」
オヤジのため息が大きかったのだろう。ワイフに諭された。

赤来高原は予測の通り一面雪景色。
国道を万善寺方面へ右折すると、少し雪深くなる。結界君を4WDに切り替えて六地蔵から参道を登る。
一晩を万善寺で過ごして、明日は朝からお檀家さんの納骨がある。さて雪はどうだろう?

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鉄の彫刻の旅顛末記その5 

2016/02/23
Tue. 11:51

どうも男の猫好きというやつは、何処かしら気恥ずかしいようなところがあって、堂々と公言するほどのことでもないような気がしていたが、この近年、急激に盛り上がる空前の猫ブームのビッグウエーブに乗ってしまうと、長年秘かに育んでいたオヤジの秘め事も別にどうでも良くなって、最近では電話の待ち受け画面にして1日のうちに数えきれないほど電話を確認するたびにニヤツイテしまっていたりするまでになっている。
そもそも私の猫好きはまだ小学校にも上がらない少年とも云えない赤ん坊に毛が生えた程度の頃からのことで、自分で云うのもどうかと思うが、結構年季が入っている。だから、この歳になるまでの間に、公私を含めて何度か巡ってきた猫ブームはだいたい秘かにチェックをしながら通過してきた。
今の吉田家で暮しているネコチャンズで、野良猫、子猫、捨て猫、もらい猫など長短はあるが7匹とつき合ってきたことになる。その中で、何故か巡り合わせで黒猫は2匹とも雄。この雄の黒猫は、どうも世間の猫好きにとってはあまり歓迎されていないようだ。黒猫の人気の無さの要因はだいたい幾つか想像がつくが、まずそのもっとも大きな理由は、写真写りが悪いということだろう。写真のほぼ80%以上は「黒い猫型の物体」にしか写らない。今でこそ、デジカメが主流だから簡単に失敗を削除できるが、昔のフィルム時代は、ISO400のフィルムを使って、24枚全てが使い物にならない無駄撮りだったりしたことも多々あった。

私の周辺の雄猫は、だいたい放浪癖があって家に居着くことが少ない。そのあたりが飼い主のオヤジとしては我が身を見ているようで親近感がわく。
今朝も早くからクロの脱走騒ぎがあってそれで目が覚めた。シュラフに包まってしばらくウトウトしながら倉敷のことを思い返していたが、旅の空で浮かれたオヤジの後ろ姿を脱走のクロに重ねてしまっていた。
「オヤジ元気で留守がいい!」とは、妻の言い分か夫の言い分か、判断に苦しむところもあるが、吉田家の場合は、たぶん、オヤジ的ノリが若干勝っているかもしれない。旅の空での暮しも、それはそれなりに刺激があって楽しいものだが、やはりさり気なくあたたかく迎えてくれる帰る場所があるからできることだと思っている。
私はどちらかというと雨男だから、倉敷も雨に降られた。それはそれで、いつもとは違った障害も出てきて緊張感が増す。何より、私自身がけっこう雨好きだったりする。
倉敷の雨にうたれた自分の彫刻を記録することもできて収穫もあった。

現在バルセロナ在住のマルタ・モンカーダさんは、総合芸術家一家で生まれ育った超エリートと云っていいだろう。
この度の倉敷での芸術祭も、街の至るところで彼女の様々な作品を観ることができた。倉敷にとって、彼女の存在は文化の底辺を底上げする大きな存在の一人といっていいだろう。それに、彼女の素晴らしいところは、日本古来の文化を否定することなく積極的に自分の造形へ吸収して、自らの作品に昇華させているところ。そうすることで、我々日本人が日頃見慣れて見逃している日本独特の世界観を別の視点で再発見してくれるから空間の対峙に緊張感が増す。それもマルタ・モンカーダさんの人望といえるだろう。
古来から今に続く倉敷の歴史の奥深さを体感することができた。

猫派限定付記:4年に1度の2月29日は「ニャーの肉球」の日だそうです!・・・

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鉄の彫刻の旅顛末記その4 

2016/02/22
Mon. 20:59

2月22日は、さて、何の日でしょう??!

ノッチがSNSで、オヤジのこと心配してくれた。
ノッチ・・「ねー、父さんは?ブログも更新されてないけど?」
ノッチ・・「うそでしょ?19日から更新されとらんよ?生存確認してー!」
なっちゃん・・「昨日普通に喋ったよ!」
ノッチ・・「なるほどー!なら生きてるね」
お母さん・・「お父さんは元気だよ!!19日から倉敷に行っていて、昨日帰ってきて、疲れたらしいよ。年ですね!!」
ノッチ・・「年ですね!」
ボク・・「お父さん嬉しいわぁ〜!!」
・・・ってわけで、そういうやりとりがしばらく続いたのでした!目茶苦茶ウレシイ!!

その倉敷は学生時代の同級生の飯尾京子サマから声をかけていただいて、彫刻と一緒に出かけたのでありました。
彼女は、そもそも出身は愛媛なのだが長い間東京で暮していた。それが高齢のお母さんの介護が必要になったりして、最近七宝の工房を愛媛に移して今に至っている。
私は10年間の東京暮らしをサッサと切り上げて島根へUターンしたから、その後、彼女との付き合いはほとんどなくなって疎遠になっていた。
学生時代は、お互いのアパートが比較的近所だったので、時々遊びにいったりするような飲み友達でもあった。島根に帰った私は、1年に数回は彫刻と一緒に東京へ出かけることを続けているが、そのほとんどがとんぼ返りだから彼女を含めて昔の友達と逢うことなどほとんどない。それでも、風の便りに彼女が愛媛に帰ったという話が舞い込んで、ちょうどその頃から彫刻絡みで徳島へ行くようになっていたから、せっかく近くに帰ってきたことだし、徳島の往復に寄り道してもいいかなと思って連絡したのが再開のきっかけでもあった。
昨年末に彼女から連絡が入って、トントンと話が進んで、今回の倉敷行きになったわけだ。

久しぶりというより、数十年ぶりに一緒に飲んだ。
今の彼女は、立派な彫金七宝作家になっていて、日本はもちろん、世界各地で展覧会を開いたり、大学や美術館の企画などで七宝教室の講師をしたりして忙しい。
田舎のジジババ相手にヒマに暮しながらノンビリと彫刻を造っている吉田とは住む世界が違っている。倉敷の2泊で今の吉田の実態が彼女にどう認識されたのだろうか?その答えになるかどうかは次回の誘いがあるかどうかでそれなりに決まってくることでしょう。吉田にとってはそんなことはどうでもいいことで、今年中には図々しく彼女の住居兼工房をたずねようと思っている。砥部焼きの遠藤さんにも逢いたいしね。

さて、2月22日は・・・「竹島の日」って知ってましたか?
そして、もう一つ・・・ニャーニャーニャーで「猫ちゃんの日」なのです!
吉田にとっては、どちらも大事なご縁日記念日になっています。

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鉄の彫刻の旅顛末記その3 

2016/02/22
Mon. 12:40

最近・・といっても、もうかなり前からのことだけど・・・
とてもいい感じで気になるcoveralbumが増えた。
彫刻と一緒のちょっとした旅前半から石見銀山に帰って、こうしてロードの記憶を整理しながらMacmusicのストックを聞き流している。

倉敷での滞在はスペイン風のコテージで2泊。
七宝作家の飯尾京子は大学時代からの同級生で、今回の彫刻の旅を誘ってくれた本人。
砥部焼き作家の遠藤裕人さんは京子ちゃんの友人。
それに、山本有佳里さんはフルート奏者。亀井貴幸さんはギター奏者。
お二人のプロフィールはウエブ検索でもしてください。

そこで、〜鉄の彫刻の旅顛末記〜

倉敷2日目の夜・・
同宿のみんなはすでに各部屋で寝てしまって、アチコチからサマザマな寝息・・というよりいびきの不協和音が広がっている。
吉田は・・宿舎での宅飲みが解散してからあと、それなりに一人でチビチビやりながらキーボードプチプチで1日を振返りつつ、先ほどのグダグダ話の余韻で盛り上がっている。

ゴッドファーザー愛のテーマが終わったところで1部が終了した。
・・・というのは、倉敷市の「夢空間はしまや」さんでのデュオコンサートのこと。
演奏の曲目は、比較的誰でもが良く耳にしているあたりでチョイスされていた。
ラベルの曲ははじめて聞いた。石見銀山へ帰宅してからiTunesで検索をしてみようと思う。
それに、映画音楽・・・がいくつかあってこれが良かった。なかでも良かったのは自分では「ひまわり」かな!
デュオコンサートのお二人は、オープニングの会場や、主催関係者のパーティー会場でも演奏されて、都合、3ステージ(だったと思う)。その上に、2泊の宿舎も御一緒させてもらって、音楽のことや、世間話や、オヤジのどうでもいいつまらないギャグなどにもつきあっていただいて、当方勝手に盛り上がった。

飯尾京子のことは、次にまわすとして・・・今回の彫刻の旅の大ヒットは何といっても砥部焼き作家の遠藤さん!
これがなかなかの人物で作品も人柄も酒量も吉田のストライクゾーンを絶妙に攻めてきて、大ヒットだった!(・・というより、三振をくらった方かもしれないけど)
この2日間のドライバーになってもらったし、2次会で岡山在住の陶芸作家も合流して、この遠藤さんとの2日間はそれだけで吉田のつまらない身勝手ブログが一篇出来上がってしまうほどの濃厚な質量になった。今度機会をつくって愛媛に行こうと思う。
「コンビニコーヒーはやはりファミリーマートかな」とか、どうでもいいようなところまで面倒臭い吉田に「面倒臭ぇぇ〜〜」といいつつ、つき合っていただいた。

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お雛さまにかこまれてデュオコンサート
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オヤジの二次会

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備前 伊七 

2016/02/19
Fri. 23:30

備前 伊七(びぜんいしち)・・・午前三時過ぎ・・・吉田は現在倉敷の何処かで熊屋酒造の旨い酒を飲んでおります!

経緯は・・・語っても別に長い話でもなく恐縮ですが・・・学生時代の友達から誘っていただいて、地元の大きなイベントがらみで倉敷まで彫刻を運んで置かせてもらうことになったのです。
今日は(・・・といっても日にちが変わって前日ですが・・・)そのオープニング。
フルートとギターのオープニング生演奏を堪能して、久しぶりに酒臭い文化のかおりを堪能しているところであります!

ようするに、吉田は十二分に楽しんで酔っぱらっているわけです!

その、イベントのザックリとしたデータは添付の写真でご確認下さい。

吉田にとっては久しぶりのお誘い招待だったので、前後の万善寺日程を調整して倉敷に突っ走りましたよ!(・・・といっても、結界君の最高時速80kmでだけどね!)

オープニングのバイキングも、東京のどこそかのナンチャッテセット料金よりズッと高級な家庭料理並の逸品が出てきて、一同騒然。
吉田としては、最近疎遠になっていた京子ちゃん(・・・といっても、わたしドッコイのオネエサン)から誘っていただいての飛び入り参加。

せっかくのことなので、手ぶらで出かけるのもどうかと思って「月山」を持っていくことにした。
それが、なんとなく予想の通り、地元の地酒「備前 伊七」と重なってしまった。
それでも、酒好きの何人かの思いつきで二次会の席が微妙に出来上がって、吉田としては、ここでダウンするわけにはいかないと、年がいもなく踏ん張った。
おかげさまで、彫刻の話もたっぷりすることができたし、吉田なりに少しほど若返った気もした。
少し落ち着いてから短時間ほどオネエサンのデータを収集した。
結果・・・検索が旨くヒットしなくて何の反応も出なかった。

聞くところによると、万善寺のある保賀の地域では週末にかけてまた冬の空模様になるらしい。
ほぼ限界集落に近いから、雪道の除雪にはみんなが協力して暮しを支えるしかない。

吉田の明日の予定は未定・・・瀬戸内も雨が降りはじめるらしい。
もうしばらく倉敷のイベントを楽しんでみようと思う。
何れにしても気持ちよくて旨い酒になった。

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近況報告 

2016/02/18
Thu. 22:30

おかみさんの帰ってコールが続くもんだから、特に寺の用事もないし、デスクワークが溜まるしで複雑な気持ちをかかえつつ、寺のロフトでひと晩寝た。
とにかく、息子の私が近くに居ることで気がすむらしいのだが、そのわりにはアレコレと小言がうるさい。
石見銀山の吉田家も隙間風が厳しくて、ほとんどキャンプをしているような過酷な四畳半暮しになっているが、それでも寺のロフトよりは少しは暖かくて住みやすい。
早朝は肩から首筋にかけてやたらと冷え込んで目が覚めた。
敷きモーフの温度を上げてもまだ寒いから、3畳の書斎へ避難して灯油ストーブで温まった。
それほど今朝の万善寺は放射冷却で冷え込んだ。
サンダル履きで庫裏の玄関から出ると、水を含んだ春の雪が完全に凍って結晶が朝陽にピカピカときらめいている。
午前中は3畳で手紙を書くなどして冷え込みが緩むのを待った。
古くなって黄色く変色したご飯をお粥にしておかみさんと一緒に食べてから石見銀山へ向かった。
ワイフは仕事で留守。
パソコンを起動してメールチェック・・・が、できない?
留守にしている間に吉田家の通信回線の調子が悪くなっていた。
ルーターを再起動したりパソコンを再起動したりしているうちに、やっと回線が繋がるようになって、膨大な量のメール受信がしばらく続いた。
そういえば・・・このところ、メールの受信が少ないなぁと思っていたところだった。
幸い万善寺の通信回線が使えていたから、それほど深刻に不具合を感じないままでしばらく過ごしていたようだ。

長男のじゅん君は嘘か真か・・文字の入力が面倒だという理由でだいたい音信不通だが、我が家の三姉妹は、それなりに定期的に私へ近況報告をしてくれている。
東京暮らしのなっちゃんは、少し前に会社の事務所が移転して、その引っ越しで忙しかったようだ。新事務所のお披露目パーティーの仕切りを任されたようで忙しくしている。1月末の締め切りに間に合わせて納品した私のハンガーアーム什器などを六本木のショールームでセッティングしたらしい。「ハウルの動く城みたいになったから、スタッフにそういったら、それなぁ〜に??・・・だって!」・・ということで、全く理解されなかったらしいが、お父さんとしては、そう言われてみると、番傘もあるし、あの雑然とした感じはたしかにそう思わせるところもあると納得した。
シンガポールのノッチは東京の高校時代からの友達が遊びにきて、一緒に空中プールで遊んだ様子。日本は・・というより、万善寺の今朝は放射冷却でマイナス6度だったのに・・・
末娘のキーポンは、マメに夕食を自炊していて、時々その写真を送ってくれる。うどんに納豆と生卵を乗せてダシ汁をかけまわして食べると旨いのだそうだ。いかにも「一人メシ」といった感じが、昔の我が身を思い出す。
とにかく、みんなそれなりに青春を乗り切ってくれていて、なによりなにより・・・

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身施喜捨 

2016/02/17
Wed. 22:09

ちょうど1年くらい前の初午祭の時、まだ入院前の憲正さんが私の法要のあとのお茶会に参加して地域からのお参りの皆さんと仲良く楽しく歓談していたことを思い出す。
その憲正さんの元気な頃から、私はことあるごとに思いつくままに憲正さんの日常を写真に写していた。ほとんどが食べては寝て起きては食べてまた寝て相撲のシーズンは欠かさず相撲中継を見て気がつくと居眠りをしていたりして食事には酒もたしなみ私と晩酌し、目が合うとにこりと微笑みまた寝ては食べるという、とてもシンプルな毎日を送っていた。そんなだから、なかなかいいシャッターチャンスが巡ってくることもなかったが、それでも何かの拍子にいい写真を撮ることもできて、その膨大なデータはいまだにパソコンとクラウドの容量をかなり圧迫している。

ある時、憲正さんの写真を整理していたら、アプリの顔認証か何かに反応して知人の坂田明さんにすり替わるというかシンクロするというか、そんな状態になって焦ったことがある。それだけ、坂田明さんと憲正さんが良く似ていたということで、私が一時期坂田明さんとよく飲んでいた時はお互いの顔つきや雰囲気が近いことをお互いに認識しあって酒席のネタにしたりしたこともあったことを思い出した。ようするに、坂田明さんと私もそれなりに似ているということになる・・・とまぁ、そんなことを今さらのように思い出したのは何故かというと、ここからが本題になる。

デスクワークの合間に、コーヒーをすすりながらウエブニュースを見ていたら、北大の蟻の研究の記事が目に付いて、それを読むと、何と、坂田明さんさんがライブのMCで時々しゃべっていた蜂の話とそっくり。そもそも、坂田明さんは広大でミジンコの研究をしていたくらいの人だから、生物関係に造詣が深い。内容はザックリいうと働きバチの中でサボってばかりで全く働こうとしない怠け者の蜂がいっぱいいる・・・という事実。そしてその働かない蜂がいるお蔭で蜂の集団が弱体しないで世代を超えて生き長らえることができている・・・ということらしい。だから、人間だってアクセクと汗水流して働き続けるだけが人生じゃない・・・わけで、適当に怠けながら暮している連中が相当量いるということが、社会が安定して存続するための大きな要因になっているのだ!・・・という、坂田明さん的見解の人生哲学が成立する。
まぁ、ライブの合間にこういう話をふられた観客は、自分の胸に手を当ててハタと思いついてうなずけるところがあったりして、日常のストレスが思わぬかたちで開放されて、ライブがより盛り上がって日頃の鬱憤がスッキリと晴れて気持ちよく家路につける・・というあんばい。
詳しく真意を探りたい方は、北大の先生の研究をチェックするか、坂田明さんのライブをおっかけするかしてください。

「主人公」という禅語があるが、ナンチャッテ坊主は何気なくそのノリを思ってしまう。「本来面目」も近いかな?・・そのあたりも、気になる方は何処かで検索でもしてみてください・・・というわけで、いい感じのゆるやかなお付き合いをさせていただいていると、こうして一晩にドッサリ雪が降ったあとは、近所のお檀家さんがユンボで出動してくれるわけです。その身施喜捨は何にも変え難いほど有難いことであります。感謝合掌!

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鉄の彫刻の旅顛末記その2 

2016/02/16
Tue. 21:57

倉敷搬入の後処理もあって、午前中がアッという間に過ぎた。
朝のうちは結構激しいみぞれが降り続いていたが、昼前に石見銀山の自宅へ帰る頃には雪がチラチラ舞い落ちてきた。
昼のうちから吉田家の自宅にいることなど久しぶりのことだ。
落ち着かない万善寺暮らしが長引いた関係でコマゴマしたデスクワークが溜まってしまっている。
3月の年度末までにまとめる必要のある書類もあるから、残り半日を自宅で過ごすことにした。外は雪も降って寒いしね。
最近のストーブの薪は切り倒して処理に困った杉をもらったので、それを使っている。
まだ生の木だが、杉脂がすごいから結構簡単に火がつく。すぐ灰になるけどね。
ストーブのおかげで吉田家リビングが適度に暖かくなったし、ワイフは夕方まで仕事で出かけているから、四畳半のデスクトップをストーブの近くまで移動した。

日本第一熊野神社は、その起源が役行者(役小角)によって紀州熊野から遷座されたということらしいから1000年以上の歴史があるとても古いタイプの聖域だといっていいだろう。
仏教の日本伝来以降、日本に古くからあった信仰の神と融合した神仏混淆の形態がそのままに残っている今ではとても珍しい聖域として結界を形成している。
現存の状態は、明治新政府の排仏棄釈政策で神社と寺院が分離されて、同じ境内地に熊野神社と修験道寺院五流尊瀧院として残っている。
普通全国のほとんどの神仏混淆は、仏教が切り捨てられて明治以降寺院は消滅し仏教衰退が加速していったが、この熊野神社の境内地は、見事に1000年以上前からの聖域がほぼ当時のまま残っていることに感動する。
万善寺が700年ばかりの歴史の中で、琴弾山山頂の神仏混淆聖域を起源にして今に至っていることを思えば、その規模は桁外れに違ってケシ粒ほどにチッポケなモノだが、元は役行者さんのあたりから始まった修験道や信仰にあったりするから、こうして万善寺23世智光正純坊としては何かしらのご縁を感じないわけにはいかないところなのであります。

早朝に熊野神社駐車場へ到着したあと、境内の一部を散策しながら拝見させて頂きつつ、この場所に自分の彫刻を置かせてもらえることの有難さを噛みしめた。
その後、宮司さんや氏子の受付け社務所職員のお姉さま方に手伝っていただいて、無事に彫刻を組み立てることができた。
宮司さん自ら軽トラを動かしていただいたおかげで、2tからの彫刻運搬も楽にできた。
「アノ彫刻は保険はいってますか?」
お昼のおにぎりを御馳走になっている時、唐突に宮司さんから質問をもらった。
熊野神社の境内は平地に広がっていて車や人の出入りがしやすいから、お賽銭やお供え物などの盗難が多いのだそうだ。
あれだけ大きくて重たい彫刻をもっていく連中がいたらたいしたものだと思いつつ、「さて、あの鉄がどのくらいの値段になるのだろう?」などと不届きな思いが脳裏をよぎった。
備前焼の狛犬の方が値打ちがあるに決まってるよね!

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鉄の彫刻の旅顛末記その1 

2016/02/16
Tue. 02:32

ワイフの鴨鍋が目茶苦茶旨かった!
数ある吉田家の絶品家庭料理に、また新メニューが加わった。
なんといっても、鍋の最後の〆が鴨南蛮そばというのも贅沢だ。
出雲そばの名店松江八雲庵や頓原一福を越えた!・・・と勝手に思う。
今度、一福のそばを買ってきてもう一度本格的に試してみよう。

さすがにほぼ24時間近く起きていると1日徹夜したと同じようなものだから、その絶品鴨そばを味わいながら飲んだ日本酒熱燗が瞬時に身体中の血管を駆け巡って、夕食が終わってバタンキュー!
例の如く、クロの重しが寝苦しくて目覚めたらすでに5時間近く爆睡していた。

思い起こせば1日前の昨夜午前2時。
倉敷へ出発の予定を早朝5時に決めて寝はじめたのだが、久しぶりのそこそこ長距離だし、神経が敏感になって気が高ぶって、すぐに目が覚めてしまった。
それから移動ルートを調べたり、彫刻設置の「日本第一熊野神社」なる場所や由来などを検索したり、つなぎの作業着や旅のお供の数々を点検したりしていたら、いつのまにか出発の時間になっていた。
早朝の石見銀山の町並みへ出てみると、雪がハラハラと降っている。
考えてみると、まだ2月の半ばだから別に雪が降って当然で珍しくも無いのだが、なにせ、前日には雨と一緒に春一番が吹き荒れていたから、身体の方が逆戻りした冬にうまく対応できないでいる。
途中、銀山街道をひたすら走って、広島県の県境を越えて松江ー尾道道へ入った頃から少しずつ夜が白みはじめて雪も降らなくなった。
瀬戸内側も曇り空が続いて、時折小雨がパラつくような状態だったから、彫刻の搬入や展示作業も厳しくなるだろうと覚悟していたら、iPhoneマップで検索しながら到着した熊野神社は、日本古来の神仏混合をかなり正確に伝え維持されている、今どき珍しいほどの聖域が結界によって守られていた。
落ち着いて散策したら、きっと裏山の何処かには立派な御神木もあるはずだ。
それに、珍しいのは参道の入り口に鳥井があるだけで、本殿らしき建築物が見当たらない。
ひとまず駐車場へ2tを停めてあたりを散策していたら、地域の皆さんが早朝のウォーキングを兼ねて次々とお参りにいらっしゃる。
境内の案内図も、寺院あり祠あり社務所あり祈祷所あり、それに立派な三重塔までそびえている。
今回のイベントで声をかけていただいた広瀬さんから頂いた会場写真を頼りに境内を歩き回って、やっと本殿らしき場所を見つけた。
さて、そこでハタと困った。現場まで2tが入らない。
あの重たい鉄の彫刻を人力で運ばなければいけないかもしれない・・・
まぁ、結局は宮司さんがいらっしゃるにはまだ朝も早いし、ひとまず旅の疲れを少しでも楽にしておこうと仮眠することにした。
・・・というあたりで、鉄の彫刻の旅顛末記前半終了。

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長生きの秘訣 

2016/02/14
Sun. 21:09

暴風の中、彫刻搬入の準備をした。
ツナギの上から久々にカッパを着たら、ズボンのゴムが旧くなってしまっていて、歩くたびにずり落ちて、それだけで気持ちが萎えた。とにかく、夕方6時前に何とかトラックへの積み込みを終わらせた。
この積み込んだ大小の彫刻は、明日早朝に石見銀山を出発して岡山の倉敷の先まで運ぶ。昼までにはそれぞれの場所へ設置を終わらせて島根へ引き返す予定だ。急ぎの事務仕事もあるし、週末にはイベントのオープニングもあるから、とにかく時間の無駄はつくれない。
日頃あまりにもマイペースでノンビリと暮していて、からだがそれに慣れ切ってしまっているから、今回のような慌ただしさが巡ってくると、なんか、自分が急に偉くなったような錯覚にはまってしまう。偉いわけでもなんでもないけどね。

帰宅すると、ワイフが気を利かしてくれて、お風呂が用意してあった。雨で冷えきった身体が心まで温まってスッキリした。思いついて頭にバリカンをあてた。
こうやって吉田家のお風呂でくつろいでいると気持ちが安らぐ。
万善寺も自分の自宅のようなものなのに、この違いは大きい。使い勝手のこまかな違いの一つ一つが、どことなく自分の気に入らない。旅先の宿泊も似たような気持ちになるから、最近はできるだけ結界君で車中泊をする事にしている。そちらの方が落ち着くし、疲れもたまらない気がする。

長生きの秘訣として、睡眠時間は平均して7.5時間は必要なのだそうだ。
その他に、部屋は暗くしてできるだけ低い枕であおむけに大の字で寝るといいらしい。どうしても夜中に目覚めて寝つけないような時は、そのまま起き出してアレコレウロウロしないで、とにかくひたすら次の睡魔がやって来るのを待つのがいいのだそうだ。
今どき、そんな暮しが几帳面に習慣に出来る人っていったいどれだけいるのだろう?
私など、全てに当てはまらない自堕落な不摂生暮らしをしているから、まず長生きすることはないだろう。そもそも、何歳をもって長生きと見なすかというあたりからその定義を見つけるだけでもそれぞれの都合が錯綜して収拾がつかなくなってしまいそうだ。
石見銀山の四畳半も、万善寺のロフトもだいたいほとんど一晩中明るいままだし、枕は高くて硬い方が好きでマイ枕を持ち歩くくらいだし、夜中に目覚めることはショッチュウで、吉田家暮らしではほぼ毎晩隣で寝ているクロが朝の4時くらいに起き出してモゾモゾと早朝の巡回をしはじめるし、そんなことの毎日で平均3〜4時間寝ると目が覚めて、夜中の2~3時間は本を読んだりメール確認をしたり世界のニュースを検索したりなどなどとダラダラ過ごすから、結局、トータル睡眠時間は6時間くらいのものだろう。
今夜も結局こんな感じでひと晩過ごし、朝の4時か5時くらいにはトラックで石見銀山を出発することになる。
これまでもこれからも、自分の生涯は万善寺の縛りから開放されることがない。1年に数回の彫刻展が数少ない自分の心身の開放の機会になる。明日1日は、ドップリと彫刻に浸りきろうと思っている。
デスクトップを立ち上げたら、わざわざクロがその前に陣取った。こういう行動は実に猫らしい。睡眠時間が短いくらいどぉってことないよ。無駄に長生きしなくても良いさ。

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予測不能 

2016/02/13
Sat. 21:53

暑くて目が覚めた・・・って、2月でそんなことありますか?
まったく、この冬シーズンはなんかおかしいですよ・・

万善寺のロフトで目覚めたのは朝の6時過ぎ。
いつも隙間風がひどいからシュラフ2枚を重ねて電気敷き毛布を弱にして寝るとちょうどいい感じなのだが、今朝はなんと寝汗をかくほど暑くてうなされながら目覚めた。
夜中から激しく雨が降って、庫裏の大屋根を叩く音が絶えなかったから、普通にいつもよりは気温が高いんだろうとは思っていたが、まさか、この時期布団の中で汗をかきながら寝ていたなんて、この歳になるまで記憶に無いほど貴重な体験をした。

朝のうちに寺の本堂の位牌堂で法事が一つ入ったので、塔婆を書いたりして準備をして寝たのが12時を過ぎていた。
もう、その頃から「暖かい夜だなぁ〜」と気付いていた。
ストーブも灯油が無くなって消えかかっていたのに特に寒くもない。
とにかく、今年の冬は予想がつかない出来事が多すぎる。

この1年足らずの間に、日常の暮しがうまくまわらなくなったことを自覚できないまま少しずつ老化が進んで常識的判断ができなくなりはじめているおかみさんを相手にして寺暮らしをしている。
人間、歳を重ねるととかくガンコになって融通が利かなくなって無理やり自分を正当化して他人の言うことを聞かなくなるようだが、おかみさんの場合は、それが常軌を逸するほどに非常識に固まり続けている。こうなってくると、日常の会話も聞く耳が無くなるから、とにかく見て見ぬふりで視線もあわせないようにして接近遭遇も避けつつひたすら五体の感覚を緊張させながら同居を続けるしかなくなってくる。
少しばかり本気になって頭を使いながら文章を書いたりしなければいけない時などが、本当に困る。3畳の書斎も完全に個室になるまでにはいかないし、万善寺の隅から隅まで自分の持ち物だと自由に使い回してきた半世紀以上の蓄積があるから、私の都合やプライバシーなどは完全におかみさんの都合で無視されて踏み込まれてしまう。
特に異常なほど暖かい今日のような一日は、おかみさんの行動もやたらと活発になった。それが原因だとは思いたくないが、この度も、塔婆の裏書きを書き間違えてしまった。それでついに我慢の限界に達して取るものも取りあえず石見銀山の我が家へ引き揚げた。

夕方にひと時ほどサッと雨が引いて空が明るくなったものの、また夜になってから雨が降り続いている。明日は彫刻の搬入があってトラックへ積み込まなければいけない。明後日は早朝に石見銀山を出発して倉敷の先まで移動して設置まで終わらせる。書きかけの書類のこともあるし、何時もは暇なオヤジが久々に慌ただしい週末になっている。
法事で修証義を読みながら、「広い心でいなければいけない!」と、自らを戒めてはみたもの、やはり現実の外敵脅威に屈してしまった気がしないでもない。
「あんたは、ダレのおかげでここまでこれたと思ってるの!」
それをいっちゃぁおしまいよ・・・と、お釈迦様もおっしゃってますよ、おかみさん・・

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田舎事情 

2016/02/12
Fri. 22:24

「がんばれぇ〜〜!!」
ワイフの激励を背中で聞きながら石見銀山の吉田家を出発した。
週末は万善寺暮らし。
辺りはまだまだ一面雪景色。
朝のまだ早いうちに寺へ到着して、それから数回往復して結界君から荷物を3畳へ運び込んで、すぐに慌ただしく改良衣に着替えて七日務めへ出かけた。
幹線道路は雪も消えて乾いていたから、何の気なしに雪駄を履いていたのだが、施主家の玄関を入って気がつくと裸足のままだった。
いつもは結界君に坊主道具一式を積み込んで移動しているから、足袋を探しに引き返したのだが、どうしても見つからない。仕方がないから、施主さんへことわって、素足のままお経を読むことになった。寺の本堂ではだいたい素足が普通になっているから、自分としては慣れたものだが、お参りの親族の皆さんからはどうも寒そうに見えたようで、それが気にされてしきりに心配していただいた。
お経が終わって、少しお話をさせてもらった時もどうも皆さん落ち着かなくて、この度のお話はどことなくすべってしまった。やっぱり、ナンダカンダ云っても見た目のスタイルをキチンとしておかないといけないなと反省した。

万善寺の隣のお宅の話が出て、それがきっかけで、「断捨離」の話題でお茶飲み話が盛り上がった。子供の世代が街場で家を建てて暮しはじめてしまうと、よほどのことがない限り生家へUターンして田舎暮らしを始めるというまでにはいかなくなってしまう。万善寺の周辺地域では行政の空き家対策でリフォームして安く貸し出したり、Iターンを対象に補助金の制度を作ったりしてイロイロ工夫されているようだが、そういうことよりも空き家の老朽化や倒壊が進行して、周辺家屋に被害が及んだりして、そちらの方がより深刻な田舎の社会問題になっているということらしい。
「自分の家をリフォームで隣境の土壁を解体したらそのまま隣の台所が出てきましたんですよ。まぁ、ビックリしたことですがぁ〜。2軒の境の壁が一枚しか無かったんですわぁ〜。そのまんまにもできんですけぇ〜、ウチが修理することンなりまして、予算が狂うて大散財ですがぁ〜・・・」
田舎の町家はそういうことがよくあるようで、それぞれ隣近所が自分の都合を優先してお互いの承諾もないまま小規模な改修の工事をくり返しているうちに何処かで何かが狂いはじめてしまったというようなことはよくあることらしい。
「昭和の一桁は戦争でモノが足らんでそれでいっぱい苦労しとりますけぇ〜。いらんようなものでもなかなか捨てられませんけぇ〜。反対にいらんちゅうもんをもろぉ〜たりしてしまいますけぇ〜ねぇ〜。そがぁ〜なことばっかりしとるけぇ、空き家になって何年経っても、まだ大事なものが入っとるけぇ〜潰すわけにゃぁ〜いかんゆうて、結局は田舎へ帰りぁ〜せんのに、家主の年寄りが手放さんのですがぁ〜。いつ自分とこへ家が傾いてくるか分からん状態で、隣で住んどるもんは他人事じゃないですけぇ〜ねぇ〜」
延々とそんな隣近所の湿っぽい話題が続いて、お経の時間をはるかに越えた。
そろそろ、お昼時になったので坊主は中座。
外へ出ると生暖かい風が強くなっていた。夕方ごろから雲が広がってきそうだ。

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西へ走る 

2016/02/11
Thu. 22:09

山陰地方島根県の2月にしては珍しい好天に恵まれた。
普通だと、毎日薄暗く曇った空を眺めてばかりいる時期なので、軟弱オヤジは身も心も緩み切って、今日もウキウキと朝から石見銀山の自宅を出かけたのでありました。

目指す先は、島根県の西の端益田。
益田東高校美術部の1年間の活動成果を発表する美術部展の招待状が届いたのは、まだ万善寺で暮らしていた1月の終わり。
この美術部展はだいたい毎年欠かさず観させてもらっている。
それで律儀に招待状を送ってもらうから、やはり可愛い年頃の高校生女子の苦労を無下にするのも可哀想だと思ってしまう優しいオヤジであったりもするわけだ。

山陰道をひたすら西走して約2時間。
延々とアクセルを踏み続けていたから、膝が固まってヨチヨチ歩きながら会場へついたら、ちょうど顧問の先生が受付中。
記帳して、先生の解説を聞きながらゆっくりと鑑賞させてもらった。

T先生の専門は油彩絵画で、地元益田で頻繁に個展を開かれている。
それに、益田の市美展を仕切られたりしてなかなかの実力者である。
それもあって、美術部展は絵画デザインの平面作品が会場に並ぶ。

T先生に指導を受ける高校の美術部諸君はとても幸せだと思う。
そもそも美術の表現は、才能があるとかないとか、そういうところで制作の上手下手を判断されるものではない。そんなことより、たとえば絵を描くということにやる気があるかないか、好きか嫌いか、そういうところが踏ん張りの元にないと、悶々として苦しみ悩み耐え忍びながらでも時間をかけて1枚の作品を完成させることなどできない。
顧問が生徒と一緒になって制作の苦労を共有しながら適切なアドバイスを繰り返し続けることで、作品としての完成度が高まる。そのアドバイスのさじ加減を間違えてしまうと、個性のないどれもこれも顧問の作風と似たような傾向の手慣れて上手なだけの作品ばかりが出来上がってしまって、制作者の個性が潰されてしまう。
益田東高校美術部の作品には、制作者一人ひとりの表現の自由が現れているから観ていて面白い。
それに何より、作品の解釈が若々しい。十代のあの時期にしか思いつかないような発想の瑞々しさがある。
このような若い芽が育って伸びてくれるといい・・・そう思って先生と話していたら、数年前の教え子の一人が島大の卒業制作展に出品してるということがわかった。
昨日観た卒業制作展で出品されていた絵画作品の中で、いちばんいいなぁと思って観させてもらった作品の制作者が彼の教え子だったわけだ。縁というものは面白いものだ。

なんとなくいい気持ちのまま帰途について、途中浜田で小休憩。
日本海は波も穏やかで、吹く海風もなんとなく春めいて暖かく感じた。

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島大卒業制作展 

2016/02/10
Wed. 18:40

珍しくワイフが休みだというので、島大の卒業制作展を観に松江の県立美術館へ出かけた。
朝から晴れ間ものぞく良い天気になったので片道2時間の道中が気楽に過ぎた。

今年の卒業生は8人だった。このところ少しずつ美術系専攻の学生さんの人数が減っているように思う。
絵画の3人は比較的小振りの(といっても彼等にとっては大作の部類に入るだろうが)連作が展示されていた。それぞれ自分のテーマを追いかけていて作風に変化もあったから、観る方にとっては見やすくて分かりやすいと感じた。
学生の研究の集大成というよりむしろ、自分の表現の出発点・・といった位置づけで今後の展開に期待したいところだが、はたして、これから彼等の絵画はどのように発展していくのだろう?
デザイン表現は2点あって、若い斬新さはあまり感じられなかったがそれぞれに自分の研究発表として表現されたネライがシンプルに伝わってきて、とても真面目な作品になっていた。
デザイン表現で難しいところは、そのべーズが商業芸術にあるところだと思う。
私など、自分のつくり出すものが商業芸術の領域からはみ出しているから、自己満足の主観的な思い込みをひたすら堂々と追求していればいいことだが、商業芸術となるとなかなかそういうわけにもいかない。
自分の表現がどれだけ商業的価値を内包しているかという質量のあたりにポイントをおいて、作品に昇華することも大事なことだと思っている。
インスタレーション(だと思う)が1点あって、美術館の会場に外界から切り離された2畳くらいの囲まれた空間をつくって内側に自分の世界を表現してあった。
インスタレーションというと、その作品と空間を共有する自分の表現したい世界観をどういう手段で観る人に伝えるか・・わたしなど、そのグローバルな世界の落し所の面白さを期待しているようなところもある。
せっかくだったら、ワザワザ空間を囲ってしまうより、美術館の展示会場そのものと対峙するくらいの解放感のあるスケールを目指した方が、観るものにとっては作品やテーマの広がりを楽しく気楽に受け止めることができたような気もするが、見方を変えると、この表現が青春の混沌を内包することの具体的な伝達になっているのかもしれない。
彫刻は木彫の抽象と、布を織り合わせたインスタレーション表現のような立体の2点だった。
私が彫刻を造っているからだということもあるが、この2点の制作者とは直接逢ってお話をしてみたいと思った。
せっかくの卒業制作展だから、できたらその渾身の1点を制作するに至った経過を同時に見たかった。
ドローイングやモデリングやマケットなどなど、経過の痕跡を用意することで、素材や立体をもっと身近に感じることができるような気がする。
とにかく、毎年この時期の卒業制作展は、自分にとって良い勉強にもなるし若い表現からたくさんの刺激を受ける。
皆さん卒業後も作品や画材や道具を自分の身近に置いて自分のライフワークにしてほしい。
〜〜〜〜〜〜〜〜
〜2/15 島根県立美術館(松江)

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冬の海 

2016/02/09
Tue. 21:44

工場の昼休みを兼ねて日本海へ出た。
こうしてゆっくりと日本海を見たのはもう何ヶ月ぶりだろう。
海とは全く縁のない島根県のてっぺんの中国山地の山寺で暮していたから、無性に海が見たくなっていつもの海岸へ結界君を走らせた。
ハンドルが取られるほど北風の強風が凄かった。
いつもは彫刻のパーツを探してビーチコーマーをするのに、とてもそれどころではないほど漂着物が溜まっていた。
こういう時に無理をして踏み込むと、医療廃棄物の注射針を踏んでしまったりする。
ハングル文字がほとんどであとは内陸河川から流出した流木が集まってくる。
大荒れが納まるたびに地元有志の皆さんがセッセと海岸のゴミを片づけていらっしゃる。
年に何回か、海岸へ重機が入って大きなゴミを回収し、それが集まったところで行政予算を使って撤去してもらう。
ここでは、毎年こうしてコツコツと海岸の自然を護りながら汚染が深刻にならない程度の現状を維持している。
数年前には、その海岸へ注ぐ地域河川への天然ウナギの仔魚の遡上も観測されたそうだ。
こういう地域の力でギリギリのところで環境の保護が維持できている様子に接しながら、自分の仕事の材料収拾や、気持ちの整理で助けてもらっている。
この海岸へ立ち寄るたびに、恵まれた環境で彫刻をつくらせてもらっているということが実感できる。
それで次にやる気に繋がって、自分の折れそうになる気持ちを支えてもらっている。

ワイフは帰りが遅いようなことをいっていた。
夕方になって仕事のキリが良いところで石見銀山へ引きあげた。
焚き付けの小割りが少ないので玄関先に道具を引き出して杉の丸太から小割りをつくることにした。
杉の香りが土間に広がる。
ナラの木のようなフルーティーな香ではないが、それでもそこそこそれなりにマイナスイオンを感じる。
針葉樹は木目の通りが単純だから縦割りがしやすいし、ヤニも脂っこいから生木でも簡単に着火する。
そのかわり、タールが多いので煙突の具合を注意しておかないとある時突然火柱が立ち上る。
この冬のシーズンは、ほとんどワイフが一人でストーブを使っていたから、そろそろ煙突の状態が心配でもある。
今度晴れたら一度屋根に上がってみようと思っている。

ワイフが帰宅した時には部屋が適度にほの暖かい程度にストーブの暖房が広がっていた。
ネコチャンズは都合よく暖かいところを見つけてストーブのまわりでゴロゴロしている。
ボクの癒しを引き寄せてしばらく自分の世界に浸っていたら、赤貝の煮物と寄せ鍋がテーブルに並んだ。

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ボクの癒し 

2016/02/08
Mon. 22:34

2月も今頃になって、今年の石見銀山暮らしがスタートした記念すべき一日が終わりました!
思えば、昨年末からの寺暮らしは1ヶ月あまりで色々なことがありました。
いいかげんジジイに近いオヤジとしては、その色々なことでけっこう心のダメージが深刻化してどうやってそれを解消しようか悩んだ末に、「ボクの癒し」にすがるしかない・・と結論に達したわけです。

それで初午祭の当日に、その念願の癒しが石見銀山の自宅へ到着した。
急きょ寺暮らしを引きあげて帰ってきたのが昨日。
私が帰宅する前に、すでにワイフが吉田家の家族中へ写真付きのSNS連絡網を回していた。
それだから、大体そのスタイルがどんなだか想像がついてはいたが、実際に近くで見るとなかなか魅力的なプロポーション。
丁寧な包みを解いて早速ぎゅっと抱きしめて頬ずりをした。
首は細目で私の武骨な手には少し華奢な感じだが、胴はいい感じにフックラしていて、どちらかといえば小太りが好みのオヤジにピッタリ。
腰のくびれ具合もなかなかセクシーに良い感じで抱き心地も良いし、口の開き具合も適度な色気がある。
大事な調整もきちんとしつけられていてとても素直だがどちらかといえば少し固めに鳴っているあたりは今後の育て具合が面白くなりそうで楽しみなところ。
オヤジの未熟なテクニックでも文句一ついわないし、一日経ってもしっかり踏ん張って変調も少ない。
思った以上に魅力的で、久々に心ときめいている。

帰りは夕方7時くらいになるとワイフがいっていたから、それまでに部屋を暖めておこうと仕事を切り上げた。
このところどんどん日が長くなっていて、夕方の6時半を過ぎても西の空にはわずかに昼の明るさが残っている。春が少しずつ近づいている。
私が吉田家を留守にしている間に焚き付けの小割りが激減していた。
きっとワイフはダンナのいない夜の寒さをストーブにセッセと薪を焚き続けることでしのいでいたのかもしれない・・・などと、ありえない妄想をしながらストーブに火を起こしていたら、そのワイフが帰ってきた。
夕食が始まった頃にはそれなりに部屋も暖まっていて、しばらく遠ざかっていた石見銀山のまったりとした夜が帰ってきた感じだ。
そこで・・・
ストーブの前にくつろいで、ボクの癒しちゃんをチョットさわった。
シロはビビっているが、クロは無反応。
気がつくとワイフが迷惑そうにテレビを見ているからマズイと思って箱に戻した。
これから毎日少しずつ育てていこうと思っているし、早々とワイフに嫌われてしまったらそれも出来なくなっておしまいだ。
ネコチャンズにグッピー・・・それにボクの癒しが一つ増えた。

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初午祭 

2016/02/07
Sun. 19:49

約2カ月ぶりに石見銀山の我が家へ落ち着いた。
昨年末からお正月から節分立春から初午祭と、それなりにあわただしい毎日を万善寺で過ごした。
寺以外の用事も少しあったから、そういう時は吉田家の四畳半で眠らせてもらったこともある・・ということは私が留守の間の四畳半の書斎兼用寝室がワイフとネコチャンズのものになっていたからだ。
時々自宅に帰ると、ワイフと私の間にクロが寝る。あの重たいクロがノシノシと布団の上に乗ってくると寝返りもできない。シロはパソコンデスク兼用の炬燵に潜り込んでワイフと私の足を枕代わりに使い分けながら寝ている。いくら狭いとはいえ、吉田家で一番狭い四畳半に家族が集まって寝ている様子を想像してみていただきたい。なかなかの仲良し家族でしょ!
今度の帰宅は、2月中旬からの展覧会搬入準備が近づいたからで、過去彫刻を会場に併せて少し手直ししようと思っている。
それに、重要な書類作成の事務が二つ溜まっている。
それから、島根県の益田と松江の2箇所で開催される展覧会を見に行くためには、その東西二つの街のほぼ中間にある石見銀山を起点にした方が都合が良いということもある。

万善寺の3畳寺務所を片づけて、荷物を運び出したりしたのだが、境内はいまだに一面雪に覆われているから、結界君へ荷物を積み込むのも一苦労だった。おかみさんが例の如くヨチヨチとワガママにちょっかいを出してくる。心も身体もガチガチに固まって融通が利かなくなっているから、私の事情を受け入れる余地などあるはずもない。もっと気楽に世間の流れに身を投げ出してしまえばいいと思うのだが、それが出来ないというより、ガンコにそれをしようとしない。一人暮らしが淋しいのなら、正直にそれを訴えて何ができるか話し合うほどのゆとりでもあればいいと叶わぬ理想を飲み込んで結界君を走らせた。

初午祭の日は、毎年の歴で変ってくる。
3月のお彼岸の頃になったり、1月の終わり頃になったりイロイロで、今年はそれが2月の6日に巡ってきた。
万善寺周辺のお檀家さんを中心に保賀地内の各戸など、事前に約60軒ほどに案内状を配っておいた。結果、当日は9人のお参りを頂いた。法要が終わったあとにお札やお供えのおさがりをお渡ししてささやかなお茶会をした時は5人に減っていたが、それでも和気あいあいと地域の話題に花が咲いた。
昼の法要なのでワイフのお手伝いは難しいが、お供えの平餅も用意してくれたし、夜なべをしてリンゴケーキとみたらし団子を作ってくれた。
お札の版木は現住職から4代前の住職が発注してつくった木版の版木から摺り起こしている。和紙は書道用のものを使っている。3畳の寺務所で夜な夜なコツコツと摺り続けたものを豊川稲荷さんへお供えして香をくぐらした。豊川稲荷さんは五穀豊穰や各種商売にご利益があるといわれている。そんなお話を少しだけさせてもらった。昨今の世知辛い世の中にあって、お札の効果が少しでも浸透していただければいいなぁと心を込めて祈念させていただいた。

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飲み助 

2016/02/05
Fri. 23:53

空には星が・・・またたいて・・・いるかなぁ〜・・・って感じの夜空を眺めています!・・・って、結局一杯飲んで酔っぱらってるだけのことだけどね!

本日は島根県の田舎町のボクの生まれてそれなりに普通に育ったと思われる少年時代の苦楽を共にしたと勝手に思っているだけの同級生オヤジつながりから、なにかしら説明責任が乗り切れるだけの口実を用意できるほどのしたたかなオヤジ厳選!・・・のグループが集合するという記念すべき(ってショッチュウあることで珍しくも無い)日でありました!!!・・・
ようするに、ふつうにイロイロあって、ふつうに飲んだ訳です。

それで、いつものように眠たい目を擦りながらボクの相棒の結界君へ落ち着いて、こうしてとっくに冷めたホットレモンをチビチビやりながらMacBookのキーボードをプチプチ叩いているわけであります。
そもそも、今回の地元在住同級生の集まりが何だったかというと、皆さんお決まりの「同窓会」の打ち合わせであったわけですから・・・別にドってことないどこにでもいるヒマな飲み助が集まっただけの事なのだが・・・それでも約2~3名はかなり真面目に事務調整や電話連絡などしてセッセと職務に励んでいた。
結局、その真当な数名の諸氏のおかげ(なのかなぁ??)で、本年の会場が10月某日大坂某所・・というところまで決定した。
あとは、飲めるヤツとか飲みたいヤツが好きなだけ飲み続けてそれぞれ自慢の愛妻タクシーでご帰宅・・となって散会した。

私には同級生諸氏のように良妻のお迎えなど期待できるわけもないから、例の如くいつものようにボクのワガママを文句も言わないであたたかく包んでくれる結界君に身も心もゆだねてくつろいでいるところへ、シテキな(ステキではないよ)ビックニュースが飛び込んだ。
吉田家次女のノッチが今の職場を退職して転職するようだ。
オヤジによく似た娘のことだから、この2年近く続いた今の職場に良く耐え忍んだものだと褒めてあげたいし抱きしめてあげたい!
もう、立派な成人だし、諸々の責任は自分に返ってくることだから私としてはとっくに子離れしているつもりでいるが、それでも肉親身内の我が子でもあるから内心は心配なところもあるにはある。それに、コツコツ貯めていたノッチ訪問ツアーの準備金500円貯金の目標が宙に浮いてしまったというチョット残念な気持ちもある。

なにわともあれ・・同級生諸氏の了解を得て、皆さんの本日の飲み助仲間をご紹介いたします。
左から順に・・・本日の飲み助諸氏
公僕を立派に務めあげて現在転職中のW君。同級生で1・2を争う高額納税リッチマンU君。U君と高額所得を争っている釣り師獣医I君の真鯛の魚拓。いまだに郵便局長にしがみついている仕切り人A君。(ド田舎)カーディーラー社長のT君。それにボクとあと一人。

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立春 

2016/02/04
Thu. 20:52

毎日通勤坊主が続いているが、今年に入ってからは万善寺から石見銀山や工場などへ出かけて万善寺へ帰るという、今までとは真逆の通勤坊主をしている。
現状では山寺を専業で維持することなど到底無理な話なわけで、何か副業でも見つけないと家族の暮しどころか自分の国民年金や国民保険を上納することなど夢のようなことだ。現実は決して甘くなくて、いつ葬式が入って急に休むかわからないような人間を雇用するところがあるわけもなく、結局個人営業か何かでコツコツと日銭を稼ぐか、家族身内の働きにすがるくらいのことしか選択肢が無い。
ようするに、そういう暮しはヒマだけはやたらと豊富に充足しているということ。
寺に暮していても今のような冬シーズンは何もしないで物思いにふけったり、本を読むなどして趣味に走ったりするくらいのことしかない。1カ月の寺暮らしで、法事などの仏事で大衣のお世話になることなど5日とないから、やはりダレがどう考えても工場で働いてクラフトでも生産していた方がささやかなことながらまだ眼前の希望がチラリとくらいは見えてくる。そう思って寺から40分くらいかけて通勤しているわけだが、それも結局燃料の垂れ流しと時間の無駄な消費に繋がっているわけで暮しの改善になるどころか暮しを泥沼に引きずり込んでいると云った方が正解!
立春の日・・・万善寺住職は悶々と悩み多き一日を過ごしていたわけです。

今年は2月の6日が初午祭にあたるから、その御案内を配ってその後の法事の席で初午に関係のある豊川稲荷や荼枳尼天(だきにてん)さんの話題になった。
そもそも、「豊川稲荷さんってなぁに?」などと質問されたりしたので、それはこうだとかあれがどうだとか簡単に摘んでお答えしたら、ひどく感心されて「方丈さんは物知りですねぇ〜。感心します!」などと真顔で持ち上げられてチョット困った。普通、禅宗の坊主だったらダレでも知っているような「坊主の常識」というか「坊主の知識」程度のことで感心されても、ウレシイとも思わないし、逆に恥ずかしくなって照れてしまった。
簡単に「常識・知識」といっても、住む世界が違うと「常識・知識」もそれぞれにあって、結局は世間には「知らないこと」の方がズッとたくさん存在している。
坊主の世界でのあたりまえも、宗派が違えばそれでまた分からないことがたくさんあるし、職業が違えば、その世界でしか通用しないことがたくさんあるだろう。
「知る」とか「知らない」とかいうことは、結局は、知力と知識の違いで大きく左右されることなのではないだろうか。
知識が豊富な人が偉い人であるとは云いにくい。本当に大事なことは、知るということに対する総合的な能力がすぐれているということだと思う。
立春大吉のお札を持って寺と石見銀山の途中にある知人の陶芸家宅を訪ねた。
「受験勉強でいくら良いデッサン描いてても、だから絶対良い学校へ入れるわけじゃないんだよね。目で見たものがそのまま指先を通って紙に写されるだけじゃダメだよ。やっぱり、大事なのはその人が自分の頭でどう解釈してどう考えてどう表現しようと思ったか・・それでしょう!それがないと、ダダの上手なデッサンだというだけの話だよね」
まさに、ごもっとも同感でありまして、久々に熱っぽく造形美術の話題で盛り上がった。
初午祭にしても、デッサンにしても、知識だけでどうこうなるものでもない。自分が何を考えてどう意識して如何に伝えるか・・それができるかどうかだね。

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節分 

2016/02/03
Wed. 17:57

放射冷却もあって寒い朝になったが、そのぶん、天気は良い。
まだ2月のはじめだから油断はできないものの、そろそろ春めいてきたようにも思う。
今週末は初午祭で、例年の初午に比べると縁日が巡ってくるのも早い。
今までの慣わしからいうと、こういう年は春が早く来る。さて今年はどうだろう?
もっとも、もう一つの前例では初午に雪が降ることも多いので、そちらの方は避けたいのだが、たぶん今年も天候が荒れて雪が降る気がする。それでも、3月になって忘れた頃に冬が逆戻りして雪になるのもイヤだから、こればかりはそれこそ、運を天に任せるしかないことだ。

万善寺にいると、夕方に鐘つきをしなければいけない。
冬時間は5時で夏時間は6時が慣わしになっている。
おかみさんが動いているうちは、どうにもこちらの自由にならないから、都合が悪い。
先代までは、小さな山寺を専業で守り続けていても生活が何とかなって今に至っているから、私が自分の暮しを優先して仕事の都合で毎日を不規則に暮すことが納得できていないし、まるで寺をほったらかしにして何処かへ遊びに出かけているようなふうにガンコに決め込んでいる。
おかみさんは娘時代から自転車に乗ることもできない。
若い頃は乗り物に乗るとすぐに車酔いしていて、私の少年時代もそうだったから、一緒にバスに乗ったりするとこちらまで憂鬱になっていた。
先代の憲正さんは長い間自転車で行動していたが、世間の乗り物がどんどん進化して、周辺のご住職が自動車免許を取りはじめて、それでやっと原動機付き自転車の免許を取得した。遠くはあいかわらず昔ながらの公共交通機関やタクシーを贅沢に使って仏事をこなしていて、私が島根にUターンして副住職でお供をするまでそれが続いた。
先代の住職夫婦は、完全に昭和から平成への時代の近代化に取り残されてしまった。
そういう暮しぶりだから、おかみさんの思考回路も全く世間の事情がら逸脱してしまっている。
今どき、夕方の5時の鐘つきに間に合うように仕事を切り上げることなど不可能なことなのに、それが納得できないで一人で勝手に機嫌が悪い。
せいぜい長くてあと4〜5年の寿命だろうし、それより長生きでも、もう自力で動くことができないだろうから、そうなるまではこちらも我慢して昔の暮しにつき合おうとは思っているが、それが息子のこの上ないほどの優しさであるとは全く気付いていないようだ。
昔ながらの旧い暮しにつき合って、息子がどれだけ毎日苦労しているか・・・そうやって甘やかしてしまっているような自分にも責任を感じているが、せっかくだから生涯このまま大きな変化もないように暮させてあげようと思っている。
・・・ということで・・・
先代夫婦は何かにとり憑かれたように目の色を変えて節分行事を華々しく行っていたから、昨年までは私もそれに従った。そもそも、寺の結界の内に邪気が入り込む余地など無いから、こういう鬼祓いの信仰など寺には全く縁がない。暮しが隙だらけの一般在家こそ懸命に本気になって鬼祓いをしてほしい。
そういうことで、万善寺の場合は節分より立春を重要と考えている次第であります。

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冬の夕日 

2016/02/02
Tue. 21:09

久しぶりに夕焼けを見た。
日本海に沈む秋の夕日とはくらべものにならないが、それでもそれなりにキレイだった。
三畳の書斎に射し込む斜めからの西陽がふくらはぎを照らして熱い。

おかみさんに昼食を作って、午後から立春大吉のお札を配った。途中、工事で通行止めがあって大きく迂回したり銀行を回ったりしていたら時間切れになって寺へ引き返した。
とにかく、冬のこの時期の外出は大正生まれのおかみさんにとっては心配の妄想が膨らんで収拾がつかなくなる。現代の現実を無視した前時代の妄想につき合うのも骨が折れる。

夕日のおかげでポカポカと暖かいし、これからの仕事といえば本尊様へ香をお供えして万善寺の割れ梵鐘を撞くくらいのものだから、なんとなく気持ちが緩んでしまった。
面白いことだ。冬らしく雪が降って寒かったりしすると、身も心もそれなりに緊張して色々敏感に暮すようになるが、こうして、気候が緩むと自分の心身も途端に都合よく楽な方へ順応してしまう。そういうことは、私だけにかぎったことでもないらしく、固まった身体でヨチヨチと暮すおかみさんも似たようなもので、夕方になってからやたらと無駄に世話を焼きはじめた。ノンビリとくつろいで、エド・シーランを聴きながら三浦しおんの短編を読んでいたら、風呂が沸いたから早く入れとひとの都合を無視してしつこく絡んできた。寺暮らしにとっては掛け替えのない貴重な至福のひと時だったのに、見事に乗っ取られてしまった。

それでも無理やり読みかけの短編を最後まで読み切った。
おかみさんが風呂に入っている間に夕食を作った。
数日前に買っておいた鳥のもも肉が手付かずで残っている。このままにしておくと結局冷蔵庫で手付かずのまま腐るばかりだから、いつもより気合いを込めて料理にまわした。エド・シーランの軽めの楽曲が自分の気持ちを少しばかり盛り上げてくれていたようだ。飲みかけの野菜ジュースのパックがあったから、もも肉をそれで煮込むことにした。一口サイズにぶつ切りしてブラックペッパーをまぶしてハーブソルトで揉んでから小麦粉を軽くふりかけてしばらく放置。深めの鍋を温めながらガーリックバターを溶かし、オリーブオイルを少し足してそれが跳ねはじめたところでもも肉投入。表面に焼き色がついたところで肉が隠れるくらいまでたっぷりと野菜ジュースを注ぐ。とろ火でぐつぐつ煮込みながらトマトケチャップと醤油を少量加える。ジュースの間延びした甘ったるさがこれで若干引き締まる。おかみさんが風呂から出るくらいまで焦がさないように様子をみながら水気をとばす。風呂の方でガタゴト音がしはじめてから別鍋で沸かしていた熱湯にそうめんを2〜3束投げ込む。サッと茹でて湯切りをしたそうめんをジュース煮込みの肉鍋に投入。このそうめんの塩加減が微妙なところでちょうどよく肉に絡んでくれる。キャベツ主体の生野菜を皿へ装ってそうめんを盛りつけて肉を上に添える。これで、夕食の出来上がり。あとは、それに簡単な2品をサッとつくっておかみさんの前に並べた。
モタモタと寝巻きを着終わったおかみさんが壊れた冷えない冷蔵庫から1週間前のコロッケを引っ張り出して、せっかくつくった今夜のおかずを絡めて食べはじめた。
麦とホップがイヤに不味く感じた。あぁぁ〜〜むなしいぃ〜〜・・・

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仕事をしない 

2016/02/02
Tue. 11:47

その話を聞いたのは、たしか彫刻のことで何人かが集まって、会議というほどのこともない打ち合わせのようなことを終わって解散してからあとのことだったと思う。
こうみえても、私が島根県へUターンして約20年ほどは比較的真面目で堅い公僕に近いような仕事をつとめていた。
その時の同僚で私の上司格の人が病気で亡くなったという。歳は私より少し上だと思うが、それほど大きく離れているわけでもなかったはずだ。
特に親しい付き合いでもなかった。それなのにその人は、私のことを時々話題にしていたらしい。
自分で自分のことを悪く云うのもどうかと思うが、あの20年間はどう考えても自分の生き甲斐と感じて仕事に取り組むようなことがなかった。当時の関係者にこんな告白を聞かれてしまうと烈火の如く叱られてしまうだろうが、時すでに遅しで今さらあの頃の過去に戻ってやり直すことも出来ないしどうなるわけでもないことだけど、とにかく、常識的に分析すると、職場では「仕事をしない」部類の人間だったように思う。
そんな私のことをその人は「忍耐強い人」と認識していたようだ。
私の何を見てそう感じていただいたか今では聞き返すこともできないが、どう考えても、そのような認識は大間違いであったわけだ。

「仕事をしない」ということと「仕事ができない」ということでは、当事者の立場の違いで大きくその本意が変って解釈されると思う。
私は、自分が受動的立場で仕事に対してしまうと、「できるできない」という客観的な能力より、その仕事を「したいしたくない」という主観的な意識を優先してしまう。自分が能動的立場で眼前の仕事に対する時とはまったく意識の意味が違ってくる。言い換えるなら、組織の中の一個人として、ワザワザ自分がその「仕事をしない」でも、別にもっと適任がいるでしょうと都合よく思ってしまうわけだ。そうやってのらりくらりしている間に、組織の方はあいつは「仕事ができない」ヤツだと思うようになってくる。いちどそういうラベルを貼られると、次に「役にたたない」ヤツだということになって、組織に「必要のない」ヤツになって、「居なくてもいい」厄介なヤツになる。だから辞めたと云えなくもない。

こうして、厚い雲に覆われて一面雪に囲まれて、かろうじて結界君を境内下の駐車場まで上げることができるほどの閉塞した暮しを続けていると、しだいに「仕事をしない」という自分に危機感を覚えるようになってくる。
あれだけ自分の意志を持って「仕事をしない」でいたはずなのに、不思議に「仕事がしたいのに仕事ができない」と思うようになってくる。
最近、何かにつけてイライラが続くし、自分の顔から笑顔が消えた。一人でいて一日中ひと言もしゃべらないで暮すということにはそれほど苦痛も危機感も感じないのに「仕事がしたいのに仕事ができない」自分がいるということを苦痛に感じはじめてきた。
面白いものだ。人間なんて弱いものだ。
そろそろおかみさん用にお昼ご飯をつくる時間になってきた。まぁ、それも仕事か・・・
昼からは、「立春大吉」のお札配りで地域のお檀家さんを巡回しようと思っている。

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雪模様 

2016/02/01
Mon. 19:36

夜半をすぎた頃から底冷えが厳しくなって、万善寺のロフト部屋が寒くなってきた。
正確に測ったことはないが、外気よりは2~3℃くらい高いはずだ。それでも寒くなって目が覚めたから、電熱式の敷き毛布の温度を少し上げて2枚重ねのシュラフに包まって体勢を整えて再度寝ることにしたのだが、なかなか寝つけない。部屋の中でも吐く息が白い。
ヒョッとしたら雨が雪に変っているかもしれない・・そんな気がした。
朝の一斉放送で目が覚めた。最近毎日のように節水の呼びかけをしているが、今朝もその放送だった。
初七日の法事の時に参列されていたご親族の一人が、自宅の隣の空き家の漏水を見つけて通報されたのだそうだ。その空き家は、たまたま鍵を隣に預けて管理をお願いしていらっしゃったから漏水の発見も早かったということだ。
万善寺の周辺は、この数年間で急速に空き家が増えている。保賀の集落だけでも空き家が5軒あって、そのうち1軒は昨年末からのこと。他にも、空き家にはなっていないが冬期の数カ月を留守にする家もあるし、高齢世帯では冬期だけ介護施設へ短期入居する家もある。万善寺は、おかみさんが頑固に庫裏へ住み続けるから、結局私が仕事を不自由にして同居することになってしまう。そのこともあって、漏水の点検もこまめに出来ていることになるし、やはりどんなに不自由でも家を空けたり留守にしたりすることはあまり良いことでもないなとも思う。よく、空き家にするとすぐに家が傷むというが、それだけでもなくて一軒の空き家で周辺の地域にまで被害が広がるという厳しい現実も生じることになってしまう。

いずれにしても、万善寺の周辺は雪模様の天気になったから、午前中は3畳の書斎にこもって停滞している寺務をまとめた。県の宗務庁から寺院の寺歴に関する書類提出の要請が届いていたのだが、万善寺に残る書類にはそれらしき内容を一括してまとめたものも見当たらないし、かろうじて予測できる資料があるとすると寺の過去帳に記載されたモノくらいのものだった。他には昭和に編纂された町史に万善寺の事が少しだけあって、それを手がかりに歴代住職の足跡を問い合わせながら私で出来る限りのところまでを数カ月かけて整理した。それでも何処かで整合性に欠けるようなところがあったりもするのだが、そのあたりのことは見て見ぬふりでスルーする事にした。
嘘か真か万善寺は600〜700年くらいの歴史があるようだ・・・
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龍雲山 萬善寺(万善寺) 曹洞宗 寺歴
本尊様:千手千眼観世音菩薩 (推定制作年:室町時代以前の作と調査推定)
鎮守神:荼枳尼天      (妙厳寺 豊川稲荷大明神より勧進分社遷座、由来歴不明)
伝承由緒:琴弾山山頂42坊中の一坊
三善秀清の発願・・・寺名の由来は秀清が万善寺殿と称されたことによる
三善秀清の系譜・・・応神天皇の後胤(こういん・子孫)三善清行の末裔、石州佐和氏の血脈
山号由来・・・・・・ニ世潭水雲龍による曹洞宗改宗を伝承して龍雲山と称す
本寺・・・・・・・・花谷山 千手寺(現広島県東城、元は現美郷町九日市花の谷)
開基:玉峰慶琮(ぎょくほうけいそう)大居士 三善秀清 万善寺殿と称される 
                      入寂 : 永和元年(1357)10月28日
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2016-02